【安土城】天下人の黄金大天守【大坂城】

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242日本@名無史さん
>>227
安土城≒岡山城(宇喜多秀家)
大坂城≒熊本城(加藤清正)/広島城(毛利輝元)

それぞれ模したと伝わる現存(復元)天守から具体的にイメージできるだろう.

しかし,三浦氏が屏風絵から外観復元している肥前名護屋城は,まるで五重塔.ヒョロ長で安定感に欠ける.
もっと広島城のように堂々とした天守だったと思う.
天守台の実測データは残っているのだろうか?
243日本@名無史さん:2011/07/31(日) 08:34:02.42
>>242
こんな感じ?
http://wheelchair-kazumi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/07/04/cimg0779.jpg

確かに、二重櫓+三重望楼、最上階高欄という後期望楼式、千鳥破風の配置は似てる気がする
http://castles.chicappa.jp/blog/hizennagoya-byoubu-slope(540).jpg
244日本@名無史さん:2011/07/31(日) 09:09:54.63
>>243
白亜に黒漆の突き揚げ戸といえば、彦根城。

肥前名護屋城=(広島城+彦根城)÷2 金箔軒瓦で葺いた、シロガネーゼな天守韃靼ではにゃあか?
245日本@名無史さん:2011/07/31(日) 09:48:14.20
現在姿を見ることができる建物の内、広島城天守が最もカッコイイ
246日本@名無史さん:2011/07/31(日) 10:36:50.93
>>242

>しかし,三浦氏が屏風絵から外観復元している肥前名護屋城は,まるで五重塔.ヒョロ長で安定感に欠ける.


三浦氏一党の復元案が総じてそうなんだよね。
247日本@名無史さん:2011/07/31(日) 13:10:22.59
>>244
広島城天守は、毛利輝元が本拠を祖父・元就ゆかりの安芸郡山城から現在の地に移す際、秀吉自らの案内で拝見した大坂城や聚楽第を参考に建てたと伝わるから、豊臣天守(肥前名護屋・淀・石垣山…etc)復原には、貴重な参考例

聚楽第の四層天守も、広島城の望楼部を、彦根城風(白漆喰+黒漆窓)に仕上げたような白亜の天守だったかもしれない
http://blog-imgs-37.fc2.com/n/e/k/nekoarena/4-19-2011_002.jpg
ちなみに、天守左後ろの突き出した棟は、北西隅櫓が重なった表現だろう(屏風は東南から北西方向を描く)