崇光源氏(伏見宮系)意外の男系皇族候補を探るスレ5

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1日本@名無史さん
崇光源氏(伏見宮系)は天皇に遡るには600年以上も昔になり、
天皇候補としては無理がある。そこで江戸時代の天皇や親王から分かれた
皇族を探ってみるスレです。

崇光源氏とは約600年前の北朝崇光天皇を祖とする源氏の一派。

前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1225089348/
2日本@名無史さん:2010/09/14(火) 00:54:36
家系図が600年離れても実質DNAは幕末の薩長土肥のお殿様の末裔が伏見宮系だろw
3日本@名無史さん:2010/09/14(火) 01:08:55
現在の皇位継承順位外で
男系で近いのは
1.閑院宮直仁親王の王子,鷹司輔平の子孫(徳大寺家)
 東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平―政熙―政通―徳大寺公純―→

2.後陽成帝の皇子,近衛信尋の子孫(近衛分家。本家は細川に乗っ取られ中)
 後陽成天皇―近衛信尋―→

3.後陽成帝の皇子,一条昭良の子孫(醍醐家)
 後陽成天皇―一条昭良―醍醐冬基―→
4日本@名無史さん:2010/09/14(火) 12:36:33
平成源氏小和田徳仁さんは?
5日本@名無史さん:2010/09/15(水) 23:04:57

>1
崇光源氏とか言ってるけど、
あの方々が臣籍降下されたとき源姓賜ってたんだっけ?

>3
現行の典範では他家(というか人臣の家)に
養子に行かれた場合の継承権ってどうなってるの?
6日本@名無史さん:2010/09/17(金) 15:54:27
鎌倉時代以降、源氏以外賜姓されていないから
源氏じゃないの?
賜姓されていないとしたら源氏よりも下なのか。
7日本@名無史さん:2010/09/20(月) 13:13:13
>6
そもそも近代以降、姓と氏と苗字(と称号)がごっちゃになって
「賜姓」という概念はないんじゃないの?

「崇光源氏」なる造語に伏見宮系への悪意を感じる。
8日本@名無史さん:2010/09/20(月) 16:38:38
>6
伏見、山科、久邇、北白川、朝香、東久邇、賀陽などが
戦後臣籍降下した際の姓だね。

しかし、600年前に分かれた家が戦前まで宮家を名乗っていたのは
確かにおかしいが。
普通は親王の子の代で賜姓だからね。
9日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:55:08
>8
>伏見、山科、久邇、北白川、朝香、東久邇、賀陽など
それって姓? 家名?
10日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:01:47
源平藤橘のような本姓(古代はウジ)は維新後、公的には使用されなくなった。
徳川とか細川とかいうのは名字(苗字)で、いわゆる家名にあたる。

戦後、皇籍離脱した旧宮家が名乗ったのは名字だから、当然、本姓ではなく家名。
11日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:08:42
ややこしいのだが、
古代は蘇我とか物部とか藤原というのがウジ(氏)で、家名に相当した。
そして身分を示す称号である朝臣とか宿禰とかがカバネ(姓)と呼ばれた。

時代が下ると、ウジである藤原とか源にも「姓」という字が使われるようになり、
本姓とか藤姓、源姓といった使い方が一般的になった。(氏字と姓字の混同)
その一方で、ウジ=本姓とは別の名字が出現し、こちらに氏の字があてはめられた。
だから源姓細川氏なんて言われるようになった。

こうした本姓と名字の二本立ては明治維新で廃止になり、近代以降は公式には名字しかない。
いまでは名字が氏とか姓氏とか言われている。
12日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:10:22
>>11
ややこしすぎる
13日本@名無史さん:2010/09/20(月) 22:02:16
>>10
明治維新後は家名と本姓はいずれも姓に統一された
現在朝廷からもらった本姓を名乗る人はまずいないからね
だから旧宮家が名乗ったのは姓で間違いがない
14日本@名無史さん:2010/09/20(月) 22:25:48
でも、明治以降でも私的な場面では本姓で揮毫する例はあるんだよね。
最近でも細川元総理が「源護煕」とか色紙かなんかに揮毫してるし。
15日本@名無史さん:2010/09/21(火) 17:08:36
源恒泰が皇族に成りたいと言って駄々をこねています。
16日本@名無史さん:2010/09/21(火) 18:14:26
源徳仁があの体たらくじゃな・・・
17日本@名無史さん:2010/09/21(火) 18:52:15
徳仁親王は親王。源氏ではない。
まあわかってやってるんだろうが悪質だな。
18日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:29:42
浩 徳仁
紀 清子
敬 愛子
19日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:22:26
>>18
今は生後7日目に皇族の宮号と名が同時に決まるが
昔は親王・内親王宣下、あるいは臣籍降下を受けるまで名が決まらず、
それまでの呼び名が「宮号」だった。
浩宮、紀宮、敬宮がその宮号に該当する。
江戸時代初期まではさらに簡易で、生まれた順に一宮、女二宮、とか
呼ばれていた。
20日本@名無史さん:2010/09/25(土) 19:04:39

>>13
ってことは、「崇光源氏」はやっぱり誤りですね!

>>14
私の曽祖父の祖父(幕末〜明治の人)も菩提寺の石碑に「源○○」と名前を刻んでます。

>>1
今更ですが、「意外」ではなく「以外」では?
21日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:39:32
崇光源氏って表現はアンチが伏見一門を貶めるための、造語だからなあw
戦後の皇籍離脱まで、臣籍降下してなかった伏見一門が「源氏」のわけないしw
22日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:44:13
伏見一門以外で男系皇族候補となると、現皇室と男系で系図上、一番近い皇胤。
江戸時代に元祖閑院宮から鷹司に養子に行った人の子孫ということになる。

華園門主、徳大寺さん、住友さん、高千穂宮司あたりだね。
23日本@名無史さん:2010/09/27(月) 13:59:31
> 崇光源氏

そもそもあんなに遠い後胤は
源氏ではなく平氏を賜るもんだ
24日本@名無史さん:2010/09/27(月) 18:28:37
親王になるために、代々、そのときどきのミカドの養子(猶子)になってたから、
「系図上」はそんなに遠くない。

まあ、擬制的なもんだけどな。
25日本@名無史さん:2010/09/27(月) 20:32:37
だったら擬制的に
アイドルか何かを猶子にして
親王にしちゃおうぜ
26日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:10:17
竹田某をヨロ
27日本@名無史さん:2010/09/28(火) 02:41:50
きもい子はちょっと
28日本@名無史さん:2010/09/29(水) 23:43:13
>>24
本来は皇族になれない伏見宮を
皇族扱いにするために便宜上猶子という形を取っていたにすぎないから。
養子としての実態はないから相続権なんかはない。
系図にも載らない。

29日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:43:30
>>28
アリスカワや姦淫宮とか他の皇族も代々猶子になっているけど?
皇族の身分云々じゃなくて親王宣下の関係でね
30日本@名無史さん:2010/10/08(金) 09:57:19
明治政府が明治天皇が夭折したら有栖川へ、有栖川が絶えたら伏見宮へ継承を決めたんだよ。大正天皇が子なくして崩御してたら現在は伏見博明天皇だよ。
31日本@名無史さん:2010/10/08(金) 10:49:38
そうしてみると大正天皇がただ一人の后との間にあれだけたくさんの皇子に恵まれたのは
伏見などに皇統を移してはならぬという皇祖皇宗のご意志の顕れであろうな
32日本@名無史さん:2010/10/08(金) 14:18:10
大正天皇が皇太子の時。病弱で早死にが予想され、明治天皇の四人の内親王が伏見系の宮家に嫁いだのは血統を高めて将来の不安に備えるためだった。女系で繋がった朝香、竹田、北白川、東久邇は別格である。
33日本@名無史さん:2010/10/08(金) 21:49:18
猶子にならないと親王宣下が受けられない
そして皇族の地位を維持できないようなのは
本物の皇族とは呼べないよね。
34日本@名無史さん:2010/10/09(土) 00:57:27
女系で繋ぐことに意味があるんだったら
女系でいいんじゃんという
Y染色体がどうこうはどこ言ったんだという
35日本@名無史さん:2010/10/09(土) 05:36:22
「猶子にならないと親王ではなく王に」ならまだしも
「猶子にならないと親王ではなくただの人に」じゃあねえ
36日本@名無史さん:2010/10/09(土) 12:16:05
昭和五年頃に昭和天皇が法律を改正して養子を取れる様にとの考えを示した。これは良子皇后が男子を産まなかった場合に皇位継承順位によらず幼い皇族を養子にして帝王教育を施そうと言う構想で伏見宮系からの養子を想定していたようだ。
37日本@名無史さん:2010/10/10(日) 03:50:13
>>36
適当な嘘ばっかり並べてんじゃねーよ

ttp://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/ad6eecf8246a63b17bd208813b56f1f3
38日本@名無史さん:2010/10/10(日) 08:34:46
皇族の養子?博添は華頂へ行って出戻り。高松は有栖川の別称で先祖代々の祀も継承したから実質養子。皇族間の養子縁組あったんじゃないの?
39日本@名無史さん:2010/10/10(日) 15:23:47
四条家とか中院家とか室町家とかも微妙に直系だったりするのか
40日本@名無史さん:2010/10/10(日) 15:37:19
名称が同じだから養子とかあまりに短絡的すぎるな。
桂宮の名称を復活させたといっても
別に養子になったわけではないから。
41日本@名無史さん:2010/10/10(日) 16:31:51
伏見宮が皇族ってのはインチキだし
42日本@名無史さん:2010/10/10(日) 17:38:39
伏見宮は創立当初は天皇宗家としての存在意義はあったでしょ?
43日本@名無史さん:2010/10/10(日) 23:09:56
今の皇室は閑院から入った。光恪は正当性に欠けると軽く見られが時間の経過と代替りで正当性を得た。伏見系が復籍しても五十年経てば皇族として定着するはずである。
44日本@名無史さん:2010/10/10(日) 23:40:49
閑院と伏見じゃ男系での接続が違いすぎない?
45日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:39:40
しかもご落胤でつないでるから
Y染色体がたぶん違っちゃってるし
46日本@名無史さん:2010/10/11(月) 01:40:34
ご落胤ならたぶん違っちゃってないだろう?
47日本@名無史さん:2010/10/11(月) 01:58:23
あんな怪しい状況では無理ありまくり
48日本@名無史さん:2010/10/11(月) 15:05:22
秋篠系が断絶したらどうするんだ?フランスだって何百年も前に別れたブルボンとオレルアンヌで国王出したんだぜ。竹田クンを除外した伏見系をもり立てなくてはいけないだろ。
49日本@名無史さん:2010/10/11(月) 15:22:10
フランスみたいに滅んだ失敗王室のマネするくらいなら
今でも立派に王政の続いているイギリスを見習って
近い皇胤から優先に継承順位をつけたほうがいいよ
50日本@名無史さん:2010/10/11(月) 17:50:29
仮に悠仁天皇に男子がいない場合
過去の例から見て
男系で最も血筋の近い徳大寺系に皇位が継承されるだろ。
51日本@名無史さん:2010/10/11(月) 17:54:21
そうだね
52日本@名無史さん:2010/10/11(月) 18:01:36
男系順抜きに考えれば近衛が一番高貴な感じだよね。まず近衛家だし、
三笠宮の血が入って現皇室にも近い。細川の男系だから神武の男系でもある。
53日本@名無史さん:2010/10/11(月) 21:00:27
そんな臣下になったのはダメ。皇統が断絶したら徳川宗家でいいじゃない。伏見系は伊勢神宮祭主として関西で細々とやって行けば良い。
54日本@名無史さん:2010/10/11(月) 21:11:27
徳川宗家も臣下だから同じこと
もちろん伏見も既に臣下であるからして
「臣下だからダメ」という発想は捨てざるを得ない
(「悠仁統がダメならもう天皇制もダメ」という潔いところまで行かない限り)

しかしその発想を捨てると男系の近さで測ることに
何の問題もなくなる
55日本@名無史さん:2010/10/17(日) 11:50:39
つまり清和源氏も崇光源氏も論外と言うことだな。
56日本@名無史さん:2010/10/17(日) 12:19:07
もう世襲制度自体がいらない。

どうしても君主が必要なら、木像か銅像でもつくって飾っとけ。
57日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:00:12
>>48
オレルアン家(オレルアンヌではない)のルイ=フィリップが擁立されたのは革命の結果であって、
ブルボン家が断絶したからではない。
シャンボール伯の逝去によってブルボン家が絶えるのはもっと後のことである。
58日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:05:09
>>31
臣下の身で「皇祖皇宗の御意志」を云々する勿れ。
そんなことを言ったら東宮御兄弟の次世代に悠仁殿下以外男子がおられない現状も
「皇祖皇宗の御意志」ということになってしまうではないか。
59日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:09:31
>>54
臣下であることは即位されることの障害にはならない(先例あり)。
でも徳川みたいな偽源氏は論外。

>>56
高師直乙
60日本@名無史さん:2010/10/18(月) 02:14:07
>>58
そりゃ当然皇祖皇宗の御意志でしょ
あれが皇祖皇宗の御意志でないなら
皇祖皇宗は子宝もロクに送れない無能
ってことになっちゃうじゃん
61日本@名無史さん:2010/10/19(火) 18:13:39
近代天皇制では伏見系は正統なる皇位継承権を保有していたわけです。江戸時代の経緯や臣下へ養子に出た男系血統は論外です。明治天皇が定められた皇族の範囲は伏見系まで。ですから旧宮家の復籍以外に万世一系はありえないのです。
62日本@名無史さん:2010/10/19(火) 19:21:50
昭和天皇が定められた皇族の範囲は大正系まで。
63日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:28:44
もう大空位時代にして、民間人摂政でいいよ。

ハンガリーのホルティ摂政という、いい前例があるだろ。
64日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:33:31
民間人摂政なら、旧宮家にこだわらなくても、
江戸時代に皇室から分かれた東山系の徳大寺さんでも、
後陽成の系統の醍醐さんでもいいわけだし、
近衛家や徳川将軍家でもいいわけだ。
極端な話、長嶋家や花田家でもいい。

確かに、この方がすっきりする。
65日本@名無史さん:2010/10/20(水) 17:50:48
大正系も絶滅予定。明治、昭和の女系も入った東久邇系しかない。続いて絶滅寸前の久邇、朝香、竹田しかないだろう。
66日本@名無史さん:2010/10/21(木) 00:11:32
> 江戸時代の経緯や臣下へ養子に出た男系血統は論外です。
> 明治天皇が定められた皇族の範囲は伏見系まで。

そうだとしたら昭和天皇が定められた皇族の範囲は大正系であって
昭和時代の経緯や臣下になった統も論外なので
大正系が「絶滅」(なんと不敬な表現なんだ)したら天皇制も終わりだね
それでいいならいいよ
67日本@名無史さん:2010/10/21(木) 07:24:47
不敬!「院と言うか、犬と言うか、犬ならば射て!」日本史上最大最悪の泥酔不敬事件だったな。
68日本@名無史さん:2010/10/21(木) 20:30:17
実際に弑したのに比べればまし
69日本@名無史さん:2010/10/22(金) 17:04:40
貞明皇后が終戦の時に「皇室は明治維新の前に戻る・・」と皇室の未来を予想したが、終戦までの皇室在り方は異常であったと思う。
70日本@名無史さん:2010/10/23(土) 19:55:25
>>68に同意。最悪の逆賊は蘇我馬子。

しかし>>67は「最大最悪の泥酔不敬事件」って書いてるな。
崇峻天皇を弑し奉ったとき馬子は泥酔していないと了解しているから、
「最大最悪の泥酔不敬者」は土岐頼遠でいいのか。

>>64
しれっと偽源氏徳川を混ぜるなよw
71日本@名無史さん:2010/10/23(土) 20:10:19
徳川は歴代の政権が源氏と認めたんだから源氏だよ
歴代政権のお墨付きが無効だと言うなら
DNA鑑定を受けてもらわないとね、徳川にも伏見にも
72日本@名無史さん:2010/10/23(土) 20:52:36
崇光源氏も途中で鍛冶屋の徒弟の血筋にすり替わっているから
徳川と変わらんレベルだぞ。
73日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:09:01
歴代政権って徳川でしょw
徳川が徳川を源氏と認めたから源氏ってなんと華麗な論理破綻w
74日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:39:28
その破綻した徳川にご落胤と認めてもらって以下略
75日本@名無史さん:2010/10/24(日) 23:02:50
そもそも徳川の源氏認定は徳川自身じゃなくて正親町帝だと思うが
76日本@名無史さん:2010/10/25(月) 17:14:59
大君制度が良い。明仁は知らなくても徳川三代、吉宗、水戸黄門だったら小学生は知っている。国民の理解を得やすいだろう。
77日本@名無史さん:2010/10/25(月) 22:57:31
>>71
>>75
それだと
「源某 宜任・・・」とか言われた時点で真否に関係なく皆源氏になっちまうぞ。
誰が認定した云々と、史学的な正否は別だと思うが。

>>76
国民の理解力を小学生の知的レヴェルまで落とすなよw
それに私は御皇室は尊崇し奉るが
三河の土豪の末裔を崇めろとか言われても御免蒙るよ。
78日本@名無史さん:2010/10/26(火) 06:59:09
>>77
> 誰が認定した云々と、史学的な正否は別だと思うが。

まあそういうことだね
鍛冶屋の子孫が皇族として扱われていたからといって
史学的には偽皇族の可能性は大としなくてはならない
79日本@名無史さん:2010/10/26(火) 07:31:29
ひがしくにさんに親王宣下を出していただきたい。
80日本@名無史さん:2010/10/26(火) 11:28:24
皇籍復帰にはDNA鑑定を条件にしないとね
なにせY染色体こそが重要なのだから
81日本@名無史さん:2010/10/26(火) 13:09:15
>>76
明仁を知らないように徳川恒孝のことも小学生は知らないだろうからおんなじだよ。
まあ徳川三代は政仁、吉宗は慶仁、水戸黄門は識仁、恒孝は明仁のことを知ってるけどね。
82日本@名無史さん:2010/10/26(火) 17:46:24
そして政仁は徳川三代、慶仁は吉宗、識仁は水戸黄門、明仁は恒孝のことを知ってるけど
それがどうしかしたのか
83日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:51:08

>>81-82
これこれ。いみな(なぜか変換できない)を呼び捨てとは畏れ多いぞ。

ところでこのスレで大人気の「鍛冶屋の子」って誰?
84日本@名無史さん:2010/10/27(水) 07:29:13
世襲親王家を設けたのは断然への保険だろ。五百年血統が離れていてもスペアなんだから。閑院宮があったから今日があるんだよ。光恪は世襲親王家から入ったから廷臣に軽く見られ苦労したけど今日の皇室に至ったんだ。東久邇が即位しても五十年経てば正当性を得られるさ。
8581:2010/10/27(水) 13:26:32
>>83
ご指摘乙。お礼に、「鍛冶屋の子」とは貞致親王のこと。

>>82
小学生は藤原道長、源頼朝、足利尊氏を知っている。
藤原道長は一条、源頼朝は後白河、足利尊氏は後醍醐を知っている。
しかし道長も頼朝も尊氏も、同時代に生きた徳川大君のご先祖のことはおそらく知らない。
まあ何のことだか分からないだろうがね。
86日本@名無史さん:2010/10/27(水) 17:45:14
まあことによると
道長も頼朝も尊氏も、同時代に生きた伏見のご先祖のことは知らないかもね
87日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:50:19
鍛冶屋の徒弟が皇族にすり替わった。
嘘のような本当の話。
88日本@名無史さん:2010/11/09(火) 17:50:34
水呑み百姓や小作人の子孫のルサンチマン丸出しのスレだな。

みっともない。
89日本@名無史さん:2010/11/09(火) 23:21:28
>>88

自己紹介乙
90日本@名無史さん:2010/11/23(火) 22:03:28
>>86
伏見のご先祖はそのまんま道長、頼朝の同時代の天皇だろう

尊氏なら同時代の伏見のご先祖はまさに光厳院なんだから知らんはずがないだろう
91日本@名無史さん:2010/11/23(火) 23:03:24
丹波の鍛冶屋って尊氏に知られるほど有名だったのか。
伏見宮のご先祖さまだが。
92日本@名無史さん:2010/11/30(火) 22:32:18
>>91

と‐てい【徒弟】
1 親方の家に住みこんで商工業の技術を見習う少年。丁稚(でっち)。小僧。
2 門人・弟子。
93日本@名無史さん:2010/12/01(水) 06:34:49
確かに鍛冶屋どころかさらにその徒弟だからな
尊氏当時のご先祖の身分が鍛冶屋にすら及んでいなかった可能性が高い
94日本@名無史さん:2010/12/03(金) 23:55:03
崇光源氏(徒弟源氏)なんてインチキ源氏じゃん。
男系を辿っても天皇には結びつかないのだから。
95日本@名無史さん:2010/12/11(土) 18:18:01
最古の皇別 阿蘇公の子孫である阿蘇家
神武天皇まで遡ってしまうがな
96日本@名無史さん:2010/12/11(土) 18:23:13
>>94
君は十年ほど家を出て久しぶりに実家に戻ったら他人扱いされて家に入れて貰えなかった口だな?
97日本@名無史さん:2010/12/11(土) 19:46:07
そういう君は「オレオレ、オレだよ!十年前に家を出たオレだよ!
久しぶりに実家に戻ってきたんだよ」といって空き家を乗っ取った口か
98日本@名無史さん:2010/12/11(土) 20:38:11
いや、私は普通に家族に出迎えられました。
あなたは乗っ取れます? しかも宮家を
99日本@名無史さん:2010/12/12(日) 05:08:08
いや、私は普通に家を出ていません
ずっと跡継ぎです
100日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:10:08
鍛冶屋の徒弟をやっていた人が突然落胤認定されて
皇族に取り立てられたらびっくりするだろうな。

現代に○○宮の落胤だという人が出てきて
皇族に取り立てられたら周囲は受け入れるだろうか?
101日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:19:46
徳大寺家とかは駄目なのかな?
今の皇室と近いのは久邇家。
お金一杯持ってる男子一杯の竹田家。

復帰はこの二家で桶。

後は皇別摂家にして予算節約。
102日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:37:42
>>99
じゃあ一度経験してみては如何か。
できれば同世代の友達を誘って一緒に家を十年出てみてほしい。
そして十年たったら、あなたが友達の家の方に「帰宅」するのだ。
それで家の人に迎えられ、まんまと友達になり済ましてその後の人生を送れたなら、
「貞致親王非崇光系説」を信じてやっても良い。
103日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:07:44
「僕は信じませーん」まで読んだ
104日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:07:53
>>102

じゃ値するね。
105日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:17:04
>>103
それで十分です。
106日本@名無史さん:2010/12/12(日) 13:05:03
よし俺は>>102が十年後に月に行けたら
「アポロは月に行った説」を信じてやってもよいことにするぞ
107日本@名無史さん:2010/12/12(日) 13:39:31
ああ、君はアポロの月面着陸を捏造だと思ってるんだ?
もともとが陰謀論者なわけね。納得。
108日本@名無史さん:2010/12/12(日) 14:50:02
日本語読めない子だったか
109日本@名無史さん:2010/12/12(日) 14:54:30
>>99が十年でなりすましになるかならないかを
「貞致親王非崇光系説」を信じるかどうかと結びつけるのは
>>102が十年で月に行くか行かないかを
「アポロは月に行った説」を信じるかどうかと結びつけるのと
同じ構造の基地外沙汰

ここまで書けば中学生でも読解できるかなあ
110日本@名無史さん:2010/12/15(水) 07:45:26
通報しましたので、該当者の方、すが○くり○○○の方お気をつけて。御武運を・・・・。
111日本@名無史さん:2011/01/17(月) 23:38:31
皇位継承を皇族のみに限定していたらいつか必ず行き詰まる。
安定した皇位継承には皇族限定という縛りを無くし
男系で近い順という血統のみで皇位継承を行う必要がある。
女系宮家を造るとか、宮家が増えすぎたら減らすとか
そういう心配も無くなる。
宮家制度は廃止。
その代わりに皇位継承順位1位の人が閑院宮、2位は有栖川宮、3位は桂宮・・・
といった皇族爵位を名乗り皇族の定員は固定される。宮号の世襲はなし。
皇族の世数制限し永年皇族制も廃止。
112日本@名無史さん:2011/01/26(水) 21:56:17
もう世襲君主制なんかやめちゃえよ。
113日本@名無史さん:2011/01/28(金) 13:28:36
菅さんを全権持たせた元首にした方がましだと?
114日本@名無史さん:2011/01/28(金) 14:41:31
そりゃ竹田くんよりはましだわな
115日本@名無史さん:2011/01/28(金) 16:58:55
どうせ1600年もの間父と子の血縁が一度の間違いもなく
繋がっているなんて人類史上ではありえないんだよ。
それが男系一統主義の罠。
代々の天皇も他の男のY遺伝子を持つ男児を
我が子として抱かされてきたのだし
そういう意味では男系はけして遺伝子の世襲ではない。
天皇が跡取りと定めた人が血統にかかわらず天皇になる、
この制度が長らく続いてきたのが現在の天皇家。
116日本@名無史さん:2011/01/28(金) 21:12:01
貴様寛仁殿下の仰せに逆らうのか
117日本@名無史さん:2011/01/30(日) 17:26:59
トモさん自身、息子はいないし、説得力ゼロだな。
118日本@名無史さん:2011/01/30(日) 17:45:09
>>116
寛仁に何の政治的発言力もないだろう。
政治家に言わせれば寛仁などy遺伝子の伝達もできなかった
できそこないの宮様だ。
119日本@名無史さん:2011/02/01(火) 18:43:31
老いて又 かかる恵みの位山 のぼらん道も おもいがけしや
120日本@名無史さん:2011/02/01(火) 23:15:49
まあうちも貞純親王の子で臣籍降下の際に
直接賜姓した(ことになってる)一族だけど、
それもみんな候補?w
121日本@名無史さん:2011/02/02(水) 01:12:10
まあね
継承順位は何万位になるかわからんけど
122日本@名無史さん:2011/02/02(水) 09:21:04
うちなんか敏達天皇後裔だから何千万位くらいになりそうだな
123日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:40:01
古代までさかのぼれば何代目かの天皇のy遺伝子を持っている
可能性のある人は日本人男性の実に3分の1らしい。
身分の高い男ほど多くの女性を抱えて遺伝子を残しやすかったためで、
逆に貧しい男ほど妻を得られなかったり
子孫が餓死して死に絶える確率が高かったためらしい。
というわけで、誰が天皇になってもいいという論争になりそうだ。
究極には。
124日本@名無史さん:2011/02/02(水) 23:42:46
天皇家本家が絶えたら誰が継ぐのか? 皇別摂家? 伏見宮家?
で、継いだその男系も途絶えたら?……なんてことが続くようなら(ていうか続く可能性も大)、
まあある意味では皇位の正統性が揺らぐとも限らなんわな。そのくせ「皇位継承候補者」だけは無数にいると。
だから女系含めた長子優先案というのが逆に、
新しい「正統性」の拠り所になるという気持ちも分からんでもない。
つまり、華園とか徳大寺とか伏見とか竹田とか……に比べたら、
愛子・眞子・佳子内親王らは「生まれながら天皇家の人間」なのであり、
彼女らが婿を迎えて儲けた子供の方が、よっぽど「天皇ファミリー」として相応しいのでは?
と、小泉さんなんかもおそらく素でそう考えていたんだと思う。
出生率が少なくとも1はある以上、性別を考えなければ、何十親等も離れた庶民を引っ張って来ずとも、
なんとかその時々の今上天皇の近親筋で継承しくことは可能だろうからね。
125日本@名無史さん:2011/02/03(木) 00:21:17
外国では皇位継承順位が数百位とかもいたりする。
その全員を皇族にするのは現実的ではない。
日本も皇位継承を皇族に限定するという考えは改めるべき。
126日本@名無史さん:2011/02/04(金) 18:19:01
まあ内親王の宮家も容認してもいいかもな
5世以内に男系の子孫と婚姻することを条件に
127日本@名無史さん:2011/02/04(金) 18:20:56
>>125
今上陛下と何親等以内を皇族ってすれば
皇族の肥大化は回避できるでしょ
128日本@名無史さん:2011/02/06(日) 04:57:39
だったら戦前の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を
そのまま使えばいいんでないの
129日本@名無史さん:2011/02/06(日) 22:14:41
戦前の皇室典範で伏見宮系皇族全員が
臣籍降下と決められたんだよな。
でもなかなか降下しないでいたら終戦になって
一斉に降下せざるをえないことになった。
130日本@名無史さん:2011/02/06(日) 23:18:43
それをいいことに降下をGHQのせいにして
「世が世なら俺も皇族!(キリッ」とか
「GHQの押し付けによる降下は取り消すべし!(キリッ」とか
いきまいている卑屈な奴が
131日本@名無史さん:2011/02/07(月) 19:28:09
まあ、クロダとかオワダなんかよりは、マシではあるが。
132日本@名無史さん:2011/02/07(月) 23:15:57
>>129
昭和天皇は東久邇家だけは残したいという希望だったそうだが
全員降下に決まってたんだっけ?
133日本@名無史さん:2011/02/07(月) 23:57:41
>>132
堂上華族だけでも残してほしいと希望された、の間違いじゃないの?
東久邇を残すという意図が全然分からないんだが。
134日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:05:37
>>133
長女が嫁いでたからだよ。
135日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:19:12
まあ意図はわかるよね
ただ帝のご希望が公にされたことはないんじゃないの?
136日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:56:44
>>134
仮に「娘が嫁いでいるから皇族にしてほしい」と言っても
誰も納得しないだろ。
137日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:45:01
ただ、祖父母レベルで見たとき、皇太子徳仁親王と東久邇信彦氏とでは、
同じ昭和天皇の孫でも、「血筋的」には「東久邇優位」なんだよな。
皇太子…昭和天皇/久邇宮良子女王/正田英三郎/副島富美
 つまり、皇室/皇室/民間/民間 なのに対し、
東久邇…東久邇宮稔彦王/聰子内親王/昭和天皇/久邇宮良子女王
 つまり、皇室/皇室/皇室/皇室 となる。
138日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:42:39
>>137
東久邇は天皇から20数世孫離れて皇族の資格がないから
臣籍降下したのに、その血筋が良いわけないだろ。

天皇本家と600年前の先祖が天皇だっただけの伏見の
さらに庶流の庶流の東久邇の血筋を比べること自体が間違っている。

139日本@名無史さん:2011/02/09(水) 07:57:28
だからといって正田やオワダの方が東久邇より優ってるわけがない。

オワダ?

笑わせるなw
140日本@名無史さん:2011/02/09(水) 13:16:49
女系では血筋が上とか下とかの議論は意味がない。



141日本@名無史さん:2011/02/09(水) 15:32:57
伏見を支持する奴の下卑た本性が丸出しになるような下卑たレスがちらほらと
142日本@名無史さん:2011/03/08(火) 23:52:42.74
引き篭もりな小和田の娘に皇后が務まるとは思えないのだが。
143日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:03:17.01
てs
144日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:28:03.59
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」
この天皇の血統に属する男系男子というのは実は数え切れないほどいる。
(源氏や摂関家に養子に入った人など例を挙げればきりがない)
その中で天皇から血筋の近い人が皇位を継承するというのが伝統となっている。
女系とかを持ち出すのは伝統に反する。
145日本@名無史さん:2011/04/10(日) 13:44:58.54
?
146日本@名無史さん:2011/04/10(日) 20:25:54.13
敗戦で大日本帝国は消えた。
天皇が元首だったから帝国、日本国になったから天皇も消えるべきだった。
王国でも帝国でもない国民主権の日本国に人権も意思も持たない天皇職があるのは連合国に押し付けられた結果。
憲法改正で天皇制度は廃止できる。それで天皇を拝みたい連中は勝手に宗教団体でも政党でも作って元天皇を拝めば良い。

天皇制廃止のために『憲法改正』を真剣に考えよう。
147日本@名無史さん:2011/04/28(木) 21:41:06.48
148日本@名無史さん:2011/04/29(金) 15:04:55.58
閑院宮第5代愛仁親王の死後も
愛仁親王の弟教仁法親王はしばらく存命だったんだよな
なんで還俗して閑院宮継承しなかったんだろ
当時桂宮も空主な上に天皇に兄弟無し、皇子1人しかいなくて
伏見宮に男子が次々生まれる状況とはいえ2宮家が同時に空主とかさすがにまずいと思わなかったのか
閑院宮直系の子孫が続いてれば伏見宮系より男系で現皇室と近かったのに
149日本@名無史さん:2011/04/29(金) 18:29:54.58
そういえばもう一つ疑問は
明治維新後に閑院宮は載仁親王を継嗣に迎えて存続したし
大正期には有栖川宮も高松宮に祭祀継承してるのに
桂宮は何故そのまま断絶させられたのだろう
伏見宮の王子の中から継嗣を迎えれば良かったのに
150日本@名無史さん:2011/04/30(土) 14:33:50.59
朝彦親王が世志麿王に桂宮を継がせようと工作していたけれど、皇族を増やしたくない岩倉が
反対してつぶしたんだよね。


東山天皇から実系でつながっている閑院宮や霊元天皇から6代つづいている有栖川宮とちがって
家系がぶちぶちに切れている桂宮はあまり重要視されなかったのかも。
151日本@名無史さん:2011/04/30(土) 21:40:35.98
>>150
なら時代が少し前とはいえ>>148のように閑院宮の実系を絶やしたのは疑問

還俗して宮家相続って普通にあり得るよな?
152日本@名無史さん:2011/05/01(日) 06:26:20.14
一度出家すると皇族には戻れないから継承は無理。
153日本@名無史さん:2011/05/01(日) 09:26:33.29
>>152
伏見宮は当主の弟が当主の死後還俗して継承してたような
154日本@名無史さん:2011/05/01(日) 10:23:04.09
厳密にいうと、出家しても「入道親王」「宮門跡」だから、皇族に変わりはないし、
はるか昔は称徳女帝という尼僧にして天皇の実例もあるんだが。
155日本@名無史さん:2011/05/01(日) 10:28:57.07
>>151
あの当時は天皇家自体が男子が一人しか育たず綱渡り相続の状態。
しかも、天保期は幕府も朝廷も財政難の状態。

伏見宮系からわざわざ養子を入れて世襲宮家を維持する余裕もなく、
むしろ世襲宮家は減ってくれた方が好都合だったのかも。
156日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:06:04.76
>>154
前例にはならないだろ。その後出家してから即位なんて例は出てないから。
入道親王とか世襲親王は名誉教授みたいなものなのかな。
実際には皇族じゃないけど肩書きとして親王を名乗っていいよみたいな。
席次とかの影響もあるし。
157日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:08:22.58
>>155
いや、閑院宮第五代愛仁親王の死後は母親がしばらく当主格で閑院宮は存続してて
朝廷の財政難には影響は無いでしょ。
宮家自体が消えなければその家臣の人件費等は消えないし。

天皇家で男子が一人しか育たない状態だからこそ世襲親王家2つも後継者無しとか非常にまずい。

当主の弟もいない桂宮と違って閑院宮は出家した弟が一人いたようだから
伏見宮から養子を迎える必要もないし
158日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:09:30.94
>>156
伏見宮は還俗して継承された前例はあるよ
159日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:17:56.64
>>158
伏見宮は皇位継承に関係ないから
インチキしても許されたのかも。
入道親王と同じようなものかな。
160日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:24:17.53
>>159
wikipediaがソースで申し訳ないが伏見宮邦頼親王は兄の伏見宮邦忠親王と
その後を継いだ桃園天皇皇子の伏見宮貞行親王の死後に還俗して伏見宮を継承。

その邦頼親王の子の伏見宮貞敬親王は後桃園天皇の死後に天皇候補として名が挙がった。
しかし結局は閑院宮から光格天皇が即位した。
161日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:51:31.31
あと、幕末に孝明天皇がブチ切れて譲位を言い出したときも、
幼少で病弱の睦仁ではなく、有栖川か伏見に譲ると騒いだんだよね。
162日本@名無史さん:2011/05/02(月) 11:00:49.74
>>157
当主格なんて日本語は存在しない。
当主格などというのはインチキに過ぎない。
当主の資格がない人が当主になるのは無理。
後継ぎがいなくなった時点で断絶だ。
163日本@名無史さん:2011/05/02(月) 11:18:48.30
>>162
いや……
当主格を置いたまま宮家を存続させて明治になってから養子を迎えてるんだが
当主格はあくまで中継ぎだよ

断絶したのにその後養子迎えて復活したとでもいうのか?
164日本@名無史さん:2011/05/02(月) 12:10:43.87
>>163
相続というより、明治に入って閑院宮という家名を復活させたというのが適当だろう。
直接的な血のつながりがあるわけでもないし。
現在の桂宮と同じようなものだろう。
165日本@名無史さん:2011/05/02(月) 12:22:30.39
つまり、四親王家とは関係のない現在の桂宮と同じようなものだってこと。
166日本@名無史さん:2011/05/02(月) 13:22:58.26
>>164
財産とか家臣とか祭祀とか継承してるでしょ。

もともとは
朝廷が財政難だから断絶させた→当主はいないけど家は維持してるから費用掛かるから関係ない
→当主がいないから断絶だ→当主がいない家を当主格をおいて維持してるんだろ
って議論。

だから当主がいない状態で朝廷から見て閑院宮家が費用が掛かったか掛からなかったかを
はっきりさせるべきじゃないかな。

宮家って当主がいるかいないかで支出に大きな差があるとは思えないんだよね。
家臣はそのままだし祭祀も続けないといけないし。
そのための所領その他の財産も独自に持っていて手放すわけじゃないし。
167日本@名無史さん:2011/05/02(月) 14:17:32.30
>>166
財産があるとか祖母、未亡人、娘などが残っていたら
断絶ではないというのは詭弁に過ぎない。
当主がいなくなった時点で断絶だから。
財産とかは全く関係ない。
168日本@名無史さん:2011/05/02(月) 15:26:28.98
>>167
じゃあ閑院宮は江戸時代に断絶して明治時代になったら復活した、と認めます。

その前提の下で質問です。
なぜ明治になったら復活させたのに江戸時代には復活できなかったんですか?
当主がいなくなったとはいっても当主の弟は生きてたのに。
弟を新当主になぜ迎えなかったのか、というのが最初の疑問です。
169日本@名無史さん:2011/05/02(月) 18:18:50.06
閑院宮が無主のまま、所領と家臣が維持されてた状態というのは、
御三卿の清水家とかでよくみられた「明屋形」と同じ状態だろ。
170日本@名無史さん:2011/05/02(月) 18:24:49.12
明治の閑院宮は「明屋形」状態だった旧閑院宮家を戴仁親王が入って相続したもの。
もとの閑院宮と血統はつながっていなくても、代数は続いており、祭祀を継承している。

現在の桂宮は、四親王家の桂宮家とは関係なく、宜仁親王が新規に創設したもの。
宮号の由来は旧桂宮ではなく、宜仁個人の「お印」がたまたま「桂」だったからにすぎない。
171日本@名無史さん:2011/05/02(月) 20:17:26.87
いまの天皇家自体が閑院宮の流れなんだから、
現秋篠宮に宮号を下賜した際に「閑院宮」をやればよかったのに。

近代に再興した元の閑院宮は春仁王で無嗣絶家したんだし。
172日本@名無史さん:2011/05/03(火) 12:42:53.09
戦前の宮家名を再興するのは、封建的で反動的なイメージがあるのだろうか。
173日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:39:33.38
閑院宮家は愛仁親王亡き後、皇子の誕生を待って(閑院宮家の養嗣とする)
母・鷹司吉子を家主同格にしたらしいね。ネットで調べたら、
天保13年(1842)9月17日に愛仁親王薨去、同年11月25日に吉子を当主格とする、とあった。
で、その当時の愛仁弟・教仁法親王の動静についても調べると、
9月29日に前年就任した天台座主の地位を辞しているんだが、同年12月3日には還任されている。
書籍で調べれば、この辺りの詳しい経緯が分かるかもしれないな。近いうち図書館にでも行ってみるわ。
ちなみに、当主格だった吉子が亡くなったのが明治6年(1873)3月20日、
伏見宮家から載仁親王が継嗣として迎えられたのが明治5年(1872)1月10日。
つまりそれまで閑院宮家は家として存続していた。
174日本@名無史さん:2011/05/03(火) 15:47:15.62
伏見宮が世襲で室町から延々続いているのが何故かわからない。
後水尾院、後西院、霊元院は皇子も多かったし、このあたりの皇子の血統に変えたら、まだ違っていたのかもしれない。
桃園院の皇子でやっとそんな動きになったが、結局若くして亡くなってしまったし、その後も、後桃園院の第三皇子(第一皇子が皇太子、第二皇子が桂宮)誕生を待ってという動きになったが、結局、皇子そのものが誕生せずに終わってしまった。
175日本@名無史さん:2011/05/04(水) 11:46:03.55
>>173
おお、サンクス。
教仁法親王は兄が死んで閑院宮を継ぐために天台座主を辞した後
母が当主格として閑院宮の存続することが決まったから
再び天台座主に戻った感じかな?

>>174
伏見宮は当主に男子がある場合が多くて天皇家から養子を送り込む機会が少なかった。
さすがに嫡子がいるのに養子入れるのは厳しいからな。
176日本@名無史さん:2011/05/04(水) 16:09:57.24
近世の天台座主は妙法院・梶井・青蓮院と輪王寺の門跡でのたらいまわしの気がある。
天台宗の支配権は輪王寺がもっていて、形式的になっている。

教仁法親王に限らず、短期間で辞任し何年か経って再任はおおい。江戸時代初期の妙法院門跡の
堯恕法親王も三度やっている。
177日本@名無史さん:2011/05/06(金) 00:24:41.91
>>170
祭祀を引き継いだから家督も引き継いだ
という意見には説得力がない。
そもそも伏見宮から他の宮家に養子にいった例はない。
明治の閑院宮は血筋的にも明治以降に伏見宮から大量に派生した新宮家の一つに過ぎない
と考えるのが一般的だろう。
178日本@名無史さん:2011/05/06(金) 01:04:41.57
血筋の遠い奴から、平氏なり源氏にして、血筋の近い人間を宮家にしたらよかつたのにな。
179日本@名無史さん:2011/05/06(金) 17:57:42.35
>>177
> 祭祀を引き継いだから家督も引き継いだ
> という意見には説得力がない。
なんで?
祭祀を引き継ぐ以外にどうすれば家督を引き継げるの?

> そもそも伏見宮から他の宮家に養子にいった例はない。
明治維新の前と後を比較してもしょうがないよ。
宮家出身者が新しく宮家を創設した例も無かったんだから。

> 明治の閑院宮は血筋的にも明治以降に伏見宮から大量に派生した新宮家の一つに過ぎない
> と考えるのが一般的だろう。
形式的には他の新宮家はちゃんと新しく創設する形をとっているでしょう。
実質的には新宮家と言えるかもしれないけど、
ああいう世界は形式で動くものだからやはり閑院宮は存続してると考えるのが自然。
180日本@名無史さん:2011/05/06(金) 18:20:42.63
天皇制度なんて廃止が当然。
偶像崇拝の制度なんて馬鹿しか有難がらない。
181日本@名無史さん:2011/05/06(金) 18:29:25.36
>>180
ここそういうスレじゃないから
182日本@名無史さん:2011/05/06(金) 18:30:01.87
伏見宮から他の宮家に養子に行った例はある。
戊辰戦争後、実家の伏見宮家で謹慎してた輪王寺宮公現法親王(維新後は伏見満宮)は、
弟の初代北白川宮の養子になって北白川宮能久親王になった。

東伏見宮依仁親王(伏見宮邦家親王の末子)も、最初は兄の小松宮彰仁親王の養子だった。
183日本@名無史さん:2011/05/08(日) 16:30:53.25
なんにせよ、孝明天皇か明治天皇で閑院家の系統が断絶して、
伏見一門に皇位が回ってれば、いまの綱渡り的皇位継承は回避できたかもしれない。
184日本@名無史さん:2011/05/09(月) 01:08:16.48
>>182 :伏見宮から他の宮家に養子に行った例はある…
それらは伏見宮系の枠内の養子縁組だから、
枠を越えた養子とはまた違うんじゃないのかな
結果論だが、天皇の何世までは出家させないといった
ルールを確立出来なかった天皇家が墓穴を掘っただけ。
遠い血筋の宮家を継続させて近い血を残せずに
もったいないことである。
185日本@名無史さん:2011/05/09(月) 01:41:34.22
>>184
一応言っておくと、江戸時代は中御門天皇を除けば
成人した皇子を2人以上持つ天皇は
皇嗣以外の皇子にも宮家を創設させるか宮家に養子に入らせるかできてる。
まあ3人目4人目となると出家させてたけど。

もし「天皇の○世までは出家させない」というルールがあったとしたら
史実の皇位継承と違う流れになるから何とも言えないが、史実に照らし合わせて考えると、
今の皇位継承問題は仁孝天皇から大正天皇まで
男兄弟がいなかったせいで残りの男系皇族が遠縁になってしまった事と
大正天皇に4人も皇子がいたのに結局玄孫世代では1人しか男系男子がいない事が
原因であって皇子の出家が直接的原因な訳でもない。
実際、光格天皇以後、皇子の出家は1例も無い。

史実では光格天皇から8世孫の悠仁親王まで男系が全く増えていないから
皇族を出家させないルールがあったところでどっちみち男系最近親は光格天皇の兄弟の子孫。
伏見宮よりは近いとは言えあまりにも遠縁だからどちらにしろ皇位継承には支障がある。
186日本@名無史さん:2011/05/09(月) 17:28:48.65
臣下が血統をあれこれ論議しても仕方がない。結局明治天皇が伏見系を継承者に組み込んだのだから伏見系の正統性は確立したのだ。伏見系を疎むようになったのは大正の男系が一時的に繁盛したからだ。それも先細りの今こそ伏見系の正統性を再確認すべきだ。
187日本@名無史さん:2011/05/11(水) 02:10:28.24
そういえばどうでもいいけど現皇太子が薨去or崩御するまでに
悠仁親王に男子が誕生したら将来の天皇なのに
身位は親王じゃなくて王になるんだよね?

あと、悠仁親王に2人以上男子ができたら
二男は秋篠宮を継ぐのかな?
188日本@名無史さん:2011/05/22(日) 03:08:49.20
>>185
「遠縁だから支障がある」とかいってるやつは馬鹿
189日本@名無史さん:2011/05/26(木) 00:34:35.97
>>137
皇太子は今上の一宮なんだから東久邇なんか屁以下
「血筋的」にも皇太子より直系天皇が16人少ない

>>168
明治が親政で江戸時代は徳川幕府だからじゃないの
190日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:48:38.13
>>189
>皇太子は今上の一宮なんだから東久邇なんか屁以下
>「血筋的」にも皇太子より直系天皇が16人少ない
今上の血が尊いのは言うまでもないし皇太子の血だって尊いに決まっているが
皇后の血は尊くもなんともないので皇太子の血は半分は庶民同然。
だからといって皇太子が血統的に卑しいなんて言うつもりは毛頭ないが。

東久邇が屁以下というと祖父の昭和天皇の血が屁だと言っているようでどうかと思う。
祖父母全員皇族という点ではまぎれもなく尊い血筋だよ。

>明治が親政で江戸時代は徳川幕府だからじゃないの
閑院宮を作ったのは徳川幕府。
191日本@名無史さん:2011/05/27(金) 03:08:51.10
女系の血の尊卑なんて考慮しないのが桓武帝即位以来の
皇統の原理だからねえ
192日本@名無史さん:2011/05/27(金) 19:17:52.18
その代わり摂関家の生母から生まれた皇子しか即位できない時代が続いたけどな。

現天皇の結婚まで、皇后や皇太子妃になれるのは摂家か皇族に限定されてたし、
側室だった堂上華族に限定されてたし。

女系の血の尊卑を考慮するのが完全に否定されたのは、現天皇のときからだろ。
193日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:23:34.12
明治維新のドサクサに紛れて
宮家を名乗るようになった還俗宮家伏見宮の系列は
本来僧侶のまま一生を終えていた人たちだ。
天皇の皇子でもなくそもそも宮家を創設する資格は無い。
194日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:24:37.99
同じく還俗した奈良華族が男爵だから
同じように還俗した伏見宮の系列も男爵が相当だろう。
195日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:30:48.04
このスレの人たちに尋ねたいのだけど
もし悠仁さまで皇室の血統が絶えた場合
どういう道を日本は採るべきなのかな?

神武開きしこの国ですが
やはり世論は共和制を選ぶのだろうか?
196日本@名無史さん:2011/05/28(土) 14:24:47.07
皇位は永久欠番=空位状態にして、民間人摂政でいい。

ハンガリーのホルティ摂政とか英連邦王国の現地人総督みたいに。
197日本@名無史さん:2011/06/01(水) 17:32:07.20
睦仁親王か嘉仁親王が成長せずに夭折していたら、
有栖川天皇を経て、今頃は伏見博明天皇だったかもしれないんだよな。
で、次期天皇は久邇家か賀陽家あたりから出ることになってたかも。
198日本@名無史さん:2011/06/01(水) 18:51:19.74
明治天皇は孝明天皇の成人した唯一の皇子
大正天皇は明治天皇の成人した唯一の皇子

側室制度があった時代にも天皇の男子が一人しか成人しないなど
かなり綱渡りの皇位継承
199日本@名無史さん:2011/06/01(水) 19:42:37.82
昭和天皇にも、なかなか男子が産まれなかったから、
明仁現天皇が誕生する前は、伏見系皇族から子どもを養子を迎えて、
帝王教育をしようと思ってたとか。
200日本@名無史さん:2011/06/09(木) 22:54:42.48
側室を認めてもいいのでは?悠仁親王は15歳くらいから実地教育を施されるだろう。
あの親王は性行為のために生まれてきたようなもの。4人くらい男子が欲しいものだ。
201日本@名無史さん:2011/06/16(木) 00:27:36.85
>>190

皇太子と秋篠宮に比べたら旧皇族系は全員屁以下でしょう


皇子が余ってて必要にかられて宮家を創設するのと
後嗣がない宮家を存続させるかは全然違うんでは
202日本@名無史さん:2011/06/16(木) 02:04:10.58
>>201
伏見宮…当主邦忠親王死亡(1759)→桃園天皇皇子の貞行親王を当主に迎える(1760)
→貞行親王死亡(1772)→邦忠親王の弟邦頼親王が還俗して継承(1774)→現代に至る
京極宮(後の桂宮)…当主公仁親王死亡(1770)→弟二人がその後10年以上存命にも関わらず継承させず40年間放置
→光格天皇皇子の盛仁親王を当主に迎える(1810)→その後当主交替を繰り返した後断絶
閑院宮…当主愛仁親王死亡(1818)→弟がその後9年間存命にも関わらず継承させず30年間放置
→伏見宮邦家親王王子載仁親王を当主に迎える(1872)→戦後断絶

この一貫性の無さ
伏見宮と桂宮・閑院宮、どうして差が付いたのか
203日本@名無史さん:2011/06/16(木) 02:35:06.76
血統上は伏見宮が本家で天皇家が分家
桂宮と閑院宮は分家の分家
204日本@名無史さん:2011/06/16(木) 09:11:49.96
後花園天皇の弟の系統である伏見宮は血統的に分家だろ
系図よく見ろ

むしろ光格天皇の兄の系統の閑院宮の方が本家
205日本@名無史さん:2011/06/16(木) 10:45:23.80
天皇になった後花園天皇の系統が天皇家(本家)で
600年前に本家から外れた庶流が伏見宮である。
206日本@名無史さん:2011/06/16(木) 14:15:19.73
竹田君みたいなのが天皇になるくらいなら
もう天皇制廃止でもいいよ
207日本@名無史さん:2011/06/16(木) 15:08:09.10
>>206
今の話に竹田恒泰氏は関係無いよね?
そういうのは他でやって下さい
208日本@名無史さん:2011/06/16(木) 22:54:52.19
>>1
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!57
http://speedo.ula.cc/test/r.so/kamome.2ch.net/history/1307102401/140-149n?guid=ON&kenken=
明治天皇の外祖母は、山中愛子。旧姓(松浦愛子)。
松浦氏の本筋は、嵯峨天皇の18皇子、光源氏=源氏氏祖の源融‥源(渡辺)綱の子渡辺氏は、嫡流で、松浦久は、その弟筋で久の家に、奥州安倍氏生き残りの安倍宗任筋が娘婿入りし、
旗頭:松浦(安倍)太郎高俊なので、孝元天皇筋の安倍の血と嵯峨天皇両方の血筋が交わり松浦氏と成ったから、
松浦愛子の血の入った今上天皇は、南北朝の血筋としていて、孝元天皇の子が、大彦命=素戔嗚尊・妹:卑弥呼=天照大御神・弟が、現行の天皇筋で、開化天皇。
だから、今上天皇は、素戔嗚尊の末裔と君主正当後継を主張している訳だから、それなら、その血をもたらした、松浦氏が天皇‥真の南北朝統合天皇な男系正当後継な筈と俺は、思う訳よ。
だろ?
海賊としても有名だが、元寇と永らく日本を守る君主筋として鍔迫り合いし、誉はすれど、貶される筋合いは無い筈。
それを、敢えて永年貶し、内乱戦国時代や江戸時代ばかり、教育し、テレビで大河ドラマ乱発して、元寇を取り上げても、君主の資格のない、北条氏の鎌倉武士団の活躍ばかり‥
大陸や半島視点の倭寇批判で、瀬戸内水軍の評判を貶める教育や研究論評の変更刷り込みが、超御都合主義な藤原やその他、水軍以外の連中‥最低な国民性。
松浦氏は君主筋として、身内を沢山殺されてまで、国境海上防衛して来た海神族なのに‥今上天皇は人間宣言しても、松浦氏は、神のままだよw
松浦氏筋が続き現存する限り、日本神話は、永続中なのだよ。
209日本@名無史さん:2011/06/16(木) 23:25:03.79
>>208の追記。
藤原氏は、藤原公家の事な。
例、後白河時代、藤原公家や冷泉藤原氏=橋本龍太郎系統。
210日本@名無史さん:2011/06/16(木) 23:29:12.65
この松浦馬鹿は何とかならねえのか?
つまんねえ話をあちこちで延々続けやがって!
211日本@名無史さん:2011/06/16(木) 23:52:18.36
伏見宮なんて天皇家から見たら残りカスみたいなものだろ。
212日本@名無史さん:2011/06/16(木) 23:55:01.60
パイレーツ オブ カリビアンが
あちこちの局で、流されるのと一緒。
213日本@名無史さん:2011/06/17(金) 00:36:34.74
>>207
伏見宮家まで皇位継承順位に入れるなら、
当然竹田恒泰は候補に入るが?
関係ないならあんなに熱心にやらんだろう

竹田の叔父とか従兄弟でも似た者同士だろ
214日本@名無史さん:2011/06/17(金) 01:02:12.55
>>202
宮家の創設を許されたのは直宮だけ
存続を許されたのは伏見宮(皇統の実家)だけなわけですね
215日本@名無史さん:2011/06/17(金) 01:14:39.70
>>214
宮家の創設を許されたのは直宮だけっていうか
普通は皇子でも出家してたのに宮家がさらに分家できる訳ないじゃん

皇統の実家というなら閑院宮も同様
なのに伏見宮は存続して閑院宮は空主のまま放置
京極宮も伏見宮と同時期に当主を欠いたのに片や存続、片や空主のまま放置
何のために閑院宮や京極宮を空主にしておいたんだろう
216日本@名無史さん:2011/06/18(土) 20:20:42.90
>>215
財政難だと思う。徳川御三卿と同じで明屋形にしておき、血縁の近い人間が出生したら継がせるつもりだろう。
217日本@名無史さん:2011/06/19(日) 16:37:49.59
>>216
宮家にも独自の所領はあるから財政難は関係無いような
当主がいなくても所領は没収されるわけでもないし。

それに天皇から血縁の遠い伏見宮は存続したのに
伏見宮よりは血縁が天皇に近い京極宮や閑院宮は存続できない理由としては
財政難はおかしい。特に京極宮は伏見宮と同時期に当主を欠いたのだから
両者に差がつけられたのには財政難以外の理由があると考えるしかない。
218日本@名無史さん:2011/06/19(日) 19:04:22.85
伏見宮家は四宮家で最も天皇から血縁が遠いために
一番天皇になりにくい宮家として還俗を認めたかだな
天皇が出る可能性の高い他の三宮家には御三卿のごとく優先権があるので
断絶したら弟を簡単に還俗させて埋めてしまうのではなく
将来いつでも天皇の子が養子に入れるように空けておいた
幕末の御三家(伏見宮家)、御三卿(他三宮家)
219日本@名無史さん:2011/06/19(日) 22:00:10.20
>>197
有栖川宮の次は伏見宮という考えはおかしい。
有栖川宮から伏見宮は360年以上も離れていて
その間には天皇に繋がる多数の男系子孫が存在するから
伏見宮に皇位はまわってこないだろう。
220日本@名無史さん:2011/06/20(月) 00:37:21.17
宮家から皇位を継承した例は光格天皇しかいないんだよな。
有栖川宮や伏見宮からは一度も天皇は出ていない。
出家していない者で天皇から男系で最も血筋の近い者
という条件で光格天皇は選ばれた。
光格天皇は親王でさえなかった。つまり親王イコール皇位継承権がある訳ではないということ。
過去には源氏から皇位継承した例もある。
とにかく皇位継承には皇族だとか親王だとかより血筋の近さが重要だということ。

221日本@名無史さん:2011/06/20(月) 01:06:32.00
宮家が徳川御三家と決定的に違う点は
皇位継承は天皇から血筋の近い順という絶対条件があるから
天皇から血筋が離れると自動的に皇位継承権がなくなること。
世襲親王家は天皇から血筋が離れて皇位継承権がなくなっても
親王という地位になるという最終目標だけで存続してきた家だということ。
222日本@名無史さん:2011/06/20(月) 01:17:46.74
>>220
有栖川宮(高松宮)家からは後西院、伏見宮家からは後花園院が出たよ。
223日本@名無史さん:2011/06/20(月) 02:14:17.37
>>222
宮家は世襲親王家の意味で書いたもので誤解を生んだかもしれない。
後西院は宮家というより天皇の皇子だし、
後花園院は世襲親王家と呼べるのかどうか。
当時ほかの宮家は数代で消滅している。
世襲親王家となったのは後花園院の弟の代からと思われるから
それからは天皇は出ていないと書いたわけ。

224日本@名無史さん:2011/06/20(月) 04:19:29.98
>>218
そういう解釈は一理あるかも
ただ血縁の親疎ではなくて伏見宮は他の三宮家とは成り立ちが異なり
独立性が高かったからという理由ではあるが

血縁の親疎で言うなら血縁の遠い伏見宮を断絶させて
血縁の近い京極宮は弟を還俗させて継承させるというのが合理的なはずだし

>>219
有栖川宮より天皇に近い男系男子も多数いるんですが……

>>220
光格天皇は皇位継承時に父の典仁親王が生きていたから(もちろん出家していない)
当時最も天皇から男系で血筋の近いのは典仁親王でしょ

>光格天皇は親王でさえなかった。
まだ10歳にもなってなかったんだから当たり前だろ。
今と違って生まれたら身位が自動的に与えられる訳ではないんだぞ。
しかも当時は王は実質的に存在していなくて成人した皇族男子=親王(入道親王や法親王を含む)

もし皇位につかなかったとしても光格天皇は入道親王か法親王として
一生を終えることになっただろうが、入道親王や法親王でも親王であることに違いはない。

>>221
>皇位継承は天皇から血筋の近い順という絶対条件
これが明確に意識されていた証拠でもあるの?
後桃園天皇の死後伏見宮の子を皇位につける案が有ったはずだが。
225日本@名無史さん:2011/06/20(月) 09:13:24.94
>>224
>血縁の近い京極宮は弟を還俗させて継承させるというのが合理的

当時の宮家はまだ閑宮家ができておらず、三宮家だったのだけれども、
京極宮(桂宮)家3000石>有栖川宮家1000石=伏見宮家1000石
と、石高が全く異なっており、京極宮家はいわば宮家筆頭のような地位にあった。
226225:2011/06/20(月) 09:16:06.54
京極・伏見両宮家が断絶したとき、後花園天皇は20代前半と非常に若く、この先、皇子が見込めた。
格式ある京極宮家のほうを弟で埋め、当今の直宮を格式の低い伏見宮家に養子にやるのは合理的でない。
結局後桃園天皇が皇女一人のみで死亡するというのは後の時代だから分かることで、
後桃園天皇の皇子のために空けておいたと考えたほうが矛盾がない。
227225:2011/06/20(月) 10:15:34.55
>>225
訂正。
閑院宮家はあった。
京極宮(桂宮)家3000石>閑院宮家1000石=有栖川宮家1000石=伏見宮家1000石
やはり京極宮家が一番石高が高かった。
228日本@名無史さん:2011/06/20(月) 10:28:47.41
>>219
伏見宮は後崇光院、有栖川宮は霊元天皇の後裔なんだけど
後花園天皇以降後水尾天皇以前の天皇後裔っていたっけ?
下手すると一人もいないんじゃ……

>>225
閑院宮は既にあったはず
229日本@名無史さん:2011/06/20(月) 13:15:41.26
>>224
なぜ典仁親王が皇位を嗣がなかったのか謎だな。
東山天皇の孫であるから後桃園天皇の皇女の婿になるという条件に
そこまでこだわる必要があったのか分からない。
本来、父親の典仁親王が皇位に就くべき人だったと思う。
そのことが後の尊号事件にも繋がってくるのかもしれないな。
230日本@名無史さん:2011/06/20(月) 15:32:27.45
それを言ったら徳川家斉の父親もそうだよな
231日本@名無史さん:2011/06/20(月) 16:03:34.24
直系の血にこだわっていたんでしょ?中御門天皇からの。
東山天皇の孫とはいえ傍系だし。光格天皇に継がせるというよりも、後桃園天皇の孫である
欣子内親王の皇子に継がせたい。そのためには欣子内親王の「婿」になれる皇子をさがしていた。

あと、形式的には後桃園天皇の養子になるわけだから、26歳も年上の「養子」はおかしいでしょ。
しかも、青綺門院、恭礼門院、盛化門院、後桜町院というお姉さまがたが自分や自分の夫の血がつながった
孫に跡を継がせたいのは、当然の気持ち。
232日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:52:05.77
最初は皇位継承者として光格天皇の兄閑院宮美仁親王が有力だったんだよな。
しかし、美仁親王はすでに摂家の近衛家から正妃を迎えており、
欣子内親王を正妃にできないので、出家する予定で未婚だった弟のほうに話が行った。
父親の典仁親王に関してはすでに美仁親王に家督を譲って隠居した身の上であり、
皇位継承の候補にすら上がらなかった。
233日本@名無史さん:2011/06/21(火) 21:53:25.41
光格天皇は近年に先例のない格落ちの天皇だったわけです。廷臣も光格を軽く見ていたと推察される。しかし代を重ねて今日の正統性を得たのだから光格朝が絶えて伏見系が継承しても時間が経てば世間も認めると思われる。
234日本@名無史さん:2011/06/22(水) 01:11:18.99
>>233
伏見宮は鍛冶屋の徒弟が継いでいるので疑わしい。
それを言うなら今の天皇家も足利王朝臭い。
つまり血筋ではなく、その地位に長く留まることが
全てなのかもしれない。天皇家はそれが出来た。
235日本@名無史さん:2011/06/22(水) 09:57:54.84
>>233
東山天皇の曽孫で、たかだか60年程度離れただけの光格天皇と、
600年も前に天皇家から別れた伏見宮家を同列に扱えない。
しかも、現在の旧伏見宮家は単なる庶民。
臣下から皇族に戻された天皇になった例は天皇の実皇子である宇多天皇以外例がなく、
生まれながらに庶民の伏見宮系は一般国民から見れば単なる庶民だ。
236日本@名無史さん:2011/06/22(水) 12:03:45.60
>>235
結局先例とかを持ち出すと女系も旧皇族の復帰も有り得ないかえら
悠仁親王の男系子孫が絶えたら皇統断絶しかないよな

それが嫌ならどっかで妥協しないと
237日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:54:33.95
>>236
@現在の天皇・宮家の男系男子が途絶えれば皇統断絶
A現在の天皇の女系が残っていれば皇室典範改正で存続
B600年前に別れ、現在の天皇家男系断絶までに
100年以上の庶民歴になる旧伏見宮家男子から養子に迎える

国民感情としては伏見宮系男子で存続が一番ありえなさそだがなあ。
天皇の価値は「世界一古い王家」ということにすべてが帰結するんだから、
庶民を天皇に迎えてまで存続させる意味もないと思う。
238日本@名無史さん:2011/06/22(水) 15:01:13.92
>>237
女系だと「世界一古い王家」じゃなくなるじゃん
国民感情なんて言い出す時点でなあ…
そんなこと言ったら皇胤のなかから国民投票でもしますかって話になる訳で

一応伏見宮系の旧皇族の中には明治天皇や昭和天皇の子孫もいる訳で
彼らが皇族に復帰するか、その他の旧皇族が現在の皇族女子を妃に迎えて皇族に復帰するのが
一番丸く収まる方法だと思うが
239日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:55:38.96
>伏見宮系の旧皇族の中には明治天皇や昭和天皇の子孫もいる
女系反対ならこれは通らないだろう。
伏見宮系の男系は600年前に離れたっきりで、明治・昭和天皇の血は女系だ。
女系反対ならば、明治・昭和天皇の男系は現在の皇族以外は残っていないことをふまえるべき。

>国民投票でもしますか
正直、国民投票は必要だろう。
なぜって、天皇は国民の税金によって養われているから。
無差別な皇族復帰を許可すると贅沢目的で皇族復帰を願う人々が殺到するので、
国民投票をして、庶民の皇族復帰を認めるのか、認めるならどこまで可能とするのかを明確にするべき。
240日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:58:02.20
>>238
海外では女系継承を認めているところが多いので
女系でも「世界一古い王家」として存続することは可能だよ

王位継承できるのは男系だけ、というのは
現在も存続している王家では世界でも日本ぐらいだから
241日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:29:49.94
>>239
男系で天皇の血を引いていることが絶対とみなして
その上で女系での皇室との近さが皇族としての資格を補強するという考えをとれば
明治天皇や昭和天皇の女系の血を引く男系旧皇族にも皇籍復帰の資格はあるでしょう

歴史的には継体天皇、光仁天皇、光格天皇のように皇女を妃として
遠縁の男系から皇位についた例は多い。

国民投票なんて人気投票にしかならんから論外。
それに現代の視点で見ると「天皇は国民の税金によって養われている」となるが
歴史的視点で見ると、神武天皇以来江戸時代までは(明治維新以後敗戦以前に関しては微妙なところだが)
少なくとも形式的には日本の国主は天皇であり
日本国民は(理論上は)国主たる天皇の財産である土地によって生活していた。
敗戦後に日本国は法的には国民の物となったがそれは元来天皇の所有物であったものを貰った形になるから
その貰ったものを基盤に生活している国民が以前の所有者であった天皇を養うのは当然とも言える。

>>240
アラブは今でも普通に男系継承のはず
世界は欧米だけでは無いのですよ

第一、かつては女系継承があったら王朝交代とみなすのは
ヨーロッパでも当然のことだったので(現在は若干違うが)
日本でも女系継承があったら王朝交代とみなして違う王家になるから
「世界一古い王家」ではなくなってしまう
242日本@名無史さん:2011/06/23(木) 10:32:50.20
>>241
庶民にまで皇位継承を認めたら、それだけで「世界一古い王家」ではなくなってしまうだろ。
そもそも、日本人の3分の1はいずれかの天皇の子孫だと言われているし、
海外でもかつての王族の血をひく末裔はいくらでもいるだろう。
しかし、「王家の嫡子」が継いでこその王家であって、
かつての王家の血をいくらか引く庶民を立てて復興させるなんてありえない。
243日本@名無史さん:2011/06/23(木) 10:35:48.61
>>241
>ヨーロッパでは女系が継いだら王朝交代

まあ、万世一系の日本の天皇家でも女系継承
(前王家の嫡女に入り婿して継承)は日本にもあったけどね。
244日本@名無史さん:2011/06/23(木) 15:44:55.58
>>242
外国の圧力によって伏見宮系皇族は皇籍離脱したのであって
本来は皇族に残っているべき人たちだから完全に庶民とは言えない

血縁が離れていると言っても女系を含めていいなら一部は現皇室と近いし
江戸時代に伏見宮に皇女が妃として迎えられたことはあるから
それ以外の人も600年も離れてる訳じゃない

第一、女系をいれて考えるなら皇太子、愛子内親王、秋篠宮、秋篠宮の3人の子女、
黒田清子さん、常陸宮に次ぐ皇位継承権第9位は東久邇家の人でしょ
もし今上天皇の4人の孫全員に子供ができなかったら東久邇家に皇位が回るか
皇統断絶のどっちかだね

さらに言わせてもらうと、諸外国では庶民にも王位継承を認めている国はあるよ
例えばイギリスは王位継承順位の下位には庶民も大勢いるだろう

>>243
日本の女系継承は男系かつ女系の皇族が継承したんだから王朝交替とは言えない
スペインでもブルボン朝の女系継承があったけど男系でもブルボン朝の血を引いてたから
王朝交替にはならなかった例がある
245日本@名無史さん:2011/06/24(金) 07:28:03.42
●明治政府は明治天皇の夭折を考慮して伏見系を皇族の範囲とした。     ●明治天皇は皇太子の夭折を考慮して伏見系に皇女を嫁がせて血統を近くするように努めた。      とにかく伏見系の正統性は明治時代に確立されていたのです。
246日本@名無史さん:2011/06/24(金) 10:03:05.46
>>245
それって明治天皇の時だけだよな
伏見宮家は長らく女系においても天皇家から遠かった
今の天皇の内親王は民間人に嫁いでいるし
恋愛結婚を基本とする戦後の皇室で
強制的に伏見宮末裔に内親王を娶らせる政略結婚もなさそうだ
さらに伏見宮末裔の血からは遠ざかっている
247日本@名無史さん:2011/06/24(金) 10:05:29.45
>>244
現在の伏見宮系は幕末の軍閥の力によって無理やり僧籍から還俗したんだよ
薩摩辺りが旧伏見宮家に次々娘を送り込んでそれによって力をつけた
(現在の天皇以降は島津の血が女系で流れている)
本来あの人たちは僧籍のままで絶えてた人たちなんだよ
248日本@名無史さん:2011/06/24(金) 12:28:11.62
現在の皇室は明治王朝と言うべきで江戸時代以前の経緯は完全に排除され皇族の範囲も光格系と伏見系に限定されている。光格系の断絶が危ぶまれる中で伏見系に移行が検討されるのは当然である。
249日本@名無史さん:2011/06/24(金) 12:32:18.84
>>246
江戸中期の伏見宮貞建親王は母親が皇女
250日本@名無史さん:2011/06/24(金) 12:39:57.27
>>247
江戸時代のままいくと伏見宮系の分家は全て僧籍だが
伏見宮の本家だけは皇室に残って皇位継承権を保持し続けたはず
251日本@名無史さん:2011/06/24(金) 18:24:52.98
慶応の段階で明治天皇と有栖川兄弟の三人しか血統の近い皇族はいなかった。少年明治天皇が子孫なく早死にしていたら有栖川兄弟で皇位を継いで皇甥の栽仁夭折で断絶。伏見博恭天皇で伏見王朝になっていた。
252日本@名無史さん:2011/06/24(金) 18:38:16.86
学術的にも小説的にも世に出ていないのは大正天皇が少年時代に何度も危篤に陥る大病を患い成人の見込みが無いと宮廷、政府が予断した際に皇位継承者に擬せられた皇族への周囲の態度と本人の色気である。
253日本@名無史さん:2011/06/24(金) 22:21:47.62
>>251
ま、それは結局歴史のifでしかない。
つまり少年明治天皇が夭折するようなことがあれば、
熾仁・威仁親王が歴史上の明治天皇のような立場となり、
側室を入れ、もっと男子が誕生していた可能性も考え得るから。
254日本@名無史さん:2011/06/25(土) 00:01:46.68
>>251
男系で最も近い閑院宮系から天皇が出ていたはず。
どう天地がひっくり返っても伏見はありえない。
255日本@名無史さん:2011/06/25(土) 00:10:38.88
皇位継承は男系が基準だから皇族の身分とかは関係がない。
男系で近ければ源氏から皇位継承した例もある。
256日本@名無史さん:2011/06/25(土) 06:03:33.15
現在の天皇が誕生した日に高松宮が「ようやく肩の荷が降りた・・・」と日記に記している。それ以前には昭和天皇には男子できそうもない。秩父もしかりで結核の兆候あり。次は高松だと言う雰囲気が醸し出されていたようだ。
257日本@名無史さん:2011/06/25(土) 08:34:37.51
>>256
10歳も年下の弟おったやん
258日本@名無史さん:2011/06/25(土) 08:45:37.24
>>254
まずもって明治以降の閑院宮は伏見宮系なんですが。

閑院宮系なんてものがどこに存在したと?

>>255
源氏は曲がりなりにも皇別だから皇籍復帰の可能性があり、伏見宮系もまたしかり。
現状皇室外で天皇に男系で最も近いのは閑院宮直仁親王の子、鷹司輔平の子孫だが
鷹司は藤原氏で皇別じゃないからその子孫が皇籍に戻ることはできない。
259日本@名無史さん:2011/06/25(土) 08:56:03.81

【サッカー】U-17W杯 日本、アルゼンチンに快勝しグループ1位突破! 高木三男先制弾、植田ヘッド、秋野追加点決め逃げ切る★2
1 : はぶたえ川 ’ー’川φ ★:2011/06/25(土) 07:33:00.78 ID:???0 返信 tw

FIFA U-17ワールドカップ2011 メキシコ大会 グループステージ

◆ B組
 日本 3−1 アルゼンチン  [モレリア]
1-0 高木大輔(前4分)
2-0 植田直通(前20分)
■ アルゼンチン、Matias MONTEROが一発レッドで退場(後23分)
3-0 秋野央樹(後29分)
3-1 Brian FERREIRA(後42分)

◆ U-17日本  吉武博文監督
GK 21 牲川歩見(ジュビロ磐田ユース)
DF 2 川口尚紀(アルビレックス新潟ユース)
   4 植田直通(熊本県立大津高校)
   15 新井純平(浦和レッズユース)(Cap)
   19 高木大輔(東京ヴェルディユース) → 20 鈴木武蔵(桐生第一高校)(後21分)
MF 5 深井一希(コンサドーレ札幌U-18) → 10 鈴木隆雅(鹿島アントラーズユース)(後41分)
   13 喜田拓也(横浜F・マリノスユース)
   16 野沢英之(FC東京U-18) → 11 松本昌也(JFAアカデミー福島)(後0分)
   17 秋野央樹(柏レイソルU-18)
FW 9 南野拓実(セレッソ大阪U-18)
   12 早川史哉(アルビレックス新潟ユース)



260日本@名無史さん:2011/06/25(土) 11:17:48.91
>>258
藤原氏を名乗っていたら何故駄目なのか分からない。
何を名乗ろうと皇統に属する男系男子であることには変わりないのだから。
261日本@名無史さん:2011/06/25(土) 12:30:03.70
残念ながら皇族の範囲は現在の皇族と菊栄親睦会に属する伏見の連枝しか国民の理解は得られないでしよう。
262日本@名無史さん:2011/06/25(土) 15:30:02.43
もう「皇族」って概念や枠をとっぱらって、
皇統に属する男系の男子ってことにしちゃえばいいのに。

それで、現天皇に近い順から、どんどん順位をつけていけばいい。
皇太子→秋篠→ユージン→常陸→若杉→トモさん→桂→徳大寺か華園→住友など
263日本@名無史さん:2011/06/25(土) 21:36:51.71
ユージンに将来ハッスルしてもらうのが一番面倒がなくて良い
264日本@名無史さん:2011/06/25(土) 23:27:55.12
現在の皇族が断絶の場合は徳川宗家を象徴大君として即位させる。伏見系は伊勢神宮祭主として名跡を残す。
265日本@名無史さん:2011/06/25(土) 23:45:16.71
>>264
徳川宗家が外国人と結婚してしまったんだが。
さすがにハーフが象徴になるのはNG
266日本@名無史さん:2011/06/27(月) 03:30:33.16
>>1
渡来した時に、天皇家と豪族=中臣藤原氏は、君主と武門と分かれてたので渡来以前で秦一族でも、渡来以降の地位をハッキリと確立させた・・分相応とするために建国当時に分けへ立てられた取り決めも在るのだろうね。
源氏も、末代を藤原のようにしないために、色々遣ってきたしな・・
征夷の肩書き欲しさに、8代孝元天皇嫡流の奥州安倍氏を滅亡させ、祖父筋の桓武平氏と覇権争いし、勝利してきた。
下克上戦国武将の家康でさえ、天下布武統一したあと、家柄にこだわった。
267日本@名無史さん:2011/06/27(月) 03:32:52.55
>>266のは、アンカーミス。
>>262へです。
268日本@名無史さん:2011/07/02(土) 13:54:15.46
終戦時に連合国のうちソビエト、オーストラリアは昭和天皇、軍人皇族の戦犯起訴を強く主張。皇太子の海外追放、皇室の廃止も検討された。日本政府は将来の皇室復活のために唯一の非軍人皇族北白川宮道久王の行方不明計画を立案した。国内に潜伏させ守護する予定だった。
269日本@名無史さん:2011/07/02(土) 17:33:10.07
結局追放されたのは伏見宮などの庶宮家だったわけだ。
まあ戦前から皇族の資格なしとして臣籍降下を迫られていたわけだから
伏見宮らの追放は当然といえば当然の結果だろう。
270日本@名無史さん:2011/07/02(土) 18:01:19.54
いやいや皇族を縮小したのは人数に拘ったアメリカの政策。やはり明治維新以来困った時は伏見様。
271日本@名無史さん:2011/07/02(土) 18:18:11.91
GHQの軍人皇族に対する戦犯待遇は徹底していて梨本宮逮捕(A級戦犯容疑だったが後に釈放)、皇籍離脱時の一時金の不払い命令(妃が早死した山偕宮は0円)と処断された。
272日本@名無史さん:2011/07/03(日) 00:29:06.85
伏見宮系は全員絞首刑にすればよかったのにな。
273日本@名無史さん:2011/07/03(日) 07:15:27.99
残念ながら伏見系は凡人が多くの軍人として行動は戦犯に値しない。大本営に勤務した高松や三笠の方が戦争計画に関与した。昭和天皇の兄弟が優秀で体格も良いのは貞明皇后の実母が平民だったため血統を薄める事ができたからである。
274日本@名無史さん:2011/07/03(日) 09:05:01.52
貞明皇后節子の父親九条公爵は行儀見習いの女中野間(講談社の創業一族)を愛妾とした。誕生した姫が節子である。
275日本@名無史さん:2011/07/03(日) 18:05:37.49
後桃園天皇の子孫が存在します。本当の話。探してみては。
276日本@名無史さん:2011/07/04(月) 00:32:14.34
世襲親王家が出来たのは、皇室の血のスペアの必要性からと言われるが、
いざ皇位継承となると先代天皇との血縁が喫緊の課題とされてしまう。
つまり血の濃さと世襲親王家の概念は矛盾しており、天皇家にとって宮家は
せいぜい3代目まで存在すればよく、江戸幕府の御三卿の在り方がベストな
方法と思われる。皇位継承権のある宮家を指定し、必要な時には宮家に
天皇の次男以下を送り込めばいい。血が薄まったり女子のみが残った場合、
皇位継承権の無い宮家に衣替えし名籍を明け渡す。
277日本@名無史さん:2011/07/06(水) 00:02:46.64
>いざ皇位継承となると先代天皇との血縁が喫緊の課題とされてしまう。
>つまり血の濃さと世襲親王家の概念は矛盾しており、天皇家にとって宮家は
>せいぜい3代目まで存在すればよく、江戸幕府の御三卿の在り方がベストな
>方法

そんな事実はまったくないが。
おまえの個人的感想なんか意味ないから。
278日本@名無史さん:2011/07/08(金) 16:17:08.51
その方法だと伏見宮に男子がいた場合寺に入れて皇子に継がせるということ?
279日本@名無史さん:2011/07/09(土) 22:17:50.94
当今、東宮の顔は久邇の血統。現在の内廷皇族が女系の親族として大切にしている久邇、東久邇が復籍の範囲だと思う。昭和22年の皇籍離脱時にも久邇、東久邇は残すべきと最後まで検討された。
280日本@名無史さん:2011/07/10(日) 14:10:07.61
まあ理想は悠仁親王に親王が3人誕生され
その次の世代も各宮家で2人の親王が誕生されれば
281日本@名無史さん:2011/07/12(火) 19:19:31.11
まあ、その程度で安心してたから、
昭和天皇の直宮や三笠宮系が、
あらかた子なしか娘ばかりという惨状になり、
いまの体たらくになったんだけどな。
282日本@名無史さん:2011/07/24(日) 00:14:39.50
ともあれ悠仁親王が早めにご結婚なさるのが一番
23,4歳で結婚して2年に1人のペースで皇子女が誕生し続ければ
悠仁親王が40歳になられるまでに9人だから運が良ければ6,7人の
皇子を得ることもできる。
283日本@名無史さん:2011/07/24(日) 02:45:06.45
>>282
皇太子妃雅子の先例を見て、皇室に入輿したいと思う女性がいるかだな。
284日本@名無史さん:2011/07/24(日) 03:17:23.50
>>283
やっぱ側室必要だよなあ
285日本@名無史さん:2011/07/24(日) 06:38:20.80
>>282
そういう楽観論の結果が>>281なんだけどな。
286日本@名無史さん:2011/07/24(日) 13:42:41.01
>>285
悲観論を突き詰めれば世襲なんてできないよ
287日本@名無史さん:2011/07/25(月) 01:43:43.01
悠仁親王には早めに女性教育を実施することになるだろう。
今の日本では外戚が政治を左右する弊害も無いので、
お手付きを期待して15歳くらいから女官で周りを固めるしかあるまい。
288日本@名無史さん:2011/07/26(火) 10:41:31.09
天皇家だけは側室制度認めてほしいわ
フェミや諸外国からの批判や倫理観がどうの無視して
289日本@名無史さん:2011/07/26(火) 15:35:19.55
昔の例を習って悠仁親王は小学5年生の数え年12歳(満11歳)でご結婚
中学校も高校も大学も諦めてひたすら御所で子づくりってか
290日本@名無史さん:2011/07/26(火) 22:21:06.01
291日本@名無史さん:2011/07/27(水) 02:53:55.19
側室がダメというなら養子を認めて欲しいもの。
世襲制の安全弁が皆無なのが、結局雅子を狂わせてしまった。
男の子が生まれていれば、国母となれたのに。現行制度は皇后の
負担が大きすぎる。
292日本@名無史さん:2011/07/31(日) 21:25:47.19
>>291
そうなると、結局養子をとれる先というと、旧宮家くらいじゃないかな。
ある程度の歳の旧宮家の人を皇族に復帰させるというのも現実的じゃないし・・・
(それに竹田某のように政治色が強いような人が果たしてふさわしいかという問題もある)
293日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:31:04.50
>>276
世襲親王家が血のスペアではないのは当然だ。
世襲親王家=世襲親王になれる家柄という意味でしかないから。
世襲の親王といっても天皇の兄弟や皇子ではないから皇位継承権があるわけではない。
実際の皇位継承は男系で血筋の近い順に選ばれるから
世襲親王は蚊帳の外だった。
世襲親王家から皇位継承したのは光格天皇の一例のみ。
それも東山天皇の曾孫という血筋の近さが決め手だからな。
294日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:48:07.33
>>293
皇位継承権自体は保持し続けていた。
しかし、皇子や皇兄弟が世襲親王家の当主として存在する場合は
そちらが優先され(例:後西院天皇)、それらが無い時でも近いものが優先されたので(例:光格天皇)、
天皇と血の離れた世襲親王にお鉢が回ってくることが無かっただけだ。

ちなみに、後桃園天皇死後、光格天皇が皇位継承した時点で最も天皇と男系で近かったのは
中御門天皇皇子の公遵法親王と忠誉法親王だった。
皇子や皇兄弟がいたのに世襲親王家から天皇が出た例と言える。まあ出家してたけどな。
出家していないという条件だと、現代の皇位継承順位的には光格天皇の父典仁親王、兄美仁親王の2人が
光格天皇よりも上位にあった。
295日本@名無史さん:2011/08/01(月) 01:29:29.92
徳川将軍家の場合でも、幼児の7代家継が死亡したとき、
6代家宣の同母の実弟・松平清武が血縁上では
一番近いのに、襲位してない。

まあ、理屈は いろいろ付けられるんだよな。
296日本@名無史さん:2011/08/01(月) 01:47:04.71
>>295
清武の場合は他家に出てたから云々が理由だろうけど、
当時の御三家って実は3人とも一度は松平姓になってるんだよね。
297日本@名無史さん:2011/08/01(月) 03:47:10.62
>>296
御三家の分家、御連枝の松平家は、本家である御三家の継承権があるので他家に養子に出たわけではない。
吉宗は、綱吉のはからいで部屋住みから分家当主になっている。
御三家で徳川を名乗れるのは、隠居、当主、世子だけで、当主の子でも世子以外は松平姓しか名乗れない。
298日本@名無史さん:2011/08/01(月) 10:43:52.42
それを言い出したら家宣も他家に養子になっているな
299日本@名無史さん:2011/08/01(月) 13:33:00.36
>>298
本来家を継げるような人じゃなかったからね。
甲府宰相家でなければ嗣子なく絶家だったろう。
300日本@名無史さん:2011/09/23(金) 17:23:52.90
あげ
301日本@名無史さん:2011/10/02(日) 08:23:38.55
綱吉、家宣も最初は松平姓だったという説もあるな。
御三卿の初代や、御三家や御三卿を継いだ家斉の息子たちも生まれた時点では松平姓だし。
302日本@名無史さん:2011/10/02(日) 10:25:27.00
しかし崇光源氏ってのも面白い表現だよな。
たしかに尊卑分脈とかみると源氏=宮家と読めるような表現もある。
本来宮家ってその程度のものだったのだろう。
朝廷での格付けでは
摂関家>親王家>大臣家
だったしね。
303日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:28:56.39
>>302
清華家が抜けてるね。
現任の三公(太政大臣、左右大臣)>親王>前三公>現・前内大臣
公家諸法度による席次がこうなってるはず。
摂関家でも当主が常に親王より上席なわけではないし、清華でも右大臣以上なら親王より上席。
大臣家は、たまに内大臣になれるだけだから、親王家の下と見て良い。
304日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:34:11.70
親王と大臣の席次は朝廷内で争われたみたいだが、内部で裁定できず、幕府に決めてもらうと言うのが情けない。
305日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:34:39.25
娘を嫁にやる時の相手方の格ってあるんだろうか?

摂家では嫁にやらないような小さめの大名に女王が嫁に行くときもあるし、
摂家の娘が大きいとはいえ、地方の真宗の寺に嫁に行くこともある。

摂家の娘が宮家の妃になることが多いけど、女王が摂家の嫁になることって少ない。
306日本@名無史さん:2011/10/02(日) 14:33:06.98
>>303
そうそう清華家がぬけてた。
しかし下橋敬長「幕末の宮廷」では
摂関家と親王家だったら、摂関家の方が家格が上で、
車が出会ったら親王家のほうがよけなければならないって書いてある。
307日本@名無史さん:2011/10/02(日) 23:56:02.26
摂関>三公>親王(皇子)>前官大臣>諸親王(親王家)

正規の親王と親王家は区別してるみたいだね。
308日本@名無史さん:2011/10/10(月) 04:15:51.14
四の五の言わず
現天皇に近い男系の血統が自動的に皇位を継げば良い
現皇族方が自分の血を皇族として残したければ
男系近親者にお願いして娘を嫁にもらってもらえば良いのでは…
まあ独身女性皇族が8人もおられるのだから
何人かはそのような道を選ばれても良いのでは
309日本@名無史さん:2011/10/10(月) 10:41:41.20
>>308
今上陛下より若い世代の男性皇族は、皇太子と秋篠宮殿下のみ。次の世代は、悠仁殿下のみ。
あとは、伏見宮系になってしまう。その中間のもう少し皇統に近い方がおられないから困ってる。
まあ、臣籍降下した東山天皇の子孫(徳大寺、住友)はおられるがまずかろう。
310日本@名無史さん:2011/10/10(月) 10:52:44.43
久邇さんとこが女系を介してはいるけどかなり天皇家と近いんじゃないか?
311日本@名無史さん:2011/10/10(月) 14:36:11.00
明治天皇の内親王が、東久邇宮家と竹田宮家へ嫁がれ、昭和天皇の内親王(照宮様)が東久邇宮家へ嫁がれてる。
旧宮家の中では、女系を通じて東久邇宮家が一番、現皇統と近い。
旧宮家から1家を皇籍復帰させるなら、まず東久邇宮家が妥当。
312日本@名無史さん:2011/10/11(火) 01:44:21.13
悠仁親王死んじゃったらパニックだよね。お妃候補も探さないとね、10年くらいかけて。
それより皇位を継ぐなら帝王教育を施さなくてはならないのだが、もうやってるのかな?
現皇太子も幼稚園くらいの時から、美術館とか回ってたよ。
313日本@名無史さん:2011/10/15(土) 18:01:19.89
戦後、天皇は久邇、竹田、北白川、朝香、東久邇の4家は残したかったらしい。
また、華族についても堂上華族だけは残したかったらしい。

いずれも一蹴されたが。
314日本@名無史さん:2011/10/15(土) 21:39:05.46
>>313
戦前の皇室典範で伏見系は全員の臣籍降下が決まっていたから
残すも残さないもないんだが。
315日本@名無史さん:2011/10/15(土) 22:28:15.05
>>314
明治天皇の娘が嫁入りして興した宮家は別物意識だと思う。
というのは内廷皇族と直宮家だけでは天皇も心細いからだ。
戦後の混乱が予想されるからね。
316日本@名無史さん:2011/10/15(土) 22:50:47.14
伏見の宮様と言えば、明治14年にハワイ国王のカラカウア国王陛下が、山階宮親王様とハワイ王女のリウオカラニ女王様
との婚姻関係を求めたことがあったね。
実現してたら、ハワイは日本領だったのかも。
317日本@名無史さん:2011/10/16(日) 21:29:13.62

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318日本@名無史さん:2011/10/17(月) 18:48:31.14
東山天皇→直仁親王→鷹司輔平→鷹司政煕→鷹司政通→徳大寺公純→西園寺公望
東山天皇→直仁親王→典仁親王→光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→→明治天皇

アメリカ人の書いた本の中で、西園寺公望も皇位を望める立場にあったと書いてあったが、
最初読んだときは、何を寝ぼけたことをwと思ったが、系図を見るとなるほどと思った。
アメリカ人のくせによく調べたな。
319日本@名無史さん:2011/10/17(月) 19:36:40.29
明治天皇と西園寺って、祖父の祖父が兄弟同士なのか。
近いの遠いのか、よくわからんな。
320日本@名無史さん:2011/10/18(火) 12:10:08.93
>>318
系図がどうであれ皇族と臣下の区別がついてない時点でなるほどもへったくれもないだろうよ
321日本@名無史さん:2011/10/18(火) 18:48:05.82
いま男系で桂宮の次に現天皇に一番近いのは、この系統の華園ナントカさんというお坊さんで、
その次が徳大寺家や住友家なんだよな。
322日本@名無史さん:2011/10/18(火) 19:01:56.88
皇室はとっとと民営化せよ。この経済の厳しい時代に、税金いったいいくら
使ってんだ。好きなやつが寄付して支えてやれ。誰が天皇でも構わん。
323日本@名無史さん:2011/10/18(火) 19:59:10.93
民営化w
宗教法人だって民営とは違うわw
馬鹿は一から勉強しなおせよ
324日本@名無史さん:2011/10/19(水) 20:07:12.05
東山天皇→直仁
→輔平→政煕→政通→摂信→沢称→真淳→真準→真暢
→輔平→政煕→政通→公純→実則→公弘→実厚→公英→実啓
→典仁→兼仁→恵仁→統仁→睦仁→嘉仁→裕仁→明仁→文仁→悠仁

明治天皇
→嘉仁→裕仁→明仁→文仁→悠仁
→昌子→恒徳→恒正→恒貴
→房子→永久→道久
→充子→孚彦→誠彦→明彦
→聡子→盛厚→信彦→征彦
325日本@名無史さん:2011/10/19(水) 20:57:06.56
睦仁→嘉仁→裕仁→明仁→文仁→悠仁

皇家の嫡流男子が悠仁だけというのは、いかにも心細いな。
326日本@名無史さん:2011/10/19(水) 21:41:58.13
>>325
旧宮家(明治帝の娘が降嫁して出来た家のみ)の男系子孫か
東山天皇の後裔かしかないね。悠仁ちゃんは性交のために
生まれて来たようなものだ。くれぐれも夭逝しないようにと願う。
327日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:00:13.10
呼び捨てだのちゃんづけだのお里が知れるわ
328日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:21:29.24
では、悠仁(ゆうにん)法親王
あるいは、悠仁(ゆうにん)入道親王
329日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:25:37.57
仁和寺宮悠仁法親王 出家させるのか?
330日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:39:17.36
>>328
面白いと思ってるの?
そのセンス全く理解できんわ。
331日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:48:59.99
法皇になれば問題ない。
332日本@名無史さん:2011/10/20(木) 14:22:00.71
男系堅持でもユウジンのスペアは必要。
でもネトウヨの竹田君が天皇家に養子縁組したとしても、ありがたみは
無いなあ。
染色体確認後、幼児期から宮中に入れておいて置くべきだな。
適正不可もあるから複数序列込みで確保して置くようにしないとな。
333日本@名無史さん:2011/10/20(木) 14:51:26.03
>>332
お前に天皇・皇室を語る資格なんかつゆもない。
せめて摂関家くらいのポジションになって初めてそういう減らず口を叩くんだな。
334日本@名無史さん:2011/10/21(金) 11:21:51.14
>>331
明治時代の神仏分離令以降
天皇および皇族は出家できなくなったんじゃなかったか
明治維新の時点で僧籍にあった元皇族は全員
明治以降に還俗になった
335日本@名無史さん:2011/10/21(金) 18:45:11.60
>>334
新憲法で信教の自由が誰にでも認められたんだから、
親王や天皇が出家しても、何の問題もない。
336日本@名無史さん:2011/10/21(金) 19:07:41.02
明治天皇
→嘉仁→裕仁→明仁→文仁→悠仁
→昌子→恒徳→恒正→恒貴
→房子→永久→道久
→充子→孚彦→誠彦→明彦
→聡子→盛厚→信彦→征彦

これを見ると、睦仁の皇胤では竹田系が嘉仁系に次いで最長系なんだな。
337日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:59:25.81
北白川家は子無しなのか。女系でもいいよ。現代版継体天皇よりはマシだろう。
338日本@名無史さん:2011/10/22(土) 10:18:19.75
裕仁
→明仁→文仁→悠仁
→成子→信彦→征彦
339日本@名無史さん:2011/10/22(土) 10:33:05.71
>>338
それでもいいかもね。まずは高松宮あたりを再興させて皇族にしちゃえば。
実は天皇になるには血筋よりも品位が重要。そういう教育を受けて育って
来た人間であることが絶対に必要。
340日本@名無史さん:2011/10/22(土) 18:29:05.13
旧宮家から1択だと東久邇家でしょうね。男系自体としては遠くても、女系で明治、昭和の両御門のお血筋なら国民も納得するでしょう。
341日本@名無史さん:2011/10/23(日) 03:16:40.78
東久邇はあの稔彦王が興した宮家でなければ皇族復帰も抵抗ないのだけどね。
新興宗教ひがしくに教なんて作ったり、旧宮邸の所有権確認訴訟を国に対し起こしたりね。
宮邸は現在、京急系列のホテルパシフィックの敷地になってる。
342日本@名無史さん:2011/10/23(日) 11:46:54.73
先祖(初代)と子孫は関係ないだろ。別人なんだし。
343日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:01:07.46
平成天皇→紀宮→オレ

母方を辿ると天皇につながる。母方で近いから皇位継承権がある。
とか言い出すバカが将来出ないことを祈るしかないな。
344日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:23:35.22
>>343
その時は愛子女帝になるな。男系女性天皇なら問題はない。
そういえば黒田家は子供出来たのか?もう40歳だぞ。
345日本@名無史さん:2011/10/26(水) 21:49:40.97
一夫一婦制になった段階で男系維持は無理なんだよ。
大正天皇がたまたま男子を4人も得たし、終戦の段階では明治帝の血筋の宮家が
もっと増えそうなほどだった。まさかこんなに男子が生まれないとは想像
出来なかったんだろうな。
346日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:33:22.47
>>345
一夫一婦制で男系維持が不可能というのなら、
一夫一婦制が基本である日本国民の男系が維持できなくなるというに等しいから
日本からいずれ男性がいなくなるという解釈になるけどそれでok?
347日本@名無史さん:2011/10/26(水) 23:13:09.96
>>346
何故男性がいなくなる訳?
息子に男の子が生まれなくても、娘に男の子が生まれる。
348日本@名無史さん:2011/10/26(水) 23:25:45.55
出生率も関係するだろ。
いずれ男性どころか、究極的には日本人がいなくなる可能性だって無きにしもあらず。
よく、先祖を遡れば何世代目に何億人なんて話があるが、その逆バージョンを考えてみると良い。
つまり、今の日本の人口を1億2千万、3〜4世代が同時代に生きているとして、
「現世代」を約3千万人とすると、これは2の25乗。
単純にこの「現世代」1500万カップルから子供が1人ずつしか生まれて来ないとしたら、
そして次世代以降も同じ傾向が続くとしたら、25世代後にはついに最後の日本人が1人残るのみとなってしまう。
25世代後ってことはだいたい700年後。西暦2700年頃にはそんなことになってるかもよ。
349日本@名無史さん:2011/10/26(水) 23:26:43.97
>>347
娘の夫視点から見ると、彼の男系はいずれ絶える

人間は誰もが誰かの男系子孫である訳だから、
「どんな家系も一夫一婦制を続けたら男系が100%絶える」という事象が常に正しければ
現在生きている日本国民(←これを集合Aとでもしよう)及びその男系子孫が一夫一婦制を採り続ける限り、
集合Aの男系子孫は必ず絶える訳で、それは即ち現在の日本国民の男系子孫は将来いなくなるということになる
350日本@名無史さん:2011/10/28(金) 06:16:47.37
いっそ英王室からヘンリーを迎えて、皇位を進呈してはどうか?
351日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:30:09.18
>>349
男系子孫が耐えることと、男がいなくなることは違うだろ。

Y染色体でルーツを探れるというやつは、7〜8万年前に生きていた男の
ほとんどの男系が絶えたということ。女の女系も然り。
だからといって男がいなくなるわけではない。
352日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:57:13.88
>>351
じゃあわかりやすく考えてみよう。以下はあくまで仮定として考えてほしい。

日本では古代末期から近世まで、貴族・武士などの上流階級は
皇族(王氏含む)、藤原氏、源氏、平氏がほとんどだった。
厳密には橘氏や菅原氏もいたが、ここでは無視し、「日本の上流階級は皇族、藤原、源、平のみだった」とする。
上記の姓は基本的に男系によって受け継がれる(例外はあるが簡略化するために無視する)。
ここで、仮に現代でもこれらの氏族が上流階級を占めていて、
且つすべて一夫一婦制を採ったらどうなるか考えてみよう。

>>345にあることが正しければ、一夫一婦制の下ではいずれ男系が絶えるので、
まず皇族の男系子孫がいなくなり、皇族が絶えてしまう。
続いて、皇族よりは男系の人数自体が多い藤原氏も、一夫一婦制の下では男系が維持できなくなるのでいずれ断絶する。
源氏、平氏も同様に時間の経過とともに男系が断絶していくだろう。
一夫一婦制で男系を維持できなくなるのは皇族だけでは無く、他の家系も同様であるのは言うまでも無い。
上に書いたように、男系の断絶=姓の断絶とここでは仮定しているので
皇族、藤原氏、源氏、平氏は歴史から消え去ることになる。
上ではさらに日本の上流階級はこの4姓に限ると仮定しているので日本の上流階級そのものが消え去ってしまう。

こんなことは絶対に起こり得ないので、逆説的に言えば、一夫一婦制だとしても
確かに男系の断絶する可能性は高まるが、必ずしも断絶するとは限らない。
むしろ経済的に恵まれている皇室ならば将来的には男系が繁栄する可能性も十分にある、と言える。
353日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:13:11.01
もう一つ例を提示しよう。

外部との通婚を行わない100人の村があったとする。
この中には男性50人、女性50人がいるとする。
この村では常に一夫一婦制の婚姻制度となっており、且つ婚外子は認められない。

この村には当然ながらY染色体は50通り存在している。(兄弟のY染色体はこの時点では別物と見なす)
これらのY染色体にそれぞれ1番〜50番までの背番号を割り振る。
Y染色体の変異は無視し、Y染色体は父から息子へ常にそのまま遺伝するとする。

この村は外部との通婚を行わないので、未来永劫に渡って
現時点で存在する50種類のY染色体しか存在し得ない。

ここで、背番号1のY染色体について考えると、背番号1を持つ男性(A氏と名付ける)は
当然に妻を最大で1人しか持てず、子孫はその妻との間に残された子孫に限られる。
一夫一婦制を続ける限り、1氏の男系は保てないので、背番号1のY染色体は将来消えてしまう。

続いて、背番号2のY染色体について考えると、このY染色体を持つB氏も妻は一人しか持てず、
彼の子孫もまた妻を一人しか持てないので、背番号2のY染色体も将来無くなることが予想される。

以下、背番号3〜50までも同様に時間の経過とともに消えていくので、
この村からはY染色体は全く無くなる。
男性として生まれるためにはY染色体が不可欠なので、この村からはその時点で男性がいなくなる。
そして、外部との通婚が無いという仮定があるのでこの村の女性も結婚相手を失い、
この村からは人間がいなくなるだろう。

これを日本全体に拡大して考えると、国際結婚という要素を無視して考えれば、
1億2千万人の村にある6千万種類のY染色体それぞれが一夫一婦制を続ける限り消え去ってしまうという結論が導き出される。
354日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:23:15.40
要するに言いたいことは、「一夫一婦制だと確実に男系が維持できなくなる」
というのは荒唐無稽な話であって、分家が一切無ければその人に男子が出来なければ男系が絶えるけれども
十分な数(最低4つ程度、できれば10は欲しい)の宮家を確保し、それぞれが子孫を残しやすいように
経済的に余裕が持てるようにすれば、一夫一婦制と雖も男系が維持できなくなることはほぼ有り得ないということ。

そのために、悠仁親王には沢山男子を儲けてほしいし、
旧宮家の男系男子と現皇室の女子の婚姻による新宮家の設立によって
いわゆる「血のスペア」を確保してほしい。
355日本@名無史さん:2011/10/29(土) 08:33:05.27



長ったらしい長文は要約しろ。
ベタッとした字のカタマリは、読む気もおこらない。


356日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:04:29.54
内親王が設立した女系宮家なんてものは宮家とは呼べない。
源氏を婿に迎えていちおう男系で繋がりがあるからいいという問題ではない。
天皇制の正統性を失うことになる。
357 忍法帖【Lv=31,xxxPT】 :2011/10/29(土) 15:16:55.61
>>356
伏見宮貞成親王の時点で天皇家の命脈は尽きた。今の天皇家は足利王朝である。
358日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:28:10.38
>>355
要約は>>354に書いた
359日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:45:45.70
側室制度を復活し、東宮、秋篠宮様にも頑張って貰うしかない。
庶民でも愛人の子供を認知できるのだから…
皇室だけ駄目は逆差別かと…
360 忍法帖【Lv=31,xxxPT】 :2011/10/30(日) 00:28:34.23
>>359
天皇家には出会いが無い。モバゲーでもやってもらうしかないな。
しかし側室制度はやめるべき。今度は側室の子同士の皇位継承順位
の問題も生じるし、宮家の無限増殖の危険性もある。
361日本@名無史さん:2011/10/30(日) 00:41:26.49
側室の子同士は出生順でしょ常識的に考えて
362日本@名無史さん:2011/10/30(日) 01:55:52.81
>>357
だから、今の天皇家は足利顔じゃなく、天子摂関御影の天子顔だと何度言ったら・・・
363 忍法帖【Lv=31,xxxPT】 :2011/10/30(日) 03:44:52.11
>>361
庶長子が生まれたらセクス禁止にするのか?庶子が3人も生まれたらどうする?
364日本@名無史さん:2011/10/30(日) 09:55:04.75
謝罪の意味もこめて、李王家か尚家に皇位を進呈しろよ。
365日本@名無史さん:2011/10/30(日) 11:09:30.21
予備はいるから何人子供を作ってもいいが、三男以下は二十歳になれば臣籍降下。
3世か4世になったら長男次男でも臣籍降下。血縁の遠い宮家はいらない。

側室の子は出生順。正妃の子供は嫡子で側室の子よりも上。
366日本@名無史さん:2011/10/30(日) 11:42:07.08
今の不況のご時世だから、ある程度の家柄でも、側室になる女性もいるのではないか? ひと昔なら考えたられなかったけどな…
東宮様より、秋篠宮様のが人気だろうが…
367 忍法帖【Lv=32,xxxPT】 :2011/10/30(日) 19:59:39.64
勝手なことみんな書いているが、大正時代に伏見系の皇族が増えすぎて対応に苦慮したことを忘れてはいけない。
それに側室を持つタイミングも重要だ。正妻と同時に第二后妃も決めるのか?
368日本@名無史さん:2011/10/30(日) 20:47:05.95
それいいね。側室と言わず。第二后妃とか呼ぶと希望者も出やすい…
369日本@名無史さん:2011/10/31(月) 11:16:21.20
戦前までは皇后は宮家か旧摂家出身者と決まっていた。
身分制度があったから皇后とそれに仕える典侍(側室)という制度が成り立った。
しかし、今は、皇后も一般庶民の出。
一般庶民に皇后、第二后妃と序列をつけるのは難しい。
同格の正妻扱いとし、皇后、中宮と呼ぶのか。
しかし、天皇や皇太子は海外に行くことも多いのに
同格の正妻2人を常に一緒に連れて出ねばならず、混乱しそうだ。
370日本@名無史さん:2011/10/31(月) 18:10:52.26
ていうか、普通に婚外子を認知して相続権を認めればいいだけ。
モデルや女優との間にボコボコ婚外子作って、片っ端から認知して、
親王にしちゃえよ。
371日本@名無史さん:2011/10/31(月) 18:21:08.56
>>370
モデルや女優が側室を希望するわけないだろw
希望するとしたら本当に生活に困っている離婚ボッシーや
水商売の女性だろうな
それに実母と引き離して宮中で育てるというのはただごとではない
赤の他人の子供を押し付けられる皇后を希望する人もいなくなりそうだ
372日本@名無史さん:2011/10/31(月) 19:13:27.23
まあ、名前がどうであれ、側室制度がなければ。皇室制度が将来生き残ることはできないのは確かだ。
まあ、俺は死んでるから関係ないけどね…
民主にだけは決めさせたくない。
373日本@名無史さん:2011/10/31(月) 19:17:49.92
側室というから古めかしいが、愛人とか恋人とかカノジョとかセフレとか言えば、
いくらでもありうるだろ。
374日本@名無史さん:2011/10/31(月) 19:20:11.24
ユージンがヨーロッパの王様や王族なみに、やんちゃな暴れん坊になって、
芸能人やらモデルやらと大いに恋愛してほしい。
375日本@名無史さん:2011/10/31(月) 19:36:21.01
>>373
愛人やセフレでもいいが日本で婚外子が生まれる確率なんて0.3%程度だよ
しかも母親は借り腹で産んだらすぐに宮中に引き取って育てますなんて言われても
私は苦労してこの子を産みますなんて言う母親がいるかい?
376日本@名無史さん:2011/10/31(月) 21:15:13.61
>>370
その辺は宮内庁の仕事なんだろうけど、あいつらときたら
つまみ食いするに決まってるし・・・・
377日本@名無史さん:2011/11/01(火) 00:13:21.04
>>367
宮家を廃止して皇族の範囲を3世孫までにすれば増えすぎることもない。
皇位継承は皇族だけに限定せず男系順で100位くらいまであったほうがいいな。
378日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:44:44.52
>>377
4世目はどうやって育てるの?公費が出ないのかな?
379日本@名無史さん:2011/11/01(火) 02:49:19.41
>>378
成人したら臣籍降下に決まってるだろ

諸外国では王位継承権保有者でも国庫から生活費を支給されない場合もあるので
日本でも例えば皇子及び皇孫は親王、それ以下は王として、
親王は現状と同様に国庫から生活費が出るが王はそれぞれ自活してもらえばいいだろう。
380日本@名無史さん:2011/11/01(火) 15:26:37.17
>>379
一般庶民同様自営業やってたり会社勤務して一般人の嫁を持つ奴が
帝王教育も受けずにいきなり天皇になるのか?
妃たちすら美智子妃も紀子妃も社会人経験がなく
(美智子妃は大学卒業後花嫁修業、紀子妃は婚約後大学院進学)
雅子妃も公務員出身と民間企業勤務がないのに
381日本@名無史さん:2011/11/01(火) 18:48:40.47
>>380
王が即位するような状況は特別だから帝王教育を受けていなくても仕方が無いし
もし王が皇位継承順位1位にでもなったらその時に帝王教育をすれば良い

自営業や民間勤務が何故駄目なのかわからないが
それなら神主、学習院の教師、宮内庁勤務、自衛官等、その他公務員等いくらでもあると思うが?
382日本@名無史さん:2011/11/01(火) 18:56:25.42
戦前の男子皇族が原則、陸海軍人だったんだから、自衛隊は無理としても、
皇宮護衛官や宮内庁職員に任用すればいい。

神職や学習院の教師でも悪くないが。
383日本@名無史さん:2011/11/02(水) 10:00:36.43
漢の宣帝は、市井で育った名君。
帝王教育を受けたナルくんは、生まれながらの暗君。
384日本@名無史さん:2011/11/02(水) 10:08:21.95
>>381
現在の皇族も天皇、皇太子、継承順位第3位(秋篠宮)以外の男性皇族は
普通に民間企業に就職でいいだろうな。
皇族とはいっても天皇から遠くなればなるほど「来てくれ」要請も減り
三笠宮系の男性皇族など仕事もなくかなり暇そうだ。
女性皇族は現在、原則すべて結婚後民間に臣籍降下するという前提のもと
結婚するまで働いており(黒田清子さんは独身時代山科鳥類研究所の非常勤、
独身の三笠宮家の瑶子女王は赤十字病院の嘱託)男性皇族もこれにならうべきだろう。
385日本@名無史さん:2011/11/02(水) 13:04:16.24
桂宮はNHK、故高円宮は国際交流基金勤務だったでしょう。
386日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:30:46.88
ていうか、宮内庁(侍従職、式部職とか書陵部)や皇宮警察に勤務するのが一番ベストだろ。
387日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:46:47.84
明治憲法下の天皇が、手本にしたドイツやオーストリアの皇帝同様に、
カイザーやエンペラーとしての実態を持っていたことは紛れもない事実だ。
国法上、統治権の総覧者であり、軍の統帥権者だったのだから。

しかし、敗戦と占領でその地位は劇的に変化した。
建前上、強大な実権のある国家元首から、国政に関する権能を一切剥奪された象徴になった。
本来、このときに天皇の公式称号や英訳は改めるべきだったと思う。
「天皇」(エンペラー)から「国民の象徴」(ナショナル・シンボル)とでも。
そういう意味では、アフガンのザヒルシャー元国王に贈られた「国父」の尊号が、
象徴としての天皇の公式称号には一番ふさわしかったかもしれない。
388日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:48:40.60
サモア独立国の元首の称号は「オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー」で、
直訳すると「政府・国家(マーロー)の長(アオ)」である。
よって日本語での公式な訳語は、ズバリ「国家元首」である。

この国家元首に就任できるのは、4人の伝統的な大首長であるが、
彼らは、それぞれ「マリエトア」や「トゥプア・タマセセ」などの、
独自の世襲称号を名乗っている。
初代の国家元首(オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー)だったのは、
「マリエトア」タヌマフィリ2世と「トゥプア・タマセセ」メアッオレで、
終身の共同元首であった。

サモア独立国の事例を紹介して何が言いたかったかというと、
日本も天皇の国法上の地位は、ズバリ「国民の象徴」(ナショナル・シンボル)にして、
「天皇」という称号は天皇家の私的な世襲称号にすればいいということ。

要するに、「天皇」という独自の世襲称号を持つ伝統的王家=天皇家の当主が、
国法上は「国民の象徴」という終身の地位について、国事行為を行えばいいわけだ。
389日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:49:32.57
宮内庁職員、皇宮警察、自衛官を含む公務員
公的企業
大学や研究所

この辺でいいでしょ
390日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:51:44.52
要約すると、
憲法上の称号は「国民の象徴」または「国父」で、
天皇家の家長としての伝統的な世襲称号は「天皇」。

「天皇」○仁親王が、公的には「象徴」または「国父」に就任し、
「象徴陛下」とか「国父陛下」と呼ばれる。

もう、これでいいだろう。
天皇=エンペラーとか、日本はいまも帝国とかいう誤解もなくなるし。

で、なぜ「天皇」が憲法上の公式な称号だと問題があるのかというと、
天皇=皇帝(エンペラー)とか、日本はいまも帝国とかいう誤解が横行するから。
391日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:53:08.09
>>387
明治維新より前の天皇の方が今の天皇よりも権力無かったと思うが
392日本@名無史さん:2011/11/02(水) 19:03:41.72
もう国事行為もやめて天皇も就職しちゃえよw
徳川家みたいに先祖を供養する祭祀だけを行う一般人でいいじゃん
393日本@名無史さん:2011/11/02(水) 19:10:45.27
徳川家と天皇家を同列に考えてる時点で無知蒙昧過ぎで話にならんわ
394日本@名無史さん:2011/11/02(水) 20:28:38.69
>>388
国家元首の定員は1名、任期は5年。立法議会による選挙で選ばれる。
サモア憲法の規定では、立法議員の被選挙権を有する者は誰でも、
国家元首の被選挙権を有する。

で、その「立法議員の被選挙権を有する者」というのが何者かというと、

立法議会(一院制)の議員の定数は49名。
そのうち47名は、伝統的指導者層である首長(マタイ)から選ばれる。
(残り2名は欧米系などの移民の代表)

ここから判断するに、サモアは首長(マタイ)による選挙王政のようだ。
395日本@名無史さん:2011/11/02(水) 21:39:37.80
つまり、日本も

・明治天皇の皇女の子孫の伏見系皇族
・東山天皇の男系子孫の貴族
・平成天皇の直系子孫の皇族(ユージン系)

の中から、選挙王政方式で皇位を選出せよというわけか。
396日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:57:16.53
平成天皇の皇女の子孫
昭和天皇の皇女の子孫
大正天皇の皇女の子孫
明治天皇の皇女の子孫

↑女系の子孫なんていらないから
397日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:19:02.82
明治天皇の皇女の子孫は、同時に崇光天皇の男系子孫でもあるわけで。
398日本@名無史さん:2011/11/03(木) 06:41:39.18
それも代々、世襲宮家として近代まで続いていたしな。
399日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:38:54.06
>>393
徳川幕府のまま第二次世界大戦に突入したら
日本も天皇+将軍の2君主制維持だったかもしれないじゃん
それ以外の家は絶えてもいいが天皇家だけは
どんなことをしても男系存続させなければならない理由がわからん
400日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:47:16.97
伏見宮系なんてすでに完全な一般庶民なんだから
現在の天皇の皇統が絶えたらもう一般庶民でいいよ
伏見宮系に天皇家の祭祀を継続して行うことは認めるが
税金使って国事行為とかしなくていい
401日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:55:57.01
国事行為は象徴大統領

皇室祭祀や歌会とかは伏見系から相続した天皇家家長
402日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:30:48.00
徳川幕府のまま第二次世界大戦に突入ってw
いくらなんでも歴史の分岐点を端折り過ぎ
403日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:28:45.96
>>399
徳川家も男系にこだわってるよ
404日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:32:14.23
むしろ、大政奉還後の徳川慶喜の大名連合政権構想が実現して、
実質的に徳川主導体制が続いていたら、WW2には突入してないな。

いまの日本は、言ってみればUAEやマレーシアのような諸侯連邦国家、
徳川将軍家と一部大大名による連邦国家になってたよ。
405日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:48:58.62
だからなんで徳川時代から一気にWWUの話に飛ぶんだよw
あまりにも荒唐無稽過ぎて話しにならんわ
406日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:52:58.37
>>403
今の徳川宗家は70代なのに生涯未婚なんだろ?
だけど国民も徳川一族も問題にしないほど
後継が残るかどうかなんてどうでもいいって話だよ
407日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:56:51.15
>>406
誰の話してんの?
てか徳川家は今や一般人なんだから後継が残るかどうかを国民が案ずる必要性はそりゃないだろうが
408日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:57:17.94
>>403
徳川家はどちらかといえば男系優先というだけで
江戸時代を通じて娘の子(女系の孫)に松平姓を与えたり
女系相続を認めているんだよ
409日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:58:06.97
なぜその一般人であるところの徳川家と天皇家を同列に論じてるかが分からん。
挙げ句の果てには第二次世界大戦とか電波丸出しの例出してるし。
IDのないけど同一人物だろ?
410日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:59:05.40
>>408
意味不明。
徳川家の家督は代々男系だろうが。
411日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:01:20.93
>>406
未婚だと男系でも女系でも今の宗家の子孫は残らないだろ

>>408
でもたぶん宗家は家康の男系子孫じゃないと駄目なんじゃない?
次がどうなるかわからんが
412日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:13:18.09
>>409
天皇家も一般人だろ
天皇家は神のY遺伝子を持つ神の家柄とか思ってる?

日本男子全員のY遺伝子調べて天皇と同じY遺伝子持つ男を
順番に即位させたらお前は満足なんだろ
職業はニート、ホームレス、なんでも問わず
413日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:15:47.41
ああなんかもういいや。
遺伝子の話なんかしてないしw
天皇家が一般人ってww
あんたの言いたいのは天皇家も同じ人間だってことでしょ?
だったら日本史板に出てこなくていいよ。そういう話じゃないし。
414日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:17:33.05
>>412
さすがに世襲の国家元首と一般人を同一視するのはちょっと……
415日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:18:19.07
>>410
徳川一門である松平姓には女系で母方の姓を名乗っている者がいる。
徳川宗家は約半分が養子で継いでおり、松平家からの養子が少なくない。
416日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:20:50.17
>>415
んなこと分かってるわいな。
あなたは言葉の定義と説明の仕方を整理した方がいいよ。
2行目の説明なんて男系じゃないことの説明になってないし。
417日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:22:22.91
>>413
他家へ養子に出した男子であってもY遺伝子が天皇と同じなら
天皇にしろとか言ってたのおまえだろ?
だから、姓なんてどうでもいいんだよ。
徳大寺だろうが鷹司だろうが、黒田だろうが、島津だろうが。
遺伝子検査してY遺伝子が天皇と同じなら即位させろと言ってたの、
おまえだろ?
418日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:27:32.34
>>417
こいつ頭悪そうだなー
419日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:34:34.86
>>418
頭悪いのはお前w
420日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:35:59.45
今の天皇の直系の内親王が3人いるがこれを全員
民間に嫁がせて民間人として
600年前に天皇家から分かれた一般庶民の男を連れてきて
天皇にしろというのだからもう天皇も一般庶民もないわな
天皇の称号だけ許された一般庶民でいいと思うわまじで
421日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:45:40.77
>>417
んなこと俺は言ってないがw

てかさ生物学的な議論をする板じゃないんだけど。
日本史板的に「天皇家=一般人」とか言ってる時点で電波丸出し。
もう書きこまなくていいよ。
422日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:50:58.39
>>415
分家からの養子相続は多いが、15代慶喜まで全部家康の男系子孫だぞ。
そんなもの、ちょっと調べればいくらでもわかることだ。
明治以降も先代当主までは、ずっと男系。

現当主は先代の外孫が養子になってるから、女系相続ではあるんだが、
実父が会津松平家の分家で、男系では水戸徳川の血を受け継いでるので、
慶喜同様、やっぱり家康の男系子孫。

要するに、徳川宗家は一般市民になった現在でも、家康の男系子孫。
(いまでも上流階級で、徳川記念財団持ってるんだから、庶民ではないな)
423日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:56:37.06
御三家、御三卿で家康の男系の血筋でなくなったのは、尾張家と紀州家。

尾張家は、美術史家として有名だった先代当主が佐倉藩堀田家の出(血筋は鍋島)。
紀州家は、戦後しばらくして最後の侯爵が戦前からの浪費散財のあげく亡くなると、
日系人のナントカ剛さんが婿入りしてた(のち離縁)。現当主はその娘。
424日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:59:57.17
>>420
そういう状況なら、別に世襲制にこだわる必要ないよな。
単に皇女の婿ってだけでクロダヨシキさんのような普通の人でOKなら、
任期制の象徴大統領に高名な学者や文化人、脂の抜けた長老政治家を選べばよい。
425日本@名無史さん:2011/11/03(木) 15:55:37.77
そこで東山系、伏見系、ユージン系の候補者の中から選挙王政ですよ。
426日本@名無史さん:2011/11/03(木) 16:38:47.16
竹田の宮様がおいでになります
427日本@名無史さん:2011/11/03(木) 16:57:52.31
崇光源氏でもいいなら清和源氏も有りだな。
428日本@名無史さん:2011/11/04(金) 18:19:02.40
>>424
黒田良樹さんは駄目だろ。
天皇継承権は天皇の実の娘である黒田清子さんにある。
黒田清子さんが子を産んだ場合これに皇位継承権を認めるかが問題なのであって
黒田良樹さんを天皇にしろというならまったく別の議論になる。
429日本@名無史さん:2011/11/05(土) 06:35:29.15
>>426
竹田宮っていったら恒泰じゃなくて普通は本家の方を指すと思うよ
本家の方なら明治天皇の長女の直系だから、伏見宮系では東久邇宮に次いで優先度高い

>>427
そもそも伏見宮系が源氏を名乗ったことは一度も無いから崇光源氏なんて存在しないけどな
430日本@名無史さん:2011/11/05(土) 09:16:45.63
伏見系の皇族が臣籍降下(戦前)、皇籍離脱(戦後)した時点では、
明治初年に源氏とかの本姓は廃止されて、名字に一本化された後だから、
宮号とかに由来する名字しか持ってない。

旧公家や旧大名が(廃止されたとはいえ)本姓を持ってるのとはちがう。
431日本@名無史さん:2011/11/06(日) 22:31:07.34
さあ皇位が移動しそうだぞ。次期春宮は秋篠か愛子か?
432日本@名無史さん:2011/11/07(月) 20:53:47.08
高齢なんだから皇太子を摂政にしたら良いのにね
433日本@名無史さん:2011/11/08(火) 00:55:45.44
冗談抜きで70歳になったら国事行為は全部摂政に委譲した方がいいね。
年齢で区切れば恣意的な退位もなくなって公平だろう。美智子さまは
何百年ぶりかで2人の国母になるんだな。愛子さまの中途半端さが加速する。
434日本@名無史さん:2011/11/14(月) 18:37:33.68
年寄りほど、若いもんには任せられない、気持ちが大きい。
435日本@名無史さん:2011/11/15(火) 18:54:25.76
もう仁和寺に隠退して法皇になればいいのに。
436日本@名無史さん:2011/11/15(火) 19:08:22.22
法皇は仁和寺なんか入らないよ
院御所で贅沢三昧
437日本@名無史さん:2011/11/15(火) 19:10:03.14
寺なんかに入ったら女と一緒に住めないからな
歴代の法皇は院御所に女いっぱい囲って住んでた
438日本@名無史さん:2011/11/27(日) 23:51:16.73
BSフジに出ていた竹田を見たが
世襲親王家について「竹田さんの家もそうだったんですか?」との質問に
(目が泳ぎながら) 「えっ、と・・・まあ・・・私の出身の旧竹田宮も
えーと・・・昭和22年までは世襲親王家の一つでした」
と言い切っていた。
竹田宮から一人も親王は出ていないだろうが。この嘘つきめ。
439 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/11/28(月) 00:07:36.10
ほい
440日本@名無史さん:2011/11/29(火) 04:34:22.08
いまさら南北朝時代の天皇や江戸時代の天皇の子孫が皇位につくなんてあり得んな
441日本@名無史さん:2011/11/29(火) 11:32:26.13
どこぞの馬の骨が女帝の夫になるのはもっとあり得ん
442日本@名無史さん:2011/11/29(火) 16:22:35.33
象徴には、馬の骨がお似合い。
443日本@名無史さん:2011/11/29(火) 16:48:18.19
法的に皇位継承資格を有したことのある存命人物(敬称略。年号は有資格期間)
@ 賀陽文憲(崇光20世  昭和6〜22  父・賀陽宮恒憲王/母・敏子妃/外祖父・九条道実)
A 賀陽宗憲(崇光20世  昭和10〜22  父・賀陽宮恒憲王/母・敏子妃/外祖父・九条道実)
B 賀陽健憲(崇光20世  昭和17〜22  父・賀陽宮恒憲王/母・敏子妃/外祖父・九条道実)
C 久邇邦昭(崇光20世  昭和4〜22  父・久邇宮朝融王/母・知子妃/外祖父・伏見宮博恭王)
D 久邇朝建(崇光20世  昭和15〜22  父・久邇宮朝融王/母・知子妃/外祖父・伏見宮博恭王)
E 久邇朝宏(崇光20世  昭和19〜22  父・久邇宮朝融王/母・知子妃/外祖父・伏見宮博恭王)
F 東伏見慈洽(崇光19世  明治43〜昭和6  父・久邇宮邦彦王/母・俔子妃/外祖父・島津忠義)
G 宇治家彦(崇光19世  大正9〜昭和17  父・久邇宮多嘉王/母・静子妃/外祖父・水無瀬忠輔)
H 朝香誠彦(崇光20世  昭和18〜22  父・朝香宮孚彦王/母・千賀子妃/外祖父・藤堂高紹)
I 東久邇信彦(崇光20世  昭和20〜22  父・東久邇宮盛厚王/母・成子妃/外祖父・昭和天皇)
J 多羅間俊彦(崇光19世  昭和4〜22  父・東久邇宮稔彦王/母・聡子妃/外祖父・明治天皇)
K 竹田恒正(崇光20世  昭和15〜22  父・竹田宮恒徳王/母・光子妃/外祖父・三条公輝)
L 竹田恒治(崇光20世  昭和19〜22  父・竹田宮恒徳王/母・光子妃/外祖父・三条公輝)
M 北白川道久(崇光20世  昭和12〜22  父・北白川宮永久王/母・祥子妃/外祖父・徳川義恕)
N 伏見博明(崇光20世  昭和7〜22  父・伏見宮博義王/母・朝子妃/外祖父・一条実輝)
444日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:00:29.95
>>441
伏見宮家は江戸時代初期に後継が絶えた際、
丹波国に住む23歳の鍛冶屋を営む庶民の男がやってきて、
自分こそは伏見宮先当主の落胤だと主張。
そしてこの鍛冶屋が伏見宮家当主として親王宣下を受け、跡を継いだ(貞致親王)。
貞致親王夫人によると、貞致親王は庶民育ちの風変りな男であり、
宮中生活に全く馴染めず、宮中出仕もしなくなってしまったらしい。
そして、この鍛冶屋の男系子孫が現在の伏見系である。
445日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:08:21.44
>>444
ソース
446日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:15:32.31
江戸時代に鍛冶屋の徒弟をやっていたような
どこぞの馬の骨の子孫である伏見宮なんて論外だよな。
447日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:32:20.51
>>444
いろいろとちょっと違う。
貞致親王を伏見宮後継にと主張したのは本人ではなく、伏見宮家令の安藤定為。
安藤定為は貞致親王生母のいとこに当たり、当時面倒を見ていた。
ちなみにこの定為、ちょうどこの伏見宮後継問題が取りざたされていた頃に、
伏見宮顕子女王と将軍・徳川家綱との縁談にも奔走するという仕事をしている。
おそらく同じ年の照子女王と紀伊世子・徳川光貞との婚姻にも関わっていたか。
それと、親王を風変わりな男と評したのは夫人ではなく、その弟の近衛基熙。
子供の頃外に出されたってことなら、光圀や吉宗なども同様。
伏見宮と全く無関係の者が突然現れて、御落胤を主張したらそれが通っちゃって、
天皇家・摂家・将軍家の親戚になっちゃった、なんて本気で信じてるのかね。
テレビドラマの見過ぎだよ。
448日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:48:31.35
よく考えれば分かることなんだけど、
当時の宮家は当主に男子がいなければ当主の弟(通常は出家している)がいても
天皇家から養子が迎えられる例が殆どだった。
それなのに只の自称御落胤が出てきたって無視されて天皇家から養子が入れられるに決まってるし
そうならなかったのは貞致親王が伏見宮の血を引いていることが朝廷から見て明らかだったから。
449日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:27:24.04
鍛冶屋の徒弟のにーちゃんが突然ご落胤と認められて
伏見宮になったなんて
現在の皇室では信じられない話。
DNA鑑定とかない時代どうやって調べたのだろうか。

日本で一番血筋が重要視される皇族に
氏素性の怪しい落胤が入り込むなどあってはならない話。
そんな落胤が天皇になったら天皇家は終わる。
450日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:34:22.98
>>449
保科正之みたいに関係者は知っている事実だったんじゃない?
451日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:04:28.22
>>449
調べるっつうか、普通に人間関係を考えてみれば分かるべ。
君は、例えば10年ぶりに実家に帰ってきた家族だとか、
10年ぶりに再会した友人とか、10年ぶりで一緒に仕事をすることになったお得意さんとか、
みんな分かんなくなっちゃう人? ほんとに同一人物かな、なんて一々思っちゃう人?
452日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:17:02.24
落胤が出てきて天皇になるといったら世間は認めるのか?
453日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:35:29.03
ラルフ1世はアメリカンという映画があってだな
454日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:53:49.23
まあ、馬の骨の婿でもOKな国民なら、ご落胤でもOKするだろうな。
455日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:20:03.48
まあ日本は婿養子の文化がある国だからな。余裕でOKでしょう
456日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:33:00.65
とはいえ、桓武天皇以降の現天皇家も、
足利将軍家も徳川将軍家も前田家も島津家も、
封建時代の支配者の有名どころは、
現役の支配者時代ほとんどが男系貫徹。
457日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:41:08.13
まあ、馬の骨の婿さんよりは、隠し子の男子の方がマシだな。
こういう家系の場合。
458日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:54:30.02
天武天皇の男系子孫ってもう絶滅したのかな?
悠仁親王には女遊びを沢山していただくことだ。
なんならお姉さまが実技指導をしてもいい。
459日本@名無史さん:2011/12/01(木) 01:23:11.93
>>458
皇別氏族で天武天皇に由来する氏族はいくつもあったし
その男系が全員絶えるってことは考えづらい
恐らく現代にも本人は自覚していなくても天武天皇の男系子孫って人はいるだろう
460日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:35:15.40
>>447
貞致親王が伏見宮家から追い出されて母方で育てられたのって、
結局、卑母な上、出自が怪しかったからだろ?
母親は貞致親王家に仕える下働きの女中であったらしい。
父宮には一度も認知されたことがないのに母方の親族安藤某が頑張ったおかげで
父没後宮家の跡取りになれたって、誰も血縁を証明できない。

それから光圀や吉宗は一度も外に出されたことなどないが?
光圀や吉宗が父から認知されず母方で育ったなんて事実あるわけないが?
いずれも「殿様の子」として大事にされて城内で養育されている。
461日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:53:36.85
>>460
保科正之
462日本@名無史さん:2011/12/02(金) 16:17:42.50
>>461
保科母は、正之を孕んだ際、徳川家康に武田家血族として庇護され江戸城北の丸に住んでいた
見性院(武田信玄の娘)に預けられ、正之は武田家を復興させるべく、見性院に養育されている。
徳川秀忠の異母兄信吉が滅亡した武田家をいったんは継いだものの早世して断絶しており、
それに代わる徳川血筋の者を武田家後継にしようとした秀忠の配慮とも取れる。
保科を孕んだ静が見性院に預けられたこと自体、徳川家の配慮だろう。
その後、徳川秀忠側近の保科正之の養子になっている。

保科は、徳川家から何の配慮も与えられず打ち捨てられて、
母静の実家でこっそり育てられていたわけではない。
463日本@名無史さん:2011/12/02(金) 17:15:19.83
大名の養子に出されたケース(保科正之)と
鍛冶屋の徒弟(鍛冶屋)を同列に並べるとか
そもそも真面目に議論をする気がないとしか思えん
464日本@名無史さん:2011/12/02(金) 17:34:45.58
でもそんなに怪しいなら伏見宮継げないだろ

当時の人たちにとっては伏見宮の落胤が市井にいるのは公然の秘密だったんじゃないの?
465日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:11:52.78
上で光圀や吉宗が城内で大切に育てられてたって言ってる人がいるけど、
どっちもまちがってるよ。
光圀は、オヤジの頼房にあやうく水子にされかかったのを家老の三木仁兵衛の説得で、
出生後しばらくの間、三木家で養育された。
吉宗も、加納五郎左衛門に引き取られ、しばらくの間、加納家の子として養育された。
6代将軍家宣もオヤジの甲府綱重の結婚前の子だったので、家臣の新見家に預けられ、
甲府家に復帰するまで、家臣の子新見左近として成長した。
466日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:36:49.14
結局はみんなそれぞれの家を継承できたのが血縁繋がってる最大の証拠だと思う。
保科正之は違うけど
467日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:00:44.75
正之も本家の後見役として、幕政の最高実力者になれたから、たいしたものだ。
468日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:16:50.12
側室制度復活で日本の民法制度をむちゃくちゃにしてほしいww
469日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:17:09.88
>>465
光圀も吉宗も家宣も、家臣が主君の子を預かって育ててただけだが?
父親から認知されていなければ家臣が引き取るはずもない。
将軍付きの侍女が庶民の男の子を孕んで、武家が引き取るかい?

貞致親王は家臣に育てられてないんだよ。
470日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:28:15.57
>>469
だとしても、現代の我々よりも事情に通じていたであろう当時の朝廷が
正式に落胤と認めて伏見宮を継承させたのだから我々としては貞致親王を庶民の子と言う事はできない。
確かに庶民の子である可能性も完全には捨てきれないが、少なくとも状況的には十分に伏見宮の落胤と言えるし
それでも否定するとなると、歴代天皇が絶対に男系で繋がっているとも言い切れない。
即ち、どこかで不倫などがあったかもしれないのだから、重要なのは当時どのように考えられていたか。
471日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:32:55.33
>>470
貞致親王は朝廷が落胤だと認めたわけじゃないよ。
江戸幕府の機関である「京都所司代」に名乗り出て
幕府がだったらつがせりゃいいだろう、で継がせた。
天皇や宮家からの認可で継いだわけじゃない。

当時も本当に落胤なのかという噂があったほどだから
むしろ公家社会は懐疑的だった。
しかし、幕府の言うことにたてつくわけにはいかなかっただけ。
472日本@名無史さん:2011/12/02(金) 21:06:59.84
基本的に宮家は当主が継嗣たる男子なくして薨去するか、継嗣たる男子が生まれる見込みが無くなったら
当主の弟が存命でも皇子が養子となって継承するのが常であった。
貞致親王は出家した皇族よりも立場の弱い庶民の養子だった訳だが
それでも尚、伏見宮を継承できたということは幕府(もしくは所司代)に特別な意図があったのか
それとも本当に落胤だった(と、当時の公家社会では思われた)と考えるしかない。

所司代が特に考えも無く怪しい男を宮家の落胤などと認めて当主に押しこんだのだとしたら
朝廷から抗議の一つや二つ入るのが普通だろうし、考えも無く決めたことに抗議が入れば変更するだろう。
所司代としても無駄に朝廷との波風を立てるだけで今後の仕事がやりづらくなるから何の得にもならない。
朝廷に力が無いと言っても幕府から見てやはり厄介な存在ではあったので
何の得も無いのに朝廷の不信感を招く行為をするよりは、大人しく皇子に伏見宮を継承させるのが普通の考えだと言える。

幕府(所司代)に意図があったとすれば皇族の権威を落として相対的に幕府を優位に立たせるため
もしくは貞致親王側から所司代が何らかの利益供与を受けていたことぐらいしか考えが及ばないが
一宮家の権威を落としたところで幕府にとって得にはならない。
利益供与の線は考えられなくもないが、庶民の経済力しか持たない貞致親王にそれができたとも思えない。ひょっとしたら後援者がいたか?というぐらい。
473日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:16:28.65
20世紀初頭の段階で君主が「皇帝」だったのは以下の国々。

ヨーロッパ 4
ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重君主国、
グレートブリテン連合王国(英国王がインド皇帝兼任)

アジア(中東含む) 5
大日本帝国、大韓帝国、大清帝国、カージャール朝ペルシャ帝国、
オスマン帝国
(英領インド帝国は君主が英国王なのでヨーロッパにカウント)

アフリカ 1
エチオピア帝国
474日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:17:39.25
20世紀における皇帝消滅の歴史

1910 大韓帝国皇帝・純宗(日本による併合)
1912 大清帝国皇帝・宣統帝(辛亥革命、1917年に復辟するも、すぐ取り消し)
1916 中華帝国皇帝・洪憲帝(袁世凱)(国内の反対で3ヶ月で取り消し)
1917 ロシア帝国皇帝・ニコライ2世(ロシア革命=3月革命)
1918 ドイツ帝国皇帝・ヴィルヘルム2世(WW1敗戦による革命)
1918 オーストリア帝国皇帝・カール1世(WW1敗戦による革命)
1922 オスマン帝国スルタン・メフメト6世(トルコ革命によるスルタン制廃止)
1924 オスマン帝国カリフ・アブデュルメジト2世(同上によるカリフ制廃止)
1924 モンゴル国ハーン・ジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)(死去後、共産政権により廃止)
1943 東アフリカ帝国皇帝・ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1941年に領土喪失後、退位)
1945 満州帝国皇帝・康徳帝(清の宣統帝)(日本敗戦による国家消滅)
1945 越南帝国皇帝・保大帝(バオダイ)(日本敗戦による8月革命)
1947 大日本帝国皇帝・昭和帝(裕仁天皇)(日本国憲法施行による帝政廃止)
1947 インド帝国皇帝・ジョージ6世(インド独立による皇帝号廃止)
1974 エチオピア帝国皇帝・ハイレ=セラシエ1世(革命による帝政廃止)
1979 イラン帝国皇帝・パフラヴィー2世(モハンマド・レザー・シャー)(イラン革命)
1979 中央アフリカ帝国皇帝・ボカサ1世(クーデタによる帝政廃止)

長い人類の歴史における最後の皇帝がボカサなのか。胸熱だなあ。
475日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:18:36.92
人類史上、最後の帝国と皇帝は中央アフリカ帝国皇帝ボカサ1世

ヨーロッパ最後の皇帝 インド帝国皇帝(兼連合王国国王)ジョージ6世
アジア最後の皇帝 イラン帝国皇帝パフラヴィー2世(モハンマド・レザー・シャー、パーレビ国王)
476日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:42:44.77
貞致親王の時代には後水尾天皇の皇子がわんさかいたはずで、
普通に考えれば後水尾天皇皇子が伏見宮を継ぐと思う。
それを鍛冶屋さんに継がせたということは、次のパターンが考えられる。
@貞致親王が紛れも無く本物で疑いようが無い。
A紫衣事件や退位問題で幕府ともめた後水尾の皇子だけは何としても拒絶したかった。

しかしAとなると皇位そのものが後水尾の子孫に継承されている点を説明できない。
後鳥羽の子孫に対するやり方と江戸幕府のやり方は違うようです。
477日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:00:39.72
>>460
>貞致親王が伏見宮家から追い出されて母方で育てられたのって、
>結局、卑母な上、出自が怪しかったからだろ?
>母親は貞致親王家に仕える下働きの女中であったらしい。
>父宮には一度も認知されたことがないのに……

そのソース出せます?
478日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:03:40.89
>当時も本当に落胤なのかという噂があったほどだから
>むしろ公家社会は懐疑的だった。

このソースもお願い。
479日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:31:10.54
480日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:40:57.36
えーと、どこに>>477-478の答えが書かれているのでしょうか?
481479:2011/12/03(土) 03:59:50.61
いや、オイラは>>460じゃないよ
勘違いされる流れで貼ったのはすまんかった
482日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:14:24.88
>>477-478
自分で史料を自分の目で読めよ。
当時の史料を見ると、宮家に認知もされていない男子が
唯一真実を知る先代当主が死んでしまってから名乗り出ていることがわかる。
宮家が事情を知っていてこれこれこういう子供がいます、と幕府に申し出たわけではなく、
当人も伏見宮家に名乗り出て「皆さん私のことをよく知っているでしょう」認知を求めたわけではない。
事情を知るはずもない江戸幕府の機関、京都所司代にいきなり名乗り出て、
「私に伏見宮家を継がせてほしい」と認可を求めている。
で、君はこの事実をひっくりかえせるの?

一次史料に当たれない奴がいちゃもんつけてもな。
483日本@名無史さん:2011/12/04(日) 00:24:34.42
だから、その史料(ソース)を教えてくださいよ、って言ってんの。読むからさ。
484日本@名無史さん:2011/12/04(日) 01:11:59.13
>>482
あのさあ、認知もされてなくて誰も事情を知らないなら宮家を継げる訳ないでしょう
そんな得体のしれない男を後継ぎにするくらいなら皇子を後継ぎにすれば万事丸くおさまるじゃない
でもそうしなかったのは当時の事情を知ってる関係者にとっては鍛冶屋のところに先代の息子がいることは明らかだったから

京都所司代だって事実関係の確認くらい当然するに決まってるし、
それで通ったってことは当時の人々が知り得る証拠から判断する限りは
貞致親王は先代の息子だったってこと

大体、いきなり落胤名乗って皇族の跡目になれるんなら息子を残さずに死んだ皇族が出るたびに跡目になろうとする奴が殺到するわ

現代の視点で当時の判断をひっくり返すには明らかな証拠を見つけないといけないんだけど
きみは「一次史料に当たれない奴がいちゃもんつけるな」って言いながら一次どころか何の史料も示してくれない
この姿勢はどうなの?
485日本@名無史さん:2011/12/04(日) 09:22:49.60
ここ、伏見宮系以外のスレなんだが。
東山天皇系とか、皇別摂家等の。
486日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:13:53.12
>>484
だから、「貞致親王が宮家に認知されていた」証拠でも出せよ。
そう書いてある史料を出せば皆が納得するだろ?

なぜ、宮家が「これこれこういう落胤がいますから、これに継がせます」
と幕府に申し出ずに、落胤が自分から申し出るまで宮家は動こうとしなかったんだ?

江戸幕府は誰が伏見宮になろうとそれほど興味があったように思えないんだが、
「伏見宮家の落胤で間違いない」ということが調査された形跡もないんだが?
「きちんと調査した」証拠がないのに、お前が「間違いないよ、伏見宮家は落胤のこと勿論認知してて、
一度は宮家から追い出したけど、正統な後継者として知らないものはいなかったんだよ。
だけど江戸幕府には自分から言い出せず、落胤のほうから『宮家を継がせろ』と名乗り出るのを一方的に待ってたんだよ」
なんて馬鹿な話があるかよ。
487日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:24:49.37
何回言っても分かんない人だなあw
私は、
>貞致親王が伏見宮家から追い出されて母方で育てられたのって、
>結局、卑母な上、出自が怪しかったからだろ?
>母親は貞致親王家に仕える下働きの女中であったらしい。
>父宮には一度も認知されたことがないのに……

>当時も本当に落胤なのかという噂があったほどだから
>むしろ公家社会は懐疑的だった。

が書かれている史料を提示してくださいって言ってるだけ。
読んで確かめられれば納得するっちゅうねん。
488日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:25:12.27
このネタはアンチ伏見が伏見系を貶める、いつもの話題だから、もうスルーして、
東山天皇の男系子孫の話にもどそうよ。

個人的にはオワダとかクロダなんかよりは、伏見系の東久邇でも東山系の徳大寺や華園でも、
どっちでもかまわんけど。
489日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:25:59.80
あと、後陽成系の近衛分家とかね。
490日本@名無史さん:2011/12/04(日) 11:52:40.27
>>487
「徳川実紀」を開いて読め。

で、お前が言ってることに史料的根拠がないことは認めるんだね?
491日本@名無史さん:2011/12/04(日) 12:11:39.20
>>488
清棲家教が藤原氏になった後に一旦皇籍復帰をした例があるので
藤原氏となった鷹司輔平系の一部を皇籍復帰させて、
その内で最も嫡長系である者を悠仁親王の次位(現状だと桂宮の次位だけどいずれそうなるだろう)に置いても良いと思う

こちらはアンチ伏見宮の言い分のように市井にいる落胤に継がせた例などは無いだろうし
492日本@名無史さん:2011/12/04(日) 12:29:13.62
>>486
だからさー江戸幕府にとってどうでもいいことなら皇子に継がせればいいじゃん
江戸時代は宮家に在俗の男子がいなければ皇子に継がせるのが当たり前の時代だよ?
幕府も興味無い問題なら怪しい落胤なんか持ってこずに慣例に従うだろ

貞致親王がもし伏見宮と全く血縁が無く、いきなり落胤名乗って現れて伏見宮になれるんなら
息子を残さずに死んだ宮家当主がいたら毎回同じような輩が出てくるに決まっているのだが
その辺はどのように考えているの?
493日本@名無史さん:2011/12/04(日) 17:03:25.19
>>353-354
>当然に妻を最大で1人しか持てず、子孫はその妻との間に残された子孫に限られる。
>一夫一婦制を続ける限り、1氏の男系は保てないので、背番号1のY染色体は将来消えてしまう。
上と下がつながってなくね?
494日本@名無史さん:2011/12/04(日) 17:13:16.05
ところで宮家とか源氏とか平家とかの大量の分岐系統のY染色体分析の結果
天皇家のY染色体系統の方がイレギュラーってことになって
現天皇家の男系が実はどこかで入れ替わっていたことがわかったらどうなるの?
495日本@名無史さん:2011/12/04(日) 17:18:47.53
染色体ネタでひっぱるのは無意味だから、もっと歴史的な話題にもどそうよ。
496日本@名無史さん:2011/12/04(日) 22:00:44.05
>>493
どんだけ前にレスしてんだ池沼か?
497日本@名無史さん:2011/12/05(月) 01:38:36.36
>>493
「皇室で一夫一妻制続けてたら絶対に男系は維持できない!」って主張する奴がいたんだけど
日本は一夫一妻制だから天皇の子孫と一般人男性の子孫で男系の続く可能性は変わらないので
皇室で必ず男系が絶えるのなら、私の男系子孫も親戚の男系子孫も将来的には続かないことになるし
隣の家の旦那さんや息子さんの男系子孫も将来は絶えることになる。だってそうだろ?一夫一妻制続けてたら男系子孫は断絶するんだから。
そして向かいの家も同様、さらにその隣の家も同様、という風に続けていくと、近所全員の男系は絶えることになってしまう。
さらには市町村内の男系もいずれは絶えるし、都道府県内の男系が絶えることは自明。
だんだんと広げていくと結局、日本国内で今生きている人の男系子孫は将来的には全くいなくなることになる。
人間は誰もが誰かの男系子孫だから、今の日本人の男系子孫がいなくなる=外国人の遺伝子を入れない限りは日本人がいなくなる
ということになってしまう。

で、言いたいのは、そんなことは絶対に有り得ないから、一夫一妻制の現状では「絶対に」男系を維持できない、というのは偽で
確かに一夫一妻制だと男系が絶える可能性は高まるが、「絶対に」男系の維持が無理だと言う事はなくて
ある程度の確率で皇室は一夫一妻制でも男系を維持できる
498日本@名無史さん:2011/12/05(月) 07:19:27.47
簡潔に要約してくれないと、読む気もおこらない。
499日本@名無史さん:2011/12/05(月) 08:05:55.18
突き詰めると、男系で血縁の遠い人か、女系で血縁の近い人かを選べってこと。
女性宮家創設なんて言っているのだから、世論は後者に傾いている。
事ここに至っては、継体天皇同様、5世の孫が男系継承の限界だろう。
5世孫で男系って誰かいない?臣籍に下っていても宇多天皇の事例があるので問題ない。
500日本@名無史さん:2011/12/05(月) 09:48:18.70
>>498
だから、一夫一妻でも普通に男系は維持できる可能性はあるってことでしょ
501日本@名無史さん:2011/12/05(月) 16:49:33.00
>>499
光格帝の男系子孫で40歳未満なのは秋篠若宮ただ一人おられるのみです。
親王家から即位なさった光格帝に続く仁孝帝、孝明帝、明治帝、大正帝に皇兄弟がおられなかったため
光格帝の男系子孫と言えば大正帝の四人の皇子方の子孫に限られる訳です。

故に男系で今上と最近親なのは光格帝の皇叔父である閑院宮の淳宮、即ち鷹司輔平の男系子孫に限られます。
鷹司家では既に再度の養子縁組の結果、輔平の男系とは異なっているものの、
いくつかの公家等に鷹司輔平の男系子孫が養子として入っており、
現代においてもその内の一部は続いているものと思われます。

但し、それらの人々は光格帝の皇祖父に当たる閑院宮直仁親王の子孫に過ぎませんので
当然ながら直仁親王から数えても5世以上は経っております。
例えば、旧財閥の住友家の現当主は上記の鷹司輔平の男系子孫ですが、
東山帝の8世孫、直仁親王の7世孫であり、
かつ当人も60歳を越えているため即位するとなればその子孫となるため
さらに世数を経ることとなるでしょう。

この件で惜しまれるのは、光格帝の皇兄にあたる閑院宮美仁親王の系統が断絶してしまっていることです。
この系統が現在も続いていれば伏見宮及びその分家等は比較にならないほどに今上とは近かったので
昨今の皇位継承の危機においても皇籍に復帰する候補としては十分であったでしょう。
502日本@名無史さん:2011/12/05(月) 16:57:00.08
補足しておきますと、臣籍にある全ての皇室の男系子孫に皇位継承の順序を準用すると
恐らくは徳大寺家が最上位に来るものと思われます。
華族制度の下では最高位の旧公爵家ですね。
503日本@名無史さん:2011/12/05(月) 18:20:50.99
>>490
>「徳川実紀」を開いて読め。

読んで来たけど無かったぞ。一体どこに書かれてるんだ?

>で、お前が言ってることに史料的根拠がないことは認めるんだね?

俺の言ってることって何のこと?
504日本@名無史さん:2011/12/05(月) 18:39:27.97
じゃあ、徳大寺さんでいいよ。
血統、家柄ともに申し分ない。
505日本@名無史さん:2011/12/05(月) 18:46:30.89
徳大寺さんは今、神戸でバーを経営してるんだっけ。
506日本@名無史さん:2011/12/05(月) 19:05:53.36
旧華族仲間からは「左翼の徳大寺さん」とあだ名されていた。
507日本@名無史さん:2011/12/05(月) 19:13:49.30
香ばしいのは分家のほう。
508日本@名無史さん:2011/12/05(月) 22:46:37.96
じゃあこうしよう
一、女性皇族は女系宮家を創設し、結婚後も皇族に留まることができる
二、女系宮家は原則として初代に限って皇位継承権を認める
三、女性皇族は皇籍・臣籍を問わず男系の皇子孫と結婚した場合、その二人の間に儲けた男系子孫に皇位継承権を保有させることができる
四、男系の皇子孫と女性皇族が結婚し、その二人の男系子孫が宮家を継承した場合、その宮家は以後女系宮家では無く、通常の宮家と同様とする
五、男系の皇子孫と結婚しなかった場合、女系宮家は存続は認められるが皇位継承権は持たない。
六、女系宮家は四代までとし、五代以下は臣籍降下する

目的は、女性皇族の降嫁を無くすことで公務の分担を行う(一)とともに、
男子女子を問わず男系であれば皇位の継承を認めること(二、三)。
また、男系で皇統と繋がらない者には皇族であることは認めるが皇位継承権を持たない皇族として公務の分担と女系の血統の保存のみを行う(五)
そして、代数を制限することで、天皇と血が離れて平民同然の血(男系でもないのに代数を重ねたらそんな血に価値は無い)しか持たなくなった
女系皇族は臣籍降下させる(六)ことで無限に皇族が増えるのを抑止できる。

問題は、皇位継承順位をどのように扱うかだが…その辺はまだ考えて無い
509日本@名無史さん:2011/12/06(火) 00:34:17.00
皇族の公務が広範で、皇族不足になって公務が回らないから女性宮家創設なのか、
ズバリ女系天皇排出のための女性宮家なのかで議論の本質が異なる。

なんのかんの言っても天皇は一人しかいないから、天皇の名代を女性宮家にやらせるのなら賛成。
女系天皇排出のための女性宮家には反対。つまり女性宮家に皇位継承権を付与すべからず。

ここで問題なのは、女性の宮様の配偶者は皇族になるかということ。有難味は無いよねぇ。
逆玉としか思えない。
510日本@名無史さん:2011/12/06(火) 14:34:48.12
今更だけど後桃園天皇の後継選定の時に伏見宮を選んでいたら良かったのにね。
筆頭世襲親王家なのに皇位を踏んでいないから血筋が遠くなるばかり。
511日本@名無史さん:2011/12/06(火) 15:50:45.32
それをいうなら貞行親王が長生きしてたくさん御子がいればよかった
512日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:31:36.43
>>511
それだと貞行親王が即位、その長男が皇太子、二男が伏見宮、三男が京極宮(桂宮)になって四男以下は出家するだけ。
それ以外の閑院宮と有栖川宮が断絶するのは史実と変わらず、貞行親王の三人の息子の子孫がいかに血統を残すかだけど
幕末になるまで各宮の男子は嗣子となる一人を除いて出家させられるので貞行親王の系統もさほど広がらない。
一応1842年に閑院宮に空席ができるからその時に皇子が余ってればもう一系統ふやせるけどそれでも四系統に過ぎない。

後桃園天皇の後継に伏見宮が選ばれていたらどうして良かったのかと言うと、
幕末に邦家親王が山ほど王子を儲けたからであって、貞行親王が長生きしていてたくさん御子つくったところで
ほとんどは出家させれるのがオチで、重要なのは幕末にいかに沢山の男子を作るか。
513日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:40:29.40
>>510
伏見宮家は筆頭世襲宮家じゃないだろ。
江戸時代には4つの世襲宮家があったが伏見宮家は一番血縁が遠く
一番扱いは低かった。
514日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:49:01.12
戦後も血縁が遠かったから伏見宮系は臣籍降下だったんだもんね。
昭和天皇や弟宮たちの系統だけが皇族として残った。
515日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:56:13.45
>>513
しょっちゅう断絶繰り返してて全期間の3分の1近くは空主だった桂宮が一番所領多かったりするからな…
光格天皇の後は閑院宮が一番地位高そうだけど、それ以前は伏見・有栖川・閑院は同列だったと思う
516日本@名無史さん:2011/12/06(火) 17:40:12.33
>>512
まあそれは歴史のifでしかない。
すなわち、貞敬親王が天皇になっていた場合、皇后はともかく
側に侍る後宮の面子は、伏見宮当主(史実)の場合とは違っていたはずで、
さすれば、邦家親王という人物もこの世に生まれなかったろうから。
517日本@名無史さん:2011/12/06(火) 18:38:55.27
>>516
貞敬親王も子女は非常に多いけどな。
これほど沢山の子女を儲けた人は後宮の面子が変わったとしても沢山の子女を儲けるだろう。
これによって天皇家と伏見宮はその男子が継承するだろうし、桂宮と閑院宮にも養子が入っただろう。
確かに史実とは変わった流れにはなるだろうけど、貞敬親王―邦家親王―朝彦親王の流れのように
子だくさんも遺伝しそうな気がするから貞敬親王の4人の子が宮家にいたら、一人くらいは山ほど息子ができる親王もいるはず。
結局はifでしかないけど
518日本@名無史さん:2011/12/06(火) 19:11:20.71
邦家親王には摂家出身の正室のほかに妾が10人以上いたようだが
妾たちは家女房と呼ばれる宮家で下働きをする庶民やそれに近い女性たちだった
天皇ならば正室は摂家、側室でも清華家の公家の姫に限られるから
庶民の女を妾にすることはまずなかっただろう
そういうわけで後宮の面子は天皇と宮家では大きく異なるよ
光格天皇の母親が庶民に近い女性だったというのも
宮家の出身であり当主が庶民の女性と交わることができただけで
通常叙位を受けられない女性は宮家へは上がれても天皇が住む内裏へは上がれない
519日本@名無史さん:2011/12/06(火) 19:17:12.17
>>518
大臣家以下も入ってるでしょう
摂家+清華家って14しか無いし、側室10人くらい持ってた天皇はいただろうから摂家清華家の大半から側室来てたor頻繁に姉妹丼やってたとは考えがたいなあ
520日本@名無史さん:2011/12/06(火) 19:23:10.90
今wikipediaさらっと見たら藤氏源氏王氏のいずれでもない天皇の側室何人もいたわ
平氏は最高でも名家、菅原氏は最高でも半家だから摂家や清華家には限られてないね
たぶん地下も入ってたんじゃないの?さすがに庶民がいるとは思わないけどさ
521日本@名無史さん:2011/12/06(火) 19:50:57.83
>>520
>藤氏源氏王氏のいずれでもない天皇の側室何人もいたわ
誰?
菅原は半家だがまあ、公家だよね
522日本@名無史さん:2011/12/06(火) 20:06:16.08
>>521
wikipediaで歴代天皇の項目見れば分かる

家名のみ、家名+諱の人もあるけどそこは調べればすぐ分かるはず
というか調べて引っかからないような家は公家では無い
523日本@名無史さん:2011/12/06(火) 22:38:48.18
>>517
こんなスレでifでしかないから駄目とか言わん。
524日本@名無史さん:2011/12/07(水) 01:40:55.36
>>510
>後桃園天皇の後継選定の時に伏見宮を選んでいたら良かった
実際の皇位継承は天皇から血筋の近い順だから
共通の祖先が室町時代の昔まで遡るほど遠い伏見宮には元々可能性はなかった。
親王家と皇位継承権に関連はないのが
徳川御三家とは根本的に違う点だ。
525日本@名無史さん:2011/12/07(水) 01:59:45.77
>>524
いや、後桃園天皇崩御の時に候補者になったのは閑院宮の美仁親王、師仁王、伏見宮の貞敬親王の三人と言われている

伏見宮よりも近い有栖川宮は候補とはならなかったし
出家していない皇族男子としては当時最も後桃園天皇に近かった典仁親王(美仁親王と師仁王の父)は候補とはならなかった
また、後桃園天皇に最も近かった中御門天皇の皇子二人も出家していたために候補とはならなかった

天皇から血筋の近い順に並んでいる現在の皇位継承順位に当てはめると
数え方が間違ってなければ美仁親王は第4位、師仁王は第7位、貞敬親王は第12位なので
親王家であれば血縁の近さはさほど関係無いと考えられる
526日本@名無史さん:2011/12/07(水) 03:02:05.63
>>525
後桃園の遺児である内親王と新天皇の婚姻が望まれていたから、
内親王のお年に見合う新天皇が好まれたのだと思う。
そういうわけで典仁親王は年を食い過ぎでアウト。
つまり皇位が傍系に移る時って、先帝の内親王による
皇位の箔付けが必要なんだよね歴史的に。さてどうしましょう。
527日本@名無史さん:2011/12/07(水) 05:53:31.25
>>518
>>519

摂家、清華家は、女御や中宮になれる。女御以上が正妻だろうね。
名家、羽林家から典侍(本来は女官職だけど側室扱い)が出ていた。
羽林の園家は、江戸時代2人も典侍から国母、女院(上皇待遇)となり、繁栄した。
528日本@名無史さん:2011/12/07(水) 06:02:59.94
>>526
皇統からはなれてくればそういうことになるが、万が一徳仁親王が即位しても、悠仁親王殿下は皇孫で皇統に近いから問題ないはず。世襲親王家で天皇の猶子になって親王宣下を受けていた方々とは、各が違う。従兄弟では血が近すぎてよくない。
529日本@名無史さん:2011/12/07(水) 09:42:46.84
>>525
入道親王も含めてのカウントだと、次の順位ではなかろうか。
@公遵法親王/A忠誉法親王/B閑院宮典仁親王/C閑院宮美仁親王/D深仁法親王/E公延法親王/
F真仁法親王/G祐宮(師仁王)/H寛宮(盈仁法親王)/I健宮/J尊峯法親王/K尊映法親王/
L有栖川宮織仁親王/M伏見宮邦頼親王/N嘉禰宮(貞敬親王)/O佳宮(公澄法親王)/P尊真法親王
530日本@名無史さん:2011/12/07(水) 10:10:04.51
>>529
あー閑院宮の王子の数一人数え間違えてたのと京極宮の弟の存在忘れてたわ
531日本@名無史さん:2011/12/07(水) 12:02:14.00
>>525
あのときは
@出家した者は除く
A死亡した後桃園天皇よりも年上の親王は除く
だったから爺さん親王などが省かれたためだよ
最終的には欣子内親王の婿養子にするため独身であることと血縁の近さから光格天皇が選ばれた
後桃園天皇が没すると伏見宮家貞敬親王の父邦頼親王が帝位を狙う野心ありと疑われて
後桃園天皇毒殺疑惑により危うく出家させられるところだった。
まあ、政変により絶えず失脚させられそうになってたのが伏見宮家ってこと。
532日本@名無史さん:2011/12/07(水) 12:09:11.25
>>531
その条件があるってことは>>524は間違ってるってことでいいんだよね?
もし閑院宮に王子がいなければ伏見宮が即位することになったのだし
533日本@名無史さん:2011/12/07(水) 12:31:37.12
>>532
出家しておらず未婚の親王の中で貞敬親王が省かれた理由が
「血縁が遠い」だったのだから同じことだと思うが。
光格天皇よりも貞敬親王のほうが血縁が近いならそっちが天皇になってただろう。
どちらの場合でも欣子内親王の婿養子になることが条件。
534日本@名無史さん:2011/12/07(水) 13:40:39.36
>>533
>>524では単に皇位継承は天皇との血縁の近さだと言ってるけど
それ以外の条件が入り込むのなら必ずしも一番血縁の近い人が継承するとは限らないじゃないか

例えば、師仁王やその弟たちがいなかったら、閑院宮や有栖川宮をすっ飛ばして伏見宮が継承しただろう
現実には婿養子になれる資格者が閑院宮にいたからそちらになったが閑院宮以外には伏見宮にしかいなかったのだから
535日本@名無史さん:2011/12/07(水) 19:21:49.28
>>534
まあ、現在の「皇室典範」のもとでは天皇に血縁が近い順が
そのまま皇位継承順位だからね。
江戸時代も直系男子がいない場合は「直系女子に婿養子を取る」
ということが最優先されたということだよ。
男系だけが即位の条件じゃなかったってことね。
「直系女子の婿になれるか」が重要だったってこと。
婿取りの必要がないなら閑院宮美仁親王が天皇だったろうし。
536日本@名無史さん:2011/12/07(水) 20:35:54.78
つまり内親王だけ残して死ぬ天皇が一番糞ってことだね。
537日本@名無史さん:2011/12/07(水) 21:20:04.82
ユージンにも落飾していただいて、悠仁入道親王(法親王)になっていただこう。
538日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:31:26.35
>>534
皇位継承者は世襲親王家の中から選ぶという決まりはないから
閑院宮、有栖川宮の次は伏見宮とはならない。
仮に血縁の近い人をすっ飛ばして伏見宮になったら万世一系ではなくなる。
唯一世襲親王家出身である師仁王(光格天皇)が選ばれたのは
天皇から血縁の近い皇胤で出家していない条件に合うのが師仁王だったから。
539日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:37:08.46
脱漏上等・男系で近い順(皇族外で存命なら80歳以上になる方は除く)
@ 徳仁親王(51歳)
A 秋篠宮文仁親王(46歳)
B 悠仁親王(5歳)
C 常陸宮正仁親王(76歳)
D 三笠宮崇仁親王(96歳)
E 三笠宮寛仁親王(65歳)
F 桂宮宜仁親王(63歳)
東山天皇裔         ―今上の9世代前―
*8 徳大寺実啓
*9 徳大寺公信(31歳?)
10 高千穂宣比古
11 徳大寺公忠
12 徳大寺公仁(34歳)
13 中院 泉
14 住友芳夫
15 住友隆道(35歳)
16 室町公庸
17 山本実裕
18 山本実裕男子(24歳)
19 山本実裕男子(21歳)
20 北河原公敬
21 北河原公敬男子(23歳)
22 千秋李頼
23 千秋李嗣(29歳)
540日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:39:17.02
後陽成天皇裔        ―今上の12世代前―
24 常磐井理
25 常磐井亘(32歳)
26 常磐井隆
27 常磐井慈裕
28 近衛 一
29 近衛 大
30 水谷川忠俊
31 醍醐忠紀
32 醍醐忠紀男子(18歳)
33 佐野常行
34 佐野常武
35 佐野常具
36 南部利文
37 南部利忠
38 南部利博
崇光天皇裔         ―今上の21世代前―
39〜旧皇族

旧皇族を復するより新皇族を創設したほうがいいねこれは
541日本@名無史さん:2011/12/08(木) 02:52:05.15
>>538
>皇位継承者は世襲親王家の中から選ぶという決まりはないから

ダウト
当時は天皇か世襲親王家の当主にならない男子皇族は出家しているので
皇位継承者に成り得るのは皇太子、世襲親王家の当主及び継嗣、それと天皇や世襲親王の子で出家前の幼児だけだ
後桃園天皇崩御時点でそれに当てはまるのは閑院宮に典仁親王とその子4人、有栖川宮は当主の織仁親王のみ、伏見宮には邦頼親王とその子2人
これだけが皇位継承有資格者

>閑院宮、有栖川宮の次は伏見宮とはならない。

お前は師仁王やその弟達が仮にいなかったら誰が即位したと思うの?
光格天皇即位の時は欣子内親王と結婚できることが重視された
当時欣子内親王と結婚できる状況にあったのは師仁王及びその弟と、伏見宮貞敬親王だけ
伏見宮よりも天皇家に近かった有栖川宮には未婚の王子がいなかったし、閑院宮美仁親王は既婚だった
だから師仁王と弟がもしいなかったら血縁上は一番遠い伏見宮が皇位に就くことになってたと思うよ

>仮に血縁の近い人をすっ飛ばして伏見宮になったら万世一系ではなくなる。

万世一系は「血縁で近い順に即位すること」ではなくて、「神武天皇の男系子孫のみが即位すること」だ
542日本@名無史さん:2011/12/08(木) 03:08:42.64
>>539>>540
ここにあがってる人を「准皇族」として、皇族女子は准皇族と結婚した場合のみ皇位継承権を持つというようにしてはどうか?
543542:2011/12/08(木) 03:15:35.02
そういえば>>539の10 高千穂宣比古ってもしかして九州の高千穂神社の家かな?
高千穂家って確か後伏見天皇の皇子以来厳密には臣籍降下してないから
未だに皇族かもしれないって家ってどっかで聞いたきがする
544日本@名無史さん:2011/12/08(木) 18:02:12.03
>>541
欣子内親王の例を出すのならば、仮に男系維持のための場合であっても
「愛子内親王(或いは眞子内親王・佳子内親王)の配偶者である」ことが皇位継承の条件だろう。
東山天皇の3世孫である光格天皇が即位する時ですら、
天皇を父に持つ直系女子と結婚することが皇位継承の必須条件だったわけだ。
傍系、ましてや600年も前に分かれた伏見宮系の奴が
民間人女性を皇后に立てて皇族復帰することなどありえない。

>神武天皇の男系

またその話か。
日本人男性の3人に1人はいずれかの天皇の血を引いていると言われているよ
そもそも神武天皇のDNAはおろか実在したかどうかも不確かなのに
どうやって血を証明するんだよ。
545日本@名無史さん:2011/12/08(木) 18:06:36.42
アイコにこだわるのもウザイが、何かとDNAやら神武やら言い出すのもウザイ。

普通に江戸時代の天皇の男系子孫で十分だ。家系も身元もはっきりしてるんだから。
546日本@名無史さん:2011/12/08(木) 18:23:09.82
ていうか、ユージンが生まれた以上、いまの典範のもとではアイコはどうでもいい存在。
平成天皇のあとはナルちゃんすっとばして、いきなりユージン帝でもいいんじゃないか?
547日本@名無史さん:2011/12/08(木) 23:18:51.70
>>544
万世一系という単語を出してきたのは>>541ではなくて>>538だろ
万世一系っていったら(DNAの問題はともかく)系譜上で神武天皇につながっている人だけが皇位につけるってことでしょ

重要なのは血じゃなくて系譜
継体天皇の血を今上天皇が確実に引いている証明だって誰もできない
というかむしろ血を引いていない可能性のほうが高いのではないかと思えるくらいだ
だって歴代皇室で后妃の不倫が全くなかったとは思えないだろ?

要は、血が繋がっていなくても実の親子としての関係が代々続いていればそれでいい
遺伝子の問題を持ち出すのはナンセンス
ああ、ちなみに俺はY染色体とかの話は全く出してないからな

日本人男性の3人に1人が天皇の血を引いているとしても、その系譜を明らかにできない人が大半だからお話にならない
548日本@名無史さん:2011/12/09(金) 16:14:02.02



ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?






549日本@名無史さん:2011/12/10(土) 12:23:08.36
>>539
桂宮と徳大寺家の間に、華園って真宗の坊さんがいたはずだが。
550日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:14:13.78
>>543
らしい

>>549
華園さんは鷹司の実子じゃないって説があるらしい

氏でいえば中院も藤氏じゃなくて源氏
551日本@名無史さん:2011/12/13(火) 13:26:16.84
明治天皇には何十人も側室いたとか。

となると、天皇の子孫なんかいくらでもいるだろう。

ただ、公の場に出てきてないだけで。
552日本@名無史さん:2011/12/13(火) 13:28:37.17
明治天皇の玄孫とか五代孫とかいう噂がたつ男子はいくらでもいる

側室たくさんいたから、そういうのいくらでもいるだろう
553日本@名無史さん:2011/12/13(火) 13:37:32.91
明治天皇は男子が一人しか成人しなくて困っていたのに
私生児がいるなら引き取って皇族としていたはずだからそれは無い
554日本@名無史さん:2011/12/13(火) 14:18:12.62
>>552
天皇が皇居から出て自由に街を闊歩し出会い系サイトとかできるわけないだろう
明治天皇の側室たちは皆血筋あらたかで夜伽を勤めることを
任務として皇居に上がった典侍と呼ばれる公家の姫たちからなる女官
天皇はこの夜伽役の典侍以外に手を付けることは許されず
また側室に手を付ける際には皇后の許可が必要だった
隠し子なんているはずがない
555日本@名無史さん:2011/12/13(火) 15:00:36.52
>>554
保科某がいてのー
556日本@名無史さん:2011/12/13(火) 15:13:20.39
>>555
将軍家と天皇家は全く違うだろ。
内裏は叙位を受けなければ殿上できず、天皇の目の届くところに上がる者は
それなりの家柄の出の公家の姫だけだった。
将軍家なんて庶民の娘でも側室に上がることができる。
家康・秀忠の時代など大奥もなかったし。

557日本@名無史さん:2011/12/13(火) 18:18:59.88
>>554
>皇居から出て自由に街を闊歩し出会い系サイトとかできるわけないだろう

ユージンの時代には可能になってるな、それ。
558日本@名無史さん:2011/12/14(水) 09:51:48.86
>>557
逆に四六時中ネットに監視されてるような環境でもあるがw

559日本@名無史さん:2011/12/14(水) 10:37:24.98
>>557
皇族が皇居から出るときには必ず大勢のSP付きだ
幼稚園行くときも小学校行くときも常に車で送り迎えだぞ

できるわけないじゃん
560日本@名無史さん:2011/12/14(水) 11:59:29.12
親王はAV借りる事もできないなw
ま、ネットでいくらでも見られるだろうし
「ご学友」から借りると言う手もあるかもしれんがw
561日本@名無史さん:2011/12/14(水) 13:28:35.40
明治天皇にたくさん私生児がいた、という説もあるが

でも、それなら引き取って皇族にしてただろうし
定説が正しいだろう。
562日本@名無史さん:2011/12/14(水) 16:03:53.41
北白川宮の私生児は皇族とはなれなかったものの公式に北白川宮の子と認知されてる
だから明治天皇に私生児がいたら少なくとも認知はされていたはず
563日本@名無史さん:2011/12/14(水) 19:10:42.56
まあ、自称明治天皇の私生児ってのは、怪しげな連中ばかりだもんな。
564日本@名無史さん:2011/12/14(水) 23:17:42.44
北白川宮の私生児って認知されて華族になるまで、裏長屋にでも住んでたのだろうか?
565日本@名無史さん:2011/12/15(木) 00:51:37.83
中丸何とかさんのことか
566日本@名無史さん:2011/12/16(金) 22:40:50.65
北白川宮能久の私生児で、父の死後に認知された上野君と二荒君だけど、
認知されるまで、どういう状態だったんだろう?

人知れず、裏長屋か農家でひっそりと庶民の子として育てられてたのかな。
567日本@名無史さん:2011/12/16(金) 22:43:10.63
あと、上野とか二荒って姓は、上野寛永寺や二荒山神社にちなんでるのかな?
親父の能久が輪王寺宮公現法親王だったときに上野や日光の門跡だったから。
568日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:57:11.25
ていうか、北白川宮って奥羽列藩同盟に擁立されて「東武皇帝」になってるんだろ。
だったら、東武皇帝(1世)→成久(2世)→永久(3世)→道久(現当主、4世)で、
余裕じゃん。

もう道久王を復帰させろよ。
569日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:50:12.73
でも、現当主も女の子だけしかいないよ。

最近出た浅見雅男の本に成久王が上野、二荒両伯爵に対して複雑な思いをもっていた。って書いてあったけど、
そんなに接触が会ったんだろうか。
二人とも、発見(?)されてすぐに伯爵になって二荒伯のほうは二十歳で亡くなってるんだから兄弟として
交流があったとは思えないし。


570日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:42:00.34
東武皇帝(1世)→恒久(2世)→恒徳(3世)→JOC会長(4世)→例の人(5世)

考えたら、あの人は東武皇帝の玄孫じゃないか。
571日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:54:29.71
明治天皇の玄孫、三条実美の玄孫でもある。
572日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:29:33.88
あの人w
573日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:50:15.67
>>570
自称東武皇帝は平将門のように斬首にすべきだったな。
574日本@名無史さん:2011/12/18(日) 10:14:34.77
大友皇子が弘文天皇として在位を公認されて歴代に列せられたように、
北朝天皇が歴代とは別枠のカド番天皇になってるように、
東武皇帝も正式に認めれば、北白川、竹田両家の順位はグッと上がるな。
575日本@名無史さん:2011/12/18(日) 10:18:36.54
旧皇族復帰を望む声が爆増中です
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111216/imp11121607280002-n1.htm
【私も言いたい】
テーマ「女性宮家」 創設に「NO」が64%
2011.12.16 07:25 (1/4ページ)
 「女性宮家」について、13日までに5946人(男性3300人、女性2646人)から回答がありました。

 「女性宮家の創設に賛成か」では「NO」が64%に上りました。「旧皇族の皇籍復帰も検討すべきか」は「検討すべきだ」が54%と過半数に達しました。「皇室典範改正を急ぐべきか」は「YES」と「NO」が50%ずつと真っ二つにわかれました。

                   ◇

   (1)女性宮家の創設に賛成か

      36%←YES N O→64%

   (2)旧皇族の皇籍復帰も検討すべきか

      54%←YES N O→46%

   (3)皇室典範改正を急ぐべきか

      50%←YES N O→50% 
576日本@名無史さん:2011/12/18(日) 11:48:23.10
>>574
いや、皇室典範の考え方からすれば、順位は変わらない。
皇室典範の皇位継承順位は、「今の天皇」から実系で辿っていくものであって、
過去の「○○天皇」からの世数・近親度で決まるわけではないから。
577日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:39:52.54
ネタとしても東部皇帝として坊主を担ぎ出すとは何を考えていたのか。
担ぐ御輿は軽い方がってことで誰でも良かったのかな。
578日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:48:06.29
関東にいた唯一の皇族で、徳川ゆかりの日光と上野の門跡だから。
579日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:54:20.73
仁孝天皇の猶子だから、明治天皇の伯父という立場でもある。
580日本@名無史さん:2011/12/18(日) 16:19:38.42
10年くらい前に有栖川宮の偽物が出たことがあった。
意外と引っかかった人がいたらしい。
皇族として海自の船に乗せてもらえたりね。
だから伏見系を還俗というか復籍させて、
国を挙げて皇族皇族と宣伝すればそんなものかと納得すると思う。
581日本@名無史さん:2011/12/18(日) 18:08:08.58
>>580
 全くその通りだと思う。
 そもそも、桂宮とか話題性がさほど無い皇族の顔なんて国民の大多数は知らない。
 妃殿下にしても、みんな三笠宮妃や常陸宮妃の顔をちゃんと覚えてるか?
 高円宮の存命の頃なんておしのびで普通の飲み屋に行ったりしてたらしい。
 それでも、大騒ぎになってないのは、顔を知ってる人がごく限られてるからだろう。

 それを考えれば、旧皇族と現皇族の、国民からの知名度は大差無い。
582日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:15:46.96
>>580
現代では無理だが
江戸時代だと有栖川宮の落胤だと言って
皇室に入り込むのは不可能ではないよ。
583日本@名無史さん:2011/12/18(日) 21:12:15.21
血筋が貴人を作るのか、国民に貴人だと思わせれば貴人が作れるのかですな
584日本@名無史さん:2011/12/18(日) 23:09:08.05
>>581
男子が皇族になることと皇位継承が限りなく同義に近い現代において、
旧伏見系を天皇と仰ぎ見ることに抵抗が無いかどうかだよね。
皇族までなら許容出来る人は多いと思うけど。
585日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:47:44.02
伏見系の嫡流って、邦家親王の王子で最年長の晃親王の子孫(筑波家とか山階芳麿家とか)?
それとも、ずっと年下だけど伏見宮を継いだ貞愛親王の子孫?
586日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:05:54.34
>>585
貞愛親王の系統が唯一の嫡系だから嫡流といえば貞愛親王の子孫
その他は全部庶系だからその中で長系の晃親王の子孫が2番目
以下、邦家親王の王子の長幼の序に従って朝彦親王から順番に並んでいく
587日本@名無史さん:2011/12/23(金) 06:34:14.17
傍系から入る違和感は光恪で経験済み。代替りで解消されている。とにかく明治、大正に子孫がなかった場合は有栖川、伏見と継承された。現代は伏見博明天皇。男子がないため久邇皇太従弟であろう。
588日本@名無史さん:2011/12/23(金) 08:29:11.81
久邇家の当主は、本人も終戦時は現役の皇族だったし、
その縁で伊勢神宮の大宮司や神社本庁の統理とかやってたから、
皇籍に復帰しても違和感はないな。
589日本@名無史さん:2011/12/23(金) 08:38:07.69
傍系継承がまたすぐに来てしまう残念さが・・・
590日本@名無史さん:2011/12/23(金) 09:42:39.86
継体が仁賢の婿、光格が後桃園の婿というケースから考えても、
現在の天皇本家に男子後継者がいない場合は、
明治、昭和両帝の血をひく東久邇家がベストだと思う。
591日本@名無史さん:2011/12/23(金) 11:06:56.82
>>587
歴史のIFになっちゃうけど、
明治・大正に男子子孫がいなかった場合、
有栖川宮はともかく(あるいは有栖川宮もすっ飛ばして)、
明治女系優先に皇位継承順位が改められた可能性はあるね。
つまり大正崩後、皇妹の昌子内親王(竹田宮妃)の系統にうつり、
竹田恒徳天皇。今は竹田恒正天皇、竹田恒貴皇太子。
592日本@名無史さん:2011/12/23(金) 11:22:23.92
昭和天皇に男子ができず、史実のとおりの順番で弟たちが亡くなっていたら、
いまは三笠崇仁天皇で、寛仁皇太子、桂宮と続いて東久邇家にいくのかね?

それとも三笠系はすっ飛ばして、東久邇天皇になるのかね?
593日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:02:53.87
>>590
男系々々と言ふ癖に
実は女系相続にせよと言ふ
ド阿呆め!
594日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:19:04.11
>>592
三笠宮は昭和天皇にとって皇弟だから、
この系統をすっ飛ばすということは無いかもしれません。
ただ、ここが歴史のIFの悲しいところで、
昭和天皇に男子が無く、敗戦は史実であったとすると、
戦後の皇室典範改訂や臣籍降下の範囲にも微妙に影響していたと思うのですよ。
まあそれらを一切無視し、昭和天皇に男子が無かったことだけを仮定とした場合、
三笠系にうつっても結局のところは男子後継者不足に陥ることとなり、
あくまで男系に拘るのか、内親王(今の三笠・高円女王)に婿を迎えるのか(女系)、
その折衷例ともいえる東久邇系を皇籍に復帰させるか、
現在と同じような論議となっていたことでしょう。
595日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:49:45.39
>>593
ばーか
596日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:50:53.99
>>594
たぶん昭和天皇に男子がいなかったら、三笠宮の長男が男子が生まれるまで子供作ってたと思う
597日本@名無史さん:2011/12/23(金) 20:06:21.47
戊辰の役で東軍が勝利した場合は東武帝(北白川宮能久親王)が即位。現代は伏見系が皇室を構成していただろう。
598日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:39:44.22
>>541
思い込みや妄想で今ごろ伏見王朝になっていたとか
何度も同じことを書き込むのはやめておけ。
そのような事実はない。

万世一系とは一つの血筋で歴代の天皇がつながるという意味。
皇位継承者は歴代の天皇の血筋を引いていること
つまり父系を遡れば歴代天皇に繋がらないといけない。
だから必然的に天皇から血筋の近い人に皇位継承資格は限定される。
神武天皇の男系子孫なら誰でもよいわけではない。
そうなれば足利でも誰でも皇位に就けることになる。
599日本@名無史さん:2011/12/24(土) 03:04:22.48
4人も男子がいて、5人も男孫がいて、それからわずが50年で跡取りの心配を
しなくちゃいかんとは思わなかったんだろうなあ。
結局男子を得たのは、民間から来た美智子皇后のみ。
そうじゃなかったら、もっと以前に後継の危機を迎えている。
600日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:50:44.08
万世一系とか神武とか大時代的な言葉を使うと、男系論が一気にうさんくさくなるな。
なんちゃら染色体とか言うのと同じで。
601日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:06:57.53
万世一系は明治政府のプロパガンダ。江戸時代以前の皇室にそんな思想はない。皇位継承の在り方も時代によって異なる。
602日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:30:52.03
>>598
江戸時代までは必ずしも男系の血統で近い順に皇位継承するとは限らなかったよ

状況によっては血統が遠い皇族が皇位を継承することもあった

ただし、男系で神武天皇と系譜が繋がっていることと、皇族であること(宇多天皇を除く)の2条件は必要条件だったが

万世一系っていうのは天皇から血筋の近い順に皇位継承することではない

>>600>>601
まあ概念的なものだよ。
少なくとも家系図が父方で神武天皇と繋がらない人は皇位を継承した例はないんだから。
神武天皇の実在はともかくとして、今から一般人が神武天皇と家系図を繋げることは不可能なんだしね。
万世一系ってのは明治政府によるプロパガンダであることは否定できないが、
江戸時代以前にも父方が皇室に連ならない人は絶対に皇位継承権を持つことができなかったのは確かで
万世一系という言葉ではなくても皇位継承は男系に限られていた。
603日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:23:39.85
>>599
寛仁親王のところも高円宮のところも妃殿下は民間人だよ。
男子はいないが。
美智子皇后以降結婚した男性皇族は皆民間人女性と結婚している。
604日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:42:25.03
>>603
常陸宮妃は津軽家じゃなかったっけ?
605日本@名無史さん:2011/12/24(土) 12:08:31.68
秩父宮妃 松平容保孫(子爵養女)
高松宮妃 徳川慶喜孫(公爵令嬢)
三笠宮妃 高木子爵家
常陸宮妃 津軽伯爵家

寛仁親王妃 麻生太郎妹(父系では加納子爵家、母系では牧野伯爵家、大久保侯爵家と縁戚)
高円宮妃 なんとかいう実業家(母系で曽我祐準子爵とつながるらしい)
606日本@名無史さん:2011/12/24(土) 12:11:38.80
本物の大名華族(秩父〜常陸)
  ↓
華族と血縁関係のある民間人(寛仁〜高円)
  ↓
純然たる民間人(ナル、秋篠)
607日本@名無史さん:2011/12/24(土) 13:02:19.16
内親王の嫁ぎ先も

皇族(東久邇)
 ↓
華族(鷹司、備前池田、佐土原島津、近衛)
 ↓
伝統芸能の家元(裏千家、ここは江戸後期に譜代大名から養子をもらったこともある)
 ↓
純然たる一般ピープル(紀宮妃の旦那、ただし血は通ってないが勲功華族の縁者)
608日本@名無史さん:2011/12/25(日) 20:17:25.52
伏見系の継承に疑義を持つ人は、万世一系を光恪一系とはき違えている。伏見もれっきとした神武の子孫に異ならない。
609日本@名無史さん:2011/12/25(日) 23:28:24.79
伏見系がダメな理由は薄弱だな。仮にも一時期は皇族だったわけだし。
610日本@名無史さん:2011/12/26(月) 01:39:17.93
世襲親王家は皇位継承権とは切り離されて
本来は皇族の資格がない者も皇族を名乗ることが出来た。
伏見宮なんて世襲親王家制度が出来る前なら全然皇族じゃない人たちですよ。
611日本@名無史さん:2011/12/26(月) 01:41:11.62
>>605
 高円宮妃の母系は幕末の2人の関白につながる家。
 父方は香川の素封家の鳥取家。父は三井物産、伯父はコカコーラの重役。

友田二郎(外務大臣秘書官・宮内省式部官)ー鳥取二三子ー高円宮久子妃
曾我祐準(子爵)ー曾我祐邦(子爵)ー友田盛子(二郎夫人)
鷹司政通(関白)ー華園攝信(のちに男爵家に)ー曾我晟子(祐準夫人)ー曾我祐邦ー友田盛子(二郎夫人)
九条尚忠(関白)ー松園尚嘉(男爵)ー曾我晃子(祐邦夫人)ー友田盛子(二郎夫人)
九条尚忠(関白)ー鷹司煕通(公爵)=曾我晃子(祐邦夫人)ー友田盛子(二郎夫人)
612日本@名無史さん:2011/12/26(月) 08:00:30.43
明治維新直後伏見系の臣籍降下が検討されたが中止。理由は明治天皇の夭折を勘案したから。伏見系の正統性は明治政府も認めていた。
613日本@名無史さん:2011/12/26(月) 08:06:13.39
まあ、明治帝は幼少期、病弱だったし、兄弟もいなかったからな。
ただ、明治時代は有栖川がいたから、何かあったら、まず有栖川だったろうな。
614日本@名無史さん:2011/12/26(月) 08:41:28.96
伏見宮家は本来栄仁親王一代に限り認められた皇室領の一部を皇室に返すことなく
かたくなに世襲し、代々「宮」を称してきた家。
伏見宮家は第2代が親王宣下を受けていない(王のまま)など
宮家としての基準を満たしておらず
本来室町時代に臣籍降下or出家して根絶やしになるはずの家だった。
615日本@名無史さん:2011/12/26(月) 10:11:11.45
女系の女系のそのまた女系が摂家とか言っても、
遠い親類縁者にそんなのがいるってだけで、他人同然なんだけど、
東宮家や秋篠家はそれすらないからなあ。
616日本@名無史さん:2011/12/26(月) 14:55:14.97
>>614
後花園天皇から「永代伏見殿」を名乗ることと、
伏見御料の永代相続を認められたではないか?
617日本@名無史さん:2011/12/26(月) 21:14:26.60
伏見以外なら皇別摂家の男系子孫しかないんじゃないか?
618日本@名無史さん:2011/12/27(火) 01:21:16.82
>>617
徳大寺と秋篠宮のおまたの緩い娘をくっつけて即位。
619日本@名無史さん:2011/12/27(火) 10:07:17.18
>>616
後花園天皇が自分の父と兄に対する厚情としてやったことね。
後花園天皇は後小松天皇の養子として即位、本来実家伏見宮家とは縁を切る約束だったのに
養父後小松天皇が死んだ途端、後小松天皇と絶縁して実父貞成親王との親子関係を復縁し、
父に院号、兄に宮号を与えた。
しかし、「永代」という言葉は見当たらず、「天皇の父兄」に対する
一代限りの処置だろう。
620日本@名無史さん:2011/12/27(火) 21:18:22.25
>>619
>自分の父と兄
でなく
父と弟じゃない?
621日本@名無史さん:2011/12/28(水) 01:01:06.72
もし終戦時に有栖川宮があったらやっぱり降下してた?
現在も有栖川の家があれば、伏見系とは違って即位に抵抗ないかな?
622日本@名無史さん:2011/12/28(水) 06:46:27.48
日本史に詳しい人にっっては、有栖川宮家なら抵抗ないと思うが、一般人だと、明治天皇の子孫の方がよいと思うかも。
623日本@名無史さん:2011/12/28(水) 18:45:53.64
>>622
ばーか、それ女系やんけ!
624日本@名無史さん:2011/12/29(木) 13:22:38.58
スレの趣旨には反するが、東久邇宮1択だろうね。
625日本@名無史さん:2011/12/29(木) 14:36:48.84
聖心女子大に旧皇族の建物があるけど、あそこ旧東久邇宮家だっけ?
それなら皇后さま繋がりで更に違和感無いだろうね。女系という以外。
626日本@名無史さん:2012/01/07(土) 06:51:54.26
政府が検討作業に入った「女性宮家問題」などに関し、寛仁親王家の長女彬子(あきこ)女王殿下(30)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、
「お国の決定に任せるしかないが、決めるのであれば早く決めていただきたい」などと思いを語った。
彬子さまは未婚の女性皇族8人のうち最年長で、
皇族がこの問題について考えを示したのは初めて。

 彬子さまは、日本美術史を専攻し、英国オックスフォード大で女性皇族としては初めて博士号を取得。
現在、立命館大衣笠総合研究機構でポストドクトラルフェロー(博士研究員)を務めている。

 皇室典範は、女性皇族は皇族以外と結婚した場合、皇族の身分を離れると規定しており、このままでは皇族が極端に減ってしまうため、
野田政権は年明けと共に、結婚後も皇族にとどまる女性宮家制度の本格的な検討を始めた。

 彬子さまはインタビューで、国(政府・国会)に任せるしかないと政治的発言に関し控える姿勢を示しつつ、
戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘。
「今の議論は女性宮家を創設するかしないか(のみ)になっているような気がして、そこには違和感がある」と戸惑いを語った。

毎日新聞 2012年1月7日 2時30分
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120107k0000m040108000c.html
627日本@名無史さん:2012/01/07(土) 07:17:30.56
>>626
彬子って女王だろ?
「早く決めてくれ」って仮に女性宮家設立になっても
該当者に含まれないじゃん。
(女性宮家案は現在の天皇の孫内親王のみ)
30歳独身だから生涯未婚ならば皇室に残れるだろうが。
628日本@名無史さん:2012/01/07(土) 09:46:41.91
該当者じゃないから本件について発言出来るんだよ。
三笠宮の娘はブスちゃんばっかりだから、お嫁に
行くのは不可能だろう。つくづく思うに女は顔、
男は収入。これが無きゃ生きていても面白味が無い。
629日本@名無史さん:2012/01/07(土) 10:11:05.26
>>628
違う違う。>>628の記事の全文を見て御覧。続きがあって、
>結婚して民間人になるという前提で教育されてきたことを挙げ、
>「その前提が大きく変わるかもしれないので、
>私自身落ち着かない状態です」と心境を吐露した。
>自身が結婚後も皇族にとどまることについては
>「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。
彬子女王自身が女性宮家を設立することを前提に語ってるんだよ。
つまり、女性宮家設立の該当者として話している。
630日本@名無史さん:2012/01/07(土) 12:34:40.81
あらま。三笠若宮と高円宮のところに役に立たん女王が5人もいるが、
今度の議論の狙い目はこいつらじゃないと言うのに。そこそこ器量よしの
パコ、カコ内親王が本丸。
631日本@名無史さん:2012/01/07(土) 17:54:16.56
彬子女王も30歳なんだし、彼氏がいても不思議無いけど、その彼氏が皇族にならなきゃならなくなるかで人生が変わるんだから深刻だろう。
無いなら無いとはっきり決めて欲しいという意味だろう。

昨日、上野に行ってきたんだが、「小松宮像」が立ってるんだな。
都民はもちろん、多くの修学旅行生も行く上野に小松宮像があるってこと。
やっぱり旧皇族の存在って多くの人にとって身近であって皇族への復帰に障害は少ないと改めて思った。
632日本@名無史さん:2012/01/07(土) 19:20:40.74
高円宮様がご存命ならな・・・と常々思う。
633日本@名無史さん:2012/01/07(土) 20:00:25.45
>>631
どの案でも女王が皇族にとどまることはありえんだろ。

そもそも女性宮家の話が出たのも秋篠宮家の眞子内親王が20歳になり、
まもなく結婚適齢期に入るためで、
彬子女王なんて結婚適齢期過ぎるまで何の話も持ち上がらなかったぞ。
634日本@名無史さん:2012/01/07(土) 21:42:54.61
今,伏見宮系以外の男系を探っているのは,このスレにいる人ぐらい
だろうけど,もし現皇室や伏見宮系がすべて断絶したら(しそうになったら),
保守派も徳大寺とかその辺を持ってこようっていう流れになるのかな.
少子化傾向だし,男しか意味が無いから可能性は結構あると思うけど.
それとも皇統断絶を受け入れるのか.まあずいぶん先の話だけど.
635日本@名無史さん:2012/01/07(土) 23:09:12.51
山守天皇でいいよ。
636日本@名無史さん:2012/01/07(土) 23:57:31.89
無知な人が多いからだろうな。
伏見がGHQに臣籍降下させられたと誤解している人もいるくらい。
戦前から臣籍降下は決められていたことなのに。
637日本@名無史さん:2012/01/08(日) 11:10:36.33
>>636
大正時代に「宮家は10代で廃止」と決められて、その時点で10代続いていた伏見宮については、
何代目かの当主を起点にそこから10代で廃止と決まった。ただし素案であって成文化しなかったはず。
638日本@名無史さん:2012/01/08(日) 11:18:17.29
>>636
それも中途半端に知識持った無知な人が陥りがちな誤解だが
これだけ皇族男子が減れば伏見宮系の臣籍降下は中止になったに決まってる

明治末から昭和初期は大正天皇系の皇族男子が増えると思われてた時代だから
傍系は臣籍にすればいいと考えられてたんだろうな
639日本@名無史さん:2012/01/08(日) 13:38:28.52
女系天皇なんて過去の皇統の全否定に近いし、かといって鍛冶屋の
徒弟の子孫とかも有り得ない。
伏見宮系以外の男系子孫しか真っ当な候補者はいないだろ。
640日本@名無史さん:2012/01/08(日) 13:46:44.34
>>638
フランスに行ったきり帰ってこなくなった宮様とかがいて、
宮邸の建築にもカネがかかっていたからそういう流れになった。

元来の皇族の役目は天皇の名代であり、戦争になると
士気を鼓舞するため最前線に飛ばされていた。
維新当時の東方大総督有栖川宮などその最たるもの。

だけど日清、日露戦役後は戦争も無くなって皇族の
役割も無駄飯食いに変わってしまった。そこに浪費家
宮様が登場しては、臣籍降下の話が出るのも仕方のないこと。
結局日本は君主制を敷くには国が貧し過ぎたのだ。
641日本@名無史さん:2012/01/08(日) 14:34:25.54
皆、天皇家の、特に男系の血統にこだわりすぎ。
昭和天皇が崩御されてご大葬が行われた時、政府の国葬としての行事が終わり、
首相、国会議長などが多摩御陵を去ったのち、皇族の皆様だけで家族葬が行わ
れ、その場で今上陛下が不思議な祭文を読み上げておられる。漢字だけで書か
れた祭文で、しかし漢文でも日本語でも古代朝鮮語でもない、不思議な不思議
な祭文であったらしい。
問題はそのような不思議なものが現代の皇室に伝わっているということである。
皇室のどの方までお読みになれるのかわからないが、少なくとも旧皇族家など
にはもう、この祭文が読める人はいないだろう。つまり旧皇族を皇族に復帰さ
せ皇位継承の可能性を確保するのは、もうできないわけだ。
現皇族でも女性はできないかもしれないが、まだ内親王様たちは若いだけにこ
れから勉強して頂ければ、このような天皇位に関わる重要な伝統的行為を引き
継ぐことが可能なのではないか。決して皇位は血統だけで考えてはならない。
642日本@名無史さん:2012/01/08(日) 14:54:44.26
>>638
もし万が一残されたとしても明治天皇の血を女系で引く者だけだろ。
明治天皇がそれまでの皇女の尼門跡出家をやめて内親王を全員結婚させたことからも
唯一の男子大正天皇が夭折・子孫が絶えた場合には女系で継ごうと考えていた。
明治天皇が実の内親王たちよりもどこの馬の骨かわからんのに
明治に大量還俗させられた伏見宮系を大事に扱っていたとも思えんし。
643日本@名無史さん:2012/01/08(日) 17:00:48.74
一般の家庭で考えたら、天皇家と伏見宮は普通に親戚だ。
各代の当主が常に天皇家の猶子になっているし、天皇家の
姫宮が嫁いでその子が後を継いだりしてる。
昭和天皇の系統の皇族は全員皇后である良子女王の子孫で
あって、伏見宮系の血筋をひいている。

一般家庭とは家柄が大きく違うから実の男系だけでみられ
てものすごい遠縁だと思われてるだけで、一般家庭基準だ
ったら、普通に身近な親戚。どこの馬の骨どころじゃない。
644日本@名無史さん:2012/01/08(日) 18:39:00.17
>>641
内親王が勉強すればできるなら、若い旧皇族末裔だってできるだろ。
645日本@名無史さん:2012/01/08(日) 19:28:02.20
>>644
そうなることを望む者はいるかい?。なりたいウマシカは竹田のロートルぼん
ぼんだけだろう。
646日本@名無史さん:2012/01/08(日) 19:42:32.83
>>642
明治天皇はどこの馬の骨ともわからん人たちに娘4人もやったのか
647日本@名無史さん:2012/01/08(日) 21:37:29.77
>問題はそのような不思議なものが現代の皇室に伝わっているということである。
>皇室のどの方までお読みになれるのかわからないが、少なくとも旧皇族家など
>にはもう、この祭文が読める人はいないだろう。つまり旧皇族を皇族に復帰さ
>せ皇位継承の可能性を確保するのは、もうできないわけだ。

>>641
推論でモノ書いといて、いきなり結論づけんなよ。
648日本@名無史さん:2012/01/09(月) 11:30:06.58
>>629
>>「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。
>彬子女王自身が女性宮家を設立することを前提に語ってるんだよ。
>つまり、女性宮家設立の該当者として話している。

これは現行典範を無視しての発言ではないだろ。
ゆえに女性宮家前提というのは早計か、でなければ曲解。

>>634
その場合は皇別摂家系になるだけ。
649日本@名無史さん:2012/01/09(月) 11:40:41.03
>>636
決まってはいたけれど、その決定に基づく降下は皆無ですね。
また、その決定は現行典範成立でもって廃止されてます。
現行典範は永世皇族制なので。

>>640
旧典範も永世皇族制なので、天皇の裁可でもって降下できるようにするのは
至って普通なんだが。

>>642
明治天皇系が絶えれば伏見宮系が男系で継承するだけ。女系で継承などというのは、
あきらかに間違い。
650日本@名無史さん:2012/01/09(月) 11:42:38.67
>>645
現状で不明なだけ。
意欲的な発言がないのは、そちらみたいなのから誹謗中傷されるのを避けてるだけかと。
651日本@名無史さん:2012/01/10(火) 14:05:01.23
>>648>>650
えらく前につけたレスに一人で返してるが男系強硬死守派って昼間に活動するんだな

652日本@名無史さん:2012/01/10(火) 23:01:59.61
昨日は祝日だろ。
653日本@名無史さん:2012/01/14(土) 00:59:21.67
1889年2月11日 旧皇室典範制定

1907年2月11日 旧皇室典範増補制定
増補第1条
王ハ勅旨又ハ情願ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セシムコトアルヘシ
増補第6条
皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス
(王は本人の情願による臣籍降下を可能にし、また元皇族の皇籍復帰を禁止した)

1920年5月19日 旧皇室典範準則制定
準則第1条
皇玄孫ノ子孫タル王明治40年2月11日勅定の皇室典範増補第1条及ヒ皇族身位令第25条ノ規定ニヨリ
情願ヲ為ササルトキハ長子孫ノ系統4世以内ヲ除クノ外勅旨ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列ス
(旧皇族は最大でも邦家親王の耳孫をもって強制的に臣籍降下することとした)
654日本@名無史さん:2012/01/14(土) 01:01:46.80
1889年2月11日、旧皇室典範制定後の新設宮家
・賀陽宮(1892年/邦憲王/25歳/邦家親王2世)
・東伏見宮(1903年/依仁親王/35歳/邦家親王1世)
・竹田宮(1906年/恒久王/23歳/邦家親王2世)
・朝香宮(1906年/鳩彦王/18歳/邦家親王2世)
・東久邇宮(1906年/稔彦王/18歳/邦家親王2世)

1907年2月11日、旧皇室典範増補制定後の新設宮家
・高松宮(1913年/宣仁親王/8歳/大正第3皇子)

1920年5月19、旧皇室典範準則制定後の新設宮家
・秩父宮(1922年/雍仁親王/20歳/大正第2皇子)
・三笠宮(1935年/崇仁親王/20歳/大正第4皇子)
655日本@名無史さん:2012/01/14(土) 01:03:35.28
1889年2月11日、旧皇室典範制定後の臣籍降下
・二荒芳之(1897年7月1日/1889年3月22日生8歳/北白川宮能久親王第5男子/邦家親王2世)
・上野正雄(1897年7月1日/1890年7月16日生6歳/北白川宮能久親王第6男子/邦家親王2世)

1907年2月11日、旧皇室典範増補制定後の臣籍降下
・小松輝久(1910年7月10日/1888年8月12日生21歳/北白川宮能久親王第4男子/邦家親王2世)

1920年5月19、旧皇室典範準則制定後の臣籍降下
・山階芳麿(1920年7月24日/1900年7月5日生20歳/山階宮菊麿王第2男子/邦家親王3世)
・久邇邦久(1923年12月7日/1902年3月10日生21歳/久邇宮邦彦王第2男子/邦家親王3世)
・華頂博信(1926年12月7日/1905年5月22日生21歳/伏見宮博恭王第3男子/邦家親王2世)
・筑波藤麿(1928年7月20日/1905年2月25日生23歳/山階宮菊麿王第3男子/邦家親王3世)
・鹿島萩麿(1928年7月20日/1906年4月21日生22歳/山階宮菊麿王第4男子/邦家親王3世)
・葛城茂麿(1929年12月24日/1908年4月29日生21歳/山階宮菊麿王第5男子/邦家親王3世)
・東伏見邦英(1931年4月4日/1910年5月16日生20歳/久邇宮邦彦王第3男子/邦家親王3世)
・伏見博英(1936年4月1日/1912年10月4日生23歳/伏見宮博恭王第4男子/邦家親王2世)
・音羽正彦(1936年4月1日/1914年1月5日生22歳/朝香宮鳩彦王第2男子/邦家親王3世)
・粟田彰常(1940年10月25日/1920年5月13日生20歳/東久邇宮稔彦王第3男子/邦家親王3世)
・宇治家彦(1942年10月5日/1920年3月17日生22歳/久邇宮多嘉王第2男子/邦家親王3世)
・龍田徳彦(1943年6月7日/1922年11月19日生20歳/久邇宮多嘉王第3男子/邦家親王3世)
656日本@名無史さん:2012/01/14(土) 01:05:50.80
1947年10月14日、皇室典範制定後の皇籍離脱
・伏見博明(1932年1月26日生15歳/伏見宮博義王第1男子/邦家親王2世)
・山階武彦(1898年2月13日生49歳/山階宮菊麿王第1男子/邦家親王3世)
・賀陽恒憲(1900年1月27日生47歳/賀陽宮邦憲王第1男子/邦家親王3世)
・賀陽邦寿(1922年4月21日生25歳/賀陽宮恒憲王第1男子/邦家親王4世)
・賀陽治憲(1926年7月3日生21歳/賀陽宮恒憲王第2男子/邦家親王4世)
・賀陽章憲(1929年8月17日生18歳/賀陽宮恒憲王第3男子/邦家親王4世)
・賀陽文憲(1931年7月12日生16歳/賀陽宮恒憲王第4男子/邦家親王4世)
・賀陽宗憲(1935年11月24日生11歳/賀陽宮恒憲王第5男子/邦家親王4世)
・賀陽健憲(1942年8月5日生5歳/賀陽宮恒憲王第6男子/邦家親王4世)
・久邇朝融(1901年2月2日生46歳/久邇宮邦彦王第1男子/邦家親王3世)
・久邇邦昭(1929年3月25日生18歳/久邇宮朝融王第1男子/邦家親王4世)
・久邇朝建(1940年5月11日生7歳/久邇宮朝融王第2男子/邦家親王4世)
・久邇朝宏(1944年10月7日生3歳/久邇宮朝融王第3男子/邦家親王4世)
・梨本守正(1874年3月9日生83歳/久邇宮朝彦親王第4皇子/邦家親王2世)
・朝香鳩彦(1887年10月2日生60歳/久邇宮朝彦親王第8皇子/邦家親王2世)
・朝香孚彦(1912年10月8日生35歳/朝香宮鳩彦王第1男子/邦家親王3世)
・朝香誠彦(1943年8月18日生4歳/朝香宮孚彦王第1男子/邦家親王4世)
・東久邇稔彦(1887年12月3日生59歳/久邇宮朝彦親王第9皇子/邦家親王2世)
・東久邇盛厚(1916年5月6日生31歳/東久邇宮稔彦王第1男子/邦家親王3世)
・東久邇信彦(1945年3月10日生2歳/東久邇宮盛厚王第1男子/邦家親王4世)
・多羅間俊彦(1929年3月24日生18歳/東久邇宮稔彦王第4男子/邦家親王3世)
・北白川道久(1937年5月2日生10歳/北白川宮永久王第1男子/邦家親王4世)
・竹田恒徳(1909年3月4日生38歳/竹田宮恒久王第1男子/邦家親王3世)
・竹田恒正(1940年10月11日生7歳/竹田宮恒徳王第1男子/邦家親王4世)
・竹田恒治(1944年8月3日生3歳/竹田宮恒徳王第2男子/邦家親王4世)
・閑院純仁(1902年8月3日生45歳/閑院宮載仁親王第2皇子/邦家親王2世)
657日本@名無史さん:2012/01/14(土) 01:08:52.29
・旧典範増補の制定後、邦家親王裔の新設宮家は無し

・旧典範増補の制定後、宮家嗣子でない邦家親王裔の2世王・3世王は20歳〜23歳で臣籍降下

・新典範制定後の皇籍離脱者で宮家長子孫でない者は、一人の例外を除き全員未成年
 例外は終戦時19歳だった治憲王(21歳/賀陽宮恒憲王第2男子)ただ一人

増補・準則はしっかり運用されてるね。
658日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:40:27.63
1907年2月11日、旧皇室典範増補制定後の新設宮家
大正皇子の3宮家のみ

1907年2月11日、旧皇室典範増補制定後の臣籍降下
邦家親王系が1人(宮家嗣子でない唯一の成人)

1920年5月19、旧皇室典範準則制定後の臣籍降下
1920年〜1943年に邦家親王系が12人(宮家嗣子でない全ての成人、全員20歳〜23歳)
659日本@名無史さん:2012/01/18(水) 02:59:49.77
明治維新前から臣籍降下してた清棲家教と北白川宮の庶子2人と小松宮の祭祀を継承した小松輝久
この4人を除けば邦家親王の子と孫は全員皇族に留まっているんだよね。

逆に邦家親王の曾孫は宮家の嗣子を除けば成人から数年以内に臣籍降下してる。
嗣子以外の臣籍降下が続いたとしたら、当時存在した宮家のなかで今後も続きそうなのは朝香宮、東久邇宮、竹田宮の3つかな?
その他は既に断絶しているか当主や嗣子に男子がいないはず。賀陽宮は傍系は生きてるけど当時の基準だと臣籍降下してるはずだし。

上に挙げた3宮家は皇女が嫁いでいる。
この際、3宮家を復活させてみてはいかがか。
660日本@名無史さん:2012/02/04(土) 17:08:58.23
東京都の石原慎太郎知事が、たちあがれ日本の平沼赳夫代表らとともに結成を目指す新党の基本政策の草案が2日、分かった。

「国のかたち」「外交・防衛政策」「教育立国」など7分野で構成され、憲法9条改正や、
男系存続のための皇室典範改正、首相公選制−を明記。保守色を前面に押し出した内容となる。

基本政策は、7分野29項目あり、項目ごとに具体策を明記。
前文では「グローバリゼーション」や「地球市民社会」などを幻想と断じ、
「一国家で一文明」の日本の創生を訴える。

憲法改正に関しては、9条改正による国軍保持▽国会一院制と大選挙区制導入▽改正手続きを定めた96条の改正−を掲げる。
外交・防衛分野では「自立日本」を掲げ、日米同盟の深化▽防衛産業の育成▽「南西防衛戦略」推進
▽核保有に関するシミュレーション−などを明記する。

経済・財政政策は、100兆円規模の政府紙幣発行、国の財政の複式簿記化−など。
エネルギー政策としては2040年までの原子力エネルギーゼロを掲げる。

このほか、国家公務員3分の1削減▽平成版教育勅(ちょく)語(ご)起草▽フラット税制−なども盛り込まれる。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120203/stt12020312050001-n1.htm
661日本@名無史さん:2012/02/07(火) 18:11:45.91
神がかりのファシスト新党かよ
662日本@名無史さん:2012/02/08(水) 00:33:29.98
極右政党だなこりゃ。
平成版教育勅語とかいってるけど、
昔みたいに天皇の名で出すんだったら
ものすごくリベラルな内容になりそう。
明仁君はバイニング夫人の直弟子だからな。
663日本@名無史さん:2012/02/15(水) 01:03:13.62
世襲親王家について
・従来の皇族とは違い血筋的には皇族ではない者が
代々天皇の猶子になることで親王宣下を受け親王を名乗ることができた。
・親王とはいっても正規の親王とは違い血筋の遠い世襲親王には皇位継承権はない。
・天皇の皇子が創設。天皇の皇子は嗣ぐことができる。
・朝廷での序列は前官の大臣の下

世襲親王家の問題点
天皇の皇子を出家させ
天皇から血筋の遠い皇位継承に関係のない者を世襲親王として残すと
皇位継承可能な皇胤が不足し皇位継承の危機を引き起こす。
世襲親王家制度のために皇位継承者が居なくなるという欠陥制度。
664日本@名無史さん:2012/02/15(水) 01:05:14.82
明治以降の宮家(王家?)
・出家した者が還俗して設立。出家したら皇位継承権はなくなる。
・世襲親王家ではないので親王は名乗れない。王を名乗る。王家。
・設立にルールや決まりはなく次から次へと乱造された。
・増えすぎたため旧皇室典範で臣籍降下が決まったが猶予期間が設けられ
実際の降下は終戦後にずれ込んだ。
・設立の経緯を見ると皇族というより華族の亜種か。
665日本@名無史さん:2012/02/15(水) 04:35:01.94
>>663
>・親王とはいっても正規の親王とは違い血筋の遠い世襲親王には皇位継承権はない。

これは根拠無し。
後桃園天皇崩御後の皇位継承候補は閑院宮の王子であった後の光格天皇(皇曾孫)と伏見宮の継嗣だった貞敬親王(11世王)の二人。
彼らよりも天皇からの代数の少ない有栖川宮織仁親王(皇孫)は候補になっていない
11世孫でも皇位継承候補になれるのに皇孫でも皇位継承候補になれなかった。
故に皇室との血縁の近さは当時の皇位継承においてプラス要素の一つではあっても必要条件ではない。

>天皇の皇子を出家させ
>天皇から血筋の遠い皇位継承に関係のない者を世襲親王として残すと
>皇位継承可能な皇胤が不足し皇位継承の危機を引き起こす。
>世襲親王家制度のために皇位継承者が居なくなるという欠陥制度。

世襲親王制度が皇位継承者の血縁を天皇と遠くしてしまう制度なのは確かだが、血縁が遠かろうと皇位継承資格は保持するので皇位継承において致命的な問題にはならない。
666日本@名無史さん:2012/02/15(水) 04:36:45.21
>>664
>・出家した者が還俗して設立。出家したら皇位継承権はなくなる。

明治以降の皇族が出家した例は無いはずだが?江戸時代のことを指しているのか?

>・世襲親王家ではないので親王は名乗れない。王を名乗る。王家。

明治期でも皇室典範の制定以前は世襲親王制度は生きていて、現に有栖川宮や小松宮(明治初期に世襲親王家に格上げ)では明治になっても継嗣に対して親王宣下が行われている。
また、終戦の年まで閑院宮載仁親王が生きていたので旧皇室典範の存在した期間の大部分に於いて世襲親王として親王になった者がいたことはいた。
ちなみに旧皇室典範では皇玄孫まで親王なので直宮の子孫が続いたら4代までは親王位が続くことになるはずだった。これを世襲親王家と呼ぶのは難しいが。

>・設立にルールや決まりはなく次から次へと乱造された。

それが実はルールのようなものは存在していて、まず明治維新前に久邇宮山階宮が設立。これは乱立とは言えない。
続いて、明治維新直後にそれまで僧籍にあった親王が全て還俗して宮家を新たに立てた。これらは全て伏見宮の傍流だが、ルール無しに乱造されたのでは無くて例外無く全ての皇族を還俗させたまでのこと。
この後終戦までに立てられた宮家は昭和天皇の弟宮を除けば賀陽宮朝香宮竹田宮東久邇宮東伏見宮の五つ。
賀陽宮は本来久邇宮の相続に絡んだ事情から設立。
朝香宮竹田宮東久邇宮は皇女の嫁ぎ先としての意味で宮家を立てることが許され、東伏見宮は本来小松宮を継承するはずだった依仁親王が小松宮の継嗣を停止して新たに宮家を立てたもの。
その他の皇族は宮家を立てられずに臣籍降下させられた(ただし例外はあり)ことを考えれば、決して乱造されたとは言えない。

>・増えすぎたため旧皇室典範で臣籍降下が決まったが猶予期間が設けられ

昭和天皇及びその弟宮たちの子孫が増えることを予定して臣籍降下が決まっていたので、その後の皇族減少を考えるとこの猶予期間が過ぎても臣籍降下が行われない可能性も大いにあった。

>・設立の経緯を見ると皇族というより華族の亜種か。

どう見ても皇族と華族は待遇に明らかな差が存在したのだが。
667日本@名無史さん:2012/02/16(木) 00:51:31.24
近衛さん亡くなったね
668日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:48:50.30
平成版教育勅語は、皇后陛下作の「ナルちゃん憲法」でいいか。
孫育ての参考にはなってないみたいだけど。
669日本@名無史さん:2012/03/11(日) 17:13:53.30
民法を改正した方がいいと思う。まず民間から変わらないと


911 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/03/06(火) 13:31:31.50 ID:RMWBvfIA0 [6/13]

@「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」(民法732条) 

A「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない、
  しかし配偶者の同意と協力あるときは婚姻を認める」(民法732条)


”配偶者の同意と協力あるときは婚姻を認める”
民法改正でこの一文を入れるだけで一夫多妻に移行可能で、
家を保つ選択肢を得られる。民間でも皇室でもあとは個々の家で話し合いで決められる

不妊だけど話し合いでどうしても嫌だという家は、拒否して家を潰す選択肢を取ることもできる。
結婚という選択肢が出来れば母子ともに権利が守られる
現民法では選択肢すら与えられないため、子供を産まない配偶者を離婚して放り出すか、
公序良俗に反する愛人を作り私生児を作るしか家を保つ手段がない。
皇室では、皇室典範で愛人の子を皇族にすることは禁じられている。
紀州徳川家など法律で縛られ廃絶の危機に瀕している名家は多い
670日本@名無史さん:2012/03/13(火) 10:29:28.11
最近よくこのコピベみるな
法の下の平等の例外の天皇家に民法を適用しようとするアホ
671日本@名無史さん:2012/04/03(火) 11:57:01.79
>>669
男が種無しの場合はどうすんの?
重婚を認めて女さえ20人でも30人でも調達すれば
いくらでも子供ができるみたいに妄想してるけどw
実際には不妊の原因は男女半々、それなのに歴史的には男性不妊のほうが少なかった理由は勿論、
女性が不義密通で産んだは血のつながらない子供に家を継がせてきたから。
これが皇室や武家の伝統なんだけど。
672日本@名無史さん:2012/04/05(木) 01:07:07.07
邦家親王裔・長系順
筑波常治(80歳代)
筑波常秀(70歳代)
筑波和俊(60歳代)
葛城茂久(70歳代)
葛城茂敬(70歳代)
葛城宏彦(40歳代)
賀陽治憲(80歳代)
賀陽正憲(50歳代)
賀陽正憲男子(10歳代)
賀陽正憲男子(10歳代)
賀陽文憲(80歳代)
賀陽宗憲(70歳代)
賀陽建憲(60歳代)
久邇邦昭(80歳代)
久邇朝尊(50歳代)
久邇邦晴(50歳代)
久邇朝建(70歳代)
久邇朝俊(40歳代)
久邇朝宏(60歳代)
東伏見韶俶(70歳代)
東伏見守俶(60歳代)
673日本@名無史さん:2012/04/05(木) 01:09:58.12
東伏見憲和(30歳代)
東伏見睿俶(60歳代)
東伏見禎容(30歳代)
宇治家彦(90歳代)
宇治嘉彦(60歳代)
宇治家寛(40歳代)
龍田徳彦(80歳代)
龍田徳久(60歳代)
龍田吉光(30歳代)
朝香誠彦(60歳代)
朝香明彦(30歳代)
東久邇信彦(60歳代)
東久邇征彦(30歳代)
壬生基博(60歳代)
壬生基成(30歳代)
壬生基敦(20歳代)
東久邇真彦(50歳代)
東久邇照彦(30歳代)
東久邇照彦男子
東久邇睦彦(30歳代)
寺尾厚彦(40歳代)
東久邇盛彦(40歳代)
674日本@名無史さん:2012/04/05(木) 01:14:33.32
粟田常一(50歳代)
粟田彰彦(50歳代)
多羅間俊彦(80歳代)
多羅間アルフレッド稔彦(ブラジル国籍)
竹田恒正(70歳代)
竹田恒貴(30歳代)
竹田恒治(60歳代)
竹田恒昭(30歳代)
竹田恒智(30歳代)
竹田恒和(60歳代)
竹田恒泰(30歳代)
竹田恒俊(30歳代)
北白川道久(70歳代)
小松揮世久(60歳代)
小松豊久(90歳代)
上野正泰(90歳代)
上野久雄(80歳代)
伏見博明(70歳代)
華頂博道(80歳代)
華頂尚隆(50歳代)
華頂博俊(50歳代)
華頂博行(50歳代)
675日本@名無史さん:2012/04/09(月) 01:21:33.28
>>672-674
崇光源氏の奴らは無駄に数だけ多いな。
臣籍降下せず今も税金でこいつらを養っていたかと考えると恐ろしいな。
676日本@名無史さん:2012/04/09(月) 04:00:58.48
他の皇族・皇胤の男子のできなさに比べて異常な増え方
同じ血筋とは思えん
677日本@名無史さん:2012/04/09(月) 23:09:49.14
老人ばっかりで10代20代が少ないな
あと20年もすれば絶家だらけになりそう
678日本@名無史さん:2012/04/20(金) 01:16:54.18
>>675
スレタイだから今さら文句つけても仕方が無いが、源氏賜姓されてないから崇光源氏というのもおかしな

ちなみに戦前に既に臣籍降下してた人やその子孫も>>672-674には含まれてるし、
当時から皇族の増加に対応して多い分は臣籍降下させてたから、
戦争に負けて無くてもそんなに沢山の人が皇族に残ってはいなかったはず。

>>677
たぶん若年の人はかなり欠落してる
実際はもっと多いはず
それでも減少傾向にはあるようだが
679日本@名無史さん:2012/04/20(金) 07:15:44.77
鍛冶屋の徒弟でも天皇になれる前例が出来る。
一層のこと皇族の地位を販売したらどうか?
現代の尊貴の基準はカネがあることだから。
680日本@名無史さん:2012/04/21(土) 15:46:12.19
>>678
崇光源氏以外にふさわしい名称があるのか?
姓が廃止されたから清和源氏や村上源氏の名称も使うなと主張する人か
681日本@名無史さん:2012/04/21(土) 16:13:10.89
>>680
姓自体が制度として廃止された後に臣籍降下したのに源氏の名称を使っていいわけないだろ

敢えて当てはめるならば伏見宮の場合は「伏見氏」を名乗ったから「崇光伏見氏」、久邇宮の場合は「久邇氏」を名乗ったから「崇光久邇氏」が最も妥当
しかし、「伏見氏」や「久邇氏」は氏姓制度における姓では無く、ただの家名なので、氏姓制度に当てはめるなら彼らは本来は無姓。
だから「ふさわしい名称があるのか?」と聞かれたら、「無い」もしくは「伏見宮邦家親王の後裔」と答えるくらいしかない。

確かに中世近世で臣籍降下された皇族は全員が源氏を名乗っているが
必ず源氏が賜姓されることが制度化されていた訳ではないので
崇光天皇の子孫が臣籍降下したとしても自動的に源氏と見なすことは適当ではない

後伏見天皇の皇子を祖とする高千穂家なんかは地方で子孫が続いたのに
いつまでも賜姓されないままだったせいで無姓で明治に至ってるから
現代の伏見氏その他も無姓と解釈するのが適当だと言える
682日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:37:26.17
明治まで一夫多妻制で、民間も皇室も一夫多妻だった。明治天皇も一夫多妻を採用
120代/光格天皇、121代/仁孝天皇、122代/孝明天皇、123代/明治天皇、124代/大正天皇はすべて側室の子

森有礼と福沢諭吉が騒ぎ、法律によって一夫一婦制を採用させ日本の伝統を捨てさせ婚姻制度を法律で縛り上げる

民法に従い、大正天皇が一夫一婦制

民間に同調せざるえない皇室は、一夫一婦制を採用し、大正、昭和、平成と一夫一婦はつづき、

皇后美智子が戦後の理想の家庭という名で一夫一婦を広め、3人しか生まず少子化も広めた。民間も少子化が進む

皇后美智子は幸い男を2人産んだからいいが、二分の一の確率なので運悪く女ばかりということになり、

福沢諭吉らが民法を改正してから3代で後継者問題発生
民間では紀州徳川家を代表に男児を得られない家は次々に女系化し廃絶の危機

女系天皇の問題が立ち上がる。

皇室は秋篠宮と紀子が40超えているのに子作りを頑張ってなんとか阻止

今度は野に下り源氏化した旧皇族の宮家復帰の問題が立ち上がる

女性宮家の問題が発生 ←今ここ
683日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:37:44.20
@「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」(民法732条) 

A「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない、
   しかし配偶者の同意と協力あるときは婚姻を認める」(民法732条)


”配偶者の同意と協力あるときは婚姻を認める”

民法改正でこの一文を入れるだけで一夫多妻に移行可能で、
家を保つ選択肢を得られる。民間でも皇室でもあとは個々の家で話し合いで決められる

不妊だけど話し合いでどうしても嫌だという家は、拒否して家を潰す選択肢を取ることもできる。
結婚という選択肢が出来れば母子ともに権利が守られる
現民法では選択肢すら与えられないため、子供を産まない配偶者を離婚して放り出すか、
公序良俗に反する愛人を作り私生児を作るしか家を保つ手段がない。
皇室では、皇室典範で愛人の子を皇族にすることは禁じられている。
徳川吉宗を輩出した紀州徳川家など法律で縛られ廃絶の危機に瀕している名家は多い
民法732条に一文を加えてまず民間の家を救い、そして皇室会議を開き皇室を救うことが一番の最善策

皇室および皇室以外の名家
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/clan_index.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/01.htm

女系・傍系で何とか血統を維持してる大名
http://logsoku.com/thread/academy4.2ch.net/history/1133628464/
684日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:38:14.32

女性宮家創設する
 ⇒処女キラーの出来ちゃった結婚で「男系在日朝鮮王朝」が成立するなどの危険性

旧皇族復帰させる
 ⇒男系重視で2〜3つ宮家を作ったところで一夫一婦制度&少子化&晩婚化では近いうちに男児が生まれず後継者問題発生。
   国債が増え過ぎの現状で、野に下った源氏で600年も離れていては税金の無駄遣い批判は確実

民法を改正する
 ⇒一夫一婦制度で男児が生まれず滅びゆく家は多い。皇室も同様。
   ”配偶者の同意と協力あるときは婚姻を認める”
   民法にこの一文を入れた改正をするだけで状況は大きく好転する
   現在の皇室では、1人の女性に多大な責任が押し付けられ、
   男児を生むまで出産を続ける出産マシーン化が強制され産まなければ叩かれている。その象徴が皇太子妃雅子。
   120代/光格天皇、121代/仁孝天皇、122代/孝明天皇、123代/明治天皇、124代/大正天皇はすべて側室の子
   皇太子や秋篠宮や悠仁に男児が生まれれば、それを宮家にするのが形としては望ましい。
685日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:39:48.93
>>672-674
こいつらの娘を側室として提供させりゃいいな
686日本@名無史さん:2012/04/23(月) 01:12:46.94
「側室」というから反発を招くのであって、
「中宮」の復活とか言えばいい。
 皇后と同格の正室をもう1人という考え。
 皇室には、複数の正室が昔からいたんだから敢えて側室である必要が無い。
 その方が、産まれた子どもも産まれた順に皇位継承順位をつけられて都合がいい。

 皇室は日本の伝統文化の塊で特殊なことがたくさんあるんだから、婚姻関係も特殊でいいと思う。
687日本@名無史さん:2012/04/23(月) 09:41:22.60
>>686
だからお前が娘を3人作って「同格の中宮」として3人の娘を
いずれも同じ天皇に嫁がせろよ
姉妹仲良く助け合って同格中宮の座に満足すると信じてるんだろ
688日本@名無史さん:2012/04/23(月) 11:02:42.52
中宮所生の男子は必ず即位できると明言すればいい。
689日本@名無史さん:2012/04/23(月) 11:17:40.47
>>688
最初に男子を産めば必ず天皇になれますよ、と言えば
大勢の女性が一夫多妻大賛成、私も天皇とセックスしたいと手をあげるとでも?
天皇の母になりたい、なんてほとんどの現代女性は考えてすらいないが?
690日本@名無史さん:2012/04/25(水) 01:05:47.52
>>679
賀陽 16歳,14歳
東久邇 8歳,2歳
@百地
691日本@名無史さん:2012/04/25(水) 01:08:38.06
>>678だった
692日本@名無史さん:2012/05/07(月) 00:11:13.78
竹田恒泰「火力はクリーンな電気」
693日本@名無史さん:2012/05/08(火) 20:35:40.32
正妻ですらなり手がいなくて皇太子も苦労したのに、側室になりたがる女が今日日いるわけないだろ
694日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:20:05.35
でもよ、現実問題として
民間でも皇室でも、一夫一婦制では断絶に瀕する家多いわけだから
一夫多妻復活でもよくないか?

民間でも妾復活、皇室でも中宮や側室復活でいいじゃない


というのも、ウチの本家は女しか生まれず
俺は未婚だが不妊の可能性ある疾患抱え・・・

ここは一夫多妻復活で従兄に頑張ってもらいたい
695日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:29:24.92
>>694
一夫多妻希望の男のところに嫁ぐ女がいない
女しか生まれずというが、民間など女系でもいいだろ

子づくりだけが目的なら民間はデキ婚という手もあるのだから
一夫多妻にする意味がない
696日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:44:57.29
カネがないのが多くなっているので、今後日本の未婚率は5割まで上がる。
故にカネ持ちが妾を持つのがステータスとなり、事実上一夫多妻制が公認される。
697日本@名無史さん:2012/05/14(月) 10:39:22.36
>>696
女の未婚率も上がってるだろ
妾でいいから子供を産みたいという妾希望の女が増えているわけではない
698日本@名無史さん:2012/05/14(月) 16:19:48.20
でもよ、シングルマザーにあこがれる阿呆女はいるみたいだぞ
子供をペットと勘違いしてるんだろうけど
699日本@名無史さん:2012/05/14(月) 17:15:46.49
>>698
未婚者はシングルマザーに憧れてはない
離婚して結果的にシングルマザーになってしまい
「男に頼らず(生活保護を頼って)生きるシンママってかっこいい」
と開き直ってる阿呆女はいるけど
700日本@名無史さん:2012/05/14(月) 21:33:19.45
なる〜w
701日本@名無史さん:2012/06/17(日) 17:28:03.91
寛仁親王は以前に「側室があっても」って言ってたと思うけど、
正室信子妃との関係を考えると実感がこもってたんだな。
側室とのあいだに、Y染色体を同じくする皇子様を産みたかったんだろう。
秋篠宮家だけじゃなく、寛仁親王家にも皇子様をいれば、世論形成は全く違うものになっただろうな。
702日本@名無史さん:2012/06/17(日) 18:38:31.90
男系の重要性は分かるけどな。。。
でも、一方で、竹田さんを見ていると、彼が哀れにも見えてくる、失礼だが。

そもそも、現行制度だと、女系天皇や女性宮家は選ばれても無問題なんだよw
極論、悪いのなら、日本国憲法を怒るしかないが...

でも、竹田さんは日本国憲法支持派なんだよなw
もう矛盾しまくり。
それを指摘したら、竹田さん曰く、日本国憲法を守るのなら
女性宮家と女系天皇は認めてはいけないんだってw
もう、だめだこりゃw
703日本@名無史さん:2012/06/17(日) 19:56:34.66
日本国憲法というか男子だけに皇位継承権を与える現在の皇室典範支持なんだろ
竹田氏は女系天皇や女系宮家は過去に例がないから絶対ダメだというのに
(男系の女性天皇は過去に例があるが、内親王即位の場合は生涯未婚を貫く必要があると言って
内親王はすべて結婚して臣下に下るべきで即位するべきではないとしている)
過去に一度も例がない天皇の男系20世孫の即位には大賛成

現在の皇室典範では皇族ですらない伏見宮家復活が第一目的だから
その理由づけはかなり無茶もあるんだよな
704643:2012/06/17(日) 21:32:49.97
>>643でも書いたんだけど、伏見宮系の血統が遠いわけではない。
臣下となって皇籍に復帰した宇多天皇と醍醐天皇の例とかは、高校の日本史でやるレベルの常識。
女系天皇・女系宮家のような、新しい問題は生じない。
たとえば、以下とかね。
「ハズバンドをなんて呼ぶのか(皇配陛下?)」
「男子・女子共に宮家をつくるから無尽蔵に増える可能性のある宮家をどう制限するのか」
705日本@名無史さん:2012/06/17(日) 22:04:02.95
そんないいがかり程度の問題しかないんだったら
それでもいいんじゃないのと言いたくなるな
706日本@名無史さん:2012/06/17(日) 23:46:05.54
>>704
宇多天皇=光孝天皇の実子
醍醐天皇=宇多天皇の実子

伏見宮家現在の当主=20代前の先祖が天皇

高校の日本史の授業受けたとも思えない回答w

>男子・女子共に宮家をつくるから無尽蔵に増える可能性のある宮家をどう制限するのか

天皇直系の3女性宮家のみなら全く多くない。
現在ある三笠宮家・常陸宮家・桂宮家・高円宮家の4宮家は
いずれも跡取りがいないか若い世代は女性ばかりで男性皇族は全員60歳以上。
秋篠宮家も悠仁親王が天皇を継げば残るは女性のみで絶える。
このままいけば悠仁親王の代には宮家は一つもなくなってしまう。
707643:2012/06/18(月) 01:23:34.76
 もう少し丁寧に言うと、醍醐天皇は宇多天皇の子として生まれたわけじゃなく、光孝天皇の子である源定省の子として生まれたのであって、完全に臣下の立場だった。
 正確には皇籍復帰じゃなく初めての皇籍取得を源維城として行った。

 一方で、伏見宮系の各家のお年寄りは自身が皇籍を持っていた本人であって生まれながらの皇族である分、醍醐天皇よりも皇位に近い立場ともいえる。
 後花園天皇の弟の家系であり、現皇室との関係は崇光天皇の時代より近いこと、各天皇との養子・猶子関係が常にあること、姫宮の輿入れが頻繁にありその血筋が入っていること、現皇室自体にも伏見宮系の血筋が入っていること…を考えると、遠いとはいえない。
 伏見宮系の宮家をすべて復活させれば問題無い。皇族でも普通に労働できるように配慮すればいい。
708日本@名無史さん:2012/06/18(月) 01:36:07.67
>>707
いいがかりだろ
醍醐天皇は光孝天皇の実孫として誕生したわけだから
「皇族とは縁もゆかりもない臣下」などであるはずがない

そもそも伏見宮家のお年寄りは天皇の孫王じゃないだろ

709日本@名無史さん:2012/06/19(火) 00:09:06.29
>>706,>>708
歴史を持ち出して議論しようとすると女系容認派は絶対に負けるぞ
「歴代天皇に父系で連ならない人間が天皇になったことは一度も無い」という厳然たる事実があるのだから。

伏見宮系が天皇からの代数が離れすぎているという点についても
n世王に皇位継承権が認められる場合にはn+1世王にも皇位継承権が認められるだろうから、
皇子に皇位継承権が認められる場合、天皇の男系子孫の皇族ならば皇位継承権が論理的に認められると考えられるべき。

現時点では伏見宮系は皇族ではないのが難点だが
出生時に皇族でなかった人の皇籍復帰の前例がある以上、
伏見宮系全員に皇籍復帰の権利があると考えるべきであり、
20世王だなどという批判は、皇子に皇籍復帰の権利があり、皇孫にもあり、n世王にあればn+1世王にもある以上、
20世王だろうと皇籍復帰の権利は有すると考えるべきだ。
710日本@名無史さん:2012/06/19(火) 01:37:47.32
天皇陛下は東大病院で心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた。手術は順調に終了し、
陛下は集中治療室(ICU)に移られた。医師団によると術後の経過も安定している。
一日も早いご回復を改めて祈りたい。
陛下は平成15年1月にも前立腺がんの手術を受け、昨年11月には肺炎で入院された。
ご負担軽減は待ったなしの課題である。
宮内庁は平成21年1月、全国植樹祭などでのお言葉を取りやめ、新嘗(にいなめ)祭
などの宮中祭祀(さいし)も時間を限って出席されるなどの軽減策を打ち出した。だが、
昨年12月の78歳の誕生日に合わせて発表された1年間の陛下のお仕事は依然、土曜
も日曜もない忙しさである。
内閣から回ってくる文書の署名・押印は957件にのぼり、国務大臣ら109人の認証
官の任命式や34人の新任外国大使の信任状捧呈(ほうてい)式に臨まれた。21回の
宮中祭祀に加え、東京都内や近郊へのご訪問は37回、公的な地方ご訪問は12道県に
及んだ。
とりわけ、昨年3月の東日本大震災以降、7週連続で宮城県などの被災地や首都圏の避
難所を皇后陛下とともに訪問され、例年にないハードな1年を送られた。
今年も、術前の検査入院などの合間を縫って、講書始の儀、歌会始の儀、新大臣や最高
裁判事の認証官任命式、リハビリ施設のご訪問、国立がん研究センター創立50周年記
念式典へのご臨席などのご公務に追われた。
陛下の責任感の強さの表れと受け止めたいが、それがかえって過重なご負担になるので
はないかと心配である。
手術後も、3月11日に東京で開かれる政府主催の東日本大震災1年の追悼式へのご出
席など、重要なご公務が予定されている。
宮内庁は「医師の意見を聞き、両陛下にご相談して(ご負担軽減への)対応を決める」
(風岡典之次長)と説明している。陛下のお仕事の中で、他の皇族方が分担できるもの
を精査し、少しでも陛下のご負担を減らしたい。
そのために、皇族の減少を食い止める方策も急務だ。まもなく、女性皇族が結婚しても
皇族の身分を維持できる「女性宮家」創設に関する有識者からのヒアリングが始まる。
さらに、野田佳彦首相が先の衆院予算委員会で表明した旧皇族の皇籍復帰も含めた幅広
い検討を重ねて求めたい。
711日本@名無史さん:2012/06/19(火) 04:53:17.09
釣られてみよう

>>709が死にかけのハゲだということが論理的に証明できるんだがどうか
712日本@名無史さん:2012/06/19(火) 09:14:55.92
>>709
「律令での皇族の範囲は天皇から離れること5世まで。5世以上離れた人物が天皇になったことはない」
という厳然たる事実は無視するわけ?

歴史を持ち出しても負けるだろ、伏見宮系なんて。


713日本@名無史さん:2012/06/19(火) 11:40:00.02
>>711
どうぞ証明してみて下さい

>>712
養老令では皇族という言葉は無い。あくまでも皇親だ。
また、本来親王には皇子しかなれないはずのに、崇光天皇15世孫が10人以上親王になっている時点で継嗣令は死文化していると考えるしかなく、
律令は議論の対象とはなり得ない。
いやむしろ、継嗣令の記述では親王から5世(親王自身を1世と数えるため、親王の玄孫)までが王たり得るとされており
曾祖父が親王である伏見宮現当主などはいまだに皇親とすら言える。

5世がOKで6世がNGの合理的な理由は?
継体天皇がもし早死にしていたら安閑天皇や宣化天皇には皇位継承権は無かったか?違うだろ?
10世以上離れた江戸時代の伏見宮に皇位継承権は無かったか?それも違う。貞敬親王などは皇位継承の候補に挙げられている。
714日本@名無史さん:2012/06/19(火) 14:59:00.25
>>713
律令で定められたにもかかわらず時代とともに皇族のあり方など変わってきているのだよ
お前が伝統、伝統という割に実際には伝統など守る必要は一切なく
自分に都合の良い伝統改変ならぜひやれと言いたいのはよくわかるよ

21世紀には女系天皇が出ることだってありうる
715日本@名無史さん:2012/06/19(火) 15:57:26.37
>>714
皇位の男系継承は律令によって定められたものではない。
律令ができた時点でも最低200年続いていた絶対的事実として存在していた。
自然法といっても良いものであって、法体系がいかに変わろうとも皇位の男系継承は変えられない。

律令なんて長い皇室の歴史から見れば伝統でもなんでもなく、
古代の一時期に用いられた法典に過ぎないのだから(存在としては明治初期まで有効ではあったが)
守るべき伝統の対象に律令は含まれない。
716日本@名無史さん:2012/06/20(水) 08:54:33.44
> 貞敬親王などは皇位継承の候補に挙げられている。

候補に挙がるだけでいいなら愛子ちゃんも挙がってますが何か

結局貞敬は即位しなかったんだからそれはつまり
「13世離れても継承できる」というように慣習法が改正されることは
なかったということなんだよ
717日本@名無史さん:2012/06/20(水) 12:54:41.92
>>716
愛子内親王は法的にNG。
愛子内親王が生まれてこの方皇位継承権を持ったことは一度も無い。
貞敬親王は法的には即位できた。

候補としてのレベルも違う。
貞敬親王が候補に挙がった時は本当にすぐその次の日には新帝が決まるというレベルだったのに対し、
愛子内親王は2005年当時にもし今上天皇、皇太子、秋篠宮が一斉に崩御・薨去していたとしても
彼女が皇位を継承することはできず、常陸宮が即位するだけの話だった。

そもそも慣習法として言うならば、旧皇室典範制定時にさしたる論議もなしに
伏見宮には皇位継承権第5位が認められている。
皇太子嘉仁親王や5世王の有栖川宮兄弟、6世王の栽仁王が存在していたにも関わらずだ。
これは江戸時代までの慣習として伏見宮に皇位継承権が認められていたということを示す証左。
愛子内親王に皇位継承権を認めるか否かは他に近親者の候補がいない時点でも論議された上、
皇孫の悠仁親王が生まれたらあっさりとそれまでの論議が否定される程度。
718717:2012/06/20(水) 13:16:36.84
一応補足しておくと、個人的には愛子内親王自身は皇太子の実の娘なので皇位継承権は認めても良いと思うが、
愛子内親王の子孫まで皇位継承権を認めるには、皇胤との婚姻を最低条件とするべき。
伏見宮系であることが望ましいが、それが難しいならば東山天皇の男系子孫などを
擬制的に皇籍復帰させた上で結婚という形であるならば愛子内親王の子孫にも皇位継承権は認められても良い。

どちらにせよ悠仁親王の皇位継承順位を上回ることは有り得ないが。
719日本@名無史さん:2012/07/04(水) 20:42:51.22
>>717
愛子内親王は悠仁親王に優先して即位する案もあるくらいだからなあ

それに、貞敬親王は後桃園天皇の皇女欣子内親王の婿になることを条件に
候補になってたんだぞ?
生まれた時から一般庶民の旧伏見宮系男子が一般庶民の嫁貰ってて
天皇になりますなんて話にならんから
720日本@名無史さん:2012/07/04(水) 20:58:11.89
生まれた時から昭和天皇の孫で、今上天皇の甥の東久邇宮系は?
生まれた時から香淳皇后の甥で今上天皇の従兄弟の久邇宮系は?
721日本@名無史さん:2012/07/04(水) 21:28:01.39
>>719
じゃあ伏見宮系の男子が内親王を嫁にすれば全て解決じゃん

それに、皇女だった欣子内親王自身の皇位継承が認められてない時点で
皇太子の娘の愛子内親王だってアウト
伏見宮系男子と結婚したら夫に皇位継承権が与えられてもいいと思うけど
722日本@名無史さん:2012/07/04(水) 21:36:56.64
>>720
どっちも一般庶民w

天皇の孫や甥に皇位継承権があったら
藤原氏なんかでもいけるぞw
723日本@名無史さん:2012/07/04(水) 21:42:43.50
男系男子順のみでいいよ。それだけで皇位は半永久的に安泰になるのに。
724日本@名無史さん:2012/07/04(水) 21:49:29.09
>>722
徳大寺みたいに天皇の男系子孫が続いてる藤原氏のことを言ってるの?
だとしたらそういう意見もあるでしょ男系派の中には。
普通の藤原氏は天皇の男系子孫ではないから皇位継承権は逆立ちしても来ない。

>>723
臣籍降下なんていらなかったんだよね
皇族の生活費がもったいないって言うなら血の離れた皇族は自活させれば良かっただけだし
725日本@名無史さん:2012/07/04(水) 22:29:01.59
>>724
でもさ、不比等て天智天皇のご落胤とも言うよね。だからこそあんなに
交わってきたのかとも思える。誰もいなくなったら最悪藤原氏系でもいいよ。
その時は天智ご落胤説を公式に採用してw
726日本@名無史さん:2012/07/05(木) 09:12:10.16
住友本家が、徳大寺家からの養子で東山天皇の男系
727日本@名無史さん:2012/07/05(木) 11:02:05.26
>>724
今の徳大寺宗家は神戸でバーのマスターやってたよね
728日本@名無史さん:2012/07/17(火) 21:22:06.14
継体天皇がギリギリ天皇に即位できたくらいだから
伏見宮って無理じゃ・・・
729日本@名無史さん:2012/07/28(土) 01:13:42.48
>>728
前例に則るとそれこそ皇位継承は悠仁親王一人に頼ることになる
それでいいのかって話で伏見宮系か女系かどっちかを認めようって話じゃん
730日本@名無史さん:2012/07/28(土) 07:36:31.55
っていうか悠仁親王がいるから皇位継承の上では何ら問題ない
それよりもほとんどの宮家が絶えることにより皇室の行事が行えなくなるのではないかという危惧がある
731日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:38:52.76
もう共和でよか
732日本@名無史さん:2012/08/06(月) 01:14:53.15
石原慎太郎「西洋人の柔道はけだもののけんか」

JOCの会長はこのレイシストをオリンピックから追放しないのか?
733日本@名無史さん:2012/08/23(木) 21:28:51.04
>>729
てことは、「伏見宮系か女系かどっちかを認めようって話」って
どちらも新しい試み?
どちらも伝統ではないのね、もちろん伝統を絶対視する気は無いが
734日本@名無史さん:2012/08/23(木) 23:09:48.67
>>733
全く伝統を無視しようとするなら皇室の血を引かない一般人の俺でも即位できてしまうだろw
前例に則る則らないと言っても程度の問題であって、
重要なのは前例から逸脱する範囲が小さい選択肢はどれかという話

まあ悠仁親王の男系子孫が続いたら完全に前例に則った継承はできるんだが
それだと不安だからもしもの時のためのスペアにするならどれがいいかなーってみんな考えてるんでしょ
735日本@名無史さん:2012/09/01(土) 16:46:51.73
強いて言えば「崇光伏見氏」「崇光久邇氏」だろうが、
上記の説明にあるように伏見とか久邇というのは名字だからな。
源平藤橘などの本姓が廃止されて70年もあったあと、
皇籍離脱にあたって、それまでの宮号を名字にしただけ。

単に(名字としての)「伏見氏」「久邇氏」だな。
736日本@名無史さん:2012/09/01(土) 21:57:57.27
世襲親王家といっても天皇の5世孫以降は
本来なら源氏を名乗るべき人達。
それが天皇の猶子となることによって皇族を名乗ることを許された。
もし天皇の猶子にならなければただの源氏でしかない。
737日本@名無史さん:2012/09/02(日) 00:47:22.35
>>736
賜姓されなければ源氏にはなれない。
皇族が臣籍降下した場合に源氏になることがほとんどだったというだけで
必ずそうしなければいけない訳ではないので源姓を賜姓されなければ源氏になることはできない。

天皇の猶子にもならずに王になれた伯王家のように皇胤は親王にはなれなくても王にはなれる。
伯王家の場合は神祇伯就任に伴って代々源氏から王氏に変わるという特殊なケースではあるけれど

律令の規定では、五世王は王を名乗っていても皇親ではない、と規定されていただけで
六世以下についてどうするかは明文規定はない。
妥当な解釈としては五世王と同様に皇親ではないが賜姓されなければ王を名乗り続けられるということになるだろう。
ちなみに律令では皇位継承に関する規定も存在しないので、皇親でなくても即位できたかもしれない。実例は無いが。

とすると、伏見宮等の元皇族及びその子孫については賜姓されていない以上
かつての姓の概念に当てはめれば今でも諸王として考えるべきなのだろう
738日本@名無史さん:2012/09/02(日) 08:31:43.30
養老律令は明治憲法と旧皇室典範の発布で廃止されたから、
令制の諸王云々はもはや意味をなさない。
739日本@名無史さん:2012/09/03(月) 08:10:40.54
>>738
それ言うと本姓も実質廃止されてるから源氏云々もおかしいんだよなあ
740日本@名無史さん:2012/09/03(月) 19:17:34.11
だから、スレタイにある「崇光源氏」なんて勝手な造語はまちがっている。

>>735にあるように、
>強いて言えば「崇光伏見氏」「崇光久邇氏」だろうが、
>上記の説明にあるように伏見とか久邇というのは名字だからな。
>源平藤橘などの本姓が廃止されて70年もあったあと、
>皇籍離脱にあたって、それまでの宮号を名字にしただけ。

>単に(名字としての)「伏見氏」「久邇氏」だな。

というのが正解。
「上記の説明」ってのは、レスをたどっていったら、おそらく>>681のことだろうな。
741日本@名無史さん:2012/09/03(月) 19:58:46.33
仁徳天皇(難波京)
742日本@名無史さん:2012/09/03(月) 21:45:16.44
そこまで言葉遣いにうるさくしなくてもいいんでないの
旧皇族の末裔に過ぎん者まで旧皇族と呼んだりする間違いとどっこいどっこいでしょ
743日本@名無史さん:2012/09/03(月) 23:31:22.99
世襲親王家と伯王家が似ているのは
肩書きと名誉だけで本物の親王や王のような実態はない点だろう。
まさか伯王家は王だから皇位継承権はあったとか言うのかな。
744日本@名無史さん:2012/09/04(火) 03:50:46.87
>>742
伏見宮系とかでいい
正確さにこだわれば源氏と呼んだり臣籍降下後に生まれた人を旧皇族と呼んだりするのは誤り

>>743
本物の親王や王のような実態ってなんだ?
世襲親王家は親王として諸王諸臣の位階とは異なる品階に叙されてるし
官職の面でも親王任国の太守や親王が就任することの多かった八省卿に就任したケースが多い。
伯王家は確かに王としての実態は薄いけども王氏爵を受けていたことから王としての実態が全く無いとは言えない。

もしも世襲親王家が絶えていたらどうしたのかは実は少し気になるところ。
戦国時代後期は出家していない男子皇族が儲君と伏見宮が存在しないような状態だっただろうから
一歩間違えると皇統断絶の危機で、この時期ならば僅かながら伯王家にチャンス回ってこないかと考えられなくもない。
ただ普通に考えれば出家した皇族から連れてくるんだろうなあ
745日本@名無史さん:2012/09/04(火) 04:28:43.96
> 正確さにこだわれば

いやだから
そんな程度の「正確さ」にこだわらなくてもいいんでないの
ってことなんだけど
746日本@名無史さん:2012/09/04(火) 04:47:16.45
>>745
旧宮家とか旧皇族はともかく、源氏になったことも無い人々を崇光源氏呼ばわりは流石に無理。
「正確さ」がどうとかいうレベルじゃなくて完全に誤り
747日本@名無史さん:2012/09/04(火) 05:36:47.76
皇統譜に載ったことも無い人々を旧皇族呼ばわりと同程度の完全な誤りだわな
748日本@名無史さん:2012/09/04(火) 06:04:11.57
>>747
いわゆる旧皇族は皇族になったことはないが皇族の子孫には違いないのに対し
源氏にはなったことがないだけではく先祖代々源氏になった事実が無い。宇多天皇と醍醐天皇を別とすればだが。

先祖が皇族だった場合は、かつて皇族だった家、という程度の意味で
「旧皇族」と(かなり苦しいけど)強弁できなくもないが
源氏になった先祖もいないのに崇光源氏はありえない。
源氏と呼ぶ根拠はいったいどこから導き出してるんだ?

まあそもそもどちらも誤りなので旧皇族とか源氏という呼び方はするべきではないという結論に違いはないが
749日本@名無史さん:2012/09/04(火) 06:32:11.61
かつて華族だったおじいさん以外でも、華族家の現在の当主は「旧華族」と呼んでいるのでは?
それと同じだろ。
750日本@名無史さん:2012/09/04(火) 07:16:26.25
>旧皇族
いまでもフランス王家の子孫を旧王族とか言うのと同じだな。
フランスあたりじゃ、貴族制度や爵位は公式に存在しないはずなのに、
一般の貴族の子孫でも「貴族」「公爵」「伯爵」で通用してるし。
751日本@名無史さん:2012/09/04(火) 10:38:34.84
伏見宮家は過去の存在だなw
752日本@名無史さん:2012/09/04(火) 20:12:06.61
さっき、TBSの番組で竹田様の偉大さを痛感したわ。
753日本@名無史さん:2012/09/04(火) 21:18:59.33
東京五輪も、五輪関連のさまざまなことも、すべて竹田様のおじい様のおかげ。
竹田様のお父様(JOC会長)はエリザベス女王のお友達。
竹田様は秋篠宮の幼なじみ。
鳩山タローさんは昭和天皇の遠い親戚。

いろいろ竹田様伝説あったな。
754日本@名無史さん:2012/09/04(火) 21:45:37.85
竹田様本人もブッシュ大統領の義理の妹と知り合い。
そのオバサンの息子がブッシュ家の跡取りで、20年後の大統領と言われている。
755日本@名無史さん:2012/09/05(水) 16:31:47.83
男系男子の旧皇族が女性皇族の婿になり、
その息子から王位継承権を与えたら良い
今は秋篠宮様とか悠仁様がいるから、100年は大丈夫だろ
てか秋篠宮様は他にも子供いそう
756日本@名無史さん:2012/09/05(水) 20:24:46.51
竹田家って、旧皇族の中では成功してる方だよね。
親子2代でJOC会長だし、現会長の兄さんは駐ブルガリア大使やってるし。

竹田様本人も慶応で憲法の講義やってるし、ブッシュファミリーと交流あるし。
757日本@名無史さん:2012/09/05(水) 20:56:35.98
人生で苦労したこととか、あんまりないんだろうな。
羨ましいわ。
758日本@名無史さん:2012/09/08(土) 19:15:04.45
旧宮家の人は、コネかどうかしらんけど、有名企業に就職して、
リタイア後は神社関係の要職や各種団体の名誉職につくケースが多いね。
JOC、IOCは竹田家の専売特許みたいだけど。
759日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:49:53.46
>>758
直系男系の祖先に、あんなに大勢の皇帝がいる家系って世界にないから、外国じゃ大事にせざるをえないだろう。嫉妬による、風当たりも凄いだろうが。
760日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:16:57.57
> 直系男系の祖先に、あんなに大勢の皇帝がいる家系

何人?
ざっと数えてみたところ継体までで28人かな?

家系の問題より近年まで皇族だったってことのほうが大きいと思うけど
761やきにく:2012/09/10(月) 11:36:00.74
東久邇殿下は準皇族として顕彰をしていたりするね。
762日本@名無史さん:2012/09/10(月) 17:37:37.45
なまじ中途半端に象徴天皇制と直宮数家が残ったから、
旧宮家が世間的に軽く見られてるけど、もし天皇制が完全に廃止されてたら、
欧州の旧王族みたいに、私的に皇族を名乗って活動してるだろうな。
763日本@名無史さん:2012/09/11(火) 13:05:50.19
【男系】愛子様の配偶者として旧皇族復帰させるべし
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1347336157/l50
764日本@名無史さん:2012/09/11(火) 15:35:34.82
>>760
44人
神武から応神14人
継体から後伏見28人
北朝の光厳、崇光の2人
計44人、

桓武平氏
21人
継体桓武7人

清和源氏
35人
継体清和11人

日本では、どうでもいい数だが、海外では7人でも相当凄いよ。
765日本@名無史さん:2012/09/11(火) 19:03:02.31
>>764
それだと清和源氏は25人じゃないの?
766やきにく:2012/09/11(火) 19:08:46.98
25だね。
767日本@名無史さん:2012/09/11(火) 21:01:09.87
>>760
存在と系譜の明らかな継体からですら28人(北朝を含めると30人)だから
たぶん外国でこれ以上の家はないだろうなあ

28代続いた帝室すら他にあるのかどうかってぐらいだし

まあ近年まで皇族だったことも大きいだろうね
直系男系祖先の皇帝の多さでは徳大寺とかのが多いんだし
768日本@名無史さん:2012/09/12(水) 18:25:11.63
とりあえず、継体より前の実在のあやふやな大王はカウントすべきではない。
769日本@名無史さん:2012/09/13(木) 04:15:38.36
まあ実在してそうなのでも継体からつながってるかは怪しすぎるからな

それ言ったら伏見宮は鍛冶屋だから28じゃなくて0という話もあるが
770日本@名無史さん:2012/09/13(木) 05:43:50.15
>>769
さすがに継体から今上までは系譜に疑問は付けられないでしょ。

確かに歴代のどこかで后妃が他の男と密通してた可能性は大きいんだけど
それでも社会的な父子関係が継体から今上まで途切れたことはありえない。

それに下衆の相手などしないであろう后妃の密通の相手は皇族系か藤原系しかおらず
しかも后妃が密通している可能性を考慮するならば
藤原氏が天智天皇の子孫である可能性も考慮しなければならなくなるので
結局は密通の有無に関わらず継体から今上まで繋がってる可能性は十分に肯定できるんじゃないでしょうか?

伏見宮の鍛冶屋説もどこまで信憑性有るか分からないし
本当に鍛冶屋だったんだとしても先代の落胤である確証があったから伏見宮を継げたんだろう
771日本@名無史さん:2012/09/13(木) 08:52:35.90
紛らわしかったね
応神が実在でも継体までつながってるかかは怪しいってこと

> 本当に鍛冶屋だったんだとしても
どゆこと?鍛冶屋だったこと自体は確定事実でしょ
772日本@名無史さん:2012/09/13(木) 12:21:42.29
>>771
鍛冶屋の件って史料そんなに豊富か?
一ヶ所に書いてあるだけとかなら与太話の類かもしれんしなあ。
地方に下ってたのは間違いないんだろうけど。

まあどちらにせよ鍛冶屋をわざわざ連れてくるんだとしたら
先代の落胤である確信がないとできないだろうから
>>769に対しては0じゃなくて28なのは間違いないとしか言えない。
落胤である確証がないのに怪しげな奴連れてきたら
自分の息子を後継ぎに入れたいであろう天皇が絶対に納得しない
773日本@名無史さん:2012/09/14(金) 02:27:02.93
鍛冶屋の徒弟を落胤と認定したのは幕府だから
天皇は関係ないだろう。
774日本@名無史さん:2012/09/14(金) 03:22:03.22
>>773
天皇(というか当時は皇室の最高決定者はたぶん後水尾上皇なんだけど)が幕府に対して抗議するに決まってんだろ。
江戸時代と言えども朝廷が幕府に全く物申せないわけではない。
抗議してたら史料くらい残りそうなもんだけどそれも聞いたことない。

そもそも幕府側にわざわざ確証もない庶民を落胤として連れてくることに対して利益がない。
京都所司代が独断でやったのか幕府中央によって行われたことなのかわからないけど、
所司代が幕府の意向を聞かずに血の繋がってない一庶民を
勝手に落胤認定したんだとしたら所司代の首が飛びかねない。
それなのに一官僚に過ぎない所司代がそのリスクを負う意味がない。
幕府が所司代に命令してやらせたんだとしたらその目的は?
一宮家の当主に庶民連れてきて何かいいことあるの?
皇位簒奪が目的だとしたら後桃園天皇が死んだ後とか絶好のチャンスなんだからごり押ししてないとおかしいよね?

利益は無いけどただ適当な審査して通っちゃったって線も主張できなくはないだろうが、
それこそ朝廷から抗議受けたら落胤認定は一発で覆るだろう。
775日本@名無史さん:2012/09/14(金) 04:36:18.83
よくろくにまあ調べもしないで「抗議するに決まってる」とか「利益がない」とか
「一発で覆る」とか無根拠な憶測並べられるもんだ
776日本@名無史さん:2012/09/14(金) 04:46:35.76
「ろくにまあ」→「まあろくに」

> それなのに一官僚に過ぎない所司代がそのリスクを負う意味がない。

歴代所司代でも板倉重宗ほど幕府で重きをなした所司代も珍しいと思うけど
777日本@名無史さん:2012/09/14(金) 04:47:53.77
>>775
ん?じゃあ貞致親王が皇室と血がつながって無い根拠はあるんですか?
その時点で無根拠な憶測だから反論も無根拠になっても仕方ないだろう

血がつながってない落胤が皇族になるとかロマンあるけど所詮は妄想だからね。
778日本@名無史さん:2012/09/14(金) 04:50:30.88
>>776
いくら幕政で重きをなそうが将軍の一家臣に過ぎん
幕府に重きをなしたかどうかの文脈で一官僚って言ってるんじゃないよ

それに板倉重宗ほどの人物が認定したんなら尚更、貞致親王の正統性は確かじゃないか
779日本@名無史さん:2012/09/14(金) 05:02:28.04
>>775
「抗議するに決まってる」「一発で覆る」の部分は確かに推測に過ぎないんだけど
「利益がない」の部分に根拠なんてあるはずないだろ
悪魔の証明か?
780日本@名無史さん:2012/09/14(金) 06:12:24.23
> ん?じゃあ貞致親王が皇室と血がつながって無い根拠はあるんですか?

認定の経緯が史料に残ってなさすぎて
つながってる根拠もつながってない根拠も薄弱だって話なんだが
無根拠につながってるつながってると言い張るあんたと一緒の次元にしないでほしい
781日本@名無史さん:2012/09/14(金) 06:22:51.41
> 悪魔の証明か?

こんな程度で悪魔の証明なんつって根を上げてたら
史学の論文なんて書けないんじゃないかな
782日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:01:07.92
>>780
つながってないって結論ありきで当時の京都所司代が正式に行った認定を否定する方がおかしいと思うよ。
認定は基本的に事実に基づいてやるものなんだ。こんなの史料が無くたってわかる。
それを否定するには判断に用いられた事実が間違っていたか、もしくは所司代が悪意を以って間違えたのかを証明しないといけない。
で、それを証明できる根拠はあるんですか?
その根拠がないなら、貞致親王の血統については所司代の認定が基本的には正しいと推定されるのは当たり前。

こちらとしても
>つながってる根拠もつながってない根拠も薄弱だって話なんだが
これには賛成だよ。
だから、繋がってるかもしれないし繋がってないかもしれないという結論になっても構わないんだ。
なにも絶対に繋がってると言ってるんじゃない。
ただ、>>769のように認定が間違ってることを前提に話を進めるのがいけないと言いたいんだ。
まあどちらかというと繋がってる可能性の方が高いと考えてるのと
所司代による認定は特に否定し得る根拠がないなら信じるべきだとは思うけどね。

>>781
いやいやいや、悪魔の証明はともかくとして、どう考えても利益ないでしょw
利益が無いであろう推論は既に示してあるし。
利益あるなら示してよ。こっちが知りたいわ

>史学の論文なんて書けないんじゃないかな

正直きもいんですけど。学者気取りか?
まあ本当に学者かもしれないけど
私は論文書くつもりないしどうでもいいです。
783日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:15:42.33
> ただ、>>769のように認定が間違ってることを前提に話を進めるのがいけないと言いたいんだ。

だったら無根拠な憶測並べず最初からそう言えばよかったね
あとそんな前提で話進めてると勝手に思い込まれても困るところもある
784日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:19:30.89
782を補足しておくと、774のように史料的な根拠はほとんど無いように見える主張を書いたのは、
史料的な根拠が無くても貞致親王鍛冶屋の息子説を否定できる推論がこれだけできるのだから
ましてや史料的な根拠無く貞致親王鍛冶屋の息子説を明確に肯定することなど以ての外だと言いたかったから

それとどちらの説を採るにせよ、史料的な根拠なんてほとんどないんだから
無根拠に見える推論でも理屈が通ってる方がより真実に近い可能性が高いと見るべきなのではないかという願望的な考えもあるけど
785日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:23:31.82
理屈が通ってると自分で思うのは勝手ですけど
786日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:35:21.71
>>785
無根拠な貞致親王鍛冶屋の息子説の方が理屈が通ってるならその理屈を書いてみてよ
それができないなら貞致親王が本当に皇族の血を引いているという
史料的には根拠が無いながらも一定の推論が示された主張の方が理屈が通ってると言う他ない。
787日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:40:26.79
> 史料的には根拠が無いながらも一定の推論が示された主張

その「推論」って>>774の与太のこと?
788日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:49:36.12
>>787
そうだよ
774を無視するとしても、そもそも史料的な根拠は「京都所司代が認定した」という事実があるんだ
それに対して鍛冶屋説派は「なんか怪しくない?」くらいな主張でしかない
789日本@名無史さん:2012/09/14(金) 07:53:31.16
書き忘れたけど「なんか怪しくない?」程度の与太に対する十分な反論が774ね
与太による与太に対する反論かもしれないけど、鍛冶屋の息子なんていう与太を否定するにはそれで足りる
790日本@名無史さん:2012/09/14(金) 08:08:36.50
与太で与太に反論して何か意味があるという考え方が
根本から間違ってる
791日本@名無史さん:2012/09/14(金) 08:13:21.13
>>790
そもそも与太に与太で反論できないなら反証可能性に欠けるとして最初の与太が学問的な意味を持たないから
与太で与太に反論できないならそれはそれでいいよ
とりあえず鍛冶屋説は与太ってことでいいんだね?
792日本@名無史さん:2012/09/14(金) 12:05:02.11
なんか伸びてるw
根拠とか与太とかで荒れてるところに申し訳ないんだけど
伏見宮が鍛冶屋の子孫なんてどこにの史料も書いてない与太だよ

こうゆう説唱える人って旧宮家の権威をおとしめて
女系天皇に持っていきたいだけの人が多そうでちょっと気持ち悪い
793日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:00:51.25
> 与太に与太で反論できないなら反証可能性に欠ける

聞きかじりでまったく理解してない専門用語とか
こけおどしに使うのやめたほうがいいよ

あと鍛冶屋説は別に証拠なしってことでいいんじゃないの
最初からそう言ってたつもりだけど
794日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:16:34.19
地下の日記で落胤認定が不思議の沙汰と書かれてるくらいで
陰謀の決め手になるような史料は出てきてないもんね
795日本@名無史さん:2012/09/14(金) 21:13:02.34
もう共和でよか

共和にまさるものはなし

ていうか、日本国憲法下の日本は、日本史上の第一共和政であると言える。
796 忍法帖【Lv=17,xxxPT】(1+0:5) :2012/09/14(金) 21:36:04.14
じゃあ俺が第一帝政始めるわ
兄貴の子が第二帝政始めるだろ
797日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:11:34.33
皇太子44>徳大寺37>伏見系28
だろ、神皇正統記的に言って
798日本@名無史さん:2012/09/14(金) 23:35:43.60
(落胤と称する)鍛冶屋の徒弟が伏見宮を継いだのは
幕府の押しつけによるもの。

そんな怪しげな奴に継がすくらいなら
伏見宮は廃止すべきだった。
799日本@名無史さん:2012/09/15(土) 01:18:02.03
もう共和でよか
800日本@名無史さん:2012/09/15(土) 04:45:02.78
>>793
>聞きかじりでまったく理解してない専門用語とか
>こけおどしに使うのやめたほうがいいよ

????
この一文には"根拠"はあるんですか?
憶測(笑)でしょ?
普通は大学通ったことある人間ならこのくらい習う。論文が云々とか言ってたくせに高卒か?

鍛冶屋説は根拠なし、非鍛冶屋説=本当に落胤説の方は
所司代の認定という"根拠"があるのでこちらで確定ですね。
もともと争点なんて無かったのに議論振り回すなよ

>>798
はいはい、根拠出さないと怒られますよ。
幕府の押し付けの根拠出しましょうね。
状況証拠的な推論も許されないらしいから史料出さないといけないっぽいですよ。
801日本@名無史さん:2012/09/15(土) 05:33:45.88
> 所司代の認定という"根拠"があるのでこちらで確定ですね。

そう短絡できるお前さんの頭はどうなっておるのかね?
802日本@名無史さん:2012/09/15(土) 05:39:44.56
> この一文には"根拠"はあるんですか?

いや根拠も何も↓これ反証可能性の意味まったくわかってないじゃん

> そもそも与太に与太で反論できないなら反証可能性に欠けるとして
> 最初の与太が学問的な意味を持たないから
803日本@名無史さん:2012/09/15(土) 06:56:22.36
>>801
別に短絡してるんじゃなくて
所司代という公的機関の認定があった以上、
鍛冶屋の息子などというどうでもいい与太話が確実に立証されないかぎり
認定を優先して本当に落胤だったと推定するのが当然だと思うが?

>>802
はいはい、憶測じゃなくて"根拠"をだしてね^^
804日本@名無史さん:2012/09/15(土) 07:26:54.42
否定する史料はない一方でカトリック教会の認定という根拠はあるから
聖人の起こした奇跡は真実で確定、みたいな論理ふりかざされても
信者乙、としか言えませんよ
805日本@名無史さん:2012/09/15(土) 07:32:34.68
たとえご落胤だったことが事実であろうとよくない噂が流れるのは間違いない
明治天皇なんか京都から東京に引っ越しただけですり替えられたという説を作る奴がいるくらいだし

だいたい全ての歴史上の出来事には「理由」がある
にせもののご落胤に伏見宮を継がせる理由は何ですか?
京都所司代がにせものを本物としたからには京都所司代に利益があったはずだが、それは誰かから金品をもらったから?上からの命令?ご落胤は本当は京都所司代の子だから?
806日本@名無史さん:2012/09/15(土) 07:37:53.07
> はいはい、憶測じゃなくて"根拠"をだしてね^^

「与太による反証」不可能性 ≠ 反証不可能性

どうしてこんなもんをごっちゃにできるのかさっぱりわからん
どうせ説明させても与太とこけおどし並べるだけだろうから別に興味ないけど
807日本@名無史さん:2012/09/15(土) 12:51:48.77
>>804
>>805の言う通りなんだけど、カトリック教会の場合は
聖人の起こした奇跡を認定する動機、利益がある。
奇跡が真実だと主張することで自分達の権威を増すことができる

しかし京都所司代が偽物のご落胤を認定することの動機、利益を
これまでの流れで誰も示してくれていない。
これだけでも認定を真実と推定するのは当然だと思うが?

こちらとしても「真実で確定」みたいな論理はかざしていないよ。
認定を嘘だと立証されればそちらを優先するだけ。
でも主張立証責任を負うのは嘘だと主張する側。
カトリック教会の認定に関しては、ほぼ確実に起こり得ない事実に基づくから
嘘であることを立証できており、そちらを優先する。
京都所司代の認定に関しては、
普通に落胤だと判断できる可能性が十分にあることからそちらを優先する。
これだけのこと。
808日本@名無史さん:2012/09/15(土) 13:00:30.79
>>806
あのね、まず鍛冶屋説は物証が無いとこから生み出された主張なの。わ・か・る?
根拠は「なんか怪しい」程度の状況証拠でしかないんだけど、そんなのを反証できる物証なんてあるはずないだろ

物証が無いけど、状況証拠による反証の可能性を残すから意味を持つの。
状況証拠が根拠の主張を状況証拠によって反証できないとか頭おかしいでしょ。

しかし、あなたは状況証拠による反証を「与太」だの「憶測」だのと言って全く否定する。
だったら、もともとの鍛冶屋説に全く以って反証する余地が無くなるから
鍛冶屋説を取り上げる意味も無くなる。
809日本@名無史さん:2012/09/15(土) 13:07:18.04
ちなみに鍛冶屋説ってのは「貞致親王は本当は鍛冶屋の息子だという説」のことね
めんどくさいから省略してるけど誤解なきよう
810日本@名無史さん:2012/09/15(土) 17:10:34.32
そんな説ないだろ。
伏見宮家の実子をさしおいて、後水尾天皇の皇子の伏見宮家入は有り得ないという伏見宮家家人による諸司代への訴えだったんだから。
疑いがあるなら、三男の直宮内親王との婚姻や、孫女王の徳川将軍家への降嫁など有り得んでしょ。事件の当事者なんだからババ掴むわけがない。

鍛治徒弟の話は
811日本@名無史さん:2012/09/15(土) 17:13:26.86
落胤という時点で認めたら駄目だろう。
今の時代に、寛仁親王の落胤と称する人物が現れて
三笠宮を継承してしまうようなものだからな。
812日本@名無史さん:2012/09/15(土) 17:19:23.27
>>811
本当に寛仁親王と血が繋がってることが証明されたら継承してもいいと思う
今の皇室典範だとできないけどね
813日本@名無史さん:2012/09/15(土) 18:03:37.05
>>808自体も救いようのない与太だからどうでもいいっちゃいいんだけど
とりあえずそういうのを反証可能性とは言わないのね
814日本@名無史さん:2012/09/15(土) 18:14:16.54
> こちらとしても「真実で確定」みたいな論理はかざしていないよ。

> > 所司代の認定という"根拠"があるのでこちらで確定ですね。

まあ好きなだけ言い訳し続けたらいいけども
815日本@名無史さん:2012/09/15(土) 18:55:51.34
自分の憶測が受け入れられなかったら
「状況証拠による反証を否定するのか!」とか
自惚れも甚だしいでしょ
そういうことはもっとましな状況証拠出してから言うもんだ
>>774は状況証拠以前の与太
比べて>>810は状況証拠としてずっとまとも
それだけのことだよ
816日本@名無史さん:2012/09/15(土) 19:06:03.90
下関で自分から卑劣な騙し討ち砲撃しておきながら歩兵訓練も受けていない水兵がごく少数上陸してきただけで
砲も破壊せず無傷で水兵に捕獲され抵抗もせず遁走した日本が世界に喧伝されてるブシドウと正反対な行動とった長州兵よりマシでは?

太平洋戦争緒戦、圧倒的海空軍戦力でウェーク島を騙し討ちにしたにも関わらず
歩兵訓練も受けず前世紀のライフルがほとんどの米海兵隊の基地設営隊員に海軍陸戦隊2個中隊を壊滅させられた上に
たった2機しかなかったF-4F戦闘機に駆逐艦まで沈められた日本軍よりマシでは?
しかもウェーク島で捕虜になった米兵たちは後に日本軍により虐殺されたんだけどね
817 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(1+0:5) :2012/09/15(土) 19:36:22.81
1.宮家の血が絶えたので鍛冶屋の弟子になってた王を探して跡継ぎに京都所司代が据えたら朝廷もそれで納得した
2.宮家の血が絶えたので特に意味はないけれどその辺の鍛冶屋の息子をご落胤ということにして、ばれたら首が飛ぶけど京都所司代がなんかの間違いで認めたら朝廷も何も言わなかったのでそういうことになった

比較にならない
818日本@名無史さん:2012/09/15(土) 20:33:44.20
0点
お話にならない
819日本@名無史さん:2012/09/16(日) 00:58:20.28
>>813
お前にとっての反証可能性の定義なんてどうもいい
根拠を見せろ根拠を

>>814
なーに言ってんだこいつ
所司代の認定を覆す根拠を出せよw

まあ好きなだけ言い訳し続けたらいいけども

>>815
状況証拠による反論は認められるんですか?だったら最初からそう言って下さいよ。
状況証拠以前の与太は>>769みたいな鍛冶屋が云々で伏見宮の血統を否定する文章のことでしょ。
しかもどこがどう与太なのかを明確に示してくれもしない。

いいですか?
@幕府(もしくは京都所司代)にとって偽物の庶民をご落胤に認定した目的は何ですか?
A朝廷にとったら皇子を伏見宮の後継ぎにしようとしてるところなのに偽物を連れて来られて何もせずに傍観していたのは何故ですか?
これを詳しく説明したのが>>774なわけ。
この2点をちゃんと説明してよ
820日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:12:11.82
自分の推論を否定されたからって
相手が結論まで否定しているのと勘違いするのもよくない

与太な論証で通説を支持するペーパー書いて赤点もらって
「この先生は通説否定派か」と思い込むような低脳度

まあ論文書くつもりないそうだから低脳でもいいんだろうね
821日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:21:14.57
> お前にとっての反証可能性の定義なんてどうもいい

脳味噌不自由なの?
俺にとっての定義ではなく反証可能性という専門用語の定義なんだが
822日本@名無史さん:2012/09/16(日) 03:43:35.09
>>820
自分の意見が苦しくなると論理のすり替えか
貞致親王が本当に落胤であることは根拠が薄いって自分自身で言ってたでしょ??

じゃあ中立的に>>774についてどこがどうおかしいのかまず検証しようよ。こちらに非があれば修正するから。
・一段落目について、朝廷は幕府が強引に偽物を伏見宮に捻じ込もうとしてきたら抗議しないと思いますか?
・二段落目について、幕府や所司代は偽物を認定することで利益を得られますか?
・三段落目について、所司代が適当に審査して何故か偽物を通しちゃったとしたらそれについて朝廷は傍観してたんですか?再審査ぐらいは要求したらどうなんですか?
答えて下さい
823日本@名無史さん:2012/09/16(日) 03:45:57.04
>>821
もういいよ
議論の本筋に関係ないところで俺様議論でねちねちねちねち絡まれても気持ちが悪いだけ
本筋で旗色が悪いからって議論のすり替えで遊ぶなよ
824日本@名無史さん:2012/09/16(日) 05:09:39.33
> 貞致親王が本当に落胤であることは根拠が薄いって自分自身で言ってたでしょ??

落胤でないほうも根拠薄、とも言ったと思うが
それでもなお根拠出せ出せって何がしたいの?
825日本@名無史さん:2012/09/16(日) 05:19:29.72
>>824続き
というわけでこちらとしては別に論理をすりかえたわけではなく
>>820がすりかえに見えるなら君がずっと何か違うもの相手に
シャドーボクシングしてたんだねとしか言えないわ
826日本@名無史さん:2012/09/16(日) 05:36:54.07
> こちらに非があれば修正するから。

>>823の醜悪さを見る限りでは
非があっても修正するようなタマには見えんのだけど?
827日本@名無史さん:2012/09/16(日) 05:58:03.27
>>824-826
いったいお前は何がしたいんだ?
何回頼んでも>>774の内容については全く踏み込んで来ないから
774の内容について対して批評を加える意欲も能力も無いらしいし
かといってどちらの説も根拠薄と言ってることから自分の主張があるわけでもない。

ほんとに意味がわからない。
こちらとしても中身のある内容については議論して必要があれば修正するのに
それを何も考えずに醜悪だなんだと言って自分で醜悪な文章を作り出す。
いい加減中身のあること書こうよ
828日本@名無史さん:2012/09/16(日) 06:17:34.58
いやただ単にさ、かいつまんで言うと
>>774みたいなポジティブな主張したいならしたいで
もうちょっと根拠書いたらどうよ
っつうだけのことなんだけど
それを根拠も出さずに変な論理ふりまわすから
そのたびに変です変ですと言ってるだけで
829日本@名無史さん:2012/09/16(日) 06:42:19.46
>>828
えーと、じゃあもう一回774と同趣旨のことを書くから検討してね
根拠が無いと言うのなら、どの部分に根拠が必要なのかを明確に示していただきたい

■貞致親王を伏見宮落胤と認定したのは幕府の機関である京都所司代→その理由として考えられるものは?
 ・審査の結果落胤であることが正しかった→この場合は何も問題無く偽落胤説は否定される。
 ・所司代による審査の内容がいい加減だったから間違えた認定をしてしまった→いい加減な審査結果を申し渡された朝廷が傍観することは到底考えられない。
 ・審査などせずに幕府の命令で所司代がわざと偽物を落胤と認定した→幕府に何の利益が?>>810のような問題もある。
 ・審査などせずに所司代が勝手に偽物を落胤と認定した→所司代に何の利益が?明らかに所司代の業務内容に反しているから責任追及のリスクがある

ちなみに貞致親王が偽物の落胤だったと主張する意見からはこの程度の内容も提示されたことはない。
830日本@名無史さん:2012/09/16(日) 07:33:32.46
>>810を後出しで使うのはアリなのか?

まあいいけどまずひとつ前提について2つ質問
1、管見の限り落胤審査の過程でどんな証拠が出たか等について
書き残している日記はないように思うんだけど、ある?
831日本@名無史さん:2012/09/16(日) 07:45:29.19
2、そんな重要なことが記録に残ってない場合、朝廷に伝えられたのは
審査の結果とせいぜい概略だけで過程・証拠の詳細は伝えられなかった
(記録に残せないようなとんでもないことでもない限り)
と考えざるをえないと思うけど、どう?
832日本@名無史さん:2012/09/16(日) 07:51:12.96
君に書き方合わせたほうがフェアかもね
2、詳細が伝えられていたとしたら誰も記録に残さなかった
理由として考えられるものは?
833日本@名無史さん:2012/09/16(日) 08:08:43.08
>>830
>>810を使うのは補強だよね。
幕府が故意に偽物を捻じ込んだら朝廷が当然不満を持つことは既に書いている。
だから内親王と偽落胤の息子の結婚はおかしいことは導けるし、
幕府にとっての利益が無いことを既に書いていて
それについての補強として偽物だと分かってたご落胤の孫と将軍家世子を結婚させることの不自然さを用いている。
朝廷が不満を持つことや幕府にとっての利益が無いことを「与太」だと切り捨てるのなら、
>>810の内容にも当然批判を加えるべきだよね?
まあ>>774の趣旨として含めてしまったのは誤解を招きかねないことを考慮しなかったのはこちらに非があるんだが、
「与太」だと切り捨てる内容に関して補強される内容が>>810で示されている以上、
それにも噛みつくのがこれまでのあなたからすると自然に思えるけど?

また荒れるから本題に移るとして
1、どんな証拠が出たか分からないとしても、導ける結果は
 A.証拠が十分だった、つまり落胤であることが証明された
 B.証拠が不十分だった、つまり落胤であることは証明できない
のどちらかで、Aの場合は当然何も問題ない。Bの場合にはさらに
 B1.所司代側に過失があったために不十分な証拠だけで認定してしまった
 B2.何らかの目的により所司代が故意に不十分な証拠だけで認定した
のどちらかになるのは自明。そこから>>829の内容につながります
834日本@名無史さん:2012/09/16(日) 08:37:36.80
> 「与太」だと切り捨てる内容に関して補強される内容が>>810で示されている以上、
> それにも噛みつくのがこれまでのあなたからすると自然に思えるけど?

ずっとそうなんだけど、俺が何言ってるか全然伝わってないよな
俺の書き方が悪いせいかね?
835日本@名無史さん:2012/09/16(日) 08:49:00.94
>>774を無根拠に書いたことを問題にしてたのに
後で他人が出してくれた根拠に頼っても正当化にはならんってば
与太な論証で通説を支持するペーパー書いて赤点もらった後で
他人の論文持って「この人も俺と同じ結論です!」って抗議に行くのと一緒
>>815,>>820参照
836日本@名無史さん:2012/09/16(日) 09:01:45.36
>>834

>>810にも噛みついてるの?これは伝わってこなかったwwすいません
じゃあもう一回>>810にも批判してみてくれませんかね?

>>835
目的は論証に点数もらうことじゃなくて、貞致親王が偽物の落胤だという主張を反証することなの。
そもそもあんたはよたよた繰り返すだけでどこが与太であるかを明確にしなかったじゃないか
837日本@名無史さん:2012/09/16(日) 09:11:01.48
>>831-832
2、に対しては少し質問したいんだけども
そもそも江戸時代の皇族に関する記録なんてそんなに豊富ではないよね?
特に問題が起こらない場合には日記など少数の記録によって断片的な内容が分かる程度でしか無いかと思うんだけど違う?。

だから、特に問題とすべき事態が発生せずすんなりと認められた伏見宮落胤の件に関して
事件の概略のみを伝えた記録しか残らないのは考えられ得ることではないか?

もちろん、特に問題が起きたとしてもスルーされて記録に残らなかった可能性はあるけど
少なくとも、何も書いてないのに「貞致は偽物だったんだ!記録に残ってないけどきっとそうだ!」なんて主張を無から生み出すよりは
「詳しい記録は残ってないから残ってる記録を殊更に否定する必要は無い。記録通りに本当に落胤だったんだろう」と主張する方が正しい態度だと思う。
838日本@名無史さん:2012/09/16(日) 11:00:30.78
424 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:24:55
邦家親王より早くに子供を作った貴人はいるのか?

425 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 16:31:54
江戸時代〜明治時代の激動時に活動した伏見宮邦家親王は
最初の息子である晃親王が出来たのは13歳(今で言う12歳?)
相手は家女房(使用人)だったらしい。
小学生で子供を作れるとしたら相手は経験者じゃないと不可能か?

426 :日本@名無史さん:2009/03/22(日) 13:31:39
まあそういうパターンは大抵女のほうが年上だよ
成熟した体だから発情したわけで。
3つ4つくらいは年上じゃね?家女房かどうか知らんが奉公してるくらいだから。
さらに丈夫な子供(晃親王)産んでるわけだし。
839日本@名無史さん:2012/09/16(日) 11:19:47.36
289 :日本@名無史さん:2011/07/26(火) 15:35:19.55
昔の例を習って悠仁親王は小学5年生の数え年12歳(満11歳)でご結婚
中学校も高校も大学も諦めてひたすら御所で子づくりってか
840日本@名無史さん:2012/09/16(日) 15:18:32.83
T皇位継承順位
 皇統男系男子で今上天皇に近い順とする。
 皇族男子が一定数を切った場合は現在臣籍にある方を自動的に皇族とする。
 ただしにその際は拒否権も与える。(現皇室との女系での近さは考慮しない)
U女性宮家設立
 内親王や女王が結婚後も皇族にとどまるためには、皇統男系男子との結婚を
 条件とする。(継承順位はあくまでTの通りとする)
 
841日本@名無史さん:2012/09/16(日) 16:49:50.62
> >>834
> ?
> >>810にも噛みついてるの?

あ、これは書き方が悪かった、>>810はOK
君が俺の言いたいことずっとわかってないよって言いたかった
842日本@名無史さん:2012/09/16(日) 17:06:07.67
>>841
お前はまたそうやって内容に関係ないとこでしか突っ込めないんだなw
じゃあもう>>810が理由でいいよ。
貞致親王は>>810の理由によって正式な皇族の血筋であることが証明できました。これ以上何か問題がある?
843日本@名無史さん:2012/09/16(日) 17:37:18.41
>>837
別にそういうこと聞いてるんじゃないのね
要するに、朝廷側には審査の詳細は伝わってたんですか?ってこと
どう見たって朝廷側には伝えられなかったみたいだけど
(あと一段落目の答えは「違う」)

>>774は与太、>>810はOKでいいならもういいんだけどね
844日本@名無史さん:2012/09/16(日) 17:45:10.68
>>840
おわりんこ、皇位継承権利はリセットするw
845日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:23:59.65
いい加減、江戸時代の御落胤ネタでダラダラ論争続けるのやめてほしいわ。
とっくの昔に解決した問題に、数百年後の人間がケチつけても虚しいだけだろw
846日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:06:35.81
>>838
何歳で性行為をしてもいっこうに構わないということで、法律上の制約を無くせばいいんだよね。
小学生でも中学生でもやりたい奴が好きにやれと。
子どもは、親はもちろん社会全体で育てると。
そうすれば、少子化は解決の方向に向かうんだ。

早速、日本の象徴として皇族から、それに取り組めばいいと思う。
847日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:46:08.86
>>843
「どう見たって」伝えられなかったことの根拠が弱すぎる。それだとただの憶測(あなたの言葉を借りれば与太)に過ぎない。
伝えられなかった根拠をちゃんと出してもらいたいです。
記録されてないから伝わっていないなんて論理を通すためには
他の似たような状況ではきちんと記録されているという実例が欲しい。

一段落目の「違う」ことについては、そう言ってくるのはこちらが質問した以上想定していた答えだけど
それについても断言できるだけの根拠を下さい。

>>774が百歩、いや百万歩譲って与太だとする。これはもういい。議論の本題に必要ないから無視しよう。
そしてあなたが認める>>810によって貞致親王が皇族の血筋であることも証明される。
では、「鍛冶屋だから」皇族の血を引いていないと主張する>>769は全く根拠なく完全に間違っていることになるんだけど
これに対してなんで何も言わなかった?なんで今まで無視した?
早く噛みついて下さいよ。「与太」は見逃せない性質なんでしょうあなたは?
こういうとあなたは769は気にならないから見逃した、774は気に入らないから批判したみたいな二重基準を持ち出してきそうだけど。
848日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:00:46.52
> では、「鍛冶屋だから」皇族の血を引いていないと主張する>>769

「という話もあるが」っていうのは主張なの?
まあ主張する気だったら根拠示してね、以上
849日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:10:42.17
> 伝えられなかった根拠をちゃんと出してもらいたいです。

俺が書きたかったのは、伝えられなかったという主張じゃなくて
(そういう書き方になってたら悪かった)、伝えられたという
根拠があった上で>>774を書いたわけ?という質問なんだけど
850日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:22:24.57
> 他の似たような状況ではきちんと記録されているという実例が欲しい。

すると君の場合、同時期の朝幕関係において
似たような案件で朝廷が所司代の決定に抗議した、
それで決定が一発で覆ったという実例をおさえてる?
851日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:30:15.63
悪い、>>850はアンフェアなので撤回

> 一段落目の「違う」ことについては、
> それについても断言できるだけの根拠を下さい。

これはもう上は摂関家から下は官務家に至るまで
日記に朝儀やら何やらの詳細を残しちゃってるんだが…
852日本@名無史さん:2012/09/17(月) 02:02:07.88
>>848
だからそれをもっと早く言えよ。後出しはだめだぞ後出しはw
「という話もあるが」って、「継体とそれ以前の繋がりも怪しいけどその話をするなら伏見宮と歴代天皇の繋がりも無い」
って主張だと読めたんだけど。本人に聞かなきゃ分からないけどさ。
そもそもそんな話はどこにも存在しない以上、どちらにしてもそんな話を持ち出してくるのはおかしいし、それを見たあなたは
「よくろくにまあ調べもしないで『伏見宮が直系で繋がってる天皇は0人』だとか無根拠な憶測並べられるもんだ」
といわなきゃおかしい
853日本@名無史さん:2012/09/17(月) 02:08:44.44
> 後出しはだめだぞ後出しはw

あっそ
そんじゃ主張じゃないという最初の解釈に戻って
>>848は撤回するわ
854日本@名無史さん:2012/09/17(月) 02:35:33.72
>>849
まず朝廷が無根拠で怪しげな庶民による宮家継承をすんなり認めるはずがないというのは共通見解にできる?
これが前提にできないと進まないんだよね。
何にも教えてもらえなかったのにすんなり認めました、って言われるともうどうしようもない。

審査の内容が記録に残っていないことだけど、
A.単純に朝廷や公家が詳細を記録しなかった
B.朝廷は所司代から審査の内容を教えてもらえなかった
2つのうちのどちらかであることには争いはないだろう。

Aだとすれば、詳細は伝えられている。この場合は今は論点になってないけど一応書くとすれば、
A1.伝えられた詳細について朝廷は納得し了承した
A2.伝えられた詳細について朝廷は抗議をしたが記録に残らなかった
A3.伝えられた詳細について朝廷は不満はあったが抗議はせずに我慢した
のいずれかになるが、当然ながらA1には何も問題ない。
抗議をしたとしたら忠利宿禰記の文章の記述量からしても記載されないのはかなりおかしいからA2はほぼない。
納得してないのに何もしないのは、尊号一件のように幕府の介入に対して不満があれば
激しく論争する用意は朝廷にもあったことから、多少の抗議くらいを躊躇することはない。

Bだとすれば、
B1.朝廷は詳細を教えて貰えなかったけど詳しく問いただすこともしなかった
B2.朝廷は詳細を教えて貰えなかったけど他のルートから貞致親王の出自に関する確証を得ていた
どちらかになるが、詳しく問いただすことにコストは掛からないのに何もしないのは有り得ない。
ちょっと憶測チックだからそちらの批判を受けそうだけど本当に有り得ない。だからB1は無し。
B2なら言うまでもなく最初から問題なし。
855日本@名無史さん:2012/09/17(月) 02:45:14.83
>>851
でも貞致親王の親兄弟(一説には父・祖父・叔父)が一気に三人とも同年に死んでることについて
薨去年月日以外何も分からない程度の記録しか残ってないし
貞清親王の伏見宮相続年月日とかわかんないんだぞ?
856日本@名無史さん:2012/09/17(月) 02:56:38.64
>>853
いやー、二重基準だなあ
>>775の段階で>>769に対しては「そんな話ねーよ」って言うべきだったと思うんだけどおかしいなあ

でもまあ過ぎたことについてねちねち絡むのは我ながらちょっと大人げなかったな。なんかすまんね
とりあえず気を付けて欲しいのは、中立的立場を採るはずのあなたが鍛冶屋が云々という769の文章をスルーして
769に対する反論である774だけを否定するのは769の与太を間接的に援護してしまう形になりかねないということ。
これからは中立性に注意しながら書き込むようにするとより良い議論がこのスレで生み出されるようになると思います
857日本@名無史さん:2012/09/17(月) 03:40:15.16
> 納得してないのに何もしないのは、尊号一件のように幕府の介入に対して不満があれば
> 激しく論争する用意は朝廷にもあったことから、

尊号一件は時代離れすぎ
858日本@名無史さん:2012/09/17(月) 03:46:42.15
> 忠利宿禰記の文章の記述量からしても記載されないのはかなりおかしいからA2はほぼない。

それならA自体がほぼないと思うんだけど
859日本@名無史さん:2012/09/17(月) 04:00:43.22
> 詳しく問いただすことにコストは掛からないのに何もしないのは有り得ない。

当時の所司代の決定に口挟むのにコストなしってことはないだろ
860日本@名無史さん:2012/09/17(月) 09:10:19.49
論理学かディベートの練習みたいなことは、よそでやってもらいたいな。
861日本@名無史さん:2012/09/17(月) 11:25:37.44
>>857
尊号一件は時代離れすぎ、ってことは尊号一件との百数十年の間に明確な朝幕間の力関係の変化があって
17世紀半ばには所司代の決定に質問することすら許されないのに
18世紀後半には最終的に典仁親王に上皇号を贈ることには失敗したが待遇改善には成功したと?
この間の変化を多少は書いて貰わないとこれは信じられない。

>>858
審査内容の詳細と、朝廷が抗議したことで
どちらが記録されるような重要性を持っているかと言ったら後者でしょ。

貞致親王は伏見宮の御子です、丹波に養子に出てました、十二三歳の時に鍛冶屋の弟子になりました、
十八歳までは長九郎といいました、今回跡目がいなかったから吟味の結果再び世にでることになりました
鍛冶は器用との噂です、不思議な沙汰です、[委細重而可注事也](ちょっと正確な意味がとれない)、
万事久我さんが指南後見してくれます、邦道親王のお兄さんで下戚腹とのことです。
この程度の内容でしかない。

まあ不思議の沙汰ってのは確かに疑惑を表してるとも取れるけど(でもひょっとしたら鍛冶が器用なことに対して「不思議」と言ってるのかもしれない)
あくまでも朝廷と所司代の連絡の内容までは教えてもらえない可能性が十分にありそうな著者の個人的見解に過ぎず
事情を知らない人からしたら、今まで無名だった人が親王になれば不思議に思うのは単純に理解できる。
それを言ったら、朝廷が抗議したとしても著者にはわからないという考えもできるんだけど
抗議したらさすがに何らかの表沙汰にはなると考えるのが自然じゃないかなあ
ところで「注事」ってどういう意味だっけ。これによっては主張変わるわ(笑)

>>859
繰り返すが百数十年後には上皇号を贈るかどうかに関して論争するまでになってるのに
この時は審査内容を質問することすら許されないってどんだけだよ。
コスト無しってことはないけど事務的な連絡に終始するだけ。
その上で質問に対する回答を所司代が拒絶したら問題化し得るが。
862日本@名無史さん:2012/09/18(火) 13:13:07.02
一旦臣下に下った者を何故わざわざ宮家の当主に迎えたのだろうか?
863日本@名無史さん:2012/09/18(火) 15:43:18.63
>>862
本当に臣下なのか実は疑問。
丹波に行った先は安藤氏のところらしいけど
安藤年山が書いたのによれば諸王の子孫らしくて
安藤氏には賜姓の記録が無いから臣籍降下してるかどうかもわかんない。
「安藤」が「白川」みたいなただの家名って線も考えられるからね
864日本@名無史さん:2012/09/18(火) 19:55:40.12
臣下ですらない。
地方の鍛冶屋の徒弟なんか完全に庶民だから。
865日本@名無史さん:2012/09/18(火) 20:16:41.72
>>864
お前の定義はどうでもいい。
866日本@名無史さん:2012/09/18(火) 23:27:51.98
その安藤氏って、有栖川宮織仁親王の側室の安藤清子と関係ありますか?
(安藤清子は、徳川慶喜の母方の祖母)
867日本@名無史さん:2012/09/19(水) 01:21:46.44
>>862
親王宣下一発で二世源氏を親王とした例がある。
ただ貞致親王の場合、宣旨の宛名は、「貞致」と名前だけで、臣下への宣下の形式じゃない。

12〜3才から鍛冶の徒弟となった。
18歳1649年まで長九郎と名乗っていた。(同年邦道親王親王宣下。8歳)
23歳1654年1月邦尚親王薨去9月邦道親王薨去

後水尾院の皇子を伏見宮家に入れる事に決定
吟味の上召し出す。
鍛冶が器用な人であるらしい。
万事、久我広通右大将が指南後見していた。
以上が1660年の親王宣下の時の公家の認識だし、久我広通に降嫁していた梅子女王は貞清親王の娘で貞致親王の姉、その夫が義弟を万事後見指南して当たり前。
伏見宮家の家人の訴えだし、落胤の認定の問題ではないよ。
18歳まで長七郎と名乗り鍛冶屋徒弟となっていた伏見宮家の御子に伏見宮家を継がせるのと、後水尾天皇の皇子が伏見宮家入りするのと、どちらが適切かというのが、所司代が判断した事だよ。
子会社社長の息子は学歴が無いから、次の子会社社長は本社会長の息子でOK!
とやったら子会社社員と以前の子会社社長の令嬢の旦那さんが猛反発、本社監査役に訴えて、天下り社長を阻止!みたいな構図でしょ。
落胤事件では無く、宮家の家人や宮家の姻族が宮家乗っ取りを阻止した事件と考えるべきだよ。
「女性宮家」の話なんかが絡まなかったら、貞致親王の長九郎鍛冶屋徒弟の話は本当に面白い話なのに嫌な世の中だね。
フランス王も趣味錠前制作、後鳥羽院の刀鍛冶とかね。
それに鍛冶屋徒弟をすごく馬鹿にする様だけど、苗字持ちの鍛冶屋だし、刀鍛冶は国守五位とか小さな大名より上の称号も多いよ。
何か感覚がニッポンじゃないんだよね。
868日本@名無史さん:2012/09/19(水) 02:51:27.48
兄は鍛冶屋の徒弟で
弟は親王

こんなの信じられるか
869日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:37:10.41
>>867
親王宣下はいつ?
870日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:48:47.69
>>868
ただの鍛冶屋で皇族の血を引いていない青年が親王になる方が信じられないんだよね、それ一番言われてるから
871日本@名無史さん:2012/09/19(水) 17:51:23.57
>>870
なんのためにわざわざそんなことする必要があるの?
872日本@名無史さん:2012/09/20(木) 00:24:31.85
>>871
そうなんだよね
わざわざする必要がないからこそ伏見宮貞致親王が皇族の血を引いていることが証明できる
873日本@名無史さん:2012/09/20(木) 17:33:55.15
>>869
貞致親王は万治三年1660親王宣下28才

長七郎と名乗っていたのは弟宮の親王宣下の年まで。この時父宮貞清親王も兄宮邦尚親王も健在。
伏見宮家の次の次が確定した時に長七郎と名乗るのをやめたという事は、
もう弟宮邦道親王のライバルと目される危険がなくなり、行方不明になっている必要がなくなったという事でしょ。
874日本@名無史さん:2012/09/22(土) 00:05:28.38
>>873
最初からとっとと門跡になればよかったのに
875日本@名無史さん:2012/09/22(土) 20:52:56.03
さて、天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である

では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である

諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断然、大名家も江戸末期に女系になってしまっている

天皇家の男系の議論が一段落した所で対極の存在たる諏訪家の男系について語りませんか?
876日本@名無史さん:2012/09/23(日) 00:39:55.47
>>872
鍛冶屋の徒弟が突然伏見宮家前当主の落胤だと京都所司代に名乗り出てきた
しかし父であるという前当主はすでに死亡しているためそのような落とし子がいたのか確かめようがない
当然その時代DNA鑑定もない
京都所司代を管轄する江戸幕府はまあ良くわからん胤でもいっかということで認定した
前当主の子かどうかということは結局わからずじまいだよ
877日本@名無史さん:2012/09/23(日) 01:14:24.06
父兄弟がいて
身の危険を感じて鍛冶屋の徒弟になったというのは
信憑性が薄い話だな。
普通は出家するだけで後継者争いから外れるのに。
878日本@名無史さん:2012/09/23(日) 01:56:50.09
>>876
憶測乙
879日本@名無史さん:2012/09/23(日) 02:21:48.30
>>876
普通良くわからんのなら認定しないだろ
880日本@名無史さん:2012/09/23(日) 08:01:29.74
>>874
十三宮門跡と言っても摂家との競合がない親王専用は三門跡、そっちも厳しい。後陽成天皇も後水尾天皇も直宮が多い。
押し込みやすい入道親王だと出家前に親王宣下を受ける事になる。父宮兄宮が存命だから、伏見宮家は三親王体制になり、四親王目となる弟宮邦道親王の親王宣下とかは無くなると思う。
兄宮邦尚親王に男御子ができる可能性がまだある時期だった事から考えても親王宣下を受け、子供の時から門跡入道親王を目指す事は難しかったし、弟宮派から危険視されるのを避ける事にはならなかっただろう。
1641弟宮邦道親王誕生の時、貞致親王10歳
鍛冶屋徒弟入り数え年12〜3歳1643〜1644は邦道親王満2〜3歳でかわいい盛り。というのも気になる。この時期、末子や末弟に相続人を変更しようとしたトラブルが割合あったようだし、貞致親王自身も後年、自分の後継を長男から末子に変更しようとして阻止されている。
構図として考えられるのは、当時の伏見宮家としては精一杯の三番目の親王宣下を、生まれるかもしれない兄宮の御子、貞致親王、弟宮で争う感じかな。親王宣下を受ければ宮家を継げるかもしれないし、勝ち目が無くなっても門跡入りできる。
弟宮が生まれる前は兄宮派から危険視されるが父宮は兄宮派に気を使いながらも一応庇う。弟宮が生まれれば父宮は弟宮派に肩入れ。弟宮派からは敵視され、兄宮派からの敵視もかわらない。宮家内に味方はいない。


幼児期、「ハゲニハゼッタイナリタクナイ」とか爆弾発言があって尾を曳いたのかもしれんが。
881日本@名無史さん:2012/09/23(日) 08:12:51.43
>>876
訴えは伏見宮家の家人によるものだ。
万事後見指南したのは姉妹の夫だ。
882日本@名無史さん:2012/09/23(日) 11:23:12.46
>>87>>879
良くわからんのに(先代の認知一切なし)江戸幕府の査定により
宮家の跡取り認定されたのは事実。
間違いなく宮家の落とし子なら、普通は門跡寺院に入れられる。
宮家の劣り腹男子で鍛冶屋行きになった人物など皆無。
883日本@名無史さん:2012/09/23(日) 11:37:37.58
>>882
先代の認知がなかったことをもって良くわからんとする理由が良くわからん。
884日本@名無史さん:2012/09/23(日) 11:50:27.58
>>882
普通は入れられるってことは入れられないこともあるの?

なんで皆無っていいきれるの?
885日本@名無史さん:2012/09/23(日) 12:26:14.15
>>881
京都所司代に訴えたのは貞致の母方親族(安藤家)
京都所司代が幕府の指示のもと貞致を落胤認定し
公家社会を全く知らない貞致のために久我広通を後見人に選定した
(久我広通は姉妹の夫ではない)
886日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:15:00.81
>>883
他に誰が証明できるの?
>>884
近世で寺に入れられない例はないよw
それほど「間違いない」というなら宮家の子息が
鍛冶屋の徒弟になる先例を上げてくれる?
887日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:51:19.08
数百年前に決着した問題に粘着して因縁つけてるアンチはキモイ。
888日本@名無史さん:2012/09/23(日) 14:55:11.02
>>886
状況証拠は認めないわけね。
認知されてない落胤が寺に入った例ってあるの?
貞致も宮家の跡取りにならなかったら
鍛冶屋の徒弟になったことは伝わってないでしょ。
889日本@名無史さん:2012/09/23(日) 15:04:52.27
>>887
何か意図があるのでしょう
890日本@名無史さん:2012/09/23(日) 15:19:49.88
>>887
鍛冶屋の徒弟=皇族の血をひいていないと勘違いした素人が
屁理屈こねて暴れてるだけだから。
891日本@名無史さん:2012/09/23(日) 15:56:10.12
>>876
>>817から引用するけど
1.宮家の血が絶えたので鍛冶屋の弟子になってた王を探して跡継ぎに京都所司代が据えたら朝廷もそれで納得した
2.宮家の血が絶えたので特に意味はないけれどその辺の鍛冶屋の息子をご落胤ということにして、ばれたら首が飛ぶけど京都所司代がなんかの間違いで認めたら朝廷も何も言わなかったのでそういうことになった
この2.だと思えるお前の頭はどうかしてるな。

江戸幕府や京都所司代としては前当主の子かどうかよくわかんないなら何も口出さずに
後水尾天皇の皇子を予定通り伏見宮跡目にさせれば良いだけの話。
京都所司代も仕事でやってんだからいい加減な事やってたら自分の立場に関わる。

DNA鑑定なんか無くても、貞致親王が生まれた時期に母親に伏見宮の手が付いていたかどうかは
当時の伏見宮家中にいた人間に事情を聴けば確かめることはできる可能性は十分にある。
それ以上の証拠を要求するなら、DNA鑑定が無い状態での父子関係自体が全く信用できないものであると言わざるを得ない。
892日本@名無史さん:2012/09/23(日) 16:07:10.47
>>882
だからよくわからんのに勝手に認定したら所司代の責任問題になるだろうが。
所司代がわざわざそんなリスクを負いに行く必要はない。
後水尾天皇の皇子を予定通り跡目に据えれば何のリスクも無く済むんだから。
わざわざ落胤を据えたということは確実な根拠があったと推測せざるを得ない。

父親の認知が無いと父子関係を認めないなら父親の死後に生まれた子はみんな父無し子かw

>>885
>(久我広通は姉妹の夫ではない)
これ本当?久我広通の妻は貞清親王の王女梅子女王だと思っていたんだけど。
893日本@名無史さん:2012/09/23(日) 18:31:11.37
>>892
確かな証拠って何?
宮家の子息を鍛冶屋にやった理由は?
だったら門跡寺院なんていらないよね

落胤認定したのは所司代じゃなくて幕府
後水尾天皇皇子は天皇以外全員出家してて宮家は継げません
(江戸時代に法親王の還俗はないから)
894日本@名無史さん:2012/09/23(日) 18:58:39.39
>>893
父宮が生きていたら何を根拠に認知するのか教えて
認知されていない宮家の子息が門跡になった例を教えて
本当に全員出家してた?
本当に江戸時代に還俗した例はない?
895日本@名無史さん:2012/09/23(日) 19:14:42.07
本物だろうと偽物だろうと打ち首のリスクがあるのに証拠なしでご落胤を主張するはずもない
896日本@名無史さん:2012/09/23(日) 19:22:34.60
>>893
時代は違うけど北白川宮能久親王の御落胤2人は
親王の死後認知されました
897日本@名無史さん:2012/09/23(日) 21:22:46.81
>>892
久我通誠
898日本@名無史さん:2012/09/23(日) 23:30:13.18
>>892
従一位内大臣久我通誠1660〜1719 父久我広通 母伏見宮貞清親王娘梅子女王

梅子女王の兄弟貞致親王は通誠出世の年に親王宣下。
朝廷では久我広通は貞致親王を万事後見指南していた。屋敷にも招いているだろう。
幕府の所司代への訴えは伏見宮家の家人によるもの。
養子に出したとする記録を信じるなら父宮貞清親王が出したと考えるのが普通だろう。
899日本@名無史さん:2012/09/24(月) 00:29:49.54
宮家の子弟が認知もされずに町屋に養子にいくって他にもあるの?
900日本@名無史さん:2012/09/24(月) 01:30:54.75
12歳から鍛冶屋の徒弟になったという鍛冶屋長七郎は
それまで何をやっていたの?
901日本@名無史さん:2012/09/24(月) 18:37:47.20
>>893
じゃあ逆に聞くけど父親が子を認知するときに証拠はあるんですか?
精々、妊娠した時期に母親と行為に及んだことくらいしか判断材料は無いでしょう。
それなら当時の伏見宮の家中の事情が分かればその時期に手が付いてるかどうかは調べられるよ。
それに、そもそも貞致親王が父親から認知されてないということを断言することもできない。
普通に父親によって養子に出された可能性があるからな。

勘違いされているようだから言っておくが養子先が鍛冶屋なんてことはどこにも書いてない。
確かだと考えられるのは、ある時期に丹波に行った後、12、3歳になってから鍛冶屋の弟子になったということ。
一史料によれば丹波の養子先は伏見宮の親戚の家だから養子先としては十分にあり得そう。

落胤認定したのは幕府本体ではなく幕府の機関である所司代です。

どの皇子が伏見宮を継ぐことになってたのかわからないけど
伏見宮が当主を欠いた承応三年七月の時点で後に霊元天皇となる後水尾天皇の皇子は生後数か月で、
明らかに出家してないんですがそれは大丈夫なんですかねえ…。
後光明天皇が急死だったとしたら霊元天皇は後光明天皇死後に将来の即位が決定されたわけだから
この時点では明らかに将来が定まっていないはず。
加えて、霊元天皇のすぐ上の兄もこの時点ではまだ数え4歳だから出家してるとは考えづらい。
まあ史料あたればいつ出家したかぐらいはわかると思いますが。
全員出家してたとしてもしばらく伏見宮を空主にして皇子の誕生を待つという手もあるし
実際にそうした例がこれより下った時代に存在する以上、
わざわざ偽物のご落胤を連れてきて跡目継がせる必要性が全く無い。
902日本@名無史さん:2012/10/04(木) 13:05:27.04
>>901
子どもの母親との間に性行為があり、父親が我が子として育ててれば実子扱いだよ
門跡寺院に入れられた子供は宮家の子供として扱われている(法親王宣下も受ける)

で、無関係の霊元天皇の例が出ているが、4歳・5歳で出家してないのは当たり前。
出家するのは10歳前後だよ。ちゃんと史料を調べること。
江戸時代に天皇や宮家の実子が商工業を営む一般庶民家庭に養子に出された例があるのかね?
霊元天皇は後光明天皇が早世しなければ出家して門跡に入るのではなく
将来鍛冶屋に養子に出される予定だったとでも?
903日本@名無史さん:2012/10/04(木) 15:13:07.72
>>902
それじゃあ父親が死んだ後に生まれた子供は全員父無し子なんですね。わかりました。

霊元天皇のくだりは>>893
>後水尾天皇皇子は天皇以外全員出家してて宮家は継げません
に対して、後水尾天皇皇子である高貴宮(霊元天皇)やその兄が当時は幼児で出家しておらず、
伏見宮を継がせることができたという意味で書いているんだけど、お前ちゃんと文章読んでるか?
10歳以前に出家する皇族がほとんどいないのはこっちも知ってるし
鍛冶屋に出される予定なんてどこにも書いてないのに、どう思考したらそんなレスが書けるんだw

後水尾天皇皇子に伏見宮家を継がせる選択肢もあったにもかかわらず
偽落胤を連れてくるリスクを冒す必要も利益も幕府や所司代にとっては存在しないので、
逆説的に貞致親王は伏見宮の血を継いでいることが推測できる。

わかった?
904日本@名無史さん:2012/10/04(木) 18:55:17.56
幕府が認めたから正しいという主張はどうなんだろう。
幕府が徳川は清和源氏だと認めたらそれは正しいのか?
905日本@名無史さん:2012/10/04(木) 21:20:49.53
>>903
馬鹿か。
父親が認知した子ならたとえ腹の中にいる子であっても相応の待遇が受けられる。

そもそも父親が認知しない子は間違いなく父親の子だという論理がおかしい。
本人が死んでから柴田勝家のご落胤だの源頼朝の落胤だのいろいろ出てきたがあれは全部ご落胤か?
伏見宮家の血縁者(父や兄)が皆死んだ状態で、宮家も認知しない中、幕府や所司代がどうやって
何十年も前の閨で行為を確認し女が間違いなく種を宿したことを確かめたというのか。
お前に腹違いの弟が現れて、父は死んでる、DNA鑑定もない状態で、「間違いない」と信じるんだな。

お前の言ってることが無茶苦茶なのが分かった?
906日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:36:42.74
>>904
何回言ったらわかんだよ
徳川が清和源氏だと主張するのは徳川にとって利益が有るが
幕府が伏見宮の後継ぎにただの庶民を連れてくるのは全く利益が無い。
つまり前者には動機が有るのに対し後者には無い。
利益が無いところでわざわざ嘘をつく必要は幕府にとって全く無く、
落胤の真偽を確かめられないなら血筋の確かな皇子にでも伏見宮を継がせればよかっただけ。
この部分を解決した意見を鍛冶屋厨が示したことは一度もない。
907日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:41:30.80
>>905
うん、じゃあ妊娠が判る前に父親が死んだら父無し子ですね。

宮家が認知してないって何のことだ?
父親の認知は無いかもしれないが、伏見宮家は記録されるような波風無く受け入れてるんだから少なくとも結果的には認知してるぞ。

いい加減書き飽きたが、幕府や所司代が確かめる事ができないなら
落胤など門前払いになるに決まってんだろ。
その辺の兄ちゃんがいきなり証拠も無しに皇族の落胤だなんて名乗り出てきても無視されるだけだ。
鍛冶屋厨が言ってるのは、いきなり証拠も持たずに出てきた自称落胤を、何故か確かめもせずに所司代が落胤と認定し
しかも朝廷や伏見宮家が記録されるような波風を立てずにそれを受け入れてしまったってことになるんだけど、さすがにおかしいと気付こうよ。
908日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:43:44.36
907続き

一回切りならともかく(一回切りだとしても覚えてる人間がいる可能性は十分あるが)、
側室もしくはそれに類似する立場になっていたとすれば何十年も前だろうと行為があったかどうかなんて簡単に確かめられる。

腹違いの弟が現れて、父は死んでるが弟の母親と自分の父親が愛人関係にあったことが確かで、
且つその弟が父親と面影が似ていれば「間違いない」と信じるよ。
貞致親王の件だって同じこと。
父親や兄弟の面影は家臣や公家連中が知ってて貞致親王と似ているかは当然確認可能。
母親に手がついてるかどうかも精々二十年前のことだから伏見宮家中に長年使えてる家臣に確認できる。
さらに言えば、妊娠状態で宮の手が付いた家女房が丹波に下ったという事件についても
家中に確認できる可能性がかなり大きい。

と、ここまで母親が妊娠中に貞致親王が丹波に下ったことを前提で書いてて思ったんだが、
貞致親王って丹波に下る前の幼少時に伏見宮家で普通に育ってた可能性もあるんだよな。
それだと鍛冶屋厨の論って完全に破綻するんだけどどうするんだろう。
909日本@名無史さん:2012/10/05(金) 03:03:56.41
安藤家(貞致母方)側の資料によると、貞清親王の子たち(邦尚・邦道)による
後継者争いを避けるために母子で実家に戻った、とあるらしい。
これに従えば、貞致親王は幼少期伏見宮家にいたことになるんだろうね。邦道は貞致十歳の時の誕生だから。
しかし、この資料は一次資料じゃないし、私も原文に当たってないので、
今のところ確たることは言えません。
ただ、みなさん、資料を提示しながら論じようじゃありませんか。
意外と自分の「思い込み」で論を進めちゃってる可能性もあると思いますよ。
例えば「父親が貞致を認知しなかった」いうのは、何の資料によるんですかね。
昔あったみたいですよ。「○○の資料提示してくれ」っていう人に、「『徳川実紀』読め」とか答えて、
「『徳川実紀』に載ってないぞ!」……なんて返されたことが。
910日本@名無史さん:2012/10/05(金) 10:33:19.83
しかし伝統というなら継体天皇の事例から見て100年までだろ
伏見宮以外の天皇子孫も行為を継げる資格はない
911日本@名無史さん:2012/10/05(金) 17:35:25.13
>>909
貞致親王の生まれてから伏見宮家当主にねじ込まれるまでの記録は、
徳川家の史料にない。京都所司代の史料にない。伏見宮家の史料にない。公家の日記にない。
唯一の史料は安藤家が落胤を伏見宮家に押し込むために作った資料だけ。
これしか資料がないんだから、安藤家資料が絶対的に正しい、と言うのもな。
ちなみに宮家の後継者争いを避けるなら出家させるのが一番だが。
江戸時代に出家した法親王が還俗して宮家当主を争った例はないが、
一般庶民なら貞致のように宮家当主になれるんだろ?
912日本@名無史さん:2012/10/05(金) 17:44:42.17
>>909
「父親が貞致を認知してた」という史料は安藤家文書以外の
一次史料にあるんだっけ?
913日本@名無史さん:2012/10/06(土) 02:26:19.72
>>911
>公家の日記にない。
はぁ?
何言ってんのこいつ。公家の日記にあるんだけど
914日本@名無史さん:2012/10/06(土) 11:25:09.22
>>911
法親王が還俗して宮家当主になった例はある。
また、貞致親王の例は「宮家当主を争った」例ではない。

簡単に「出家させるのが一番」と言っても障害がある。
親王が門跡になれる寺院の数は限られているのに対し、この当時は江戸時代の歴史の中でも成人皇族が多い時代で
貞致親王の出生時に法親王または入道親王だったと思われる人数は
今さらっと数えただけでもだいたい誠仁親王の子が2人、後陽成天皇の皇子が7人、八条宮に1人(厳密には出家前だが出家予定ではあった)、伏見宮に1人いて
これらが全部門跡を務めたらそれだけでも13しかないと言われる門跡寺院のほとんどが数字上は埋まってしまう上に、
後水尾天皇や八条宮、高松宮もこれから子を成していくだろうから空きを用意しておかねばならず、
卑母から生まれた伏見宮の庶子にくれてやる門跡はないんじゃないだろうか。
実は忠幸王が出家しなかった理由も門跡の空きが無かったからだったりして。

まあきちんと調べてないから間違ってるかもしれないので
誰か暇な人がいたらどの門跡が埋まっていたか調べてくれるといいな
915日本@名無史さん:2012/10/06(土) 15:13:50.07
悠仁さまいるから別に探さなくてよくね。
916日本@名無史さん:2012/10/07(日) 14:32:06.91
>>915
楽天的すぎる。
大正天皇以降の成年男子皇族11名のうち、
男児が生まれたのは4人のみ。
917日本@名無史さん:2012/10/07(日) 19:35:59.71
それ言っちゃうと「伏見系戻せば将来も安泰」って考え方も
楽天的すぎるよね
というわけで皇位継承権をイギリス式に延長する(ただし
男系男子に限ってもよい)のが最も安定した解決策
918日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:32:16.94
919日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:38:01.48
鍛冶屋云々で伏見宮の血統にケチつけてた奴らいなくなった?
もともと無理筋な主張だから当然だけど
920日本@名無史さん:2012/10/13(土) 19:24:37.39
ここ、スレタイが伏見宮系以外なのに、伏見宮系の話ばかりだな。
世襲宮家スレでも立てた方がいいんじゃないか?
921日本@名無史さん:2012/10/13(土) 21:58:45.96
>>919
>>918のスレ行けよ、好きなだけ遊んでもらえるだろ
正直スレ違いの伏見宮の話秋田
922日本@名無史さん:2012/10/14(日) 02:07:20.97
>>921
意外って何よ
923日本@名無史さん:2012/10/14(日) 06:25:17.49
>>917
日本も天皇空位なしだから憲法護持厳守なら必要だよね。イギリスが3桁以上で備え万全なのは見習うべきだが違うところもあるし、見習っちゃいかんものもあると思う。
天皇を象徴としているから、日本国と主権の存する日本国民統合の象徴は父系で日本の出自の象徴とされてると思う。あと皇室により継承する事、具体的には男系の親王か王からの即位。
すると、皇室外の男系から必要に応じて皇室に王として繰り入れる制度という事になる。繰り入れも皇室を重視すれば、今上から今上の皇統を一代づつ遡って、
現典範で、今上と今上の皇室の親王王の嫡男系嫡出男子孫、昭和天皇とその皇室の親王王の嫡男系嫡出男子孫、
旧典範で昭和天皇とその皇室の親王王の男系男子孫(ここで現典範で排除されてる庶子系も繰り入れ)、明治天皇とその皇室の親王王の男系男子孫、孝明天皇とその皇室の親王王の男系男子孫…。
親王王は親王優先
親王間王間は
繰り入れ制度がしっかりしていれば、親王や王は少なくてもいいし、多くして、一部は常任理事国に駐在とかでもいいか。
924日本@名無史さん:2012/10/14(日) 12:26:45.88
皇位継承順位1000番ぐらいの人は、どのあたりで分岐した家柄なのだろうか。
925日本@名無史さん:2012/10/14(日) 12:44:29.63
>>923
繰り入れ候補者を具体的にあげてみて
926日本@名無史さん:2012/10/14(日) 17:06:36.97
>>922
そういうこともあるから次スレ立てるならスレタイ変えた方がよさそうだな

崇光源氏→崇光源氏など存在しない
意外→以外だろどう考えても

というわけで次スレのスレタイは
「伏見宮系以外の男系皇族候補を探るスレ6」
もしくは一般に伏見宮系を指すのに使われる「旧宮家」という表現を入れて
「旧宮家(伏見宮系)以外の男系皇族候補を探るスレ6」
などが良いのでは?
927日本@名無史さん:2012/10/14(日) 23:52:08.37
住友、徳大寺から婿もらうか養子縁組
成人の旧皇族が皇族復帰しても違和感があるな
まだ婿入りの方がマシかな
928日本@名無史さん:2012/10/15(月) 00:26:12.46
旧皇族の子孫を養子にする
929日本@名無史さん:2012/10/15(月) 00:29:05.63
臣籍降下した者やその子孫を旧皇族(旧宮家)と呼ぶのは間違い。
源頼朝を旧皇族と呼んだらおかしいだろ。
崇光源氏以外にふさわしい呼び名がないからこのままで良い。
930日本@名無史さん:2012/10/15(月) 00:45:17.62
臣籍降下した伏見宮系の存命人物は「旧皇族」で問題なし、どころか実際に皇族だったんだから正確な言い回し。
逆に、伏見宮系は臣籍降下の際「源朝臣」を賜姓されたわけではなく、
歴史的にも皇親に対する源賜姓は正親町天皇皇曾孫の広幡忠幸が最後とされているので、
「崇光源氏」なる言い回しは不正確。
931日本@名無史さん:2012/10/15(月) 01:08:07.48
>>929
だから何で源氏なんだよ
源姓を本人も先祖も名乗ったことも無いのに源氏と呼ぶのは明らかに間違ってる
932日本@名無史さん:2012/10/15(月) 02:03:31.98
>>929
無知を装って誤って情報を流すのはおやめなさい
933日本@名無史さん:2012/10/23(火) 17:59:31.38
崇光天皇御宇の年号を採って学問板らしく「観応御後」とすれば良い。
934日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:23:35.84
それで、伏見宮系統の次の系統は誰なの?
935日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:17:31.23
伏見宮系以外とか言って結局話題は伏見宮系ばっかじゃん
>>918との区別がよくわからん
合流でいいんじゃないの
936日本@名無史さん:2012/10/24(水) 09:40:44.64
>>913
>公家の日記にある
引用してみて?
937日本@名無史さん:2012/10/24(水) 09:42:43.29
>>914
法親王が還俗して宮家当主になった例を江戸時代で挙げて、と言ってるんだけど?
ねつ造しないこと。

幕末に法親王が廃止されて門跡に入れられてた法親王が皆還俗した例はなしね。
法親王が禁止されたんだから。
938日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:32:52.98
>>933
お、それっぽいね
「御後」って皇族か臣下かを区別しないよね?
これだったら伏見宮系の皇族復帰の件に中立的だし
学問的に普及してほしいくらいだ
939日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:35:34.68
>>937
>>914ではないけど、
>法親王が還俗して宮家当主になった例を江戸時代で挙げて
あるよ。
他ならぬ貞致親王の曾孫邦頼親王が還俗して伏見宮を継承してる
940日本@名無史さん:2012/10/24(水) 23:26:25.62
>>936
>>937
無知を晒しちゃったね。
941日本@名無史さん:2012/10/25(木) 01:29:23.61
>>936
原文に当たったことはないが、「忠利宿禰記」に載っている。
ネット上に当該部分は転がってるので読んでみるといい。

>>937
上に書かれているが邦頼親王は還俗によって宮家当主になっている。

議論の流れからすると>>911に対して言わなければならないのだが
出家して法親王になるにも門跡の空きやら親王の人数やらで制限を受ける可能性がある以上、
宮家の後継者争いに巻き込まれたくないから出家して法親王という訳には必ずしもいかない。

貞致親王の他にも出家せずに人知れず地方に下った皇族もいたかもしれないが
その人が生きている内に宮家が断絶の危機に陥ることなどそうそう無いので記録に残っていないだけかもしれない。
942日本@名無史さん:2012/10/25(木) 17:39:58.77
落胤って認知されてないんだからそもそも王にすらなってないわけで。
943日本@名無史さん:2012/10/25(木) 19:19:25.08
>>942
王は「なる」ものではなくて生まれながらにして「である」もの。
認知されていなくても王は王であって、認知などは再確認に過ぎない。

そもそもの話をするならば、江戸時代に「王」であることは神祇伯を除けば全く意味がない。
神祇伯に関しては王を名乗るために皇胤であることすら求められていない。
944日本@名無史さん:2012/10/25(木) 22:51:17.51
>>943
無知丸出しだね
945日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:08:18.92
>>943
認知されていなくては王は王ではなく、ただの臣下に過ぎない。
946日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:15:52.06
>>942
資料が少なすぎて認知されていないかすらわからないんですがそれは…
947日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:44:54.53
>>946
じゃあ確実にわかってることって何?
948日本@名無史さん:2012/10/26(金) 20:08:09.25
大国主命の嫡流はどなた?
949日本@名無史さん:2012/10/27(土) 09:33:25.96
>>918に合流するのかしないのか、そろそろきめようぜ。
950日本@名無史さん:2012/10/27(土) 10:44:25.73
>>939
皇族の場合は出家すれば皇位継承権はなくなり
還俗もできないというルールが守られてきたが
源氏の場合は出家しても還俗して家を嗣ぐことが出来た。

還俗して当主になるという経緯を見ると
伏見宮は皇族というより源氏扱いだったのか。
951日本@名無史さん:2012/10/27(土) 11:53:36.24
>>950
釣りだとはわかってるんだが、伏見宮も他の宮家と待遇は変わらない。
例えば、出家したら法親王になれた(他の宮家と同じく、なれない場合もあったが)こととか、
親王しかなれない宮門跡になれたりとか
源氏だと普通の位階を貰うところを品位だったりとか
952日本@名無史さん:2012/10/31(水) 16:57:55.68
>>950
偽りを事実であろかのように吹聴する中国人?
953日本@名無史さん:2012/11/04(日) 11:34:41.98
age
954日本@名無史さん:2012/11/04(日) 23:54:53.98
>>951
後桜町上皇や太閤近衛内前は閑院宮の光格天皇と伏見宮の貞敬親王を後桃園天皇の後継の最終候補としてるよ。
955日本@名無史さん:2012/11/05(月) 22:52:07.16
徳大寺と住友から婿入りが現実的だろ
956日本@名無史さん:2012/11/06(火) 10:16:51.86
>>955
婿入り認めて男系継承維持の皇室典範改正はもの凄い作業になるよ。複雑で手落ちがあっても見抜けない。血統による復帰を明文化するのが一番単純。
制度は明文化しておいて、独身の女子皇族がいらっしゃる間は、正式な婚約成立があったら復帰、皇族同士で御結婚というのが現実的だと思う。
957日本@名無史さん:2012/11/06(火) 19:38:16.19
旧皇族の男系男子が内親王・女王に婿入り。
どうしても男系男子にこだわるなら、そういうカップルを8組作って備えるしかない。
皇族・旧皇族自身がそれにこだわるなら、息子娘をそのように教育してるだろ。
戦前ならそうしてたんだろうけど、現代で支持されるかどうかはわからんけどな。
958日本@名無史さん:2012/11/06(火) 20:23:31.87
↑スレ違いも甚だしい
959日本@名無史さん:2012/11/07(水) 09:27:03.19
>>957
男系で繋がらんと天皇ではないよ。
天皇が象徴だから、日本国と日本国民統合の象徴は父系で古代まで繋がる日本の出自の象徴。
天皇を祖とする父系出自集団に属している事が重要だから父により資格は決まり、婿になる必要は特にない。
960日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:15:51.29
>>959
伝統的に、日本の天皇家は、傍系から天皇が出るときには
直系女子に婿入りしているよ(継体天皇・光格天皇)。
父系だけが重要で女系は何でもいいと言いだしたのはY遺伝子の話が出た2004年から。
明治天皇だって育ったのが大正天皇一人であることを危惧して
内親王をすべて親王に嫁がせたのだから、女系は伝統からみても無視されてないんだが。
961日本@名無史さん:2012/11/07(水) 14:46:20.18
>>960
2例をもって伝統とまでいうのはちょっと無理があるかも
962日本@名無史さん:2012/11/07(水) 18:06:23.06
>>961
傍系から天皇が迎えられたのがその2件だから、2例しかないのは仕方がない。
明治天皇の4内親王が宮家へ嫁いだのは新しい例だし。
古代には内親王と天皇が結婚することで男系からも女系からも血統を補充し合うことが頻繁に行われたし、
それ以降も内親王は原則皇族か摂家に嫁いでいた
963日本@名無史さん:2012/11/07(水) 18:56:32.40
>>962
後花園天皇は?
明治天皇の4内親王の婚姻は直系女子への婿入りの例にはあたらない。
内親王を嫁にもらっても皇位継承順位は変わらない。
964日本@名無史さん:2012/11/08(木) 07:59:32.47
>>956
その夫妻の子に皇位継承権
965日本@名無史さん:2012/11/08(木) 18:07:53.53
>>963
後花園天皇のときは直系の女子も絶えてしまっていた。
称光天皇には男子はないものの女子がいたんだが、
称光天皇自身が自分の胤ではないと言って、寺に入れて出家させてしまったため。
後花園天皇のときは直系の男子も女子も絶えた例。
966日本@名無史さん:2012/11/08(木) 19:36:21.43
>>965
傍系から天皇が迎えられたのは3件ってこと?
967日本@名無史さん:2012/11/09(金) 01:00:49.42
つまり後花園天皇の例をみても
婿入りが必要なわけではないということだね。
男系が近さが最重要だというわけだ。
968日本@名無史さん:2012/11/09(金) 01:20:04.93
>>967
娘がいなかったから婿入りできなかったって直前に書いてあるだろ
お前は中国人か
969日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:54:34.61
>>966
あとは光仁天皇があるね。
本人は皇孫だけど、先代の称徳天皇との親等は男系で8親等(当時は近親結婚が多いので女系だともう少し縮まるはず)で、
後花園天皇と称光天皇の8親等と同等、光格天皇と後桃園天皇の7親等よりも遠い。

ちなみに光仁天皇も皇姉である井上内親王に婿入りする形で皇位を継承している。
>>962あたりの「2例しかない」というのは事実誤認だね。
傍系継承時に婿入りが行われる場合があったのは事実だから>>961あたりも間違っているけど
婿入りが必要だったと主張するのならもう少し知識を増やした方がいいのでは?
970日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:08:04.99
>>967
「男系が近さが最重要」ならなんで天皇の兄弟であった一休を差し置いて後花園天皇が即位したんですか?ww
971日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:52:26.83
>>970
一休って本当に皇胤なの?ww
972日本@名無史さん:2012/11/10(土) 11:56:09.46
>>971
鍛冶屋の徒弟よりは一休のほうが
素性は確かじゃないか
973日本@名無史さん:2012/11/10(土) 12:41:50.28
>>972
逆だろ
974日本@名無史さん:2012/11/10(土) 14:38:21.27
>>972
論破されたくせにしつこいねぇ
975日本@名無史さん:2012/11/11(日) 01:10:03.44
>>970
一度出家すると皇位継承はできない
そういう決まりなんだ
なんで一休が皇位継承できなかったのとか
駄々こねて困らせないでくれ
976日本@名無史さん:2012/11/11(日) 01:30:24.91
>>975
称徳天皇は?
977日本@名無史さん:2012/11/11(日) 01:44:36.05
>>975
一休は女犯坊主だから子供いるしそいつに継がせるべきだっただろ
978日本@名無史さん:2012/11/11(日) 14:22:01.43
光源氏だって不義の実子が皇位に就いてる。
文学とはいえ、平安時代でもそういうことがありえたということだな。
光源氏自身が皇子だから、万世一系には問題ない。
979日本@名無史さん:2012/11/11(日) 14:50:53.64
>>978
公になっていない不義は不義ではない。
980日本@名無史さん:2012/11/12(月) 11:36:02.85
清和源氏や宇多天皇の子孫とかで男系でずっと繋がってるのは、旧皇族籍復帰ではないにしろ男系皇族候補になれる可能性はあるんでしょ?
981ぷら:2012/11/12(月) 12:56:30.59
清和源氏は家祖経基満仲の時点で男系の確証が取れないからアウトだろうに。
982日本@名無史さん:2012/11/12(月) 13:55:30.76
崇光源氏は江戸時代に鍛冶屋の徒弟の血筋に変わったから駄目だな。
983日本@名無史さん:2012/11/12(月) 14:33:32.90
>>982
お前はいい加減諦めろよ
984日本@名無史さん:2012/11/12(月) 17:56:11.86
>>982
そもそも崇光源氏って何よ?
お前在日だろ。
985日本@名無史さん:2012/11/12(月) 18:37:33.66
現在の天皇家だって何もY遺伝子で繋がってる保障などないんだよ
間男はいただろうしね
天皇の子として育てられれば天皇有資格者、それだけのことだ

伏見宮系は天皇から600年離れ更に旧皇族からも何代も経てる
竹田君を国費で養いたい奴は自分のポケットマネーでやれ
あれなら天皇いらん国民多いわ
986日本@名無史さん:2012/11/12(月) 19:44:18.88
何代もというほど経てないし
某竹田を嫌う国民が多いかどうかもわからない
987ぷら:2012/11/12(月) 20:03:32.47
そもそも
1、竹田宮が復帰しても竹田くんは復帰できるほど序列が高くない。
2、竹田宮家よりも序列の高い嫡流男子のいる宮家がある。
3、仮に母系雑系を交えて序列を弄っても、東久邇宮家が立ちはだかる。

このレベルの皇胤を継承云々に名前使うなよ。対象外だ。
988日本@名無史さん:2012/11/12(月) 20:43:14.44
>>985
竹田君本人は自分が表に出て発言してるから
自分の皇籍復帰は主張しないって言ってるんじゃないっけ?
ソースは思い出せんけど

>>987の言うように竹田君は復帰の対象外になる可能性が高いから
旧皇族やその他の男系男子の復活を論じる際に竹田君の件を持ち出すのは
議論のすり替えと言わざるを得ない。
989日本@名無史さん:2012/11/13(火) 08:35:37.49
>>987
竹田君が天皇になれないにしても、
皇族復帰はあり得ますぜ。
竹田宮復活w
990日本@名無史さん:2012/11/13(火) 12:52:26.05
>>989
父親が3男だから皇族復帰はあり得ない。
991日本@名無史さん:2012/11/13(火) 19:01:04.04
992日本@名無史さん:2012/11/13(火) 22:45:55.73
>>990
駐ワシントンD.C.の宮恒泰王として日米同盟強化とか。
外務省嫌がりそうだな。
993日本@名無史さん:2012/11/14(水) 01:01:44.89
次スレいらない

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1342327649/

こちらに合流してください
994日本@名無史さん:2012/11/14(水) 13:26:11.68
崇光源氏(伏見宮系)みたな悪意のあるスレタイはいらないな。
よって次スレいらない
995日本@名無史さん:2012/11/14(水) 13:47:33.44
>>994
折衷的に

【旧宮家?】伏見宮系(邦家親王裔)以外の男系皇族候補を探るスレ6【崇光源氏?】

って感じで別のスレ立てとく?
996日本@名無史さん:2012/11/14(水) 14:37:50.35
ume
997日本@名無史さん:2012/11/14(水) 14:38:35.70
ume
998日本@名無史さん:2012/11/14(水) 14:39:57.30
ume
999日本@名無史さん:2012/11/14(水) 14:42:37.02
ume
1000日本@名無史さん:2012/11/14(水) 14:47:54.09
ume
10011001
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