1 :
sage:
kamome本格復旧までの仮スレです。
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
3.高校生の参加はほどほどにして、学校の勉強をがんばる。
4.大学生の参加はほどほどにして、学校の勉強と就職活動をがんばる。
5.他スレの人集めにはいちいち反応しない。
6.AAは厳選して面白いものを貼る。
7.煽り・叩きはできるだけ工夫する。
8.伸びそうなネタはみんな大事に扱う。
9.質問には誠心誠意答える。。
10.面白くない煽り・叩きは完全放置で。
○●○ お馴染みの話題 ○●○
1)本能寺の変の黒幕は?
2)昔の○○は今の貨幣価値に換算するとどれくらい?
3)姓と名字と家名の違いは?
>>過去スレへ
3 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 01:25:25
!
| 丶 _ .,! ヽ
> ``‐.`ヽ、 .|、 |
゙'. ,ト `i、 `i、 .、″
| .,.:/"" ゙‐,. ` /
` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 !
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、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、
,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、
,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、
_,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、
,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、
、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、
.l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._
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,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,!
j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿
゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/`
`'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/`
``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"`
`"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'`
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4 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 06:43:17
○博士vsブヨブヨ印紙●
大日本帝国陸軍の軍服について知るにはどのような本を読むのが適当でしょうか?
教えていただければ幸いです。
6 :
歴史学博士の俺様:2010/09/14(火) 13:34:15
舞踊逃げんなよ!
よっしゃこい
7 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 15:47:33
戊辰戦争・西南戦争は、なんで「戦争」と呼ばれるの?
少し調べたら、昔は「戊辰の役」とか「西南の役」とか云われてたそうな。
本来なら内乱なのだから「戊辰の乱」とか「西南の乱」と言うのが正しいような気がする。
戦争とか役は、対外的な政府との戦いに用いられてるはずなのに、なんで「役」とか「戦争」なんだ???
>>7 その場のノリで付けているから
西洋歴史学では戦争(war)、戦役(campaign)、戦闘(battle)と明確な区分があるけど
日本歴史学も軍人も戦前からそういった事については無頓着だった
9 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 16:15:47
舞踊!バカセが呼んでんぞい〜!逃げんな〜
10 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 16:24:28
文学修士のブヨブヨ陰唇が歴史学博士のフリをするスレ
11 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 16:40:24
武揚も白髪染めに忙しい大年増だからな、もう・・・
13 :
ぷよ〜いんし:2010/09/14(火) 20:11:56
きゃはははばーか
後世、平成の政治史として小泉純一郎と小沢一郎はどちらが大物として
名前を残しますか?
15 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 21:37:25
>>7 これが参考になるかな。
乱・役・戦争・事変などの呼称について
表記の使い分けに明確な違いはありません。
あとは表記する人それぞれの感覚・あるいは・意識によって変わります。
とはいえ,だいたいの基準はあります。
明治前期以前においては対外的な戦闘行為・武力行使や国内での内乱(いくつかの戦闘行為が
連続しているもの)を指して「戦争」と呼びます(薩英戦争,石山戦争,戊辰戦争,西南戦争など)。
ただし,
「征伐(征討)」「役」「出兵」「合戦」「戦(戦い)」「乱」「事件」などの呼称も戦闘行為を
あらわす表記として使われます。
役」は他国との戦争(明治前期よりも以前に限定)や辺境(周縁地域)での戦争に対して使われます
(文永・弘安の役,文禄・慶長の役,征台の役(=台湾出兵),前九年の役,後三年の役など)。
http://www.ab.auone-net.jp/~tsuka21/theme/kosyo.html
16 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 13:27:38
>>14 小泉さんです。
首相になれなかった小沢は、室町将軍(小泉)対その執事(小沢)くらいにしか歴史に残らない。
18 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 13:54:14
死ぬまで分からない。
この後の国会で行き詰まった菅が政権を放り出したら、多分七奉行も連座で小沢以外に総理の成手がいなくなるというシナリオも潰えていないから。
20 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 20:11:42
>>19 七奉行って?
田中派じゃあるまいしミンすにいるのか
小泉は国民人気があったし、首相になったし、長期政権作ったし、
功罪ともに大きいから確実に名前を残すだろう
功…実感なしとは言われたが、バブル崩壊後初の長い好景気、株価上昇など
罪…規制緩和による雇用の崩壊、地方の疲弊
小沢はそこまでの影響力、国民への功罪はないだろう
23 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 10:09:41
>>21 七奉行は田中派において。竹下派七奉行なんてねーよ
竹下も七奉行の一人。ちゃんとカウントしろやクズ
24 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 11:53:44
天皇家は本当に血統が神武から125代続いているのでしょうか?
何かの本でよんだけど明治天皇が昭和天皇を作ったくらいで
血統なんて2代くらいしか続いてないらしい。
大隈重信の息子大正天皇に至っては病気で子供ができなかったらしい。
まともな論文読むようにしましょう
26 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 17:54:48
>仙谷由人・岡田克也・前原誠司・枝野幸男・野田佳彦・玄葉光一郎・樽床伸二
政治家って、なんでゲンバとかタルトコとか特殊な名字が多いの?
7奉行中、2人も特殊な名字って、珍名率高すぎない?
27 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 17:56:46
7人中、2人ってことは、3.5人に1人の割合だから、
政治家の珍名奇名率は一般人に比べて高いと言わざるをえない。
28 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 20:03:21
29 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 20:15:27
ぶっちゃけ、オザワ一郎レベルじゃ歴史には残らない。
保守合同の立て役者三木武吉(武夫じゃないよ)ですら、今では誰それ状態で忘れられてるのに、
オザワていどじゃ、戦前の「選挙の神様」安達謙蔵にははるかに及ばない。
小泉でも、半世紀後には歴代首相一覧に名前が残るだけになりかねないな。
奉行なんか、勝手にそれぞれが言ってるだけだから気にしなくて良いと思うんだがw
ともかく、
>>21が完全正解。
田中七奉行なんていうククリは無かったはず。
田中軍団とか親衛隊とか、そういう呼称はあったけどね。
>>24 神武からはほぼ間違いなく続いていない。
どこまで遡れるかは、宮内省が古墳の調査をさせないので判断不能。
つーわけで、万世一系っつーのがとてもとても怪しいのは事実だが、
でも、大正天皇が大隈重信の子だ!とかいうのは、
太田龍みたいなちょっとイッちゃった人が根拠もなく言っているだけで
あまりアテにはならない。
>>26-27 たった七人で高いも低いも無いだろうw
しかも、樽床は地名にもあるし(確か出身の島根だったと思うけど)
玄葉は東北の有力な杜氏の家だし、別に珍名って言うほどでもないと思う。
>>29 まぁ、小泉は日本の政治そのものを大きく変えたと思うけど、
それをきちんと客観的に評価できるのは、まだ最低10年以上かかりそう。
「劇場型市民社会」とか何とか言われてるけど、
後世の人がもうちょっと上手な位置づけをしてくれるだろう。
今後の朝鮮半島情勢次第では、平壌宣言で名前が残る可能性もある。
小沢は、少なくとも今のところ、政治史上の言わば代表作が無いから
名を残すどころではなさそう。
32 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 23:38:02
>>30 大正天皇が大隈の子というのはうちのじいちゃん(2006年93歳で死去)のトンデモ説かと思って
ちいさいころよく聞かされてたけど本屋行って調べたら中丸の「真実のともし火を消してはならない」
に書いてあった。当時岩倉と大隈が権力握っていて大隈の子が大正天皇になって
岩倉の子は堀川辰吉郎になって御所を追放されたそうだ。
あほくさw
岸信介なら残るかもね。
あの小泉ですら数十年後には名前がほとんど残らないとか言われたら、
じゃあ鴨長明はなんで数百年後に名前がきっちり残っているのだろう?
「方丈記」を書いたことがそこまで段違いにすごい事なのか?
歴史の不思議さを感じる
この国は爺さんが孫の首を絞めている様なものだな。
子孫どころか近未来世代に対しての殺人行為に等しい。
これも団塊の世代と言う自分勝手サヨクの成せる業だな。
完全に日本は終わった。もう、この国は生き残る意味さえない。
1000年後の歴史学者はこの惨状をどう解析するのかな?
>>35 そりゃあ政治史と文化史じゃ、競争率が違うからなぁw
でも、今現在の研究動向は文化史>>>>政治史だから
ひょっとすると将来的には逆転するかもね。
左翼の集会に乱入してた右翼も団塊の世代だし、どちらにも組せずに学び働いてきた人も団塊の世代。
日本の「天皇(てんのう)」って名称は、史記に出てくる「天皇(てんこう)」と関係ありますか?
40 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 10:52:15
>>39 関係あるとされています。史記の三皇のうち、「天皇」とは古代中国の啓天思想を由来としており、
道教では北極星を「天皇大帝」としました。道教に傾倒してた唐の高宗は、そこから皇帝号として
天皇を名乗ります。それを日本の天武天皇が採り入れて天皇号を用いたと言われています。
飛鳥池遺跡後から出土した木簡により、天武説が有力です。ただ、日本の天皇号は律令では
天子や皇帝などと共に使用する場面が使い分けられたと言われています。天皇号に統一されたのは
明治以降です。また、高宗以降中国の王朝では天皇号は使われなくなり、日本のみが使われ続けています。
>>39 ほぼ無関係。
「天皇」という呼称は、天武天皇が唐の高宗を真似て自称したとする考えが有力。
そして、高宗の「天皇」号と、史記に出てくる「天皇」は由来が違う。
前者は道教の天皇大帝(北極星)、
後者は儒教のいわゆる創世神話みたいなもんに登場する三皇のなかの一人。
天武以前は、何という名称だったのですか?
みかど、皇帝、お上、主上、上様(これは徳川以降か)
43 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 13:34:03
>>42 大王(おほきみ)ですね。
それから、天皇の呼び方は律令で決まっていて、祭祀の時は「天子」、勅書では「天皇」、
華夷に対しては「皇帝」、上表では「陛下」と決められていました。天皇を「至尊」と呼ぶ
場合がありますが、これは律令上の呼び名ではありませんが、唐令にある呼び名から使った
ものと思われます。
45 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 13:59:19
それから、司馬遷の史記の三皇のうちの「天皇」を儒教から発しているかの様なレスがありますが、
それは間違いです。司馬遷が儒教の影響を受けていたのは確かですが、三皇という概念は儒教や
道教が隆盛する以前から言われているものでして、厳密に言えば司馬遷は三皇には触れていません。
後の世になって司馬貞によって付け加えられました。司馬遷の時代は唐代ですから、国教的に
扱われていた道教の影響を受けてのものと言われています。その三皇は、天皇、地皇、人皇で、
孔子も「三皇五帝」を理想としていましたが、儒教発祥ということではありません。
ナッちゃんが粘着しているスレにおいて、スレの平和を取り戻すための方策を
博士にご教授願いたく思います。
48 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 19:56:32
秋篠宮の母親が必殺仕事人ってホントですか?
>>37 文化史か・・・
現代(戦後〜平成)の文化史も後世に大きく残るのかな
アニメ…宮崎駿
文学…村上春樹
芸能…美空ひばり
科学…ノーベル賞の人誰か
スポーツ…イチロー
あたり?
>>37 近代の政治史は別に政治学がやってもいい訳だし(まぁ、政治史学者が政治史をやるのは日本独特と言えるのだけど)
政治史学者×→政治学者○
52 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 07:01:33
>>49 アニメ・マンガは手塚治虫だろうな。どっちの分野でもパイオニアだし。
宮崎とかは所詮、後追い世代。
文学は戦後なら、川端、ミシマがいるから、村上ハルキていどじゃ残らない。
芸能は、個人的には嫌いだが、やっぱり美空だろうな。
スポーツは、イチロー以前に王貞治だろ。
宮崎、ハルキ、イチローは、いま現在の有名人で、ビッグネームだが、
歴史という観点から戦後〜平成というある程度長いスパンで見たら、
もっと大物がいるからなあ。
53 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 07:18:23
現代(戦後〜平成)の文化史
アニメ 手塚治虫(日本ではじめて本格的アニメを礎を築いた)
文学 川端康成(日本人初のノーベル文学賞作家)
芸能 石原裕次郎(映画)美空ひばり(歌謡)
科学 湯川秀樹(日本人初のノーベル物理学賞受賞&核兵器廃絶活動)
スポーツ 長嶋茂雄(天覧試合)東洋の魔女(女子バレー)力道山(プロレス)
54 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 12:18:21
なんで会津人は嫌われてるの?
55 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 12:48:48
誰から?
川端康成より村上春樹だろうな影響とかを考えると
戦国末期はそこら中に城立てて
新しい領地に来たから新しい城立てるぜ
って感じで皆じゃんじゃん景気良く城作ってたのに
江戸時代になると、城の必要性が薄れるのはわかるが
江戸城ですら天主が焼けても再建でいない。。。とか
あまりに貧乏すぎじゃない?なんで?
>>57 幕府が禁じていた、
隠密の巡回チェックもしていた。
勝手にやると藩取りつぶし
59 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 15:23:09
戦後〜昭和後期を含めると、その人の全盛期とかを実感できないんで、
昭和末期〜平成時代に活躍した各ジャンルの人で後世に大きく名前が残る
であろう人を予測してください
・芸能
・文学
・漫画/アニメ
・スポーツ
・科学
・宗教
・学者/ジャーナリスト
・政治
・犯罪者/悪党
・経営者/実業家
これも追加でお願いします
>>61 ここはそういうスレではないので他でやることを強くお勧めします。
>>57 江戸初期までは旗本も領地の陣屋に住んでたけど
じきに皆江戸に移り住んだ
天守は要らない子
というか、ウィキペディアに出てますがな。
江戸期、天守台と天守が造営されなかったのには、次の4つの場合がある。
1 天守はあったが焼失・倒壊し、以降は造営の必要がないと判断されたケース
(江戸城、大坂城など)。
2 天守はあったが焼失・倒壊し、その後幕府に遠慮し、または財政難から建造しなかったケース
(金沢城、福井城、佐賀城など)。
3 天守を造営するつもりで天守台までは築いたか築く計画はあったが、幕府に遠慮し、
または財政難から全く建てなかったケース(福岡城、赤穂城など)。
4 天守台・天守が造営されなかった城郭(米沢城、山形城など)。
100年後には力道山、馬場、猪木は誰が一番ビックネームで残ってるのだろうか?
どれもカスばかりだからどれも残らない
>>61 芸能:サザン、聖子、スマップ
文学:春樹、東野、宮部
漫画/アニメ:宮崎、鳥山
スポーツ:イチロー、荒川、高橋
科学:ノーベル賞、IPS細胞の教授
宗教:池田、大川
学者/ジャーナリスト:田原
政治:小泉、小沢、橋下
犯罪者/悪党:麻原、宮崎、詫間
経営者/実業家:孫、三木谷、堀江
もちろん異論は認める
>>66 力道山か猪木じゃね?
スレ違いだったらすいません。
先日前世の記憶を辿るCDを聴き何となく前世を見れました。
知識が無いので歴史上に存在する人物なのか私の妄想なのか…わかりません。
よかったら教えて下さい。
◆年代はわかりません。戦国〜江戸くらいかな?
◆水色の裃を着て、髪は綺麗に剃りチョンマゲを結ってました。
◆畳がいっぱい敷き詰めてある(ドラマの大奥に出てくるような)大きなお城に住んでました。
◆身分は結構良さそう。
◆20代前半〜半ば頃戦に行った。
◆戦で使った馬が白馬でした。
◆戦ではそれなりに指揮をとってた。
◆戦の相手(大将)は馬に乗り、髭が生えててめちゃくちゃゴツい感じ。今で言うとプロレスラーの武藤みたいな感じ。
◆戦相手の兜は銅製?で真っ黒。ツバ(直江兼続で言うと『愛』の部分)が極端に短かくて黒い半帽ヘルメットみたいな感じでした。
◆戦相手の旗は黒地に赤い模様。
◆戦の勝ち負けは不明。
◆戦では生き延びました。
◆20代半ば〜後半で城内で病死。
◆最後を看取ってくれたのは母(育ての母?)のみ。妻や側室、子供は立ち会わず。(妻や子供が居たのかは不明)
長くなりましたが、この条件が当てはまる歴史上の人物って存在しますか?
よかったら教えて下さい。
>>70です。
大事な事を忘れてました!!
病床で母から「よしまさ」みたいな「よし●●」か「●●よし」と呼ばれていた気がします。
>>70-71 >髪は綺麗に剃りチョンマゲを結って
いた時代と
>畳がいっぱい敷き詰めてある(ドラマの大奥に出てくるような)大きなお城
があった時代と
戦があった時代は、全部異なります。
ですので、残念ながら、時代劇や歴史ドラマのイメージを元に
あなたが無意識に作り上げたイメージだと思います。
安藤伊賀守とか、林佐渡守とか、百官名ってなんで僭称されるようになったのでしょうか
あとそれは誰が決めるものだったんでしょうか。例えば自分で決めても良かったんでしょうか
>>72 つまり、70の前生は時代劇役者ってことだな。
76 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:43:31
77 :
ななみ:2010/09/23(木) 01:09:58
平安時代は男性が浮気三昧だと知りました
女性たちは浮気相手に嫉妬しますよね?
男性はそれについて浮気は当たり前だと思っていたのでしょうか?
>>77 日本だけでなく世界各国同じ
ただし厳しい宗教的成約のある国もある
80 :
ななみ:2010/09/23(木) 01:41:55
78 79ありがとう!
課題で、当時の男性側の気持を調べてるんです。
和歌とか読めばわかりますよね。
81 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 15:48:01
後世において、1995年という年は日本史の中で一つのキーワードになると思う。
未曾有の大災害、未曾有のテロ犯罪、パソコンが庶民に浸透し始めた年として。
戦後の中では一番くらいに重要な年じゃないかな?
82 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:52:31
同和問題は明治になってからという人がいます。根拠は人は平均100年3代
で移動するので今の同和問題が奈良時代や江戸時代までさかのぼれそうにないからです。
たぶんね
ただ単に意地汚いのが多くて嫌われてただけの村も
被差別地域を名乗ったりしてるから(朝鮮人的な感じで)
そういう手合いにとっては、正当な「被差別」の存在は都合悪いんだよ
制度的な「差別」はあったよ。確実に。
最近まで普通に移動してなかったじゃん
ずっとその地域に住んでいたし
江戸時代まではさかのぼれるし同和の直接の根源は江戸時代の制度だから
明治以降ではないよな
>>84 同和問題の起源が江戸時代の制度だなんて
いまどき信じている奴がいるんだなw
>>85 ここは学術スレだから、ソースを出せよ。
ネットで真実を知ったと言うギャグは無しな。
87 :
日本@名無史さん:2010/09/24(金) 18:46:54
古代の奴婢制度と同和問題はつながりがあるんだろうか?
89 :
日本@名無史さん:2010/09/24(金) 21:50:36
どちらかというと、
>>85の根拠を出して欲しい。
徳川時代を異様に誉める連中(半藤一利・中村彰彦ら)が、
悪事は豊臣以前か明治以降、良いことは全て徳川が起源、と
嘘を撒いている傾向があって、この手の徳川礼賛には食傷気味なんだ。
90 :
日本@名無史さん:2010/09/24(金) 22:01:35
この間、たかじんのそこまでいって委員会で専門家が言ってたけど、
被差別民自体は鎌倉末期〜室町時代には存在していたってさ
で、その被差別民を身分制度という制度に組み込んだのが徳川幕府
>>89 85じゃないけど、たぶん彼は
近世政治起源説のことを言っているんだと思う。
確かに、こいつが誤りであることは、学問レベルではとっくに決着が付いている
被差別部落の起源を幕府に置く人は、おそらくまともな学者では一人もいない。
ただし、
>>84が果たして近世政治起源説肯定論なのか、というと
そう読めなくもないけど、正確なところは読みとれないな。
まあ、政権を手に入れて数百年、差別まで維持存続させてきたから、
起源ではないので徳川の責任じゃありません、は通じない話。
責任の話だったの?
起源の話かと思ってた
>>92 別に幕府が全国津々浦々統制していたわけじゃないからなぁ……
中世から延々「そういう人々」として何となく存置されてきただけ、と言った方が現実に近いとおもうよ
近世における社会の秩序化・安定化に伴って、
中世社会にあった流動性が失われたとは言えるだろうけど、
少なくとも幕府が積極的に維持存続しようとした触書などは今のところ見つかっていないわけで
被差別部落の存在を徳川幕府に帰結させるのはやはり無理がある。
というか、
>起源ではないので徳川の責任じゃありません
と言うけれど、仮に徳川幕府に責任があるとして、
それで何がどうなるの?
91=93=94
自分で立てたスレでは無いからコテ使わんのか?
>>95 ID非表示の板で、レスのアイデンティファイなんかしてもしょうがないと思うんだけど、
一応言っておくと、91と94は僕だけど、93は僕ではない。
あぁそうなの
でも93、91=94=95の内
マトモに句読点をいれているのは
95のみってのはオモシロイ
98 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 03:03:55
この先の日本で、障害者や非正規労働者などを制度として差別するような時代が
また来るなんてことは皆無だと言い切れるのだろうか?
>>98 スレ違い。そう言うテーマで語りたいなら政治板とかの
テーマにそくしたところでやってくれ。
次の患者さんどうぞ。
日本史において奴碑とか生口っていつ頃まで存在したの?
いまでも存在する。
103 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 02:54:58
104 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/09/26(日) 04:15:38
>>103 イタリアンさんね
私が挙げた本でしょ?それ?
『鎌倉史跡散策』は現代の地誌で、江戸時代のものではありません。
ただその本はそれぞれの史跡なり神社仏閣などを
江戸時代と明治時代の地誌に記載があればちゃんと地誌名を言及してるのです。
だから江戸時代の地誌に載ってる載ってないと私は断言できたわけです。
また相模名勝図会とかいいましたが、そうではなく相模風土記稿でした。
江戸名所図会には鎌倉は相模国なので載ってないです。
ただ隣接の武蔵国金沢は記載があります(これは私も所持しています)。
ところで老婆心ですが、こういうところで質問するのは止めたほうがよろしいです。
なぜならこういうところの住人はググったデータを貼り付けてくるからです。
ちゃんと事典類をチェックしてくださいね。
いずれにせよネットに頼るようじゃ(ネットで学ぼうなんてやめなさい)
まだまだです。ネットに頼るような体たらくのご自分を私に投影されたわけですね。
>>94 徳川氏に謝罪と賠償を……記憶違いじゃなければ、実際にそういう裁判を起こした話があった筈。
そういう場合は徳川の末裔が被告になるのかな?
107 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:37:29
徳川家達を狙った暗殺未遂事件みたいなのはあったという。
徳川家もいい迷惑だ。
108 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 22:33:54
109 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 23:19:38
邪馬台国はどこにありましたか?
畿内しかないですよ
それ以外で言ってる人は本気で言ってるわけではありません
武士のちょんまげはいつ頃から出現しましたか。
また起源は、蒙古や満州からですか。
113 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 03:14:52
>>114 狩猟民とか騎馬民族とかwwww
ワロタ
エミシが狩猟民w
なんか人類を狩猟民族、騎馬民族、農耕民族などと分類して日本は農耕民族だから〜って言い出すノータリンを思い出す
「東北学」の赤坂や小説家の梅原猛あたりの気配がする差別嗜好
117 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:02:53
平安京の人口はどのくらいだったのでしょうか?
また、太政官の構成員数はどのくらいだったのでしょうか?
118 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 00:23:01
明治維新を境に帝を天皇と呼ぶようになったのは何故ですか?
119 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 10:48:29
皇室は京言葉だったし、公家独特の言葉遣いもあり、明治政府の連中には
わかりにくったよ、当時ね。でなんの時だったかご下問に、大久保が聞き返したんだ。
「ん?なに言ってんのう?」
そばで聞いていたのがその日二日酔いの西郷従道。こいつが勘違いしたのが
始まりだったようだな。漢字を充てたのは岩倉さ。
こんな今じゃありえないようなことが、いくらもあったよ、あの頃は。
120 :
なぞ:2010/09/29(水) 18:16:04
>>109 同意
博士さんや武陽陰士さん達は邪馬台国はどこにあるとお考えですか?
専門で無かったら推測で構いません。また個人的願望で構いません。この謎をどの様にお考えなのかとても興味深いです。
時間があったら是非ご意見を宜しく御願いします。
>>120 お考えも何もないだろうがw
畿内以外どこがあるんだよ
それ以外を誰が唱えてんだよ
いまさら、なにを言ってるんだ?
邪馬台国九州説は、支持者が「東日流外三郡史」や「会津士魂」あたりを引用するにいたって、
全然信憑性を感じなくなってしまった。
123 :
トリバレによりトリナシ:2010/09/29(水) 19:38:36
以前民放でやってた邪馬台国論争
九州説を推す学者は無理やり九州説派にさせられたとか
九州説支持者なんか学会には殆んどいないし少数の九州説派も
柵でやらされているだけで本心から信じている者はいないと
冒頭から全く議論にならなかったなw
126 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:19:05
林屋辰三郎って人の本を一冊だけ読んだら、
断言まではしてないけど、「九州だろjk」みたいな書き方だったけどな…
この人ってスルー出来る様な小物じゃないよね?
127 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:27:55
何時の時代の話だ?それ
>>126 学説というの発展してるのよ
よっしゃこい
西ドイツ歴史学界における一大論争であるフィッシャー論争は、
結局フィッシャーとその批判者のどちらが勝ったの?
ジョン・アーバスノット・フィッシャー(John Arbuthnot Fisher, 1st Baron Fisher of Kilverstone, 1841年1月25日 - 1920年7月10日)は、
"ジャッキー・フィッシャー"("Jackie Fisher")の名で知られるイギリスの軍人、提督。初代フィッシャー男爵、バス勲爵士(GCB)、メリット
勲章(OM)、ヴィクトリア勲爵士(GCVO)。先込め大砲を備える木製帆船の時代に海軍へと入り、巡洋戦艦と潜水艦、そして最初の航
空母艦建造に関与するなど、60年以上に及ぶ軍歴の中でイギリス海軍に対し大きな影響を与えた。艦艇建造や戦術考案ばかりでな
く、英国海軍の人事改革・教育改革の面でも大きな功績を残している。
132 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:52:24
世界史板池
博士スレなのに博士が来てないとかw
江戸時代の末期、幕末、あるいは明治初期に自分の先祖が住んでいた地域が分かりました
ということは江戸時代初期にそこに住んでいたと思っていいですか?
江戸時代の農民は移住していなかったと勝手に思っているからですけど
>>134 その可能性が高いというだけで、確定事項ではない
近世農民の移住・移動のケースってそこそこあるからね
もちろん、今とは比べ物にならんくらい少数だけど
>>135 そうですか
農民の移住ってどういう感じなんですか?
勝手に移住してきて勝手に小屋をつくって住み着くみたいな?
あるいは移住してきて一人で土地を開拓して田んぼを作って名主に挨拶して村に入れてもらって寺とかの帳簿に名前を載せてもらって
みたいな感じですか?
小作人とか水呑百姓とかはどっかから雇われてくるイメージがあるんですけど
世界史版に質問スレないな。
139 :
日本@名無史さん:2010/10/04(月) 22:40:51
>>136 基本的に移住範囲は藩内
当然役人の許可が必要
ただ田舎の農村ほど新規住人はなかなか認めてもらえず、
若衆組や講に入れなかった
(中には住み着いて20年以上たたないと入れてもらえない所もあり)
140 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:11:00
日本の庶民の着物は、近世初期頃までほとんどが麻だったと聞きました。
どうして他の繊維ではなく麻だったんですか?
141 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:11:48
日本書紀に邪馬台国の記述がないのはなぜ?
142 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:22:33
このスレの博士は一人ではないそうですが、本当?
>>140 大麻は山に自生していた(か、誰かが持ち込んで山に生えた)が、桑(=絹)や木綿は栽培作物だったから。
>>141 自称が「邪馬台国」ではなかった、との説あり。
その場合、倭の五王を各天皇に当てはめるように、卑弥呼も当時の女帝に当てはめたりする。
144 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:51:23
大昔の人の書いた物って、どうやって保存されてきたんですか?現存する文書類を見る度に不思議に思います。
また、大昔の人の書いた手紙が、宛先と関係ないどっかの旧家から発見されたりしますが、どうして?
145 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:59:27
ここまで博士なし
146 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 09:04:30
>>144 ちょい補足
関係無い旧家から発見されるのは
書簡収集っつー趣味が近世から近代初期にかけて流行ってたから
道楽として結構な高値で取引されてた
148 :
144:2010/10/05(火) 10:51:25
博士!ありがとうございます(ペコリ
149 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 16:24:33
>>141 神功皇后が卑弥呼だという説もあるが
邪馬台国は大和朝廷とは無関係の政権
(あるいは大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした?)とも考えられる
よっしゃこい
でも邪馬台国はプレ大和王権と考えられている
>>149 熊谷先生の本では近年は「大和朝廷」ではなく「ヤマト王権」と表現した方が
当時の制憲の実態に合っているという内容の文章を読んだことがあるのですが、
博士はどうして大和朝廷と書くのですか?
すいません。
>>151の「制憲」は「政権」の変換ミスでした。
153 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 18:59:11
単なるクセで御座候
教えてください。
大久保利通の長男・大久保利和氏の命日を教えてください。
幕末から明治維新への大変革と戦前から戦後への大変革はどちらの方が価値観の変動が
大きかったと考えられますか?
156 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 09:28:22
そもそも明治維新では、国民のほとんどはよくわからんまま
当事者意識もないまま終わっていた
日本がどう変わるかは分からず、
幕臣の福地源一郎は天下が徳川から薩長になっただけだと喝破するほどだった
維新後の廃藩置県 四民平等 廃刀令 自由民権運動 新聞や演説会の勃興
で人々の価値観が変わっていった
だから戦後大変革のほうが価値観の変動は大きかったと思われ
よっしゃこい
学者によっちゃ明治維新は下級武士と下級公家によるクーデターだったと
評している人もいるくらいだからね。戦前までは封建的な制度や風習も残存していた。
価値転換の大きさからいうと・・・
戦後>鎌倉幕府>明治維新 ということになるかな。
158 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 15:18:29
さすがに明治維新>鎌倉幕府だろ
国際情勢が関わってくるし
159 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 15:43:31
畳が広く普及するまで、正座よりも立て膝や胡座の方が普通の座り方だったそうですね。
正直、畳の上でも正座は割合にしんどいと思うのですが、どうしてこんな妙な座り方が普及したんでしょうか。
切腹っていつ頃出来たものですか。
源平や室町時代には無かったようだし、豊臣時代なのかな。
利休はそうでした。
>>156>>157 幕末から明治維新への変革の中には、王政復古、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、
廃刀令、地租改正、学制、くらいまでは含めるつもりでした。
そのつもりで明治維新と戦後改革とではどうでしょうか?
どちらも価値観の変動は凄まじいものがあったとは思いますがね
>>161 諸制度の大きな変革や価値観の転換などが朝廷と武士階級の中で行われたという意味では
明治維新は鎌倉幕府成立と同じなのよ。明治維新によって庶子も統治に参加する機会が
大きく開かれたのは確かだが、封建的な制度や士族(取り分け薩長が中心)と朝廷の公家らが
統治権力の中心に居座っていたから。だから、明治維新というのは武士階級と公家階級が
自らの諸制度の既得権を大きく組み替えたという意味では画期的だったものの、
彼らは統治権限を手放したわけじゃない。時代を考えてもそこまでが明治維新の限界。
一方で戦後の変化というのは、それまで残存していた封建的な価値観や諸制度を全て否定して、
国民主権という日本史上初の庶子による統治権限を認めたという意味で、全く新しい価値を
生み出すことになったわけ。何より天皇という存在が庶子(国民)よりも下に置くという
憲法を定めたというだけでも日本史上画期的だった。
163 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 08:14:57
大正デモクラシーと平民宰相あたりをすっ飛ばしているあたり、
一部に都合の良い暴論にしか見えない。
大正デモクラシーといっても
「民主主義」ではなく「民本主義」であることに留意が必要。
吉野作造の思想あたりを読めば分かる。
165 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 10:05:04
庶子=庶民 国民とか聞いたことないが
誰が呼んでるんだ?
源氏と平氏
語源の意味だけ斟酌すると平氏の方が下流に位置するように思いますが
実際そう言う意味だったのでしょうか?
167 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 10:45:57
>>164 これは英国に民主主義がないような言い方だけど、不合理を感じないのだろうか?
>>166 語源の意味というのは「源」と「平」の文字の意味ってことかしらん
だとしたら平の方が下流に感じるのは現代的な偏見だよ
姓の起源を考えても源-平で特に上下はなかったんじゃないかね
政治制度的な変革度合いなら明治維新の方が大きいかもしれません。
戦後の政治制度は、一部に変化はあれど、基本は戦前の延長線上にありますから。
ただ、それらの制度変化が民衆レベルの価値観にまで与えた影響度なら、戦後の方が圧倒的に大きいです。
さらに、経済面での変化の度合いが戦後は桁違いなのも明治維新との差でしょう。
ただ、間違っても明治維新の変革度合いを過小評価してるわけではありません。
戦後の変化がトンデモなんです。
>169
>経済面での変化の度合いが戦後は桁違いなのも明治維新との差でしょう
他は同意するがコレはどうかな。日本人が短期間で経済の変化を感じたのは(色色言われはするが)池田の所得倍増計画だと俺は思う。
孫文だったと思うが日本にやって来たとき「都市部では中国も日本も差は無いと感じたが、中国は都市から一歩外へ出ると前時代そのものなのに対し、日本は国全体が文明の恩恵を受けている」と都市部より農村部に注目していた。
中国・韓国国籍の科学者が主要な賞を未だに受賞出来ないのは知識の蓄積・発展を望まず、常に最新の知識を国外から取り入れているからではないだろうかと俺は思う。
経済の発展には国全体の底上げが必要で向上させるにはそれなりの時間が必要になる。
中国・韓国の見かけ上の経済発展は、世界に認められる技術が乏しい(一部に特化しているものにはある)という一事で内実が読み取れてしまう。
戦前・戦後にせよ明治維新前後の経済発展にせよ桁違いなものがあるというのは乱暴な見方ではないだろうか。
>162
前段はいいとして後段は言葉を慎重に選ぶべきじゃねぃ?
その文全体では何言ってんのか俺も分からん。
>161
大学で教育史の講義を受ければわかるが、その括りなら学制は抜いとけ。
あんな腰の定まらないモノを入れたら論点が定まらんぞ。
今の民主党政権並みに酷い。
>156
“喝破”をその文脈で使用したいなら、もう少し推敲した方がよくねぃ?間違っているとは言わんが読了感が気持ち悪い。その一文は独立させるとか。
背伸びして難しい言葉を不用意に使って回答していると>104のように誰からも相手にされなくなるよ(苦笑
>明治維新では、国民のほとんどはよくわからんまま当事者意識もないまま日本がどう変わるかは分からず終わっていた
↑はいいとして、
廃藩置県ー都市部を除いて明治後期においても我我の旧殿様という意識はあっても、天皇や天皇の官吏・行政区分への意識は希薄だった。
四民平等ー個人の住・家族・教育といった環境で違いすぎて戦前の一般化は無理。
廃刀令ー侍が刀を持ち歩くかどうかより警察官の横暴の方が庶民には重大事。
自由民権運動ー地域によってばらつきあり杉
新聞や演説会の勃興ーインテリの自己満足。
図書館に行って当事の新聞を読んでみることを強くすすめる。
よく知らないことについて何かを知っているかのようにふるまいすぎると>104のように(ry
>155
明治維新で都市部・農村部をとわず人々が体制の変化を感じ価値観の変動が大きかった最右翼は地租改正。
全国民の反発の大きさは後の酒税法改正といった税制全般に及んだ。
172 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/07(木) 23:02:39
>>171 山野をぶっ叩いたあとは必ず名無しのヒネたレスが来るんだよなw
気のせいかもしれないけどさw
とりあえずこの名無し君はお馬鹿すぎるので反駁加えとくぜ。
>廃藩置県ー都市部を除いて明治後期においても我我の旧殿様という意識はあっても、天皇や天皇の官吏・行政区分への意識は希薄だった。
↑
すくなくとも畿内は都市部だけじゃなくて別でしょ。例外に言及しとかなくちゃダメだ。
>四民平等ー個人の住・家族・教育といった環境で違いすぎて戦前の一般化は無理。
↑
維新前より戦前のほうがかなり一般化しやすいよ。宗教政策や教育(日露戦争をすぎたあたりはほぼ完璧に“国民”が出来上がってる)を例にみればよい。全国ほぼ統制がとれている。
>廃刀令ー侍が刀を持ち歩くかどうかより警察官の横暴の方が庶民には重大事。 ↑
当たり前だよ。そんなこと得々と言われてもねえ(笑)
>自由民権運動ー地域によってばらつきあり杉
新聞や演説会の勃興ーインテリの自己満足。
↑
地域もそうだけど、階層差あるいは党差を言わなくちゃだめでしょ?
藩閥政府に対する士族層の反発のファクター、自立心を養った新興ブルジョワー層の政治意志とかの発露をインテリの自己満足ですませるオマエの脳みその足りなさには呆れるぜw
あと民権運動における困民党の位置づけは難しいけど、あれは少なくともインテリの運動とは言い切れない。
まあ一揆の変奏で自由民権運動じゃないという言っちゃえばそれまでだが、それこそ当時のインテリの自己満足にそった見方かもな。
あと自由民権運動が国権の民衆からの発揚という側面にも触れなくちゃダメだ。
ナショナリズムの論客と民権運動の論客の重なり具合はさんざん言われていることだからね。
(つづく(^_-)☆)
173 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 23:08:49
>>171 国語力ないのに意味不明な解説してると相手してもらえなくなるよ
もうちょっといろんな論文を読むことを強くすすめるよ
明治後期に殿さまへの従属意識があったなんて聞いたことない(敬意とは別)
何か客観的な統計があるの?
一般化の定義は?現在も多くの差別が残ってるけど?
地域によってばらつきというけど全国で例外もない民主運動とか
ありえないから、あと盛んじゃない地域は内地だとどこ?
あと新聞こそ民権運動を盛んにした一因なんだけど、
知らないことについて知ってるように振る舞うと痛いよ
174 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/07(木) 23:42:32
>>171 (承前)
>図書館に行って当事の新聞を読んでみることを強くすすめる。
↑
別の名無しさん
>>173がすでにいっちゃってるけど(“あと新聞こそ民権運動を盛んにした一因なんだけど云々”)。
オマエは価値相対的な(まあこれもフィクションだが)新聞をがあると思ってるみたいだなw
当時の新聞読んだことないね(笑)
かなり偏ってるよ。党派、検閲その他でね。
かなりの検証を経ないと素直に新聞記事は使えない。
なので、「よく知らないことについて何かを知っているかのようにふるまいすぎると>104のように(ry」
は、そっくりオマエにお返ししますw
>明治維新で都市部・農村部をとわず人々が体制の変化を感じ価値観の変動が大きかった最右翼は地租改正。
全国民の反発の大きさは後の酒税法改正といった税制全般に及んだ。
↑
時期的には徴兵のほうが先でしょ。
それから地租改正だけど都市部もとオマエはいうけど
誰が言ってるの?
都市部の庶民層とかに対する地租改正の多大影響ってなんなの?
地租改正で都市窮民が増えたという話は別だよ。
地租改正直前まで都市部に住んでる庶民層ほかに対する多大な影響とやらのオマエの主張の出典を教えてくれよw
>173
156?きちんと名乗ってね
ブヨーじゃないなら相手してやってもいいけど背伸びはやめて、馬鹿な子供の相手はやらない主義に宗旨替えしたから
>国語力ないのに意味不明な解説してると相手してもらえなくなるよ
指摘されても気付かないなら別にかまわない他人の国語力がどうだろうと俺には関係無い
>もうちょっといろんな論文を読むことを強くすすめるよ
どんな論文読んだのか説明責任は最初に発言した君ググっただけの論文を列挙するような子供じみたまねは止めてね
大人ならどう書けばよいかは知っているよね(苦笑
>明治後期に殿さまへの従属意識があったなんて聞いたことない(敬意とは別)
だ・か・ら当事の新聞を読めと言っているのだが、、、
>何か客観的な統計があるの?
高校生?自分が無知だと宣言することにどんな効果を期待しているのかな?
>一般化の定義は?現在も多くの差別が残ってるけど?
で、何?言葉通りの意味だけど辞書が手元に無いの?差別の話ならスレ主に聞けば
>地域によってばらつきというけど全国で例外もない民主運動とかありえないから、あと盛んじゃない地域は内地だとどこ?
質問か反論か不明
>あと新聞こそ民権運動を盛んにした一因なんだけど、
庶民は望むことを新聞に求めている政府系の新聞・民間の新聞読み比べてみてね
>知らないことについて知ってるように振る舞うと痛いよ
ココだけは分かってくれたようでなによりw
176 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/07(木) 23:47:46
>>175 ありゃりゃ(笑)
肝心なことはスルーかよ(笑)
ぷぷぷおかしいや〜(^〜^)
177 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 00:09:56
>>175 立憲改進党の機関紙は何新聞ですか?
メディア史に詳しいならわかりますよね?
178 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/08(金) 00:14:40
>>175 君のレスって珍説オンパレードだったねw
どうせググッた知見なんだろうけど。ああくだらねえや
中世の民衆が宗教に関してどう思ってたかが分かるような資料ってありますかね?
じゃあ素人の俺が裁定してやる
武陽さんの勝ちな
ぶよぶよ陰部 の人だよ。
中世つーても期間が長いし、その手の出版元はアレ系が多いがいいの?
とりあえず、仏教史学会編『日本仏教の地域発展』平楽寺書店
184 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 02:56:26
会津征伐の時に何で家康は大阪城に兵を置かなかったの?
伏見城の兵をおいとけば、三成が大阪城に無理に入ろうとしたら、城主の秀頼に弓弾く形になり
大阪城に入れなかったのに
185 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 09:08:54
それを言うなら
関ヶ原の後に大坂城西の丸を返上しなければ
あんな大規模な大坂の陣は起きなかったであろう
>>167 英国の民主制は君主の権限を抑制することにより成し遂げられた。
議会と王室の対立を経て国王が議会に干渉しないことにより立憲主義的な
コモンローに至ったという流れがある。
他方、我が国の明治憲法体制は一君万民の理念の元、民本主義による下からの運動
(だけでもないが)と西園寺らによる政党政治志向が相まって制度としてではなく、
運用として議院内閣制が実現した。だが、残念なことに制度化されたものではなかった
こともあり、揺り戻しや時代の右傾化にあがなえなくなる。
デモクラシー運動が大正という短い時代の中で短命に終わったのは、
維新の元勲が民主制を容認せず単なるガス抜きとして限界を設けたから。
帝国憲法が国民(臣民)の権利を天皇からの恩寵として位置づけたことにも
その意思が明らかに表れてる。
187 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 14:21:16
江戸時代に内高が石高を上回る藩が多かった中で、天領ではなぜ内高が石高を下回っていたの?
188 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 16:32:06
>>186 維新の元勲というか薩長藩閥政治家だろ
元勲なら板垣退助や後藤象二郎も含まれてしまう
政党政治が短命に終わったのは、藩閥の反撃とは別の軍部の台頭だと思うけど
>>188 >維新の元勲というか薩長藩閥政治家だろ
厳密に言えばそう言うこと。
>政党政治が短命に終わったのは、藩閥の反撃とは別の軍部の台頭だと思うけど
その通りだが、元々が民権運動の綱引きがあり制度として自由主義に制限を加えたことが
結果としてその様な様態をもたらせた。
室町時代末期(1500年頃)、庶民が死んだらどう処理されてたの?
調べたら野ざらしだとか川に流したとか出てきたけど、
一方で室町時代から墓が普及してきただとかでよくわかんない
室町末期に野ざらしはないんじゃないかなーと、個人的には思ってるんだけど…
室町時代の庶民の墓なんて現代では見られないよね
>>191 回答と取っていいのかな…?ありがとうございます。
庶民は墓石じゃなくて卒塔婆を立てるだけだったとか、
それは一部の庶民だけだとか、土葬をするだしないだ色々見たんだけれど
その辺も情報頂けるとありがたいです
194 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 21:42:14
釣堀会場はこちらですか?
>>190 庶民まで全員、お墓を作っていたら、
墓ばかり多くなって人間の住む場所がなくなっている。
墓で埋め尽くされた関東平野、クリストのアートみたいだ。
>>195 全員、お墓を作っている訳は当然無いだろ
その理由が「人間の住む場所がなくなっているから」ってのは失笑もんw
>>196 仮に全員の墓があったとしてもそれが未来永劫残っていると考えるのは大間違い。
例えば、東京の大手町のあたりは、江戸時代初期に徳川家康による都市改造が行われる前は今は文京区にある吉祥寺など、当時は神田・和田倉周辺にあった寺院の墓地があったことが近年の地下の発掘調査で判明しているが、
現実に当時の墓地の体裁が残っているのは、なんとか将門塚くらいなもの。
庶民の墓というのはないだろうけど、埋葬はされてたんじゃないの。
川に流すとか野晒しはさすがに特別な場合。
199 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 01:40:13
>>197 その理由が「人間の住む場所がなくなっているから」ってことについて話しているのに噛み合ってない
別件だが、奈良などで、遺跡(といっても奈良時代中心)の発掘が多いが、
あれだけあると、人間の住むところがなくならないのかなと、
心配になることはある。
関東平野って人口の割には意外と狭いからね。
墓で埋め尽くされるのを防ぐために墓が無かったっていうのは無視できない理由の一つとして
有るんじゃないかな。
武田信玄て生きてたら信長倒せてたの?
無理っす。
理由は?
あと同様に上杉謙信(信長)についても知ってる方いたら教えてください。
理由付きで。
208 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 22:22:16
>>206 謙信があと20年生きてたら中国朝鮮インドまで日本領になってたね
大きな学会でも認められている共通認識
自演乙
自演乙とかネタに突っ込むなよw
とマジレスw
武揚が来てるオカン
214 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:01:51
ぶよ〜ん
ぶよ〜ん頂きました!
俺が…俺達が、武陽先生だ!!!
217 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:18:50
博士がいないとここまでレベル落ちるのか
クソコテはぶよ〜んしよーぜw
>>217 もともと自称博士か職に就けなかったあぶれた人がネットの中だけでも自尊心を得ようとレスしていたような
低レベルなスレだよ
歴史板の最高権威は博士だよ
よっしゃこい
221 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:24:49
歴史の話しようよ
222 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:25:30
>>219 言ってることには同意だけどそこまで言っちゃうとブヨーみたいだよw
最近よっしゃこいとか言う奴が全部なりきりに見える
224 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:27:45
舞踊はゴミ
なんかさ、武陽が来てからほんとスレ傾いたよな・・
226 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:29:17
>>223 そうです私は一ファンです。なりきりですよ。
博士こそ最高権威なのです!
よっしゃこい
227 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:30:20
>>225 それは舞踊のせい
俺たちは博士の留守を守ってればよいだけ
よっしゃこい
つかハカセもブヨウも山野以下なことだけは分かったw
229 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:34:54
歴史板の面汚しスレ
自治厨乙
よっしゃこい
こういう流れキライじゃないけど
ぜんぶ舞踊のせいだなw
今までが堅すぎたよね。博士とか武揚とかのせいで
やっぱり山野さんですね・・・さりげなく学識を開陳されるのは・・・
235 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:48:59
山野、アタシは大嫌いだよ!!
236 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:51:49
博士は、分からない質問を完全スルーするし
あやふやなところ突っ込まれたら素直に分かりませんと言わずに露骨に機嫌の悪いレスするところが嫌い
こんなとこでショボイ知識ひけらかすだけあって、ちっちぇー奴!としか思えない
>>235 好き嫌いは別にして、レスの仕方はさりげない
東夷さんは素敵
240 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 00:03:12
「よっしゃこい」って言葉見るとイラッとくる
「あらゆる質問」に答えられるだけの知識も度量も無い癖に
しょーもないとこでイキガッテンジャネーよカス
241 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 00:04:50
ブヨウ
頼むから宇宙でもどこでもいいから消えてくれ
俺はいつだってブヨウが嫌いだったよ
ブヨウの性格破綻者っぽいところには辟易するけど、肝心の歴史に関する知識は
ああ凄いなぁと思うこともある
あ、多少なりとも褒めるレスはちょっと気が引けるのでsage;;
何気に博士すごいんじゃね?
よっしゃこい
自演はみっともないですよ博士さん
>>248 博士のどこがすごいと思ったのか教えてチョ
明らかに武陽先生のほうが知識が上でも認められない人が必死に抵抗してるよね
素直に武陽先生の知識を認めたらいいのにといつも思うよ
明治天皇の生母・中山慶子は中山忠能の娘でなくて
光格天皇の子で中山家の養子になった中山忠伊の娘である
という説があるようですが、信憑性はあるのでしょうか?
中山忠伊は光格天皇の意を受けて、天誅組をつくって
生涯を倒幕運動に捧げた人物だそうですが。
252 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 02:57:22
北畠−有馬家と似たような話ですか?
253 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 11:07:51
そもそも明治天皇は大むr
おや誰かが来たようだ
15歳で即位して、近代国家日本の支柱としての役割を担ったって言うのも凄いね
どんな日々だったのだろう?
255 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 15:51:32
従来の天皇のような引きこもりじゃダメだってことで
馬術や相撲も教えたとか
256 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 15:52:33
あと西洋兵学も
明治天皇が実際に訓練中の兵を指揮することもあった
禁門の変の時に御所内に落ちた大砲の弾を見て失神した睦仁親王13歳の夏
補佐に西郷、大久保、木戸
侍従長に東久世通禧
侍従に高島靹之助のちの陸軍中将、陸軍大臣、台湾福総督
有地品之允のちの海軍中将
山岡鉄太郎千葉道場門下生、無刀流の開祖
片岡利和←相撲の相手役
スパルタ教育すごい
明日から婚活
よっしゃこい
259 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 01:55:49
260 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 02:02:44
261 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 02:35:09
262 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 03:14:52
>>208 実はこれは複雑な研究テーマなのですが、言い方に惑わされて
その程度にしか取れないとはあまり歴史が好きなのではないのですね
などと挑発してみます。失礼します
264 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 04:29:19
265 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 04:46:11
266 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 14:47:35
すいません教えて下さい。
平泉金色堂など藤原氏の遺講が、破壊されなかったのは、何故ですか?
金色堂以外になんか残ってるもんあるか?
金色堂を破壊しようとしたら祟りが起こって事故や鎌倉で火災が起こったので頼朝が恐れを感じたからです
金色堂を破壊するのをやめるように命令したとたんに災難が収まったことで祟りであると確信されるようになったのです
また義経の霊が西の方角に飛んでいったとささやかれ
ほどなく京都御所に落雷、火災が起きたのであわてた帝が頼朝に勅使を派遣して金色堂を保存するように命じたからです。
偶然とはいえ怖いですね
ただ、一番怖いのはこの話は全部私の作り話ってことです
まあ、お寺は大事だという共通認識があったからかな
お寺を焼いたりしたのって少ないし、戦乱非常時だけ。
平家、松永秀久、織田信長、
欧州だったら自派の教会、イスラムであればモスク、
みんな長く残っている。
壊れても再建されるし。
観光資源になるからのこしたんだろ。
よっしゃこい
城の古写真をデジタル化して公開しているところがあるけど、
あれに著作権があるとか書いてあるが、パブリックドメインではないのかな
272 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 23:45:01
>>266です
後どうして昔の京の跡は何も残ってないのでしょうか?
大津京などはなんとなく解るんですけど。
藤原京とか平城京とか何も無いですよね。
せいぜい1500年ぐらいしか経つて無いですけど。
一応、一つの王族「天皇」しか居ないのに。
すいません。
歴史は好きなんですけど、しょーもない質問ばかりで。
大学で歴史がやりたかったです。
楽しいでしょうね。
中尊寺は、奥州藤原氏への怨霊鎮めのために源頼朝らが意図的に残したと考えられています。
金色堂は彼らのミイラの安置場というわけです。
274 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 00:16:32
せいぜい1500年
275 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 00:19:55
>>273 ありがとうございます。
頼朝も怖かったって事ですね
後、
276 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 09:20:10
もし西南戦争で西郷が勝ったらどうなってたでしょうか?
万に一つも勝てる見込みはなかったから設問自体が無意味。
西郷も負け戦を覚悟していた様だし。
278 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 10:05:23
熊本城を落としていればどうなったかわからん
板垣退助が立ち上がるかもしれん
板垣が立ち上がれば河野広中も東北で立ち上がる
東京では沼間守一も兵を集めていた
大久保利通を暗殺した島田一郎のような分子も他にいたはずだ
抑えの兵を置いてさっさと先に進んで不平士族を取り込んでいってデモ行進すれば良かったのに
難攻不落の熊本城攻めを敢行したということは、
負け戦を覚悟していたということ。
281 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:37:59
船で東京へ行って
帝に直訴したら
どうなっていたでしょうか?
西郷従道・黒田清隆・大久保利通・木戸孝允らが説得して、西郷隆盛を決して鹿児島に帰さなかったでしょうね。
西郷隆盛がいなければ、集団の核がないので乱は成立しないでしょう。
283 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:11:28
>>282 なるほどです。
ただなんとなく大久保はどうかなって思います。
西郷さんとは対立していた感じがするんですけど、
明治天皇は西郷贔屓でしたから、
どうなってたでしょうか?
木戸さんがもう少し生きていたら、西南の役も防げたかもね。
284 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:01:37
test
285 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:05:18
明治天皇は西南戦争当時、京都にいた
286 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:31:30
>>285 そうでしたか?
木戸もこの頃に亡くなりましたね。
たら、ればがなかったらどうなってたでしょうか?
西郷さんが帝に直訴していたら。
287 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 16:46:56
木戸と大久保も京都行幸の明治天皇のお伴をしていた
木戸は京都で亡くなったわけだ
あと明治政府は明治天皇に主導権はほぼない
権力闘争の調停や個別の政策の督励などを明治天皇が行うこともあったが、
国家反逆者の赦免のような重大事を私情でしたことはない
木戸が生きようが西南戦争の大勢に変化はないよ
むしろ西郷が勝つ以外に西郷が生きる道はない(むしろこっちの可能性のほうがある)
熊本城なんて無視して、船で東京にちょくせつ攻め上ればよかったのにな。
つか、熊本城を攻める意味なんてまったくなかったのに。
289 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:09:16
さっき珍○景で浜松の小学校では三方原の戦いに見立てたという城落としなる競技が
あるそうで、なんで浜松の教師は間違った歴史認識を教えているのでしょうか?
つまり、武田信玄に攻め滅ぼされたから徳川家康なんて元からいなかった、と浜松の先生は言いたいのかな?
だが、史実に接近させようと思うなら
1.石つぶてを投げ合う、負傷覚悟の 開戦模擬
2.三方から囲まれ嬲り殺しに遭う かごめかごめ
3.恐怖のあまり脱糞しながらゴールに駆け込む たっぷん競争
4.城門も閉めず篝火を焚き、中で震えながら一夜を過ごした どこにいるかな
このような競技になってしまうような気がする。
城落としってようつべでも見れるけど城に見立てた櫓のような物に玉を投げると煙が出てボンってなる。
三方原の戦いは
>>290のように野戦であって攻城戦ではない。他の戦いに見立てればよかった。
292 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 21:10:16
障害物競走を「大高城兵糧入れ競争」とでもするのか
もう、それくらいなら磔人形を作って、槍投げの的にして点数を競うといいよ
倒幕当時はどちらかと言えば長州より薩摩のほうが格上ぽかったし、
維新三傑のうち二人は薩摩だったわけだが、三傑亡き後は完全に長州の
方が維新政府を牛耳った印象がある
とくに三傑後は伊藤博文と山県有朋が権力を握った感があるが、
薩摩出身者はどうしたの?
295 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 00:36:15
>>294 黒田は失脚したけど、
山本権ちゃん辺りがいるじゃん。
西郷(従道)・松方・三島あたりがいるじゃん
おいおい自慢じゃないが長州藩は現在ので首相9人目だぜ。
薩摩はどうか知らんがw
色々要素は有るが、一つには維新の功績が認められている証拠でもある。
>>295>>296 明治史については伊藤・山県で決まりでしょ。
逆に山本・西郷・松方・三島が明治史を代表するとはとても思えない。
299 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 04:25:54
>>298 295です。
確かにおっしゃる通りです。
伊藤は,一級ですよね。
山県にしても胡散臭いですけど大正時代まで権力持っていたし、陸軍を強固なものにしましたもんね。
ところで山県の子孫って風吹ジュンの旦那さんでしたっけ?
>>299 風吹ジュンの旦那は後藤象二郎の子孫だったかな。
>>299 山口県て事もあるけど高校時代に日本史の先生が言ってた>伊藤・山県
反対に西郷隆盛に関しては虚像だと。
302 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 10:26:27
西南戦争で薩摩は人材を大量に失ってしまった
それでも大久保が暗殺されないなら、ずっと大久保政権が続いていたと思うぜよ
長州も大村益次郎、広沢真臣、木戸孝允、山田顕義とけっこうな人材を明治初期に失ってるんだけどなぁ。
児玉源太郎とか桂太郎みたいな第三世代が薩摩とくらべて優秀だという印象だな。
304 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 18:52:38
皇帝、王の違い?
天皇はどうなりますか?
ガイザー、エンペラー
キング、
何がどう違う?
教えて下さい。
中身が欧州的な定義なのか、中国的な定義なのかによって違う。
現在標準になっている欧州での定義によると、
・欧州に「エンペラー」は2人分座席がある(元来1つだが、分割されたので正統なものが2つある)
・欧州外の地域に多くの国を従えた国家があったなら、そこの君主も「エンペラー」と名乗る資格がある
・欧州内でも他の「エンペラー」たちよりずっと強ければそこの君主は「エンペラー」を名乗ってよい
・「エンペラー」の下には国家群があり、そこの君主は「キング」か「プリンス」を名乗る
中国的な定義で言うと、
・天の意志に基づき、この世界は1人の「皇帝」の下に統治される
・皇帝の帝国の中には、各国を統治する君主たち、つまり「王」がいる
言葉の話をはじめると終わらないが、ざーっと行くと
エンペラー(英語) インペラトール:ローマ帝国最高軍事司令官、帝国に一人なので必然的に「皇帝」を意味した
カイザー(ドイツ語) カエサル:ローマ帝国初代皇帝ユリウスカエサルの名、必然的に「皇帝」を意味した
プリンス(英語) プリンケプス:ローマ帝国第一人者、「皇帝」の美称の1つであったが、後に各領邦の「君主」の意味となり、
更に後には「小領邦の君主」「kingの子」の意味となった
キング(英語) (ゲルマン語由来):血統の意、要するに血筋のいい人を意味した
後には各領邦の「君主」の意味となり、国家君主を意味する語となった。ちなみにクイーンも語源が同じ
・・・・・・ってこれ日本史の扱うべき題材なのかい?
306 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 22:11:58
ありがとうございました。
天皇はどうなりますか?
307 :
294:2010/10/14(木) 22:23:01
さまざまなレスありがとうございました
伊藤博文は初代内閣総理大臣、明治の大勲位としてまさに明治の「顔」に
なった感があるけど、もともとは桂小五郎や高杉晋作の子分だったわけだし、
維新三傑や高杉が早死にしなければどんなどんな明治時代になったんだろうね
調べたらすぐわかるのだろうけど、山県有朋が何でそんなビックネームに
なったのかがよくわからん
明治の大権力者だというのはわかってるけど、いまいちピンとこない
>>307 かなり大雑把な言い方ですが、
政治を伊藤が担い軍事を山縣が担ったということですね。
明治政府のスローガンは「富国強兵」でしたから、
その強兵を受け持った山縣偉いとなるわけです。
309 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 22:44:56
>>307 山県の功績
奇兵隊を率いて高杉の挙兵に参加(遅れたが)
徴兵制による国民皆兵を推進
西南戦争で西郷を討ち取る
日清戦争で活躍
310 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 22:45:15
素人で申し訳ありません。
山県有朋は狂介?とか言ってたんじゃなかったかなぁ〜。
確か長州の中間の家柄で体一つで身を立てようと頑張って
西郷さんに可愛いがわれて出世したって記憶してます。
違ってたらごめんなさい。
素晴らしい陸軍「いろいろ批判はありますが」育てたなど実績はありますが
伊藤に比べて金にガメツイってイメージが
マイナスなんじゃないですか?
でも文化人としてもセンス抜群だと思いますよ。
311 :
294:2010/10/14(木) 23:11:11
山県の解説ありがとうございます
>>309の実績を見る限り、大したもんですね
ちなみに軍人として、東郷平八郎、乃木まれ介よりも格上なんですか?
312 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:27:21
>>311 乃木さん東郷さんは兵隊さん
山県有朋は大臣
貞明皇后は山県有朋が大嫌いだったそうですね。
天皇家や皇族に対して「誰のお陰で今の暮らしが出来てるんだ」
という態度をとってたからだそうです。
>>313 山県さんはガメツイからわかります。
原敬が「あいつは足軽だから」って言ったそうですが、本当は中間だった。
ただ強い陸軍を作り上げたのは、間違いないです。
そういえば、中国にたいして強引だったので、明治天皇が怒ったんじゃなかったかなぁ〜
315 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 17:59:47
それに関しては、対中強硬派だったのは加藤高明ら当時の「民権派」で、
山県は加藤の対華二十一箇条要求に反対したことが知られている。
316 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 19:30:35
山県は金に汚いと言われているが、
意外にも閨閥づくりにはほとんど関心がなかった。
山県には息子がいなかったので養子を迎えたが、
それは姉の息子だった。
また娘を嫁がせた相手も大村益次郎の弟子の船越衛の息子で、
そのまた子供を晩年、養子に迎えて分家させている。
大隈重信が大名華族の息子を婿養子にしたのに比べて、
こういう点は好感が持てる。
317 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 19:40:58
伊藤博文も男子にはめぐまれなかったが、
養嗣子として迎えたのは大名の子でも公家の子でもなく、
親友井上聞多の甥だった。
そして養嗣子の嫁も華族ではなく、高島易断の娘だった。
また、伊藤は娘を華族や財閥にではなく、有望な若手官僚に嫁がせた。
伊藤といい、山県といい、閨閥づくりに無関心だったのは、
一代で成功した自分自身に自信があったからなのだろうか?
>>317 長州出身者を中心に明治の政治家は私心が無かったからね。
今とは大違いだ。
山県は維新後すぐに贈収賄事件を起こしてるだろ
320 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 20:14:57
>>297 伊藤・山県・桂・寺内・田中義一までは、明らかに長州閥の流れだし、
戦後の岸・佐藤兄弟の出自の長州藩士。
その岸の孫である安倍までは、確かに長州の影響はあるだろう。
しかし、管は出生地がたまたま山口県だったというだけで、長州閥とは関係ない。
管の生家は岡山県の旧家で、祖父の代まで岡山だし、父親の勤務先が山口県だっただけだから、
長州の歴代首相とは言いがたい。
321 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 20:20:03
質問させて頂きます
秀吉関連の書籍や歴史本で一番信憑性の高い物
を教えて下さい
宜しくお願いします
風呂椅子
そんな定番はありません。
織田信長に関する記録なら信長公記(おそらく豊臣周辺の編集)で決まりですが、
徳川家康は豊臣秀吉の存在自体を無視し、史料を散逸させました。
従って一長一短ある史料を総合判断する作業が不可欠になります。
>>319 御国の為にやったのでは?
>>320 十分山口県出身だろ。少なくとも一般にはそれで通ってる。
ミンス党は不安だが、長州人なら任せてもいいという雰囲気が政界に財界に有ってもおかしくはない。
反面小沢はやっぱ賊軍の奥羽越列藩同盟ということで金に汚い。国体(天皇陛下)すら犯しかねない。
そう危ぶむ民草の声が危機意識が有った。そしてその疑惑が事実と成った。国民は見ているんだよ。
よく信長が坊さんを焼き討ちしたりして叩いたから政教分離ができたと聞きますが、
ヨーロッパのキリスト教みたいに、そんなに仏教は政治に口出ししてたのでしょうか?
当時の比叡山は武装集団で、反信長勢力の浅井・朝倉連合軍を支援していましたから、
政治に干渉するどころか政治活動や武力活動も行っていました。
327 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 16:36:14
328 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:19:11
管なんか長州と全然関係ないだろ。
安倍までの長州系首相とは全然ちがう。
山口県出身から長州だとは言えない。
小沢一郎は岩手県だけど、水沢だから南部藩ではなくて
伊達藩になります。
>>316 派閥作りに関心の無かった男があんな大身になれるのか
331 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 10:00:46
閨閥=婚姻関係によるコネクション
派閥=親分・子分関係によるコネクション
山県は前者には、驚くほど無関心で、姉の子や大村先生の弟子の子みたいな、
なんかショボイ知り合いの範囲でしか縁組みしてない。
しかし、後者については長州人を越えて、陸軍・官界に広がる大派閥を作った。
332 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 10:06:18
岩手は斉藤実、後藤新平、小沢一郎の仙台藩水沢領系と、
原敬、米内光政、東條英機の南部藩系があるが、
小沢は南部藩士の子の原敬に自らをなぞらえているんだよな。
333 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 11:01:28
うそか本当かはわからんが、明治天皇=大室寅之助説ってあるよね
これは本当だったら凄い重大な意味を持つじゃない
うそであれ本当であれ、責任ある身ならこのことを認めるはずないと思うのだが、
明治の元勲(名前忘れた)や昭和の妖怪と言われた岸信介がこれを認める発言を
してるんだよね
これはどう解釈したらいいんだろうか?
334 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 12:51:51
↑
都市伝説
そんな事実はない
335 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 15:46:06
岩手県は水沢領を除いて下北半島まで含んだ旧南部藩領でまとめて、
宮城県は水沢領まで含んだ旧仙台藩領でまとめた方がすっきりするのに、
なんか不自然な分け方になってるよな。
336 :
321:2010/10/17(日) 18:25:47
337 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 20:46:43
博士(答えて下さる博士で結構です)の専攻をおしえてください。
338 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:01:07
>>337 博士などいません
詐称を真に受けてはいけませんよ
339 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:07:55
自称博士は経歴詐称、実は単なる落ちこぼれのニートというのが通説(藁
340 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:10:26
なんだブヨーか
341 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:14:32
皆さん史学専攻?
私は違うから、
羨ましいです。。
342 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:15:59
私は回答する側の人間じゃないですが大学生です
343 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:25:39
大半は博士でも史学科でもない、単なる歴史好きの一般人だろうな。
それで何か問題でも?
344 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:35:41
>>343 回答する博士があまり謙虚でないがゆえに叩かれがち
博士は院生じゃないの?
博士は一人じゃない気がする
レスの雰囲気が以前いた博士と違うように感じることがあるから
347 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:54:43
>>343 341です。
そうでしたか。
もともと歴史が好きでしたけど、諸事情の為により文学部に進学出来ませんでした。
色んな疑問に思っている事も多数あります。
色々教えて下さいね。
348 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:13:27
文系は博士課程を修了して、何年か十年後か経って博士号を得られるから
その間は大学職員か資料館や博物館の研究員か中学の非常勤講師か
最後に「よっしゃこい」って付ければ博士になれるからなw
>>347 博士どころか史学科出身者すらいない模様
>>350 案ずるな
これが2ちゃんクオリティ。善き哉善き哉w
352 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 00:14:59
って事は私みたいな
歴史オタクですか(笑)
でも日本史スレ面白い、
へぇ〜
こういった考えなんだぁ〜
とか、
これは、同じ考えだとか
色々読まさせてもらってますよ。
家業が暇になったら
史学科行きたいなぁ〜
353 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 21:17:58
>>334 都市伝説って言うのは、明治天皇=大室寅之助ではなく、
明治の元勲(名前忘れた)や岸信介が認める発言をしたってこと?
認める発言なんかしてないってこと?
他の方もどう考えられてるか教えてください
354 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 21:32:25
355 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 21:45:55
>>353 レスむだにすんなよ
ツチノコの実在を論じてるのとかわらん愚だ
マテ
小動物を飲み込んだ蛇をツチノコと称すならツチノコは間違いなく実在するぞ
>>356 はいはい
枝はどうでもいいのであって、レスの主題に着目してくれよ
ディベートの初歩的約束くらい知らないのかw
359 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 16:16:52
天智=百済系=九州系ってのはもう当たり前なんですかね?
360 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 17:06:40
361 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 17:24:18
すいません。それを前提として考える方は多いですか?
と言い直します。
>>361 真面目に答えるか。
「天智=百済系」っつーのは天智の父が百済王って話だよな?
確かに、それで天智天皇に関する謎とされている部分がいくつか片付くのは事実だが、
だからといって決定的な根拠が何もない以上、今のところ「偽説」としか言いようがない。
ちなみに、天皇家に百済系の血が入っているのはほぼ確実視されているから、
それを以て「百済系」と言い張るのは(無茶苦茶強引だが)勝手かな、という感じ。
で、「百済系=九州系」に関しては、ただの電波。
歴史的にも論理的にも意味不明。
神武東征は、
高句麗国から日国に移動した人々の神話というのは、
どの程度裏付けがある説なのでしょうか?
高句麗語の数詞が、日本語の数詞に。
高句麗国の道教が、卑弥呼の鬼道に。
高句麗国の古墳が、日本の巨大古墳に。
高句麗国のサンチョゴが、神武天皇を助けたヤタガラスに。
高句麗国の神宮制度が、斎宮制度に。
高句麗国の太陽信仰が、日本の天照大神に。
高句麗国の三種の神器が、皇室の三種の神器に。
高句麗国の朱蒙が、弓月の君に。
高句麗国の卵生神話が、桃太郎のおとぎ話に。
高句麗国が、日本の高句麗郡に。
日本は本当にこんなにも多くの影響を受けているのでしょうか?
もしも、神道や天皇を象徴するシンボルまで高句麗国由来のものだとすると、
日本は高句麗国の侵略(神武東征)によって、
乗っ取られたと結論してよいのでしょうか?
364 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 18:10:39
>>362 ありがとうございます!!
百済系と一言で言うのは安易すぎなんですね・・・。
>で、「百済系=九州系」に関しては、ただの電波。
歴史的にも論理的にも意味不明。
ちゃんと勉強して出直します。
ご丁寧にお答えくださってありがとうございました!!
365 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 18:27:12
舒明は義慈元年に倭国に派遣された男らしい。
366 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:08:49
マジで?
367 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 08:27:26
日本の海賊ってどうして西洋の海賊みたいに子供たちの絵本に出てこないんでしょうか?
なんでパイレーツ・オブ・カリビアンには中国人の海賊は出てくるのに、それより強かった倭冦は出てこないの?
>>367 倭冦というのは日本人の海賊ではありません。確かに『高麗史』や『高麗史節用』には
日本人倭寇について記されているものの、高麗の辛嵎王時代の倭寇の八割は倭人ではなく
高麗の下流の人々だったといわれています。
また、藤原定家『明月記』には松浦党という鎮西の強盗(倭冦)について記していますが、
これは風評を書き留めたもので具体的に見聞したものではありませんでした。
海人族は、遼東半島から日本の紀州までを勢力圏内におさめていました。
倭寇というのは偽装です。
だって、貿易商人もやってるんですから。
表の家業と裏家業を使い分けてるのに、正体を明かすわけがないでしょう。
>>368 それは後期倭寇だろ
前期倭寇は日本人が多かったのではないか
北条時頼が海賊禁令を出してるし
>>370 だから『高麗史』や『高麗史節用』の例を出してるんですが。
あのー、もっと古い時代から、海人族が活躍してて、
天武天皇なんて、海外の当時流行の忍術を学んで、
伊賀忍者軍団を創設して、皇位を手に入れてるし、
いろいろ情報操作を試みてるんですよね。
そういった流れが底辺にずっとあって、そこから浮上してきた倭寇も、
敵の中に気付かれないように入り込む忍術を使って、正体を隠していたと考えるのが妥当でしょう?
日本書紀などにもはっきり現われてるとおり、日本の歴史は偽情報だらけ。
その原因は忍術の普及にあったみたいですよ。
373 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 13:44:37
弥生人、縄文人という区分に意味があるのでしょうか?
実際に日本に住む人が名前をつけて区別するほどに変わったのでしょうか?
エセ科学の基になってるだけの気がします。
374 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 13:56:20
つ大陸からの渡来人
375 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 14:10:21
渡来人がどれほどきたのでしょう。呼び名を変えるほどきたのでしょうか?
弥生以前と比べて日本に来る人の数がそんなに増えたのでしょうか?
弥生の後の時代と比べて弥生期がそんなに多かったのでしょうか?
明治末から戦後や今の方が大陸からやってきて日本に住み着いていく輩の数が多いのではないのでしょうか?
天武天皇が得意とした遁甲は、今で言う忍術で、敵の中に身を隠す術などが含まれる。
ここでいう忍術とは、
隠れ蓑をかぶって呪文を唱えたら姿が見えなくなる、マンガに出てくるようなものではなく、
敵対組織の人間と同化する、いわゆる潜入スパイの技術だった可能性が高い。
帰化人と言えば聞こえがいいが、スパイといえば聞こえが悪い。
ちょっとした言い方で認識が変わるから不思議だね。
378 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 18:09:48
>>365-366 舒明天皇こと大王田村王子が、百済色の強い大王であることや、
百済の義慈王をモデルに創作された大王であることは、識者によって指摘されている。
さらに、その息子の天智天皇こと中大兄王子も余豊をモデルに創作された人物らしい。
中大兄と中臣鎌足の関係は、新羅のキムチュンチュとキムユシンの関係を元にして、
記紀編者の手で創作されたとの指摘もある、
379 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 18:31:59
380 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 18:53:18
381 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 18:59:29
消毒退治も架空存在で、百済王を元にして、
記紀編者の手で創作された?
382 :
しゃち:2010/10/20(水) 20:05:54
おはつです。
おもろい ココに来ている人たちレベル高い。
大化改新の時 倭国連邦は基本的に滅んだ。
日本における人の移動ルートは海路である。
大雑把な流れ
日本人は基本的に混血児であることは 強く蒙古斑が現れることにより
多民族国家である事が血によって証明できる。
海人族第一陣、第二陣、第三陣と分かれて流入して来ている。
第一陣 推定一万二千年前(9000年前には漆器が北海道で出土)(国津天津同系)琉球方面より北上し中国内陸へ
第二陣 推定4000年前に 大陸から日本へ帰還(国津系)
第三陣 推定2000年前に 南方より上陸(天津系)
氷河期が終わり北上ルートと考えてもらって良いと思う。
人面注口器の土器が日本で発見されているが 中国では殷(商)の時代に金属製の注口器が作られている。
土器は金属より古い時代を示す。
つまり 殷の時代日本人が中国を作ったと言えなくも無い。
秦の時代には日本へ亡命するような移動があった除福?
中国は秦以降 戦乱の世に落ちる。
それでも 北朝鮮までは 踏み入りる事が出来なかったのは何故か?
其処には倭国連邦が水軍として存在していたからではないだろうか?
これだけの時代の動きに 日本倭国が空白の時代では 本来おかしな事であろうと思う。
人が海洋ルートで動いているならば 文化も進んでいて当たり前だと思う。
百済政府は基本的に日本の統治自治政府であった可能性がとても高い。
百済が滅ぼされる事は本来疑問点が残る。
百済が置かれた理由として大陸の国々に監視がいくように築かれた国
しかし時代の流れと共に自治権が強くなり国として独立していった。
朝廷が韓国(高麗)の人たちを受け入れ土地を与えた。
基本的に信じがたい史実だが 連邦制の国家運営であれば受け入れる事も
正当な政治判断であったのだろうと思う。
倭国大乱と歴史にあるが・・・小さな国なら大乱とは書かないとおもう。
383 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 21:48:29
陽明学がなぜ危険思想なのか詳しく
>>378 百済は高句麗から派生した国。
国民と百済の王家が話している言葉が違うって書かれている資料があるそうですね。
知りたいのは、このときの百済の王家は、朝鮮語と大きく異なる、
扶余や高句麗のツングース系の民族の言葉を話していたのか、
それとも朝鮮語に南北で方言のような違いがあったのか、
分かる方はおられますか?
もう一つ百済絡みで知りたいのは、「くだらない」という言葉の由来です。
「平家でないものは人にあらず」という言葉があるように、
「百済の王室出身者でない者」を蔑視する言葉として「くだらない」が日本の朝廷内で使われ、
それが定着したとする説は、どの程度信頼性があるんでしょうか?
日本の朝廷は百済に乗っ取られたのではないかという話もあるので、興味があります。
最近このスレは朝鮮人の電波スレになっちゃったなw
その説のソースが知りたい。
>>385 百済から亡命した百済王の子孫ですら日本では低い身分だよ
貴族の一番下
百済王でさえね
どうやって朝廷を乗っ取るのかw
少し考えたら分かるだろうにくだらない与太話をしてたら駄目だよ
「くだらない」はそれほど古い言葉ではないと思われる。語源は諸説あるが、新文化は上方から各地に下っていくことが
多いが、つまらないものは下っていかない。つまり「下らない」が語源であるという説が最も可能性が高いという気がするね。
いずれ「百済」はごろ合わせ程度のものじゃないか。
390 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 01:00:12
391 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 01:07:25
392 :
しゃち:2010/10/21(木) 01:10:46
百済は扶余と関わりがあり高句麗とはいとこ関係みたいな形だったと思いますよ。
日本からみれば 北海道まわりで行けば 高句麗が近く
九州からみれば 百済が近い
ということは?南方系の言葉では無いのかな?
高句麗のシンボルは熊野神社のヤタガラス
高句麗は扶余から 別れた国この時代古朝鮮 神官政治が主であり
女性神官による統治政治に近い
ココで着目する点は 日本に置いても 女性の神官が主であり
沖縄のウタキをみれば 女性神官のルーツとなりえるだろう。
日本朝廷は基本的に百済を支配していた国であり その中心が大阪であったと言われている。
邪馬台国は近畿には無い その代わりに倭国の本部が置かれた地。
新羅と源氏(琉球系)ペルシャ系民族と百済(七支刀)の関係など・・・。
邪馬台国は九州の地であり 文化の交流点である 九州しか在りえない。
393 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 01:12:09
394 :
しゃち:2010/10/21(木) 01:14:40
その時代の 百済はホセイが 本来の発音らしい。
くだらないと 百済は関係は無いと思うよ。
その時代の言語の発音を修復する必要があるよ
395 :
しゃち:2010/10/21(木) 01:19:28
桃太郎さんの 鬼退治の鬼は 鬼道の信者
つまり 討伐隊が あった事をしめす。
396 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 01:20:09
「くだらない」は文語だと「くだらぬ」になるが、否定の助動詞「ぬ」が名詞につくことは日本語の用法にはない。
だから「くだら」の部分は動詞ということになるだろう。
398 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 01:29:39
>>388 それは渡来時期によって違うのかと思っていました。
応神天皇の時代に、弓月の君が百二十県の人民を率いて、百済からやってきたことになっています。
そして、弓月の君と応神天皇が、同一人物という見方があります。
1.応神天皇を祭る宇佐八幡宮は、もともと秦氏の氏神で渡来系。
2.別名誉田天皇の誉田は、弓を射る時に使う鞆(ほんだ)に由来し、弓月の君に繋がる。
3.宇佐神宮は伊勢神宮と並ぶ皇祖を祭る宗廟。
4.応神王朝は、日女神(卑弥呼の一族)の入り婿。
実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われるので、
卑弥呼亡き後の天皇誕生までの歴史が追えないかと興味が沸いたのです。
くだらない質問に丁寧に回答してくださった方々、ありがとうございます。
百済は朝鮮半島では百済と読まずペクチェだから、どうなのかと思っていましたが、
「くだらぬ」で決まりのようです。
>>392 百済は高句麗から派生したと思っていました。扶余のほうが近いとは驚きです。
高句麗のシンボルは、太陽の中に棲むと言われる三本足の鳥ですね。
神武天皇の力の象徴でもあるので、
東征神話は、大陸の高句麗から日本に向かって起こったと推理する人もいます。
どの程度裏付けとなるものがあるのか、興味があります。
テレビドラマの朱蒙を見ていると、ヤタガラスだけでなく三種の神器も登場します。
神宮制度があり、女性神官が政治に大きな影響力を持っていて、卑弥呼を連想しました。
八旗の軍旗を押し立てて進軍する多勿軍がそのまま日本にやってきて、
八幡宮や物部氏になったのではないかと感じる人も大勢いました。
大陸の文化が朝鮮半島を飛び越えて、日本まで来ている可能性はあるのでしょうか?
どうしても目が行くのは、九州で皇祖を祭る宗廟宇佐八幡宮です。
秦氏が大陸から日本に移動したとき足跡を残した場所に、
皇祖を祭っていることが、偶然とは思えないのです。
弓月の君は、高句麗国を建国した弓の名手朱蒙を彷彿とさせます。
大陸から渡来した弓月の君の一族が、卑弥呼の末裔と接触したことで、
応神王朝が誕生した痕跡が、宇佐八幡宮として残っているとする推理は成り立つでしょうか?
応神天皇と神功皇后よりも格上の扱いを受けている比売大神は、
日女神で、卑弥呼ではないかと思えてきます。
邪馬台国九州説から応神王朝の誕生までの流れを追える史料がないものかと探しています。
402 :
しゃち:2010/10/21(木) 08:33:12
日本自体の歴史は焚書や書き換えにより過去に失っている。
秦の時代に既に 日本倭国は知られていた。
蓬莱山を求めた事自体、秦一族の移住、これは来たルートで戻ってきた同一民族
海人族は元々琉球方面より来ている その民族が北上し 商の国を作り
また 戻って来たに過ぎない。
来たから戻ってきた部族と南の部族とが時を経て衝突し 南の部族が勝利し現在に至る。
その混乱は鎌倉幕府が開かれるまで内政的には混乱していたと思う。
403 :
しゃち:2010/10/21(木) 08:48:06
日本の言語の中に パーリー語の漢字の書き換えも在るようです。
プランジャティー=國常立尊・・・・光ありき
日本語は漢字に要約されてしまったが 倭国の言語を解明してゆけば
もっと 歴史が明らかにされてゆくでしょう。
倭国の姿は 多民族連邦制国家だった可能性が高いです。
完全に電波スレと化した
終わったスレだな
405 :
しゃち:2010/10/21(木) 13:22:39
言語修復学を学んでみたら〜
日本の歴史の中で遺跡や発掘品を見れば 9000千年前に漆器の出土品が北海道で
見つかっている。土器に関して言えば 1万4千年前の土器のかけら…
カッパドギア近くで発見された遺跡が約1万2千前の狩猟系の神殿跡
日本で文化が無かった?それは逆にありえないだろう。
406 :
しゃち:2010/10/21(木) 17:29:39
>>401 高句麗国を建国した弓の名手朱蒙を彷彿とさせます。
朱蒙で古朝鮮の地図を出していたと思う。
扶余や朱蒙の前の時代には大きな国の領土があったとさり気なく出ていたと思う。
その記載の審議は不明だが 秦以前の國の形と考察しても良いとおもう。
商の時代ならその国の地図があっても良いのでは無いのかな?
商を作った古代の海人族は灌漑知識を持ち治水工事を行った。
金属製の人面注口器の意味する物は 土器で作られた人面注口器が元になっている筈である。
407 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 17:34:54
家康が、秀吉死後に大阪城に2個目の天守つくったって本当?
江戸幕府は初期のころに禁中並びに公家諸法度を制定し、天皇が御所から出るのにも
いちいち幕府の許可がいるようにして天皇を縛り付けた
この時の力関係は幕府(将軍)>>>天皇、こんな感じ
しかし、幕末の頃には逆転して天皇>幕府(将軍)、こんな感じ
幕府(将軍)の力はかなり落ちていったのに、天皇の力はなぜ落ちなかったんですか?
>>407 大坂城西の丸ね
家康が一時占拠していた
>>408 一時は相当落ちたが、国学の流行で天皇が尊い存在として再認識
幕府への対抗手段としての御神輿として幕末明治ではより重宝された
よさこい
幕末の頃の天皇にどんな力があったのよ?
幕末の孝明天皇及び明治天皇は国家政策全般に関する拒否権を持っていました。
きっかけは日米修好通商条約で、井伊直弼が天皇の裁可のない状態で締結し、
これを理由に暗殺された(桜田門外の変)ことです。
以後幕府は対外条約締結に天皇の裁可を求め、天皇の許可のない条約は履行できないとし、諸外国に通知しました。
また以後孝明天皇は国内も含む重要政策及び幕府内の人事にも自らの意見を反映させ続けました。
天皇の許可不許可が幕末の日本の最高決定となっていたのです。
>>383 おや、なぜかスルーされている。
簡単に言うと、陽明学の「至良知」という方法論が、
安易な自己正当化の根拠とも成り得るものだったから。
朱子学はさ、
万物に通底する「理」っつー、まぁ言わばルールがあって、
それに基づく「性」が所与のものとして備わっていると説くわけ。
だけど、それがアウトプットの段階で「情」として
>>413 ごめん、途中送信しちゃった
だけど、それがアウトプットの段階で「情」として
なんか乱れたりおかしくなったりしてるから、
「理」を体得するべく頑張ろうぜ、と説いたわけ。
それが朱子の言う「格物致知」。
それに対して、陽明学は、「情」と「心」なんて簡単に分けれるかボケっつって、
「心即理」、人間は生まれながらに「理」を体得している、と説いた。
これは、いかなる行為や心情も「理」として正当化しうる危険性があるわけよ。
だから、日本でも中国でも、常にその危険性が強調されていたんだね。
415 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 14:14:57
有名私大の文学博士号を取れば
教授への道は思いのままですか?
んなわけねーだろ
だが博士号取れたらかなりいいセン行ってるとも言える
>>410 幕末に孝明天皇が行幸した時、14代将軍と後の15代将軍がつき従った
幕末日本においての格付けでは天皇>将軍が確定
>411
ついでに>418
何を読んで騙されたのか知らんが反幕側が天皇の権威を利用したことと天皇自身に権力があるということは明確に区別しようね
検索キーワード 8・18政変 孝明天皇
420 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 01:29:16
勅許をとろうとしたのは最初は幕府であって、反幕側ではありません。
幕府が天皇の権威を利用し、将軍を上回る権威としたため、
幕府に反対する人は、天皇を擁すれば幕府を超えると思いました。
このようにして、天皇の権威は幕末に高まっていきました。
>.>419
のほうが意味不明と思います。
孝明天皇は、条約問題以降、得た権威を使って条約はおろか内政にも幕府人事にも介入しました。
これが天皇の権力でないなら、何が権力なのでしょう。
幕末の、江戸から京都への政局中軸の移転と天皇の権限増大は、
江戸幕府崩壊(倒幕)と明治新政府成立の要因の一つとなったから
うやむやにして武士を気取りたい人間がいるんだよ。
そんな人の好きな新撰組も京都守護職も、京都に政局が移った結果なのだけどね。
423 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 07:40:15
424 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 07:41:10
425 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 07:42:52
426 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 08:24:13
孝明天皇自身、黒船来航以後、国家と国民の安寧のために政治に積極的に関与する気持ちは強かった。
だが、現実は天皇一個人じゃ手に負えないほど政治構造が複雑化していて、努力はしたけれど結果的には空回り。
最終的には天皇の御心に便乗した幕府側・反幕府側にいいように使われた。
>>421は正しい事を言っていれど、その結果がどうなったかを見ていないし、
>>419はそこに至るまでの過程を見ていないから、議論がかみ合っていない。
428 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 10:24:22
質問です。どうして東北地方の蝦夷の人たちはスコットランドみたいに独自の王国を
作ることができなかったんでしょうか?
ヤマト王権に滅ぼされたから
430 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 11:03:16
それは結果論としてで、その理由も含めて聞きたいのですよ。
東北地方の人たちが連合して朝廷と戦えばなんとか独立を保てたと
思うのですがどうですか?
蝦夷の人は馬を持ってなかったから
432 :
431:2010/10/23(土) 11:17:05
ごめん。
もう少しちゃんというと蝦夷は農耕馬はあっても軍馬を持ってなかったという意味ね。
433 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 11:26:53
いわゆる蝦夷馬ですね。でもこれは軍用にも転用できるし、現に朝廷軍は
蝦夷の騎馬集団に大敗してますよ?
連合すれば、という話で現実には連合も統一された国家にもならなかったから。
可能だったというのは妄想で、現実には対抗は無理だったと思う。
435 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 00:24:57
陸奥、出羽まとめて「東北」という観念自体が明治以降確立。
陸奥と出羽は大きく異なる。
日本海側の出羽は、日本海交易ルートで大きな戦争無しに中央の支配下になった。
出羽勢力の清原氏が安倍氏を襲ったのもそのためであろう。
藤原3代も出羽を直接支配できていたかどうかは疑問。
>>436 その地域独自のお祭りや儀式って、そういうのが起源のものが
あるんじゃないかなあ
平氏落ち武者狩りとか、大飢饉での悲劇とか
438 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 09:14:45
戦国のご時世、「落ち武者狩り」くらいでいちち「祟り」なんか恐れていたのか?
439 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 11:01:18
>>430 古代では日高見の国、
平安時代には奥州藤原氏があったよ
でも滅ぼされたな
質問です。
刀工とかがどこそこの守とかいっ官職?受領名?を名乗ってるのはなんなの?
朝廷がそんな官職を与えたとも思えないんだけど、勝手に名乗っていいの?
神学博士の俺もそれはわからんな。
よっしゃこい。
鹿島神宮・香取神宮あたりは中臣氏発祥の地として知られていますが、
剣術の発祥の地であると同時に刀剣製造でも権威だった所で、ここの神職が刀鍛冶だった関係から
偉い刀鍛冶に神職系の官位をつける習慣が発生しました。
その程度のこと
443 :
日本@名無史さん:2010/10/25(月) 02:30:41
>>440 庇護者の公家に献金して、受領名をもらうのじゃなかったか?
444 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 11:01:49
445 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 11:20:02
446 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 22:11:43
五摂家について質問なのですが、五摂家は元々藤原氏から分裂して成立したものとのことですが、
五摂家成立以降にそのまま「藤原姓」を名乗り続けた家や人物はいなかったのでしょうか?
本当は藤原さんですよ、久我源氏の方々とかを除いて。
だから三丁目だの向町だの住んでいる場所とかで呼び合っただけのことで。
藤原だらけの町内会で一人だけ、「俺は藤原だ、他の呼び方をするな」といったら変でしょ
448 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 22:36:09
失礼しました。質問の内容が悪かったみたいです。私が聞きたかったのは五摂家が成立し、
近衛氏、九条氏と名乗っていった中でそうした姓を名乗らず「藤原氏」で居続けた家や人物は
居なかったのか?という意味です。
449 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:12:34
室町末期から江戸の時代、冷泉家に藤原惺窩という朱子学者がいます。
彼は、中国・朝鮮の士大夫による体制を文明のものと考え、日本を野蛮と考えました。
それゆえ中国・朝鮮式に「藤惺窩」と名乗りました。
通常、鎌倉期に入ると公家は各居住地などで呼び合うようになり、
武家も別に苗字を定めますので、「藤原」という苗字は公文書上でしか見かけなくなります。
例外は貴種が僻地にあった場合。鎌倉幕府の九条出身征夷大将軍がこの例です。
後は奥州藤原氏程度のものですね。それ以外は全く知りません。
明治以降も、藤原氏の家系の人は苗字に「藤原」をつけることが全くありませんでした。
450 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:20:13
>>449 新田、足利もそうですね。
最近の大河に出てくる
小松帯刀もそうですね。
平重盛小松左大臣
日本史を考える上で、歴代天皇の中でも「この天皇は外せないな」という
傑出した天皇を5人選ぶとすると誰になりますか?また10人の場合なら誰になりますか?
江戸時代の地方の農民は幽霊を信じていましたか?
453 :
428:2010/10/27(水) 00:23:45
>>435 なかなか興味深い意見ありがとうございます。
そういえば、東北地方を貫いている山脈は奥羽山脈って言いますよね。
比較的なだらかなスコットランドとは違い東北地方は山がちなので、ひとつの
民族国家としてまとまるのは難しかったのかもしれません。
あくまでも私見だが、
推古、天智、桓武、後醍醐、明治、昭和・・
だめだ、どんなに厳選しても絶対にこの6人は入ってしまう
これ以上は厳選できんわ
455 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 00:27:42
スコットランドもハイランドはアイルランド・ゲール人と同族、ローランドはアングロ人と同族で、
スコットランド意識が強く確立したのは、イングランドに併合されて以降みたい。
458 :
454:2010/10/27(水) 00:47:25
>>456 >>457 どんなに絞っても6人になってしまうってのに、5人の中に後白河上皇と
後鳥羽上皇を入れろってこと?
じゃあ、いったい誰を外すんだね?
10人の中には入れられるかも知れんがね
459 :
457:2010/10/27(水) 00:51:53
10人の中に入れろってことだよ、
460 :
454:2010/10/27(水) 00:58:02
>>459 なるほど、それなら分かった
ちなみに459なら5人の場合誰選ぶ?
>>453 歴史にifはないが、もし平将門の関東王朝が後々まで存続していたら、
東北連合国家の独立を促していたのかもしれん…あくまで妄想だが
462 :
457:2010/10/27(水) 01:10:12
>>460 俺なら
>>454のメンバーのなかから後醍醐を外して5人だな。
建武の新政や南北朝などいろいろ関わってるけど、彼が現代までに
与えている影響ってなんかある?それが外す理由かな。
463 :
457:2010/10/27(水) 01:12:47
>>460 俺なら
>>454のメンバーのなかから後醍醐を外して5人だな。
建武の新政や南北朝などいろいろ関わってるけど、彼が現代までに
与えている影響ってなんかある?それが外す理由かな。
464 :
457:2010/10/27(水) 01:14:51
なんか2重になってるなw別に大事なことだから2回言ったわけじゃないぞww
465 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 01:31:50
東大寺の足元の剣
466 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 10:43:54
>>451 継体、天武、後醍醐、明治、昭和
いずれも歴史の節目に居た感じがします。
>>466 その五人の中で違和感があるのは明治天皇かな。他の四人は時代を動かした
文字通りの歴史的人物だが、明治天皇の場合は担がれた少年だったことを考えると、
たまたま時代の動乱期に天皇だったと言う立場。
468 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:18:51
>>467 466です
ご指摘ありがとうございます。
仁賢天皇兄弟ってのも思ったんですけどね
確かにおっしゃる通りかもしれませんけど、
明治大帝を選ばせていただきました。
後どなたがふさわしいでしょうか?
>仁賢天皇兄弟
オケ・ブラザースは実在なのか?
470 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:27:18
考古学的には、雄略天皇の治世とされる時期には大和盆地全体での
葛城の影響が弱まり、(葛城系の遺物は葛城地方のみ流通)オケ・ブ
ラザースおよび飯豊皇女の時期にまた復権する。(葛城系の遺物が
盆地全体に広がる) おそらく仁賢天皇兄弟は雄略によって勢力を殺
がれた葛城の復権の象徴として登場するのではないか?
天智、天武、後三条、後醍醐、孝明
推古って、架空の人物だろう。
天智、天武、持統、桓武、後醍醐 だな。
やはり、後醍醐は外せん。
明治天皇と昭和天皇はかなり重要だと思うけどな
大人物であることは間違いないのだが、ロボットの部分があるわけで……
やはり、親政で一時代をなしたということに注目して。
昭和天皇は日本史上唯一、日本の主権を失った天皇だから
ある意味では重要な天皇かも知れない。
天智天皇陵と、従って持統天皇陵の場所は知ってるんだが、あそこは行きにくい。
しかし、桓武天皇陵と明治天皇陵は毎年お詣りしている。
こんどの11月3日も明治陵お詣りするよ。雨さえ降らなければ桓武陵へも行くのが慣わし。
明治天皇、昭和天皇はそれぞれ近代国家建設のための全国行幸、戦後復興のための全国行幸も
されたし、国家の精神的支柱としての役割も担ったし、相当大きな仕事をしている。
昭和天皇は立憲君主→象徴という存在の変化もあったし、歴代ビック5には絶対入るだろうよ
やはり現代人としては両天皇は外せないね
もっと時間が経って歴史が深まらないと客観的な評価はできないね。
太平洋戦争は本邦開闢以来の国難だろう。昭和天皇は外せないだろうね。
昭和天皇
・全国行幸
・日本最大の国難、敗戦時の天皇
・立憲君主から象徴へ
・御在位歴代最長(64年)
これはもう当確でしょ
光格天皇を外すべきでないです。
王政復古は光格天皇が幕府に対して反感を強く抱いた事から
始まったと言っても過言でないと思います。
ほかの板では回答がもらえなかったので、こちらに誘導されました。(汗)
山川出版の「詳説日本史」の
第4章「延久の荘園整理令と荘園公領制」には、
「在庁官人らは、公領を彼らの共同の領地のように管理したり、荘園領主に寄進したりしたため〜」
と書いてあります。
ここがよく分からないのですが、ようするに、
公領にたいする支配権を強めた在庁官人は、
(荘園の寄進がよく行われたのとおなじく)国衙の公領すらも上級貴族に寄進していた
っていうことですよね?
486 :
485:2010/10/29(金) 07:53:30
あと、時代はちがいますが、疑問がもうひとつ。
律令制が崩壊して、税制が租庸調から官物・臨時雑役に変わっていったとき、
国司(受領)が、有力農民(田堵)にたいして、それを課していたんですよね?
その際、国司は、官物・臨時雑役という税を、自由に設定して課すことができ、
暴利をむさぼりながら、その一部だけを朝廷に納めていたのですか?
それとも、「官物・臨時雑役」は、一定の税として朝廷に納めるべきものであって、
国司はそれとまた別に、それぞれ自分の取り分をつくっていったのでしょうか?
487 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 13:03:13
488 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 20:27:23
後北条氏が姓を「伊勢氏」から「北条氏」に改めたのは、関東において鎌倉北条氏の権威がいまだにあったからという説がありますが、実際の所そこまで関東の武士から鎌倉北条氏って支持されてたんでしょうか?
個人的には将軍を殺して幕府を乗っ取った印象しかないのですが。あるいはしっかりした政治さえしてればトップが将軍じゃなくても問題なかったと言う事なのでしょうか?
489 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 20:31:30
> 将軍を殺して幕府を乗っ取った
それは、後世の後知恵であって…
490 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 20:45:37
歴史というものを、まるで自分の掌(たなごころ)の上に乗せて
好き勝手に扱えるもんだと考えている。
思い上がりだ!
歴史というのは神棚に上げて恭しく拝見させてもらうものだ。
「原因と結果」とか言って機械でも分解するみたいな態度で歴史をいじり回すのではない。
ひとつひとつの歴史事項を素直に受け容れる心掛けが大切だ。
まあ、何かの事件を後世から見て「歴史の必然であった」などというのはおかしいとは思う。
492 :
488:2010/10/29(金) 22:13:56
では質問を変えます。
後北条氏が姓を「伊勢氏」から「北条氏」に改めたのは、関東において鎌倉北条氏の権威がいまだにあったからという説がありますが、
実際の所そこまで関東の武士から鎌倉北条氏って支持されてたんでしょうか?
板東の北条と言やぁ、北条の板東か板東の北条か――
494 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 23:03:43
おらたちの一所懸命は北条にさえ頼ってれりゃ大丈夫!
北条が陣触れすりゃあ槍持って馳せ参ずるまでの事。
北条が源家を立てると言えば従い、
源家はもうヤメたと言えば、ンダンダとうなずくだけよ!
鎌倉の北条氏は元々、伊豆の韮山盆地を三分していた程度の小豪族です。
伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆を侵略した後、「元居た堀越公方の横暴により、すぐに伊豆は新九郎のものとなった」と
小説や説話では語られていますが、実際は豪族を平らげるのに数十年を要しています。
後北条氏の支配は全くの新参者であるという負い目があり、相模でもかつての名族三浦氏を滅ぼすのに
篭城包囲に時間を費やしました。
地元に受け容れられるために地元のかつての名族の名前を使うのは、伊勢氏には意味があったと思われます。
496 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 03:13:49
>>485 たぶんいいんじゃない。
皆さん受験生みたいだから答えてあげた下さい。
497 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 04:43:25
江戸時代の海運について質問です。
檜垣廻船のレースが行われていたって本当ですか?もしそうだったらワンピースみたいでカッコいいですよね!
江戸時代の三貨制度で、公定交換比率で二朱銀は四分銭いくらぶんに相当するのでしょうか?教えてください
499 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:46:58
500 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:48:30
501 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:51:43
502 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:58:57
これは何、ウィルス?
武陽攻撃か?
505 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 03:04:32
506 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 03:35:18
507 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 03:39:42
508 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 03:52:19
509 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 04:02:06
510 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 05:13:19
511 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 06:40:57
気違いがいるな。
513 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 23:28:04
大阪って、奈良時代は難波と呼ばれていたと思いますが、
いつ頃から、大阪または大坂という呼び方に
変わったのでしょう。
515 :
酒乱童子:2010/11/01(月) 00:01:02
平安時代、六衛府というのがあったが、その中で左右近衛府だけが
飛びぬけて格が高かったのは何故?
ここの大将は大納言に匹敵する高官で、後の4衛府とは違い過ぎる。
本願寺が上町大地を占領するに当たって名づけた。
517 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:15:25
逢坂の関を指す地名だった?
518 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:16:06
難波は難波津という港のことだった?
>>516 ありがとうございます。
本願寺が出来たからでしたか。
520 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:27:34
日本史板の守備範囲こえちゃうかもしれないけど、
地名の「命名権」ってどうなってんだろう。
あらたに宅地開発されると、どこも、
○○台だの、○○ヶ丘だのになっちゃってる気がする。
現状、宅地開発するとその土地の命名権は実質「土建」に行くみたいじゃない?
>>517 逢坂の関は場所が違う。今の京都市と滋賀県大津市のあいだにあった。
脇田晴子の文化勲章について一言!
>>522 個人的には、旦那さんの方が学問的に明らかに優秀だと思うんだけど、
網野さん以来の中世史のビッグネームだし
女性史・芸能史のパイオニアでもあるし、別に違和感はないな
正直、去年の速水融よりはよっぽど理解できる
たしかに、去年の速水は「はあ???!!!」だった。
古代史では坂本太郎・竹内理三がいるね。
早くに亡くなっていなければ、
中世史では安田元久が最初の受賞だったろうに。
長生きすれば石井進。
中世史は石母田・永原・網野・黒田とか反天皇多すぎる。
皆さん初めまして。今、中学一年ですが「蘇我一族」や「壬申の乱」辺りに興味を持っています。
そこで読みやすい日本書記(現代訳)と古代飛鳥時代の本を教えて頂けると嬉しいです。
市立図書館とかには重くて高そうな研究本はたくさんありますが、何となく近寄りがたい感じがします。
宜しくお願いします。
【川中島合戦】
「謙信の単騎斬込み」は史実ですか?
【長篠合戦】
「信長の鉄砲三段撃ち」は史実ですか?
527 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 21:29:03
功山寺の挙兵が仮に失敗してたとしても幕府は倒れたんでしょうか?
再度クーデターを起こしそうな人材もパッと思いつきませんし恭順派に支配されたままだったんじゃないかなあと思うのですが
528 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 22:05:46
『日本書紀』の現代語訳は、宇治谷孟とやらの講談社学術文庫のを使うなかれ。中公クラシクスから出てる
井上光貞監訳を選ぶべし!
蘇我氏については、水谷千秋『謎の豪族蘇我氏』(文春新書)、
壬申の乱は、ちょっと古いが、北山茂夫『壬申の乱』(岩波新書、黄版)、同名の直木孝次郎、亀田隆之の本がスタンダード。
近年、遠山美都男とか倉本一宏とかも出してるが、新しいのは奇をてらったのようなのもあるから、すぐには手を出さないほうがいいぞよ。
>>528様
ありがとうございます。早速、日本書紀から読んでみたいと思います。
「紀」の字を間違えていました。すみません…
色々と教えてください。
530 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 01:09:50
>>525 あればだけど、
(戦乱の日本史)小学館
壬申の乱
結構面白く読めた。
室町時代の惣村は、地侍たちが中心になって、土一揆や徳性一揆を起こしていたらしいんだけど、
それだと、傘連判に見られるように、「一揆の参加者はみな平等」っていう原則と矛盾しませんか?
あとそれから、江戸時代の農民一揆は、「代表越訴型の一揆」が初期では多かったのに、どうして「惣百姓一揆」に移行していったんですか?
532 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 12:50:11
地侍≒地主層たちの間での平等だよ。
533 :
531:2010/11/02(火) 13:08:19
>>532 なるほど、複数の地侍たちが、それぞれ平等な立場で、団結していたんですね。
つまり、傘連判に署名しているのも、一味神水していたのも、指導者的存在の地侍たちだけで、
それより身分がひくい下層農民は、土一揆のとき、彼らの指揮下にあったということですか?
534 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 14:54:14
そう。小作人は動員対象。
>>530様
ありがとうございます。
明日は学校が休みなので本屋に行って探してみます。
それからゆっくりこのチャンネルを楽しみたいと考えています。
気合いを入れて宿題を片付けます。
日本の歴史において歴代の天皇が果たした役割として、特に大きかったのはどれでしょうか?
@〜Dを付けしてください
@国家元首、王
A為政者、政治家
B最高権威
C祭祀王、神道の法王
D国民統合の象徴
古代はともかく、Bで、官位を与える役割が大きかったんじゃないの。
538 :
531:2010/11/03(水) 12:30:10
>>534 では、江戸時代の惣百姓は、どうだったのでしょうか?
それも、名主・庄屋のような村役人たちが中心となって、傘連判には彼らだけが署名し、それ以下の下層農民はやっぱり動員されただけですか?
539 :
531:2010/11/03(水) 12:31:40
【訂正】
×惣百姓 → ○惣百姓一揆
大和朝廷成立くらいまではC
飛鳥〜平安途中くらいはA
平安途中以降B
明治から終戦までは@
戦後はD
こんな感じじゃない?
詳しい人修正あったらして
>>540 >平安途中以降B
権門体制論は最近は否定的な学説も出てきてるから(本郷和人先生とか)、
治天の君=最高権威とは言い難いのでは?
まあ、治天の君自体が天皇という地位そのものを傀儡とした発想なんだが。
>>541 そもそも天皇家の当主=天皇という発想自体、江戸期以後の思想という説もあるしね。
543 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 18:50:04
544 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 16:04:22
小説とかTVとかで、信長とか秀吉が尾張弁しゃべったり、堺商人が関西訛りでしゃべったりしてるけど実際どうなんですか?
伊達政宗が東北弁をしゃべる描写って少ない気がするのはなんでですか?
545 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 23:28:59
とある時代小説を読んだら
田安家の若様(世子では無い)が「徳川×之助」と呼ばれてました。
昔何かで「徳川」を名乗ってもいいのは
将軍の子息と
尾張・紀伊・水戸、田安・一橋・清水、
各家の当主と世子だけと読んだような気がするんですが
当主の子息はありだったんでしょうか?
>>544 言葉自体が時代で変化して行くしね。
発音は特に変化が早い。
今の尾張言葉と当時のそれはそうとう違うはず。
狂言の言葉は鎌倉時代関東の話し言葉が凍結保存されたもの。
歌舞伎は江戸言葉。
時代小説なんて参考にするほうが悪い。
滋賀県って何度も大河の舞台になっているし、信長や秀吉とも縁も深いのに、
誰もそれらが滋賀県だという事実を知らないのは何故…?
近江商人という単語を知っていても滋賀は分からないとか…
近江牛すら滋賀の印象は無いんだろうか
紫式部が源氏物語を書いた石山寺など地味ながら良いところも多いのに勿体ない
549 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 23:46:36
>>545 世子以外の子は松平だよ
徳川慶喜も一橋家に入る前は松平だった
よさこい
550 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 09:44:05
>>536 坂口安吾の「堕落論」での天皇制についての考察は興味深かったよ。
天皇を冒涜しながらも崇拝してるって文が心に残った。
みんなも言うとおり最初の千年は王や為政者だったけど、後の千年は権威や象徴って感じだよね。
後鳥羽や後醍醐天皇が実権を取り戻そうとしたりもしたけど失敗。南北に朝廷が分裂して完全に為政者としての天皇は終わってしまったんだよ。
551 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 10:11:09
質問です!源氏物語の源氏と後に鎌倉幕府を作る源氏は関係あるんでしょうか?
また、藤原氏が権勢を奮っていた頃の源氏はどういう立ち位置にいたのか教えてください
源氏物語とは関係ありません。
藤原氏同士で権力をあらそっていましたし、源氏も同様の時期があったので一概に説明出来ません。
んー
公家の源氏と、武家の源氏は別枠というか
公家の源氏は明治維新まで朝廷内に厳然と存在していまして、岩倉具視なんかもその一人
武家の源氏は、朝廷内で食い詰めて、地方に散っていって
その地の武家の娘を娶った(実質は婿養子になった)人の末裔で、まあ、武士です
公家の源氏がどの程度の立ち位置にあったかというのは少し微妙で、
実数としては決して劣っていませんし、高位の役職に代々就いている家もあります
が、摂政関白は、親がその位に就いた人しかなれないという前例があって、
実質五摂家の独占だったので、最上位にはなれないという口惜しさ、というか
本来皇族の家系ならこっちが上だろ、と言いたいがかなわない悔しさというか
まあ、鬱憤はたまっていたようです
554 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 11:36:56
源(土御門)通親のように朝廷の実権を握った源氏の例外もいたけどな
軍事部門は難しいね。時代によって兵器が進歩してるから戦術も変わってくるし、
作戦立案も変わってくる。どれだけその軍人が普遍性を備えているかとか、
時代を大きく変えた戦争を指揮して、どれだけ効果を上げたかというところが
評価のポイントだと思うんだけどね。
556 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 13:03:44
弥生時代 ムラ→クニ
古墳時代 クニ→ヤマト王権
でおkですか?
>>553 一応言っておくと、公家の平氏と武家の平氏もいるよ。
ちなみに、「平家」というのは元々公家の専売特許だったのだが、後に武家の平氏が朝廷の実権を握って称号もそっちへ。
西洞院家・平松家とか、明治維新後に爵位を貰った公家の平氏も存在する。
559 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 21:26:24
世界に影響力のある人物トップ100みたいなアンケートで日本人は3人(菅、日銀総裁、孫)
だけランキング入りだったみたいだけど、こういうのに天皇陛下って入らないの?
そりゃ政治権力持ってないのは知ってるけど、影響力って政治権力だけじゃないし、
世界的な知名度、権威としてもかなり大きいと思うんだけど。
中国の次期指導者候補が短い期間に面会を求めただけで騒動になるくらいだし、
こういうのひとつとっても影響力だろ?って思うんだよね。
トップ100にはそれこそ、これ誰?って人がわんさか入ってる。
560 :
545:2010/11/07(日) 00:52:40
>>549 遅くなりましたがレスありがとうございました。
小説読みながら何か違和感感じてたんだけど
うろ覚えだったんですっきり出来て助かりました。
561 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 09:26:10
フロイスの日本史みたいな外国人の日本滞在記、観察記録、あるいは紀行文といった本を片っ端から教えて下さい。
クレクレですいません。
562 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 09:49:14
幕末を除く江戸時代の天皇は庶民の信仰や敬意を集めていたが政治的には無力な存在でした
これって現代の象徴天皇と本質的には変わらないんじゃないですか?
象徴天皇も敬意は集めているけど、政治的には無力だし
もし違うなら何がどう違うのでしょうか?
564 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 11:48:55
江戸時代の天皇は御所の中にこもって、民衆に顔を見せることはなかった。
民衆から見れば、禁裏様もお稲荷さまや八幡さまとたいして変わりない。
現在の天皇はメディアの媒体や各種行事での地方訪問で、さんざん顔を見せている。
その意味では有名タレントとたいして変わりない。
昔は民間信仰の神様的な感じで、いまはセレブな超有名人って感じか。
565 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:06:38
長篠の合戦の鉄砲三段撃ちって小瀬甫庵の独創なんですかね?
(信長と全く関係ない)他の武将が試みたとか、砲術家のセンセイがまことしやかに秘伝にしてたとかの元ネタってなかったんですかね?
566 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 19:48:44
>>561 アーネストサトウ
『一外交官の見た明治維新』
当時の複雑な勢力関係(朝廷幕府諸藩)を外人がどのように見ていたかが面白かった
567 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 23:16:26
>>563 明治時代から地方訪問はしてるだろ
北海道にまで行幸してる
天皇の権威向上のためだよ
568 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 21:55:28
やっぱ史学科の人とか多いのかな?
569 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 22:19:51
私が博士です
570 :
日本@名無史さん:2010/11/09(火) 19:38:55
再来年の大河は「平清盛」だとか、
清盛などの一族の政権は、「平氏政権」「平家政権」どれが正解でしょうか?
そもそも「平氏」と「平家」は、どう違うのですか?
571 :
日本@名無史さん:2010/11/09(火) 21:56:46
>>563 江戸時代の天皇は禁中並公家諸法度、象徴天皇は日本国憲法、それぞれの
法の支配を受けてますよね
>>564 写真や映像の有無、この差は確かに大きいですね
>>562 >江戸時代の天皇は庶民の信仰や敬意を集めていた
とあって、それは(都市に限れば)ウソでは無いが、「敬意」の意味合いが現在と全然違う。
現在のように、「国家」「国体」と結び付けて天皇を認識していたのは、
近世中期以降の一部知識人のみで、
多くは町人でも、「お公家さんの一番偉い人」というレベルの認識。
権威は知られていただろうが、それは日本という「国家」意識と結び付くものではなかった
あと、天皇を「信仰」の対象とするのは、後期水戸学など極めて少数。
本居宣長ら国学者でも、「信仰」の対象とはしない。
むしろ明治以降の話であって、
そういう意味でも近代天皇と前近代の天皇とは大きな断絶がある。
政治的な権力者というわけではないが、信仰はされていただろう。
天皇のみならず摂関家すら、風呂の残り湯を地元民がありがたがって飲んだという記録がある。
民間信仰の御神体のようなものさ。
574 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 00:06:54
室町末期のころの朝廷(天皇)、幕府(将軍)、大名(信長)の
権力の三重構造について、わかりやすく教えてください
575 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 00:23:13
天皇観は学者によっても意見が違うから難しい
ただ明治時代には西洋の啓蒙思想や市民革命史が広がり
藩閥政府を嫌う空気になったが
天皇打倒を唱える人間がごく少数だった
もともと天皇に抱いていた神秘性がある程度あったと思うね
天皇に抱いていた神秘性というのは明治以降に醸成されたものでしょう。
本当に広く一般にまでそうした認識があったなら、明治政府が「人民告諭」を
公布した事実が説明できない。
初めてこの板来ました。
センターの日本史Bが点数上がらなくて本当に悩んでます…
いろんな勉強方法試しましたが全然良くなりません…
日本史を勉強するのに心がけておくと良いこととかありますか?
スレチのような気がしますがすみません…本当藁にもすがりたい状態なんです。
山川の教科書を朗読
日本史用語集を朗読
穴埋め教科書に書き入れる
おまいら藁扱いされてっどw
別に?
語学力があるならこんなところで哀願などするわけもないし
581 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 21:52:35
>>576 尊王思想は知識階級にはわりと広くひろまっていたことでしょう
明治政府が広めたのは、今まで政治にまったく関与してこなかった階級への啓蒙としての天皇の称揚でしょう
>>581 信長のいつごろっすか
上洛して、義昭が将軍についたころとしては
天皇は故実に基づいて諸侯にすべての官位をさずける存在であり
将軍は日本の軍の司令官であり、軍内の任職をきめる権限と、軍事における大義をきめる権限をもつ存在であり
信長は幕府内において、一番大きな私軍を有している家臣
という位置づけでは?
584 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 23:01:10
この板に常駐している歴史博士、歴史オタ、歴史ファンの方達は
女性天皇、女系天皇についてどんな見解を持っていらっしゃいますか?
次代、次々代の皇統の行方をどう考えられますか?
585 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 23:11:48
共和にまさるものはなし
世界の大勢は共和です
ドイツやイタリアのような象徴大統領制でいいでしょう
>>584 既に歴史学の問題ではなく、
政治の問題ですので、スレ違いかと思われます
587 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 23:42:39
>>586 マジっすか?
歴史に造詣の深い方の天皇観、今後の皇統に関する認識を知りたいのですが
588 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 23:56:18
昔の学者はおおむね反天皇。そのくせ天皇から勲章をもらってたw
いまの連中は、現在の皇室については、ぶっちゃけどうでもいいってスタンス。
まあ、なくなったら、寂しいかもしれないが、ただそれだけのこと。
あってもなくても、どっちでもいい。
589 :
日本@名無史さん:2010/11/16(火) 02:06:15
平安京が建てられた後の奈良・平城京ってどうしてたんですか?
確か寺社勢力が強すぎて今の京都に遷都でしたよね?
農地になったり寺社の土地になったんでしょうか?誰か詳しい方がいたら教えてください
590 :
日本@名無史さん:2010/11/16(火) 04:33:46
農地になった
>>584 女性天皇はピンチヒッター
女系天皇はありえない
次代、現皇太子がついで
秋篠宮がついで、悠仁さまだな
皇室典範にもとづけば
>>587 ほぼ決着はついたかと
やはり、男系継承が無難な在り方ではないかね、論理的に。
>>589 南都は一応、寺社にとって一定の権威がありつづけたよ
今となっては象徴なんだから何でもいいんだよ
男女どっちでもOK
猫でもいいし、架空のドラえもんでもいいし、
ネパールのクマーリみたいに少女限定でもいいし。
扶桑略記では天智天皇が行方不明になったことになっているけど
日本書紀よりも、扶桑略記のこの記述を採用している主要な学者はだれ?
595 :
日本@名無史さん:2010/11/17(水) 01:01:14
>>591 問題は悠仁殿下の次なんだよね
どうなることか・・・
>>592 男系でつながる内は男系で決まりでしょ?
問題は男系でつながらなくなった時どうするのか
>>593 何でもいいってわけじゃない
何でもいいって言うなら、君は自分が日本の象徴の
役割を果たせると思うのかい?
>>595 スレ違いの話題なんだからいい加減にしておけ。
関白と内覧の違いについて教えてください
天皇と太政官の間に入り、両者がやりとりする文書を先に見る事ができるのが、関白だとききましたが…内覧も実質同じなのではないかと思いますが
598 :
日本@名無史さん:2010/11/18(木) 03:03:59
質問です!庶民の家が竪穴式住居から現在の田舎の古民家のように変わったのはいつ頃なんでしょうか?
奈良時代の山上憶良の歌の庶民の家はまだ竪穴式だったと思いますが…
江戸時代には完全に屋根や壁、柱のある住居になってますよね?
宮大工のおさがりがひろまるころじゃね?
ダッシュ村ってあったけど、あれみるかぎりかなり簡単にできそう平屋は
書院造や土壁などこってないものなら、平安後期にはひろまってたんじゃね?
鎌倉にひろまった絵巻物には普通の家が書かれてるしね
>>595 俺は、旧皇族を復帰させるべきだと思うけど、藩屏として新しく宮家をつくれば
男系はなんなく残せるだろう
もっとも問題なのは、皇族方が安心して結婚できるような環境づくり。
華族制度ってあってもいいと思うんだよね
601 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 00:06:54
旧皇族はまだしも華族ってどうよ?
旧華族身分を復活させるってことか
今となっちゃ平民庶民と変わらんのじゃないか
602 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 01:47:51
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 学校の授業で"自国の歴史"が無いのは日本だけだ
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' | え?習ったって?
│ /───| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i それは"社会科"の間違いじゃないのか?
| / `X´ ヽ / 入 |
↑これ本当?
603 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 01:51:23
華族制度廃止したのはGHQという背景から、初めから跡継ぎ断絶が目的だったのは明らかだよね。
立憲君主制の国で貴族が居ないのは日本だけだし。
604 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 02:34:16
玉袋に毛が生えているのは「縄文系」、生えていないのは「弥生系」
これマメ知識な。。
605 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 11:10:31
なぜ藤原仲麻呂は759年に新羅を征討しようと試みたのですか
>>604 弥生系のうすっぺらい尻がだいっきらいだ
だが、ケツ毛ボウボウの縄文系もやだ
色白で肉感たっぷりでもち肌で黒髪な
今の時代は皇族と庶民(民間)の婚姻が続いているんだし、華族復活は必要なくね?
>>606 しばらくお待ち下さい。
弥生と縄文を混合中です。
二千年後にご期待下さい。
>>598 地域差や階層差が非常に大きいので一概には言えない。
柳田は、明治の中頃でも、新潟の旧蒲原郡では、3分の1が、土座住まい、つまり
床のない家に住んでいると、書いていたような。
大臣と大連 どっちがえらいの
これらは天皇が決めたの
611 :
日本@名無史さん:2010/11/23(火) 09:33:58
聖徳太子が立て焼失した旧の法隆寺ですが、なぜ「若草伽藍」と呼称されるのでしょうか?
何かの文献にその呼称名が出ているのでしょうか?
612 :
日本@名無史さん:2010/11/24(水) 20:29:48
自ら海苔の着物を着ることによって、
特産品のアピールをした大名だったか将軍いませんでした?
名前が思い出せないので教えてもらいたいです。
613 :
日本@名無史さん:2010/11/25(木) 21:03:40
江戸時代の屋台の蕎麦屋は、
冷たいの・温かいの、どちらをだしていたのですか?
614 :
日本@名無史さん:2010/11/25(木) 21:16:06
615 :
日本@名無史さん:2010/11/26(金) 23:52:45
大臣と大連 どっちがえらいの
これらは天皇が決めたの
616 :
日本@名無史さん:2010/11/28(日) 11:15:43
同格だと思ったけど
よさこい
617 :
日本@名無史さん:2010/11/29(月) 02:03:23
関ヶ原の論功行賞で豊臣家の蔵入地が勝手に配分されていくのに秀頼(実質淀)が反対しなかったのは何故?
西軍の領地が配分されるのはともかく、豊臣家の蔵入地が配分されるのは秀頼が一言いえば何とかなるし正当性もある
秀頼・・・ちんちんに毛が生える兆候すらない子供
淀・・・何の権限もない秀頼のおかん
豊臣に権力集中させてもろくなことないから他の連中も
特に反対しなかったんじゃないかな
619 :
日本@名無史さん:2010/11/29(月) 21:01:57
豊臣家の蔵入地≒江戸時代の預かり地(行政権は各大名に預け、租税は幕府に上納)という扱いだったのでしょうか?
「豊臣家の蔵入地を奪った」と見える形式ではなく、租税を豊臣家に上納するしないも各大名の自由という扱いになったのでは?
620 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 15:57:26
豊臣政権下に置かれた堺奉行も長崎奉行も完全に幕府の支配下になりました
奉行ってのは幕政の管轄なのかね?
622 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 00:00:20
大阪城と目と鼻の先の堺も奪われたのかー?!
それは5奉行体制が崩壊したから?
623 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 00:23:39
日本列島に人が定住して数十万年なのに日本の歴史はたった1800年しかないのは何故?
アメリカ合衆国のように先住民は野蛮人だからノーカウントなの?
ま そういうこと。
ちなみに推古朝からが日本史の範疇
それ以前は参考程度で考古学の範疇
>>623 1800年って、それより長い歴史がどこにある?
古いのは皆、文明も人種も早くに消滅しちまってるじゃないか。
支那だって、人種が継続してると仮定しても二千二百年程度。
第一、後世の者が勝手に1800年ってナゼちぢめるんだ?
現在他国がめいめい主張してる理屈に合わせれば、
「日本の歴史」と言う限りは今年で二千六百七十年じゃないか。
626 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 01:06:16
いや、どちらにせよ日本古代史学は発展が無いね
松本清張が古代史熱を煽った当時以来史学上の根本的な進歩が無い
627 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 01:16:45
歴史が無いんじゃのうて史料が無いんじゃ。
ゴッドハンドの登場待ちだな
桓武平氏嫡流は、高棟王系
清和源氏嫡流は、摂津源氏
でいいのですか?
清盛も頼朝も傍流ということで、、?
邪馬台国はどこにあったのですか?
わからない
632 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 22:59:34
.
633 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 23:05:22
島津氏って強かったの?
634 :
日本@名無史さん:2010/12/03(金) 23:17:40
沖縄には琉球王国としての文化と歴史がありました。
日本史とのリンクは薩摩の侵略以後の僅かな期間の歴史です。
なのに琉球王国の歴史ではなく日本史を学ばなければならない教育課程は問題ではないでしょうか?
琉球王国の歴史→琉球処分以後の日本史→アメリカ統治下の沖縄史→本土復帰後の日本史が通史ではないのでしょうか?
635 :
日本@名無史さん:2010/12/04(土) 08:36:26
>>630 邪馬台国は南九州ですよ
これが学会の多数意見で、ほぼ確実視されています
いろいろなトンデモ説を主張している人がいますが、信じてはいけません
魏志倭人伝の記載を素直に読めば、それ以外にはありえません
636 :
630:2010/12/04(土) 10:42:06
>>635 学界は9割方、近畿地方で決まっているだろうがw
あと、九州説で残っているのが京都大学と國學院の一部の派閥
明智光秀って、イケメンですか?
北条泰時はイケメンですか?
そういえば大河ドラマとかでも明智光秀はイケメンの俳優が配役されてる。
信長は教科書にある肖像画よりフロイスの画師が描いたものの方がイケメンだ。
小早川秀秋もイケメンだったな
641 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 09:39:41
沖縄人にとっての日本史は差別と服従の歴史。
鉄の暴風と銃剣とブルドーザー、基地の騒音と騒擾、日本国の捨石としての立場。
本土の人達は知ろうとしない。観光地としての知識だけを蓄え癒しの島にやってくる。
島田伸介は沖縄の風土を愛しているのだろうが歴史についてはどうだろうか。
642 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 09:48:55
>>636 お、「畿内」ではなく「近畿地方」なのですね。進歩。
畿内説だと、滋賀県の候補地が外れるから
困るんだろう
源頼朝と北条時宗ではどちらの方がイケメンでしょうか?
この期に及んで滋賀県を視野に入れるということは、
かなり有力な候補地だということでしょうか
滋賀県の大津市辺りで金印が出るかも知れない
金印ってやっぱりゴッドハンドですか?
自分の庭に金印を埋めれば、どこでも素敵な邪馬台国
649 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 18:50:26
650 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 19:34:32
なぜ日本史は嘘で固められているの?
651 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 19:54:49
>>650 友人・親など、あなたがよく知っている人が昔の自分を語るとき
そこには嘘や誇張がふんだんに盛り込まれます。
昨日起きた事件でも伝聞は伝わっても、事実は伝わりません。
平安貴族の日記を読めば優雅でのどかな日常を想起します。
でも貧窮問答歌では大多数の人々の生活が貴族とは別世界だった事を窺えます。
歴史は権力者の自伝。天皇家が記紀を生かす為に過去の史書を遺棄したように歴史は意図的に創られます。
652 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 20:02:32
>なぜ日本史は嘘で固められているの?
間違った数字で日本史を考えれば、全てがウソで固まる。
その良い例が、箸墓=モモソ姫。箸墓に埴輪が存在する以上箸墓をモモソ媛
とすれば、全てがウソで固まる。
>>651 貧窮問答歌は奈良時代で
平安時代とは全然違うだろうがw
琉球は遣唐使船が漂着する度に
乗組員を無差別に殺害したり、唐王朝から贈られた品々を奪ったりしているから
倭国の人から恨まれているのです
北条時宗と徳川吉宗が喧嘩したら
どちらの方が強いでしょうか?
656 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 21:08:58
貧窮問答歌は漢詩のパクリ。
官僚のオクラが貧窮するかい。
657 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 22:12:16
>>655 そりゃあ、徳川吉宗の方が強いだろ
暴れん坊将軍の異名があるぐらいだからな
刈田狼藉などの略奪行為は、戦国期の終わる頃までどこでもやっていたんでしょうか。
660 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 00:58:24
一段被抽忠節候者、可爲喜悦候
これは
いっそう忠節をつくしてくれたら嬉しいですと言うことですか?
それとも
いっそう忠節をつくしてくれたのでうれしいですと言うことですか?
前後の文脈による
662 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 03:24:27
至山北南方之間、
此節相催軍勢可出張之由、
年寄共へ申出候、
然者各人衆被馳走候者、
此刻一途可達本意候事、
案中候、
一段被抽忠節候者、
可爲喜悦候、
恐々謹言、
です
663 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 13:49:15
いっそう忠節をつくしてくれたら嬉しいです、ですね。
間宮林蔵がスパイだったというのは本当ですか?
665 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 14:48:46
666 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 22:29:06
小泉構造改革は後世において寛政の改革や天保の改革と同じくらいの重要度で
残りますか?
残らない。
55年体制の転換期の中のひとつとして記憶される。
明治維新から冷戦の終結までの流れをわかり易く説明して貰いたいです。
流れが中々掴めなくて…お願いします!
残るのは人口減少に向かったことだけじゃねの。
670 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 23:40:04
流れくらいならwikiでもよめ。
後世、平成時代の出来事で教科書に載るような事は何がありますか
・阪神大震災
・オウム事件
・小泉構造改革
・政権交代
他には何でしょう?
細川連立内閣成立・阪神淡路大震災は
すでに教科書に載っているな
673 :
日本@名無史さん:2010/12/07(火) 00:37:12
この前の北の韓国への砲撃も乗るだろうな
小泉は残るまい
残るのは、村山富市の逆コース・バブル退治・阪神大震災の三点セットだろう
小泉は、村山富市とその後の総理たちによる意図的な日本衰退コース
(文藝春秋曰く、日本の質実剛健型の再編)の延長線上の一場面だった
675 :
日本@名無史さん:2010/12/07(火) 20:28:07
今日の夜10:25分からNHK教育で「琉球処分」の番組をやるよ。
知識がほしいなら観よう。
一つの王国を日本が滅ぼした歴史だ。
琉球は、遣唐使船が漂着する度に
船員を無差別に虐殺したり、唐王朝からもらった品々を強奪したりして
最低だな
不謹慎ながら、現代で誰が暗殺されたら「桜田門外の変」クラスの事件になりますか?
当時の衝撃という意味と、後世に残るという意味両方で
678 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:16:38
あれは井伊直弼が死んで時代が動いたからな。
今死んだらそのことで時代を動かせる奴なんているか?
679 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:17:23
全然時期も季節感も違う12月14日は、毎年、忠臣蔵といって騒ぐのに、
あした、いや、きょうだ、12月8日の開戦記念日はハデな話題にならないんだ?
取り上げられてもネガティブな扱いばかり。
680 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:18:10
敗戦国は自国が侵略戦争を起こした、
悪いことをしたって洗脳されるからな。
681 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:21:09
>>677 支那か露助あたりで起らないと同じ衝撃と影響は無いね。
日本はあまりにも平和、平穩過ぎる社会だから、何が起きても社会の変わりようが無い。
682 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 00:40:06
>>671 IT革命・ネット社会
911世界同時テロ事件
リーマンショック
デフレ経済
人口減少社会
何で会津はコリアンレベルみたいな事をやるんですか?
684 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 08:22:30
琉球は日本が統治下にしなかったら、今頃は中国の領土になっていただけだ
中国の支配下になるより、日本の支配下になってた方がはるかにいいのは
火を見るよりも明らかだ
685 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 08:43:06
桜田門外の変にも薩摩がからんでるんだよなあ・・・
686 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 08:58:47
特定の人物に誘導されてたんでしょ・・・
鞄を盗んだのやら・・・というやつは全部出鱈目なんですよ・・
出鱈目言ってる人たちに騙されているんでしょ・・・
鞄盗んだとかなんやらいってる人たちは・・ですね・・
なにか悪意を持って周囲の人たちを騙そうとしているんじゃないで
しょうかね。
私の行動に誘導されたというなら・・・私は鞄を盗むのはもちろん
女性追いかけたこともないとは言いませんが・・・まあなしでいいですね
要するに水とか鞄(いわゆるキリスト教が持ち込んだ鉄砲ですか)
とか追いかけている人たちの真似あるいはその行為に誘導されたんでしょう
私の行為の真似とかなら鞄盗むとか・・・水追いかけるというようなことは
ないんですが・・・・一体だれの行為の真似をして誘導されているんでしょうか?
誤爆?
688 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 12:39:38
なんで越訴廃止されたの?
御家人の権利保護するための制度だったのになんで貧窮御家人保護の社会で廃止しちゃったの?
貧窮御家人はケーキを食えばよいのじゃ。こかかか。
690 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 13:42:48
琉球王国が沖縄になってからの100年
最初は言葉と文化を奪われ皇民化
支配層に日本人がやってきて植民地化
日本の戦争に駆りだされ本土防衛のための捨石とされる
無人島の硫黄島で行ったゲリラ戦術を住民のいる沖縄本島で行い住民の4分の1が巻き添えで亡くなった
その戦いでアメリカ軍に占拠されたまま基地化され、日本の敗戦に伴いアメリカの統治となる
アルかニダを語尾に付けるの忘れてるぞw
ゲソかイカを語尾に付けるの忘れてるぞww
693 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 17:48:22
アルニカゲソイカ
室町時代とか戦国時代の頃、生活で出た廃水ってどうしてたの?
その辺に撒いてたのかなとか思ったんだけど、
井戸で水汲み上げて洗濯→その辺に撒く
料理で出た汁、飲み物が余った→撒く
を毎日繰り返してたら、家の周りがぬかるんで
大変なことになりそうな気がするとふと疑問に思った
幕末における坂本龍馬の偉業(薩長同盟、船中八策など)は現代に置き換えると
どれくらいすごい事なのですか?
イメージしやすいように例えてください
前回衆院選における小沢の選挙区行脚。www 別に行脚しなくても政権交代
の流れだったし。wwww
697 :
日本@名無史さん:2010/12/09(木) 09:10:24
>>694 大きなバケツみたいなものにでも入れて、ある程度溜まったら、その都度川に捨ててたんじゃないの?
>694
町中なら排水溝があります。
田舎はそんな心配無用でしょ。
>>697,
>>698 回答ありがとう
どっちもなるほどって納得したわ
江戸時代以前にも排水溝ってあったんだ
自分はちょっと原始的過ぎる生活を想像してたみたいw
明治以降、天皇一代につき一つの元号という事になりました
だから必然的にこれからの元号は大体30年前後くらいの長さに
なってくると思われます。(例外はあるだろうけど)
そうすると100年後とか200年後には、明治以降の時代区分が
細かくなりすぎて、〜時代が多くなりすぎると思われるのですが、
将来的に明治維新〜戦前までを○○時代というように
時代区分の統廃合が行われる可能性がありますか?
あるよ
702 :
日本@名無史さん:2010/12/10(金) 08:46:56
>>699 排水にちょこっと興味を持ったのなら、ついでにトイレも想像してみたら面白いよ
特にウンコね
トイレ遺構で検索したら出てくるから。
大田皇女が長生きしてたら皇后になって
大津が天皇になってたということでしょうか。
704 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:47:40
>>700 後世では明治〜昭和戦前でひとつの時代、昭和戦後〜平成かその次くらいまででひとつの時代、
というようになるんじゃない?
後世のアジアには中華大帝国ができて、他の国の歴史はすべて
書き換えられるんだよ。けけけけ。
706 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 02:11:13
707 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 03:32:19
一、御身上之御大事者、某大事与可存事
一、於被仰合方者、此方不可存隔心之事
一、自然付分限事候者、可爲御同前之事
一番目は「あなたにとっての大事なことは、私にとっても大事なことと考える」、
二番目は前半がよくわからないのですが後半は「こちらは、うちとけないことは無い」、
三番目も前半がわからないのですが後半は「前と同じ(つまりうちとけないことは無い)」でしょうか?
於被仰合方者と自然付分限事候者はどう訳せばいいか教えてください。
708 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:33:11
天智天皇元年に、百済の佐平鬼室福信に矢10万隻、糸500斤、
綿1000斤、布1000端、韋1000張、稲種3000斛を賜った
とあるんですが、この時代の「綿」って何を指しているのでしょうか?
どなたか教えていただけませんでしょうか。
真綿=蚕綿でしょ。
木綿が導入されたのは室町時代なのだから。
ちなみに、日本では絹の生産は江戸時代に復興するまで中世に一旦絶えている。
>>709 そういえば真綿=絹ですね・・・!
すっきりしました!即答ありがとうございます。
711 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 12:42:27
質問です
頼朝時代の地頭の設置範囲は将軍が荘園領主である関東御領プラス東国だけだと
読みましたが、吾妻鏡を読むと寺社や公家が荘園領主である西国の各地にも
地頭が設置されているようです
近江の佐々木、摂津の大内、安芸の土肥(後の小早川)、伊予の河野、
伊勢の山内、大井など有力御家人も西国にいますし、
九州には島津や大友や天野が派遣されてますよね
頼朝時代の西国支配とはどんなものだったんでしょうか?
712 :
保護者:2010/12/12(日) 12:52:45
中学二年の社会の模試で、室町幕府8代将軍義政が京都に建てた建造物は?の問に
模範解答では「銀閣」でしたが「銀閣寺」では不正解でしょうか?
学校の教育関係者の意見を伺いたいです。
713 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 14:29:03
銀閣とか銀閣寺って正式名称じゃなく渾名だと思ってた。
あくまでも模範解答だから、一応〇はくれると思うよ。
715 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 21:37:56
正確には慈照寺じゃね?
まあ銀閣寺でも無問題でしょう
社会人のための高校生教科書日本史っていうのには、
消費税や阪神大震災、細川連立政権、小泉構造改革などが
すでに掲載されていたよ
>>702 亀でごめん
トイレ遺構調べてみた。凄く面白かったし為になったよ。ありがとう!
718 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 09:35:24
713,714,715さんありがとうございます。
あれからネットで検索したところ、過去に北海道の公立高校入試問題で
全く同じ問題が出題され、「銀閣寺」では不正解という教育委員会の見解に
抗議が起きたと出てました。教科書には「銀閣」としか表記されてない事、
「銀閣寺」だと敷地内の建造物全ての総称になる事が理由らしいです。
でも中学生対象の試験で「漢字二文字で記入せよ」等の配慮があってもいいですよね?
しらんがな
学校指定の教科書・資料集等に銀閣寺の表記がなければ
無理筋な気がする。
そりゃあ確かに義政はあの銀閣を建てさせたので慈照寺そのものを建立したわけではないが、
そんなのはハメ手だ。入試問題の正解不正解基準にすべきでない。どちらも正解が常識。
722 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 15:31:00
ところで、「金閣」って、いつから、そのように呼ばれたんでしょう?
銀閣もそう呼ばれるのは、江戸時代からだそうですが・・・。
723 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 15:34:10
正式名称言うんだったら、銀閣は慈照寺観音殿、金閣も鹿苑寺舎利殿って、
そう解答したら、正解になるのか?
「銀閣寺」で不正解だなんて、ただのひっかけで、ホントに馬鹿な話だ
725 :
i:2010/12/13(月) 18:32:07
学校関係者だけど、高校入試なら、うちの県は高校ごとに採点するから
○の高校と×の高校と減点の高校があるだろう。
中学校の模試で、業者問題なら業者の模範解答どおりに採点する。
解答が×なら×。自分で作成した問題だとして、俺なら×だな。
教科書に書いてあるとおりに覚えるべきだよ。高校入試をめざす中学生ならね。
726 :
725:2010/12/13(月) 18:45:22
補足、業者問題の模範解答には、おそらく正解の「銀閣」としか書いてないだろう。
「銀閣寺でも可」と注が入ってる可能性は考えにくい。この模試が複数の中学校
間で成績を比較しあうものなら、採点基準を統一するために、正答例以外×にするだろうね。
727 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 21:16:37
ついでに中学の歴史の問題で「大和朝廷」は不正解。
「大和王権」「大和政権」「ヤマト王権」「ヤマト政権」は正解。
子供から教えられ驚きました。
俺の学生のころは「大和朝廷」だったが、いつのころから否定されたのだろうか?
いわゆる「大和朝廷」ができたころはまだ「朝廷」という国家組織ができてなかった
からだろうか?
やたらと正式名称にこだわる奴が増えたのはこれが原因なんかいな
730 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 08:26:56
なんで「大和朝廷」がダメなんだよ?
731 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 10:32:42
うちの子供によると
@「大和朝廷」ができたころはまだ「朝廷」という国家組織ができてなかった>728さん指摘通り
A「大和」の文字も8世紀に作られた文字でカタカナで「ヤマト」と表記するほうがよい。
らしい。
ウィキペディア日本語版でもそのあたりの議論は大いに揉めまくった記憶がある。
過去に刊行された本とかの表記で目にする機会もあるだろし
義務教育レベルではそこまでこだわる必要ないと思うけどねぇ
734 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 20:20:14
>>731 それを言ったら
「ヤマト」のカタカナも当時は無かった文字かと
金閣寺は、もう価値ないだろ、、燃されて、
私は意地でも「大和朝廷」もしくは「大和王権」と表記することにしよっと。
教科書はいかんともしがたい。自分のブログに書くならどうでもかまわんだろ。
738 :
日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:07:28
鎌倉幕府や江戸幕府は朝廷から遠く離れた場所だったから理解できるが、
室町幕府は朝廷のある京都市内に存在した
同じ京都市内という場所での朝廷と幕府の二重支配構造がいまいちわからん
大阪市内に存在する大阪市役所と大阪府庁みたいなもんなの?
詳しい方、わかりやすく教えてもらえませんか?
なんで日本史って世界史に比べてクソつまらないの?
勉強しても交易ビジネスの役にたたないから
君が日本人じゃないから
実際問題として日本史はおもしろくしちゃいけない不文律があるようなものだけどな
>>739 そうか?
地元の郷土史とか、なかなか自ら調べるとおもろいよ
744 :
日本@名無史さん:2010/12/15(水) 18:56:36
調べるにしても一次史料読めなきゃどうにもならないし、
そこで躓く人が多そうだな。
>>739 シナ創価の都合よく捏造されちゃってるから
分国法についての本を3冊あげてください
律令の完成版の条文を読みたいのですが、何を読めばいいですか?
>>738 鎌倉幕府は頼朝が完投の武士団(特に北条氏)に担がれて成立したのに対して、
室町幕府は後醍醐を都(京)から追い出して、北朝の光明天皇を擁立して京で幕府を開いた為、
天皇(朝廷)と不可分な関係にあった。幕府が京にいて睨みをきかせていれば吉野朝から
北朝を守ることが出来るので、足利氏の出身である下野国に拘るよりは北朝を維持して
幕府の正統性を守ることの方が有効だったから。
>>749 朝廷は行政機構だし、幕府も行政機構、同じ京都の地に二つも大きな行政機構が
存在して何してたの?
今で言う二重行政、無駄な行政、って事だったの?
朝廷の機構内に幕府が存在してるから二重じゃないよ
>>750 本郷先生の論文などを読めば分かるが、鎌倉期から幕府と朝廷とは
行政範囲の棲み分けをしていたので、二重行政にはならない。
厳密に言うと政治面では守護地頭の任官などを受け持ち、朝廷は主に
領地をめぐる対立などの裁判の役割を担った。
753 :
752:2010/12/16(木) 23:13:22
補完
「政治面では守護地頭の任官などを受け持ち」というのは幕府のこと。
権門体制論では朝廷と幕府の他に宗教権門も重要な政治的な役割を演じており、
幕府、朝廷、宗教が補完する関係で成り立っていたと言われている。
因みに本郷先生は黒田先生の権門体制論には懐疑的な立場だが、
三勢力が並び立つ権力であることまでは否定していない。
756 :
日本@名無史さん:2010/12/17(金) 01:22:04
分ってもばかばかしくて答えないこともある
わからないもなにも博士の生死すら不明である
758 :
日本@名無史さん:2010/12/17(金) 02:48:49
博士に進むなんて相当度胸あるしな
ワープアとか成っても平気なのかな・・・・
759 :
日本@名無史さん:2010/12/17(金) 17:27:48
>>750 室町時代になると朝廷の行政機構色がどんどん薄くなった
一部の公家たちも将軍に近侍するようになった(昵近公家衆)
幕府が出てくる前の朝廷と幕府が出てきた後の朝廷では、
朝廷に仕える公家や官僚の数は大きく変化したの?
変化してないとしたら、大幅に人材が余った常態になってるんじゃね?
761 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 00:38:41
すみません、これはどういう意味ですか?
一、於被仰合方者、此方不可隔心之事
>>747 だが、自己解決した
役に立たねえな、博士
知らないんだろ
いやだなぁ何でも知ってるけど教えないだけですよ
さすが博士
なんでもかんでも教えるのでなく、自分で考えさせて、勉強させたのですね
765 :
日本@名無史さん:2010/12/19(日) 17:18:27
このスレのいみねーじゃんwww
766 :
日本@名無史さん:2010/12/19(日) 23:52:07
冷凍食品工場のパック詰め夜間作業で、博士は御多忙でいらっしゃるのだ
767 :
日本@名無史さん:2010/12/20(月) 00:02:31
博士は外国語できないの?
できるよ
博士はスターだから。
770 :
日本@名無史さん:2010/12/20(月) 00:06:04
スパイ活動しないの?
博士は白系ロシア人の3世だから。
772 :
日本@名無史さん:2010/12/21(火) 01:31:38
ニコ授業【文系vs理系】開催のお知らせ
このたびニコニコ動画にてニコ授業【文系vs理系】を開催するこ
とが決定致したんや。これは学生が授業で習うような内容を面白
わかりやすく解説する動画を作り、その内容を競い合うものや。
[例]
第二次世界大戦講座
確率の基礎とデートへの応用
英語のblogを炎上させる英文
投稿〆切は2011年2月22日や。参加する場合には動画名に[ニコ授業]
を付けてくれへんかの。授業のやり方はまるっきし自由や。多数の
参加をお待ちしておるんや。
◆文系代表
文学
世界史
日本史
地理
英語
◆理系代表
天文
物理
生物
化学
数学
773 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 00:19:40
もし仮に今、普天間飛行場移設問題に絡み、日本国政府、アメリカ政府、
沖縄県民の妥協点を探り、 三者が納得する策を講じてそれを実行した政治家が出たとしたら、
その政治家の功績は 幕末における坂本龍馬の薩長同盟を超える功績だと思いますか?
そこまでの功績だとは思いませんか?
理由もつけて教えてください
しらんがな
775 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 00:30:07
坂本龍馬の薩長仲介なんてのは架空物語だ。
中央の土佐出身者がデッチ上げたこと。
史実では無い。
776 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 10:34:34
いや裏書きあるし
777 :
752:2010/12/23(木) 11:13:10
坂本龍馬は必要以上に持ち上げられてるとは思うけど、
だからといって史実まででっち上げというのはどうかと思うよ。
778 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 11:22:41
薩摩が自らの意思を伝える役を、
活動資金を提供してきた坂本龍馬に依頼して薩長同盟が実現したとしても
形式として仲介者は、中岡慎太郎と坂本龍馬ということになる。
そこまでは否定できないさ。
現に長幕戦争の終戦後、土佐藩は急速に薩長の尊王倒幕路線へ傾斜してゆくが
そのときに土佐藩は、中岡と坂本を藩に取り込み役職を与え、
薩長同盟を仲介した両名の功績を土佐藩の功績として主張してゆくこととなる。
779 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 11:39:56
幕末のあの当時の薩長同盟がどれほどの偉業、功績であったのかを実感するために、
現代に置き換えて普天間の問題と比較したのです。
持論、私見で構いませんので、歴史に造詣の深い皆様、
>>773に返答ください
現代史の評価など、かなりの年数がたたないと答えはでないだろ。
即効性があれば早めに評価してもらえるんじゃないかな
普天間の問題だって、たとえば沖縄から移してそれなりの決着を見たとしても、
後で東アジア情勢が変化して結局は凶だった、となるかもしれない。
なんだかんだ言っても、現代政治はそのときは最善と考えてやってることが多いんだよ。
幕府を終わらせ、新しい近代国家を建設した維新三傑の功績は
現代に例えたらどれくらいのものなのか?
誰か例えてみて!
伊藤博文、陸奥宗光、松方正義でいいのかね?
785 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 14:24:33
新国家建設、麻原
大日本帝国を崩壊させた、ヒロヒト
今を否定、全体主義の宗教国家を目指す、ネトウヨたちの教祖様
くたらないな
787 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 14:59:42
読んでもいないのに批判するのは馬鹿。
ベストセラーになっている事実は否定しようがない。
俺は「竜馬降臨」「維新の心」を読んだ。
最初は否定的だったけどなんか心に引っかかった。
いろいろと考えさせてもらった。
でも信者にはならないけどね。
788 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:42:03
こんにちわ。
教えてください。
シナに比べ、日本はとても小さな島国なのに、どうして天下統一に苦労したんでしょう?
たとえばの話ですが、大陸を統一した劉邦が日本にせめて来たらあっという間に天下統一できるんじゃないでしょうか?
>>788 中国に比べて社会が数百年遅れてたからだろ。中国は戦国時代には大規模長距離戦争
ができるまでの社会発達段階にきてた。その頃の日本は小規模なムラがパラパラとある
だけだったろう。収税機能とか官僚機構、移動手段とか何もかも違ってただろう。
古代史は自信ないが、劉邦は前3世紀くらいの人だろ。その頃の中国は
戸(一家)が独立していて、徴兵や収税に応じることができた。戸が集まって
村になり、村が集まって国ができていた。統治機構がしっかりしていたから、
国を面として支配し、他国へ遠征することもできた。王の元に権力と富が集中
してたということだろう。
その頃の日本はムラ程度の小規模集落に首長がいて、他とのつながりは交易
くらい。集団農耕で庶民には個人の財産があったかどうかもわからない。
・・・詳しい人、間違ってたら直しておくれ。
791 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:10:47
三国志の時代だから魏志倭人伝だよね。
いわゆるアイヌ系の入れ墨をした人達が魏に使者を送った。
それを見て魏は思ったんじゃない「海を渡ってまで征服する必要なし。」
それは劉備。しかも大陸を統一していない。しかも魏じゃなくて蜀。
793 :
日本@名無史さん:2010/12/24(金) 13:59:16
誤爆か
博士のアメリカンジョークだよ
世界史にはまともに答えない方針だな
やはり日本史についてでないと、やる気を出されないのだろう
>>207
いわゆる中世墓地に庶民のお墓はないのかな・・・
799 :
社会人(40歳):2010/12/27(月) 21:01:13
博士、40歳の社会人です。
学校で教えてもらった事が
20年経っても、どうしても腑に落ちません。
対馬で見つかった『漢委奴国王印』ですが、
『大切な判子』なのに
なぜ『対馬』の『水田』から出たのでしょうか?
邪馬台国等に関連して畿内、九州から
出たのであればまだ理解できるのですが、、、
『水田』についても、通常こういった大切な物は
神社とか宮中とかで国宝のような管理を
するのではないでしょうか?
自分なりに解釈すると
『使節団が中国から日本(倭)に判子を持って帰る途中に
事故、もしくは何らかの妨害にあって判子は対馬で紛失』
といった感じなのですが、、、、、
博士の認識はいかがでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。
事実誤認が激し過ぎる
学校ってずいぶんいい加減なこと教えているんだな
>>799 えっ、対馬から出たのだっけ?
学校では志賀島って習ったけど。
803 :
日本@名無史さん:2010/12/28(火) 13:22:19
博士は平日の朝昼はパイナップル缶詰工場で皮むき作業
平日夜は冷凍食品工場で麺類のパック詰め作業
土日はラブホの清掃員 駐車場の夜間警備員と
寝る間も惜しんで働いておられる
死んだんじゃないの?
805 :
日本@名無史さん:2010/12/28(火) 21:40:56
缶詰工場は季節労働だぞ。
サケとかカニなら地獄だ。
806 :
日本@名無史さん:2010/12/28(火) 21:51:52
天正12年周辺の京都に関する日記とかありますか?
ルイス・フロイスの日本史で該当する期間ですので、読んでみると良いでしょう
808 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 04:40:20
昨日之合戦之次第、面々者動内者忠節誠無比類候
これの面々者動内者はなんて意味でしょう?
809 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 04:50:24
>>806 ・『御湯殿上日記』
・『兼見卿記』
ここらへんをあたってみてはどうかと。
さひほ
811 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 18:47:47
>>808 面々は諸君という意味じゃなくて、うどん屋のこと。
「動内」は前後の文脈次第だが、陣内で奔走したという意味ではないだろうか。
だから「昨日の合戦においては、陣内で奔走した
うどん屋の忠節(うどんの味)に比類がない」と意訳される
よっしゃこい
812 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 19:20:11
う ど ん 屋 w
もっとましな嘘つけよ。
813 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:08:01
江戸幕府の軍艦奉行で、しかも一度失脚してる勝海舟が新政府の江戸城総攻撃を
阻止できるかどうかの最重要な交渉で幕府側交渉担当者に抜擢されたこと
これってものすごい大抜擢じゃないの?
814 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:48:11
>>806 天正なんていわれてもピンとこない。
右翼や宗教団体でもなければ学問の場では西暦を使うのが一般的。
えっ
天正でピンとこない奴は日本史学に首を突っ込む適性無し。
817 :
日本@名無史さん:2010/12/29(水) 23:08:34
だよな。他のはともかく天正とかすぐわかるだろ。
織田信長の絶頂期及び本能寺の変前後あたりの年号ですよ
>>363 >高句麗国の古墳が、日本の巨大古墳に。
積石塚とマウンドは違うべ、
それと埋葬施設も
820 :
日本@名無史さん:2010/12/30(木) 16:55:01
細川ガラシャはイエズス会の謀略で暗殺されたと
テレビで言ってましたが本当ですか?
私はありえないと思うんですが
821 :
日本@名無史さん:2010/12/30(木) 22:16:57
天正十年が本能寺の変、
天正十八年が小田原征伐。
822 :
日本@名無史さん:2010/12/30(木) 23:15:14
日本史版はバカがほとんどだから、まじめそうなスレを見出したので、
聞くけど、
「日本」
という言葉は一般的にいつごろからつかわれだしたの?
つーか、
庶民が普通に(いや庶民でなくても下級官僚程度で)使い出したのは
いつごろかな。
自分自身は「日本」という「概念」は古くから日本「国民」には
存在したと思うけど、
具体的には、
維新当時、
志士の間で「日本」なんて言葉は使われていたのだろうか?
823 :
日本@名無史さん:2010/12/31(金) 03:47:27
日本平
日本左衛門
17世紀初頭のイエズス会の「日葡辞書」なんかを見れば、「日本」はほとんど広まって
いたようだ。
幕末の志士は国学の影響から、敷島の大和とか書いてるけどね。
825 :
日本@名無史さん:2010/12/31(金) 14:57:46
足利義満が明の皇帝に宛てた国書に「日本」が使われてるだろ
質問者が訊いているのは、国書だのというトップランクのことではなく、
>庶民が普通に(いや庶民でなくても下級官僚程度で)使い出したのはいつごろかな。
ということだから、チャン路論旨を理解してレスしてね。
827 :
日本@名無史さん:2010/12/31(金) 17:48:20
庶民の国家帰属意識は明治からだろ
研究者で流行の国民国家論ですよ
828 :
日本@名無史さん:2010/12/31(金) 18:36:18
聞く側が偉そうな態度とってんじゃねーよ。
中公新書の『完訳フロイス日本史』
東洋文庫の『日本史―キリシタン伝来ころ』
どっちがイイの?
室町時代の『管領政治』と『政所政治』について質問します。
@それぞれの政治は時代としてはいつごろを指すのでしょうか。
A上記二つの時代は『守護大名制』の時代と重なり合っているのでしょうか。
大学の課題なのですが、これら三つの単語について、
専門書を読んでも明記されていません。
詳しい方いらっしゃいますか。
自分で調べなさい
・足利尊氏
・高師直
・足利直義
・足利義詮
・斯波義将
・細川頼之
・足利義満
・政所(鎌倉幕府)
・執事(室町幕府)
・観応の擾乱
・管領
・三管五職
これだけ項目を調べれば、答えは出ると思われます
832 :
830:2011/01/01(土) 19:01:46
>>831 もちろんその程度は調べました。
その項目を調べても、政所政治についてはわからないでしょうね。
伊勢貞親と伊勢貞宗が抜けています。
あと、私は室町幕府の政所政治の話をしているので、
鎌倉幕府の政所を調べろと言うのもよくわかりません。
他に詳しい方いらっしゃいますか。
833 :
830:2011/01/01(土) 19:04:39
ああ多分、室町時代の政所は鎌倉時代のものを踏襲しているから、
ということを言いたかったのかな。
ええと、私が知りたいのは歴史学上の学説として、
『管領政治』『政所政治』『守護大名制』
の時期・期間に定説があるのかどうか、という話です。
国が
郡が
の役所は、中世には、跡形もなくなつてた?
835 :
日本@名無史さん:2011/01/01(土) 20:53:34
国衙・郡衙のこと?
836 :
日本@名無史さん:2011/01/01(土) 21:19:25
事前準備の上で自称博士をへこませようとしたら、あっさり片付けられちゃったね
自称歴史学博士はすぐ逃げる人だから。
838 :
830:2011/01/02(日) 08:39:38
>>830 @
・管領政治って言葉があるか知らないけど、
斯波義将・細川頼之が管領だった時期だろう。年号はWikipediaに書いてる。
この時期は管領が将軍に継いで実権を持っていた。で、その後は宿老会議の合議制になる。
これは普通の知識な。
・で政所政治って言葉は普通平安期の政治を示す学説だけど、
管領から政所に権威がシフトした時期はたしかに室町期にあるにはあるんだよ。
足利義政の時代だな。で、伊勢貞親と伊勢貞宗もこの時期。
これはかなりマイナーな話なので、中世専攻でないと知らないかと。
教科書だと、この時期については義視と義尚の政争⇒応仁の乱としか書いてない。
手元の本によると岩波の日本講座を参照しろとあるが、俺は持ってねえww
・守護大名制は守護領国制の間違いだと思う。守護大名制って言葉は歴史学のタームと思えん。
守護領国制の時期となると、応安の半済令〜大名領国制が始まった応仁の乱終結期くらいまでか。
要は守護の権力が大犯三ヶ条を超えてから、国人領国制と重なるくらいまでだろう。
こっちはやさしい教科書にも載ってる基本だ。
A
そんなわけで、重なってると考えるしか無い。
・中央政治体制=管領政治・政所政治
・地方政治体制=守護領国制
と考えれば良いのではないかな。
しかしえらくアンバランスな課題だな。
どういう教授なのか知らないが、
俺なら室町時代の中央政治体制と地方政治体制について書けってしとくね。
自作自演乙
↑ごめんミス。俺は830じゃねえww
何だこのクソ状態は。
夏休みだからな
843 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 15:48:58
844 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 16:45:22
天皇の正統系譜と遺伝学上の正統性は、どう考えますか?
天皇の遺伝子調査などできないから。
846 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 17:31:42
秦氏の正体は?
インターネットだとみんな一緒だし、違った意見がほしいんだけど。
宇宙から来た侵略者
ハザラ人
まじで。
羊。今いる羊は退化したもの。昔は言葉をしゃべいり人間より知能が高かった。
台湾の高砂族とインディアン・インディオがそっくりな事のヒントにもなりそうですが
しかしネット検索で得られる情報では、台湾にQ系統はないことになってる。
上の図では日本にN系統がなかったことにされてるけど、実際は数%あるっぽい
おそらくこれが本来「ヤマト」と呼ばれた民族。
和太鼓YAMATOさん→
ttp://www.youtube.com/watch?v=pZO47QxV-iY 当時だって彼らは多数派ではなかったはず。
しかし、優れた技術と強い体と、何よりその土地に尽くす心を持っていたから
元から住んでいた者たちは、彼らを「神」と見なした。
古代日本では、異民族は神だった。
そのことが、様々な神が一つの舟に乗る、七福神の絵に表されています。
しかし現代では、というより歴史のある時点で、異民族は神ではなくなりました。
あーあキチガイが来たよ。
853 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 19:34:17
854 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 19:48:13
>>851 N1cとQは無精子症(b2/b3欠損 gr/gr欠損)と高い相関があることが
臨床的にわかっているので、日本にも多くいたと考える人がいる。
他の系統にはそういう現象は全くない。
856 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:12:35
ソースちょうだい。
勝手に減ったことにしたいんだろうけど
クソどもが嫌がらせしてんだろ、朝鮮人雇って
857 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:21:35
室町幕府3代将軍の足利義満は、
・分断されていた南北朝を統一した
・日明貿易で大儲けし、中国国王から「日王」と呼ばれた
・京都御所より大きな「花の御所」を建てて住む
・当時の行政上の最高権力者=将軍であった
・将軍職の後に太政大臣にもなっている(将軍→太政大臣は稀)
・室町幕府の全盛期のころの将軍であった
・今も観光地として名高い金閣寺を建てた
足利義満は歴史通には当然ビックネームだが、一般層ではそうでもない
しかし、上記実績を考えたらもっともっといろんな意味で評価されるべき
人物であると思います。正直、現在の一般的評価は過小評価ではないかと!
歴史通、歴史ファンの皆さんはどう思いますか?
858 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:25:03
話題そらし来たー
860 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:28:10
>>859 抜粋して訳してくれるかな?w
なんで
>>855でN1cに限定したの?N1じゃなくて
N1は韓国にもいるから?
QとN1cはペアみたいに動いているが
N1は南中国の貴州省などに多いので、4世紀以降の渡来人ではないでしょう。
N1cは、フィンランドのサーミ集団やエストニア国民に一定割合(50%?)いるらしい。
あと韓国の統計では、N1cとN1は、K*の内数でグロスの数値しかないのですよ。
だからN1cとN1がどれだけいるかかの地ではわかりません。
862 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:40:45
N1c限定で精子が少ないだなんてフシギなはなしですね。
>>859から該当部分を抜き出してください。
863 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:42:49
中国とかカザフスタンのデータなんだな>その論文
南蛮の蛮族は人口爆発しているぐらいだからあんまり研究されてないんじゃね?
865 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 20:54:06
>>861 サーミだけじゃなくフィンランド人、バルト三国はすべてN系統優勢だね
>>863 え、関係ない論文なんですか?
じゃあやっぱり、
>>856で正解なんだ。
自演クズが。カマドウマ並のクズだ。
867 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 21:03:25
中国とかカザフスタンで、
N1cやQ系統が、子孫が残りにくいことにされている
常識で考えて、
その遺伝子がシナ人にとって都合悪いってことだな
868 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 21:17:44
869 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 21:19:23
最近、傍流の皇族のDNAがN1cだったって書き込みを見た
ソースは2ch
バルト三国訪問でいろいろ思惑が・・・・
871 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 21:24:33
だね
(´・ω・)bオッスオラ博士(工学)無職32歳
873 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 23:15:53
サンクス。
これで分かった。
それと、奴が種無しってのはこれか。
出来れば聖徳太子と秦との関係わかれば最高ですが。
ネットでは、主従関係のみだが、実は濃いんじゃないかなと見てますが。
それと、日本書紀って実は、聖徳太子前後をもじってる様にしか見えないが
どう思います?
奴って誰だよ
875 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 23:57:20
876 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 09:07:34
>>874 この時期になるとよく湧いてくるだろ?
面ヘラー妻と、悪魔合体の子の父親。まあ実子の可能性も怪しいが。
爺さんはA級戦犯で処刑されずにいたやつ。
祖祖父は、○室とか言ったっけ?
877 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 09:17:13
聖徳太子=秦河勝=大和尊=天孫降臨かなと?
推古が尼エロスで、膿彦 兼 山彦は、中大兄皇子と天侮じゃないか?
聖徳太子時代に東国で戦火になってるし、九州でも戦火があり。
九州仁増軍を送りながら、防備として首都を九州から近畿に移ってきた。
後方の安定化のために、国造りを置いた。
歴史がなかったから中国にならって捏造し、神格化させたように思う。
どうだろう?
878 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 09:20:43
御落胤って、有名なのをどのくらい知っている?
879 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 10:32:08
やりすぎた・・・。
873=876=877は日本人じゃないね。
日本語が出来てない。
上からずっと自演してるのもそうだよ。人種コンプレックスの基地外。
882 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 10:56:35
ひまだったから適当にコピペしただけ。
日本語はお前らも下手じゃん。
いやあ君の日本語は所々意味が通じないところがあるから。
884 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 11:47:51
翻訳機壊れた?
意味なんて適当だもん。
コピペなんだし。
885 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 12:16:28
886 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 13:28:06
マジレスすると、違うな。
在日137世の私からしたらどうでもいいんだが。
いまだに帰化してないから苗字ないし。
887 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 14:04:08
>>885 YAMATOって索頭で鮮卑や吐蕃っぽいじゃんw
北方騎馬民族でいいのか?
887とかどうしてここまで必死なんだろ。
もっと別のことに、唯でさえ足りない頭を使えば良いのに。
890 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 14:30:51
>>889 足りないのは一緒。ここまで低能にならないと釣れないし。
お前こそネットの中の一部意見や、教科書だけをまっとうに信じてバカじゃない?
どうせここでは、ググれば出る情報以上のものは無いし。
ここにいるってこと自体、社会のクズだろ?
ますます必死だなw
892 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 15:16:35
紅白って視聴率ごまかしてない?
今時、テレビ1人3台は当たり前だろ?
録画機にもカウントされたとしても、全部で5台分のうち1台も見てないだろ?
うちなんか14台中0台だし、計算合わないんだけど。
893 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 17:08:39
>>888 うん、百済観音みたいな短頭。
たぶん匈奴だよね。
だから今も牧畜、食肉加工、皮革加工などの仕事についてる人が多い。
民族的に音楽の才もあったから、芸で稼ぐ人も多かった。
まあそういうことでしょ
894 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 20:57:15
一家の長が亡くなると、その跡を継いだ子は自分の生母以外の父の妃達を受け継ぐ。
これらは匈奴のみならず遊牧民族全てに共通した事であり、環境の厳しい草原では
強い者が権力を握って指導力を発揮し、弱いものがそれに従うことで共同体成員の
生存を確実にするという論理に従ったものである。これらは儒教をはじめとする中国
文明の倫理観と相反するものであり、たいていの場合匈奴に関する記述には非難の
意味が込められている。
895 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 21:02:14
>>894 遊牧民全てにはあるというのは真っ赤な嘘です。
鮮卑の拓跋部にはレビラト婚はありませんでした。
遊牧チベット族には逆パターンもあって一人娘だと
相手の家の男兄弟と全部婿取りするケースがあります。
>>894 古儒教とは矛盾するかもしれないが
朱子学でこっちに価値転換しちゃってるだろ?
↓
>強い者が権力を握って指導力を発揮し、弱いものがそれに
>従うことで共同体成員の生存を確実にするという論理
897 :
日本@名無史さん:2011/01/03(月) 23:19:56
曼荼羅って何ですか?
898 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 00:08:43
秀吉の指が六本説はいつからのものですか。
899 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 02:10:08
日本の南北朝時代で三種の神器もってたのはどっちですか?
壇ノ浦に沈みました
>>895 記紀にも、天智天皇の娘が4人天武の妻だとか
天孫ニニギにイワナガヒメ・コノハナサクヒメの姉妹を勧めたとか
レビラト婚の風習を感じさせるエピソードがある
ニニギのエピソードはまた違う事かもしれないが
夫側の家が妻の家と関係を続けるためにスペア夫を用意する → レビラト婚
妻側の家が夫の家と関係を続けるためにスペア妻を用意する → ソロレート婚
青海や西蔵の場合、同時にスペア夫orスペア妻を、同一氏族から送り込む。
903 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 08:07:28
レビラト婚
その目的は、最初の婚姻で結ばれた両親族集団の紐帯を維持し続けようとすることにある。
ユダヤ、パンジャブ、モンゴル族、匈奴、チベット民族などで一般的。兄弟が寡婦の権利
・義務を受け継ぐ場合も含めると、世界中に広く見られる。日本では逆縁ともいう。
ソロレート婚。じゅんえん-こん 3 【順縁婚】
夫が、死亡した妻の姉妹と再婚する婚姻形態。
たどたどしい日本語で悪いが簡単に書くとこんな感じ。
904 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 08:09:16
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
100万年前:原人がアフリカを出て世界に拡散。
天孫は、ユダヤ or モンゴル族 or 匈奴 or チベット民族?
906 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 09:41:47
173万年くらい前からいるんだからちがくね?
907 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 11:47:12
日本刀を最も活かす戦い方とか型ってなんなの?居合い術?二刀流?
908 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 13:40:25
戦国の3英傑、信長、秀吉、家康の3人で下記の要素を考慮した上で
一番偉大であると思うのは誰ですか?(感情的な好き嫌いではないです)
信長…いち早く天下統一に王手をかける、旧来の因習にとらわれない革命的発想と行動力
秀吉…貧農の子から関白太政大臣へ登りつめる、文字通り天下統一を果たす
家康…自分一代の天下ではなく、260年に及ぶ徳川の天下を築いた
909 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 13:56:50
やっぱりボヤッキー最高だな。
910 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 14:03:17
>>907 経済学専門なんであれだが、居合はすごいけど多数戦向きじゃない。
二刀流は、早いが、体力がかなりいるし、接近戦不向き。
居合は接近戦での1対1ではたぶん最強だと思う。
二刀流は、一太刀浴びたら受けるほどの握力が出せないので、受け流しをする。
まあ、実戦じゃあ、弓に射殺されて終わりだろうよ。
普通に一刀流
30 名前: 年賀状(富山県) [] 投稿日:2011/01/03(月) 22:33:30.01 ID:nbp/q4uJ0
時代劇で女性が刀を脇に構えて「父の敵]とか言って体当たりをするやつ
ああいうのが一番確実と大学で習ったような覚えが
37 名前: お汁粉(広島県) [sage] 投稿日:2011/01/03(月) 22:42:09.87 ID:E79CfAqe0
>>30 なんかの護身術の本にそうやって突っ込んでくるやつはプロだからよけて下さいってあったな
913 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 14:41:11
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
日本刀を最も活かす戦い方
914 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 14:58:58
それなら槍の方が・・・
917 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 15:44:12
>>624 これマジですか!?
>ちなみに推古朝からが日本史の範疇
>それ以前は参考程度で考古学の範疇
918 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 17:44:58
明治〜昭和天皇は国の全面に出ていたけど、戦後は象徴天皇になり、
天皇は国の全面に出てこなくなった
ということは、今上天皇も100年くらい経ってしまうと、今で言う
仁考天皇とか後桃園天皇くらいのマイナーな存在になってしまうのですか?
仁考天皇も後桃園天皇も幕府の陰に隠れたような存在だったし、表に出てこなかった
>>918 後桃園天皇は若くして崩御してるからなあ。
仁考天皇なんていたっけ?
920 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:16:21
仁孝天皇(にんこうてんのう、寛政12年2月21日(1800年3月16日) - 弘化3年1月26日(1846年2月21日))は、
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日) - 弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁
(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。
俺的には、綏靖天皇くらいかな。
よくわかんね〜の。
921 :
日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:58:51
真面目にスペックは?
923 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 03:21:28
律令とかは中国からもたらされましたけれど、
そのまんまじゃなくて日本に合うように
少し手を加えて受け入れましたよね。
医療とか医術もそのように日本風に変えられたりしたんですか?
時代は中世です。
江戸期以前の天皇も、大奥のようなものがあって
何人もいたのでしょうか
925 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 17:19:31
>924
普通にいるでしょ?
今時の若者だって3〜4号くらいいるでしょ?
草食ですれだったらわかるよな。昔は義務だぜ。
それより
律令国家の成立とか、鎌倉幕府の成立とか、そんなんがよくね?
926 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 18:33:43
薩長土肥は維新の中心で
出身者は中央政界で藩閥を形成したが
その一方彼らを輩出した
鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県が発展したかというとそうではない。
ただ優秀な人材が流出しただけだと思うがどうですか?
>>912 そーゆー奴は逃げないし、あらゆる意味で切り捨てられない。
かわして反撃するしか勝つ方法がないから。
928 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 21:58:35
929 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 22:33:12
>>926 出身地にこだわらずに日本全体を考えてくれた
素晴らしいことじゃないか
私擬憲法でも、国会議員は日本全体の代表だという条文がある憲法案もある
地元の利益誘導に目を奪われて日本のことを後回しにしている
族議員に見習わせたいね
鹿児島は知らんが山口のインフラが整っているのは地域誘導だと思うが…
まぁ大陸との接点だから言い訳も可能だが(苦笑
島根は自民党の某ラインが盛大に資本投下したから道路事情はマシだが
鳥取なんか未だに秘境レベル
931 :
日本@名無史さん:2011/01/07(金) 03:37:24
だめだなあ、この会津の人は。
九州まで道を通そうとしたら、必然的に山口に道が通るんだよ。
932 :
日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:30:31
徐福=神武天皇
最初 に、徐福 と 神武天皇 を 関係 づ け た の は、清 の 黄遵憲 で あ る。
そ の 著書「日本国志・国統志注」 で こ う 述 べ て い ま す。
『徐福 の こ と は、「三国志」 や 「後漢書・倭伝」 に あ る。
健武年間 の 通史 で も、そ の 使臣 が そ う 語 っ て い る。
「史記」 に は、燕 の 国 や 斉 の 国 が 使者 を 派遣 し て 仙薬 を 求 め た と あ る。
い わ ゆ る 白銀 の 宮闕・員嶠・方壺 な ど は、す べ て 現在 の 日本 の こ と で あ る。
君房(徐福 の 字) な る 方士 は、聞 く と こ ろ に よ れ ば、男女 を 率 い て 海 を 渡 っ た と い い、
そ の 志 は、も と よ り 小 さ い も の で は な い』
933 :
日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:34:42
日本 に 伝 わ る 三種 の 神器 が あ り、剣・鏡・勾玉 で、い ず れ も 秦代 の 製品 で あ る。
君 を 尊 と い い、臣 を 命 と い い、更 に 大夫 や 将軍 な ど の 言 い 方 も あ る が、
す べ て 周代 や 秦代 の 言葉 で あ る
どこからのコピペだね
935 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 10:31:04
明治維新の立役者は薩長でしたが、明治以降現代までなぜ薩摩出身者よりも
長州出身者の方が政府の中核を占めてきたのでしょうか?
明治維新当時はどちらかといえば薩摩藩の方が有力だったと思うのでうすが
西南戦争の後に大久保一蔵が殺害されたので
有力政治家で有能だった人は、松方正義ぐらいしかいなくなった。
その次の世代の代表は、黒田清隆だけど、有能かどうかといわれると、どうかなー
次々世代で山本権兵衛とか出てくるけど。
そうかな?
開戦終戦時の東郷外相も薩摩だし。
厳密にはユダヤ系の妻を持つ朝鮮系薩摩人だったかな。
938 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 17:13:38
長州の木戸は内大臣だろ
まあこの時期にはもう藩閥が幅を利かせる時代じゃないね
よっしゃこい
最近、首相は長州だね
940 :
日本@名無史さん:2011/01/12(水) 19:59:34
941 :
日本@名無史さん:2011/01/12(水) 23:23:15
Meizi isin to na"tukete iru ga, naze Meizi kakumei to iwanu noka?
Rekisi yoogo made mo Tennoo-sei no tameni nezimagerarete iru.
942 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 00:50:55
有職読み適用の法則が分らない
安倍晴明ってハルアキラじゃなくて有職読みのセイメイじゃん
徳川慶喜は有職読みのケイキじゃなくてヨシノブのじゃん
有職読みあるやつは有職読みに統一みたいにすればいいのに
なんで基準が適当なんすか?
944 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 11:45:27
946 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 12:09:20
>>943 昔の史学系の書物なら満足するだろう。
振り仮名なんぞ振ってない。漢字は正字。
そして、著者は教室ではアベノセイメイ、トクガワケイキと講義してたぞ。
>>943 有職読みってあくまで通称の一種なんだから、適応の法則なんて初めからない。
みんなが適当に音読して、罷り通ったものが伝わってるだけ。
有職読みって何?って聞こうとしたが、怒られそうなので
教養の無い自分やみんなのために調べた。
有職読み(ゆうそくよみ)は、有職の道や歌道などの世界で、敬うべき古人の実名(諱)を
音読みにして敬意をあらわすこと。
かんなおと もそうなのかな
950 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 19:04:45
博士はカス。
951 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 22:51:01
博士!後世、この平成の御世はどんな時代だったと語られると思いますか?
952 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 22:54:10
武士道馬鹿が国家の進路を誤った時代。
経済は拡大させなければ共食いなのに、清貧だか気取って明日の食を投げ捨てた。
第二次世界大戦の無謀さと共に、後世ずっと恨まれるでしょう。
953 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 00:55:43
古事記や日本書紀の国造りに関する神話について、皆さんどう思われますか?
954 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 09:10:50
熱蔵
955 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 09:30:42
>>953 実際に起こったことが年月を経つにつれて尾ひれがついたんだろう
神話に限らず、我々の身近にもある噂話と一緒
956 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 13:22:52
江戸時代に農民は年貢米を納めてたのはわかるんだけど工人、商人は寛永通宝で払ってたの?
>>953 ギリシャ神話の無茶苦茶ぶりに比べれば、日本人らしく万事控えめな神話。
958 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 00:31:17
利家の死後、利長が勝手に金沢に帰ったのは何故ですか?
959 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 09:44:18
どうも八十万石の身代を生かして反乱が起せないか考えていた様子だな。
国許の重臣と相談するためだろう。
他の諸将達の言動からしてそう考えざるを得ない。
960 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 15:07:59
子供達にランドセルを背負わせたいのが伊達直人■■子供達に借金を背負わせたいのが菅直人
必殺技を決めるのが伊達直人■■「俺に決めさせるな」が菅直人
虎のマスクで顔を隠すのが伊達直人■■虎の威を借るのが菅直人
庶民を勇気づけるのが伊達直人■■庶民を落胆させるのが菅直人
フェアープレーで闘うのが伊達直人■■スタンドプレーで目立とうとするのが菅直人
施設にランドセル贈るのが伊達直人■■中国にランド・セールするのが菅直人
贈与するのが伊達直人■■増税するのが菅直人
子供たちに夢を与えるのが伊達直人■■子供たちに弓を引くのが菅直人
リングで虎をかぶるのが伊達直人■■選挙で猫をかぶるのが菅直人
仮面を被って戦うのが伊達直人■■仮免で国を動かすのが菅直人
庶民の味方が伊達直人■■庶民を偽装が菅直人
ヒーローなのが伊達直人■■非道なのが菅直人
マスクを外すと一般の人が伊達直人■■マスクを外すと欲望の人が菅直人
希望を与えるのが伊達直人■■希望を奪うのが管直人
タイガーマスクなのが伊達直人■■総理大臣なのが駄目直人
961 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 22:34:12
日本史の文化史の中で和歌〜能〜狂言〜茶道〜歌舞伎〜錦絵〜小説といった流れが
ありました。現代では漫画やアニメが隆盛を誇っていますが、後世において
昭和〜平成期の文化史として漫画やアニメが歴史に残るのでしょうか?
あるいは昭和〜平成期の文化史としてどんなものが残りそうでしょうか?
しらんがな
963 :
日本@名無史さん:2011/01/17(月) 00:16:01
1190年に源頼朝が日本国惣追捕使に任命された。
この「日本国」は東日本のことでしょうか?
事実上、西日本は鎌倉の支配下ではまだなかったし。
964 :
日本@名無史さん:2011/01/17(月) 00:29:17
>>961 アニメ、漫画は鉄板くさい
映画も黒澤監督あたり名前が残るだろう
宝塚歌劇団とか吉本新喜劇とか漫才あたりはどうだろう?
弱いかな?
いえいえ日本全土ですよ
というより、源義経を自らの道具にしようとした後白河院の負い目をつき
それまでは西日本の国衙領や荘園に手出しが出来なかった源頼朝が
全国政権となる出先の勢力を西日本にばら撒く根拠が出来たという事件です
重要犯手配のためと言って、相手の役所の中に自らの出先機関の事務所を押し込んだわけ
966 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 11:26:45
>>963 西日本にも御家人の所領はあるし、
(周防の三浦、安芸の土肥 薩摩の島津、摂津の大内、伊予の河野など)
守護は設置されてるから
警察権はすでに幕府が抑えていた
ああ、確か本郷先生も守護・地頭を幕府が掌握したために朝廷では仕事が激減したため、
今で言う民事訴訟のような裁判権行使で権限維持を図ったと書いておられますね。
968 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 17:55:24
明治の廃刀令の時に、士族等からの反発を抑えるために、
いわゆる木刀ともまた違う「ただ腰に挿しておくための棒」をある人が発明したが結局あまり広がらなかった。
そんなエピソードを以前どこかで聞いた事があるのですが(多分、高校の頃の日本史教師からだったと思います)
今、それについて検索するなどしてもそんなエピソードは出てきません。
この話は本当にあった事なのでしょうか?本当だとしたらそんな棒を発明したのは一体誰だったのか、教えて下さると嬉しいです。
969 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 20:51:31
970 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 22:01:45
源頼朝や徳川家康の正装姿の肖像画などを見ると、よく歴代天皇がつけてるような
背の高い帽子みたいなのをしています。
今上陛下の正装姿もそれをしていましたが、現在この背の高い帽子みたいなのを
している人は天皇以外でいますか?
971 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 22:04:32
近くの神社へ行って来い
近くの神社へ行ったら社務所もなくて無人だった。
973 :
日本@名無史さん:2011/01/19(水) 22:54:44
神社関係者はわかるけど、それ以外であの帽子を被ってる人はいないんですか?
かつては朝廷の高官が被ってましたが、現在は?
>>973 君はNHKを見ないのかね?
午後3、4時あたりから夕方6時頃くらいにNHK総合テレビを見れば毎日見られるとおもうぞ。
行司かw
初歩的な質問で恥ずかしいのですが…
亡き祖父は19歳くらいの時に海軍の予科練で飛行機の
操縦の訓練をしていて、そのまま終戦を迎えたそうです
海軍といえば小説等の影響でエリートというイメージがあるけど、
戦争末期にもなると、誰でも入れたのかな?
977 :
日本@名無史さん:2011/01/20(木) 23:09:19
明治…近代化と帝国主義の時代
昭和…戦争と経済成長の時代
と、よく表現されるけど、平成はどうなると思いますか?
平成…インターネットの時代
こんな感じですかね
978 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 01:04:58
なぜ戦前の政治家は簡単に暗殺されたのか?
特に犬養、警備しようとかなかったのか
>>978 銃刀法の取り締まりが緩い
国士が多かった
政治家が大物だった
軍の時代だった
>>976 祖父はエリートだったんだよ!
ていう冗談はおいといて、海軍はエリートだけ採ってたわけじゃないよ
陸軍と同じようにボンクラからエリートまでいたさ
んでそもそも予科練卒は下士官クラスであってエリートとは言えない気がする
ウチの祖父も予科練は頭が悪いと入れないと言ってたよ。
海軍士官の中ではエリートではないかも知れないけど、
一般人の中では充分エリートに属する部類じゃないの?
>>976 学業だけじゃなく、肉体でも優れていないといけないから。結核でも持っていたら即アウトさ…
とは、甲種に合格したのが自慢だった叔母婿の話。
エリートというか、エリートの卵…中高校の県レベル上位選抜者でないとなれないんじゃなかろうか。
>>980-982 答えてくれてありがとう 自分でも少し調べてみた
戦争末期は人員不足で大幅な増員があったみたいだけど、祖父が入った頃を想像すれば、
予科練の制度が始まった頃に比べて、試験の難易度も下がっていただろうから、
日露戦争後の「国民の憧れの優等生集団」みたいなカンジではなかったのだろうな…
海軍の予科練といえど、建設工事に派遣されたり、航空機以外の特攻兵器に回された人もいたみたいだから、
最後まで飛行機の操縦訓練をさせてもらえていた祖父はラッキーな部類だったんだろうと思う
生前の祖父は頭の良い人だったという記憶があるが、
エリートかどうかは置いておいても、祖父には誇れる思い出だったらしく
毎年終戦記念日になると、同じ予科練の同級生と集まって、思い出話に花を咲かせてた
そういうのを聞いて、不謹慎かもしれないけど「なんか良いな」と思った
>>983 不謹慎?どこから不謹慎なんて言葉が出て来るの?
まったくもって意味不明。
ゆとりだと戦前を暗黒時代でその思い出までもが暗黒だと思ってるのかね。
1.鉄道・道路を通してもらえなかった
→実際は三島県令が当時日本でも稀な大規模道路整備を若松を中心に行い、
恩恵が少なかった会津以外の人々が一揆を起こした。
→鉄道が通らないのは当然。仙台へ伸ばすには会津は経由させるべきではない。
また、磐梯山噴火などがあり若松より北へ伸ばす路線は危険が多かった
2.産業育成を阻害した
→実際は産業博覧会で三島県令が盛んに会津漆器などの産物を販売し、陶器産業も復興させている
清酒も明治以降の導入で、江戸時代はどぶろくだった
3.県都を郡山に移さず会津を引き裂いた
→郡山は新政府が開拓した都市。そこに移すのは新政府偏重と言う福島市の意見が強かった
4.学校を作ってもらえなかった
→会津高校を作ったのは明治初期、しかも三島県令と明治新政府の重役たちによる寄付だった
5.賊軍の遺体埋葬を禁止された
→「彼我の戦死者一切に対して」遺体確認作業の為禁止されていたのを作家が捻じ曲げて解釈しただけ
かなり早い時期から遺体処理を指示する民政局の達し書が出てる
会津藩士の遺体もちゃんと埋葬された
6.「白河以北一山百文」と侮辱された
→言いだしっぺは東北、わざわざ新聞タイトルにしてスローガンにしたのも東北
つまり、会津人が涙ながらに叫ぶ「被差別」話は、どれもこれも根拠がない。
新政府の援助をたらふく食った末に、貰った先を罵って、恩義はないといって済ませようとするのが会津。
蘇我馬子って、周りの人からどういう名前で
呼ばれていたの?
ウマちゃん
988 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 11:02:31
津軽と南部と会津押し込め(斗南)をひとつの青森県にして反目を図ったです
薩摩は自分の藩まで廃藩置県では真っ二つにしているのに、会津人はこのような些細なことで罵倒になると思っている
だから会津人は嘘つきと呼ばれるんだろうな
990 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 12:56:46
宮崎県を併呑して、旧薩摩藩領は本庁管下にしてた。
991 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 13:06:22
それは西南戦争後の新政府直轄地域化の時代と
それ以前の西郷王国時代とを適当に混ぜた嘘じゃん
992 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 13:16:51
廃藩置県で旧薩摩藩は鹿児島県と都城県に分割されます。
その後西南戦争が起き、荒廃した南九州を明治政府は直轄地域として
現在の宮崎県の部分まで一つとして扱います。
その後現在の宮崎県延岡市及び日南市周辺の分離運動が起こり、
これに都城市が鹿児島からの分離独立を求める形で賛同し、現在の県境となります。
それを中村彰彦は経緯を無視し、薩摩藩が延岡を占領したかのように言いふらしました。
彼の嘘は東北地域の根拠のない怨恨に基づくもので、実際の経緯も完全に無視した不公正な解説でした。
おそらく、東北の県境引きが不公正だと強調したかったのでしょうが、彼の説はどこにも真実性がなく
笑われるだけの代物です。
その俗説も、言いだしっぺは中村の馬鹿か
この東北馬鹿、会津というよりは、小沢一郎出身地周辺の怨恨を感じる
あれもなかなか根拠を見出せない嘘八百
995 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 15:15:34
おいおい、現状でまだ小沢裁判が成立すると思っている自民かオリミンの犬がいるのかよwww
>>984 不謹慎という言葉は、「戦争悪!」を声高に叫んでる人たちに考慮した言葉じゃないよ
祖父の同窓生の中にも命を落とした人はいて、そういう悲しい思い出も共有してる人たちに
第三者の自分が軽々しく言うのは失礼かなと思ったから
こちらの言い方がおかしかったけど
>>996 そういう意味ならそのまま「軽々しく言うのは失礼」と添えるか
「無神経」などの言葉ならわかるけど「不謹慎」は意味が違うと思う。
空気読まずにかなりスレチなんですが、気になるので質問させて下さい。
昔、大河ドラマで「利家とまつ」ってありましたよね。
その「利家とまつ」の第一話で
まつは長男の利久と結婚させられそうになっていますよね?
あくまでもドラマはフィクションだとわかっているんですが…
史実でも実際にそうだったんですか?
自分が知る限りですと、
利家とまつの間柄は従兄妹関係(まつの母が利家の母の姉)にあたりますし、
長男の利久とも従兄妹関係にあたるのでは…?
色々と調べたんですが、
大河ドラマの「利家とまつ」以外では、
まつが長男の利久と縁談が進められていた逸話やエピソードが見つからないんですが。
フィクションって事でしょうかね?教えて下さい。
999 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 08:53:08
どうしたら無くなりますか?
1000 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 08:54:19
このスレ必要ないんじゃ・・・・
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。