1 :
日本@名無史さん:
なぜだろう
2 :
日本@名無史さん:2010/09/09(木) 21:54:39
そうせい
敬親に世界観がなかった、といえばかれに酷だろう。しかし敬親の人物眼は侮れない。すぐれた人材を登用し適所に配するのも名君の務めだ
5 :
日本@名無史さん:2010/09/09(木) 22:51:28
>>3 人物眼も糞もないだろ
ただ好き勝手にやらせてただけ
6 :
日本@名無史さん:2010/09/09(木) 23:35:52
罪人、朝敵だから
7 :
日本@名無史さん:2010/09/09(木) 23:36:46
椋梨
8 :
日本@名無史さん:2010/09/10(金) 00:47:22
>>3 「しかし」という語の用法を誤っていると思う。
>>4 国本に有力な支援者がいなかった事が大きいと思うがな。
永井の江戸での遊説は佐幕・地方小藩の和魂洋才路線の下地に間違いなくなった。
長州は国内の反論分裂と永井の影響力が強くなり過ぎて外様サロンから敬遠されたわけだが。
幕末期は吉川家の動向はどうだったの?
毛利にはいい意味で存在感のある殿様はいない
初代藩主の輝元からしてアレだから
>>10 毛利本家から冷遇されていたが、敬親の働きかけで良好な関係になり、
818政変の時に進発しようとする桂や久坂を止めたり、第一次長州征伐の処分を仲介したり、
第二次長州征伐では幕府軍を撃退した
で、大政奉還で毛利が復権して、やっと岩国藩が正式な藩として認められた
14 :
日本@名無史さん:2010/09/10(金) 13:43:20
15 :
日本@名無史さん:2010/09/10(金) 18:48:27
毒蝮三太夫なら知ってるぞ。
16 :
ワンダユウ(八奈見乗児):2010/09/10(金) 19:46:11
百地三太夫だろ
毛利敬親ってバカ?
18 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 10:16:03
>>1 ぼうずは知らんかもしれんが
むかし高橋英樹が演じた毛利敬親は存在感があったぞい
19 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 10:21:59
時代劇で歴史語るなよ
老子道徳経でもイソップ寓話でも、
何もしないのが最高の君主って言ってる。
つまり毛利敬親は最高の君主。
21 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 10:36:37
22 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 17:56:15
イソップといえば高野浩和
高野浩和といえばアートネーチャ
23 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 19:39:30
敬親は歩くのも困難なくらい太ってたみたいだね
>>23 そうなのか
昨日、見たドラマじゃガリガリの殿様だったが
25 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 23:28:29
孝明天皇暗殺を命じたのはコイツ?
26 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 23:29:49
l
あの時代のトップは有能だから上手くやれるとは限らないしな
徳川慶喜なんて単純なスペックだけなら物凄いのにへたれ扱いだし
>>28 へたれ扱いしているのって誰?
同時代の人達は敵味方に関わらず英主、聡明、博学、策に富むと総じて高く評価してるが。
31 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 16:59:16
33 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 23:14:15
慶喜は当時の大多数の凡庸なお殿様に比べればだいぶ目端が利くと思うが
まあ人の上に立つ人物ではないよなぁ
慶喜を知らない人達からは伝聞だけで過大評価を受けていたようだけど,
実際には部下からも人望はないしスタンドプレーで組織はかき乱すし
部下を平気で裏切ったり見捨てたりと冷たいし,どうみてもリーダーと言うよりは参謀タイプだな
34 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 23:50:20
35 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 00:54:51
「維新の嵐」ではタップリ利用させてもらったから、もっと評価されてもいいと思うよ
36 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 12:13:57
毛利敬親の誕生日を国民の休日に制定してはどうだろうか。
いっそのこと、
三百諸侯の誕生日全てを国民の休日に制定してはどうだろうか!?
当然、誕生日重なる人間が何人もでるので、誰の誕生日かで、喧嘩になる
39 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 21:03:32
維新の原動力は長州なのに、何故か評価が低い
毛利敬親や世子はもっと評価されても良いと思う。
40 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 21:08:04
そりゃあんだけ多士済済ならばしょうがないろ
>>37 休みじゃない日がほとんどないじゃないか(´・ω・)
42 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:09:05
どうしてそう思うんだ?
長州がオマケなら土佐や肥前はw
無意味な意味付けは後世の無職暇人でもできる
島津久光はとても版籍奉還に進んで賛成するようなタマじゃないからなー。
版籍奉還においても毛利敬親の「そうせい」が日本史の流れを大きく決定付けている。
その代わり、第一次長州征伐では幕府よりの人間が
実権を握って粛清の嵐になった。
薬にも毒にもなる存在。
>>46や水戸を考えると勤王党弾圧だけで済んだ山内は超優秀
久光と違い引き際も潔い
とは言っても結局人材は死に絶えてしまったが
48 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 17:37:46
存在感がないということは、典型的な殿様つーことだろ。
49 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 18:47:37
山内は、酔えば勤皇、さめれば左幕で明治維新の妨害人物だろ
薩摩なんて、長州の尻馬に乗っただけ
「殿、領地を返上してください」なんてセリフ、
相手がそうせい公だからこそ許してくれると見込めるわけで、
島津の国父に藩士がそんな事言ったら、ブチキレて手打ちに
されるかもしれん。
もしかしたら・・・
家臣 「殿、幕府を開いて頂くために江戸へ出立して下さい。そして長州藩は返上してください」
バカ殿 「わかった。長州は返上する。直ちに江戸へ行って幕府を開いてくる」
そして東京に到着した殿は放置プレイ、長州藩は返上された。
というオチだったのかも。
>>52 それはないだろw
神輿としての役割をよく理解してたからこそ繰り返しの藩内の政争や長州征伐でも失脚しなかった
54 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 22:29:52
>>52が該当するのは久光だな
西郷と大久保のコンビがなんとなくそんな事を匂わせながら
幕末の久光を動かしていったわけで・・・久光にすれば
あいつら騙しやがって〜と怒りまくるのも無理はない
55 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 23:04:00
久光が「ところで、俺、いつ将軍になれんの?」
とか言うシーンを想像した
56 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 08:51:35
久光をバカにしてるヤツ多いけど、
久光は当時としてはかなりの教養人で知識人だぞ。
いわゆるバカ殿ではなく、そこそこ政治力もあるし。
「いつ将軍になれるの?」は俗説。
久光は常識的な保守派だから、当初は尊王佐幕路線、
慶喜と決裂して以降も幕府まで完全打倒しようとしていたか疑問だし、
まして自分が幕府を開こうなんて思ってたわけがない。
57 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 08:59:50
久光が西郷・大久保に激怒したのは、廃藩置県で大名を廃止されたからで、
自分が将軍になれなかったからではない。
そもそも、久光自身、幕末時点では公議政体派の中心人物だったわけで、
幕末は徳川を盟主とする大名連合政権をめざしていた。
特定の家による幕府独裁は不可能なことは悟っていたはず。
久光は、幕府滅亡後、自分がそれに取って代わろうとしたのではなく、
薩摩など有力諸侯による連合政権をめざしていたのに、家臣の西郷・大久保に
藩や大名そのものが否定されたから激怒した。
敬親って人は凡百の大名とは違って、先覚意識はあった人だと思うよ
大藩の国父として大過なく勤め上げるだけのつもりなら
外様の分限で長井雅楽の輿論なんて必要ないし、京都外交も無用っちゃ無用だった
周布みたいな跳ね返りの官僚はいい気にだけさせておいて巧妙に中枢から外しておいた方が組織の維持のうえでは良かったのにも関わらず
むしろ大きな権限を与えて大いにやらせたのは明らかな敬親の意思だし、
事実上どん詰まりになって周布が辞意を申し出たときもかなり意思的と思われる慰留をしている
旺盛な行動者ではなかっただけで、敬親は極めて志士的な思想を持った人物だったような気がするな
>>56 俗説というにはあまりにも流布しているよ。
ウィキペディアには「島津幕府」って項目まであるんだぜ。
でも確かに出典がよくわからないけど。
60 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:57:12
結果論で廃藩による中央集権化が不可避のように考える人が多いけど、
当時のドイツとかを見ても、諸侯連邦による近代化路線も十分にありえた。
諸侯の大半が多額の負債でどうしようもなくなっていて、廃藩を歓迎したのは事実だが、
有力諸藩だけ残して、ドイツ型の連邦国家をめざす道もあったはず。
61 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:58:54
>>59 だから、それは俗説が流布して、一人歩きしてるってことでは?
ウィキなんて、「蝦夷共和国」なんて虚構が堂々と項目のタイトルになってるし。
62 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 19:45:43
島津幕府というか,雄藩連合で首席に立ちたいという程度の野望はあっただろうな。
最終的には倒幕まで了解していたのだろうが,積極的に島津幕府まで希望していたかどうかは何とも言えん。
久光の面白いところは維新後左大臣に任命されたら早速新政府に乗り込んでかき乱そうとしたところだ。
それが聞き入れられなかったら左大臣のポストを投げ捨てて引き籠ってしまうし。
この辺りが大臣ポストを与えられておとなしくお飾りで収まろうとした三條岩倉とは違うところ。
>>59 上杉謙信が女だったとか義経がジンギスカンになったという類の話だろ。
みんな聞いた事はあるけど信憑性は限りなくないっていうw
>>62 雄藩連合は幕政から疎外されていた外様雄藩が共通して目指していたところだからな。
阿部正弘のサロンのおかげで薩摩、土佐みたいな野心的な藩主と開国で貿易に藩財政の好転を狙った藩は色々意見する下地ができた。
久光の兄貴は閨閥も絡めて幕政への関与深めていったからその路線をそのまま久光も踏襲したと言えるわな。
維新後、藩主そっちのけで下っ端だった大久保や西郷が天皇を囲い込んで政務を独占したのを苦々しく思っていたけど、
特別「これをしたい」というのもなかったので憂さ晴らしに政府をかき乱したんだろう。
三条・岩倉をはじめとする公卿が飾りでも丸くおさまっていたのは貧乏から脱出できた上に天皇が君主となった明治になったからかなり満足感があったんだろうと思う。
創世公
66 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 09:30:24
毛利敬親の存在感の無さは明治天皇の存在感のなさに通じる。
政治軍事の実務はその時々の内閣に任せて超然としているから、
当人が実際に何をしたという意味の存在感は薄い。
明治天皇は存在感あるだろ
皇室の予算を一割、軍艦購入費に回した。
68 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 12:06:50
王が左右できるのは王室費のみという状態は
王が実権を持っていないという状態だぞなもし
70 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 21:50:50
敬親公の時はめっちゃやり易かったじゃん、
大日本帝国の運営もあのパターンでやりたいよネー
・・・てな感じの長州系官僚。薩摩系官僚もそんな物分りのよい殿様だったら
俺らも苦労しなくて済んだナーとひそかに思う
かくして幕末長州の政治体制が明治日本のプロトタイプとなった
71 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:26:50
72 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 20:19:09
藩主は本来は藩の軍事指導者であるはずなんだが、
長州征伐たけなわの龍馬伝でも出番なし・・・
73 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 21:02:23
教育が大好きで家臣は育てたが、自分を裏切らず明治でも頭目にしてくれると考えていた
頭が悪かった殿様なだけだと思います。
これほど人任せの天才も歴史上珍しい。
任せきりにできるのは確かに才能と言える
細かい事まで口を出し過ぎる俺orz
>>72 村田蔵六すら出てこず、龍馬が小倉攻めの奇襲の指揮をとって
高杉が三味線で幕軍を蹴散らすファンタジーに今更何を…
一瞬出てたけどね毛利の殿
>>76 大村スルーはさすがに酷かったなあ
かつては大河の主役だったのに
あの頃の大河ドラマはよかったな・・・
年々落ち着きのない薄っぺらな演出になってゆく・・・
龍馬伝とか登場人物にやたら喚かせて何が楽しいのか・・・
後の北条時政やね
82 :
日本@名無史さん:2010/09/30(木) 07:39:27
>>79 錦之介版「子連れ狼」の阿部怪異だしな。
でも、小泉今日子版の「あんみつ姫」のお殿様でもある。
83 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 21:34:01
地方の大名では極めて珍しいことだが、没後の追贈とはいえ
毛利氏には官位の頂点である正一位に叙せられた人物が二人もいる。
毛利元就と毛利敬親だ。
84 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 12:50:04
維新の大功労者である敬親公の叙位は順当な評価だが
元就の方はと言えばまあ金で官位を買ったようなもの
>>84 >元就の方はと言えばまあ金で官位を買ったようなもの
間違いじゃないけど、スポンサーをそう無碍にしちゃいけない。
毛利家って武家としてはさしていい血筋じゃないもんな。
やはり大江の長者(?)として陸奥守が欲しかったのだろうね。
山内豊範とか伊達宗城、島津忠義の方が存在感ないと思う。
87 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 00:00:26
そうせい
88 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 19:53:31
毛利元就と毛利敬親は、金を作る点でも政治的に有効に使ったという点でも
よくツボを押さえていたと思う。
収入:
元就の時代には石見銀山の奪取と開発
敬親の時代はには藩政改革でモノになった紙蝋塩といった特産品
支出:
元就の時代には朝廷献金で得た官位が数多の国人領主から一頭抜きん出るのに役立った
敬親の時代には朝廷工作にどんどん金をつぎ込んで長州の発言力を高めた
広島藩の存在感の無さは異常
90 :
日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:24:07
確かに幕末の広島藩は影が薄いね・・・草高からすると長州より大藩だけど。
当主はなかなかにやり手で、藩の内政と軍政の改革に成功し、長州と手を結ぶ先見性もあった。
でも一般的な知名度としては浅野長訓?誰それ?みたいな
なぜだろう
>>90 いくら大藩であっても,いくら軍制改革をしたりそろばん勘定が得意な人物がいても,
これが自分達の進むべき正しい道だという確固たる信念を持った人が藩の中枢にいないと
幕末のような動乱期にはどうしても日和見的になってしまう。
まあ幕末の広島藩は日和見が藩是だったのかもしれんが
>>84 元就が正一位に叙せられたのは維新後だよ
確かに生前も、大内の真似して金で官位を買ってたけど
93 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:26:50
そうせい公の官位は四賢侯と比べても同等以上なんだな。
ほんとうに
>>1が思っているような存在感が無い人なら、とてもこういう遇し方はされまい。
毛利敬親 正一位
島津斉彬 正一位
松平春嶽 従一位
山内容堂 従一位
伊達宗城 従四位下
雄藩の君主は、自民党の派閥領袖みたいなもんだろ。
一般国民の認知度では雄弁家諸先生に及ばないが、党内選挙のような数と組織力がモノをいうような戦いに強い
95 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:00:41
雄藩の君主は、ばら蒔けるような金を持っていたのか
96 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 17:13:36
薩摩は借金踏み倒しと琉球の密貿易、長州も借財整理と下関での交易。
土佐や越前はなにして金を作ったか不明
敬親はそーせいこーとして後世にも知られているから存在感あるほうだと思う。
島津の本当の殿様(久光の息子)のほうが存在感無い。
そんな人いたの?って感じ。
毛利侯は温厚でしたから、誰かみたいに、大久保や西郷ら革命官僚に自分が愚弄されていることに気づき、錦江湾に花火を打ち上げながら、新政府の洋臭を呪うことはなかった
そもそもあの時の長州藩主になって、毛利敬親以上の成果出せと言われできる奴なんて
戦国三傑だってまず無理w
もし戦国三傑だったら、第一次長州征伐のときにいらないリーダーシップを発揮して
幕軍と対決しちゃっていただろうな。薩長同盟以前だから当然長州のぼろ負けで終了。
んで、藩主は下手すりゃ切腹。
その前に八月十八日の政変を阻止
102 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 14:06:45
毛利家は徳川家皆殺しに賛成だったらしいからそのとおり
徳川家皆殺しにしてくれれば良かったのに
私利私欲で260年日本苦しめた徳川家は存在することすら許されないよ
103 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 14:30:18
何もしないのが名君の証だと、イソップ物語にも書いてあるというのはホントか
橋本龍太郎と宮沢喜一の失政で日本の富がなくなりました
橋本龍太郎と宮沢喜一も大「臣」です。君主ではありません。
>>97 久光みたいなのが2人も同じ藩にいると相当鬱陶しいので
あれくらいの存在感の無さでちゃんと帳尻が合ってると思う。
.......................................................C...............DE....................N....O
.......................................................C1...C3...D1...D2...D3...N...O1...O2a...O2b...O3
日本(野中、水口).東京........1.......2......1...40.......0....0......3.........1........26...14
日本(Hammer et al.).青森..8.......0......0...39.......0....8......0.........*........31...15
静岡.................................................5.......2......0...33.......0....2......0.........*........36...20
徳島..............................................10.......3......0...36.......0....7......0.........*........33...21
沖縄.................................................4.......0......0...56.......0....0......0.........*........22...16
日本(Tajima et al.)アイヌ.....0....13......0...88.......0....0......0.........*..........0.......0
九州.................................................4.......8......0...28.......0....0......2.........*........34...24
日本(Shinka et al.)北琉球..4.......0......0...39.......0....0......0.........0........30...16
南琉球............................................*.......0......0.....4.......0....0......*.........0........67......*
.........................................C...............DE....................N....O
.........................................C1...C3...D1...D2...D3...N...O1...O2a...O2b...O3
オロチョン.................... *....91......*.......*......*....*.......*.........0..........0......0
エヴェンキ.................... *....68......*.......*......*..17.......*.........*..........*......*
満州................................ *.....27.....*.......*......*.....*.......4.........0..........4....38
ブリヤート..................... *....84......*.......*......*..28.......*.........0..........2......2
ハルハ(モンゴル)... *....52......*.......*......1....*.......1.........0..........0....23
朝鮮................................. *....11......*.......4......*....*.......3.........0........36....38
漢民族(華北)............ *......5......*.......*......*....*.......*..........2..........0....66
チベット.......................... *......3.....16.......*...33....*.......*.........0...........0....33
ベトナム......................... *......4.......3.......*......*....*.......6.......36........14....41
110 :
日本@名無史さん:2010/12/30(木) 12:04:57
萩原死ね
敬親は、究極のイエスマンといわれているな
112 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 13:30:07
そうせい
何にでもそうせい、と言ってたという記録ってあるのかな?
あのあたりの人の手紙とか日記とか回顧録読んでもちっともソースが見つからない。
小説とかの作り話?
毛利、三好、朝倉はいいとして、
花菱ってなんやねん(~_~)ノ
>>1 よくそうせい侯と揶揄されるが、村田清風を抜擢して天保の改革推進した辺りは
とても意志薄弱な君主とは思えない行動力なんだよな。
土佐藩とかは殿様でも保守派を抑え切れずに、一度改革に失敗してるし。
まぁ幕府の横槍には敵わなかったんだけども。
版籍奉還の話を木戸からされたときも、藩内保守派を抑える為にしばらくは内緒にして欲しい
みたいなこと言ってる。
ただ、斉彬や容堂や慶喜みたいな煌びやかな才気とは無縁だし、現代の評価にしても影が薄いのはガチだがw
>>113 そうせいは知らないが、容堂公に「長州藩はこれだ」と瓢箪ひっくり返して揶揄された話はあったな。
上より下が力を持ってるって。
元々長州藩は藩主っつか家老クラスがお飾りで、政務はその下の合議で行われてたとか。
それに対して久坂と酒入った周布がやり返して、土佐藩士に周布が狙われるんだがw
>>11 輝元も防長二州に押し込められてからは、えげつない手で重臣粛清したり結構頑張ってたんだぜ。
あの辺りの経緯は、ああこいつも元就の孫だったかと感じるw
117 :
忍法帖【Lv=5,xxxP】 :2011/04/04(月) 09:30:21.04
tes
長井や周布みたいな使い方間違ったらトンデもない事態を招きかねない奴までかなり自由にやらせてるのはすごいけどな。
DQNぶりと家格考えたら桂や高杉なんて良い子に見えてしまうw
119 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 23:17:15.94
大楽源太郎
輝元の子孫だから、大目に見てやれ
121 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 09:42:48.99
外様のくせに
122 :
日本@名無史さん:2011/05/16(月) 21:57:39.41
密貿易に長けていた
お仕えしたい