■高杉晋作の方が坂本龍馬より、ずっとすごい■

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20日本@名無史さん:2010/08/26(木) 02:38:56
>>1
ぬけ作なんぞいなくても、明治維新は100%なってたよw
つうか、幕府が倒れなくても外圧で明治維新になってたw

幕府の西周の案を薩長はまねただけw

違いがあるとしたら薩長の藩閥とかテロリストのアホじゃなく
唯識者による新しい世の中ができてた。
ぬけ作は世の中を悪くしただけ。
21日本@名無史さん:2010/08/26(木) 02:43:56
幕府も薩長も、結局のところ開国によって
大政奉還をして新しい体制を作るって点で何も変化がないからw

ぬけ作がいなかったら、クーデターを美化するような風潮がなく
2.26とか、血盟団事件とか、幕末気取りのテロが横行する
物騒な世の中にならなかった可能性が高い。
22日本@名無史さん:2010/08/26(木) 10:41:59
せやな
23日本@名無史さん:2010/08/26(木) 11:57:22
はいはいマンセーマンセー
24日本@名無史さん:2010/08/26(木) 15:34:52
大奥ひとつ潰せなかった幕府が改革(笑)
25日本@名無史さん:2010/08/26(木) 17:15:03

>ぬけ作がいなかったら、クーデターを美化するような風潮がなく
>2.26とか、血盟団事件とか、幕末気取りのテロが横行する
>物騒な世の中にならなかった可能性が高い。

昭和の初めから、クーデターを美化するような風潮なんてないよ。
適当なこと言うな。
26日本@名無史さん:2010/08/27(金) 04:16:16
>>24
天皇制度一つ壊せず、天皇は神とか昔帰りしてる薩長が改革とはw

人材は幕府のほうが100倍はいた。
薩長は人材がいないから、西洋のサルまね・幕府政策(西周立案)のサルまね
をしたんだろ。

しかも、討幕運動の時外国から武器を買うとかありえねえからw
普通、そういう借りをつくると植民地化の口実になるというのが
世界格国の常識w
その点、武力援助を固辞してきた幕府要人の高い見識や、条約などの実績のおかげで
薩長は助かったんだろ
27日本@名無史さん:2010/08/27(金) 04:16:42
ぬけ作は日本を悪くした張本人。
天皇を美化しながら、孝明天皇を殺したり、大室富之佑をつれてきたり
外国公使館を放火しながら、外国かぶれになったり
まるで一貫性がない戦だけのイノシシ
28日本@名無史さん:2010/08/27(金) 12:20:05
>>26
>>天皇制度一つ壊せず、天皇は神とか昔帰りしてる薩長が改革とはw

倒幕も佐幕も尊皇家でしたが?
そもそも天皇から征夷大将軍職貰わないと幕府は成立せんし
幕府も権現様を神として祀ってましたよ

>>人材は幕府のほうが100倍はいた。

幕府は人材は多かったかもしれないが、足引っ張る奴もその100倍はいた
勝海舟も「我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます」
…と言ってるし

>>しかも、討幕運動の時外国から武器を買うとかありえねえからw

武器はより強力なものの方がいいというのは当たり前じゃないか?
ただで貰ったならともかく金払ってるのに借りなんてあるのか?
29日本@名無史さん:2010/08/27(金) 15:51:12
個人商人から金払って武器買ってた薩長
フランス政府からタダで武器もらってた幕府

どちらがより大きな借りを外国から作ってたでしょう
30日本@名無史さん:2010/08/27(金) 20:11:01
革命って概念に型押しするのがすでにまちがってる気がするが・・・。


公武合体による幕藩体制が維持されていたら
改革の断行は難しかったろうな

そもそも薩長の倒幕っつっても岩倉具視の存在が大きい
長門の毛利公はそうせい公と言われるほど家臣の合議にすべてをまかせていたから
無視するとして、薩摩の島津と家臣である西郷・大久保の意志の齟齬がある中で
戦争の勝者による知行配分の主導権を、戦争の実行者と朝廷の権威たる西郷・大久保・岩倉側に
移した手腕は岩倉の功績だろ
これを支えた背景として、全国的に尊王思想が定着していたことがあげられるのではないだろうか
あくまでみな朝廷に権力をもどすべきだということで倒幕にながれたため
戦後の主導権は敗者である佐幕派の藩には当然なかったし、勝者である倒幕派の藩ですら
朝廷の意向に背けば勝者の利得にありつく大義が失われた。
31日本@名無史さん:2010/08/27(金) 20:20:50
まあ、四境戦争における長州の活躍は神
戦後はともかく長州からはじまったわけで晋作の鬼神の働きがなければ維新そのものがなかった

その次に佐賀。倒幕のスムーズな進行はこの藩による

最後に薩摩がまとめ役
32日本@名無史さん:2010/08/27(金) 20:51:17
てか、戊辰戦争が無ければ
幕府が外国の傀儡になって
代わりに独立戦争が起きていたかも

どっちが良いのか…
33日本@名無史さん:2010/08/27(金) 20:57:30
朝鮮みたいなことになってそうだね
34日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:09:07
吉田松陰の影響はどのくらいあったのだろう。
35日本@名無史さん:2010/08/28(土) 11:16:09
倒幕に一番貢献したのは火事だよ
10年余りの間に江戸が丸焼けになる火事が三度もあった

既に幕府には軍資金が残っていなかったのだよ
36日本@名無史さん:2010/08/28(土) 13:40:03
>>31
最近は、第二次長州征伐ってあまり言わないね。
四境戦争は、たまに使っている人いるけど。
長幕戦争って言う言い方が、今の流行りかな。

まあ、それはそれとして、四境戦争での長州の
基地外戦闘力は、確かに、大したものだよ。

4箇所の1箇所でも幕府軍に突破されたら、長州は
総崩れだった。

でも、高杉の小倉口が、一番、手間取っていたけどね。
熊本藩相手だから、大変だったとは思うが。

薩摩も先見の明があったと思うよ。四境戦争の直前の
予想で、当時、長州に勝ち目があると思っていた人って
ほとんどいなかったんだろ。
37日本@名無史さん:2010/08/28(土) 13:41:42

書き忘れた。
>>1の主張は基本的に正しい。
38日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:52:33
正しいも正しくないもない
優劣を競う必要も意味もないしナンセンスでどうでもいい話しだ
39日本@名無史さん:2010/08/28(土) 21:04:06
尊王思想とは水戸学の精華
天狗党の乱こそ維新の先駆けだね
夜明け前は必ず読むべし
40日本@名無史さん:2010/08/28(土) 22:17:05
四境戦争で亀山社中(薩摩)からの
武器横流しが無かったら長州は勝てただろうか
41日本@名無史さん:2010/08/29(日) 00:56:41
それって坂本を持ち上げるためのもんだろ
坂本なんかいてもいなくても武器は調達できたよ
長州は金は潤沢にあったからな
金さえあれば売る奴なんかいくらでも出てくる
42日本@名無史さん:2010/08/29(日) 01:04:11
総長 桂
参謀 大村
特攻隊長 高杉


幕軍とは戦頭力が違いすぎる
43日本@名無史さん:2010/08/30(月) 23:40:54
考えてみれば
長州藩って
80人で決起した高杉晋作に敗れた後
わずか1年少々で、15万の幕府軍を退ける

いったい何なの?ありえんでしょ!?
44日本@名無史さん:2010/08/31(火) 04:56:11
高杉晋作の末裔を知っている人がいるけど
実に嫌な奴だったらしいな。
45日本@名無史さん:2010/08/31(火) 05:17:09
奇兵隊内閣は随分と株を下げてくれたよねw
46日本@名無史さん:2010/08/31(火) 10:52:46
せやな
47長州軍強すぎ、幕府軍弱すぎ。:2010/08/31(火) 19:50:38
5方面での、幕府軍と長州軍とのこの勢力差。しかも、一箇所でも突破されたら、長州の負け。

<大島口>
★幕軍★
当時日本最大の軍艦だった「富士山丸」をはじめ、「翔鶴丸」「旭日丸」「雲丸」「大江丸」など幕府の海軍と四国各藩の連合軍で総勢2万。
★長軍★
洪武隊、第二奇兵隊を中心に千。

<芸州口(幕府軍・本陣)>
★幕軍★
彦根藩、高田藩、丹後宮津藩、津山藩、明石藩、幕府の歩兵、騎兵、砲兵で総勢5万。
★長軍★
遊撃隊、御楯隊、集義隊、鴻城隊など千。

<石州口>
★幕軍★
福山藩、浜田藩(本陣)、紀州藩、津和野藩、因州藩、松江藩で総勢3万。
★長軍★
大村益次郎指揮。精鋭隊、南園隊、育成隊など千。

<小倉口>
★幕軍★
総督・小笠原壱岐守長行、小倉藩、熊本藩、柳河藩、久留米藩、中津藩、福岡の九州各藩と幕府千人隊で総勢5万。
★長軍★
高杉晋作指揮。奇兵隊、報国隊で千。
48日本@名無史さん:2010/09/01(水) 06:35:25
幕軍の寄せ集めの烏合の衆ぷりが良くわかるな
指揮官の能力差も大きすぎる
49日本@名無史さん:2010/09/01(水) 09:16:24
バックボーンが違うのに、比較しても意味ないだろ。
それぞれに魅力的な人物。
50日本@名無史さん:2010/09/01(水) 11:11:19
龍馬は、へなちょこ、根性無し、びびり症だよ。

10歳の時、袴すら自分ではけず、臆病者で気が小さく、根性無しの龍馬
仲間から「泣き虫・夜ばあたれ(夜尿症)」とバカにされるので、
男勝りだった姉がスパルタ教育で鍛えなおすが・・・・・・・・

三つ子の魂、百まで。・・・・・・・・人間の本質は変らんのだよ。

屁たれ中の屁たれ、剣術も全く駄目だし、短銃で身を守る始末。所詮、商人の息子。

高杉とは、比較対象にすらならん。
51日本@名無史さん:2010/09/01(水) 16:56:05
>>50
その情報はガセです

竜馬が剣の達人で江戸に武者修行に出たという話は後世の創作というのが専らの話です
彼はもともと西洋砲学に親しんでいて江戸へもその勉学が中心であったようです。
52日本@名無史さん:2010/09/02(木) 14:53:00
>>51
ガキの頃から、泣き虫で小便たれで虐められっ子で臆病者で気が小さいのはガチだ。

そんな龍馬少年だから、姉がイライラしながらスパルタ教育を施したが、性格は直らず、臆病者のまま。

剣術もまるで駄目男だから、短銃が必須だったんだよ。
53日本@名無史さん:2010/09/02(木) 15:27:04
高杉と坂本じゃ、月とすっぽん。

高杉の性格、破天荒・恐いもの知らず・突拍子もない男・肝が据わってる・動じない性格・お調子者・お茶目

坂本の性格、臆病者・小心者・儲け主義・弱虫・泣き虫・虐められっ子

とてもじゃないが比較対象にならん。
54日本@名無史さん:2010/09/02(木) 16:14:25
低能を相手にするのは痛いな

高杉がまるで朝鮮人じゃないか

吉田松陰門下では陽明学が重んじられていた、高杉の破天荒さはそれによる

いわゆる、”狂”の実践だよ

そこらのキチ外とおもわれちゃたまらん
55日本@名無史さん:2010/09/02(木) 18:08:14
>>51
竜馬、剣術だめだめ。 免許皆伝どころか目録すら取れなかった。
56日本@名無史さん:2010/09/02(木) 18:41:05
龍馬の個性、高杉の個性、その他の志士の個性
それが、美味く噛み合い共同作業のような形で
倒幕も明治維新の改革もおこなわれた。誰か一人欠けても
あのようなスムーズな革命は難しかった。
誰が上、誰が下との議論は不毛。誰が好き、誰は好みに合わない
と言う程度ならいいが。
57日本@名無史さん:2010/09/03(金) 01:21:51
それなのに僕ら人間は〜どうしてこうも比べたがる〜♪
58日本@名無史さん:2010/09/03(金) 02:31:40
龍馬も高杉もたまたま早死にで、晩節をけがさなかったから、抜きん出てるきがする
ポルポトや毛、果てはアドルフでさえ最初は熱狂を持って受け入れられ、晩年暴走…
59日本@名無史さん:2010/09/03(金) 05:13:28
ま、それはあるな
明治の同期も思い出を美化させたがるものだし後ろめたさもあろう
後世の人も同じような思いを折り重なっていって今のような虚像がつくられたのかもな
現代が異様に政治責任者に対して辛辣な態度をとることを美徳としている風がある分
相対的に過去が浮き上がってくる麺もあろうしなあ

竜馬は美化というより英雄化神格化といった趣だが・・・。
60日本@名無史さん:2010/09/03(金) 09:26:11
高杉を持ち上げる為に龍馬を腐すのはやめようぜw
何か、こういう感じの流れ飽き飽きした。
高杉は幕末屈指の英雄なのは間違いないが、龍馬は龍馬で面白い。
どちらも調べれば調べるほど興味が尽きない人物だよ。
61日本@名無史さん:2010/09/03(金) 15:58:46
やめようぜっていわれてもw
そうナアナアで収められてもな
竜馬の話は土佐藩が冷遇されてから出された汗血千里駒というやや誇張された本や
陸奥の回想録が元で、一次資料がかなり少ないからなあ
62日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:10:30
高杉は、長生きしてたら初代総理大臣になってた可能性もあるが・・・・
(伊藤博文の大兄貴分だからな)

竜馬は、根っからの臆病者で小心者だよ。
金儲けの事しか頭にないんだよ。
63日本@名無史さん:2010/09/03(金) 17:11:48
↑こういうバカは死んでほしいね
根拠不明な一方的なきめつけで権威にのっかろうと必死な書き込み
朝鮮人みたいで気持ち悪い
64日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:13:12
中傷は会津の連中
65日本@名無史さん:2010/09/04(土) 12:19:35
>>63
おいも龍馬は卑怯者だと思うよ。(海難事故とかで)

おまけに臆病者で小心者だしさ。w

高杉は、一長一短あるタイプだが。

龍馬は、欠点ばかりが目立つ。

儲け主義のガリガリ亡者で、国内が内乱になろうが、自分さえ儲けられれば内乱もOK。





66日本@名無史さん:2010/09/05(日) 09:48:54
>>63
おいおい高杉はどうかよく知らないけど、竜馬が英国の手先となって日本を内乱にさせたんだよ。
67日本@名無史さん:2010/09/05(日) 14:27:49

四境戦争で、4方面の長州軍・幕府軍の兵力差は20倍〜50倍、
しかも、幕府軍は4方面の一つでも長州軍を突破できれば、
山口への進撃が難なく可能となる。これだけの好条件で、
小倉城、石見銀山まで、長州軍に占拠され、
ボロ負けするってどういうこと?

弱いにも限度って言う物があるだろ。WWUでのヘタリア、
中国国府軍並みの超々々がつくほどの激ヨワと同じレベル。
68日本@名無史さん:2010/09/05(日) 21:36:25
幕軍にやる気がなかったからにほなかならい
69日本@名無史さん
長州は戦略戦術ともすごかったよ。
軍はすべて銃隊にして近代化。徹底した訓練をする。
外交では、やる気のない諸藩に働きかけ。戦場となる隣接藩とは
ひそかに交渉してなあなあでやろうぜになる。
軍には略奪・暴行を厳しく禁じ、隣接藩ともめないようにする。
英仏とは適当に交渉して中立をかちとる。
関門海峡を封鎖して、畿内の米市場をしめあげる。
藩内の全戸に文書を配布して、士気を高める。

軍事・経済・外交すべてを駆使して幕府をやっつけた。