》》》今でこそ邪馬台国九州説を救え

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1日本@名無史さん
いかにしたら九州説が成り立つのか?
畿内説に皆さん、知恵を貸して下さい。
一時だけでいいのです。苦しかろうが九州説に成りすまして下さい。
自分を窮地に貶める事も成長につながる。
九州説強化合宿開始!
2日本@名無史さん:2010/08/13(金) 20:30:59
東遷説を駆使したら大丈夫なんじゃないの?
3日本@名無史さん:2010/08/13(金) 20:32:22
う〜む畿内は手強いが…皆さん、なんとか応援してみんべ!
4日本@名無史さん:2010/08/13(金) 20:38:00
いや、九州王朝説を応用ひとひねりしなければ駄目だ。
3世紀中葉には畿内では大和王権がすでに存在している。
(書記でいう祟神、やまとととびももそ姫辺り)
5唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/08/13(金) 20:56:03
卑弥呼は乱の国九州の女王
しかし乱で疲弊した九州に乱を平定した大王は居ない。
6日本@名無史さん:2010/08/13(金) 21:33:19
魏志倭人伝の記述は方向から何まで間違っている。
これが最強九州説

径百余歩の墓
その記述は誤り、
よって最新考古学の成果も意味を成さぬ!

どうだ参ったか、と畿内説の自分にいいきかせる。
7日本@名無史さん:2010/08/13(金) 22:02:41
確かに、このままでは邪馬台国論争がなくなってしまうからね。
九州説に奮起してもらわんとね。
8日本@名無史さん:2010/08/13(金) 22:31:46
力まなくていいんだよ。倭人伝のとおりに読めば、必然的に九州説になる。
畿内説なんぞ、何の根拠もない。誰か、畿内説のふりをして根拠をあげて
みな。何にもないってことに気づくから。
9日本@名無史さん:2010/08/14(土) 09:59:40
倭人伝のとおり読めば、畿内にも九州にもならないよ。
だから何処もかしこも論争になっていたんだよ。邪馬台国板が繁盛する所以だな。
10日本@名無史さん:2010/08/14(土) 10:02:05
みなさん、なんとか九州説を救って頂戴、ね。
11日本@名無史さん:2010/08/14(土) 10:06:25
陳寿は間違って畿内大和の事を書いてしまった。
実は九州邪馬台国の事を書こうとしていた。
なぜなら、邪馬台国は九州にあったから。
でどう?
12日本@名無史さん:2010/08/14(土) 10:13:56
>>9
>倭人伝のとおり読めば、畿内にも九州にもならないよ。
それがまったくの間違いのもと。倭人伝どおりに読めば、末盧国から伊都国へは
東南五百里だ。伊都国は佐賀市付近になる。そこから畿内へ行くはずはない。
百パーセント九州だよ。
13日本@名無史さん:2010/08/14(土) 10:34:41
>>12 いいぞ、いいぞ、その勢いと確信が大事だ!頼もしい奴!!
あとは納得させる裏付け・補強を細かく積んでゆけばかなりの有力説になる可能性が!
14日本@名無史さん:2010/08/14(土) 10:54:27
>倭人伝のとおり読めば、畿内にも九州にもならないよ。
それがまったくの間違いのもと。倭人伝どおりに読めば、末盧国から伊都国へは
東南五百里だ。伊都国は佐賀市付近になる。

ここまではいい。

>そこから畿内へ行くはずはない。
百パーセント九州だよ。

ここが唐突過ぎ。
はい、そうですね、という奴は中々いないだろう。
だから論争になってしまうのだ。わかってると思うけど。
15日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:03:28
12は甘いんだよ。
君のいう通りならとっくに邪馬台国論争は終わっている。
人間って君の考えるようにそんなに簡単な生き物じゃないぞ。
16日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:17:54
>>14
>>そこから畿内へ行くはずはない。
>>百パーセント九州だよ。
>ここが唐突過ぎ。
佐賀市付近から次の行程は、南への水行十日陸行一月だ。
ということは、有明海を南下するんだよ。
畿内へ行くはずはないだろうが。南に畿内があるか?

17日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:30:43
>>15
みんな伊都国は怡土だと思い込んだ。それが間違いのもとなんだよ。
怡土へ行ってしまったら、あとはどんなにもがいても邪馬台国へはた
どりつけない。それが邪馬台国論争だ。
だいたい、古墳時代になってから、九州で発展したのは有明海沿岸だ。
畿内に邪馬台国があったのならば、畿内から北九州の玄界灘沿岸、そし
て半島のルートが発展するはずなのに、そこは衰退の一途だ。


18日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:43:03
>佐賀市付近から次の行程は、南への水行十日陸行一月だ。
ということは、有明海を南下するんだよ。
畿内へ行くはずはないだろうが。南に畿内があるか?

南への水行二十日はどうなる?水行十日陸行一月を合わせて南に進めば九州を楽々外れるだろう。
ていわれるんだよ。知らなかった?世間を
19日本@名無史さん:2010/08/14(土) 11:54:05
>>18
世間? 邪馬台国は畿内だというのも世間の大勢らしいな。そんな世間を信じて
はいかんよ。信じるべきは倭人伝だ。
倭人伝の行程記事は、放射式に書かれているんだよ。だから、二十日は邪馬台国
への行程には無関係。
20日本@名無史さん:2010/08/14(土) 12:18:31
>倭人伝の行程記事は、放射式に書かれているんだよ。

君がそうがんばってるだけだ。
21日本@名無史さん:2010/08/14(土) 12:22:11
>邪馬台国は畿内だというのも世間の大勢らしいな。

そう、君もわかってるじゃん。
だから、ここは九州説を救う為のスレなんだろう。
説得力のあるもっとましな九州説を考えてみいや。
22日本@名無史さん:2010/08/14(土) 12:23:32
たぶん、畿内派に九州説を考えさせた方が強力になる。
23日本@名無史さん:2010/08/14(土) 12:27:47
>>20
放射式の読み方を勉強したことがないだろ?
この間、中国の学者、王金林が放射説をとってると紹介したところ
図書館で調べるとか言った奴がいたが、その後、音沙汰なしだな。
調べて、ガックリきたんだろう。
日本でも、いろいろな人が放射説の正しいことを説明しているよ。
勉強、勉強。頑張ろうな。
24日本@名無史さん:2010/08/14(土) 12:49:54
★ここに九州説強化策具体的第一弾が放たれました。

放射式は九州説を救えるのか?
YES
NO
25日本@名無史さん:2010/08/14(土) 13:14:37
どうして放射状に読まなければならないんだ?
前置きのルールがなければ、普通通りに順次式に読んでしまうだろう。
俺は絶対に放射状には読まない。でないと試験に落第してしまうよ。それは公式文書のルールだから。
26日本@名無史さん:2010/08/14(土) 13:27:51
>>25
>前置きのルールがなければ、
西域伝などに、放射式の書き方はいくらでも出てくる。前置きのルールなんて
ものはないんだよ。史書は順次式で書かれる場合と放射式の場合とがあり、ど
ちらも結構利用されている。史家は、史書を読む場合の常識として、どちらで
書かれているのかを見きわめることが必要だったんだろう。
久保田穣は「邪馬台国はどこにあったか」で、史書を検討して、「地理説明
(これが放射式という意味)をするに当たり、これからそうするぞという何の
注意書きもしていない」と書いているよ。
27日本@名無史さん:2010/08/14(土) 13:31:55
嘘こくなよ。
28日本@名無史さん:2010/08/15(日) 00:27:49
畿内は出雲の勢力圏で中国が認識していた倭人国は九州を中心とした勢力だった
ということではないかな?
29日本@名無史さん:2010/08/15(日) 03:02:18
倭人伝は朝鮮人以上にハッタリかましてる可能性のほうが高い。

呉の太白だの民俗描写、経路工程など南への印象操作感満載。
30日本@名無史さん:2010/08/15(日) 11:15:11
>畿内は出雲の勢力圏で

これはどこに書いてある?
ひょっとして、個人的想像か。
31日本@名無史さん:2010/08/16(月) 07:43:40
このままの流れを受けると、やばい。
予算つけて九州でも遺物掘削を開始せよ。
九州説を救え!
32日本@名無史さん:2010/08/16(月) 08:59:40
>畿内は出雲の勢力圏
ってよく聞くけど、ほんと誰が唱えてるんだろ?
33日本@名無史さん:2010/08/16(月) 09:27:01
銅鐸大神の匂いがする。
懐かしいのう。
34日本@名無史さん:2010/08/16(月) 10:23:31
伊都国が佐賀市付近だとすれば、そこから先が放射式に書かれているというのは
簡単に理解できる。佐賀市付近はすでに有明海沿岸。そこからすぐに南水行がで
きるわけで、奴国や不弥国へ回ってから水行するなんてのは不自然だからだ。
だが、伊都国=怡土だとか、邪馬台国が大和だという説からすれば、放射式読法
というのは、?となるはずだ。怡土から何で放射式で書くの? 大和へ行くのに
放射式では距離が足りないのでは? 投馬国よりも手前で上陸してしまう意味が
分からん。まあ、そんな話になる。
それにもかかわらず、榎や山尾が中国史書の書法を研究して、倭人伝は放射式だ
と言ったところを考えんといかんね。それだけ、倭人伝の書き方自体が放射式を
示しているということだ。
35日本@名無史さん:2010/08/16(月) 15:28:51
邪馬台国論争遂に決着!
森浩一「倭人伝を読みなおす(ちくま新書)」が決定版になったね。
36ローガン:2010/08/16(月) 15:52:14
「ゆるやかな連合下」であれば、どこの勢力でも、勝手な外交があっていいでしょう。
景初の朝貢が北部九州であって、倭王を自称した所で、別に不自然ではない。
37日本@名無史さん:2010/08/16(月) 16:06:58
結局、ローガンに九州説は救われる事になるのか。
皮肉なものよ、ははは。
38日本@名無史さん:2010/08/16(月) 16:09:04
ローガンも九州説に転向か…

ようやく真実に気がついたようだなw
39日本@名無史さん:2010/08/16(月) 16:57:43
38よりも力強いかもな。
40ローガン:2010/08/16(月) 18:14:41
不見前人…「前を行く人が草木で見えない」と訳すか?
それより「ここには先に来た漢魏の人が見えない」とは訳せないだろうか?
そう考えると…末盧とは交易のルートから外れていたのではないか?と。
壱岐⇔博多、及び壱岐⇔糸島がメインのルート。使者は伊都へ船で入る。そこで倭王との接見を待たされる間に、周辺の情報を得たとすれば、不彌国までは放射読みで良いのでは?
又、一大国の「南北市擢」先の一方を糸島や博多とすると、南北の感覚が南東、北西に傾いたものであると考えられ、
末盧(唐津)と伊都(糸島)の位置関係が東南と記されている事について、九州説であろうとも問題無く、伊都=怡土 奴=那を支持出来るのではないか?

無理かなあ…。
41日本@名無史さん:2010/08/16(月) 19:50:47
ローガン殿大歓迎!
君こそが伝統ある九州説の救世主だ。
42BJ:2010/08/16(月) 20:38:34
>邪馬台国九州説を救え

無理じゃ!手遅れじゃ!

何でもっと早くに来なかったのじゃ!

まあ仕方が無い、葛根湯でも出しておいてやるかwww
43日本@名無史さん:2010/08/16(月) 20:39:24
問題は伊都国らしい遺跡が佐賀市周辺にはなく、糸島にはあるということだな。さらに、郡使が
常駐するには糸島のほうが往来しやすいということもある。また、記紀などでは佐賀市周辺を「イト」
とする記述はない。
これらのことを、「東南」の一言だけでひっくり返す力があるかどうか。ここがトンデモへの道の分かれ目。
44日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:11:02
>>1
詐欺で固めた畿内説など、初めから敵じゃないから心配するな。
45日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:12:25
サイキバ登場。wwwwww
46日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:28:18
調べれば調べるほど、畿内と邪馬台国が無縁であるのがよくわかる。
九州説は不戦勝になるから心配するな。
47ローガン:2010/08/16(月) 22:32:08
>>46

> 調べれば調べるほど、畿内と邪馬台国が無縁であるのがよくわかる。

是非とも最新の調査結果を書いてみてね。
48日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:39:04
>>47

畿内説は100年前から一貫して詐欺だから、無意味。
49ローガン:2010/08/16(月) 22:44:18
>>48
畿内説なんて関係ないやん。 「調べれば調べるほど」の最新の調査結果を聞きたいんだけど。



無いの?
50横槍:2010/08/16(月) 22:50:18
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり」

九州説という袋小路に追い込んだのは、この一文だろ
陳寿も無責任な事を書いたものだ

51うましか:2010/08/16(月) 23:27:42
漢書顔師古註として伝えられる魏略逸文では、「女王国」の東千里では無く、単に「倭」ですからね。
文脈上は魏略の表現の方がしっくりします。

『倭在帶方東南大海中、依山島爲國、度海千里、復有國、皆倭種。』
52ローガン:2010/08/16(月) 23:56:04
>>42
ああ。今気がついた。手遅れ医者に葛根湯医者かあ…

後、育って藪になる筍医者とか、藪を目指して飛ぶ雀医者… 枝雀さんを偲ぶお盆か。
53横槍:2010/08/16(月) 23:59:54
成程
俺はまた、伊都国へ行った使役の報告書をここにぶち込んだのかと思ったよ

其(不彌)の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり

みたいな文があったんじゃないのかな
54日本@名無史さん:2010/08/17(火) 00:20:23
九州説と言えば河童が黙っちゃいまい。
55うましか:2010/08/17(火) 00:21:06
>>53

私は漢代(北部九州としか通交の無かった時代)の知見に基づいた原資料を採用した結果だと思ってます。

56日本@名無史さん:2010/08/17(火) 01:37:35
>>46-49
ピンポンダッシュはサイキバ君の基本。

いい加減、覚えるように。
57日本@名無史さん:2010/08/17(火) 02:39:39
う〜ん、畿内説もピンポンダッシュだと思うが。
58日本@名無史さん:2010/08/17(火) 06:25:08
>>57
具体的に何処がどうピンポンダッシュ?

まさかそのレス自体がピンポンダッシュ?
59日本@名無史さん:2010/08/17(火) 07:16:27
誰が見ても明らかに間違っている史書を、
無理に解読する所から九州説が皆変態化
した。こっけい極まりない説が乱立した。
普通に間違ったまま素直に読んでいれば
九州説も立派に成り立っていた、と思うのだが。

陳寿が間違う訳がない、という感覚が既に宗教
・思い込みだから、手に負えない所がある。
人間誰にだって間違いはある。しかも遠方からの伝聞。
60日本@名無史さん:2010/08/17(火) 07:42:40
>>59
それも思い込み。
61日本@名無史さん:2010/08/17(火) 08:26:23
間違っているのか、間違っていない、のかわからない、
とにかく素直に読む。
という立場が公平です。
思い込みを棄てるには。
九州派にはそれが出来ない人が多い。

とにかく水行20日、陸行1月程南に突き進むべきです。
思い込みを棄てて素直に読めば海に落ちる。
62日本@名無史さん:2010/08/17(火) 09:10:05
『死の行軍』だなw
63日本@名無史さん:2010/08/17(火) 10:41:37
とにかくも素直に南に進めよ。
九州で停まっているなよ。
南、南、へGO

行程の表現が間違っているか間違っていないかはその後で考える事だ。
64葉っぱ虫:2010/08/17(火) 11:23:36
>>63
なんで南なんだよ


河童さんいないんで、僕が代わりに
65日本@名無史さん:2010/08/17(火) 11:36:19
南と読まなければ畿内説が死亡するからさ。哀れな奴よ。
必死だな。本当に、なんで南に進まんといけないのかね、畿内説は。
66葉っぱ虫:2010/08/17(火) 11:42:19
南進や南行じゃないのに、勝手にドライブしちゃう
67日本@名無史さん:2010/08/17(火) 11:57:47
ノータリン畿内説だからね。
勝ってに南に方向転換しちゃうのさwww
68日本@名無史さん:2010/08/17(火) 12:19:46
以前河童さんがよく言ってたけど、本当に日本人って
僕も含めて漢字の上辺部分しか読めないのかもしれない。
69日本@名無史さん:2010/08/17(火) 12:35:35
普通は漢字の上辺部分しか読まないんだよ。読む立場の人間は。
それでも、深読み?して変な事を考えるから、トンでも化して笑われてしまうんだよ。
大体にして、いちいちそんなへんてこな事考えて文章を読んでいたら日が暮れる。
非合理的だ。

漢字の上辺部分だけ読んでればそれでいいんだよ。
70葉っぱ虫:2010/08/17(火) 12:44:40
僕には難しい事はわかりませんが、今の人が考える非合理的な事が
昔は合理的だったのでは?文化の違う現代の尺度で測れば、当然矛盾は出ると思います。
昔の事を現代の尺度で考えてもいいのか、という問題です。


生意気言ってごめんなさい。
71葉っぱ虫:2010/08/17(火) 12:59:05
連投失礼します。

役不足と言う昔からの言葉があります。
この言葉の意味は、今と昔ではまったく逆の使われ方をしていて、今の尺度では昔を考える事が出来ないいい例かと
たまたまこの言葉は、昔と今では使用の仕方が逆だと知られているから
別に今の尺度でも昔を知る事が出来るけど、忘れられてしまったものを
今の尺度で考えたら、当然間違った答えがでてきますが、今の人には気が付きません。
72日本@名無史さん:2010/08/17(火) 17:49:07
考えすぎはトンデモへの入り口。

水行、陸行は、言われなくても昔の感覚で考えている。
方角は昔も今も変わらない。
というか、普通に考えろよ。
九州説は特殊で疲れる。

「役不足」魏志倭人伝の中での言葉を例えにしなければ無意味。
話を摩り替えないように。
73日本@名無史さん:2010/08/17(火) 18:05:09
>南進や南行じゃないのに、勝手にドライブしちゃう

投馬国、邪馬台国へは南行じゃなかったの?南行でしょう。
河童のいってた九州一周説なんてあったけど、あれは勝手に途中で方向転換して北へ
向きを変えているな。
そんな事倭人伝のどこにも書いてないから、つまりルール違反だな。
原文に忠実に南に進まなければならない。
現地を知らなく、現地にいない机上の人間は、誰も絶対に北へは方向転換しないよ。
74葉っぱ虫:2010/08/17(火) 18:54:52
>>73                      >原文に忠実に南に進まなければならない。
現地を知らなく、現地にいない机上の人間は、誰も絶対に北へは方向転換しないよ。
                        河童さんみたいに上手く言えないけど
現地を知らなく、現地にいない机上の人間は、南へも進めません。

それよりも、夏至・冬至と言う言葉知ってますか?
たぶん河童さんが言おうとしているのは
この夏至冬至の事かと思います。

生意気言ってごめんなさい。
75ローガン:2010/08/17(火) 18:59:54
九州説頑張れ
76鹿島神流:2010/08/17(火) 19:07:39
>>71
>今の尺度では昔を考える事が出来ないいい例

これはまったく、そのとおりだよ。貴君はよく気がついたね。古代にはおそらく現代の常識では測りがたいことが
たくさんあるんだろう。例えば、座ってウンコしたら本人は死刑で、家族は奴隷に落とされる、とかね。
いや、これはあくまでたとえ話であって、このとおりだというわけではないんだが。
77葉っぱ虫:2010/08/17(火) 19:23:38
またまた連投すれば

この夏至って言葉は昔の中国の言葉で、日本語にすると
「なつにいたる」じゃなくて「なつのきわみ」とか「なつがきわまる」じゃないですか?
だったら、南至も、ナンシであっ「みなみのきわみ」じゃないかと思うのですよ。
こう考えると、今までの「みなみにいたる」という言葉とは、まったく違った尺度で眺める事が出来るわけで
この違った風景や尺度が、河童さんが見ている風景じゃないかと


生意気な事言ってごめんなさい。
78鹿島神流:2010/08/17(火) 19:35:49
>>77
おんし、間違っとるぜよ。「夏」や「冬」というのは、もともとある一定の期間を指してるのではないよ。
これは「南」と「北」と同義で、つまり「南の方角」というのは厳密には磁針の指す一点しかないだろ。
それから数度ずれれば、「南に近似した方角」ということになる。
それと同じで、「夏」という概念は「最も昼が長くなる一点」しかない。それ以外は「夏に近似した」気候
ということなんだ。だから「至」の文字を使うわけ。「夏という一点に達する」ということだよ。

ま、河童の後継ぎを目指すならこれくらい言わなくちゃ。www
79日本@名無史さん:2010/08/17(火) 19:36:37

…ったく、毎度毎度、邪馬台国スレは結局どれも内容は同じ。
金太郎飴を切ったようにどれも同じ。
どいつも、こいつも同じようなネタ切り口を書きなぐるだけ、一寸は工夫せえやアホどもwwww
今更、散々外出の「すなお読み」のアイデア出したところでどうなる?w

九州説を救えと言う事だがはっきり言って、もう学説としてはむりぽw
と言うより邪馬台国ブームからの九州説って文字通りのブーム=流行とか「社会現象」と言った方が良いと思うw

だったら学術的なものではなくて今一度ブームを起こすと言う事で考えてみてはどうか?

具体的には…

・卑弥呼や壱与を漫画家やイラストレーターに頼んで「ゆるキャラ」「萌えキャラ」化する。
・今の龍馬ブームを見てもNHKの大河の影響力はやはり大きい。
 NHKで九州邪馬台国ネタで大河をやってもらう。
 無論、卑弥呼や壱与には今が旬のアイドル、女優をあてるのは当たり前。
 女性層に受けを狙って魏使に中国や韓国の俳優を使うのも良いかもしれない。
 「風林火山」じゃあガクト謙信をやったんだ問題ないだろうw
・タイアップの食い物系も今時「饅頭」や「煎餅」じゃあ下手したらジジババにもアピールしない。
 「スイーツ」とか「ドルチェ」といったオシャレっぽいものを出すw
・定期的にテコ入れで何処かのスポーツ新聞に「九州で卑弥呼のミイラ発見!」とかの記事を飛ばしてもらうw
・メディアミックス的展開でアニメや映画も製作。
 無論、学術的な考証なんかは無視してよい。面白ければおk。

合言葉は『 邪馬台国ブームの夢よもう一度! 』wwwwwww
80日本@名無史さん:2010/08/17(火) 19:41:24
河童ってアホーの知恵袋では至極まともに回答してるが、
なぜここでは?って感じ。もっと真剣にやれよ。って感じ。
81日本@名無史さん:2010/08/17(火) 19:48:15
>>75 老眼翁

師匠、息切れでっか?wwwww

82葉っぱ虫:2010/08/17(火) 19:50:00
>>78

生意気ですが、反論します。
「夏という一点に達する」ということだよ。

だから、ナツノキワミじゃありませんか。
83鹿島神流:2010/08/17(火) 19:52:17
>>79
>NHKで九州邪馬台国ネタで大河をやってもらう。

アホウか?こんなことしたら九州各県で内紛が起きるんだよ。九州人がどんだけ対抗意識が強いか
しっとるけ?俺は毎年玉竜旗に出てたからなんとなくわかる。他県にもってかれるくらいなら、ジャワ・スマトラの
ほうがマシとか考えるのが九州人。それを知ってるからお互いに牽制しあって、九州候補地統一ができないんだよ。
ドブドロの争いになるから。
84日本@名無史さん:2010/08/17(火) 19:55:49
>河童さんみたいに上手く言えないけど
現地を知らなく、現地にいない机上の人間は、南へも進めません。

南と書いてれば南に進むだろうよ。
机上の人間でそこが海だか陸だかわかんない人はとにかく書かれた通りに行くしかないだろう。
何いってんだよ。方角を読み替えるなよ。

85鹿島神流:2010/08/17(火) 19:57:39
>>82
「夏」が5月〜7月などの期間でないと知ってて言ってるんならいいよ。ただの言葉遊びの範疇だ。
 「夏=南=火=朱=朱雀」これらはすべて一つの実存であって、朱と紅は違うものなんだよ。ww
86日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:03:51
結局、どっちも夏の事だろう。どうでもいい事にこだわり過ぎ。疲れる。
87日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:06:12
>現地を知らなく、現地にいない机上の人間は、南へも進めません。

だったら、南は間違えかも知れない、というのか?
88鹿島神流:2010/08/17(火) 20:23:32
まあ現実的には、九州各県で金を出し合って熊本あたりにテーマパークを作るとかかな。
んで、その中に「大分 宇佐館」とか「長崎 島原館」とか、パビリオンを作って競い合う。
年に何回かはプロレスイベントをやって、「クイーン宇佐姫」とか「大阿蘇太郎」とかがバトルし、
トーナメントを勝ち抜いたレスラーを代表とする県がその期間の邪馬台国候補地になるとかなんとか。www

あとは食い物が「スイーツ」てのは他の観光地と変わらんね。やはり古代米や鹿肉とかだろうな。
犬肉はやめといたほうがいいだろうねえ。ww

89日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:29:55
2chで出尽くしたとんちな九州説では、九州説を救えないだろう。
やっぱり、畿内派の知恵を借りるのが一番だな。
どんな九州説が一番手強いのか?
ローガン殿、
90日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:30:13
>>83
そんなに酷いのか?w

う〜ん、じゃあ女王の居す都は七万戸の巨大国家の中を数年おきに常に移動してた…とでもするか?
これで文句も無いだろうwww

…と思ったが考えてみれば邪馬台国を何処におくかは別にしても
敵役の狗奴国を九州のどこかにやってもらわないとアカンわけだが
そっちの方が更に話がもめるのかな?www
91日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:34:06
>>89
>どんな九州説が一番手強いのか?

ヨコからだが…

一言で言ってしまえば「偽僭説」wwww

92日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:49:45
俺も「偽僭説」だと思う。
九州説を救えるのは。
93鹿島神流:2010/08/17(火) 20:54:50
「偽僭説」ねえ。本居宣長翁は真実を見ていた、ということか。しかしこれは、この板の九州説は気に
入らんだろうねえ。何より「大九州様」に「畿内」などが平伏する、という図式がない。wwww
94日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:18:46
まあ「偽僭説」よりもう少しここのゴミクズ九州説のプライドに考慮した説として…wwww

北部九州も参加していた首長連合体において
初期の頃は北部九州が大陸半島との交易窓口であると言う
地勢上のアドバンテージを最大限活かし連合体の中で主導的立場をとったとする。

この枠組みなら畿内説と言うより今日の考古学上で言われている事はなんら障害にならない。

問題の行程記事の解釈は実はアレは畿内ヤマトまでの道程www

陳寿の時代には既に畿内ヤマトが列島の政治の中心となっていて
当然、陳寿も当事の女王もそこにいたであろうとして書いた。

(卑弥呼の死後、壱与の代に東遷…なんて話しがこれに合致する)

コレで膨大な日数の問題もクリアwwwww

ただ上記の内容は九州説のネック部分を「たら・れば」の仮説で相殺しただけのお話で
積極的に九州説を支持しうる材料が欲しいところだが…

それはやはり将来、考古資料が出てくるのに期待するしか無いだろう。

具体的には「画文帯神獣鏡体」もしくは「(ごく初期に編年される)三角縁神獣鏡」の九州での大量出土。
(かつての荒神谷や加茂岩倉での銅剣銅鐸の大量出土みたいな感じでw)

そうすれば連合体初期において九州が特異な立場にあったことが十分推察される…はずwww
95日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:19:14
畿内派としては、やっぱり本居宣長翁の「偽僭説」が最も手強えを感じるのでしょう。
他はカス。
96葉っぱ虫:2010/08/17(火) 21:19:48
>>83

夏は、春分から夏至               >夏=南=火=朱=朱雀

生意気ですが反論しますと、それらは=で結ばれるわけじゃなくて、火行に配列される
火行で共通するが、互いに=で結ぶものではありません。
97日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:24:19
いや、94の九州説も中々いけるのでは。
瀕死を救えるかも。
98日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:25:25
縦目。この葉っぱ坊やに油断してると
足元掬われるぞ。

99日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:28:48
なんか、特異なヘンテコな論調が紛れ込んでるなぁ。浮いてるよ。
ま、気にせずに、救える九州説を考えて行こうか。
100日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:32:01
>>84
>南と書いてれば南に進むだろうよ。

>方角を読み替えるなよ。

しかしですね、そうするとですね、
邪馬台国への
「水行十日陸行一月」と
投馬国への
「水行二十日」が、
解釈の難しい難題として浮かび上がってきますよ。
九州島内だとすると
邪馬台国、投馬国それと狗奴国(やはり南の方角にあるらしい)が、いったいどこになりますかね?
101日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:32:47
九州って邪馬台時代の遺跡って出土してるの?
弥生時代の物ばっかの気がするが

102日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:35:33
解釈が難しかろうが原文は原文、
原文絶対主義。
九州論者には苦痛だろうが。
「南」はどう読んでも「南」
間違ってるのか?
103鹿島神流:2010/08/17(火) 21:43:42
俺は縦目という人ではありません。(きっぱり)

>>96
ごめんね。河童さんの真似をしてデタラメを書いたんだよ。俺が思うに、河童さんの手法は・・・

@ 字句にこだわりわざと通常ではありえない解釈を書いてみる。
A これは古代史や漢文の知識がなくとも誰でもレスできるものが望ましい。
B さっそく釣られた厨が反論してくるので、これに対しレス反応の速さを重視して、なおかつ90〜180度
   ずれた反証を返す。
C 相手はさらにムキになって(楽しんで)反論する。
D さらに論理的に飛躍したレスを返す。いき詰まったら負け惜しみ(これはサービス)を言ってトンズラする。

というエンターティメントを重視したもので、これをやるにはかなりの才能が必要。少なくとも俺にはうまく真似できない。
五行説は、例えば 春は木性、木性は青 よって春の色は青といった対応関係で、たしかに=とはまた違うね。
104日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:51:10
森は、今でも九州説を固辞しているが、
これは、日本の考古学の為ではなく自分一人のプライドを守る為

老害よ去れ!

105日本@名無史さん:2010/08/17(火) 21:54:45
@ 字句にこだわりわざと通常ではありえない解釈を書いてみる。

わざとではなくて、特異なキャラからくるものだろうな。

A これは古代史や漢文の知識がなくとも誰でもレスできるものが望ましい。

そこまで器用じゃないと思うけど。本人は大真面目。

あとはその通りだと思うが。
106日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:00:23
>>101
遺跡はまんべんなくある。
ただ3世紀半ばの大規模な古墳はない
107日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:00:44
夏休みの河童研究ですか?
皆詳しいですね


108日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:00:52
スレからずれないように修正します。

九州説を救える説
@「偽僭説」

A北部九州も参加していた首長連合体において
初期の頃は北部九州が大陸半島との交易窓口であると言う
地勢上のアドバンテージを最大限活かし連合体の中で主導的立場をとったとする。
109鹿島神流:2010/08/17(火) 22:08:06
ここまでのレスを見たら俺が九州を馬鹿にしてるとか当然思うだろうけど、そんなことはないです。
これまで対戦した九州の剣士はみな強く、なにより精神面が鍛えられていて気迫があった。

九州説に関しては・・・やはり、邪馬台国は「九州のどこか、畿内では絶対ない」という姿勢が迫力を欠くので
はないかな。論題がどうしても「畿内説批判とそれに対する反論」になってしまい、九州説自体はぜんぜん
進まない。ww


110およそどうでも良いトリビア?w:2010/08/17(火) 22:14:48
あ、それと陰陽五行で季節を語っている奴がいるが…

「四季」と「五行」なら五行の方が一つあまる。
それが「土」で四季のそれぞれに配されていてそれが「土用」

(ちなみに、誰もが知っている「土用の丑」はその「土」が「火生土」の原理でもって強められそれを和らげるために…という発想から来ているwww)

まあ概念から言えば四季各々に”幅”があるから「土」を配する事ができると言う事だろうなwwwwwww
111日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:15:31
葉っぱ坊や スゲー

短時間で鹿島さんの五行論を見抜いた。


こりゃただ者じゃねーぞ
11294:2010/08/17(火) 22:22:57
>>97 >>108

しかしなあ、自分で書いておいてなんだがw
>>94で言えば「銅鏡の大量出土」が無ければ話始まらないwww

単なる仮説・アイデアだけじゃあどうにもなら無い。

ここも含め一体ネット上にどれだけの「すなお読み」のアイデアがあることやらwww

113日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:42:54
「すなお読み」では

ローガン案
「ゆるやかな連合下」であれば、どこの勢力でも、勝手な外交があっていいでしょう。
景初の朝貢が北部九州であって、倭王を自称した所で、別に不自然ではない。

91「偽僭説」

94 北部九州も参加していた首長連合体において
初期の頃は北部九州が大陸半島との交易窓口であると言う
地勢上のアドバンテージを最大限活かし連合体の中で主導的立場をとったとする。

が有望、どれも似た説になってしまうが。

114日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:44:28
>>112
すなお読みと言っても、そのすなお読みを
中立的立場から判断できる人材もいないのが実状
115日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:51:34
ここは九州説を救うスレですから、
中立的立場をとれない。
九州説に都合よく解釈してください。
だからといって、明らかに無理な解釈は×ですよ。
116日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:54:23
ローガンに説得力あり。
117鹿島神流:2010/08/17(火) 22:54:32
んじゃ、俺が一つ。
「半島の倭」主導説。というのはどうかな。半島の、後代「任那」と呼ばれた地域に住んでいた人たちが、
列島の倭国に対して強い影響力を持っており、漢ー公孫氏ー魏などにその時々うまく取り入って、倭国の交易ルートを
遠隔支配していた。んで、卑弥呼の代までは列島の中心地を九州に置いてたのが、だんだんにその範囲を広げて
いって、台与の頃には畿内に中心地を持ってきた。むろんこれは強権支配ではなく、列島の倭国に散らばった
渡来人ネットワークによる。「神武東征」は畿内に渡来人が入ってきたときの伝承。ゆえに任那は後代に皇祖ゆかりの
地として・・・。
118日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:59:30
と言うか…

>>36のローガン案がまんま『偽僭説』なわけだが?
119日本@名無史さん:2010/08/17(火) 23:04:38
何でもいいから
河童に見つからないうちにサッサとケリ付けようぜ

あいつに見つかると厄介だぜ
120鹿島神流:2010/08/17(火) 23:10:23
糸島が権威を失っていったのも、半島の倭が伊都国を見限ったためと解釈できないこともない。
あるいは、半島にも伊都国に近い勢力、奴国に近い勢力がいて争った結果、親奴国派が勝利し・・・。w
121日本@名無史さん:2010/08/17(火) 23:44:51
倭国の固有名詞を九州弁と読むと全部解読出来るじゃね?
122ローガン:2010/08/17(火) 23:51:24
いや、敢えて「偽僭説」というネーミングに異議を唱えたい。
畿内説では邪馬台国時代とは、古墳時代初頭と考える人が多いでしょう。前期前方後円墳の平面プラン共有…つまり相似形の考察から見えるものは、中央と地方の序列。
又、△鏡配布論然り。盤石とは言えないながらも明らかに中央集権的国家体制を論じているのである。
しかしながら一方では、「ゆるやかな連合体制」であると云う。ダブスタと揶揄されても仕方ないのではないか!



く…苦しい…
123ローガン:2010/08/18(水) 00:01:23
つまり「偽僭説」の前提には、畿内一元論があることは否定出来ないでしょう。
ゆるやかな連合体を頭に描くなら、畿内一元論は矛盾。連合参加勢力の 自称倭王を「偽僭」と呼ぶのはいかがなものか?
124鹿島神流:2010/08/18(水) 00:03:43
www せっかく考えたのに反応がないなあ。・・・あきれられたか。前方後円墳の規模の違いは、クニの序列ではなく
首長個人の序列と考える・・・首長らは一同に介する機会が何度かあっただろう。んで、前方後円墳を取り入れた地
域の首長には、渡来人のブレーンがついていたと。

スレチになるが、中学校の頃から九州の監督やコーチには、パンチパーマや金のブレスレットをして、とても教職員
に見えない人がいるのはなぜだろう、と思っていた。ものの言い方とかも。ま、これは剣道だけの話ではなく、会場が
一緒になることの多い柔道のほうが激しいかもしれん。これが尚武の気風というものかと。
125ローガン:2010/08/18(水) 00:29:33
>>117
>卑弥呼の代までは列島の中心地を九州に置いてたのが、だんだんにその範囲を広げていって、台与の頃には畿内に中心地を持ってきた。

この部分、同意の上で追加。卑弥呼死後、別勢力の王が名乗りをあげるが、吉備、丹波、大彦らがこれを駆逐。
主導権を握り、傀儡王壹與を共立。これが大和王権の始まり。
126日本@名無史さん:2010/08/18(水) 00:29:52
そんな奴らが畿内で大和朝廷を作ったんだよ。
キンキー地方という命名の由来さ。
127日本@名無史さん:2010/08/18(水) 00:43:01
>>124
縦目どん。
夜中までご苦労じゃな
128ローガン:2010/08/18(水) 01:18:32
倭人伝に見える一大率、大倭。これらを含む行政システムは、使者来倭以前から機能していた。
刺史、太守?になぞらえてよいような…。中華の模倣なら、魏との国交樹立以前に、倭国は既に行政システムを彼の地から学んでいた。
こういった情報の列島内での発信者は、北部九州勢力と考えて間違いはないでしょう。
北部九州勢力主導により行政が機能していたとすれば、その中心には九州系遺物等が色濃く見えることでしょう。
よって九州系遺物の少ない大和は、倭国の中心であるとは考えにくい。 今宵はこれにて…
129日本@名無史さん:2010/08/18(水) 07:15:44
なるほどねえ、良く練られたものだ。お見事。
真の九州派連中もこのくらい現実的思考をしてくれればいいのにね。
130葉っぱ虫:2010/08/18(水) 10:23:30
今日も生意気なこと言っちゃうけど

大倭って昔の中国の言葉で、日本語風に言えば
大きな倭
広大な倭
大きい倭
で、大は(おおきい)と言う状態を表しているとおもうんだ。
倭は地域の名前なんだから、大きな倭と考えちゃだめなのかな?
簡単に言っちゃえば、領土の大きい倭とか。するとさぁ、大きい倭があると言うことは
普通サイズの倭とか小さな倭もあるわけで、それがただの倭じゃないかと思うの?
131日本@名無史さん:2010/08/18(水) 10:42:44
君はどうして、スレの流れからしてピント外れな発想を繰り返すのか?
糞の役にも立たない言葉遊びをしてどうにかなるのか?九州説を救えるのか?
大倭も倭も同じ。深読みしすぎ。
132葉っぱ虫:2010/08/18(水) 11:36:39
>>131

生意気ですがお言葉をかえします。
いま救わなければダメですか?僕は最終的に救う結果になっていればいいと思います。 

さきほど言葉遊びと言ってましたが、現代人にしたら単なる言葉遊びかもしれませんが、現代と古代では
考え方も文化も違うのではありませんか?
いま僕達がやろうとしているのは、現代人の暇つぶしではなく、古代の文化に踏み込む作業をしているのでは?
生意気言って申し訳ありませんが、ここが楽しい現代人の憩いサロンなら
僕は間違った事をしてると思います。
133日本@名無史さん:2010/08/18(水) 11:43:29
>>131
言葉遊びが糞の役にもたたない事を、
葉っぱ坊やに説明してやるんだな。
134日本@名無史さん:2010/08/18(水) 11:54:08
すなお読みすれば、大倭を大きい倭と読むのは
すなお読みじゃね?

それとも、これが大人の事情ってやつか
135日本@名無史さん:2010/08/18(水) 11:56:38
高橋家の中にも大高橋家がある。
という感じだろうな。
まぁ、高橋家庶流も大高橋家も同じ高橋家になるのだが、
136日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:00:24
大倭って昔の中国の言葉で、日本語風に言えば
大きな倭
広大な倭
大きい倭
で、大は(おおきい)と言う状態を表しているとおもうんだ。
倭は地域の名前なんだから、大きな倭と考えちゃだめなのかな?
簡単に言っちゃえば、領土の大きい倭とか。するとさぁ、大きい倭があると言うことは
普通サイズの倭とか小さな倭もあるわけで、それがただの倭じゃないかと思うの?

これがどのように九州説を救うのか、こっちが聞きたい。
137日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:14:53
河童虫の弟分、葉っぱ虫がスレに乱入!
師匠であられる河童虫大先生と比べてやや迫力に欠けるが、今は致し方ない。
いや、これから化けるのかも知れない。
果たして
【葉っぱ虫は九州説を救えるのか?】
一躍スターの道を歩く。
138葉っぱ虫:2010/08/18(水) 12:24:54
ごめんなさい。
さっき>>132で、間違いがありました。


状態じゃなくて程度です。
139日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:30:52
九州の範囲を東京あたりまで含むように広げればいいんじゃね?
140日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:43:12
おぉ、確かに、
畿内・東海・関東が九州地方の内であれば、
巻向・箸墓もつまり九州、て事になる。
141日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:44:23
それはトンチすぎる。
142鹿島神流:2010/08/18(水) 12:44:46
河童さんになるためには、言い負かされることを前提にネタを振らなくちゃなんない。自分が論破されることで相手を満足
させるという極限のサービス精神。しかもそのことを相手に気取らせちゃいけない。・・・これができる人は少ないんだよ。ww

上で書いた「半島の倭」主導説だけど、これはけっこう盲点になる部分で、一つは現在日本の領土ではなく発掘なども
あちら任せになってしまうこと。もう一つは言うまでもないが、「任那」問題が抱えるデリケートな部分。誰しも軋轢を生む
のは好まないからね。
143鹿島神流:2010/08/18(水) 12:58:57
金官伽耶を中心とする伽耶諸国、そして半島の倭人といわれる存在については本来はもっともっと考察されてしかるべき
ものなんだな。勒島遺跡、原の辻遺跡などでの貿易は古くから行われており、大陸の文物を移入するとともに、列島から
半島に渡る倭人とのかかわりの多かった地域で、この周辺が伊都国程度のクニの規模にあったとすれば絶対に無視する
ことはできないんだな。
144葉っぱ虫:2010/08/18(水) 13:11:09
>>143
生意気言います。
半島の倭は、あくまでも想像の域を出ないのではありませんか?
145鹿島神流:2010/08/18(水) 13:22:32
>>144
倭とか韓というのは中国から見た言葉で、本来国境線などなかった時代、その関係は古くからある。勒島や半島でも倭の弥生式土器
が多く見つかってる。・・・楽浪郡建郡前後、弥生前期末から中期初頭にかけて韓人が北部九州に渡来・移住したことは水石里式土器
などの流れを見れば明らか。これらの土器はさらに山陰や有明海や南九州に向かって流れる。原の辻に貿易の拠点が移った弥生後
期には、三韓土器は北部九州から瀬戸内・畿内にまで分布するようになる。これらを持ち込んだ渡来人が倭国の動静について何らかの
役割を果していたのは間違いないと思う。
146鹿島神流:2010/08/18(水) 13:29:45
金海市付近の金官伽耶国が周辺一帯の盟主として対外的に倭を含む周辺地域と交易を行い、斯盧を中心とする辰韓と呼ばれる勢力と
争ったりした形跡がある。これらの地域が「半島の倭」であるかどうかはわからないが、上記したように倭国の交易ルートを左右する存在
であったことは間違いなく倭国の政治を左右した可能性すらある、と考えるのが「半島の倭」主導説だ。ww
147鹿島神流:2010/08/18(水) 13:46:02
論点を整理すると、半島の倭(韓人でもよいが)が楽浪人と連携して、2世紀末から3世紀初頭に伊都国の権威を失墜させるとともに、
貿易拠点を博多湾岸に移し、同時に畿内に人を送り込んで拠点化し、倭国の王都・・・つまり邪馬台国を北部九州から畿内に移転した。
つまり「ゆるやかな首長連合」ではなく、渡来人ネットワークが、いわゆる東遷を実現させたと考える。

この根拠としては、福岡市西新町遺跡や、大阪府八尾市の加美・久宝寺遺跡群に弥生終末の大規模集落が成立し、山陰・瀬戸内・畿
内等に由来する土器群が搬入され、三韓土器が出土することをあげておこう。
148日本@名無史さん:2010/08/18(水) 13:54:48
>>146
説はわかった。
しかし、文化交流と政治を混同しないでくれ
政治は記録
これがないとたんなる想像の世界だ
149鹿島神流:2010/08/18(水) 13:59:48
>>148
あのね・・・勘違いされると困るけど、俺は畿内説なんよ。で、ムリクリに九州説を考えるというこのスレの約束?に従って九州説をやって
みてる。上記のレスは考古学的な事実に嘘(間違いはあるかも)はないけど、論理のアクロバットはあるよ。気がつくかな?ww
150日本@名無史さん:2010/08/18(水) 14:13:40
葉っぱ坊や。と、言うことだ
わかったらこんな所長居するもんじゃない。
さっさと出てゆき、二度と来るんじゃない。


わかったね!
151日本@名無史さん:2010/08/18(水) 14:21:23
>>149
鹿島さん。悪かったねぇ、あんたをダシにするようなマネして
申し訳ない。 m(__)m
152鹿島神流:2010/08/18(水) 14:56:37
いやまあ、「葉っぱ虫」さんは河童さんのようなことをやりたいんだろうけど、上で書いたように自分は論戦に負けても人を楽しませる、
といったスタンスがとれるのかどうか。・・・つまりは自分を捨て、レスの真偽を超越し、その上で自分を魅せるという芸がないとねえ。

153日本@名無史さん:2010/08/18(水) 14:59:24
誰か、ずばり、邪馬台国は九州のここだ、といってくれないかなぁ。
どいつもこいつも中途半端で、結論に達していない。
場所が見えなければ手術しようがないじゃん。
論が生半可なんだよな、畿内派からみれば。
葉っぱ坊や、さぁ、どうした?邪馬台国は九州の何処なんだ?早くも白旗か?
154日本@名無史さん:2010/08/18(水) 15:30:24
仕方ない、使いたくないが核兵器使うか?
放射能汚染は心配だが
155日本@名無史さん:2010/08/18(水) 16:43:55
80年代、今の巻向フィーバーを超える盛り上がりを見せた。
吉野ガ里遺跡が九州候補地では最強NO.1でしょう。
一旦は九州に決まりかけたのですから。
畿内説から九州説への寝返り組も多かったと記憶しています。
156日本@名無史さん:2010/08/18(水) 17:05:17
よっしゃ、吉野ガ里遺跡 大手術開始だ!
九州説を生かすも殺すもこのオペにかかっとる。
157日本@名無史さん :2010/08/18(水) 17:33:54
邪馬台国
158日本@名無史さん :2010/08/18(水) 17:41:42
倭人伝には、常時、兵のいる見張り台と、防衛の柵の記述がある。
しかし、纏向には、見張り台の跡はない。
纏向の集落の柵は、間仕切り程度のもので、環濠集落の防御用
とは言えない。

のんびりとした集落跡であって、緊迫した戦闘時の集落とは
言い難い。(吉野ケ里の防御用柵の前の堀は一旦落ちたらなかなか
這いあがれない。)
将来征服されるのは常識でわかる。
159日本@名無史さん:2010/08/18(水) 17:52:31
いいぞ、いいぞ、
吉野ケ里の防御用柵の前の堀が九州説を救う。
プランが具体的になって来た。
160日本@名無史さん:2010/08/18(水) 18:55:29
>半島の倭主導説 by 縦目仮面の中の人

半島側から見た日本との交易…という点で通じる物があるかと思うので
以下参考までに書きだしておく。


『邪馬台国時代のツクシとヤマト』 〜「三世紀のツクシの住居と集落」武末純一

一つだけ、最後に言っておくべきことがあります。
いまは交易についての語りが多くなり、特に朝鮮半島の遺跡までも含んだ交易論が盛んです。
しかし、ともすれば私達は古墳時代成立に絡めて、近畿や北部九州の側から一方的に朝鮮半島を見がちですが、
朝鮮半島の政治体制は独自の動きをしています。
朝鮮半島の側から見ると、いま述べた交易路の変化は、作った鉄の販路の拡大という面も含みます。

倭政権が必要としたから、その供給地として弁韓・辰韓の鉄の生産地があるというような一方的な論が多いのですが、
そうではなくて、朝鮮半島の南部には独自の政治的動きがある。
とくに金官伽耶は倭とだけ交易をしているわけではなく、北方とも交易をしています。
金海の地域、後の金官伽耶となる狗邪韓国は最初北部九州との交易が主体ですが、
彼ら独自の戦略から、近畿地域を見据えた交易ルートの設定がなされた面もあります。
そう言う意味で、西新町遺跡も再度見直しが必要です。
161日本@名無史さん:2010/08/18(水) 19:03:09
>>158
…で?

纏向が征服されたのはいつなんだ?
その痕跡を何に見るんだ?

例によって「むてきのてっきぐんだん」の征服劇を妄想してんのか?wwww

と言うかどうせなら
「狗奴国と対峙したはずの邪馬台国にしては纏向には軍事的緊張が見て取れない」
…と言った方がよほど畿内説にとっては有功だろうにw

もう少し脳味噌使えよ馬鹿wwww

つうか吉野ヶ里こそ最期、前方後方墳が出現するんだが
アレは一体何なんだ?っちゅう話だなwwww
162日本@名無史さん:2010/08/18(水) 19:20:58
>半島の倭主導説 by 縦目仮面の中の人

加美・久宝寺の三韓土器って三韓”式”土器で地元の土で造られた物だっけ?
交流があったことは間違いないんだろうが

狗奴国の交易窓口としての機能を移転させたような事まで想定しうる材料になるんか?

つうかそもそも「半島の倭」と言う黒幕wを想定せずとも起きうる話で
”オッカムの剃刀”的考えをするなら、そりゃ余計な物を付け足しているって話で

「全てを画策する謎の第三者X」を登場させるのはある意味陰謀論にありがちなパターンw

ちなみにこの黒幕が畿内にやってきた事が記紀の中で神武東征神話として描かれていると言うお話だが
それより天孫降臨でニニギのお供の連中を一種の職能集団(今風に言えばテクノクラート?w)として
半島の先進の文化を運んできた連中と見た方がしっくりするような気がしないでも無いwwwwww
163日本@名無史さん :2010/08/18(水) 19:24:22
>>161
サイキバを極端に恐れる畿内中毒(脳内腐る)がまたまた出現
164鹿島神流:2010/08/18(水) 19:37:05
>>162
まあ、ムリヤリ九州説だからね。ただし、半島からの視点、渡来人の影響力というのは無視できない論点だと思う。
165日本@名無史さん:2010/08/18(水) 19:48:41
ありゃ?
一寸酷いんで訂正させて欲しいw

>>162
>狗奴国の交易窓口としての機能を移転させたような事まで想定しうる材料になるんか?
 ↑
当然「奴国」 なw


>>163
はあ?サイキバなんて一言も言って無いんだが?w

まあ言われてみれば別にサイキバでも問題は無いがwwwwwwwww
166鹿島神流:2010/08/18(水) 19:54:02
でもね、せっかく考えた九州説でも、おそらくこの板の九州説の歴々は気に入らないだろう。ここには九州にとって何のカタルシスも
ないから、これに自己投影はできないだろうね。
167日本@名無史さん:2010/08/18(水) 20:04:20
>>164
まあ、最初は北部九州とのみ商売をしてたけど
直ぐに九州以東にそれよりは余程大なマーケットが存在するのに気がついたんだろうねw
168日本@名無史さん:2010/08/18(水) 20:35:36
>でもね、せっかく考えた九州説でも、おそらくこの板の九州説の歴々は気に入らないだろう。ここには九州にとって何のカタルシスも
ないから、これに自己投影はできないだろうね。

カタルシスとか自己投影でなくて、現実的に無理のない九州説を立てていかなくては、
いつまでたっても、変人扱いされるだけだろう。
自分の気分の為ではなくて九州説の為にやって欲しいよね。
169ローガン:2010/08/18(水) 20:40:30
九州説の諸氏は大いに持説を書き込もう。畿内派を蹴散らそう。
170日本@名無史さん:2010/08/18(水) 20:44:49

今こそ腐敗の極みにある畿内説どもに正義の鉄槌を!!
171日本@名無史さん:2010/08/18(水) 20:56:34
九州説は武力東遷というのを捨てることはできないのかな。せめて武力だけでも。
172日本@名無史さん:2010/08/18(水) 21:12:04
>九州説は武力東遷というのを捨てることはできないのかな。せめて武力だけでも。

出来ない。
あくまでも九州が畿内を凌駕していたんだから。
ローガンをはじめ、畿内派の考える九州説は畿内説とたいして変わらないじゃないか。
楽しいか?
注文・どうせ九州派になりすますならば、もっと大胆な九州説を考えてくれないか。
今までのスレの流れを変えるけど・・・。
173日本@名無史さん:2010/08/18(水) 21:13:08
九州説も東遷が必須って訳じゃ無いから、可能だよ。
てか東遷とは別に考えた方が良いと思う。
174日本@名無史さん:2010/08/18(水) 21:15:51
九州説の場合、倭人伝から言うと畿内の状況はほぼ不明。
邪馬台国より大きな国が畿内にあっても矛盾はしない。

他にも九州から畿内に東遷があったとしても、それが邪馬台国である必要は無いというのもある。
175日本@名無史さん:2010/08/18(水) 22:34:33
絶望に近い今の九州説を救う手段は、
九州で遺跡掘削の予算を大幅に付ける事だね。
親魏倭王の金印なんてものが出てきたらゲームセット。

巻向での件で既に手遅れ感もあるがな……。
だけど、世の中何が起こるかわからない。



176日本@名無史さん:2010/08/18(水) 22:38:54
九州説を救うには、
まずは、2chで見られる馬鹿にされるようなへんてこな妄想九州説の類を、抹殺する事だろう。
正統派九州説をどんどん出していかなくてはね。
177日本@名無史さん:2010/08/18(水) 23:17:52
>>176

で、誰が抹殺するの?
178日本@名無史さん:2010/08/18(水) 23:54:59
もうね、スレタイで日本語間違えるとか、
主張や議論する資格ないし
179日本@名無史さん:2010/08/19(木) 00:24:34
情報量から言ってもピンポイントの特定は無理
該当しそうな弥生遺跡無数にあるし。
180日本@名無史さん:2010/08/19(木) 01:50:10
>>176
そういう様に閉鎖的になれば、相手にされなくなるだけ。
181日本@名無史さん:2010/08/19(木) 02:10:27
九州説を救う前に、目を覆うばかりの畿内説を救ってくれ。
182日本@名無史さん:2010/08/19(木) 02:11:12
隋書に阿蘇山が出てくるのはどうなの?
183葉っぱ虫:2010/08/19(木) 06:56:30
>>182
生意気いいます。

隋書に出てくる有阿蘇山は、九州の火山のようにいわれているけど、九州の阿蘇山は有無ではないので
検証しなおす必要があると思います。
184日本@名無史さん:2010/08/19(木) 07:25:57
だから、葉っぱ虫は九州のどこが邪馬台国だと思うんだ?
185葉っぱ虫:2010/08/19(木) 07:41:06
>>184          質問に回答します。

九州の何処というポイントじゃなくて、九州全部が邪馬台国だと思います。
邪馬台国の中に伊都があったり投馬や狗奴がある

ちょっと生意気な意見になってしまいましたが。
186日本@名無史さん:2010/08/19(木) 07:59:34
邪馬台国7万戸
の中に投馬国5万戸、奴国2万戸、諸々があるというのだな。

そういえば、葉っぱ虫と一寸違うけど、どっかでこんな話を聞いた事あるな。
5万戸(投馬国)+2万戸(奴国)=7万戸(邪馬台国)という計算を。
以前、銅鐸大神がいってたな。
187日本@名無史さん:2010/08/19(木) 08:09:05
というか、葉っぱ虫のいう事がよーわからん?

投馬国5万戸、奴国2万戸、の他に女王国と対立していた勢力の狗奴国の戸数はどうなるの?
その他にも九州にあると考えられる伊都国やらまつら国やら諸々を加えると、
九州全部といわれる?邪馬台国は計算上は余裕で7万戸を超えてしまうのだよ。
188葉っぱ虫:2010/08/19(木) 08:57:15
>>187
総数が合わないと言う指摘のようですが
邪馬台国の戸数なんて初めから書かれていないと思います。たぶん、女王国=邪馬台国というイメージが
最初から出来てしまい、いつのまにかイコールが常識になってしまったのでしょう。
生意気言ってごめんなさい。
189葉っぱ虫:2010/08/19(木) 09:10:38
連投します。

潜在的な固定概念から言えば、先程の阿蘇山も同じで
現在の僕達にはメジャーブランドとして、その知名度は群を抜いて知れ渡っているので
九州旅行に行ったけど、長崎には阿蘇山は無かったな。
と言う、有無の関係で話す事が出来ますが
古代にこのような会話や文章が成立するか?と考えた場合、答えはノーです。
当時阿蘇山なんて、ブランドでもなんでもありません。


生意気言ってごめんなさい
190日本@名無史さん:2010/08/19(木) 11:27:52
>邪馬台国の戸数なんて初めから書かれていないと思います。たぶん、女王国=邪馬台国というイメージが
最初から出来てしまい、いつのまにかイコールが常識になってしまったのでしょう。

女王国=邪馬台国じゃないのかよ。
だったら女王国は何処になるの?
191葉っぱ虫:2010/08/19(木) 11:45:04
>>190
女王国は邪馬台国の内側にあると思います。
192日本@名無史さん:2010/08/19(木) 11:48:48
魏志倭人伝の原文では、邪馬台国が7万余戸と記されています。
普通はそう読みます。陳寿は普通に読まれる事を承知で書いている筈です。
でなければ、普通の人には使えない文章を書くどうしようもないアホーです。
193日本@名無史さん:2010/08/19(木) 12:00:49
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌といい、副を彌彌那利という。
五萬余戸ばかり有り。
 南、邪馬壹國に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。
官に伊支馬有り。次を彌馬升といい、次を彌馬獲支といい、次を奴佳デという。
七萬余戸ばかり有り。
194葉っぱ虫:2010/08/19(木) 12:05:11
>>192
お言葉を返し申し訳ありませんが
陳寿は普通に書いたけれど、2000年後の人は読めなくなってしまったということで
役不足の現象が、今目の前に。今の人と昔の人の解釈や読みが相違していると思います。
昔の書物を現代の認識で読んではいけないと思います。
今一度「南至」の意味を考え直して見てください。

生意気言ってますがごめんなさい。
195日本@名無史さん:2010/08/19(木) 12:53:30
>>194
クソガキ、もうレスするな。お前の知識も知力もサイキバとなんもかわらん。
196日本@名無史さん:2010/08/19(木) 13:05:09
投馬国は5万余戸の解釈でOKなのに、
なのに、なのに、どうして、邪馬台国は7万余戸の解釈で駄目なのさ?

193の文章を良く見て比べてみなよ。
197葉っぱ虫:2010/08/19(木) 13:18:46
ここって、すっごく閉鎖的なんですね。みんな自分のテリトリーを守のに必死。
主婦の派閥争いみたいに、ヒステリックな方もいる。

はい、はい
邪魔なら出てゆきますよ

オナニーの邪魔してごめんなさい。二度と来ないので安心してオナってくださいね
198日本@名無史さん:2010/08/19(木) 13:37:32
夏休みだなあ。ww
199ローガン:2010/08/19(木) 13:51:19
旧有百餘小國相接至魏時有三十國通好戸有七萬…か。
200日本@名無史さん:2010/08/19(木) 13:58:27
だから葉っぱ坊やは、邪馬台国と女王国は別だと言ってたのか

坊やなるほど
201日本@名無史さん :2010/08/19(木) 14:59:34
>>197
すみませんね・・・
変なサイキバ教の患者が1人常駐していて、畿内説以外の論者に対し
的外れの批判を集中的にしてくる病人がいますからね。
最後にwwwをつけるので、見分けはつきますから、無視して下さい。
202日本@名無史さん:2010/08/19(木) 15:32:28
葉っぱ虫はいいセンスしてるよ。
それと君にはローガンのバックアップがあるじゃないか。
出て行くなよ、な、寂しいだろう。
一緒に九州説を救って行こうぜ!
203日本@名無史さん:2010/08/19(木) 15:56:15
同志よ、因習と陰謀に満ちた詐欺畿内説と戦おう。
204日本@名無史さん:2010/08/19(木) 16:29:59
集え!革命戦士、九州説論者の若人よ。

今こそ畿内説に正義の鉄槌を!
205日本@名無史さん:2010/08/19(木) 16:33:11
葉っぱ虫よ、2chに返り咲くのだ!
そして九州説の星となるのだ。
明日は君の時代だ。
これは日本を正す正義の戦いだ。
いざ、出陣!
206日本@名無史さん:2010/08/19(木) 17:20:40
おおっ はっぱむしよ しんでしまうとは なにごとじゃ!

ゲームをつづけますか?

 →つづける  ちゅうしする (Aボタンでけってい)
207日本@名無史さん:2010/08/19(木) 18:12:01
むずかしい年頃なのよ。
208日本@名無史さん:2010/08/19(木) 18:13:44
おーい、はっぱむしー
209日本@名無史さん:2010/08/19(木) 18:47:27
>>172
>出来ない。
>あくまでも九州が畿内を凌駕していたんだから。
>ローガンをはじめ、畿内派の考える九州説は畿内説とたいして変わらないじゃないか。
>楽しいか?

中々この板の九州説の本音が出ているなw

この板の多くのゴミクズ九州説にとって「九州王朝」や「東遷」こそが本命・本題であって
それを前提としない九州説なんてもともと意味が無いんだろうw

畿内説の人間にとっては「邪馬台国」なんてのは日本の歴史を知る手段・材料の一つなんだろうが
ゴミクズ九州説の人間にとっては「九州王朝説」や「東遷説」の為の手段・材料(と言うか必須条件、最初の第一歩?)

如何に理論的にマシなものであっても本来の目的の「九州王朝説」や「東遷説」を否定する物じゃ意味が無いとw
210日本@名無史さん:2010/08/19(木) 18:49:03
さて…俺が>>94で言った枠組みだとその比定地範囲は
北部九州における首長連合加盟地域=纏向型前方後円墳出現地域で
種々の条件を加味すればぶっちゃけほぼ福岡平野あたりに絞られる。

”縦目仮面の中の人”による「半島の倭人黒幕説w」にしても
博多湾に臨む福岡平野=奴国と言う事になると思う。

九州説の保守本流?老舗中の老舗「山門説」の舞台の筑紫平野が何故出てこないのか?

別に邪馬台国が畿内ヤマトを中心にした首長連合の非加盟地域にあっても良いはずだが
それを出しにくいのはそれらの地域に邪馬台国を頂点に頂く
連合体、経済ブロック、政治ブロック…のような物を想定しにくいからだろうと思う。

威信財体系、埋葬文化…なんでも良いができれば弥生後期、大乱の末に出てきた
新秩序を想定させうる物が欲しいところ。

でないと、単に適当に地図で○で囲っただけの物になってしまうwww

実際、吉野ヶ里にも出現した「早期前方後方墳」でそれができないかな〜 と当たってみたが
そもそも那珂にもあったりして、とても「住み分け」なんか見られるもんじゃなさそうだったorz 

何か「九州邪馬台国連合」を見るに適当な材料は無いものだろうか?

アイデアを持っている人がいたら聞かせていただきたいのだがw
211日本@名無史さん:2010/08/19(木) 19:01:07
はっぱむしー
212日本@名無史さん:2010/08/19(木) 19:15:52
古代から九州で人口の多い場所は、有明湾沿岸だ。
有明海から博多湾沿岸までは、ほぼ平野が続いている。
この平野部に、7万戸は優にあっただろう。
213日本@名無史さん:2010/08/19(木) 19:33:40
それで、トマ国+ナ国の5万+2万はどうするの?
214日本@名無史さん:2010/08/19(木) 19:43:19
>>212
>古代から九州で人口の多い場所は、有明湾沿岸だ。

だったらそのソース、データを出せ。
ちなみに鬼頭モデルじゃ弥生時代は九州南部のほうが人口が多いw

もう他でのスレと同じような脊髄反射レベルの内容はもう良い。

うんざりだ。

>>210のアイデア募集は畿内説論者に限定させてもらうw

九州説の連中からは(既視感 2万パーセントぐらいの)ろくな物が出てこない。


215乱波虫:2010/08/19(木) 19:45:31
>>212
生意気言ってすみませんが、平野など全国にあるよね。有明海は「ムツゴロウ」を特産品としていた
のだと思うよ。

「葉っぱ虫」が「晋書」の記述に言及していたのかどうかわからないけど、あれを強引に解釈して、卑弥呼は
公孫氏の縁者であることにして、公孫氏から画文鏡を移入して畿内懐柔のために配った、とすればどうでしょう?
これだと、九州の画文の出るところが邪馬台国になってしまうけどね。
216ローガン:2010/08/19(木) 19:48:34
ふるくから、倭が百餘国有った事がわかっているが、今、使訳が通じているのは、(そのうち)30国。w
217乱波虫:2010/08/19(木) 20:00:07
「乃立女子為王名曰(卑)弥呼 宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見」 この部分を、卑弥呼が公孫氏
の縁者だった、と呼んでしまうんだ。

九州説は画文の年代を4世紀とかいう人もいるけど、それはどうやったってムリだから、
九州が畿内の土人に配ったことにすればいいと思うんだ。
そうやって安心させて、徐々に影響力を強めていった。
畿内進出の理由はさらに東の国の夷から、米を取り上げたかったから。
218日本@名無史さん:2010/08/19(木) 20:00:21
>>214
小山修三
219乱波虫:2010/08/19(木) 20:11:21
>>217
呼んでしまう→読んでしまう すみませんでした。

いくら広大な平野があったとしても、人口を米だけで養うのは弥生後半期でも難しいよね。
九州は自然災害の影響を受けやすいし、水稲耕作はその年ごとの気象条件に左右されてしまう。
だから、各地の集落は特産品作りにやっきになった。九州邪馬台国は、上で書いたように、
公孫氏と結んで、大溝を作る技術を畿内に教えた。蕃夷の欲しがる鏡も与えてやった。
で、最後に乗り込んで行って支配した、というのはどうですか?
220日本@名無史さん:2010/08/19(木) 20:14:50
米だけじゃなくて、豊富な海産物を食べていたことでしょう。
221日本@名無史さん:2010/08/19(木) 20:49:18
>>218
おいおい横着して人名だけコソコソ書くなよ。
単に横着しているのか?
自信が無いからコソコソやっているのか?

小山が何処で
「九州では有明湾沿岸が一番人口が多い」って言ってるんだ?

ちなみに以下の数字じゃあ 「弥生〜土師器」は近畿の方が人口が多く
土師器にかけて差は大きくなる一方みたいだがw

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_04suidenninasakunotourai.html

まあ1984だからかなり旧いのかな?

きちんと数字が出ているデータを出せ。

222日本@名無史さん:2010/08/19(木) 20:55:42
季節柄、最近いろんな虫が湧いてるようだが
そろそろ御本尊に降臨してもらわねばなるまいて。 どなたかご親切な方、本尊探しの旅に
出てもらえぬかのう
223日本@名無史さん:2010/08/19(木) 22:10:56
2chで「証拠として学術論文を出せ」って言ってる奴って、相当な馬鹿だと思う。
224横槍:2010/08/19(木) 22:28:38
>>216
切れの有る解釈ですね
225221:2010/08/19(木) 22:28:44
>>223
ん?
別に一般向け書籍に書かれているもので良いぞ?w

ネットに転がっている孫引きの物でも
それなりに信用できそうな物なら納得もするが?

で、結局誤魔化してトンズラするためにとりあえず小山の名前を出したって話なのか?

まあここのゴミクズ九州説の常套手段だがwww

本当に無いのか?

226日本@名無史さん:2010/08/19(木) 23:44:47
王は代々筑紫城にいるとか言う記述はどう解釈されてるの?
227日本@名無史さん:2010/08/19(木) 23:52:56
日本書紀を読んで中国人が混乱している。
228ローガン:2010/08/20(金) 00:19:08
九州説頑張れ。△鏡が国産なのは、畿内派との間でもコンセンサスはとれている。
しかし彼らは、舶載前提の、定点を239〜263とする短期編年を支持すると云う。
国産なら魏鏡との経年変化を同時と考えられない以上、この編年は支持出来ないはず。
しかし支持しないと布留式は下る。国産であるとする以上、邪馬台国とは 明らかに弥生時代である。
九州説頑張れ!
229日本@名無史さん:2010/08/20(金) 00:21:21
葉っぱ坊や、戻ってくるかの。
230日本@名無史さん:2010/08/20(金) 00:42:21
卑弥呼が魏から貰った鏡なんか、仮に現存していたとしても、ほとんど残っているはずがない。
ローガンは何が言いたい?
231ローガン:2010/08/20(金) 01:10:17
だから、1期10年の経年変化は舶載前提。 経年変化が景元四年銘鏡と同期なら新納3期、岸本4期が魏末。
さて、景元四年銘円圏規矩鏡と同じ唐草文を持つ△を出した古墳が布留0 だとしたら、舶載前提の編年なら布留0は260年頃も、「あり」。
だが、国産なら同期は論外。当然、出した古墳も下がる。
zzz…
232日本@名無史さん:2010/08/20(金) 01:51:11
>>230
>仮に現存していたとしても、ほとんど残っているはずがない。

なんちゅう日本語やねん! (><;)
233日本@名無史さん:2010/08/20(金) 02:07:57
京大考古学を牛耳った基地外教祖梅原末治が率いた畿内説盲信愚連隊が、
こんなところで畿内説の保身をやっても、まったく無意味だ。
234日本@名無史さん:2010/08/20(金) 02:42:04
…つうかだな

三角が舶載と言うか魏から卑弥呼に下賜された鏡であった場合
九州説が即死するだけで

国産であったからと言ってそれで九州説の構築に利するものでもなんでもない。

このスレは少しはマシな九州説を組み立ててみよう…という話なのだから
三角舶載の否定はとりあえず関係ない。

スレの趣旨にそうならば、じゃあ卑弥呼の鏡は九州で出土しているどの鏡をあてるか?
…って話にせえや

ったく邪馬台国スレはどれもこれも直ぐ同じになる…
235日本@名無史さん:2010/08/20(金) 06:31:55
ここは九州説を救うスレである事をお忘れなきよう!
236日本@名無史さん:2010/08/20(金) 07:14:43
>お言葉を返し申し訳ありませんが
陳寿は普通に書いたけれど、2000年後の人は読めなくなってしまったということで
役不足の現象が、今目の前に。今の人と昔の人の解釈や読みが相違していると思います。
昔の書物を現代の認識で読んではいけないと思います。
今一度「南至」の意味を考え直して見てください。

???、
「南至」は「南至」だろう。
これがどうした、というのか?
投馬国5万余戸と邪馬台国7万余戸の記述とどう関係して来るんだ?
普通の人は葉っぱ虫が何がいいたいのかわからねーよな。
質問するのではなく、結論をいわないとね。
237日本@名無史さん:2010/08/20(金) 07:35:31
「南至」は「南がきわまる」・・・つまり一番南という意味だと思った。
238日本@名無史さん:2010/08/20(金) 07:45:04
投馬国も邪馬台国も「南がきわまる」という事なのか?
これと、倭人伝での投馬国、邪馬台国の戸数の記述とどう関係するんだろうか?
何がいいたいのか、さっぱりわからないよなー。
239日本@名無史さん:2010/08/20(金) 07:55:49
夏が極まればその先は秋。だから夏至というわけで、南に至ると日本語風に訳してしまうと
その捉え方のニュアンスに違ったイメージが浮かんでしまう。

坊やはそう言いたかったんだろうよ
240日本@名無史さん:2010/08/20(金) 08:57:19
投馬国5万余戸と邪馬台国7万余戸の記述
と「南至」の因果関係がよーわからん。
241日本@名無史さん:2010/08/20(金) 09:30:07
因果関係はすぐには理解出来ないはずじゃないか?
一つ一つの積み上がりの結論が
その戸数問題のはず
だから先ずは南至を問題として提議してると思う。
ぱっと見で解決でるようなものなら、坊やだって何も言わないと思うがどうだい?
242日本@名無史さん:2010/08/20(金) 09:35:42
邪馬台国の戸数が七万なら、南至邪馬壹国と書いて次に水陸行、官名、そして最後に
ここには女王が住んでる事を紹介するのが
文章の流れではないか?
243日本@名無史さん:2010/08/20(金) 09:51:41
△の鏡だってそうだ
店の商品には手を出さないのが商人で
△が国内に対する大事な交易商品だった場合、舶来の高級品を在庫として自国に寝せて置く事はない
必ずバイヤーによって消費者の所に届くはずだよな
だったら自ずと△は、貿易商人の手元ではなく
消費者の手元に数多く残るのがスジだわ
244日本@名無史さん:2010/08/20(金) 09:55:44
>因果関係はすぐには理解出来ないはずじゃないか?

普通の人に理解されないのなら、どこかが可笑しいのです。
変な方向に行かずにシンプルに考え直すべきだ。

>一つ一つの積み上がりの結論が
その戸数問題のはず

わざわざそんなに複雑に考える理由は何なんだ?
普通に考えてしまうと葉っぱ虫九州説が苦しいのか?

>だから先ずは南至を問題として提議してると思う。
ぱっと見で解決でるようなものなら、坊やだって何も言わないと思うがどうだい?

ぱっと見て解決できるような事を、わざわざ、ありもしない可笑しな理屈で繕っているようにしか見えない。
妄想をいわれても、わかりません、で終わってしまう。
葉っぱ虫のいう私見よりも、現実にある資料、現実に出回る意訳で語り合う方が実りあると思わないか?
245日本@名無史さん:2010/08/20(金) 10:03:16
>邪馬台国の戸数が七万なら、南至邪馬壹国と書いて次に水陸行、官名、そして最後に
ここには女王が住んでる事を紹介するのが
文章の流れではないか?

最初に女王が住んでる事をことわっていても全く可笑しくはない。
むしろ文筆家にとってはそれが筋だ。
その理屈は、決定打にならない。
246日本@名無史さん :2010/08/20(金) 10:03:35
三角縁神獣鏡というのは、全部古墳から出てくる。
古墳というのは四、五、六世紀あたりですね。
中には七世紀の古墳からも出てくるんだそうですが、
主として五世紀を中心とする古墳時代の古墳から出ています。
それに対してさっきの漢鏡といわれる九州の北岸を中心に分布
している鏡は ーーはっきりしていることですがーー 
古墳ではなくて弥生期の遺跡から出ています。
これが基本の事実だと私は思うんです。
そうしましたら、次のようにいえると思うのです。
三世紀、邪馬台国が弥生時代に属する、というのは、
現在においては異論のない事実ですね。

考古学では、すでに鏡に関しては、九州説で結論が
出ているのです。
247日本@名無史さん:2010/08/20(金) 10:06:07
誰だって納得できない事はいい続ける。
解決出来ない理屈で持論を繕っても無意味だ。
弱い。
248日本@名無史さん:2010/08/20(金) 10:14:36
>>245
俺はただ伊都の前文事例に従っただけで
他のどんな説明よりも主観の混じらないものとおもってるが
249日本@名無史さん:2010/08/20(金) 10:19:10
ぱっと見て解決出来ることって、現代人の目線でものをみてないか?
それじゃあ葉っぱ坊やの言う
役不足は、現代人の目線で昔を統一してしまうぞ
250日本@名無史さん:2010/08/20(金) 11:31:14
△が大量に出土する畿内は、九州バイヤーにとっての最大消費地、お得意様。
海外交易してるのは九州であって、
畿内ではない。
魏と交易関係にあったバイヤーの国を書いたのが、魏志倭人伝。邪馬台国と言うバイヤーの元締めが卑弥呼
251日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:10:02
南のかた投馬國に至る。
五萬余戸ばかり有り。
 南、邪馬壹國に至る。女王の都する所なり。
七萬余戸ばかり有り。


これらを現代目線で語って何が悪い?
そのままじゃないか。
特殊な例を持ち出して、勝手にこれらにも当てはめて現代解釈を覆していいのかよ。
自分勝手じゃないのか。
何ゆえにわざわざへんてこ解釈を考える?
葉っぱ虫九州説を保身する為なのか?
252日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:37:46
ここはキナ異説が九州説を叩くスレか?
一般スレならともかく、こんな事じゃ誰もレスしなくなる。
253日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:44:57
>>251          はい、悪くない悪くない。
どこがどのように特殊と感じるのか知らんが
アンタの好きなようにやってくれ、ここは特殊スレだと聞いたんで、来てみただけだ。
坊やが言うように、かなり偏見を持った偏った住人のいるスレのようだ
254日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:50:10
>俺はただ伊都の前文事例に従っただけで
他のどんな説明よりも主観の混じらないものとおもってるが

どちらかといえば、投馬国に倣った方が良いでしょう。
ここから水行が出てくるのだし。
ま、邪馬台国は七万余戸だよ。普通に読めば。
ここを認めて九州説を構築しなければ、
まともな論者は電波に堪えられないだろう。
255日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:51:12
レベルが低いということだろ。www
256鹿島神流:2010/08/20(金) 12:57:25
このスレでは考古学や人類学は禁止にすればいいんじゃないの。
257日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:12:15
このスレは、梅原末治狂団のオナニー・スレ。
だから禁止にできないと思う。
258日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:40:10
俺は学校で、円周率は3と教えられてきた。
だから今更3.14などと屁理屈こねられても困る。

なんて言われても。
まったく探求心の欠けらも感じられない
259日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:45:57
因みに、円周率の例えは誰を揶揄したものなの?
意味が良く分からんけど。
260日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:48:49
というか3.14に屁理屈捏ねる奴はいない。
どちらかといえば、3に屁理屈をつけるだろう。
261M3:2010/08/20(金) 13:49:36
んでは、「素直な読み」というのをやってみよう。ここまではどうかな?

倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國

倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。

(樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云 楽浪海中に倭人あり、 分かれて百余国をなし、 歳時をもって来たりて献見すと云う。「漢書」)

@ 使役通ずる所三十國 はすべて九州島内のことである。
A これ以外は皆、倭種の国である。九州島以外に大陸と通使した国はない。
262日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:50:46
なんで円周率が3なんだよ?
3.14だろうよ。
263日本@名無史さん:2010/08/20(金) 13:53:39
261にレス
九州説を救う立場から答える。
OKだ。
264M3:2010/08/20(金) 14:03:10
次に、>>261における疑問点。(これはけして九州説を揶揄するものではない、誤解しないように) 誰か答えてくれ。

?1 「舊百餘國」というのは「漢書」の記述をそのまま引いたものか、それとも何らかの調査があったのか?

?2 「今使早譯所通三十國」この「今」というのはいつのことか、魏初、魏末、あるいは三国志の書かれた晋代?
265日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:03:19
>ここはキナ異説が九州説を叩くスレか?
一般スレならともかく、こんな事じゃ誰もレスしなくなる。

いや、九州派内での仲間割れじゃないのか?
266日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:05:29
大雑把にはイエス

細かな所にはノーがある。
267ローガン:2010/08/20(金) 14:11:23
>>234
>国産であったからと言ってそれで九州説の構築に利するものでもなんでもない。

いいや、国産説なら、舶載前提の短期編年は支持出来ない。よって布留0は下がる。
箸墓をはじめとする布留0期の古墳は4世紀が妥当。
それに、庄内の末期が下がれば西新式も下がる。平原王墓は邪馬台国時代となる。
268日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:14:35
だいたい倭人伝に拘泥するから九州説は進展しないんだよ
畿内説ってのは「倭人伝?はいはいアレ結構間違いだらけだから」と切り捨てている部分もあるわけで
本当に九州説を再構築する気があるのならば、倭人伝から一旦離れるべき
269日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:16:54
>>23

>王金林が放射説

まだコイツこんな嘘を書いてるんだな、恥ずかしくないのかねえ
世界でおまえ一人だけだよ、そんなことを書いているのは
270M3:2010/08/20(金) 14:17:13
>>266
>細かな所にはノーがある。  これをぜひご披露ください。あと、「壱岐・対馬」は九州島に含みます。

271日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:30:28
>>264
今は、何時の時代じゃなくて

今=「このたび」ですよ
272日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:37:14
円周率を3で教えるというのはデマ。正しくは、3で概算してもよい。
しかも小学校のみの話。
273M3:2010/08/20(金) 14:39:12
>>271
「この度」というのはいつを基準としているのですか? 卑弥呼の最初の朝貢時のことですか?
公孫氏滅亡前後なら、魏に朝貢している国は多かったとは思えません。
それとも、「この度」とは「魏代において」というような意味ですか?それとも単なる修辞句ですか?短レスではなく、わかるように説明してください。
このような部分をおろそかにしてきたからこそ、「素直読み」が畿内説によって馬鹿にされるのだと思います。
274日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:39:55
>>272
例え話に剥きになるなよ。
坊やにもそのくらい細かな気配りが欲しかったよな
275日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:52:19
だったら、くだらねえ例え話を出すなよ。
276日本@名無史さん:2010/08/20(金) 14:54:12
272、いいぞ、痛快だ。
277M3:2010/08/20(金) 14:58:04
お答えがないようですので、私見を述べさせていただきます。

まず、?1「舊百餘國」というのは「漢書」の記述をそのまま引いたものか、それとも何らかの調査があったのか?

についてはよくわかりません。中国においては前代の史書を引用するのは通例ですが、倭人からの聞き取りが
あったとしても不思議ではないでしょう。

?2 「今使早譯所通三十國」この「今」というのはいつのことか、魏初、魏末、あるいは三国志の書かれた晋代?

これについては、魏末をいちおうの基準にしていると考えます。卑弥呼の朝貢がひさしく絶えていた東夷からの貢献
であったからこそ、魏帝は喜んだのでしょう。また、公孫氏政権を越えて魏に朝貢することは難しかったと思われます。

卑弥呼朝貢後、倭の国々がわれもわれもと朝貢し(あるいは集団で朝貢し)30国を数えたという意味ではないでしょうか?
278日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:05:54
>>273

魏時代になって初めての外交行事があったとき。

魏志に晋時代を書けば、予言本です
279日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:13:28
それよりも、今まで

今=このたび

と、読む人がいなかった事じたいが不思議
まあ、今と言ったら昔。という固定観念に侵されているから仕方ないが
280M3:2010/08/20(金) 15:15:49
>初めての外交行事 とは何ですか?倭人と関係のないものでもかまわないのですか、九品官人法の実施
などなら卑弥呼朝貢以前となりますが?

>魏志に晋時代を書けば、予言本です。 それは当然ですが、280年代までの情報を陳寿が持っていたことも
また確かです。ここではあらゆる可能性を考えています。
281M3:2010/08/20(金) 15:16:57
>>279
そのように読んだ用例が「三国志」全体にありますか? ないのであれば、そのように読まれないのは当然でしょう。
282日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:22:09
>>281

あるわけねえじゃん

何をトンチンカンな?

魏志は日本語じゃないよ。
このたびは日本語。

283M3:2010/08/20(金) 15:22:09
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里

郡より倭に至るに、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。

@ 狗邪韓國は韓の国であり、上記の三十国には含まれない。

?1 「乍南乍東」の解釈、これは南と東にジグザグに進んだということか?
?2 「其北岸」というのは何の北岸か? それとも別の解釈があるのか?
284M3:2010/08/20(金) 15:24:13
>>282
漢文の専門家がそのように現代語訳しないのであれば、それはあなたの勝手読みでしょう。
「今」は三国志全体で基本的に同意で用いられているはずです。ここだけ違う意であるなら
その根拠を示さなくてはならないでしょう。
285日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:51:13
>>284
勝手に一人でやってなよ

多くの専門家が畿内と言ってるのに、ここでは敢えて九州説を構築している。
それ自体が大勢に反してるだろう。
それが今更漢文の専門家だって?
ちゃんちゎら可笑しくてやってられっかよ

そんな能書きは、一般スレで披露してくれ。場違いだ
286日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:55:47
>>284
今、と同意じゃなくて、そのもので用いられている。
今とかかれているものは全て今と書かれてる。
287日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:59:50
>>283
別の解釈なんて存在しない。専門家の指示に従えとのお達しだ。
288日本@名無史さん:2010/08/20(金) 16:07:10
このスレは終了しました。
お疲れさまでした。
289ローガン:2010/08/20(金) 16:09:50
>>216を再掲
> ふるくから、倭が百餘国有った事がわかっているが、今、使訳が通じているのは、(そのうち)30国。

周旋可五千餘里の倭には100国有り、そのうち西側3割の国が女王の版図。
290ローガン:2010/08/20(金) 16:12:02
おっと、倭人伝的には 北側 か。
291日本@名無史さん:2010/08/20(金) 16:12:38
>別の解釈なんて存在しない。専門家の指示に従えとのお達しだ。

あたりまえだろ。
公に通用する強い九州説を構築していこうや。な。
妄想、私見を認めていれば、いつまでたっても九州説を救えねえよ。
292日本@名無史さん:2010/08/20(金) 16:21:24
>?1 「乍南乍東」の解釈、これは南と東にジグザグに進んだということか?

韓国の内陸をジグザグに進んだということだろうね。海とは書いてないから。

>?2 「其北岸」というのは何の北岸か? それとも別の解釈があるのか?

倭国の北だろうよ。


293M3:2010/08/20(金) 16:21:34
>>289
「旧」百余国とありますが、まさかこれらがすべて漢に朝貢していたとは考えにくいので、魏代ではもう少し
まとまり国の数が減っているということはないのでしょうか?
294M3:2010/08/20(金) 16:25:43
?3 「七千餘里」とはどこを基点にしたものか。

   
(從帯方至倭、循海岸水行、歴韓國到拘耶韓國七千餘里 帯方より倭に至るには、海岸に循って水行し、
韓国をへて、拘耶韓国至る七千余里。「魏略」逸文)

295ローガン:2010/08/20(金) 16:30:41
>>293
ムラがクニにまとまっていく と云う事なら、あるでしょう。
296M3:2010/08/20(金) 16:44:31
始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑狗福曰卑奴母離所居絶方可四百餘里土地山險多深林道路如禽鹿徑
有千餘戸無良田食海物自活乗船南北市糴

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。その大官を卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。居る所絶島にして、方四百余里ばかり。
土地は山険しく深林多く、道路は禽鹿のこみちの如し。千余戸有り。良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市てきす。

この部分は魏略でもほぼ変わりない記述ですね。

@ これは現在の「対馬」である。

?1 「卑狗」は「彦」か? 「卑奴母離」は「鄙守」つまり辺境を守る官人の意か?
?2 これらは「対馬国」独自の官か?それとも邪馬台国により制定されたものか?
297日本@名無史さん:2010/08/20(金) 16:54:31
>>291
何を矛盾したこと言っている。
専門家の大部分は畿内なんだよ。公に認められる九州説なんて始めから無理があり、専門家には何一つ認められないんだよ。
その認められない九州説を構築していこうとしているんだから、当然専門家とは意見はわかれる。
意見がわかれれば、それは専門家とは違った意見なんだから、専門家が認めてないものと言う意見は
その時点で矛盾してるんだよ。
九州説をうたう以上、専門家とは意見が相違しなければ逆におかしいはずではないか?
298日本@名無史さん:2010/08/20(金) 17:00:00
それともなにか?
世の九州説は、九州説に都合の悪くない部分は
畿内と同調し、都合の悪い部分だけ畿内説に反発するという、ものぐさな説なのか?
ま、そうかもしれないな
学問に対して前向きに探求しようとする気構えは、ほとんど無に等しいからな
299M3:2010/08/20(金) 17:04:42
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家
差有田地耗田猶不足食亦南北市糴

又南に一海を渡ること千余里、名つけてかん海と日う。一大國に至る。官は亦卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。
方三百里ばかり。竹木そう林多く、三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を耕せどなお食足らず、亦南北に市てきす。

@ 「一大国」とあるがこれは現在の「壱岐」である。

?1 古田説のように島を巡った行程を総距離に加算すべきか?
?2 この国名は「一大率」と関係があるのか?つまり「一大率」も誤りで、本来は「一支率」だったなど。
300日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:04:56
>何を矛盾したこと言っている。
専門家の大部分は畿内なんだよ。公に認められる九州説なんて始めから無理があり、専門家には何一つ認められないんだよ。

それをいっちゃあ、おしめえよ。
301日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:14:32
そもそも九州説は不利な状況なんだから。
そんなの皆分かってるよ。九州派は現実が分からない程に馬鹿じゃない。
たいていは強がっている。

でも何とかしなくてはならない。
邪馬台国論争が盛り上がらない。
今後の展開は九州派のがんばりにかかっている。
分かってくれよ。
だからこのスレタイなんだろう。
専門家も認めてくれる
公に通用する強い九州説を構築していこう。
妄想、私見を認めていれば、いつまでたっても九州説を救えねえよ。
302日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:27:18
>>301
妄想・私見を取りのぞいたのが畿内説で
とにかく、専門家が支持する畿内説は完璧なのよ。
だから、畿内説以外は今の世の中全て妄想や私見なのよ

わかった?

だから九州説に、妄想や私見を止めろと言うのは、九州説を止めろと言ってるのと同じ。
まあ、九州説を語っている者に、専門家が認めないなんて言う方も馬鹿げた話で、専門家が認めてないから九州説なんだろうっな笑い話
303日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:27:57
>>301
>九州派は現実が分からない程に馬鹿じゃない。

残念。

それが分からないほどの馬鹿がこの板にはいるwwww

このアホどもにとって公に学説として認められるか否か…なんてものは問題ではない。

それによって「九州王朝説」や「邪馬台国東遷説」と言う連中にとって一番美味しい部分
モチベーションの根源を否定されるなら現状の方がマシって話なんだろうwwwwwww
304日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:35:21
いいかげんにしろ、
九州派をアホ扱いするのはやめろ!
305日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:37:58
九州説強化合宿はどうしたんだよ、
皆で九州説を救っていくって話なんだろう。
畿内派も途中で投げないでくれよ。
九州説がんばれ!
306日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:50:20
>>305
どだい無理な話なんだよ。
キナ異説論者が見る私見や妄想を言わない説は、キナ異説なんだから
キナ異説論者の認識範囲以外は、全て学者が認めない異説珍説であって、認められないものなんだよ。
だから、学者が見ても矛盾しない考えでは九州説は始めから成り立たない。やるだけ時間の無駄・暇つぶし。
307日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:55:03
× 専門家の大部分は畿内なんだよ。
○ 梅原末治門徒は全員畿内なんだよ。
308日本@名無史さん:2010/08/20(金) 18:55:47
>>九州派は現実が分からない程に馬鹿じゃない。
>残念。
それが分からないほどの馬鹿がこの板にはいるwwww


ワロタwww
309日本@名無史さん :2010/08/20(金) 19:00:00
韓半島との立地条件や銅剣・銅矛の出土状況、漢鏡の出土の
どれを考えても、北九州以外には邪馬台国は想定できない。

皇国史観から脱却して、まず記紀の見直し作業から始めよう!
310日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:03:01
>記紀の見直し作業から始めよう!

これは止めたほうがいいね。
311日本@名無史さん :2010/08/20(金) 19:09:53
日本書紀が百済系
古事記が新羅系
でOK?
312日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:12:18
てゆうか本気で畿内説を信じている学者なんていないだろ。
313日本@名無史さん :2010/08/20(金) 19:15:43
筑紫風土記に2つあって
筑紫風土記1はフヒト一派の改ざんもの
筑紫風土記2は原本?

以前風土記改ざんで論争があったけどその後どうなった?

とにかく、本来の日本の歴史をとりもどさないと・・・
日本書紀なんて旧百済本記からの引用の産物でしょう
314日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:21:47
上の倭人伝厨はけっこういいこと書いてるのに九州説は答えられないんだろう。
これが記紀になったらどれだけ いいとこどりのご都合主義の悲惨なことになるか。ww
315日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:24:30
だから
キナ異説が語る九州説は、全てキナ異説ではありえないような、異説珍説妄想私見でなくてはならない。
しかし、そんな意図も理解出来ずに
学者が認めないと矛盾を言いだす。
キナ異説論者は、一体何をどうしたいと言うんだ?

学者が認めたら九州説じゃなくなってしまう。

316日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:29:01
>>314
答えられないのではなく、答えても学者の意にそぐわない内容だから答えないだけだ。
学者の意にかなう内容を述べた時点で、既に九州説ではないからな。 
九州説とは、学者の意にそぐわない内容を唱える説だ。
317日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:32:50
万一九州説を構築するような意見を述べれば
すかさず学者が認めないと、訳の分からない反論がかえってくるのは、目に見えて明らか。
そんな釣り針に食い付く馬鹿はいないよ。
318日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:52:45
梅原末治一派の本音

仕事中:畿内説以外に真実はありえません
仕事外:邪馬台国が実は九州にあったというのは秘密だぞ
319日本@名無史さん:2010/08/20(金) 19:56:10
そうか、畿内説の発端を突きとめたわけか。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
320日本@名無史さん:2010/08/20(金) 21:54:07
近畿説では、マキムク遺跡の土器を証拠としてあげている。
しかし、土器のほとほとんどは東日本のもの。
クマ国で敵対している地域のはず。
反対に、北部九州のものは無い。
これを邪馬台国の証拠と考えるのはおかしくないだろうか。
321日本@名無史さん:2010/08/20(金) 21:54:37
学者が認めないという前提で「説」とか言うなよ馬鹿
「思う」とか「じゃないかなあ」くらいに留めとけよ馬鹿
まあ別に「信じている」とか言っても 馬鹿だから許すけどな
迷いなく断言してしまう無神経さ蒙昧さ愚鈍さに気が遠くなる
322日本@名無史さん:2010/08/20(金) 21:58:52
>>記紀の見直し作業から始めよう!
>これは止めたほうがいいね。

確かに。
珍説・奇説のオンパレードが目に見えてる。
323日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:07:21
珍説・奇説の邪馬台国

この本は割と面白い
324日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:07:37
世に通用する九州説を構築すればいい話だろう。
前向きに考えろよ。希望を棄てるなよ。
始めから諦めるなよ。

吉野ヶ里時代の80年代は畿内説がアホー扱いされていたんだぜ。

世の中何が起こるかわからないよ。吉野ヶ里の時のように遺跡さえ発掘されれば、
倭人伝では、実は九州の風景を語っていた、そこに何故か大和の情報が少しだけ混入していた、メインは九州の事だった、という話になるよ。
325日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:10:28
俺は予言する。
きっと九州で決定打となる遺跡が発掘される。
326日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:21:35
>>321
クスリは止めとけ。ラリツてるぞ
そりゃ生きてるうちは辛いこともあるわな。でも
辛いからといって、クスリに手を出しちゃイカンよ。
今は無理だろうが、クスリが切れた頃もう一度このレスを読み直してくれ。

いいか!
もう二度とクスリなんかに手を出すな。わかったかい?
327縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/20(金) 22:26:18
九州説諸氏よ。畿内説はしょせん虚妄、砂上の楼閣です。今にきっと真実が明らかになります。
328日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:29:55
>>1
放置しても、福岡・佐賀・熊本から邪馬台国の遺跡が出て、一気に解決するから心配するな。
329日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:31:02
>>324
>遺跡さえ発掘されれば

具体的にそれはどんな物なのかな?

はっきり言って吉野ヶ里のような環濠集落が一つや二つ出てきたからといって
九州説が浮き上がるって事も無いだろうwww

もはやここまできたら邪馬台国そのものの遺跡が出てくるぐらいの超サプライズが無いとどうしようもないだろうw

親魏倭王の金印が副葬直後から動かされた形跡が無い状況で出土する。
百人の徇葬跡を伴った墳墓が出てくる。
卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人と言う記述がマジに受け取れるほどの空前絶後の超巨大環濠集落が発見される。

…この程度の事が無ければ、もう逆転は無理だと思うがwww
330日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:39:51
畿内から「親晋倭王」印が出て、東遷が証明されるんじゃねえの。ww
331日本@名無史さん:2010/08/20(金) 22:56:54
だからー、

妄想・私見を取りのぞいたのが畿内説で
とにかく、専門家が支持する畿内説は完璧なのよ。
だから、畿内説以外は今の世の中全て妄想や私見なのよ

わかった?

だから九州説に、妄想や私見を止めろと言うのは、九州説を止めろと言ってるのと同じ。
まあ、九州説を語っている者に、専門家が認めないなんて言う方も馬鹿げた話で、専門家が認めてないから九州説なんだろうっな笑い話
332日本@名無史さん:2010/08/21(土) 00:31:27
記紀に畿内説の論拠となる記述なんてあるの?
日本書紀が卑弥呼を神功皇后としているけどそれ以外で?
333日本@名無史さん:2010/08/21(土) 06:32:36
日本書紀が卑弥呼を神功皇后としている,
これだけで充分。
334日本@名無史さん:2010/08/21(土) 10:31:25
記紀に九州説の論拠となる記述なんてあるの?
妄想・私見以外で?
335日本@名無史さん:2010/08/21(土) 12:29:59
だから九州説に、妄想や私見を止めろと言うのは、九州説を止めろと言ってるのと同じ。
336日本@名無史さん:2010/08/21(土) 12:41:23
△鏡も箸墓も何でも畿内説の根拠に捏造する、畿内説詐欺にはとてもかないません。
337日本@名無史さん:2010/08/21(土) 13:23:07
九州説(イメージ)・・・偉大なる「九州無敵鉄器軍団グレート神武」が、当たるにまかせて
              畿内土人をばったばったとなぎ倒しグヒャヒャヒャヒャ。
        九州はつおい!!畿内の1000倍つおい!!九州ばんざーい。
えっ?伊都国?糸島なわけがねえだろう。倭人伝には東南って書いてあるだろう。
              魏使が方角を間違えるわけはないんだよ、ふん。
338日本@名無史さん:2010/08/21(土) 13:26:13
>>337
書いてあるものを理解できてますか?
339日本@名無史さん:2010/08/21(土) 13:53:07
>>338
つまりはこれと反対のことをやればいんだろ。

「天岩戸」は神話伝承、「神武東征」は英雄譚。当時のクニは「吉野ヶ里」程度の規模で、
広大な面積を有する中央集権国家など存在し得ない。ただし交易網で結ばれている。
鉄器は九州出土量が多いがだが、軍の長距離遠征はこの時代には不可能。
銅鐸埋納は甕棺や銅矛祭祀の終焉同様、習俗の変化。
伊都国は、神殿状建物や渡来人居住跡のある糸島。
倭人伝は不確かな部分が多いので考古資料を重視する。

・・・ここまでは畿内説と同じで、こっから邪馬台国だけ九州に持ってくのは容易ではない。

340日本@名無史さん:2010/08/21(土) 16:45:57
いい加減に九州説叩きはやめろよ。
ここは九州説を救うスレだよ。

今や、畿内説を論ずる事は馬鹿でも出来る。
九州説を構築して一皮むけろよ。やれば出来る!
341日本@名無史さん:2010/08/21(土) 16:55:37
あくまでもスレタイに従います。

卑弥呼・台与、官名と共に記紀にははっきりと名が記されず。
女王国というのは実は女性首長が目だった北部九州の事だった。
中国人は北部九州女王国と水行20日、陸行1月かかる畿内大和の情報と錯綜していた。
外人だから無理もない。

九州説を単独に成立させれないんだったら、
畿内説・九州説とで引き分けに持ち込む路線にもって行ってはどうか?
342日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:11:04
葉っぱ虫でも河童虫でもいいから、九州説のために

立ち上がれよ!

ただ、畿内説論者が黙っちゃいないだろうが。特に河童が現われた日には。
だから河童は少し遠慮しながらな。
343日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:33:17
救うんかい
344日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:34:54
畿内説は自然に崩壊するから、意味なし。
345日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:35:33
言意学はいらない。
346日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:44:14
正直、九州説を学説として救うのはもはや無理だろうw

奇跡レベルの考古学的発見を祈るしかあるまいwww

それよりもエンターテイメントとしてブームの再来を狙った方が良いのではないか?

「九州王朝説」や「邪馬台国東遷説」なんてのは今じゃあネタでしかないが
ネタならネタで割り切ってフィクションとして、例えば
『 九州神話体系 』としてリサイクルするとか?www

この列島の旧支配者とも言うべき九州邪馬台国の子孫が
歴史の影で日本を操ってきたとか言う話でwwwwwww




347日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:49:04
妄想・私見を聞いてたって専門家にはうざいだけだよ。
興味あるのは現実的九州説だよ。
348山国川流域説:2010/08/21(土) 17:50:48
邪馬台国は九州東北部、豊前・豊後から西瀬戸沿岸部一帯です。
中心は山国川流域で卑弥呼の都は唐原地区遺跡群でしょう。
安国寺式土器に代表される西瀬戸文化圏は、
吉備を中心とした東瀬戸地域、さらにその東の大阪湾岸地域と連携し、
瀬戸内の海上ネットワークを形成していたものと思われます。

倭人伝の路程から、伊都國は前原、奴國は春日市付近を想定し、
これに対馬、一大、末盧、不彌を加えた玄海灘諸国が伊都王を中心とした
もう一つの海上ネットワークを形成しています。

投馬は吉備、狗奴は八女以南の中南部九州にあった勢力かと思います。
349日本@名無史さん:2010/08/21(土) 18:18:19
>>347
専門家にはウザイだけって、そんな話でも
専門家は一応きにするのか?
350鹿島神流:2010/08/21(土) 18:47:54
>>348
もう少し大陸の遺物がほしい気もするけど、なかなか現実的ですね。
351日本@名無史さん:2010/08/21(土) 19:04:50
現実味のある九州説以前に、詐欺じゃない畿内説を見てみたい。
352日本@名無史さん:2010/08/21(土) 19:50:05
もう特定の地域を想定してお話を作るのもしんどいので
論証に使われる各ファクタと言うか小ネタ集みたいな感じでwww

・放射説
これが言い争われる場合、陳寿その人がどう言う意図で書いたか?
…を問題にしているんだろうが
陳寿の依った原資料が放射式で書かれていたが
陳寿は連続式として書いた…それがあの記述になった
これなら否定できないんじゃないのか?w

・膨大な日数は郡からのトータル所要日数
確か日本で出ている中国人による倭人伝解釈本でも
誰もとっていないのがこれだと聞くがw
もし、魏使が大型の構造船に乗ってきて
陸路用に馬も持ち込んでいたとしたら…
日本側の準構造船でも人が乗る分には結構な大きさはあるが
馬を乗せるのは困難で一度上陸したら再度船は無い。
よって陸路に相当な日数を費やした。

・伊都国=卑弥呼の居していた都
根強い人気のあるこの説だがw
行程記事の解釈は陳寿の時代既にヤマト王権が起きていて
そのヤマトの位置を魏代の女王のいた場所と思い込んだ記述と言う事でクリア。
戸数は若干多く見込めるかもしれないが
戸数なんかに関係なく伊都国が特殊な場所であるのは倭人伝からも読める。
むしろ現在の纏向のように一次産業従事者のいた痕跡が殆ど見られないような
一種「祭礼都市」「宗教都市」のような場所ではなかったか?
と言うかそのコンセプトが纏向に引き継がれた?

まあ結局お話だけならナンボでも作れるっちゅう話ですよとwwwwwwwwwww
353日本@名無史さん:2010/08/21(土) 19:54:18
>現実味のある九州説以前に、詐欺じゃない畿内説を見てみたい。

だから、専門家が支持する畿内説は完璧なのよ。
わかった?
354日本@名無史さん:2010/08/21(土) 19:59:58
だから詐欺集団と化した専門家集団じゃない畿内説を見てみたいのさ。
わかった?
355日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:09:36
サイキバの返すすべなき峠かな。うけてみろ必殺のサイキバ返しを。
356日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:14:27
サイキバって、畿内説の工作員だろ?
357日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:21:18
>専門家が支持する畿内説は完璧なのよ。

それは違う。
畿内説は何も完全無欠なものじゃない。
むしろ解決すべき課題をいくつも抱えている。

が、それは当たり前で自然科学の分野だが
「科学とは反証可能な仮説体系に過ぎない」
と言う言葉があるw

もし完全無欠な説なんていったらそりゃ宗教だw

考古学が提示できる状況証拠と言うのは
「3世紀には既にヤマトを中心にした連合体=初期ヤマト王権」ができていて
北部九州もそれに加わっていたらしい…と言う所まで。

で順当に考えれば魏から冊封を受けたとなればその勢力だろうと言う話。

それと別個に九州に勢力があってその中の邪馬台国が冊封されたなんてシナリオも
理論上はありえる。

がお話はいくら作れてもそれを示す考古資料が無い、絶望的にwww

まあ畿内説側がテーブル上に出したカードがワンペア、ツーペアみたいな
しょぼい手であっても九州説側からカードが出てこないんじゃあ勝負にならない。

早い話不戦勝だなwwwwwww
358日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:23:58
>>355

降ると見ば 積もらぬうちに払えかし 厚顔サイキバに雪折れの無しwwwwwwwww
359日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:07:47
だからサイキバ君は、畿内説の工作員だろ?
祭祀場を祭器場って書いたんだろ?
くだらねえ話だな。
360日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:10:14
さ、九州説、九州説
横道に逸れないように。
361日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:14:33
>>359

そうかな?
九州説内部の工作員じゃないかな?
比較的「古田ネタ」で笑かしてくれることが多いよ。
(合)安本商会が(有)古田出版の営業妨害をしてるんじゃないか?
両者はライバル関係にあるからね。
362日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:29:21
九州説工作員が、なんでトチ狂って「祭器場」なんて言い出す?
畿内説の自作自演だろ。
363日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:32:26
>>362

フルタとヤスモトの区別も付かないのかw
364日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:41:26
安本=再起場  古田=差異牙 といった違いかな。
365日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:49:10
サイキバ君が書きこんでから、一斉に攻撃を始めたのは、安本派じゃなくて、畿内説の連中だからな。
366日本@名無史さん:2010/08/21(土) 21:51:30
古田センセーは東日流のダメージからの再起は厳しいだろ。
サイキバのような残された弟子がどんだけ頑張るかwww
ところで、九州王朝があったとすれば、東遷よりは矛盾が少ないんだよな。
367日本@名無史さん:2010/08/21(土) 22:28:20
>ところで、九州王朝があったとすれば、東遷よりは矛盾が少ないんだよな。

そうだよな、近頃、安本さん、雑誌とかで妙に躍起になってないか?痛々しいというか……。
巻向の件で、はっきりいって、古田さんよりもダメージが大きい。
もはや、安本さん、絶望的だよ。
ノストラダムスの予言が外れた時の五島勉のように男らしく「ごめんなさい」すると良いのに。
一人謝っていた五島勉は偉いよ。
368日本@名無史さん:2010/08/21(土) 22:52:48
その一方で、畿内のなんでも卑弥呼関連と報じる専門家も困ったもんだな。
新聞各社も競って提灯記事書いてるし。
369日本@名無史さん:2010/08/21(土) 23:28:47
>>365
> サイキバ君が書きこんでから、一斉に攻撃を始めたのは、安本派じゃなくて、畿内説の連中だからな。

そりゃそうだ。
ここには、安本な人は一人しかいないんだよ。
370日本@名無史さん:2010/08/22(日) 01:02:57
纏向から北九州系の土器が出土しない理由は?
大和政権の勢力が北九州に及んだのは、仲哀天皇・神功皇后の頃で
4世紀になってから。3世紀頃の崇神天皇の時代には北九州に影響力を
もっていなかったことじゃないの?
実際、崇神天皇の頃は、中国王朝との交流は、記紀には全く記載されてない。
せいぜい、任那が朝貢してきたとの記載があるくらい。
371日本@名無史さん:2010/08/22(日) 01:19:33
纏向には対東国のための拠点の意味があり、「ゆるやかな連合」の中心地ではあっても「ゆるやかな連合」そのもの
ではない。北部九州への影響力は連合内のもっと九州に近い集団が行使していた、と考えればよい。

記紀に中国王朝との交流が記されないのは、記紀の成立が天武朝以後であり、中国とのその時点での外交が配慮さ
れているからだろうな。わざわざ過去に冊封されていたことを書くまでもない、ということ。あるいは実際に記憶が失われ
ていたのかもしれない。
372日本@名無史さん:2010/08/22(日) 08:56:33
>どだい無理な話なんだよ。
キナ異説論者が見る私見や妄想を言わない説は、キナ異説なんだから
キナ異説論者の認識範囲以外は、全て学者が認めない異説珍説であって、認められないものなんだよ。
だから、学者が見ても矛盾しない考えでは九州説は始めから成り立たない。やるだけ時間の無駄・暇つぶし。


九州派にとって叩かなくてはならないのは畿内説ではありません。
妄想九州説です。
と何処かで以前に河童がいってたなぁ。あの時の河童は光っていた。
373日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:12:30
>>372
そうだよそれだよ。
妄想九州説にぶつけるのは畿内説じゃなくて、同じ九州説の河童だ
河童以上の適任者はいないよ
374日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:31:07
要するに、妄想九州説を排除して、
世に通用する強い九州説を構築する。
それがこのスレの趣旨です。

まずは河童に妄想九州説を叩いてもらわんとね。
375日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:52:40
ところで、一番肝心な河童は今どこに?
376日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:55:46
おーい、河童やーい、出番だよー。
377日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:57:51
それはどうかな?
既に河童虫は、「妄想九州説」も「詐欺畿内説」も眼中にない、開悟成道の境地にいるんじゃないか。
378日本@名無史さん:2010/08/22(日) 09:58:16
妄想、私見を叩いてくれー。
379日本@名無史さん:2010/08/22(日) 10:04:19
恐らく何だかんだ言っても九州説の連中にとって河童の醸し出す
スレの雰囲気(暗号解読ゴッコ特化)みたいな物は心地良く
再登場願う需要もあるんだろうが…

河童なんて妄想九州説そのままだろうに…

普段は文献と言うより言意学の布教であまり出てこないが
考古学的ないしは古代史全般に関する認識が超デタラメ。

確か「倭王武=神武」とかわけの分からない事を言ってたが…

まあ、あれも狂人の一種だなw
380日本@名無史さん:2010/08/22(日) 10:38:50
>それはどうかな?
既に河童虫は、「妄想九州説」も「詐欺畿内説」も眼中にない、開悟成道の境地にいるんじゃないか。

もういいから、姿現せよ、ここにきて河童節待望論があるんだよ。

381日本@名無史さん:2010/08/22(日) 10:52:40
河童?・・・考古学をやらない河童が強い九州説? wwwww 素直に言意学をやりたい、と言えよ。「もん太スレ」のように、
「歴史学と言意学」とかの専用スレを作って、降臨を待つことだな。wwww
382日本@名無史さん:2010/08/22(日) 10:54:39
ああ、なるほど本人と言う事かw
言われてみればその可能性もあるなwww

「世間に通用する九州説」というのなら
先ず(主に位置)論争に文献だけで決着をつけることはできない。
…と言う事から始めないと

その解釈によりどれが妄想九州説でどれが正しい九州説かなんて論じても意味が無い。
手法そのものが最初から間違っているのだからwww


383日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:06:20
相変わらず凄い人気っすw
384日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:07:26
先に結論ありきの九州説が多すぎる。伊都国を糸島とするのは根拠がある。宮城と見られる建物や渡来人の居住跡。
また、郡使が在駐するならやはり半島に近い港でなくてはならないと思う。記紀に地名譚があり、古くから伊覩の県と
して知られている。これらのことを無視して、「東南」という記述のみで伊都国を佐賀方面にもっていくのは、それだけで
方法論が間違ってると思う。要は自分勝手な思い込みを捨てることだろうね。
385日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:17:16
>>384
そんな事言ったって、東南と書かれている事実は否定できないわけで
その事実をちゃんと処理しないと、今までのように何も変わらない。
386日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:20:14
>>382
本人と言ってるわけではなくて、邪馬台国への興味より、漢文の字句の枝葉にこだわった河童流珍解釈を楽しみたい人が
多いのだろうってこと。ま、論争の現状を考えればむべなるかな、だね。ww
387日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:23:05
>>381
河童は考古学をやらないのか?
それとも知らないのか?
話さないのか?

あんた詳しそうだからたずねるが。
388日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:33:04
ちくま学芸本から始めるか、右往左往しながら原文から始めるかの違いだな。
記紀にしても、書き下ろし本を読んだだけで記紀の研究をしてるつもりの奴
沢山いるし
389日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:39:29
>>388
ただ「生兵法は怪我のもと」と言う事もあるぞw

少なくとも通説の解釈に異論を唱えるのなら
生半可な知識じゃあ追いつかないと思うが・・・
390日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:43:51
>>387
河童さんは考古学をやりません。知らないだろうし興味もあまりないと思います。「鏡の色が変わってきれいでどうたら」とか
考古学をやらない理由を述べていたこともありましたが、実際は、2chはそんなの本を読んで調べて書き込むもんじゃない、
とか思ってるんでしょう。

河童さんは正統的な漢文解釈ではなく、現代漢和辞典や中国語辞典を駆使して字句の珍解説をやります。ただしすこぶる
楽しい解釈で、しかもレス相手を飽きさせないので人気があります。しかし今は株の売買にはまっているようですね。
391日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:46:58
>>389
従順ってのも、学問に進歩性を感じないわなw
しかも場末の掲示板で。
思い切った意見を言えるのが掲示板の利点なんだが
392日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:53:28
で、実際のところ河童の漢文を読みこなす能力ってどれくらいなのよ?w

四書五経でもなんでも白文をみてスラスラ読みこなすぐらいはできるのか?



393日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:53:39
河童さんは「釈名」などを読んでるわけではないないので、反切などで質問してもいつもうやむやになって終わりました。
音韻に関してはわからないようです。要は漢文の字面に関してあれこれ独自の解釈を述べるというのが言意学、でしたね。
394日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:58:52
>>388
読めない白文からでたらめ読解を垂れ流すよりは、ちくまから始めたほうがまし。
普通の奴は白文なんて読めねぇよ。

それに、仮に漢文が読めたとしても当時の知識がないと読みこなせない。
白文を読んで現代日本語の感覚でわかった気になるほうが害は大きい。
395日本@名無史さん:2010/08/22(日) 11:59:05
>>392
四書五経を読むことなどできません。まず地名その他に関する知識がないと思います。倭人伝を基本に、漢和辞典で字義を調べて、
なおかつ、それとは外れた突飛な解釈を示す、というのが言意学でした。当然、多くの反論が出ますが、それを楽しませつつあしらう
という手法。要はエンターティナーなのです。
396日本@名無史さん:2010/08/22(日) 12:08:29
>>393
そうなのかな?
mebbia_18さん(河童さん?)に漢字の意味や使い分けを質問すると、必ず
説文解字と釈名を取り上げて回答してくれます。
397日本@名無史さん:2010/08/22(日) 12:12:39
ごめんなさい。間違えました。

mebbia_18さんは
nebbia_18さんの間違えです。
398日本@名無史さん:2010/08/22(日) 12:43:46
河童自体が妄想九州説なんだから、
河童自身が、妄想九州説を叩け、と?笑っちゃいます。
九州派は誰でも自分がまともだと思っているんでしょうなぁ。
実は、河童が普段馬鹿だと思ってるトンデモ九州派連中と河童は同じレベルなんだよな。
399日本@名無史さん:2010/08/22(日) 13:03:10
畿内説は、妄想じゃなくて学会を挙げての詐欺だから、安心ですね。
400:2010/08/22(日) 13:13:16
サイキバ君乙
401日本@名無史さん:2010/08/22(日) 14:32:13
甕棺文化圏=熊襲=邪馬台国連合は駄目ですか?
402日本@名無史さん:2010/08/22(日) 15:24:06
>>396
>mebbia_18さん(河童さん?)に漢字の意味や使い分けを質問すると、必ず説文解字と釈名を取り上げて回答してくれます。

どちらも漢和辞典に載ってるものだと思います。おそらく三省堂の「漢辞海」を使用。
403日本@名無史さん:2010/08/22(日) 15:30:23
「熊襲」が南部九州を指してるなら、甕棺文化圏はちょっとどうかな。
404日本@名無史さん:2010/08/22(日) 15:51:28
で、なんでいない河童さんの話題で盛り上がってるの?
本人が登場した時に盛り上がればいいと思う。

405日本@名無史さん:2010/08/22(日) 15:54:17
河童が登場すれば、このスレタイとはぜんぜん違う展開になるよ。
406日本@名無史さん:2010/08/22(日) 16:10:40
>>402
ん?漢辞海はトンデモなの?
407日本@名無史さん:2010/08/22(日) 16:21:48
>>406
持ってる人にはネタバレ必至。お前、河童がどういうスタンスか知らないの?「終止符スレ」の過去ログを読むように。
408日本@名無史さん:2010/08/22(日) 16:23:42
>>405
わかるけど、今のスレの現状を見ると…
畿内厨の反感は積る一方だし、どうしても畿内バーサス九州という流れに。
方や九州厨は、安本・古田の啀み合いで、話にもならない。
409日本@名無史さん:2010/08/22(日) 17:27:57
詐欺集団が団結しているだけで、九州説に各説あっても、
九州説としてなにも困らない。
410日本@名無史さん:2010/08/22(日) 17:45:36
>>409
> 詐欺集団が団結しているだけで、九州説に各説あっても、
> 九州説としてなにも困らない。

本来「九州説」なんて存在していないはず。
博多説、朝倉説、島原説、宇佐説、熊本説、宮崎説とか言うべきものを総称しているだけだ。
ところが、ここ2chには>>409のような「純粋」の九州説論者が存在してしまう。
つまり(ry

411日本@名無史さん:2010/08/22(日) 17:58:30
>わかるけど、今のスレの現状を見ると…
畿内厨の反感は積る一方だし、どうしても畿内バーサス九州という流れに。

だからトンデモにならないように現実的九州説を構築しないからだよ。
妄想・私見に陥らない世に通用する強い九州説を構築しようとしないからだよ。
自分に厳しく行こうよ。駄目なものは駄目なんだよ。
412日本@名無史さん:2010/08/22(日) 18:20:53
九州の発掘が進まないのを差し置いて、
卑弥呼の墓はここでした、これが魏から貰った鏡と金印ですなどと、
九州説を急いで構築しろというほうが、詐欺だろう。
413日本@名無史さん:2010/08/22(日) 19:20:59
>>409
・・・集団雪合戦とでも思ってるのかこの低脳。プゲラ。
414日本@名無史さん:2010/08/22(日) 20:22:00
妄想が入り混じるから候補地が乱立する。
絶対確かな世に通用する現実的内容に纏めれば、
畿内説同様、に九州説も多くには割れない。
415日本@名無史さん:2010/08/22(日) 21:31:37
「△鏡こそ卑弥呼の魏鏡」
「箸墓こそ卑弥呼の墓」
詐欺ならこういった統一が可能なわけです。
416:2010/08/23(月) 06:13:17
サイキバ君乙
417日本@名無史さん:2010/08/23(月) 07:21:05
河童が以前にいってたように、妄想九州説を葬っていかなくてはね。
閉鎖的といわれてもしょうがない。九州説の今後の為だから。
418日本@名無史さん:2010/08/23(月) 09:03:58
プラムの自演癖は治らないみたいだなあ
419日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:03:20
>>412
九州の発掘は他地域に比べてかなり進んでいるほうだよ
例の吉野ヶ里フィーバーのおかげで、九州人はすべからく発掘に協力的になった

それに邪馬台国が餌に使われたことは事実だけど
その結果九州に邪馬台国を求めるのは無理だという事が分かってしまったから皮肉なもんだ
420日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:03:37
河童呼んじゃダメだよ。あれは腐ったミカンだから。
421日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:09:12
延々と自作自演を繰り返し
時には複数のハンドルを使い分けて、お互いで議論させるとかまでやる中年ニートだからな

あれは犬童知遠や老教授といった当時の有名コテに憧れて
自分も目立とうと意気揚々とやってきたはいいが、住民の平均レベル以下の知識しかなくて
散々に叩かれ笑われた挙句に、板に粘着した荒らしだからな
もう7〜8年くらいずっと居すわってるんじゃないか?色々なハンドルと名無しを織り交ぜて
422日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:12:33
プラムの頃ならいざ知らず、もう邪馬台国に関心なんかないでしょ。
423日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:21:50
あいつが自演が出来るのはここだけだからな
コテで書いて別コテで賛同して、多数の名無しで持ち上げるとか
だからここから離れられないのだろう

他の有名コテが自然に賛同者や批判者を増やしていったのに対し
あいつは自分で自分を持ち上げることしか出来ない可愛そうな人だから、無視が一番
424日本@名無史さん:2010/08/23(月) 10:44:05
結局>>113に纏められた3案のいずれかで行くしかないだろうな

ローガン案はいわばスキマを突いたようなもので、これを強化する出土が多数九州から出ればいいのだけど
これは吉備や出雲でも同じ考え方が成り立つので、今後の発掘待ちになる

偽僭説は一番無難だが、物証が全くないので説得力に欠ける
思考実験のひとつと捉えられかねない

北部九州先導説は、いわば柳田康雄説だからその論拠となる出土物や遺跡に関しては、柳田の論文がそのまま流用できる
だけどこれは纏向を中心とする邪馬台国連合を主導したのが北部九州(伊都国)だという説だから
邪馬台国そのものを九州に持ってくるのはしんどい

これらの欠点はあるが、実際世間で考えられている九州説というのは
妄想を除くとこの3つしかないというのが現状だし、むしろ精査された結果この3つのみが残ったといったほうがいいので
いわゆる まともな九州説 を構築するのならこのいずれかを強化するというのが現実的だね
425日本@名無史さん:2010/08/23(月) 12:43:19
そうだね。
九州説を救う為だからね。
後は妄想・私見の九州説を排除して行く事だね。
426日本@名無史さん:2010/08/23(月) 18:49:28
では九州勢力が東征したというのは
今では考えにくいという事なのでしょうか
素人考えですが一番面白そうだし派手なのですが
やはり妄想ですか
427日本@名無史さん:2010/08/23(月) 18:50:05
>それよりも、今まで
今=このたび
と、読む人がいなかった事じたいが不思議

こいつ馬鹿じゃないのか?
そう、読む人がいないなら、君が特殊で間違っている事なんだよ。

>まあ、今と言ったら昔。という固定観念に侵されているから仕方ないが

ちゃんちゃら可笑しいね。
公に通用する証明もせず、用例を引用もせず、勝手に私見を断定してしまう。
何でもいってしまえば正しいのか??
俺はそう思う、でとどめるなら、まぁ、分かるけど、だけどそれじゃ証明なしの妄想になってしまうか…。
428日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:00:25
東遷は、この板の九州説にはこだわる人もいるけど、まず九州の鉄器軍団が武力をもって西日本一帯を
切り従えていく、という図は考えられないだろうね。また、時期も卑弥呼の後の台与の時代というのは、これは
ご都合主意であってそのような痕跡は見られない。むろんもっと早い時代の、九州からの人の移動を否定する
ものではないけど。
429日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:26:19
>素人考えですが一番面白そうだし派手なのですが
やはり妄想ですか

面白いから、が理由になるのでしょうけど、それでは九州説の為にはなりません。
妄想・私見は排除して自分に厳しく行きましょう。公に証明されうる事実と向き合いましょう。
430日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:31:14
東征なんて、記紀くらいしか根拠が無いので
正しいとも間違いとも言えない。

どこかで書かれていたが
畿内式土器は北部九州で見つかるが
北部九州の土器は畿内では少ないということなので

物流が畿内から九州に流れているくらいは想定できる。

租庸調などの物品が畿内から九州に流れているというのが
一番しっくり来るが、それが支配関係なのかどうかはわからん。
431日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:34:07
物流だけではなく、人もどんどん流れ込んでるんだよ。
432日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:36:17
そうですね。古墳時代初頭には、近畿方面からの人の流れによって北部九州在住の人たちが
中南部に押し流されていく様子がわかっています。
433日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:45:31
近畿から北部九州への流れがあった事は
前方後円墳の編年・規模・形状から明らかにされています。
434日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:52:46
ジョーカーの自演が延々と続いているなww
仕事しろよw
435日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:53:50
だから邪馬台国が九州にあったとしたら、東遷をありえないとすると自然消滅したか、ヤマト王権に
吸収合併されたかのどちらかと考えるのが現実的だ。
436日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:57:05
しかし、記紀の作者は神武東征を
どういう意図で書いたんだろう。

なんとなく遠いところだから分からなくて良いと思ったんだろうか。

しかし宮崎に大量の古墳群があるのをみると
何かネタもとあったんだろうなとは思える。
437日本@名無史さん:2010/08/23(月) 20:05:17
ゴッドハンド>>1
438日本@名無史さん:2010/08/23(月) 20:09:28
西都原の古墳などは、応神天皇期における南九州勢力との婚姻関係によって増えていったものだよ。
男狭穂塚、女狭穂塚古墳の被葬者はそれぞれ、仁徳天皇の外戚である牛諸井と妃の髪長媛である可能性がある。

神武東征の伝承の背景としては、記紀成立の前後に、隼人の乱などがあり大和朝廷が南九州経営に苦慮していた
ことへの配慮。あとは、弥生初期の古い時代に九州方面から水稲耕作が伝わったことの伝承化など、いろいろ考え
られている。神武天皇即位の地にある橿原遺跡は縄文晩期のものだが、東日本との関係が深く、これが西日本型の
文化に切り替っていったことをさしているかもしれない。

439日本@名無史さん:2010/08/23(月) 20:42:41
>>416
馬鹿言っちゃいけない。畿内の発掘は、質・量・金額・人力・研究量すべて相当なものだが、
九州はまだまだこれからだ。
440日本@名無史さん:2010/08/23(月) 20:59:22
>>436
元ネタはあったと思う。
ただ、「無害な地」が特に選ばれたはずだと俺は考えるので、
>>438後段とは発想法が逆になるけれど。
本当に反政府運動が勃発している地の場合、このような神話上の本貫を持ってきてしまうと、
「我こそは正統な天孫大王である」と名乗る酋長の出現を助長しかねない。

天孫族の故郷「宮崎県」、先住部族の象徴としての出雲の所在地とされる「島根県」は、
既存の神話を若干いじることによって、
意図的に本貫をそこに集中させる作為が働いているはず。
これらの地は、「いずれも国土軸線から大きく外れており、
一定の平野はあるが外部との交通が難しい、一種の半隔離地帯である」
という共通点がある。

本貫を後で、人畜無害な地に作出するという例は、後世の徳川氏にも見られる。
世良田(群馬県)が、徳川(松平)氏の本貫であると真剣に信じている人は皆無だろう。
だが、一応新田氏の故郷であるという「元ネタ」はある。宮崎県のポジションもこの程度だろうなあ。
441日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:03:36
神武東征といっても書記を素直に読むと、
紀元前660年の頃だろう。
それを3世紀の話に当て嵌める事自体がちゃんちゃら可笑しいと思うけど。
全然時代が違うだろう。
3世紀築造の箸墓に眠るやまとととびももそ姫が、東征したとされる神武天皇からは、
10代近く離れているのだし。やっぱり時代が違うだろう。

無理に神武東征譚と3世紀の邪馬台国東征を重ね合わせようとしていないか?
勘違いしないで欲しい。必ずしも神武東征を否定してはいない。
東征はあったかも知れないが、その場合は3世紀の邪馬台国時代とはかけ離れている、という見方をしている。
442日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:07:42
・・・まあ、このスレの主旨に従って九州説の可能性を探ってみるとしたら、卑弥呼の墳墓などからアプローチしていくのもいいかも
しれない。九州にある「大いに冢を作る 径百余歩 徇葬する者 奴婢百余人」の候補を見つけ出すことだ。これについては、奥野
正男氏の卑弥呼の墓の候補一覧をあげておく。

@平原方形墳 A福岡市早良区の宮の前C地点墳墓 B祇園山古墳 C佐賀県神埼郡の西一本杉古墳 D宇佐市の古稲荷古墳

ただ・・・この板の九州説は自分の思う候補地以外は九州内であってもすべて気に入らないから、まともな検討になるかどうか?
443日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:11:31
@は円墳ではないし、円形部分もないから候補から外れる。
444日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:17:09
宮ノ前も前方後方糞だぞ。丸くない。西一本杉っていうのもそうじゃなかったかな。
445日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:17:52
にわか作りの卑弥呼の墓など、土盛りもほとんどないし、とっくに崩壊して平地化しているだろう。
446日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:27:14
あと候補を付け加えるなら、E宇佐神宮のある亀山 などかな。あとは墳墓の規模だが、短里説に従って、
径百余歩を30m程度などと言うと、学会には相手にされなくなってしまう。短里自体が学会の認証を得ている
というにはほど遠い状態であるからだ。しかし、百余歩を150m程度とすると、そのような墓を九州内に見つける
のは難しい。

447日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:29:37
>>417

…と言うかだな「妄想九州説」云々言う前に

そもそも倭人伝の読み解きで位置が確定できると言う前提自体が妄想。

どの読みが正しくて、どの読みが間違っているか…の問題で無いwww
448お知恵を拝借@94:2010/08/23(月) 21:31:32
>>424
>>94案を画餅から「食える餅」にする為のネタとして
「神獣鏡の大量出土」を挙げてみたんだが、もっと他に無いものかな?

あと、>>94の真逆。
「広域首長連合体」の範囲外、九州独自の邪馬台国をトップに頂く連合体を想定するに適当なネタって何か無いもんかねえ・・・
(恐らくそっちの方が九州説論者にとっては好ましいだろうと思うw)
449日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:40:14
9月にNHKスペシャルで邪馬台国特集があるな。
450日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:40:52
2世紀中葉などの、確実に最古級の前方後円墳(祖形的なもの)が見つかるとかかな。まあ無理だろうが。
451日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:42:01
>>439
サイキバ君お得意のネタだがw
具体的に公にされた資料でその額を比較したものをだしてみ?

ソースを出せよアホwww

そもそもお前みたいなゴミクズ九州説は”ひがみ根性”でそう言う発想しかできんのだろうが

九州vs畿内で火病おこしてアタマイッパイイッパイだろうが
山陰や丹後、北陸…と新しい発見で一昔前の
「九州は弥生時代の先進地域」と言うイメージも通用しなくなっている。
(縄文が三内丸山でコロッとイメージが変わったように)

九州”だけ”が予算の締め付けされてるのか?

それは例によって悪の巨大組織キナイセツの陰謀なのか?www
452448:2010/08/23(月) 21:46:11
>>450
>448へのレスかな?
だとしたらサンクス。
要するに「前方後円墳九州発祥」かw

九州王朝説じゃあそんな話もあったな…

なんでも九州の何処ぞの古墳の出土物を14C測定したら紀元前の年代が出たとか何とかw

453日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:46:17
まあサイキバは、自分が思う邪馬台国の候補地にポーンと3千万くらいふるさと納税するといいよ。
発掘に使ってくれって。
454日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:50:04
行政文書の発掘くらいあっても良さそうなのに無いな。
決め手になるとしたら、これだろう。
455日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:53:10
>>453
つうか何処かの大学に寄付した方が早いんじゃないか?w

でもまじめな話これから考古学的発見の速度はかなり鈍るんだろうな。

サイキバのアホあたりは考古学者が狙いをつけた発掘で百発百中みたいに妄想しているんだろうが
実際、公共工事がらみで出てきた遺跡も多いし

殆どは工事に先駆けての予備調査が殆どなんじゃないのか?
456日本@名無史さん:2010/08/23(月) 21:56:09
>>451
九州の発掘が進んでいると先に断定した証拠を出せよ。
457日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:00:14
>>448
俺は、国産大量生産であることが分かってしまった鏡は
もはや全ての意味で意義を失ったネタで、気候描写などは、ただの妄想。
(暮らしてみれば分かるが、京阪神と九州北中部で、冬の寒さにはほとんど差が無い)

真の問題は「戸数」ではないかと思う。
倭人伝の戸数はgdgdで、過大評価であるという解釈をすれば、
九州説にも目があるんじゃないかと思うんだが。

俺自身は、「スーパー縮小九州説」とでも言うべき説を言っている(半分ネタだが)。
邪馬台国には、魏志の記述から想像されるような「王国」としての実態の存在自体が怪しい。
山奥に巫女さんがいて、巫女さんに寄付を渡す信者の村々が山裾に広がっていて、
他の酋長も、なんとなく巫女さんの話に(宗教者の話として)耳を傾ける、
それが「女王国」の実情なのではないかと思っている。

魏志の第一次記述者は、博多あたりで伝聞筆記している。
中華文明というのは、極めて早い時期から世俗化が進んだ
(さらに、原始道教などについても、なぜか宗教家資格が伝統的に極度の男尊女卑)
女の巫女さんの話を、世俗の王が聞くなんて話は理解不能だろう。
巫女さんの話を聞いていただけなのに、「支配に服する」と誤解してしまった。
意思疎通がうまいこといかなかったんじゃなかろうか。
458日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:00:27
サイキバは九州王朝のようだから、邪馬台国とは直接つながらないが、「倭京」大宰府周辺を掘ってもらえばいい。
ただし、大学でも自治体でも「九州王朝」の名前を出せばドン引きするだろうから、そのあたりの配慮は必要だろうな。
459日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:02:16
>>446
亀山はそれを前方後円墳としかつ卑弥呼の墓とする説に対し
原田がそもそもあれは前方後円墳ではないとボロクソにどこかで書いていた記憶があるw

しかしまあ形状大きさはどうでも良くて「徇葬する者奴婢百余人」の部分だな決定的なのは。
何せ今まで明確な徇葬の跡が確認されたなんて話が無いんだから
出てきたらレアケース中のレアケースと言うかほぼオンリーワンなわけで…

しかしそんなものの発見に期待するなら、そもそも暗号解読なんか関係なくないか?w


460日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:06:19
>>456
先にアホ丸出しで因縁吹っかけてきたのはお前だろう?ゴミクズサイキバよ

毎度毎度同じ事を言いつつ根拠を聞かれたら誤魔化し
トンズラするしかないピンポンダッシュの詐欺野郎がwwwww
461日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:10:01
× (暮らしてみれば分かるが、京阪神と九州北中部で、冬の寒さにはほとんど差が無い)
○ (暮らしてみれば分かるが、京阪神と有明海沿岸で、冬の寒さに極端な差がある
   有明海沿岸では、柑橘類ならほとんど全部栽培可能なぐらい温暖だ)
462日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:13:20
亀山は前方後円墳ではない・・・というか、自然の山だよなあ。ただし、宇佐神宮築造時に当然整地などはされている
だろう。もともと山上にあった墳墓の上に社殿を建てた、ということかな。径100歩というのも、別にサラ地から築き上げた
ものでなくてもよいとするなら、可能性はあるだろう。
463お知恵を拝借@94:2010/08/23(月) 22:17:27
>>457
一応断っておくが>>94で挙げた「神獣鏡の大量出土」と言う話は国産だろうが中国鏡だろうが
どちらでも良い話だから。

要は広域首長連合の中において特殊な連合体全体を指揮するような立場にあったことを示せれば良いのであって…

その「スーパー縮小九州説」に似たような物なら想像だけならした事はあるw

その弱小勢力が北部九州をも出し抜けたのは
むしろ魏が公孫氏の”手垢”の付いた北部九州を嫌った…とか
より南方の方が呉に対し牽制の意味合いがあった…とか
一種の「瑞祥」としての価値を高めるにはより遠方の方が値打ちがあった…とか

まあお話ならいくらでも作れるわけでwww
464日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:18:42
「徇葬する者 奴婢百余人」 この痕跡は九州にも畿内にも見つからないから引き分けというか・・・むしろ倭人伝の記述の信憑性に
疑念が残るんだなあ。
465日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:32:27
・・・九州説は「王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。」この記述は真、として解釈しているのだろうか?
婢千人というのは、賄いや警護の者の存在を考えればもっと多いだろうから、大宮殿が必要になってくる。こんなものが本当にあったのか、
それとも十人の間違いか、倭人伝の数字には信憑性の低いものが混じっている、ととるべきか。ww
466日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:44:53
>>465

> 婢千人というのは、賄いや警護の者の存在を考えればもっと多いだろうから、大宮殿が必要になってくる。

「以婢千人自侍」から千一人が同じ建物に住むと言う条件までは出てこないでしょう。
単に一人の為に千人の集団が仕えていればよいだけですよ。

467日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:47:37
>>465
とりあえずここのゴミクズ九州説は額面どおりに解釈するしか無いだろうw

今更「ここは違います」なんて言えないだろうし実際聞いたことも無いwww

しかもそれを吉野ヶ里のような環濠集落でやろうと言うのだからどんな規模の物になるのか想像つかないwwwww

ちなみに吉野ヶ里の場合、外濠の内側に畑、集落の直ぐ外にも水田があるようなので
当然一次産業従事者が多数いたのは分かる。

婢千人を宗教・祭祀の専従者としたらとてもじゃないが規模が追いつかないwwwwwwwww

逆に言えば九州説イッパツ逆転のネタとして…
「婢千人」を抱えていたような空前絶後の超巨大環濠集落の発見とかw

更に進めればそのような物が出てくる可能性を秘めた地域がその候補地になるが
…あるんかそんなものwwwwww
468日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:50:55
>>466
むろん当時の建築からして、同じ建物に住んだとはいってない。纏向の建物跡で当時最大級なんだからな。しかし、これも同じことで
そんな神域だけで千人余の暮らす居住地など、どこにも考えられないと思うが。
469日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:50:58
>>466
同じ建物に住む必要は無いだろうが

「見るある者少なく」とある以上、ある程度は外界から隔離された環境で無いと意味が無いと思うがw
470日本@名無史さん:2010/08/23(月) 23:02:30
ちなみに今話題にした纏向の掘立柱建物の発掘調査は、桜井市の予算400万で始まった。今ググった限りでは桜井市の一般会計
と特別会計の合計が326億5,289万円で、中には纒向小学校トイレ等改修事業費w 479万などが含まれてる。このご時勢で、発掘調査
などの文化事業にまわされる予算はそんなもの。今生きている人の生活が最優先だから。国家規模の陰謀で、畿内だけが優遇され
ビシバシ発掘が進んでるなどということはないよ。
471日本@名無史さん:2010/08/23(月) 23:05:12
あの小学校の立地はどうなんだろうな。
472日本@名無史さん:2010/08/23(月) 23:17:14
「婢千人を以て自ら侍せしむ」って、戦争で負けた邑の子女を強制的に使役しただけだろう。
473日本@名無史さん:2010/08/23(月) 23:42:27
邪馬台国ってあまり良い政治はしてなさそうではある。
戦争を一時的に止めたって所は良いかもしれないが。
474日本@名無史さん:2010/08/23(月) 23:47:46
内戦を止めた、か。
一時的というはまだまだとも言えるが。
475日本@名無史さん:2010/08/24(火) 00:26:59
婢千人、というのが信ぴょう性があるとは思えないが
数十人では、そうは書かれないだろうから、
数百人単位は居るだろう。
476日本@名無史さん:2010/08/24(火) 01:47:29
婢千人が実数だとは考えにくいからなあ
同様に5万戸や7万戸にしても九州全土どころか本州全土でも無理っぽい
要するに倭人伝の数字にはかなりの誇張というか、齟齬があると考えたほうが現実的な九州説になると思う
方角や距離に苦しい考え方を導入せずともよくなるし
477日本@名無史さん:2010/08/24(火) 02:00:29
>>463
俺は、「出し抜いた」ことすら無いんじゃないかと思っているんだよ。
北部九州の「有力酋長」も、山奥(俺は暫定で阿蘇山付近に比定しているが)の巫女さんの話は
一応真面目に聞いていた。神権政治というのはそういうもので、
御神託というのは、大変に恐れ多いものだ。
今の日本人にも、当時の中国人にも、なかなか理解できないものだ。

ところが、「御神託を聞いていた」という話が、
筆記している中国人の脳内で、「支配していた」にすり替わっていった。
中華帝国の神秘主義は、もう十分に合理化されていて、
「巫女さんの生々しい神託を聞いてそのまま有難く実行する」などというレベルは、とっくに終わっている。
道士が秦始皇帝を見事に誑かして大事業を行わせる話は、史記の隠れた名文だが、
それでも、道士はあくまで道士(ただの占い師)であって、権力的判断はどこまでも始皇帝にある。

おそらく、博多の人は、中国人筆記者に巫女さんの話を伝えただけなんだよ。
そして、巫女さんにお伺いを立てた。代理人(弟)が取り次いで、巫女さんから御神託が下された。
巫女さんの代理神官もやってきた。博多の酋長は御神託に従った。
中国人は、「女王の支配権行使」と勘違いした。
御神託では無く、女王の命令と理解したからだ。


なお、この説が、直ちに九州説と繋がるわけではない。
別に想定地が畿内でも、理論的には何の問題ないことは明らかだろう。
ただし、逆に記紀の記述が若干足を引っ張ることになる。このような巫女さんの存在は書かれていないからだ。
478日本@名無史さん:2010/08/24(火) 02:05:59
>>457の「スーパー縮小九州説」に近い考え方だね。
これはありなんじゃないかな。交易連合といっても絶対的な縦の関係はなかっただろうから
九州ブロックの一勢力が他を出し抜いて独自に朝貢し、倭国王の座を狙ったと。
後の晋の時代以降に台与の記事がちょろっと出るだけで、邪馬台国の話が消えるというのも
結局は偽僭がばれて倭王取り消しになったなどと考えたら、後の大和朝廷が必死に隠蔽した理由にもなるだろう
これらの証拠はないが、偽僭説を採用するならばこの路線で行ってもいいとおもう
479日本@名無史さん:2010/08/24(火) 02:13:57
>>477
倭人伝そのものが魏使の直接見聞ではなく、郡使の長年にわたる断片的情報の組み合わせである可能性は無視できないから
その考え方は妥当だとおもう
ひきこもり巫女が政治支配をしていたなんてのが本来ありえない話だし
また中華俗説の、東方にある女人島伝説なんかも影響したのだろうし

いずれにせよ大帝国的な強大な邪馬台国を想定する必要は
九州にしても畿内にしても必要ないわけだから、そこを立脚点にして考えると
480日本@名無史さん:2010/08/24(火) 02:19:25
九州説の場合あと4 ビットほど追加情報があれば特定できるが
畿内説の場合は少なくとも10ビットは情報量が足りない。

既存の弥生遺跡から特定する場合ね。

つーか、畿内説は魏志倭人伝を全否定しなければ成り立たないから
どう解釈しても、”魏志倭人伝”の邪馬台国と卑弥呼は特定できないわけだが。
481日本@名無史さん:2010/08/24(火) 08:10:40
>>480
要するに

「ぼくのかんがえたきゅうしゅうせつが、ぼくのなかでさいきょう」

なだけだろ

そういった独りよがりのオナニーをやめて、きちんと世間に通用する九州説を構築しようというのが、このスレの趣旨
九州説ってのは百花繚乱、有象無象だから、ひとくくりには出来ないわけで
それすら区別できずに「九州説の場合は・・・」とか頭悪すぎ
482日本@名無史さん:2010/08/24(火) 08:54:21
>>480
>九州説の場合あと4 ビットほど追加情報があれば特定できるが

同意だな。馬鹿すぎる。書くのをやめたらどうか? なぜ候補地が多数ある九州説が畿内説より少ない
情報量で特定できるというのだ?九州の候補地は4箇所ではすまないだろうが。
まあ、決定的な証拠なら1つあればいいだろうが、それは全国どこでも同じだ。アホ。
483日本@名無史さん:2010/08/24(火) 09:31:29
>>482

横からだが、まさか4ビット=4箇所という解釈ではないよな?
念のため
484日本@名無史さん:2010/08/24(火) 10:59:43
1970年代に各地で開発が行われたが、九州なんぞは遺跡が出そうになったら、
「遺跡だとバレる前に、どんどん壊して隠ぺいしてしまえ」というのが業者の常だった。
でないと工事がストップして、おまんまの食いあげだからね。
多くの学者が虎視眈眈と見つめている畿内の工事ならこうはいかない。
ただちに工事が中止され、発掘に切り替わる。
485日本@名無史さん:2010/08/24(火) 11:03:36
>>484
地元九州の土建業者を嘘で貶めてまで守りたい君の九州説ってなんなの?
486日本@名無史さん:2010/08/24(火) 11:05:31
いや、工事を中止しないでくれという地権者や官庁の切なる願いだ。
487日本@名無史さん:2010/08/24(火) 11:12:31
>>486
それは日本各地どこでも同じだな
しかし君は>>484で特に九州に多いという趣旨のことを書いている
これいわれなき誹謗中傷で犯罪行為だということは分かる?
軽い気持ちで人生棒に振るなよ
488日本@名無史さん:2010/08/24(火) 11:55:09
文化財保護法違反ですなw
489日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:03:13
で、結局どう構築したらいいんだ、
世間に通用する現実的九州説を成立させるには?
畿内派?から2,3の知恵・説が提案されてるようだが……。
結論までに踏み込めてない!

スレが半分までも来るんだけど。
1000までにスレの結論をだそうぜ。
490日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:06:45
隠蔽する業者が全くいないとは言い切れないが
殆どはちゃんと調査するよ。

特に福岡平野、筑紫平野の周辺地帯だと、
どこ掘っても出てくるのは確実だから
遺跡の存在確認調査までは、建築の基本手順に入ってる。

で、地下まで掘り返す場合は、掘りながら調査。
上に建物を乗っけるだけなら、打込む支柱の場所や
本数を確認して、遺跡はそのまま、現状保存。

大量に何か出て来た場合なら、吉野ヶ里のようになるが
小規模なら存在確認だけして、そのまま建てる。
491 [―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:10:22
別のスレでも貼ったけど、小山修三(1983年)の弥生時代の推定人口の数字は、
1965年の『全国遺跡地図』記載の弥生時代の遺跡数に一定の定数(x56)をかけたもの。
同じ方法で弥生時代の都道府県別人口を計算すると以下の通り。

都道府県 遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
青森県  38  2,100
岩手県  88  4,900
宮城県  208  11,600
秋田県  39  2,200
山形県  45  2,500
福島県  179  10,000
東北合計  597  33,400 (小山推計)
茨城県  305  17,100
栃木県  148  8,300
群馬県  248  13,900
埼玉県  293  16,400
千葉県  69  3,900
東京都  295  16,500
神奈川県  410  23,000
関東合計  1768  99,000 (小山推計)
新潟県  154  8,600
富山県  29  1,600
石川県  103  5,800
福井県  84  4,700
北陸合計  370  20,700 (小山推計)
山梨県  31  1,700
長野県  1245  69,700
中部合計  1276  71,500 (小山推計)
492 [―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:12:06
都道府県 遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
岐阜県  227  12,700
静岡県  537  30,100
愛知県  450  25,200
東海合計  1214  68,000 (小山推計)
三重県  536  30,000
滋賀県  110  6,200
京都府  129  7,200
大阪府  204  11,400
兵庫県  434  24,300
奈良県  204  11,400
和歌山県  317  17,800
近畿合計  1934  108,300 (小山推計)
鳥取県  86  4,800
島根県  91  5,100
岡山県  237  13,300
広島県  290  16,200
山口県  346  19,400
中国合計  1050  58,800 (小山推計)
徳島県  53  3,000
香川県  45  2,500
愛媛県  259  14,500
高知県  181  10,100
四国合計  538  30,100 (小山推計)
493 [―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:14:18
肝心の九州までまとめて貼れなかった・・・

都道府県 遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
福岡県  257  14,400
佐賀県  172  9,600
長崎県  252  14,100
熊本県  472  26,400
大分県  42  2,400
宮崎県  94  5,300
鹿児島県  588  32,900
九州合計  1877  105,100 (小山推計)
全国合計(北海道・沖縄を除く)  10624  594,900 (小山推計)

ちなみに鬼頭宏の数字は、小山修三の数字をほぼ引用しているだけ。
鬼頭宏の「南九州」は、「肥後、日向、大隅、薩摩」の合計だから、
事実上熊本県、宮崎県、鹿児島県の合計。
494日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:16:55
この遺跡数ってどういう数え方したのかと思うんだよねえ。

調査はしてもらってるんだが、我が家の庭遺跡、とか、裏の家遺跡、とか
母方の親戚の裏山遺跡とか入ってるのかね?
495 [―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん:2010/08/24(火) 12:18:52
旧国別の弥生時代遺跡数までまとまった数字が見つからないので、
都道府県別の弥生時代遺跡数から鬼頭の推定値を導くと:

地域  遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
東奥羽  513  28,700 (青森+岩手+宮城+福島)
西奥羽  84  4,700 (秋田+山形)
北関東  71  39,300 (茨城+栃木+群馬)
南関東  1067  59,800 (埼玉+千葉+東京+神奈川) 鬼頭の数字では59,700
北陸  370  20,700
東山  1276+α(飛騨)  71,500+56α 鬼頭の数字では 85,100
東海  1214−α(飛騨)  68,000−56α 鬼頭の数字では 54,500
 (鬼頭は岐阜県(227遺跡、12,700人)を東山(飛騨)と東海(美濃)で按分している)
畿内  408(大阪+奈良)+β(山城)  22,800+56β 鬼頭の数字では30,200
近畿周辺  1,526(三重+滋賀+和歌山+兵庫+京都)−β−γ  85,500−β−γ
  鬼頭の数字では70,300
山陰  177+γ(丹後・但馬) 9,900+56γ 鬼頭の数字では17,700
 (鬼頭は京都府(129遺跡、7,200人)・兵庫県(434遺跡,24,300人)を畿内、近畿周辺、山陰とで按分している)
山陽  873  49,000 (岡山+広島+山口) 鬼頭の数字では48,900
四国  538  30,100
北九州  723  40,500 (福岡+佐賀+長崎+大分)
南九州  1154  64,600 (熊本+宮崎+鹿児島)
合計  10624  594,900

>>494
これはあくまでも1965年当時に『全国遺跡地図』へまとめられた遺跡数で、当然今日まで
遺跡数は増えているだろうけど、それらは考慮されていない。
またちゃんとした報告書が作成されない限り、カウントされない。
あと、「弥生時代」というざっくりした年代区分なので、
100年というスパンでの人口増加の動向までは計算できない。
496日本@名無史さん:2010/08/24(火) 13:49:22
>>489
大前提としては、いかに倭人伝記事の呪縛から逃れるか、つまり「すなお読み」とかを言い出さないかだろうね
倭人伝の比較検討材料となる史書が存在しない(後の史書は魏史の劣化コピーだから)以上、拘泥する必要は全くない

この認識に至ることが、新たな九州説の出発点になるだろう
俺個人としては、場所がたとえマキムクだったとしても、実質の主導が北部九州だったということにもしなったならば
それは九州説を貶めるどころか、畿内主導説よりよほど真実に近づいたとおもうけどね
これは東遷説も当たらずとも遠からずということで、全面否定にはならないと

御所市の中西遺跡や秋津遺跡なんかは
畿内が東国(東海・関東など)と西国(吉備・出雲など)との交易中継地が主原因で栄えたという見方を
覆す可能性を秘めているからね
497日本@名無史さん:2010/08/24(火) 14:38:45
んー、なんだか、魏志倭人伝関係無しで
オラが邪馬台国を構築しようと言っているような気がする。

それで出来たものは、そもそも邪馬台国と言えるのか?
という疑問が………
498蔚山人:2010/08/24(火) 15:32:58
邪馬台国は、とっくの昔に解決しているのに何で今更九州説を強化とか、何だか
んだと言わなければならないのだろう。

宮崎市瓜生野には、長さが100余歩にぴったりの145m前方後円墳型の弥生
式墳丘墓があり、この直ぐ南側には100余基の殉葬墓と思われる土こう墓が
10列×10行程度に並んでいるところがある。この墓は庄内式時の古さから
3世紀中旬と推定されており、なんとこの地方の地名は伊勢です。この墳丘墓
の横には五十鈴川が流れている。ここを卑弥呼の墓とせずに他にあるのでしょ
うか。この墳丘墓の名前は、笠置山墳丘墓といいます。

一度足を運んで確認して下さい。魏志倭人伝の記述通りに、北の奴国から順番
に国を当てはめていくと、最後に都城のシマ国に着きます。(都城の古名はシ
マです)途中伊邪国があり、場所的に宮崎市にあたりますが、これがこの伊邪
から伊勢という地名が発生したと思われます。伊邪ナギや伊邪ナミが居たのが
宮崎市と言われていますが、納得が行きます。

499日本@名無史さん:2010/08/24(火) 15:57:46
本当ならすごいと思ってグルグルしてみたのだが

http://www.0503ak1025.net/kohun.html
>瓜生野地区の古墳が、生目古墳群と違うのは、巨大な前方後円墳が、存在しない事だ。
>ほとんどが、横穴式古墳である。

前方後円墳はないんだと。
弥生墳丘墓で145mだと楯築の約2倍、日本最大になるw
500蔚山人:2010/08/24(火) 16:16:34
不思議ですね。現地のすぐ近くに住む日高祥さんから、変形を受ける前の姿の写真
その他の記録をみてはっきりと確信を持って、ここに後円部73m、前方部72m
の弥生式墳丘墓があったことは間違いありません。土こう墓も3分の1が道路工事
のため壊されましたが、まだ残りがあります。この墳丘墓の形状は、生目古墳の最
初のものと同じです。またこの土こう墓は丁寧に人が埋葬されており、武人と
思われる鉄剣などが出土したところもあります。

またこの近くの丘陵にはおびただしい程の鉄の原料である、最大数十センチの
鉄を吸い込んで鉄に変化した葦やそれが壊れて当たり一面に散らばっておいます。
古代の製鉄のたたらの跡にある鉄さいなどのものが、それこそ1万坪ほどの地に
広がっています。ここでの古代の製鉄のすさまじさが分るでしょう。一度自分の
目で確かめて下さい。邪馬台国が鉄の国であったことの確信が得られます。


501日本@名無史さん:2010/08/24(火) 16:25:06
もう少し探してみた。瓜生野地区というのが違うんだな。
位置は上北方地区の柏田という場所であるらしい。位置は特定できた。

既に道路工事(県道9号線?)によって分断されているが、
調査によって石棺が出土していると書いてあるところもあるので、
これが本当なら年代も絞りこめているでしょう。
その上で本当に楯築の2倍の弥生墳丘墓なら大騒ぎになってるはずなんで、
普通に、中期当たりの古墳なんでしょ。
平面等高線図からしても、前方部が後円部以上の長さがあり、普通に古墳ですわ。
502蔚山人:2010/08/24(火) 16:47:16
石棺は幼児用のものが見つかっています。丁度道路の真ん中です。中には何も
入っていませんでした。

墳丘墓の位置は、現在の地形図や写真では分りづらくなっています。それは横に
変電所が出来たり、墳丘墓の上に鉄塔ができたため、大幅に原型が変わったため
です。しかし現在でも横方向からみれば前方後円形であったことが分ります。

変形前の記録は、先ほど紹介した日高氏が取っています。問題は貴方が参照され
た記事にもありましたように、宮崎県では200mクラスの古墳でも調査もなし
に農地開墾のために壊されてきました。これは現在も続いています。ある意味日
本の歴史の危機かも知れません。

一つ面白い話をします。普通墓は円墳が最初だと思うでしょう。ところが宮崎で
は卵型墳が最初で、かなり壊されましたがまだ数箇所残っています。なぜ考古学
者はこのことに注目しないのでしょうか。実は数年前弥生時代の初期の墳丘墓と
いわれる西都原82号墳が発掘された時に円墳が実は卵型だったので考古学者は
ビックリしたようですが、こんなことはこの地方を知っている人間にとっては
当たり前のことでした。
503日本@名無史さん:2010/08/24(火) 16:48:10
これは、ドンと来いスレで過去何度も話題になってる「鳥型墳丘墓」だな。
504日本@名無史さん:2010/08/24(火) 17:32:33
昔から古墳として知られているものなのかと思ったら、日高という人が墳丘墓と称しているだけのものなのか。
トレンチを入れて試掘をしてそのまま潰してるってことは古墳ですらなかったんだろう。

庄内式と称する土器片の写真も見たが、あきらかに庄内式ではない。
庄内併行期の宮崎の土器だといわれると知らんけど。

石棺らしきと称する写真もあったけど、こんな小さな石じゃ深さが取れないから石棺にはならない。
こういう小さな石で石棺にするなら、もっと裏ゴメを厚くしないと。
組み合わせ式の箱式石棺なら石はもっと大きな平たい石のはずだ。
だからこれは石棺じゃなく、石で四角く枠を作っただけ。
これだけ浅い位置だと、作られた時期も新しいだろう。

鉄族は古墳時代のもののようにもみえるけど、さびついてるからなぁ。
どうだろうなぁ。
505日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:04:51
>>484
そんなお話は全国何処でも同じ。

最近じゃあ奈良でゴルフ場が勝手に古墳を切り崩したと言うニュースがあったが
(関西ローカルと思うが)

全ての古墳を見回り監視するなんてとても無理なのが現状。

で、遺物遺跡が出てくるか出てこないか分からない工事を
「多くの学者が虎視眈眈と見つめている」ってどう言う状況なんだ?w

工事に先駆けての予備調査じゃなくて工事本番で何か出てくるのを待ってるって話しなのか?
で、何か出てきたらいつでも直ぐにストップをかけられると?

おのれの脳内のイメージだけの妄想はチラシの裏にでも書いておけドアホ。

で、その脳内ソースのハンディキャップが九州になければ今頃どうなっているんだ?
遺跡の密度が他地域に比べて倍ぐらい違っていたのか?
それとも七万戸の国の都に相応しい超巨大環濠集落でも出ていた…って話しなのか?
506日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:09:03

>>487
と言うかそもそも土器が完形で多数出たり青銅器がまとまって出たりなんてのは稀だろうし
現工事現場の人間にその土器片がいつの時代の物でどれくらいの価値があるかなんて分かるはずも無い。
(そう言えば荒神谷の銅鐸も最初は”ポリバケツ”が出てきたと思ったらしいw)

土器片が出てきただけで一々工事止めていたら実際仕事にならんのじゃないか?

京都市内じゃ今でも応仁の乱で高熱に晒された瓦なんてのがあちこちから出てくるとか…
(鎌倉なんかも中世の土器がそこかしこから出てくるとか言う話も聞いたことがあるが…)

何れにせよ九州だけがハンデを背負っているなんて被害妄想も良いところ。

…と言うかはっきり言えば他地域から見れば吉野ヶ里なんか
「うまいことやったなあ〜」と言うのが本音だろうw
邪馬台国ブームサマサマだwww

まあゴミクズ九州説は「畿内vs九州」でアタマイッパイイッパイだろうが
連中が妄想している「(トンデモな)九州の先進性」とやらは
畿内のみならず山陰・北陸と言った日本海側あるいは東海・関東と言った東日本での新たな発見で
その相対的価値がどんどん低下しているのが現状www
(無論”低下”と言っても元々ゴミクズどもの妄想が無茶すぎるだけの話なんだがw)
507日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:23:13
九州をいじめるんじゃない。九州は強いんだ、九州は優れてるんだ。先進地帯なんだ。
まほろばの邪馬台国なんだよ。えーん。
508日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:27:04
>>496
分かってて書いていると思うが…
ここの九州説の連中に「すなお読み=暗号解読ゴッコ」を止めろと言うのが土台無理。
連中にとってはそれこそが邪馬台国論争の本質なんだからw

>これは東遷説も当たらずとも遠からずということで
まあ「連合体の中での権力中枢の移動」となれば

少なくとも「無敵の鉄器軍団が立ち塞がる敵をちぎっては投げちぎっては投げ…」なんて話よりは
随分マシにはなるんだよなwwww
509縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/24(火) 19:39:20
九州説の諸氏よ御安心なさるがよい。この私がいる限り九州説は滅びることはない。むしろ力をいや増して輝きわたるのだ。
何の畿内ぞ、この頃は湖沼の底に埋もれた鯉鮒の寝床であったにすぎん。大技術者神武のおかげで、乾いた大地を踏みしめ
ることができるようになった、そもそもは辺境の地よ。東征は真なり、鉄器軍団の優越もまた真なり。なんの畿内説ごときに遅れ
をとろうぞ。九州説よ、団結せよ。
510日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:51:31
各九州説、それぞれ自説持ってるだろうが
情報量足りないんだから、決定打はないわな。

各九州説はそれが分かっているから
自説を説明することはしても
余所を貶めることは滅多にない。
決定打が出るまでは互いに尊重する。

まあ、だから、馬鹿が攻撃したくても攻撃できなくて渋っているのだろうけど。
511日本@名無史さん:2010/08/24(火) 19:53:22
邪馬台国九州説応援歌

♪起て九州説の者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞 暁は来ぬ
  暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕結びゆく
  いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ 邪馬台国 我等がもの
  いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ 邪馬台国 我等がもの
512日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:04:26
そもそも同じ史料を使い同じようなアプローチ(すなお読み)で出てきた説同士で論争せずに
「倭人伝には全面的信をおけない」として異なったアプローチをやっている説に
噛み付く事自体が間違っている。

世間に相手されないゴミクズトンデモが大御所アカデミズムに噛み付くパフォーマンスやって
自分らがそれと対峙できるほどの存在であるかのごとくアピールしているようなもんだwww

キナイセツに噛み付く前にどれが「真のすなお読み」なのか?

すなお読みチャンピオンを決めて来いって話だなwwww

513日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:13:22
邪馬台国九州説応援歌 第弐

♪月が出た出た 月が出た ヨイヨイ
  九州王朝の 上に出た
  あんまり 古田さんが 偉いので
  さぞや 畿内説は けむたかろ サノヨイヨイ

 あなたが畿内説を 云うのなら ヨイヨイ
 思い切ります 別れます
 邪馬壹国を 読む前に
 返してくれたら よいけれど サノヨイヨイ

 一山 二山 三山 掘り ヨイヨイ
 纏向 畿内説と 云うけれど
 なんぼ色よく 捏造しても
 古田さんが 認めにゃ 仇の花 サノヨイヨイ
514日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:15:08
倭人伝に信をおけないなら
邪馬台国とか気にしなければいいのに。
何でこんなとこで書き込んでるんだよ?
515日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:22:00
>>514
「邪馬台国なんてなかった。が、邪馬台国と呼ばれたクニは畿内に実在した」
と言う話だなw
516日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:22:11
魏志倭人伝を無視しないのが九州説
魏志倭人伝を無視して「結論先にありき」が畿内説
517:2010/08/24(火) 20:25:34
倭人伝を読むと九州説はあり得ないのが良く解る

「陸行一月」

518日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:30:24
魏志倭人伝のこの部分が信用できないとかなら
議論の余地があるが、全く信用できない、となれば
畿内説は自動的に消滅する。
519日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:31:04
しかしこの板のゴミクズ九州説はどのスレでも自説を垂れ流す事しか考えていないなw
このスレも他のスレと全く同じに成り下がる。

ゴミクズ九州説どもはスレによって切り口変えてみるぐらいの芸はできんのか?w

と言うか連中にとって「畿内説の考える九州説」と言うのはそのまま畿内説なんだろうwwww

「九州王朝」や「邪馬台国東遷」が必須で「キュシュウ・アズ・ナンバーワン」が大前提とw
520縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/24(火) 20:35:25
>>517
何故「陸行一月」が九州説において成り立たないと考えるのかな。それは1日の行程距離をどう考えるかによるだろう。魏使の進んだ
距離は1日において2ないし3km程度であろうな。道程上にある豪族の居館に泊まり、酒盛りを繰り返しながらゆるゆると進んだので
あろう。その記述に何の不思議もない。
521日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:41:07
しかしサイキバ君には作文の練習になっていいね。学校行ってないようだから。
522日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:43:51
>>518
現実には自動的に消滅したのは九州説なわけだがwwww

放射説だの短里だの膨大な日数は郡からの所要時間だの…
その他わりと最近に至るまで様々なアイデアが出てきた。

が、それはあくまで「選択肢の幅を広げるだけ」の話で

「こう”も”読める」と言う話で
「こう読むのが正しい」と言う(絞込みの為の)指針にはなりえなかった。

でどんどん話しが拡散していってグダグダで自滅していったのが九州説w
523日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:48:02
そもそも「1月」が何を示すのかも学問的に未確定だと思うぞ。
畿内説は結論先にありきだから、逆算して考えているだけだ。
524日本@名無史さん:2010/08/24(火) 20:51:42
>>523
ああ、それは言えるねえ。

魏志倭人伝をたどって、頭をひねる九州説
先に箸墓と決めて、魏志倭人伝を捨てる畿内説。
525:2010/08/24(火) 21:10:29
出雲から大和まで一月
すんなりと解決
526ローガン:2010/08/24(火) 21:15:57
三国志に東夷伝が書かれた訳の一つに「以接前史之所未備焉。」があるでしょう。
その序文には「而公孫淵仍父祖三世有遼東天子爲其域委以海外之事遂隔斷東夷不得通於諸夏。
景初中大興師旅誅淵又潛軍浮海收樂浪帶方之郡而後海表謐然東夷屈服。其後高句麗背叛又遣偏師致討窮追極遠逾烏丸骨都過沃沮踐肅慎之庭東臨大海。
長老有異面之人近日之所出遂周觀諸國采其法俗小大區別各有名號可得詳紀…」とあり、
淵誅、及び位宮を追って漸く、東夷の事が解るようになったと。つまり「軍が動いた所は解る様になった」と読めるでしょう。
しかし、倭には進軍していない。倭の事が解るようになったのは、通使によるもの。
評に「使譯時通,記述隨事,豈常也哉!」とある。
これの意味は、「(軍が踏破していない諸国については)通使の言に従い記述したのみ。なので、客観的な(正確な)情報であるとどうして言えようか?否である。」 ではないか?
つまり、陳寿は倭人伝のテキストの信憑性を疑っていると。
527日本@名無史さん:2010/08/24(火) 21:36:39
>分かってて書いていると思うが…
ここの九州説の連中に「すなお読み=暗号解読ゴッコ」を止めろと言うのが土台無理。
連中にとってはそれこそが邪馬台国論争の本質なんだからw

勘違いしないようにね。
九州派は「すなお読み」なんてしていない。
河童なんぞは途中で方向180度も変えたり、自分で発見した読み方をしている。「でたらめ」な読み方をしている。九州一週説・要するに妄想・私見だ。
倭人伝を「すなお読み」すれば九州から外れて海へ落ちるよ。
528日本@名無史さん:2010/08/24(火) 21:39:11
九州説は、ひねくれようと素直だろうと、魏志倭人伝をしっかり読もうとするが、
結論先にありきの畿内説は、江戸時代の松下見林以来、魏志倭人伝を無視することから始める。
529日本@名無史さん:2010/08/24(火) 21:42:48
だいたいはこうだ。

自分の頭で考える・妄想・私見(当然意見が纏まらない)=九州説
公にて定められたルール・事実のみ従う(意見が纏まる)=畿内説
530:2010/08/24(火) 21:45:17
そこまで言うのも・・・
九州説に人生を賭けた気の毒な学者もいるんだから
531日本@名無史さん:2010/08/24(火) 21:45:38
>>528
本当ワンパターンだなサイキバのアホはw

他の九州説のアホどもも少しはスレの趣旨に沿って切り口変えてみるぐらいの事はできないのか?
ったく使えないクズどもだな…

532日本@名無史さん:2010/08/24(火) 21:54:37
サイキバは九州王朝だったと思うが、あれこそ一次資料もない妄想の極みだろう。
文献も考古資料も何もない、ただの「お話」。
533日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:05:15
いい加減意に、九州説を馬鹿にするのは止せ!!
スレの趣旨を踏み外すな!
534日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:17:15
スレ本来の話に戻すなら

結局現実的な九州説と言うのは「北部九州先導説」しかないのかな?

この説のメリットは
混乱後の新秩序を考古資料をもってかなり具体的に描きだせるし

また「その後の邪馬台国」も描きやすい。

仮に「東遷説」なんてアクロバチックな話にもっていくとしても
連合体の中での中心中枢の移動で済む話で
少なくとも「無敵鉄器軍団大躍進!」なんてアホな話よりは百億倍ぐらいマシwww

ただ比定地として北部九州といっても玄界灘周辺地域で通説なら行程記事の伊都国・奴国にあたり
連続式に読むのなら邪馬台国は更にその先。
放射式に読んでも邪馬台国はそれらとは別にある…と言う事になるのがネックかな?

そこら辺が九州説のジレンマなんだろうか?
(もっとも「暗号解読ゴッコ上等」のここのゴミクズ九州説には関係の無い話だがw)
535日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:21:10
北部九州も結構だが、風土的には有明海に近い場所だろう。
536日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:26:00
九州説を馬鹿になどしていない。
九州説の中でも古臭くありえない、すでに消えてしまった説を、それすら知らずに必死に唱えるゴミはおもいきり馬鹿にしているけど。
馬鹿にしていないからこそ、そんな旧態依然の化石とは違う、普通に通用する九州説構築に参加しているわけだよ、殆どの人は。
537日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:35:35
>>534
要するに、3世紀に至っては、すでにかつての九州説が前提としていたような、
筑紫とそれ以外の「弥生文化度の格差」がずいぶん過大評価されていたことが、
明らかとなっていることが、背景にあるんだよな。
これは、実は九州での考古学的発見と連動するもので、
北部九州の弥生時代の開始は、なんと紀元前10世紀ということになった。
となると、魏の時代というのは、弥生開始から千年以上たった後だということになる。
西南日本には、遍く十分に弥生文化が行き渡っていた。
これは、次の事態と比較すると分かりやすい。
中央集権の近畿律令政権が成立したのが8世紀。でもそこから1300年もたった現在では、
「近畿の相対的衰退」「首都圏(関東)一極集中」という事態になっている。
1000年余もたてば、これほどまでに激変するものなのだ。
今や、従来型の九州説は、
律令国家と五畿七道の文献を根拠に、21世紀に「首都大阪説」を言うようなものなんだよ。
(畿内を制定した646年正月には、孝徳帝の首都は浪速にあった)


だから、九州説は、もう「3世紀における『大筑紫帝国一極集中論』」を捨てるべきであり、
これは考古学的知見と明確に一致する。
その上で、なお九州説を再編成する必要があるし、出来ないことは無いと思う。
それで、俺が一つのネタとして提示したのが、
昨日書いた「スーパー縮小九州説」なんだけどね。
538日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:36:22
さあ、最強九州説を構築しようぜ!
「北部九州先導説」
もう一息だ。
539日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:40:46
>>537
…しかしその「スーパー縮小九州説」ってネーミングはどうなんだ?

ひょっとして無意識にここのゴミクズ九州説の
「巨大帝国」が基準になってしまってないか?wwwwww

540日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:43:14
倭人国家の宗主国は、北部九州の国だけでなく、歴史的にあちこちの国が担当したのだろう。
だから倭人国家群の中心が、北部九州のある一か所に永年留まったと考えるのは間違いだと思う。
九州内で数回、移転しているのではないか?
541日本@名無史さん:2010/08/24(火) 22:46:34
>>539
いや、「縮小前」というのは、従来九州説の「大筑紫帝国」ではなくて、
魏志にある戸数や奴婢数などを単純に読んだ時の「女王国」の想定のこと。

従来問題視された魏志の里程や方角ではなく、「規模を小さく読め」という一つの解釈指針であって、
これ自体、当然作為を含むから、反論は予想される。
ただ、「巨大女王国はどこ?どこ?」と探すこと自体、
実は徒労だったのではないかと、俺自身は思っている。
542日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:00:13
>>541
了解。


>>538
「北部九州先導説」を強化する方向で話進めるのか?

まあ自分で>>94のような話をふっておいて何だが…

やっぱり広域首長連合とは別の「九州地域連合」に邪馬台国を見る方が
九州説としては、なんとなく本筋のような気がするし
個人的にもそっちの方を見てみたいwww
543日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:01:30
「北部九州先導説」もいいが、柳田説のようにその時期が2世紀末とかだと、
結局邪馬台国は畿内にあったということになってしまう。
やはり九州説というからには、少なくとも卑弥呼朝貢時までは九州にあった
としないとまずいんじゃないか?
544日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:25:37
>>543
まあ元々「伊都国東遷説」だからねえ…


545:2010/08/24(火) 23:28:18
倭人伝を読むと唯一九州で許されるのは
宮崎県
だと思う
546日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:37:56
九州での三国期の鏡の出土状況と画文の流れ、これをどうやって説明するのか?
卑弥呼の鏡は後漢鏡でよいとして、後者は年代観がなあ?

宮崎・・・まあ、無理くり考えれば、南西諸島を通じて呉の影響を受けていた、
鹿児島=狗奴国に対抗して、宮崎の邪馬台国が魏に朝貢、魏の権威を借りて
北部九州も支配とか・・・。
547日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:44:29
九州説なんて、自分の頭で考えた自称九州説の集合体なんで
何時まで経ってもまとまるはずはない。
安本や古田の説ですら、参考資料程度にはしても
完全に従う人間は殆どいない。

これは安本や古田の弟子も似たようなものだがな。

頭を使わずマキムク掘ってる連中のリップサービスを
信心している人間とは根本的に違う。

ただ、基本的に明白な根拠には従う傾向があるので
そういったものがあれば、転向する可能性もあるだろう。
548日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:45:41
結論先にありきの畿内説より、学術的な証拠だな。
549日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:47:59
九州は日向宇佐と、有明海側の熊本佐賀福岡は別物と思ったほうがいい。
九州山地で分断されているので、大軍が行き来するような地形じゃない。

時代にもよるが、別国と考えてほぼ間違いない。
550日本@名無史さん:2010/08/24(火) 23:50:23
朝鮮半島までときどき軍を進めてきた呉に対抗する意味で、
熊本佐賀福岡圏の倭人国家が魏に朝貢してきた意味は大きい。
551日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:02:42
>>547
まあアホには畿内説のバリエーションなんてのは見えてこないだろうなw

と言うか「畿内説」=「箸墓=卑弥呼の墓」と言うような
マスコミが喧伝しているような浅薄なレベルでしか理解していない。

(その情報弱者ぶりは同じくマスコミによって喧伝された吉野ヶ里の3点セットを根拠として臆面もなく出してっくる所にも出ているがw)

そんな馬鹿だから現在の九州説にとって何がネックで絶滅危惧種になっているのか
何がまだ活かせる材料かなんて自己分析もできるはずも無い。

だからこのスレでも自説を垂れ流すしかできない。

本当アタマイッパイイッパイで余裕の無い連中だwww

552日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:03:51
詐欺を指摘されると、火病るのも畿内説の特徴。
553日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:05:48
>>552
仮に九州の”何処かに”邪馬台国があっても

数ある比定地のうちその一つを除いて「あとは全部詐欺でした」って話になるのかな?

サイキバ君www
554日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:10:40
無理くり宮崎説を推し進めて、宮崎邪馬台国が鹿児島狗奴国に対抗するために魏に朝貢、さらに新興勢力
である畿内を中心とした国と手を結んだってことで・・・で、宮崎の早期古墳はその友好の証とか。

権威に弱い北部九州は、「親魏倭王」の称号に畏れをなして宮崎邪馬台国が一大率を置くことを認める。
一方畿内の勢力はそのどさくさに乗じて北部九州に人を送り込む・・・。しかしこれも鏡が・・・。

555日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:12:41
で、アホの九州王朝説論者サイキバ君よ

遺跡の発掘調査において畿内が特別に優遇され九州が冷遇されているって話の根拠はまだ出ないのか?
(と言うか「道州制」じゃあるまいし九州や近畿と言った単位で予算に差が付くってのが良く分からない)

トンズラかまして、ほとぼり冷めたら出す…のピンポンダッシュの同じことの繰り返しなのか?

お前が詐欺師だよ馬鹿w

もっともあまりにレベルが低すぎて引っかかる馬鹿もいないんだがwww
556日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:21:38
一大率が邪馬台国から派遣されたとすれば、いわば全権大使であり、
直ぐに連絡がつかない場所だからこそ置かれたと考える。

とすれば、伊都国、奴国は候補から消えると考えていいのだろうか。

557日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:26:25
これはまだ途中までなんだが(まあ投げ出すかもしれんがw)
肉付けを上手くやれる人がいたらおながいしますwwwwww

既に北部九州にも巻き起こった広域首長連合とは別の
九州地域連合なんてものを想定しうる考古資料が無いというのなら
何かの増加・出現とかに見るんじゃなくて逆に衰退に見てみよう…と言う事でw

筑紫平野・有明方面に邪馬台国を探す場合『破鏡』って材料として使えない物だろうか?

大陸から完形の鏡を輸入して配布するほどの力もなく
自前で鏡を作って配布する力もなかった。
しかたなく連合体のクニグニになけなしの鏡を割って配ったとか?

公孫氏が討たれた直後「ダメモト」で郡にコンタクトしたら
あれよあれよと言う間に冊封となったが
(魏にとってはタイミングが全てで、倭国内のNo1勢力だろうが泡沫だろうが関係なかった)

で魏が直ぐに滅んだこともあって失地回復にはとても及ばなかったとw
558日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:26:26
>>554
鏡に関しては、邪馬台国そのもので大量発見される必要性はないんじゃないかな。
もともと「汝の好物をあげるから、諸国に配って権威を高めよ」との仰せだったわけで
そいつが画文帯だったにせよ三角縁だったにせよ、随時配ってまわったと。
畿内での三角縁の大量出土については、卑弥呼の時代より少々後世となる時代に
帯方郡産でも国産でもどっちでもいいが、九州邪馬台国にあやかって収集したとの理屈も考えられる。
だからこそ本家の画文帯よりも扱いがぞんざいで、2級品扱いということで。
559日本@名無史さん:2010/08/25(水) 00:42:08
>>556
いや、その周辺のどこかの山奥に篭ってたってのもアリじゃないかな。
この場合、倭人伝の伊都国より先の行程記事はすべて間違いってことにはなるけど。

小さな九州説を採る場合、その範囲はかなり狭く見ることが出来る。
だいたい奴国にしても、博多湾一帯がひとつのクニだったとか、今ではもう考えにくいわけで
このあたりの中小のクニが連合内の三十ヶ国の正体だとしてもいい。

この北九州連合も、もちろん交易主体のゆるやかな連合なんだし
本州や南九州との交易もあったのだろうけど、それらが自分たちと同じ倭種ではないと彼ら自身が認識していたとすれば
ややこしい列島情勢をよく飲み込めなかった郡使などの情報の錯綜も説明がつく。

これは>>557にあるダメモト朝貢にも繋げられると思う。
なんつーか「結果的に偽僭になってしまったが、当時は本気だったのよ説」という感じ。
560日本@名無史さん:2010/08/25(水) 11:53:59
>>557
破鏡配布案はかなり苦しいんだよな
確か異なる墳墓で出土した破鏡が、元は一枚の鏡だったつまり破片が一致した例がないはず
じゃあ残りの破片はどこにいったのかだが、これも判らない
盗掘跡のある墳墓はなおさらで、本当は盗掘された残りカスなのかもしれない
とりあえず『破鏡の習慣』はかなり広範囲に拡がっていたようだけど、どこがその中心なのかが全く見えないし
中心なんてはなっから無いのではないかと考えざるを得ない

しかし衰退から見てみようというのは有効なアプローチだと思うし
ダメモトがグッドタイミングだったというのは正解だろうと、俺も強くj同意する
561日本@名無史さん:2010/08/25(水) 13:03:19
>>476
実は、邪馬台国時代に
日本にどれくらいの人口があったのか、正確なことは分らない。
たとえば、外国の学者が出した日本の人口の推定値なんかでも
長年、信じられてきた2300年前に農耕が始まった説をもとに
出されてきた数値だから。
でも、最近では、日本で農耕が始まったのは、おそくとも
6000年くらい前だったという説が有力で
水稲農耕も、3000年くらい前に既に行われていたという説が
出てきている。
だいたい、植物学者などは、3500年くらい前には
日本では水稲農耕がおこなわれていたのでは?って言われていたぐらいだし。

つまり、それぐらい、邪馬台国時代あたりのことは、これが確定的
といわれるようなことは殆どないと考えなければいけない。
562日本@名無史さん:2010/08/25(水) 17:03:32
>>561
いくら正確なものは判らないにしても、10人でしたとか1億人でしたとかいうバカはいないっしょ

弥生中後期の竪穴式住居は、大きいもので1戸当たり7〜10人、通常は5人ほどで住んでいたと見られている。
関東などは大きいものの比率が高まるが、九州ではだいたいが平均規模のものが多い

7万戸とかだったら35万人居たってことになるぜ
これってほぼ現在の長崎市の人口だよ

そんな超々々々大規模遺跡なんかどこにある?まだ埋もれているとかもっと考えられないだろう
563日本@名無史さん:2010/08/25(水) 17:50:48
>>560
まあ>>557自体が”ダメモト”だったわけで駄レスに返答サンクスwwww

そうか、やっぱり無理か、予想してたとは言えwwww

確かに鏡片の部位(中心部とか周辺部とか)とかその他諸々に
法則性を見出そうと言う試みは色々あったらしいがどれも上手く行って無いんだよな。

と言うかそもそも破鏡自体の意味もよく分かって無いし
分布も以前当たってあきらめたw「前方後方墳」以上にカオスwww

うーん何か無いのかな?
「広域首長連合」とは別の「九州地域連合」の存在を示す
単なる「お話」に+αできる考古資料みたいなもの・・・

あと有明方面で探すとしたら「鉄」か?

+方向でも−方向でも弥生末期に変わった動き見せているのかな?
564日本@名無史さん:2010/08/25(水) 18:21:45
>>563
だから甕棺
565日本@名無史さん:2010/08/25(水) 18:28:55
邪馬台国九州説って、神武東征伝承と
アマテラス=卑弥呼説を凄く信じている人が多い。
あるいは、中国に朝貢した卑弥呼はヤマト朝廷とは無関係という思想から
この説を信じたい人も多い。

が、どれも間違っているだろう?
神武東征伝承が事実だとしても、箸墓古墳の卑弥呼=モモソ媛命説だと
邪馬台国=近畿説は別に不都合ではないし
また、アマテラスは、もともとは男神アマテルだったという説からすると
卑弥呼=アマテラス説は怪しくなる。
566日本@名無史さん:2010/08/25(水) 18:35:34
>>564
おいおい単語の一つだけつぶやいてピンポンダッシュするような
しみったれた真似は止めてくれんか?www

一度きちんと論証してみ?

一度くらい「やっぱり九州の事は九州説の連中の方が良く知っている」と感心させてくれやw

567564:2010/08/25(水) 18:48:16
>>566
俺、九州説じゃないしwww
568日本@名無史さん:2010/08/25(水) 18:59:21
>>567
ん?違うのか?
まあそれでも良いから一度「甕棺」でそこまで話引っ張れるか試しにやってみてくれw
(できれば2・3世紀有明沿岸あたりを中心に一種ヒエラルキーを構築して見せてくれればベスト)

はっきり言って「北部九州(伊都国・奴国)主導説」じゃ面白みに欠けるwwwwww
569日本@名無史さん :2010/08/25(水) 19:05:01
こっちにも畿内廚のバカがはりついているのか・・
570日本@名無史さん:2010/08/25(水) 19:43:51
>>565
つうか、むしろ逆。九州説のほうが自由度が高いというか、
今や壮大に叩かれつつも、依然として何でもありで、ネタとしてはまあ面白い。

畿内説というのは「実質完全単一説」であって、
「邪馬台国畿内説」⇔(完全同値)⇔「邪馬台国巻向説」⇔(完全同値)⇔「卑弥呼皇祖(の一員)説」
真ん中は、
かつては橿原説だったが、今は巻向説一択で、
とにかく歴史上を通じて数km程度しか場所が動かない。
畿内というのだから、
河内平野説とか、京都盆地説とか、出てきても楽しそうだが、絶対に出て来ない。
出てきても、「畿内説に入れてもらえない」w

人的構成も、「卑弥呼は絶対に皇室の一員」ということで、これも動かない。
巻向遺跡自体が、本当に皇祖皇宗の遺跡であるのか、そんなに単純ではない出土状況を示していて、
考古学者はこの点は柔軟だが、
邪馬台国論争をしている連中は、「卑弥呼は絶対に皇祖皇宗の一員だ」となる。
卑弥呼は皇室と別氏族だった可能性を探る畿内説があったら、本当に見せてほしい。


俺自身は九州説支持とも言い難いが、この異常な頭の固さは、
確かに半世紀前に古田が揶揄した当時と、全く変わっていない。
もう少し柔軟な畿内説があってもいいと思うんだが。
571日本@名無史さん:2010/08/25(水) 20:48:46
>>570
>人的構成も、「卑弥呼は絶対に皇室の一員」ということで、これも動かない。

いやそれももう古い畿内説
判っていると思うけど、纏向を中心とする交易連合説は、昔の畿内説とは別物
つーか畿内説批判はスレ違いだから、このあたりを議論したいのならドン来いへどうぞ
572日本@名無史さん:2010/08/25(水) 22:01:25
別に九州説を擁護しなくても、発掘が進めば自然に九州説になるから、どうでもいい。
573ローガン:2010/08/26(木) 00:49:47
今更、なんだけと…
「九州説」とは あくまで魏志倭人伝にある邪馬台国が、どこにあったか?を
魏志倭人伝の解釈、色々考えて楽しむ知的なゲームでしょう。
興味を持ち初めた頃はみんな、九州説なのではないですか?(私はそうでした。)
その後、日本史やら、考古学やら、漢籍やらetc… 色々調べてみようと。 九州説とは、言わば「登龍門」的なものではないですかね?
上手く言えないけど、とりあえず九州説を卒業する事により、次のステージに進めると…。
574日本@名無史さん:2010/08/26(木) 01:10:47
>>573
それはあるかもしれない。
少なくとも殆どの畿内説論者は、一度は安本や古田の本などを読んだことがあるはず。
(だからここの九州説が書く元ネタがだいたい判る)

というか、ここの九州説って古代史が好きでやっているとは思えないんだよね。
遺跡とか驚くほど知らないし、文献すらまともに当たっている節も見当たらない。
なによりも肝心の九州説に関する本すらろくに読んでいない。
ついこの間も、シュリーマンがどうとかってレスがあって、あれは笑ったというより驚いた。
レベルがどうとかの問題じゃなくて、九州説って言いたいだけなんだろうな。

アダムスキー信者やラエリアンが物理学を必死に否定するようなもんなんだろう。
つまり彼らは死ぬまで卒業する気はないんじゃないかな。
575日本@名無史さん:2010/08/26(木) 02:37:19
>>570
それだけ狭い範囲にしぼりながら証拠がまったくでないとは・・・
576日本@名無史さん:2010/08/26(木) 09:55:04
卒業して出て来た成果が公定里じゃ、ちょっと困るね。
577日本@名無史さん:2010/08/26(木) 19:59:58
あっという間に、576まで膨れ上がっていますが、
多くの討論が重ねられていますけど、結局、
九州説にいくらかの可能性が出てきたんでしょうか?
成果ありでしょうか?この先、九州説は死から救われるんでしょうか?

畿内派の皆さん、どうか知恵をしぼって九州説を救って下さい。
九州説を見捨てないで下さい。
578日本@名無史さん:2010/08/26(木) 20:15:26
今はドン来いスレで何かやってるぞ。
579日本@名無史さん:2010/08/26(木) 20:45:01
>>577
結局のところここまで出てきた中で
一番と言うより唯一可能性があるのが「北部九州(伊都国・奴国)主導説」じゃないのかな?

他のは書いてくれた人間には悪いが結局は精々「良くできたお話」

…まあ言っている本人も無理なのは重々承知なんだろうけどwww

580日本@名無史さん:2010/08/26(木) 20:48:16
「三種の神器」「銅鐸破砕」「鉄器の優位」・・・これらドンと来いスレのループネタが入ってなければ、どれだけ考えても、
「こんなの九州説じゃない」で終わり。
581日本@名無史さん:2010/08/26(木) 20:49:46
畿内って銅鐸圏だろ。
やはり矛の中心地にあったと考えるのが普通だろ。
582日本@名無史さん:2010/08/26(木) 20:59:45
銅鐸帝国がゆるやか連合をまとめていたなど、妄想も甚だしい。
583564:2010/08/26(木) 21:16:58
>>577
どうやら畿内説を否定することでしか生き残れないようです。
584日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:25:05
そういう意味では、東遷というのは楽しいだろうな。畿内説を貶めると同時に九州説を止揚させる。
ただし、どっからどうやって来たかを言わないとこがミソなんだな。
585日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:33:20
畿内説は、畿内にあったという根拠をだすことができないから、
九州説にケチをつけることで存在を主張しようとしているんだろうな。
しかし、本当の九州説は、倭人伝を素直に読むことで全て解決だ。
何も無理することはない。
586日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:41:01
↑結局、ループしてるのが一番居心地がいいことの吐露。
587日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:45:13
>>586
アレだ、エアキャップ(通称プチプチシート)を部屋の隅で延々潰して行っている様な感じなのかな?www

ある種の中毒性はあるんだろうなwwwwwww
588日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:54:07
へそ曲がりが読んでも、畿内は無理だな。
ゆるやか連合なんか架空の話だし。
589日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:56:57
読んだら無理だな。読まずに、「ここだ」っていう考え方でないと
畿内にはならん。
590日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:13:22
なんとか九州説を救ってやって下さい。
みんなで手を差し伸べよう。
591日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:23:48
まずは魏志倭人伝を正確に読む事だ。
倭人伝に素直に行くと、邪馬台国が九州や畿内から大きく外れる事を読み取れないとね。
必要なのは、普通に義務教育での国語の知識が備わっている事だね。

魏志倭人伝は外人が書いた書だとわかる。
592日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:25:08
いいんだよ。無理しなくても。
九州説は、「伊都国は怡土ではない、佐賀だ。」で決まりだよ。
@ 末盧国から東南五百里。方角、距離とも佐賀がピッタリだ。
A 怡土ならば、末盧国で上陸する必要はない。佐賀ならば陸路が当然。
B 怡土から南へ水行は不可能だ。これも佐賀ならば当然。
593日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:29:31
九州説の本居宣長は一月を一日の間違いだとしました。
九州論者だって素直に魏志倭人伝の間違いを認めています。
九州論者が全てこっけいな強引解釈読みをしているというのは偏見です。
人によっては素直に間違いは間違いだと認めています。
594日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:37:34
>九州論者が全てこっけいな強引解釈読みをしているというのは偏見

もちろんそのとおりです。この板の九州論者がこっけいなのです。奇人変人大図鑑だよ。ppp
595日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:38:33
592は断じてあり得ない。
伊都国は怡土あるよ。
コンパスのない時代に方角を正確に出せない。
このくらいの方角の誤差は許容値だ。
女王の都は九州の浮羽郡である。
もっと勉強しなさい!
596日本@名無史さん:2010/08/26(木) 22:40:05
>伊都国は怡土あるよ。
理由をあげることもできないの?
597日本@名無史さん:2010/08/26(木) 23:09:24
>>593
一月は1日の誤り? 何の根拠もない改変だな。南は東だってのと大して変わらん。
1日ならば、正確な里数が書けるはず。日数で表す必要はない。
水行十日陸行1日では、水行二十日よりも近いことが明らか。何のために投馬国より
後に書いたのか? 説明がつかんな。
598日本@名無史さん:2010/08/26(木) 23:23:09
伊都国は伊都国で捨てがたい。
方向を合わせると佐賀方面で、しかもそこには
それなりの規模の遺跡もある。
九州説だが悩ましい。

伊都から三瀬峠通って、下るんだが
大和町方面に降りる道と、吉野ヶ里方面に降りる道があるんだな。
福岡側だと、室見川流域の早良方面にも行ける。

あのあたりは遺跡ばかりだからかもしれないが、
それなりに主要な遺跡とあたるのは、なにか示唆しているような気がする
599日本@名無史さん:2010/08/26(木) 23:30:46
前原の場合、二つの川に挟まれていて
今の集落と、神社や遺跡が大体重なる。

ぶっちゃけ、弥生時代と街並みが余り変わっとらん。
なんというか、田舎だ……
600日本@名無史さん:2010/08/26(木) 23:41:16
北九州の要衝としては、位置が悪すぎる。
古墳時代に発展した形跡もない。

それに引き替え、大和町付近は後の肥後国府につながる。
古墳時代に有明海沿岸が発展したこととも符合する。
601日本@名無史さん:2010/08/26(木) 23:44:37
>>600 まちがえた。肥後国府→肥前国府
602日本@名無史さん:2010/08/27(金) 00:07:32
倭人伝を読んだこともない畿内拙論者は黙っちゃったか。
603日本@名無史さん:2010/08/27(金) 00:34:44
>>北九州の要衝
前原は国の中心地としてはあまりいい場所じゃないだろうね。
開発初期なら、それなりに大きかっただろうけど
福岡平野や筑紫平野が発展すれば、勝てるはずもない。
自然にそちらに力が移っていっただろう。

しかし、海運交易に対する要衝としては重要で
高祖山からは博多湾全体が見渡せる。
そして、今津から、海の中道までの、
博多湾の入り口を掌握できる位置にある。

高祖山のふもとには、吉備真備が立てたとされる怡土城
この城は高祖山山頂までのほぼ最短距離の位置にある。

元寇のときも、ここに望楼が作られている。

どちらかと言えば情報戦の要衝なのかもしれない。
604日本@名無史さん:2010/08/27(金) 08:35:48
ううむ、漢籍をひも解くと、ますます九州説になってしまいそうなのは気のせいか。
もっとも、日本語で書かれた解説文しか読めないけど
605日本@名無史さん:2010/08/27(金) 12:51:53
漢籍をひも解くと、ますます九州説が遠のく。矛盾だらけだとわかる。
606日本@名無史さん:2010/08/27(金) 13:38:12
605は京大梅原詐欺学派
607日本@名無史さん :2010/08/27(金) 13:39:42
605
単に本のヒモを梳いていただけかも
608日本@名無史さん:2010/08/27(金) 13:45:52
ひもを解いたらバラバラになって、ますます魏史倭人伝を読もうとしない畿内説。
609↑ :2010/08/27(金) 14:22:34
>>608
しっかりと魏”史”倭人伝を読みこんでいる
九州説サイキバくんW
610日本@名無史さん:2010/08/27(金) 14:47:48
餌に飛びつく畿内馬鹿www
611日本@名無史さん:2010/08/27(金) 14:50:32
2ちゃんねるで後付の釣り宣言ほどみっともないものは無いのだが…

612日本@名無史さん:2010/08/27(金) 17:28:40
畿内説が読める漢籍は、偽史倭人伝だから心配するな。
613日本@名無史さん:2010/08/27(金) 19:33:05
サイキバ…
614日本@名無史さん:2010/08/27(金) 19:43:12
>>571
広域連合説というのは、

○巻向を中心とする3世紀畿内地域の社会構造を探る考古学学説
×魏志倭人伝の文献学である「邪馬台国論」

結局、この2つが混乱しがちなところが諸悪の根源。
そして、「遺物に基づく考古学」と「倭人伝文言解釈論」との間には、不均衡がある。

考古学にとっては、極論すれば、魏志という地理書自体、この世にあっても無くても、
(研究者の科研費獲得と新聞記者のネタ収集以外には)関係が無い。
魏志が丸ごとこの世から消えても、遺跡・遺物に基づく考古学は自生的に発展していく。

ところが、倭人伝解釈学にとっては、考古学的成果というのは絶対に必要で、
考古学なくしては、最早何も進まない。倭人伝解釈学から、考古学の知見を除いてしまうと
本居宣長レベルまで「戻ってしまう」。

これは、倭人伝が文献として致命的な欠陥を抱えているということ。
さらに、依存する考古学の側は全く自立的で、
「考古学にとっては倭人伝はそもそもどうでもいいネタ」であることも認識しないと、
邪馬台国をめぐる混迷というのは見えて来ない。
倭人伝と言う文献としては完全な糞ネタを、他の分野を援用して何とか読み解いているだけの話で、
他の分野=考古学がきらびやかな理論を打ち立てたとて、実は倭人伝とは関係が無い、
ただの「虎の威を借るキツネ」になってしまうことにも注意が必要。
615日本@名無史さん:2010/08/27(金) 19:54:22
そう。考古学が構築した3世紀の諸相から、倭人伝の邪馬台国らしき部分を切り取るといった
形しかないんだろうね。
616日本@名無史さん:2010/08/27(金) 22:25:34
>>南と書いてれば南に進むだろうよ。

>>方角を読み替えるなよ。
>しかしですね、そうするとですね、
邪馬台国への
「水行十日陸行一月」と
投馬国への
「水行二十日」が、
解釈の難しい難題として浮かび上がってきますよ。

それは、九州に当て嵌めようとするから。
だから、難題になるのだよ。
解釈するのではなく、例え間違っていても素直に読もう。
原文主義とはそういう事をいう。

>九州島内だとすると
邪馬台国、投馬国それと狗奴国(やはり南の方角にあるらしい)が、いったいどこになりますかね?

だから、最初から九州ありきで考えようとするから駄目なんだよ。偏見なんだよ。
最初から君の思考が間違っている。気が付け!


617日本@名無史さん:2010/08/27(金) 22:30:22
どんな事があっても文献には素直に「南」へ進む。
例え苦しかろうが、厳しく行きましょう。

九州から外れて海の上に辿り付く筈。どういう事なのか早く気が付け。
618日本@名無史さん:2010/08/27(金) 22:40:31
>>616 >>617
伊都国は佐賀だといったろ。そこから南へ進む。水行二十日でどこへ行く?
その距離は書かれていないが、しょせん周旋五千余里のうちのことだ。
となれば、九州島をでることはない。戸数5万戸の国がありそうなところと
いえば、川内平野か、加世田付近か? 可能性とすれば川内の方だろう。
となれば、邪馬台国への水行十日は川内までの半分、つまりは八代付近となる。
そこから陸行一月、どこまで行くかな?小林市か都城市、それで何か問題あるかな?
619日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:09:40
>>614
>魏志が丸ごとこの世から消えても、遺跡・遺物に基づく考古学は自生的に発展していく。

是。

元々文献史学て提示された邪馬台国の問題を考古学的に書きかえるなのなら
「3世紀中国史書にある邪馬台国が実在したなら果たして何処のクニになるのか?」
…って事で、それが全くのデタラメで邪馬台国が実在しなかったとしてもぶっちゃけ問題ないwwwwwwwww

更に言えば現在考えられている「広域首長連合」と別に
九州に邪馬台国を頂く「地域連合体」があっても構わない
単に「邪馬台国」と言う名称がそっちに移動するだけの話w

が、現在その移動先自体が存在しない。
選択肢が無いのだから移動のしようが無いのが現実w

後はその広域首長連合体の中に邪馬台国を見る説。
ただしこれはかなり時間幅が限られ、相当しんどいw
(現在出ている「北部九州主導説」は本来「伊都国東遷説」とでも言うべき物)

まあそういった可能性を探ろうと言うのがこのスレの趣旨なんだろうが
例によって例の如くゴミクズ九州説は自説を垂れ流す事で脳味噌イッパイw

連中にとってここで語られる九州説なんて実質畿内説なんだろうwwwwwww
620日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:21:13
詐欺に「コミクズ」と罵倒されてもなぁ〜
621日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:22:42
畿内説論者にとっては、倭人伝に書かれている邪馬台国の場所はどこかと
いう問題を考えるに、何よりも倭人伝が邪魔だってことらしいな。

>倭人伝が文献として致命的な欠陥を抱えているということ。
そんなものは何もないな。致命的な欠陥は貴殿の頭の中にあるんだよ。
622日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:26:15
>>620
で、お前は九州の何処に比定地を置くのかな?

数ある九州の候補地のうち真実は一つ。

あとは全部詐欺だったって話にならないのかな?wwww

623日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:27:34
ここの九州説にとっては、邪馬台国の所在にこれまでの人生が賭けられてるようだからねえ。銅鐸廃棄とか鉄器の
優位とか言ってるうちは現実から目をそむけていられるし、実際のところ完全決着にはまだ遠いからね。いや、こちら
としてもこの人たちの目が黒いうちは決着がつかないでほしいと思うくらいのもんだよ。
624日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:31:03
九州説は、畿内説が箸墓=卑弥呼の墓みたいな、
おバカな詐欺的比定で、意見統一なんかしないんだよ。
九州説は学問だからね。
625日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:31:30
>>623
まあ理論的可能性は何処まで行ってもゼロにはならないわけで。
死ぬまで匿名の掲示板で叫び続ける事ぐらいはできるんじゃね?w
626日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:35:45
サヌカイトで西日本統一なんておとぎ話は、北朝鮮でやれよ。
627日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:38:30
素朴な疑問だが、 >>619 みたいなのは
畿内説の代表と捉えて良いのか?
ただの基地外なのか?

他の畿内説の方にお聞きしたい。
628日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:38:45
>>624
学問であるのならデータ個々で導ける結論の範囲
もっと言えばその学問の分野で扱える範囲限界をきちんとわきまえる。

自然科学の分野の言葉なんだろうが
「科学とは反証可能な仮説体系」と言うのがある。

「素直に読んだらこうなりました、故にこれが正しい」
なんて言われたらそこから先話が進まないw

「私は神の声を聞いた!」とか言うのと大して変わらない。

まあ少なくともこの板のゴミクズ九州説は学問じゃなくて
良くてファンタジーだなwwwwwwwww
629日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:45:29
気持ち悪いよなあ。なぜここまでの思い込みがあるんだろう?畿内説というか考古学を中心に考えている人なら、
ヤマト王権の発生の状況がわかれば邪馬台国はどうでもいい、九州の小勢力ならそれはそれで、という人も多い
だろう。
630日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:47:41
畿内説詐欺師が、学問を論じるなよ。
631日本@名無史さん:2010/08/28(土) 00:54:25
歴史学、文献史学的には、並立説は常識の範囲だと思う。
箸墓巻向の邪馬台国ネタはただのリップサービスで
学問的にどうということもない。
重要なのは、あの発掘を含めてヤマト王権の起源を探るということ。
632日本@名無史さん:2010/08/28(土) 04:27:05
なんだかんだ神話の通りだったりして。
出雲大社の柱の遺跡みたいに証拠が出てくる日がくるかも
633日本@名無史さん:2010/08/28(土) 06:44:10
>>628その学問の分野で扱える範囲限界をきちんとわきまえる。
考古学者がそれをわきまえていれば問題ないんだが・・・
直木は、こう言ってるね。

一般に考古学でわかるのは、その時代の文化の状態で、卑弥呼の国がどこかという
ような政治的な問題を直接解決することは、・・・親魏倭王の印が発掘されるよう
なことでもない限り、困難である。

もともと、解決するには適さない学問に頼って「まちがいない」と思い込んでいる
のが畿内説ってことだね。



634日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:03:16
九州論者はまずは、嘘いつわりなく、魏志倭人伝を読むべき。
それから論を語れ。
自分に都合よく変わった読み方をするな。
素直に読め!
635日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:05:51
>「素直に読んだらこうなりました、故にこれが正しい」
>なんて言われたらそこから先話が進まないw
先が進まないってのは、反論ができないってことだな。それは、まさに「素直」
に読んでるからだよ。素直に読んだら四国になりましたとか畿内になりましたと
言ったら「馬鹿か、方向がちがう。日数が合わない」って言われるよな。
素直に読んだら南九州。これなら、誰も反論の余地がない。
これは大変なことなんだよ。今までの邪馬台国論は、倭人伝を素直に読んだので
は南海のど真ん中になる、よって倭人伝はまちがっている、なんてことを最初に
叫んで、どこをどう変えて読むかから始まっていた。
素直に読んで問題がないと気づけば、話はまったく変わるってことだ。
636サガミハラハラ:2010/08/28(土) 07:07:38
問題は素直に読むとはどういう読み方かということになるね。
637日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:13:51
そうそう。素直にって言うと、「では連続説で読め」ってなことを言う馬鹿がいる。
放射式に書いてあるものを、連続式に読むのは「素直」とは無縁だ。そんな簡単な
ことすら分からん者が多いね。
638日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:41:08
>今までの邪馬台国論は、倭人伝を素直に読んだので
は南海のど真ん中になる、よって倭人伝はまちがっている、なんてことを最初に
叫んで、どこをどう変えて読むかから始まっていた。

どこをどう変えて読んだら、素直読みといわないんだよ。
639日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:45:09
駄目だ、駄目だ。
九州説を救うには、世の国語改革が必要。
誰か、九州説救世主、言語虫か河童虫を連れて来て。お願い…
今こそ邪馬台国九州説を救え!!
640日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:52:33
>>638
東南とあるけど東北だとか、南とあるけど東だとか、戸数はあり得ない数字だから
どう考えるとか、いろいろあるだろうが。
641日本@名無史さん:2010/08/28(土) 07:53:34
三国志に於ける距離って、中国国内でも長安〜洛陽以外では、
遠くなるほど正確では無くなるって言うな。伝聞だけど。
実際にそうなら、日本の距離が正確では無くても不思議じゃ無い。
642日本@名無史さん:2010/08/28(土) 08:09:36
>>641
遠くなるほど正確ではないという意味が問題だな。10キロを9キロと書いても
誤差は1キロだが、1000キロを900キロと書くと誤差は100キロだ。
後者の誤差は確かに大きい。だが、後者の方が正確でないとは言えない。
643日本@名無史さん:2010/08/28(土) 08:53:51
皆、漢文が読みとれてない。
これじゃ、九州説は救われない。
放射式?馬鹿いうな。九州説の恥曝しめが、素直に読め。
九州説にとっては迷惑だ。
644日本@名無史さん:2010/08/28(土) 09:19:51
先ずは諸氏に九州説バトルロイヤルを行っていただき、
最も戦闘力の高い説を生き残り対象としたらどうだろうか?

<出場予定論者>

○小城説代表:サガミハラハラ氏
○九州王朝説代表:大好き氏
○東遷説代表:いつもの安本な人
○筑紫平野説代表:二氏
○その他、宮崎、熊本、大分、等々参加者募集中
645日本@名無史さん:2010/08/28(土) 09:38:02
はじめまして
思うに九州説も機内説も自分には馬鹿みたいに思える

ただ邪馬台(ヤマト)国が
魏志倭人伝が記された当時どこにあったのか?というだけで
機内説はもっと先、九州説はもった後だつたと主張し続けているだけにすぎない

九州で発掘される
<剣><鏡><玉>を埋葬する風習をあまりにも軽視
どちらにしても
九州 → 機内という歴史的な大きな流れは変わりようがないだろうに

個人的な見解では
邪馬台国の中心地は朝倉盆地内の、
現在ブリジストンが建っている丘がもっとも怪しいと思う
吉野ヶ里よりも地勢的に妥当(実際そういうの周辺から出てきているし)
この丘こそ九州説にとっての纏向といえる
646日本@名無史さん:2010/08/28(土) 09:57:54
結局はこうなる。
現実も何もあるかよ。我慢ならねえ、スレは路線変更だ。
妄想にせよ。私見にせよ、強き九州説が生き残る。

○小城説代表:サガミハラハラ氏
○九州王朝説代表:大好き氏
○東遷説代表:いつもの安本な人
○筑紫平野説代表:二氏
○その他、宮崎、熊本、大分、等々参加者募集中

これに河童も加えろ。
647日本@名無史さん:2010/08/28(土) 09:59:54
>>633
ちなみに直木孝次郎は考古学者じゃないからな。

できれば、そこは畿内説に立っている考古学者自らが
考古学の限界に言及している物を持ってきたほうが説得力あるだろうなw

で、考古学にはほぼダメだし食らってそれを使う事もできず
かと言って文献だけじゃ問題の解決はできないと限界をきちんとわきまえれば
もうにっちもさっちも動けない完全手詰まりなのが九州説w
(現状打開も結局は考古学的な新発見に頼るしか無いだろう…)

まあそれでも、畿内説の批判はできるが
批判したからと言って九州説が浮上するわけでもないのが悲しい現実なわけだがwww
648日本@名無史さん:2010/08/28(土) 10:18:35
>結局はこうなる。
現実も何もあるかよ。我慢ならねえ、スレは路線変更だ。
妄想にせよ。私見にせよ、強き九州説が生き残る。

○小城説代表:サガミハラハラ氏
○九州王朝説代表:大好き氏
○東遷説代表:いつもの安本な人
○筑紫平野説代表:二氏
○その他、宮崎、熊本、大分、等々参加者募集中

これに河童も加えろ。


世に通用する現実的な九州説を構築するという話はどうなるんだ?
何でもありにしちゃっていいのか?
649日本@名無史さん:2010/08/28(土) 10:24:25
tes

650日本@名無史さん:2010/08/28(土) 10:27:09
>>645

> 九州で発掘される
> <剣><鏡><玉>を埋葬する風習をあまりにも軽視

「三種の神器」のことを言っているようだが、その存在がどのようなものか一度考えてみた方がよいと思うよ。

> 個人的な見解では
> 邪馬台国の中心地は朝倉盆地内の、
> 現在ブリジストンが建っている丘がもっとも怪しいと思う
> 吉野ヶ里よりも地勢的に妥当(実際そういうの周辺から出てきているし)
> この丘こそ九州説にとっての纏向といえる

ブリヂストンの甘木工場は1973年開設だからね。
そのころに成ると世間の埋蔵文化財に関する認識はかなり高まっている。
何か出てくれば、ブリヂストンのようなトップ企業であれば社会責任を果たすため工事を中断し調べると思う。
それに近隣の平塚川添遺跡と立地的に近すぎると思う。
平塚の方は3世紀に入ると衰退気味ではあるが、存続はしていたはず。
651日本@名無史さん:2010/08/28(土) 10:32:38
>>648

「世に通用する現実的な九州説」じゃあ分かりにくいだろうw
もっと具体的にこのスレのローカルルールとして…

・畿内説が持ち出すような現在の考古学的知見を否定しない。
 むしろ逆手に取るぐらいの事をするw
 (実際、関や武光、森らはそうしているし、ぶっちゃけ自説に合わない考古学を否定しにかかってるのってY本ぐらいじゃね?w)
・対畿内説のみならず他の九州説に対しても何らかのアドバンテージを持つ。
 (ただし「すなお読み」では従来の堂々巡りにしかならない)

と言うのはどうか?w
652645:2010/08/28(土) 10:35:57
>>650
>それに近隣の平塚川添遺跡と立地的に近すぎると思う。

自分ははっきり言って同じ範疇に入る遺跡だと思います
つまり平塚遺跡の中心部分が
現在ブリジストン工場がある所にあるとそう想像しています
それぐらいの規模であってもおかしくない
653日本@名無史さん:2010/08/28(土) 10:42:13
651でOKだ。これからはそのルールに従って貰おうぜ。
でなければ、単なる妄想・私見スレになってしまうから、九州説の為にならないからね。

・畿内説が持ち出すような現在の考古学的知見を否定しない。
 むしろ逆手に取るぐらいの事をするw
 (実際、関や武光、森らはそうしているし、ぶっちゃけ自説に合わない考古学を否定しにかかってるのってY本ぐらいじゃね?w)
・対畿内説のみならず他の九州説に対しても何らかのアドバンテージを持つ。
 (ただし「すなお読み」では従来の堂々巡りにしかならない)

皆さん、いいね!
654日本@名無史さん:2010/08/28(土) 11:17:52
>>652
つーことは、ブリヂストンさんは平塚川添遺跡を上回る規模の遺跡を黙過して破壊したわけだね(gkgk、brbr
655645:2010/08/28(土) 11:22:53
>>654
大企業だけに逆に有り得るような気がw
どっちにしても立地的に何も出てこないとはとても思えなくて
どっか一部だけでも掘らせてくれないかなw
656日本@名無史さん:2010/08/28(土) 12:54:07
○小城説代表:サガミハラハラ氏
>○九州王朝説代表:大好き氏
○東遷説代表:いつもの安本な人
○筑紫平野説代表:二氏
○その他、宮崎、熊本、大分、等々参加者募集中
これに河童も加えろ。

それはどうかな?
河童にもプライドがある。
2chスレに蔓延る妄想・私見九州説と一緒にはされたくはなし、だろうな。
657日本@名無史さん:2010/08/28(土) 13:36:28
>考古学的知見
邪馬台国云々が入るのか入らないのか微妙な表現だけど、
邪馬台国の話は考古学とは微妙に違うぞ。
658日本@名無史さん:2010/08/28(土) 13:43:38
河童はいらんよ。腐ったミカンを混ぜちゃだめだな。

現状の考古学が常に正しいとは限らないが、例えば庄内式は4世紀とか、九州が庄内の発祥地とかいうなら
相応の根拠が必要。自身の土器編年を図入りで明らかにするくらいはしてほしい。
659日本@名無史さん:2010/08/28(土) 14:06:36
>>643
君が読み取れてないだけだろうな。文句があったら、理論的に反論する
ことだ。
660日本@名無史さん:2010/08/28(土) 14:16:16
素直に読んでどこがいけないんだ。
661645:2010/08/28(土) 14:27:24
>>660
たしかに
邪馬台はいい加減(ヤマト)と呼ぶべきです
662日本@名無史さん:2010/08/28(土) 14:42:52
>>660
次の文章の場合;

「佐賀市は福岡市の北5000キロメートルにあり、人口は200万人です」

素直に読めますか?
すると、魏志倭人伝が素直に読める文献かどうか……が問題になってくると思いませんか?
663日本@名無史さん:2010/08/28(土) 15:32:03
>「佐賀市は福岡市の北5000キロメートルにあり、人口は200万人です」

素直に読めますか?

読める。読むだけなら。
664日本@名無史さん:2010/08/28(土) 15:33:58
「解釈」が入った時点で素直読みじゃないぞ。

大体魏志倭人伝を誰一人として素直読みなんてしている奴はいない。
「俺の方がより素直読みに近い」を競っているだけだ。


665日本@名無史さん:2010/08/28(土) 15:49:13
公訳の読み下し文そのままが素直読みだろう。
読むだけなら出来る。
畿内派にとってはどうでも良い事だ。矛盾していようが、書いてある通りに読んでやるよ。
666日本@名無史さん:2010/08/28(土) 15:56:07
>>664
解釈なしで「書かれている内容を」理解できるかね?
素直というのはそんなことではない。邪心を捨てて読むことが素直に読むということだ。
キミたちは人間が素直じゃないから倭人伝を素直に読むことなど出来ないのだよ。
667ローガン:2010/08/28(土) 15:57:10
倭人伝の行程文は3つに分けられる。
A 方角→距離→国名(伊都国まで)
B 方角→国名→距離(奴、不彌国)
C 方角→国名→日数→戸数に「可」(投馬、邪馬台国)
記述方法が違うと云う事は、陳寿が変化を付けたというより、それぞれ由来の違う別情報を書き並べためではないか?
翰苑に魏略と廣志が引かれている。
分職命官、統女王而列部。という本文に対し、
魏略曰從帯方至倭循海岸水行、暦(歴)韓國到拘耶韓國七十(千)餘里、始度一海、千餘里至對馬國。其大官曰卑拘、副曰卑奴。無良田、南北布(市)糴。南渡海至一支國、置官至(同)對〔闕「馬」〕。
地方三百里。又渡海千餘里、至末廬國、人善捕魚、能浮沒水取之。東南五東(百)里、到伊都國。戸万餘。置〔闕「官」〕曰爾支、副曰曳渓觚・柄渠觚。皆統屬王女(女王)也。
と、伊都国までである。又
邪届伊都、傍連斯馬。という本文に対しては、
廣志曰[イ妾](倭)國東南陸行五百里、到伊都國、又南至邪馬嘉(臺)國、百(自)女〔闕「王」〕国以北、其戸數道里、可得略載、次斯馬國、次巴百支國、次伊邪國、安(案)[イ妾](倭)西南海行一日、有伊邪分國、無布帛、以革爲衣、盖(蓋)伊耶國也。
伊都国と邪馬台国の間に国は無い。陳寿がテキストとして用いた資料Aも同様伊都国までである。
この資料Aとは、魏略、廣志と共通の資料ではないか?
邪馬台国は伊都国のすぐ南にあったのである。
668日本@名無史さん:2010/08/28(土) 15:58:51
>解釈なしで「書かれている内容を」理解できるかね?

出来るよ。
素直になれよ。
669日本@名無史さん:2010/08/28(土) 16:00:41
わーい、九州説に強力な援軍だー。
670日本@名無史さん:2010/08/28(土) 16:14:49
間違っていようが、いまいが、
先ずは書いてある通りに読めよ。

もし、倭人伝の方が間違っていたら、「解釈」を付け加えて正す。
それだけの事だろう。
671666:2010/08/28(土) 16:18:24
>>668
すまんが、下記の文を素直に読んでみてくれ。
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」

郡とは何処のこと?其北岸とはどういう意味?狗邪韓國までの七千餘里は全て海岸水行の距離?
歴韓國とは韓国の要所を訪問したのかそれとも単に補給や休憩のための寄港か?などなど知りたい
ことがあるんだが。


672日本@名無史さん:2010/08/28(土) 16:29:32
>郡とは何処のこと?

郡の事だよ。それ以外は考えるな。

>其北岸とはどういう意味?

其北岸だよ。

>狗邪韓國までの七千餘里は全て海岸水行の距離?

循「海岸水行」歴韓國乍南乍東到

>歴韓國とは韓国の要所を訪問したのかそれとも単に補給や休憩のための寄港か?などなど知りたい
ことがあるんだが。

余計な事は考えるな。歴韓國乍南乍東だ
書いてある事だけを読め。
673日本@名無史さん:2010/08/28(土) 16:30:17
>>667
>記述方法が違うと云う事は、陳寿が変化を付けたというより、それぞれ由来の違う別情報を書き並べためではないか?

私もそう思います。賛成です。
674ローガン:2010/08/28(土) 16:42:46
>>667の続き。しかし、陳寿が引用した資料Cも邪馬台国までの行程である。しかし、最終行程が陸行一月という事は資料Aとは整合しない。伊都国のすぐ南ではない。
資料Aと資料Cが示す邪馬台国は同じ場所ではない。おそらく二度の使者来倭時の、王都の場所が違っていたのであろう。
張政等は詔書を携え邪馬台国を目指すが、伊都国での迎えの者により、壹與の都へ案内された。
卑弥呼の死、その後の男王にまつわる政変を聞き、王都への道程と共に記録に残した。
帯方郡から南水行20日で投馬国(弁辰ではないか?)更に南水行10日で北部九州その後、陸行一月で壹與の都、大和。
675ローガン:2010/08/28(土) 16:43:34
>>673ありがとうございます。
676日本@名無史さん:2010/08/28(土) 16:56:52
>記述方法が違うと云う事は、陳寿が変化を付けたというより、それぞれ由来
>の違う別情報を書き並べためではないか?
ちがうでしょうね。Aという情報には伊都国までのことしかなかった、Bには
奴国、不弥国しかなかった、Cには投馬国、邪馬台国しかなかった、そんなに
情報が切れ切れに作られていたとは思えません。一人の人が、郡から邪馬台国
までのことを書いたと考える方が合理的です。書き分けたのには、それなりに
意味がある、そう考えますね。
677日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:02:10
>郡とは何処のこと?
帯方郡のことだよ。

>其北岸とはどういう意味?
倭の北方にあたる朝鮮半島の岸だよ。

>狗邪韓國までの七千餘里は全て海岸水行の距離?
循「海岸水行」歴韓國乍南乍東到とあるから、そのとおり海岸水行だ。

>歴韓國とは韓国の要所を訪問したのかそれとも単に補給や休憩のための寄港か?
どちらとも書いてないな。特に要所を訪問したというわけではあるまい。
678日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:09:22
余計な事は考えずに書いてある事だけを読む。
分からない部分は分からないまま読み進める。
妄想・私見・解釈は一切排除。
それが素直読みだな。
679日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:14:28
素直読みとは、アマテラス=卑弥呼+台与 などと倭人伝とはまったく関係のないところから
結論を導いておき、その結論に合うように倭人伝の記述を恣意的に解釈する、という読み方。
数理文献学などとそれらしいものを用いるとなおよい。
680日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:23:02
679の読み方は、妄想・私見読み、という
681日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:23:51
>>667

「郡使往來常所駐」とされる伊都国までの行程に関する情報源は(何度か伊都国に来た)「郡使(達)」が最も
考えやすいですね。

奴国および不彌國への行程は、伊都国に来た郡使が訪問したかあるいは倭人から聴取したことの記録が基になった
可能性がありますね。

投馬国および邪馬台国への行程は梯儁の報告記録が基になった可能性が高いですね。梯儁は魏の皇帝の詔書と印綬を
卑弥呼に渡していますから邪馬台国に来たと考えられます。
682ローガン:2010/08/28(土) 19:04:05
>>681
「郡使往來常所駐」とされる伊都国までの行程に関する情報源は(何度か伊都国に来た)「郡使(達)」が最も考えやすいですね。

私は、これが梯儁がもたらした情報ではないかと…。根拠として翰苑引用廣志を考えてみました。
伊都国→邪馬台国→斯馬国です。

683唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/08/28(土) 19:12:22
>其北岸とはどういう意味?
倭の北方にある任那の岸だよ。

使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

(壹與の時代)
大倭(大和)は北の女王国(九州の北部)に自ら一大率を置き、諸国に使わし検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
刺史の様だ。

卑弥呼様は九州に居られた。
684日本@名無史さん:2010/08/28(土) 21:06:51

要するに壱与の代に東遷と言う説だな。

しかし良く分からないのは景初三年の女王遣使以後の魏と邪馬台国の交流は
魏略にもなく官府の資料によったと言うのが通説だと思うが

その場合その資料はABCに続く第四番目以降資料Dと言う事になるのだろうか?

まあ>>676の立場と言うのは魏使が郡から邪馬台国までの旅程を記し
風俗や戸数、その他の情報も収集し無論本題の邪馬台国との交流の首尾も書いたと見るんだろうが

…魏使ええ仕事やっとんなwwww

まあその前提あってこその、「すなお読み」「暗号解読ゴッコ」なんだろうがw
685日本@名無史さん:2010/08/28(土) 21:52:28
別に、素直読みしなくても、九州以外にあり得ないから心配するな。
686山松唐:2010/08/28(土) 22:01:01
>>683

唐松氏の漢文の読み方は変だね。

「使大倭監之」の之は市を指す。

「自女王國以北特置一大率檢察諸國」は「女王国以北に一大率を特に置き諸国を検察する」と読むのが正しい。
この文章の主語は省略されているが「女王卑弥呼(邪馬台国)」であることは明白。大倭(大和)が主語ではない。

上記の文の主語が女王卑弥呼(邪馬台国首脳)であれば、女王国は卑弥呼の居る国すなわち邪馬台国であるから、伊都国
との位置関係により九州内にあることになる。

大和が邪馬台国であれば伊都国や奴国などは若狭湾岸にあることになる。倭人伝の記述によればこんなことは有り得ない。

687日本@名無史さん:2010/08/28(土) 22:34:44
しかし百年も議論した挙句、発掘によって邪馬台国は東海だったなどという結論が出たら面白いだろうなあ。
688ローガン:2010/08/28(土) 23:09:58
>>684>要するに壱与の代に東遷と言う説だな。

壹與が東遷したとは言って居ない。政変により広域倭国の王都が大和になった説なんです。

>しかし良く分からないのは景初三年の女王遣使以後の魏と邪馬台国の交流は魏略にもなく官府の資料によったと言うのが通説だと思うが

通説?九州説なんだから関係ない。

689日本@名無史さん:2010/08/28(土) 23:48:36
>>681 >>682
郡使というのは、梯儁、張政のことだろう。それ以外に郡使がいたと読むのはまちがいだろうな。
690日本@名無史さん:2010/08/29(日) 00:49:37
>>688 老眼翁
>通説?九州説なんだから関係ない。

ホンマ、バッサリやなwww

>壹與が東遷したとは言って居ない。政変により広域倭国の王都が大和になった説なんです。

なるほど了解。
壱与は関西ギャルやったとw
(ちなみにこれで壱与による卑弥呼殺害と言うシナリオが加わると関祐二のストーリーだなw)

卑弥呼はあくまで九州地域連合体の女王、壱与は広域首長連合でヤマトにいた女王と…

この説はどう呼んだら良いんだろう?
「二大連合衝突説」? …単に並立していただけでなく衝突して倭国内における中心が移動したって事を表現したいんだがw

しかし、これ、場合によっては僭称したのはヤマトでした。
(無理矢理その地位を簒奪しておいて魏使には自分らが正当な後継者のように説明した)
…と言う可能性もあるな(ヤマト偽僭説?)w
691日本@名無史さん:2010/08/29(日) 01:10:21

イヨタン・・・・・・・・・・
 
692日本@名無史さん:2010/08/29(日) 06:44:03
女王国から直接派遣された軍監府を特に諸国(九州)の一番北にある
伊都国に設置して統率し、これを諸国が恐れている。これが古代中国語の文法
による意味。太宰府はこの大率であり、一は一の軍監府という意味が文法上
正しい。だから女王国が諸国の南であるとは限らない。
むしろヤマトと後年の太宰府、すなわち防人体制も含めた制度の原型
であり、大和朝廷こそ邪馬台国であるほうが自然だ。
693日本@名無史さん:2010/08/29(日) 08:12:55
>諸国(九州)の一番北にある
諸国には末盧国、一支国、対馬国も入る。伊都国は一番北ではない。

>古代中国語の文法による意味。
古代の文だからといって、滅茶苦茶な読み方をしていいものではない。
694ローガン:2010/08/29(日) 08:16:14
>>690
>卑弥呼はあくまで九州地域連合体の女王、壱与は広域首長連合でヤマトにいた女王と…

そう「国中遂定」の王が壹與。 東遷ではないので畿内に九州の遺物が無くても問題ない。
又、方角も人口も取り敢えずクリア。めでたし。
695日本@名無史さん:2010/08/29(日) 08:51:27
>>694
宗女がどうして急にヤマトにいるのかな? 邪馬台国勢力の東遷を考えざるを
えないのでは?

>邪馬台国は伊都国のすぐ南にあったのである。
伊都国の南とはあっても、「すぐ南」とはないね。
ローガン読みよりも、放射説だから奴国、不弥国、投馬国にふれずに
伊都国→邪馬台国だけを書いたと読むべきかもな。

とにかく、ローガン読みは一連の文章をぶった切って全く違った
意味を与えようというもの、つまりはトンデモ読みの一つだ。



696ローガン:2010/08/29(日) 10:22:14
>>695
>宗女がどうして急にヤマトにいるのかな? 

「急に」て何よ?まさか邪馬台国時代が族内婚の時代だったって言うの?

>邪馬台国勢力の東遷を考えざるを えないのでは?

さんざん、否定されてるやん。

>伊都国の南とはあっても、「すぐ南」とはないね。

翰苑の注記はね、異伝や私見を追加するという他の史書の注記と少し性格が違い
意味のわかりにくい本文が、何に基づいて書かれたかの説明なんですよ。
んでここの本文は、「邪届伊都、傍連斯馬。」邪は伊都に届り、傍、斯馬に連なる…「斜めに伊都国に届き傍らの斯馬国に連なる。」だ。
伊都国と斯馬国の間にあるのは邪馬台国だけだ。注記の廣志に沿って本文を読めば良い。
分職命官、統女王而列部。これも同様。
職を分け官を命じ女王に統べて部を列ぬ。 引かれた魏略によるとこの本文に対応する国は、対馬、一支、末盧、伊都である事がわかる。
697645:2010/08/29(日) 10:48:38
こんなこと言うと何ですが
そもそも魏志倭人伝自体が伝聞や過去の記述を元に書かれているので
そこで根本的に微妙なズレが生じてしまっているということでは?
まぁ魏志倭人伝自体は
中国の歴史書の中ではわりと信用がおける部類に入るとは思いますが

もうちょっと我々の祖先が作った神話の方も見直して欲しいですよね
698唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/08/29(日) 11:31:47
ホ38300フソサミヱ キサラギヨカに ヰオノヒメ クスコウチミコイセノカミ まつるいわひは
ツクシむけ ヒメコトシソヨ ヤマトヒメ コトシモモヤツ よろこびて ヨハヒいたれば 
ワレたりぬ わがヤソモノべ ソフツカサ ヰオノにうつし つかえしむ クスコヲカミの 
ミツエシロ タケノミヤヰに つゝしみて つかえはんべる

景行が皇子に定めた六人の中、男五人、女一人。五百野姫[伊勢の天照大神を斎祠]
五百野姫は筑紫で[伊勢の天照大神を斎祠]する。

大倭が自ら1大率を伊都に置く。
景行20年 五百野姫は、伊勢から付属の軍隊付きで筑紫に下向する。
同27年 熊襲が背くと、日本武尊が遠征してこれを討つ。
諸国が忌憚する軍隊の主流は伊勢から派遣された「大彦の後の軍隊」である。
伊勢に残された「大彦の後の軍隊」は、日本武尊東征後、景行に従い関東へ行く、磐鹿六雁等だ。

埼玉稲荷山鉄剣銘や九州の鉄剣銘のワカタケルは日本武尊の子供になる。
699日本@名無史さん:2010/08/29(日) 11:53:47
ヤマ=山 熊本辺りが怪しいと俺の遺伝子が訴えかけてくる
700日本@名無史さん:2010/08/29(日) 12:00:22
妄想、私見は止めにしようぜ。
701日本@名無史さん:2010/08/29(日) 12:05:59
石神山付近が怪しいと遺伝子が訴えかけてくる。九州説も初めて聞いた俺が言ってみる
702645:2010/08/29(日) 12:18:22
>>699
たしか本居宣長はその説だったんでは?
肥後の国、山門郡
703702:2010/08/29(日) 12:21:01
失敬、新井白石の間違いでした、スマソ
704日本@名無史さん:2010/08/29(日) 12:49:07
>妄想、私見は止めにしようぜ。

大笑いしたぜよ。ここの書き込みの中で私見でないものがあるんか?
705日本@名無史さん:2010/08/29(日) 13:42:26
・・・北部九州も「ゆるやかな連合」の一員で、その中心国が台与の時代に北部九州から
大和に移ったというのはスレタイ的にはありだと思うけど、九州説は「ゆるやかな連合」その
ものを認めないからな。
706日本@名無史さん:2010/08/29(日) 13:43:12
まあ>>694のローガン説に対し「宗女」と言う語に卑弥呼と壱与の血縁関係を見てそれを問題にするのなら

別に九州とヤマトに親戚同士がいてもおかしくないし
なんなら畿内ヤマトが九州にいた壱与をラチったと言う話も作れるwww
707日本@名無史さん:2010/08/29(日) 13:50:09

イヨタン・・・・・・・・・・
 
708日本@名無史さん:2010/08/29(日) 15:23:12
>>696
>「邪届伊都、傍連斯馬。」邪は伊都に届り、傍、斯馬に連なる…
>「斜めに伊都国に届き傍らの斯馬国に連なる。」だ。
古田読みだったかな? 古田は漢文の読み方を知らんから、鵜呑みにしないことだ。

郡から伊都国までは万五百里。しかし、魏略は、「自帯方至女国万二千余里」と
書いている。伊都国の領土を横断するのに千五百里以上あったとみるのかね?
709日本@名無史さん:2010/08/29(日) 15:25:11
>>702
山門郡は筑後国だから福岡県だべ。
710日本@名無史さん:2010/08/29(日) 15:48:44
>>709
ふたたび失敬しましたーw
711日本@名無史さん:2010/08/29(日) 16:11:59
>大笑いしたぜよ。ここの書き込みの中で私見でないものがあるんか?

余計な事は考えずに書いてある事だけを読む。
分からない部分は分からないまま読み進める。
妄想・私見・解釈は一切排除。
それが素直読みだな。
712日本@名無史さん:2010/08/29(日) 16:18:49
「世に通用する現実的な九州説」じゃあ分かりにくいだろうw
もっと具体的にこのスレのローカルルールとして…

・畿内説が持ち出すような現在の考古学的知見を否定しない。
 むしろ逆手に取るぐらいの事をするw
 (実際、関や武光、森らはそうしているし、ぶっちゃけ自説に合わない考古学を否定しにかかってるのってY本ぐらいじゃね?w)
・対畿内説のみならず他の九州説に対しても何らかのアドバンテージを持つ。
 (ただし「すなお読み」では従来の堂々巡りにしかならない)

と言うのはどうか?w
713日本@名無史さん:2010/08/29(日) 16:22:49
文章を読むうえで解釈はつきものだよ。ただ、書いた人の意図を考えて解釈すべきで、無理な解釈
(こじつけ)をやらないことだ。
それに、東南は実は東北だとか、南は東だとか一月は1日の誤りだなどと根拠もなく改めないこと、
それが素直な読み方だな。
714日本@名無史さん:2010/08/29(日) 16:41:42
>書いた人の意図を考えて解釈すべきで

自分であれこれ考えては駄目。
考えずにそのまま読むべし。
厳密に行こう!
715縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 16:41:55
久しぶりに覗いてみたらこんなスレが立っていてちょっとばかり驚いた。畿内説派も局面打開に必死なんだね。
考古学的知見に基ずいたと称する「ゆるやかな首長連合」「交易連合」「広域連合」なども想像の産物だし、邪
馬台国につながる物証も見つからないので焦っているのかな。

>>713
そのとおりですね。自分の考えに都合の悪いところは「間違い」だとか「錯覚」だとして安易に改めることや、
倭人伝(あるいは中国の史書)は信用できないと切り捨てるのは正しい態度ではありませんね。倭人伝の記述の
全てが正しいとするのも問題ですが。
716日本@名無史さん:2010/08/29(日) 16:58:54
>>714
太无聊
717ローガン:2010/08/29(日) 17:57:06
>>708
>古田読みだったかな? 古田は漢文の読み方を知らんから、鵜呑みにしないことだ。

古田読み?知らんな。読み下しは「翰苑」竹内理三 昭和52年吉川弘文館 のものだ。
そして、邪届伊都の邪を斜めと読んだのは「方邪」から考えたものだ。間違いだというなら根拠を挙げて論じた上で、「邪届伊都」を読み下してご覧なさい。
718縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/29(日) 18:20:27
九州説諸氏よ、このような畿内説による陰謀にのせられるのはよいことではないと思いますよ。倭人伝はそれぞれの比定地に
導くことができるように読むべきものなのです。つまり、始めに自身の邪馬台国を設定しそれに合わせて倭人伝の記述を恣意
的に解釈し自分の比定地にもってくることこそ肝要なのです。よろしいかな。

しょせん素人にとって邪馬台国問題など趣味の領域です。いかに自分が楽しむことができたかが大切であって、歴史の真実の
追求というのはわれわれの任ではありません。九州説同士で争うなどとはもっての外の話、まずは畿内説と考古学かぶれの者
たちをこの板から駆逐することが重要なのです。その上でそれぞれの心にある邪馬台国を心ゆくまで玩弄すればよい。九州説よ
団結しましょう。
719日本@名無史さん:2010/08/29(日) 18:24:31
>>717
私の記憶に依れば、竹内は「邪は、・・・」と邪を主語として読んだ。
これは「邪=邪馬台国」と解釈したもの。
これを「邪=よこしま」として「斜めの意」だと読んだのが古田。
しかし、起点なしにいきなり「斜め」では意味不明と言わねばならん。
私は竹内説を正しいとみる。邪馬台国は伊都国に届く(至る)ということかな。
だが、「届」は「屈」が誤記された可能性も考えられる(苑は誤字が多い)。
もしそうだとすれば、邪馬台国は伊都国を屈しめているという意味になる。
また、次の「傍」は「かたわら」(竹内の読み)ではなかろう。旁国の旁とみる。
旁国は斯馬国に連なって記載されているという意味にすぎない。
つまり、倭人伝に記載されている以上の意味は読み取れないというのが私の結論。
720日本@名無史さん:2010/08/29(日) 18:47:40
さすがは九州説のスター縄文人ださん。心から同意。いいことをいいますね。
721日本@名無史さん:2010/08/29(日) 18:54:30
>九州説諸氏よ、このような畿内説による陰謀にのせられるのはよいことではないと思いますよ。倭人伝はそれぞれの比定地に
導くことができるように読むべきものなのです。つまり、始めに自身の邪馬台国を設定しそれに合わせて倭人伝の記述を恣意
的に解釈し自分の比定地にもってくることこそ肝要なのです。よろしいかな。

自分に都合よく妄想していたってしょうがないだろう。

>しょせん素人にとって邪馬台国問題など趣味の領域です。いかに自分が楽しむことができたかが大切であって、歴史の真実の
追求というのはわれわれの任ではありません。

真実でない事を学んでどうする?
九州説だからしょうがないんだろうけどね。

>九州説同士で争うなどとはもっての外の話、まずは畿内説と考古学かぶれの者
たちをこの板から駆逐することが重要なのです。その上でそれぞれの心にある邪馬台国を心ゆくまで玩弄すればよい。九州説よ
団結しましょう。

果たして、九州説が纏まるの?
722日本@名無史さん:2010/08/29(日) 18:58:08
718は縄文人の偽者だろ?
723縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/29(日) 19:05:29
>>721
>自分に都合よく妄想していたってしょうがないだろう。

人間は誰しも心の闇を抱えているものです。鬱屈の多い実社会の息抜きの場として、虚実を楽しむのが2chという場でしょう。
例えばこの板の九州説には、っ九州邪馬台国が武力をもって東遷し、畿内邪馬台国を力で支配したという説をとる御仁がいます。
その説の当否はどうであれその御仁にとってはその説以外では自身の心の闇は晴れない。カタルシスが訪れることはないのです。

うまくは言えませんが、2chとはそうした役割を担うものでしょう。このスレごときで議論したところで、歴史の真実の何が掴めるで
しょうか。ここは便所の落書き場です。言いたい事を言い、説きたい事を説くことが重要です。邪馬台国は九州にあった。大和は
盆地湖の奥底にあったものを神武が大陸由来の土木技術で人が住めるようにした。これがわたしにとっての3世紀像であり、また
真実なのです。
724日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:10:51
カタルシスか……、
もはや、九州説は2chでしか生きられないってか。
虚しい……。
725日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:16:09
縄文人は畿内説に転向したのか?
それ以上、九州説を貶めるのは止せ!
九州説は趣味の領域程度の次元ではない。カタルシスを求める為でもない。
公に認められたしっかりとした事実そのものだ、馬鹿野郎、消えうせろ!
726日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:22:11
この知ったかぶりのおっさん縄文人も、ここのゴミクズ九州説が
ネタであり、フィクションであり、与太であり自分らにとって楽しめればそれで良いということをはっきり認めたみたいだがwww

この板は曲がりなりにも一応は学問文系・日本史板なんで(まあネタスレはどの板にでもあるが)
まっとうな歴史を追及するを本筋だとしてもらわないとなwwww

要するに畿内説とこの板のゴミクズ九州説じゃ邪馬台国ネタも楽しみ方が180度違うと…
(無論どちらにせよ所詮素人のお遊びの範疇だが)

畿内説はあくまで歴史として知的好奇心から
九州説は歴史を”ネタ”にして虚構の世界で遊ぶとwww

”現実的な”九州説なんて虚構の世界から引きずり出されるような
このスレの九州説なんて意味が無いどころか邪悪極まりない存在だとw
727日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:31:37
これ縄文人じゃないよな。
728日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:33:27
いや、縄文人だけがアホーなのだよ。
他の九州派はしっかりとした学問を論じている。
ネタでも、フィクションでも、与太でもない!
勘違いしないでくれ。
悪しからず。
729日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:45:48
>この板は曲がりなりにも一応は学問文系・日本史板なんで(まあネタスレはどの板にでもあるが)
>まっとうな歴史を追及するを本筋だとしてもらわないとなwwww
一番外れている奴が、それを言うか?
730日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:52:39
>これ縄文人じゃないよな。

そうかもな。
縄文人がこんな弱音を見せないな。
731日本@名無史さん:2010/08/29(日) 19:58:34
縄文人の偽者だべさー。
おーい、本当の縄文人。
732縄文人(真) ◆UULOoRrFDg :2010/08/29(日) 20:37:18
九州説諸氏よ、ご心配なされるな。むろん上の世迷言はわたしの言ではありませんぞ。世間に通用しないのは、年輪年代や
C14を乱用して箸墓が卑弥呼の墳墓であるとの欺瞞・捏造を行う畿内説のほうです。ここは学問版であり、九州説こそその王
道を行くものです。

畿内説こそ、自己の卑小さを皇国史観で糊塗しようとする代償行為そのものでしょう。むしろわたしたち九州説は、この畿内説
の歪んだ心情を理解し、懇切丁寧にその誤りを諭していくという大人の態度が求められているのだと思います。ご存知のように
一部考古学者を除いては、畿内説など世の中にないに等しい。到底認められたものではありません。邪馬台国は九州です。
そして、鉄器軍団により4世紀までには西日本一帯を強権支配したのです。
733日本@名無史さん:2010/08/29(日) 20:51:06
そうだろうな。
世に通用する現実的九州説は既に構築されている!
決して、妄想・私見などではない。
734日本@名無史さん:2010/08/29(日) 21:06:14
盛り上がって来ました。
さあ、九州説強化合宿だ。
735縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 22:07:22
畿内説派は「ゆるやかな首長連合」を否定されるのを嫌がるが、なんでかな〜。

倭人伝などの中国史書を見ても記紀など我が国の文献を見ても、「ゆるやかな首長連合」や「交易連合」などといった
部族の連合体を示すような記述は殆ど無い。邪馬台国を盟主とする倭国の体制はそんな「ゆるやかな」ものではない。
倭人伝によれば刺史のような(軍事力を背景とした)一大率を置いて諸国を検察しているのである。

そのように倭国を統率し得る邪馬台国であったからこそ魏は卑弥呼を親魏倭王に任じたのである。優れた戦略家、政治家
であった曹操が亡くなっていたとはいえ、司馬懿など有能な人物が指導していた当時の魏が力の無い邪馬台国の女王を王
に任じるわけがない。



736日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:09:47
ははは、こりゃ傑作だ。
畿内派に操られる縄文人か。

737日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:12:31
それは倭人伝が国家体制の整った中国人の認識で書かれているからだよ。それに対して当時の列島の
クニの状況、は三国時代の中国に比べてはっきりと未分化である。つまり文献には誤解がある。
考古学的知見からは「ゆるやかな連合」の存在を考慮するしかない。
738日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:14:16
>畿内説派は「ゆるやかな首長連合」を否定されるのを嫌がるが、なんでかな〜。

九州説を成立させる為だろうよ。

739日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:32:03
「ゆるやかな首長連合」なんてのは別に「畿内説」を成り立たせる為に存在するのではない。
日本の古代史を俯瞰すれば普通に出てくる概念。

それに脊髄反射で噛み付いて
ゆるやかな連合体と言う段階をすっ飛ばして、いきなりスーパーパワーが現れて
あれよあれよと言う間に全国平定なんてお話はもはや邪馬台国論争だの畿内説だのとは関係の無いレベル。

まあここのゴミクズ九州説だと

>鉄器軍団により4世紀までには西日本一帯を強権支配したのです。

…なんてお話が脳内でデフォになっているが現実にはそんな物はガキの考えた漫画ストーリーぐらいにしか思われないのがオチ
740縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 22:33:16
銅鐸が姿を消した時期については異説もあるようであるが2世紀のこととする見解が多いようである。
ところで、記紀にはこの銅鐸の記述が無い。ということは、大和朝廷の始祖とされる神武は2世紀以降に外部から
畿内に入って来たということを物語るものだろう。倭国乱の頃の神武東征が畿内およびその周辺の人々の生活を大
きく変えたのだろう。
741日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:33:38
あえて原点に戻って考えたい

根本的に日本の場合歴史の流れは西から東へ流れていくのです
近畿ではじまって西を制服などというのは、そもそも根本的におかしい
古文書ばかりにかじり付いて、
細かい記述の矛盾をつつくばかりでは謎が解決できるわけがない
今こそ、もっと広い視点と視野をもった総合的な考察が必要ではないでしょうか?

どう考えても歴史の流れは西から東
つまり九州から近畿へというのが絶対的に正しいのです
屁理屈ばかりこねるサヨ学者どもの言葉に惑わされてはいけません
742日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:37:42
>>737
>つまり文献には誤解がある。

まあ卑弥呼自身が混乱の末共立された存在で

そのプロフもめったに人に会わない鬼道なんてなにやら怪しげな物にのめり込んでいる
半ヒキコモリの不思議系オバちゃんだからなwww

ゆるやかな首長連合と言う語に脊髄反射で噛み付いている九州版皇国史観の連中にとっては

そこは強力な権力を一手に握る皇帝(カエサル)の姿が欲しいところだろうにw

「すなお読み」を標榜するあの連中はどう言う折り合いをつけるのか?w

743日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:38:08
>>741
>絶対的に正しいのです

白痴かお前は? 断言するなアホ。
744日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:45:13
九州説が衰退しているという見解は、九州説側に纏向発掘のようなパフォーマンスがないせいもあるだろう。
ここの九州説が協力して、何か話題作りをやったらどうだ。「2ch九州説による決定版 邪馬台国はここだ!」
出版とか。ww この企画でやってもいいという出版社がもしやあるもしれないが、九州説がまとまれるかどうか? w
745日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:47:34
まあゴミクズ九州説はおいといてだ…

先にも出てきた「魏略」「広志」にも先行する幻の資料X(仮)って今後見つかる可能性ってあるもんだろうか?w

そんな物が出てくれば邪馬台国論争も新たな局面を迎えると言うか
再起動するかもしれんがwwwwww

よく魏使より後代に成立した文献で
邪馬台国の記述に関し魏志には見られない記述がある場合
その幻の資料によったもの…と言う見方が出てきては結局否定されてきた…と言うのが今日までの流れだと思うが。


746縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 22:47:40
前方後円墳の築造が始まった時期については確定していないが、箸中山古墳などの巨大古墳の築造には膨大な労働力が必要で
あり、強大な権力がなければ為し得ぬことであろう。つまり、「ゆるやかな首長連合」では無理だろう。
箸中山古墳は4世紀に権力を拡大した崇神の墓であろう。
747日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:52:22
倭人伝は中国人が読むものだから、倭国の国情にしても当時の中国人に理解しやすいように、
というバイアスがかかってると見るべきなのは確かだろうね。
748日本@名無史さん:2010/08/29(日) 22:59:37
ゴミクズ九州説ブーメラン自爆劇場サンプルその1

>>741
>根本的に日本の場合歴史の流れは西から東へ流れていくのです

そう弥生時代のある時期まではそれが常識だった。
それがある時を境に土器や鏡、あるいは埋葬文化が東から西に流れ出すと言う現象が起こる。

それまでの「常識」に反した物だから意味があったw

749日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:05:45
・・・・・テクマク マヤコン 邪馬台国よ九州になあれ。
750日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:06:28
ゴミクズ九州説ブーメラン自爆劇場サンプルその2

>>746 縄文人
>箸中山古墳などの巨大古墳の築造には膨大な労働力が必要であり、強大な権力がなければ為し得ぬことであろう。

その膨大な労力を要する強大な権力の表れである巨大古墳。
そのベスト10あるいは5にすら入るような巨大な物が畿内遺骸にも作られる。
しかも被葬者は良く分からない(記紀にも載っていない)
それがやがて収束していく・・・

この流れにゆるやかな連合体から強力な中央集権的国家への
『ヤマト王権の変質』を見るのが今日の常識。

それはもう邪馬台国論争とか関係の無いレベル。

無敵鉄器軍団による全国平定なんて言っている基地外はネット上だけだろうなw

751縄文人 ◆eJeBHH9iA2 :2010/08/29(日) 23:13:21
畿内説とて弥生時代における九州の鉄器量の優位は認めない人はないだろう。考古学を振りかざすのであれば当然のことだな。
この鉄器は九州優位の象徴的なものであって、この外にも大陸由来の集団戦法、階級制度導入による軍律の強化など、畿内
ごときを平定するにふさわしい最強軍団があったことは間違いない。畿内軍など敵前逃亡者が数多く出るような規律であったろうな。
鉄刀による百人斬りのようなこともあっただろう。
752日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:17:00
日本神話を軽視しすぎる近畿学者どもに天誅を!
753日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:17:27
>>742
畿内説論者が倭人伝の明文を無視してゆるやかな連合にこだわるのは、畿内が
どうみても強力な武力を有していた形跡がない、畿内が武力で北九州を征服し
たとは主張し難い、ってことだろうな。
九州説は、縄文人も言うように、北九州諸国を一大率が厳しく検察していた、
当然、女王国は極めて強力な国家であった、だからこそ魏は倭国を重視した、
と見るんだよ。その女王が怪しげな鬼道をこととするとか、共立されたとかいう
ことは重要ではない。国家の力というのは、トップが強力な暴君かどうかで決ま
るものではない。子供が王であっても強国はある。そんなことは常識。
754日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:18:43
>>751
>鉄刀による百人斬りのようなこともあっただろう。

「南京大虐殺」ならぬ「大和大虐殺」だなwwwwwwww


…つうかツッコミかけて欲しかったらもう少し新機軸たのむw
そんな外出ネタ全てに突っ込めるほどこっちもタフじゃないw
755日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:20:57
>>754
けっこう大変なんだよ。
756日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:26:35
>それがある時を境に土器や鏡、あるいは埋葬文化が東から西に
>流れ出すと言う現象が起こる。
見方がまちがってんだよ。それらも、西から東への流れの中の話だ。

>この流れにゆるやかな連合体から強力な中央集権的国家への
>『ヤマト王権の変質』を見るのが今日の常識。
>それはもう邪馬台国論争とか関係の無いレベル。
ヤマト王権とか言ってることがモロ畿内説ってことだ。
757縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 23:27:18
>その膨大な労力を要する強大な権力の表れである巨大古墳。
>そのベスト10あるいは5にすら入るような巨大な物が畿内遺骸にも作られる。

遺骸は以外の間違いだろね。畿内以外に巨大古墳が作られても別におかしくないだろ。畿内の大王に忠誠を誓う
地方豪族の墓でもいいだろ。ところで、キミの言う畿内以外の巨大古墳とはどれかね。

>無敵鉄器軍団による全国平定なんて言っている基地外

誰がそんなことを言っているのかな?
758日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:30:21
>>753
だったらいつまでもグチャグチャ同じ事を言ってないで
その強大な軍事力を保有した一大九州帝国の痕跡を、考古資料をもってこいって話だがw

強大だろうが緩やかだろうが弥生後期、混乱後に現れた新しい秩序を九州に見るとするなら
玄界灘周辺地域に出現した前方後円墳、そこに見る広域首長連合ぐらいしかない。

このスレのここまでの展開を見ても具体的に考古資料をもって説明できるとしたら
それしかないのが現状。

まあアホは畿内に至る西日本一帯を武力支配した帝国なんて大風呂敷広げる前に
九州の半分ぐらいは支配した大勢力を先ず探して来いって話だなwww
759縄文人 ◆e1XeNN88FQ :2010/08/29(日) 23:34:16
無敵鉄器軍団による全国平定というのはわたし以外の九州説の方の説だろう。九州が機内を支配したのはあくまでも技術力に
よるものだ。つまり盆地湖干拓による新田開発によると、これまで何度も講義してきたはずだ。この功績によって神武帝は初代
天皇として皇祖の待遇を受けているのだよ。
760日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:36:36
>ゴミクズ九州説のアホどもへ

お前らさあ…

スレが違ったらせめて切り口は変えて話を進めるぐらいの芸当はできんのか?w

それとも畿内説が自分らを無視して事もあろうに九州説を組み立てだしたから
何とか邪魔をしてやろう、あるいはかまって欲しいからいつもの与太を繰り返しているとか?www
761縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/08/29(日) 23:39:15
>>758
前方後円墳の築造が始まった時期が確定していないのに何を吠えているのかね。

>畿内に至る西日本一帯を武力支配した帝国なんて大風呂敷
誰がそんなことを言っているのだ?邪馬台国を盟主とした卑弥呼時代の倭国は九州だからそんな大風呂敷は必要ない。
762日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:48:22
>>758
強大な軍事力を保有した一大九州帝国の痕跡ってどんなものを考えているのかな?
考古資料で軍事力の強弱を判断するってのは難しいぜ。
だからこそ、倭人伝の記述は大きな意味を持つんだよ。いくら土器を調べても
一大率が諸国を畏憚させていたってことが分かるわけはないよな。
763日本@名無史さん:2010/08/29(日) 23:50:29
>>761 蝿

で?
畿内説の出したカードを「それは年代が違う」と否定しても、じゃあ

>混乱後に現れた新しい秩序を九州に見るとするなら

…自分の方はどんなカードが出せるのかな?って話だがw

もう少し話の流れを読んでくれないかな?

何だかんだ言っても俺ってアホを相手に当たり前の事を更に噛んで砕いて説明してやると言う
ゴミクズ九州説どもにとってはありがたい存在なのだろうか?wwww
764縄文人 ◆e1XeNN88FQ :2010/08/29(日) 23:51:30
3世紀の九州に大きな統一勢力があった痕跡が発見されないのは現状の考古学から見てのことであって、実際には官僚制度を
基にした強力な支配体制があっただろう。各環濠集落ごとに、倭人伝にある大官「卑狗」、副官「卑奴母離」のようなものが置かれて
いたのは間違いない。鄙とは都に相対する概念であり、邪馬台国の中央集権的王都があった証拠になりうるだろう。
765日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:04:00
>>762
>考古資料で軍事力の強弱を判断するってのは難しいぜ。

おかしなことを言う奴だな

>>753 で
>畿内がどうみても強力な武力を有していた形跡がない、

…と言うのは強大な武力とやらを可視化し検証できると言う前提があるからこそ言える話じゃないのか?w
もう少し主張に一貫性を持たせろボケw

で「ゆるやかな連合体」を主張している側が(大陸・半島との交易の窓口たる)玄界灘周辺地域にその勢力の痕跡を具体的に述べているのに
「強力な武力で支配していた」と主張しているほうが具体的な痕跡を示せない。

普通に考えて逆だろうって話だなw
766日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:15:59
まあ「ゆるやかな首長連合」に噛み付いてくるのは
ゴミクズ九州説の低脳どもにとってそれが多分に観念的であって
アホでも噛み付きやすいからなんだろうがw

が噛み付くのは良いがそれがブーメランのように自分に返ってくることをわきまえた方が良いw
(馬鹿は何本自分にブーメランが刺さっても自覚しないんだろうがw)

「ゆるやかな連合体なんてありえない」と威勢良くほざくのは良いが
じゃあ九州の大半を強力に面支配した帝国なんて何処にあったって話で

そんな強大なクニを想定するなんて当の九州の考古学者でも考えていないだろう。

邪馬台国論争とか言う以前の問題。

767日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:21:13
>>765
私は「難しい」といっただけだ。君が「強大な軍事力を保有した一大九州帝国
の痕跡を、考古資料をもってこいって話」なんて喚いているから、見方を知ら
んみたいだなと思ってね。何が欲しいのかを聞いたまでのことよ。
768日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:21:32
そうね。古墳初頭の九州は小集団乱立で、前方後円墳や三角をヤマト王権から
分与されてありがたがってる状態。強大な王国があった様子はどこにもない。
奴国以上の存在は認められない。ここが九州説の一つの限界。具体物が出てこない。
769日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:29:22
>>767
正直何でも良いぞwwww

ここのゴミクズ九州説が三度の飯より好きな銅鏡のような威信財体系。

もしくは銅矛や銅鐸のような大型青銅祭器…もっともゴミクズ九州説は
平気で「銅鐸国」なんてほざくのだから祭器以上の意味があるんだろうがw

あとは祭祀形態、埋葬文化。

あるいは強力に支配した領域内で斉一性が高まった土器とか…

なんせガチガチの強力面支配した一大帝国なんだからそりゃ何かあるだろうって話wwwww
770日本@名無史さん:2010/08/30(月) 00:44:37
ゴミクズとか平気で使ってるような神経してる地点で
はなっから論争する資格すらなし、乙
771日本@名無史さん:2010/08/30(月) 01:08:36
>>769
理解はできんだろうが、大ざっぱに述べれば、倭国乱の前と後とを区別してみる
必要があるな。乱の前は、銅剣銅矛、鉄などを多く手に入れていた北九州とそれ
より南の国々とに分かれていた。北九州は、金印、ガラス璧片などでわかるよう
に中国、朝鮮半島からもそれ相応の国として認められていた。
南九州は、銅はなかったが、鉄はある程度手にいれていた。そして、玉璧で分か
るように中国からかなりの大国と認められていた。
その北九州と南九州が戦ったのが倭人伝が伝える倭国の乱。当然、勝者は南の方
だ。九州のほとんどが統一された。で、古墳時代に入って、南九州には北を凌駕
する古墳が築造された。一方、独自の文化も継続しており、他国の侵略に屈した
のではないことを示している。そのことは、有明海沿岸、肥後、日向と連続した
地域が発展していることによっても裏づけられる。
772日本@名無史さん:2010/08/30(月) 01:23:31
>>771
考古資料の話を「ぼくのかんがえたストーリー」に替えるなよボケw

九州の南北戦争で南が勝った?なんだそりゃwww
脳内ストーリーはチラシの裏にでも書いておけ。

773日本@名無史さん:2010/08/30(月) 01:34:08
>>768
だから、上にある「超縮小九州説」の発想を取るしか、現状の考古学と平仄をとる方法は無いんだよね。
逆手に取る云々というガイドラインが提示されているが、
これも一種の「逆手に取る」方法だと思う。

A:3世紀の筑紫は小国乱立にしかみえないわけだが
B:邪馬台国は小国だったんだよ。それで??

ということ。一応「逆手に取っている」に入れてもらえると思うw
そんなに奇異な発想では無い。
実際、ポルトガル人がはじめて鹿児島に来航した時、島津氏を「国王」と考えたわけだし、
その後ある程度情勢が明らかになっても、
「ドンフランシスコ大友宗麟」は、「ジパングの偉大なる王」だったわけで、
邪馬台国が地方の小国だったとしても、何の不思議もない。

「大中華帝国の公式文書が、そんな不正確な現状認識することは絶対に無いアルヨ」
という反論を必ず受けるんだが、
そもそも中華帝国からみて、日本と言うのは基本的に脅威ではないんだよ。
朔方の遊牧民と違って、死活問題として真剣に記述分析しないと、
明日首都が陥落するかもしれないというような勢力では無い。
774日本@名無史さん:2010/08/30(月) 01:34:42
>>771
>その北九州と南九州が戦ったのが倭人伝が伝える倭国の乱。当然、勝者は南の方
>だ。九州のほとんどが統一された。で、古墳時代に入って、南九州には北を凌駕
>する古墳が築造された。

「九州のほとんどが統一された」、から、「で、古墳時代に入って」の部分は、
もう少し言葉を費やして、丁寧に説明してもらわないと、納得できない。
つぎに疑問点を2点、列挙するので、回答されたい。

@倭国の乱ののち、すぐさま九州は古墳時代に入り、古墳をつくり始めたのか?

A九州、とりわけ貴殿が勝者と想定する南九州においてだが、
 わがくに古墳時代の象徴ともいえる前方後円墳築造の母体となる諸要素が、
 果たして倭国の乱以前の弥生時代南九州に見出され得るか?
775日本@名無史さん:2010/08/30(月) 02:10:15
>>772
考古資料だけをみても理解できないから聞いてきたんだろが。
普通の頭があれば理解できるはずだが、君に合わせて説明してやったまでだ。

>>774
@すぐかどうかは分からんね。古墳を考古学的に検討して結論をだすべきだろう。
 まあ、すぐと言うことではなさそうに思うが。
A今のところは何とも。だが、そんなことはどちらでもいいことだ。
 どこが最初でも、それでどうこう言うことではない。 

776日本@名無史さん :2010/08/30(月) 12:57:33
>>771
なかなか、鋭い指摘ですよ。
私も概ね、その意見に同意します。
八女に岩戸古墳がありますが、その部族がそこにもともと居た部族
か、南から進出してきたのか、今後の考古学の発掘であきらかに
なるのでしょう。

それと、畿内詐欺説で凝り固まっている連中は無視した方がいいですよ。
自分の考えはほとんどなく、人のスレの上げ足とりだけに夢中なクズ
同然の連中ですよ。
777ローガン:2010/08/30(月) 16:35:32
>>719
遅くなりました。

>私の記憶に依れば、竹内は「邪は、・・・」と邪を主語として読んだ。
これは「邪=邪馬台国」と解釈したもの。

違う。翰苑三韓に「南届倭人北隣穢ハク」とある。「邪届伊都」と同じ構文だ。
竹内氏はそれぞれ「邪は伊都に届り」「南は倭人に届り」と訓読している。
邪が邪馬台国だというなら、南はなんという国かな?
勿論そんな国は登場しない。これは「方邪」つまり、東西南北が「方」。南東、北西、南西、北東が「邪」つまり斜めだ。
だから注記に「倭国東南陸行五百里到伊都国」とある。

>私は竹内説を正しいとみる。

そう竹内氏は正しい。「邪」は国名ではない。
778日本@名無史さん:2010/08/30(月) 18:44:33
57年倭奴国金印
239年邪馬台国卑弥呼金印

ほぼ二百年のひらき、この間に九州から近畿に日本の中心地が移された。
たとえば、家康が三河から関東に移封され、関ケ原の戦いののち、大阪から江戸へ
日本の中心が移されるまでにたった10年。
その例から考えると、200年の間に中心地が移動することなどたいして問題にはならない。
神武東征が倭の中心地の東遷を意味することであれば説明は一応ついたと解釈してもいいと思う。

大和と書いて、ヤマトと訓ずることはおかしいと思う。
大和とは、倭という漢字を嫌った倭人が、倭から和に改めただけのことで本来、大倭と同じ。
だが、大倭、これをヤマトと読むのはいささか飛躍がある。
同じような飛躍に、飛鳥と書いて、アスカと訓ずるものがあるが
これは、枕詞であるようである。明日香といえば飛ぶ鳥を連想させるということであるらしい
ヤマトもどうようではあるまいか。大和、大いなる和国といえば、ヤマトであるという連想が
当時なりたつほど、ヤマト国の隆盛があったということではあるまいか。
とすると、大倭と書いてキュウシュウと訓ずる時期があったのではないか?
こう思うのである。

779日本@名無史さん:2010/08/30(月) 18:46:02
九州から近畿に日本の中心地が移されたのは、白村江敗戦後。
780日本@名無史さん:2010/08/30(月) 18:49:45
>>779
それはいくら何でもちょっと
では天智天皇以前の天皇は九州にいたと?
781日本@名無史さん:2010/08/30(月) 18:58:14
それは典型的な九州王朝説のたわごとだからレスしちゃダメだよ。ゴミはゴミ箱に。
782縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/08/30(月) 19:35:16
昨夜はわたしの偽者の登場でレスの真意が混ぜっ返されてしまったが、

>間は誰しも心の闇を抱えているものです。鬱屈の多い実社会の息抜きの場として、虚実を楽しむのが2chという場でしょう。
  例えばこの板の九州説には、九州邪馬台国が武力をもって東遷し、畿内勢力を力で支配したという説をとる御仁がいます。
  その説の当否はどうであれその御仁にとってはその説以外では自身の心の闇は晴れない。カタルシスが訪れることはない
  のです。

ここに込められた真意はいささかも変わってはいない。わたしの持論である大和盆地湖説は鬼面人を驚かすものだが、実際に
は地質学的な記録にもない、ありえないものだ。この2chで披露すれば九州説の新たなる強力な論客として大勢のフアンが付き
従ってくれると目論んだのだが、根拠を明らかにせよとの畿内説からの反論が多かったのには驚いた。しかし古代史というものは
根拠によって論証するものではない。自由に想像の翼を広げ、漢籍や記紀の記述を自在に掌中で弄ぶことこそ肝要であるのだ。
783日本@名無史さん:2010/08/30(月) 19:36:31
か、かっちょえー。
784日本@名無史さん:2010/08/30(月) 19:43:06
>>780
九州も近畿も一枚岩じゃないから、九州出身の天皇も、近畿出身の天皇もいたよね。
785縄文人 ◆mDGIQ/A4z2 :2010/08/30(月) 19:48:59
ここやドンと来い!スレにはサイキバと呼ばれる御仁がおるようだが、そのレス内容を読む限り実に頼もしい印象を受ける。わたしの
よき後継者となっていただけるのではないかな。よいかなサイキバ君、九州王朝が君の心の琴線に触れるというならどこまでそれを
貫けばよい。畿内説の持ち出す考古資料など糞食らえ、の姿勢で通せばよい。わたしは、わたしの自在な思弁を遮る根拠なるもの
が憎い。九州王朝なら、大和による徹底的な焚書で一次資料はすべて失われたと強弁すればよい。そうすれば古代は君に近付き、
心の翼が広がる。
786日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:04:00
古代史門外漢・文献史学でどっち説でもない自分から言わせると、
素直に読むと、九州説、畿内説どっちの解釈も苦しいんだが、
古墳が出る度に「卑弥呼だ!」「邪馬台国だ!」と騒ぐ考古の畿内説のほうがうさんくさい。
その古墳の出土物のどこに邪馬台国と結びつく物証があるんだ?と
ただ時代が近いだけじゃん。

無理な解釈はせずに、間をとって四国説にしたらいいと思うよ。
787日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:05:57
大和朝廷ですら年号成立以前は、ローカルな勢力の一つだろ。
天智天武以前は九州王の別名か、近畿勢力内での豪族の一つだろう。
倭の五王と天皇をこじつける向きもあるようだが、たいした根拠が無いので
個人的には倭王説は取らない。倭の五王は九州付近のローカル王だろう。

また、記紀に一切の記録がないことから、銅鐸の大和朝廷との繋がりはなさそうだが
銅鐸勢力は薄く広く関係を持っていたらしく
出雲だけじゃなく、ごく少量とはいえ九州吉野ヶ里からも銅鐸の出土がある。

イメージ的に広域連合なら、銅鐸勢力かもね。
軍事的連合と言うよりは、ただ単に小さな村同士が交易していたと言うだけだろうけど。
788縄文人 ◆mDGIQ/A4z2 :2010/08/30(月) 20:11:43
わたしは若い頃ある運動にかかわりそのために多くのものを失った。ただ一つ残ったのが体制に抗う気概だ。今はしがない金属加工
の工員だが、長きに巻かれるということはしたくない。畿内の王権が古くからのものであるなどとは認めることはできない。大九州こそ
王統の祖地、大九州こそ無敵軍団揺籃の地、大九州こそ現在の日本文化の根源であるのだ。

>子供の頃は 空を飛べたよ草に寝転び 心の翼ひろげどこへだって 行けたぼくだった。

789日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:12:55
狂っている・・・。
790日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:28:38
しかし、学会とメディアの趨勢が近畿説に落ち着いているというのはげせんな
九州王朝説再考の余地ありと信ず
791日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:33:34
いや、本当にまともな学者は、畿内説とか九州説という次元で
研究なんかしないから。

これだけいじられ尽くしたネタを使ったって、新たな所見など出ない。
つまり研究にならない。

注目集めて、発掘予算をせしめるためのネタに使っているだけ。
リップサービスしている本人だって、巻向箸墓の発掘成果が
邪馬台国を見つけられるとか思っていない。
792日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:37:55
>>784
・・・なるほど781氏の言う意味がわかりました
たぶん神功皇后とか入り婿した天皇のことを言いたいんでしょうけど(汗
793日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:39:26
@金印     後漢
A卑弥呼    魏
B倭の五王  南朝
C天智天武  隋唐 日本国の成立

という流れを見るとき、

壱中国史書文献
弐記紀文献
参古墳など遺跡出土品
四科学的分析による物的証拠

から、大和朝廷の場所と成立時期を割り出さなければならない
794日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:47:24
景行、成務、仲哀(神功)は
九州でばかり行跡が残っている。

北部九州の勢力である可能性はある。

ヤマトタケルでは、クマソ退治と関東攻略
とえらく飛ぶが。
795日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:49:07
>>791
激しく納得した。
研究費が優先だ。間違いない。
796日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:57:43
今どき、邪馬台国とか畿内説とか九州説とか書いても
科研費は下りないと思うんだな。

学会がどうとか言うのは、煽ってるだけ。
797日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:58:55
まあそれだけではない。半可通向けの新書にちょこっと邪馬台国を入れればそんなに外れはないからね。
邪馬台国の文字を目次で見ただけで買ってしまう厨も多いから。で、懐は潤うし(古代史フアンには)名前も
売れるし・・・森なんかはその最たるものの一人だ。新書系はそんなに放埓なことは書けないだろうけど、い
わゆる古代史本というのは罪が深くて,、初めて読んだのが九州王朝などなら、はい、トンデモ一人出来上がり。w
798日本@名無史さん:2010/08/30(月) 21:08:12
あとは、研究費というのとはちょっと違う。発掘の主体がその遺跡のある自治体(市レベルとか)になってる場合
も多くて、このご時勢学術文化にそんなに金は出せるもんじゃない。学校の耐震工事とか、下水道とかそんなのが
優先。ww で、リップサービスというのは、自治体の上のほうに、文化に理解があるように見せたいとか、観光資源に
なるかもとか、俗物根性を刺激して発掘を続けさせようとする意図もある。w ・・・これは冗談半分に書いたが、それだけ
ではなく地域住民の「そんなことに金かけて何やってるんだよ。」というのを抑える役割もあるだろう。
799日本@名無史さん:2010/08/30(月) 21:21:58
>>798
まあそうだな。あとは予算を使う以上議会対策などもせねばならんだろうし。
むろん発掘意義などに邪馬台国の文字は入ってないだろうけど、リップサービス
との相乗効果で発掘が認められる場合もある。このスレの厨にはあんまり関係の
ない話だろうけれど。
800日本@名無史さん:2010/08/30(月) 22:00:06
>>777
>ここの本文は、「邪届伊都、傍連斯馬。」邪は伊都に届り、傍、斯馬に連なる…「斜めに伊都国に届き傍らの斯馬国に連なる。」だ。
>伊都国と斯馬国の間にあるのは邪馬台国だけだ。

>南東、北西、南西、北東が「邪」つまり斜めだ。
>だから注記に「倭国東南陸行五百里到伊都国」とある。

東南陸行五百里は、北から伊都国に到るまでの話だ。伊都国より南の話ではない。
「邪(ななめ)は伊都に届り」というのは、どこが基準で、どこが斜めなのかな?
これも北から伊都国に到るまでの話かな? そうとすれば、ローガンは伊都国より
も北に邪馬台国があったという考えなのかな?

801日本@名無史さん:2010/08/31(火) 00:01:26
>>799
>このスレの厨にはあんまり関係のない話だろうけれど。

そうでも無いかもしれない。

なんせゴミクズ九州説の定番ローテネタに
「発掘費用において畿内は特別に優遇され九州は冷遇されている!」
と言うのがあるからなw

無論具体的な根拠を求めればトンズラと言うのがパターンだがwww

しかし今時ほんの僅かでも「邪馬台国」の文字で予算の引き出しに+αできるもんなのか?

あまり煽りすぎてもどうせ直接邪馬台国につながるような物が出てくるわけでも無いだろうに
あとで責任問題にならないのか?www

まあ発掘なんて言っても件数で言えば工事に先行する予備調査程度の物がかなりあるんだろう?

今のご時世公共工事がどんどん減ってくればそれだけ新発見の機会も減ってくるんだろうなあ。
(実際過去の大きな発見で公共工事・公共事業がらみってのもい多いし…)
802ローガン:2010/08/31(火) 00:03:18
>>800
さては君、翰苑をよんでないな?それに「方」と「邪」について反論あるかなと期待してたんだがね。 続けてもどうやら時間の無駄ですな。
803日本@名無史さん:2010/08/31(火) 01:25:32
2chで、畿内と九州の発掘レベル比較を提示して、九州の発掘が遅れている証拠を示せって、
正気で言ってるのかね?2chでどうやって証拠出すんだよ。

有明海沿岸や九州内陸部がどれだけ学術的に発掘されてるんだよ。畿内と同レベルのわけないだろ。
畿内が遅れている部分は、開発許可が下りないところが多いという点ぐらいだ。

こんな馬鹿なこといっているようだから畿内説はダメなんだよ。
804日本@名無史さん:2010/08/31(火) 01:51:06
>>803
何ヒステリー起こしているんだ馬鹿がw

「発掘調査において畿内は恵まれていて九州は不当に制約を受けている」
とほざいたゴミクズ九州説に自分の言の説明をしろと言っているだけ。

証明責任は言っている側にあると言う当たり前の話。

そんな当たり前の事すら分からないのがこのゴミクズ九州説www

大体ゴミクズ九州説が妄想している
「弥生時代の九州は他地域を圧倒して栄えた地域」なんて妄想は
何も近畿・関西の発掘により覆されたわけでもなく山陰や丹後半島といった日本海側や他の地域の発掘成果により

ゴミクズ九州説が必死にしがみついている
「畿内vs九州」でどっちが栄えていたかなんて比べっこ自体今や意味が無い。

ゴミクズ九州説は「畿内vs九州」でアタマイッパイイッパイで
畿内に対してのアドバンテージしか考えていないだろうがw

話はそれだけじゃ済まないのが現実w
805日本@名無史さん:2010/08/31(火) 02:07:33
しかし>>803みたいなここのゴミクズ九州説のメンタリティってなんなんだろうな?

都合が悪くなったら
「大和朝廷が徹底的に焚書した破壊しつくした!」とか
「現在の九州は遺跡発掘に不当に予算を削られている」
…みたいな話出してくるのは

某半島の恨(ハン)の思想?
こいつらの言う「畿内説」を「日帝三十六年」に代えれば違和感が無いようなwww

まあこれからは益々何処の自治体も苦しくなるんだろうが
それでも他地域から見れば邪馬台国ブームに乗っかる事ができた九州は
「上手い事やったな」って思われているんだろうなw

吉野ヶ里なんかその最たるものだろうが
806日本@名無史さん:2010/08/31(火) 02:57:18
[九州は不当に制約を受けている]なんて、誰が言った?
畿内説って、こんな一言一言が詐欺なんだよなwww
807日本@名無史さん:2010/08/31(火) 03:24:09
>>806
じゃあ正確にコピペするかな?

>>439
>馬鹿言っちゃいけない。畿内の発掘は、質・量・金額・人力・研究量すべて相当なものだが、
>九州はまだまだこれからだ。

…無論この手の話は今まで散々出てきて

その都度ゴミクズ九州説のアホのトンズラで尻切れトンボ。

で、何処まで九州の地べた掘り返せば良いんだ?

「七万戸」と記されたクニの中心、女王の居す都に相応しい空前絶後の超々巨大環濠集落が出るまでか?

鉄器の出土量に比例して他地域より人口が多いと言えるようになるまで遺跡を掘り出すのか?

漢鏡3期後もそれこそ「弥生時代の銅鏡は九州が99%」と言えるまで銅鏡を集めるのか?


この板のゴミクズ九州説=「掘れ掘れ詐欺」 の図だなw



808日本@名無史さん:2010/08/31(火) 03:39:30
前原市教育委員会のように、柳田氏がついて伊都国東遷を吹いてくれてるようなとこは
発掘は進んでる。糸島市なんかも伊都国歴史博物館を作ってヤル気満々。しょせん根拠の
ないところは堀りようがないんだ。

http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/33/hakubutsukan.html
http://www.itokoku.com/kankou/itokoku-00/index.html
809日本@名無史さん:2010/08/31(火) 03:46:57
なるほど。そうすれば有明海沿岸や九州内陸部は、工事のための緊急調査もほとんどない
ド田舎、地勢がよくない場所と言うことだな。そんなとこが邪馬台国であるはずはないな。
810日本@名無史さん:2010/08/31(火) 04:20:45
奈良県と福岡県だけの比較をするなら、発掘件数は福岡県の方が奈良県よりも遥かに多い。
811日本@名無史さん:2010/08/31(火) 06:18:21
>>802
何を気取っているのか知らんが、「南は倭人に届り」という用例があるからといって
「邪届伊都」の邪が方角だと言えるものではない。文章はおうおうにして対句の形を
とる。「邪届伊都」と次の「傍連斯馬」、邪と傍どちらも倭人伝の国を表している
るんだよ。君の読み方では意味不明だ。
812日本@名無史さん:2010/08/31(火) 06:31:44
>>802
ああ、今気づいたよ。「倭国」とあるから邪馬台国基準に決まっているという論法かね。
アホだねえ、倭国は邪馬台国のことではない。

813日本@名無史さん:2010/08/31(火) 13:41:00
倭国は邪馬台国を含んだ首長国連邦のことだろ。
倭国は邪馬台国とは無関係の別な国、というのは大間違いだな。
814日本@名無史さん:2010/08/31(火) 14:24:52
>>813
今ここで構築中の九州説というのは、その首長国連邦に属する九州邪馬台国が倭国を主導していたものなのか
あるいは倭国そのものがまだ固まっていなくて、倭国内で大きな勢力となっていた畿内に対して
九州交易連合が大同小異の結果、朝貢という手段で強大国の傘下に入ることで対抗しようとしたなどで
昔からある古臭い九州説とは別物だよ。

ただこれらにしても、最大勢力である畿内中心の交易連合が倭国であり
その中心が邪馬台国であるというマキムク説よりははるかに可能性は低い。
正確には、現時点ではその蓋然性は低いといったほうがいいだろう。
それを承知であえてやってるわけよ。九州説が瀕死状態だから。
815日本@名無史さん:2010/08/31(火) 15:16:18
倭国というのは倭の国々
つまり日本列島全体を指していう表現では?
邪馬台国というのは、その倭の国々の中の一部もしくは大部分
そういう意味じゃないかと考えます
816日本@名無史さん:2010/08/31(火) 15:44:07
>>815
魏やその他中原からすれば、どうやら東海の中にある群島に住む人々を想像していたみたいで
その中にはもちろん日本列島(北海道は未確認と思われる)及び海南島や琉球諸島
更には朝鮮半島南部から下手すると台湾まで大雑把に倭種であり、その中の一部のどこかが
とりあえず国としての体裁を整えてきたので、倭国ととりあえず呼んだと考えられている。

なのでその範囲は未確定。3世紀の時点では不明だとしか言いようがない。
倭人伝にも、邪馬台国と周辺30ヶ国までは国名だけはなんとか判ったが、その先は不明とあるからね。
817ローガン:2010/08/31(火) 15:53:38
>>812
>ああ、今気づいたよ。

何もわかってないやん…。
取り敢えず晋書裴秀伝を読みなさい。話を続けたいならそれからにしよう。
九州説頑張れ。
818日本@名無史さん:2010/08/31(火) 16:24:32
>>810
そもそも奈良県は、土木建築の規制が多いから、件数だけで騒ぐのは詐欺。
福岡はどこを掘っても何か出るような場所だが、規制が緩い。

件数じゃなくて問題はどれだけきちんと発掘したかどうかだね。
邪馬台国関連として、佐賀・熊本などは発掘が足りな過ぎると思う。
819日本@名無史さん:2010/08/31(火) 17:19:47
>>816
下手すりゃあ台湾までじゃ無く「倭」呼称そのものが南成分を強く含んでんでしょ?
北方種国には使えない言葉だろ。

今の中国は煽り言葉としても日本に倭系呼称使ってこんな朝鮮は使いまくってるがw
820日本@名無史さん:2010/08/31(火) 19:34:57
>>818
要するに件数として多くても掘り返し方が悪いって話なんかな?w
多分コイツラの満足いくまで付き合うとしたら九州全土を掘り返さねばならない羽目になるんだろうなwww


結局、ここのゴミクズ九州説が現在の九州の考古学的な成果に満足できないのも
このスレで畿内説の人間により語られるような九州説を認めることが出来ないのも根っこは同じ。

それは何れもが、このアホどもが持っている
「大九州主義」「九州中心主義」もしくは「九州版皇国史観」を満足させる物じゃないからだwww
821日本@名無史さん:2010/08/31(火) 19:51:39
それは金印の蛇紐の頃からの認識だろ。中国人は倭国の正確な国情などほとんどわからないまま書いてる。
それは後代の正史でも似たようなもの。倭人伝は不確かな文献。
822日本@名無史さん:2010/08/31(火) 19:53:45
そうだろうな。山海経とまではいかなくとも、エキゾチックなほど中国知識人には喜ばれた。ww
823日本@名無史さん:2010/08/31(火) 19:57:05
金印拝授の最大の要因は、東方に在るという伝説の女島が実在した!しかもそこが朝貢してきた!という魏の大はしゃぎ的勘違いだという説もあるくらいだからね
824日本@名無史さん:2010/08/31(火) 20:06:13
>>818
まあ中南部九州に関しては新たな発掘よりも、すでに発見された各遺跡の詳細な再発掘を望む声は多いわな。
平原が柳田らによる再調査で俄然脚光を浴びたように。
しかしそれはどこでも条件は一緒なんだよな。
山陰や瀬戸内などは、大発見の可能性が高い遺跡が十分な調査もされないまま埋め戻されているし
奈良県にしても御所市などは、市政が財政破綻寸前の中よくあれだけのものが見つかったものだ。
大阪でも重要遺跡があると見られている泉佐野市が、同じく財政破綻寸前で発掘どころじゃない。

ただよく勘違いされるのだが、何らかの弥生集落移籍がある場所というのは概ね判明していて
未だその一端すら未発見の巨大遺跡があるとは、もはや考えにくいのだけどね。
825日本@名無史さん:2010/08/31(火) 22:06:39
>>817
えらく方邪にご執心のようだが、まったく無関係だな。
邪届という用例でも探してみることだ。
826日本@名無史さん:2010/08/31(火) 23:49:33
久留米でも一端は櫛原とかで出土しているんだが
都市部のど真ん中なんで、発掘は当分無理そうだな。

また、ずっと人口集中地区なんで、奈良平安と
歴代の遺跡が重なっているのも発掘が難しい原因ではある。
827日本@名無史さん:2010/08/31(火) 23:59:57
箸墓古墳に特攻して発掘しちゃう根性のすわった奴はいないのかな?
江戸時代にかなり荒らされてるらしいんだが。
828日本@名無史さん:2010/09/01(水) 00:34:50
「卑弥呼」と書いた土器を埋めに行った奴なら、京大考古学の中にいるはず。
829日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:40:55
今でも、関西の某大学の考古学部では、新入生歓迎コンパは夜中に箸墓にこっそりはいり
発掘をするのが習わしだそうですよ。
箸墓辺で収集という土器等の遺物は、こっそり箸墓にはいり盗掘したものが主のようです。
違法行為ですから、箸墓でみつけたとはいえないわけです。
830日本@名無史さん:2010/09/01(水) 14:57:08
箸墓って、住宅が食い込んでるぜ
明治政府が、かなりランクの低い陵墓扱いとしたためだ
そんな墓より、今は蜜柑園になっている在野の古墳に表採に入る方が収穫は大きい
831日本@名無史さん:2010/09/01(水) 18:07:13
>>829
それはちょっと悪ふざけにしても度が過ぎている
やっていい事と悪いことの区別が付かないのかね
そんなことやって、
個人単位で好き勝手やらかすからますます訳がわからなくなるんじゃないか
しょせん考古学なんてそんなものか、怒りを覚えるね正直いって
832日本@名無史さん:2010/09/01(水) 18:15:06
>>831
お前本物の馬鹿か?
833日本@名無史さん:2010/09/01(水) 18:41:29
醜い自演だろう。九州文献馬鹿のやりそうなことだ。
834日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:13:03
で、本スレも終わったことだし、九州説に未来はあるのか?

正確には、ゆるやかな連合を想定しない九州説に生き残りの道はあるのか?
835日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:21:03
>ゆるやかな連合を想定しない九州説に生き残りの道はあるのか?

www ったく、ゴミクズ畿内説の「ゆるやかな連合」の連呼はどうにかならんか。私は馬鹿ですと叫んで
どうするんだ。ったく、くだらんwww
836日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:21:44
というか「ゆるやかな連合」というのは仮説だから認めなくてもいいが、どんだけ掘っても小集団ばかりで
広域を支配した強権国家など影もない、これは事実だから認めないと。上で九州は発掘が足りないとか
ほざいてる輩がいるが、3世紀に関してはどれだけ掘っても同じこと。
837日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:42:40
逆に北部九州の集落が小集団ばかりなのは、その各々が交易を主とした群雄割拠状態だったんだよな
それ故に大集団になれなかったのかもしれない。
個々の勢力が拮抗していたんだろうね
畿内の文化を受け入れた集団もあれば、断固拒否した集団もあった
その中で最終的には拒否した集団が埋没したのだろう
838日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:52:08
と言うかだな…

「ゆるやかな首長連合」を認められないゴミクズ九州説と言うのは

「自分は九州版皇国史観です。そんな物は認められません」
といっているに等しい。

「ドン来いスレ」で大和岩雄がゆるやかな連合体の中での東遷(と言うより奠都)を述べているのを紹介してみたが
実際のところ文献でも考古でもおよそ学者の看板あげている人間で
「ゆるやかな連合体なんてありえない」って言っている奴いるのか?

ゴミクズ九州説は知っているなら是非教えてくれ。

まあこんな匿名の掲示板ならゴミクズ九州説のように
好き勝手ほざいて都合が悪くなったらトンズラもできるだっろうがw

リアルの学者が「ゆるやかな連合体なんてありえない」と言うのは良いが
ヤマト王権の勢力伸長を、その「ゆるやかな連合体」と言う「段階」をすっ飛ばした形で説明できるのかって?話で

まあそんな事をしようとしたらここのゴミクズ九州説の九州王朝説みたいな
ゲテモノ・イロモノ・トンデモ・与太話しか出てこないのがオチだろうwwww

このスレであらためて認識できたのは
「大九州主義」「九州中心主義」「九州版皇国史観」がここのゴミクズ九州説の拠って立つ基本で
それを否定した九州説なんてこのゴミクズどもにはありえないとwww
839日本@名無史さん:2010/09/01(水) 23:58:41
中国の史書も信用できない書だ
840日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:00:10
「大和朝廷=邪馬台国」史観詐欺は、一般に畿内説詐欺と呼ばれています。
京都大学梅原考古学一派がこの詐欺集団の巣窟でしたが、今は全国展開しています。
841日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:01:14
まあ九州説の基本は『御国自慢』だからね
これは全体的には畿内へのルサンチマンと言い換えてもいいが
もし福岡に在ったとすれば、他の県は黙っちゃいない。特に高天原候補に一度は上がった宮崎などは、死んでも認めたくない
そして熊本、大分は阿蘇山とかを根拠にして引き下がらないし、長崎すら参戦し
しまいには鹿児島が名乗りを上げ、沖縄すら一部カルトが声を上げる

この『御国自慢』が九州説の根幹なんだろう。
だから卑弥呼の湯やら清酒邪馬台国やらを臆面もなく売り出して悦に入っている。

えっ?佐賀県?それどこにあるの?
842日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:04:13
これこそ卑弥呼ゆかりの遺跡・遺物だ、と主張するたびに論破され、
性懲りもなく当たらな詐欺ネタを出してくる。
これが日本の各界を牛耳っている、畿内説詐欺です。
843日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:08:16
>>842
この子は『牛耳っている』とか書いて、自分で恥ずかしくないのだろうか?
それだけの権力がある畿内説って、君なんか抹殺されてもおかしくないよねw
844日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:09:23
>>841
いや、少なくともこの板ではゴミクズ九州説には九州以外の人間も多い。
(「〜大好き」は関西で犬国や河童は関東だっけ?)

地域ナショナリズムと言うより、もっと何か屈折したモノがそのモチベーションの根源なのだろうwwww

意外と九州の人間の方がリアルサイズの古代九州を思い描きやすくて
少なくとも「九州版皇国史観」丸出しのこの板のゴミクズ九州説にはなりにくいとか?w
845日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:18:18
>>844
うん?河童ことプラムは大分の中年引きこもりだってことは
本人が迂闊に別コテと本コテを混同したせいで、バレバレになったはずなんだがw

まあサガミのように東北在住のくせに、なぜか小城にこだわるというか小城市役所に迷惑をかけまくりという輩もいるから、まあ色々いるんだろうけど

九州在野のアマ研究家は、極端に痛い人と冷静に考古成果の動向を見守る人に二極化しているというか
痛い人が大声を上げてがなりたてているというのが『現状なのかも。
846日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:19:16
>>838
ったく、毎回同じ内容の書き込みばかりで楽しいか?少しは進歩したらどうだ?

ゆるやかな連合体は畿内にはあったかも知れんが、卑弥呼の時代の倭国、その前の帥升の時代の倭国はゆるやかな
連合体なんかでは有り得ないだろ。帥升ははるばる洛陽まで出かけて生口160人を献じている。これは大変な経費
を要することと考えられ、弱小首長に出来ることではない。邪馬台国は一大率を置いて諸国を検察している。

こういうことは文献から分かることだ。
847日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:20:00
邪馬台国は銅鐸時代と重なるんだから
畿内だとしても、大和朝廷とは別物だろうに。
848日本@名無史さん:2010/09/02(木) 00:27:57
>>846
それ本気で言ってるの?

>>847

銅鐸時代ってwwww
まったく   wwwwwを何回繰り返しても足りないな
その九州の独立政権を想定するのにどれだけ苦労しているのかが、このスレだろうが
849日本@名無史さん:2010/09/02(木) 02:17:09
京大考古学畿内説詐欺集団が、
大勢で必死に2chに書き込んでいるな。

少しは恥というものを知れよ。
850日本@名無史さん:2010/09/02(木) 02:23:43
てか、それ以前にそもそもスレ違いw
851日本@名無史さん:2010/09/02(木) 02:52:09
>ヤマト王権の勢力伸長を、その「ゆるやかな連合体」と言う「段階」を
>すっ飛ばした形で説明できるのかって?話で

>卑弥呼の時代の倭国、その前の帥升の時代の倭国はゆるやかな
>連合体なんかでは有り得ないだろ。

ゆえに、邪馬台国は畿内ではありえない。
852日本@名無史さん:2010/09/02(木) 02:57:06
魏史そのものが伝聞による文書であるうえに倭国の情報は何年前もpものかも知れず。
853日本@名無史さん:2010/09/02(木) 03:21:52
そんな資料を基に邪馬台国の位置や規模なんて推測できんわな。
明の時代になっても朝鮮出兵の講和のとき、各武将に与えた明の官位では、
小西行長が徳川家康より上だったりする。
年代については、さすがに信用できると思うけど。

854日本@名無史さん:2010/09/02(木) 03:43:48
「三国志」のうち魏書東夷伝倭人条は3世紀末のものと言われている。
855日本@名無史さん:2010/09/02(木) 03:53:48
>>847
>邪馬台国は銅鐸時代と重なるんだから

それはどうかなあ・・・
おれは疑問だな

それと邪馬台国があった時代は西暦で言うと何年から何年までかな?
ここもまだはっきりしてないと思うけど・・・
856日本@名無史さん:2010/09/02(木) 04:10:21
>>855
邪馬台国史ではっきりしている事などなにひとつない。
857日本@名無史さん:2010/09/02(木) 07:00:30
陳寿がまとめたという意味では直接の資料ではないが、その文章は魏使らの書いた
文章をそのまま切り取ったもの。体験者が書いた文章と言って過言ではない。
不正確と言うべきところはない。
858日本@名無史さん:2010/09/02(木) 07:26:38
盲目的に信用せよというわけではないが
間違いというなら、根拠を添えて指摘するべき。
859日本@名無史さん:2010/09/02(木) 08:14:11
倭人伝がまちがっていたら、宋書、隋書など、後の史書で訂正されたはず。
しかし、いずれの史書も倭人伝を基本的に踏襲している。これは間違いが
なかったという証拠だ。
860日本@名無史さん:2010/09/02(木) 10:50:05
宋書、隋書にしても、基にする参考文献が魏志倭人伝しかないんだよ
魏略から一部引っ張っているものもあるが

だから『劣化コピー』と揶揄されているわけだ
861日本@名無史さん:2010/09/02(木) 11:23:51
旧唐書は新たな情報があるね。
862日本@名無史さん:2010/09/02(木) 12:09:01
さて問題です。旧唐書が編纂されたのは何年でしょう?
863日本@名無史さん:2010/09/02(木) 15:04:53
だいぶ大きな釣針だな。
864日本@名無史さん:2010/09/02(木) 19:00:36
宋書や隋書はかなり新しい資料を取り込んでいるよ。
倭人伝の単なるコピーではない。
865日本@名無史さん:2010/09/02(木) 19:24:40
>>859
孫引きの可能性もあるだろ。
現代でも大使の公電や報告書など、情報の誇張、過小評価、握りつぶしなんかは日常茶飯事だ。
当時、日本のことなど、ばれる可能性もあまりない。間違いだとしても中国側から見れば所詮、東夷のことだ。

信用性の評価は、せいぜい、「中国側はそう認識していた」程度にとどめるべき。

866日本@名無史さん:2010/09/02(木) 19:38:57
>>864
その「新しい資料」と言うのが新しい時代に出てきた資料というのなら意味が無い。

「魏略」や「広志」にも先行する資料から
「魏志」にも書いてなった情報が採用されていると言うのならともかく

その当事の知見・理解・解釈に基いて書き加えられたものでは意味が無い。

具体的に言えば「御覧」に引かれている倭人伝は明確に連続式に記してあるが
じゃあ御覧が「魏略」や「広志」にも先行する資料に明確に連続式で書いてあり
そこから引いたのであれば放射説なんか消し飛ぶって話だがw

実際にはその可能性は無いというのが(「東洋学」の)学者らの結論。

元は一つであったものを改編部分を別の資料からとった情報として
暗号解読ゴッコの材料にして益々わけの分からない話にしているのがここの九州説。

「考古学がどうたら」と批判する前に文献史学の手順をきちんと踏めよw
…という話wwwwwwwww
867日本@名無史さん:2010/09/02(木) 20:16:46
実際なぜここの九州説は魏使の報告書なるものにそんなにこだわらねばならんのだ?宝探しの前提だからか?

魏使が報告書を書いた・・・仮定  
報告書が魏朝まで届いた・・・仮定 
陳寿が晋代に倭人伝を書くにあたりそれを参照した・・・仮定

これらの仮定は現時点では証明できないものだ。証明できないものを土台に論を組み立てるのは、自分の説は
正しくない可能性があるよ、とあらかじめ言ってるのと同じだ。知能の程度を疑わざるを得ない。
868ローガン:2010/09/02(木) 20:21:18
>>866
まあまあ、取り敢えずスレタイに沿って…
九州説とはあくまで、魏志倭人伝の解釈でしょ?
では魏志倭人伝をどう読んで、邪馬台国を九州のどのエリアと考えるかを論じてはいかが?
そろそろスレも終わりだし…まとめ宜しく。
869日本@名無史さん:2010/09/02(木) 20:25:12
九州で問題なし
870日本@名無史さん:2010/09/02(木) 20:31:13
九州説は、大和説以外のその他説の中に吸収されました。
871神無月巫女:2010/09/02(木) 21:14:26
九州説は虚妄よ。蛸白痴なのよ。キャハハハハハ。
872日本@名無史さん:2010/09/02(木) 21:33:17
京都大サヨどもは学会のクズ
873神無月巫女:2010/09/02(木) 21:38:45
>>872
キャハハハ、こいつサイキバよ。キャハハハ。引きこもりの自宅警備員なのよ。キャハハ。
詐欺って言葉しか知らないの。何かを説明することもできないのよ。ンキャハハハ。
874神無月巫女:2010/09/02(木) 21:41:19
同じ馬鹿でも、太国のようなユーモアのかけらもないわ。
875日本@名無史さん:2010/09/02(木) 21:54:32
コテハンからして引きこもりのアニヲタわかり〜♪♪
876縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/09/02(木) 22:20:47
>>867

ははは。なにを言っとるんだね。古代の歴史は推定の積み重ねで語られるものだ。文献や遺跡遺物から推定されるものだ。
君が取り上げている3つの仮定は確かに証明できないかも知れない。しかし、荒唐無稽な仮定ではない。大いに有り得るこ
とである。それら3つの仮定が間違いであると根拠を挙げて論じるのであれば意義があるが、君の論では倭人伝に根拠を見
出せない畿内説の単なる「言いがかり」にすぎず、あがいているようにしか見えないよ。

877日本@名無史さん:2010/09/02(木) 22:22:10
>>867
ならば、邪馬台国がどこかなんて論じる必要はないだろ。全てやめることだ。
878日本@名無史さん:2010/09/02(木) 22:30:31
>>866
>「新しい資料」と言うのが新しい時代に出てきた資料というのなら意味が無い。
新しい資料は、それはそれで、極めて重要なものだ。
例えば、隋書に開皇二十年倭王アメタリシヒコがいたとある。その年、ヤマトの
天皇は推古だ。男王アメタリシヒコがいたとあるからには、隋使が訪れたところ
はヤマトではないと分かる。ヤマトとは別に、倭国があったということになるな。
また、倭国には、阿蘇山ありとある。これも倭国の本拠が九州であることを示し
ている。新しい資料の威力だな。
879神無月巫女:2010/09/02(木) 22:31:36
キャハハハ。出たわ縄文人よ。下品で無知なレスを振りまく基地外電波よ。キャハハハハハ。
880神無月巫女:2010/09/02(木) 22:34:09
878のこの名無しはだれ?攻撃されて死んだ九州王朝大好きが書いているの?
馬鹿よ、見てみて、大馬鹿よ。キャハハハハ、九州王朝犬にも劣る。キャハハハハハ。かわいそうな人。
881ローガン:2010/09/02(木) 22:38:54
>>876
>しかし、荒唐無稽な仮定ではない。大いに有り得ることである。

そう、さすが、ひぐ…いや 縄文氏。
その部分の論証をご教示ください。やはり縄文氏が現れるとスレが締まるなあ。
882日本@名無史さん:2010/09/02(木) 22:51:45
>>881
説明して貰わなければ分からんほど、難しい話ではないと思うが。
ちょっとは自分で考えてみたら?
883日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:00:32
九州野球団 「大九州スナオーズ」

1番レフト 「サイキバ」・・・「畿内説詐欺」以外のレスは基本的にできないが、自宅警備員のため
                 レス数の多さでトップバッターに。しかし100本に1本のヒットもなし。
                 それでも障害からくる鈍感さから、まったくメゲることはない。

2番サード 「九州王朝大好き」・・・確かに最近姿を見ないが、死んでも不思議ないほどの高齢者。
                      2chで頑張ったのは認めるが、古田からは功労賞すらもらえないのは悲しいなあ。

3番センター「恨み節」・・・・東遷を主張しつつも、その実像はまったく明らかにならないのは本人の能力不足か?
                 安本翼賛ホームページを利用した畿内説へのいちゃもんだけはやや見所がある。

4番キャッチャー「太国」・・・これはもしかしたら永久アク禁かもしれん。唐松山のレスを見ては歯噛みしてい
                 るか?天下一品の罵倒と、相撲・将棋のたとえ話が懐かしい。

5番セカンド「河童虫」・・・・・こいつはある時点で、自分に知識のないのを悟り、邪馬台国追求をあきらめて
                 漢文珍読に走った。それが正解だったと思うが、2ch引退はもっと正解。もう来るなよ。

6番ライト「縄文人」・・・・・・まずレスが下品で人格の低さがにじみ出てることで、同じ九州説からも好かれて
                 いないのは周知の事実。実生活での自己中ぶりが偲ばれる。

7番ファースト「日向東遷厨」・・日向には何のチャンスもない。もうわかっただろう。そうではないというなら、
                   それは馬齢を重ねただけ。

8番ショートストップ「サガミハラハラ」・・・先生、人生を誤りましたね。後悔はありませんか?
884日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:03:48
>>883
もう少し、役に立つことに頭を使えばいいものを・・
畿内説の根拠でもあげてみたら?
885日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:05:12
↑ 京大考古学詐欺畿内説の必死さが笑えます
886日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:10:01
九州野球団 「大九州スナオーズ」

9番ピッチャー・・・それは現在九州説のあなた自身。ところでこのバックで野球なんかできるものかね?

887日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:11:00
もう、いくら頭を使って古文書をひも解いてもダメなんだよ。
もう、実践あるのみ。
土木工事があると聞けば呼ばれなくても飛んで行って何か埋まってないか目を凝らす。
少しでも怪しいものが出てきたら、現場監督を張り倒してでも工事をストップさせて検証。
そうでないと、貴重な遺跡が破壊されてしまう。

畿内では、もうこの方法はあまり役に立たないけれど、九州なら、まだまだ目利きが見ればわかる遺跡がたくさん眠っているはず。
888日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:17:24
そう、さすが、ひぐ…いや 縄文氏。
その部分の論証をご教示ください。やはり縄文氏が現れるとスレが締まるなあ。
889縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/09/02(木) 23:27:17
言わずもがなではあるが、下記に関して。

>魏使が報告書を書いた・・・仮定  
>報告書が魏朝まで届いた・・・仮定 
>陳寿が晋代に倭人伝を書くにあたりそれを参照した・・・仮定

魏使の報告書について:
皇帝の使者は任務を全うすることが出来れば賞され、出来なければ処罰される。信賞必罰が原則である。
使者は任務を全うした証拠とともに報告書を提出する。その報告書は役所に保管され、後々まで(人事考
課などにも用いられる)資料とされる。そのようなものであるから嘘は許されない。

陳寿は魏使の報告書を見たか:
魏使の報告書(魏使の報告書かあるいは役人による記録)は魏朝の役所に保管されていたであろう。晋は
魏を引き継いだので魏朝の文書も引き継いで保管していたであろう。陳寿は武帝(司馬炎)に認められる
ほどの歴史家であったので、晋朝の保管文書を閲覧することが可能であったろう。

私が見て来たわけではないから、「・・・であったろう」が多いが、これはやむを得ない。
890日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:29:53
縄文人さんは 「砂糖大根」だから。
891日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:35:20
陳寿は朝鮮半島に赴いた形跡がない。したがって、陳寿が朝鮮半島やその先の
倭国の知識を得たのは、他の者が書いた報告書又はそれによって書かれた資料
の他にはあり得ない。倭人伝の内容は、直接に倭国に赴いた者でなければ、書
くことができないものである。してみれば、魏の時代、倭国に赴いた魏使の報
告書がその重要な資料となっている(孫引きも考えられるが)、と考えるのが
最も合理的である。
当時、中国は朝鮮半島に郡を置き、軍勢を派遣するなどしていた。まちがった
ことを書いたならば、史家の恥である。内容は吟味され、正確なものである蓋
然性が高い。
892日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:36:07
>>889
>晋朝の保管文書を閲覧することが可能であったろう

これは閲覧かどうかは知らんが、魏帝詔書が前文引用されてるところを見れば、中国側の文書は
保管されていただろう。しかし、行程記事はそうではないな。おそらくいろいろな情報がゴタ混ぜに
なり、陳寿もよくわからないままに書いてるとしか思えない。これで何かを説明した気になってるのか?
だから馬鹿だといわれるんだ。
893日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:37:56
>>891
三国志には間違いはたくさんある、というか他の正史にもたくさんある。
いいかげんにそんな宗教は捨てたらどうかね。
894日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:42:30
>>893
倭人伝を読んだことがあるのかな? どこがまちがいか、それを指摘して
立証してみたらどうかね。
魏志は不正確だなどというのこそ、宗教にすぎんのだよ。
895縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/09/02(木) 23:48:55
>>892
>これで何かを説明した気になってるのか?
>だから馬鹿だといわれるんだ。

なにを勘違いしているのだ?889は行程記事のことを論じたものではないぞ。馬鹿はおまえだ。
896日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:53:17
>>894
わからないやつだな。このスレで何度も出てくるように倭人伝は同時代のほぼ単一
文献だから、たちが悪いことにどこが誤りでどこが正しいかも検討のしようがないもの、
ということ。だから正解が出ないし、文献史学会でもあきらめた。あきらめないのは2chの厨だけ。
897日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:56:52
畿内説野球団「大日本スティンガーズ」ラインナップ

1番 ショート 「www」  ほぼ毎日出勤する。その名のとおり草野球を好む。又の名は「ジョーカー」。
2番 ライト  「改め」  スナオーズから無償トレードで移籍してきた。前所属時代は「神奈川県民」と言う登録名、最近は欠場が多い。
3番 サード  「唐松山」  ホツマ打法の強打者、この打法はすご過ぎて打球の行方が誰にも分からないと言うか、バットに当たったかどうかも分からない。
4番 センター 「老教授」  その打撃は破壊力満点、ただし、2年に1度くらいしか出場しないのでは無いかと言われている。
5番 ファースト  「ローガン」 守備範囲の広いベテラン選手、年寄りのくせに夜更けすぎに出番が多い。
6番 キャッチャー 「縦目仮面」  マスクマンなのでキャッチャー
7番 セカンド  「神無月巫女」 記紀を駆使する古典的畿内説と言うか、記紀オタク打法の使い手。
8番 レフト    このポジションは空き家、三日くらい精勤すればレギュラー獲得も可能か。
898日本@名無史さん:2010/09/02(木) 23:58:30
陳寿は卑弥呼と同時代人だ。
魏は、朝鮮半島にまで軍隊を送りこんでくる呉に対して、
邪馬台国と組むことで呉を牽制できた。
こんな状態だったから、同盟国=邪馬台国には軍隊を派遣して
正確に記述するのが当たり前だ。

畿内説にしてみれば、「魏志倭人伝などデタラメばかり」としないと
困るんだろうね。
899日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:00:40
「神無月巫女」ってあの百合アニメか? キモwww
900日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:02:22
>>896
893では、「三国志には間違いはたくさんある」と言っていたな。それが「どこが誤りでどこが
正しいかも検討のしようがないもの」だって? 間違いがたくさんあるといったのは全くの思
い込みということを認めるんだな?
901日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:05:46
>>900
読解力のないやつだなあ。(嘆息)中国側に他の文献資料のある記述は、比較検討して間違いを
発見できる。三国の戦いについてはいろんな資料がある。比較ができないのは東夷伝など、それ
にしか出てこないもののことだ。
902日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:07:58
>>896
>倭人伝は同時代のほぼ単一 文献だから、たちが悪いことにどこが誤りでどこが正しいかも検討のしようがないもの、

倭人伝の内容を検討する能力のない人間の言い分だな。
903日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:16:24
例えば、三国志の注を書いた裴松之は、何晏の伝記が晋代の司馬氏に対する政治的な考慮に歪曲されている
事実を指摘してる。また、梁の劉孝標も、何晏に関する記述が当時すでに伝説化されていて信じがたいものである
と記している。
904日本@名無史さん:2010/09/03(金) 00:25:15
>>883>>897

こういうの大好きw
縦目冴えてるなぁ

もはやネタでしかない化石九州説(最新九州説を一緒にするのは失礼だから、あえてこの表現)と
その化石をいじって遊ぶ主流畿内説の意地悪さをあますところなく表現している。
手放しで賞賛するよ、俺は。



・・・・・・ところで、俺もスティンガーズの9番に入れてくんない?
駄目なら代走要員でもいいから
905ローガン:2010/09/03(金) 00:35:55
>>892
>おそらくいろいろな情報がゴタ混ぜに なり、陳寿もよくわからないままに書いてるとしか思えない。これで何かを説明した気になってるのか?
だから馬鹿だといわれるんだ。

同意。再掲しておこう。
>>526:ローガン 2010/08/24(火) 21:15:57 AA
三国志に東夷伝が書かれた訳の一つに「以接前史之所未備焉。」があるでしょう。
その序文には「而公孫淵仍父祖三世有遼東天子爲其域委以海外之事遂隔斷東夷不得通於諸夏。
景初中大興師旅誅淵又潛軍浮海收樂浪帶方之郡而後海表謐然東夷屈服。其後高句麗背叛又遣偏師致討窮追極遠逾烏丸骨都過沃沮踐肅慎之庭東臨大海。
長老有異面之人近日之所出遂周觀諸國采其法俗小大區別各有名號可得詳紀…」とあり、
淵誅、及び位宮を追って漸く、東夷の事が解るようになったと。つまり「軍が動いた所は解る様になった」と読めるでしょう。
しかし、倭には進軍していない。倭の事が解るようになったのは、通使によるもの。
評に「使譯時通,記述隨事,豈常也哉!」とある。
これの意味は、「(軍が踏破していない諸国については)通使の言に従い記述したのみ。なので、客観的な(正確な)情報であるとどうして言えようか?否である。」 ではないか?
つまり、陳寿は倭人伝のテキストの信憑性を疑っていると。
906日本@名無史さん:2010/09/03(金) 01:26:57
三国志には倭人伝以外にも他国の事を語ったところがあるの?
907日本@名無史さん:2010/09/03(金) 01:29:26
正史本編にも
たしか公孫氏とか他にもいろいろ書いてあったと記憶しているけど
908日本@名無史さん:2010/09/03(金) 03:49:33
>>905
>陳寿は倭人伝のテキストの信憑性を疑っていると。
こじつけすぎだな。


909日本@名無史さん:2010/09/03(金) 09:24:46
畿内説かぁ
救いようあるのかなぁ
よく知らんけど
910日本@名無史さん:2010/09/03(金) 12:45:41
スレ主、登場

そして、九州説は救われるんでしょうか?
「現実的九州説の構築」「ゆるやかな首長連合」
九州派は畿内派の提案を受け入れるのでしょうか?

私としては、この先、邪馬台国論争の場で九州説がなくなって貰いたくないです。
九州派には今後、勇気ある決断を望みます。

ローガンさんを始め畿内派のみなさん、もちろん、九州派のみなさんも、ご協力ありがとうございました。
恐縮しますが、スレはもう少し続きます。
911日本@名無史さん:2010/09/03(金) 13:00:37
おれはとっとといなくなってほしいけどね。
その次に消えてほしいのが記紀厨な。
912日本@名無史さん:2010/09/03(金) 14:23:05
反日サヨ乙
913日本@名無史さん:2010/09/03(金) 14:35:00
九州以外に考えられない
914日本@名無史さん:2010/09/03(金) 15:53:26
ガンバレ、九州説!
死ぬんじゃないぞー。
915日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:03:30
全員が一斉に「箸墓こそ卑弥呼の墓」と大合唱する畿内説。
まるで北朝鮮のマスゲームですねw
畿内説がこんなようでは、そのうちに消えてなくなるでしょう。

真実を追究する九州説はゆっくり行きますよ。
916日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:03:36
地名等の点から考えても倭人伝が編纂された地点ではともかく、
元々九州地方から移って行ったことは、ほぼ確実かと
917日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:06:26
>畿内説かぁ
救いようあるのかなぁ
よく知らんけど

新聞、ネット等でこんだけ華々しい邪馬台国関連報道が続いていると、
このような九州派の発言ってホント寒いんだよね。
強がっている所がホント可哀相になって来る。
918日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:29:49
>>915
>全員が一斉に「箸墓こそ卑弥呼の墓」と大合唱する畿内説。

ソースは?

全員が一斉、は違う、たとえば石野博信とか反対説あるぞ
ここは確固とした九州説を再構築する場だからね、ウソを書いてはいけない
ウソを書くと九州説の旗色がますます悪くなる、自業自得だぞ
919日本@名無史さん:2010/09/03(金) 16:37:20
それ以前に、
そもそもなぜこのスレでアンチが特攻し続けているのかという疑問
必死なのはそっちだろww
920日本@名無史さん:2010/09/03(金) 17:33:49
>>915
たしかに畿内説はマスゲームのような気味悪さがあるね。
921日本@名無史さん:2010/09/03(金) 19:39:28
>>920
自演はアスペルガーのような気味悪さがあるね。
922日本@名無史さん:2010/09/03(金) 19:56:54
>>917
要するに現実逃避なのだろうね。
現実世界ではもう畿内説が圧倒的に優位で、自分の妄想に浸れる場所であるはずのネットでさえも
すでに現実に侵食されている事実を認めたくないのだろう。弱いんだよ、心が。

>>918
実際のところ、箸中山を卑弥呼の墓だとリップサービスでも言う学者って少ないんだよな。
箸中山の築造実年代を、230年頃に持っていく最も古く見る説もあるし
280年から300年当たりだとする説もある。どちらにしてもピンポイントには合わない。
案外250年ごろと見る説が一番少ないんじゃないかという気もする。
箸中山を250年頃、つまり布留0式をその前後に置く年代観を唱えている人って誰がいたっけ?
923日本@名無史さん:2010/09/03(金) 20:39:14
魏志じゃ他の国への進路をどう書いているの?

それで昔の国々を現代地図にあてはめたら、
表現や間違い等のクセがわかるんじゃないかな。

もうこれって誰か考証してる?
924日本@名無史さん:2010/09/03(金) 20:49:07
アスペルガーっていえば、やたらWWWを付ける粘着がいるな。
925日本@名無史さん:2010/09/03(金) 20:51:51
畿内説が詐欺であることは、私がアスペルガーであることと同様に正しい。
926日本@名無史さん:2010/09/03(金) 20:54:57
そのとおりである。
927日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:17:01
>>923
とっくの昔に検証されつくしている。
その結果、西域であるペルシャなどへの行程や里数、方角、戸数なども
日本(倭国)なんかよりよほど何度も使者を送っているくせに、大幅に間違っている。
要するに三国志ってのは、見聞報告書でも軍事計画書でもなんでもないんだ。
そこまで詳細に調べる必要もない。
928日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:25:25
「九州は今日も雨だった」

九州説に かけた意地、倭人伝の言葉を 信じたの。さがし さがし求めて、一人一人さまよえば、行けど切ない何もない。
ああああ 九州は 今日も雨だった

卑弥呼の墓を たずねても、冷たい風が 身に沁みる。愛し 愛しの人は、どこに どこにいるのか、教えて欲しい 安本よ。
ああああ 九州は 今日も雨だった

頬にこぼれる なみだの雨に、すべての物を 捨てたのに。こころ こころ乱れて、飲んで 飲んで酔いしれる。
考古学に恨みは つきないぞ。 ああああ 九州は 今日も雨だった
929日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:44:59
京大考古学詐欺畿内説って、こんなところに大勢で書き込んで、醜いね。
一握りの利害関係者しか、信じていない畿内説。もうダメポw
930日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:45:10
>>927
レスありがとう。

まじかーじゃあ倭人伝とかもどのくらい事実と見ていいかわかんないな。
931日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:55:31
もう少し記紀を見直す必要がありかと
倭人伝ばかりに隔たらず、
書記、古事記も含めた総合的な観点からの検討が必要です
932日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:58:43
>とっくの昔に検証されつくしている。
その結果、西域であるペルシャなどへの行程や里数、方角、戸数なども
日本(倭国)なんかよりよほど何度も使者を送っているくせに、大幅に間違っている。

これって、魏志は信用するな、という事だろう。
933日本@名無史さん:2010/09/03(金) 21:59:03
>>927
>日本(倭国)なんかよりよほど何度も使者を送っているくせに、大幅に間違っている。
どこが大幅にまちがっているのか指摘してごらん。
まちがっているという結論だけをきいて、鵜呑みにしているだけじゃないかな?
934日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:01:23
そのペルシャなどへの地理誌を河童に訳させてみいや。
面白いぞー。
935日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:04:25
邪馬臺国→邪馬台国
臺與→台与

なら普通に考えると

「ヤマトコク」と「トヨ」
「ヤマタイコク」と「タイヨ」

になるはずだと思ってしまうんだが
ここの先生方はどうお考えで?
936日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:06:24
>>932
まて、もっと身近な「東夷伝」の国々は以外と距離とかあってる気がするんだが。
937日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:14:51
>>935
それについては抗原されてないだけで、
みなさん本当は承知していることだと思いますが・・・でも自分は九州説です
938日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:42:48
抗原?
939日本@名無史さん:2010/09/03(金) 22:45:27
>>938
公言です。
普通に読めると思ったのであえて訂正はしませんでしたw
940神よ御降臨ください:2010/09/03(金) 23:00:20
九州説は、このスレの今のメンバーではダメだな。救世主が必要だ。
941日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:09:01
常識的に考えて九州でしょうが、当時の畿内は全くの別物(白山信仰の民)
942日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:09:06
もっと反論のしやすいメンバーに出てもらいたいってことかね?
943日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:17:56
邪馬台国スレだと、畿内説の根拠はどうなんだと突っ込まれる。
こういうスレタイにすれば、畿内説のツッコミを封じて
九州説だけを攻撃できる。

はずだったが、大した成果はなかったようだ。
944神よ御降臨ください:2010/09/03(金) 23:21:17
>>942
いや、知能指数がもう40ほど高い九州説の方だ。
945日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:21:44
ここの畿内説は、九州説の書き込みから逃げ回ってるだけで、まともな反論が
できる奴はいないな。今の九州説で最強の論は、伊都国=佐賀説だよ。
末盧国から倭人伝どおりに東南五百里、佐賀市付近に至る。これならば、方向、
距離とも問題なし。末盧国で上陸した理由も分かる、伊都国から南水行という
理由も分かる。これで畿内説は、完全消滅だ。
946神よ御降臨ください:2010/09/03(金) 23:23:47
その、知能指数80の答えではダメなんだ・・・・。
947日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:28:19
と言いながら、うまい反論はできない・・・
それが君の能力なんだよ。残念ながら。
948日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:30:06
今度は「畿内説の根拠を探ろう」
というスレでも立ててみるか?

さぞかし立派な論説が読めることだろう。
949日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:31:18
知能が高くても、畿内説の本質は詐欺だからダメなんだよ。
さらに知能が低いのも問題だけど。
950日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:34:49
そういえば以前、NHKかなにかの番組で邪馬台国の特集をやってて
最初は近畿説と九州説だと近畿説の方が支持は多かったのに
鉄の分布状況と古事記に記述されている東遷のことを番組内で語りだした途端、
たちまち支持が大幅に逆転してしまったことがありましたね
951日本@名無史さん:2010/09/03(金) 23:58:25
>>950
NHK?はて?松平アナが司会をしていた番組かな?

確か終始九州説が多数で「東遷説」で大逆転なんて場面は無かったと記憶しているが…

ゴミクズ九州説はさらっと嘘をつく。
952日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:11:44
邪馬台国の時代は畿内は白山信仰の民が牛耳っていて、北陸は越の国
中部地方は尾張八幡国群、それより東はよくわかってない
953日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:16:36
>>951
自分が言ってるのは近畿地方のアンケートのことだが?
鉄の分布状況と古事記に記述されている東遷の記述が番組内で語りだした途端、
それまで近畿地方のアンケートでは近畿という大和説のほうが多かったのに
あっさり多数派と少数派が逆転したんだよ
それにしても何かの一つ覚えみたいに二言目には「ゴミクズ」って
やはり畿内説支持者にはろくなのがいないようだね
954951:2010/09/04(土) 00:18:38
ちなみに>>951で言ったのは以下の番組
毎度おなじみ怨み節君御用達「邪馬台国の会」に出ていたw

http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo97.htm

第1回目調査
九州説支持 20236票 (66.7%)
近畿説支持 10106票 (33.3%)

第2回目調査
九州説支持 35087票 (62.4%)
近畿説支持 21102票 (37.5%)

…番組の終わり頃には畿内説が地味に支持率を伸ばした形か…

まあこんなもんだと思って見ていたがw

955日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:21:46
歴史を投票ってなんだかな?どっちの論理が素人さん達にわかりやすかったって事か。
956951:2010/09/04(土) 00:28:52
>>953
ハイ嘘の上塗り乙w

>951で出したリンク先の「邪馬台国の会」より…

第2回目調査

近畿在住の人の支持率

九州説支持 4028票 (34.9%)
近畿説支持 7499票 (65.1%)

計 11527票 (100%)

はて?

>あっさり多数派と少数派が逆転したんだよ

一体何の話かな?w

と言うかあの番組では東遷説は終盤間際”おまけ扱い”で登場だったと記憶しているがw

957951:2010/09/04(土) 00:31:39
恐らく今でもアンケートとれば九州説のほうが人気があると思う。
賭けてもいいwww


958日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:32:55
近畿説の連中は、テレビをみて一喜一憂か。少しはまともな本でも読め。
959日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:36:12
>>957
つまり九州説の方が圧倒的有利ということをおっしゃりたいと?
960日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:37:51
なんだこのレベルの低い話題は?
961日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:38:11
場所的に九州じゃないとおかしいってw
962951:2010/09/04(土) 00:38:14
>>958
この話持ち出したのは>>950なわけだが?w

仮に本人が嘘をついたという自覚が無いなら
記憶が願望によって改竄されてしまったんだろうwww

大方の畿内説にとっては九州説のほうが大衆人気があるのは想定済み。
むしろこの板でも畿内説の数字が予想より大きかった事に感心していたレス見受けられたw

963日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:38:38
無理矢理にこじつけている畿内説に比べたら
九州説の方が論理的だからな。

洗脳されていなけりゃ普通に九州と判断する。

そもそも根拠もない畿内説を信じるのは、
洗脳されているか、確信犯的詐欺のどちらか。
964日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:40:31
歴史を語りたいわけではなさそうだな。
965日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:47:12
その人はアスペルガーの引きこもりだよ。
966ローガン:2010/09/04(土) 00:49:51
>>910
>スレ主、登場

では、お暇を戴きます。お役にたてずに失礼しました 後はよしなに。
967日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:50:17
日本の歴史書は不比等らによって焼かれてしまってないんだな
もともと漢字なんて使ってない国なのに、彼らに漢字使用国にされてしまった
http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/petoro.html
968日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:50:58
トンデモ説を、△鏡や箸墓をネタにして唱えるのが畿内説。
いくらなんでも、近畿地方の利権がらみの人以外は、
こんな詐欺には騙されません。

九州説は、支持者が九州人に偏っていないのも特徴だが、
畿内説は近畿地方関係者が中心であり、学問以前の状態だ。
969日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:51:19
まあこのスレも終わりだが
結局まともに可能性を論じられるのは「北部九州主導説」で
広域主張連合体の中に九州邪馬台国を見るって話で

正直それ以外の話が出てくるのを期待したんだが…
(無論お話”だけ”ならいくらでも作れるんだが)

やっぱ畿内説諸氏にとってもハードルが高かったんだなwww

あとは老眼翁の魏志と魏略・広志との記述の差異に伊都国より南方に比定地を求めるって話ぐらいかな?

970ローガン:2010/09/04(土) 01:08:50
>>969
どうも前から気になって、
「老眼翁」…
縦ちゃんにも そうとう年配者だと思われているような。 生まれは伊勢湾台風の日なんだが…
971日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:11:38
>>969
うん正直ハードル高かったw
「北部九州主導説」ってのは、今後においてもまだ検討すべき事案だというのは間違いないが
本州ヤマト連合以外の九州連合を見いだすための材料がどうしても見つからなかった。
あなたが破鏡で共通項を探り出そうとしたように、祭祀形式や土器様相で探ってみたけど、徒労だった。
(というか、一瞬で論破される程度・・・まあこの板の九州説程度・・・しか出来なかった)
巴形銅器の分布と未発見地域との関連性や、庄内式の分布の薄い地域の共通性とかの考えたんだけどwww

とにかく広域交易連合に対する九州独自の連合が全く見えないんだよね。
奴国が朝貢したという文献事実から、もっと緩い縛りでもいいかと思ったんだが
それが成立するってことは、さらに強固な結びつきを『ゆるやかな連合』が持ってしまう羽目に陥るんだな。
そこまでの強い結びつきが『ゆるやかな連合』にあったとは考えにくいし、袋小路に入ってしまったというのが素直な感想。
972日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:14:19
>>970
ごめんなさい、それでもオレにとっては人生の大先輩です。
今夏の猛暑を乗り切られて何よりです。お体を大切に、いつまでもお元気で。
973日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:15:08
×  生まれは伊勢湾台風の日なんだが…
○  生まれは足尾台風の日なんだが…
974日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:20:37
まあねえ。畿内説というか考古学派はどうしても具体物を提示しなければ、と考えてしまうし、スレタイもそうだと思うんだが、
九州説諸氏にとっては具体物はむしろ邪魔で、倭人伝と記紀さえあれば十分という感じなんだよな。
975日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:21:00
ただこのネタは、元が九州説煽りだったにせよ
九州VS畿内という古い対立構図から、日本各地にあった有力首長国の連立という
現代の知己に見合う考察が為されるきっかけになりそうなので、2を立ち上げてもいいかも。

てかドン来いよりも実のある意見が多かったんだよな、ここ。
最初のほうは嘘つき日向厨、最後のほうはサイキバが乱入してきたけど。
976日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:25:50
>>973
えっと・・・伊勢湾台風って昭和34年(1956年)ですよね

でもって、足尾台風ってのは明治35年(1902年)なのですが・・・

もしかして・・・・・・消えた高齢者ですか?老眼翁は・・・・・・ひぃ!
977日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:35:07
・・・世界史含む歴板を見てると、力のある人はけっこういるんだけど 「ドンと来い!」なんかは馬鹿にされてて入ってきては
くれないんだよな。サイキバのようなのがいるせいもあるだろうけど。古代史専門でなくてもそういう人からは示唆に富むレス
がもらえるだろうけど。
978969:2010/09/04(土) 01:36:16
>>970 老眼翁

まあまあw今後とも落語に出てくるような近所の世間の広い物知りな
「ご隠居さん」的なポジションでヨロwww
979日本@名無史さん:2010/09/04(土) 01:59:34
>>971
「交易」を切り口に考えるなら、そもそも壱岐や博多湾岸に取って代わる
あるいは対抗しうるような、今風に言えば「交易ハブ」が有明方面に出現したって話も
「仮説のその又仮説」って事ですら聞いたことが無いしなw

まあ「破鏡」はダメモト以下で出したネタだったけど

「前方後方墳」はまだ芽があるかな?と踏んだんだが
その分布を調べて那珂とかに普通に出てくるに至ってものの数十秒であきらめますたwwwwwww

あと、九州に最古の物があると言う「豪族居館」とかw

この話の続きは「ドン来い」でも「終止符」でも良いんじゃないか?
どうせゴミクズ九州説がスレの趣旨に関係なく自説を垂れ流すのは同じなんだろうしwwwww
980日本@名無史さん:2010/09/04(土) 02:05:19
結局最後まで畿内説は、詐欺を根幹としたトンデモ説だったな。

「今でこそ畿内説は詐欺でしたと言える勇気を持とう!」スレを希望する。
981日本@名無史さん:2010/09/04(土) 02:11:20
畿内説のどこが詐欺なの?
具体的に書いてね。
982日本@名無史さん:2010/09/04(土) 02:22:13
スレ違いなのにわざわざ特攻し続けてる地点で、詐欺
983日本@名無史さん:2010/09/04(土) 02:40:19
ゴミクズ九州説の更に最底辺…

サイキバって「詐欺だああああ!」って
アホみたいに連呼する以外にやる事無いのかヨ ('A`)
984日本@名無史さん:2010/09/04(土) 04:04:13
卑弥呼がいなくなった途端に争い始めてるし、
邪馬台国の辺りは連合って言うほどの連合では無かっただろうな。
985日本@名無史さん:2010/09/04(土) 05:43:47
>破鏡で共通項を探り出そうとしたように、祭祀形式や土器様相
>で探ってみたけど、徒労だった。
>「交易」を切り口に考えるなら、
女王国やそれに従う国々には、何か共通のものがあるはずだと思ってるのかも
知れないが、くだらんハードルを設けたもんだな。
倭国の乱は、それまで交流が少なかった国と国との間で起こったと考えるべき
だろう。とにかく、三世紀後半から四世紀初めには前方後円墳が全国に造られ
る、そして四世紀後半には倭国の軍が朝鮮半島にまで進出する。そんな流れを
みたら、三世紀前半にはかなり広い範囲の様相のちがう国々が統合されていっ
たことを考えんとね。
986日本@名無史さん:2010/09/04(土) 07:56:45
>>975
これも残ってるし、サーバ資源の無駄使いはやめよう
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1258876085/
987日本@名無史さん:2010/09/04(土) 08:07:45
>>967
事実なら
神武の父誕生地が産廃の島になってるとかひどい話だなwww
http://www.beeguildmusic.com/pet/pet.html
988日本@名無史さん:2010/09/04(土) 08:15:28
倭国乱については遠距離のクニ同士の争いというのは、当時倭国はそのような社会段階には
なく考えられない。見られるのは近隣同士、耕地や水利などをめぐって争った跡。
前方後円墳の伝播については、伝播したのはその型式のみであり、地元の宗教的風習はその
まま残っている。緊密な強い結びつきは見られない。
広開土王碑に見られる戦闘については詳細はわかっていないが、複数のクニ合同での略奪行為
とも考えられる。少なくとも雄略天皇の頃まで倭国はまとまった状態ではなかったと見るべきだね。
989日本@名無史さん:2010/09/04(土) 08:16:57
いよいよ終わりだな、このスレも。
あと13・・・
990日本@名無史さん:2010/09/04(土) 08:17:52
>>988
で、倭国の範囲はどの程度と考えるのかな?
991日本@名無史さん:2010/09/04(土) 09:42:21
パート2用意!
992日本@名無史さん:2010/09/04(土) 09:43:46
いや、九州説チャンピョンを決めてからだ。
993日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:01:10
九州説のチャンピオンは、豊前宇佐説です。
行程は榎説+方位60度遷移説で十分説明できます。
卑弥呼の墓は亀山古墳です。
間違えありません。
994日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:03:59
またゴミスレ立てやがったな。

そんな状況なら
「畿内説の根拠を探ろうスレ」とか
「今でこそ畿内説は詐欺でしたと言える勇気を持とう!」スレ
立てても問題なさそうだ。
スレ立て合戦だな。

そんな状況になりたくなければ
速やかにスレ削除を行なうことを希望する。
995日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:04:27
方位60度遷移説ってのが問題だな。
100度変えれば、畿内説になってしまう。五十歩百歩だ。
996日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:22:46
>>994
このスレが消滅するまでに 》》》 スレが削除しなければ
自分が立ててみようか?
997日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:36:34
終わりだよ、終わり。
998日本@名無史さん:2010/09/04(土) 10:42:01
>>995
いや、遷移率60度は末羅(唐津)−伊都(前原)間の実測値だが、100度にはベースとなるものが無いだろう。
999日本@名無史さん:2010/09/04(土) 12:37:13
早く消滅させようぜ。
1000日本@名無史さん:2010/09/04(土) 12:38:29
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。