♪邪馬台国 ドンと来い♪ 79

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952日本@名無史さん:2010/09/01(水) 00:46:41
>>946
国生みは、島根半島でしょ。
スサノオは須佐の人、大国主は大国の人。
国譲りは、対馬の天照の指揮で、西日本の宗主権を出雲国から剥奪させた事件。
天孫降臨は、天照の孫(天孫)=ニニギが福岡県に上陸し、高祖山連峰に君臨した事件。
神武東遷は、落ちぶれた神武ら(久米軍)が雇用主を探して彷徨い、被雇用を諦めて近畿に乱入した話。
953日本@名無史さん:2010/09/01(水) 02:27:31
邪馬台が天皇に続く史実もなし。
954日本@名無史さん:2010/09/01(水) 02:32:40
証拠がないから史実じゃないなんて言ってると、いつまで経っても史実にはなりません
邪馬台はヤマトと呼ばないの?
ヤマトは天皇と関係ないの? なにこの人
955日本@名無史さん:2010/09/01(水) 02:58:35
>>951>>952
出雲神なるものの主力は、東国(東日本の太平洋側)に居る(祀られている)んだよ。
これをどう説明するのか?本当に古代の島根県民がドカドカと関東平野を占領したのか?まさか。

九州王朝説スタイルの、センセーショナルな表現を流用させてもらえば、
このことは、

「島根県の出雲大社 『 が 』 、東国在地の神々の系譜の始原を、遥か彼方の山陰に簒奪した!」

ということを示す。
ここに、出雲なるものの、決定的な胡散臭さがある。
スサノオや大国主は、本当に東国のいたるところに祀られている。
「氷川」なんて山陰の川と同様の呼称まで名づけられている。
だが、地理的に考えて、出雲人が、日本海側ならともかく、
究極の太平洋側である関東地方を征服したはずがない。
(実は、山陰が西南日本を支配していたというのもおかしい。山陰の勢力は、中国山地すら越えられない。
考古学的証拠としては、神戸にぽつんと極めて特殊な古墳が1つあるだけだ)

もう少し穏やかに書くと、
おそらく、記紀神話において、「出雲」というのは「非天孫系氏族とその神」の一般名詞だろう。
だから中身に統一性が無いのは当然。
そして、それらの全てが、山陰のローカル神社に「合祀」された。それが出雲大社。
これにより、(後の)千家氏・北島氏は、一躍、地方のローカル神官から大出世を遂げることになる。
956日本@名無史さん:2010/09/01(水) 02:59:57
>>954
>>邪馬台はヤマトと呼ばないの?

邪馬台は中国語で、ヤマトではないですよね。
957日本@名無史さん:2010/09/01(水) 03:03:36
>>954
史実の史は歴史の史で、史実の実は事実の実ですから。
958日本@名無史さん:2010/09/01(水) 03:25:38
>>955
出雲が関東を支配したのではなく、有史時代以降に山陰から人が流入してきただけ。
大宮の氷川神社がたまたま関東で信仰を集めるのに成功して分社が増えた。
白山神社などは非差別部落で信仰が推奨されて多く作られた。
山陰に関係ない諏訪神社、神明神社日枝神社のほうが関東に多いけどね。
959日本@名無史さん:2010/09/01(水) 03:26:13
>>955
時系列をまず整理しましょう

天津神、国津神の国譲りには九州と出雲という構図しかでてきません。
結果として、九州側が出雲に勝利し中つ国の平定が終わったという話です。
神武東征後の大和王権が成長する全然前の話ですよ
つまり古墳時代ではありません。

武南方神は信濃へ移りますし、その他の神も移動があったかもしれません。
当時、東日本が未開発であったとすれば出雲側の諸部族が東に逃れて再起を図ったと考えても
不思議ではないですから。
また、出雲とはもともと中つ国にあった九州を無視した販路に基づいたネットワークを意味したかもしれません。
同じ歴史を共有する部族の意識がある中での非支配関係のゆるやかな関係ということです。
その場合、販路を牛耳る商業集団をたたくことが即ち日別の名を冠する九州島の人たちにとっての
国譲りということだったでしょう。
960日本@名無史さん:2010/09/01(水) 03:31:01
国譲りは、西日本全体の宗主権を出雲から剥奪する行為です。
宗主権を剥奪するのとほぼ同時に、九州を侵略し支配しました。
それをやったのは、対馬の天照大神とその一族です。
紀元前100年ぐらいの出来事だったかもしれません。
961日本@名無史さん:2010/09/01(水) 03:34:12
日本記紀を編纂した人達が時系列を意識していたか疑問
962日本@名無史さん:2010/09/01(水) 05:03:08
>>956
>邪馬台は中国語で、ヤマトではないですよね。

邪馬台が中国語・・・・自分にはどう考えても<当て字>にしか思えないんですが
じゃ卑弥呼も中国語なんですか、台与も?
卑奴母離(ヒナモリ)も卑狗(ヒコ)もぜんぶ中国語で中国語の意味をもった語句だと?
はあそうですか、よかったですね(汗)
963日本@名無史さん:2010/09/01(水) 05:15:46
邪馬台をヤマタイとよんだのは本居宣長です。国学の大家でいらっしゃいます。
魏志にでてくる邪馬台国の人間の形容が野蛮でとてもヤマトであったとは思えないとのことで
ヤマタイというヤマトとは別の似て非なるものを仮定しました。
それまでの日本人はヤマトと読んでました。
私も素直にヤマトであると思います。邪馬台国の人の表現は魏人の蔑視観が反映されているのだろうと思っています
964日本@名無史さん:2010/09/01(水) 05:21:59
蒙古もモンゴと発音され、モンゴル人は中途な表記で侮蔑的な意味の漢字が使われていると抗議していますね。
ハンの称号も、シナ人にかかれば汗ですから。中華思想とは名前とはうらはらに卑しい思想ですよ
965日本@名無史さん:2010/09/01(水) 05:26:39
太古の呼び名は全部漢字は当て字です
古い地名なんてほとんど当て字で漢字に意味ない
966日本@名無史さん:2010/09/01(水) 05:34:54
もし邪馬台を「ヤマタイ」と読むのなら
台与も「タイヨ」と読まなくてはなりませんよね
でも「タイヨ」なんてどう考えても日本的な読み方じゃないw
「ヤマイ」とも読めるそうですけど、
その場合は「イヨ」になるので、これだったら確実に日本的な読み方です

で邪馬台を「ヤマト」と読んだ場合、台与は「トヨ」と読むべきでこれまた日本的な読み方です
それにトヨだと伊勢神宮の外宮に祭られている「トヨスキノイリヒメノミコト」にも繋がる感じなので
やはり邪馬台は素直に「ヤマト」と読むべきではないかと
967日本@名無史さん:2010/09/01(水) 06:55:51
邪馬台の読みなんて、実にどうでもいい話だな
ヤマトと読むから奈良でもないだろうし、万一サバイと読んでも福井でもない
>>966に至っては紹コウ本と紹キ本をごっちゃにしているし、しょせんそんな程度の理解での暗号解読ごっこにしか過ぎない
語呂合わせで遊んでいるだけだよ
968日本@名無史さん:2010/09/01(水) 07:37:55
>>967
じゃ、あなたのご立派な説とやらを聞かせてくださいよ?
969日本@名無史さん:2010/09/01(水) 07:53:43
>>968
好きに読め。ただし「アンジャバカンジャバ」とか「ヘゲモモクデリ」とか、他人に通じないマイ言葉では読むな
というか邪馬台というのは単なる記号にしか過ぎない
ここが2ちゃんねるという名前だというのと同じく、ただの記号
意味論やってんじゃねぇんだから、それ以上でも以下でもない。読みからは何一つ得るものはない。

つまりな、伊都だから糸島半島だとか、邪馬台だから大和だとかなんて話じゃないんだよ。
これらは考古資料に裏打ちされているから通説化したわけで、語呂合わせだけで決めたわけじゃないんだから。
970日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:08:33
>>969
地名を無視しろってんですか?
それに考古資料に裏打ちされているから通説化したって言いますけど
地名というさらなる裏付けがあったからこそ通説化出来たんじゃないんですか?
第一倭人伝を読むときに、
地名を無視してどうやって進路を辿れって言うんです?
971日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:13:29
>>970
あのね、倭人伝には不弥国ってのがあるよね
これ昔は「ウミ」って読んで、宇美を当てるのが文献重視時代の通説だったのよ
ところが宇美には碌な遺跡がないことが判明した
まわりにウミだのフミだのウヤだのと読む地名もない

だから単なる語呂合わせじゃだめだって、倭人伝の中でも証明されているんだよ
というか、君自身の邪馬台国探しの手法は古い
いまさら倭人伝を読んで探すなんてバカは普通居ない
もうそんな時代は4半世紀前に終わったんだよ
972日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:22:09
>>971
なにも私は文献だけに頼ってなんて一言も言ってません
私は考古学の発掘成果と文献という補完資料の両方とも欠かせないと思ってます。
じゃ本当に文献の助けなしに
考古発掘成果だけですべて事足りると?
973日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:31:26
>>972
極論が好きだな、君はw
しかし弥生時代に文献なんてほとんど役に立たないんだよ、なにせ比較史料がない
だから別に邪馬台国なんて名称は必要ない。実際考古学ではヤマト政権と仮称し、邪馬台国とは一切呼ばない。
このヤマト政権が文献に言う邪馬台国か否かなんて、今の段階でする話ではない。
ましてやヤマト政権に女王がいたかどうかなど、どうでもいいことなんだ。

万一魏志倭人伝という文献が存在しなかったとしても、さして問題はないんだよ。
困るのは暗号解読ごっこを楽しんでる連中くらいなもんさ。

マジな話、倭人伝をいくら精読しても邪馬台国の位置は判らないというのが文献学の出した結論であって
エラい学者様が見つけられなかった邪馬台国を、ボクが素直読みして見つけました!と言いたいだけの
歪んだコンプレックスを持つ連中が未だに暗号解読ごっこをやっているわけだが、君もそのひとりなのか?
974日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:39:49
>>973
>実際考古学ではヤマト政権と仮称し、邪馬台国とは一切呼ばない。

あぁなんだ、そういうことですか、イジワルだなぁw
最初からそう言ってくれれば私だってもっと素直に聞けたのに

>このヤマト政権が文献に言う邪馬台国か否かなんて今の段階でする話ではない。

なるほど納得です
ただ女王卑弥呼ってのはアマテラスの原形かもしれないし、これは引き続き研究は必要かと
975日本@名無史さん:2010/09/01(水) 08:46:37
>>974
納得してくれたとは驚き。
ここの板に常駐する文献至上主義者のひとりかと思ってしまったので
また馬鹿なことを延々ループしていやがるのかと勘違いした。
これはこちらも申し訳なかった。

>ただ女王卑弥呼ってのはアマテラスの原形かもしれないし、これは引き続き研究は必要かと

これは民俗学や宗教学の範疇かもしれないね。
アマテラスとイコールだとは流石に考えにくいけど
倭人伝を呼んだ後世の連中がアマテラスの骨格作り(つまり記紀神話の統合)の際に引用した可能性はあるが、ここから先はやはり根拠となる文献が存在しないので単なる想像の域を出ない。
976日本@名無史さん:2010/09/01(水) 09:09:17
>>975
すいません、じつは連続投稿規制に引っ掛かってしまいました

>ここの板に常駐する文献至上主義者のひとりかと思ってしまったので

違いますよ〜w
私はただヤマト朝廷の正しい成立過程が興味があるだけの素人です
だから、それ(真相に迫ること)がまず第一であって
自分が正しいと納得できる意見なら素直に耳を傾ける姿勢が大事だと思ってるんです
またそうしないといつまで経ってもコトの真相に至らない気がして

さっきは失礼しました。
てっきり在日かなんかが頭ごなしに邪馬台国 = ヤマト朝廷だということを
否定しに掛かってきたのかと思ってしまったもので(汗)

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1269689002/580

実際、今朝方こういう書き込みがあったんで、つい
977日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:23:08
>>976
でも在日でもサヨでもないけど、邪馬台国 = ヤマト朝廷には少々疑問あり。
ヤマト政権=邪馬台国だったにしても、このプレヤマトがそのまま大和朝廷に直結するかどうかは
いわゆる畿内説論者や学者の間からも異論が多い。
これは異民族の征服などを想定しているのではなく、権力主体が何度も変遷した結果として最終的に
あるオオキミ一族が政治的な勝者となり、その中でまた内紛を繰り返してやっと一応の形をとったのが天武朝以降だとする見方も多い。

ある意味邪馬台国などより、よほど重要な謎だろう。
978日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:33:56
>>955
いやいや島根から東国へ移住じゃなくて
事始まりの以前は出雲神を祭る人が日本列島に広く居住していたと
その後、中原では大和族が出雲を席巻し、国譲りの神話ができ、東国にだけ出雲神が残ったと
979日本@名無史さん:2010/09/01(水) 13:38:22
九州邪馬台国は、3世紀の首長国連邦=倭国の宗主国です。
この首長国連邦は大きくなって、のちに畿内も加盟するようになっていました。
宗主権の争奪戦が時々起きて、畿内からしばしば宗主国が出るようになりました。
白村江敗戦後8年目に、唐軍が倭国にやってきて、九州は内乱の地となり見捨てられ、
「西日本首長国連邦=倭国」は都を畿内に置いて、壬申の乱という革命を起こして、
「日本国」と改称し、畿内の「中央集権国家」となりました。
この国は、徐々に九州勢力を排除していき、畿内土着勢力が政権を牛耳るようになりました。
古事記・日本書紀はこの状態で編纂されました。
この政権が大和朝廷になっていきました。
980日本@名無史さん:2010/09/01(水) 13:56:17
>>973
>極論が好きだな、君はw
>しかし弥生時代に文献なんてほとんど役に立たないんだよ、なにせ比較史料がない
>だから別に邪馬台国なんて名称は必要ない。

君も極論が好きだな。
比較史料のない文献には顧慮する価値がないと言っているようなものだが、そのような態度は正しいか?
世の中には同じ時代には一つしかないという文献はいくらでもあるだろう。それらは意味を持たないのか?

ここは「邪馬台国 どんと来い」スレだ。邪馬台国なんてどうでもいいのなら来るな!!目障りだ!!!
981日本@名無史さん:2010/09/01(水) 14:25:57
↑ かなり痛いところを突かれたらしいwww
982日本@名無史さん:2010/09/01(水) 16:13:58
>>978
おもしろいです。根拠としてはどのようなものがあるのですか?
983日本@名無史さん:2010/09/01(水) 16:45:57
>>980
たしかに967氏?が言っていることは極論というよりは根拠があやふやであるようには思いますね。
もう少し説得力のある論理立てをしたほうがよいと思います。

魏志の記述が実地に即した文献と言えるかというとかなりあやしいという点がまずあって
さらに漢籍資料の特徴として、多義的な解釈を許すところも資料の信用性を著しく下げている理由の
一つだと思います。
邪馬台国の比定がどう文献解読を試みても不可能と判断されまして、色んな理由が考えられ
誤謬の修正という段階になっていますが、しかしもはやこうなると新たに提示される資料の信用性は
地に落ちていると言っても過言ではありません。

しかし、魏の存在した3世紀前半に倭国の邪馬台国の女王が倭国を治めていたという事実は
記紀のないようや遺跡の発掘によりある程度の蓋然性があるように思えます。
少なくとも、自分の中の常識によって判断された”合理的”な史実より信頼性が高いと言わねばならないでしょう。
ここの連中、もとい皆様は、魏志の記述によってすべてを判断しているわけではないと思っております。
新たな発掘資料が出れば、それを参考としてまた新たな仮説を提示するという形で先史の方向付けを
試みているのだと考えています。科学的な真実というのは常に反証可能性を有していう必要があるというのは
ご承知のことだと思いますが、つまりは、どのような学説も暫定的な真実である、(つまりは真実とは呼べない)
ということを示しているのです。絶え間ない仮説の提示こそ考古学発展に寄与できるのではないですか?
984唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/09/01(水) 19:08:10
ヤマト政権 巻向遺跡
二世紀末に開発が始まり。
3世紀中葉の箸墓築造を頂点とし、三世紀末には衰退する。
箸墓築造の頃には、大溝も土砂で埋まり、ほとんど使用に耐えないものとなる。

箸墓をモモソ姫とするなら、モモソ姫は天皇以上の権力を持つ。
しかし古墳が各地で造られることの説明が出来ない。

また、神功は磐余に宮を構える。三世紀末に大和東南部が衰退するかぎり、この宮を4世紀には設定できない。
つまり、書紀の神功は、三世紀末に磐余に宮を経営し、70年後の佐紀に祀られ、
応神はその40年後、河内に葬られる。

実在の人物とすると長すぎるが、年代的には110年の年月が必要である。
985日本@名無史さん:2010/09/01(水) 19:41:14
よくわからないのですが
自分のイメージでは墳墓築造というのは生前に事業がはじまり、
生口たちが少ない食事で鞭打たれながら目いっぱい働かされている
姿を思い浮かべるのですが、築造には何年くらいかかるものなんですか?
986日本@名無史さん:2010/09/01(水) 19:52:21
大林組の試算によると、箸墓の造営には延べ170万人の人夫(一日千人で6年間)が従事したとされる。
987日本@名無史さん:2010/09/01(水) 19:57:52
面白いよなあ。九州王朝説論者というのは、
本当に「反畿内王主義者」に過ぎないと言うことが良く分かる。
多元的を標榜し、畿内勢力の限界を散々叫んでおきながら、

>>960みたいに、
「西日本全体の宗主権」が、なんとあの山間僻地「出雲(山陰地方島根県)」にあったなどと言ってのける。
畿内を拠点に九州を支配するより、島根県を拠点に西日本全域に君臨するなんて、
どれほど難しいことか、思いもしない。
山陰というのは、日本海航路以外、完全な陸の孤島なのに。
だから、筑紫と出雲が争うというモチーフが、
国譲り神話の原型にあるとしたら、争奪戦になったのは明らかに山口県(長州一国)だけだ。
この程度のつまらんローカルネタが、脚色されて、巨大な話になることはよくある。

国譲りというのは、皇室が全国支配権を確立する歴史的過程の集大成であって、
「屈した他部族の神々」が合祀されたのが(おそらくその最初が)三輪山であり、
最終的には、島根県のローカル神社が目を付けられ、ここに合祀された。
出雲国造氏の、強烈なロビー活動があったことは、この氏族の扱いからも明確に分かる。

ただ、この「創作物語」によって被った氏族と神々の系譜と地理の混乱は、天孫マンセーの比では無い。
その典型が諏訪大社の縁起だ。
タケナカミカタは、明らかに太平洋側(現在の愛知県豊橋市あたり)から侵入している。
考古学的裏付けも明確で、諏訪下社は「越」の文化とはほとんど関係ない。
(このことは、今に至る長野県の地域対立(北信と南信)にまでつながる根深いものだ)
だが、出雲大社を島根県にしてしまったものだから、日本海側から侵入しないと話が繋がらないことになった。
それで、糸魚川あたりに、糊塗する縁起を創作する必要が出てきてしまった。
988日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:10:02
信濃南西部が東海、北部が北陸地方からの影響、これは時間差がある。中野市の柳沢遺跡では銅鐸・銅戈、鹿の絵画土器。
989日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:17:15
>>985

>生口たちが少ない食事で鞭打たれながら目いっぱい働かされている姿

まだこのイメージがあるのかねえ
そんなこと言い出したら、古墳時代なんかだと生口だけでも大変な人口になるし
奴隷収容所と考えられる施設すら全く出土しないわけなんだが
990日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:20:47
そうね。多数の奴隷は相当な規模のシステムがないと維持できない。
991日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:25:25
>>987
何かフィールドワークを根拠とする古刹縁起周りの考古学者っぽい思考ですね
しかし、伝聞というのはいろんな不純物がまじっているものだと私は思います。
そして、時系列が乱れてきて今も昔も識別不可能なほど平面的な議論に
なりやすいのではないかと危惧します。

私が注目するのは口承神話です。
古事記が稗田阿礼の暗記していた伝承の筆記による、というところがとてもユニークだと思うのです。

古来、世界的に見るとき、口承形態をとる伝承というのは
インドやヨーロッパの経典の伝承の初期に見られるのですが
のちの図書館における記録形態とくらべて、人間の思想的といいましょうか、
意識的なちがいが確認できるそうですね。

6、7世紀の文献記録がはじまるまでの時代と、それ以降の伝承は明らかに質的な違いがあると
私は思っています。
992日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:28:20
>>926
>神武天皇もまた、このような時には海賊行為を行う水軍集団の頭の一人だった。
なにを言ってるんだよ。
神武はシュメールの王族。
海賊などというあさましい行為とは一切無縁な高貴な出ですよ。
まさか、日本が海賊出身の王の国だとでも言いたいのでしょうか?
あんた、日本人じゃないだろう?
縄文人=原住民で神武の血は引かないと思っているからそういうことを言うんだろうな。
しかし、それは間違い。
アイヌを含めて、天孫族の子孫と混血していない日本人はほとんどいない。
せいぜい、明治以降帰化した韓国人くらいだ。
993日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:30:04
口承伝承だろうが文字記録だろうが、不都合なものは操作できる時代に記紀は書かれている。
994日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:34:54
くっ、もう残りが少ない

>>993
記紀の不都合に思える記録が多々ある中でここだけが不都合というのは恣意的ですよ
反論になってません
995日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:38:27
>>994
別に反論はしていない。記紀全体が不確かな伝承や恣意的な操作の塊。そう認識して読まないとトンデモに陥る。これは一般論。
996日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:42:32
口承のすべてが正確とは言いませんよ
今の時代の人さえその時代を正確に把握できているかというとかなり
あやしいですからね。どうしても主観とならざるを得ません。それは否定しませんね。
記紀とて、時代の人の時代観が反映されているとは思いますが
それは忠実に伝承されていると思いますね。
997日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:49:49
記紀編纂の大きな目的は持統朝あたりまでの正統性の保障と中国に正史として見せるため。
そのために不都合な伝承は選択されなかったり改変されたりしている。
998日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:52:11
>>997
あなたの意見はうけとめておきましょう
999日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:54:59
縄文人は、朝鮮出身という意見に賛成です。
1000日本@名無史さん:2010/09/01(水) 20:55:46
ビバ 邪馬台国
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