1 :
日本@名無史さん:
日本には、ただなる剣豪か存在します、
その中で最強は誰か?を決めたいと思います、
宮本武蔵、堀部安兵衛、沖田総司、柳生十兵衛、伊東一刀斉
樋口定勝、柳生兵庫之助、永倉新八、斎藤一、岡田以蔵、千葉定吉
清水一角、佐々木小次郎、芹沢鴨、歴代の剣豪は、まだまだ居ます
対決の決め事として 刀 槍 薙刀 鎖鎌 手裏剣 の 五つの
勝負とさせて頂きます、「武士、浪人、忍者、誰でも構いません」、
こいつが一番強いと思う人を一名上げて、その思いをぶつけて語って下さい、
↓どうぞ
2 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:30:43
松本
塚原
上泉
3 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:58:29
永倉新八、斎藤一、岡田以蔵、芹沢鴨
除外
新撰組は強かったかも知れないけど
一対一じゃないんだろ?
5 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:51:47
新撰組なんかより
まだ山岡鉄舟やら中村半次郎のほうが上じゃね?
坂本龍馬も最強剣豪の候補じゃないの?
荒木又右衛門や堀部安兵衛みたいに信頼できる資料がないと比較は
難しいよ。この二人の場合なら、堀部安兵衛が上かな・・・
荒木も凄いけど奇襲攻撃っぽいからな。
龍馬の場合、過去に襲われた経験があるのに用心が足りず、
しかも自分の隠れ家でやられてるからな・・剣豪と言うにはチョッと・・
イマイチだよ。
男谷信友
>>2 鹿島の英雄塚原卜伝に1票
しかし司馬遼太郎に言わせると剣豪・武芸者なんてえものは
男芸人のようなもの、らしい
義経、信長・・・・合戦の采配の上手さこそオトコの価値
10 :
日本@名無史さん:2010/06/15(火) 13:03:16
どうせこういう場合実績と失点の無さで上泉に落ち着く。
松林蝙也斎。相手の刀の上に乗っちゃうんだろ。凄すぎるw
>>2 松本備前守はわからないことが多すぎるのでちょっとな。
最後討ち死にだし。
本当に最強は、おそらく足利義輝。
討ち死には武芸者として決定的にマイナス。
男としてはかっこいい死に様だけど。
武蔵に負けた佐々木小次郎は脱落だろ
16 :
日本@名無史さん:2010/06/30(水) 18:58:17
上泉
終了
>武蔵に負けた佐々木小次郎は脱落だろ
そもそも「佐々木小次郎」は芝居ネタの命名だしな・・・
武蔵と戦った武芸者でも
夢想や高田は生き残っているから
「武蔵が手加減なしにぶっ殺すしかなかったレベルの強豪」
とはいえるだろうw
18 :
日本@名無史さん:2010/06/30(水) 21:53:19
小田切夕雲斎だろうな
>>17 んじゃ厳流でも岸柳でもいいけどさ
>「武蔵が手加減なしにぶっ殺すしかなかったレベルの強豪」
殺したのは武蔵の弟子たちだべ
>>17 高田には勝ちを譲ってもらった印象だし、神道夢想流側の伝承では権之助に再戦で敗れている。
白井亨
大石進
男谷精一郎
22 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 11:27:11
大石と男谷は真剣だと未知数だな
23 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 18:30:33
>>19 止めはな
一応、決闘そのものは一対一で行われた
そもそも小次郎に止めを刺したのが本当に武蔵の弟子かは怪しいらしい。実際は細川の藩士じゃねーかと原田夢果や上村道子が言ってる
>>20 崇白先生伝では三合して勝負が着かなかった末に高田が「槍の方が長くて有利だから俺の負け」と言って勝ちを譲った事になってるが、
兵法先師伝記では逆に武蔵が二本取った上で、三本目を高田に譲った事になってる
権之助との勝負は、一回目は第三者の史料である海上物語にも載ってるから客観性があるが、二回目の勝負は傍証できる文献や伝記が無い
海上物語と二天記では権之助は武蔵に遊ばれて完封された事になっていて、描写はいかにも小説風味って感じだが、
誇張を抜きにしても神道夢想流にもその伝承があるのだから、本当に戦っていたとしたら実際に実力差はあったんだろう
高田又兵衛との勝負は、自分の流祖に印象よく書くだろうから記述が分かれるのは当たり前だけど、どちらの記述を見ても、せいぜい腕比べの試合という感じ
ガチの真剣勝負では無かったんだろう
しかし、権之助が武蔵と再戦したって話は、些か出来過ぎじゃないのかね
そもそも一回目自体、武公伝に無いから本当に戦ったかは断定できんし、武蔵は後半生は大名や武家と癒着していて、そうそう立ち合いが出来たとも思えん
刀 槍 薙刀 鎖鎌 手裏剣の五つの勝負って事は、武蔵と兵庫が二強じゃないの
武蔵は手裏剣・薙刀の達人で、兵庫も新当流の槍・長刀を学んだ
たぶん1000人切りの米長邦雄
こんなつまらないカキコが人間に可能なのか?
武蔵はどういう系統の長刀を習ったのかな?
上泉信綱が最強だと思う。
>>28 判れば苦労しねえ。
武蔵自身「俺には師匠は居ない」って言ってるから、そもそも剣術も何処で修行したのかわからんし
一番ありそうなのは当理流経由だけど
上泉を推すのは肥厨
ヒチュウ?
実際あれだけ多くの流派の祖となり、
実績もあり、そして逸話からして剣の悟りを開いていると言えるし、
上泉を越えてる人物はそうはいないんじゃ無いかな。
あと戦国武将としての能力も高いし。
実績っつっても、結局身内評価だしねえ
まあそれ言ったら他流の有名人と試合した事あるのなんて、同時代じゃ武蔵くらいしかおらんが
流派の隆盛がどうのと言ったら、正体不明の唐人と一放に勝ったと弟子が言ってるだけの一刀斎が最上位って事になる
まあ公式戦や試合のビデオがあるわけでもないから、結局印象論にしかならねえよな
>>34 悟り開いたとか剣禅がどうとか、そういう話は上泉にかぎらず、色んな人間にある気がするけど
つーか物凄く抽象的な問題だろ、それ
小笠原先生に言わせると自分より前の人間の剣法は皆「畜生の剣」だし
ま、上泉の位が高い事は否定せんけどね
まあ宗矩が関が原の時に一族挙げた諜報活動で頑張ったからこそ新陰流流行ったわけだが
もちろん各地で受け継がれていっただろうが、中央の主流にはなれなかったろう
まあ仮に廃れたとしても、信綱の技量とは関係の無い話だが
こういうのは、誰が最強って言うのは難しいけど、
少なくとも一番のグループに上泉信綱はいるだろうな。
最強かどうかはともかく、明確に上泉信綱より強いと言える剣豪はいないと思う。
同じくらいの強さと言える人はいるけど。
『一刀流極意』によると一刀斎は塚原卜伝にも上泉伊勢守にも勝っているから
一刀斎が最強の剣豪だろう。
二天記以上に史料考証的にはデタラメな眉唾本だがな
小野さんは宗矩や十兵衛をコテンパンに叩きのめしている。
新陰と一刀流どちらが強いかは言うまでもない。
虎眼流とかどう?
流祖の内藤虎眼は柳生宗則にも勝った事のある猛者だ。
宗矩より強いというのは最低条件みたいなもので、勝てて当たり前。
最強争いは一刀流師弟対武蔵に絞られたか。
一刀流三祖伝の記述なんて史料価値ゼロだろ
>小野さんは宗矩や十兵衛をコテンパンに叩きのめしている。
剣豪の伝記の中でも最も信憑性に乏しい部類の一刀流三祖伝以外にソースあんの?
二天記とか信じてるヤツが一刀流に辛いってダブスタだろ。
武蔵は小野さんを避けてるから小野さんが最強だな。
“小野さん”って
なんだか身近なおじさんっぽいねw
どうやら一刀流最強で結論が出たな。
>>48 二天記信じてる奴とか何処に居んの?
まあ二天記は傍証できる史料の少ない伝記だけど、
一刀流三祖伝は傍証史料が皆無な上に徳川実記に真っ向から矛盾する伝記だからw
『一刀流極意』なんて与太本はそれ以前の問題
二天記の「信憑性の薄さ」というのは傍証できない逸話が混じってるから
例えば奥蔵院と戦った話とかは二天記が初出で、他の史料にも特に裏の取れる記述がない
だが巌流島の決闘や塩田浜之助の弟子入り話など、細部の違いはあれ他の諸資料と傍証出来るエピソードもある
つまり信憑性に乏しい個所も含まれているが、全てが虚構というわけではない
忠明が宗矩を薪で倒した逸話は一刀流の伝記の中では忠明が仕官する前であり、これがきっかけで指南役に就いた事になってるが、
実記の中では忠明が仕官したのは宗矩よりも前なので、この話は有り得ない。どう考えたって実記のが信憑性あるし
十兵衛が弟子入りした話なども傍証出来る史料はない。十兵衛直筆の伝記である月之沙にもそれらしい記述はない
武蔵が忠明から逃げたっていうのはそもそも出典史料がわからん
武蔵が宗矩と立ち会おうとしたとか会談したとかいう話なら鵜之真似とか、諸方にあるが。まあ信憑性は別問題だがね
国務大臣で哲学博士の笹森順造宗家を言うに事欠いてヨタ本書き呼ばわりだと?
この野郎いい度胸だな。
一刀流一刀流言ってるけど、
小次郎の名前が出てるし、中条流系と言った方が良いんじゃないの
>>53 >国務大臣で哲学博士
歴史学かんけーねーwww
一刀斎があの富田一放を倒していることから一刀流は
中条・富田流系でも最強と思われる。
二天記だって松井家の家臣で武芸師範の豊田景英や、文学稽古所の教師だった宇野惟貞だよ
史料考証がしっかりしてるかどうかとは全く関係ない話
>>56 “あの”って言っても経歴が全くわからんわけだが>一放
新当流の達人という“ふれこみ”の有馬喜兵衛と次元は変わらない
断絶した小野派一刀流を復刻させたのが笹森順造だっけ?
『武芸小伝』
有馬喜兵衛
有馬喜兵衛は松本備前守政信にしたがって刀槍の術に達した。
小次郎がガン流という流派の師範で、豊前ではでかい勢力だったんだろうと言うのは沼田家記から推察できるが、
実は中条流だったかどうかは確定出来ないんだよな
二天記の記述と、図説古武道史に所収されてる自斎が「佐々木小次郎」に宛てた中条流の伝書からその可能性が高いと言うだけで
後者が真筆であれば中条流系で確定なわけだが
>>60 実際に有馬豊前守の一族出身だったら、素性がはっきりしないどころか超エリートだよね
有馬喜兵衛「グアアアア」
有馬大和守乾信「喜兵衛がやられたようだな…」
有馬豊前守満秋「ククク…奴は有馬流の中でも最弱…」
徳川家康「小童ごときに負けるとは有馬流の面汚しよ…」
>>62 その説だと一刀斎と佐々木小次郎は兄弟弟子ってことになるんだな。
しかも五法の太刀を頂いてるから鐘巻門下としとは一刀斎と同格
卜伝、上泉に勝利した一刀斉と同格の小次郎に完勝した武蔵が結局最強か。
客観的な指標に基づいているのでこれはもう覆しようがない。
まあ基本的に公的史料には残らない奴らだから、判断は難しいわなあ
>>9 シバリョーは作家としては凄いが、歴史家の側面からみれば適当な人
まして武術の事なんてわからないだろう
大体、男芸人の何が悪いのかわからん
現代だって、アスリートや俳優に歌手、みんな、立派な男じゃないか
老害政治家や売国奴よりはずっと
>小野さんは十兵衛をコテンパンに叩きのめしている。
小野さんが閉門になったのって、確か1614か15年だっけ。
十兵衛が生まれたのが1607年、だからこの時で7歳か8歳か。
13の時に家光の小姓として出仕しているから、時期的これ以降立ち合うのは状況的に不可能。
すると小野さんは10歳そこらか、あるいはそれに満たない少年の所に押しかけに行って、しばき倒して「柳生、恐るに足らず!」なんてやってたわけか
さすが小野さん、パネエね〜
卜伝、上泉と一刀斉って勝負してない気がするんだが。
年齢的にいうと十代の一刀斎がもうすぐ死ぬ卜伝のところに押しかけていって勝った計算だ。
さすが
>>69の師匠だけはあるな。
まあ一刀流開祖でありながら上泉、ト伝の影に隠れた一刀斎
同じ将軍家指南役でありながら宗矩の方にばかり光が当たり、民衆人気は武蔵一人に持っていかれてしまった小野さん
知名度の点でいつも二番手、三番手に甘んじていた一刀流系門人の、潜在的な劣等感ってのは有ったんだと思う。
柳生に勝った、武蔵に勝った、という逸話を一刀流の弟子が作っても、一刀斎に勝った、小野さんに勝った、という逸話は武蔵や柳生の弟子達は作らなかった事が、その辺の心情を物語っているんでは
しかし、柳生宗矩にも、挑戦してきた剣士に猿を立ち会わせたとか、
塚原卜伝を「心が下手だ」とたしなめた、なんてうそくさい逸話が
あるわけだし。
武蔵については、それこそ。
要するにどの流派もボスを持ち上げるのには余念がなかったってだけの
話でしょ。
ト伝って梶原長門と落合虎衛門以外に具体的に誰と戦ってんの?
あとは宮本武蔵を鍋蓋で封じこめ、柳生宗矩に門前払いされたエピソードくらいだな。
76 :
日本@名無史さん:2010/07/10(土) 15:49:23
>>71 塚原卜伝伝説
元亀2年、常陸の国鹿島で死亡を確認される。享年八十三。
慶長末年頃、某山中で庵を編んで隠棲しているところを確認される。宮本武蔵相手に鍋のふたで圧勝。推定年齢当時百二十。
元和年間、琵琶湖の渡し舟に乗っているところを目撃される。無手勝流に流儀名を変更。推定年齢当時百三十。
寛永年間、江戸に出現。ぼけちゃったのか柳生宗矩に「心が下手だ」とたしなめられる。推定年齢当時百四十。
77 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 18:05:37
140歳を心が下手だとたしなめられる宗矩さんパネエwww
つか、宗矩に嫉妬して抗議しにいく卜伝さん心が下手すぎwww
復活とかパネエな
神の子かよ
剣の理を習得した者にとって復活など造作も無い
でたらめ文献が許されてるようだから、加当段蔵。
81 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 18:56:54
その蘇生の技が卜伝流の一の太刀なわけですね。
多分伊勢国司や公方様も復活して何食わぬ顔で生きてたんだろう。
>>80 マジレスするとデタラメ文献を排除したら剣豪話なんて成り立たないでしょ。
83 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:24:31
小説ドラマ漫画で著名なデタラメ剣豪
まあ文献批判をした上で、確実と考えられる試合や合戦での働きの比較、流派の特性や利点の比較、後代に与えた影響の
大きさ、体格などの個人的資質、武器の特性や有利性、後代の識者による論述・評判とか、論点はそこそこあるけど、これだ
と一般的な歴史以外の武術的な知識がいるからねえ。
個人的には竹刀試合しか経験のないもの、介者剣術のみの経験者は除外だと思う。
上泉最強説もあるけど、その技を受け継いで発展させた柳生兵庫〜連也斎あたりの方が強いんじゃないのか?
別ラインだと小笠原源信斎とか。
86 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 20:09:12
木刀(真剣)による組太刀と袋竹刀による稽古を併用していた所が技術的には進展が早いのではないか。あと忍者はどうだろう、
術を極めようとする芸者と、目的達成のためには砂でも石でも投げつける発想の忍者との比較は難しいかも。まあ、一対一の
白昼の対決となった時点で忍者の負けなのかもしれんが。
真剣勝負してないと、って話だと、どうしても江戸初期までと
幕末に限られてしまうんだよな。
天保の3剣豪も尾張柳生最強といわれる兵庫助、連也も外さざる
を得ないでしょう。
あと真剣に限るのだったら、新選組の組長クラスは外せないと
思うのだが。
真剣勝負の逸話は伝わってないだろうが柳生兵庫は一揆平定とかやってるので
真剣で人を切ったことがない人たちと一緒にするのは違和感がある。
穴沢流薙刀の印可を受ける等、長物の扱いにも長けていたので最後の戦国武芸者世代で
いいんじゃないかな?
89 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 20:33:55
おそらく剣技、刀法の技術的な比較なら、戦国末と幕末では はるかに幕末の方が進化してるはず。まだ合戦もあった頃は、
介者剣法(重心を低くして、鎧の隙間を突く、あるいはぶっ叩いてダメージを与える)と素肌剣法はそれほど分化してなかった
と思う。
新撰組は実戦初心者をうまく戦いに慣れさせるシステムがあったようだね。実戦慣れしてないと、額をかすって血が出たり、
指をちょっと切られただけでオタオタして構えが崩れ、致命傷を受けると思う。
90 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 20:54:05
新撰組の池田屋は象徴的で、藤堂平助は眉間を切られ、永倉新八は指をそがれてるけど、お互い真剣の遠い間合いから
切りつけ合うとやられやすい部位だと思う。実際、切り合いのあった場所では指がポロポロ落ちてるという話も聞くし。
新撰組は着込み(鎖帷子)着用率はどれくらいなんだろうね。この手のノウハウは千葉道場とかでは教えてはいなかったん
じゃないかな。介者剣法なら組討・・・柔術的な要素も大きいと思う。
野太刀自顕流と新撰組の近藤・土方だと
どちらが上だろう。
92 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 21:21:34
油小路では服部武雄は着込み着用だったという説があって、これだとかなりの奮戦ができるけど、実際にも強かったのだと思う。
まあ竹刀稽古うんぬんは俺の個人的な好みで、慣れの問題であり、絶対的な強さを表すものではないよね。
池田屋はまさに死地で、近藤はすごい覚悟で戦ったと思う。というか不意を突かれたとはいえ尊攘派の志士がちょっとだらしなか
ったかな。
93 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 21:55:41
>>91 近藤が「薩摩っぽの初太刀は外せ」と言ったというのは確証がないかもしれないけど、示現流及びその分派の薩摩拵えの肉厚の
刀での打ち下ろしは、受けたら刀が折れる可能性もあるし、受けた自分の刀の峰が頭にめり込んだという話もあるね。これは立木
打ちとか独特の稽古法で、膂力がつくだけでなく、一気に脳内のアドレナリンが分泌してすごい力が出るという習性が身に具わる
んじゃないかな。・・・ただ一気の打ち下ろしはやはりその後の体勢が崩れるだろうし、小手先の技に対する慣れもなかっただろう
けど。
初太刀を外したらよほどの示現流(その一派)の使い手でもないかぎり、
近藤クラスにはかなり苦戦しそうだ。
当時の示現流の剣客というと田中新兵衛とかになるだろうか。
近藤対田中なら、若干近藤の方が強そうだな。
96 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 22:47:32
いずれ「猿叫」なども脳内アドレナリン分泌(このあたりは俺の妄想かもしれないが)のためのものだとしたら、千葉道場の理の剣
とかとは対極の方法論が薩摩にあったということで、これはちょっと驚き。東郷重位は碁盤切りで、碁盤もろとも畳から床板まで
切り下ろしたという話があるよね。
あと実戦というのは、試合でも競技でもないから、刀が手元になかったからとかいうのはその時点で負けという気がする。平素の
覚悟を含めての武術だから。一度も実戦を経験したことがなかった人は、時代に恵まれたというか、よい剣生を送ったというべき
じゃないかな。もちろん強かったと思う。
近藤の強弱はよくわからんな。
阿部十郎の比較には出てこないし、竹刀稽古では弱い説もある。
ただ、あくまで竹刀稽古では、という限定かもしれない。
>>97 竹刀で弱かったのは、ほぼ確定じゃない?
道場破りが来ると、錬兵館に使いをだして強い人を借りにいったというし、
そのために近藤は永倉なんかを食客としてかかえてたんじゃないのか?
ただ、真剣で弱かったってことはやはりないでしょう。
実際に修羅場くぐり抜けているわけだし。
99 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 23:23:22
対示現(自顕)流を目的に編成された警視庁抜刀隊とかどうだ?
「戊辰の復讐」が目的の東北出身者の方が身内の多い九州出身者より士気が高かったらしいが。
巡査隊には斉藤一や会津の佐川官兵衛も入隊している。
>>84 全日本体道連盟の瀧元誠樹先生は、自身の論文や講義などでたびたび宮本武蔵や五輪書を武術的な観点から肯定的に取り上げているね
まだ四十そこそこだったはずだが、この人は達人だよ。
武術と身体運動に非常に造詣の深い氏が言うのだから、宮本武蔵名人説は信用できる
101 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 23:51:43
>>100 武蔵は強かったと思いますよ。第一に当時としては抜群の体格の理があるし、勝負の回数も多かったようです。また「運」というもの
を勝負を左右する大きな要素と捉えている節があるけど、これは謙虚な姿勢だと思います。ただし二刀の技は普通の人には学びが
たいでしょうね。
>>101 二刀の型は鍛錬型の意味合いが強かったと言う意見もありますね
103 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 00:21:37
>>102 なるほど。まあ、世界的には片手剣と楯というのは普通ではありますが。あと新撰組なら、斉藤一の片手突なんかが有名かな。
武蔵は試合を引退した後の方が強いと思うよ。
試合している時期は、強いと言っても様々な流派の開祖が達した境地には至っていないと思う。
引退と言うより、試合をする事に否定的になったと言った方が良いか。
106 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 00:38:23
それは・・・難しいとこですね。例えば坂本龍馬なんか当時珍しかった短銃を所持して、幕吏から逃れたりしている。これは龍馬
の興味が個人としての剣からもっと大きなものへと移っていったのだと解釈してるけど、これが最期の暗殺に繋がったともいえる
気がするね。
高田や夢想と戦ったとされる時期も引退した後だしね
>>106 龍馬は乱戦で無理に短銃を使って、手に大怪我を負ったしね。
あくまで武術家としてみるなら、龍馬は手段に拘って状況にそぐわない戦い方になってしまったのだと思う
いや、坂本龍馬の場合は、単純に剣士としては弱かったからでしょう。
師匠の海舟の方がよほど強そう。
海舟を暗殺しに行ったというが、海舟が剣を抜いたら龍馬がかなう相手
だとは思えない。
高田については、誰かが書いてたとおり、ちょっと考えにいれるべき
ではないんではないかと。
110 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 01:03:12
・・・ただ剣というのは個人を高めるものという側面が強いと思うので、ある程度のところまでいくと、禅とか兵法とか政治とかに
興味が移っていくんじゃないんですかね。実際に身体は若いころの動きはできなくなるだろうし。・・・仏教が小乗から大乗に移
行していくような感じで。
112 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 17:20:27
現代人は誰も見た事も会った事も無いのに解る訳ないでしょ?実際残ってる歴史資料だって誰か遊び半分で造ったかもしれないのに…(´Д`)
113 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 17:29:46
その道の専門家よりタコの予想の方が当たる事も珍しくないしな
勝負は水物ってか?
115 :
日本@名無史さん:2010/07/12(月) 22:56:58
まあ、現代の剣道の試合でも運は大きな要素だよなあ。負けて死ぬわけではないけどね。
116 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 19:17:28
勝海舟は性豪でもあったらしい
勝負は技術だけで決まるわけじゃないからね
スポーツでも技術がある奴が必ず勝つわけじゃない
命をかけた殺しあいなら技術以前に精神面のが重要だろうね
取り敢えず殺人童貞は省くべきだな
男谷は試合名人であっても剣聖と呼ぶには違和感あるね。
119 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 20:19:27
実戦は慣れからくるノウハウがあるはず。未経験なら浅い切りつけでちょっと傷を受けただけで狼狽して構えが崩れ、そこを
切り込まれて致命傷を受けると思う。これは場数もあるし、新撰組のような集団戦に長けた職業としての人斬りにはかない難い
のではないかな。
沖田でしょ。
根拠はないけど、どうせ今さら決着つけられない妄想ごっこなんだ。
沖田であってほしいというレベルで十分なはず。
122 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 20:43:09
沖田の有名な突きは平突きだったという説があるな。これは刃を横に寝かせた形で、肋骨に当たらぬように突けるとか、刀の反りに
よって相手に受けにくくさせるとかいろいろ利点はある。ただ、突きを外されたら横に薙いで切る、というのは言葉では簡単でも実際は
難しいね。
>>121 昔から片金のほうが強くなるとも言われてるからな
124 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 21:15:33
道場での竹刀試合はそれで死ぬわけではないからなあ。ただ、武士であれば竹刀稽古以外にも真剣での素振りや工夫はしていた
だろうと思うけどね。あとはいきなり実戦に放り込まれた際の各人の覚悟の問題もあるだろう。勝と岡田以蔵の話もあるけど、「話せ
ばわかる」とか言ってるうちにやられるやつも多いんじゃないか。
要はアレだろ。ホーリーランド読んでこんなこと思いましたってことだろ。
そういうのいいから。
126 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 21:31:48
この手の話は武板じゃなきゃ無理か、やっぱ。
武板の方がむしろ荒れる傾向にあると思うが。
>>122 平青眼って天然理心流ではポピュラーな構えじゃなかったっけ?
128 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 23:49:21
かなり半身の平青眼だったようだけど、そっからどう動いたかよくわからんらしい。組太刀・形に突きがあったかどうかもはっきり
してないんじゃないか。
あとスレタイに手裏剣とか出てるけど、これってどうなんだろ?
今の天然理心流って多くが伝書からの復元なんでしょ?
130 :
日本@名無史さん:2010/07/14(水) 00:27:32
薩摩示現流はかけ声に特徴があるそうだが、いったいどのような声を出すのやら。
首切り茂吉と言う農民がいた。
17歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
首を切る時には鎌を使っていたという
稲を刈るがごとく首を刈る姿から「首刈り茂吉」と言われていた。
その強さから高禄で召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
自分の申し出を断られ激怒した信長は斬りかかるも、茂吉は「やるならやんぞ!!」と怒鳴りあげ信長を震え上がらせたと言われている。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首刈り茂吉は有名である。
かの秀吉も茂吉を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
茂吉が刈った首は100を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと武士達の間では伝説的な農民であった。
57歳の時、ついに茂吉は関ヶ原にて討ち死にした
銃弾が頭に当たり即死だったという。
40数度の戦に出て、生き延びた首刈り茂吉。有名ではないがまさに最強であり多数の戦をした男であり
その武勇伝説は現代にまで伝わっているのである。
民明書房刊 〜乱世のつわもの達〜 より
茂吉凄いなw
最強は茂吉で決まりだな
133 :
日本@名無史さん:2010/07/14(水) 06:41:20
現代の手裏剣術なら、空手家の芦原英幸がかなりの使い手だった。
>>120 とは言え、沖田最強説は阿部十郎の談話であっさり否定されてしまう。
>>130 ようつべ行って示現流や自顕流で探してみるといい。
俗に言う「チェスト」ではなく「キエエエエ」「イエエエエ」って
感じの叫び。猿叫という。
マジレスすると濃尾無双と恐れられた岩本虎眼
柳生宗徳にも勝っている
宗矩に勝つのは基本
137 :
日本@名無史さん:2010/07/14(水) 17:39:17
岩本虎眼も小野さんと立ち会えば火のついた薪で全身火傷にされるのがオチ
138 :
日本@名無史さん:2010/07/14(水) 19:27:21
指6本使用につき反則負けです
>>134 それこそ、安部と新撰組との関係だけで、
信ぴょう性をあっさり否定できるからね。
阿部は憎んでいた近藤についても剣の実力は認めていたぞ。
沖田も弱いなんて言ってない。永倉の方が稽古が進んでいたといっているだけ。
ちゃんと談話を読んだのか?
その談話が、どこまで信用できるのかといってるんだよ。
そりゃ奇襲かけたのに討てなかった近藤については、
どんなに憎らしくても「弱い」とはいえないだろう。
だが、反近藤派の永倉と、肉親のように近藤をしたっていた沖田の、
いったいどっちに安部が好感をもっていたかは明白だ。
「沖田?あんな小憎らしいガキより永倉くんがましだ!」といった心情は、
容易に推察できるのだよ。
永倉て池田屋で親指の肉が削がれたんだよな
その後、指動いたのかな?
だったらそもそも強い人間として沖田なんて出さないだろうがw
沖田クンを最強と言わない阿部さんキライ、といった心情は、
容易に推察できるwww
沖田が強いと示したかったら阿部以外の隊士の証言とか出せばいいのにね。
根拠は出さないで論じなければならないなんて決まりでもあんの?
やっぱ沖田きゅんが最強じゃないとな
永倉自身がそういってるしな。
147 :
日本@名無史さん:2010/07/15(木) 21:50:23
新撰組の面子が最強の候補に挙がるってのは
眉唾だぜ
あちこちで、○○流だの勝手に名乗ってたのを、
連日連夜、実戦で投入したのだから、信頼性は高いよ。
誰がどう勝手に名乗っていたのか人名と流名を頼むぜ
全国レベルで、実戦投入した人名と流名があるならそっちが先な。
太平の世の中で、道場やって、道楽みたいに他流やって最強?
ままごとだろw
151 :
149:2010/07/15(木) 22:18:37
何が言いたいのかさっぱりわからんぞ。
152 :
日本@名無史さん:2010/07/15(木) 22:19:44
新撰組は強かっただろうが、一対一の対決などという発想はない。それは職責が警備・取締りであることを考えれば当然であり、
剣を振るった目的は強くなるためではなく、金や幕臣取り立てのためだったろう。
153 :
149:2010/07/15(木) 22:20:46
ちなみに
>>149と
>>147は別人な。
勝手に名乗っていた流名とかって何?リストとかでいいから見せてくれよ。
154 :
日本@名無史さん:2010/07/15(木) 22:21:06
新撰組ねぇ・・・
頭が悪いからだろw
ぼくは強いんだ!と吹聴する自称剣豪は数多くいて、
藩内あるいは道場内ではそれでもよかったかもしれないが、
実際に実戦で証明される機会は多くなかった。
んでもって、あちこちに剣豪が出現する事態になったわけだ。
156 :
日本@名無史さん:2010/07/15(木) 22:31:43
>>152 それはそれで一理あるとは思うが、じゃ、永倉、斎藤なんかが1対1で
弱かった、とも考えにくいだろ。
少なくとも最強候補にあげられるだけの場数を踏んで生き残っている。
だから、
>>147が異論があるなら、誰がもっと強いのか、論拠と
一緒に示せばいいだけなんだが。
武士になって
立身出世したかったんですう
そんな中実戦で成果を上げている新撰組は一定の力は有ったと言って好い。
高校野球でいってみれば、地元の練習試合で何度か勝ったから剣豪を名乗ってるようなもので、
実際にトーナメントくめば、全国大会どころか甲子園に出場できるのかさえも怪しい。
幕末の新撰組ともなれば、いやおうなく各地区代表と試合しなきゃならんわけだ。
>>155 その幕末に数多くいた自称剣豪の人名は出てこないのか?
数多くいたうちの一人でもいいから頼むわ、具体的にね。
全員だろ。
具体的に、だれが例外なんだ?w
全員だろってあっさりギブアップ宣言かよw
こういう場では具体的な人名も逸話も出せずに上っ面のイメージだけで
語るヤツが一番有害なんだがね。
幕末に柳生系の新陰流って活躍したかな?
合撃打ちとか真剣勝負で使った人いるのかな?
幕末で新陰流で名を馳せたというのはちょっと思いつかないなあ。
けど、永倉の神道無念流は新陰流系
あと直心影流も新陰流系。榊原健吉とか。
長州藩の新陰流道場を神道無念流の人が道場破りした話みたいのなかったっけ?
元祖の新陰流は形骸化してしまったのかも。
剣術の流れということでいえば、伝統的な流派が他流試合を嫌い、
精神修養的な方向に流れてしまい、それに疑問を感じた人たちが
新興流派(北辰一刀流、神道無念流など)を起こし、門人を
多く集めた、ということのはず。
蟇肌竹刀による新陰流の試合方式は統一ルールになれなかったってことだな。
169 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 02:32:21
ルールひとつ変えるだけで勝率一変するのが格闘技
武器は日本刀でルールは本当のなんでもありなら戦国時代の誰かだろうな
柳生系の新陰流は比較的上位層に広まっていたから保守的なままで防具着用の竹刀試合を始めるのが遅かった傾向があるんだよ。
同じ新陰流系でも神道無念流や直心影流は士分以外にも広がっていたし、どちらかというと下層階級の流派だったから防具試合始めるのが早かったんだよ。最近の研究じゃ各藩の城下では他流試合が禁止されている時期に農村じゃ既に他流試合が始まってる。
でも熊本とか佐賀や柳川なんかの九州の一部は他の藩とくらべて比較的早くから竹刀での他流試合が始まってて、こちらの柳生流や各派のシンカゲ流(疋田や加藤田や大石や雲弘流やら)は幕末明治に試合名人を何人も出してる。熊本が剣道強いのはその伝統。
>最近の研究じゃ各藩の城下では他流試合が禁止されている時期に農村じゃ既に他流試合が始まってる。
ほお、そりゃいつくらいなのですか?さすがに直心が防具稽古を始めてからだよね?
直心や神道無念が広がったのが城下より農村が早いって事な
一応防具つけての試合式の稽古は室町時代からあったみたいで少なくとも江戸初期には和歌山や仙台の新陰流で防具の記録が残ってる。
ただ他流試合は面子の問題もあって普通やらなかったみたい。下層階級の人間はあんまり気にしないから他流試合も広がったんじゃないかな。
例えば千葉周作が中西道場で修行してた頃に地方から出てきた庶民が何人も入門してる。何人かは免許をもらって地元に帰って道場を開いてる。
信州の例だとおれが知ってるだけで三人はいて、みんな地元で道場を開いてる。当時はまだ信州各藩の城下では他流試合は基本的に認められてなくて、採用されてる流派も神道流とか古い流派が多かった。
ただこの時期すでに試合解禁してる藩もあったんだけどね。弘前とかはそれなりに早かった。なんせ藩主が一刀流だったし中西家と付き合いあったからだと思うけど
竹刀剣道で強ければ最強でいいのかw
それなら現代剣道最強
足払い以上の組討いれていいなら幕末かもしれん
では剣聖男谷最強ということで。
人斬ったことないけどいいよね?人格者だし、出世したし。
最強なんて決めれるわけないじゃんw
試合でも刀より槍や棒のが強いし、竹刀だって流派で長さや作りが違うから比べられん。
ましてや実際の戦闘なんか戦う前に勝負が決まる事だって多いんだしとマジレス
槍て
剣豪ってかいてるやん
『御家中武芸はしり廻り』
一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、士として是を嗜まんは
あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。もし弦切れ、矛折たる時は腰物を抜て向ふが、猶、速成は
組討をする意也。武士たるものは棒にて一つ二つ折れ(打たれ)たりとて死べきものに非ず。
当の敵は必ず仕留むべし。
『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は。相打に罷成候。三尺二三寸の刀にても
相打になり候。
棒を使うくらいなら腰の刀を使ったほうがいいとさ。それと九尺や一丈の槍であっても三尺の刀と
相打ちになる恐れがある程度の差しかないとさ。
剣道みたいなスポーツで勝って最強の剣豪は違和感あるな
やっぱ真剣じゃないと
>>176 スレタイもろくに読まずにレスすることをマジレスというのか。
胸が熱くなるな。
スレタイを否定してみた
ちなみに幕末最強は牟田弁之助を押す。名前は違ったかもしれん
>>178 > 『御家中武芸はしり廻り』
尾張は早くに棒は捕り方の武器とされて武士の棒が滅んだからな。
幕末には百姓武術家の棒に負ける武士の話はなんぼでもあるよ。水戸の無比流とか広島の浅山流とか。
戰で使う槍と個人の武芸の槍は違う。理心流の開祖も無刀取と並べて槍入身が難しい、と書いているし、大概の流派で槍入身や槍合は極意になってるよ
戦前の武徳会での試合でも槍に勝つ例はほとんど無いし、槍の子孫の銃剣も剣道と対戦すると強いぞ
剣豪っても刀しか使えないやつなんてほとんどいないじゃん。
伊藤一刀斉も上泉信綱も槍得意だし。石舟斉ももともと新当流だから薙刀と槍は相当稽古したはず。
>>183 その点は幕末剣豪は不利そうだな。
男谷なんかは槍も宝蔵院流を修めてたりするが
新選組の面々なんかは槍が使えるのはいるんかな?
榊原健吉よろしく槍勝負でも剣で相対するってのはありなのかね
>幕末には百姓武術家の棒に負ける武士の話はなんぼでもあるよ
武士=強い、じゃないからな
武士は道場に通える環境があるけどどんなに練習しても生まれ持った運動能力の高いやつには勝てないわけで
運動神経ゼロの子が強豪リトルリーグ入って日々練習しても草野球の運動神経抜群の子には勝てん
186 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 22:25:06
www 江戸初期頃の宮本武蔵の試合などというのは極めて特殊な事例で、幕末頃なら、人を斬るのは目的があってのことで剣の力を試す
ためのものじゃない。つまり、相手をしこたま酔わせておいてから唐突に斬る、着込み(鎖帷子)着用で数人で取り囲んで斬るとか、殺す目的
が達成できれば手段は問わない、という新撰組のようなやり方はやはり効率がよいし、強いというべきだろうな。
俺の言ってる百姓の棒術名人の例だが、浅山流は武士数人と立ち会ったあとそれを見ていた武士が藩に紹介して士分に取り立てられて指南役になってる。
無比流は水戸藩の試合に棒術で出て勝ち上がってる。
ヘボい武士に勝っただけの話ならほんとにいくらでもあるぞ
上の尾張藩のは真剣と棒についてのことのようですが、その水戸藩のは真剣と棒の勝負なんですか?
それとなんという史料で読めるのか示していただけると。
『東照宮御実紀附録』
・汝(※注:三尺五寸の大太刀を帯びた伏見彦太夫某)は尺の延べたる刀の利を知るかとあれば。
ただのべかけて敵を一討ちに仕るばかりにて。外に心得候はずと申せば。いやとよ寸の延べたる刀は。
鎗にあてて用ひんが為なり。向後忘れまじと教へ給ひしなり。
三尺あれば槍に対抗できるという認識はあったらしいな。
幕末でも剣しかできないのは稀だったよ。
山岡鉄舟は義兄から刃心流槍習ってるし、勝海舟も柔が出来た。
近藤宗家の理心流は剣だけだったけど居合と小具足も含まれてたし、普通の剣術家なら槍や薙刀くらいは習ってたみたい。
だいたい槍はしらないから戦えませんなんて言えないから一通り武器の特性を知って使えるのは常識だったんだよな
水戸藩のは民間化伝承というか明治まで生きてた無比流の先生の逸話だよ。
真剣じゃなくて竹刀対稽古棒な。
無比無敵流の演武は見たことがあるが、打太刀が古臭い動きなんだよな。
その古風さが面白くもあるんだけど、まあ自流の手柄話は話半分に聞いとけよ。
>>186 スレタイに反する。
その理屈だと一万対一で勝っても一万の集団が強いって事になるじゃねえか
個々人の比較にはならん
というより
>>186はなんで江戸初期の武蔵から新撰組に飛ぶんだよ。
結局その辺の有名どころしか知らないだけだろwww
195 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 22:59:36
たいがいの道場では、薙刀や槍は習う事ができたんじゃないか。
>大概の流派で槍入身や槍合は極意になってるよ
鹿島新当流では対長物は中級の技だったけど。一応戦国時代の流派な。
>>190 鉄舟の義兄というのは高橋泥舟のことだよな。
泥舟は、剣で相対した榊原鍵吉と試合して敗れてる。
だから、とりあえず使えるってレベルでは上泉クラスにはちょっと
歯が立たないんじゃないか?
あと、穂のない槍(つまり道場試合用)と棒術なら断然棒術が
有利なのは当たり前では?
竹刀(つまり道場試合用)と棒術なら断然棒術が有利なのは当たり前では?
あとさ、無比無敵流のことを棒術と書いてる時点でアンタもぐりだよね。
>>197 まあ榊原相手だしねw
ちなみに稽古槍でも棒より槍が強い。実体験だがw
感覚的な有利不利は
槍>薙刀>棒=鎖鎌>剣>杖>半棒
てかんじ。槍超強い
名人同士の試合で剣が槍に勝ってるのか。なんか上で書かれていることと
話が違うね。
>>198 無比無敵流杖って言ってるのは為我流派勝新流の併伝だけで他は無比流棒術だよ。杖って言ってるとこもあるけどだいたい棒術。
おれの知ってる為我流(勝新じゃないとこ)の先生のとこは無比流棒術って言ってるよ。
何かで読んだ、といううろ覚えソースでスマンが
示現流高弟の薬丸さん(何代かは忘れた、あとそのときは自顕流を称してはいなかったはず)が
何度槍を相手に戦っても示現流の槍合の技で勝ったなんて逸話もあったはず。
>>200 榊原が別格か対槍を工夫したんじゃないの?
普通は槍が勝つよ。というかやってみりゃわかるぞw
>>203 榊原も直心影流14代目で天覧兜割の剣客だから、別格といえないことも
ないけどさw
幕末三舟の「槍の泥舟」が敗れちゃだめだろw
一般的には槍の方が強いとはいわれてるのは同意なんだけどね。
で、この榊原よりもガチで勝負したら近藤勇の方が強いだろうって
いわれてたんだよな。
対槍を工夫すれば勝てる程度の差しかないのですね。
>>204 それは近藤の地元の人がそう言っていたと伝わっているだけです。やはり中央で揉まれていた
榊原に分があるでしょう。でも、両流は太い木刀で修行する点で共通していて面白い。
207 :
206:2010/07/20(火) 23:29:46
有利と書いたのはあくまで試合の場合ですね。真剣勝負、となるとこれは場数を踏んだほうが強いでしょうね。
『日本の古武道』無比無敵流杖術の項
●伝えられる同流の古伝書にも「無比流之兵杖」としてあり
棒術ではないな。
●藤次郎は大会において無比無敵流弓張の構えで対し、そうそうたる剣士たちに決して
後れをとることはなかったという。
勝ち進んだとかは書いてないな。
その榊原も北辰一刀流の下江秀太郎に一本も取れず負けてるんだけどね。
おれの感覚じゃ泥舟に見事に勝った話が残ってるだけじゃないのかな。たぶん何回も試合してるだろ
あんたの感覚とか聞いてないからw
ちゃんと記録を出してね。
>>208 それは無比無敵流でしょーが
元々は兵杖と書いてたのかも知れないけど無比流棒術って伝わってるんだよ。気になるならググれ
その逸話が歪んで伝わったんだろな。おれは人から聞いた話だからな。
武蔵の話が出たが、武蔵も十字槍の高田吉次に対して木刀で戦ってるな
>>211 あんた水戸藩の話してるだろうが。その水戸藩に伝わっている系統を無比無敵流杖術と呼ぶんだよ。
槍じゃなく薙刀だが卜伝の対梶原長門の話もあるよね
>>212 宝蔵院流の坊さんとも試合してたって話もなかったっけ?
槍の名人泥舟に勝った榊原鍵吉に圧勝した下江から一本取った武田惣角が宝蔵院流の名前も残ってない師範に突きで前歯折られてる。
>>213 >
>>211 > あんた水戸藩の話してるだろうが。その水戸藩に伝わっている系統を無比無敵流杖術と呼ぶんだよ。
水戸藩には無比無敵流以外にも無比流が何系統も伝わってるんだが。いま浅山ー伝流や兼相流に伝わってる無比流杖も水戸藩伝だし田谷の無比流棒術も水戸藩伝。
少なくともあと二系統は無比流残ってんだよ。
>>215 奥蔵院は二天記が初出だから信憑性に欠ける
高田との立ち合いは武蔵と宝蔵院高田派の伝記の両方に載ってるが
まあ素姓の怪しい奥蔵院より将軍に招かれた高田吉次の方が格上だよね
>>217 浅山一伝流の「襟引き」の型の、相手の腕脇で挟んで投げる投げは名前何て言うの?
187 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 22:42:45
俺の言ってる百姓の棒術名人の例だが、浅山流は武士数人と立ち会ったあとそれを見ていた武士が藩に紹介して士分に取り立てられて指南役になってる。
無比流は水戸藩の試合に棒術で出て勝ち上がってる。
ヘボい武士に勝っただけの話ならほんとにいくらでもあるぞ
191 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 22:56:13
水戸藩のは民間化伝承というか明治まで生きてた無比流の先生の逸話だよ。
真剣じゃなくて竹刀対稽古棒な。
>>217 ちなみに
>>208ってのは明治以降の試合だよ。
あんたが書いた逸話が平磯の無比無敵流のでなければ何なんだ?
222 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 00:42:29
惣角と男谷
どっちが上だと思う?
その時代の本当の最強は大石進
千葉周作とも男谷とも戦ってるが
その大石に白井亨が勝ってる
225 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 00:59:45
「わが木刀の先よりは、輪が出ずる」
剣道だからね、全勝なんてありえないわけで
ただ道場破りに訪ね歩いて他流試合を沢山こなしてるってのがすごい
平均身長160くらいの時代に2m10cmともいわれる身長も最強説をあおる
>>220 兼相流系統の浅山ー伝流なんぞ習ってないから知らんわw
>>221 人から聞いた話だから無比無敵流の藤次郎って人の話が歪んで伝わってるんじゃねえのか?
>>222 年取った男谷より全盛期の惣角が強かったんじゃね?全盛期は知らんし世代が違うから比べようもないけど。
うなずけるが、大石も最初は男谷に負けてるしね。
大石とは対戦していないが、俺は当時、白井よりさらに強かった
と思われる寺田宗有がこの時代最強じゃないかと思う。
この人は真剣勝負もしてるしね。
大石が敗戦以降猛稽古して腕を上げたとかの可能性はないの?
>>228 > うなずけるが、大石も最初は男谷に負けてるしね。
> 大石とは対戦していないが、俺は当時、白井よりさらに強かった
> と思われる寺田宗有がこの時代最強じゃないかと思う。
大石進初代が来た時に寺田はすでに死んでないか?
大石進の江戸遊歴は成長しきったあと
全勝はできるもんじゃない
剣道は一本だから2本のボクシングより運の要素強い
現代剣道の全日本レベルでも1度も負けないなんてのはありえないわけで
全日本にでてくるレベルは周りのレベルも高いからどんなに強くても負ける
確実に勝ちたいなら相手の知らない事するしかないよな。
知られたら終わりだけど。大石進が勝てたのはまだ発展してなかった突き技に理由があるって話がある。
当時まだ面金とタレが未発達で突きが発展してなくて、安全に改造した面がねで突きを稽古しまくっていた大石進の突き技に江戸の剣術家が対応出来なかった、と言ってる武道史の先生がおる。
竹刀も長竹刀だけど身長2m10cmだからリーチも規格外に長いだろう
九州の道場破りでも大石の顔面突きで防具突き抜けて相手の目が飛び出たという
事実、大石進の面がねは突きが滑る形をしていて突きにくい、卑怯だ、とか書いてる記録があるらしい。今は禁止だけど昔は面がね突きや胸突きも普通に使われてたから、安全に突きが稽古できたらだいぶ技が変わったんじゃないか
>>234 > 九州の道場破りでも大石の顔面突きで防具突き抜けて相手の目が飛び出たという
そりゃ防具改造せんと危なくて稽古できないよな
道場破りは命がけだ
目が飛び出してしまった道場主とも戦ってくれるまで弟子を何人も相手にした
勝海舟の記録でも大石進が江戸の道場を荒らしまわった事件は明治維新以上の騒ぎだったとある
どうあれ当時は大盛り上がりだったようだ
大半は師匠の紹介状もっての友好的な交流だけどね。
たくさん残ってる英名録とか武者修行日記をみたら友好的な交流が多いのがわかるよ。自分より強い人からは稽古付けて貰って弱い道場じゃ指導する。出発するときワラジ銭まで貰ったりするしw
まあそれも各地で交流が認められた十九世紀になってからで、十八世紀には伊勢参りやら虚無僧のふりして竹刀や防具を隠して運んでた。
もちろん城下で藩士と試合なんてほとんど認められなかったから個人でこっそりや郷士や農民武術家と交流してる例が多い。神道無念流の戸ケ崎宗家の初代二代もそんな武者修行してて折り畳み式の防具やツヅラ風の防具入れとかが残ってる。
相手の手の内を知らないぶん
江戸時代の他流試合は怖い反面おもしろかっただろうな
そういう面では江戸初期の方が機会には恵まれてたんかな
さっきの武蔵と高田じゃないが、結構藩士と仕合したって話、残ってるよね
林資竜も藩士だし、小次郎も詳細わからんけど多分藩士だろ
武蔵の場合は寺尾直政と友達だったからじゃないの
つーか孤高の剣豪とか卑怯者とか言われてる割に友達多すぎだよね
244 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 06:18:09
2メートル越えは巨人症の可能性高いけど相当強いとおもう
剣道は体重別ないように体格差はでにくいけど
>>237 >勝海舟の記録でも
勝が記録とってたんかwwww
246 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 07:36:48
ggrks
バカか?日本語がおかしいって言ってんだよ。
248 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 07:39:37
2chで文法指摘する男の人って…
文法じゃなくて単語だろ。ほんとにカタコトなんだな。
250 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 07:42:55
uza
251 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 08:14:48
>>242 > そういう面では江戸初期の方が機会には恵まれてたんかな
江戸時代初期、武蔵が試合をしていた頃まではシナイ(袋シナイ)や木刀なんかで他流試合よくあったみたい。疋田文五郎の武者修行記に日本各地での試合の記録があるけどかなりの割合でシナイを使ってる。
武蔵なんかはシナイの小技早業で勝った負けたというのは良くないと書いてるけど、逆にシナイの小技早業が一般的だったって事だよな。
戦国時代から新陰流系統や念流、神道流系統は袋シナイを使ってるし、一刀流も袋シナイを使ってる。
戦国時代は純粋に殺すことが目的だからね
竹刀で強くても意味が無い
でも江戸時代になると戦争ないからスポーツ化していく
剣術や兵法武術は戦国時代だって殺す事だけが目的じゃないよ。
殺す事が目的なら多人数で攻めたり罠や鉄砲や薬を使うだろ。
個人の武芸は武芸か護身、戦場の役立てるとか色んな目的あるじゃん。
実際剣術の流儀の奥の教えは兵法教伝で軍学や毒殺されない方法とか旅行中の安全を守る方法やら具体的技術じゃなかったりするし。他にも隠し武器の使い方とか。
柳生石舟斉や疋田文五郎も座敷で教われた場合の身の守り方とか敵を生け捕る方法とかも教えてるよ。
254 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 12:02:32
北畠具教かなぁ。
戦国大名で、信長に攻められた時に自ら剣を持って戦い、19人を斬った。
間違いなく強い。
戦国時代は殺すことが目的だよ。
まさに実戦。
殺すしかできない剣術なんか戦場でしか使えないじゃねえか
兵法って言うくらいだから剣術だって目的を達成するための道具。孫子だって戦わずに勝てって言ってるだろ。
殺さないでも勝てないと普段役に立たないぞ。中条流も念流も新陰流も林崎流も殺さず勝つ事に言及してるぞ
剣術本来の目的は倒すことだからな
今でこそエンターテイメントになってるけど
伊庭八郎とか強そうだな。
ケンカに巻き込まれたときの受け流し方とか書かれた伝書もあるよ。
伝書の「外の物」ってのを見てみるといい。
>>251 念流や新当流の袋竹刀ってのはいつくらいから使われているのかねえ?
ああいうのが新陰流のヤツの原形ってことでいいの?
新陰以前から袋シナイがあったのは疋田文五郎の記録からも確実なんだけどものが残ってる訳じゃないから詳しいことは良くわかってない。
ただ新陰の袋シナイは神道流や念流のシナイより複雑な作りで柔らかくしてあるんだわ。それが上泉の工夫じゃないかと武道史の先生方は言っとる。
神道流や念流のシナイはがっちりしててぶん殴ったらかなり酷い事になるからなw
戦が出世と金の手段だからな
戦時に竹刀やっても意味無いわけでw
稽古の手段として意味あるでしょ。もっとも剣道ルールしか知らないで
大陸で鉄兜かぶったシナ兵に真っ向打ち→当然はじかれて逆襲くらって死んだ人は
本末転倒だけど。
>>258 伊庭の小天狗か。
幕末剣豪では意外と数少ない実戦経験有りで、確かに強そうなんだけど、
左腕切り落とされちゃったからなあ。
見廻組の人気のなさは異常
265 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 22:55:20
佐々木只三郎だって弱くはなかったろう。
266 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 22:57:32
日本刀と竹刀では重さも斬り方もなにもかも違うからな
しかし、佐々木只三郎が実際どのくらい強かったのかといわれると
なんともなあ。
「小太刀日本一」といわれたというのはどのくらいあてになるのやら。
身長が本当なら宮本武蔵
269 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 23:09:26
見廻組は幕臣だったから、新撰組のような無茶はできなかったんじゃないか。佐々木只三郎らの清河八郎暗殺もだまし討ち
に近いだろう。
司馬の小説ではだまし討ちだったけど実際もそうなの?
池田屋のような切ったはったって感じじゃないよな。
針谷夕雲に一俵
夕雲は真剣勝負もしてるしな。
体格も腕力も相当だったらしいし。
しかも「八寸の延金」まで伝授されてるしw
資格は充分だろうな。
ただ、夕雲は無住心剣術を開く前の方が強そうな…
実力が衰え始めたころに相抜け思想に開眼とかだったら悲しすぎるな。
275 :
日本@名無史さん:2010/07/22(木) 07:13:20
近藤勇、沖田総司辺りは逸話からして間違いなく強かったろうね。
そいつらが寝込みを束になって襲ってようやく殺せた芹沢鴨ってやっぱり無茶苦茶強かったんだろうなぁ。
落馬して左腕が使えなくなってから無住心剣に開眼したんだろ?
一回弱くなって工夫したのは間違いないよ。
禅学者や哲学者ではあったかもしれないが、剣豪じゃないだろw
中年まで字も読めねえ、学問に興味もない剣術ばかりやってた人間が禅学者や哲学者って笑えるな
せっかくの刀を刃引きにしてるから弟子が
「なんで刃引きにするんですか?」
と聞いたら
「多人数相手の時に刃こぼれしたら引っ掛かって危険だ。最初から刃引きにしておけば刃こぼれしない。刃などなくとも役に立つ」
とか答える人間が剣豪じゃないとすれば誰が剣豪なんだw
280 :
日本@名無史さん:2010/07/24(土) 03:17:05
鎌倉時代日本の主要輸出品目に日本刀があるんだけど海外に輸出されて残っている日本刀ってないんだよね。
禅や哲学で重要なのは知識では無いけどな。
禅や哲学の研究には知識が必要だが。
知識にしたって後から身に付ける事も出来る。
>>282 その巡査は実戦で真剣を振るった経験があるのでしょうか?
284 :
日本@名無史さん:2010/07/26(月) 23:16:04
松山主水じゃねえの?
心の一方なんて使われたら誰も勝てねえよ
あれって剣の腕って問題なのかなあ?
しかし
>>1のラインナップってやや幕末によっているような印象があるなw
日本の剣術、中興の祖(と言うか実質的な祖と言っていい?)飯篠長威斎 とか
剣聖と言われた上泉伊勢守信綱を外しているのは頂けないwwww
ぶっちゃけ身も蓋もないが単純に「斬った人間の数」で言えば誰が最高なんだろう?
無論単にその数の多寡だけで強さを論じる事はできないだろうが
「板の上の水練」じゃあないが
人を斬る技術は人を斬ってこそ学べる物じゃね?w
そう言えば一刀斉が弟子が武者修行のたびに出るとき一言
「斬りを覚えよ」と言ったとか言わなかったとかwwww
287 :
日本@名無史さん:2010/07/27(火) 00:52:26
超能力系も可なら
気合だけで遠くの鼠を悶絶させた正木太郎太夫や
≪水鏡≫の草深甚四郎の方が
松山主水より上だろ。
288 :
日本@名無史さん:2010/07/27(火) 00:56:08
ならいっそのこと果心居士でwww
289 :
日本@名無史さん:2010/07/27(火) 01:02:46
剣道の有段者の人にオモチャのガスガンを撃たせてみたら的にほとんど的中するんで驚いた事がある。
宮本武蔵
背が180センチってのがいい
291 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 22:28:18
上泉信綱
白井亨
寺田宗有
竹内流の流祖竹内久盛やその息子たちはこのスレ的にはどうなの。
宇喜多直家には合戦で負けてるけど、竹内流も支流もかなり広まって
隆盛したことをみても、かなり強かったのではないかと思うのだが。
武蔵の親爺も竹内流だしなー
しかし、やはり上泉最強は動きそうにないな。
合戦でも名をあげて、槍でも刀でもなんでもござれに加えて、
その実績がすごい。
当時、既に近畿一の兵法者として名のあった石舟斉を
本人はおろか、弟子の疋田文五郎までが手玉にとってる。
弟子の顔ぶれも、上記に加えて、丸目蔵人佐、奥山休賀斉と
そうそうたる面々。
ちょっと他の追随を許さないよ。
じゃあそれで決定。
296 :
日本@名無史さん:2010/08/07(土) 21:17:54
前原筑前とか寺田宗有に真剣持たせたら五右衛門の斬鉄剣ばりに刀ごと相手を両断してしまいそうだが・・・
他流の達人数人に勝った宮本武蔵が最強だって
上泉はなんだかんだで弟子の崇拝強し
石舟斎も丸目も当時の有名人と戦ったわけじゃないからな
疋田くらい
>>298 > 他流の達人数人
誰のことをいってる?
301 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 02:43:29
しかし正直言って
「日本最強の剣士は誰か?」なんてお話になったら
武蔵は「そのネームバリューほどの強さはなし」として真っ先に外されると言うかw
(もっとも作家がそれを書いちゃうと出版社に抗議文が山と来て
その作家が仕事干されると言う話しも聞いた事があるが
アレって本当なんだろうか?w)
吉岡一門は実は父親が三番勝負に二番勝った話しだとか
佐々木小次郎はもうヨボヨボの老人で
しかもあらかじめ島に潜伏させていた手下と一緒に袋にした
島原の乱じゃあ農民の投げつけた石つぶてすねに当てて
リタイアしてしまったとか
…等々、他にも色々聞き及ぶ事があるが
一体ドコまでが本当の話しなのか良く分からないよな、武蔵ってのはwww
302 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 03:32:49
戦いに勝ち残ったから最強って事でしょ。
>>301 外すのは与右衛門や林資竜も知らないようなニワカだけでしょ
つーか中途半端な知識しか無いのにマイナー所を推して通ぶってるような人間が一番タチ悪い
武蔵は江戸初期の剣豪の中ではかなり立ち合いの記録が残っている方だし、寺尾直政、有馬直純の書状など一次史料が残っており、
仕官していなかったにしては事績がよく残っている
()の中身は意味不明。
まあ沼田家記を覚え違ってる所を見るに、言うだけ無駄だろうが
>>島原の乱じゃあ農民の投げつけた石つぶてすねに当てて
リタイアしてしまったとか
なんかこれをまるで恥の様に言う人間がたまに居るけど、
島原の乱は現地軍が悉く敗走させられ、本州から援軍を呼び寄せ、オランダの軍船まで使い、総勢12万動員してやっと鎮圧できたって程の激戦ですよ
柳生兵庫助の子で新陰流の達人である清巌もこの戦で戦死した
「たかが農民の蜂起」と勘違いしてるんじゃないかしら。
>>301 そのカッコの中身が本当だとすると、司馬遼太郎は仕事干されて居なくなってるって事になるが
ガセネタばかり掴まされてるから史料吟味が出来んのだろうよ
306 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 06:59:58
で、結局、武蔵の試合の中で「ベスト・バウト」ってのは何なのよ?
>>304 一応断っておくが別に
「飛んでくる石つぶてを華麗に避けろ」とか言う話しを言ってるんじゃなくてw
そう言った状況を上手く回避する能力と言うか
ぶっちゃけ「適当にふけてばっくれる」と言う一種処世術も能力にカウントしての話しねw
まあこのスレは詳しい人が多そうだから昔からの疑問をぶつけてみるが
武蔵ってサウスポーって話しがあると思うが
(残された絵とかから分かるらしいが)
その利き腕の左手に小太刀を持つ二刀流と言うのは
その小太刀を投げつけると言う選択肢は無かったのかな?
素人が考えれば二刀流のメリットとして一刀を投げつけても
一刀が手元に残ると言うのがあるかとも思うのだが、無理?机上の空論?w
あれって向かい合った状態から投げられた礫なのか?
>>306 >その小太刀を投げつけると言う選択肢は無かったのかな?
避けられた時点で只の一等流になる訳で二刀流の意味が無い。博打すぎる。左利き説を知ってるなら
これも知ってると思うが、相手が右が主だと思って警戒しているところを左で攻撃して決めるという説が
有る。この方が理に叶っている。
>ぶっちゃけ「適当にふけてばっくれる」と言う一種処世術も能力にカウントしての話しねw
手柄を立てる為に戦場に出たのにバックレてどうする?
二刀流で小太刀を投げつけるのはセオリーにあるよ。
新陰流の打太刀なんかに残ってる。
新陰流が二刀流とは知らなかった。柳生十兵衛七番勝負も魔界転生も一刀流だったぞ。
小説とか映画の話を持ち出す前に打太刀って言葉の意味を調べて
これは失礼した。投げてくるのは想定内って事だったのね。
ただ武蔵が手裏剣の心得があったのは事実らしい
弟子の玄利は水に浮かべた桃の蔕を正確に射抜く事が出来たいうし、小倉碑文にも武蔵が手裏剣に秀でていたらしい事が書いてある
円名流にも手裏剣術が伝わっている
>>306 流れ飛礫とか流れ矢とか流れ弾とか、ぶっちゃけ運だろ、そんなモン
武蔵は小笠原長次の軍監として出陣していて、敵と直接斬った張ったをするような身分じゃ無い
武蔵も後年「本陣で策を献じていた」と語っている、前線で指揮を取っていて、流れ飛礫に当たったと考える方が自然
運であってもやはり失点だよ。運も実力のうち、という言葉もある。
たとえば伊庭八郎だって、流れ弾にあたって左腕を切り落とされているが、
これだって失点。
針ヶ谷だって落馬して左腕が動かなくなっているが、これだって失点だ。
というか、武蔵最強を主張する人は、懐疑派の揚げ足取りをするのではなく、
まず論証してくれないか。
「誰々と戦って、勝っている。それはこれこれの文献で明らかだ。そして
誰々の技量はこれこれから、このぐらいと考えられる」
ってな感じで。
>>301の物言いに問題があることはわかるが、少なくともここまでのスレを
見てる限りでは、「武蔵にネームバリューほどの強さはない」というのは
同意せざるを得ないと思うが。
また、この手の研究家が上泉、小野忠明、一刀斎などよりも宮本武蔵が上
と結論する人が少数派であることも事実だろう。
>「誰々と戦って、勝っている。それはこれこれの文献で明らかだ。そして
誰々の技量はこれこれから、このぐらいと考えられる」
それこそこのスレを見るだけでも一目瞭然だと思うけど
一目瞭然なら、そもそも301の書き込みに、こんなに煽られるはずもないだろうし。
期せずして、301の()の中がいかにもありそう、と思われるような振る舞いを
することもなかろうと思うのだが。
とりあえず
>>300と
>>306の
> で、結局、武蔵の試合の中で「ベスト・バウト」ってのは何なのよ?
に答えてみてくれ。
武蔵と戦った主な使い手
・夢想権之助
杖道の原型になった神道夢想流杖術の開祖。宝満山で武神として祀られている
海上物語などに武蔵と立ち合ったとする記述あり。武蔵に木片で打ち込まれて昏倒。
武蔵は二刀を持っていたとする諸説もあるが、明確なソースなし。
・高田吉次
宝蔵院高田派開祖。小笠原忠真の武芸指南にあたる。徳川家光の御前で二度演武を披露した達人。
武蔵との立ち合いは引き分け。小倉に武蔵が逗留していた際、藩主御前で立ち合ったらしい
高田吉次の伝記である祟白先生伝によると、三合して互いに打ち込めず、高田が「長柄の利」を理由に自ら槍を引いたという。
峯均筆記では武蔵が二本取り、最期の一本を高田に譲ったとしている
・小次郎
いわゆる佐々木小次郎だが、姓は不明。佐々木説が有力。
沼田家記によると豊前で岩(厳)流という流派を称し、剣術の師範をやっていたという。
「佐々木小次郎宛中条流伝書」の存在などから中条流系の流派である可能性が高いとされる。
武蔵と決闘して死亡。二天記では遅刻した事になっているが沼田家記によると「試合仕候処 小次郎被打殺候」、小倉手向山武蔵顕彰碑では「両雄同時に相対し」となっている。
沼田家記ではこの後蘇生した小次郎を武蔵の弟子が打殺した事になっているが、実際には武蔵の弟子でなく細川藩士であったとする説が有力。
原田夢果史氏が主張した豊前出身説に付随した説で、上村道子氏、谷口覓氏等が支持。
・塩田浜之助
細川藩の棒術・捕手術の指南。塩田清勝先生石塔銘に名前が確認できる
豊前叢書によると細川の奉書にも名前があり。
細川藩で武蔵の腕に感銘を受けて弟子入りし、武蔵から兵法の指南を受けて後、塩田流を拓いたとされる
・有馬喜兵衛
武芸小伝によると剣術の大家、松本備前守の流れを汲む有馬豊前守の一族に連なる者で、天真正伝の神道流を受けていたという
どこまで本当かは知らない。
・吉岡一門
詳細不明。つーか史料多すぎるうえに全く傍証出来ないんでどれを信じていいのかわからん。
このスレで出たメンツだと大体こんなもんか
上記四人は信憑性が高い、下二人は微妙、つーか詳細わかんね。
一刀斎の戦った唐人十官よりはマシって程度。
尾張円名流や肥後系の方の伝承、武公伝や二天記にはもっと多くの名前が残ってるけど考証めんどいからやらない。誰か後は頼む
>また、この手の研究家が上泉、小野忠明、一刀斎などよりも宮本武蔵が上
と結論する人が少数派であることも事実だろう
これこそどこの辺出典の事実?
一刀斎こそ傍証史料不足の筆頭みてーなもんじゃねーか
他流だと、東軍流の三宅軍兵衛っていうのもいるね。日本剣道史出典だけど。
三宅軍兵衛が実在したのは本多家に提出された先祖付に名前があるから証明されている
>>314 針ヶ谷夕雲の落馬は事故
伊庭八郎の時代はすでに近代兵器の戦争
武蔵の時は籠城戦
全部剣術の腕がどうとかは全く関係ない次元の話だろ
>>318 武芸小伝に有馬豊前守の一族って書いてあったっけ?
323 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 22:16:15
野球選手と同じでピークがあるからな
ヨイヨイの武蔵なら俺でも倒せる
>>321 その結果をひきおこした原因は剣術の腕とは関係ないけど、
その結果は影響するだろ。
針ヶ谷と伊庭はその後、弱くなった可能性は否めないだろう。
武蔵にしても、いるべきときにいられなかった事実は軽くは
ないんじゃないのか?
そのための兵法でもあるのだから。
>>325 つまり『武芸小伝』によるとってのはウソか。こっちも見たことなかったからな。
そういうウソはよくないな。
>>326 は?
魚住孝至らが「武芸小伝によると」っていう話を著作にのっけてたって話なんだけど
なんでそれがウソになんの?
>>326 ソース欲しいと言うから着けてやったら揚足取り
馬鹿じゃねえのかこいつ
>>317 遅ればせながら、とにかく乙
ちゃんと議論のベースができたのは大きいです。
『武芸小伝』に載っている「松本備前守の流れを汲む有馬豊前守」の一族に連なる者
って意味で書いてたんじゃないのかな?
有馬大和守乾信と有馬豊前守なら項目がある。魚住さんって人がどういう風に
書いてるのか原文を読ませていただけるか?
>>328 『武芸小伝』のどこに有馬喜兵衛が有馬豊前守の一族として載ってるのか
まで書いてソースを提示したといえるんじゃないのかな?
武蔵の弟子で行くと、あとは柴任三左衛門、竹村頼角、林市郎右衛門あたりが主な所か
>>317の中から言うと、塩田も武蔵の弟子筋。新陰流系統と同じで武蔵崇拝は少なからずあるだろう
最も客観性のある相手は上三人かな
>>332 しかし、上3人でも高田はどうかな?
勝ったとはっきりえいるわけでもないし。
なんだか客に花をもたせた感が強いが…
>>313 >武蔵は小笠原長次の軍監として出陣していて、敵と直接斬った張ったをするような身分じゃ無い
>武蔵も後年「本陣で策を献じていた」と語っている、前線で指揮を取っていて、流れ飛礫に当たったと考える方が自然
しかしなあ…
見方によっては指揮官なら尚更流れ弾に当たってリタイアと言うのは恥にしかならないようなw
(指揮官なら当然最後まで指揮をとってナンボ)
もっとも、策を献ずる兵法家・戦術家(…所謂「大分の兵法」)としての能力は恐らく
ここで語られているタイマン勝負の強さとは別の話しだろうがw
まあ武蔵自身は一剣術屋よりは戦略・戦術を指南する立場…
例えるなら一アーティストじゃなくてプロデューサー目指したけど
そっちの方はイマイチに終わってしまったということかな?w
>>334 塚原卜伝や富田重政の逸話に見られるような
慎重さやトンチに欠けている感じだな。
336 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 22:56:17
武蔵ねぇ
>>334 >まあ武蔵自身は一剣術屋よりは戦略・戦術を指南する立場…
例えるなら一アーティストじゃなくてプロデューサー目指したけど
そっちの方はイマイチに終わってしまったということかな?w
こんなもんお前の妄想でしかないし、”見方によっては〜”の所もお前の偏見でしかないじゃん
武蔵は確かに戦術や戦略について、大の兵法として言及しているが、
五輪書の中で「我道を大切にせよ」として自身の諸芸はあくまで剣術を元に応用したものだ、と言ってる
つーかお前こそ揚げ足とりばっかりでソース皆無じゃねえか
>>319の指摘事項もそうだけど
誰が敵かもわからずメクラ撃ちって感じだな。
まあ、前にも詳しそうなこと言っておきながら実は又聞きであやふやだったのが
いたし、ソース不明ってのはやめてほしいわな。
>>330 「武芸小伝に、有馬喜兵衛なるものが、松本備前守に従い神道流を学んだ、という話がある」
てなカンジ。
吉川の随筆宮本武蔵では
「武芸小伝によると、当時の剣術の大家松本備前守の刀系をひいている有馬豊前守の一族の者で、しかも天真正伝の神道流を受けていたという」
と書いてある。
340 :
日本@名無史さん:2010/08/09(月) 23:12:54
みんなの身長が判ればね
剣術なら名前の大きさと身長180前後の宮本武蔵
剣道ならルールも現代より広く身長210前後の大石進
>>338 とりあえず
>>334の論拠がどこに基く所見なのか聞かせて欲しいな
普通、戦傷は戦功の一部になっても後ろ指指されるものではない筈だけど
「氏康傷」みたいに
>>341 おれは334ではないが、そういう物言いも、やはりこのスレにふさわしくないだろ。
兵法がまず身を護れないのであれば、大した役には立たないのだし。
ここは
>>317がせっかく提供してくれたベースを元に武蔵の強さを検証しないか?
いや、もちろん、
>>317に異論があるなら、訂正/追加いれてもいいわけで。
当時の価値観に感しては確かにそのとおりで、それゆえに武蔵側の文献でも否定
されてないのかもしれないけど。
>>333 兵法先師伝記では武蔵の勝ち説を取っている
書いたのは二天一流と宝蔵院槍術の両方の印可を持ってた凄い人。
余談だが、兵法先師伝記には他にも高田の話が伝わっていて、
それによると小笠原忠政の使者として高田が紀州徳川家の江戸屋敷に出向いた所、訪問先で槍役との仕合をせがまれて応じたが、絶対に勝ちを譲らなかったらしい
これを踏まえると、祟白先生伝の高田が勝ちを譲ったと言うのは彼らしくなく、武蔵に対し一歩出遅れた高田に著者が気を使った、とも考えられる。
一応両方の記述を踏まえて
>>317では引き分けとしておいたが
そもそも兵法の腕比べで、わざわざ高田が武蔵に花を持たせる理由はないし
で、
>>「誰々と戦って、勝っている。それはこれこれの文献で明らかだ。そして
>>誰々の技量はこれこれから、このぐらいと考えられる」
>>ってな感じで。
論証してくれと問いを出した
>>314に聞くんだけど、
小野忠明や伊藤一刀斎について、同じように論証してくれないか?
その上で武蔵より上と結論できるのか、否か。本題の判断が付くかつかないかはそれからだ。
>>342 いや、
>>334がただの揚足取りなのか、ちゃんとした根拠に準じた意見なのかは重要だろ
そもそも武蔵派が「懐疑派の揚げ足取り」と揶揄されたのがきっかけで
>>317がデータを提出したんだし
それでなくとも、
>>334は明らかに武蔵の名誉を損ねる書き方だから、論拠が無い思い付きだとすればかなり悪質
武蔵擁護派がソース出したのにそれを要求した否定派が自分の論の根拠を述べんのはフェアじゃねえ
吉岡は、武蔵の伝記のほかに、黄ゴウ雜録や趨庭雜話も武蔵の勝利を伝えているんだが。
むしろ吉岡の勝利を伝えるのは吉岡伝だけで、しかも吉岡伝にある宮本武蔵は松平忠直の家臣で、北陸で無敵流を称していたと言う、所謂武蔵玄信とは全くかけ離れた記述であり、信憑性はほとんどない
347 :
334:2010/08/10(火) 00:07:22
>>345 根拠も何も
「指揮官がどうのような理由があれ途中退場すると言うのは
特に”大分の兵法”の重要性を説いた兵法家にとってとても頂けるものではない」
と言う当たり前の事を言っているだけだが?w
武芸者・兵法家にとって勝利が名誉なら負け(途中退場)は不名誉だろうってだけのお話だ。
まあ武蔵の生涯を俯瞰しても何処ぞの大名に兵法指南役として召抱えられたわけでも無いんだし
(客分としては厚遇されているみたいだが)
恐らく武蔵自身が目指したところには結局は到達し得なかったと言う理解に何か無理があるかな?
繰り返して言っておくが一武芸者のタイマン勝負の強さとは別の話だがw
>>344 314だけど、
> 小野忠明や伊藤一刀斎について、同じように論証してくれないか?
それはする気はないよ。別にどっちでもいいし。
そもそも、宮本武蔵が強い、と主張する人たちが、ぜんぜんその理由を
示そうとしない、どちらかというと、罵倒ばっかりと思ったから、
理由を示すように促しただけだし。
俺が「小野忠明や伊藤一刀斎の方が強い」と主張しているわけではなくて、
この手の剣豪関係の本を呼んでいる限りそういう著者の方が多数派に
見える、といってるだけなので。
勘違いしないでね。
俺はとりあえず宮本武蔵最強説に懐疑派ではあるけれど、説得力
ある形で宮本武蔵最強が示されるなら、それはそれで構わんよ。
ただ、そうではなく、なんだか揚げ足取りで武蔵最強、みたいな
流れが嫌なだけなんだよ。
要するに俺は武蔵派が武蔵を最強と考える理由の具体的な掲示を
求めただけなんだよ。
で、とにかく
>>317にはありがとうといっておきたい。
>>347 「軍監」でググってこいよ、とりあえず。どういうお役目なのか
>>恐らく武蔵自身が目指したところには結局は到達し得なかったと言う理解に何か無理があるかな?
何を持って「武蔵の目指した所」としてるんだ?
ロクに史料の名前も出典も挙げられないお前に武蔵の心情が理解できているとはとても思えんが
いんじゃね、もう
つまり
>>347はスレタイと全くない所で無根拠のまま武蔵を叩いてただけだと自分で宣言したようなもんだし、
>>314からは意図説明があった
出た情報から検証していった方が建設的
>>351 幕末までは家が続いていて
何代目の憲法が考案したのか知らないが「憲法染」ってのが今も残っているんだっけ?
幼少の又七郎まで殺したと言うのは後世の作り話で
本人か親父が3番勝負に2番買ったとか言う話なんじゃないの?w
まあ話に尾ひれがついただけで本人の戦績にマイナスになる話では無いだろうがwww
>>352 実際、それ臭い
黄ゴウ雜録には清十郎に勝った事しか載っていない
また武公伝には志水伯耆が武蔵に吉岡一門について尋ねる説話が載っているが、志水が言及したのは清十郎(憲法)に関してのみ
多分、戦っていたとしても武蔵が勝ったのは清十郎(憲法本人の事かその長男かはよくわからん、まー長男なら次期憲法だろうが)のみで、
そのあとの吉岡一門との確執は尾ひれがついたと考えた方が妥当。
戦国の記録はどれも曖昧だからしょうがない
で、武蔵以外の戦国〜江戸期の剣豪は
同門以外で同時代の有名人とどのくらい立ち合ってんの?
それによって武蔵の評価も変わってくるだろ
むろん、ソースと傍証出来る史料がある範囲で
356 :
日本@名無史さん:2010/08/26(木) 16:15:34
>>340 大石進ってそんなでかく無かったよ。
と子孫の俺が言ってみる。
357 :
日本@名無史さん:2010/08/27(金) 01:09:32
格闘技みたいな見世物じゃないから体格など意味ないし。
358 :
日本@名無史さん:2010/08/27(金) 23:52:12
ほー子孫
359 :
日本@名無史さん:2010/08/28(土) 17:41:20
まじだよ
360 :
日本@名無史さん:2010/08/30(月) 10:32:25
剣の実戦では、体格の大きさはかえって不利じゃないか?
槍ならば体格は重要だろうけど。
361 :
日本@名無史さん:2010/08/30(月) 15:59:41
w
リーチはながければ長いほど有利
362 :
日本@名無史さん:2010/08/30(月) 20:11:28
剣豪と言えば、柳生十兵衛の親父と爺さんはどうだろう。
実力で言えば首切り浅右衛門こと山田浅右衛門貞武だろう。
介錯の数、刀剣試し切り(据物切り)の実績・実力とも半端無い。五つ胴、六つ胴当たり前。
乱戦でなく一対一勝負なら山田流居合いで一瞬で勝負がつく。
364 :
日本@名無史さん:2010/08/31(火) 19:35:28
浅右衛門のおうちはどおろどろ。脳桶、肝桶、骨灰桶。
365 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 00:43:10
据え切り専門じゃん
>>360 不利という事は無いよ。
武器術では体格差の影響は徒手格闘ほどには出ないというのはあるが。
>>365 達人には剛速球も止まって見えるっていうぞ。王や長島の言うことだからな。
それでも3割がせいぜいだろう。
止まって見える云々は川上哲治が最初に言ったような。
で、俺も過去に卓球部のヘボ部員だったことがあるが、確かに調子の良い日は
打ち込まれたドライブやバックスピンの回転球に印刷してあるNittakuの文字が良く見えた。
相当強いやつらはスマッシュでもドライブでも平気で打ち返すから
達人クラスならみんな止まったように見えてるんじゃね。
371 :
日本@名無史さん:2010/09/03(金) 19:35:28
主観時間が遅くなるんですよ。
372 :
日本@名無史さん:2010/09/03(金) 20:46:10
國井善弥だろ
はなから止まっていますから。
374 :
日本@名無史さん:2010/09/05(日) 04:27:35
芹沢鴨は強そうだよねー
あの新選組が束になってようやく暗殺できた程の腕前何だから
375 :
日本@名無史さん:2010/09/05(日) 23:38:01
小田切夕雲が最強だな
376 :
日本@名無史さん:2010/09/05(日) 23:39:07
小田切じゃなくて針ケ谷だった
>>374 あの新鮮組は弱くて有名な道場が出自ですから。
378 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 13:35:41
>>374 しかも寝込みを襲ってるww
まあ新撰組は基本的に不意をついて複数で攻める戦術だからな。
伊東のときもしかり。
379 :
日本@名無史さん:
柳生宗矩、小野忠明、上泉なにがし