歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ22

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952& ◆gjlJQ/9KIPqU :2010/06/24(木) 23:52:08
中華人民共和國萬歲
953日本@名無史さん:2010/06/25(金) 00:08:08
王政復古や維新の成立、維新後の改革などにおいての岩倉具視の功績を考えれば、
維新三傑(あるいは維新四天王とか)に入ってもおかしくないと思うのですが、
歴史強者から見てどうでしょうか?
大久保、西郷、木戸ら三傑と比較して劣りますか?
954KLZ:2010/06/25(金) 00:09:10
955日本@名無史さん:2010/06/26(土) 00:32:22
>939
岩倉の、かなり強行でご無体な活躍がなかったら、薩長の勝利はなかった。
そう考える人が多かったからじゃないのかな?
956日本@名無史さん:2010/06/26(土) 03:05:41
岩倉ちゃんは、外国に行ったお陰で洋服を着たりして近代化できたけど…
三条ちゃんは、一生、洋服なんか着ないし外国に行くなんてトンでもないなんて遅れた人だったので誰からも相手にされなくなりましたとさw

実際、こんなもんでしょ?
957日本@名無史さん:2010/06/26(土) 23:28:24
>>955
それだけ活躍が認められているのなら、なぜ岩倉は三傑扱いじゃなかったのでしょうか?
志士ではなく、単純に公家出身だったから?
それとも他に理由があるのかな
958日本@名無史さん:2010/06/27(日) 00:29:38
958
959日本@名無史さん:2010/06/27(日) 06:57:31
>>957
お公家さんってのは、しょせん自身は安全な場所に居る習性があるからねえ。
文字通り命がけで活躍した他の連中と比べちゃうと、見劣りするのはしかたなかんべ。

それと岩倉には天皇を殺したんじゃねぇか?って疑惑があることも関係してるかもな。
960日本@名無史さん:2010/06/27(日) 09:58:49
岩倉が孝明天皇を殺したのかどうかの史実はわからないけど、
維新に向けて大活躍した上に、こんな重大な疑惑まであるのなら
もっといろんな意味でビックネームになっててもおかしくないね
961日本@名無史さん:2010/06/27(日) 11:24:59
お札の顔にもなったし十分ビッグネームだべ
962日本@名無史さん:2010/06/27(日) 14:23:13
お札の肖像に選ばれるかどうかの基準とか何なんだろうね
まあ日本に対して功績のあった人って大原則はあるだろうけど、
それ以上の線引き基準を知りたい
博士お願い
963日本@名無史さん:2010/06/27(日) 18:28:45
武陽隠士  最近出てこないね
964:2010/06/27(日) 20:07:34
真性キチガイを呼ぶの止めて〜!
965:2010/06/27(日) 22:05:42
そんな言い方しなくたっていいじゃん
966日本@名無史さん:2010/06/28(月) 00:54:49
ここ何十年かのお札は聖徳太子以外は全部明治以降の偉人だよね
何か理由があるのかな?
967日本@名無史さん:2010/06/28(月) 01:48:01
写真がある人物のみになった。
だから聖徳太子も降ろされた。
968日本@名無史さん:2010/06/28(月) 01:49:14
偽札防止
969日本@名無史さん:2010/06/28(月) 06:09:19
聖徳太子ってのも、実在に疑問がもたれてるしな。
モデルになった人物が居たのは間違いなかろうと思うんだが、現代に伝えられている人物像と実像とはかなりかけ離れていると思われる。
『水戸黄門』と徳川光圀との違い、『暴れん坊将軍』と徳川吉宗との違いくらいはあったんじゃねぇの?
970日本@名無史さん:2010/06/28(月) 17:36:15
七人の話を聞きわけたとか手の中に仏舎利があったというのは虚像だろうけど
政治的な業績は嘘とかじゃないと思うよ
971日本@名無史さん:2010/06/28(月) 22:38:42
>政治的な業績は嘘とかじゃないと思うよ

だからさ、誰かがそうした実績をあげたのは嘘じゃないだろうけど、それが聖徳太子だったかどうかはわからない。
5〜6人分の功績を、聖徳太子っていう虚像に託した可能性はあるのよ。
972日本@名無史さん:2010/06/28(月) 23:19:27
にわかに信じられない逸話としては信長のもあるね

周りの戦国大名を油断させるためにあえてウツケ者を演じて、
国外まで「尾張の跡取りは大ウツケらしい」との風評を巻き散らかしたって
いうやつね
俺は信長好きだから信長の天才性の証拠として信じたいけど、ちょっと疑問
973日本@名無史さん:2010/06/29(火) 20:52:57
幕末、長州では反幕派と恭順派に分かれましたよね。しかし、どちらも主君は藩主のはず。
藩主は実際の政治能力は無いのですか?藩主からすれば、家臣同士争い、勝った方の策を採用するものなんですか?
それとも、藩主そのものがお飾り的なものなんですか?
974日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:12:12
幕末における薩摩藩士の大久保、西郷は薩摩の中でどういう立場なのですか?
もちろん一番偉いのは藩主の島津だと思うのですが、大久保、西郷は
藩主の信頼も厚い若きリーダーって感じだったのですか?
975日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:24:33
長州じゃ、藩主が指導力を発揮すると政争になるからと、
家臣たちが挙げてきた案件にyesを言うことが藩主の勤めだという風潮があったんですよね。
それを風刺して「そうせい侯」と呼ばれたほどです。

とはいえ、藩主がまったく自分の意見を言わないわけではないようです。
明治初期のことらしいですが、「して、余はいつ将軍になれるんじゃ?」と発言したという伝説も伝わっています。
976日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:55:51
明治維新後、薩摩藩の西郷、大久保、長州藩の桂なんかは新政府の重役(参議)になりましたが、
新政府の重役(参議)とかつての藩主(島津など)はどちらが格上になるのですか?

西郷、大久保は維新の功績により、かつての上司(藩主)を合法的に追い抜いたのですか?
977日本@名無史さん:2010/06/30(水) 01:42:45
【社会】 中国人姉妹、日本に来てすぐ日本国籍取る→親族48人を中国から呼ぶ→
1週間で生活保護申請、32人がもらえる…大阪市★4
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1277799514/
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100629-OYT1T00630.htm

博士、日本崩壊の足音が聞こえてきました・・・
978日本@名無史さん:2010/06/30(水) 19:27:24
江戸時代の藩主は江戸幕府の役職で言うとどれくらいの格式だったのですか?
藩主といっても、武力や石高の多さなどで差はあると思いますが、一般論で答えてください。
979日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:33:57

最近、中学の社会教科書で↓の絵の説明「トイレの無かった頃(12世紀)」
http://www.news.janjan.jp/world/0807/0807192292/img/photo159663.jpg

なぜ?
980日本@名無史さん:2010/07/01(木) 08:58:19
久し振りにスレを見たけど、博士は最近あまり来てないのかな。
質問です。大政奉還は龍馬が後藤象二郎を通して行ったと広く言われていますが、異説もあるようです。
博士の私見をお聞かせください。
981日本@名無史さん:2010/07/01(木) 17:49:04
総人口の1%未満の人しか住んでいなかった平安京の風景を、
まるで一般的事例のように紹介するのは問題ではあるな。

とはいえ、平安京で、そういう風景が常に見られたというのも事実ではあろう。

この絵に描かれている人々は、平安京内に家屋を持っていない流民(飢饉などで土地を離れて平安京に来た人)だろうから、
世間一般の風景とはまったく違う状況だと思うんだが。
982歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/01(木) 20:44:33
>>980
それは龍馬の評価が高すぎ

よっしゃこい
983日本@名無史さん:2010/07/01(木) 22:25:11
坂本龍馬と中岡慎太郎が後藤象二郎に対し、
徳川慶喜に大政奉還をするよう強く勧めるように要求し、
後藤はその通り実行し、
徳川慶喜は、これを容れて大政奉還が実現した、というのは事実だが、
大政奉還及び「船中八策」と呼ばれる新政府構想は、坂本龍馬の独創ではない。

大政奉還とは、天皇中心の中央集権国家を作るために
それまでの事実上の日本国政府であった徳川幕府の権能を、天皇の朝廷に全て返納するということ。

江戸の幕閣はこれに当然反対の立場であった(将軍を国家元首にした中央集権国家にすればよい)が、
徳川慶喜は、自らの京都における政権に正当な政府という形式を与えるための一歩だと認識していた。
そして薩摩をはじめとする尊王攘夷派にとっては、徳川幕府を徳川家の私的な集団に変えた上で
天皇の名において征伐するための、必要な手順の一つとして認識されていた。
(もっとも、天皇を擁しているのなら、徳川幕府に一方的に朝敵認定をかけるという手段も検討された)

要するに、江戸駐在の幕府首脳ならともかく、京都の慶喜及び薩長にとっては、
どちらが主導権をとるかに関係なく、自らの新政府樹立には幕府を葬ることが必要だった。
徳川慶喜はこの機会に行うのが良いと判断した。そういうこと。

また、「船中八策」には元案があり、これを横井小楠の「国是七条」という。

質問の答に関しては、
「坂本の要求が発端になったと思われるが、
判断したのは徳川慶喜だし、提案自体は坂本の独創というわけでもない。
ただ、歴史を動かしたというのなら、そうなのかもしれないね」です。
984日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:43:28
>>974
>>976
>>978
あたりにも私見お願いします
985日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:54:53
平安時代、太政官を構成する官人たちは、三公クラスから末端の下級官人まで含めて
いったいどのくらいの人数がいあtのでしょうか?

組織図を見ると、現代の大規模官庁顔負けの緻密な組織に見えますが…
986985:2010/07/02(金) 01:13:17
どのくらいの人数がいあtのでしょうか …×
どのくらいの人数が居たのでしょうか …○

拙者とした事が   無念!
987日本@名無史さん:2010/07/02(金) 13:02:24
6世紀はじめの政治指導者で、やがて朝鮮外交の失敗で失脚した大伴氏と、日本書紀の編纂に関わった大伴氏って同一ですか?
988日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:36:24
司馬の「龍馬が行く」のせいで龍馬の評価が高すぎるそうですね。
幕末の日本を動かしたのは勝海舟で龍馬は彼のパシリとか。
有能なパシリだったとか。
989日本@名無史さん:2010/07/03(土) 00:05:20
>>974
西郷隆盛は、薩摩藩士が指導者として崇拝に近いほどの感覚で仰いでいた。

西郷は島津久光を、先代の斉彬を殺した犯人として仇扱いして憚らなかったし、
島津久光も、そんな西郷を厭い一度は日向送り(とは名ばかりの道中暗殺刑)、二度の遠島に
処したのだが、西郷は生き、藩士は西郷にしか従わないという空気を撒き散らし、
結局、西郷を全藩士の指導者として遇するより仕方がなかった。

大久保は逆に、能吏として島津久光の信頼を得たことによって出世した。
990日本@名無史さん:2010/07/03(土) 01:07:12
>>989
ありがとうございます
個人的には西郷にそこまでの魅力は感じませんが、当時の薩摩藩士にとっては
すごい存在だったのですね
ぜひ>>976についても私見をお願いします
991日本@名無史さん:2010/07/03(土) 06:39:15
>>976
博士じゃねぇけど、俺の考えじゃあこうだ。

旧藩主には華族ということで爵位を与えた。
つまり名誉とそれにともなう経済的優遇を与えたわけ。
政治的権力に関しても、貴族院議員の身分を与えて、彼らの不満を宥めた。

それに対して、木戸や伊藤、西郷、大久保などの維新の功臣たちは、政府の重要な役職を占めて政治の実権を握った。

力関係から言えば、旧藩主たちははるか下におかれたが、名目上は高貴な身分を与えられて、威張ってはいただろう。


たとえて言えば、徳川幕府における高家のような感じかな。
実権は小さいが敬意は払われる。
992日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:17:10
落語聞いてたりすると江戸時代の人は庶民でもよく吉原で遊んでるイメージなんですが、
なんであんなに遊ぶ金があるんですか?吉原って安かったんですか?または町民がけっこう金持ちだったんですか。
993日本@名無史さん:2010/07/03(土) 22:43:34
平和な時代だと武士より商人のほうが金が集まる
994日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:01:45
>992
安いのは湯屋だろ、吉原はそれほど安くない
というか、高級ソープの上みたいなイメージじゃないか?

町民は金を持ってたが、庶民は町民という身分じゃないし、
もちろん、吉原へ行く金なんか工面できないよ。

「町民」という身分は、町名主とか、大店の店主とか、町を管理するレベルの階級のこと。
そういう、上の身分の人は金を持ってただろうって事であって、
庶民が湯屋で湯女とちちくり合うためには頑張って金を貯める必要があったはずだ。

それでも、江戸の庶民が近郊農村の村民よりは多くの金を持ってたのはたしかだろうが。
(なんせ、物価が農村とは桁違いだから、それなりの金額を手にすることができないと飢え死にする。)
995日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:13:50
日本史の本についてお聞きします。
私は社会人なのですが、大河ドラマや歴史ドキュメントなどを見て、
再度勉強してみたいと思っていいます。

ただ、学校の教科書のような○○○年に□□が△△したというような史実の羅列ではなく、
色々なテーマで歴史を横串的にみたような本はないでしょうか?
その時々の考え方とか、ストーリー性があれば尚更いいのですが、
本を推薦頂けると嬉しいです。宜しくお願いします。
996日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:42:20
>>991
華族(藩主や大名、公家)と新政府幹部(維新三傑や伊藤等)は格付けでいうと
どちらが格上なんでしょうか?
身分と実権という二つの解釈があるかもしれませんが・・
997日本@名無史さん:2010/07/04(日) 14:01:28
武陽隠士ってホントに歴史学博士なの?

国語国文系の人でしょ?
998日本@名無史さん:2010/07/04(日) 14:24:52
50前後の武陽隠士が史学雑誌も知らないなんてそんなバカな事在り得るの?
999日本@名無史さん:2010/07/04(日) 15:38:21
坂本竜馬はやっぱすごいね
1000日本@名無史さん:2010/07/04(日) 15:57:32
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