1 :
日本@名無史さん:
シー・シェパードからの捕鯨バッシング。
対抗するために日本の捕鯨の歴史を語れ。
2 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 22:33:46
3 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 22:34:04
これは面白い。
資料を調べねば。
テーマとして旬
5 :
日本@名無史さん:2010/02/17(水) 01:21:01
>>3 『南氷洋捕鯨史』(中公新書)があるよ。
ただ、出版されたのが1987年だから書店にはないよ。
だから、読むなら図書館で借りるしかないよ。
6 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 00:32:39
ほげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
7 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 01:42:13
南氷洋捕鯨以前については何読めばいいんだろ。
9 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 18:46:52
侍ジャイアンツの主人公番場バンのお父ちゃんは、捕鯨の名人じゃなかったっけ???
10 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 16:01:57
縄文時代に捕鯨やってたって本当なのか?
13 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 23:36:46
「三陸沿岸では日常的に鯨肉を食べる習慣はなく、
江戸時代の三陸の漁民は鯨をエビスと呼んでとても
大事にし、信仰していた」と話した。(1)鯨が現
れると岸にイワシの大群が来て豊漁となった(2)
鯨の近くでカツオの一本釣りをした(3)鯨が岸に
打ち上げられた場合のみ、浜で平等に分けて貴重な
食糧とした−の三点を証拠として挙げた。
漁民と鯨の関係が崩れたのは、幕末にアメリカの
捕鯨船が日本沿岸でたくさんの鯨を捕獲したことや、
近代捕鯨が国内で普及したことにあると指摘。こうし
た過渡期の事件を示す資料として、三陸の漁民が紀
州の鯨漁師の漁差し止めを求めた訴状、青森の漁民
による捕鯨会社焼き打ち事件の記録などを紹介した。
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2005_09/k/050909k-kujira.html
14 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 23:40:12
湾内でシロナガスクジラなど大型鯨種を解体処理するものですから、
相当な水質汚濁を招いたことは想像に難くありませんし、操業当初は
骨・皮・内蔵などを廃棄していたために周辺集落の漁場にまで影響を
及ぼしたとの記録があります。しかしながら、結果的に捕鯨会社にと
って幸いだったのは、当時の鮎川がこれといった基幹産業のない小集
落であったことで、捕鯨会社が村の行政運営に大金を寄附したり、漁
業採藻税の一つとして多額の「捕鯨税」を納税したりすることで折り
合いがつき、さらには、捕鯨会社に就職して企業労働者に転身する者
であるとか、鯨の内蔵類を買い取って肥料を製造する「鯨肥産業」に
乗り出す者が出てくるなど、いつしか捕鯨が当地の地域経済の中心を
担うようになり、そののち、飲食娯楽産業も含めて様々な関連産業が
根付いて活況を呈するようになり、昭和30年前後の捕鯨産業のピーク
に向かって隆盛を極めていったのです。
http://www.whaling.jp/isana/isana33.html#01 東洋漁業が進出したころは、鮎川の漁民は小漁や採貝藻によって生計を支えているものが多く、
鯨の解剖による地先海面の汚染を恐れて反対した。
http://www.whaling.jp/isana/pdf/isana02j.pdf
15 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 23:43:13
>>13 >青森の漁民による捕鯨会社焼き打ち事件
鯨騒動 漁業補償に不満募りほう起
http://www.daily-tohoku.co.jp/niida/niida1b2.htm 一九一一(明治四十四)年十月三十一日、湊館鼻、いわゆる日和山の頂上(今の館鼻公園)に、湊と白銀を中心とした浜通りの漁民たちが集まり、
激論を交わしていた。周辺にただならぬ気配が漂う。
議題は鯨である。半年前、鮫で東洋捕鯨会社が解体作業を始めたが、九月末までの漁期を守らず、一カ月を過ぎてもまだ操業を続けていた。
海は血で真っ赤に染まり、そのせいか今年のイワシ漁はさっぱりだ。
漁業補償は鮫の組合ばかりに支払われ、湊や白銀には返事がない。もともと、漁民は会社の誘致そのものに反対だった。
鯨は「えびす様」であり、古来、信仰の対象なのだ。不満は頂点に達していた。
翌十一月一日払暁(ふつぎょう)。半鐘が乱打された。合図だ。村中の人々が外に飛び出し、鮫を目指す。えんぶり太鼓でふれ歩く者もいた。
「みんなカダレッ(加われ)」。
ハマが揺れた。ほう起した漁民は五百人とも千人ともいわれる。日露戦争で知られる赤ゲット(毛布)姿がいた。白装束もあった。
文字通り決死の討ち入りであり、一揆(いっき)そのものだった。
一団は捕鯨会社を破壊し尽くし、経営者の長谷川藤次郎宅のほか、神田重雄宅、石田家などにも押し寄せた。
会社側や警官隊との抗争は激しく、死者二人、重傷者五人、軽傷者二十人に上った。世に言う鯨会社焼き討ち事件である。
八戸市の郷土史研究家、中里進さんは「背景に、当時の奥南派と政友会という政治的対立の構図が垣間見える」と指摘する。
「古代からの鯨とのかかわり、漁民の聖地館鼻、百姓一揆にも使われたえんぶり、そして政治情勢。当時の八戸の社会状況がすべて凝縮された、
空前絶後の大事件だった」
事件後、周辺では「クジラ」が禁句になったという。政治的には、これを機にいわゆる浜通り派と呼ばれる勢力が生まれ、
八戸の近代化のターニングポイントになった。
あれから九十年。館鼻公園から望む八戸港の風景は大きく変わり、事件を直接知る人もほとんどいない。
しかし、八戸を揺るがした漁民のエネルギーは、世紀を超えて伝えられていくことは間違いない。
16 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 23:46:08
17 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 23:50:56
鯨も世界的に少なくなって、その捕獲には規制が加わり、昔のように捕鯨もできなくなったが、
内浦などの三浦では昔から鯨は捕らなかったと記録されているし、実際に捕獲はしなかった。
長浜の大川四郎左衛門家の資料を中心とした「内浦漁民史料」は有名で、これによって主として
中世から近世の漁業に関する、莫大な情報が提供されている。その「内浦漁民史料」は明治から大
正にかけて、静浦辺りでよく静養された洪沢敬三が静養の傍ら発掘したもので、今は国立の文書館
に保管されている。
それらは「日本常民生活資料叢書」として刊行されているが、その序文で洪沢敬三は明治39年頃
の状況として
「……自分が静浦に行って居る間に鯨が二度駿河湾内に来たことがあった。一度は非常に大きい奴
で午前11時頃突然瓜島沖二町程の所へ巨躯を現し潮を吹いて游泳していた。漁夫共は船を出し大勢
その廻りを取り巻いて居たが、別にこれを捕獲しようとして居ないので子供心に奇異に感じたこと
であった。」
「この鯨は暫時遊んで居たが其の内一度沈むと見るや今度は遥か西浦の古宇辺りの沖へひと游ぎに
行ってしまったのを見て非常に感心したのを覚えている。」と紹介している。
ところがこの「内浦漁民史料」を整理している内に、鯨は鯨子といってマグロやカツオなど一緒
に連れてくることから、漁民はむしろ鯨に親しみと尊敬の念をもっていたことが判ったと書いている。
内浦辺りでは鯨はマグロやカツオなどの浮遊魚を連れてくる魚と捉え、信仰に近い形で鯨は捕る
こともなかった。鯨がプランクトンや小魚を追ってくるとそのおこぼれを頂戴すべく、マグロやカ
ツオがついてくるという仕組みのようであり、また、イワシなどは鯨の時にはそんなこともないが、
マグロやカツオに追われると、ものすごい数で一か所に固まる。こんどはそれを鯨が頂戴するとい
う共生関係にあったようだ。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/sisetu/rekimin/index.htm
18 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 06:48:51
小型の銛で古くから母子(コモチ)づれの鯨は子鯨を先に捕ったら必ず母鯨も捕れると傅えられ、鯨捕る者はそう心得て居ります。
それは鯨が、人間以上に子を愛するといふ事を知って居るからであります。子鯨が先に捕られたら、母鯨は絶対子鯨のそばを去り得ないから、
遂に母子共捕られるのでありますが、若し子鯨の息が絶えたなら何の未練もなく一目散に逃げて仕舞いますから、子鯨を生け捕りにする事が
可哀想ではあれど親を捕るためには止むを得ませんその為に小型の銛このハヤが使われます。
http://kayoikujira.seesaa.net/article/111933561.html
19 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 06:58:20
日本も鯨肉を捨てていた時期があった
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~hum-sci/174014log1210.htm#SEC2 大村秀雄著・粕谷俊雄編『南氷洋捕鯨航海記―1937/38年揺籃期捕鯨の記録―』(鳥海書房、2000)をペラペラめくっていたら
捕鯨操業の写真が掲載されていました。その最後の写真の説明文を読んでびっくり。
「肉を捨てる。内地持ち帰りを許可された少量をのぞき、肉はほとんど全部捨てた」と書かれているのです。
日本では鯨を余すところなく利用したとよく言われているのに、これはどうしたことでしょう。
そこで本文を拾い読みしてみると、「当時の日本の捕鯨の主な生産物は鯨油であり」、
「農林省は沿岸捕鯨と国内の畜産を保護するために、南氷洋から鯨肉を持ち帰ることを厳しく制限していた」、
「鯨肉の国内持ち帰りが奨励されたのは1946/47年漁期に始まった戦後の南氷洋捕鯨である」と編者によって解説されていました。
20 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 07:06:08
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1208184144/ 732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 00:09:23 ID:TkglWqZs0
NEW NATIONS EMBARKING ON PELAGIC WHALING 419
THE HISTORY OF MODERN WHALING 419 頁
神戸造船所はこの規模の船の建造としては記録破りの作業をし、157日で
日新丸を完成させ、1936年8月1日に就航させた。
........
(日新丸は)
1936年11月13日から1937年3月17日までの期間で1116頭の鯨を捕り、9万1368バレル、
1シロナガス単位当たり95.3の鯨油を生産した。5月15日に油はロッテルダムで降ろされ、
浮かぶ工場はパナマ運河を抜けてカリフォルニアへ向かい、日本向け燃料オイルを1万9600
トン積み込んだ。鯨油を購入したのは形式的にはユニリーバだが、これはドイツ国家のための
委託であることにほぼ間違いない。この時の価格は20ポンド10シリングのピークを打っていた。
利益は500万円と発表されており、国際収支の多大な困難に陥っていた日本にとっては、
これはおおいに有益だった。わずかな肉が塩漬けされただけで、事実上肉はほとんど全部
捨てられた。
外国の捕鯨業者は日本の急激な伸びにパニックに陥った。鯨油の行き先がドイツだということは、
この両国の貿易コネクションの拡大を意味している。ベルリン-東京枢軸という軍事-政治関係の
先導役を果たしているということになる。
21 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 07:17:13
捕鯨問題と水産庁の政策誘導の歴史(森川 純)
http://jwcs.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b7f5.html (2008年10月3日)
日本水産刊行の社史、電通制作『日本水産の70年』(日本水産株式会社 1981年)に次のような記述がある。
「南鯨捕獲枠の減少、鯨種別、海区別の規制の強化、さらに北太平洋捕獲枠の減少にともない、ついに捕鯨
3社(「日本水産」、大洋漁業、極洋)による南鯨3船団、北鯨3船団の維持は、採算上も不可能になった。
この対策をこうずるため捕鯨6社(前記3社と日東捕鯨、日本捕鯨、北洋捕鯨)の社長間で緊急に話し合いが
おこなわれ、水産庁の指導もあって、昭和50年(1975年)7月、母船式捕鯨を統合して新会社を設立、捕鯨業の
維持存続をはかることで合意をみたのである」(前掲書197頁)。
翌年1976年2月16日の日本共同捕鯨株式会社の設立については次のように記す。「この新会社は捕鯨6社を中心
に構成され、捕鯨母船3隻、捕鯨船20隻を保有、社長には藤田巌前大日本水産会会長が就任。(注:藤田巌氏は、
元水産庁長官)従業員は陸上100名、海上1400余名で発足した」(前掲 198頁)。
大変興味深いのは、捕鯨の維持の論拠として伝統や鯨食文化ではなく動物性蛋白質の自給が挙げられていたことである。
それは敗戦直後から戦後復興期にかけて主流であった考え方を再提出するものであったが説得力に欠ける。
と言うのは、すでに経済大国となっていた日本にとって海外からの牛・豚・鶏肉や海産物の輸入によって
不足分の動物性蛋白質を確保することは極めて容易であったし、実際にもそうしていたからである。
22 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 07:20:14
日本共同捕鯨株式会社の設立披露は76年の4月におこなわれる。出席した安倍晋太郎農相(注:安倍晋三前総理の父
引用者)は、「捕鯨業の灯を絶やさず、食糧確保のためにがんばってほしい。政府としてもできるかぎり積極的に
応援をしてゆきたい」と挨拶した」(前掲書 198頁)。
すでに30年以上前の時点で捕鯨大手・中堅各社は、資源の枯渇や国民の鯨肉離れや商業捕鯨に対する国際的な規制の
強化などによって捕鯨業が経営的に成り立たず、将来展望も持ち得ないことを理解していた。
だが以上の証言は、「採算上不可能な」商業捕鯨の維持が、「水産庁の指導もあって」合意・決定され、実施の
ための新会社の設立までなされた経緯を明らかにしていて興味深い。
藤田巌氏の捕鯨戦略に関し、当時の日本捕鯨協会会長の稲垣元宣氏による次のような証言がある。「藤田さんが共同
捕鯨の社長をやられていた当時、商業捕鯨をいつまでも続けられないから、将来は捕獲調査の形を考えるべきだと
いっておられました」(日本鯨類研究所 『日本鯨類研究所十年誌』1997年10月
http://luna.pos.to/whale/jpn_zadan2.html 大日本水産会や大手捕鯨会社や水産会社などには、水産庁幹部が退職後に大量に天下りして「水産庁一家」的なネット
ワークが歴史的に形成されてきた。許認可権や予算などを通じた影響力行使もあり捕鯨会社が仮に水産庁の「行政指導」
に抵抗しようとしても困難となる状況が存在した。
水産庁という一つの官僚組織の意向と利益は、1970年代半ばの危機の時代において守られるとともに、やがて巧みな
政策誘導によって霞ヶ関や永田町において日本国家の意思と利益まで昇華され国際舞台でも追求され今日に至る。
水産庁主導の日本政府代表団がIWC会議において一体、誰のための、何のための利益を主張し、さらにどのような
方法でその庁益を追求してきたかについては再検討する意味と価値があろう。
23 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 13:23:43
24 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 18:37:32
25 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 00:18:40
アイヌって捕鯨やるの?
イルカ漁の賛否はともかく確かに和歌山ばっかり叩かれてるのはおかしいな。
2007年度の捕獲数(水産庁のページにある最新のもの)で、
北海道 899
岩手 10,218
宮城 281
千葉 26
和歌山 1,659(内90頭は生体)
沖縄 90
イシイルカ、リクゼンイルカ、スジイルカ、マダライルカ、ハンドウイルカ、
ハナゴンドウ、マゴンドウ、オキゴンドウ、ツチクジラの総計。
27 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 02:21:32
高校の時、
「米ソは元々捕鯨によって燃料を手に入れていたが、
技術の進歩によって温かい国であるアメリカは捕鯨をしなくてもよくなった。
しかし、ソ連は燃料を賄うために捕鯨をしなくてはならなかった。
だから、反捕鯨を掲げる事によってソ連に打撃を与えようとした。」
という話を聞いたのだが、本当だろうか?
28 :
日本@名無史さん:2010/03/11(木) 00:16:49
誇張だよw
29 :
日本@名無史さん:2010/03/11(木) 02:42:47
>>27 ソ連に打撃を与えるために反捕鯨を主張というのは、
>>28の言う通り、誇張だと思うよ!
ちなみに、ソ連が南氷洋に捕鯨船を出していたことは
>>5の『南氷洋捕鯨史』(中公新書)にも記述されているよ。
ただ、石油を利用する前は鯨油を利用してたことは事実だよ。
米国だけではなく、英国等の欧州諸国も捕鯨をしていたけど、
鯨油獲得が捕鯨の目的だったはずよ。
日本は、食肉としての鯨肉獲得と鯨油獲得が捕鯨の目的だったよ。
30 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 10:55:41
鯨油の値段があがればいいのさ
31 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 23:45:57
鯨油ったって何に使うの?
32 :
日本@名無史さん:2010/03/17(水) 23:11:38
捕鯨シーンのある、侍ジャイアンツは、捕鯨禁止国では放映禁止ですか?
どうも捕鯨自体は赤字らしいんだよな。
鯨肉っても、若年層は食べる習慣がなくなったから
あまり売れないみたいだし。
将来的には採算上の理由でなくなるかもしれないと思う。
アイヌも捕鯨してたよ
35 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 16:47:52
酷い・・・・
シー・シェパードが豪州の元日本移民町で「ザ・コーヴ」上映 日本人墓地破壊される
http://orz.2ch.io/p/-/namidame.2ch.net/poverty/1270108763/ オーストラリア北西部の町ブルーム。
ブルーム郊外の日本人墓地。明治期以降、太地町などから移民してきた約900人の墓石が並ぶ。そのうち10基以上が
突き倒されたり、まっぷたつに割られたりして無残な姿をさらしていた。日本人墓地に対するいやがらせはこれまで200件以上。
地元の警察官は、「イルカ漁に反発した地元の若者の犯行だろう」と話す。墓地には今年1月、監視カメラが取り付けられた。
アボリジニも捕鯨するだろ?反省ないねオージーは。
上代からクジラ料理はあるね
39 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 23:29:44
鯨の肉を食べることは日本の伝統的な食文化であり(個人的な嗜好はともかくとして)、それに
対して外国の政府や団体が自己の価値観を日本に押し付けるのは見当違いというものです。鯨は
絶滅危惧種としてでなく海洋生物資源として繁殖・捕獲を考えるべき動物です。鯨も牛も豚も同じ
哺乳類なのです。
米国で原油が発見されるまでは、単に灯油を得るために米国はどれだけ多くの鯨を捕獲・屠殺
して来たことか。米国はこのことを忘れるべきでないでしょう。そもそも日本の調査捕鯨は国際的に
認められている合法的な行為なのですから、それを妨害すること自体が問題なのです。
絶滅危惧種として元の数まで繁殖させる必要があるのは、むしろ、北米大陸(米国とカナダ)と
オーストラリアに住む純血の先住民でしょう。純血の先住民を卑劣な手段によりほぼ絶滅させてから
政府が過去の悪行を先住民に謝罪しても意味はありませんよね。
シー・シェパードは菜食主義者。
反捕鯨団体代表カナダ人に逮捕状 東京海保、国際手配へ
反捕鯨団体「シー・シェパード」メンバーによる調査捕鯨船妨害事件で、
東京海上保安部は30日までに、妨害行為を指示していたとして傷害や
威力業務妨害の容疑で、団体代表のカナダ人ポール・ワトソン容疑者の
逮捕状を取った。近く国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配する。
逮捕状の容疑は、ワトソン容疑者は2月、すでに艦船侵入や傷害などの
罪で起訴された、抗議船元船長のニュージーランド人、ピーター・
ベスーン被告(45)に対し、異臭を放つ酪酸入り瓶を捕鯨船に投げ入れる
などの妨害行為をするよう指示した疑い。
http://www.daily.co.jp/society/national/2010/04/30/0002929956.shtml ..
43 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 18:04:30
44 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:50:59
46 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 19:36:47
47 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 20:02:34
歴史なんてのはどうでもいい
大事なのは今どうなのかって事だ
かつては日本人にとって重要なタンパク源だった時代ならともかく
今の日本人は牛肉(多くは外国産)を普通に大量に食べて鯨肉など食べたいとも思わない
一部の人間が珍味として食べたいだけ
それ故に捕鯨する意味はない
新興国が二酸化炭素排出規制に反対する程度の理さえない。
48 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 09:46:38
49 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 20:36:27
関西(あくまでも、名古屋〜三重〜奈良〜京都〜大阪〜兵庫までを示す。岡山はセーフ。和歌山はアウト、残念!)
自己顕示欲が強すぎて嫌い!
あのイントネーションが大嫌い!
関ヶ原の戦いで負けたんだから、
東京弁で話してほしい
(・ω・)
関西は犯罪と貧乏な地域だから、日本から
きり離してほしい。
唯一、日本の汚点。言わばゴミ。
関西人は書き込まないでほしい!
関西人からパソコンを取り上げてほしい!!
もはや生きる価値無し!
とりかく関西は犯罪者の巣窟。
(゜Д゜;;)
オソロシイ
50 :
日本@名無史さん:2010/07/29(木) 12:38:44
>>47 >大事なのは今どうなのかって事だ
食料自給率の極端に低い日本としては、恒久的に確保しておきたい権利だよ。
食料モノトリアムをしかけられただけで干上がってしまう国だ。
臭かろうがまずかろうが、普段から食わなくても、食料として実績のあるものなら食うことができる。
細々とでも続けなければ、その技術は失われるしね。
51 :
日本@名無史さん:2010/08/03(火) 17:55:24
>今の日本人は牛肉(多くは外国産)を普通に大量に食べて
いつまでも食料を輸入できると思わないほうがいい
尚、私は抗生物質や成長ホルモンを添加された飼料で育った
食肉は出来るだけ食べたくない。
52 :
日本@名無史さん:2010/08/04(水) 22:09:52
家畜の食肉なんて狭い部屋に押し込んで餌ばかすか喰わせ
ぶくぶくに太らせた不健康な食肉だからな。
そうしないと採算取れないだろうけど。
53 :
日本@名無史さん:2010/08/05(木) 23:20:04
パタゴニア社は、海洋の生物多様性を保護するシーシェパードの広範囲な
努力を過去15年間にわたって援助してきました。私たちは企業として
活発で多様な環境保護活動の一環をなしている前線での活動家たちや草の根
組織へ、幅広い範囲で援助を行っています。パタゴニア社は、シーシェパード
が彼らの海洋の生態系を保護し保存するためのアプローチの一つとして直接行動
という手段に出ていることも承知しています
過去においてシーシェパードは、直接行動という戦術を採用してはいるものの
人命に対する脅威は回避するよう注意深く行動してきました。パタゴニアの
考えではシーシェパードの今までの行動は“科学的調査”という名目で
行われてきた "クジラの捕獲" を、日本を含む各国の捕鯨船に中止させる
という組織ミッションに対して効果を発揮してきたと捉えています。
こうした捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです。
シーシェパードに対する支援は、残された世界中の野生生物、特にかつての
生息数から激減し、現在わずかな生息数しか残っていない生物を保護する
ことに活動の重点を置いている環境団体を支援するという、弊社の大局的
な目的に含まれたものでした。
54 :
日本@名無史さん:2010/08/05(木) 23:56:30
無理してクジラ食べたいとも思わないし。
55 :
日本@名無史さん:2010/08/27(金) 15:37:08
歯科 情報
神谷歯科医院(安城市)には気をつけましょう
一見すると人の良さそうなとっちゃんボウヤのような風貌ですが
内面は劣等感と歪んだプライドで形成された残忍な男です
私も散々嫌がらせや暴行を受けました
どうぞ十分に気をつけて下さいね
WEB上の高評価は捏造ですよ
0566982223
56 :
日本@名無史さん:
歯科 情報
神谷歯科医院(安城市)には気をつけましょう
一見すると人の良さそうなとっちゃんボウヤのような風貌ですが
内面は劣等感と歪んだプライドで形成された残忍な男です
私も散々嫌がらせや暴行を受けました
どうぞ十分に気をつけて下さいね
WEB上の高評価は捏造ですよ
0566982223