>>273 慶長度江戸城天守の天守台を『当代記』は
「去年ノ石垣高サ八間也、六間ハ常ノ石、二間は切石ナリ、此切石ヲ退ケ、又二間築上、其上ニ右ノ切石ヲ積合、
十間殿守也、惣土井モ二間アケラレ、合八間ノ石垣也、殿主台ハニ十間四方也、」
とする
これは天守台の上端の寸法とするのが常識(上に天守を載せるのだからそれに合った建築をしなければならない)
だか、三浦案ではこれを天守台下部の寸法としている
更に問題なのは中井家大工の記録『愚子見記』、この中には
「一、江戸御殿守 七尺間、十八間・十六間 物見、七間五尺・五間五尺
高石ヨリ棟迄二十二間半、是権現様御好也
一、尾張御殿守 七尺間、十七間・十五間 物見、八間・六間
下重側ノ柱ヲ二重目迄立上ル故、物見大キ也
一、大坂御殿守 七尺間、十七間・十五間 物見、四間五尺・二間五尺
一、二条御天守 七尺間、十間・九間 物見、四間・三間」
という記述があり、この内の江戸城天守は「是権現様御好也」とあり、家康の慶長度天守であることは間違い無い
にもかかわらず、三浦案をこの記述を無視もしくは元和度のものと改竄して、慶長度天守の一階平面規模を元和度
より一回り小さいものと捏造した
しかもこの復元案については諸本でそれらの説明を一切せずに、ただ数値のみを書いて読者を欺いている
学者として恥ずかしくはないかと言いたい