1 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/12/10(土) 00:41:05
検索したらなんと1つのスレもないことに驚愕。
ここ本当に日本史板?
とりあえず立てますた
忍城での失敗は秀吉のせいだとかいう主張があるけど
言われたことを諾々と実行して失敗する時点で十分間抜けじゃない?
仮に如水が、高虎が、立花宗茂が島津義弘が、
同じ状況に立たされたとして同じ失敗をするとはとても思えない
諾々と実行しなければ首を刎ねられる。
如水は大軍の軍事指揮権など任されない。
高虎というのは、ただの猪武者。
宗茂と義弘だったら具体的な作戦の指示は出さないだろ。(という以前に指揮権もらえない)
四国・九州攻めの軍監をつかまえて
「大軍の軍事指揮権など任されない」
とは大層な仰り様だな
三成にしたって、たいした戦略的重要性もない
出城ひとつを攻撃するための一分遣隊を指揮してるだけで
小田原攻めの総大将でもなんでもないのだが
ちなみに義弘も宗茂も参戦してるよ小田原
無論、自分のところの兵を指揮して
如水は実際、大軍は率いてないが
それは氏政と直接交渉する大役を任されていたからだ
如水、高虎、義弘・宗茂過大評価しすぎじゃね?
義弘だって志賀との戦いでは大敗してるし
宗茂も大津城で高次に苦戦して本戦に間に合わなかった間抜けになるぞ
で、誰でもいいけどそのへんの人たちの名前を貶めること以外に
石田三成を援護する論法はないのかい
肝心な点は
「どんな名将だろうが天才だろうが絶対に失敗は避けられない状況だった」
という前提のもとにしか「石田三成は間抜けではない」は真にならない、
ということなんだが
ちなみに本当に秀吉に首を刎ねられかけて
それでも生き延びた実例のひとつが如水だったりもするが
まあもっとも
たとえ「しないと死刑」とか脅されなくても
石田三成だったら諾々と秀吉の命令を実行するに決まってるし
秀吉もそういう三成だからわざわざ現場指揮を任せたんだろうし
よくも悪くも有能な飼い犬
そこが石田三成の限界
10 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 21:15:13
息子の重家は100歳過ぎまで生きてる
亀だけど
>>4 小田原戦役で浅野長政とかが思いっきり秀吉の命令無視をやらかしてるが
処分は「謹慎」
工事計画を変えたくらいで死刑にはならないと思うよ
12 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 01:06:13
石田町の観音坂トンネルこえ〜よ。
13 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 01:12:15
↑地元のもんだが高校時代、毎日通っていました
14 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 01:58:50
津軽信義子供作りすぎ
15 :
日本@名無史さん:2010/02/12(金) 00:30:52
近江ベルベットage
16 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 20:59:37
重家すげーな
17 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 23:17:37
だれか教えてください!!
石田三成の6つめの称号はなんですか??
お願いします!!
18 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 01:03:32
sir
19 :
日本@名無史さん:2010/04/06(火) 12:57:12
age
20 :
日本@名無史さん:2010/04/07(水) 17:42:49
>>9 まあ、もっとも
家康とて、内心は反対ながら水攻めを任されたとしたら唯々諾々と従っただろう。
仮に失敗したとしても、水攻めは秀吉の直々の指令なので責任は問われない。
手段は任せるが攻略しろと言われるよりは、楽だろう。
城攻めは得意じゃないし。
21 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 13:32:40
いくら石田三成の人望が無いといっても
立花宗茂、島津義弘、大谷義嗣、島左近、真田親子、これだけでも凄いと思うんだが
総大将が宗茂とか義弘とかになっていたらな、格から言っても無理かな。
やっぱり家康と秀頼の器の違いか、秀頼が総大将になっていたら、これも無理か。
22 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 13:39:40
石田三成の人望の無さも敗因だったが
だれも大野治長の息子の為に尽くす気にはなれないのが
東軍の集まりだ
23 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 14:38:27
では何故、負け戦と分かっていて西軍に集まったのか。
ここが良く分からない。
大谷義嗣は石田三成の為、義弘と宗茂は秀吉の恩為にと西軍に加わったと思われるが
義弘は関ヶ原の前にやる気を無くし宗茂は大坂城に帰ったあと徹底抗戦を出張したが受け入れられず
実父の仇である義弘と一緒に九州まで帰っている。
石田三成が敗因だな。
24 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 18:39:11
いや、大野治長と豊臣秀頼親子が敗因だ
25 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:42:29
テスト
26 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 14:43:59
>>22 大野の息子なんて話は、勿論、秀吉在世中はには無く、
大坂の陣の前後に、秀頼が治長の息子だったら、良心が痛まずに攻められるので、
徳川方が流した情報操作にすぎない。
淀が誰かと会うにしても、必ず第三者が同席するので密通は不可能。
関が原では、秀頼君のため東西の両軍とも君側の奸を除くとしており、
どっち側についたとしても豊臣を裏切ることにはならない。
家康は将軍になった後でも、一代限りで、いずれは政権を秀頼に返すという擬態を続けており、
実際に、毛利家や伊達家の文書には、いずれ秀頼が関白となり政権を握るだろうとしている。
また、江戸時代になって「神君」家康の名将ぶりを称揚する文書がたくさん出来たが、
当時は「名将」なんて思われてなく、実質的には三成が盟主の西軍と戦っても、
どっちが勝つか不明だったので、両軍の勢力が均衡するほど西軍に人が集まった。
傍観していた秀秋の気分次第では、とらぬ狸の皮算用の田舎大名家康などと評価されたかも。、
27 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 22:17:06
28 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 22:45:14
うむ
>>26 >両軍の勢力が均衡するほど西軍に人が集まった
西軍に人が増えたのは、西軍が会津攻めに行く諸将の街道を封鎖したからだろw
長曽我部なんかモロにそのクチだし、実は南宮山の毛利勢だってそうだしな
なし崩し的に西軍に組み込まれた奴らが多かったせいで士気が上がらなかったのであって
積極的に西軍に与した奴らはマジで少なかった
30 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 23:57:21
>>29 東軍に積極的に与した奴らも同じくらいの割合だろう
31 :
日本@名無史さん:2010/04/10(土) 00:00:06
確かに、福島などが妙に張り切るし、「小山」雰囲気でしぶしぶという奴も多かろう
32 :
日本@名無史さん:2010/04/10(土) 00:28:37
まあ、伊達政宗なども救援要請で出動したものの、
山形城に押し込められ落城寸前の最上を横目で見ながら
関が原の情勢を観望、上杉にも講和を探る書状を出したりしている。
どちらが勝利するか判然としないため、真田を始め、家族で両軍に分かれたものも多い。
でも確かに「人が集まった」って感じではないわな
あと東軍は石田三成に個人的恨みがある奴らが多いから
そういう意味では積極的といえるかもな
36 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:44:24
age
37 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 17:39:32
馬鹿島津のヨタ話なんか信用できるか
40 :
日本@名無史さん:2010/07/27(火) 02:54:31
家康と淀殿は、実は裏を見せ合っていた
41 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:22:05
家康本隊が到着する前の関が原決戦は西軍にとって間違った作戦ではない
ただ、総大将に祭り上げた毛利が動かないとは・・・・
42 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:29:52
NHKは日本史復習みたいな番組やっているんだな。
43 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:48:01
徳川家の主力を率いていたとされるバカ息子秀忠と三成の戦いなら面白かったのに
大一大万大吉
46 :
やっこ:2010/08/13(金) 00:19:51
何が大切かっていうと、
はじめてしまった・・・。
つまりそういうことです
いや、まあ頑張りますよ!
え?いや自給自足も伊達じゃねえってことさ!
とりあえず腹ごなしに三成×官兵衛かいてくっべ。
三官最高だろってことですよげへへ←
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/13(金) 12:44:04
三成はよくやった
>>41 毛利や島津は別の思惑があったんじゃないか?西軍東軍両方消耗したところで
双方に襲い掛かれば・・・・
49 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 13:29:44
吉川広家は日本一、いや世界一の馬鹿だったと思う。
これは双方、生きるか死ぬかの戦争ですよ。
まじで家康のいう本領安堵を信じていたのだろうか?
敵の甘い言葉を信じてしまった大馬鹿野郎!
50 :
月孔雀:2010/08/14(土) 13:38:33
広島の方ですか?
51 :
日本@名無史さん:2010/08/14(土) 23:58:08
本領安堵は絶対にあり得ない。
家康が納得しても家臣団が許さない。
つうか、誰でも読める。
52 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 00:01:42
毛利輝元は確実に天下を取れた。
吉川広家のせいで天下を取り損なった。
53 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 00:17:56
毛利輝元は確実に本領を保全できた
安國寺惠夐のおかげで保全しそこねた
54 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 11:12:48
毛利は西軍につくしかなかったと思う。
でなければ、関が原の戦いは存在しえない。
誰も決起しないだろう。やーめた、やーめた、て具合だったろう。
どっちみち、西軍総大将がお咎め無しなんてどう考えてもありえねー。
55 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 11:20:39
総大将が部下の為に一生懸命采配するのが筋だろう。
輝元はん、自分の立場が良くわかってなかったんじゃないの?
しかしだ、
西軍総大将が実は東軍のスパイだった。
これ笑える。
56 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 12:06:22
毛利一族らが当てにならない石治少は、大刑少、小摂ら盟友のみで奮戦せざるを得なかったわけだが、豊臣秀吉在世時に、石治少を筑前、筑後両ヶ国加封を受けておくべきであったか。
57 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 14:13:11
>毛利輝元は確実に本領を保全できた
安國寺惠夐のおかげで保全しそこねた
輝元は東軍に勝たせて本領安堵を確実にさせるつもりだったのか……。
西軍総大将が負ける気でいた。
東軍総大将は勝つ気でいた。
これじゃ、どう考えても東軍勝利だわなwww
58 :
月孔雀:2010/08/15(日) 18:35:50
家康は、勇気があって、関が原まで来た。
輝元は、勇気がなくて、関が原に来なかった。
やっぱり、岐阜城陥落で、勝負ありかな?
59 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 19:06:28
>>毛利輝元は確実に本領を保全できた
安國寺惠夐のおかげで保全しそこねた
>輝元は東軍に勝たせて本領安堵を確実にさせるつもりだったのか……。
器用な奴。
どうやって負けるかって話だろう。
60 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 19:08:39
輝元はどこまでもお坊ちゃんだった。足利義政よりもひどい
61 :
日本@名無史さん:2010/08/16(月) 17:08:39
あのくらいの大国なのだから、
君主というよりも補佐役の責任でしょう。
62 :
日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:21:26
となると、親徳川派の吉川廣家、福原貞俊と、親石田派の安国寺恵夐に分裂したのが原因か
63 :
日本@名無史さん:2010/08/18(水) 07:22:18
補佐役の
吉川、安国寺
どちらかが道を間違えたのです。
明らかにどちらかの責任です。
64 :
日本@名無史さん:2010/08/18(水) 09:09:31
関が原で吉川が西軍側に組していれば良かった話じゃないの。
東軍が勝った所であのような有様なんだから。
65 :
日本@名無史さん:2010/08/18(水) 12:58:46
>>63 そのふたりのどちらかが戦犯ならば、明らかに吉川広家だろう
毛利秀元は、東軍との和議、とりわけ家康直筆の墨付きを受け取らないうちは大坂城を退去してはならぬと輝元に進言したのにもかかわらず、さっさと退去した輝元が罪、万死に値する
67 :
本多正信:2010/08/19(木) 05:00:02
よって防長二國への削封を命ず
68 :
日本@名無史さん:2010/08/20(金) 07:55:40
というか、大阪城退去を吉川広家が引き止めるべきだったろう。
家康との交渉の窓口は吉川広家ですから。
秀頼の篭る大阪城には、豊臣恩顧の東軍諸将は手を出せませんよ、まだあの時点では。
あそこで、本領安堵を確実にするべきでした。
毛利は肝心な所で判断を誤った。
69 :
日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:15:56
そう、本領安堵の約束を確実にする為に、毛利は大坂城にとどまるべきだったんだよ。
関が原に進軍する前に、補佐役吉川広家は輝元に固く進言しておくべきでした。
どう考えても、吉川広家の失態でしょうね。
70 :
日本@名無史さん:2010/08/20(金) 15:02:20
まとめ:
毛利は秀頼という絶好の御輿を担いでいた。
豊臣恩顧の将はあの時点では手を出せなかった。
さらに、家康を勝利に導いた吉川広家の功績もある。
大坂城に留まって優位な条件で講和を結ぶべきだった。
ですね。
71 :
日本@名無史さん:2010/08/20(金) 23:01:29
これらの失態は、「毛利は遺った」に詳しい
72 :
月孔雀:2010/08/21(土) 12:48:43
三成スレなのに、毛利関が原スレになっている。
73 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 17:56:21
所詮三成は19万石の大名
関が原の合戦を動かす力はほとんどなかった。
実質的には徳川と毛利との大博打・駆け引きだった。
74 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 18:18:09
三成 「いいな、官兵衛。裾を持っていろ。下ろせば酷くなるぞ。」
官兵衛「だーかーらぁ!小生は!お前しゃんに!何故こうなったこかということをせちゅめいしてほしいだけだ!」
せちゅめい!せちゅめい!と官兵衛は野太くなくなった、可愛らしい声でわめき散らす。
官兵衛「小生、今フンドシはいてないんだぞ!」
三成 「何をいう、だからこそだ。」
三成は鼻の下をデロッと伸ばしたエロ親父のような顔で小生を見た。
小生は今、なぜか三つぐらいの童になっている。若返った小生は、自分で言うのもアレだが、誰もが見とれてしまう超絶的な愛らしさなのだ。
これが誰のせいかなんて、むろん、全部三成のせいに決まっているのだが。
小生は、きゅっと裾を握りしめ、仕方なく腕を上げたままの状態にした。ここで三成の機嫌を損ねて、一生このままというのも情けなさすぎる。
恥ずかしさに顔を斜め下に背ければ、三成の大きな手にくいっと顎をもたれ上に向かされる。
そしてそのまま接吻された。 …石田三成め、稚児趣味かっ…! 小生の可愛らしさにムラムラしたか!
稚児、という単語がピタリとくるこの現状に小生は悲しくなった。
自分で言うのもなんだが、小生、黒田官兵衛は実に可愛らしいショタ化を遂げているのである。
官兵衛「ふっ、ふぁあぅ、!あ、ふ」
這いずりまわる三成の舌が小生の乳首に、手が胸と下のモノに触れる。官兵衛はびくっと震えた。
頭に三成の声が響き、小生は射精しそうになるのを必死に押し留めた。ぷは、と三成の口が小生の乳首を離れ、次は耳にかぶりついた。
精神はそのままでも、若返った幼い体は感度がいいのか、一つ一つにひくりびくりと反応し、涙で目が揺れて息が荒くなる。
官兵衛に対する三成の責めは、いつも以上に的確だった。
三成のいたぶりに小生の胸の突起はぷくりと腫れ、服が擦れて、びりびりと快感が走る。
下のイチモツは早くも立ち上がり、風にふるふると震える。少しでも快感がくればとぷとぷと先走りをだした。
乳首と股間を同時に責められ、小生は服の裾を持つ手が震え、足も震えて立っていられなくなりそうだった。
官兵衛「やっ、あぁっ!だっめっぇ!…み、ちゅな、みちゅなり…ぁっふうぅ、…んあぁっ!」
三成 「官兵衛、もう濡れているな。凄い量だ。」
三成に耳元で囁かれ、卑猥な粘着と水分音がして、小生は余計に顔が熱くなった。
官兵衛「っぁ!だ、!めぇ、…みちゅなっ! みちゅなりぃ…ゃっあ、…ぁ!ほん、とにだめっ…! いやんっ!」
「だめだめ、やんやん」と首をふる小生に、耳から顔を外した三成がこちらを見てくる。
その三成の顔のなんと余裕で憎たらしいこと、スケベなこと、でも小生、今はそんなことも言えなくなる。
三成 「…何が駄目だ、黒田官兵衛、お前の体は喜んでいるぞ。」
官兵衛「あっあっ、あぁ!やと、だめぇっ…お、ぁ!おねがっ、みちゅな……!!!
みちゅなり…あっ、だめぇっ!だ、やっ…あっあぁ、…!でちゃあ、!ゃ、あぁぁんうぅぅぅ!」
ぴゅるぴゅると、押さえられた腰のせいで引けずに突きだされた小生のモノから精液が飛ぶ。
体が小さくなったせいか、達するのも自らが思っていた以上だった。
は、は、と浅い息をする小生を見ながら三成は少しにやけていた(気がする。)
三成 「仕置きが必要だな、黒田官兵衛。」
三成がニヤニヤといやらしく笑う、手を離れた裾は握っていたところがしわくちゃになっていた。
しまった、やってしまった……そう思い、顔をあげた小生は三成に引き寄せられ、尻を向けて四つん這いにされた。
いくら小生が可愛いとはいえ、三成め、小生に何をするつもりなんじゃぁぁーっ!
ぺら、と隠れた尻をさらけだされれば、それはもう終わりの合図。
三成 「フッ、ひくついているぞ、黒田官兵衛。」
鼻で笑われ、三歳児の姿となった小生のひくつく尻の穴に、三成の意外と太い指を入れられる。
大人のうちに、毎日、三成に掘られているうちに慣れてしまったそれは、今となっては全てが快感な訳だ。
官兵衛「みちゅなり…! ひうッ!ぁ、!あ゛っ、やぁっ!」
パンッ! 三成に尻を叩かれる。痛いのは、それが遠慮なしに叩かれた証拠だろう。
官兵衛「みちゅなッ!ぁ、!あ゛っ、あんあんっ!」
ショタ化した小生の尻を、三成はまるで助平親父のように容赦なく叩き続ける。
三成 「仕置き、だと言っているだろう。黒田官兵衛。 ……喘ぐな。尻を叩かれたくなければな。」
無茶苦茶だ。だがそれでも意地の悪い三成の刺激は止まらない。
くち、ぐちゃぐちゃ、ぬち、 指をバラバラに動かされる。卑猥な音と、こちらも遠慮なしに拡げられるが、小生は必死に口を抑えた。
痛い思いはしたくないと覚悟している時に、三成の指が一点を掠める。それは男なら誰でも弱い場所。
官兵衛「んう゛っ、!ん、ふぅ、う゛ぅふうんッ! やんやんっ、みちゅなりぃっ!」
こりこりと三成は、小生のそこだけを刺激して突いてくる。 小生の涙が溢れて飛び散り、ぴゅくぴゅくと白濁した先走りも飛び散る。
口はもはや唾液がこぼれて、小生は舌を噛みそうなほどがくがくと揺れていた。
だんだんと腰がいうことを聞かなくなってくると、勢いよく三成の指が抜ける。
官兵衛「んあっ…!あんあんっ」
意識がボヤけてきて口を塞ぐ手さえ緩くなり、声がでてしまった。
小さくなった小生は、やすやすと体を抱えられ、三成の膝の上に座らせられる。
尻に三成の硬いものがあたるので、これが欲しいとでもいうように自然と小生の腰が揺れた。
三成はそれに気づいたようで着物から自分のその硬くなったモノを出して、小生の尻の穴にピタリとあてる。
三成 「いくぞ。」
そう言われたことに、小生はコクコクと頷いた。 ずぷずぷ、ずっ! 慣れて拡がった小生の穴に三成のモノが目一杯入ってくる。
官兵衛「、ぁあっあ゛っ!はっあ、あ、ぃい!」
きゅっ、きゅと締まる小生の穴はいやというほど三成の硬いモノを感じとる。
足りない!と、自ら腰を動かせば三成が律動を開始する。その律動にあわせて飛び続ける小生の精液。
官兵衛「かっ…、……はぁ……!………!!みちゅなりっ!あんあんっ!」
もはや小生は、びくびくと震える体に合わせて涎が垂れるだけになり、三成が精を吐いたと同時に小生も意識を飛ばしたのだった。
78 :
日本@名無史さん:2010/08/26(木) 09:58:37
>>41の修正
× 家康本隊が到着する前の
○ 秀忠が率いる徳川主力が到着する前の
家康本隊の動きを全く察知できないという諜報の粗雑が、他のあらゆる利点を帳消しにする致命的な欠点
三成本人が「家康が浜松まで来たら輝元に出馬を求める」とあるのに、赤坂に旗が上がるまで気付かないなんて
正継の出自は何?
81 :
日本@名無史さん:2010/08/28(土) 12:35:12
三成って、秀吉が死んだのだあと、さっさと家康に帰順して臣従していれば、
老中くらいになれたんじゃないの?
82 :
日本@名無史さん:2010/08/31(火) 02:43:18
必要なのは裏切らない有能な者
裏切る有能な者は危険極まりない
83 :
日本@名無史さん:
まあ、民主党が全て悪いんだろうな