♪邪馬台国 ドンと来い♪ 64

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952九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/01/30(土) 15:56:36
>>947
>赤錆系から製鉄するのはあまりないのは・・・

現代の製鉄原料は赤錆系(3価の酸化鉄)が主力です。
古代において砂鉄が製鉄原料とされたのは鉄成分純度が高いからです。

古代において砂鉄次いで純度の高い製鉄原料が得られるものは、
水酸化物を含むリモナイト(肥後)と沼鉄鉱(弁辰)です。

筑豊にもリモナイトがありますが、
製鉄に先行する技術としてのベンガラ製造技術がなかったので、
製鉄に至ることは、肥後に比べてかなり遅れたと思います。
953日本@名無史さん:2010/01/30(土) 16:26:03
戦争中は、八幡製鉄所で阿蘇のリモナイトを原料に製鉄していたらしい。
鉄資源が不足する戦争中だったから、緊急的に使用していたのかな?
954日本@名無史さん:2010/01/30(土) 16:57:18
葦の根に溜まる天然の褐鉄鉱を原料として製鉄がおこなわれていた。
葦原中津国とは鉄鋼の原料となる褐鉄鉱の豊富な湿原のこと。
卑弥呼の時代に製鉄技術を持っていたのは諏訪の富士王朝。
『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫こそ卑弥呼に他ならない。
卑弥呼は記紀にも出ていたのだ。
955日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:29:45
>954
刀一振りつくるのに、どれだけの葦が必要なんだろう
現実的な話ではない、実用量としての鉄は大陸から輸入していた
朝廷は飛鳥時代ですら銅山を持っていなかった
ようやく東国が手中に入り、秩父の銅を運上できたのが和銅元年だ
956日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:59:38
九州王朝が言う早期の製鉄も製銅も、もしかしたらあったかもしれない程度の話。あった
としてもおそらくごくわずかの量しかとれず、採算に合うようなものではないだろう。
957日本@名無史さん:2010/01/30(土) 19:12:16
>>955その通り。
鉄は極めて貴重品であり、鎌は司祭用の神器だった。
958九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/01/30(土) 20:00:28
>>956

狗奴國(菊池)が女王國の脅威であったことは、
狗奴國が女王國に匹敵する武器を持っていたことを示している。
菊池(肥後)には鉄矛や鉄鏃を生産するに足りる十分な量の鉄を生産していたと判断できる。

製鉄の状況は地域によってかなり異なります。
梁書によれば、5世紀に扶桑國(播磨國)は製銅はしていたが、製鉄はしていなかった。(鉄の原料が無い地域だから当然だ)
面白いことに銅と共に取れる金銀にはあまり関心がなかったようだ。
959水銀厨 :2010/01/30(土) 21:56:09
>葦の根に溜まる天然の褐鉄鉱を原料として製鉄がおこなわれていた

畿内では河内の柏原、奈良の竜田周辺がそうだろう。
伝承ではあまり上手くいかなかったという話だが。

亀の瀬近くの金山彦神社の近辺ではタタラの跡らしき
ものはあるが、何しろ日本有数の地滑り地帯なので
痕跡等は探しようが無い。
もしかすると木の切りすぎで鉄砲水を誘発したのかも
しれない。
960日本@名無史さん:2010/01/30(土) 21:59:49
ベンガラ製造から鉄製造までにはあまりに敷居が高く
そこにいたるまでの可能性は極めて低い。
ベンガラ製造の延長にもうひとつ、道がなければ
たどり着けそうにない。

リモナイトからベンガラにするのは、ある程度の時間100度以上を維持すれば良い。
これは容易にできる作業だ。また、この赤錆は800度程度までは安定し、
酸素が豊富な状態では1300度程度まではそのままである。
酸素がなければ800度を超えたところから徐々に黒錆に変わっていく。

この温度は弥生式土器の温度なのである。(縄文土器はもっと低温)

ベンガラを塗った弥生式土器(あるかどうかは知らない)を焼くときに
たまたま一酸化炭素が多く、無酸素の状態が発生すると
還元反応が起こる可能性がある。これで黒錆製造まではいける。

これのレベルが上がると製鉄だが、そう簡単に行けるかどうかは分からない。
961日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:01:32
タタラは砂鉄が原料
畿内周辺で砂鉄が取れたっけ?
962水銀厨 :2010/01/30(土) 22:11:01
>>961
タタラは別に砂鉄だけじゃないですよ。
餅鉄、岩鉄等でも出来る、亀の瀬では近くの二上山系からの
石に含まれているものとされてるけどね。
まあ上あまり手くいかなかったんだろうが。
963日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:13:48
たたらは砂鉄が普通使われる。磁鉄鉱などもその仲間。
赤錆系から鉄を作るには、還元焼成で黒錆(砂鉄)にする必要があるから
脱水工程、還元工程(赤→黒)、還元工程(黒→鉄)、となり
最初を二つの工程を余計にしなくてはならない。

砂鉄よりリモナイトの方がエネルギーが必要。
もし赤錆系から製鉄をしているとすれば、
何らかの理由で良質の砂鉄が手に入らなかったのであろう。
964日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:37:32
>953
戦前はアメリカからくず鉄を大量に輸入していた。
その禁輸措置も大戦の引き金の1つ。

製鉄するよりは、くず鉄を溶かし直した方がはるかに効率がいい。
かなり切羽詰っての措置だと思います
965水銀厨 :2010/01/30(土) 22:49:31
>何らかの理由で良質の砂鉄が手に入らなかったのであろう。

まあそのとおりなんで上手くいかなかったのだろう。

竜田や柏原周辺は湿地も多くて葦が多く、(葦原〜柏原は地名の語源?)
褐鉄鉱を採取してたらしい。竜田川では鳴石も取れたしな。
何より金山彦、金山媛神社がこの場所にあるのが
大県以前に初期製鉄があった証拠じゃないの?

966日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:50:31
タタラの炉内は1,000〜1,200℃、鉄の融点1,535℃より低いが、これで還元反応がすすむ
青銅は融点が1,250℃なので、銅鐸の時代から温度的には達成しているということ
加熱するだけで硫黄がとんで精錬できる銅にくらべ、製鉄はもっと複雑な反応を制御する必要がある
タタラ炉をつくる土の成分が還元に効いてくるから、土の選別から始まって、炉の形成の技術、
温度管理、炉内酸素の管理、、のろ(スラグ)の排出タイミング、などなど難しい
967日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:52:11
狗奴国が邪馬台国の脅威だったのは 農耕民族が狩猟民族には戦では勝てないから。戦士の数と練度がちがう。中国の歴史を見ればわかる。
トヨの時代に滅ぼされただろうな。
968日本@名無史さん:2010/01/30(土) 23:11:54
弥生時代には石器が激減する。石器を使わなくて何を道具にしていたかと
いうわけで、鉄の普及が考えられる。では、素材を全部輸入していたの
だろうか?

そんなことはないだろうと言うわけで、製鉄が考えられる。
日本の製鉄は、古墳時代の6世紀あたりに始まったと言う説もあるが、
どうも、弥生時代には始まっていたと考えられる。

出雲や九州の各地でその痕跡のある遺跡が見つかっている。
インターネットで調べても、弥生時代の製鉄跡と書かれている遺跡が
たくさんある。

総社市の藤原遺跡、宮崎県延岡市の祝子遺跡。
大分県国東の安国寺遺跡、下城遺跡。
熊本県には、狩尾遺跡、小野原遺跡、下扇原遺跡、方保田東原遺跡、
諏訪原遺跡などがある。
969:2010/01/30(土) 23:15:32
ここは邪馬台国スレではなく考古学スレになってきてるなw
970日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:13:44
>>968
出雲の初期のタタラ炉は小さい様だよ
タタラには違いないが、50cm四方くらいの炉で、1回当たり何キロ作れるんだろうと言う感じ
そうして得られた鉄は貴重なので、身分ある者の剣か、兵の柄の先につける槍先(ポイント)くらいが精々だろうな
石器がすべて鉄器に置き換わったとすれば、日常で使う刃物や斧や狩りの鏃などにも鉄を回さないといけない
輸入じゃないと足りないと思うよ
でも製鉄に使う森林資源は、大陸や半島より日本の方が濃かったので、製鉄技術が普及すると一気に生産が増えたんじゃないかな
それが古墳時代の様な
やがて室町時代には鉄製品の輸出国になるんだよね
971日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:52:13
>>968
昔は、弥生時代の鉄器の大半は九州で見つかるとされていたが、最近は本州でも
多数の製鉄遺構が存在していたと主張されるようになったね。

そんな主張をする連中にとって最大の難点は、その大量に作られたはずの鉄器が
出土しないことだな。九州と違って本州の鉄はよく溶けるんだなww

普通に古墳時代以降の製鉄遺構とするべきものが大半ではないかな。
972日本@名無史さん:2010/01/31(日) 03:32:17
>>971

古墳時代になっても、鉄の保有量は圧倒的に九州が多いわけだが、
現在まで九州が首都になれなかったのはなぜなんだい?
973日本@名無史さん:2010/01/31(日) 04:11:17
と言うか現在じゃあ鉄そのものに対する評価も変わってきていると言うか…
少なくとも昔の様に鉄をオールマイティな文明の利器と言う能天気な考え方はなくなったというかwww

以下の話は古代の稲作の生産性をどれくらいに見積もるかによって変わってくるんだろうが…

鉄や銅が入ってきて最初は広葉樹をバンバン景気良く切り倒したんだろうが
それはドングリや栗と言った堅果類の供給元を無くしてしまったと言う事で
言わば自分で自分の首を絞めたと言う状況になったんではないだろうか?
(生態系の変化により堅果類のみでなく例えば猪も減ったとかもあるかもしれない…)

加えて保水能力の無くなった山は洪水を引き起こしやすくなったとか
様々なトラブルを引き起こしたのではないか?


974日本@名無史さん:2010/01/31(日) 04:56:30
ヒバリちゃんかわいくね?
http://www.youtube.com/watch?v=8m64kvF7oIw
975日本@名無史さん:2010/01/31(日) 07:24:26
>>971
なるほどね。何をもとに年代を決めてるのか、信憑性はあるのか、を
良く検討しないといけないと言うことだな。
976日本@名無史さん:2010/01/31(日) 07:34:44
吉野ヶ里は、3世紀には衰退してるのに、邪馬台国だとか言ってるアホもいるしな。
977サガミハラハラ:2010/01/31(日) 08:13:20
卑弥呼の活躍した時代は3世紀ですが、彼女の時代は邪馬台国の最盛期ではなく、
狗奴国との戦いで魏に助けをもとめるほど国力が弱っていたのですよ。
978日本@名無史さん:2010/01/31(日) 08:58:13
>>977
そんな弱小国ならば、親魏倭王などと言ってくれるわけがないね。
宋書、隋書と邪馬台国が続いていることを忘れてはいかんな。
狗奴国は4世紀以降、姿を消すけどね。
979水銀厨 :2010/01/31(日) 09:48:31
狗奴国が女王国連合に負けない国力を持っていたのでしょう。
980日本@名無史さん:2010/01/31(日) 10:11:27
それが何ですぐに姿を消すの?
981日本@名無史さん:2010/01/31(日) 10:13:16
昭和35年、日本は朝鮮戦争でクズ鉄になったアメリカ軍の戦車を輸入して東京タワーを建てた。
平成23年、日本は多々良の子孫であるタタ製鉄から鉄を買って作った東京スカイツリーが完成する。
日本はいつも輸入品で済ませているのではないだろうか?
982水銀厨 :2010/01/31(日) 10:32:31
>>980
大陸の国体変化と共に、国内でも
国力バランスが変化するからだろう。
983日本@名無史さん:2010/01/31(日) 10:47:17
いまの日本の製鉄業は壊滅状態だし、外国から安い鋼材が入ってくれば、割高な国産を使う必要はない。
鉄の輸入で膨大な利益を上げていたのが宗像氏ではないだろうか?
古代の国の繁栄や衰退も外国との交易にかかっているのにのです。
984水銀厨 :2010/01/31(日) 11:10:04
宗像氏は交易商社の原型だと思えば判りやすいでしょう。
大国主は資源産出国で大穴持ち(鉱山物資持ち)
国譲りはその利権移動の事なんですよ。
985日本@名無史さん:2010/01/31(日) 11:13:33
>>984
大穴持ち=鉱山って妄想しすぎ。
古代の鉱山って穴掘ってたわけじゃないだろ。
986水銀厨 :2010/01/31(日) 11:20:52
>>985
まあ判りやすい例えでの話しですから。

大和でいえば穴虫(石、金剛砂の産地)、
穴師(辰砂)という場所に由来があります。


987日本@名無史さん:2010/01/31(日) 11:57:39
>>982
長続きしない魏と結んだ邪馬台国が生き残り、魏と結ばなかった大国の狗奴国が
簡単に崩壊する? そんな想定はおかしいな。
倭人伝を良く読め。狗奴国は小国に過ぎない。物の数ではないんだよ。
988水銀厨 :2010/01/31(日) 12:03:36
魏自体崩壊してるだろw

大体邪馬台国が4世紀生き残ったと言えるのかい?
狗奴国が邪馬台国の実権を握った可能性もあるんだよ。

989唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/31(日) 12:10:09
>狗奴国は4世紀以降、姿を消すけどね。

狗奴国との戦争が景行。ただしこの時代を4世紀には、移動できない。
266年 泰始2年 十一月己卯,倭人來獻方物。
273年 泰始9年 三月,立皇子祗為東海王。夏四月戊辰朔,日有蝕之。六月乙未,東海王祗薨。
鮮卑寇廣寧,殺略五千人。
274年 二月,分幽州五郡置平州。
276年二月丙戌,東夷八國歸化。秋七月,東夷十七國內附。
277年 咸寧3年 是歲,西北雜虜及鮮卑、匈奴、五溪蠻夷、東夷三國前後十餘輩,各帥種人部落內附。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
280年 太康元年 6月 東夷十國歸化。7月 東夷二十國朝獻。
281年 太康2年 三月東夷五國朝獻。夏六月,東夷五國內附。冬十月,鮮卑慕容廆(歸か)寇昌黎。
282年 太康3年 九月,東夷二十九國歸化,獻其方物。
286年 太康7年 夏五月,郡國十三旱。鮮卑慕容廆寇遼東。八月,東夷十一國內附。是歲,扶南等二十一國、馬韓等十一國遣使來獻。
287年 太康8年 八月,東夷二國內附。
288年 太康9年 九月,東夷七國詣校尉內附。
289年 太康10年 五月,鮮卑慕容廆來降,東夷十一國內附。是歲,東夷絕遠三十餘國、西南夷二十餘國來獻。
この年11月に 晋は、軍を再編する。
290年 太熙元年 二月辛丑,東夷七國朝貢。

これが歴史の続きだ。
990日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:13:23
>>973
鉄の重要性は変わらない。
しかし、近畿地方から鉄が出ないから、畿内説としては鉄に触れることを避ける
ようになった。まして、鉄の評価が変わったというものまで出てくる。

畿内説の問題点がそこにある。

畿内考古学は、客観的な評価で邪馬台国を考えるのではなく、畿内説を
前提として考古学を考える。方法としては間違っている。
991日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:15:57
>>989
>狗奴国との戦争が景行。
思い込みだけではなく証拠をあげてほしいな。

たくさん書いてるが、どこにも狗奴国の名前が出てこんね。
992太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 12:20:16
>>991
あれは稀代の盲象家ですよ。
993日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:20:40
>>990
>畿内考古学は、客観的な評価で邪馬台国を考えるのではなく、畿内説を
前提として考古学を考える。方法としては間違っている。

それは九州説にもそっくり当てはまる事で。
994日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:22:46
>>988
宋書も隋書も倭国を書いているだけだ。魏志にいう邪馬台だとあるだろが。
狗奴国が生き残ったのならば、狗奴国と書くだろう。
少なくとも倭狗奴国とでもするはずだ。
995日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:23:51
>>989
倭に関連する記述は、
266年 泰始2年 十一月己卯,倭人來獻方物。
だけだな。

梁書などの「復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命」
から、泰始二年に朝貢したとされる倭女王は、台与だろう。

つまり、狗奴国との争いがあったにせよ。邪馬台国はその後も存続し
中国から爵命を受ける。
996日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:28:56
>>990

下らない。
「昔は良かった」と言う九州説の怨み節だなw

新たに出てきた材料でその形を変えていく
学問の進歩としてはそっちが当たり前で
九州説(つうか東遷説かな?w)にとって昔の方が都合が良いからと言って
そっちにあわせるなんて馬鹿を誰がやるって話しwwwwwww

どうしても反論したかったら鉄の出土量と社会の発展について
説得力のあるデータをもってこいって話し。

「昔は良かった」を連呼しても意味が無いぞアホw

確かに九州には鉄の出土が多い。
が、そこから先の話しが無いwwww

その出土量に比例して人口が他地域より多いなんてデータがあるか?
あるいは鉄製兵器でぶそうした「むてき の きゅしゅうぐんだんw」が本州にその版図を広げた痕跡があるか?


どの道、九州説に言わせればヤマトが「鉄不足」のままヤマト王権が興り
古墳時代に入っていく事実は変えようも無いwwwwww
997nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 12:31:25
>>995
>泰始二年に朝貢したとされる倭女王は、台与だろう。

いいえ倭人です。
998日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:35:12
>>996
新たに出てきた材料で考え方を変えたのではなく、出てこないから考え方を
変えたんだろう。都合が悪いから、考え方を変えた振りしてごまかしたに
過ぎない。

しかも、九州の優位を基にした東遷説は頭から無視する。

歴史は結論から導かれるものではない。いろんな資料の総合で結論を
導き出すもの。
999日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:37:20
次のスレ誰か立ててくれないかなあ。
スレ立て規制に遭っている。
1000日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:40:39
>>997
梁書には、爵命を受けたのは台与と書いてあるだろうに。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。