XBOXユーザーだけど李氏朝鮮って徳川幕府より上よな

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143日本@名無史さん:2009/12/21(月) 21:47:44
李氏朝鮮社会は日韓併合前までは日本の奈良時代以下の古代社会のままだったしな。

 日中の水車さえ模倣できない技術水準だったそうだし。
144日本@名無史さん:2009/12/21(月) 23:06:53
145日本@名無史さん:2009/12/22(火) 00:20:33
500年も続いた李氏朝鮮の古代社会がたった35年の日韓併合で近代化するわけがないしな。

 日本から切り離された北鮮は予想通り李氏朝鮮社会を復活させた。南鮮もそうなるだろう。
146日本@名無史さん:2009/12/25(金) 06:31:55
   ,.、,、,..,、、.,、,、、..,_       /i
  ;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i  <今は垂れ流してますか><
  '、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄
147日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:39:00
李氏朝鮮は明らかに徳川より上だな
148日本@名無史さん:2010/02/12(金) 00:07:25
結局徳川なんてゴミがゴミに勝って威張ってただけだし
李氏朝鮮の方があらゆる面において格上。
徳川将軍が降伏しに来て土下座して足蹴にされればよかったんだよ
149日本@名無史さん:2010/02/12(金) 05:12:10
ここまで具体例一切無し
150日本@名無史さん:2010/02/12(金) 15:11:16
ゴキブリわいてきた
151日本@名無史さん:2010/02/13(土) 20:44:34
【李氏朝鮮と清(中国)との和平条約】
【一つ】朝鮮は、清に対し、臣としての礼を尽くすこと
【一つ】王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
【一つ】城郭の増築や、修理については、清に事前に許可を受けること
【一つ】清に対して黄金100両、白銀1000両と20余種の物品を毎年、上納すること
この物品の中には『キーセンと宦官』も入っていた。
152日本@名無史さん:2010/02/13(土) 20:53:00
>>151 【追加】
【一つ】朝鮮は公文書に清の年号を用いること
153日本@名無史さん:2010/03/12(金) 23:40:45
保守
154日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:16:52
李氏朝鮮は何気にすごい
155日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:21:35
李氏朝鮮も徳川幕府も、儒教をふりかざした長期腐敗政権で
欧米との格差を決定的に拡げたって点で同等じゃないの。
156日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:25:42
改革する意欲が乏しかったから李朝は長く続いたんだよね。
157日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:26:59
徳川政権では庶民文化が花開いたけど
李朝政権では庶民文化はどうなの?
158日本@名無史さん:2010/04/08(木) 23:32:33
家具とか指物細工のレベルは両方共相当良い物を作ってるな。
159日本@名無史さん:2010/04/09(金) 00:03:52
>>133
> チョンが〜、とか言ってる奴も、徳川なんて李朝と違い〜、とか言う奴両方とも
> 五十歩百歩。

自分で書いてて何かおかしいと思わない?
「AもBも五十歩百歩」というのならわかるが、>>133が言ってるのは「AもAも五十歩百歩」。
結局わかるのは、>>133さんは「A」を貶めたいだけなのであって、
従って>>133さん自身は「自国の歴史や文化に誇りを持ち、他国の歴史や文化も尊重する」ような人では残念ながらない、
ということ。
160日本@名無史さん:2010/04/09(金) 00:06:10
と思ったけど、もしかしたらちょっと勘違いしてるかもしらんな。自分が。
まあいずれにせよ、実際に比較もしないで「五十歩百歩」で片づけてしまうような人が
歴史学とは全く無縁の人種であることは間違いがないだろう。
161日本@名無史さん:2010/04/09(金) 04:21:27
>>115 >>学問・文化的には李朝の方が日本より優れたものもあったろうが

 具体的にどういう優れた文化があったんだ?

 日本では蘭学、国学が隆盛だったが。朝鮮ではイテゲの儒学くらいしかなかっただろう。

162日本@名無史さん:2010/04/10(土) 01:31:01
>>155 日本では幕府の禁制があっても民間では蘭学、国学が隆盛になり、近代化の素地を作っていた。

 シナ、朝鮮ではそんな動きは全くなかった。ここが根本的に異なる。
163日本@名無史さん:2010/04/10(土) 07:30:56
箱儲って惨め
164日本@名無史さん:2010/05/10(月) 11:58:13
ウィキペディア-
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82

女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。

状況証拠としては次のことが挙げられる。

李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。

李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。

のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。

モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。

ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。

千戸として女真人の統治を行っていたこと。

姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
165日本@名無史さん:2010/05/10(月) 12:02:36
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、
朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。
その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。

『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、
第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、
前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、
そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。

『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」
これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。
彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。
これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。
女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。
『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
166日本@名無史さん:2010/05/10(月) 18:20:33
支那王朝(300年〜1年)→李氏朝鮮(五百年)→
日本皇室(自分は採らないが継体からでも1500年)

日本の王朝は支那、朝鮮より↑。1の定義に基づく。
167日本@名無史さん:2010/05/12(水) 17:18:45
すげえなwGKゴキブリって日本史板でまで成りすましネガティブキャンペーン
やってるのかwソニーもそんな無駄な工作ばっかしてるから債務超過になっちゃ
ったのになw
168日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:39:52
>>1 古代王朝が20世紀初頭まで続いていたのは、すごいことだな。

 朝鮮は近代化を始めてまだ100年たらず3世代ということだな。
169日本@名無史さん:2010/05/17(月) 03:25:32
支那の奴隷国家が支那と同等の徳川より格が上な訳ないだろw
170平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/21(金) 05:00:39
>>1
徳川の良さがわからんとは悲しい野郎だな(冷笑)
171日本@名無史さん:2010/06/14(月) 06:47:40
マジかよ糞箱売って来る
172日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:57:16
マジかよゴキブリ涌いてきた
173sage:2010/06/18(金) 12:11:42
陰謀と毒殺のぬりかためだよ。
その遺伝子が開成高校の教師だよ。
174日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:03:04
目付の監視の目が光る幕府
汚職やりたい放題の李朝
175日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:07:48
>>174
で・・・?
幕府の徴税能力の低さを知らんのかい?
勘定方の改革は何度か行われ、不正をしたとして幾人もの代官が腹を切ったが、何の解決にもならんかった。
176日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:16:18
朝鮮人は自体お人好しの国民ではあるが
無気力の朝廷と、全く泥棒のような役人に支配されて
半ば滅亡状態にある。
(エルウィン・ベルツ 1903年7月3日)



平安末期の日本と変わらん
177日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:25:03
徳川はあくまでも幕府。
朝鮮王朝と比べるのは皇室が妥当。
それに比べたら朝鮮なんて(笑)
178日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:42:39
李氏朝鮮より日本の金剛組のほうがはるかに永いぞ。
179日本@名無史さん:2010/06/22(火) 23:37:11
京都にも李氏朝鮮より古くからある大店はあるだろう。
180日本@名無史さん:2010/06/26(土) 04:31:49
李氏朝鮮より古い大名家も現在まで存続していて国会議員や首相を出しているしな。

181日本@名無史さん:2010/06/26(土) 06:46:20
李氏朝鮮のままにしておけばよかったのに。
日清戦争こそが近代日本最大のあやまち。
182日本@名無史さん:2010/06/26(土) 11:56:44
徳川の幕臣 領民に家計をやりくりしてもらい質素に暮らす
李朝の両班 奪えるものは根こそぎ奪い取る冷血漢
183日本@名無史さん:2010/06/26(土) 12:22:04
>>181 明治維新政権は革命政権だったので、国内統一のために革命輸出をやらざるを得なかったという事情もあっただろう。

 フランス革命後のナポレオン戦争と同じだ。
184日本@名無史さん:2010/06/26(土) 12:27:09
>>181 清国、帝政ロシア、李氏朝鮮というアンシャンレジームを潰すのは歴史の必然だったしな。

 さらに日本は東南アジア植民地解放戦争まで遂行した、アジア革命の盟主だったのだ。

 最後はナポレオンと同じ運命だったが。
185日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:53:42
20世紀初頭に世界一周したワルデマールというドイツ人が残した写真集を図書館で見て、
李朝末期の写真何枚かあったけど背景はどれも禿げ山ばかりで服装も建物もボロで完全に荒廃してたな。
人々の目ももう見るからに生気が感じられなくて少し可哀想な感じがした。
一応電柱が所々見えてたし漢城では路面電車みたいのも走ってたから多少は近代化してた様だが
186名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 12:27:10
李成桂のオヤジの女真名って何?
あと、李成桂も女真名あるの?
187日本@名無史さん:2010/07/11(日) 23:43:07
新羅は凄いと思うけど、朝鮮はドラマで見る限りでは政治家が派閥争いばかりやっててどうしようもないな。
188日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:39:07
【“朝鮮半島の2000年史”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】
1  檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない
2  箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。『史記』巻38宋微子世家「武王既克殷、
訪問箕子、於是武王乃封箕子於朝鮮」
3  衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家で、燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権
4  もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない『史記』朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也(朝鮮王、満は燕国人である)」
5  衛氏朝鮮もBC108年に前漢の武帝に滅ぼされ、故地に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地
6  『後漢書』に「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。」とあり、
箕子朝鮮の最後の王、準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その馬韓が百済になった
7  百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない
8  高句麗と渤海はツングース民族で、同じツングース民族の満州族系 「高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)」



189日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:40:01
9  濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」、黄文雄「遼東や北満の地は、か
つて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」
「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数
民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄著『満州国は日本の植民地ではなかった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世
紀末、ツングース系の?族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】
中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、
4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、森安孝夫
「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系
の民族国家(Yahoo!百科事典)」、藤本和貴夫「7〜10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建て
られた(Yahoo!百科事典)」、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、
大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」
10 新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国
11 『北史』新羅伝「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、
馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。」「新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地
は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来
した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている」

190日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:42:00
12 『後漢書』辰韓伝 「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、
行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」「辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界
の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と
呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。」
13 唐が高句麗・百済を滅ぼし、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府とした為、朝鮮半島全域が一時期中国領となった
14 結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖。でも・・・悲しいことに
15 その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。
  金氏王統の始祖瓠公は日本人
 (瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物)
 『三国史記』新羅本紀
「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」
   (瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。
  初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。)

 昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人
 『三国史記』新羅本紀 
 「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」
 (脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
191日本@名無史さん:2010/08/20(金) 12:43:50
16 それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした
『隋書倭人伝』
 新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
 (新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として
 敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)

 広開土王碑文
 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
 そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

17 ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が
「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。
18 高麗を征服した元は朝鮮半島北西部に東寧府、双城総管府の植民地を設置
19 1259年、高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、その息子忠烈王は、1260年に大ハーンに即位したフビライ
の娘婿となった。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、
父の死後、高麗王の位を継ぐのが習慣となった。高麗王の母は、みなモンゴル人になったの
20 李氏朝鮮も実は、朝鮮人王朝では無く、女真族王朝だったの。なのに女真族ををオランケと呼び差別していた
21 15世紀の李氏朝鮮の世宗の時代に侵略して併合し、朝鮮の領土に組み込むまでは、李成桂の出身地の咸鏡道を含む
朝鮮半島北部(咸鏡道、平安道)は女真族居住地域であり、女真族の領土だったの
22 李成桂は女真族の酋長の李之蘭と義兄弟の契りを結ぶなど、李一族は女真族の配下を多数抱えていたの

192日本@名無史さん
23 女真族はモンゴル名を持っており、父李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持っており、さらに祖父李椿は孛顔帖木兒、
李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っており、モンゴル語で書かれた
一族の家系図から、李一族のモンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないの
24 元に仕える行政長官ダルガチは、原則としてモンゴル人か色目人が任用されたが、元初期には一部の南人や契丹人、
女真族が、モンゴル名を持つことでモンゴル人とみなされ任用されたが、李成桂の四代前の高祖父李安社はダルガチだったの
25 千戸長として女真族の統治を行っていたの
26 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。
生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。(三海陽にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、
度祖(李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟である。彼は女真で育ち(女真の族長になった)、
腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった)」
という記事があり、女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然なの

※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません。
箕子朝鮮は中国の殷の中国人箕子の国で、衛氏朝鮮は中国の燕の中国人衛満の国で、
箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、馬韓が百済となり、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され、
朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族と同系で、
新羅は『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国で、
その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域を支配して、
高麗王朝時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、
李氏朝鮮の創始者で朝鮮王の李成桂は女真族。