石高の割にあまり話題にならない大名、旗本の家来、その股家来の陪臣について語るスレです
2 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 01:27:41
2
直江とか万石陪臣とか語れば良いのか?
4 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 08:46:35
語るってナニ?w
5 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:11:40
6 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:08:06
とんだ糞スレだな
まずは
>>1がネタを出せや
でなきゃ削除依頼してこい
目薬になかったっけ
バイシン
8 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:47:13
多い日も安心
バイバイブルー
9 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:41:42
幕末時点で万石以上の陪臣は73家
(附家老5家含む)
>>9 時間が空いたらで良いから全部列挙してくれないか?
出来たら秋田、仙台などの北からが良いな
じゃあ南から。
薩摩藩一門(重富、加治木、垂水、今和泉)
同 一所持(都城、宮之城、種子島)
(琉球王家・・除外?)
熊本藩(松井、米田、有吉、沢村、長岡刑部)
佐賀藩(鍋島・・白石、川久保
龍造寺・・・村田、諫早、多久、武雄、須古)
高知藩(深尾)
徳島藩(稲田、賀島)
萩藩(吉川、宍戸、右田、吉敷、厚狭、福原、益田)
岡山藩(伊木、天城、片桐、日置、建部、土倉)
鳥取藩(荒尾但馬、荒尾志摩)
あとはよろしく!
15 :
9:2009/12/12(土) 15:49:13
>>10 漏れの把握している限りでは以下のとおり
・盛岡藩(1)
遠野南部家
・仙台藩(8)
石川家、亘理伊達家、水沢伊達家、涌谷伊達家、登米伊達家、
岩出山伊達家、片倉家、茂庭家
・久保田藩(1)
角館佐竹家(佐竹北家)
・水戸藩(2)
中山家、山野辺家
・金沢藩(11)
前田土佐守家、前田対馬守家、本多家、長家、横山山城守家、
奥村河内守家、奥村内膳家、村井家、今枝家、津田家、
横山蔵人家
・福井藩(1)
本多家
・名古屋藩(5)
成瀬家、竹腰家、渡辺家、石河家、志水家
16 :
9:2009/12/12(土) 15:50:23
・津藩(1)
名張藤堂家(藤堂宮内家)
・彦根藩(1)
木俣家
・和歌山藩(4)
安藤家、水野家、久野家、三浦家
・鳥取藩(2)
米子荒尾家、倉吉荒尾家
・岡山藩(6)
伊木家、天城池田家、周匝池田家(片桐池田家)、日置家、建部池田家(森寺池田家)、
土倉家
・広島藩(3)
三原浅野家、東城浅野家、上田家
・萩藩(5)
宍戸家、右田毛利家、吉敷毛利家、益田家、福原家
・徳島藩(2)
稲田家、賀島家
・高知藩(1)
深尾家
・福岡藩(1)
三奈木黒田家
・佐賀藩(6)
白石鍋島家、神代家、村田家、諫早家、多久家、
武雄鍋島家
・熊本藩(5)
細川刑部家、松井家、米田家、有吉家、沢村家
・鹿児島藩(7)
重富島津家、加治木島津家、垂水島津家、今和泉島津家、宮之城島津家、
都城島津家、種子島家
17 :
9:2009/12/12(土) 15:51:05
ちなみに
>>12>>13と違うところを説明すると
・佐賀藩の「川久保」というのは漏れの「神代」と同じ家
・佐賀藩の「須古」鍋島家は1万石ないので入れていない
・萩藩の「吉川」は独立大名扱いしたので入れていない
・萩藩の「厚狭」毛利家は1万石ないので入れていない
18 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 22:52:43
ほほー
19 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 15:47:30
陪審
旗本寄合席 内藤勘解由
大身旗本だから、どう少なく見ても4,000石はある。
21 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 12:20:05
大名の城持ちや万石以上の家老の宿老的重臣は、やはり家老とよばれていた
のだろうか。大名から見れば陪臣だが、主君の家老より千石以上もらってい
る者もいたであろう。そうするとその用人として侍が勤めていたのではない
のか。その用人も中間くらいは召し連れていただろうね。
万石どころか、千石級の陪臣の家にも家老職はありましたし、現にそう呼ばれていましたよ。
もっとも、うちのご先祖の藩は「家老」ではなく、「奉行」と呼称していましたけれども。
23 :
日本@名無史さん:2010/08/15(日) 13:58:57
24 :
日本@名無史さん:
各大名家の職制についてはスレ違いだろうか
ちょっと考えたことを書いてみる
大名家の本来の軍事的性格に鑑み、その職制を軍制から考えると
基本的に一つの備には
・備を率いる侍大将
・馬上侍を率いる番頭
・旗、鑓(長柄)、鐵炮、弓等の足軽(同心)組を率いる者頭(旗奉行、鑓奉行(長柄奉行)、鐵炮組頭、弓組頭等)
・徒を率いる徒頭
・総大将たる当主から派遣され備に附属された目付(軍監)
・各番・各組に附属された与力
などの諸役があり、この編成が諸家の職制(特に番方の)を、さらには以下のような家中の家格序列を規定していると考えられる
家老(侍大将)クラス
番頭クラス
者頭・徒頭・目付などのクラス
馬廻・番衆クラス 以上侍
与力クラス
徒クラス 以上士分
足軽・同心クラス
行政職たる奉行・用人等の層はこれに附加される形で序列化されたと考えられる
ところで複数の備を一手とした場合数十万石クラスの大名家はそれを複数個もつことになる
一手を率いる万石クラスの陪臣は家老クラスより上位の家格層を形成することがある
例えばそれは加賀宰相家の人持組頭に典型的に見られる
徳川将軍家で言えば井伊家、榊原家、小笠原家、酒井左衛門尉家、本多中務大輔家などは本来徳川将軍家の家老たる老中となりうる家よりも格上と思われる
事実これらの家は帝鑑間(御譜代席)の上席を占め、ときに溜詰格に列せられ、さらに老中・所司代・大坂城代に就かずに四品・侍従などに昇叙・転任される
本来これらの家にとって老中職は役不足であり、それゆえ老中職に就く例が僅少または皆無であるということも考えられる
このことは大名家の家格・職制(就中大身の陪臣)を考える上でヒントとなりうるかも知れない