734 :
日本@名無史さん:
735 :
まる:2009/12/09(水) 20:18:40
>>732 無理じゃないって海岸線つたってどっちからか南下する感じ?
それとも内陸の川を上ってく感じ?
俺的には有明海を南下してくのが好みだったんだけど。
736 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:25:07
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
737 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:29:01
738 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:31:55
ムーの別冊の宣伝ですか?
741 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:02:47
>>735 現在の博多辺りから、海岸沿いに南下すればいいじゃん。
川は川行
>>738 なぜか、仁徳天皇陵とそっくりのマナの壺は日本のサイトでしか
見られない不思議。
743 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:20:57
744 :
まる:2009/12/09(水) 21:28:17
>>741 なんとなく古代船海王ってかなり当時に近いんじゃないかって思うんだけど
あれが30日ぐらいで大阪まで行っちゃうって聞くと
20日かけて九州の海岸線まわりで投馬国ってどこまで行けちゃうんだろ?とかって思うんだよな。
狗奴国のスペースがなくなっちゃう気がしない?
745 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:33:31
近江毛野
746 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:37:57
747 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:39:16
邪馬台国は九州だな。もし畿内なら卑弥呼が誰か容易に分かるはず。古墳だけ有って朝廷記録に無いのは矛盾だから。
748 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:43:17
749 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:50:03
>>744 九州から大阪行ったら、水行じゃなくて
「海を渡る」
それに、倭人伝は宝探しじゃないから
九州島を一周して島の規模を記載する。
奴国が二回出て来るのはそのためさ。
750 :
まる:2009/12/09(水) 22:08:17
>>749 「海を渡る」と宝探しの意味がちょっとよくわからないけど
九州を一周してるのかなぁ?なんとなくそんな風な感じはしないんだけど。
でも、奴国は確かにちょっと意味深だよね。
751 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:14:54
>>744 海王は、セレモニー的に水産学校の生徒などが漕いだりしたが、
動力船に曳航されていたことが多かったらしい。
752 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:26:43
船に乗っても進まないから、途中で上陸して奈良を目指したのだろう。
道なき道を歩いておよそ一ヶ月というわけだ。
753 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:35:58
いちお三国志では「渡海」と「水行」は使い分けられてるようだ。「水行」は主に河川航行。ただ中国の長江
などと、日本の急峻な川は違うし、難しいところ。
754 :
まる:2009/12/09(水) 22:39:01
>>751 え!そうなんだ。それはちょっと裏切られた感じするね。
潮の感じとかもあるんだろうけど、なみはやとかはどうなんだろう?
30日ぐらいかけて九州から大阪ってのは意外といい線なんじゃないのかな。
>>750 島は一周しないと規模を把握することが出来ないだろう。
九州島の規模は
水行30日 陸行一月 +1500里 反時計回りで一周したの
水行も陸行も、進むスピードは同じ。一日に進む距離も統一
距離を里で表示しないで時間にした一つの理由は、直線的に計測できないから
>>753 倭人伝の水行は 「循海岸」 倭人は大海之中だから
757 :
まる:2009/12/09(水) 23:11:43
>>753 船行って言ってる箇所もあるよね。あの使い分けはなんなんだろう?
>>755 一周してるのかなぁ?
漢文とか読めないけど、なんとなくそんな感じは受けないんだけどな。
一周するのに陸行一月ってのも解せないし。船おいてくる訳にもいかないでしょ?
一回りしてれば得意の方何里とかも書けそうな気もするんだけどな。
758 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:16:42
>>754 古代船というと、宮崎の西都原古墳から出た埴輪が有名で、これをもとにして
昔の野生号や海王丸が出来た。
これに対抗して、近畿地方から出た船形埴輪を元に「なみはや」が作られた
んだけど、構造的に無理という専門家の言葉どおり、舟としては失格で
前に進まなかった。
759 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:19:21
>>758 海王丸→海王
ついでに
船形埴輪→舟形埴輪
760 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:33:27
水行10日 陸行一月って、九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
水行20日の投馬国のこともあるし。
761 :
まる:2009/12/09(水) 23:38:12
>>758 あれ?海王は有明海から大阪まで行ったんじゃないの?
なみはやは大阪から釜山まで行ったって思ってるんだけど。
>>575 >船行って言ってる箇所もあるよね。あの使い分けはなんなんだろう?
ちゃんと意味があるから使い分けられています。
それを探し出すのも楽しいよ。 暫く自分で探し出してみたらどうだろう?
水行と陸行に分けたのにもちゃんと意味がある。
一周したようには見えないのは、まだ旅行エッセイ的に眺めているからだよ
早く読めるようになるといいね。読めると驚くよ。もの凄く合理的に書かれた文章だから
>>560 >九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
飛び出すことは100%あり得ない
水行は循海岸だし、陸行は島の中(やはり循海岸)だから永遠にグルグル回り続けることはあっても
決して海の上を歩くことはない。
それは水行も同じ
他の島に行けば、それは水行じゃなく「渡海」
対馬海峡は島間1ピッチを1日以内で渡らなければ、海流が速いから流されて結局渡れないと思われる
船旅でも1日千里は可能なんだよ、水行10日や20日って相当行くよ1日千里として計10000里、郡からクヤ韓国まで7000里+海峡3000里、これで船旅は終了、陸路を1ヶ月で到着という事だ
投馬国は本州のどこかまで船旅で行き切るんだろうね
にしても、陸路1ヶ月って九州内では消化できない気がするんだよね・・・・解らん
765 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:03:19
>>764 渡れようが渡れまいが、関係ないよ。
島間が千里と書かれてあるだけだから
島間を一日で渡ろうが、一年かけて渡ろうが
千里であることにはかわりなし。
766 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:06:07
>>761 プサンまで行ったのは野生号だけど、出発点は博多じゃなかったかな。
海王は、熊本県宇土市から大阪まで行った。
なみはやは、どうだったかなあ。前に進まず、沈んだというような記憶があるが。
767 :
まる:2009/12/10(木) 00:17:07
>>762 う〜せめてヒントぐらい・・・
単純に考えると船の種類が違うとか、航海の長さとか、陸地が見えるか見えないかとかかなって思うんだけど
正解ある?
旅行エッセイって風には感じたことないなぁ。
逆に断片的な情報の寄せ集めみたいな印象を受ける。
一人の人が一度の航海で経験したことを書くならもっと流れとか統一感とかありそうだし。
昔から伝わってる少しずつの情報を羅列してみたって感じがするんだけどな。
768 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:23:12
>>767 倭人伝には海上航海が三種類かかれている
一つは水行
これは循海岸と書かれているように
海岸に沿う走行
もう一つは渡海
これは読んで字の如く
そして舟行だ
769 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:24:50
水行10日 陸行一月って、九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
水行20日の投馬国のこともあるし。
九州1周では↑のような書き方にはならない。
邪馬台国は徳島らしいよ
771 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:34:04
>>767 水行と陸行は対関係
水行があるから陸行と言う区別が必要となる。水行と陸行はセットもの、二つ揃って一人前。
つまり、水行があれば次は陸行と
しかし船行には対になるものが存在せず、ただ船行だけで処理できる。
>765
いや、趣旨は水行1日で千里が可能と言いたかったんだけどね
773 :
まる:2009/12/10(木) 00:44:22
>>768 >>771 う〜ん、やっぱりよくわからないな。
ちょっとしたニュアンスの違いのような気がするんだけど
明確な違いがあるの?
川を上ってくって事じゃないでしょ?
774 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 06:48:32
>>773 川は関係ないよ
倭人は山肌に沿うように海岸沿いに住んでいると書いてあるから
「…大海之中依山島爲國邑」
全て海岸沿岸移動で事足ります。
>774
「山や島に寄り添うように」だよ
大陸から見たら日本は、山ひだの間の僅かな平野に住んでいるようなものだから
776 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 07:52:39
「寄り添うように」は末羅の説明に出てくる表現。
依山島為国邑なら国土が山島で出来ている、と言うくらいの意味。
山島はその前の大海と対にするため二字にしただけだろう。
>>774-776が言ってる中身は同じだろう?
それ以上事細かに解釈する必要も無と思うし。
778 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 09:10:59
やっぱり船行って謎だよね。
始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。その大官を卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。
居る所絶島にして、方四百余里ばかり。土地は険しく深林多く、道路はきんろくのこみちの如し。
千余戸有り。良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市てきす。
又南に一海を渡ること千余里、命けてかん海と日う。一大國に至る。官は亦卑狗と日い、副を
卑奴母離と日う。方三百里ばかり。竹木そう林多く、三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を
耕せどなお食足らず、亦南北に市てきす。
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行
くに前人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸
行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世
王有るも皆女王國に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。
東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。 東行
して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。 南のかた投
馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。
南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず
>>773>>778 「水行」→ 起点から着点までの移動が船
「船行」→ 起点から終点までの移動が船
水行は前後どちらかの移動に、陸行を伴いワンセットになる。
というか本文に解釈の余地ありすぎだぜ。これという正論なんてないわ
782 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 09:58:28
>>779 「始めて一海を渡る」なんて変だろう。
今まで海を渡る行為なんて書かれていないのに。
海を渡る行為が初めてなら、
「初めて一海を渡る」じゃない。
784 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:16:30
>>761 >なみはやは大阪から釜山まで行ったって思ってるんだけど。
>758のいってるように、なみはや は夜間他の船に曳航されて、釜山につきました。
とても不安定な船で外洋どころか瀬戸内海でさえむずかしいでしょう。
785 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:24:03
>>783 そうだよ「始度一海」
だから、始めて一海を渡るじゃ変だろう?
786 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:32:07
>>785 それは解釈でやっていけばいいんじゃないの?
書き下し文でもああなるし。
787 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:38:26
>>786 だからその読み下しが間違っているのでは。
古代中国語を、日本語に置き換える事自体に無理があるんだし
788 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:42:45
>>787 じゃ君のいうような書き下し文さがしてきてよ。
俺はさほど意味がなく、初めも始めもかわらんと思うけどw
789 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:44:15
方角は当てになら無い。
倭人伝に対馬国が出てくる。
現代中国語の発音でもdui ma であり、「つしま」に近い。
恐らく作者が、現地倭人や、渡航経験のある漢人に聞いて漢字を当てたものだろう。
地名はともかく、方向音痴な人間の話を聞いて書かれた文書なら、方向が目茶苦茶で当然。
790 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:47:18
>>786 読み下しそのまま解釈しても意味が変わらない文や、読み下してしまうと
全く別な解釈が発生してしまう文など
始度一海だって、渡じゃなく度だよ。
これを世間では、誤写誤字摩耗などと言ってるようだが
漢文の専門家でもないのに、九州説の学者は勝手に都合の良いように
解釈するからなぁ
792 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:00:03
>>791 漢文の専門家が全て正しいわけではない。
漢文の専門家だって現代人です。
いっそ白川静先生バリに漢字の意味を追求すればいいんだ
794 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:21:45
>>793 白川先生には遠く及ばないけど、鼻糞程度はやってるよ。
>>764 「民」って漢字さ、藤堂説と白川説、どっち派?
>>795 安藤氏の解釈が解らないので、比較することが出来ません。
798 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:10:01
>>797訂正します。
安藤……×
藤堂……〇
失礼しました。
799 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:47:39
漢文が読める中国の学者はみんな畿内説だよ。
800 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:53:42
801 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:54:41
嘘つけ。中国の学者が南と東の区別をできんはずはない。
802 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:01:27
畿内説って、
>>799みたいな発言しないと
不安でしょうがないのか?
ヘタレが。
803 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:13:32
中国の学者で九州説なんて聞いたことねえよ。
804 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:24:59
畿内説って、学者がああ言っていた、こう言っていたばっかりだな。
しかし、学者にも異端というのがある。医者の中には、運動するのは体に良く
ないから運動するなという人もいる。
全てお膳立てしてくれる他力本願が畿内説だし。
新婚旅行の手続きもママがやってくれるし、同行までして雑用を引き受けてくれる。
九州説はしとうとの妄想
809 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:34:21
まるで競馬の予想だな。
810 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:46:05
倭の奴国の金印と漫画「邪馬台幻想記」の影響で、九州説を支持する中国人は多いよ。
あくまでも「ヲタ」レベルの話だけどね。
基本的に中国人は、日本の古代史はチンプンカンプンです。
811 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:51:08
中国人学者崇拝現象は、彼は府中の市民だから
競馬の予想的中率が高いだろう的な考えと一緒。
812 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:56:30
基本的に中国人は、倭の奴国と邪馬台国と大和朝廷をゴッチャにしていて、
複雑な連合国家の状況を全く理解できていないレベル。
「つーか、全部倭国なんじゃねぇの?それって、別の国なの?」ぐらいの壊滅的認識。
一般人の理解はこの程度。
Wikipediaはあてにしないように。
813 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:56:41
魏史倭人伝を みんな真剣に取りすぎ!
オーバーに書いた娯楽物だよ。 付録みたいなもの!
日本奥地まで役人がわざわざ行くかな?
北九州でも黥身黥面の輩やのにな。たいして護衛もなし。
アマゾン奥地、未開狂暴民族を訪ねるの巻みたいなもんや。
それを後世の学者が信じて、これはどのくらいの距離かとか、戦ってる。大変やな
814 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:05:14
漢書地理志に倭人国家が朝貢している事が書かれているから、
「未開の原始人国家」という認識は、恐らく倭人伝の時代には無い。
陳寿は、倭人の使者か、倭と交流のある漢人に聞いて文章を書いたのであろう。
>>812 >複雑な連合国家の状況
・・・だったとわかるのも魏志倭人伝のおかげでは
816 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:06:59
中国人が、魏志倭人伝を読んで、畿内だと言ってるのに。
九州説の恣意的な読み方中国人が笑ってる本あったな
818 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:26:13
>>816 だから、市川や松戸の市民が、有馬記念予想している程度のものだ。
819 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:29:05
>>817 東京県市川市の住民に、有馬記念予想を笑われても意味ないし。
820 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:50:03
九州説の恣意的な読み方そのものだな
821 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 16:44:58
九州説が恣意的な読み方なら、畿内説は妄想のだな。
822 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 16:52:39
ただの森を卑弥呼の墓なんて言っちゃう連中だから
823 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:00:56
九州からは、ヒミコの鏡とおぼしき鏡が1枚も見つかってませんなあ。
824 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:13:24
ほら、また卑弥呼の鏡なんてつくり話しちゃって
墓の次は鏡のつくり話しですか?
鏡に卑弥呼さんへとサインでも書いてあるのかな?
九州には卑弥呼の痕跡すら無いです。
山賊の娘なら沢山いるらしいがw
826 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:28:24
>>825 卑弥呼の痕跡って何ですか?卑弥呼の野糞でも出て来るのかな?
それとも卑弥呼の携帯でも落ちてた?
827 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:29:06
モモソ姫と言いたいんだろうが、偽の痕跡ではない方がましだな。
828 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:30:29
畿内支持者はいったい何処までつくり話しすれば
気が済むんだ。困ったもんだ
829 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:36:24
畿内に卑弥呼の痕跡なんて出たことないしな
なんか無理矢理こじつけているのはたまにみるが。
九州説はこじつける事すら無理だからな。ファンタジー小説レベル。
比定地も人物もそれらしい伝承もなーんも無し。
もう畿内説とはレベルが違う事を早く認識しないとね。
831 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 18:25:00
当時 東北関東以外を ゆるやかでも統治する中央政権があったんだろうか? せいぜい北九州、吉備、出雲など地方政権が独立した状態だと俺は思うが。
倭の五王の文書をみても戦乱に明け暮れた感じがするけどな。
それとも、邪馬台国が滅びて戦国時代になったんだろうか?
832 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 18:37:14
九州には、
「ここぞヒミコの墓!」とか
「これぞヒミコの鏡!」という証拠になるものが何もないのが痛いよね。
だからテレビでも九州説は特集すら組んでもらえない。
九州説が優勢だった頃も、九州説の番組なんて見たこと無いし。
九州ローカル局では、やってたのかな?
「ここぞヒミコの墓!」とか
「これぞヒミコの鏡!」という証拠になるものが何もない点では、
畿内説も同じだと思うが。
どこからでもいいから、早いとこ、親魏倭王の印が出土しないと、
永遠に決着はつかないだろう。
834 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 19:56:53
ヒミコが シャーマンの役職名なら ヒミコの墓なぞ くさるほどあるぞ!
ひょとして合葬してるかもしれん。
邪馬台国が地方政権で滅亡してたら何処にあるかも欠片もないよ。
九州説支持する人ってやっぱ九州人が多いよね
当然のようだけど考えてみると不思議
先祖代々九州に住んでたとは限らないもんね
836 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:44:05
畿内には箸墓がある。
箸墓は4世紀だというやつもいるが、
箸墓より古い古墳が連続的に存在するので、まったく話にならん。
837 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:51:27
箸墓と卑弥呼をつなげる出土物は何もないのが現実
ただ古墳があると言うだけ。
いろいろと年代操作して卑弥呼の時代に合わせてしまった。
おかげで土器の年代が上がったり下がったり忙しい。
838 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:55:30
ほんとに、そこまで発掘したのなら、邪馬台国の存在を示す石碑か鉄剣、せめて木簡の1枚や2枚くらい
発掘されてもいいのではないのか?
それが出ないということは、箸向が邪馬台国ではなかった証拠ではないのか?
839 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:56:45
そういえば、巻向で掘っ立て柱のあとが出て来て
卑弥呼の宮殿だと言い張る奴が居たな
840 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:58:39
>>838 楽浪土器やかまど跡などが出て、明らかに楽浪人や韓人が居住していたと考えられる北部九州の遺跡から
も、木簡などの文字資料は出てないんだな、これが。
以前にも指摘したが、
「日本書紀を書いた王朝の祖先には、卑弥呼は存在しない」
これはいわば歴史的公理。
畿内説の人は、これから逃げてはならない。
文献を裏付けるような出土品はあるでしょ。
各地の土器が出土するのは共立した証拠になるし、
海部氏系図といった、資料もある。
近くには水銀鉱山もあるし、墓造営の逸話まで記紀に残されてる。
843 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:03:42
844 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:07:30
>皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ・・・
明らかに伊都国の地では、木簡あるいは竹簡のやりとりがあったはずなんだが、前原あたりからも文字資料
は出ない。なかったのではなく、残りにくいのだろう。だから、「邪馬台国の看板」などの出土は望み薄だな。
>>844 張政などが何か書き残してる可能性はないだろうか?木棺の蓋なんかに。
846 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:12:23
>>836 今の畿内説は年代の根拠が不明すぎる。
古墳時代の開始を以前より100年早めて、卑弥呼の時代を古墳時代に
してしまう暴挙を犯したが、その根拠ははっきりしない。
こう書くと畿内説のwwww(植草)は「お前が九州説の年代を証明しろ」と言うばかりで
自説をまったく書かずに逃げ回る。
847 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:13:55
>>845 魏の使節団が船に馬を積んできて、鐙なんか残していったんなら面白いが・・・w
>>846 >卑弥呼の時代を古墳時代に
>してしまう暴挙を犯したが、その根拠ははっきりしない。
おまえがしろうとだからわからないだけなんじゃね?
849 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:17:11
>>846 畿内説を否定しても、九州に邪馬台国は出てこないぞwwwwwwwwwwwwwwwww
せめて、「九州の○○が邪馬台国。××が卑弥呼の墓」と場所くらい特定しなよ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
850 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:25:35
今の畿内説に年代の根拠を求めることが誤りとしか言いようがないな。
C14は信頼度がいまいち。仮に信頼するとしても、ホケノが4C半ばというデータも
あるので、有利なものだけ使うという問題がある。
先日の歴博のように都合よくピンポイント年代を導くという人もいるが、大多数はこれに反対。
というか、歴博は反対論の圧倒的集中砲火に無視という方法でしか対処できていない。
年輪年代は測定値が一度たりとも公表されていないのでアウト。
さすがに最近は年輪年代を正面から根拠にする学者は消えうせた感がある。
>>850 それだって、九州説の先生方のいってることの受け売りでしょ?
結果として、大多数の先生方がC14による判定結果に信頼を置いていることが大切。
854 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:41:26
>>849 せっかく「九州説ドンと来い」のスレがあるんだから、九州説ないで議論して候補地を決めればいいのだが、
なかなか頑固な人が多いからな。
>>849 >せめて、「九州の○○が邪馬台国。××が卑弥呼の墓」と場所くらい特定しなよ。Wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お〜い 頭大丈夫か?
邪馬台国なんていうのは、中国の歴史書の中だけに存在するもので
九州の何処や畿内とかいうものではない。
856 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:52:11
邪馬台国論争というのは、日本の古代史観に大きな影響を与える、というのが
本当のところだろう。
倭人伝を読むと、壱岐や対馬が邪馬台国の支配を受けていたのは事実。
さらに、狗邪韓国も倭の影響を受けていた可能性が高い。
そして、大陸に自由に行き来していた。
畿内説を取ると、西暦200年かそこらの時期に相当に大規模な統一国家が
出来ていたことを想定しなくてはならない。
一方で、九州説を取ると、邪馬台国連合は、九州に限られていたと考える
ことが妥当になる。九州の邪馬台国が周辺の諸国を従え、大陸と独自に
交流を持っていた。
東遷説では、その邪馬台国が徐々に勢力を広げ、大和朝廷になり、日本を
統一することになる。
そのほかの説では、九州の邪馬台国はいつしか忽然と?姿を消してしまった
ことになる。
つまり、3世紀前半あたりの日本の状況を考える上で、また後の大和朝廷との
関係を考える上で大きな意味がある。
857 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:55:54
朝鮮人への観光誘致で生き残ってるしかないという実態なのが九州説。
C14の信頼度がいまいちと思われていたのはひと昔前。
また、年輪年代が単独で出ていた頃は参考程度の扱いだった。
これらの数字がピタリと合うことが認められて、現在の暦年代決定に採用されているのだ。
それが池上曽根だったということで。
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860 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:29:28
ナンキンさんの言葉はピイチクパアチク、ナンキンさんの言葉はピイチクパア。
861 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:38:16
>>858 Q 測定値が公表されていない年輪年代をどうして信用できるのですか?
A 信者だから。
862 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:40:14
Q 安本教授の東遷説が、どうして信じられるのえdすか?
A 信者だから。
863 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:44:11
じゃあ
>>862も、年輪年代を信用するやつは信者だと思っているんだ。
まあ一度たりとも測定値が公表されたことがないモノを信用する異常さは尋常じゃないからなあ。
864 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:50:57
日本で600面近く出土して中国では1面も出土していない三角縁を中国製と言い張っている人には負けるよ
畿内説ってなんでこんなに必死なんですかね
壱岐から福岡に上陸して熊本鹿児島方面へは進みません
怖い狗奴国の熊襲がいたからです
だから反対方向の陸づたいに目的地を進んだんです
それを南下するとしたんです 難しいごたく並べてんじゃねえよ
866 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:54:49
100年近い測定誤差を考慮する必要のあるC14だけで「卑弥呼の時代」に特定した人が最強だろ。
867 :
ローガン:2009/12/10(木) 22:59:46
>>841 >「日本書紀を書いた王朝の祖先には、卑弥呼は存在しない」
> これはいわば歴史的公理。畿内説の人は、これから逃げてはならない。
なるほど、国内文献に見えないって事ですね。では、国内文献すらない地域は取り敢えず論外ですね。
868 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:59:48
箸墓を350年にすると、九州の平原は実年代でどういう位置づけになるのか?
自分の首を絞めてるだけじゃないのか?
869 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:01:27
>>863 年輪年代ももうやりつくした。
一つ法隆寺の心柱を例に挙げると、
法隆寺は、西暦607年に創建され、西暦670年に焼失。8世紀初めに再建された
と記録に残っている。瓦からもそれが妥当とされてきた。
ところが、年輪年代で法隆寺の心柱が西暦594年の伐採と出た。
創建のときの柱だったら、年輪年代の結果は妥当なのだろうが、再建された
時期とは100年の開きがある。
年輪年代を信じれば、法隆寺焼失の記録が嘘だったか、あるいは再建に
当たって100年前の木材を心柱に使用した事になる。
100年前といえば、現代からすれば明治時代になる。明治時代の木材を
現代の建築で使うことがあるだろうか。
とにかく、年輪年代を信じるか信じないかで歴史が変わってくることになる。
だから、年輪年代の妥当性を確認することの方が先。
妥当性が確認できないなら、信じないほうが良い。
しかし、「年輪年代の測定値」ってなんだろか?
871 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:16:21
>>868 ただの森と墓を比べても意味ないだろう?
872 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:21:12
とにかく、東遷説を信じるか信じないかで歴史が変わってくることになる。
だから、東遷説の妥当性を確認することの方が先。
妥当性が確認できないなら、信じないほうが良い。
平原って森だったのかw
失礼、「公表されていない年輪年代の測定値」
875 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:28:14
けど九州説だったらわざわざ不弥みたいな小国を紹介する意味が分からん
畿内説でも紹介する意味がない国だと思うけど
数合わせだろ。
30国にしたかったんだよ。
877 :
ローガン:2009/12/10(木) 23:43:10
>>869 >創建のときの柱だったら、年輪年代の結果は妥当なのだろうが、再建された
> 時期とは100年の開きがある。
心柱だけじゃないでしょ、調査したのは。それにより、再建が確定したのに…
250年ごろに女王がいたってすごくない?
他にそんな国ってある?
クレオパトラは紀元前だぜ。
880 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:01:19
>>879 クレオパトラ=250年ごろの女王でない
>>880 >878は古いからすごいと言ってるのじゃないのか?
違うなら、何がすごいんだ?
883 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:19:12
女王について考えてみるのも面白いかもね。
いつごろ女王が誕生し、いつ頃いなくなったのか。
どうして女王が生まれたのかなど。
遺伝子が優れていたから卑弥呼は女王になれた
885 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:38:54
九州で発見された女性の被葬者で顔が変形してたのがあったよね?
巫女だろ!
887 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 04:21:03
先ず大前提として如何なる説をとろうが(九州王朝説は別かw)4世紀の半ばにはヤマト王権は誕生する。
(昔の学生なら語呂合わせで 『大和朝廷日本をシチュウ(4世紀半ば)に治める』と覚えたっけ?w)
この板の九州説は大抵「広範な緩やかな連合体」というものを認めないのだから
4世紀に入って奈良盆地に興った勢力が半世紀ぐらいで次々に
それこそ”力づく”で周りのクニグニを併合して言ったという話だ。
簡単に言ってしまえば殆どイントロ部分wが無しにいきなりサビの部分に突入するwww
東遷説なら更に過激w
連中に言わせれば殆ど無人の野に等しい奈良盆地に”” 何故か ””神武がやってきて
祟神の代にいきなり強力な中央集権国家が出来上がったというから
「緩やかな連合体」どころの話ではないwwwwww
まあ九州説の連中には多く「ヤマト中心主義」とも言うようなものに幼稚な反発心を持って
アンチ畿内説としての九州説に傾倒している連中も多いのだろうが
実は自分達が言っていることが余程過激で
それこそ「 九州版皇国史観 」ともいえるシロモノになっている自覚がない奴が多いよなwwwwwwwwww
888 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 04:51:35
>100年前といえば、現代からすれば明治時代になる。明治時代の木材を
>現代の建築で使うことがあるだろうか。
問題ないんじゃないかな?
木材と言うのは切り出した直後より数十年とかかけて強度が増していくものだと聞いているが…
実際以前にテレビで見たが
まあ現在では「贅沢なやり方」なんだろうが
どこぞの大工が木材を自分で作った池の中に数年放置して
それにより樹脂(ヤニ)を抜き
更に野ざらしにして乾燥させた物を建材として使っていたなw
まあ木造家屋を作る時、旧家に使われていた古木を持ってきて使うなんて話は今でも聞くわけで
(無論コストはかかるんだろうがw)
むしろ切り出した直ぐの木を心柱に使う方が考えにくいと思うがwwwwwww
889 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 07:13:55
無駄な議論はやめろ。纒向遺跡を5%発掘しただけで、邪馬台国の所在地がほぼ明らかになったじゃないか。
今週号のアエラを見てみろ。吉野ヶ里は観光客を取られるので、シンポジウムを開催して九州説を必死で
アピールしているとの記事が掲載されている。町おこし九州説は、九州の皆さんに利益にはならないよ。
九州説の必死さを観賞するスレなのに
宮崎県も掘れば面白い場所が多いのに、東国原知事は気付いてないようだ
吉野ヶ里なみの発見があれば観光県宮崎が復活するかも知れないのに
知事はもっと足元を見ろ
892 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 07:56:52
吉野ヶ里が邪馬台国出なくとも構わんだろう。
あれはあれで、弥生時代の貴重な遺跡であり、日本の宝である。
893 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:22:22
ヒミコはシャーマンのトップとしての役職名だろ。
臣下がホントの名前なんぞ知るわけない。
894 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:30:09
ヒミコが 女王と言う認識がおかしいかも。 シャーマンのトップとしての役職名だと思うが。臣下がホントの名前なんぞ知るわけない。 シャーマンとすれば、行政 軍事など細かい所までできない。間違いをすればシャーマンとしての権威がもたない。
実質的な男王と女シャーマンの2トップだと、あまり広範囲な中央集権は無理やな。地方政権止まりやろ。
895 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:30:45
宮崎は神話と歴女の間だから
具体的なモノが出てきたら具合悪いwww
>実質的な男王と女シャーマンの2トップだと、あまり広範囲な中央集権は無理やな。地方政権止まりやろ
論理に必然性がない。
897 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 11:53:59
町おこしなんて言ってるようじゃだめだな。邪馬台国の所在は、純然たる事実の
問題だ。倭人伝にしたがって進んだらどこになるか、どこに邪馬台国があったと
認められるかだ。倭人伝のとおりに進めば伊都国は佐賀市付近、そこから南へ水
行し、さらに陸行すればどこに着くか、馬鹿でなければ分かるだろう。
899 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 13:08:45
どうゆうコースを考えるのかな? その説明もできないで、九州にはないというんじゃ
ないだろうね。
900 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 13:13:59
九州の何処を水行や陸行するの?
>>897 じゃあ苅谷俊介みたいに信念を持って掘ってろよ
少なくとも日中に2chやってる暇はないだろw
903 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:37:59
飛び出せ青春!
君は何をいま、見つめているの
904 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:47:11
>>887 話せば長くなるから手短に言うと、
畿内説はもともと自生説を取っていた。大和朝廷は大和で生まれ、大和で
成長すると。その源として期待されたのが唐古・鍵遺跡。
でも、唐古・鍵はその期待に応えられなかった。
その後、二転三転している。考古学的に目いっぱい頑張って、連合説なんて
のが出てきたが、記紀との整合性がない。
一方で、記紀を中心に考える畿内説は、卑弥呼を倭迹迹日百襲姫と考えて
いる。これでは考古学との整合性がない。
畿内説は矛盾だらけになっている。
東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
この根拠は何度も示している。
このように考えると、卑弥呼、台与の後のことが記紀で推測できる。
つまり、台与のときに王になった男王が、高皇産霊尊に相当する。
記紀において、天照大神と高皇産霊尊が並立していたことと酷似する。
この時代に、出雲の国譲りがあり、天孫降臨がある。
饒速日命の大和降りもその一環と考えられる。
つまり、卑弥呼の死後、3世紀後半以降に、大掛かりな勢力の拡大が窺える。
その後に、神武東征に相当する出来事がある。恐らく、4世紀になってからと
考えられる。
905 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:50:33
>>903 懐かしいな。
君はなにを今待ち続けるの♪…。
906 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 16:56:48
>>904 >東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
これも万年ループしているが
そもそも記紀神話の多くは海外に類似するものがあり
天照の岩戸隠れにしても、わざわざ九州邪馬台国などと言うものを想定する必要は無い。
それどころか
高天原が邪馬台国なら何故「馬」が出て来るんだ?とか
「三貴神」の月讀は一体誰に相当するのか?
ツッコミどころは腐るほどあるw
結局東遷説というお話を組み立てるに都合の良い部分だけ摘み食いしている程度の話
どうしてもと言うのなら
古代に誰かが九州邪馬台国の存在を後世に伝えるべく
既にあった神話の中にこっそり邪馬台国の記憶を忍び込ませた
・・・などと言う香ばしいお話にでもするか?wwwwww
結局、東遷説などと言うものは神話からスタートして
そこから歴史と言うジャンルの俎上に上ることすらできず
神話そのもののアプローチからも否定されてしまっている始末wwwww
まあ2ちゃんのこんな板ではそこそこ頑張れるんだろうが
リアルじゃあもうトンデモもいいところだなwwww
907 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:07:25
>>900 佐賀からということは、当然、有明海を南下するんだよ。南へ水行というんだから
何も問題ないだろ。それから、上陸して1月歩くんだ。九州は大きいからね。
1月かかっても何も不思議はない。
908 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:09:49
>>904 >東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
天照大神は近畿の太陽神という研究が多いので、その前提自体が成り立たない。
909 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:19:26
「天照」という呼び方は、
饒速日命や天火明命しか冠していない。
天照国照彦火明命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
天火明は、丹波に降臨した神で、饒速日尊は大和に降臨した神。
近畿以外の土地の神に「天照」と付くことはない。
ニニギ(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)も天照とは呼ばれない。
天照と名が付く神社では、天火明が祀られている。
神武東征で、ニギハヤヒが敗れたはずなのに、ニギハヤヒは「天照」と呼ばれ、
神武の側の系譜のニニギは「天照」とは呼ばれていない。
早い話が、天照大神はもとから丹波〜大和の太陽神であって、
神武がその系譜を奪ったということだな。
だから崇神は天照大神を追い出したりしてる。
もともと、神武の祖神じゃないからだよ。
天照大神が天皇の祖神にされたのは、壬申の乱の後からだよ。
常識だろ。こんなこと。
910 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:20:18
>>908 それは、畿内説を前提にした解釈だろ。記紀をまともに読む限りは、九州の
天上に天照大神はいたんだろうよ。
911 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:22:08
>>904 それにだ、勝手に畿内説を定義づけているみたいだが・・・
畿内説が記紀中心主義で
いつ卑弥呼=倭迹迹日百襲姫で一本化されたんだ?
そもそも記紀の内容を丸呑みするなら3世紀のヤマトに「女王」なんていないw
古くは内藤湖南は卑弥呼を倭姫命としたが
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫 なんてのは単に一番人気というだけの話で
学術的に統一された見解でもなんでもない。
畿内説は現在九州説に比べれば圧倒的に所帯が大きいのだから
その幅も相当にあるって話で
それに自分の脳内定義押し付けて
そのくせ九州説にはバリエーションwを認めろというのだから
甘えるのもいい加減にしろとwwwwwwww
また遺跡の話ならその遺跡の評価や意味合いは研究の進展に伴ってきて変わるのは当然
九州説なんか古くは神籠石だの江田船山古墳だのから新しくは吉野ヶ里まで出しては消えの繰り返し
「怨み節」をぶちたいのならリアルで畿内説の学者に謝罪と賠償でも請求してこいよwwwwwww
912 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:24:22
>>910 残念だけど、九州の神が「天照」と飛ばれて祀られてる例は無い。
枚聞神社のオオヒルメムチならいるが、「天照」とは呼ばれない。
オオヒルメムチが、九州の太陽神だろ。
3世紀三輪王朝の前に葛城王朝があった。
その葛城王朝が東遷してきた集団なのはあり得るけど、
倭人伝の邪馬台国はどう解釈してもヤマトです。
914 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:51:45
>>908 >>912 「アマテラス」の名を冠する神は現在の天照大神以外にもいて
それが摂津とか河内とかの畿内だったと言う話はよく聞くが
まあ暇つぶしに東遷厨に代わって反論するなら
卑弥呼が天照に神格化されたのは東遷後であって
それゆえに九州には「アマテラス」の神はいないというのはどうか?wwwwww
915 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:55:49
>>914 >それが摂津とか河内とかの畿内だったと言う話はよく聞くが
聞かないなあ。
たとえば?
「天照」と冠する神ってどれよ?
916 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:00:54
天照大神をまつった神社さすがに日向には多いな。
後世に記紀に影響されて出来たのかもしれんが。
神社本庁に所属している神社なら、基本的には
教典を記紀にしている。
つまり、天照の存在が前提となっているため
天照と余り関係なくても、天照をまつっているところは多い。
関係ないと思うところも多々あるけどね。
917 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:15:30
天照大神以外に、「天照」と冠する神がいるかどうかが重要。
「天照御魂大神」といえば、天火明命かニギハヤヒというように、
もともと、天火明命が天照大神と同一だったことは、神話伝承を調べればすぐに行き着く。
否定しようが無い事実だよ。
918 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:18:22
919 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:24:25
>>918 その「天照御魂」ってのが、天火明のことなんだよ。
鏡作の古社である鏡作坐天照御魂神社の祭神は天照国照日子火明命な。
920 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:35:16
加えて言うなら文化人類学的なアプローチをするなら
「アマテラス」のルーツは九州おろか畿内でもなく意外と東日本だったりするかもしんないwwww
岩戸隠れの神話は九州ではなくて信州のものが
どっちかつうとオリジナルかもよ?wwwwwwwww
921 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:42:37
922 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:47:45
信州には、「戸隠神社」がある。
創建は、第八代孝元天皇で、オオヒコの父なんだよな。
ヤマトが信州を制圧したときに、信州の神話をオオヒコが持ち帰ったのが天岩戸神話なんじゃないかと。
923 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:26:59
九州説の考え方をしてると、神話の実態が見えてこない。
本来の皇祖神は、天照大神ではなく、高木神。
天照御魂大神は、近畿の太陽神で、天火明やニギハヤヒは太陽神の祭祀王。
天照大神は、崇神の頃に作られた「鏡」の名前。
天照大神を皇祖神にして神話体系を作ったのは7世紀。
よって、天照大神と卑弥呼はぜんぜん無関係。
神武東征があったかどうかも疑わしい。
神武が三種の神器の鏡を畿内に持ち込んだなら、
鏡作坐天照御魂神社の祭神に天照国照日子火明命が祀られてるのは お か し い。
畿内に鏡を持ち込んだのは、どう考えても天火明命。
924 :
まる:2009/12/11(金) 19:40:12
神武東征はあったかもって思いたいんだけど(なんかロマンがあるから)
卑弥呼のいた時代より古い時代の事じゃないのかな?
なんで卑弥呼=アマテラスになるのか不思議。日蝕があったからなんて理由だけじゃないよね?
925 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:41:56
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
926 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:50:25
日本での稲作の起源は、
中国江南から沖縄〜九州南部から入ってきたんだろう。
それが日向の天孫降臨神話になったんだな。
日向から稲作が吉備〜近畿へと広がり、その記憶が神武東征神話になったということだろう。
中国江南には、鳥居によくにた門がある。
927 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:52:32
「鳥居」の登場は8C。
鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85 8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
928 :
コナン:2009/12/11(金) 19:52:43
バーローよく似たじゃダメだろ、やり直し。
工作員、お疲れさん。
>>927 日本の神木に注連縄を渡して、その先を神の領域「室」とする風習は紀元前からあった。
卑弥呼が実在したかどうかという議論はあるんでしょうか
わりあい早期に亡くなってても
そのことを隠して生きてたことにもできたような
931 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:03:47
>>930 実在したと考えてるから論争してるんじゃよ。
実在しなかったら論争にならん。
932 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:07:16
でも、今のところシナの歴史書にだけしか存在していないんだよな
そして、もうそれから千数百年以上の歳月が流れている
親魏倭王の金印はとっくに溶かされてると予想。
偉大なる大和の王様が朝貢してたなんて恥ずかしくて証拠を消したかったと思うし。
934 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:19:22
金印は、卑弥呼ー台与が連続した政権であるなら、で、もし台与が「親晋倭王」をもらってたとしたら、その
時に返納するのが一般的。ただし、なくしたといって実は鋳つぶしていたとしても、怒られることはないだろうな。
936 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:57:34
金印はおろか鉄器の類いも溶かされて農具になってる予感
937 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:12:06
>>374 自分は、どちらかというと魏志倭人伝の内容は
九州の地域を言っているだけで
大和盆地に考古学的な発見が相次いでも、
邪馬台国かどうかは別問題という立場だ。
七支刀についてであるが、
福岡県のみやま市に伝承があり、
"こうやの宮"にはその人形が古くからある。
(奈良の石上神宮に埋められる前にこちらに伝承されて来たか、
逆にこちらが本の宮と考えるのかだと思う。)
こうやの宮は本は磯上物部神社と呼ばれていたことからも、
奈良県の物部氏の石上神宮と対応している。
朝鮮半島への出兵を考えた場合、
この地に物部氏の拠点があったと考えられるのだろう。
大和地方から、出張してきていただけかも知れないが。
938 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:19:21
邪馬台国は、筑紫にあったという前提で話をしませんか?
939 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:20:47
邪馬台国は、現インドネシア、ジャワ島にあったという前提で話をしましょう。
940 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:30:26
>>937 倭人伝は恐らく聞き取り調査によるものだから、
九州地方や畿内地方の風物がごっちゃになっていると思われる。
当然ながら、聞き取りゆえに地理も怪しげ。
941 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:13:05
あくまで『魏志倭人伝』で『魏志邪馬台国伝』じゃないからな
書いてある風俗がすべて邪馬台国のもの、と読むのは安易すぎるかもな
942 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:14:14
>>906 >>924 北史にこのようなことが書かれている。梁書にも同じのがある。
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命
卑弥呼死に、さらに男王が立つ。国中不服。さらに相誅殺す。
また、卑弥呼の宗女・台与を立て王と為す。その後、また男王が立つ。
中国の爵命を並び受く。
台与が王になったあとまた男王が立ち、中国の爵命を並び受く。
これは、二人の王が並存していることを示している。
こんなことがありうるのか。
実は、記紀にも同じようなことがある。天照大神が天岩戸から出た後、
高皇産霊尊が登場する。
古事記も日本書紀も、「天照大神と高皇産霊尊は…」、と両者が主語になる
ケースが多い。
どちらが上なのか、記紀からは判別できない。二人の王が並存していると
しか言えない。
二人の王の並存という極めてまれなことが、記紀と中国の書物に表れている。
そのほかにも卑弥呼あるいは台与と天照大神の類似点は多い。
>>942 後半の男王は倭の五王じゃん。
明らかに時代が違う。
944 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:23:52
まあ、九州で間違いないだろう
945 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:30:00
>>943 そう言うと思って北史を引用した。
北史には、その後に倭の五王のことは書かれていない。
だいたい、150年以上の時差があるのに一緒にするわけがない。
まあ、九州では間違いなくない。
947 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:33:13
>>945 ちょっと補足すると、梁書には「並受中國爵命 」の後に倭の五王のことが
書かれている。
復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命。晋安帝時、
有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、立子濟。濟死、立子興。興死、立弟武
949 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:22:38
950 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:26:27
>>942 天照大神と高皇産霊尊を対にしたのは、8世紀の創作だろ。
「天照」という呼び方は、
饒速日命や天火明命しか冠していない。
天照国照彦火明命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
結論としては、「天照」は、近畿の太陽神の名前。
もし「天照」が九州由来だというのなら、
神武に国を明け渡した近畿の側の神が「天照」と名乗ることを許されてる説明をしてもらおうか?
951 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:29:39
高天原の神話も海外に類似したものがあるといったが
元々「天」を奉る宗教とか天孫降臨のお話は北東アジア地域に見られるものだが
高天原の神話の中にはそれとは系統を別にする
東南アジアやオセアニア地域の神話も含まれる。
例えば保食神(うけもちのかみ)が殺されて
(加害者は素戔鳴だったり月讀だったり何通りかパターンがあるが・・・)
その死体から五穀や家畜が生じた…なんてのは南アジアやオセアニアといった南洋に広く見られる
所謂「 ハイヌウェレ型神話 」と呼ばれるものであるというのは
神話の事を少しでも知っているような人間なら今更説明するまでも無いようなこと。
つまり高天原の神話は九州邪馬台国と言う元ネタを必要とせず
しかも神話自体の元ネタが複数の地域のものがミックスされたものであり
東遷厨の言うようなお話は、所詮、似たような部分を摘み食いしているだけに過ぎない。
(類似点は鬼の首でもとったようにはしゃいで挙げるが、都合の悪い話は一切答えないw)
天照と高皇産霊のダブル主役の件も
元々高天原の主役は高皇産霊であって
天照は後から主役に無理矢理ねじ込まれた・・・ゆえの結果とすれば一番合理的www
そもそも岩戸隠れの類似するものも東南アジア地域にあり
天照を高天原の元々の神とするには無理があるw
まあ神話大好きっ子の東遷厨は何の疑いも無く天照を高天原の元からの住人と思い込んでいるんだろうがwwwwww
天照は後代の佳字を当てはめた形で、元はアマテルの読みから転じたもの。
対馬の阿麻氏*留神社がその起源。近畿は後世の造作。
953 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:41:10
さらに言っておくと
「高皇産霊神」は別の名を「高木神」だがそれこそ「名は体を表す」って話で
今でも日本の何処かの村祭りとかにあるかもしれないが
祭りの期間、山から高い木を切ってきて、それをおったてて
天空の神が木の梢に舞い降りる・・・いわばヨリシロにする。
そう言った天を奉る宗教の神としては「高木神」の方が似つかわしいwwwwwwwww
954 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:45:30
神話では、高天原に最初に現れる神は高皇産霊尊であって、
天照大神はイザナギイザナミの国産の後だからね。
955 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:48:15
>>954 日本書紀で挿げ替えられた。もとは古事記の様に天御中主が初代。
956 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:20:21
>>951 倭人伝の卑弥呼と記紀における天照大神が、非常によく似ていると畿内説の
人も感じているから、神話云々を持ち出して否定しているわけだろう。
真っ向から否定出来ないから、神話の類似性みたいな紛らわしい話になる。
しかし、東洋の神話に関してはそこらの人など足元にも及ばない、白鳥庫吉が
倭人伝における倭国の状況と記紀における高天原の状況は酷似すると
言っている。
神話云々で、この酷似を否定出来るなら、白鳥庫吉が真っ先にそう言って
いるだろう。
山ほどある神話の中から、ちょっと似たようなものを見つけて、記紀は作り話
だというのは手法としては間違っている。
957 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:35:16
>>950 出た!捏造史観ww
記紀は天皇の権威を高めるために捏造につぐ捏造をしたという反皇国史観。
日本書紀は神代で異説を豊富に取り上げている。
本文のあとに「一書には・・・」といくつもの異なった伝承を取り上げている。
これは実際にも「その伝承が古くから存在していた」から書かれたと理解するのが普通である。
しかし、捏造史観に脳を汚染された連中にかかると、「異説まで豊富に捏造した念の入った捏造」
ということになってしまう。「こんな捏造に騙されて天皇の権威を高めれば、日本はまた戦争を始めて
アジアの国々に迷惑をかけてしまうではないか。」などと本気で心配するのが捏造史観ww
958 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:40:55
ほんとに九州説は見苦しいな。
959 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:49:51
九州説の人がこんな時間に起きてるわけないじゃん
あしたの発掘作業のために就寝中だよ
今いるのはエセ九州説の人
960 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:51:11
>>950にマジレスすると、いくら捏造史観でも8Cに基本的な部分を捏造したなんて
いう極端な説はないよ。
倭王武(雄略)の上奏文で王の祖先からの話しが出ていたりするので、その頃には
祖先についての伝承があったことはほぼ定説。
というか世襲の王制が始まった時点で祖先の伝承が存在しないはずはないわな。
稲荷山の鉄剣に「オオヒコ」という名前が書かれているので、大彦が実在するかどうか
は別にして、その時点で大彦の伝承が成立していたとすることも通説。
ということで、捏造説の中では5C〜6Cに捏造が始まったというのが通説なので、8Cに
基本的な部分を捏造して、伝承の骨格に組み込んだとするのは、捏造説のなかでも
ちと異端だね。
まあ目くそ鼻くその問題かもしれんけど。
961 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:55:09
>>956 はあ?
だから白鳥庫吉がどうしたって?
白鳥庫吉だろうが内藤湖南だろうが今日において通用しない部分と言うのはある。
白鳥庫吉が言ったらお前にとってそれは疑うべからずの真実なのか?
それはお前、宗教だぞwwww
それに酷似しているのを否定して見せろというのはよく分からないなw
要は酷似しているという事実があり、それが何に起因するかと言う話で
それが九州邪馬台国が元ネタと言うのはあまりにアクロバチックだという話しだが?w
で、何で邪馬台国に馬が出てくるんだ?
天照=卑弥呼、素戔鳴=狗奴国として、月讀は誰に当てるんだ?
高天原=九州邪馬台国も史実で神武東遷も史実なら
その間の日向三代の話は如何なる史実に基づくのか?
「夫は見た!産屋を覗いたらヨメの正体はワニだった!」
と言う異種婚憚とか
「釣り針捜索型神話」として認識されている話とか・・・www
まさか都合の悪い部分だは神話としてお茶を濁すのかな?w
まあ最後に頼るのが白鳥庫吉教祖と言うのなら
もはや手の付けようがないがwwwwwwwwwwwwwwww
962 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:11:29
>>960 ヨコだが…
>>950は別に天照大神や高皇産霊尊が8Cに創造されたと言ってないと思うが?
天照大神や高皇産霊尊は元々独立した存在であって
その立ち位置と言うか役どころを現在記紀で見られるようなものにしたのが8Cと言うのなら
可能性はあるかと思うが・・・
963 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:20:37
この時代、本州までのゆるかやでも広範囲な中央集権国家があったか?
そうだとしたら、倭の五王の四方征伐はどう読みとるか?
魏志に 奈良盆地の山々に囲まれた広い平野の記述が何故ないか?
日本中央政権なら熊襲あたりになんで苦戦するか?
964 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:32:50
九州人は中央に反抗的なんだろ。
だから九州説がこんなに根深いんだよ。
965 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:46:46
>>964 中央に反抗的なのは関西人じゃなかったかな。
966 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 03:39:52
>>963 地方で一揆が頻発したから、江戸時代は中央集権ではなく地域連合国家なのか?
大塩平八郎の乱があったので、江戸時代は地方分権か?
中央集権国家でも地方で乱は起きるわな。
地方に苦戦したからと言って、島原の乱のときに長崎が独立国家とかいう理屈は成り立たない。
967 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 03:55:47
>>962 世襲の王政が成立した時点で、その祖先からの伝承が存在していたという前提に
立つのであれば、後世での些細な伝承の差異を重視する必要もないよ。
記紀は古くからの伝承を書き記したもので、特に日本書紀は異伝をも多く書き記した
という立場からは、
>>950のようなこじつけをしようという発想すら全く出てこない。
>>966 江戸時代は連合国家制でしょ
EUみたいなもんだ
969 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 07:13:39
日本を統一した国は、大和朝廷(東北北部と北海道を除く)
の後は、明治維新まで現れなかった。
江戸時代は、合衆国や連合国家というより、日本首長国連邦ってところかな。
>>963 反乱分子なんて当然いるでしょ。
それに邪馬台国の具体的な地形の記述なんて、倭人伝の何処にも無い。
仮に九州南部に比定するなら、阿蘇や桜島といった火山の記述が皆無なのも変だろ。
随書には阿蘇の記述があるが、それは倭国の範囲が南進した為だからな。
弥生後期に九州南部に7万戸なんて無理
972 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:02:38
戸数は 合ってるの? 魏志の数字は オーバーだと思うが?
973 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:06:00
974 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:15:15
弥生時代にすでに九州の人口は数10万戸に達していた。
そのため天候不順による食糧不足で飢饉がたびたびおこり、
風水害の少ない新しい盆地を探して奈良に移り住んだのです。
とれが神武東征の本質です。
>>974 つーか、戸と人口は別の概念だろう。
それを一緒にしちゃうって、何か根拠でもあるの?
976 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:32:44
倭の五王は 統一戦争をしたんだろう?
反乱の鎮圧に走りまくってたわけではないと思うが。
平定した村の数が多すぎる。
977 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:35:20
>>976 数が多すぎるって、じゃあ普通はどのくらいの値なの?
978 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:36:00
975の言う通りだ。
出土した人骨の数と分布からみると、当時既に九州より近畿の方が人口大。
この人骨調査から考察した人口分布によると、
九州説には受け入れ難い話だろうが、その近畿よりも関東平野の方が人口大。
979 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:47:40
>>978 関東や近畿のほうが近代以降開発が進んでいるだけ。
980 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:48:34
>>978 それも九州説の連中にかかれば
「畿内説論者の陰謀」になるからなこの板じゃあwww
そう言った邪馬台国論争なんて関係の無いところから出てきたものまで
否定せざるを得ない…もう頭の中は九州邪馬台国でイッパイイッパイで沸いてるんだろうなwwwwww
981 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:49:53
これは余談になると思うが、渥美半島では
縄文人系の骨が500体以上出土しているが、弥生人系はまだ1体らしい。
このように時間がずれると、人口も変化し
計算通りにはいかないんじゃないの?
つまり未来の資料から、過去を探るなんてナンセンスないい例じゃないかな?
982 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:55:21
理数系の奴からしたら、どうしても数字を弄りたいのだろうけど
心情的には理解してやりたいよ、でもズレてるとしか言いようが無い。
983 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:00:31
文系の奴から見れば数字などどうでもよく脳内トンでも度の高いほうが受けると思っているからな。
984 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:05:18
過去の資料からみると、
神武は天津系、則ち、黒潮経由で列島の太平洋側から入植した海洋族勢力の一派だ。
日本列島開拓時代に於ては、列島の東西南北どからでも自由に侵入できた。
統一国家が存在した上、鎖国・排他の姿勢を示さない限り、北九州一帯のみが海外との窓口になる事など考え難い。
歴史に新しい戦国時代〜江戸時代一つ見ても理解可能な事だろう。
火葬にすると骨は残りにくい、土葬も湿気の多い土地ではほとんど残らない。
甕葬にしたりシラス台地のような火山灰の土地なら骨は残りやすい。
だから骨の出土数をもって人口を語るのはナンセンスですよ。
986 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:07:18
>>984 >過去の資料からみると、
>神武は天津系、則ち、黒潮経由で列島の太平洋側から入植した海洋族勢力の一派だ。
ゲノム分析の解析結果を交えて説明してちょ。
987 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:15:52
オレは医学者じゃない。
第一、ゲノム等を用いれば意義自体が人骨調査と変わらない。
988 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:28:02
>>984 太平洋側から入植したといっても、北部九州経由だろ。
筑紫の日向や岡田宮に寄ったと明記されているし。
市橋とか押尾とか、事件を起こすと沖縄経由で海外に逃走しようとするのは、
沖縄から海外に渡る具体的な密航ルートがあったわけではなく、ただ帰巣本能のなせる業だった。
引退したら沖縄で暮らしたいとか言ってる香具師もその口ではないか?
南方系の渡来人の人も、国に帰った方がいいよ。
990 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:47:08
海洋族だ。
山幸海幸伝承に従い、
船があれば日本列島どこでもまさに神出鬼没。
大陸→半島経由の農耕屋など闘わずして畦道を破壊する一撃離脱の嫌がらせのみで降伏させる事が可能だ。
江上の馬を船に置き換えてみると分かり易い。
大平原にあらず、大小無数の島々から成り、道無き深山渓谷に囲まれた日本列島を制圧するに必要なるは、
「馬か船か?」
大陸→半島→北九州が当時の最先端地域であった等という説など、鎖国体制下の人が守り育てた
「江戸期以来の戦争を知らない子供達」
によるお遊びだろう。
991 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:54:04
>>990 こういうのが脳内。
考古学および文献の研究成果に少しでも精通していればこのような脳内は出ないだろう。
中国がアジアにおける最高の先進国であり朝鮮半島や日本列島もその大きな影響下にあったことを無視している。
992 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:59:30
脳内を整理せよ。
黒潮経由は中国大陸からの直輸入だ。
993 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:01:37
>>987 医学者でない?
科学的成果に無視して脳内を繰り広げることが正しいとでもいうのかね?
994 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:04:11
995 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:05:11
今日は暇だから白痴論争にも付き合うよ。
では「人骨調査」が科学では無いというのか?。
996 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:06:16
学校で覚えたゲノム遊びがしたいんだろうよ。
構うな!
997 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:08:02
>>996 こういうのがいるから「文系は」などといわれてしまう。
998 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:09:46
オレに注意しているだけだ。
確かにからかい過ぎた。
さいなら。
999 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:09:54
司法試験に何度も落ちてる奴が、2ちゃんならと
張り切って法律解釈披露しているようなものだろ
1000 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:19:12
邪馬台国は畿内。
1001 :
1001:
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