1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:42:28
沖ノ島第三次調査隊のメンバーとして皇室の方が含まれていたことを知る人は多くない。
宗像大社辺津宮に碑も建っているが、三笠宮崇仁殿下がその方である。
三笠宮さまが、毎日新聞社刊の「海の正倉院 沖ノ島」の巻頭序文に寄せられた記事から。
『沖ノ島は「神の島」である。そして20世紀の奇跡がおこった島である。私はこの奇跡を現地で
まのあたりみることができた。一生涯忘れ得ぬ感激であった。(以下略)』
三笠宮様が沖ノ島の調査をされていたとは知らなかった。
あの方は古代オリエント考古学のご専門ではあったが。
3 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:56:13
大陸や朝鮮半島に行き来するときは、やはり壱岐・対馬経由の方が安全確実だと
思う。沖ノ島は、その航海の安全を祈る聖地のような意味があったのかも。
4 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 05:15:19
邪馬台国が九州にあったとしたら、その後どうなったのかというのが問題
となる。
大和に拠点を移し、大和朝廷になったとするのが東遷説。
神武東征などとも絡んでくる。
これが昔からの九州説の本流といえるだろう。
邪馬台と大和という名前の共通性。あるいは、古墳時代あたりの畿内の激変
ぶり、さらには記紀との整合性などから妥当性が唱えられる。
二つ目は、ある時期、人知れず消えて行ったとする説。
九州王朝説などもこの中に入るかな。
しかし、いつ、どういう理由で消滅したかが説明できない。
30カ国を従えており、魏から倭王と呼ばれた勢力と大和朝廷との衝突が伝説
としても、記録としても残っていないなど不可解な点が多い。
明治時代から、高天原の状況を倭人伝の倭国の状況と重ね合わせる意見が
多く、やはり、九州説といえば、東遷説なのだろう。
5 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 05:48:57
6 :
のんびりひまじん:2009/11/30(月) 08:08:21
>>4 >ある時期、人知れず消えて行ったとする説。
>九州王朝説などもこの中に入るかな。
九州王朝は7世紀になって副都:難波 建設に続いて 首都も近江 に移した。
そういう九州王朝説が出現している。(意外に説得力ある。)
全然説得力ねーよw
8 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 09:49:00
今、甘木が熱い!
9 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 09:55:57
>>8 悲しくないかい?虚しくないかい?
自分の胸に手をあててごらん?
Don't来い
今やらねば、今戦わなければ
九州説は滅んでしまう。
このままでは吉野ヶ里も観光客が減ってしまう!
12 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 11:05:45
で、その甘木説ってなに?あの石川さゆりが歌ってるやつ?
♪ かくしきれない……
13 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 11:21:38
11月28日の甘木ショックで
安本美典が完全復活!
白石太一郎が大ピンチに。
詳細は九州説ドンと来い!スレにて
14 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:12:58
11月28日の甘木ショックって何?
15 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:19:13
318 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 17:11:43
最新情報
11月28日、九州の甘木で150m扱の円墳が発見される。
畿内説一辺倒だった考古学会が激震。
この報を受け、安本教授は邪馬台国論争再燃の可能性を示唆。
劇的な逆転が起きる!
16 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:21:00
326 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 22:49:51
>>322 もう、こんな形でしか反論できないというw
惨めだねぇ。
327 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 08:14:26
いやいや、九州の甘木で親魏倭王の金印が見付かったそうだ。
川べりで掘削中のユンボが掘り当てたとの事。
昨日の150m級の円墳の発見に続き、考古学界にさらなる激震。ダメ押しに近い。
九州説がほぼ確実の情勢。
慎重な言い回しに終始していた安本教授が、
ようやく安本説に基いた具体的なコメントを始める。
畿内説の学者はショックを隠せない模様!
17 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:23:44
335 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 11:13:36
畿内説の急先鋒と知られる白石太一郎氏が、
「金印が甘木で見付かった以上、最早、仕方のない事、何もいうべき事はない」
とコメント。他の言説も歯切れが悪く、詰め掛けた報道陣に終始落胆の表情をみせる。
安本美典が邪馬台国論争を制した形に。
地元福岡では多くのマスコミでこの事件が取り上げられる。
梓書院発行の次号『季刊邪馬台国』の売り上げは10万部を超える見通し。
18 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:32:13
415 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:34:54
>甘木の追加続報はないのか?
安本教授は得意の絶頂らしい。氏に溜り続けた鬱憤が、前日の甘木ショックで一気に晴れたのだから。
今や各報道番組に招かれ、九州説勝利宣言をしている。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
数日前からすれば、全くにあり得なかった事だ。
世の中何が起こるかわからない。
19 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:43:15
ちょっとやり過ぎかな畿内君。
ここまでしつこいとバレバレ。
仮に畿内君のオチョクリじゃなければ、これを書く事で利を得る 宣伝効果を狙った仕掛け。
20 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:47:15
聞かれたから答えただけです。
21 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 14:36:46
22 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 15:37:04
安本説なんて単なるでっち上げだろ、
23 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 15:38:47
古田説なんて単なるでっち上げだろ、
24 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 15:48:20
25 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:24:38
安本説といえば、年代論がある。独特のものというわけではなく、先駆者が
いたらしい。
第31代用明天皇あたりを基準に、古代の天皇の平均在位期間を10年程度と
推定する。
用明天皇が即位したのは、西暦585年。
そうすると神武天皇の即位は、西暦285年となり、天照大神はその5代前なので
西暦235年となる。これで天照大神と卑弥呼の時代は重なる。
極めて大雑把に言えばこんな具合かな。
安本説は、記紀の天皇や皇孫族を全て実在と仮定している。
ちょっとひねって、欠史八代などを考えれば、神武即位は四世紀半ばでも
良い事になる。
年代は、仮定を少し変えるだけでいろんな設定が可能になるな。
26 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:52:29
27 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:38:02
神武天皇の即位は2世紀以前だと思う
28 :
うましか:2009/11/30(月) 20:58:47
>>21 壬辰の乱前後の正史系と傍系資料の不整合に着眼した考えで、
それ自体は、かなり前から注目されていました。
それに九州王朝を絡めると言うのはもっともな論法。
ここは、のんびりさんに詳しい御解説を願えればよろしかと。
29 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:21:12
逆に古代の天皇はもっと多かったと考えれば、(神武の子のタギシミミや飯豊皇女等)
天照はもう20〜30年前となり、卑弥呼の時代以前となってしまう。
30 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:42:07
邪馬壹国 壹與(とよ)
今後は元本と同じく邪馬壹国と書いてほしいです。
南、女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2000余里ある。
32 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:33:04
33 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:34:50
>>32 徳島は四国説のうちもっとも可能性の少ない場所。
34 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:34:52
徳島で陸行一月はないだろ(笑)
35 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 01:04:39
オレなら1ヶ月かかる
36 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 03:22:28
>>28 そんな風に書いた資料自体が存在しない
矛盾があるからといっても九州王朝があった
という証明にはならない。
911の陰謀論と一緒。
37 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:56:49
江戸から京都までが陸行で14日だから
下関から名古屋辺りが陸行1月かな
38 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:29:21
>>37 それは、下関⇔名古屋間が江戸⇔京都間と同じ条件であった場合の話しであって
ここに用いるべきものではない。
39 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:01:07
ねぇねぇ
飛鳥川ってあんなに細いのに舟で遡ってたんだよね
昔はもっと太かったの?
40 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:21:30
>>39 学者が飛鳥川を舟で遡ったと言う統一見解を出せば
古代の飛鳥川は自然と舟が遡れる広さと水量が確保されるもんだよ
だからそんな疑問を持っても無駄骨になる
41 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:22:13
42 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:40:26
>>39 ほら怒られた(笑)
世間の定説は、こんな些細な誘導から作られるんだよ。
43 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:53:52
>>40 それで
みんなが邪馬台国は大和だっていうから
巻向に突然卑弥呼の宮殿が表れたんだね
歴史って楽しいね
>>39 昔は全然違って、奈良盆地の北側には湖があり、大和川はちょっちゅう氾濫してた。
大阪市は海の中で、上町大地は半島だった。
45 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:55:33
46 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:58:42
>>42 違うなら違うって言えば定説にならないのに
47 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:01:13
>>44 うん大阪と奈良の話は聞いた事ある
でもそれなら鍵・唐古は湖の底なんだよね
50 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:12:17
鍵・唐古は2世紀、西暦188年頃まで100年栄えた遺跡です。
大和盆地で栄えていました。
51 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:16:18
昔は吉野川分水はないし、
大和川も今のように治水整備はされていない。
奈良は私が小さい頃はよく雪が積もったものだが、
今は、温暖化か何か知らないけれど、
雪は年に何度か降るか降らないかになった。
だから昔の方が水量が違うと思う
>>50 奈良盆地といってもひろい。磯城郡は標高が高い
吉野ヶ里と同じくらいの標高だな
磯城郡は標高が高い = 唐古・鍵遺跡は標高が少し高かったんだな、知らなかった。
>>53 吉野ヶ里ほどではない。
>>54 普通にwikiにのってる
>標高約48メートル前後の沖積地、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。
56 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:49:05
それでも巻向なんかから比べるとずっと低い
福岡の老司古墳が約標高40m どんなとこ?
58 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:02:28
>>37 江戸時代はけっこう道が整備されていたから、古代とは違うだろう。
唐古・鍵遺跡は、何度か洪水で埋まったらしいね。
59 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:06:01
>>36 中国史書は九州にあった倭国王朝のことを書いているだけで、大和のことなど
旧唐書に至るまでまったく書いていないんだよ。資料自体が存在しないという
のは大和のことだね。
>>59 そりゃあまりに歴史知らなすぎ。
何より日本の史書も残していない九州王朝ってなんなの?
大和朝廷に燃やされたんだろ。
62 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:42:04
ふむふむ…
「無人都市纏向」に続いて今度は
「水中都市唐古鍵」なわけやねwwww
もう何とかしろよこの板の九州説のアホどもwwwwwwwww
64 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:38:56
「日帝三十六年! 大和朝廷千数百年! 謝罪と賠償を求めるニダ!!」
…とかか?wwwwwww
65 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:14:19
俺も奴ら嫌いだから
関係があればチョンチョン言うのは気にならないけど
全然脈絡のないとこでチョンチョンいうのは頭悪く聞こえるな
66 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 07:54:39
静かになったな(笑)
67 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:39:41
はしかみたいなもんだろ
68 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:56:28
>>60 残してるといっても、大和の史書はまったくの偽造だからな。
残していない方がまだまともだろう。
69 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 17:16:23
そろそろ分割したの一本にしようぜ。
自演馬鹿もいなくなった事だし
70 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 20:40:49
畿内で答えも出たし語ることもないし。
だったら畿内vs畿内で語れや!
72 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:12:01
畿内説同士で議論してるのに
隔離スレから抜け出てきて
ちょっかいを出してくる
九州バカをどうにかしろ
73 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:26:33
74 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:53:54
すべての源流は朝鮮起源と同じ匂いがする。
やだやだ。
75 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:56:21
朝鮮半島の南側は倭地。
源流は九州側。
76 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:56:52
すべての源流は朝鮮起源と同じ匂いがする。
やだやだ。
77 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 22:03:38
>>73 突っ込みどころ満載という気がするのだが。
まず、三輪山信仰といっても、主祭神である大物主大神を祀ったのは
崇神天皇で、大和あたりで起きた災いを鎮めるというのが理由だった。
大物主が、自らやってきたかのような解釈は無理があると思うが。
78 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 22:08:49
>>77 崇神天皇が「海を光(てら)して依り来る神ありき」とでもいったのかい?
ヤマトにいる崇神天皇が海に言及するほうがずっとおかしいぞ。
79 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 22:11:37
記事中に「安本」って名前をみただけで、
ああ、東遷説の亜流か。
という感想しかない。
80 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 22:18:01
これは邪馬台国東遷説ではないね。
邪馬台国に宗教戦争で敗れた集団が大和にたどり着いてそこで国を興したということになる。
81 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 22:26:48
九州起源にしようとしてる所は同じだろ。
すべての源流は朝鮮起源と同じ匂いがする。
やだやだ。
洗脳(洗脳植えつけ部屋)部屋って本当にあるの?
畿内説の連中は学説に対してロジカルな反論をしないね。
というかできないからだろう。
すべてを大和起源にしようとしているのは、
すべての源流は朝鮮起源と同じ匂いがする。
やだやだやだやだやだやだやだやだ。
まあ、近畿人はチョン人だからしかたないけどな。
85 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 23:01:56
朝鮮起源がいやなら銅鐸文化を信奉すればいい
銅鐸の鋳造技術は実は他に類を見ないほど高い、青銅文明が粋を極めつつ行き着いた東の果てが日本
畿内、出雲、東海と本州に展開していた非九州系の勢力だ
87 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 23:47:27
で、その銅鐸勢力を滅ぼしたのが九州勢力ってわけですか。
九州はすごいねえ。たいしたもんだ。えらいよほんとに。
10年一日バカのごとくに、って何か呪われてるようだな。
89 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 02:40:55
>>4 邪馬台国と同時期にあった天皇の都が巻向遺跡、
当時、崇神〜景行天皇の巻向宮のうちのどれか、と仮定して。
正直、その答えは記紀に載っている。
景行以降、順番に読んでいけばいい。どうやって九州廻ったか。
九州で女王が投降してくる。それで豊の国〜日向までオッケー。
それからヤマトタケルの東征、西征、神功皇后。
年代は無視。しかし、ところどころ整合できる。
神功皇后の朝鮮出兵と百済記の倭人の侵略期を整合してみる。
関連する名前(スクネの息子)が出てくるから間違いないと思われ。
んで、神功皇后時代は4世紀後半の前後だろう、ととれる。
だとすると巻向宮が3〜4世紀もピッタシあう。
隋書に大和の遣い以前は日本は国がいくつもあって王がたくさん居たと書かれている。
倭が大和になるとか。
大和朝廷が初めて遣隋使を送る、せいぜい一世紀以内ぐらいまで
そんなことが起こってたと考えれば、これまた整合する。
90 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 02:56:45
つまりな、邪馬台国は九州の国説の答えは記紀にのっている。
巻向遺跡が何の時代か古事記の描写のおかげで証明できるのと一緒でな。
九州は景行〜ヤマトタケル〜神功皇后時代に併合されていった
様子が普通に書かれている。
つまり、載ってないような小さな国もそうやって大和朝廷に併合されていったと
みるのが普通。
記紀にあるように。九州は景行が九州の京都郡に都を置くまで全然手付かず。
とはいえ戦争してたわけじゃないから国として交流してたかも
しれんよ。この辺りのゴチャゴチャが4、5世紀あたりにピッタリくるんだが。
91 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 03:10:51
3世紀に、九州は魏と大和と両面外交してて、
どちらとも国交があって、九州単独で倭の女王を立てて魏から金印をもらった、
くらいの話だろう。
中国の属国は九州だけでいいよ。
畿内説って魏志倭人伝信じてないんですか?
狗奴国ってモロ熊襲じゃん
末廬国=松浦 伊都国=糸島 奴国=博多 不弥国=宗像
投馬国=北九州若しくは宇佐 邪馬台国=宇佐若しくは大分 簡単やん
93 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 07:44:42
『若しくは』(笑)
答え出てませんな
94 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 07:54:15
魏志倭人伝を信じている人がいる事に驚き
冒頭の邪馬台国の位置ってのは、
「この書物の内容は適当でいい加減なものです」
という注意書としての意味が一番大きいんだ
95 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 08:02:15
要するに客観的にみて
マラドーナ=九州説
アンリー =畿内説
お前らわかったか!
>>94 その論法なら記紀は天孫が九州からきたという注釈をいっている意味がいちばん大きいんだ。
97 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 08:07:36
それがマジで前方か後方かわからんが、でかいのが3つ固まって甘木にある
なぜ調査をしないのか不明だが、ぜひその目で確認していただきたい
98 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 08:11:28
99 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 08:25:13
記紀では、「畿内を天」と見立てて、畿内から九州に降臨(入植)した勢力が、「王座奪還」の為に「東征」する形だったように思うが・・・
100 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:01:26
日本書紀によると、神武天皇が東征を決意したときこんなことを言っている。
塩土の翁(しおつちのおじ)に聞くと、東の方に良い土地があって青い山が
四方を取り巻いているという。その中に天の磐舟に乗ってとび降りてきた者が
あるという。
私が思うにその土地は、きっと国の中心地であり大業を広め天下を治めるのに
よいだろう。たぶんその地にとび降りてきたのは饒速日(にぎはやひ)で
あろう。そこに行って都をつくろうと思うがどうか。
里帰りという感じではないし、そんなことは書かれていない。
前から、東征があったとして、その根拠はなんだろうと考えていたのだが、
日向だったら、津波に襲われたのかもしれないなと思う。
南海地震による大津波に襲われたのかも。
だから、山に囲まれた大和を選んだ。
南海地震は、150年とか200年おきに必ず発生していて、そのつど津波が
発生している。最も古い記録では、
684年11月29日 南海地震(白鳳南海地震) - M 8.0〜8.3、死者多数。
土佐で津波により大きな被害。
一番新しいのは、
1946年12月21日 昭和南海地震:M8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、
死者1330名、家屋全壊11591戸、半壊23487戸、流失1451戸、焼失2598戸。
津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で
4〜6mに達した。
>>100 神話を評価している時点でOUTだ。
なんで東征の地が奈良なんだ?
奈良が首都であることを前提にして神話を作り上げたということを気づけよ。
102 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:33:58
日向とか言ってる奴は筑紫以外の九州にに式内社が少ない理由を説明しろ。
103 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:47:05
東遷に際して、筑紫以外の大きな神社を近畿へ移したからだろう。
104 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:49:22
九州に良いものが無い→東遷して畿内に移した
九州に良いものがある→だから九州が本家
バカなの?
105 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:03:58
106 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:04:02
九州に良いものって何のことだ?
107 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:34:06
>>103 この程度の反論で論が成り立つと思える位浅はかな奴だから
日向から東遷したとか信じられるんだろうな(笑)
108 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:44:24
>>98 飛鳥も藤原も恭仁も紫香楽も
そんな景色ですが何か?
109 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 14:19:55
>>107 論が成り立っているから、うまい反論が浮かばないんだろうな(笑)。
邪馬台国はどっちだったか、の話が、いつのまにか、どっちが栄えていたか、の話にすりかわってるな。
111 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 17:57:47
モモソ姫の墓が卑弥呼として、そして大型の建物跡が出土した、だから邪馬台国は奈良で決まり
んなわけないだろう(笑)
>>110-111 むしろ逆のはずだよな。
漢の時代に分かれて百余国、倭王武の時代に121ヶ国あったはずの倭のうちの、たかだか30ヶ国を支配する邪馬台国が、そんなに栄えていたはずはない。
実際、時代的に前である倭国王帥升でさえ生口160人を献上しているのに、邪馬台国が献上できた生口はたった10人。
これだけショボい邪馬台国を魏が重視していたのは、残りの91ヶ国が親呉で団結していたからだ、と考えれば、そっちのほうがはるかに栄えていたことになるだろう。
113 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 18:45:34
>>112 証明できない仮説を持ち出してなんになるの?
しっかし同時代の魏がこんな辺境の小国のことですら記録残してるのに
わが国はなんたることだよ。。言い伝えしかないって。
魏に使者送ってるくらいなんだから、漢文できるやつもいただろうに。
ちゃんと記録のこしとけ。タコ。そしたらこんな不毛な推理論争しなくてすんだのに。
115 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 20:07:17
口伝が唯一とは考え難い
意図的に破棄されたのさ
倭国が魏呉国境に位置するならわかるが、はるか島国がどっちに付こうが何の意味がある?
大国はなんの利が得られ、倭国の国々はなんの利に預かれるというんだ
117 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 20:23:49
だから、なんで甘木には前方かなんか知らないけど墓が3つあるんだって、その内一つはデカイ。
なんで管理されてないんだよ
118 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 20:24:00
高句麗だろう。
119 :
118:2009/12/03(木) 20:25:01
120 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 20:30:46
聖徳太子の時は、明らかに「打倒高句麗同盟」。
121 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 20:57:57
>>100 続き。
記紀の日向神話に山幸彦、海幸彦の物語がある。
山幸彦(彦火火出見尊)は神武天皇のおじいさん。
山幸彦は海幸彦から借りた釣り針をなくしてしまう。
謝っても、代わりにたくさんの釣り針を返そうとしても海幸彦は許さない。
途方にくれていると、老人が現れ、竹でかごを編み、それに山幸彦を
乗せて海に沈めた。
山幸彦は、海の底の豊玉彦の宮に着いた。
事情を聴いた豊玉彦は、探していた釣り針を見つけてきてくれる。
そこで、山幸彦は豊玉姫を妻とし、三年を過ごす。
なんか、浦島太郎の話みたいだが。
帰るとき、豊玉彦は、山幸彦に潮満玉と潮干玉という二つの玉を与える。
海幸彦が許してくれなかったら、潮満玉でおぼれさせてやりなさい。
助けを求めたら、潮干玉で助けてあげなさい。
言われたとおりにすると、海幸彦は、観念し、子孫の代まで山幸彦に
仕える事を約束した。
…
潮が満ちておぼれるというのは、津波を連想する。
また、これは、山に囲まれた大和では生まれない話だろうな。
122 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 21:10:09
つ住吉。
畿内は河内も紀州もあるんだが。
123 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 21:15:42
124 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 21:21:08
邪馬台国?
いや、明かされることになるのは伝説の古代日本文明だろう
わざわざ曲解しなくとも邪馬台はヤマト。
倭人伝でも随書でも各種伝承や古墳、遺跡の
出土状況でもはっきりしてるのに。
九州にあるなんてするには、ファンタジー小説レベルの話。
>>113 歴史の仮説に証明できるものなんてないよ。
127 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 22:31:17
証明できないにしても、度合いがあるよな。
ファンタジー小説レベル=九州説。
学問レベル=畿内説。
畿内説は朝鮮人の陰謀。
あたかも純粋な日本人が作り上げた都であるかのように思わせ、その実
畿内に来た天孫族の出自を薄めて当面隠している。
畿内の人間のほとんどが朝鮮人の子孫か在日であるのは自明だが、
畿内説を担ぐ奴らはあるところで天孫族は朝鮮から来た子孫だといいだす。
天皇家が朝鮮人の子孫だという不敬罪にも価する思想を植えつけようとするのが
畿内説をかたくなに主張する朝鮮人の子孫なのだ。
129 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 22:57:36
畿内説 学者
九州説 在野の歴史マニア
130 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 23:02:02
畿内説 主張者は朝鮮人とその子孫
九州説 主張者は日本を愛する純粋な日本人
131 :
ローガン:2009/12/03(木) 23:42:10
>>130 九州説の根本にあるのは、やっぱりそこら辺ですか…
じゃああ私のようなノンポリの畿内説では全く、相手になりませんね。
132 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 23:48:01
>>131 ノンポリの畿内説の人がいてもいいが、九州説を学説としてまともに反論しているところを
すくなくともこのスレで見たことがない。
学問レベルとかいっているが、科学の本質はポパーのいうように反証可能性であるはずだが
九州説を学説としておよそまともに反論しえたところをみたことがない。
九州説は学者でもいくらでも主張している人がいるので、「学説でない」などといわないようにね。
133 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:07:45
畿内説の正真正銘の低学歴集団がやってることってのは
遺跡を掘って天皇の居たあと見つけては「邪馬台国!!!」「卑弥呼!!!」
邪馬台国以前に記紀の検証が先なんだが。
国賊ものは馬鹿すぎて邪馬台国と卑弥呼にしか頭にない。
学説どころか記紀も読めない偏差値なんでw
ちなみに巻向宮の比定地と巻向遺跡ははずれてるのに、箸墓の比定地は
馬鹿正直に信じ込み、出てきた4世紀のものは「全部後から置いたから」
何が学問だ!
>>132 ぜひ学説としての九州説をお願いしますよ。
ノンポリさんも>130みたいなのは相手にしないけど、
具体的な事柄を根拠を挙げて示すならば、ものすごくまともな反証で応えることでしょう。
135 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:14:30
>>132 > ノンポリの畿内説の人がいてもいいが、九州説を学説としてまともに反論しているところを
> すくなくともこのスレで見たことがない。
サガミ、河童、太国 etc
オイオイ、このスレの九州説でまともに議論の対象となるような奴がいるかw
137 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:19:21
学説としての畿内説など存在しないんだけど。
記紀は信じたくないけど、モモソ姫が女王っぽい巫女だった部分だけ
すっごく信じたい。それを主張するだけ。穴だらけなんだけど。
非畿内説者がアレコレ突っ込むと頭おかしくなって
九州説がどーたらこーたら話しだす。
お前、まず自説を話してみ?wwww なんで他説が気になるの?
畿内説の矛盾を聞くやつは全員九州説=敵 ですか??www
九州に邪馬台国が有ったんなら、何故消えたんだ?
九州の邪馬台国に従っていた諸国は、邪馬台国については黙して語らずか!
>>135 もうちょっとわかりやすいのない? 邪馬台国とか魏志倭人伝とか。
沖ノ島信仰とか、なに言ってんだかわかりません。
140 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:30:21
>>138 あのな、記紀にのってるから、語らなくとも天皇家の
伝承が俺の代わりに語ってるから。
崇神から神功記までに、大和朝廷(畿内の勢力な。)が
どうやって日本をまあ、いわば統一していったか書いてある。
当然、天皇家からすると、自分たちが国を造った人間だから
最初から日本国は自分のもの、みたいな言い方するが、それでもよく読めば
ちゃんと書いてある。
141 :
ローガン:2009/12/04(金) 00:38:08
>>132 >ノンポリの畿内説の人がいてもいいが、
おや、寛容な人ですね。
>九州説を学説としておよそまともに反論しえたところをみたことがない。
そうかなあ?どんな事でも否定、反論って割と容易いでしょ?まともな反論は時々、見ますよ。
ようは共有出来る根拠に基づいての立論て事になるけど…
ただ、立論の過程に於いて相容れないものがあるの分かりますよね?
> 九州説は学者でもいくらでも主張している人がいるので、「学説でない」などといわないようにね。
一部は除き、九州説自体を指して「学説ではない」というつもりはありません。
142 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:41:24
>>138 そう、九州の邪馬台国は消えたんだよ。
そして、大和に朝廷が芽生える。
考古学的に言えば、突然に芽生える。
しかも、同じ名前と来たもんだ。
143 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:45:45
>>139 この程度の内容もわからんとは、さすがは朝鮮人。まともな日本語がわからないんだろう。
さすがは畿内説。
144 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:48:21
>>141 まともな反論は時々、って、要はほとんどまともな反論でないわけね。
あなたが朝鮮人でないのなら
>>73 をまともに反論してよ。
>>143 じゃあ、これからじっくり読んでもいいけどさ。
それより、あなたがわかりやすく解説してくれた方がよくね?
沖ノ島信仰ってなに?
146 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:53:15
>>145 ページのはじめから10行目くらいまでも読んでない。表1にわかりやすくまとめてあるだろ。
おまえ、ほんとうに朝鮮人だろ。
朝鮮人と部落人が喧嘩をしているスレはここですか?
>>147 おまえが部落民だということはとてもよくわかった。
149 :
ローガン:2009/12/04(金) 01:05:52
だから…そういうなじりあいを止めましょうって。
150 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:08:04
>>146 じゃあ、やっぱり、じっくり読んでみるわ。
152 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:20:58
>>151 おまえは朝鮮人なんだからじっくりじゃなく辞書を片手に翻訳しながらゆっくりの間違いだろ。
153 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:38:10
畿内説の連中のやっていることは学問ではなくて政治活動だろ。
学問ならば反論を無視・黙殺することなどあり得ない。
三角縁が日本でのみ550面以上出土しても舶載だとかいう珍説を
いまだに批判することができない。
学問を放棄した連中が何を言っても意味がない。
154 :
ローガン:2009/12/04(金) 01:43:39
慌てて読みましたよ(笑)
反論たってねえ…
ありませんよ。「おれはこう思う。」というよくあるタイプのサイトでしょ?
ああ、そうですか。ご苦労様でしたと云うしか…
こういうのにきちんとした反論するほどの、意欲は持たないので悪しからず。
でもせっかくの紹介なんでゆっくり読んでみますね。
155 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:46:46
>>73 これに、まともに反論しろっていってもねえ。
鼻で「ふふん」としか。
>>73 「海上祭祀」なんて証拠もなにもない妄想レベルじゃん
奥津の「津」は普通に考えれば現代語の「の」じゃないの?
神話への登場順が信仰の伝播の証拠?
端的にいえば学説レベルの内容ではないね
157 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:54:24
>>154 >>155 これは学会の会報に掲載したれっきとした研究論文、ということがページの冒頭に
記載してあるのにもかかわらずそれすら認識していない。
つまり、学説への「まともな反論」すらできない。
いや、お前らが朝鮮人だとか揶揄したが、朝鮮人だってもう少し字を読むくらいの努力するだろうけどね。
158 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 01:55:47
>>153 日本でしか出土しないから国内産だ!
との主張しかできない連中こそ学問を放棄しているけどね
159 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:00:04
>>156 「海上祭祀」は証拠がない?海中から引き上げられた弥生時代の遺物の記載を読んでいないのか?
現代語を昔に当てるのか?
神話への登場順だけじゃないだろ。内容の着眼点は5つある。
神話への登場順を否定するということは神話を否定する津田左右吉説に与するのか?
>>157 自称「学会」なんていくらでもあるわけで
問題は「学会誌」に載っていることではなく主張の仕方なのだが
161 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:02:34
>>158 そうだそうだ!
日本で10億枚で中国で0枚だろうが、舶載にきまっとる!
反論は許さん!
162 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:03:02
主張の仕方がおかしいのなら具体的に指摘しろよ。
ただ、
>>156 みたいなレベルが低いのはやめてくれよ。
163 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:05:54
>>161 「反論は許さん!」自体が科学でないな。
中国本国の王仲殊が中国製でないと言っているんだがまともに反論しろよ。
164 :
156:2009/12/04(金) 02:14:22
>>159 どこに沖の島で遺物が引き上げられたと書いてある?
「未発見」と明記されているが?
日本語読めないのか?
証拠すらないものを伊都国の祭祀と断定してるじゃん
古語の「つ」が現代語の「の」の意味になるってことだ
やっぱり日本語に不自由なのか?
着眼点が5つあるっていうが
1は沖=奥から沖→奥と勝手に推測してるだけ
奥→沖だって同じくらい可能性があるってことだ
2は上記の通り
3は山の中腹にあるから意味が希薄などというが筆者の感想レベル
別に祀る箇所が生活圏と対応している必要などない
4宗像三神は神話の化生順と対応しているというが
神話が編集された段階での状況に合わせただけかもしれないので意味なし
5は既述
こちらは神話への登場順=信仰された順だとはいえないといっている
それがなんで神話全否定になるのか?
日本語の意味をちゃんと読み取れないのか?
神話への登場順=
165 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:14:31
>>158 三角縁神獣鏡は、重要視されていないのが致命的。棺の外というのが多い。
最近では、国産の葬具というので決まりかな。
黒塚古墳のものなんて未完成品だから。
ずっと前は、三角縁神獣鏡は卑弥呼と年代が合わないというのが普通だった。
だから、伝世されたという珍説も現れた。しかし、いつしか年代も合って
来たようだった。
しかし、年代が合えば合ったで、卑弥呼の鏡でないとわかってしまったら、
また年代がおかしなことになる。
連動する他のものまで年代がごちゃごちゃになってしまう。
畿内説は年代をいじりすぎるんじゃなかろうか。四世紀が通説だった纏向も
三世紀になってしまった。いい加減にして欲しいものだと思う。
166 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:25:07
>>165 ついでに言えば、箸墓の年代もそう。
昔は中期の古墳といわれた。
卑弥呼の墓にしようとして、どんどん年代が遡る。
しかし、今度はやむにやまれぬ事情で下り始める。
都合の良い年代にしようとするのだろうが、結局は、破綻する。
167 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:26:31
ちゃうちゃう 中途半端な知識で書き込むと恥をかくよ
「国産の装具」説で決まりなんかじゃない
黒塚発掘の時に指導的立場の人物がマスコミにブチ上げただけ
その人物は鏡のエキスパートではなく学界で広く支持されている説ではない
小林行雄以前から三角縁は魏晋鏡=卑弥呼の時代の鏡と考えられていたぞ
漢鏡などあきらかに古い鏡を副葬する古墳の存在から導き出されたのが伝世鏡論だ
まともな本を読むことをおすすめしておく
168 :
167:2009/12/04(金) 02:31:29
一部の研究者が箸墓を中期と言っていたのは
・平地に立地
・前方部が大きく開く
といった特徴から
しかし
・墳丘から最古形式の埴輪が出土
・最古級の前方後円墳の前方部はバチ形に開く
といった事実が明らかになって年代観が遡った
決して卑弥呼の墓説などとは関係ない
という事実すら理解できてない人が畿内説を批判しているのが
九州説や東遷説のレベルを表しているわけだ
169 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:38:04
>>167 葬具といったのは、黒塚古墳の発掘責任者の河上邦彦氏だが、
石野博信氏も「三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない。」と明言し、中国へ鏡の
研究に行ったことのある滋賀県立大学の菅谷文則教授も、三角縁神獣鏡は
国産鏡であるとの見解である。
となっている。
河上氏などが葬具と言ったのはそれなりに理由がある。
さっきも書いたように、棺の外に大量に置かれていること。
バリがついたままの状態、つまり鋳型から取り出したままで、磨かれていない
未完成品であること。
それに、いまさら伝世鏡理論もないと思うが。
170 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:45:57
>>168 でも、箸墓が一時、卑弥呼が死んだとされる250年頃まで遡ったのは確か。
今は、布留0の時期というのがわかっている。問題は、布留0がいつ頃かと
いうことで、この年代の捉え方にはいろいろある。
4世紀後半と言う人もいる。
171 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 03:40:09
>>170 >4世紀後半と言う人もいる。
誰がいってるの?
マンガ読んで育ったどこかの小学生かな?
172 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 04:50:40
>>130 韓国は、国をあげて九州説支持だよ。
あちらの国立中央博物館でも何かやってましたかね?
173 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 04:53:42
>>171 菅谷文則氏は3世紀中頃、白石太一郎・石野博信氏は3世紀後半、
田辺昭三・関川・安本氏は4世紀中頃、斎藤忠・元東大教授は4世紀後半。
ということらしい。
174 :
172:2009/12/04(金) 04:56:44
韓国の国立中央博物館で「吉野ヶ里―日本の中の古代韓国」て催し物が2007年頃になかったか?
大々的にぶちあげたもんだから、畿内説が有力になって韓国は動揺中なんです。
175 :
172:2009/12/04(金) 05:41:09
「吉野ヶ里―日本の中の古代韓国」展で思い出したけれど、韓国国内では、
卑弥呼はそもそも倭人ではなく、半島生まれ(首露王の親族など)であるという説も
有力視されているらしいね。
古代日本のような未開の蛮地には、偉大な王は誕生し得ないという意識によるものらしい。
吉野ヶ里も韓国からの観光客が少なくないはず。
拝金主義の商人根性から韓国の妄想にすり寄る自爆的な九州派には困ったものである。
【日本国家成立史】
【日本民族の統一】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代日本
■■■■■■■■
【*】連合体としてのヤマトマキムク王権
【*】筑紫朝による畿内王権制圧
【*】筑紫朝断絶、播磨朝で連合体を調整
【*】磐井と継体が「応神の子孫」を名乗って内乱
【*】継体の勝利、しかし畿内豪族のクーデターで「欽明朝」成立!
■■■■■■■■
各王朝内は男系で繋がり各王朝間は実質女系で維持。女帝は置かれても女系は認められなかった。
【現在125代】
まず韓国は新羅国倭人建国説を認めてからじゃないと、
自国の古代史を語る資格はない。
>>150 アマテラスとか書いちゃってる文書は無視相当。
ファンタジー脳もんもん。
179 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 13:15:01
アマテラスは神格名だろ
180 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 13:49:25
テンテルゥ〜www
181 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 14:04:20
なんで大和だったんだろ
たまたま大和に強いのがいたの?
それとも大和の部族には強くなる理由があった?
182 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 14:42:06
>>172 古代韓国の中の、古代中国と倭国にするべきなのにね。
今度はどんなファンタジー史を作り上げるか
お楽しみはこれからですね。
183 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 14:45:00
>>181 大和は瀬戸内海の流通をおさえられるし、西側の防御に最適だから。
184 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 15:13:55
>>181 前に話題になったが、
紀伊山地のおかげで台風災害が少ないこと。
山に囲まれているため、侵略に対しての備えがしやすい。
185 :
ローガン:2009/12/04(金) 15:45:54
>>157 >これは学会の
あなたが云う学会って 「磐座学会」なのね…
186 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 16:21:36
同人サークルの会報誌でも「学会」と書けば学会だしなあ。
187 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 16:46:00
そーかだって学会だしな。
188 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 16:51:24
もりはたいへん重要なうちゅうを含んでいる
>>183 >>184 単なる妄想。
>>181 ヤマトの位置はスイスとそれ同じ。
スイスの意味を考えれば良いだけ。
意味がわからないなら、それまでのこと。
いわくら学会のHPのぞいてみ
研究者ではなく愛好家の集まりだって明言してるw
創価学会も学会w
192 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 19:58:01
倭国=ユダ国
だって。
193 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:05:29
>>183 >>184 となると土着でなく外から来た可能性が高いのかな
強大な権力を持つ要因というより
権力を持った者が定住地する要因ですね
194 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:07:06
>>189 スイス?
残念ながらなんのことやら理解できません
195 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:17:13
>>189 例えば、
宣教師が、島原半島や天草半島を布教の適地とみなした事に似てる?
196 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:31:14
>>193 「漢書地理志」の時代から「日本」改号前夜まで、中国の古文書では、一貫して古代は「倭」ですよ。
そして「倭人」でしょ。
朝鮮半島の歴史書でも。
古代中国人も、半島の人たちも何で何の疑いもなく「倭人」「倭国」と呼んだか?
197 :
196:2009/12/04(金) 20:33:29
誤爆でした。
>>197 Go back home, ・・・誤爆誉め(意訳)
199 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:51:33
>>132 >学問レベルとかいっているが、科学の本質はポパーのいうように反証可能性であるはずだが
>九州説を学説としておよそまともに反論しえたところをみたことがない。
おいおい使い方間違っていると言うか自爆してんぞコラw
・九州説は反論されていない
↓
・反論さえできない非科学的なシロモノ
…って事になるんだが?wwwwwww
まあアレだ、生命の発生進化において
「それは全て神の御業、思し召しです」
なんて言われりゃ、もう反論のしようが無いのと同じって事なのかな?w
具体的にその(反論可能なのに畿内説がシカトしているという)事例を挙げてみろよ。
それにその反論検証を何故畿内説にだけ頼る?
九州説同士で検証しあって発展させていくと言う発想は無いのかな?www
そもそも倭人伝に対し往々にして懐疑的な態度をとる畿内説より
てめえらと同じように
「砂鬼四荼羅こうなった!」って言っている連中の方が話しがかみ易い
…と言うより同じプロセスで違った結果になっている連中を看過する方がおかしいwww
畿内説に噛み付く前に
砂鬼四荼羅教の宗派対立を何とかしろよボケ…っちゅう話wwwwwwww
200 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:06:01
>>189 奈良の地理を妄想と言われましても(笑)
>>193 ですね。卑弥呼より昔に神武なり、ニギハヤヒなりが来て、
葛城や磯城と繋がったと
201 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:10:16
つーか、九州説の人に疑問点を提示しても、まともな再反論がないだけなんだが。
>>199 うざい奴だな。倭人伝を素直に読んで何が悪い。精緻に描写された第一級資料だ。
>>169 河上さんは当時橿考研のbQか3で
下池山、中山大塚、黒塚、ホケノ山と続いた
奈良盆地東南部前期古墳発掘プロジェクトを計画・推進した
プロデューサーとしての調査責任者でマスコミに対する広報的役割も担っていた
その立場で「国産装具説」のブチあげてマスコミが食いついた訳
本当に発掘現場で指揮を執っていたのは彼の部下達だよ
石野さんはバリバリの畿内説じゃん
三角縁の評価など関係ないということだろう
彼もまた鏡のエキスパートではないね
確かに菅谷さんは鏡を研究してる中では三角縁国産説を採ってる
国産説ほかには一部舶載説になるが小山田宏一氏くらいかな
鏡の中でも特に三角縁を中心に研究している
車崎正彦、福永伸哉、岸本直文、
あるいは古墳時代の鏡全般に詳しい森下章司などが
いずれも舶載説であることくらいは押さえておきたいね
河上氏の主張のうち,「装具説」に関しては説得力はあると思うよ
でも「国産」の部分については説得力はないに等しいね
204 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:29:07
>>199 畿内説ってのは、出発点が大和=邪馬台国なんだよ。
証明するなんてものじゃなく、それが原点。
だから、それに合わないものは無理しても合わせる。
例えば、年代。
無理しても合わせられないものは間違いということにしてしまう。
例えば、記紀や倭人伝。
根拠を集めてその結果、邪馬台国=大和というわけではないから論争すると
弱い。どんどん恥を晒す結果になる。ボロが出てくる。
>>173 >菅谷文則氏は3世紀中頃、白石太一郎・石野博信氏は3世紀後半、
>田辺昭三・関川・安本氏は4世紀中頃、斎藤忠・元東大教授は4世紀後半。
田辺昭三や斎藤忠の年代観て何時の話だよw
まだ古墳時代開始の年代観が修正される前の話だろ
安本いれてるところは笑うところか?
彼は考古学者でもなく自分では年代なんて決めてないじゃん
207 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:35:26
>>203 三角縁神獣鏡が中国鏡としたら、数が問題になる。
出てきたものだけでも600枚ほど。すでに盗掘あるいは畑を耕したりして
出てきたもの、あるいは未だに土の中に眠っているものをあわせると膨大な
数になる。
いったい、何枚の三角縁神獣鏡が海を渡ってきたのやら。
さらに、何度も書いているが、中国鏡にしては扱いが粗末。
これは画文帯神獣鏡と比較すれば明らか。
208 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:39:21
>>205 田辺昭三は、以前は箸墓の年代遡上の旗手だった。
三十年以上前から、卑弥呼の墓ではないかと言っていた。
でも、後になって変わった。やはり布留0は、4世紀半ば以降。
須恵器の第一人者である田辺昭三はそう判断したんだろう。
209 :
203:2009/12/04(金) 21:40:53
誤解を受けそうな部分があるので一部補足
三角縁については舶載品と国産品に大別できるというのが主流で
>>203で舶載説としている福永、岸本、森下はそうした考え方
車崎は従来国産品とされていたものも全て舶載との説を主張し始めた
小山田の一部舶載説ってのは
これまで舶載品とされていたうちのごく一部のみについては舶載品と認め
残りの大部分を国産品とする考え
210 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:42:53
211 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:43:41
三角が舶載だろうが倣製だろうが畿内説は成り立つわなw
(九州説にとっては舶載であった場合即死だろうがwww)
銅鏡の問題は長く邪馬台国論争の中心的話題であったし
今後も論争されていくんだろうが…
そもそも古墳文化の中において鏡がどれだけの位置を占めていたのかと思う時がある。
ぶっちゃけて言えば鏡なんて墓の中に埋めてしまえば外からは分からないわけでw
権力を誇示するために造られた大型首長墓の文化にシフトした時点で
鏡の相対的重要度は低下したのではないのか?
吉備の楯築なんかも埋葬物は意外と貧弱だったと思うが
逆に九州はパッと見地味な支石墓の中から漢鏡が大量に出てきたりして
外見より中身に比重がおかれていると言う点では全く正反対なのではなかろうか?wwww
まあ「中から外」に比重が移っていった古墳文化と言う風に考えれば
鋳放しのような状態の三角が出てくるのも理解しやすいか?w
212 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:44:46
三角縁は、少量の舶載品をコピーして国産品を量産したんでしょ。
何が疑問なの?
鏡研究者いわく「持てば分かる」w
冗談はさておき
いわゆる舶載鏡と国産鏡を両方所蔵している博物館などで見比べてみたら?
グレーゾーンのものは難しいけれど多くの研究者が舶載・国産で一致してる鏡を比べたら
同じ鏡種とは思えないほど違っているよ
舶載+国産との理解が主流であるのに
>>207のように出土の総数を持ち出すのはかなり悪質あるいは勉強不足
畿内説にとって、鏡自体は既に大した問題ではないのが現状だよね。
215 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:56:40
>>213 ヨコからだが…
多分
>>207は分かった上でやってると思うなw
(つか、いつもの奴だろう?w)
500枚以上(無論出土率を考慮すれば実際に作られたのはその数十倍?)が全て舶載か倣製か?
…という問題に摩り替える。
で、製作地と制作年代の問題もゴチャ混ぜにする…もういつもの姑息な手段w
もういい加減見飽きたと言うか
それでも本人にはそれを書き込むしか溜飲を下げる手段が無いんだろうなwwwwwwww
おれは
丹波=伊都説だが
旧来の九州説近畿説というのは邪馬台国という都会から離れた山奥がどこか
というkとに頓着しすぎていると思う。
最近の畿内説と言われる学者は変わってきているみたいだが
いずれにせよ、当時の魏の軍隊が注目する資源・産業というものをもう少し
真摯に考えたほうがいいと思う。
歴史は観光地のためにあるわけではない。
217 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:58:54
>>205 田辺昭三の主張が変わったのっていつ?
できれば読んでみたいんで文献名教えてください
218 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:00:49
>>213 卑弥呼がもらった鏡は百枚となっている。ところが三角縁神獣鏡ははるかに
多い。だから、国産もあるとなったわけだろう。
ところが、線引きが難しい。グレーゾーンなんて言葉を使っているが、
出来の良い物からひどい物まで途切れなく続いている。
仮定が間違っているのだよ。全て国産とすれば納得できる。
三角縁神獣鏡は、中国では一枚も見つかっていない。特注だと無理な理屈を
付けなくても、全て国産とすれば納得できる。
もともと年代も合わなかった。だから、年代を合わせるために伝世鏡理論なんて
のが出来た。
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だとされたのは、畿内中心に分布するという
それだけの理由。まさに、畿内=邪馬台国が先にあって、全てをそれに
合わせるということだろうな。
三角は国産だとしても、紀年鏡の問題をどうみるんだろう。後代に、九周邪馬台国卑弥呼の事績を記念
して刻んだとかいうのは、おそろしくトンデモだと思うが。
220 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:04:00
>>218 なんというか、そういう風に思わないとやりきれない、
いままで九州説にしがみついてた自分が、居場所を失うみたいな、
悲哀に満ちた嗚咽が聞こえてきそうだな。
221 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:09:43
三角縁が100枚だろうが、10000枚だろうが、
国産だろうが、輸入だろうが、
魏の年号の入った鏡が大量に近畿を中心にばらまかれてる、という現実がまずあるわけだよね。
で、それは畿内王権の存在の十分な証明になる。
じゃあ、その畿内王権は4世紀に突然できたのか?
もちろん、突然は無理だろう。3世紀以前から王権が生まれる素地があったか、
九州からの東遷があったかだ。
で、九州からの東遷が完全否定されてる今では、
少なくとも3世紀以前から王権が生まれる素地があったことになる。
それなら、大和が邪馬台国で何の問題も無いということなんだ。
222 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:11:11
>>219 それもやりつくした感がある。例えば、島根県の神原神社古墳からは
景初三年銘の三角縁神獣鏡が出ているが、この古墳は、四世紀後半とされる。
景初三年と書かれているから、中国鏡かと思いきや、銘文がおかしい。
どう見ても、皇帝が下賜する鏡の銘文ではないといわれる。
また、景初四年という存在しない年号があるのもおかしい。
それに赤鳥なんていう呉の年号の入ったものも出ている。
かなり後になって、日本で作られたものだろう。
223 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:13:23
>>218 これこそ結論ありきの見本w
舶載・国産の大別論は単にモノに対する観察から導き出されたものだ
最近は型式学によって三角縁の生産は数段階に分けることができるというのが共通認識で
従来国産品としてきたものはそのうちの一番新しいものっつーことだ
上にもあるが伝世鏡ってのは元は漢鏡を副葬する古墳を説明するために導き出されたもので
三角縁=魏晋鏡という学界での大勢に従えば伝世を否定したとたんに
古墳時代の開始は3世紀代になってしまうんだがw
>>222 三角縁の銘文がおかしいってのは与太話の類だよ
225 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:16:01
古代は一筋縄じゃいかないね
なんせエクアドルから縄文土器が見つかっているわけだから
226 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:19:28
>>223 それも矛盾しているだろう?
年代が合わなければ、伝世鏡理論なんてので合わせる。
そのうち、年代も合わせる。伝世鏡理論は何だったのだろうということになる。
今は、畿内説の考古学者でも、三角縁神獣鏡について言及する人は
ほとんどいなくなった。もう、国産で決まりという感じがある。
ところが、そうなってしまうと、今度は年代が問題になる。
>>222 >それもやりつくした感がある
印象操作だな。九州説に有利な材料はなにも出ていないよ。むしろ、景初4年など存在しない年号を
後代に作ったという不思議さが残るだけ。ほんとお前らは馬鹿だよ。考古学を使うなら、畿内否定では
なく、それで堂々と自説展開をしたら?
228 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:22:22
>>226 おまえは、東遷説なんだろ?
東遷説じゃないなら、4世紀に鏡をばらまくような王権が突然できたことを、
どうやって、説明するつもりだ?
229 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:23:14
>>227 ムダだよ。それだとこいつらは庄内式九州発生とか言い出すんだ。
230 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:23:14
学者ってさ
既知の知識で対応不可能な話は
無視しちゃうよね
でも、何もかもが明らかになる頃にはそんなの常識なんだよね
学者って何かを発見することあるのかな?
規定論理に基づいた話で何か解明できるのだろうか?
とか思ってしまう
>今は、畿内説の考古学者でも、三角縁神獣鏡について言及する人は
>ほとんどいなくなった。もう、国産で決まりという感じがある。
うそつきは泥棒のはじまり
232 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:27:49
>>228 時間が22.22.22だ。番号も222だったらすごかったのだが。
233 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:30:46
論理的には邪馬台国を導き出すことは無理
それはもうわかっているでしょ?
決め手はたったひとつしかない
つまり魏から送られたとされる鏡を見つけること
これしかないと思うよ
234 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:31:30
結局東遷厨とかいうやつらは、畿内の年代遡上否定は熱心だが、いざ東遷の証拠となると、銅鐸勢力の消滅とか、鏡副葬の習慣の移入とか、
説にもならないようなことしか言えないんだよな。
>>226 当時は「古墳時代は4世紀から」っていう結論が先にあったからw
これは小林行雄も明言してるぞw
それに中国での鏡の出土の情報が圧倒的に不足していて
日本との正確な比較検討ができなかったことも大きいな
236 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:33:52
>>222 >それもやりつくした感がある。
全くだwwwwwwww
だがその結果をてめえに都合が良い様にだけ介錯するのは頂けないなw
出てきた年号が「景初」だけだったら
後世、日本側で日本にとって由緒のある年号を記念して…なんて理屈も成り立つだろうが
呉の年号やらが出てきた時点でそれもアウト。
「景初四年」についてはリアルタイムだからこそ フライング があったと考える事もできる。
237 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:34:03
でイワクラ学会はどうなった?w
238 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:34:05
>>227 神獣鏡には、元康(西暦291〜)という晋の年号の入ったものもあったはず。
作られたのは、それ以降だろうな。
239 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:38:10
>>233 中国の王さんは、卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡か方格規矩四神鏡だろうと
言っていたな。
倭人は、この二つの鏡が好きだったような気がする。
皇室に伝わるの八咫鏡も、内行花文鏡だろうと言われるし。
240 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:45:23
241 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:48:07
中国の王さんは倭地での呉人作鏡説だったが、紀年は実年代でヤマト中心に配布という考えだったはず。
「私の論で、畿内説が不利になるとは思いません」。
>>238 >神獣鏡には、元康(西暦291〜)という晋の年号の入ったものもあったはず。
お詳しいようで。では、この鏡が景初紀年鏡より古いことを、形式論的に説明できるということですよね。
242 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:48:09
>>236 魏の明帝が死んだのは、景初三年一月。
卑弥呼の使者・難升米等が帯方郡についたのは、景初三年六月。
洛陽に到着したのがその年の十二月。
鏡を持って梯儁がやってきたのが正始元年。
景初四年が入る理由がどこにある?
243 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:51:58
>>242 存在しない年号を100年後とかに作っても意味ないよな。
244 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:52:50
>>242 お前しかし空しくはないか。畿内説否定より、元邪馬台国が九州のどこにあって、どのように東遷したかを
考古学を用いて説明してくれ。否定、否定のレスはきっと体に悪い。みな君の自説を聞きたがってると思うよ。
245 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:55:32
>>244 人に訊く前に自説を述べるのが礼儀というものだろう。
246 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:55:39
>>244 それは、畿内説にずっと前から言い続けてきたこと。
畿内説の根拠を先に述べよ。
一人で相手しているので、ちょっと疲れた。
247 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:58:39
景初三年後十二月
248 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:58:48
>>236 というかいまだに舶載説を本気で主張している人なんていないだろwww
舶載説の人に失礼だろ。
本気で主張しているなら、反対説に本気で取り組んで反論すはずだが、
それを無視するのは、思想や政治の問題であると割り切っているから。
そこらへんは分かってやれww
>>224 > 三角縁の銘文がおかしいってのは与太話の類だよ
「王」に与えた鏡に「位至三公」とか言う吉祥句が刻まれているのはヘンだと言う話でしょう。
ヨタとも言えないと思いますが。
もっともY本さんは、同じ文字列がもっとデカデカと書かれたタイプの鏡を卑弥呼の鏡だとか
言い張ってますけどね。
250 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:05:43
>>223 >型式学
最近の舶載説はデザインや文様の変遷は言わないよ。
△の紀年鏡のデザインは全て同向式で、文様は変遷の後半期に位置づけられる。
つまり、紀年鏡は全部が後半期のものであることになる。
これを説明するためには、1年で全ての変遷が生じたなんていう岡村のような
アクロバットな考えをしないといけない。
そんな恥ずかしいことは避けたいから、この型式学の問題は無視しないと
舶載説はなりたたないんだよ。
もうどうみても九州説は詰んでるよ。
252 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:06:24
三角縁神獣鏡の舶載説が唯一の考古学上の畿内説根拠。
舶載説が否定された以上、考古学上で畿内説が勝るものはなにもないという事実。
253 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:07:33
>>248 イワクラ学会と一緒で反論するほどの内容がないから
254 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:07:52
九州説のうわごとは聞き飽きた。
もっと新しいネタを提供してくれ。
255 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:09:30
>>250 >最近の舶載説はデザインや文様の変遷は言わないよ。
新納説や岸本説が共通認識になってるのを無視か?
256 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:10:27
>>254 古きを温めて。。。。
つーか、舶載説否定がそんなにも畿内説に痛かったのね。
大変よくわかります。
>>252 マキムクの発掘成果は無視ですかw
で、考古学上の九州説の根拠は何ですかw
258 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:11:09
今の畿内説で三角縁のことに言及する人はほとんどいないだろ。
あれはむちゃくちゃデリケートな存在なんだから。
否定すれば猛反発するし、肯定しても「馬鹿にするな、無理な学説だと
わかって慰めようってことだろ。」とすねられる。
259 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:12:51
>>258 西求女塚古墳の報告書の岸本論文でも読んでみたらどう?
260 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:14:27
>>239 >中国の王さんは、卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡か方格規矩四神鏡だろうと
>言っていたな。
ところが肝心の中国で出土した魏の紀年銘鏡は神獣鏡とか獣首鏡なんだなこれがw
少なくとも現状考えれば卑弥呼の鏡のデザインは
九州説の連中の推す「内行花」や「方格規矩」より「神獣鏡」の方が可能性が高いとしか思えないw
まあ東遷厨はヒッシに三角は倣製で終わったと言っているが
一体なんの話なのか俺にはさっぱり分からんwwwwwwwwwwww
261 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:15:12
ここまでの流れで東遷説の人ってのが中途半端な知識と結論先にありきってのが丸わかりでワロタ
262 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:17:25
東遷説なら東遷のメカニズムを先に論証すべきなんだけどね。
それをしないで、鏡にばかりいいがかりつけてくるからバカにされるんだよ。
263 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:17:31
>>255 だから、それを紀年鏡に当てはめると文様の変遷で後半期になるという致命的な問題があるだろ。
デザインの変遷だけをやるなら、同向式を原初鏡と位置づける逃げ道がある。
しかし、文様の変遷で後半期になることを認めるとすると、239年から400年頃の古墳に分布する
三角縁の9割以上が240年までに作られたなんて説明を要するし、出土状況も説明できない。
それで文様の抽象化による変遷分類は分が悪いから最近は、この点を無視してデザインだけを
いうのがお約束。
しかも、紀年鏡の全部が同向式ということをはっきり書くのもまずい。
△の同向式は10数枚ほど極めて少なく、しかもデザイン変遷から思いっきり浮いた存在だから。
264 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:23:51
>>263 それどの鏡研究者がいってんの?
出典おせーて
265 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:24:21
紀年鏡の同位対比を見てみると、違う年号の鏡の同位対比が近似しすぎていて
同時またはほぼ同時に作られたと推測されるよね。
要するに、日本で同時に作ったんだろう。
266 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:26:47
てゆうか日本で600枚でていて中国・朝鮮からは0枚っていう時点で結論が出ている。
これを否定したら、考古学を根底から否定するのと同じだろ。
267 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:27:37
>>265 え?
同位体って経時変化するのか?wwwwww
また総数かよ
出土状況ばかりみて現物の検討をしない方が考古学を否定する行為
九州から畿内への東征は全部で3回
1回目は普通に神武の頃。2世紀。高地性集落の分布を見れば一目瞭然
2回目が崇神の頃。3世紀後半。銅鐸文化消滅を考えれば一目瞭然
3回目が応神の頃。4世紀後半。九州を統一して、朝鮮まで支配下に置き
その勢いで、歯向かってきた畿内勢力を滅ぼした。2度と歯向かわないように
その後大きな古墳を作らせたことを見れは一目瞭然。
270 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:44:24
しかし仮に全てが国産だとしても
ヤマトである日突然百年も前のデザインのものを大量生産しだすと言うのは
もう正気のサタデーナイトwwwwwwwwww
福永センセイも仮に国産説をとっても西晋秦初七年(271)を下ることはないと明言していたがw
まあ東遷厨の願いとは裏腹に製作地の問題とは別に
制作年代は3世紀と言うのはもうガチっぽいわけだがwwwwwwww
271 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:52:11
272 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:53:32
椿井大塚山古墳にしても、黒塚古墳にしても、棺の中の頭に近い部分に
あったのは画文帯神獣鏡がたった一枚。
三角縁神獣鏡は、棺の外に大量に置かれていた。
被葬者が、画文帯神獣鏡を重要視していたのは明らかだろう。
これから考えても、三角縁神獣鏡は、日本で大量に作られた普及品。
この粗末な扱いは、卑弥呼が魏からもらった鏡とは考えられない。
まあ、葬具というのが当てはまっているだろう。
273 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:58:34
なんだよ、三角ぶちがこけたら畿内説は死んだも同然だな。
274 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:06:18
>>271 鈕孔形状や鋸歯文の更に外にある部分の外周突線(本人命名)
あるいは銘文等々・・・日本の三角には広く一般的に見られ
中国では逆にレアな様式を中国出土のものに求めた場合
北京大営村八号墳出土の「西晋秦初七年」の銘を持つ鏡が下限になると言う話。
詳細は氏の著書を当たってくれwww
275 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:09:11
276 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:17:43
東遷説なんて大昔に廃れた説なのに、いまだに信奉してるやつがいるのか。
しかも無根拠で。
仮に、三角が4世紀でも、東遷説の根拠には全然ならないのにな。
何を勝ったつもりでいるんだろうか?
277 :
日本@名無史さん :2009/12/05(土) 00:20:09
>>269 >>1回目は普通に神武の頃。2世紀。高地性集落の分布を見れば一目瞭然
その時代に高地性集落はありません。それに分布的にはむしろ交易目的。
>>2回目が崇神の頃。3世紀後半。銅鐸文化消滅を考えれば一目瞭然
矛も一緒に消滅してますが。
>>3回目が応神の頃。4世紀後半。九州を統一して〜
古墳の様式から各地の祭祀の集合形態。部武力統一なら九州型のみでないと
おかしい。それにどの話でも畿内勢力は禅譲しただけ。滅んでない。
よって、東征は考えにくい。
278 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:20:51
>>272 黒塚や椿井大塚山は、明らかに『抱朴子』の影響だな。
道教思想をまとめた『抱朴子』に9寸以上の鏡には邪を遠ざける効果があると
されたから、棺外に並べて置いたんだろう。
これは状況から見て明らかだわな。
ただ『抱朴子』が成立したのは4世紀初頭なので、それが日本に来て、日本で実行される
ようになったのは、しばらくあとのことであろう。
なので、畿内説はこれを無視せざるを得ないwwwwww 残念!
279 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:25:36
東遷説が成立するには、まず九州特有の住居跡がマキムクで発見されること。
そんなものはないけどね。
九州特有の武器・鉄鏃の形状が九州特有などの物証が見つかること。
そんなものはないけどね。
九州特有のカメ棺がマキムクでみつかること。
そんなものはないけどね。
280 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:32:14
>>278 で、肝心の中国でその『抱朴子』の内容にちなんで墓に鏡を並べてた
・・・と言う事例はあるのか?
単に「辟邪」と言っても生者が魔を遠ざけるのと
死者の安寧をはかってされるのでは意味が違うだろうに・・・
『抱朴子』は読んでいないのだが鏡の使い方に墓の中並べる事を書いてあるのか?
単に『抱朴子』の成立年代が自説に都合が良く
使えそうだら無理やり引っ張ってきてねえだろうな?wwwwwwwwww
281 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:42:57
>>280 >鏡の使い方に墓の中並べる事を書いてあるのか?
ナルホド。これは良い反論かもしれないね。
しかし、三角縁は大きさが一定方向に志向されていて、それが9寸なんだな。
『抱朴子』に書かれた鏡思想の部分を日本流に適用したってことだろう。
日本流になるまでの機関は当然考える必要はあるわな。
282 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:43:06
まあ仮にだ、東遷厨の精神状態をおもんばかって
三角を全て国産、制作年代も4世紀以後・・・としてもだw
ワケワカランのは魏の年号を持つ鏡が九州からは出ていないってこと。
九州に邪馬台国あったら、いくらんでも一枚ぐらい出てもええんちゃう?w
関東は群馬県柴崎古墳から正始元年の物が出てると言うのにw
やっぱ
「ヤマト王権が九州邪馬台国の過去の栄光をぶんどって
九州にその痕跡のカケラも残さないように紀年銘鏡は配布しなかった」
とかのインボーロンになるんだろうか?wwwwwwwwwwww
283 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:48:09
道教における鏡の呪具視は、はるか抱朴子以前で、安徽省阜陽地区出土の漢簡には、「事到高縣大鏡也。(事到らば高く大鏡を懸けるなり)」とある。
日本における鏡の副葬が道教の影響なのかはわからないがね。この鏡の呪力というのはキョンシー映画まで連綿と続いてる。
284 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:52:28
もはや東遷厨をなだめながら、話を聞いてやってるって感じだな。
285 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:56:00
>>283 それは魔よけとは違うんじゃね?
道教のことを言うのなら、中国で道教が最盛期を迎えたのはいつかということになるが、
それは365年頃、日本で道教の神獣を書いた鏡が最盛期を迎えたのはその少し後と
言うことになりそうだが、4C末葉を三角縁の最盛期にするとぴったりだね。
286 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:57:46
東遷厨は、東遷の証拠を出せっての。
古式古墳発生の母胎は、大和を中心とする畿内の弥生式文化には、ほとんど求められないのにたいし、北九州の弥生式文化からは数多く求められるという。北九州には、成立期の古墳として、なんら不都合のないものがある。
おそらくは、古墳は、鏡、剣、鉾などを墓にうずめる習俗とともに、九州に発生し、畿内で発達をとげたのであろう。畿内における古墳の発生と伝播は、大和政権の成立と発展とに対応している。
288 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:05:20
>>278>>280 抱朴子には、「明鏡の九寸以上なるを用いて自ら照らし、思存する所有ること
七日七夕なれば、則ち神仙を見るべし」。
と、書かれている。
神仙というのは、仙人と同じような意味で、不老不死の能力を持っている。
つまり、不老不死ということから死者復活の願いを込めているのではないか
と思う。
「自らを照らす」ということで、鏡の面を棺の方に向ける必要があるが、
黒塚古墳などは確かそうなっていたと思う。
289 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:07:45
>>285 凶事を避けるという意味で使われてる。道教の最盛期というのは(権力者にとってか一般民衆にとってか)という
のはいわくいいがたいが、あえて言うなら秦の始皇帝の頃かな?抱朴子以前の鏡の話なら探せばかなり出てくるよ。
290 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:10:09
>>286 皇室に伝わる三種の神器は、鏡、剣、勾玉。
弥生時代の九州で重要視され、古墳時代が始まってからは近畿地方など
全国的に広まった。
291 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:10:38
292 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:13:38
>278
抱朴子は道教の知識をまとめたもの。道教の源流は黄布党と五斗米道。どちらも、3世紀のものだ。
五斗米道の張櫓(フォントがない)は、曹操に下り魏の貴族となり、娘は曹操の息子の妻になった。
曹操の近衛軍は、もと青州黄巾党で、曹操が死んだ後、曹否に仕えず姿を消した。
魏と道教の縁は深い。卑弥呼は、その魏の国に使いを送った。
抱朴子の成立年代で決まるような簡単な話ではない。
293 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:15:45
294 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:40:41
しかし「三種の神器」なんて喜んで出してるのは
この板の東遷厨ぐらいなのかな?
「鏡・剣・玉」が九州の埋葬文化であったと言うのなら
それはいつの時代の九州のどの地域で見られるのか
(無論、ある程度は連続して”分布”と言える程度のもの)
きちんと言得るのかって話しw
その上で九州の最新の事例と畿内の最古の事例を挙げて
その両者を時間的に繋げて見せろって話で
もう単に「三種の神器」と言う”イメージ”だけで語られても
それこそ「反証できない=非科学的トンデモ」と言う話だなwwwwww
古くから、玉、鏡、剣は、皇室の象徴である。
ところで、玉、鏡、剣は、北九州の甕棺のおもな副葬品である。
皇室および大和朝廷が、九州におこったと考えることによって、北九州系の玉、鏡、剣が、皇室のシンボルとなりえたことをうまく説明できる。
4世紀初頭に、畿内を中心にはじまる古墳時代に入っても、はじめの一世紀ほどは、三つの宝器を副葬する風習がみられる。
さらに、北九州の酋長の中に、玉、鏡、剣をその権力の象徴としていたもののあることが、文献上にも記されている。
296 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:54:17
>>295 だからイメージの世界はもう良いから
具体的なデータ出してもらえんかね?w
例えばある地域の甕棺の副葬品は
「鏡と剣の組み合わせが○%、鏡のみが×%、玉・鏡・剣の3点セットが△%・・・」
といった風にだwww
まあ確かにハードルの高い注文かもしれんが
三種の組み合わせが九州の埋葬文化であったと言うのなら
「たまたまそう言う組み合わせが見られた」という以上の物が必要だろう?www
もうねその理屈は携帯のストラップが中国製だから
携帯自体も中国製と言ってるに等しいとしか思えんwwwwwwwww
297 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 01:56:41
>>295 明治時代になって、明治天皇が西洋の髪型と洋服を着るようになったのは、
実は、「明治天皇は西洋人だった」からなんですね。
>>297 おまえは都合悪くなるとすぐそれを言うよなw
じゃあ明治はどうなんだってwwwww
関係ないだろバカwwww
299 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:00:35
東遷厨は、東遷という言葉を出しただけでなんかすべてを説明した気になってるようだが、確たる説がある
なら、小出しでよいから東遷の理由、規模、ルートなどを根拠付きで説明してもらえないだろうか。素人なの
でさっぱりわからん。あ、ニギハヤヒとか神武ルートはいらないけどね。
300 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:01:17
東遷厨に聞きたいのはだ…
じゃあ神武東征と言うような史実が無ければ銅鏡と言う文化は
九州以東に伝播しなかったと考えるのか?w
まあ文化の伝播はありうると考えて
まだ正気を保っているのならば
じゃあ文化の伝播と東征による持込との峻別は如何にしてするのか?
そこんとこ脳味噌使って考えたことあるんか?wwwwwwwwww
301 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:02:22
>>298 文化の伝播は、東遷の証明にはならないよ。
302 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:04:46
>>298 ヨコからだが…
実はな、その明治云々と言うお話は今や幻の「騎馬民族説」を批判するによく使われた例えなんだなwwww
まあ自分がどう他者から見られているか少しは分かるかな?wwwwwwww
畿内説が不利になると出すもの
明治時代は云々
騎馬民族説が云々
古田が云々
東日流外なんとかが云々
304 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:11:32
>>300 明治になって、いろいろ変わったが、変わらないものもある。
キリスト教はなかなか普及しなかった。
文化的な物は合理性で変わるが、宗教的なものはなかなか変わりにくい。
ところが、フィリピンはキリスト教徒が多い。アメリカの植民地になって
いた影響だろう。
その意味では、宗教的な意味を持つ銅鐸がいっせいに消え去り、代わりに
鏡が席巻するというのは何か示唆するものがある。
これは単なる文化の変化ではないからである。
皇室の三種の神器が、現代まで意味を持っているのもその証だろうな。
305 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:13:12
>>303 "安本は云々"が抜けてるぞ?
手が震えて書けなかったか?
306 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:13:34
安本が降臨して書けばいいのに。
308 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:14:56
>>304 日本人は、宗教は簡単に受け入れるからなあ。
盆にクリスマスに初詣か。
で、それが東遷の証明になるとでも?
309 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:15:15
鏡とは、光(太陽)を反射させることで対象を映すもの
310 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:17:25
日本のクリスマスは宗教ではなく商業主義。
クリスマスで騒いでも、教会には行かないからな。
311 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:28:13
>>304 >銅鐸がいっせいに消え去り、代わりに鏡が席巻する
ほほう、じゃあその事を証明して見せてくれ。
銅鐸の一斉埋納の時期と銅鏡の出現時期は殆どタイムラグ=ゼロって話しなんだろう?
畿内説の年代観を散々批判しておいてどうやってそれを証明するのか見ものだwww
312 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:45:40
>>311 別に証明するほどのものでもない。
大型化し、極めて発展してきた銅鐸は、古墳時代を前に姿を消す。
古墳時代の遺跡から出土することはなく、古墳から出ることもない。
古墳の上には埴輪などが飾られるが、もちろん銅鐸は全くない。
古墳時代と銅鐸が無縁なのは明らか。それで十分だと思うが。
一方で、古墳からは大量の鏡が出てくる。
また、記紀でも、鏡はよく登場するが、銅鐸は一切出てこない。
313 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:53:11
>>312 ハイ終わり、それだったら「文化の変容」で済む話w
外部勢力が侵入し銅鐸文化を駆逐したと言う構図も描けない。
大体今時全ての銅鐸が一斉に埋納されたなんていうのは正気の沙汰じゃないww
じゃあ有名な山陰の荒神谷や加茂岩倉の銅鐸も三世紀末か四世紀初頭に埋められたんか?wwwwwwwww
で、そこに持ち込まれた鏡ってどんなもんなんだ?w
畿内の話をしてるのに、荒神谷が云々とか言いだすww
不利になると関係ありそうで、実はぜんぜん関係ないものを持ち出す畿内説
>>303 そんだけそろってたら、そりゃ九州説は不利だよw
>>314 関係なくはないでしょ?持ち出されたら不利だからそう思いたいだけ。
317 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 03:24:08
>>314 分かってないなw
「銅鐸の一斉埋納」となると山陰の件も看過できないって話しだよw
まあそれが分からないのがこの板の九州説・東遷厨の連中なんだろうがwww
もし山陰の方を東征勢力とは関係ないと言うのなら完全にダブスタwwww
318 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 03:26:23
出雲じゃ、九州の同剣が埋められてましたねえ。
どういう理由なんでしょうかねえ。
東遷厨は結局何がしたいんだ?
証明するならマジで泥沼に嵌まるだけだろ。
320 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 03:37:41
まあこのネタももう何回もやってて
いい加減既視感 に襲われる人間も多かろうがw
肝心のヤマトでは大型の一途を辿る「突線紐式」の前の「扁平式」で銅鐸のピークを終えちゃってるw
その頃に銅鐸が盛んだったのはむしろ東海、三遠地域。
無論東遷厨にすればそんな事は認められないので
「突線紐式」も「扁平式」も同時に埋められたものとしなければならないわけでwww
出雲の加茂岩倉の埋納銅鐸の組み合わせも「外縁付紐式」と「扁平式」だから
これもやはりほぼ同時期にしなけりゃ辻褄合わないw
321 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 03:46:14
出雲で「外縁付紐式」と「扁平式」が埋納されたとき、
まだ東海、三遠地域では大型銅鐸が祀られてたんだろうか?
気になる。
つまりね
九州に政治中心があったと考えるから東征に矛盾がでる。
畿内が政治中心であったと考えれば東征もわかりやすくなる。
すなわち、対馬國・一大國の反乱。官の卑狗ってのがキーかもしれない。
丹波=伊都説のおれにはそれがしっくりくるな。
323 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:42:56
当時は「大和」という漢字表記なんてまだ無かっただろうしな。
それで日本からの使者が「ヤマトの国から来ました」と言うから
魏の人間は適当に漢字をあてはめて「邪馬台国」って記載したんだろ。
324 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:56:00
>>323みたいなレスを見かけるようになると、長期休みの匂いを感じる。
「季節風物詩」
325 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 11:48:35
まきむくの大型建物の発表後にマスコミに取り上げられた九州説は高島だけ。
しかも高島は東遷説を畿内説のおこぼれに預かった説であるかのように批判している。
安本がでてきて反論するしかしょーがないっしょ。
安本の反論も最近は単なるヒステリーに近いし。
特に3世紀以降の東遷論なんて既に終了してる。
327 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:15:22
そんなに安本1人が脅威なのか。怖いのかww
それなら言おう、安本、安本、安本、安本、安本wwwwww
知名度があるだけにある意味怖いよね、
デマを撒き散らされるとw
329 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:25:20
あこまで自分の説に疑いを持たないのがある意味凄い
いや、ただの商売だから。
331 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:58:34
>>313 記紀の舞台は、高天原→日向→大和と移っている。
高天原→日向は瓊瓊杵尊の天孫降臨。
日向→大和は神武東征。
その記紀に銅鐸は全く登場しない。
つまり、記紀の舞台になったところで銅鐸はほとんど意味のない存在だった。
大型化した銅鐸が主要な祭祀の道具だったのは明らかで、それが記紀に
登場しないのは、皇統がその地域を経ていないことを意味している。
つまり、銅鐸が栄えた時代の近畿地方を皇統の歴史は知らない。
一方で、皇室の皇位継承の証である三種の神器は、九州の弥生時代からの
主要な副葬品である鏡、剣、玉をいまだに引き継いでいる。
これらは、記紀によく登場する。
また、三種の神器は、高皇産霊尊が天降る瓊瓊杵尊に与えたものである。
近畿地方の銅鐸は、廃絶の過程に妙なところがある。
集落から出土することはまずない。人里離れたところに隠したように
埋められている。しかも、叩き割られているケースも多い。
山陰地方のものとは明らかに異なる。
銅鐸廃絶の年代については、土器を伴うケースが少ないので難しいが、
突線鈕5式の矢野銅鐸の場合は、庄内式の前の土器を伴っていた。
一番新しい形式といわれる突線鈕5式が、庄内式の前には埋められていたこと
になる。
同じように、生産も庄内式の前に終わっている。
つまり、纏向の登場という畿内の画期の前に銅鐸の生産・祭祀が終了して
いたことになる。これは古墳時代の前ということでもある。
総合的に見て、銅鐸の終焉は、単なる文化の変化ではない。
332 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 13:23:15
>>331 蘇我氏が出てきたあたりから、天皇が仏教徒になったりしてますが、
中国が東征してきたからですか?
不利になると関係ありそうで、実はぜんぜん関係ないものを持ち出す畿内説
今度は蘇我氏ですか
335 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 13:43:46
>>331が
>総合的に見て、銅鐸の終焉は、単なる文化の変化ではない。
と、書いているので、
蘇我氏以後、仏教が隆盛したのは、単なる文化の変化ではないのか?と、
問いただしているのだが。
弥生時代末の銅鐸の終焉と、
蘇我氏以後、仏教が隆盛したことと、
どう違うのかね?
336 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 15:28:57
記紀に銅鐸が出てくるわけないよ。
古事記の完成が702年、
日本書紀の完成が720年。
「これ何か関係あるんじゃね?。」
と銅鐸第一号が学者の手に渡ったのが、703年。
古事記の完成後や日本書紀作成中に命名された
「銅鐸」という新しい言葉が「昔からの伝承をまとめた書」に出てきたら変だ。
現実にあれほど広範囲かつ大量に出土しているものが「中央と無関係」とは考え難い。
記紀では別の言葉や表現で銅鐸を意味する何かが隠されていると思うよ。
337 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 15:36:06
>>336 >記紀では別の言葉や表現で銅鐸を意味する何かが隠されていると思うよ。
こんないい加減な推定の仕方を科学に持ち込んではいけない。
このようなことをいうから畿内説は脳内説だといわれる。
卑弥呼、台与、倭の五王、アメノタリシホコなど記紀にでてこないものを無関係なものに当てはめようとしている。
そういう脳内説が畿内説。
338 :
ローガン:2009/12/05(土) 16:44:05
>>281 >しかし、三角縁は大きさが一定方向に志向されていて、それが9寸なんだな。
あはは。そらそうですよ。寸法違いは「三角縁」とは呼んではいけない決まりですからね。
他に「鋸歯文」「複波文」はないといけないとか、細かい制約があるでしょ。
それに「九寸超」の鏡なんて全て三角縁以降という訳ではないし。
339 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 17:38:48
>>338 >寸法違いは「三角縁」とは呼んではいけない決まりですからね。
これは誤り。
>他に「鋸歯文」「複波文」はないといけないとか、細かい制約があるでしょ。
これは正しい。
【日本国家成立史】
【日本民族の統一】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代日本
■■■■■■■■
【*】連合体としてのヤマトマキムク王権
【*】筑紫朝による畿内王権制圧
【*】筑紫朝断絶、播磨朝で連合体を調整
【*】磐井と継体が「応神の子孫」を名乗って内乱
【*】継体の勝利、しかし畿内豪族のクーデターで「欽明朝」成立!
■■■■■■■■
各王朝内は男系で繋がり各王朝間は実質女系で維持。女帝は置かれても女系は認められなかった。
【現在125代】
>>338 日本で出た「小型」の三角縁又は斜縁の神獣鏡ってどんなのがあります?
ちなみに私は「全部国産」説で、△縁鏡のデザインは、
既存の神獣鏡の内区に倭風の外区を創作して出来上がったと言うように考えています。
>>152 読んでみたぞ、イワクラ学会。
>「沖ノ島の海上祭祀は三輪山に伝播したと予想される」
>鏡の王国といわれる伊都国を中心とした沖ノ島信仰集団が思い浮かぶであろう。
>私は魏志倭人伝の
>「女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。
>諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す」
>という記述から、伊都国の南にある吉野ヶ里遺跡を邪馬台国に比定したい。
>卑弥呼の思想は外来思想である。
>しかし北九州には、王が出現する以前のアニミズム的な思想も当然あるはずである。
>それが、沖ノ島信仰である。
>卑弥呼が亡くなった。
>「鬼道」対「沖ノ島信仰集団」の宗教戦争に発展した。
>鬼道派の勝利に終わったのであろう。
>その結果、伊都国を中心とした沖ノ島信仰集団は難民となった。
>人々は、故郷の宗像地方に落ち延び、そこから船で新天地を目指した。
>まとめると、
>「3世紀後半に伊都国を中心とした鏡を奉祭する沖ノ島信仰集団が三輪山に向けて移動した」
確認するが、これはあなたの主張なのかい?
反論の機会を与えられない議論はルール違反だと思うのだが。
>>338 >それに「九寸超」の鏡なんて全て三角縁以降という訳ではないし。
kwsk
345 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 19:51:43
>>331 記紀に銅鐸が出てこないことがどうしたって?
そりゃあ東遷説論者に言わせれば邪馬台国のはずの高天原に馬が出てくるからなw
記紀神話に銅鐸なんて出てくるはずもなしwww
一体何処が『総合的に見て』なのか全然分からんわwwww
まあ病気の東遷厨は別格にしてもだw
「青銅祭器によるマツリが途切れることなく連続して行われてきたのだろう」
と言う根拠無き思い込みって結構あるんじゃないだろうか?www
(続き)
三角縁神獣鏡に関する議論 [編集]
三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土することから、卑弥呼の鏡説をとるのは邪馬台国=畿内説をとる研究者に多く、
日本製説をとるのは邪馬台国=九州説をとる者に多い。ただし、日本製説をとる研究者の中にも邪馬台国=畿内説を
主張する者がいる。彼らの中には、三角縁神獣鏡を、卑弥呼の遣使を記念して呉の工人などに日本で作らせたもの
だと主張する者もいる。一方邪馬台国=九州説を主張する研究者は、三角縁神獣鏡全体が(魏の年号が刻まれては
いるが)後世の偽作物であると見なしている。日本製説の研究者からは以下のような疑問点が指摘されているが、
卑弥呼の鏡説の研究者からの反論もある。
>記紀では別の言葉や表現で銅鐸を意味する何かが隠されていると思うよ。
思うのは結構だが、何かを明確にいわないまま自説を正しいと思って書くのはいけないよね。
*何かとは具体的にどれか
*それが銅鐸それ自身であることの証明
について、早く記述してください。
そうでなければあなたの書いていることは、だれかも書いているように脳内なのです。
348 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 19:58:15
>>325 >しかも高島は東遷説を畿内説のおこぼれに預かった説であるかのように批判している。
そりゃあ高島センセイも流石に東遷説なんてゲテモノと一緒にされるのは耐えられんだろうw
・・・で、高島氏で気になっているのはあのセンセイ、九州説のイッパツ逆転の隠し玉として
「卑弥呼の墓」の比定を腹案として持っていたと思うが
(もう公式にコメントされたのかな?)
一体、九州の何処の遺跡でどういった墳墓なのか知っている人いたなら
情報提供をおねがいしたいwww
>>348 いくらでもあるよ。高島がどれと比定しようとしてるのか詳しくはしらないが。
平原遺跡などは有名だよね。三種の神器も出土しているし。
350 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 20:06:11
>>349 そんな、十把一絡げ、一盛りナンボの「いくらでもある」ものには興味はないからwwwww
まあ高島センセイも仮にも考古学者
他の学者の検証に耐えうるものを用意しているんだろうと期待しているんだよある意味wwwwwwwww
>>350 いくらでもある、といっても三種の神器だと3つくらいに絞られるけどね。
逆に畿内に同時期のものがないのは致命的にいたいわけだ。
それゆえにどうでもいし魏志倭人伝と記述があわない大きそうな遺跡を宣伝したくなる空しい気持ちは共有できるけどね。
>>350 やはり吉野ヶ里公園から「見える」ところにするんでしょうねえw
353 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 20:19:29
>>351 >逆に畿内に同時期のものがないのは致命的にいたいわけだ。
ううむ、何が言いたいのか意味がさっぱり分からないが・・・
少なくとも東遷説なら畿内にその三種の神器を埋葬した墳墓が
殆ど同時期に無いとその連続性を証明できないんじゃないのか?
あまり時間が空いちゃうと不味いだろう?wwwwwwwww
まあ信者はがんばって「三種の神器」なんて言葉だけのお遊びでなく
例えばその剣や鏡や玉が同じ系統のものであるとか具体的な検証をして
少しはまともに世に問える内容にした方が良いと思いますですハイwwwwwwwww
354 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 20:29:02
>>353 草をたくさん生やすのは頭の悪い人の見本だよ。
文章も頭の悪さを示して余りあるが。
355 :
ローガン:2009/12/05(土) 21:21:16
>>341 >日本で出た「小型」の三角縁又は斜縁の神獣鏡ってどんなのがあります?
例えば、安満宮山の斜縁二神二獣鏡(15.8cm)とか、西山谷二号の斜縁獣帯鏡(12.5cm)とかね。
鳴門の西山谷のは複線波文帯が無いけど、安満宮山の外区は△のお約束通りでしょう。
> ちなみに私は「全部国産」説で、
無理でしょう?倭の工人が、漢文に長けていたと?
減筆や貨幣経済を理解していないと書けないと思いますがね。
> 既存の神獣鏡の内区に倭風の外区を創作して出来上がったと言うように考えています。
倭風とは何ですか?
356 :
メ:2009/12/05(土) 21:54:08
こっちでは、三角縁神獣鏡、高島センセイの話題かな。
>>348 >一体、九州の何処の遺跡でどういった墳墓なのか知っている人いたなら
>情報提供をおねがいしたいwww
以前、高島氏がテレビ出演していた時、「久里双水古墳」がどうの
行ってたね。
畿内説側の春成氏から小さいとか突っ込まれてたけど・・・w
357 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 21:56:05
なんかもう
阿蘇山の横の盛り上がった丘が卑弥呼の墓!!!
とか言い出しかねんな…九州説論者…
358 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 22:20:53
玄室は火口になったので
全ては闇の中
359 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 22:24:10
卑弥呼=おてもやん説というのもあったな。しかし、おてもやんは嫁入りしているので倭人伝の記述に
合わない。
>>355 内区の文様や銘文は、現物が在ればコピーできるでしょう。
ロストワックス法などのコピー技法も帯方・楽浪との物的・人的な交流により会得できるのではないでしょうかね。
弥生時代からの青銅祭器文化を土台にした倭の工人の技術は低くないと思いますが。
外区で倭風っぽく感じるところは、縁だけが突出して高く、後は内区と同じように平板なところ。
三角縁を持つ漢鏡って、内区から縁にかけて外区部分がスロープ的に盛り上がり、すりばち状に見えるのが多いですよ。
三角縁神獣鏡の中にもすりばちタイプは有るでしょうが、多くは平板タイプじゃないでしょうか?
>>360は私です。
まあ、平板から行き成り高くなるから「三角縁」なわけですけど。
>>359 卑弥呼=おてもやん説は卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命と同じ程度の根拠がない説。
363 :
ローガン:2009/12/05(土) 23:49:16
>>360 >内区の文様や銘文は、現物が在ればコピーできるでしょう。
ですね。では何を写したんでしょう?
364 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/06(日) 00:00:15
>>304 ふと思ったのだけど、正月に車に正月飾りをつけて走る人って、今はもうほとんど居ないじゃないですか。
これって何か宗教が変わった訳ではなく、いきなり廃れてしまった宗教儀式の1つと思えるのですよ。
でも20年前の日本人と今の日本人とでは宗教観が違う、とかいう話にするのは難しそうです。
366 :
ローガン:2009/12/06(日) 00:11:33
でも、安満宮山の青龍三年鏡も凸面鏡ですよ。
367 :
ローガン:2009/12/06(日) 00:18:07
>>367 例えば鏡作坐天照御魂神社御神宝の「唐草文帯三神二獣鏡」
とあるWEBでは以下のような「噂」が紹介されています。
>ご神体は唐草文帯三神二獣鏡と呼ばれているが、実際は三角縁神獣鏡の外区が欠落したものであるという。
>おそらく、いつのころか近くの古墳から出土したものを神宝として祀ることにしたのであろう。
>考古学上、三角縁神獣鏡は舶載品か国産品か今だに決着を見ていない不思議な鏡である。
>舶載品であれば、鏡作部で製作した鏡ではなく、社伝は嘘になる。
私は平縁神獣鏡などの外区を付け替えて「倭風」鏡を作るためのマスタもこのような形にされていたかと思います。
ttp://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/images/h15/030410-ee.jpg
370 :
メ:2009/12/06(日) 00:51:08
河童師匠が「乳」と言い出したら、
あいつも「乳」、「乳」、「乳」、ってシモネタが始まりそうw
結論:河童師匠には三角縁神獣鏡をみせるな!ww
(また、「おっぱい」のときみたいに言い出すよw)
371 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 05:47:46
「三種の神器」が代々継承される皇位の証となったのは8世紀以降だよ。
それ以前は、天皇即位に際し、
「群臣が家の宝物を即位する天皇に貢ぐ」
というのが慣例だった。
持統帝即位の際に忌部氏が「二種の神器」を貢いでいる。
後に中臣氏が三種に増やし、その中臣氏が藤原氏となって天皇家との蜜月関係が深まりその継承が始まった。
それ以前の社会から三種の神器がその氏の宝物として出土したなら、
「皇統の証明」ではなく
逆に天統とは関係の無い
「天皇に貢ぐ立場にあった家々の証明」
にならないかな?。
結局のところ、魏志東夷伝倭人条による邪馬台国の記述は、北部九州のしょぼい
国々を限定的に紹介したものだろう。
その頃は別途、畿内大和の連合大王家が存在し、吉備や出雲、遠くは尾張や群馬
あたりまでの国々と交易がなされていた。
そして、3世紀末頃以降、北九州の邪馬台国連合は、畿内大和の連合大王家に吸収
・併合され、史実から完全に消え去っていった。
これがすべて。以上で邪馬台国問題も終止符です。
373 :
サガミハラハラ:2009/12/06(日) 08:38:41
畿内大和の連合大王家の連合以外は全面的に同意です。
>>372 広開土王碑からも、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅
・新羅を破った事実がほぼ定説とされ、また、七支刀の銘文による
秦(和)4年(369年)にあっても百済から倭国にもたらされた貢物
が大和の石上神社から出土したことも事実としてとらえられる。
卑弥呼の時代よりわずか100年後の出来事である。わずか100年
後の・・
邪馬台国九州説を考える場合、4世紀中後期にそのような強力な国家
が九州に存在していたとは考えられない(考古学的見地)ため、上記の
朝鮮半島との出来事は出土物の物証等からも畿内王朝であったことは、
言いがかりを除いてほぼ断定できるだろう。
九州邪馬台国と畿内王朝が対立していて、4世紀に畿内王朝が九州を
制圧したと考える場合は、九州説が成立するだろうが、そもそも畿内
王朝が短期間のうちに西日本を制圧して、さらに朝鮮半島まで出兵す
ることが可能だったかは疑問です。
よって、3世紀より九州地区も含めた畿内王権国家が邪馬台国連合と
解するのがごくごく自然だと思います。
375 :
ローガン:2009/12/06(日) 09:55:32
>>368 萩原鏡と兄弟鏡が楽浪にありますね。鋳型の傷というより、不良鏡を踏み返したと考えるのが順当でしょう。
三角縁もはっきりボウ製とわかるもの以外は、踏み返しでしょう。
> 例えば鏡作坐天照御魂神社御神宝の「唐草文帯三神二獣鏡」
「鏡作神社鏡」踏み返し工房での試作品程度でしょう。人為的に鏡から切り取った跡、ないでしょ?
>>375 > 萩原鏡と兄弟鏡が楽浪にありますね。鋳型の傷というより、不良鏡を踏み返したと考えるのが順当でしょう。
> 三角縁もはっきりボウ製とわかるもの以外は、踏み返しでしょう。
コピー元のマスタが、何時、何処で造られ、どうやって倭人の手に渡ったかと言うことです。
銘文、紐孔は楽浪風だそうですね。
> 「鏡作神社鏡」踏み返し工房での試作品程度でしょう。人為的に鏡から切り取った跡、ないでしょ?
そうですか?
右下側の欠落は別にして、その他の外周部は私には切り取った痕のように思えますけど。
377 :
ローガン:2009/12/06(日) 12:26:52
>>376 >コピー元のマスタが、何時、何処で造られ、どうやって倭人の手に渡ったかと言うことです。
マスター鏡は洛陽鋳造でしょう。詔により、1ロット 100枚作られたゆえ、大きさ等が揃っている。
この百枚… 魏の朝廷に潤沢な鏡のストックって想像し難いでしょ? 新鏡下賜だと思います。 それを倭で踏み返したものと考えます。
それによる安定供給のマインドが、一古墳大量埋納から見て取れると思います。
378 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 12:34:28
>>377 >マスター鏡は洛陽鋳造でしょう。
・・・図像表現はいじられていませんか。鏡作神社のは、主神が強調された日本独自のデザインだと
思います。
しかし、怖ろしいなあ。黙ってみていれば三角縁が舶載で、しかも卑弥呼に下賜された魏鏡100枚
になってる。こういうのを畿内説特有の捏造理論っていうんだろうな。ああ怖ろし、怖ろし。
381 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 13:52:30
>>379 記紀にでてきていない「銅鐸を意味する何かが隠されている」などといってしまう人種もいるんだもの。
畿内説はカルト狂信者と同じレベルだろう。
>>377 > マスター鏡は洛陽鋳造でしょう。
ローガンさんは楽浪特鋳説を採らないのですね。
洛陽製だとすると方形紐孔がネックになりますよ。
本土風の半円形紐孔の△縁鏡が見つかっていない以上、
現存する△縁鏡は全て国産踏み返し鏡と言うことになります。
>>382 方形紐孔の方が洛陽の尚方で作られた可能性が高いみたいよ
384 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 16:24:50
中国、朝鮮から一枚も出ていなくて日本でのみ600枚近く出ていることで
すでに「完全な結論」が出ているよ。
この点に反論せずに舶載説を主張することのバカらしさ。
まるで600対0でサッカーの試合が終了して、50年経過しても再試合を要求し続けるサポーターのようだな。
「435点目にハンドがあった。あれで流れが変わった。」
舶載説のやっていることはこういうことだろ。
385 :
ローガン:2009/12/06(日) 16:37:24
>>382 >本土風の半円形紐孔の△縁鏡が見つかっていない以上、
甘露4年 右尚方作獣首鏡 … 確か長方形孔だったでしょ?手元に資料が無いので違うかも知れないが。
386 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 16:41:52
>>384 トチ狂ったような例え話を、よく平気でするな。
感心するぜよ。
600対0でサッカーの試合を成立させるには、9秒に1点とらねばならないと言う不可能な試合。
50年後に再試合なんて、当時全員二十歳でも、既に全員七十歳と言う高齢者。
全て有り得ない例え話だ。
387 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 16:45:58
>>386 舶載説がありえないということのたとえ話だから、あっているだろ。
>>387 勝手に試合終了とか1点取られると逆転されるサッカーなんて例え話に
なってねーよwwwwww
389 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 16:57:50
・テリヤキバーガーはハンバーガーの一種である。
・ハンバーガーはアメリカ発祥の食べ物である。
・テリヤキバーガーは日本だけで食べられている。
・したがって、テリヤキバーガーはアメリカで作られて日本に運ばれた舶載食品である。
391 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:02:30
中国で△が一枚たりとも出てこないことの説明をしない限り△の舶載説は
スタートラインに立てないってことだ。
そこでだ。
△は全部日本向けの「特鋳」であったというのはどうだ。
これなら天皇特注説でも蘇我氏特注説でも前方後円墳特注説でも何でも説明できるぞ。
なにせ「証拠はいらない、特注だから」という万能性があるからなww
392 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:03:18
393 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:32:27
鏡はたぶん受注生産だろうな<特注ってほどではない
394 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:41:55
>>385 >甘露4年 右尚方作獣首鏡 … 確か長方形孔だったでしょ?
福永センセイのまとめた一覧表を見る限りそうみたいだね。
(五島美術館所蔵らしい)
>>382 >本土風の半円形紐孔の△縁鏡が見つかっていない以上、
魏の年号を持つ鏡は前述の一覧を見る限り円(半円)の鈕孔形状のものは黄初二年(221)〜四年(223)で
青龍三年(235)以後、景初・正始・甘露と殆ど長方形みたいだw
恐らく洛陽周辺の鏡の技術の系譜としては長方形のものがいわば「保守本流w」であって
どうも円(半円)形状のものは戦乱で荒廃した都がまだ銅鏡製作まで手が回らずに
呉地からの輸入に頼ったっぽいw
(無論、魏と呉の蜜月時代は過ぎていたろうが、じゃあ二国間の物流が全てストップしたと言うものでもないだろうしw)
どの道日本で出土するものが長方形のものであっても何ら問題ないのでは?
もし問題になるとすれば景初あたりまで円形のものが続いていたと言う状況があった場合だろうと思うが…
てか…「日本で500枚以上中国で0枚!これで決着してる!」
とアホの一つ覚えの繰り返しのサイキバ君レベルの馬鹿
もう何とかならんかね?wwwwwwwwwwwwwww
やはり、△鏡は舶来鏡でなく国産鏡である可能性が高い。しかし、△鏡が舶来鏡か国産鏡
かという論点ではなく、「銅は徐州で取れ、製作者は洛陽の人」と刻まれた、景初3年・
正始元年の紀年鏡が島根県から群馬県までの範囲で広く時の権力者により配付されていた
事実が大切である。
権力の象徴として地方に配り、受け取る側も、その鏡を受け取って、その地の支配権力を
強化しただろう。
現在でも、価値あると感じられる物のみがコピーされ、贋物が出回るのであって、価値
ない贋物は出回らない。
邪馬台国が九州であったならば、群馬あたりまでと交易していた考古学的な物証が必要です。
396 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:44:38
>>394 ていうか、500対0で舶載説がありうると信じているほうがブラジル勝ち組と同じでキモいんだが。
わからんなあ。まず鏡作神社の三神二獣鏡は乳と神獣の位置から、王仲殊氏の論文集中の「岩窟
蔵鏡」に掲載されている斜縁二神二獣鏡の系統と考えられること。しかしながら、この鏡には中国の
意匠としてはほとんど見られない笠松文様(おそらく節を表したもの)が入っていることから、倭国で
デザインされたとも考えられること。さらに、、侍仙が捧げる笠松文様で西王母が修飾され強調されて
いることも倭地制作を裏付ける証になるだろう。これがさらに、ヘボソ塚古墳や長塚古墳出土のもの
になるとますます西王母が強調されて巨大化し、それに押されて唐松文様が消えてしまう。
またこの鏡は、鈕孔は両孔ともに鋳放しのままで、孔内に砂型とみられる土塊が付着していた。
・・・踏み返しとか何を言ってるのかわからない。
>>395 >邪馬台国が九州であったならば、群馬あたりまでと交易していた考古学的な物証が必要です。
全然必要でない。
邪馬台国は魏と通商していただけで日本列島内では九州を中心としていた小国であってかまわない。
399 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:49:39
>>369 アンタの顔色うかがいながらレスをしているわけじゃないだろうから
キモイと感じようが感じまいが、関係ないのでは?
そんな感情を書き込んでも意味ないと思うのだがどうだろう。
400 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:51:49
>>396 「500対0」を繰り返すしか能のないアホは三角の問題に口を出さない方がいいと思うぞw
「中国で0枚」…よろしい、では
そ の 分 母 は一 体 い く つ な ん だ ?
例えば中国で100枚ぐらい出ていて何れも三角ではない
それなら 0/100 でそれなりに説得力もあるだろうが
魏が短命であり尚且つ薄葬であった背景があり極めて出土例が少ない
それでも「 三角縁 」では無くとも神獣鏡は出ているという状況があれば
三角縁神獣鏡の舶載説を否定するほうが馬鹿げているwww
まあ、こう言ってやってもアホは今後とも「500対0」を繰り返すしかないんだろうがwwwwwwwwwww
401 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:58:39
>>400 貴方の論理は、
・テリヤキバーガーとよく似たものがアメリカで「サムライバーガー」の名前で出回っている。
・サムライバーガーはアメリカでは近年になって発売されしかも売れている数は少ない。
・したがって、テリヤキバーガーはアメリカで生産して日本に舶載された食品であることは明白である。
という理論なのですね。
おかしくありませんか?
畿内説の人って屁理屈が多いね
討論にならんよ
403 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 18:57:00
>>400 そうだそうだ!
舶載説はばかぢゃないぞ。
舶載説をいぢめたら先生に言いつけるからな。。゚(つ゚´Д`゚)つ゚。
404 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 19:16:35
今更、何処製の鏡かどうかなんて
どっちでも良いわ(笑)
405 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 19:24:36
>>404 △が舶載とはいえない以上、卑弥呼の鏡が特定できない畿内説は崩壊しました。
>>395 ただ呉の年号の鏡とかある以上
例え舶載説をとるにしろ倣製説をとるにしろ
倭人が「景初」や「正始」の年号に特別な意味を見出していた
…という前提・思い込みは一度捨てた方がいいんジャマイカ?wwwwwwww
407 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 20:01:34
いまだに舶載かどうかが議論の対象になっていること自体が恥ずべき状況だな。
408 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 20:15:49
今更、いくらでも複製可能な鏡の話を持ち出さないと
精神的に苦しいのか?九州説論者は…?哀れ
>>402 妄想ばかり考えてる人にはそう聞こえるのでは?
410 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 20:56:33
>>408 いくらでも複製可能なら、自分でつくってばら撒いて「これが卑弥呼の鏡だ」といって
周りを信用させてみ。
411 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 21:32:42
413 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 21:45:52
>>412>>413 腹が立ってファビョるのは良いが、レスは一つにして書こうぜ。
糞レスの連投は見てて哀れにしか見えん
415 :
413:2009/12/06(日) 22:29:13
書くほどのことでもないが、412 とは別人だ。
その程度も見抜けないと、「銅鐸を意味する何かが隠されている」などという基地外と一緒にされてしまうよ。
417 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 22:50:06
「銅鐸を意味する何か」
サービスで当方からバラ蒔く試食は無料だ
そんなに旨ければ、
金を出して商品を買ってくれ
みんなそうしてるんだから…。
で、東遷説の人がかなりの自信で推していた
イワクラ学会はどうなった?w
420 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 23:13:12
九州説破綻のせいか、
ネタスレ化してきたな。。。なんか寂しいな
>>419 イワクラは、卑弥呼の時代よりずっと以前の話。
古モンゴロイドは日本本土にはほとんど残っていない。
422 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 23:46:05
三角縁神獣鏡は、複数の鏡が出てきた場合に、枚数が多くて扱いが粗末と
いうことに尽きる。重要視されているのはいつも他の鏡。
椿井大塚山古墳、あるいは黒塚古墳を見ればわかる。
福岡県の一貴山銚子塚古墳からも10枚の鏡が出てきたが、頭部にあったのは
内行花文鏡と方格規矩四神鏡で、8枚の三角縁神獣鏡は両脇にあった。
葬具として国内で大量に作られたものと考えるのが妥当だろう。
ちなみに、この内行花文鏡と方格規矩四神鏡は手馴れというか手ずれがひどく
かなり長期間にわたって(200年程度)使用されてきたと認められている。
これを考えると、三角縁神獣鏡の年代にも疑問があるな。
423 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 23:50:58
>長期間にわたって(200年程度)使用されてきたと認められている。
認められてないよ。巧妙に嘘を入れるなよ。
425 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:18:20
426 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:22:46
427 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:23:53
見てお分かりのとおり、本当を嘘と言いくるめば言いくるめられると思うのが畿内説。
しかし、嘘は何百篇言おうが結局は嘘でしかない。
まともな畿内説の人はいないのかね
毎回同じ奴が嘘だデタラメだと適当なことばかり言って討論にならんよ
429 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:37:22
430 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:40:19
マキムク以来スレの伸びが著しく、最近はそれも鈍ってきたが、ROMっている人は相当多いはず。
畿内説が論者どころか野次将軍でしかないことを見て、「やっぱりマスコミは」と思っていることだろうね。
>>422 こうした事例から導き出されたのが伝世鏡という概念なんだがね
伝世鏡を認めなければ漢鏡≒三角縁となって東遷説即死な訳だがw
東遷説の人の方こそ畿内説に難癖付けてるばかりで
「論」など述べていないがね
あと、漢鏡と三角縁の扱いが違うからといって
三角縁を国産だなどと主張するのは論理に飛躍がある暴論
432 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 01:03:21
>>431 >鏡と三角縁の扱いが違うからといって三角縁を国産だなどと主張するのは論理に飛躍がある暴論
どこが暴論?当時の先進国である中国のものを大事に扱いその質の悪いコピーである国産品を
格下に扱うのは当然の論理だと思う。そうでないと想定するほうが論理の飛躍。
このように畿内説は誤った論理をも論理だと言いくるめる嘘が常習になっている。
433 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 01:05:59
>>431 三角縁神獣鏡の伝世理論は、卑弥呼の時代と三角縁神獣鏡の出てくる古墳の
時代が違っていたのを単にこじ付けただけ。
その証拠に、三角縁神獣鏡の出てくる古墳の年代が遡って、前期古墳という
ことになったら、消えてしまった。
>>385 > 甘露4年 右尚方作獣首鏡 … 確か長方形孔だったでしょ?手元に資料が無いので違うかも知れないが。
>>394 > 魏の年号を持つ鏡は前述の一覧を見る限り円(半円)の鈕孔形状のものは黄初二年(221)〜四年(223)で
> 青龍三年(235)以後、景初・正始・甘露と殆ど長方形みたいだw
ハァ、そうですか。
洛陽焼溝漢墓出土鏡では、ほとんどのものが半円紐孔だとうろ覚えしておりました。
ソースが定かでは無いのですが「奥野」氏系統の文献で見たように思います。
ただ、魏代以降の紀年鏡ですが、例えば安満宮山と太田南の青龍三年方格規矩四神鏡とかと
同系の河北省大営村晋墓出土鏡(泰始七年の墓碑と共伴)は半円紐孔のようです。
>>433 年代が合致してしまったんだからいいじゃないかw
鏡を重視しなくても、畿内じゃないと考えられなくなっただけ。
>>432が暴論の典型的見本だな
古代に生きた人々の思考については文字資料に残されなければ推測するしかない
そのような事柄に対し「当然の論理」と断言している時点で歴史を語る資格はないな
自分の考え=古代人の考えではないということを自覚しろ
この件について学問的に正しい方法は、
確実に舶載品と国産品が副葬品として共伴する別の品目で
明らかに舶載品よりも国産品の扱いが低いという事例を積み重ねていくことだ
そうした積み重ねが示されて始めて
扱いが低いと考えられる三角縁を国産品とする推論を
議論の俎上に載せることができるようになる
>>430 散々マスコミを利用してきたのは九州説じゃないの?
吉野が里の騒ぎや映画やら…
438 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 01:47:34
>>433 三角縁の伝世論はもともと魏晋鏡=3世紀と考えられていた三角縁を古墳時代開始4世紀説に合わせるために小林行雄が捻り出したものだな
つまり三角縁の伝世論を否定することは古墳時代開始4世紀説、すなわち安物心理学者のセンセイがしがみついている年代観の考古学からの根拠の否定ってことだ
当然、東遷説は即死w
439 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 02:31:18
>>435 年代が合わないから、合うような理論(伝世鏡理論)を考え出した。
ところが、それでは足りずに、今度は合うように年代を遡らせた。
ということだろう。
もともと、年代が合わないから伝世鏡理論が考え出されたわけだが、
畿内説がいかに年代合わせに四苦八苦しているかが良くわかる。
卑弥呼の墓に合わせるために箸墓の年代がどんどん遡っていったのと
共通する。
また、四世紀といわれた纏向の年代が遡ったのとも共通するかも。
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でない場合、今度は三角縁神獣鏡が出てくる
古墳を前期古墳としたことによる年代がおかしくなる。
440 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 02:36:09
単純に思うのだが、
墓に埋葬する物って、その時に作る物か?
普通、生前若い頃から使ってた思い出の品とか
愛用品を埋葬するだろ。
441 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 02:37:30
まあ、畿内説は以前の定説に比べて、年代を遡らせているわけだが、これは
いったいどういう根拠に基づくものか。
それを考える必要がある。
100年ほど遡らせたほうが畿内説にとって都合通いというのはずっと前から
言われていた。でも、実際に遡ったのは10年ちょっと前くらいかな。
その根拠は何か。実は、年輪年代だった。
これに飛びつくしかなかったんだろうな。
442 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 02:42:30
>>440 出土するもののうち、最も新しいもので年代を決めるというのが常識。
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。
遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。
「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)
この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。
日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。
これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。
608年4月 裴世清ら隋使一行が筑紫に到着
同6月 難波津に到着、一行のため高麗館の傍に新館を建設
同8月 京に到着、大伴連が出迎えて国書を天皇に奏上
同9月 裴世清が隋に帰国、小野妹子は大使として随行
この行程からも、裴(世)清ら一行のヤマト入りは、九州であった
はずはなく、当時の実力者(王)は推古天皇ではなく、実質的には、
嶋大臣の蘇我馬子(天武系の人々に後に卑しい命名がなされ歴史
から抹殺)であった。
444 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 08:15:09
>>436 そんな事例はググレばいくらでもあるんだがね。
また△が国産というのは、そもそも日本でしかみつからないという事実からも導き出されている
命題でそれから目をそらせようと姑息な手段を使うこと自体が暴論。
>>439 そりゃ新しい発見が有る限り年代感は変化するでしょ。
別に畿内の巻向だけが変わる訳でもない。
河内、宮崎、徳島全て変わっるし。
最近5年前位から関心を持ったものとすれば、
鏡がそんなに重要とも思えないし。あくまで出土品の一部でしょ。
むしろ水銀とかの方が重要だと思う。
447 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 09:06:38
そもそも板違いだと思う。出土品の鏡を議論をするなら考古板があるのだから
そっちでやれってな話しで、マジ迷惑。
しかもここは邪馬台国スレなんだし
困ったものだ。
448 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 09:19:21
△が国産であるか違うか何て言うのはどうでもよくて、それを
ここで取り上げるなら、考古板で結論出してから持ってこいと言いたい。
上で出てきた、ローガン や うましか というコテが悪いな。考古板へもいけないような半端な知識、
特に うましか というやつはググった程度の知識で底浅いことを語ってる。鏡作神社鏡のことなど
まるで違うし、困ったものだ。
>>447 今までも鏡の話は何度も出てきたが結局何もわからんだけだしな
そもそもヤマタイってなんだよ。ヤマトでいいだろ。
なんで本居宣長のナショナリズムによって命名された呼び名を使うんだ。
「邪馬臺なり」
↑普通に考えればヤマトだろjk。
この国や文献のどこに他にヤマタイなんて言葉があるんだ。
ヤマタイだとイミフすぎるだろ。
>>450 魏志倭人伝も何度も取り上げられてるけど、結局何もわからんだけだしな。
453 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:13:52
>>451 「ヤマト」は、大倭→大和←ヤマト と言う
音と文字の関係がある。
だからそこに邪馬臺なんて文字が入り込む余地なんてない。
だから
邪馬臺とヤマトは、切り離して考える可きだ。
>>453 いや、そこで邪馬臺は架空の九州王朝だというのも入り込む余地なしに思えるんだが。
もっとも自然に読めるヤマトを切り離してまで考えるに値する文献やら地名やらってあるっけ?
455 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:33:57
大倭大和をヤマトとの発音ですが、大がヤマなのでしょうか、ヤなのでしょうか?
倭および和がマトなのでしょうか、トなのでしょうか。
>>455 山=ヤマ
倭(和)=ト
もともとあった「ヤマト」に当て字したもの。
457 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:36:42
>>454 邪馬臺って漢語だし
漢語の邪馬臺と日本語のヤマトを結び付けるには、その間に日本であてた漢字が必要になる。
邪馬臺とヤマトを仲介する漢字がない限り、邪馬臺とヤマトを同じテーブルにはのせられない。
それに、ヤマタイの音を邪馬臺と写したと言うのも
日本人が言ってるだけで
なんの根拠もない話し。
邪馬臺は、どう転んでも漢語だし、漢語である以上表意。
>>455 それは熟字訓だから、「大倭」の2字で「やまと」と読む。区切ることはできない。「土産」を「みやげ」
と読むなどと同じ。
>>457 ?邪馬臺の発音はヤマダ・ヤマド
に近いとも言います。
(臺と台は元々異なる漢字
臺はd∂g、台はt∂g、上古音、但し異なる
説あり、「漢和大字典」藤堂明保編・学研
による)
少し時代が下るとヤマトと
発音されたようです。
したがって邪馬臺と大和は
ヤマダ・ヤマド→ヤマト
で同じ音ということになります。
隋書倭国伝に日出ずるところの天子の国が
「邪馬堆にみやこする」とありますが
邪馬堆(つまり大和)と邪馬臺は
ヤマトで同じ音です。
甲類乙類の音の区別(堆と台)も
一致します。
460 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:48:52
邪摩堆って書かれてるのもあるよな
461 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:51:00
>>458 それが塾字訓であると何処に書いてあるの?
>>461 常識だ、アホ。自分で枕詞や縁語などを調べろ。
464 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 11:00:30
>>459 漢語に音は関係ないよ。
音の前に表意。
音を漢字音に写すなんて言う行為は、そもそも文字を持たない地域が、他国の文字を使い、自分の地域の音に重ね文字にて記録する行為。
文字を持ってる地域がやる事ではない。
465 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 11:02:07
>>463 何時の時代の目線で話してるんだよ?
時代錯誤も甚だしい。
>>465 どこまでアホだ。倭人伝の時代なら、倭では漢字など使ってない。邪馬臺なら、当時の音で中国語
読みすべき。ま、そこは論争中だが。
467 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 11:13:17
>>466 倭人伝を何語で読むか何て、誰も知らないのに
中国語って決め付けて、古代の音を探るって?
イミフ
468 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/07(月) 11:14:30
>>464 同意
「邪馬臺」「邪靡堆」、どちらも丘台地にあった都を表していると思われる。
低地や平地ではない。
469 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 11:24:22
>>468が一番この中でまともかな?
しっかり漢語として向き合ってる姿勢が見えるし。
漢語は音の前に表意。
試しに倭人伝を朗読して中国人に聞かせてみろってんだ
誰もチンプンカンになるから
470 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 11:31:07
ううう、もしかして河童? いやだよう。帰れよう。いなくなれよう。うううう。
471 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 12:13:17
再び鏡の話で恐縮だが…
当時の航海技術で銅鏡100枚を船で無事に届けるって安易な事だったの?
472 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 12:35:19
>>471 それは誰もわからない。
想像で語る事はできるが、それは何処まで行っても想像だし。
>>428 このスレの畿内説はローガンと植草(www)の2人だけだね。
植草が毎回必死に自演するのを生暖かく見守るスレになっている。
あれ?九州説はスレ分けたんじゃなかったっけ?
なんでこっちにいるん?
475 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 13:25:32
博多でも北九州でもいいけど
ここから水行20日で大阪までこれる?
しかもこの間の記述全くないんですけど
476 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 13:37:50
瀬戸内海だし余裕
投馬が丹波ならもっと余裕
477 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 13:41:51
>しかもこの間の記述全くないんですけど 行ってないんだよ。単に。
478 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 13:49:03
志賀島や宗像の海人に水先案内してもらった可能性ってあるの?
>>478 可能性なんてない。
「したか、しないか」のどちらか。
480 :
ローガン:2009/12/07(月) 16:11:07
>>382 >ローガンさんは楽浪特鋳説を採らないのですね。
尚方「漢代少府の属官。天子の御刀剣、玩好の器物を作るのを掌る。漢末に尚方を分かって 中左右の三尚方となし魏晋はこれに因る」(通典二七職官九少府監)
詔に基づいた鏡作りなら尚方で行われたものと考えます。
481 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 16:24:22
まあ、官制工房を用いないというのならその理由が必要でしょうね。また、答礼品は都城で封印されて
出て行くはずで、途中から加わるというのは当時のシステムとして考えにくいでしょうね。
>>464 魏書に載ってる他の国についての記述を読んでないからそういう妄想ができるんだな。
483 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 16:35:58
河童だからしかたがない。
484 :
ローガン:2009/12/07(月) 16:37:26
>>397 >この鏡には中国の 意匠としてはほとんど見られない笠松文様(おそらく節を表したもの)が入っていることから、倭国でデザインされたとも考えられること。
勿論、頭から否定は難しいですがね。傘松文様が倭オリジナルではないでしょ?高句麗の漢人墓の壁面にありますよね。
>ヘボソ塚古墳や長塚古墳出土のものになるとますます西王母が強調されて巨大化し、それに押されて唐松文様が消えてしまう。
これは、知らなかった。調べてみます。
> またこの鏡は、鈕孔は両孔ともに鋳放しのままで、孔内に砂型とみられる土塊が付着していた。
>
紐を通すつもりがなければ、処理もしないし、中子が放置されても問題ないのでは?
485 :
ローガン:2009/12/07(月) 16:53:25
>>441 以前の年代観に戻っただけ。倭国乱=第W様式末とした編年案は言い出した本人が撤回しましたよ。
>>433 伝世理論がこじつけなら、あなたは和泉黄金冢の景初年号鏡をどう考えますか?
486 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 16:59:53
>>484 ははは、丁寧にレスを返されますね。私は畿内説です。福永らによる研究は精緻なものですが、見落としている
部分もあります。鏡作神社の鏡は、明らかな倭国デザインです。この系統は私の研究ではさらに2系列に分かれ
いずれも西王母像の大型化が見られます。明らかに、卑弥呼あるいは台与を意識したものです。調べて見てくださ
い。一目瞭然です。
487 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 17:10:36
>>482 他の地域の音を、表意を無視して漢字音で表しているものなんて
初耳だな
一体魏書の何処にそんな?
また板違いの鏡?いい加減にせーや。
489 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 18:07:54
国の規模捏造説です。畿内まで役人が実際に喜んで行ったんでしょうか? 公務員見てると自分の手柄にする為に数字をでっち上げるしカラ出張。行っても北九州まで。権威が通じるのは、倭人の土地北九州まで。護衛も少ないし!役人なら 危険は犯せない。邪馬台村は北九州にあった
490 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 18:17:18
>>444 >また△が国産というのは、そもそも日本でしかみつからないという事実からも導き出されている
>命題でそれから目をそらせようと姑息な手段を使うこと自体が暴論。
また意味の分からない事をw
中国で同型のものが見つからないと言うのは
中国製であるという決定打がないと言う話であって
それで日本製と言う結論になるわけねえだろ馬鹿がw
個人的には倣製・舶載いずれか決めかねているが
九州説論者のこの牽強付会はどうにかならないもんかな・・・(苦笑
491 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 18:23:35
邪馬台村には 有名なシャーマンがいるので付近に信者がいたので 統一感はある。倭人と同族なので危険も少ない。奥地に行けば行くほど魏なんか聞いた事ない獰猛な部族もいるのに。俺なら噂を集めて、報告書書くわ!邪馬台村でも、黥面黥身の輩やぞ。
>>490 九州説論者なんてどうでもいいから、おマエら板違い。
考古板に移動しろよ!!
493 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 18:40:01
>>492 まあ自分が興味のない話が続くのは面白くないのだろうが・・・
考古学板のローカルルールに「邪馬台国は日本史板」と明示してあるからなw
出土物について一切語るなと言うのなら東遷説教信者が三度の飯より好きな
「三種の神器」も持ち出すなって話でwww
実際そんな分離は無理だろうなwwww
そんなに気に入らないのなら
この板の自治がどうなってるのかは知らんが
お前が提訴してローカルルールの変更その他までこぎつけてみればいいんじゃないのか?w
>>493 必死の自己弁護惨め過ぎwwwwwwwww
正直いうと△鏡が何処産であろうがもはや大勢に影響ないでしょ。
女王の都は100%九州には無いですから。
496 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 18:59:24
>>492 もっと丸くなれよ丸く。
好きな事語らせてやればいいだろう。たいしたスレでもないんだから
自由に気ままにいこうぜ
497 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 19:11:18
>>480-481 「右尚方」の銘があっても必ずしも官営工房で作ったとは限らないんじゃなかったっけ?
確か兵器の連弩かでそう言う事例があったと思うが…
だから「右尚方銘」ってのはあくまで 右尚方プロデュース であって
実際に作ったのは外注先でも良かったんじゃね?wwwww
それとも、やっぱり新たに冊封した国への下賜品ともなれば外注生産ってのは不味いのかな?w
498 :
ローガン:2009/12/07(月) 20:38:02
>>497 >確か兵器の連弩かでそう言う事例があったと思うが…
その事例は知りません。「尚方」なんだから、実際の兵器は作らんでしょう?
499 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 20:42:46
三角は、磐井の女王卑弥呼の甥「斉王」が魏の皇帝に即位した記念に造らせた贈答用の品。
畿内の諸王に贈ったら珍しいと評判になったので、その後もことあるたびに鏡を贈る習慣ができた。
最初は呉で造っていたけれど、生産が追いつかないので職人を呼び寄せ、国内で造るようになった。
希望者には朱と交換したので、女王は大朱持ちになったというのが真相。
500 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 20:59:05
628 名前: 九州説の帝z 投稿日: 2009/12/07(月) 20:44:36
続いて少し畿内説の否定でもしてやろうかいの。まず箸墓は卑弥呼の墓ではない。これはやはりこのスレ
でよく出てくる鐙の問題から入ろう。箸墓が布留Oであることはもはや共通認識といってよかろう。布留0の
年代観には諸説あるのだが、研究者によって幅があるのは土器片年の宿命。歴博のように誤差幅の大きい
c14などで、箸墓の年代を20年単位のピンポイントで絞り込めるなどということは絶対ありえん。それが証
拠に従来からの畿内説の考古学者で、この数字を積極的に利用しているものは少ない。これには関東ー関
西の反目もあるだろうがの。で、問題の輪鐙は周濠の堆積土から布留1の土器とともに出土したのじゃが、
調査に当たった橿原考古学研究所自体が、遺跡の擾乱ではないと認めておる。この堆積土はおよそ30年
程度分と見られており、つまり築造後30年以内に埋まったということじゃ。布留0−1の年代幅もむろん諸説
ある現状だが、30年1世代は妥当であり、研究者の多くは布留1を3世紀最末ー4世紀代にとってある現状
から照らして、箸墓の年代は3世紀半ばにかかるほど古くないことになる。
鐙の発達史にはここでは触れないが、これを4世紀初めと見ても、本邦ではオーパーツ的に古い発掘例である
のは間違いない。しかも、この鐙は使い込まれ、破損したために遺棄されたとも見られるのだ。wwwwwww
501 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 20:59:28
>>497 >確か兵器の連弩かでそう言う事例があったと思うが…
似たような話を何かで読んだ記憶があるなあ・・・ソース希望。
官営工房で作ったものは当然「尚方」と書かれ、官営でないところでもプロデュースなら
「尚方」と書かれるのであれば、△に「尚方」がないことは、舶載説に不利ではないか。
それ以前に中国から1枚も出ない△が日本で600枚近く(百種以上)が出土していることを
説明できないと、舶載説は議論のスタートラインに立てないけど。
503 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:08:03
>>499あんたすごい!凄すぎる。
誰も付いてくれない。w
504 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:18:41
「磐井」の一語が怖い。
505 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:19:53
630 名前: 九州説の帝z 投稿日: 2009/12/07(月) 21:13:10
続いて人口問題をやろうかいのう。まあ、上レスの300万は言い過ぎかもしれんな。しかしYからの移籍で
少し驚かす必要があったからの。上記608の小山氏は近年、弥生末の人口を60万から100万オーバーに
改めたのだが、これは1980年代の推計以来、新しく発見された九州の遺跡を加味した分が大きい。
畿内説は吉野ヶ里の例を取り上げて、やれ弥生末は衰退期だとぬかしおるが、それは環濠内部が衰退して
おるだけで、人口自体は大きく増えているはずだ。これは九州に限ったことではないだろうが、九州が特に
大きいのは、やはり渡来人のことを考慮しないわけにはいかんのだ。環濠解体の要因は卑弥呼の共立によ
り戦乱が終結したからに他ならない。環濠の解体は全国規模で見られるものだが、これは先進地である九州
に倣ったものだと今は説明しておこう。実際はそう簡単な話ではないだろうがな。
で、渡来人だが弥生時代全般を含んだ人口増加率は約0.4%を越え、これは近代以前の社会でも類例を
見ない高さであり、これは内的要因によるものではなく、日本列島外からの移住によっておこったと考えるし
かないのだ。そしてこれらの人々が九州邪馬台国の牽引車となった。どうだ縄文人でないことは理解しても
らえたかな?縄文人にこの一連のレスはできん。wwwwwww
506 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:22:59
>>504魏は斉王の国なんだから、邪馬台国は磐井に決まってるだろう?
507 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:34:00
608 名前: 九州説の王 投稿日: 2009/12/07(月) 16:18:37
>>607 Shurrup! Go back home. little boy.
私は縄文人ではないといっておるだろうが。このようなことを信用できないのであれば、掲示板から去る
ことだな。私は王であり大元帥、縄文人はせいぜいいって佐官程度の存在だ。器が違う、器量が違うのだ
よこの低脳!!
九州以外の人口40万というのは、むろん調査された数値ではなく、鬼頭宏氏による弥生時代の人口推計
に基づく。これは、鬼頭氏が弥生時代部分を国立民族学博物館の小山修三氏に依頼して作成されたもの
で、当時の遺跡分布数に基づいて試算されたものだ。私の分析によればこの、本州・四国部分はそれなり
に正確であるのだが、吉野ヶ里以前の推計であり九州の遺跡数をあまりに低く見積もりすぎている。九州の
中部、南部の現時点での遺跡を総点検し、再計算したところによる人口はおよそ300万である。これは人口
増加率として他の時代と比べて不自然に高いが、大量の渡来人が流入したと考えれば全く不思議でjはない。
九州の先進性は、この渡来人達によっても支えられていたのだよ。
509 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 21:41:50
>>509 だから関わりたくないっつってんだろボケが。
こいつ最初から論を交わしたいような書き方してねえだろが。
いちいち煽りにくんなクソが。
みんなでソロモンの笛を吹くんだ。
私は怖いから隠れるわ「テクマクマヤコン てくまくまやこん シッポナになあれ」
こんな化け物は、私が退治するわ 「ムーンライトパワー」
今日の読売新聞夕刊(大阪版)に『混一疆理歴代国都之図』
日本が変?!最古級の世界地図復元
現存最古の世界地図の一つとされる「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだい
こくとのず)」(龍谷大学大宮図書館所蔵)を、龍谷大の岡田至弘・理工学部教授や濱下
武志・研究フェローらが高性能デジタルカメラで解析、消えていた地名も判読して復元図
を作製した。
原図は縦1・5メートル、横1・6メートルの絹布製。1402年に李氏朝鮮で、中国・
明の地図などを参考に作られたという。朝鮮半島からアフリカ大陸までの範囲が載り、
中国が中央に大きく、日本は右下に、東に約90度傾いた状態で描かれている。
岡田教授らは、以前の撮影フィルムも参考に「皇都」(現在の中国・南京市)、
「順元路」(同・貴陽市)などを読み取り、顔料の分析で海は緑がかった青色と
推定した。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091207-00000744-yom-soci
513 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 22:26:00
畿内説は帝に屈したのであった。
514 :
ローガン:2009/12/07(月) 22:34:30
515 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 22:39:03
やはり縄文人なのか。
517 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 22:47:33
>>515 こんな間抜けな劇をするのは、縦目か縄文人くらいだ。
518 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:03:30
しかしこれ人口の話はともかく、500の鐙の話は簡単に否定できないんじゃね。
まじレスしとくと
箸墓の周濠から鐙が出土したときの調査は
橿考研が行ったものではないな
520 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:12:18
>>516 混一疆理歴代国都之図が変なのは日本だけじゃない。
朝鮮半島がアフリカよりも大きいなど変なことだらけ。
その地図を元に何かを語ろうとすること事態間違っている。
521 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:13:30
>>512 で、この地図では倭国の移動水行10日以上かかるようには
見えないな。北海道でもどうかと思うね。
522 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:14:25
>>519 畿内説の考古学者はちゃんと報告しているのかな。
椿井大塚山古墳の調査結果は長年公表されなかったと聞いたことがあるが。
まあその前に、箸墓が墓であることを確かめてからにしろよ
>>522 鐙出土時の調査の報告のことか?
それならとっくに出てる
椿井の報告書が出なかったのは
いろいろと不幸な事情が重なったから
東遷説の人は意図的な資料隠しにしたいらしいがね
いま箸墓と言われているのは、実は徳川埋蔵金が埋まっているのよ
群馬と思わせて、実は大阪城の金蔵に隠していたものを、密かに隠しているのさ
526 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:30:34
>>524 椿井大塚山古墳の場合は、公表されたことと公表されなかったことが
あるわけだろう?
527 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:39:03
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
箸墓って何で卑弥呼の墓ってことになったの?
年代が合うから?
日本で一番古い古墳ってどれ?
>>480 > 尚方「漢代少府の属官。天子の御刀剣、玩好の器物を作るのを掌る。
> 漢末に尚方を分かって 中左右の三尚方となし魏晋はこれに因る」(通典二七職官九少府監)
> 詔に基づいた鏡作りなら尚方で行われたものと考えます。
鏡は「右尚方」の担当らしいですね。
現在まで見つかっている△で紀年鏡以外のものも含めて「右尚方」のものは一つもありません。
つまり、卑弥呼の100枚の中に△が含まれていたとして、まだ、そのコピーすら見つかっていないと言うことですね。
530 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 00:14:27
>>528 最初に笠井新也が、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫であると言い出した。
だから、倭迹迹日百襲姫の墓である箸墓が、卑弥呼の墓になったらしい。
でも、なぜ、卑弥呼が倭迹迹日百襲姫なのかは定かでない。
思うに、記紀で女性の墓とされている古墳を探し出し、倭迹迹日百襲姫に
たどり着いた。女性つながりで、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫としたのでは
ないだろうか。
なんにしろ、箸墓は調査されていないので、誰の墓かわかる由もない。
仮に調査されてもわかるかどうか疑問だが。
531 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 00:20:40
>>530 公表されていないだけで調査してるんだろ。
高級装身具とかでかい鏡とかみつかったらそれこそすでに「卑弥呼に間違いない」といっているはず。
いっていないのはやはり大したものが見つかっていないんだろう。
>>501 > 官営工房で作ったものは当然「尚方」と書かれ、官営でないところでもプロデュースなら
> 「尚方」と書かれるのであれば、△に「尚方」がないことは、舶載説に不利ではないか。
>
> それ以前に中国から1枚も出ない△が日本で600枚近く(百種以上)が出土していることを
> 説明できないと、舶載説は議論のスタートラインに立てないけど。
と言うか三角縁以外の鏡種でも「右尚方」なんてそうそう無いでしょう。
考え方は二つ。
@賜鏡は「右尚方」では無かった。
A分配されることもなく、一か所に埋納されて未発見。
533 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 00:36:25
私は九州だと思いますが、仮に奈良だったとしても
西暦57年の金印の輝きは消えないでしょう。
卑弥呼は2,3世紀のはなしですから。
534 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 00:46:42
>>533 あの金印は偽ものだとかいわれているが、そうじゃないと思う。
もし偽ものをつくるのなら親魏倭王のほうにするはず。
そっちのほうがずっと有名だし。
>>500 よくわからんが、どのへんが畿内説否定?
布留0が3世紀後葉だったら問題あるのか?
>>505 弥生末衰退は平原からの推測だろ?
何が言いたい?
>>517 ちがうな。その人じゃない。
>>530 >女性つながりで、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫としたのでは
ないだろうか。
倭人伝の卑弥呼を思わせる伝承が多くあるからですよ。
巫女的性格を持つ卑弥呼を思わせる伝承の存在。
弟がいて権力を持っていた(桃太郎のモデルとも)とされている点。
海部氏系図によると、別名で「日女命、日神」とされている点 。
伝承が広域に渡る点(瀬戸内海周辺から畿内にかけて)等。
それに紀記にわざわざ墓造営について書かれてる点など、
年代は別にしても疑われる要素が多いからでしょう。
537 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 03:37:55
>>498 『古代を考える−邪馬台国』 平野邦雄編 吉川弘文館 の中で笠野毅が書いている。
魏の尚方が地方に事務官・技官を派遣して作らせる「尚方監作制」とも言うシステムの例として挙げている。
「弩」の部品に刻まれた銘文として
(郭銘)
正始二年五月十日 左尚方造 監作吏縄(イトヘンナシ)泉 牙匠馬広 師陳耳 臂匠江子 師□乱
(枢銘)
河内工官 第八百十九□
…と言う物があり監作吏の下で作られたが
実際の製作地は河内郡(現在の河南省北部)であることが知られているとか
また鏡についても広漢郡の工官西蜀の製品に「尚方明鏡」とある等の事例を挙げている。
尚方も意外と手広くやってるみたいだがw
まあ魏が卑弥呼への下賜品としてどんだけリキ入れていたかによって変わってくる話なのかな?wwwwwwwww
538 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 03:49:32
>>501 >それ以前に中国から1枚も出ない△が日本で600枚近く(百種以上)が出土していることを
>説明できないと、舶載説は議論のスタートラインに立てないけど。
そりゃ殆どはコピーだからじゃね?
下賜品の鏡が百枚ポッキリならオリジナルなんて一枚出たら御の字だと思うが?w
「中国で0枚」を呪文のように繰り返すのは良いが
確実に魏代と分かる物がどれくらい出土したと思っているんだろうか?
本当、ワンセンテンス繰り返すサイキバ君の思考と変わらんなwwwwwwww
539 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 04:05:14
しかし
>>500とか
>>505とか、まんま縄文人の芸風やなw
この板でも「弟」とか「秘書」とか演じていたが
アレはジサクジエンをやっているつもりなのか?
それともプロレスラーの武藤が顔にペイントしたらグーレート・ムタであくまで別人です
…というノリなんかな?wwwwwwww
そう言えば俺も東遷厨にジサクジエンをやっているとよく言われるが
やるメリットが無いんだが
それとも他の奴が俺と同一人物に間違われてるのかな?
まあ畿内説の皆さんも俺なんかと間違われないように
品位のある書き込みに心がけませうwwwwwwwwwww
540 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 05:01:38
防衛線貼るにしても
グーレートは無いわ(笑)カタカナ弱い世代の方ですか?
下賜品の100枚が切りのいい数なんだから形が同じだと思いたいが、600枚の出土品のうち同氾鏡って少ないんだよな
6分の1の割合で、下賜品のオリジナルが出ても不思議じゃない筈だろ
542 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/08(火) 08:20:05
私が知らないだけかもしれないですが、
畿内に「やまと」という語が昔からあったというのを知りません。
大倭から大和、三国志の邪馬台国からヤマト、一緒にして大和=ヤマト。
だと私は思っているのですが。
畿内に大和以外の「やまと」って何か残っているのでしょうか?
544 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 09:04:55
>>542さんの考えが、根本的に勘違いしているだけです。
「やまと」は、後に名詞化されたに過ぎず、そもそも言葉の一部です。
だから全国各地に「やまと」があるのです。
545 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:14:48
オリジナルの鏡を積んだ船はあっさり沈没しちまったんじゃね?
で、現場の判断で慌ててレプリカを(船積みした朝鮮半島の工房で?)大量に作成
→今度はほとんどが日本へ
→余った鏡を持って帰るのもアレなんで日本に置いて帰る
「600枚」「中国で0枚」の矛盾はこれで解決するけど…
とにかく当時の航海技術が気になる
547 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:25:06
>>545 オリジナルみないでレプリカができるかよ。
548 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/08(火) 11:41:03
>>544 >>「やまと」は、後に名詞化されたに過ぎず、そもそも言葉の一部です。
意味が良く分からない。
「やまと」というのはどういう意味の言葉の一部なのですか? どういう言葉なのですか?
「やまと」のもとの言葉というのは何ですか?
>>だから全国各地に「やまと」があるのです。
全国の多くの「やまと」は大和ですよね、つまり大和=やまと、とした後に広まったものです。
私が問題にしているのは、大倭=大和を「やまと」と読みをつけた、その元ネタの「やまと」は何だったのかということです。
549 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:49:35
>>548 「やまと」は「やまと」と言う意味で、
「土地が盛り上がった様子」を「やまと」といいます。
550 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 12:00:33
「やまと」は「やまたほ」からの転訛であり
「やま」=盛り上がる
「た」=面(地)が広がる
「ほ」=(地域の名)
対象となる地の環境を「やまと」で表しています。
551 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 12:13:40
>>548さんは、一度日本中の「やまと」を調べてみてはいかがですか?
「やまと」がどんな環境の場所に付けられているか。
鏡って使われてる金属の分析などから
製造年代などを知るのは不可能なのでしょうか
553 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 13:20:45
「やまと」という『音』自体はかなり昔からあったんだろうな。
それがいつしか『倭』と表記するようになった。倭は大倭になり、大和に
なった。
倭面土も「やまと」を漢字表記したものじゃなかろうか。同じく「邪馬台」も。
554 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 13:33:19
>>553 「倭」は漢語
倭が大倭になる事はありません。
大倭は倭の中に存在し、倭の中で大きな規模を有するから「大倭」です。
555 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 13:44:50
大陸の王朝史に書かれた大倭は、倭(日本列島)の中で一番大きな地を有する中心的な存在だった。
その地は「ホ」と言われ
後に「ヤマタホ=ヤマト」で書物に記載される。
556 :
ローガン:2009/12/08(火) 14:42:25
>>529 >現在まで見つかっている△で紀年鏡以外のものも含めて「右尚方」のものは一つもありません。
尚方作 で何か問題がありますか?
557 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 14:46:43
>>554 日本人にも、「倭」という苗字の人がいるね。「やまと」読むことが多い。
大和を「やまと」と読むのは無理があるから、これは当て字だろうな。
大倭も「やまと」と読んでいたんだろう。
558 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/08(火) 14:52:56
>>553 >倭面土も「やまと」を漢字表記したものじゃなかろうか。
「倭面土」は「ゐめた(倭米多)」を漢字表記したもの。
ちなみに「倭米多」は和語である。「倭面土」は漢語。
559 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/08(火) 14:57:45
>>557 >大倭も「やまと」と読んでいたんだろう。
「大倭(たゐ)」は「俀」の和語表記したもの。
ちなみに「俀」は漢語である。
560 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 15:04:40
>>557 大倭を「やまと」と読む前に、大倭のダイワという漢字音だけを利用し、
大和の漢字をあて、大和に「やまと」の和語をあてた後
大倭や倭を「やまと」と読むようになります。
大倭や倭を「やまと」と読むようになると、大倭や倭は
やがて語から抜け、表意がなくなり 和語の代用文字となります。
561 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 15:23:58
>>560 しかし、それでは「やまと」という音がどこから出てきたのかが不明になりは
しないかな。
地名とかそのようなものを指しているとすれば、表記よりも名前が先にあったと
考えたほうが自然だし。
562 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 15:35:29
>>561 「やまと」は形容表現です。
ジメジメした所とか、広く平らな場所とか
土地の名前の原点みたいなものです。
563 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 15:53:39
>>561 ただ、「やまと」の表現は
もとからヤマトに住む住人が関与しない表現でしょう。
564 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 16:20:30
もともと「日の出ずる場所」という意味を表すやまと言葉だったのでは?
書紀でも、「日本これをヤマトと読む」
とあるし。
神武東征で「日に向かって戦ったのが間違いだった」
と熊野から攻め直してるし、たしかに瀬戸内海からすれば東のはて。
あと大倭氏が神武を先導してはいったのでのちに合体してそういう名前になったとか。
あくまで思い付きだけど。
565 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 16:45:18
違うよ
566 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 16:56:00
>>564 名称が何故必要なのかを考えれば理解出来ますよ。
世界中で貴方の家族しか存在しなければ、姓など必要ないでしょ
567 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:15:40
日本書紀神代紀に、注書きにて「日本をヤマト」とよむと書いてあるなら
日本は、本来ヤマトと読まないから注書きされているのです。
つまり、意図的な読み方です。
568 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:22:46
日本や倭、和、大和をヤマトと読むのは
本気と書いてマジと読んでるようなものだろうな?
569 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:37:02
知らないなら、想像で書く前に半年ロムれと。
1、まず、「やまと」というヤマトコトバがあった。
2、中国人が東夷の種族を「倭」と表記した。
3、「倭」が自分達を意味する漢字と知ったので「倭」をヤマトと読むようになった。
4、後から「倭」が卑語だとして、「大倭」と書き改め「オオヤマト」と読んだ。
5、「倭」を好字の「和」に改めて「大和」とした。
6、「大和」では、中国人に意味が通じないので、中国人向けに「日本」という国名ができた。
7、国内向けでは「日本」は「やまと」と読んだ。
570 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:37:51
>>567 もともと日本に漢字自体がなかったからそれは少し違うんじゃ?
そのころの漢字をもたない日本で「日のいずる場所」という意味を「やまと」と発音していたって漢字
英語の例でおきかえると
「desk, should be read as “ tsukue”」
って漢字。
571 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:40:20
違うって言ってるだろ。
572 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:44:35
卑字好字は主観です。
こういう件で自信もっていいきり、ROMれなんぞいってるやつこそ痛すぎる。
「違う」とかいいきらず、「違うと思う」といえ。
574 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:50:13
間違いを指摘されて逆ギレする前に自分で調べろドアホウ。
576 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:56:22
>>567 逆じゃね? 日本をやまとと呼ぶからそう書いたのでは?
以下それにならえとかいって淡路州とか筑紫州とかの読みでてくるでしょ?
577 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:57:24
想像で発言する。
間違いを指摘される。
→自分の無知を恥じる(常識人)
→逆ギレする(異常性格)
578 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:57:38
>>553 >「やまと」という『音』自体はかなり昔からあったんだろうな。
>それがいつしか『倭』と表記するようになった。倭は大倭になり、大和に
>なった。
「やまと」なる音があったのはいいとして、「倭」と表記するようになったのは逆でしょ。
もともと「倭」は「わ」とは読まない、「い」に近い音。「倭」(委)と呼ばれていたころ、まだ漢字はなかった。
大昔からある「倭」は「大和」のことだろうから、「倭」を「やまと」と呼ぼう ってことになった。
579 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:01:00
580 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:02:36
>>578 意味がわからん。
知らないなら想像で語る前に、人の言う事をちゃんと聞け。
日本列島に住む人々が倭・倭人と呼称されるに至った由来にはいくつかの説がある。
魏の官人、如淳は「人面に入れ墨する(委する)」習俗をもって倭の由来と論じたが、
臣?や顔師古らから、倭と委の音が異なることなどを理由に否定されている。その他、
平安時代初期の『弘仁私記』序はある人の説として、倭人が自らを「わ」(われ)と称し
たことから倭となった、とする説を記している。また、『説文解字』に倭の語義が従順と
あることから、一条兼良が「倭人の人心が従順だったからだ」と唱え(『日本書紀纂疏』)
、後世の儒者はこれに従う者が多かった。木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから
倭と呼ばれたとする説を述べている。新井白石は『古史通或問』にて「オホクニ」の音訳
が倭国であるとした。このように多くの説が立てられたが、定かなものはない。
隋唐代に韻書と呼ばれる字書がいくつも編まれ、それらに倭の音は「ワ」「ヰ」両音が示
されており、ワ音の倭は東海の国名として、ヰ音の倭は従順を表す語として、説明されて
いる。すなわち、隋唐の時代から国名としての倭の語義は不明とされていた。また、平安
時代の『日本書紀私記』丁本においても、倭の由来は不明であるとする。さらに、本居宣
長も『国号考』で倭の由来が不詳であることを述べている。これらから、倭の意味は不明
とするのが妥当と見る研究者もいる。
>>577 >すなわち、隋唐の時代から国名としての倭の語義は不明とされていた。また、平安
>時代の『日本書紀私記』丁本においても、倭の由来は不明であるとする。さらに、本居宣
>長も『国号考』で倭の由来が不詳であることを述べている。これらから、倭の意味は不明
>とするのが妥当と見る研究者もいる。
だってさ。いたいぞおまえw
583 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:07:41
>>581 どうして中国人が「倭」と表記したのかなんて、当時の中国人に聞かないとわからんでしょ。
584 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:09:27
>>582 すごく頭の悪い人なのかな?
ここで問題なのは、「倭」「日本」をどうして「やまと」と読むのか?であって。
中国人がどうして「倭」という漢字を東夷に使ったか?ではない。
>>569 >4、後から「倭」が卑語だとして、「大倭」と書き改め「オオヤマト」と読んだ。
「阿呆」が卑語だとして、「大阿呆」と書き改め「おおあほう」と読んだ。
みたいな感じだと変じゃね?はやめに「倭」って字を捨てるほうが先だと思うけど
よりビッグにしてどうすんだ、って疑問。
586 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:11:11
>>585 自分から無知をさらけだして、より傷口を深めるとは面白いやつだなあ。
さ、その調子で全部否定してみてよ?
>>586 いや今日初レスだし、そもそも邪馬台国とか詳しくないんですけど…。
否定じゃなくて疑問って書いてあるだろー?
なんでそんな怒ってんだよ。
「日本」の国号が成立する以前、中国古代王朝からは「倭国」または「倭」と称されていたが、
「やまと」の政治勢力が中心となって倭を統一したため、古代日本では漢字の流入とともに
倭を借字として「ヤマト」と読むようになった。やがて古代日本が認識していた国号である「や
まと」に当てた漢字を倭から「日本」に変更し、日本と記して「ヤマト」と読んだ。
同時に、「日本」国号は7世紀後半の国際関係から生じたものであるため、当時の国際的な
読みである音読により、「ニッポン」(呉音)または「ジッポン」(漢音)と読まれただろうと推測さ
れている。「ニホン」の読みがいつ始まったかは定かでない。
>>587 ここはみんな心の中では大学者さんばかりだし。
倭ってのは国号じゃなくて倭人のいるとこらへん、みたいな感覚じゃないのか?
半島南部にも倭ってあるだろ。
んで、自分たちを「倭人」とか書いてるから、この字使ってしまえ的な感覚では?
591 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:45:47
元明天皇の時代に、正式に、大和と書いて「やまと」と読むようになったんだよ。
それ以前は、倭と書いて「やまと」と読んでいた。
元明天皇は、第43代(在位は8世紀前半)。
592 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 19:00:14
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
>>591 しかし、「倭」を「ヤマト」と訓じ始めた時期は不明ですね。
隋書の段階でも未だ「ヤマト」は倭の都であって、倭国そのものではないですね。
隋側がそう認知していたと言うことですが、倭の方でも同じ認識なのでしょう。
私は一応畿内説の端くれなんですが、
倭がヤマトになってしまう(或いはヤマトが倭と表記されるに)経緯がわからない。
多分、日本と号したあたりの時期に意識の変革が有ったのかとは思いますが。
594 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 20:45:39
倭と書いて「やまと」と読む習慣がいつからかは分からないけど、
元明天皇の時代に、「倭」の代わりに「和」を用い、更に「大」をつけて、
「やまと」と読むように定めたのは確か。
倭→和の流れは確定。
595 :
ローガン:2009/12/08(火) 20:47:06
>>591 >それ以前は、倭と書いて「やまと」と読んでいた。
> 元明天皇は、第43代(在位は8世紀前半)。
推古遺文に「山東」と書いて、やまと。「山西」はかわち、ですから まあ、漢字表記はいろいろあったんでしょう。
596 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 20:56:42
>>595同感。
中国の山東半島に住んでいた斉王が打立てた国が倭だということははっきりしました。
597 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:01:41
ちなみに山東とは泰山の東という意味。
598 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:09:21
「はっきりしました。」とかいう言葉つかうやつは池沼
599 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:09:33
倭建命で「やまとたけるのみこと」と読むからね。
いつからだろうね、こういう読み方。
600 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:10:58
601 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:11:32
はっきりしません。という言葉を使いやつは自分に自信がない人。
602 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:31:10
邪馬台国は畿内です。
邪馬台国は台湾だ。
朝鮮=日本
「朝鮮」という文字は、「アサダル」(=太陽の昇る場所)という言葉を表し、「日本」と同意義
古朝鮮の太陽信仰では、太白山の麓が太陽の生まれる場所(=蘇塗、ソト、神の森)だと考え、神壇を祭った
太白山脈の西の平野に住む民にとって、山脈の向こう(東)は外国であり、人は住まない太陽神の支配する土地(=日高、飛騨、日高見)だった
その土地観念がそのまま日本列島に入ってきて、現地点から見て東の土地を、日本、日高見と呼んだ
日高(高知県日高村、兵庫県豊岡市、和歌山県日高郡日高町、神奈川県丹沢山地の日高山など)
飛騨(中部山岳地帯)、日高見(茨城県常陸、岩手県北上川流域)、日本(坂上田村麻呂が青森県に残した日本中央碑)など、
時の政権所在地の東進に伴って、「日高」と呼ばれる土地も陽炎のように東へ東へと移動した
つまり、日本=山の東=ヤマト である
605 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:33:47
卑弥呼=日女子、日御子、姫御子(内親王)
卑狗=日子 彦(日子に同じ)
韓国には、無い言い方だね。
606 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:35:33
>>605 >卑弥呼=日女子、日御子、姫御子(内親王)
こう読みたい気持ちはわかるが、
卑弥呼はヒミコとは発音しない。
シロウトで悪いが、ネットでは九州説が不利、最近の発掘やC14の結果、奈良の可能性が高い、でいいの?
最近の畿内説のデータは信用できない、って言われてるのはそうなんだろうけど、そんなこと言ったらなんだってそうだもんねぇ。
卑狗=日子(ホコ)=彦=朴(姓)
609 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:39:21
>>607 素人の多いネットでは九州説が多い……はずなんだが、
最近じゃ、九州説を強弁する素人もいなくなったみたいだな。
九州説を信じる信者をからかうのが生きがいの俺としては最近退屈でしょうがない。
また縄文人みたいなネタキャラを誰か演じてくれなかなあ。
>>607 一回魏志倭人伝を読んでみ。
魏志倭人伝において
陸路を明解に書いているのは
末盧國から不彌國までの間。
末盧國を松江(出雲)、不彌國を三重(伊勢湾)とすれば
すべてが明確にあてはまる。距離も方角もあっている。
なにより大事なのはその後の政治中心と重なっていることだろう。
畿内説の人はその可能性に気づいてしまったので大騒ぎなんだよ。
ここには九州説の人のお国自慢学問のかけらもない。
611 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:42:51
609 みたいなテレビを見たにわかがやってきてスレを占領するからそんな風に見えるんだろう。
>>606 >卑弥呼はヒミコとは発音しない。
ヒミコと発音しようが、ウンコと発音しようが関係ない。
王朝の歴史書に「卑彌呼」と書かれれば、それは漢語。
漢語に音を求めても全く意味のない話
先ずは「卑彌呼」を漢語として扱うべきだ。
613 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:44:11
614 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:44:17
やはり、邪馬台国は山田国だったという説が有力だと思う。
山田という地名と邪馬台国の時代の集落跡が微妙に重なる。
この説は、全国200万人の山田さんも支持しています。
615 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:47:20
山田姓が多いのは近畿。(ソース・電話帳)
漢語厨さん、いいソース教えてよ
煽るんじゃなくて、どうなんでしょ。
倭人伝の信憑性というのなら、古田が「国民に告ぐ」で言ってたけど、やっぱりかなり正しいはず。
でも、そこに国がないなら間違ってたはずで、そのあたりなんでしょう。
東に大海、というのもよくわからないし。
琵琶湖とか名古屋港とか。
場所的には九州としか思えないけど、奈良にあんなのが出ては・・・・
話それてわるいけど、出雲のあの、剣が一杯出たとこ、あれはなにか解明された?
あれは、あそこだけなのか、他にもあるのかどうんでしょね。
618 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:53:03
おまえら吉備はスルーですかそうですか
>>616 >漢語厨さん、いいソース教えてよ
リクエストは?
>>617 >倭人伝の信憑性というのなら、古田が「国民に告ぐ」で言ってたけど、やっぱりかなり正しいはず。
どのへんの記述を読んでどう正しいかを記さないと。
「あの、いっぱいでたとこ、あれはなにか、あれは、あそこだけなのか」
なんか全体的に単なるひとりごとになってるぞ。
623 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 22:59:56
卑弥呼は親魏倭王。
つまり、倭の王。一方で、卑弥呼は邪馬台国の王でもある。
この頃、漢字を目にする機会は少なかっただろうから、倭を邪馬台と
勘違いしたということがあるかもしれない。
つまり、「やまと」は「倭」と書くんだと思い込んだ。
だから、倭を後々まで「やまと」と読んでいた。
朝廷と呼ばれるくらい勢力が大きくなり、大を付け「大倭」としたが、
「倭」があまり良い意味でないのを知り、同じ音の「和」に変えた。
読み方は一貫していた。ということじゃなかろうか。
624 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:01:15
>>606 今の北京語だとbei mi hu
昔だとたぶん、ピェミェホとか。
推測するに、やはり、日女子とかが正しいと思う。
けど変なの
天皇は在任中なんだから、親魏倭王は王(天皇)がなるべきじゃないか。
そこで魏に認められたのが卑弥呼って女なら、畿内説だとどう説明するんだ?
626 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:05:01
>>626 こめ みほ
なんか農家のアイドルみたいだな
628 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:06:22
>>624 その理屈はおかしい。
それなら、日本では「巫女」「子」を「ミホ」「ホ」と発音してたことになる。
そうした音韻変化例は無い。
>>556 > 尚方作 で何か問題がありますか?
「問題」扱いしていただけないかもしれませんが、確実に魏代と言える「尚方作」銘鏡は無いですよね。
もっとも「右尚方」も数は少ないですけど。
630 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:15:23
>>625 その通り、卑弥呼が倭迹迹日百襲姫だとしたら、日本史上、燦然と輝く
崇神天皇が完璧に無視されていることになる。
まあ、畿内説は矛盾だらけ。
その矛盾をつくろおうとして、さらに矛盾が重なっていく。
もう、強弁しか残っていない。
>>622 お勧めと言われても困っちゃうな〜
古代漢語のソースなんて当時の漢籍しかないけど
632 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:21:15
百襲姫の墓などすでに大したものが何もないことを確認しているよ。
それでしかたないのでどうでもいい建物跡をクローズアップしてはしゃいでいるだけ。
古代漢籍なんて言うものは、朗読して聞かせるものではなく
見て楽しむものだから
音なんて全くと言っていいほど必要ない世界なわけで
「卑弥呼」の読みは、後世の漢字音読みで十分だよ
たとえ「卑弥呼」を「うんこ」と発音したところで、困るのは日本人だけで
ご当地ではなんら困るものではないんだよ
ご当地で重要なのは「卑弥呼」という文字だから
634 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:26:47
635 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:27:45
636 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:28:27
>>618 >山田は全国第13位で81万6000人
では訂正。全国81万の山田さんが応援しています。
古い氏族のほうが人口も増えるし、分散も広がっていつことがわかります。
>>621 意味のない記録なんて残さないでしょう。
当時、有意味と言うのなら、軍事的価値、じゃなかったっけ。
こういうのは、あなたたちのほうが詳しいだろうからいちいち書かないのだけど。
もちろん、古田なんて問題外だけど、最初にいったのは違うはずだし、スルーするならそのあたりが20年たって
どうなったかなって。
ちなみに独り言じゃなくて、そこらの研究会でももっとはしょって話してるぞ。
>>637 >もちろん、古田なんて問題外だけど
君は古田とサシで論争する自信があるようだな?
どうだい
古田の講演で対決してみないか?
639 :
ローガン:2009/12/08(火) 23:43:35
>>629 >確実に魏代と言える「尚方作」銘鏡は無いですよね。
えらいハードルをあげますね。(笑)
では、「確実に魏代」である鏡種を先に教えてもらえませんか?
640 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:44:38
なんか沈黙してるが、まあ講演で対決しても無理。
いくら年をとったからといっても素人どころか並の学者でも論争にならないだろう。
それを話術というのならそうかもしれないが。
641 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 23:58:37
古田とか安本とかにまだ騙されてる老人がいるのか。
642 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:04:03
邪馬壹国って書くんだな
643 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/09(水) 00:06:59
書き込みが多くて、こちらのスレはきついな・・
「倭」は昔から百余国に分かれて云々とあるように、国の集まっている広い地域を指すもので、
おそらく昔の日本にはこれに対応する”やまとことば”はなかった(概念がなかった)と思われます。
「やまと」という言葉は、山門、山戸、山東、など残っているでしょうが、やはり百余国の一国程度の範囲を指すものでしょう。
また現在の大和=やまとの多くは後年(特に明治)に付けられた地名のはずです。
倭がその後統一され大倭と記されるようになり、これから大和の流れは良いのですが、
やはり倭や大倭が「やまと」と読まれるようになったのは、三国志の邪馬台国を「やまと」国と読み(あるいは解釈し)、
これから付けたものではないか、と考えています。
644 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/09(水) 00:14:07
>>607 オカルトと批判しているのは、年輪年代とこれから出された年代を批判もなしにマンセーしているものに対してでしょう。
ちゃんとした考古学のものには、ある程度敬意を持って接しているはずですが、学問なので批判があるのはむしろ当然でしょう。
九州説は相変わらず元気ですよw
私の説(2つのルート説)を覆すのは、おそらく非常に困難でしょう。
http://yamat-2007.blogspot.com/ 畿内はヤマト王朝につながる遺跡が多いので、これらは邪馬台国とは関係ないものですが、
古代日本史の解明につながることでしょう。
645 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:15:15
>>642 魏志倭人伝だけが邪馬壹國と書かれている。
後漢書、北史、隋書、通典は邪馬臺國となっていて、
梁書は、祁馬臺國。翰苑は邪馬嘉國となっている。
多数決では、邪馬臺(台)國になるのだろう。
翰苑は「やまが」と読むのかな?
熊本に山鹿というのがあるが。
>>644 >私の説(2つのルート説)を覆すのは、おそらく非常に困難でしょう。
かんたんです
648 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:33:57
>>644 やっぱり、こういう論を立てても、「だから何?」で終わるんだよなあ。
ヒミコは失われたムー大陸の末裔とか、それくらい話を膨らませないと誰も食いついてこないでしょ。
649 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:59:01
>>644 >>647 覆すのはまあ無理だろうな…
「理論上可能性はゼロではない」と言われればそれまでw
勿論それは他の九州説にしても同じ。
二 ◆.L.MXSPOgcが他者が自説を覆せないのを元にして自説の正しさとするのなら
自身が他の九州説を全て否定して見せろって話で
否定できないのなら自説と同等に正しいとするしかないだろうという話しwww
651 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 01:16:41
東遷説じゃ説明は無理だろ。
652 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 01:33:23
東遷説は、卑弥呼=天照大神だから問題なし。
653 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 01:35:21
ばかじゃないの?
>>639 > では、「確実に魏代」である鏡種を
何年か前に在った三角鏡スレでは、甘露五年右尚方銘獣首鏡は河北でも出土と言うことで「ほぼ」確実と言われてましたね。
紐孔は半円だと言われてましたが、五島美術館蔵のものは長方なんですね。
ただ、その点以外は同型だと思います。
> 先に教えてもらえませんか?
「先に教えて」って・・・この後、何か素敵なことを御教示いただけるのですか。
655 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 02:20:05
甘露4年(259)獣首鏡 右尚方銘あり 五島美術館 長方
甘露5年(260)獣首鏡 右尚方命あり 黒川古文化研究所 長方
甘露5年(260)獣首鏡 右尚方銘あり 書道博物館 半円
(甘露)5年(260)獣首鏡 右尚方銘あり 河北省高碑店 長方
2つ目、3つ目は紐孔形は違えど同型。
>>630 別に無視されてないでしょ、単に卑弥呼の後の世代の人物なだけで。
657 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 02:32:37
モモソヒメが実質的に活躍したのは崇神の前の時代だよ。
崇神になって、すぐに死んでるんだから。
もうモモソが卑弥呼なのは確定だと思うけどね。
659 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 03:04:28
倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の元で重要な予言をしている。一つは大田田根子に大物主神を祀らせること
で、これにより疫病が終息し、五穀豊穣となった。一つは武埴安彦の叛意を読みとることで、これは対狗奴国
戦争のことかもしれない。
年代を無視すれば、逸話や伝承上で卑弥呼に一番近いのはモモソ姫でしょ。
墓造営の逸話が語られている点からも、普通の姫では有り得ないし。
661 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 05:24:03
卑弥呼は王。魏の皇帝の詔書も倭王・卑弥呼に向けられているし、金印も
卑弥呼に贈られている。
制度上も実質的にも、とても王とは言えない倭迹迹日百襲姫では役不足。
また、倭人伝には、卑弥呼が王になってから数十年のことが書かれているが、
そこに他に大王らしき人物の影は全く見えない。
卑弥呼は、唯一無二の王だったことがうかがえる。
崇神天皇など大王がちゃんとおり、単なる皇女に過ぎない倭迹迹日百襲姫とは
似ても似つかない。
>>659 倭人伝には、疫病が発生したことも、大物主みたいなものを誰かに祀らせた
なんてことも書いてない。書いてないことを理由に仕立て上げて、卑弥呼だと
いうのはおかしい。
また、武埴安彦の乱は、魏に援助を求めるほどの争いからは程遠い。
さらに、台与があとを継いだことなど、非常に重要な出来事を窺わせるような
記述が倭迹迹日百襲姫にはない。
まあ、倭迹迹日百襲姫は、現代で言えば、伊勢神宮の祭主を務めている
池田厚子さんかあるいは島津貴子さんのような存在だろう。
662 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 05:26:48
>>656 崇神天皇と倭迹迹日百襲姫の時代は重なっている。
663 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 06:58:29
>>661 デブ国、おまえいつから名無しになったんだよ(笑)
また横綱がなんとか…って始めるのかw
>>661 モモソ姫に日女命または日神なんて別名がつく理由は?
墓の造営について倭人伝、紀記にも記述が特記されている唯一の人物。
実は天皇でも例がないからな、特別な存在なのは明らか。
>>662 祟神天皇が128、もしくは160まで生きた事になるけど。
倭人伝がまとめられた時点と、
記紀のまとめられた
665 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 08:01:20
>>660 年代が一番重要だろ。
年代を無視するなよ。
666 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 08:08:50
>>644 舟で陸づたいに移動するのを南に移動するとしたんだよ
奴国は博多 不彌国は宗像 投馬国は北九州
>>665 その年代がはっきりしないので、まず人物、事件でしょ。
それから他の文献記録と結びつけなきゃ。
単純に邪馬台国が神道国家で祟神天皇よりも卑弥呼の方が上とされていたんだろう
もちろん形式的なもので権力は祟神天皇
後に神道の祭祀も天皇が兼ねるようになったと
北部九州に奴国二万戸に投馬国五万戸…
あり得ません。
670 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:22:38
>>669 有り得ないって、どんな読み方してるのよ?
奴国二万戸というのは、規模が二百里で、長官クラスの役人が二百人程度居る。
投馬国五万戸とは、規模五百里、長官五百人
そう読むんだよ。
672 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:33:31
>>670 根拠またはソース
但し古田とかの最近のソースはいらない
673 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:49:59
674 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:51:09
解釈のソースだろタコ
675 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:53:15
>>674 ストレートに解釈なんて必要ない。
書いてあるまんまだよアホ
676 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:53:18
>>628 卑弥呼=bei mi hu(日女子)
卑狗=bei gou(日子)
三国時代は、卑は、ピェと発音したらしい。(某中国人談)
流石に女王に「狗」はなかろう、、という事で「呼」を当てたと思う。
「掘った芋弄るな!」と同じで「空耳」ってのもあるから。
中国人のヒヤリング能力が高いとも思えないし。
677 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 09:56:07
>>676 倭人伝は、見るもので
声を出して音読するものではない。
>>675 書いてあるまんまじゃそのようには読めません
出直してきてください
680 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:18:14
681 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:22:10
683 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:25:28
>>681 ごまかしてなんかいませんよ。 ぜんぜん理解できないの? いや、知らないの?
百戸置里吏一人
ちゃんと書いてあるじゃん。
二万戸なら二百里で吏二百人
684 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:29:55
>>683 100戸を1里とする単位の問題と50000戸もその地域にあるのがおかしい
という問題とどう関係があるのかきいてるんだよ。
685 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:31:01
水上生活者が何千里もあるわけですね
わかります
686 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:31:05
>>680 文献無視してどうするの?
それともなにかな?「有り得ない」という
自分の思い込みの方が正しいとでも
おめでたいよ
687 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:40:08
>>684 そもそも50000戸の存在がが、そこにあるかないかの
疑問自体が違うと言ってるの
王朝歴史書に
「戸」と書いてあれば
先ずは戸里制度に照らし合わせて
その範囲内で検討するものだよ
つまり、根本的な疑問自体が有り得ない疑問なわけ
投馬国が北部九州にあるなんて、どの文献をみても比定出来ませんよw
690 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:47:30
>>687 それじゃどうして500里って書いてないの?
邪馬台国が漢と同じ制度とりいれていた保証は?
漢にひことかひなもりっていたっけ?
仮に漢朝のしくみいれていたって50000戸は存在し、そこに100戸ずつ管理する里を任されていた役人が別に存在するだけのこと。
50000戸と書いているのは戸数をあらわすためのもの、つまり国の規模を表すもので、
役人の数を表すものではない。
691 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 10:47:37
>>688 投馬国が何処にあろうが関係ない。
投馬の比定に関して、50000戸という数値を以って
有り得るとか有り得ないを判断材料にしているのだから
疑問自体が有り得ない疑問なわけ
吏が500人なんて有り得ないと言う疑問なら
まだすくいようがあるが
>>691 何言ってんの?投馬国が何処にあるかの話をしてるのだがw
奴国が博多なら北部九州に投馬国なんて絶対有り得ない話、
ここで話してるのはそれだけの事ですよ。
693 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:02:17
>>692 だったら50000戸の投馬国という表現は変だろう?
投馬国がそこには存在しないと言う話しで
投馬国の位置を特定するのに50000戸は余計なわけで
694 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:04:46
万戸、万戸いうと臭くなるよ
695 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:05:35
北九州に邪馬台国の7万戸と投馬国の5万戸は存在しえない
696 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:05:36
国の位置を比定するには
基点からの距離と方角
>>963 君の文意を汲み取る方が、倭人伝の解釈より困難なのは理解した。
698 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:12:50
>>694 個人差があると思う。
臭い万戸しか知らない人にはそうかもな。
道程の記述について
@1世紀に編集『九州北部 国勢調査』(〜不弥国)
A3世紀に編集『邪馬台国探訪記』(投馬国〜)
が組み合わさってる
本来ならAのみで書かれるべきところを何らかの原因て朝鮮半島から日本列島までを記載してた部分が欠落
仕方なく@を使って辻褄を合わせた
ちなみに@には続きがあって、末廬=松浦、伊都=糸島、奴国=博多、不弥国=宗像とした場合に
現在の北九州や宇佐や甘木朝倉、吉野ヶ里についての記載もあったのが邪馬台国とは直接関係ないので削除
Aも投馬国について詳しい描写があったのを@とのバランスを考えて削除
つまり不弥国と投馬国は時空が繋がっていない
もしかしたら、その後勢力が拡大した奴国=投馬国の可能性もある
700 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 11:52:09
投馬国は、北九州から南へ水行20日のところにあるんだよ。
北九州でないことは明らか。
>@1世紀に編集『九州北部 国勢調査』(〜不弥国)
これの現物どこだよ。
703 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 14:15:47
水行十日陸行一月とあるのだから、九州には邪馬台国は無いのは明らか。
704 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 14:40:11
705 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 14:59:17
水行二十日の投馬国も九州には無いのは明らか。
706 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 15:06:56
>邪馬台国
国が存在するのに文字は存在しないなどということは認められない
707 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 15:38:34
>>706 邪馬台国を創ったのは、中国の歴史書だよ
だから邪馬台国に漢字は存在する。
708 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 15:54:37
>>706 インカ帝国も文字がなかった。
縄の結び目を文字代わりに使ってたのは日本と同じ
709 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:11:40
710 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:20:41
>>709 隋書に「無文字 唯刻木結縄」
文字はなく、ただ木を刻み、縄を結んで(意思疎通する)ってのがあるよ。
漢字が伝わる前はそうしてたんだろ
711 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:30:58
713 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:36:10
中国には今でも文字を持たない民族ならいるよ
で?
714 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:43:12
>>711 600年の倭王の話のあとぐらいだからそのへんの話だろ。
巷には文字はまだ出回っていなかったと思われる。
ここで重要なのは、漢字使用以前は木の刻みや縄の結び目を意思疎通
の道具として使っていたということ。
715 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:50:59
おいチョン
そんな話はないんだよ
607年の遣隋使の派遣が何であるかわからないようだな
716 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:54:56
>>715 ファビョるなよ
実際俺の前に出て来たらしょんべんちびって土下座するくせにw
民衆に教育がいきとどいていないというのと
支配層が文字を持っていないというのは別。
けんかはやめてー
718 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 17:00:27
>>710 ほらほら随書なんだろw
どこにそんなものが記述されているか見せて見ろよ
チョン
人はとても落ち着いており、争訟は稀で、盜賊も少ない。楽器には五弦、
琴、笛がある。男女の多くが臂(肩から手首まで)、顔、全身に刺青をし、
水に潜って魚を捕る。文字はなく、ただ木に刻みをいれ、繩を結んで(通信)
する。仏法を敬い、百済で仏教の経典を求めて得、初めて文字を有した。
卜筮を知り、最も巫覡(ふげき=男女の巫者)を信じている。
>>718 おっさんきもいレスばっかすんなよ
邸能ばればれだぞ
普段からそんななんだろうけど。
722 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 17:14:17
隋書に書かれている文字は、現代で認識する文字と同じでいいのかなあ?
同じ認識として話しが進んでいるようだけど。
723 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 17:28:23
>>722 それはわからん。ただ縄で表意は難しいから表音文字だったかもね。
憶測だが
724 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 17:32:07
文字は無かったが、木に刻みを入れたり
縄を結んだりしたんだから「文」は存在したんだよ
725 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 17:36:48
「海」とか「体」とか「漢」なんて言うものは無かったけど
象形は有ったんだなあ
縄文式土器は実は本だった説浮上。
まぁありえなくも無いが根拠も無いな
騎馬民族征服説レベルだ
728 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:55:22
日本には文字が無とは書いてあるが文まで無とは書いてないので、
経典の輸入以前から
文字まがいのものは存在したな。
古事記とは稗田阿礼の口伝を太 安万侶が阿比留文字で書き留めたもの。
731 :
まる:2009/12/09(水) 19:46:21
やっぱ水行10日とか20日とかで九州(特に北九州)ってのはきびしいよね?
最近九州説から近畿説に揺れてきてる
732 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:01:33
>>731 全然無理じゃないんだけど、畿内でも九州でも御自由に。
733 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:04:28
今でも九州説から畿内説に移る人が居るということは、
古代も畿内に憧れて移動した証だね。
歴史は繰り返えされる。
734 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:15:45
735 :
まる:2009/12/09(水) 20:18:40
>>732 無理じゃないって海岸線つたってどっちからか南下する感じ?
それとも内陸の川を上ってく感じ?
俺的には有明海を南下してくのが好みだったんだけど。
736 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:25:07
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
737 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:29:01
738 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:31:55
ムーの別冊の宣伝ですか?
741 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:02:47
>>735 現在の博多辺りから、海岸沿いに南下すればいいじゃん。
川は川行
>>738 なぜか、仁徳天皇陵とそっくりのマナの壺は日本のサイトでしか
見られない不思議。
743 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:20:57
744 :
まる:2009/12/09(水) 21:28:17
>>741 なんとなく古代船海王ってかなり当時に近いんじゃないかって思うんだけど
あれが30日ぐらいで大阪まで行っちゃうって聞くと
20日かけて九州の海岸線まわりで投馬国ってどこまで行けちゃうんだろ?とかって思うんだよな。
狗奴国のスペースがなくなっちゃう気がしない?
745 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:33:31
近江毛野
746 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:37:57
747 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:39:16
邪馬台国は九州だな。もし畿内なら卑弥呼が誰か容易に分かるはず。古墳だけ有って朝廷記録に無いのは矛盾だから。
748 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:43:17
749 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:50:03
>>744 九州から大阪行ったら、水行じゃなくて
「海を渡る」
それに、倭人伝は宝探しじゃないから
九州島を一周して島の規模を記載する。
奴国が二回出て来るのはそのためさ。
750 :
まる:2009/12/09(水) 22:08:17
>>749 「海を渡る」と宝探しの意味がちょっとよくわからないけど
九州を一周してるのかなぁ?なんとなくそんな風な感じはしないんだけど。
でも、奴国は確かにちょっと意味深だよね。
751 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:14:54
>>744 海王は、セレモニー的に水産学校の生徒などが漕いだりしたが、
動力船に曳航されていたことが多かったらしい。
752 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:26:43
船に乗っても進まないから、途中で上陸して奈良を目指したのだろう。
道なき道を歩いておよそ一ヶ月というわけだ。
753 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:35:58
いちお三国志では「渡海」と「水行」は使い分けられてるようだ。「水行」は主に河川航行。ただ中国の長江
などと、日本の急峻な川は違うし、難しいところ。
754 :
まる:2009/12/09(水) 22:39:01
>>751 え!そうなんだ。それはちょっと裏切られた感じするね。
潮の感じとかもあるんだろうけど、なみはやとかはどうなんだろう?
30日ぐらいかけて九州から大阪ってのは意外といい線なんじゃないのかな。
>>750 島は一周しないと規模を把握することが出来ないだろう。
九州島の規模は
水行30日 陸行一月 +1500里 反時計回りで一周したの
水行も陸行も、進むスピードは同じ。一日に進む距離も統一
距離を里で表示しないで時間にした一つの理由は、直線的に計測できないから
>>753 倭人伝の水行は 「循海岸」 倭人は大海之中だから
757 :
まる:2009/12/09(水) 23:11:43
>>753 船行って言ってる箇所もあるよね。あの使い分けはなんなんだろう?
>>755 一周してるのかなぁ?
漢文とか読めないけど、なんとなくそんな感じは受けないんだけどな。
一周するのに陸行一月ってのも解せないし。船おいてくる訳にもいかないでしょ?
一回りしてれば得意の方何里とかも書けそうな気もするんだけどな。
758 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:16:42
>>754 古代船というと、宮崎の西都原古墳から出た埴輪が有名で、これをもとにして
昔の野生号や海王丸が出来た。
これに対抗して、近畿地方から出た船形埴輪を元に「なみはや」が作られた
んだけど、構造的に無理という専門家の言葉どおり、舟としては失格で
前に進まなかった。
759 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:19:21
>>758 海王丸→海王
ついでに
船形埴輪→舟形埴輪
760 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 23:33:27
水行10日 陸行一月って、九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
水行20日の投馬国のこともあるし。
761 :
まる:2009/12/09(水) 23:38:12
>>758 あれ?海王は有明海から大阪まで行ったんじゃないの?
なみはやは大阪から釜山まで行ったって思ってるんだけど。
>>575 >船行って言ってる箇所もあるよね。あの使い分けはなんなんだろう?
ちゃんと意味があるから使い分けられています。
それを探し出すのも楽しいよ。 暫く自分で探し出してみたらどうだろう?
水行と陸行に分けたのにもちゃんと意味がある。
一周したようには見えないのは、まだ旅行エッセイ的に眺めているからだよ
早く読めるようになるといいね。読めると驚くよ。もの凄く合理的に書かれた文章だから
>>560 >九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
飛び出すことは100%あり得ない
水行は循海岸だし、陸行は島の中(やはり循海岸)だから永遠にグルグル回り続けることはあっても
決して海の上を歩くことはない。
それは水行も同じ
他の島に行けば、それは水行じゃなく「渡海」
対馬海峡は島間1ピッチを1日以内で渡らなければ、海流が速いから流されて結局渡れないと思われる
船旅でも1日千里は可能なんだよ、水行10日や20日って相当行くよ1日千里として計10000里、郡からクヤ韓国まで7000里+海峡3000里、これで船旅は終了、陸路を1ヶ月で到着という事だ
投馬国は本州のどこかまで船旅で行き切るんだろうね
にしても、陸路1ヶ月って九州内では消化できない気がするんだよね・・・・解らん
765 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:03:19
>>764 渡れようが渡れまいが、関係ないよ。
島間が千里と書かれてあるだけだから
島間を一日で渡ろうが、一年かけて渡ろうが
千里であることにはかわりなし。
766 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:06:07
>>761 プサンまで行ったのは野生号だけど、出発点は博多じゃなかったかな。
海王は、熊本県宇土市から大阪まで行った。
なみはやは、どうだったかなあ。前に進まず、沈んだというような記憶があるが。
767 :
まる:2009/12/10(木) 00:17:07
>>762 う〜せめてヒントぐらい・・・
単純に考えると船の種類が違うとか、航海の長さとか、陸地が見えるか見えないかとかかなって思うんだけど
正解ある?
旅行エッセイって風には感じたことないなぁ。
逆に断片的な情報の寄せ集めみたいな印象を受ける。
一人の人が一度の航海で経験したことを書くならもっと流れとか統一感とかありそうだし。
昔から伝わってる少しずつの情報を羅列してみたって感じがするんだけどな。
768 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:23:12
>>767 倭人伝には海上航海が三種類かかれている
一つは水行
これは循海岸と書かれているように
海岸に沿う走行
もう一つは渡海
これは読んで字の如く
そして舟行だ
769 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:24:50
水行10日 陸行一月って、九州を飛び出すから、畿内しかないよな。
水行20日の投馬国のこともあるし。
九州1周では↑のような書き方にはならない。
邪馬台国は徳島らしいよ
771 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:34:04
>>767 水行と陸行は対関係
水行があるから陸行と言う区別が必要となる。水行と陸行はセットもの、二つ揃って一人前。
つまり、水行があれば次は陸行と
しかし船行には対になるものが存在せず、ただ船行だけで処理できる。
>765
いや、趣旨は水行1日で千里が可能と言いたかったんだけどね
773 :
まる:2009/12/10(木) 00:44:22
>>768 >>771 う〜ん、やっぱりよくわからないな。
ちょっとしたニュアンスの違いのような気がするんだけど
明確な違いがあるの?
川を上ってくって事じゃないでしょ?
774 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 06:48:32
>>773 川は関係ないよ
倭人は山肌に沿うように海岸沿いに住んでいると書いてあるから
「…大海之中依山島爲國邑」
全て海岸沿岸移動で事足ります。
>774
「山や島に寄り添うように」だよ
大陸から見たら日本は、山ひだの間の僅かな平野に住んでいるようなものだから
776 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 07:52:39
「寄り添うように」は末羅の説明に出てくる表現。
依山島為国邑なら国土が山島で出来ている、と言うくらいの意味。
山島はその前の大海と対にするため二字にしただけだろう。
>>774-776が言ってる中身は同じだろう?
それ以上事細かに解釈する必要も無と思うし。
778 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 09:10:59
やっぱり船行って謎だよね。
始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。その大官を卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。
居る所絶島にして、方四百余里ばかり。土地は険しく深林多く、道路はきんろくのこみちの如し。
千余戸有り。良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市てきす。
又南に一海を渡ること千余里、命けてかん海と日う。一大國に至る。官は亦卑狗と日い、副を
卑奴母離と日う。方三百里ばかり。竹木そう林多く、三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を
耕せどなお食足らず、亦南北に市てきす。
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行
くに前人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸
行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世
王有るも皆女王國に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。
東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。 東行
して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。 南のかた投
馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。
南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず
>>773>>778 「水行」→ 起点から着点までの移動が船
「船行」→ 起点から終点までの移動が船
水行は前後どちらかの移動に、陸行を伴いワンセットになる。
というか本文に解釈の余地ありすぎだぜ。これという正論なんてないわ
782 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 09:58:28
>>779 「始めて一海を渡る」なんて変だろう。
今まで海を渡る行為なんて書かれていないのに。
海を渡る行為が初めてなら、
「初めて一海を渡る」じゃない。
784 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:16:30
>>761 >なみはやは大阪から釜山まで行ったって思ってるんだけど。
>758のいってるように、なみはや は夜間他の船に曳航されて、釜山につきました。
とても不安定な船で外洋どころか瀬戸内海でさえむずかしいでしょう。
785 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:24:03
>>783 そうだよ「始度一海」
だから、始めて一海を渡るじゃ変だろう?
786 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:32:07
>>785 それは解釈でやっていけばいいんじゃないの?
書き下し文でもああなるし。
787 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:38:26
>>786 だからその読み下しが間違っているのでは。
古代中国語を、日本語に置き換える事自体に無理があるんだし
788 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:42:45
>>787 じゃ君のいうような書き下し文さがしてきてよ。
俺はさほど意味がなく、初めも始めもかわらんと思うけどw
789 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:44:15
方角は当てになら無い。
倭人伝に対馬国が出てくる。
現代中国語の発音でもdui ma であり、「つしま」に近い。
恐らく作者が、現地倭人や、渡航経験のある漢人に聞いて漢字を当てたものだろう。
地名はともかく、方向音痴な人間の話を聞いて書かれた文書なら、方向が目茶苦茶で当然。
790 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:47:18
>>786 読み下しそのまま解釈しても意味が変わらない文や、読み下してしまうと
全く別な解釈が発生してしまう文など
始度一海だって、渡じゃなく度だよ。
これを世間では、誤写誤字摩耗などと言ってるようだが
漢文の専門家でもないのに、九州説の学者は勝手に都合の良いように
解釈するからなぁ
792 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:00:03
>>791 漢文の専門家が全て正しいわけではない。
漢文の専門家だって現代人です。
いっそ白川静先生バリに漢字の意味を追求すればいいんだ
794 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:21:45
>>793 白川先生には遠く及ばないけど、鼻糞程度はやってるよ。
>>764 「民」って漢字さ、藤堂説と白川説、どっち派?
>>795 安藤氏の解釈が解らないので、比較することが出来ません。
798 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:10:01
>>797訂正します。
安藤……×
藤堂……〇
失礼しました。
799 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:47:39
漢文が読める中国の学者はみんな畿内説だよ。
800 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:53:42
801 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:54:41
嘘つけ。中国の学者が南と東の区別をできんはずはない。
802 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:01:27
畿内説って、
>>799みたいな発言しないと
不安でしょうがないのか?
ヘタレが。
803 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:13:32
中国の学者で九州説なんて聞いたことねえよ。
804 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:24:59
畿内説って、学者がああ言っていた、こう言っていたばっかりだな。
しかし、学者にも異端というのがある。医者の中には、運動するのは体に良く
ないから運動するなという人もいる。
全てお膳立てしてくれる他力本願が畿内説だし。
新婚旅行の手続きもママがやってくれるし、同行までして雑用を引き受けてくれる。
九州説はしとうとの妄想
809 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:34:21
まるで競馬の予想だな。
810 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:46:05
倭の奴国の金印と漫画「邪馬台幻想記」の影響で、九州説を支持する中国人は多いよ。
あくまでも「ヲタ」レベルの話だけどね。
基本的に中国人は、日本の古代史はチンプンカンプンです。
811 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:51:08
中国人学者崇拝現象は、彼は府中の市民だから
競馬の予想的中率が高いだろう的な考えと一緒。
812 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:56:30
基本的に中国人は、倭の奴国と邪馬台国と大和朝廷をゴッチャにしていて、
複雑な連合国家の状況を全く理解できていないレベル。
「つーか、全部倭国なんじゃねぇの?それって、別の国なの?」ぐらいの壊滅的認識。
一般人の理解はこの程度。
Wikipediaはあてにしないように。
813 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 14:56:41
魏史倭人伝を みんな真剣に取りすぎ!
オーバーに書いた娯楽物だよ。 付録みたいなもの!
日本奥地まで役人がわざわざ行くかな?
北九州でも黥身黥面の輩やのにな。たいして護衛もなし。
アマゾン奥地、未開狂暴民族を訪ねるの巻みたいなもんや。
それを後世の学者が信じて、これはどのくらいの距離かとか、戦ってる。大変やな
814 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:05:14
漢書地理志に倭人国家が朝貢している事が書かれているから、
「未開の原始人国家」という認識は、恐らく倭人伝の時代には無い。
陳寿は、倭人の使者か、倭と交流のある漢人に聞いて文章を書いたのであろう。
>>812 >複雑な連合国家の状況
・・・だったとわかるのも魏志倭人伝のおかげでは
816 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:06:59
中国人が、魏志倭人伝を読んで、畿内だと言ってるのに。
九州説の恣意的な読み方中国人が笑ってる本あったな
818 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:26:13
>>816 だから、市川や松戸の市民が、有馬記念予想している程度のものだ。
819 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:29:05
>>817 東京県市川市の住民に、有馬記念予想を笑われても意味ないし。
820 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 15:50:03
九州説の恣意的な読み方そのものだな
821 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 16:44:58
九州説が恣意的な読み方なら、畿内説は妄想のだな。
822 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 16:52:39
ただの森を卑弥呼の墓なんて言っちゃう連中だから
823 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:00:56
九州からは、ヒミコの鏡とおぼしき鏡が1枚も見つかってませんなあ。
824 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:13:24
ほら、また卑弥呼の鏡なんてつくり話しちゃって
墓の次は鏡のつくり話しですか?
鏡に卑弥呼さんへとサインでも書いてあるのかな?
九州には卑弥呼の痕跡すら無いです。
山賊の娘なら沢山いるらしいがw
826 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:28:24
>>825 卑弥呼の痕跡って何ですか?卑弥呼の野糞でも出て来るのかな?
それとも卑弥呼の携帯でも落ちてた?
827 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:29:06
モモソ姫と言いたいんだろうが、偽の痕跡ではない方がましだな。
828 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:30:29
畿内支持者はいったい何処までつくり話しすれば
気が済むんだ。困ったもんだ
829 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:36:24
畿内に卑弥呼の痕跡なんて出たことないしな
なんか無理矢理こじつけているのはたまにみるが。
九州説はこじつける事すら無理だからな。ファンタジー小説レベル。
比定地も人物もそれらしい伝承もなーんも無し。
もう畿内説とはレベルが違う事を早く認識しないとね。
831 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 18:25:00
当時 東北関東以外を ゆるやかでも統治する中央政権があったんだろうか? せいぜい北九州、吉備、出雲など地方政権が独立した状態だと俺は思うが。
倭の五王の文書をみても戦乱に明け暮れた感じがするけどな。
それとも、邪馬台国が滅びて戦国時代になったんだろうか?
832 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 18:37:14
九州には、
「ここぞヒミコの墓!」とか
「これぞヒミコの鏡!」という証拠になるものが何もないのが痛いよね。
だからテレビでも九州説は特集すら組んでもらえない。
九州説が優勢だった頃も、九州説の番組なんて見たこと無いし。
九州ローカル局では、やってたのかな?
「ここぞヒミコの墓!」とか
「これぞヒミコの鏡!」という証拠になるものが何もない点では、
畿内説も同じだと思うが。
どこからでもいいから、早いとこ、親魏倭王の印が出土しないと、
永遠に決着はつかないだろう。
834 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 19:56:53
ヒミコが シャーマンの役職名なら ヒミコの墓なぞ くさるほどあるぞ!
ひょとして合葬してるかもしれん。
邪馬台国が地方政権で滅亡してたら何処にあるかも欠片もないよ。
九州説支持する人ってやっぱ九州人が多いよね
当然のようだけど考えてみると不思議
先祖代々九州に住んでたとは限らないもんね
836 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:44:05
畿内には箸墓がある。
箸墓は4世紀だというやつもいるが、
箸墓より古い古墳が連続的に存在するので、まったく話にならん。
837 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:51:27
箸墓と卑弥呼をつなげる出土物は何もないのが現実
ただ古墳があると言うだけ。
いろいろと年代操作して卑弥呼の時代に合わせてしまった。
おかげで土器の年代が上がったり下がったり忙しい。
838 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:55:30
ほんとに、そこまで発掘したのなら、邪馬台国の存在を示す石碑か鉄剣、せめて木簡の1枚や2枚くらい
発掘されてもいいのではないのか?
それが出ないということは、箸向が邪馬台国ではなかった証拠ではないのか?
839 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:56:45
そういえば、巻向で掘っ立て柱のあとが出て来て
卑弥呼の宮殿だと言い張る奴が居たな
840 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 20:58:39
>>838 楽浪土器やかまど跡などが出て、明らかに楽浪人や韓人が居住していたと考えられる北部九州の遺跡から
も、木簡などの文字資料は出てないんだな、これが。
以前にも指摘したが、
「日本書紀を書いた王朝の祖先には、卑弥呼は存在しない」
これはいわば歴史的公理。
畿内説の人は、これから逃げてはならない。
文献を裏付けるような出土品はあるでしょ。
各地の土器が出土するのは共立した証拠になるし、
海部氏系図といった、資料もある。
近くには水銀鉱山もあるし、墓造営の逸話まで記紀に残されてる。
843 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:03:42
844 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:07:30
>皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ・・・
明らかに伊都国の地では、木簡あるいは竹簡のやりとりがあったはずなんだが、前原あたりからも文字資料
は出ない。なかったのではなく、残りにくいのだろう。だから、「邪馬台国の看板」などの出土は望み薄だな。
>>844 張政などが何か書き残してる可能性はないだろうか?木棺の蓋なんかに。
846 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:12:23
>>836 今の畿内説は年代の根拠が不明すぎる。
古墳時代の開始を以前より100年早めて、卑弥呼の時代を古墳時代に
してしまう暴挙を犯したが、その根拠ははっきりしない。
こう書くと畿内説のwwww(植草)は「お前が九州説の年代を証明しろ」と言うばかりで
自説をまったく書かずに逃げ回る。
847 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:13:55
>>845 魏の使節団が船に馬を積んできて、鐙なんか残していったんなら面白いが・・・w
>>846 >卑弥呼の時代を古墳時代に
>してしまう暴挙を犯したが、その根拠ははっきりしない。
おまえがしろうとだからわからないだけなんじゃね?
849 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:17:11
>>846 畿内説を否定しても、九州に邪馬台国は出てこないぞwwwwwwwwwwwwwwwww
せめて、「九州の○○が邪馬台国。××が卑弥呼の墓」と場所くらい特定しなよ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
850 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:25:35
今の畿内説に年代の根拠を求めることが誤りとしか言いようがないな。
C14は信頼度がいまいち。仮に信頼するとしても、ホケノが4C半ばというデータも
あるので、有利なものだけ使うという問題がある。
先日の歴博のように都合よくピンポイント年代を導くという人もいるが、大多数はこれに反対。
というか、歴博は反対論の圧倒的集中砲火に無視という方法でしか対処できていない。
年輪年代は測定値が一度たりとも公表されていないのでアウト。
さすがに最近は年輪年代を正面から根拠にする学者は消えうせた感がある。
>>850 それだって、九州説の先生方のいってることの受け売りでしょ?
結果として、大多数の先生方がC14による判定結果に信頼を置いていることが大切。
854 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:41:26
>>849 せっかく「九州説ドンと来い」のスレがあるんだから、九州説ないで議論して候補地を決めればいいのだが、
なかなか頑固な人が多いからな。
>>849 >せめて、「九州の○○が邪馬台国。××が卑弥呼の墓」と場所くらい特定しなよ。Wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お〜い 頭大丈夫か?
邪馬台国なんていうのは、中国の歴史書の中だけに存在するもので
九州の何処や畿内とかいうものではない。
856 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:52:11
邪馬台国論争というのは、日本の古代史観に大きな影響を与える、というのが
本当のところだろう。
倭人伝を読むと、壱岐や対馬が邪馬台国の支配を受けていたのは事実。
さらに、狗邪韓国も倭の影響を受けていた可能性が高い。
そして、大陸に自由に行き来していた。
畿内説を取ると、西暦200年かそこらの時期に相当に大規模な統一国家が
出来ていたことを想定しなくてはならない。
一方で、九州説を取ると、邪馬台国連合は、九州に限られていたと考える
ことが妥当になる。九州の邪馬台国が周辺の諸国を従え、大陸と独自に
交流を持っていた。
東遷説では、その邪馬台国が徐々に勢力を広げ、大和朝廷になり、日本を
統一することになる。
そのほかの説では、九州の邪馬台国はいつしか忽然と?姿を消してしまった
ことになる。
つまり、3世紀前半あたりの日本の状況を考える上で、また後の大和朝廷との
関係を考える上で大きな意味がある。
857 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 21:55:54
朝鮮人への観光誘致で生き残ってるしかないという実態なのが九州説。
C14の信頼度がいまいちと思われていたのはひと昔前。
また、年輪年代が単独で出ていた頃は参考程度の扱いだった。
これらの数字がピタリと合うことが認められて、現在の暦年代決定に採用されているのだ。
それが池上曽根だったということで。
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860 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:29:28
ナンキンさんの言葉はピイチクパアチク、ナンキンさんの言葉はピイチクパア。
861 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:38:16
>>858 Q 測定値が公表されていない年輪年代をどうして信用できるのですか?
A 信者だから。
862 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:40:14
Q 安本教授の東遷説が、どうして信じられるのえdすか?
A 信者だから。
863 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:44:11
じゃあ
>>862も、年輪年代を信用するやつは信者だと思っているんだ。
まあ一度たりとも測定値が公表されたことがないモノを信用する異常さは尋常じゃないからなあ。
864 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:50:57
日本で600面近く出土して中国では1面も出土していない三角縁を中国製と言い張っている人には負けるよ
畿内説ってなんでこんなに必死なんですかね
壱岐から福岡に上陸して熊本鹿児島方面へは進みません
怖い狗奴国の熊襲がいたからです
だから反対方向の陸づたいに目的地を進んだんです
それを南下するとしたんです 難しいごたく並べてんじゃねえよ
866 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:54:49
100年近い測定誤差を考慮する必要のあるC14だけで「卑弥呼の時代」に特定した人が最強だろ。
867 :
ローガン:2009/12/10(木) 22:59:46
>>841 >「日本書紀を書いた王朝の祖先には、卑弥呼は存在しない」
> これはいわば歴史的公理。畿内説の人は、これから逃げてはならない。
なるほど、国内文献に見えないって事ですね。では、国内文献すらない地域は取り敢えず論外ですね。
868 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 22:59:48
箸墓を350年にすると、九州の平原は実年代でどういう位置づけになるのか?
自分の首を絞めてるだけじゃないのか?
869 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:01:27
>>863 年輪年代ももうやりつくした。
一つ法隆寺の心柱を例に挙げると、
法隆寺は、西暦607年に創建され、西暦670年に焼失。8世紀初めに再建された
と記録に残っている。瓦からもそれが妥当とされてきた。
ところが、年輪年代で法隆寺の心柱が西暦594年の伐採と出た。
創建のときの柱だったら、年輪年代の結果は妥当なのだろうが、再建された
時期とは100年の開きがある。
年輪年代を信じれば、法隆寺焼失の記録が嘘だったか、あるいは再建に
当たって100年前の木材を心柱に使用した事になる。
100年前といえば、現代からすれば明治時代になる。明治時代の木材を
現代の建築で使うことがあるだろうか。
とにかく、年輪年代を信じるか信じないかで歴史が変わってくることになる。
だから、年輪年代の妥当性を確認することの方が先。
妥当性が確認できないなら、信じないほうが良い。
しかし、「年輪年代の測定値」ってなんだろか?
871 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:16:21
>>868 ただの森と墓を比べても意味ないだろう?
872 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:21:12
とにかく、東遷説を信じるか信じないかで歴史が変わってくることになる。
だから、東遷説の妥当性を確認することの方が先。
妥当性が確認できないなら、信じないほうが良い。
平原って森だったのかw
失礼、「公表されていない年輪年代の測定値」
875 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 23:28:14
けど九州説だったらわざわざ不弥みたいな小国を紹介する意味が分からん
畿内説でも紹介する意味がない国だと思うけど
数合わせだろ。
30国にしたかったんだよ。
877 :
ローガン:2009/12/10(木) 23:43:10
>>869 >創建のときの柱だったら、年輪年代の結果は妥当なのだろうが、再建された
> 時期とは100年の開きがある。
心柱だけじゃないでしょ、調査したのは。それにより、再建が確定したのに…
250年ごろに女王がいたってすごくない?
他にそんな国ってある?
クレオパトラは紀元前だぜ。
880 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:01:19
>>879 クレオパトラ=250年ごろの女王でない
>>880 >878は古いからすごいと言ってるのじゃないのか?
違うなら、何がすごいんだ?
883 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:19:12
女王について考えてみるのも面白いかもね。
いつごろ女王が誕生し、いつ頃いなくなったのか。
どうして女王が生まれたのかなど。
遺伝子が優れていたから卑弥呼は女王になれた
885 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:38:54
九州で発見された女性の被葬者で顔が変形してたのがあったよね?
巫女だろ!
887 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 04:21:03
先ず大前提として如何なる説をとろうが(九州王朝説は別かw)4世紀の半ばにはヤマト王権は誕生する。
(昔の学生なら語呂合わせで 『大和朝廷日本をシチュウ(4世紀半ば)に治める』と覚えたっけ?w)
この板の九州説は大抵「広範な緩やかな連合体」というものを認めないのだから
4世紀に入って奈良盆地に興った勢力が半世紀ぐらいで次々に
それこそ”力づく”で周りのクニグニを併合して言ったという話だ。
簡単に言ってしまえば殆どイントロ部分wが無しにいきなりサビの部分に突入するwww
東遷説なら更に過激w
連中に言わせれば殆ど無人の野に等しい奈良盆地に”” 何故か ””神武がやってきて
祟神の代にいきなり強力な中央集権国家が出来上がったというから
「緩やかな連合体」どころの話ではないwwwwww
まあ九州説の連中には多く「ヤマト中心主義」とも言うようなものに幼稚な反発心を持って
アンチ畿内説としての九州説に傾倒している連中も多いのだろうが
実は自分達が言っていることが余程過激で
それこそ「 九州版皇国史観 」ともいえるシロモノになっている自覚がない奴が多いよなwwwwwwwwww
888 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 04:51:35
>100年前といえば、現代からすれば明治時代になる。明治時代の木材を
>現代の建築で使うことがあるだろうか。
問題ないんじゃないかな?
木材と言うのは切り出した直後より数十年とかかけて強度が増していくものだと聞いているが…
実際以前にテレビで見たが
まあ現在では「贅沢なやり方」なんだろうが
どこぞの大工が木材を自分で作った池の中に数年放置して
それにより樹脂(ヤニ)を抜き
更に野ざらしにして乾燥させた物を建材として使っていたなw
まあ木造家屋を作る時、旧家に使われていた古木を持ってきて使うなんて話は今でも聞くわけで
(無論コストはかかるんだろうがw)
むしろ切り出した直ぐの木を心柱に使う方が考えにくいと思うがwwwwwww
889 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 07:13:55
無駄な議論はやめろ。纒向遺跡を5%発掘しただけで、邪馬台国の所在地がほぼ明らかになったじゃないか。
今週号のアエラを見てみろ。吉野ヶ里は観光客を取られるので、シンポジウムを開催して九州説を必死で
アピールしているとの記事が掲載されている。町おこし九州説は、九州の皆さんに利益にはならないよ。
九州説の必死さを観賞するスレなのに
宮崎県も掘れば面白い場所が多いのに、東国原知事は気付いてないようだ
吉野ヶ里なみの発見があれば観光県宮崎が復活するかも知れないのに
知事はもっと足元を見ろ
892 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 07:56:52
吉野ヶ里が邪馬台国出なくとも構わんだろう。
あれはあれで、弥生時代の貴重な遺跡であり、日本の宝である。
893 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:22:22
ヒミコはシャーマンのトップとしての役職名だろ。
臣下がホントの名前なんぞ知るわけない。
894 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:30:09
ヒミコが 女王と言う認識がおかしいかも。 シャーマンのトップとしての役職名だと思うが。臣下がホントの名前なんぞ知るわけない。 シャーマンとすれば、行政 軍事など細かい所までできない。間違いをすればシャーマンとしての権威がもたない。
実質的な男王と女シャーマンの2トップだと、あまり広範囲な中央集権は無理やな。地方政権止まりやろ。
895 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:30:45
宮崎は神話と歴女の間だから
具体的なモノが出てきたら具合悪いwww
>実質的な男王と女シャーマンの2トップだと、あまり広範囲な中央集権は無理やな。地方政権止まりやろ
論理に必然性がない。
897 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 11:53:59
町おこしなんて言ってるようじゃだめだな。邪馬台国の所在は、純然たる事実の
問題だ。倭人伝にしたがって進んだらどこになるか、どこに邪馬台国があったと
認められるかだ。倭人伝のとおりに進めば伊都国は佐賀市付近、そこから南へ水
行し、さらに陸行すればどこに着くか、馬鹿でなければ分かるだろう。
899 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 13:08:45
どうゆうコースを考えるのかな? その説明もできないで、九州にはないというんじゃ
ないだろうね。
900 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 13:13:59
九州の何処を水行や陸行するの?
>>897 じゃあ苅谷俊介みたいに信念を持って掘ってろよ
少なくとも日中に2chやってる暇はないだろw
903 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:37:59
飛び出せ青春!
君は何をいま、見つめているの
904 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:47:11
>>887 話せば長くなるから手短に言うと、
畿内説はもともと自生説を取っていた。大和朝廷は大和で生まれ、大和で
成長すると。その源として期待されたのが唐古・鍵遺跡。
でも、唐古・鍵はその期待に応えられなかった。
その後、二転三転している。考古学的に目いっぱい頑張って、連合説なんて
のが出てきたが、記紀との整合性がない。
一方で、記紀を中心に考える畿内説は、卑弥呼を倭迹迹日百襲姫と考えて
いる。これでは考古学との整合性がない。
畿内説は矛盾だらけになっている。
東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
この根拠は何度も示している。
このように考えると、卑弥呼、台与の後のことが記紀で推測できる。
つまり、台与のときに王になった男王が、高皇産霊尊に相当する。
記紀において、天照大神と高皇産霊尊が並立していたことと酷似する。
この時代に、出雲の国譲りがあり、天孫降臨がある。
饒速日命の大和降りもその一環と考えられる。
つまり、卑弥呼の死後、3世紀後半以降に、大掛かりな勢力の拡大が窺える。
その後に、神武東征に相当する出来事がある。恐らく、4世紀になってからと
考えられる。
905 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:50:33
>>903 懐かしいな。
君はなにを今待ち続けるの♪…。
906 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 16:56:48
>>904 >東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
これも万年ループしているが
そもそも記紀神話の多くは海外に類似するものがあり
天照の岩戸隠れにしても、わざわざ九州邪馬台国などと言うものを想定する必要は無い。
それどころか
高天原が邪馬台国なら何故「馬」が出て来るんだ?とか
「三貴神」の月讀は一体誰に相当するのか?
ツッコミどころは腐るほどあるw
結局東遷説というお話を組み立てるに都合の良い部分だけ摘み食いしている程度の話
どうしてもと言うのなら
古代に誰かが九州邪馬台国の存在を後世に伝えるべく
既にあった神話の中にこっそり邪馬台国の記憶を忍び込ませた
・・・などと言う香ばしいお話にでもするか?wwwwww
結局、東遷説などと言うものは神話からスタートして
そこから歴史と言うジャンルの俎上に上ることすらできず
神話そのもののアプローチからも否定されてしまっている始末wwwww
まあ2ちゃんのこんな板ではそこそこ頑張れるんだろうが
リアルじゃあもうトンデモもいいところだなwwww
907 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:07:25
>>900 佐賀からということは、当然、有明海を南下するんだよ。南へ水行というんだから
何も問題ないだろ。それから、上陸して1月歩くんだ。九州は大きいからね。
1月かかっても何も不思議はない。
908 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:09:49
>>904 >東遷説は、卑弥呼+台与=天照大神を基点とする。
天照大神は近畿の太陽神という研究が多いので、その前提自体が成り立たない。
909 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:19:26
「天照」という呼び方は、
饒速日命や天火明命しか冠していない。
天照国照彦火明命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
天火明は、丹波に降臨した神で、饒速日尊は大和に降臨した神。
近畿以外の土地の神に「天照」と付くことはない。
ニニギ(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)も天照とは呼ばれない。
天照と名が付く神社では、天火明が祀られている。
神武東征で、ニギハヤヒが敗れたはずなのに、ニギハヤヒは「天照」と呼ばれ、
神武の側の系譜のニニギは「天照」とは呼ばれていない。
早い話が、天照大神はもとから丹波〜大和の太陽神であって、
神武がその系譜を奪ったということだな。
だから崇神は天照大神を追い出したりしてる。
もともと、神武の祖神じゃないからだよ。
天照大神が天皇の祖神にされたのは、壬申の乱の後からだよ。
常識だろ。こんなこと。
910 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:20:18
>>908 それは、畿内説を前提にした解釈だろ。記紀をまともに読む限りは、九州の
天上に天照大神はいたんだろうよ。
911 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:22:08
>>904 それにだ、勝手に畿内説を定義づけているみたいだが・・・
畿内説が記紀中心主義で
いつ卑弥呼=倭迹迹日百襲姫で一本化されたんだ?
そもそも記紀の内容を丸呑みするなら3世紀のヤマトに「女王」なんていないw
古くは内藤湖南は卑弥呼を倭姫命としたが
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫 なんてのは単に一番人気というだけの話で
学術的に統一された見解でもなんでもない。
畿内説は現在九州説に比べれば圧倒的に所帯が大きいのだから
その幅も相当にあるって話で
それに自分の脳内定義押し付けて
そのくせ九州説にはバリエーションwを認めろというのだから
甘えるのもいい加減にしろとwwwwwwww
また遺跡の話ならその遺跡の評価や意味合いは研究の進展に伴ってきて変わるのは当然
九州説なんか古くは神籠石だの江田船山古墳だのから新しくは吉野ヶ里まで出しては消えの繰り返し
「怨み節」をぶちたいのならリアルで畿内説の学者に謝罪と賠償でも請求してこいよwwwwwww
912 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:24:22
>>910 残念だけど、九州の神が「天照」と飛ばれて祀られてる例は無い。
枚聞神社のオオヒルメムチならいるが、「天照」とは呼ばれない。
オオヒルメムチが、九州の太陽神だろ。
3世紀三輪王朝の前に葛城王朝があった。
その葛城王朝が東遷してきた集団なのはあり得るけど、
倭人伝の邪馬台国はどう解釈してもヤマトです。
914 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:51:45
>>908 >>912 「アマテラス」の名を冠する神は現在の天照大神以外にもいて
それが摂津とか河内とかの畿内だったと言う話はよく聞くが
まあ暇つぶしに東遷厨に代わって反論するなら
卑弥呼が天照に神格化されたのは東遷後であって
それゆえに九州には「アマテラス」の神はいないというのはどうか?wwwwww
915 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:55:49
>>914 >それが摂津とか河内とかの畿内だったと言う話はよく聞くが
聞かないなあ。
たとえば?
「天照」と冠する神ってどれよ?
916 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:00:54
天照大神をまつった神社さすがに日向には多いな。
後世に記紀に影響されて出来たのかもしれんが。
神社本庁に所属している神社なら、基本的には
教典を記紀にしている。
つまり、天照の存在が前提となっているため
天照と余り関係なくても、天照をまつっているところは多い。
関係ないと思うところも多々あるけどね。
917 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:15:30
天照大神以外に、「天照」と冠する神がいるかどうかが重要。
「天照御魂大神」といえば、天火明命かニギハヤヒというように、
もともと、天火明命が天照大神と同一だったことは、神話伝承を調べればすぐに行き着く。
否定しようが無い事実だよ。
918 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:18:22
919 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:24:25
>>918 その「天照御魂」ってのが、天火明のことなんだよ。
鏡作の古社である鏡作坐天照御魂神社の祭神は天照国照日子火明命な。
920 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:35:16
加えて言うなら文化人類学的なアプローチをするなら
「アマテラス」のルーツは九州おろか畿内でもなく意外と東日本だったりするかもしんないwwww
岩戸隠れの神話は九州ではなくて信州のものが
どっちかつうとオリジナルかもよ?wwwwwwwww
921 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:42:37
922 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 18:47:45
信州には、「戸隠神社」がある。
創建は、第八代孝元天皇で、オオヒコの父なんだよな。
ヤマトが信州を制圧したときに、信州の神話をオオヒコが持ち帰ったのが天岩戸神話なんじゃないかと。
923 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:26:59
九州説の考え方をしてると、神話の実態が見えてこない。
本来の皇祖神は、天照大神ではなく、高木神。
天照御魂大神は、近畿の太陽神で、天火明やニギハヤヒは太陽神の祭祀王。
天照大神は、崇神の頃に作られた「鏡」の名前。
天照大神を皇祖神にして神話体系を作ったのは7世紀。
よって、天照大神と卑弥呼はぜんぜん無関係。
神武東征があったかどうかも疑わしい。
神武が三種の神器の鏡を畿内に持ち込んだなら、
鏡作坐天照御魂神社の祭神に天照国照日子火明命が祀られてるのは お か し い。
畿内に鏡を持ち込んだのは、どう考えても天火明命。
924 :
まる:2009/12/11(金) 19:40:12
神武東征はあったかもって思いたいんだけど(なんかロマンがあるから)
卑弥呼のいた時代より古い時代の事じゃないのかな?
なんで卑弥呼=アマテラスになるのか不思議。日蝕があったからなんて理由だけじゃないよね?
925 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:41:56
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
926 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:50:25
日本での稲作の起源は、
中国江南から沖縄〜九州南部から入ってきたんだろう。
それが日向の天孫降臨神話になったんだな。
日向から稲作が吉備〜近畿へと広がり、その記憶が神武東征神話になったということだろう。
中国江南には、鳥居によくにた門がある。
927 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:52:32
「鳥居」の登場は8C。
鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85 8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
928 :
コナン:2009/12/11(金) 19:52:43
バーローよく似たじゃダメだろ、やり直し。
工作員、お疲れさん。
>>927 日本の神木に注連縄を渡して、その先を神の領域「室」とする風習は紀元前からあった。
卑弥呼が実在したかどうかという議論はあるんでしょうか
わりあい早期に亡くなってても
そのことを隠して生きてたことにもできたような
931 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:03:47
>>930 実在したと考えてるから論争してるんじゃよ。
実在しなかったら論争にならん。
932 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:07:16
でも、今のところシナの歴史書にだけしか存在していないんだよな
そして、もうそれから千数百年以上の歳月が流れている
親魏倭王の金印はとっくに溶かされてると予想。
偉大なる大和の王様が朝貢してたなんて恥ずかしくて証拠を消したかったと思うし。
934 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:19:22
金印は、卑弥呼ー台与が連続した政権であるなら、で、もし台与が「親晋倭王」をもらってたとしたら、その
時に返納するのが一般的。ただし、なくしたといって実は鋳つぶしていたとしても、怒られることはないだろうな。
936 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 20:57:34
金印はおろか鉄器の類いも溶かされて農具になってる予感
937 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:12:06
>>374 自分は、どちらかというと魏志倭人伝の内容は
九州の地域を言っているだけで
大和盆地に考古学的な発見が相次いでも、
邪馬台国かどうかは別問題という立場だ。
七支刀についてであるが、
福岡県のみやま市に伝承があり、
"こうやの宮"にはその人形が古くからある。
(奈良の石上神宮に埋められる前にこちらに伝承されて来たか、
逆にこちらが本の宮と考えるのかだと思う。)
こうやの宮は本は磯上物部神社と呼ばれていたことからも、
奈良県の物部氏の石上神宮と対応している。
朝鮮半島への出兵を考えた場合、
この地に物部氏の拠点があったと考えられるのだろう。
大和地方から、出張してきていただけかも知れないが。
938 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:19:21
邪馬台国は、筑紫にあったという前提で話をしませんか?
939 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:20:47
邪馬台国は、現インドネシア、ジャワ島にあったという前提で話をしましょう。
940 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:30:26
>>937 倭人伝は恐らく聞き取り調査によるものだから、
九州地方や畿内地方の風物がごっちゃになっていると思われる。
当然ながら、聞き取りゆえに地理も怪しげ。
941 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:13:05
あくまで『魏志倭人伝』で『魏志邪馬台国伝』じゃないからな
書いてある風俗がすべて邪馬台国のもの、と読むのは安易すぎるかもな
942 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:14:14
>>906 >>924 北史にこのようなことが書かれている。梁書にも同じのがある。
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命
卑弥呼死に、さらに男王が立つ。国中不服。さらに相誅殺す。
また、卑弥呼の宗女・台与を立て王と為す。その後、また男王が立つ。
中国の爵命を並び受く。
台与が王になったあとまた男王が立ち、中国の爵命を並び受く。
これは、二人の王が並存していることを示している。
こんなことがありうるのか。
実は、記紀にも同じようなことがある。天照大神が天岩戸から出た後、
高皇産霊尊が登場する。
古事記も日本書紀も、「天照大神と高皇産霊尊は…」、と両者が主語になる
ケースが多い。
どちらが上なのか、記紀からは判別できない。二人の王が並存していると
しか言えない。
二人の王の並存という極めてまれなことが、記紀と中国の書物に表れている。
そのほかにも卑弥呼あるいは台与と天照大神の類似点は多い。
>>942 後半の男王は倭の五王じゃん。
明らかに時代が違う。
944 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:23:52
まあ、九州で間違いないだろう
945 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:30:00
>>943 そう言うと思って北史を引用した。
北史には、その後に倭の五王のことは書かれていない。
だいたい、150年以上の時差があるのに一緒にするわけがない。
まあ、九州では間違いなくない。
947 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:33:13
>>945 ちょっと補足すると、梁書には「並受中國爵命 」の後に倭の五王のことが
書かれている。
復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命。晋安帝時、
有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、立子濟。濟死、立子興。興死、立弟武
949 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:22:38
950 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:26:27
>>942 天照大神と高皇産霊尊を対にしたのは、8世紀の創作だろ。
「天照」という呼び方は、
饒速日命や天火明命しか冠していない。
天照国照彦火明命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
結論としては、「天照」は、近畿の太陽神の名前。
もし「天照」が九州由来だというのなら、
神武に国を明け渡した近畿の側の神が「天照」と名乗ることを許されてる説明をしてもらおうか?
951 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:29:39
高天原の神話も海外に類似したものがあるといったが
元々「天」を奉る宗教とか天孫降臨のお話は北東アジア地域に見られるものだが
高天原の神話の中にはそれとは系統を別にする
東南アジアやオセアニア地域の神話も含まれる。
例えば保食神(うけもちのかみ)が殺されて
(加害者は素戔鳴だったり月讀だったり何通りかパターンがあるが・・・)
その死体から五穀や家畜が生じた…なんてのは南アジアやオセアニアといった南洋に広く見られる
所謂「 ハイヌウェレ型神話 」と呼ばれるものであるというのは
神話の事を少しでも知っているような人間なら今更説明するまでも無いようなこと。
つまり高天原の神話は九州邪馬台国と言う元ネタを必要とせず
しかも神話自体の元ネタが複数の地域のものがミックスされたものであり
東遷厨の言うようなお話は、所詮、似たような部分を摘み食いしているだけに過ぎない。
(類似点は鬼の首でもとったようにはしゃいで挙げるが、都合の悪い話は一切答えないw)
天照と高皇産霊のダブル主役の件も
元々高天原の主役は高皇産霊であって
天照は後から主役に無理矢理ねじ込まれた・・・ゆえの結果とすれば一番合理的www
そもそも岩戸隠れの類似するものも東南アジア地域にあり
天照を高天原の元々の神とするには無理があるw
まあ神話大好きっ子の東遷厨は何の疑いも無く天照を高天原の元からの住人と思い込んでいるんだろうがwwwwww
天照は後代の佳字を当てはめた形で、元はアマテルの読みから転じたもの。
対馬の阿麻氏*留神社がその起源。近畿は後世の造作。
953 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:41:10
さらに言っておくと
「高皇産霊神」は別の名を「高木神」だがそれこそ「名は体を表す」って話で
今でも日本の何処かの村祭りとかにあるかもしれないが
祭りの期間、山から高い木を切ってきて、それをおったてて
天空の神が木の梢に舞い降りる・・・いわばヨリシロにする。
そう言った天を奉る宗教の神としては「高木神」の方が似つかわしいwwwwwwwww
954 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:45:30
神話では、高天原に最初に現れる神は高皇産霊尊であって、
天照大神はイザナギイザナミの国産の後だからね。
955 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:48:15
>>954 日本書紀で挿げ替えられた。もとは古事記の様に天御中主が初代。
956 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:20:21
>>951 倭人伝の卑弥呼と記紀における天照大神が、非常によく似ていると畿内説の
人も感じているから、神話云々を持ち出して否定しているわけだろう。
真っ向から否定出来ないから、神話の類似性みたいな紛らわしい話になる。
しかし、東洋の神話に関してはそこらの人など足元にも及ばない、白鳥庫吉が
倭人伝における倭国の状況と記紀における高天原の状況は酷似すると
言っている。
神話云々で、この酷似を否定出来るなら、白鳥庫吉が真っ先にそう言って
いるだろう。
山ほどある神話の中から、ちょっと似たようなものを見つけて、記紀は作り話
だというのは手法としては間違っている。
957 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:35:16
>>950 出た!捏造史観ww
記紀は天皇の権威を高めるために捏造につぐ捏造をしたという反皇国史観。
日本書紀は神代で異説を豊富に取り上げている。
本文のあとに「一書には・・・」といくつもの異なった伝承を取り上げている。
これは実際にも「その伝承が古くから存在していた」から書かれたと理解するのが普通である。
しかし、捏造史観に脳を汚染された連中にかかると、「異説まで豊富に捏造した念の入った捏造」
ということになってしまう。「こんな捏造に騙されて天皇の権威を高めれば、日本はまた戦争を始めて
アジアの国々に迷惑をかけてしまうではないか。」などと本気で心配するのが捏造史観ww
958 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:40:55
ほんとに九州説は見苦しいな。
959 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:49:51
九州説の人がこんな時間に起きてるわけないじゃん
あしたの発掘作業のために就寝中だよ
今いるのはエセ九州説の人
960 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:51:11
>>950にマジレスすると、いくら捏造史観でも8Cに基本的な部分を捏造したなんて
いう極端な説はないよ。
倭王武(雄略)の上奏文で王の祖先からの話しが出ていたりするので、その頃には
祖先についての伝承があったことはほぼ定説。
というか世襲の王制が始まった時点で祖先の伝承が存在しないはずはないわな。
稲荷山の鉄剣に「オオヒコ」という名前が書かれているので、大彦が実在するかどうか
は別にして、その時点で大彦の伝承が成立していたとすることも通説。
ということで、捏造説の中では5C〜6Cに捏造が始まったというのが通説なので、8Cに
基本的な部分を捏造して、伝承の骨格に組み込んだとするのは、捏造説のなかでも
ちと異端だね。
まあ目くそ鼻くその問題かもしれんけど。
961 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:55:09
>>956 はあ?
だから白鳥庫吉がどうしたって?
白鳥庫吉だろうが内藤湖南だろうが今日において通用しない部分と言うのはある。
白鳥庫吉が言ったらお前にとってそれは疑うべからずの真実なのか?
それはお前、宗教だぞwwww
それに酷似しているのを否定して見せろというのはよく分からないなw
要は酷似しているという事実があり、それが何に起因するかと言う話で
それが九州邪馬台国が元ネタと言うのはあまりにアクロバチックだという話しだが?w
で、何で邪馬台国に馬が出てくるんだ?
天照=卑弥呼、素戔鳴=狗奴国として、月讀は誰に当てるんだ?
高天原=九州邪馬台国も史実で神武東遷も史実なら
その間の日向三代の話は如何なる史実に基づくのか?
「夫は見た!産屋を覗いたらヨメの正体はワニだった!」
と言う異種婚憚とか
「釣り針捜索型神話」として認識されている話とか・・・www
まさか都合の悪い部分だは神話としてお茶を濁すのかな?w
まあ最後に頼るのが白鳥庫吉教祖と言うのなら
もはや手の付けようがないがwwwwwwwwwwwwwwww
962 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:11:29
>>960 ヨコだが…
>>950は別に天照大神や高皇産霊尊が8Cに創造されたと言ってないと思うが?
天照大神や高皇産霊尊は元々独立した存在であって
その立ち位置と言うか役どころを現在記紀で見られるようなものにしたのが8Cと言うのなら
可能性はあるかと思うが・・・
963 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:20:37
この時代、本州までのゆるかやでも広範囲な中央集権国家があったか?
そうだとしたら、倭の五王の四方征伐はどう読みとるか?
魏志に 奈良盆地の山々に囲まれた広い平野の記述が何故ないか?
日本中央政権なら熊襲あたりになんで苦戦するか?
964 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:32:50
九州人は中央に反抗的なんだろ。
だから九州説がこんなに根深いんだよ。
965 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 02:46:46
>>964 中央に反抗的なのは関西人じゃなかったかな。
966 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 03:39:52
>>963 地方で一揆が頻発したから、江戸時代は中央集権ではなく地域連合国家なのか?
大塩平八郎の乱があったので、江戸時代は地方分権か?
中央集権国家でも地方で乱は起きるわな。
地方に苦戦したからと言って、島原の乱のときに長崎が独立国家とかいう理屈は成り立たない。
967 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 03:55:47
>>962 世襲の王政が成立した時点で、その祖先からの伝承が存在していたという前提に
立つのであれば、後世での些細な伝承の差異を重視する必要もないよ。
記紀は古くからの伝承を書き記したもので、特に日本書紀は異伝をも多く書き記した
という立場からは、
>>950のようなこじつけをしようという発想すら全く出てこない。
>>966 江戸時代は連合国家制でしょ
EUみたいなもんだ
969 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 07:13:39
日本を統一した国は、大和朝廷(東北北部と北海道を除く)
の後は、明治維新まで現れなかった。
江戸時代は、合衆国や連合国家というより、日本首長国連邦ってところかな。
>>963 反乱分子なんて当然いるでしょ。
それに邪馬台国の具体的な地形の記述なんて、倭人伝の何処にも無い。
仮に九州南部に比定するなら、阿蘇や桜島といった火山の記述が皆無なのも変だろ。
随書には阿蘇の記述があるが、それは倭国の範囲が南進した為だからな。
弥生後期に九州南部に7万戸なんて無理
972 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:02:38
戸数は 合ってるの? 魏志の数字は オーバーだと思うが?
973 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:06:00
974 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:15:15
弥生時代にすでに九州の人口は数10万戸に達していた。
そのため天候不順による食糧不足で飢饉がたびたびおこり、
風水害の少ない新しい盆地を探して奈良に移り住んだのです。
とれが神武東征の本質です。
>>974 つーか、戸と人口は別の概念だろう。
それを一緒にしちゃうって、何か根拠でもあるの?
976 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:32:44
倭の五王は 統一戦争をしたんだろう?
反乱の鎮圧に走りまくってたわけではないと思うが。
平定した村の数が多すぎる。
977 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:35:20
>>976 数が多すぎるって、じゃあ普通はどのくらいの値なの?
978 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:36:00
975の言う通りだ。
出土した人骨の数と分布からみると、当時既に九州より近畿の方が人口大。
この人骨調査から考察した人口分布によると、
九州説には受け入れ難い話だろうが、その近畿よりも関東平野の方が人口大。
979 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:47:40
>>978 関東や近畿のほうが近代以降開発が進んでいるだけ。
980 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:48:34
>>978 それも九州説の連中にかかれば
「畿内説論者の陰謀」になるからなこの板じゃあwww
そう言った邪馬台国論争なんて関係の無いところから出てきたものまで
否定せざるを得ない…もう頭の中は九州邪馬台国でイッパイイッパイで沸いてるんだろうなwwwwww
981 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:49:53
これは余談になると思うが、渥美半島では
縄文人系の骨が500体以上出土しているが、弥生人系はまだ1体らしい。
このように時間がずれると、人口も変化し
計算通りにはいかないんじゃないの?
つまり未来の資料から、過去を探るなんてナンセンスないい例じゃないかな?
982 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 10:55:21
理数系の奴からしたら、どうしても数字を弄りたいのだろうけど
心情的には理解してやりたいよ、でもズレてるとしか言いようが無い。
983 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:00:31
文系の奴から見れば数字などどうでもよく脳内トンでも度の高いほうが受けると思っているからな。
984 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:05:18
過去の資料からみると、
神武は天津系、則ち、黒潮経由で列島の太平洋側から入植した海洋族勢力の一派だ。
日本列島開拓時代に於ては、列島の東西南北どからでも自由に侵入できた。
統一国家が存在した上、鎖国・排他の姿勢を示さない限り、北九州一帯のみが海外との窓口になる事など考え難い。
歴史に新しい戦国時代〜江戸時代一つ見ても理解可能な事だろう。
火葬にすると骨は残りにくい、土葬も湿気の多い土地ではほとんど残らない。
甕葬にしたりシラス台地のような火山灰の土地なら骨は残りやすい。
だから骨の出土数をもって人口を語るのはナンセンスですよ。
986 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:07:18
>>984 >過去の資料からみると、
>神武は天津系、則ち、黒潮経由で列島の太平洋側から入植した海洋族勢力の一派だ。
ゲノム分析の解析結果を交えて説明してちょ。
987 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:15:52
オレは医学者じゃない。
第一、ゲノム等を用いれば意義自体が人骨調査と変わらない。
988 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:28:02
>>984 太平洋側から入植したといっても、北部九州経由だろ。
筑紫の日向や岡田宮に寄ったと明記されているし。
市橋とか押尾とか、事件を起こすと沖縄経由で海外に逃走しようとするのは、
沖縄から海外に渡る具体的な密航ルートがあったわけではなく、ただ帰巣本能のなせる業だった。
引退したら沖縄で暮らしたいとか言ってる香具師もその口ではないか?
南方系の渡来人の人も、国に帰った方がいいよ。
990 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:47:08
海洋族だ。
山幸海幸伝承に従い、
船があれば日本列島どこでもまさに神出鬼没。
大陸→半島経由の農耕屋など闘わずして畦道を破壊する一撃離脱の嫌がらせのみで降伏させる事が可能だ。
江上の馬を船に置き換えてみると分かり易い。
大平原にあらず、大小無数の島々から成り、道無き深山渓谷に囲まれた日本列島を制圧するに必要なるは、
「馬か船か?」
大陸→半島→北九州が当時の最先端地域であった等という説など、鎖国体制下の人が守り育てた
「江戸期以来の戦争を知らない子供達」
によるお遊びだろう。
991 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:54:04
>>990 こういうのが脳内。
考古学および文献の研究成果に少しでも精通していればこのような脳内は出ないだろう。
中国がアジアにおける最高の先進国であり朝鮮半島や日本列島もその大きな影響下にあったことを無視している。
992 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 11:59:30
脳内を整理せよ。
黒潮経由は中国大陸からの直輸入だ。
993 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:01:37
>>987 医学者でない?
科学的成果に無視して脳内を繰り広げることが正しいとでもいうのかね?
994 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:04:11
995 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:05:11
今日は暇だから白痴論争にも付き合うよ。
では「人骨調査」が科学では無いというのか?。
996 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:06:16
学校で覚えたゲノム遊びがしたいんだろうよ。
構うな!
997 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:08:02
>>996 こういうのがいるから「文系は」などといわれてしまう。
998 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:09:46
オレに注意しているだけだ。
確かにからかい過ぎた。
さいなら。
999 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:09:54
司法試験に何度も落ちてる奴が、2ちゃんならと
張り切って法律解釈披露しているようなものだろ
1000 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:19:12
邪馬台国は畿内。
1001 :
1001:
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