【大名】江戸三百諸侯について語ろう9【藩主

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102日本@名無史さん
八丈島には何度か行って、町営の民俗資料館にも行ったが、宇喜田秀家はじめ
流人の生活にも触れられていた。江戸から船に乗せられた流人たちは風待ちの
ために三宅島に2ヶ月かそこら滞在するが、そこでは大歓迎されるが島を離れる
時に法外な金を請求される。八丈島に着くと流人たちは各集落に割り当てられるが
三宅島での記憶から心を開かないが、村人は温かく迎え、そのうち嫁の世話まで
するようになる。やがて子供もできたころ赦免の知らせが来ると家族泣き別れに
なる場合もあったが、一度故郷に帰った後妻と子を引き取りに再び島に行った者も
多い。それが民俗資料館の解説で、一方的記述かと思ったが後で三宅島にも行って
三宅島のぼったくり体質は本当だったことを実感。その数ヵ月後火山噴火。