1 :
日本@名無史さん:
,' 川M"// ,r';;;;;;;;ヽヽ;;;r'";;;;;;;ヽ、、 :::::iii::::::::: t
,' M从iレ/::(;;;;、、、、-'"''ー--ーーー、i) iiii|、jj::::::: t
〉 /::|" iii::::t::t リリ从||iiii|:::、、:::: i
,i /::/リ Miiit::::i、ヽ //i||::::::ヽ:::::ハ:::: i
,リ/iノ:::::i::|::|iii|::::i i:::| i:||::|i|::|::t::t:::::::::::::::i
リン:::::/i/:::|リ/|リ'j:リ ヽi|ttt,ヽヽヽ\ヽ::::i 九州も畿内も四国も朝鮮も
,r'"彡//ノ/ノ/ー!iー'ー''''''"、、 ,r'""二ニ乂;;;、' 、 yヽ エジプトもコテハンも
//彡彡シノ;/''ミrミt弖テ;ッ::ヽ i、r=キ与ラツ'' i";;;;~''ー'''" ヽ, ドンと来い!
i //彡ン,,、-'";;t '"''""" :::::! iヲ;;、ヽ、ヽ'' t
tYリ''/"",、-'"i||;t ::::: リレ;/:::ii||ヽ::::ヽ ヽ
|/(i"r"ノ/ ツi||i;;;t 、;|, ,,,,,, リ;;'"i,,:::t):::::~' 、~' 、 ~'-、
t((t /::/ |/リ||i;;;ヽ ~、''"" /;;i:::: ::: t、::ヽ\\、、:::' 、~' 、
,r":::彡:::: /' |iii:::ii、;ヽ 、=ニ,ニ'=- ,r'|;;;;|:::: iii:::ti\\\\\ ~' 、ヽ
/:::::::: /::/ |ソ:::||::ii、;iヽ '' -- '" ,r'::: |;;;;;|:::: t::::: \~'' 、''~'ー、ヽ
'"::::::::::/ノ /:::::リ|::|iijリ::::ヽ、 ,、 ":::::: |;;;;;| 、,,, t::::: ~'' 、, ヽ
彡彡 //::::: r/ /jjj|::リ||リ:::::::::::~' ーー''":::::::: |;;;;;t,,, t:::: ヽ:::: :::::::ヽ ~'' 、
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出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー
■前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪58
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3 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:30:00
>>1乙。
これ卑弥呼サマか?
なんかイメージ的には合わない気がするなあ。
4 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:50:43
最初の書き出しということで、まずは結論から。
邪馬台国は九州である。これ自明の理ね。
以下の書き込みは、これを前提として書き込むのよ。
5 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:59:56
素朴な疑問として、巻向が3世紀の遺跡だって断定できるのか?ってこと。
地層からそう推測されているらしいが、誤差は200年、100年、50年単位でも
生じないのか?
この点、専門知識がある人、教えて。
6 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:16:16
どちらにしろ2世紀後には
↓こうなってる
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」
7 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:20:55
3世紀?のまき向と
5世紀の倭の五王武までの流れがどうなってたか気になる
まき向からの流れがずっと続いてたのか
それともまったく別の政権になってたのか
8 :
サガミハラハラ:2009/11/20(金) 10:23:01
>>4そうです。
邪馬台国の都は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡(サクラオカ)です。
9 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:39:06
>>7 オレの推測では・・・。
邪馬台国は卑弥呼の死後の西暦300年ごろ、大和地方に一族の子孫が東進。
大和にいた原住民国家を制圧。神武東征神話。それが大和朝廷となった。
邪馬台(ヤマト)と大和の音の共通性からも、推測できる。
後世、記紀を編纂した当時の権力者からすれば、元々土着民の子孫であったならば、
わざわざ先祖が九州から来たことを記載する必要がないのよ。
そして、300年から350年頃が崇神天皇時代。
ヤマトタケル伝説にあるように、徐々に近隣遠方勢力を制圧、支配権拡大。
390年頃(神功皇后)には、朝鮮半島を侵攻しているから、この頃には、九州北部を含め、
かなり広範囲の統一国家が形成されいたと推理する。
10 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:35:35
>>西晋の泰始年間(264〜274)後期になると、呉の鏡鋳造業の影響を受けて、中原地区でも
>> やっと、「呉型鏡」と言われる神獣鏡が作られるようになった。
>この文の出典は何でしょう?
ローガン氏、昨日は失礼しました。
これは 王仲殊氏 の論考の一部です。
11 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:45:35
>>4 邪馬台国の所在地についての史料は、倭人伝しかないのだから、倭人伝に従って
考えるべきだ。となれば、九州の中であることは明白。末盧国まではまず異論は
あるまい。末盧国から東南陸行五百里の伊都国はどこか? 前原付近というのが
通説だが、それでは東南にはならない。玄界灘沿岸ならば末盧国から陸行する理
由もない。倭人伝の記載通り、東南に陸行し佐賀市付近に至ったとみるべきだ。
伊都国=佐賀市ならば、すでに目の前は有明海だ。そこからさらに奴国、不彌国
と歩を進める必要はない。南水行は伊都国から始まるに決まっている。
つまり放射説が正しいということだな。
>>8は水行10日陸行1月を無視する読み方なんだろうな。そんなことでは正しい
邪馬台国にたどりつけないね。
12 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:47:46
>>9 その宋書には
「西は衆夷六十六國を服し」とあるが
九州の支配者が東征後に、九州の住民たちが反旗を翻したのか?
13 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:50:36
つうか東征の痕跡が何も見つかって無いし
まき向以外で
それだけの勢力がいたかどうかもはっきりしてない
14 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:54:13
ただ単に
西も東もまき向の勢力が制圧しただけじゃないか
それでその後に宋に上表書を提出したと
15 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:56:24
年代測定で得た数値は、飽くまで目安に過ぎず、それが根拠とはなりえないので
余り重要視することはない。
考えてもみたまえ
文献史料にての一年の違いは、歴史が大きく変わってしまう程の重大問題だが
考古による年代測定が10年違っても、なんら影響もない。
場合によっては100年変わっても重用ではないだろう。
しかし文献は、たった一日の違いが……
16 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:57:02
そのまえに高句麗と戦ってたわけだよな
かなりの兵力を動員できたんだろうし
早くから国内は押さえて
広範囲を支配している勢力がいたってことじゃね?
17 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:57:09
>>6 倭王武が大和の天皇雄略だなんてのは、畿内説を前提にした話だよ。
倭王武は倭国の王、つまり九州の中にいた王でなければならん。
上表文にも「渡りて北の九十五國を平定した」とあるだろ。
それは朝鮮半島のことだ。逆にいえば、朝鮮半島の南、九州が倭なんだよ。
東の本州ではない。
18 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:59:25
>>17 それなら西の衆夷六十六國ってどこだよ
九州の西は海だぞ
19 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:00:10
>>9 >300年から350年頃が崇神天皇時代。
>390年頃(神功皇后)には、朝鮮半島を侵攻している
すると350〜390の間に、垂仁、景行、成務、仲哀という4代の天皇を
押し込めるわけか?
無理だと思う。
崇神はもっと遡って、200年代(3世紀)に繰り入れた方がいい。
記紀はその記載自体が正しいとは限らない。
まあ時の天皇が自らの正統性を知らしめるために書かれているからね。
21 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:47:49
>>11 マツロ国が東松浦半島と決めつける根拠は何もないよ。
みんな、単純に一番近いところに上陸したと固定観念で思っているようだが、
使者の目的は「九州に上陸する」ことではなくて、「邪馬台国に着く」こと。
まあ、第一目標は伊都国だろうから、伊都国に一番近い九州北岸に着こうとするはずなんだよ。
それが東松浦半島かどうかはわからない。
重たい荷物かかえてわざわざ歩いて行くはずがないからな。
22 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:52:41
>>12 祖先の時代に九州をすべて支配していたと考える必要はないだろう。
九州の一国家が大和に移転して、その後に徐徐に勢力拡大していったと考えても別に不思議はないと思うが。
23 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:54:30
>>13 確かに、東征の痕跡は何も見つかっていないね。
ただ、神武東征は、何かの歴史的事実が反映されていると考えている。
24 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:56:55
>>19 だから、崇神の上限を300年ごろと設定している。
当時の大王の在世年数を10年から20年ぐらいと見積もっての積算。
そんなに厳格な数字ではない。
25 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:57:23
神武って3世紀より前の人じゃないの?
26 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:03:07
>>20 もちろん、すべて正しいと鵜呑みにするつもりもない。
ただ、現実に大和朝廷として国家が成立した以上、武力闘争に勝利して、
その子孫が代々権力者として君臨したことは間違いないのだから、
意味のないことまでウソを書く必要はない。
もし、先祖が元々畿内にいたのであれば、なぜ先祖が九州から東征してきたなどとウソ
を書き記す必要があったのか、その説明がいると思うよ。
27 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:06:03
前スレ後半の九州勢GJ
>>23 東征の痕跡はあるよ、マキムクで各地の物が発掘されている
29 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:19:26
>>28 それでは、東征の痕跡とは言えない。
単に、全国各地と物流交易があったと言うことだけ。
30 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:19:31
4世紀末には高句麗まで攻め入ってたんだよな
東の毛人国から西の九州まで抑えて
半島南部、そして高句麗国境か
これって東征後の短期間に可能なのか?
やっぱりまき向の勢力が大きくなっただけなんじゃ・・・
神話にしないとまずい何かがあったのかもしれない?
32 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:37:10
近畿で一番古いと言われてる十二支関連の出土品って何ですか?
文字でも壁画でも何でもいいです
33 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:38:08
>>21 海路ってそういう単純なものではないと思うよ。
真偽が疑われるとはいえ、神功皇后の新羅侵攻も朝鮮半島からの帰路は一旦唐津に入り、それから博多湾に向かっている。
ちなみに神功皇后の出発地は博多湾と福間市津屋崎。
風の関係から行きはこれで良くても、帰路は朝鮮半島→対馬→壱岐→東松浦半島周辺→博多の方が楽なのかもしれん。
逆に東松浦周辺から朝鮮半島へ向かったと推測される船団もあったようだが、こっちは対馬で海路散々苦労したと想像できる伝承が残ってる。
34 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:40:30
>>4 邪馬台国がもし九州にあったとしたら、
同時期に、吉備、出雲、丹波、大和、東海の大連合勢力が近畿に同時に存在したことになる。
一方、九州に仮に邪馬台国があったとしたら、北九州の一角しか勢力を持っていなかったことになる。
しかも南のクナ国との戦いに苦戦していたのだという。
畿内大和に援軍をたのむこともできない、孤立した弱小国だったことになる。
大和に頼るかわりに魏に朝貢したという九州の邪馬台国だが、
魏から倭国王として認められて金印をもらったそうだ。
吉備、出雲、丹波、大和、東海の大連合勢力が近畿に同時に存在していたにも関わらず、
九州の弱小国である邪馬台国が金印をもらえたのは、
魏に朝貢し、「倭国の主導者は九州の卑弥呼だ」と、魏を騙したという理由だけである。
その九州の邪馬台国も、景行天皇の九州征伐で4世紀に消滅した。
そういうことでいいのかな?
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大きな国家である必要はない、中国が誰を気にいったかが問題だ、それが邪馬台国の卑弥呼なんだろう
38 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:53:20
神武東征は、神話では、紀元前660年とかの話だ。
仮に史実だとしても、年代は3世紀とか新しいものではない。
奈良には、九州の遺物が全く無い。
大規模な東征があったなら、九州の土器や武器である鏃が、まず大量に見つかるはずである。
そうした九州勢力の痕跡は全く無いのが実情である。
神話を見ても、神武東征で、神武の兄弟は戦死している。
神武が即位した後でも、九州勢力の生粋の九州生まれのタギシミミは、
奈良で生まれ育ったカムヌナカハミミに殺された。
九州生まれの生粋の指導者は、神武の後、血筋は絶たれ、神武しかいないというのが、記紀神話の説話である。
また、神武東征といっても、大和の隣の葛城は、独立国として維持していた。
大勢力が東征してたきたなら、葛城も同時に占領されているはずだ。
仮に、神武東征が史実だとしても、ずっと古代の話で、
一部族、少集団が、橿原を占領して首長になった、というレベルの話でしかありえないのである。
>>38 それを言うなら、奈良は武器の出土が少ないと思うがな
40 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:02:27
だから、東征は無いんだよ。
41 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:04:41
大乱の痕跡が見当たらない、武器が出土されない、はい!奈良説撃沈
42 :
32:2009/11/20(金) 14:05:53
重要なんで、近畿の方教えてください。
43 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:15:18
鉄剣
44 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:17:12
大乱の痕跡が見当たらない、武器が出土されない、はい!東遷説撃沈
45 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:22:56
46 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:37:45
九州王朝説崩壊!!
47 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:47:56
四国論者完全敗北ゆえに相手にもされない始末WWWWWWWWW
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48 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:10:16
だから、東征がないと言うんなら、別にそれでもいいんだけど、
先祖が元々畿内にいたのであれば、なぜ先祖の発祥地が九州で、そこから東征してきたなどとウソ
を書き記す必要があったのか、その説明をしてくれよ。
49 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:20:25
>>33 まず、オレの話は、魏の使者の上陸地点は東松浦半島かどうかがわからない、ということで、
そこじゃないと言っているのではない。
たとえば、君が魏の使者の立場に立って、目的地が宗像だったと仮定して、
わざわざ東松浦からそんなに遠くを歩いて行くか?っていう話なんだよ。
直接船で行く方が楽だろ。
銅鏡100枚だけでもかなりの重量だ。
途中、夜盗などに襲われるかもしれんしね。
万一印綬が奪われるなんてことがあったら大失態だ。
つまり、そんなリスクを冒してまでも、わざわざ東松浦半島に上陸する必要性があったのか?、ということだよ。
あったかもしれんけど、それならそれで合理的な説明が出来なきゃならない。
50 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:32:02
>>33 もう、ひとつ疑問。
対馬、壱岐にはそれぞれ1000里なんだが、東松浦まではどう見ても500里ほどしかないよ。
同じ海なのに、この差は何?
51 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:34:01
>>49 横レスごめん、
目的地が宗像じゃなかったとしたら?
目的地が宇土半島付近だとしたら、
とても合理的な道順なんだよね・・・
52 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:44:29
>>23 東征の痕跡はあるよ。
ある時期から突然のように古墳が作られるのだが、その古墳の棺の様子が
弥生時代からの九州の流れを受け継いでいる。
例えば、鏡や剣等を副葬する習慣。棺の中を赤い色に染める習慣。
これらは明らかに弥生時代からの九州のもので、それまでの近畿地方などには
なかったもの。
高塚式の墳墓も吉野ケ里などを見ればわかるように、九州には古くからあった。
祖霊信仰なども見られる。
また、古墳時代が始まる頃に、それまで近畿地方などで栄えた銅鐸は消滅し
以後、全く見られなくなる。古墳時代に入って、近畿地方の様子は激変して
いるな。
53 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:46:50
伊万里港から鹿島の潮田川の河口まで直線距離だと最短で有明海に出れる。
魏誌倭人伝の水行に出る前の行程と距離、方向もほぼ合致する。
54 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:19:19
>>52 それは文化の伝播であって東征の痕跡ではありません。
明治にチョンマゲを捨てて洋服を着るようになったのは、西洋の国が日本を占領したからですか?
戦後に、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が広まったのはアメリカが占領したからですか?
文化の伝播は、東遷とはまったく関係ありません。
55 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:27:28
神武東征は、史実としても、はるか古代の話です。
どうして3〜4世紀と考える必要があるのか?
まったく考古学的根拠はありません。
九州説を唱える考古学者でも東遷説を唱える人は居ません。
いいかげんに、東遷説から目を覚ましてください。
畿内に人が集まってきた痕跡は、九州よりも、出雲、吉備・丹波・東海のほうがはるかに多いのです。
神武東征と邪馬台国東遷を結びつけるのは、
記紀を自分で読まず、他人の説の聞きかじりしかしていない自分自身の無知無教養が原因です。
56 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:29:57
胡散臭い記紀を崇めてるんやね
57 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:31:31
>>34 >邪馬台国がもし九州にあったとしたら、
>同時期に、吉備、出雲、丹波、大和、東海の大連合勢力が近畿に同時に存在したことになる。
そのとおり。ちなみに北陸、信州、関東も含まれていたと思われる。
その連合体に参加すべく北部九州からやってきたのが神武一行。
58 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:35:07
神武は橿原で即位しました。
三輪山麓のマキムクとはまったく場所が違います。
記紀のほかの記述を無視して「神武東征」だけを信じるとは、どういう思考回路なのでしょうか?
59 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:45:43
「東征」という言葉のイメージが良くないんだな。
神武は大阪湾からマキムク入りしようとして、それに反対するナガスネヒコ達に撃退され、
和歌山の紀ノ川沿いにマキムク入りしようとするも、兄貴が殺されてしまう有様。
しかたなく昼なお暗い吉野の山中へ分け入り、やっとの思いでマキムク入りしたと記紀にも書いてある。
だがそんな神武の子孫達は葛城山の麓で力を蓄え、尾張氏たちとともにクーデターをおこし、
出雲系の王から権力を簒奪する事に成功する。(これは欠史八代の間に起こった事であり、
記紀には「国譲り神話」として書かれている。)
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61 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:54:30
>>54 なんでも文化の変化で片付けていたら、大きな変化を見逃すことになる。
鏡や銅鐸は、むしろ宗教的なもので、これがいっせいに変化するのはやはり
根底を揺るがすような出来事だと思うな。
>>55 神武東征に相当する出来事がいつ頃かについては、いろいろあるようだけど、
大和というのは、弥生時代の近畿地方でも一番の後進地だった。
代表的な唐古・鍵遺跡からは石器ばかりで鉄器が出てこない。
つまり、神武東征に相当する出来事の受け皿となるような遺跡がない。
変化らしい変化は纏向なんだよね。
遺跡の面から見たら、神武東征に相当する出来事は纏向以降だと思う。
62 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:04:33
>>61 マキムクに顕著なのは土器で言えば東海の影響であって
九州は何もありません。
>>61 少し語弊があるな。石器が多いのは
産地がすぐ横(二上山)にあったという事だからね。
64 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:11:16
>>61 マキムクの祭祀は大物主だが、
大物主が九州から東征したとでもいうのか?
東征に拘るから、ちぐはぐになるんだよ。
大きな変化を見出すなら、東征という既成概念を捨てろ。
九州なわけないだろjk
仮に九州の地方政権が朝貢に来たとして、それを受け入れたとしても
畿内にデカイ政権があるってのに魏がそれをスルーするはずないだろ。
ましてや正史に書くんなら当然大和の情報も仕入れるはずだ。
そこまで忠実じゃないにしても、
あまりにも適当すぎだったら魏の情報の疎さを露見するようなもんだしな。
それに、ただでさえ当時の魏はでかい国に囲まれてるような状況だ。
外敵に対する危機感も日本とは全然違う。
それでも古田みたいに「魏は九州までが日本だと思っていた」なんて言い出すつもりか。
向こうの距離感からしたら「そこまで遠い土地」とは思ってない。
日本の感覚だけで考えるから九州王朝なんて言い出すんだよ。
第一だな、九州みたいなちっぽけな土地だけで「連合国」なんて思うかよ。
遺跡やら出土してるもん見てみろ、あきらかに畿内中心の文化圏のほうがでかいじゃないか。
そんなのが情報として日本国内だけで出回ってて、他国には一切漏れず、
九州の政権の情報しか得られてない、なんておかしいだろ。
魏は弥生時代じゃないんだよ。
66 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:25:54
古墳の構成要素の中に九州のものを見つけて東遷の証とする
…もう今じゃあ、そんな稚拙なご意見には誰も取り合わないよwww
「大きな変化」と言うのなら本場の九州に大型(巨大)首長墓による祭祀へのシフト
と言うものが見られないのがまずネックだなw
パーツ個々の類似性とかじゃなくて
祭祀・文化のコンセプトっちゅうかね…
しかし九州説自体が絶滅危惧種というご時世で
この板じゃあ「東遷説」や「九州王朝説」が主流だもんなあ…
もっともそういった連中がこの板の邪馬台国スレ回しているんだろうがw
前スレも消化が早かった事、あのNHKの放送が効いたのかな?wwwwwwww
67 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:28:15
>>65 冗談は顔だけにしてくれ、腹イテェWWWWWW
69 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:33:04
>>18 邪馬台国は日向にあったんんだ。倭は旧百余国。それが30国になったときに
九州西側の諸国は征服されたんだよ。
70 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:35:49
>>62 >九州は何もありません。
俺も神武東征なんて架空と思う。
だけど九州からの搬入土器は、ゼロではないんでね。w
極論はいただけないよ。正確に行こうぜ。
九州はたしか4点だったか、纏向で出てたんじゃなかったかな。
うち1点は南九州土器。橿考研博物館に展示されてるよ。
広範囲な連合の中に、九州も加わっていたと思う。
71 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:39:46
>>70 九州の土器は、たったの4点かあ。
こりゃ、東征は無いな。
72 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:43:48
一般人(素人研究など)からすれば
九州説>>>>>>>>畿内説
考古学者からすれば
畿内説>>>九州説
73 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:45:07
向野田古墳から出土してる方格規矩鏡
銘帯「青同作竟明大好長生宜子孫」
鈕座<文字>「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」
これは倭製ですか?
三角縁神獣鏡は卑弥呼が貰った100枚をはるかに越える500枚以上出土してるそうです。
これは新たな糸口になりませんか?
>>73 500枚だと、あん?お前脳みそないんか?!この腐れがwww
75 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:51:52
まあ今後纏向の調査がいくら進んだところで「邪馬台国」と言う看板が出てくるわけじゃなし
箸墓から「卑弥呼」と書かれた墓誌が出てくるはずも無いw
でも今日畿内説一辺倒なのは何故なのか?
結局倭人伝に書かれたような混乱の末の統合に向かうような動きは
纏向に見るのが一番スンナリするって話で
無論九州説論者からすれば
「それは古代日本全体を巻き込んだような話しではなくて九州に限定された話だ」
と言う事になるんだろうが
じゃあそれを何をもって証明するのかって話で
それがあって初めて同じ土俵に上がれる。
年代論なんてそこから先の話wwwwww
76 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:52:19
>>71 お兄さん。ほんの少し前まで、
「出雲からは何も出土しない。出雲には何も無かった。」
って言ってる連中が跋扈してたんだよ。
77 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:56:39
>>76 山陰の発掘成果も東遷説にとっては痛手だったんだろうなw
ある種諸刃の剣だったとwww
78 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:04:59
とてつもなく日本 : 民団メンバー御用達ID変換機能付き荒らしツール2009年9月16日 ... 民団メンバー御用達荒らしツール 1253084434711
http://triple-aaa.org/home/up/asia/src/1253084434711.jpg ...
懐かしいツールだな結構不具合があると聞くが、バージョンあがったのかな? ◆雑談スレ99◆今日をどう生きる ...
awfuljapan.livedoor.biz/archives/51276969.html - キャッシュ
【民潭工作員のツール】プロパ切り替え自由 ネット荒らしツール2009年9月26日 ... 2chの民潭工作員のツールを・・。 民潭の人が、あるウィルスにひっかかってくれて、写真を暴露してくれました。 ...
正直、吃驚しちゃいました。 参考写真:ネトウヨ/阿呆太郎・連呼厨愛用 民潭謹製 ネット荒らしツール ...
namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1253966293/ - キャッシュ
少数精鋭のクソスレ製造機「ネトサヨ」 - 2009年10月26日
【民団】ネトウヨ連呼厨はやはり朝鮮人【自白】 - 2009年9月3日
民団が応援した民主をニヤニヤ見るスレ - 2009年8月31日namidame.2ch.net からの検索結果 »
80 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:10:44
ご、ごひゃく枚www
>>78 読むのがめんどくさい、要点だけまとめて書きやがれwww
82 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:15:45
要点
三角縁神獣鏡は年号偽装もあわせて全国各地から500枚以上出土してます。
山陰と九州では土地開発事情が違うからね。
新幹線も走る九州に対して未だ単線の山陰、
今後も何か出るとしたら山陰だな。
>>66 素人なら兎も角、今時名前を出せる所で九州説なんか
恥ずかしくて言える訳無いでしょ。
だから2chのような所でネタとして吠える、
そんな連中が多いんだよw
85 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:26:45
>>83 九州も全通してないよ。
八代なんかは干拓地で工事が大変なんだと。
>>85 全通して無いのは新幹線だろw
山陰本線は在来線でなおかつ非電化。
獣道と高速道路程違う。
87 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:58:04
>>86 そりゃ、ひでぇわwww
高速なんか山陰は使わないしねーw
でも何とか定食好きだよ。名前忘れたけどw
まぁ、ガンガレ。
88 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:59:39
>>51 まあ、そう言えないこともないが、それなら船で直接宇土半島に行った方が
便利だと思うけどね。
89 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:00:40
>>52 それは知らなかったよ。
教えてくれてありがとう。
巻向が見つかって辻褄合わせに邪馬台国がずっとあったことにしたいようですが大和が倭国を売ったことはいずれ明らかになるでしょうね
91 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:03:44
>>54 これは可能性の問題。
文化の伝播は武力制圧に因っても引き起こされることがあるということ。
もちろん、そうでないこともある。
92 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:08:08
>>88 風向きの問題じゃねぇの?
風待ちするが早いか陸路行くが早いか。
それに玄界灘は潮と風が複雑な上に浅瀬が多いから昔から難所だし。
壱岐や対馬で風待ちの話なんて色んな文献に出てくるし。
93 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:08:13
94 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:12:40
九州デムパすぎ
奈良にはいっぱいあるから邪馬台国くらい譲ってやってもいいけど
納得出来る説明がないとなあ……
95 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:13:28
あのね、東征を否定する奴は何人かいたけど、肝心なことは誰も知らんふりか?
こっちが知りたいのはそんなことじゃないの。
もう一度言うが、先祖が元々畿内にいたのであれば、なぜ先祖の発祥地が九州で、
そこから東征してきたなどとウソを書き記す必要があったのか、その説明をしてくれよ。
これが説明出来んくせに、人の意見にケチつけるなよ。
まだ九州内が邪馬台国だと信じて疑わない人がいるんだね
97 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:16:05
>>6 宋書によると
5世紀までに畿内の勢力が西征して、九州を制圧してるみたいだね
というか
4世紀末には高句麗まで攻め込んでるから、西征はもっと前かもね
98 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:19:59
>>48 九州出身だけど神武の母方が海人で九州人、
父方は高天原出身でたぶん出自は畿内でしょ。
99 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:20:52
近畿(朝鮮人)VS九州(日本人)
面白そうな戦いですわ、東征を否定しなければ、日本民族の根底が朝鮮人だと言えないからね
チョン対ジャップ あなたならどっち?
100 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:21:26
>>92 もし、風向なら、単にそこに一時的に寄港すればいいだけの話じゃないかな。
寄港することと上陸して徒歩で進むこととは全然違うよ。
もちろん、使者たちが風向、潮流などを考えて危険の少ない航路を選ぶことは
十分有り得ることだ。
しかし、これまでのマツロ国が東松浦半島だとする説は、そういうことも一切考えずに、
ただ単に壱岐から距離で一番近いから上陸したと思い込んでいるだけに過ぎないのと違うかな。
101 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:26:17
>>98 父方が高天原出身って、それじゃ九州出自じゃないの?九十じゃ
102 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:28:43
>>93 対馬や壱岐を渡ってきた使者なんだから、それぐらいで疲れるとは思えんけどな。
オレなら、舗装されていない道を重たい荷物担いで歩く方が、よっぽど疲れるよ。
詔の書かれた木簡か竹簡あたりがどっかに埋まってないかな?
104 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:35:50
>>6 >西は衆夷六十六國を服し
この蔑称はリスペクトの欠片もねえなw
倭王武にとって
西の地方はその程度の認識だったてことだな
少なくとも先祖の地ならそんな言い方しねえしw
105 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:36:18
>>102 船しか手段が無い場合とそうでない場合がありますよ。
水先案内役がいたはず。
海にでて何日かかるか解らない旅を選ぶか、
そうじゃない方法を選ぶか
私なら、後者をとります。
その頃の九州の古墳からは車輪も出土してますし。
106 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:39:31
>>105 それを否定するつもりもない。
しかし、どちらの可能性もあるわけで断定は出来ないのと違うかな。
107 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:39:33
衆夷六十六國か
これが真実みたいだなw
108 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:41:37
>>104 高千穂は九州南部。
西と言ってもいろいろあるからな。
ヤマトからすれば中国地方も西だろ。そこを忘れずに。
109 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:48:11
>>95 >もう一度言うが、先祖が元々畿内にいたのであれば、なぜ先祖の発祥地が九州で、
>そこから東征してきたなどとウソを書き記す必要があったのか、その説明をしてくれよ。
>これが説明出来んくせに、人の意見にケチつけるなよ。
塚口義信氏の説は、一考に価する
110 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:51:14
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
111 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:54:16
>>109 あいにく、その人の説は知らんのだけど、
その人の意見が出てるHPとか知らない?
112 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:54:39
>>101 宇佐の近くの久住ね。
そこ海人がいっぱい居たとこに降り立ったわけで
高天原がそこだというのはあり得ない話、
近くの九州であるという事も考え難いだろう。
刺青してた伊都とか奴国でも。
113 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:55:47
>>111 おまえは俺か、俺も調べてたけど
全然わからんで諦めてたw
おまえが恥ずかしげもなく聞いてくれて嬉しいw
114 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:03:32
>>113 オレは知ったかぶりをするつもりは毛頭ないよ。
さらに言えば、自説に固執する気なんかもまったくないんだよ。
相手の言ってる方が合理的だと思えば、考えを変えることに何の躊躇もないんだ。
115 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:05:49
>>95 日本語の通じないやつだな。
神武東征神話を完全否定しているのではない。
神武東征神話のモトネタとして、九州から一部族が流入したことはあったろう。
が、それはずっと古代のことであって、
3世紀の大和王権は、九州勢力の東遷で出来たわけじゃないということだ。
神武東征の話は単に貴種流離譚ってだけだと思うな。
意味とか考えるだけ無駄じゃないのか?
117 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:08:51
畿内でもいい、しかし、これから、奈良流ゴッドハンド流星拳が炸裂するのは間違いないはずだ
これを阻止する為には、九州論者の協力が必要なのだ、、そうなのだ
118 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:10:28
>>95 結局のところ東遷説が最後の拠り所にするのはそこなんだよなw
「東遷が史実で無いならわざわざ神話に神武東征の話をいれる必要が無い」と
つうかね御先祖さんが遠くの地に舞い降りて
そこから艱難辛苦の末後の王都の地までやってきたなんて神話は世界中にいくらでもあり
うろ覚えで言うと
インカの始祖神話には最初の男女がチチカカ湖に舞い降りたと言う話があり
アンコールワット築いた民族は神話ではヒマラヤの麓からやってきたと言う伝承があるとか…
まあ神武東征の原型なら半島のものが近いだろうが…
つうか始祖神話で始祖が王都のど真ん中に降臨した
なんてのを俺は知らない。
そっちの方がメジャーなら後学のために教えてくれないか?w
はっきり言えばヤマト王権にとって始祖の地として定めても
九州なら現実の政治的な影響がなかった「安全パイ」だったからじゃないかな?wwww
畿内の何処かならそこを地盤とする勢力に利する話になるからなwwwwwww
119 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:12:29
>>95 奈良には、九州のほかにも、吉備や出雲や丹波や東海から人が流入していた。
それらの部族は、奈良でムラを作り平和共存していたが、そのうち首長の誰かが王を名乗るようになっただろう。
話し合いか戦争かで、
最終的に大和の大王になった部族の、過去を調べたら、
祖先は九州からきたらしい、ということ。
それだけの話だ。
祖先が丹波からきたなら、丹波になるだろうし、
祖先が東北かたきたなら、東北になるだろう。
120 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:13:47
>>115 お前が否定していないんだったら、オレの質問にレスなんかする必要ないだろ。
121 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:15:37
>>120 じゃ、俺の説明に納得するのか?
しないだろ。どうせ。
122 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:17:02
>>118 中途半端な知ったかぶりするなよ。
お前の説だと、四国でも、東海でも北陸でもどこでもいいことになるよな。
なんで九州なのかが説明出来とらん。
123 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:21:57
>>119 なるほどね。
ひとつの可能性としては十分考えられるね。
124 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:22:00
>>122 推測だけど、神武以前も出雲系が本州の中心で
畿内がその中心都市だったわけだから、
その出雲勢力が九州に司令官として渡って
畿内に出戻りしたというのが一番可能性が高い。
125 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:23:05
>>122 ん?
別に四国でも東海でも北陸でも大和以外の地であった可能性はあるって話だが?
始祖降臨の地が大和以外の地であっても別に問題ないって話だなw
神話を根拠にする東遷説は意味が無いって話でwww
別に知ったかぶりするつもりも無いが
思えこそが
始祖神話は正しくその王族の出自を示していると言う
根拠を示すべきだろうw
まあ九州がチョイスされた原因はいくつか考えられるだろうが
半島に近く文物の流れが西から東と言う大原則があったことも無縁じゃないだろうなwww
>>122 そうか?
俺には、その「どこでもいい」というのが理由に思えるが。
どこでも良かったのだったら、理由なんていらないんじゃね。
>>117 ゴッドペーパー古田君を何とかしてから言ってね。
128 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:25:27
ゴッドペーパー、ワロタ
129 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:27:05
>>121 お前の考えなんか、オレの聞きたいこととは全然ピンとが外れているんだよ。
だからオレのレスはするなと言う意味ね。
他の人と話してくれ。
130 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:30:28
神武東征、東遷は不毛の論議。
あったかもしれないし無いかもしれない。
確証はまず見つかりようがない。
よりわかりつつある卑弥呼時代を明らかにして
からでいい。真剣に語るな。
真剣に語ると朝鮮半島出身と思われるぞ。
131 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:32:26
>>124 なるほどね。
そういう考え方も出来るんだね。
サンクス。
132 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:36:01
なんにせよ、マキムクは九州勢力の作ったものじゃない。
三輪山の大物主を祭る祭祀場なのは明らかだろう。
九州に大物主を祭る習慣があったのか?無い。
で、「銅鐸を消滅させたのは九州勢力が東征したからだ」という意見もあるが、
それも同じで、銅鐸を消滅させたのに、なぜ大物主を祭るのか?ということ。
神武東征じゃ説明は出来ない。
土着の近畿勢力におもねって土着信仰を祀ったとかいうなら、銅鐸を祀るだろう。
133 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:36:04
>>130 誤解してほしくないんだが、オレは東征が史実かどうかの議論をしたいのとは違うんだよ。
それを別の意図で突っかかってくる奴がいるんだよね。
134 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:36:23
ふふふ、権威をもつゴッドハンドに、庶民が勝てるわけなかろうに、馬鹿な奴ら
いつの間にかベルセルクのスレに。
136 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:39:36
>>133 じゃ、君の意図をあきらかにすべきだろ。
「なぜ、王族が九州出身を騙ってるか?」だっけか?
そこから邪馬台国東遷説を構築しようって気があるのか無いのかどっち?
137 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:41:04
俺が畿内説を支持する理由。
・崇神王朝が卑弥呼の時代にあった。
・崇神王朝は大和王朝の成熟期にあり
四道将軍を各地に派遣、風土記、記紀、遺跡にその痕跡が残り
存在を確信している。
・倭国大乱は崇神前後の史実であり大和政権が絡んでる事が明らか。
・倭国大乱を平定したのは大和政権であると考えるのが自然。
疑問が残る点。
・女王を擁立したという点
だがこの点については記紀が多少大和よりに偏っており
大和は九州を完全に平定していなかった、自治領的意味合いで
緩い統治をし女王の存在を認めた。
と考えると邪馬台国が畿内でも決して矛盾しない。
いずれにしても畿内説を否定するような証拠はない。
138 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:41:13
>>136 お前なんかと議論する気、まるでなし。以上。
139 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:43:27
阿蘇神社の祭神が神武天皇の孫だってさ。
あっそ。
141 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:47:37
しかし九州説論者の中には「ゴッドハンド」の件を持ち出して
今の 畿内説≒考古学界 に対し皮肉の一つでも言ったかのごとく自己満足している馬鹿がいるが…
別に何処かの大学の研究室に所属するわけでもなく
自身も考古学畑の学歴を持つわけでもなかったF村が
功名心に捕らわれていった姿は
どっちかと言うと一昔前の九州説のアマチュア研究家を思い起こされるわけだがwwwww
142 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:49:14
>>137 前段賛成なんだけど
>・女王を擁立したという点
大和朝廷の前身が倭国の比較一位の勢力にすぎず
各勢力の妥協という形で大物主に仕える巫女(大和朝廷の出身である)を
名目上のトップにもってきたと考えられるんでは?
それなら畿内説もすんなりいくと思うけど
143 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:50:07
>>138 やっぱり東遷厨か。
東遷説を、おなかまと語り合いたいなら、他の掲示板いけば?
mixiとか。
144 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:53:07
>>131 さらに推測だけど、
仮に大勢力で九州に赴任したのであれば
その勢力の中から配偶者をみつけていただろう。
記紀みると九州では非常に小勢力だった事が
伺える。
これが伊都・奴国出身の勢力が高千穂に赴任したとすれば
勢力の拡大として
史実になんらかの痕跡が残ると思う。
(各地の勢力を次々と従えていったとか)
しかしまったく違う所から来たというような意味合いと
捉えるのが自然だ。(天孫降臨は)
145 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:54:01
九州論者に期待するしかない、たのむゴッドハンドを防いでくれ、歴史を守れるのは、もう九州派しかいないのだ。
702年薩摩国設置、710年日向隼人の首長である曾君細麻呂がヤマト政権に服属、713年大隅国設置、隼人の乱の征討が
721年。一方古事記の成立が712年。日本書紀が720年。・・・南九州に配慮が必要だった時代。
147 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:56:18
>>142 その説でもいいよ。
自分のは九州説によった側から歩み寄って書いた推論だから。
塚口義信・堺女子短大学長説
>仲哀天皇没後、神功皇后が三韓征伐を終え、生後まもない誉田別皇子を伴い筑紫から大和へ帰還
する際、皇子の異母兄の忍熊王らが「吾等何ぞ兄を以て弟に従はむ」と挙兵した。皇后は詭計を用い
て忍熊王を破り、誉田別皇子が皇太子となる。のちの応神天皇だ。
「忍熊王の反乱の実体は、朝鮮半島政策を巡る4世紀末のヤマト政権の内部分裂で、その結果、応神
が大王家の正当な後継者である忍熊王を打倒して河内王朝を樹立した。日向の諸県君一族が河内大
王家の姻族となっているのは、彼らが応神側に加担し勝利に貢献したことを物語っている」
塚口氏はさらに、いわゆる神武東征――初代天皇を日向出身とする伝説も、5世紀の河内王朝の時代に、
4世紀末の内乱をモデルに構想されたものとみる。つまり王権を簒奪した河内大王家と諸県君一族が、皇
祖はもともと日向出身とすることによって、自らを正当化しようとしたというのだ。
日向を出発した神武天皇の船団は、河内の草香邑の白肩之津(東大阪市)に上陸する。この草香こそは5
世紀代、諸県君一族の髪長媛と仁徳天皇の間に生まれた大草香皇子ら日向系王族の拠点だった。
「神武が日向を出発し草香に上陸しているのは偶然とは思えない。神武が大和の在地豪族長髄彦を破り、橿
原宮(奈良県橿原市)で即位したとする記述も、応神が忍熊王を破り軽島の明宮(同)で即位したことに対応し
ている」
ヤマト政権の初代天皇が大和を攻め滅ぼして即位するという不自然な伝説の背景には、河内王朝の成立事情
が絡んでいたことになる。
149 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:01:30
金印発掘、只今鑑定中らしいよ
おめでとう、邪馬台国は奈良で決着
150 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:03:25
151 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:10:05
畿内説の俺の疑問。
志賀島から出てきた金印は
九州地方政権のものか?
あるいは出雲(畿内中心の本州)を
含めた政権か?
俺は前者を取る。
九州では基本出雲を祀ってない。
九州で出雲系の色が濃いのは大分地方と宗像地方であり
いずれも畿内・出雲勢力の強かった地域のみである。
152 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:16:01
なんかさ、改めて書紀を読み返してるとさぁ
>○○天皇が××と仰有ったので、この地を××と言うようになった。今×△というのは訛った…
とか腐るほど出てくるけど、古代日本じゃ占領者が新☆被支配地に名前をつける風習でもあったのか?
て思う。『陛下がサラダが美味しいね』と言ったからサラダ記念日w
というかスターリングラードというかワシントンというか…
153 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:19:16
>>148 掲載、サンクス。
この学説の要旨はわかったよ。
まだ読んだばかりなので、直ちに納得したわけでもないんだが、いい参考になった。
わざわざありがとう。
154 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:20:47
記紀みると女の王は土蜘蛛、
男の王は熊襲て書いてるよ。
朝倉甘木の王も熊襲になてるし。
熊襲、土蜘蛛、およそ九州の民族総称だろう。
>>149 まーた、お前か!ハッタリはいい加減にしろ
156 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:25:52
>>148 ほかにも、神武東征が創作という根拠として、
天武天皇の功績をなぞったという説もあるな。
それは各地の風土記作者が、天皇の権威と関連づけて、自分のとこの権威をも高めようとした・・・
ってことじゃないの。過去の天皇の御幸記事を頼りにね。713年の「各地の地名は好字2字で表せ」
とする和銅官命の頃、特に地名改字が多かったようだが、これだと古事記には間に合わんか。
158 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:27:24
>>132 >なんにせよ、マキムクは九州勢力の作ったものじゃない。
そのとおりです。
>三輪山の大物主を祭る祭祀場なのは明らかだろう。
>九州に大物主を祭る習慣があったのか?無い。
そのとおりです。
>で、「銅鐸を消滅させたのは九州勢力が東征したからだ」という意見もあるが、
>それも同じで、銅鐸を消滅させたのに、なぜ大物主を祭るのか?ということ。
何故大物主を祀るのか?
大物主は記紀によれば神武一行を暖かく迎えてますよね。にもかかわらず10代崇神天皇の時
には祟る神として三輪山に祀られています。それは欠史八代の間に神武の子孫にクーデター
で滅ぼされてしまったからです。後ろめたさのある彼らは三輪山に大物主を祭り、大物主の
出身地である出雲には壮大な出雲大社を建てたのです。その経緯は「国譲り神話」として書
かれています。
>>154 神武は大和の葛城で土着の土蜘蛛退治してますが。
161 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:32:55
162 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:34:06
>>160 土蜘蛛は日本の土着民の総称か。
茨城も土蜘蛛だったか。
163 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:35:28
164 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:37:28
福岡の山門町にも
蜘蛛塚(後に女王塚)ってのがあるね
165 :
148:2009/11/20(金) 21:41:20
>>153 俺は109ではないんだが、
西都原の男狭穂塚と女狭穂塚は、上レスで出てきた日向国の諸県君牛諸井(うしもろい)と、その娘で仁徳妃の髪長姫で
あるとする説があり、俺は有力だと思ってる。
この二つの古墳の「造り出し部」は左右対称ではなく、右側の造り出し部は比較的小規模で円墳から離れているが、これら
の特徴は、大阪、藤井寺市にある応神天皇妃だった仲津姫の陵とされる仲津山古墳と非常によく似ており、おそらく同一設
計図からの造営。・・・この頃に神武東征伝説ができたとしてもあながち不思議ではないよ。
167 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:47:49
>>158 こうみると、ほとんど神武の東征、東遷は
朝鮮の方主体の
新左翼の九州説論者的、征服論では少なくともない
という事になるな。
>>151 を誰か考えてくれ。
168 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:48:37
だから何度も言ってんだろうが、倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼である証拠を出さんかい
畿内派は能無しばかりでうんざりする
170 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:51:39
171 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:51:43
172 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:57:35
>朝鮮の方主体の新左翼の九州説論者の征服論
いいとこ目付けた。
東遷、東征支持の征服論者は左翼。
173 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 21:58:22
やまとととひももそひめのみこと=卑弥呼である証拠が出せない畿内派にうんざり
174 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:00:03
>>151 倭の国王が奴国に居たとき
その頃は、
倭国=九州と
出雲国=本州四国と
分かれていた。
祭祀が証明してる。
176 :
109:2009/11/20(金) 22:09:42
177 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:10:51
>>158 大物主というのは出雲系。
これは、たたり神といわれる。
要するに、出雲を滅ぼした。その後、悪い出来事が次々に起きた。
これは、出雲のたたりに違いない。だから、大物主を祀ればたたりは収まる、
というような考えになる。
崇神天皇の場合、大和でさまざまな悪い出来事が起きた。
倭迹迹日百襲姫が大物主を祀ればうまくいくと神がかりし、
その通り祀ったところ、災いは収まったということだな。
古代に限らず日本の神社にはそういういわれが多い。
宇佐神宮も、隼人のたたりを鎮めるために建てられたし、太宰府天満宮も
菅原道真のたたりを鎮めるために建てられた。
178 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:18:04
>>172 神武東征は、皇室の歴史書である記紀に書かれている出来事なのだが。
箸墓を宮内庁が調べた事があるとかないとかで、調べたとしたなら宮内庁からのコメントである程度何かしら、わかるんじゃないか
180 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:29:53
>>165 そういう解釈もあるんだね。
それらの古墳の話は知らんかったので、内容がどうとか批評は出来ないんだけど、
興味ある話だね。
俺は君みたいな人と議論したいよ。
181 :
109:2009/11/20(金) 22:30:14
>>176共著者名訂正
前田晴(誤) →前田晴人(正)
失礼
>>178 天皇家は高天原を葛城の地とずっと認識していたし。
183 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:31:26
>>176 今後の勉強に参照させてもらうよ。
サンクス。
185 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:02:01
自説に反するものは全て朝鮮だの左翼だの言って思考停止する。
いつから日本人はこんなに馬鹿になったんだろうな。
ネトウヨニートの影響受けた可哀想なおっさん多すぎだわ()笑
186 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:16:13
根拠があれば話を聞くが、
根拠が薄弱なくせに同じ主張を繰り返すならレッテル貼られるだけ。
187 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:23:52
>>182 葛城は高天原として認識していた場所というより、綏靖、安寧を経て神武九州系が住み着いた場所です。
ここを根拠地とし、同じ葛城に住んでいた尾張氏などとともに出雲大物主の地位を簒奪すべく
彼らはクーデターにうって出ます。「孝」の字をつけられた四代の天皇の頃でしょうか?
♪邪馬台国 ドンと来い 九州♪
189 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:38:59
>>187 神武九州系ってなに?
2代目で、九州の血は半分。
3代目で、九州の血は1/4。
4代目で、九州の血は1/8。
5代目で、九州の血は1/16。
6代目で、九州の血は1/32。
7代目で、九州の血は1/64。
8代目で、九州の血は1/128。
9代目で、九州の血は1/256。
一方、残りの255/256の血は、近畿の血で占められいる。
190 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:42:31
甘木だったっけサガミハラハラが邪馬台国だと言っている場所は、今年中に行くからよ、場所教えろよ
後、卑弥呼の墓らしき場所も教えろや、早々にケリをつけようぜ
191 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:45:06
>>189 くだらん、実にくだらん、糞ダサい理屈こねて満足してんじゃねーよ
192 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:47:31
2代目が九州系と九州系の子供なら1/2にはならないよね。
>>189 神武の母と祖母は鮫
神武の血は3/4鮫
>>180 「はだかの王様」っていう童話を読んだほうがいいぞ。
195 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:16:29
>>192 神武の皇后が誰かくらい記紀で調べて来い。
196 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 01:51:47
>>148 要は
「神武東征神話は応神東征(?)の焼き直しだ」
って事だな。
個人的には結構説得力のある話だとは思っている。
以下、局地ローカルネタだがw
奈良に神武の例の金鵄の逸話に由来とも言われる
「鳥を見た」→「とみ」がつく地名「富雄」とか「登美が丘」とかがあるし
また「押熊」の地名も残っていてその二つのエピソードの舞台が結構近い(と言うかほぼ同じ?)と言うのは実感できるw
ヤマト王家のお家騒動で勝った方についた勢力が重用されたというのは
壬申の乱の尾張氏とかの東海勢のイメージかな?w
状況的にも5世紀ごろと言えば日向の古墳群も一番充実していた頃で
(船型や家型、馬型の象形埴輪は誰しも見覚えがあるはずw)
実際の政治の場でもかなりの影響力を持っていたと想像するに難くない。
まあこのスレ的には結局
「神武東征神話は邪馬台国には関係ありません」
って事になったしまうんだろうが
日向厨とかはとてもじゃないが受け入れられないんだろうなwwwwwwwww
>>196 これも何か証拠が出るようなもんではないから、絶対正しいなどというつもりはないけど、ヤマトとの
姻戚関係で日向勢力が伸張したのは確かだろう。ちなみに 応神紀によれば髪長媛の輿入れのとき
諸県君一族は角のついたシカの皮を着て海を渡ってきた異形の集団として描かれてる。髪長姫は
誰もが驚くほどの美人だったという伝承がある。
あとは、中村明蔵 鹿児島国際大教授の説として、日向神話の舞台が襲(鹿児島県国分市周辺)、吾田
(万之瀬川下流域)など熊襲や隼人の根拠地とされる地域で、内容的にも南方系の要素が強いことから、
日向神話はもともと隼人が伝承していた神話とみて、
> 「隼人の神話を取り込んだうえで、隼人を朝廷に服属させることを正当化するための造作を加えたもの
が記紀の日向神話。そこには記紀編さん時の、南九州、南島の領域化という朝廷の政治的関心、意図
が強く反映している。」
と述べてる。氏は隼人研究では第一人者の一人。
198 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 02:58:36
>>178
高天原が九州だったとは一言も記紀には書いておりません。
高天原が九州というのは脳内説ではないんですか?
だから左翼ブントだと言われるんです。
199 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:03:40
>>196-197 すごくわかりやすいね。
応神の頃に大和が日向を同盟国にして古墳群が作られた。
その時に、隼人に伝わっていた天孫降臨神話を朝廷が取り入れたということか。
隼人を服属させつために、隼人もニニギの子にしたのかな?
まあ髪長姫は美人だっただろうが、わざわざ彼の地から娶ったのも、あるいは隼人懐柔策の一つ
だったのかもしれない・・・。
201 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:26:21
ひとついえることは、
魏志倭人伝とか九州説とかがなければ、
神武東征が3世紀だなんて説は出てこなかったということだな。
九州説の悪いところは、証拠もないのに、文献を自分勝手に解釈して、
どんどん歴史を改竄してぐちゃぐちゃにしてしまうことだ。
いいかげんに修正しないとダメだ。
202 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:30:40
応神の頃(4世紀)に、日向の人が鹿の皮をかぶって驚いてる。
3世紀に神武が日向から東征して来てたら、驚くことは何もないってことだな。
203 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:46:48
100年でどの程度変わるかしらんけど、
先祖が100年前に来てるならそんな外国人を
みるかのような目ではみないだろうな。
自分の先祖が来たとすれば、およそ
相手の風習程度は伝わってる筈だし。
神武の東征、東遷を否定しないけど、
3世紀はありえないし、(崇神があるから。)
崇神が九州出身で出雲政権から政権を奪ったという説も
三輪山に出雲を封印したという説も弱い。
仮に神武の東遷、東征があったとしても
高天原出身の父方の血筋は本州に極めて
近いものだったと思うな。
204 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:58:00
天孫が国津神から政権奪ったのは国譲りそのものに
みられるように記紀の記載そのものだ、大物主が
封印されたというのが遺跡で明らかになっても
なんら矛盾しない。
だが大物主を封印したものが、国譲りの当事者が
九州だというのはあまりに飛躍だ。
まず、九州から来たと伝承のある神武でも
血筋は3/4が九州人(海人)、1/4(高天原人)
だからだ。
国譲りは天津神つまり高天原出身者によって行われたというスタンスだが
記紀には高天原が九州だと一言も書いてないという点だ。
高天原=九州というのは左翼ブントの脳内変換と言われても
仕方ない所以である。
そう言われたくないなら何らかの確証もてる証拠を出せ。
205 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 04:04:09
もともと高天原は、葛城だしね。
それに、九州では「原」はハルと発音することからも、
高天原は九州ではない。
九州人でさえも、「タカマガハル・タカアマハル」とは言わないだろ。
206 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 04:51:56
>もともと高天原は、葛城だしね。
まったく。
しかし九州説の人は簡単には認めない。
戦後の教育から抜け出せないでいるから。
俺達はこいつらと証拠もなく推測で議論しても
進展しない。
東日流外三郡誌や騎馬民族征服説のように
九州説の彼らは60年代特撮映画的
単純構造しか理解出来ない原始的脳みそだから。
議論の仕方も戦略も相手の逆手をとって
いかないと説得出来ないと思う。
207 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 06:41:33
>>205 なにか勘違いしてるようだが、発音に『が』の助詞が入ったら九州人でも(ハル・バル)は
一般的に使わないぞ
用法が違うの知らなかった?
208 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 07:21:56
正直
「高天原が現実の地で何処なのか?」
と言う質問自体に意味があるものとは思えないw
所詮は想像上の場所
別に九州だろうが畿内だろうがどっちでも良い
まあ時代時代によって人々が何処を認識していたと言うのはあるだろうが
現在ならやはり九州の方が一般的かな?
まあ明治以降「神武創業」が喧伝されてから
多くの九州の神社が「神宮」に格上げもされたがwww
それでも個人的に言えばここだけの話
「高天原=朝鮮半島」と言うのが一番しっくり来るw
そもそも「天孫降臨神話」が半島を含む北東アジア地域の神話であるし
記紀の描く天孫降臨のシーンでニニギのお供の中に
「鏡作り」や「玉作り」と言った職能集団(今風に言えばテクノ・クラートとか?w)
が見えるあたり、半島から技術を持ってきた帰化人の集団を思わせるしなwwwwwwww
209 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 07:45:01
>>208 高天原が朝鮮として、個人的意見として
日本に最初に降り立った場所を君はどこと見る?
九州、出雲、畿内、あるいはそれ以外。
高天原自体はやはり葛城ですよ。
大体職人集団は半島からじゃないし。
それに彼らは高天原を目指して来たんですから。
211 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 08:07:57
宗教的部分でいつ頃か天孫思想が東アジア全体に流行したのは事実。
しかしそれだけで朝鮮人の子孫というのはどうかと思う。
キリスト教を信じたからセム系コーカソイドの子孫という訳でもないだろう。
212 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 08:31:41
神武東征に該当する人物はいたんだろう。それはたぶん2世紀より前だろう。
その子孫が王になり邪馬台国を作っていた。しかし大乱が続いたので卑弥呼を女王にした。
その後崇神やら倭の五王から飛鳥へと続く。
つまり卑弥呼は天皇家の男系の女子。そうでなければすんなりと女王になれるわけもないし。
記紀にとらわれてそこから抜け出せないんですねわかります。
卑弥呼が死んで平素から邪馬台国に不満を持っていた九州が反乱を起こし国が乱れた。
後日話し合いの結果、連合国は大分県(トヨの国)出身の台与をたて手打ちとなったが実権は男王(天皇家)が持った。
よって邪馬台国は奈良!
あああ・・・素人です、ごめんなさい。
215 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 09:12:06
古事記に書かれている話だろ
神々の国高天原だぞ
場所って何だよ
古事記編纂は国の成り立ちの神話から天皇の系譜の正当性を求め
壬申の乱で傷ついた国内を天皇自らの手により修復しようとするものだよ
216 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 09:31:01
古事記冒頭
天地初めてあらわれし時に
高天原に成りし神の名は
天之御中主神
そして、高天原の神々が地上へと降り
その子孫である天皇が国を治めていく
ということが書かれているもの
神々の住む高天原のアマテラスの孫を地上へと下らせ
支配するように命じた=天孫降臨(天の孫の降臨ですよ)
古事記には帝記、旧辞を都合よく撰録したしたと書いてあるじゃん。
218 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:14:52
今日は夜9時からのTBS「世界ふしぎ発見」を見ろよ。
また、議論しようぜ。
219 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:31:38
高天原がどこであろうと、ニニギが降臨したのは、日向の高千穂なんだからな。
話をずらすなよ。東征をむきになって否定する論者ども。
>>218 タレントの誰かが浅間山荘にでもたて篭るのか?
それともロッキードとの関係を、国会証言でもするの?
楽しみだな。
221 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:37:42
古事記の主旨は壬申の乱で乱れた国内の意思統一をはかるためのもの
これ以外の目的では書かれていませんから
ここを外すとわけわからなくなりますよ
>>214 場所はどうかしらんが、そんなもんじゃろう
邪馬台国は奈良、卑弥呼の里は九州
223 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:27:14
奈良県立図書館創立100周年・ライブラリー オブ ザ イヤー 2009 優秀賞受賞記念
■特別企画 「魏志倭人伝を読む・纒向遺跡を掘る」 12月13日(日)
今年11月、桜井市の纒向遺跡で、卑弥呼の宮殿に関連すると思われる大型の建物遺跡が確認されました。図書情報館では、纒向遺跡発掘の最新の成果とその意義をふまえ、専門家によるシンポジウムを通じて、卑弥呼と邪馬台国の謎に迫ります。
主催 奈良県立図書情報館 協賛 フロンティア エイジ
日時 平成21年12月13日(日) 13:00 〜 17:30 (開場 12:00)
場所 1F 交流ホール (奈良県立図書情報館 奈良市大安寺西1丁目1000番地)
プログラム
○基調講演 「邪馬台国と纒向遺跡」 上田正昭氏
○基調報告1「纒向遺跡発掘の成果」 橋本輝彦氏
○基調報告2「纒向遺跡調査の意義」 石野博信氏
○シンポジウム「邪馬台国と纒向遺跡をめぐって」
(パネラー) 上田正昭氏、石野博信氏、辰巳和弘氏、橋本輝彦氏、千田 稔館長 (コーディネーター) 高橋 徹氏
講師
上田正昭(京都大学名誉教授)
石野博信(兵庫県立考古博物館・香芝市立二上山博物館 館長)
辰巳和弘(同志社大学教授)
橋本輝彦(桜井市教育委員会文化財課主査)
高橋 徹(朝日新聞社元編集委員)
千田 稔(奈良県立図書情報館 館長)
定員 300名(申込み多数の場合は抽選。)・入場無料
申込み 往復はがき、FAX、メール(
[email protected])、または来館による申込みもできます。(2階貸出・返却カウンターにて受け付けます。)なお、当館ホームページ「申込みフォーム」からの申込みもできます。
※@郵便番号・住所Aお名前(ふりがな)B年齢C連絡先電話番号(FAXでのお申込みの場合は、必ずFAX番号もお書きください。)を記入し、奈良県立図書情報館特別企画」担当あて。折り返しご案内を送付します。
往復はがきで申込みの場合は、返信にも送付先の郵便番号、住所、氏名を必ず記入してください。
※1通に付き、2名までのお申込みとします。
http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-302.html
いい加減な考古学を語らずに歴史を語り合いましょう
ここ
九州も畿内も四国も朝鮮も
エジプトもコテハンも
ドンと来い!
なんでしょ?
>>214 結構正しいと思う。トヨが九州大分に縁があるのは可能性が高いはず。
卑弥呼は出雲、丹波方面の
トヨタン・・・・・・・・・・
228 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:06:50
ヰヨタン・・・・・・・・・・
229 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:07:10
>>6 >西は衆夷六十六國を服し
邪馬台国って100余国の中心的な国だったんだよな
倭=九州と仮定すると
ものすごく小さい国ばかりが100余国も九州にあったのか?
倭王武のこの文を読むと、九州だけで100余国は無理があるんじゃね?
島一つで一国扱い、〇〇1丁目ぐらいでも一国扱い、100国でも少ないくらい
卑弥呼などシャーマン巫女の宗女を嫁がせて100余国を束ねていたんだよ
男系の皇統が確立する前のはなしだ
「邪馬台国と狗奴国が戦争」って言ってた人は消えちゃったのかね?
倭人伝理解能力ゼロな人!
233 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:11:00
>>198 >高天原が九州だったとは一言も記紀には書いておりません。
そのとおりです。
>高天原が九州というのは脳内説ではないんですか?
「高天原」から神々(というより神武のご先祖様)は九州高千穂の峰に
降臨したと記紀には書いています。高千穂降臨後はそこから東にある日向
へと向かい、コノハナサクヤ姫と結ばれたとか、やたらと具体的に記紀には
書かれています。普通に考えれば、九州高千穂の峰に現れその後東へ向かった
と言う事は彼らは高千穂の峰の西側からそれに登ったと考えるのが自然です。
人間が葛城からテレポーテーションして九州高千穂に現れた、とするほうが脳内説では
ないでしょうか?
>だから左翼ブントだと言われるんです。
ブントって中核派や革マルに関係ありましたっけ?
234 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:32:06
>人間が葛城からテレポーテーションして九州高千穂に現れた、とするほうが脳内説ではないでしょうか?
まさしくそのとおり。
また日本人がどこから来たのか?という問いに対して北方アジアあるいは中国江南またはポリネシアなど
諸説ありいずれもDNA検証もされている命題だが、いずれにしても彼らがまず九州に上陸したことは間違いない。
九州ー>本州が人類学的な知見にも適合した科学的命題であり、逆はそれこそ天から降ってきた類の
非科学的暴論を間に挟む必要がでてくる。
235 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:37:00
>>233 まず丹波に降りたという話がありますからね、国のお墨付きの書類です。
つまり丹波から九州へ向かっただけの話。
そこから血縁者のいる畿内に戻るのだから何の矛盾もない話。
237 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:42:56
>>234 日本列島ができた時、既にそこに日本人がいた
列島が大陸から切り離された時代のこと
238 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:43:07
>>234 ニニギは稲穂を持って天孫降臨したんだから、
中国江南からの渡来を記憶したものだよ。
つまり、天孫降臨は、弥生時代はじめね。
もしも、稲作が広まってからに二ニギが天孫降臨したとしたら、
ニニギが稲穂を持ってても誰も見向きもしない。
239 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:45:05
240 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:46:59
幣立神宮を知らない人がいっぱーいw
241 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:48:01
>>236 ニニギの天孫降臨に先立つ地名で明らかに同一視できるのは宗像だよ。
アマテラスが三女神を前もって宗像の沖津宮、中津宮、辺津宮に降したと
記紀に明記されているからね。
天孫降臨地が北九州でないと宗像への先んじた三女神派遣が説明つかない。
242 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:50:56
阿蘇神社や国造神社の由緒書きに
だいたいの事は書いてある件
>>238 ニニギが稲作を伝えたなど記紀にまったく書いていないよ。
ここは稲作に適合した地(福岡板付付近)を征服したといっているだけ。
もちろん板付では縄文後期から稲作を行っていた。
244 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:56:25
しかし倭王武の
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した
ってことはやっぱり古代から朝鮮は日本の領土だったんじゃねーか。
つまり侵略したのはあいつらの方じゃねーか。謝罪だの賠償だのふざけんなってことだ。
245 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:58:27
東征した神武の孫にあたる人が阿蘇神社の祭神で、
その孫が九州を統制するように神武から命を受け、
神武の故郷である高千穂を避けた上で
最寄りの阿蘇を選んで阿蘇を開拓した。
だって。
神武の故郷は九州。
ソースは阿蘇神社の由緒書
246 :
245:2009/11/21(土) 14:03:59
その高千穂にあるのが幣立神宮。
幣立神宮の宝物は五色人の面。
五種類の人種を表してるそうだ。
九州にいろんな所から渡ってきたんだろう。
247 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:14:15
日本書紀に書かれている神宮はふたつしかない
三重の伊勢神宮と奈良の石神神宮だ
国のお墨付きが一番怪しいのにお気楽やね
伊勢天照御祖神社(福岡県久留米市大石町)
250 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:30:36
>>244 今だって朝鮮半島全体が日本の植民地だ。
251 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/21(土) 14:37:13
「海部氏勘注系図」によると天孫降臨とは
「天祖乃ち二璽神寶を火明命に授け給ひて、汝宜しく葦原中國の丹波国に降りまして
この神寶を斎き奉り、速やかに国土を造り修めよと詔り給ふ。かれここに火明命
これを受け給ひて、丹波国の凡海息津嶋に降り坐す。」とあります。
ちなみに凡海息津嶋とは京都府丹後半島の沖にある冠島のことです。
252 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:42:33
主祭神は
神漏岐命(かむろぎのみこと)
神漏美命(かむろみのみこと)
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)
天御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)
天照大神
幣立神宮
>>247 その2つが登場するのは人代になってから。
宗像の三宮はアマテラスとスサノオの誓約生みにすでに言及がある。
また、考古学的にも畿内や瀬戸内どころか東アジアで類例がない期間と規模と奉献物の豪華さ
のある祭祀遺跡が発見されている。
これだけみても宗像神社がより神社の原初の形態を伝えてきたことがわかる。
254 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:49:17
>>208 持論を言わせてもらうと、
記紀の神代の部分は、三つの場所から成り立っている。
高天原、出雲、日向がそれ。
出雲と日向の場所は明白。となると、高天原は、その間にある九州北部
と考えるのが妥当だろう。
だいたい、出雲や日向について多くの紙面を割いて詳細な記述があるのに、
その中間にあって、古代もっとも栄えていたと考えられる九州北部が全く
登場しないというのはおかしい。
この地域を高天原と考えれば納得がいくと思うが。
255 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:55:24
>>252 「宇宙」って単語があるだけで、新しい時代に作られた神社だってわかるだろう?
257 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:00:37
>>254 >出雲と日向の場所は明白。となると、高天原は、その間にある九州北部
>と考えるのが妥当だろう。
それを言うなら、日本書紀にも古事記にも、
出雲の国譲りの前に、美濃(岐阜県)の喪山(天津神のアメワカヒコの墓)が登場することをどう評価するつもりなのかな?
九州北部の伝承が、ピンポイントで岐阜県まで伝播したのかね?
258 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:00:51
>>252 幣立神宮には行ったことがある。
知る人ぞ知る。知らない人は全く知らない。という所だな。
興味のある人は、遠くから、外国からも来るらしい。
入れ替わりに、姫路ナンバーの車が入ってきてちょっと驚いた。
>>256 史書と考古学的知見の事実を隠すのは畿内派の常套手段。
260 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:01:27
日本の古名:豊芦原ちいお安芸瑞穂国
見事に北部九州+本州の出雲・吉備以西だけじゃないかw
近畿なんて毛人の国じゃないの?
261 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:05:16
>>257 まあ、いろんな場所が出てくることはあるが、主要な舞台は高天原と出雲
それに日向だから。
次に神武東征によって大和になるわけだが。
262 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:09:59
>>261 いろんな場所などえdてこない。
出雲と日向と美濃だけだ。
美濃に、「最初に出雲に使わされた、天津神の墓がある」という伝承をどう評価するのか?ということだ。
評価せずして、高天原が北九州などと、どうして言えるのだ?
263 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:10:07
伊勢神宮では早朝、木をすり合わせて火をおこすことから始まる
神宮内で収穫された米を焚き、天照大御神にお供えするのである
これを365日、1500年以上続けているそういう場所
264 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:15:14
出雲というのは、今の島根県の出雲では無い。
近畿一帯が出雲だった。
美濃は、近畿の東端にある土地であり、そこに、
「最初に出雲に使わされた、天津神の墓がある」わけだから、
高天原は、もっと東北にあったことになる。
事実、天岩戸をこじあけた手力雄神社が岐阜県にある。
手力雄神社の本家が九州にあるか?
>>263 宗像沖の島の「国家的」祭祀は1600年以上前に始まっていたがそれがなにか?
祭祀自体は縄文時代の遺跡がある。
5000年以上前から現在まで続いているということだ。
266 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:17:18
>>265 伊勢神宮は宇佐の次の世代の神社だ。
宇佐は宗像の孫でしかないから、さしずめ伊勢は宗像の曾孫かそれ以降だな。
女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり・・・今の中国地方だな
また侏儒國あり、その南にあり・・・当然これは四国になる
また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり・・・近畿地方に間違いない
魏志倭人伝を素直に読めばこれ以外の答えはないはず
畿内は裸国なのか?、黒歯国なのか?
畿内は裸では寒そうなので黒歯国だと思う
268 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:18:31
>>262 例えば、天孫降臨のとき、道案内をした猿田彦は、伊勢に行っている。
諏訪なんかも出てきていたと思う。美濃は記憶にないなあ。
かなりマイナーな記述だろう。
伊勢神宮より古い神社なんて九州にはたくさんあるのに
畿内説はバカだな
270 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:25:52
>>268 >かなりマイナーな記述だろう。
高天原が九州にあるという既成概念があるから、見えないんだよ。
手元に日本書紀、古事記があるなら読み返してみたら?
葦原中国平定の最初のエピソードで出てくるのがアメワカヒコだ。
その墓が美濃にあると明記してるのだよ。
きちんと、明記してある理由を評価してくれ。
271 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:27:04
もったいぶらずに沖ノ島を調査させろよ、女禁の島だけに面白い物が沢山あるらしいじゃねーかよ
272 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:32:59
>>271 昭和46年までに三次にわたる調査は完了し、十数万点の出土物は後に一括国宝指定されている。
「海の正倉院」といわれているが、この命名はおかしい。なぜなら本家正倉院の御物は史的にも価値的にも
沖ノ島にかなわないからだ。沖ノ島のミニチュアもしくはサブセットが正倉院。
今年一月に世界遺産の国内暫定リスト入りし数年後の世界遺産入りをめざすために恐らくさらなる調査はするだろう。
273 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:37:27
なんだよ、畿内のゴッドハンドは空振りに終わりそう勢いだな
274 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:42:17
>>270 天稚彦は、高天原から出雲に派遣された二番目の使者となっている。
でも、出雲を平定することが出来ずに死んでしまった。
天稚彦は、自分が射た矢が高天原に届き、その返し矢で死んでいる。
落胆した父親はひっそりと喪屋を作り、葬式みたいなのをやる。
喪屋のあったところが美濃国の藍見川の川上ということで、死んだいきさつ
などからここが高天原とは考えにくいな。
275 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:53:53
>>255 宇宙という単語がある=新しい神社
伊勢神宮以上の歴史があるんだけどwww
276 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:54:31
>>267 で、邪馬台国までを素直に読むとどこになるわけ?
277 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:56:07
>>274 美濃が高天原ということではなく、
高天原神話を伝えていた人々が美濃にいたということだよ。
記紀編纂時には、美濃に「天津神の墓がある」ことは常識だったから明記してあるのさ。
高天原神話を伝承する人がその土地に居なければ、ただの山を見て「天津神の墓だ」とは言わないし、
誰かが思いつきでそう主張したとしても、時の権力者はそれを認めないだろ。
実際に、美濃には「出雲国ゆずりより前に、天津神と国ゆずり交渉をした」という伝承があったと見るべきだね。
美濃人の勝手な創作なら、もっと日本全国に同じような伝承が残っていないとおかしいだろ。
278 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:58:49
美濃もん太くんは最近はコテ止めたの?
279 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:03:55
>>278 そういう煽りじゃなくて、きちんとした評価を聞かせて欲しいわけ。
どうして、葦原中国平定の初期段階で、美濃と言う地名が登場するのか?
280 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:22:24
美濃もん太ではないが
伊勢の神宮は明治になって色々整えられたものだよ
儀式とかもあれ、宮中祭祀の白川家とか、江戸城内の紅葉山東照宮に伝わるものとか、
鎌倉期の神道中興の祖とも言える渡会氏の流儀などを参考に、明治の官僚が作り上げたもの
明治になるまで天皇は御所で毎朝四方拝をしいてたが、それは天神地祇に祈るというもので、
合わせて神宮遥拝もやっていたというのは明治政府の神祇局の嘘
282 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:35:32
>>236 >まず丹波に降りたという話がありますからね、国のお墨付きの書類です。
>つまり丹波から九州へ向かっただけの話。
ちょっとコピペしてみました。
その従わない者は星神〔ほしのかみ〕▲の香香背男〔カカセヲ〕▲だけであった。
そこで倭文神〔しとりがみ〕▲である建葉槌〔タケハツチ〕命▲を遣〔つか〕わして
服従させた。そして二神は天に上ったと言う>、ついに報告に戻〔もど〕った。
そこで高皇産霊〔タカミムスヒ〕尊▲は、真床追衾〔まとこおふふすま〕(*28)で
皇孫〔すめみま〕の天津彦彦火瓊瓊杵〔アマツヒコヒコホノニニギ〕尊▲を覆〔おお〕って
降臨させた。皇孫〔すめみま〕は天磐座〔あまのいはくら〕(*29)を出発し、
また天の幾重〔いくえ〕もの雲を押し分け、威勢〔いせい〕よく道をかき分けかき分けて、
日向〔ひむか〕(*30)の襲之高千穂峯〔そのたかちほのたけ〕(*31)に天降〔あまくだ〕った。
そうして皇孫〔すめみま〕の進んだ様子は、串日〔くしひ〕(*32)の二つの頂〔いただき〕から
天浮橋〔あめのうきはし〕(*33)を通って、浮島のある平らな土地に立ち、
その不毛の地を丘伝〔おかづた〕いに国を求めて通り、吾田〔あた〕(*34)の
長屋〔ながや〕(*35)の笠狭碕〔かささのみさき〕(*36)に辿〔たど〕り着いた、
というものであった。
その地に一人の者がいて、自ら事勝國勝長狭〔コトカツクニカツナガサ〕▲と名乗った。
皇孫〔すめみま〕が、「国があるのかないのか」と尋ねると、
「ここに国があります。どうぞ思うままに過ごしてください」と答えた。
そこで皇孫〔すめみま〕は行って留まり住んだ。その時、その国に美人〔たをやめ〕がいた。
名を鹿葦津姫〔カシツヒメ〕▲と言う。<またの名は神吾田津姫〔カムアタツヒメ〕▲。
またの名は木花之開耶姫〔コノハナノサクヤビメ〕▲>。
これのどこに「丹波におりた」という話があって、その神々が「丹波から九州に向かった」
と書いてあるの? もしこれになければその部分をコピペしてちょーだい。
>>236 まーた、お前か!いい加減に捏造はやめろ!
284 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:38:08
>>282 記紀じゃなくて、籠神社の伝承のことだろう。
>>283 捏造と思うならどうぞ、でもそういった伝承があるのは事実ですな。
>>287 圧倒的に不利なおまえらが何言ってるのw
289 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:50:47
>>284 なんだ。そうなのか。それならそうと書いてほしかったですね。
記紀と籠神社の伝承だとえらい違いじゃないですか。
290 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:51:12
圧倒的に不利なおまえら=九州説
>>289 そんな事すら知らないのか?
もっと勉強しなきゃダメですな。
九州=邪馬台国
近畿=黒歯国
魏志倭人伝を素直に読めばこれ以外の答えはないはず
黒歯国も立派な国だったはずだから、近畿の人もがっかりする必要はないと思う
293 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:55:22
>>289 籠神社にそういう伝承があったのは確かだろう。
伝えていたのが海部(アマ)氏ということから、
本来の天孫津神(アマ)の子孫とは海部氏だったとも考えられる。
九州説の最後のあがきだな。所詮カッパノベルズ読者かムー読者かオウム信者
しかいなかったもんな・・・
>>292 素直に読んだら…懐かしいフレーズw
歪んだ性格の人が素直に読んでも正論にはならないから。
297 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:00:32
畿内論者は嘘ばかり言うから、信用出来ないよ。
298 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:02:00
紀元前2600年
古代中国の黄帝が『指南車』を作る
指南車とは磁石が南北を指示す性質を応用した道具で、
黄帝が紀元前2600年頃に作らせたとされています。
黄帝は伝説上、黄河流域に現れて初めて古代中国を統一し漢民族天下を作ったとされる人物です。
黄帝は戦の時に敵の蚩尤(しゆう)が起こした濃い霧によって、
自軍の進行方向が分からなくなり苦戦を強いられました。
そこで南北の方向が分かる道具を作らせて、霧の中でも方向を誤らずに兵を動かし勝利を収めたということです。
九州オウム教はまた古紙あつめるのかね?
300 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:03:20
海部氏の祖神が天火明で、尾張氏と共通。
物部氏がニギハヤヒと天火明を同じ神だといってるが、
これは物部氏だけの主張で、海部氏と尾張氏は物部氏を無視している。
日本書紀に明記してあるのは、天火明が尾張氏の祖であるということだけ。
つまり、海部氏を封印する意図が記紀にあったことになる。
海部氏(天火明)が本来の大和の王だったことを匂わせる。
>>298 あんた九州説でしょ?わかるよ電波ゆんゆんだから
302 :
298:2009/11/21(土) 17:03:51
改行するの忘れたかもしれんwゴメソ
「方位の間違えはなかった」
で決着でいいでしょうか?
303 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:05:58
>>302 沖縄説を主張するならいいんじゃないの?
やっぱり
>>303 なんで方角が正しかったら沖縄になるんだよ
帯方郡から邪馬台国まで12000で
そのうち伊都国までで10500なのに
>>300 先代旧事本紀だな
それこそ伊勢神宮の中興の祖、渡会氏の理論となった本
>>300 そうすると全部辻褄が合っちゃうからね。
なんで卑弥呼の記述が記紀に無いとかも。
308 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/21(土) 17:13:37
>>292 黒歯国は台湾にありました。檳榔(びんろう)をかむ習俗から歯が黒くなります。
古来から日本には檳榔をかむ習俗はありません。
普通に読めば、ってことなら
対馬國ー一大國ー末盧國ー伊都國ー奴國
を
対馬ー糸島(博多湾)−松江ー丹波ー奈良
までは素直に読めるけどなあ。
別に九州がどうの近畿がどうのって言うつもりはないけど。
310 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:14:22
>>298 指南車は磁石は使ってないべ
左右の歯車の回転差で方位を示す機械
311 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:22:34
>>305 だから残り1500里なら邪馬台国は何県に行き着くんだよ!!!答え、奈良しかないじゃん
312 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:24:10
313 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:33:56
近畿厨って馬鹿しかいないの?
314 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:35:49
>>312 司南は初期の方位磁石みたいだが、それと指南車の構造となんの関係が?
315 :
近畿厨:2009/11/21(土) 17:37:53
はい、犬コミと御用学者の刷り込みだけが生き甲斐です。
九州厨は知識がない上にくるっとるw
九州説に必要なのは物証だ。
吠えてないで早く発掘しろ。
318 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:49:10
結論から言って邪馬台国は奈良です、魏志倭人伝は、ほとんどが妄想レベルの文献だと考古学者は断言しています
その証拠に平戸や五島列島の記述がありません
319 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:50:35
海部氏は日本書紀や物部氏から無視されてるけど、
現代でも、ある勢力から無視されてる。
それは九州説だ。
九州説にとっても、海部氏はとてつもなく邪魔な存在。
本当に古代史の謎を解きたいなら、九州説は捨てて海部氏を研究すべきなのに、
なぜしないのだろうか?
書き出しが神話になっているから記紀は史書ではありません。
321 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:58:23
九州から四国そして奈良へと交通ルートは簡単です。それを考えても邪馬台国が奈良だとわかります。
323 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:03:24
邪馬台国については考古学はまったく当てにならない。
いくら大きな住居や女性の埋葬されている墓が大和からでても、それが卑弥呼に関係している
かどうか証明できない限り邪馬台国とはいえない。
親魏倭王の金印が大和で発掘されても証明にはならない。他から持ってきたかもしれないから。
魏志倭人伝の邪馬台国は魏と国交があった国であり、考古学的規模はその決定要因ではない。
決定できるとすれば魏志の時代に書かれた地図に邪馬台国の場所が明記されていることだけだろう。
しかしそんな地図は存在しない。だから次善の策として魏志倭人伝を読み解くより決定する方法はない。
324 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:07:37
>>321 どうして?
多氏が何か言ってましたか?
325 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:12:02
多氏を知らんなら話に加わるなw
何が、「何か言ってました?」だwww
326 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:13:25
多氏が言ってるのは、「おれっちの親戚が九州日向から東征して大和の大王になっただよ」ってことでしょ?
おお
328 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:18:30
これはヒドイwww
329 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:19:00
邪馬台国が九州だと
九州だけで100余国もあったのかw
で、南の狗奴国と邪馬台国が対立してたのかw
330 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:22:43
海戦かもしれんよ?
331 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:23:51
>>254 九州北部は奴国王の土地で出雲にも属さない
大和朝廷と一番遠い位置にあったいわば外国とみなすのが妥当。
>>321 畿内説でも全然邪魔じゃないけど。
別に九州発祥でもないし。
333 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:39:06
九州中北部はね。
おそらく、古代1世紀頃はたぶん本州四国とは全く別個の
権力があって独立した地域だったんだよ。
那国王の金印が送られ、その後のシュセンが統治をしていた
出雲の神を祀った事もない、神社に該当するものもない
そういう地域。完全に本州四国と孤絶した独立国家。
ちなみに宗像って宇佐などと同様豊前に近いエリアだから
九州では異質な地域と見なされてるよ。
本州四国の人は知らないだろうけど
宗像ー佐伯を結ぶ北東方面は少し違うエリア。
宗像はある種、自治都市的な治外法権があったかもしれない。
334 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:47:00
九州で一番古い神社って何処?
竈神社?玉垂宮?
335 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:47:04
ふしぎ発見でドンデモない説をぶちまけるみたいだけど、畿内論者のマスコミを使ったゴッドハンド流星拳くるよ。
楽しみだねwwwwww
336 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:48:02
宗像コーチ! おちょ-
337 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:51:39
>>335 九州オウムはまた古文書捏造ゴッドハンドするの?
九州説の大御所の麻原も拘置所でおとなしくしてるんだから
弟子のおまえらもちっとは静かにしてろ
>>334 宗像は古来よりの神郡。
宗像の海岸に流れ着いた漂流物は宗像神社が所有してよかったらしい。
それと大陸との通商も海人の後裔である宗像の民が一手に引き受けていただろう。
339 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:52:50
>>336 それってエースを狙え!か。古いのう。
いまなら宗像教授だろう。
340 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:54:53
宗像教授って電波たれ流しのあれか。
めまいがするわ。
341 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:02:11
>>335 ふむ、九州説が置かれた立場の自覚はありそうだなw
予防線張るのに必死のざまは笑えるwww
まあ心配しなくとも「九州か畿内か」どちらかと言う断定的なことは
まさか言わんだろうよwwww
竈神社、玉垂宮の由来教えてくれ!!
畿内派のどんだけゴッドハンドが大好きです、藤村さんに頼めば簡単に奈良で決着がつくと思います
>>341 それ自己投影ですよ、さすが畿内論者ですね、小賢しいマネを、笑っていいですか?!
345 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:13:33
ゴッドハンドと言えば畿内説に皮肉を言ったつもりになっている九州説厨のレベルの低さよw
何処ぞの学統・学閥に属すでもなく基本アマチュア出身の藤村の件は
本来邪馬台国ブームで多くアマチュア研究家を生み出した
九州説にこそ身につまされる話だと思うんだがwww
馬鹿にとってはとにかくはしゃげる燃料があれば何でも良いんだろうwwww
私が預言しましょう
今から2時間以降にスレが荒れます、九州派が息を吹き返すでしょう
>>345 貴方すごいわ、畿内論者の根性の悪さを集約できているわ、見事なものね。
予言しよう、、、今日中に九州説派は完全に消滅するが、最後に何か言っておきたい事はあるか?!
349 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:28:57
>>345 それにのって麻原が現王朝の交代とかいいだしておこったのが
サリン事件だしな。
九州説がサリン事件起こしたようなもん。
いかれぐあいといい、九州厨=オウム
これからは九州オウムと呼ぶべき。
350 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:29:22
お互いの人格攻撃はどうでもいいけどさ・・・結局、伊都国はどこなのよ?
351 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:32:29
伊都国は絶対九州にあったの!
352 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:32:40
>>350 それも結局邪馬台国の位置が確定しないとわからん。
ここでいわれてるのは所詮言葉遊びのレベル
353 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:35:22
邪馬台国畿内論者は、もう宗教の信仰に近い。
九州説がどんなに合理的であることを説明しても、絶対に認めようとしない。
ボケ老人に説明しているような気分にさせられる。
ガリレオの気持ちがよくわかるよ。
354 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:36:38
伊都国は学者も含めて全員一致で福岡県前原市だろう、まーだ、畿内派は捏造しないと気がすまない様だな
355 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:39:24
糸島=伊都国
福岡県前原市には九大の伊都キャンパスがある
>>353 現実見ろよ。九州説なんて学者から相手されてないだろw
358 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:43:01
>>356 なにいっているの?
しょうがっこうくらいでていればぶんしょうくらいよめるでしょ?
359 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:48:42
んじゃ畿内派も九州派も、伊都国は福岡の前原が最有力候補って事でいいのかな?
360 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:48:59
地図を時計廻りに90度ずらして見ればすべて一致するって前スレにでてて
決着したと思ってたのにまだ九州厨があきらめきれないでいるのか。
361 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:49:23
カッパノベルス読んだだけの中卒の低学歴バカが
「考古学会は邪馬台国とは別畑(きりっ)」
といってるのが九州説脳性麻痺患者の現状。
362 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:50:08
地図を90度ずらした時点で畿内はなしだろ。
まぁ九州説はもはやファンタジー小説なんだから。
もっと大胆にエンタメに徹してみれば?
365 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:03:33
ここ面白いwww
ゆとり教育の賜物ですねー。
従来の近畿派って言われてる人たちは
最近の遺跡発掘で考え方を柔軟にしてきてるんじゃないかな。
魏志倭人伝は昔から政治的にも利用されてきたのだろうと思うし
その課程で、変な方向に凝り固まってしまった人も出てきてるんでしょ。
>>309で書いたけど、なんのこだわりもなく読めば
伊都は丹波だと読めるよ。
ふしぎ発見まで後一時間
368 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:09:40
>>366 あのー柔らかに捏造するの、やめてくれませんか?!
嘘まき散らすつもりなんだなw タケシのアポロは月にいってない番組になってあたらどうしようw
>>368 おしっこ柔らかにかけて古文書に見せた九州王朝のことかーーー
今まで嘘どころか、麻原のように社会に迷惑与えてしまったのが九州説論者だろw
まずそれを自覚してるのかな?
372 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:16:44
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery1123_2.html ― けれどそれがすぐ=邪馬台国とは断言できない… ―
そうなんですよ(笑)。「魏志倭人伝」には、‘邪馬台国出身の卑弥呼’というニュアンスで記述があるのです。
有名な金印が発見されたのは九州ですし、纏向が邪馬台国なのかはまだ特定できていません。
九州で生まれた卑弥呼が後に纏向へ来て、そこで女王として君臨した可能性もあります。
そうなると邪馬台国は九州で、纏向はそれと別の政治的中心地だったかもしれない。
「魏志倭人伝」では、日本のことを「倭」と記しています。邪馬台国=日本ではないんです。
>>372 近年、日本古代史研究の場においては、纏向遺跡が邪馬台国最有力候補地となっています。
って。。。。まだだろ?
374 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:21:52
番組が電波たれながしても、それで古代史・考古学会が
九州説に流れる事はない。
有名な話だから。
でもアマチュアは結構影響されるかもね。
陰謀論好きだから。
375 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:24:08
畿内説涙目の番組になりそうだな。
九州説の言う「素直な読み」では場所が特定できていない現実。
377 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:26:23
>>375 ミステリー追求のテレビはソースにならんからそうでもない。
379 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:26:41
纏向発表に合わせた企画なんだが・・・
381 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:42:05
あと20分
382 :
ローガン:2009/11/21(土) 20:45:29
もう、止めましょうよ。けなしあいは…
はははは・・・面白いやりとりだぁ〜!!
魏志倭人伝を素直に読むと海のはるか向こう。
今で言えば外交官が東西南北間違えるような馬鹿とは思えないので
普通に考えれば難升米が嘘を言ったんじゃないか、何故かはしらねどwwww
384 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:00:17
対馬國ー一大國ー末盧國ー伊都國あたりの方角が怪しいのは九州説でも同じじゃないのかな。
386 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:21:28
石野さんが銅鐸を壊しちゃったよ〜!
387 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:31:15
おまいら邪馬台国どころじゃないよ
縄文文明来るよ
本当の起源来るよ
トヨタン、トヨタン、トヨタン・・・・・・・・・・・
>>375 九州説涙目になってるような気がせんでもないぜ
390 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:43:17
九州説は終了したのか
391 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:48:08
高千穂神楽が出てきたが、九州説にはもう触れなかったな。>世界ふしぎ発見
392 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:48:18
もう邪馬台国なんてどうだっていいじゃないか
縄文時代に栗の栽培してたんだぜ
どういうことかわかる?
縄文遺跡なんて日本全国47都道府県で出土してるんだぜ
何が邪馬台国だのヤマトだよ
そんなのはきっと歴史の通過点にすぎないなんだよ
きっとね
今に文字出土するから(漢字じゃない)
結論としては、マキムク=邪馬台国という展開だったなぁ
394 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:53:45
思いっきり最後は福岡で締めたな(笑)畿内の邪馬台国は胡散臭いつーアピールだな
395 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:54:26
マキムクの見解はあれで全て?
言い残した事はない?
やっちまったなぁ。
って点が4つあったぞ?w
396 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:55:31
ちょwww
畿内派涙目番組じゃねーかよwww
399 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:56:30
>>392 幣立神宮にあるやつ?
幣立神宮のは出土どころか宝物だけどw
400 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:57:09
九州説はかすりもしなかったなあ。
いつもの女子短大の学長も出てこないし。
403 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:59:15
鹿児島の隼人瓜が出土したと聞いて飛んできましたwww
404 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:59:15
高千穂神社と最後の福岡はそういっていないだけで演出意図は思い切り九州説
405 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:59:54
畿内論者涙目WWW
ギャハハハハハハハハ
407 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:00:31
でも銅鐸を壊したのが信仰する神が変わったからって…バカじゃね
神備(カンナビ)信仰とか思い出せば解るだろけど、信仰の対象は祖先の魂だぜ?
それ(祖神)を否定して新しいのを崇めろ
というのは、侵略された=マキムクに元から居た集団は他所から来た卑弥呼の集団に侵略された。
て肯定するこったろ?
畿内説を強化したつもりで結果的にマヌケの証明に見えたw
>>407 あれは確かに笑えた。俺は畿内説だけどああいう電波は畿内説にいて欲しくない
410 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:02:47
世界不思議発見は、結局、まとまりがなかった。
纏向を邪馬台国であるかのように放送しながら、卑弥呼+台与を天照大神と
していた。卑弥呼を天照大神に例えるのは、まさに九州説また東遷説そのもの
なのだが。
個人的には、卑弥呼+台与=天照大神には大賛成。
ぶっちゃけどっちでもいい。俺奈良に住んでてここに天皇や都があった
歴史があるんでマジ邪馬台国とか九州でもどこでも構わんぜ。
た〜だどうやら奈良に邪馬台国はあったみたいだな。奈良、大和がかっては
日本の中心だった創生が邪馬台国みたいだし。
客観的に見ても奈良はないわ、奈良論者撃沈だな プッ
413 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:03:48
マキムクを九州から来た神武が征服したって事なんだな
414 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:03:53
九州説の人らの心情考えると、何やらかわいそうになってきたw
完全無視じゃん
416 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:06:40
最古の前方後円墳って、どや顔で言ってなかった?w
どんどん学者が畿内説に走ってるからな。そういう現状を否が応でも感じさせた
番組だったな。まっまだ巻向に決まったわけではないが。
>>407 だよな(笑)
まだ、腹いてぇーよ ゲラゲラ
いや、決まりみたいな感じだったぜ。
420 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:08:59
>>416 箸墓はやはり中期の古墳だな。
その証拠が次から次に出てくるのだが、畿内説はそれを認めようとせず、
逆に証拠のほうを古くしてしまう。
421 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:09:11
まきむくって当て字だな
日本人ならわかるだろ
元の文字はなんだよ
どっちが朝鮮系って話し?
>>411 魏志倭人伝によれば、邪馬台国は政治の中心地の伊都から
ものすごく離れた僻地だよ。
ニュアンスとしては、
ものすごい山奥の田舎から出てきたタレントが卑弥呼で
その山奥が邪馬台国。
>>420 放射性炭素で年代は倭人伝のそれとピッタリ一致してる
学会も畿内が邪馬台国と認めた
426 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:12:12
>>423 テレビで二重の堀が見つかったといっていただろう?
以前は、鐙が出てきた。鐙はずっと後のものだといわれていた。
427 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:12:13
邪馬台国は中国人による当て字
まきむくは日本人による当て字
おまいら何やってんの?
428 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:12:42
マキムクの宮殿が廃れた後で箸墓建設が始まったと言ってたな。
これで時系列がはっきりした。
卑弥呼がマキムクで祭祀をして、
卑弥呼の死後、箸墓古墳ができた。
>>421 日本の古語からきてるとか。古語は50音それぞれに意味がある。
マ真っ直ぐ〕の「マ(真)」
「キ」は「東」(東西南北の古語はキツサネ)
で、
真東向き
430 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:14:00
>>425 放射性炭素の年代測定の結果は、畿内説の人でさえ認めていないよ。
431 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:14:26
>>425 箸墓より古いとされるホケノ山のC14は4世紀半ばなんだが、年代遡上の宗教だから
やつらはガン無視なんだよね。
>>430 そうなの?認めていないというソースある?
あ〜あ
そうか、マキムクはどこぞの勢力に侵略された事はよくわかったWW
>>394 番組は九州説に触れたの
どんな感じで?
436 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:16:10
まああの番組見てストレス感じたのは
この板ではむしろ畿内説の方だろうwwww
(逆に九州説(特に東遷厨)は日蝕の話は出るは
岩戸隠れ神話は出るはで結構受けたんじゃないのかな?w)
例えば銅鐸叩き割る実験考古学みたいなの…
アレ見たら一般人(丁寧に埋納された事例も知らず)全ての銅鐸が
それこそ鏡造っているヨコで叩き割られたと思うぞ?wwwwwwww
まあツッコミどころは多々あるだろうが
現時点お茶の間の視聴者の興味を引こうとすればああいう形になると言うのは
ある意味一つ勉強になったかもしれないw
(客観的な現在の邪馬台国論争の”立ち位置”の確認と言うかw)
438 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:16:30
>>428 纏向が完全に廃絶した後で箸墓ができるというのは興味あるな。
439 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:16:49
近畿では首長が変わると証拠を壊す風習があります。
という印象しか残らなかった・・・
440 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:17:01
天照大神=卑弥呼+台与
とか言ってたけど、個人的に和気郎女とかみたく、
卑弥呼は「肥の国の巫女」(若しくは日向-ヒムカ)で台与は「豊の国の巫女」程度な名前だって信じてるから
その2人を天照大神にする=九州勢の東征説証明
みたいで嬉しかった。
441 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:17:15
442 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:17:22
山態国なんてどーでもいいべ
>>436 かわいそうに。君の気持ちはよく分かるよ
444 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:17:56
プッ、やっちまったな、あれでマキムクはないわ。
445 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:19:17
何で鹿児島に行ったの?
解析されたっていうCGだけでよくない?
446 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:19:22
>>417 例の建物の周りに別の建物がいっぱいあったのには笑ったな。
住居跡と断定できるものは160回の発掘でほとんど出ていないのにね。
>>428 マキムクの例の建物跡の土器は布留0だから、箸墓と同時期なんだが、
建物を古くするために、庄内初期に建てて布留0までにするっぽいね。
畿内説だが、電波もあったしあれじゃ九州説の人がかわいそう。
番組予告の内容見て、九州にもっと触れると思ってた。
>>439 笑わかすなよwww
ギャハハハハハハハハ、腹いてぇーwww
449 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:21:29
ここって、必死なのが一人いない?w
450 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:22:51
つーか、何で卑弥呼スレは番組について書き個なしなんだ?
「卑弥呼殺人事件」がタイトルジャン
451 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:23:56
『卑弥呼殺人事件』と言うか力の衰えた卑弥呼は殺された…所謂「王殺し」
ってネタもその昔、松本清張あたりが言っていたと思うが
なんか邪馬台国論争の古今のネタで面白そうなのを集めて
それを纏向にかぶせて盛り付けたって感じだったなwwwwwwwww
452 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:23:58
>>428 じゃなにか?
そんなに偉大な卑弥呼様が死後に
「神様に恥かかせたからマンコに箸が刺さって死んだ」
て伝説をつけて貰えたのか?
わけが解らんわw
453 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:24:11
>>439奈良在住だけどあれにはドン引きしたorz
454 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:24:56
455 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:25:46
いや、番組が終わってもなしだからだよ。
456 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:26:40
457 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:26:43
とりあえず、世間的には九州説死亡ってことだな。
458 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:26:52
>>446 あれ、モロに個人の私有地じゃないか?
何か家庭菜園っぽい印象だったw
459 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:27:11
連合とかいうのも強調していたな。今どき連合とかアホだろ。
奈良盆地の中央の広大な領域は人の住めない湿地帯であったことはすでに定説で、
マキムクでも住居跡は異常なほどに少ない。というか確実なものはほとんどゼロ。
なのでマキムクが中心であるとすると必然的に畿内全体を本拠地にする広域権力を
想定する必要があるので、細切れの地域の連合とかいう概念で「王権は小さかった」
とする左翼の理屈は成り立たない。
460 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:29:01
>>459 >人の住めない湿地帯であったことはすでに定説で
ソースヨロwwww
>>429 まともに東向きだからな。日の出の方向だし。
462 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:29:44
>>459 古墳の広がりで説明してたんじゃね?
まわり古墳とか遺跡だらけだし。
463 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:31:48
土器がたくさんとか言ってたな
番組ではもう畿内説で決定というニュアンスじゃないかw
まあ事実そうなんだけど。
466 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:33:11
耶馬台国についてはスルーだった件。
九州から拉致られて日食にあわせて殺されたって内容でOK?
まさかの翌年の日食で慌てて代役を立てたと。
犯人だぁれ?
467 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:34:01
九州説はガケっぷちなのか?w
468 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:34:09
>>460 いまどきこの点を否定する人なんて居ないだろww
奈良盆地の中央部の広い地域で弥生以前の遺跡が全く出土しないってことは、誰も否定しない。
しかし、畿内説の連中の本ではあえてこの点は避けることが多いようだね。
これを認めるとヤマトは外から来た人々が作った拠点ということになる。
まずいよね。神武東征につながるようなことは。
469 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:34:12
>>466 卑弥呼ははしづかに埋葬されたっていっちゃってたぜ
470 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:34:34
九州説が過去のものになったのはわかった。
471 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:35:23
472 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:37:07
纒向の発掘が進んで以降
九州説の学者は反論できずに
沈黙してるのが負けを認めた証拠
473 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:38:14
見逃したorz
おもったが、上みて
みなくてよかったと思った。
民放のドキュメントはレベル低いから
そんなもんだろう。
みてたら逆にストレス溜まりそう。
見逃して良かった。
nhkのクローズアップ現代とかスペシャル予定ない?
474 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:38:32
まあとにかくアマテラスを侮辱するのはやめとけよ
伊勢神宮の人たちが悲しむからな
毎日毎日、火をおこすことから始まって神宮内で獲れた米を焚いて
お供えしているんだからな(今朝もやっていたわけだ)
なんであれな
清少納言みたいにシニカルになればいいというもんじゃないぞ
475 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:38:58
>>463 例の建物は台地の部分だったが、周りの低い土地の部分では水田跡さえ
全く出土しないことからは、耕作にも適さない状況だったんだろうな。
雨季には水田が埋まる状況が想定できる。
そんな場所だから居住用の住居が全く出土しない。
無人都市マキムク
なんて言われ方もする。
476 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:39:11
>>460 奈良が元は湿地だったのは俺も知ってる。何で読んだかは失念したけど
奈良が元は湖で、湖→湿地→奈良盆地というのは科学誌で探した方が早いんじゃね?
番組見て思ったけど、素直な感想は、邪馬台国って九州なんだなー、だってラストが福岡だし、所々高千穂じゃん
奈良なんて胡散臭い屁理屈どまり、あれじゃ畿内説派の人達が可哀相だよ(笑)
478 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:40:38
巨大な遺跡は纒向だけ
各地方の土器があるのも纒向だけ
これだけ揃えば魏に朝貢したのは確実
479 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:42:07
>>468 >いまどきこの点を否定する人なんて居ないだろww
はあ?
つうか奈良盆地をやたら無人地帯にしたがるのは
ネット上のこの板出しか見ないんだが?w
脳内ソースはいい加減にしろwww
それとも安本先生の標高50mは全て湖面下だったという説でも持ってくるのか?www
じゃあ九州から東遷勢力が入植やらなんやらして
急激に人口が増えたって言うのは何で確認できるんだ?
>>468 またまたご冗談をw
畿内説は弥生期に栄えてる事で何の問題も無いのだが。
481 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:43:27
>>475 だな、『瓜の果肉が発掘されたのは土砂に埋もれたから』て言葉は畿内信者はスルーだろうけど
>>468 だから奈良市じゃなくて桜井とかあの地域になるんだよ。近鉄でで桜井の次は鳥羽なんだわ
>畿内説の連中の本ではあえてこの点は避けることが多いようだね。
それはないと思う。
都合の良い事実だけで悪いことはないし。俺は逆にこの時代の地図はって、瀬戸内海
にスムーズに出られ、すごい要塞になってる。
河内に王権があったのは常識だが、そこもほとんどが湿地だった。でも否定する物はいない
水浸しが不利になることはない
483 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:44:16
>>479 記紀にそう書いてあるじゃんww
まあ記紀は捏造だらけという捏造史観で闘っている人には何を言っても無駄だろうけど。
484 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:45:15
>>473 民放のレベルでなく
畿内派学者のレベルが露呈しただけ
あれ?縄文人が涙目で書き込みしてるのかw
486 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:45:53
で、今回のtbsからは得るもの無しという結論でok?
この勢いなら聞ける!
投馬て鳥羽?
488 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:46:29
畿内に弥生人はたくさんいたんだけど
なぜ無人にしたがる?
なんか古代地図の復元があったよね。入り江が奈良盆地まで来ているやつ。
>>483 へー、記紀に奈良は湖だったと書いてあるのかw
492 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:48:01
>>482 そうかな。自生説を採る白石先生なんかにしてみれば、広大な湿地帯があって
人が住む地域が限られていたなんて認めたくないだろ。
自生説は天然記念物のようなものかもしれんが、かといって「他から来た集団が
作った。」なんてのは神武東征につながるから、ヌルーが畿内説の基本だよ。
494 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:48:35
>>476 あのな、奈良盆地は今でも金魚の養殖池が広がっている地域もあり
湿原や湖沼が多かっただろうなんてのは誰でも分かる事なんだよw
果たしてそこに人が住めないと言うのとは別の話。
じゃあヤマト王権は初期の前方後円墳群や纏向の土木工事に要した労力を何処から調達したんだ?
盆地の外からかき集めてきたのか?って話になる。
『 無人都市 』なんて恥ずかしい電波飛ばしているのはここの東遷厨ぐらいのモンだよwwwww
495 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:48:59
>>469 言っちゃったねw
でも、あの辺りが邪馬台国だって言わなかったって事は
暗に違う土地から来たって言ったようなもんだよね?
496 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:49:07
>>484
それは畿内説全体ってこと?それとも番組に協力した畿内学者ってこと?
>>476 無人地帯なのに遺跡集まりすぎ。九州の百倍の密度だろうなw
499 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:51:02
>>493 シロウリって言ったよねw
「隼人瓜」で画像検索してみてーwww
>>490 湿地帯に金属器で水田を作ったわけですね
九州行ったけど「何もない」感じ。畿内はどこにでも証拠がある。どこでも掘ればなんかでてくる。
九州人にはこの感覚わからんだろうね。
502 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:52:27
畿内説の俺だけど
畿内説の論法は一般人には極めて難解だよ。
偏差値60以上無いと理解不能だろう。
記紀、倭人伝、遺跡事細かにみるんだし。
一般人対象の民放番組ではあれが限界だろうな。
レポーター「木も見つかったんですか?」
主任「引っこ抜かれてリサイクルされた様です」
レポーター「・・・・そうですかー」
ギャハハハハハハハハ
504 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:53:22
>>485 今奈良盆地が大湿原とか湖で無人の野であったとわめいているのは
恐らく縄文人よりもっと古手の東遷厨(最近の二つ名は無人君?w)で
より安本信者っぽい奴www
505 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:54:07
九州厨は支那人が書いた魏志倭人伝を錦の御旗にしてるけど
あんないい加減なもの信じるなよw
今は科学が発達した世の中だぞ
506 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:54:21
主任の人は、箸墓のことを「卑弥呼の墓の可能性がある。。。可能性が高い」と言い換えていた。
九州厨ってほんとうに醜いな。実感した
508 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:57:38
「他のシロウリはあげちゃったんじゃないっすか?」
509 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:57:55
そもそも3世紀末まで大湿原か湖であった場所が
4世紀になったらいきなりに干上がって耕作地帯になりました…
なんてアホな話どうやったら信じられるんだ?wwwwww
東遷勢力とやらが巨大土木プロジェクトを立ち上げたのか?
もう東遷説はカルトレベルwwwwww
510 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:58:28
九州は全国の土器が出土してから
邪馬台国を名乗ろうね
>>499 出た、九州脳w
隼人瓜は結構新しいと思うが。
512 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:59:15
>>505 倭人伝は、畿内説には都合が悪いもんなあ。
記紀も都合が悪いんだろう?
要するに、畿内説には根拠がないということだ。
なんでもあり、自由解釈の考古学に頼らざるを得ない。
514 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:59:42
>>502 白を黒と言いくるめようとすると話が難しくなる典型ですね?
分かります。白は白、黒は黒。というのなら話は簡単なんですけどね。
余計な苦労が多い畿内説の皆様の心中お察し申し上げます。
515 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:59:50
>>509 なにもない湿地帯だった関東に
江戸幕府が出来た件
>>506 それも自信なさげにな、何でも新しい事はマキムクから始まった論が微妙にゴッドハンド臭さを感じたwww
畿内は別の候補地を探した方がいいぞ、あそこは違うだろう、ブッ
517 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:00:44
>>505 暦博の官庁だった人が元考古学者だが、その彼でさえ親魏倭王の金印が決め手にならないといっている。
決め手は三世紀当時の邪馬台国の地図だと畿内説の人間でさえ言っている。
なんでもいいんだが草はやしてる方の九州説の人ただの馬鹿でしょ?
519 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:01:24
>>509 4世紀に耕作地帯になっていないだろwww
奈良時代まで遺跡や居住のあとが出ない部分があるってこと。
ましてやマキムクの時代に都市があったとか、カルトのレベルだろ。
そのカルトが今の畿内説の切り込み隊長みたいだが。
>>508 素晴らしいジョークを連発してくれた、畿内論者に乾杯
さて、飲むか(笑)
521 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:02:13
>>513 でその巨大工事の痕跡
考古学的資料は?
>>516 >畿内は別の候補地を探した方がいいぞ、あそこは違うだろう、ブッ
そりゃその方が九州説には都合いいからなw
523 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:02:45
>>512 だから信じるなよ
信頼のおけない資料にすぎん
>>519 おまえ無知なのに憶測で物言わない方がいいよ。九州説からみんな離れていくだけ。
525 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:03:16
倭人伝もダメ
記紀もダメ
畿内説最期の砦は年輪法のおっさん
畿内説はこのおっさんに頼るしかない
527 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:03:54
>>518 ミラーマンといわれる古参だよ。草を植える植草君。
>>526 おまえの妄想でダメっていってるだけだろ。ほんと九州はこんなオウム信者みたいなのしかいないのか
>>524 いやー、今日のでかなり畿内は支持者を失ったぜwww
531 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:07:19
九州説の人ってかわいそうだよね。早く真実を見つめられるようになるといいね。
>>527 今調べたらミラーマンって初演は1971年で最近のリメイクはマイナーなのな。
じじいかオタクが草はやしているのか?キモ。
533 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:07:43
三角縁神獣鏡の話は出なかったね(ショボーン)。
最近ははれ物扱いで遠巻きに避ける人が多すぎだよ。
>>523 んなこと言いながら、都合の良い時だけ都合の良い部分だけ倭人伝を引き合いに出すから畿内説儲は好きになれんな
>>533 番組を作るにあたって学者にあたったら、ほとんどが畿内説なんでああいう形になったんだろうな。
NHKは高島出してただけ九州説に少しは気を遣っていたな。
締めのクイズは福岡ですね、明らかに奈良説は否定されていますよ
いつもやらせをしているマスコミから見ればゴッドハンドは見抜かれますわな(笑)
>>536 東日流外三郡誌(笑) 古紙収拾するなよ
538 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:12:00
>>519 出てこない事をもって語るのは考古学じゃあ不味いだろうw
結局、竪穴式のように明確な居住跡が少ないと言っても
(無論皆無ではなく縄文時代のものもあるんだが今ソースが出せないが)
相当後の時代まで見出しにくく
単に遺跡の残りが悪いのをある時代で恣意的に区切っているだけwww
東遷説の言う事が正しければ4世紀に急激に増大した痕跡が無ければおかしいだろうと言う話。
そもそも「無人都市」なんて電波じゃあじゃあ纏向は何処の誰が作ったのか皆目分からない。
真夜中に小人さんでも出てきてボランティアで作ってくれたのかどうか
三流ファンタジーがキチガイの妄想レベルwwwwwww
539 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:12:07
>>506 目も泳いでなかった?
銅鐸割った人も
「うわぁぁぁぁ、この割れ方で大丈夫かなぁぁぁ・・・」
って破片を見つめてたように受けて取れた。
540 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:12:14
これは政党の支持率じゃないんだから
民放の放送は気にするな。
ミラーマンって自演もするのな。本当のクズ
もう九州説の人はこれから畿内説の粗探しと悪口位しか
する事ないからね、皆察してやらなきゃ駄目だよ。
543 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:17:08
マジで畿内説がここんところ勢いがあるので、
バランスとって九州説中心にやるかと思ってた。
拍子抜けだったな。
マキムクが邪馬台国説は、はい!消えた!残念!
545 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:17:43
>>524 論理的話になると途端押し黙るもんな。
おもしろいよw
もちろん手鏡でスカートの中を覗いたり、電車で痴漢したのにしてないといいはるようなクズという
意味だよ。
547 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:19:10
今日世界ふしぎ発見を見たんだけど、
邪馬台国の場所が確定て言ってたけどホント?
ここ見ると、決まったようには感じないんだけど、どっちなの?
548 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:19:12
>>543 でもアレで纏向遺跡が出てこなかったら大昔の九州説にならないか?wwwwwwww
>>543 正直九州説はまず候補地を絞らないと
マジで取り上げることすら減ると思うよ。
550 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:19:16
>>543 可哀相な奴、哀れんでやるよ
ギャハハハハハハハハ、メシウマー
551 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:20:25
今日の放送は宮内庁が卑弥呼を天皇の祖先と認めてるって事?
まあ戦争で空爆されなかった奈良や京都が遺跡は残ってるだろうね。北九州なんかもう…
553 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:22:19
兵庫県の古墳かっこよかった。
>>551 アマテラスが卑弥呼であるというところか?しかし、もしそうなら日本書紀にアマテラスが卑弥呼だと書くだろう。
そうじゃなくてずっと後代の神功皇后が卑弥呼か、などと書いている時点でアマテラスじゃないだろう。
555 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:23:55
556 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:24:00
>>552 大阪やられたけど残ってるぜ?
そんなお隣の国の人みたいないいわけやめてくり。
>>551 認めているなら倭迹迹日百襲媛命は卑弥呼ですと、ハッキリ発表するでしょうね
558 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:26:35
>>547だけど、
誰か疑問に答えてよ
決まったの?決まってないの?
559 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:26:51
>>557 宮内庁にとっては卑弥呼じゃなくて、そのすももももももひめの墓だし。
560 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:27:15
邪馬台国九州説の人に聞きたいんだけど
基本安本理論と同じ東遷説を支持してるんですか?
みてると9割方東遷説支持みたいですが。
561 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:27:31
>>559 箸墓は宮内庁が以前に調査しているらしいけど、卑弥呼と思える物は出てきてないんだろうね
563 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:30:38
>>558 場所なんぞいまだ決まってないが、九州説が
比較にならないくらい弱体化したという感じ。
564 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:31:05
565 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:31:16
>>558 卑弥呼は奈良人に決定しました
異論はすべて捏造です。
566 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:31:20
>>558 勿論「決まった」なんて言い方はしていないw
ただ最有力候補としての紹介があっただけ。
ちなみに九州説側の候補地は出ていない。
まあアレを見れば先ず 邪馬台国=畿内ヤマト=纏向 と言う印象は受けるだろうなww
ただ同時に卑弥呼=日の巫女=天照で
「岩戸隠れ神話」は卑弥呼没時の日蝕による
…等々の刷り込みも同時にされるだろうがwwwwwwww
568 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:31:57
>>563 九州説がなくなった理由ってのは何かあるの?
昔は邪馬台国といえば北九州って聞いた記憶があるんだけど
569 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:33:08
570 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:33:14
>>562 いや皇族の墓と見なしてるから、しても表面上しかできない
571 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:33:56
>>566 そうなんだ。サンクス
確かに纏向遺跡=邪馬台国と思える放送だったね
実際俺も信じたし。でも最有力には変わらないんだ?
テレビであんな報道して学者の人たちはどう思ってるのかね
とりあえず奈良論者の皆さん残念だったね、ご愁傷様です。
合掌
573 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:34:16
>>568 君が情報弱者なだけだよ。
昔から九州説なんてのは無い。
小説ならあるが。
574 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:35:17
>>568 >北九州
という時点で北九州市誕生前か北部九州と北九州市を区別出来ない
無知蒙昧かいずれか。中学生か大正末期水準。
575 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:36:01
畿内説の拠り所ってのは炭素14年代だろ?100年の誤差があるってことは、AC350年ってこともあるわけだ。
つまりマキムクは倭の五王のいずれかだろ?邪馬台国は九州でほぼ確定だな。
576 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:36:38
>>571 学者はほとんどが畿内説だから大筋は納得しても、アマテラスと関連させたりするの
にはひく人もいるだろうね
>>569 違うって言っているけど、権威ある学者が認めたくないんじゃない?!
578 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:37:47
>>568 >>573 いや九州説はなくなったわけじゃない。
と言うかこれから先も永遠に無くならんよ。
何処まで逝っても理論上可能性がゼロにはならないw
畿内説が九州に邪馬台国が無かった事の「悪魔の証明」ができない限りwwwwwwww
579 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:37:51
箸墓古墳と関連づけてるけど、
マキムクは宮内庁はノータッチって事?
関連性があるのなら、あんなに掘りくりかえして宮内庁は何も言わないのかな。
580 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:38:11
>>573 さっき、ウィキペディアみたら九州説ってのがあったんだけど
>>574 でも地域としては存在したわけだから、
そのどこかにあってもおかしくない訳でしょ?
581 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:38:46
邪馬台国は倭人伝を素直に読めば南九州なんだ。そいて、三世紀後半、畿内に東遷した。
582 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:39:13
>>577 だから箸塚は皇族の墓という認識だから発掘の許可がおりない。
583 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:39:29
崇神王朝が邪馬台国と同時期に奈良にあった。
これで終了。
ところでコテの人最近みないけどどこいった?
584 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:40:00
分かったよ、「邪馬台国」の看板が出土すりゃいいんだろw
ゴッドハンド呼んどくからもうちょっと待っててくれw
>>580 あー、畿内説論者はゴッドハンドが得意だから、信用しない方がいいよ
586 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:40:50
>>576 確かにウィキにも9割が畿内説だとは書いてあったよ
でも、あの地に邪馬台国があったということは大和朝廷とも必然的に関連するよね?
じゃあ、自然とアマテラスにも関連するんだよなあ
587 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:41:28
>>581 >邪馬台国は倭人伝を素直に読めば南九州なんだ。
でも、九州説の大半は福岡に本拠地をもってきてるぜw
奴国、伊都国勢力圏の中にwww
どんだけねつ造なんだかwww
今日巻向に行って来た。相変わらず人結構いるね。
昨日までは無かったらしいが、今日はブルーシート掛けられて直に見れなかった。
589 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:42:38
>>585 ゴッドハンドって昔インチキやった学者のこと?
九州説はゴッドハンドやってないの?
590 :
407:2009/11/21(土) 23:42:45
実際のとこ畿内説の人って、本当に不思議発見を見てたの?
卑弥呼の前時代に気候が低温化した。って言ってたよね?
低温化した時期に位置と海流の影響もあって温暖な九州と
それ以外の地域で農業生産性がマシなのはどちら?
食糧の蓄積が出来た国が、複数年の食糧不足で疲弊しきった国々を降していくのは早かったろうし
結果的に銅鐸の破壊なんじゃないか?
少なくともあの番組を見てたら畿内説より九州説に解釈しやすかったよ。
日本に伝わった初期のメロンというか瓜が野生化して瀬戸内海の島々とかに残ってるっての…知ってる?
591 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:44:19
>>586 学者というのは実証的だから、証拠がそろわないと存在したと認めない。
ただ「書いてある」だけだと駄目なんだろうな。
592 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:44:23
>>475 > 無人都市マキムク
>なんて言われ方もする。
「無人都市マキムク」は、どなたが言ってます?
学者さん?
氏名と論文名を挙げて頂けませんか。
>>590 倭人伝の記述だと、邪馬台国はどこか南国のイメージだもんな
少なくとも寒い国という印象はないね
>>590 昔メロンと呼ばれていたマクワウリなんかは美濃だけどね。
どちらにしろ巻向には縁ある土地だよ。
596 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:47:38
>>590 あなたそういう特異的な事知ってるけど、
九州でゴーヤがなんて呼ばれてるか知ってる?
598 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:48:50
>>590 君のように考える人は少ないと思う。
魏志倭人伝のころは温暖でどこでも南国のようだったと理解した人
の方が多いだろうね。
>>568 渡来人がどうのこうの言ってた騎馬民族征服説と九州説を混同してないか?
600 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:49:59
>>590 >複数年の食糧不足で疲弊しきった国々を降していくのは早かったろうし
じゃあ九州と本州四国でそれほどに食糧事情が違って
九州勢が東へと勢力を伸ばしていったとする根拠は何に求めるんだい?
案外、鉄器の豊富な九州は(今日のように化石燃料があるわけじゃないので)樹木を伐採しまくって
本州四国より厳しい状況だったかもよ?wwwww
>>590 ビンゴ過ぎて畿内派の怒りを買っているぞ、少し控えろ
602 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:51:16
>>590 たしかに、気温低温化ってのは、九州説に有利だな。
銅鐸の破壊は銅鐸が分布していた地域に新たな支配者が来たってことにしていたし。
日食の話も、皆既日食は九州だけで畿内は部分日食ってことまでは言わなかったが、
それを知っている人には九州説ネタにしかならん。
603 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:51:22
総合的観点でみるしかない。
総合的観点でみると畿内。
崇神王朝が邪馬台国と同時期にあった。
これで九州説の土台が根底から否定される威力を持ってるわけです。
すもも姫の墓とか議論する前段階で勝負ありなのです。
一般人がその意味を理解できる筈もない。
604 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:51:24
また素人的な質問で悪いけど、
学者の人って魏志倭人伝とか研究してるの?
そこからは特定は不可能で、水掛け論でしかないってことなんでしょ
もっと発掘とか実証できるアプローチが主流なんじゃないの?
606 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:53:05
>>602 逆だろ?卑弥呼の時代だけ暖かったといってだぜ。
同じ間違いしてるやつが会話してるって自演か?
なるほどな、卑弥呼亡き後、食料不足に陥りふたたび九州へ、そこで台与の出番ですよ、天照らす、太陽の恵み、九州での食料支援が大和朝廷の支えだったと考えられますね
608 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:53:30
前スレか何かに、阿蘇のピンク石の注文したとか何とかあったけど、
沼だらけで墓石も無い、
九州の古墳文化に遅れをとらないように(もしくは時代をごまかす為)
って意図があったとは考えられないかな?
当時からそういう意図があったとしたら
たいしたもんだけどw
609 :
メ:2009/11/21(土) 23:55:08
なんじゃ〜ここはw
レスが進みすぎだよw
610 :
590:2009/11/21(土) 23:56:02
611 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:57:03
>>604 マジレスするとだ…
考古学にどれだけの比重を置くか(無論、文献屋として他分野には一切頼らないと言うスタンスもある)は人によって違うが
倭人伝なんて基本、単一史料で他史料との比較検証もできないもので
その位置論に決着を付けられるなんて思っている文献史学者はいないと思うよwwww
まあこの板の九州説の大方は暗号解読ゴッコのプロで何故かそれができるらしいがwwwwwwwwww
612 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:57:25
>>609 すまん、俺が原因。
九州説の奴がおれの質問に答えてくれないから
つい何度も連投してしまうw
613 :
メ:2009/11/21(土) 23:57:34
614 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:57:55
今回で確信した、畿内説よりだったけど、卑弥呼や台与は間違いなく九州出身やな、それは認めるわ
615 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:59:58
>291 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:53:32
>
>>289 >そんな事すら知らないのか?
>もっと勉強しなきゃダメですな。
ソースが「籠神社の伝承」と恥ずかしくて書けなかった香具師が情けない捨てゼリフですなwww
616 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:02:19
617 :
590:2009/11/22(日) 00:03:27
>>600 だから、番組を見てたら気候の変化をグラフ化してたろ?
九州中南部と西日本各地で木の年輪の、同じ時代の頃の様子(生育状態)がどうかとか調べたら
どういう結果になるかは知らないが、あくまでも番組を見た感想だよ。
618 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:03:37
619 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:03:57
>>592 >「無人都市マキムク」は、どなたが言ってます?
>学者さん?
だれも「無人都市マキムク」なんか言ってない。
言うのは
>>475だけ。ww
620 :
590:2009/11/22(日) 00:04:50
>>600 だから、番組を見てたら気候の変化をグラフ化してたろ?
九州中南部と西日本各地で木の年輪の、同じ時代の頃の様子(生育状態)がどうかとか調べたら
どういう結果になるかは知らないが、あくまでも番組を見た感想だよ。
621 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:06:01
>>619 いやサイキバ君もメンツに加わっていると思う多分www
九州説では、機内説の南→東説を批判しているけど、魏志倭人伝では末蘆国・伊都国・奴国あたりの位置関係も
おかしいよね。この辺はどう解釈しているのかな。
無人都市マキムク
スモモ姫の墓ハシハカ
邪馬台国に一切関係なし
624 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:07:09
色んなサイト見てみたんだが、
九州説は支持者が少なく、候補地が決まっていない。
現在は畿内説が優勢で最有力地は纏向。しかし確証はなく、推論の域を出ていない。
てことで合ってる?
だんだん纏向遺跡に興味を持ってきたよ。ほんとに邪馬台国だったらスゴイよね
625 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:09:30
歴女が卑弥呼に興味を持たれたようです。
邪馬台スレ終わったなw
626 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:09:55
不思議発見の発掘者、まるで年代測定で一年単位でわかるような言い方で笑ったwww
なんか必死で邪馬台国にしたい気がガシガシ伝わってきたよ。
逆にそんな必死さが怪しかったけどね。
627 :
590:2009/11/22(日) 00:11:15
>>606 だから前後の低温時代と比べて『卑弥呼の時代だけ奇跡的に温暖だった』て番組だったろ?
つまり、卑弥呼前は全国的に食糧問題があって
九州はマシだったのが、温暖になった卑弥呼の時代に疲弊した本州に進出したんじゃないか?
と俺は言ってるつもりだが?
628 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:12:50
>>622 畿内説だけどその辺の九州説の反論は弱いものだから
こっちに有利とみていいと思う。
コンパスの無い時代に方角を確実に知ることは困難だし
九州説でも元々方角の間違えはあるものとして認めてるわけだし
九州説でも方角の間違えが絶対ないとは言い切ってないから。
なにより中国のあの地図が確かな証拠だな。
629 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:13:31
>>627 はて?
あの気候変動のグラフで「九州だけが温暖だった」なんて説明は無かったと思うが?
>>618 親族ではないかな、畿内も九州も親類関係で助けあっていた、女王の国、女王の都もそういう意味があったのでは、邪馬台国が奈良と九州のどこかに二つ存在した可能性がある
631 :
610:2009/11/22(日) 00:15:13
>>616 地域によるんじゃないか?
俺が住んでたとこでの呼び方を書いたんだから、違うってことはないハズだよw
633 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:18:39
ふん、畿内なぞ巨大な大和湖のために人の住めない地だったんだよ。それを東征した勢力が一大
土木プロジェクトで耕地に変えた。彼の地を取ったのは、まあ交通の要害としての意味があるじゃろう。
人口100万超の大九州の分国程度のものではあるがな。
635 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:21:27
>>630 俺は宇佐ー畿内連合説からの鞍替えで畿内説になってる。
景行記では宇佐(宗像あたりも含む)の女王が特別記載されているのを
みると宇佐が九州にとって畿内よりで特別な存在で
邪馬台国の時代でも何らかの形で強い影響力があったと考えているから
あなたの説と比較的近いと思う。
636 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:23:14
>>633 そういうのって人は希望的観測って言わない。
リアル世界では口にしないでねw
637 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:24:54
纏向となると、邪馬台国の最有力地とかの枕詞が着くのが当たり前のように
なっているが、これは宣伝というか素人に先入観を与えるためのものだな。
根拠がない。まず、どうして纏向が邪馬台国なの??という質問に答えられ
ないだろうな。
638 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:26:20
ひょっとして今日の仁くんは邪馬台国がテーマだったの?
それでこんなにスレが伸びてるの?
639 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:26:36
>>637 それは邪馬台国と同時期に崇神王朝があってだな、四道将軍を派遣してだな、、
そういう難しい事は一般人には理解不能だから
結論だけ邪馬台国は巻向w
640 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:29:59
>>639 それがおかしい。崇神天皇は、四道将軍を派遣して周辺を固めようとしている。
しかし、卑弥呼は、壱岐や対馬も支配していてこのあたりの海域を自由に行き来
している。
641 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:31:07
>>637 キーワードは「共立」「連合体」とかだなw
倭人伝に見られる混乱の末の統合に向かうような動きは今のところヤマト纏向に見るのが一番しっくり来る。
対してじゃあ九州にそれに対抗馬として何かあるのかって話で
年代もその規模も無視して良いからとりあえず
卑弥呼の共立に繋がるような考古学的資料を出せと言う話。
642 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:37:48
>>641 いうまでもないが、邪馬台国と卑弥呼は、魏志倭人伝に登場するもの。
考古学的には存在しない。
完全に調査された黒塚古墳が誰の墓か考古学でわかるかな。
椿井大塚山古墳の被葬者は誰かな。
吉野ヶ里遺跡は何という国なのかな。
考古学というのはその程度のもの。
考古学で連合なんてのがわかるわけがない。
勝手な解釈に過ぎないな。
643 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:41:36
神武天皇も畿内にいくまで宇佐に相当年滞在しているからな。
つまり、邪馬台国時代=崇神〜景行天皇時代、として。
宇佐には神武天皇時代から景行天皇時代まで、続けて
王族が居たのは記紀の記述からすると間違いないね。で、こういうと信じたく
ない奴らは「記紀のこの部分だけは明治時代の捏造」とか言い出すのが目に見えてるけどw
644 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:42:07
>>641 だからー、考古学の親玉で畿内説の佐原真だって、三世紀当時の地図がないと邪馬台国が
どこか決められないといっているわけ。
つまり考古学者自らが考古学上の知見では十分でないということを認めている。
645 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:42:46
東遷説論者は絶望してるだろうな。
哀れ。
646 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:44:30
>>642 だから考古学が提示できるのはあくまで状況証拠と言うのは分かりきっている話。
この間のNHKで白石先生も言っていたがw
その状況証拠も無く
肝心の文献=倭人伝でその位置を特定できなければ
その状況証拠のあるほうに傾くは必然。
少なくとも土器が一人で歩いてこなければ
纏向に相当数各地から人が集まってきたのは間違いが無いわけだがwwww
647 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:46:05
考古学では、どの遺跡と遺跡が同時代で、交易や移住があったかどうかなどのことがわかる。
また、同一土器の各地での出土状況から、古代の交易ルートなどもわかる。一部石野氏などが
邪馬台国問題で目立っているが、口には出さねど3世紀の日本の中心が畿内周辺であると考え
てる考古学者は多い。これはもちろん状況証拠なんだが、百年経っても水掛け論の倭人伝読み
とは違って、発掘例は毎年増え続ける。考古学を無視することはもはやできないんだよ。
648 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:47:26
記紀によると
初代:神武天皇の東征時代=宇佐に頼れるレベルの王族
10代:崇神天皇時代前後 (= 邪馬台国と卑弥呼の時代か )
12代:景行天皇=宇佐に、大和朝廷には所属しないの女王が投降
当時まで、この辺りは大和朝廷とは別だったという証明
649 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:48:48
>>640 おかしいと思うかもしれないが決して矛盾はしない。
崇神は九州北部を丹波や東海、吉備より前に支配下に
おいていたとみれば。
ただ、九州に派遣された将軍、大屋田子命(唐津の見借征伐)
田道命(蝦夷支配の功労者であるが大屋田子の子であることから吉野ヶ里近くに由来が
あるとみてる(近くに田道ヶ里))が
四道将軍の後だから崇神当時、九州は緩い統治だった可能性も
否定できない。事実、その後の景行天皇の時宇佐にも八女にも女王が居たからね。
650 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:48:55
>>647 >口には出さねど3世紀の日本の中心が畿内周辺であると考えてる考古学者は多い。
これこそ真の脳内だ。
こんなことを言い出す奴がいるから畿内説はうさんくさいといわれている。
651 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:50:22
>>646 >纏向に相当数各地から人が集まってきたのは間違いが無いわけだがwwww
とくに東海からの土器が多いのだから、
九州からの東遷なんてまったくありえない話。
九州勢からの勢力が奈良を拠点に置いたのは言うまでもないが、邪馬台国がどこだと言うのを一つだと決めなくてはならないのか?
653 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:52:11
>>648 俺の邪馬台国、宇佐ー畿内連合政権説が真実み帯びるじゃねーかwww
>>650 そりゃ現在の出土状況その他ではそういう結論になるのだから。
九州はもう少しピークが古い。
>>642 そう、考古学というのは出土した物から、その民族および文化の系統を探る事しか出来ない
なにか歴史的な答えを得るのが目的の学問ではない、黙々と過去を思索する所に魅力がある
それは文献でも同じこと、過去の人が残した貴重な記録を丁寧に読み取り、更に次の世代へ残す事に意味がある
それ以上の事は、つまりこのスレで皆が口走っているような事は、創作と表現のジャンルに踏み込んでいる事になる
656 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:54:23
>>652 そういう中学生みたいな低水準の暴論もうやめれ!
657 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:57:51
>>438 >纏向が完全に廃絶した後で箸墓ができるというのは興味あるな。
これは間違った認識。
番組で橋本輝彦氏(=桜井市教育委員会文化財課主査)が述べたのは、
今回発掘された庄内期の大型建物が廃絶(=庄内3期)したv直後に箸墓が作られた、ということ。
纏向が完全に廃絶したわけではない。
続く布留期でも纏向遺跡は健在であり、要するに遺跡の範囲の中で中枢が移ったと見た方がいい。
それは何処か、との質問もあろうが、
桜井市教委や橿考研はすでにパンフレットやホームページにおいて、
纏向遺跡における有力な布留期中枢の候補地を示唆している。
纒向遺跡 (橿考研附属博物館サイト、豊岡卓之研究員執筆)
http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/yamatonoiseki.html 「遺跡の推移」の項参照。
658 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:58:14
>>646 >纏向に相当数各地から人が集まってきたのは間違いが無いわけだがwwww
人が住んでいた痕跡がなさ杉ですよ。
659 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:58:52
>>649 >崇神は九州北部を丹波や東海、吉備より前に支配下に
>おいていたとみれば。
置いてない。それははっきり記紀に書いている。
宇佐の女王は崇神の次の次、景行天皇の時代に投降してくる。
支配下にはなかったというはっきりとした記述。
崇神時代は宇佐=九州北部は少なくとも宇佐は入ってない。
つまり九州は支配下にはなかったと見るのが当然。
しかし、記紀にその時代、九州北部と戦争した記録はないね。
単に大和朝廷とは違う国として交流してた可能性もな。
倭人伝にも似た記述があるじゃん。(海を越えて別の倭人の国とか)
九州内では争ってた可能性もあるが(遺跡に争いあと)、大和朝廷の国と
争っていたわけではなかったとか。
>>658 そういう恥ずかしい書き込みは辞めような。
662 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:00:33
>宗像
チョッと前に書き込もうとして忘れていた。
思い出したついでにカキコw
「棟方志功」と言う有名な版画家が青森出身だが
アレも日本海側の交易がもたらした結果であるとかないとかw
いえ単にそれだけなんですがwww
664 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:02:35
666 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:05:20
>>664 九州の有力豪族の畿内移設は普通にあるじゃん。
戦争したとは限らないから東征とは言わないだろうけど。
何?引越し?w これだけでも九州→畿内説明つくが・・
668 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:06:43
669 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:08:40
670 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:09:04
>人が住んでいた痕跡がなさ杉ですよ。
じゃあ纏向遺跡の古墳群やら大溝やら高床式の建築物は何処の誰が作ったんだ?
自然の造形物か?
きちんと説明しろよ。
全く「無人都市」とか電波飛ばすだけ飛ばして
やり逃げか?www
671 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:09:22
>>664 考古学的には東征は、もはや否定できんレベルだよ。
弥生時代の遺跡から出土した鏡の99%以上が九州のもの → 古墳時代になると畿内が中心になる。
なんて、普通に東征だわな。
まあ、畿内説に言わせりゃあ、「畿内では鏡を副葬する習慣がなかった。」とか、
「畿内の鏡だけは伝世した。」とかいうことになるかもしれんがww。
672 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:10:40
桜井から田原本にかけて低いんだよ
30年ほど前の台風10号で浸水したんだぜ
橿原はほとんど大丈夫だったのに
>>658 中央官庁街に人って住んでないよな
あまり住居が発掘され無いと言うのは、それだけ官庁街が広大だという事だ
吉野ヶ里なんかは住居・王族館・墓と全部まとまってるけどね、あれは小規模なコロニーだから
674 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:11:43
記紀を読んでわかること。
景行天皇、ヤマトタケル、神功皇后・・・
この時代までは、九州は全然、大和朝廷に入ってない。宇佐に土着の女王の記述。
当然、阿蘇とか西都原にも王族がゴロゴロ居たんだろうね。
邪馬台国時代の後、隋書にある「倭の30数国、それぞれ勝手に王と名乗る」の記述に合っているので?
つまり・・畿内勢力と九州は少なくとも景行時代ごろまでは
別の国だったと見てもおかしくない。
675 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:11:54
>>671 文化の伝播は東征とは言わない。
明治時代に日本人がチョンマゲを捨てて洋服を着たのは、
西洋人が大勢日本に移住してきて政府を作ったからか?
676 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:13:54
>>670 >古墳
畿内では人が古墳のなかで生活していたのですか?
>大溝
マキムク原人は川のなかで生活していた河童ですか。
>高床式の建築物
その当時の住居は竪穴式ですよ。つうか奈良時代全般をとおしても竪穴式。
マキムクで高床式が始まってマキムクで終わったのですか。さすがにカルトは言うことが違うなあww
東征を認めない理由は、邪馬台国の本拠地を九州に譲ることになるからじゃ、九州から王を選出してたのは紛れも無い事実じゃ
678 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:17:35
>>671 鏡を言うからには、北部九州勢力の東征か?
だったら甕棺葬を、なぜ持って来ない?
銅矛はどうした?
679 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:18:24
しかしこの板って九州説と言っても
もはや「東遷説」とか「九州王朝説」のような電波ばっかりだなw
…ところで今日のTBSの番組でもそうだったが
卑弥呼は群集に向かって鏡をピカピカ光らせると言うパフォーマンスをやっていたが
鏡の使い方としてアレがデフォって事になってんのかな?wwww
680 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:19:02
どう見ても 出雲>>>>>>超えられない壁>>纏向
681 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:20:01
>>676 こらこらドアホ労力の調達と言う件に関して何も答えていないぞ?
お前は素で電波なのか?w
682 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:21:38
>>659 >置いてない。それははっきり記紀に書いている。
どのあたりにハッキリ書いてある?
683 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:23:11
>>677 九州出身の人物が王になったのは、神武だけ。
しかも領地は橿原のすみっこだけ。
九州勢力は言わない。
>>683 九州で子孫を沢山残したんじゃよ、字が存在しない時代じゃ、記録にないのも無理はない
685 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:27:01
>>683 あのさぁ、
自分が言ってる意味わかってる?
686 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:27:30
畿内説っていうのは、
纏向遺跡=崇神天皇の宮とモモソ=だから邪馬台国と卑弥呼
これ だ け しかないわけ。しかも、それが成立しない議論がたくさんある。
ひとつ言っておくが、畿内説のおかしいところを反論=九州説!!!
っていう低脳はやめたほうがいい。
687 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:28:54
邪馬台国九州説なんて「握りっ屁」みたいな、うさん臭い説ですね。
688 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:29:27
>>674 否定はしない。
でも奴国王の金印の奴国、シュセンが居たと思われる伊都から
中国との交渉権が奈良に移った事は歴史の事実だよね。
これって伊都・奴国では他の九州の周辺地域にはない、
大きな大損失なのは間違いない事実。
(宇佐とか八女にとっては博多周辺は目の上のたんこぶ的な存在だったかもしれんし)
これはそれこそ、伊都・奴国を大和王権が武力で完全制圧をしたか
あるいは本当に遷都という事をしたのかそういう理由がないと
説明がつかない。
689 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:29:27
>>682 記 紀 の 景 行 記。
天孫降臨の神代記以外には全く記述がは出ないのも明らか。
690 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:30:59
九州説に人生を賭けても何も得るものは無いよ。
サガミハラハラも身にしみてこたえただろ。
教師やめて本出して、それが何になった?
なんにもなりゃしない。
691 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:31:02
簡単に浸水するような場所に
宮殿つくるほど馬鹿なの?
692 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:31:55
693 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:33:34
まあここだけの話w
東遷厨の無人君らがわめいているように
本当に纏向が無人都市と言う事だったらそれはそれで面白いwww
じゃあ労力は遺跡の外、盆地の外から持ってくるしか無い訳で
豪快な話ではあるwwwww
なんかそっちの方が東遷厨が余計に火病を起こしそうだがwwwww
サガミハラハラって本出してんのか?
695 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:34:15
>>689 平らげたと書いてある。
これを俺は四道を平定したとみるが。
696 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:34:46
>三世紀当時の地図がないと邪馬台国が
どこか決められないといっているわけ。
なんじゃそれw
地図を元に案件探しとか・・・
これから建てるの?
697 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:37:17
>>690 >教師やめて本出して、
マジで?
定年後とばかり思っていたがwww
698 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:37:43
>>688 >中国との交渉権が奈良に移った事は歴史の事実
それは邪馬台国時代より後の隋の時代の書物からわかること。
しかも、その同じ書に「日本に30数国それぞれ王が・・」
つまりね、いつも言われる空白の期間があるわけ。
でも記紀を読めば景行記やヤマトタケル、神功記で東征やら西征やらで
徐々に勢力を広げた話がでてくるわけだし。
それも邪馬台国時代が崇神時代だとすると、益々その崇神時代は九州が勢力に
なかったということが日本・中国、両方の文書で出てくるわけ。
699 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:38:16
俺が九州っていったら九州なんだ
理由なんてない
近畿より九州だあああ
700 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:42:56
俺は今は近畿説をとってるがそれ前は宇佐ー近畿連合政権説。
近畿説でも宇佐ー近畿連合説でも大きく内容が変わってるわけではない。
基本、畿内勢力は九州を緩い形で統治した、伊都・奴国は大陸との
通商の要であり前政権の首都であるから絶対的な権力で
統合したとみている。
それはどういう形かハッキリとはしないが少なくとも伊都・奴国に
九州の政治的中枢を残した上で統合したとは考えにくい。
考えられるのは3つ。
@大和に完全に屈服した。
A九州の別の地域の勢力に従い、同時に大和に政治的実権を渡した。
B大和に遷都した。
ただ、最後は遺跡から考えにくいとみてる。
@、Aいずれも可能性がある。
701 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:44:11
つまり、巻向遺跡が本当に3世紀の邪馬台国時代で
崇神〜景行天皇時の宮のどれか、って比定することでどんどんいろんなことが
双方の書物からわかる。
倭人伝に書かれているように「倭国の東の海に別の倭人の国」
隋書に書かれている「倭の30数国それぞれが王と名乗り」
記紀に出てくる景行記の九州巡行の話(大和朝廷の支配下になく土着の女王が投降
つまり、九州のそれぞれの国々と大和朝廷支配下の地域が別の国々として
交流していた、九州内では領地争いが絶えなかった(遺跡に戦争のあと)
そういう見解は自然にでてくるわけで、否定するほうが根拠がない。
702 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:47:20
703 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:47:38
>>700 >それ前は宇佐ー近畿連合政権説
邪馬台国時代を何天皇の時代と比定する?
宇佐の女王が天皇に迎合したのは景行天皇の時代だよ。
記紀を根拠にすると宇佐と大和に連合政権は根拠がないでしょ。
704 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:49:26
あ、もちろん景行以降は、大和朝廷は宇佐をベースにしてるようだが。
連合政権というより、もう単に支配下にいれられちゃった、っていうことでしょ。
最後まで抵抗したのが熊襲勢力だな。
705 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:00:33
>>703 >邪馬台国時代を何天皇の時代と比定する?
特に詳しくもないから一般説として崇神時代を支持してる。
崇神時代、奈良は魏との直接交渉権を得た。
これは倭に起こった革命。それまでは伊都・奴国が握っていた。
宇佐(豊前、豊後、筑前北部(宗像も含む))は奴国・伊都の
九州西北部とは縄文・弥生時代から山を隔ててる為
元々文化的交流が少なく遺跡の性質も違っている。
これを踏まえた上で宇佐の女王の存在は決して北部九州が
大和に併合されていないという根拠にはならない。
宇佐の女王を九州の地域的統治者として大和と伊都・奴国などの
他の九州の地域が認めていたとしても不自然ではないから。
神功記に出てくる丹波に降りたヒボコの子孫イトデの赴任をみると
大和が伊都・奴国に自治権を認めず直接支配した(江戸期における天領)と
したという俺の説の裏付けにもなると思う。
707 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:02:17
景行天皇は女だった
もしくは、
ふたつの勢力が奈良には同時にあった
って事でいいんじゃないの?
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
A.
これは、たとえば卑弥呼がもらった金印が出てもだめで(後からよそに動かされる可能性があるから)、
邪馬台国の位置を書いた地図が中国で出ない限り、万人を納得させるのは難しいでしょう。
>崇神時代、奈良は魏との直接交渉権を得た。
>これは倭に起こった革命。それまでは伊都・奴国が握っていた。
なんの話だよ。意味わかんねーよ
710 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:12:02
>>709 では奈良は中国との直接交渉権を何時得たと思ってる?
711 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:17:13
>>710 卑弥呼共立時、すでに後漢と交渉していた。その後、公孫氏を経て魏と交渉。根拠は東大寺山古墳の
中平紀年刀。中平は後漢の霊帝の年号で184〜189年。おそらく卑弥呼共立記念の下賜品。
712 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:23:49
>>709 >崇神時代、奈良は魏との直接交渉権を得た。
すまん、魏は後漢に書き換える。
で意味通じる?
713 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:25:18
>>712 通じないよ。なんの話だよ。その時に奈良と魏になにがあったんだよ
鏡かなんかの話かい?何を根拠に革命が起こったとか言ってるのか
根拠が知りたい
715 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:30:14
奴は中国に庇護して貰いたくて朝貢した
百数十年後には倭と同盟を組んでた
ってのは無い?
716 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:31:19
俺の言ってる革命は
元々、伊都・奴国のみが中国と交渉していた。
それが奈良が交渉権を得て伊都・奴国が直接交渉権を失った時を言ってる。
717 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:32:54
718 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:34:09
>>681 分かります。何一つ反論できないのですね。
>>711 あれを舶載だと本気で信じている学者なんていないのでは?
719 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:37:21
考古学的に確実なことは、弥生時代の遺跡、墳墓から出土した鏡の99%以上が
九州での出土ということ。
これに対して畿内説は、畿内の鏡だけ伝世して100年後以降に墓に埋められるようになったと
主張し続けてきたが、限界に達したので弥生時代の終わりを100年古くした。
けど、これでは弥生時代の畿内の劣位性はそのままなんだよね。
720 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:41:17
>>719 悪い、意味不明。
鏡が文化度の高さの象徴って事?
鏡は単に中国との交易の賜物とみれば
確かに中国は文明が高いがそれイコール
劣位とは言い難いと思うがw
鉄だって中国経由せずとも入ってくるのだし。
>>716 申し訳ない。全く理解できない。たぶん
>>688と同じ人だと思うけど
>中国との交渉権が奈良に移った事は歴史の事実だよね。
これの歴史の事実って何?この時に何があったの?それを知りたい
722 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:44:55
弥生時代の本州は九州とは比べ物にならないへき地で、大和は本州のなかでもへき地だった。
弥生時代に限定すると・・・
鉄の出土量は、福岡の100分の1。
絹の出土量は、400分の1。
「魏志」に出てくる鉄鏃の出土量は100分の1以下。
鏡の出土量は、100分の1以下。
昔の畿内説は邪馬台国を弥生時代としながら、統計を無視というか、統計を発表すること自体が
タブーになっていた。今でも基本的に同じだけど。
それが限界に達したので、邪馬台国を古墳時代にした。
しかし、年代を100年以上古くした根拠ははっきり言えないという悲惨な状況。
723 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:48:10
>>720 普通に畿内説の本しか読んでいない人には、弥生時代の鏡の99%以上が
九州に集中していたことを知らなかったりするんだよね。
畿内説って学者としてフェアーじゃないというか、学者としての基本的資質が
ない人が多いよね。
724 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:48:25
>>722 でも、畿内に王権ができたのは事実。
九州からの東征はありえない。
鉄・絹が何も無いという畿内が倭国の実権を握るのに、3世紀でも4世紀でも関係ない話。
725 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:48:28
奈良は掘りたくても掘れないんだから割り引いてくれよ
726 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:51:21
>>721 >中国との交渉権が奈良に移った事は歴史の事実だよね。
では逆に質問します。
中国と倭との交渉窓口はどういう変化をしたと認識してる?
>>722 残念だけどその僻地が四道将軍を全国に送り込んだという
史実になりつつある。他の周辺地域の協力、出雲の全権力の承継による
政治的背景そういったものを実証していく必要が出てきた。
そして最近その裏付けが考古学的にも得られつつある。
727 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:52:01
畿内説はゴッドハンドの巣窟なのか?
728 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:53:19
>>724 >九州からの東征はありえない。
古事記も日本書紀も先代旧事本紀も東征を前提にしていますよ。
旧事本紀なんて東征に従った物部一族が事細かに書かれていますよ。
新撰姓氏録も畿内の豪族の9割以上を九州出身にしていますよ。
これだけ圧倒的な証拠が残っていながら、「文献は全部捏造だ。」という
戦後サヨクの捏造史観が通用するはずはないよね。
729 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:55:39
>>723 まあそういう人格攻撃はやめよう。
それいうなら君は表面しか物事をみてないじゃないかw
>>728 >新撰姓氏録も畿内の豪族の9割以上を九州出身にしていますよ。
いくつか例あげて下さい。
730 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:58:52
>>729 学者というのは、自説を擁護する意見より、自説に批判的な意見や自説に不都合な
事実を自分から積極的に取り上げる人のことを言うのだよ。
そういう意味では畿内説を支持する学者はいないよね。
731 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:59:30
>>723 そうだなあ。
鉄についても、弥生時代の九州と畿内では比較にならない。
これはヤバイと思ったのか、畿内の鉄は溶けてなくなったとか、
畿内では廃品回収が進んでいたから出てこないとか、
妙な理論を編み出していた。
ついには、鉄は重要ではないなどと言い出す始末。
困ったものだと思う。
三角縁神獣鏡についてもいろんな理論を考え出したが、結局は、自然消滅と
なってしまった。
畿内説の考古学者の言うことにはいま一つ信頼性がない。
732 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:02:00
>>730 進展性ないから人格攻撃的なものはやめよう。
俺には九州説の人は古典的、東征論を絶対視してるように
しかみえない。その人格攻撃的反論も断末魔にしか聞こえない。
それか著しく頭が固いか知能が低いかいずれか。
出てきた事実からそれこそフェアに判断していこう。
733 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:03:47
>>732 人格攻撃?
一般論ではなくて、そんなひどいクズが実在することを認めちゃうの?
734 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:18:48
>>733 話が一方通行、鉄の問題は俺は詳しくないけど反論してる。
そんな問題は古典的に分かってる事だし誰もがそれに対する
反論を容易してるから畿内説に傾いてるんだろう。一般的にみてもだよ。
俺の畿内説にも何らかの反論をしてみて。
今までの経験からしてくれるとは思ってないけど。
話が詰まらない。よほどご老人か偏差値が低いとみえる。
735 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:24:07
>>728 文献は、東征は紀元前だと書いてあるのに、それを認めないのはそちらでしょ。
736 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:24:20
>>734 >よほどご老人か偏差値が低いとみえる。
それこそ人格攻撃じゃないのかねえ。
737 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:25:24
鉄器持ってるから邪馬台国ってのが笑えるw
九州説はダブスタ、古典派、自説と違うものはねつ造というスタンス。
論理、反論に弱い、不利になったら話をそらし人格攻撃。
739 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:29:15
>>735 記紀の年代を素直に信じる人はいないと思うが。
初期の天皇の寿命などからも、記紀の年代が水増しされているのは明らかだから。
740 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:29:24
>>737 笑ってやるなw
俺たちは知能が高いんだから
あえて九州説の立場に立ってやって
「でもねー、ぼく、こうなんだよー」って子供をあやすように
説いてやるべきなんだよw
741 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:30:38
>>728みたいなのは、
文献を重視しろといいながら、
都合の良いところだけ文献を利用しようとする。
東征は、文献では紀元前なのに、根拠も無く卑弥呼の後だという。
それなら、神武後の8代は架空なのか?と、
自分が利用してる文献を捏造扱いしてることは無視。
742 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:33:23
>>737 畿内説はそうなるだろう。
畿内説の考古学者は、鉄がないのはヤバイということで一生懸命掘った。
小さなかけらが出ると、大騒ぎして報道した。
でも、やっぱり少ない。結局、鉄は重要でないということにしてしまった。
しかし、鉄があるとないでは国力に大きな差が出てくる。
生産道具としても、武器としても鉄は最も重要だから。
743 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:34:56
>>739 年代が水増しされてるという理由が年齢だけなら、
神武後8代が、本当は80代続いており、途中は割愛されたとも解釈できる。
記紀が伝える本質は、崇神の前に10代以上長い間畿内で首長を務めていた家系だということだ。
744 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:39:05
>>742 >畿内説の考古学者は、鉄がないのはヤバイということで一生懸命掘った。
>小さなかけらが出ると、大騒ぎして報道した。
そういう主観的みかたはやめよう
>でも、やっぱり少ない。結局、鉄は重要でないということにしてしまった。
いまでも、仮に遺跡発掘前でも重要とは思ってない。発掘当事者ではないし
考古学者でもないが、鉄が多く出る必要性は周辺に多くの属国を持っていれば
不要だし、何より天下の出雲政権の後裔だとなればそんな泥臭い実務は
他の地域でやってくれってなるだろう。逆にいうと無い方が自然とも言えるな。
俺の意見だけど。
745 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:39:33
私は
欠史八代は葛城系大王なのだと思っています。
そして、倭国大乱は三輪と葛城の争いだと。
和平の為に葛城から祭祀王の葛木日女命(モモソ)を、
三輪からは俗世王祟神大王を出すことで折り合いをつけたんだろうと。
だから、三輪系の天皇や藤原は葛城系大王を悪王だと書いたんだろうと。
746 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:40:28
奈良は丹が出るからな。
鉄よりも有難かったんじゃないの?
747 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:44:25
>>742 どんなに鉄の鍬をもっていようと、
九州のあんな灰だらけの痩せた土地に
七万戸の村があったとは思えんが。
サツマイモでも掘ってたのか(笑)
大体、九州の水行とは何処だ?
748 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:45:14
>>745 葛木日女命って誰?
ググっても出てこないぞ。
749 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:45:59
>>745 おもしろい説、しっくりいく。
銅鐸が消え、大物主を祀る合理性も理解できる。
天孫って何だと考えますか?
750 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:46:12
二言目には偏差値ですか
恥ずかしいですね
皆さんの外にも
数百倍、いや数千倍のROMがいることを忘れないで下さい
あと
邪馬台国は九州だあああ
この低脳どもがあああ
でも東征はねえんだよ
このアルツハイマー
751 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:48:36
>>748 祟神の嫁の姉で葛城族。
後にモモソ(もしくは死後の贈り名?)と名乗る人物。
752 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:49:47
>>751 すまんが、何がソースなの?
記紀とは違うようだが?
753 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:57:59
>>749 天孫は高天原の狩猟民族葛城か、
中国の呉、雲南省のワ族かのどちらかだと思います。
後者は今でも高床式に住み、日本で見つかった
金印と同じ物を持っていたり、
裸族の記述と一致していたりと
おもしろい存在です。
しかも漢(?)に攻められ、船で海に出て、消えたと言う伝説があるようです。
754 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:58:34
>>744 佐原真氏は、弥生時代には豚はいないというのが持論だった。
ところが、弥生時代の遺跡から豚の骨が出てきた。
「いやあ、ある時代にあるものがないということを証明するのがいかに
難しいかが良くわかりました。」と謝ったのだが、ついでにこんな変な
弁解もした。
「でも、これは畿内の鉄についても言えるのではないでしょうか。
つまり、見つからないからといってなかった事にはならない」
こんなみっともないことを言わなければならないくらい、畿内説の考古学者に
とって鉄はネックだった。
重要な鉄についてはもう触れない。その代わりに、各地の土器が出てくるから
邪馬台国だなどとは平気で言う。これが畿内考古学なのかな。
755 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:00:18
756 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:01:29
>>754 各地の土器が出てくる理由は何だとお考えで?
何も無い貧乏な土地に、土器がかってにやってきたのかな?
757 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:04:42
>>744 もう一つ、言わなくてはならないことがあった。
石器集団が、鉄の剣を持つ国を属国にはできないと思うが。
758 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:06:15
>>756 各地の土器が出るってことは
各地を支配してたってことだろ。
神武東征や四道将軍、景行行幸等いくらでも説明できる。
759 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:09:19
>>754 考古学会の議論の歴史はあなたの言葉でしか聞いてないから
内容の全ては分からない。相手(畿内説)の意見は知るすべないから。
>>756 みてのように、客観的にみて鉄がでようが出まいが俺は重要ではないし
他に補完出来る材料はいくらでも容易可能です。
たぶん意固地で言い訳した畿内説の方は他の論説でどうしても鉄が
畿内に出ると主張してて引っ込み付かなくなったとかそういう理由でしょう。
でもそれだけだと決して畿内説を否定する材料にはならない。
760 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:09:24
761 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:11:35
>>757 だから景行の代まで九州を完全には征服出来なかったんだとも言える。
畿内は圧倒的な物量があり、銅もある。
伊都が北九州なら、一大率を置いて南九州を監視。
さらに瀬戸内海を使って、大陸とも繋がる。
762 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:13:09
ヤマトの人々は各地に土器を運ぶ事を生業としていた
後のヤマト運輸である
763 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:16:53
巻向が一段落したら
奈良県御所市を調査して欲しい。
残念ながら、御所は財政破綻寸前で
発掘支援をする余裕がないみたいだけど、
あの土地にはまだまだ未開の地。
最近、やっとソツヒコらしき大墓が見つかったところ。
まだまだ何か見つかります。
764 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:17:38
>>755 海部氏系図のどのへんに葛木日女命って出てるの?
ググっても出てこないよ。
765 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:19:24
フシアナGoogle乙
766 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:19:39
>>757 それは根拠が無い。
第一卑弥呼は祭祀で権威を集めていたのであって、鉄器は関係ない。
767 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:22:09
>>764 海部氏系図は
日女命で有名になったような物なのに(笑)
768 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:22:43
>>760 ああ、うかつだったね。
吉野ヶ里からも各地の土器が出てくるのを認めてしまいましたね?
これで、九州は、近畿と隔絶してたという主張は崩れるわけだ。
九州も近畿と交易していた。
当然、魏も近畿の情報は得ている。
九州よりも規模の大きい近畿の様子が魏志倭人伝に書かれてないわけはないね?
もちろん、魏志倭人伝には近畿の様子は書かれている。
邪馬台国が大和国だからだよ。
九州説終わったな。
769 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:23:57
>>767 日女命は出てるが、「葛木日女命」なんて出てないぞ?
770 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:27:07
九州説論者がいつまでも間違いを認めないのは
それは自己否定になるからね。
ああ、ちょっと前に盲目の九州説研究者の映画あったね(笑)
まさに『幻の』邪馬台国(笑)
奥さん、よく盲目の妄想に付き合ったもんだよ、偉いな〜
九州説のおじいちゃんをあんまり追い詰めてやるなw
適度に手加減をw
>>769 そりゃ屁理屈だろw
妹が葛木なのに、姉は違う苗字で違う土地の人間なのかwww?
773 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:34:26
>>768 あのねえ。九州では前漢鏡も出ている。ゴホウラの貝輪も出ている。
古くから中国や沖縄とも交流があった。近畿地方ばかりでなくいろんな地域
とも交流があるのは当然と言えば当然だろう。
近畿地方が規模が大きいともいえない。むしろ辺鄙といった方が良いかも。
倭人伝に「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」と書かれているが、
近畿地方はこの倭種の中に含まれていると考えたほうがいいな。
774 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:34:28
>>767 いま、俺の手元に「古代海部氏の系図」(学生社)がある。
葛木日女命が、何ページに出てくるか、教えてくれないかな?
俺は
>>772ではないが
因みに妹の名は葛木高千名姫命っていう名前のようだな
>>774 アホだろwその本持ってる奴しか
ページ数わかんねーだろwwwwwwww
778 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:44:12
>>777 十分に根拠は示されているが、わからないかな?
それよりも、各地の土器が出てくるのがどうして邪馬台国の根拠になるのか
答えていないようだが…。
>>778 それはそれを言った奴に答えてもらえよw
まぁ、俺が言うなら
邪馬台国は連合国家。ただこれに尽きるかな。
780 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:49:49
屁理屈君はいなくなったね(笑)
納得してくれたんだろうか?
781 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:50:24
>人が住んでいた痕跡がなさ杉ですよ。
じゃあ纏向遺跡の古墳群やら大溝やら高床式の建築物は何処の誰が作ったんだ?
自然の造形物か?
きちんと説明しろよ。
全く「無人都市」とか電波飛ばすだけ飛ばして
やり逃げか?www
「無人都市マキムク」をぶちまけている東遷説教カルト信者で
きちんと説明しよって奴は結局出てこないのか?
人がいないのに古墳も大溝も高床式の建造物も何故か一人でできる
流石はリアルキチガイ集団の考えそうな事だなw
782 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:54:07
あまり虐めてやるなよ(笑)
九州説は丹波の存在で説明つかなくなるからな。
高千穂以前に天孫降臨が丹波にもあったというだけで、
大半の主張が崩れる訳だ。
784 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:03:39
>>776 いや、海部氏系図とか言ってる人なら普通に持ってるでしょ?
この本が唯一の資料だよ。
で、78ページに見つけた。
これを見るとモモソヒメは丹波の血筋ということになるのかな?
記紀とは違うんだねえ。
孝霊天皇が、実は丹波の血筋だったということかな?
どういう風に考えればいい?
785 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:03:55
東遷説カルトのいい加減さを一つ書いておくと…
高天原は九州邪馬台国の事だとして史実とする。
そして神武東征神話も史実とする。
が、その間の所謂「日向三代」の神話は大抵スルーwww
(誰か東遷厨からその説明を聞いた奴はいるか?)
もっとも
「夫は見た!産屋を覗いたらヨメの招待はワニだった!」
とかの異種婚譚とか
海外に類似のものも見られる「釣針捜索型神話」とか
神話学のネタにもってこいのお話だろうから
触れるのもできないのかもしれんがwwww
それともそこだけはフィクションが挿入されたとして
お茶を濁すつもりなのか?
結局美味しそうなところの摘み食い。
神話に自分の紡いだストリーを重ねて
ロマンチックなw妄想に浸っているだけの話www
それとモモソ姫の存在。モモソが日女命、日神と記述されてる点はどう説明する?
一介の姫に「神」なんて呼称はまず付かないからな。
787 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:09:25
なんにせよ、海部氏系図があることで、東遷説は崩壊したんだよ。
九州よりも、丹波、尾張、葛城の影響が大きいことがはっきりしたんだからな。
>>784 そういう事になるのでは?
それと弥生後期には鉄をこの地方が北部九州と同程度は確保している点も重要だな。
789 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:15:12
九州説の破綻
790 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:15:18
>>742 「鉄の民族」と言っても良い古代ヒッタイトは
結局エジプトを滅ぼすどころか
逆に何処の馬の骨とも分からない素性の知れない民族に滅ぼされてしまったわけだがwwwwwww
ひょっとして吸収邪馬台国の鉄剣って「百人斬り」とかやっても刃こぼれ一つしないとかなのか?wwwwww
791 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:16:22
たしかに、丹波からは九州を上回る鉄器が出てきたんだよな。
ああ、これで謎は全て解けたよ。
さようなら九州。
>>791 だから九州説は丹波を極力スルー。
しかし記紀に卑弥呼の記述が無い事も、これで説明出来ちゃうからね。
正史には記述されなかったが海部氏の系図にはそれらしき記述あり。
つまり卑弥呼の存在は単純にこちらの系統だっただけの事。
793 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:26:35
>>757 >石器集団が、鉄の剣を持つ国を属国にはできないと思うが。
それは一体いつの時代の何処話で
鉄器VS石器 と言う戦いが繰り広げられているというんだ?
少なくとも手元にある『 闘う倭人 武器と戦法 松木武彦 』とかだと
少なくとも紀元後には本州でも大概金属製の武器が主流になるとしてあるんだが…
鉄器VS石器 と言う戦いを想定しうる根拠とかあるのか?
>>757 何で一昔前の石器w
銅をディスってんじゃねーよwww
銅鐸、銅矛、銅剣・・・畿内は銅が豊富
795 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:33:47
このスレは日本で一番最先端の邪馬台国議論の場じゃないの?
所詮権威の傘にある少数の学者の議論なんて有意義とは思えないし。
ネットの力の偉大さを実感する。
796 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 05:35:13
>>796 でも巻向ではまだ発表控えてるよなんて話も、相当以前にスレで書かれてたからなぁ。
何かしら事情を知ってる連中は多いでしょ。
勿論デマは妄想もそれ以上に多いがw
798 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 06:25:59
>>797 ゴッドハンドの事件以来、出土物なんかの発表にも慎重なのかもね
それでなくても巻向周辺は新旧遺跡が入り乱れてるから
799 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 07:56:36
九州説、東遷説の知能と人格レベルの低さに唖然、呆然、悪の権化
800 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:22:30
それでも邪馬台国は九州だあああ
801 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:26:27
大和朝廷=邪馬台国を証明できない限り
畿内説が勝つことはあり得ない
首の皮1枚で九州説は生き続ける
>>801 首の皮一枚で生き残る事が大事。
死刑確定で吊されたら、二度と至高のゲームを経験できる機会が失くなるが、無期懲役なら
出所の可能性も0ではなく、至高のゲームを繰り返す事も可能だ。
そのような理由から首の皮一枚で生き残る事が大事だ。
忘れてるのかな?潔さこそ大和魂なんですよw
804 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:05:10
丹波に基盤を持つ女王国から
大和南部に基盤を持つ崇神王朝に権力が移動したのでは?
805 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:20:16
>>803 何時の時代の話ししているの?
懐古趣味にも程があります。もう少し今生きてる時代と向き合って下さい。
発掘された出土品をみる限り、丹波は女王国ではないな。
ある程度影響力をもった、独立した勢力だと思う。
女王国の中心勢力はおそらく吉備。
>>800 畿内説の方ですね。過去100レス読み返すと流れから言って
あなたのレスは不自然ですよ?
808 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:23:10
>>804 丹波なんてイノシシな楽園だろう。人が生活する場所じゃありません。
バカが一人参加したなw
810 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:27:03
いい加減畿内派と九州派でスレ分けた方がよくない?
もっと邪馬台国からどうやって大和王朝になっていったかとか、
邪馬台国はそもそもどうやってできたのか、とか実のある話を
したいのに相変わらず九州だのなんだの、もう荒らしにしか思えんよ。
811 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:29:23
>>791 さよなら九州は良いけど、巻向とかも否定するんだね
記紀を見ると倭鍛冶と韓鍛冶だったか2種の製鉄集団がいたことが書いてあるよね。
どっちがどっちか知らんが、丹波にも鉄があっても問題ないんじゃないか?
>>810 そうした方がいいかもね。
でも別けても結局荒らしは来るだろうけど。
>>810 賛成。次スレから分けよう。だれかテンプレ作って。
>>811 別に巻向を否定する事にはならないと思うけど。
邪馬台国に関する過去の議論では、丹波の勢力を
軽視しすぎなのは事実だろう。
815 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:40:22
♪邪馬台国 ドンと来い♪60【畿内派】
このスレは邪馬台国畿内派限定スレです。
♪邪馬台国 ドンと来い♪60【九州・その他派】
このスレは邪馬台国九州・その他派限定スレです。
みたいに分かれてればいいよ。
816 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:49:30
>>815 ROMってる俺としては両派スレ分けは非情につまらんなぁ
まぁ荒らしは困るけど
817 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:51:41
邪馬台国が畿内にあったことと、神武東征神話と、
記紀に卑弥呼が載ってないことをすべて満たすとしたら…。
九州の神武勢力が東征して、畿内の邪馬台国を滅ぼして
権力を握り、大和朝廷になった。自己を正当化するため
記紀を編纂し、高天原だの書いて、邪馬台国、卑弥呼のことは
抹消した。こう考えるとすべて辻褄が合う気がするんだが駄目?
818 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:53:58
丹波山城に勢力を持った女王国が
卑弥呼の死後、崇神天皇に負けて
邪馬台国連合の盟主が交代したんだろ
外交方針の転換もそれなら納得できる
819 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:56:23
>>817 高地性集落の分布から、東征があったとすれば
卑弥呼以前の時代に行われた可能性が高い
820 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:56:51
また分別馬鹿が湧いてきたな
分別と騒いでいる奴に限って、二、三日でスレを投げ出す。結果スレが腐り放置される。
以前、畿内説主体で分別された残骸がいくつ放置されたと思っているんだ
畿内説の分別連中がスレを継続させた事など一度もない事実を見ろ。
>>816 調子のいい奴やなあ、ROM専と言いながらしっかりレスしているやん。
確かに総合スレは一つ必要だろう。
巻向スレは別にあるが、そこで邪馬台国ネタを
やることを嫌がる人もいるしね。
どんなスレを作っても、やつらはやってくる。
荒らしにやってくる。
それが九州説論者って言うものだ。
824 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:19:40
結局、いろんな所に卑弥呼って呼ばれる人はいたって事じゃないの?
個人の名称じゃない気がしてきた。
先住民が土蜘蛛扱いされてるのも事実だし。
土蜘蛛の女王=女性の神職
825 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:25:47
魏に朝貢した卑弥呼は1人だろう
塚、畿内論者キモい
827 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:30:33
多分そういう方向にもっていくつもりだろう。
昨日のふしぎ発見でも、卑弥呼を強調してる割には邪馬台国という言葉が少なすぎたw
何等かの意図があるはず。
828 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:33:21
>>825 確かに邪馬台国の卑弥呼は一人だけど、
○○国の卑弥呼ってのが全国各地津々浦々にいたって事にしたら、
畿内論者にはもってこいの説w
829 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:33:29
>>821 たまには仲間に混ぜてもらいたくなる事もあるんだよww
>>747 その時代で芋ていったら里芋とかだろ?
その原種は環太平洋でよく食べられてるタロ芋。
でその日本への流入ルートを調べたら〜九州…w
831 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:35:50
832 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:45:17
よばれたようですので
奈良だろうと九州だろうとどっちでもいいんです
ただ畿内の方の方が思考に柔軟性と客観性を感じます
九州の方はまず九州ありきで史実を探るのは二の次に思えます
そんな俺が支持するのはもちろん
九州だあああ
833 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:55:49
邪馬台国九州説の人は九州王朝のスレに移動すべきです。アホは隔離します。
昨日のふしぎ発見は超面白かった、まさにコントそのもの、ハンマーで叩き割るとことか、果肉の話しとか、もう卑弥呼なんて関係ねぇと思える演出盛り沢山
番組を見終わった感想としては、卑弥呼って九州の人なんだー
836 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:33:14
>>834 ニワカ&素人で申し訳ないんだが、昨日テレビ見ててそんなこと言ってた? >九州の人
全然気が付かなかった。
838 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:40:13
一個の銅鐸を叩き割るのに、何個の銅鐸を凹ませたのだろか?
最後は亀裂を入れて収録したとか?
裏事情を想像するだけで楽しい。そういう意味で楽しませてくれた番組だった。
主任「大型の建物が発見されました、あれが柱の跡です」
レポーター「柱は見つかったんですか?」
主任「いえ、すべて引っこ抜かれてました、リサイクルしたんですね」
レポーター「・・・・・・・そうですか」
で、俺にどうして欲しいんだお前ら?
>>840 お久しぶりです、マキムクを頼みます。藤村さんの神の手で決着をつけて下さい
842 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:50:57
>>849 柱のリサイクルは
実際に法隆寺にも見られるし、
あんなでかい柱に使える大木そうそう見つからないし、事実だ。
畿内、九州議論以前に常識だろ(笑)
843 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:02:29
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
844 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:38:07
ここらで
九州からなんかみつけてあげて!!
可哀相過ぎる…
九州説では一国が一つの集落くらいのイメージかね。
>>828 君、倭人伝をもう一度読みなさい。
それから意見を聞こう。
おまぬけさん!
847 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:01:11
畿内説派だが、
卑弥呼複数人説とか久々に聞いたな(笑)
世襲説とかもあったな
848 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:13:35
大事なのは纏向遺跡だろ
あれが邪馬台国だろうとそうでなかろうと
大和朝廷に繋がるものであるのはほぼ間違いないんだし
純粋な纏向遺跡の分析の話題は別スレの方がいいかもね。
このスレは邪馬台国の話題のスレなんで・・・。
850 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:22:03
邪馬台国はどこにあろうとたいした問題じゃないよね。
だから畿内厨は必死になるな。
851 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:23:38
>>848 歴史は点と線だよ。
いつまでも点に注目しても流れは分らない。
もう一つ前の点を考慮しなよ。
852 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:24:02
鉄については、九州の出土量が畿内を圧倒してるのは確かなんだが、もちろん絶対量が九州の方
が多いのは認めるけど、これは九州に古くから副葬の習慣があったことも影響してる。畿内では古い
鉄は鋳つぶして再利用してたはず。実際纏向から大量に出てくる木製農耕具や大溝の矢板は、もち
ろん石器で削ったわけではなく、鉄器が使われてる。
>>852 鉄は畿内のほうが大規模遺跡が多いのだけど?
854 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:26:43
邪馬台ってどういう意味?
855 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:28:35
857 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:31:04
>>852 そうやって、いつまでも丹波を無視するのが九州説の作戦。
無知なのか、頭悪いのか、追い詰められてるのか。
丹後地域は弥生中期後葉から後期(前一世紀〜後二世紀)にかけて、
日本列島のなかでもこれら大陸の先進素材をもっとも多く集積した地域の一つであることが明らかになってきた。
まず衝撃的だったのは、中期後葉の弥栄町奈具岡遺跡において、
小さな谷に面した建物址から八sをこえる鉄片が出土したことである。
この時期の遺跡の中では日本でもっとも多い量だ。
858 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:34:21
国内最大規模の鉄器工房跡見つかる 淡路・垣内遺跡
国内最古級の鍛冶工房跡の「垣内(かいと)遺跡」(兵庫県淡路市)で
弥生時代後期の大型鉄製品が出土し、同市教委が22日、発表した。
工房として使った竪穴建物跡も新たに8棟出土し、
これまで発見された2棟を加え同時期の鍛冶工房跡としては全国で最大規模という。
日本列島で政治の中心が九州北部から近畿へ移る時期とも重なっており、
今後、遺跡の性格が大きな注目を集めそうだ。
鉄といえば、九州、という時代はとっくに終わりました。
859 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:34:45
>>857 丹後はそれこそ縄文時代からの日本海交流で九州の海人の子孫が居ついた土地で
いわば九州の派出所。本家は九州。
860 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:38:03
鉄があるから邪馬台国ってのが
発想が単純で面白いです。
九州説のレベルがわかりますね(笑)
861 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:40:02
862 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:40:26
>>860 鉄器工房は畿内のほうが規模が大きいんですが、何か?
863 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:43:48
畿内は渡来人つまり背の高い北方アジア人が住み着いた土地なので、
住居とか工房とか古墳を大きく作らないといけなかった。
勢力が集まっていたわけではない。
864 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:48:31
卑弥呼=丹波の日女命説を要約すると、こうなるね。
弥生時代、若狭湾に天孫降臨したとされる天火明命がいた。
そのご、海部氏、尾張氏の祖となる。
天火明命から8代後の日女命は、大和で葛城氏と婚姻関係を結び生まれた。
この女性が卑弥呼であり、モモソヒメ
記紀では孝霊天皇の娘とされているが、そは誤りで、丹波系の血族だった。
卑弥呼(丹波の日女命)は、マキムクで祭祀を行い、魏に朝貢した。
この場合、丹波に影響力が強いので日本海ルートということになる?
その後卑弥呼が死ぬと、なんらかの政権交代劇があり男王が立つ。
今の天皇家による権力奪取と思われる。つまり崇神天皇だ。
大物主の祟りを恐れる信仰の流れから、卑弥呼の祟りを恐れ箸墓古墳を作る。
斎宮としてトヨスキイリヒメが任命される。つまり台与。
天皇家は、丹波の家系を封印し、卑弥呼の存在を記紀から消し去った。
これが、邪馬台国の真相。
>>863 どれだけ背の高さが違うんだよw 電波とばすな
866 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:51:30
>>862 そりゃいいものは自前で作らせるでしょ(笑)
大規模な物は淡路で作らせて、難波から大和に入れるのは
あとの時代でも確認できる。
国友や堺、雑賀に鉄工技術が発展したんだしね。
九州説はただ大陸や半島に近いからってだけ。
それに伊都が属国なら瀬戸内海航路で大和や吉備、丹波に繋がる
867 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:54:32
>>854 ヤマトって言ったのを中国人が邪馬台って漢字当てて、本居宣長がヤマタイって読んだ。
なので大和と別の国みたいに思われてしまったがなんのことはない、ずっとヤマト
だっただけのこと。
868 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:55:19
>>864 >弥生時代、若狭湾に天孫降臨したとされる天火明命がいた。
この天孫降臨した天火明命こそアマ=海人。
869 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:59:22
>>867 中国人はヤマトとを大和とは読まないものね
>>869 そう。大倭と呼んでた。記紀では大和ははじめ大倭
天孫降臨なら大和三山のどれかにもあったよな?
それと高木の神が天磐舟で降りたのは播州だっけ?
丹後にもあるんだね、でも記紀の天孫降臨は遠く離れた高千穂なんだね
872 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:05:06
>>864 完全に葛城を消し去った事件が
大化の改新と日本書紀だと思う。
建内や蘇我や平群が大王並の権力を持っていたのは
祭祀王の血筋だから。
祭祀との決別が宗教戦争である物部との戦い。
>>870 そうではなくて、中国人は予備知識なくしては
大和や大倭という字をヤマトて音には読まないだろう。
と
>>869は言ってんじゃないか?
>>864 それで全部説明つくんだよな。
あと現丹波の亀岡にある出雲神社に祀られてる、
三穂津姫の話も興味深い。
出雲の国譲りに際して大国主に嫁いだとされる姫で
モモソ姫の伝承とも被る。
さらに卑弥呼=ヒミホという読み方だったなら
やっぱり出雲に縁のある名前とも言えるかもね。
875 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:16:25
>>871 でも三神のタカヒムスビ(高木神)は高天彦に奉られてますよね。
>>873 元もとが「やまと」→中国人が倭とつける。大倭と称す。→大和から日本へ(読みはやまと)
同時に、「日本」国号は7世紀後半の国際関係から生じたものであるため、当時の国際的な
読みである音読により、「ニッポン」(呉音)または「ジッポン」(漢音)と読まれた。
大和という国名に関しては大和王朝の本拠地である奈良盆地の東南地域が、大和(やまと)と呼称されていた。
(令制国としての大和とは範囲が別)
日本書紀』の神代巻第四段本文に「大日本」の語の訓読みは「日本、此を耶麻謄と云ふ」とある。
その後、大和王朝が奈良盆地一帯や河内方面までを支配するようになると、その地域(後の
近畿・畿内)もまた大和とよばれるようになった。さらに支配・制圧が日本列島の大半(東北地
方南部から九州南部まで)にまで及ぶに至り、それらを総称して大和と呼ばれるようになった。
古墳時代ごろに漢字文化が流入すると、「やまと」の語に対して「倭」の字が当てられるようになっ
た。中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して倭と呼んでいたが、古墳時代に
倭を「やまと」と称したことは、「やまと」の勢力が日本列島を代表する政治勢力となっていたこ
との現れとされる。
次いで、飛鳥時代になると「大倭」の用字が主流となっていく。大倭は、日本列島を代表する
治勢力の名称であると同時に、奈良地方を表す名称でもあった。7世紀後半から701年までの期
間に、国号が「日本」と定められたとされているが、このときから、日本を「やまと」と訓じたとする
見解がある。
奈良中期の737年(天平9)、令制国の「やまと」は橘諸兄政権下で「大倭国」から「大養徳国」へ改称
されたが、諸兄の勢力が弱まった747年(天平19)には再び「大倭国」へ戻された
>>864 それだと台与は卑弥呼の宗女ではなくなるな。
879 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:22:28
>>874 なんの説明にもなっていないよ。
天孫降臨の天火明命の出自である九州がどうなっているかまったくわからないし、
丹波の家系を封じてもより根源的な九州は残るし。
そもそも天皇家は卑弥呼を抹殺したいのだったら、書記で神功皇后を卑弥呼に
比定しようとしたりしないでしょ。
卑弥呼を天皇家の列伝に見出したかったが見出せないのでやむなく神功皇后だと考えた。
卑弥呼や丹波を抹殺したのではない。
880 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:22:42
結局は中国人の嫌味ったらしい当て字だって訳だね。
882 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:27:02
>>857 弥生中期後葉から後期
にかけてこれほどの外来物資を集めることのできた丹後地域ではあるが、なぜか同時期の中国後漢代の銅鏡はあまり発見さ
れていない。大陸交渉の門戸として発展した北部九州で多数の中国鏡が出土していることとは対照的である。この事実は、
丹後地域にもたらされた鉄素材などの外来物資が、鏡の豊富な北部九州を経由したものではないこと、つまり丹後の首長層
がいわば独自の大陸交渉ルートを持っていたことを示唆している。そしてその交渉先は、豊かな鉄資源を持ついっぽうで中
国鏡は少ないという同じ特徴がみられる、朝鮮半島南部の伽耶地域に求められる。
>>879 現在の記紀は九州縁の天皇家の記述がベースになってるだけでしょ。
それに記紀での邪馬台国国や卑弥呼の扱いは抹殺に等しい。
>>881 そういう書き込みは動揺してる証拠ですよ。
やっぱり丹波国に触れたら九州説には都合悪いみたいだねw
887 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:31:43
畿内論者達があまりにも必死過ぎて痛い
これは何を意味するのか、実はあまり余裕がない、なぜならマキムクから出土された遺跡は新しい
4世紀以降と考えられる、大きな建物=大きな国家=邪馬台国、知恵のある人ならお分かりでしょうが、実際問題すべて、こじつけなんです。
888 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:31:53
>>876 詳しそうなので聞きたいんだけど、大和(やまと)の地名の語源は知らない?
それと、オレたちは普通に「倭」を「わ」と読んでるけど、これは正しいの?
もし、知っていたらでいいから、教えてほしいのだけど。
890 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:35:28
>>884 抹殺したのが藤原や天智、天武。
蘇我宗家を滅ぼし、日本書紀を書き、存在を抹殺した
891 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:35:41
>>884 「抹殺に等しい。」などとあやふやな日本語を使わないようにね、義務教育くらいうけているんでしょう?
「抹殺」するのなら一切言及しないこと。日本書紀は倭の女王に言及している。事実をちゃんと見ないと。
892 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:37:35
>>891 倭の女王なんて重要項目のはずだけど、注釈扱いですよ。
それに古事記には何故ないのですかね?
895 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:40:00
>>891 親族の神功皇后だろうとか書いて
葛木日女命を消し去ろうとしてるよね
896 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:41:07
>>894 >それに記紀での邪馬台国国や卑弥呼の扱いは抹殺に等しい。
俺は古事記の話などしていない。日本書紀だ。
自分の認識上の過ちをすら他人に押し付けようとするのか、恥ずかしい奴だな。
>>893 まあ先祖は何らかの関係を伺わせる部分はあるけどな。
何せ浦島太郎のモデルだし。
898 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:42:31
>>893 海部系図によると
日女命は葛城族です。
蘇我の始祖は建内、建内は葛城氏です
899 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:42:49
丹波国がからむと、九州説出る幕無し。
これからの問題は、大和と丹波のつながりを解き明かすことだよ。
>>886 逆だろw
丹波の鉄素材は北部九州を経由したものではないんだぞ
つまり九州と畿内は別の国だったということ
これでは畿内説死亡じゃないかw
901 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:44:54
丹波みたいな二番煎じの国をいくら調べてもなにも出てこない。
九州を解かないとなにもわからない。
902 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:44:59
九州説の人は、丹波の話にはついてこれないんだねえ。
904 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:46:31
>>900 それでは伊都の一大率の説明がつかない。
南九州が他国だったてのは認めるけどね。
景行が討伐に乗り出してるしね
丹波は古代史において末節の地域だからな。
言及に値しないというところだろう。
906 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:46:56
>>846 魏誌倭人伝って九州の様子を伝える観光案内書でしょ?
魏誌大和人伝って別にあるんじゃね?
俺も抹殺説は採らないなあ
記紀編纂の頃には卑弥呼が誰かは分からなくなっていて、
上代の女傑として神功皇后がいたから彼女に比定した、といったところではなかろうか。
しかし実際の卑弥呼は崇神朝に伝説を残す百襲姫であって、
中国側から見た「倭女王」という存在も、国内的には、神の声を大和の実力者たちに託宣する巫女王、
といったところではなかったろうか。
>>896 俺は一環して「記紀」の話をしてるつもりだからね。
大体片方に触れられない事自体変でしょ。
で、注釈扱いなのについては説明しないの?
909 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:48:26
>>902 丹波なんて、どうでもいい話しやん、えっ?何?よく聞こえない
910 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:50:16
昨日の番組見て、まあ面白かったけど、あれを見て単純にあの遺跡が卑弥呼の宮殿だって
いうのはどうかと思うよ。
可能性の話に過ぎないのにな。
その可能性があるというのなら、そうでないかもしれないとも言える。
邪馬台国がたとえ特定の国でも、それと同規模の国が別々に九州と近畿にあったとしても
その可能性も十分にあるんだよ。
911 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:52:19
ほらみろ。
九州説の人は、籠神社の系図を何の評価もしないでスルーするだけ。
関わると九州説が崩壊することは自覚してるらしいw
>>900 全然死亡じゃないですよw
倭人伝にも奴国に女王国との境界があると書いてあるし。
鉄が畿内に流れ出して九州勢力を圧倒するようになっただけ。
つまり東征なんて無いって事だから。
913 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:52:27
>>908 896じゃないけど、記紀は編纂者が違うのだから、別に不自然ではないと思うよ。
まったく同じ古書があったとしても、取捨選択するのは、編纂者の裁量と違うかね。
>>913 だから取捨選択して歴史書に記述しないのは抹殺じゃないの?
915 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:54:37
>>908 注釈扱いにしたことこそ、無視し得ない情報であることを意味している。
抹殺するのであれば、まったく言及しないか魏志倭人伝の卑弥呼は存在しないと本文で否定すべき。
実際はそうなっていない。
>>912 畿内説の人は倭人伝は信用できないんだろw
こういう時だけ倭人伝に書いてあるとか言いだすんだw
おもしろいね
917 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:56:39
>>914 だからー、歴史書である書記には記述があるんだよ。だから抹殺していないんだって。
918 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:56:43
>>915 日本書記は対外的な物だから触れない訳にはいかないでしょ。
でも古事記には無いんだよね。
その質問には答えないのかな?
920 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:58:21
>>917 抹殺してるのは海部氏のことだよ。
尾張氏には触れても、
全然、海部氏のことに触れて無いでしょ?
921 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:58:30
>>914 だったら、そうかもしれんね。
あるいは、その基となる資料を見過ごしていたとか。
いずれにしても、決めつけるべきではないと思うよ。
>>916 俺は全然倭人伝を信用してますよw
行程も女王国も全て説明できるし。
924 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:01:22
>>906 そんなものは存在しない。魏王朝の公式に付き合いのある公式の歴史だけを書き残し
晋王朝が、その正当性を引き継ぐ
だから関係のない記録は残さない
925 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:01:42
>>919 政治的な介入だろ。
だが、対外的であろうがなかろうが日本書紀には書いている以上抹殺ではないな。
2書の一方のみに書かれていないことは抹殺の本質ではまったくない。
926 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:01:59
とにかく奈良の御所を調査しろ。
葛城が明らかになれば
八代の件も解決する。
蘇我の天皇記を天智が燃やさなければ
こんな議論はなかっただろうに
927 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:02:41
暇な人は地名に「赤」がつく場所を探してみて。
面白いことがわかるから。
>>888 日本の古代語には50音それぞれに意味があったといわれている
「や」という発音は弓矢の概念
「ま」は目とか円形
「と」は線引き
といわれるがよくわからない。日本という意味をつけているから「円=太陽」が発射される場所=
太陽が昇る場所という意味だったかも知れない。断っておくと単にこれは俺の推測だけの話ね。
ただ、中国人がワとよんだ国の人間を日本人の先祖は「ヤマト」と呼んでたということ。
日本人は倭を悪字として意味の良い「日本」をつかい、日本という文字も「やまと」とあてていたが、中国の
との関係によって「日本」という読み方も中国読みに変わったというのは定説
929 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:04:30
930 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:04:49
>>923 倭人伝を読みこなせない連中が、難癖付けてるだけだから
>>925 そうだね。だから海部氏系図も残されて、最終的に
国宝に認定されてるもんな。納得したよ。
なんかもう畿内説の人らは『九州でなければ何処でもいい』て感じの流れだなw
933 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:07:43
931 は丹波人なのかな?自分の故郷を誇りに思うのは良いが、それをうんと引き伸ばしても
胡散臭くなるだけし、古事記だけ取り上げて都合のいいように解釈すると一般的な支持が得られないから
注意してね。老婆心から申し上げておく。
934 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:07:59
数年前に、インドネシアのスマトラ沖で大地震が起き、大津波が襲った。
この津波で、何十万人という人が犠牲になったが、ある小さな島ではほとんど
犠牲者が出なかった。
文字を持たないこの島では、潮が急激に引いたなら高いところに逃げろとの
言い伝えがあって、これを守ったために犠牲が少なかったらしい。
文字を持たない時代の伝承は、詳しくはないが案外本質を突いているのかも
知れない。記紀にもそれが言えるのではないだろうか。
936 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:08:29
なんかもう九州説の人らは『九州でなければ嫌だよー』て感じの流れだなw
>>916 倭人伝はある程度は信じているが、完璧なものであったということは、あの時代の
技術を考えると不可能だったと考えている。地理の正確な記述は結局技術によって決まる。
938 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:09:36
>>935 何もないのに燃やすかよ(笑)
燃やさせたのは誰だよ(笑)
>>932 それは逆だろw
実際どっかの先生は「畿内以外なら何処でもいい」と
なんかの講演で言ったんだよ。
940 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:11:02
海部氏を語るのに多氏を忘れちゃ、いやん。
>>932 当たり前だろう、九州を叩き潰すチャンスなんて中々ないからね。
942 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:11:44
>>933 どうでもいいけどもうコテ止めたの?縄文人さん。
>>938 自分から燃やさなくてもいいんじゃないでしょうか、
燃やさなければ、とりあえず「蘇我の天皇記」は残るわけですからw
>>941 実態が無いものは壊せないよ、まず候補地立てないと。
946 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:13:52
>>943 縄文人ってだれ?コテで書いたことなんかないよ。
947 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:14:40
>>941 ってか、いつまで九州説の相手してやらないといけないのかな。
早く宮殿の場所の特定とか丹波、葛城、吉備について
畿内説同士で議論したいんだけど。
948 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:15:13
「やまと」を古代文字で書くと・・・ああ、くそフォントがない
「やまと」はこれで一つの意味をもっているはずの文字
しかし、ここで記されている「やまと」は
漢字を変形した「や」「ま」「と」の音を当てているにすぎない
従って、「やまと」でも「大和」でも何のことかこれでは
わからない
949 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:15:14
>>939 素晴らしい先生だw
近畿では駄目な理由をご存知なんですね。
縄文人って今頃恥ずかしくて出て来れないないよなw
951 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:17:16
>>944 馬子の古墳ですら石室剥き出しにさせた
天智が都合の悪い歴史書を残すはずがないだろ(笑)
953 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:17:50
>>948 やまとはやまんちゅだろ。
海人に対しての山人だよ。
>>947 おい、爺さん!死ぬまでに決着がつくといいな
そうだよな、墓を曝すような連中だった。
956 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:19:43
>>951 馬子の墓を天智が石室剥き出しにしたというソースプリーズ
958 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:21:52
>>954 少数派はカコイイはもう飽きたよwご苦労さん。
もう死に体なんだよ、九州説は。
逆転したけりゃ、シャベルとスコップ持って
太宰府でも掘ってろ(笑)
>>947 それは邪馬台国スレではなく、大和朝廷スレを立てれば良いのでは?
960 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:26:10
>>957 石舞台古墳を調べてみりゃいい。
前方後円墳か円墳だったかは今じゃわからないが、
朝廷は馬子の墓を掘り起こし、装飾や遺品をすべて取り出している。
石室が剥き出しで出入り自由な墓なんて普通ないだろ
>>958 あのー脳内妄想ですか?それとも痴呆ですか?
962 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:26:57
>>960 だから、それを天智がやった、というソースですよ、私が欲しているのは。
964 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:29:20
>>960 前方後円墳だったとしたら説明がつくんだよね。これ。
966 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:32:26
>>959 じゃあ、邪馬台を大和に変えて次スレ立てなきゃな(笑)
九州説論者は涙目で対抗スレ立てて、
荒らしに来るだろうけど(笑)
967 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:33:19
>>965 しらね〜。
九州王朝がそこにあったらしいよ〜(笑)
>>966 つーか、お前があっちに移ればすべて丸く収まるんだけど
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41
970 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:37:46
>>963 じゃあ誰が掘るんだよ、あんな大規模なもん(笑)
天智、鎌足はすべての蘇我の物を廃しているよ。
風化?ないな。石舞台と言われる由縁を見たらそれはないし。
971 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:39:36
>>969 それ、俺知ってる!!
九州王朝大好き というコテハンが言ってたw
972 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:42:37
>>968 あっちのスレの方が九州説(笑)のコテハンの
言わば五稜郭じゃねw?
ドツボは畿内説に寝返ったみたいだけど(笑)
>>971 こいつか
189 九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y 2009/11/14(土) 16:17:01
>>187 邪馬台国の時代、すなわち3世紀は崇神期になると見ています。
広瀬神社縁起によると、崇神6年に盆地湖最深部湖底は陸化しています。
崇神1年が3世紀の前半か後半であったかによりますが、
奈良盆地湖は沼沢池化しているか消失していたことになります。
どちらにせよ発達した水上交通の時代ではありません。
崇神期以降盆地湖が再度現れたことはありません。
以後盆地湖跡は大穀倉地になったようです。
なお、水上交通が発達していたのは、縄文期で、
湖水面が海抜80m位にあった頃のことです。
>>970 だって天智は蝦夷・入鹿の墓への埋葬を許してるんですぜ?
で、直接関係の無い馬子の墓は暴くんすか?
奥さんの遠智娘とか姪娘って、馬子の曾孫ですよね?
世代が違うけど、鎌足の子・不比等の奥さんも馬子の曾孫ですよね?
あと、蘇我の物を廃しているって、例えばどんな?
975 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:49:51
九州説論者みんなで太宰府掘れよ(笑)
このままだと逆転はないぜ
太宰府って菅原道真がこんなどいなかやだ。早く都に帰りてーっていったところ?
人の意見は絶対受け入れない妄想厨が集う無限ループはここですか?
978 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:55:41
>>974 館は焼失、別邸は取り壊し、
飛鳥寺の規模縮小(さすがに大仏は手を出さず)、山田寺も焼き打ち、
歴史書、装飾品すべて。
親族の抹殺。
墓と言っても入鹿の墓は首塚の小さな物。
だから葛城山に怨霊が出たとか巷に噂が出てしまう。
馬子は太子の仇。
しかし、昨日のふしぎ発見でのマキムクは全然説得力なかったね、マキムクって、たいした事ないんだね
980 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:56:10
>>975 大宰府が都というのは九州王朝説の場合だろ。
邪馬台国九州説は九州王朝説ばかりじゃない、というか九州王朝説以外は
大宰府を掘っても補強にはならんだろ。
*3世紀の九州の邪馬台国は大和政権その他に4世紀中に滅ぼされた。
*3世紀の九州の邪馬台国はその後大和政権に王権を禅譲した
*3世紀の九州の邪馬台国はその後大和に遷都した。
などいろいろある。
981 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:57:01
>>979 まだなにもわかっていない。九州説が脱落しただけのこと
983 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:58:44
984 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:01:07
>>982 あのクイズ形式の一時間番組で
全国に九州はないってのを言い切ったのは立派だよね。
まさにそうなんだけど
九州説論者の怨念が怖いキモい(笑)
985 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:03:21
>>980 ミンスみたいでバラバラだな(笑)
とりあえず掘れば一つの説は無くなるか、復権するじゃんw
「災害やら洪水やらでパックしたから現在でも果肉が残ってます」
本当かよ、インチキくせー
>>975 なんで太宰府掘る必要があるんだよ
掘りたければテメーで掘れって
どうせカマしか掘れねえ糞野郎だろう?
ん?カマ野郎。 聞いてるのか?カマ野郎。ほらほらケツだケツだぶち込んでみろよカマ野郎。
988 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:06:40
989 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:07:14
>>984 放送直後からの
>>400-600くらいのレスを見た感じだと真逆な感じだったみたいだよ?
むしろ昨夜からは、畿内説の人が早くこのスレを埋め立てたいみたいな勢いでスレが進んでるね
990 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:08:19
>>906 九州だけで100余国も国があったのか?
さらにその南にあったのが対立する狗奴国?
991 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:09:45
九州説者の言い訳を聞いてみたいからね。
いやあ実に面白い。
992 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:10:08
まぁまぁ、昨日のふしぎ発見でハッキリしたじゃん、畿内の邪馬台国説は疑わしい
最後のクイズが福岡からって、どんだけ奈良は相手にされてないんだよ、最悪
>>978 またそこへ戻りますか。
館や歴史書・装飾品に火を放ったのは蘇我蝦夷。
山田寺焼き打ちは乙巳の変(あなたのいう歴史書抹殺)とは直接関係の無い事件。
入鹿の首塚は後世の伝承。別邸てのは嶋宮のこと?
一方、先に書いたように、天智は蝦夷・入鹿の埋葬を許し、
飛鳥寺は元興寺として奈良時代以降にも引き継がれ、山田寺も天智朝以降回復、
蘇我一族は石川をはじめ、小治田・高向・河辺・田中・田口・岸田等々、
朝臣姓をもらって命脈を保っている。そうした部分も見てあげないと。
>>989 すごい分析だねw 九州説のレベルがわかるわ。あと見ていないのも分かる
>>989 マジで畿内派涙目番組だったお、畿内派は捏造するから気をつけてね
996 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:14:14
>>993 蘇我石川は利用されて殺されとるがな
火を放たせたのは誰ってこと。
鳥が先か卵が先か
>>989 マジレスすると九州説は出てこなかった。高千穂の天と岩との祭りだけ。
九州説のやつらは嘘つきのクズばかだから全員死刑にすべき。
1000なら九州説オウム信者脂肪
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。