♪邪馬台国 ドンと来い♪58

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1日本@名無史さん
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*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー

■前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪57
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255911345/
2日本@名無史さん:2009/11/17(火) 19:59:49
巻向は卑弥呼と全然関係ないね。
クローズアップ現代で館長が言ってたけど、環濠がなく、戦争が終わった時代の遺跡だということ。
そのくせ、状況証拠だと、矛盾していること言ってるのに気が付いてない。
邪馬台国は卑弥呼の時に、クナ国と戦争していたのだ。
ちゃんと倭人伝に書いている。
したがって、今回発掘された巻向遺跡は邪馬台国とは何の関係もないことが確定した。

3日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:02:14
てか、3世紀なんて言ってるけど、地層なんかで、50年100年単位で年代特定できるのかよ?

4日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:11:44
>>2
同感だな
5日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:21:29
でもマキムクは今回発見された遺跡からいって
崇神天皇時代にかかれている瑞籬宮らしい。
それはそれで非常に興味深いし、更なる発見を望んでいるんだが。

邪馬台国畿内説たちが奈良の遺跡を滅茶苦茶な論説にくっつけて
年代も無理やり卑弥呼時代に合わせてグチャグチャにしてしまいそうな予感w
6日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:30:48
>>2

> 邪馬台国は卑弥呼の時に、クナ国と戦争していたのだ。
> ちゃんと倭人伝に書いている。

そんなことはどこにも書いてないよ。
7日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:35:02
邪馬台国を探すって言うのは、もう古いって言うか、
一般向けに発せられるキャッチコピーとして持ち出される言葉に過ぎないな
演歌といったらサブちゃん、ひか清
考古学といったら「ヤマタイコク」
8日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:40:31
>>6
「相攻撃」って書いてるだろ。
9二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/17(火) 20:40:31
前すれ>>984
>>第十代 崇神天皇 磯城瑞籬宮 ← これが今回の巻向遺跡と似ているという話
>>
>>第十一代 垂仁天皇 纏向珠城宮
>>
>>第十二代 景行天皇 纏日向代宮 志賀高穴穂宮

こういうのが素人の私にはわかりやすくてよい。
巻向のは、邪馬台国をひとまず置いておいて、畿内ヤマト政権のどの位置なのかを考えるべきなのではないでしょうか。
10日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:43:09
3行目誤字

>>第十二代 景行天皇 纏向日代宮 志賀高穴穂宮
11日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:56:10
全部、呼び方変えただけで同じ場所に建てた別の建物って可能性も
大きいと思うけどね。

記紀と照らし合わせると、今回発見された宮殿跡は磯城瑞籬宮ぽいが。
特に語り部の口伝写しである古事記だと「師木水垣宮(しきみずかきのみや)」

これが一番、可能性が濃厚ぽい。
逆に、これが景行天皇の時代まで場所が存続した可能性もある。
そんなにコロコロ変えるものじゃないし三輪山麓で限られたなか移転するかな。
12日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:06:20
>>5
俺は、自信を持って畿内説だが、お前の言ってる事には同意。
瑞籬宮ならば、記紀の信憑性がいくらか増すわけだし、
それはそれで価値の有る事、慎重な調査を期待したい。

前スレから盛んに戦乱の痕跡が無いと指摘している者が居るが、
時代が、3世紀以降だったとしたら、もはや倭国大乱後の世界なわけだし、
戦乱期であったとしても、周辺国に対して相当な影響力を持ってる都市なのだから、
前線は辺縁部に有るはず。痕跡が無くても不思議では無い。
13日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:17:57
瑞垣玉垣って神社の結界じゃん
伊勢神宮は瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣と四重になってるぜ
14日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:19:21
>時代が、3世紀以降だったとしたら、もはや倭国大乱後の世界なわけだし、

あ、つまり邪馬台国の話にいくわけだな。
じゃ今度の遺跡、つまり崇神天皇のいた瑞籬宮と大和朝廷=邪馬台国
叔母さんの倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼ってしたいわけ?

つうか・・モモソ=卑弥呼以外に畿内説はありえなくなってきたが。
15日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:20:54
プッ、お前ら騙されるなよ。伊勢神宮みたいな宮殿が卑弥呼な、わけないだろう
16日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:22:37
>>1
もう58スレ目かい。
あいかわらず邪馬台国関連スレは上位独占だな。人気あるね。
可愛いその子はたぶん女王卑弥呼様じゃないわな。w
17日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:24:15
>>1 otu

トヨタン・・・・・・・・・・
18日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:26:21
伊勢神宮の唯一神明造という形式はずっと後世のもの
平入り(社殿が横向きで正面に階段)で壁が木の板で作られているが、
薄い板に加工できる様になったのは飛鳥時代だから
明日香板葺宮って言うのは、板で屋根を葺いたよって自慢している名称だから
19日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:26:36
以前から指摘されていたように、記紀では神功皇后が勝手に卑弥呼に比定されている。
つまりだな、記紀・・・書記を編纂した人物も、古事記を口伝した語り部も、写したやつも
だれも当時知られていた魏志倭人伝にでてくる邪馬台国と卑弥呼がモモソだと思ってない。

当時の人間でさえ知らず、せいぜい神功皇后だと思ってモモソ除外しているんだよな。
そして
>>12 >3世紀以降だったとしたら、もはや倭国大乱後の世界なわけだし

倭人伝を読めばね、卑弥呼は戦争に巻き込まれたっていってんの。
滅多に顔を見せない千人に囲まれた女が隣国と緊張状態で後に戦争に巻き込まれる
んだからそんなもんじゃないよ。

20日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:28:02
構造が伊勢神宮というより出雲大社に近いというのが意味深だよね。
21日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:35:29
出雲 → 巻向 
22日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:39:48
テレビ関連ニュース

『世界・ふしぎ発見!』
11月21日(土)21:00〜21:54(TBS系列)

■古代日本、邪馬台国の女王、卑弥呼のふしぎに迫る!

古代日本、邪馬台国の女王、卑弥呼は謎に満ちた人物だが、近年の研究で次第に実像が明らかになってきた。11月21日(土)の『世界・ふしぎ発見!』では卑弥呼研究の最新情報をリポートする。

近年邪馬台国の最有力候補ではないかと注目を集めている、奈良県の纏向(まきむく)遺跡が最新の調査によって、さらに可能性が高くなったと考えられている。
遺跡から出土した絹織物の巾着は、卑弥呼が中国の魏に献上した絹織物に関わりがあるのではないかと、指摘する説もある。

さらに天体に関する研究から、卑弥呼の時代に日本で日食が見られたことが分かり、関心を集めている。247年3月に日本では皆既日食が起こっていた。さらにその翌年にも、今度は欠けた太陽が満ちながら昇る日食が起きた。
この二度の日食が、卑弥呼の生死と、卑弥呼の次に現れたトヨという女王の誕生に関係していると、考えることもできるという。さらに宮崎県の高千穂には、二度の日食に関わりが深いのではないかと考えられる神話が残っていた!
ミステリーハンターの竹内海南江は、卑弥呼のふしぎに光を照らすことができるのか?

【出演者】
司会 草野仁
アシスタント 出水麻衣(TBSアナウンサー)
解答者 黒柳徹子、板東英二、野々村真、東貴博、大沢あかね、松田洋昌(ハイキングウォーキング)、鈴木Q太郎(ハイキングウォーキング)
ミステリーハンター 竹内海南江
http://dogatch.jp/blog/news/tbs/0917117941.html

日立世界ふしぎ発見!
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/info.html
23日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:40:36
>>20
妻側に階段を設けている出雲大社のほうが古い形式
巻向のは南北19.2m×東西6.2mという建物の横側(間口が狭い側の面)に階段が付いているんだろう
線刻文様に描かれている高床式建物に似ている
24日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:40:45
出雲は巻向にあったとすれば、全てが解決するのではないか?
出雲(の勢力は)は、ニギハヤヒの勢力に巻向を追われ、島根県の出雲に本拠地を移した。
25日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:42:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
26日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:46:58
稗田阿礼が暗誦していた。
三輪山麓の西側の水に囲まれたところに
崇神天皇の「師木水垣宮(しきみずかきのみや)」

出雲大社と同じ構造

ちなみに伊勢神宮は崇神天皇が興したとあるから
やはり、同時期の3世紀以降だな。どれもこれも思っていた通りなんだが。

ただし年代は嘘っぱちばかりだけどな。
つまり記紀と照らし合わせて紀元0年ぐらいを3世紀ぐらいと思えばいい?
27日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:50:39
>>14
一般報道等で3世紀と言っている。それに準じたまで。
無理に邪馬台国の話にこじつける意図は無い。

>>19
卑弥呼個人が巻き込まれたとどこに書いてある?
国家としては戦乱に巻き込まれただろうが、
居館なり、宮殿周辺部まで巻き込まれると言うのは、
よほどの事だぞ。

何度も言うが、3世紀以降ならばその後の世界だ。
さらにお前らの大好きな九州説の某学者さんに言わせると、
4世紀のものなのだろう?戦乱と無縁で有る可能性は益々高いだろうw
28日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:03:43
>邪馬台国は卑弥呼の時に、クナ国と戦争していたのだ。

そんな事書いてたか
29日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:11:34
纏向には、邪馬台国であるとする根拠が全くない。
搬入土器にしても、各地の土器のあるのが邪馬台国という理由はない。

建物の跡にしても、寺澤は、まだどういう建物かわからないと言っていたが、
報道では、卑弥呼の宮殿みたいな言い方をしている。
ちょっとおかしいな。

>>27
以前は、吉野ケ里が卑弥呼の時代と重なるといわれた。
今は纏向が3世紀で吉野ケ里はその前の時代だという人もいる。
でも、倭人伝に書かれている「宮室・樓觀・城柵」は、吉野ケ里の時代の
ものであって、纏向の時代のものではない。
矛盾があるな。
30日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:14:08
邪馬台国が何処にあったかは別にして
九州ではなかったのではないか。
魏に朝貢したとは言えども、攻め入られる可能性もあったわけで
そのあたりの駆け引きから、あえて九州あたりまでは正直に言って
それから先は、あえて邪馬台国の場所を偽った、なんてこと無いですかね〜?
31日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:17:51
しかし魏志倭人伝てすごいよな。人々の生活のくだりとか本当にその人たちの
生活が想像できるように書いてあって頭の中が3世紀になってしまう。
で現実に返って、ああ、ここに書いてある人たちは1800年も前に
死んじゃってるのか、て思ってなんかさびしくなってしまったりする。
でもそんな大昔からの天皇家が今も天皇やってることがスゲーっと思って感動する。
32日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:17:55
ズバリ、結論から言えば奈良は邪馬台国ではない、大和朝廷である
33日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:19:09
>>31
ロマンチストな奴だな〜
34日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:24:14
>>29
話の論点がずれている。
関係の無い部分に噛み付かないでもらいたい。

俺は近畿説ではあるが、今回の話の中に於いては、
邪馬台国で有ると言う事を主張しているわけでは無い。
それは、最初のレスで、瑞籬宮の可能性も有るわけだから、
慎重に調査して欲しいと書いてある通りだ。

九州説論者の好んで使う、戦乱の痕跡について、
出てこない事も、不自然では無いと言っているだけの事だ。
戦乱の痕跡を絶対条件にしている人間に対して言っている。

俺個人が、近畿説を正しいと判断する理由など書く気は無い。
考古学で有る以上、遺跡の無いものを比較対照にする気は無い。
35日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:27:00
>>34
お前、ウンコみたいな奴だな〜臭うぜ
36日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:28:59
追い詰められた九州厨が必死ですねw

人生の限られた時間をもっと有意義に使えばいいのに。
37日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:31:22
邪馬台国はどこにあったを証明するためでなく
自分の唱える説を肯定するためにがんばっている皆さんが多すぎて
逆にわからなくなってしまいます〜。
38日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:33:08
>追い詰められた九州厨が必死ですねw

ねーねーなんで?追い詰められたのは畿内説なんだけど、リーチをかけといて、リーチになっていない現状を説明してよ
39日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:40:29
宮室・楼観・城柵、厳かに設けって、整然としたイメージじゃないとそう映らないだろ
吉野ヶ里は、内郭があるとはいえ目玉焼きみたいに適当な配置だ
機軸線、左右対称、直線的な冊など、巻向の方が「厳か」に該当するんだが
40日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:44:40
そのとおり配置がおかしいんだよ、今回発掘された遺跡の配置は3世紀のものなのか???
41日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:46:46
>>38
>ねーねーなんで?追い詰められたのは畿内説なんだけど、リーチをかけといて、リーチになっていない現状を説明してよ

ブラフのリーチだから
42日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:48:12
>>38
つまらん煽りは哀れみを感じさせるよ。
43日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:51:03
>>40
はっ?
巻向のほうが倭人伝の卑弥呼宮殿のイメージに近くないか?
44日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:53:15
>>39
纏向には城柵はないだろう。城柵というのは、守りを固めるためのもので、
環濠と対になっていると考えられる。
倭人伝の「常有人持兵守衞」(常に人あり、兵を持ち守衛す)とも合致する。

纏向からは樓觀の跡も見つかっていない。

纏向は四世紀だろう。以前はそれが定説だった。
纏向が三世紀と言われるようななったのはここ10年くらいのものかな。
その根拠が、かの年輪年代なのだから。
45日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:55:38
>>44
城柵は巻向にもあったんじゃないの?
46日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:57:54
>>43
巻向の方が?どこと比べてものを言ってるん?

>>44
>纏向が三世紀と言われるようななったのはここ10年くらいのものかな。
その根拠が、かの年輪年代なのだから。

まさにゴッドハンドそのものじゃんWWWWWW
47日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:59:02
>>45
そういう話は聞かないな。
吉野ケ里では城柵らしきものの跡が見つかっていて復元されている。
例えば、
http://www.ihope.jp/slide0038_image024.jpg
48日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:01:33
>>45
ない、学者の言い分も「ない」なぜなら争いは卑弥呼により解決したからである。
こじつけがとにかく凄すぎて奈良に邪馬台国があったとは思えない
49日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:02:14
>>47
今回柵があったと聞いたけどな。
50日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:03:51
>>48
何か君から悲壮感のような物を感じる。
51日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:06:33
以前に出たと話有ったよ。

手ごろな奴がなかったからこれね。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/images/image-16/0322-02.jpg
52日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:06:48
>>50
反論できずに、くやしいんですね。よくわかります。
53日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:13:34
>>52
そりゃ>>48のような文には内容がない反論できない、だって内容が無いからw
54日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:21:10
>>51
吉野ケ里の城柵とは規模が全く違う。
吉野ケ里の場合は、集落全体に及ぶし、そのほか至るところに張り巡らされて
いる。
http://sinn.dip.jp/kesiki/saga/yosinogari.htm
55日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:22:20
>>2  んなこたあ最初から分かっている。
環濠がない時点でマキムクが魏志の邪馬台国の時代ではないことがすでに確定している。
その視点から今回の発表をどのように判断するかが、本当の問題である。

http://www.city.sakurai.nara.jp/4211114.pdf   発表
正確な時期は不明とのことであるが、庄内3〜布留0より以前とする。
ただ、石野のように最も古い土器を基準とする人もいるので、この発表も疑う必要がある。

仮に庄内初期とした場合には、その頃の現地の状況はどうであろうか。
現在までの発掘では人が居住・生活していた痕跡は極めて少ない。異常なほどに少ない。
一方で土器が多く、特に外来の土器が多いという点からは、ここが伝承のとおりに「大市」
すなわち大きな市場であったことはもはや動かせないであろう。

となると、今回の建物群は倉庫であろうか。
居住地区から離れた細長い台地の上の倉庫が築かれた例は、法円坂遺跡倉庫群のような例がある。
しかし今回の建物群は、倉庫として規格化されたとは言い難い。

では宮殿であろうか?崇神の宮の伝承の合う部分も大きい。
しかし、川伝いに攻められた場合の防御の弱さは致命的である。武埴安彦が簡単に首を取れる。
宮殿としての施設の広がりが、あまりにももなさ過ぎる。市場の中央という立地も問題である。

むしろ、単なる王族か豪族の居館であった可能性も考えたほうが良さそうである。
56日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:23:10
>>54
この柵列は、まだ一部しか発掘されてない。
今回の調査でも、全体は出てないんだよ。
今の段階で比べても仕方ない。
57日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:26:12
>>54
巻向はまだ調査中です、しかも全体の1割にも満たない。
線路東側にはまだ何かあった事は確実視されてるしな。
今回のように以前から噂されていて発表待ちの物もある可能性があるよ。
58日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:26:15
>>27
それはお前の希望的想像内で宮殿が戦争に「相当なものでない」から
戦争には巻き込まれてないといいたいんだろ。

しかも巻向遺跡の話をしてるのに、九州説の某学者がなんででてくるわけ?
九州説が遺跡とどう関係すんの? で、その学者の説を反証理由にしてるって・・・
馬鹿かこいつ・・

とりあえず、マキムクの宮殿跡を 邪馬台国卑弥呼の宮殿とするためなら
何でも必死でこじつけて滅茶苦茶にするってことはよく読み取れますね。
59日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:29:14
>>55
醤油こと
60日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:29:32
>>27
あんたも、へんてこりんな理屈を言う奴だな。
国家として戦乱に巻き込まれたら、当然その国みんなが戦乱に巻き込まれることだろが。
ましてや、卑弥呼は女王なんだぞ。

それと、もうひとつ言っておこう。
倭国大乱後云々なんてのは、オレたち未来の人間から見て、結果としてそうなったに過ぎないんであって、
その時代の当事者にとっては、いつまた戦争が始まるかもわからないんだよ。
ましてや、クナ国と戦争を続けている邪馬台国が、環濠などの強固な防御策を講じるのは当然なんだよ。
少しは、当事者の立場に立って想像力を働かせてみろ。
61日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:32:21
奈良は「無理やり邪馬台国」

こじつけ饅頭とか販売すればいいじゃん
62日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:32:26
>>58
お前の様な思考回路の奴に何を言っても無駄だな。
少し邪馬台国から離れて、都市国家から領域国家への変遷について勉強してみろ。
古代ギリシアや、ローマの戦争でも調べてみればいい。

俺の言ってることは、一般的に考えられる流れを述べてるのであって、
畿内説を優位に働かそうという物では無いとわかるはずだ。
63日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:34:46
>>60
お前にも同じ事を言っておくよ。
理解できないなら、勉強が足りない。
64日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:35:03
まあ、年代は簡単に結論付けるべきではないだろうな。

畿内説には、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡に比定して、三角縁神獣鏡の出てくる
古墳を初期の古墳にしてしまった前科があるからな。
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でないことが大勢となった後は知らん顔している。
65日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:36:01
捏造団子、ゴッドハンドうちわ、こじつけ饅頭等、奈良で売ればいいじゃん、すでになんちゃってTシャツは販売しているんでしょうが
66日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:36:30
>>63
お前の言うことなんか、誰にも理解できないよ。
67日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:38:20
なんのために魏に使いを送ったかだよな
平和な奈良から遠く離れた土地で邪馬台国軍が苦戦してる程度で魏に助けを求めるかね。
何年も続けて。命がけで。
首都が落とされるか否かの切羽詰った状態だから、助けを求めたんじゃないかね
68日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:38:51
>>63
少し思い込みが激しいようにも見えるが。
69日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:39:37
邪馬台国に関して、考古学者が素人に遅れをとっているのが気にいらないとは、よく聞く話しですが

権威で歴史を曲げようとしている学者には呆れるばかりです
70日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:41:52
>>67
宇佐は畿内大和にとって首都に匹敵する存在です。
71日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:44:01
宇佐は実際にどうなん?
72日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:46:24
>>66
>>68
わかった。
どちらにしても、限られた時間と、限られた文章で物事を語るのには限界がある。
正直、俺も、このスレに食いついてるのは色々な意味で苦しい。

いくつかの暴言に近い発言が有った事は謝っておく。失礼な発言をした。
ただ、上にも書いたように、時間的制約で、これ以上時間を割くことは出来ない。
今後似たような発言は厳に謹んで、可能な限り見るだけに留めたいと思う。

スレ全体に不快な空気を流すのは本位では無い。
ここで改めて謝罪するので、お互い不干渉としていただけないか?
そう言う事で、勝手ながら今後のレスには返答出来ない。
73日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:46:46
女王になってからは殆んど姿を見せた事ないんだろ?
安全な奈良の奥に大規模な都作って隠ってる姿は結構印象に合う気はする。
74日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:47:19
>クナ国と戦争を続けている邪馬台国

そんな事は、どこにも書いてない。
75日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:48:40
女王と言うのは名ばかりで、人質つー説も捨てきれない
76日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:49:59
強引に九州説だとしても宇佐、八幡しかない。
いずれにしても邪馬台国は既にプレ大和政権だ。
この辺理解してないカスが多すぎる。
プレ大和政権が伊都や奴国の付近に有ろう筈がない。
筑後地方、熊本なんて論外だ。
九州の事を一切知らないチョン関東人、関西人だけだ。
77日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:54:58
>>76
何が根拠で邪馬台国がプレ大和政権なのか、さっぱりわからんな。
そんなもの、理解している奴がカスだよ。
78日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:55:15
とにかく奈良はない
79日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:55:25
>>72
まあ少し落ち着こう。
邪馬台国という言葉を極力避けたがる研究者の気持ちがわかるな。
80日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:56:20
倭面土国王帥升は伊都を拠点とし奴国など九州の西北部を支配した。
この周辺から畿内に積極的に従う勢力が生まれる筈がないのです。

畿内と結託する地域、大分・八幡地方しかありません。
81日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:58:05
畿内の人々の先祖は九州からきたという事実を拒否している、その気持ちよくわかります。
82日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:59:08
>>77
おまえは何処に住んでる?
話はそっからだ。
どうせ関東あたりチョンだろw
83日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:00:39
あざらいたにめち
84日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:01:02
>>82
近畿在住のれっきとした日本人だよw。
85日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:01:16
>>76
巻向に当時居たのが崇神天皇だとして。
次の次、景行記では宇佐はまだ大和に統治されておらず女王がいて降参してくる。
当時の大和朝廷はせいぜい九州の北部ぐらいしか統治できてない。

景行天皇の息子の日本武尊の代で熊襲退治
86日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:01:54
宇佐は応神天皇を奉ってるけど、二番目に参拝するヒメノオオカミって何だろう?三番目はお母さんだらかわかるけど二番目がやっぱり謎。
87日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:03:47
畿内派のバカタレは、さっさっと箸墓掘れよ
88日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:04:16
倭の国王帥升は誰だ?
89日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:05:24
>>86
日女命、日神のモモソじゃないの?
90日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:09:33
卑弥呼のいた邪馬台国は、絶対に九州である。それも南の方。
大和などとは絶対に違う。
魏志倭人伝をもっと素直に読め。

そして、邪馬台国一族の子孫が東征して、大和朝廷を作り上げたのだ。
それは神武東征に投影されている。
91日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:09:36
箸墓が掘れないと知っているからこそ、都合よくこじつけられる事も計算の内らしいね、ホンマに呆れるわ
92日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:11:03
>>90
そんなの当たり前田のクラッカー
93日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:14:18
>>88
倭国王帥升等

第四代懿徳天皇(大日本彦鍬友命・スキトモ)
94日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:16:27
>>90
記紀読んだら一族の子孫なんか書いてない。
たった数人で何年もかけて奈良の盆地にたどりつき豪族の娘と結婚。

日向宮から来たそいつが天皇系譜の始祖には違いないが、東征なんてもんじゃなく
ただの個人移動。 
95日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:16:57
>>90
もはや化石のような解釈です。
96日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:23:41
でもなんで神武東征なんて話があるんだろうな
それが事実でも、そんなもん消して新しい物語を作ればいいだけだし
奈良の豪族がそのまま大きくなってのちに日本を統一しました。これできれいな物語
になるのに。なんでわざわざ九州の神武に滅ぼされたなんて物語を作ったのだろうか
97日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:25:02
>>90
東征というより個人的な亡命に近い感じ。
記紀は誇張も何もしていない。

ただ当時の日本、特定の王族、一族が血筋により特別視されていたのは
あるっぽい。これは中世ヨーロッパでもあるので自然なことだと思うけどね。
つまり、その一族のいくところ、どこに居ようが王となり支配者になるのよ。

畿内説はモモソ卑弥呼説だろ。 神武天皇は畿内説者は関係ないはずだが。
98日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:43:18
いっぱいいっぱいの畿内派を哀れんでやろうよ、今日からは、なるべく畿内を援護していこう
99日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:46:08
>>96
古事記というのは、稗田 阿礼という天皇家代々に関わる語り部(猿女君族)の
一番優秀とされるものを口伝を書き写し献上したもの。最古の日本歴史書。
『帝紀』『旧辞』の暗誦。

つまりだな、天皇家代々に伝わる伝承なわけ。
だからマキムクの宮殿あとも記紀の崇神天皇の宮の記述に似てるわな。
つまり本当のことだっての。年代のこじつけがおかしいのは明らかだが内容は
伝承そのまま。

>>96 お前みたいな誇張・嘘大好きの朝鮮人と違って、伝承をそのまま書いたんだよ。
100日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:49:19
スイショウは古すぎて旧辞(伝承)には残ってないとオモw
101日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:51:02
>>85
宇佐はまだ完全に制圧してなかったのか
でも八幡、小倉迄は制圧してただろう。

その次の次の
神功は筑後周辺で反乱を押さえてるし、
次のヤマトタケルは佐賀で反乱押さえてるし
筑紫周辺も安定はしてなかったと思う。

102日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:58:20
で、どっちなんだ?

247年=崇神6年

247年=崇神10年
103日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:08:29
出雲大社→巻向宮

これって朝鮮認定じゃね?
104日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:11:42
なんだよ、近畿が朝鮮の起源かよ、純日本人の九州の人達に土下座して謝れよ
105日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:13:37
今まで誤解して、すみませんでしたら、俺達近畿こそ朝鮮です

九州のみなさん、申し訳ありませんでした
106日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:17:18
帯方郡を朝鮮人とは、バッタを飛行機をと言い張るようなもの
107日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:22:27
畿内説が濃厚になったけど
考えると凄い。
船で一ヶ月かかるような場所から
九州まで来て力で抑えるというのが
想像絶する、近畿から大群従えていたのか
それとも中国地方あたりを完全に抑えていて
この方面から物資、戦力を供給していたのか・・
そのあたりの研究ってまだなされてないように思う。
108日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:33:46
魏志倭人伝を素直に読むとするならば、よく言われるように邪馬台国は海の上だ。
放射説だろうがなんだろうが、イレギュラーな読み方はイレギュラーでしかなく、イレギュラーな読み方が正しいと先に証明しない限り、それが位置を示す根拠にはなりえない。
つまりは畿内だろうが九州だろうがはたまた四国だろうが、魏志倭人伝から邪馬台国の位置は特定できないってことだ。

だからこそ考古学的なアプローチでもって臨むわけで。

魏志倭人伝にばかりとらわれてては水掛け論にしかならないよ。
なんとでもこじつけはできるんだからさ。
109日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:52:56
少し感動してる。
学問の追求こそが人類の発展に繋がるってね。
権力で抑圧され、ねじ曲げられた真実も
いずれ確かな学問が解決してくれるのだってね。
これは邪馬台国論争に限らず全ての事に言える。
政治や権力だけでは解決しないって事だ。
110日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:55:52
倭人伝を読まないのなら邪馬台国も卑弥呼も女王も居ない。畿内説などないわけ。
記紀のみの歴史なんだが。それでも巻向はどの天皇の居場所か検討できるけどね。
111日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:02:31
>>108
>魏志倭人伝を素直に読むとするならば、よく言われるように邪馬台国は海の上だ。

全然そんなことはない。
海路の千里をコンパスで計って考えるような分家馬鹿がいただけだろう。
112日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:03:28
安本はどんなほえ面掻いてるだろうか。
113日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:08:58
>>108
一ヶ月という日数で表された距離がどれくらいかはわからない。
古代のことだからね。
現代でも、飛行機で行くのと歩いていくのでは、ぜんぜん時間が異なる。

倭人伝の通りに進んだら、海の上に出るというのは畿内説の距離観。
「だから、南は東の間違い」と言う必要があるから。

隋書には、倭国は、東西五ヶ月、南北三ヶ月と書かれている。
其國境東西五月行、南北三月行、各至於海

南北というと、九州の長さくらいだろう。これが三ヶ月となっている。
必ずしも、海に出るとは限らないな。
114日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:09:37
しかしね、文献ではここだと言い張っても結局水掛け論なんだよな。だから自分の説に自信がある
なら、自分が卑弥呼の墓なり、宮城があると考える地域の自治体に、家土地でも売ってどどんと3
千万ほどふるさと納税でもして、発掘してもらうことだ。ほんとに邪馬台国がそこにあったら、おそらく
元はとれておつりがくるだろう。いや、現状を変えたいなら、自分の説に自信があるなら、この問題に
賭けてるなら、ぜひやるべきだな。
115日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:18:24
>>114
俺が言いたいのは、「海路」を示す千余里を
20世紀の地図をコンパスで計るようなナンセンスをしておいて
その妄想を基にして国際社会からあざ笑われる様な短里とか勝手なものさしを作って
さらには、それに対する本来の距離を長里とか呼称して自分の妄想を肯定しようとする
まったく学者の風上にも置けないような九州説の学者は悔い改めてほしい
ということだよ。
116日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:28:17
今回の発見は
邪馬台国がここだという発見ではないが
今までの九州説を唱えていた奴らの
話が全部嘘っぱちだったという証明には十分なりうるもんな。
記紀の信憑性が証明されたわけだ。

ここから魏志倭人伝を表面部分しかみず、記紀を曲解しまくる
九州説の信頼性を回復する事は不可能に近い。
117日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:31:02
記紀の信憑性は、神武天皇がどこから来たかが
まさに体現してるわな
118日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:32:09
>>117
意味がわかりませんー。
kwsk
119日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:32:33
まあ学者といっても、倭人伝をちょこまか操作して短里だの放射説だの魏使の1日の行程が3km
だの言ってるのは、もはや安本氏などごく少数。絶滅危惧種だよな。しかし、この板を含めヤフー
とかでもアマチュアはいっぱいいる。アマチュア史家の娯楽としては金もかからないし、エロサイト
なんか見るよりはいい趣味といえるだろう。ちょっとした知識があれば、こんな掲示板なら素人をたた
いて、優越感にも浸れるだろうし。ただ、そんなレベル(これは学問レベルということではなく、人とし
ての意志のレベル)で、何かが解決するということはないよ。実際、サガミハラハラの小城甘木説な
んかだったら、あの公園の管理者である自治体が彼の説に十分納得するなら、発掘は難しいこと
ではないよ。市街地とか商店街の下にあるというならこれはかなり無理だろうけどね。
120日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:34:59
omosiroina www
121日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:37:42
>>116
海部氏の国宝家系図の完全偽図説の証明が何よりも大きいね。

存在もしない姫をつくって自分の家系に卑弥呼・台与が居ることにしてたんだから。
さすが、光圀公の目は正しかったな。
122日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:39:09
サガミさんの悪口はやめろ。彼はいい人だ。
123日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:41:46
もし、畿内説のモモソ姫卑弥呼説が確立されてくると
海部氏説者は窮地に追い込まれるが。これも楽しみだな。

それもこれも身から出たサビ。正義は正しい。何が国宝だってw
124日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:49:15
海部氏の、あのチャチな偽国宝が降ろされるまで俺は書き続けるよ。

過去スレみりゃ証明できるけど、俺は3年以上前から
ずっと邪馬台国時代、纏向宮に当時居たのが崇神天皇っていうのと
海部氏系図は嘘だ、ってのは常にブレずに書き続けてきたからな。

まあ他にもいろいろあってブレたのもあるかもだけど、上の2つは同じ。
とりあえず自信。
125日本@名無史さん:2009/11/18(水) 03:27:43
人間あるていど歳とるとブレてはダメだ。
でも、間違いは認めないと悪人になる。
人間歳取れば自分に確固たる自信がないとダメだ。
間違いが許されるのは若い時だけだ。
126日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:39:44
巻向遺跡
ど真ん中に後世の墳墓のものらしい溝があったけど
あれはわざと上から墓つくったのかな?
127日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:54:19
九州に居れば何も知識がなくてもコトバで感じる何かがあると思うよ。
それも文化。
ヒミコの件に触れちゃいけないっていう文化があるのも事実。

誰か、近畿説を民俗学とか言語学も引っくるめて説明してほしいな。
無理だと思うけどwww

128日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:56:34
>>117
天孫降臨がネックになってるんですね、わかります。
129日本@名無史さん:2009/11/18(水) 06:52:05
>>127
畿内いったことがないだろw レベルが違う
130日本@名無史さん:2009/11/18(水) 07:25:09
>>124
単に頑固なだけだろw
自説を証明するなら他のアプローチした方が賢いと思うぞ。
131日本@名無史さん:2009/11/18(水) 07:35:44
おれも纏向宮に行ってみたいよ。
132日本@名無史さん:2009/11/18(水) 09:41:40
大和朝廷の先祖が九州にいたことだけは間違いない。
亡命だろうが、東征だろうが、そんなことはどちらでもいい。
まあ、普通に考えれば、よそ者を素直に受け入れるよりも、戦争で制圧したと考える方が
自然だと思うけどな。
大和と邪馬台(ヤマト)、こりゃ、素直に解釈して一緒だろ。
卑弥呼は天照大御神、弟はスサノオ。
こう解釈すると、何も矛盾は出てこない。
したがって、邪馬台国は九州で決定。

大和の東には海はない。だから、畿内などでは絶対に有り得んのだよ。
あと、陸行一月だが、大阪から奈良まで一カ月もかかるのか?
九州でも、奈良でもそれは一緒なんだよ。
今までの固定観念に捉われている限りね。
133日本@名無史さん:2009/11/18(水) 09:43:11
>>132
東海
134日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:28:28
>>132
出雲や丹波の視点が抜けてるからダメだな。
九州の形跡が畿内にもっとないとその説は矛盾してる。
135日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:38:32
出雲が投馬なら行程の解釈もできるからな。
半島から畿内へのルートはまず海流に乗って出雲へ向かう。
それから琵琶湖から淀川に抜けて畿内へ向かう、つまりこれが鉄のルート。
そして陸行ならば1月掛かると書かれてるんだよ。

投馬と邪馬台国はセットで大雑把な行程が書かれてる訳だ。
136日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:48:56
>>135

かなりいい加減だな。
出雲に向かうまでは海流とおおざっぱで、琵琶湖から先はやけに細かに

典型的な脳内遊びだな
137日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:55:33
出雲が投馬? それじゃ吉備は何国なんだろね。理論も何もなく、大和にちがいないなんて
言われてもなあ。何の根拠もなく信じられる奴は幸せだけど・・・・
138日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:03:01
>>113
なるほどね。隋書には九州の大きさは南北3ヶ月と書いているんだから
魏志の陸行1月では九州からは出ないな。ということは邪馬台国の位置は
九州の北部ということになるね。九州全体の3分の1のところか
139日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:06:28
>>138
それを言っちゃうと畿内派が涙目w
これは持論なんだが
耶馬台国とクナ国は津江村を巡って争ってたんだと思う。
後の鯛生金山あたりね。
140日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:11:50
>>138
あほだろw
九州王朝(笑)
141日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:14:05
九州に邪馬台国があったなら
奈良のまき向の位置づけはどうなる
邪馬台国を中心とする連合国の枠外(外側)の国かな
魏志倭人伝のいう倭とは九州限定になるとか
142日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:14:49
>>134
東海(とうかい、ツカイ)」
 現在でも東海地方と呼ばれている土地がありますが、大和から見て東の海ということで
 東海になったらしく無関係のようです。東山道や西海道、南海道に対応しています。
143日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:17:18
>>138
バカかおまえ。恥ずかしいと思え
144日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:20:56
『隋書』はこの王を妻のいる男性としており、男性の王は『日本書紀』、『古事記』には記
述が無い。『旧唐書』卷199上 列傳第149上 東夷 倭國 においても倭国の王の姓は阿毎氏で
あるとしている。『新唐書』卷220列傳第145 東夷 日本に「用明 亦曰目多利思比孤直隋開皇末
始與中國通」とあり多利思北孤を多利思比孤とし用明天皇としている。

日本では直木孝次郎による多利思北孤は多利思比孤の誤りとする説が通説となっている。また、
推古天皇か厩戸皇子(聖徳太子)のことだとする論者もいる。また、この王を九州王朝の王とする
論者もあるが、査読のある学術雑誌において九州王朝を肯定的に取り上げた論文は皆無であり、
科学的な研究とはみなされていない。

太子名(固有名詞説と普通名詞説がある)のうち利を和の誤りとする説がある。古来の大和言葉
では、原則として「ら行」音は語頭に立たない(万葉仮名では語頭にr音が来ない)ことから、「利」
を「和」の誤りとして「利歌彌多弗利」を「和歌彌多弗利」とする。また、「和歌彌多弗利」を源氏物語
等にもあらわれる「わかんどほり(皇室の血統、皇族 )」とする説もある[4]。なお、『翰苑』には
「王長子号和哥彌多弗利。華言太子。」とある。

145日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:22:03
>>138
あ〜あこれだから九州説が余計に不利になるんだよ。
146日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:22:19
>>137
次に躬臣国あり、 越
次に巴利国あり、 播磨
次に支惟国あり、 吉備
次に烏奴国あり、 穴戸(長門の旧名)
次に奴国あり。
147日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:25:43
>>135
島根の隠岐に都万村(ツマムラ)ってあるけど関係なし?
小さな島だけどイザナギ・イザナミが生んだ事になってる島だけど。
148日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:26:33
古事記では「師木水垣宮(しきみずかきのみや)」、
日本書紀も「磯城(しき)瑞籬宮」と表記。
宮殿の周囲を瑞(=水)の籬(=垣)が巡っていたことが読み取れる。
寺澤薫・橿考研総務企画部長は
「纒向遺跡の中枢域は清らかな水が流れる神聖な空間だったと想像でき、
瑞籬宮の言葉の意味とも重なる」
と話している。


まずは瑞籬宮をさがそうよ!
そのほうがややこしくなくなるw
149日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:34:28
九州説はもうダメボ。
電波しかいなくなった。
150日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:37:12
>>141
>九州に邪馬台国があったなら
>奈良のまき向の位置づけはどうなる
>邪馬台国を中心とする連合国の枠外(外側)の国かな
>魏志倭人伝のいう倭とは九州限定になるとか

倭はおおむね九州限定。外の国は倭種で巻向は大和朝の先祖の地のひとつだな。
151日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:37:36
>>138
陸行1月だけじゃだめだろ。水行10日を忘れては話にならん。
152日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:38:09
>>150
無理ありすぎ
153日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:39:46
>>141
奈良にも邪馬台国と同じ時代に、当然王朝はあったんでしょう
今回見つかった物を見ても平和な王朝だったんでしょう
雨乞いでもしたであろう、ちょっと大きめの掘っ立て小屋
物々交換でもしたであろう、全国各地の土器
平和そのものじゃない
多少の権力争い程度のけんかはあったかもしれないけど
魏志倭人伝伝えるところの戦争戦争に明け暮れてる場所ではないね
154日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:41:20
本当に九州説は終わったということがこのスレでわかるな。
155日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:45:07
>>146
吉備も旁国の一つか? 逆に、出雲には初期の大きな古墳はないな。
ならば大きな古墳があるかどうかは国の大小には関係ないってことか?
となると、何で大和が邪馬台国になるんだろ。


156日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:48:51
>>153
いやいや、大和は平和な王朝があったわけではないよ。
銅鐸祭祀をしていた王朝は、3世紀に入って鏡の勢力に蹂躙されてしまった
んだ。畿内の弥生文化と古墳文化は大きな断絶がある。担い手が入れ替わっ
たんだよ。かわいそうに、畿内は征服されてしまったということだね。
157日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:49:02
いや、九州説が終わったのは10年前くらいだよ
158日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:52:56
隋の時代の日本を九州王朝とかいうやつはアマチュア以下。
159日本@名無史さん:2009/11/18(水) 11:58:32
ゴッドハンド古田(笑)
160日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:05:08
>>153
>ちょっと大きめの掘っ立て小屋

掘立柱とは、寺院建築で礎石を用いるような柱が立つようになるまでは
ずっと建築の主流だった。
「ホッタテ」の発音は共通するが、掘立柱=掘っ立て小屋ではない。
吉野ヶ里遺跡のあの祭殿も掘立柱だ。
161日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:10:49
>>155
投馬=但馬丹後丹波

出雲は邪馬台国連合に参加していない
出雲=倭種の国 (女王国東渡海千余里復有国皆倭種)
162日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:14:17
邪馬台国とは関係のない遺跡が発掘されたのに、、、ただの捏造じゃん

それに乗っかかる畿内派って、やはり信用できない
163日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:20:00
邪馬台国は九州または四国よ
164日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:20:50
165日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:34:52

九州説派はこの調子でどんどん世間からも学会からも孤立してください。
名物内ゲバも忘れないようにね。
166日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:42:30
一般人1000人調査アンケート「邪馬台国はどこだと思いますか?」結果

九州、656
近畿、303
四国、25
沖縄、5
実家、1
167日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:42:39
畿内説者は九州説者を煽ったり、一々ダメだと念を押さないと
崩れそうになるくらい、地盤が流動化しているのか?
惨めなもんだなあ。
「九州説ダメポ」と投稿するだけで
気が休まるのかな?
いや、そうしないと自分が崩れ落ちそうなんだろう。
憐れとしか言いようがない。

ガキに囲まれた畿内説の当然な姿、本来持ってる資質
168日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:43:40
実際に九州説って追い込まれてるしw
169日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:47:20
この邪馬台国の論争を見ていると、歴史資料に詳しいことと、分析力があるということは
全然別のことだとよくわかる。
正直、こんなアホなこと言ってる奴が大学教授か?と思う。

話は違うが裁判員制度もそう。
裁判官や弁護士は法律知識に詳しいだけで、別に人間洞察に優れているわけではない。
だから、裁判員に指名されたら、安心して出掛けたらいい。
170日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:50:09
>>168
本当に追い込まれていると確信しているなら
黙ってスルー出来るはずだが
それが出来ずに一々書き込みするのは
不安な証拠。
或は人として資質に、何らかの欠陥があるがゆえにそういう行動にあらわれる。
171日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:50:54
>>166
何の調査か知らんけど、近畿なんて思っている人がまだ3割もいるのかね。
そんなバカは、早く一掃しなきゃならないね。
邪馬台国の所在地に関しては、これからは、九州のどこにあったかに全精力を注ぐべき。
172日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:51:32
173日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:52:13
>>170
つ鏡
174日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:52:55
>>165は典型的なクズなんだろうな。
社会生活に順応出来ない、極めて特異な性質
175日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:09:25
とにかく邪馬台国は・・・
1.南、南に行く。
2.東に海がある。
3.九州北のフミ国から1300里しかない。

邪馬台国は絶対に絶対に大和ではない
176日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:29:12
陸路一ヶ月なら畿内もありえん。
俺は何度も書いたが、いい加減、倭人が女王国の道を最初から
教える気がなかったってことに気づけよ。
馬鹿じゃねえだろうか、こいつら。
日本でも外国でも昔からどんだけ防衛に気を払ってたかっての。
177日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:38:12
178日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:38:43
>>176
そんなこと言うと、ますます畿内くさくなっちまうじゃないかw
179日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:40:15
>>176
その可能性も十分あるよね。
意図的に女王国の位置を見誤るように伝えた。

もしくは陳寿が単純に方角or距離を誤った。
これは魏志より後世の史書でもよくあることだから、可能性は十分ある。

いずれにしても、魏志倭人伝のいう距離や方角は話半分に読むべきだと思うんだよなー。
180日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:41:57
卑弥呼の墓を掘ればお宝がザクザク出るわけだろう、それなら卑弥呼の墓を知ってても黙っている人もいるわけじゃん

黙って外国のオークションに金印を売ったら罰せられる?
181日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:42:24
>>176
オレも同じこと考えてるよ。
そもそもみんなは、一番便利で近道を行くなどと固定観念で凝り固まっているから、解決できないんだよ。

女王に至る道は、最重要の軍事機密。
大陸の超巨大国家の使節に、そんなこと易々と知らせるわけがない。
いつ攻めて来られるかもしれないんだからな。
道案内は、わざと遠回りで不便な道を案内したんだよ。
そう考えれば、水行陸行の日数の謎は無理なく解ける。
放射説や書き間違いなんかよりも、こっちの方がよっぽど合理的な説明だろ。
182日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:50:25
>>179 >>181
モマエらせっかく燃料を投下してやっているのに 読まないんだねぇ
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_3.html#1-3-30
183日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:00:27
>>182
オレはわけのわからんHPは開かん主義なの。
反論だったら、要約してくれ。
184日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:05:01
>>178
その論は、畿内とか九州とかは関係ないし、どちらでも言えること。
185日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:17:42
>>184
九州にマキムクに匹敵する遺跡があったらね
186日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:47:57
>>141
おれも、倭国(邪馬台国を中心とした連合国家)は北九州一円の事だと
認識していた。倭人伝をどう読んでも、日本国全体のこととはとても思えないが?

書記の成立時点ですでに500年もたっており、その後の邪馬台国の
盛衰など残っていなくても不思議ではないと思う。

ただ、神武天皇が九州を出発して東征したと記述してあることから
大和朝廷のご先祖様は、九州から来たことは確かだろう。
少なくとも、もともと奈良盆地に住んでいた人々が王朝を
打ち立てたのではないことは、確実だと思われる。

187日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:21:30
>>181
それくらい外敵を警戒してるのに、マキムクに防柵などの防御施設もさして無いってのが引っ掛かるわ
吉野ヶ里なんかはかなり厳重な備えや戦乱の痕跡が残ってんのにね
同時代が明らかに物騒な状況だったのは間違いないし、使節にデタラメな地理を教えるくらいの
警戒なら、女王国にはさらに強固な備えがありそうなもんだが
以前には大乱があった上に、巫女王を立てて周辺の有力国を纏めてるくらい不安定な国なんだから
188日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:38:43
>>136
南としか書かれてない時点で有り得ない位大雑把ですよw
それで一月とか何処に行くんだ?
189日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:44:27
>>187
だから巻向はまだ発掘中ですよ。それに
推定の大きさは藤原京に匹敵すると言われてますから。
190日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:53:20
>>189
どっちみちマキムクと邪馬台国は結びつかない。

191日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:56:00
>>189
んならこれから強固な防柵の類が周辺から出てくるわけね?
そういうのが片鱗すら見せてないのに、なんでこの段階でマキムクが平城京に匹敵する規模だと
断言してんの?
192日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:10:30
>>191
大規模な工水路跡が見つかってるからじゃないの?どっちにしろこれからだろうな
193日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:12:04
>>188
南へ行けばいいんだよ。わかりきったことだろうが。
194日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:16:37
>>187
181のように推理したうえで、邪馬台国は九州だと思っている。
巻向は邪馬台国とは何の関係もない。
175と合わせての考え。
これで九州は、方角距離日数何の矛盾もなくすべて説明できる。

大和では、175のように、絶対に説明できない点がこんなにある。
それに対して大和論者は、南は東の書き間違いだとか、東の海は伊勢湾だとか、
まったくもってバカバカしいこじつけの説明をしている。
195日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:21:58
>>193
沖縄でも台湾でもお好きにどうぞ。
196日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:24:11
巻向に防柵とかの戦乱要素はないな。
ついでに首都でもない。
あえて言うならかなり特殊な祭祈場所なのか

市や首都だとしたら、ごく近い周辺に生活痕跡が出るはずだと思うんだ

何の建物なんだろうね。
197日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:24:27
日曜日にNHKで学者が言ってたよ、「マキムクには防柵などはありません、それが卑弥呼の宮殿である証拠でもあるのです」

みたいな事、言ってたじゃん、卑弥呼が乱世を治めて戦いがなくなった、平和な国に防柵は必要ありませんってハッキリ言ってたじゃん

こういうありもしないような話しを平然と畿内説は、するから信用ならんのだよ
198日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:28:38
>>175
邪馬台国まで1300里なんて何処を読んでも書いてません。
よって根本的に 間違ってますね。
199日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:31:53
>>198
12000マイナス10700だよ。
あと二つへの反論は?


200日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:35:49
>>198
万二千余里は女王国たね。邪馬台国ではない。
これを混同すると妙なことになる。
北九州から邪馬台国までは、放射説でも水行10日、陸行1月だ。
これが1300里とか1500里なんて距離でないことは明白。
だが、>>175が言うように、邪馬台国は南だ。これはごまかしようがない。
東に海があることもそのとおり。となれば、九州であることは動かない。
201日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:37:59
>>192
そう、このマキムクの防衛は水と背後の山を使った、この時代では稀な宮殿の可能性が強いのさ
稀っつうかこの時代の遺跡では他にない防衛思想で作られてると見る
たいていは吉野ヶ里のように平地を見下ろし、周囲に厳重な防柵と空堀を二重三重に配置した
小高い場所で厳重な備えを意識してる
マキムクも周囲より若干高い場所ではあるが、これは防御よりも水害への備えだろう
おそらく防御施設が出てきても、それは吉野ヶ里のようなものじゃなく、周囲に
川や防衛拠点を配して連携して護るような、防御思想としては全く新しい物が出てくると思うよ


>>197
同時期の遺跡がいかにも戦いを意識した様式なのに?
しかも大乱の末に立てた女王だよ、その場所が平和だから防御を意識していないなんて、一体どう説明するんだ?
202日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:45:06
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091118STXKD008518112009.html

箱式石棺の内部を調査 九州最大級の方形周溝墓
 北九州市小倉南区の城野遺跡で、九州最大級とみられる弥生時代終末期(3世紀)の方形周溝墓が
確認され、市教育委員会は18日、この墓から並んで出土した箱式石棺2基のふたを開けて内部を調査した。
 石棺は板石を組み合わせ、白色粘土で目張りされていたが、すき間から酸性土が入り込んでおり、
人骨は見つからなかった。市教委は鏡や鉄製品などの副葬品がないか、さらに詳しく調べる。
 市教委によると、方形周溝墓は周囲をコの字形の溝で囲まれ、南北23メートル、東西18メートル
ほどの規模。
石棺2基は、長さ170センチと160センチほど、幅100センチと125センチほどで、高さはいずれも
約50センチだった。
周囲にはつぼが1個供えられ、魔よけのための赤色顔料が薄く敷かれていた。
 北九州市芸術文化振興財団の宇野慎敏学芸員は「これまで城野遺跡など三つの弥生集落が別々にあると
考えられていたが、方形周溝墓に埋葬された有力者が一つに束ねて拠点的大集落にしたのではないか」
と話している。
203日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:46:22
投馬と邪馬台国はセット。畿内への鉄のルートだよ。
南〜南は帯方郡、もしくは半島の先からの行程だな。
だから大雑把に南と記述してある訳だ。

12000里については宇佐か長門までの距離、ここも女王国だからね。
東海、倭人の伝聞情報で、女王国では東は間違える訳がないので伊勢から先の海だよ。

まああと何年か後にはこれがほぼ結論になるよ。
204日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:52:08
>>197
ゴメン、レスを良く読んでなかったわ
あなたの言うように、今まで推測されてた女王国の様相からだと、マキムクは有り得ない思想で
作られてるよね
篭っての防御は想定していないだろう、背後に山を配した平坦地の立地は全周防御を明らかに放棄している
205日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:56:06
>>203
東渡海千里の方角がまちがえるはずがないなら、それまでの南だって
まちがえるはずはないな。
206日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:01:05
>>205
南は中国から視線、女王国東は倭人視線なんだよ。
伝聞情報だったらね。
207日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:15:03
>>205
すでにこの時代、中国の帆走船舶は簡単な方位磁針や天測技術を持ってる
こういう船舶が安定して帆走可能な水域ならわりかし方位は正確
帆走中なら速度を測定する技術もあったから、夜間でも推測航行可能だろうな
距離も正確性は無いにしろ測ることは出来る
もし倭船に乗り換えて九州沿岸を南下とかなったら、手漕ぎメインの船で昼間地形照合航法に
なるから、方位もかなりあやふやになるかもなぁ
208日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:16:00
>>206
都合のいい視線だな。
しかし、中国からの視線ならば、会稽東冶の東ってあるじゃないか。
女王国以北だって女王国の北が奴国、伊都国だってことを示しているんだよ。
まあ、そんなくだらない弁解をしないと畿内説は説明がつかんということだ。
209日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:19:12
白村江のように船団率いて軍隊のせて喧嘩するだけの
外洋航行技術があったのに

遣唐使では命がけの航海になっている。
玄界灘の経験が殆ど無いとしか思えない。

政権が違っていると考えた方が良い。
210日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:23:32
>>209
それはどちらも大和政権だけど
211日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:27:07
最近やたらと幼稚園児の参加が目につくな。
レスが小便臭くてしょうがねえ
馬鹿な畿内支持者が九州支持者を煽るし
書けば感想文や思い込みの羅列だし
212日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:32:46
さすがに方角だけは間違えないだろう
213日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:35:26
今回の発見は邪馬台国同時代に
崇神朝が畿内にあったとの証明なんだよ。

これで全ての答えが出る。
九州説の根幹が瓦解強力な威力だよ。

九州説は天孫降臨、神武東征、魏志倭人伝の
表面的理解という小学生レベルの水準だからな。
理解出来るわけがないよな。。
214日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:38:35
>>212
日本の一番北が九州だと思われていた時代。
適当にごまかさないとキチガイ扱いされるだろ
頭悪いな・・・九州説の奴は・・
215日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:50:48
畿内説は一貫して大きな間違いが指摘されていない。
一方、九州説は次から次と出る真実に
嘘を嘘で固める言い訳に走るしかなくなりつつある。

216日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:56:10
>>214
そんな時代なんかねぇよ
217日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:56:41
>>214
はい?めちゃくちゃな事言うなよ、畿内論者はハチャメチャ、一切信用できねー
218日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:07:04
>>217
今まで信用してたのか?
そりゃあ余りにも無茶だし、お人よしにも程がある。
219日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:07:54
>>211 >最近やたらと幼稚園児の参加が目につくな。
>レスが小便臭くてしょうがねえ

激しく同意
ある程度まともに最近の史料とか読んでるヤツは邪馬台国論とか、
ヤマトの成立とかのパラダイムが根底から変わったのを理解して
いるので、こんなくだらない板にカキコしている暇はない。
               ということだろう。
220日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:19:19
>>212
つ済州島
221日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:20:42
>>219
爺になった証拠だよ。
222日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:32:34
方角を間違えたのにどうやって帰ったんだろう。
223日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:47:23
>>222

・単純に編纂の時の記載ミス

・一定方向への潮流や風に流されていたため、実際の進行方向と進路&航跡を誤認。
帰りは逆方向への風待ちをして帆走したので、偶然にも勘違いのまま帰れた

・実は済州島ではなく別の島だった


理由ってこんな感じ?
224日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:51:15
経験上、日常の道案内で方位を言う人は意外と少ないし、そんなものじゃないかな。
「まっすぐ進んで○○を右」とか。
俺としては地図を見ているので、方位を言って欲しかったりするのだが。

正確な地図や地理が分からない場合、ランドマークこそ重要で、
方位は大して重要な情報じゃないのかもしれん。
225日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:56:55
>>224
アホか、普通は方位だろうが、適当な事を言うなや
226日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:59:20
http://www.iokikai.or.jp/tizu42gissinowazinden1.jpg
昔の中国の地図。
九州が一番北。
227日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:03:47
九州がより南にあるのは強い対馬海流の影響を考えて無かったからかも
本州に至っては伝聞でしかないから南にある。
228日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:04:45
>>194
東海
229日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:05:33
同一時代に畿内に崇神王朝があった。
これだけで九州説は崩壊してるというのに、
頭悪い九州説の奴は気づかないんだよねw

死ぬまでに気づくといいねwww
230日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:06:26
>>226
お前が書いたんだろうが、いい加減にしろ
231日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:08:28
>>213
同意。太陽神信仰。太陽神の妻となり、神が宿った倭迹迹日百襲媛。符号が一致してる。
畿内で決定。
232日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:08:33
>>230
この地図は写しだけど、
当時の中国では九州が一番北というのは
この板の常識だぜ。
233日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:11:17
234日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:12:40
>>232
んなわけないだろうが、お前は、自分の頭で考えれないのか
235日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:13:56
>>219
その割には、あんたもこのスレ読んで、書き込みしてるじゃねえか。
つまり、あんたも同類ってことよ。
236日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:17:24
>>226
お前ら、この糞地図みて気付かないのか?!九州てなんだよ、本州てなんだよ

アホ草
237日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:17:51
>>233
よく見つけて頂きました。
俺がみた地図と違うけど概ねこれ。
昔の中国では九州が一番北にある。

一番北に九州があると認識してる
中国の中枢に東に水行20日と言った時点で
おまえバカか?で
左遷決定だぜw
238日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:19:07
239日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:20:04
>>233
その地図は見ればわかるとおり、明代のモノなんだよ。
つまり、魏の国から1000年以上も後の地図だ。
で、そんなはるか後世の地図を、魏の時代の人が見ているはずないのに、
魏の時代には、日本は南北だと思っていたと決めつけているわけ。
240日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:20:32
そんなのどうだっていいじゃん

縄文遺跡が発見されている場所

北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県
茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県
新潟県・富山県・石川県・福井県・山梨県・長野県・岐阜県・静岡県・愛知県・三重県
滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県
鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県
徳島県・香川県・愛媛県・高知県
福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県
241日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:20:38
>>232
ただたんに九州に見えるだけだろう。
九州なんて何処にも書いていない。

思い込みが過ぎると幻想の世界がひろがるようだな
242日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:21:58
魏代の地図が明代の地図より正確だとはどうも思えんなぁw
243日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:22:53
>>235
他人を巻き込まないと不安か?
一人ではトイレにも行けずに、トイレの時には必ず他人を誘う

あれだな
244日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:23:30
>>241
対馬、壱岐から下ったところの伊都、奴だよ。
九州なんて名称は当時ない。
おまえもホント心底頭悪いな・・w
245日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:25:33
>>232
常識なんかじゃなく
オマエの思い込みが、常識とさせているに過ぎない。早くそれに気付けよ
普通の社会生活出来なくなるぞ
246日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:27:14
>>243
ほら、また、そんな下らん書き込みして。アホちゃうか。
247日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:28:31
>>245
社会の常識からいくと
正しいとしても中国の中枢から渡された地図が
http://azure-way.air-nifty.com/kioku//media/img_20060502T235233538.jpg
これだったら仕方なしに適当に修正して報告しないと
キチガイ扱いされて左遷だろうが。
それが社会の常識ってもんだ。
248日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:28:52
>>227
さて地図の信憑性はどうか、航海用として同様の物が使われてのか検証が必要なんだろうが・・・

まぁいいか、とりあえず仮定で推測するべ
この地図が正しいとすると、対馬海流と日本海半ばまでは春の大陸風、列島に近付いてからは
太平洋からの西風に強烈に流されてたと推定できるね
この当時の帆走は追い風以外に対して、進路を保つのは舵と帆の向きだけが頼り
一定のペースで流されると進路を誤認した可能性は考えられるなぁ
中国船が決まった季節しか九州に来航してなかったとかなら、十分に有り得るね
初春に日本に来航し梅雨前に戻る、もしくは初秋に来航し晩秋に戻るというスケジュールになる
249日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:31:48
伊都国より東の本州が、わからないわけないだろう

地図のズレだろう、北海道を無理やり九州に当て嵌めるなよ、屁理屈論ばかりが目立つんだよ
250日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:33:14
>>249
頭堅いなwww
おまえらじゃ学問や科学は無理www
251日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:35:24
明代には、中国の海賊の首魁なんか日本によく来ていただろうに
地図は杜撰なんだな。

鄭芝竜なんか、平戸で日本女性に鄭成功を生ませてるのに。
252日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:40:09
>>251
中国本土もずれてるぜ。魏なんぞもっとひどいだろなw
253日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:40:58
>>250
アホか、航海してればわかる話しだろう、口頭で漁民にも邪馬台国の話しを聞いてるわけだよな、頭が堅いのはお前だよ。
指をさして、どっちの方角ぐらいは聞いているだろう。塚、屁理屈を学問と呼ぶのはゴッドハンドの布石かなんかだろう
254日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:45:49
仮に帯方郡使が夏至のころ唐津(末盧国)に上陸したとすると、夏至のころは太陽は糸島半島から昇って
くるそうだ。
255日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:45:53
>>253
まぁ・・・同じ季節に似たような船が誤認っつう偶然が重ならないと・・・
何度も交易で行き来をしてたろうから、いずれ誰かがおかしいと気付くわな

つうか聖徳太子の時代にはもう、日本は中国大陸の東にあると知られてたわけだし
256日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:47:07
志賀島の金印を贋作とか言っている奴らからすれば、地図は本物らしいな(笑)

倭人伝は信用ならないとか言っている奴らからすれば、地図は本物らしいな(笑)
257日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:47:54
>>253
道が目的地までまっすぐ続いているなら別だが、日本だしなー
道がその時点で指してる方向さすんじゃね?
258日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:49:44
>>253
ゴッドハンドって古田さんの東日流三郡誌のこと?今頃あせって古紙買いあさってるかも。
259日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:50:12
例の明代の地図の話が出てきたから、君たちに素晴らしいことを教えてあげよう。
これは、決定的な論証だ。反論の余地はない。
魏の使者は、絶対に後代の明の地図は見ていないし、行基図も見ていない。
また、少なくともそれらと似たような南北逆さまの日本列島を描いた地図も、
魏の時代にはなかったはずだ。
これは断言出来る。
なぜ、そう言えるのかというと、答えは魏志倭人伝の中にちゃんとあるんだよ。

その理由は後ほど。


260日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:51:50
ワッフルワッフル
261日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:52:12
262日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:55:36
>>225
いや、俺は方位で説明してくれた人に会ったことは無いよ。
方角を聞く事もあるが、答えられない人の方が多い。
魏使は探検家じゃないし、道案内もついてただろうから
方位なんて知らなくても往復には問題ないだろうな。
263日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:57:02
>>259
まあ、そうだけど、ちゃんとわかるのは、233、238ね。
264日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:57:29
>>261
航海していれば、わからんはずがない。新潟にでも行って確認してこいや
265日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:00:11
>>262
ちょっと聞きたいんだが、魏の使者(報告者)はなんで、壱岐は南の方向にあると思ったんだろうね?
266日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:03:33
>>264
まぁまぁ・・・熱くならんと
さすがに中国船が新潟まで行ってたら間違いに気付いたろうが、今んとこは北部九州までしか
来てなくて、他は伝聞だったっつう仮定で話進んでるから
267日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:03:43
>>262
ちょっとごめん。質問の意味はこうだよ。
「壱岐の方向を南だと思ったのはなぜか?」という意味ね。
268日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:08:35
伝聞でたぶん地元の人はたぶん東だと言ったのだろうな。
でも、中国の中枢に東にいくなんて報告できないだろう。
あの地図で。
269日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:09:09
そうだな、厳原からは東南なのになんで南と思ったんだろう。
270日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:09:33
>>266
あれか、漁民も実は邪馬台国の事を知らない、のに知ったかぶりをして話したのを真に受けたつー事ですか?

では、水行10日とかは一体なんなんだつー話しだよな
271日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:11:08
>>264
「帯方郡から女王国まで万二千余里」と書いた後に 「その道のりを計るとちょうど、会稽東治の東に当たる。 」
とかw 沖縄か台湾になっちゃうぞ。この時点で狂ってる
272日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:12:28
>>269
そこまで、厳格に考える必要はないよ。でも、大方としては南で合ってる。
オレたちだって、沖縄は九州の南にあると思っているだろ。それと同じ。

それより、方角を何を根拠に見定めてたのか?、ということだよ。
273日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:13:15
>>267
>>262じゃないが
船が海流と風に流されて北へ大きく弧の時に膨らんだ航路だったかもしれん
しかし乗組員は真っ直ぐ南東へ進路を取ってるつもりだったと

まぁ、それにしてもズレすぎだが
274日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:14:06
>>271
あるかもなW
275日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:17:48
魏志倭人伝は書いている本人が日本の位置が沖縄もしくは台湾あたりに位置してる認識であるという
方向音痴ぶり
276日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:19:15
>>271
あれは狗奴国の本拠が伊都から12000里ってことだろ。
そこまで攻め込むから援軍や金をくれって話だ。
魏志倭人伝は軍隊の見方で見ないとダメだな。
277日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:21:15
つまり「放射」とかのご苦労な解釈の入る余地もない。
陳寿自身が「あの文まんま」の方向感覚なんだよなw
278日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:22:25
九州から近畿のルートの瀬戸内海は無視
279日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:22:35
>>275
それは、違うのよん。
絶対、絶対、絶対断言出来るよ。
答えは、ちゃんと魏志倭人伝に書いてるのよ。
書いてる本人が、日本の位置をそんなふうに思うはずないのよ。
280日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:24:16
「あれ、そのまんまだと日本越えて海にいっちゃうぞ???これはおかしい」
なんて考える必要なかったんだ。チンジュさんの認識だと沖縄だったんだね。

新しい町おこしだ。がんばれよ沖縄
281日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:30:59
ここは小学生の意見交換会かよ?
282日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:33:27
>>272
韓国からまっすぐ倭国に向かっている感覚があったか、
太陽で判断したか、たまたま合っていたか、
伝聞情報が比較的正確だったか、
理由はいろいろ考えられるけど。

陳寿が見た記録は我々は見る事が出来ない。
「倭人伝」は領収書の無い会計記録みたいなもので、
検証可能性がほとんど無いんだよな。
283日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:34:20
もうちょっとレベルの高い議論をしたいんだけど、
自分の考えと違うとなると、すぐに相手を罵倒する輩がいるんだよ。
歴史のひとつのテーマとして、議論を楽しくすればいいと思うんだけどね。
別に九州だろうが、畿内だろうが、それで損得があるわけじゃなし。
284日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:37:19
福岡に土地勘ある人なら分かると思うけど
奴国から東に100里(あくまで伊都と奴国の100里と同じ距離)
で宇美に付くんだがここから倭人伝は南へ水行20日と
書いてるけどこれ明らかに宇美に行った事が無い人の
話だよ。宇美って陸地の真ん中。


このあたりどう解釈する?
285日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:39:07
みんなすごいな。
俺は北岸というのを見た時点で匙を投げたくなったぜ
286日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:41:27
マキムクには防柵が見当たりませんね、1000人の召し使いをつけ、接近は弟のみの厳重体制の中で防柵がないのは、何故?
287日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:41:36
>>282
常識的に考えて、太陽しかないと思うんだよ。
まあ、他にも方法はひょっとしたら発明していたかもしれんが、
太陽が重要な手段であることは動かせないと思う。

当時の人間の感覚だと、海を渡って見知らぬ土地で、方角がさっぱりわからないというのは、
かなり怖いことのはずなんだよ。
だから、使者の中には方向の専門家もいたはずだ。
もっとも、道案内は倭国の人がしたはずだけどね。

そしたら、朝鮮半島と海を渡るときには、一応正確な方向を行ってるのに、
九州に上陸した途端、方角がまるでわからなくなる、そんなことがあり得るかってことなんだよ。

288日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:42:46
中国から見たら九州が日本の最北と考えるのは無理もない。
289日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:43:35
白村江の戦いは倭国と百済の負けだったんだが何故唐は朝貢するようにとか監視役を置かなかったか?大和朝廷は唐と国交があって白村江の戦いのさいに東から攻め入り倭の戦力を裂き唐の援軍と共に倭を攻め滅ぼしたんやないか?
290日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:43:37
もんたくんが名無しで書き込んでるw
291日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:44:05
魏使は皇帝の詔書を渡しに来たんだろ
卑弥呼に接見せずには帰れんだろ
卑弥呼は使者の前に膝立ち低頭し、首から下げた玉類が音を立てないよう左手で握りしめて詔を聞いたはずだ
292日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:44:39
>>284
宇美と海を間違えて解釈している、お前が痛い
293日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:44:41
>>284
フミ国は、そんな場所(宇美)ではありません。それが正解。
それしか解釈がないでしょ。
294日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:45:22
方向の専門家ってどんな役職なの?
295日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:48:49
>>294
別に深い意味はないよ、
でも、使者の一行が方向音痴ばっかりだったら、さすがに具合悪いだろ。
296日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:49:43
流石に何度も来てれば九州は一番南にあると気づくだろうが、
文章みると九州以外行ってないよな。
台与の時代まで書いてるのに。
しかし、隋書では事細かに書いてある。

なぜか?
倭国大乱の中にあって日本国内を旅する事が危険だったからだと
俺は考えている。
297日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:50:22
>294
簡単に言って太陽や星・星座の位置で方角が分かるヤツってことだろ。
298日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:50:43
>>293
ではどこだと思う?
299日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:52:12
>>284
今の福岡に土地勘のある人なら想像つかないかも知れんが、当時は板付空港から太宰府ICの辺りは
海岸でな・・・海進期の最後の頃なのよ
太宰府政庁跡辺りから眼下に入江が広がってたりする
300日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:52:22
>>293
行ってないという解釈が出来る。
301日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:53:31
中原みたいに広々してる中国自体の地図が古地図見ると歪だしな。
比較の話だが、そんなに陸図に比べて海図を必要としなかった古代中国の測量屋が、
山と海の複雑な日本の地形を正確に量れたとは思えない。
302日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:53:54
>>299
仮にそれが正しいとして
水行20日はどう解釈する?
303日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:55:38
甘木あたりは全然掘れてないだろう、あの辺を集中して掘れば、何かしら出てくんじゃないか?!

埴輪しか出てこないだろうけどな
304日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:58:43
九州説は宗像大社の沖ノ島を調査すれば、年代的にはハッキリするんじゃないの?!
305日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:59:02
>>302
海岸沿い、一部は川かも。
306日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:59:27
>>299
>今の福岡に土地勘のある人なら想像つかないかも知れんが、当時は板付空港から太宰府ICの辺りは
>海岸でな

空港の近く金隈から遺跡でるのに?
空港と太宰府行き来した関東人、関西人らしい意見だな。
307日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:00:32
>>305
そういう突飛な事いう時はせめて証拠だして
話そう。小学生の会話だろ、それじゃw
308日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:01:59
>>299
そうかもしれないね。
大宰府を陸からあんなに離れた場所に置くのは不自然だよ。
大陸との中継場所なんだから。
309日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:04:01
>>302
アホか。
水行と言えば、船で進むしかないだろ。それ以外の何があるんだよ。
310日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:04:56
九州説の人は水行10日陸行一月をorで見て九州だと言うよね。
それなら畿内説でもorで見れば投馬国(岡山の辺か?)まで水行二十日、
そこから水行十日か陸行一月なら畿内説でも陸行一月は矛盾しないと思うんだが。
でもそうは言わず陸行一月は大阪からだとありえない、とかそればっか。
311日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:05:21
>>302
いや、俺は宇美町だと考えてないんで
つうか畿内説だがマキムクが卑弥呼の宮殿ではないと思ってるだけでね
それと当時の海岸線や河川を、今の地理に単純に当て嵌めちゃダメダメよって話
312日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:06:10
309の中の>>302は、307の間違い。
313日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:08:19
まともに考えてマキムクの発掘が卑弥呼の宮殿だと思っている人はいない
314日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:08:57
伊都ー百里ー奴国(那珂)ー百里ー不弥

不弥の可能性として上がるのは宇美か香椎。
宇美なら水行20日も南への方向も距離も間違いだが
香椎なら方向は間違えてるが水行20日で出雲あたりに着く。
そっから更に10日船で日本海沿岸の丹波あたりに
下りそこから陸行一月で邪馬台国。

これが正しいとしても使者は邪馬台国には行ってない。
伊都、奴国の描写が生き生きとしてるが、
邪馬台国の描写は伝聞性が強いとみてる。

315日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:09:02
>>287
海と陸は違うし、可能性で言えばあり得るだろ。
伊都国だって多数派によれば90度違ってるわけだし、
近代装備で固めた現代人も遭難することだってあるのだから。

我々が見る事ができるのは「倭人伝」だけで、そこには陳寿の判断が含まれている。
一つの報告が正確でも他の報告が不正確ならそちらを採用する可能性だってある。
裸国や黒歯国なんてのは山海経に出てくる国で、陳寿が参考にした資料には
怪しいものも含まれていた思われる。

邪馬台国との外交記録は俺は信用してるけど、地理はあまり信用してない。
316日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:12:44
>>313
どっこいたくさんいるぜ
317日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:13:01
不弥はどこで南へ水行20日とはなんだ?
伊都と奴国の場所はほぼ議論の余地ないはずだ。
318日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:14:26
>>316
うん、ラジオで言ってたよ。釣られている人達が多いんだってさ
319日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:15:55
>>306
あのなぁ・・・板付空港って下を掘ると砂なんだよ、広い砂浜の跡
東平尾のあたりが海岸線でな
地元の人間なら博多湾の海進期の推定地図とかネットで探せると思うからさ
金隈の遺跡も小高い場所にあるだろ?
だいたいそういう場合、普通は板付遺跡とか出すんじゃないか?w
320日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:16:02
意味のない変な煽りしてるやついるね。
321日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:16:13
ここは福岡の土地勘と照らし併せていこう。
空港あたりは遺跡でるから海岸ではない、
太宰府インター付近まで仮に海岸線だとしても
そこから川を上っても宇美あたりの山に登っていくだけだ。
322日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:17:14
>>315
だから、朝鮮半島では、東へ南へと正しいでしょ。
それに海と陸は違うと言うのは、どういうこと?
太陽を方角を見定める手段だとすれば、海でも陸でも変わりないと思うが。
それと、伊都国は確定しているわけでもないし、それが90度違っていると言われてもなあ。

これは、記載が正しいかどうかの問題じゃなくて、魏の人が何を根拠に方角を見定めようと
したのかの問題なんだよ。
そして、その方法を使ったとして、何で海と陸で違うのかってこと?。
323日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:21:28
>>319
出来ればソース。
仮にそうだすると水行20は
海岸沿いに行って投馬が
出雲周辺という俺の説がかなり信憑性持つ事になるが・・
324日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:21:51
>>322
わかりきったことだが太陽の昇る場所は夏至と冬至の間では約60度違う。
おまけに道がまっすぐではない。測量して求めたのならいいが、他国だし無理
325日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:24:36
>>322
伊都国は確定しているが、このドアホW
326日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:27:27
>>323
モシモシにそんな過酷な事は言わないでくれw
以前教育委員会が博多湾の弥生期の海岸線図をネットで閲覧可能にしたはず
自力で探してくれw
327日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:28:26
>>324
夏至と冬至の差ぐらいなら、当時の人も解っているだろ。

夏至の時に行ったのなら、夏至の太陽を基準に考えればいいんだし、
冬至の時に行ったのなら、冬至の太陽を基準に考えればいいだけだ。

太陽を見てるんだから、道がまっすぐでないとか、そんなことは理由にはならない。
魏でも倭でも、太陽は東から昇るんだろ。
328日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:30:04
>>325
多数派ってことは確定していないということだろ。キチガイめ。
329日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:30:46
>>284
その点については俺もちょっとだけ悩んでいる。
現在の俺の考え方は、まず到着点のウミを「海」と解釈して現在の行橋市
の海岸(景行天皇が上陸したところ)に比定する。
伊都国からここへ到達するための最短コースはほぼ現在の201号線沿いになる。
問題は、途中の奴国がどこかという点にある。 奴国と言っても二万戸も
ある筑紫平野全体を指すわけで、最短距離の篠栗町から飯塚へ抜けたのか?
それとも遠回りをして筑紫野から通りやすい冷水峠を越えていったのか?
それによって奴国として比定される集落の場所が違ってくる。
篠栗? 須恵? 太宰府?筑紫野?
330日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:32:38
>>328
確定してるんだよ、このドアホが、そこから更に捏造を考えている、テメェがキチガイだろうがW

このキチガイが、冗談は顔だけにしろ
331日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:33:06
>>325
おい、そこのバカ、伊都国の場所はどこで、どんな遺跡が発掘されたのか言ってみなよ。
332日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:33:31
>>313
橿考研だって瑞籬宮だという見解ですよw
333日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:36:15
>>332
mjd?
近畿厨ざまぁぁぁwww
334日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:36:19
>>330
これは失礼。キチガイにまともに答えたオレはホントに迂闊だった。
335日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:37:04
>>331
くぐれや、このドアホがW

お前、脳みそに蛆が糞わいてんぞ、ボケ
336日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:38:23
>>327
でもチンジュの認識が方郡からは一万二千余里であり、「会稽東冶の東にある」ということだから
台湾か沖縄だぜ? 道がまっすぐでないと距離がはかれんだろうに。距離が測れないと東か西にずれる。
中国本土の地図だって歪んでるのに正確な距離が測れたとは思わない
337日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:39:35
>>335
はいはい。そんなに興奮しないでね。伊都国のことなんかで。
で、何の遺跡も発掘されていないわけね。
じゃあ、伊都国は未定ということでOK。
338日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:41:12
>>335
はいはい。そんなにゴリラみたいに興奮しないでね。伊都国のことなんかで。
で、何の遺跡も発掘されていないわけね。
じゃあ、伊都国は未定ということでOK、了解!!。
339日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:41:49
>>337
発掘されてんだろうが、死ねよカスW

このキチガイがWWW
340日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:42:21
洛陽と[憺(にんべん)]耳・朱涯との距離がおよそ一万里に対して韓は方四千里と記載
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/gisimap.png
おいおい
341日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:43:59
>>340
有明海か
342日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:45:19
魏志倭人伝の東夷に関する方向・距離感覚は狂ってると結論できるな。
343日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:47:10
伊都国の出土品は九州国立博物館にあるよ
国が認めてんだよw
344日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:47:45
>>329
行橋を不弥としたら伊都との中間点は飯塚、穂波あたり。
ここに福岡の大国である奴国があったとは考え難い。
それに奴国は筑後平野ではないと持ってる。
神功や筑後風土記で何度も大和と対立しているから、
せいぜい、太宰府、筑紫野(旧御笠郡)か
最有力は旧那珂郡である春日市、博多区那珂周辺だろう。
345日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:48:40
>>337
貴方は畿内論者ですね、頭が悪いですね。
346日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:49:14
>>336
いや、そういうことじゃなくて、太陽は東から昇って西に沈むという
ことさえ頭に入っていれば、どこにいようが、大体の方角はわかるんじゃないかっていうことだが?
347日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:50:33
あの場所の宮司さんが国造りについて語り始めた模様です
九州ならわかるとおもいます。
ググってください。
348日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:52:36
>>343
なんで、それが伊都国の物だとわかるの?
学者が適当に判断した伊都国の比定地から出た物を、そうだと決めつけているだけでしょ。

349日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:52:44
中国の宮廷建築は正確に南北の基軸線で造られているものが多い
平原でも南北線を出せるからこそ可能な訳だろ
何を今さら
350日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:53:00
心あたりは二つあるがわからんw
@九州
351日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:54:06
>>345
オレは九州論者だ!。
352日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:54:45
>>348
学者レベルじゃないでしょ?
まあ、そういう事。
353日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:55:31
>>345
そうだ、俺は畿内論者だ!
354日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:55:58
福岡県糸島郡、前原市、福岡市西区(旧怡土郡)

これですね
355日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:58:42
伊都国に意義を唱える人など、今更いないと思っていたが、、、キチガイがいた事にはビックリですわ
356日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:00:12
神功が宇佐から筑前大分(穂波町)を通りしょうけ越え(しょうけ峠)で
御笠川に入ったんだよ。その後、甘木の白羽隈鷹を討っている。
その時に言った言葉が「吾が心安し」で夜須
今だと筑豊から夜須に抜けるルートは冷水峠が一番近道だが
当時はしょうけ峠を越えた所みると冷水はまだ開発されていなかったか
冷水を羽白熊鷹に抑えられていたかいずれか。

奴国界隈から筑豊に抜けるには現在では八木山峠、しょうけ越え、
かなり遠回りで冷水がある。
357日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:02:41
俺がルール指定する。
一般的にみてほぼ正しいと見られている事に反論する場合は
確固たる証拠をみせて話せ!
358日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:03:24
ちなみに、マツロ国も東松浦半島などではないよ。
たから、当然伊都国も違ってくるのよ。
お前ら、固定観念に捉われ過ぎ。
もう一回、頭をクリアーにして、魏志倭人伝を読んでみな。
359日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:07:03
>>344 最有力は旧那珂郡である春日市、博多区那珂周辺だろう。

それだと伊都国に近すぎるのでは?
この問題の核心は、伊都国から九州東岸まで二日間で踏破する場合に、途中の宿泊地はどこか?という点にある。
まあ 後の歴史過程を考慮すると、やっぱり太宰府かな?
360日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:07:06
不弥はもし板付あたりまで海岸線がきてたとすると
そのあたりの港だろうな。いや正確にいうと奴国から近すぎるから
もっと東の方、現在でいくと志免や粕屋あたりか。

そのあたりに港があって東北へ進むのだが
それを正直に東北へ水行20日と報告しちゃうと
中国でバカ扱いされ左遷されるから中国の常識に倣って
南へ水行20日と報告しちゃった。
で俺達の混乱がある。
361日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:08:22
>>358
お前はドアホですね
362日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:10:38
おい、貴様らは卑弥呼がお天気予報の婆さんだと理解しているのか?
363日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:11:17
>>360
どうして、東北へ水行20日だとバカ扱いされるの?
364日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:14:39
>>359
奴国は旧倭国の中心都市であるから邪馬台国への行程から多少
遠回りになっても記載する必要があると考える。

邪馬台国が畿内であれ、九州であれ奴国は絶対に記載すると思う。
畿内ルートの場合、奴国から最短で邪馬台国にいくには再度
船に乗るのが合理的だ。だから海岸が奴国(博多区那珂)の
東側まで来ていたとすればそっから船に乗るのが一番合理的、
わざわざ、八木山かしょうけを超えて筑豊に入って行橋まで
行く必要も無いと思う。

土地勘があれば一番合理的ルートだし、距離もピッタリと合うと思う。
365日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:15:03
ヤフーごときに言われたくない
366日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:15:34
>>363
中国の常識とかけ離れているから。
367日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:18:24
日本だけに目を向けるんじゃなくて東夷伝で他の国見てごらん?地理感めちゃくちゃだよ
368日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:18:42
お天気予報の婆さんが大和朝鮮で王になったわけだ、すごい出世だよな!
369日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:18:58
>>366
よく知らんけど、それは中国の思想なの?
370日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:25:04
近畿が半島の本場、純日本人が九州、すごい発見だよな。九州が天皇に関係する理由がよくわかったよ
371日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:30:39
>>369
少し前のレス。
372日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:33:29
>>370
ちょwwwww
373日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:38:52
な〜んかしょぼいレスが続いてるな
コテさんみたいにバシッと書き込みできない?
374日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:44:58
畿内の王朝は渡来人じゃないお
375日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:46:20
重要なことを発見したぞ。末盧国から伊都国まで東南に行くと言っている。
末盧国が松浦半島。伊都国が糸島半島だとしたら
北西になるのに、東南といっている。つまり最初から間違っているw
つまり「南に行く」はどうみても東です。本当にありがとうございました。
376日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:47:20
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
377日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:47:35
間違えた。
×北西になるのに、東南といっている。
○北東になるのに、東南といっている。
378日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:47:54
畿内の王朝は出雲系と畿内系のコラボ
神武は高天原(畿内)から南九州に下った司令官の子孫の
出戻り。
379日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:49:19
>>375
おまえ事故するぞ。
380日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:49:52
>>374
しょぼ・・・
無駄レス繰り返すなら半年ロムってろ
あ〜あ 一日にこんなに遣いやがってもったいない
381日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:52:15
>>354
壱岐から前原に行くとしたらどうやって行く。

はるばる帯方郡から船でやって来たんだから、直接、船で行くだろう。
唐津(末盧国とする)で船を降りて、荷物かついで、せっせと歩いて行くかな?
しかも、歩いて行く方向が見当違いときている。

唐津で船を降りて歩いて行くからにはそれなりの理由があったはず。
382日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:56:20
>>379
無駄なレスをするな
383日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:58:34
パシャっと決めます、卑弥呼は王となるべく奈良に拉致されました。その裏で弟の地位を約束する談合があり、弟が姉である卑弥呼を強引に説得したそうです。

卑弥呼が九州からいなくなりまた乱世となります。そこで台与を九州の邪馬台国の女王となります、台与に監視がつきます、それが一大率です。台与は事実上の操り人形と言えるでしょう。
384日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:59:24
>>381
倭人伝として中国人がよく通っているルートを紹介することで
倭人の姿を描写したいんじゃない?
邪馬台国が畿内として最短ルートなら壱岐から宗像あたりで一休みして
企救行って瀬戸内に入ると思う。
385日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:00:36
大和朝廷は九州の勢力を恐れていました。が、4世紀前後に九州の勢力により攻め落とされます、その間に文献が残っていないのは、そのせいです。
386日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:04:41
>>375
>末盧国から伊都国まで東南に行くと言っている

確かにな、なんでだろうな。
流石に松浦と伊都は行き来してた筈なのにな。
387日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:05:52
最低4行
388日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:07:02
教科書に纏向遺跡が邪馬台国の可能性が高いなんて記述が採用されれば、
九州説なんて相手にされなくなります。
NHKに続いて「ふしぎ発見」で取り上げられれば
もう、異を唱えるメディアはいなくなるでしょうね。
九州説論者の断末魔の声が聞こえるようです。
389日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:08:41
ひみこなんて名前の人は日本の歴史にありません
誰っすかそれ
とよ?
なんすかそれ?
13歳?
あのねー
390日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:08:48
結局、九州説って俺たちが小学生の時に半島から
九州通る弥生人の流れの刷り込みが大前提だよな。

育の効果って絶大。
391日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:09:17
そのため、奈良では卑弥呼を一目のつかない様に隔離する必要があったのです。九州勢力を刺激するのを避ける為でしょう。
392日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:13:32
九州勢力(日本人)VS大和朝廷(半島人)

4世紀前後に日本を日本人の手で取り戻す事に成功しました。
393日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:14:12
つか末盧国から不弥国までって九州の地図を左に90度回転させて見るとぴたりと一致するじゃん。
松浦半島から糸島半島、那珂川の辺を通過して宗像の辺に来ている。
ここまで東南、東南、東と言ってて(実際は北東、北方向)から南へ水行十日なら
東に行ってるのは間違いない。瀬戸内海か日本海かは断定できないが九州ではない。
394日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:18:58
>>393
いいとこ目つけた。しかしその理由も欲しい。55点。
395日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:19:45
日本国誕生は関西なんだから他の地域の連中は元は夷人だよ。
正当な日本人は関西人のみ。
396日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:21:36
>>393
南に水行というのは有明海を航海することだよ。
地図を良く見てごらん。
末盧国から東南に陸行して伊都国。
さらに東南で奴国。東に行って不弥国。
ここから南に水行で投馬国を経て邪馬台国。
地形がぴったり一致するだろう。
397日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:23:53
潮の満ち引きでなかなか沖まで行けそうにないね。
398日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:25:12
方向間違いは間違いない。水行一日でどれくらいすすむのが気になる。
水行二十日水行十日でついたのが実は松山の辺だとしたら陸行一月で
実は高知の辺が邪馬台国かもしれない。それなら東(実際は北)に海があり
国があるのも合致する。
399日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:25:18
天皇こそ日本の象徴、その発祥地は九州です。皇族率いる九州勢力が大和に攻めこみ、日本を奪還しました。
400日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:28:23
実は日本の建国はずっと古く、琵琶湖のほとりです
401日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:29:50
しかし、張政が倭国に来たのが247年、帰国は266年説があるも不明。魏略の成立は、諸説あるが
260年頃か。三国志の成立が280年代。つまり邪馬台国に魏使が来てから、陳寿が倭人伝を完成
させるまでしばらくの期間がある。その間、陳寿の元に倭国の地理情報というのは入ってこなかったん
だろうか。つまり北九州には晋代でも郡使などが駐在してたと思われるから、それら新しい情報も少し
は入ってたんじゃないかな。
402日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:35:18
倭人伝通り伊都が唐津の東南で現在の伊都と全く別の場所だったりしたら
もうこの行程から合理的解釈を得る事は不可能に思える。
邪馬台国が畿内である事は間違いないにしても。
403日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:40:34
>>399
朝鮮人乙w
404日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:40:54
伊都は確定なのか?
データプリーズ。
405日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:42:15
もし四国が邪馬台国なら南方の服属しない狗奴国とは実は畿内勢力のことなのかもしれない。
四国だと気候温暖とか風俗のイメージが合う。まさか四国なのか?
406日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:42:19
>>403
天皇が朝鮮人ならお前も朝鮮人なんだよ、あんた馬鹿だろう
407日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:48:19
>>398 全然進めないと思いますよ。筑後川は満ち潮のときは久留米市まで逆流するから川は下りずらいし有明海岸は遠浅で引き潮のときはあっというまに引くため船は干潟に残ってしまうと思いますよ。
408日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:50:13
>>381
いいところに気が付いていると思うよ。
魏の使者にとっては、どこに上陸するのが一番便利か?
この観点から上陸地点を決めるはずなんだよ。
仮に今の福岡の地に行きたいんだったら、直接そこに船で行くはずなんだよ。
わざわざ唐津だか松浦半島だかに上陸して、道もロクに整備されていないところを遠路歩いて
荷物担いで行くわけないんだよな。
そういうことから、マツロ国が東松浦半島だと決めつけるのは、どうかと思うよ。
誰もそんなこと疑問に思わずに、一番近いっていうだけで決めつけているみたいだけど。
409日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:50:37
>>404
伊都国については、ここではよく議論されている。
末盧国が唐津市付近というのは大体の一致が見られる。
倭人伝の通りだとすれば、ここから東南に陸行で前原は有り得ない。

しかし、本当に東南に陸行し、有明海に出たとすれば、その時点で畿内説は
なくなる。
現在の福岡市付近も無視されたことになり、北部の九州説もなくなる。

両説の抵抗は続くだろうな。
ただ、伊都国を佐賀平野あたりに比定する人はけっこう多い。
410日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:53:15
松浦は唐津じゃなくて名護屋浦あたりじゃないのか?
だったら東南といえなくもない。
411日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:54:01
普通は、書かれている場所がとんでもない所だったらアホかで
オシマイだよ
どうしてそうならないの?
412日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:54:58
>>407
佐賀県の諸富町には、弥生時代からの港町の痕跡がある。
このあたりが不弥国だった可能性もあるなあ。
413日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:55:13
>>409 吉野ヶ里が伊都国ではという説もありますしね。
414日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:56:53
>>413
ねーよ、バーカ
415日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:59:45
松浦は唐津じゃなくて名護屋浦ここから東南で伊都・前原。
俺の説に反論してみろ。
416日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:00:16
>>412 そこから船に乗っていったんでしょうかね?
417日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:00:42
>>408
倭人伝だから主要都市の描かなくては意味がない、
すっとんで目的地に向かってるのではない。
418日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:00:58
伊都国や奴国を佐賀平野に持っていく俗説だと、中国系文物や朝鮮系文物が最も多く、かつ3世紀代の最大かつ都市的な集落遺跡がある福岡平野や糸島が主要国として倭人伝に出て来ないということになり、おかしなことになる。
例えば楽浪土器が集中している糸島が主要国として名前が出て来ないとか、およそ考え難い訳だが。
419日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:01:26
伊都は前原、これは考古学者もアマチュアも一致しているほどの常識
420日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:01:54
>>411
伊都国を前原付近に最初に比定したのは、江戸時代の新井白石。
怡土郡の地名が伊都と似ていたからだろう。
新井白石は、地名の類似性だけで倭人伝に出てくる地名の比定をしている。

これが定説のようになってしまったのは、昔からの邪馬台国二大説である
北部九州説と畿内説の両方にとって都合が良かったからだと思う。
421日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:03:46
>>418
>>419
俺も伊都は現在の糸島・前原、奴国は福岡平野説。
でも松浦から東南で伊都の記述はどうみる?

422日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:03:45
■高句麗
遼東の東千里にあり、南は朝鮮・[シ歳]貊と、東は沃沮と、北は夫餘と接す。丸都の下に都し、方二千里ばかり、戸三万

■東沃沮
高句麗蓋馬大山の東にあり、大海に沿いて居す。その地形東北狭く、西南長し、千里ばかり、北は[手邑]婁・夫餘と、南は[シ歳]貊と接す。戸五千

■?婁
夫餘の東北千余里にあり、大海に濱(そ)い、南は北沃沮と接し、未だその北の極むるところを知らず

■?
南は辰韓と、北は高句麗・沃沮と接し、東は大海に窮す、今朝鮮の東皆その地なり。戸二万

■韓
帯方の南にあり、東西は海を以って限りとなし、南は倭と接し、方四千里ばかり。三種あり、一を馬韓といい、二を辰韓といい、三を弁韓と曰う。辰韓は、古の辰国なり

■倭
郡より倭に至るには、海岸に循して水行し、韓国を歴て、乍は南しあるいは東し、その北岸、狗邪韓国に至る。七千余里。
●始めて海を渡る、千余里で対馬国に至る。
●また、南に一海渡る、千余里。その名は瀚海(かんかい)といい、『一大国』に至る。
●また、一海渡る、千余里、末盧國。●東南へ五百里、陸を行くと、伊都国に到る。
●東南に至る、奴国、百里。●東至る、不彌國、百里。●南至る、投馬國、水行二十日。
●南至る、邪馬壹國、女王の都する所、水行十日、陸行1ヶ月。

基本的に距離感おかしくね?





423日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:04:02
>>417
そんなことなら、使節が荷物下ろしてわざわざ遠路歩かせてまで寄港する必要ないよ。
上陸後に、下っ端の随行員に行かせて調べさせれば、いいだけのこと。
424日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:04:08
今の時点で見つかったもので大きいと思いますが弥生時代には地方都市だった可能性はあるんじゃないでしょうか?
425日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:04:43
>>420
ボケ死ね、捏造すんなよ
426日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:07:17
どこかで伊都国が気になるんだろう、伊都国が福岡にあるのが、奈良の邪馬台国説に確信をもてない材料になるからな

畿内論者はどこまで捏造すれば気がすむんだよ
427日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:08:04
>>408
けど偵察も兼ねてるから色々見て回りたいんじゃないかな。
船ならどこどこまで行ける、陸路ならこうやっていく、みたいの含めて。
倭人伝の記述、倭はやたら多いしさ。
428日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:08:06
>>419
常識や固定観念は疑った方がいいぞ。
思い込みもあるからな。
429日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:08:30
有明海を渡ったとしたら船じゃあんまり進めなかったでしょうね。
430日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:08:58
>>418
吉野ヶ里遺跡のように、大規模な遺跡はむしろ有明海沿岸に多いな。
熊本にも方保田東原遺跡のような大規模な集落がある。
玄界灘沿岸にはこれはあまりないと思うが。

さらに、日本最古といわれる鉄斧は、熊本県玉名市から出ている。
これは、縄文時代と弥生時代の境目あたりになる。
非常に古くから有明海沿岸が栄えていた様子がうかがえる。
431日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:09:14
伊都は畿内説、九州説で関係ない
432日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:09:50
>>417
あと、東松浦半島が当時の主要都市だなんて、そんなこと、オレたちには何もわからんだろ。
433日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:11:35
>>432
当時の主要都市だったんじゃないの。
434日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:12:05
松浦半島は今じゃ人が少ないから原発があるけど昔は主要都市だったなんて想像すら難しいよね
435日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:12:11
>>408
軍事的な意味合い考えろよ。
家族旅行に来てるわけじゃあるまいし。
436日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:12:14
壱岐から九州本土を目指すなら、まずは東松浦半島だろうな
別に今の唐津市中心部の松浦川あたりを末盧國にする必要はなく
名護屋城あたりを末盧國に当てはめてもいいわけだな
それなら伊都国までは東南だ
437日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:15:26
>>428
バカヤロー、それなら奈良を疑えよ。
438日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:16:01
>>436
でも、それでは陸行する意味がわからない。
前原に行くのだったら、船を降りずにそのまま船で行けばいい。
439日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:16:49
>>431
はぁ?なんだ、そのあからさまな捏造は!
440日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:17:36
>>427
偵察をしたいと言うのは、その通りなんだよ。
て言うか、魏の使者の真の目的は国情査察だろうと思っているけどね。
でも、君が魏の使者の立場に立って考えてみてくれ。
福岡が目的地だとして、東松浦半島に上陸して、そのあと、遠路しんどいのにわざわざ歩いて行くかね。
普通に考えれば、直接船で福岡まで行くだろうね。
441日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:18:38
>430
三雲、須玖、那珂比恵の規模と質、集落構造、出土遺物の内容知ってるのか?
吉野ヶ里や方保田東原も大きいが、糸島や福岡平野の中枢遺跡には見劣りするのが事実
442日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:20:13
>>435
全然意味不明。???
443日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:20:55
ぶっちゃけ地元でも住んでるわけでもないから九州だろうが近畿だろうがどっちでもいいんだけどさ、

こんだけ長年決着つかないなら「ぶっちゃけ他んとこじゃねえの」って思うんだけど。

トンデモじゃなくてそれなりに根拠のある候補地って他所にないわけ?
444日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:21:08
>>436
そうそう、地図みればわかるけど名護屋をマツラとしたら
その後、実際船で行こうが、歩いて行こうが
描写としては陸路で東南に向かったという記述は正確ではないが
間違いとも言えない。

実際はその後北東にいく必要があるのだけど
その部分を省略、無視したとも考えられる。

むしろ、現在の唐津市に入る必要性はない。
最初に上陸出来る場所をマツラ国と言った可能性は高い。
肥前名護屋城近辺だろう。

445日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:21:18
使者以外が訪れていたら玄海側の国々はその他の国に挙げられたものである可能性は否定できないですね。
446日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:22:52
>>437
バカやロー、オレは九州論者だよ。
447日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:22:53
>>440
魏というか帯方郡の使者は、二人しか来ていない。
一人は梯儁。これは、魏の皇帝からの詔書や下賜の品物を持ってやって来た。

もう一人は張政。卑弥呼は狗奴国との争いを報告するために使者を送っている。
魏に援軍を求めたとも言われる。しかし、援軍は来ず、代わりに張政が
やってきて、狗奴国との仲裁をしている。
448日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:23:48
伊都までは確定しています、問題はその先ですが
449日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:25:03
中国人が確実に訪れた痕跡のある三雲や比恵が、詳細が分からないと書かれたその他の傍国とか、そりゃあ、あり得ないよw
450日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:25:31
>>440
自分は馬とか車(もちろん自動車じゃない)とかに乗って、
積荷は家来に持たせてくるんじゃないかな。
春秋時代に戦車があったぐらいだし、なんかこう…楽できるような交通手段。
で、その間にもちろん草みたいのを放って「じゃあ、いついつにここの街で待ち合わせね」みたいな。
451日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:26:07
>>447
使者が二人っきりで船乗って来るわけないだろ。
452日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:26:13
倭人伝書くのに、マツラは外せなかったんだろう。
453日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:26:18
糸島≠伊都じゃないかということなんですがね
454日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:27:17
邪馬台国は四国徳島だ。誰かこの辺の古墳掘れ。卑弥呼の墓出るぞ。
455日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:27:41
>>451
手間がかかるな。
使者は二人。もちろん随員とか舟のこぎ手とかその他の人々もいただろうが。
456日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:28:31
糸島が伊都じゃなかったら俺これやめる。
糸島は伊都。那珂は福岡平野。
ここ外せない。
457日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:29:08
今まで信じてられていることを忘れて固定観念なしで見てみたらといい思います
458日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:29:13
二丈浜玉有料道路が開通してたんだよ
だから海ではなく陸で行ったのさ
459日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:29:22
>>454
ああ、失われたアークと一緒にな。
460日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:29:31
>>450
お前はホントに怠け者だな。まあ、いい。
しかし、3世紀のそんな辺鄙な土地に馬や車がちゃんと通れる道があるなんて保証あったのかな?
それに、わざわざ船に馬や車を乗せてくるとは大層な。
461日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:29:35
>>454
この腐れがW
462日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:30:43
伊都国は糸島だよ
倭人伝の伊都国の描写と楽浪土器や漢鏡の出方が一致している。
五尺刀まであるし。
それを認めない椰子は、どうしようもない。畿内としても九州としても邪馬台国に行き着かない。
463日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:31:46
奴国はどこだ?伊都=糸島確定の人へ聞きたい。
464日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:31:52
>>460
すまないww
それもそうだなー。舗装されてない道走ると疲れるし、腰いたくなるからね。

あ!籠があった!奴隷に籠持たせて俺は乗ってるだけ!wwすまんもうレスいいよ。
465日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:32:27
>>455
だつたら、そんな解りきったことをいちいち書くなよ。
466日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:32:34
>>460 全くの野原を歩いて行き途中狼などから身を守らなくちゃいけないよね
467日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:33:35
中国では日本に草の者を忍ばせて
逐一情報を国本に送っていたそうな。
468日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:36:38
奴国はどこだ?
469日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:36:49
とうま国は香川とみた。
こないだ出張で紫雲出山古墳いったんだが
あれはかなりの軍事要塞だ。
魏がチェックしないはずがない。
470日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:37:10
なるほど、畿内論者が次に目をつけているのが福岡にある伊都国なわけか、ここを崩さないと魏志倭人伝をいじれないからな
471日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:38:44
>>466
そうそう、余計な場所に上陸したら、単に歩くのがしんどいだけじゃなく、
その分、食料も要るし、夜には野営しなくちゃならんのだよ。
そんなこと、まるで考えてないんだよね。
自分が当事者になったら、簡単に想像つくのにね。
472日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:40:42
畿内説論者は奴国をどこに比定するのかな?
473日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:40:49
>>471
君は直接博多に上陸した方がいいという説の人?
松浦に上陸する価値がないって人だよね。
どういうスタンスなんですか?
474日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:41:36
>>472
俺久留米出身で畿内説。
奴国は断然、那珂。
475日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:42:53
牧のうどん食えばいいやん
あの辺にたくさんあるわい
476日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:42:58
はっきり言うが、魏の使者が九州のどこに上陸したかなんて言うのは、
倭人伝の記載だけではわからん。
それを単純に東松浦半島と決めつけるな。
477日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:44:28
>>471 そうですよね。奈良時代以後の各地の道がある程度整備されてからの日程なのか人が通って跡しかない道とはいえない道を行くのか比較にならないでしょうね。
478日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:44:40
>>473
476
479日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:45:23
>>475
毎週食べとるわい
480日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:46:05
わいっちどこの言葉かやんきしゃん。
481日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:46:10
>>476
キチガイがW
482日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:46:39
もしかしたら長崎あたりに上陸してたりするのかもしれませんね。
483日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:48:58
亀塚古墳はどこの国になるんだい?
あんだけでかいのにスルーされてたわけがない。
484日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:49:36
476だが、ちょっと訂正。
九州北岸のどこか・・・。

485日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:50:27
>>482
対馬、いき。上陸しとるがな
486日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:51:31
糸島が伊都として、奴国はどこだ?
487日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:52:46
須玖岡本遺跡だろ
488日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:53:59
>>486
2万余戸もあるんだし博多でよくね?
489日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:54:07
>>487
概ね同意。那珂。
で不弥は?
490日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:57:40
田熊石畑遺跡で
491日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:59:12
末盧国は松浦だろう。これは確定だろ。秀吉だってここから朝鮮出兵させたんだぞ。
492日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:59:50
>>490
しぶい!!
で当然畿内説ですよね。
493日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:01:18
>>492
どこでもいいから早く出てきてよ説。
494日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:01:28
>>492
いえ、九州説だす
495日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:02:10
>>484
宗像からどういくんですか?
496日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:02:12
光正寺古墳
497日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:02:27
漢那倭国王って金印でてるんだから那国は博多の辺だろうな。
498日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:04:27
>>497
あれ本当に本物なの?
まあよくできてるし偽作とも思えんけど。
あんなのが偶然出てくるってどんだけミラクルなんだ。
499日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:05:08
北東に進んでるのに東南て書いてあるってことは南は東で確定だな。
なんでこんなことで今まで議論してたんだろうな。
500日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:10:41
>>491
桜馬場遺跡は揺るがない
501日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:11:06
>>499
俺は奴国は春日だけど博多だとすると完全90度統一して間違えてるな。
だったら東の不弥は宗像で正解になる。そっから
畿内へのルートは明らか。

>>494で九州のどこですか?
502日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:11:06
金印の文字は漢委奴国王なので奴国ではなく委奴国では?
503日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:12:33
一大国〜末盧国が1000里だから
末盧国〜伊都国〜奴国〜不弥国までの700里は佐賀県内でおさまる。
南に水行は有明海しか有り得ない

ここまでは確定でしょ?
504日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:13:55
>>501
ちなみに>>490だけど>>494は別人ね。念のため。
505日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:15:24
>>503 で有明海を船で行くから20日たってもまだ有明海から出れないわけだね
506日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:15:25
>>503
君の脳内でね。
507日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:16:14
>>503
観光に忙しかったんだな
508日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:17:19
>>503
>一大国〜末盧国が1000里

そこ痛いどこだよな・・
強いていえば海路で測るから多めになってるんじゃないか?
509日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:18:57
>>504
安心。
宗像きて、そっから九州は難しいもんな。
510日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:21:00
投馬国ってトマ国で土佐国ってことはないか?
511日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:21:19
一大国こそが糸島だよ。博多湾を睥睨する絶好の関所だ。
変なごろあわせで壱岐を一大としたところから不幸は始まっている。
512日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:22:43
古代の地名ではどこだかわからないので後から付けられた地名はあまりあてにならないかと思いますよ
513日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:25:05
九州説なんてもうどう足掻いても無理ですよ。

投馬国は出雲地方で丹波辺りの事。
女王国が瀬戸内周辺諸国で、
その境目が奴国と書かれてるだろ。



これはもう確定したようなもんですから。
514日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:26:08
畿内にいくなら宗像は絶対に通らないといけない場所。
不弥が宗像とするとしっくりいく。
515日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:28:58
宇土やら有明海沿岸には遺跡が点在しててどこから上陸したかも確定が難しいね。船はなかなか進まないし距離の測定は難しかったんだろうね。
516日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:29:20
畿内にいくルートとして宗像から日本海か瀬戸内かのルートにわかれるが
水行30日、後1月陸路であるから
日本海経由が有力だろうな。
517日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:30:31
宗像から出航したように思うがそれなら日本海ルートかもしれないな。
瀬戸内海行くなら行橋のほうに行くはずだが行ってない。
関門海峡を通ったような形跡もない。
518日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:31:25
>>508
だよねw
海路と陸路との距離の測り方は同じようにはいかないかな。

有明海は内海だから潮の流れに乗れない分、時間かかりそう
519日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:32:11
古代から九州と畿内は反目していてなんで使者はあっさり畿内へ行けたんだ?秘密裡に朝貢してたら揉めただろうにな。
520日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:32:12
>>510
土佐で5万戸ってのがありえない気が。吉備あたりが妥当かと思われ。
521日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:33:43
投馬国が出雲ならここまでが水行二十日。水行十日だと但馬のへんまでしか
いけないはず。ここから陸行なら一月かかってもおかしくない。
522日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:34:05
わざわざ日本海ルートにする理由はある、
対馬海流の動きだ。あと投馬が出雲とすれば
倭を旅する上で必ずよるべき場所だからだ。
瀬戸内だと海流がないので距離以上に大変かもしれん。
丹波あたりから降りて陸路で1月で奈良は大変だが
よく整備された道だったので以外と楽だったのかもしれん。
523日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:36:11
>>518 ですね。それから熊本のどこかに着き山を越えて佐伯か日向に行くルートで邪馬台国に着くのかな?
524日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:42:19
>>519
半島から畿内方面へ行くなら使節は別にして
九州へ寄らず本州の日本海側へ行く。
そちらの方が自然なんだよ。
鉄はそちらのルートを使ったんだろう。
525日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:44:38
唐津ー伊都ー博多ー宗像ー出雲ー但馬ー奈良

みえたみえた。
526日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:44:55
邪馬台国へのルート見えたな。宗像から日本海経由で上陸して一月歩いたんだ。
なんだ謎とけちゃったじゃん。本当にありがとうございました。
527日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:48:24
実際、奈良に行ったかどうかどもかく一番合理的ルートだ。
九州の主要都市を眺めながら。
528日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:49:15
だとすると畿内説では九州に立ち寄らない航路で出雲へ向かって行ったほうが自然だということですね。
529日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:51:38
九州にある遺跡はみんな傍国だったわけだね
530日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:54:00
>女王国から東へ千余里海を渡ると、また国がある。

奈良だとすると陸路が示されてない。つまり新説、邪馬台国は伊勢だった!
531日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:54:09
水上の方が楽と勘違いしてるやつがいるが遣唐使の時代でも海上ルートは
命がけだったんだよ。こんな古代では尚更海上ルートは少なくしたかったはず。
だから九州松浦に上陸した。その後の日本海もほとんど陸伝いに行ってたんだろう。
瀬戸内海を使わなかったのは海流を利用できない、または海賊が出る、
単純に邪馬台国の勢力が行き届いていなかった、とかそんな理由だろう。
532日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:54:35
巻向の建造物も出雲大社との類似性が指摘されてるしな。

投馬が出雲なら、投馬が邪馬台国とセットで
語られているのも充分考えられるだろう。
丹波からは弥生期の王らしき古墳もあるのだから、
当時の大国であるのは間違いない。

吉備は?という疑問もあるが、ここは女王国の範疇だろう。
533日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:56:58
>>523
普通に考えたら「川んとも」をたどるのがベターですよね。
玉名からなら菊池川を辿って日向神へ、
八代からなら球磨川を辿って日向へ行けます。
球磨・人吉からの山越えはそう簡単ではないのでひと月も不自然じゃないと思います。
534日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:59:36
奈良が邪馬台国ならそこから見える海の向こうの倭人が住む場所はどこかな?またまた方位が間違っていて四国を東と見てたのかな?
535日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:59:43
大和と出雲はこの頃からやはり特殊な関係があったということだ。
536日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:01:59
奈良からみて東(北)の海。琵琶湖だろうな。
537日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:03:02
宇佐の東側の国東からみたら
東に海渡ったら山口県だね。
538日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:04:35
>>530
厳密に言うと女王国は邪馬台国単体ではないよ、
女王を共立した諸国が女王国。

>>531
海人族の中でも猛者がいたんだろうな。
539日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:04:42
>>533 球磨川は狗奴国に近くて危険ではないかと思いますよ。阿蘇辺りには有力な勢力があったようですしそこがどんな国だったかにもよりますが菊池川からのルートをとったんじゃないでしょうかね?
540日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:06:50
>>531
卑弥呼がもしモモソ姫だと仮定すると吉備に寄りそうだけどな。
出雲のほうが不安定な気がする。
541日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:08:17
モモソヒメとキビツヒコは姉弟だよ。
吉備と大和の協力で、卑弥呼が共立された。
常識だろ。
542日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:12:30
>>540
畿内から逆に半島へ行くなら瀬戸内ルートで行くだろう。
倭人伝の記述はあくまで中国からの目線だからね。
543日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:14:37
>>539
書いてはみたものの、
球磨川沿いだと宇土半島に一度上陸しないといけないから不自然ですねw
菊池川を辿ると上流に菊池があるので
私はクナ国はこのあたりじゃないかと思っています。
544日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:14:48
外国の使者に国防上の弱点を見せないためにわざと日本海経由で陸行一月させた可能性もあるな。
545日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:18:15
>>544
それはあるかもね。あれでは行程を曖昧にしたとしか思えない。
546日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:24:06
>>540
モモソヒメとかより「土器、鉄、稲作等の技術力の高さ=倭人伝に記載されてる5万戸」ってんならわかる。
けどなんか上古音が似てるって聞いたことがある >投馬国と出雲
547日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:25:13
>>543 あとは邪馬台国があった規模の遺跡が見つかったらいいんですがね。

菊地がクナですか何か発掘されたらわかってくるでしょうね。
548日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:27:38
>>525
日本海ルートは有り得ないな。
波が荒くて危険。なんてったって遭難が一番怖い。

それに瀬戸内海を通れば、大和川を通ってそのまま奈良まで直接なのに、
わざわざなが〜い陸路を取る必要性が見つからない。
549日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:32:03
>>548
このドマヌケ。すっこんでろトンチキ。
550日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:33:43
>>548

>南至る、投馬國、水行二十日。
>南至る、邪馬壹國、女王の都する所、水行十日、陸行1ヶ月。


>陸行1ヶ月。
>陸行1ヶ月。
>陸行1ヶ月。

歩くって書いてるもんで
こればっかりは致し方ない。


551日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:34:12
そこで解釈できないものは認めない考古学者の登場ですね
552日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:39:04
>>551
認めないってか、少なくとも「海路よりは長く歩いた」って感覚で書いてるんだろうし、正確な日数よりそっちを重視したいかも。
553日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:39:37
>>547
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/index.html
これ結構面白いです。
墳墓も菊池から見た菊池川対岸に結構出てるんですがねぇ・・・
ちょっと調べてみますw
554日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:46:37
「日本海は波が荒くて瀬戸内は穏やか
 よって日本海ルートは無い」

…まあこれはよく聞くが結局イメージの世界で語っていると言うか
根拠が無いよなw

じゃあ古代の日本海側の隆盛ってなんだったんだって話でwwwwwww

まあこれも古代の航海術に詳しい専門家に意見を仰ぎたいところだが
長い距離を一気に特に本州を東に移動するには案外日本海の方が向いていたのかもしれない。

思い起こされるのは源平合戦のクライマックス、壇ノ浦。
勝敗の帰趨を決したのは一日の前半と後半で変わってしまった潮の流れだったと思うが…

意外と瀬戸内海は潮の流れの変化が複雑すぎて潮待ちのロスが多かったかもしれない。
(潮の流れに依存していた古代の準構造船なら特に)

それにそれだけの長い距離を航行するのは山陰の勢力の得意とするところで
仮に瀬戸内ルートにした場合バトンリレーと言うか各駅停車を乗り継いでいくみたいな不便さがあったのかもw

魏使にしても倭人の船にとっかえひっかえ乗り継ぐのはあまりいい気しなかっただろうとwwwww
555日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:10:28
吉備で上陸して、陸路ってのもありでしょ。

陸路をいけるなら、陸路のほうが船よりはるかに安全。
人手があって輿に乗っていけば、わざわざ船にのる必要なんて無い。
556554:2009/11/19(木) 03:13:52
ただ、一番ありそうなだと思っているのは…

実際の魏使は瀬戸内ルートを(潮待ちの時間もかけてw)ゆっくりと瀬戸内ルートを通った。

が、あの倭人伝の記載は当の魏使の報告書でもなんでもなく
伊都国あたりに常駐していた郡使の収集した情報によるもの。

ある日、伊都国の郡使が交易で立ち寄っていた出雲の人間を捕まえて・・・

「おいお前、ここから随分離れたところに邪馬台国なる国があるらしいが
 一体何処にあるアルか?説明するヨロシ」

「はあ、ええと(日本海を)二十日ほど行ってそこから陸路で南下して一月ぐらいですか・・・」

※日本海を行き来していた人間なら当然日本海ルートで説明する

まあどうせこんなところだろうwwwwwwww
557日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:14:03
>>555
馬鹿じゃねえの。
まともな船があるなら上陸は難波に決まりだろうが。

陸路稼ぐために必死w 
奈良の巻向までなら吉備からでも一ヶ月かからないし。
日本海北上とか絶対ありえないね。中国人は畿内を南だと思ってたって
無理無理無理  東と北向いてて南下という馬鹿はお前だけ。

倭人伝の通りに分析って時点で無理なんだよ。
俺がいってるとおり、女王国への道のりはちゃんと教えてないんだよ。

南下して鹿児島から四国へいってお遍路でもさせてるんだよww
558日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:23:28
うーん
559554:2009/11/19(木) 03:25:17
>>556
誤)「はあ、ええと(日本海を)二十日ほど行ってそこから陸路で南下して一月ぐらいですか・・・」
 ↓
正)「はあ、ええと(日本海を)二十日ほどで私のクニで
  そこから更に十日船で上陸、そこから一月ぐらいですか・・・」
560日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:32:19
>>557
半島の漂着物は敦賀とかに着きますが。
大和川を遡上するかどうかも要検討だしね。
琵琶湖から木津川の方が楽かもしれないしな。

大体巻向は出雲と関連が深い点を考えると、
行程はともかく、国の説明として
セットで語られる事が考えられるんだよ。
561日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:42:33
出雲→丹後→奈良でいいとおもう
それにしても陸行1ヶ月ってかかりすぎだと思う><
562日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:44:59
日本海側だけはありえないね。
丹後から奈良でも一ヶ月どころか3日で着くけどな。
出雲から丹後も船で一日だろ。

馬鹿じゃないのかこいつら。
563日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:50:54
>>562
君は日数に拘り過ぎだな。どう考えても相当雑な数字なのに。

564日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:52:22
対馬海流を有効活用できるってのはあるよな。>日本海
ただ(帆船だととくに)季節によっては日本海はタチが悪い。
低気圧による悪天候が昔も同じだったかは知らないが。
よっぽど気候の穏やかな時期を調べ上げてから行かないと危ないな。

あと日本海使ったにしては速度おそすぎって感じもする。

ちなみに瀬戸内海に海賊がはびこり出すのはもうちょいあとの時代。


565日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:01:05
瀬戸内の場合は関門海峡を抑えられたらアウトだし。

歩きだと道の無い時代に、丹後から3日では奈良には着かないでしょ。
だから水行10日は川ルート、陸なら1月という解釈は出来るんじゃないの?
566日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:08:05
卑弥呼を倭迹迹日百襲媛命と比定すると、
武埴安彦命の反乱の平定やら吉備の平定やらで活躍した吉備津彦命の時代と被る
ってことは山陽側は戦乱やらなにやらで不安定で使えなかった可能性は考慮しても良いんじゃね?

万行遺跡や、丹後の繁栄考えても
日本海のルートが当時ある程度栄えていたって説はワンチャンスあると思う。
江戸時代ですら大変だった日本海側の船での行き来をどうしたかは勿論分からない。
567日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:09:12
ごめん、山陽側が混乱してる云々はつまり
瀬戸内ルートが使えなかったって感じで解釈してね
568日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:10:02
行ってないか、あるいは倭側の検閲に掛かって修正入ったかだな。
女王国の位置は国防上の機密事項になるだろうし、
そうなると方角の間違えも意図的なものだったと思えてくる。
なんらかの政治的意図があったんだろう。

瀬戸内ルートか日本海ルートかは行路としては倭側からは
どっちでもいい話だろう。

倭としては中国側にあまり知られていない瀬戸内をさらすより
比較的知れ渡っている日本海ルートを晒したほうが
有利だという政治的意図も働いただろう。
かといって完全に嘘の報告書も書かせられないだろうから
苦肉の策でこういう作文書かせたんだろう。
569日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:15:50
卑弥呼共立の頃は、
瀬戸内海の高地性集落は、終焉してる頃だよね?

混乱は収まってるんじゃないの?
570日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:29:50
>>566
ももそひめの桃太郎伝説思い出したw
571日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:03:27
>>568
陰謀論はいいよ。
572日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:29:08
>>568
貢こうする側が検問?www
卑弥呼は使者の前に膝立ち低頭して、首から下げた玉類が音を立てないよう左手で握りしめて、詔を聞いたんだよ
573日本@名無史さん:2009/11/19(木) 08:30:07
>>572
弓遵が卑弥呼に会ったときの描写ってあったっけ?
574日本@名無史さん:2009/11/19(木) 09:06:57
>>572
検閲というような上からの目線じゃなく
倭人伝を書くにあたって条件付けてるだけ
だったらさほどおかしく無いんでない?
575日本@名無史さん:2009/11/19(木) 09:42:06
>>574
おかしいわドアホwwwwwww

対等な同盟関係と朝貢を履き違えるなww

576日本@名無史さん:2009/11/19(木) 09:45:16
やっぱり真夜中に書き込みしている奴の言ってることは、ほとんど無益だな。
アホらしくて論評する気にもなれんわ。
お前ら、何やってるのか知らんが、夜はちゃんと寝て、昼仕事しろよ。
577日本@名無史さん:2009/11/19(木) 09:55:32
まあ丹後〜畿内というラインで鉄が流れていたなら
当然日本海ルートが存在したのは確実でしょ。
何しろ瀬戸内海では戦乱があったのだから。

倭人伝の記述の頃は戦乱が収まっていても
その流れは残っているだろうし。
578日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:04:18
もうこの時代の良港をピックアップして、同時代の遺跡と突き合わせた方が早そうだ
んで文献と照らし合わせる・・・

まぁこのスレでは、ずいぶん前にも同じ事をしてたけど
579日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:12:18
所詮中国を捏造歴史と批判しながら自国の歴史は顧みない人達の戯言
580日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:13:05
最終的結論としてはそうだけど当時、良港とされてる場所で
比定しててそう大きな間違えでもないと思う。
瀬戸内か日本海かでいうと倭人伝の行程と当時の事情を
みてば日本海側が有力だと思うぜ。
581日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:17:57
そうか?良港があるとういうことが「国内」の中心地というkととはつながらないと思うけどな。
中国でも内陸だろ。
582日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:21:46
今の地勢から、当時の良港を簡単に割り出せるとは思えんのだけどな。
それにそれを割り出したところで、そこが邪馬台国ではないんだから、そんなに所在地論争には
寄与しないと思うよ。
とにかく、大和論者の頭の固さ、頑固さは、想像を超えているからな。
583日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:23:29
>>581
馬がいる中国と船が輸送の主体である日本を比べるのはどうかな
584日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:25:00
>>583
川があるでしょ
585日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:26:34
>>581
倭は海人中心、海運が中心なのに。
良港があるのは必須条件だよ。

586日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:29:41
大和でも、古代はかなり内陸まで海や川が入り込んでいたそうだ。
少なくとも良港は近くにあった方が良いに決まっている。
物資の運搬に便利だからな。
ただし、戦争となると、敵に攻め込まれやすくなることも考慮しとかなくてはいかん。

587日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:30:49
洛陽にしても長安にしても漢城にしても都は中原という思想があるんじゃないの?海運も十分な大きさの川さえ港とつながっ
ていれば問題ないでしょ?
588日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:32:51
>>584
川も水運だろw

鳥羽と古くから地名のある場所は、昔の水運の要所と思っていいのでは?
語感からは丹波も怪しい。通説では田庭(タニハ)だが、本来は
タバからきてるのかも知れない。
589日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:36:40
当時の良港、特に帆走に有利な良港を特定していけばさ
女王国に直接繋がらなくても、主要な周辺国を絞り込めるんじゃないかなと考えたわけ

重用なのは風を利用して入港できる開口部をもつ湊
開口部は狭くても付近に岩礁が無いこと
かつ頻繁に東シナ海沿岸で吹く南西の風を遮れる地形
台風を考えれば周囲を山に囲まれた地形が望ましいかな
海人の文化を詳細に紹介されてるから、付近に良漁場がある事も欠かせない
590日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:50:51
>>586
吉野ヶ里とか正に海からの進攻も睨んだ構えだよね
さらに湾奥に入れば水運に使える河川もある
政治の中枢では無いだろうが、衛星都市の重用拠点としちゃ極めて優れてる
591日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:02:23
とにかく、末盧国で何のために上陸したのか、それを考えるべきだろう。
船で行けるところならば、船で行くに決まっているんだ。
そして、東南陸行五百里、上陸したとたんに方角を間違えるなんてことはあり得ない。
末盧国から東南って言ったら、どのあたりか分かるだろ?
592日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:05:18
>>591
オランダ船は、どうして江戸から遠く離れた長崎に接岸するのか?

そういう事だよ。
593日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:07:04
>>534
奈良→鳥羽で伊勢湾に出るよ
その海の向こうの倭人なら
東海や関東に住んでた人になる
594日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:07:33
その議論はもう終わった。
同時期に記紀通り崇神王朝が
畿内にあった。
595日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:09:00
>>534
そのあたりの記載はもうリアリティ感じないな。又聞きだろう。
596日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:12:41
597日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:18:21
>>594
で、モモソが卑弥呼という事ですね。
598日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」
599日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:24:38
4世紀ごろの倭は
畿内と九州の諸国で対立してたとか?
それを大和政権が服して後に宋に上表文を出したのか
600日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:25:29
>>596
これマジ?
湊としゃ完璧じゃん
しかも海のそばに低地が広がってる上に川があるから、山から堆積した土壌で豊かな湿地が形成されるだろう
水稲栽培には最適地だわな
当時の湾口周辺、湾奥の海をを見下ろす山手、さらに当時の大和川河口部を少し遡ったとこに
頑強な防御施設の遺跡があれば完璧
601日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:31:33
>>596
神武東侵の説話のころだね。
602日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:42:06
>>600
防御施設なんて不要だろ、亀の瀬を越えるのが
大変なんだから。山から狙い撃ちされておしまい。

神武説話でも竜田(亀の瀬)を越えられず、
生駒もダメで敗退している。
603日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:53:15
>>600
かなり大和川氾濫して大変だったらしい。320年ごろに「茨田の堤」(現存)を作って淀川の流れを
変え、記紀によれば、仁徳紀11年中の島から住吉区までの運河(現在の大川)を作って上町台地(岬のところ)
を縦断して大阪平野の水を排水する「難波の堀江」をつくった。
604日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:58:45
茨田の堤と難波の堀江

『日本書紀』巻十一仁徳天皇十一年(癸未三二三)十月
冬十月。掘宮北之郊原。引南水以入西海。因以號其水曰堀江。又將防北河之 。以築茨田堤。
是時有兩處之築而乃壌之難塞。時天皇夢。有神誨之曰。武藏人強頚。河内人茨田連衫子。衫子。
此云■呂母能古。二人以祭於河伯。必獲塞。則覓二人而得之。因以祷于河神。爰強頚泣悲之。
沒水而死。乃其堤成焉。唯衫子取全匏兩箇。臨于難塞水。乃取兩箇匏投於水中請之曰。河神崇之。以
吾爲幣。是以令吾來也。必欲得我者。沈是匏而不令泛。則吾知眞神。親入水中。若不得沈匏者。
自知僞神。何徒亡吾身。於是飄風忽起。引匏沒水。匏轉浪上而不沈。則瀚ゝ汎以遠流。是以衫子雖不死。
而其堤且成也。是因衫子之幹。其身非亡耳。故時人號其兩處。曰強頚斷間。衫子斷間也。






605日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:03:56
>>602
飛鳥を守るため生駒には後に高安城を作った
606日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:08:35
高安城築城および全国のお城めぐり

日本書紀』巻二七天智天皇六年(六六七)十一月是月

是月。築倭國高安城。讃吉國山田郡屋嶋城。對馬國金田城。

『日本書紀』巻二七天智天皇八年(六六九)八月己酉三
秋八月丁未朔己酉。天皇登高安嶺。議欲修城。仍恤民疲止而不作。
時人感而歎曰。寔乃仁愛之徳不亦寛乎。云々。

『日本書紀』巻二七天智天皇八年(六六九)是冬
是冬。修高安城收畿内之田税。』于時災斑鳩寺。

『日本書紀』巻二七天智天皇九年(六七〇)二月

二月。造戸籍。斷盜賊與浮浪。』于時天皇幸蒲生郡匱■野而觀宮地。
』又修高安城積穀與塩。又築長門城一。筑紫城二。
607日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:10:15
>>602
守り手の兵員の拠点は必要だよ
この時代、補給も含めた機動的な野戦は難しいからね
地形に頼った防衛手段なら守り手は、長期配置が可能な拠点が無いと戦えない
まぁ攻め手も橋頭堡が必要になるわけだが
608日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:15:13
対戦ゲームヲタや、戦争マニアが歴史に参加すると
レスがこの有様だ。
彼等にしてみたらこれが史に対する本来あるべき検証とか
歴史観などとほざくのだろう。
609日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:20:05
>>608
この時代は寸前まで倭国大乱があったわけだ
ならば戦いを生き残り繁栄した場所は、軍事的にも優位な場所だと考えるのは当然では?
逆にこういう面を無視する方がおかしいと思うがね
610日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:26:14
>>609
倭国大乱までは史料事実だが、それ以降の文面は
どんなに言葉を揃え何処までいっても、個人的な脳内ゲームにしか過ぎないんだよ
611日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:34:16
>>591
>とにかく、末盧国で何のために上陸したのか、それを考えるべきだろう。

うん?
誰が上陸したんだ?
612日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:37:59
>>591
その話は今夜する。今は時間がない。
ひとつ言っておくことは、東松浦半島をマツロ国であると断定することには
何の根拠もないことだ。
ただ単に壱岐から一番近いんだから、そこに上陸したんだろうという思い込みに過ぎない。
倭人伝には、そんなことどこにも書いてないんだからな。
したがって、東松浦半島をマツロ国として、その後に伊都国、フミ国の所在地を比定することにも
何の根拠もなくなる。

613日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:43:56
>>575
制詔(王号)(名前)で始まっている詔書は、対等な外国文書なんかじゃない
朝貢してきた外蕃に対して下す詔である
614日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:46:41
故事記や日本書紀に書かれていることが正解だと誰か知ってるのか?

だいたいこういった歴史書は自分たちを正当化するために編纂されているのだから事実と虚構をいりまじらせて後世に確認できないようにしているけどね。
615日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:51:21
>>610
ならば吉野ヶ里を始めとしたマキムク以外の遺跡が、なんで強固な防御を意識した作りになってんの?
倭国大乱以降は軍事的考慮がなされてないと考える方が、ずっと脳内妄想なんじゃない?
616日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:53:41
>>614
歴史とは真実ではなく、伝承され知り得る事
真実の探究は歴史ではない。
617日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:10:53
>>615
倭国大乱後は
吉野ヶ里だって堀を埋めてるんじゃ?
618日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:11:31
邪馬台国は愛媛の松山にあったのだ!!



なぜなら道後温泉があるから!



卑弥呼は温泉が好きだったのだ!!
619日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:12:04
>>614
日本史板で古事記を変換できないとは怪しいやつ。貴様なにもの?
620日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:23:21
>>611
末盧国から東南へ陸行五百里を歩いた人だよ。魏の使者だろう。
621日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:28:09
>>612
>ただ単に壱岐から一番近いんだから、そこに上陸したんだろうという思い込みに過ぎない。
書いてないところは合理的に考えていくしかないんだよ。
622日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:33:04
>>618
畿内説の俺でも四国の状況はまだ気になるよ。

邪馬台国の範囲は四国東南部〜河内南部周辺に
かけてじゃないかと思ってる。
623日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:37:56
>>622
徳島あたりは、
邪馬台国成立前に、奈良を開拓した勢力だと思ってるが。
624日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:39:34
邪馬台国=大和って前提で話してるけどごめんね九州の人w
625日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:41:40
>>613
だれも「対等」だと言ってないだろ

逆に決まってんだろが

朝貢する側が宗主国の正史を修正やら検閲やらはおかしいだろって言いたいんだ
626日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:42:57
>>620
魏の使者が末盧国に上陸した?
それは憶測に過ぎない。
決して証明は出来ない。
627日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:43:03
>>623
阿波忌部とかも調べてみるとおもしろいよな
628日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:52:11
>>618
うわさの倭迹迹日百襲姫は香川県と岡山県に名を残している。
629日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:54:39
>>623
70000戸という数を信用するなら
相応の範囲を考えないとね。

そうすると淡路島を北限にした徳島〜河内南部の勢力が
奈良に入ったと思う。水銀鉱山で儲けて力付けていったのかも。
630日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:59:04
末盧国から伊都国までは船で行けば楽だけど、
せっかく倭国に着いたんだから、どうせなら歩こうよ。と魏の使者が言い出したんだろう
どの程度の道路事情かとか、人々の生活はどんな感じなのかとか観察したかった
んだと思うよ。ところがわずか500里と聞かされてたのに、道は草ボーボーでなかなか
進まなくて苦労した。今なら唐津・糸島間なんて1時間くらいで到着するが、道なき道を
1日2日かけて歩いたんじゃないの。その道程がのちの基準になったんだと思う。だから
後々出てくる、水行20日だの、陸行1月だのという大げさな表現になったんじゃないかな
今の基準で考えればたいしたことない距離でも、唐津・糸島で苦労したから、倭国は
わずかな距離移動でも相当時間がかかりますと。使者が魏の皇帝に報告したのだろう。
631日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:11:52
>>630
>末盧国から伊都国までは船で行けば楽だけど、
>せっかく倭国に着いたんだから、どうせなら歩こうよ。と魏の使者が言い出したんだろう

根拠のない憶測。

倭人伝冒頭からの地理的記事は、まさに倭の地理的な説明として書かれている。
ゆえに必ずしも魏使の辿ったコースとイコールではない。
イコールだと主張するなら根拠を挙げて証明しなければならない。
上記憶測の如きではなんら証明になっていない。
632日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:22:43
>>596
いいぞ、ついでに古奈良湖
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html
下の方
633日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:25:41
>>630
帯方郡から女王国まで1万二千里あまり。その道里を見るとまさに会稽の東治の東にあたるって
魏志倭人伝には書いてあるわけだが。該当するのははどこかというと台湾か沖縄諸島。
間違ってるな
634日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:26:08
>>622
徳島のホケノ山古墳には最古級の前方後円墳があり、
楽浪・帯方郡域で出土する同型の鏡、画文帯神獣鏡が出ている。(おそらく倭人伝で送られている鏡ではないが)

また、讃岐産の遺跡も出てきていることから阿讃の海洋民の墓と考えられていて、
邪馬台国が魏へ交渉に向かう際、海上の先導役のようなこともしたのではないか、という意見もある。
幕末でいう咸臨丸の塩飽衆のようなものかな。

ちなみに3世紀初頭の画文帯神獣鏡が出土している地域は東四国、兵庫、大阪、滋賀、大和あたりに集中しているから
なんらかの交流はあったと見てもおかしくはないと思う。(九州からはほとんど出土してないが)

というか俺としてはその辺は全て女王連合国版図だと思ってる。



635日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:32:46
>>615
貴方が「強固な防御の作り」と言った時点で
ゲームオーバーだよ
「強固な防御」と判断するのは、客観的ではない貴方だけが個人的にだけ感じる主観的な意見。
そんな個人的な主観を一々基準判断していられない。
636日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:41:45
>>631
逆じゃないか?
むしろ北九州あたりの風俗=倭人の風俗、というような記述になっていることから考えても
北九州では色々調査した、と見るべきだと思うが。

むしろ北九州を出たと思われる投馬国からの風俗らしきことは書いていないし、
行程もいきなり「〜日」のような説明になるんだから憶測はそっから後、って気がする。

637日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:44:53
そもそも道のりと里数からしてr女王国の位置を台湾あたりとしている距離と方向
事態あてにならん
638日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:51:06
>>636
別に北九州の風俗なんていってない。
639日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:53:50
>>637
>古伝承では楽浪郡の境および帯方郡から一万二千里、会稽の東に在り、?耳と相似するという。

ってぐらいだから方向を間違えたってより「日本の形を間違えてる」って捉えたほうがいいんじゃないだろうか。
640日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:58:53
>>634
>ちなみに3世紀初頭の画文帯神獣鏡が出土している地域は東四国、兵庫、大阪、滋賀、大和あたりに集中しているから ・・・

画文帯神獣鏡は魏のあとの西晋で3世紀後半からだよ。
641日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:04:43
>>639
道里の計によれば、つまり道のりと里数を考えれば沖縄諸島南部にいきつくといってるわけ。
で、帯方郡から1万2千里でコンパスひいて会稽の東となれば台湾から沖縄が一致する。
642日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:07:11
結局畿内にいる住民も
元は九州に住んでた勢力なんだけどなw
643日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:11:25
>>641
そりゃ今の正確な地図ならそうなるだろうさ。
644日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:12:53
>>642
はぁ?
645日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:15:03
>>640
魏代のもあるけどね。おそらくほとんど国産だろうけど。
646日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:16:24
>>641

道里の計ってなに?
647日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:17:41
>>644
畿内で人類が誕生したとでも
思ってんのか?w
648ローガン:2009/11/19(木) 15:19:15
>>640
> 画文帯神獣鏡は魏のあとの西晋で3世紀後半からだよ。

え?そうなの?
安徽省寿県茶庵馬家古堆後漢墓出土鏡はw
649日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:22:57
人類発祥の地は畿内です。
世界最古の文明も畿内で誕生しました。
650日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:24:37
>>647
九州で人類が誕生したとでも
思ってんのか?w
651日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:25:59
>>650
そんなはず




あるわけないニダ!
652日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:26:23
>>646
原文が計其道里當在曾稽東冶之東だから、そういう表現しただけ
653日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:28:00
>>649,650
アホ杉
九州で人類が誕生したなんて言ってませんけどw
畿内の勢力も九州から移住してきたにすぎない
654日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:32:03
>>642
違うからモメてんのw
655日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:33:13
>>653
おまえ更新世から勉強したほうがよさそうだな。日本史板にはふさわしくない。
656日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:33:15
おまいらうるせーよw
卑弥呼の墓ならうちの裏山にあるよwww
657日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:33:47
>>648
>安徽省寿県茶庵馬家古堆後漢墓出土鏡はw
どのあたりですか?
658日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:35:23
>>635
厳重な警備体制のようなものがあることは倭人伝に書かれている。
…城柵を厳かに設け、常に人がいて武器を持ち守衛している、とある。

城柵嚴設、常有人持兵守衞
659日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:37:09
で、金印は見つかりました?
関西人のみなさん
660日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:41:14
>>658
柵ぐらいは取り払えるんじゃね?
楼閣はあとが残るだろうけど。
661日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:42:59
>>659
みつかりまへんわ〜
そっちは親魏倭王みつかりまへんのか?
662日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:44:06
記紀の筋を知らない人がいるかもしれないので、ごく簡単に書いておくと、

皇祖神である天照大神は天上の高天原にいた。

孫のニニギノミコトに地上を治めさせるために高天原から日向に降ろす。
これが有名な天孫降臨。

ニニギノミコトのその子、その孫は日向で暮らす。これを日向三代という。
その次の代、つまり四代目が神日本磐余彦となる。
これが神武天皇で、東征し、大和の長髄彦を滅ぼして即位し、初代天皇となる。

ということになる。
663日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:47:15
>>660
吉野ケ里では柵のあとが残っていて復元されている。
柵は環濠に添って作られている。
集落を守ろうとすれば、堀と柵ということになるんだろうな。

中世の城も堀と石垣だから、似たようなものだろう。
どちらか一方では弱いからなあ。
664日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:48:04
>>662
高天原は江戸以前から葛城におまっせ〜
ニニギは淡路島こえて九州まで出張かいな?
そりゃご苦労様なこって。
665日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:51:48
>>662
そこで天皇がいつものように川で洗濯をしておると、
川のうえーの方から
どんぶらこっこ どんぶらこっこ
と大きな桃が流れて来おったんじゃ。


それが倭迹迹日百襲姫、のちの卑弥呼である。
666日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:53:14
>>664
高天原は大和じゃないな。
大和にいた饒速日命は高天原からやってきたのだから。
667日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:54:50
卑弥呼の時代以降の遺跡を邪馬台国と言い張るw
668日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:55:44
>>663
マキムクも柵列あるぜ?
吉野ヶ里では柵そのもの残ってたの?
669日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:58:05
もういっそ安土城跡を卑弥呼の宮殿跡ってことにしようぜ。
燃えてるからわかんねえって。
670日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:00:36
>>667
それは吉野ヶ里遺跡のことかな。
でも、吉野ケ里遺跡では倭人伝に書かれている「宮室・樓觀・城柵」の跡が
見つかっている。
一方で、纏向遺跡では見つかっていない。

吉野ヶ里遺跡が邪馬台国と決めなくてもいいが、どちらが卑弥呼時代のものの
可能性が高いかといわれるとやはり吉野ヶ里遺跡だろう。

なんで纏向を邪馬台国というのかその根拠がわからないな。
671日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:02:28
>>670
マキムク柵列みつかってるぜ。
672日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:07:32
マキムクって規模でかいんだぜ?今回の建物跡だけじゃなく、箸塚も水路で一体になってる。吉野ヶ里レベルじゃないところがミソ
673日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:07:48
>>668
柵そのものは残っていない。柵の跡。
まあ、建物の柱の穴と同じようなもの。
http://material.miyazaki-c.ed.jp/ipa/yosinogariiseki/kangou_jyousaku/sakasigekiato/k-ybd2.jpg

纏向には、環濠の跡がないからね。
環濠がないのに防御体制が整っているとは言えない。
簡単な柵くらいなら現代でもあるし。

http://sinn.dip.jp/kesiki/saga/yosinogari5.JPG
674日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:08:55
>>670
吉野ヶ里遺跡…
あんな首刎ねられた死体や鏃ぶっ刺さった死体がその辺に転がってるようなとこに卑弥呼がいたのかよ…
675日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:11:58
>>672
でかい、小さいは関係ない。
いくら大きくても、平城京は邪馬台国じゃないから。

邪馬台国であるためには、倭人伝に書かれていることと一致している必要が
ある。卑弥呼時代の様子が書かれているのは倭人伝だけだから。
676日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:12:06
どうして巻向に柵がないという話になっちゃてるんだ?
普通にネットで調べれば出て来るだろうに。
677日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:13:04
纏向は戦乱が収まったので
城柵を造る必要がなかった
卑弥呼が女王に即位したので
倭国の大乱が終わった
678日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:13:32
九州厨はかなり絶滅したな。
良いことだ。
679日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:14:18
>>675
じゃあその倭人伝に書かれてる卑弥呼の金印とやらをお見せ頂こうか。
あと墓もあればなおよしだな。
邪馬台国であるためには、倭人伝に書かれていることと一致している必要があるしな。
680日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:17:07
倭人伝すらちゃんと読んでいない人が多すぎる。
卑弥呼の時代もそんなに平和な時代じゃない。

狗奴国とは戦争状態にあった。
また、卑弥呼が死んだ後も跡継ぎをめぐる争いがあり、1000人あまりを
殺したと書かれている。
681日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:19:32
>>679
奈良にはあるのかな?
682日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:19:38
>>673
ちゃんと引っ越すときに移築したか掃除したんだよ。
吉野ヶ里はもの散らかしすぎだから。
せめて死体ぐらいなんとかしとけ。
巫女が自分の王宮に戦死した死体を散らかしてるわけねえだろ。
683日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:20:35
>>680
殺すのいいから自分ちぐらい掃除しとけ
684日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:21:40
魏志倭人伝に書かれた倭人の文化風俗からして
箸墓の前方後円墳を建造できるのでしょうか
685日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:22:37
>>682
死体は、ちゃんと棺に入れて埋葬していたから掘り起こしたときに出てきた。
ほったらかしていたら、1700年以上たって出てくるわけないだろう。
686日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:23:09
吉野ヶ里は畿内邪馬台国の
辺境砦にすぎないからな〜
687日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:27:45
>>673
えっ纏向遺跡にも大水路あるぜ?ぼつぼつとしか見つかっていないが、5mの幅で150mとか250m
とかもっとこれから見つかるだろ。民家とか小学校とかの下なんだわ
688日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:28:53
>>684
箸墓は発掘調査されていない。
調査されてもいないのに、卑弥呼の墓と言い張るのがいかにも畿内説らしい。

卑弥呼の墓は、「径百歩」と書かれているので、円墳の可能性が高い。
なのに、前方後円墳を卑弥呼の墓にしてしまうのがいかにも畿内説らしい。

前方後円墳ではまずいと思ったのか、最初に円墳が作られ、後で後円部が
継ぎ足されたと姑息な主張したのも畿内説らしい。
ちなみに、桜井市教育委員会は、同時に作られたと言っている。
689日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:29:44
>>685
鏃くらい抜いてやれよ

ったく九州の蛮族のおかげで魏の使者が帰ったとき

「どんなだった?」

「スミいれてはだしで歩ってた」

「はあああああああ?????wwwwwww」

「その先は?」

「シラネ。たぶん一緒」

とかそういう会話になっちまっただろがww

吉野ヶ里はもうオカルトだからオカ板いくといいよ。
690日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:31:39
>>688
都合のいいように解釈するほうが九州説じゃないの?
>「径百歩」と書かれているので、円墳の可能性が高い。
前方後円墳の可能性もある。

>調査されてもいないのに、卑弥呼の墓と言い張るのがいかにも畿内説らしい。
記紀を無視していないから。

九州説は都合が悪くなるとすぐに記紀は玉と朝廷によって捏造されたっていうだろ?
691日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:32:45
>>688
ついでに、
卑弥呼の墓は「径百歩」と書かれている。これはだいたい145m程度になる。
なのに箸墓は、280mくらいある。
大きさもぜんぜん違うなあ。
692日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:34:51
それ吉野ヶ里で「径百歩」の古墳が見つかって発掘した上でいってるの?
693日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:35:20
>>690
倭迹迹日百襲姫を卑弥呼と思うのも根拠がないな。
崇神天皇が無視されてかわいそう。
694日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:35:40
纒向の規模の大きさと死体が片付いて
清潔の集落からして
邪馬台国の可能性が高い
695日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:36:53
九州にはなーんにもありませんw
696日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:37:37
>>688
円墳らしいと考えるところまでは問題ない。しかし、円墳に限るというわけでもない。
径というのは図形の差し渡し、図形は必ずしも円に限った話ではない。
そうなると、前方後円墳でもよいということになる。ただし、その場合の差し渡しは
長径と短径が考えられることになり、墓が大きなものであることを伝えようとしてい
る倭人伝の解釈としては、当然、長径を考えるべきこととなる。
長径とはすなわち、前方後円墳の全長にほかならない。
箸墓は径百余歩の倍ぐらいはある。箸墓は卑弥呼の墓の記述とはまったく合わない。
697日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:38:36
>>693
そう想定する理由があるが、証拠はないってところだろ。で、吉野ヶ里の卑弥呼さんは発掘された?
698日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:40:35
>>648
>安徽省寿県茶庵馬家古堆後漢墓出土鏡はw
この件はぐぐってもよくわからなかった。なにせ中国語でかかれていた。
安徽省って昔の呉の領域にあたるところで、神獣鏡は呉で作られ始めたといわれていますが
魏が敵国である呉の鏡を下賜することはありません。
ただ、西晋の泰始年間(264〜274)後期になると、呉の鏡鋳造業の影響を受けて、中原地区でも
やっと、「呉型鏡」と言われる神獣鏡が作られるようになった。
よって西晋の時代のものである。
699日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:42:27
>>696
へー??魏使はメジャーではかったんだ?
700日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:43:01
豊臣政権は江戸にあったと言うようなもんだな
ヤマト王権発祥が纒向なだけで邪馬台国ではないね
集落規模が大きくなければ朝貢しちゃいけないわけでない
701日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:45:00
>>698 追加
西晋が、南方の銅材料や南方の文様を入手し、画文帯神獣鏡を製作できたのは、
280年に、中国南方を支配していた呉を滅ぼした後のことと考えられ、これが
画文帯神獣鏡による年代判定のポイントとなる。
702日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:46:03
>>699
古代中国の尺寸の記述は
ちゃんとメジャーで測って記載してます
703日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:50:28
>>702
他国の墓をか?
704日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:52:49
箸墓に卑弥呼が眠ってると思うと
おれの近所が日本発祥であり中心なんだと
実感する
705日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:58:03
>>701
景初三年銘の画文帯神獣鏡は全部国産でおk?
706日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:59:22
>>696
都合が悪い数字かもしれないが後円部は径百余歩だよ。
一生懸命長径、長径といってるが、断定するのは無理があるかと。
そうでなければならないという理由はない。
707日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:59:38
>>704
大丈夫、モモさんが眠ってるってだけで巫女萌えの発祥地だと実感できる
708日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:03:39
>>693
根拠なら沢山あるけど。
まあ君が根拠と思いたくないだけだろうが。

柵だって出てると言うのに、まだ違うとか言う
アホまで居るのには正直まいったよ。

環濠?それも楽しみに待ってた方がいいかもね。
709日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:04:12
われらの巫女萌えは1800年の歴史があるんだな。
DNAに刻まれてるというか。
710日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:05:46
崇神天皇の水垣の宮ってようするに環濠でしょ。

水路を環濠と見間違えたんじゃないの?
711日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:07:25
おまえらケンカすんなよな。
もう見つかったんだから、墓↓
http://www.youtube.com/watch?v=SFUeHNvsb1w

わかったら日本史板に邪馬台国スレばっかたてるなよ。
712日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:07:26
こうも事実が発掘されると
九州派は圧倒的に分が悪いな
東大が主張してんだよね
713日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:12:06
>>709
倭の大乱で暑苦しい若干キモイ男たちが殺しあってた。

それを鎮めたのは誰だ?

そうだ、巫女だ。

なぜだ?

そのとおり、萌えだ。
714日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:33:06
>>705
>景初三年銘の画文帯神獣鏡は全部国産でおk?

魏から下賜された鏡ではないですね。
鏡が中国製かどうかはわかりません。
ただし、わたしは鏡のできの悪いものは国産だと考えます。
715日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:43:01
画文帯神獣鏡は、公孫氏を通じてもらったんだよ。
716日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:52:53
確かに水路は環濠だよな。
後年の城の堀と一緒でしょ?
717日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:03:29
伊都国までは陸行ってちゃんと書いてあるのに
奴国と不彌国へは陸行も水行も書いてない不思議。

しかも伊都国と奴国と不彌国の距離はそれぞれ100里しかない。

その程度しか離れてないのに別の国とみなしてたのは
その間に何か(川や海峡)あったからではないだろうか。
718日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:13:50
マキムクからは防柵らしき物も出てきた
環濠に利用した可能性のある水路も見付かりはじめた
倭人伝で描かれていた条件も満たしつつあるし、倭国大乱の世の都としての防御施設としての
体裁も整ってきたな
719日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:17:36
>>715
>画文帯神獣鏡は、公孫氏を通じてもらったんだよ

魏の敵国は、倭の敵国だな。
720サガミハラハラ:2009/11/19(木) 18:17:51
>>717そこから先は陸行しかないので書かなかったのです。
なにかあったらかいてますよ。
721日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:03:59
>>718
畿内論者の捏造厨
722日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:05:52
皇国史観から抜け出れない人達の多いこと
723日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:09:17
>>722
でも天孫降臨(朝鮮人の渡来)と
神武東征(朝鮮人の東征)は信じてるんだねw
ダブスタ、ダブスタ
724日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:12:49
纒向遺跡を崇神とモモソに合わせたいがためにどんな年代詐欺でも
やりかねないな。経済効果は150億円などといいうやつもいるみたいだし。

畿内説としたらモモソしかありえんからな。

海部氏の偽家系図の追及はどうなるのやら。

725日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:17:39
>>721
また九州厨は古紙大量に購入して東日流外三郡誌騒ぎ起こすんですか?
仲間になってくれた麻原は檻の中ですよw
726日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:20:16
>>724


>海部氏の偽家系図の追及はどうなるのやら。

なにこれ九州派の断末魔かね?


727日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:25:21
捏造九州王朝説が社会に与えた影響

後年、『東日流外三郡誌』の存在を知り、最初は胡散臭いものであるとして相手にしていなかったが、後に支
持に転じ、「発見者」であり所蔵者の和田喜八郎支持の姿勢を貫いた。しかしながら同書は偽書であり
(一番の問題点は、発見者の和田喜八郎が公表した資料は祖父による写本であり、原本を公表しなかった事である)、
それをきっかけとして市民の古代研究会の分裂を招くにいたり、運営に当たっていた関西の主流派は古田より離れた。


その反国家、反権力、反中央的内容により、日本原住民論の影響下にあった日本の新左翼の絶大な支持を
得た。元ブント活動家の武田崇元は、逸早くこの文書に着目、「霊的ボルシェヴィキ」育成のために、盛んに宣伝した。

この風潮に一番影響を受けたのがオウム真理教である。オウムに影響を与えたのは一般に五島勉のノス
トラダムスの大予言シリーズだと言われているが、東日流外三郡誌も多大な影響を与えていたのである。事実、
麻原彰晃はオカルト雑誌ムーにて東日流外三郡誌を賞賛し、同書を根拠にして天皇家に代わる新たな支配者
の出現を「予言」する論文を掲載していた。そして次第に「オウム帝国」の樹立を企むに至り、地下鉄サリン事件
を始めとする一連のテロ行為に繋がっていったのである。

>、地下鉄サリン事件を始めとする一連のテロ行為に繋がっていったのである。

九州厨はもう頭丸めて山に篭り、一生土下座してろ。世の迷惑。


728日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:39:09
>>718
残念(笑)防柵の類が周辺から出てくる事は「ない」

畿内説派学者のお墨付きですが(笑)

バーカ
729日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:41:02
東日流外三郡誌は青森人が書いた偽作なんだね。
東日本人や近畿人はよほど九州が嫌いで
九州を朝鮮人扱いしたいとみえるw
730日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:42:34
>>729
苦しいなあ。どいつがそれを真実だと宣伝したのか忘れてるのか?おまえらは被告だ
731日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:43:20
>>729
今調べてきたのか?
732日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:44:43
>>730
古田さんじゃないの東北人の。
733日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:47:19
九州が大和より中国にシンパシー感じてるのは事実だろ。
734日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:47:35
東日流外三郡誌でいえば
支持派も否定派も九州説論者で
どっちも九州人を朝鮮人とみなしたい勢力だったんだな。
735日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:48:13
>>732
九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
関連書
肯定側
古田武彦 『「邪馬台国」はなかった』 朝日新聞社(のち角川文庫、朝日文庫)、1971年 ISBN 978-4022607416
古田武彦 『失われた九州王朝』 朝日新聞社(のち角川文庫、朝日文庫)、1973年 ISBN 978-4022607508
古田武彦 『盗まれた神話-記・紀の秘密-』 朝日新聞社(のち角川文庫、朝日文庫)、1975年 ISBN 978-4022607836
古田武彦編 『邪馬壹国から九州王朝へ』 新泉社、1987年 ISBN 978-4-7877-8720-0
古田武彦 『古代は輝いていた一-『風土記』にいた卑弥呼-』 朝日新聞、1988年 ISBN 978-4022604972
古田武彦 『古代は輝いていた二-日本列島の大王たち-』 朝日新聞、1988年 ISBN 978-4022604989
古田武彦 『古代は輝いていた三-法隆寺の中の九州王朝-』 朝日新聞、1988年 ISBN 978-4022604996
古田武彦 『古代史60の証言』 かたりべ文庫、1991年 ISBN 978-4-397-50339-9
古田武彦、福永晋三、古賀達也 『九州王朝の論理―「日出ずる処の天子」の地』 明石書店、2000年 ISBN 4-7503-1293-2
古田武彦、谷本茂 『古代史の「ゆがみ」を正す―「短里」でよみがえる古典』 新泉社、1994年 ISBN 4-7877-9403-5
内倉武久 『太宰府は日本の首都だった―理化学と「証言」が明かす古代史』 ミネルヴァ書房、2000年 ISBN 4-6230-3238-8
草野善彦 『放射性炭素年代測定と日本古代史学のコペルニクス的転回』 本の泉社、2003年 ISBN 4-8802-3646-2
九州古代史の会編 『「磐井の乱」とは何か―九州王朝多元説を追う』 同時代社、2006年 ISBN 978-4-88683-593-
736日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:50:31
サリン事件は九州厨のせいだったか。とんでもないやつらだ
737日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:54:25
>>728
あれ?出てたはずだけど。
738日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:55:56
要約すると九州人という大陸から渡ってきた朝鮮人が
本州の善良なる市民を抑圧して征服したという事を
言いたいんだろう。その本州の市民には白人も
居たと主張してるなw
で左翼の絶大なる支持を得て、九州人=朝鮮人=征服者=悪
という説を流布したって事じゃない?

違うの?

739日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:57:40
>>738
厳密には九州人は福岡人、佐賀人を指してるようだ。
この朝鮮人が畿内や本州、青森を抑圧してきたと
主張てるのがいわば邪馬台国九州説。
740日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:58:38
巻向が邪馬台国なんて、そんなことを言ってる奴がまだいたのか。
あの遺跡が貴重なものだとは認めるが、邪馬台国とは全然関係ないのだ。
もう、その議論はこのスレではやめよう。
741日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:59:06
九州から東征なんてしてない滅亡したんだよ。

天孫降臨も創作されてるしね
742日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:59:27
>>727
これはマジで酷いな。最近古代史を勉強しだしたから
こんな事があったなんて知らなかった。

九州説の一部の人で、どうも電波臭い人がいると思ったけど、何か納得したわ。
743日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:59:31
>>740
まだじゃなくて全盛ですけど?
744日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:01:56
>>740
崇神王朝の存在は認めるよね。で、君は九州にあった邪馬台国は
どういう政権だと認識してるの?

>>741
>天孫降臨も創作されてるしね

それは早合点、記紀は大筋で間違えてない、
こんな大々的な出来事をむやみに書かないだろう。
なんらかの事実が根底にある筈。
745日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:02:11
>>743
マジでまともに九州説を説いてる人が減ったね。
746日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:03:56
>>740
いや、やめん。奈良が邪馬台国ではないと言う証拠が出るまではな
747日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:04:51
どうしても大和朝廷しか日本に国がなかったようにしたいのね

朝鮮は関係ないよ。南方系のひとが作った国だしね
748日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:05:14
>>743
そのうち、廃れるよ。
てか、あれがなんで卑弥呼の宮殿だと騒ぐのか、不思議なんだよね。
あっ、わかった。ただの村興し、話題作りのためだけなのね。OK!。
749ローガン:2009/11/19(木) 20:05:31
>>698
> この件はぐぐってもよくわからなかった。

そう?ヒットしませんか。私は樋口氏の古鏡で拾ったんですが、同向式です。生憎、出土年は不明ですが。
さておき
>魏が敵国である呉の鏡を下賜することはありません。

私は見解が違う。漢末の争乱で広漢も洛陽も潰され、稼働していたのは山陰だけ。
尚方復活まで魏の領域で流通したのは山陰鏡でしょう。勿論呉と決別以前のものでしょうが。

750日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:06:31
この間NHKに出ておられた安本先生でもこうおっしゃる世の中だしねぇ。
あいかわらず前向きですが。。
高島忠平・顧問のあいさつ(2009年4月19日)

、「九州説」は考古学の世界では非常に不利な情況に置かれています。少数派です。
私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。
http://www.okunomasao.com/yosinogari.html
751日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:08:00
>>747
邪馬台国九州説の主流は
基本、福岡人、佐賀人は朝鮮人であって
その後、畿内、青森まで侵略し、平和な原住民の生活を
抑圧したという人だと思うよ。

そりゃ中には邪馬台国九州説の中には
九州の一地方政権でその後の大和朝廷に一切無関係という人も
いるが極少数だな。
752日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:08:05
学会が悪いニダ! 学問の世界は汚い二ダ! 考古学はクチだすなニダ!という九州説論者の火病

↓   ↓
753日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:14:07
でも、結論に近づくと学問ってやっぱ偉大だなと思うわけ。
学問があるから権力による横暴が抑圧される訳だからね。
学問が無ければ権力者の意見=真実になってしまうからね。
754日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:16:54
九州派全滅
755日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:17:02
土蜘蛛の女王って誰?
756日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:17:09
素人的感覚か知能が低い人だと今回の発見でもまだ九州説は
否定されていないとなるんだろうが。
少し勉強した普通程度の知能の人だと状況証拠から
九州説は完全消滅に近いもんな・・
757日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:17:45
巻向遺跡は経済効果を狙った宣伝材料にしかされていない。
ホントは邪馬台国がどこにあるかなんて、地元にとってはどうでもいいことなんだよ。
だから、とにかく邪馬台国と言い続けて、観光客にアピールしたい、ただそれだけ。
別にそれが悪いとは言わんけど、歴史の検証とは全然別次元の話。
758日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:19:12
>>755
見借とか。
759日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:20:42
一日も早く大和論者が絶滅しますように・・・。
760日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:20:43
九州は南方系渡来人だチョンと一緒にせんどいて


先ずは疑問を持たないでいることが史実を埋もらせてしまう
761日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:21:17
邪馬台国に決着がつくのも時間の問題ですね、今月末には奈良は邪馬台国だったと、世界に発信されるでしょう。
762日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:22:10
もはや九州説は役目を終えたな。
これ以上は学問を滞らせるだけだ。
763日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:22:57
邪馬台国に決着がつくのも時間の問題ですね、今月末には奈良は邪馬台国に無関係だったと、世界に発信されるでしょう。
764日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:23:10
>>757
んだね。
「大体あの辺だろ?w」
って知ってるからこそ騒がないってのもある。
近畿説の方は
マキムクは貴重な観光名所だし、
騒いで地域振興に役立ってくださいw

765日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:25:22
何?ここ?
マキムク関係者のスレ?w
766日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:26:09
九州説の人たちはもっと考古学会と仲良くすべきだと思うよ。魏志の記述だけにこだわって
否定に走るようじゃ、結局真実とは認められないんだから。「方向は間違わない」とかいう論拠
はあまり科学的ではない。結局、魏志を素直に読むと、近畿説も九州説も成り立たないんだから。

原理主義からの離脱をしないと三文SF好きのトンデモばかり集めてしまう。
結局今の時点では纏向も吉野ヶ里も邪馬台国という証拠はないんだからあせる必要はない。

結局「信念」だけが先立つからものが歪んでしまう。これはどっちの説の支持者にも言えることだが。
今の状況では近畿説の方が比較の話だが、客観的であるということだ。その分有利になってるような気がする。

767日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:26:29
 寺澤薫・橿考研総務企画部長は「纒向遺跡の中枢域は清らかな水が流れる神聖な空間だったと想像でき、瑞籬宮の言葉の意味とも重なる」と話している。
768日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:27:04
ちょっと質問。

九州人で九州説を唱えてる人で
九州人=朝鮮人という本州人の主張と
同様の主張持ってる人、意見聞かせて。
769日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:27:19
奈良なんて名所旧跡しかねーだろw
770日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:29:45
>>769
あのあたりはどこ掘っても何か出てくる。だからしょーむないところでも
掘るのに役人ちぃてくる
771日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:34:06
>>769
ないよりましだろハゲ
772日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:35:50
キチガイ九州厨はいい加減に負けを認めろよ、土下座して謝れ!今まで無駄に歴史を掻き回した罪を認めろよ!
773日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:39:01
今のところ大和朝廷のもっとも古い遺跡だが封泥や魏志と符合するものが発見されたら決まりだと思う
774日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:39:23
勝ち負けじゃないでしょ?w
これから崩さなきゃね

>寺澤薫・橿考研総務企画部長は
>「纒向遺跡の中枢域は清らかな水が流れる神聖な空間だったと想像でき、瑞籬宮の言葉の意味とも重なる」
と話している。
775日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:40:34
バカとかアホとか、そんな書き込みはもういい加減にやめろよ。
知らんなら知らんでもいいから、邪馬台国の疑問とか意見とか書けばいいんだよ。
どうせ素人談義なんだからさ。
776日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:40:34
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
777日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:42:33
>>775
いや、ここ関係者いるでしょw
778日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:43:35
そうだよ。馬鹿とかアホとかやめてよ。九州論者はイエローカードだよ。
779日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:44:38
九州説の人率直な意見聞かせてくれ。
素人は勘弁、よく勉強した人で。
780日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:45:45
>>757
>ホントは邪馬台国がどこにあるかなんて、地元にとってはどうでもいいことなんだよ。

あまりにも一方的な見解で、賛成しかねる。
地元の方々の中にも、真摯に歴史追究したいという気持ちの人は、必ずいると思う。
781日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:47:41
九州派逃亡
782日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:49:10
スレの勢いがもの凄い件について
783ローガン:2009/11/19(木) 20:50:13
>>698
>西晋の泰始年間(264〜274)後期になると、呉の鏡鋳造業の影響を受けて、中原地区でも
> やっと、「呉型鏡」と言われる神獣鏡が作られるようになった。

この文の出典は何でしょう?
私は復活尚方では寄せ集めの工人が、当時主流となっていた神獣鏡を真似て作り始めたと考えますが…
△鏡の出来映えが後漢鏡より劣るのは職人の巧拙によるものかと。
784日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:51:29
>>782
九州説派の最後のあがき
785日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:52:37
>>779
一大国を出発点として
500里を1p、1000里をその倍で線引きしていくと
(方向も素直に受け止めるとして)

壱岐〜松浦〜伊万里〜武雄〜鹿島(有明海)

と符合する
786日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:55:16
>>785
邪馬台国は何処で
邪馬台国ってどういう性質のものですか?
787日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:58:05
考古学者で九州説を本気で唱えている学者はごく僅かという現実をどう考えるか
問題はむしろ、邪馬台国=初期ヤマト政権の成立過程や、その連合範囲、支配権の程度、北部九州との関係をどう考えるかだ。
また卑弥呼の墓を箸墓とするか、その前のマキムク諸古墳とするかが問題。狗奴国が東海でいいのかどうかも問題。狗奴国が例えば中九州や南九州でも、学史的に、畿内邪馬台国説でも問題ない。
788日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:02:42
>>787
>また卑弥呼の墓を箸墓とするか、その前のマキムク諸古墳とするかが問題。
>狗奴国が東海でいいのかどうかも問題。狗奴国が例えば中九州や南九州でも、
>学史的に、畿内邪馬台国説でも問題ない。

こういう論理的考え方から既に逸脱してるから
九州説の人に意見求めるのは困難かもな。。

狗奴国は菊池地方だからその近くに邪馬台国があるに違いない
というような小学生みたいな主張してる人多し。
789日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:04:31
貧乏人が説いたものは、同じ貧乏人しか理解できない。
決して金持ちの説いたものは理解出来ない。
貧乏人が説いた畿内は、貧乏人が多数で支持する

世間が畿内に傾くのも理解できる。金持ちは何時も小数だ
790日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:05:59
だいたいが、いい加減なんだよ、怠けて邪馬台国まで行かずに伝記なんか書くんじゃねーよW
791日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:08:32
>>789
いみふ
792日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:09:01
>>786
そのまま潮の流れや風を利用すると
たどり着くのは宇土半島の三角浦くらいかなと予想。
そのまま陸路をとれば日数からして山越えしてるんじゃないかと思います。
清和村から蘇陽町あたりに耶馬台国があったんじゃないかと。
幣立神宮がある場所と言えば解るかと。

793日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:09:04
古代からあった大陸から日本へルートに、松浦半島を経由するルートは記録されていない。
一支国=壱岐、末盧国=松浦半島という図式に問題があると思う。
現在残っている地名を重視しすぎではないのか?

http://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2005/s1/1-02/01kodai/zu05.gif
794日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:13:24
九州は奴国が金印もらってたころは独立してたんだから、
それだけで誇ればいいじゃん。
どうせ、おそかれ早かれ大和王権にのみこまれるわけだから、
それが3世紀だとしてもいいじゃないか。
1世紀までは九州は独立してたんだから。


795日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:13:52
結局は「モノ」が出てこないとどうにもならないわけで。
そんな場合に反論として出てくる「魏志の記述とは少し異なる」はあまり意味がない。
それだけ正確なものであるということ自体ありえないからだ。

たとえば上のほうでも箸塚古墳の大きさについての攻防。
魏志に墓の大きさが径百余歩ではない。魏志の記述と異なるとか、こういう議論は無意味だ。
時代が異なる人間による伝聞記録である限り、完全に一致する記述は存在するはずがない。

また一致したからといって箸塚が卑弥呼の墓という証拠にはならない。
記述とは細かい点が異なっても、いくつもの共通する、また似通った証拠が集まった時点で
学問的に許容される範囲の誤差になってはじめて、「そこが邪馬台国だ」といわれるわけで、
そこら辺を履き違えた議論は無駄。
796日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:15:59
>698
岡村秀典はもちろん、福永伸哉、車崎正彦、小山田宏一、上野祥史、西川寿勝らの神獣鏡に関わる論文を読んでから言ってくれ。
「呉」の領域以外にも、神獣鏡はあるし、列島出土の画文帯神獣鏡はむしろ非呉系神獣鏡が多い。2世紀代から神獣鏡が存在し、各地の系統に分化し型式変化するのも判明している。
呉系の画文帯神獣鏡は中国で多数派ではあるが、列島出土の前期古墳出土画文帯神獣鏡ではなぜ少数派だ。
797日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:16:02
>>795

それはつまり、大和王権がどんなに強大でも、
九州には小さな独立国があって、
九州の女酋が倭国女王だと魏をだまして金印をもらったと、
そういうことかな?

798日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:19:04
>>760
朝鮮半島からの渡来が無かったとでも?
799日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:21:27
九州説は九州人を朝鮮人としたい希望。
近畿説は学問。
800日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:24:01
>>797
いや。何かが存在するということを証明するには、発掘資料や文献を近視眼にならず、総合的に
判断すべきということ。何か1つ(魏志倭人伝とか箸塚古墳の大きさとか記紀などどれでもいい)
を盲目的に絶対視して他の証拠を排斥するということがあってはならないということ。

文献であれ、モノであれ、誤差は必ずあるものと理解すべきで、誤差の少ない資料、つまり証拠を
できるだけたくさん集めて、学問的に「存在する」と客観的に信じるに足るレベルに
なったほうが真実と認められるということ。
801日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:25:41
このスレ、おととい立ったばかりなのに、
もう800レスかい。すごいな〜。ww
802日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:27:54
>>800
論理的に考える能力、読解力がないみたいだから
相手にしない方がいいよ。
803日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:30:10
漢奴倭国王の金印て奴国が滅んだから管理がされなくなって畑で見つかったんだよな?
邪馬台国が大和朝廷の前身だとすれば大和朝廷はまだ滅んでないから、
金印てもしかしてまだ天皇家が持ってんじゃねえの?
804日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:31:45
>>747
古代から日本の王権政権は関西にしかない
805日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:36:26
一里300歩
少なくとも宇美国までは短里68m〜76mで説明が付く。

経100歩の墳墓は23m〜25mくらい

一里360歩という説もあるがそうなら、100歩はもっと小さくなる。
806日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:39:45
私は1里100歩かと勘違いしてた様だ
807日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:41:36
てす
808日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:45:34
>>800
www 言ってることは正しいんだが、人間的洞察力に欠けるな。多くの九州説にとって、倭人伝は「宝島
の地図」で、それさえあればいいんだよ。陳寿はすべて正しくて、これだけあれば他の本を読む必要が
ない。最新の考古学知識など邪魔なだけと、目をふさいでる輩も多い。彼らにとって、倭人伝の記述に
合わないものは邪馬台国とは関係のないもの。そうやって長い間自分の脳内に邪馬台国を組み立てて
大事に大事に温めてきたんだ。今さら変えられるなずもない。新しい考えや方法論はとれない。まさに「ま
ぼろしの邪馬台国」さ。ある意味幸せな生き方だよ。
809日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:50:44
畿内説の奴らは基本的に記紀や中国史書をまともに読んだことがない。
考古学上の発見についても畿内以外の場所についてはまるで知識がない。
それらを勉強すると畿内説の土台が緩むという暗黙の心配がある。
810日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:56:10
狗奴国て諏訪国だな。出雲、大和がやはり投馬国、邪馬台国である以上
狗奴国も歴史に埋もれたなんてことはないと思う。その痕跡が必ずある。
それが諏訪大社だろう。
811日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:00:33
>>808
>多くの九州説にとって、倭人伝は「宝島の地図」で、それさえあればいいんだよ。
それは>>809のような人を指すのだろうが、中には上で出てきた偽文書やカッパノベルス
でそっち方面に走っちゃった人もたくさんいるんだよ。

これを機会に魏志なら他の東夷伝の記述が正しいかどうかという検証も含めて
客観的に資料を見る目を養える人もでてくるだろう。記紀にしても神武東征のような歴史的検証
がはっきりしないものを「真実」として前提とし、あと都合の悪い部分は捏造としていまうやからも減るだろう。

>人間的洞察力に欠けるな。
すまんな。京都人なんでこういういいかたになるんだ。
812日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:02:00
もうさ、これ以上の九州派による説明もないんだし、♪邪馬台国 ドンと来い 奈良♪でいいんではないかい
813日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:02:38
>>792
火の君の一族ってのがあるね。
しかも、宇土半島から近畿に石が運びこまれてる。
814日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:05:37
815日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:15:26
>>814
えーーーー?!ま、まさか、キ捏造なくチンとした調査が実行されたなら、、恐ろしいことじゃって
816日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:16:11
航海技術は近畿より九州が勝ってたって事でぉk?
九州の先住民は海洋民族か。
阿蘇石をわざわざ近畿に運ぶ目的って何なの?
817日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:17:01
>>816
近畿からの注文だろ
818日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:18:44
>>817
ち、注文www
何の為にw
819日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:21:08
>>818
たとえば古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。大阪府和泉市黄金塚古墳では、
大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。これは福井県から運ばれたものだ。
そのほかにも全国からの副葬品が存在する。石棺もその類だろう。
820日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:23:19
宇土の馬門石だろう。
ピンク色した阿蘇凝灰岩。
継体天皇(今城塚古墳)の棺にも使われているらしい。
色が良かったのか、それとも他にも理由があるのか…。
821日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:24:57
注文だけでは動かんだろう、義理人情の賜物なんじゃないか、ここに来て九州説が挽回する糸口が見つかるとは、、思ってもなかった。

すみませんが、畿内派より九州派の方が面白そうだろうが、こんちきしょうがやられたぜ!
822日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:25:07
www 殿様 「石棺は阿蘇にかぎる」 (出典「目黒のサンマ」)
http://kobe-mari.maxs.jp/akashikaikyo_bridge/ship/daioh.htm
823日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:25:44
他にも沖縄産のゴホウラ貝、半島産もあるし、土器の15%が、ヤマト以外の地方で製作された搬入土器。
それは南九州から南関東にまで及ぶ広がりを見せている
824日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:26:00
その翡翠はほとんど糸魚川産。
糸魚川を支配していたのは出雲。
島根出身の人はみんな携帯に翡翠の勾玉つけてますよ。
825日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:26:29
でもさ、末盧から伊都国が東南て書かれてるのになんで今まで
あんまり問題になってなかったんだろうな。その見方で見ていけば
南が東てすぐわかるのに。
826日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:26:46
>>821
半島からもきてるし、関東からもきてるぜ。どこが挽回なんだよ。印象操作は醜い
827日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:26:57
>>821
邪馬台国関係の掲示板は、どこでも九州説の圧勝だよ。
ここは今、素人が多いので、まとまりが付かないからまともな議論は出来ない
けれども。
828日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:27:05
>>816
故郷の物をじゃ、それが遺言じゃ
829日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:27:43
>>811
俺ど素人だし
日本史は専門じゃないし
ただ奈良に住んでるってだけで説明会行ってるミーハーだけど

アプローチのしかたはあんたのが一番共感できる
というか科学的思考ってそうなんじゃないかと思う
830日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:29:25
>>826
だから、それはいつの時代の物なん、つじつま合わせにしか過ぎない
831日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:30:05
>>827>>821の自演だろうな
832日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:30:11
あげ
833日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:32:11
>>830
古墳に埋めてあった副葬品だし、そういうことまでつじつまあわせということにしたいのか?
ヤマト朝廷が全国からの産出物をヤマトの古墳に集めていたこと自体は疑いようがない。
834日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:33:25
>>827
それがな、違う板でも九州説が圧倒しているんだわ。
835日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:34:28
>>825
統一的に約90度半時計回りになってるよな。
マツラから東南伊都、伊都から東南奴国、奴国から東不弥、
南に投馬、南にある海岸、そっから陸路。

実際は松浦から北東伊都、伊都から北東奴国、そっから北宗像
東、東
とすれば自然に畿内しかなくなるもんな。

実に単純。
マツラから東南伊都の間違えに気づきさえすれば。
836日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:35:21
位の高い女性の人骨見たい人いる?w
火の君一族の古墳群から出土してるやつ。
837日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:35:43
>>834
「圧倒だ」とかいうのは自由だが証明できないものをいってもしようがない。特に2ちゃんねるでは
誰でもかけるし。

「学者つまり専門家の中では近畿説が圧倒している」というのは事実だがね。
838日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:37:52
>>833
家にも色んな地域の特産物があるぜ、ついでに言えばアジアの製品や世界各国の洋服もあるぜ、そんなこじつけは意味がないんだよ、気付けよ、ボケ
839日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:38:46
>>834
それだけ必死なんだろうな。掲示板でも必死なのは九州派だ。あまり電波なんで誰も相手にしなくなり
キチガイの集会場になってるところも確かにある。オカ板みたいなもんだ。

ただ現実の学者たちの邪馬台国論争は粛々と近畿説が圧倒してる。
840日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:40:04
>>838
ワロタw 九州の墳墓の副葬品ってどうなんだ?半島のはあるかもしれんがw
あとおまえの家なんぞどうでもいいんだよw
841日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:40:12
行程はどこを絶対視するかという事だけど
正直、どの説も100%でなない。

ただ崇神王朝は邪馬台国同時期に記紀通り
畿内にあった。
邪馬台国の東遷はほぼ撃沈だよな。
842日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:40:48
>>838
いみふ
843日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:41:54
巻向が天皇の宮のうちどれか、ってことになると
モモソが卑弥呼で崇神の娘がトヨという設定しかありえんが。

そうすると、おかしなことも腐るほど出てくる。それは
これから小出しにするとして・・

モモソが卑弥呼か、それだけが畿内説のこれからの論点の焦点だな。

違うとしても巻向は崇神〜景行の誰かの宮のひとつ、ってこと。
年代測定は慎重にしてもらいたいね。
卑弥呼論争なんかより、よほど大切なもんなんだが。

844日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:42:14
九州説必死の涙目・・・。かわいそう。
845日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:42:16
>>837
へー、学者が素人に唯一遅れをとっているのが邪馬台国説なんだよね。面子を保つには、ここら辺が踏ん張り所だね。
846日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:42:55
>>838
そういや中国製の棺安いらしいぜ。 死んでからその中はいればおまえも中国王朝の王様だ。よかったな
847日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:43:22
>>835
この間違いに気づいちゃうと有明海を南下したとか滑稽でしかないよな。
九州説の人がかわいそうになるぐらい。でももう結論はでたので無駄な議論は
やめにしてもっと次の段階の研究がいろいろすすんでほしいね。
848日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:44:41
>>838
これが九州の狂信者か・・・
849日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:44:41
>「学者つまり専門家の中では近畿説が圧倒している」

言うこと聞かないと予算止められちゃうもんねw
850日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:46:19
崇神天皇〜景行天皇の宮、全部比定されている場所と今回発見された巻向遺跡と
違うんですが。


つまり比定されたのは嘘だらけ。箸墓も誰の古墳かわかったものじゃない。
なんで、箸墓やホケノの比定をそのまんな信じちゃうんだろう。

モモソなんかとぜんぜん違い人物のものの可能性が高いね。

851日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:46:29
>>849
かわいそうなやつだな。。。
852日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:46:49
>>845
 学者が素人に遅れをとる??? まあ高島とか安本はド素人だけどね。
853日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:48:00
>>850
信じるところまでいってないだろ。ただ可能性の範囲内だよ。そういう可能性一つで
真実が決まるものではないし、君のように根拠なく批判するものでもない。
これからだな。
854日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:48:26
>>838
面白い例えではあるが、理解に苦しむとこですな
855日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:49:17
>>837
明治以来、名だたる学者では九州説の方が多いな。
白鳥、井上、和辻など超有名人も多い。

考古学では畿内説という言葉がはやっているが、もともと邪馬台国について
考古学は畑違い。まともな考古学者は邪馬台国に口を出さない。

畿内説の石野博信って人も、昔、同じことを言っていた。
考古学的には邪馬台国は存在しない。だから、私は邪馬台国について
語ったことはほとんどない、と。
今は、どういうわけか語りまくりだが。
856日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:49:40
学者っていってもしょせん史学だろ。
理系とは違ってバカが多いよw
857日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:51:37
>>855
そういう姿勢が九州説をだめにしてるんだよ。
-「そしてだれもいなくなった」
そのままだとその運命が待っているだけ
858日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:52:05
九州論者を相手にするのはやめよう、全てスルーでいこうよ
次から♪邪馬台国 ドンと来い 奈良♪
もう決着はついているよ、箸墓は卑弥呼だよ
859日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:52:45
邪馬台国が存在しないのに、あったと考えるから、九州には候補地が乱立してしまうんだ。
それが、九州に邪馬台国が存在しないことの何よりの証明だよ。
860日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:52:50
>>855
それだけ新たな発見が相次いだという事でしょう。
861日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:53:30
かつてのコテどこに消えたんですか?
サガミさんはいるけど、太、茨城の農民の何とかって人。。
どこいった?
862日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:53:33
>>858
勝ってかぶとの緒をしめよだよ。これから証拠を積み重ねていかなくては。
863日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:54:44
>>857 >>858
畿内説の人には君たちのような人間が多いよ。
864日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:55:32
しかも偏差値低すぎる私立。
進学高で落ちこぼれたようなやつが行くようなところばかり。
865日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:55:57
これだけ九州説を叩いて、奈良じゃなかったら、畿内派は何もなかったように、平気で九州論者にくら替えすると思うよ(笑)
866日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:57:23
ヤマタイ=ヤマトだとして何故卑弥呼とトヨが明確なかたちで紀記に残ってないの?
867日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:57:27
しつもーん。
九州説の人って東京が多いんですか?
868日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:57:43
>>865
そんなつまらん心配しなくてもいいと思うよw
869日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:58:15
>>866

書いてあるだろ。わざわざ何ページもとって。

870日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:58:48
勝ちてなんなの?低レベルやな
871日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:59:53
>>852
安本も、高島も本心では九州はないってずっと前から知ってる。2人ともそこまで頭は悪くない。ただ、安本
の場合は、会の人や教え子など自分に付き従う人たちを裏切れないってことだろ。それに、自分が生きてる
うちに決定的証拠は出ないって達観してる。おそらく死の間際に言うと思うよ。「嘘付いてました」って。

高島の場合は、佐賀の観光推進だね。それに対する貢献を買われて佐賀女子短大の学長にまでしてもらった。
彼の場合は、古代史の真実より、地域興しをして今生きてる人の幸せのために役立つって大義があると思ってる
ように見える。あと、自分の幸せもね。
872日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:00:05
>>866
簡単に言うと主流派の先祖では無かったからでしょ。
873日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:00:05
>>868
本の印税がほしいじゃん、学者ってそんなんだよ(笑)
874836:2009/11/19(木) 23:00:11
九州と近畿で住み分けしたほうが面白い気がする。
875日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:00:34
今年2009年は邪馬台国論争に決着がついた結構歴史的な年になったな。
876日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:00:37
>>865
森浩一さんが、邪馬台国問題は高校野球の応援では困る、と言っていた。
要するに、地元主義と言うこと。
畿内説はそれが多いな。

森さんも、関西にいて九州説ではつらい思いをしたことだろう。
京都の門脇さんも、関西で九州説を取ると、なにかにつけてチクリチクリと
やられると言っていた。
877日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:01:59
>>855
もう九州説はそれぐらいしか言うことがないのか。学問は日進月歩。新しい資料がみつかれば、学説も進歩する。
纒向が注目されたのはこの数十年。物的証拠がどんどん発掘されている。今回のは神殿跡だ。それも出雲大社と
伊勢神宮型の神殿が並列して出土している。こんなところ、他の場所にはないよ。
878日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:02:12
>>867
昔は、東大の九州説、京大の畿内説とか言われたなあ。
879日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:02:20
>>876
>要するに、地元主義と言うこと。
畿内説はそれが多いな。

候補地が絞れない九州説に言われたくないなw
880日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:03:01
>>876
あんたくわしいね、関係者なの?!
881日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:03:50
自演かよ
882日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:07:40
ところでこれかなりの発見だと思うんだが。
魏志倭人伝で景初二年太守の劉夏に大夫難升米を派遣し、そのときに皇帝が言った言葉なんだが

貢獻是汝之忠孝我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假金印紫綬装封付帯方太守假授汝來使
難升米牛利渉遠道路勤勞今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀印綬引見
勞賜遣還今以地交龍錦五匹地粟十張五十匹紺五十匹答汝所獻貢
直又特賜汝紺地句文綿三匹細班華五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚眞
珠鉛丹各五十斤皆装封付難升米牛利還到録受悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭
重賜汝好物也

汝の使者の難升米と都市牛利は遠きを渡り良く努めた。そこで、難升米には率善中郎将を牛利率善校尉
という位を与え、銀印綬(青い組みひも)も与えるとしよう。二人を引見し、慰労してから、記念品を与え帰国させる。
そこで、赤いつむぎの布、二頭の竜を配した絹織物を五匹、赤いちぢみ毛の織物を十張、
茜色のつむぎを五十匹、紺青の織物を五十匹などを与えて、汝がもたらした貢ぎ物に報いるとしよう。

この赤を出すベニバナは中国産で日本では巻向しか発見されていない。

883日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:07:54
>>881
そうだけど、何か?
884日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:08:50
森浩一の場合、学術論文には九州邪馬台国は書かない。それで許されてる。井沢元彦と対談とかは
するけどね。彼の若い頃の、反権威主義的な性格は本物だったけど、今はポーズ。まあ、鵺のような
人物に成り下がった。
885日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:09:05
これだけ有名な論争で、場所を間違えていたとなると、学者にとっては学者生命に関わる問題だからな。
森浩一先生どうするんだろうな。
886日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:10:38
考古学者は畿内説が多いって、だから何なのよ。
学問の正しさは多数決で決めるのかね?
バカじゃないのか、そんなこと言ってる奴は。
887日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:11:04
お、決定打が出たかw
888日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:11:51
ベニバナ花粉の発見とその意味

さて、このように見てきたとき、この地域がいわゆる「倭」の首都的な地域であった蓋然性は極めて高くなって
くると思われるのだが、他にもいくつもこのことを裏付ける発掘がなされている。先ほど述べた大溝に注いでい
たと見られる溝が幾つか発見されているのだが、そのうちこの遺跡の最重要部分から大溝へと向かう溝のあと
から、ベニバナの花粉が発見されている。

このベニバナというもの日本はおろかアジアの諸地域には自生が確認されていない植物であり、意図的に栽培
されなければ、その場所には存在し得なかったものと考えられている。これまで、日本においてこのベニバナ花
粉が発見されたのは、古くとも6〜7世紀であった。一つは20年以上前であろうか、その豪華な装飾品の発見
で話題になった藤ノ木古墳。そして、斑鳩に移る前に聖徳太子が住んでいたと思われている、上宮遺跡である。

実は、例の邪馬台国論争で名高い卑弥呼以降、「倭」は数度、魏に使いを送っているが、その際に、幾つかの貢
ぎ物の中にベニバナで染めた絹織物が挙げられている。さきほども述べたように、この時期ベニバナの花粉が発
見されるのはこの纏向遺跡の他にはない。少なくとも今の段階での発掘が示す事実からとの限定的なことでは
るが、以上の事実が何を意味するかは、それまで述べてきたことからも考え合わせれば、おおむね理解できるであろう。
http://yamatosyoyo.wordpress.com/2009/10/31/%E7%BA%8F%E5%90%91%EF%BE%8F%EF%BD%B7%EF%BE%91%EF%BD%B8%E9%81%BA%E8%B7%A1/
889日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:15:19
このスレ最近来たんだけど、前からこんなに書き込み多かったの?
890日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:15:57
>>888
読むのめんどくさい
891日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:16:35
>>890
そのくらいよめよ。
892日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:16:39
考古学は>>888のような決定打?をうつ。バカにしてはならない
893日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:16:54
そういや九州の古墳には朱で真っ赤に染まったものが多いからね。

中国では吉兆の色。
銀行は真っ赤で染めてるよ。
894日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:18:21
>>889
あちこちの板に宣伝した、特に宗教板
895日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:18:47
>>890
画面が雲ってるの?まず涙拭いた方がいいよ。
896日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:19:10
大和説では、距離方角地理、とにかくすべて致命的な欠陥があるのよ。
九州説ではすべて合理的に説明できる。
吉野ヶ里など大規模遺跡も発掘されており、遺跡の発見は今後の発掘に待つしかあるまい。
897日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:19:52
>>892
畿内考古学の三角縁神獣鏡魏鏡説はどうなった?
898日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:19:55
思えば魏の使節が来てそんなに倭を馬鹿にしたような記述もなく、
倭人と一緒に普通に行動してるし、光武帝の時代から奴国は交流が
あったりと邪馬台国(というか2、3世紀の日本)てかなり文明的な
国家だったんじゃないのか。既に。
899日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:19:56
>>896

わかったから、涙拭けよ。
900日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:20:09
>>891
いやーん 恥ずかしい
901日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:20:47
>>896
そのまんまだと九州説でも無理。倭人伝にも道里をみれば、会稽の東にあるなんていってるぜ。
902日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:21:48
中国の赤は風水だろ。金魚とか、何というか知らんが赤いデコチンの魚を水槽で飼ったりするのも
そうだ。ブルース・リーの映画で、悪役がミノカサゴとか飼ってたのもそうだ。
903日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:23:21
>>897
その件については、「全てが偽作」であることの論証を明確にしているとは言い難く、オリジナルのものが
伝来した可能性自体を排除できてはいない。逆に畿内説の側は、多くの鏡の年号が235年から244年の
範囲内に納まるにも関わらず、邪馬台国とは無関係であるとするのは逆に無理があると再反論している。
904日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:23:38
そら九州にだって人は住んでたろうから遺跡ぐらいあるよな。
でもなんでそれが邪馬台国なの?もう違うから。
905日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:24:33
>>896
卑弥呼の金印とか、難升米や牛利なんかがもらった銀印とかがカギになるなあ。
溶かされて他のものに姿を変えていなければいいんだが。
906日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:26:03
>>888
決まったね。
907日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:26:25
>>901
地図の読み方が日本の義務教育レベルだけですね。

平面地図では会稽の東は海にしか見えんがが、実際地球は球面なので
東に行くと特に海流もあるから九州に着く。
オランダやポルトガルの外国船が長崎や豊後海道に流れ着くのは意図してでなく自然の摂理なわけ。

会稽の東は九州島。別におかしくもなんともないが。
908日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:26:40
まあ三角は、景初4年鏡の存在で九州説はメモリアル・イヤー説を言い出しにくくなった。皮肉な話。
909日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:26:45
>>901
会稽の東だが、東で合ってるよ。
西や北や南じゃないだろ。真東ではないだけだ。
南を東だと曲解しているどこかの国の御都合主義者よりは、よっぽど正しいよ。
910日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:27:47
>>893
九州の赤は鉱石由来の赤。
他所では真似できないよ。
水の成分が絡んでるから。
911日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:28:16
>>907
そりゃあんたの思考が歪んでるせい。それが通るなら陸路でもどんないいわけもたつ
912日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:29:44
宗教板の住人はシビアだからね、分け隔てなく分析してトコトン叩いて来ると思うよ
913日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:29:49
>>909
もう一度魏志倭人伝よむことをすすsめる。話にならない
914日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:29:51
>>907
潮と風が絡みますからね。
当時は帆船ですよね。
915日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:29:54
絹の出土量では九州は奈良県の100倍以上多いのだが・・・・・
100倍ってちょっと酷すぎる大差だよなあ。

北部九州では「貝紫」で染色されたものまで出土している。
貝紫は膨大な数の貝から染料を抽出するもので、色あせしないという特殊な性質から
古代オリエントでは1gが金10〜20gにも匹敵したという。


一方、マキムクでは絹の出土もない上に、染料はベニバナですか(笑)。

マキムクで出土したものは100倍の価値があるというマキムクバブルですな。

916日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:30:14
なんで宗教板?
917日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:31:43
>>915

ベニバナで染まってるの?
918日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:32:14
>>808
それも明らかに染料と使えるfだけの大量のベニバナ花粉だったそうだ。
919日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:32:44
>>915
それ本当なん?そうなら凄い情報じゃんか!
920日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:33:06
>>916
sageてる奴が宗教板に応援頼んだんじゃないの?
特に伊勢崇拝者に。
921日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:33:07
>>913
もしかして、バカ大和論者ね。
922日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:33:32
>>915
おまえはあんまり書かないほうがいいなw
923日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:35:08
記紀に出てくる女王は神功皇后と景行記に出てくる宇佐の土着の女王だけ。
別に隠さずに書いている。

倭人伝では卑弥呼、台与は女王。記紀にはでてこない。
他の男王の認識はきっちりあるうえ、名前まで書いているので、ここは
崇神の存在はないとはっきりしている。 畿内説とするとここが異様におかしい。

モモソが女王だったのなら神功のときのようにはっきり書くはず。結局違う。
隋書では日本に30数国ありそれぞれが王と名乗ると書いてある。

隋の時代でだぞ? 他の国にも女王がたくさん居た。そのうちの一人が卑弥呼でモモソではなかった、そうではないかな。
924日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:35:19
>>915
絹はもらったもんだよ。あと時代考証(笑)
925日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:35:28
>>919
九州の赤を真似したんでしょ?ベニバナでw
石棺みたいにwww
926日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:36:09
>>907
会稽の東は邪馬台国とは述べてないが。
倭とは言ってるが。
927日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:36:38
928日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:37:27
>>916
宗教板の住人は恐ろしいほど粘着するよ、独自の思想が面白いほどウザイ。

そんな逝かれた人に判断してもらうのもありだと思うよ。
929日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:37:45
>>923
それは過去の歴史を紐解いてるところだよw
930日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:41:43
大体、記紀の編集者が卑弥呼を神功皇后に設定している。
一番天皇家の伝承に精通している責任者でさえ、誰もモモソが
女王だと思ってない。ここも変。

また、当時の口述により近いと思われる古事記では
夜麻登登母母曾毘賣命(ヤマ トトモモソビメ)

当時呼ばれていた名前はもちろんトトとかモモソだろ。
倭人伝では呼称がヒメコとかヒミコではない。違うな。


931日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:41:53
>>926
はぁ?

其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國萬二千餘里
男子無大小皆黥面文身自古以來其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於曾稽斷髪
文身以避蛟龍之害今倭水人好沈沒捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國文身
各異或左或右或大或小尊有差
計其道里當在曾稽東冶之東其風俗不淫男子皆露以木緜招頭其衣横幅但結束相連
略無縫婦人被髪屈作衣如單被穿其中央貫頭衣之


932日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:45:04
ためしに宗教板で喧嘩を売ってみろよ、瞬殺か完全スルーされるぞWWW
933日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:45:36
>>927
これ卑弥呼じゃ?
934日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:46:05
九州説ってほんとレベル低いのなwwwwwww
935日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:47:20
>>931
何が言いたいの?
解説してよ。
936日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:47:32
>>934
おもしろいだろ、小学生の時、割り算出来なかった奴思い出すよな・・www
937日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:48:13
大和説ってほんとレベル低いのなwwwwwww
938日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:48:14
九州って結局比定地どこにするんだよwみんな中途半端だが
939日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:48:24
>>927
これは卑弥呼ではないのか?!
940日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:51:01
934、936、938は同じアホの書き込み。
これがこのスレの大和論者のレベルそのもの。
941日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:52:03
>>935
>>935
女王国の位置をいってる直ぐ下だし。もう一ついえば倭としたら会稽の東治のよこにあるのは余計変。
そこから訳すと
帯方郡から女王国にまで一万二千余里ある
男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いている。
昔よりこの国の使いは中国へやってくると皆自分のことを太夫という。
、昔 夏王朝の少康王の子は、会稽の領主にされたとき、髪を切って、体に刺青をして、
蛟龍の害を避けた。今の倭人は、魚やはまぐりを捕るために好んで潜ったりするが、
体にいれずみをするのは大魚や水鳥を追い払うためのまじないとしている。
後にこのいれずみは、飾りとなる。国によって体のいれずみの模様が違う。
身分によっても左に右に、あるいは大きく、小さくと差がある。
この国はどのあたりにあるかというと、まさに、会稽の東治の東にあたる。
942日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:54:55
阿蘇の女王の墓、相当怪しいんだが。真っ赤だし。

景行記にでてくる宇佐の女王、豊の国仕切ってたのは間違いない。

西都原古墳群にも女の墓あるよ。

どれもこれも邪馬台国で卑弥呼にしてもおかしくないんですがwww
943日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:55:38
>>941
よく読もう、その後倭の風俗が綴られている。
別に邪馬台国固有の風俗ではない。
944日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:55:43
>>933 >>939
これは向野田古墳だな。
女王だけど、年齢が三十代なので卑弥呼ではない。
945日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:55:45
>>942
畿内には女の墓なんぞいくらでもあるが
946日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:56:46
奈良のやつってあれニセモノだろw
わざわざ線路の横の区画された空き地にちょうど卑弥呼の遺跡がありましたwww
って信じるやつがいるんだよ、あったとしても普通の人の住宅とかビルの下にあるだろ
947日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:57:24
>>941
言いたいことはわかつたよ。
でも、倭人伝の文章だとどちらにも取れると思うし、邪馬台国と言っても倭の中に含まれるんだから、
そんなに意味に差はないと思うけどな。
948日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:58:10
なんで熊本の古墳は掘られるのに
近畿のは掘らないの?

949日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:59:57
>>948
近畿も盛んに掘っているよ。掘ってないのは、天皇陵など宮内庁が管轄して
いるものだけ。
950日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:00:57
>>943
よく読もう
>もう一ついえば倭としたら会稽の東治のよこにあるのは余計変
951日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:01:58
箸塚はほれないだろうな。宮内庁管轄だし。
952日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:02:30
邪馬台国は別にしても、古代天皇陵の発掘調査はどんどん進めてほしいよね。
ホントは被葬者が誰かわからんのだから、いつまでも、宮内庁が管理すること自体
おかしいんだよ。
953日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:02:39
>>942
阿蘇の長目塚古墳も女性の遺骨が出ているなあ。
でも、これも三十代となっている。
向野田古墳を含め、台与の墓なら可能性があるのかもね。
まあ、年代がちょっとずれるらしいが。

近畿地方から出たら、間違いなく台与の墓になっているだろうな。
954日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:04:03
>>950会稽の東が倭だろうと邪馬台国だろうと変には変わりない。
何か具体的なことをいってくれ。
955日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:04:12
>>945
3世紀に崇神天皇が居た畿内では、卑弥呼かもしれないのはモモソのみ!!
他にいくら女墓があろうと関係ないんですがね。


956日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:04:48
>>953
畿内には女性の古墳とされるものはたくさんあるが、全部が卑弥呼に比定されているわけではない
957927:2009/11/20(金) 00:05:02
次いってもいいですか?w
まだまだありますよ
958日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:05:31
民主党政権になったんだから閣議で決めて
古墳掘る事を決めても別に憲法・法令違反でもないんだろう。
やれや。
959日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:05:42
箸墓を掘れてなんぼだろうが、掘れてねーのに邪馬台国なんて吹いてんじゃねーよ
960日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:06:00
>>953
邪馬台国の時代までずらした畿内説の巻向の例があるんで。
年代のズレはこの際無視していいのでは。
961日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:06:01
女性の古墳は箸墓しかしらないな。

なんにせよ、規模的には、箸墓が最大だろ。
962日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:06:35
>>956
女性の遺骨が完全な形で出てきたものがある?
963日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:07:37
>>955
西都原古墳群の女狭穂塚だって5世紀初めごろでしょ?
964日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:08:01
箸墓と比定されてはいるが、本当にモモソだったわけがない。

3人の天皇の巻向宮の比定地それぞれと

今回の巻向遺跡は凄くずれてますよ。つまり比定は嘘。箸墓は適当な男の墓
965日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:09:01
宮内庁の許可がおりない事を前提に仮説と捏造を織り交ぜるなやWWW
966日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:09:10
>>962
九州に出てきたとして卑弥呼だという証拠あったの?それが問題
967日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:09:28
九州の女王の形跡は多い。
景行の宇佐の女王も、唐津の見借も
宇土のこの女王?も似たような地位に
いたんだろうな。
でも俺は畿内説だ。
なぜ、モモソかは確信できん。
ただ崇神王朝が同時期に存在した以上
邪馬台国は大和でしかないのだ。
968日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:09:37
>>960
何かで読んだのだが、確か大阪大学の学生が向野田古墳のことを知り、
地元では台与の墓と言う説くらいないのかな、とか言っていた。
969日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:10:17
>>963
宮内庁がどれもこれも5世紀だっていう。暗黒の時代に閉じ込めたいんでね。

巻向だって5世紀から3世紀になりましたからね。
970927:2009/11/20(金) 00:10:51
>>942
西都原はコノハナサクヤ姫とみてる
971日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:11:45
>>968
向野田古墳は,4世紀後半頃
972日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:11:51
>>967
その理屈、よくわんらん。
何で崇神朝と邪馬台国が、同時代に別々にあったらおかしいのよ?
973日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:12:14
>>967
崇神天皇は時代が違うと思うな。
多分、4世紀の中頃だろう。
974日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:12:52
>>967
その当時から隋の時代まで、「倭国は30数国あってそれぞれが王と名乗る」と
書かれてます。
3世紀に畿内に崇神〜景行のどれかがいても、他の30数国にも王や女王が居たのは事実。

実際、記紀の景行紀に、大和朝廷下にはない宇佐の女王の記述がされている。
975日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:13:09
>>973
その根拠はあなたの主観的願望でしょ?
976日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:14:24
>>971
巻向と一緒ね。巻向も騒ぎが大きくなるにつれ3世紀になったんで。
977日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:14:30
崇神は3世紀で間違いないよ。
マキムクと同時代。
978日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:14:57
卑弥呼は占い師のトップ家元??、〇巫女、各地に弟子を配置した可能性がある
979日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:15:54
>>976
まず調査してからいってね
980日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:15:59
>>971
それも良くわからないだろう。
鏡からして、もっと古いと思う。
畿内考古学がここにも影を落としている。
三角縁神獣鏡の出てくる古墳を古くし、それにはじかれた形で向野田古墳の
時代が下ってしまった。

向野田古墳からは三角縁神獣鏡は出ていない。
981日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:17:04
>>972
おかしいよ。
倭を広範囲で力で封じ込めた崇神の大和朝廷と
邪馬台国と狗奴国が3つ併存していたなんて考え難い。
まず崇神が証明された以上、崇神記を正しいものとして
考えるのが筋、その一部が否定されたらまた九州説が出てきてもいい。
でもそれは可能性は極めて低い。
982日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:17:52
>>963
一応は西都盆地の周囲の高台に状態は悪いが、3〜4世紀と推測される墳墓が複数あるのよ
その中には崩壊した古墳ではないかと言われてるものもあった

ところが土地改良事業優先っつう事で一部を調査しただけで埋め戻しやがった
以来30年以上畑の下です
983日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:17:58
>>980
思うだけじゃ駄目
984日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:19:17
>>975
神功皇后はだいたい4世紀の終わり頃と思われる。
好太王の碑などからその可能性が高い。

第14第仲哀天皇がその頃ということになる。
第10代の崇神天皇がそれよりも150年かあるいはそれ以上前というのは
考えにくい。
985日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:20:02
>>982
巻向も小学校のグラウンドにあったところうめちゃった。
それいい出したらきりがない。
986日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:20:39
モモソみたいな巫女はそれぞれの国に居たと思っていい。

畿内だけ巫女に予言させてたか?違うだろ!
30数国が中国に王と名乗り、女王乱列していた時代、畿内を含めて
どの女が卑弥呼だったかどうやってわかるの?

祟神天皇の記述がないからモモソではないわな。

景行記によると、九州の宇佐以南は大和朝廷下にはなく女王が居た。
こいつのほうが、よっぽど怪しい。
987日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:20:50
>>981
崇神が広範囲で倭を力で封じ込めていたなんて、そんなことわからんでしょ。
記紀のねつ造かもしれないし。
ヤマトタケルも崇神の後のことだし、それはあんたの思い込みでしかないよ。
988日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:21:49
>>987
だったら倭人伝もねつ造だねw
989日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:23:00
>>983
昔の向野田古墳の紹介文には、三世紀の終わり頃と書かれてあった。
畿内説の考古学者が文句を付けたんだろうな。
990日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:23:27
>>984
まず紀記の古代の部分を解明するのが順序だな。
あと紀記をもとにするなら、崇神とモモちゃんを否定するのはおかしい
991日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:24:54
>>981
卑弥呼も邪馬台国もまるで大国のように書いているのは
日本の書でなく、中国の書であり、すべて中国目線だってこと忘れるんなよ、馬鹿が。

中国の書では日本が統一されたのは数百年先。それまで国が乱立。
他の小国の王にも金印渡してるんだから。
倭人伝の風土は九州のものとしか思えないものばかり。どれもこれもモモソとは思えないね。
992日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:25:29
>>988
バカレスだが、一応答えよう。他にも見ている人はいるから。
記紀は祖先のことを書くんだから当然美化するんだよ。
倭人伝がそんなことする必要ないだろ。
ねつ造なら、それなりに必要な理由がいるんだよ。
993日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:25:47
なんかひでえな
全部わかってて荒す奴を相手にしてるほうがましだな
994日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:25:59
>>991
なんだ魏志倭人伝ってあてにならないのかよ
995日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:27:22
巻向は本当に3世紀なのか非常に怪しいね。
何を鑑定させるにも3世紀のものしか出さないだろうな。

本当に崇神の時代ならもっと古くてもいいはずなんだが。

それでも、あの紀元一世紀とか嘘ばっか言ってた伊勢神宮が
3世紀のものだとわかっただけでもせいせいするよw
996日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:27:36
>>986
邪馬台国のころの日本は、シャーマン巫女による祭祀政治です。
朝鮮の檀君神話に基づく祭政思想、太伯山になぞらえた山の頂などに巫女が篭り、神託を受けるとともに巫術により国の安寧を導くという政治形態。
そして檀君神話による神話的な王、檀君王倹は天帝の子と人間の女が太伯山でまぐあって生まれた子であり、それになぞらえて、シャーマン巫女の血をひく宗女を地方豪族の正妃に迎えさせ、その女に生ませた実子だけに王位継承権をあたえるという祭政思想。
そんな2〜5世紀の朝鮮半島南部で行われていた政治形態が、日本にも入って来ていたのです。
997日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:27:46
>>981
おまえは何処に住んでる?話はそっからだ!
998日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:27:55
九州説って都合のいいとこどりだなw

まるでカルトだ…きもちわる…
999日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:28:55
1000なら九州説滅亡
1000日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:29:07
>>991
「あて」って何? 中国目線で読むって言う意味がわからないのか?

また畿内説お得意の低い偏差値大学の史学部ですか。国語の偏差値45とかで
どうやって史学とかするの?
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