【平民より上】士族についてpart1【華族より下】
1 :
日本@名無史さん :
2009/10/21(水) 10:50:18
不平士族は国賊
3 :
日本@名無史さん :2009/10/21(水) 11:53:14
何で2つ同じスレが?
4 :
日本@名無史さん :2009/10/21(水) 14:30:25
士農工商
5 :
日本@名無史さん :2009/10/21(水) 15:29:41
馬鹿
6 :
日本@名無史さん :2009/10/21(水) 16:39:39
士農工商エタ非人
7 :
日本@名無史さん :2009/10/21(水) 21:07:00
旧士族の奴おらんの?
8 :
日本@名無史さん :2009/10/22(木) 07:20:19
先祖は華族です
9 :
日本@名無史さん :2009/10/22(木) 08:54:02
自演スレッド
10 :
日本@名無史さん :2009/10/22(木) 10:19:29
先祖は士族らしい 戦争のために刀が徴収されたとか何とか聞いたことある
11 :
日本@名無史さん :2009/10/22(木) 14:06:20
アイヌ士族乙〜
12 :
日本@名無史さん :2009/10/24(土) 07:14:21
↑得た否認
13 :
日本@名無史さん :2009/10/25(日) 12:50:41
14 :
日本@名無史さん :2009/10/28(水) 07:51:01
自称士族
15 :
日本@名無史さん :2009/10/28(水) 10:05:57
小藩の士族だから言いたくない
16 :
日本@名無史さん :2009/10/28(水) 10:59:49
>>10 父親の実家は戦時中、刀も馬も徴用され、
屋敷も一部将校宿舎、馬小屋は兵隊の寝床になってたけど、
代々、歴とした百姓だぞw
一方、母親の実家は久留米藩士族(福岡県士族)だけど、
戦前は(祖父、大伯父ら)満鉄とかみんなサラリーマンで刀なんか家にないっていってたぞ。
17 :
日本@名無史さん :2009/10/28(水) 23:46:39
うちも祖父が旧柳川士族だけど刀とか槍や甲冑とか武家らしい品は家にないよ 維新後すぐに東京に出てきたみたいで柳川との繋がりも今では皆無
18 :
日本@名無史さん :2009/11/18(水) 04:49:53
それは残念だな・・・
オノヨーコの家も柳川士族だよな
20 :
日本@名無史さん :2009/11/26(木) 00:49:55
宇和島士族ですが、かなり貧乏だったようです。明治中頃に旧庄屋だった家から曾祖父を婿養子にしてから金まわりがよくなったが、農地改革でマンモスボンビーに逆戻りです。
21 :
日本@名無史さん :2009/12/02(水) 15:42:41
わがやも士族だけどなんにもない。ただしおやじの中学卒業証書に○○県士族 って書いてある。ばーさんの卒業証書には○○藩士族○○一の娘つねと書いてある。
22 :
日本@名無史さん :2009/12/02(水) 16:42:41
壇ふみも旧柳川士族の娘だな
23 :
日本@名無史さん :2009/12/02(水) 18:46:43
昔医師免許、薬剤師免許にも○○県士族とかいてあった。
24 :
日本@名無史さん :2009/12/02(水) 18:50:15
明治になって、曾祖父は小学校校長、祖父は官吏だった。 家族でとった写真を見ると威厳があり立派な感じがする。ちなみに 借家を恥じとしなかった。
テスト
26 :
日本@名無史さん :2010/01/04(月) 13:28:21
士族を搾取者として弾圧するべき。
27 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 16:34:14
士族って少ないのか?
28 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 18:26:01
波平の本籍が福岡なら、福岡県士族 磯野波平 東京に本籍移してたら、東京府士族 磯野カツオ
ハト一族下級士族+商人家系?
30 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 23:38:01
華族じゃないと何の意味もないよね 平民と何も変わらんし
31 :
日本@名無史さん :2010/01/26(火) 02:51:51
>>28 そういやサザエさん家って、武士の出だったなw
おはぎをたくさん食って殿様に褒められたんだっけ
32 :
日本@名無史さん :2010/01/26(火) 13:08:56
波平は最初は部長だったのにいつのまにか平社員になった
33 :
日本@名無史さん :2010/01/26(火) 18:34:07
東京府士族 磯野勝雄(勝男、勝夫) リアルでいそうだな。
34 :
日本@名無史さん :2010/01/27(水) 14:07:14
35 :
日本@名無史さん :2010/01/30(土) 11:46:14
んなこたーない
36 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 08:55:05
昔の武士は些細な過失で切腹させられる。 ある意味、毎日が綱渡りのようなもの。 たまらんな。
37 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 13:45:09
士道とは、常に死を覚悟し、士道に於いて後れを取らぬ事 葉隠の一節なんだけど武士は子供の時から教育されていたんだろな。
38 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 14:14:22
川路左衛門尉が言うには「武士とは死に役、人殺し稼業」
39 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 14:45:09
人殺し奉公だろ?
40 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 18:09:21
先祖が鹿児島県士族なんだけど、系図とかは焼けて無くなったらしいが調べることって可能なんかな?
41 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 18:10:46
先祖が鹿児島県士族なんだけど、系図とかは焼けて無くなったらしいが調べることって可能なんかな?
42 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 18:11:48
どこの藩にも、藩士が藩に提出した系図があって、活字化されてるものも多い。 薩摩藩ならそういう系図集があるはずだから、鹿児島の図書館にでも問い合わせてみたらいい。
43 :
日本@名無史さん :2010/01/31(日) 22:20:11
藩の役職名簿と菩提寺から調べるべし。
44 :
日本@名無史さん :2010/02/01(月) 18:22:55
薩摩なんか武装農民=郷士の藩だから士族といってもありがたみが無いだろう 人口の3割位が士族だったんだろ?
45 :
日本@名無史さん :2010/02/09(火) 21:13:12
鹿児島県士族だが、宗家は城下氏で小番(薩英戦争時は藩主本陣の馬回り)だった 俺の直系先祖は郷士で、しかもじいちゃんが次男で分家したから昭和初期は平民 今までで2、3回は分家してるだろう
46 :
日本@名無史さん :2010/02/09(火) 21:16:00
>藩の役職名簿 分限帳のことじゃないの? 分限帳もいいけど、藩士から系譜を提出させたやつの方がいいんじゃないかな。 幕府の寛政譜に相当するような系図集で、長州なら萩藩閥閲録みたいなやつ。
48 :
日本@名無史さん :2010/02/09(火) 21:41:19
>>47 旧記雑録に系図は載ってましたが宗家のみでした
郷士の自分は先祖が誰から分かれたのか判明せず
宗家には家系図があるので訪ねるという選択肢も有りますが・・・
49 :
日本@名無史さん :2010/02/13(土) 20:54:50
諸家大概を見ましたが、 「○○氏上世中古迄然と不相見得候 近代少々為相知も在り候」 「○○、○○なと其外にも同氏有之由候」 とだけでした><
50 :
日本@名無史さん :2010/02/16(火) 04:44:48
なんて意味か日本語に訳して
51 :
48 :2010/02/16(火) 23:12:07
52 :
日本@名無史さん :2010/02/17(水) 19:06:14
士族は搾取者。 俺の祖先は松前藩の木っ端士族に迫害された
>>50 古代から中世まではその名前を確認する事ができない
数代前からは多少確認できる
他にも同じ苗字の家がある
というような内容かと
54 :
49 :2010/02/18(木) 19:37:11
日新斎忠良公加世田時代からの譜代なのに><
まあずいぶん下役なのは当然としても、島津は歴史だけは長いからなあ。 惟宗氏って伝説レベルに古い家系だし。 薩摩守護としても鎌倉時代からだもんな。
うちは5等級で本家は3等級の士族だった。 今は見る影もありません。
57 :
日本@名無史さん :2010/02/26(金) 17:47:56
3等級の士族らしいじゃないか
58 :
日本@名無史さん :2010/02/27(土) 08:11:20
むしろ5等級の士族らしい
59 :
日本@名無史さん :2010/02/27(土) 11:06:43
士族って1〜10等級に分かれていたのか 下位の等級は足軽クラス?
60 :
日本@名無史さん :2010/02/27(土) 17:35:40
石高によって1等〜5等に分けてある。足軽等は士族ではなく卒。 らしい 士族になれなかった先祖の愚痴を語るスレ より
61 :
日本@名無史さん :2010/02/27(土) 18:09:29
そもそもサムライの淵源は俘囚みたいだし。
63 :
日本@名無史さん :2010/02/28(日) 04:31:10
幕末では西郷が薩摩の総大将のような扱われ方をしていたみたいですが、 藩主には権限はなかったのでしょうか? 薩長の維新志士たちが勝手に藩を動かして、あげくに廃藩置県なんてことをやりましたが、 維新の前にすでに藩主に権力がなかったのではないでしょうか?
64 :
日本@名無史さん :2010/02/28(日) 06:24:42
殿様は名誉会長や象徴天皇みたいなもんだからな。 その気になれば実権は行使できるけど、下がついてこなければどうしようもない。
65 :
日本@名無史さん :2010/02/28(日) 18:15:00
>>62 スレでは何藩かは伏せてあったのでわかりません
66 :
日本@名無史さん :2010/02/28(日) 19:08:42
新政府は武士の中の複雑な階層や差別をなくすために「士族」に一本化したのだが、 各藩では勝手に士族の中に等級を作ってしまった。 士族の中の等級は、各藩が独自に作ったものなので、藩によってまちまちである。
67 :
日本@名無史さん :2010/03/03(水) 18:55:56
ほうなるほど
どっかの藩は等級別に羽織の色を決めてたらしいね。 昔は俺んちの玄関には「士族」の表札が掲げてあったらしいけど。
西南戦争に父方の親戚が参加して何人か死んでたことを最近知った なまじ士族だったばっかりに… あと斎藤一に燃えててすみません…たぶんエンカウントはしてないだろうけど、念の為ここで懺悔
西南戦争は百姓兵が主力だろ 士族じゃなくても大勢戦死してる
71 :
日本@名無史さん :2010/03/06(土) 22:33:05
正しくはこう 西南戦争に父方の親戚が参加して何人か死んでたことを最近知った なまじ百姓(笑)だったばっかりに… あと斎藤一に燃えててすみません…たぶんエンカウントはしてないだろうけど、念の為ここで懺悔
あぁ?百姓ナメんなよ 一揆すんぞゴラァ
いつの世も百姓は重要な戦力だよ
>>70 いや、その地域から出征した私学校関係者の名簿があって、はっきり士族と明記されてる
でも別に百姓を馬鹿にしてるわけじゃないよ、鎌倉期に薩摩に移住して以降ずっと基本的に半士半農の生活してきたんだし
その地域でも薩軍に協力するか否かでかなり揉めたらしい
それでも参加した人たちはよほどの西郷ファンだったのか、もしくは
郷士でも士族だというプライドがあったが故に死ぬ羽目になったのかな…と思ってしんみりしただけ
薩摩の郷士って西南戦争に積極的じゃなかったんんじゃなかったけ? 薩軍として戦ったのはほとんど城下士って聞いたけど
76 :
日本@名無史さん :2010/03/07(日) 02:35:46
>>75 親戚(郷士)は薩軍として出征して生きて帰ってきた
77 :
日本@名無史さん :2010/03/08(月) 16:07:44
親戚親戚っておまえの直系の先祖は何してたんだよ
郷士なんて百姓じゃないか
79 :
日本@名無史さん :2010/03/08(月) 22:17:50
>>77 わかんねぇwww
郷土史にはその親戚(俺と同じ苗字)一族は出てくるのに
俺の直系先祖は一切出てこないwww
80 :
日本@名無史さん :2010/03/08(月) 22:23:08
名字が同じだけって・・・親戚じゃないかもしれないじゃん
>>78 そうなんだよね。郷士はただの百姓に過ぎないのだが薩摩郷士は士族。
うちも先祖は郷士だが平民。この差はかなり大きい。Orz
俺の親戚(本家)は佐賀の乱で200余名を率いた部隊長だった。 鎮圧後、士族を剥奪され懲役刑を食らったが、のち名誉回復した。 ちなみに俺の先祖は無罪放免だったと聞いている
>>84 同じ名字の親戚一族は郷土史に名前のが載っているが
うちの直系は載っていないと言いたいんだろ
>>79 は
それを同じ名字なだけで親戚なのか?って問いはおかしい
でもよくよく考えると西南戦争のころだと4〜5世代前だろ?
その頃に分家したもしくは親戚筋だった人間を100年以上たった今も親戚と言えるんだろうかw
親戚ってせめて三親等以内にわかれた人間じゃないのか?w
その当時は近い親戚だったと考えればok
そういう場合、縁戚とか遠縁とか言わないかw
>>85 三親等云々は民法の考え。戦前の親戚は広範囲。親戚付き合いがあれば
300年前の分家でも親戚。法律がどこまで規定するかは別問題
89 :
日本@名無史さん :2010/03/09(火) 01:22:43
>>86 そそ
高祖父の父(5世前)の弟か従弟
壬申戸籍が取得出来ないから推測で
5世前は弘化生まれで、その人は嘉永生まれ
足軽を境に分けたんじゃないの
>>89 >5世前は弘化生まれで、その人は嘉永生まれ
うちも弘化生まれと嘉永生まれ
まぁー明治19年式だと殆どがその年代だろけどね
うちの藩じゃ郷士とかどうなったのかも分からんわ 近所に何件かあるけど士族だったという話し聞いた事ないし だいたい本人に聞いても分からない 二軒隣にうちの分家があるけど、ここも江戸時代に庄屋やってたが何だか分からない 庄屋は明治時代にどういう扱いになったのが興味があったから聞いてみたが 「さあ?聞いた事ないけど」といった具合で話しにならない 武家だった家は案外そんなこと全く興味ないようだ ちなみに近頃伯父が伯爵家の出身だと知って従姉妹に「お前んちの親父旧華族の出かよ、凄いな」と言ったら 「そうなの?何が凄いの?」と言われてしまった…
郷士なんて薩摩独特の呼び名じゃないの ほかの藩もあるかも知れんが 庄屋は平民だよ 仮に苗字帯刀を許されていても武士ではない
郷士と呼称していた藩は多いよ そして大概の藩で郷士は「苗字帯刀を許された百姓」であって武家ではない 藩士とはハッキリと差別化されている
>>95 士族とは別の階層であることは郷士自身わかっていたろうね。
それでも多くの知識人を輩出してる階層ではある。
武士よりは医師など特殊技能を持った者に近いのでは
うちの藩には平時は在郷して農商業をしてる手明槍と云う身分があったけどね。 でもれっきとした武士で維新後は士族となってる。 郷士とは云われてなかったな。
98 :
日本@名無史さん :2010/03/12(金) 14:07:59
薩長土肥は例外。
>>91 足軽と郷士は別物。足軽は士分に入らず雑務係
郷士は身分こそ足軽よりも下のこともあるが(藩によって違う)その家系は古く由緒正しいことがおおい。
本来郷士とは在郷で名字帯刀を許されていたものを総称した用語もしくは
牢人と呼ばれていた人たちが郷士と呼び変えたことも多い
制度的な士分に近い郷士と唯単に先祖が武士であったと言う由緒を持つ階級(名主・大百姓)が郷士であると称してるだけ
のもまで含める。
ある藩の記述だが「土着の郷士・・・」という記述があるが藩的には百姓である名主を示している
大河で地下浪人を蟹江啓三が演じてたけど、あれも一種の郷士だよね。
足軽株を失った郷士が地下浪人と呼ばれる。
>>91 の重箱の隅をつつくわけじゃないが、足軽と郷士はまったく別物とも言い切れない。つか地域による。
そういうこと言い出すときりがないから、下級武士といってひとくくりにするのが無難。
下級武士の面白いところは、その身分を売買できたこと。ここが武士の主従関係と一線を画すところかと。
旗本株の売買とは意味が違うのかな?
102 :
日本@名無史さん :2010/03/12(金) 20:47:31
なるほどね。 うちらの藩には在郷制度はあったが郷士とは全然違うし そう云う身分っていたのかな
104 :
103 :2010/03/12(金) 21:50:44
分限帳めくって見たら「被官で無足」がかなりいるけど、もしかしたら郷士に該当するかも
>>101 同じだね。
そういう録の低い旗本、御家人は内職(場合によっては収賄)で食ってる家がほとんど。
躑躅を育てたり、傘塗ったり。農家や町人とかわらん。むしろ職人気質だったとか。
旗本、御家人っつうのは職業じゃなくて、身分なんだろうな。
特に小普請組なんて実質的に課税されてるようなもんだし。
身分で言えば小禄でも才覚次第では幕府の役職に就けたり大名並の格式が得られる可能性のある旗本と 百姓に毛の生えた程度の郷士では天と地ほどの差があるよ 生活で言えば大半の武家が本百姓より貧窮していたのは間違いないけど。 郷士にしろ旗本にしろ株を買ってなった家は、当然株買えるぐらいだから裕福だ
うちの藩では百姓の子供が家老の養子になってるんだけど こんな事有り得るんだね 案外身分制もそれぼど厳しくはなかったのだろう
108 :
日本@名無史さん :2010/03/15(月) 00:37:07
薩摩藩の郷士も確かに半農半士だが、大抵は武家の末裔だぞ 氏族と百姓の間には厳然たる身分差があった
>>105 同じってのは社会の原理として同じって言う意味。
今更言うことじゃないが、江戸時代は階級社会だがそれなりに上昇手段があった。
また、郷士や浪人や藩医と言う中間的な身分もあった。
卒族ばかりだね
士族だったかどうかは明治初年に書かれた士族帳を見ればわかるよ その後卒族の一部が士族になったりしてるがね
112 :
日本@名無史さん :2010/03/22(月) 02:05:13
113 :
日本@名無史さん :2010/03/22(月) 02:12:21
>>107 本当か?庄屋クラスなら百姓でも藩士になれたけど、
普通せいぜい下士程度までだけど。
>>112 当時の藩ごとに作成してるから出身地元の図書館、資料館に尋ねたらいい
明治初年程度だったら除籍謄本で氏名がわかってるし、先祖調査と云ったら見せてもらえた
115 :
日本@名無史さん :2010/03/22(月) 18:19:57
116 :
日本@名無史さん :2010/03/22(月) 18:38:02
117 :
日本@名無史さん :2010/03/22(月) 23:34:19
>>114 鹿児島県の士族帳ってドコに存在するの?
誰か俺の代わりに探して><
先祖が明治期は士族と云うことは藩政時代は藩士の家系だったとなる訳で さらに400年前まで家系を辿ることができると思う。 徳川幕府は諸大名へ系図の提出を命じた「寛政重修諸家譜」 同時に諸大名が家臣へ対して系図の提出を命じた「藩諸士系譜」 この「藩諸士系譜」が地元図書館にあれば見ることが出来るし400年前までの先祖と 出会うことが可能となる。 中には偽作系図もあるらしいが江戸期程度は信頼できるだろう。
121 :
117 :2010/03/24(水) 19:41:08
>>120 薩摩平氏の家系で宗家の系図はあるが、肝腎の直系先祖が宗家のどこから分かれたか不明
>>121 余計なことかもしれんが
一代一代着実に遡ることが大事と思うよ。
123 :
日本@名無史さん :2010/03/28(日) 00:25:15
>>122 壬申戸籍が手に入ればもう二代くらい遡れそうなんだがなぁ
124 :
日本@名無史さん :2010/03/28(日) 13:41:25
壬申戸籍は物体としても完全に廃棄した方がいいだろう。
125 :
日本@名無史さん :2010/03/29(月) 00:04:31
>>124 する筈ないじゃんw
国の立場になって考えてみろよ
「完全に廃棄した」っていう建前にするだけさ
何処か人知れずコソーリ寝かせてあるんだろう
126 :
日本@名無史さん :2010/03/29(月) 09:39:51
ああいうヤバいブツは完全に地上から消滅させるべきだろう。 残しておくメリットなんてゼロだろ。 寝かせておいていいのはワインくらいだ。
各藩とも明治初め頃の士族、卒族、神職、僧尼、平民、その他で戸数、人数が細かく わかってるようだけど、これって元ネタは壬申戸籍だろか 当藩の士族帳を見たが、それには当主だけで家族関係の記載はなかったんだよね
江戸時代も各藩で人口調査はしてるよ
129 :
日本@名無史さん :2010/03/31(水) 02:34:16
鹿児島県の士族帳ドコ〜???
>>101 > 旗本株の売買とは意味が違うのかな?
そう云やあ、海舟jの爺様は検校だったとかってのを聞いたな。
131 :
日本@名無史さん :2010/04/20(火) 01:44:00
>>127 明治3年から4年に作成された庚午戸籍・辛未戸籍で、すぐに明治5年の壬申戸籍に書き換えられた。
解放令前のため、被差別階級の区別がモロなされている。
ただ戸籍自体は江戸時代前半より幕府の命令で作られるようになっている。
目的はキリシタン取り締まりで、住民を特定の寺社の宗門に所属させた。
戸籍自体は各藩に管理をまかせたため、情報の質は地域によってバラバラだが。
132 :
日本@名無史さん :2010/04/21(水) 08:09:47
鹿児島の庚午戸籍や辛未戸籍が残ってねぇのかな
133 :
日本@名無史さん :2010/04/24(土) 18:39:26
残ってたとしても100%見れないんだろね
134 :
日本@名無史さん :2010/04/26(月) 08:52:39
壬申戸籍とは違う!って触れ込みで密かに公開すべき 勿論学術利用目的で
135 :
日本@名無史さん :2010/04/26(月) 15:24:57
藩で作ったものは公文書と違いかなり外部に出回ってるはず 維新で藩政時代が終わると無用となった書類等は捨てたり焼却したり、一部は持出されたものが 内容によってはオークションなどで高額で取引されていると聞いている 知ってる図書館は地元の藩が作成した家臣500人ばかりの家系図が売り出されたと聞いて 数百万で購入したと云う
江戸時代のなら図書館いけば大概おいてある
137 :
日本@名無史さん :2010/05/26(水) 03:24:32
薩摩藩のそれが何て題名なのか教えてくれい
138 :
日本@名無史さん :2010/06/01(火) 21:17:49
祖父兄弟はみんな名前を二つ持っていました。本名と呼び名みたいなの。 基本的に親以外は本名で呼んではいけなかったみたい。
139 :
日本@名無史さん :2010/06/01(火) 22:34:25
壬申戸籍はもちろん、明治の除籍簿は完全に廃棄すべきだ。
140 :
日本@名無史さん :2010/06/04(金) 10:44:23
なるほど、そう云う考えもあるだろ。 理由はわからんけど。
うちは自分の家のだけでも見たいけどね
142 :
日本@名無史さん :2010/06/04(金) 21:27:14
まあ、壬申戸籍みたいに表に出せないほどヤバいものは完全に廃棄したほうが、 世のため人のためだろうな。
143 :
日本@名無史さん :2010/06/04(金) 21:45:34
士族ってもと武士身分というイメージが強いけど,下級公家も一部士族 になったんですかね?地下官人とか。
144 :
日本@名無史さん :2010/06/04(金) 22:09:01
145 :
日本@名無史さん :2010/06/05(土) 00:46:54
仕方ない関八州の名士族を おしえつやるよ 相模: 稲毛 曽我 由井武蔵: 矢野 長谷部 飯山 森谷 牛頭 川下 下総: 諏訪 多並 松島上総:中村 静 加瀬 安房:岸本 上田 下野:田崎 村上 川田 海老沼 上野:坂本 池森 みんな名士や
147 :
日本@名無史さん :2010/06/20(日) 14:42:16
>>143 公家というのは、朝廷に仕えてる者の総称で、
上級公家=堂上と下級公家=地下(地下官人、公家侍)に分かれる。
地下の官人や公家侍は、三代以上世襲している家が士族になった。
これを官家士族というが、維新後はなぜか官位を取りあげられ、
経済的に没落する者も多かったという。
青侍てやつか
羅生門