>>408 目ガミエナイノ?
4人中、2人とか、ほとんど邪馬台国=筑紫説 じゃないか!!
筑紫説ビーキだな。
>>409まったく違います。
筑紫平野でも菊池川下流の船山古墳を含む地域円形の地域、ここが邪馬台国です。
日田でも吉野ヶ里でも宇佐でも筑後でもありません。
狗口>菊池>>>筑紫と言葉が変化していったのではないかと思うのです。
では、狗口のもとの住民はどうなったかといえば、大阪に生口として連れていかれました。
そして住んだ村は、尼崎市久々知。福知山の語源となった村です。
412 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 09:01:10
九州(笑)
堂ノ後古墳、須恵器がみつかって結局5世紀後半w
レーダー探査(爆)
414 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 09:15:59
あれ?誤爆してるじゃん。纏向スレに投げたつもりだったのに。
まあ、いいか。どうせ住人同じだろ。
416 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:54:09
ww
船山古墳のトンカラリン、これは東海林のこと。
つまり、沿海州から朝鮮半島、九州から本州の日本海側を広く支配していたにあった扶余人が作ったもの。
東海林さんは今も日本で多数暮らしています。
419 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:01:51
規制解除してないじゃん
420 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:27:21
今、関西のMBSで
唐招提寺1200年記念で道鏡事件やってる
倭国大乱 武埴安彦の乱
女王 斎王
卑弥呼 豊鍬入姫
壹与 倭姫
422 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/04(水) 02:52:44
女王=日女命。男弟=磯城県主葉江の子孫。
卑弥呼=9世孫・日女命。(海部氏勘注系図)男弟=9世孫・日女命の実妹、葛木高千名姫命の夫の崇神天皇。
男王=武埴安彦命。椿井大塚山古墳の埋葬者。
台与=9世孫・日女命の姪の11世孫・日女命。(海部氏勘注系図)男弟=15世孫・川上日女命こと日葉酢姫の夫の垂仁天皇。
トヨタン・・・・・・・・・・
424 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:48:13
>>397 >倭国は、周五千里
>対馬から壱岐が一千里
>ということは、倭国は北部九州程度の地域ということで決定
当然ですな。
>>422 なぜ、そこに行きついたの?
出来れば詳しく説明してほしい。
>>421 ある程度支持。
その可能性も面白いと思う!
海部氏系図が偽書。信用できない。
428 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 21:52:09
429 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 22:14:52
は?残す必要はなかったとでも?
430 :
日本@名無史さん:2009/11/05(木) 13:37:23
431 :
ローガン:2009/11/05(木) 23:25:37
過疎ってますね。
アイヌ語で阿蘇は火山。
過疎は火山灰地を表す。
草一本生えない不毛の地。
これが過疎の語源だった。
邇摩って地名があるこれ邪馬になんとなく似てないか?
丹波の宮津にも阿蘇ってあるな。
435 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 17:37:51
あ、そう
母音交換
阿蘇 ASO
宇佐 USA
伊勢 ISE
忍坂 OSI
437 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 19:10:11
口歪んできた
438 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 19:19:40
宇佐はUSAより歴史が古い。
439 :
まし:2009/11/06(金) 19:58:15
>>437 阿蘇氏の子孫である麻生首相の口が曲がったのもそのせい。
441 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 21:55:16
11月10日に邪馬台国について発表があるって本当ですか?
442 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 22:24:36
みなさん想像力旺盛ですね。犯罪捜査でもそうですが、きちんとした物的証拠と状況証拠を提示して、
議論を進めないと信憑性に欠けますしお話しになりませんよ。
それどころか冤罪につながる恐れすらあります。みなさんの意見のほとんどはご自身の想像ばかりじゃありませんか
443 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 22:37:25
足利事件のように、当初採用されたDNA鑑定が実は精度の低いものだとわかり、
歴史が覆ることも多いでしょうね。
2chは政治家も覗いてるし、
ローカルサイトYahoo! JAPAN掲示板とは知名度が違う。
445 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 23:33:06
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
447 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 01:21:26
美濃もんた君、最近みかけないね。
生きてるのかな?
448 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 01:25:51
神夏磯姫、速津姫、八女津媛、甕依姫
この四人の中で「卑弥呼と思う」って人いるのかな?
といっても「速津姫」を知らない人多そうだな。
もん太くんとか知ってる?愛知県民さんは詳しそう。
449 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 01:56:13
450 :
二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/07(土) 07:30:57
解除されたね。
でも進行がゆっくりなので向こうで続けたい気もするw
>>447 もん太氏は専スレあるので、そちらで召喚してください♪
451 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 09:12:12
召喚ってw
ま、河童君、もん太は人の話を聞いてないからな
452 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 09:31:52
佐原氏は弥生時代を「日本で食糧生産を基礎とする生活が開始された時代」
と定義し、「弥生時代の土器を弥生土器」とよぼう、という論文をだしている。
これはオカシイのではないか?
弥生時代の開始を八世紀という人がいるが佐原氏が影響してるのか?
453 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 10:54:33
とある男女の会話。
女:「貴方の趣味は?」
男:「歴史です。特に古代史を」
………数日後…………
男は彼女にTELを
「おかけになった電話は、現在使われておりません。」
女は男の前に二度と姿を見せる事はなかった。
454 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 11:04:40
↑体験談です
455 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 11:27:41
11/8(日)九州国立博物館でシンポジウム 「邪馬台国はここにあった」開催
第1部(13時00分〜13時50分)
基調対談「邪馬台国研究の最前線 ―九州と近畿の視点から―」
橋本輝彦氏(桜井市教育委員会文化財課主査)
高島忠平氏(佐賀女子短期大学学長、邪馬台国を考える会顧問)
[進行]河野一隆氏(九州国立博物館企画課文化交流展示室長)
第2部(14時00分〜16時00分)
アマチュア歴史家による主張大会「邪馬台国はここにあった」
[日田〜吉野ヶ里説]井上修一氏(大阪歴史学会会員)
[宇佐説]鷲崎弘朋氏(歴史研究家)
[畿内説]矢野壽一氏(歴史研究家)
[筑後説]福嶋正日子氏(歴史研究家)
[進行]赤司義彦氏(九州国立博物館展示課長)
明日、シンポジウムに行く人とかおるん?
>>452 > 佐原氏は弥生時代を「日本で食糧生産を基礎とする生活が開始された時代」
> と定義し、「弥生時代の土器を弥生土器」とよぼう、という論文をだしている。
> これはオカシイのではないか?
どの辺りが「オカシイ」ですか?
採集主体から耕作型社会への転換を「弥生時代」の開始とするのは、
大雑把ではありますが妥当な定義でしょう。
次の時代区分である古墳時代までの間に登場する種々雑多な土器を
ひっくるめて同じ名前で呼ぶことに違和感が御有りなのですか?
それとも
> 弥生時代の開始を八世紀という人がいるが佐原氏が影響してるのか?
という意味不明な疑問の方に答えがあるのでしょうか?
458 :
452:2009/11/07(土) 13:35:13
>>457 縄文水田でいいのでは?という考えから来ています。
459 :
452:2009/11/07(土) 14:12:40
そもそも「弥生」という時代はなく、
昔の人たちは石器時代→古墳時代やらハニワの時代と呼んでいた。
しかし、明治17年向ケ丘弥生町から縄文土器とは別種の土器が出土され
以後、有坂氏、坪井氏、蒔太氏や人類学者達によって「弥生時代」という言葉が作られた。
向ケ丘弥生土器とは明らかに違う縄文土器が紀元前、八世紀より早かったらどうなるの?てな話。
460 :
452:2009/11/07(土) 14:18:20
うましかさんにとって、弥生時代の定義は何ですか?
弥生の定義は「稲作」と思ってたけど実際「土器」だったということが言いたくて
レスしました。
うましかさんの反論が楽しみ♪ わくわく
>>448 景行紀を読むと、神夏磯媛は「一國之魁帥」
その下に鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折がいて、みな「一處之長」
速津媛も「一處之長」
その下に青、白、打猿、八田、國摩侶がいて、みな「土蜘蛛」
神夏磯媛は別格扱いのようである。
>>326 >海を意識しない大陸内では当然「六尺為歩」
>>327 >大海之中に位置する倭人伝を「尺=歩」で記載する
河童さん? 朝鮮半島ではどちらですか?
大陸と同じとすると、韓伝の「方可四千里」は?
>>357 >法に人を殺してはダメ。
>と、書いていないのと同じ。
刑法第百九十九条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
>>463 >刑法第百九十九条
>人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
量刑が書いてあるだけで、殺してはダメとは書いてないね。
もちろん、常識だから書いていないのではなく、
法は行動規範たる道徳ではないから、だけど。
465 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 17:44:29
466 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 19:22:50
一日で平均どれだけ歩くだろうか?
一般的な仕事をしている人で
700〜800カロリーぐらい消費するのではなかろうか。
距離は下限9キロメートル、上限は18キロメートルぐらいか?
たとえば、一万歩、歩いたとして6キロメートルぐらい。
しかし、仕事となれば二万歩ぐらい考えないといけない。
その場合は12キロメートル。
9〜18キロメートルの間をとって12〜13キロメートルぐらいかな?
もし一日に12〜13キロメートル歩いたとするとカロリー消費でも800~1000kcalぐらい。
大体、これぐらいの数値が現実的と思う。
そうした場合、畿内説がしっくりくる。
九州説さんから反論あるかな?
468 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 21:20:22
>>467 当時いまみたいな歩道があるわけじゃない。
たとえば今日、12キロ歩いたとする。
次の日は嵐が来て休んだとしよう。
次の日は晴れて、旅を再開するとしよう。
昨日、休んだので本日は、24キロメートルも歩く。
大体、ここらへんが人間の限度だろう。
>>468 >当時いまみたいな歩道があるわけじゃない。
整備されてない道での話だよ
今みたいに道路が整備されてたらもっといくだろう。
471 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 21:42:12
一般に軍隊の歩兵の行軍速度は1日30kmです。
戦国時も旧陸軍でも中国でもだいたい同じ。
魏志倭人伝の遣使が歩いた距離ですが、一日のスケジュールを考えてみよう。
5:00起床 6:00朝飯 7:00までにテントを折り畳み出発
2時間歩き30分休憩 ←9:00着、9:30まで休憩
2時間歩き1時30分間休憩 ←11:30着、13:00まで食事・休憩
2時間歩き30分休憩 ←15:00着、15:30出発
2時間歩きこの日は寝る準備 ←17:30着、18:30テント準備終了
18:30〜19:00晩飯時間、19:00以降は自由時間&就寝 翌朝5:00起床
※荷物を持っても2時間で4.5キロメートルぐらいは歩けるだろう。
8時間で合計18キロメートル、ここらへんが上限。
>一般に軍隊の歩兵の行軍速度は1日30kmです。
>戦国時も旧陸軍でも中国でもだいたい同じ。
あんた歩いてみな。
二日連続で大雨だったらどうするの?
一日に三日分の90キロメートルも歩くの?
現実的に考えて9〜18キロメートルぐらいだろうよ。
474 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 22:09:53
>>473 大雨ぐらいで行軍は止めんよ。
一日に30キロメートルであり
休んだから一日に90キロメートル歩けるはずなかろ。
>>472 遠足か?
>>474 >30キロメートルであり
マンガか?
オリンピック金メダリスト高橋尚子クラスか?
それはたんなる記録だろう。
>>458-460 > 弥生の定義は「稲作」と思ってたけど実際「土器」だったと
要するに「縄文稲作」の話がしたかったのでしょうか。
今では縄文期に稲作が行われていたことを否定する人はいませんが、
だからと言って弥生時代の定義が変わるわけでもないようです。
古代の時代区分なんて大雑把なものですから、細かい点だけを捉えて決まるものでも
ありません。
最初は土器が指標でも、それ以外にも青銅祭器や埋葬方法、鉄製利器の使用や水稲耕
作なども構成要件でしょう。
私はその中でも「水稲耕作」普及に伴う生産性向上が、弥生時代の性格をもっともよ
く現わしているかとは思います。
米は高栄養で備蓄性にも優れた食材ですので、その普及が交易量の拡大や富の蓄積と
言う社会的変化を生み、
前時代とは区分されるべき、新しい時代を造ったとも言えます。
これは、縄文期の稲作が、後代のものと異なり、社会的剰余の蓄積を生むようなレベ
ルのものでは無かったからでしょう。
> 向ケ丘弥生土器とは明らかに違う縄文土器が紀元前、八世紀より早かったらどう
なるの?てな話。
こちらの話は、私にはあい変わらず意味が通じないのですが・・・
>要するに「縄文稲作」の話がしたかったのでしょうか。
いや、弥生時代です。
>弥生時代の定義が変わるわけでもないようです。
いや、本本の定義は
>>458-460で言ったとおり、彼等が作ったんですが
最近になってその定義も替えようとする人がいるということです。
弥生時代の象徴と言えば”稲作”でしょう。
しかし、稲作が定義ではないということです。
>古代の時代区分なんて大雑把なものですから、細かい点だけを捉えて決まるものでも
>ありません。
いや、ハニワ時代、古墳時代と呼ばれてましたのでそのとおりで良いと思います。
>私はその中でも「水稲耕作」普及に伴う生産性向上が、弥生時代の性格をもっともよ
>く現わしているかとは思います。
いや、それは弥生時代の象徴です。
>> 向ケ丘弥生土器とは明らかに違う縄文土器が紀元前、八世紀より早かったらどう
なるの?てな話。
>こちらの話は、私にはあい変わらず意味が通じないのですが・・・
「弥生」の勉強してください・・・
478 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 22:34:23
>30キロメートル
こんな、アホな事を云うのは河童くんかゲンコ虫しかいないだろう・・・
479 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 22:46:19
480 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 22:57:27
>>479 ソノマエニ遣使が文人ではなく、全て兵隊だということを証明してね。
それから戦記だろ?
物事には一・二・三という具合に順番がある。
まず、一・二を飛ばして三をやろうなんてアホのやること
アクセス規制の巻き添え中なんで手短に
貴方は定義とか象徴とかどういう意味で使ってます?
私とは全く逆の意味で使われているように感じますね。
例えば、古墳は古墳時代の象徴であって定義ではないと私は思います。
最後の「向ヶ丘云々」は、もう少しヒントをいただかないと
「勉強」のしようがありませんが。
そういえば最近河童さん見ないね。アホーにも書き込みしていないみたいだし
>>480 証明を理解できる知識はあるのか?
知識のない人間に証明しても、それを理解できなければ証明する意味もない
>>481 なぜ弥生時代という区分があるのか?少し調べたんです。
この向ケ岡貝塚で発見された土器は有坂氏の手によって見つけ出された。
すなわち、「弥生土器一号」の発見である。
有坂は知り合いの坪井氏に託し、ここから、この縄文土器とは違う弥生土器の研究が始まる。
その後、この土器を「弥生式土器」という名がつく。
この弥生式土器とそれ以前に発見された縄文土器とを分けて、
弥生時代、縄文時代としました。
これが弥生時代の始まりです。
>貴方は定義とか象徴とかどういう意味で使ってます?
自分の中での定義は、向ケ岡貝塚で発見された土器が使用された時代が弥生時代。
「弥生時代」の元となるものに定義」という言葉を使いで、
それ以外のものを「象徴」という言葉で表しました。
何かおかしいですか?
>例えば、古墳は古墳時代の象徴であって定義ではないと私は思います。
たしか明治時代に定義が決まり、古墳は石器時代(縄文時代)にはないので
古墳をみて古墳時代とされたはずです。
>最後の「向ヶ丘云々」は、もう少しヒントをいただかないと「勉強」のしようがありませんが。
「弥生」と名づけられたのはいつ?どこで?何故か?何を持って?を調べてほしいということです。
その結果、以下のようになり、「土器」が基本となっていることが分かったんです。
いつ? 答え>明治時代
どこで? 答え>東京大学人類学、「弥生式土器」という言葉は蒔田氏。
何故か? 答え>縄文式土器との違いから。
何を持って? 答え>向ケ岡貝塚で発見された土器をもって
485 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 23:55:24
486 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/07(土) 23:58:55
>>472 最も合理的な歩き方は軍隊の行軍速度
50分歩いて10分休息
完全装備荷重で時速4km
江戸時代の一里塚はこの方式
1日の行程は30kmが標準
強行軍で1日50km
僕は山歩きをしていたので上記を実感として理解できる。
今は健康上の理由で山歩きをやめたが。
>>486 ある程度道が整備されだした江戸時代〜現在と比較しなさんな。
30km毎、歩くとすると一日だけなら出来るかも知れない。
しかし、この日を休んだら次の日はその倍。
又さらに休んだら3倍の距離になってしまい、一日60キロメートルとか
90キロメートルとか現実的ではないと思います。
もっと現実を直視しようよ。
ある集団がいて、移動や旅をするとしよう。
中には年配のご老人がいて、そうゆう人は「八べえさん」も一緒に連れていく。
全て一人残らず、精鋭が揃ってるのではない。
詔書を読み、渡す人は年配の人だったんじゃないかな。
水戸黄門の「八べえさん」に聞いてみなよ。
貴方どれぐらいでバテマスカ?
いくらなんでも君達と一緒ぐらいじゃないか?
集団で移動するときは、先頭に立っている人が基準ではなく、
一番遅い人が基準になる。
八べえさん、貴方いったい、一日にどれだけ進めるの?
八べえさん>9キロメートルなら頑張ります。
ほら〜ぁww
489 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 00:29:52
俺は以前東海道を、休日無しの二週間(一日約八時間)で制覇した。
>>484 定義って難しいんですよ。
貴方の弥生時代の定義も数学的定義であれば×ですね。
弥生式と同じ製法の土器は古墳時代以降も継続して製作されていますから。
古墳時代の弥生式土器とか書くとややこしいので別の名称で呼びますが。
「紀元前八世紀」は、ヒントをいただけたようですが、
相変わらず理解できません。
すいませんです。
491 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 00:42:36
小学生時代朝6時30分に家を出て、学校までアップダウンのきつい片道5q(1時間30分)の田舎道を毎日通った。
冬は何時も家に着く途中で真っ暗になり、街灯と途中の家から漏れる明かり、たまにすれ違う車のヘッドライトだけが唯一の明かりだった。
小学生だって一日20qは楽勝だよ
>>490 >貴方の弥生時代の定義も数学的定義であれば×ですね。
>弥生式と同じ製法の土器は古墳時代以降も継続して製作されていますから。
>古墳時代の弥生式土器とか書くとややこしいので別の名称で呼びますが。
それは 弥生/古墳 時代というんですよ。
言ってること、分かってます?
>「紀元前八世紀」は、ヒントをいただけたようですが、
>相変わらず理解できません。
>すいませんです。
以前ですね、市販されている雑誌を読んでいると「暦年代対照表」とあったんです。
そこには、縄文、弥生時代の区分を「紀元前四世紀(紀元前八世紀)」と書いてありました。
ここから、弥生の始まりを紀元前八世紀説もある。
だが、紀元前八世紀とするのはおかしいのではなかろうか?
弥生式土器と同型の土器は紀元前四世紀からだろう。
という事で
>弥生時代の開始を八世紀という人がいるが佐原氏が影響してるのか?
というレスをしたんです。
佐原氏はというと
弥生時代の食事を重視し、稲作が行われたからそれぐらいを考えてる人ですから。
>>491 おたくは計算もろくに出来ないのか?
どうみても片道5qで往復10kmだろ
こんなやつしかいねーのか・・・・
ごーたす ごーの答えは じゅうーだろ
おれがいってるのは下限でそれぐらいの9キロメートル
上限は18キロメートル
小学生は右左をよくみて横断歩道をわたりましょー
あのね、今みたいに道路なんてなく、険しい道をいったかもしれない。
それに女王への賜り物もあり、尚且つ自分らのテント、食糧、他にもあるだろう。
疲れるな・・・
495 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 01:40:36
ヤフーとかアホしかおらんし
496 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 03:16:31
どなたか
5世紀に日本列島を武力制圧した 獲加多支鹵大王 と
倭王 武 と
大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)
の漢字の違いは、どのように生じたのか?定説を教えてください
497 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 08:52:25
>>494 高校の時片道10kmを毎日通学していた。
1日20km。
>おれがいってるのは下限でそれぐらいの9キロメートル
>上限は18キロメートル
これはないな。
498 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 09:13:25
>>497 一番元気な高校生の時でも1日20km。
今は毎日どれだけあるくのか?こんな計算も出来ないのか?
>>496 倭王 武は中国人が勝手に中国風にした名前。
獲加多支鹵大王は大泊瀬「幼武」の部分を一字一音にした。
499 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 09:14:36
一人、養護が混じってるな
500 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 09:36:50
ここには
>>491の文章すら理解出来ない馬鹿が常駐しているようだな。
501 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 09:39:05
>>500 おぬし幼児だろ?それか頭が非常に悪いとか
神夏磯媛は一國之魁帥
この記事で観ると速津姫ワンランク上なのか。
これはしらなかったね・・・
>>492 貴方のおっしゃりたいことが、やっと理解できました。
>>452 「弥生時代の開始を八世紀という人がいるが佐原氏が影響してるのか?」
の「八世紀」とは「紀元前八世紀」のことで、
>>459 「向ケ丘弥生土器とは明らかに違う縄文土器が紀元前、八世紀より早かったらどうなるの?」
の趣旨は「縄文土器とは明らかに違う弥生様式の発生が前八世紀以前に遡ったら」と言うことなんですね?
つまりは、単なる「書き損じ」に私は興味を持ってしまったわけだ。
弥生開始の実年代については、年代遡上を主として、いろいろと議論のあるところです。
ただ、どのような社会形態の時代を「弥生時代」と呼ぶかと言う認識については、今のところ大きな変更は無いと思います。
水稲耕作、鉄器の普及により採集型主体ではない、農耕型主体の生活様式が定着し、
生産性の向上による富の蓄積、共同体住人間の階層分化(首長墓や青銅製威信財の需要)が見られ、
大規模治水事業などが行えるレベルに政治システム(いわゆる「クニ」段階)が進化しているが、
後続の古墳時代のように土器や古墳の様式に全国的な画一性は、まだ生じていない段階。
つまりは、水系単位の地域王権レベルの時代と言う辺りが世間の共通認識でしょう。
土器の様式の細かい差異などは、詳しくないので説明できませんが、製法としては縄文式の夜臼式土器を
人によっては縄文晩期、弥生草創期と所属する時代の表現が分かれるようです。
また、縄文式よりは高温で酸化焼成された土器の系統は緩やかに変化しながらも、
古墳時代以降、現代まで継続して製造され続けています。
ただ、弥生土器と呼ばれるものは、弥生時代に属するものだけ。
ここでも庄内式土器を弥生終末期とするか、古墳草創期の土師器と呼ぶかは人それぞれですが。
結果として弥生式土器が普及した時期と弥生時代の開始は、まだ概ね一致しますが、
これは、弥生式の普及拡大と水稲耕作の普及拡大が、
ほぼ同じ担い手集団によって行われたためでしょう。
今後、この土器について新発見が有っても、前述の「弥生時代」についての共通認識に
変化は生じないと思いますので「弥生時代」と言うことばは無くならないと思います。
>>504 よく調べてますね。
しかし、
「ただ、弥生土器と呼ばれるものは、弥生時代に属するものだけ。」
↑これは逆でしょう。
自分も初めは貴方と同じよな考えでしたが・・・
506 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 14:41:22
507 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 14:45:14
邪馬台国スレだけど稲作スレになって来てるな(笑)
(
>>465)←この人が悪い。
ここから始まったんだよ。
私が強調しているのは始まりでは無く、終わりの方ですよ。
土師器と弥生土器には、明確に線引きが出来るような違いはありません。
貴方も奈良時代製の「弥生土器」なんて概念は受け付けないでしょう。
古墳社会に「弥生土器」が存在しないのも同じ理屈です。
始まりについては、夜臼式の例のような場合があり、
貴方の仰ることに一理がもあることだとは思いますが、
私は土器様式に基づいて時代区分を設けようとは思いません。
509 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 14:53:23
>>501 >おぬし
「おぬし」って、時代劇かぶれも甚だしい奴(笑)
ここにいる奴ってこんなのばっかかよ?(爆笑)
510 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:01:37
>>508 んー庄内式土器、は時期を食えわしく調べたわけではないので
なんともいえませんが、
ハジキの祖系は庄内式土器といわれてますね。
しかし、庄内式土器は古墳とかぶる。
この古墳というのは度の古墳からで議論がなされていると思う。
箸墓からという人もいれば、夏のアシが生い茂った所から確認できるぐらいの
墳墓を古墳と呼ぼうという考えもある。
511 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:02:52
>食えわしく
詳しく です。
誤字が多くてすいません
>>464 刑を科すということは、殺してはダメだからですね。
仏教やヨーガには不殺生戒があるが、これは全生物だから常人には厳しい。
>>503 考古学者の寺沢薫氏も、豊前石塚山古墳に注目している。
四世紀前葉頃(布留1式)になると、北部九州最大の前期前方後円墳で三角縁神獣鏡7面と
獣帯鏡1面を副葬した福岡県苅田町石塚山古墳が築造された。
かつてのイト倭国中枢からははるかに離れた周防灘に面した「豊」の国の中にある「京」のクニだ。
・・・
私はこの頃を境に朝鮮半島とを結ぶ外交や交易のルートに一大転換があったのではないかと考えている。
・・・
想像をたくましくすれば、石塚山古墳の被葬者こそはかねてより伊都国が握っていた大率権力を一掃し、
この新しいルートに乗った外交、交易を管理すべく王権から派遣された大帥であったかもしれない。
(「王権誕生」講談社)
寺沢氏は畿内説だからこう表現されるが、景行紀の神夏磯媛の記事は考古学的にも認められるようだ。
513 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:11:51
弥生時代の始まりは板付遺跡の土器の年代が基準
古墳時代の始まりは、あきらかに規模が違う箸墓が基準
でいいのでは?
古墳時代に纏向型の時代を含めるか、定型化後を呼ぶかは、人それぞれですが、
私は定型化後がヤマト王権の成立、古墳時代の開始で構わないと感じますね。
515 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:16:38
安本氏の甘木・朝倉説では、その後、豊前京都郡へ遷都した。
愛知県民サンも同じような考えでいるんでしょうか?
>>515 豊前京都郡へ遷都は同じ考えです。
その前は甘木・朝倉ではなく、山門・八女と考えています。
ではまた。
GRRR・・・
518 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:48:46
>>512>>516-517 石塚山古墳は110Mの前方後円墳として最古形式の古墳の一つ。
しかし、同型(最古形式)の箸墓古墳(280M)、西殿塚古墳(220M)、
中山大塚古墳(132M)、椿井大塚山古墳(190M)、弁天山A1古墳(120M)、
浦間茶臼山古墳(140M) と比べた場合、規模が劣るではないか。
三角縁神獣鏡にしても同型の椿井大塚山古墳三十八枚に負けている。
石塚山古墳の被葬者は本当に倭王だったのでしょうか?
この規模から言うと、箸墓古墳や椿井大塚山古墳の被葬者が本物の王者であり、
石塚山古墳は違うのではなかろうか?
519 :
ローガン:2009/11/08(日) 15:59:53
>>508 横、失礼。
定義で考えると「布留0式」おかしいですね。布留の指標となる小型土器三種がない時代なんで
「定義」では布留と呼べないですよね。
だから0式。プレというような意味あいだね。
なのに 永遠の嘘を聞きたくて
今日もまたこのスレを覗いてしまう
永遠の嘘を聴きたくて
箸墓は三世紀だと言ってくれ
たとえ僕が 間違っていても 正直だった悲しさがあるから
Wow・・ 流れて行く
静けさにまさる 強さはなくて 言葉の中では何を持てばいい
Wow・・ 流れて行く
確かな事など何もなく ただひたすらに畿内説が好き
夢は眩しく木漏れ陽透かす 少女のパンツのにおい嗅ぐ
君の欲しいものは何ですか
君の欲しいものは何ですか
私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そしていま私は思っています 明日からも畿内説で生きていくだろうと
私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを 騙すことから始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうのか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんな畿内説です。
いい加減な畿内じゃけ ほっといてくれんさい
畿内説と一緒に 泣きとうはありません
どこへ行くんね 何か騙しのネタあったんね
騙し疲れたら手紙でもだしんさいや
季節もいくつか 訪ねてきたろうが
時が行くのもわからんくらいに めまぐるしかったんじゃ
人が好きやけねー 人が好きやけねー
僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙がつく
箸墓は絶対三世紀だって 君の時計を止めてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま
風に吹き上げられた 埃の中 畿内説の声も消えてしまった
ああ あれは春だったね
>>519 先ほどからの主張に合わせると布留0は「弥生時代」に
未だ引っかかっている土器と言えますが、
そもそも独立した様式区分なのかとも思います。
編年上、庄内と布留1との間に素直に嵌るものでも無さそうとも聞きます。
まあ、素人的な疑問ですけどね。
527 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 18:38:53
528 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 19:01:14
箸墓が3世紀だと、なにか困ることでもあるのかね? 九州説の諸君。
いや九州説の、ほんの一部の諸君かもしれんが・・・・。
もともと九州説は、倭人伝の解釈から導き出されたんだろ。
だったらそれで頑張れよ。
九州説は、古墳の年代なんか、べつに考古学的なことを気にせんでもいいんじゃないのかね。
>もともと九州説は、倭人伝の解釈から導き出されたんだろ。
>だったらそれで頑張れよ。
いわゆる、YAHHO!掲示板ゲンコ虫レベルの奴が多いという現実だな。
ヤフーはアホばっかやし
530 :
サガミハラハラ:2009/11/08(日) 19:28:30
そうですね。九州説論者において、箸墓の築造年が卑弥呼の死亡年と同じであろうが、箸墓の被葬者が
女で卑弥呼と同じ年であったとしても、そんなこと関係ないですね。
同じだからといって同一人物とはいかないですからね。
531 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 19:35:22
>>528 >箸墓が3世紀だと、なにか困ることでもあるのかね? 九州説の諸君。
九州説の中でも東遷説の信奉者が非常に困るわけですよ
「九州邪馬台国がのちに東遷して大和朝廷を打ち立てた」
と思い込んでるのが東遷説の連中
考古学に対して彼らはつねに罵詈雑言を吐く傾向大です
代表は安本さんかな
532 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 19:37:48
>サガミハラハラ
あんた生きてたのか(笑)
本日、九州国立博物館で邪馬台国シンポジウムがあったみたいですね。
参加したんですか?
533 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 20:50:06
お元気ですか
今でも畿内説と大嘘つきますか
安物さんはまだ悪あがきしてるのか。
甘木説?ないないw
535 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 21:08:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
536 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 21:53:19
夢の中に出てきた
あなたはとても素敵
いつも君だけ恋して暮らしているさと
私は頬を染めて
もじもじしてたけど
心は答えていたのとても好きよ好きよ
愛してるの痛いほど
恋するハートわたしは 九州説。
537 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 22:16:02
女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんの畿内のじいさん
あんたこそが大馬鹿者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして漂うだけ
土産に貰ったサイコロ二つ
箸墓の前でふれば
また振り出しに戻る旅に陽が沈んでゆく
538 :
サガミハラハラ:2009/11/09(月) 00:08:39
>>532九州ですか?いかなかったですよ。あれだけでいくのは金銭的時間的に勿体ないですから。
得ることなんにもないでしょうから。
>>534甘木説?
二箇所ありますよ。ひとつは安本美典の朝倉甘木。
もうひとつは後藤幸彦の小城甘木です。
さて正解はどちらでしょう?
539 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 00:39:21
それ知ってます。正解は小城甘木ですね。
卑弥呼の墓は桜ヶ岡でしたね。
いまや常識ですよ。
541 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 01:03:37
九州説がおとなしいのは、正解がわかっちゃってつまらないからだよ。
畿内説はまだそのことがわからない、考えれないので、一生懸命ほえてるってわけさ。
吠えてる度合いは圧倒的に九州説が上だけどな。
必死な九州各自治体や安本を見ればわかるだろw
543 :
美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/11/09(月) 05:36:50
つか「倭人の納めてた範囲」を理解出来ない人には一生邪馬壹国の場所は解らないよ
そもそも漢籍書に出てくる「天子」や「朝廷」ってのも、中国じゃなく大和朝廷や飛鳥朝廷の事だってのも知らないし
ちなみに卑弥呼が金(水銀)を貢いだのは京の倭人の大和朝廷だよ
んで、大仏作ったんだから
544 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 07:04:28
545 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 07:42:00
>>544 関空じゃなくて、ソマリア沖の給油活動の資金にすると言う話しはど
うなったんだ?
546 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 11:25:25
>>539 サガミの自演か。甘木でないのは常識だな。
>>546 そこは径100歩以上あるのは間違いないぞ
突っ込んでばかりの他の九州説連中よりサガミのがマシかと思う
548 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 12:53:01
美濃もん太くん
邪馬壹国の場所、天子と朝廷、卑弥呼と水銀、卑弥呼と大和朝廷
それぞれの関係を語ってくれ。
1000レス埋めちゃっていいからw
神璽=金印
550 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 13:08:52
30kmの名無しは、河童さんかな?
それにしてもまだヤフーにいる奴の弟子をやってるのか。
あのクラス程度の人も、いまだに追い抜かせないとは情けないぜ!
551 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 13:49:44
>>543 もんたくん、仏教伝来はもっとあとの時代だよ。
552 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 18:34:48
大規模規制の後遺症で、スレが死にかけてますね。
九州説だけだと倭人伝の珍読のみだから、すぐ行き詰まってしまうんだよ。
他の文献との比較や考古、社会科学、自然科学との整合性とかは眼中に無いから。
根拠は我思う故にの世界なので、やたら薄っぺらい議論しか起きない。
だったら、自説の展開よりは、畿内説へのツッコミに専念してくれていた方が、
スレ的には有益だよ。
ここは、スレ主が畿内説なのだから、
下手な狂言回し役などをせずに、積極的に自説を提起し、
九州説側の批判に対峙するべき。
九州陣営は重鎮のサガミ氏を中心に、それぞれ得意な分野で議論を挑む。
もちろん、畿内側もローガン氏を中心にスレ主をフォローして行く。
もん太とか河童とかに活性化の燃料となることを期待してはいけない。
>>552 >九州陣営は重鎮のサガミ氏を中心に、それぞれ得意な分野で議論を挑む。
>もちろん、畿内側もローガン氏を中心にスレ主をフォローして行く。
>もん太とか河童とかに活性化の燃料となることを期待してはいけない。
あんた良く分かってるねw
誰が実力があり、誰が無知なのか、細かいところまで分析してる。
九州説といえば・・・末盧国から東南は前原ではなく佐賀平野で、陸行1月は1日3kmとかいうやつだろ。
今どきこんな議論をする文献学者はいないし、あまりにアマチュア的(悪い意味で)だし非学問的で、何
より爺くさい。wwwwww
556 :
メ:2009/11/09(月) 22:14:57
>>553ってバッカじゃねえ? 何が実力で何が無知なんだよ。このうすらトンカチが(爆笑)
実力のある奴が2CHになんか書き込みするかタコが
実力のある奴は2CHになんて投稿する暇なく、キャリアでバリバリ仕事しているな。
>>557 カスの中でもいくらかましってこったろ。
カスが一生懸命背伸びして、カス同士でランク付け
一時の優越感に浸るスレってここですか?
で、誰がカスのキャリアで誰がカスのノンキャリなんだ?
>>555 じゃあ、ナンでそんなのがまだこの板にいるかといえば、
反論できないからだし、納得できる畿内説が言えないからだろうね。
>末盧国から東南は前原ではなく佐賀平野で、
伊都国は北東。倭人伝には間違いもある、ってことで。
561 :
メ:2009/11/09(月) 23:26:14
格付けなんたら〜てテレビ番組があったね。
ていうか、今それどころではない。
というか、どうでもいいww
>>560 >倭人伝には間違いもある、ってことで。
間違っている書物なら史料価値0だろう。
それとも都合悪くなると、たいそらしこと並べ、屁理屈こねて間違いとする方向で調整するのか?
563 :
メ:2009/11/09(月) 23:41:01
お、なんだ、なんだ!
おれを挟んで「畿内説vs九州説」が始まってきた。
564 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 23:41:11
畿内説は方向の間違いとしているようだが、
方向の間違いの可能性もあるとしよう。
だが、その場合、畿内方向になる根拠と
出雲や吉備ではないという根拠が必要。
格付けなんて所詮コンプレックスのあらわれ
自分に自信がないか、それとも小さい頃から蔑まれてきた反動か?
こうして格付けしたり、自分に下に人を設けて自分の位置をできるだけ高い所に持っていこうとする
無記名掲示板で多く見受けられる臆病者のささやかな抵抗
畿内だ九州だって、お前ら馬鹿じゃねえの? 脳みそ焼酎で洗ってこいよ
邪馬台国の手前に位置するマツロ国は
帯方郡から約4000キロも離れた場所にあるんだぞ
少しは頭冷やせよ馬鹿どもが
>>562 ひとつふたつ間違いがあっても史料価値ゼロってこたないだろ。
ヘ理屈でもなんでもなく伊都国への方角は間違ってるが?
>>567 >ひとつふたつ間違いがあっても史料価値ゼロってこたないだろ。
間違いが一つか二つと言い切れるか?
それとも都合が悪い箇所がひとつかふたつなんじゃねえのか?
569 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:02:43
あまり信じてはいないが
方向を正しいとすると伊都国佐賀説も捨てきれない。
陸行水行の記述が合う
570 :
メ:2009/11/10(火) 00:06:00
>>565 なぜ、君はそんなにムキになってるのかな?W
こっちのほうが興味あるww
571 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:12:03
>>570ムキではないが、究極のマイナーキモヲタ達を相手にするには
軽い助走が必要なんだぜ。
>>568 言い換えてみよう。
史料価値ってのは間違いの部分と正しい部分を見分ける検討をして判断するもんだろ?
伊都国が東南なのは正しいのか? 間違いか? 前原の遺跡はなんなんだ?
573 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:21:47
>>572 書いた本人でもないのに勝手に弄るなよ
都合悪けりゃ間違いと判断したくなりたいのが
人間と言うものよ。
たいそらしく検討なんかすんじゃねえよ
過去の史料なんていうものは、確かめる事ができねえんだから、0か100の両極しか存在しねえのよ
574 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:24:17
>前原の遺跡はなんなんだ
ただたんに昔そこに人が居た痕跡だろう。
577 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 07:50:44
578 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 14:06:52
大月支国と釣り合うように、距離と規模を膨らまして、南の遠くの大国に仕立てただけだからな。
579 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 15:25:19
金印だけでなく家臣も銀印を複数貰っているのだから、邪馬台国がヤマトにつながるなら、今なら江戸城にあるはず。
580 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:02:42
倭人伝どおりに進んでみたらいいだろう? それで何か不都合があるか?
581 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:55:49
どうみても畿内説の圧勝です
582 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:57:38
>>578 頭弱そうだな?
方や長安から、方や郡から
何処がどう釣り合ってるんだ?頭大丈夫か?
583 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 17:49:44
>>582 魏が印綬を与えた国に対して、それなりの距離と大きさにしたという意味もわからんか?
大月支国と倭国との外交交渉は、それぞれ当時のライバルの政治家が当たっていたから当然功を競う。
584 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 17:57:44
卑弥呼の宮殿?奈良で3世紀の大型建物跡出土
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091110-00000860-yom-soci 南北19・2メートルと当時、国内最大の規模で、市教委は「飛鳥時代以前の大王や天皇の宮などの原形とみられ、
日本の国家形成過程を探るうえで貴重な発見」としている。
時代や場所などから、「ここが邪馬台国の中心で、大型建物は卑弥呼の宮殿だった可能性がある」とする研究者もおり、
市教委はさらに範囲を拡大して調査を進める。
昨年度までに出土した建物群跡の東側を調査。
南北19・2メートル、東西6・2メートル以上の掘立(ほったて)柱建物跡が見つかった。
調査区の西側は後世に溝が掘られて削られているが、建物のバランスや柱穴の形状などから東西は2倍の12・4メートルだったとみている。
柱の直径は約32センチで、南北の柱の間には、床を支えたとみられる細い柱穴も見つかり、高床式の建物だったらしい。
一緒に出土した土器などから時期を判断した。
これまでの調査から、今回の大型建物跡を含め、少なくとも4棟が、
柵をはさんで中軸線をそろえて左右対称で建てられて東西一列に並び、綿密な計画性がうかがえる。
現場は小高い台地を大規模に造成しており、南北約100メートル、東西約150メートルの区画があったとみられる。
市教委は「整然とした規格に基づいて構築された国内最古の建物群で、弥生時代の建物とは一線を画する」としている。
585 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:02:12
ねぇねぇ
宮殿跡がみつかったらしいけど、なんでそれで畿内説の勝利宣言しちゃうの?
邪馬台国の時代に大国は邪馬台国しかなかったって考えしかないの?
頭固すぎじゃね?
これも貼っとくわ。
日本古代史ファンの遊び心をさそうのだろうけど、邪馬台国とか卑弥呼に
あまりこだわりすぎて、日本史の全貌がかえってわかりづらくなってるんじゃ
ないのかな。もっと別の切り口を探したほうが面白そうなのに。
たとえば、シナノ王権とか。日本各地にはまだまだ埋もれた史料がいっぱい
あるのに。
>>582 洛陽から藍氏城までは万六千三百七十里。邪馬台国も洛陽からだと釣り合った里数になるだろ。
ちなみに大月支国なんて国はない。
589 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:43:24
>>585ですが、邪馬台国は徳島にあったとしか思えない
590 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:49:58
592 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:54:50
593 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:58:43
俺の友達に大月氏王の子孫がいる。
595 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 19:46:52
596 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:18:59
597 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:29:35
おい誰かトンデモ
>>589の相手してやれよ(笑)
凄まじいスルーっぷりに噴いたw
598 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:31:58
>>591 箸墓は計画段階から、二重周濠の予定だったということだろ。まあ盛り土の量を確保するために
必然的だったのかもしらんが、興味深いねえ。周濠の底に徇葬者があるとすれば残存脂肪酸分析
など、考古学の手法ではちょっと届かないかもしらんね。
601 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:49:57
テレビで卑弥呼の宮殿?特集やってるぞ
>>587 同意だが、論争すること自体にすでに意味があるような
状態なので…。
604 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 09:53:07
漢委倭王も親魏大月氏王も親魏倭王も、服属させて、支配、滅亡させるのが中華のやりかた。
ヤマトはその影響下から脱した勢力。
いくら掘っても東海、山陰、北陸の文化圏を確認するしかない。
しかし日本の考古学にとっては重要な進歩だ。
やっと規制解除したね・・・
↑河童さんも東大卒に一度みてもらったら如何か?
「僕の師匠はデタラメでしょうか?」とか言ってww
ま、虫論が文学的に成り立つのか?自分では判断できないだろうし、
デタラメというのが判明するだろう・・・。
マキムクで建物跡も見つかったし、
九州からは何も出なさそうだから、諦めては?
609 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 22:31:26
俺から言わせれば、
先ずは、言語学、次に漢字学。(⌒ε⌒) と言っている時点で×なんだがなww
言語学なんて邪馬台国には関係ないし、自分の得意分野を相手に押しつけてるダケ。
それにしてもあのおっさん、このスレを覗いてるらしいなw
自分の話題が出て、気になって仕方ないのだろうww
ま、どうしてもみてしまうのも分かるけどね。
610 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 22:35:03
>>608 そのマエに、あのニュースをみても何のことを言ってるのか
九州説の人は分かってないと思うww
あのニュースをみて、一を知り十を知るではないが、どういうことなのか?
理解出来る知能を身に付けて挑んでほしいよなw
ふと
「邪馬台国」が全国を支配していた
って事自体考え直してみてはどうだろうって思った。
畿内・九州どちらが邪馬台国かって
昔から言ってるが、
それぞれに大きな国があったとしたら・・・。
それぞれが話を誇張して後世に残す事が
ないとはいいきれないでしょう。
人間は二分割できない
615 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:16:50
>>584 >時代や場所などから、「ここが邪馬台国の中心で、大型建物は卑弥呼の宮殿だった可能性がある」とする研究者もおり
>近くに「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳など
半年前に「箸墓=卑弥呼で間違いない!」とやってしまった読売にしては、「可能性がある」とか「説がある」とは
ずいぶん弱気になったな
>>613 みんなからいろいろと言われまくってるけど
堂々と反論すればいいこと
おれは無知ではないぞというのを大勢の前でしょうめいしてくれ
618 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:35:08
ドイツもこいつも馬鹿ばっかしが揃ったな。
帯方郡から5000q離れた女王国が畿内だ九州だって?
頭逝かれた野郎ばかりが掃きだめに集合か?
それとも畿内から5000q離れた場所に帯方郡があったのか?
619 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:39:47
>>673 注文した看板屋の従業員が、インフルエンザで休んでいるから
看板の納品が遅れている。多分二三日で納品されるだろうから、看板発見は日曜日頃になりそうか?
620 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:41:13
621 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:56:52
なぜ箸墓掘らないんだ?
さっさと掘ればいいだろ?
622 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 00:44:44
個人的には宇佐の亀山掘ってほしいけど駄目?
623 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 00:48:38
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
624 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 03:52:51
>>615 君みたいなのが
あーだこーだ 文句をいうから、
書き方を変えたんだろよ。察しろよ
625 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 04:26:05
そろそろ、似非遺跡発掘の考古学なんて止めてしまえ!
たかりやが物欲しさに話題作りなんて恥知らずにも程があるぞ!
626 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 04:56:04
と、負け九州説論者が遠吠えしております
627 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 05:10:17
巻向遺跡付近の発掘作業に何故国は資金投入しないんだ?
200億300億安いものだろ
あれか?
今の天皇の系譜の信憑性が落ちる何かでもたくさん埋まっているんじゃないか?
一説の卑弥呼暗殺して国を盗み取った史実とかが判明するかもな
628 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 14:17:14
刷新会議って知ってる?
629 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 16:06:09
今の天皇家は、越前ではなく、近江の継体天皇以降の血筋だってばれるから。
国記・天皇記が出雲国造家に伝わってたのを、万世一系じゃないつって、明治政府が焼いたって話がある。
630 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 17:17:12
大室寅之祐か長州藩の誰か
631 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 18:04:23
なんで建物に住んでたのが女王ってわかんの?タンポンでもあったとか?
なんでマキムク京を始めたとされる景行天皇の住居だとされないの?
632 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 18:07:10
>>627 巻向遺跡の発掘に関わってる奴らの言ってることが天皇家代々の伝承と
全く違うことばっかりいってる国賊だとみなしてるから。
633 :
愛知県民:2009/11/12(木) 20:05:52
纏向なのに垂仁天皇無視、卑弥呼を連呼するこの国の報道は異常だと思う。
垂仁が卑弥呼の弟であれば、序列は卑弥呼の方が上。
635 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 20:41:49
636 :
ローガン:2009/11/12(木) 20:45:15
>>633 > 纏向なのに垂仁天皇無視、卑弥呼を連呼するこの国の報道は異常だと思う。
学校教育でしょうかね?うちに中学生が居ますが、「卑弥呼」「邪馬台国」「魏志倭人伝」は知っていますが、
崇神垂仁景行とかは教わっていない様子です。
637 :
愛知県民:2009/11/12(木) 21:31:14
右翼に言わせれば、米国の占領・日本潰しの一環と。
そういう一面はあったかも・・
>右翼に言わせれば、米国の占領・日本潰しの一環と。
>そういう一面はあったかも・・
↑が
>>636ローガンさんへの返答ですか?
もう少し、良い答え方があるのでは・・・もういちどお願いします。
639 :
メ:2009/11/12(木) 22:38:23
しまった〜名無しで書き込んでしまった
>638は自分です。
640 :
メ:2009/11/12(木) 22:44:35
実在がほぼ定説化されてる雄略とその時代から遡るとして・・・
垂仁が実在するとしても、11代の垂仁だと時代が合わないんじゃないの?
あるいは、垂仁の元ネタになる人物がこの時代にいたとしても、そこから雄略
までの間に日本の史書には書かれなかった断続期がないとやっぱり計算が合わ
ないわけで、少なくとも天皇家の系譜にウソが入ってることになる
どうしても垂仁とかの遺構ではないでしょ
いや、遺跡の推定時期が魏志に書かれてる卑弥呼の時代だったとしての話だが
天皇家の系図のどの辺りがおかしいのでしょう?
643 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 01:39:29
どんとこいのがレス進んでるよ〜
ここも、じゃんじゃんレスしてね
さて、寝よう zzz
644 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 03:25:32
卑弥呼の男弟が崇神天皇、台与の男弟が垂仁天皇なのですから
マスコミが纏向遺跡の報道に関して崇神天皇と垂仁天皇を無視しても
なんら問題がないですね。正しい報道だと思います。
645 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 03:25:48
岡田外相は邪馬台国は朝鮮にあった説が有力だといってたけどな。
646 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 03:58:57
記紀によれば、纏向に都を置いたのが景行天皇される。
一番大きい神殿はは当然、景行天皇の住処とするのが当然だろ。
しかも、その景色天皇記ではその当時の九州は北部以南が大和朝廷の支配下では
なかったことがはっきり記述されている。
宇佐(記紀の表記では菟沙)辺りの女王が投降してきて朝廷に忠誠、
その後大分県を南下していき豊後辺りにいた海部(と名づけられる)やらが
女王の手引きで和平を結び・・
つまり、この宇佐に居て天皇に迎合した女王が台与ぽい。同じ人物かもしれん
アカルヒメの伝承も大分の姫島から難波に伝承が移ってる。
とりあえず、纒向の王は伝承どおり、景行天皇だろ。なんで無視すんのwwww
無知で馬鹿なマスゴミどもが。
現状の学説では、継体天皇(最近では雄略天皇)以前の記述は微妙と
されているからだろ。それが良いか悪いかは別として、マスコミに文句
言ってもしゃーない。
648 :
愛知県民:2009/11/13(金) 06:35:54
646さんにほぼ同意だが、もう少し記紀を読んで下さい。
649 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 08:51:01
北九州連合の政治的安定のための象徴権力の役目が必要とされなくなり、もとの巫女に戻って矢部川の奥へ隠った。
>>646 風土紀にあるアメノヒボコは伊都国王の先祖という
記述はどう説明します?
アメノヒボコは畿内に入れなかったのだが‥
651 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 11:43:35
播磨風土記でオオクニヌシとアメノヒボコの争った記録は興味深い。
オオクニヌシはアメノヒボコは退けることが出来たが・・・
652 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 11:54:32
>>646の通り、あれが景行天皇の遺跡と証明されたら、天皇家は3世紀まで
遡れることになるのか
すごいな
それは置いといて、近畿説の奴らは何故あれが邪馬台国の遺跡に違いないと
何の根拠もなく思い込めるんだろうか
653 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 12:33:10
卑弥呼は土蜘蛛の女王だよ
654 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 12:59:57
雄略天皇が第21代で在位456年-479年(479に60歳くらいで死亡)が史実だと
仮定して話を進めると、卑弥呼と第11代の垂仁天皇、第12代の景行天皇が同
時代人(3世紀半ば、雄略より200年ほど前)ってのはどうなの?
彼らの存在が150年前くらいだとすればあり得ると思うが、238あるいは239年
に卑弥呼が仮の金印と銅鏡100枚を渡されたはずだが前過ぎる
垂仁達が三世紀最後から四世紀初めくらいの人間で卑弥呼とは違う時代という
のなら分からないでもないが・・・
413年 - 478年の間に少なくとも9回は朝貢した倭の五王の比定とも絡めると
一層ややこしいし、個人的には実在を疑ってるが十五代応神は394年に没した
ことになってる これすら卑弥呼の時代から150年後だよ・・・
656 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 14:00:43
記紀が全て史実と思ってる人間は存在しないだろう
ヤマトタケルの逸話が何人かの実際にあった征伐を一人の英雄譚に
まとめたものではないかと言われるように、景行天皇として語られている
ものがこの遺蹟にあたるものではないか?と言うことだよ
657 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 14:03:51
垂仁天皇は311年崩御 『住吉大社神代記』
崇神天皇は258年崩御 『古事記』
だから、記紀とかもかなり後世の作であり、意図してか意図せずしてかは
ともかくかなり・・・なものであるってこと
景行天皇などのモデルとなる人物の遺跡であったとしても、そもそも彼ら
が後の雄略や継体と同族であったかどうかなんて分かんない
雄略と継体すら怪しいのに・・・継体以降に母系でつながったにせよ
>>658 同時に大和朝廷とは全く異なる権力という証拠もないわけだ
個人的には同一の権力母体のエピソードだと思っているけど
クマソ等、敵対する権力なら記紀はそう記載しているからね
もちろんそう思ってるよ どちらでも有り得ると
補足すると、記紀の記述のある部分が正確であったとしても、他の部分の
記述が史実に即したもの、史実を反映したものとして同レベルで信頼が置
けるとも思ってないけど
もちろん大陸側の資料にしても
大胆な仮説は楽しいし自分でも考えるけど、仮説の域にも達してないと思っ
てるものが大半
今回の報告も「ある時代の巻向にかなり精緻な大型建物群があった」以上の
ものではないと思ってる
せいぜい、ここに大きなクニがあったのだろうくらいまで
661 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 14:58:17
>>660 正にその通り
根拠もなくあの遺跡を邪馬台国と直結させて鬼の首でも取ったように
これで邪馬台国は近畿で決まりと大騒ぎしてる連中を見てるとこれこそもう
バカかアホかと
662 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 15:42:18
>>661 あまりそう言うな。
九州から畿内にくら替えした奴にとっては、根無し草の根性者ばかりだから
余計過剰反応して自分をごまかさなければならない。
藁をも縋る思いからくる。
663 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 15:42:39
みんな心の中では、わかっているんだよ。ゴッドハンドでしか畿内説が確立できない事をね
664 :
ローガン:2009/11/13(金) 15:45:20
卑弥呼は所詮、共立された王。王権内の実質の支配者は、共立に参加した当時の有力氏族だったのではないでしょうか?
台与以降、後ろ盾となって「國中遂定」を成した諸氏の中に大王家の祖も参加していたのでは?
まあ想像ですが…
>>661 何も根拠も無く、決定もしてないのに「うちこそ邪馬台国!」と
主張してる、九州の各自治体はスルーですか?
666 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:10:48
倭人伝の行程通りっていうのは、最上の根拠だよ。
何のごまかしもない。
667 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:11:04
なんつーか、畿内はないな
668 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:23:32
だよなあ
九州説なんてのは本居宣長が「大和朝廷が中国に朝貢するなんてありえない!九州の小国に違いない!」
なんて理由で唱えられた説で出だしから破綻してるんだよな
もっともウヨ学者の本居宣長の説が今じゃサヨ学者の心のよりどころなのが皮肉だけどな
>>666 前から思っていたことをわざわざアナタにぶつけてしまう思慮の無さぶりを始めに謝り、次の
ことを聞きたいのですが、
倭人伝の製作にあたりやってきた漢人の役人に向かって、倭人がわざわざ軍事的機密事項と言っていい
「窓口から姫の部屋まで」の分かりやすいルートを情報として素直に差し出したのが事実と
思うのかい?
そんなことしたら島国でいることで得られる利点を手放すと同様のこと位、当時の人が分からない
わけ無いからね。
だから倭人伝の例の道案内はそもそも欺瞞情報だったと見るべきと、思ったことはありますか?
失礼しました。
671 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:35:49
「邪馬台」はその当時の読み方では「やまと」と読むなどと言ってる人がいますが
中国の史料で「台」を「と」と読んだ文献なんかありますか?
672 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:44:19
邪馬台をヤマトと呼ぶなら九州も有利に働くんですけどね、邪馬台をヤマトと呼んだとこで、邪馬台=大和になるわけじゃないんですけどね
673 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:45:51
台与←トヨ
台 ト
与 ヨ
>>672 その理由はなんなのでしょう?ヤマトと呼ぶと、邪馬台国=「何?」になるんでしょう?
675 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:51:05
倭人伝では女王国への道程の記述だけ異様に長い。
これは単に場所を教えたくないため。
ボスのところへは目隠しして連れていくのと一緒だからな。
たったこれだけのことがどうしてわからないのか頭悪すぎる。
伊都から宇佐と日田へいくのに九十九島と天草廻って
熊本から山を越えて一ヶ月かけて回り道したんだよ。
伊都から女王国まで山越えて半日とかバレたら大軍で押し寄せて朝鮮半島みたいに
されるからな。
676 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:55:08
>>674 あなたに同姓同名がいたとして、相手もあなたなのですか?違いますよね
677 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:57:47
>>675 その考え方だと、残り1500里の説明がつきますね
>>672 隋書に『隋書』では、都する場所ヤマトを「魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」と書いてある
>>676 ようするに、「山門」とか「山戸」とかですかね。ならそう書けばいいのに。
かつて盛んだった記紀と邪馬台国関連人物との比定が史料批判が
進む内に下火になったように、邪馬台国の場所の比定そのものも
結論が出ないまま終焉するのがオチじゃないか?まぁ、町おこし
村おこしという現実的な利権があるから、学者以外ではしばらく続く
だろうけど。
682 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:07:37
>>678 隋っていつの時代かわかっていってんのか?
7世紀半ばの遣隋使の時代だぞ。
つまり、天皇家が確立して記紀のベースとなる伝承やらを丸ごと信じてる時代な。
それにしては、それ以前の倭人の王どもとくらべて
遣隋使はあまりにも外交慣れせずおかしなことばかり言ったり失礼な文章書いてくる
失笑を買うような外交しかできなかったようだがね。
683 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:08:40
魏志倭人伝を読めば九州で決まりじゃん
684 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:10:58
685 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:13:18
>>678 「隋書」倭国伝からの引用
>魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王。
魏の時代、中国と通じてたのは30数カ国。皆が王と名乗って居た。
いま九州説をまともに唱えてる学者っているのか?
場所はすでに畿内でほぼ確定してたよな?
688 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:18:16
畿内派の人って、自分の頭で考えれない人ばかりなんだよね、だからゴッドハンド発動しても信じちゃうんじゃないかなー
以上、絶滅寸前九州派の遠吠えでした
690 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:20:58
右向け右、左向け左の畿内派、偉い学者が畿内説だから畿内が正しい。
もうね、バカ丸出し、オレオレ詐欺には気をつけてね。
自分の頭で考えれる何かを九州説と結びあわせると・・・
お一人さま随分と気分を害しておられる地下活動家がおられるようですね。
やや見苦しいですがそろそろソコ掘れワンワンしてみたらいかがでしょうかね。
693 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:24:28
あのー、邪馬台に繋がる物証は纒向遺跡からも、出てきてないんですけど・・・・
そんな事も畿内派は知らないんですか、プッ(笑)頭わる〜
694 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:25:09
>>686 >>687 時代の背景もわからず書物のほんの一部分だけを丸ごととって
後の都合の悪いことは知らんってのがあんたね。
ちゃんと議論もできない、ゴマカシばかり言うってのを自分らで証明してるじゃん。
>>693 あらあら可哀想に
まあお酒でも飲みなよ。
>>692 おまえw地下活動家とか九州派がかわいそうだろw
いくらネットでしか頑張れない九州派だからってw
>>694 ちゃんと自分が用意したプラットフォームの上に自分が乗れる自負あるの?
文面だけみるとぜんぜんそんなのなさそうだね
まあお酒でも飲みなよ
698 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:27:56
お勉強のできない3流大学ばっか揃った畿内説らが
隋書なんか持ち出すからww
よく分からないけど一流大学(=笑の温床)の人は隋書をどう処理されてるわけで?
700 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:33:01
目覚めよ! ゴッドハンド藤村新一!
その神の手で、決着をつける時が来た!
701 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:33:08
だれかが巻向は藤原京の一部ではないかという発言をしていたが
実際にgoogleEarthでみてみると、ほんとに藤原京の中なんだね。
道も条傍制が見えるくらい正確に東西南北に延びてる。
702 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:33:33
纒向遺跡での大型建物跡の発見されたのは素晴らしい事だね、ただ邪馬台にこじつけて来るとは頂けないわ
しかしこれは九州説派にとって刺激になるから、そろそろ本腰入れてくるんじゃないかな
しかし畿内はすごいね、ピンポイントで遺跡を発見しちゃうんだもん、なのに今更発掘って、なんで?
大和朝廷の物だけど、わけありで邪馬台に結びつけたんだろう、やはり、お金の問題かな?
>>698 信じたくないばかりに隋書まで否定しだしたよw
704 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:33:41
倭人伝でも隋書でも、もちろん記紀でも畿内説なんて有り得ないよ。
考古学とやらは天皇家の系譜は嘘、の前提の脳みそだから
巻向で大きな建物がでたら卑弥呼とか邪馬台国いう・・・・馬鹿のあつまり
705 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:35:03
魏書東夷伝の記述は事細かくケチをつけるくせに、記紀については
そんなことはせずに平然と比定するのが畿内説クォリティー。
>>702 そろそろ本腰っていままでなにしてたのかと・・
びっくりするくらい何も無いんだよな、九州って
707 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:37:01
>>703 隋書否定・・・・???
馬鹿のふりしてるのか、やはり馬鹿大学なので国語力の基礎が低いのか?
708 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:37:49
ここにいる元気な九州派はその勢いで学会で主張してくればいいんじゃね?
このままじゃ畿内確定は時間の問題だぞ?
710 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:40:52
確かに実際のところ巻向の発掘に関わってる奴らは大学のレベル自体低いせいか
例えば考古学などといいながらも偏差値40ぐらいのレベルで話すから
こんなレベルになる。
この隋書にしても引用で議論を交わそう・・ってことじゃなく、途中で
「学会は畿内」「隋書否定したよw」こんな馬鹿どもじゃどーしようもない。
馬鹿どもに掘らせてる宮内庁ども、いい加減にしろよ。天罰くだるぞ
711 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:41:19
>>706 お金がないみたいだよ、あやしい場所の目星は言わないだけでしょう。
712 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:41:44
もう九州は掘らなくていいよ。
住宅道路建設で出てくる出土物だけでパンク状態。
佐賀なんかは全部掘るのはあきらめて、重要度の低いところは
制限付きで建設してよいとなっている。
新規造成地区なんか、ブルーシートで覆われて
調査を待っている場所が多いこと。
もうすこし人を増やして欲しいなあ。
713 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:43:37
邪馬台認定が確定したら経済効果は凄いだろうな。
卑弥呼バブルか。こりゃお互い譲れんなw
714 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:43:40
715 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:43:53
>>715 ワロタwまあ好きにさせてやったらいいんじゃない?w
だから、ちゃんと主旨前提で廃絶すればいいだけじゃん、と思うんだけどな
九州畿内云々は別として、個人的に笑われてるのが分からないの?お前さん。
>>713 このスレは盛り上がってるけど、一般ではイマイチじゃね?確かに、
数十年前にブームはあったが。
大抵の歴史教科書や授業では最初の方に出てくる部分だから、
知名度は高いけどドラマとか小説とかが不足気味(漫画は何故か
多いが)。誰か、プロデュースして一山稼いだらどうだ?
719 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:49:50
720 :
717:2009/11/13(金) 18:53:04
こんなにレスが進んでると思わなかったので、
>707さん、頑張ってね。
なんで自信満々のくせに防御姿勢なの?
721 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:53:45
>>713 もし確定したとしてもだ、経済効果は、たいして変わらんと思うぞ
九州ではな
見せるものが何もないもんな。
「私はこう思いましたー!」な電波文の原典で人が集まるかと。
田舎だし。
数十年前の邪馬台国ブームって言うのは、今まで知られて
いなかったり注目されてなかったりした地域にもスポットが
当たるかもしれない、あるいは考古学的なロマンがあるかも
しれないって言うのがあったが…。今は九州にしろ畿内にしろ、
露骨な観光利権みたいなのがあるのを見透かされてるんじゃないか?
一般人的にも。
根拠も無いのに金儲けしてるのは九州だけだけどなw
725 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:05:23
歴史屋っていうのは、基本的に地元の商工会議所、観光協会の下僕だろ?
726 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:07:59
畿内派の学者は官僚的考え方だと思われる
この場合の官僚的なこととは何を言うのか当ててみろよバカヤロー(バカヤロー)
情けない奴が頑張ってるなぁ。
728 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:12:17
畿内派の学者は庶民的考え方だと思われる
729 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:13:10
畿内派の学者は空想的考え方だと思われる
語彙が無いから止まってると見たwwww
731 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:16:03
畿内派の学者には宮内庁が付いているそうだ。
732 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:18:48
簡単だろう、宮内庁に聞けばいいじゃん、倭迹迹日百襲媛命は卑弥呼ですか?ってよ。
733 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:21:40
どうした?九州派は元気が無いな?
734 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:23:22
まぁ、九州派は余裕があるからな
九州派はもうだめぼ…
>>732 門番の警官の方がお前よりもその件についての認識深いかもよ。
明治神宮のことで別件だけどアンケートしたらそうとうその眼で・・・・見られたよ昔・・・・・
737 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:26:52
ここで畿内説を主張している者も宮内庁の職員かな。
738 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:27:56
じゃあ、御前等九州派は朝敵だなw
739 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:30:05
宮内庁が畿内説を主張するわけないわ
740 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:32:03
無知なやつにかぎって
一行、二行の書き込みだなw
僕は邪馬台国のことを何も知りませんと
自らを証明してるようなものだw
もう完全に陰謀説みたい
九州節(ふし)の人完全に知性で負けてる宣言してるじゃん
情けないね
742 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:33:55
九州派のTOPは佐賀女子短大学長だそうですw
743 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:36:34
畿内派は今回の大型建物跡と別に、魏志倭人伝に関する物証が出てこない場合、、、
邪馬台国候補から完全離脱で畿内派涙目、、そうなるからしっかり見てなさい(笑)。
もういいよ、旧周武士の人い失礼だよ、マジで寝ろよ。
746 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:40:53
>>743 そこでゴッドハンド♪畿内派大好きゴッドハンド♪あう〜カモン、ゴッドハンド♪今回は許す、カモンカモン、ゴッドハンド♪
747 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:42:58
おぉーお、ニュースを見て逃走した九州厨のレスの残骸じゃないか
>>746 ゴッドハンド♪しか言いきらないのかwwwwwwww
ほれ、8行びっしり書き込んでみろよ
ま〜君には無理だろうがねw
749 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:45:03
もはや2chでも九州派は風前の灯だな
>>745 区別と区分けの区分も分からないって言われたこと一回じゃなくね?
751 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:48:03
畿内派のインテリぶってる奴に限って、ゴッドハンドが大好き、ほれ使えよ、得意のゴッドハンドをさ
>>724-751 もう少しまとめて書き込めよ
他の人も使ってるし、読んでいる。
くだらん”一行ネタ”の繰り返しではなく
学問てきに勉強になるようなレス頼む
753 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:53:32
例の金印もゴッドハンド臭プンプンなわけだがw
754 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:54:09
しかし、畿内派は、いつも九州派に論破されてんじゃん、畿内派が九州派を論破したとこ見た事ないわ
畿内説が有力だと騒がれていても、九州派を論破出来ない畿内派て無知すぎ
このシリーズじゃ出尽くしてるけど?
外部から新しいソースが出てはしゃいでるのは誰なのよ?
考古文学にしたいのならそれはそれで九州節の使命じゃね?
>>753-755 くだらんレスだな
ここを読んでいる人は君のくだらんノーガキを聞きにきてるんじゃない
もっとビッシリと書き込めよ
最低でも4行かな
6行〜8行ぐらい書き込めないのか?それだけ知識がないってことかな?
>>754 破るにはそれなりの陣が必要な訳だが・・・
声だけで垣根がある、堀がある、塀がある、矢倉がある、で
実際にあるのは武装もしてない兵とやらだからね
かまってあげられないのが事実なのでは
759 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:59:51
しかし、うーむ、生活痕が少ない
巻向ってどういう位置づけなのだろうかね。
板付、金の隈、吉野ヶ里は住居跡、生活痕がどっさり出てくるのだが。
巻向がへんぴな山の中というわけでもなさそうだし。
760 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:01:10
>>756 可哀相に飢えているんだね、意地はらずに九州派になっていいんだよ、今回の新たな発見が畿内説を苦しめる結果になるのは見えているからね
>>760 だから、それってなになの?
あたらしいおもいつきなの?
としいくつなの?
762 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:05:33
>>759 もっと広範囲を掘ればどんどん出てくるよ
763 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:05:47
九州説を吹聴してた奴等が歴史の裁きを受ける日は近いなw
764 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:12:11
>>761 バカなの?本物のバカなの?君さ歳いくつ?もしかして知ったかぶりなの?
だからさ、それってなになの?
知ったこととして言える今年なの?
歳いくつで、自己紹介できるの?
若い人ちゃんと君のこと見てると思えるの?(←ごめん痛恨だね)
だから頑張って戦ってよ今日的にね!
若い人君のことアレ扱いかもしれないし(←ごめん痛恨だね)
766 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:25:22
>>758 >お手本おねがいします空気先輩
君はほんとに何も知らないんだな。いいか、皇帝の命を受けた(詔書を携えた)使者は任務
を全うしたことを証拠とともに報告する。皇帝の命に逆らったり、任務を全うできなかった
者は処罰され、任務を首尾よく達成した者は賞される。名誉と命が懸かった仕事だ。ちゃん
と報告して記録して貰う。それらの記録は臣下の処遇に関わるものであるから国の文書館で
管理され保存される。梯儁や張政の報告書も魏の役所に保存されていた筈だ。
倭に関する記録は前史にもあるし、郡の使者の報告や倭人からの伝聞など記録されたものも
あったかも知れない。だが、邪馬壹国まで出向いた使者は倭人伝の記すところでは梯儁と張
政の二人しかいない。百聞は一見に如かずと言うように、現地を見て来た者が記録した最も
正確だと考えられよう。したがって、陳寿が最も重きを置いた資料はこの二人の報告書であ
ろう。そして前述のように彼らの報告書は魏の公文書として保管されていた筈だ。晋は禅譲
によって魏を引き継いだ国だ。当然、魏の公文書は晋の文書館で保存管理されていたと考え
られる。陳寿は皇帝の司馬炎に認められた吏官でありあらゆる資料を検討することが出来た
筈だ。君が言うように「梯儁と張政の報告書をみていない」ということは考え難いことであ
る。したがって、梯儁と張政のルートが異なっていればそのように書いたであろう。一つの
ルートしか記述されていないということは二人のルートは同じだったということだ。
河童くんは最近みかけないな。
自分の師匠が”無知”ということに今頃きづいたのかな?w
まあ、初心者からみたら詳しい程度で、ここにいるみなさんの目線からしたら
”たんなるアホ”とか”大したことないレベル”とかだろう。
あの程度の人が詳しい人にみえるなんて、どんな目線してんだかww
そろそろ、自分の師匠に嫌気がさしてきたんだろうwww
769 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:42:14
>>766 んなわけないやろう、時間の開きはどのくらいと想像してんの?
770 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:44:40
>>771 ぜんぜん。
つーか、書き込むのも一ヶ月ぶり。
話しの流れで見ると
書き込みしない間にかなり大規模な規制あったみたいで ま、関係ないけどね。
772 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:00:02
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
773 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:00:03
隋書に出てくる海岸の宮殿って上宮だろ。
775 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:44:27
>>771 よく真面目な顔をして話せるな〜て思う。
おれなんか「ベロベロヴアー」とか「変な顔ツキ」をしてじゃないと
まともには話せませんww
>>718 桜井市とかに毎日100人以上が問い合わせの電話してるらしいよ
二日間行われる現地説明会には一万以上の人が来そうなので電車も増便する
らしい
そりゃ、多少大きなことでも言って衆目を集めようという勢力も湧いて出る
だろうね もう関連グッズとか作ってる連中もいそうだw
邪馬台国が見つかったら…日本中から観光客(特に修学旅行生)が
やってきて、宿泊施設から土産物屋まで大喜び。さらに、幹線道路の
整備や公園作りで土建屋ウハウハ。博物館や資料館と言った箱ものや
「卑弥呼〜年祭」みたいなイベントを開催して、雇用も増加。
まぁ、平城京跡地のように、白けムードになっちゃった例もあるけどね。
>>709 学問の世界にリミットはないぞw
もっとも肝心の物証が開発でどんどん壊されてると聞くと
気が気でないが
779 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:11:00
天皇即位20周年に合わせてブチ上げたんだろ。
戦前の津田弾圧みたいな社会になるぞ?
780 :
758:2009/11/13(金) 22:14:36
>>766 ご返答有難うございます。
大変、立派な方位磁針と時計と基準地図をお持ちになられた、大変19世紀的な方で
らっしゃったのでしょうね、また、大変立派な監視員かつ計算員かつ気象専門家であり
倭人の群れする土地について多岐にわたる言葉に精通し、倭人を油断させ問いかけも
上手で、返答の精査も瞬時に可能に出来るから、倭人のいいようにいいように流された
としてもバッチリ記録を残せた英雄だったんでしょうね。
一見をしたことにする百文についての憂鬱は、陳寿も織り込み済みでは無かったのでわないかな?
陳寿wwww陳寿wwwwどうでもいい仕事wwwww
あと君が狂う前に、「梯儁と張政の報告書をみていない」の対象の人、
俺とは別の人だからね。かわいそうwwww
>>777 奈良って、京都や九州に比べるとその辺のプロデュースが
下手だよな。
国体明徴声明をまた出されるんじゃないかと冷や冷やするね。
週末に逃亡するって、さすがに九州派の方は床上手だわ
786 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:44:44
>>776 纏向遺跡の現地説明会に1万人も来るの?これは大変な事ですね。
JR桜井線は2両連結の貧相な電車が30分に1本あるだけです。
臨時の電車があれば助かります。
>>766 ご高説をお垂れ遊ばしてあらせられるようだが。
率直に聞きたいんだが、
おまえさんさ、そのプロセスを経た「魏志倭人伝」の記述が、
本当に信憑性があると思っているのか?
俺には、それがもはや、人間の合理的な思考として、もはや「信じられない」んだよ。
そもそも王朝国家の記述というのは、
社会文節を言説が移動する毎にどんどん書き換えられるいいかげんなもので、
さらに、中華帝国の情報収集力なんて、歴史的にひどく低レベルなことに、
(司馬遷神話に騙されている日本人以外には)定評がある。
日本人にだって、この事実を見せればすぐに納得する。
そもそも、16世紀末にもなって、総力戦に近い戦いの相手「豊臣秀吉」の出身地を
「平秀吉の出身地は薩摩」などと書くレベルなんだぞ。
>>787は邪馬台国がどこにあったか興味ないのかな
>>788 俺は、極論すれば、
「邪馬台国・卑弥呼は、中華帝国のでっち上げに近い産物であり、実在のものではない」
と考えているから。
だから、このスレには従来書き込まなかったんだが、
>>766の発想法が面白かったんで、三戦してみただけだよ。
そもそも、あんな「地理関係が皆目見当の付かないデタラメな『地理書』」なんて、
信憑性を見るまでもなく、「現実をまともに記述していないようだ」と考えるのが、
そもそもの、素朴な出発点。
この素朴な疑問を、魏志倭人伝に嵌る人が、誰一人抱かないのが不思議でならない。
俺に言わせれば、魏志倭人伝は、でっちあげ要素満載なんだよ。
「女が支配している」
「スピリチュアルパワーで統治している」
「スピリチュアルパワーをやめて、普通の権力統治を行ったら、内戦になった」
「冬でも野菜が育つ(など、南方の産物)」
「刺青の風習」
「衣冠を調えない」
「暦を知らない」
「中華で慣れ親しんでいる食品を使わない」
これらは、みんな中華帝国の文化的常識からみれば、
エキゾチシズム満載の、「遠い未開部族ネタ」なんだよ。
つまり、かなりの脚色が入っている、またはどんどん混入したことが、
容易に想像できる。
帝国の常だが、朝貢する者は、エキゾチックであればあるほど、
皇帝の威光が遠くへ届いていることになり、威光を示す効果が高い。
「女酋長」なんてネタは、日本のどこかにいた巫女さんが元ネタだろうが、
おそらく相当の脚色が加えられていると思われる。
記紀については、あれほど「政治的捏造」を力説する連中が、
魏志倭人伝になると、途端に100%真実だと語りだすことが、本当に不思議なんだ。
791 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:40:37
>>789 でっちあげだったらなんで景初3年入りの鏡があるの?
最近の書き込み見てたら、いよいよ九州説の人が壊れてきたみたいだね。
793 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:51:10
でっちあげ厨には景初3年入りの鏡の事を突きつけてやればよい
そうするともう論破できないから
>>791 洛陽に刺青に裸同然のオッサンが朝貢してきて、
東の島の女酋長の国なんだとか言って、
鏡を貰って帰ったというのは、史実だろう。
日本列島方面の部族で、中華帝国に朝貢する例は、後漢以来たびたびある。
これも、朝貢自体はあっただろう。
(国内で仕立て上げたという捏造は考えにくい)
朝貢元となる、どっかの部族がいたということで、
鏡などの中国産品が日本の遺跡からも出てくるのも、これまた当然。
だが、洛陽の朝廷に、どんな奴が何時来たかという話と、
魏志倭人伝の内容が信憑性があるかどうかは、全く別。
795 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:56:27
魏志倭人伝の信憑性をある程度否定してないと畿内説は成り立たないからね。
その時代に生きた人が書いた文献さえ、スルーしている事がゴッドハンドに繋がるという見方をしている
もう一個別の例を挙げよう。
昔、ニカウさんという、ブッシュマン(旧称)のオッサンがいた。
ニカウさんが、東京に来たのは明らかな事実。
東京の浅草で、ウルトラマンのお面を買って帰ったのも事実。
だが、ニカウさんが、アフリカで、裸で狩猟採集生活をしていたというのは嘘。
「ブッシュマン」と言う映画もフィクションならば、
ニカウさんの普段の生活なるものの報道もフィクション。
普段はTシャツを着て、西洋人の会社関係の仕事をしていたらしい。
カラハリ砂漠で、ニカウさんの家がみつかって、浅草で買ったお面が出てきたとして、
東京での映画プロモの内容の信憑性が上がると言えるか?
797 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:01:42
さてさて、わけのわからない事を言うのも畿内派の方々です。
本当に、魏志倭人伝という聖典を崇め奉る信者なんだな>おまえら
九州優勢のスレに俺が行くと、畿内説論者扱いされ、
畿内優勢のスレに俺が行くと、九州説論者扱いされ、
どちらでも、糾弾される。
面白すぎるww
そりゃそうだろう。聖典の内容はネタだと言っているわけで、不遜極まりないからな。
ちなみに、俺は九州論者でも畿内論者でもない。もちろん剣山論者でも尾張論者でもない。
そもそも邪馬台国なんて現実に探しても無駄と言っているんだから、
いうなれば、「邪馬台国『脳内物語』論者」だな。
魏書東夷伝や記紀の話はとりあえず置いておいて、発掘の
成果から考えようって言うのは分かるが、中華帝国だの
畿内説は捻じ曲げだの言い合うのはどうかと思うが。
桜の枝を折ったのはわしやがな。と自首してワシントンは試行猶予付きの有罪判決で済んだよね。
父は医師、母は歯科医師、2人の遺伝子を受け継ぎながら医学部に進めなかった息子の挫折感というのは
想像を絶するものがあったと思う。
九周王朝が滅んだのも、結局は、大和に出され九州王朝の後継者になれなかったものの怨念だったと思う。
フェリーを遭難させるほどの怨念が漂っているとは、ただ事ではない。と思わないか?
801 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:28:36
こんな歪んだくだらない掲示板で
自説を開陳して一体何の利益があるのか?
よくも毎日毎日くだらない投稿している奴がいるもんだ
802 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:31:49
>>771 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>つーか、書き込むのも一ヶ月ぶり。
最近なにしてたの?
邪馬台国や卑弥呼に飽きたのかな?
803 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:36:08
>>801 邪馬台国や古代史に興味があるからじゃないかな?
昔みたいに集まって話すのではなく、今やインターネットの時代で便利になった。
街中で天照大神とか卑弥呼の鬼道がどうたら言ってたら変人扱いされるぞ。
だから、こういうインターネット使って趣味に没頭するのもいいんじゃない。
趣味を持つことは大切だ。
とくに歴史という分野は人気が有ってその歴史の古い部分
古代史をここでやってるんだろ。
804 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:38:14
>>803 しかし、最近はレベルが低すぎて退屈。
老教授が居た頃はよかったなあ。
九州説のアホな論客もあらかた消えたみたいだし。
>>804九州説論者は死んだほうがいいんですよね?
806 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:43:07
>>804 ここのベテランの方ですか?
老教授ってサガミってやつですか。
貴方は詳しそうなので一つほ教示ください。
808 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:05:31
倭人伝なんて信用する方が間違いそのものなんだ、だから九州派は間違いを犯す、純粋にその時の日本の中心を考えれば近畿しかないわけだ、大和王権こそ邪馬台であるのは日本人なら誰もが理解出来る
それでは九州はなんだ?豪族がまとめあげた連合体と考えるのが自然だろう、海外と大和を結ぶ商人的な事柄で利益を得ていたと考えられる、大和以上の力はあったとして、のちに大和は九州の豪族に乗っ取られる
809 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:20:27
大和王権が九州の豪族に乗っ取られた事を隠したいのではないだろうか。乗っ取りにより西日本を制覇した九州の豪族の長が王として君臨し、今に致る事は言うまでもない
その帳尻を合わせるかの様に、つじつまの合わない伝記が数多く存在していると言えるだろう、九州も畿内も統一されたがゆえ矛盾を感じるのは当然だと言う結論になる
河童虫くんへ
「家葬」という言葉はしってますか?
すこし辞書で調べて欲しい。
伊都国をたんなる墓所とか言っていた君へ
811 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:38:53
>>808 なるほどです。
ところで記紀はもう読まれたのでしょうか?
812 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 02:15:31
マキムクってどういう意味ですか?w
今当てられる字は巻向とかだけど、元は木のマキとムクだったんじゃないの?
開拓などが進む前はそういう木が多かった場所とか
時代は下がるけど明日香のあたりの地名とかも木などに関するものが相当多い
甘樫丘、橘寺、藤原だって植物起源といえるし
マキムクとは東向という意味だよ。
今度の建物も正面が東、まさにピッタリ。
>>723 旧石器のねつ造事件や温泉の偽装事件以降、一般人が観光地に
向ける目が凄く厳しくなったからな。知識がない人でも、まず疑って
説明を求めてくる。
「日本の中心」ってなんじゃらほい
統一国家があったとか?
統一されてなくてもいいだろう
817 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 07:06:21
>>810 ・私は一度も伊都国はたんなる墓所などとは言っていない。
伊都国はイミグレーションとなら何度もいっているが
・「家葬」なんて初めて聞いた言葉だ
一つ「家葬」について語ってくれないか?
818 :
メ:2009/11/14(土) 08:44:17
>>817 「家葬」
斎藤忠著 『墳墓』では、「縄文時代には遺骸を埋葬する場合、その死亡者が
生前に居住していた住居または死亡者を葬った後に、家族の居住する住居と、
どのような位置関係にあったものであろうか。
「埋め甕」といわれているものが、床下または入口近くなどに存することがあり、
こちらには、さきに述べた「幼児棺」が多いとすれば、特殊な年齢層のものは、
家屋の床下とか入口近くに埋葬されたということになる。
また「家屋葬」というものが、生前使ってた家屋にい遺骸を置き、家族の人が新居に移ったとしても
あるいは廃屋そのものを墓として利用したとしても、これらの墓は集落内にあって、著しい距離の差は
なかったものとも考えられる」
ちなみに、この「家葬」とは生前に住んだ家屋や廃屋の中に遺骸を安置する方法をいう。
又、古墳内部や横穴、地下式横穴の中に家屋の構造と近似しているものもあるといわれている。
吉野ヶ里の墳丘墓では墳丘の構築される前はその場所が住居であって
その上に墳丘が建てられてることで知られている。
だから、これもこの縄文時代の埋葬方法と似たような事だったのではなかろうか
とか勝手に考えてたりしている。
上のほうで書いた「事件」は、田舎の方でその名残が残っていたのかもしれない。
819 :
メ:2009/11/14(土) 09:05:53
>>817 ヤフーの「上から目線男」だったら(あの馬鹿ねw)、
「ご教示して頂けませんか、どうかよろしくお願いしますm(__)m」
と言え!とか言われるだろう(笑)
私の場合、そんな偉そうな奴、又、厚かましい奴は嫌いなので言いませんが(笑)
まあ、あいつは何様のつもりなんだろうね・・・
820 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 09:42:41
821 :
メ:2009/11/14(土) 09:56:02
822 :
メ:2009/11/14(土) 10:21:25
>問題の謝罪広告には「大分県聖嶽洞穴遺跡から採取された石器が捏造であり、同遺跡の発掘調査の責任者であった
>賀川光夫別府大学名誉教授があたかもその捏造に関与した疑いがあると受け取られる一連の記事を掲載しましたが、
>これらの記事のうち、石器が捏造であること及び同教授がこの捏造に関与したことは事実ではありませんでした」として、
>文藝春秋の関係者が謝罪している。
>これらの内容は福岡高裁および最高裁の指示によるものではあるが、明確に捏造を否定している。
なるほどね、一応は決着してるのか。
そうか、捏造かどうかは最高裁で判決があったのか。
だったら、邪馬台国が巻向にあったのかそれとも捏造なのか、裁判で決めるといいかね。
824 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 12:17:21
>>818「家葬」とは
漢語?日本語?それとも最近造られたマニアだけしかわからない造語?
漢語や日本語なら
その出典を宜しく。
>>819 掲示板に於いては、上から目線も下から目線も関係ないと思う。
感じ方なんて人様々だし、向き合う姿勢によっても様々に感じ方なんて変化する。
825 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 12:35:19
日本には、自分が一番でないと気が済まない大王の子孫みたいな人がいっぱいいて
相手していて疲れますよ。
826 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 12:41:40
>>825 別に相手する必要はない。相手して疲れるのは自分の責任。
誰が悪いわけじゃない。
>>824 埋め甕でググれよ 疲れるなー
一から十まで教えないと分からないのか?
あんたの師匠はどんだけ無知なんだよ
828 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 16:34:17
>>827 語学の問いです。
日本語理解出来ていますか?
>>824 横からだが、角川の日本史辞典に載ってたぞ。
・・・・
831 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 19:27:56
>>828 河童虫君
じゃさ、天宇受賣命(アマノウズメ)という女神を知ってる?
こりゃいくらなんでも知ってないといけないレベルだぞ・・・。
832 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 19:38:00
ゲンコツムシ君にも同じ質問をしてみようかな♪w
>>827 >>829 その人のレスは、ほんとに理解できないよねw
824 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2009/11/14(土) 12:17:21
>>818「家葬」とは
漢語?日本語?それとも最近造られたマニアだけしかわからない造語?
漢語や日本語なら
その出典を宜しく。
もともと
>>818のドツボ氏のレスが著者名付きで「家葬」と言う本の内容を引用してるのに
「出典を宜しく」だからね。
たぶん辞書か古籍に載っていないと「出典」と言う言葉は使えないと思ってるんだろう。
828 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2009/11/14(土) 16:34:17
>>827 語学の問いです。
日本語理解出来ていますか?
続けてこれだw
>>824は「語学」の問いだそうだwwww
834 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 19:47:30
>>829 サンクス
>>831 知り合いじゃないから詳しくはしらない。
それよりも何語なのか問うてるの。
余り耳にしない言葉だから訓で読むのか音で読むのか、
はたまた重箱か?湯桶か?その辺から問うてる。
835 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:18:36
>>834 面倒くさい人だなーっ
一から十までなんでおれが教えないといけないの?
〜ったくおれは貴方の古代史の先生では無いよ。
>それよりも何語なのか問うてるの。
日本語だろ、俺らは日本人だしw
>余り耳にしない言葉だから訓で読むのか音で読むのか、
はあ、めんどくさいな・・・「火葬」はカナで「カソウ」なので音読みじゃないの。
>はたまた重箱か?湯桶か?その辺から問うてる。
重箱か?湯桶か?だってえええ? しるかーーっ自分で調べろww ったく!
836 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:22:21
「しるかーーーーーーーーーーっ」
て叫びたくなる時てあるよね、今そんな感じww
無知は無知はなりにカッコをつけたがる。
恥知らずは恥知らずなりに取り繕おうとする。
それは滑稽なことである。
838 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 21:05:26
>無知は無知はなりにカッコをつけたがる。
gengomushi_jp の事?
>恥知らずは恥知らずなりに取り繕おうとする。
2chのみなさんの事?
>>518 神夏磯媛のその後の運命が書いてないので、何とも判断できない。
石塚山古墳の被葬者は神夏磯媛か、武諸木か分からない。
>>638 いや、ローガン氏が学校教育に言及されたので、敗戦に触れざるを得ない。
古代史といえども、現代史と無縁ではありません。
840 :
メ:2009/11/14(土) 21:21:48
>>839 卑彌呼、壹與の墓はどこと考えてるのでしょうか。
豊前石塚山古墳は違うとみてるのですか。
841 :
メ:2009/11/14(土) 21:28:07
先週、愛知県民さんが「豊前石塚山古墳」を用いていたので
今週は「豊前石塚山古墳」少し勉強してきたんですが、
卑彌呼、壹與の墓とは違うというふうにみてるみたいですね。
もし卑彌呼、壹與の墓とする場合は、反論に使おうと考えてたんですが、
意味無かったかも知れませんw
イヨタン・・・・・・・・・・
843 :
メ:2009/11/14(土) 21:50:57
844 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 21:55:41
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
845 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 22:03:23
>>835 読みを知らずに広辞苑にも掲載されていない「家葬」などを「知っているか?」などと問う
貴方が悪いのです。
広辞苑にも掲載されていない日本語を記載する以上、それを説明する義務は貴方。
読みも知らないものを問われても
私にも答えようもなし。
他人をとやかく評価する以前に、先ずは己の掌をじっと見つめるべきでしょうね
846 :
メ:2009/11/14(土) 22:16:50
>>845 でも良かったね。
一つ、覚えたんだから、メデタシ、メデタシw
847 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 22:20:15
>>835 「火葬」が音読みだと、どうして「家葬」も音読みなのです?
その論旨だと
「新幹線はやて」はJR東日本だから「新幹線のぞみ」もJR東日本じゃね?
と、言ってるみたいです。
848 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/14(土) 22:23:55
>>846 何も覚えていませんが?
何の説明もない、全くいい加減なものでは
覚える事もできません。
それに、アキバ系限定のマニア語を覚えるつもりもありませんし
849 :
メ:2009/11/14(土) 22:25:16
肥前国風土記をみると日姫子(ヒメコ)、弟日姫子(オトヒメコ)という人物がいる。
これは男性だろうか、女性だろうか、
まあ、九州には有名な女性がたくさんいるようだ。
海松カシ媛とか大山田女とか狭山田女とか・・・
850 :
メ:2009/11/14(土) 22:49:51
ちと人物名を書き込んでみるね。
『豊後国風土記』
豊後国総記・・・豊国直等
日田郡・・・久津媛、五馬媛、日下部君等
玖珠郡・・・※
直入郡・・・打サル、八田、国麻呂等
大野郡・・・小竹鹿奥、小竹鹿臣
海部郡・・・※
大分郡・・・※
速見郡・・・速津媛、青、白、打サル、八田、国麻呂等
国崎郡・・・※
浦島太郎の伝承の竜宮城、乙姫こそ卑弥呼子だった。
桃太郎が吉備津彦だったのと同じ構図だ。
で、竜宮城こと邪馬台国がどこにあったかといえば、カルフォルニアだろう?
とウェルカメを見ながら考えた。
852 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:18:34
ザワザワ
853 :
メ:2009/11/14(土) 23:21:41
『肥前国風土記』
肥前国総記・・・打サル等二人、健緒組(火君健緒鉈)、たけるども
基肄郡・・・※
養父郡・・・※
三根郡・・・物部経津主の神(神名)
神崎郡・・・※
佐嘉郡・・・大山田女、狭山田女
小城郡・・・※
松浦郡・・・日姫子、弟日姫子、狭手彦、海松かし媛、垂耳、大耳等
杵島郡・・・※
藤津郡・・・大白、中白、少白、陪従紀直等、わか日子、
彼杵郡・・・速来津姫(←なぜか媛ではなく姫)、健津三間、浮穴沫媛、石コモル比袁麻呂
高来郡・・・高来津座(神名)
ヒミコさん居たかな?w
854 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:05:00
大山田女が卑弥呼で狭山田女が壱与だと思います。
>>854その通り。邪馬台国とは山田国。
全国200万の山田氏が味方です。
856 :
メ:2009/11/15(日) 00:40:06
『豊後国風土記』
豊後国総記 ...天皇、ここに歓喜び有す。即ち、ウナテに勅して云ひたまはく、
「天の瑞物、地の豊草なり。汝が治むる国は、豊国と謂ふべし」といひたまふ。
重ねて姓を賜ひて、豊国直と曰ひき。因りて豊国と曰ひき。後に両つの国に分ちて、豊後国を以て名とす。
日田郡 ...筑後の生葉行宮を発ちて、此の郡に幸でたまふに、神有す。
名をば久津媛と曰ふ。化きて、人と為りて参迎へ、国の消息を弁へ申しき。
これを因りて、久津媛の郡と曰ひき。今、日田郡と謂ふは、訛れるなり。
玖珠郡 ...昔者、此の村に洪きなる樟樹有りき。因りて玖珠郡と曰ふ。
直入郡 ...昔者、郡の東にある垂氷村に、桑生有りき。其の高さ極めて陵く、枝も幹も直く美しくあれば、
俗、直桑村と曰ひき。後の人、改めて直入郡と曰ふは、是なり。
大野郡 大野郡。郷は肆所、「里は一十一なり。」駅は弐所、烽は壱所なり。
此の郡の部ぶる所は、悉皆原野なり。斯に因りて、名づけて大野郡と曰ふ。
海部郡 此の郡の百姓は、並、海辺の白水郎なり。因りて海部郡と曰ふ。
大分郡 昔者、纏向日代 宮 御 宇 天皇 豊 前 国の京都行宮より、此の郡に幸でましき。
地形を遊覧して、嘆きて曰ひたまひしく、「広く大きなるかも、此の郡は。
碩田国「碩田は大分と謂ふ。」と名づくべし」といひまひき。今、大分と謂ふは、
斯れ其の緑なり。大分。
速見郡 ...天皇兵を遣り、其の要害を遮へて、悉に誅ひ滅ぼしたまひき。
斯れに因りて、名づけて速津媛国と曰ひき。後の人、改めて速見郡と曰ふ。
国崎郡 昔者、纏向日代 宮 御 宇 天皇の御船、周防国の佐婆津より発ちて度りたまひき。
遥かに此の国を覧たまひて、勅して曰ひたまひしく、「彼の見ゆるは、若し国の埼かも」
といひたまひき。因りて国崎郡といふ。
857 :
メ:2009/11/15(日) 00:44:15
もう寝る〜『肥前国風土記』 は後日・・・zzz
>>845 日本史板でそれはないだろう ハァ・・・
859 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:34:48
今夜が山田開始
860 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 06:10:09
やまだかつてない話だな
862 :
メ:2009/11/15(日) 10:20:30
>>837 >無知は無知はなりにカッコをつけたがる。
「無知」という言葉を使うぐらい、837さんは古代史について詳しいのだろうw
では、お尋ねしたい。
「八幡宇佐託宣集 名の巻 第二巻」の
天照大神ニハ六代孫子ノ神武天皇ニハ二郎
高知尾明神ニハ弟、八幡大苔薩ニハ兄ニテ座
此ノ三人二共二日本国ヘ自ニヨリ唐朝渡リ給フ
先豊後国大野郡緒方ノ村来着シ給フ
とあり、
この三人は唐朝より日本国へ渡来、まず豊後国大野郡緒方村に着いて...とある。
これの記述についてコメント頂けませんか。
「無知な奴はカッコをつけたがる」と言うぐらうだから、これぐらい簡単でしょ?
863 :
メ:2009/11/15(日) 10:42:06
↑これ「八幡宇佐託宣集」みとってなんで唐朝なんだろう・・・分からないんだよね。
この記述から離れて...「阿蘇明神是也」というのがあり、阿蘇神社で調べたほうがいいのかな。
宇佐八幡というより、嘘八百といたほうがいいかな。w
865 :
メ:2009/11/15(日) 11:07:41
嘘八百かい〜w
まあ、書いてることを全て信じる方がオカシイのかも知れない。
しかし、すこしぐらいは調べてからのほうがよさそうだね。
ちなみに864さんはどう思ってるの?唐朝とかありえないよね?w
866 :
メ:2009/11/15(日) 11:10:48
「嘘八百」とあるから、唐朝はありえないということだろう。
質問がおかしかった〜ww
別の人にもきいてみたい。
867 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:57:21
ふー。すごいことを発見してしまったぞ。
・歴代天皇から初代〜(欠史八代)9代までを削除
・これも実在が怪しい12代〜14代を削除
・21代雄略天皇以前は暦年法が違うという説があるので2分の1にして計算。
・雄略天皇は倭の五王の武に該当するとされているので武が宋に奏上した478年を即位年にする。
(雄略天皇の在位は24年。武は25年間奏上している。多少は誤差があるとしてここにあてはめた)
以上で計算すると、初代天皇とされるのは崇神天皇で以下書くと
・崇神天皇(に該当する人物。以下同)(即位304年〜337年)
・垂仁天皇(338年〜386年)
・応神天皇(387年〜406年)391年に朝鮮出兵
・仁徳天皇(406年〜448年)恐らく倭王讃
・履中天皇(449年〜451年)
・反正天皇(452年〜455年)
・允恭天皇(456年〜476年)
・安康天皇(477年〜478年)
・雄略天皇(478年〜501年)倭王武
倭王とうまく一致しない箇所もあるがおおよそこんな感じと予想。
で、何が重要かというと初代天皇の崇神が恐らく300年台初期に即位。
卑弥呼(アマテラス)が死んだのが248年。台与(トヨアキツヒメ)が13歳だから25歳で子供産んだとして
260年。恐らくこの人物がニニギに該当する。そしてニニギが19歳、279年に
崇神(神武)天皇に当たる人物が生まれる。重要人物がすべて入りうまい具合につながる。
恐らくこんな感じでこれをベースにいろいろ脚色したと予想する。
868 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:00:04
ぽかぽかした日曜日に掲示板とは
869 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:26:42
>>868 ぽかぽかの日曜、暖かな日差しを背中に受けて卑弥呼(日巫女)談義。
わたしは、この上ない幸せを感じますがねぇ。
870 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:52:33
畿内派涙目(笑)
>>866 単に、唐は中国の意味ではありませんか?
日本書紀でも5世紀の南朝・宋が「呉」になっていたり、
7世紀初めの「隋」が「唐」になっていたりする。
続日本紀になると702年の遣唐使、このとき初めて中国に「日本国」を名乗るが
中国は則天武后の「周」になっていたと細かく記している。
872 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:21:02
いくら近畿で遺跡が発掘されたとしても、それを物証的に卑弥呼と関連付けられない限り、
邪馬台国の所在地比定には、何の役にも立たない。
単に、同じ時代に、大和にも九州の邪馬台国と同規模の政権があったというだけの話にしかならない。
魏志倭人伝の記述、どう読んでも邪馬台国は九州だからね。
873 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:21:47
>>872 何処をどう読んだら九州なんですかね?
あの倭人伝通りなら太平洋の海の中にしかないですよねw
それより現実的に畿内の方が歴史的にも、
考古学的にも発掘状況的にも辻褄が合いますね。
九州はどうでしょう?何か見つかってますか?
九州は単なる大陸との玄関口兼防衛拠点ですよ。
×九州は単なる大陸との玄関口兼防衛拠点ですよ。
↓
○北部九州は単なる大陸との玄関口兼防衛拠点ですよ。
876 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 19:41:34
>>874 何処をどう読んだら畿内にたどり着くのでしょうか?
畿内なんて願望にすぎませんよね。
畿内であってほしい。畿内でなければならないという思いが、やかて脳内で現実と混同してしまう
大変哀しい出来事です。
やがて、日本で三世紀が訪れたのは畿内だけかのような発生となり
畿内にしか有り得ないとなる
877 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 19:45:35
畿内は帯方郡から5000q離れていると
畿内説論者は言う。
畿内説論者の距離感覚は一体どうなっているのか?
自説の為なら何でも平気で捩曲げる。
878 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 19:53:03
正確な場所と距離を教えたら、魏の大軍が攻め込んできて
朝鮮半島みたいになるから
わざと物凄く遠くにあるように同行者と大回りしたんだよ
それぐらい分らんのか?
879 :
メ:2009/11/15(日) 19:56:28
河童さんおるかい?
上で書いた風土記や託宣についてどう感じる?
貴方はたしか福岡東部湾岸〜大分湾岸を調べてたはず。
880 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:10:14
>>876 魏でも邪馬台国はヤマト国と読んできたわけだが、
何で奈良の古代名のヤマト国が北九州にあるの?
881 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:13:23
>>872 >いくら近畿で遺跡が発掘されたとしても、それを物証的に卑弥呼と関連付けられない限り、
九州で遺跡は発掘されてるの?
吉野ヶ里って言いたいわけ?
箸墓のような古墳が九州のどこにあるの?
その近くに三輪山のような山が九州にもあるの?
教えていただきたい。
883 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:26:46
>>881 どんな遺跡が必要なんだ?どんな遺跡が二十一世紀に出土すると書いてあるのか?
どんな出土物がないとダメだと書いてあるのか?
遺跡がないと人は住んでいないと断定できるのか?
ん?畿内民国諸君。
>>867 ν速+から転載
444 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/15(日) 04:43:56 ID:iMiUBvp9O
わかったわ、全部。
卑弥呼に比定されるべき人物は二人いる。
二人のハツクニシラスといわれる神武と崇神はもともと一つの人物だったといわれる。
つまりヤマトトトヒノモモソヒメにも、もう一人の存在がある。
それがヒメタタライスケヨリヒメだ。
彼女は大物主の娘で国津神の代表であり、天津神の代表だった神武と結ばれて、二つの神統を結んだ。
彼女が形だけになったヤマトトヒノモモソヒメの中身だ。
事実、彼女はもう一つ名前があり、それはホトにかかわる名前である。
ホト(女陰)を突かれて飛び出した逸話からの名前だが、それを嫌ってヒメタタライスケヨリヒメに変えた。
ホトを突いた逸話はヤマトトトヒノモモソヒメの眠る箸墓にいるわるものと同じだ。
つまり卑弥呼はヤマト系の天津神=アマテラスと出雲系の国津神=オオクニヌシの仲立ちをした姫であり、祭祀女王であった。
彼女の血が仲立ちをしていたのであり、彼女以外はありえなかった。
だから男王をさしおいて第一に書かれたのだ。
彼女の死没後に彼女の血によらない解決がなされ、残されたハツクニシラスの元、国譲りがなされた。
その際に国譲りに反したタケミナカタはヤマトを去り諏訪に落ち着いた。
諏訪は出雲系のタケミナカタになり、出雲系の大神神社をヤマトが祀り、出雲大社を本社に、女王国は天津と国津の結びを得た。
これがヤマト王権の確立であり、ハツクニシラスの偉業となった。
そして卑弥呼のあとをついだ台与=豊鍬入姫は斎宮の初代となり、血によらない天津神と国津の仲立ちのシステムをはじめた。
そしてヤマトタケルが九州を治め、宇佐八幡ができ、安定を見てから倭の五王がふたたび朝貢をおこなった。
これでまちがいない。
518 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/15(日) 15:55:47 ID:CZNMQqJe0
>>491 ヤマトトヒノモモソヒメにとっては大物主は夫で、
ヒメタタライスケヨリヒメにとっては父親。
どちらにしろ近親者。
大物主は神だが、同時に出雲神族の代表でもある。
出雲系の現実に絶望したか、厭世から隠遁したのかもしれない。
886 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:29:30
>>878 朝鮮半島は正確な距離と位置を教えたから
攻められたのか?
>>883 遺跡ないと少なくとも考古学的には無視されるな
出土物は日本各地で製作されたものが無いわけないだろうね、中国と交流あるぐらいだし
888 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:32:23
889 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:40:11
891 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:50:12
邪馬壹國とは北部九州に在った国邑の連合体。
可七萬餘戸とは国邑の連合体の総戸数。
筑前に伊都國と奴國と不彌國が有り、計二万二千戸。
七万戸−二万二千戸=四万八千戸。
筑前が二万二千戸なのだから筑後二万〜一万五千戸。
肥前には末盧國の有四千餘戸の他にも二万以上があったろうから
筑前、筑後、肥前ぐらいでも可七萬餘戸には足りる。
で、その住居跡は発掘されたのか?
893 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:57:11
神武は、ユダヤ人です
894 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 21:04:27
>>891 今やそんな説もう誰も相手しないと思うよ。
遺跡なんか、出ても出なくても立証出来ちゃう九州説論者なら、
神武ユダヤ人説も、きっと受け入れてくれるよ!
897 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 21:10:46
魏志倭人伝に「世有王」と記されている伊都國が、卑弥呼のいた邪馬壹國の都である。
伊都國は「有千餘戸」であり邪馬壹國の都ではあるが大きな国邑ではない。
898 :
メ:2009/11/15(日) 21:11:35
3世紀前半の大型建物跡の説明会に参加した人おる?
どうなったんだろーねw
やっぱり今回ので邪馬台国は河内の柏原中心だな、確信したよ。
考古学板のスレが全然盛り上がらない件について
畿内を中心として成立した古代天皇制国家に
呪縛され、倭国をあたかも現在の日本のように、
邪馬台国を首都東京のように考える。
そのような前提には何らの根拠もない。
倭国の中心は、兵士の武器に「矛・楯・木弓」を
用いるという記述を考慮すれば、銅矛・銅剣の
北部九州にあることを支持する。
邪馬台国の時代は、新たな時代への揺籃の中で
青銅器による祭祀は過去のものになろうとして
いたとはいえ、地域の伝統は継承されていたはずである。
従って、倭国の範囲は、銅矛・銅剣の分布する
北部九州から中国・四国地域に重なってくる。
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000220911110001 これが正論だ
上スレに記事をよく読んでもらいたい
>>894 >半島人です
では、その半島人の台詞を抜粋し書き出してください
確かにwww
905 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 21:45:25
>>899 魏志倭人伝に遠く過ぎて国名ぐらいしか解らない。
って書かれてる国名の中に巴利国(播磨?)とか鬼国・鬼奴国(どっちかは紀国だろ)が有るけど
糸島や松浦より河内から遠いんですね?
畿内派は今のうちに、お祭り騒ぎを楽しんでいなさい、半年以内に九州説が逆転するから、お楽しみに!
巻向もまだ発表控えてるしね。大体まだ調査自体が1割にも満たないし。
九州説の人の悲嘆は想像するにあまりあるな。
信じていたものに裏切られるのは誰しも辛く悲しいものだ。
そんな図はなんら証拠にならないと思うのですが
「その昔」と書いておいてなんで2050年なんですか?
つじつまが合わないんじゃないですか?
その点をちゃんと説明してください。
そもそもその図によれは西日本は封柵どころかもはや中国の一部そのものではないですか。
東日本は自治区ですから封柵と呼んでも一応理解はできますが。
そういうところがいまいち納得できません。
ちゃんと説明してください。
>>902-914 最低でも4行書き込んで下さい。
他の人も読むのですから出来ればビッシリと
これを読んでいる人が勉強になって学べるような内容を期待しています。
大体、古代史に詳しい人はビッシリ書き込みますよ。
コテさんのレスを読んではどうか。
>>2-100を読んでください。
>>915 コテの長文なんて大半が自己満の電波文だぞ。
>>909 中共の未来妄想地図。
おそろしや、鳩山。
918 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 02:10:06
魏志倭人伝なんて又聞きなんじゃないの?
詳しい事情なんか把握してなかったと思うよ。
古事記、日本書紀のほうが真実を伝えている可能性がある。
それはない。
920 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 03:16:13
記紀は「一書曰く」と異論併記でかなり冷静な編集がなされてる。
もちろん、隠れ易姓革命は誤魔化してるだろうが。
>>918 まあ伊都以降は伝聞だろうね
隋書に「倭人は里数を知らず日によってのみ計る」とある
伊都までは来た使者に対し船なら10日、陸なら1月ですよと倭人が答えたんだろう
これで突然日数で大雑把に表記されてるのが納得いく
そうじゃなきゃ投馬や邪馬台国の行程に関する情報がなさ過ぎだからね
922 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 06:26:46
資料つき合わせて矛盾あるか調べるのは普通のことだろ
>>922 記録を残した国の古代史料でしかも地理的に正しいから
あ
926 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 09:29:35
>>923 そんなの普通じゃない。
現代人の勝手な行為を、さも意味ありげに行っているに過ぎず
いったい一番肝心な倭人伝が編纂された三世紀には、何をもってそのような知識を得たのかと言う事だ
まさか隋書が編纂されるまで、長生きしろとでも?
928 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 09:52:37
>>927 一体魏略の何処にそのような?
普通、単純に「不知里數」と書かれれば、この時の里は、単位として
面積の単位の一単位と読むのがオーソドックスな読み方だと思うが
区間距離の単位「里」は、面積単位からの応用だから、文章に
明確な起点と着点を書き込まないと、区間距離の単位としては成立しない。
>>921 >
>>918 > まあ伊都以降は伝聞だろうね
それが分らないアホが多数いるから困るんですよね。
とくに畿内説の連中に多いよ。
930 :
929:2009/11/16(月) 12:59:37
追記。俺、畿内説だからね。
中国の古地図見たことがあるが、グーグル・マップとはほど遠いし、当時の日本
の道もまっすぐに走ってるとは思わんし、かなり不正確だろ〜。
そんなので場所なんて特定できんよ〜。おまけにまともに読めば日本の外になるし〜
わざわざ放射とか回り道するとかヘンないいわけしないと九州もありえない。
まさに結論で可能性をさがすというあほうな陰謀論と同じ施工難だね九州説はw
実際の発掘でなんかでてきてそれとつきあわさないと話にならんわ。アホまるだし
932 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 15:22:47
933 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 15:25:05
>>931 付き合わせて、台詞を書き込み演出するのか?
出土物は何も語らないぞ
速+のスレが終わった。
なんでおまいら、+じゃないニュー速にはいけへんの?
935 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:10:50
>>943 行きたい気持ちがないから行かないだけだよ
畿内に最大勢力があった時点で九州説は破綻してるべ
九州に邪馬台国があったなら畿内の勢力はなんて呼ばれてたんだよ
きっちり敵対勢力のクナ国についても記してるってのに畿内については記述なしなんて不自然だろ
畿内が小勢力だってのならともかく国内最大級の勢力だってのに
>>936 その国内ってなに?
日本なんて国はまだないぞ。
>>937 畿内は倭と認識されてなかったと言いたいのか?
そりゃ無理があるだろw
ここで見当外れた揚げ足取りしか出てこないってのも間抜けな話だな
いや正直な話、畿内なら、魏使はマツロ国に入港しないだろ。
下関→瀬戸内海の航路をとるだろ、常識として
へー、マツロはもう比定されてたのか
なんて遺跡?
>>940 そんなのは当時の国内情勢、航路の都合によるだろ
間に山があっても直線距離で近いといってるようなもんだ
おいおい、何もも出てないならなんで場所わかるんだよ
>>941 遠浅で海藻の繁茂していた場所は北九州では唐津湾の一画だけらしい。
つまり唐津湾岸だそうだ。
946 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:38:38
>>944 宇木汲田遺跡があるから松浦に集落があったのは確定。
魏志倭人伝に出てくる壱岐・対馬・伊都を通るルートで
日本(この場合は九州島だが)に最初に上陸する場所で
松浦(マツラ)て地名というのは違うと考える方が難しくないか?
948 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:52:21
>>947 876年(日本三代実録の貞観18年3月9日の条を参照)以前の時代に松浦某て海賊が居たのか?w
949 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:54:26
クローズアップ現代
NHK総合TV 19:30〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/ 11月16日(月)放送予定
■謎の古代都市は邪馬台国か?
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、今年、古代史の常識を覆す発掘が行われ注目を集めている。
見つかったのは東西方向に規則正しく並んだ4棟の建物の柱穴。周辺からは全国各地の土器が出土し、ここが当時の日本の中心地であったことを窺わせる。
これまで最古とされてきた藤原京から500年もさかのぼる3世紀前半、日本最古の都市が存在したことがほぼ明らかになったのだ。
さらに、最も大きな建物は政治や宗教行事に使われた可能性も指摘され、女王・卑弥呼がいた「邪馬台国」の中心だったのでは?との見方も出ている。
九州・吉野ヶ里などの環濠集落とは大きく異なる古代都市の姿をCGで再現。2月から続く発掘調査の密着ドキュメントを交え、謎に包まれてきた古代日本の姿を探る。
(NO.2817)
スタジオゲスト : 白石 太一郎さん
(大阪府立近つ飛鳥博物館 館長)
結局、
>>940の指摘に対して、まともに反論できない、分かります。
畿内説は、これでオワリ。簡単な論理だ
>>949 神武(のモデル)はそこの攻略に難儀して伊勢に迂回したんだろうな。とは思う
大都市があった=だからこれが邪馬台国
というのは、理解出来ない。大都市があればどこでも良いのか?
そもそも邪馬台国はデカくないと駄目なのか?
ってね。
マスコミは何でも「卑弥呼」に結び付けないといけないのよ
騒がれないとならないから。
騒がれないと予算がつかない事情があるの
953 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:16:49
>>951 伊勢に迂回って、神武が、か?
そんなの記紀にあったか?
それと神武はもし実在してたら、纒向遺跡なんかよりずっと昔だと思うが。
邪馬台国はでかくなきゃいけない。
邪馬台国は戸数にして7万戸を擁するといい、
近代以前の大家族主義から推察するに1戸6〜10人であり、
だいたい50〜60万人の人口があっただろうことは想像にかたくない。
だとすれば、大都市や大国家がなければ邪馬台国とはいえない。
あと、神武は邪馬台国以前、100年ころの人物な。
>>953 神武はたぶん纏向以前。
卑弥呼のときの男王が崇神。
神武からの9代は女王国になる前の邪馬台国の歴代王だと思う。
956 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:24:23
957 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:29:49
プッ、大和朝廷は日本の中心で、大きな都だったんだろう、ところでそれを物語る遺跡は見つかったん?それに人骨はどうなん?(笑)
>>957 逆に纒向より大きい都市遺構が九州にあるのか問いたい。あるの?
NHKでヒミコやってるぞ
>>953 神武とかは実在はしてないと思ってるが、モデルになった人物や事実は
もっと下った時代に存在したと思ってる。
今すぐには手元に書紀が無いので、ハッキリと書けないが
神武が攻めあぐねて後で神託を受けて、船で紀伊半島を周りこんだ箇所があったはず。
勢いで伊勢と書いたのは謝る
961 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:52:48
まったく犬HKの特集は糞だなwww
>>960 神武東遷は出雲・吉備系の畿内入りじゃないかな。
それを神武に仮託したんだと思う。
古出雲系のいた三重周辺から誘導されて、出雲系に反発の多い葛城くんだりを迂回したんだと思う。
自分と違うものは全部クソ
>>961 ノノハヽ
川*’ー’)
/ , ヽ <九州厨おわったなw 涙ふけやよw
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
|\`、: i'、
\ \`_',..-i
\.!_,..-┘
966 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:06:47
>>962 葛城が出雲に反発って何を根拠にそういう意見を言うの?
それに神武東征神話は、王権の移動のような大規模なものじゃないぞ。
>>966 纒向に比べて葛城のあたりは吉備系の出土物がすくない。
つまり交渉する局面が少なかったのだろう。
王権の移動ではなく出雲・吉備系の入植と見ている。
狗奴と邪馬台の争いのなかで、愛知や岐阜、三重のあたりには邪馬台にいた古い出雲系がが入植していたし、ありえると思う。
こっちのほうがいいんじゃね。
(゚д゚ ) ワカッテルナ
ゴト /| y |
/ ̄;y=ー ̄ ̄/||
/_____/. ||
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|| ||
970 :
960:2009/11/16(月) 20:17:04
>>962 出雲国風土記には無い記紀の出雲国譲りのモデルは
崇神の「出雲の神宝ヨコセ」の所だと思うんだが、それは吉備・出雲の大和入りの前後どっちと考えてる?
単純に自分が歴史妄想するタネに貴説を知りたいだけなんですが
失礼に当たるようなら、不快に思われたらレス不要です。
>>968 葛城の出土物が少ないのではなくて、
葛城地方は未だに手付かずだからだ。御所市は財政破綻寸前の街だし、
発掘を支援するような余裕はないみたい。
古代のキーワードと言っていいよね、葛城は。
一説では卑弥呼は葛木日女命でこの名前は、モモソ姫の旧名(?)だとか。
>>970 神武と崇神は一人格で、同じハツクニシラス、とみている。
吉備系出雲人の邪馬台入植は倭国大乱の引き金だと見ている。
だから崇神のころ。
諏訪大社のタケミナカタが国譲り神話に起因していることや、
三重や岐阜に古い出雲系の神がいて、諏訪の神と関わりが深いことから、
倭国大乱が吉備系出雲人と古出雲人の争いで、結果あたらしくタケミナカタという氏神を抱えて、
邪馬台をでてさらに東に流れたのだと思う。
この時に諏訪では、出雲勢を迎える派閥と排撃する派閥に別れ、
結果、迎える派閥が勝ち、ミシャグチの神格を備える諏訪神とタケミナカタの二本立てになり、
別れた排撃派がさらに東に下り、毛野をつくったのだと思う。
973 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:39:36
>>972 妄想のしすぎだなあ。
まず、神武と崇神は一人格じゃない。
よくそんな根拠の無い空想が語れるものだ。
記紀を100回読んでこい。
神武の周囲にどんな人間がいるか、崇神の周囲にどんな人間がいるか、箇条書きしてみろ。
類似性はまったく無いよ。
974 :
970:2009/11/16(月) 20:44:47
>>972 レスありがとうございます。
ハツクニシラスに関しては同意するものですが、そこから先は趣を異にしますね。
諏訪や岐阜の方はよく知らないのでまた調べてみます。
あと諏訪・ミシャグチと聞くと、各地にある「蛇とムカデが争うのに
劣勢な蛇が現地の人間の力を借りて勝つ。」という民話を思い出しましたw
>>973 同じ人格なんだけど、丸コピじゃなくて分割なんだよ。
系譜の始祖から9代目まで何も記事がなくて、10代目に突如としてあらわれた大量の記事を、
二人の人物に分割して記したわけだ。
だから似ている人物、キーパーソンには同一と思われる記事があるが、
それ以外は分かたれたため記事が異なる。
この主張はかなりむかしからあると思うけど?
976 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:47:53
Wikiによると
九州南部は8世紀末に「日本」へ組み込まれたが(→隼人)
これからすると
九州→倭
本州→大和
って考えるのがしっくりくる
後の世の話になりますが、朝鮮通信使は対馬を経て博多湾に寄港し、
瀬戸内海を通って大阪湾で上陸して江戸に行っている。
邪馬台国が畿内なら、わざわざ松浦に寄港する必要はないのです。
末路国が松浦だとすれば、邪馬台国はやはり九州だとするのが妥当。
しかも、西側。
俺なら古代の航海技術、造船技術の船に乗るくらいなら歩くなw
979 :
970:2009/11/16(月) 20:58:41
>>973 横レスでスマソ。
神武のモデルは複数いて、その中の1人が崇神というのは有りじゃないか?
崇神のとこの、出雲振根=建御名方…振根の弟=事代主。としてみると
兄は大和に逆らい、弟は大和に従おうとする。
部分に加えて、振根の弟の亡骸が泉の藻の下にあると童が唄う部分は、
事代主が水中に作った青臥垣に入って幽界入りする部分と
必要以上に類似してると思うんだが?
980 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:00:01
>>975 >系譜の始祖から9代目まで何も記事がなくて、10
どうして途中の婚姻関係を無視するわけ?
モモソヒメは誰の娘なんだよ?
981 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:03:15
>>979 >崇神のとこの、出雲振根=建御名方…振根の弟=事代主。としてみると
どうしてそういう根拠の無い関連付けをするわけ?
せめて、神社の伝承とかで誰々と誰々が同じとかソースがあるならともかく、
自分勝手な空想にすぎないでしょ。
それを拡張して史実まで語るのは無謀。
983 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:03:49
>>976 書紀とか見ると海幸山幸のとこで隼人を降してる。
その後で東征が始まるから、九州の中部・北部を支配してた集団が九州の統一後に東進を始めた。
て考えてるから納得してやんないw
984 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:06:01
>>977 九州上陸隊とイズモ投馬上陸隊は、全くの別ですよ
陳壽の適当な編集の御蔭でみんな混乱したんだよな
985 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:07:10
NHKクローズアップ現代
泣きながらみていました。(九州派一同)
>>981 じゃあ日本書紀を見てくれ
神武と崇神は共にハツクニシラスだ。
神武は国譲りを求め、崇神は伝国の璽を求めた。
求められた側の兄は逆らい殺され、従おうとした弟の死には水+緑がセットになる。
朝廷(権力)に逆らって誅殺された後に神格化される例なんて日本中に腐る程あるよ。
988 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:17:39
神武と崇神はハツクニシラスでも字は違ったんじゃない?
990 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:18:16
992 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:20:06
>>987 >神武と崇神は共にハツクニシラスだ。
違う。
原文の漢字はまったく違うだろ?
ハツクニシラスと訓をつくたのは、飛鳥時代以後だよ。
993 :
987:2009/11/16(月) 21:21:11
ついでに書くと、出雲振根も誅殺した後で殺した側の大和が祟りを恐れて鎮魂を頑張ってるよ。
反大和な感情を持ってる集団にしてみれば
間接的に賛美・同情・神格化するには、うってつけな人材だろうよ
994 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:22:19
神武=始馭天下之天皇
崇神=御肇国天皇
この漢風謚号そのものが、7世紀のもの。
さらにハツクニシラスと訓をつけたのは、さらに後の時代のことだよ。
これをもって同一人物だとかいうのは、物を知らなさすぎる。
995 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:23:46
>>992 記紀が編纂されたのは何時代だと思ってんの?
996 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:23:56
邪馬台国は、畿内勢力に対抗するために魏に使いを送って封柵を受けたのだから、
むしろ、畿内勢力のほうが大きかったと見ることもできる。
997 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:26:57
モモソヒメやオオヒコが誰の子とか少しは考えろよ。
どうかしてる。
>>994 だから7世紀の権力者の都合にあってりゃ良いんだろよw
それともナニか神武が個人として実在してたと言いたいのか?
それこそ変だろう
999 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:35:27
同一人物視することのほうがおかしいってことだよ。
根拠も無く。
1000 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:35:28
1001 :
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