♪邪馬台国 ドンと来い♪54

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952日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:18:57
>>943
河童ってなんだよ?
953日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:21:39
一尺為歩の原文は、六尺為歩だろ。
一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから
954日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:34:28
>>949
女王を共立した諸国の総称ですよ。
955日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:34:44
>>951
奴国が2万、不彌が千、だから平均をとって一小国は1万位だとするよね。
すると投馬国は5国、邪馬台国は7国分を連合しているってことだよね。

一小国5千とみても投馬国10国、邪馬台国14国位合併したってことかな。
956日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:36:19
>>954
でも女王国まで万二千里とあるから、一応総称でもどこだと見ているの?
957日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:47:22
>>956
入り口が山口(長門)辺りでしょう。それから瀬戸内に面した
伊予、讃岐、吉備、播磨、紀伊。
それに近江、山城、志摩、亀山、伊賀辺りですね。
名前が判別している傍らの国です。
958日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:51:01
たまには頭を休めてお茶にしてください。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4765713
959日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:54:02
>>957
ありがと。
畿内説は南が東なら北が西なんだよね。
傍らの国の境界の奴国の南(東)が狗奴国だと。
そうすると狗奴国は卑弥呼の都の東、西のどっちかな?
960日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:55:41
>一尺為歩の原文は、六尺為歩だろ。

何を意味不明な事いってるんだよ!
何で六尺が一尺になるんだよ。

>一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから

こいつは馬鹿だ。
961日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:59:47
戸数についてあれこれあるみたいだけど
倭人伝の戸数は国の大きさを現してると思った方がいい
投馬国は水行二十日の大きさであり
邪馬台国は陸行1ヶ月の大きさなんだ
殆どの人は国を都市のように思ってるけど
倭人伝ではそう扱ってないことが行程記述で見て取れる
だから、投馬国は四国
邪馬台国は山口から畿内(もしくは東海地方?)までの地域
962日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:01:47
>>957
伊都国は女王国に統属しているわけだから、伊都国は山口より東だよね?
963日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:02:22
>一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから

何で?
964日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:05:43
>>959
狗奴国は九州南部一帯でしょう。

ひょっとしたら四国や
紀伊半島南部一帯に勢力を持っていたとも
考えるので、方角を指せと言ってもむりですね。

それに畿内説と言っても私は方向修正しませんから。

投馬・邪馬台国への行程が里数から日数へ変わるのは伝聞情報で、
半島から大まかな行程、方角をさしているという説です。
965日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:09:55
>>964
方向修正しないの?
じゃ南の一箇所だけ?
じゃあ、女王国より北の国ってどこ???
山口の北にあるのが伊都や壱岐や対馬なんだ。
966日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:10:32
>>963

六尺為歩は使用目的によって作られた換算値だから。
967日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:16:27
>>965
そうなります。
方向修正はしないと言いましたが、
現在の感覚でなら多少は必要ですね。
それは九州説でも同じ事だと思いますよ。
対馬〜壱岐へは南では無い事や、伊都=前原説と同じです。
968日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:18:14
>六尺為歩は使用目的によって作られた換算値だから。

だからっていって、何で一尺為歩が存在する?
文献の何処にそんなルールが書いている?
勝手にルールを作るなよ。
何処にも書いてない事をいうなよ。
韓国陸行説みたいな事いうなよ。
969日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:20:27
>>967
で伊都はどこを比定しているの?
それで、対馬や壱岐は女王国には数えられないの?
女王国の入り口が山口だから。
970日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:35:33
>>968

では、六尺為歩のルールはどこに書かれていますか?
971日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:41:11
三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)
972日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:42:52
>>968

>だからっていって、何で一尺為歩が存在する?

六尺為歩、五尺為歩、八尺為歩、六尺四寸為歩


>文献の何処にそんなルールが書いている?

六尺為歩

>勝手にルールを作るなよ。

昔の人がそうしたことなので、赤ちゃんみたいなこと言わないでください


>何処にも書いてない事をいうなよ。

六尺為歩

>韓国陸行説みたいな事いうなよ。

韓国陸行説とこの一尺為歩の関係を、400字以内で説明してください。
私は一度も韓国陸行説なるものを述べた覚えがないので
973日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:45:11
>>971

>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、

そうですよ
誰か非公式だなんて言ってる人がいるのでしょうか?
そういう人が居るのであれば、ここに連れてきてください
私が相手いたします。
974日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:45:34
数は六を以て紀となす。符、法、冠、皆六寸。
而して
輿は六尺。六尺、歩と為す。
      (史記、秦始皇本紀)

975日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:48:13
>>だからっていって、何で一尺為歩が存在する?
>六尺為歩、五尺為歩、八尺為歩、六尺四寸為歩

で一尺為歩は?

>>文献の何処にそんなルールが書いている?
>六尺為歩

で一尺為歩は?

976日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:49:12
>>971

私が言ってるのは、「では、六尺為歩のルールはどこに書かれていますか?」

その答えが
>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)

なら

今後、言語虫さんの言葉はここでの証拠ということでいいですね?
977日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:51:58
>>974

そうですよ
だから先ほどから、使用目的から作られたものだと
978日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:53:37
974の方が証拠になるんじゃないの。
979日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:57:38
>>960

>>934を参照
980日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:58:38
>>969
対馬や壱岐は女王国ではなく伊都国の管轄でしょう。
つまり後年の倭国伝で、筑紫より東が倭と記述されてるのと
同じです。
981日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:58:50
河童がいくら騒いだって世の中は河童のいう通りにならないよ。
河童も子供でないならそれくらいわかるだろう。
意味不明な言動はよせよ。
982日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:00:15
>>978

どちらも価値は同じでしょ>>976は必死で証拠見つけ出したのだから
その行為はむげにはできません。
これからも使わせてもらいましょう。
983日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:05:22
>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)

そして魏志倭人伝も公式記録だ。
公式の基準で書いてある。
984日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:07:55
>>981

河童がいくら騒いだって世の中は河童のいう通りにならないよ。
河童も子供でないならそれくらいわかるだろう。
意味不明な言動はよせよ。


だからうまく丸め込まれたふりをして
同調してうなずいていろと?  そういうことですか?
どっかの太鼓持ちのようにお座敷毎の風見鶏は性に合わないもんでね

で、

河童って?  どこにそんなのいる?






985日本@名無史さん :2009/09/23(水) 18:08:32
>>980
ありがと。じゃ、伊都国はどこかな?
伊都国は女王国の中だから、山口以東だよね。
986日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:10:39
径100余歩は
公式に換算すれば、径145m余りだ。

そんな墓は3世紀の九州にない。
あくまでも公式換算で考えるなら、九州説は成り立たない。
公式換算で考える説が出てくるのは必至なのに、畿内説を論外とする神経はわからない。
987日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:11:10
それにしても「短里」「短里」とお題目唱えてる連中も
情けね〜ナ〜
急に大人しくなっちゃったよ

せっかくここまでお膳立てしたのに・・・・  馬鹿見て〜
988日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:14:57
>>986

>径100余歩は
公式に換算すれば、径145m余りだ。

公式に換算したら 測れない。


六尺一歩の換算の意味分かっていますか?

>>974をじっくり参照してください。


989日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:15:29
公式換算では畿内説が成立。
解釈換算では九州説が成立
でいいんじゃないですか。

どっちをとるかですよ。
990日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:38:03
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
991縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:03:06
>>987
私は短里というものは知らないが、魏志東夷伝の半島の国々や倭人条の郡から狗邪韓国、對海国、一大国を
経て末盧国に至るまでの里数記事の数字を見ると1里=約430mでは実際の3〜5倍の距離になってしまう
ことから、あなた方の言われる公式換算(6尺=1歩、300歩=1里、1尺=約23cm)は適用できないと
考える。したがって、別の換算方式がとられていると見る。この考えは間違っていますかな?
992日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:08:14
>>991>1里=約430mでは実際の3〜5倍の距離になってしまう
・なぜそのようになっているかお考えがありますか?推測でもあればお聞きしたいです。
・このような公式以外の基準が用いられていたことを、陳寿または魚豢らは知っていたと
 お考えですか?
993縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:35:16
倭人伝を読む場合には先ず書かれてある通りに読む。不可解な点があれば他の文献と照合する。もちろん、
方角は8分割表示であるがこれには±30度のゆとりは持たせる(例えば南であれば南南東から南南西までを
含むと考える)。里数で示された距離は1里≒430mの1/3〜1/5として考える。
以上の読み方で邪馬壹国の所在地を探すと熊本県辺り(7万余戸の超大国であることを考えると宮崎県もそ
の版図に入る)となる。たびたび述べたように水行二十日や水行十日陸行1月は張政等の任務遂行報告書に
記載された投馬国の要人達との会談を含む旅程と邪馬壹国内での示威的、宣伝的および歓迎的行進の旅程よ
り出されたものとして説明できる。畿内説派の皆さんはこのような素直な読み方を真剣に検討する必要があ
ろう。
994縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:41:10
>>992 ・なぜそのようになっているかお考えがありますか?推測でもあればお聞きしたいです。
なぜでしょうね。私には分りません。ただ実際がそうなっていますから、それで考えるほかに仕方がない。
急用が入りましたのでまた後ほど。
995日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:42:50
そんな叙述トリックみたいな読み方が素直とは思えないけど。
996日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:45:25
>>993
>里数で示された距離は1里≒430mの1/3〜1/5として考える。
これは多くの九州説で採用されている方法です。しかし、どうしてそうなっているかの説明は
周髀算經などによるものをのぞいて多くはありません。この理由の説明をぜひお聞きしたい
です。
また、縄文人さんは、過去に「三国志は中国人が読むためのもの」のようなレスをされていた
と記憶していますが、とすれば倭人伝の編者などは、元資料が特殊な度量衡に基づくことを
知らずに転記したのでしょうか。倭人伝(東夷伝)の部分だけ公式尺度と違っていたのでは読
者の誤解を招くと考えられます。
997日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:56:08
なんか罠くさいな。縄文人は逃げて正解だね。
998日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:24:51
>>996

>倭人伝(東夷伝)の部分だけ公式尺度と違っていたのでは読
者の誤解を招くと考えられます。

読者の誤解を招いたのは近世になってからでしょう。
999日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:33:41
そうかな?当時の中国人読者は、倭人伝の1000里を実際より長い距離と考えたんじゃ
ないの。もちろん本人にはわからんだろうが。
1000日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:38:41
魏略も短里だし
短里はたぶん公孫氏が使用していたのだろう。
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