【吾妻鏡】
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
八男弓を引かんと欲す。
景能(大庭)潛かにおもへらく。
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。