1 :
神奈川県民:
その国、本亦男子を以て王となす。
とどまること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること年を歴ふ。
乃ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。
鬼道に事つかへ、能よく衆を惑わす。
年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて国を治む。
王となりしより以来、見るある者少なく、卑千人を以て自ら侍せしむ。
ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝へ居処に出入りす。
宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
卑弥呼の正体、魏志倭人伝の解析、天皇家との関りあいなどを議論しよう。
2 :
神奈川県民:2009/06/10(水) 13:40:41
3 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 18:40:36
投馬国は朝鮮南部だろ、すると必然的に邪馬台国は北部九州。
朝鮮南部には前方後円墳もあるし、任那日本府もあった、
朝鮮南部を投馬国とすることに問題はない。
伊都国が邪馬台国の都と考えて間違いない。
結局、日本史で言いたい事、有る意味デタラメ書けるのは邪馬台国と卑弥呼だけ!
5 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:59:26
女王国の都は邪馬台国と書いてあるだろう
伊都国は「世世王有るも皆女王国に統属す」とされている
そして王がいたのは伊都国と狗奴国だけ
五万戸を抱える投馬ですら王でなく官があるだけだから女王に属する千余戸の伊都国の王はおそらく「伊都王」でなく「倭国王」
つまり女王国の都は邪馬台国だが伊都に仮宮を置いて倭国王(当時なら女王卑弥呼)がそこにいたと考えられる
6 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:34:31
>>5 >女王国の都は邪馬台国と書いてあるだろう
女王国の都があるところが邪馬台国だと書いてある
>伊都国は「世世王有るも皆女王国に統属す」とされている
伊都国は「世王有、皆は女王国に統属す」とされる
つまり「伊都国には世(魏代)王が代々いた、皆(倭の国々)は女王国(伊都国)に統属していた」の意味だ
>そして王がいたのは伊都国と狗奴国だけ
そうだ
>五万戸を抱える投馬ですら王でなく官があるだけだから女王に属する千余戸の伊都国の王はおそらく「伊都王」でなく「倭国王」
つまり女王国の都は邪馬台国だが伊都に仮宮を置いて倭国王(当時なら女王卑弥呼)がそこにいたと考えられる
邪馬台国は北部九州一帯の連合国
邪馬台国の王の都が伊都国だ
伊とは卑弥呼のことだ(伊の意味を調べると分かる)
伊都国の代々の王とは卑弥呼、壱与等のことだ。
当初は伊都が実質的都で、西日本一体が倭の国という事ですね。
で、北(北部九州&出雲)と南(九州南部)の勢力が
競って東へ向かって大和の地を争っていたが、
卑弥呼の擁立で一時収まっていた。
しかし卑弥呼の晩年は社会情勢の変化と共に再び波乱、
その後大和朝廷が成立という流れでしょうか。
8 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:47:43
>>6 >「伊都国には世(魏代)王が代々いた、皆(倭の国々)は女王国(伊都国)に統属していた」
世が魏代の意味なら、原文のどの字が代々の意味になるんだ?
勝手に情報を増やしてはいけない。
9 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:09:20
>>8 >世が魏代の意味なら、原文のどの字が代々の意味になるんだ?
勝手に情報を増やしてはいけない。
世も世世と同じく代々と訳されます
だだし世世は期間の制限なく代々
世は期間の制限ありの代々
魏志倭人伝の場合の世は魏代の意味です
つまり、魏代に代々(王)いたの意味です
10 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:46:27
>>5 世世王有るも皆女王国に統属す
実際には世有王になってる
世と言うのは時空を限る場合
代々という意味にするなら代々もしく世世
正しくは、この場所に・・・が正しい
11 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:51:20
12 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:51:39
>>9 その訳も変だな
この伝記は非常に簡潔に書かれてる
そんな意味をあまり成さない文をわざわざ添える必要なんて無い
世というのは日本でわかりやすくするなら、「世界」
この世界・・・つまりは、この地域に王有りとするのが正しい
13 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:53:34
14 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:57:54
>>9 >だだし世世は期間の制限なく代々
>世は期間の制限ありの代々
なにを根拠にそんな事を言うんだろう。
例えば史記平準書の「世家子弟」の注に
「如淳曰、世世有禄秩家」とある。
つまり世と世世に意味の差はない。
15 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:59:19
文を通して眺めればいい
有千余戸
世有王
皆統属女王国
前の2行は韻を踏んでいるからして
最後の皆は伊都国の住人全員を指す
16 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:09:01
>>14 物はよくかみ砕いてから語れよ
「世家子弟」は、子弟と時間を限り説明してあり
その補足として如淳は、その家は子弟に限らず代々「有禄秩家」だと言っている。
17 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:09:55
私3、6、9ですけど
漢文中の世も世世も日本語では代々と訳されています、
実際に代々と訳すと意味は通じますし。
漢文中の世と世世の違いは期間の長さで
世世は制限なく長期間の代々で、世は期間の制限ありの短い代々です
三国志魏書の文の世とは魏代を指しています。
つまり、「世有王」は魏代に代々(王が)いたの意味です。
理解できませんか?
18 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:12:51
>>14 >つまり世と世世に意味の差はない。
よく調べてね。世と世世は使い分けられていますよ。
19 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:15:52
>>17 それは文脈から判断するんだ
世の前に国家とか統治者があれば、「世」というのはその国家や統治者の時間や勢力範囲内にあったことを示すってこと
だけど、前文にそんなものは見あたらない
20 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:17:11
21 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:18:18
22 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:20:09
酔っ払っての書き込み厳禁!
23 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:20:49
>>17 世は魏代を指しているのではありません。
そもそもこの書物は魏書の中の一文だから、魏代で済ませるなら
世など必要なく、単に「有王」で十分意味が通じます。
しかし、代々でもないことも確かです。
世は、時間を制限すると言う意味で
「限られたもの」と訳すべきです。
伊都の限られた場所に王有り、その王は皆……
>>23の書き忘れ
因みに
>>23は、河童虫さんからの受け売りです。
一言添えさせていただきます。
石碑の解析によると、
倭母母曾毘賣命の没年は198年、豊鉏入日賣命はそのとき13歳でしたっけ?
豊鉏入日賣命の没年は248年で卑弥呼が亡くなったといわれる正治八年と
一致する。
もし、この解析結果が本当だとすると、ほぼ、邪馬台国は畿内説に確定してしまうのでは?
というか、この解析結果は信用できるモノなのでしょうか?
誰かこの結果に詳しい人います?
26 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:30:36
>>16 批判するなら、ちゃんと原文にあたって批判するべきだろう。
「世家の子弟や金持ちが闘鶏や競馬に明け暮れて」という文の
「世家」とは何かを如淳が解説しているのであって、子弟とは何の関係もない。
>>17 理解できないのではなくて、
>世世は制限なく長期間の代々で、世は期間の制限ありの短い代々
というふうに区別して使用された証拠がどこにも無いと言っているの。
上記のことが正しければ、世家を世世有禄秩家とは説明できないでしょう。
>>23 >世は、時間を制限すると言う意味で
だというのなら、「限られた場所」と訳すのはおかしいだろう。
世は時間に関係するが場所には関係しない。
27 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/10(水) 22:33:57
失敗〜w
>>997 >石碑は後世の者が前世の功績を記念して立てるから、
>卑弥呼の同時代の石碑はなかろうなあ。
>仮に存在したとしても、卑弥呼とか邪馬臺國とかの中国人の音写は使わないから、
>碑文の内容が誰の事を指すのか、また論争になるだろうね。
ん〜石碑て没後すぐに書くのでは?
>>998 >ゴッドハンドで石碑を埋めて、一気に優位に立つ畿内説
>炭素測定の次は、これでいこう!
ゴッドハンド?そんな簡単に片付けていいものでしょうか?
>>25 あのサイトの内容は全くのデタラメです
信用なさらぬ様に
29 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:41:11
石碑は一人では運べないし、最近掘った石を1000年以上
古く見せかけるのも不可能。そういう意味で最も信頼のおけ
る史料なのだ。
30 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:43:29
>>26 >世は時間に関係するが場所には関係しない
辞書引いてからそんな事は言うべきだろ
31 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:54:00
もともと日本の古墳には石碑なんて無いからねぇ
32 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/10(水) 22:56:27
>>25 碑石から〜
百襲媛没年は倍暦計算と交錯暦検討から240〜241年、つまり今回の
鑑定値内240〜260年に入っている。このことは一応倍暦計算が正確
だったということが裏づけられたわけで、改めの無謀な倍暦否定は
一歩後退した虚妄だったということとなる。ww www
ところが卑弥呼没年は247〜248年だからその差は7年であり、007
は2度死んでも百襲媛は2度は死なない。つまりこの差で、双方が
別人だったということがさらに裏づけられたのだ。
33 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:57:10
>>30 三十年曰世
だから、時間に関係するんだが、いちおう大漢和引いてみた。
やっぱり場所に関係する意味は無かった。
それとも、君の持っている辞書には場所が関係すると書いてあるのか。
なら、是非紹介してくれ。
34 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/10(水) 22:58:09
墓標には
モモソ媛 戊寅年没 と書いてあるらしい
この戊寅年=198年
異族多帰=二世紀末に巻向へ各地の土器が集まる。
奇跡的に私の主張とぴったりですが、私は、「モモソ媛戊寅」を使う気はありません。
>>26 何の関係もないとあなたが考える分には不都合はありません。
しかしそれは個人的な趣味の範囲ですので、個人だけで楽しんで下さい。
子弟や金持ちが遊びほうける「世家」だからこそ、如淳は、遊びほうけられる「世家」の説明をしたのです。
大いに関係あります。
→世を時間を制限すると言ったのは、レスの流れが時間に限定した流れからです。
36 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:08:20
>>犬困
「碑石」と称されているもの自体が眉唾なわけだが
37 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:09:12
>>35 だから、原文をちゃんと読んで反論してくださいな。
金持ち=富人は世家とは別でしょう。
世家は先祖が代々禄秩を受け継いで現在に至るから世家なのですよ。
それを子弟に時間を限ったら、先祖の立場がない。世家にならないよ。
38 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:13:09
>>23 >世は魏代を指しているのではありません。
>そもそもこの書物は魏書の中の一文だから、魏代で済ませるなら
>世など必要なく、単に「有王」で十分意味が通じます。
「有王」では意味が通じません。
「有王」では王がいたの意味にしかならない。
「世有王」で代々王がいたになる。
特に期間が書いてないので魏書の中の一文だから魏代と判断される。
陳寿もちゃんと世と世世を使い分けてます。
39 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:14:10
40 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:17:18
>>39 康煕字典もってないので、是非内容を紹介してくれ。
>>28 >全くのデタラメ
ほう、頼もしいですね。
ところで、デタラメとした理由はなんでしょう?そう思ったから?
>>31 >もともと日本の古墳には石碑なんて無いからねぇ
それは、言いすぎでしょw
「古墳には石碑ない」とした閑居みたいなものがありましたらお願いします。
>>32 全然あってないでしょ。
たしか、あのHPの作者は祟神天皇の198年没とか言ってたような。
倍暦?倍暦なんてないということが証明されたわけで、太国さんの
言ってることが分からない。
>>33 折角高価な辞書を持っているなら、上辺だけで判断しては
価値が下がります。
世に時間的な意味が有るのは、文脈が世に時間的な意味を要求しているからです。
世に限られた物事の事象を求める文脈ならば、世は、限られた場所での事象の意味にもなります。
その最も身近かな用例が
「世有王皆統屬王國」であり
「…世家子弟…」
も、時間的な意味合いの薄い用例でしょう。
43 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:19:38
44 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:20:07
犬国とドツボの論争はセント・ジェームスみたいなもんだろ。
45 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:22:37
>>38 >「有王」では意味が通じない。
当たり前だよ
文章にならないと意味は通じない。
46 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:24:15
>>42 だから何で「限られた物事」から「限られた場所」にすり変わるの。
それに、文脈が要求するっていっても、もともとその字が持っている意味以外にはなりようがないでしょう。
「世家子弟」じゃなくて、如淳は「世家」を説明しているの。
「世家」は先祖代々禄秩を受け継いでいるからこそ世家なんであって、まさに時間的意味合いそのものでしょう。
先祖を無視して子弟だけに限って世家は成立しないよ。
>>43 近所に康煕字典置いてる図書館ないYO
47 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/10(水) 23:24:54
>>41 碑石と倍暦が今回の鑑定値を支持している。つまり倍暦がないこと
を証明されたというオマエの話が大ウソであり、オマエの脳内の即興
からのいい加減な言い訳。オマエはそういうコスいやり方をうんと
する事で〜オマエの即興の猿知恵だという事が証明されている。ww
48 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:28:37
49 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:32:03
>>48 今、他に買うものがあるから無理。
君、持ってんなら、「世」の場所にかかわるという例文だけ挙げればいいんだから、
ちょっと書いてよ。
50 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:32:13
>>37 世家は先祖が代々禄秩を受け継がなくても世家ですよ
最低限、絶えなく家が続けばいいのですから
史記に書かれた子弟に限定しなければ、先祖代々の子弟達は全て遊びほうけなければならない。
51 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:36:21
>>50 じゃあ、そもそも如淳の世家の解説が間違ってると。そういうことになるね。
>史記に書かれた子弟に限定しなければ、先祖代々の子弟達は全て遊びほうけなければならない。
日本語の意味がわからん。
52 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:40:25
世有と世世有と書けば良かったのかな。
>>47 んじゃ その太国さんがいう「倍暦が証明された」というやつを
ここへ書き込んで下さい〜納得できる内容ならば納得しますが、たぶん無理でしょう。
>>46>>49 なんか、「世」で盛り上がってるみたいですが、
人に聞くのではなく、ご自分で調べたらどうですか?
54 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:45:26
>>53 物理的に調べようがないものは、人に聞くしかないでしょう。
55 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/10(水) 23:48:31
>>53 オマエが倍暦がないことが証明されたと言ったんだろう。
その証明とやらを書きこめばいいではないか。
但しだぞ、それでハイチャじゃぁうまくないだぜぇ。
当然仁徳以前の天皇の超長寿の合理的な説明が付随しなければ
ならない。
今夜は遅くてオマエも明日仕事があるから、ヒマのとき証明を
書きこめ。た〜だオマエのよくやるないないずくしの語だけじゃぁ
証明にはならんぞ。オマエはそういうことを証明にスリかえるコスイ
技が得意だからな。エテ公と言われぬぬようにしろ。
zzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・
>>34 唐松山さん
>墓標には モモソ媛 戊寅年没 と書いてあるらしい
>この戊寅年=198年 異族多帰=二世紀末に巻向へ各地の土器が集まる。
>奇跡的に私の主張とぴったりですが、私は、「モモソ媛戊寅」を使う気はありません。
「戊寅」ではなく、どのように考えてるのでしょうか?
唐松山さんの「使う気がない」とした根拠を述べてほしい。
>>32 太国さん
>碑石
倍暦はどうでもいいのでw
この、「碑石の解析結果」について信用できる結果なのか?
デタラメなのか?どう思ってるのでしょうか?
正直、私はこの「碑石」というものはよく知らず、最近HPで知ったほどなんですよ。
57 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:50:21
世と世世が同じ意味なら世世なんて書く必要はない。
現に世と世世が書き分けられているのだから意味に違いがあるのは確か。
>>57 表現の仕方が一通りしかないと、漢文はそんなに貧困な言語なのか?
59 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:54:03
>>46 限られた物事ではなく、限られた物事の事象。
それに、如淳は「世家」を説明しているのではなく、史記の中に書かれた世家を説明しています。
それに、先祖代々続いているから世家ではなく、先祖代々続くから「家」なの
60 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/10(水) 23:57:45
碑石の解析結果」はデタラメと考えてる人は多いだろう。
なぜ、デタラメなのか?語れる人いるかな?居たら書き込みをお願いします。
わたし?わたしは「碑石」というのはよく知らず、半信半疑でいるところ。
まあ、疑ってみたほうがよさそうだね。
それと、コテハンの誰か〜 「世」と「世世」の違い
教えてやったら? 一人子供みたいに聞きたがってる人居るみたいだしw
61 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/10(水) 23:58:44
>>56 寝るところ、オマエの書きこみを寸前で見たので、ここのみ寝ないで
書きこんでおく。
曲学の徒さんの邪馬台国掲示板の「箸墓論争」のスレの
No.8045 No.8046 No.8048 No.8050 に、これに関して論述して
ある。よく読んでおけ。
唐松山はこのごろ脳内がおかしく支離滅裂な論での編年を展開して、
最もスレ人の中で最も幼稚な内容だから、奴を信じないほうが
いいぞ。
じゃぁ寝るからな。明日仕事をがんばれ!
62 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 00:01:54
>>59 河童君との議論は徒労感しか残らないから打ち切り。
63 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 00:05:17
「世家」とは、代々続く家のある一時代を区切って表すから「世家」
「世家子弟」とは
代々続く家の、遊びほうけた子弟を区切って掲載するから「世家子弟」
で、如淳は
遊びほうけてると取り上げた子弟の家の「世家」とは、代々禄秩の家だと言って説明しています。
64 :
28:2009/06/11(木) 00:06:24
>>41 私がデタラメだと断言する理由は以下の通り
博物館などで金印や塚廻古墳の勾玉を見たことがあるが
どんなに目の位置(光の当たり具合)を変えても
何も文字の痕跡らしきものは何もなかった
これに対しては、見えないものが「画像解析」で見えてきたのではないかとの反論があると思う
確かに肉眼で観察できないものが画像によって確認されることはある
しかし、そのような場合は、赤外線や紫外線をあてるなど特殊な条件下で撮影された画像によるものがほとんどである
そのような本格的な調査であれば、当然、所蔵者の許可のもとに行われるものであり、
調査結果は所蔵者に報告されのがあたりまえで、そこで重要な知見が得られれば、
共同でマスコミ発表やら学界発表やらがなされるものだ
ところが、各遺物の所蔵者たる宮内庁、奈文研、福岡市博などからそうした発表はなされていない
つまり、彼らは所蔵者に断わらずに勝手に新知見をネット上に公開していることになる
所有権や知的財産権が重視されるはずの学術的な世界の慣例を全く無視していることになり、
彼らの主張に疑念をはさまざるを得ない
ようは、池田仁三氏&井上氏の「碑石の解析結果」より、
自分の倍暦計算のが正しいので解析結果は間違い!て言うことかな?w
う〜ん 「曲学の徒さんの邪馬台国掲示板」での太国さんの説明聞いて
納得する人っているのかな・・・・w
66 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 00:11:51
>>62 河童なんて何処に居るんだ?
「河童は皿が割れて死んだ」
67 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 00:16:40
>>60 >それと、コテハンの誰か〜 「世」と「世世」の違い
>教えてやったら? 一人子供みたいに聞きたがってる人居るみたいだしw
出来るんだったら、自分でやれ。
68 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 00:19:40
俺はあの碑石HPにあるほとんどのものを、Photoshopで作れるけどね。
69 :
28:2009/06/11(木) 00:29:01
>>64の続き
そこで、彼らが「解析」したと称する画像をよく観察してみると
カラーであることから、特殊な条件下で撮影されたものではないことがすぐにわかる
また、背景の色が不統一で、同一チームによる撮影ですらない可能性が高い
実際、これらと全く同じ構図、背景の写真を博物館の展示会図録でみたことがある
つまり、彼らは独自の撮影を行っているわけではなく、印刷物からスキャンした画像を「解析」しているのだ
印刷物をいくら「解析」したところで、元の写真に写っていないものが現れてくるはずがない
つまりはそういうことだ
なお、彼らは、『記紀』の記述に基づいた「解析」結果を主張している
したがって、同じグループによって同じような主張がなされている碑文についても…
>>69 あんなものにマジレスしてもしょうがないよ。
72 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/11(木) 00:52:48
>>64-70 お返事ありがとう
池田氏のホームページでは民家にまでお邪魔してるみたいだし、
彼の言ってることが本当なのか?碑石の解析の専門の人に話をきいてみたいですよね。
こればかりは、素人の私たちでは判断できないかもしれません。
どうなんでしょうね。
まあ、疑ってはいるんですが・・・。
73 :
doontakuka:2009/06/11(木) 12:45:38
74 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 17:18:08
宝珠は仏教伝来以降でないの。擬宝珠なら、伊勢神宮以来かな?それ以前にあったとして
そんなに重要なシンボルなのかな?まあ、崇神天皇の和風諡号は御間城入彦五十瓊殖で、
「瓊」には赤色の玉という意味があるがね。
スレが死んでるから、誰か河童の餌蒔いとけよ。
76 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/11(木) 18:51:50
池田氏の主張する数字に真実は無いと見ています。
そうすると 池田氏は、自説の為に 「自説に合った数字(干支)を作為した」とは成らない。
この辺が面白い。古代には皇暦と出雲暦(古事記)が有った
紀=書紀による編年(元年)
墓標の記載のない天皇の墓標は、皇暦
西暦 天皇 治世 増し 皇暦 出雲干支
93年 孝昭天皇元年 26年 57年 83 丙寅
93年 出雲歴のはじまり 丙寅
119年 孝安天皇元年 26年 76年 102 紀
145年 孝安戊午年1月9日77 墓標 戊午
145年 孝霊天皇元年 19年 57年 76 紀
163年 孝霊丙子年2月8日55 墓標 丙子
164年 孝元天皇元年 19年 38年 57 紀
180年 孝元癸巳年9月3日46 墓標 癸巳
183年 開化天皇元年 5年 55年 60 紀
188年 崇神天皇元年 28年 40年 68 紀
190年 開化癸卯年4月9日40 墓標 癸卯
216年 垂仁天皇元年 23年 76年 99 紀
225年 崇神戊寅年12月7日42 墓標 戊寅
239年 景行天皇元年 22年 38年 60 紀
261年 成務天皇元年 4年 57年 61 紀
265年 景行戊午年11月7日86 墓標 戊午
361年 応神甲午年九月 古事記、墓標 甲午
367年 仁徳天皇元年 33年 54年 87 紀
386年 仁徳己未年8月15日83 墓標 己未
394年 仁徳丁卯年八月 古事記 丁卯
399年 履中壬申年1月5日64 古事記、墓標 壬申
400年 履中天皇元年 6年 紀
77 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 19:13:37
78 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 19:47:43
79 :
愛知県民:2009/06/11(木) 20:09:01
藤村新一氏の石器捏造もありましたが、刑事事件にはならなかったんでしたっけ?
15,16,17とわたしの人生暗かった♪
83 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 21:52:13
84 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:05:51
♪過去はどんなに 暗くとも 夢は夜ひらく
昨日 河童 今日 改め
明日は サガミか太国か
恋ははかなく 過ぎて行く 夢は夜ひらく ♪
85 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:13:21
梅毒 ドツボ デブ国 チョロ松
バカ四天王
美濃もん太、九州王朝、サガミ
ただの真性
【池田氏&井上氏解析の墓碑】
少し調べてみましたが、記録されている最古の碑石で七世紀と聞く。
池田氏&井上氏の解析によると
・倭迹迹日百襲姫命198年没
・そのとき、初代斎王・豊鍬入姫命が13歳、
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命 卑彌呼宗女壹與=豊鍬入姫命 と主張している。
両氏の解析による結果がもし本物なら、その墓石は国宝、国の重要文化財級。
その墓石が本物ならば、なぜ、国宝になってないのでしょうか?
畿内説の人はこの両氏の解析結果を信じて、
「邪馬台国=畿内」といってるわけで、「七支刀」を例にしてみよう。
【石上神宮に伝わる七支刀】
石上神宮に伝わる「七支刀(例の「倭王旨」)」というのは、みなさんもご存知だろうが、
四世紀末に百済から倭へと献上されたモノ(朝鮮側は逆と主張してんだっけ?)として、
現在、国宝とされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%94%AF%E5%88%80 この国宝「七支刀」には文字が書かれており、この文字を解析するのに
]線撮影写真を用いて解析したはずだが、池田氏のHPの写真をみる限りでは、
それっぽくないよね?あれって赤外線みたいなのが入るのでは(画像が赤くなる)?
オカルトキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
池田氏の著書を調べてみると、
、「このすばらしき日本語」を平成元年に出版しているだけで、
それ以外の本は皆、自費出費となっていることに気づかされる。
なんか、おかしいよね?
ただ、HPを読んだ人を驚かせて、楽しんでるだけ?!
ようは、言語虫みたいなやつ?!)。
もし、解析に赤外線やら、]線撮影を使って真面目に解析したというなら
証拠だしてほしいですね?井上先生だっけ?!
まあ、本物ならば〜歴史的快挙ですよ〜まじで!!
卑弥呼 → ヒメミコ の音写、というのは一般的?
90 :
愛知県民:2009/06/11(木) 22:37:08
81さんありがとう。
関係ないが、石川県ではオタマジャクシが降っているらしい。
世の中には不思議なこともある・・
>>82-85 落書きするな!
>>87 何も疑わず、調べず批判してるだけの人は黙っててくれる?
なんとなく九州と思う、畿内と思う、女王国=山口県説が出てきたら
オカルトーーーーーーーとか言ってれば良いてもんじゃない。
自己中心的な「自分は九州説だから、山口は違う!」的な安易な考えしか出来ないやつは
ひっこんでろよ。
批判するなら、調べてみて、何処と何処がおかしいから違うと言いなさい。
92 :
縦目仮面:2009/06/11(木) 22:46:44
>>88 どの博物館でも、研究所でも読み取れないものが見えるというなら、それは個人レベルで
NASA 並の科学力を持ってるってことになるな。ww
93 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:52:36
94 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:33:04
卑弥呼の当時の読み方はピメカ
ピ=日はありえるがメカ=巫女はちょっと無理がある
>>94 >卑弥呼の当時の読み方はピメカ
>ピ=日はありえるがメカ=巫女はちょっと無理がある
卑弥呼←ヒミコ では? いや冷やかしじゃなくマジで!
96 :
愛知県民:2009/06/12(金) 00:27:54
岡田英弘氏も山口県説だが、不弥国から陸続きの邪馬台国は山口ではない。
やはり比売語曽社がアヤシイ。
百襲ヒメこそ 謎の女王卑弥呼やで!
98 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 09:49:23
>>97まあまあ抑えて抑えて。
岡田さん山口説なのですか。そう聞くと彼の著作諸説眉唾物ですね。
立派な論説などきいても肝心のところでボロがでるというところですか。
信用失墜の好例です。
99 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 09:58:19
>>58 漢文は表現の仕方が一通りしかない貧困な言語ではないが、
世世の場合は繰り返しの表現で世より長い期間を表し、世は短い期間を表している。
100 :
doontakuka:2009/06/12(金) 11:37:29
>74 :
伊邪那岐の命にも、宝珠のご利益が有るようですよ。
『取在其坂本桃子三箇持撃者・・・爾伊邪那岐命告桃子』
と宝珠の桃が見えますね。
勿論この宝珠が仏教と深く関わっていることを疑いません。
101 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 11:58:48
>>99 適当な事は×
長い期間短い期間って、いったい何を基準に比較するんだよ
みんなそれぞれ感覚は違うぞ
102 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 12:07:49
卑弥呼の出自は山口県?
卑弥呼の出自は山口県で、10の部族長からそのシャーマン能力を評価され、
奈良に中心地がある連合国家の長のような立場になったとあります。
彼女は冬は自国の山口、夏は連合国家の首都奈良と、自国と連合国の二重生活をしていたとしています。
これからするといわゆる邪馬台国は奈良で、山口は彼女の出身の国ということになるようです。
邪馬台国の九州各説では、その場所の推定は九州のほとんどの場所に広がっています。
彼女の出身が九州でなく山口というような説はあるのでしょうか?
103 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 12:40:55
104 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 12:57:18
>>103 当時は馬もいたとしても駄馬しかいないので
船が一番の交通手段です。
瀬戸内海を東に行けば速いですね。
>>102 モモソだとするなら、出自は葛城氏領の
高天山の麓の村ですね。
105 :
doontakuka:2009/06/12(金) 16:00:31
106 :
doontakuka:2009/06/12(金) 16:05:13
107 :
愛知県民:2009/06/12(金) 19:00:17
岡田氏は倭人伝や東洋史で教えられる点が多いが、
応神以前は非実在とかはついていけない。
108 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 20:15:07
「卑弥呼」の読み、発音についてなのですが、
万葉語の音韻を重ね合わせると、
「ひむか」
に近いは発音だったと推測されます。
「日向」>「ひゅうが」と訛化していったと考えられます。
109 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/12(金) 20:34:28
応神,仁徳を疑う方が
それ以前を否実在とするより、歴史的事実に適っている。
応神,仁徳が実在しても、倭の5王さえ比定出来て居ない。
110 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 22:19:24
>>109 疑うのはたやすい。信じるのは難しい。
あなたは、安易な方向に物事を考えすぎる。
歴史家には向いていないのではないかな?
111 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 22:20:36
歴史家ではなくホツマ研究家だろう。
112 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/12(金) 22:33:00
ホツマは歴史書でなく、叙事詩ですから。
だからその時代を生きた人間の生き様が読める。
神功前紀 273年日食
神功52年 326年 七支刀(1年の狂い)326年なら暦日で読める。
吉祥文として読むより 理が有る。
仁徳53年 364年 新羅、倭兵が大挙して侵入 この数字は仁徳87年が399年より逆算すれば
得られる数字。
113 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 22:38:55
>>112 ホツマの存在を信じること自体、神武以前に統一王朝があったことを見つめることだし、
漢字伝来以前に古代文字が使われていたことを認めることでもある。
幻の九州王朝と邪馬台国の関係をどう解釈しようとしているのか?
意見をお聞きかせ願いたい。
>105
現代中国語音(代表として北京官話がもちいられる)は、
三国時代・晋・五胡十六国・南北朝あたりの時期に北方から入った遊牧民系の影響で変化したあとの発音で、
後漢〜三国時代の発音に近いのはむしろ南方音、たとえば広東とか上海の方面の音
日本の漢字音でいう、漢音・呉音の違いにも、かすかに残ってる。
三国時代の発音は、「漢音」よりもむしろ「呉音」に近いわけ。
だから、北京官話の発音である bei mi hu は、あり得ない話。
115 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 00:27:56
>>112 >ホツマは歴史書でなく、叙事詩ですから。
ギルガメッシュかよ!wwww
116 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 00:45:48
万葉集にも歴史を知る重大な手がかりが潜んでいる。
117 :
doontakuka:2009/06/13(土) 11:10:05
>>108 >万葉語の音韻を重ね合わせると、
> 「ひむか」
「hi mu ka」との音は、実に正しいだろう。
倭人は「卑弥呼・hi mu ka」に「鳥と狐の集合信仰」との意を沈めてあった。
鳥は勿論、梟でしょう。
狐とは、エジプトのアヌビスでこれがインド経由で捩れて狐となる。
後の稲荷信仰ですね。
が、 アヌビスが描かれた壁画がオーストラリアで見つかっており、紀元前3200年頃のもものようです。オーストラリアからならフィリピン→沖縄→列島と丸木船で渡れるかもね。^^;
118 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 11:26:43
畿内説の人に質問
・女王国の東、海を渡ること1,000里に国があり皆倭種。
・南に狗奴国。(女王国の境界尽きる奴国の南にある)
・南4,000里には朱儒国。
・東南に一年で、裸国・黒歯国。
・土地は温暖で、冬でも生野菜を食べる。生活環境は中国海南島と同じ。
・倭の地を参問するに〜周旋5,000余里
↑
なんか奈良っぽくないんだけど・・・。
説明して下さい。 誰か論破できる人いない?
119 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 11:29:51
九州説にも聞いてやれよ(笑)
120 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 11:35:49
早く教えてよ。女王国って奈良なんでしょ?
121 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 11:39:09
少なくとも、奈良盆地から尾張や遠州に行くときに度会の付近から伊勢湾横断するのが基本コースだったのは確実だし、
奈良盆地から関東へ向かうのも東海道の海上交通が基本だったから、
そのいずれかである可能性はある。
陸路でも往来可能だったんだろうけど、そちらの通路は未開拓だった可能性もある。
南 4千里の朱儒国はわからんな。伊豆諸島か小笠原諸島の方面のことか? 謎
東南1年って、太平洋横断コース? どこに向かうんだろな。
この二件については、畿内だろうが九州だろうが同様に問題だな。
「周旋5,000余里」って、「万里の国」=皇帝の治める国、中国 よりは小さいが、非常に巨大って意味、だろ。
日本列島全部 ぐらいの規模を想定するべきかな。
短里説論者に対してならば言っても仕方ないけど、
三國志全体で同一の里程(短里説の論者が言うところの「長里」のこと)を使っていると考えるべきであるので
(ただし数値の正確性は想定の余地なし、おそらく極めて不正確)、五千余里は、おおむね2千キロメートル近辺〜弱の値。
まあ、北海道は含んでないだろう。
高見山や青山高原山頂から伊勢湾方面を見ると、
東に海があって先に陸地が見えるからな。
まさしく記述と一致する部分でしょ。
方角のズレはどうしたという意見もあるが、
峠から日没をみるに関しては、方角は間違えようがない部分だな。
124 :
doontakuka:2009/06/13(土) 12:28:43
>>122 五千余里は、おおむね2千キロメートル近辺〜弱の値。
まあ、北海道は含んでないだろう。
与那国島Latitude: 24.456056 Longitude: 122.991428
平泉 Latitude: 38.987918 Longitude: 141.117802
与那国島〜平泉≒2,323.18km ≒ 五千里(432m×5000里÷1000=2,160里)
与那国島=狗邪韓國、平泉=奴国(邪馬壹國北限)
これで、良いのだ。
「對海【馬】國は対馬で一大國は壱岐だ」
じゃ、話にならないがね。
そろそろ目を覚まして貰いたいものだ。
125 :
doontakuka:2009/06/13(土) 12:30:45
与那国島〜平泉≒2,323.18km ≒ 五千里(432m×5000里÷1000=2,160里)
は、
与那国島〜平泉≒2,323.18km ≒ 五千里(432m×5000里÷1000=2,160km)
に、訂正。 失礼しました。
126 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 12:45:56
田舎者が渡海に憧れると、伊勢湾でも渡るか?
127 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:29:04
海を渡る夢か…
♪ 人の夢と ペンで書けば
儚いって 読むのですね
幸薄い 人の世ひ…
ヤマトタケルの伝説も伊勢湾を船で渡るしな。
これは古くからの豪族の言い伝えをまとめた話だから。
邪馬台国の東の海とは伊勢湾の事でしょうな。
130 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 14:03:34
東には尾張氏
131 :
doontakuka:2009/06/13(土) 14:58:55
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
とは、
New South Wales Latitude: -32.831001 Longitude: 150.139008
を刺している。
此処に"Anubis",の壁画がある。
この"Anubis",が
至對海【馬】國 其大官曰卑狗・・・至一大國 官亦曰卑狗
の、卑狗の狗であろう。卑=hi とは混ぜるということだから、
Xに狗を混ぜて、卑狗。Xとは拘邪韓國の拘でこれはインド経由のジャッカル="Anubis"と言うことになる。
インド経由のジャッカル="Anubis"は一大國・不彌國に勢力を持っていた。
インドの大リンガの代表作が四隅突出型墳ということさ。
不彌國には四隅突出型墳が必須なので〜〜〜〜す。
☆ヤマトタケルの叔母さんしかいないでしょ!
133 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:06:14
>>122 > 「周旋5,000余里」
対馬〜壱岐間の5倍程度ですよ、コレ。
>中国 よりは小さいが、非常に巨大
> 日本列島全部 ぐらいの規模
は、言い過ぎでしょう。
韓半島が「方7,000里」で、それより少し小さいのだから、本州の東半分は完全にアウトでは?
134 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:14:39
>>133 すいませんボケてました、> 韓半島が「方7,000里」
じゃないですね、これは帯方郡〜狗邪韓国の旅程じゃ。
方で言うと4,000里くらいですかね。しかしこれは半島全部ではないし、「周旋5,000余里」ってのは「船で一周したらそれくらい」って意味だろうから、本州の全部が入るとは到底思えないなぁ。
135 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:29:34
131は、>インドの大リンガの代表作が四隅突出型墳 って誰も読まないのをいいことに
ムチャクチャだな。
帯方郡 邪馬台国はこれで決まり?! ・
・| 調べると九州説は少し厳しいね! ・
・| 「倭国乱の場所」と「魏時代の鏡」が説明出来なくね? ・
・↓→狗邪韓國 ・
・ 對馬國 ・
・ 一大國 ・
・ 末盧國 ・
・ 伊都國 (不彌國から1300里地点に女王国有り:宇佐か?)
・ 奴國 不彌國--------→投馬國------------------→邪馬壹國
「女王国以外の五カ国」
(狗邪韓國、對馬國、一大國、末盧國、伊都國)
「女王国」
(奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國) という考えがあるけど〜これは間違い!
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸
世(十を3本)有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
上記の部分でわけて考えてるのだろうが、「使往來常所駐」は伊都国のことであって
伊都国の説明→狗邪韓國〜伊都国までの五カ国の説明→伊都国の説明とかおかしくないですか?
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚
有千餘戸世(十を3本)有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
「有千餘戸」というのは伊都国でしょ?
「....世有王皆統屬女王國.......」を訳すと、
「伊都国には、過去に王有り、みんな女王国に系統し属してきた」が正解!!
138 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 18:24:00
「世有王」
世に王有り で、現在・過去のことか迷うんだけど
ここでは、「過去」のことを指している。
「皆」→みんなといってるので、「世」を「代々」と訳すのも有りだが、
うるさい人もいるので「世=過去に、ある世に」とか訳しとけば良いんじゃないw
そして、「伊都国」とは、女王の親戚一族ではなかろうか?
たとえば、徳川家の将軍家以外にも「徳川尾張」とか「徳川紀伊」とかあっただろう?
>>137 それも変だろ。
千戸しかない狭いところで、関所の機能もある。
そんなところに他の王朝がいる必要もないし、代々というなら、その王家の家族親戚もたくさんいるはず。
つまり、養っていけない。
権力の二重構造、情報の二元化を招く。
王ではなく神主というなら話は別だが。
恐らく伊都国で結界させていたんだと思うな。
余計に魏使は邪馬台国に行ってないと思う。
伊都国には、約30人の吏官が集まっている。
卑弥呼の時代の制度では、一位以下四位までの「官」があったのではなかろうか?
「邪馬壹國」の記事
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮 とある。
一位・・・伊支馬
二位・・・彌馬升
三位・・・彌馬獲支
四位・・・奴佳鞮 ちなみに、伊都国に集まってた30人の官は、
どの位が集まってたかはわからない。
142 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:46:19
>>137 >「伊都国には、過去に王有り、みんな女王国に系統し属してきた」が正解!!
「過去に」になんて書かれてもいないことを言っちゃだめだよ。
「みんな」が何を指すのかが問題、
「世」(一世はもともと30年、魏は45年)は比較的短い期間だから伊都国の王もせいぜい2〜3代くらいだろう
「みんな」が「世」を指しているとするのは可笑しい。
「みんな」は倭の国々にことだ。
144 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 18:50:03
>>142 私がおかしいのではなく君の勉強不足では?
チト晩飯に出かけるので、その間ほかの人に聞いてみなよ。
>>137 >東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸
>世(十を3本)有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
>上記の部分でわけて考えてるのだろうが、「使往來常所駐」は伊都国のことであって
「郡使往來常所駐」は女王国の説明ではないだろうか?
伊都国の説明なら、伊都國のすぐ後にあるような気がします。
「世有王皆統屬女王國」が伊都国だけなら、官の説明の前にあるべきと思います。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬・・・
其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗・・・
と同様。
147 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 19:06:54
「東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚
有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」は全部、伊都國の説明。
女王國も伊都國の説明。
「世有王」の代々の王とは卑弥呼、壹與のこと。
伊都國が女王國の王都だとの説明。
イヨタン・・・・・・・・・・
そりゃ伊都=邪馬台国だろ、出張所なんだから。
わざわざ曲解するなよな。
>>149 所謂「邪馬台国論争」に首を突っ込みたがる人で、
わざわざ曲解してない人のほうが少ないと思う。
しかし伊都に関しては曲解出来る部分がそんなにない気がするけど。
>>149 出張所に別の王がいるわけだ。
普通、名前ぐらい書くだろ。
官は書いてんのにw
153 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 20:36:00
魏史は魏代の倭国を網羅的に書いてると考えられるんで、伊都国王はもちろん、一大率も
複数いたんでないのかな。
>>152 代々王がいたが、皆女王国に属してるとあるけど。
だから現在王は居なくて女王が兼ねてる、
もしくは傀儡の王がいるんじゃないの?
>>145 >「郡使往來常所駐」は女王国の説明ではないだろうか?
伊都国の説明です(
>>137-138を参考)。
>伊都国の説明なら、伊都國のすぐ後にあるような気がします。
東南陸行五百里到『伊都國』「官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐」
「」内は『伊都國』のすぐ後ろに有り、郡使 ⇔ 30人の官 で国交があったことが分かります。
>>146 >「世有王皆統屬女王國」が伊都国だけなら、官の説明の前にあるべきと思います。
>南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬・・・
>其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗・・・ と同様。
始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑狗副曰卑奴母離所居絶島方可四百餘里
「土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乖船南北巿糴」
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里
多竹木叢林有三千許家「差有田地耕田猶不足食亦南北巿糴」
又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸「濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之」
「」内の官名や里数の跡に書かれた記事は、そこまでの『全て』をいうと考えてるのでしょうか?
狗邪韓國が南北巿糴?どこへ?
156 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 21:54:10
>>154 代々の王は女王の国に属していた。
女王の国は昔から女王の国だったわけじゃない。
昔は男王が治めていたのだから、その時代は女王の国ではないけれど、
国は存在していた。
157 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 21:57:48
>>153 千戸だぜ?
外国の使節も駐留して、物流チェックして、それを送りだして
その上、王もいるの?
長崎の出島に代々からの徳川家以外の殿様がいるのと同じだよ?
これは王ではなくて神官のことだろ
中国人は日本の宗教を基にした政治システムがわかってなかったんだろ
>>147 >有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」は全部、伊都國の説明。
>女王國も伊都國の説明。
>「世有王」の代々の王とは卑弥呼、壹與のこと。
>伊都國が女王國の王都だとの説明。
アッハハ 「お笑い系」も混ぜていこうてことかな?
伊都国は女王国より以北だよ。
伊都國=女王國?ナイナイw
159 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 22:07:28
なんともいえんところだね。倭人伝当時は小規模でも、古い血筋の王がいて、その血を絶や
せばクニ全体が離反するような状況があったかもしれん。よい例えではないが現在の北欧の
王家などのように細々と血脈だけ残されていたとか。
160 :
九州王朝大好き:2009/06/13(土) 22:12:08
卑彌呼とは系列の異なる、漢代の倭王の系列の王が伊都國にいるのだ。
卑彌呼共立前の漢代の郡使は伊都國に来ていたのだ。
その習慣から魏使等は伊都國に常に駐るのだ。
又、旧統治体制が伊都國に残っているのだ。
161 :
九州王朝大好き:2009/06/13(土) 22:19:26
「イト」は、「倭都」が「伊都」に変わったものと思う。
どう解釈しても伊都国は北部九州の管理国でしょ。
当然外交の最前線でもあるので、
重要地という認識なのは畿内論者も異論は無いです。
しかし女王国は勿論別の地ですよ。
>>155 >「」内は『伊都國』のすぐ後ろに有り
「」内がえらく長いですね? 伊都国の説明であるなら
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬・・・
と同様、
東南陸行五百里到伊都國、郡使往來常所駐、官曰爾支・・・
となると思われます。
>「」内の官名や里数の跡に書かれた記事は、そこまでの『全て』をいうと考えてるのでしょうか?
これは全く違います。
官名や里数の後に付属記事があるのは何ら不自然ではありませんが
王の説明が官の説明の後にあるのは邪馬壹國、狗奴國と比較しても不自然。
164 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:06:00
う〜ん
それなら、.......................有千餘戸「世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐」は、
「」内の記事は狗邪韓國、對馬國、一大國、末盧國、伊都國 全てですか?
「有千餘戸」、郡使往來常所駐」は伊都国でしょう、
伊都国→五カ国全体→伊都国 となり不自然となりません?
165 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:17:21
>「有千餘戸」、「郡使往來常所駐」は伊都国でしょう、
「有千餘戸」は伊都国ですよ。万余戸の誤りだとは言われてますけど。
「世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐」は、対馬国から伊都国までに共通する
事項です。163氏が言うように、単なる伊都国の王の説明が官の説明の後に
あるのは邪馬壹國、狗奴國と比較しても不自然なんですよ。
166 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:29:53
景初二年〜正治八年の卑弥呼は「卑彌呼宗女壹與」という考えの人います?
卑弥呼←卑彌呼宗女壹與に思えてきたww
248年の「卑彌呼以死」というのは、政等の報告と考えられ、
倭へ行ったら「既に卑弥呼は亡くなっていた!」ということ。
その後、すぐに「壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還」?
おかしくない?
先代卑弥呼は既に亡くなっており、
次の卑弥呼、壹與さんてこと?
卑弥呼=壹與さん ?! 反論ありそうだねw
イヨタン・・・・・・・・・・
168 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:40:50
先代、次代の卑弥呼より(YAHHO、河童氏の記事みてしまたw)、
二世紀後半に十三歳の卑彌呼宗女壹與のが面白い?
倭国乱は、主導権の取り合いということが予想されるので、
子供(女の子)が王様なら、大人しくなりそう。
169 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:44:22
>>165 >不自然なんですよ。
おたくから言われなくても不自然なのはわかってるがなw
わたしばっかりではなく、おたくも考えたらどうです?
170 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:45:35
>>161 >「イト」は、「倭都」が「伊都」に変わったものと思う。
「倭都」の前は「倭奴」ですね。
「倭奴」⇒「倭都」⇒「伊都」
171 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:56:08
>>158 >伊都国は女王国より以北だよ。
ハァ〜???
誤読も甚だしい。女王国の中心より北にあるだけです。
その女王国の中心は奴国。
奴国は戸数二万の女王国の最大の国。
女王国の都は伊都国だが、伊都国には王宮や迎賓館などしかなく
奴国が女王国の真の中心地だったのだ。
172 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:56:29
考古学の成果によって、
箸墓 ← 西暦190年頃の構築 というのは確定的なんでしょ?
わたしは、300〜350年ぐらいの構築と考えてたんですが、
「確定」されてしまったのなら仕方なくないですか?
先代卑弥呼:倭迹迹日百襲姫命(箸墓の主)
次代卑弥呼:豊鍬入姫命
最大の鏡が出土された平原古墳の主:豊玉姫命
はもうすでに決まってたとは知らなかった。
俺たちは、考古学の上層部に踊らされてたということ?!
173 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:58:08
>箸墓 ← 西暦190年頃の構築 ・・・全然違うよ。
174 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/13(土) 23:58:59
だから「伊都国は女王国より以北だよ」ていってるでしょ?
は〜疲れるな・・・誰か
>>171さんに「以北」教えてやって。
175 :
改め:2009/06/14(日) 00:01:50
176 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:03:18
>>169 伊都国だけに関する記事と読むと不自然だから、四か国に関する記事と読むわけです。
そうすると、郡使往來常所駐は四か国が郡使の往来に際して駐する所だったと読むこと
になります。駐するというのは、駒をとどめる、すなわち宿泊するという意味です。
何のために、わざわざ四カ国は宿泊する所だというのか? 使者は通過する国には当然
宿泊するのですから、それは通過する国だということ、すなわち経由国を意味するとな
ります。対馬国から伊都国は通過国だということは、それ以後の国は通過する国ではな
いということですね。考えれば、そうなるのです。
177 :
改め:2009/06/14(日) 00:18:53
「郡使往來常所駐」
郡の使いが往来する時、常に滞在する所である。
郡 ⇔ 伊都國 といってるだけですよ?
嘘と思うなら五字分で訳してみてはいかが?
「郡使往來常所駐」どうぞ!
178 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/14(日) 00:25:04
わたしのレス177は
>>176さんへね!
>>176 自郡至女王國萬二千餘里
これが、奴國、不彌國の記事のところにあればそうとれますね。
しかし、「女王國」というのは、伊都國から1500里なんですよ。
「方可四百餘里」、「方可三百里」を含みたいらしいが、
これらはあくまでも面積なんデス。
萬二千余里は国外の遠い国という事でしょう。
180 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:35:10
祟神天皇、258年没だってよw
おめでたいのぅw
しっかり妄想してなwww 〜バイバイ
181 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:52:20
www台与朝貢266年として、このあたりで没してもらわなければ困るんだが、まあこれは
ご都合主義であるんで非難は受けよう。www コマンチ団が何かわかったかな?
ト、トヨタン・・・・・・・・・・・
183 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 01:47:22
>>177 五字分で訳すというのは、どうゆう意味かな?往来は、郡から邪馬台国への往来
と解すべき言葉でしょう。その往来に際して、常に駒をとどめるべき所。即ち宿
泊すべき所ということです。
>「方可四百餘里」、「方可三百里」を含みたいらしいが、
私はそんな解釈はとりません。
184 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 02:39:12
伊都国には、「男弟」と彼の率いる軍団のみ住んでいたのでは? つまり「千余戸」=兵士千人。
185 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/14(日) 09:59:33
>>180 崇神没年=259年(倍暦計算)
記の没年干支戊寅は258年を意味すると観るのが正解。
紀の崇神十年=240年(倍暦計算)=正始元年
で不都合はなく、今回の鑑定値240〜260年にも適合している。258年説はほぼ真。
>>180 崇神没の直前、任那から使者が来たという。
日本書紀卷第五 御間城入彦五十瓊殖天皇 崇神天皇
六十五年秋七月。任那國遣蘇那曷叱知令朝貢也。任那者。去筑紫國二千餘里。北阻海以在鷄林之西南。
「二千餘里」は魏志倭人伝の三千餘里に近い?
垂仁二年ではソナカシチ=ツヌガアラシトの帰国記事があり
崇神天皇にちなんで意富加羅國(=狗邪韓国?)をミマナと改めたとある。
また「一云」として難波と國前(国東)の比賣語曾社の伝説も載せている。
このあと新羅王子天日槍の渡来記事が続く。
古事記では應神の段で難波のみ比賣碁曾社と天之日矛の話がある。
入り乱れているようだが興味深い。
ttp://gejirin.com/hotuma34.html コレノサキ アメウシニモノ これの先 アメ牛に物
オホセヤリ アラシトユケハ 負せ遣り アラシト 行けば
ウシミエス ヲキナノイワク 牛 見えず 翁の日く
コレオスニ サキニモフケテ 「これ推すに 『先に儲けて
コレクワン ヌシキタリナハ これ食わん 主 来たりなば
アタイセン ステニコロシツ 価せん』 既に殺しつ
モシサキテ アタイオトハハ もし先で 価を問はば
マツルカミ ヱントコタエヨ 祭る神 得んと答えよ」
タツヌレハ ムラキミウシノ 探ぬれば 村君 牛の
アタイトフ コタエテマツル 価 問ふ 答えて「祭る
カミヱント カミノシライシ 神 得ん」と 神の白石
モチカエリ ネヤニオクイシ 持ち帰り 寝屋に置く石
ナルオトメ アラシトコレト 成る乙女 アラシト これと
トツカント オモヒユクマニ 婚がんと 思ひ行く間に
ヒメウセヌ カエリオトロキ 姫 失せぬ 帰り 驚き
ツマニトフ イワクオトメハ 妻に問ふ 日く「乙女は
キサニサル アトオタツネテ 東南に去る」 跡を探ねて
オヒイタリ フネオウカメテ 追い至り 船を浮めて
ツイニイル ヤマトナミハノ ついに入る ヤマトナミハの
ヒメコソノ ミヤヨリイテテ ヒメコソの 宮より出でて
トヨクニノ ヒメコソミヤニ トヨ国の ヒメコソ宮に
カミトナル ・・・ 神となる ・・・
188 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/14(日) 15:44:30
>>183 >五字分で訳すというのは、どうゆう意味かな?
ご自分で訳すという意味です。
>往来は、郡から邪馬台国への往来
>と解すべき言葉でしょう。その往来に際して、常に駒をとどめるべき所。即ち宿
>泊すべき所ということです。
ぐだぐだ言ってないで、おたくが日本語訳したらどうなるの?
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚
有千餘戸世(十を3本)有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
どうぞ!
>私はそんな解釈はとりません。
だからどうゆう解釈なの?
ぐだぐだ言ってるだけw日本語訳してくださいな。
189 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 16:15:06
郡使往來常所駐とは関所の事。
たとえ郡使といえども
フリーパスで通過する事が出来なかった。
190 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 16:25:07
>>174 「自女王國以北」であって「女王國以北」ではない
自○○以北だから○○の中心より以北の意味、
女王國の内で中心より以北にあったの意味。
女王國の外にあって以北は「女王國以北」。
自とはもとのと鼻の意味で中心を指す言葉。
時間に使う場合は物事が起きた瞬間を指す。
191 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 16:25:57
官の後に王についての事が書いてあるのは、その王が派遣であり
官の様に正規社員ではなかったから
官は女王株式会社の正社員であったが、王は正社員ではなくグループ企業からの派遣相談役
192 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 16:42:09
>>191 ごちゃごちゃ書かなくても、統治能力の無い王ってことは神官のことだろw
なぜ、神官(王)がいたか?
ここは結界であって、普通の倭国の人間が生活するところじゃなかったんだよ
193 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 16:47:31
伊都国が結界なら、なぜ小さな国である不弥国に足を運んだのかも理解出来る
ここで、女王卑弥呼等がいて面会した場所なんだ(妄想レベル)
なんかね〜
「世」とか「世世」、「以北」とか、辞書で調べない人多くね?
インターネットで字の意味調べてるとか?
たとえば、私を「例」にあげると、
・字源・・・旺文社、学研、角川 計三冊
・漢和辞典・・・旺文社 一冊
・国語辞典・・・広辞苑(第六版)、明鏡 計二冊
最低でもこれぐらいは揃えてないといけません。
インターネットとか、
何の辞書か知らない1冊(国語辞典1冊?漢和辞典1冊?)だけで解析しようなんて
少し無理があると思います。
ていうか、みなさんどこのメーカーの辞書持ってる?わたしと同じの持ってる人おる?
195 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 18:17:38
どんなに高価な辞書を所有していても、辞書の使い方を知らなければ
たんなる古本。いや
漬物の重し程度の価値。
と言うか
>>194であがっている辞典は
何れも中国語を読む為の辞典ではないだろう?
日本語の中に出てくる漢字・語句を調べる物であって…
英語でも慣れれば同義語辞典(シソーラス)で引くのがいいとは
良く言うが(つうか昔、英語の先生が良くそういってましたw)
無論、自分で字義を調べる向学心は結構な事なんだろうけど
通説となっている読みにチャレンジしようと言うのならあまりにも無謀と言う気がするwww
197 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 18:50:27
辞典の問題ではなく、本人の資質の問題が大きいでしょう。どんな辞典持ってたって、使う
本人がこれでは・・・。
198 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/14(日) 18:57:19
>>195-197 何べんも言わせるな!
人を批判する「だけ」なら簡単。
その前に自分はこうだ!言ってからにしなさい(話にならん)。
ケツの青い、新入社員にいってるんじゃないなら、
やるべきことやって批判するべきだろう?道徳を知らないというか。
ようは、子供なんだよ、ただ、批判してるだけw
そして、
倭人伝の「倭」の字も知らないやつに批判されたくねえーよww
この際言わせてもらうが、
サガミハラハラさんを批判する人って多いだろう?
彼の著書でも一冊買ってからにしたらどうか?
金払って、読んで、納得できなくて言うなら文句もいえまい。
>>198 アホがw
お前が好きでやっていることになんでこっちが合せなきゃならんのだって話で
批判される事が嫌ならこんな掲示板に書かなければ良いだけの話だ。
甘えるなカスwww
てめえでブログでも立ち上げとけ自称スレ主のドアホw
通説となっている読み下しはそれこそネットで”タダ”で手に入る。
そう言う意味では有り難味はないがw
幾らお前が自腹切って購入した辞書で時間かけて調べようが
そんな労力こっちには関係が無い。
要はそれが信用できるのか否かそれだけの問題。
「ボクちゃんはこんなに自腹切って苦労したんだから
ボクちゃんの説に耳を傾けてください」
と言われても付き合ってられないって話だなwww
>>198 サガミ氏は四年前から2ちゃんにて、自分の考えを書き連ねて来た。
その書き連ねた四年分の中身を見れば、氏の著書の内容も把握出来ると言う事だよ
それともなにかな?2ちゃんの投稿内容と、著書の内容は、全く別物なのかな?
201 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:14:08
>>198 ここに居る住人全て「倭」の字は知ってるだろう。
ただ違うのは、その文字についての認識度合いの差
その個人差をあなたは責めるのか?
認識の度合いを批難するのか?
と言うかサガミハラの件については
「 書評 」なら、そりゃ読んでからにしろと言うのは至極ごもっともだが
サガミハラがここでぶち上げている説に対し
批判があがるのは当然で、それが嫌ならこんな掲示板に書かなきゃ良いだけの話。
この改めドツボと言うアホが根本的に勘違いしているのは
掲示板は書き込まれた内容が全て
何処ぞのアホが
辞書を大枚はたいて買ったとか
スレを立てるために休日にネットカフェ回っただののお話は
読む人間には全く関係の無い話だwww
203 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:30:30
トンデモでも犬国のように笑かすレス書けるんだったらともかく、ドツボレスはただただ
無内容でつまらないだけ。
犯罪ギリギリの書き込みもオモロイな。
時々逮捕者が出ても、それはそれで楽しめるし
2ちゃんなんてその程度の掲示板だし、そんな掲示板だからこそ人が集まる。
叩ける奴を見つけたら、学校内の虐めの様に
寄ってたかって叩きのめす。それを原因に自殺すればまた楽し、それが2ちゃんねの住人の本質だ。
まあ2ちゃん暦が長いなんて恥になることはあっても自慢にはならないがw
(つうか少なくともリアルでおおっぴらに言えるようなことでもないしw)
改めドツボみたいに自分が立てたスレをHPとかと勘違いしている馬鹿は叩かれて当然w
206 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 20:03:54
叩かれても当然というよりも、叩くネタをよくぞ提供してくれたと、言う所だろう。
掲示板なんて叩かれる奴がいなければつまらないし、鬱憤ばらしに他人を叩く事が本質なのが2ちゃんねる。
「 邪馬台国 」何て言うのは表向きのお飾りで、そこに集まる住人の中から
邪馬台国版會津厨や、ウリナラ厨を見付だし叩き、一日のウサを晴らすのが2ちゃんの役目。
>>203 同意。
無意味なレス→反応が悪い(当然)→自分の苦労などを書く→批判を受ける→少し沈黙→ゾンビのごとくなんの反省もなく復活
この繰り返し。
>>207 お前も馬鹿か?なんの反省もなくって、ここは警察の取調室や裁判所じゃねえぞ。
色んなキャラを登場させて、好きな事を書き込むネットスペースだ。
あたしトヨタンよ
ドツボはだめぼよ
はい、話しも煮詰まった所で
卑弥呼Q
211 :
ローガン:2009/06/14(日) 21:15:27
太国さん。こちらこそ。別に謝って貰わなくても…かえって恐縮。
つまらないのでアソコはやめときますわ〜w
無悪改
213 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 22:03:19
うちのお祖母ちゃんもトヨたんだ!
214 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 22:07:18
>>194 普通の漢字辞書では漢字の成り立ちについて詳しいい説明がないから
元京大教授白川静著書「字統」とかも調べた方がいいよ。
改めさんの漢字に対する理解は浅すぎる。
2ちゃんで白川静氏を推奨する住人は一人しかいない。
216 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/14(日) 22:26:56
>>214 >普通の漢字辞書では漢字の成り立ちについて詳しいい説明がないから
>元京大教授白川静著書「字統」とかも調べた方がいいよ。
私の上のレスの辞書とどのように違うんですか?
そしてダメとした理由もお願いします(あんたすごいねw)。
>改めさんの漢字に対する理解は浅すぎる。
わたしはアマチュア研究者デス。
趣味でやってるわけですよ。
その私に対して、どこまで理解してほしいわけ?
217 :
日本@名無史さん:2009/06/14(日) 22:46:53
逝け
No one like you !
誰もあなたには似ていない。
221 :
日本@名無史さん:2009/06/15(月) 05:59:42
程度の低いのが増えたなあ。
何説を支持している連中かは一目瞭然だが。
またお前かw
223 :
doontakuka:2009/06/15(月) 11:38:34
女王國東渡海千余里復有國皆倭種・・・大東島
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里・・・パプア ニューギニア
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至・・・・・オーストラリア、ニュージーランド
と揚げて、參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千余里
であるから、絶在海中洲島之上或絶或連の倭地の範囲は、種子島(一大国)・那覇(對海【馬】國)・女王國東渡海千余里復有國皆倭種(大東島) から与那国島(狗邪韓國)までとなるであろう。
西之表市 Latitude: 30.732412 Longitude: 130.996835
大東島 Latitude: 25.85 Longitude: 131.25
約488.775km
大東島 Latitude: 25.85 Longitude: 131.25
与那国島 Latitude: 24.456056 Longitude: 122.991428
約834.2569km
与那国島 Latitude: 24.456056 Longitude: 122.991428
西之表市 Latitude: 30.732412 Longitude: 130.996835
約10.1722km
西之表市〜与那国島周旋は約2,340.25km≒5,417.24里・・・・周旋可五千余里
(西之表市〜与那国島は約1017.22kmであるからでは周旋では2034.44km≒4,709.35里)
124 :doontakukaの与那国島=狗邪韓國〜平泉=奴国(邪馬壹國北限)の
約2,323.18km≒五千里(432m×5000里÷1000=2,160km)
とも合わせ、
魏志倭人伝の記述を満足している。
224 :
doontakuka:2009/06/15(月) 15:01:47
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里・・・パプア ニューギニア
侏儒國=パプア ニューギニアは一寸遠すぎるようですね。^^;
では、
女王四千余里の女王は与那国島=狗邪韓國を刺しているだろう。
与那国島=狗邪韓國から南へ4000里は、フィリピンのゼネサン辺りですね。
与那国島 Latitude: 24.456056 Longitude: 122.991428
General Santos City Latitude: 6.143273 Longitude: 125.192863
与那国島=狗邪韓國〜Philipine General Santos City=侏儒國は
1844.42km ≒4,269.499里。
↓が Unano と呼ばれている人長三四尺余りのフィリピン原人。
http://farm2.static.flickr.com/1138/620460361_e41ed816bc.jpg?v=0 フィリピンの少数民族イフガオは茅葺き屋根の4本と8本の掘っ立て柱(八角形)の神の家を持っている。 4本柱はカリンガと呼ばれ、8本柱はベンゲットと呼ばれている。
沖縄の神アシャギとそっくりです。
田和山には4本と8本の掘っ立て柱跡が見つかっている。
卑弥呼の墓は箸墓で決まりだろ。
226 :
doontakuka:2009/06/15(月) 15:15:57
>又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
ここのスレの漢字博士の連中に聞きたいんだが…
この『侏儒國』と言う語は「小人国」と言うニュアンスは汲み取れないのかな?
「孺子(じゅし)」と言えば「小僧」「ガキンチョ」と言う意味だったと思うが…
「人長三四尺」と言うのはズバリ
オランウータン(現地の言葉で”森の人”と言う意味だったと思うが)の事ではないのか?wwwww
つまり「侏儒國」とはオランウータンの生息しているボルネオかスマトラの事ではないかとw
228 :
日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:49:09
>>227 侏儒は、まんま小人の意味。
でも、オランウータンはないだろうw
そうなんだよね。東アジアでピグミー族みたいな話は聞かないよね。
この時点で多分にホラ話要素の混入が考えられるんだが、
それゆえにこそ、邪馬台国論争ではこの条に触れたがらないw
そんなの伝聞の伝聞だろ…
侏儒国は、もしあったとすればインドネシアかフィリピンあたりか。東南アジアからニューギ
ニアにかけて住むネグリトは、マレー語ではオラン・アスリと呼ばれ、「もとからいた人」とい
う意でこの地の先住民族を表すらしい。「大洋州ピグミー」とも呼ばれ、もちろん身長は低い。
あるいは、黒歯国をビンロウ(アルカロイドを含む嗜好品)を噛む習慣から台湾とし、侏儒国
は、台湾内の低身長の一民族を表すとする説もあるが根拠は希薄なようだ。
まあ「伝聞の伝聞」でおkだけどね。
232は南九州説なのかな?まあ近い話もあるが・・・
出土人骨の特徴から@北部九州・山口タイプ A西九州タイプ B南九州・南西諸島タイプに分けられ、
@の弥生人は、顔が長く、鼻が低く、身長は、男性の162cm〜164cm、女性は150cm程度で高身長。A
は、顔が短く、横幅は広く、彫りの深い容貌。推定身長は、男性が約158cm、女性は148cmで男女とも
低身長。Bは、頭や顔が小さく、頭を上から見た形が限りなく円に近い。身長は著しく低く、男性で153
cm〜155cm、女性では143cm程度しかなく、きわめて小柄な弥生人でした。
これは弥生人骨が300体以上出土した、山口県土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムのホームページ
から要約したものだが、これを見るかぎり南九州そのものの身長が低かったようだ。まあ、邪馬台国と
は時代はだいぶ違うけど。
http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
234 :
日本@名無史さん:2009/06/15(月) 22:17:18
>>233 古代は現代と比べると閉鎖的な社会で、各地間の交流も少なかっただろうから
地域差があるのは当然じゃないかな。
身長で言えば、日本人の身長が一番低かったのは江戸時代末期から明治時代で、
男が155cm程度。
それからわずか100年程度で平均身長は、170cmになっている。
同じ人種のわけだから、環境でかなり変わるというのがわかる。
うーん、@は渡来人が多かったせいが大きいだろ。あと、第二次大戦以前と現代では食生活
が激変してるけど、弥生時代全般の栄養学的変化は大きくはなかっただろう。まあ、食い物
はそんなに変わらなかったと。
236 :
日本@名無史さん:2009/06/15(月) 23:30:15
無改善・・・読める?
237 :
doontakuka:2009/06/16(火) 12:06:50
238 :
doontakuka:2009/06/16(火) 13:07:16
>>231 黒歯国をビンロウ(アルカロイドを含む嗜好品)を噛む習慣
ビンロウを噛み潰すと口の中は真っ赤に染まるが、歯が黒く染まるという表現は当て嵌まらないでしょう。
マニラのカジノで台湾人がビンロウを噛んで口を真っ赤に染めているのを良く見かけた。
最近は以前と比べ、甘酸っぱく様変わりした。
240 :
doontakuka:2009/06/16(火) 16:11:47
>>190 「自女王國以北」であって「女王國以北」ではない
自○○以北だから○○の中心より以北の意味、
女王國の内で中心より以北にあったの意味。
自女王國以北特置一大率檢察諸國
の、女王国の中心は何処か?
魏の時間軸に於ける女王国の中央は2箇所あることが推測できる。
A.・・・一箇所は北緯39度と北緯32度の中央である北緯35.5度。
B.・・・今一つは、北緯39度と北緯30度の中央である北緯34.5度。
A地点は北緯35.5度の出雲に当たる伊都國。
B地点は北緯34.5度の天理市⇔堺市に当たる投馬國。
魏志倭人伝に女王国の中央が記述されていない、と言うことは考えられない。
それから押して、女王国の中央は伊都國=出雲であると決定できる。
A地点の決定は歳差運動(地球のスピン運動)から導きだされた魏時間軸に於ける大原則である。
故に、自女王國以北は自女王國以南と北を南で置換して読まなければならない。
此処で、
女王国中央伊都國の南に位置する九州邪馬台国は、一大率の檢察下に有ると言う馬鹿げた結論が生まれる。
241 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 17:03:51
>>240 「自女王國以北」は、女王国より以北というだけで、中心からというわけではない。
だいたい、かんがえてもみろ。国の中心から急に支配関係が変わるなんてこと現実に
あり得るか? 女王国より以北というときに、女王国が以北に含まれるか否かはその
使い方によりどちらもあり得る。したがって慎重に検討する必要があるが、倭人伝の
場合は、以北に女王国は含まない。
242 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:41:44
>>236 「改(あらため)無くて善からん」かな?小野篁が嵯峨天皇を馬鹿にして、「無悪善」と書いて
「悪=さが=嵯峨がいなければ善いのに」と読ませた故事のことだろう。つまり「改めがいなく
なってたいへんよい」の意味だと思う。正解かな?
改め先生、帰ってきてください。みんな先生をいじめちゃだめだよ。
244 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:13:54
>>241 >「自女王國以北」は、女王国より以北というだけで、中心からというわけではない。
分からん人だね「自」は鼻の意味。
「自女王國以北」は女王國の鼻以北、つまり女王國の中心以北。
「自」を「より」と日本語訳されるが「自」は鼻の意味で基点を指す場合に使用されるから
日本語訳すときは「より」とすると分かりやすいから先人が「自」を「より」としたものです。
「自」の意味が鼻であることを知った上で日本語訳すときの「より」は使いましょう。
>だいたい、かんがえてもみろ。国の中心から急に支配関係が変わるなんてこと現実に
あり得るか?
「国の中心から急に支配関係が変わる」などとは書かれていない。
「特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」とは
「特に一大率を置き、諸国を検察せしむ、諸国はこれを畏れ憚い。
常に伊都国で治め、国中において刺史の如きあり。」だよ。
女王国の中心から北は重要な地域だったので、特に一大率を置いたんだろう。
この文章では伊都国は女王国の中心から北にと読める。
一大率は国中(洛陽)の刺史のようだと言っているんだよ。
「自女王國以北」以下の文は女王國内の説明だよ。
245 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:02:26
すげー自分勝手なこじつけだらけですな。馬鹿馬鹿しい。
実に不毛な議論。
逝け
247 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:14:43
出雲にいた一大率が大和の北半分を治めていたのか?
248 :
ローガン:2009/06/17(水) 00:15:29
>>244 > 一大率は国中(洛陽)の刺史のようだと言っているんだ
洛陽って、刺史いましたっけwww
249 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 01:06:01
確かに、刺史って一言で言えば地方長官と言われるよな。
250 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 02:13:52
タ国
但馬 丹波 丹後
イ国
伊都 石見 出雲 因幡
251 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 09:34:08
>>248 「常治伊都國 於國中有如刺史」
だから「常に伊都国で治めるのが洛陽で刺史を治めるようだ」です。
洛陽に刺史いるのではないですよ。
252 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 09:51:57
一大卒はどこにいたんだ?
253 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 10:03:27
254 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 10:08:55
>>253訂正
一大卒は「自女王國」以北の国々にいた。
255 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 10:40:11
一大卒は何人いたんだ?
256 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 11:16:25
>>255 一橋大学の卒業生は数十万人いらっしゃいます。
257 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 13:15:10
>>255 對馬國、一大國、末盧國にはいただろうから
最低3人はいただろう。
258 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 14:19:36
>>251 「常治伊都國」は「伊都国【で】治める」ではなくて、「常に伊都国【を】治め」ですね。
【で】と場所をあらわす場合、直後に「於國中」とあるように「於」の文字を使うでしょうね。
後半は、「國中に於いて刺史の如き有り」で、國中は「伊都国の中」を指しています。
「伊都国の中において、中国の官制でいえば刺史のような役割を果たしている」という意味です。
「一大率は国中(洛陽)の刺史のようだ」は、
「國中に於いて刺史有るが如し」という語順の場合の解釈です。
「國中に於いて刺史の如き有り」とは違います。
259 :
ローガン:2009/06/17(水) 14:22:03
>>251 > だから「常に伊都国で治めるのが洛陽で刺史を治めるようだ」です。
> 洛陽に刺史いるのではないですよ。
よく意味がわからんのですが、ひょっとしたら「常に伊都国で一大率を統治しているという様子を本国でたとえると、まるで洛陽で刺史を統治しているようだ。」と言う内容のレスですか?
260 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 17:01:28
>>258 >「常治伊都國」は「伊都国【で】治める」ではなくて、「常に伊都国【を】治め」ですね。
>【で】と場所をあらわす場合、直後に「於國中」とあるように「於」の文字を使うでしょうね。
なかなか独自の訳ですね。
漢文の先生方は「常治伊都國」を「伊都国【で】【に】治める」等と訳されていますが、
では「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
全体ではどのような意味になるのでしょうか?
>>259 >「常に伊都国で一大率を統治しているという様子を本国でたとえると、まるで洛陽で刺史を統治しているようだ。」
そうです。
261 :
ローガン:2009/06/17(水) 19:09:49
>>260 了解。司隸には刺史は居ないですね。喩えに「刺史」を使うという事は、伊都国は中央ではないと言っているわけですね。
262 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 19:52:20
>>261 刺史≒一大率、國中(洛陽)≒伊都国ですから、
一大率がいた對馬國、一大國、末盧國が中央ではないと言っているのです。
伊都国は國中(洛陽)に喩えらていますよ。
264 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:25:11
すみません。
>>263は間違いです。
>>260 >なかなか独自の訳ですね。
全然、独自ではないですよ。
「治伊都国」を「伊都国を治める」と読むのは、漢文として、ごく普通の読みです。
むしろ、「伊都国【で】【に】治める」と読むほうが、漢文としては不自然です。
では、漢文の先生がたは、なぜそう訳したのか。
「伊都国を治める」と訳すと、諸国を検察するということと折り合いが悪いから、
おそらく「伊都国で」と訳したのでしょう。
しかし、日本語としては折り合いがつくかもしれませんが、
漢文としては疑問を感じます。
以上の部分は議論の余地がありますが、「國中」を洛陽と訳すのは不可能です。
「如刺史」だから「刺史のような」であって、「如」は刺史以外にかかりません。
「國中」を洛陽と解釈すると、
「洛陽に於いて、刺史のような働きをする」という意味になり、
文意が通じません。
「如於国中有刺史」ではないので、「まるで洛陽で刺史を統治しているようだ」とは訳せません。
「てにをは」か…w
>國中において刺史の 如きあり
という部分は、刺史が中国において皇帝直属の官(郡太守の下ではない)であるように、
「一大率」が邪馬台国直属の官であることが強調されているのだと思うが。この部分に「洛
陽」は無関係だな。
267 :
日本@名無史さん:2009/06/17(水) 21:47:20
あきらめろ、九州は単なる大陸との交易の玄関先だ
268 :
愛知県民:2009/06/17(水) 23:21:19
一大率は、王に代わって伊都国を治める官・爾支と、
伊都以外の北方諸国を検察する副官・卑奴母離の総称ではないか?
少なくとも3世紀に入って九州に邪馬台国を
想定するのはもう無理でしょうね。
>220
近現代の偽書とか近世(江戸時代)の偽書ばかり並べてもなあ。
古代史を創造/創作したヤツばっかし。
あれ、白川本旧事紀とか先代旧事本紀大成経を忘れてるぞ。
江戸時代の偽作物として、ホツマあたりと並べてやってくれ。
271 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 03:15:33
一大率ってのは、一人の司令官というような意味だよ。一大率が何人もいるわけはない。
伊都国に一人いただけだ。それが対馬国から不弥国までを検察していた。各国の王以下は
その一大率を畏れ憚っていたということ。それが読み取れなくては、倭人伝の書いてると
ころは到底理解不可能だろうな。
272 :
愛知県民:2009/06/18(木) 07:15:45
皆臨津捜露とあるから複数いたのでは?
273 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 10:09:01
「皆」は一大率のことではない。「いずれの場合にも」って意味だよ。
274 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 10:22:50
275 :
271:2009/06/18(木) 10:27:09
私が書いたところは、ぜんぜん新しくない。普通の学者が読んでいるとおりだ。
276 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 10:30:21
277 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 11:20:34
ちがう読み方をしている学者がいたら教えてほしいな。
278 :
doontakuka:2009/06/18(木) 11:36:51
279 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 11:39:41
280 :
doontakuka:2009/06/18(木) 11:47:21
281 :
271:2009/06/18(木) 11:55:51
264と一緒にしないでくれ。
282 :
doontakuka:2009/06/18(木) 11:57:52
Harappa :Latitude: 30.591878 Longitude: 72.916527
であるから、
一大国(種子島):Latitude: 30.418913 Longitude: 130.903287
と、
ほぼ同緯度にある。
283 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 14:33:00
率は、率(ひき)いる、で、漢和辞典を引くと「将」とだいたい同じ意味とある。
つまり、大率は大将に近い。一大率は、一人の大将というような意味だろう。
刺史というのは、古代中国の官職名で、諸国を検察する役目を持っていた。
最初に設置したのは、前漢の武帝らしい。支配する地域を13の州に分けて
郡主を置いたのだが、郡主が変なことをしないか心配だったらしく、
それを検察するために刺史をおいた。
当初は、郡主より地位が低かったが、それでは不都合なので、徐々に権限も
強くなり、行政権や軍事権も持つようになる。
後漢時代になり、政情不安になると、皇帝の重臣を刺史として配した。
つまり、「於國中有如刺史」 は、一大率がその刺史と同じようなものと
いうわけだろう。「諸國畏憚之」からもそれがうかがえる。
284 :
ローガン:2009/06/18(木) 15:34:48
>>271 >>283 同意。大率… 大=巨 巨=渠、率=帥。大率とは渠帥と同じような意味でしょう。
孫引きですが、後漢書劉玄伝に「推されて渠帥となり数百人を率いる」とあるそうで、一人の大率を長としたグループと考えるべきでしょう。
285 :
264:2009/06/18(木) 15:50:28
>>283 中華書局の三国志は、固有名詞の左側に傍線を引いているのだけど、
一大率には傍線がない。
つまり、編集を担当した学者さんは、これを固有名詞とは考えていない。
283さんと同じ考えなのでしょうね。
一人の大官が伊都国にいて、そこから諸国を検察していたという内容だと思います。
>>279 出版された訳本の字面には、訳者の迷いは現れません。
複数の訳案があっても、最終的にはひとつしか選べません。
その選択が正しいとは限りません。
迷った時には、とりあえず先行の訳本に倣うということもあります。
あなたが持ってる訳本の訳者も、「常治伊都国」や「一大率」の訳では
きっと迷ったと思いますよ。
286 :
doontakuka:2009/06/18(木) 16:24:38
>>285 名前:264
中華書局の三国志は、固有名詞の左側に傍線を引いているのだけど、
一大率には傍線がない。
一大率は固有名詞ではないだろう。
現代中国語の「大率」は「おおよそ」と日本語訳している。
特置一大率檢察諸國で、「諸国におおよそ一箇の検察特置」。
デカイ国には2箇所の検察特置があったり、チンコイ国には検察特置はなかったり。 ^^;
287 :
愛知県民:2009/06/18(木) 18:31:39
うーん、やはり一大率は伊都国の官とは別みたいですね。軍政のようなことか?マッカーサーみたいな?
288 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 18:34:43
>>286 現代中国語で「おおよそ」の意味でつかう「大率」と、ここの「一大率」は違うと思うよ。
おおよそ一個なら一大率ではなく大率一だし。
率には「おおよそ」と「ひきいる」の意味があって、「ひきいる」の方は「帥」に通じる。
元帥の帥ね。
だから一大率は「一つの大きな率いる者」という意味だろう。
一大率は、確かに刺史の如しと倭人伝には書かれてはいますが、
実際に女王の配下だったかは疑問ですね。
魏は卑弥呼を親魏倭王としているので、
魏志の表現は絶大な権力を持つ女王として粉飾されていますが、
その実態は脆弱な体制の共立王です。
そのような王の配下に諸国が平伏すのは不自然では?
一大率に権威が有ったというのであれば、
それは、女王のお墨付き以外に、一大率自体に特別な力が有ったと考えられるかと。
私は、一大率とは、西日本と半島に跨る海上交通を担う、
まあ、海賊王みたいなものかと想像しています。
290 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 20:05:05
ゆるやかな首長連合とはいえ、連合目的の一つが北九州制圧による鉄および大陸物資の
輸入ルート確保だったとすれば、北九州の離反には常に目を光らせていただろう。なにも
遠く畿内から攻めてくるわけではなし、山陽、四国、東九州の一部まで邪馬台国連合だった
わけだし。
さらに魏朝貢後なら、常駐する魏使が冊封国である邪馬台国を危うくする動きを許容する
はずがない。古くからの王の血筋は残されていたとはいえ、北九州はまさに進退窮まった
状況だったと考えられる。
>海賊王 ・・・正気かね?
291 :
日本@名無史さん:2009/06/18(木) 22:33:45
伊都は
一大率を置かれ、吉備にも厳しく監視されてただろうな。
292 :
愛知県民:2009/06/18(木) 22:41:33
大夫難升米が一大率で、都市牛利が大倭だったかも?と考えた。
>289
そういや、誰が言ってたか、
「一大率は魏が任命した(刺史を任命するようなもの/刺史と同様に魏が任命したもの)ってタワゴトがあったっけ。
yahooの掲示板でデムパな邪馬台国論を出してる有象無象の一人の見解だったかな?
>>290 >海賊王 ・・・正気かね?
傍からどう見えているかはともかく、本人は正気のつもりですが。
交易を主体としたゆるやかな首長連合と言うものは、
当然、海上交通の安全を保障する体制だったのではと思います。
なので、「連合」の中には、後世の水軍のような勢力も取り込まれ、
「海上警察」のような役目を担っていたんじゃないかと想像したわけです。
>>293 >「一大率は魏が任命した
作家の故・松本清張が同じようなことを言っていましたね。
295 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 01:54:15
>>294 一大率が海賊王は無いが、立ち上がりは一大國による海賊まがいが発端だろう。
これにより倭奴國は半島へのルートが遮断され弱体化。
その弱体化につけこんで勢力を伸ばしたのは、一大國と組んで勢力を伸ばしつつあった帥升である。
倭奴國は北と南から挟み撃ちにあったのだ。
北は一大國による海上ルート遮断、南は倭面土國(吉野ヶ里)帥升による陸上からの攻撃。
倭奴國王は金印と共に春日なる須玖岡本から志賀島に追い落とされのある。
一大率は、帥升が海上交通権益を支配する為に、一大國に任せたものが発端。
後に、帥升の倭國の都が伊都國(倭都)となり、一大率には諸国を検察する業務も加えられた。
倭面土國:倭米多國 倭目達國・・・・「米多」と「目達」は吉野ヶ里の近所
296 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 02:10:46
>>294 一大率を、魏が派遣した高官という人はけっこう多い。
特に、北部九州説はそうならざるを得ないかもしれない。
倭王である邪馬台国の女王と、諸国を検察する高官が近い場所にいるのは、
かなり不自然だからである。
しかし、これについては、狗奴国との争いの時、なぜ一大率が活躍せず、
わざわざ帯方郡から張政が来なければならなかったのかという疑問がある。
297 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 03:53:10
>>290 >ゆるやかな首長連合
「諸国これを畏憚す」というのは、ゆるやかな連合なんてもんではないね。
倭人伝が伝えるところは、倭国の乱後のマッカーサーみたいなもんだと思うがね。
>>296 魏派遣説は言われるようにどうみても無理。
一大率を置いたのは、女王国か邪馬台国。それ以外はありえません。
それは、邪馬台国が遠かったことを示していますね。しかし、もちろん畿内説は
論外。ということで、南九州説がもっとも合理的なのです。
298 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 08:22:42
全ての国が心から卑弥呼を支持してなかったので一大率を使ってにらみをきかせてたんでしょ。
つまり、完全な支配体制が確立してたわけでないから「ゆるやかな首長連合」。
299 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 08:29:09
一大率が置かれた自女王国以北とは女王国の北部地域のことだから
一大率が女王の命で女王国の北部地域を検察していた機関であることは明白。
色々妄想するのは楽しいでしょうが、それ以外のことは分かりません。
一大率は女王国の北部地域全体を検察していた機関ですから
「常治伊都國」とは「伊都國を常に治」ではなく従来の訳どおり「伊都國で常に治」でしょう
伊都國に一大率を統率する者がいたのでしょう。
300 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 08:30:45
にらみをきかすって、完全な支配体制のことじゃないでしょか。
301 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 09:05:28
>>271 一大率は刺史のようなものだから
一人ではないでしょう、複数いて刺史のようなものと言える。
「治」の意味が分かってないのかな? 役所を置くということですよ。
「常治伊都國」は、常に伊都国に治す。一大率は伊都国に役所を置いていたと
いうことです。
304 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 10:59:06
>>302 またいい加減なことを言う。
「治」は「もと治水の義で、それより理治の意となり、官治、政治の意となる。」
ですよ。「常に伊都国で治める」で問題ありませんよ。
>>303 倭で魏の州に対応するのは對馬國、一大國、末盧國等の国邑だ
伊都国にしか一大率がいないとしたら、
各州に設置した刺史のようなものとは言えない。
305 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 11:04:54
>>304 「常に伊都国に治める」としても一大率の役所を置いていたとの意味ではあませんよ。
「常に伊都国で(一大率を)治める」との解釈が妥当でしょう。
306 :
264:2009/06/19(金) 11:04:59
>>302 僕が間違っていたようです。
郡治などという例は見ていましたが、
役所を置くという動詞に使った例には出会ったことが無かったです。
言われて調べたら、康煕字典にそれらしい例文が載ってました。
失礼しました。
307 :
264:2009/06/19(金) 11:11:49
異論が出ているようなので、参考までに例文を挙げておきます。
康煕字典
治、州郡所駐曰治。如蜀刺史曰治成都、揚刺史曰治会稽。
308 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 11:53:01
>>306 康煕字典で魏志倭人伝を読むのは、
現代の国語辞典で万葉集の意味を調べるようなものですよ。
309 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 11:56:31
ゆるやかな首長連合(笑)
310 :
302:2009/06/19(金) 11:57:24
>>307 適切な事例を紹介していただきありがとう。
311 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 12:20:30
312 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:10:45
>>295 語呂合わせはもうたくさん
邪馬台国 ヤマタイ 八幡平
邪馬台国 ヤマト 大和
倭面土國 ワメト 倭米多 倭目達
313 :
295:2009/06/19(金) 17:34:53
>>312 いいかげんな語呂合わせはもうたくさんだね。
× 邪馬台国 ヤマタイ
× 邪馬台国 ヤマト
× 倭面土國 ワメト
◎ 倭面土國 イメト(イメタ)
○ 伊都國 イト 倭都=倭奴(委奴)=?怡土?
314 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 19:15:26
>>308 そこまでの差は無いよ
>>312 漢書地理志の師古注に「倭音一戈反」ってあるでしょう。
音韻は良く知らないんだけど、
これだと倭は「わ」じゃなくて「や」にならないかな。
倭面土は「やめと→やまと」になるような気がする。
倭国は「わこく」じゃなくて「やこく」で、
「やまとこく」を「やこく」と略したとか。
英吉利国を英国と書くように。
いや、まあ、だから、どうしたと言われると困るんだけど。
315 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:36:06
>>312 「倭」の音は「一」の音。
「一」の音は「壱・壹」の音
倭の音は「イ」音になります。
別解
「一戈反」の音は「ヰ」の音
「委奴國」の「委」の音は「ヰ」の音
だから「倭」の音は「ヰ」の音となる。
倭面土國 ヰメト
委奴國 ヰド
伊都國 イト
317 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:49:17
>>315 >「一戈反」の音は「ヰ」の音
これ正しいの?
「ヰ」は「wi」でしょ。
「戈」の音が「ki」になることはないだろうから、
倭の母音が「i」ってことはないんじゃない?
「一戈反」の音は「ワ」の音
319 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 22:24:12
>>318 なぜ?
「ワ(wa)」と読むには「一」の子音が「w」でないといけないと思うんだが。
321 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 00:15:40
>>320 情報、ありがとう。リンク先を読むと、「倭音 一戈反」の一に関して
「於逸切」あるいは「於悉切」だから「wa」音ということだけど。
でも、辞書をみたら、「於」は「汪胡切」と「衣虚切」の二音が載ってた。
前者を採用すれば、「一戈反」は「わ」になりそうだけど、
後者を採用すれば、「わ」ではなく「や」になる。
「いち」「いつ」の音を表わす反切上字としては「衣虚切」の方が良いのではないかと思うけど、
リンク先のページの筆者は、なぜ「於」に「汪胡切」の方を採用したんだろう。
「一」を「witsu」のように発音してたのかな。
>304
>倭で魏の州に対応するのは對馬國、一大國、末盧國等の国邑だ
ちょwww
魏における「州」は、複数の「国」や「郡」を統率する(というか、監察する)もので、
政治的権限は国や郡より小さいんだよ。
監視役みたいな地位。
もっと権限を大きくしたものは「牧」と呼ぶんだ。
郡の太守や国の「相」の俸禄が2000石で刺史は800石とかそういうの。
(数字の前に「比」とついてたかも)
>314
同意。
>308の指摘は残念ながら間違ってると言わざるを得ない。
康煕字典は、古語と現代語を全部並列に並べたような辞書(まあ字典だが)で、
古文の用例を調べるのにも使えるんだから。
「ヤメト」は「ヤマト」の連用であり、ヤメはヤマがあるから存在する語句。
324 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 14:26:40
日本で言う康煕字典は主に日本翻版「安永本」が元ネタ
325 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 14:28:48
漢漢が理解出来るくらいなら、漢籍で苦労することない。
326 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 19:55:54
>>322 何を言ってるんだね?
魏と倭は国の大きさが違う、例えが正確なわけないだろ。
一大率の機能が刺史に喩えられているだよ。
バカじゃないの。
康煕字典の用例が何時の時代のものか確認したの?
「治、州郡所駐曰治。如蜀刺史曰治成都、揚刺史曰治会稽。」
は康煕字典が書かれた時代のものではないかい。
327 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 22:44:40
328 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:39:30
奈良大学にいた水野先生?
出雲とか各地で何か出れば「大和で作って運んだ」
という万能の論理を発揮なされたものだが
329 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:30:17
渡来人の東漢氏は「やまとのあやし」と読む。
これは、西(河内)の漢(あや≒伽耶)氏との対比で大和に住んでいる漢氏と「やまとのあや」と
呼んでいたといった解釈が主流らしいけれど、実は違うのではないかと思うのです。
やまととは、「東」のこと。日の出る方向こそ「やまと」だったと解釈すれば、
邪馬台国が伊都国からどちらの方向にあったか、はっきりします。
330 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 07:33:42
ヤマトが東の意味なら、ヤマト言葉は、近畿よりも西の人が名付けたものか、
近畿よりも東の言葉になりますね?
>>329
>322
>魏と倭は国の大きさが違う、例えが正確なわけないだろ
まあ、1000戸とか、中国における県レベルのものが多くあるしなあ。
だが、州は郡や国より広域のものだから、やはり複数の国を監察するものじゃないかな?
機能という点で言うにしても、刺史は太守や牧や王侯と違って、中央から地方に赴いて監視役をつとめる機関に過ぎないんだから、
まあ、いろんな立場のヤツが何人も言ってることと同じで良いけど。
伊都国一国だけを監察するものではないんじゃないのかな、という感じは受ける説明文だ。
伊都国は首都から遠くにあるんじゃないか、とは読める。少なくとも首都圏の外だろう。
>康煕字典の用例が何時の時代のものか確認したの?
(略)
>は康煕字典が書かれた時代のものではないかい。
は、308に言うべき言葉でないかい。
倭國王帥升等で、倭國王の名は「帥升」か「帥升等」か?
倭国王は一人だろうから「帥升等」とすべきでしょうか。
狗奴國男王卑彌弓呼素の「素」とあわせて、議論の分かれるところ。
卑彌弓呼素 從來此の人名を讀むに、多くは素の字をモトヨリの義として、下の不和につけて讀めども、余は之を上につけて人名の中に入れたり。
呼素はコソと訓むべく、國造本紀に見えたる凡河内國造彦己曾保理命の己曾、孝徳紀に見えたる神社(カミコソ)ノ福草の社、
神名帳に見えたる攝津國東生郡比賣許曾神社の許曾、垂仁紀二年の註に見えたる難波と豐國國前郡と二處の比賣語曾神社の語曾などのコソと同じ樣に用ひられし者なるべく、
比賣語曾といへば女性を見はすに對して卑彌呼といへば男性を見はすにもやあらん。卑彌呼と故さらに一字を違へたるもヒメコの意にあらざるが爲か。
國造本紀には又山背國造に曾能振命ありて、彦己曾保理命とは異人なれども、命名の義は似通ひたるより思ふに、
己曾といへるも曾といへるも本義には差なくして此の呼素も襲國の酋長などをや指しけん。
(内藤湖南「卑彌呼考」)
334 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 15:35:17
「倭國王帥升」の読み方なのですが、「すいしょう」というのは確定的なのでしょうか?
大宝律令以後の「大宰帥」は「だざいごんのそち」と読むようです。
つまり、「帥升」は大将という意味の官名だったとすべきだと思われます。
もしかしたら、卑弥呼のほうも・・・
335 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 15:44:39
336 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 22:24:17
シュ・シェンが正解のようです。福岡の周船寺の周船がそれにあたります。
王名が地名としてのこった一例です。シュウセンと書いてスセン(ジ)と読みます。
北部九州ではサシスセソをシャシシュシェショと訛ります。よってスセンはシュシェンとなります。訛った音に当て字をしたわけです。
そしてそれを正しい音で読んでいるわけです。
中国に行ったとき、王名を訛って発音し、中国側はそのまま聞いた音で記録したわけです。
337 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 23:00:20
>>334 ああ、菅原道真が左遷された時の役職名ですね。
たしか低い身分の役職だったような。
帥升=スサノオ
339 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 23:35:07
なるほど、シュセンオウでスサノオね。つうじますね。
スサノオは海を治めていたというから、中国までいっても不思議ないですね。
>337
中央官僚と地方官僚の地位の格差が大きかったからな。
太宰帥は、地方官僚の中ではダントツの高位高官だし、
中央政界に就くものと比較しても、決して低い地位ではない。
ただ、左遷前の道真の地位が大臣だったから、そこから比べたら大幅に劣る地位ではある。
>>337無分の低い役人
実は魏は倭の属国に過ぎなかったという意見に賛成です。
342 :
日本@名無史さん:2009/06/22(月) 00:17:45
余り人前では言わない方がいいと思うよ。
オオサンショウオウ
344 :
愛知県民:2009/06/22(月) 06:44:31
太宰府長官である太宰帥や次官である太宰大弐と異なり、道真が左遷された権帥=副長官は名前だけの閑職です。
345 :
日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:10:37
当時、玄界灘を渡って魏の都に行くということは、死を覚悟することだったのではないでしょうか?
帥升も閑職というか名誉職で全権大使に近い意味合いの職名だったと考えられます。
全権大使小村寿太郎。交渉決裂なら、帰ってこれなかったのではないかと思われます。
346 :
日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:44:56
玄界灘も対馬海峡を渡ることは、壱岐や対馬の人々にとっては日常茶飯事だよ。
347 :
日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:50:37
>>346その通り。帥升は、壱岐や対馬の海賊ではなく、騎馬民族だったことがわかる。
348 :
愛知県民:2009/06/22(月) 23:14:03
帥升も皇帝に会えなかったらしいから、後でどうなったことやら
小野妹子は煬帝に会えたようだが、返書をなくしたことになってる。実際は倭国を臣下扱い
する内容だったので破棄した可能性が取りざたされている。会えば会えたで難しいこともあった
だろう。
350 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 05:03:51
安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見
倭国王・帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。
この文章からは、帥升が直接出向いたと受け取れる。そう考えれば帥升等と
複数形なのも納得できる。帥升様御一行ということで。
また、生口は受け取っているようだから、帥升も会ったのではなかろうか。
貢物だけ受け取って会わないというのは、せこい印象を与えるから、
会わないのなら、貢物も受け取らないだろう。
351 :
愛知県民:2009/06/23(火) 06:44:31
ふつう朝貢では下賜が献上より多い。
ところが生口百六十人があまりに多くて困り、願いに応じて会ってやるだけにした・・?
いまだ、生口とは何かという問題に、納得のいく説明ができた人はいません。
これは徐福集団がつれてきた童男童女と同じように、未成年の男女のことだ
と考えます。子供なら、しつけ次第で異国の習慣も身に付けることもできるし、
言葉も覚えられます。
邪馬台国が周辺の国を征服するたびに男は皆殺しにし、若い女は慰み者にし、
子供は生口として貢物にする。そうやって国力を蓄えていった現実を直視しな
ければなりません。
353 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 20:43:30
帥升時の160人は多数であり戦勝で得た奴隷とも考えられる。卑弥呼の景初3(2)年朝貢時
は男女計10人と少ないので、あるいは織工などの特殊技能者へと性格は変化しているかも
しれない。
赤児は珍重されたらしいな
肉が柔らかくて臭みがないらしいです
異国の子供なんて、人間と思わないのが普通だったから、
煮て食おうが、焼いて食おうが好きにしてよかった。
7世紀になって蝦夷のアテルイに話にも、食うものに困って
村を襲って人鍋にする話が出てきます。
卑弥呼の時代には、それが普通だったのかもしれませんね。
アイヌや熊襲などの倭国からみた異民族を連れて行って国力を誇示するとともに、
奴隷として差し出したのではなかろうか。
奴隷と簡単に言うけれど、主人の命令に絶対服従させるには、圧倒的な武力の力と、
村全体に奴隷が逃げ出すことをゆるさない監視体制が必要だったはずで、160人の生口
を支配するには、すでに奴隷を監視する国家体制が確立した古代エジプトのような社会だった
のかもしれません。だとしたら、やはり、絶対権力の象徴ピラミッドは必要ですね。
大和三山=ピラミッド説。十分いけそうな気がします。
>>353 景初のときは、半島情勢の急変に対応した朝貢だとすると、
貢ぎものを集める時間が足りず、何はともあれ取り急ぎ駆けつけた、
と言うところではないでしょうか。
正始のときには、十分な準備期間が取れたはずで、
貢ぎものも倍増しています。
359 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 21:51:53
>>358 魏朝以前は公孫氏と交易していたと考えているんで、貢物を集める時間が足りなかったという
より、混乱した半島情勢から道中のことを考慮して生口は少ないのかもね。
360 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 22:15:14
とにかく、帥升の百六十人はすごいな。船の大きさや数。監視兵などの数。
大船団だっただろう。
まさに、倭国王としてふさわしいかも。また、実際の権力も大きかったのは
間違いないところ。当然、玄界灘も制していたと思われる。
さらに、これだけのものを献上していたとしたら、そのお返しも相当なもの
だったと思われる。倭奴国王が金印をもらったくらいだから、かなり
すごいものをもらったのだろう。
日田市から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡あるいは金錯鉄帯鉤などは、帥升が
もらったものだと思う。なぜ日田市なのかはこの際置いといて。
361 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 22:33:21
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡はダンワラ古墳出土説は有力であるものの、発見の経緯がまずかったな。
実際よい鏡だと思うが、購入品説や国産説まであるからね。
362 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 23:07:01
鉄鏡については、もちろんかなり貴重なもので、曹操は金錯鉄鏡を持ち、
皇太子が銀錯鉄鏡を持っていたとされる。
このことからも、鉄鏡を持つ人物の身分が非常に高いのがわかる。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡も、似たようなクラスと見てもいいのではないだろうか。
畿内説にとってはあまり好ましくないので、話題にならないが、ときに
卑弥呼と関連付けられることもある。金錯鉄帯鉤というのは帯留めで
なにやら女性をイメージするが、これが理由かもしれない。
しかし、鉄帯鉤はもともと男性のもので、漢の皇帝が諸侯に配ったものとされる。
また、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡も漢代のものであり、金錯鉄帯鉤も漢代のものと
考えるのが普通。したがって、卑弥呼の時代よりは前ということになる。
さらに、卑弥呼がもらった物ならば、当然、倭人伝に記されていると
思われるが、その記述がない。
鏡の持つにふさわしい身分とその年代を考えると、個人的には帥升の名前が
浮かんでくるわけなのだが。
363 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 23:21:14
>>360 それがとんだ空振り。「願請見」と書かれているように、失敗に終ったのよ。
唯一「倭国王」としての称号だけはもらったようだけど
364 :
愛知県民:2009/06/23(火) 23:41:21
日田の鉄鏡か・・
耶馬日田英彦山の辺り、怪しそうですね
365 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 23:51:53
この鏡が出土した(昭和8年)日高町のダンワラ古墳は、残念ながら線路工事によって破壊
されており、再調査でもはっきりしたことはわからなかった。一説には地方豪族であった日
下部氏の墳墓ともいわれているが・・・。
366 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 00:49:32
天領・日田もけっこういろんなものが出ているし、小迫辻原遺跡では、
日本最古の豪族居館と見られる環濠居館も見つかっている。
これは、卑弥呼時代かそのちょっと後くらいらしい。
ずっと前から日田にも注目していたのだが、世間的には全く話題にならない
な。別に邪馬台国と思っているわけではないが、無視できるものでもないと
思うのだが。
中には、日田は、邪馬台国の奥座敷という人もいる。
367 :
愛知県民:2009/06/24(水) 06:44:29
耶馬渓は頼山陽の命名だが、
耶馬という古地名が多数あると聞いた。
368 :
doontakuka:2009/06/24(水) 10:36:28
東夷の元祖は徐氏とも言われます。
前漢の武王は太公望を斉に封じます斉は徐氏の国でした。
徐氏の流れに斉の国の人の徐福がいます。
斉の国の琅邪は現在の江蘇省連雲港市かん楡(ゆい)県金山郷でここに徐阜村(徐福村)があります。
此処は、琅邪郡であったところだそうです。
江蘇省は北緯33度16分にあり、福岡の前原・平原遺跡が北緯33度33分です。
また、
日田市も北緯33.321333 東経: 130.940966にあり。
369 :
doontakuka:2009/06/24(水) 11:46:02
>>367耶馬渓は頼山陽の命名
「邪(xie)= 耶(ye)」
という中国語概念は「邪(xie)と耶(ye)」が同格であるということでしょう。
その上で、耶(ye)を東夷と規定した。
「邪(xie)と 耶(ye)」は同格であるが、邪(xie)は東夷ではない、
従って、邪馬壹【臺】國 の邪は東夷では無い。
耶馬台国なら、北緯33度の大分、平原でしょう。^^;
神武東征は徐福の行程の記憶を辿った話という事だな。
372 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:14:48
来月、日食あるてほんとぅ?
鹿児島〜沖縄ですか?
373 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:17:15
>>この関連性はなんだ?
歴代君主―(春秋.呉クレ、句麗に音が近い)司馬遷の史記「呉太伯世家」
1,寿夢――(第19代、寿夢じゅぼう王、扶余系、高句麗、始祖,朱蒙に音が近い)
2,諸樊
3,余祭――(百済の王姓余と関連か?王子.余豊璋)
4,余昧――(百済の王姓余と関連か?)
5,僚
6,闔閭――(コウリョ、高麗、句麗、に音が近い)
闔閭の弟、夫概の後裔夫余を氏の説有り
風俗通に[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]
7,夫差――(夫概、夫余氏と関連か?)
374 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:18:02
司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】
呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。
*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。
卑弥呼は女王なんて言われてるけど
じつは巫女みたいなもんだよね。
376 :
愛知県民:2009/06/24(水) 23:01:36
高句麗には倭山という山があり、〜奴部という五部族があったらしい。
倭の〜奴国に似ている。
>375
人と会わずに政治ができるわけないだろw
本当に王だとしても実権は無いんだろ
378 :
愛知県民:2009/06/24(水) 23:26:55
鮮卑は鮮卑山、烏丸は烏丸山に発祥した。
倭は倭山に発祥したのか?
379 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 23:32:07
高千穂の峰ですよ。
高千穂なんて飾りみたいなもんです。
381 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 23:39:28
>>377 恐らく、卑弥呼の最も重要な役割は、諸国の利害の調整みたいなものだったの
だろう。外敵の存在がない場合は、だいたいこれが一番重要になる。
ただ、外敵が出現すると、調整役では対応できなくなる。
軍事的な行動を取らなくても良かった王から、軍事行動の先頭に立てる王の
出現がターニングポイントだろうな。
台与とそのあとの男王の並立は、うまいこと行ったのかもしれない。
阿蘇山の麓に大きな国があった。
阿蘇山の大噴火で壊滅したけれど・・・
>377
横レスだが、平安中期からあとしばらくは、
天皇は限られた人数の側近以外とはあまり会ってなかったよな。
まあ、この頃には天皇が幼少でも困らない程度には、「天皇という機関」が確立されてたしな。
384 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 01:16:21
>>382 実は、高千穂峰も活火山で、御鉢というのが阿蘇に負けないくらい噴火を
繰り返している。
385 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 13:54:50
高千穂は鹿児島と宮崎二つにあるの?
高千穂は一般用語だから、
頂上や峰に木々が生えている全国津々浦々の高い山は、
みな高千穂と言える。
ちなみに記紀の高千穂は、福岡県の高祖山連邦。
387 :
愛知県民:2009/06/25(木) 18:16:51
筑前風土記逸文によると、伊都の五十跡手は高麗国意呂山に天下ったヒホコの末裔という
388 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 21:50:18
>>385 記紀伝説の高千穂は、候補地が二つある。
一つは宮崎県北部の高千穂町。もう一つは宮崎と鹿児島の県境にある高千穂峰。
本居宣長は古事記伝で、どちらとも決め難いと言っているらしい。
それ以来、高千穂というと、二つを併記する例が多いとされる。
ただ、日向風土記の逸文によると、どうも北部の高千穂町の方が優勢らしい。
臼杵郡の二上の峰と書かれているとされる。
ちなみに、熊本あるいは阿蘇から宮崎に入ろうとすれば、この高千穂町が
玄関口になる。
高千穂峰は姿が良くて、いかにもそれらしいところがあるのだが。
http://morimori.txt-nifty.com/takamine/sinmoe_01.jpg
389 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 22:49:02
稲作には向いてないな。
住むのは無理
神武さんも確か同じこと言って東の地に旅立ったんだよな
391 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 23:47:38
>>389 写真は山の中だから。富士山でたとえれば、5号目付近というところか。
UFOで着陸したんだろ?
天鳥船のことかな?
394 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:14:10
395 :
愛知県民:2009/06/26(金) 01:02:55
私は高千穂峰に登ったことはないが、日本百名山の深田久弥氏は
古代のものでないのは確実と書いていた。
千年以上の風雪に晒されていたにしては・・・
なんか思いっきりうそ臭いんですが
397 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 03:46:56
>>396 火山の噴火で折れたために、レプリカになっているらしい。
地中にある部分はオリジナルの柄だとか。
折れた部分は島津家に献上されたとなっているようだから、江戸時代以前の
噴火だろうなあ。
オリジナルは、1000年ほど前の、性空上人らの修験者が立てたんだろう。
逆さまに刺さった鉾にどんな意味があるのやら。
399 :
doontakuka:2009/06/26(金) 12:29:49
>>388 >本居宣長は古事記伝で、どちらとも決め難いと言っているらしい。
そんな事はないでしょう。
高千穂の峰 緯度: 31.88616 経度: 130.918984、
高千穂町 緯度:32.717991経度: 131.30918
軍配はおのずと高千穂の峰 にあがる。
天照は月では無く太陽でしょう。
北緯32度から北緯39度間で北の位置が歳差運動によって変化することを2次的に嵌め込み、北を東に置き換え北緯32度から北緯39度の中央へ東征する出発点を指摘した。その中央は、北緯35.5度の出雲でなければならない。
そこで、
天津日子番能邇邇藝命と邇藝速日命であるが、
邇邇藝はn-in-igi 、邇藝速日はn-igi-haya-hi 。
このigi とは何か?
それは、↓です。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Eye_of_Horus_bw.svg http://www.crystalinks.com/horus.html 邇邇藝は igi の乱用。本線は邇藝速日であるがインド系。
建速須佐之男命の速も同じ、haya とは孔雀のことである。
『故邇藝速日命娶登美毘古之妹 登美夜毘賣 生子 宇麻志麻遲命』
登美夜毘賣は『耶と倭』の混血か?
倭国王は倭の血か必須ということだろう。
400 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 13:45:25
401 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 14:23:44
>>398 坂本竜馬は、お通さんと二人で引き抜いたらしい。
姉に宛てた手紙に「天の逆鉾を引き抜いてみたら天狗の顔をしていた」と
書いてあるという。
402 :
doontakuka:2009/06/26(金) 14:45:53
>>402 それをみたらふつう
「鳥のような顔」っていうだろw
404 :
doontakuka:2009/06/26(金) 16:56:05
>>404 それは迦楼羅王。
鴉天狗のルーツとも言われているらしいが、鴉天狗ではない。
普通、天狗と言えば鼻の長い方を想起する。
鴉天狗だと思う奴は少数派。
406 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 21:15:42
レベルの低いスレだな。
407 :
愛知県民:2009/06/26(金) 21:38:58
高句麗語は日本語に近いらしい。
太王四神記でヨンサマが広開土王を演じたが、
キムタクが演じる方が言語的には近かった?
ヨン様ことペ・ヨンジュン氏もそうだけれど、
韓国の大物スターといえば、ほとんどが半島にとどまった倭人。
朝鮮人顔のスターは日本では受け入れられませんから、まあ、当然ですが・・・
409 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 10:49:28
高千穂
鹿児島と宮崎とではどっちが本物?
410 :
サガミハラハラ:2009/06/27(土) 11:41:39
天孫降臨の高千穂は福岡ですので、両者とも間違いです。
411 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:21:19
>>409 記紀の記述に従えば、高千穂というのは、天孫・瓊瓊杵尊が高天原から
日向に天降った最初の場所。
仮に、高天原を九州の北西部とすれば、そこから日向にやってくる入り口と
考えられる。
面白いことに、九州の北西部から宮崎にやってくるとき二つの経路があり、
その二つの経路に、論争となっている二つの高千穂がある。
熊本や阿蘇から峠を一つ越えると、宮崎県北部の高千穂町に出る。
だから、瓊瓊杵尊に相当する人物が熊本や阿蘇からやってきたとすれば、
宮崎県北部の高千穂町が問題の「高千穂」になると思う。
また、福岡や佐賀あたりから瓊瓊杵尊に相当する人物が日向にやって来たと
すれば、熊本のど真ん中を通ってくるというのも問題だから、有明海を船で
南下して芦北あたりから陸路を取り、「高千穂峰」のふもとを通って宮崎に
やってくる経路が考えられる。
記紀の記述からは、瓊瓊杵尊が船を使った形跡はないので、肥後からやって
来たのではないかと思う。だから、北部の高千穂町が有利と思う。
まあ、いろいろと異論はあるだろうが。
412 :
サガミハラハラ:2009/06/27(土) 15:29:04
高千穂北部九州説では日向は福岡市西区の室見川の西の日向(ヒナタ)であると考えられています。
413 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:58:16
>>412 九州王朝説の系統では、日向がどういう位置づけになるか分からないのだけど、
東遷説とは年代観が違うのかな。つまり、神武東征はあったが、その時期は
紀元前とかの、かなり古い時期になるとか。
天忍穂耳尊降臨の伝承をもつ英彦山も無視できない。
天孫降臨は弥生時代の初め、紀元前10世紀頃の伝承とも考えられ
邪馬台国とすぐには結びつかないと思うが・・・
415 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 16:59:54
>>411 西南戦争の際、西郷隆盛が九州の東から西へ抜けたルートはどうでしょう?
416 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 17:09:10
>>414 天孫降臨伝説では、九州の西からやってきたと思われる天孫族が日向のコノハナサクヤ姫
と結ばれて、その子孫である山幸彦が「豊玉姫」と絡みますよね。
魏志倭人伝にも「トヨ」なる女性が登場します。
この2人のトヨは同一人物ではないでしょうか?
ちなみに神武のおばあちゃんになるのがこのトヨで(神武のおかあさんになるのがトヨの
妹)、宇佐神宮の二の御殿に祀られてる方だと思います。
417 :
サガミハラハラ:2009/06/27(土) 18:02:56
倭人伝には2刑律があり、壱与(壱は旧字)と台与(台は旧字)があります。どちらが正しいのか喧々諤々
としてまだ結論がでていません。わたしは壱与派です。
イ(orト)ヨタン・・・・・・・・・・
>>416 神武が邪馬台国以後とするわけですか?
安本美典氏の年代観に近いが、そんなに新しいとは思えません。
天孫降臨も書紀によると神武東征から「一百七十九萬二千四百七十餘歳」前とされ
卑彌呼と同世代というのは?
ただ、比賣大神=卑彌呼か臺與は有り得ると思います。
比売語曽社の阿加流比売神、香春神社の辛国息長大姫大目命との同一説もあります。
420 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 18:28:56
>>417 梁書、北史、通典には、「臺與」と書かれてあり、「壹與」と書かれているのは
倭人伝だけなので、台与の方を取ってますね。
421 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 18:53:45
つまり邪馬壱国=伊予国ですね
わかります
422 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 19:00:00
黄幢=伊予柑=非時果実
イヨはまだ13だから…
424 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 23:53:35
宇佐のトヨの最盛期:AD260年頃
神武東遷 :AD290年頃
崇神天皇の最盛期 :AD320年頃
応神天皇の最盛期 :AD380年頃
仁徳天皇の最盛期 :AD400年頃
>>424 欠史八代合計で10〜20年??
百済は扶余→高句麗王家による征服王朝であったことは文献で確認できる。
また、百済は支配層と被支配層で言語が異なっていたらしい。
しかし、日本では征服王朝を思わせる神話・伝説は少ないし、支配層と被支配層での言語の差異も無い。
高句麗語と日本語が似ているとすれば、征服王朝というよりも、
きわめて古い時代(弥生初期=周の初め)から倭人が半島経由で列島に移住した証拠かもしれない。
426 :
doontakuka:2009/06/28(日) 11:10:48
『朝日之直刺國 夕日之日照國也』
と、有りますが、これは太陽信仰を言っているのでしょうね。
勿論、歳差を嵌め込んでね。
『朝日が刺さすと夕日が日照る』地点が一点である、という現象は歳差しかないであろう。
歳差をしるすは、紀元前2700年まで遡っても32度という数値は同じである。
シュメールも太陽信仰の象徴をアッカドから分捕り戦勝碑としてSusa の北緯32度に移している。
戦勝碑↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ef/Sumer_stella.jpg Susaは 北緯: 31.458333 東経: 48.984444 である。
鹿児島と宮崎の県境の高千穂の峰も、北緯: 31.88616 東経: 130.918984
である。
427 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 13:08:07
そうなんですよ。問題は石碑なんです。
邪馬台国の存在を決定付ける確固たる証拠、石碑が出てこない。
これさえ見つかれば日本の歴史が変わる。
大和朝廷の手によって破壊されてしまったか、もしくは、天皇陵の中に
眠っているのかもしれないし、土木作業中にひょっこり出てくる可能性
もあるし、ある種の霊感をもった高校生歴史愛好家の手で掘り起こさ
れる可能性もあります。
日本には大和朝廷以前にも国と呼べるような大きな勢力がいくつもあり、
そのうちいくつかの国は、文字の先進国中国との交流もあったにもかかわらず、
古代文字はもちろん、漢字による石碑、粘土板さえ出てこないというのはあまりにも不自然。
大和朝廷は、風土記の編纂と称し、各地に伝わるすべての古文書や石碑の類を集
めさせ、すべて破壊させたのではないかと思う。しかし、すべてを破壊し尽くせたとは
思えないし、各地の神社や古墳に秘蔵された古記録が出てくる可能性はある。
オタマジャクシが降ってきた事件のように、国民が関心を向けるようなきっかけが
あって石碑ブームが起きれば、家の庭石から古代文字が発見されるかも・・・
429 :
doontakuka:2009/06/28(日) 14:03:27
>>428 家の庭石って、マンション住まいを馬鹿にしていませんか?
>>430それは失礼仕った
拙者は、古い庚申塔などの石碑を見かけると、
裏も確認するようにしてござる
432 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 15:00:24
んな石ころ、大阪城の石垣になってるわ
433 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 18:23:28
434 :
愛知県民:2009/06/28(日) 23:25:20
八世代なのに二十年以下のわけがない
435 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 23:59:07
そもそも欠史八代の天皇など存在しない。神武天皇=崇神天皇が正しい。
436 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 00:21:37
欠史八代が存在しないという理屈に立つなら、神武東征も架空なんだが。
437 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 00:47:43
438 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 00:55:29
欠史八代の時代こそ、
三輪と対をなしていた
葛城氏が王をしていた時代。
八代の特に『考』のつく
大王の墓は葛城圏に分布されてる。
そもそも、「欠史」という思いつきが、津田左右吉の浅知恵。
記事が少なければ実在しないなら、
安倍首相も福田首相もいなかったことになる。
440 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 02:06:34
>>428 エジプトのように「紙」を作る技術が無い土地が石板っつって、石に字を刻んでただけであって、日本はそういう国じゃないよ
442 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 02:14:44
>>439 逆だよ
そもそも天皇(あまのすめら)に初代も糞もないんだよ
「第○代天皇」なんて言い方が間違ってるんだよ
無理に番号を振るから「欠史」なんて事になるんだよ
例えば南北朝時代には同時期に天皇は二人存在してるけど、どちらの朝廷の天皇も天皇(あまのすめら)だよ
443 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 03:40:36
日本書紀によると、
神武天皇は東征のあと即位し、橿原に都を建設する。
翌年に、東征の論功行賞を行う。神武4年に皇祖天神を祀った。
そのあとは、いきなり神武31年になり、巡幸を行う。良い土地を得たものだ
なんて言ったりする。
次は神武42年に皇太子が立ったことが書かれていて、次は、76年、崩御の記事
となっている。
つまり、神武天皇が即位してから崩御までの76年間に、功績のような記述が
全くと言っていいほどない。神武天皇の人生は、東征だけで終わってしまって
いる。
そのあとの欠史八代にも政治的なことはほとんど書かれていない。
崇神天皇になって、四道将軍の派遣などが出てくる。
こうなると、神武天皇の後半を崇神天皇が引き継いでいるという考えも
成り立つような気がする。名前も同じだし。
だいたい、10代の崇神天皇がハツクニシラススメラミコトというのは
ちょっと不可解。だから、神武天皇=崇神天皇も有り得ると思う。
444 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 03:45:53
万世一系なんだから人類誕生以来神武で10001代目ぐらいじゃね
445 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 10:07:42
>>443 >神武天皇は、、
まずこれが間違いだしね
記紀に書かれてる記述は「イワレビコは、、」だよ
辛酉年、イワレビコは都を橿原の藤原宮に遷都して、天皇は即位した
って内容だよ
ちなみに蘇我氏の飛鳥朝廷崩壊後の、西暦694年の辛酉年に、これと全く同じ出来事が起きてるよ
イワレビコやニニギや山幸彦の話が、いつの時代の話の事なのかとかを良く理解した方が良いよ
橿原に遷都される前までの日本の朝廷は、天皇の大和朝廷じゃなく蘇我氏の飛鳥朝廷だよ
ちなみに蘇我氏は天皇(あまのスメラ)じゃないよ
記紀の東制の話を良く読んでみ
「イルカ」とか「エミシ」とか、ちゃんと出てきてるから
「イルカが死んだ」って、動物のイルカが死んだって話を書いてある訳じゃないんだよ
因幡の白兔にしたって、あれは稲葉の素兔足(アリト)の話だよ
446 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 12:14:07
明治時代以降、本来の日本語じゃなく、やたら漢字を音読みで読むようになったから、なんか言葉自体がかわっちゃってるね
[天皇]
○すめらぎ
×てんのう
[皇后]
○おきさき
×こうごう
[皇帝]
○すめら
×こうてい
[大王]
○おおきみ
×だいおう
[大臣]
○おおきみ
×だいじん
[日本]
○ひのもと
×にっぽん
[朝廷]
○おおやけ
×ちょうてい
[一、二、三、]
○ひふみ
×いちにさん
[武士]
○もののふ
×武士
×の方は中国人の漢字の読み方で、日本語読みじゃないよ
447 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 12:45:39
名前もさ
姓と名だけじゃなく
「苗、字、氏、名、姓、肩書、諱(意味名)」って、それぞれ意味があるんだよ
例えば徳川家康は「千竹代丸」が名前だよ
氏は氏神
姓は母方の生まれ
苗は出身地
字はアザ
これを全部合わせると古代の日本人は、めちゃくちゃ長い名前になる
ただ記紀の中の神の長い名前の中で、どれが名前かぐらいは解るでしょ?
基本的に名前が書いてある人物って少なくよ
「イワレビコ」「ヤマサチヒコ」「ウミサチヒコ」とかは名前
「聖徳太子、馬宿王子」とかは「聖徳」も「馬宿」もただの地名だよ
「イギリスの王子」って言ってるのと一緒
これが名前じゃないんだよ
あと死語に送るおくり名なんてのは無いよ
あるとしても例えば家康の「東照大権現」とかがそれに当たる名前だよ
448 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 13:07:49
あと天皇を継承する事は「即位」なんて言わないよ
天皇を継承する事は「践祚(せんそ)」だよ
「即位」なんて言葉は明治時代以前には存在しない言葉だよ
記紀の「即天皇」って漢文を「天皇に即位したって意味だ」って事にしたいから「即位=天皇の座に付くって意味」という言葉を作ったんだよ
記紀の中の「崩御」ってのも「天皇の死亡」って意味じゃないよ
死んだ時はちゃんと「○○で死んでしまった」って書いてあるよ
天皇崩御→即天皇
これ、万葉集では天皇の就任や死亡とかじゃなく、天候の災害や、天体運動とかを表してるだけの文だよ
つか、この年に改元したって意味なだけだと思うよ
×神武天皇が死んでスイゼイ天皇が即位した
○元号を神武からスイゼイに改めた
ってだけだよ
449 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 13:15:50
ラリってるやつがいるな
450 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 13:19:40
>>447 徳川家康の幼名は竹千代な。
あと、昔は元服したら改名するのが普通。
家康も
松平竹千代から松平元康に改名している。
451 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 13:46:47
>>450 いや、名前は最後まで「竹千代」だよ
家康は松平の他に「藤原」って姓も持ってるよ
結局さ、血統や氏神や字や出身(在家)を表してるだけだよ
例えば「オバマ大統領」
名前は バラク・オバマ
・アメリカ大統領・米国大統領・新大統領・オバマ大統領・黒人大統領・アメリカ国君主、アフリカ系移民大統領、、
いくつも呼び方はある
けど日本人は特に「改名」なんてのはしないよ
どんな名前を名乗ろうと、どんな呼び方をされようと、結局は檀家や戸籍の名前があるわけだから、改名なんてしたら今までの血統が解らなくなっちゃう訳だからさ
家康にしろ御所の天皇や公家にしろ、ちゃんと先祖代々の檀家に入ってたんだよ
家康って確か氏は物武氏じゃないっけ?
で、姓(実母方)が藤原
尾張ってより鎌倉の血統が濃かったんだった気がするよ
「元康」ってのは「康」を襲名とかでしょ?
ちなみに「信長」ってのもさ、藤原信長の信長を名乗ったってだけだよ
名前は次郎三朗だもん
452 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 14:12:24
天皇も一緒だよ
まずは「○○宮」って言う宮の名前
あと実母の姓(孝明は藤原が姓)
氏は多分、物部でしょ?
で、天皇(すめら)って字を継承してるだけ
名は裕仁
ちなみに公家(おおやけ、ほんけ)のトップで摂政を執り行う地位ってのは「関白」だよ
天皇ってのは役職の名前じゃないんだから即位も糞もない
先代が死んだら自動的に子が天皇に践乍になる
そんだけ
「天皇に即位」なんて言い方はしないよ
そもそも天皇ってのは特定の人物を指す言葉じゃないよ
確か万葉集にその辺りの事が詳しく書いてあるよ
「○○天皇」なんて言い方はしないよ
「あまのすめら」って読む訳だからさ
453 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 14:28:36
明治時代以降の天皇は、京都の御所にいた北朝血統の天皇じゃなく、公家からも外されて民下に散ってた南朝系の血統の人だよ
今の天皇家が使ってる菊の家紋も、あれはアーリア地方からきた秦氏だか和爾氏の家紋だよ
江戸時代まで存在してた北朝の公家の家紋は、六亡星だよ
要は本来は国之常立命と同じ家紋だよ
まあ天皇は血統の呼び名だから、別に南も北も皇(すめら)である事は間違いはないけどね
ただこれを「てんのう」って呼ぶとおかしな事になるよ
つか過去に遡ってまで「○○てんのう」なんて名前を付けたりしてるしさ
歴史上から「あまのすめら」が居なくなって、まるで「てんのう」ってのが摂政を行って来たかのような事になってるし
「あまのすめら」なんて、あれ公家の全員が「あまのすめら」なんだから「○○てんのう」なんて言い方しないんだよ
454 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 14:40:37
イザナギ、アマテラス、日向三代、ニニギ、山幸彦、平氏、、
これらも「あまのすめら」だし
イザナミ、スサノオ、蘇我氏、ナガスネ彦、、吉備氏、ヤマトタケル、藤原氏、聖徳太子、、
彼らは「中皇(なかつすめら)」だよ
「天皇」ってのは氏族って言うか家系って言うか、血統そのものの名称だよ
「○○てんのう」なんて個人を指す言葉じゃないよ
個人を指す場合は「おおきみ」って呼ぶんだよ
万葉集に詳しく書いてあるよ
455 :
doontakuka:2009/06/29(月) 16:07:28
故爾邇藝速日命參赴 白於天~御子 聞天~御子天降坐故 追參降來
即獻天津瑞以仕奉也 故邇藝速日命娶登美毘古之妹 登美夜毘賣 生子
宇麻志麻遲命【此者物部連 穗積臣 婇臣祖也】
故如此言向平和荒夫琉~等【夫琉二字以音】 退撥不伏之人等而
坐畝火之白梼原宮 治天下也
宇麻志麻遲命が坐畝火之白梼原宮 治天下也。
「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」とあるように、
宇麻志麻遲命の名も亦、燕を継承し、母の登美夜毘賣の血により倭を継承している。『倭属燕』そのままである。
『倭のヴィーナスと燕』の混血の勝利のエクスプレッションが宇麻志麻遲という固有名詞である。
456 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 16:14:09
天皇崩、○○歳、立太子
つかこれって、暦の事じゃん
干支(太歳、歳)はほっとくと86年に1年ものズレ(崩れる)が出る
天星の運動と暦とが崩れる度に、干支や暦を修正してたって事だよ
例えば今の一年を365日とした単純なキリスト暦が作られたのが約400年ぐらい前
日本がこの暦を導入したのが約100年前
その300年の間に、何の暦の修正も施さないキリスト暦の方は、正解な暦である日本の暦に対して約1か月もずれてたし
そんなキリスト暦を導入したもんだから日本は、水無月に梅雨に入ったりしちゃってるし
今のキリスト暦を使い続けてると、200年後頃には梅雨入りが4月〜5月って事になるよ
還暦ってのも本来は60年じゃなく、歳星×5周期が丁度、暦が還るって意味な訳だし
一年は365日じゃないよ
あと木星は地球上から見た場合、逆行とかする星だし
457 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/29(月) 16:29:02
>>455 つかそもそも御子と皇子と天子は違うし、○○命(みこと)と天皇(すめら)も違うよ
そもそも天皇ってのは、国を治めたりする人じゃないし記紀の何処にも「天皇が国を治めた」なんて記述はないんよね
天つ神々ってのは記紀では「誰に中つ国を治めさせようか」って事しかしてないよ
天皇ってのは単に株式会社で言う株主見たいなもんだよ
だからイワレビコもウガヤも蘇我氏も平氏も藤原も信長も別に天皇じゃないよ
天皇の天下を誰が治めるかって事な訳なんだからさ
>>442 逆じゃなくて、お前がバカなだけだよ。
第何代だから「欠」だと思い込んでいるのはお前だけだよ。
459 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 18:44:33
美濃もん太は、自分の提案を自分で否定して得意満面。
誰からも相手にされない所以。
はじめまして。
少し書かせてもらってもいいですか?
ここは美濃もん太さんが中心となって、スレッドが進行しているの
でしょうか?
何だか書いてる事も奇抜そうだし。
462 :
南九州東遷デブハゲ前期高齢者:2009/06/29(月) 19:39:52
そいつにかまうな。
>>462さんなぜですか?
面白そうな方ではありませんか。
464 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:51:58
美濃もん太の特徴
・他人に言いたくて仕方がない屁理屈を、
あらぬ言いがかりをつけて他人に吹っかけるだけの人
・当然言いっ放しで、他人の意見は一切聞かず議論にならない
・独自気ままな解釈・屁理屈を吹っかけて、相手が辟易するまで粘着、
相手がばかばかしくて降りた時点で、論破に成功したと得意満面
・よって誰からも相手にされないのだが、モモソヒコ氏だけが、
美濃もん太のオナニー相手になることになる
466 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 21:02:55
というか、この人のレスは突飛すぎて、普通人では反論のしようがないんだな。レスの速度と
量の違いも大きいし。第一、本人がこの内容をどこまで信じてるかもわからない。
467 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 21:29:09
思いつきで書いてるが、
全部ズタズタ。
今まで一体何を学んで来たのか。
完全なるゆとり世代と見た
バカ四天王にも入らない、単なる真性。
>>467さんに尋ねたいが
バカ四天王とはなんですか?
内容がいまいち把握できないのですが
469 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 21:49:19
知らざあ言って聞かせやしょう。バカ四天王のその一は、ホツマ遣いの「唐松山」。
>ホ28230 モノヌシが オキナうゑんや キンタマうゆる ホンダラゲを いかにせん
ワレはノトコト のんすのみ またとふナンヂ タをすつや ほろしていわく チチすてず
470 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 22:02:19
続いて次に控えしは、粘着上等、倍暦「太国」。
>先に言い出したのはオマエ側のほうだよ。先に漢字がないと言っ
たんだろう〜オマエ側のほうが先なんだぜ。途中の書きこみを先
だとか言うなよ。
早く無い証拠を耳を揃えてもって来い。バラ蒔くの前に漢字がないと
マエの側が言い出したのさ。また悪魔の証明とかで逃げるなよ。
先に証拠と言ったのもやはりオマエ側なんだよ。bbbbbbb bbb
471 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 22:05:34
またその次に連なるは、無能丸出し「改めドツボ」。
>なんでもかんでも「教えて!教えて!」と人に聞くんではなく、
自力で探すべきなんデス。
大体、〜なんで私が、貴方に教えてやらないといけないの?
472 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 22:20:32
さてどん尻に控えしは、古田ゆずりの盲信者、「九州王朝大好き」。
>それはあなたの考え方です。
歴史の真実に近いのは古田氏だと思うよ。
これぞ邪馬台バカ四天王。いよっ、ペンペン。
473 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 22:35:23
一部引用、「青砥稿花紅彩画(白浪五人男)・鎌倉稲瀬川の場」より
倭迹迹日百襲姫命
>>469-472さん、詳しく教えていただき有難うございました。
皆さんキャラが強そうですね
二番目の太国さんと言う方は、色々な掲示板で見掛けますね?二倍暦がどうたらこうたらと
+美濃もん太 さんの白浪五人男と言うことになりますか?
476 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 23:10:16
いや、やはり もん太氏は異質です。この人とだけはどうやっても議論になりません。だれも
まったく咬み合わない。
質問ばかりで済みません。これで質問は最後にしますから
ここのスレ主さんである愛知県民さんや
「魏志倭人伝」スレのスレ主さんであるプラムさんは、余り見掛けないようですが?
あの河童ですら絡まなかったからなWWW
479 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 23:20:44
愛知県民さんはときどき来ますが忙しいようです。プラムさんは、何故か自分で撤退宣言
をして出ていきました。
>>479さん有難うございました。
これで何とかスレッドの概要が掴めましたので、改めて参加させていただきます。
481 :
南九州東遷デブハゲ前期高齢者:2009/06/29(月) 23:37:05
>>480 いえいえ、俺もいちおうコテハンの一人なんでよろしく。剣道部員で畿内説です。
482 :
愛知県民:2009/06/29(月) 23:56:47
モモソヒメの弟キビツヒコは桃太郎の元ですね。
高齢者さんは縦目仮面さんかな?
483 :
南九州東遷デブハゲ前期高齢者:2009/06/30(火) 00:07:58
「ドンと来い」355〜389あたりで神の罰を受けてこれになりました。ペンペン。
484 :
日本@名無史さん:2009/06/30(火) 10:14:24
>>470 そういえば太国来てないですね?
どうしたんだろう?
485 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/30(火) 10:42:20
>>484 曲学の徒さんの邪馬台国掲示板に、今書きこんだから読んでおけ。
いまは暑くクーラー不調なので修理の日程もいろいろな都合でいま
はやれないから、疲れるので遠慮か短時間で2chを止めてるのだ。
>>468-472 笑うたwww
四天王の河童虫氏が抜け、九州王朝大好き氏がエントリーされたのかw
487 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/30(火) 11:35:42
おー、、
まあどう思われようが仕方ないやw
実際にまだまだ間違ってる事もあるだろうし自分でも良く解ってない事もあるしw
488 :
日本@名無史さん:2009/06/30(火) 11:45:21
公孫淵氏だってよwww
もう1ぺん勉強してこいw
489 :
toontakuka:2009/06/30(火) 16:22:36
其地大較在會稽・東冶之東とは・・・・
東冶は北緯: 38.646121 東経: 113.151476
会稽は北緯: 29.97488 東経: 120.598403
会稽と東冶の緯度を列島に割り当てた領域が大まかな倭の領域。
と解釈するのが正しい。
従って、東冶は平泉で会稽は種子島に当たる。
490 :
縦目仮面:2009/06/30(火) 20:33:22
>>486 ちょっとふざけが過ぎたかな。俺は歌舞伎大好きです。
>>480 あの人は、自分の都合の悪い時は来ません。
言い訳が下手だからすぐわかります。
492 :
愛知県民:2009/06/30(火) 21:24:02
とんでも説
倭国王帥升=倭山で田猟した後の高句麗王遂成
493 :
日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:51:55
トンデモ説
西暦185年、後漢書にも書かれている超新星爆発に豪族たちが驚愕して卑弥呼を擁立した。
つまり、天の岩屋戸伝説とは超新星爆発だったのです。
九州〜本州を「渡海」としなかったのはなぜか?
そんなもの現地をみにいってみればよく分かる。
九州〜四国間、九州〜本州間とではぜんぜん別物だよ。
496 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:04:35
>トンデモ説
太国の倍暦のこと?!
>トンデモ説
河童虫=プラム、美濃もん太の説
>>495 それは本州の事を書いていないからだな!
499 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 07:58:48
たとえ幅30pのドブ川であろうと、渡は渡
見た目や感覚の世界ではない。
500 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 08:11:35
じゃ、末慮から伊都まで、ドブ川一本無かったと言うことだね。
渡と書いてないわけだからな。
501 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 11:34:30
>>500 アンタそうとうなおバカさんですね
そもそも倭人伝では川なんて想定は始めからないし、川を渡ったなんて発想すらない。
有るのは海と陸
海を水行するか船行するか、はたまた渡るか?
話しを聞いてると、畿内は無理がありそうです。
>>501 想定したことばかり現地で体験するわけではなかろうに。
想定していないことは報告しないとでも言うのだろうか。
504 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 12:13:26
>>503 体験した事と文章にすることは別物、その区別はしてください。
いちいち途中ミミズにであった事まで記載するのですか?
505 :
doontakuka:2009/07/01(水) 12:31:33
樂浪郡徼 去其國萬二千里
楽浪である平壌の緯度は: 39.031859で経度は: 125.753765。
後漢の都、洛陽から樂浪郡を廻って萬二千里。
萬二千里の地点は樂浪郡と同緯度であり、その地点が女王国と男王国の境界である。
押して知るべし、女王国と男王国の境界は北緯39度の平泉である。
4年程前に中国政府機関が『我々の先祖は北京原人ではない、我々の先祖はアフリカから来た』と公的に発表した。
中国の歴史はエジプトの歴史の延長線の影響が強い。
何故、北緯39度が『女王国と男王国の境界』であるかが理解出来なければ、
魏志倭人伝を百万回読んでも誤読から抜け出せないだろう。^^;
誤読の抜け出す鍵はクフ王のピラミッドにある。
506 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:12:07
航行ではなく 水行なのは
川を進んだため。
正確な地図を持たないこの時代に
両岸に陸地の見える瀬戸内海は川に見えただろう。
末盧国は松浦。投馬は丹波。
507 :
doontakuka:2009/07/01(水) 13:15:10
>>506 航行ではなく 水行なのは
川を進んだため。
夷人不知里數但計以日
は、
無視ですか?
508 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:23:14
倭人自体が瀬戸内海を海だと認識してなかったのかもな。
509 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:28:54
>>507 魏志倭人伝を読むためには、北史編纂まで待てと?
どんだけ気の長い話なんだよ
510 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:30:18
511 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:37:14
へえ!
瀬戸内海って、川と間違えるほどしょっぱくないんだ
そんな事初めて聞いた。
512 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 13:49:50
>>506 あんた、瀬戸内海で船に乗った事ないだろ?www
513 :
doontakuka:2009/07/01(水) 14:03:02
>>509 魏志倭人伝を読むためには、北史編纂まで待てと?
当然でしょう。貴方は現代人なんだから。
魏の時代の人なら、南至投馬國水行二十日・・南至邪馬壹【臺】國 女王之所都 水行十日陸行一月で夷人の情報であることが解っているでしょうから。
水行二十日・水行十日陸行一月の記述方法に疑問を投げかけるべきです。
倭人なのか?夷人なのか? 等々ね。
魏志倭人伝は東夷伝 なのだから。
514 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 15:48:52
>>513 あんまり適当な事言うなよ。
この「夷人不知里數但計以日」の文はこれだけでなく、このあとにも文は続き、そこまで入れて一つの文章だ。
つまり倭国では、我が王朝のように
領地を身分によって千里、百里、五十里などと里数値で表す事を知らず、東西〇〇日、南北〇〇日と領土を表す。
そう書いてあるの
515 :
doontakuka:2009/07/01(水) 16:14:35
>>514 あんまり適当な事言うなよ。
領地を身分によって千里、百里、五十里などと里数値で表す事を知らず、東西〇〇日、南北〇〇日と領土を表す。
この千里は一辺が二百五十里の正方形を言うのでしょ。
里を面積の単位としても距離の単位としても同じじゃん。
まさか、夷人は距離を表すには里を用いていたが面積は東西〇〇日、南北〇〇日だったと言いたいのですか?
あんまり笑えないんじゃないの。 ^^;
>>515 誰も見向きもしないあなたに声をかけた事自体が
間違いだと今気付いた。
517 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 19:33:36
九州説論者は水行十日を
一体どこの事を言ってると思ってんの?
畿内説は 瀬戸内海としてるけど
九州のリアス式海岸を岸沿いに航行すれば、一ヶ月ぐらいかかるでしょ。
519 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:09:42
>>511 今じゃ 塩辛けりゃ『海』というのは、例外を除いて当たり前だが、
当時は果たしてそうか?
『水』であることに間違いはない。
北九州の伊都までしか使節は来ていないのだから、
倭人がここを船で通ってここからはこれだけ歩いた
と言ってるだけだし。
520 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:17:21
>>518 なんでわざわざ そんな航行するんだよ(笑)
九州なら陸路もあるのに何故?
北九州説は消えたでFA?
521 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:22:12
>>520陸路は遭難の危険はないが、熊襲に襲撃される危険を伴う。諸刃の剣。
ポット出の帯方郡の使者にはお勧めできない。
522 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:26:59
>>517 畿内説もここは割れるところなんで、
水行十日を瀬戸内海じゃなく、日本海コースで想定する人も多いよ
523 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:35:18
>>519 「郡使往来」
郡使は伊都を経由している。
目的地じゃないぞ
投馬=出雲とみる人とかね。
525 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:37:23
>>521 クマソに襲われる危険性って、誰か襲われたのか?
単なる被害妄想だな
526 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:39:39
九州から本州に上陸すれば、水行じゃなくて渡海
527 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 21:18:35
>>523 実際に邪馬台に入国したと書いてあるか?
伊都から先は曖昧な日数になってることを
どう説明する?
529 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 21:36:58
>>527 いいかい?「郡使往来」を受け入れられるば
郡使が伊都より先には行っていないなんて思考はなくなる。
後は君にとって新しい思考の世界だ
今まで全て郡使は伊都より先には行っていないと言うプログラムで構成されていた
>曖昧な日数
「曖昧な」と判断する主観はいったい何を基準に形容されているのか
君以外は判断できないしろものだ
もう少し客観的に語ってくれないか?
530 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 21:46:40
そして珍読が始まる。
531 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 21:48:37
>>529 曖昧だろ
今まで里で表していたのに
なぜ伊都から先は日数?
532 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:02:29
>>531 曖昧とは形容されたもので、個人の慣性によって
表現はまちまちだ
君が言う、里で表していたものが日数表記になると
なぜ曖昧という表現をするのか説明してもらわないとわからない。
つーか、郡使往来の四文字だけで
君の思考は崩れているんだが
533 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:08:36
>>532 先に質問に答えろ。なぜ、里から日数にしたのか?
あとついでになぜ、魏からの使者は女王にあって話をした記載がないのか?
俺の答えは
実際に伊都から先には行かず、
伊都の郡司か、邪馬台から派遣された役人から
伊都から何日で辿り着けて、
女王はどのような人物かを聞いたと。
534 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:25:38
>>533 そのとおりです。
ただ、津屋崎あたり(ひょっとすると遠賀川河口?)までは逝ったのじゃないかな〜?
と漏れは思ってます。
535 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:28:18
>>533 そんなにムキになるなよ
その前に自分の
>>527よく読みなよ
いいかい
「郡使往来」
もうこれだけで伊都より先に郡使は行ってるんだよ
だから君の疑問の里表記から日数表記が曖昧と
考える疑問も解消される。
里表記(測量計測)の出来ない条件下に於いては、日数詰まり時間表記にて
表す事によって、
里表記と同じ条件下で見る事が出来る。
これは何も倭人伝だけに限られた事ではない。
そして、女王に会って話しをした記録を記載しなければならないなんてどこにもしばりはない。
536 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:31:36
>>535 答えになっていない。
では何処まで行ったのか?
その場所の国名は?
なぜ、そこから先に行ってない?
なぜ最初から日数表記で書かない?
537 :
愛知県民:2009/07/01(水) 22:32:18
拝仮倭王
魏使は女王に会いました。
538 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:36:23
539 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:38:25
540 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:39:57
>>536 ファビョってないで、自分の頭で考える事だ
たとえ私が此処まで行ったと説明しても、君の頭の中ではまだ
郡使は伊都より先に行ってないんだから
どんなに私が説明しても、君にはチンプンカンだろう。
先ずは、郡使往来を受け止める事だ
541 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:43:27
>>540 その逃げ方、さては梅毒=河童だな(笑)
逃げるなよ。質問に答えてやれよ
542 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:47:12
>>538 まさかほんまもんがこんな間抜けな事言う訳ないですやん(笑)
おっと〜
>>542のレスに
愛知県民さんキレるか?w
見ものだねwww
>>541 あんたが答えてやりなよ
私は彼の最大の難関であった「郡使は伊都より先に行ってない」を
郡使往来で説明してあげたそれで十分なはずだ
>河童
違うな
>>535 里数で表されなかったというが、俯瞰として里数で表されてるんで、辻褄が合わなくなる
546 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 23:02:50
>>544 おい、コテ付けろよ(笑)
偽河童って呼んでやるからよ(笑)
>辻褄が合わなくなる
あなたの辻褄まで管理する趣味はないので
>>546 お言葉に甘えて、コテにて
548 :
愛知県民:2009/07/01(水) 23:35:44
本物です。
男弟は王ではない。卑弥呼は親魏倭王。
其屬小國有二十一皆統之
属してるのは三十国なので、奴國が二つあるのは間違いない。
倭國本以男子爲王 漢霊帝光和中 倭國亂 相攻伐無定
光和中というのは、184年頃。
桓、靈間 というのは157年頃だったかな?!
「郡使往来」 ←これの意味わかってない人多くね?
わかり易〜〜〜〜〜〜くいうと、
「朝鮮半島 ⇔ 倭国」
の間で頻繁の人の行き来がされていた。
物資を交換するとか、いわゆる取引というか。
551 :
ローガン:2009/07/01(水) 23:49:56
北部九州から水行二十日後、水行十日及び陵行一月かかって使者は大和を訪れたのでしょう。
里数を記述した部分が机上の作文。
552 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 23:52:16
俺は邪馬台国はヴァーチャル国家だと思うね
柵封はプライドとして受け入れがたかったし
下手をすれば大和王権の権威が魏よりも格下だと
すれば他の豪族の離反を招く恐れがあった
しかしながら、半島利権の為に仕方が無かった
で
卑弥呼共立で架空の王に仕立てた
でも、卑弥呼は巫女
誰も見たこと無い
実際、魏側もよく分からなかった
そんなところだろ
553 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 23:54:43
魏から柵封されたのは九州の女酋ということでいいよ。
>>551 九州から本州へは水行では行けない。
必ず渡海する必要がある。
>>550 郡使往来とは
→→→伊都→→→
←←←伊都←←←
郡使の流れを伊都を視点に表現したもの
>>551 どうしても畿内に行きたかったら、末廬國を本州のどこかに比定する以外にないよ
>>551 >九州から本州へは水行では行けない。
>必ず渡海する必要がある。
>どうしても畿内に行きたかったら、末廬國を本州のどこかに比定する以外にないよ
自称、考古学博士のローガンさん答えてくださいw
畿内説 ローガン氏 VS 九州説 河童虫氏??
>>554 >郡使往来とは
>→→→伊都→→→
>←←←伊都←←←
>郡使の流れを伊都を視点に表現したもの
それはない、郡⇔伊都國 であって、
すなわち、 朝鮮半島⇔倭 ということ。
(朝鮮半島)の帯方郡 ⇔ (倭)の拠点伊都國 こうかな?
557 :
ローガン:2009/07/02(木) 00:31:16
>>556 > 自称、考古学博士のローガンさん答えてくださいw
つまらん煽りは止めて下さいね。それより何故「水行」だったらダメダメなのか…
河童大先生にお伺いしたい。納得できれば撤回しますw
>>555 まあ皆の予想通りと言えば予想通りだが
やっぱり戻ってきたか…(一体何度目の”出戻”りなんだろう?)
「HNが違うから別キャラ」とか言う理屈なのかな?w
で、
>>556の改めドツボと…
毎度おなじみのこのスレのツーットップと言うかボトムと言うかwww
559 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:55:56
>>558 誰でも自由に参加できるはず。
出戻りだろうが関係ない。
基本的に、人の迷惑や荒らしたりしなければよい。
好きな所を読んで、好きなところに書き込めばいい事。
560 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:56:16
>>557 簡単ですよ
九州から本州へは
水行じゃなく渡海だから
>>558 今日は(日付がかわってしまったが)下半期のスタートだから
一夜限りの特別ゲストです。
ではまた大晦日にでも
561 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 01:02:31
>九州から本州へは
水行じゃなく渡海だから
屁理屈だな
562 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 01:10:16
>>561 屁理屈でもなんでもない
この区別が出来ないと、地理は0点落第だ。
著者はわざわざ「倭人在…大海之中」と表現してるんだ
末廬は当然島の内
そこから別な島に行くのは当然「渡海」
これは常識だよ
水行は、最初に定義した循海岸水行
決して当該陸地からは離れない
九州北部に天皇家一族がいたのは確か。
いわゆる、三王墓(三雲、井原、須玖岡本)から三種のじんぎが出土されている。
けど〜時代が弥生中期〜後期の初めらしいよ。
神武東征があったのも、弥生中期〜後期の初めだろうね。
そして、平原1号墳からヤタの鏡が出土してる。
しかし、卑弥呼の時代とは重ならない。
どれもこれも、もっと古いんだよね。
ちなみに、内行花紋鏡=八咫鏡 デス。
伊勢神宮に伝わる、八咫鏡を見たって人いるらしいよ。
本で読みました。
八咫鏡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E9%8F%A1 よく天皇家は宮崎県の日向から遠征したとか聞くが、
実際は福岡県からだろう(松原付近)。
564 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 02:12:06
>>563 改めドツボ
>伊勢神宮に伝わる、八咫鏡を見たって人いるらしいよ。
>本で読みました。
ほほう〜
是非その人物の実名を挙げてもらえないかな?
まさか「 森有礼 」とか言わんだろうな?wwwwwwwww
565 :
ローガン:2009/07/02(木) 02:14:04
>>562 > そこから別な島に行くのは当然「渡海」これは常識だよ
> 水行は、最初に定義した循海岸水行決して当該陸地からは離れない
違いますね。もしそうなら、公孫度の東菜郡攻めも「水行」でしょう。
渡海と水行の使い分けは、「外洋」か「沿岸」
幅の狭い関門海峡を通る表現は水行が適切。それに「当該陸地」とは貴方が勝手に限定したものですね。
ではお休みなさい、又、大晦日。
566 :
kappa_mushi7019 ◆nY0cHoG78. :2009/07/02(木) 07:51:58
>>565 ・当該陸地に設定したのは、私ではなく著者です。「海岸」
・渡海ならびに水行を「外洋・沿岸」で区別しているようですが、間違いです。
外洋・沿岸は水域を行く船の航路の区別であり
水行なら「行」にあたるもの「渡」には該当しない区別です。
渡は、簡単に言うと起点から着点の間が起点と着点地とは異質の物を挟む時に使います。
起点と着点地が陸地なら、間に挟むのは「水域」
だから「渡海」
起点と着点が「無」なら間に挟むのは「有=生」で
だから「渡世」
だから九州の陸地と本州の陸地を移動するには、間に異質の水域を挟むので「渡海」
水行ではありません。
漢字は正しく使い分けましょう。
では、大晦日に
水行とは陸地にある程度接近しながら進む事です。
九州〜本州を進むのも当然水行ですよ。
568 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 10:40:09
569 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 11:04:29
>>567 水行の意味が、「陸地にある程度接近しながら」であるなら
「循海岸水行」などと書く必要はありません。
水行には「循海岸」以外の選択があるからこそ
そう、設定したのです。
飛行機から瀬戸内海をみて
「日本にも大きな河があるんだね」という
中国人の旅行者は今も結構いますよ。
なあ関門海峡のような場所の場合は
海を渡るとはまず言わないでしょう。
>>569 具体的記述が無い場合は、単純に水のある場所を行くという意味ですよ。
特に水行20日とか、里ではなく日数になってる場合は
具体的に把握してないからそう記述してるだけです。
572 :
doontakuka:2009/07/02(木) 11:30:26
>>571 特に水行20日とか、里ではなく日数になってる場合は
具体的に把握してないからそう記述してるだけです。
自郡至女王國萬二千余里
樂浪郡徼 去其國萬二千里
と、正確に把握していた。
その上で「南至投馬國水行二十日・水行十日陸行一月」
と、記述してある。
何故だ?
>>572 萬二千余里とは遠方国の距離を表す意味でしょう。
何度も指摘されているが、大月氏国や
ペルシャ、アレキサンドリアでも殆ど萬二千里前後だし。
574 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 11:51:18
>>570 あなたが言おうが言うまいが、そんなのどうでもいいんです。
あなたの慣性をとりあげているわけじゃありませんから
それに
その中国人は、池沼さんですよね?
575 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 11:59:02
576 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 12:07:41
水行とは、この世の中に
陸域と水域と言う対的な移動する行為が存在するからこその
区別用語です。
世の中水域だけなら水行などと言う言葉は存在しません。
お前ら池沼?
水上交通を水行、 陸上交通を陸行って言うんだよw
579 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 12:24:44
>>579 水上交通を陸行、 陸上交通を水行って言うんかよw?
581 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 12:28:25
582 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 12:30:20
>>570 だから魏使一行は飛行機で来たのかってーの!
日本書紀によると、甲寅の歳に神武東遷開始なんだが、これ西暦何年と思う?
?ヒントは天武天皇即位が673(天武2)年2月って事と
天皇の平均在位年数が10年って事だ。
神武の5代前が天照大御神ならその活躍期は西暦何年だ?
587 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 12:47:06
>>585 勉強すんのはてめえだってーの。
なにも知らないゴキブリ野郎が。
天武天皇が第40代なら天照大御神は45第前で450年前、
つまり西暦223年で卑弥呼の時代とピッタン子官官でしょうが。
>>572 女王国までの里数は分かったが、邪馬台国までの里数はよく分からなかったからだろ。
豊玉毘売神(トヨタマヒメ)は、山幸彦の妻で綿津見神(海若)の娘。
山幸彦は神武天皇のおじいさんってことになっている。
綿津見神(海若)はイザナギの子で天照とは兄弟、つまり豊玉毘売神は天照の宗女
卑弥呼の宗女台与と豊玉毘売神はそっくりでしょ?
神武天皇が邪馬台国を東征して滅ぼしたんだよ。
その事を隠蔽する為に神武即位を紀元前にしてみたり
神武以前を神話にする必要があったんだよ。
>>590 ×山幸彦の妻で綿津見神(海若)の娘。
○山幸彦の妻で綿津見神(海若)の孫か曾孫。
593 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 13:48:37
だから天照は卑弥呼でいいですね、魏志倭人伝によればトヨが二代目ですね、体力的なことからでしょうか
箸墓はトヨタンの墓で決まりではないでしょうか
>>587 恥ずかしい奴w
邪馬台国の場所でも教えてくれるのかい?
595 :
doontakuka:2009/07/02(木) 13:56:37
>>589 女王国までの里数は分かったが、邪馬台国までの里数はよく分からなかったからだろ。
國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國
樂浪郡徼 去其國萬二千里
去其西北界拘邪韓國七千餘里
との記述から邪馬臺國の領域は、
拘邪韓國から倭国境界までの萬二千里−七千餘里=八千里。
その中にあって邪馬臺國の地は、
其地大較在會稽・東冶之東
とある。その領域は
東冶は北緯: 38.646121 東経: 113.151476
会稽は北緯: 29.97488 東経: 120.598403
会稽と東冶の緯度を列島に割り当てた領域が大まかな倭の領域。
と解釈するのが正しい。
従って、東冶は平泉で会稽は種子島に当たる。
が、
後漢書の邪馬臺國で
魏志倭人伝の邪馬壹國の領域は別。
魏志倭人伝の邪馬【臺】國と後漢書の邪馬臺國の領域は同じ、
邪馬臺國の中に邪馬壹國が在る。
と解釈している。
>>593 天照のあとに、ににぎともう一人男王がいて争いがあってトヨは4代目だよ。
トヨは神武の婆さんですからw
箸墓の航空写真見たことあるの? あんな立派なのはもっと後生のもんだつのw
597 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 14:16:40
>>597 トヨは13歳で女王として飾られ、その後ほとんど幽閉状態だよ。
そんなお飾り女王になんで箸墓のような立派な墓が必要だ?
卑弥呼の墓も、山を利用した小さな墓だろう?今はもう残ってないよ。
599 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 14:37:10
>>599 九州の何処が7万都市なの?マンゴープリンか?
都市と考えるからおかしくなるんだよ。日向全体とか考えるんだな。
602 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 15:45:53
=≡.i≡ミ 、
,|《ソ⌒⌒ヾ.||
.||||| 〜 〜 ||||
||||,! ` .. ´ !|||
.|||( ノ 3ヽ )|||.< 邪馬台国の場所でも教えてくれるのかい?
巛||,ヽ--- イソリ ∧_∧
/ \ ( ) 何言ってるんだ?
.__| |
>>594 | |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) 〜\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 馬鹿か? \| ( ) 邪馬台国の場所の前に足し算でも教われよw
| ヽ \/ ヽ.
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
. ( ) 〜\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 恥ずかしい香具師 \| ( )
| ヽ \/ ヽ. ゴキブリは昼間出て来ちゃダメッ!
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ (⌒\|__./ /
. 〜\_____ノ|
七万といっても戸だしな。
人口で言えば30万は越えるでしょ。
九州の何処を比低するんだよw
>>602 授業が終ったら速攻登場ですねwww
ちゃんと勉強したか?
605 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 16:01:13
=≡.i≡ミ 、
,|《ソ⌒⌒ヾ.||
.||||| 〜 〜 ||||
||||,! ` .. ´ !|||
.|||( ノ 3ヽ )|||.< ちゃんと勉強したか?
巛||,ヽ--- イソリ ∧_∧
/ \ ( ) なんだこいつ?
.__| |
>>604 | |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) 〜\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ ただの馬鹿さ \| ( ) 今日はおもらししなかったか?
| ヽ \/ ヽ.
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
. ( ) 〜\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 早く塾へ逝けよ \| ( )
| ヽ \/ ヽ. 1+1はいくつか知ってるか?
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ (⌒\|__./ /
. 〜\_____ノ|
つまらん罵り合いやAAは他でやれよ。
607 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 16:15:30
608 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 18:15:39
>>608 実際九州に30国を当てはめて、何処に邪馬台国の70000戸を充てるの?
福岡近辺だけでも20000戸なんだけど。
610 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 18:47:26
>>609 だから現代と大昔を一緒にするなつーの
畿内派のあんたなら大昔にも車が走ってたなんて言いだしかねないな
611 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 18:56:15
九州説なら大昔に飛行機が飛んでたって言い出しかねないけどねw
612 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:05:23
613 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:05:58
>>610 昔から火山はあるし、
シラス台地だと思うよ?
昔は平野だったの?
614 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:18:08
>>609 福岡に比べて、ド田舎の奈良はどうなんですか?
615 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:21:52
616 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:22:27
木器担いでウハウハ言ってた畿内の土人より、
先進地帯九州の人口のほうが多かっただろ
618 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:40:30
619 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:48:28
620 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:55:56
>>614 俺は畿内派でも邪馬壱国=河内〜葛城〜大和連合説ですが。
70000戸なんて余裕です。
>>617 その先進地帯九州の人達は何処に消えたの?
ひょっとしたら滅亡しちゃったのか、
半島にでも渡ったのかな?
623 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:14:44
畿内派うんこマン参上
624 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:18:40
>>623 あ〜あ、九州説論者はみっともないな〜
答えに詰まったらそれかよw
レベルがわかりやすくていいよ(笑)
九州でも邪馬台国の可能性があると思ってる、
宮崎とかに七万戸も住んでいたのかな?
626 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:26:09
627 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:27:17
私が本当のうんこマン
うんこ爆弾だWくらえ九州派
九州「もう胡散臭いよ〜」
628 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:38:52
九州説の人はもう荒らすしかないんだね…
畿内に7万戸あっただと?
蟻の巣ですか?
>>630 畿内って奈良だけだと思ってない?
葛城氏は泉州や東大阪も支配下だったというのに
632 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 21:48:05
>>632 九州説論者に言えよ。
ウンコがどうのこうの…
634 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 22:33:53
>>633 畿内説論者に言えよ。
ウンコがどうのこうの…
635 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 22:35:11
>>632それが工作員の目的なのに、まんまと乗せられて、アホだな。
636 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 22:35:27
>>632 何も内容の無いおまいが一番レベル低いよ。
637 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 22:57:56
畿内説の人はもう荒らすしかないんだね…
638 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 23:03:36
639 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 23:14:54
ヒミコサマ・・・・・・・・・・・・
641 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 00:01:09
畿内説の石野さんが言っている。
近畿地方全体を一つの国と考えても、とうてい7万戸には届かないと。
これは九州も同じ。関東地方も同じ。
要するに、数字が大きすぎる。
まあ、郡使は戸籍調査をしにきたわけじゃないので、そのへんは適当という
事だろう。
642 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 00:10:13
七万戸がどうした、自分らが文明人だからと調子こいてんじゃねーよ
大昔の人をなめるんじゃねーよ
七万だろうが百万だろうが関係ないだろう
夕べは河童が登場してスレが締まったと思ったのに
一夜明けたらこのありさまですか?
>>642 初対面の人に向かって
もっと行儀よくレス出来ないのか?
学問板ということを忘れるな。
>>643 初心者が荒らしてるぽいね
645 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 00:33:56
>>644 誰が初心者だ、この中卒のうんこマンが、邪馬台国は畿内なんだよ、いい加減に認めろよ
あちこちで、うんこうんこ言いやがって、このうんこ野郎が調子こいて臭いオナラすんなや
これだけは言っておくど、どんな手段使っても卑弥呼ちゃんは畿内が頂く、わかったかこのウンコちゃん野郎
>>645のような書き込みが増えるようなら
もうlD表示した方がいいかもね。
647 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 03:14:38
>>641 韓伝が伝える朝鮮半島の戸数と比較してみたらどうかな? 九州の方が暖かいだけ住みやすい、
半島よりも少し人口密度が高いって程度で、九州二十万戸、別に不自然はない数字だと思うが。
648 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 07:05:52
>>647 朝鮮半島の戸数と比較でも九州に二十万戸は少し多いのでは?
十万戸〜十五万戸ぐらいかな。
649 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 07:57:47
>>643 名無しで潜伏してたら
畿内説論者に答えられない質問をぶつけられて
いつも通り逃げたが、逃げ方がまんま梅毒だった為、
正体がバレてた。
どこが締まってたんだよ(笑)
650 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 12:17:30
>>649 >畿内説論者に答えられない質問をぶつけられ
阿保〜!
答えてるだろ
伊都より先に行ってるって
彼にはそれだけで十分なの
651 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 12:18:26
652 :
toontakuka :2009/07/03(金) 12:24:55
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
との記述は、
西から東へと津軽海峡を通過した。
と解釈。
653 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/03(金) 12:54:09
ページは進めど内容は足踏み。
新たな思考が出来た。
難升(斗)米=ナトベ=難 戸畔=難(奴)ノ津の領主で筑紫男王に使える。
倭女王卑弥呼が立てられたとき、卑弥呼の将として活躍。伊都国にて軍を指揮。
654 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 13:15:24
>>650 里が日数に変わった
理由は答えないまま逃げた(笑)
ってかドツボ、なんで名無し?流行りかw?
655 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 13:34:01
656 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 13:42:56
>>654 それも答えた
ただし、相手が理解できるかどうかなんて知ったこっちゃない。
それ以前に「郡使往来」すらまともに解釈出来ないんだから
無理だろうが
657 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 13:47:10
現に改め君なんかは
往来と往復の使い分けすら出来ない
現代の漢字知識レベルを如実に表しているだろう。
658 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 15:08:19
梅毒は 名無しでもすぐわかるな(笑)
だからわざわざコテ付ける事も無いわけだし
660 :
doontakuka:2009/07/03(金) 16:19:47
自女王國 東 度 海千餘里 至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
女王國 東 渡 海千餘里 復有國 皆倭種
「拘奴國と復有國」の国は、同緯度経度に在った国ではない。
拘奴國は列島の北緯42度付近で復有國は列島の北緯26度付近。
661 :
doontakuka uka:2009/07/03(金) 16:34:49
自女王國以北
とは
「会稽東治【冶】の東」の北緯30〜31度付近から北緯24度迄をいう。
一大率檢察諸國の領域は奄美・沖縄か。
662 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 17:10:09
>>661 どうして北緯23゚迄は含まれないの?北緯23゚59はだめなの?
664 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 21:46:39
>>663 >人と批判するばかりの人てやたら多いけど〜何かわたしがおかしなこと言ったかい?
糞ワロタ
おかしな事しか今の今まで言ったことないだろ(笑)
665 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 21:51:31
みんな余所者やん
666 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 22:29:48
>>663 >往来と往復の違いも説明で出来てそのようなことをいいましょうね。
漢字の知識の前に、
日本語が大分不自由みたいですね。
あ、リンク先の貼付けはできるんだ?
でも、貼付けたと言う事は、中味は把握出来てないんだろう。
667 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 22:55:35
嫌われ、憎まれ、蔑まれ、なんで出てくるんだろう。
670 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 23:07:27
イタリアの都市ミラノと三輪野、この関係に思い当った人はいるでしょうか?
古代古海洋民族フェニキア人が支配した土地という共通項があります。
671 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 23:22:16
>>668 もう少ししっかりしなさいよ
「往来」=
起点や着点が存在せず、定点からの視点
これを往来。
「往復」=
起点と着点が存在し、
「往」の起点は「復」での着点、「往」での着点は「復」での起点となる
これが往来と往復の違い。
辞書をコピペすればいいってもんでもない。
>>671 >「往来」= 起点や着点が存在せず、定点からの視点
>これを往来。
>「往復」= 起点と着点が存在し、
>「往」の起点は「復」での着点、「往」での着点は「復」での起点となる
>これが往来と往復の違い。
分かりにくいデス、もっとわかりやすく説明して下さい。
わたしが分かりやすく説明すると、こうなる。
「郡使往來常所駐」
往來とは、
「朝鮮半島 ⇔ 倭国」 の間で頻繁の人の行き来がされ、
物資とかを交換する、いわゆる取引が頻繁になされていたということ。
何かおかしいですか?
673 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:20:30
>>672 ぜんぜんトンチンカンだよ
人の行き来とは、伊都を定点とした場合
郡Aから伊都に「来」し、伊都から先Bに「行」
Bから伊都に「来」、伊都から郡Aに「行」
これが往来
これを
郡Aから伊都に「来」し、伊都から郡Aだと
「行」じゃなくて「帰」
人の行き来じゃなく、郡を視点の往復
674 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:25:21
きゃっ、珍読よ。
675 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 00:36:24
>>564 >>伊勢神宮に伝わる、八咫鏡を見たって人いる
>ほほう〜
>是非その人物の実名を挙げてもらえないかな?
>まさか「 森有礼 」とか言わんだろうな?wwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwww 単純に否定するだけなら誰でも出来るw
それに、何でも笑えば解決するってもんじゃない。
>>564は、見てないてことにしたいだけだろ。
森有礼、本人が伊勢神宮で見たっていうんだから仕方ない
ではないうか(暗殺されたけど....)。
他、矢野祐太郎ていう人もいるらしい。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/framepage30.htm
676 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 00:42:51
>>673 意味わかんないよ。
それは〜君が倭人伝を現代語訳したことが「ナイ」というのを
さらしてるダケ。
机の上でゴタゴタ言ってないで、現代語訳してみなされ。
ハイ、どうぞ!!
<倭人伝>
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚
有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
>>564 実際に見たかどうかは私には分からんよ。
確認のしようがない、ということ。
しかし、見た人が一人もイナイってほうが可能性低いと思わないか?
もし、仮に、彼らが見てないとしても、誰かがみてるのでは?
わたし?!わたしはみてねーよwww
678 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/04(土) 01:07:03
>>677 伊勢は知らないけど、熱田神宮の草薙の剣は、太平洋戦争中に熱田神宮の宮司が名古屋への空襲から守るために田舎にまで持ち出して疎開させてるよ
どのみち明治以降の天皇なんて、神言を承るような儀式とかしてないんだから、神器なんて意味無いんだしさ
今の天皇なんてもはや公務員と同じですよ
まあそもそも日本の御所にいた公家や朝廷はもう滅んじゃったから仕方ないけどさあ
679 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 02:07:12
>>675 改め ◆PWTcGEfp1s
>森有礼、本人が伊勢神宮で見たっていうんだから仕方ない
>ではないうか(暗殺されたけど....)。
アホがw
まあ 森有礼が神宮に行った後に暗殺されたなんてのはググれば直ぐに分かる事だが・・・
慌てて調べたのかな?w
その暗殺劇に至った時代背景等について理解するには
まあチョコっとググっただけでは無理だったって事だなwww
知ったかぶりの改めドツボの限界と言うかwww
で、森有礼本人が「自分は見た」と言ったのか?
一体何処の何と言うタイトルの本にそんな事書いてあったんだ?
『ムー』の別冊付録か何かか?wwwwwwwwww
ドツボ君紹介のリンク先の記事も
>(雑誌『オカルト時代』から引用
…とあるが(ヘブライ語とか出ている時点でもう勘弁してくれだがw)
もう何でもかんでも検索してヒットした物書きゃいいてモンじゃないだろうにw
680 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 03:17:23
八咫鏡の袋を交換する人は目を閉じてするそうです。八咫鏡は20cmの大きさで
中心にヒモを通す輪があり唐草模様だそうです。
また、草薙の剣は60cm位の両刃の銅剣だそうです。
681 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 03:54:02
明治天皇は見たんじゃなかったかな。
その後、封印されたとかいうのをどこかで見たような気がするが。
しかし…
「過去に八咫鏡を見た人間がおり、そこにはヘブライ語が刻まれていた」
…なんてのは日ユ同祖論の定番メニューだなw
そんなもの平気で持ってくるあたり流石はドツボと言ったところか?w
683 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/04(土) 04:41:49
ヤタの鏡って、猿姫(ヒルメ)が岩戸の儀式の時に使った鏡の事でしょ?
ヒルメが持ってきた鏡って、確かこれ1枚だけじゃないよ
ヒルメは何十枚と持ってて、その内の一枚を猿田彦の伊勢神に奉納しただけでしょ?
草薙の剣もさ、ヤマタノオロチじゃなく、竜神の宮から帰る際に、船を出した和仁氏がスサノオ(つか山幸彦)に手渡したものだよ
だから草薙の剣もヤタ鏡も複数あって、そのうちの幾つかは別の神社に奉納されてたりしてるよ
神器ってのは自分の氏族の血統を証明する為の家紋みたいなものだから、同じものが複数あってもどちらも本物だよ
んで鏡は別にヘブライ語が書かれてたりとかはなかったはずだよ
684 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 07:17:23
>>676 往来、往復の使い分けなんて小学生でも理解できるものだ
つまりその使い分けが出来ない君に、現代語訳を提示したところで
それは豚に真珠と言うもんだ 肝心の日本語が覚束ないようだからな
ようするに、往来を辞書で調べてみたが
辞書に書かれた日本語の意味がわからなかったわけだ。
685 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 07:49:44
たとえばだ
「郡使往来常所駐」を、(郡の使が往来するに常に駐する所)
と現代訳してみても
改め君は日本語が不自由だから
漢和辞書にて漢字の意味を調べてみたが、そこに書かれた日本語の意味がわからない。
日本語がわからない改め君は、国語辞典でその日本語を調べてみたが
国語辞典に書かれた日本語がやはり理解できない。
だから煽りでごまかす。
686 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:07:28
草薙の剣は 檀之浦に沈んでます。
687 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:36:00
私もわかりやすくするために
>>673にて改め君に、「往」という文字を「行」に置き換えて説明したが
本来は「往」と「行」は
別文字であり、往を行と同じ意味で扱う事は出来ない。
辞書にては同じ「いく」で説明しているが
「往」は「行」とは違い
着点から起点に戻ると言う意味が含まれない、一方向性の意味
だから「往」から構成される熟語には「もどる」の意味を持つ文字と組み合わされ、
一つの語句を形成する
往復、往還、往来、など
一方「行」は
往とは異なり、戻るの意味も含まれる
だから
行復、行還、行来、などの熟語が存在しない。
★「東行」
起点から東を目指しまた起点に戻る
688 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:44:40
東行百里は距離にして五十里ってことか?
689 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 09:47:49
>>679 >まあ 森有礼が神宮に行った後に暗殺されたなんてのはググれば直ぐに分かる事だが・・・
>慌てて調べたのかな?w
>にのってたようその暗殺劇に至った時代背景等について理解するには
>まあチョコっとググっただけでは無理だったって事だなwww
そうだな、昔、図書で読んだらしく詳しく覚えてない。
記憶が薄くなっていたので、チトぐぐらせて貰ったよw
>で、森有礼本人が「自分は見た」と言ったのか?
わたしが直接本人に聞いたわけではないぞww
>一体何処の何と言うタイトルの本にそんな事書いてあったんだ?
>『ムー』の別冊付録か何かか?wwwwwwwwww
図書館いったことないのかい?
『ムー』は読まないな。
>…とあるが(ヘブライ語とか出ている時点でもう勘弁してくれだがw)
>もう何でもかんでも検索してヒットした物書きゃいいてモンじゃないだろうにw
ちゃんと調べてみてから、判断したほうがいいのでは?
むやみやたらに、「違うとか間違い」と片付けるのはどうかと思う。
690 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:51:01
「日本語の使い分け」
いく=ゆく
★私は東京へいきます。
この場合、また出発地に戻ると言う意味を込める場合
(私は東京へ“行”きます)
もう、出発地に戻る意思のない場合は
(私は東京へ“往”きます)
と、漢字を使い表現します。
これが言葉の表現と文字による表現の最大の違いであり
「いく=ゆく」で済む日本語では表現しずらい難点です。
691 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:54:11
>>688 違います。
だいいち「百里」とする起因がわからないだろう?
区間距離とするには
それまで書かれてきた測量方法が書かれていない。
692 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 10:05:13
>>680 >八咫鏡の袋を交換する人は目を閉じてするそうです。八咫鏡は20cmの大きさで
>中心にヒモを通す輪があり唐草模様だそうです。
>また、草薙の剣は60cm位の両刃の銅剣だそうです。
見ないで交換するのも大変でしょうねw
そして、剣て書いてあるんだから「両刃」ていうのは余計かなw
>>684 >往来、往復の使い分けなんて小学生でも理解できるものだ
そうなんですよ〜普段私たちも使うことがある「往来、往復」をわからない人がいるんで、
教えてるところです。
>つまりその使い分けが出来ない君に、現代語訳を提示したところで
>それは豚に真珠と言うもんだ 肝心の日本語が覚束ないようだからな
あらら〜初心者さんに教えてたら〜こっちも巻き込まれてしまったかw
いやいや、「往来」の意味を教えてただけ。
なんで、こっちにふるのwww
>ようするに、往来を辞書で調べてみたが
>辞書に書かれた日本語の意味がわからなかったわけだ。
ちゃんと、アンカーうちましょうね。
わたしが、「往来」の意味を調べてたのではなく、
教えてたのwその内、君も、まきこまれるだろうw(第三者にいわれるぞw)
693 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 10:05:17
大陸内に於いては、常識的に陸地内の測量にて計測された方法がデフォだが
倭人伝のように
最初から「海中之中」と設定された以上、大陸内の常識は使えない。
つまり陸と海と言う区別が生じる。
だから区間距離はその区別をはっきりさせなければならなず
決して省略出来ないものだ。
694 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 10:08:47
695 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 10:13:10
>>682 >しかし…
>「過去に八咫鏡を見た人間がおり、そこにはヘブライ語が刻まれていた」
>…なんてのは日ユ同祖論の定番メニューだなw
>そんなもの平気で持ってくるあたり流石はドツボと言ったところか?w
反論になってないよw
君は、ただ、思いつきばったりで、批判してるだけ。
ちゃんと調べてからレスして下さい。
>>687 もっと議論するレベルをあげません?
「往来」とかで議論するの恥ずかしいんですけど・・・。
オウライといえば、オウライでしょう。
世間の子供(中学生ぐらい)でも、9割がたは知ってるだろうしwww
696 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 10:27:12
>>695 余り余計な事までレスすると、墓穴を拡大させるだけだよ
そんなに拡大させて
いったい何人の自分を放り込むつもりかね?
wwwwwwwwwドツボは9割には入らない1割グループのリーダーwwwwwwwwwwwwwwwwwww
698 :
doontakuka:2009/07/04(土) 11:19:02
>>662 どうして北緯23゚迄は含まれないの?北緯23゚59はだめなの?
去其西北界拘邪韓國七千餘里
とあります。
この西北界は南北反転していますので、正常なロケーションは、
『西南界』ということです。
日本最西端之地の緯度は24.449836で 経度は122.93442で、与那国島です。
日本最南端之地は波照間島で Latitude: 24.061478 Longitude: 123.77523です。
この地を基点としたので北緯24度ということです。
日本最西端之地・与那国島が拘邪韓國です。亦、北岸狗邪韓國とありますから、南北反転をして北岸を南岸で置換すると狗邪韓國は波照間島亦は西表島にあたるでしょう。
故に、
拘邪韓國(与那国島)・狗邪韓國(西表島)から始度一海千余里は沖縄・那覇になる。那覇は北緯26度、26度はクフ王のピラピッドの地下と女王・男王への回廊の勾配の角度に等しい。殷の貝幣は沖縄産のキイロタカラでした。
この時代の殷では、馬という漢字が使われていました、紀元前1500年〜紀元前1100年頃です。
沖縄で、この馬という文字の刻まれた石が出土しています。(ロゼット・ストーン)
對海【馬】國は北緯26度の那覇です。
又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國
も南を北で置換すると
對海【馬】國(那覇)から北へ千余里で会稽と同緯度の
口之島となる。故に、一大國とは口之島・種子島・屋久島にあたる。
種子島からは後漢亦は魏書体の日本最古の文字といわれている『山』と刻まれ貝布が出土している。
699 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:01:22
>>699 だから
自分で墓穴拡大するな。
だんだん見苦しくなってくる。
>>698 >『山』と刻まれた貝布
ハッキリ言わせて貰えば、それは文字ではない。絵、記号、模様…etc…だ
文字は文章に組み込まれるか、文章からチョイスするから文字。
702 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:22:15
>>699 だいたい君は、根本的な
「行ったり来たり」の日本語が理解できないだろう?
だから
リンクを貼付けて済ます。
703 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:42:48
なんで「往来」を議論しなければいけないの?
ここは邪馬台国議論の場なんですけど!
真面目にやってください。
倭人伝を、
素直に読んで下さい。
普通に読んで下さい。
深読みしないで下さい。
そうでないと、疲れるから。
それとも、わけのわからない理論をぶちまけて煙に巻く策略?
704 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:03:44
>>703 別に「キャン」と鳴いた改め君を棒で叩くつもりはないわけよ
ただ
自ら墓穴拡大する事は止めた方がいいと思う。
705 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:16:38
>>703 もう一言いわせてもらえば
「わけのわからない」と言うのは、飽くまでも個人意見であって、君の主観を形容した表現だ。
つまりそれを承知で
それを制しすることは、自分がわかるように説明されないと困るし、今後自分の知識範囲が基準となって
スレを運営して行きたいとする主張なんだね?
ようするに「私が法だ」と。
706 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:19:56
>>704 いやそれが、先人が『ドツボ』と
命名した由縁なんだよ(笑)
「訂正」
誤字スマソ
平原1号分→平原1号墳
(玉依姫の可能性あり)→平原1号墳は玉依姫の可能性あり
709 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:34:13
710 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 13:55:27
もう一言いわせてもらえば
「わけのわからない」と言うのは、飽くまでも個人意見であって、君の主観を形容した表現だ。
つまりそれを承知で
それを制しすることは、自分がわかるように説明されないと困るし、今後自分の知識範囲が基準となって
スレを運営して行きたいとする主張なんだね?
ようするに「私が法だ」と。
何をややこしい理屈つけているんだ?君の話は特殊すぎて今ここで聞いていると疲れるんだよ。
私は「それとも、わけのわからない理論をぶちまけて煙に巻く策略?」
といったんだ。
>>687 > 一方「行」は
> 往とは異なり、戻るの意味も含まれる
違う。
移動行為を表す言葉としての「行」は、純粋に移動という要素しか持たない。
「戻る」などの意味は無い。
東に行ったら行きっぱなしで、戻ると言う要素の言葉を使わなければ帰ってこれない。
普通は帰ってくることを前提に「行く」ことが多いので、錯覚するのだろうが、
急行したら、帰りも急いで帰ってこなくてはいけない道理はないし、
行進とか行程とかは、到着地で終了すれば、それはそれでコトバとして矛盾は無いのだ。
>>710 遂にスコップじゃ追い付かなくて、ユンボで掘り始めたのかい?
いい加減にしなよ
自分ではいた言葉の意味も理解できないくらいに
舞い上がってるみたいだ
そもそも君が「往来と往復」の使い分けが出来ない事が問題なんだよ。
ただそれだけ
ただそれだけの事で、結果ユンボで穴を掘り始める事に。
『郡使往來常所駐』
伊都が往来中のルートの一点であることは判っても、それが終端であるかどうかは確定できない文章だね。
普通に読めば、終着点だろ。
江戸時代でいう、出島みたいな役割だよ伊都は。
そこで検閲して瀬戸内海から大和に献上すると。
んで、それを良いことに私腹を肥やして反乱したのが磐井と。
>>714 > 普通に読めば、終着点だろ。
倭人伝の文脈で見ればそうだね。
でも、あの文章だけを取り出して、往来がどうのこうのと言いだすとわけが判らなくなる。
717 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 14:50:53
>>714 「往来」と書いてあるんだ、終着点じゃない
終着点だったら
郡使じゃなくて倭使の往復行為であり、郡使なら郡を視点の「往」行為
この一文で重要なのは「常」だよ
719 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 14:55:25
>>714 「郡使往来」とは
・使が郡より伊都に「来」
・使が伊都より先に「往」
だから「往来」
往来の途中、郡使は伊都に必ず「常所駐」
>>717 >
> 「往来」と書いてあるんだ、終着点じゃない
> 終着点だったら
> 郡使じゃなくて倭使の往復行為であり、郡使なら郡を視点の「往」行為
何で「倭使」なんだよw
あと、コテ復活してよ。
NG登録してあるからさ。
721 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 15:01:57
>>718 「常」なんてさして重要じゃない
特別じゃないから常
例え郡の使であろうと、スルーする事が出来なかった。必ずここで駐しなければならない場所
>>719 > 「郡使往来」とは
郡使往来の基点は郡でしょう。
往来の終端は明記されていないので、伊都は文理上は経由地でもかまわないけど。
単なる関所なら常とは書かないよ
これが答え
724 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 15:15:51
>>722 郡が基点なら郡使とは書かない。
郡が基点になるのは地理記事概要。
郡と区別するのは
その文章の定点が、郡ではないから郡と区別特定しなければならない。
伊都と言う異国の地を文章定点に置くから
起点にも着点にも属さない伊都を定点に「往来」と表現できる。
だから「往来」の意味を疎かに出来ないの
725 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 15:26:53
>>723 関所に「単なる」やそうでない特別なものの区別があるかなんて
知らないよ。
ただわかる事は、郡使といえどもスルー出来なかったと 言う事。
726 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 15:35:10
ま、外国相手だから
関所というより『イミグレーション』
の方がしっくりくるかな?
あるいは江戸期の出島。
>>724 > 郡が基点なら郡使とは書かない。
何でさ
> 郡が基点になるのは地理記事概要。
意味不明
> 郡と区別するのは
誰がどこで区別を???
> その文章の定点が、郡ではないから郡と区別特定しなければならない。
だから、何でさ
> 伊都と言う異国の地を文章定点に置くから
いつ、誰が「定点」に置いたのさ
> 起点にも着点にも属さない伊都を定点に「往来」と表現できる。
ウダウダ書いてるが、端っこが「定点」であってはならいことの説明には全くなってないよ。
> だから「往来」の意味を疎かに出来ないの
なにが「だから」なのか・・・
「疎か」じゃないと他の文章に何か影響があるのか・・・
まあ、プの書くことだから深く考えてもしょうがないとしておこうw
>>727 お〜っ! B727(愛称 KUMANO)
ま、どうでもいい人にはどうでもいい事だよ。
729 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 15:52:31
>>727 定点に関しては、既に説明済み
だからここでは説明しなくても桶。
730 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 16:04:02
「往来」は、特定の二点間を行ったり来たりするのではなくて、
ある範囲の中をうろうろするという意味で使用されることが多い。
だから、定点だとか、郡だ伊都国だというのではなくて、
倭国の領域をあちこち移動するとき、
伊都国をベースキャンプのようにしていたということじゃないのかな。
史記 高祖本紀
當此時,彭越將兵居梁地,往來苦楚兵,?其糧食.
彭越は兵をひきいて梁の地におり、往来して楚の兵を苦しめ、糧食を断った。
梁の国内をあちこち移動したという意味。
呂太后本紀
迺入未央宮,欲為亂,殿門弗得入,裴回往來.
未央宮に入って乱を起こそうとしたが、殿門に入れず、徘徊往来した。
未央宮の周囲をうろうろしたという意味。
孝武本紀
「臣嘗往來海中,見安期?羨門[四]之屬.
私は昔、海中を往来して、安期?羨門といった仙人に出会いました。
海上をうろうろしたという意味。
漢文の実際から離れて、観念的に「往の意味はこうだ、来の意味はどうだ」と
漢字の意味をいじっても何の意味もないと思うよ。
731 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 16:24:12
>>730 そうでもないよ
この文章は行程文章に組み込まれたもの
今出された用例では説明出来ない文章環境。
用例出すなら、せめて行程文章に組み込まれた往来を使用すべきでは
漢字の意味なんて、文章によって意味合いは変化する。
私は倭人伝と言う構成上で話しをしています。
観念かどうかは受け手の判断次第でどうにでも
いいつくろえる。
でも、往来説明は引く気はないから
732 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 16:31:07
>>729 定点、それが説明できてないのよw
説明下手なプラムに代わって俺が説明しよう。
プラムは「往来」と言う言葉には起点・終点以外に「定点」が必要だと思っている。
その定点に向かって来るのが「来」で、出て行くのが「往」だと言うことなのだろう。
確かに路傍に座りこんで道行く人々を観察していれば、
「定点」は往来中にあるわけだから、そのように解釈もできる。
しかし、この往来を少し離れたビルの屋上から眺めていたらどうか?
同じ往来でもプラム理論では説明できない。
「定点」が往来中にはないからだ。
プラムの最大の誤りは、往も来も移動するもの行為であるのに
それを「定点」なる観察者の視点で説明できるとしたことだ。
プラムはこれが理解できないので、説明できているつもりなのだが、
一般人はそんな誤りは犯さないので、
プラムの言うことは、プラム研究家の俺以外の人間には意味不明なのだ。
>>731 >漢字の意味なんて、文章によって意味合いは変化する。
だから、この漢字の意味はこうだ〜なんて決め付けても無意味。
まあ、河童君と議論しても始まらんので、オレは一般的用例を示しただけ。
734 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 16:37:21
>>730 あなたが今使用した日本語
「うろうろ」「あちこち」は、私が今まで説明した「往来」の解説ですよ
私の説明を
あなたは繰り返し「うろうろ」や「あちこち」で説明しただけ
つまり 私の説明を繰り返したにすぎません。
早く気付いて下さい
735 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 16:44:34
>>734 私の説明と言われても、レス番提示してくれなければ解りません。
736 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 17:23:39
河童虫の下手な解説で翻弄されていますね。
だが、河童虫の説明は正しい。
郡使は伊都國に入ったり出たり留まったりしているしているのだ。
これは郡使が卑彌呼の都に行くとき、
伊都國が時間調整地になっていることを意味すると思う。
卑彌呼の都は伊都國からそう遠くないところにある。
行程で1日以内の距離と思われる。遠くても2日以内か。
737 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 17:28:22
伊都國が卑彌呼の都なんだけど・・・。
738 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 17:40:51
>>737 伊都國は、卑彌呼とは別系統で女王國に統屬された王がいるところ。
『世有王 皆統屬女王國』とある。
739 :
738:2009/07/04(土) 17:49:04
伊都國は、卑彌呼とは別系統の王がおり、その代々の王達はですべからく女王國に屬している。
740 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:08:17
>今出された用例では説明出来ない文章環境。
なんでだよ。勝手に例外事項を決め付けるなよ。細かい深読みをされると漢字が機能しなくなるんだよ。不便きわまり無い事やるなよ。
普通に読めよ。
>用例出すなら、せめて行程文章に組み込まれた往来を使用すべきでは
逃げるなよ。「往来」はあくまでも「往来」だ。
屁理屈いうな!
741 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:18:01
黙って辞書に従え。
妄想説は潰さなくてはなりません。
742 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:27:15
743 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:30:15
>>741 従う前に辞書に書かれている日本語を理解しろ
辞書に従うのはその後で十分間に合う。
744 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:31:52
>>739 「すべからく」を「すべて」と勘違いしていないか?
745 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:33:51
>>740 君の場合は屁理屈の一つぐらい言えるようになろう。何時までも自分の墓穴をユンボで拡張しても
キリがないだろう?
出来ればユンボを穴埋めの為に応用しような
746 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:35:38
珍読もいいけど、これやってても古代は何も見えない。
747 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:37:25
748 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:39:34
>>746 君の為に古代史があるわけじゃないから、見えなくても仕方ないんじゃないの?
749 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:43:23
「すべからく」は、“〜しなければならない”という
感情を表す言葉
じゃなかったかな?
750 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:51:15
「往来」
@行き来すること。
A道路。街道。
B手紙。特に、往復書簡。
(現代国語例解辞典 小学館)
751 :
739:2009/07/04(土) 19:22:14
「すべからく〜べし」は、辞書だと「しなければならない」という意味。
これが、例えば
「丈夫 須らく読むべし、五車の書」
とかになると、
「丈夫たる者、全員、車五台分の書物を読まなければならない」
という意味になるから、「すべからく=全部」のような誤解が生じるんだろうね。
とくに「すべからく」と「すべて」で音が似てるし。
753 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 19:54:11
>>738 『世有王 皆統屬女王國』
伊都國には世(魏代)王が代々いた 皆(倭の国々)は女王國(伊都國)に統屬していた。
754 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 19:55:07
>>752 「すべ・からく」と「すべ・て」では、「すべ」しかあってない。
「すべ」は手段という意味であり、それに続く語尾で意味が変わる。
755 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 20:18:17
「統属」
統=統べる=まとまる
統屬女王國
まとまり女王国に従う。
王達は皆まとまり女王国に従う。
756 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 20:29:15
>>756 ハイ! ごくろうさまでした。
では、次受け付けます。
割り込みしないで列んで下さいね。
【集会】
倭人伝に載るこの、集会とはどうゆうものでしょうね。
<倭人伝>
會同坐起 父子男女無別 人性嗜酒
會同=集会 とし、男女の集いの場だったりしたわけデス。
集会で新しく若い男女が出会って、お持ち帰りなんかもあったのだろうか?
今で言う、出会系サイトもびっくり?!
759 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:06:11
>>753 世が魏代という意味なら、代々と訳した原文の文字は何だ?
世を魏代と代々の二つに訳したのだとしたら、そりゃあおかしいだろう。
760 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:07:37
>>755 王達は皆まとまり女王国に従う。・・・倭の国々の王達は皆まとまり女王国に従う。
761 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:11:47
>しかし、河童ななし君にみんな、振り回されてるな w
河童ななし君は文部省にでも文句を言っていれば良いでしょう。
そのまま世の中を愚痴っていなさい。
いつまでもな。
世からは、つま弾きにされるのか。
哀れな者よ。
762 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:12:39
>>759 「世」は魏代を指す。
伊都国には魏代に王がいた。
魏代に伊都国にいた王は何人か分からない。
「世」には一字で代々の意味もあるので
伊都國には世(魏代)王が代々いた 皆(倭の国々)は女王國(伊都國)に統屬していた。
となる。
>>762 世が魏代と代々の両方を同時に意味することは無い。
文章の中で、世の中とか御世という意味をとるとき、代々の意味は無い。
逆に、代々の意味をとるときは、御世の意味は無い。
764 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 21:17:04
>>737、
>>753さんが
↓これを読んだら、唖然とするんじゃね?アッハハ
東南五東里到伊都國戸万餘置曰爾支副曰曳渓觚柄渠觚
其国王皆屬王女也
>>761はどうして自演しなくちゃならないか?の件に関して。
766 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:22:45
で、今時
文部省の件に関して
767 :
738:2009/07/04(土) 21:29:48
>>753 >>755 「統」:@ひとすじのつながり。血すじ。
A一つにまとめる。すべる。
B代々受け継がれて一続きになっているもの。
だから、
>>755は正しいが、
>>753は間違っている。
「皆」は代々の王を指す。「倭の国々」ではない。
また「倭の国々」の意味の語は、指示代名詞「皆」の直前には見当たらない。
「皆」の直前にある語は「世有王」のみ。
皆さん今晩は。
スレが賑やかなので投稿しちゃいます。
倭国王帥升=高句麗王子遂成説、案外面白そうだ。
三国史記・高句麗本紀第三 太祖大王
八十年(132年) 秋七月 遂成獵於倭山
九十四年(146年) 秋七月 遂成獵於倭山之下
十二月 太祖大王(宮)退位し、次大王(遂成)即位する
後漢書卷五 孝安帝紀第五 永初元年(107年)冬十月 倭國遣使奉獻
後漢書卷八十五 東夷列傳第七十五
(高句驪)
建光元年(121年)・・・是歳宮死 子遂成立
(倭)
安帝永初元年(107年) 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
遂成は高句麗王になる14年前に「倭山」で猟をしている。
146−132=121−107=14
770 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:37:18
>>764 魏略逸文だろ、知ってるよ
別に唖然としないけど。
一番面白い箇所だよね
世に王在り
素直に訳すと、この時代の王がいる場所
その後に、皆とあるから、諸国の王がいた場所となる
伊都国はやはり普通の国じゃないな
772 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:43:46
>>767 A一つにまとめる。すべる。・・・の意味だろ。
>指示代名詞「皆」の直前には見当たらない。
直前にはないが「今使譯所通三十國」が前にある。
「皆」はこれを指す。
>>773さん初めまして
他人の空似じゃないでしょうか?私はここで初めて付けた名前です。
776 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:15:39
>>773 正解。
>>755はわたしです。
「世有王皆統屬女王國」の「世」は、「女王」と言う時間の範囲を表す語句があるので、世を魏代と時間を二重設定することはありません。
そして「皆」は人を指し、王に掛かり 王は単数から皆によって複数形になります。つまり(王達)
と、なります。
>>774 改めさん
>>遂成は高句麗王になる14年前に「倭山」で猟をしている。
>どこからの情報でしょうか?記紀?!
あのー、上に書いてありますが? 三国史記・高句麗本紀です。
なお、高句麗本紀に「倭」が登場するのはこの箇所だけ。
778 :
738:2009/07/04(土) 22:26:02
779 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:26:46
>>776 女王國に統屬すると書かれているのですから
「皆」は人より国の方が適切
倭の国々を指すと考えた方が自然。
皆が王達なら「世有王皆統屬女王」でしょう。
倭国王帥升、高句麗王遂成、さらには後世の諡号というが綏靖天皇も名が似ている。
神武天皇と高句麗の太祖大王・宮との関係も何かあるかもしれない。
781 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:39:54
782 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:41:13
>>769 「倭山」は当時の高句麗周辺の地名だと思いますが、「倭」の名前はここから来ているという
説もありますね。内蒙古・燕遼圏・満洲あたりの出自の諸民族が、民族名を背負った山を
根拠地としていることが論拠とされます。つまり鮮卑は「鮮卑山」、烏丸(烏桓)は「烏桓山」、
扶余(ツングース語の「鹿」の意味)は「鹿山」から出た、ならば倭も、ということのようです。
783 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:48:44
>>779 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
でも伊都國は國中(洛陽)に喩えられている。
どう考えても伊都國が王都でしょ。
784 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:52:01
伊の都ですから。
伊は霊力を持った聖職者・・・卑弥呼
どう考えても伊都國が王都でしょ。
785 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:53:46
>>781 私もほとんど無いと思います。半分遊びです。
ただ、綏靖天皇はタギシミミを射殺した説話や、後世ですが食人をしていたという伝説があり、
残虐であったという遂成と共通点も感じられる。
帥升の百六十人の生口というのも、尋常の数ではありません。
>>782 そうですね。ただ、「倭山」を伝える三国史記が12世紀の文献であるというのが少し弱いところです。
787 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:02:26
>>779 女王にはなりません。
王達は宗教家では有りません。政治家です。
政治家はその国の体制に従うのであって、宗教家個人に従うわけではありません。
だから陳寿は女王國と書き、魏略逸文は王女と書かれ女王と書かれた書が存在しないのです。
しかし、魏代は女王に特権が与えられていたので
女王が存在した時間を女王國と書きました。
788 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:04:46
最近読んだ本で、畿内説の人が卑弥呼は伊都國にいたが
壱与がヤマトに移ったと書いてるのがあった、
卑弥呼が伊都國に居た理由は俺の説のパクリだった。
壱与がヤマトに移った理由がよく分からん本だった。
789 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:07:37
790 :
縦目仮面:2009/07/04(土) 23:20:55
>>786 まあ、782レスは俺もないと思ってます。綏靖天皇の食人の話はよくご存じですね。縄文
晩期あたりでも食人儀礼は残っていたようです。縄文晩期とされる橿原遺跡から出土する
橿原式土偶には口から体内へ伸びる消化管が表現されており、当時すでに解剖学的知識
があったと考えられています。あ、冗談ですよ、遊びです。
791 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:32:05
>>789 倭の国々とするのはどうだろうか?
皆が国々を指すなら、世有王の王は単数のまま
★世王有り、倭の国々は女王國に統べる
となり
世有王と皆統屬女王國は別な文になってしまう。
>>790 最近の臓器移植の論議を聞いて、何故か食人を思い出してしまう。
卑彌呼の時代から人は進歩したか退歩したか、よく分からない気がする。
世有王 代々王がいる。
当然、女王即位以前の時代の王も含まれる。
だから、統屬先は女王じゃない。倭人伝当時、女王が治めている国。
伊都国に王がいて、代々女王国に属するとしたら、この文が冗長であまり意味をなさなくなってしまう。
女王国に属さない王がこの地にいるわけない。
795 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 00:03:14
みんな、伊都国の王が好きだねw
天皇家の分家だろう。
本家、邪馬臺國には女王がいた。
その、女王のおじにあたる人物がいたのかもしれない。
796 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:04:31
>>793 >世有王 代々王がいる
そんな事書いていない。
>倭人伝当時
なんで同一文に二つの時間を設定してるんだよ
変だろ
代々と時間に幅を持たせながら、一方で時間の幅を当時と狭める
それってダブスタだろう?
伊都国王の先祖は誰だったか?
「高麗の國の意呂山(おろやま・蔚山)に、天より降り來し日桙(ひぼこ)の苗裔(すゑ)、五十跡手(いとて)是なり」
(釈日本紀に引く筑前国風土記逸文)
799 :
ローガン:2009/07/05(日) 00:16:51
統屬なんてあんまり見ないんだから、用例引っ張るしかないでしょ?
AさんはBの構成員でありながらCにも草鞋を脱いでいる…
倭人伝で「統屬」の記述に関して、Aに該当するの官と副しかないでしょう。
800 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 00:20:57
>>798 >伊都国王の先祖は誰だったか?
初代天皇 神武では?
男系男子による継承は今なおも続いてる。
我々は、アメリカ人、中国人ではないので
これぐらいは常識で知ってる。
まあ、当たり前というか、日本人なら当然でしょう。
>>797 >河童だろう
河童氏にみな敏感だねw 何故かそのレス笑えたwww
801 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:30:07
>>799 >官と副でしょう
いいえ
ここでは官や副は関係ありません。
女王國に統屬するのは「皆」なので
その答は「世有王皆統屬女王國」に求める可きです。
802 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:34:54
そしてその官や副は
狗奴国の文中に 不屬女王と有るので、飽くまでも対象は女王で、女王國とは違います。
>>800 河童さんは速攻で返レス来るから目立つ
なかなか真似の出来る事じゃないと思います。
804 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 00:56:19
>河童さんは速攻で返レス来るから目立つ
>なかなか真似の出来る事じゃないと思います。
何年もやってんだから当然でしょう。
河童氏にかぎらず、コテ勢、みなそれぐらい当たり前に出来るのでは?
わたし?!わたしは、一時、ためてレスするほうで、
消したり、書いたりして、やっとレスするタイプらしいw
だから誤字が多いのかもしれませんw
805 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:56:59
>>803 性格的にチンタラが嫌いなだけ
それに、私への反対レスはある程度想定された範囲での反対レスだから
殆どは速攻で返信出来るよ。
ただ、ここ三ヶ月はPC悪禁だから携帯からの投稿
余りスピードあげると
指がプチ腱鞘炎に
806 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 01:01:30
ああ〜性格もあるかもしれない。
ああみえて、結構、短気なところもあるからw
>>806 ネットで会話するよりプラで会話が楽しそうな人
と、思いますが?
>>807 そんな事はない。
単なる卑怯者のエロ河童だから
809 :
質問:2009/07/05(日) 01:16:45
【考古学が詳しい人に質問】
南方系と思われる人骨(弥生文化〜古墳文化らへん)が出土された例って
あるんですか?考古学博士いるかな?あっちのスレの人に聞いたほうが早い?
木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃所有無與タン耳朱崖同
文献ではそれらしき記事があっても、人骨が出土されてないとね。
810 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 01:24:41
ほつまと言えば唐松山さん?!
唐松山さん〜見てるかな?
「大物主」
この、三輪山に伝わるこの、大物主という人物。
ほつま でいえば、クシヒコとされていると思う。
クシヒコとニギハヤヒの関係についてどのように考えてるのでしょうか?
一説、「大物主=ニギハヤヒ」というのもあるようですので、
コメントお願いできませんか?
811 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 01:30:18
>>807 >ネットで会話するよりプラで会話が楽しそうな人
>と、思いますが?
私に聞かれても、話したことがないので知りませんw
>>808 >単なる卑怯者のエロ河童だから
賛否両論あるってことねww
812 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 01:36:08
>>798 >伊都国王の先祖は誰だったか?
倭國王帥升、即ち倭面土國帥升。
関連事項
倭面土國=倭米多國・・・後世の筑志米多國
伊都(イト)は倭都(ヰト)。
怡土とも関連しているかもしれない。(僕は否定的だが)
一大率=一支率
813 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 04:33:06
>なんで同一文に二つの時間を設定してるんだよ
変だろ
代々と時間に幅を持たせながら、一方で時間の幅を当時と狭める
それってダブスタだろう?
わけのわからない理屈をいうのは河童しかいないだろう。
言うまでもなく河童だと誰にでもわかるだろうけど。
まあ、そっとしといてあげましょうよ。
814 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 05:55:17
>>791 世々の王がある。→王は世襲だってことだろう。
それに、伊都国だけの話ではなく、対馬国から伊都国までの話だよ。急に伊都国だけ歴史を
書くなんておかしいだろ。それに伊都国だけの話ならば、王の話である以上、官よりも先に
書くはずだ。4か国共通の話なんだよ。4か国共通の話として読めるってことは前から指摘
されている。
「王」って興味深い表現だよな。
中国王朝からすると冊封された王が正式な王で、韓伝なんかでは
それ以外の王は、自称だったり、僭称だったり注記されてるのに、
倭人伝の伊都国や狗奴国の王は、何の注釈もなく王とされている。
帥升と戴升
後漢書卷八十五 東夷列傳第七十五
建武八年 高句驪遣使朝貢 光武復其王號 二十三年冬 句驪蠶支落大加戴升等萬餘口詣樂浪内屬
建武23年(47年)冬、高句麗の蠶支部落の大加「戴升」ら万余人が楽浪に詣でて内屬した。
「加」は高句麗の官位名の相加・古鄒加や扶余の官位名の馬加・牛加などと同じで、在地の首長を意味するものとみられる。
似ている?
817 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 09:02:10
「往来」ですか?
どうでもいいけど、僕、受験生を惑わさないで下さいね。
信じてそのまま答案用紙に書きますよ。
818 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 09:21:10
>>817 反論出来る自信があればどうぞ。
>>814 「世有王皆統屬女王國」と言う一つの文の中において
世襲にしろなんにしろ「代々の王」と、時間の範囲が不確定の内容と、「女王國」という
時間の範囲が限定出来る内容を同列に扱う事は出来ません。
だから世を代々とする事が出来ない。
819 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 09:51:33
世を代々で扱うのであれば、
「世有王」
「皆統屬女王國」
と、分けて考えなければなりません。
>>814 だったら名前ぐらい書くだろ
副官の名前書いてるぐらいならw
なぜ、名前がないのか?
諸国の王だから
世とは治世者の時代もしくは勢力範囲のこと
823 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:06:51
>>820 副官の名前を書いているわけではない。官名を書いているだけだ。
王は「王」と書くだけで意味は明白。要するに、個人名は王も官も書いてない。
824 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:11:50
>>818 その国々の王は世襲だ、その国々は、皆伊都国に従属している。つまり、女王国時代の話だよ。
825 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:12:59
826 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:17:30
何故伊都國の紹介文に「世有王皆統屬女王國」と
書かれたか?
その答が「郡使往來常所駐」だからです。
郡使は伊都にあるイミグレで、必ず入国審査を受ける。その時に携わるのが、女王國に統屬する王達なのです。
王達は伊都に有り、行政を担当していた。
伊都に異国からの訪問者が訪れると、使が女王に報告女王の指示を仰ぎ
その指示を王達が伊都にて引き継ぎます。
>>823 官名こそ書く必要なし
王名こそ重要
特に伊都国は常に駐するところで重要な国
王がいたのなら書くはず
828 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 10:24:52
捏造ばれて畿内派涙目www
>>824 伊都國に統屬する事はない。統屬女王國と書いてあるだろう
830 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 11:09:24
>反論出来る自信があればどうぞ。
反論も何も学校の試験では貴方様のいった通り書かせて戴きます。
正しい事を話しておられるんでしょう?
>ぜんぜんトンチンカンだよ
人の行き来とは、伊都を定点とした場合
郡Aから伊都に「来」し、伊都から先Bに「行」
Bから伊都に「来」、伊都から郡Aに「行」
これが往来
なんですよね。
いずれ、僕が赤点で留年にならなければ良い。
>>827 > 官名こそ書く必要なし
> 王名こそ重要
だから「官名」も書いて無いんだってばさ。
書いてあるのは、長官、副長官の個人名じゃなくて職名。
韓の辰王だって個人名は書かれていない。
> 特に伊都国は常に駐するところで重要な国
> 王がいたのなら書くはず
倭人伝の地理的記述部分(「從郡至倭〜對應聲曰噫、比如然諾。」の部分のこと)では、個人名は一切書かれていない。
女王の名も狗奴國男王の名前も一大率の名前も書かれていない。
個人名が出てくるのは、次の歴史的記述部分(其國本亦以男子爲王〜以降の部分ね)から。
女王の名前もここで初めて明かされるところである。
伊都の王の名前が明らかでないのは、この歴史的記述部分での出番が全くないからなのである。
>>830 定点など設定しなくとも、郡Aから先Bに「往」し、先Bから郡Aに「来」することが出来るので、説明は簡便な方が好い。
X−Y=Aと言う式を説明するのに、わざわざ(X−Z)−(Y−Z)=Aと説明するのは馬鹿げているだろう。
833 :
藤村新二:2009/07/05(日) 11:33:16
おチンチンびろーん
∩___∩
|ノ 丶/⌒)
/⌒)(゚) (゚) /
/ / (_●_)ミ/
( 丶 |∪| /
\ 丶ノ /
/ /
| _つ <
| /ω\ \
| / ) )
(_ノ ( \
\_)
834 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 11:34:05
>>380 >いずれ、僕が赤点
「往来」云々の前に
いずれ、僕が赤点
↓↓↓↓
何れにせよ、僕が赤点…
ではありませんか?
うまい具合に「往来」の意味を問う出題があるといいですね
835 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 11:44:12
長崎の出島みたいなのが伊都。
それを監督するのが出先機関の一大率。
これで往来の意味なんてどうでもよくなりますね。
836 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 11:44:58
国語辞典によると、
いずれ、僕が赤点
↓↓↓↓
何れにせよ、僕が赤点…
どちらでも通用するようです。
837 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 11:51:09
「…を往来する」に関しては河童さんのいう解説に従います。
定点をはみ出しての行き来という意味で。
まさか、嘘の答案を僕に書かせたりしないでしょうに。
河童さんの人間性を信じています。
>>837 なぜ梅毒と言われてるか
わかってないな君は
あいつは
単なる細々とオナってる言語虫のスピーカー。
自己の考えなんてない。機械人形だ
>>838 >言語虫のスピーカー
実に光栄なる言葉ありがとうございます。
今後も精進いたします。
>>831 だから副官の職名を書いて王の名前書かない馬鹿げた話があるわけない
常識で考えろ
王は世帯主
その家で飼っているポチの名前書いて主人を書かなかった?
馬鹿げてる
キチガイレベル
>>837 私に従うのではなく、今一度自分で吟味していだけると幸です。
鵜呑みではなく、見方考え方を参照して頂く事を望みます。
そうする事で、考え方の基礎が自ずと身につき、後は打出の小槌の如く隠れた部分が見えてくるものです。
辞書は飽くまで上辺の世界。隠れた世界までは書き記されてはいませんよ。
現代人が忘れてしまった古代人の知識の深さを堪能あれ
843 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/05(日) 12:56:32
>>810 ニギハヤヒは、九州で死んでいます。
ニギハヤヒ死亡後、長脛彦は、ニギハヤヒの子ウマシマジと語らい、
ニギハヤヒの倉に収められた「暦」を書き写し、畿内へ出奔。
ニギハヤヒの子ウマシマジはニギハヤヒの庶母の子と思われる。
是を追うのが大物主で初回討伐に失敗、
この後神武等が二回目の軍を出し制圧。 神武の兄二人の死亡を受けて、神武が継ぐ
神武の役割は、大物主の下で「暦の管理」です。
神武は、大物主の娘の子神八井耳に後を託す、この決定に不服を申す天照大神系手研耳と対峙、
神濡名河耳は、手研耳を討伐し、それに組する 建御名方、伊勢津彦を信濃に流す。
安寧の子供懿徳は、子を成さずに他界、懿徳の子考昭とは、安寧の妃の一人が安寧崩御後 考昭を産む
安寧崩御時点でこの妃は、懿徳の妃とされる。 書紀で考昭は懿徳の子供の裏話です。
懿徳崩御時、考昭の年齢は四才、喪1年を経て五才で考昭即位
この年代に、天皇家は初めて大物主を祀る、伊勢津彦も許される。
その代わり、天皇家は暦を大物主に分与、これが 西暦93年戊寅から始まる「出雲暦」
出雲暦は、伸長されずに使われる。(古事記の干支)
この代償により、考昭は、手研耳の血を引く(天照大神の血を引く)世襲足媛を迎える事が出来た。
844 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:00:29
ドツボに梅毒、
チョロ松も来たら、あとは 犬国だな。
バカ四天王揃い踏み?
845 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:03:10
>>835 出島を監督指揮するのが「王」
その「王」の目付が「官」
官は狗奴国を除き、全て女王配下です。
だから雛人形の三人官女は、あんな高い位置なんです。
846 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:09:03
>私に従うのではなく、今一度自分で吟味していだけると幸です。
吟味しますと、例えば、
隆夫は佐藤宅を往来する。
×隆夫は佐藤宅に行き来する。
○隆夫は佐藤宅を、通り超したりを繰り返す。
という答案になると思います。
>現代人が忘れてしまった古代人の知識の深さを堪能あれ
僕は学生です。
まずは、落第しないで高校受験を突破するので精一杯です。
ご事情をお察し下さると幸いです。
留年すると取り返しがつかなくなります。
学生に嘘は教えない、という貴方様の人間性を信じています。
ご教示ありがとうございます。
847 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:11:58
官名を書くのは、冊封された倭国の統治体制を記録するための必要事項だったのだろう。
官は女王直属。だからわかる国についてはすべて書いてある。それに対して伊都国王は、
もともと伊都国を治めていた古くからの血筋がまだ残っており、尊重されていたので記した
程度のものではないかな。倭人伝当時は地方豪族程度まで地位が低下していたと。それ
は報告の主旨から外れる末節の部分だったのだろう。
>>840-841 >だから副官の職名を書いて王の名前書かない馬鹿げた話があるわけない
>常識で考えろ
じゃや、次の文章は「非常識」なワケね。
女王の名前書かないで部下の職名は書いてるわけだが。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升・・・
>王は世帯主
>その家で飼っているポチの名前書いて主人を書かなかった?
まだ理解できないのかな。
ポチの名前なんぞ書かれていないんだよ。
キミの例を使って表現すると
その家には世帯主(王)がいる、ペットには犬(官)と猿(副)がいる、こう書かれているようなもんなんだよ。
「ポチ」はペットの固有名であって職名ではないのだから。
>馬鹿げてる
>キチガイレベル
自分の理解力の無さを棚に上げて、他人にそんなことを言うのは恥かしいことだ。
849 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:18:07
>>831 >個人名が出てくるのは、次の歴史的記述部分(其國本亦以男子爲王〜以降の部分ね)から。
後段の伊都国での記述で帯方郡などに使者を遣わす王が出てくるが、これが女王なのかそれとも伊都国の王なのかはっきりしなくなる
しかも、同じ箇所で女王も出てくる
伊都国に代々の王がいれば記述する必要が尚更にここにはある
850 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:22:22
>>848 だから君が言うように女王も狗奴国の王も名前が出てくるんじゃないか
職名だとか名字だとか位名なのか名前なのかどうでもいいですよ
名前
で、ここに王がいたのならば後世の人間のためにも伝える必要があるし
物事の道理としても王がいるとわざわざ書いたのなら尚更に必要がある
だから、卑弥呼も官名というか日巫女という、まあ、職業みたいなものだな。
都合の良いところだけ、人名にしてはいけない。
>>847 > 官名を書くのは、冊封された倭国の統治体制を記録するための必要事項だったのだろう。
それは、そうかもしれませんね。
> 官は女王直属。
これは、やや疑問。
> それに対して伊都国王は、もともと伊都国を治めていた古くからの血筋がまだ残っており、
> 尊重されていたので記した程度のものではないかな。
私には、伊都の王と言うより漢代に朝貢していた倭王の後継者として倭人では処遇されているかのように見えます。
> 倭人伝当時は地方豪族程度まで地位が低下していたと。
そうかもしれないし、違うかもしれない。
玄海灘諸国の中では、まだ卓越した存在だったかも。
玄海諸国に共通な副官卑奴母離、官名も書かれていない末盧國を除くとこの職が無いのは伊都だけ。
何故、伊都に卑奴母離が居ないのか。
それは卑奴母離とは伊都が周辺諸国に置いた派遣官だったから、
私はそんな説を信奉しています。
853 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:36:17
位置付けは
国の象徴が日巫女で
実際の政治をする総理が大王
854 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:39:42
>>851 だから、人名だったとか職名だったとかの解釈はここでは飛ばしていいんですよ
ただ単に名前でいい
そうしないと先に進めない
代々王がいる
女王国に属している
仮に、倭が連合国家で30カ国に伊都国が含まれていると後で書かれているのに、代々王がいて、それぞれ皆が女王国に属していると解釈するのは冗長であり、わざわざ記述する必要性が全く感じられない
>>849 > >個人名が出てくるのは、次の歴史的記述部分(其國本亦以男子爲王〜以降の部分ね)から。
>
> 後段の伊都国での記述で帯方郡などに使者を遣わす王が出てくるが、これが女王なのかそれとも伊都国の王なのかはっきりしなくなる
> しかも、同じ箇所で女王も出てくる
> 伊都国に代々の王がいれば記述する必要が尚更にここにはある
貴方が必要と言っても「書いて無い」ものしょうがないじゃないですか。
また、「王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國」の「王」が「はっきりしない」とお思いのようですが、
一大率の職能説明の文章なのだから、一大率を置いた「王」のことに決まっているじゃないですか。
だから、女王の名前すら書かれない地理的記述部分にあって、伊都王の王名だけが書かれていたら、
それはそれで不自然でしょう。
一大率を置いたのが、伊都の王だか倭王だかわからない、というのであれば、
それは個人名の記載ルールと言う問題とは、別の議論になりますが。
856 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:44:18
卑弥呼が国々の王によって共立されていたのなら
邪馬台国には別に王がいた可能性もあるとおもうけど
もちろん卑弥呼が属する宗族のだろうけど
857 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:48:25
それが祟神大王
858 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:50:19
>>855 意図的にすり替えですか?
個人名だとか職名だとか官名だとかはどうでもいいですよ
王は3カ国で出てくる
伊都国は郡使にとってすれば最も重要な王
代々の王がいたとすればですけどね
あと、どの場所で記述するにしても、その王の名を明かさない理由なんて無い
しかも
よく言われるように「代々の王が〜」とすれば冗長になる
幾重にもその解釈は不自然なのです
859 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:55:54
祟神と神武は同世代の人物。
祟神は統治王、神武は司祭王。
卑弥呼=天照で神武でモモソだった可能性もある。
860 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:56:32
王の頂点が大王
信仰の頂が日巫女。
861 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/05(日) 13:56:52
難升米の読み方が解りました。
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下
都市牛利=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王←タリヒコ =景行
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
狗奴國=狗古智卑狗?
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向
862 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 13:58:07
>>852 > 官は女王直属。 これは、やや疑問
自分で書いてて確かにこの部分には疑問がある。これらの官と「一大率」との整合性が不明
だし。まあ、一大卒は広域を司る官であり、「國中において刺史の 如きあり」から、これは
女王直属であるだろう。
>何故、伊都に卑奴母離が居ないのか。
についても当然そう思うところだ。しかし、伊都国王が以前に派遣していた官というのも確証は
ない。
>代に朝貢していた倭王の後継者として倭人では処遇されているかのように見えます。
これはほぼ同意。伊都国=前原市周辺とみれば、三雲南小路遺跡等の副葬品などから明らか
に中国から王として待遇されていたものだろう。ただ、平原遺跡では一号墓に比して二号墓は、
葬礼の簡略化が見てとれる。
>>850 > だから君が言うように女王も狗奴国の王も名前が出てくるんじゃないか
それは、固有名が記載されている「歴史的記述部分」での話でしょ。
地理的記述部分とは、原始資料の文体が違ったのかもしれないが、
とにかく、ここでは伊都国王は出番が無かった、なので後世に名を残せなかった、それだけのことさ。
> 職名だとか名字だとか位名なのか名前なのかどうでもいいですよ
善くないよ。
中国人が倭人の呼称をちゃんと理解していたかは別にして、
固有名と職名を使い分けて記述していることは間違いない。
それを読み手の勝手な理屈でごちゃ混ぜにしてはいけない。
864 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 14:11:00
>>846 大事な事をもう一点
「往復」
往復するのは隆夫君です。これは往と復が同一人物でないと成立しません。
「往来」
佐藤宅前を往来するのは隆夫君だけとは限りません。
隆夫君と限定し往来を説明する場合は、必ず
(隆夫君が佐藤宅前を往来する)としなければなりません。
だから倭人伝には郡使往来と、郡使を特定しているのです。
僕ちゃんは放っておけよ。
>>858 > 意図的にすり替えですか?
どこら辺がですか?
具体的にお願いします。
> 個人名だとか職名だとか官名だとかはどうでもいいですよ
どうでも善くない。
個人名と職名の区別が付かない人が居たために数レスがムダになった。
> 王は3カ国で出てくる
> 伊都国は郡使にとってすれば最も重要な王
> 代々の王がいたとすればですけどね
> あと、どの場所で記述するにしても、その王の名を明かさない理由なんて無い
伊都王の名前が書いて無いことについて、既に自分で答えを出していらっしゃるようですが、
邪馬壹國、狗奴國の説明で王名を書かずに、配下である官の職名だけを記載している理由も考えてください。
他人をすり替え呼ばわりする前に、ちゃんとしておいて下さいな。
私は、地理的記述部分の文体では固有名は書かれていなかった、歴史的記述部分の文体では固有名を書いた、
と事実に基づいた説明をしております。
>>809 >南方系と思われる人骨(弥生文化〜古墳文化らへん)が出土された例って
>あるんですか?考古学博士いるかな?あっちのスレの人に聞いたほうが早い?
私は考古学に疎いですが、福建あたりから九州へは海流がありますから
時代にかかわらず、流入は続いたと思われます。
ただし、西方・江南ルートは東[魚是]人・夷州・亶州などが出てきますが
「倭」という名前は古くは北方・朝鮮ルートしか出てこなかったと思います。
868 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 14:46:42
>>863 出番の必要性があったのは先のレスで明らかにしてるし
名前もこの場においてはどうでもいいことですよ
それとも名字だったか職名だった官名だったか位名だったかはっきり出来るの?
氏族名だった可能性もあるよ
氏族社会なんだし、職業と身分は固定化されてたんだしね
そうなってくると先に進めないだろ
>>855 >それは個人名の記載ルールと言う問題とは、別の議論になりますが
ルールの問題とか王名の記載場所の話ではないんですよ
だから「すり替え」だと言ったわけです
代々の王がいたとするならば、少なくとも伊都国の王は他の諸王とは異なってくる
なぜならば、そこに海外貿易の権限が集中しているからです
そうなってくると、卑弥呼とかトヨなんかが話題にされているが、相手国からすれば現実的に一番重要で避けてとおれない王であり、副官の名前の記載があるのに王の名前の記載が無いのはおかしいと言っている
だけれども、倭人伝を通して伊都国の行政機能は別としてその王の扱いは名前不記載などを例にとってみても著しくバランスを欠いている
それは私の勝手な思い込みではないですよ
他にも理由はあるけれども、この「代々王がいて〜」という解釈には納得出来ないっていのが話の中身
ついでに、名前はこの場においては不要
869 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 15:00:28
>>867 南方系というのがポリネシアン等のことを指すのなら、これは現時点では遺骨だけから判断
するのは難しいでしょう。遺物でもゴウホラの貝輪などは、沖縄諸島等で大量に加工した
遺跡が見つかっていますが、弥生時代には広範囲に流通している。今後のミトコンドリアDN
A研究の進展に期待というところでしょうか。しかしこれは明らかに自然科学の範疇ですね。
伊都国は1000余戸しかないんだし、大した事なかったんじゃないかな。
ついでに思うんだが、伊都国の本当の名前は伊国で、都だったから伊都国では無かったか?とも思う。
となると、糸島近辺でもないということになる。
872 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/05(日) 15:19:06
ごほうら貝の出土は、縄文時代からある
出水市の遺跡を調べてくれ、此所も加工場だ。
そういえば、王が居るのに長官名しか記されていないのは
狗奴国も同じだよな。
バランス取れてるじゃん。
874 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 15:27:16
「往復」
>往復するのは隆夫君です。これは往と復が同一人物でないと成立しません。
はい。
「往来」
>佐藤宅前を往来するのは隆夫君だけとは限りません。
いや、隆夫君です。
そして、細かい事ですが、佐藤宅前ではなくて佐藤宅です。
>隆夫君と限定し往来を説明する場合は、必ず
(隆夫君が佐藤宅前を往来する)としなければなりません。
ううん、あくまでも原文は、
「隆夫は佐藤宅を往来する」
なんですが……。
教科書に書いてあるのはそういう文章なんです。
こちらで既に印刷済みの文章を変える事は出来ません。
神武の諡号は、高句麗第三代の大武神王に似ている。
ソン・イルグクが朱蒙に続いてドラマ「風の国」で演じた役である。
日本で神武天皇や應神天皇の歴史ドラマが作られることは想像できない。
良いことか、悪いことか分からないが。
876 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 15:55:18
>隆夫君と限定し往来を説明する場合は、必ず
(隆夫君が佐藤宅前を往来する)としなければなりません。
この「往来」は佐藤宅に行き来するではなく、
佐藤宅を通過する事を繰り返す、という意味なんですよね?
877 :
縦目仮面:2009/07/05(日) 15:55:24
唐松山さんは考古学の勉強 w が進んでるようですね。頑張ってください。いつかホツマを
捨てる日が来ますように。
愛知県民さんは、やけに三国史記ずいてますね。マイ・ブームですか。
878 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 15:57:46
>>847 いいえ
社会生活において、人は道を通り、家の正面入口側を対象とします。
879 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:04:10
>>876 はい
往来と表現する第三者が佐藤宅前路上点を以って表現する場合はそうなります。
『親魏倭王』と『太守』
どっちが偉いの?
881 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:11:33
882 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:15:22
>>875 それにしても大武神王は1世紀の人物でありながら、三国史記の楽浪国の宝器をめぐる悲
恋譚など説話が整っていますね。「風の国」は知りませんが、ドラマ化しやすい感じ。日本神
話は辻褄の合わない部分もけっこうありますから。
883 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:25:00
>いいえ
社会生活において、人は道を通り、家の正面入口側を対象とします。
要するに、
隆夫は佐藤宅を往来する。
は、
×隆夫は佐藤宅に行き来する。
○隆夫は佐藤宅前を、通り超したりを繰り返す。
という答案で間違いない、という事でいいですよね。
>>868 > 出番の必要性があったのは先のレスで明らかにしてるし
でも、外交史においては出番が無かった、だから、名前は残らなかった。
貴方が「必要」があったと言っても事実は変わらないし、「必要性」を説明しようとしても根拠にはならない。
> 名前もこの場においてはどうでもいいことですよ、それとも名字だったか職名だった官名だったか位名だったかはっきり出来るの?
> 氏族名だった可能性もあるよ、氏族社会なんだし、職業と身分は固定化されてたんだしね
貴方の好きな「すりかえ」っぽい言い方だね。
論点は、当時の倭人が「卑弥呼」だの「卑奴母離」だのとどういう呼称として使っていたかでは無い、倭人伝ではどう扱われているかだろう。
倭女王卑彌呼、狗奴國男王卑彌弓呼、大夫難升米、太守劉夏・・・職名に続いて固有名が記されている。
これは、倭人伝での外交史での記述方針なんだろう。
たとえ、卑弥呼が実際には固有名でなかったとしても倭人伝では固有名として記述されていることになる。
あと、当時の倭が「氏族社会」だったなんて実証されてないし、個人的には、その段階にはまだ達していないと思うけど、まあ、ここでは関係ない。
> ルールの問題とか王名の記載場所の話ではないんですよ、 だから「すり替え」だと言ったわけです
> 代々の王がいたとするならば、少なくとも伊都国の王は他の諸王とは異なってくる
「他の諸王」って何?伊都の王様がたとえ別格でも卑弥呼の方が重要だと相手が思ったから「親魏倭王」は卑弥呼なのです。
> 相手国からすれば現実的に一番重要で避けてとおれない王であり、副官の名前の記載があるのに王の名前の記載が無いのはおかしいと言っている
しつこいね。「王」も「卑奴母離」も単なる職名なんだってばさ。
その点を「関係ない」とか言ってスルーしておきながら、蒸し返して使用するのかい?
> 他にも理由はあるけれども、この「代々王がいて〜」という解釈には納得出来ないっていのが話の中身
要は漢文の読み方なんだね。でも、伊都王の名が記されていようがいまいが、そこの読み方が変わるものではないでしょう。
>唐松山さんは考古学の勉強 w が進んでるようですね。頑張ってください。いつかホツマを
>捨てる日が来ますように。
>愛知県民さんは、やけに三国史記ずいてますね。マイ・ブームですか。
ほら、なめられてるぞ
言い返せよw
886 :
縦目仮面:2009/07/05(日) 16:42:47
愛知県民さんをなめてるということはないです。ネタ提供かと思いますが、三国史記等の話
題に詳しい人は少ないでしょう。唐松山さんは・・・。
887 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:56:16
>>883 隆夫は佐藤宅前を行き来する
これでいいと思います。
ただし、佐藤宅に立ち寄る場合は違います。
888 :
ローガン:2009/07/05(日) 17:07:48
>>809 > 南方系と思われる人骨(弥生文化〜古墳文化らへん)が出土された例ってあるんですか?
ちょっと違いますが、たしか長江下流で土井ケ浜人とよく似た西漢人骨が出てました。
抜歯の型式迄同じ。華北の抜歯は遥か以前に廃れたので 渡来系弥生人の流入元を華中、華南の可能性を考える…って
中橋さんか 埴原さんが言ってた記憶が。どの本だったかおもいだせないけど。
889 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 17:08:20
>>883 隆夫が佐藤に立ち寄る場合は
・隆夫は佐藤宅に「来」し、佐藤宅から「往」す
です。
890 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 17:16:15
>>883 往来はもっと広い範囲で使わないと不自然な感じがする。
たとえば、日本とアメリカを往来するとか。
帯方郡と倭国を往来するとか。
だから、日本とアメリカを往来するとき、ボストンはいつも滞まるところで
ある。みたいな。
郡と倭国を往来するとき、いつも滞まるところが伊都国である、みたいな。
891 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 17:25:16
家庭教師である兄には、国語教科書記載の
隆夫は佐藤宅を往来する。
について、
隆夫は佐藤宅に行き来する
なんていう訳し方をしている生徒の答案は×にしておいて下さい、
といっておきました。
間違った事を放置していては多くの生徒に迷惑がかかりますので。
落第させては大変です。
僕等兄弟は河童さんは嘘を言わない、と信用しています。
人間性も信用しています。
>>891 ありがとうございます。
しかしここは掲示板、話し半分の余裕をもって
出来るだけご自身で検証なさってください。
私は間違った事は言いますが、嘘はつきません。
嘘とは、真実を知りつつ偽る事
894 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 17:44:23
>しかしここは掲示板、話し半分の余裕をもって
僕は河童さんを信用しています。
895 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 17:49:26
>>894 ま、貴方の自由まで奪う事は出来ませんので。
ただ、私を信用しても
何も出てきませんよ
896 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/05(日) 18:02:10
書紀に書かれた天皇の長寿を説明している書籍として、ホツマがある。
ホツマを卒業しても天皇の長寿は、説明出来ない。
私がここしばらく顔を出さなかったのは、貴方方の「崇神時代=卑弥呼の時代」
と云う思考の妨げをしたくなかったから。
わたしの顔を出さない間に少しくらい前進しましたか?
>>892 > 卑奴母離って職名なの?
> 根拠は?
根拠はって?何?倭人伝には職名(「副」)と書いてあるからだ。
それとも何かほかのことを訊こうとしているのかな?
例えば韓伝では、「其官有魏率善、邑君、歸義侯、中郎將、都尉、伯長。」と中国風の職名が記されているので、読み手は勘違いしようが無い。
なので倭人伝の「其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。」が長官の名は卑狗さん、副官の名は卑奴母離さんと書いてあるわけではない。
何度も言うが、華人が職名として認知したと言うことであって、当時の倭に「卑狗」とか「卑奴母離」とか言う職名があったかどうかは別の話だ。
ちなみに卑弥呼は「乃共立一女子爲王、『名』曰卑彌呼」と書かれている以上、明確に固有名として扱われている。
898 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 18:11:38
>ま、貴方の自由まで奪う事は出来ませんので。
ただ、私を信用しても
何も出てきませんよ
? なぜ、河童さんを信用しては不味いのですか?
謙遜しない方がいいです。
河童さんらしくありません。
河童さんは間違った事はいっておりません。
>>891 > 隆夫は佐藤宅を往来する。
国語の教科書には、そんな可笑しな例文は出てこないから安心しなさいw
でも、その文章を見て、日本語として、不自然だなと思わないなら、留年の可能性はあるねw
900 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 18:19:15
>ただ、私を信用しても
何も出てきませんよ
? 何で河童さんの言う事を信用して不味いんでしょうか?
ご謙遜されておられるのでしょうか
河童さんらしくないです。
僕は河童さんを信用しています。
期待を裏切らないで下さい。
とりあえず、
隆夫は佐藤宅を往来する。
について、
隆夫は佐藤宅に行き来する
なんていう訳し方をしている生徒の答案は×にしておいて下さい、
と兄にいっておきました。
間違った事を放置していては多くの生徒に迷惑がかかりますので。
落第させては大変です。
>>897 韓伝に出てくるのは中国に通じる名称なので比較に値しない
逆に職名もしくは官名で無い可能性を表してるよ
>>901 俺は897ではないけど、
「卑奴母離」は対馬国、一支国、奴国に登場するので、
職名と考えるのが妥当だと思う。
903 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 18:39:16
>>900 私を信用するのは私ではなく貴方ですので
私は何ともいえません。
ただ、その信用を大事にしていきたいと考えます。
さて、貴方の場合
>>899さんが指摘された通り、答云々の前に
問題に不備があります。
往来を理解する前に、その不備を見付ける努力をして下さい。
問題におかしな部分があれば、生徒の答案用紙に×をつける事はできません。
>>902 壱岐と対馬で同じなら同じと書いてある
名前は同じでも別なんですよ
僕の場合はそれが根拠
職名ではありません
905 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 18:42:51
>卑奴母離
卑奴母離が人名とは考えられない。
対馬国、一支国、奴国、不彌国、この4国そろって卑奴母離がいる。
同じ時期に同じようなポジションにある4人の人名が偶然同じだったというのでは、
あまりにも出来過ぎた話で、不自然である。
おそらく卑奴母離=鄙守であり、後の防人のような警備軍を統率する立場の武官であろう。
906 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:02:02
さて、貴方の場合
>
>>899さんが指摘された通り、答云々の前に
問題に不備があります。
往来を理解する前に、その不備を見付ける努力をして下さい。
問題におかしな部分があれば、生徒の答案用紙に×をつける事はできません。
いいえ、
文章に問題はありません。
河童さんもすんなり読んでいたでしょう。それでいいのです。
惑わされないで下さい。
「往来する」に主語がくっついているのですから。
ワードでも試しに打って見て下さい。
ミスにならない筈です。
辞典も開いた方がいいでしょう。
「いずれ、…」の件でも変な御指摘があったけれども、
ものは確かめてから!
907 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:04:54
>問題におかしな部分があれば、生徒の答案用紙に×をつける事はできません。
可笑しな所はありません。
だから、河童さんがいった通り、
隆夫は佐藤宅に行き来する、
には×をつけさせて戴きます。
河童虫って、往来を下の図のように考えてるの?
郡A →→→→→→ 伊都国 →→→→→→ 先B
この部分が「来」 この部分が「往」
>>901 >>904 > 壱岐と対馬で同じなら同じと書いてある
どう言うふうに書いてあれば気がすむのですか?
>一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母離
これは對馬國と一大國の官名は同じだと書いてあると、そう読めないのですか?
> 名前は同じでも別なんですよ
> 僕の場合はそれが根拠
> 職名ではありません
じゃあ、高句麗伝を引用しましょう。
其國有王、其官有相加、對盧、沛者、古雛加・・・
(中略)
王之宗族、其大加皆稱古雛加・・・・
ここでも王様の名前は置いといて、「中国風」でない官名を記述していますが、
後述の文章を見れば、それらが固有名でないことは明らかですよ。
あなた自身も言っているように、部下の固有名だけ書いて王様の固有名を書かないのは不自然。
それは、文章が不自然なのでは無く、貴方の読み方が不自然なのです。
王が職名なら官も副も職名です。東夷伝全体の記述を見て、地理的記述の部分には個人名出てきません。
個人名が記述されるのは、夫餘伝でも高句麗伝でもシ歳伝でも外交史分野においてのみなのです。
>>908 そうみたいだよ。
でも、御本人はマジみたいだから笑っちゃ失礼だよ。
911 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:40:43
河童さんを笑うな!
912 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:45:25
>>906 私はすんなり読んでいませんよ
貴方の設問に苦慮しています。
>>907 想定では、×を付けるのは貴方ではなく
お兄さんですよね?
914 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:53:58
はい、そうです。
僕が兄にそうお願いしました。
実際にある文章です。
915 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:05:11
>貴方の設問に苦慮しています。
では、
「家を往来する」でネット検索を試みて下さい。
約812,000件 に当たります。
916 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:21:30
>>908 いいえ、
→→来→伊都國駐→→往→
←←往←伊都國駐←←往←
あと
→→→→→A→→→→→
←←←←←A←←←←←
A=往来と判断ポイント
917 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:34:33
>>916 じゃあ、これはどうなる?
史記 酷吏列傳
孝景時,?楚七國反,景帝往來兩宮閨C寒心者數月.
景帝は、反乱にどう対処するか竇太后と相談するために、
自分の住んでいる未央宮と竇太后が住んでいる長楽宮の間を
「往来」したんだそうだ。
918 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:37:16
>>909 亦とつくのは官のほうで副は他にも数カ所出てくる
官名もしくは職名ならば亦と書く必要が無い
(904の文章は自分で読み返しても意味不明だなw)
高句麗伝を持ち出してきたようだが、それが職名だとする根拠にならない
むしろ氏名の可能性のほうが高い
あと盛んに外交史分野に固有名は書かれると主張してるようだが
それは否定しない
倭人伝では伊都国について詳しく書かれていて、そこには「王」と「女王」がでてくる
わざわざ代々女王国に使える王を前段で登場させているのなら、そこで王を紹介して当然なはず
もしも伊都国以外に「王」がいなければ余計にその「王」を詳しく書く必要があるだろうし
そうでなければ、なぜそこで「王」を登場させたのか説明が要る
要するにそういうことだ
919 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:43:10
>>917 >>916の下のパターンで、往来と表現するのは
第三者は、未央宮と長楽宮の間で往来を判断したのですね
920 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 20:55:10
まだ往来かよ
921 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:15:44
いずれにしろ プに共感するふりしてからかって遊ぶ者。頭から無視する者。
なんか、真面目ぽく書いてるプが哀れ。
922 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:21:53
>>919 未央宮と長楽宮の間のどこまでが来で、どこからが往なんだろうね。
そんなポイントを設定することが可能なのかね。
923 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:24:33
>>921 所詮掲示板ですから
しかし一旦レスが付けば、相手が何人であろうと
出来るかぎり前向きに対応するだけです。
たとえカラカイのレスであろうと
それがプラムからの伝統です。
>>918 > 亦とつくのは官のほうで副は他にも数カ所出てくる
100歩譲って「官」だけだとしても同じだけどな。
> 官名もしくは職名ならば亦と書く必要が無い
何でさ?官名が異なる国もあるのだから、同じだと言うことを強調しているわけだが。
逆に、固有名が同じだというケースであれば、その偶然性について、私なら、もっと別の説明をしないと気がすまない。
> 高句麗伝を持ち出してきたようだが、それが職名だとする根拠にならない、むしろ氏名の可能性のほうが高い
いや、読んでもらえればわかることだが・・・
其國有王、其官有相加、對盧、沛者、古雛加、主簿、優台丞、使者、?衣先人、尊卑各有等級。
東夷舊語以為夫餘別種、言語諸事、多與夫餘同、其性氣衣服有異。
本有五族、有涓奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部、桂婁部。本涓奴部為王、稍微弱、今桂婁部代之。
王之宗族、其大加皆稱古雛加。涓奴部本國主、今雖不為王、適統大人、得稱古雛加、亦得立宗廟、祠靈星、社稷。
絶奴部世與王婚、加古雛之號。諸大加亦自置使者、?衣先人、名皆達於王、如卿大夫之家臣、會同坐起、不得與王家使者、?衣先人同列。
その国王有り、その官に相加、對盧、沛者、古雛加、主簿、優台丞、使者、?衣先人有り、各々尊卑の差有り。
東夷の古伝は夫餘の別種とし、言語、諸事ともに多く夫餘と同じも、気質、衣服に違いが有り。
本は涓奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部、桂婁部の五族が有り。本は涓奴部から王を出すも微弱となり、今は桂婁部が代わる。
王の宗族、その大加は「古雛加」と称し、涓奴部は今王と為ずも大人を統ること適い「古雛加」の号を得、宗廟を立て霊星社稷も祀る。
絶奴部は世々妃をだし加古雛を号する。諸大加もまた「使者」、「?衣先人」を置き、皆王は達と名乗り、卿大夫の使者や?衣先人と同列せず。
> 倭人伝では伊都国について詳しく書かれていて、そこには「王」と「女王」がでてくる
> わざわざ代々女王国に使える王を前段で登場させているのなら、そこで王を紹介して当然なはず
> もしも伊都国以外に「王」がいなければ余計にその「王」を詳しく書く必要があるだろうし
逆に尋ねるが伊都國に王様なんか居なかったといいたいわけかな?
往来とは交流のことですよ?
>『中国語辞典』 <成>(礼は往来を尊ぶ→)(個人的交際・. 国家間の交渉に用い)
>相手が訪問. すればこちらも相手を訪問する、.
>相手がこちらを待遇すればこちらも. 相手に同じ待遇をする、
>相手がひど. い仕打ちをすればこちらも相手に..........
:
927 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:55:04
>>922 別に往復ではないので
何処にポイントをおいても構わないと考えます。
この場合、始めから未央宮と長楽宮の間の出来事と設定されていますから
→→→→来→→→長楽宮
→→→→来→→→未央宮
←←←←往←←←長楽宮
←←←←往←←←未央宮
これが両サイドをポイントにした場合です。
→→来→→A→→央→→
これが両宮の間をポイントにした場合です。
928 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:02:10
>>927の訂正
央………×
往………〇
m(__)m
携帯はめんどくせ〜
929 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:09:41
ま、毎度の事ながら
どうにかして崩そうと、必死になってる方も大変だわな
そのエネルギーを他に使えばいいのになぁ〜と
毎回思う。
930 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:11:04
>>927 →→→→来→→→長楽宮
と
←←←←往←←←未央宮
は同じ。
→→→→来→→→未央宮
と
←←←←往←←←長楽宮
は同じ。
未央宮から長楽宮への移動を、
長楽宮から見れば「来」、未央宮から見れば「往」。
長楽宮から未央宮への移動を、
未央宮から見れば「来」、長楽宮から見れば「往」。
という常識的な事をいってるだけだけど、
それだと、両宮の間にポイントを設ける必要は無いということなのかな。
郡使往來常所駐 伊都國は郡使が倭国側と交渉を行うとき逗留する場所。
932 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:16:50
>>920 ごめんな
粘着さんが必死こいてるうちは
なかなか終らんかも?
もう止めるね
933 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:19:07
>>924 >王之宗族、其大加皆稱古雛加
皆とあるから職名ではないよね
女も男もいるよね、宗族には。。。
まぁ、こうなることはわかってた
この場ではそういう議論は意味を成さないんだよ
俺が陳寿でしかも官職名なら官と副官だけにとどめるが
この際、職名だとしてもいいよ
それとも名前が嫌なら記号としてもいい
この事について無視してくれるのならね
因みに狗奴国は王を先に書いて、後に官について記している
邪馬台国でも女王の都だと真っ先に書いてある
普通は主を先に書く
官でも序列順に書いてある
正しい書き方だと思うね
>逆に尋ねるが伊都國に王様なんか居なかったといいたいわけかな?
30国が使者を通わせたとあるから、いたのかも知れない
伊都国にいたとするなら、この30国にもそれぞれ王がいたのかも知れない
だが、いかんせん、この地は直轄地の可能性が高い
卑弥呼が他王朝に貿易、軍事、政治をこの王に預けていたのかも知れないが
だったら王について詳しく書くだろうってのが、この件での疑問の発端
更に、何度も書くが、「代々の王がいて、女王国に従う」なんてわかりきった文章をこの場面で書く意図が不明
それほどに伊都国は重要に思える
934 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:28:04
>>932 勝手に出戻って、勝手に議論に絡んできて、
都合が悪くなると粘着されるー!ですか。そうですか。
935 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:37:44
>>934 ここは自由な掲示板だよ
何いまさら言ってるの?
>>930 同じではないでしょ
長楽宮に表現ポイントがある場合、未央宮には表現ポイントはありませんから
長楽宮に表現ポイントがある場合は
→→来→→長楽宮
←←往←←長楽宮
始めから特定された表現ポイントは設定されていないので、ポイントは
未央宮と長楽宮の間なら、何処に置こうが縛りは有りません。
そろそろおしまい。
936 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:48:18
>>935 自由な掲示板だから、君が議論に絡んでくるのは自由だよ。だれも強制しないし禁止もしない。
つまり、君の方が好んで勝手に絡んできたわけだ。
粘着されたなんて被害者のように言うのは可笑しな話だよね。
937 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:57:02
世有王皆統属女王國
女王国に統属するとあるんだから、この「世」というのは
卑弥呼の時代もしくは卑弥呼の統治範囲を指す
やはり、諸国の王達はここに集結して祭祀や貿易などを行っていたんではないのか?
伊都国は出雲かも知れないと、ふと思った
938 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 22:58:42
939 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 23:00:20
940 :
真実は:2009/07/05(日) 23:36:49
卑弥呼ちゃん! おチンチンびろーん
∩___∩
|ノ 丶/⌒)
/⌒)(゚) (゚) /
/ / (_●_)ミ/
( 丶 |∪| /
\ 丶ノ /
/ /
| _つ <
| /ω\ \
| / ) )
(_ノ ( \
\_)
>>933 > 30国が使者を通わせたとあるから、いたのかも知れない
伊都に30国の使者か?
そんなことは書いてないだろう。
> 伊都国にいたとするなら、この30国にもそれぞれ王がいたのかも知れない
魏志では、トンデモ読みをしない限り、王様は三カ国にしかいないことになっている。
しかし、実際のところ、魏志の同時代資料である魏略には、次のように書かれている。
始度一海千餘里、至對馬國。其大官曰卑拘、副曰卑奴。無良田、南北布糴。
南度海、至一支國。置官与對同。地方三百里。又度海千餘里、至末廬國。
人善捕魚、能浮沒水取之。東南五東里、到伊都國。戸万餘。
置曰爾支、副曰曳渓觚・柄渠觚。其国王皆屬王女也。
始めて渡一海、千余里、対馬国に至る。その大官を卑狗、副を卑奴という。良田なく、南北に市糴す。
南、海を渡り、一支国に至る。官を置くこと、対?に同じ。地方三百里。又海を渡る千余里、末盧国に至る。
人善く魚を捕え、能く浮没しこれを取る。東南五百里、伊都国に到る。戸万余。
爾支という置き、副を曳渓觚・柄渠觚という。その国王、皆女王に属す。
こちらの文章なら、伊都以外にも王がいて、代々では無く、各国の王が皆女王に属す、と読めなくもない。
後漢書も同じく、各国の首長を「王」と呼び、邪馬臺國にいるのは「大」倭王だとしている。
各国(地域)の首長、支配者を「王」と呼ぶか、違う名称で呼ぶかは史書の編者の判断だからね。
> それほどに伊都国は重要に思える
伊都が重要なのは、そのとおりだが、現実に倭王とされたのは邪馬臺國の女王なんだよ。
倭人伝の書き方、読み方に文句をつけたところで、この事実はかわらないんだからさ、
もう少し現実に的に、伊都国王は何故任官競争で邪馬臺國に負けたのか、考えてみたらどうかな。
942 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 02:07:49
>トンデモ読みをしない限り、王様は三カ国にしかいないことになっている。
これがトンデモない間違い。国というのは、王と領土と領民からなるもの。
倭人伝が「国」と表現したということは、そこには王がいるということが前提
になっているんだよ。3か国にしか王がいないなんて読む方がトンデモだ。
魏略や後漢書と倭人伝とに違いはないんだよ。
943 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 02:48:41
>>942 魏の立場から王と見做せる倭の王は以下の3人である。
伊都國の王 : 歴代の系統(血統)を引き継ぐ王で今も女王國に従属している王(統属)『世有王 皆統屬女王國』
女王 : 女王國の王、邪馬壹國に都を置き、名前は卑彌呼。初代王。
男王 : 狗奴國の王、名前は卑彌弓呼。初代王か歴代の系統を引継ぐ王かは不明。
944 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 03:41:55
女王國 : 卑彌呼を共立した国々の連合体。
本文から判別できるのは、奴國・不彌國・投馬國・邪馬壹國の4ヶ国
一大國・一大率 : 一支國・一支率の写し間違い
一大率 : 伊都(倭都)の王の統治検察機関。
女王國が伊都國王を従属させることにより、その統治機関を利用活用。
伊都國の王: 卑彌呼以前からの旧制度政治体制の倭王
末盧國が無官の理由:一大國への行き来する船の積荷の全てを検閲する一大率が常時居るから、官は不要。
945 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 06:42:48
一大(支)國 : いき國=壹基國=倭基國 倭の本国(海倭)
邪馬壹國 : やまい國=山壹國=山倭國(=山一國) 九州に上陸した倭國
上記は妄想
946 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 07:19:19
>>943 倭人伝には、3人だけとは一言も書いていない。王がいると明記していない国について
も、だからといって王がいないとみなすのは誤り。
『世有王 皆統屬女王國』は伊都国だけに関する話ではない。対馬国から伊都国までに
共通する事項である。すなわち、4か国には世襲の王がいる、4か国はいずれも女王国
に従属している、という意味。
多くの国に官が明記されているが、官とは何か? 王から任命された役人のことである。
王がいなければ、官はありえない。もし、官がすべて女王から任命されているのならば、
それは女王国の一部になるわけで、女王国と別の国になることはない。官=王であろう
などと言う学者もいないではないが、それは官の意味を全く理解しない妄言。
947 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 07:30:50
>>944 女王國 : 万二千里より北は女王国以北であるから、奴國・不彌國は女王国ではない。
一大國・一大率 :一支国と一大率はまったく別。
一大率 : 伊都国におかれた女王派遣の検察機関。
末盧國が無官? 末盧国に官がいないなどということはありえない。
単に記載していないだけ。どのような国にも官はたくさんいる。
倭人伝が書いているのは、総理大臣、副総理クラスの官名。
948 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 07:59:07
>>942 国である以上、王がいないはずがない、なんて考えは、
トンデモ以前のお子ちゃま読み。
「丗有王」
三十人の王は、伊都のイミグレで仕事してただよ。
950 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 11:32:54
>>946 >倭人伝には、3人だけとは一言も書いていない。王がいると明記していない国について
>も、だからといって王がいないとみなすのは誤り。
その通り、上記は正しい。
しかし、魏志では、即ち魏の視点では、倭地での王と認める人物は3人だけ。
魏が公認している王は3人である。他に王がいても彼等は魏非公認の王である。
>『世有王 皆統屬女王國』は伊都国だけに関する話ではない。対馬国から伊都国までに
>共通する事項である。すなわち、4か国には世襲の王がいる、4か国はいずれも女王国
>に従属している、という意味。
上記の解釈は文の区切りを間違えていることから来ている。
@末盧國についての記述の範囲
『又渡一海 千餘里至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之』
A伊都國についての記述の範囲
『東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐』
B奴國についての記述の範囲
『東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸』
『世有王』『皆統屬女王國』『郡使往來常所駐』の3つは伊都國についての説明。
『有千餘戸』と『郡使往來常所駐』を伊都國についての説明とすると、
上記両者に挟まれて記述されている『世有王』と『皆統屬女王國』も伊都國についての説明にならざるを得ない。
倭人伝の「官曰」の「官」とは「官職名」であるから、任命者が誰であるかは判らない。
官職名が国によって同じであったり異なっていたりしているので、
官職名は各々の国が独自に決めたものと思われる。
951 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 11:35:44
>>947 >女王國 : 万二千里より北は女王国以北であるから、奴國・不彌國は女王国ではない。
??? 女王國以北の範囲に女王國は含まれるのでは?
>一大國・一大率 :一支国と一大率はまったく別。
支と大は字体がそっくりなので転写の時に写し間違えたとみなします。
「一支」は「いき」と読めるが、「一大」は「いき」とは読めない。
>末盧國が無官? 末盧国に官がいないなどということはありえない。
高位の官はいないという意味。
一大率の手足となるような官はいたでしょう。
952 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 11:46:11
>>941 倭人伝の冒頭に30カ国が遣いを通わしてるとあるよ
>>943 横やりですまんが
その4カ国以外に世襲の王がいなかったとするのは考えにくい
もちろん伊都国、狗奴国、邪馬台国以外に世襲の王がいなかったとするのも考えにくい
っていうか、当時は世襲の王がいて当たり前の世界
なぜ、伊都国のところで世有王と書いたかは
伊都国に諸王がいたということ
953 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 11:47:42
954 :
doontakuka:2009/07/06(月) 12:07:52
後漢書は
其地大較在會稽・東冶之東
と、女王国の文化領域を會稽と東冶を持って北緯30度から北緯39度と規定してある。
會稽は北緯30度で東冶は北緯39度。
魏志倭人伝は、
狗の一字を持って女王国の文化領域を規定している。
『一大國・・・官亦曰卑狗と狗奴國』の様に。
一大國は北緯30度で狗奴國は北緯39度です。
梁書は
支の一字を持って女王国の文化領域を規定している。
一支國は北緯30度で、
『邪馬臺國・・・官有伊支馬』は北緯39度を女王国の境界とする。
何れにせよ、女王国の文化領域の括り方が異なっているだけでその範囲はほぼ同じである。
955 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 13:09:38
>>952 各国に「王」たる人物がいたかも知れない。
その考えを否定する必要もない。
ただ、自分の考えに合わないからと言って、漢文の読み方を変えてはならないと言うことだ。
史書の記述が自分の考える事実と合わないと思うなら、
先ずは、史書の記述の方を疑って見たまえ。
通行本に載っている何某の註とか、巻末の校勘記とか言うものは、先人のそう言った作業の記録なんだよ。
956 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 14:17:09
>>941 魏略と魏志倭人伝では王の扱いが違う
魏志倭人伝では魏が任命した正式な倭王がいて、その他自称の王。
魏略では正式な倭王がおらず自称の王ばかり。
昔の記録文書ってのは今のようなノートとか筆記具で記さないから冗長性はなるべく避けるんだよな
代々の王がいて皆女王国に従うなんて書かなくてもいいことだよ
また、そういう国が他にいなかったと誤解されることにもなる
当時は連合国家なんだから各国に王はいた
仮に邪馬台国の支配層が各国の王に成り代わっていたのなら、一大率も不要ということになる
958 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 14:19:06
>>952 伊都国の王=倭王=卑弥呼=邪馬台国の王=女王
959 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 14:21:58
魏略では女王は伊都国にいる王で倭の王達の一人。
魏志倭人伝では女王は(伊都国の王=倭王=卑弥呼=邪馬台国の王)です。
960 :
doontakuka:2009/07/06(月) 14:40:58
『使人自稱大夫』
『倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人』
と、大夫が居るし、
『蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。』ともある。
ならば帝を名乗る国があるかも。
『自謂太伯之後』
なら、王だけではなく公を名乗った国もあったかもね。
王だけが国の頭ではないでしょう。
王を名乗るのは倭系では?
961 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 14:43:39
>>957 そう。わざわざ書いているのは何故か。
わざわざここで統屬の記述をするのは、伊都国が、共立時からの外様ではなくて、
代々の王が女王国に統屬している共立前からの譜代で、その点、他の国と違うという情報を伝えている。
統屬先は女王ではなくて女王国なのもそのため。
962 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 14:54:13
女王国は女王が居て女王国です。
統屬の期間は女王共立以後のことですよ。
>>950 >『有千餘戸』と『郡使往來常所駐』を伊都國についての説明とすると、上記両者に挟まれて記述されている
>『世有王』と『皆統屬女王國』も伊都國についての説明にならざるを得ない。
『郡使往來常所駐』が伊都国の説明ならば、確かにそのように読まざるをえないでしょう。しかし、『郡使
往來常所駐』も4カ国についての説明なのです。
>>951 >女王國以北の範囲に女王國は含まれるのでは?
倭人伝の場合には、以北に女王国は入りません。以北の国々は一大率が検察する国。
そこに女王国が入ってはおかしなことになります。
964 :
doontakuka:2009/07/06(月) 15:29:25
>>963 倭人伝の場合には、以北に女王国は入りません。以北の国々は一大率が検察する国。
そこに女王国が入ってはおかしなことになります。
女王国は日本列島の何処から何処までですか?
以北とは日本列島の何処から何処までですか?
宜しく!
女王国とは当然ヤマト国ですよ。
966 :
doontakuka:2009/07/06(月) 16:19:33
邪馬臺國は北緯24度から北緯24度の領域であるが文化圏は北緯30度から北緯39度である。
といことを、後漢書では
『樂浪郡徼 去其國萬二千里
去其西北界拘邪韓國七千餘里
其地大較在會稽・東冶之東』
と記述してある。
魏志倭人伝の
女王國とは後漢書の『其地大較在會稽・東冶之東』に当たる領域である。
それを、
『自郡至女王國萬二千余里
計其道里當在会稽東治【冶】之東』
と記述した。
故に
自女王國以北とは、
会稽東治【冶】之東と狗邪韓國の領域を言う。
以上。
967 :
doontakuka:2009/07/06(月) 16:22:18
邪馬臺國は北緯24度から北緯24度の領域である
を
邪馬臺國は北緯24度から北緯39度の領域である
に、訂正。
>>962 よりによって河童のパクリとは、病んでる。
>>968 >>962は、私のパクリではありません。
確かに一行目は、以前から私も述べていますが
二行目は、私は述べていません。
>>960 「太伯之後」とは、太伯の末裔と言う意味ではありません。
早い話し
縦型社会(ピラミッド社会)と言う意味で、夏后少康の子(横社会)と
対比で使われています。
邪馬台国というか倭人伝面白い
何処にあったかもそうだが、謎多すぎ
972 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/06(月) 20:41:59
倭人伝登場人物の更に一人が確定
官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、
彌馬升=タタネコ ヤマシロ
ホ37048 ミワのタタネコ ヤマシロが
彌馬獲支=?
後一人
「また大晦日に…」とか言ってた河童が臆面もなく書き込んでいる件について…
>>973 それに、戻りたくても巣が荒らされ
戻れないんだ。
巣があれば、ここに用はない。
976 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:01:23
粘着されたって、すぐ泣きが入るからなあ。
だから、おまえ河童だろうっていって、わざわざ議論を止めてたんだけど。
泣かないんなら、遊んでもいいがなあ。
>>976 プラムの新しいスレが立つまででいいから
遊んでくれよ〜
978 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:24:33
980 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:42:54
ほな、本人の許しが出たのでいきまっせー。
プラムは不快
981 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:47:55
プラムは不利益
982 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 21:56:13
プラムは不義密通
983 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 22:04:53
プラムは不老不死
【卑弥呼の呼び名】
日巫女(ひみこ)
日御子(ひみこ)
姫御子(ひめみこ)
日女子(ひめこ) 駒沢大学教授の三木太郎の説。男性の敬称に対する女性の敬称。
日向(ひみか・ひむか) 松本清張が唱えた、日向国と関係するとの説。
など諸説ある。
それと、常連の誰か(愛、河、唐)スレ立てお願いできません?
わたしは規制で立てません。
986 :
愛知県民:2009/07/06(月) 23:38:16
私も規制でダメです。
愛知県民さん〜だめですか
唐さん おねがいします
>>985 PCはいまだに悪禁中。
携帯からもスレ立て規制中
2ちゃんの削除人は「なめとんのかワレ〜!んっ」
989 :
カミハミテイル:2009/07/06(月) 23:55:07
卑弥呼の意味を考える際に美奈さん忘れていることがあります。
それは狗奴国の男王の卑弥弓呼という名です。卑弥呼が日の御子なら卑弥弓呼はどういう意味?
ヤフー(\.bbtec.net)に対する規制は
ただの規制ではなく、ヤフーユーザーを排除する事によって
サーバーの負担を軽くしようとする 意図が見える。
991 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:07:21
新スレ建ちました。
どうぞ
規制〜どうにかしてほしい。
2ちゃんのが読みやすいんだけどね〜・・・・
とにかく、ここを終わらせましょう。
>>991 ありがとう
994 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:23:12
プラムは不在者投票
995 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:33:46
>>989 >卑弥呼の意味を考える際に美奈さん忘れていることがあります。
>それは狗奴国の男王の卑弥弓呼という名です。卑弥呼が日の御子なら卑弥弓呼はどういう意味?
遠い親戚ていうこと?
996 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:34:52
4
997 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:47:51
3
998 :
カミハミテイル:2009/07/07(火) 00:49:51
美奈さんは皆さんのミスでした。以前河合美奈という女性を検索して以来、
みなを変換すると美奈になるようになりました。
999 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:59:56
>>998 カミハミテイルさん 邪馬台国はどこですか?
あなたの考えを書き込んでください
1000 :
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:00:40
次スレに書き込んでくださいね
よろしくです
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。