952 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 17:38:46
神武から始まる欠史八代の直系系譜というのは、ヲワケ臣にとってのオオヒコに繋がる
直系系譜と同様なもので、いわば崇神の祖先伝承を語ったものなんじゃないかな
フトニ − クニクル − オオビビ − イニヱ(初代大王・イリヒコ)
だとすると、クニクル(孝元)は大和に地盤を持つ有力豪族の一人程度であり、
後に四道将軍と呼ばれるオオヒコと比較すれば、少なくとも5世紀の時点では
知名度という点で劣っていたのかもしれない
その後、歴史書編纂の段階でクニクルに大王位と和風諡号、漢風諡号などが
与えられたため、クニクル(孝元)とオオヒコの知名度に逆転がおきたが、
ヲワケ臣にとって祖先伝承上一番重要だったのはオオヒコだったという仮説も
あり得るんじゃないだろうか
まあ、ここまで書いておいてなんだけど、クニクルとオオヒコに親子関係がある派
というわけでもないんだが
ところで、開化天皇にはなんとなく違和感がある
それは実母であるウツシコメ(父ウツシコヲ)の叔母で、孝元妃のイカガシコメ(父同)を
妻にしている点で、先帝の妻を妃とするのは天皇家の中では異例じゃないだろうか
(ウツシコヲは穂積臣の祖で、ニギハヤヒとナガスネビコ妹の子孫)
そのイカガシコメは孝元との間にヒコフツオシを産み、武内宿禰を経由して多くの氏族
(巨勢、蘇我、平群など)に繋がっている
一方で、開化との間には後に崇神と呼ばれるミマキイリヒコとミマキヒメを産む
また、孝元とウツシコメからは開化の同母兄としてオオヒコが産まれている
流れをそれぞれの視点で見ると、
孝元の子 オオヒコ、開化、ヒコフツオシ
孫 タケヌナカワ、崇神、ヒコイマス、武内宿禰
ウツシコヲの子 孝元妃、開化妃
孫 オオヒコ、開化、ヒコフツオシ、崇神、ヒコイマス
ひ孫 武内宿禰、タケヌナカワ
孝元、開化期における婚姻政策で孝元を頂点とする有力一族が誕生し、それを活かした
崇神が「四道将軍」を用いて大和を中心とした新たな権力を獲得したかのように見えるけど、
実は複雑な婚姻を用いてウツシコヲの一族が急拡大したようにも見える
案外、崇神による大王勢力圏の拡大はニギハヤヒ・ウマシマヂの子孫や同化した土蜘蛛の
子孫を上手く取り込んだ結果なんじゃないだろうか
更に想像を働かせると、鬼道的な要素を持つ土蜘蛛の子孫でウツシコヲの親戚に当たり、
後に祭司を担当した物部氏の祖先に卑弥呼がいるのかもしれない
という夢を見たのだった
954 :
ローガン:2009/07/04(土) 18:33:53
>>951 > 族婚なんてのが行われたっていう根拠を示せよ
> 竪穴式住居の規模からいったって核家族としか思えん
共婚は祭礼でしょう。戸外ですよ。住居のきぼは関係ない。根拠もなにも、村祭りの夜の共婚神事なんて近世まであったでしょう。
上で書いたカガヒも同様。原始共同体からの遺習ですよ。
まあ自分が交わった複数の男性の中から女性側が夫を決めると言うだけで
複数の男女が同じ住居で暮らすと言うことではありませんよと
956 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/04(土) 19:21:16
>>953 見方が間違っている
開化は父の妾をもらう、開化は其の妾(庶母)の情の細かさに惚れ込み
妃にしようとするが、所詮妾(庶母)の地位では妃に成れない。
そこで開化は妃と妾の人体入れ替えを行う、
崇神の諱をもう一度確認してください、諱にヒト、ヒコ、キネ、ウシ、等
高貴な生まれに付けられる諱が付けられていない。
これは、崇神の母親が庶母であった為です。
諱は少し前に 此所に掲載していますから 初めから読めば出てくる。
957 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 20:31:17
>開化は其の妾(庶母)の情の細かさに惚れ込み あいかわらず見てきたようですね。
開化天皇についても、考古学的にいえることはほとんどない。都は春日率川宮で奈良市内の
率川神社が比定地であるが、神社の創始は推古元年(593)であり、開化帝と直接の関係は
なさそう。御陵は春日率川坂上陵で、宮内庁は同じく奈良市内の念仏寺山古墳に比定。これ
は約100mの前方後円墳で、5世紀頃の埴輪片の出土があったといわれる。
ただ、前に読んだ鳥越憲三郎氏の「神々と天皇の間」では、大和平野の北端に都が置かれた
のは、山城国南部を流れる木津川の利用および山城国への政治的進出を企画してのことと
書かれてた。確かに后は物部氏の女、妃は丹波の女であるが、これは有力豪族と系統をつな
ぐため後付けされた可能性もあるかな。この妃、竹野媛(丹波大県主由碁理の女)は話題の
曲学の徒氏が台与に比定していたと思う。
958 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 20:42:53
スレチだが、
宝賀寿男がおバカなのも、日本は中世までは婿入り婚(妻問い婚)だったという事実を(恐らく故意に)無視しているからなんだよな。
「○○氏は祭祀体系が源(平藤橘)氏のものとは明らかに違う、よって仮冒であろう」なんてのが大杉w。
だが、婿入り婚だった当時の社会背景を考慮に入れれば、それは当たり前なんだってのw。
氏は源平藤橘でも、中身は母系集団の一員として育ってるんだから。
「実際は古族の末裔であろう」なんてのもバカかアフォかと。
国造に代表されるような「古族」が、時代時代の中央勢力の一族(源平藤橘など)から婿を取って、父方は中央貴族、実体は母方の一族を継承しているってのが殆んどなんだから!
宝賀寿男さんを支持してる人て多いよね。
そんなに有名な人なんですか?
960 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/04(土) 21:42:57
開化天皇六年(己丑前一五二)正月甲寅《十四》◆六年春正月辛丑朔甲寅。立伊香色謎命爲皇后。〈是庶母也。〉后生御間城入彦五十瓊殖天皇。
庶母が皇后になりその子が天皇に成る。
ホ32214 アにツキひとつ ハハはツキ シモメはホシよ これをめす
天に月一つ 母は月 下女は星よ これを召す。
開化が下女を皇后にして、崇神を産む。
事の次第は前記の如く。
961 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 21:58:56
ああ〜唐松山さん こんなところにいたんだw
最近、見かけないと思ってたらw
962 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:19:19
もう大体結論が見えてきたと思うけど、
古く母系制だった系譜を、無理矢理、男系の万世一系に書き替え。
その時生まれたの欠史八代。
963 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:31:06
>>959 宝賀の受け売りで鬼の首取ったように、あれも仮冒、これも仮冒言う宝賀厨はこの板でも戦国板でも多いね。
でも少なくとも中世前期までの各豪族の系譜については、
>>958で述べた理由により、大幅な“見直し”が必要と思うんだけどね。
964 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 22:49:07
>ただ、前に読んだ鳥越憲三郎氏の「神々と天皇の間」では、大和平野の北端に都が置かれた
>のは、山城国南部を流れる木津川の利用および山城国への政治的進出を企画してのことと
>書かれてた。
但馬あたりは祟神王朝系が絶えず妃を求めてきた地であって
三輪王家は婚姻関係をもって木津川を通って山科、但馬にと北へ北へと勢力を伸ばしている節がある
…と言う見方があるが、やっぱ日本海交易がもたらす鉄資源他の物資に惹かれたんだろうか?wwwwwwwww
>>944 > 妻問い婚の問題は?
> オオクニヌシにしろニギハヤヒにしろ、神武にしろ、
> 婿入り婚に読めるが
オオクニヌシさんとかニギハヤヒさんが何時の時代の方なのか存じませんが、
神様たちの場合は、多少事情が違うのではないでしょうか?
特にオオクニヌシさんなどは、かなりの多重神格で、いろいろな名前であちことと出現して、
お子をもうけていますね。
神武も別に大物主家に婿入りしたわけではないでしょう。
天神の家系を標榜しているわけですから。
私は「倭國大乱」といわれた時代は嫁入り婚ではないかと思っているだけです。
平和な時代には婿入り婚も自由に選択してください。
966 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:08:24
>>964 木津川市山城町といえば、もちろん椿井大塚山。副葬品は多数の鉄剣、鉄刀、鉄族、鉄製
工具類が出土。興味深いのは鉄銛、鉄ヤス、釣針の出土から、被葬者は船舶および津の
管理者とも考えられていること。
967 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:16:01
>>965 神話はある程度実社会の様相を反映すると思うが。
たとえば箸墓説話にしろ、当時箸が使用されてなかった時代だから、その説話は後世の生活様式に影響を受けて改変されていることが分かる。
口伝は時代によって変化していく。文字にされたらそういった事態は起こり得ないのであるが。口伝えの神話は実生活と切り離せない。
あと戦乱だと父系制が進むというのは事実だろうが、それはあくまで徐々に変わっていったものであって、
有事は父系、平時は母系なんていう類の話じゃないよ。
事実日本は比較的後世まで母系の影響を色濃く残していた
968 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:30:46
>口伝は時代によって変化していく。文字にされたらそういった事態は起こり得ないのであるが
これは俺に言わせれば逆だな
例えばアイヌの三時間も掛かる膨大な伝承を、継承者は一字一句、数十年間も
間違えなしに記憶し続けた。これは金田一京介も検証している事実。
文字資料は編者によっていとも簡単にねじ曲げられてゆく。
政治的な理由やらなにやら、好きなように改変されてしまう。
焚書なんてどの国でも当たり前のように行われた。
文字のない時代だからこそ口伝の能力は高められ重視されたんだ。
970 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:43:27
実際、確実に人口を増やしていこうとすると女の数が多い方がいいんだよね。
一夫多妻が理想。
事実農耕社会では母系制が多い。
戦乱で父系が進むのは、成年男子の取り合いなんかではなくて、
軍事的指導者である男が力を持つようになるから。
倭人伝では平民まで一夫多妻であると書かれているが、
果たしてそれ程の大家族を養える程、経済力を平民がいたのかどうか。
単に妻問い婚のことを記述しただけではないかと
辛亥の年七月に記します。
わたくしはヲワケの臣です。
遠祖の名は大彦命、その子は屋田心命、その子は豊韓別、その子は高橋別、その子は多沙城別、その子はハテヒ、その子は笠原、その子がわたくしヲワケの臣です。
先祖代々親衛隊長として大王に仕え、今に至って折ります。大泊瀬幼武大王が磯城の宮にあるとき、私は大王が天下を治めるのをお助けしてきました。
そこで、このよく鍛えあげられた刀をつくらせ、私が大王にお仕えしてきた由来を記しておくことに致します。
972 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:48:29
>>970 加えて、戦争で男の数が減って必然的に一夫多妻にならざるを得ないんじゃないのかな?w
現実イスラムで4人まで妻帯おkと言うのは戦争未亡人の救済(?w)も理由だったと聞くがwwwwwwww
973 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:51:39
>>968 じゃあ箸墓説話は?
3世紀の日本に箸があったの?
倭人伝では手掴みになってるけど
974 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:52:40
住居の崩壊に巻き込まれた遺骨を調べると、一夫多妻の痕跡が見あたらない
975 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:53:32
>>973 三世紀の口承をお前は聴いたのかよ
記紀に記された「文字資料」しかお前は知らんのだろ
そういうことだよ
976 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/04(土) 23:56:15
>>971 屋田心命?豊韓別?高橋別?多沙城別?ハテヒ?笠原?ヲワケの臣?
聞きなれない名ばかり、いったい誰なんでしょうね・・・。
私は、卑弥呼専門であり、大彦命のことはよく知らない。
誰か調べた人がいましたら教えてくれませんか。
>>967 箸墓のあの説話はいつごろできたのかな。
記紀が成立したとき?まさかそこまで新しいわけはなかろう。
もともとの古墳の名称を消し去って新たにあの説話を作る理由もない。
かりに記紀の200年前にその説話ができ、その頃から箸墓と言われてきたとすると、
その説話の成立当時は箸を使っていなかったことになる。
つまり、ごく一部の者だけは紀元前後から箸を使ってきた可能性があるということ。
その一部の者とは祭祀に携わる者である。
モモソヒメはまさに箸を使って神に食物を供えたのであろう。
979 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:06:40
箸墓のハシが箸とは限らんからな
別な説を唱えている研究者だっている
980 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 00:11:15
>>977 >ドツボ
へぇ〜ここのスレにも私のこと知ってる人いたのか。
意外だな〜っ!
終止符スレから出ることが少ないので、
私のこと、知ってる人少ないと思いましたわw
>スレの最初から読嫁、度粕
あらら、親切じゃないな〜 まあ仕方ないか、了解。
>>975 意味不明。
口承が変化していくなんて常識なんだが、それを否定してるのか?
文字にされたら、変化途中のその時点の話が記録される。
写真みたいにね。
982 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:19:01
>>981 口承が変化していくのが常識ならば、せめてそれを唱えている研究者なり論文を教えてくれ。
その正確さと変わらなさを検証した研究者と事実は俺は書いた。
そもそも記紀に記された伝説を、なにを持ってして口承と同じとしているのか分からん。
箸が話に出てくることから後生、貴族が箸を使い始めた7世紀に成立した話だとする説も有力ではないか。
983 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:23:22
笠原といえば武蔵国造
984 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:24:53
世界中で口承は研究されたが、正確に長い年月覚えていくことが驚きを持って検証されてる。
簡単に変わっていくなんて話、俺は聞いたことがない。
985 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:27:42
>>982 めんどくさい奴だな。
>【口承文学】口伝であるため、物語は固定されることがなく、途中で新しいエピソードが
>挿入されたり、話の筋が変わったりすることもままある(うぃきぺでぃあより)。
これでいいか?w
987 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:34:59
>>986 そんなもんがなんの証明になんだよ。
それを許したらお前がそれを書き込んだっておkじゃねえか。
頭を冷やして出直してこい。
988 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:35:43
しかも、ままあるとか書いてあるしw
どういう意味の日本語か分かってるか?
989 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:36:45
>>986 wikiが証拠なんて言ったらこの板じゃ笑われるぞ、お前
990 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:36:47
ウィキペディア(笑)
991 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:39:24
一生懸命検索してもそれしか見つからなかったのだから許してやろうじゃないか
992 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:42:18
当たり前のことにいちいち根拠とか学者とか提示できるか。
ていうか時間の無駄だよ
993 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:43:36
どうでもいいからwikiでも眺めてウキウキしてろよ、お前。
お前の知識の源はwikiなんだろ、アホらしくて話にならねえよ。
994 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:46:34
ウィキペディア程度でいいと思ったんだが?
まともな反論とか不要だろ。
口伝が変わらず、ずーっと昔のままとかさ、頭大丈夫?
995 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:48:05
>>992 提示できないって時点でお前の負けだよ
だってその話を読んだ本の名前さえ挙げられないんだろ?
思い込みでレスしちゃ駄目だねえ
996 :
縦目仮面:2009/07/05(日) 00:50:38
もうすぐ終わりですね。名無しでたくさんレスさせてもらいました。面白かったです。
口承と文字の伝達…どちらが変化しやすいか否か…あまり意味のある話に思えないがw
どっちも伝えるのは人間である以上何らかの作為が入る可能性はある。
視覚情報か聴覚情報かではなくて、その情報が置かれた環境が問題だろう。
口承がコロッと変化してしまった例で
相当に極端な事例を言えば「シリウス・ミステリー」とかはどうかな?www
まあググれば詳細は分かるが、ざっとあらすじを言っておくと・・・
欧州のある学者がアフリカのドゴン族の古老から聞いた神話に
肉眼では絶対に見ることができない「シリウスの伴星」が出てきた
・・・と言う話で当然これが紹介されると
「ドゴン族は過去に宇宙人と接触した?」
なんて事がささやかれたとかw
まあ種明かしをすれば西洋人と接触した人間が当時天文学の最先端の知識を得て
それを自分達の神話に組み込んでしまったらしい・・・と言うオチwww
つまり西洋文明との接触と言う環境の変化が口承の内容をガラリと変えてしまった事例と
う〜む、流石に極端すぎる事例だなwwwwww
998 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:54:59
箸墓のハシの解釈についても数説ある。
それどころか「箸」の日本での普及から考えて7世紀の成立とする研究者もいる。
だのにその説話が3世紀からの口承と頑なに考え、そして箸の部分だけが時代とともに変わったのだと主張する。
デタラメにも程があるが、これが「うぃきぺでぃあ」脳の限界である。
999 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:55:51
提示できないから負けか。
子供の相手は疲れるよ。
なんで口伝が変わらないとか、言い切れるのか理解に苦しむ。
お前の根拠として提示したユーカラにしても誕生してから変わってないとか本気で思ってる?
1000 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/05(日) 00:57:19
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