1 :
日本@名無史さん:
桃山時代に西洋甲冑が入ってきたっていう説もあるよね。
3 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 19:05:53
4 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 19:08:28
5 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:19:21
「みょーーーーーちん!」
って言うとかわいいよね。
6 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:44:26
8 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 06:15:56
「鎧をまとう人々」(藤本正行著、吉川弘文館)
がお勧めかな。
かなりいろいろな事例が紹介されている。
9 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 06:36:12
あの藤本かよ
カブトムシとクワガタムシ
11 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 12:56:19
>>5地元のアホな子供がミョウチンチンミョウチンチンとうるさいです。
12 :
日本@名無史さん:2009/05/20(水) 03:13:01
つかさ、明珍以外の流派ってあんの?
>>12 伊澤先生(笑)の本には兜は色々書いてたな
鎧というと雪の下くらいしか思いつかないわ
14 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:05:54
業界シェアNo1の明珍
15 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:27:46
myouchin.com
16 :
日本@名無史さん:2009/05/24(日) 02:52:22
テレ東みたいなスタンスの甲冑集団もいそうだな
17 :
日本@名無史さん:2009/05/28(木) 14:27:14
もっと大陸と戦争してたら大陸の技術や合理性と日本のセンスが
合わさってより完成度の高い超カッケー鎧ができてたろうなぁと夢想する
>>17 革や布で小札を包んだ形式の胴は元軍が使用していた綿甲を参考に
作られたという説があるね。もっともリサイクル甲冑としてそっち
が簡単に作れるからという理由のほうが大きいんだけれども。
ただ、もし17世紀以降も日本が対外戦争し続けたとしても、
ヨーロッパみたいに火器の発達によって甲冑は見捨てられたんじゃないかと思う。
儀式用に復古調甲冑が作られるようになったりして。これは実際の歴史でもそうだったが。
19 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 06:30:38
あの小手や脛当ての細長いい鉄板付けただけのとこがどうにも中途半端でイヤなのよ
まともなのもあるが武将クラスでも多くがあれを採用してるのが謎だよなぁ
>細長い板
篠籠手・臑当かな?小手先と臑の締め付けが少なくて動くのラクなんだよ
それにどれだけ鉄板で固めても、槍や矢鉄砲に貫かれるときは貫かれる
それなら機動性を考えてやられる前に倒しor避けやすく…ってとこじゃないの?
もっともデザインは俺も好きじゃないがな…
毘沙門篭手のほうが格好いいがフィットしにくいし痛みやすいのだ
21 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:00:13
零戦と同じ発想だな。いや、鎧が先か
全体に均一な防御力よりも重点を定めた防御力のが理に適ってたのかも
22 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:08:05
鉄砲の弾が貫通してめり込むと鉄の破片や鎖が体内にめり込んでなかなか取れなくて往生する
零戦は無理な要求性能をこなす為に防御力をマルッと捨てたんで重点も何も無い。
同じではないでしょう。
24 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:40:21
25 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:45:07
重点=攻撃力
戦車と同じかな?
前面の装甲は厚いが、側面と背面は紙に等しいっていう
西洋の甲冑も最後はメットと胸甲だけに落ち着いたし、即死しないようにポイントを絞るのはどこも同じかと
大鎧の時代でも鉄交ぜなのは左側だけといった
限定的な使い方ですしね。
軽さはそれだけで大きな武器でしょう
ラストサムライを久々に見てるが、やはりこれだけの甲冑武者が集まると壮観だな
欲を言うと備えによって色が違うとリアルだったが…
29 :
日本@名無史さん:2009/06/02(火) 20:46:58
>>28 広太郎の甲冑がほしい
休憩場面の写真じゃ 壁に吊るしてあったから軽い素材なんだろうなぁ。
広太郎の甲冑レプリカは丸武に出てるよ
よくわからんのだけど鎧下ってのは鎧の下に着る狩衣で良いのですか?
西洋では厚手のキルトだったようだけども。
鎧下と鎧下着って何が違うんでしょうか?
ラストサムライで出てくる甲冑は全て薄い鉄板で作ったとメイキングでやってたよ
五百領近くあるから丸武みたいに手作りでは無理だったみたいだが…
今なら中古でもDVDは出てるし見てみると面白いよ
>>32 鎧下には明確な定義はない。(特に戦国時代は)
平安から南北朝にかけては鎧直垂が主だった。
戦国期になると、普通の小袖(色は紺や浅葱が多かったらしい)に
たっつけ袴やカルサン袴などを合わせていたようだな。
武将によっては西洋風のシャツやズボンを着けていたのも
いるようだ。
たまにイベントなんかでは鎧下に浴衣と鳶のラッパズボンを着てる人を見かける
動きやすいしポケットもあるし便利そうだ
なるほどそうなんですか!ありがとうございます。
陣中でうたた寝してたら鎧下に落書きされた話がありまして、
どんなもんに落書きされたのか気になってしまい。
ありがとうございました。
37 :
日本@名無史さん:2009/06/07(日) 00:40:56
歴女の話題のお陰で、鎧愛好を歴女狙いでやってるのかと言われたわ…
例えば子供会で催しに向けて、地元の子供と手作りの桶側胴を作ったりするわけだが、心ないご父兄はそんなことを仰るのよw
元々サムライや戦国時代が好きで培ったノウハウなのに、そんな曲解をされるのは嫌だな…
そもそも連中はイケメン武将嗜好だから歴女なんでしょが…おいらみたいなおっさんには興味ないはずですぜ
こんなとこにも被害者が…。キニスンナ!
そもそも歴女なんてなぁ…。ゲーム好き女なわけで。
普通に歴史研究やっとる女性も迷惑だろうに。
マスコミはブーム作れれば何でもいいのな。
つか悲しいねそういうの。
39 :
日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:23:52
あぁ、俺も言われたわ
しかもヒストリカルフィギュアメインでやってるから話に尾鰭が付きやすい…
40 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 02:38:49
ヨーロッパの騎士の着る鎧は中に何を着たんだろう。全身を鉄で装甲するわけだが。
インナースーツみたいなものがなかったら、倒れたら中の人間は自分の着てる鎧で大打撲、落馬したら死ぬかも。
>>40 キルトの肌着にチェインメイルだったと思う
42 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 18:39:39
さっきモデリング何とかって本見てたら1/1サイズの兜の作例載ってた
43 :
日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:28:21
>>41 おお!あの装甲の下にさらに!どんだけ重装甲。
日本の鎧武者に勝ち目はあるのかしら。
>>43 もっとも重装備すぎて打撃武器には弱かったのだがな
あと欧州でレイピア等細剣が発展したのは、鎧の間接部から突き刺すためだったりする
そして東西の甲冑は銃の前に衰退する…
45 :
日本@名無史さん:2009/06/11(木) 08:10:30
まだスイス傭兵がいるぜ
46 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:22:11
バチカンの例のひとたちのことなら、宮内庁楽部と比較したほうがいいようなw
伝統を守り伝える存在って意味で
47 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 03:21:10
イギリス近衛兵みたいなものですね
48 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 20:09:53
西洋の鎧着てる者同士が決闘しても決着つかなくない?
49 :
日本@名無史さん:2009/06/13(土) 20:42:07
棍棒やモーニングスターで何とかなるだろ
中の人が人間である以上決着はつく
西洋の甲冑といえば南蛮胴、と少し日本の話に戻そう
日本の南蛮胴というと鉄錆地くらいしか思いつかんが、赤や黒の南蛮胴ってなかったのかね
54 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:51:20
下部と
55 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 19:59:03
黒ならあるだろ
56 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:15:00
越前とかの以南蛮鉄の刀は好きだけど南蛮胴はなぁ・・・
57 :
日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:21:48
鉄錆地だからこその南蛮胴だろ
フェラーリなら赤みたいな
今は鉄錆地でも当時はピカピカに磨きあげてたって事はないのかな?
60 :
日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:12:51
>>58 ヨーロッパには、錆地を愛でるという美学はないから、すべて磨きあげ。日本に持ち込まれた西洋甲冑も当然そうだったはず。
それに忠実に習って、磨き上げたものも当然あっただろう。 日光にある家康の南蛮胴も多分、もとは磨きあげ。
61 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 02:18:35
普通は漆かけるだろ
62 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 16:03:28
鉄は、加工の際の温度管理で、塗料を使わなくても黒や青に発色させることが出来るそうだ。そういえば、彫刻刀や切り出しナイフで、刃の部分以外黒いものがあった。
ヨーロッパの甲冑でも黒はあり、百年戦争の時の黒太子エドワードは黒い甲冑を身につけたことからこの名がある。
南部鉄瓶は黒いが、あれは漆を塗ってから焼きつけて、化学変化を起こさせたものだから別。
帝国陸軍の三八式歩兵銃は、程度のよいものは青みを帯びた黒。
63 :
日本@名無史さん:2009/06/25(木) 17:32:24
時計の針を青く焼いたりするな
>>62 陶器の釉薬みたいなもんか
それとは別に、錆止めや傷隠しに黒塗りにする習慣があると聞いたことがあるが…
黒騎士って言われる奴ね
コールテン鋼のように安定して錆び、深い味わいが出ればいいのだが。
米沢の宮坂考古館に行ってきた。
小さくて、説明文にも誤字があったが上杉家関係の甲冑はなかなかに良かった。
謙信が憲政から拝領した烏帽子形白糸威のや、綱憲の紺糸威のは取り分け迫力あり。
前田慶次郎の朱漆のは綱憲の具足と比べ少しだけ胴が太くなって見える程度。
泉鏡花旧蔵のと比べても大きさは変わらないような感じ。
67 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 14:11:22
wikiに森蘭丸の鎧は贋物って載ってたけど、図説戦国甲冑集には
蘭丸の母妙向尼が贈ったもので、前立ては一向宗徒だった母妙向尼が
本願寺との和睦が成立した背景だと書いてありますが、どっちが正しいの?
>>67 事の顛末は「赤備え(井伊達夫著)」(宮脇出版社)を読んでご覧
69 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:04:02
>>68 アホか、悪徳骨董商の本なんて当てにならん
70 :
nomu:2009/06/27(土) 15:36:18
これは個人的な意見だが、所謂当世具足(小鰭ではなく小袖)
(頬当てではなく面覆)(陣羽織)の完備した物は慶長の役
くらいに完成したのだと思う!
山形県川西町の樽平酒造掬粋巧芸館に行ってきた。
甘粕景継と前田慶次郎の具足を見てきたが、塗りが新し過ぎるような気がしないでもない…?!。
戦国物の本どれもイラストが西洋人顔だけどやめてほしい。
中西立太を見習ってほしい
74 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 21:43:59
上杉神社の稽照殿に行ってきたが、謙信の金箔押の折烏帽子兜と回転する陣笠のギャップが凄いね。
あと、景勝が貰った赤い明服一式。武八品のだけあって、刺繍に手が込んでないというか。
>>72>>74 時々丸武は本物の写し甲冑を作っていたりするが…
まあ写真を見てみないとわからんね
77 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 02:01:12
掬粋は具足を展示するため、かなり照明を落としている。外から採光していない。
もともと古い蔵で、明るくはないのだろうが、新しい焼き物類を展示している別館より暗い。
その明かりの中でも塗りが新しく、金沢や宮坂で見た赤より新しい感じがした。塗りが厚くぽったりした罅もない。
兜は宮坂の南蛮笠に形状が同じだが、肩、胴は普通の赤いもの。宮坂のような鳥をイメージした物ではない。
>>76 写し甲冑って幾ら位でつくってんだろ。
明珍の本読むと大鎧で4千万かかったらしいけど。
あと甲冑に著作権みたいなのあるのかな
79 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 21:36:43
今日本の鎧兜研究の権威っていったら誰ですかね?
美的な観点でも見れる人。
なんでも鑑定団には甲冑は殆どでないよね?
ttp://www.katchu.com/html/1999.html [素材を当時とほぼ同じもので製作する場合の参考価格]
漆塗り・牛革使用・本伏・毛喰の溜へのはさみこみを行います。
作品 サイズ 価格(受注の目安)
兜のみ 1/2 \4,000,000YEN〜
大鎧 1/2 \10,000,000YEN〜
兜のみ 原寸 \30,000,000YEN〜
大鎧 原寸 \100,000,000YEN〜
いつかはここで大鎧を注文してみたい・・・ムリか
大鎧の芸術性と手間はよくわかる
しかし数千万単位はあまりにボッタクリではないのか…?
復古調のならともかく平安の頃の小札はデカいのに
83 :
日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:02:47
1領四千万もするのかよ
それならヤフオクや古美術屋で値段気にせず買い漁りたいな
1備分は揃えられるだろう
四千万円は国宝・日御碕大鎧の復元品を作るときに出雲市が出した代金
純利益に一千万
材料費に五百万
人件費に五百万
行政関係者の懐に二千万
実際合戦に使ってた頃って新調したら一領どのくらいしてたんだろうね。
87 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 07:51:49
ピンキリにも程がある位のピンキリだろうな
紙だけの足軽鎧もあるし一面金箔の武将の鎧もあるし
死体からはぎ取ればタダだし
88 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 13:45:03
まあ標準的?なものだと
日根野頭形・横剥桶側胴・当世袖・遁盾・当世籠手・臑当の具足なら
籠手と臑当は篠の板物・草刷は七間で前四段の後五段の素掛・シコロと袖も五段の素掛なら
黒漆で200万てところか?
89 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 13:05:06
>>71-77 掬粋巧芸館のは本物です。今回の公開は40年ぶりで、基本的にしまいっぱなしなんで、退色が少ないんです。
甘粕の甲冑は県文化財指定を受けているので、10年ほど前に資料撮影で蔵から出してますが。
天地人の観光キャンペーンのために川西町長からの依頼があったのでしぶしぶ公開しましたが、基本的にあそこは
陶磁器の博物館なので、館長(社長)には甲冑はおまけのようなもので、そんなんで騒がれたくないようですねw
今回の公開が終わったら、次は息子か孫の代で、そのときの当主が気が向かない限りは出さないつもりとか。
見逃すとまず一生実物は見れません。写真撮影も断っていますので、川西町役場サイトにある写真以外のものは
これからも残らないでしょう。
90 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 17:25:16
わがままだが、貴重な物はなるべく常設展示してもらいたい。
あと、徳川展など武具関連の展覧会を是非北海道で開催してもらいたい。
ダースベーダーやマケドニアの鎧が見れたのに、何故日本の鎧が見れないのか
以上、七夕のお願いです
北海道は本当に和物全般の展示が少ないよね
92 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 20:30:58
北海道には江戸時代以前のものがほとんど無いのはまあしかたないのかな(アイヌのはどうなんですかね?)。
宮城県白石(仙台藩家老片倉小十郎家の城下町)のひとによると、片倉家中の主だった人々は札幌白石区か登別の
開拓に従事したので、甲冑の遺品もそちらにあるらしいです(片倉家自体のものは仙台市博物館にあります)。
伊達市とかそういったところにはあるんじゃないの?ってか確認してませんがw
>>89 具足がなかったら、もっと照明はあかるかったんですかね?
陶磁器の逸品も見たが、足元になると暗くて。
這い蹲るようにして見てきた。
古い蔵の匂いとは懐かしくよいものだった。
94 :
日本@名無史さん:2009/07/10(金) 20:57:38
掬粋巧芸館は建物自体が文化財建造物指定されています。
あの薄暗い館内は、昭和初期からのものですよ。
往時の地方篤志家の趣味のよさが感じられると思っています。
ただし、現在の視点からは、展示、保存、防犯含め問題ありありですねw
>>94 確かに新館は嘗て破られた跡がありました。
警備会社は入ってるようです。
96 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 17:21:49
>>92 伊達成実さんのがあるけど正直こっちにあって申し訳ない
97 :
日本@名無史さん:2009/07/18(土) 19:20:33
伝畠山重忠の大鎧って本物なの?
98 :
日本@名無史さん:2009/07/19(日) 02:32:01
関西で甲冑の着用体験ができるとこってどっかある?
99 :
日本@名無史さん:2009/07/19(日) 03:30:54
夏だ!
甲冑マニアなら、みょーちんの火箸の風鈴だ!
姫路だっけ?
100 :
日本@名無史さん:2009/07/19(日) 03:44:56
101 :
日本@名無史さん:2009/07/19(日) 08:26:29
>>100 幼稚園児がみょうちんちんと歌うのは本当かい?
姉が姫路なんだが嘘をつかれてるよーな。
102 :
100:2009/07/20(月) 00:20:20
103 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 12:37:35
>>96 北海道でアイヌの甲冑って残ってるの?
松前藩が禁止して武装は出来なかったのかな
104 :
nomu:2009/07/20(月) 12:50:32
105 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 13:41:05
>>103 知る限り現物はないかな。鎧は写真と絵だけだね
樺太アイヌの鎧なら前スレで掲載されてたよ。
残ってるのは短弓やら日本刀のアイヌ風拵程度です。
藩に禁止されてたかはわかりません
106 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 14:03:31
アイヌ風拵とは蝦夷拵?
あれは交易用だね
たしか大阪の国立民族学博物館で
それらしきものを見たことがある
>アイヌ鎧
>>104 前も書いてた奴か?タイムスリップして調べてこい
まあ白檀塗具足を見てると、後世のものかなとも思うが確証がないのよな
源平合戦くらいの甲冑、具足を調べてるんですが、オススメの資料とかあったら教えてください
できれば画像(写真)が多いのがあれば有り難いです
スレチだったらすんません´・ω・`
110 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 04:04:37
>>109 イラストだが日本甲冑史上巻(大日本絵画)がかなり詳細に書いてある
大鎧誕生までの考察は一見の価値アリ
112 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 08:14:45
113 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 14:05:48
下半身はたっつけ袴みたいだが、足軽が鎧の下に着ている着物ってどんなの?
115 :
日本@名無史さん:2009/07/23(木) 16:36:14
116 :
日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:08:10
>>117 おお、本当にそっくりだ!
ちょっと感動したw
119 :
nomu:2009/07/24(金) 00:56:14
120 :
日本@名無史さん:2009/07/24(金) 17:22:29
>>117 アザラシの皮っていうのとCG画像はあくまでも管理人の推測じゃないの、文章からすると。
現地で作ったのか、それとも日本か満洲からのものを作り直したのか。
ただ、当時の写真と民博の復元鎧は、清朝の鎧よりは日本のにイメージ近いよね。
121 :
日本@名無史さん:2009/07/25(土) 12:03:55
122 :
日本@名無史さん:2009/07/25(土) 12:28:36
樺太は日本よりも清朝との交流の方が盛んだったらしいから
鎧もそっちの影響が強いのかもしれんね
123 :
日本@名無史さん:2009/07/25(土) 12:55:42
ところで、中国の甲冑については、日本の篠田耕一氏が香港の出版社から発行した「古代中国兵器大全」というのが
中国でも評判のようでイラストも美麗で良いらしいんですが、amazon中国には無いんですよねえ。どっか手に入る
ところは無いでしょうか?
中文サイトでは篠が竹冠じゃなくて草冠に間違ってるところが多いんで、上手く検索できないし。
とりあえず画像の一部(全部?)は
>>121のリンク元はじめ、当然のように著作権無視で方々にうpされてますが。
まあスレ違いですけどご容赦
たまたま地方の資料館を覗いたらいくつも甲冑が飾ってあって狂喜乱舞したww
しかし…家紋が吹き返し・胴・鎧櫃で違うものを併せてあったり
胴の上から凧盾付けてたり、復古調のものを大鎧と書いたりで残念としか思えない
そんな中、明珍派の作だという十六間筋兜と朱塗具足があった
併設展示されてる六十二間筋兜ならともかく…もっとも真偽は定かではないが良作だった
慶長期から江戸時代のものを展示しているだけに惜しい展示が多すぎる
もっとも入場料200円で10領近く見れたので儲けものではあるがね
可能なら自分の手で展示を直したいくらいだよ
都合また行くことになりそうなので写真はそのときにでも…
>>124 どこの資料館?
脛当が上下逆なのはよくある
126 :
日本@名無史さん:2009/07/26(日) 03:46:32
それはちゃんと、図説して訂正してあげるべき。
学芸員にもジャンルの得手不得手があるから。
127 :
日本@名無史さん:2009/07/26(日) 03:47:58
チベットとアイヌの鎧の共通性って、
モンゴル(元)の影響じゃない?
128 :
日本@名無史さん:2009/07/28(火) 22:32:19
129 :
日本@名無史さん:2009/07/29(水) 08:16:28
130 :
日本@名無史さん:2009/07/29(水) 22:05:06
戦国ランスのコスプレですね。わかります
132 :
日本@名無史さん:2009/07/30(木) 03:27:01
家地や威糸は白や青より黒が良い私は黒ブラ好き
すまん釣ってくる
鎧兜ではないんだけど、戦衣裳なんでよかったら意見ください
陣羽織りって室町くらいから着用されだ、って見たんだけど、源平の頃はまだ無いのかと思ってたら能かなんかで「頼朝の陣羽織り〜」っていうのがあるらしくて…もしかしてすでにあったりしたんでしょうか?
>>133 陣羽織が普及したのは室町後期。
その能(もしくは歌舞伎)の題名がわかれば書かれた時代を
調べてごらん。きっと江戸時代のはずだから。
歌舞伎は、江戸期の風俗や価値観をそのまま過去の題材に当てはめて
面白く演出していたんだから、頼朝に陣羽織云々は気にしないこと。
136 :
日本@名無史さん:2009/08/02(日) 04:18:27
大鎧に陣羽織は激しく似合わなそうだな
シンプルな色合いの鎧に派手な陣羽織だからこそ映える
137 :
日本@名無史さん:2009/08/02(日) 12:05:20
腹巻の上から直垂がかっこよくね?
138 :
日本@名無史さん:2009/08/09(日) 01:36:27
139 :
日本@名無史さん:2009/08/09(日) 18:18:50
具足のひとキタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!
わざわざありがとうございます
黒い方の数字は備具足の通し番号ですかね?
あ〜時代の甲冑着られる息子さんがうらやましい
140 :
日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:48:19
>>138 小十人組キター(゚Д゚)
と思ったらもう画像消えてるやん…
今使ってるうpロダは期間短いみたいだね
ちょっと長いの探してくる!!!
141 :
日本@名無史さん:2009/08/09(日) 20:05:24
143 :
日本@名無史さん:2009/08/10(月) 02:07:04
>>141さん もううpの方法分からないんで、ブログにしてみました。
段々更新します。おやすみなさい
144 :
日本@名無史さん:2009/08/10(月) 02:08:19
でけえ
でかい画像の方が細部までよく見えるから好きよん
>1記事につき合計2MB以内なら、なんと、50枚でもOK。
>総容量2GBまでの写真や絵を載せられます。
フォトかブリーフケースで試してみてくらさい。
地震びっくりしたな
皆様のご自宅の甲冑は大丈夫だったかな
俺は日根野頭形を被って落下物に備えてたが大丈夫そうだな
149 :
日本@名無史さん:2009/08/11(火) 19:41:52
150 :
日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:22:25
秀吉が政宗にあげた鎧かっこ悪い
151 :
日本@名無史さん:2009/08/15(土) 22:15:10
あの白糸の軍配のやつ?
152 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 10:38:25
はい
はいだてがなんか股引みたいで
153 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:34:48
154 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:59:18
>>150 あの前立て、白糸縅は秀逸だと思うけどなぁ。
軍配の大胆な意匠など、感心させられる。
軍配の柄が変に曲がってるのがダサい
156 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 13:54:38
すみません、板橋区立郷土資料館の甲冑展行かれた方、
いらっしゃったらどんな様子だか教えていただけないでしょうか?
家から遠いので、思い切って行った方がいいかどうか
迷ってます。
157 :
日本@名無史さん:2009/08/20(木) 04:47:45
>>150 ありゃ着るとなったら似合不似合が人によってはっきりでるな
小柄で猿っぽい人なら似合うが厳つい人なら笑われるレベル
>>156 やはりメインは西洋甲冑でしたね。
一揃え一具として、おおよそ
三浦氏作品 三具
西洋甲冑 八具
南蛮胴具足 四具(胴と草摺が4、別に兜が3)
+ミニチュアの馬甲+騎士
二部屋位のスペースで大体これくらいの規模でした。
159 :
156:2009/08/23(日) 22:18:37
>>158 レスありがとうございます。
返答ないうちに、結局思い切って行って来ちゃいました。
西洋甲冑もいいものですね。
自分的に南蛮甲冑が見られてすごく満足でした。
古い甲冑関係の研究本の展示も珍しくてよかったです。
160 :
日本@名無史さん:2009/08/25(火) 10:43:10
161 :
日本@名無史さん:2009/08/31(月) 17:23:20
すげーPS1みたいだ
へうげもので信長の身につけていた具足は何処でみれますか?
164 :
日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:20:44
165 :
日本@名無史さん:2009/09/13(日) 10:23:59
GIジョーに着せる当世具足作ってるけど面倒過ぎワロタw
鎧職人って凄いな
166 :
日本@名無史さん:2009/09/13(日) 10:56:48
甲冑って日本のゲージツだよな
167 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:05:31
NHK大河「独眼竜政宗」で伊達成実が着ていた甲冑の、出奔前と帰参後それぞれの
モデルになった元の甲冑はどこに所蔵されているんでしょうか?
168 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:56:53
三浦友和が被ってた毛虫の兜?
亘理か伊達市にあるんじゃないの?
169 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 03:37:47
たしか着甲した成実の木像がモデルじゃなかったかな。
木像の兜はドラマで使われた雑賀鉢ではなく筋兜だけど。
170 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 03:38:52
あ、帰参後のほうね。
171 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 08:01:04
伊達にある成実さんのは先月見に行ったぜ
他にも仙台具足がたくさんあった
172 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 14:15:29
>伊達成実
出奔前の雑賀鉢 → 伊達市
帰参後の筋兜 → 木像から復元
これでOK?
173 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 02:31:52
>>172 筋兜だと思うけどね
雑賀鉢を伊達領内で作ると思うか?
大体葵徳川三代以前の甲冑はいい加減なんだぜ その後もいい加減ではあるけど
174 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:33:14
雑賀は亘理だな。筋は伊達市
伊達市のは試し撃ちや胴の胸元が素掛になってたりして新しい仕様だった
成実晩年の所用なのかな?
175 :
日本@名無史さん:2009/09/18(金) 14:35:11
>>174 伊達市のは当然お家代々のものでしょうが、亘理の雑賀鉢というのはどういういわれのものなんですか?
176 :
日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:55:02
177 :
日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:04:13
直接は関係ないんだが、雑賀鉢と伝えられているものの中には、明製のものが含まれているように思われる。文禄慶長の役の戦利品としてもたらされたと考えれば、つじつまが合う。
雑賀ではないが、加藤嘉明の南蛮兜も、明製ではないか。日本には他に類例が全くない形式。金象眼で鉢に文字を書く習慣もこの時代にはない。
178 :
日本@名無史さん:2009/09/30(水) 02:59:37
>>178 ゲームの戦国無双や映画のGOEMONとかと一緒で嘘に決まってるだろw
なぜ雪ノ下具足の面は微妙にダサいのだろう…
むしろ面頬でも良かった気がするんだぜ
181 :
日本@名無史さん:2009/09/30(水) 12:14:51
>>179 韓国の歴史ドラマは、李朝時代のはいいんだけど(それでも日本の水戸黄門的ないいかげんさはあるが)、
高麗以前のは願望入りまくりのウリジナル考証になりがちなんだよね。
朝鮮半島の三国時代を扱ったドラマは、そういう部分を気にしてはいけませんw
182 :
日本@名無史さん:2009/09/30(水) 15:28:33
勝間和代って面頬みたいな顔してるよね
183 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 07:30:37
古代の甲冑は、物としては日本から最も多く出土している。中国は、あの兵馬俑坑で秦時代のそれの外観を知ることが出来るが、実物は殆ど残っていない。鉄は資源として再利用され、有機物は腐敗してしまったため。
皇帝墓の副葬品にもふつう武器は入らないが、武人としても有能だった唐の太宗あたりのそれには入っている可能性がある。
日本では桂甲、短甲がかなりの数出土しているが、世界的に見ても5,6世紀頃の甲冑の実物は珍しい。ただ、古さという点では、アレキサンダー大王の父のそれと思しき甲冑が出土した古代ギリシャには負ける。
なるほどなー
誰か大三島の大山祇宝物館行ったことある人いますか?春に行こうか迷ってんだけど、あれってやっぱすごいんですか?
特に大鎧とかについて
>>184 橋を渡って1時間弱で行けるおれが来ましたよw
由来とかの説明はともかく、平安時代の様式の大鎧が常設で見られる
博物館って他にはあんまり無いと思う。是非行ってみて欲しい。
迫力が全然違うんだ。本当に大鎧は大きいんだ。と感じるよ。
186 :
日本@名無史さん:2009/10/05(月) 16:02:38
武蔵御嶽神社の畠山重忠奉納の赤絲縅大鎧も、御嶽神社の宝物館で見ることが出来る。ケーブルカーで登ってさらに30分ほどの歩き。
行くのは大変だが、鎧好きなら一度は行ってみるだけの価値はある。360度あらゆる方向から真近に観察することができる。
明治修理の赤絲はすっかり変色してしまいオレンジ色になっているが、僅かに残るオリジナルの絲はまだ鮮やかな赤。
184だけど、みなさんありがとう。計画してみます。車持ってないからフェリーが廃止されないよう祈っとくぜ
日経の朝刊に明珍の記事があった。今代で終わりなんだ…
>>187 後継者が迎えられたら好転するんだろうけどね…
189 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 14:47:31
今秋の徳川美術館の甲冑特別展示はすごそうだよ
期間は平成21年10月10日(土)〜11月15日(日)
190 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:21:05
191 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 01:29:07
たとえ色褪せ朽ちていてもあの大鎧を畠山重忠が実際に着けいたと思うだけで興奮する
>>190 マントもそうだが、挂甲を前後逆に着ているのを見て萎えた
現場の担当者は武人埴輪を見たことないのかよとテレビに突っ込んでた
懐かしい思い出
193 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:05:42
>>190 コメントにまた韓国人がわらわら涌いてるなw
194 :
日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:21:38
>>190 あのラッパ見たいのはなんなんだ?
七支刀を持ってるガキは何もんなんだ?w
195 :
日本@名無史さん:2009/10/08(木) 20:14:55
196 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:18:17
よく新撰組の映画とかドラマで
隊士がダンダラ羽織に家紋入りの剣道の胴を付けたりしてるけど
幕末ごろに今みたいな防具の胴なんてあったの?
197 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 04:08:17
>>196 草刷と背面を外した三枚胴だと妄想するんだ
実際に新撰組仕様のものが残っていればよいのだが
199 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:19:39
やはり源平時代の大鎧がすごいと思う
俺は室町期の腹巻だね。
烏帽子に袖なし腹巻、手には薙刀の軽装徒歩武者がイイ。
202 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:06:27
>>200 言われてみればそうですね。
糸が赤じゃなかったらもっと古代っぽいかも
>>200 直系には違いないだろね
ただ奈良時代の甲冑ってのが見つからんのが残念
204 :
日本@名無史さん:2009/10/12(月) 13:01:40
>>200 絵韋を張って隠れる前の部分は、縦取威(たてどりおどし)といい大鎧でも、桂甲と同じ縅し方。その他の見える部分は、縄目威(なわめおどし)といい、絲が一段下がるごとに斜めにずれて行く。
縦取威だと下の小札が間から見える。ごく初期の大鎧はすべて縦取威だったことが、伴大納言絵詞からわかる。
大山祇神社の沢潟縅大鎧(国宝)は、縦取威だったといわれるが、縅絲と金具が全く残らず、鎧の形になっていないが、小札はほぼ一領分残っている。
詳しい解説乙です
なるほど同じ手法だったのですか
206 :
日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:59:09
>>190 ラッパ見たいなの吹いてる日だらから2番目は佐々木蔵之介か?w
こんな仕事やってたんだなw
錣の形状には日根野錣や饅頭錣など様々に種類がありますが、
これは生産元の技術的な理由によるのでしょうか?
それとも発注側が恣意的に作らせることができるものなのでしょうか?
どうして統一されていないのかも気になります。
わかる方がおられればお教えください!
209 :
日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:47:55
注意深く観察すると、当世具足には共通の特徴をもつものがある。製作者が同じであったと推定できる。
例
・黒田長政 大水牛の冑(福岡市博物館)と浅野長政の冑(大阪城博物館)根本に三つの輪がつく角の作り方が同じ。
長政の物の胴(現在は一の谷冑と組み合わされている)は五枚胴。浅野のそれも五枚胴。共通点は多い。
・徳川家康大黒頭巾の冑に付属する羊歯の前立に付く動物?の顔と本多忠勝の鹿角の冑につく飾りのそれの顔は同じ。
大黒頭巾の方は奈良の甲冑師岩井の作であることが明らかだから、忠勝のそれも岩井製とわかる。
210 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 14:02:20
>>209 「動物?の顔」の部分は「獅噛(しがみ)」と言います。
211 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:28:43
>>1 戦国時代後期の西洋から流入した鎧冑はカッコよいね!鉄砲といい西洋流の
鎧冑といい、この時代は凄い時代だね。
212 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:55:39
胸板部分だけ素懸威なのは江戸以降なのか?
213 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 19:45:38
オレのおかんが韓国ドラマ「朱蒙」や「風の国」を見てて
日本の時代劇よりすべてにおいて上だと言ってた
兵の数や甲冑、衣服の色彩、スケールの大きさから何もかも
韓国のほうが凄いとさ
>>213 お袋さんに「天と地と」や「影武者」を見せたげなさい、ちと古いけど…
ちなみにその韓国ドラマのタイトル教えてくだされ
すまんタイトル書いてたなw
216 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:25:49
まあ、韓国ネタは荒れやすいがw
ここ最近の日本時代劇よりはずっと面白いのが多いかとは思う。もちろん昔の大河や時代劇は別ですよ。今のはね・・
ただ、時代考証は李朝以外はまゆつばしといた方がいい。色彩鮮やかなんて、現代韓国人の妄想願望のほとばしりなだけですよw
韓国時代ドラマの一番の悪い点は、アニメのドラゴンボールのように、とにかく話を伸ばし伸ばしにする傾向があることですね。
そこらへんは中国の時代劇の方がずっといい。「朱元璋」なんか結構良かった。
あちらさんは歴史ものに国が協力的だからな。
日本だと黒澤みたいな規格外の天才か、
クレしんみたいなアニメじゃないと、
本格的な歴史ものを描けない。
「天と地と」に迫力があるのは認めるけど、それ以外のところでは
そんなに誇れる映画じゃないと思う。
218 :
日本@名無史さん:2009/10/18(日) 02:12:33
>>214 おかんに言ったんだよ
「韓国は古来から外国の軍隊に一度も勝ったことがなくて植民地にされてたんだよ」
って、しかしおかんは「え、ウソでしょ、だって日本より圧倒的に強そうだよ」で終わりw
時代劇ドラマとはこうも影響力があるのかと思い知らされたよ
古代から中世までは韓国のほうが日本より文明が進んでいると思い込んでる
米・メトロポリタン美術館でサムライ展
220 :
日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:10:13
島田紳介が「鎧ブームが来る!」と言っていた。
221 :
日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:43:00
韓国ドラマ「善徳女王」今日からBSで始まった
おかんが見てる
どうしようw
222 :
日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:50:16
宇喜多中納言の略歴
1572年 岡山で誕生
1573年 近所の小川で泳いでいるところを家臣に目撃される。
1576年 旭川を泳いで渡る
1577年 大雨で水嵩の増した吉井川を渡っているところを領民に目撃される
1579年 児島湾横断に挑戦し成功する
1580年 岡山の燈籠崎から櫃石島、岩黒島、与島を経て宇多津へ遠泳する
1582年 瀬戸内海を泳いで東上し、本能寺の変を見物。即日泳いで帰郷する
1586年 前田家の姫君と結婚する。前田利家に挨拶するため、敦賀から金沢まで泳ぐ
1590年 小田原の役で伊勢から泳いで参戦
1592年 名護屋から釜山の近郊東莱まで泳ぐ
1597年 再度朝鮮へ泳いで渡る
1598年 朝鮮から泳いで帰国
1600年 関が原で敗北、大坂から泳いで薩摩に逃亡
1603年 島津忠恒によって徳川家康に引き渡される。大阪まで瀬戸内海を泳いで渡る
1606年 八丈島へ流罪が決まり、逃亡を恐れた幕府により、船で送られるも途中飛び降りて泳いで八丈島へ渡る。
1614年 島流しになっていた八丈島から大阪城に泳いで出陣。徳川勢に苦汁をなめさせる
1615年 またも島流しになっていた八丈島から大阪城に出陣。敗北し泳いで八丈島へ逃亡
八丈島にいたらしいが、大坂や岡山での目撃証言や、江戸城の御堀で泳いでいたのを目撃したという証言もある
1655年 八丈島で逝去。享年83
>>220 丸武甲冑で遊んでる身としてはありがたくない…
二言目に有名武将の甲冑じゃないの?(プギャ)と言われると原達夫
224 :
日本@名無史さん:2009/10/23(金) 21:20:12
>>221 韓国ネタはいいかげんスレ違いですが許して。
このドラマは
>>190の聖徳太子と同時代なんだよね。どう考えても似たような格好になるはずなんだがw
いや、韓国人に言わせれば、倭国は遅れてるらしいからいいのか?ww
>>224
まじで すれ違い邪魔wwwwwwwwwwwwwwwww
お前の母ちゃんがどう思おうが知ったことじゃないwwwwwwwwwww
227 :
日本@名無史さん:2009/10/24(土) 14:09:27
短甲の中には、合わせ目が前面にひとつだけというものがある。蝶番もないのに、これで着用が可能なんだろうか、もしかしたら副葬用につくられたものではないか、と以前から思っていた。
この疑問を解決してくれたのが安土考古博物館にあるレプリカだ。ケースの下が開いていて、直接触って重量などを体感できるようになっている。
レプリカの前面の合わせ目に手を入れて開いてみたら、簡単に開いた。脇の下の湾曲した鉄板が抵抗になるんではないかと思っていたが、そうでもなかった。
一人では難しいが、誰かに後ろから手伝ってもらえば簡単に着用できることを確認。
あまり小札作りの鎧に魅力を感じないのは俺だけだろうか…
時代祭り今年も行けなかった…なんで平日にやるんだ
始まった明治の頃には段ボールみたいなので鎧作ってたらしいけど、そのへぼいのもちょっと見てみたい
>>228 大鎧の騎射戦術だけに特化したあの変な機能性には
ロマンがあるだろうが!
足軽具足に陣羽織
旗指物はどうすんだろう
>>231 足軽が身につける陣羽織は「合印」としての意味合いもあるから
その場合、旗指物は用いないと思うよ。
233 :
日本@名無史さん:2009/11/05(木) 08:38:40
先日の唐招提寺のドラマにちょこっと挂甲が出てた
挂甲はなんか格好良いな。
桂甲はいかにも甲冑って無骨さがいいよね
237 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 14:40:43
前田慶次の赤い和洋折衷的鎧が、おしゃれ。
あんなのを身長180aの大男が着ていたなんてそりゃ目立つだろう。
238 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 18:02:19
ほんとに180あったのかな?
239 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 22:54:00
山形県にある二つの具足を見る限りは、せいぜい160センチ程度だね。
>>98 伊予松山城の天守内に試着用に無造作に置いてある
着てみようかと思ったけど人が多かったので気恥ずかしくやめた
>>240 伊予は関西じゃねーだろうw
>>98 兵庫県立歴史博物館は大鎧の体験が出来るって
聞いた事があるよ。
>>241 あーっすまん東国の人間なもので関西って何処を指してるかイマイチねw
総面よか頬当てのがかっけえわ
>>241 あれレプリカにしか見えない…
明石松平家の復古調具足はなかなかよかた
245 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:05:04
246 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:46:04
>>245 デルプラドのフィギュアで箱絵描いてた人だよね
顔のグラフィックが使い回しに思えるんだがどうだろう?
もっと肖像画を元にするとかできなかったんかね
絵自体はいいと思うけど
247 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:50:09
新聞広告で純金製頭形・牛角脇立・愛(笑)前立・燕頬なんてものが出てた
お値段1000万だそうな、まさになぜ作ったの世界だわ
248 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:33:20
そりゃ買う人がいるからだろう
249 :
西洋甲冑マニア:2009/11/21(土) 23:54:44
昨日、NHKの「美の壺」という番組が甲冑特集だった
ハイビジョンで見る井伊の赤備は素晴らしかった
くそー!見逃した!
252 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:55:58
>>250 本日0:15〜0:40 NHK教育 美の壺「武将ファッション」
253 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:06:03
美の壺だけに装飾関連がメインだったな
山本カンサイのせいで安っぽい内容になったが
小山田先生とか上に出てるインタビューされた甲冑師さんもチラッと出てた
254 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:44:54
太刀の話で申し訳ないんだけど
白鳳の白柄の陣太刀すげーかっこよくね?
255 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:22:08
朝青龍の太刀も地味だけどなかなか
>>251-252 再放送見れたよ( ´∀`)
いきなりカンサイが甲冑姿で登場してワロタw
257 :
日本@名無史さん:2009/11/24(火) 11:43:57
当世具足ばっかでつまんなかった
258 :
日本@名無史さん:2009/11/24(火) 12:57:21
やっぱ鎌倉末期の腹巻きがないとな〜
259 :
日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:14:21
同意見の子がいるな
260 :
日本@名無史さん:2009/11/25(水) 17:59:13
今の戦国ブームにあわせた番組だから仕方ない
でも佐竹親子の甲冑初めて見たからちょっと良かった
262 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 02:37:05
佐竹とはまた殊勝な
関西だが再放送なかったよ(´・ω・`)
264 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 05:17:22
>>264の美的感覚が日本の甲冑と合わないからでしょうよ
朝鮮ドラマに資料価値があると思ってる方ですか?
267 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 12:11:45
大阪城にある、天海大僧正の
鎧兜メッチャカッコイ〜よ!
269 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 18:55:35
270 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 20:23:20
天海さんの本当にかっこいいよ!
お坊さんにしては何かセンスが
良すぎるというか〜はっ!?
やっぱ明智かなw
271 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 15:54:07
272 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 21:21:02
そうか微妙か〜w
後ろのくりはんげつの
飾り格好よくない!
まっ実際の戦闘には不向きかなw
273 :
日本@名無史さん:2009/12/19(土) 17:04:24
千利休の甲冑は頭形兜に丸の前立てというシンプルなものだったが
天海自重www
274 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 22:15:26
明らかに平安時代の大鎧の方がカッコいいのだが。
サブカルのコスプレ画像貼るな
277 :
221:2009/12/25(金) 16:32:17
278 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 17:47:38
>>275 平安時代?
源平合戦の頃の甲冑
どう見ても
>>274のほうがカッコいいだろ
日本は源義経の時代から伊達政宗や徳川家康、直江兼次見たいに兜は個性があり
確かにカッコいいが甲冑に至っては意外とダサイ
280 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 02:43:16
>>274 テレビ映像用の衣装だから、甲冑としては問題外。たぶんなめし皮製だから、厚手の皮ジャンレベルの強度しかない。刀ならなんとかなっても、矢や槍には無防備だろう。鉄砲の直撃は一部のものを除けば、当世具足も無力だから問わない。
袖の部分がじゃまになって腕が自由に動かせない。刀を振るまねごとをするのがせいぜいで、弓はもちろん、槍や鉄砲も使えない。
鎧の歴史という点では、韓国など限りなくゼロに近い。歴代の権力者が儒教の影響で武人を軽視していたから自業自得。
甲冑が芸術の域に達したのは、平安末以来、武力を持つものが権力の主流であった日本ならではのこと。
281 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 15:47:05
謙信て兜マニアかと思うほどたくさん変わり兜持ってるよね
王冠みたいなのもあるし
283 :
日本@名無史さん:2009/12/29(火) 22:25:21
韓国って一度として(単独で)外国の軍隊に打ち勝ったことがない
やられっぱなしの軍隊なのに、韓国ドラマの中では
>>274みたいに
やたらとカッコいい甲冑や戦闘服なのが笑える
ドラマを見たら日本や中国よりも韓国が一番文明が発展していて強く見える
うちのおかんは完全にそう思ってるw
半島の甲冑なんて皮革や綿入れのキルティングみたいなだったから、文禄慶長の役でも、
火縄銃は侍筒なんていらんから、鳥撃用の小口径で十分だから、数さえそろえればいいって
感じだもんな。それに、兜も皮製だから、日本刀の直撃で頭ごと西瓜割り状態だったわけだし。
元寇の頃でも、徒歩武者の長刀攻撃で鎧ごとザックリの体たらく。
まんまネトゲのそれだからな
286 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 13:27:43
『上杉謙信・景勝と家中の武装』 竹村雅夫 宮帯出版
ところで、出たばかりだけど、この本読んだ人いる?
上杉家関連の甲冑・刀剣の書籍では、今までで一番いいんじゃないだろうか。
カラー写真が豊富なのがいい。兜の内側まで写した写真は初めて見た。
ただし、著者本人が撮影したのか、カラーの色合いがおかしな感じなんだよね。
某ブログで紹介していたやつか。
そのうち買おうと思っていたんだよ
内容が良ければ写真が多少残念でも目をつぶるわ
>>287 写真の質は少々残念だが、この手の物に興味があるなら買う価値は絶対にある。
版型の割には高いけどね・・・。
スレ違いにはなるが、「刀剣」の書籍としても物凄い資料価値がある。
今だと普通にはまず見れない書籍からの転載写真とか載ってるんで。
これほど詳細に説明しているものは他にないね
範囲が広がると大変だと思うが、上杉家以外の武将の甲冑でも出してほしい
291 :
日本@名無史さん:2010/01/20(水) 18:30:06
著者本人が撮影したか収集した資料が元になってるわけだからねえ。
学研で出た「戦国の実戦兜」では、佐竹家の兜の写真があったから、
カラーで出せる写真資料の守備範囲は、そこらへんじゃない?
292 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 19:58:46
質問なんだが室町以前に桶側胴みたいな板札を使った胴は無かったの?(短甲は除く)
板金の技術は昔から有ったはずだけど・・・
小札を鉄板にしたものなら知ってるけど他はあるのかな?
294 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 08:08:51
技術はあっても必要なけりゃ作らなそうだけど
大量生産を要さない時節だし小札の面倒な作りにした方が職人も仕事失わないで済む
295 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:08:53
297 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 17:04:53
でもまあ、日本の時代祭りに出没するマイ甲冑集団だって生暖かい目で見られてるし。
目立ちたがりの印象は万国一緒じゃないかな?
298 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 22:13:28
いっそスターウォーズフリークの帝国コス軍団みたいになりゃあ面白いのにな。
俺?町内会のイベントで貸し出すのが関の山。
299 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:28:45
戦国の実戦兜みたいなかんじで
面頬だけを集めた本を出してほしい。
三百着目の具足
鎧兜フル装備で総重量20Kgくらいはあるらしいな。
302 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 16:49:08
303 :
日本@名無史さん:2010/02/09(火) 21:59:50
鎧マニアって、いったい日本に何人いるのだろう?
かなり少ない木が刷る
研究者と遜色ないレベルで研究に勤しんでる「鎧マニア」は数は少ないだろうなぁ・・・。
沢山並べてコレクションできるようなものでもないから、何個も買って並べてるような
人もそうはいないだろうし。
ただ、「いつかは一つ買って床の間に飾りたい」というレベルの「鎧好き」はそれなりの数
いる気はする。
mixiの鎧コミュなんかも全然盛り上がってないしな。
306 :
日本@名無史さん:2010/02/12(金) 21:44:24
Gacktの「RETURNER」のプロモーション映像を観た方はいらっしゃいますか?
ヴィジュアルを意識した作りだとは思いますが
中盤の戦のシーンなどは
ただ切りあうだけのドラマより面白いような気がします。
310 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 05:08:46
312 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 14:40:17
>>310 小札だけというのは残念だなあ。
全体像が復元できればいいね。
313 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 21:46:54
>>313 本スレ落ちるの早かったな
一応みると江戸中期の典型的な当世具足だな
基本的な様式はありふれた桶側胴だが仕立てが高級なところを見ると
結構な身分の侍が作らせたものだろう
このクラスなら骨董屋に持っていけば70〜100万以上で買ってくれるかもね
>>313 これはいいものだ
ぜひ大事に保存し続けてほしい
久々に彦根城博物館見てきた。
江戸の具足とは言え赤備えはやばいね…
シンプル+赤=格好良すぎだ。
常設が二点だけなのはちと寂しい…。
317 :
日本@名無史さん:2010/03/15(月) 18:18:38
おお
320 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 13:39:51
>>320 たしかに残念ですねw
衝角付兜か眉庇付兜を使ったほうがまだ幾らか正直な印象を与えると思うのだが・・・
322 :
1児のパパ:2010/03/22(月) 20:59:07
すみません、鎧兜素人です。
初節句を迎える息子に五月人形を購入したいのですが、詳しい方から見て、「この職人(工房)の鎧がおすすめ」とかがありましたら教えてください。
できるだけ、本物志向のいい仕事のしてある五月人形を買ってやりたいのです。
323 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 21:10:05
326 :
1児のパパ:2010/03/23(火) 20:44:23
さっそく回答いただき、ありがとうございました。
325さんが紹介してくださっている鈴甲子雄山は、人形店の店長が一押ししていました。
やっぱりいい職人さんなんですね。
息子さんの初節句で盛り上がる気持ちは大いにわかるw
でも差し出口になるだろうけど、初節句に金かけるのって
結局親の自己満足なんだよね・・・
どのタイプのを買って、今後息子さんとどういう風に楽しむかも含めて
せっかく金かけられるなら今度の五月までにこだわらずに、
じっくり勉強してから選んでみるのも一つの手かと
328 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 22:54:06
うちなんかじいちゃんが買ってくれた義経みたいな若武者の小さな人形もあったけど
メインは先祖伝来(うちは農家)という触れ込みの前立ても無くてボロボロの黒い兜にこれまたおんぼろの錆刀(鞘が割れてた)を毎年飾ってた
子供の頃は何故か兜がすげー怖かった
十数年後のことを考えて、飾っても着ても楽しめる丸武の甲冑はどうなの?
桶側胴だったら結構手ごろな値段のものもあるし
本歌とか等身大レプリカって刀や弓などの付属品を除けば飾るのに必要な面積は
鎧櫃一個分だけだよ
子供さんが育ってお話ができるようになったときに
なぜその鎧にしたのか由来を語れるようになっといたほうがいい
331 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 10:53:24
みんな好き勝手言うよな、つか自分もだけどw
まあ、今年が初節句というので記念にしたいのはわかりますが、他とは違う「特注品」だと、
昨年末(半年前)には注文しとかないと間に合いませんね。
もちろん、予算の問題もあるでしょうから、そこまでこだわるのも考え次第ですが。
>>324-325のようなものはともかく、安い五月人形ですと、売れ残りの源平時代の形の
兜を黒く塗って、それに三日月をつけただけで戦国時代の「伊達政宗の兜」と称して
売ったりもします。
良いものをお選びください。
でなければ、
>>329の丸武なら、実際に着用できる甲冑が20万弱からありますから、
将来の子供の成長にあわせて楽しめますよ。(やっぱり半年前には発注が必要ですが)
ttp://www.rakuten.ne.jp/gold/yoroi/
まあ何にするにせよガラスケース入りのだけはお勧めしない。
あれは上に物も置けないしかさばり過ぎ
見る価値無かったです。見る価値ありそうだったのは将棋盤くらい。
335 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 14:47:40
藤原仲麻呂(恵美押勝)の甲冑装束はそれっぽかったんかな?
吹き返しのついた星兜に、裲掛式挂甲か。
ただ、あのマント姿を見て、うちの家族は、織田信長といわれても違和感無いと言ってました。
あと、雑兵の兜は戦国時代のを黒塗りしただけだった。
藤原広嗣の鎧はちょっとわからない。わかる人教えてください。
336 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 19:31:52
あのドラマの甲冑は、ぱっと見、戦国武士にしか見えないもんな。
仲麻呂のカブトは源平時代風だし。
古墳時代(古墳からの出土品)と平安後期(神社の奉納品)のものは残ってても、
その中間の時代のものが残ってないから、想像するしかないんだよな。
「風と雲と虹と」も、奈良時代と平安後期の狭間で、時代考証に苦労したそうだし。
337 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 22:04:17
鎧にしても化石にしても過渡期の物ってのは中々ないんだな
仲麻呂の乱の頃になると綿襖甲もでてくるんだろ?
339 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 15:33:48
>>338 ということになってるから、あのドラマで真備が着てた鎧がそうなのかな?
>>336 日本甲冑史上最大の謎だよな。
この時代の古墳を発掘しても出てこないものかな?
341 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 10:04:44
342 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 19:54:08
帽子兜ってやつだと思いますお( ^ω^)
345 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:12:39
これがおすすめって本はあります?
346 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:14:12
テスト
>>345 あなたがどのくらい甲冑に詳しいかにもよるが…
日本甲冑の実証的研究 (山岸素夫 著)
348 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:38:24
服飾スレでも質問を書き込みましたが、全くの素人レベルってことでお願いします。
学研のビジュアル本を見たくらいの知識です。
服飾関係って事は、研究よかデザインの方に興味があるの?
なら戦国甲冑集とか、日本甲冑史(上・下)とかがいいかも
アマゾンのURL貼ったら蹴られたんで自分でぐぐってくれ
350 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:51:45
>>284 鳥銃ってのは日本の火縄銃タイプの明や朝鮮での呼び名。
ただ、連中が弱いのは間違いないね。
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」
日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして
先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
351 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 04:10:26
今月の歴史群像に丸武の工房訪問の記事が載ってた
丸武製の頭形兜と胴の当て布を剥いだらプレスされてるふいんき(ry
353 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 09:42:05
奈良時代の甲冑の現存例って全くないみたいだが、
天平期の仏像で神将像なんかが着ているヨロイのデザインに近いのかな?
>>353 その辺は基本的に大陸伝来のデザインじゃないかしらん!?
355 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 10:49:18
345です。早速調べてみます。
骸骨が付いてる兜って、有りそうでないよな。
357 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 19:29:13
面頬っていつ頃から流行りだしたん?
蒙古襲来絵詞にしても関ヶ原合戦屏風にしても誰一人として着用していない・・・
肖像だと
佐竹義宣
高坂昌信(江戸時代作)
山県昌景(江戸時代作)
それと天狗面頬を付けた政宗のがあったはず
360 :
日本@名無史さん:2010/06/26(土) 05:07:33
豊臣秀次の鎧が一番かっこいい
伊達と井伊の具足の統一感は渋すぎる
ああいう統一された具足は近代的な軍制の萌芽を感じさせるね
363 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 15:51:40
日本の具足って首まわりの防御が低そうで気になる
下着の襟が見えちゃってるのは萎える
半身の姿勢で相手と正対しなければどうということはない
365 :
日本@名無史さん:2010/07/04(日) 15:36:28
クソうざい矢さえ防げれればいい
接近戦で殺られたらそれはあんたの腕に問題があるってことで・・・
>>362 芽が出ただけで終わっちゃったけどね。
その後、大名行列が一種の模擬的軍事行動となるわけだが、
それすら臨時雇いの町人を武士にしつらえて形式を保つだけになった。
その後ポンポンと銃弾に具足が貫かれるのを考えたら衰退も仕方ないかな…
368 :
日本@名無史さん:2010/07/07(水) 00:51:48
369 :
日本@名無史さん:2010/07/07(水) 10:06:09
九州の立花氏は御貸し具足じゃなくて、御貸し兜でしたね。
金色の桃形兜で整列したら、見ものだったろうなあ。
あのウルトラマンみたいな兜か
ある意味壮観だな
加藤清正の足軽も胴はつけずに兜のみだったと
常山紀談にあったなあ、兜があった方がこらえやすいとか。
朝鮮の役での経験なのかな
つーか、近代の歩兵も兜はかぶってるし。民間人だって頭巾かぶって頭を保護してる。
別に珍しい発想ではないのでは?
どういうことだってばよ
374 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:39:53
頭が重要なのは確か。
日本の鎧兜だって鎧は革製でも兜が鉄製な例が多い。
西洋では銃が主体になるにつれて鎧が衰弱してるし。
ただしもちろん当時の日本はそこまでいってない。
立花氏の場合は、普通は足軽用のお貸し具足と言えば簡単な陣笠が普通なのに、
桃形の兜、それも金箔の豪華な物を支給したから特殊。
兜だけで鎧を支給してないって意味じゃないよ。
375 :
日本@名無史さん:2010/07/12(月) 23:00:46
>>361 基本的に当時は統一されてないよ。
伊達は単に仙台胴形式が多かったってだけで、全部そうだった訳じゃないし、
井伊の場合は色が赤ってだけで様式はバラバラ。
376 :
日本@名無史さん: