三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝 其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼 事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國 自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入 居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛 魏志倭人伝に記されてる「卑弥呼」なる女王の正体とは? 又、天皇家との関り合いは? 古代最大のミステリーに挑む!
イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは? イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
4 :
日本@名無史さん :2009/05/03(日) 22:35:04
>>1 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
いったい何様のつもりですか?
このスレのスレ主は改めさんという決まりなのをしらないのですか?
すぐに削除依頼出してきなさい。
すこしルールをわきまえなさい。
5 :
日本@名無史さん :2009/05/03(日) 22:41:34
愛知県県民さんよ!男系重視から男にしたいんだろうが 天照神は女ーこれが倭姫 卑弥呼のモデルのあの皇女・ ・神功皇后 豊受姫につながる文化と日本民族の歴史の女神の側面あるだよ!
>>4 良いじゃないか
誰がスレ立てしたって
Part1から参加している「プラム」は このスレを認めるよ。
やこしいスレだなW
>>4 前スレの916,917,919を見ていただければ経緯が分かると思います。
9 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 00:29:00
916さんよ!最近百襲姫についての論文書いたよ。直後三輪山辺り掘る!言い出してなあ、国民は遺跡セットでないと納得しない。古代中国人が伝聞で何ほざこうが、日本民族の古代歴史から卑弥呼は特定出ます。征夷皇族将軍らの総称にタケル名。二代目三平襲名に近い。
日本語でお願いします
11 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 06:28:59
卑弥呼考察の余談の常識に、事代遡り大国は三輪山の住人。大和布都属のスサノオの島根県平定。平定された鉄文化渡来オロチ族、大山系の稲田姫・共に今の大陸奥地からの朝鮮族と別もの。国造の北島とセンガ家は宮崎から統治派遣。
12 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 06:57:16
11の続き、稲倉庫の神明造の太陽神と出雲人住居の巨石信仰。古代は森の二本の生木に屋根し神明造する。宮崎県民末子正統神武より先到着で出雲嫁のは川沿いに伊賀上野さらに大和定住陸軍物部。高倉下熊野・志摩尾張拠点の海軍物部。神武家来度会祖の志摩話し合い支配度会成立。
オドロオドロシイ文章だなあ。ww 毎朝毎晩、神懸りの儀式かなんか、やってらっしゃるのかな?ww
14 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 07:16:29
文字制限の中、12のsageにも、中学生でもネット検索できるように、キーワード入れてギリギリこれ、論文は別、専門家との話しにドロドロ飾り説明文つけねえだろ!業界用語でズバリすむわい!
15 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 07:22:27
14は 13のsageなあ。家柄と今の職業は一致しねえだろうがー親が立派な神職でも息子が医者とか〜たいがい第二人生で神職家の末は最後神職で死ぬ多いがなあ!
16 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 07:29:53
ピンきりはあるが、水商売上がりで新興宗教芸人にイジメ受けてる、 売れない自称イケメンギャグ男も、いづれど田舎の職業つぐんだろうよー
延喜式祝詞 六月晦大祓
…高天原に神留り坐す皇親神漏岐・神漏美の命以て、八百万神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、我が皇御孫之命は、豊葦原乃水穂之国を、安国と平けく知食せと事依さし奉りき。
如此依さし奉りし国中に、荒振神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神掃ひに掃ひ賜ひて、語問ひし磐根・樹立・草の垣葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭の千別きに千別きて、天降し依さし奉りき。
如此依さし奉りし四方の国中と、大倭日高見之国を安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて、
皇御孫之命の美頭の御舎仕へ奉りて、天之御蔭・日之御蔭と隠り坐して、安国と平けく知食さむ国中に、成り出でむ天之益人等が、過ち犯しけむ雑雑の罪事は、天津罪と、畔放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸、許許太久の罪を天津罪と法り別けて、
国津罪とは、生膚断・死膚断・白人・胡久美・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆虫の災・高津神の災・高津鳥の災・畜倒し、蠱物為る罪、許許太久の罪出でむ。
如此出でば、天津宮事以て、大中臣、天津金木を本打切り末打断ちて、千座の置座に置き足らはして、天津菅曾を本刈り断ち末刈り切りて、八針に取辟きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ。…
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/norito.htm
延喜式祝詞 出雲国造神賀詞
…高天の神王、高御魂・神魂命の、皇御孫命に天下大八嶋国を事避り奉りし時、出雲臣等が遠祖天穂比命を、国体見せに遣しし時に、天の八重雲を押別けて、天翔り国翔りて、天下を見廻りて、返事申し給はく、
豊葦原乃水穂国は、昼は五月蠅如す水沸き、夜は火^瓰如す光く神在り。石根木立青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。
然れども鎮め平けて、皇御孫命に安国と平けく知し坐さしめむと申して、己命の児天夷鳥命に布都怒志命を副へて、天降し遣して、荒ぶる神等を撥ひ平け、国作らしし大神をも媚ひ鎮めて、大八嶋国の現事顕事事避らしめき。
乃ち大穴持命の申し給はく、皇御孫命の静り坐さむ大倭国と申して、己命の和魂を八咫鏡に取り託けて、
倭大物主櫛・玉命と名を称へて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ、事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて、皇御孫命の近き守神と貢り置きて、八百丹杵築宮に静り坐しき。…
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/norito.htm
19 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 08:38:12
出雲末子正統大国の偉いのは、モテ男で福井や富山の側室持ち友好地増やした点で、その王家末の側室が北陸川沿いでアイヌに近く又は友好配下に置き、諏訪王家の母の裏山の諏訪目指しアイヌ連合諏訪王家。大国の晩年は三輪山です。
20 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 08:47:24
祝詞には古代日本民族のロマンの歴史が淡々と語られいる。この宮崎県民の天皇家の先祖が、この歴史によりこの世の出雲の地は天皇家ものですから、あの世に戻り宗教世界を治めください!とね。
21 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 08:56:25
18は中学生のどこからかの張り付け?おいらの文章は大手出版社に提出文章だから、全て著作権あるでえ!天皇家の霧島や高千穂の先祖は雲上インカの天空都市に、出雲人には見えたわなあ!
22 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 09:15:41
て言うことで、皆さん大いに卑弥呼語ったて!語源よし、おいらの歴史よし、どうぞ!
久々に来てみた
>>6 プラム氏がデビューしたての頃に邪馬台国関連スレにいたコテハンさんを見ないなあ
バリバリの畿内説だったけど、ちゃんと議論してくれるから
九州説の人からも慕われてた
987 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/04(月) 11:52:57
>>969 いいじゃ無いか、心を広く持て
私が此所にいる限り(私の数字が有る限り)此所に「半島」は住み着きません。
此だけでも私が此所に居る価値がある、
ドン来いと同じにしたいのか?
991 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/04(月) 15:07:26
989 :日本@名無史さん :2009/05/04(月) 13:28:39
>>987 カッチョエー!!
>>989 いいか相手にバカにされない為には相手を正しく認めること、
半島の歴史は、新羅本記が正しい 是だけで良いんだ。
天照大神派 = 卑弥呼 = 豊鍬入姫命 倭大国魂派 = 卑弥弓呼 = 大田田根子 崇神天皇の時代に疫病が大流行したが、 その原因が宮中で祭祀している天照大神と倭大國魂神の不仲によるものと考えられたため 天照大神は宮中を離れ、約六十年の間に二十五回も遷宮を繰り返した。 そして最終的には大和から離れた伊勢に落ち着いた。
27 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/04(月) 20:34:23
【魏志倭人伝】 其國本亦以男子為王 以前、河童虫氏が「其國本、亦以、男子為王」とスルとか言ってたと思う。 しかし、本とか著している先生方をみると、「其國、本また、男子を以って王と為す」が多いのではなかろうか? よく訳されてるのは、「その国、もと又、男子を以って王となす」。 ・河童虫氏がいう 「其國本、亦以、男子為王」 が正しいのか? 先生方が訳した 「其國、本亦、以男子為王」(其國、本また男子をもって王と為す」が正しいか? みなさんはどちらが正解と思いますか? 答えは・・・・・・・・・・・・・・・・「其國本、亦以、男子為王」が正解とスル。
【魏志倭人伝】 すこし訂正 其國本亦以男子為王 以前、河童虫氏が「其國本、亦以、男子為王」とスルとか言ってたと思う。 しかし、本とか著している先生方をみると、「「其國、本亦、以男子為王」が多いのではなかろうか? よく訳されてるのは、「その国は、本また男子を以って王と為す」。 ・河童虫氏がいう 「其國本、亦以、男子為王」 が正しいのか? 先生方が訳した 「其國、本亦、以男子為王」(其國、本また、男子を以って王と為す」が正しいか? みなさんはどちらが正解と思いますか? 答えは・・・・・・・・・・・・・・・・「其國本、亦以、男子為王」が正解とスル。
29 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 20:43:35
どういう意味になるんですか? 解説もお願いします。
謎の文献とされる魏志倭人伝。 不可解な行程記事といわれてる代表例は、 『水行十日 陸行一月』の記事ではなかろうか? よく、畿内説、九州説とに分かれ、決着がいまだについてないとか聞く。 しかし、それは、魏志倭人伝を著した陳寿さんのワナにはまっているダケというか、 「読めない」ということを、自らが認めてしまっているのである。 ほらほら、よそのスレでも「水行二十日はあり得ない」とか言ってるでしょ? 「ありえない」ではなく「分かりません」というべきなのでアル(笑)。
31 :
改め :2009/05/04(月) 21:15:37
>>29 >どういう意味になるんですか?
>解説もお願いします。
ご自分でお願いします。
なんでもかんでも「教えて!教えて!」と人に聞くんではなく、
自力で探すべきなんデス。
大体、〜なんで私が、貴方に教えてやらないといけないの?
32 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 21:18:43
卑弥呼=姫巫女=倭迹迹日百襲姫でほぼ確定なんじゃないの? 当時はまだ天皇家より大物主の方が格上だったんじゃね? 大物主→百襲姫→崇神って流れで最高権力が移って行ったんだと思う。 崇神が大物主一族を蔑ろにして反感を買ったので百襲姫が知恵を貸した。 で、大田田根子を神官のトップとしてそれなりの地位に就けた。 当然、中国側は大物主の妻であり後継者でもある百襲姫をトップとして認識していた。 崇神以前の捏造により事実が消されてしまったのではないかな。
33 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 21:34:19
>>31 いや、ゴメンね。
実は、何も考えずにテキトー書いてるだけで、
多分、説明なんかできないんだろうなあ、と思ったからさ。
34 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 21:45:16
>>30 何もむずかしいことはないよ。水行十日と陸行一月。合計四十日かかるということだ。
水行十日又は陸行一月と読む説もあるけど、それはだめだよ。
水行十日で行けるならば陸行一月もかけて歩くはずはない、と言われる。もっともな
話だ。それに、投馬国について何で水行二十日だけしか書いてないのか、それも説明
できない。投馬国だって九州内のはずだから、水行と陸行を併記するというならば投
馬国についても書かなければおかしいんだよ。
なるほど
>>34 誰もが船を持ってるわけじゃないし、操船技術は特殊技能だし。
陸を行く人だっていて不思議じゃない。
江戸時代だって、江戸大阪間は船で行けるから陸路は無しよということにはならなかったじゃない。
投馬国は陸路では行けない所だったのかもしれない。
37 :
改め :2009/05/04(月) 22:01:13
前のスレでも書き込んだが、 魏志倭人伝には、「卑彌呼宗女の壹與という十三歳の女王を立てる」とある。 この女王の名は魏志で「壹與」、それ以外の史書では、「臺與」とされ、 こぼ違いはなにか?「国名」か? 又、梁書には、「其後復立男王 並受中國爵命」とあって、 「其後」を「そのご」とは読まずに「その后」とし、 並んで中國爵命を受けた男王こそ、「臺與の后」とすれば面白い。 「卑弥呼→男王→臺與の間」でも「其後」とは書いておらず、その前の男王では 「〜卑彌呼死 更立男王」とあり、「復更立男王 並受中國爵命」でも良いと思う。 まあ、「その後」なのか「その后」なのか、私も迷ってるところでなんですが、 みなさんはどう思われますか?
38 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:08:00
>>36 行程記事は基本的に使者一行が確認したことを書いているはずなんだよ。伝聞を
書くならば、旁国についてだって書けるはずだ。倭人がそれぞれの旁国への行程
を知らないはずはないからね。
それに、行程記事は伊都国から先は放射式。その書き方は時計回りでも、その逆
でもない。となれば、近い国から遠い国へという順序で書いていると考えられる。
そうすると、邪馬台国の水行十日陸行一月を併記と読むと、投馬国よりも邪馬台国
が近い国になってしまい不自然なんだよ。
なるほどなるほど
40 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:26:16
投馬國と邪馬台国は里を用いて距離を表してないんだよね 距離を測る人間が途中で死んだのかも知れないw
41 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:34:22
水行って言っても、潮の具合をみて舟を出し、また陸に戻る。夜は陸上で宿泊する。 そんなことの繰り返しだろう。 また、陸行は山道などならば、時間で距離を算出するのは長距離の場合むずかしくなる。 水行の十日分、二十日分、そして陸行の一月分、正確な里数が分からなかったから日数 で表したというだけだろう。
42 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:41:13
>>41 いくらなんでもそれは中国人をバカにしすぎてるだろ
43 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:50:49
郡より女王國に至ること萬二千余里 他にも侏儒國も里で表してる 会稽の東治の東ってのは道理でもって推測してるらしい
44 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:53:11
ほかにも明らかに伝聞であるという字の使い分けをしているから この魏志倭人伝はやはり、はなから疑って眺めるべきレポートだろう
45 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:54:52
別に馬鹿にしているつもりはないよ。誰だって条件次第では里数は分からなく なることがある。平地を直線で歩くだけならば時間から割り出せるが、山道など の場合はわかりにくい。ハイキングなどで、良く経験することだよ。
46 :
日本@名無史さん :2009/05/04(月) 22:57:48
>>45 別にあなたを攻撃してるんじゃないんです
なにを手がかりにするのかは各自の勝手で
またそれを批判するのも勝ってであるとお許しいただきたい
47 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/04(月) 23:20:56
>>27 違う違う
「其國本亦以男子為王」
切らないで一気に
どうしても切りたくば
「其國本亦、以男子為王」
今日は議論しないよ
片道5時間の運転でヘトヘト
さっき帰ったばかりだから
「其國本亦、以男子為王」 ネ おk。 >片道5時間の運転でヘトヘト >さっき帰ったばかりだから お疲れさん 今日はどこへでかけてたんですか? そして、古代史関連でどこか出かける予定は?ALL
49 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/04(月) 23:43:56
>>27 この「亦」は、並列
其とする国は、亦とする国と同様「以男子為王」だった。
50 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/04(月) 23:49:19
>>49 >この「亦」は、並列
>其とする国は、亦とする国と同様「以男子為王」だった。
同意。
さすが、分ってるね!
そうそう、そのとおり。
「其國本亦以男子為王」 には、二つの国が記されている。
>>48 茨城の自宅から、私用で
埼玉の秩父まで(一般道で片道150q弱)
行は3時間だったけど、帰りは渋滞に巻き込まれ5時間
で、改めドツボの馬鹿はスレを立てることができず 愛知県民が代わりに立てたって事なのか? あれだけ自分がスレを立てることに固執しておきながら 言いたいどう言う事なのか? 自称スレ主は何か説明しないのか? どうせ、こうなるのは分かったいた事なんだが… 小銭を握り締めてネットカフェを巡り スレを立てる根性も潰えたのか?w 何とか言えよカス。
53 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 01:04:59
どうせ漢文の珍解釈しかできないんだから、何を言ってもムダだろう。
前すれの980だけど、改めさんの御返事がないようなので再掲 「A 則 B」が、「A = B」「A は B である」 というのはわかる? それと『都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也』は、 都於邪靡堆 邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也 という二つの文から出来てるのがわかる? 邪靡堆が二つ連続するから、ひとつ省略して一文になってる。
実生活でもネット上でも能力不足、人事ながらお気の毒。
56 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 01:37:22
>>53-54 自分たちのレベルに合う人と話せばいいだけ。
そうすれば、気にもならないだろ?
ここより、向こうのスレのがいいんじゃない?w
57 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 02:00:15
58 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 08:43:41
>>54 改め君にも解らない理屈かと
「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」
「ハヤタ隊員“=”ウルトラマン
「ハヤタ隊員は“則ち”ウルトラマンだ」
ハヤタ隊員は、変身と言う過程を経て
初めてウルトラマンであり、ウルトラマンも変身と言う過程を経ねば、ハヤタ隊員にはなれない。
つまり、「変身」という“お題”を出さない限り
そういう論法は成立しない。
「邪摩堆“則”邪馬臺者」も同じさ
その論法に当て嵌めるには、変身のようなお題が必然なのさ
で、お題はなんなのさ?
ん?
59 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 09:17:49
>>58 「A 則 B」は「A=B」である。
とは、個別の漢文を一般化した説明である。
AおよびBには、適当な漢語をあてはめることができる。
これに対し、
「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」
個別の文である。
ハヤタ隊員およびウルトラマンは固有名詞である。
「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」という文は、
清朝以前のどのような漢籍にも記されていない。
それゆえ、ハヤタ隊員とウルトラマンの持つ固有の性質、
および両者の関係が如何なるものであろうと、
それによって、漢文における「則」の字の用法・性質は何も説明されえない。
以上の理由によって、君のレスは無内容である。
>>59 君の言う、個別の漢文を一般化した説明は
清朝以前の漢籍に記載されているのか?
61 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 09:44:53
幾つも記載されている。 君が「A則Bという漢文は存在しない」と言っているのなら、 君は「X + Y」が理解できないのだろう。 ここは数学板ではないので、文字式について改めて説明するつもりはない。
62 :
九州王朝大好き :2009/05/05(火) 10:16:02
>>58 河童蟲さんも平易な説明ができるのですね。
普段は判りにくい説明しかしないのに。
その変身を示す言葉が「者」ですね。
「邪靡堆」は地名、魏志では「邪馬臺」は国名、
邪馬臺者と「者」入れることにより「邪馬臺」を変身地名化をしめしている。
その変身を説明した回りくどい訳が下記です。
>>54 氏の関係代名詞でつなぐような構文解説も含めました。(ヨーロッパ言語では主格の関係代名詞は省略されないが。)
『都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也』
A都は邪靡堆にあり、それは即ち魏志の邪馬臺國と謂う所の邪馬臺である
63 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 10:16:03
>>61 誰がそんなことを?
ありもしない話しをでっちあげるねかな?
私が言っているのは
君が説明していることを、清朝以前の漢籍でも、同じように説明しているのか? と聞いているのであって
A則Bの形をなした漢文が、存在していたかしないか、などという
次元の話しをしているのではない。
それに、君だって
>>54 にて 「則」の用法、性質を説明しているようには思えんが
特に性質。
「則」の性質を語るなら、「則」の文字が、何故そのような性質を持つのかの説明をするのが
学問ではないのか?
つまり、発生に対する原因の説明だよ
教科書に書かれている事を右から左に移すだけなら
学問ではなく、労働だよ
64 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 10:26:29
>>62 王朝さん
百回に一回くらいは(笑)
王朝さんもそうですが、発生に対す原因説明ですよ
「者」と言う文字が
何故そのように説明する事ができるのか?
それが学問では?
その原因説明が、正しいか間違いかは別として
姿勢ぐらい示す事が学問の入口では?
私の漢字説明は、その原因説明の一環として、しているつもりです。
内容の正しい間違いは別として
65 :
九州王朝大好き :2009/05/05(火) 10:32:42
>>61 君の言うことはよく理解できる。
僕も自然科学系出身のだから。
人文科学系にドップリ浸かった脳の所有者には、理解できないことですねえ。
66 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 10:39:08
>>63 >
>>54 にて 「則」の用法、性質を説明しているようには思えんが
>「A 則 B」が、「A = B」「A は B である」
これは「則」の性質の説明そのものでしょう。
ただし、そういう性質を持つことの証明はしていない。
なぜなら、改めさんが、これを知っているかどうかを質問しただけだから。
知っているなら、重ねて証明する必要がないからね。
>「則」の性質を語るなら、「則」の文字が、何故そのような性質を持つのかの説明をするのが
>学問ではないのか?
「則」が、こういう性質を持つ事を、例文から演繹的に導き出せば事足ります。
そういうのも学問です。
自然科学を見ればわかるでしょう。
ある物質がどういう性質を持つかを研究する事も学問であり、
どうしてそういう性質を持つのかを研究する事も学問です。
ただし、こと語学に関しては、語源はほとんど学問にはなりません。
なぜなら、証明が出来ないからです。
何故そういう性質を持つに至ったかは、あなたや言語虫という人が好きそうな話題ですが、
そういう語源的なことは、オレはこう思うの域をほとんど出ませんね。
白川静の漢字の研究にしても、彼が長老になってしまったから、
正面きって批判する人が少ないだけです。
67 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 10:50:19
>>62 王朝さん
>「邪靡堆」は地名、魏志では「邪馬臺」は国名、
こういう性質の変化は、すくなくとも、この文からは言えません。
ちょっと河童さんには意地悪をしましたが、彼の言う変身というのも解らなくはない。
邪靡堆と邪馬臺で文字表記が変わってる。
つまり、魏志倭人伝での邪馬臺という表記が隋書では邪靡堆という表記に変身している。
ただし、ここで変身しているのは文字表記(あるいは、それに伴う発音)だけ。
この文は、性質の変化には何も言及していません。
68 :
九州王朝大好き :2009/05/05(火) 11:05:42
>>67 >こういう性質の変化は、すくなくとも、この文からは言えません。
こういう性質の変化をすることを示す語が「者」です。
「者」字が、こういう性質を持つ事を、例文から演繹的に導き出すのではないですか?
「者」の用例はたくさんありますよ。今すぐは面倒で思いだせはしないが。
69 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 11:27:04
ではなぜ「者」と言う文字が、性質の変化を表すものに私用されたか? 大事なのは そこなんだよな〜 王朝さんが言ってる事は、辞書や漢籍で調べられる事で、一々掲示板で議論するまでもない事だと思うが
70 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 14:53:03
前スレ986 >>「倭國乱れ相攻伐すること歴年」或いは後漢書の言う「倭国大乱更に相攻伐暦年主なし」 >西暦180年頃より半島、大陸の異変に合わせる、寒冷化の影響 私の勉強不足で、このような半世紀以上も前にどなたかが述べられたことをここで拝見する とは、これが現今の通説なのかも知れません。 しかし、私見はこの見解とは意見を異にするものであります。
71 :
改め :2009/05/05(火) 15:15:12
>>58 >>62 どうして区域の名を漫画の人物で説明する?
「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」 て漫画の主人公でしょ。
「倭“則”日本」
「倭“=”日本」
「日本“則ち”大和」
倭 は、変身と言う過程を経て
初めて 日本 になり、大和 に変身と言う過程を経ねば、邪馬台国=大和 にはなれない。
てことかな?ww
72 :
改め :2009/05/05(火) 15:29:34
>>58 >>62 訂正
どうして区域の名を漫画の人物で説明する?
「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」 て漫画の主人公でしょ。
「倭“則”日本」
「倭“=”日本」
「倭=邪馬台国」「日本=大和」
「倭“=”日本」 だから 都同士の「邪馬台国=大和」 ということ。
「倭“=”日本」
「邪馬台国“則ち”大和」 てことになるていいたいのかな?
初めて 邪馬台国は倭になり、日本は大和になり、邪馬台国→倭 倭=日本
日本→大和 に変身とする過程を経ねば、邪馬台国=大和 にはなれない。
二人とも、これ以上笑わせないでくれwww
>>48 >そして、古代史関連でどこか出かける予定は?ALL
今回は残念ながら無し。
昨日、関が原以前にあった美濃の山城跡を見に行きましたが、古代じゃないし・・・
>>71 >どうして区域の名を漫画の人物で説明する?
>「ハヤタ隊員“則”ウルトラマン」 て漫画の主人公でしょ。
ウルトラマンは後に漫画・映画やゲームにもなりましたが、本来は実写の特撮テレビ番組ですね。
また週末に来ます。
インフルエンザ怖いですが
GRRR・・・
74 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 16:00:55
>>72 『都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也』のどこにも
「倭“則”日本」なんて書いてない。
落ち着け。
「ハヤタ隊員」と「ウルトラマン」が本質的に同じ存在で名前が違うだけなら、
「ハヤタ隊員則ウルトラマン」という文は成り立つ。
しかし、ハヤタ隊員は変身しなければウルトラマンになれなくて、
両者が本質的に異なる存在なら、
「ハヤタ隊員則ウルトラマン」という文が、そもそも成り立たない。
具体的な漢文に即さず、架空の例文を持ってくると、こういう落とし穴がある。
だから、
>>59 で、河童さんのレスは無内容だと言ったわけ。
「知人則哲(人を知るは則ち哲)」という言葉が有る。
「人を知る」ということが「哲」ということの具体的な内容であるという意味。
「知人」という能力の名前が「哲」であり、「哲」という能力の内容が「知人」ということ。
「知人」と「哲」は、言語表現が違うだけで、等価のもの。だから両者を「則」で結べる。
そこに変身なんか、何にも関係しない。
表現の違いを変身だと強弁しない限りはね。
75 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 16:02:09
で、改め君は
>>54 の二つの事、
「A 則 B」が、「A = B」「A は B である」
と
都於邪靡堆
邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也
という二つの文から出来てる
には同意するのかい?
76 :
改め :2009/05/05(火) 17:20:54
>>74 まあ、そこ件は、おたくに任せた〜後は宜しくw
河童氏が変なこというから
>>75 みたいなのが沸いてくるww
77 :
改め :2009/05/05(火) 17:24:54
>>73 ウルトラマンは実写の特撮テレビ番組でしたか。
ウルトラマンなんて見たことないので知らなかったですww
>會稽東冶の東
これは行程記事じゃないよww
78 :
改め :2009/05/05(火) 17:31:59
計其道里當在會稽東冶之東 てかいてるだろ。 なんで邪馬台国というより倭国とするほうが正しいだよww どいつもこいつもうけるね。 おれを笑わせようてか??ww
79 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 17:43:39
>>74 ハヤタ隊員と、ウルトラマンは本質的に同じです
科学特捜隊のハヤタ隊員は、第一話「ウルトラ作戦第一号」の時、怪獣ベムラーによって
ビートルと供に墜落し、命を落とします。
しかし、その勇敢さを惜しんだウルトラ一族は、ハヤタ隊員の肉体を利用し
ウルトラマンの地球上での仮の姿とします。
ウルトラマンは、地球上で本来の姿では三分間しか、活動できないからです。
要するに「者」は
>>62 が言う関係代名詞「What」とか「That」みたいなもんだろ?
則魏志所謂邪馬臺者也
即ち それ(者)は 魏志で謂う所の邪馬臺 也
でこの場合「謂われた所の」として時間の経過を重視すれば
ウルトラマンのお話が出てくるわけだなw
一体ここの連中は何を語っているんだろう?
記号論?
言語学?
もう何がなんだかワケワカランwww
81 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 19:36:55
>>79 それ間違い。
ベムラーを追っていたウルトラマンが誤って調査に来てた
ハヤタのビートルに接触。
関係のない地球人を危めた責任と、
先に来るであろう、怪獣との戦いに備え
科学特捜隊で
動きやすいハヤタに乗り移ったってこと。
82 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 19:39:56
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。 どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
83 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 20:02:40
>>81 詳しい情報サンクスです。
四十年以上
しかも当日幼稚園児の記憶なもので
記憶はあてにならんな
反省反省
84 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 20:06:14
ウルトラの のりうつりたる ハヤタかな 無季スマソ
85 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/05(火) 20:07:27
武陽陰士が文学板だろ つまり文学板には、武陽陰士より、筆の立つ輩が居らんつー事ね。
86 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 20:10:58
ベムラーを 追いかけ来たる ウルトラの のりうつりたる ハヤタなるべし
87 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 20:59:46
>>85 文学って明確な「正しさ」ってものが存在しないからさ。
むちゃくちゃでも言い張ったもん勝ちなんだよ。大迷惑。
88 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 21:33:55
なんだ〜ちょと時間あいたので覗いてみたらレス進んでないでやんの。 河童虫さんが居ながらドンコイのがレス数進んでるww
89 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 22:01:09
>>88 ごめんな〜ぁ
三月中旬から、サーバー規制(アクセス規制)に引っ掛かり
現在PCからの投稿が出来ない。
携帯からだとめんどくさく、投稿回数も自然と少なく。
一度四月に解除されたけど、一週間程度で再突入し
現在に至る。
「南」ではなく「東」?伊都国から「放射線状式」?投馬國は「狗邪韓國」? 連続式に決まってるだろww 狗邪韓國 ↓ 對馬國 ↓ 一大國 ↓ 末盧國 ↓→ 伊都國 ↓→ 奴國 → 不彌國 ↓ 投馬國 ↓ 邪馬壹國 ここ ↓ 狗奴國
>>89 >アクセス規制
それは、大変〜だろうが、河童さんはネカフェを知らないのか。
わたしは自宅のPCでするよりそっちのがいい。
>携帯からだとめんどくさく、投稿回数も自然と少なく。
携帯は大変!つーか、「携帯でレス」このまえ初めて経験しましたわw
確かにめんどくさいww
どこでエンター押せばいいのか迷うし、しかも1番下のレスをみるのにも苦労するw
では、自分が〜チト本気出して書いちゃおうかな・・(アホーはよそのスレでOK)。
92 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/05(火) 22:34:15
ネカフェはなかなかいいんだが、なんでも得体のしれない保菌者が いて、罹患がこわいからあまり行かないほうがいいんじゃないかと 言われたことがある。要するにその日暮らし的方々が若干出入り するから、定期的診療もやってない人物もいるんじゃないかとの ことでおっかないぞという?
>>91 そりゃあ、気ままな独身者なら
それもアリだが
既婚者ともなると、用事が無ければ
家の中にいる事が役目だから
>>90 一生無理だな ご愁傷様
94 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 22:45:25
「邪馬壹國はどこ?」 邪馬壹國は北部九州でもなければ南部九州でもナイ。 ましてや、奈良県巻向遺跡周辺や佐賀県小城市なんて言語道断。 ただ、たんに魏志倭人伝が読めないだけだろう。 なんで、言語道断というかといえば、 魏志倭人伝には、「自郡至女王國萬二千餘里」と書かれているだろう? もし邪馬台国を奈良県巻向遺跡周辺とした場合は、距離も合わないし 方角もぜんぜん違う。 佐賀県小城市に関しては、面白いとは思うが、少し距離が短すぎる。 それに魏使が九州に上陸した「末盧國の場所」は、北松浦半島ではなく、 東松浦半島の方だから。 まあ、ここも魏志倭人伝をちゃんと読めば分かるはず。
95 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 22:51:49
>>92 あんた〜どんなネカフェ行ってるんだww
わたしがよく行くところは、新しく出来たばかりで、女性客も多く、
きれいなところ。
>>93 >一生無理だな ご愁傷様
そう思うでしょ?
まあ、私や太国氏の話を聞いてから、言ってちょーだい。
感動して涙が止まらんくならんよーにww
96 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 22:55:30
>>93 河童さん
大体、なんであそこに邪馬台国が在ると思うの?
あなたの師匠の記事をみて、ここが1番しっくり来ると思ったから?
んで、貴方は、以前の場所と同じでいいのかな(現在も)?
貴方の師匠は、ハッキリ言って倭人伝をよく知っている。
しかし、場所に関してはソコじゃないんだよね。
97 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/05(火) 22:56:40
あ、そう〜。いいネカフェだねえ。 そういういい店もあることは確かだ。いい点はコーヒー等飲み放題 とかなかなか静かでラクチンだし、金額もまぁ適当だな。w いままで8回くらいは行った。パソコン修理とか規制のとき。 いい店もあるのでホッとした。
98 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 23:05:22
>>97 いいよいいよ〜ネカフェは自由だしゆっくりできる。
ジュース・コーヒー飲み放題。
ほかにもいろいろ揃ってるしね〜!
それにしても河童さん〜まじでレスするの遅い。
PCぐらい買えばいいのに〜!
99 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 23:07:58
>>96 どうして君は何時も勘違いしているの?
あそこは
女王の居する宮殿があった地
対馬も邪馬台国、壱岐も邪馬台国、末廬も邪馬台国なら伊都も邪馬台国
奴も不彌…… 三十国全てが邪馬台国なの
100 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/05(火) 23:08:14
彼はPCを持ってないの? それがしもそろそろ4代目を買おうかと想う? ウインドウズ 7 が待ち遠しい。
101 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 23:13:30
「邪馬台国は南部九州?」
面白いとは思うが、それでは少し距離が長すぎる。
自郡至女王國萬二千餘里で一致する場所を探すには一苦労するだろう。
それに、
>>94 の佐賀県小城市説のところでも言ったが、
「魏使が九州に上陸した場所は、北松浦半島ではなく、東松浦半島。
もし、北松浦半島ならば、一大國から方角的に「南」でしょ?
上陸した場所が、北松浦半島ならば、著者である陳寿さんも
「又南渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸....」となろう。
なぜ、「又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸....」なのか、ちゃんと意味があるんデス。
>>101 距離的には、南九州がぴったりなんですけど。
郡から韓国南岸5000里、マツラまで3000里。
そこから、東と南に2000里強だから。
(郡より女王国12000里強だから。)
九州の南部で間違いなし。
>>102 郡から韓国南岸は7000里だった。訂正。
>>98 では、新しいネタの投下
理由は絶対に言わないけど
邪馬壹国も、邪馬臺国も、邪馬嘉国も その他 堆 や 惟
も、読みは全て「ヤマタイ」で OKだよ
…教科書では教えてくれない倭伝…
105 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 23:20:49
>>99 あぁ 私が「邪馬台国が在る場所」と言ったのは、「都として宮殿の在るところ」です。
まあ、いいでしょう、河童さんに合わせて「宮殿の在る所」とします。
河童さんは、邪馬台国=三十国スか?女王国の認識はどうなってるのでしょうか?
>>100 わたしは、去年の夏にビスタを買い換えたばかり。
太国さんは4台目っすか〜こっちはやっと2台目。
ウインドウズ 7は、しらないw
106 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 23:21:46
ウルトラQにも、チロリン村にも、ハヤタなんか出てこなかったぞ。
107 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 23:23:25
>>101 自郡至女王國萬二千餘里で邪馬台国へ到達できると思ってるのがまちがいだな。
女王国と邪馬台国は別の概念だ。女王国都は何か? それを考える必要がある。
>>104 じゃ、おにゃのこの名前もタイヨなの!?
おトヨちゃんだと思うんだけどな。
日向の国=ヒムカの国、
豊の国=トヨの国
の対応もあるし。
109 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/05(火) 23:30:45
伊予の二名島っていう島がある。 次世代が 7 だそうだよ。w
110 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 23:40:31
>>102-103 >そこから、東と南に2000里強だから。
なるほど、なるほど〜それで南九州がぴったりと....。
でも、それは貴方が感じ、思った「2000里強」でしょ?
大体、2000里強をどのぐらいの距離と思ってるんですか?
>>104 >では、新しいネタの投下
>邪馬壹国も、邪馬臺国も、邪馬嘉国も その他 堆 や 惟も、「ヤマタイ」
>>107 >自郡至女王國萬二千餘里で邪馬台国へ到達できると思ってるのがまちがいだな。
>女王国と邪馬台国は別の概念だ。女王国都は何か? それを考える必要がある。
この際、そんな事どうでも良いデス。
"卑弥呼の2階建ての在る宮殿"、ようは都は何処なんですか?
111 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/05(火) 23:44:23
>>106 ウルトラQは
ウルトラシリーズの第一弾で、幼心を掻き立てた記憶が
確か?石坂浩二の「これから始まる30分間…」
で始まり
万城目パイロット役の佐原健二さんは
アテンションプリーズで三上教官役だったよね
女性カメラマン役の桜井浩子さんは、ウルトラマンでも フジ隊員として出ていた記憶が
112 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/05(火) 23:53:33
>>109 >伊予の二名島っていう島がある。
島?何か意味深そうなレスですな。
倭人伝に関係あることでしょうか?
もしや・・・。
私のレス110の
"卑弥呼の2階建ての在る宮殿" ←これピンと来た人は、さすがだネ!
>>110 いや、いや、いや・・・。感覚じゃないって。
ソウルから韓国南岸までの海岸線の長さ。
韓国南岸から対馬までの距離
対馬から壱岐までの距離
壱岐から松浦までの距離。
それぞれ何千里と記されていて、地図上の距離と比例している。
あとね。女王国の乗っている島の周囲の長さも何千里と乗っている。
これも九州だとすると、上の距離縮尺とピタリ一致している。
ちなみに九州一周を5000里としている。
だから、松浦からの2000里強は、九州半周弱の距離だよ。
魏志倭人伝の1里は、地図で逆算したら、60〜70mくらいだったかな。
とにかく地図上の距離と綺麗に比例しているから。確認してみて。
さらに東1000里渡海すると倭人の国があるという記述もあるが、
これも九州四国間の距離に一致。
とにかく倭人伝の里数は一貫性があってあてになるってことだよ。
114 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/06(水) 00:03:22
>>110 周防灘から朝日の昇る様子を確認出来る
日豊本線沿い。
115 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 00:16:43
>>109 太国さん
島の場所が分かったのでしょうか?(太国さんなら、有り得るんだよね〜!)
>>113 おやおや〜なるほど、九州説スね。
貴方は畿内説のアホーより幾分マシなようです。
しかし、そこで、何もかも一致し、すっきり出来て邪馬台国のなぞが解けてるのでしょうか?!
もし、そうならば、わたしと同じ場所を「指す」はずですが・・・。
>>114 >周防灘から朝日の昇る様子を確認出来る
>日豊本線沿い。
それじゃ貴方の師匠と丸っきり同じじゃん。
まあ、私と貴方の師匠さん、どっちの言ってることが「完璧」か、自分で判断してみればいい。
116 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 00:27:15
>>114 ではでは、お尋ねしますが、どうして「日豊本線沿い」なのでしょうか?
【後漢書】
去其西北界拘邪韓國七千餘里
↑これは、卑弥呼の都(宮殿の在る場所)から「西北方向に拘邪韓國が在る」んですよね?
【魏志倭人伝】
南至邪馬壹國 女王之所都
都は、東南ではなく、あくまでも「南」なんデス。
118 :
113 :2009/05/06(水) 00:34:06
>>115 魏志倭人伝からハッキリ読み取れるのは、九州南部ということまでです。
地形、遺跡、この時代の人口密度などあわせると、宮崎南部ということになりますね。
日本最大の古墳群があり、農耕に適した平野があり、九州で2番目に人口密度が高かったところ。
ちなみに人口密度一番は北九州甘木付近。これは一大卒に比定されると思う。
119 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 00:34:07
>>110 女王国へは万二千里で到達できるけど、邪馬台国へは伊都国から水行十日陸行
一月かかるんだよ。で、邪馬台国は南九州の都城盆地付近。
120 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 00:34:51
まるで文系版、ガイキチ博士の会話のようだ。
121 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 00:53:22
>>117 >申し訳ないが、比べる気にもなれない。
いやいや、貴方の師匠さんはすごいと思ってますよ。
>冗談だよね?
まじまじww
>>118 さっきも言ったが、それは貴方の邪馬台国じゃん。
そこと思う・・・ていう、いわゆる想像ナわけでしょ?
>>119 >女王国へは万二千里で到達できるけど、邪馬台国へは伊都国から水行十日陸行
>一月かかるんだよ。で、邪馬台国は南九州の都城盆地付近。
その理由は?
>>120 >まるで文系版、ガイキチ博士の会話のようだ。
おたく〜畿内説て丸分かりだねww
122 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/06(水) 01:01:25
太国さん >ウインドウズ 7 より前に エクセルの並べ替え 覚えてね。
123 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 01:03:54
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。 どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
124 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 01:11:04
「邪馬台国は熊本県だった」 【魏志倭人伝】 自郡至女王國萬二千餘里 郡から女王國まで万二千余里 女王國=邪馬壹國 投馬國から始まる謎の「水行二十日」、 そして邪馬壹國 女王之所都水行十日、陸行一月は、残りの1300里余り。 熊本県だったので有る。 あくまでも「投馬國から南」なんデス。 狗邪韓國 ↓ 對馬國 ↓ 一大國 ↓ 末盧國 ↓→ 伊都國 ↓→ 奴國 → 不彌國 ↓ 投馬國 ↓ 邪馬壹國 ここ
125 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 01:16:48
狗邪韓國 對馬國 一大國 末盧國 伊都國 奴國 不彌國 投馬國 邪馬壹國 斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、好古都國、不呼國、姐奴國、 對蘇國、蘇奴國、呼邑國、華奴蘇奴國、鬼國、為吾國、鬼奴國、邪馬國、 躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國、奴國 この【南に】狗奴國。
126 :
118 :2009/05/06(水) 01:17:43
>>121 想像じゃないって。
魏志倭人伝の全文よんでみた?
位置としては、南九州しかありえない。
距離的な問題、方角的な問題、気候風土的問題で。
さらには、全体像、相対位置なども根拠。
ただし、魏志倭人伝はそこまでしか書いてない。
たとえば女王の宮はどこだといわれてもわからない。
平地かもしれないし、山奥かもしれない。
ただ、一般国民の位置はハッキリしている。人口密集地帯だ。
語尾が思うとかになっていることを挙げ足とっても意味ないでしょ。
南九州しかありえない。OK?
それを踏まえて、想像の領域はあるだろう。
女王宮は歩いた距離の多さから山地だろうな・・・とか。
南九州以上の人口密集地帯は、真の中心地一大卒だろうなとか。
127 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 01:20:46
阿呆コテハンが復活しとる(笑) よう、梅毒!名付け親が来てやったぞ(笑) 知らん間にバカ四天王に増えてる(笑) 美濃もんたとか九州王朝バカは入らんのか(笑)
128 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 01:24:37
河童どこ行った?
129 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 01:29:29
>>121 伊都国は佐賀市付近。そこから放射式。水行二十日の投馬国は薩摩川内。
水行十日陸行一月の邪馬台国は八代付近で上陸、陸行一月で都城。
女王国というのは投馬国、邪馬台国を中核国とし、その周辺の旁国も含めた
国家連合体とみる。その理由は以下のとおり。
@ 伊都国から千五百里で女王国。千五百里と水行十日陸行一月を比べれば
女王国よりも邪馬台国が遠いことは明白。同様に、投馬国の水行二十日も
千五百里よりは遠いことが明らか。
A 旁国は大国の傍らにある国のこと。邪馬台国や投馬国のような大国のま
わりに旁国があったと考えられる。となれば、邪馬台国よりも南ばかりで
なく北にもあったはず。ところが女王国以北は戸数道里略載可という。
これは、女王国にその北の旁国を含むと考えないと辻褄が合わない。
B 万二千里は女王国の始まり。終わりは南の奴国(これが境界の尽きる所)。
130 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 01:32:12
>>126 >想像じゃないって。
>魏志倭人伝の全文よんでみた?
おたくは、魏志倭人伝の全文読んだんかい?
>位置としては、南九州しかありえない。
>距離的な問題、方角的な問題、気候風土的問題で さらには、全体像、相対位置なども根拠。
>ただし、魏志倭人伝はそこまでしか書いてない。たとえば女王の宮はどこだといわれてもわからない。
>平地かもしれないし、山奥かもしれない。ただ、一般国民の位置はハッキリしている。人口密集地帯だ。
>語尾が思うとかになっていることを挙げ足とっても意味ないでしょ。南九州しかありえない。OK?
>それを踏まえて、想像の領域はあるだろう。女王宮は歩いた距離の多さから山地だろうな・・・とか。
>南九州以上の人口密集地帯は、真の中心地一大卒だろうなとか。
さっきから何度も言うが、それは貴方の邪馬台国なんでしょ?
貴方の頭の中で想像し、【妄想】して楽しんでるわけでしょ?
131 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/06(水) 01:32:51
>>87 武陽陰士の書き込みを見て彼(彼女?)より 強烈な書き込みは見ない、
だから彼(彼女?)より強烈な書き込みをしない限り文士としての明日は、無い
武陽陰士がここから消えた基本に、ここは「歴史を考える板」ここで熱弁をふるっても
歴史を考えて居ない彼(彼女?)には、ここは居心地が悪かったのでは無いか。
文学で彼(彼女?)をうまわるのなら彼(彼女?)の上を行く書き込みをしなさい。
その書き込みは、本当の歴史より本物に見えること。
私の書き込みは本物に見えるが、武陽陰士ほど文章力がないのでパス。
河童さんと太国さんはマジで〜どこへ行ったのだろうか?
それとも、今頃、泣きながら悔しがってるのかな?www
>>129 なんだそりゃ(笑)
わたしのレスを、何度も、何度もレポート用紙に移して、勉強したほうがいいんじゃねーの?ww
>>131 こんばんわ
というか、武陽陰士て誰ですか?
133 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/06(水) 01:56:03
俺はもう布団の中。
>>133 >俺はもう布団の中。
おおっ〜河童さん、そこに居たんかいww
河童さん〜「邪馬台国はそこやったのかい」て感動して涙流してんじゃないの?ww
それより、
>>126 さん、
>>129 さんのレスみてどう思います?
勝手にソコと思い込んで想像してるだけですよね?w
135 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/06(水) 02:13:02
>>134 いいんじゃないの
人それぞれ思い描く比定地があり
否定するつもりはないよ
仮に否定したって
反感かうだけで、メリットないから
無意味な批判は極力避けるつもりです。
136 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 02:22:24
>>135 それもそうだね。
まあ、少しは盛り上がったかな?
レス数も進んだし、これでよしとしよう。
137 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 02:34:28
>>135 河童さん〜今日のところはここまでにします(もう遅い時間なので・・・)
実を言うと、
まだ続きがあって・・・本当の真実はこれから。(これまでのレスは準備運動に過ぎない)。
それは、後日、ここへ書き込む事にします。
138 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/06(水) 02:38:50
では、皆様、 see you again 〜〜☆☆
139 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 02:40:31
邪馬台国は地面に穴を掘って住んでいた土蜘蛛の人食い人種の熊襲ではない。 神武東征などなかった。神武天皇と欠史八代の天皇などいなかった。大昔から 天皇家は大和国に土着していた磯城県主である。最初の天皇である崇神天皇は 卑弥呼(日女命)の実妹の婿殿であり男弟に過ぎない。卑弥呼の後継者である 台与(稚日女命)は卑弥呼の甥の娘である。垂仁天皇は卑弥呼の一族である 日葉酢媛命(川上日女命)の婿殿に過ぎない。やはり景行天皇も播磨稲日大郎姫 (尾張志里都岐刀邊命)の婿殿に過ぎない。日本武尊の妃である宮簀姫命も 神功皇后(息長帶比賣命)も卑弥呼の一族である。天皇家は卑弥呼一族から 政権を強奪したわけで万世一系の男系で継承されているわけではない。つまり 日嗣皇子ではなく日嗣巫女だったわけだ。天皇家が祟りを畏れて祭祀を行って いる場所が伊勢神宮であり祭られているのが天照大神(卑弥呼=日女命)と 豊受大神(台与=稚日女命)である。
140 :
129 :2009/05/06(水) 07:17:23
>>132 批判を書くだけの理解ができてないようだな。言葉をそっくり返すよ。
141 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 08:02:35
>>129 八代から都城まで一ヶ月かからない
あなたは九州を知らないからそんなことを言える
142 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/06(水) 08:28:44
朝から為になるネタを投下。 翰苑の中に、こんな記事が掲載されている。 魏略曰として 「東南五東里到伊都國」 廣志曰として 「東南陸行五百里到伊都國」 と書かれた 誰か、時間があったら 「東南五東里」と書かれた意味でも考えてみたら いかが?
143 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 09:10:07
>>127 君もどうだい? 阿呆コテ名乗ってみては?www
144 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/06(水) 09:21:17
>>112 いや、特段の理由があって書きこんだのではないです。伊予国は愛媛県ですが、
とりわけ壹與とはイヨの同音でもあまり双方は関係うすいと考えています。
偶然の一致とかでしょう? 伝を読むと邪馬壹国と邪馬国、卑弥呼と卑弥弓呼
とか、上位二字が同音字になることがしばしばあるようですから、単なる読み
の一致で同一人物だとするのは避けるべきです。ただうなずける例外もあるよう
ですね。
145 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/06(水) 09:22:47
146 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 09:45:02
>>139 曲学の徒さんの信者(ドバーンさん?)のお出まし?
卑弥呼は日女命でもなければ天照大神でもないよ。
親分さんに言ってきな。
147 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 09:56:32
>>141 何キロあると思ってるのかな。また、どんな進行速度を考えてるのかな。
>>147 だったら九州の人に聞いてみればいい
とてもじゃないがそんなにききらない
10日ぐらいで楽々辿れる
>>148 九州、というかみやこんじょ出身の者だが、正直無理。
歩いて何日とかじゃなくて、無事に辿り着けるかすらわからない。
当時は宿などないから食料を調達しながらゆっくり進むしかない。
150 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 11:47:19
俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 阿輩雞弥=アハキミ=オホキミ? 阿毎=アメ 多利思北孤=タラシヒコ アメタラシヒコ=天皇 天皇=聖徳太子 ならどうするよ?
151 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 11:54:20
魏志倭人傳 [隋書俀國傳] 地図 〜〜〜〜〜〜└→→→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 │郡⇔不彌國(女王國):12000餘里 〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 │郡⇔投馬國:水行20日(有明海・天草灘・五島・済州島経由) 〜〜〜〜一大國┃◎┃↓壱岐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┓ │郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地・韓地陸行) 〜〜〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┗ │ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜┏━┓〜〜〜┏━┛∵∵∵∵∵∵ │ 〜〜〜〜〜〜〜┏━┓↓┏━┛∵┗━━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵ │ 〜〜〜〜〜┏━┛∵┗┿┛[秦王國] ∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵ │ [城郭位置] 〜〜〜[竹斯國] 末盧國◎→○→┐∵∵∵∵∵∵∵倭[俀國] ∵∵ │末盧國:唐津鏡中原遺跡等 〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │伊都國:惣座遺跡(肥前國庁址) 〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵伊都國◎┬→→●不彌國∵∵∵∵∵∵ │●印:女王國の構成国 〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵│┏┓├┐∵∵∵∵∵∵∵∵ │不彌國:吉野ヶ里遺跡 〜〜〜〜〜〜〜〜┗━┓∵∵奴國●┃┃●●邪馬壹國 [邪靡堆] │投馬國:大川中心部 〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏━━┛┃投∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │邪馬壹國:久留米南部 〜〜〜〜〜〜狗┏┛┃┃∵∵┃〜〜〜┃馬∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │奴國:佐賀城 〜〜〜〜〜〜奴┃∵┃┗┓∵┗┓〜〜┃國∵┌─────── │ 〜〜〜〜〜〜國┗┓┃〜┃∵∵┃〜〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵ │ 〜〜〜〜〜〜連〜┃┗┓┃┏━┛〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵ │狗奴國:菊池 狗奴國連合(15〜25ヶ国)の中核国 〜〜〜〜〜〜合┏┛∵┗┛┗━┓〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │ 〜〜〜〜〜〜┏┛┏━━━┓∵┗┓〜〜┃∵狗奴國連合∵∵∵ │倭地:狗奴連合国以北の九州島(周旋可5000餘里[350km余]) 〜〜〜〜〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┃〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵ │ 〜〜〜〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │[秦王國]:唐津市浜玉 〜〜〜〜┗━┛〜〜〜┗━━━┛〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵ │[十餘國] :魏志の伊都國・奴國・不彌國・投馬國・餘旁國等の後継国
152 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 12:00:54
153 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 12:21:07
154 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 12:34:58
155 :
151 :2009/05/06(水) 12:49:16
>>153 >地図の説明をよろしく
説明が欲しいところを指摘して下さい。
>九州各地の神社の神様は天皇家ばっか
>九州王朝の欠片もない。
その各地の神社で7世紀以前に遡れる神社がほとんどないのは不思議ですね。
8世紀になって突然神社が乱立したのでしょうか?
156 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 13:21:46
大和の九州平定がその時期だから
>>152 それ、面白いけど
最初は真面目な解釈なんだけど
途中から電波が入っている。
158 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 16:38:17
>>149 球磨川沿いに人吉に入りえびの
で、都城
途中に高千穂有り
べつに命落とすようなとんでもないルートじゃないし
古来からのルートだ
159 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 18:54:32
私も古代においても道はあったと考えるが、直線で約百キロ、山道だから実際に 歩く道を考えれば百七十から二百ぐらいと考えられる。しかも、それはほとんどが 登り道であり、加久藤越えと称される難所もある。御使者ご一行をそう急がせるは ずはないからね。十分に、一か月と言うべき行程だよ。
160 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 21:50:53
隼人に襲われるだろJK
>>159 人吉〜都城を実際歩く距離が200kmとして
200kmをひと月かかって歩くとすると
ひと月29日としてだいたい一日に7kmじゃないっすか
7kmは大人の足で1時間半で歩ける距離っすよ
いくらなんでも遅すぎるっすよwww
162 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 22:18:43
誰も本を出版するやつはいないのかな?
163 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/06(水) 22:36:59
>>153 比売大神は九州王朝の女王級の人物だよ。
164 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 22:38:07
>>161 振り分け荷物に三度笠の時代だったら1時間半でしょうがね。
165 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 23:42:25
>>163 >比売大神は九州王朝の女王級の人物だよ。
女王級?
その女王級の人物て誰のこというてるん?
166 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 23:42:45
>>161 接待係が御使者を毎日歩かせるかな? いろいろ想定してみることだね。
>>130 > おたくは、魏志倭人伝の全文読んだんかい?
もちろん、読んだよ。
書き下し文だけじゃなく、原文とされる写本も。逸文とされるものも。
魏志全部じゃないよ。倭人伝は全部。たいした量じゃないよ。
固有名詞以外は使っている漢字は親しみのあるものばかり。
原文そのままで十分読める。
> さっきから何度も言うが、それは貴方の邪馬台国なんでしょ?
だから、全然違うんだって。読めば分かる。
距離が詳しく全部書いてあるんだって。
対馬の周囲の距離だとか、女王国のある島の周囲の距離だとか。
それぞれ、帯方郡からどれくらいの距離なのか細かくかいてある。
それをよんで実際の地図と比べてみれば、
非常に一貫した距離感覚をもっていることが分かる。
あなたはこれくらいの基本のこともしてないんでしょ。
あなたの考えは完全に【妄想】。
大量にある距離記述に矛盾のない位置の範囲の算出。
OK?
【南九州説は、】大量にある距離記述に矛盾の無い位置の算出。
169 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/06(水) 23:49:20
ドンと来い 42 >998 じゃぁ棄却したらどうか?えらそうなことを言っているが、 それだけ詳しく言いだすならオマエの訴状を書くための漢字がなかっ たとかの当時の証拠を見せな! 先に言い出したのはオマエ側のほうだよ。先に漢字がないと言っ たんだろう〜オマエ側のほうが先なんだぜ。途中の書きこみを先 だとか言うなよ。 早く無い証拠を耳を揃えてもって来い。バラ蒔くの前に漢字がないと オマエの側が言い出したのさ。また悪魔の証明とかで逃げるなよ。 先に証拠と言ったのもやはりオマエ側なんだよ。 ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・
170 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 00:00:40
結論 初代天皇 推古天皇 日本の歴史の始まりは七世紀の飛鳥時代とし、 それ以前を日本の歴史とみなさずにしよう。 神武や応神は活躍年代が分からず、歴史人物とはいえない。
172 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 00:12:24
>>168 【南九州説は】大量にある距離記述に矛盾噴出。
おまけに漢文がろくすっぽ読めない。
>>150 男の大王は、聖徳太子でしょうね。
のちに歴史をまとめた藤原氏にとって、
それは都合が悪かったので隠蔽した。
政治をしていた事実は隠せそうにないので
摂政として、推古を天皇とした。
ただ、中国の文献によると、2人の王がいて
1人が夜に祭祀をして、もう1人は朝に実務をしていた。
祭祀をしていた方が格上とのこと。
中華皇帝は「天に2つの太陽がないように、
それは良くない。1人にした方がいい」的な批判をした。
それらを全て事実と受け入れると、
祭祀=推古。実務=聖徳太子。
と考えられる。両方とも王。
藤原氏にとって都合がわるい理由は、
自分らが敵対した蘇我氏の血縁だからという線が濃厚だが、
中国受けを考えてという線もある。
歴史をまとめたのは、中国に立派な独立国と認めてもらいたい
という理由があって、中華的には良くない2王より、
王と摂政の方が受けが良いと考えたから。・・・かも。
>>172 具体的な箇所をしてきできます?
まず、倭人伝読んでみてください。地図と比較しながら。
175 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 00:39:53
邪馬台国問題でずっと気になってることがあるんだけど
ちょうどいいスレ来てるので引用。
>>167 >だから、全然違うんだって。読めば分かる。
>距離が詳しく全部書いてあるんだって。
>対馬の周囲の距離だとか、女王国のある島の周囲の距離だとか。
>それぞれ、帯方郡からどれくらいの距離なのか細かくかいてある。
ここまではいいんだ、ちゃんと倭人伝よめって、それは賛成。
でも次が気になるんだなあ。
>それをよんで実際の地図と比べてみれば、
これね、衛星画像や航空写真つかって、精密な測量器械つかって
正確に正確につくった現代の地図だろ?
でもそんなの見ないほうがいいんじゃない?
だってそんな地図昔はなかったんだから。
それよか倭人伝よんで昔の中国人はどんな地理のイメージもってたんだろって
想像してみることが大切なんじゃない?
176 :
149 :2009/05/07(木) 00:47:38
>>161 あのルートは今でこそ整備されてるかもしれないけど、
俺が子供の頃なんか道がクネクネしてて、よく車酔いしてた。
あれが古代だったらどんだけ難所だったろうかと
移動できるのは日中だとして、午後は夜を過ごすための
場所探しと食料確保で終わってしまうんじゃないかなあ
実際に移動するのはせいぜい5時間。
そんな状況で雨でも降られた日にはもうね、だと思うよ
177 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 00:49:10
これこれ。
これも気になるスレ。
>>174 >まず、倭人伝読んでみてください。地図と比較しながら。
現代の地図を前提にして先に見ちゃったらたら、古代人の感覚がわかんないんじゃない?
178 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 00:52:05
>>174 周旋五千餘里
=周旋350餘km
東夷伝でよく出てくる地形形状に変換すると、
方可二千五百餘里
≒方可200km
倭地即ち九州島は200km×200kmの島となる。
九州島の東西幅は実際に適合。
南北の距離は南九州を除く北部中部九州島の大きさである。
魏の認識では、倭地に南九州は含まれていなかったのである。
倭地に含まれて居ない場所には倭の如何なる国も存在しない。
>>178 それには簡単に反論できるな。
縦横長さが近い壱岐の場合は、
「方何百里」という表記にちゃんとなっている。
周旋という書き方も可能なのに、
ここだけ敢えて、方○○里の書き方になっている。
つまり、縦横長さが近い場合は、周旋より、
方○○里という表現が優先される。
女王国の島は、実際には、
方2500里とは書かないで、周旋5000里と書いてある。
方2500里という表現に相応しくない形状
(縦横長さが近くない)ことを意味している。
>>175 >>177 逆、逆。
古代人の距離精度をしるには、実際の地図と比較してみることだよ。
もちろん、比較的正確といっても
コンマ数パーセントというような精度じゃないよ。
本人も略載といってるように、概数だよ。
でもその概数は非常に適切な範囲に収まっている。
>>179 >実際の地図と比較
貴方は恣意的に、起点と着点を設けるのですか?
181 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 08:00:28
歴史好きな女性「歴女」が流行らしい。タマゲタ! 「歴女」は肉食系の男子がお好みらしい。残念!ここのスレの住人はもてない。
182 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 08:17:59
方○里は面積の表示、周旋○里は周囲(半周)の距離の表示。
183 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 11:09:11
>>182 周旋が半周の距離表示なんて、どこからそんな説が出てくるの?
184 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/07(木) 11:50:46
「周旋」 結果、周する事が可能な折り返し点。
「所居絶島」 =居する所が絶える島。 ★で、何が居するのか? これは倭人伝の中の一文だから、当然居するのは「倭人」 つまり、 ここ対馬は、“倭人が住まう極みの島” だから 狗邪韓国に倭人が住んでいたなどというトンデモな話しは 二度としないの させないの。 倭人はここ対馬で絶えるのです。
186 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 13:51:23
>>183 「周」は「まわり」「行き届く」という意味だ。「旋」はぐるりと巡る。
つまり、周旋は、島の周りを巡って向こうへ行き届くことなんだよ。だから
半周と同じことになる。
187 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/07(木) 14:08:26
>>186 周旋とは、仲立ちをすると言う意味。
例えれば証券取引所が、この周旋に当たる
株を売る人、買う人の仲立ち役が周旋。
貴方の言うように、半周の意味なら、証券取引所が
自ら株を買ったり、売ったりしなければならない。
188 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 14:12:20
>>186 いや、個々の文字の意味ではなくて、周旋と熟した時にどういう意味で使われていたか、
その具体例が重要だという事。
例えば、周遊というときの周や、旋回というときの旋は、
島の周りのような決められたコースを巡る事を意味しない。
倭人伝以外で、そういう意味がはっきり読み取れる用例が欲しい。
それから、周旋がグルリと回るという意味だとして、
それが一周ではなく、半周に限定されるのか。
これも、具体的な用例で示してほしい。
僕はこう考えるじゃあ、別の人はそう考えないで終わってしまう。
そう考えるに足る客観的な証拠が必要だろう。
189 :
178 :2009/05/07(木) 14:23:58
>>179 對馬國はどうですか?
對馬國の実際の大きさは200里×800里。
倭人伝では「方可四百餘里」の表記になっています。
面積は等しくなっている。
>>182 その通り。
地形の表現方法に、面積、形状、距離の3方式がある。
○○方里:面積による方法
方○○里:形状による方法(面積もわかる)
(参考 三角形:東北狹西南長可千里 東沃沮伝)
周旋○○里:長さによる方法
>>185 「所居絶島方可四百餘里」
對馬國は、卑狗卑奴母離(=對馬國の倭人)が居する所が絶える400里四方の島
對馬國は400里四方の単独の島(絶島)だけであると書いてあるだけ。
狗邪韓國云々には言及できない。
190 :
178 :2009/05/07(木) 14:36:02
>>187 前半は正しい。
最後の2行は間違い。
始点から終点へ行く仲立ちの道程が5000里の意。
191 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/07(木) 14:38:40
>>189 倭人伝は東夷伝の一部であり、尚且つ韓伝の延長線上に位置する伝記
だからモロに関係します。
192 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/07(木) 15:31:53
>>190 「周旋」と5000餘里は別物ですよ
周旋は
「船行一年可至……或絶或連」た、折り返し地点であり
可5000餘里は、周旋となるべき絶え連なった 最後の地域の計測距離です。
ぶっちゃけ簡単に言えば
列島を一周するにあたり、折り返し場所となる北海道の規模は、可式で測量すると約5000里
可=範囲を把握する。
可式=範囲の四辺のうちの二辺
だから「可」と言う文字は、あのような形をしている。
193 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 16:04:30
>>188 辞典でまず字義を調べる。次いで、熟語で通常の意味は?特殊な意味は
ないか?を調べる。それで通常は十分なはずだ。
異論が出た場合には、それに対応して用例を調べることもあるが、いくら
説明しても理解できない人もいるからね。
194 :
doontakuka :2009/05/07(木) 16:19:41
>列島を一周するにあたり、折り返し場所となる北海道の規模は、可式で測量すると約5000里 北緯45度か。。。。。 鋭いね。
>>194 >北緯45度か?
いいえ
この場合、基本は西から東への移動だから
折り返し地点は、
東経145度かと
196 :
再度の質問です :2009/05/07(木) 17:45:40
「周旋」の意味をよくご存知の方へ 「周旋」は半周片道の場合に使いますが、 1周往復の場合の表現方法を教えて下さい。 2回目の質問になりますが、再度教えて下さい。 以前のご返答内容を忘れました。
>>196 >半周片道に使いますが
使わない。
周を半分にしたら周ではなくなるし、
周旋は「めぐるまわる」ではなく、「めぐりまわる」
“めぐり”は“めぐる”動詞の静止形であり
完了した状態です。
完了した状態には、めぐると表す動態は含まれません。
だから 半周などという動態軌跡などは表現されないのです。
それに、周には往復の概念はありませんから 1周往復などの表現は存在しません。 周と片道は必ず一筆書きであり、片道との違いは、周は起点と着点が同じ点を共有する一方、 片道は、起点と着点が必ず異なると言う違いです。 だから 周に片道という表現は共有せず 周に片道と言う意味がのらない理由です。
199 :
日本@名無史さん :2009/05/07(木) 19:40:59
200 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/07(木) 20:06:34
>>199 周匝、周到の「周」は、“めぐる”ではなく
“あまねし”ですよね?
201 :
再度の質問です :2009/05/07(木) 20:29:38
>>199 ありがとう。メモしました。
岡山県に周匝の地名がありました。読みは異なる。
>>200 周匝の「匝」が“めぐる”
同じ“めぐる”でも 「匝」の“めぐる”は“めぐらせる”
203 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 06:57:15
>>202 そのように使われる場合もあるが、「匝」の字義は、一めぐりして帰る意。
そこで、周匝○○里などと書いて一周を表す。
204 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 07:41:52
>>193 辞書に周旋の意味として「半周の距離」なんて載ってないから、
どういう根拠でそう解釈したのか聞いてるんだ。
君の辞書に載っているなら、その辞書名を教えてくれ。
それに、
>「周」は「まわり」「行き届く」という意味だ。「旋」はぐるりと巡る。
という字義からすれば、島を一周すると考える方が普通じゃないの。
字義からも熟語としても半周なんていう意味は出てこない。
だったら、半周を主張するなら、あとは用例からしかないだろうと思って、
そういう用例を示してくれと言ってるわけ。
205 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 09:36:09
おめー等どっち?? 遠絶の「絶」の意味は、 @交流が絶えて女王の境界が尽きる所。 陸続きじゃないていうのは、島なんだから当たり前。 A遠絶の「絶」の意味は、遠く孤島という意味で交流が絶えてることではない。
206 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 09:50:39
>島を一周すると考える方が普通じゃないの。 用例を示してくれ。
>>203 >匝の字義は、めぐりして帰る意
だから「めぐらせる」と、言ったろう。
簡単に言えば、「残心」
208 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 11:23:06
引用がちがっているよ。 匝の字義は、めぐりして帰る意→ひとめぐりして帰る意
209 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/08(金) 11:36:26
>>205 後文に「不可得詳」と書いてある以上、Aは絶対にないよ
詳しいことが分からないのは、孤島だからじゃ
全く理由になってない。
210 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 11:48:07
>>206 用例からの判断じゃなくて、提示された字義から判断すればということ。
>「周」は「まわり」「行き届く」という意味だ。「旋」はぐるりと巡る。
という字義のどこにも半分という意味はないのに、
「つまり半周」と言われても、全然納得できない。
それにしても、「自説の証拠を出せ」と言われて、
「反対するならお前が証拠を出せ」と言うのは、
愉快なコテハンさんの常套手段じゃないかw
そういうのはやめようよ。
211 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 11:56:07
「半周」が気になるならば、無視してくれ。 「周」は「まわり」「行き届く」という意味だ。「旋」はぐるりと巡る。 つまり、周旋は、島の周りを巡って向こうへ行き届くことなんだよ。 つまりは、こちら側から向こう側までの距離だ。 これで、いいかな。
212 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 12:07:17
>>209 >後文に「不可得詳」と書いてある以上、Aは絶対にないよ
>詳しいことが分からないのは、孤島だからじゃ
>全く理由になってない。
「不可得詳」は対馬のことを言ってるんじゃないw
そもそも的が外れてますww
>>212 >そもそも的が外れてます。
自分で自分を評価したのね?
214 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/08(金) 12:26:40
>>211 どんなに表現方法を変えても、距離には起点と着点が存在します。
そして、起点と着点が異なる移動距離を 片道といい
半周は、この片道にあたります。
一方「周」は 起点と着点が共有しあう同じ場所で、一度も同じコースを辿らない
だから二つの言葉が重なる事はありえません。
215 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 12:29:27
>>205 前漢の書物に「遠方絶域」ていう言葉があるし、
ずっと時代は下がるけど「絶は遠なり(絶とは遠いということである)」という注もあるし、
「遠」方「絶」域で「遠絶」じゃないのかな。遠も絶も、両方「とおい」という意味。
まあ、強いて絶に「断絶」の意味を求めれば、魏の使者が行った事がないということで、
陸続きだとか島だとか、そんなことは関係ないよ。
>>215 はい
正解。
詰まり、交流がないから不可得詳
217 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 12:40:07
絶交じゃなく絶島だてww
218 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 12:44:03
>>217 は?
「其餘旁國遠絶不可得詳」だよ
絶島なんて
どこから持ち出したの?
220 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/08(金) 12:54:47
>>218 ダメだこりゃ!
完全に妄想と先入観に汚染されてる
221 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 13:02:56
>>217 遠絶とは書いてあるが、絶島とは書いてないよ。
絶島は対馬国のところしか出てこない。
ヤフー辞書なんか引っ張ってきても漢籍は読めないよ。
改め君は、「者は人だ、辞書見ろと」言ってる時点で辞書の使い方が解ってない。
222 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 13:13:21
>>211 周旋の用例を見ると、
1、ある領域内をランダムに彷徨うように移動する。
2、ある地点から別の地点へ、真直ぐではなくうろうろしながら移動する。
3、ある領域の周辺を一周する。
という三つの場合が見られる。
これから考えると、倭人伝の場合、
海上に散らばる島々を全部めぐると五千余里と言っているように思える。
島をひとつひとつ一周するんじゃなくて、例えば、日本列島を南から北に伝っていくような。
ある島の周囲を半周とか一周とか、そういう事ではなかろう。
>>222 歴史に主観はいらない。
主観は省いて説明してくれ。
>>223 個々の用例は自分で当たってくれ。
そうすると、上記三つの意味が確認できる。
ここまでは客観。
「参問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里」
という文は、三つの場合のどれかを考える。
1の場合、ランダムに移動した距離では地理情報になりえないから却下。
県とか州のような、陸上のある地域なら、その周囲一周というのは解る。
また、ある海域の周囲を一周というのもあり得る。
しかし、海上に散在する島々に対して、同様に一周というのは、物理的に意味をなしていない。
だから3は却下。
結局、2しか残らない。
>>222 そこに掲載された三つの用例にしても
かなり恣意的な取り上げかただし、意図的にはしょった感じにみうけられる
ましてや和文での説明となると
前後に当用されてる文章まで掲載しないと
かなりな誤解を生じるよ
「きく」や「みる」
と、漠然と書かれても
和文は解釈に広がりを持ってしまい 訳ワカメに
聞く、菊、聴、……
>>224 そこに書かれた「周旋」の“周”は 倭地にかかり
“旋”は 可五千餘里の五千に当たる着点(周の折り返し地点)を表す。
つまり
洛陽から一番遠い場所の、島規模“可五千餘里”の旋する場所(着点)は
倭地周回の旋する所でもある。
九州を出発して列島一周の旅に出ると、北海道が折り返し地点になるの
228 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 14:42:10
>>210 愉快はけっこうだが、証拠を要求する奴は要求する奴の証拠を
要求する。これでいいわけだよ。
東京の吉原の中の通りをよそ者が歩いてりゃぁ、もうこれはソープ
の店の中で遊んだんだと観て、100中99は間違いないぜ。ww
>>228 太国さん
その例え話は………?
まず、東京の吉原である事が確定され
しかも吉原の通りを歩いている人が
100%よそ者でなければ
その100人中99人と言う数値は浮かび上がりませんよ
それを古代史でやるんですか?
可能性が高いでは
その数値はえられません。
230 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 15:23:25
なんだ測ったのかい?w なら撤回してやるよ。
231 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 15:23:51
>>228 どうも、こんにちは。
オレは、倍暦説はぜんぜん支持できないけど、太國さんのレスは結構愉快に拝見してますよ。
徐福が日本に来たことは証明されてないけど、まあ来てたとして。
徐福が来てたのなら、その時、倭の地域で漢字が見られたかどうかと問えば、見られた。
徐福が地面にでも書けばいいんだから。
でも、わずかな人数の渡来人が、数代使ってたということで、
倭で漢字が行われていたと言えるのかと問えば、それは違う。
吉原で御機嫌で歩いてるとこを見られたら、まあ、遊んだなと。その否定は難しい。
でも、それで、そいつが吉原の常連さんとは言えませんと。そういう事。
一行のほとんどは童男・童女と船乗りで、字を知ってるのは少数だったと思う。
それで、その数代後には忘れ去られたんじゃなかろうか。
漢字を使用していた痕跡が見つかってないんだから。
倭の国で漢字を知ってる事で出世できるのは、ずっと後になってからでしょう。
すると、漢字を覚えても、通用するのは徐福一行の少数の間だけ。
当時は木簡竹簡だから、持ってきた書物の量も大したことないだろう。
だから、難しい漢字を一所懸命覚えるインセンティブが何も無いのね。
漢字覚えても出世できんし飯のタネにもならん。
先祖が持ってたわずかな木簡が読めるとか、日記を付けられるくらい。
だから消え去ったと思います。
232 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 15:27:10
>消え去った そうかも知れないね? あれっ? 一行は300人位いたような話だったと思うが、もっと 少数かね?
233 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 15:45:41
一行は数千人でしたが、果たして何人が無事に着いたか・・?
234 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 17:05:14
なるほど、そういうことも考えるべきだね? 百中九十九が狭まりすぎなら、落として十中九でもいいよ。要するに 大半が東京吉原の中の通りをよそ者の野郎が歩いていたなら、 はは〜ん、これはソープに遊びに来たかソープの帰りの客だなと 薄笑み浮かべて想われるということだよ。年代数字に大甘の河童氏 が、今回はえらく厳しく文句を言って来ている。こんな彼は女なの かな〜?と一瞬邪推してしまったなぁ〜。ww まぁこんなことまで証拠が必要な野郎がここのスレにいるわけだが、 奴もソープに行けばそう想われるはずなのに、そういうことはないと 意地でも否定で頑張るんだろうねぇ〜?ww
235 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 17:23:39
こいつ頭ん中の2/3がソープで占められてるな。2ch犬国ソープ基金つくって皆で10円 ずつカンパするか?そのかわり、体験レポートを載せるという条件で。
236 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 17:38:53
そういう喩えを出さなくては、奴ら分からんのだよ。 オマエは分かるだろう〜?ww
徐福は、斉の方士だったわけだから、字を持ってきたとしても、 漢字ではなくて、始皇帝が統一する前の斉の文字だったかもね。 だとすると、漢の時代には先秦の文字は読み方が解らなくなってたというから、 日本に残ってたとしても、変な文字と思われた可能性がある。かな?
>>151 >狗奴國:菊池 狗奴國連合(15〜25ヶ国)の中核国
笑止
すっごい妄想スねww
【魏志倭人伝】
參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里
倭地ていうのは、沖縄じゃないよ。
ましてや対馬でも壱岐でもない。
東南陸行五百里到伊都國 てかいてるでしょ。
よって、狗奴國の位置は九州鹿児島の先っちょ だー!
239 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 20:18:40
>>173 >中華皇帝は「天に2つの太陽がないように、
>それは良くない。1人にした方がいい」的な批判をした。
>祭祀=推古。実務=聖徳太子。
>と考えられる。両方とも王。
ほう、それを証明できるものてあるんでしょうか?
>中華的には良くない2王より、
>王と摂政の方が受けが良いと考えたから。・・・かも。
これもどこを見ていってるんでしょうか。
上のほうのレスで「周旋五千餘里」について話してるけど...半径でも九州の直径でもないよ。
範囲だ〜範囲!
>>192 >「周旋」と5000餘里は別物ですよ
>周旋は「船行一年可至……或絶或連」た、折り返し地点であり
>可5000餘里は、周旋となるべき絶え連なった 最後の地域の計測距離です。
>ぶっちゃけ簡単に言えば
>列島を一周するにあたり、折り返し場所となる北海道の規模は、可式で測量すると約5000里
河童さんは、1000餘里を何キロメートルとみてるのでしょうか?
それにその「説」は貴方の考えではなく、貴方の師匠さんの考えでは?
240 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 20:33:08
神道は言霊信仰だから必ず墓前とかでの報告でも口に出して挨拶する 仏教と一番違う部分だよね 漢字もおそらく初期の政権は意図的に使用しなかったんだろ 古墳なんかにも一切出てこない 言葉を形にあらわした漢字を霊的なものだと感じてたんだろ 6世紀以降でもわざわざトライ系豪族を専門に記録係にしていた 要するに近づけなかった
241 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 20:37:03
>>151 河童くんはそっとしておいて(笑)
九州王朝説のおっさんでも相手するか。
>郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
なんで不彌國=女王國で、そこまでが12000餘里なんでしょうか?
どこにも不彌國まで行った地点が12000餘里なんて書いてないでしょ?
>郡⇔投馬國:水行20日(有明海・天草灘・五島・済州島経由)
>郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地・韓地陸行)
なんで、投馬國行くには全て「水行」で、邪馬壹國行くときは韓地陸行なんでしょうか?
もう、めちゃくちゃになってませんか?
意味がわからないつーか「水行10日と陸行1月」の謎が分かりません聞こえる。
>倭地:狗奴連合国以北の九州島(周旋可5000餘里[350km余])
ぜんぜん違います。
貴方が言ってるのは「倭」でしょ。
倭地というのは、倭の地に入ってから。
即ち、末盧國に上陸してから〜「次有奴國 此女王境界所盡」までの陸地だよ。
242 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 20:53:40
>>240 おっしゃっていることは一応うなずける。そういう漢字を書か
ない状況が言霊信仰から朝廷ほか一般にあって、まぁ使用を避けて
いた傾向があるように感じる。
ただ古墳からうんと漢字が出てるらsiいんだがね? あのぅ池田仁三
という方が古墳の漢字を撮ってるらしいのだ?
たとえば高松塚は「忍壁親王」という漢字があるとか〜〜?
そのようなんだ〜?
>>239 今稽古から帰宅〜。
ん…! 虫さんの説?
それ以外の誰が真実述べてるの?
検証し直して、正しければ誰の説であろうと関係ありません。
アルキメデスの法則みたいに
>1000里
前にも言っただろう
4000qだよ
244 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 20:59:16
>倭地というのは、倭の地に入ってから。 >即ち、末盧國に上陸してから〜「次有奴國 此女王境界所盡」までの陸地だよ。 末盧国に上陸してからというのは同意。しかし、倭地の最後は奴国ではなく、 狗奴国だろう。狗奴国だって倭の一国だよ。
245 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 21:12:56
>>244 >末盧国に上陸してからというのは同意。しかし、倭地の最後は奴国ではなく、
>狗奴国だろう。狗奴国だって倭の一国だよ。
「此女王境界所盡」て書いてあるじゃん?
「周旋五千餘里」つーのは、範囲五千餘里つーことだから、
「狗奴国」は仲間外れにスル。
「狗奴国」なんて入れてたら「五千餘里」じゃなくて東西五千、南北六、七千ぐらいになるだろ?
>>242 すまん、抜けてた
いわゆる漢字伝来は仏教伝来とワンセット扱いなんだろうね
本家朝廷が受け入れたんだから他も受け入れた
明治帝のようなことがあったんだろう
247 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 21:28:33
わたしの
>>245 のレスをみれば「狗奴国」の位置がわかる。
改め ◆PWTcGEfp1s
↑邪馬台国の謎(行程記事と書く島々の位置までは)を全て解いてる。
まあ、これが、この改めと新人さんとの実力差かな アッハハ
248 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 21:35:40
>>246 大衆的に漢字が広まり出したのは、佛伝ではないかとは思っている?
ただウジノワキイラツコが阿直岐とかからか経典を習ってたという話
のようだし、朝廷の取り巻きでは佛伝よりかなり前だと観ている。
249 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 21:40:03
>>248 >大衆的に漢字が広まり出したのは、佛伝ではないかとは思っている?
ん?昭和に入ってからじゃない?
それか、江戸時代の藩教育により大衆的に広まったとするか...。
ようは、「広まり出した」とするのはどのレベルでそれをいうかと思う。
たった一人に伝わったのなら縄文時代以前かもしれない
250 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 21:42:50
全般的っていうんじゃぁないだろうね? 大衆と言っても朝廷以外の 大衆の一部だろうか? お百姓さんまであまりやって ないだろうから・・・・・?
251 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 21:45:08
>>248 漢字というより記録するために必要だったけど使用出来なかったっというのもあるんじゃないかな?特に宗教的に
中国の方が歴史が古いし、そのまま中国から学者を受け入れるより
仏教という形で朝鮮から受け入れた方が朝廷からは具合がよかった
朝鮮は朝鮮であるからして、朝廷の威光はびくともしない
それよりも中国の偉い学者とか実力者がきて、実は倭のいにしえの神々よりも
古くて大きい世界があることを一般の日本人が知るほうが怖かった
・・・と思うわけ
邪馬台国から、いやもっと前から半島が漢人に蹂躙されるのを日本人は見ていたわけだし、危機感は相応に持っていたと思うよ
昔の人は偉かったと思うな
252 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/08(金) 21:51:49
いえることは〜何で魏が委奴国の「委」と卑弥呼の鬼道の「鬼」の 合字を国名にしたのかっていうことなんだ?
253 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 22:00:19
「後漢書」つーのは、中国 二十四史の一つで、 魏志倭人伝よりずっと後の、五世紀前半の南北朝時代(宋の時代)に書かれたと聞く。 著者名は范曄。 この後漢書の誤記をみつけたのは私だけか?! 范曄さんは、とてつもない間違いを犯したのである。
254 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 22:09:04
>>252 >いえることは〜何で魏が委奴国の「委」と卑弥呼の鬼道の「鬼」の
>合字を国名にしたのかっていうことなんだ?
魏が「委」と「鬼」だって〜? あー本当だ!!
理由はわかりません。
「平成」みたいに、何かしらの意味はあると思いますが...。
256 :
愛知県民 :2009/05/08(金) 22:47:30
魏という国は先秦の戦国時代に既にあったから、倭から国名をとったわけではありません。
257 :
愛知県民 :2009/05/08(金) 22:55:59
後漢書で、倭が朱崖・タン耳と相近しは疑問です。
259 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/08(金) 23:16:17
伊勢神宮の御神体
社殿を造り替える20年に一度の大祭です。
正殿を始め御垣内のお建物全てを建て替えし、さらに殿内の御装束や神宝を新調して、
御神体を新宮へ遷します。
http://www.isejingu.or.jp/shikinensengu/ とある。
この、伊勢神宮の御神体は「八咫鏡」だってみんな知っているだろう。
この前〜読んだ本よると、これを見たことのアル人がいるらしく、
何か熱心に本で語ってたね〜!わたしも見てみたい。
260 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 23:22:32
>>174 現代の地図を見ながら考えるのも一法ですが、一度「混一彊理歴代国都之図(1402)」でもお試しを。
>會稽東冶之東 この言葉がでるってことは、 河童さんは、まだこの謎について解けてないてことだよね? 「邪馬台国の謎」が完璧に解読出来たんなら この「會稽東冶之東の謎」も自然と分かるようになってるよ。 すでに私のほうは、終了してることなので、河童さん〜がんばって解くといいよ。
262 :
日本@名無史さん :2009/05/08(金) 23:48:11
問題は、ヒミコが「天皇家」と関わり合いがアルのかどうかだよ。 もし、天皇家との関係があるなら、まずはどこかに記されてるだろう。 そして、ヒミコは誰に当たるのか? 「徇葬者奴婢百餘人」とか「當時殺千餘人」とか ヒミコは只者じゃないんだよね。 そんな人が、どこにも載ってないなんてなくない?ALL
>>261 はいはい。
じゃあ
「倭國東南五東里到伊都國」も、わかるよね
改め君がわかるまで
「あいうえお」の勉強してきます。 では!
264 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 02:19:32
>>245 倭の地をどこと想定しているのか知らないが、場当たり的な解釈ですね。
倭の地は末盧国から狗奴国まで。周旋五千里は末盧国から南日向までの距離を
示すことで倭の地(九州島)の大きさを示したのです。これが五千里。三千里
南下して東へ二千里ぐらいの感覚でしょうね。
九州の大きさにほぼ合致しています。
265 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 04:34:03
266 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 07:02:17
>>262 まず、卑弥呼のことが記紀に記されているかどうかが一つの問題。
卑弥呼は、西暦180年頃に女王になり、西暦248年頃に死んでいる。
果たして、記紀はこの時代のことをカバーしているか。
この時代のことを含んでいないとすれば、記紀は、卑弥呼のあとのことしか
書かれていないことになる。
つまり、卑弥呼のあとに天照大神のような人物が登場し、天孫降臨があり、
ずっと後に神武東征のようなことがあり、大和朝廷が始まることになる。
これはちょっと考えにくい。
記紀が、卑弥呼の時代のことを記しているにもかかわらず、卑弥呼のことが
書かれていないとすれば、卑弥呼は大和朝廷とは無関係の人物となる。
まあ、九州王朝説の考え方ということか。
九州王朝説でなかったら、記紀には卑弥呼のことが書かれていることになる。
では誰か。まず、卑弥呼は倭王である。つまり、トップにある人物。
これを満たすのは、二人しかいない。天照大神と神功皇后。
二人を比べると、天照大神が圧倒的に有利になる。
理由は、神功皇后にはもともと夫がいて、摂政になったときにはすでに
後の応神天皇つまり子がおり、すぐに皇太子になっていること。
年代も違うし、神功皇后の時代の出来事と倭人伝の卑弥呼には共通点が
全くないなどがあげられる。
卑弥呼が職名である事は今や常識。
268 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 08:15:28
卑弥呼が職名であっても、倭人伝が伝える卑弥呼は特定の個人。
卑弥呼が職名だとすると、女性の最古の職業、 つまりコールガールだった可能性が高い。 各王が、同じ穴兄弟になったことで和平が成立した。 そして、一番強い精子から生まれた子[トヨ]が 王となったのです。 この前、NHKの番組を見て気づきました。
卑弥呼は婆さんです。
271 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 09:56:29
>>270 しかし、若いときもあった。しかも絶世の美人だったのだ。
. l:::::|:::::::|::::l::::::::::::| |:::::! ヽ:::::レキ、:::「∨:!::::::::::: !::::::::l::::::::::::::::::::::::::::::; |:::::l:::::/|::::';:::::::::::! l:::リ ,.>リ ..ヽ! ヽ!::::::::::::|:::::::::|::::::::::::::::::::::::::::::i |::::::!::::| \:\::::/ _|/'",. '彡≦テテミ、 |:::::::::::::!:::::::::|::::::::::::::::::::::::::::::l . !:::::ヽ;:L=ヽ|ヽ| 彳トzイ::::} レ 1::::::::::::|::::::::::|::_:::::::::::::::::::::l::::| !ヽ::::ヽ _ュミ マン' !::::::::::::|:::::::::h ,ヽ::::::::::::::::l::::i `{ \},ll'し:::l` l:::::::::::::|:::::::::::|ヽ }.|:::::::::::::::::i: | !::\マソ l:::::::::::::i::::::::::::! ) l::::::::::::::::::ヽi |::::l |:::::::::::/::::::::::::|,' ,イ::::::::::::::::::::::ヽ l:::::; ヽ l:::::::::/:::::::::::::::!イ::::::::::::::::::::::::::::::ヽ !::λ 、 - 、 j:::::::/:::::::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ |::::::〉. ヽ ... ′ /:::::/:::::::::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ l::l::::::ヽ. - / }::/:::::::::::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ l:|;::::::::::iヽ / |:::::::::::::::::::::!::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
273 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 11:09:34
滋賀県の醒ヶ井近く息長に、定住の渡来人母に持つ神功皇后ですか。3種神器は実は歴代天皇により、いくつもあるですよ・・また1書によると西海に安徳と沈む神器は、平家武将が離脱し高野山に持ち込んだとも。
274 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 16:10:36
神功皇后説 江戸時代までは、卑弥呼イコール神功皇后だと考えられていた。 熊襲の女酋説 本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世らが唱えた説。 甕依姫説 九州王朝説を唱えた古田武彦は、『筑後風土記逸文』に記されている筑紫君の 祖「甕依姫」のことである可能性が高いと主張している。 倭姫命説 戦前の代表的な東洋史学者である内藤湖南は垂仁天皇の皇女倭姫命を卑弥呼に比定した。 倭迹迹日百襲媛命説 候補の中では最有力の説となってきている。 倭迹迹日百襲媛命の墓として築造したと伝えられる箸墓古墳が有名。 日女命説 『海部氏勘注系図』に記される、彦火明六世孫、宇那比姫命を卑弥呼とする説。 この人は別名、大倭姫、天造日女命、大海靈姫命、日女命とも呼ばれる。 天照大神説 アマテラスの別名は「大日孁貴」であり、伊勢神宮の祭神。 比定できないとする説 以上の説は、「卑弥呼」に該当する人物がいない説である。 レス進んでないじゃん。 あげるのためらったw
邪馬台国の謎を解く鍵は、海洋民族の存在。 海洋民族は方向は決して間違えない。高速艇 を使えば水行の1日当たりの距離も飛躍的に伸びる。 場合によっては沖縄や台湾、フィリピンも邪馬台国の 候補地に入る。
>>274 >レス進んでないじゃん。
では、たたき台を。
魏志倭人伝A「其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、・・・次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、・・・不屬女王。」
B「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。」
参考:後漢書倭伝C「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王。」
「其餘旁國」はその前の「自女王國以北」を受けているから、女王国の東・西・南の国々であろう。
少なくとも「倭種」が「其餘旁國」に含まれることは確かと思われる。
女王国の東の海に斯馬國から奴國が順に並んでおり、奴國の南に狗奴國があると考えられる。
すると国東半島・姫島から瀬戸内海を経て難波津まで旁國が並び、南の河内=狗奴國=畿内政権となる。
女王国は宇佐または耶馬渓か。
>>277 それなら「計其道里、當在會稽東冶」でよいのでは?
魏との外交 卑弥呼の最初の朝見は、 景初二年(238年)が正解? 景初三年(239年)が正解? 景初二年(238年)だと魏の皇帝は明帝、 景初三年(239年)だと魏の皇帝は曹芳になる。 さて、どっち??
こんな感じでは? 魏志倭人伝 :対海国 →一大国→末盧国→伊都国→奴国 →不弥国→投馬国 →邪馬壹国→其餘旁國→狗奴国 隋書[イ妥]国伝:都斯麻国→一支国→ 竹斯国 →秦王国 →十餘國 →[イ妥]国
281 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/09(土) 17:35:36
景初二年、太尉司馬宣王衆を率いて公孫淵を討つ、 太尉司馬宣王の1軍はそのまま半島を南下、半島を楽浪郡に組み込む さらに倭国へ視察団を派遣、翌年の卑弥呼朝貢となる。
卑弥呼の最初の外交 景初二年(238年)⇒景初三年(239年)の間違いなら、 だと魏の皇帝は曹芳は8歳の子供だった?!
283 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/09(土) 17:42:09
又は 景初元年太尉司馬宣王は、偵察隊を半島に派遣 そのまま倭国まで至る 翌年公孫淵を討つと共に 倭国朝貢団を洛陽まで案内。
その後 卑弥呼の使者が最初に朝見したのはどっち? 魏の皇帝は明帝? 魏の皇帝は曹芳?
>>267 卑弥呼が職名とすると、180年頃に初代(2代目かも)が即位して、
239年に朝貢したのは、3〜6代目位位になる。
その職名は何かと言うと、「日の巫女」または「日の御子」になる。
魏志の宗教的な記述からは、前者のニュアンスが強い。
これを記紀で探すと、天照(アマテラス)が最もふさわしい。
アマテラスが職名であったことになる。
286 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/09(土) 17:50:50
>>276 @自女王國以北
A其戸数道里可得略載
B其餘旁國遠絶不可得詳
・Aの其は@にかかり、@の緯度的に北に位置します。
・Bの其は@から見てAの更に北 つまり、Aの緯度的に北
視点の基準は @であり、動かしてはいけません。
次有斯馬國の起点は、女王之所都であり、自女王國が起点です。
文章を書く時、右から左に@→A→Bと書かれ、時間の経過も@→A→Bと流れます。
よって、@の北にAがくれば、Bは自ずとその北です。
自女王國以北と書かれた時点での視線は、南を背にし、北を向いて書かれます。 つまりそれ以降の文章は、方角の変更指定がない限り、緯度的に同緯度或は北側を対象とした文になるのです。 これは古今東西を問わず、文章作成の鉄則です。
288 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 18:05:11
【卑弥呼一同が献上した品物】 ・男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈 それに対して、 ・卑弥呼に親魏倭王として、金印紫綬を貸し与えられる。 ・難升米に率善中郎將として、牛利に率善校尉として銀印青綬を貸し与えられる。 尚且つ、 献上のお礼として、絳地交龍錦五匹、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹。 更に、卑弥呼ちゃんだけ特別に・・・ 汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤あげる。 なんて太っ腹な皇帝なんだーww
289 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 18:12:07
>>286 >@自女王國以北 A其戸数道里可得略載 B其餘旁國遠絶不可得詳
>・Aの其は@にかかり、@の緯度的に北に位置します。
>・Bの其は@から見てAの更に北 つまり、Aの緯度的に北
>視点の基準は @であり、動かしてはいけません。
>次有斯馬國の起点は、女王之所都であり、自女王國が起点です。
>文章を書く時、右から左に@→A→Bと書かれ、時間の経過も@→A→Bと流れます。
>よって、@の北にAがくれば、Bは自ずとその北です。
Bが@Aより北なんて魏志のどこにも書いてないんだけど、
無理やりそうしたいてことねwww
>自女王國以北と書かれた時点での視線は、南を背にし、北を向いて書かれます。
>つまりそれ以降の文章は、方角の変更指定がない限り、緯度的に同緯度或は北側を対象とした文になるのです。
>これは古今東西を問わず、文章作成の鉄則です。
www
虫むし
>>289 くだらないレスは無用願いたい。
それともスレを荒らす目的なら、プラムに戻ってプラム時代を再現してあげようか?
VIPを交えて。 ん?
>>287 >それ以降の文章は、方角の変更指定がない限り、緯度的に同緯度或は北側を対象とした文になるのです。
不可得詳とあるから、北かどうかも分からないのでは?
方角が分からないから「旁國」なのではないでしょうか。
河童さんの読み方だと女王は三十国の最南端にいて治めているということになりませんか?
293 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 18:23:42
「生口」ツーノハダナ、捕虜なんだけど、この場合は献上なので 「優秀な人材」と見たほうがよいかもしれん。 班布二匹二丈 つーのは、分かれた織物。 んで、金印紫綬は「金の印」と「それの紐」、銀印青綬は「銀の印」と「それの紐」。 率善中郎將は「官クラス」とみて、「率善校尉」つーのは官の1つ辺りだろう。
294 :
ローガン :2009/05/09(土) 18:29:57
>>279 > 卑弥呼の最初の朝見は、景初二年(238年)が正解? 景初三年(239年)が正解?
三年。
「宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見」
淵を斬ったのは二年八月
>>292 不可得詳と書けるのは、不可得詳とする対象物が存在するからです。
つまり存在が知れていると言うこと
存在が知れていて「旁」と書ければ、目視出来る範囲。
当然方角の認識も可能です。
何もわからなければ、不可得詳と記載する事もできません。
>最南端。
いいえ
九州の南部は狗奴國と記載されています。
296 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 18:39:30
「絳地交龍錦」は赤土交(交差したものか?)の絹織物 「絳地縐粟罽」は赤土アワと敷物 「蒨絳」と「紺青」は色染料だろう 「紺地句文錦」は、紺土模様の詩書絹織物 「細班華罽」は薬草とかか。 「白絹」はそのまま白い糸で織った織物 「金八兩」は金八両 「五尺刀」五尺の長さの刀 「銅鏡百枚」、「真珠」はそのままで、 「鉛丹」は鉛と硫黄と水銀の化合した赤土で薬とか顔料
297 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 18:46:21
どうしても、納得がいかんらしいww まあ、そっとしておくのもよいかもww では、また後で来ます。
298 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 19:10:18
>>277 なんで東冶の場所をあの地図の点にしたんだろうなあ。
中国地図出版社んお中国歴史地図集の第三冊三国・西晋時期では、
東冶は台北の対岸付近、今の福州市あたりにあるけどなあ。
それとも会稽東治で考えたんだろうか。
それと、計其道里は方位ではなく距離だと言ってるけど、
「道里」という言葉は「みちのり」であって、「方位と距離」を含むよ。
「?陽から会稽東冶の東までの距離に等しい」なんてことじゃなくて、
從郡至倭から記述している道程からすると会稽東冶の東になると書いてる。
本当に、邪馬台国関連って、勝手読みが横行するね。
大学受験からも漢文が外されていっている状況で、
基礎知識があまりにも欠けている人たちが、
倭人関係の漢文だけを捏ねくり回すからおかしくなる。
>>295 >方角の認識も可能です。
方角は分かるが戸数・道里は分からない。これは有り得るでしょうが、
自女王國以北は其戸數道里可得略載(戸数・道里は分かる)だが、
其餘旁國遠絶(自女王國以南または自女王國以東または自女王國以西)は不可得詳(戸数・道里は分からない)でしょ?
「自女王國以北」と「其餘旁國遠絶」は「其戸數道里可得略載」と「不可得詳」にそれぞれ対応していますから。
北の国は分かる、それ以外の方角の国は分からない。←これは分かる。
北の国は分かる、それ以外の北の国は分からない。←これでは意味が通じません。
>九州の南部は狗奴國と記載されています。
狗奴國は女王に属しておりません。女王連合の最南端に女王がいますよという意味ですが?
300 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 19:15:04
>>287 自女王國以北と言ったら、視線は北を向いてるね。
其餘旁國と言った時点で、北以外の國、北には無い國を語ってるんだから、
視線はもう北を向いてない。
古今東西とか鉄則とか大上段に振りかぶらなくたって、
ごく普通の読解だね。
301 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 19:23:56
>>299 斯馬国以下、名前だけが列挙されてる国が女王国の北に並ぶというのが
彼の師匠の説で、なんとかそう持っていこうと必死なわけ。
最初は略載は掲載を省略してるという意味だと言って、
名前しか書いてないのは北だと言ってた。
それが、略載は略記しているの意味だと言われて困ったんだね。
今度は、以北と書いたあとは、ずっと北を向いてると言い始めた。
斯馬国以下を北に持っていこうってのが、そもそも無理な話なのに。
>>300 其餘旁國では、緯度的な方角を打ち消せない。
>大上段
殺気はないから
たいした事ではない。
303 :
九州王朝大好き :2009/05/09(土) 19:33:44
>>292 女王國は最南端ですよ。
河童蟲さんが、最南端を狗奴國とするのは、
「今使譯所通三十國」に狗邪韓國を入れないからです。
狗奴國は使譯の通じざる国です。つまり狗奴國は郡と交流の無い国。
「其餘旁國遠絶」(B)の「其」は、「其戸數道里可得略載」(A)を指してはいますが、
BはAの東西南北のどちら側にあるのは不明です。
Aは狗邪韓國と女王國の間にある南北に並んでいる国々ですから、
BはAの東西方向にある国々となります。
ですから、Bは女王國以北にある国々であると理解されるのです。
(女王國の東西の地域は含まれる)
交流が無いのに彦とかの名前が出てくるわけないだろ いい加減なことを言うなよ
>>301 プラムファンへ
>困った
困ったね〜
「歩」だけでやる将棋は流石に辛い、今度は「銀」を加えたから
以前よりは楽だよ
公開掲示板だから、小出しでゴメンネ
まだまだあるよ
金もあれば、飛車角もある
>必死
ぜんぜん
それに、そういうコメント貰うと嬉しいよ。
>>301 プラムファンへ
それに、先日「略」については説明済みだから
もう、暫くはやらない。
307 :
九州王朝大好き :2009/05/09(土) 19:48:21
>>304 今現在で郡との交流がないと書いてあるのです。
過去にも無かったと言うことではありません。
又、郡使が邪馬壹國からの伝聞として知っていたとも考えられます。
308 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 19:53:45
>>288 >【卑弥呼一同が献上した品物】
>・男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈
>それに対して、
>・卑弥呼に親魏倭王として、金印紫綬を貸し与えられる。
>・難升米に率善中郎將として、牛利に率善校尉として銀印青綬を貸し与えられる。
>尚且つ、
>献上のお礼として、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、?絳五十匹、紺青五十匹。
>更に、卑弥呼ちゃんだけ特別に・・・
>汝紺地句文錦三匹、細班華?五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤あげる。
>なんて太っ腹な皇帝なんだーww
太っ腹なのではありません。単なる滞貨一掃なのです。
問題の銅鏡百枚も現今の東京都下水道局のワッペンと同じで
中国では使用出来なかったのでしょう。
卑弥呼さんは魏は大国なので同様のご下賜品をいただけると
専門家を派遣したようですが期待にそぐわなかったようです。
>>303 王朝さんには悪いけど
限界かな?
一度、古田さん捨てたらいかがですか?
マジな話しです。
その素質、勿体ないです。
>>304 邪馬台国側の他の役人の名前より余程に近親関係にあるだろ
対馬の北半分は大倭の領土、南半分は倭の領土 だから、対馬の範囲表記が、壱岐と大差ない 方可四百餘里 壱岐は倭の領土、だから「イキ」 沖の島は大倭の領土、だから「オキ」 理由は言わない ただの独り言。
>>303 >女王國は最南端ですよ。
まあ、七万余戸の大国なので、それは不自然ではないな・・・
>BはAの東西方向にある国々となります。
>ですから、Bは女王國以北にある国々であると理解されるのです。
同意。
>>312 一言だけ
以北と指定された時に存在するものは
「緯度」
だから東西の概念は、そこには存在しない。
有るのは、基点を挟んだ「北側と南側」だけ
これは道理です。
>>313 河童君が北を向いたとします。
緯度が一度高いからといって、右側を指して北だといっても通じません。
北を向いて右を指せば東です。
君が立ってる所より緯度が高くてもです。
そういう訳で、「ここより北」というとき、漠然と
北東方向から北西方向の九十度の角度に入る範囲を指します。
これ常識です。
>>314 なぜ、指を指すという余計な行動を付加するの?
しかも東西は経度、違う概念です。
表に対する裏、右に対する左
北を向けば、例え1度高度でも北です。
緯度には北側と南側しか存在しません。 それが地図です。
東の海の向こうに倭種何だから 狗奴国が海のむこうなら同じように書くだろ 却下 同様に畿内も却下 邪馬台国は永遠に幻です
317 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 21:13:39
>>315 では指差しません。
東京は大阪より緯度が高いです。
でも、東京は大阪の北にあるという人はいません。
東京は大阪の東です。
東西は南北と同じ四方という概念です。
君の説は、東京は大阪より緯度が高いから、
東京は大阪の北にあると言い張る行為です。
君の方こそ、東西南北という四方の概念で記述された文章に、
緯度という別概念を引っ張ってきて理屈を付けているのです。
>>314 追記
>通じません。 常識。
今の人に通じなくてもかまいませんし、今の常識にとらわれようとも考えていません。
道理にかなえさえすればOKです。
今の人に通じなく、今の常識範疇に入らなければ
決して今、認められる事もないし
受け入れられる事もないでしょう。
余りバカにしないで下さい。貴方の言ってる事が常識範疇である事ぐらいは分かっていますし、日常生活上ではそうしています。
そうしないと日常生活なんて正常に営めませんから。
でも、何時もコメントありがとう。
>>317 >四方の概念
それってほんとう?
東西南北の四方は、同時に発生したと思う?
四方の概念は、四方があるから四方の概念が存在するし、
四方が無ければ存在しませんよ。
一度、四方の成り立ちを考えて見てはいかがです?
もしかして、基点と書いたから 誤解を招いたのかな? 基点を基準に訂正か?
>>317 著者の頭の中の倭は南北に伸びるイメージみたいだから南北に二分されるとおもったほうがいい
>>320 あんたは他人に対する説明が下手だ
一度自覚した方がいい
>>321 それは私の事を言ってるのかな?
だとしたら
大きな間違い。
>>322 人には得意不得意があります。
自覚しようにも
こればかりは……
私は本来勉強が嫌いでね
私の今の説明は、紹興刊本にて「女三國」の三文字で纏められているので
興味のある人は挑戦してみてください。
325 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 21:49:04
女王国以北の国については、その道里戸数を略載できる。 其の余の国については、邪馬台国や投馬国は略載できるけれど、旁国について は略載できない。
「其餘旁國」の「餘」と 「方可四百餘里」の「餘」の 意味解釈は同じ。 大変重要な事です。 これが分からなければ、謎は永久にお蔵入り
327 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 22:33:25
そんなことを言ってるようじゃ、分かってないのでは?
>>327 ま、どうとでも
お好きなように
それで気持ちが癒されるなら、心行くまでお好きなように のたもうてくだされ。
329 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 22:50:41
魏志倭人伝に書かれていることを実際の日本に当て嵌めようとするから いつまでたってもダメなわけですよ 陳寿の頭の中のイメージを素直に書き写せばいいだけで別に難しくない まずは 九州という島があり 次に 四国という島がある そして 本州がある それが南北に連なっていると考えればいい 四国は水行二十日の距離だったんでしょう そして邪馬台国までは水行十日と陸行一ヶ月で辿り着き そのまた南にも国があるけど、そこは敵対する狗奴国 意図的に90度ずらしたんなんてことじゃなく本当に南北にすっと伸びてるもんだと思った それが真相だろ
330 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 23:05:37
んな、アホな。
>>329 結局、そういう事だろうね。だから、会稽東冶の東なんだろう。
332 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/09(土) 23:26:20
妄想談義が始まったようなので、これで失礼する。 後はごゆるりと
333 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 23:28:54
>>329 フィリピンをイメージしてください。
マニラはどこにありますか?
地図のない時代だから、陳寿にとっての日本はその程度のものじゃなかった
のかな。関心もその程度のものだと思う。
日本のイメージが先にあったのではなく、郡使の報告書や他の書物から日本を
イメージしたのだろう。「会稽東冶の東」もそこから出ていると思うのだが。
334 :
日本@名無史さん :2009/05/09(土) 23:54:09
>>333 私もそう思いますよ
魏志倭人伝のハイライトは、まさに会稽東冶の東であって
当時の中国人からすれば漢民族以外の蛮族が海を隔ててあるということだけが
必要とする情報だったんでしょう
中華とはそういうもんです
色々な情報は持っていたんでしょう
東の海の向こうに倭種という記述からも複数の情報を基に成された記録文であると思われます
あちらからすればどうでもいいんですよ、倭の国の実際なんて。。。
335 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 00:01:53
>>333 そんないいかげんなものではないな。だいたい、陳寿はかってに「会稽東冶の東」などと
書くような軽率な史家ではない。これは使者らが報告書に書いたものだよ。
「道里を計るに」とあるだろう。ちゃんと計算したのさ。
会稽東冶の東は、当時は東冶は会稽郡ではない。会稽と東冶だ。ちくま学芸文庫の三国志
をみると、ちゃんと「会稽や東冶の東方に位置するのであろう」と訳しているよ。
使者らは、郡からの行程がほとんど南ばかりだったことを考えたんだな。
南以外の方向は、朝鮮半島南の「乍東」と末盧国からの「東南陸行五百里」だけだ。
したがって、郡から一万里ぐらいから女王国がはじまる、それが会稽あたり、そして東冶
あたりまで広がっていると理解したんだね。
郡の緯度から会稽の緯度まで約八百キロ、短里で丁度計算が合ってるだろ。
さらに、会稽から東冶までは四百キロだ。これが周旋五千里に相当するんだね。
336 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 01:30:38
古代史最大の謎である邪馬台国論争に迫る考古学講座「邪馬台国を求めて 九州説を考える」が5月から 来年3月まで月1回、吉野ケ里歴史公園(神埼市、吉野ケ里町)内の弥生くらし館で開かれる。無料。 講座は、毎月第2土曜日の午後1時半から同3時まで(来年3月は第1土曜日)。卑弥呼がいた邪馬台国 の場所について、県内外の専門家がそれぞれの見解を述べる。各回の時間と講師は次の通り。 (敬称略) 5月「邪馬台国時代の北部九州」(常松幹雄・福岡市教委)▽6月「邪馬台国時代の奈良大和」(橋本輝 彦・奈良県桜井市教委)▽7月「筑紫平野説」(片岡宏二・福岡県小郡市教委)▽8月「『イト国』から『ヤマト 国』」(柳田康雄・国学院大)▽9月「朝倉・甘木説の現場から」(川端正夫・福岡県朝倉市教委)▽10月「八 女説の現場から」(赤崎敏男・福岡県八女市教委)▽11月「山門説の現場から」(大庭孝夫・九州歴史資料 館)▽12月「佐賀神埼説」(七田忠昭・佐賀県教委)▽1月「倭国(わこく)の敵対国 狗奴(くな)国‐熊本説 の現場から」(宮崎敬士・熊本県教委)▽2月「九州の古墳文化からみた邪馬台国」(重藤輝行・佐賀大)▽ 3月「邪馬台国九州説のゆくえ」(高島忠平・佐賀女子短大) 県教育庁社会教育・文化財課=0952(25)7233。
337 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 04:05:05
>>329 シナ人は寒冷な朝鮮中部から南九州か瀬戸内海まで来て異常に蒸し暑い国だったので南方へ来たに違いないと思ったのだろう。
実際は黒潮暖流の影響であることが知られていなかったんだと思う。
倭人が海に潜っているのを記録しているから夏に来たのは間違いない。
338 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 06:39:47
>>336 北九州説ばかりだな。トンデモ読みのオンパレードだろう。
>>308 >太っ腹なのではありません。単なる滞貨一掃なのです。
>問題の銅鏡百枚も現今の東京都下水道局のワッペンと同じで
>中国では使用出来なかったのでしょう。
>卑弥呼さんは魏は大国なので同様のご下賜品をいただけると
>専門家を派遣したようですが期待にそぐわなかったようです。
太っ腹といえる記事がアルのに対し、
「太っ腹ではありません」て意味が分かりませんが?
ようは、知らないんでしょ?
〜最近初心者さん多いよね・・・(T_T)疲れる
340 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 08:27:58
銅鏡って中国では威信財として使用されてたの? 中国ではどんな所から出るの?
>>303 九州王朝さん
ガハハハハッ 九州王朝さん〜「以北」つーのは、
「東西」なんてまるっきり関係ないよ。
もう、めちゃくちゃだねw
>>313 >以北と指定された時に存在するものは
>「緯度」だから東西の概念は、そこには存在しない。
>有るのは、基点を挟んだ「北側と南側」だけ
そのとおり、狗邪韓國〜邪馬壹國まで全て女王国より「以北」いうてるんです。
貴方なら、卑弥呼さんがその辺の村の王(小さい規模の王)ではナイて知ってるでしょ?
そろそろ虫説に限界を感じてきたかな?
342 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/10(日) 10:09:15
>>294 >> 卑弥呼の最初の朝見は、景初二年(238年)が正解? 景初三年(239年)が正解?
>三年。「宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見」
>淵を斬ったのは二年八月
じゃ私は、景初二年としよう。
理由?ローガンさんが「景初二年が正解とする」なら景初三年が正解だろうw
>>309 >一度、古田さん捨てたらいかがですか?
同意。
彼の説は面白いと思うが、陳寿さんはそんなこと言ってない。
>>311 >対馬の北半分は大倭の領土、南半分は倭の領土だから、
>対馬の範囲表記が、壱岐と大差ない 方可四百餘里
お?それ新しいですね。
しかし、私と河童さんの「大倭」に関する見解は違いがあるよう...。
私は、大倭=倭種を含む「倭」としています。
卑弥呼の時代の本州に大きい政権はなくそれを物語っているのが、
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之
343 :
342を訂正 :2009/05/10(日) 10:11:02
「訂正前」 ローガンさんが「景初二年が正解とする」なら景初三年が正解だろうw 「訂正後」 ローガンさんが「景初三年が正解とする」なら景初二年が正解だろうw
344 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 10:26:04
>>341 >狗邪韓国〜邪馬壹國まで全て女王国より「以北」いうてるんです。
以北は一大率の検察を受ける諸国。投馬国や邪馬台国まで検察を受けるわけない
でしょうが。
345 :
改め :2009/05/10(日) 10:42:31
>>344 誰もそんなことは言ってませんが?
大体、なんで「以北は一大率の検察を受ける諸国」なんですか?
日本語がおかしいというか。
わたしにはサッパリです........。
346 :
doontakuka :2009/05/10(日) 10:48:27
>>258 :
>會稽東冶之東って、現在の沖縄だから
沖縄じゃなく、北緯30度の種屋久島でしょう。
同じ北緯30度では。エジプト・クフオーのピラミッドが北緯30度
347 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 10:55:52
>>345 倭人伝には次のようにありますよ。
女王国以北、特に一大率を置き諸国を検察す。諸国これを畏憚す。
348 :
改め :2009/05/10(日) 11:07:16
>>347 わたしは、
『狗邪韓国〜邪馬壹國まで全て女王国より「以北」』と言ったんです。
「以北は一大率の検察を受ける諸国。投馬国や邪馬台国まで検察を受ける」
なんて私がいいましたか?言ってないでしょ?
コレを言ったのは、
>>344 さんで、わたしは一言も言ってない(笑)
「女王国以北、特に一大率を置き諸国を検察す。諸国これを畏憚す。」
↑これががどうかしましたか?
349 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 12:38:14
ミミ、ミミナリという官がいた国は奈良の耳成山付近だろうな。
350 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 13:01:52
ミミナシって読むんだけどね
351 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 13:22:51
九州にも平安時代にミミダリという山賊みたいなのが居たらしいな。
352 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 13:26:09
>>351 >九州にも平安時代にミミダリという山賊みたいなのが居たらしいな。
景行紀の「耳垂」ですか?
平安時代ではありません。
354 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 13:50:00
>>340 銅鏡は、中国では文字通り化粧道具のようなものだったと聞いたことがあるね。
墓からも出るけど、大量に出ることはないらしい。
大量の銅鏡を棺に納める日本の場合は、魔よけの意味があるかもしれないし、
死後の復活を望むというような意味があったかもしれない。
中国とは違う意味があったことは確かだろうな。
ちなみに、魏の皇帝は、金象嵌された鉄の鏡を持っていたとされる。
日本でもそういう鏡が出ているのだが、ほとんど関心をもたれない。
『伊都国』の位置についてもそうだが、畿内説と北部九州説の両方にとって
都合の悪いことには、触れられない傾向があるなあ。
355 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/10(日) 15:46:44
>>354 >都合の悪いことには、触れられない傾向があるなあ。
景行紀の「耳垂」を「熊襲」の一派と読む位当たり前の世界ですから。
357 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/10(日) 17:14:50
耳垂は,ミミのヘタレの事です。
358 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 17:21:43
鼻垂は?
359 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 17:36:30
糞垂は?
360 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 17:54:09
糞垂なんていないよ。
361 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/10(日) 18:54:00
鼻垂は? 鼻垂は「耳」よりもっと官位の低い連中、 大王の良民の地位を離れたヘタレ。
362 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 18:54:36
>>348 あぁ、質問が難しすぎましたかね。忘れて下さい。
古代史を楽しまれるだけで結構だと思いますよ。
363 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/10(日) 20:33:32
>>346 ここは大して重要な部分ではないので
屋久島、種子島でも、沖縄でも構わないのですが
ようは、九州の南に位置し、列島の最南端部分である、現西南諸島を対象にしているという事です。
365 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 21:41:26
>>352 そりゃ苦しい。
ミミナシは古来からの正式な読み方ですよ。
大和三山の一つ
畝傍山、天の香久山、耳成山
以上、奈良県民でした。
366 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 22:24:20
367 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 22:32:37
少なくとも万葉集の時代には、「みみなし」って呼ばれてるけどね。
369 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 23:15:17
>>319 東西南北の四方が同時に発生したかどうかなんて、倭人伝には何の関係もない。
東嶽・南嶽・西嶽・北嶽・中嶽の五嶽という考え方が出来ている時点で
先秦に四方の概念があったことは間違いない。
四方に上下を加えた六方の概念も既にあった。
倭人伝では東南陸行とあるのだから、八方の概念が既にあった事も明白。
そんな不必要なことを心配するより、
緯度の概念が3世紀にあったのかを心配したらどうですか。
古代中国人が現代の日本地図を見たとしたら、
東京は大阪の北と表現するのが道理なのですかね。
370 :
日本@名無史さん :2009/05/10(日) 23:18:52
朱崖・タン耳も耳がらみだな。
371 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 00:16:16
大和三山 古事記にも日本書紀にも出てこない 天皇家以前の説話が口碑で残った
372 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 05:07:28
三山自体に古事記や日本書紀に出すような 政治的影響力はない。当たり前。 その美しさから万葉集などの 歌に残るのはあるが。
>>369 貴方が言ってる四方八方の概念の基準は“点”
地理は点だけで捉えるのだけじゃなく
様々な基準が存在し、その基準は文脈の中から探し出せばいいこと
東京という点で大阪を見るなら、万人が西と見ますよ。でも、
自女王國以北は点では無い。
先ずは
それまで書かれていた距離数が断ち切れたり、紹興刊本にて「女三國」と
表現された事からも判断できる。
ま、これはほんの一部だけで、他にも沢山判断材料が有りますから
興味があったら調べてみてください。
374 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 13:11:34
畝傍山と香具山は記紀で大事な山だ。無いのは耳成山だけ。
375 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 13:40:36
京都、奈良盆地周辺の(山)には(ヤマ)と発音する山が多い後に仏教が 入ってから(サン、セン)と発音する山がふえる。邪馬台国のヤマ信仰の影響か? (例)三輪山みわやま天香具山あまのかぐやま畝傍山うねびやま耳成山みみなしやま 生駒山いこまやま若草山わかくさやま笠置山かさぎやま東山ひがしやま 鞍馬山くらまやま三笠山みかさやま等々
376 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 13:51:04
大山ダイセンとか、中国地方はセンが多い。
377 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 15:41:42
神仙信仰で神官、真人達が祈りをする祭壇(土を盛って高くした場所) を(ヤマ,光明を発する処)と言うので有って、自分達の祭祀場所の山岳に (ヤマ)と名付けた。仏教が渡来してからは(サン、セン)と発音、 縄文人は山岳を(根ネ)と発音、屋根、尾根、峰、などはその例 アイヌ人は和語の登るからヌプリと発音し韓国語の山ノプも同意 岳タケは和語の高いから来た説と、ペルシャ系の山、急傾斜地をダカン と発音しシリアのダカン高原も同意、其処から胡族、東夷語のタカ、タケ と来て列島への移民達(胡族系猿田彦集団)が岳タケと名付けたと思われる。
378 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 17:19:18
>>339 >太っ腹といえる記事がアルのに対し、
>「太っ腹ではありません」て意味が分かりませんが?
それを太っ腹と感じるのか、無理をしていると感じるか、はたまた、がらくたばかりと感じるか
それは十人十色でしょう。
自分が「太っ腹」としか連想出来ず、それを頑迷固陋に主張し、意味が分かりませんと言う
のはどういうことでしょうか。
それに「太っ腹といえる記事がアルのに対し」とまるで
>>288 の文を自分で書いたように表現
していますが、一人何役でも投稿しているのですか。
>ようは、知らないんでしょ?
>〜最近初心者さん多いよね・・・(T_T)疲れる
あなたの実績を列挙してください。どこでどのような評価を得ているのですか。
379 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 21:32:37
泣きながらの投稿ww
380 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 21:34:45
太っ腹なんてどーでもいいんだよw 邪馬台国についてかけよwww
381 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 21:53:05
金剛山もかつては 高天山たかまやま だった
>>380 wwwを使い過ぎるとよけい馬鹿に見える。それでなくても、結構・・・なのに
対馬の「対」というのは上島・下島 とで「対」となしてるわけで、 對馬國への到着した場所は対馬のどの部分になると思う? ・對馬國を全体を言ってると考える説 ・對馬國を上島と考える説 ・對馬國を下島と考える説 魏志倭人伝には、 又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國 とあって、 「真南」の方向に渡ったとすると「上島」が正解。 しかし、一大國は「方可三百里」、對馬國は、「方可四百餘里」、 面積をみれば「下島」が正解で大体、丁度いい大きさになる。 はたしてどちらが正解と思う?
384 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 22:20:59
<出発点と着点> 狗邪韓國の出発点はどこ?對馬國への着点は? 對馬國の出発点はどこ?一大國への着点は? 一大國の出発点はどこ? 末盧國への着点は? とくに、末盧國への着点なんかは悩むんじゃない?? 北松浦半島説、伊万里説、呼子説、唐津説、浜玉説、糸島半島説、福岡湾説、宗像説、 結構、並べたらあるんだよね....。
385 :
サガミハラハラ :2009/05/11(月) 22:25:57
対馬は北島と南島が並んでいて対になっています。それで対の所という意味で対馬(馬は所という意味)となづけられました。 南島が対海国で北島が対蘇国です。 郡使がよったのは南島の小茂田浜です。
386 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 22:29:30
387 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 22:34:01
うんうん 面積を考えたら〜ピッタリですよね? しかし、又『「南」渡一海.......至一大國』を無視してもいいんでしょうか? それと、サガミさん〜 先週の土曜日に福岡県で行われた邪馬台国の会は出席されたのでしょうか?
388 :
愛知県民 :2009/05/11(月) 22:39:42
改めさん、上下間違えてない? 上島が南ですよ?
389 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 22:45:14
「漢委奴国王印」 江戸時代、福岡県志賀島叶崎の「叶の浜」で出土された金印。 今は、福岡市博物館にて国宝に指定され保管されている。 この、「漢委奴国」は、「漢の倭(委は間違いで倭)奴国」といわれているが、 本当にそれでいいのであろうか? 又、この委奴国は魏志倭人伝のどの国に当てはまるのか? 又、現在でいえば、どこに委奴国があったのか? 後漢書には、 「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬 とあり、「委奴国」と「倭奴國」と同じにしてよいのだろうか。 みなさんの意見をお願いします。
390 :
愛知県民 :2009/05/11(月) 22:49:48
対馬は南島。方角はそこまで厳密ではないかと。
391 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 22:52:09
最早、キチガイレベルだな 対馬を二つの島とわけて、片方の島はスルーかよw どんだけ、狂った伝記なんだよ
392 :
日本@名無史さん :2009/05/11(月) 22:54:46
在日チョーセン人達もいい加減にしろよ 何が邪馬台国の会だ? ふざけるな! 対馬の片方の島で面積が一致する? もう止めてくれ
393 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 23:01:41
394 :
九州王朝大好き :2009/05/11(月) 23:02:47
>>383 >>385 対馬は主島(対馬島)でひとつの島。
その主島が上島と下島に別れて対の島になったのは運河ができた17世紀。
對馬國の実際の大きさは、短里で、200里×800里=16万方里
倭人伝での表記は、方可400里=16万方里
ゆえに
両者は面積では一致する。
対馬島全体で對馬國。
>>389 行程記事(地理志)を卒業したと自称する人が
今更そんなネタ振りして
何を企んでるの?
396 :
愛知県民 :2009/05/11(月) 23:14:24
王朝さん、そうですか・・勉強します。
397 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 23:19:43
「壹拜」について 「壹拜」・・・これどうゆう意味かわかる?? 「壹」はイチ、イツと読み「壱」や「一」と同じだけど微妙に違う(ちとややこしいが...)。 「壹」は「壺の中に詰まる」という意味があって、ひとつにまとめたということ。 それを考えたら、なぜ「壹拜」と書いたのか?分かるはず。
>>934 「ツシマ」は名詞
「對海・對馬」は漢語表記された代名詞
「対馬」和語音の漢字表記
対馬「ツシマ」は、古来の実状を言い表したもの
>16万方里
すると壱岐は9万方里?
399 :
サガミハラハラ :2009/05/11(月) 23:33:55
>>387 福岡県の邪馬台国の会しりませんでした。家が東京日野なものですから、
よほどのことがないかぎり九州まではちょっと。
400 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 23:44:18
401 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/11(月) 23:52:07
改め ◆PWTcGEfp1s ←今、倭国歴訪読んでる。
んで、そこが気になって質問しにきた。
では、
>>394 が正解つーことで、寝ますね....Good night〜☆
402 :
愛知県民 :2009/05/12(火) 06:45:15
改めさん間違い。都に近い南が上島です。
403 :
doontakuka :2009/05/12(火) 14:20:32
>>393 :改め「會稽東冶」というのは、大陸のどこと思う?
會稽山がある北緯30度の禹の韓国があった処。
「會稽東冶の東」は 北緯30度の種屋久で此処が一大国、
30度の種屋久から442.8km≒約1,025里(1里=432m)の位置が
北緯26度の沖縄那覇市、此処が対馬国、
対馬国から428km≒約990.7里の位置が北緯24度の与那国島、
此処が狗邪韓國です。
狗邪韓國から5000里は、北緯39度ですよ。此処が女王国の北限です。
その北が狗奴國。
伊都國も奴國も九州ではない。
奴國は畿内でしょう。
全て、「會稽東冶の東」の理解が鍵です。
いなかった!
405 :
日本@名無史さん :2009/05/12(火) 15:20:49
倭人伝自体が ベトナムの話だったりして
406 :
日本@名無史さん :2009/05/12(火) 20:54:13
>>405 同意
邪馬台国とは、中国の雲南省やその周辺のベトナムやカンボジア国境にあった
倭人の国だとするのが妥当だと思います。
方向も距離も違うのに、どうして邪馬台国が日本にあったと勘違いしたのか不思議です。
407 :
日本@名無史さん :2009/05/12(火) 21:57:59
余談ですが、 飛鳥村にある、祭祀に使われたであろう 亀石や猿石がベトナムの農村にあるのが気になる
>>406 倭人伝だけを読めば、そういう理解もあるだろうけど、半島の伝記では倭を意識して書かれた部分がかなりある。
倭の影響なしでは成立し得ない民族だってあるんだ。
409 :
日本@名無史さん :2009/05/12(火) 22:19:40
>>407 むしろ当然です。
邪馬台国は、ベトナムから機内に東遷したのですから。
410 :
doontakuka :2009/05/12(火) 22:57:36
>>406 :日本@名無史さん
方向も距離も違うのに、どうして邪馬台国が日本にあったと勘違いしたのか不思議です。
「方向も距離も」可也正確に記述されてあるようです。
が、
魏志倭人伝の本質的読み方が出来ていないからでしょう。
全ての鍵は北緯30度にあり。
止まれ、
神武すら北緯32度から東征させているのも、魏志倭人伝が基礎である。
411 :
日本@名無史さん :2009/05/12(火) 23:50:58
ベトナムに邪馬台国があったとすれば、地名の類似から Vinh-Hai 周辺が有力だな。
412 :
日本@名無史さん :2009/05/13(水) 06:44:26
やはり、魏か呉に追われたワ族が倭人なのか? 金印も日本で出土したものと同じ物が出てるし。 天孫族の『孫』は孫呉の『孫』? 孫権の子孫か親戚かな? 孫家は海戦に秀でてたらしいし
413 :
doontakuka :2009/05/13(水) 11:57:11
多賀城碑の碑文 多賀城 去京一千五百里 去蝦夷国界一百廿里 とあるが、多賀城〜京都間は約616km≒1,425里(1里=432m)であることは 容易に理解出来る。。 では、蝦夷国界の位置は勿論北緯39度です。 魏志倭人伝の女王国と狗奴国の国境である。 つまり、狗奴国は後の蝦夷国である。 多賀城碑が日本中央の位置とするのは、 神武東征の北緯32度と北海道・宗谷の北緯45度間です。 全ての鍵は北緯30度にある。
アメリカドルとジンバブエドル
415 :
doonhokoka :2009/05/14(木) 12:09:21
たったた たらった。たったた たらったったったたった た〜た。た〜たらった たった〜〜。 何の曲でしょう?
416 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/14(木) 12:23:40
>>415 「たったら節」と、言いたいけど
カーペンターズの「シンガーソング」
417 :
doonhokoka :2009/05/14(木) 12:28:57
ブー。ヒント、洋楽? ディスコ系? 銅鑼で始まる。
418 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/14(木) 12:52:06
アラベスクの「ハローミスターモンキー」?
419 :
doonhokoka :2009/05/14(木) 12:56:20
さっき聞いたらちょっとちがってました。スマソ。ヒント 赤 青 星。
赤・青・星なら星条旗? 歌舞伎町のニューヨーク、ニューヨーク? 懐かしい〜
421 :
doonhokoka :2009/05/14(木) 13:03:58
ブー。ヒント 中国。 しかし、これ知ってる人間もうおらんかも・・・。
422 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 13:11:57
おまえら去れ
423 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 16:52:16
www
424 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:07:17
>>388 >改めさん、上下間違えてない? 上島が南ですよ?
そんなのどっちでもいいですww
というか、愛知県民さんがいってるののことでしょ。
昔、一時的に南にある島を上といってたのは聞いたことあります
425 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:17:20
【奴國男王】 ・卑彌弓・卑彌弓呼・卑彌弓呼素 どれが正解なのか? 正解は、「卑彌弓呼」 なぜかって?? 理由は訳せんwww 「相攻撃状」について 相攻撃状は戦争と思ってる人が多いみたいだが、ぜんぜん違うよ。 「相攻撃状」つーのは「口攻撃」では? まあ、少しだけ武力的な攻撃があったと言われれば否定はしませんが、 戦争ではない。 はっきり言ってしまえば、「口攻撃」なのか?一、二度武力的攻撃を交し合ったのか? わからないのが現状。 どっちともとれるからね〜。 まあ、戦争しあったわけではないというのはハッキリいえる。
「卑彌呼の死」 これも、狗奴國にやられて死んだというのはありえない。 魏志倭人伝にそんなこと書いてないでしょ? しかし、ニュアンス的には自然死と読むことが出来るのではないか? 確かに、「病死」だとか、「寿命死」とか明記されてないのは知ってるが、 倭人伝をよく知ってる人は、分かってるだろう....。 倭國乱れ→一人の女子が共立され国中が明るくなった。 卑弥呼が健在のときは、明るい。 卑弥呼が倒れ掛かる → 「難升米に黄幢を授ける」、「狗奴國と攻撃状」など そわそわしい。 さらに、卑彌呼は死に..... 国中が暗くなる → 千人余り殺しあう → 壹與を立てる → 明るくなり定まる。 天照大神の「天の岩戸がくれ」の伝承はこの卑弥呼〜壹與のことを言ってるかもしれない。 しかし、「天照大神=卑弥呼」とはかぎらない。
>>425 プラムの受け売りか?
2ちゃんでそんな事言ってるは、過去にプラムぐらいなもんだ。
428 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:41:15
「天照大神=卑弥呼」 天照大神というのは、その昔、男の神だったということは、 ほとんどの人が知ってるのではないか? 日本書紀、古事記では、女神とされているが、 近年(七世紀だが...)そのようにされたと思っている。 天皇家との時代差をみても「天照大神=卑弥呼」ではないだろう。 よって、すぐに「天照大神=卑弥呼」とすることは出来ない。 しかし、「天の岩戸がくれ」伝承に関しては卑弥呼の伝承じゃない?
429 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:50:18
【卑弥呼が活躍した年代】 おそらく、決史八代の間ではなかろうか? 天皇家の決史八代が実在して系図が本物だという、前提ですが...。 1神武天皇 2綏靖天皇 3安寧天皇 4懿徳天皇 5孝昭天皇 ←ここか、 6孝安天皇 ←ここ辺りでは? 7孝霊天皇 8孝元天皇 9開化天皇 10崇神天皇 反論どうぞ!
430 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:52:42
>>427 >2ちゃんでそんな事言ってるは、過去にプラムぐらいなもんだ。
なにいってんの?
批判するなら、貴方の考えを述べてからにしなさい。
文句いうだけなら馬鹿でも出来るよww
431 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 18:55:30
あちゃ〜〜
>>424 の「昔」ていう字が抜けていた...。
【訂正前】
>というか、愛知県民さんがいってるののことでしょ。
【訂正後】
>というか、愛知県民さんがいってるの「は昔」のことでしょ。
432 :
doonhokoka :2009/05/14(木) 19:06:00
433 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 19:06:22
>>429 卑弥呼がその時代だとすれば、天照大神の時代はいったいいつ頃になるのか、
果たしてそんな古い時代の伝承が残っていたのか、それとも天照大神は
全くの作り話なのか、
ということが問題かな。
434 :
愛知県民 :2009/05/14(木) 19:08:31
改めさん 対馬は現代の地図でも南が上ですが、細かい話なのでやめます。 天照大神とオオヒルメムチは分けるべきかと。
435 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/14(木) 19:30:22
>429 崇神時代をあきらめてそれ以前の出来事とする。 曲学の徒氏と同じ思考だな。 曲学の徒氏は今苦い酒を飲んでいますから 励ましてやって下さい。
なんだよ
いきなりプラムの名前だして?
ま、どうでもいいけどな!
>>432 え〜?
アマンダの「クィーン・オブ・チャイナタウン」
じゃなかったのか。
全然わからなかったよ。
家に帰ってPC弄ってみたけど、まだ悪禁継続中。 既に悪禁一ヶ月以上。 三月から二回目の悪禁だから 今度は永久に悪禁かな? もう、2ちゃん止めようかな〜!
438 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 20:47:45
>>433 >卑弥呼がその時代だとすれば、天照大神の時代はいったいいつ頃になるのか、
>果たしてそんな古い時代の伝承が残っていたのか、それとも天照大神は
>全の作り話なのか、ということが問題かな。
天皇家の決史八代が実在して系図が本物だという、前提で話せば、
卑弥呼以前ということになる(当たり前)。
>>434 >天照大神とオオヒルメムチは分けるべきかと。
?? 新しい天照大神はオオヒルメムチではないのでしょうか?
>>435 >曲学の徒氏と同じ思考だな。
まあ、普通の考えでいくとほとんどの方が同じ考えでは。
439 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 21:09:00
>>437 規制ではなく、ウイルスにかかってるのでは?
ウイルス対策してる?
>>435 >曲学の徒氏は今苦い酒を飲んでいますから 励ましてやって下さい。
こっちのスレへ連れてきてくださいよ。
440 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 21:16:34
ヤフーBBは規制中
>>473 むしろプロバイダを変えるべきでは?
邪馬台国も、狗奴国が攻めてくるたびに、農作業を中断して、
それでも戦闘要員が殺されたり、女子供がさらわれたり、略奪や
放火があたりと苦しんだ末に、東へ移り住むことを決断したのです。
442 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 21:37:09
>>441 >邪馬台国も、狗奴国が攻めてくるたびに、農作業を中断して、
>それでも戦闘要員が殺されたり、女子供がさらわれたり、略奪や
>放火があたりと苦しんだ末に、東へ移り住むことを決断したのです。
妄想ですか?
443 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 21:42:55
>>438 卑弥呼以前というのはそりゃ分かっているけれども、たとえば孝昭天皇の
時代とすれば、それ以前に神武天皇を含め4代の天皇(大王)がいる。
それ以前に日向三代がある。その前に天忍穂耳命がいて、その前が
天照大神となる。
つまり、卑弥呼の時代が2世紀の終わり頃から3世紀中頃とすれば、
記紀の天照大神の時代は、はるかに前と考えられる。
この時代のことが伝承として残っていたのか、それとも天照大神は、完全な
作り話なのかということなのだが。
農耕従事者は、どんな逆境に遭遇しても 移動しないのが農耕作業者。 もう少し様子見て それでも悪禁解除されなかったら この際いい機会だから マジで2ちゃん止める倭
445 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 21:50:43
>>433 稲作やってて同じ言葉を喋っていれば、大概その土地土地で共通の神の言い伝えはあったんだろ
山の神、天の神、海の神、雷の神などなど
神武東征もその共通の神という共通項を持ち出して他の土地の豪族達と友好関係を築き上げていった
当然、関係国が広がっていけば神も変質していく
天テラスさんなんてのはその良い例
宮崎とか和歌山とか岡山とか四国とかでそれぞれにそれらしき神さんがいて
それらがミックスされていった
だから最終的に記紀が編纂されたころには馬も登場してしまう
皇祖神&人格神であるからして天皇の神格化において利用しやすかったおかげで
一番ポピュラーな神だわな
個人的には卑弥呼とイメージは重ならないな
446 :
九州王朝大好き :2009/05/14(木) 22:03:27
>>437 僕も2回目の悪禁中だ。
3月に21日間。
4月末から今日で21日目。
別プロバイダーに切り替えて書き込むのが面倒で、
あまり書き込みをしなくなった。
447 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/14(木) 22:09:43
倭国乱の状態は、 ある国々は、筑紫大王に背き、貢ぎを治めない 貢ぎを運ぶ途中で盗賊団に襲われる。 この状態が恒常化する、筑紫大王は軍を派遣するが一時のもので軍が引き上げると また元の木阿弥。 この状態が数十年続くと流石の筑紫大王も倭国全体を治めることをあきらめる。 このような時、魏国より遣使がやって来て、大王との面会を求める。 筑紫大王は、遣使を伊都国に留め置き、倭国の王達を集めその席で卑弥呼を大王と する事を決定、魏遣使に報告。 魏遣使は、魏に朝貢団の来国を要求、翌年名のある国々の代表を集めて朝貢。 卑弥呼が数十年も倭女王である必要は無い。
448 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 22:12:29
>>443 >>445 おたくら、まじで天照大神が有名な人と思ってるの?
天皇家は、自分らの先祖だから大切にしていいんじゃないかな。
449 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 22:14:20
せっかく嘘までついて祭り上げた女王をその場限りで辞めさせてしまう必要は更にない。
450 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 22:18:38
台与共立を利用したのが誰で、その後どうなったかを考えたほうがよい。
452 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/14(木) 22:36:51
最初の遣使朝貢は、倭女王卑弥呼 次の遣使朝貢は倭王が重ねて来た事になっている。 この倭王は、倭女王の一団に含まれていた事になる。 その後も魏国は卑弥呼を立てるが、実力は倭王にあると見ている。 複数回の朝貢は、倭国にも何らかの足跡を残す。 何の変化も無い時代に卑弥呼は居ない。 考昭、孝安時代を見てその様な変化は見られない。
453 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 22:39:22
>>447 >倭国乱の状態は、ある国々は、筑紫大王に背き、貢ぎを治めない
>貢ぎを運ぶ途中で盗賊団に襲われる。
>この状態が恒常化する、筑紫大王は軍を派遣するが一時のもので軍が引き上げると
>また元の木阿弥。
>この状態が数十年続くと流石の筑紫大王も倭国全体を治めることをあきらめる。
>このような時、魏国より遣使がやって来て、大王との面会を求める。
>筑紫大王は、遣使を伊都国に留め置き、倭国の王達を集めその席で卑弥呼を大王と
>する事を決定、魏遣使に報告。
>魏遣使は、魏に朝貢団の来国を要求、翌年名のある国々の代表を集めて朝貢。
??
それは唐松山さんの想像でしょ?
>卑弥呼が数十年も倭女王である必要は無い。
現実にそう書かれてますよね?
邪馬台国架空説ならぬ卑弥呼架空説ね 案外真実に近いかも
初心者ですみません。 卑弥呼は架空の人物だと、思っていましたが…、実在の人物でしたか?
457 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 22:49:11
>>452 >最初の遣使朝貢は、倭女王卑弥呼
>次の遣使朝貢は倭王が重ねて来た事になっている。
>この倭王は、倭女王の一団に含まれていた事になる。
唐松山さんのいう「倭王」とは誰のことでしょうか。難升米のこと?
>その後も魏国は卑弥呼を立てるが、実力は倭王にあると見ている。
卑弥呼以上なんていませんよw
倭人伝読んでください。
いかに偉大で並みの国王ではないということが分かるはず。
>考昭、孝安時代を見てその様な変化は見られない。
すべての出来事が書いてるとはかぎりません。
卑弥呼の時代を考えたら「考昭、孝安時代」がふさわしく思えます。
458 :
日本@名無史さん :2009/05/14(木) 22:59:27
459 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/14(木) 23:25:49
>>455 >初心者ですみません。
>卑弥呼は架空の人物だと、思っていましたが…、実在の人物でしたか?
このスレ
>>1-453 全て呼んでみるといいよ。
あとはご自分で判断して下さい。
460 :
愛知県民 :2009/05/15(金) 00:08:38
改めさん もちろん、新しい天照大神はオオヒルメムチです。
461 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 06:29:52
>>453 >>卑弥呼が数十年も倭女王である必要は無い。
>現実にそう書かれてますよね?
倭人伝も後漢書もそんなことは書いてないのに、多くの人が誤読しているんだよ。
梁書は確かに書いているけど、あれは姚思廉の誤解から出たもの、一度、きちんと
整理しておく必要があるかな。
462 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/15(金) 07:49:09
卑弥呼を共立するまでの邪馬台国(30国体制)では、 各王達の中からグループリーダーを決め、国政を担って来た「夏后少康システム」 しかし卑弥呼共立後は、従来からのリーダー体制(倭王)と卑弥呼体制「太伯の後システム」の二大体制化し 車の両輪の如く、邪馬台国を運営したが 段々と、卑弥呼の独裁色が色濃く反映されるように これが後の大王(おおきみ)体制 だから倭人伝に記載されるのは二人一組で
463 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 09:07:02
>邪馬台国(30国体制) www
>>463 それは「スレを荒らしてもらいたい」という
あなたからの要望と受け止めていいのかな?
465 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 10:09:36
>>464 >邪馬台国(30国体制)
都する所の邪馬台国がどうしたら30国体制になるの?
荒らすんじゃなく説明したら?
>>465 女王の都する所は「点」
邪馬台国は「面」
点は面の中に存在するんだよ
で、どうして邪馬台国が30国かって?
認識や知識量の違うあなたに説明しても、埒のあく話しじゃないから
説明はいらないだろうし、時間の無駄になるだけ
「そう考えてる奴もいる」とだけ、受け止めておいてくれ
>>465 陳壽が何故、女王国などという女王がいなくなれば消えて失くなるような
代名詞を使用したかの理由さえ把握出来れば
邪馬臺(壹)国が30国体制の総称で
ある事も、自然と導きだされる。
先ずはそこから認識しなければ
どんなに説明しても、聞き手は魔法の呪文のように聞こえる。
自分の主張を理解してもらう気も無いのにこんなとこに書き込んでどうするの? いや煽りとかじゃなくて真面目な話
469 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 11:08:50
倭人の国々=今使譯所の30ヶ国(屬女王)+狗奴國+倭種の國
属女王の30ヶ国=女王國+狗邪韓國+對馬國+一大國+末盧國+伊都國+餘旁國
女王國=奴國+不彌國+投馬國+邪馬壹國
>>462 >しかし卑弥呼共立後は、従来からのリーダー体制(倭王)と卑弥呼体制「太伯の後システム」の二大体制化し
>車の両輪の如く、邪馬台国を運営したが、段々と、卑弥呼の独裁色が色濃く反映されるように
>これが後の大王(おおきみ)体制
共感する所有り。
従来からの体制(倭王)=伊都國王・・・・後に筑紫君、肥君、○○君等の大君(大王)(弟王)に発展。
卑弥呼体制=女王國(女王國王)・・・・後の兄王。
>>468 それはあなたの考え方
貴方には意味ない投稿に写るかもしれないが、人によっては
何らかのきっかけになるかもしれないだろう?
471 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 11:25:49
掲示板で、自分の主張を理解して貰うなんて、理想もいいとこ 無駄な行為、無駄な時間。 聞き手が前向きに詰め込まない限り、殆ど不可能でしょうね
473 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 11:34:36
>>471 >妄想するのは勝手だが、
>現実にはそんなこと書いてないってことを理解しよう。
それこそあなたの上っ面読み。
倭人伝やその他の和漢籍に書いてあることを、分析し統合すれば、僕と似たような結論に至る。
474 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 11:34:50
倭人の国々=今使譯所の30ヶ国+倭種の國 今使譯所の30ヶ国=對馬國+一大國+末盧國+伊都國+奴國+不彌國+女王國+狗奴國 女王國=投馬國+邪馬壹國+旁國21国
>>473 いくら説明しても無駄ですよ
学ぼうとする意思がない。
476 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 12:07:53
>>474 その見方はよく理解できます。
しかし、大きな誤りがあります。
@對馬國と一大國の外周道程(400餘里×2+300里×2)を総道程に加算していないこと。
A伊都國から奴國と不彌國への道程里数(其々100里)が書かれていることへの理由説明ができないこと。
陳寿は簡潔に表現します。同じ様な表現を繰り返えすことはありません。
477 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 12:11:49
>>469 女王國と属國を分けてどうするの。
ほんじゃ〜質問するよ
副の卑奴母離さんは女王國側の人?属國側の人?
つじつまが合ってねえしww
狗奴国の官以外の官は すべて女王支配の官
479 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 12:31:37
>>476 >@對馬國と一大國の外周道程(400餘里×2+300里×2)を総道程に加算していないこと
本人は伝家の宝刀でも抜いた気分だろうがww
話になりませんな。
水行の7000+(1000+800)+(1000+600)+1000+
陸地の500+100+100 計算しても12100(里)と一致しませんw
>A伊都國から奴國と不彌國への道程里数(其々100里)が書かれていることへの理由説明ができないこと。
そのまま読めばいいではないか。
とまあ、もう1度顔を洗って出直してきたらどうです?ww
480 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 12:33:43
481 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/15(金) 12:42:04
>>480 それは仕方ない事。
人それぞれ考え方が違うから。
違うからと、自分の意見を押し付けても
相手には受け入れてもらえないどころか、反発されるだけだよ
相手が歩み寄るのを、ただひたすら待つだけ。
482 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/15(金) 12:46:34
ひな壇飾りの三人官女が、どうしてあんな高い位にいるかも、 この倭人伝の記載を見れば想像がつく。
483 :
479 :2009/05/15(金) 12:53:45
>>474 >倭人の国々=今使譯所の30ヶ国+倭種の國
>今使譯所の30ヶ国=對馬國+一大國+末盧國+伊都國+奴國+不彌國+女王國+狗奴國
>女王國=投馬國+邪馬壹國+旁國21国
なんじゃそりゃw
貴方も
>>476 さんと一緒に顔を洗って出直してきたほうがいいよww
484 :
479 :2009/05/15(金) 13:00:31
それか、引けとは書いてないが 勝手に、-100引いて12000にする?ww ガハハハハハ 何でも有りだな.........end
485 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 13:51:36
>>477 >女王國と属國を分けてどうするの。
「属國」ではない、「属女王の国々」である。
女王國の属国ではなく、女王に従属している国々のことである。
だから狗奴国の官以外の官はすべて女王支配の官である。すなわち女王國支配の官ではない。
>>479 計算間違いをしていますよ。
@ 水行の7000+(1000+800)+(1000+600)+1000+陸行の500(伊都國)+100(奴國)=12000(里)
A 水行の7000+(1000+800)+(1000+600)+1000+陸行の500(伊都國)+100(不彌國)=12000(里)
古田武彦氏が40年も前に、奴國の道程枝分かれ説として証明済だよ。(「行至」と「至」の違い)
486 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 14:13:22
>>455 >初心者ですみません。
>卑弥呼は架空の人物だと、思っていましたが…、実在の人物でしたか?
はい、間違いなく実在していた、というのが学界の定説です。
その証拠に該当するものが、倭人伝後半にある景初二年(三年説あり)十二月の記事です。
この部分は魏帝の詔書をそのまま引用した形になっており、また単なる決まり文句の外交辞令ではなく、
その中に当事者でないと分からない筈の細かな贈答品目が書かれています。
したがって魏帝の詔の控えが晋の時代になっても残っていて、
三国志の著者はこれを見ることができ、字句そのままに引用したのだと考えられるわけです。
詔書に出てくる倭の3人の名前は卑弥呼・難升米・牛利で、3名いずれも実在の人物ということになります。
***
その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし
汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り以て到る。
汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢献す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王と
なし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮綬せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。
汝が来使難升米・牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、
銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹
を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両
・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く
以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
487 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 14:48:28
>>483 ちがうと思うなら、あなたの考え方を書いてみな。どうせ矛盾だらけになる。
その矛盾を指摘してやるよ。少しは勉強になるかもな。
>>485 479さんに代わって私が相手しようw
>計算間違いをしていますよ。
>@ 水行の7000+(1000+800)+(1000+600)+1000+陸行の500(伊都國)+100(奴國)=12000(里)
>A 水行の7000+(1000+800)+(1000+600)+1000+陸行の500(伊都國)+100(不彌國)=12000(里)
>古田武彦氏が40年も前に、奴國の道程枝分かれ説として証明済だよ。(「行至」と「至」の違い)
@とAは何ですか?勝手に分けたらいけません。
なぜ分ける必要があるのか、自分にとって都合のいいようにするんではなく、
倭人伝をそのまま読んでください。
まずは、自己都合的で勝手に「不彌國」を省いて12000とした理由から答えて貰おうじゃないか。
その次は、「奴國」を省いて12000とした理由もお願いしたいです。
>>486 へえ〜お宅よく分かってるじゃんw
(三年説あり)でもこれは余計だなww
>>487 >ちがうと思うなら、あなたの考え方を書いてみな。どうせ矛盾だらけになる。
>その矛盾を指摘してやるよ。少しは勉強になるかもな。
何故、貴方に教えないといけないんでつか?w
491 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 21:24:40
徑百餘歩 て150mクラス? 25mクラス? 五尺刀二口 が六分の一するのかどうか分からないので150mクラスも有り? 大作家 がどれくらいの規模かだよね。
492 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 21:35:05
493 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 21:44:00
>>489 郡から女王國(邪馬壹國)の行程での表現は、動詞+至+国名 となっている。
伊都國→不彌國は、動詞+至+国名 となっており上記の表現通りである。
一方、伊都國―奴國は、至+国名 となっており動詞がない。
これは魏使が女王國に行く行程上に奴國がないことを示している。
つまり奴國は邪馬壹國への行程において伊都國から枝分かれした方向にある旁國であることを示しているのである。
それでは旁國である奴國が何故記載されたのであろうか?
郡から不彌國へ12,000里である。
又、郡から奴國へも12,000里である。
郡から12,000里にあるのは女王國でもある。
奴國も不彌國も女王國を構成する一国なのである。
伊都國は女王國への入り口で、
次は女王國の領域であることを示すために、
奴國について触れているのである。
行程の枝分かれ論については、「邪馬台国はなかった」古田武彦著に、
「行至」と「至」の違いについて詳しく論証しているので、
僕の拙い説明より、それを読んでもらいたい。
>>491 1歩は足の長さ、東洋人の場合には約23cm。(脚ではないぞ、踵からつま先までの長さ。)
100歩は約23m。
これはあくまで考え方の基準。実際は22cm〜30cmであろう。 現代英米人の1歩(foot・feet)は29.5cm。
494 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/15(金) 22:03:23
>>493 王朝さんへ一言。
>伊都國は女王國への入口
王朝さんが知ってか知らずか、たまたまかは判りかねますが
漢語「伊都」の意味は
“都の入口”と言う意味です。
つまり、女王國の玄関。
古代の人は、当地“イト”の和語音に、漢字“伊”“都”をあて
この地が女王國の玄関になる地域だと 漢語表記しました。
>郡から女王國(邪馬壹國)の行程での表現は、動詞+至+国名 となっている。 >伊都國→不彌國は、動詞+至+国名 となっており上記の表現通りである。 >一方、伊都國―奴國は、至+国名 となっており動詞がない。 >これは魏使が女王國に行く行程上に奴國がないことを示している。 >つまり奴國は邪馬壹國への行程において伊都國から枝分かれした方向にある旁國であることを示しているのである。 「動詞がない」とか言って勝手にマイナス-100したら駄目だべ?w >それでは旁國である奴國が何故記載されたのであろうか?
>それでは旁國である奴國が何故記載されたのであろうか? >郡から不彌國へ12,000里である。 >又、郡から奴國へも12,000里である。 >郡から12,000里にあるのは女王國でもある。 >奴國も不彌國も女王國を構成する一国なのである。 だからどこにも書いてないつーのに! どこに書いてあるんですか? 自分の都合通りに読んでるだけでしょ? >伊都國は女王國への入り口で、 >次は女王國の領域であることを示すために、 >奴國について触れているのである。 奴國は二つあります。 見えますか?? >行程の枝分かれ論については、「邪馬台国はなかった」古田武彦著に、 >「行至」と「至」の違いについて詳しく論証しているので、 >僕の拙い説明より、それを読んでもらいたい。 人に頼ってたら駄目です。それじゃ著者の猿真似っス。
>>498 >人に頼ってたら駄目です。それじゃ著者の猿真似っス。
なにガキみたいな事ほざいてるの?
君が今使ってる文字は何?
先人達の猿真似じゃないの?
人の事棚に上げて
自分はどうなのよ?
498 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 22:28:58
499 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/15(金) 22:34:57
ん? 著者が分かってても 本人が理解してないと意味ないでしょ? 河童さんはそれでいいかもしれないけど意味ないですよ。
>>499 だったら君が、著者の意を説明してあげ
「行至」の真意を説いてあげたら?
501 :
日本@名無史さん :2009/05/15(金) 23:23:39
王朝さんの主張は、「行至」と「至」で違うから、「行至」のほうだけ行き、 もう一方の「至」は、同じ距離の位置にあって行かなかった。 もし、「至」の方に行ってたら「行至」と同じ距離ていうことでしょ?
502 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/15(金) 23:30:00
>>501 は私です。
王朝さんの行ってることは分かるんだが・・・
上のレスを見た人は、一見、ぴったり12000里て思うかもしれない。
しかし、「方可四百餘里」、「方可三百里」 これらも動詞が無いわけで、
どうして、「至」のみのところだけ-100するの?てなるわけです。
503 :
九州王朝大好き :2009/05/15(金) 23:33:10
>>494 「伊都」は卑彌呼以前の「倭都(ヰト)」にもかけていると思います。
>>495 >>496 >>499 君は簡単な説明だけで理解する(同意しなくても良い)為の基礎知識が不足しているようだね。
もっと先人の本を読んで勉強しなさい。
「行至」と「至」の違いを論証するには類例をだして説明するのが面倒なんだよ。
其の部分は古田氏の見解に僕が近いので、古田氏の本にお任せしたいのだ。
僕は、河童蟲さんとは異なる見解だと思う。
504 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/15(金) 23:38:35
「方可四百餘里」、「方可三百里」というのは、面積であり、 「自郡至女王國萬二千餘里」に含まれていません。 あくまでも、「面積」ということです。 付け加えて言わせてもらうと、「千餘里」というのは区間距離であり、 もし、「方可四百餘里」、「方可三百里」を付け加えるなら、 末盧國や伊都國、奴國などの「国の範囲」も付け加えないといけなくない? ということで、王朝さんの言ってる事に矛盾があると思いません?ALL
505 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/15(金) 23:44:59
>>502 そもそも
「郡から女王國(邪馬壹國)の行程」
ここが間違っているから
少しずつズレが生じているのさ
誰が「郡から女王國」の行程だなんて言い出したんだい?改め君はどう思う?
>>503 倭都なんて、何処から持ち出したの?
506 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/15(金) 23:58:22
>>503 >「行至」と「至」
「方可四百餘里」、「方可三百里」デス。
矛盾しているのを気が付きませんか?
>>505 >「郡から女王國(邪馬壹國)の行程」
いえ、狗邪韓國〜投馬國は、「邪馬壹國までの行程」デス。
全てはここに隠されている。
「自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳」
旁國というのは、そばの国で、言い換えれば「近国」ということ。
河童さんは、
この「近国」がなぜ、「遠絶(遠く離れている)」のか分かりますか?
507 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 00:06:35
これ読んでる人達は、 この3人の、誰の言ってる事が正しいか? やり取りを見ていれば分かるだろう。 狗邪韓國〜投馬國までは、邪馬壹國まで必要な国。 これが正しい。 狗邪韓國 ↓ 對馬國 ↓ 一大國 ↓ 末盧國 ↓→ 伊都國 ↓→ 奴國 → 不彌國 ↓ 投馬國 ↓ 邪馬壹國 ここ ↓ 狗奴國
508 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 00:12:06
>>503 どっちが、基礎知識が不足しているか、これで分かったでしょ?
わたしも本は、結構、読みましたけど、そこでどう感じ、何が矛盾していて
その矛盾をどう調べるか という作業が大切なんです。
ただ単に読めばいいってもんじゃないんですよ。
509 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 00:17:49
>>506 >「邪馬壹國までの行程」です。
そういう認識なら、何も言う事はありません。
私は先人が「伊都」と記載した事に敬意を込めるだけです。
>「遠絶(遠く離れている)」
私の脳には一切そういう認識を持ち合わせていないので
答えようがありません。
510 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 00:27:12
>>509 >そういう認識なら、何も言う事はありません。
>私は先人が「伊都」と記載した事に敬意を込めるだけです。
行程記事デス。
>私の脳には一切そういう認識を持ち合わせていないので
>答えようがありません。
漢字は二つ一組が「理想」だとご存知のだろう。
遠絶=遠く離れている としか訳せませんw
まあ、次回、説明しますよw
たぶん腰を抜かすんじゃない?ww
511 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 00:34:26
>>507 一つだけ質問するね
行程記事なら、伊都国から奴国の移動手段はなに?
また、奴国から不彌国への移動手段は何?
奴国って福岡の志賀島っつーかその周辺で確定してんじゃないの?
>>510 「遠絶(遠く離れている)」としている
段階で、既に腰を抜かした。
だからこれ以上抜けないよ
514 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 00:56:07
>>511 郡〜末盧國までは「船」だろう。
末盧國〜不彌國までは「歩き」だろう。
「伊都国から奴国」、「奴国から不彌国」に限らず、
「船」で行ったとか「歩いて」行ったとか邪馬壹國以外の移動手段は
書いてないのでハッキリとはわかりません。
しかし、『おそらく「伊都国〜奴国〜不彌国」は歩きだろう』というのは
誰しもが想像できると思う。
515 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 00:58:55
今日は夜遅いので〜また今度話しましょう。 では、See You Again 〜☆☆
516 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 01:03:06
もう来なくていいぞ〜
>>514 なんだいなんだい
結局
行き着く先は「円谷プロ」かい?
また、アンバランスゾーンに迷い込んでしまったのですね?
519 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 08:13:33
>>493 >伊都國―奴國は、至+国名 となっており動詞がない。
「至る」ってのは動詞じゃないのか?
520 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 09:04:45
>>519 「いた(ル)」の(ル)は動詞だけど、「いたル」の「いた」は
動詞ではないし
漢語「至」も動詞ではない。
521 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 10:04:18
因みに 「至も到」も和語表現は(イタ‐ル) 和語で違いを表現する事は不可能。 しかし、和語で違いを表現する事が困難でも 漢語は別字でその違いを区別している。 「至」と「至+リ」として。 つまり、到は至に比べ“リ”の部分が異なるという事。そして“到”文字は“至”が存在するが故に 成り立つものです。 だから“到”文字の意味は“至”の意味の範囲を決して超えた表現にはならないと 言う事です。“致”もしかり。
つまりどういうこと?
523 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 10:18:53
>>422 「到」は「至」の意味を分割した一部。
例えは
「至」と言う文字の意味に“ab”と言う内容があったとしたら、「到」は
その内容の“a”の部分だけ表現している。
そう言う事。
いや意味はどう違うのかと言うことが聞きたかったのです
525 :
九州王朝大好き :2009/05/16(土) 10:46:44
狗邪韓國 ↓渡海1000里 ↓[對馬國] 水行周400里 └→┐水行周400里 ↓渡海1000里 └→┐ 水行周300里 [一大國]↓水行周300里 ↓渡海1000里 [末盧國] └→┐陸行500里 城郭間距離 [伊都國] →→→→[不 彌 國] 陸行100里 城郭間距離 城郭間距離100里└┐ │ │投馬國と邪馬壹國は不彌國の領域に南接 [奴國] [投馬國] [邪馬壹國] 女王國=奴國+不彌國+投馬國+邪馬壹國 │ 狗奴國は女王國(邪馬壹國)に南接 [狗奴國] 上記の伊都國の位置と女王國の範囲以外は40年前の古田説とほぼ同じ 議論に至らない余談: 「伊都」の意味:倭都(倭面土国の都)、女王國の都の入口、怡土
526 :
九州王朝大好き :2009/05/16(土) 10:51:57
〜〜〜〜〜┏━┓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━┓〜〜〜〜郡⇔不彌國(女王國):12000餘里 〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜〜郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由) 〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行) 〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜 〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國 除く) 〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛∵∵∵∵◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━━ 〜〜〜〜〜┃│┗↓━┛[秦王國] ∵∵大宰府∵∵倭[俀國] ∵∵∵∵[秦王國]:唐津浜玉 〜〜┏━━┛│∵◎→○→┐∵∵∵∵∵◇倭京∵∵∵∵∵∵∵∵∵[十餘國] :伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国 〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ [城郭位置] 〜〜〜┃狗∵│[竹斯國] ∵↓∵∵不彌國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡等 〜〜〜┃∵奴└┐∵伊都國◎┬→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡) 〜〜〜┗┓∵國└┐∵∵∵∵│∵┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵∵●印:女王國を構成する国 〜〜┏┓┗━┓連└┐∵奴國●∵┃●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴國:佐賀城 〜┏┛┗┓〜┃∵合└┐┏━━━┛┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡 〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌──────────投馬國:大川中心部 〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米南部 〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡 〜〜┗┓∵┗━┛┗━━┓〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜〜〜┃長崎┏━━┓∵┗┓〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜〜〜┃◇┏┛〜〜┃∵∵┃〜〜〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵∵∵∵ 〜〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┃島原湾〜┃∵狗奴國連合地域∵∵∵∵狗奴國連合地域:狗奴國+約30ヶ国 〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜┗━┛天草灘┗━━━┛〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵倭地:筑紫・肥・豊(周旋可五千餘里[200km四方])
ちょうどいい話題になってるので俺も聞きたいです。 ちょっと前にドンと来いスレに書き込んだ者です。 確実に行ったと思われる対馬と壱岐、行ってないと思われる歯黒国などの遠い国の行程の表現をヒントに 「至」と「到」、そしてそれらの前に「行」が付くか付かないかで意味が異なるのではないかと思いました。 河童虫さんは漢文、漢字に強いということですので、これらの意味を教えてもらえないでしょうか? 前に書き込んだ時は、伊都国など何ヵ国かは邪馬台国への行程にないように読める、 しかし奴国が志賀島だとすればその仮定が全部崩れてしまう といった感じのレスをしました。
528 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 11:26:47
>>526 九州王朝大好きさんの説の致命的欠陥は
七万戸、五万戸の邪馬壹國、投馬國を筑後の狭い範囲に
押し込んでいることだな。
馬韓、十万戸などとの比較から九州王朝大好きさんの説は破綻している。
529 :
横やり :2009/05/16(土) 11:30:57
九州上陸を、松浦近辺と考える人が多いが 俺は、博多じゃないかと考える 理由は 1.松浦だと壱岐からの距離が近すぎる 2.遣使は、東の方角を目指している 壱岐→東・博多(末盧)→東南・大宰府(伊都)→東・宇美(不彌) ↓ 南・甘木(奴)
530 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 12:39:47
>>524 >>524 簡単に説明すると
文字は文脈に左右されながら、意味も変化するので
特定した意味はありません。
だから倭人伝の行程文だけに限定して書きます。
行程文(地理記事)で使用されてる「至」文字は
“至〇〇”と、いうように、“至”の後文“〇〇”とのセットで使われています。
つまり、至の前文との関係は重要ではないし
至を考える上では無視でき、至の動態部分ではない
〇〇の静止部分を表現しています。
だから必ず行程文には
至の前文には、動態を表す渡や水行などがくるのです。
分かりますか?
もっと簡単に言えば 至も到も 前後の文章の為に存在する記号と考えれば、より簡単に解釈できます。
532 :
九州王朝大好き :2009/05/16(土) 12:46:48
>>528 >七万戸、五万戸の邪馬壹國、投馬國を筑後の狭い範囲に押し込んでいることだな。
間違っています。
邪馬壹國、投馬國、奴國は筑紫平野全体にあります。
筑紫平野=筑後平野(筑後川・矢部川)+北野地域(筑後川)+佐賀平野(嘉瀬川)+白石平野(六角川)
邪馬壹國:北野地域+筑後平野中北部山裾地域(内陸部)
投馬國:筑後平野平野部全域+佐賀平野東部(平野部)
奴國:佐賀平野平野部+白石地域
3世紀筑紫平野の地形
@有明海が吉野ヶ里の近くまで北へ細く入り込んでいた。
神崎市千代田あたりは海。佐賀平野東部は有明海によって、中部西部と分断されていた。
吉野ヶ里のある不彌國は、南北が有明海と背振山地に挟まれた、
東西は北野地域と佐賀平野を結ぶ地峡部にあった。
A筑後川の河口は吉野ヶ里近くまで北に入り込んでいた海の東にあった。
筑後川河口は吉野ヶ里の東南方向、上峰町南部付近。
>>529 >九州上陸を、松浦近辺と考える人が多いが
松浦とする様な人はほとんどいない。
九州上陸地点は唐津。
魏志倭人伝には壱岐からも真っ直ぐ南に海を渡ると書いてある。
陳寿の文を読解する力が必要。
533 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 12:53:30
至の前文に、動態を表現する文が存在すれば 至に動態を求める必要はないので、至は自ずと後文の静止体との関係になります。 しかし 至の前文に動態が無ければ、至は動詞として 動態表現との関係となります。
>>533 他
>河童虫さん
仰る意味はだいたい分かります。
ただ俺が一番知りたいのは、漢文から下のような解釈はできるのかどうかなんです。
(少し長いですが)
AからDに行くのにA→B→C→Dというルートがある場合
「Bの東にB1、西にB2」などと書かれていたら、それを何も分からない人が読んだら
A→B→B1→B2→C→D
と誤解しないかな、ということなんです。
535 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 13:55:41
>>534 文の流れが途切れないなら、そのように読むしか有りません。
つまり、
A→B→C→D
と言う流れ自体が存在しないから
A→B→C→D
と言う流れが確定しているなら、それ意外な読みは存在しません。
536 :
doontakuka :2009/05/16(土) 14:07:39
「計其道里當在會稽東治【冶】之東」とは、 「洛陽〜會稽(北緯30度)間の距離」と「會稽東治【冶】之東=種子島(北緯30度)〜狗邪韓國=与那国島の距離 」が、ほぼ等しい。と云うこと。 因みに、會稽の緯度は、30.02 、経度:は120.12で、洛陽の緯度34.457447、経度は, 112.463322. 故に、洛陽〜會稽の距離は約874.8km≒2,025里。 亦、 与那国町(狗邪韓國)〜那覇市(對海【馬】國 )間は約428km=約990.7里。 那覇市(對海【馬】國 )〜種子島・中種子町(一大国)=會稽東治【冶】之東、 間は約442.8km=約1,025里。 故に、 与那国町(狗邪韓國)〜種子島・中種子町(一大国)=「會稽東治【冶】之東」間は、約990.7里+約1,025里=2,015里 對海【馬】國は対馬で一大国は壱岐って本当ですか? デカイ錯誤があるのではないでしょうか?
537 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 14:12:42
>>534 書き手は、読者が誤解しないように書くことに努める。したがって、「行」の字が
あるなしなどのようなことで読み方が変わるというのはまず考えられない。
連続説か放射説か、問題になるのはそれだけだよ。
538 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 14:15:23
そうそう、根本的になにかが違うんだと俺も思うね
539 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 14:19:05
>>536 考え方の出発点からデカイ錯誤があるのではないでしょうか?
540 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 15:31:51
>>539 東治か東冶かで、場所が違ってくるでしょう。
オレは、東冶が本当で、東治は誤刻だと思う。
理由は東治という言い方が不自然だから。
541 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 15:52:15
「到」とは 例えば 「循海岸水行歴韓國乍南乍東“到”其北岸狗邪韓國七千餘里」 の場合、 @「到」の“リ”の右側の長い縦棒部分が (循海岸水行歴韓國乍南乍東) A「到」の“至”の部分が (其) で、真ん中にある短い縦棒が、 @の動態部分と、Aの静止体を分けると言う記号です。
542 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 16:02:10
>>540 そのとおりでしょう。そして、会稽と東冶、いずれも会稽とか東冶と聞けば、中国人は
それぞれの地をすぐ思い浮かべることができる有名な地名です。
>>542 でも
>「洛陽〜會稽(北緯30度)間の距離」と「會稽東治【冶】之東=種子島(北緯30度)〜狗邪韓國=与那国島の距離 」が、ほぼ等しい。と云うこと。
には、なりませんよ。
544 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 16:21:16
>>543 doontakukaの考え方はわからんね。一見して、考える気にもならない。
545 :
横やり :2009/05/16(土) 17:50:22
>>532 松浦付近というのは唐津も含めた意味で書いたのだが
イキ、マツロ間は方角が書かれてないでしょ
距離からすれば博多の方が可能性が高いと思われ
>>545 釣り?
>イキ、マツロ間は方角が書かれてない。
「又渡」と書かれているから、前回の行為の繰り返し。つまり“南”
書く必要性もない、単純な事です。
547 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 19:18:00
>九州上陸を、松浦近辺と考える人が多いが
>俺は、博多じゃないかと考える
>理由は1.松浦だと壱岐からの距離が近すぎる2.遣使は、東の方角を目指している
>壱岐→東・博多(末盧)→東南・大宰府(伊都)→東・宇美(不彌)
アハハ あんたサガミハラさんみたいなやっちゃな。
えーと、松浦半島と伊都半島を無視したらいけません。
「九州の地形」と「古墳の出土地」がよく分かってないでしょ?w
サガミハラハラさんなんか何もない所を伊都国にしてんだから
笑っちゃうよねw
>>528 >九州王朝大好きさんの説は破綻している
www
548 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 19:28:02
>>546 >「又渡」と書かれているから、前回の行為の繰り返し。つまり“南”
>書く必要性もない、単純な事です。
何言ってんの?
對馬國 → 一大國は「南」だけど、
一大國 → 末盧國は南ではないので博多てことも考えられるんだよ?
河童氏は、「又」ていう字を辞書で調べたことがないのか、距離も含まれるとか思ってたら大間違いだよ。
「行為そのもの」が繰り返されるのである。
殉葬者百余人の骨の出てきた墓ってあるの?
550 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 19:44:27
無造作に土に埋めたんなら骨なんか残る訳無いだろ。
551 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 20:01:19
>>548 南と言う行為が繰り返されるから「又」
しっかりしなよ
辞書は限られたスペースで最低限の事しか書いていない。
限られたスペースだけでは表現出来ない隠れた部分が沢山あるのよ
もう少し、文字を大切にしなさいよ。
改め君?
では、何故「又」と言う漢字を“また”と
訓読みするか、わかりますか?
552 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 20:06:02
>>551 あれ? まじで河童さんは「又」 に方角も入ると思ってるの?
冗談でしょ?w
「又」というのは、同じ行為が繰り返されることであって
方角とか面積なんかは含まれないよ。
そのレベルの程度も○○師匠さんからも教わってないのかい?
ま、
>>548 のようなレスしているようじゃ
とてもじゃないけど
中学生レベルとしか思えない。
しっかりしなよ
何年書き込みしてるの?
555 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 20:16:30
オマエラ二人とも去れ
>>555 ディスコ系がいかったか?
それに、もう少しで居なくなるから
もう少し我慢してちょ
557 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 20:23:18
英語版wikiによると「南至投馬國」の部分の英語は 「Going south by water for twenty days, one comes to the country of Toma」 となっている。 ただ、「至」に対応している英語が載っているのは投馬國の部分だけなので ほかは分からん。 wikiの出典元である「Tsunoda Ryusaku, tr. 1951. Japan in the Chinese Dynastic Histories: Later Han Through Ming Dynasties」 にはおそらく魏志倭人伝の英訳全文が載ってると思う。
つまり、この「又」は状態説明。 又とする状態維持行為を、対馬から壱岐に渡海する時と同じように繰り返された。 だから「又」。 これで一文字節約でけた。
559 :
九州王朝大好き :2009/05/16(土) 20:41:38
>>529 >>545 >>548 對馬國のところで、「乘船南北市糴 又南渡一海」あり、
次いで一大國でも「亦南北市糴 又渡一海」と同じ行為が繰り返されるので、
同じ表現がが重複しないように、「乗船」を「亦」に変え、「南」が省略されている。
560 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/16(土) 20:49:59
「又」は「さらに」と訳すとうまくいきますね。
561 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 20:52:11
だから「又」には方角とか面積は含まないの。 これだからもうねw
>>560 それは宣戦布告?
私のトリップ盗んで楽しいかい?
564 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/16(土) 21:22:21
>>561 ん?
誰が方角や面積の話しをしているのですか?
何時も貴方の勇み足から始まる。
この「又」は“渡”の動態行為によって、静止“至〇〇”を完了させる為の
状態維持行為“南”を又で表現しているのです。
又は状態維持行為“南”の仮の姿です。
567 :
河童虫 ◆E2pz5a.Eic :2009/05/16(土) 21:33:28
>>565 笑えるよ
必ずブラムのトリップも盗まれると思って
トリップ変えました。
このトリップは
なかなか解析出来ないよ〜
河童虫でも共通で使うからよろしく。
トリップ解析は、株式市況板では日常茶飯事だから
解析困難なトリップくらいは用意してあるよ
市況板程度で日常茶飯事とは笑わせてくれますね 解析速度教えてもらえます?
569 :
河童虫 ◆E2pz5a.Eic :2009/05/16(土) 21:47:55
>>568 株式板には、トリップ解析を趣味にしている奴がいてね
>解析速度
知らないよ。
そいつに聞いてくれ
毎週何人かは必ず餌食になっているから
570 :
九州王朝大好き :2009/05/16(土) 22:13:26
>>567 確かに。株式板にはトリップ解析が趣味のやつがいるな。
なんだ 用語ひとつも出せずに逃亡ですか つまんねーの
572 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 23:06:34
逃げの梅毒 ファビョりのドツボ ホツマバカのチョロ松 都合合わせ歴のデブ国
>>571 は
いったい何が目的なんだ?
世の中、変わった奴大杉
574 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 23:18:53
>世の中、変わった奴大杉 プラム=河童虫にそう言われる筋合いは、誰にもない。
だから◆E2pz5a.Eicは偽物だつーの
576 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 23:41:40
拘邪韓國から千余里+南千余里+千余里+東南陸行五百里 +東南百里+東行百里+南水行二十日+南水行十日陸行一月 これを素直に足していけば沖縄付近。 会稽は長江河口のちょっと南で、東冶は台北の対岸だから、 会稽から東冶にかけての海岸の東は、ちょうど琉球諸島がすっぽり入る。 (中国歴史地図集では、東冶は建安郡で会稽郡ではない) つまり、倭人伝の記述を素直に読んだ結果は、 陳寿の頭の中にあった位置関係と一致している。 著者陳寿の意図を、我々はその通りに読んでいる。 なのに邪馬台国らしきものは発見されない。 可能性1 沖縄周辺で陸行一月は無理。だから、方角が誤っている。邪馬壹國は畿内。 可能性2 帯方郡から末盧國まで一万余里。 郡から女王国まで一万二千余里だから、あと二千余里。 それでは会稽東冶の東まで行きつけない。 つまり、方角は正しいが距離が誤っている。邪馬壹國は九州。 可能性3 倭人伝の記述は正しい。邪馬壹國は琉球諸島のどこかだ。 薩南諸島と琉球諸島を船と島は歩きで、トータル水行十日陸行一月。 狗奴國は台湾だ!でも、やっぱり二千余里で沖縄はちょっとなあ。 可能性4 距離も方角も間違い。どこだか、わかんねーよ! こんなところでしょうか。
577 :
日本@名無史さん :2009/05/16(土) 23:46:41
アマテラスのテラスとは、古フランス語で盛り土を意味するテラスと同義。 太陽を祭る司祭場という意味です。 西アフリカを起源とするフランス語には、縄文語やアイヌ語と共通の言葉が 多数あります。古モンゴロイドの活動範囲の広さが理解できると思います。
578 :
河童虫 ◆E2pz5a.Eic :2009/05/17(日) 06:45:37
>>576 編纂者は何も間違っていない。
ただ、読み手の誤読。
あるいは、説明書は読んだが
使用方法がわからない。
「至と到」の使い分けが、出来る奴すらいないんだから
579 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 07:09:35
>>576 方向も距離も間違っていない。あなたの考え方の問題点は、女王国と邪馬台国を
同じだと思い込んでいること。何のために別の表現にしたのか? 異なる概念だ
からだよ。女王国というのは、邪馬台国とそれに従って倭国の乱を戦い抜いた国
の連合体を言っているんだ。
したがって、北九州の伊都国から水行二十日で投馬国、伊都国から水行十日陸行
一月で邪馬台国、これで何も問題はない。
580 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 09:20:49
>>579 >したがって、北九州の伊都国から水行二十日で投馬国、伊都国から水行十日陸行
>一月で邪馬台国、これで何も問題はない。
それだと、会稽東冶の東はどうなるの?
方向も距離も間違ってないのなら、会稽東冶の東が間違ってるの?
それとも投馬国や邪馬台国は、会稽東冶の東にあるの?
郡から伊都国まで一万余里と五百里なのに、
伊都国から二千里弱で、どうやって会稽東冶の東まで行くの?
もう一つ、会稽から東冶までの中国大陸の海岸線は、地図で測ると500qほどある。
(地図上を物差しで測って縮尺で計算しただけだから、間違ってるかもしれないけど、とにかく長い。)
その東なんだから、邪馬台国一国のことを言ってるんじゃない。
邪馬台国一国が、そんな長大な距離に渡って広がってるとは考えにくい。
つまり、倭国30国が会稽東冶の東に南北に連なっているということを書いてあるのです。
581 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/17(日) 09:57:40
>会稽東冶の東はどうなるの? 会稽東冶を出発した船はただ東に向かって櫓を漕ぐ、海流による北上は含まれない これで琉球弧の何処かの島にたどり着く、その先は、各島の船頭の案内で倭国到達。 もし東北に舳先を向けて漕ぎ出したら、海流の影響で琉球弧にたどり着けない。 この事は鑑真和尚の渡海を見れば、あきらか。
「計と當」を無視するな!
583 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:02:44
>>580 あなたは女王国と邪馬台国を混同しているんだよ。女王国というのは、邪馬台国と
それを支えた国々の総称だ。その女王国と北九州諸国が戦ったのが倭国の乱。
だから、北九州諸国(女王国以北)は女王国に入らない。
女王国は万二千里から始まるが、終わりは、当然、邪馬台国よりも南、則ち、南の
奴国が女王国の南の境界だ。万二千里は熊本あたりだろうが、女王国の南は九州の
南端に近い(狗奴国が女王国に入らないだけだからね)。
会稽東冶の東というのは、北が会稽、南が東冶、その間に女王国があるということ。
女王国は極めて大きいから、それに相当する中国側も会稽と東冶としたんだ。
会稽は熊本あたりと対比すると南すぎると思うかもしれないが、郡からどれだけ南
へ進んだら女王国が始まるのか、それを計算したときに少し見当がちがっただけだ。
郡から万二千里で女王国、そのうち南へ進んでいないのは、朝鮮半島の南の乍東と
末盧国からの東南五百里のみ。だから、郡から南へ約一万里と計算したんだろう。
それが会稽だったということだよ。郡から会稽まで約八百キロ。短里で合ってるだろ。
584 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:10:47
>>581 会稽東冶を出発したと書いているということは、
「会稽の東冶」という一地点を想定してるんじゃないですか?
そうじゃなくて、会稽から東冶に至る長大な海岸線の話をしてます。
大陸の東海上、会稽から東冶の海岸線に相当する
広範囲の海域(上ではおよそ南北500qと書きましたが)に倭が存在するということです。
船を漕ぎ出すとか関係なしです。
585 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:23:03
>>583 貴方の理屈は解るけど、漢文読解から、それには賛成しかねます。
自女王國以北、其戸数道里可得略載
この「自」は女王国も含んで以北という意味。言ってる。その国々は戸数道里を略載してる。
貴方の説だと、戸数道里を略載しているのは、女王国を含まない以北の国じゃないと都合悪い。
斯馬國以下は、其餘旁國と表現されていて、女王国に含まれていない。
ということです。
586 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:23:30
>>584 会稽東冶の考え方としてはあなたの言うとおりだ。
583に少し付け加えると、女王国の領域は、九州東側は南端(志布志湾沿岸)
に狗奴国があったのだろうと思うが、九州西側は屋久島まで女王国の領域だった
と考えるべきだと思う。そうすれば、広志逸文がすっきりと理解できる。
熊本から屋久島までの距離、それがあなたの言う五百キロの東に広がっていると
いうことだよ。
587 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:33:40
>>585 以北に女王国を含むか、否か? 諸橋の大漢和でも引っ張り出して徹底的に検討してみな。
今は「以上」とか「以下」はそれを含むと解釈されることが多いけど、けしてそうとは限
らないのだよ。どちらもあるわけで、どちらの意味で使われてるのかは良く検討しなければ
分からないのだ。倭人伝の場合はどうか? 以北の国は一面、一大率が検察する国だ。
となれば、以北に投馬国や女王国を含めたら、おかしいだろう? 一大率はしょせん女王国
から派遣された地方長官だ。投馬国のような大国や邪馬台国本国まで検察するわけはない。
倭人伝の場合には、以北には女王国は含まないと解することになるんだよ。
588 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:45:14
>>587 諸橋引っ張り出したなら、以北以前に“自”の意味でも調べなよ
出だしから誤認している
“自”は女王國の都と言う意味だよ
女王國を面とすれば、都は点だよ
589 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 10:52:21
それに、一大率が見張るのは 自国ではなく 大倭と大陸との交易の有無。
590 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:11:16
>斯馬国以下は其餘旁國と表現されていて 嘘はいけません。 斯馬国以下は「其」 旁國は「餘」 と、表現されています。
591 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/17(日) 11:18:10
>>589 松浦の西側、田平を通るルートの検察が出来ない。
ここに”乱”の元がある。
592 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:20:41
>>587 「以」ではなくて「自」の働きとして、女王国も含んで以北と捕らえるべきだということ。
実際、女王の都する邪馬壹國は戸数道里を略載している。
女王の都する邪馬壹國が含まれない女王国はおかしいでしょう。
それに、例えば中尉・執金吾は皇帝に任命されて皇帝の御膝元の都を取り締まるわけでしょう。
一大率の職務範囲に女王のキの巡察が含まれないとは限らない。
いずれにせよ、一大率の性格がはっきりしないのに、
女王国の地方長官なんて断言は危なくないかい。
593 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:22:56
>>590 ごく真っ当な漢文読解の話をしているので、
奇矯な説は解説を付けて反論してください。
でないと議論になりません。
594 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:32:12
>>591 一大率が見張るのは、大倭(本州)から沖の島⇔対馬北部⇔半島南部
への交易ルート
当時邪馬台国は、大倭と大陸側の交易ルートを完全に封鎖するのではなく
沖の島ルートだけを残した。 暴発を防ぐ意味で
だから「オキ」の島
一大率を響灘沿岸に配備する事で 睨みをきかせた。
595 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:50:20
>>593 漢文解釈ではなく
必要なのは和語の解釈でしょ
漢文から和語にする時点で、既に恣意的な解釈が加わっているし
貴方達が真っ当と思いこんでいるのは、無理矢理読み下された和文の世界では?マジで漢文(漢語)に取り組んでいないから、横槍が入るのですよ
ま、どうでもいい事ですけど
596 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 11:57:34
>>595 そういうのはいいから、反論があるなら原文に則した反論を書いてね。
解説付きでお願いします。
オレはこう思うだけでは、そうですかとしか言えないから。
587の人は、ちゃんと理由も書いてあるから、意見が異なっても議論できるわけ。
597 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 12:06:02
漢字を知らないで漢語を語ると言う事は ひらがなを知らないで和語を語る以上に虚しい行為。 現代人の何十倍もの漢字を扱って来た、スペシャルな古代漢人達の文を 漢字も知らずに現代感覚で扱っちゃ駄目だよ
599 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 12:14:12
600 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 12:19:17
>>596 十分に原文にそった意見ですが
例えば自女王国の“自”だけど ここ一文字とっても
意見が別れるのは、漢字を知らないからで
知ってさえいれば、共通した認識になるはず
しかもこの“自”が読み下されると
「〇〇より」と、単純に読まれ
従との違いや、何故自なのかもかたられない。
もっと細かく突っ込めば、和語の「より」 とはなんなのか? どうして自を〜よりと表現するのか、共通認識がサッパリなんだよ
>>600 将棋の駒に例えましょう。
オレたちは、それぞれの駒の動き方の決まりに則って、
棋譜を読んであれこれ議論してる。
君だけは、何故将棋の駒は五角形なんだ。将棋の駒は何で木で出来てるんだ。
何で歩と書いてある駒は前に一つだけ進めるんだ。
何で飛車は真直ぐどこまでも行けるんだ。
って、そんなことで騒いで、それが理解できないと将棋はさせないと言い張ってる。
駒が五角形になったのも、歩や飛車や金将銀将というのも、出来た時は理由があったんだろう。
そういうのを探求するのも、個人の趣味で頑張ってくださいというよ。
だけど、一旦出来てしまえば、全ては記号でしかない。
そんなもん知らなくても、そういうもんだとして駒の動かし方の決まりに則って将棋はさせるし、
同じルールに則って指した棋譜は読める。
源流を探求したいのなら、そういうスレに行ったらいいよ。
ここは源流探しをやる場じゃないから噛み合わないのね。
602 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 13:07:52
女王国以北に投馬国や邪馬台国が入らないというと、両国については戸数道里が書いて ある、したがって女王国以北の国でなければならない、という意見がある。 しかし、女王国以北かどうかは、戸数道里が書いているかどうかで決まるものではない。 女王国以北、其の戸数道里を略載しうる、其の余の旁国は、遠絶にして詳らかにしえず。 これは、「其の余」については、全ての国ではなく、「旁国」と限定されていることを 示す。旁国というのは、大国の傍らにある小国。投馬国や邪馬台国は既に明記している から戸数道里を書けるのは明らかとし、旁国について書けないと書いてあるんだ。
>>601 漢語を将棋に例える意味はなに?
将棋の例えが、漢語読解に当て嵌まるとは考えられないけど
漢語読解と将棋の例えに何等かの共通事由があるのなら、その例えは有意義に働く事になるが
漢語は漢字の組み合わせであり、漢語の根本を形成するもの
一方将棋の駒の、形や素材は、将棋遊戯とは離れたもの
例えで本質を外しては駄目だよ。
野球で言えば
投げる、打つ、走るを問うてるのであって、ルールは投げる打つ走る行為が
あるからこそのルールだよ
白けるなあ
605 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 14:01:10
こうやって、梅毒は逃げて来たわけです。
606 :
河童虫 :2009/05/17(日) 14:40:05
逃げてるのはおまえら
607 :
河童虫 :2009/05/17(日) 15:00:55
「自」と言う文字を、時処前置詞として、時間や地点の基として扱うのは、 「自」の義に 和語で表現する所の“みずから”や“ジ”が含まれるから つまり「自」で構成される文章は、同じく基の意味を持つ「従」とは違い “みずから”や“ジ”を持つ文章構成になっていわけ だから 「自郡」と書けば、自ずと郡庁を導きだされるが、「従郡」では ストレートには郡庁には結びつける事が出来ない
608 :
河童虫 :2009/05/17(日) 15:11:27
倭人伝は全て漢字で書かれているにもかかわらず、誰ひとりとして 漢字を語ろうとはせず 無理矢理読み下された和文を元に論じられてる 現状に、苦言をていしているにすぎない。
そうそう、漢字の意味がどうこうと言うのは実際ためになるね 出来ればソースも示してほしいところだけど これはこういう使われ方される字だからこういう風に読み解かなきゃいけないんだと言われても ほうほうなるほどとは思えてもそれが本当にそうなのか確認するすべが無い
610 :
河童虫 :2009/05/17(日) 16:02:58
>>609 は
だから諦めたり、始めからスルーしちゃうの?
違うよね。
それを見つけ出すのが、学校教育を終えた者が行うべき学習じゃないかな?
私の書き込みなんて言うのは、信じる必要もないし
同意する必要もない。
単なるきっかけ、一つの考え方から導き出されたものに過ぎない。
>>609 のレス内容の作業を行うのは私ではなく、
>>609 自信じゃないかな?
それが学習と考えます。
誰だって最初は、雲を掴むような話しだよ
611 :
河童虫 :2009/05/17(日) 16:17:49
>>609 貴方の自身の脳と、先人達の知恵の結晶である辞書が有れば
可能な事ですよ
自らの考察が正しければ、古代の漢籍は、貴方の考えている方法と
同じような使用をしています。
612 :
改め :2009/05/17(日) 17:01:35
なんか盛り上がってるね〜! 今日は、愛知県民さん来てないのかな?
613 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/05/17(日) 17:02:12
簡単にソースが出て来るような話題でないから、掲示板に出て来るのです。 簡単にソースが出て来る話しなら、 ワザワザ見ず知らずの人と会話する必要もないし 話題にすらもなりません。
和語を知らずに漢語で記し、それを漢語を知らない者が解釈しようとする。 そして事実と大きくかけ離れた歴史観が構築されていく。
615 :
河童虫 :2009/05/17(日) 17:43:21
>>614 和語を知らずに漢語で記し
さ、それはどうかな?
616 :
愛知県民 :2009/05/17(日) 18:00:25
盛り上がってますね。根本的というか、レベルの高い話だなあ・・
617 :
愛知県民 :2009/05/17(日) 18:04:56
世間ではインフルエンザで盛り上がってます。
618 :
河童虫 :2009/05/17(日) 18:12:07
>>617 ま、私は逆にレベルを下げてる代名詞みたいに語られているけどね
>>615 >
>>614 > 和語を知らずに漢語で記し
>
> さ、それはどうかな?
「和語」と言う用語について、先ずは貴方なりの定義をしてくれないかな。
ここ数レスの使い方を見ても、既に一般的な日本人の用法と違ってるような気がする。
例えば、私は「和語」と書かれれば「やまとことば」、つまり非漢語伝来語、非欧州系諸語伝来語の意味と取ってしまう。
ここは、いろんな人が使う掲示板なのだから、自説の説明をする時に他人に誤解されないような気配りは大事なことだ。
620 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 21:15:49
弥生時代の倭人語(倭国語?)の標本は、倭人伝の記述に残ってるだけ、しかも人名、 地名、官名等で、あとは誰にもわからない(まあ記紀には残ってはいるるんだろうが)から 倭人語を漢語に訳す際、どのような誤解が生じたかなど推測不可。 一方、古代漢文を現代日本語に訳す際に生じる誤解等については、いろいろと先人の 研究があるだろう。
621 :
620 :2009/05/17(日) 21:22:16
続き ああ、そういえば倭人伝には倭人語の翻訳を試みてる部分が一カ所あるな。 >対応の声を噫という、比するに然諾の如し
622 :
河童虫 :2009/05/17(日) 22:06:41
>>619 >和語
掲示板では普通に古くから使われている日本の言葉でいいと思います。
非漢語、非欧州諸国伝来
等と考慮しながら使い分けている人は皆無でしょうから
常人の感覚とは完全にズレてる人なんだな。 つーか、非常識なだけとも言うかw
624 :
河童虫 :2009/05/17(日) 22:29:16
>>623 2ちゃんの住人が、2ちゃんの住人に
非常識とは……
>>603 前にも一度書いたと思うが、
中国人は、秦の統一以前、地域ごとにそれぞれ違う文字を使用していた。
秦の始皇帝の文字統一で、与えられた文字を使うようになった。
中国の人間は一度自前の文字を失ってる。
秦が滅亡して統一文字を作った主もいなくなった。
字体も篆書から隸書に移り、楷書が生まれた。
漢字の大本を作った直接の文化的子孫はもう存在しない。
字体も大きく変化した。
それなのに、甲骨文字の時代の文字の成り立ちを意識して使用している者など、
三世紀の中国にはいない。
我々が、誰がどういう理由で決めたかも解らない将棋の駒を使って将棋を指しているように、
当時の中国人も、既に誰がどういう理由で決めたか解らない漢字の用法に従って
文章を書いていた。
だから、王安石が「波は水の皮だ」というと蘇東坡が「では滑は水の骨ですか」と馬鹿にした
なんていう笑い話が伝わっている。
言語虫がやってるのは、「水の皮」とまでは言わんが、三世紀の文章読解には全く無関係。
あたかも、現代の将棋を研究するのに、その源流と言われるインドのチャトランガを理解しなければ
将棋は指せないと言ってるようなナンセンスな事なのですよ。
626 :
日本@名無史さん :2009/05/17(日) 23:52:14
ついでに河童君に指摘しておくけど、 >貴方達が真っ当と思いこんでいるのは、無理矢理読み下された和文の世界では? というのは見当違い。 日本人同士が掲示板でやり取りしてるから便宜上読み下し文を書くけれど、 ここに書く前の検討は原文でやってる。 君の方こそ、「りゃくす」だの「りゃくした」だの、日本語でいろいろお考えのようですが、 漢文読解するのに、なんで日本語をいじくってんだ?と疑問に思うところです。
627 :
河童虫 :2009/05/18(月) 00:01:52
>>625 と、貴方は考えるわけだ
それはそれでいいと思うし、敢えてそれを大上段に構え
殺気を持って太刀を振り下ろす気などありません。
私は私の意志で、私の意図する目的でここに書いているし、
ただ私の書き込みに、殺気を感じているのなら
それは私の未熟さからくる邪心、
私の不徳のいたすところ
出来る限り精進いたします。
貴方は貴方の考える道を歩まれますように。
みんな説文解字とか読んで書き込んでんの?
629 :
河童虫 :2009/05/18(月) 00:27:16
>>626 >日本人同士が掲示板でやり取りしているから便宜上読み下し文を書くけど
別に便宜上に書かれた読み下しを批判していませんよ。逆に、便宜上書く読み下しと聞いて、安心した次第です。
>検討は原文で
全ての投稿が、そういう下地で書かれると
嬉しいです。
>なんで日本語を
人に厳しく自分に甘い、日本人ですから
それに、周りが読み下し文を下地に議論している以上、それに合わせることも必要ですから
でも、そういう人達だけじゃない事がわかれば
また違った書き込みも、試みましょう。
ただ、ここは2ちゃん。
人のトリップを盗み
それを使用して遊ぶ輩もいる掲示板の特性もお忘れなく。
630 :
河童虫 :2009/05/18(月) 00:30:44
>>628 以前はよく日曜日に図書館迄でばり、纏めて調べたりしたけど
最近は、必要に応じてだけかな?
631 :
河童虫 :2009/05/18(月) 00:39:24
私が掲示板で虫さんから教わったのは 「掲示板での用心の仕方」 これだけです。 私は掲示板だけに存在するプラムであり河童虫ですよ ウフッ!
>>628 説文解字は持ってるけど、
倭人伝を読むにはあまり意義を感じないなあ。
天皇家の発祥は、葛城の高天でしょう? 葛城地方には、高天原関連の遺跡が集結している。 奈良県御所市周辺の地名や神社を見てみろ。 「高○○」とか、「葛○○」とか、「秋津○○」そんなのばっかだ。 そんなのばっかだ。 とくに、近畿王朝初期の豪族の祖先の地が終結している。 現在の奈良県御所市高天。 葛城の高天に本拠地がある勢力が、出雲を併合したんだろう。 それは、ニニギ命(神武天皇の曽祖父)のあたりの時代の話だ。 紀元前1世紀か、紀元1世紀くらいの話かな? その後、ニニギ命は、九州の高千穂に降臨する。 だから、九州から近畿へ東征した神武天皇の話も、決して間違いではない。 たしか、唐か宋の時代に中国に派遣された日本の使者が 「倭国が西にあって、日本が東にあって もともとは東の日本は小国だったけど、倭国を併合した。 でも、その後も、ずっと日本は倭国の名前を継承していたが この名前が好きではないから、変えてくれ」って 言っているんだよね。 あと、倭王武である「雄略天皇」が、中国への上奏文でも、 「私の国は、西に数十カ国、東に数十カ国、平定して 次に海を越え北に数十カ国を平定した」と説明している。 この私の国の本拠地は、どうみても、近畿地方、なかでも葛城の高天でしょう。
634 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 01:38:34
>>602 >旁国というのは、大国の傍らにある小国。投馬国や邪馬台国は既に明記している
>から戸数道里を書けるのは明らかとし、旁国について書けないと書いてあるんだ。
これはおかしい。
拘邪韓國から邪馬壹國まで戸数道里を記述してきて、
女王之所キ〜可七萬餘戸まで読んできて、
「自女王國以北」と続く。
その時、読者はまだ「其餘旁國遠絶」は読んでいない。
まだ読んでいない情報で「女王国以北は云々」とは解釈できない。
それに、「其餘旁國」は、「その餘り」の中の一部の「旁の國」ではなくて、
「餘り」=「旁」なのですよ。
30国の中のこれまで戸数道里を記述してきた国々ではない餘りであり、
郡と女王との交渉で郡使や倭の使者が行き来する道程にはない傍らの国。
635 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 06:28:56
>>634 >その時、読者はまだ「其餘旁國遠絶」は読んでいない。
>まだ読んでいない情報で「女王国以北は云々」とは解釈できない。
「女王国以北」を解釈するのに、「其餘旁國遠絶」という情報は、別に必要ではないと思いますが。
>「其餘旁國」は、「その餘り」の中の一部の「旁の國」ではなくて、「餘り」=「旁」なのですよ。
そうゆう読み方をする人が多いようですね。しかし、それでは、旁国はすべて女王国よりも南にある
ということになります。旁国とは何ですか? 何の傍らにあるのでしょう?
邪馬台国の南に21国の旁国があり、その先に狗奴国? 大国は北にばかりかたまり、南は小国ばかり
ということはないでしょう。
「其の余」は「女王国以北」に対する言葉です。女王国以北ではない国々、すなわち女王国(投馬国と
邪馬台国、それに旁国)と狗奴国とがそこに含まれます。
>>635 あなたは旁國をすべて小国と解しているようですが、何も根拠はありませんね。
旁國は戸数は記載されていないのですよ。
同様に狗奴国も、大国か小国かは倭人伝では判りません。
637 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 08:07:58
旁国とは傍らの国です。何の傍らかとなれば、大国の傍ら以外にはありえません。 必然的にそれは小国ということになります。 狗奴国も戸数道里が書かれていません。旁国の一つであり、小国ということに なります。
638 :
河童虫 :2009/05/18(月) 09:09:18
>>637 「旁」とは
本来あるべき姿(形)から、欠ける。
と、言う意味で
大国小国と言う意味はありません。
だから「かたわら」と、日本で表現されているのです。
日本でも、手や足を失った人の事を“かたわ”者と差別したり、
漢字で“偏とつくり”の偏を取った“つくり”の部分を “旁”と表現してるでしょ
639 :
河童虫 :2009/05/18(月) 12:30:45
畸ではなく、癈になった女王国 後漢時の女王国は、餘国を含めた範囲を支配し 餘国は位置的に「傍國」だった。 しかし、ある騒動をきっかけに餘国を失い、文字通り、「旁國」とかし 女王国は癈となった。 わかんねぇだろうな〜!
虫
641 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 19:35:27
>>635 >「女王国以北」を解釈するのに、「其餘旁國遠絶」という情報は、別に必要ではないと思いますが。
でも、君は
>>602 において、貴説の根拠として「其餘旁國遠絶」しか挙げていません。
そこより前の文で、君の謂うような意味で読めという要素は何も見受けられませんが、
君は、どの部分がその根拠だと思っているのですか。
君の誤解
1、自女王国以北の他は南だけではなく東も西もある。
2、自女王国以北は千余戸の国から記述がある。
大国を列記したのではない。
国の大小にかかわらず、郡使の通過した国を列記してある。
3、旁国は、大国の旁の小国ではない。
郡使の行程に含まれない、行程の旁の国。大国も小国も含まれていたと考える方が自然。
4、其餘は、30国中の戸数道里を記載した国以外の餘り。
郡使が通るから戸数道里が解り、行程以外の余りの国は、
行程の傍らにあって郡使一行が見聞していないので詳細が解らない。
\女王国以北/
\ 女王国/
其餘旁國 \ / 其餘旁國
\/
其餘旁國
(奴國 女王の境界尽きる所)
狗奴國
642 :
改め :2009/05/18(月) 19:53:52
643 :
改め :2009/05/18(月) 20:52:49
太国さん くどいようだが、正月(旧正月)は年に2回あるとか、笑っちゃうねw 大体、「正月」て何の日かわかってるの?
644 :
改め :2009/05/18(月) 22:35:44
倭人伝の卑弥呼、壹與の献上品に「班布(半折?の絹、錦織物)」や 「白絹(生絹)」が献上品として記されている。 「錦」、「絹」といえば、佐賀、長崎、和歌山が有名かな?? (他に有名なところて誰か知ってる?) 蚕の繁殖にしても熊本、和歌山辺りか...。 畿内説、九州説〜共に一歩も譲らズってかんじだねww
645 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 22:40:13
青玉は翡翠だろ 九州説の人はまたトンデモ説出すだけなんだろうけど
646 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 22:50:49
卑弥呼の時代には畿内を中心とした西日本ネットワークが確立されていた 翡翠が献上されている 東の海の向こうに倭種 結論:邪馬台国は九州ではありえません
647 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 22:51:09
>>641 >君は
>>602 において、貴説の根拠として「其餘旁國遠絶」しか挙げていません。
意味不明ですね。私は「女王国以北」を読む根拠をあげた覚えはありません。
602を何か誤解して読んでおられるのかな。
>国の大小にかかわらず、郡使の通過した国を列記してある。
放射式ですから通過はどうかと思いますが、伊都国、奴国は大国、不弥国などは
小国でしょうね。
>郡使の行程に含まれない、行程の旁の国。大国も小国も含まれていたと考える方が自然。
行程の傍らならば邪馬台国までの間にないとね。あなたのように旁国が邪馬台国よりも先に
あると考えるならば、行程の傍らとはとても言えないでしょう。
>其餘は、30国中の戸数道里を記載した国以外の餘り。
そうではなく、其の余は女王国以北に対する言葉です。女王国以北以外の所ということですね。
648 :
改め :2009/05/18(月) 22:53:02
【計其道里當在會稽東冶之東】 ていうのを解りやすくいえば、 狗邪韓國〜對馬國〜一大國〜伊都國〜奴國〜不彌國〜投馬國〜邪馬壹國の 合計が會稽、東冶の東に在り、狗邪韓國〜邪馬壹國までの合計と會稽、東冶が等しいていうこと。 ここだけをみても「伊都国から放射線式」ではなく「邪馬壹國まで連続式」だということが分かるだろう? 會稽、東冶の東に邪馬壹國が無いって? いえいえ、ありますよ〜私はすでに分かってる。 まあ、ご自分で探してみて下さいねww
649 :
日本@名無史さん :2009/05/18(月) 22:53:29
口から泡を出して、白目剥きながら反論するんだろう それともスルーかなw どちらにせよ即死状態
650 :
改め :2009/05/18(月) 22:56:43
失敗〜!
>>648 を訂正
【訂正1】
狗邪韓國〜對馬國〜一大國〜伊都國〜奴國〜不彌國〜投馬國〜邪馬壹國
↓
帯方郡〜狗邪韓國〜對馬國〜一大國〜伊都國〜奴國〜不彌國〜投馬國〜邪馬壹國
【訂正2】
狗邪韓國〜邪馬壹國までの合計と會稽、東冶が等しい
↓
帯方郡〜邪馬壹國までの合計と會稽、東冶が等しい
651 :
改め :2009/05/18(月) 23:06:53
>>645 青玉?
チト調べてみないと何とも言えませんね...。
>>646 >卑弥呼の時代には畿内を中心とした西日本ネットワークが確立されていた
>翡翠が献上されている
>東の海の向こうに倭種
>結論:邪馬台国は九州ではありえません
その前に、翡翠は献上されてませんよ。
景初二年記事と壹與の献上記事を見てごらんw
652 :
改め :2009/05/18(月) 23:14:35
「壹與」、「臺與」をどう読むかって? 「おいよちゃん」でもなければ、「おとよちゃん」でもない。 「壱のヨちゃん、台のヨちゃん」だよ。 実際によっちゃんて呼ばれてたかどうかは知らん。 少なくても倭人伝にはよっちゃんて書いてるってことよ。 反論あるならどうぞ!
653 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 00:55:03
反論したら、馬鹿が染る〜
654 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 10:52:50
655 :
doontakuka :2009/05/19(火) 14:23:43
◎洛陽 緯度 34.65155, 経度 112.442075. ◎天津市 緯度 : 39.103856 経度 : 117.252381 故に、洛陽〜天津市は655.4km≒1517.13里 ◎郡=Pyongyang 緯度: 39.0187 経度: 125.7468 故に、天津市〜郡(Pyongyang)は、849km≒1967.5里 ◎狗邪韓國=与那国島 緯度: 24.456056 経度: 122.991428 故に郡=Pyongyang 〜狗邪韓國=与那国島 約1481.92km≒ 3430.37里 故に ● 洛陽〜狗邪韓國=与那国島 は約2986.32kmで約6,912.13里。・・・七千余里(倭人伝) 亦、 ◎狗邪韓國=与那国島 緯度: 24.456056 経度: 122.991428 ◎對海【馬】國=那覇市 緯度: 26.212293 経度: 127.678946 故に ●狗邪韓國=与那国島〜對海【馬】國=那覇市は、 約500.56km ≒1.158里・・・・千余里(倭人伝) 亦、 ◎對海【馬】國= 那覇市 緯度: 26.212293 経度: 127.678946 ◎一大國 =口之島(種屋久) 緯度: 29.987502 経度: 129.920047 故に ●對海【馬】國=那覇市〜一大國=口之島(種屋久) は、 約438.976km≒ 1,016.15里・・・・千余里(倭人伝) 亦、 ◎一大國==口之島(種屋久) 緯度: 29.987502 経度: 129.920047 ◎末廬國=呉市 緯度 34.244863 経度: 132.557761 故に、 ●一大國==口之島(種屋久)〜末廬國=呉市 は、約500.8km≒1,159里。・・・・千余里(倭人伝) 魏志倭人伝は日本列島を可也正確に描写していますね。 方位も正しい。 九州には、對海【馬】國も一大國も末廬國も伊都國も奴國も不彌國も嵌らない。
656 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 18:27:07
657 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 19:54:37
なんとも悪質な歴史捏造です。 邪馬台国は、方向が違うと何度言ったらわかってもらえるのか。 東ではなく、南です。 邪馬台国と同じ時代の関西の古墳の話は、他所でしてほしいと思います。
658 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 20:34:13
>>657 結局、九州説は方角しか頼れないんですよね。
その方角すらズレてますが(笑)
659 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 20:34:48
>方向が違うと何度言ったらわかってもらえるのか。 畿内説は、事実を捻じ曲げることによって 初めて成立しうる捏造説ですから、 畿内説の人には 決してわかってもらえることはありません。
660 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 20:54:10
邪馬台国の時代に、畿内にも大きな国があったことは認めるけれど、 邪馬台国とはまったく別の国だったと思います。なぜ、そんなことが 理解できないのか、理解しようとしないのか?不思議でなりません。
661 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 20:56:55
なんとも悪質な歴史捏造です。 邪馬台国は、距離が違うと何度言ったらわかってもらえるのか。 短里ではなく、放射説でもなく素直に考えてください。 邪馬台国と同じ時代の九州の熊襲の話は、他所でしてほしいと思います。
662 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 22:41:21
方向が違うのは、絶対に駄目。 畿内ということは、ありえません。 卑弥呼は日の巫女、アマテラスですよ。 太陽の出る方角を間違えることはありえない。 どうして、そんな当たり前のことがわからないのでしょう?
663 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 23:26:47
邪馬台国は九州です。なぜなら南と書いてあります。方角は絶対間違えないものです。 南とある以上、東ではないのです。畿内ではないのです。いかに昔の人と云えど方角は間違えないのです。 いえ、昔の人ほど、方角は間違えません。南を東と書き替えてまでして何故畿内だといいはるのですか? 魏志倭人伝には南と書いてあるんですよ。南なんです東ではないんです。方角は間違えないものです。
664 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/19(火) 23:35:01
曹操は赤壁の戦いで吹くとは考えにくい某方角の風が諸葛亮の祈り によってそれが吹いて負けたので、方角で苦渋を飲んでるから、 間違えるほど間抜けではない。
665 :
日本@名無史さん :2009/05/19(火) 23:48:22
>諸葛亮の祈りによってそれが吹いて負けた 祈りで風が吹くと本気で考えてるやつを間抜けというんだよ。www
666 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/19(火) 23:54:41
南を東と言うほうがそうではないのか〜?wwwwwwwwww
667 :
ローガン :2009/05/19(火) 23:56:01
南、南、南! 南!み〜なあ〜みいい。 たまっていますね。発散しなはれ。
668 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/19(火) 23:58:59
TVで放映していたが、今でも雨乞いできる奴が極めてわずかだが、 現にいるということだ。実際TV関係者が立ち会って雨がふっている。
669 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 00:04:01
>>668 ほーほー。今に家に霊障除けの壺を売る人がやってくるぞwww
670 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/20(水) 00:04:19
晴天の空に大雲を呼ぶ奴もいて、大槻教授も今日は旗色がわるいとか で〜放映していた。これはまた別の人物だ。こういうふうに現に いるんだよ。分かったか〜?ppp
671 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/20(水) 00:06:12
余はドツボさんではないね。
672 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/20(水) 00:08:10
また明日な。PP PP PPP ^\^
なんでこう、九州説ってオカルトキ○ガイと親和性が高いんだろう?w
タッチ タッチ 君にタッチ あなたから〜♪ かな? 南 南って。
675 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 00:20:23
九州なんて、南へ一ヶ月も歩かないうちに 海の中にドボン。 これって世間の常識。
676 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 00:21:29
>>672 で、日々の暮らしもままならないのに、ローン組んで壺を買っちまうんだろうww
677 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 00:55:22
>>662 魏の使者は北九州にとどまり
畿内にあった邪馬台国までは行ってないという説が主流だよ
678 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 00:58:06
倭人伝の記載を無視するために、そう言うのさ。
魏の使者はガキの使いレベルのアホウだった説になるからね>北九州止まり説 買収のしようもないし。
680 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 01:11:57
卑弥呼の墓の記述に関しても、どこまでが本当なのかな?って感じがする 魏志倭人伝をそのまま歴史資料とした場合に日本の歴史研究の妨げになってるとも思える
卑弥呼については日本にはその記述が無く魏志倭人伝の記事が元になってるものしかないのに その魏志倭人伝を信頼しないでどうしろと?
裏が取れない証言を頭から信じろと? それで、万人が納得する結果が得られれば別だけど。
魏志倭人伝の風景描写は、畿内である確率0%。 九州の確率は100%に迫る。
裏付けが取れないから信用しないってんなら卑弥呼の存在すら信用できないじゃないか 最低限あからさまに事実に反してない部分は信用しなきゃ駄目だろ
話が長くなるが 高天の原とは、葛城の高天のことで、現在の奈良県御所市高天。 Googleアースで視たら分かる。 葛城地方(現在の御所市、葛城市のあたり)で発祥した豪族が 城郭をどこに構えるかといったら、 乱世においては、現在の御所市高天台あたりに、構えるもの。 実際に、5世紀の葛城氏は、その高天台のすぐ下に居を構えていたことが分かる。 ここが、もっとも防御上、適している。 卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛命ならば、 出雲国譲りの時代は、おそらく紀元前1世紀後半ぐらいだろう。 この時代に、葛木(首都は高天)VS出雲(首都は意宇)の間で決戦があり、 葛木が、出雲を併合することで、決着したのであろう。
686 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 07:11:14
>>682 普通に読めば、すっきりと読めて裏も取れるんだよ。何も不自然なところはない。
畿内にちがいないとか、北九州にちがいないという思い込みをもって読むから妙な
ことになるんだ。
688 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 11:08:51
>>658 九州説では短里を使えば距離がピタリと一致し
人口の問題でも北部九州一帯を邪馬台国と考えれば一致する。
689 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 11:12:41
昔は南の方が人口は多かったんだよ。南九州と考えた方がぴったりだ。
あの頃はまだ氷河期だから 南のあったかいとこのが栄えてるのが自然
691 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 12:00:33
「南」 何が「南」なんだ? 以外と分からない、この「南」
692 :
doontakuka :2009/05/20(水) 12:49:27
計其道里當在会稽東治【冶】之東の 「会稽東治之東と会稽東冶之東」の領域。 会稽の緯度は29.97488ですから、会稽の東にぶち当たる列島の位置は口之島(種屋久)の北緯: 29.987502。 亦、東治の緯度は30.999777ですから東治の東にぶち当たる列島の位置は北緯30.994561の佐多岬。 つまり、「会稽東治之東」とは、種子島・屋久島にあたる。 「男子無大小皆黥面文身 自古以來其使詣中國皆自稱大夫」とは種子島・屋久島の者にも当て嵌まる。 では、 「会稽東冶之東」の範囲は、種子島・屋久島から加賀市・水戸市の北緯36.302624にあたる。 此れだけでも、九州邪馬台国捏造犯は沈没ですね。 ^^;
693 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 13:22:25
本人は理論的な説明をしているつもりらしいが、他人にはその趣旨がまったく伝わらない のが問題だな。
694 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 13:50:14
>>692 真東ではなく、だいたい東。
畿内も九州も会稽からは同じ方向、
「会稽東治之東」は決め手にはならない。
魏志倭人伝に描かれた建物・人間・風土の描写は、断じて畿内ではない。 風景としては吉野ヶ里に酷似している。
696 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 16:21:41
>>692 >東治の緯度は30.999777ですから
これは、上海から寧波の辺りを想定しているんでしょうかね。
それは、文献的にどういう根拠からなんでしょう。
ボクは、後漢書の注
「東冶,縣,屬會稽郡.太康地理志云漢武帝名為東冶,後改為東候官,今泉州?縣是.」
にある、この東冶が「会稽東冶の東」の東冶だと思う。
これだと現代の福州市あたりで、およそ北緯26度。
ちなみに、後漢時代は会稽郡が広くて東冶は会稽郡に含まれるけれど、
三国時代は会稽郡が小さくなって、東冶は会稽郡に含まれない。
だから、「会稽東冶」は、「会稽の東冶」という一地点ではなく、
「会稽から東冶」という広い範囲を指していると考えるべきだと思う。
「計其道里」て距離について言及してるんじゃないの? 会稽から東冶の東ですって文としておかしくない?
民俗学的な描写と思わせぶりな「会稽東冶」に本質的な意味があったんで ないの? なんつうか、誇張でっち上げw
>>697 >「計其道里」て距離について言及してるんじゃないの?
この疑問は、「女王国の一地点までの距離を合算すると
大陸のある地点の東に当たる」というような内容を想定しているんだろう。
でも、そうじゃない。
「計其道里」の直前の記述は、諸国の刺青の模様は違うなどと、
倭の諸国に対する記述になってる。
「計其道里」も、倭のある一地点ではなくて、
倭の30国を含む広範な地域のことを言ってる。
倭を拘邪韓國からにするか対馬からにするかは意見の分かれるところだが、
「從郡至倭」以降に記述された距離と方向から、倭の諸国が散在する地域、
つまり拘邪韓國あるいは対馬國から始まって、女王の境界の尽きる奴國
(もしくは、狗奴國も入れるべきかもしれない)で終わる地域を推定すると、
おおよそ会稽から東冶の海岸線の東海上に位置すると説明しているわけ。
700 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 20:02:41
沖縄も倭の種族だろ
701 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 21:10:53
竹内文書、ほつまをよめえええええw
702 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 21:21:30
>>697 女王国についての話をしているんだよ。女王国の始まりは万二千余里の熊本あたり。そして、
女王国の尽きるところは倭国最南端で、おそらくは屋久島あたり。
その女王国につき、郡からの道里を考えてみると、会稽から東冶の東方になるというわけだ。
女王国の位置を実際よりは二百数十キロ南に見ているということになるだろうが、そうおか
しな推測ではないと言えるだろう。
703 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 21:24:51
改め熊本説 人気だねw
704 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 21:39:58
妄想でしかないがな
705 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 22:11:19
>高木神ー上下する世界観ね 高木神はエレベーターか?wwあほだから黙ってたほうがいいぞw 天と地を結ぶ神 だろーがww
706 :
九州王朝大好き :2009/05/20(水) 22:29:51
方向、短里道程、戸数、風俗を、先入観を持たず素直に読めば、邪馬台国は筑紫平野だ。
707 :
九州王朝大好き :2009/05/20(水) 22:35:34
魏志倭人傳[隋書俀國傳]地図 (倭地拡大地図) 〜〜〜〜〜┏━┓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━┓〜〜〜郡⇔不彌國(女王國):12000餘里 〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由) 〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行) 〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛(餘旁國) ∵∵┗┓〜〜 〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國 除く) 〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━ 〜〜〜〜〜┃│┗↓━┛[秦王國] ∵∵大宰府∵∵倭[俀國] ∵∵∵[秦王國]:唐津市浜玉 〜〜┏━━┛│∵◎→○→→┐∵∵∵∵◇倭京∵∵∵(餘旁國) ∵[十餘國]:伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国 〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵∵(餘旁國) ∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽-白石-大牟田-筑紫野) 〜〜〜┃狗∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ [國名]: [城郭位置] 〜〜〜┃∵奴└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡等 〜〜〜┗┓∵國└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡) 〜〜┏┓┗━┓連└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴 國:佐賀城 〜┏┛┗┓〜┃∵合└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡 〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國:大川市中心部 〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米市南部(倭の宗主国) 〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡 〜〜┗┓∵┗━┛┗━━┓〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜〜〜┃長崎┏━━┓∵┗┓〜〜〜〜┃∵狗奴國連合地域∵∵∵ 〜〜〜┃◇┏┛〜〜┃∵∵┃〜〜〜〜┃∵∵◇熊本∵∵∵∵∵∵ 〜〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┃島原湾〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜┏┛┏┛〜〜┏┛∵∵┏┛〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 〜┗━┛天草灘┗━━━┛〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
708 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 22:42:32
>>705 そうかな。これは死生観とかかわりがあり、降りてくるだけではないと思うが。
709 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 22:52:43
天照大神が葬られた場所は、京都府舞鶴市真名井て記憶がある。 ほつまね。
710 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 22:56:37
やはり、邪馬台国は九州の東海岸。 延岡から宮崎平野にかけてが最有力だと思うのですが。
711 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 22:59:23
サガミ氏 は、教えて貰って貰ったんだから お礼ぐらいあってもいいと思うw
だから、陸行一月がフィクションになるんですよね。 九州説も畿内説も。 邪馬台国まで行ってないとするのが正解。 卑弥呼の墓も伝聞。
713 :
708 :2009/05/20(水) 23:09:17
巨木信仰は単に神の憑代であるばかりではなく、樹木信仰による死と再生、メイ・ポール などとも関わる生殖信仰ともっと複雑な要素をはらんでいる。
714 :
708 :2009/05/20(水) 23:17:24
ただ降りてくるだけのものなら神はいらないだろう。神とは人々の願いや魂をすくい上げる ものだろう。ただ、仏教以前の死生観はきわめて難しい。
その昔、福岡県南部地方〜大分県北部地方は、豊ノ国と謂われていたが、 この豊ノ国て魏志倭人伝にでてくる壹与、又は、 梁書の臺与のこと?
トヨタン・・・・・・・・・・
717 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 23:41:33
日向=卑弥呼 豊国=台与
718 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 23:42:03
出た出た トヨタン〜〜〜w イヨタン〜〜〜w ヨタンなんて 嫌じゃあああああああww
719 :
日本@名無史さん :2009/05/20(水) 23:50:33
720 :
サガミハラハラ :2009/05/20(水) 23:52:14
>>711 ありがとうございました。さらに詳しく調べてみます。
721 :
708 :2009/05/20(水) 23:55:56
, -─── 、 /##二二__ヽ、 置 こ よ /##/ 、 ヽ ヽ ,'## / /_/」_ハ `、 `、 い こ く |ヘ、#_lノ ;≠、'ノ 刈 l l! { (( ッ'ト-リ ゙ ,、リソハ |' と に 分 ヽヽ o゚ ´ /ソ}'ノ ノノ Y ° - ' `゚イイ´ き テ か /⌒ ( Y)` ;‐‐ ' ゚( i ) |:::::::::::〉i/^^ゝ-、 (y ) ま ィ り l++::::(/\ ,ミ}::ハ:ヽ〉i( l+┘ /::::::::::ソ:::::}:( y) す ッ ま l::::::/:::::::::::/::::::/::::)i〈 l:::::;++、::/:::::::::!::::{l|ll} ね シ せ ハ(___ ノ:::::;++:|l::::::::ハ / ̄キ:::::::::メ メ::|ヽ、:::::::::ゝ、 ュ ん ,'+++':::::::::::++'::::::\ヽ、::::::キ ヽ l::::::::::::::::::::::::_rァ⌒`ヽ、:::└++ヽ_____ が l:::::::::::::::_/ヽノ ヽ::::::::/_っー’ _,,..i'"':, ノ_へ∧/ `、__ \ |\`、: i'、 (_ \ `、 `丶、 `; .\\`_',..-i `‐‐--\ `、 ノ .\|_,..-┘ , '⌒ヽ._____\ `、─---‐'
723 :
doontakuka :2009/05/21(木) 13:09:57
>>696 :日本@名無史さん 長安
ボクは、後漢書の注
「東冶,縣,屬會稽郡.太康地理志云漢武帝名為東冶,後改為東候官,今泉州?縣是.」
にある、この東冶が「会稽東冶の東」の東冶だと思う。
これだと現代の福州市あたりで、およそ北緯26度。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
泉州は、北緯: 24.922033 東経: 118.582295です。
池間島(オキナワ)が 北緯: 24.930834 東経: 125.233155です。
ここは大変重要です。何故なら北緯25度と北緯39度の中間点は北緯32度になる。
北緯32度の日向から神武が東征していますね。
此処での39度は北極星の位置であり、32度は竜座のトゥバン(thuban)の位置である。
トゥバンは北天に位置しており、地球の歳差運動によってしばしば北極星となっている。
現在の中国政府が承認する会稽の位置は北緯29.97488、東経 : 120.598403で、
東治の位置は北緯: 30.999777、東経 : 121.88403です。
これが魏志倭人伝の会稽と東治の位置でしょう。
だから、
北緯30度の会稽に垂線を降ろし、右座標で於いて、
その垂線と約29度の延長線上に東治があり、
左座標には、
垂線と約30度の延長線上と北緯34.5度の交点に洛陽があるのです。
北緯34.5度は北緯30度と北緯39度の中心点です。
同じ右座標において24度の延長線と北緯39度の交点は?
『女王国北緯』24度(狗邪韓國=与那国島)と『狗奴国の境界』北緯39度の交点は
北緯: 38.987918 東経: 141.117802の平泉です。
此処が北の奴国の位置です、この南が邪馬台国ということでしょう。 ^^;
歳差運動を無視して後漢書・魏志倭人伝を理解することは出来ないでしょう。
724 :
doontakuka :2009/05/21(木) 13:25:15
>>723 :doontakuka
訂正
>その垂線と約29度の延長線上に東治があり、
を
その垂線と約39度の延長線上に東治があり
に
訂正させて頂きます。
725 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 16:19:38
説明能力がまったくないらしい。
おい!!!久しぶりに覗いてやったぞ。河童はどぉした、河童は何処行った。
727 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 20:04:47
>>724 この意味を取るのが大変なレスは、美濃もん太のようだ。量は半分だが。
>>723 グーグルマップでみると、この緯度経度のところに東治という地名があるけど、すごく小さい。
これって、3世紀のころにも東治という名前で呼ばれていたの?
それと二十五史には東治という地名官名いずれも見受けられないようだけれど、
会稽東治といって都の人間にすぐ解るほど名の通った土地だったの?
729 :
改め :2009/05/21(木) 21:10:13
明日から3連休をとって、 松浦半島、唐津、伊都国博物館、福岡市博物館、志賀島の金印公園、宝満川へ行く予定。 時間空けば、柳川の川くだり、熊本城まで行きたい。 他にいっておいたほうがよい場所ってある?ALL
730 :
改め :2009/05/21(木) 21:15:52
呼子まで行き、そこから歩いて宝満川まで...。 車で伊都国博物館→福岡市博物館→志賀島の金印公園まできついかな。 まあ、一日はかかるだろうね...。
改めドツボの日記スレw
732 :
改め :2009/05/21(木) 21:41:05
サガミハラハラさん 貴方も試したんでしょうか? そして、長く伸びるアシは見つかりましたか? 確か、唐津川付近でどうたら 本位書いてあったような...。
卑弥呼が貰った「五尺刀」が出土しているのは伊都国です 「世有王皆」と書かれ唯一王の記述がある国は伊都国です 平原遺跡は女王の墓であり存在するその国は伊都国です 伊都国から千里で下関。「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」
結論 邪馬台国の首都が「女王之所都」であり「女王国」で あるならば 首都は「女王国」であり伊都国である・・・
735 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 22:42:39
>>734 邪馬台国=女王国です。
伊都国は女王国の首都です。
「女王之所都」とは伊都国のことです。
736 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 22:53:53
だから陸行一ヶ月で九州は撃沈なんだよ 畿内もあり得ない話になる 伝聞であれば畿内の可能性大 なぜなら上陸しているのは北部九州であるからだ 何回も同じこと言わせるなよ
737 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 22:55:37
女王卑弥呼が貰った物の中で有名なのが親魏倭王の金印、銅鏡百枚です。 しかし金印は未だ出土していないし、鏡もどれがどれだかわからないでいます。 しかしながらこれらがこのようにはっきりしない現状でも別の視点から考えてみたいと思います。 それは女王卑弥呼が同時に貰った「五尺刀二口」です。 これは 「親魏倭王」 や「銅鏡百枚」に比べればはるかに目立たないものだけど 正式に貰った物であることには変わりありません。 既に 伊都国女王卑弥呼 の中で前原市の上町向原遺跡から出土した 約百二十センチの太刀が「五尺刀二口」のうちの一つ。と書いたので既出ですが、 ここでもう一度強調して言いたいと思います。 この「五尺刀二口」は伊都国歴史博物館に日本一大きな鏡と同じ部屋に展示してあるので 実物を目にすることができます。 近年科学的調査が行なわれ、記憶が確かならば二世紀のもとだったと思います。
詳しいな。 馬鹿の一つ覚えで 箸墓わめいてる奴より、マシだ。
>だから陸行一ヶ月で九州は撃沈なんだよ どこでもないと信じたお前だけが、一人で勝手に撃沈しただけだと思う
741 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 23:17:07
742 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 23:19:56
>>740 それじゃ、陸行一ヶ月ほどの内陸地にある場所を比定してみろよ
743 :
日本@名無史さん :2009/05/21(木) 23:35:33
京都府京丹後市久美浜町にある湯舟坂2号墳は金銅装環頭太刀で有名になった。 全体が金メッキされ頭の部分の環頭には4頭の龍が透かし彫りにされている。 2対の親子龍が向き合いそれぞれ1個の玉をくわえているデザイン、環頭太刀は 全国でも多数出土しているが4頭もの龍が彫られている物はこの1例のみです。 間違いなく卑弥呼が魏からもらった五尺刀です。
744 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 00:17:24
>>742 白鳥先生が指摘されているように陸行一月は陸行一日の誤りだな。
>>742 その前に、「陸行一月」の意味は「現代人にとって移動するのに一ヶ月かかる距離」だと
お前が断定した根拠を、先に言ってもらいたいんだが?
746 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 00:37:50
陸行一日をわざわざ記載するかボケ
海が思い切り苦手な中国軍が、大陸からの補給を受けながら、 のんびりゆっくりカタツムリ行軍したので、玄界灘から有明海沿岸に出るまで 一ヶ月もかかってしまった。
ヒント <邪馬台の大蛇>
749 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 03:37:00
>>742 >>744 末盧国は唐津だが、伊都国は怡土では方角、距離が合わない。倭人伝は放射式で書かれているが
怡土では放射式が意味をなさない。玄界灘沿岸では南水行もできない。伊都国は、倭人伝どおり
に東南に進んだ佐賀付近となる。
投馬国は、伊都国から水行20日だから薩摩川内。後の薩摩国府の所、邪馬台国時代にそれなり
に栄えていたとみて何も不思議はない。
水行20日の投馬国が川内となれば、水行10日の地点は川内までの半分の八代あたりのはず。
球磨川沿いに登っていき日向に入る。都城盆地あたりが邪馬台国だ。これならば、陸行一月でぴ
ったりだよ。
近くに坊津もあるしな 日本三津のひとつで遣唐使船もここから行ったわけだし
>>749 やっちろからみやこんまで一ヶ月もかかるわけないだろが
752 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 06:57:10
>>751 御使者の御一行だからな。そのくらいかけて歩くんだよ。
だいたい、毎日歩くと思ってるのが間違い。2日歩いたら1日は休んで付近の
観光とか女とかな。接待係もそのくらいは、気を遣うだろ。
753 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 07:53:30
>>749 >玄界灘沿岸では南水行もできない。
だから「南水行」など、何処にも書かなかったし、誰も書いていない。
単に君が勝手に南水行と思いこんでるだけ
755 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 08:11:39
756 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 08:14:39
>>753 南水行じゃない? 何て書いてあるの?
ほかの方向はなかったと思うが。
757 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 08:24:05
倭人伝の行程日数の中に、観光したり接待ズけで女を抱いたりの日数までいれているが、それは(行程日数に入れる)ないであろう。 勤務中に遊んでいましたなどと書かないものだよ、今でも。ばれると、つい最近の自民のなんとかさんのようになりますよ。
758 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 09:14:41
>>756 「南至投馬國」と書いてあって、目的が「南」と書いてある。
目的が南に位置していても、その移動は必ずしもそれに順ずるわけじゃなく
地形経路に左右される。
例えば、
大阪の位置は東京から見て西にあるが、その経路は全て西ではない。
船で行くにも、東京湾は南下、紀伊水道は北上
鉄道も、最初は南下
空路も同じ。
759 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 09:19:35
760 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 10:49:55
>>758 >「南至投馬國」と書いてあって、目的が「南」と書いてある。
>目的が南に位置していても、その移動は必ずしもそれに順ずるわけじゃなく
>地形経路に左右される。
その場合には、「乍南、乍東」のように、そのことを明記するのが倭人伝だ。目的地が南でそれ
以外の方向が書いてない以上、水行も当然南と考えるべきだな。
761 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 10:55:34
>>757 >>759 飛脚じゃないんだからね。旅に適度な休養を挟むのは当然のことだ。
それに、歩けるだけ歩けなんて調子では、宿も食事も確保できないだろう。
762 :
ギーコギーコ :2009/05/22(金) 11:01:38
休むなというのではない。記録には休息や事故などいれないものだといっているんです。 八王子から新宿まで時間を聞かれて人身事故による不通の時間をいれておしえるかい。
763 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 11:06:28
>>762 病気で10日寝ていたとかいうのは入れないだろう。しかし、通常の休息日は
入れるだろう。でなければ、実際にどの程度の日程を組むべきかが分からない
からね。
764 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 11:36:13
>>746 >陸行一日をわざわざ記載するかボケ
書き写した人も同じような感覚の持ち主だったのだろう、
それで陸行一日を陸行一月と誤記が起きた。
765 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 11:58:15
しょせん、自分の先入観に合わせたいための無理な理屈だな。
766 :
doontakuka :2009/05/22(金) 12:08:37
會稽 北緯: 29.97488 東経: 120.598403 東冶 北緯: 36.214018 東経: 113.888172 會稽を座標0とし、Y軸と東冶の内角は約43.5度です。 だから北緯43.5度に樂浪がある。 (樂浪 北緯: 43.850487 東経: 126.542327) この緯度が後漢の北限をあらわしている。 東冶は勿論『會稽と樂浪』の緯度における中央である。 亦、後漢の都は、會稽(緯度: 29.97488、経度: 120.598403)から見て 長安(緯度: 34.155699 経度: 108.946344)も 許唱 (緯度: 34.022156 経度: 113.832243)もほぼ30度の方位に位置している。 各緯度と列島の緯度の関係・・・會稽東冶之東は、 旭川(=樂浪) 緯度: 43.763781 経度: 142.358084 諏訪(=東冶) 緯度: 36.039142 経度: 138.114182 口之島(種屋久)(=一大國−會稽) 緯度: 29.987502 経度: 129.920047 となる。 国譲りの諏訪が後漢時の倭国中央と表出するのは、興味深いことですね。^^;
767 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 13:32:01
768 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 13:54:43
>>760 倭人伝の乍南乍東の記載は、倭人伝文頭に書かれた
「倭人在帯方東南」の東南を受けて、通過経路の途中に在る韓域を表したもの
韓域の海岸に沿うと「乍南乍東」の現象を必要とし、
倭人伝外の韓の様子を
進行経路で表したの。
769 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 14:12:36
基本的な事ぐらい把握してから書き込もう! 投馬國が倭人の領域なら 投馬國は「大海之中」の設定によって、自ずと島の中。 島である以上、水行での経路は海岸の地形に左右されるのが必定。 島内移動の場合、同一方向に水域移動する事は、極めて困難、まして二十日の日数なら尚更 島の水域移動は、左周りか右周りだけ 陸移動も 左周りか右周り、或は内陸コースの三通りだけ 島の場合、海岸線を一方向に進めば 陸行しようが水行しようが、必ずスタート地点に戻るのが 必然。
770 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 15:20:45
>>767 当たり前だろ。南にある国へ行くのに東水行したってたどり着くはずはない。
南へ水行するに決まっているんだよ。
>>769 >島の水域移動は、左周りか右周りだけ
そうとも言えないね。島の形は複雑だ。
南へ水行しろという趣旨はどうゆうことなのか、考える必要がある。
771 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 15:35:01
>>770 南へ水行なんて書いてないし、
そうとも言えないなんて
特殊事情設定もされていない。
通常事項を説明するにあたり、特殊事情をもって
それを否定するのは、実に姑息でありナンセンスな行為。
水行二十日と書かれていれば、通常は
「海岸に沿って二十日」と解釈し、別な島に移る場合は「渡海」と書かれる。
これが普通の解釈だ!
772 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 15:50:52
水行で関門海峡を通ればこれはかなり日本の地勢を知っていたと思われる 普通なら関門に行くはず無い
773 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 15:58:54
>>772 普通関門には行かない
そう、現代人が考えるだけではありませんか?
当時の漢人が、そう記しましたか?
774 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 16:46:49
>>770 前半は意味不明だな。南の国へ行くのに水行20日とあれば、南水行20日だろう。
特別なことが書いてない限り、そう解釈するのが当然だ。
後半は、あなたのいう通りで、別に異論はない。
775 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 16:50:29
>>773 使者は関門海峡に行ってないんだよ。だから、関門海峡を隔ててすぐ本州があるという
ことは知らない。九州島のすぐ近くに本州があるなんて、書いてないだろ。
776 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 17:05:43
>>770 起点から投馬は南に位置し水行二十日の行程
しかし、水行二十日は
全て南へ進路をとる行程とは限らない。結果南へたどり着く行程だ。
目的位置は「南」
行程経路は「海岸沿い」
行程時間は「水行二十日」
目的位置と行程経路は別物行程経路は
海岸沿いを通る以上、海岸の地形に左右される。
それが島
777 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 17:08:56
南に進路を求める南水行二十日なら 「南水行二十日至投馬國」 しかし 「南至投馬國水行二十日」 この違いなんだよ
779 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 17:42:37
例え錯覚しても、海岸沿いを航行すれば 自ずと錯覚に気付く
780 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 18:47:43
■大阪府立弥生文化博物館 講演会
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/lecturer/index.html 大阪・滋賀博物館連携企画特別講演会
5月23日(土)
◆「卑弥呼の居処[すみか]とその周辺」
奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長 寺沢 薫 氏
◆「鼎談 卑弥呼の居処[すみか]とその周辺」
奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長 寺沢 薫 氏
滋賀県立安土城考古博物館学芸課長 大橋信弥氏
当館館長 金関 恕
時 間:午後2時〜4時 ※午後0時30分から整理券配布・午後1時30分から受付
場 所:当館1階ホール
定 員:170名(当日先着順)
聴講料:無料(要入館料)
大阪府立弥生文化博物館 大阪府和泉市池上町4丁目8-27(JR阪和線信太山駅から西へ約600m)
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/ ◇新型インフルエンザ対応について
大阪府立弥生文化博物館は、現段階では博物館所在地(和泉市)が、患者所在地および患者が発生した学校等の所在地となっていない段階のため、通常どおり営業しています。
23日(土)講演会、24日(日)ミュージアムコンサートも現時点では開催する予定です。
なお、感染拡大防止のため、当館職員はマスクを着用させていただきます。また、ご来館者の皆さまにおかれましても、マスク着用等にご協力くださいますよう、お願いいたします。
今後博物館所在地が患者所在地および患者が発生した学校等の所在地となった場合は、臨時休館する場合があります。
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/infuru.html
781 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 19:09:02
何とか畿内説のムードにしようと必死だなあ。 証拠が問題だってことを忘れているんじゃないか。
782 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 19:21:03
>>777 どちらだって南へ水行することは同じだよ。梁書は「南水行二十日至投馬國」って
書いてるじゃないか。
783 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 19:24:13
その九州王朝衰退の原因についてなのだけれど、 朝鮮半島から牛のよだれのごとく渡ってきた難民が、 インフルエンザを運んできたためではないかと思うのです。
784 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 19:27:32
邪馬台国九州説・九州王朝説の問題は証拠が何もないことだ。皆無だ!
× 邪馬台国九州説・九州王朝説の問題は証拠が何もないことだ。皆無だ! ○ 邪馬台国九州説・九州王朝説否定論の問題は証拠が何もないことだ。皆無だ!
786 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 20:41:49
崇神天皇5年(紀元前93年)、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。 渡来人を取り立てて、国津神を蔑ろにしたためのたたりだとしているけれど、 実際は、インフルエンザなどの疫病が持ち込まれたことは確実。 それから1800年もたっているのに、人類は少しも進歩していませんね。
787 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 20:51:32
>>784 邪馬台国九州説や九州王朝説は特に変わった証拠を使っているのではなく
他の説でも使われている文献や証拠を基に見方を変えて
別の解釈で理論を構築してあるでけです。
邪馬台国九州説・九州王朝説に証拠が何もないなら
他の説も証拠が何もないことになります。
>>782 梁書は「南水行二十日至投馬」じゃなくて
「又南水行二十日至投馬」
だから
全然違いますよ。 残念!
789 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 21:40:26
>>788 「又」があるかどうかは、今、話している問題には関係ないんだよ。
それとも、そんなことも分からんのならば余計な口を挟むな。
790 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/22(金) 21:42:51
>>786 崇神6年 百姓流離 民の逃散する疫病は、餓えの病以外ありえない。
>>790 栄養失調の上に、インフルエンザに罹ったらひとたまりもない。
畿内の人口は半減。東国の台頭を許す要因になったことは確か。
792 :
日本@名無史さん :2009/05/22(金) 22:47:47
>>789 ごめんごめん
追い込むつもりは無かったから
たまたま追い込む形になっちゃただけだから
怨まないでね。
793 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 00:03:51
>>749 にまともな反論なしで白旗かい。畿内説論者はいなくなったのかな?
>>786 そんなこと書いてません。
ちゃんと正しく解釈しろ。
795 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 09:01:42
>書は「南水行二十日至投馬」じゃなくて >「又南水行二十日至投馬」 >だから全然違いますよ。 残念! どのように違うのでしょうか?
796 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 09:18:13
>>795 「南水行二十日至投馬國」は、これだけで一つの文として意味をなしますが、
「又南水行二十日至投馬國」
は、「又南」「水行二十日至投馬國」と、二つに分けて意味を解さなければなりません
もし、「又南水行二十日至投馬國」を一つで解してしまうと
「又南水行二十日至投馬國」の前文でも、同じ行為が行われた事になります。
だから
「南水行二十日至投馬國」と、
「又南水行二十日至投馬國」
は、違うのです。
「又南」は、前文を受けての語句で、後文とは一線を引くものです。
797 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 09:39:17
>>795 だから梁書倭國伝では、「又」の後語句には方位を統一して用いています。
ただ、最初の「又度」は応用として使われているので注意すべき箇所
しかし、魏志倭人伝にも同じ使われかたをしている場所が
あるので、さしてムズイ事はありません。
798 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 09:39:23
>>796 >「南水行二十日至投馬國」と、
>「又南水行二十日至投馬國」
>は、違うのです。
>「又南」は、前文を受けての語句で、後文とは一線を引くものです
字の順番が違うのは当たり前w
一線を引てどうなるわけ?!
799 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 09:49:01
>>798 ここまで説明しても理解できないのであれば
それは貴方のレベルの問題となり、初歩から学習しなけはればならない事態となります。
ごめんなさい
私はそこまでレベルを下げて説明する意志はありません。
「どうして?」「どうして?」は、幼児教育段階です。
800 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:05:13
>>799 説明する意志じゃなく、
答えることが出来ませんだろw
801 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:11:14
>>800 やはりそう言うレスで締め括りましたか
子供が駄々を捏ね、その欲求が満たされない時にとる
典型的な行動パターン
或者は地べたに寝転び暴れ、或者は必ず相手を批難する。
正に幼児性精神構造
「お里が知れますよ」
802 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:14:51
>>801 レベル高いのなら答えれるはずw
ささ、w
803 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:21:09
>>802 もう、毎度の貴方のパターンに乗る奴なんて
ここには居ませんよ
一度自分を、客観的な視線で眺めて見てはいかがです?
804 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/23(土) 10:26:06
>「又南水行二十日至投馬國」 郡から水行二十日で投馬國へ至。
805 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:34:13
>>796 あきれた屁理屈だな。それがあなたのレベルだろうが。
「南水行二十日至投馬國」だって、切ろうと思えば、「南、水行、二十日、至、投馬国」と切れる
んだよ。そして、「又南水行二十日至投馬國」は「又、南、水行、二十日、至、投馬国」と切れる。
後の文は「又」がついているだけだ。ちがうのは、それだけだ。
「南、水行」から南へ向かって水行するという意味になる。その点は変わりはない。
>>804 そう解釈した場合、「南」とはどこから投馬國を指す方角なのかね?
807 :
800 :2009/05/23(土) 10:42:47
>>803 ようは答えれませんだろーがw
えらそーに(それは貴方のレベルの問題)とか能書きたれてるんじゃないよ。
〜ったく!オムツ替えてきたほうがいいんじゃない?ww
梁書倭國伝の
「又南水行二十日 至投馬國」は、「又南水行、二十日して投馬国に至る」と訳し、
魏志倭人伝の
「南至投馬國 水行二十日」は、「南に二十日、水行して投馬国に至る」と訳す。
基本的には同じ意味なんですが、「またが付いてる、付いてないの違い」があり、
なおかつ、字の配列が違うのは、「若干のニュアンスの違い」を言うてるんです。
たとえば、我々も
@「完璧に間違いありません」
A「間違いありません、完璧に近いかと・・・」 ぐらいの差はするだろ?
そして、前者が梁書倭國伝、後者が魏志倭人伝に当する。
投馬国と邪馬台国だけが距離をあらわすのに里程じゃなくて日数なんだよね!
809 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 10:51:39
>>806 南の基点は「奴國」と考えています。
>>807 は、今後スルーします。マトモではなさそうだし
又ってさあorじゃないの?
811 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 11:00:48
いつもの馬鹿だからスルーでいいんだよ 草生やして声がデカけりゃ何でも通ると思ってる
>>807 は、年齢区分は30代上限で、出身地区分でいえば
名古屋近隣、高知、北陸辺りか?
814 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 12:26:03
>>814 >>802 のレスを、無意識で書いたのであれば
年配者は除外出来るのではありませんか?
意図的に若年層を装っていれば、話しは別ですが
意図的でないなら....
典型的な「ラ抜き言葉」です。
これから過去レスを引っ張り出して、誰かを特定してみます。
たぶん名無しでも、常連さんでしょうから
816 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 13:23:09
>>814 それがしの書きこみではありません。なおアマチュアですし、先生の
語は不要です。
飲んでないときは割と謙虚だなww
818 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 13:35:52
隔日ビール短缶のを1缶です。飲まないと10日も2週間も継続です。
819 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 14:32:59
魏使は伊都国から先へは行ってないんだから すべて倭人からの伝聞なわけで そんなもの真面目に議論したってしようがない 卑弥呼だっていたのかもいなかったのかもわからない 邪馬台国の位置が魏使にわかるはずもない
820 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 15:09:06
>>819 魏志倭人伝は魏の歴史書だから、知らないもなは知らないし、伝聞あるいは引用ならば「曰」とします。
>>819 >魏使は伊都国から先へは行ってないんだから
まずはこれの証明からヨロ
822 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 16:55:23
823 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 16:56:46
>>799 レベルが低いのはてめぇじゃん
なんで?を五回繰り返せばほとんどの問題点は解決するはずだ
あなたの間違いも含めてな
トヨタの問題解決手法を否定するような事をよく平気で言えるなwwwwwww
レベルが低いとか抜かして逃げてるのはてめぇだ
それでご自分がレベルが高いとでも?
レベルが高いのなら全て一人で解決してみせろよwwwwwwwwwwwwwww
>>823 >トヨタの問題解決手法
?私の会社がどうしたのかな?
と、10000株株主が問う。
wwwと多用すると、馬鹿に見えるって 本当の事なんだな
トヨタ・・・・・・・・・・・・ ?
827 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 19:47:46
>「又南」「水行二十日至投馬國」と、二つに分けて意味を解さなければなりません
この区切り方は、ちょっと無理があると思うよ。
「又」には「復」の意味と「更」の意味がある。
>>796 の人は、繰り返しの「復」の意味にとっているようなので、
「又南」は「南ということを繰り返す」という意味に解釈しているのでしょう。
ならば、前の文も同じく南でなければならないけれど、前の文は「又東行」で繰り返されてない。
だから、「又南」と区切って読むのは賛成できません。
梁書の「又」は、繰り返しの復と読むなら、国から国へ移動を繰り返すとこだから、
「又」「南水行二十日至投馬國」と区切るべきだろうなあ。
僕は、繰り返しというより「更に」の意味じゃないかと思う。
なら、なおのこと「又南」はありえない。
>>827 いいえ、「更に」なら尚更“又南”ですね
「更に」は、前文の内容に新たな内容を加える事ですから
“東行”と言う行為(事象)に対して“南”と言う行為(事象)が加わるわけです。
だから又の後句には方位がき、一連の繋がり事象と解せるのです。
どうせまた話がループしてるんだろうなと思って、この手の長文は読まない
830 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 20:59:28
>>827 追記しておきます。
魏志倭人伝の「又」は“繰り返す”と言う意味で、前文を引き継ぐ、あるいは補う と解しますが、
梁書倭國伝の「又」は“更に”と解せます。
が、多分日本語の解しかたの違いかと
>>829 その辺の妄想雑談よりも、何百倍もためになるから必見だ。さあ読んだ読んだ!
832 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:11:03
>>830 又を繰り返すと解釈するなら、「又南」という区切りは成り立たないということなんですよ。
それは、納得行きましたか。
833 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:21:39
>>832 それは承知しています。
だから倭人伝では“渡一海”とともに、
南渡一海が繰り返されるのだから
しかし、梁書は違う
“繰り返す”ではありません。
834 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:32:38
>>833 あれ、そうなんですか。
796を見る限り、てっきり、梁書の又を繰り返しで解釈しているんだと思ったのですが。
まあ、いいです。では、繰り返しではなくて、更の意味で解釈するのですか。
それから
又東行百里,至不彌國.又南水行二十日,至投馬國.
について、後ろは「又南」「水行・・・」と区切るなら、前の文は
「又東」「行百里,至不彌國.」と区切るのですか。
835 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:38:27
結局、イヨタンは何歳まで政治に関わり、 何歳で亡くなったんだろうね。
>>834 いいえ
「又東行」で、前文に新たなる追加情報です。
と、答えると
貴方は、「水行二十日」を提示するのかな?
837 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:51:00
>>833 風呂に入るので、ついでに問題提起しておきます。
又東南みたいに、「又方角」で区切ると、
最初の始度一海と又度一海が浮いちゃうという問題が起きますよ。
「又東南陸行五百里,至伊都國.」の「又」は、前の文のどこに対して「又」なんですか。
方角について「又」であるなら、前文に方角が書かれていなければならないのに、無いですよ。
この問題を無視しても、「又方角」で区切ると、
「更に東南; 陸行五百里すると伊都国に到る」「更に東南; 百里行くと奴國に至る」
「更に東; 行く、百里、不彌國に至る」「更に南; 水行二十日、投馬國に至る」
又がかかるのは方角だけなので、又が出るたびに、陸行とか水行などの移動はチャラになってしまう。
つまり、未盧國に立ったまま、「又東南」「又東南」「又東」「又南」と、方向だけが変わってる事になって、
ちっとも先に進まないのです。
838 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 21:53:38
>>836 レスが付いてた。
>「又東行」で、前文に新たなる追加情報です。
ここ、意味解らんし。
もうちょっと、説明してちょ。
「又東行」と「又南」で、「又」の意味は変わるの?
839 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 22:15:52
>>837 梁書倭國伝と魏志倭人伝の違い。
編纂者意図する目的が違えば、同じ「又」でも
使われかたが異なります。
倭人伝は「始度一海」「又南渡一海」と「又渡一海」の、
コンビネーション。
梁書倭國伝とは異なります。
>移動はチャラ
これは別な問題を解決しなければならないので
後程
840 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 22:24:17
>>383 意味はかわりません。
新たなる追加情報です
奴國東行 と言う情報に対して、南と言う新たな情報が加わります。
841 :
日本@名無史さん :2009/05/23(土) 22:30:01
先ずは、梁書倭國伝に書かれている内容を把握する前に 倭人伝の内容を把握してください。 梁書倭國伝は倭人伝の内容を忠実に踏まえて書かれているので 倭人伝の内容を把握せずには、絶対に意味を解す事は不可能ですし、 倭國伝の内容を解せると言う事は、倭人伝の内容も解せると 言う事です。
梁書を書いた人にマトモな漢文を書く能力がなかっただけです。
>>841 それは、おかしな話だね。
「又」の意味は何か、前文のどの語句に対しての「又」であるのか。
それは、文法事項に属する事ですから、倭人伝云々は関係ないよ。
倭人伝がなければ「又」の働きが解らないというのは、
梁書を編纂した姚思廉が、通常では考えられない「又」の使い方をしているということ。
2chふうに言えば、漢文でOK?と読者に言われるような文章だってこと。
「又南」と区切るなら、「又」は「南」にしか掛からない。
前文で対応すべき要素は「東」だから、「又東」「行百里」と区切らなければならない。
前文を「又東行」「百里」と区切るなら、後文は「又南水行」「二十日」と区切らなければならない。
しかし、この区切り方も不自然。
結局、「又」は「至」の前までに掛かると考えるのが自然でしょう。
「至○○國」まで掛かると考えるのも不可能ではない。
917 名前: 改め ◆qexCkQtLcY [sage] 投稿日: 2009/05/23(土) 23:57:17 ん?畿内説てほとんど漫画じゃん。 そのうち、「卑弥呼は男」とか言い出しそうだしwww あ、パスワード変更しました〜悪用する人いて...。
845 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:14:09
846 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:24:39
>>843 どんなに文法事項を把握していても、意味が解せなければ話しになりません。
「又南」と区切ったのも「又南水行二十日至投馬國」の範囲でしか語られないと言う、掲示板ならではの特長。
膝を交えて言葉を交えたいものです。
又南水行二十日至投馬國て直前の文脈につなげるんじゃなくて 帯方郡から南へ水行二十日で投馬國、とすべきじゃねーの?
848 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:43:41
>又の意味は何か? 前文に対しての新たなる追加事項 >前文のどの語句に対しての「又」 前文全て しかし、又だけでは意味を成しません。「又南」が前文に対しての新たなる情報であり 「水行二十日至投馬國」は、情報が全て整った時に発生する“結果”です。 そして付け加えるなら、梁書に書かれる「水行」は、船にて移動すると、言う意味ではなく 投馬國と言う地域が、水行二十日の起点となる地域と陸続きで、同じ島内である そう言う意味です。
849 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:53:30
>>846 文法事項に反する解釈は、どんなに辻褄を合せても、勝手解釈にすぎないよ。
文法に反する=万人に通じない=言語ではない
850 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:56:42
スーパーサイヤ人の書いた文章は、上辺だけの文字を追いかけていただけでは 決して読めるものではありません。 私達の何十倍もの文字を操っていた人達が書いた 芸術作品ですから 上辺だけを追いかけた結果が、今日にみる やれ九州だ、やれ畿内だ!何て言うくだらない論争ですよ そして、漢文法をよくご存知なら そろそろその知識をいかして、芸術作品に取り組んでみてはいかがですか?
851 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 00:59:17
我こそは真理を解き明かしたっていう素人研究家は、掃いて捨てるほどいます。 興味ないです。
852 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:00:17
こじつけを並べ立ててこれが文法だなんてのは困ったもんだね。
853 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:01:15
>>849 それは貴方の把握する文法が、全て正しく完璧な時だけの台詞です。
854 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:18:42
例えば 「明日の天気は晴れ」 と、言う現代に通じる文法通りのならべ方が出来たとしても、「明日」も「天気」も「晴れ」も知らないから 「天気は晴れ明日は」 「晴れ明日の天気は」 「天気は明日晴れ」 とならべられても意味が全く通じなくなり、文法がどうの、何はどうのとなるのです。 私の文法なんてどうでもいいのです。 貴方達みたいに文法にせいつうした人達が、しっかりすればいいのです。 文字に託された意味を正確に解す事さえ出来れば、私の述べてる事が 理解されるはずです。
855 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:23:41
河童君。 倭人伝関連ばかり見てないで、儒仏道の三教や農書医書、 さまざまな分野に渡る広範な漢文の世界を知らないとね。
856 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:26:25
>>851-852 所詮は2ちゃんだし、名無しの掲示板ですよ
そして貴方達も私と同じなんです。
私への批難は、すなわち自らに唾を吐いてる行為そのものである事をお忘れなく。
自分だけは別だは
禁物
857 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:34:05
>>855 その言葉、有り難く頂戴いたします。
が、それとは別に
私なんてどうでも構いませんから
その他のどうしようもない住人達を導いてあげて下さい。
858 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:39:37
他人の心配より、せめて他人に迷惑をかけないように。
859 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:41:51
それは貴方にも言える事。お互い様ですよ
お前ら互いに心配しあえばピッタリじゃね?
861 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:47:54
>>854 「明日」や「天気」「晴れ」の意味をいくら調べても、
文法を知らないから、
「晴れは天気の明日」
なんていうあり得ない順番に並べ替える。
それで、「天気の明日」に込められた著者の真意を説明しようとする。
本来、あり得ない表現なんだから、その意味を知る人など誰もいない。
だから、私ひとりがこの真理を発見したとなるわけです。
862 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 01:51:56
>>857 >私なんてどうでも構いませんから
コテ付けてないから、最初知らずにレスしちゃったんだよう。
後は、行きがかりで。
やはり、籠手は必要でしょう。
昨日、九州の佐賀県唐津半島、福岡県博多周辺までいってきました。 今回の目的としては、 ・魏使の上陸ポイント(末盧國) ・末盧國の「濱山海居」、「草木茂盛行不見前人」ポイントはどこなのか? ・サガミ氏の本で伊都国のほうへは行けないといったのは何故か? ・前原市から福岡平野に抜ける道はどこか? ・宝満川の水量と幅 問題点はこれくらいか。 他、志賀島金印公園、平原古墳、伊都国歴史博物館、YAHHOドーム、福岡博物館など にもいった。
「魏使の上陸ポイント(末盧國) 」に関しては 松浦半島の出浦、名護屋大橋、七つ釜付近より、 神集島付近や唐津港、唐津城付近のがふさわしいかもしれない。 理由、七つ釜とかの半島先端部だと、民家がなく崖っぽくなっており歩いて進めるのか? と思ったほど。神集島より「以南」の可能性が高いかもしれない。 「濱山海居」」、「草木茂盛行不見前人」に関しても神集島付近だと 山と海の間に民家があり、草木も生い茂っている。 逆に唐津港、唐津城付近だと、生い茂ってるとはいえない・・。 「不見前人」に関しては「ザンジグ草」の可能性アリ。 いたる所に生い茂っており、現地の人に聞いたところ、5mぐらいになるらしい。
あのへんは当時に比べ10mくらい水位が下がってるんだろう。
サガミ氏の本で前原市のほうへは行けないと言ってたのは、 浜崎〜松原市まで山が続いているからだろうか? 確かに山々が立ち並び、一見あきらめたくもなるが、 湾岸線から100mぐらいのところまでは通行できる。 現在の202号線を通ったのではなかろうか?(サガミさんコメント宜しく) 前原市から福岡平野に抜ける道は、日向岬か周船寺だろうか。 56号線から行く道は少し山がきつく厳しいかもしれない..。 宝満川に関しては思ったより水量がない。 もし、船で川を下って投馬國へ向かったとしても、 1〜2人乗りの小型船が一台やっと通れるぐらいだろう。
867 :
改め ◆qexCkQtLcY :2009/05/24(日) 02:45:06
>あのへんは当時に比べ10mくらい水位が下がってるんだろう。 う〜ん それって旧石器〜縄文時代のことでは? 博多湾の水位が、「現在」と「旧石器、縄文時代」とでは違うというのは常識だが...。 どうなんでしょうね。
868 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 02:50:53
では、続きは明日ってことでもう寝ます(夜遅いので)。 質問、聞いてみたいことがありましたらレスお願いします。 Good night 〜〜☆
869 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:15:55
「不見前人」前人を見るにあらず 魏時を基とし、前人(後漢の官人)の不見(訪れた形跡がない) 末廬国は四千餘戸が、草木茂盛中、濱山海と散らばった状況 であるため、前人である後漢人の調査は手付かずだったが、魏時になってその詳細が確認され ここに記録されるに至る だからと言って後漢人達が、この末廬を訪れなかったわけではなく 決められた道を行き来していた事は 「草木茂盛“行”不見前人」からも伺える。 早い話し 後漢時、確認出来なかった末廬の詳細が、魏時明らかになったと言う事。 しかし、悪環境の中でも 五百里とする末廬内の幹線道路は存在し、伊都への経路に。
870 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:27:05
「草木茂盛行不見前人」をどうゆう意味に解釈しているんだ?
871 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:29:55
「先人と前人」 先人は前人を内包するが、前人は先人の一部 時間の範囲が限定されるのが“前人”で、範囲が限定されないのが“先人”
872 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:33:19
>>869 >私なんてどうでも構いませんから
というけれど、君が間違った事を書きこむと、読んだ人がそうなのかと思うだろう。
すると、訂正しとかなきゃと、妙な義務感が生じるんだ。我ながら、なんだかな〜と思うよ。
>「不見前人」前人を見るにあらず
「あらず」は「非」に対する訓で、名詞(句)を否定する。
ここは「前人を見ず」と訓ずる。見という動詞の否定ね。
「行不見前人」は、まず「行」で「移動中」ということを示している。
そのコンテキストでの前人だから、移動中に前を行く人である。後漢人は関係ない。
つまり、「移動中に前の人を見ない」
理由は、その直前に書いてある「草木茂盛」
草木が生い茂っているから、移動中、前の人が見えない。
そんなに草深い辺鄙な国だという説明だね。
まるで東南アジアのジャングルだね。
873 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:36:00
そんな話ではない。草木が茂盛していて、歩いて行くとき、前を歩く人すら見えない、 単にそうゆう意味だと思うよ。調べてみな。
874 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:42:05
五百里は末廬の港から伊都の中心的な地点までの 距離ではなく、末廬国の限界点(境界)までの距離 だから「…到伊都國」 これは「…到其」と同じ。
875 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:44:14
>>873 それはそれでいいんじゃない。 思っているんだから
876 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 08:54:04
>>872 あ、そうだね
非ずは訂正しておくよ
しかし、大意は変わらないから訂正はしないし、何が起ころうと変わらないから
そ〜か
貴方の本業に差し障りがある書き込みだから
粘着?
正義感なんて言ってるけど、ちょっと異常過ぎるよ
その粘着は
私は別に構わないけど、度が過ぎると逆効果かと
877 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 09:13:55
義務的な粘着が現れるという事は、益々自信がもてますよ ま〜これで飯を食っている人や、自主出版本を出している人にとっては 煙たい存在だわな
878 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 09:26:34
“前を歩く人が見えない”なんて表現は、「草木茂盛」だけで 十分に表現できるし、ワザワザ9文字を使用するに及ばない内容。 最初に書かれた「依山島爲國邑」 だけでも、おおよその状況把握は可能だし、駄目押し的に 対馬で環境を紹介しているから 末廬の「草木茂盛」は余計なくらいだよ しかし、書かれた。 だからドラマは始まるのさ
879 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 10:20:55
>>877 煙たいって発想は無いなあ。
先日違うスレで、完全な考え違いを指摘してもらった。
そういうのは、自分の考え方と違うからといって、煙たいなんて思わない。
自分が間違ってるのなら、正してもらうのは有難いよ。
間違った知識を後生大事に抱えてても、意味無いでしょう。
全く自分のプラスにならない。
それより怖いのは、他人を誤ってしまう。これが一番怖い。
>>879 >間違った知識
それを測るモノサシはなに?
881 :
doontakuka :2009/05/24(日) 11:45:36
>>847 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 00:36:25
又南水行二十日至投馬國て直前の文脈につなげるんじゃなくて
帯方郡から南へ水行二十日で投馬國、とすべきじゃねーの?
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
南至投馬國水行二十日→南至邪馬壹【臺】國 女王之所都 水行十日陸行一月
の、起点は『会稽東治之東』、つまり、北緯30度から北緯31度の領域である<font color=green><b>一大國=種子島</b></font>です。
従って、水行二十日の<font color=green><b>投馬國は大阪</b></font>でしょう、
投馬國=大阪から水行十日の地点は名古屋、此処が投馬國との境界。
投馬國との境界名古屋から陸行一月の邪馬壹國と狗奴國の境界は北緯: 38.987918東経: 141.117802の平泉。
亦、平泉は北の奴国である。
882 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:00:35
又東水行二十日至投馬國て・・・ なら畿内で確定なのに。実に惜しい。でも全然違います。
883 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:00:39
>>881 それはないよ
魏志倭人伝の地理志には
郡から末廬國までの行程記事しか書かれていないからね
漢人と倭人に関する往来は、末廬國までを記録することで十分に満たされるから、それ以上は書く必要性はなく
それ以上書けば
最初の趣旨から脱線する事になる。
「倭人在帯方東南大海之中」
漢人は、郡→対馬→壱岐→九州(末廬)を順に記載する事で
倭人伝の趣旨はみたされる。
884 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:10:09
>>882 畿内なんて論外だし
畿内は倭種で倭人ではないよ
まして、大和は
全然「依山島爲國邑」じゃなく、海岸から内陸に入った山奥だよ
漢人は、日本を海側からの視線で見ているから
大和なんて眼中に入らない。
せめて大阪や出雲なら
多少はホロー出来たけど、所詮論外。
885 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:14:11
>>884 すまん、ホローにしか目が行かない(笑)
886 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 12:56:48
卑弥呼は売国奴だから、九州の女酋でいいよ。 畿内に来るな。
改めさんは九州旅行か・・・ 金と暇があれば帯方、楽浪、洛陽、会稽、東冶などにも行ってみたいけど 楽浪=平壌?は難しいね。 自殺したノムヒョン前大統領が金海に住んでいたとは知らなかった!
888 :
doontakuka :2009/05/24(日) 13:17:56
>>883 名前:日本@名無史さん
最初の趣旨から脱線する事になる。
「倭人在帯方東南大海之中」
・ ・・・・・・・・・・
まさか、東南を点と考えていたりしてね。^^;
帯方を現在のpyongyang だとすると、帯方東南の列島の範囲はpyongyang→種子島から
pyongyang→出雲の延長線上が十分許容される範囲なのですよね。
末廬國=下関〜松江=奴國は262.167km≒600里
奴國=松江〜出雲=伊都國は 50km≒ 115里
松江=奴國〜不彌國=妻木晩田遺跡は38.607km≒89里
が、
妥当な線でしょうね。
889 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 13:23:15
>>888 >点
大事なのは
東南じゃなく「大海之中」四面を海に囲まれた島。
魏略と魏志の地理観 倭の「北岸」の狗邪韓国→海を渡って対馬→その「南」の一支→さらに海を渡って末盧 →その「東南」の伊都→その「東南」の奴→「東」の不弥 これらの諸国はすべて「女王国以北」の国々であるから「東南」とか「東」は、その中での 変動にすぎない。 伊都より「南」の投馬→「南」の邪馬台→その「南」に接するのが狗奴 倭の国々は南北の軸線で語られている。 女王国とは南北の軸線で示される九州の国々である。
891 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 14:34:30
>>890 >倭の「北岸」狗邪韓国
倭の北岸は、仮に倭を九州とした場合
北九州の玄界灘沿岸地帯となりますが、そこに狗邪韓国があり
わざわざ対馬に北上したのですか?
892 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 15:15:31
893 :
doontakuka :2009/05/24(日) 15:23:28
>女王国とは南北の軸線で示される九州の国々である。 先天八卦は伏儀が配置し、後天八卦は周の文王が配置したともいわれていますが、 何れにせよ、東西南北が180度反転している。これは歳差運動をはめ込んだからです。 日本列島(与那国島から北海道)を180度反転させる、次にこの反転された日本列島を鏡に写すと 東西が再反転され、南北は反転された日本列島が鏡の中に見える。 この状態で倭国の描写がなされている。 故に、後漢書・魏志倭人伝は南北を反転して読まなければならない。 つまり、北は南、南は北、東南は北東、以北は以南と読まなければならない。 これが、北緯30度の歳差運動のはめ込みである。 上記の様に後漢書、魏志倭人伝を読めば方位も距離(長里:1里=432m)可也正確でしょう。 北岸狗邪韓國(魏志)は倭国の南岸と言う事になる。 西北界拘邪韓國(後漢書)は倭国の西南界ということです。 与那国島は両条件に一致しています。 与那国島から1000里の処は那覇で那覇から北へ1000里は種子島です。 種子島から1000里は下関、下関から北東600里は松江です。 伊都國が出雲大社の位置と一致している。
>>891 倭の北岸は、釜山〜金海付近だと思っている。
895 :
doontakuka :2009/05/24(日) 16:18:01
>>894 倭の北岸は、釜山〜金海付近だと思っている。
は、
釜山〜金海付近が狗邪韓國だということでしょうか?
釜山〜金海付近から対馬までは1000などありませんよ。
釜山〜金海付近から洛陽まで7000里は如何に解決するのでしょうか?
896 :
河童虫 :2009/05/24(日) 16:28:29
私の粘着さんへ 今の状況は黙認ですか?
897 :
サガミハラハラ :2009/05/24(日) 17:23:45
>>863 本格的な九州探査だったようですね。
昔の船は風に弱いのでそれを考慮した上陸地となります。
唐津湾は大島を境にして東唐津と西唐津にわかれます。
東唐津は松浦川の河口にあたり、流砂の影響や東南にひらいた松浦川の谷が風の通り道となり
良港とはいえないようです。
西唐津はは背後に丘が屏風のように並び、かつ東北に大島が控え格好の風よけとなっています。
現在でも唐津港といったら西唐津をさします。
また郡使が上陸したときに湯茶の接待が必要ですので、ある程度の水源が必要です。
東西唐津とも水にはめぐまれていますが島ではどうでしょう。
以上から考えてわたしは郡使の上陸地点は西唐津八幡町浜島城下の海岸であるとかんがえます。
わたしが行った当時は、川浪商会という小さな建物がありましたが、そのあたりが
迎賓館があった場所とみました。
但し末蘆の都は東の鏡山のほうであったと思います。というのはこの国は官名がかいてないでしょう。
それはこの国の都に行かなかった(都は行路上にないということ)ということをあらわすためです。
分かりやすい単語をトリップキーにしてるんじゃないの? レスの内容で本人かどうかはだいたい分かるから、トリップ付けて いつものように意見を述べていたらどうかな 他のトリップ付きのコテハンさんが認めてくれればほぼ確定で。 分かりにくい言葉は…初恋の人とか、テキトーな数字も混ぜるとか
>>895 魏志倭人伝記載の1里が何mかは諸説あるし。
>釜山〜金海付近から対馬までは1000などありませんよ。
貴方の意見ですから、それで良いのではないですか?
だいたいが、トリップを盗むなんて行為事態が許せない。
901 :
九州王朝大好き :2009/05/24(日) 20:08:40
>>863 >・魏使の上陸ポイント(末盧國)
>・末盧國の「濱山海居」、「草木茂盛行不見前人」ポイントはどこなのか?
>>897 >東唐津は松浦川の河口にあたり、流砂の影響や東南にひらいた松浦川の谷が風の通り道となり
>良港とはいえないようです。
松浦川の河口部の地形が現在と同じと考えては間違いです。
虹の松原と鏡山と松浦川に囲まれたところは内海(汽水湖)だったのです。
この地域には神社の分布もなく、中原遺跡は8世紀まで海辺にあったと考えられます。
鏡山の西麓側は、虹の松原を防波堤とする小さな湾で波穏やかな天然の良港であったと見做せます。
中世の十三湊や兵庫県・京都府・福井県嶺南の日本海側の海岸と比較して下さい。
末盧國に官が居ないは、一大率が常駐し、『臨津搜露』『傳送文書賜遺之物詣女王』『不得差錯』を
業務としていたからです。
『濱山海居』として、虹の松原の南の内海と鏡山は適地です。
鏡山は壱岐から唐津への航路で到着地の目標物ともなっています。
『草木茂盛行不見前人』は、
末盧國(鏡山)から東南500里の伊都國(惣座遺跡)への道程において、
観音峠越えの唐津側の状況をうまく表現しています。
道程の他の部分は比較的傾斜が緩く視界も開けています。
902 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 21:12:47
>>896 私の粘着?そんなヤツいねーよ、自惚れるな
>>902 おせーよ!
テンポよく突っ込まないと、ボケられね。
904 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 21:49:08
ってか単純に三国時代に 動乱期の朝鮮半島を 敵国の中国人が横断したとは考えにくいのですが
今の米国正規軍とソマリア海賊くらいの軍事力の差があるから、 横断すること自体は、何の障りもないだろ。 朝鮮半島に軍事力を投入するメリットの話?
906 :
サガミハラハラ :2009/05/24(日) 22:11:27
>>901 鏡山と虹の松原と松浦湾の間が湾であったとはしりませんでした。
地図や書物等おしえてください。
おれは全然詳しくないけど、その件は読んだことあるから (真偽はともかく)メジャーな本じゃないのかな。
908 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 22:18:35
>>905 使者は軍隊を同行させたわけではない。軍事力の差は何の足しにもならないよ。
倭国の人間が護衛を付けた可能性は大いにある
【倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず】 卑弥呼と卑弥弓呼が何故仲良くなかったのか? 何か原因があるのかもしれない。 【金印紫綬】 金印、紫紐 ・・・紫紐とは、金印の通し穴から通し、肩にかけるもの。 位によって、紫色、青色とに分かれてるらしい。
卑弥呼に与えられた金印紫綬は最高位ではない。 【印】に関する後漢の制度では、 【玉印黄赤綬】を最高位とし、 【金印朱綬・金印紫綬】、 【銀印青綬】、 【銅印】 とある。 卑弥呼の金印紫綬が最高位と考えてる人もおりそうだけどね。
河童虫さん >倭人伝を解したくば、 >「倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑…」を、頭の中に叩き込め! 夏后少康之子です。 魏志に載る、倭人たちは、みな、昔の 夏后少康之子が入れ墨したのを真似て顔や体に彫ったのです。
914 :
日本@名無史さん :2009/05/24(日) 23:15:50
>>912 「金印紫綬」は、名詞じゃなくて、
「金印紫」を授けるという意味なの?
>>913 夏后少康の子と、後に登場する太伯の後とは
対比です。
入れ墨に関する記事は勿論、同時にヨコ社会を夏后少康の子の例えにて表しています。
>>914 >「金印紫綬」は、名詞じゃなくて、
>「金印紫」を授けるという意味なの?
【假金印紫綬】⇒【仮金印・紫紐】⇒【金印と紫紐を仮す】という意味です。
紫紐=紫色のヒモで、金印の通し穴から通し、肩にかけるもの
>>915 >夏后少康の子と、後に登場する太伯の後とは対比です。
対比とした理由からお願いします。
918 :
九州王朝大好き :2009/05/24(日) 23:51:20
>>906 書物等については知りません。
僕の判断です。判断するにおいて地質学の素養は必要です。
判断の根拠は以下の通り。
@産業技術総合研究所地質データーベース
A鏡山神社と鏡遺跡の地質図における位置
B8世紀に陸地であった中原遺跡(防人遺跡)の地質図における位置
C鏡山南側における神社遺跡の分布と地質図におけるその位置。
D鏡山東側における神社遺跡の分布と地質図におけるその位置。
E鏡山北側及び西側における神社遺跡の不在とその地質。
F虹の松原の地質。
以上の条件から鏡山の西側と北側は少なくとも8世紀までは海であったと結論しました。
また虹の松原が海水面下にあったのは縄文後期以前です。
なお3世紀における松浦湖(松浦湾)の最大範囲は、
虹の松原の南側で鏡山の北側部分は、東が浜玉川、西が松浦川の範囲となり、
鏡山の西の部分は、南が国道497号唐津道路あたりまでの範囲です。
鏡山の南側(神社分布地域)は7世紀までに陸地化しています。
倭人伝は、上辺だけでは絶対に意味を解せない書物です。 なんせ、金色の髪になったスパーサイヤ人が書いた 芸術作品だから 先ずは、何故奴國の次に東行として不彌國を登場させたかの 意味を解して下さい。 正に、息をのむような芸術作品ですから
>>917 これは私が説明せずとも、夏后少康と、太伯のエピソードを調べれば
私の説明よりは正確かと
前者がヨコ社会、後者はタテ社会。
卑弥呼は、従来からのヨコ社会に、タテの社会を加えた人物。
だから後の倭伝に、太伯の後と、紹介されました。
>>919 >芸術作品
かなり、洗脳されてるのでしょうか。
言ってる意味はわかるのですが、そこまでほめる必要もないと思います。
それに、私たちが気づかないだけで、もうすでに、全てのなぞを
解けている人も多くいると思いますよ。
ただ、有名ではなく、一般的に有名な人たちは当たってないだけで。
夏后少康と、太伯のエピソード 面白そうですね。 >前者がヨコ社会、後者はタテ社会。 おや タテとよこしまな 関係はご存知でしたか。 わたしも少しばかし、調べたのですが、 どうやら織物が関係あるようですね。
タテに縫い、ヨコに縫い というバランスのことです。 タテは良いことを表し、ヨコは悪いこと。 この世界は、互いに交差しながら成り立つというか。
陳寿氏は倭人側の人物によくない字を当て、 私たちの先人たちをいわば貶してるのですよ。 それを私たちが、陳寿氏は凄いだの、芸術だのいうのも 違和感を感じてしまう。
まあ、そんなところです。 今日は遅いのでまた、後日話しましょう。 zzzzzzzz
927 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 01:54:06
>>919 >正に、息をのむような芸術作品ですから
もう宗教だなw
史料としての検証批判も許さない。
まさにドグマwwww
まあそれぐらい持ち上げないとその単一史料の専門家を自負する自分の立場もなくなるんだろうがwwwwwwww
…ところで太伯の末裔は潜水漁法にてハマグリを採るらしいが
九州の何処にそんな種が存在するのかな?www
やっぱり脳内九州邪馬台国?wwwwwwwwww
928 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 03:03:25
>>896 粘着とは、オレのことを言ってるんだろうなw
今日は、昼からPC触ってなかったのでご期待に添えず申し訳ない。
しかし、河童君は以前怒って自分専用スレを立てたじゃん。
誰も専用スレまで追っかけて行って批判はしないよ。
いつの間にか戻ってきて、批判されたら粘着だってのは、ちょっとどうかと思うけど。
オレは、いつも終止符とドン来い見てるから、そこに変な説が書き込まれてたら批判するだけ。
>>927 >ハマグリ
またくだらねぇネタ引っ張り出したな〜
だから資料批判する以前の問題だって言っているんだよ。
蛤って単独種だけれども、それを厳密に区別し、扱っているのは専門書レベルでのお話。
古文書レベルで一般的に蛤と訳されているのは
二枚貝の総称と言う扱いだよ
二枚貝なんて、日本中が対象になり、地域区分は不可能だ
>>928 スレ主が出て行けというのであれば、出ていくよ
931 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 11:43:36
>>927 まともな検証批判など見たことないなあ。
やたらと「信用しない」ってだけじゃ検証批判とは言えないね。
>>931 どれだけしっかりした検証批判が出来るかは、個人の力量の問題だけど、
少なくとも検証批判しようという姿勢があるのは、
無批判に信奉してしまうより評価できる。
>>919 で、プラム=河童虫の信用度は値に落ちた。
もともとあまりなかったが(笑
934 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 15:07:32
無批判に信奉してしまう人については、確かにそう言えるだろう。しかし、 信用できると判断している人の多くは、無批判に信奉しているわけではない。 いろいろな事情を判断して信用できるという結論を出しているんだよ。
935 :
doontakuka :2009/05/25(月) 15:10:52
「吾妻鏡」によると、清衡は、白河関(福島県)から外ケ浜(青森県)に至る二十日余りの行程に、一町ごとに金色の阿弥陀堂を描いた笠卒都婆を立て、その中央に一基の塔を建て、寺院とした。それがこの中尊寺であったといいます。 中尊寺の緯度経度がLatitude: 39.001749 Longitude: 141.102261 で、北の奴国と一致する。 中尊寺から名古屋までの距離は約570km。 白河関(福島県)から外ケ浜(青森県)に至るは二十日余りの行程であるから、 一日の移動距離は約20km、故に名古屋中尊寺間は陸行一月の行程内である。
936 :
河童虫 ◆E2pz5a.Eic :2009/05/25(月) 15:43:39
>>733 今日は、何を言われても怒らない。
機嫌いいから
お昼休みに買った4314ダウィンチHDがストップ高
明日も朝からGU確定だから(笑)
937 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 17:23:56
このスレッドは程度が低いなw 知ったかの素人ばっか。
程度が高いスレッドとかあるのか。 あったら見てみたい。
939 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 20:30:20
>>936 明日、河童虫のダヴィンチ・アドバイザーズがストップ安・売気配になりますように。
そして、河童虫が金縛りになりますように。
940 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 20:40:39
しかし、魏の国から金印や△をなんてもらって喜んでいるような女が、 倭の女王だったなんて恥ずかしいです。卑弥呼=売国奴と呼ぶしかない。 誇り高き、日本の王は朝献など絶対にしません。
>>939 大丈夫だ〜
ダヴィは、9448インボイスの利益を
そっくり移しただけだから。
たとえダヴィがファザーズに逝っても、利益が0になるだけ。
種銭は無傷だよ―
ただ、仕事中余りザラ場を覗けないのがネック。
>>941 仕事より、卑弥呼のほうが大事なくせに・・・
>>942 いや、
去年の夏からは、卑弥呼より相場第一、次に仕事
卑弥呼はかなり後退。
給料を上回る相場の利益。
944 :
日本@名無史さん :2009/05/25(月) 22:49:35
去年の夏から? 売り豚かよwwwwwwwwwww
>>944 まあ、そういう事になりますか
信用枠最大限使って、売って売って売り抜きました。
朝寄り付きで空売り建てて、大引け引け成りで買い戻す毎日
でも、最近は買いもチョコチョコと
だから昨年後半から今年にかけて、掲示板活動を休止していたのです。
河童虫ってプラムなの? プラムってどっかの板で暴れ回ってたプラム? 北海道の医者の息子の建築屋さんとお友達だったかな。 そのプラム?
プラムって最低3人はいたけど、その中で一番くどいプラム=河童虫
>>939 悪いねぇ
覗いて見れば、既にストップ高
用心の為に後場売りに出し、大引け前に取り消せばOK!
949 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 11:47:46
プラムってどうゆう意味?
950 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 12:13:10
>>949 家で飼ってる犬の名前
(黒ラブ雌6才)
951 :
doontakuka :2009/05/26(火) 12:51:11
對海【馬】國・・・方可四百余里 方可四百余里とは一辺が百里の正方形を言う。 故に、43.2km×43.2km=1,866.24km²=方可四百里 と、言うことです。 對海【馬】國を南の境界を北緯26度、北の境界を北緯28度とするなら、 その総面積は1,839.66km²となる。 これは、方可四百里=1,866.24km²の近似値である。 (与論島20.8km²・請島13.34km²・徳之島247.77km²・沖永良部島 93.65km²・ 沖縄本島1207.66km²・伊平屋島・21.72km²・伊是名島・14.14・屋我地島7.77km²・ 伊計島1.75km²・宮城島5.52ku・平安座島5.52ku・粟国村7.64km²・渡名喜村3.74km²・渡嘉敷村19.20km²・座間味島, 6.66. km²・阿嘉島, 3.82 km²・伊江島23 ku・ 久米島59.11km²・加計呂麻島 77.39km² 総面積:1,839.66km²) 亦、 一大國・・・方可三百里、 とは一辺が七十五里の正方形を言うのであるから、 その面積は、32.4km×32.4km=1,049.76km²となる。 一大國の南の境界を北緯28度、北の境界を北緯30度とするなら、 その総面積は996.88km²であり一大國・・・方可三百里=1,049.76km²に近似値である。 (屋久島504.88km²・口永良部島38.04km²・種子島444.99km²・馬毛島8.4km²。 総面積:996.31km²) 方位、面積の条件を満足する、那覇、種子島は那覇=對海【馬】國であり、種子島=一大国である。との結論。
952 :
九州王朝大好き :2009/05/26(火) 14:26:59
>>948 ザラ場に張付かないで仕事もしてるの?
無職で、ザラ場に張付いていると今日も忙しい。
マザーズヘラクレスには目が離せない。
4314以外に、4321と4751、2337も。
今日は4756も。
今日は終わった。
明日の作戦はこれから。
2チャンネルはまだアク禁中。河童虫さんは?
>>952 王朝さん
(-。-)y-゚゚゚タイム
ザラ場監視乙です。
悪禁はいまだに解除されずです。
お蔭様で4314ダヴィは張り付きのまま、連れ高してる4321ケネは一時Sあったみたいですね。
でも、今回はダヴィが主役ですから
ケネの深追いは禁物です。江頭タイムにナイアガラされますよ
そうそう
私は会社員との兼業です。
954 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 19:53:09
お前ら去れ
955 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 20:15:10
よしよし河童、見事 糞スレ化させたな。天晴れじゃ。
956 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 20:54:01
ここはとうとう、プラム=河童虫の居間に成り下がりました。
957 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 21:06:10
ここはクソスレだから何書いてもいいんだよね。あ、うんぼぼうんぼ。
邪馬台国は、なぜ繁栄したのか?そこが重要です。 交易で栄えたとするには海から遠すぎる。 三角や鉄器の生産地だったという記述もない。 やはり、丹(水銀)の産地で、採掘権を一手に握って いたとするのが妥当だと思います。 自ら相場を作ることでぼろ儲けをしていた。そして 財力にモノを言わせ、各地の豪族を恭順させてきた。 だから、お金持ちの卑弥呼を共立することで和平が 成立したのです。 その丹の産地の候補地についてなんですが・・・
以前どこかで聞いたようなフレーズだな? 古い住人なら、たぶん聞き覚えのある・・・・
960 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 22:11:48
× 四国の丹 ○ 九州のベンガラ
961 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 22:22:32
こんにちは〜 こんにちは〜 電波の国から〜 こんにちは〜 こんにちは〜 河童の国へ 1966年のこんにちは〜 こんにちは〜 こんにちは〜 インデラ・ガンジーwwwwwww
♪北極生まれの 大きな体 手足を 引っ込め 回転ジェット。
俺はインサイトを買うよ。プリウスもかなりよさそうだけど。
964 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 23:27:56
>>963 何いってんだ、この時代こそ極悪燃費の車が渋いんだよ。ランクル買えよ。金ねえのか。
♪ガメラ〜 ガメラ〜 強いぞガメラ 強いぞガメラ 強いぞガメラ〜
966 :
日本@名無史さん :2009/05/26(火) 23:43:28
なんかひどい有様になったね。スレ立て人の愛知県民さんも、ローガンさんもあきれていな くなっちゃったし、縦目氏も。犬国とチョロ松はいないほうがいいんだろうけど。
>>966 >なんかひどい有様になったね。スレ立て人の愛知県民さんも、ローガンさんもあきれていな
>くなっちゃったし、縦目氏も。犬国とチョロ松はいないほうがいいんだろうけど。
その中で誰がマシ?
名無しよりコテハンのがマシだべ?w
968 :
愛知県民 :2009/05/27(水) 00:22:15
私は臨時に立てただけ。 次はいつも通り神奈川さんが立てたので宜しくです。
970 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 01:32:16
倭とは普通,倭の國=ヤマトの國,という事で日本の事を指していると思われている。 6〜7世紀頃以降の文献では明らかに倭=日本列島と考えて差し支えなさそうであるが,三世紀頃は必ずしも そうではない。中国の文献に初めて「倭」という語が現れるのは,紀元前6世紀頃作られたという『山海経』 という書物の中であるが、これ以来中国,朝鮮の史書にたびたび倭という文字が現れる。
971 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 01:35:40
邪馬台国の会からお知らせ
第279回 4月26日(日) 13:30-16:30 ・卑弥呼のもらった鏡
・邪馬台国の遺跡、遺物
第280回 5月24日(日) 13:30-16:30 ・特別講演会 奈良県立橿原考古学研究所 関川尚功氏
・土器から見たホケノ山古墳・箸墓古墳
第281回 6月28日(日) 13:30-16:30 ・伊勢の皇大神宮(内宮)創設の年代
第282回 7月26日(日) 13:30-16:30 ・テーマ未定
http://yamatai.cside.com/katudou/teiki.htm
972 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 01:43:01
>>951 >對海【馬】國・・・方可四百余里 方可四百余里とは一辺が百里の正方形を言う。
>故に、43.2km×43.2km=1,866.24km²=方可四百里 と、言うことです。
>對海【馬】國を南の境界を北緯26度、北の境界を北緯28度とするなら、
>その総面積は1,839.66km²となる。
>これは、方可四百里=1,866.24km²の近似値である。
>(与論島20.8km²・請島13.34km²・徳之島247.77km²・沖永良部島 93.65km²・
>沖縄本島1207.66km²・伊平屋島・21.72km²・伊是名島・14.14・屋我地島7.77km²・
>伊計島1.75km²・宮城島5.52ku・平安座島5.52ku・粟国村7.64km²・渡名喜村3.74km²・渡嘉敷村19.20km²・座間味島, 6.66. km²・阿嘉島, 3.82 km²・伊江島23 ku・
>久米島59.11km²・加計呂麻島 77.39km² 総面積:1,839.66km²)
>亦、一大國・・・方可三百里、 とは一辺が七十五里の正方形を言うのであるから、
>その面積は、32.4km×32.4km=1,049.76km²となる。
>一大國の南の境界を北緯28度、北の境界を北緯30度とするなら、
>その総面積は996.88km²であり一大國・・・方可三百里=1,049.76km²に近似値である。
>(屋久島504.88km²・口永良部島38.04km²・種子島444.99km²・馬毛島8.4km²。
>総面積:996.31km²)
>方位、面積の条件を満足する、那覇、種子島は那覇=對海【馬】國であり、種子島=一大国である。との結論。
細かい数値だすから誰からもアンカーついてないw
今日も機嫌いいよ
974 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 09:53:12
>九州説の根拠 なしww
975 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 10:40:27
>>973 考古学の知識あるんなら
書き込んでみては?
976 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 10:49:58
>畿内説の根拠 九州説より、思い込みだらけ(邪馬壱国=ヤマトなど)
977 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 10:55:15
銅鐸? それは邪馬台国じゃなく 4〜5世紀、奈良で出土した物だろw 邪馬台国と何の関係がある? スレ違いwww
スレ違い 笑ろうたwww
979 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 11:12:35
>>973 考古学は、現場に直接携わる人以外は語っちゃダメだよ
古墳から出土したばかりの鏡は真っ青で綺麗だった。それがミルミル緑色に変色するんだ
不思議な光景
家の山にある古墳を、発掘調査した時の様子。
それ以来、素人が携われる分野でない事を知りました。
981 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 11:25:32
>>980 あんた博物館にはいかないの?w
邪馬台国 ドン来いの連中は詳しいよ
>>980 河童虫 ◆E2pz5a.
>考古学は、現場に直接携わる人以外は語っちゃダメだよ
確かに「生兵法は怪我のもと」言ってる事には間違いは無い。
しかしそれは考古学にのみに言える事あるまい。
文献史学にしてもろくすっぽ漢文漢籍に関する文法等の基礎知識も無い人間が
辞書で一字一字を訳して「これが正しい読み方だ」と言っているのはどうなんだ?w
素人口出し厳禁と言うなら、邪馬台国論争は畿内説でほぼ終結しつつあるのが現状なわけだがw
984 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 11:52:56
>>982-983 でも、畿内説の人は少しずれてるよね?
邪馬台国スレに銅鐸わでてくるわw
邪馬台国を掘ってるのではなく的がズレてて
そんなので考古学博士とかいえますか?
>984 そんな事を言い出したらこのスレで倭の五王の話とかが出てくるのはしょっちゅうなわけで
986 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:07:01
>984 >倭の五王の話とかが出てくるのはしょっちゅう? んんんん 倭の五王の話題みたことある? おれはあまりない よそのスレと間違えてるの?
987 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:17:46
サファイアきれいだー 主な産出地:ミャンマー、スリランカ、タイ、カンボジア、インド、 オーストラリア、アメリカ、アフリカ(タンザニア、ケニア、マダガスカル他)、 ロシア、中国、アフガニスタン 日本では 島根県、岩手県、岐阜県 宝石の話しよっぜw
988 :
河童虫 :2009/05/27(水) 12:23:20
>>982 飽くまでも、考古学への個人的な考えを述べただけ
文字はここでは関係ありません。
>>981 積極的には行かないし、そこまで歴史好きじゃないし。
チャートの方が楽しい。
989 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:33:06
990 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:36:29
>>989 ズレてるよ
六世紀の畿内を掘ってどーすんだばか
991 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:48:03
>>990 ようするに九州説の人間が馬鹿ってことか
銅鐸の話題出してるのは日向東遷説の人なんだけどな
お前みたいなのがいるから九州説は馬鹿にされるんだよw
992 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 12:58:03
>>991 あんた銅鐸ていつの時代か知ってるのか?
邪馬台国の時代より遥か遅れた時代だよ。
その東遷説の人が銅鐸を持ち出して
東遷したことをいってるようじゃそいつも馬鹿だww
ダブル馬鹿ていうかw
993 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 13:39:35
いや 弥生だぞ しかし銅鐸が出土されたところは邪馬台国ではない
994 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 13:44:26
鐸 、剣 の出土が比較的少なく 矛 、戈が大量に出土したところが邪馬台国?
995 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 13:54:14
じゃあ、吉野ヶ里は駄目ですね。 銅鐸が出ていますから。
996 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 13:55:15
魏志倭人伝には巨大銅矛のことも書いてないわけだが。 銅鐸厨はバカなのか?
997 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 14:02:52
ただの馬鹿
998 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 14:05:59
>>995 銅鐸が出たら駄目だといつ言った?
邪馬台国記事に銅鐸は載っておらず
めったに出土されない場所が邪馬台国だーww
999 :
日本@名無史さん :2009/05/27(水) 14:08:26
結論 銅鐸がでまくってるところは邪馬台国ではない 邪馬台国は九州だ 以上 馬鹿を相手するとつかれるwww
ごめんなさい 邪馬台国は畿内ではありませんでした。
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