♪邪馬台国 ドンと来い♪ 41

このエントリーをはてなブックマークに追加
952日本@名無史さん:2009/04/28(火) 11:57:05
九州説は、九州一島に固執すればするほど、
現実の考古学的事象を説明できなくなるんだよ。

せめて、「卑弥呼を共立した30余国に吉備も含まれる」といえば、
まだ九州説には救いがあるんだがな。
自分自身で九州説を破綻させてるんだから、滑稽としか言いようが無い。



953日本@名無史さん:2009/04/28(火) 12:09:25
>>951
>直接、朝鮮半島から入手したかも知れんじゃないか。

その可能性はきわめて高い。
半島からは山陰系の土器も出ていると言うしw

で、半島から独自に文物を取り寄せ力を持った勢力が九州以東に既に存在していて
九州で作られた青銅品も山陰山陽まで広がっている。

・・・このような状況の中で

 「卑弥呼共立に関わった30カ国は九州限定!」

と言い張る根拠はあるのかって話だなwww
954日本@名無史さん:2009/04/28(火) 12:33:46
山陰といえば、そもそも出雲風土記の国引き神話からもわかるように、
朝鮮半島と関係が深いね。

邪馬台国の時代、山陰は、朝鮮半島と交易してなかったとでも言うの?
出雲の人々は、九州を経由しないで、直接朝鮮半島と行き来してたの?
それって、すごい航海技術だと思うなあ。
仮にそうだとしても、朝鮮半島にいた魏の使者が山陰の噂を知らないはずはない。

もっとも、スサノオはアマテラスと喧嘩してたから、
邪馬台国時代に卑弥呼(アマテラス)と出雲(スサノオ)が仲たがいしてても辻褄はあうよな。
その場合、男弟はスサノオじゃなくなるわけだが、
じゃ、卑弥呼(アマテラス)の男弟は誰だ?って言う話。

ほら、卑弥呼=アマテラス説は破綻した。
955九州王朝大好き:2009/04/28(火) 13:27:37
>>953
>「卑弥呼共立に関わった30カ国は九州限定!」
>と言い張る根拠はあるのかって話だなwww

根拠は以下だ。
『倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑』
『參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里』
「周旋可五千餘里」とは、およそ200km×200kmの範囲だ。

倭人の30ヶ国は、海中の島々にあり、その島々はおよそ200km×200kmの範囲にある。
の意味だ。

上記に該当する地域は九州及びその近辺諸島しかない。

『女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種』
九州から海を渡って70km余にある国は倭種である。
中四国地方は倭種がいる地域だ。
956日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:36:11
>>955
いったい1里は何メートル?
957日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:39:13
>>955
>或絶或連

ここを意訳してみてくれ。
958日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:46:44
>>955
>上記に該当する地域は九州及びその近辺諸島しかない。

九州と本州の間は関門海峡という細い海峡です。
その幅は九州〜壱岐や九州〜対馬の距離に較べて遥かに狭いのです。
959日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:07:27
>>955
で、その距離をどうやって測定したんだよ?
それによってその数値の信用性、誤差も決まるからな

今日船のスピードは「ノット」だが
何でもその昔スピードを計るのに一定間隔で結び目(ノット)をつけたロープを垂らした事からの名残だそうだが・・・
960日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:07:53
>>958
使者は有明海の方から邪馬台国へ行ったから、関門海峡は知らないんだよ。
961:2009/04/28(火) 14:20:53
962日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:21:19
そもそも九州全土が納まるエリアを「五千餘里」と里数で表示しているんだったら
尚の事邪馬台国にいたる距離を途中から日数に変えるんだ?ってのが疑問だなw

無論
「それは郡からのトータル日数云々」
とかのご高説が出てくるんだろうがw

結局文献の内容の正しさを説明できる考古学的資料は無いって事なのかな?

963日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:33:46
証明されてもいない「ゆるやかな連合体」を持ち出さなければならないのは、
「やがて連合体は、首長国=畿内国一国に収斂されました」と
畿内自生説に都合が良いというだけが根拠。いわゆる妄想です。
964日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:34:57
>証明されてもいない「ゆるやかな連合体」を持ち出さなければならないのは

ではすでに証明されている説を述べてみてください
965日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:45:03
>>960
>使者は有明海の方から邪馬台国へ行ったから、関門海峡は知らないんだよ。

関門海峡を知らなかっただと?
もしそうだったら中国史書は九州と本州は陸続きとの認識で書かれてることになるな
九州と本州が一体化したものが倭ってことだな
966日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:47:13
まあ連合体を否定している奴は視野狭窄で邪馬台国論争の範疇でしか
物事を考えていないんだろうが…

3世紀の邪馬台国の時代のみならずその後も考えてみればよい。

行き着くところは九州王朝説だw
967日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:54:04
>>965
九州に一番近い島は四国だと思っていたんだよ。山島によりて・・・とあるだろ。
本州が島だってことは倭人だって知らなかっただろ。
968日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:55:33
>>966
>行き着くところは九州王朝説だw

行き着くところは東遷説。
969日本@名無史さん:2009/04/28(火) 15:02:40
>>967
そういうことではなくて
もし九州と本州を隔てている海(関門海峡)の認識を中国側が欠いてるのなら
倭人伝の倭とは九州島限定なんて絶対言えないだろうが
970日本@名無史さん:2009/04/28(火) 15:12:05
>>955
>周旋可五千餘里

それはぐるりと一周して「五千餘里」って事なのかな?

わざわざ古代の中国人は九州を一周して測定したのかw

正直真に受けて計算するのも馬鹿馬鹿しいと思うが…

魏代の一里≒434m

よって五千餘里≒2170km

正方形で考えて 2170km÷4=542.5km(一辺)
円形で考えて  2170km÷π≒691km(直径)

>200km×200kmの範囲だ

…どういう計算なのかイミワカンネw
971日本@名無史さん:2009/04/28(火) 15:44:49
>>964

いいえ、畿内自生説が捏造だと証明されました。
972日本@名無史さん:2009/04/28(火) 15:50:09
>>970
短里で計算してみな。五千里=400キロ。周旋は一周ではなく、ぐるっと巡り
ながら向こうの端に行き着くこと。200キロで曲がればあと200キロだし、
250で曲がればあと150キロだ。
973日本@名無史さん:2009/04/28(火) 15:53:03
>>671
そんな事を聞いたのではなく、あたかも証明された説が存在しているような言い方だったので是非知りたいと思ったまでですが
974九州王朝大好き:2009/04/28(火) 15:55:15
>>970
>周旋可五千餘里
倭地の行き着いた先で5000餘里
片道です。一周は別の言葉がある(思い出せないが)。

魏志東夷伝の1里は短里で約70m。
片道5000里は350km。
倭地の全体の形が正方形として考えると、
概形200km×200kmの正方形になる。
(韓、對馬國、一大國は、方可○○里と、概形を正方形で表している。)
975日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:17:02
九州王朝大好き氏は、本州と九州は関門海峡で切れてるという認識が魏側にあったたと思うか?
976日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:18:41
あったたと思うか→あったと思うか
977日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:23:30
魏志倭人伝の記述だと九州より大きな大陸に渡った感じはしないよね。
978日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:28:43
畿内と九州でもめるのも必然だと思うよ。
レポートとしてはあまりにも手抜き。
日本を知らない人は更に誤解する。
意図的に誤魔化したようにも思えてくる。
979918:2009/04/28(火) 16:35:39
>>928
>説自体は俺とけっこう似てるんで

まあ似てるも何も今日の畿内説ではベーシックな部分は大概共有されているんだから
似てて当たり前じゃないかな?w

その基本部分の上に立って色々と差異があると、例えば…

先に挙げた首長連合の形成の第一要因を鉄資源の確保に求めるか否か
果たして三角縁神獣鏡を舶載とするか国産とするか…等々

考えれば畿内説の中でも議論して全体の進歩を促す事はでき
九州説の畿内説から見ればアンチテーゼとしての歴史的役割も既に終えた感があるwwwwww



980979:2009/04/28(火) 16:48:49
間違えた>979は>>923宛ね。

しかし自分で
>畿内説ではベーシックな部分は大概共有されている
…と書いたが逆に言えば九州説がバラバラ過ぎるんだよなw

同じ比定地であっても例えば邪馬台国を弥生中期から続くような老舗国家とするか
はたまた新興勢力とするかとか…

もう迷走状態が止まらないというか…
いや迷走と言うより妄想だから仕方ないんだけどなwwwwwwww
981日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:55:22
>>963

>証明されてもいない「ゆるやかな連合体」を持ち出さなければならないのは、

ふーん。

で、吉備に鉄が普及してたのは、どういう理由から?
鉄に足が生えて、勝手に吉備に歩いていったの?

ぷっ

あまりにもレベルが低すぎる。

証明されていないのは、「鉄器が威信財として王権に必要だった」という前提のほうだろう。
982日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:56:11

★山口県の弥生時代遺物に見る北部九州との交流

・王屋敷遺跡(長門市)出土の有柄細形銅剣 (弥生中期)
http://bunkazai.ysn21.jp/general/summary/frame.asp?mid=40062

・沖ノ山(宇部市)出土の中国古銭及び埋納甕 (弥生中期末)
http://bunkazai.ysn21.jp/general/summary/frame.asp?mid=90049

・神上寺銅矛(下関市) (弥生後期)
http://bunkazai.ysn21.jp/general/summary/frame.asp?mid=80035
983日本@名無史さん:2009/04/28(火) 16:57:48
畿内説にしても、「鉄器が威信財として王権に必要だった」という前提で話をしてる感があるが、
それはマキムクの状況と一致してないことは認めろよ。

マキムクには鉄が無いんだからな。
鉄以外の理由で、求心力となるモノが大和国に存在したとしか考えられない。
984日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:00:13
山口県というのは、今も昔も九州の文化圏の範疇。
山陰・山陽よりも九州と関係が深いよな。

これで、邪馬台国に山口県が関係ないとは言わせないわけだが。

985日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:04:40
>>981
地域間の交流はあっただろう。
九州では、前漢鏡も出ているから、弥生中期から大陸と交流している。
貝輪は、沖縄で作られたことがわかっているから、沖縄あたりとも交流している。
吉備などとも交流があったのは当然だろう。

交易と言うか、物々交換としての交換経済などは相当に古くからあったに違いない。
986日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:07:17
女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國あり、その南にあり。
人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。
倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。

どうにも畿内を中心に語ってるように思えない
987日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:14:50
ゆるやかな連合に固執するあまり
何でもありになってるな

九州説の立場として邪馬台国と吉備が友好関係にあっても問題ないのだよ
それを連合というなら連合と言えばいい
ただし魏志倭人伝に伝える30ヶ国に入れる必要はどこにもない
988日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:22:15
>>983
>マキムクには鉄が無いんだからな。

ウソ偽りの出鱈目。

★ホケノ山古墳(桜井市纏向古墳群)出土の鉄製品

・素環頭大刀1口を含む鉄製刀剣類10口前後
・鉄鏃60本以上
・農工具などの鉄製品多数
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%B1%E3%83%8E%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
989日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:35:00
邪馬台国は卑弥呼が共立される前も死後も
争いが起きている非常に不安定な国
その国が後の大和王権に発展したとするのは考えにくい
990ローガン:2009/04/28(火) 17:58:28
>>988
> >マキムクには鉄が無いんだからな。

> ウソ偽りの出鱈目。

そうですね。厚葬になって残りがよくなったのでしょう。
991日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:37:17
>>989
別に卑弥呼の国が大和王健に発展したとしなければならない必要はどこにもない
争いを続けながら邪馬台連合のどれか一つが後に力をつけて連合の絶対的盟主になったとすれば、連合の名称であるヤマトを自分の国号にしたと考えられる
正当性を示すためには前政権の歴史ごと取り込むのは普通だからね

逆に連合と全く関係の無い国が邪馬台とよく似た国号を使ってる方がおかしい
992日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:39:00
ところで、そろそろ次のスレ立てた方が良さそうだね
993日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:44:47
>>986
>どうにも畿内を中心に語ってるように思えない

…と言うよりそもそも本当に日本なのかどうかも怪しいと思うのだがw
994日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:51:16
「従郡至倭」と書かれているから、
倭に実際に来て見聞した内容であることは確かです。
995日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:58:56
>>992
スレ立てようと思ったが、スレ立て規制になっていて立てられない。
誰か立てられるかな?
996日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:06:32
>>993
邪馬台国は畿内にはないのに、畿内にあることを想定して考えるから
何もかも、つじつまが合わない。
ただそれだけのこと。
997日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:09:01
>>995
さんざん粘着や荒らしをした報いだ。w
三日三晩山中に籠って精進潔斎し、神々に祈って許しを請い、おのれの罪を贖うべし。ww
998日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:17:22
>>997
アホか。スレ立て規制というのは、スレ乱立を防ぐためのもの。
地域やプロバイダーによって定期的に規制されるもので、個人的な規制では
ない。
999日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:17:32

まあ次スレがたたなければ

ドツボんトコの「女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!」スレに移ればいいだけのことwww



1000九州王朝大好き:2009/04/28(火) 19:18:49
>>975
>九州王朝大好き氏は、本州と九州は関門海峡で切れてるという認識が魏側にあったたと思うか?

本州と九州は関門海峡で切れてるという認識が魏側にあった。
倭地は大海中の島ですから。
しかし、30ヶ国の中に山口県側の国が入っていなかったとは断言できない。
時代は下がるが、景行記の九州統一遠征話に、遠征地として山口県側が入っているので。

なお『東渡海千餘里』の倭種の国は多利思北孤の愛人がいた伊予だと思う。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。