1 :
寺内義高 ◆lIGGGgGggg :
2 :
寺内義高 ◆lIGGGgGggg :2009/03/02(月) 02:47:14
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
3 :
寺内義高 ◆lIGGGgGggg :2009/03/02(月) 02:47:32
1高祖父
17曽祖父
2高祖母 25祖父
3高祖父
18曾祖母
4高祖母 父
5高祖父
19曽祖父
6高祖母 26祖母
7高祖父
20曾祖母
8高祖母
9高祖父 あなた
21曽祖父
10高祖母 27祖父
11高祖父
22曾祖母
12高祖母 母
13高祖父
23曽祖父
14高祖母 28祖母
15高祖父
24曾祖母
16高祖母
4 :
寺内義高 ◆lIGGGgGggg :2009/03/02(月) 02:47:52
手紙その1
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
<あなたが知っている情報を書く>
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
<あなたの住所氏名電話番号メールなどを書く>
5 :
寺内義高 ◆lIGGGgGggg :2009/03/02(月) 02:48:16
手紙その2
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
実は私の高祖母の実家が△△という姓で祖母に聞いたところ明治か大正の終わりごろに
県外に移住したと聞きました、そこで電話帳で調べたらあなた様の名前が電話帳にあり
恐らく子孫の方と思いなにか少しでもご存じないかと思い手紙を書いた次第です
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
少しでもわかっている内容を書く
<あなたが知っている情報を書く>
由来やエピソード
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
書きまくってください
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
ここも書きまくる
大体10個くらいないかな?
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
6 :
日本@名無史さん:2009/03/02(月) 02:49:51
私の叔父(父の姉の配偶者)の除籍謄本は請求できますか?
お亡くなりになった方なのですが・・・。
7 :
6 ◆q.64TOXnCk :2009/03/02(月) 02:52:22
×叔父(父の姉の配偶者)
○叔父(私の姉の配偶者)
の間違いでした。
自分のルーツを調べたいんだけど、此処で良いのかな?
自分や家族が調べたんですが有力な情報が得られず此処にきました。
とりあえず知り得た情報を軽く載せます
名字は「甲斐」
宮崎の高千穂の火影村「ひのかげ」出身
亡くなった祖母曰わく江戸時代の頃は有名な商家で汚い商売「人身売買等」でかなりの金持ちだったの事
祖母が亡くなる際に母親が役所等に行き戸籍謄本等を調べましたがどうやら祖母の父、私の曾祖父がキチンとしてなかった為に甲斐の戸籍には祖母の名前しか無かったそうです
。
続きます
9 :
8です:2009/03/02(月) 03:42:33
そこで母親が直接宮崎の高千穂に行き、火影村にある甲斐家の菩提寺に出向いた所、家系図を発見。
しかし昔、菩提寺が家事で焼け落ち、家系図の7割近くが焼け、残りの3割にしか目を通す事が出来、亡くなった祖母曰わく、焼け落ちる前の家系図はかなり長かったとの話を母親が昔聞いたそうです。
続きます
10 :
8:2009/03/02(月) 03:44:24
その際に分かる範囲内で家系図を遡ると6代前「祖母から数えて」なので私から数えると8代前までしか確認出来ませんでした
亡くなった祖母曰わく焼け落ちる前の家系図はかなり長かったとの話を母親が昔聞いたそうです。
続きます
11 :
8:2009/03/02(月) 03:45:45
亡くなった祖母曰わく焼け落ちる前の家系図はかなり長かったとの話を母親が昔聞いたそうです。
このように役所関係も駄目、一族と関係する書物及び、関連施設「菩提寺と一族を詳しく知ってた住職が亡くなった」も駄目で途方に暮れて居ます、どなたかお知恵をお貸し願いませんか?
長文失礼しました
12 :
日本@名無史さん:2009/03/02(月) 03:46:29
自演?
13 :
6 ◆q.64TOXnCk :2009/03/02(月) 14:29:34
14 :
日本@名無史さん:2009/03/02(月) 19:30:41
ここも胡散臭いな
15 :
829・842 ◆zQtUCLUwXw :2009/03/02(月) 21:32:29
まじめに答えていただきたいんですが
16 :
日本@名無史さん:2009/03/02(月) 21:44:58
だれもいないのか
17 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 00:11:17
あげ
文章が長過ぎて質問の要点がわかりにくいから
答えるのが面倒にみえてしまうだけだろう。
あらためて質問だけ1行で書けばいい。
19 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 01:22:20
私の叔父(私の姉の配偶者)と大叔父(父の姉の配偶者)の除籍謄本は請求できますか?
20 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 01:25:05
叔父の意味から勉強したほうがいいよw
21 :
8:2009/03/03(火) 01:28:39
>>18 もしかして自分の事を言われてるならすみません
改めて簡潔に書きますと、公的機関でも駄目、自分達一族を知る人物や書物も今は無い中でどうすれば先祖を探す事が出来ますか?
22 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 01:33:13
23 :
19:2009/03/03(火) 02:35:52
誰かよろしくお願いします
24 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 05:29:11
>>19 あなたの姉の配偶者ならば叔父ではなく(義)兄で
お父さんの姉の配偶者なら大叔父ではなく(義)叔父になりますね。
戸籍(除籍含む)謄本が入手出来るのは直系のみに限られので直接は不可能と思われる。
代理で入手する場合は直系の委任状が必要です。
(義)兄の分は姉(妻)もしくはその子供、孫で(義)叔父の分は叔母(妻)もしくはその子供
詳しくは戸籍地の役所へ問い合わせたら教えてくれると思います。
25 :
日本@名無史さん:2009/03/03(火) 07:02:05
家系図が菩提寺に有ったが焼失したとの話ですが、普通菩提寺では過去帖に記載しています。
過去帖も焼失したのでしょうか?
あとは親族で資料を持ってなければ正直無理だと個人的には思いますが。
>>25 母親に確認した所、過去帳と家系図が共にほぼ焼失しており、焼け残った家系図と過去帳から6代前「祖母から数えて」しか確認確認がとれなかったとの事です。
やはり確認は不可なんでしょうか。
27 :
日本@名無史さん:2009/03/05(木) 01:13:43
どうせ大した家系じゃないから諦めなよ。
28 :
日本@名無史さん:2009/03/05(木) 01:35:13
>>27 そりゃ失礼だぞ。
純粋な思いの腰を折ってはいけない。
結果が大した家系じゃなくても知りたいもんでしょ。
オレも調べてみて挫折した一人だが。
29 :
日本@名無史さん:2009/03/06(金) 16:23:45
30 :
29:2009/03/06(金) 16:45:46
寺内義高 ◆lIGGGgGggg 様 スレ建て乙で御座居ます。誰も「14」を建てないのかと
思っていますた。
先日、市役所の教育委員会/文化財係の担当者の御好意で6代前の先祖の墓に
案内して頂きますた。田んぼの真ん中に有る墓が風雨に耐えて今日迄有ったことに
感激すると共に、周囲の住民の方々や市役所の方々に感謝して来ますた。
ここで質問ですw。
墓の刻印文字を読むと「弘化3年4月21日 享年72」と有りますた。
と、ゆ〜ことは生年月日は安永2年(1773年)位とゆ〜ことでしょうか?。
32 :
Pure audio香具師:2009/03/13(金) 23:44:55
age
33 :
日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:48:18
34 :
日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:08:16
何となく昔、じーさんが語ったご先祖話から
適当にぐーぐる先生に聞いてみた。
ずーっと辿ると伊東氏経由、藤原鎌足でした。
5分で調べ終わったけど満足、満足w
真実は定かじゃないけど何となくコレじゃね?
ってのがあると楽しいな。
36 :
日本@名無史さん:2009/03/20(金) 22:24:57
今日、墓参りに行ってきた。
より先祖の事が明らかになるようにとお祈りしたら、
位牌堂で偶然本家の人に出会った。
「これが家の一番古い位牌なんだけど、見てみるかい?」と
奥の方から位牌を気軽に手にとってくれた。
裏には貞享五年の文字が!
ありがとう、ご先祖様!そして本家の方。
37 :
日本@名無史さん:2009/03/21(土) 04:53:17
今日初めて曽祖父の兄弟姉妹、高祖父、その父親の生まれが
書かれた紙を遠い親戚に見せてもらいました。
どうやら役場(市町村合併前は4000人の町)でもらったものらしいです。
祖父の家の庭にある墓石と照らし合わせると墓石にはその紙にない名前が。
多分、明治の頃の話なので「出生届け忘れてた」レベルの話だと思います…
当方、実家からかなり遠方にいるので、独自調査はかなり時間を要すると思います。
徹底的に調べるには行政書士資格を持った業者に依頼するのがベストなのでしょうか?
それとも業者はボッタクリなのでしょうか?
どうかご教示願います。
38 :
飛瀬:2009/03/23(月) 22:26:27
>>37 ボッタクリです。
戸籍は郵送で依頼することも出来ます。
数万円の出費ですみますよ!
その先は確かに厳しくなってきますが・・・。
39 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 00:30:57
>>36 ご先祖の資料が見つかって良かったね。
貞享五年(1688年)と云えば徳川綱吉の時代だね。
ご先祖の資料が見つかった時の喜びは、私も経験があるのでよくわかります。
40 :
36:2009/03/26(木) 20:56:48
>>39ありがとうございます
その後、実家の過去帖もよく調べてみました。
文化11年、家の先祖は祖父、両親、加えて妻と
相次いで亡くしておりました。
よくぞ今まで続いたものです。
もっとも、このままでは自分の代で終わりそうですが…(ry
41 :
37:2009/03/28(土) 16:57:58
>>38 高祖父の父(名前のみ)-高祖父(1860年生)-曽祖父(兄弟姉妹合計8人の生年月日)-祖父(兄弟姉妹合計8人の生年月日)-父
のような簡単な家系図を役場から遠い親戚が得たようです。
業者はボッタクリだというので自分で戸籍謄本・除籍謄本を郵送で請求しようかと思うのですが
私の場合、「自分・父・母・祖父・曽祖父・高祖父・高祖父の父」を請求できるのでしょうか?
42 :
日本@名無史さん:2009/03/29(日) 01:02:24
>>41 >38ではないが参考までに。
戸籍謄本には古い順から云えば以下の種類がある。
明治四年式 明治十九年式 明治三十一年式 大正四年式 昭和二十三年
まず親戚が持っておられたのは明治十九年式以降の戸籍謄本を参考にした家系図と思われる。
しかし法律上戸籍謄本の保存期間は80年と決められており、その為各市町村役場は昨年に明治十九年式
役場によっては明治三十一年式まで廃棄してしまった。
と云うことは明治に亡くなられた方の戸籍謄本は残っておらず精々あなたの祖父まで、良くて曽祖父。
請求としてはご自分→父→祖父→曾祖父の順に入手します。
43 :
41:2009/03/29(日) 10:26:31
>>42 早速の回答ありがとうございます。
色々調べてるんですが、ネットだけではしっくりこない状態です。
戸籍謄本をwikiで調べたら
『戸籍簿には、一人もしくは二世代を最大とする複数人の生年月日、
死亡年月日、性別、氏名、続柄(血縁関係)、婚姻歴、離婚歴、
養子縁組歴などの情報が記載されており、戸籍の附票には現住所と転居履歴が記載されている。』
とありました。
これは、父の戸籍謄本の場合には「父・母・息子・娘」、祖父の場合は「祖父・祖母・父・おじ・おば」
についての情報が記載されているのでしょうか?
44 :
43:2009/03/29(日) 13:54:54
連投すみません。参考に今ある資料をうpします。
生年月日は少しいじっています。
http://www2.uploda.org/uporg2124514.jpg.html 「遠い親戚」が役場から得たもので、括弧書き部位を追記しました。
苗字は仮名、名前と誕生月日は伏字にしています。
私は昭和2年生まれの祖父の孫(20代独身)に当たるのですが
どのように情報収集を進める(始める)のがベストでしょうか?
>>42さんのおっしゃるように「自分→父→祖父→曾祖父の順」に
戸籍謄本・除籍謄本を郵送(いま地元から遠く離れています)してもらい
帰省時に過去帳や位牌、墓石を調べてみます。
ちなみに父方の祖父母・両親は健在ですが、母方の祖父は他界しています。
45 :
42:2009/03/29(日) 19:31:34
>>43 父上の戸籍謄本に記載してあるのは父母(あなたのご両親)、父母のご両親(氏名のみ)
とあなた達子供です。
祖父の場合も同じく祖父母、祖父母のご両親(氏名のみ)と祖父母の子供達(父上と叔父、叔母さん)です。
>>44 系図を見るとやはり明治十九年式以降の戸籍謄本を参考にした家系図ですね。
あなたの年齢から察してまだ独身で父上の戸籍に入っておられると思います。
と云うことは、父→祖父→曽祖父の順になります。
また母方の戸籍謄本を入手したい場合も同様にて、母→祖父→曽祖父の順になります。
ご先祖調査で行き詰まるは戸籍以前の方々だと思います。
過去帳や位牌、墓石などで調べられ、また菩提寺に聞かれたら良いと思います。
頑張ってください。
46 :
44:2009/03/29(日) 21:27:51
>>45 ご親切にありがとうございます。
父方も母方も実家はかなりの田舎にあり
近所に親戚も多く、菩提寺には父が通った学校の先輩がいるので、
戸籍・除籍謄本を集め終えたらやれるだけやります。
博学の祖父が寝たきりで話せなくなる前に
始めていれば楽だったかもしれませんが
親孝行しながらご先祖様をたどっていきます。
47 :
日本@名無史さん:2009/04/22(水) 06:23:16
みんな元気?
48 :
日本@名無史さん:2009/04/24(金) 02:26:43
>>31 釣りだと思うから誰も相手にしないみたいだけど、
数え歳で、72歳なら、1846-71=1775
安永四年生まれだと謂うことぐらい、小学生でも大人に聞くか、調べりゃ
解りそうなもんだろーよ。
49 :
◆TJ9qoWuqvA :2009/04/27(月) 20:04:01
50 :
Pure audio香具師:2009/04/29(水) 22:42:21
>>48 6代前が数え歳で、72歳なら、1846-71=1775
安永四年生まれなら
5代前は享年82(享年って、数え年でカウントするの?)で
明治21年(1888年)3月22日没だから
1888-81=1807年で文化4年生まれで桶?。
51 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 23:35:51
除籍謄本見りゃ一発だろよ。
生年月日だって記載してあるのに。
52 :
Pure audio香具師:2009/05/01(金) 01:16:47
除籍謄本取得出来ませんですたショボ〜ン。
53 :
46:2009/05/01(金) 17:23:33
GWの帰省を利用して父方の謄本を得られるだけ得ました。
ところで家計図を作成する際にみなさんはエクセルを使用していますか?
あと、昔のものは「長男」→「参男」の「次男」のように「抜けている人」がいます。
これは当時の役所のミスなのでしょうか?
また、「戸主と為りたる原因及び年月日」の日付は前戸主の死亡日と言う事でしょうか?
>>53です。
>>54さんありがとうございます。
なるほど納得です。家計図も参考にさせていただきます。
質問ばかりで申し訳ないのですが明治前期の頃の謄本を見ていると
戸主「A」がいて、妻の欄には「B」が明記されたものがありました。
しかしその謄本では「長男の母はC」で、「それ以外の子の母は『B』」という表記になっています。
Bの死亡については時刻まで書かれています。
Cについては長男以外の子の母の欄以外は何も記載がありません。
Cについては入手できた謄本以前のものに記載されて、
手元にある謄本には記載がないのでしょうか?
ちなみに、私が知る限りでは妾を作るような裕福な家庭ではありません。
>>55 時系列がわかんないけど、Cが長男を産んでから亡くなってBと再婚したのかな
Bの入籍日より長男の生年月日が前ですか?
57 :
56:2009/05/02(土) 09:24:30
もしCがフルネームで書かれていたら、妻ではない人の子かもしれません。
妾さんでなくても結婚はせずに認知して引き取ったとか。
明治の戸籍は身分事項欄が詳しく書かれてないことがあるので、
事実関係の把握が難しいことがありますよね。
>>56-57 長男(以下D)の生まれは明治10年代、Bは20年代入籍及び以降他の子を出産です。
Dの除籍謄本の母の欄にCのフルネームがありますが知らない名前で、
それ以外については何も情報なしです。
実際の所、Cは長男含め2人の母になっています。
3人目以降からは謄本上の妻であるBが母です。
別件なのですが、養子に出されていたと思われる女の人が嫁いで来ているのですが
「婚姻事項中○家戸主及養母ノ名ハ身分登記ニ依リ記載」と書かれています。
(○は賽銭の賽のような字)
養女であること以外他と変わった事は書いていないのですが「身分登記」で何が書かれるのでしょうか?
また、「○○年式戸籍」の簡単な見分け方ってありますか?
>養子に出されていたと思われる女の人
私の姓を「佐藤」とすると、この女の人は「鈴木」さんの子として生まれ
その後「高橋」さんの所へ養女とされ、「佐藤」家へ嫁いで来たと言うことです。
昔は戸主の許可が下りないと結婚できないので、子供何人もできてから
結婚とかよくあるみたいです。Cさんとはその前に別れちゃったのかな?
子供ではなく父親(現戸主)の欄に「○○村△の子□□を認知」とかないですか?
19年式戸籍は一人一人の欄がせまい(1枚で10人くらいのってる)、
31年式は戸主の名前欄の左に戸主になった理由欄がある、
大正4年式はその欄がなくなった、23年式からは「筆頭者」で夫婦と子供単位、です。
62 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:41:36
2ちゃんにこんな板があったんですね
連休にご先祖様の調査をしてきました(新潟南魚沼) 当方北海道なんで色々大変でしたが
今回の調査でかなりわかったのですが 疑問点がいくつかあります
@ 当家の家紋は丸に笹竜胆でしたが本家と思われる家は九曜紋だったのが不思議
ちなみに本家は代々土地の古い神社の神官で私の先祖は明治の終わりまでその隣に住んでいたらしく、名字は同じ、墓所も同じです。私に先祖はそこで先生をしていました。家紋が違うのはなぜでしょうか
A 墓は当然神道様式ですが私の先祖(曽祖父)だけ曹洞宗戒名 本家の現当主人なぜこれだけ仏教なのか不思議におもってましたといってます。こんなことってあるんでしょうか
このようなことに詳しい人がいれば教えていただければ幸いです
>>62 マジレスすると
曽祖父の頃はまだ神仏習合の時代だからだろう
日本の宗教が神道だ と思われるようになったのは最近の話だよ
64 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 03:08:40
家紋は口頭で伝えると違った物が出来上がるのは現在も同じです。
昔、その手の商品を仕事で扱いましたが、FAXを駆使したって、納品したら間違っていた…。
なんて事はザラにありますよ…
65 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 20:41:42
レス有難うございます 神仏習合はわかりますが なにも隣に住んでいて嫌味のように急に宗旨返しなくてもいいんじゃないかなあと疑問に思いまして
個人的な問題だったのかなー(仲が悪かったとか(笑)) そして家紋もかえてやれー!って切れちゃったんでしょうかね(笑)
66 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 18:12:33
寺の過去帳を拝見したんですが、
400年ほど前の人で、「○×右衛門の媟、△△△△△△大姉」
との記述がありました。
過去帳における、媟(女へんに、蝶の右側)という漢字の
意味がわからないのですが、
妻とか妾のような意味合いになるのでしょうか?
住職に尋ねるも、よくわからないようでした。
ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願いします。
67 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 19:31:05
>>65 まだ見てるかな?
神葬は江戸時代、神職と嫡子のみが認められていた。
後、家紋を変えるのは、本家に遠慮して変更する場合もある。
68 :
日本@名無史さん:2009/05/20(水) 05:09:24
>>66 漢字の意味から推測すると
妾のような意味かも
71 :
日本@名無史さん:2009/05/25(月) 15:51:08
途中で家紋が変わってしまうことはあるんですか? 墓に彫られている家紋と、
鎧櫃に描かれてある家紋が違いどちらが本物の家紋かわかりません。ちなみにその鎧は代々伝わるもので
他人から買ったりしたものではないです(これは信じてもらうしかない)
>>71家紋なんていくつかあってもおかしくないし・・・途中で功績立ててもらうこともあろうし。
まあ,普通に考えれば偉い人から拝領した鎧櫃の可能性も
73 :
日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:41:22
うちの鎧櫃には前という字が書いてあるだけです
胴の九曜紋も主家の定紋だし
家伝では島原で使ったそうですが真贋は定かではない
74 :
71:2009/05/27(水) 00:30:44
鎧櫃は2つあり、前と書かれているものともう一つは例の家紋。
前って何ですかね?
家紋は複数ある可能性があるということですね。
>>72 >>73 ありがとうございました。
75 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:26:52
76 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:03:53
ちゃんと管理されてなかったからじゃねーの
78 :
名無しがお伝えします:2009/06/04(木) 11:15:46
先祖探しをしていますが、江戸後期で行き詰まっています。
壬申戸籍を入手(閲覧)する方法は無いものでしょうか?。
壬申戸籍は無理でしょ。その次以降の戸籍なら戦後から昭和40年代ぐらいの間に遺産相続手続きした事があるなら本家に残ってる可能性がある。
後は墓と寺だね。
80 :
日本@名無史さん:2009/06/05(金) 10:08:16
曽祖母についてわからない事があります。
除籍に載っている父の苗字と母の苗字が違いまして、
仮に父を山田太郎とすると、
「○○区○○町○番 戸主 山田太郎の五女○○入籍ス」とありますが
父の欄は山田太郎、母の欄は鈴木花子 といった具合です。
しかし書かれている住所を旧土地台帳で調べたら、その地番は鈴木家のものでした。
もしかして山田太郎は、鈴木花子の家に婿として入ったんでしょうか?
>>80 婿にきていれば、氏は「鈴木」ではないでしょうか?
一緒に住んでいたけど結婚していなかったということも考えられるかもしません。
あるいは曽祖母さんの結婚前に父母が離婚したか。
もしくは、戸籍の書き写し間違いで、父母欄の氏が間違っているのかも。
その上の戸籍が取れれば(父母の婚姻の記載等で)はっきりするんですが。
82 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 15:28:27
インターネットをいてみると家系図作成をする代行業者がいますが
どのくらいのサービスをしてくれるんですかね?
10万円以下の場合は安いと思うのですが、大したものでなかったら
もったいないですし
83 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 00:18:54
>>82 サービスのいい業者なら家宝の手鏡も用意してくれるぜ。
84 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 23:41:01
そうなんですか
手鏡もいいですね
巻物とかになれば雰囲気でますし
自分でするのと頼むのでは知識の大きな差があるので頼んでみます
85 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 01:54:01
>>84 値段が高いほど先祖の身分も高くなるからケチっちゃ駄目だぜ。
87 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:41:14
釣りっていうか、手鏡などの「先祖代々受け継いだ家宝(笑)」を
用意してくれる業界は実在するからなw
88 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 21:28:52
ネットで調べただけでも相当な数の方が(行政書士)家系図作成を
しておりますね
良心的な方からあくどい方までさまざまです
89 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 06:49:38
どっちにしても苗字や家紋からこじつけるだけじゃね?
90 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 07:44:07
体質と性癖、行動アルゴリズムは確実に遺伝します。
瀬戸内海〜九州だとまず平家の落ち武者か村上水軍に縁付けてくるから気をつけろw
平家の落ち武者なら先祖伝来のお宝はアゲハ蝶の家紋入りをもれなく御用意だが
源平合戦当時に家紋の風習はまだないんだなw
92 :
日本@名無史さん:2009/07/17(金) 02:46:36
うちの近所には自称神武天皇の子孫がいます。
神武天皇の次世代に枝分かれしたということらしい。
それ以来、天皇家との付き合いはないとのこと。
神武天皇の子孫だという証拠の一つが菊の御紋だそうです。
誰か家宝の三種の神器を作ってあげて下さい。
93 :
日本@名無史さん:2009/07/27(月) 12:29:57
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫なら中古でも買えるじゃん。
そのくらいプレゼントしてやりなよ。
94 :
日本@名無史さん:2009/08/09(日) 15:36:38
明治十九年式戸籍と辛未年の戸籍調とで記載内容に若干齟齬がありました。
其一つが、続き柄の相違で
辛 未……ニ男
十九年……四男
となつてゐます。取敢へず、ニ三男夭逝の為、辛未では二男と扱つてゐたが、
翌年の壬申戸籍では夭逝した者もきちんと含めて四男としたと推察してゐますが、
斯る例は好く有る事なのでせうか。同じ例を御存知の方御出でなら御教下さい。
普通に書きなよ
気持ち悪いよ
96 :
日本@名無史さん:2009/08/13(木) 09:11:00
たしかに
>>2に5項目注意書きがされているが
>>94の書きぶりは引くな。
97 :
日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:56:55
お盆は先祖供養を行なうとともに、ご先祖探しをするいい機会かも。
夏は坊さんと話をする機会はあるが
山の中に墓を調べに行く気は起こらない。
墓調査はやはり冬だな。
虫だらけだもんな
蛇も出るし
100 :
日本@名無史さん:2009/08/20(木) 09:58:34
あげ
101 :
日本@名無史さん:2009/08/20(木) 13:34:36
102 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 03:34:54
戦国板から誘導されてきました。
質問お願いします。
私の家も先祖が武家でひいおばあちゃんと祖母が墓守をしてたのですが二人共亡くなって、 火事で巻物や家系図やらがダメになったのもあり詳しい系図が分かりません。
ひいおばあちゃんの代で私の家が宗家になったのは間違いないのだけど、
先祖墓には私の名字の家計の墓が並び、
近くにはお寺もありますが、そのお寺やその地域の市役所に電話で聞いてみる、
また調べてもらうことってできるのでしょうか?
個人情報やプライバシー云々言われるからやはり直接行って聞いたほうがいいのでしょうか?
因みに本家とは墓守りの二人が亡くなった今、
一切交流がなく本家の兄弟がいる居場所も、生きているかも分かりません………
父も一人っ子で親戚という親戚もいない。
祖母が家の家紋の話をしていたけど父曰わく、祖母は歴史に詳しくないから家紋の話は間違ってる可能性があるし、
かといって自分が子供の頃はそういった家系のものは一切興味がなかったから覚えてもいないとのことです。
お墓を引き継ぐ人がいなければお寺は喜んで迎えてくれるよ。
>>103 ごめんなさい。理解力がないのか
いなければ喜ぶの意味が分かりません…;
武家だからという意味でしょうか…
私が見た限り、浅くても戦国時代から続くであろう墓と名前がお寺に連ねていたので
既にお寺の方かお墓参り時に本家の方が手入れをされているのだと思います。
それと父はいくら墓守で自宅を壊した跡にも私の家の石碑が残っているとはいえ、
ひいおばあちゃんの代で宗家になったのだから関係ないと言っています。
宗家とか本家ではなく、遠くても親戚がいるのには変わりはないし武家って血筋があるから知りたいし大事にしたいんだけどなぁ…
105 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 08:08:12
多恋性、座敷牢、流罪経験、公安筋からマーク
>>104 重要なのは血筋だけではありません。
血筋と共に気高い精神を継承し続けて行くことに意味がある。
真の名族は分家にまで品格を求めるものです。
本物の武家の血筋だとわかったなら、誇る前に学びなさい。
途切れてしまった品格を取り戻す努力なしに血筋を語るのは
上流の人間のすることではないのです。
107 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 18:23:50
↑
良い事書くね!
108 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 19:41:17
その町の町史みたいなのでも調べてみたらいんじゃないの。
個人のことを調査するのはタブーだけど
公的に記録が残ってるなら誰でも見れる情報から追えばいいのでは?
それにまさにそういった公的な立場であったことを誇りたいから
名族の血筋と言うわけでしょ?
こんなありがたいセリフを書くのは坊さんか?
坊主が屏風に上手に坊主のエロガッパ
111 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 19:54:12
106の重さと110の軽さの間にきっと何かがある。人間だもの。
112 :
日本@名無史さん:2009/08/21(金) 20:07:28
>>104 お墓を引き継ぐ人=檀家後継者=金づる
どこまで知りたいかによるけど、直接行くべきものだと思うよ
本人確認と戸籍の写しなどの関係がわかる物を持って
お寺で細かく詳しく調べてもらうにはそれなりの御礼が必要だったり
>>104 本家があってお墓が手入れされてることをおうちの方が知らないなら
あなたの家は今はもう墓守じゃないのでは
墓守ってお墓周りを掃除するってわけじゃなく、先祖の法事を勤める家ってことだよ
だからもし無縁墓地化してるなら、墓守を名乗り出てくれる人が来たらお寺は喜ぶわけ
法事代をこの先ずっと払ってくれるんだからねw
その家との係わり合いが知りたいなら、安くすませるなら
>>108さん、お金はかかるけど細密に情報が欲しいなら
>>113さんの方法で
ただし、必ず教えてくれるわけではないです
>>104です。
>>106>>113>>108>>114さんレスありがとうございます。
>>106 一応祖母が言ってた武家で正しければ
何年かに一回一族縁のある集まりの会が開かれているらしいのですが、
当主の父は参加せず学生の女の、私だけの参加になるので失礼になるような気もします。
やはり、宗家で興味がないといえど
そうした会に集まる以上、父も挨拶をするべきだと思うので…ていたらくで恥ずかしいばかりです……
学生の身でも粗相がないようであればきちんと家系を調べて確証を得た上で私一人でも参加してご挨拶をと思っています。
まず
>>108さんの方法で調べて掴めなければお寺に行き、それなりの御礼となるのも考えているのですが、
因みに御礼と言うのは大体いかほどになるのでしょうか?
実は宗家になって祖母が宗教を改宗してしまって、
先祖墓の寺とは対立している宗派なので
相手が調べてその辺りまで知った場合、気まずくなってしまわないかも不安です。
その辺も言わなかったら気づかないことだとみて、
一族の会の集まりも気にしないで良いことでしょうか?
ひいおばあちゃんが亡くなった時にひいおばあちゃんの弟(本家)が墓を立てて下さっていたので、
多分、私の宗家の改宗は知らないと思っているのですが…
(ひいおばあちゃんは本家の宗教のままで祖母の代で改宗しました)
>>114 詳しいお話助かります。
父曰わく、うちは宗家といっても、
ひいおばあちゃんとおばあちゃんが亡くなって墓守を放棄したので先祖の話をしても関係ないの一点張りです。
そういうんじゃなくて私個人としてはルーツもありますが、
お互い連絡が取れず分からない中、
ひいおばあちゃんのお墓(宗家墓)
を建てて下さった御礼もあるし、
親戚筋なのだから挨拶だけでもするのが常識だと思っているだけなのですが…
なので元墓守と書いたほうが簡潔で分かりやすいですね;
分かりにくい説明で申し訳ないです。
>>102 もっと整理して解りやすく書け。ゆとりかよ。
お前の文書では意味が解らん。
そもそも「宗家」じゃないだろ。
おそらく下っ端武士の家から「分家」したんだろ?
で大元の「本家」とはもう交流が無いという意味だろ?
本家の菩提寺に行っても、そこには本家のお墓があるだけ。
分家であるお前の家の墓ではない。
だから菩提寺の住職さんもお前と本家の関係がはっきりしない限りは話してくれんと思うぞ。
普通に考えるとまずは、本家に菓子折りでも持って挨拶に行くんだな。
当然事前にアポ取って、自分が分家の子孫だと証明出来る何かを持ってな。
後は、本家との話次第だ。
補足:過去のぐちゃぐちゃは抜きにして、現在の状況を客観的にみると
>>117の状況な訳だ。
墓の面倒を見ている方が本家で、
>>102の家は分家の状態。
119 :
日本@名無史さん:2009/08/22(土) 19:28:56
院居士の相場は?
異常にブチ切れてる人がなぜかというとね
宗家々々の意味がわからなかったからなんですよ。つまり逆切れ。
最初に上からの説教が入ったのも誤魔化したかったから。
で、やっと"宗家"は質問者の間違い語だとの確証に至ったので書き始めたのでしょう彼は。
宗家と本家って同じ意味なんじゃないの。分家でしょ。
先祖や宗教に関わる言葉にはこう言った逆ギレ事態もよく起こる。
年配者のプライドがかかっているから。
>>118少し意味が分からん世間的には墓守=本家なのか?家督相続長子相続がなくなり本家と言う存在は無いが慣習的に直系を本家という。
分家が墓守しようが分家は分家、墓を譲ると微妙なのかな?
>>119寺との関係と場所によるが30万以上から
慣習というか祭祀継承権者は今も変わらず長子相続でしょ
>>116 一番いいのは、上で逆切れしてる変な人が言ってる様に本家にアポとって菓子折りもって
ご挨拶とともに、ご先祖様のお話を聞かせてもらうことだね。
改宗して仲違いして感情のもつれがいまだ続いてるようなら慎重にやる必要があるけど
難しいと感じるなら学生という事だけど、もっと世間の事をわかるようになってから行動しても
遅くは無いようにも思う。
何が逆キレだ?
お前らが馬鹿なだけだと思うが。
そもそも質問者の
>>102自体がどうしようもないお馬鹿さんだしな。
>>121 先祖の祭祀を司る家を本家と考えるのが普通と思うぞ。
血筋上の長子でも先祖の祭祀を放棄した家は本家扱いされなくなる。
>>125世間的にはということかな?郷土史だと本家は明治初期と戦後他所へ転出していることが多いが一応本家として記載してる。
分家が祭祀を司っている場合でも分家が資料に載ることは無いと思われ。
祭祀継承も抽象的で一族が多ければみんなでやるからね。結局墓の権利は直系にあるわけだし、まあ只本家分家なんて今の時代ではナンセンス
128 :
日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:57:52
なにをもって祭祀継承というの?一年に一回墓参りして掃除すりゃいいだけじゃないの?
ちょっと流れぶったぎってすみませんが、教えてください。
除籍謄本集めている中で、生年月日の記述に
尊(夢にも見えなくない)徒元年
と読めるように見える字があるのですが、本当は
なんと読むのでしょう?
明治直前くらいの人のはずだけど、万延?慶応?
文政生まれの人の子供です。
戸籍は難しい!!
墓守るのは住んでる人間の義務で本家分家もないだろ都会で墓が異常に高いときに揉める
>>129 現物見ないとなんとも言えないけど
たぶん「萬延」でしょう。
>>128 ○○回忌とか先祖の法要をして、お寺にお布施をする檀家の家のこと
先祖代々の仏壇も置いてある
長子が貧しくて法要ができなくて次男以下が裕福だった場合はそちらに委譲する場合もある
>>119 宗派によってピンキリ
>>116 色々聞いてるとどうやら親戚の方に挨拶に行って聞くのが一番だね
>>132現代は13回忌以上はあまりやらんからな・・・今一説得力にかける。
うちは珍しく曾祖父の50回忌をやったが主催は生きている曾祖父の子供全員。
昔は長子相続で財産が全部相続されたから当然お墓の面倒を見る責務を努めるけど現状はね厳しいよ。
サラリーマン家庭でぽんと数百万は出せない
134 :
日本@名無史さん:2009/08/23(日) 08:18:38
真言宗の院居士の相場です。
135 :
129:2009/08/23(日) 15:54:35
>>131 「萬延」なるほど。
ありがとうございました!
>>133 250回忌とか平気で回ってくるんだが
田舎だと普通に300回忌とか目にするよ
>>136-7うちの方はやらんね。そのかわり毎年先祖祭りなるものはあるけど。
>>136良くとれば先祖が作った寺とかで大事にされている。悪くとれば檀家が少なく金ズルが限られるため・・・どっち?
どっちも何も田舎なんてそんなもんだよ
何百年も前の価値観で今まで来てる
風景も江戸時代からたいして変わってないし風習もそう
142 :
日本@名無史さん:2009/08/25(火) 07:30:36
143 :
日本@名無史さん:2009/08/25(火) 19:47:44
>>127-128 一年に一回墓参りして掃除すりゃ祭祀継承じゃん。
いやそんなことよか祭祀継承権の無い奴は自分で墓立てなきゃならんから
全然違うと思うぞ。
貴重な土地というものを使用しているわけだから
当然義務者権利者がある。
意識してない人は代々の資産や人脈をありがたく頂戴してるからだと思われる。
300回忌?
ありえん。
100軒の小規模集落でも人口で400人
年死亡率1%として300年で死者1200人。
それらについて1,3,7,13,25,50,100,150,200,250,300 の10回くらいやるとすると、
通算1万2千回法要。これを300年で割ると一年あたり400回。
つまりダブルヘッダーの日が無いと全部こなせないことになる。
自己レス
そか
カブる奴は同時にやればいいのか。後は記憶力との勝負か
146 :
日本@名無史さん:2009/08/25(火) 23:19:31
代々戒名は居士、大姉なのにひいじいちゃんだけは信士になってる。
家が落ちぶれてお布施が少なかったのかな。
『梅若実日記』見ると普通に数百回忌やってるなw
菩提寺のほうから「この仏さん、お宅のじゃありませんか?」
という問い合わせがくる
そら寺には過去帳があるから。
法要は寺から発するもんでしょ。都会以外は。
でも50年おきの法要を提案するなんてなあ。
ひとつ間違えばすごいセールス魂
149 :
日本@名無史さん:2009/08/27(木) 00:21:53
戒名で主座てどうゆう意味?ちなみに曹洞宗です。
>>149はマルチ
曹洞宗スレでも聞いてるからスルーで
151 :
日本@名無史さん:2009/09/02(水) 06:10:47
あげ
開けdoor
教えて君で申し訳ない。
除籍謄本の取り寄せで、該当なし、という回答で
廃棄証明もだせない(その人物の記録がない)なんてこと
があるのですが、そんなことあるものなんでしょーか?
一度火事があったらしいけど。
こうなると、現地調査しかないかな。
経験談でよいので教えてください。
ああ除籍簿が燃えていく・・・
>>153 壬申戸籍の場合はそうなることが多いと思う
自分の場合だと戸籍制度が確立してなかったから証明出せないとか
戸籍が存在しないから証明も出せないってのはあった
でもたまに壬申のでも証明出してくれる役場もある
火災などによる焼失で戸籍の再生をする場合、先ずは該当法務局 (裁判所) の副本でそれを試み、
この副本がない場合 (保管期限の消失による破棄など) は、戸主による確認で再生が行われたようです。
この時に既に死亡・分家・婚姻などにより、該当する戸籍から除籍されている者に関しては
その者の記載を省略することが許可されていたようですね。
私もこの様なケース2件に遭遇しました。
1件目は身近な縁者も居なかったこともあり菩提寺にお願いして鬼籍簿を拝見し
一部補完することに成功しましたが、決して十分な情報量とは言えませんでした。
2件目は菩提寺すら分からぬ状態で、縁者を捜すために現地訪問しかないと考えています。
157 :
156:2009/09/12(土) 14:45:00
158 :
Pure audio香具師:2009/09/16(水) 01:22:34
現在情報開示が普及して公文書で有れば一般市民は当該文書の閲覧を申請すれば
公文書館等で見れる筈です。
壬申戸籍簿は公文書に該当しないのでしょうか?。
>>158壬申戸籍は廃棄され現状存在しないことになってるはず。法務省に眠っているというのは建前上都市伝説
160 :
Pure audio香具師:2009/09/16(水) 12:01:37
漏れの父方は歴代農家で父が長男だったので、1650年代からの位牌の
墓誌が残っていて、土地台帳も入手出来るものは全部請求しますた。
但し、農家だった為か?それ以外の資料に先祖の名前を発見することが
出来ません。江戸時代に村の庄屋が作成した村民名簿のような書類が
有ると聞きますた。何と言う名前の書類でせう?。
又、位牌の墓誌に妻や女の名前が戒名はあるのに江戸時代の物には
一切記入されていません、何故でせう?。
何故でせうね?
162 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:28:32
>>159 廃棄したというイベントがないなら残ってるはず。
電子化ベースで
・イメージのキャプチャ
・データ化されたテキスト内容
の2種類は。
どうせ閲覧は不可能だろうけど
163 :
日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:56:24
明治20年(60歳)撮影と記した5代前の先祖の写真が残ってるがこの時代になるとマゲもない。
明治初期までは刀を挿して暮していたかと想像するだけで楽しい。
>>163うちも5代前のが残ってるが明治19年以前。(明治19年死去だから以前)顔の判別が出来ないくらい痛んでる。
帯刀した写真でてこないかな?
「産れ」かな?
167 :
日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:32:27
「庫之」とも見えるな
168 :
153:2009/09/21(月) 10:37:52
>>155 >>156 遅レスで申し訳ありません。情報ありがとうございました。
壬申に入ることは無さそうですが、狭い範囲なので
現地に行って旧土地台帳を調べてみようと思います。
除籍簿で調べると、歯抜けはありますが5代前までは
大体分かりましたし、6代前も幾人かは判明しました。
しかし、ここまできても祖先同士が繋がらない(近親婚がない)。
昔もあまりやってなかったんでっしょうか?
>>165 二文字目は「太」に見えますね。
1文字目は何だろう?
170 :
日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:03:08
清原元輔
大弐かと思った・・・
172 :
日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:24:39
まじ狂ってる…ユダヤが人工地震を起こすぞzzz
【緊急情報カクサンよろしく】
ついに来ました。
大きい動きです。250nT超えてきました。ほぼ間違いありません。もう一度言います。
友人、知人、親類縁者、あらゆるつながりを駆使して巨大地震がくることを教えて下さい。
四川地震より大きいのが来る可能性があります。
http://g★olde★ntam★atama.b★lo★g84.fc2.c★om/
★★★★★★★★★★★★★★★★
★★★★★危険度MAX★★★★★
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★★★千葉、静岡、東京、関東で大地震が起きる可能性が非常に高くなっています★★★
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★★★★★危険度MAX★★★★★
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警告!連休中の21、22、23日が危ない!かも2
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/eq/1253494015/ 【大気イオン】e-PISCO Part11【また延長】
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/eq/1252991726/
>>166-171 165です。
「庫太」のようですね。
皆さん、ありがとうございました。
174 :
日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:26:44
私の家系は私の地方では少しは有名な家系の分家の1つで有ることが解りました。
先祖を辿って行くうちに、本家(宗家)と分家に別れた後も分家は宗家から
嫁を3代位に渡って貰っていることに気が付きました。祖母さんに聞くと
「財産を守る為よ」と言いました。
それはともかく、先祖を辿るには宗家に尋ねることが最も早道でしょうか?。
175 :
日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:19:15
>>174 >宗家から嫁を3代位に渡って貰っている
すでに解かってるみたいだけど
少し気になったので。私の家について
中部地方某郡で有名な姓の家です。先祖調査をしているのですが、伝承では城が落ちた後山を順次降りて入ったらしく
城に近い方が旧家であると。また、姓氏辞典では城とその姓の記述あり。
が最近編纂された地方史。同姓でも系統が違う家が5系統。城落ちが一系統、燐燐県から来た家が2系統、隣県から来た家が2系統
各家に系図がある模様(うちにはない)。また、燐燐県にあるその家の宗家と目される家にも系図はなし。
最大の旧家や格式の高いと言われてる家には系図が何故か無いのに。どうして分家筋にあるのか不思議
177 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:46:47
>>175 江戸時代の中期に男子が1人しか生まれなかったので、姉妹に養子を取って
分家を作ったらしいのですが、除籍謄本を入手した江戸後期以降の範囲でしか
判らないのです。
>>176 系図は途中で捏造したり買ったりした家がほとんどだよ
そういうのが流行った時期が何度かある
というか 旧大名家だの公家だのにしても
本当の子孫は少ない。
殆どが明治の新姓。
播磨に住んでるから「赤松」にしようとか、
昔 黒田の殿様の領地だったから「黒田」にしようとか
土佐の国に住んでるから「長曽我部」とか
阿波の国に住んでるから「蜂須賀」とか
そんなノリ。
だから、殆どの人は子孫でも何でもないよ。
なにせ江戸時代の武士の人口比率は1割以下なんだから。
9割の人は姓なしだ。
9割の姓なしの人の子孫がほとんど。
更に言うと武士でも株を買ったなんちゃって武士も多い。
先祖代々由緒ある姓を受け継いできた人なんてごくごく少数なんだよ。
なのに現代で由緒ある姓を持つ人がそこらじゅうにいる訳ないじゃん。
捏造した人がいかに多いかだよ。
ただ、そんな明治新姓の連中でも3代くらい経つと
いつの間にやら立派に「直系の子孫」とか言い出すんだよな。
特に金さえだせば、系図をでっち上げてくれる業者がはびこりだしてからは
系図の捏造がごく簡単に出来るようになったから・・・・
本当の子孫であれば、
・本物の家系図がある
・菩提寺がある
・菩提寺に先祖代々の過去帳がある
・先祖ゆかりの本物の品(書物でも武具でも仏具)がある
くらいは無いと。
自分で思い込む分には良いけど、人様に対して「自分はXXの子孫」なんて言うからには
証明出来るものを示すべきだと思うよ。
証明できないなら人には言わず、ひっそりと自分の胸の中にしまっておくべきと思う。
180 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:11:59
>>179 大まかなところは同意である。本当の武士や公家なんて1割くらいしかいないはずなんだ。
江戸後期〜明治にかけて俄か士族が増えたらしいけど、それを考えても8割以上は農民のはず。
181 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:31:26
旧士族であれば旧藩時代の家格・職と石高俸禄くらいは伝わっている
>>179 「名字だの家系図だのは根拠でもなんでもない」という主張自体には同意だが、
「平民には名字はなかった」と断言してしまうと新たな誤解を生むからそこんとこは注意して。
183 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:36:52
藩分限帳と県士族帳を調べて見たらどうですか。
図書館に実物が残っているからご先祖と会えるかも知れないよ。
184 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:39:22
>>179 なんちゃって系や足軽の子孫を引いたら、名家はかなり少ないんじゃね?
関ヶ原以前に敗戦で没落した名家もあるから、歴史ある家系って話では
江戸時代の身分を絶対視はできんが、いずれにせよ、かなり少ないはず。
田舎なら年寄りに聞けば大体わかる。つい最近まで別格は別格扱いされてきた。
祖母の実家の近所に大きな屋敷があるのだが、祖母はその家の婆ちゃんを
姫様って呼んでた。江戸時代には武士階級じゃなかったのに。
かなり古い家系で、蔵を壊したら地下から鎧が出てきたとか。
うちは苗字が藤原で家紋は五三の桐だが
明治に先祖が見栄っ張りで偉そうな名前と家紋にしたって今でも伝わっているけど
大抵の家がそんなもんだろ?
>>184 平家全盛の世でも、源氏の子孫達は、密かに力を維持してきた。
権力は失っても権威を失わないのが真の名家でしょう。
父方と祖母の実家と曽祖母の実家は武士でも何にも伝わってないよ。
みんな歴史に興味ないから。
188 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:51:22
興味がなかったりで徐々に薄れて行くことはあるね。
俺も高校の時に同級生の家で「○○さんのお孫さん?」
って言われて初めてルーツを知った。
>>187-8中下級武士の末裔とかなんじゃないの?知り合いに郡下一の名家と言われる家や旧華族(勲功)また、真田の家臣だった家等
知っているが頭の中の中心は家柄だぞ。
190 :
日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:45:40
188です
末っ子だった父が婿養子みたいな形で母の家に入り込んだので、
父方の関連はよくわからなかったんですよ。
でも父方の名字だし、本家の人達とやっぱり似てるわけで、
本家の地域内(隣の市)の同級生の家で、なんか丁寧に扱われて(笑)。
まぁご先祖はビッグネームではないですよ。
ビッグネームの家臣でそこそこ有名な人ですね。
元の土地から離れて都会で住みだした人の子供世代で
親が興味ないと知らないままだな
田舎でずっと住んでるなら嫌でも耳に入ってくると思う
>>189 中級ぐらいかな。地方史の書物なら掲載されているものもある。本家は全く興味なし。
本家以外の少し離れた家のほうが家柄にうるさいね。
男はあんまこだわらないね
婆さんほどこだわるような
天皇家ですら昭和天皇や火星ちゃんは喜んでたのに香淳皇后だけ不満たらたらだったそうだし
194 :
日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:51:07
祖父母の結婚に曾祖母が猛反対したらしいが、理由は祖母が平民出身だからとの事
祖父が押切って結婚したらしいが、祖母はずいぶん苦労したと聞いている。
>>194眉唾もんだろ。明治後期には意識的にはもう士族も平民もなかったらしいけど・・・まあ、上層平民に限りだろうけど
普通の農家商家出身とかだったんじゃないに?家柄という観点じゃないのかな?
196 :
日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:56:58
どうしてそんな嘘を付くんだ。
士族出だとか元上家老だとかさんざん聞かされたわ。
叱られ方が「あなたは士族の娘です」って一言だけだとか。
197 :
日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:27:48
自称武士の子孫と語り、子に教える。
教えられた子は、薄々気付きながらも
虚勢を張って武士の子孫だと言い張る。
その子が親になり、自分の子に武士の子孫の称号を伝授…。
死んだ祖父の嘘を孫は鵜呑みにして胸を張る。
が、いずれ歴史に詳しい知り合いに出会い
矛盾ばかりの話を笑われて恥をかいて終了。
↑基本はこんな感じです。
198 :
日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:35:37
父方の祖父がわからない池沼言われたらそうなんかなともおもったり
父方従兄弟も名字がどんぴしゃ
母方沼がつく
心あたりなこととか
そういのがありすぎて
疑問がつきない
誰か教えてくれんかな
199 :
日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:38:37
ちなみにもちろん
父方はそれ系
>>198 田沼意次とかもいたじゃん
本籍地変えてなけりゃ昔の古地図と照らし合わせりゃBかどうかわかるんじゃねーの
202 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 01:41:26
歴史に登場する有名な戦国武将でも家系図詐欺の常習犯が沢山いるんだから
庶民レベルでならもう星の数ほどいただろうな
なんだかんだ言っても家柄がいいと虚勢はるだけで自分が偉くなった気にもなれただろうし
どんな血筋でも、ここ数代の環境次第では庶民以下になるからなぁ。
名家の品格を維持するには、ある程度の経済力と教育が必要でしょ。
まぁ何百年もそれを維持してきた家は評価せざるを得ないってことかな。
204 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 13:56:13
>>203 現実に育ちの良さって正当に評価されないよ。
小は大を兼ねないものだから理解されない。
庶民が崇め憧れるのは派手な成金の方。
205 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:29:16
>自称武士の子孫と語り、子に教える。
>死んだ祖父の嘘を孫は鵜呑みにして胸を張る。
>が、いずれ歴史に詳しい知り合いに出会い
ドアホだなあ・・・
日本の旧士族は半分以上が没落組だよ。
貧困にあえぐ中、自尊心だけを頼りに
出来る限りの教育と生活を送っていたんだよ。
"坊っちゃん"にも旧士族の家政婦が出てただろ。
女郎屋に入った士族の娘なんかもいたわけで。
没落士族はほとんど乞食だよ。
日本の勝ち組は豪農豪商。
その中で語り継いだ話なんだから嘘になりえない。
206 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:36:54
今の土地持ちはほとんど元小作
207 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:56:25
そうそう
本当日本の増長平民は心が貧しいよな。
「士族の出」と明言するなら、
以前は戸籍で確認出来たわけだから。
ちなみに江戸時代一割が武士だが士族割合3%。
士族籍からもれた武士もいるから、
「先祖が武士です」とだけ言う人もおかしくはないし。
>>207戦国時代まで武士だった庄屋もなんか武士だと本人たちは思ってるようだし改易大名の家臣も多数。結構いそうだね
>>201 関東でもそうだよ
浅草とか館林とか見てみ
ちゃんと古地図に記録が残ってる
>>209関西以外は基本的に独立した地域は少なくて村はずれに数軒とからしいよ
要は、徳川について行った下っぱが、明治維新以降
路頭に迷うことになったんじゃないの?
関ヶ原以前に負けて、地方に引っ込んでた奴らは
徳川に依存してなかったから家を維持できた。
今残ってる良家って、そういう系統が多い気がする。
212 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 05:21:58
あのな・・・
版籍奉還と廃藩置県って知ってる?
明治政府は官軍佐幕区別無く全部の武士を改易したんだよボク
幕臣は新政府に士官するか拒否するかのニ択に分かれた。
地方は官吏が中央から派遣されたので諸藩藩士も多くが路頭に迷った。
官軍士族は藩全体として多少余裕があっただけで、
個別には等しく切られている。
士族籍を嘘で伝えるジイさんバアさんなんていないっての。
あと江戸時代以前は半農半士といって兵農分離してませんから、
戦国時代に遡って言うバカはいません。全員になっちまうよアホ。
まったくこの恐ろしいほどの歴史力の無さは一体なんなんだろうか
うちの地域にある城跡には神官系の殿様がいました。
が、信長軍に攻め落とされて殿様は打ち首。
子孫は生き残ったが、力は削がれ、江戸時代には庄屋さんに…。
古代まで遡れる神官の系譜だといいます。
昔に遡ることに意味がないなら、江戸時代云々も無意味になります。
何故か身分の話になると江戸時代が絶対視されますが、
現在から見れば、江戸時代もそれ以前も同じ「昔話」ですよ。
むしろ古い時代に遡れる方がロマンがあり、歴史ある旧家です。
もちろん半農クラスは却下です(笑)。戦に借り出されただけとか…。
でも、江戸時代以前に高い身分だったケースはありますからね。
もちろん、客観的に納得しうる記録が必要です。
上記のような神官系は特殊な例かもしれませんが。
215 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 07:07:33
江戸時代云々の話は、家柄を虚勢の捏造と言い張る輩に対しての反論だから。
自分が言いたいのは、
日本の人柱にされた旧士族が士族籍を自負するのは
自慢やロマンでは無く現実に近代日本の下積みを築いて来た自負だ、
と言いたいだけ。家柄自慢じゃないでしょ。
申し訳ないけど、自分も十数代までのぼれる上にその前の伝承もたっぷりあるので
言いたいことはよくわかるんだけど、旧士族ではない。姻戚にはあるが。
だからその苦労を推し測って言っているだけで。
身分は高いことを自慢するのではなく、そのルーツが興味深ければよい。
播随院長兵衛の子孫がいれば面白いし、石川五右衛門でもいいし。
でも本来は笑えない話も必ず出て来るはずで、
表立ってペラペラと言うこと自体がお嬢様お姫様感覚だと取られるのですよ。
>諸藩藩士も多くが路頭に迷った。
私のご先祖さんも波の乗れたりのり乗り損なったりですね。1人は漢学者だったので
開港後は重宝されたが維新後は学校の先生を転々とした。給料も安かったようで
子供は粗末な身なりだった。公家の諸大夫だった人はなんとか初の府会議員となり
暫くは安泰だったがのち没落。もう1人は郵便局長となり町長となり安泰。といろいろですな。
氏族云々というより歴史上の有名人とは別に自分の血の繋がった人の生き様を調べるのが楽しい。
217 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:52:45
私生児とか自殺者とか遺伝病とかが出て来ても?
過去の血を追うってのはそうゆうリスクもあるわけで。
それを誰かがフィルターかけた情報で受け取ってるわけだから
手放しにははしゃげないでしょ。
このスレでは親が消極的だから若い私が探りを入れる、
みたいな書き込みもあったりして、ちょっと・・・と思うものもあるのも確か。
まあ犯罪者くらいは出て来るかもよ。悪人でなくても政治とかでいろいろあるし。
だが、それがいい
私生児とか自殺などはあまり記録に残らないのでは?
痴呆症なら閉じ込めておき何かの障害を持って生まれてくれば
即座に殺していたなんてよくあるんじゃないのかな。
私生児というかお妾さんの子だな
大抵本妻の子にされるから記録には残らないのがほとんど
自殺なんてするどころじゃなく飢饉や医療が未熟なせいでバタバタ死んでたから
生きることに貪欲でも死にたがるのはあんまいなかったろうね
遺伝病は調べなくても親戚に同じ病気があるなってのは今でも見てりゃわかるし
>>210 九州や四国や中国地方にももそういう地区があるよ
222 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 22:37:25
自分の家柄に不満がある人間は212のごとく武士も農民も実は大差なかったみたいな戯言を言いだす。
お約束ってやつ
おそらくそうだろう。でも実際は格下武士より上級農民の方が幸せだっただろうし
武士も元農民だし、武士の本家が農民だったり、今の基準で格上格下というのは
おかしい。
>>223うん。最近の階級史観は変だよね。諭吉を始めあれだけの人が嫌がってたってことはひどい階級差に苦しんでたってことなのに。
一部の例外(庄屋は大多数の武士より格上だとか。庄屋自体は地侍を元にしていて武士と根源は一緒だから格式が高いのが当たり前で)
それ以外の庶民は庄屋と身分は同じでも扱いは全然違うだろうに
225 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 09:42:07
庄屋ってスゴイの?詳しい人教えて!
>>225すごいかどうかは分からんが門、塀,式台玄関、書院造りが許され多くは名字帯刀を許され小作人をこき使い趣味勉強に没頭。
>>225 100万石の大名もいれば、1万石のもいるように
ぶっちゃけ庄屋・名主もピンキリ。
あと地味が悪くて石が低かったり、災害が多い地域だと
年貢の肩代わりとかで結構"潰れ"になりやすい。
228 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 15:18:09
村長と社長と地主を兼ねてるのが庄屋
農地改革まで続いた
229 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 16:00:46
あのね、生存環境が厳しければ自殺は贅沢病とか
全てにおいて今の恵まれた自分をコンプレックスの基準に考えるのはやめなさいっての。
宝暦治水とかあるでしょ。自殺は環境条件悪化のひとつの指針だよ。ジュラ紀じゃあるまいし。
遺伝病なんて見てわかるか。超能力者か。
武士も農民も大差なかったどころか武士の方が大変だったっつうの。
明治以降の話に決まってんだろ。江戸時代でも下級武士に関しちゃ
収入なら富裕農商より明らかに下、下。それが日本の武士道清貧の誇りでもあるのに。
どんだけ日本の歴史無知なんだ。この板来ることに恥を感じないのか。
日本の役に立たない低学力だな。
230 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 16:12:17
大体たかが家系探りで身分にコンプレックスってなんだよ。
いい気になりすぎだろ。今の時代にそんな奴いるか。
幼稚園児にもほどがある。
誰かが管理してる情報で調べてるんだからな。
勝手に調べて勝手に被差別部落とかが分かって愕然とする馬鹿もいるわけだから。
逆に早くに親が死んで調べべようのない家系無しは最低身分ってことなのか。
また何十代も過去の経緯背負うってのも大変なことなんだぞ。
興味本位で首突っ込んでなんの義務も無く遊びだと思ってるのは、
家を全然背負ってない証拠だろ。先祖供養は遊びじゃねえんだ。
日本語でおk
232 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 17:29:26
日本語教学校の教本向けには書いてない。
233 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 17:51:00
庄屋って水戸黄門では良役
代官っていつも悪役
庄屋と代官って仲良し?
仏壇の過去帳とばあちゃんの昔話をもとに。
うちの先祖、○左衛門は江戸の後期に大庄屋をやっていたんだが、
隣の小藩の代官の家に娘を嫁がせている。
で、○左衛門には子供がいなかったので代官の三男、△兵衛を養子にする。
△兵衛は明治の10年台まで生きるのだけれど、幕末に家族を疫病で亡くしてしまう。
これがもとで「この家は狐が憑いている」と村で噂になったらしい。
親類一同協議の結果、△兵衛の実子ではなく、
△兵衛の妻の実家から養子をもらい、家を継がせる。これが漏れの高祖父。
(高祖父は、それでも県議ぐらいはやったようだが・・・)
ちなみに△兵衛の実子はその後、近くの町に家を構えるものの程なくして
肺を患い病没してしまいますた。(墓は、うちの代々の墓所に)
まあ、家にも歴史在りだわな。
>>229 親戚はみんなガンで死んでるとか脳卒中で死んでるとか血友病でとかあるでしょ
目も遺伝しやすいんで眼鏡一族とかね
自殺云々の話は江戸末期や明治一桁生まれの爺さんたちの話からだよ
自分の身近な人の生きた価値観からの話
コンプとか意味ワカランw
>>4、
>>5のような手紙って、実際出したことのある方ってどのくらいいますか?
どのくらい返事がくるものでしょうか。
また、葉書や切手を同封すると、返事を強要するみたいに取られるでしょうか・・・。
急に人が増えたかと思ったらテクニックともエピソードとも関係が薄い話題で盛り上がってる・・・・
>>236 数年このスレ読んでた限りだと先祖マニアとあと1人ぐらいだったと思う
面識ないところへは共通の知り合いとかに伝手を頼んでから手紙作戦の方が
嫌な気分を味わったり面倒ごとにならないと思うよ
田舎もん何て相手が信用できる相手だと思ったら家の話なんて止まること無く話続けるよ
240 :
日本@名無史さん:2009/10/01(木) 06:23:02
先祖がしっかりしていたら調べなくても自然にわかると思うよ
>>235 お前は会いもしない遠縁の死因を全部知ってるのか。
自分が遺伝してりゃともかく隔世遺伝のモンとかパッと見でわかるかよ。
大体ガンの遺伝なんてなにひとつ証明されてねえし。
お前みたいに思い込みで決め付ける奴がこのテの調査には一番危ないよ。
>>234 あの〜、○左衛門さんには娘がいたのに子供はいなかったの?
まそこはスルーとして、
多分代官から来た養子を村人が排したい風潮があったんだろうね。
それで家族の病気を理由にしたのだな。
まあもちろん本当に医学的要因があるのかもしれないが。
今でも田舎はそうだけど、村落社会は激しい派閥社会。
それをその家庭の、例えば『病気の血』のようなもののせいにしたりするから恐い。
その村落派閥社会が、現在の◯価学会とか共◯党とかの派閥に
丸々はめ込まれていくわけだが。
243 :
234:2009/10/01(木) 21:37:15
>>242さま、ご指摘有難う存じます。
代官の家に嫁に行ったのは「娘」ではなく「妹」ですた。
代々○左衛門を名乗っていたので混同しておりました。
疫病と言うのは年代から見てコレラだったみたい(安政五年)。
この年の暮、家は火事(被害の程度は不明)になってしまうのだけれど、
ひょっとすると「汚物は消毒だ〜!」(AA略)とばかりに、
火を付けられてしまったのかも。
勘ぐり過ぎかな?
(ただ、他の地方だと焼打ちの事例もあるようで…)
244 :
日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:41:39
マジレスすると、オカンから聞いた2つのキーワードで、ネット検索。
検索結果のサイトが、古文書を現代訳にしているとこで、管理者とコンタクト。管理者から、参考文献を教えてもらい、図書館で検索。
図書館で先祖らしい人物の屋敷跡と場所を特定。オカンへ報告すると、何とひい祖父さんの家だった。
こうして16世紀まで先祖を特定できました。
245 :
日本@名無史さん:2009/10/02(金) 17:00:50
皆よ! 何代までさかのぼれたの
証明できるところまでは
偽系図NG
だから十何代くらいっつってるだろ
今もそこに生き物が住んでんだから
>>241 会った事なくても人づてで耳に入ってくるだろ
葬式に顔出せば付き合いない人でも死因は耳にするよ
遺伝病ってのは隔世遺伝はあんましない
そのまま親から子へ伝わる
別に遺伝病があろうと自殺者がいようと平気だけどな
自分の持病ぐらい知ってるし、自殺なんて毎年3万人越えが何十年と続いてるんだし
見たことも会ったこともない遠縁の1人がが自殺してようが犯罪者だろうが屁でもない
曾祖父母はイトコ婚だと伝えられてきたから、確かめてみたかったんだが、
曾祖母の結婚前のは戦災で焼けたという告知が来た・・・
大正元年に除籍とあるから、焼けてなくてももう無かったかもしれないけど。
でもなんで大正元年に除籍になったという資料は残っているんだろう?
250 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 07:08:25
>>241 十何代
そもそもこれが怪しい。
十五代とか、十七代とか、はっきりわかっていないのだろう。
はっきりしてるよ
めんどくさいからと
あえて嘘の部分を言うなら
発見したわけじゃなくて生まれたときから周知
どうでもいいので記憶から抹消
年代から何から何まで全部わかる
けど俺の記憶からはない
興味もない
以上
遺伝病なんて見付けてそんなの自分はいいけど
他の親戚は迷惑するかもしれないと思うけど。
自殺は死因隠すっていうけどね。
なんでもいいけど自分が気にしなくても関係者全てに影響するでしょ。
個人の話じゃないんだから。
嫌なら聞かなければいいんだ。ここに来る必要もないし。
うち遺伝病持ちだけど親戚中みんな持ってるから知らない奴がいないw
自殺の死因は大抵心臓系にされるからピンとくるんだぜ
涌いた?
俺が親戚なわけじゃないだから聞いたって問題ないだろw
自分の親戚のことだろ
個人主義バカは当り前の話が通じないから困る
257 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 10:09:20
>>243 それならしょうがないですね。
別に放火とかでもなく本当に避難の上焼き払ったのかも知れませんね。
全員の遺伝はありねえw
配偶者は他人だろ
というか、眉唾だ詐欺だと言ってる煽りと
家柄調べの人が同一化しつつあるんだが。
もしかすると自分の家柄は自慢して
他人の家系は否定するって人だったの
家柄なんて調べなくても江戸時代の戒名や本家の仏壇見りゃ一目でわかるがな
260 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 05:28:43
あげ
261 :
日本@名無史さん:2009/10/14(水) 08:09:14
あげ
262 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 11:15:17
h age
263 :
日本@名無史さん:2009/10/17(土) 07:35:43
h age
264 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 08:23:48
あ
265 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 19:37:46
>>8 「火影村」じゃなくて「日之影村」な。
昔は「高千穂郷」の一つだったが、今は「高千穂町」とは別に「日之影町」になっている。
高千穂で「甲斐」という姓は、昔から「興梠」と並んで「犬の糞」と呼ばれる程多い。
俺の家にも日之影の甲斐家から嫁が何度も来ている。
高千穂の領主・三田井氏の重臣の甲斐家は、肥後の菊池氏から出ているという。
(菊池氏10代目の菊地武房)
君の家の甲斐家がこの流れかは知らないけど…
266 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 20:01:33
>>8 甲斐氏系図を調べたければ、『肥後国誌』(下巻)の「(補)事事績通考系図巻七甲斐系図伝」
が基本となるけど、多分詳しいことは分からないと思うよ。
三田井氏重臣の甲斐氏に関しては、俺は「甲斐宗摂(宗説・宗雪とも)」の時代ぐらいまでしか分からない。
高千穂の甲斐氏には、数系統あると言われている。
@甲斐大和守親宣を祖とする系統(日之影の岩井川の甲斐氏・三田井後河内の甲斐氏・俵氏)
A菊池氏21代・菊地重朝を祖とする甲斐氏(七ツ山の甲斐氏)
B清和源氏を称する甲斐氏(五ヶ所の甲斐氏)
C菊池氏10代目の菊地武房を祖とする甲斐氏(
>>265に書いた)
甲斐氏の系図は殆ど残っていないから、余り期待はするなよ。
甲斐氏から出た系脈は多いが、残念ながら系図は殆ど残っていない。
上に書いた甲斐宗摂は、領主の三田井氏を裏切って、高橋元種を手引きし、
その結果、三田井氏が滅んだ。詳しくは「甲斐宗摂」でググれ。
267 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 20:26:48
>>8 君の家の甲斐氏は、
>>266に書いた@が有力かな。(私見なので、当てにしないで)
甲斐宗摂の子孫は、「森田」と名を変えて有馬氏に仕えた様だよ。
だから君の先祖は、@じゃないですかねえ。(これも当て推量だから、当てにしないで)
甲斐宗摂の居城の「中山城」は、今でも日之影町にある。(高千穂四十八塁の一つ)
甲斐宗摂一族の墓は、日之影町大人にある。因みに日之影町大人には、「宗摂八幡」がある。
宗摂八幡には、甲斐宗摂の持仏の地蔵菩薩や甲冑などが残っている。
甲斐宗摂の菩提寺は、多分、永平寺末曹洞宗玉鳳山金鶏寺じゃないかな。(俺の推測だよ)
この寺は、宮崎県東臼杵郡諸塚村にある。「諸塚村史」にも甲斐宗摂のことが出て来る。
甲斐宗摂に関して、色々書いたけど、君の先祖とは関係ないかもしれんので、
テキトーに読み流してくれ。
268 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 20:43:00
甲斐宗摂に関しては、「大人歌舞伎」と高千穂神社の「猪かけ祭」(ししかけまつり)が
有名だから、詳しくはググってくれ。
甲斐宗摂の所領は、家代村だったが、普段住んでいた所は、日之影の大人だった。
家代村に建てた東蔵寺が後の金鶏寺となった。
因みに俺の先祖は、高千穂の三田井氏の重臣だった。
では、
>>8さん、さよならー。
269 :
日本@名無史さん:2009/10/21(水) 20:56:52
>>8さん、補足
甲斐氏は以前に延岡の土持氏の客分だった時期があった。
この時に土持氏が、今の北方町に住まわせた様だよ。
その後甲斐氏は増えて行き、室町時代になって高千穂に入った。
高千穂の三田井氏は、高千穂の未開地を甲斐氏に開墾させた。
だから甲斐氏は、高千穂の中心部から離れた所で蔓延した。
家代、七ツ山、三ヶ所、鞍岡、向山、岩井川、七折など。
なんと膨大な知識だ。
271 :
三田井氏重臣:2009/10/22(木) 06:02:23
>>8さん
このスレを見ているか分からないが、ちょっと補足する。
俺は
>>265-269だが、今後は分かりやすくする為に、「三田井氏重臣」のトリで行く。
その後家にある資料を引っ掻き回したが、
>>8さんの先祖が庄屋ということらしいので、
「高千穂庄屋中勤年数之覚」(矢津田文書)が参考になるかもしれん。
(五ヶ所村の矢津打田文書の「珍書雑記」の部分)
高千穂郷の十八ヶ村庄屋とその勤務年数が列記してある。
その中で日之影(現在の日之影町ね)の甲斐氏に関するのは、「六年 岩井川 甲斐善五兵衛」と
「七折 甲斐恒右衛門」かな。年代は、多分、享保二年。(自信なし)
庄屋に限ってみても甲斐姓は多過ぎて、俺にはよく分からないから、余り期待しないで。
272 :
三田井氏重臣:2009/10/22(木) 06:36:23
>>8さん補足
高千穂を永らく治めて来た三田井氏だが、上にも書いた通り、重臣であった
甲斐宗摂の裏切りにあい、三田井氏最後の嫡流・親武は討ち死した。
それが天正19年(1591年)。
その後、親武の首は日之影の宮水というところで首実験が行われ、
その後首は宮水の民がもらい受け、泣く泣く宮水の森に葬った。
その後享和三年(1803年)になって、七折村庄屋甲斐又兵衛(←これ多分
>>8さんの先祖)
七折村中村忠兵衛、興梠権兵衛重綱らが協議して、宮水の首塚に石碑を建立して
親武の霊を祀った。その後安政二年(1855年)に親武を祀る神社を建立した。これが今の宮水神社。
この時には、上記の中村忠兵衛の曾孫の中村寅五郎が中心となって高千穂十八ヶ村の庄屋に働きかけ、
七折村の13人の弁指が奔走して寄付を集めた様だ。この13人の中に、
>>8さんの先祖が
いるかもしれん。この13人の名前は、俺には分からない、スマソ。
273 :
三田井氏重臣:2009/10/22(木) 06:53:22
>>8さん
これ以上続けると、スレチなので(もう十分スレチか)、後は自分で「高千穂町史」や
「日之影町史」を調べるなどしてくれ。健闘を祈る。
274 :
三田井氏重臣:2009/10/22(木) 20:13:09
>>8さん、俺の分かる範囲の甲斐氏系図(かなり簡略化してある)
菊池武房(菊地氏10代)━隆盛━時隆━武時━|━武常 |━親安━惟親━諱不詳━惟満━諱不詳
| |
|━武村(武親)━重村━重安━重綱━|
ここから岩井川甲斐
>>8さん先祖? |━親宣━親直━宣成━親久━親政━重種━重満
甲斐宗摂の名は、系図に挿入されてはいない。
しかしながら但し書きで、「甲斐宗運(親直)ノ次男トモ言ウシ孫トモ言ウガ、系統不明、或イハ親宣ノ兄ノ子又ハ
孫デワナイカトモ思ワレル 始ノ諸塚村家代ニ居ル後岩井川大人ニ住ミ中崎城主トナル」とある。
275 :
三田井氏重臣:2009/10/22(木) 20:22:35
ごめん、大事なところがズレタ。
何やってんだ俺orz
あのさ、連レスしまくるのもアレだけど
>>8がいつ書き込んだかぐらい見れば?
あとsageてくれ
278 :
日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:52:57
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】
植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40
1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」
2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。 陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」
3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね?
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」
4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」
5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
279 :
日本@名無史さん:2009/10/27(火) 18:13:32
本家だとか宗家ってどうしたらわかるもんなのかな
実家付近には割と珍しいうちと同じ苗字の家が集住してるんだけど
その同じ苗字の家の人たちと親戚同士なのかと言ったらそうでもなさそうだし
お墓見たら、同じ苗字の家は全部同じ家紋を使ってたんだけど…
>>279 多分同じ家系だと思うよ。 墓石をたどっていくと少しは判る。
うちも一族の墓が何百年も続いて集まっている。 今年初めて先祖祭りに参加してきた。
珍しい名字なので同じ名前は全員親戚と思って間違いない。
20世帯位集まったが殆ど地元の人たちだった。(当り前か)
うちの家系は1000年はたどれる。
本家が社家なので結構記録が残っていて先祖探しは楽な方だが、戦国時代に本家が焼き討ちに会い古代の資料が無くなったらしい。
それでも古代の氏も判っているので古代のあらすじは大体見える。
どこでも本家には結構資料が有ると思うよ。 昔の風土記などもかなり参考になる。
大正時代でも観光案内として地方の風土記が作られている。
菩提寺行けば過去帳で判るじゃん
>>280 なるほど
ネットでわかる範囲で調べたら、どうやら実家周辺(東北の片田舎)以外に、
北関東の某県にも同じ苗字の家が集住してる地域があるみたいで
図書館でその県の苗字の資料なんかを探してみたら、一応佐野氏の流れだと書いてある本もあったりしたんだけど
佐野氏や藤原秀郷から派生した氏族をネットで見ても、ウチの苗字なんかちっとも出てこないんで、かなり怪しいw
とりあえず、位置的に考えてもそう遠くはないんで北関東の一族の方から更にわかれて実家の方に移住してきたんだとか勝手に思ってますw
となると分家の分家とかで更にややこしくなりそうだけど、今度墓参りに行くときにはお寺で色々調べて見ます
283 :
日本@名無史さん:2009/11/01(日) 15:19:25
あげ
284 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:14:22
菩提寺行ったら500年前に寺が出来た時の檀家の三番目がうちで、それ以上はわからん。
285 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 00:47:11
うちの父祖父から聞いたことなんだけど我が家の先祖は古今無双の忠臣、武蔵坊弁慶ということになってるらしいです
>>284 菩提寺に、500年前からのご先祖様の過去帳記録が残っているのですね。
すごいなぁ。普通は500年も遡れませんからねえ。
287 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 19:17:42
30日公明党が外国人参政権今国会は見送りとの発表がありほっとしたのもつかの間。
外国人参政権とは別名の法案が既に動き出しています。
それは円より子議員が推進している外国人住民基本法です。これはこれまでの闇法案全てを網羅集大成した法案でまさしく日本人弾圧法案です。
外国人参政権だけでなく戦時賠償 移民促進 三年在留で犯罪者も無罪放免 重国籍付与 外国人が公務につく権利 政治家になる権利 政治家になる権利等 権利付与のオンパレードです。
日本人には外国人に対する徹底した監視と差別行為に対する処罰 投獄も付帯事項に入れようとしています。
民主 公明 社民 共産はこの法案成立に全精力をかけるため内容の重複する外国人参政権をとりさげたのが真相です。
拡散 周知してください。
私の曾お爺さんが明治時代の陸軍大尉で西南戦争や日清戦争に従軍したらしい…
(酒豪で若くして40代半ばで亡くなったらしいが)
と言う話は自分が幼少時代からちょこちょこ聞いたことがあったのですが
今から十数年前にその曾お爺さんの軍略歴書のようなものが出てきてからというもの
あらあらと言う感じで祖先の詳細が判明。(所謂長男繋がりの直系ではありませんが)
代々上杉家に仕えた家臣です、今のところ13代前(越後分限帳、景勝時代)までのことが
分かっています
殆どの代で御馬廻衆をやっていたらしいですが幕末期は江戸下屋敷将や御小納戸頭などの
命を受けたようです、下級武士ではないにしろ上級武士でもなく俗に言う中級武士ですね。
それまで私のお爺さんに当たる人が昭和初期頃に千葉(佐倉)から東京に越してきた話は
知っていたのですが、それ以前明治初期に米沢から千葉に移り住んだことなど知る由もなく、
私自身昭和40年代東京生まれの東京育ちの小心者な身であり、まさか祖先があの上杉家に
仕えていた家臣だったとは驚きました。
まぁ、先のレスでもありましたが江戸時代諸藩の武士のほとんど(ごく一部の上級武士以外)は
貧しい生活を送ってたようですね。
289 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 14:37:19
↑
嬉しそうですね
こちらは同じ40代で、8代9代が庄屋をしていた事
それ以前は不明。
8代9代だけってどういうこと?
291 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:15:04
八と九代前が庄屋さんだったんですよ
それ以前はわかりません。
>>285 弁慶には子供がいないはずだが?
まあ平安鎌倉期まで遡れる系図なんて大名家でも創作してるから
293 :
日本@名無史さん:2009/11/05(木) 03:04:59
ちゃんと遡れるのは公家や寺社関係くらい?
そんなもんだろな
武家でも公家から武家になったような家なら遡れるだろうけど
まあ公家も寺社も養子で継ぎまくってるから血では遡れないんじゃないかなあ
家系で遡れるだけでもいいけどさ
今で言う養子って天涯孤独の孤児を引き取るイメージ強いけど
ちょっと前までの田舎だと子だくさんの親戚から一人もらってくるってのも普通だから
案外繋がってたりもするけどな
うちの家系もここ三代続けて養子だけど全員曾祖父とは血縁だしな
あるある。
うちの場合血縁上の男系先祖をたどってみたら、
・曽祖父がA家からの養子
・曽祖父の2世代前にA家にB家から養子
・その前はB家にA家から養子
・その前はA家にC家から養子
・その前はC家にA家から養子
・その前はA家にうちから養子
…で、遡れた1600年代前半の時点で名字が元に戻ってしまっていた
297 :
日本@名無史さん:2009/11/05(木) 21:53:55
まずは近親からだし、どっちにしても同格の家から貰うでしょ。
その同格の家には、十何代か前に娘を嫁がせてたりするかもしれない。
なんだかんだで、綱渡りで血の繋がりはあったりするものだよ。
298 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 00:17:11
>>292 平家の女官、右京太夫の雑仕女の玉虫との間に生まれた小玉虫という娘がいて・・・
あ、う、ややめろあwせftgyふじこ
紀子さんとこの先祖は庄屋さんだけど、優秀で賢い人を養子にもらってる
けどその家は庄屋とか武家じゃなく極普通の家なんだよね
水戸雑賀家なんかは家名が絶えるのが惜しいと言って主君の子が継いでたりするし
商家とかも紀子さんとこ方式で、盆暗な息子より優秀な丁稚が家を継いだりしたそうで
必ずしも同格や血縁から養子を迎えるってわけでもないようだよ
300 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 18:37:36
もらい子でも繋がるかな
同格にするために一旦同格の別の家に養子に行きそこから養子として
迎えるってのもあるよ。商家は血よりも商いがまず第一だから繋がりは
なくてもいいんじゃないの。
>>299 名家ほど優秀な子を欲しがるんだよね
まあ、バカをもらってもしょうがないけどな
303 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 00:59:57
優秀な男子を貰って、遠縁の女子を嫁にしたりもするからな。
できるだけ血の繋がりも維持しようとしてきてるんじゃね?
>>298 中宮の女房右京大夫様に仕える玉虫って荻野目慶子だよね
305 :
日本@名無史さん:2009/11/11(水) 18:45:36
森繁氏って家系図あるのかな
306 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 09:14:09
鳩山
307 :
日本@名無史さん:2009/11/14(土) 18:15:41
鳩山は名家ではないだろ。金持ちなのは認めるけど、断じて名家ではない。
麻生は?
309 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 21:06:58
ア僧も名家ではない。麻生家なんてどの名門に連なるの??
310 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 21:33:54
皇室と親戚ですよ
311 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 22:51:01
初耳だな
麻生氏自体は豊前宇都宮氏=城井氏の傍流。
素性自体は割とまともな武家なのは間違いない。
ただ、麻生グループの麻生家はこの麻生氏のなかのどこかから分かれた、
途中経過が不明の傍流中の傍流みたいなのでなんといえばいいのやら。
近世には女系で確かに名家といろいろつながってるけど、先祖探しスレ的には男系先祖が重要だろう。
313 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 16:48:41
啞僧の妹が皇室に嫁いだのは知ってるけど、そういうのは啞僧家の家柄とは関係ないだろう。
314 :
名無し香具師:2009/11/19(木) 11:24:12
漏れの父方先祖は代々農家ですた。
戸籍や土地台帳取得は済みました。墓誌/菩提寺等も一応調べますた。
先祖が農家だった場合は後何が先祖探しのヒントに成るのでしょうか?。
315 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:52:00
↑
検地帳(元禄検地)
316 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 19:11:49
アゲ
>>296 ワロタ。頭おかしくなりそ。うちも曾祖父が養子。
うちと血縁関係あったかどうかは田舎行って調べないとわかんないや。
婿養子じゃないから曾祖母も別の家の出身だし。
実は母の家も同じパターンで曾祖父が養子。で、父方も母方も曾祖父の生家の
人達とはずっと親戚付き合いしてたのに、自分ちの親戚らしい人とは
付き合ってないんでわかんない。もしかしたらいないのかな。
うちは普段農家で、旗が昇れば川中島へ出陣だった。
319 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 10:26:17
養子 養子 養子
320 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:19:35
同人養子
321 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 08:11:44
もらい子
322 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 08:33:11
先祖が農民で10石持ちとお爺ちゃんに聞きました。
意味が分からず書き込んでしまいました。
ご存知の人はいませんか?
私は武士の間違いと思っています。
>>322 10石の収穫高があったってことでしょ?
農民でも普通に言うよ
324 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 17:32:35
>>323 そうなのですか? 農民に石高があるとはしりませんでした。
>>324 たとえば樋口一葉の父親は農民の出だが、
人物叢書『樋口一葉』の冒頭は
「樋口家は甲州・・・ほぼ十石取りの中農であった。」
から始まるよ
326 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 08:38:15
>>325 中農の定義は?
農民の仕分けを教えて!
328 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 22:08:14
十石高持ちの百姓なら中農で間違いない
329 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 08:22:19
五石も中農ですか?
331 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 11:31:09
僕のうちは武士の子孫だと親父に聞きました。
戦に負けて逃げてきて農村に住み着いたそうです。
名字は少しだけ読み方が変わったみたいですが
鎌倉時代前からの歴史ある名字で、江戸時代も
名字を名乗っていたのは武士階級だからです。
江戸時代には数代の間くらい襲名した記録もあります。
襲名なんて偉い人じゃないとしないはずです。
親父の実家の周囲に同じ名字の家が20件くらいあります。
親父が言うには、他の家は別に関係はないということで
その辺りがよくわからない感じです。
332 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 12:43:41
333 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 13:17:56
334 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 13:19:53
代々襲名ではなく数代ってことは職人か何かじゃね?
335 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 13:42:57
名字云々の辺りもツッコミどころ満載だな。
周囲の同姓の家々と関係ないってのも変な話。
鎌倉時代から続く旧家なら地域では別格でしょ。
336 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:09:48
また一つ夢が壊れましたとさ(笑)
337 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:28:03
とにかくこのスレではことごとく偽物扱いされてしまいますよ。
算数が苦手だからすぐに計算できないんだけど
現代人(2億弱?)は何代遡れば1人に落ち着くの?
たとえば一人の女性が4人子供をうんで生まれる
男女比を1:1で仮定して。
339 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:43:22
>>337 陳腐すぎる話は笑われて当然だと思うっす先輩
襲名ってそんなに稀有なことなのか?
うちは300年ほど前から○○右衛門とか代々継いでる家系が多いけど
ほとんどは武士じゃなくてただの本百姓だよ。せいぜい組頭とかそんなもん。
中には庄屋や元武士もいるが、襲名してる家系=偉いって訳じゃないと思うぞ。
屋号みたいなもんじゃね?
341 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 22:58:03
特別な「家」は苗字にこだわるからなぁ。
平民からたまたま優秀な人が出ると、誇りとして襲名するのかね?
むしろ世襲の方が正則じゃね?
家督継いだら○衛門、それまでは×之助とか
よほど下層はともかく
まさのり?
ネットで辞書も引けんのかwwwww
345 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 22:03:12
正則衛門とか正則之助とかあるよね。
>>331 襲名と言っても色々ある。
屋号やら通字やら。
そんな珍しいもんでもない。
あと、江戸時代にも名字を許された家もある。
例えば、日野に行けば土方歳三の生家の周りは土方さんだらけだ。
土方は農民の出だろ?農民にも色々あるんだよ。
たぶんあなたのイメージではほっかぶり被った痩せこけた百姓のイメージなんだろうけど。
ちなみにこういうケースは日本津々浦々いっぱいある。
たしかに今は関係が無くとも、農村なら村内での結婚を繰り返して
なんらか過去は同じ先祖に行き着いたり、ってケースもある。
また、「逃げてきた武士の子孫」
これは系図を改ざんするときによく使われる手口だから
真に受けないぐらいの気持ちでやれ。
がっかりするのを防止するためにも。
もっとも日本の家系図の大半はどこかしらは改ざんされてるけどな。
>もっとも日本の家系図の大半はどこかしらは改ざんされてるけどな。
まあ、古い家系を「神代にまで遡る」と表現してる時点でね…脚色は仕方が無いわな。
>>346 落ち延びてきた武士なんて話の大半は作り話だよな。
知り合いにアマチュア歴史研究家がいるのだが
噂を聞いて調べに行ってもほとんど何も出てこないそうだ。
質問してもあやふやで、聞く度に話が変わったりするらしい(笑)。
中には興味深い物証が出てくるケースもあるようだけどな。
>>347 まぁしかし、古い寺社の家系くらいしか信用できないと思う。
>>348 >>346だけど俺も家系図作成手伝ったことあって
菩提寺やら地史やら近隣の同族と思われるようなのも色々調べて、
結果、3箇所、大事な分岐点でのドでかい改ざんがあって、そこから調べようがなくなったってことがある。
大抵、平安と室町、江戸あたりで改ざんされてることが多いよなあ。
ただわずかながら、あなたの仰るように思わぬ収穫があることもあるね。
地史や一般書籍には書かれてない事実が出てきたり。
逃げてきた武士にしろ、ほんとに逃げてきてるのがいたり。
まあ個人的な話だと、うちの母方の家系は裕福なんだけど、家系図は明らかに改ざんされたものだった。
父方は貧乏百姓の出だと思ってたのに、思わぬところで武家とぶつかって、もともとの出自のルーツを突き止められておもしろかった。
家系図調べはホント、マニアックな歴史好きじゃないとへこたれるよなあ。。
>>347 「神代にまで遡る」っていってもいいんじゃない。今生きている人は必ず太古の昔から
続いているわけだから。ただ家系にして伝える余裕がなかっただけでしょう。
351 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:24:27
襲名=世襲
政治家も世襲
庄屋も世襲
352 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:45:03
>>349 当該人物が身の危険を感じて家系の改竄をやったとすれば、それなりに身分の高い素性の人かもね。政変や跡目争いに負けた公家・武家の血筋とか…。
353 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:59:36
とりあえず全部想像なわけね
354 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 13:38:26
>>349 実際、落ち延びた人間もいるはず。いないわけはない。
そんなレアケースに出会うと鳥肌ものだよ。
>>352 負けて身を隠すにせよ、田舎に引っ込みさえすればokなら
地域では偉い血筋として代々別格扱いされる。
完全に身を隠す必要があるケースもあったと思われるが
身の危険を感じてるなら、武具を隠し持っているはずだし
屋敷に隠し通路があったりするケースもある。
何らかの物証と伝承が一致しないと本物にカウントできないよ。
伝承だけあって、単なる昔話かと思われていたところに
後々、見事に合致するブツが出てくることもある。
355 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 14:00:59
356 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 15:15:51
言い伝えだけでも武士は武士だ。俺はプライドあるよ。
>>356 言い伝えがあるだけでもたいしたもんだよ。
358 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 19:43:34
>>357 50年前にジジイが作った家庭内伝承でもよかですか?
平安時代まで武士・・・平家部落の皆さん・・・・平民歴800年
鎌倉時代まで武士・・・北条遺臣・南朝遺臣・・・平民歴650年
室町時代まで武士・・・戦国大名遺臣・・・・・・平民歴400年
江戸時代まで武士・・・幕府・諸藩遺臣・・・・・平民歴140年
我が家の平民歴は60年だよ
漏れの父方は
>>314にもカキコしたように代々農家ですたが
位牌の墓誌の名前をチェックしていると
〜門、〜兵衛、〜平、〜太郎の名前の多い中に
一人だけ下の名前が甚平政常(戒名は仁光院徳誉義延居士)と言う如何にも武士を
彷彿とさせる名前の人物が居ることに気が付きますた。
甚平政常の次の世代は〜平に戻っています。
この漏れから数えて6代前で嘉永6年に死んだ〜甚平政常は武士だったのでせうか?。
因みに漏れの家の家紋は抱き茗荷です。
363 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 14:30:13
>>362 浄土宗のお寺ということを手掛かりに、近在豪族の宗旨を一通り調べてみてはいかがですか。
先祖(に仕えた)が仕えたと思われる他家の宗旨に留意しながら調べれば、思わぬ苗字の一族との縁戚関係が分かったりするかも。
自家の苗字にだけ目がいくと行き詰まりやすいかと。
364 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:22:11
>>362 〜門、〜兵衛、〜平、〜太郎 というのは通称ではないでしょうか? 一人だけ本名の政常が書かれていて
他の人は本名が書かれていないだけではないでしょうか?
365 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:22:57
>>363:調査対象範囲を広げる必要が有りますね。
>>364:通称かどうか判りません。その名前しか書かれていません。
>>365:苗字は全て書かれていますが、公開すると値域を特定されるので
控えます。但し甚平政常を含む〜門、〜兵衛、〜平、〜太郎の妻の
墓誌も有りますが戒名が有るのに全く名前の記載が有りません。
367 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:06:15
江戸時代(寛政 天保 嘉永 慶応)の墓石に苗字があります。
武士でしょうか?あと辞世もありました。
368 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 19:57:01
>>362 庄屋さんの家に下級武士の次男が婿に入ったとかじゃね?
で、ここから僕ちんが妄想させてもらうが(笑)
その下級武士の家には数代前に中級の武家から養子が入り
その中級の武家には更に上の身分の血が養子を通して…
おめでとうございます。君には貴い血が流れて…
369 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:05:39
甚平政常は広島県人とみた。
370 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:41:28
>>362 たぶん武士ですよ。 代々農民で途中に甚平政常なんて本名が出てくるはずないから。
過去帳は別として、位牌には通称しか書かれていないことがある。珍しいことではない。
371 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:49:58
武士じゃないよ
少なくても主持ちの武士じゃないね
372 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 21:00:47
まあ墓誌がそこまで完成されていて主君や領地や功名について一切記録が無いって言うのは武家として不自然だな
実名(諱)があるから武士ということにはならないと思うよ
遠藤忠先生の『東武蔵の算家系譜』を見ても、江戸時代の身分秩序
から言えば明らかに「農」に属する人でも諱を持ってる。
近藤勇や土方だって諱があるじゃない?
374 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:06:41
諱は武士だけのものじゃないのはたしかだ
たぶん百姓か職人じゃないの?
375 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:45:26
百姓や町人で政常って・・・考えずらい
農工商が諱なんて聞いたことないな。 本名を隠すような身の程ではないだろ彼らは。
>>375 >>って・・・考えずらい
考え「ず」らかろうが、考え「づ」らかろうか
それは貴方の心象であって、史料上には厳として存在するんだよ
>>367 うちの墓にも辞世があった。その時、ああ江戸時代の農民でも
歌を詠むんだなぁと思った
378 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 08:39:09
>>367 先祖が掛軸に残してある辞世の和歌。当時は流行していたのかな
うちには位牌に辞世があるんだけど。
昔は生前に自分の位牌を作ってたんだろか
380 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 19:12:47
↑
院居士ですか?
>>379 釣りだとは思うけど・・・・
辞世を子孫が位牌に彫ったと考えることに何か不都合な点が??
>379
↑スマン ミスッタ
>379なんだけど没年月日がないので疑問に思った。
>>383 戒名は本来生前に受けておくものらしいから
位牌を作っておくことはあり得る
心がけの良い人で生前から用意していたのだろう
死後遺族が没年月日を入れるのを忘れたんじゃね?
385 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 15:59:06
先祖調査をしていたら、祖父の兄弟、みんな本名と違う名前を持っていて、親戚中がその呼び名を使ってる。
具体的に書いちゃうと
詩顕(むねあき)のことは「たかしさん」、
季顕(すえあき)のことは「きよしさん」、
と、それぞれ呼んでいる。
で、親戚に「なんで呼び名が別にあるの?」と聞いても、当人たちは昔からそう呼んでいるから、としかわからないらしい。
これって何かの習慣ですか?
>>385 祖父の御兄弟の生年はいつごろでしょうか?
387 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 17:09:26
388 :
385:2009/12/14(月) 17:12:45
>>386 明治末期から大正にかけてです。当人たちはもう亡くなっています。
>>387 いったい何なのか気になってしょうがない。
長男はたかし、次男がきよし、みたいに一郎二郎的な通称の可能性はないだろうか。
曽祖父世代がどうなってたのかも気になるね。
390 :
385:2009/12/14(月) 20:12:50
>>389 たかしさんときよしさんは四男と五男でした。
その線も聞いてみます。
しかし曽祖父世代は流石に調べつかないだろうなぁ・・・。
ちょっと調べてみたんですが、諱と字ってのがあるみたいですね。それなのかなぁ。
ただ、タカシ・キヨシもムネアキ・スエアキも諱的な名前なんだよね。
そこがちょっと不審でもある。
392 :
385:2009/12/14(月) 21:39:16
>>391 なるほど、そういうものなのですね。
ちなみに本名は詩顕・季顕の方です。
393 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 21:59:33
>>392 私の曽祖父も385さんと同じく本名とは違う呼び方で呼ばれていました。訓読みが本名なのに
音読みでよんでいたり、なぜか一文字略したり。理由も同じく親戚みながそう呼んでいたとのことでした。
音読みで読むのは有職読みの一種かな。
395 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 22:24:13
清正公をセイショウコウ
396 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 22:31:18
せいしょこさん・・・
397 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 10:35:48
半島の名前と日本の名前を使い分けてたんだろ。
398 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 12:33:38
>>397 いずれにしても平民には関係ないことさ。
前回
>>362の質問で、もしも〜甚平政常が武士の場合は
先祖が暮らしていた地域の藩の分限帳を調べれば
名前の記載が有るかも知れないと言うことでしょうか?。
>>399 分限帳に載っている可能性はゼロではないが
仮に陪臣だった場合載っていないと思う
その甚平政常は何代目かの当主ですか?
当主であったことははっきりしていますか?
<<その甚平政常は何代目かの当主ですか?
<<当主であったことははっきりしていますか?
それは判りません。当方の家の仏壇や納骨堂等に有った位牌の中の墓誌(約20枚)
の中に有った名前で、何代目とか当主だったことは全く不明です。
墓誌には本人と妻(名前は無し)の没年と戒名しか書かれていません。
>>401 ありがとうございます。私は東京近郊に住んでいますが、有力農民の墓所で
江戸の儒者が葬られているのを見たことがあります
同家に逗留中に客死したもののようで、特に姻戚関係にあるわけでもないのに
寺の同じ敷地内に葬られています。石の大きさや形状も家人と遜色ありません
でした
なぜ、当主かどうか確認したかと言うと(代々農家とありましたから)
農民の当主が武士を兼ねることは不可能だからです
二三男で武家奉公したが、結局家に戻って(父兄の)扶養家族として
亡くなった人かも知れません
403 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 19:21:06
分限帳に載っている可能性はゼロ
404 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 19:28:03
why?
>>279その手の話題には触れないことが壱番。まず、地元の地図や標識にOO本家や宗家とあったら親戚で揉めてる。
地主などの素封家は教育熱心なため師弟を都会の大学に行かせいたことが多い為本当の本家筋はまず田舎にいないことが多い。
そのため、巨大な空き家か次男が家だけ譲り受けて墓は長男名義とか。
もうひとつ、名家といわれる家なら角川書店から出ている県別の歴史人物大辞典に掲載があるから調べてみるといいよ
やっと規制解けた。。
>>385 そういえば、うちの祖母(故人、大正四年生まれ)も本名は「郁子」なのだけれど、
家に嫁いで来たとき「清江」と呼ばれる事になった。
なんか、字画が良いとか悪いとかの話だったような…
まあ、家族は、結局「郁子」で認識していたのだけれど、
今でも村の年寄りのなかには、「清江」さんと呼ぶ方がいて、
脳内変換をしながら話を聞いている。
407 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 04:38:32
まあ、ラーメン屋も本家とかあったら色々あるからね
宗家といったら対馬国主だと思っていた
409 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 10:09:03
>>406 明治・大正生まれの人の二つ名(?)って多いね。その人への周囲からの呼び名(アダ名とは違うみたい)が地域によって違ったり、さらにそのいずれも戸籍に記載された名前と異なったり…。相続手続きで除籍・改制原戸籍謄本などを集める時に混乱させられました(笑)
410 :
☆行信☆:2009/12/20(日) 17:01:52
先祖調査をしてますが。
自分の先祖は「藩公のお抱え刀鍛治」だったそうです。
初代の「直信」という諱系っぽい名前で、刀鍛治をしていました。
しかし、地元の資料には。自分の先祖らきし人は、見付かりませんでした。
マイナーだったからでしょうか?
1、「藩公のお抱え刀鍛治」だったという言い伝え。
2、初代が「直信」という名前を持っていたという言い伝え。
3、しかし、地元の資料には、先祖らきし人は見付からなかった。
4、実家に残ってる刀は無銘ばかり。
この状況から、この先どうやって、調査を進めればいいのですか?
411 :
☆行信☆:2009/12/20(日) 17:06:13
ちなみに「お抱え刀鍛治」など、「お抱え」というのは、特別な身分の人しかなれないのですか?
>>410 ・分限帳の類に職人も掲載されている場合がある
・刀剣や刀匠に関する辞典に徹底的にあたる
・国立博物館に問い合わせる
以上で何もひっかからなかったら、いい夢を見たと思って忘れる
明治生まれの曾祖母は、戸籍上はカタカナ名でしたが
嫁に来てから(?)同じ読みの漢字+子 の通名を名乗るようになりました
名鑑に載ってる曾祖父の家族構成も、本家の過去帳も、この通名で記載されてる
最近連絡をとるようになった遠戚の人の家系図も、戸籍が取れなかったらしく通名で載ってました
414 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 08:49:06
屋号が鍛冶屋って多いね。
なんかややこしいことが発覚した…。
祖父の生まれたとき、曾祖母は50近い。
これって変じゃないかと思って聞いて回ったけど、
誰も知らなくて初めて知ったみたいな顔してるし、祖父・祖父の姉たちももう死んでる。
そして家の墓の墓誌石には、戸籍に出てこない謎の女性の名前も入ってる。
祖父が生まれた翌々年に享年十九で死んでるようだ。しかも戒名がしょぼい。
他の人は「○○院○○○○大姉」なのに「○○○○信女」。明らかに安上がり。
墓自体は昔はお寺にあって、30年ぐらい前に祖父が墓地に作り直したらしいけど、
この人の名前が前の墓からあったのか、祖父が追加したのかは不明。
お寺に過去帳の写し作ってもらったときにその人のことも伝えてみたけど、
そんな名前・戒名は見当たらなかったといわれた。一体どういうこと?俺はこれからどうすれば?
416 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 22:22:44
>>415 曾祖母が50近くであなたの祖父をお産みになったか、側室と思われる謎の女性が17で産んだかのいずれか
だと思われる。過去帳に載ってないのなら正式な家族でなく、言い方は悪いが妾の可能性も。この際女系は気にしないほうが・・・
>>416 やっぱり、その2パターンですよねえ。
書きそびれましたが祖父の姉についても違和感があって、
曾祖母19歳(曾祖父27歳)で結婚
曾祖母21歳で姉1誕生→すぐに死亡
曾祖母24歳で姉2誕生
曾祖母35歳で姉3誕生
曾祖母48歳で祖父誕生
曾祖母62歳で死去
という感じで、姉2と姉3の間も変に離れてるんです。
姉3は年齢的にさすがに謎の女性の子じゃないはずですが、何故こうも不思議な姉弟なのか。
女系祖先とはいっても曾祖母世代の女系ですから重要性は薄いんですけど、
こんなミステリーが出てきたことで逆に気になるようになってしまいました。他に情報源とかないのかな…
そう言や、うちの大叔母も昭和10年前後生まれで現存者だけど
戸籍名「ハナ」で、通称も自称も「花子」だわwww
419 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:24:28
>>417 祖父世代の兄弟は何人ですか? その世代だと普通に10人とかいたりすることもあるので、そうなると兄弟間の年齢差が2周り
くらいあることもなくはないと思います。 いずれにせよ、何らかの理由で高齢出産になったのでしょう。質問に答えられてないかもしれませんが・・・
その前に、曽祖父世代のなら戸籍謄本があるのではありませんか? 本籍地の役場で簡単にとれますよ。 続柄で祖父の母がその方なら、何歳だろうが間違いないことになる。
>>419 レス遅れました。戸籍謄本は最初に取ってるんですよ。
で、その戸籍に曾祖父母の子として載ってるのが、姉3人祖父1人の合計4人(早世除いて合計3人)だけなんです。
つまり、戸籍謄本や各種記録を見る限りでは、祖父が長男です。
生まれたとき上の姉(23歳)は既に結婚しているので、50前後の両親と13歳の末姉だけがいる家にいまさら男の子が出てきたと。
おっしゃるとおり戸籍謄本を全面的に信じるのもありだとは思いますし、
努力はしたけどなかなか子供が出来なかった、ってパターンもあるかもしれませんが、
女の子ばかりの家で、十数年起きにしか子供が生まれてないのは不自然な気がするんです。
421 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 19:43:05
まぁそんなパターンもあるさ。
422 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 21:08:54
>>406 必ずしも断言はできないが、あなたの祖母と同様のケースで、
士族の家から町人の家に嫁ぐ場合、武家に多い「〜子」という
名前を、子のつかない名前に変えたりしてたみたいよ。
例)美津子→ミツ
私のところは士族から士族に嫁いだが反対だ。フジ子だがフジと呼ばれた。
425 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 20:32:23
屋号の定義が知りたい!
426 :
日本@名無史さん:2010/01/03(日) 01:14:27
自分のルーツを探しているのですが、身内の話や資料から江戸初期に
関宿藩で石塚氏を名乗っていた武士だと分かりました。
友人は佐竹氏から派生した石塚氏だと言っているのですが、関宿(千葉)に
佐竹氏なんてありましたっけ?
427 :
日本@名無史さん:2010/01/03(日) 12:17:19
江戸時代、武士の家系が紺屋に転身することなんてあり得るのでしょうか?
浪人になれば、たつきの為なんでもありでしょう
農工商いずれも可能性あり
うちは、紺屋だったけど苗字帯刀になってるよ。
430 :
日本@名無史さん:2010/01/03(日) 18:35:24
431 :
429:2010/01/03(日) 19:23:23
>>431紺屋とか下駄屋とかって人権板が大好きなネタだけど。関西以外は普通の商売屋だね。
さて
434 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 08:45:49
さて
なるほど
436 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 11:30:41
俺の先祖知行五石の郷士だけど、何か質問ある?
>>436郷士で知行もらってりゃ立派。士族?大体は年貢免除程度だよね
438 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 18:45:55
>>437 明治の史料には士族と記載されている。天正期に没落して浪人になり、寛永年間に地士になって以来代々郷士だよ。
途中で寸志(いわゆる献金)のため格上げしてもらったりして色々頑張ったみたい。
俺も頑張らなくちゃ。
439 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:07:05
除籍謄本での調査が行き詰まったので、曽祖父以前の出身地の図書館で藩籍調査および菩提寺の調査をしてみようと思っています。
場所は仙台。ただ、
・曽祖父は明治の末期に東京に出てきている。
・以来、仙台の墓は放置状態。
こんな状態で菩提寺は見つかるのでしょうか。
菩提寺の名前はわかりませんが、当時の本籍と住所、菩提寺のだいたいの場所はわかりそうです。
441 :
439:2010/01/13(水) 06:48:51
>>440 現在の住所でいうところの◯◯町◯丁目あたり、というところまでは役所に聞いて確認しました。
>>439 現地へ赴く気があるのか、赴かず調べようとしてるのか今一つ不明だな
いずれにせよ御墓周辺にある>439と同じ宗派の寺を調べて見る
仙台藩士というわけではないのかな?
444 :
439:2010/01/13(水) 12:31:10
現地には行くつもりです。
宗派については祖父の代から無宗教になってしまったため、わからない状態になっています。
仙台藩士かどうかについては確証はないのですが、状況証拠からいくとその可能性は高いと思います。
お墓の場所は掴んでいますか?
446 :
439:2010/01/13(水) 15:27:34
無縁墓状態になっているらしい、という噂だけ聞いています。
寺の大体の所在地はわかりますが、Googleマップで見たところ、辺りに複数の寺があるので、すべて回らなければと思っています。
私の経験から云いますと
現地(お墓)へ赴かないと前へ進みませんが
まず先祖の墓を見つける
周辺で日頃手入れされていそうな墓を探す
可能ならば同姓、同家紋のお墓
建立者の名前を見て電話帳で検索して菩提寺を聞く(自宅を訪問する方法もある)
昔からある墓地はせいぜい1〜2ヶ所の寺院で形成されている。
しかし菩提寺がわかってもいきなり訪問して過去帳ですぐ調べて貰えるかは不明です。
(私の場合は尋ねた家がたまたま寺総代のお宅だったので寺まで同行して頂き住職に
訳を話し過去帳から先祖を探して頂いた)
藩分限帳は地元(県立、市立)の図書館へ行けば置いてあります。
しかし藩分限帳の作成年は藩によってバラバラなので仙台藩?が何年に作成したかを
確認すると共に、この時期はご先祖の名前は誰だったかわかる必要があります。
(同姓が多い)
448 :
439:2010/01/13(水) 18:23:43
>>447 ありがとうございます。
とりあえず周辺のお寺にあたりをつけて、訪問してみることにします。
仙台藩の分限帳、藩士録、角川の宮城県姓氏家系大辞典あたりは仙台市図書館に蔵書されていることを確認しておりますので、年代を確認しつつ先祖の名前を探してみます。
長くて一泊二日でしか仙台には行けないと思うので、なるべく効率良く回らないと。
449 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 09:10:40
良い話だ!
>>448 行かないよりはましだが、一泊二日くらいで埒をあけるのは夢のまた夢。
それ以前にやれることは沢山ある。図書館や資料館の司書や学芸員と文通
して当りをつかんでおく等々。
大体、藩士かどうか分からない云々はおかしい。戦前まで公式書類には
族称が書かれていた筈なのに。
士族であれば、旧藩の書類に菩提寺の記載があって当り前で、現地に行ったら
寺が分かるだろうどころの話ではない
要するに調べを尽くして、現地訪問は仕上げであり確認だというので
なければ多くは期待できない
特に角川の辞典の如きは大きめの図書館ならどこでも見られる
>>448 経験から言うと、分限帳・藩士録のたぐいは該当部分のコピーを
実費でもらえる。そもそも県史や市史の資料編で活字になっている例
も多い
自分は今まで先祖のことなど興味がなかったのですが
たまたま亡き祖父の仏壇に過去帳を発見したので無知、無学ながら書かせて頂くと
初代の和助さんは大坂屋和助と屋号を名乗っております
2代になると大坂屋九右衛門とまた屋号を名乗っているのですが、この人が夭折となっていて
次に町田吉左衛門の妻がどうたらこうたらと書いてたのですが読めず
3代目から九右衛門という名は襲名してるのですが○○(今の私の苗字)九右衛門と屋号ではなく苗字を名乗っています
そっから○○九右衛門が2代くらい続き
5代目が九平(たぶん明治の改名禁止令以後に生まれたため)
で6代目が明治に軍人をやってた曽祖父に繋がります
家の物はみな先祖になど興味もなく武士をやってた、商人をやってたなど言ってます
商人が町田吉右衛門という士族から娘を貰って婿養子になり苗字を得た
しかし町田とは名乗らず○○と名乗った(そんなこと可能なのか?)
しかし武士身分も数代で終わってまた商人に戻った
そんなことも考えられるのでしょうか?
453 :
439:2010/01/14(木) 20:03:12
>>450 アドバイスありがとうございます。
・藩士かどうか分からないのはおかしい
父と祖父がそういったことに無関心だったので、正確なものが書類として残っていないために確証が持てません。
原戸籍も名前の横の欄に紙が貼ってあるような跡があり、そこに何が書かれていたのかも読み取ることができません。
親戚もほぼ全て戦後生まれとなり、もはや戦前を知る手段が限られています。
祖父は宗教も捨てたため、菩提寺も正確な場所がわかりません。大叔父が菩提寺を一度訪れたことがある、というのを
親戚から聞き、仙台の木町付近で寺が道に面して並んでいる付近、というところまではわかりました。
角川の本については市内の図書館にはありませんでした・・・が、450さんの発言を見て調べ直したところ、県内に
一冊だけあることがわかりました。そこまでも車で一時間かかることはかかるのですが、行ってみたいと思います。
ありがとうございました。
>>451 ありがとうございます。
それは掲載されている確証があれば、ということでしょうか?
>>453 悪い事云わないからお墓を探してお参りをしなさい。
墓石が色んなことを教えてくれるからさ。
先祖探しの中で武士とか士族とかは結果論に過ぎんよ。
455 :
439:2010/01/14(木) 23:44:30
>>454 おっしゃる通りです。
武士とか士族というのはどうでもいいとは申しませんが、自分が知りたい要素の一つに過ぎません。
何よりもお墓が見つかり、自分がどういう人達との歴史的つながりの中で今を生きているのか、それ
がわかればなによりだと考えています。またそういったことがわかることにより、祖父や父があまり
考えてこなかった祖先への敬愛がより深まると考えます。
456 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:47:01
祖先への敬愛 今の日本人に一番欠けてることだよね。
>>455 私と動機と境遇が似ているな。
父親が亡くなってから先祖探しを思い立ちすでに15年の歳月が過ぎたよ。
当初墓地は荒れ放題だろと覚悟して行ってみると周辺の墓地所有者さんたちが
日常的に綺麗に清掃して頂いていた事には感激と感謝した。
その後毎年お礼を送っているけどね。
因みに我が家は佐賀鍋島藩の家臣で分限帳(鍋島藩では着到帳と云う)にも当時の
先祖の名が記載されていました。
ご先祖様は農民だと、汗水流してお米や野菜を作って働いて、
天地のめぐみに感謝し生きていたんだなぁと思う。
素晴らしいしありがたいことだと思う。
うーむ
僕の先祖も武士、社家、郷士、僧侶、大工、商人である。武士が先祖ならおそらく農民
もいるだろうし、落ちぶれたエタ非人もいたことだろう。士農工商エタ非人天から地の底
まですべてに感謝だな。
>>405 おお、どうも
割かし珍しい苗字って言っても、全国に数世帯とか数十世帯てわけでもないし
ましてや名家なんてわけでも全くないんだよね。自分の知る限りでは
角川の歴史人物大辞典って確か出てる県と出てない県があったような
多分ウチの県のはなかったような・・・
462 :
439:2010/01/15(金) 21:32:13
>>457 15年ですか・・・それでも周囲の方々のありがたい厚意で守られてきたんですね。
私の場合、曽祖父が明治末期に仙台を出ておりますので、約100年もの期間に亘ってお墓を放置してしまったことになります。
自分がもしそのお墓を見つけたとき、どんな気持ちになるのか全く想像もつきません。
463 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 22:37:38
すげー自演臭いんだが・・・
>>439 私の場合はお墓が2ヶ所(曾祖父母以前のお墓と祖父母以降)ありました。
15年前に父が死んだ時に母から「実はもう一つ佐賀にご先祖の墓があるらしいよ」と初めて聞きました。
祖父母の時代に佐賀を離れて80年、亡父からも佐賀のお墓の話は一度も聞いた事がなかったし
多分お参りなどしていなかったと思う。
そんなわけで我が家の場合も私が赴くまで65年間持ち主不明の状態だったと思います。
当初は改葬をと考えましたがこのまま静かに眠らせるのがいいと判断しました。
なんと云っても周辺の方々には80年間に亘って手入れして頂いてるご厚意には深く感謝しました。
>454にもレスしていますが、まずご先祖のお墓を探してお参りする事を望みます。
初めてお墓参りした時は全身鳥肌が立ちましたよ。
465 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 10:20:22
すげー自演
466 :
439:2010/01/16(土) 12:48:17
なに書いても言われるかも知れませんが、自演ではないですよ。メリットないですし。
>464
iPhoneからなので短めに。
放置の期間は65年もあったのですね。それを聞いて少し希望が持てました。
100年も放置しておいたことで、言い方は悪いかも知れませんが、片付けられてしまっていたり、移設られてるのではないかと思っていたので。
こちらでできることをして、雪の季節が終わったらいってみます。
467 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 17:24:42
江戸時代の天保と書いてある墓があるけど農民なの?
教えて!
ちなみに姓も彫ってある。漢字が色々書いてある。
468 :
日本@名無史さん:2010/01/18(月) 21:55:32
439さんへ
http://www.5senzo.net/index.html この方の本に
家系図を作って先祖を
1000年たどる技術
同文舘出版より発売中
代表・丸山学の著作です
というのがあります(大きな本屋ならおそらくあります)
その中に菩提寺への手紙の書き方があります(いろんなパターンあり)
一読をお勧めします
特に言い回し方が勉強になります
469 :
439:2010/01/19(火) 07:31:47
>>468 1000年をたどる技術、というサイトを見たことがあったような。
書籍もあったのですね。ありがとうございます。参考にいたします。
一時期、大学の調査だと言って書状や系図を借りたいと訪ねて来る事が多かった
で、貸すとそのまま戻って来ない
どうやら詐欺で、売る為に回収してまわっていたようだ
今でも家系を捏造したい人が結構いて、古い系図は高く売れるらしい
家の辺りも関ヶ原で没落した武家が多く
甲冑や書簡を保有している家が多いと国誌でも紹介されている
それで目を付けられたのか知らんが軒並み被害に遭い何処でも紛失した
こういうのが出回って偽武家が増えていくのだろうね
面白くもあり怖くもある話だなそれ
家系捏造した本人は自覚していても、子や孫の代になると
そういう捏造家系でも堂々と「正当な子孫」と名乗りだす。
だからこの問題は難しく、根深い。
473 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 08:36:06
>>467 天保なら農民でも墓が御座います。
武士もしくわ上流階級の墓は、戒名の文字が多く、形が位牌墓(四角)ではなく、傘もしくわ屋根がついています。
474 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 17:35:43
>>472 私はその当事者です(被害者)。何代か前に系図を盗まれ、案の定、現在その末裔は正当な武家の子孫を名乗っています。
うちの母親の実家でも系図を盗まれたって言ってたな。
うちには姓が二つあったのだがその経緯について曾祖父の日記に記されていた
昔はある村の名主で広大な敷地を有しており御蔵番もやっていたらしい
そんな我が家に藩は借金をしていたが中々返してくれなかったそうだ
ある日、米を借りたいと頼みがあったが、内は貸す余分はなく
すぐに返すという事で蔵の米を貸した
そのすぐの後、いきなり藩による検問が行われ
蔵の米を勝手に使用した事により処罰された
つまり藩にはめられたのだ(母曰く)
家は取り潰され、家主は自殺または死罪で亡くなり、親族は皆離反、屋敷から誰も居なくなった
当然、ここで血は断絶
この時、隣の家に潔白を記した門書を投げたみたいだが、その書の前途については不明
土地とお蔵番はその隣の家の人が受け継ぎました
続き
その後、直江津から来た渡辺兵部という坊さんっぽい人が藩に頼まれで我が家を受け継ぎ
長男はうちの姓 次男は渡辺の姓
として曾爺さんの代まで続いてきた
日記だから創作の可能性もあるが
この渡辺の姓は実在で渡辺家紋が付いた位牌が一つある
多分この渡辺兵部さんのもの
しかし藩でのうちの記録は一切無く所在地くらいしか無いみたい
日記については曾祖母さんが亡くなった後に発見
何故、曾祖父の代で姓を統一したのかと言うと、単に戸籍が面倒臭かったみたい
オチは無し 駄文長文すみません
別に公家でも武家でも百姓でもいいんだけど
何十代も家系が繋がってる人が羨ましいお・・・
うちなんて昭和63年生まれの俺で9代目だお・・・
父と祖父は知ってるとして、知らない先祖が6人しかいないお・・・
つまんないお・・・
>>478 >別に公家でも武家でも百姓でもいいんだけど
今生きている人はみな原始時代から繋がっているよ。
名前が判らないだけ。
まあ、もっと言えばビックバンからだな
生物って何なんだろうな。
>>479 いや、もちろん史料とか系図にのってる先祖のことねw
何百年も前の何十代も前の先祖の名前がわかるとか羨ましいわ
江戸時代が初代だとしてもそれ以前の分家する前の先祖が勿論いるわけなんだけど
そんなの知りようがないからな
>>482 初代が判ればその周辺のことを調べてその一つの家よりその職種
や社会を調べていくほうが興味深いけどね。
484 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 09:38:53
北海道に住んでいます。移住した先祖はどんな人か知りたいのですが、そもそも北海道に来た人は裕福だったのでしょうか?
裕福なら移住などしない
武家や百姓は土地に対する固執が強いから余程の理由が無ければ動く事はない
486 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 10:27:15
そうですかぁ〜 北海道に移住した人は貧乏なのでしょうか? 祖父は土地を沢山持っています。お金がないと移住出来ないと思いますが如何でしょうか?
親戚の実家だが金沢から北海道に移住。網元でかなり裕福だった。
北海道から択捉かどっかの千島列島へ行き終戦で一文無しになる。
本州などで生活できない人が屯田兵として移住したとかが多かったんじゃないの。
移住してから苦難を克服して成功というパターンのほうが多そう。
>>42 21世紀に入って戸籍の電子化されてたぶん戸籍筆頭主が死んで
80年したら消去されると思う。明治19年式戸籍が残ってるだけでもすごい。
なんで小和田家は雅子さまのひいじいさんの代までしかわからないか?
小和田金吉が1900年に亡くなって1980年に小和田金吉の戸籍が処分されたからだと思う。
まてよ。戸籍制度があるのは中国と台湾と日本だけ。韓国は2009年
に廃止されたんじゃなかった?2050年ころ日本も戸籍制度が廃止
されるのでは?(2100年頃かも)戸籍制度のないアメリカでは3代前
すらわからないのが7割5分もいるらしい。
491 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 15:56:57
>>179 一番近い家系図偽造は「橋本龍太郎家」。
ハシリュウの祖父は橋本卯太郎でまちがいないが卯太郎の父は橋本源三郎
らしい。そこで戸籍謄本とったら卯太郎の父は橋本長吉で士族橋本源三郎家に卯太郎
が養子にはいったそうだ。この橋本長吉という人物はホームレスであのプライドの高い
ポマードが認めたくない事実らしい。久美子さんが龍太郎に「お前の先祖は乞食(エタだ」とからかうそうです。
492 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 16:11:41
ダウンタウンの浜田の長男が子供の頃「なんでお父さんは関西弁なの?」
ときいたそうです。ということは成城に豪邸をたててるひとも2代まえすら
しらないということでしょうか。浜田の祖父はたしか鹿児島の人とききましたが
>>492 2代ってわけじゃないが、有名人家系か名門の家じゃない限り、自分の曽祖父母より
前のことは知らないことが多いだろうな。
492って自分の曽祖父の名前とか生まれた場所しってる。
俺はまったくわからん。
役場が戸籍を消しても、ちゃんと調べて記録に残す人がいればいいよね
うちに養子に来た高祖父の実家では、昭和40年代?(まだ戸籍が「閲覧」できたころ)に
傍系まで調べまくった人がいて、その記録が大切に保存されて代々伝わってる(うちのじいさんも隅っこに載ってるw)
うちも早くやっとけばなー 明治26年脂肪の先祖は俺にはどうしようもないが、
その一代下の大正8年脂肪の先祖の戸籍は、あと5年早く調査してれば間に合ったのに・・・
第一電子化されて戸籍を保存する場所もほとんどいらないんだから80年で消す必要なくね?
遠い将来歴史史料として使われるかもしれないし、こっそり保存しとけばいいのに
過去帳とか調べれば江戸時代半ばあたりまで遡れるんじゃないのかね。
宗派によっては無かったりするのかな。
父方の寺は幕末に大火事があって、過去帳全部燃えてしまったらしい。
ある程度続く本家らしいんだが、過去帳は慶応年間から始まってる。
母方の過去帳は元禄から始まってかなり古かったが、所々法名しか書いてなかったり続柄が分からなかったりして、
あまり参考にならなかった。いま家督相続の件で親戚中が揉めてるので、コピーさせてくれと言いずらい雰囲気でw
仏様を拝むついでに少し閲覧させてもらってる程度。早く解決しないかなー。
>>494 戸籍(除籍)謄本が電子化されたのち現在入手できる一番古いのは何年式ですか
昭和23年式以前のは見れないと思う
うちでも親が遺産相続時(30年ぐらい前)に戸籍謄本を写したものがあるけど
一番古い先祖が天保生まれだったが身分などの記載はなく血縁関係のみのものだ
本当は明治5年式の壬申戸籍が入手できればいいのだけど今となっては不可能だからなぁ
499 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 00:19:36
>>498 うちは母方の祖母が、お墓を新しくするときだかに先祖を調べたらしいが、一応
文化年間に産まれた人までさかのぼれた。
家の過去帳でずっと屋号を襲名してて
夭折しちゃって養子が入ったところから屋号じゃなく今の自分の苗字が使われてるんだけど
ここで身分変化みたいなのあったのかな?下の名前はそっからも襲名していってるんだけど
>>501 >452と同一かな
苗字は武士以外の商人も内々に持っていたので家の過去帳に記載してあっても不思議ではない。
それに商人であっても藩御用達などは一代限りの苗字を許される場合もあったし
一度、寺の過去帳を見たほうがいいな。
503 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 01:34:14
戸籍謄本が昭和23年式以前のは見れないとなると、
これから先祖探しを計画してる者にとって最悪だな
なんたって内容的に是以上の情報ってないだろ
妻方、母方、祖母方、曾祖母方を含めて明治19年式以降全て入手してた俺は幸運か
>>498 は不正確
除籍簿の保存義務は「除籍されてから80年」なので、現在昭和5年以降の除籍は戦争で燃やされてなければ原則として残ってる
当時は大正4年式だから、昭和22年時点で日本国籍(内地人)の直系先祖が1人でもいれば、大正4年式は手に入るんじゃないかな
問題は明治19年・明治31年式だが、これらの改製は地域差もあってバラバラ(全国一斉に何年以内に改製、ということではなかったらしい)
明治19年式の戸主が戦後まで生き延びた(or隠居しなかった)場合、昭和22年まで残ってて急いで改製した市町村もある これは今からでも見れる
明治31年式も、戸主が死亡・隠居せず、大正4年式に改製しなかった市町村なら、昭和30年代に改製されてるのでこれも余裕で見れる
なお、明治5年式(壬申戸籍)をなかなか改製しなかった不届きな市町村もありw
そういうとこでは保存期間内のはずの除籍が、壬申戸籍で封印されてるため出てこなかったりするwww さすがに年々減ってるけどな
505 :
日本@名無史さん:2010/02/03(水) 17:51:25
附籍って何なの
506 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 08:08:29
age
507 :
日本@名無史さん:2010/02/17(水) 17:51:15
あああああげ
郷土資料館へ行って先祖調査をしてきたよ。
見たのは「○○藩諸士系譜」で寛政五年(1793)に先祖が藩へ提出した系図。
これで5代遡り1500年中旬まで確認が出来ましたが、文禄の役で戦死した先祖がいて驚きました。
さらに遡るにはどんな文献を調べたらいいでしょうか?。
>>504 大正4年式にしろ内容は殆ど同じだよ
>>508 そこから先は大名ですら殆ど分からないから難しいと思う
書状類から軍記物まで片っ端から調べて符合するものを探すしかない
地侍レベルだと絶望的
510 :
日本@名無史さん:2010/02/18(木) 04:25:15
>>508 おお、素晴らしい。
俺の先祖も文禄の役に駆り出された。
さらに遡るといいね。
俺のところは、桃山末期に分家した。
家老(本家)がレベルだったので、資料が残存していた。
家の過去帳みたら苗字○左衛門が何代も続いてたんだけど
○左衛門は通称で苗字○左衛門なんちゃらって別に名前はあるもんなの?
512 :
508:2010/02/18(木) 20:47:38
>>509 >>510 レス感謝します。
永年系図が結び付かず悩んでいましたが漸く11代前の先祖まで辿り着きました。
ただ結構うるさく質問されるし、さらに事務所内で白手袋をつけて調べました。
それと出身地の郷土資料館まで高速で2時間以上かかるのが難点と云えば難点。
しばらくは先祖の功績などを藩の文献等で追ってみたいと思っています。
>>511 別に名前がある
うちも代々弥兵衛が通称だけど全員名前があります。
○○弥兵衛氏静、○○弥兵衛氏意とか
513 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 13:06:35
おまえら自分の曽祖父の名前すらしらないやつばかりだろ
>>512 過去帳って普通は通称だけを書くものなのかな?
名前調べるには寺行ったり除籍取り寄せたりしないといけないの?
てかみんながみんな通称の他に名前を持ってるものなんだろうか
てか通字とかカッコいいな氏なんちゃらって
515 :
508:2010/02/20(土) 00:26:37
516 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 08:19:25
除籍謄本の江戸期の部分に苗字があるばあいは
苗字が元々あったんですか?
ちなみに母方、岐阜の森、父方、名古屋の中島
戸籍は全員姓があるよ
519 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 17:57:08
>>516 要するに、江戸時代に生まれてる人のことでいいの?
それは俺も知りたい
520 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 19:03:23
載ってるのが江戸時代の人物であろうと何だろうと、
除籍そのものが作成されたのは明治時代なんだから、
苗字が付いてて当たり前。
例えば明治期に中島って苗字の戸主がいた場合、
その父や祖父の代にもし苗字がなかったとしても
戸籍に書く時は同じ苗字をつけるだろう。
中島さんちのおじいちゃんだから中島って具合に。
江戸期に苗字があったかどうかは、郷土史でも見たらわかるよ。
名字帯刀の家系なら市誌や郷土史に名前くら載ってるだろう。
武士なら分限帳みればいい。
土地持ちの本百姓なら、公称できなかっただけで苗字を持っていた可能性はある。
寺の過去帳や宗門改め、名寄せなどの古文書などを確認するといいよ。
明治に初めて戸籍簿を作った段階で士農工商問わず全てに苗字がついたので
除籍謄本では江戸期に苗字の有無はわからない
ただ壬申戸籍には士族、平民等の記載があり士族だと江戸期から苗字があったと
想像はつくけどね
うちの方は過去帳とか藩の記録でも百姓は姓書いてないな
庄屋でも姓は書いてない
郷士は書いてあるけど
それが普通だと思うよ
そうなんだよな
「〇〇村 吉衛門」とか「庄屋 又兵衛」とかしか書いてないから何処の誰なのかさっぱり分からん
その過去帳ってのは寺のほうだよね?
自分家の過去帳にはちゃんと苗字書いてる?
俺んとこは村の有力者の文書の中に、姓がついた名前発見した。「山田家文書」みたいなやつね。
享保年間に庄屋へ出した手紙の差出人が先祖で、姓+名前で書いてあった。
でも先祖は名字帯刀の武士じゃなくてちょっと裕福な百姓程度だから、普段は姓を使っていたが公的な文書には残せない。
有力者の私的な文書だからこそ書いてもOKだったんだと思う。
それと直系先祖のお寺さんの過去帳は約400年前から各家々でまとめてあるタイプのやつで、
こっちは帰農武士で長年百姓やってたけど姓ついていたよ。
お寺さんのは家々でまとめてないのがデフォだろうからたまたま俺は運が良かったんだと思う。
藩の記録などはおそらく公の記録の部類だから、名字帯刀許されてない人は姓乗せないんじゃない?
平民の姓の存在を確認するには私的な内容の古文書を見つけることが先決なのかもな。
527 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 18:07:33
墓で最も古い年号教えて! 墓の大きさで身分は分かりますか?
528 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 23:39:41
>>520 >名字帯刀の家系なら市誌や郷土史に名前くら載ってるだろう
もう少し詳しい助言を!
辻の庚申塔や神社の灯籠の台石に先祖の名前があるが
名字付きだよ、正真正銘の百姓だがwww
530 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 17:46:38
>>527 元禄が最古で墓は約2メートル。戒名は信士、下級武士。いったい何がしりたいの?
531 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 18:15:46
>>528 村誌や町誌は、その村や町の沿革や詳しい歴史や風土やら載っていて、
そこで活躍した人物なんかも書いてある。
村一番の商家、草分けになった人物、庄屋の家系・・・・。
名字帯刀許された程の人ならきっと歴史に名を残してるので、
名前探せばどこかでHitするよという意味です。
小さな村のマイナーな歴史は教科書には載らないが、
その村の郷土史には詳しく書かれている。
当然ながら、市誌より町誌、町誌より村誌のほうが、
ピンポイントでマイナー史実を残してくれている。
系図がどうだけじゃ解らないな。
系図屋に作らせただけかもしれんし、上のほうにあるが
盗んだ系図かもしれん。
詐称した本人は後ろめたい思いを持ちつつ生きるが
その子や孫の世代になると堂々と子孫と名乗りだすからな。
535 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 09:46:25
>>530 元禄の墓はどのような御形でしょうか? 石質は?
祖父に我が家の家系図のことで聞いたが話が全然かみあわない
何てことはない、家計簿と勘違いの話だもんな
こんな家だから先祖なんて調べるのやめたよ
537 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 21:11:01
諦めたら終わりだけどね
俺んちは誰も興味ないが一人で頑張っている
>>505 附籍は、親族じゃないんだけど一緒に住んでた人が書かれたものです。
丁稚奉公とか遠縁とかでよそからきて一緒に住んでる人。
昔は戸籍が住民票の役目も果たしてたので実家ではなく住んでる市町村の簿にのっけてるんだけど、
戸籍には名字が同じ親族しかのらないので別になってました。
539 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 23:37:18
韓国じゃ先祖が分からんような家なんてないが倭人は数代前すら分からんのかw
白丁乙
541 :
日本@名無史さん:2010/03/15(月) 15:32:48
>韓国じゃ先祖が分からんような家なんてないが
(笑)
542 :
449:2010/03/15(月) 17:31:09
チョンは一人残らず(自称)貴族の子孫なんだろwww
もともとチョンは奴隷民族だがなwww
旧約聖書ですかwwww
神さま、もっと!と神父様におねだりする国なんだろう?
誰の子かなんでわかりませんよね。
545 :
日本@名無史さん:2010/03/16(火) 23:24:26
先祖の載ってる除籍謄本を45通くらい集めたけど、
11家のうち9家14通の明治19年式の謄本がとれた。
19年式が取れなかった家のうち1家は明治32年に戸主が隠居した後
編製された31年式の戸籍が一番古い戸籍で(前の戸籍が壬申戸籍だった可能性大)
もう1家は関東大震災で明治の戸籍が焼失していた。
>>545 問題はその先の調査だね。
武士だったら分限帳とか藩諸士系譜などでいくらでも手がかりを掴めるけどね。
547 :
日本@名無史さん:2010/03/18(木) 08:32:34
>>545 一番古い先祖(年号が書かれている)年号教えて下さい
>>520 >>516 は江戸時代に他家から嫁や養子に来た場合の旧姓の話じゃないかな
うちも、12高祖母の祖母(文化年間生まれ)が、12高祖母の嫁入り前の除籍にまだ生きてて
「天保×年・・・○○やる夫長女入籍」 と苗字が書かれてる。
他にも江戸時代の嫁入りの記載はいくつもあるが、すべて旧苗字の記載がある。その中でこの天保が最古。
19年式の元となった壬申戸籍は、宗門改帳を元に編纂されたと思うけど
維新の40年近く前の嫁入りの実家が、明治になって何の苗字を名乗ってるかまでわざわざ調べたのかな?
明治の頃の戸籍とかかなりいい加減なものだから役人としては真偽なんてどうでもいいし
口頭で聞いたの適当に書いていっただけだから調べるとかはないだろうね
大将や侯爵でさえ間違った名前で登録されてしまったぐらいだし
550 :
545:2010/03/19(金) 00:58:12
>>547 文化生まれの人
>>548と同じくに天保に入籍した記載あり。
そういや江戸時代に入籍した人で、二人父親の苗字が書かれてなかった人がいた。
>>548 うちの先祖の中で戸籍とれた10家のうち、
江戸期に嫁に入った人でも全て苗字(旧姓)があるよ。
でも嫁の実家含めてみんな平民。
戦国まで遡れば武士という家も多いが、入嫁当時はもうただの農民だ。
>維新の40年近く前の嫁入りの実家が、明治になって何の苗字を名乗ってるかまでわざわざ調べたのかな?
嫁が実家へ苗字を聞けば済むこと
553 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 14:13:24
554 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 18:31:52
>>549 それは西郷兄弟だな。
吉之助の実名は「隆永」だったのに、父親の名の「隆盛」で届けてたり、
信吾の実名は「隆道」なのに、音読みで「リュウドウ」と届け出たのを、
戸籍吏が聞き違えて「従道(ジュウドウ)」になったりとか。
二人ともあとから訂正しようとしなかったのが、薩摩人らしいというか、
アバウトというか・・・
555 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 20:20:38
しかし除籍簿って80年過ぎてても結構廃棄されてないものなんだな
556 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 22:56:30
>>547 寛政八年三月二一日生まれ (1796)
死亡記載 明治二一年七月十一日死亡
九十二歳で死亡してます
戸主の母親として記載
ちなみに息子である戸主は文政三年生まれ明治二二年死亡
天明はないだろな
19年式だとそうなるでしょうね
558 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 08:37:54
うちも文化生まれ天保入籍が一番古い人。
>>558 ホントに捨ててるのかはわからんが、名古屋市は80年きっかりで「出しません」が多いね。
明治43年に廃家して入家つーのがあって、もといた廃家した所のが出なかった。
期限過ぎたら即廃棄というわけではなさそうだよ。
実際に役所の人から聞いたのだが、
「データは残っているが、申請があっても出さないよ」
というスタンスだった。
120年前に除籍になった謄本が取れた俺はかなりラッキーだったのか
と、云うより長生きしたご先祖様に感謝すべきだね
田舎の方だと未だに土地名義が明治初期の人とかあるからね、いづれ相続が絡むと。。。といっても戦前のは家督相続で面倒な手続きはなさそうだが。
うちの町は、合併の時に新市の他市町村にあわせて廃棄した
伯父が市長と親しかったので、残ってたら見せてもらおうと一緒に手土産持って挨拶に言ったけど
「出しません」じゃなくて、本当に廃棄してた・・・w
どこから除籍謄本なのかが分からんが、
おそらく昭和7年没の曽祖父(婿養子)か大正15年没の曾祖母までかな
それ以前は過去帳頼りで、一番古いのが文化10年没だわ
古いのもスキャンして持ってるのがわかってるのに80年で「出しません」って役所に対して
情報公開請求したら通るのかな?壬申戸籍はともかく19年式はあったら出ないかな?
567 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 08:36:55
公務員の仕事が減るので嬉しいばかりだな
手土産で見せたら首になるからね
廃棄したって言ったんだよ
戸籍法施行規則を改正して、除籍の保存期限を
80年から150年に変更することを今法務省で検討しているそうです。
えっ本当ですか。実現したらとても嬉しい。
でも80年過ぎた時にさっさと廃棄しちゃった分は無理か。
廃棄と言いつつ実は残してある分のみ、復活するんだろうか。
やはり現時点で80年未満のものと、80年越えでも未廃棄だった分だけが
セーフってことになるんですかねー。。。。
570 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 12:13:22
ほんとだググッたら出てきたよ。知らんかったわ。80年では相続登記などで支障が出る云々と書いてあった。
廃棄というのはどうせ非公開という意味で、除籍データは残していると思われるから、
今迄断られてきた除籍も入手できるようになるわけだ。
万歳!
571 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 14:02:48
573 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 21:42:39
早く150年にならないかな
いつ頃なるんですか?
法律だから1年以上はかかりますよね
>>569 残ってるなら可能な限り復元してくれってパブコメに出した
>>573 公布後1ヶ月の予定だって
576 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:35:20
実際になるかどうかはまだ不透明
廃棄処分はしていないと思うけどね。
壬申戸籍だって現存してるって噂があるし・・・。
公文書としては「廃棄」して謄本の発行は応じないけど、
実際には捨てたり燃やしたりシュレッダーにかけたりせずに
置いといてる例が多そうだね。
579 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 23:40:28
また部落ですか・・・w
壬申戸籍なんて、さっさと焼却するなり裁断するなりして、
完全に消滅させた方がいいのにな。
また湧いて来たw
正直、先祖の墓守してる直系子孫の家の人間にしてみれば、
会ったこともない、名前も知らない、どこの誰ともしれん遠縁の人間に、
勝手に自分の家の戸籍をのぞかれるのはたまったもんじゃないよな。
祖母方だの曾祖母方だのと称する、何代も前に嫁に出した人間の子孫になんて、
自分の家の直系の先祖の戸籍をのぞかれたりしたくないと思う。
583 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 00:08:11
同和や朝鮮人は昭和初期以前の歴史はなかったことにして欲しいらしい。
彼らの得意技は放火
584 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 23:03:46
>>578 ということは再度交付できるのではないでしょうか?
やった 廃棄といわれたものが手に入るかもしれません!!
585 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:19:46
壬申戸籍はブツそのものを廃棄した方がいいと思うけどね。
586 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 01:29:06
人権問題板のキチガイ
587 :
日本@名無史さん:2010/03/24(水) 13:02:18
戸籍の記載ミスについて語ろう。
戸籍の話で盛り上がってきたね
一度廃棄扱いにしたものを再度文書として出すなんてできるのかな?
やっぱり今まで廃棄したって言った分は除籍謄本は出せないようになるんじゃない?
実際にやる手間をかけるかっていうとやらなそうだけど、
ねーっつってた書類が外務省から出てきたりするし不可能ではないんじゃない?
592 :
日本@名無史さん:2010/03/25(木) 06:08:24
廃棄した除籍簿は、きっちり焼却するなり裁断するなりして、
跡形もなく消し去るべきだな。
狂人はほっといて本論を進めようか
594 :
日本@名無史さん:2010/03/25(木) 22:30:06
596 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:20:11
家紋
597 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:34:32
壬申戸籍はいろいろ弊害があるから封印されたわけで、
そんないわくつきの厄介な代物を保存しておく価値はない。
害のある物なら、さっさと焼却するなり裁断するなりして、
跡形もなく消滅させるべきだ。
598 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:36:29
そもそも先祖調べなんて後ろ向きな趣味の連中のために、
除籍簿なんか保管しておく必要はない。
一定期間が過ぎて用のなくなった除籍簿はきちんと廃棄すべきだ。
599 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:24:54
>>598 それは先祖に自身がない者が言うことだ。ほとんどの人が5代以上先祖を遡れない状況で
除籍簿は貴重な史料なのに、それを廃棄しろなど、マトモな日本人が言うことじゃないだろ。
600 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 00:11:23
>>598 温故知新という言葉を知らないのだろう
先祖の足跡を調べて自分の人生の指針にする
悪いことではないが?
そもそも何故後ろ向きな趣味と断言するのかが不明
601 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 03:13:36
戸籍に関わらず、せっかくの資料を廃棄する意味が分からない。
602 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:37:50
プライバシー保護の観点だな。
603 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 13:10:32
役所としては、相続とかに何にも使えなくなった
個人情報満載の除籍簿をいつまでもとっておく意味もないしね。
604 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 18:20:07
個人情報って死後何年とかないのかな。
隠して欲しい家は身分証明をして申請し、その他は図書館で管理すればいいのにな。
605 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 19:55:12
除籍簿(戸籍)は現代から遡ることができるのが問題だ。
大学や図書館などに所蔵されたたり、活字化されている藩士系譜集などは、
幕末か明治初期で終わっており、それを見ただけでは現代の子孫と結びつかないが、
戸籍簿は現代と過去を遡ることが可能だからプライバシーの問題が出る。
母方とか祖母方とか称する女系子孫や縁者に自家の直系先祖の戸籍をのぞかれるのも、
いい気分がしない人も多いだろう。
606 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 20:25:14
他人に先祖の戸籍を見られるのが嫌っていうのもよくわからないんだけど、
縁者も嫌ってw
自分も見たくないってことなのかな。
じゃあ、そういう人に配慮してあげて、つながりのない名簿として図書館に置くとか。
自分の家なら先祖の名前くらいはわかるだろうから、公的資料を確認するという
先祖探しの要望も満たせる。
607 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 20:57:12
名前も顔も存在自体も知らないような縁者は、アカの他人も同然だからな。
そりゃ、直系の先祖の戸籍を見られると、いい気分はしないだろう。
608 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:06:16
除籍謄本は直系の子孫に返せばいい。廃棄するなど論外。朝鮮人じゃないんだから
609 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:15:33
直系の定義ってなんや?
そもそもそんな定義があるのか?
610 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:22:55
返却だと散逸したり偽造が出てきたりで、後世に残す資料としての価値を
低下させてしまうので、なるべく公的機関で閲覧管理するのが望ましいな。
611 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:22:59
すみません
先祖調査をしてこのスレを見つけました
ご教示願いたい事があります
私も戸籍で江戸末期までは遡れました、それ以上はセオリー通りに調べました
お墓や位牌、過去帳などを見て先祖の名前が出てきますは
しかし、問題があります、それはこれらのご先祖様の続柄が不明なので家系図が
作成できない状態です。没年などでおおよそこの人の親はこの人だろうという
推測はできますが、完全ではないので躊躇します。
さらには同年代成人男性、女性も多くおり関係が分かりません
(文化、文政で7人います)
おそらく、兄弟や20歳前後で亡くなった子供だと思いますが、関係性が不明です
よく江戸中期まで遡れる方っていうのは家系図とかがあり、それと相対する位牌などが
あるから判明するのでしょうか?
それとも勝手な推測で決めているのでしょうか?
まだ始めたばかりなので分かりません
よろしくお願いいたします。
612 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:48:04
女系子孫は直系かと
家督相続がなくなったから一人だけを決めることはできないだろ。
614 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 00:12:30
私も文政時代の先祖とその前代の人との続柄がはっきりしないところがあります。
ただ養子としか書かれていません。前代には実子(男子)が数人いるにもかかわらず養子を迎え、その後の代は
養子の子孫が跡を継いでいます。その養子は親戚だと思うのですがはっきりしません。
実子がいるにも関わらず、全く他人を養子に迎え血統を絶やすことなど考えにくいのですが、これはどう解釈すればいいのでしょうか?
うちもはっきりしないところがある
6代前が寛政5(1793)年の段階で子供が娘1人だったのに、
20年後の文化10(1813)年に5代前が生まれている
どう考えても不思議だし仮に娘の婿養子にしては年が離れ過ぎている。
いずれにしても養子と思うがはっきりしない
因みに9代前の子供も娘ばかりで8代前は婿養子となってる
616 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 17:02:09
よく江戸中期まで遡れる方っていうのは家系図とかがあり、それと相対する位牌などが
あるから判明するのでしょうか?
それとも勝手な推測で決めているのでしょうか?
私の場合、繰出位牌になっていましたので判明しました。
その位牌と墓石が一致しました。
勝手な推測を書き込むと後世の恥ですよ!
>>614 当時、全国津々浦々必ずしも男子長子相続だったわけではなくて
長子が娘だった場合、その娘が相続者として扱い、婿を入れて家を継がせるという
相続法をとるような地域もありました。
この相続法は男子労働力を早いうちから確保できるというメリットがあったようです。
もしかするとそういうケースだったのかもしれません。
618 :
614:2010/03/30(火) 19:32:14
墓、位牌はあるのですが、続柄は書かれていない。過去帳はあるのに、その養子の前の代までしか書かれていない。
養子を機にまるで別家のようになっている。しかし親跡の身分を相続している。もうわけがわかりません。
養子の出自を隠しているのかと思うくらい史料がない。全くお手上げの状態です。
>勝手な推測を書き込むと後世の恥ですよ!
そんなら他人に頼らず自分で調べなよ
620 :
611:2010/03/30(火) 20:51:26
>>616 それは
位牌がありお墓もあったという事ですよね?
それが一致するというのは私の家でもあったのですが
両方とも続柄が無いので100%確実に関係を証明できないもどかしさがあります
○○父とかあればいいのですが・・・
養子もありますがそれはもう今なっては分かりませんね
ただ唯一あったのが○○妻父親 ○○妻母親とあり この当主の母親も ○○母 とあったので
当主が婿養子だったんだな〜と思いました
621 :
日本@名無史さん:2010/03/31(水) 14:37:26
>>619 自分で納得の上、系図を書きました。
全ての証拠があって初めて書き込むべきです。
推測の場合、はっきり推測と書込み、後世に任せると書き込んでいます。
明治19年式の除籍で前戸主のところに区(上の一がなくて中はメか人)父○○とあるんだけど、
これって継父の略字?
623 :
日本@名無史さん:2010/04/06(火) 15:06:12
624 :
622:2010/04/07(水) 19:15:42
625 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 15:27:24
あげ
626 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 17:51:39
物凄くアホな質問になるんですけど、何と無く自分の先祖が何者なのか知りたくなり
自分の苗字でググったりしてたら、会津葦名氏の家来の名簿(?)みたいなのがヒットしまして
その中に、○○なんとか右衛門っていう自分と同じ苗字の人物が数人いたんですね
この○○っていう苗字の家は福島でも一部に集住してて、世帯数もそれほど多くは無いんですよ
そう考えると、この名簿の人物が自分の遠い遠い先祖である可能性は無くは無い(笑)と思うのですが
どう思いますかね・・・
627 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:37:09
>>626 家に伝わっている話はありますか?
名簿はいつの時代のものですか?
家来の名簿とは武士の名簿でしょうか、領民の名簿でしょうか?
>>627 興味が無いのかそういう話が出たことすら無いので、なんとも言えないです
ただお墓などを見たところ、それほど古くに分かれた家ではないように思えます
お隣の同じ苗字同じ家紋の御墓なんかは江戸時代後期頃までは遡れるようですが
名簿の時期ですが、蘆名盛氏の時代の物のようなので戦国時代のものだと思います
恐らく分限帳みたいなものです
ちゃんと長兄が家督相続してるのに(さらにはその後をつぐ男子も生まれてるのに)、妹が婿をもらってその後分家する、ってどんな事情が考えられましょうか?
うちの先祖がそんな感じで、明治期のことです。
630 :
629:2010/04/14(水) 04:46:19
ちなみにその妹は初婚ではなかったらしく、女の子の連れ子がいたようです。
631 :
日本@名無史さん:2010/04/14(水) 06:55:22
632 :
日本@名無史さん:2010/04/14(水) 06:58:24
633 :
日本@名無史さん:2010/04/14(水) 07:01:05
634 :
629:2010/04/14(水) 11:25:04
追加情報です。地元では庄屋とか大庄屋をやってた家はこの姓が多かったとか。婿に来たのは峠を一つ越えた所出身の、古くは武家だった家の人だったそうです。
明治になると往来自由だから一旗挙げようと土地を飛び出した者も多かったはず。
そうは云っても先祖の土地家を守る者が必要なわけだし妹が婿を取って相続したとも考えられる。
636 :
439:2010/04/15(木) 22:11:31
439です。
実際に仙台に行ってお寺巡りをしてみましたが、古いお墓は戒名の記載だけだったり字が読めなくなっていたりで、
見つけることはできませんでした。
が、後日宗派を絞って4つの寺に手紙を書きました。高祖父の墓を探していること、実際に行ってみたがどうにも
見つけられなかったこと、もし何か情報があれば教えて欲しい旨を手書きで書いて。
すると、そのうちのひとつのお寺から電話があり、高祖父のお墓が残っていることが判明しました。
住職が言うには、100年もお参りする人がいない墓がなぜ残っていたのかわからない。普通だったら既にお寺
管理ということで無縁墓?に一緒にしてしまうはずなのに、奇跡的です、とのこと。
過去帳もあるようですが、高祖父の父までしか記録がないとのこと。そこまでは戸籍からもわかっている範囲。
さらに意外なことに、仏教徒だと思っていた高祖父が実はキリスト教徒だったことも判明。墓には十字架が
刻まれ、キリストが亡くなってからの年数が刻まれ、過去帳には「耶蘇」の記載があるとのことでした。
先祖探求はお墓と過去帳の発見をもって終了となると思いますが、100年ぶりにご先祖の足跡を発見することが
できたことで非常に満足しています。近々お参りに行ってきます。
いろいろとアドバイスを頂いた方々、ありがとうございました。
>>636 それは良かった。ちょっとキツイことも書いたが許してくれ
638 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 09:23:06
江戸後期の隠れキリシタンなら墓はないはずだが!
639 :
439:2010/04/16(金) 12:45:56
そうなんです、そこは謎なんです。
高祖父は明治13年に亡くなったので、高祖父が建てた墓なら問題はありません。
墓は全部で5つあるのですが、それのすべてに十字架等が刻まれているようです。
高祖父の父の没年や墓の建立年を確認してみないとわからないので、次にお寺に
行ったときに見てみようと思います。
住職もなぜキリスト教徒の墓があるのか、檀家関係にあったのか不明だが過去帳
があるということはそれに近い関係だと思う。とても不思議だけど面白いので、過去の
記録をいろいろ調べてみたいとおっしゃってくれました。
640 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 17:41:14
推測
隠れキリシタンがばれて、御咎めを受けた。
農民ではなく武士だったと思う。
先祖は切腹したと思われる。士族につき墓を作った。以上
641 :
439:2010/04/16(金) 22:43:17
>640
ありがとうございます。そういう推測も成り立つのですね。
キリシタン=切腹だったのかなぁ。
先祖の命日がみんな近かったりしたら、その可能性はあるかもしれませんね。
農民か武士かはわかりません。
ただ、高祖父の父の妻は甲斐の武田正助の娘、高祖父の妻は伊達の片平大丞教敬の娘、曽祖父の娘は
南部の南部**(自粛)の娘、ということを勘案すると、武士の可能性が高いと思われます。
642 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 10:25:00
推測が当たりました。
>>641 ご先祖のことが多少なりとも分かって良かったですね。
>高祖父の父の妻は甲斐の武田正助の娘・・
ってことは高祖父の父は仙台じゃなく甲斐(山梨)出身とも考えられるね。
藩主じゃない限り他藩との婚姻は有り得なかったと思うので高祖父の父か、高祖父の時に
何かの理由で仙台へ引越したのかな。
644 :
439:2010/04/17(土) 16:54:23
>643
ありがとうございます。本当に少しずつですが、わかってくるのが本当に嬉しいです。
戸籍上は高祖父の父は仙台にいたようですが、その前どこにいたのかは不明です。岩手とも聞いております。
高祖父の父である宗園は仙台の中杉山通りに居を構えていたのですが、妻のみきの前戸籍は東京府麻布区
市兵衛町となっております。(原戸籍の取寄より)
仙台にいた高祖父の父が、なぜ麻布に居住していた甲斐武田の方と結婚したのか、まるでわかりません。
645 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 19:18:25
アホ100年前に切腹なんてないよ
ありえない話だよ
そんな奴は法螺吹きだよ 宗派べつに手紙を書くなんて 穢多の先祖探しだろ?
646 :
439:2010/04/18(日) 21:01:39
>645
おっしゃる言葉の意味がよくわかりません。
648 :
439:2010/04/18(日) 22:06:14
>647
はい、ありがとうございます。
まあ、切支丹が切腹とかギャグだけどな
650 :
日本@名無史さん:2010/04/19(月) 03:21:09
明治になっても有名な浦上崩れ等の弾圧はあったけれども、
その後1873年にキリシタン禁制はとかれている。
しかしキリシタンへの異端の目が早急に無くなったわけはないので
明治の初期に東北の地で騒動が起こってもおかしくは無いのだけど、
649が言っているように(士族といえど)キリシタンが切腹とか、変。
(誰に命じられての切腹なのか? 周囲の目に迫られてなのか?なのも謎)
しかもそういう亡くなり方をした異教徒一族の墓を、なんで仏教の寺に
きちんと建立できたのか?という疑惑もでる。
「無縁墓に合祀されてないのが奇跡」って話にも疑問が。
寺は、供養者のない墓を無縁墓に合祀する場合は
関係者に少しでも連絡をとろうとするのが寺の務めなので、
寺院にはその記録はあって良いはず。
(逆な見方になるけど)寺は墓をちゃんと管理しているものだよ。
単純に叩くのではなく、真面目に考えても?な部分が多いのは確かだ。
それに、何十年も昔のこととはいえ
人物の具体的な名前や戸籍まで書き込んでいる事は理解に苦しむ。
651 :
439:2010/04/19(月) 06:08:48
>650
私も実際に切腹したとは思っておりません。
ギャグだろうが640がせっかく書き込んでくれたので、無下にするもの悪いと思いまして。
キリスト教徒だったのは確かなようですが、なぜ仏教の寺に墓があるのかは、住職にも
わからないそうです。もちろん私にもわかりません。実際に行ってみて、墓の建立年等
を見てみると、少しは年代が整理できると思います。
無縁墓の話は住職の話をそのまま書いたので、なんとも。名簿上は曽祖父が仙台にいた頃
の住所までは出ているようですが、明治末期に仙台を出て以降の記録はない、とおっしゃって
ました。墓には苔が生え、両側には木が生えて隠れたような状態になっていると聞きました。
戸籍の件は・・・墓が見つかった興奮でつい書き込んでしまいました。おっしゃる通りです。
自重します。
改めて云うけど・・・
悪い事云わないからお墓を探してお参りをしなさい。
墓石が色んなことを教えてくれるからさ。
うーん、要するに何も定かでは無いってことだねw
江戸時代の初期に、キリシタンの弾圧があり
日本中の諸藩でも幕府の手前もあり争って弾圧、迫害をし
欧州の少年使節を出した伊達家でもそれはあったと思う。
651氏のご先祖は、その弾圧を潜り抜けて潜伏し続けた信者なのか、
または明治の禁教解禁をうけて、もと武士階級の人々でも
受洗した人々は居るのだが(元幕府見回り組の今井信雄とか有名だ)
仏教から離れたかどで死を命じられるとか、あまり聞いたこともないけどね。
まあ2ちゃんとはいえ、プライベートなことを書くのには
注意してください。
654 :
日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:36:09
655 :
439:2010/04/20(火) 07:20:31
>652
たびたびありがとうございます。5月にお墓参りに行くことにしました。
>653
そうですね、書いたこと以上のことはわかっておりません。
うちの先祖 久保(ひさほ)四国の豪族なんだけど(そこまでは完璧)
あの平教経の子孫らしいでも調べると平教経に子孫いない・・・
時期的に関ヶ原前後で嘘の家系図流行った時期だし先祖に不信感w
平教経に子孫がいるかいないか知ってる方いませんか?
系図や所説でも、教経に妻や子が居たいう記録は無い。
「平家物語」での勇壮な死に様から、教経は人気のある人物なので
その子孫を名乗るような家は各地に多数あるんじゃないの。
平家の公達の子孫を名乗るとかはもう「落人伝説」と同じレベルかと。
だよなー
少し出版物で先祖のこと調べるとちゃんと平教経の子孫って書いてあるからテラワロスw
物によっては遠縁とか書いてるのもあるけど
もういいや400〜500年前までわかってるだけでもまだマシだと自己満足
659 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 23:33:46
ウチは古代まで遡れて、和邇氏発祥らしい。途中で庄屋になってるから
たぶん庶流だと思うけど。600年前の墓が残ってる。
600年前って室町時代ですか?ずいぶん新しい住人なんですね。
私の家は、式内式神社と同に名前の珍しい姓です。
しかも、その神社の分布と同姓の人の住んでいる地域が一致するので、
たぶん、式内式神社の神官の血を引くのではないかと思われます。
661 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 00:36:03
銅は、純度を上げるほど鋳造しにくくなります。
適度に不純物の混じった粗悪な銅を使った方が、模様のはっきりした銅鏡ができるという矛盾。
そういえば、藤原紀香も「自分の先祖は平家」なんて
超おおまかなコトを言ってて、笑いモノになってたな。
>>663神武の子孫が、被抑圧者の山の民サンガにされてたりしますからね。
むずいな
666 :
日本@名無史さん:2010/04/27(火) 15:09:30
あげ
667 :
日本@名無史さん:2010/04/28(水) 15:11:14
直系ってのがよく分からないゆとりなんですが、例えば、
(一)自分の両親が離婚して、自分が田中太郎(長男)、父が山田家十代目山田一郎、母が旧姓に復して田中花子で、
母親に引き取られた場合、自分は田中花子家の二代ですか、それとも、山田家十一代目ですか。
(二)自分の両親が離婚して、自分が田中太郎(長男)、父が山田家十代目山田一郎、母が姓を戻さず、山田花子のままで
母親に引き取られた場合はどうですか。山田花子家二代でしょうか。
(三)自分の父方祖父母が離婚していて、祖父が鳩山権兵衛、祖母が石橋クマ、祖母に引取られた父(長男)が石橋太郎で、
その父が又離婚して父石橋太郎、母氏を変えず石橋花子、母に引き取られ長男の自分は石橋太郎、
二男の弟は父に引き取られ、弟は石橋次郎である。
この場合は、自分は石橋花子家二代、弟は石橋クマ家三代となるのでしょうか。
各々の場合について教えてください。
668 :
日本@名無史さん:2010/04/28(水) 16:57:55
>>439 >>655 うちの遠い親戚に、元仙台藩士で、明治のはじめ頃に、ニコライ神父を殺しに行って
彼の真摯な態度に感銘して、逆にハリストス教会に帰依して、耶蘇となった家系がある。
その時の同士の元土佐藩士のことは、先日の大河ドラマ龍馬伝でやってたでしょ。
そうなのか
藩士、直参に関わらず、
維新後にクリスチャンになったのなんて
探せば結構居るもんだからね。
(京都の)同志社創立時に改宗した学生のなかにも
士族なんてたくさん居たわけだしな。
ふむ
672 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 15:55:35
ふむ
673 :
日本@名無史さん:2010/05/10(月) 22:41:30
除籍謄本の保存期間が150年に延長されることが正式に決定。
ソースは5月6日の官報。
施行は6月1日から。
>>673 処分したと云われてた明治19年式なども復活するってことかな?
廃棄扱いにしたものはそのままでしょ。
(*´・д・)(・д・`*)エー
677 :
pure audio香具師:2010/05/12(水) 00:53:38
親戚中聞きまくって、先祖の菩提寺かも知れない寺を特定出来
週末逝って調査をする予定を組みますた。
菩提寺に初めて逝って、先祖の墓等の所在、
墓の刻印文字や納骨堂の墓誌等をチェックする場合に
注意すべき点やマナーは有りますでしょうか?。
お布施は必要ですか?。
678 :
439:2010/05/13(木) 21:21:01
>677
私の場合は事前に寺の住職に手紙を書き、何度か電話でお話をさせていただきました。
古いお墓は手入れが行き届かず、普通に行っても見つからないかもしれません。
また、急に墓誌を見せて欲しいといわれても、寺もプライバシーの観点から拒否するかもしれません。
事前に行くことを伝え、準備をしておいていただければいろいろとスムーズかと思います。
子孫が檀家になってないなら墓とか撤去されてるんじゃね?
>>678 最低限事前に電話連絡してから許可を貰った上、逝く予定にします。
その時は子孫で有ることを示す書類も持参します。
>>679 漏れの爺さんの納骨堂は永代供養と吹聴しておきながら
5年間連続訪れる親族が無かったら無縁仏として処理し、
納骨堂の祭壇の下に有る大きなコンクリート製のゴミ箱のような所に
遺骨を移動すると聞いたことが有るので、もしかすると墓も.....?
(((( ;゚Д゚)))
682 :
439:2010/05/14(金) 02:47:06
いろいろなケースがあると思いますが、私の先祖の墓は100年ほど放置されていましたが残っていました。
683 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:13:02
都会ではそういうのはムリだよね
684 :
439:2010/05/16(日) 20:15:10
お墓参りに行ってきました。確かに墓石はいろいろなことを教えてくれました。
結果、隠れキリシタンではありませんでした。
明治13年に高祖父が34歳で死亡。このときは仏教式で一度埋葬されています。
その後高祖父の父夫妻、高祖父の妻、高祖父の弟がキリスト教徒に改宗。
明治19年に高祖父の父が死亡し、キリスト教徒として埋葬しようとしたが、寺が拒否。
現在の寺がキリスト教徒に寛容だったため、高祖父の父を埋葬すると同時に高祖父も改葬。
という流れのようです。
高祖父の墓には戒名が彫られていました。住職に言わせると相当立派なものだそうです。
当時であれば大名家の関連か、上級の武士ではないかと。リップサービス?
また、女性の墓には十字架とクリスチャンネームも彫られていました。
高祖父の父の墓は桜の木と一体になっており、高祖父の母の墓は墓石の下から生えてきた木
で墓石が倒されていて起こせない状態になっていました。
1時間半ほどかけて墓石を洗い、少し話しかけ、最後に今でも子孫が元気でいることを
報告して帰ってきました。
本当に行ってよかったと思います。
おれたちも参ろうぜ
686 :
668:2010/05/19(水) 03:25:20
>>684 その年代に改宗だと、仙台か石巻に関係してる、ハリストス教会だと思う。
もしそうだとしたら、俺の遠い親戚と関係がある。
これは、栄力丸や、吉田松陰、坂本龍馬、大槻盤渓あたりと関連があるんだよ。
半分、法螺だけど。
漏れの先祖の江戸時代後期の菩提寺に逝って来ますた。
墓の場所を教えてほすいと頼んだら、住職が墓石の場所は判らないから勝手に探せ!とつれない返事。
埋葬者の名前やプロフイ〜ルを説明すると、現在の子孫の状況は知っている様子でしたが
結局30分位探しまくったのにハケ〜ン出来ませんですた。
漏れの先祖は地元ではケッコー有名人で寺を紹介する資料にも主な埋葬者の1人にも
名前が有るにも関わらず、この有様ですた。
同日逝って来た別の寺は埋葬者の住所/氏名をパソコン管理していて、名前と当時の住所を
言えば1発検索してくれて、案内してくれたのとは偉い違いです。
浄●寺:逝って良し!
明●寺:サイコ〜。
無縁仏になって墓地を他者に売ったんじゃないのかな。
>>684 お疲れ様。ご先祖の墓が見つかって良かったですね。
690 :
439:2010/05/22(土) 20:44:48
>686
貴兄の遠い親戚のことは、wikipediaにて読ませていただきました。
ちなみに仙台ハリストス正教会はビンゴでした。重要なヒント、ありがとうございます。
教会に残っていた資料で、今まで謎だったいくつかの疑問が氷解いたしました。
陸前仙台士族との記述もありました。
>689
ありがとうございます。
お墓が教えてくれたことから、またいろいろなことを知ることができました。
感謝しております。
いいよね
692 :
686:2010/05/23(日) 00:54:36
>>690 いやあ、私も嬉しかったです。教会の資料を調査されたのは良かったですね。
念のため、私の遠縁の人物とは、土佐藩士沢辺琢磨ではありません。
明治五年に、やはりニコライを斬りに行った、元仙台藩士セルギイ勝又cです。
(もう歴史上の人物なので名を明かします)
なお、ニコライはゴロヴニンの日本幽囚記を学生時代に読み、高田屋嘉兵衛に感動し
日本に行くことを決意したそうです。
その一方で、元来は、千石船で廻船業を営んでいた、勝又一族出身のc(あきら)が、
ニコライと話をすれば彼を理解できたのも道理です。
石巻には、漂流で有名な、若宮丸も関係があります。
ttp://homepage2.nifty.com/deracine/wakamiya/wakamiyamaru01.htm また吉田松陰が1852年に、石巻を訪ねたり、 江戸詰の仙台藩士であった大槻磐渓は、
黒船を浦賀に見に行って、現地で吉田松陰から黒船に乗り込む策を相談されたり、
山内容堂とも関連があります。
蛇足ですが、大河ドラマよりも手に汗握る、大槻盤渓の実記の、黒船を近くで見物
する記事は、「江戸文人のスクラップブック」という本にあります。
693 :
439:2010/05/23(日) 05:08:26
>692
完全に勘違いしておりました。他にも斬りに行った人物がいたのですね。
ニコライの布教も命がけですね。
692の遠縁と私の先祖が100年以上前に交流があったかも、と思うと面白いです。
そして末裔は2chで(笑)。
694 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:37:13
695 :
686:2010/05/27(木) 00:11:16
>>693 遠縁と申しましたとおり、私の大伯母の嫁ぎ先が、勝又家だったので、私とは血縁関係
がありません。しかし、大伯母には子供がいなかったので、私の父や伯父たちが、
「勝又のおじさん」に可愛がられて、いろいろ話を聞かされたということです。
その「勝又のおじさん」は、勝又cの孫にあたるのですが、やはりキリスト教徒
で、ずっと東京在住で、二十数年前に、九十歳代で亡くなっています。
その「勝又のおじさん」の話だと、cが、ニコライを斬りに行った時は、友人の
元仙台藩士数名と行って、全員、ニコライに感化され改宗したということでした。
だから、ウィキに書いてあるように、明治初期の布教に元仙台藩士が深く関わって
いるいるという記述に一致します。
この「勝又のおじさん」という人は、昔の警視廰に勤めていた所為もあるかもし
れませんが、武芸を趣味として、その立ち居振る舞いばかりでなく、礼儀をわきま
えないような輩に対しては、「無礼な奴じゃ」と端然と評したそうで、その口の
利き方といい、往時の武士はかくやと思われるような人だったそうです。
なお、ネットの情報によれば、勝又の本家は、米国ワシントン在住とのことですが、
石巻市の多福院が本来の菩提寺であったようです。
歴史を捉える一助になればと思い、投稿しました。
696 :
日本@名無史さん:2010/06/01(火) 02:44:07
少し不安
698 :
鴉組:2010/06/04(金) 00:36:59
>>695 ちなみにウチの本家の菩提寺(前住職はウチの遠縁)が同じですね。
ウチの本家の墓は大街道にほど近い場所にあります。
699 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 17:39:58
除籍保存150年の件。
6/1より前に廃棄決定したものや保留してあったもの、
廃棄といいつつ倉庫なんかに保管してあったものについては、
最初は復活させて出せる事になっていたが、
5/31ギリギリになってそれら全て発行不可に変更されてしまったそうだ。
5/31の夕方に法務局からそうお達しがあって、出せなくなりました・・・
と、役所の人に言われたよ。
ふざけんなチキショー
直系って同じ名字じゃなきゃだめ?高祖父が養子にきてるのだが(長男で)
その親まで辿れる?
>>700 名字が違っても直系は直系。
養親であっても直系は直系。
さかのぼることは当然可能。
直系っていうのは分かりにくいね。例えば爺さんが次男の場合その子孫が辿れるのは爺さんまで?
長男以外はダメだという考えなのか?
705 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:02:24
辿れるとか、辿れないとかの件だけど何のこと?
除籍謄本の入手のことなのかな?
706 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:14:14
>>693 >>693 仙台藩士は、戊辰戦争で活躍しているので、名簿を調べてみると発見があるかも知れません。
明治元年(1868年) 仙台藩士、星恂太郎、額兵隊隊長となる。
明治元年 仙台藩士、二関源治、見国隊隊長となる。
明治元年7月、仙台藩を中心とする奥羽越列藩同盟から榎本武揚に対して支援要請
明治元年8月20日、榎本武揚率いる旧幕府艦隊が品川沖を出て、仙台を目指す。
明治元年10月9日、旧幕府艦隊は、松島から折浜へ移動する。
明治元年10月12日、旧幕府艦隊は、土方歳三らの新撰組や、仙台藩士の見国隊(400名)・額兵隊(250名)や会津藩士の安部井政治、諏訪常吉、西郷頼母等を乗せ、蝦夷地目指し出帆。
明治元年10月21日 旧幕府艦隊乗船の約3,000名が、箱館の北、鷲ノ木に上陸
明治元年10月26日 旧幕府軍は、五稜郭へ無血入城し、榎本は艦隊を箱館へ入港
明治元年12月15日、旧幕府軍は、蝦夷地を平定し、箱館政権を樹立
勝又cら仙台藩士が、ニコライ・カサートキンを斬りに行くも説諭され、ハリストス正教会に帰依するのはこの頃と推定される。
明治2年3月25日 旧幕府艦隊は、宮古湾海戦で敗北
明治2年5月11日 新政府軍箱館総攻撃
明治2年5月18日 戊辰戦争終結
707 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:19:30
龍馬伝外伝 年表
1861年ニコライ・カサートキンが、函館ロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。新島襄らから日本語を教わる
江戸の桃井道場で山本琢磨と武市半平太は同門であった。
拾得時計横領事件を起こした山本琢磨は、坂本龍馬、武市半平太らから逃亡を幇助される。
山本琢磨(龍馬のいとこ)(琢磨の父が龍馬の伯父、母が武市半平太の妻の叔母)が、前島密に箱館に行くことを勧められる。
山本琢磨は、函館で道場を開き、宮司の沢辺悌之助の婿養子となる。
ロシア領事館員の中に子弟に日本の武術を学ばせたいという者がいて、沢辺琢磨はその指南役となり領事館に出入りするようになる。
沢辺、ニコライ・カサートキンを斬りに行き、逆に心服する
元治元年(1864年)6月14日 新島襄、沢辺琢磨の助けを得て、米国へ出国
慶応4年(1868年)4月2日 沢辺琢磨・酒井篤礼・浦野太蔵、ニコライより洗礼を受ける。
実家の小字、地名は犬童というのですけど、
この地名、人名由来らしくその「犬童」がどの様なものであったか調べてみようと思ったところ。
明治以前の村神社は既に無く、寺も火事で資料が紛失しており手懸かりはこれといって見つからず。
町史や県史をあたっても由来がバラバラで、「犬童」さんという名字の豪族が居たらしい、とされていたり「犬童」丸という名前の人物らしい、とされていたりで要領を得ませんでした。
なのでちょっとアプローチを変えてみようかなと思い至った次第で、詰まるところ、
・「犬童」や「犬童丸」はどういった意味のある言葉なのか
・人名由来の地名は日本全体において珍しいものなのか
・人名由来の土地は歴史上、流行り廃りがあるものなのか、その時間的頻度はどの位のものか
・人の名を土地に付ける、という行為の日本における起源
とうとうの疑問が湧いたので、知恵を借りたく書き込みしてみました。
ちなみに江戸時代では500石ぐらいの村で300年前の土地帳には既にその地名が載っているので、それ以前には既に「犬童」と呼ばれていたらしいです。
くまもちょ?
SAGAの方です。すぐ北に菊池系を名乗る国人が治めていた小字も在るので、
熊本の犬童とも何か関係あるのかなって思っていたり。
保存期間延長の話で法務局に確認してみたよ。
80年越えて廃棄決定していても現物が保管してあったり、廃棄を保留してある物について、
延長にともない復活・発行するのかどうかは、以下のような扱いになるそうです。
(1)その除籍に対し、過去に一度でも廃棄証明書(告知書)を出している場合は、
復活させるかどうかは各市区町村の役所に一任する。
(役所が出さない方針なら、出さなくても良い。出さなくても法には反しない)
(2)廃棄証明書を発行していない場合は、現物が残っていれば復活し発行する。
(3)法務局には除籍の副本があるが、これは復活の対象にならない。
(再発行できるのは役所で焼失したなどが原因の場合のみ)
俺の場合ですが、
電話口で廃棄済みと言われたが実は保管庫に現物残ってたケース=復活OK
廃棄証明書をすでに受け取ってるケース=NG
な具合でした。
実際に現物自体も探したけど見当たらなかったし、
廃棄名簿にも名前書いてあるって言われたから、それをそのまま信じるしかないんだけどな。
でも前に廃棄証明さえ受け取ってなかったら、もしかして復活できたのかも・・・
と思わないでもない。
ちなみに廃棄証明は自分以外の誰かが受け取っていても、同じくNGだそうだ。
(俺以外に、高祖父の除籍を請求した奴がいるとかな。)
本気で探させたら見つかるかもしれないから廃棄証明要求しろ、ってアドバイスをよく見かけるが、それがあだになるとはな・・
713 :
711 :2010/06/10(木) 16:29:41
二転三転して申し訳ないが、一度はOKと言われたものを再び拒否られたので
局に再確認したところが、
(1)と(2)については、“廃棄証明が出ている年度のものは全て無理”って言われた。
例えば俺の高祖父の廃棄証明書が出ていなくても、
高祖父と同じ年に除籍になった他人に関して証明書が出ていれば、高祖父も無理。
その年の国民は全員ダメってことだ。
個人単位じゃなく年単位で切ったら、ほとんどの年がNGになるんじゃないですか?と聞いたら
まあそう言うことになりますね。だってさ。
他人の廃棄証明書のせいで自分の先祖の分も出ないなんて、
そんなの復活できないようにするために後から取ってつけた言い訳だよな〜。
150年に延期となって淡い期待を抱いていたが、結果的に80年の頃と何ら変わらない。
延期の恩恵にあずかるのは、6/1時点で80年を経過していない除籍簿のみだ。
前と話が違うと追及したら、施行前後は復活の方向でおおかた話がまとまってたものが
最終的に復活NGで統一されたんだと。
なんの圧力だよそれ。
でも地方によっては微妙に違ってたりするらしいから、
該当の市町村役場に確認してみてください。
714 :
439:2010/06/10(木) 20:24:59
>706
ありがとうございます。文献あたってみます。
仙台士族ではありましたが、仙台藩士かどうかはわからないのですよ。
明治以降は仙台に住んでいたというだけで。
伝わっている話としては、岩手の一関から来たらしいのですが、それがいつかはわかりません。
715 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 21:50:13
自演ウンザリ・・・
うわ、まだ続いてたんだ・・・
ただの個人覚書みたいだなw
717 :
439:2010/06/11(金) 07:12:28
>715
私のこと?
残念ながら706のような知識は私にはございませんので、自演しようにもできません。
そんな面倒くさいこと。
>716
私宛の書き込みを無視しては失礼でしょう?
まぁそのような意見があるのでしたら、書き込みは控えます。
718 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 22:52:17
気にしない方が良いよ。
このスレの書き込みは、ものすごく親切な人がいる一方で、
単なる自慢話だとしか、とらえられない無知蒙昧が必ず出てくる。
719 :
707:2010/06/12(土) 00:24:09
>>710 旧佐賀藩領の肥前国神崎郡境原村(さかいばる) の犬童は、現在の佐賀県神埼市千代田町境原上犬童ですか。
犬童丸という豪族の説は、角川の地名辞典ですね。肥前国郡村仮名付帳での読み方は、「いぬとう」ともなっている。東側を流れる中地江川を「犬童川」ともいうようです。
名字としての犬童氏は、藤原南家相良氏族、後裔は人吉藩に存す。とのことですから
http://kumasagara.hp.infoseek.co.jp/rekisi/tyusei2/tyusei2.htm 相良長頼の娘が、山北頼平の六男長綱に嫁いで、山北重永を産んで、それが後に犬童氏
を名乗ったようですね。異説では、相良長頼の五男の頼員が、犬童氏を名乗った説もある
ようです。どちらにせよ、800年前からある地名でしょう。
>>717 463, 465, 715, 716
と半年も前から自演と決めつけてる人みたいです。スルーで行きましょう。
まだ続いてんだ・自演ウンザリ・・・
正直どうでもいいわ。
自演や宣伝疑惑が出たときは大体、それを叩く人の存在が逆に事態を悪化させる。
他の話題を出しても押し流されてしまうぐらいの迷惑なレス量ならともかく、そうでないならほっとくのが合理的。
722 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 15:23:43
なんだか個人のブログとかチャットでの意見交換を、
掲示板でしてしまっているのに、恥じてない神経が・・・変。
>無知蒙昧
なんて言葉まで書き込んで支援してるような人の神経も疑う。
723 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 18:34:52
どうせ過疎スレなんだから、いいじゃんか。
個人のブログになんか書いたところで誰がレスしてくれるんだ???
俺は、先週の大河ドラマ見てて、奥貫薫が、乙女ねえやんのところに来ているのが
ありえねーだろって思ってたのが、その人のレス見て納得できたから応援したい。
レスついでに、詳しい人に聞きたいんだが、埼玉県熊谷市内の植木という苗字の
出自を教えてほしい。
先祖探しって、初めから個人的なものだろ?
本人が承知してカキコしてるなら、外野がとやかく言うことじゃない
文句があるなら、このスレを見なけりゃ済むじゃん?
まあ、もともと一時荒れて過疎化する前のこのスレって個人相談スレみたいなところもあったしね。
726 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 18:04:24
400番台から読み直してみたが、「隠れキリシタンか」認識だった439さんが、
明治期のキリスト教史にくわしい706さんのレスもらうまでに、何ヶ月も
かかってる。
句読点の打ち方も違うし、内容から想像される年齢層も明らかに違うのに
自演て決めつける奴って、日本人なのか?
727 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 18:21:01
とりあえず、壬申戸籍は完全に焼却するなり裁断するなりして、
この世からその存在を消し去るべきだろうな。
その書き込みで盛り上がるほどこのスレは甘くはない
まあチラシの裏だな
731 :
日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:25:35
隠れキリシタンと潜伏キリシタンの区別を付けてから議論してくれ
732 :
日本@名無史さん:2010/06/20(日) 21:20:05
隠し念仏と、隠れ題目も知らないような奴って尊敬しちゃう。
おもしろいつもりかね
734 :
日本@名無史さん:2010/06/24(木) 19:52:10
除籍謄本に記載されていた一番古い自分から数えて5代前の先祖の
菩提寺を発見しました。墓は無く納骨堂に収まっていましたが
墓誌で没年日と享年(歳)が確認で出来たので生まれた江戸時代の年号が
推測出来ました。皆様のアドバイスを感謝致します。
江戸期に結婚した先祖、夫が仙台士族で妻の父が滋賀県士族と記録されてる。
江戸時代にもそんな遠距離の結婚ってあったんですか?
うちの先祖は京都だが広島藩士から嫁がきたりしているよ。
ほええ、そういうのもあるのか。
京都に嫁に来るとかイメージ逆だな。女いくらでもいそうなのに
>>734 菩提寺とご先祖のことがわかってよかったですね。
740 :
735:2010/06/25(金) 12:40:33
>739
ありがと。
江戸詰めだったかどうだかわからないんだけど、そういうこともあるのね。
そういえばその滋賀県士族は、明治に入ってから麻布に住んでたわ。
あれ?
滋賀県出身で麻布在住の士族って、滋賀県士族?それとも東京府士族?
741 :
707:2010/06/25(金) 13:18:47
東京府貫族 (とうきょうふかんぞく)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
明治初年、士族などの戸籍制度の一環としてその居住する土地をもって貫属とし、
たとえば尼崎に居住する旧尼崎藩士は尼崎県貫属とされた。東京へ移住を命ぜられた
諸藩主のほか、旧幕臣や各藩士のなかには役職上東京に居住するものがあった。
これらは出身藩にかかわらず東京府貫属となり、その家禄は東京府から支給された。
尼崎にワラタw
でも勉強になるなあ
743 :
日本@名無史さん:2010/07/09(金) 21:08:49
寺の過去帳を見てわかったことだが、
7代前の先祖の没年月日が、夫婦そろって同じだった。
ついでにその息子(6代前の先祖)の没年月日は、
その半年後の同じ日だった。
これ、7代前が事故死や自死なんかで、
息子は悲観して命日に後追いってやつかな・・・・
744 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 08:05:13
切腹
745 :
743:2010/07/10(土) 09:03:42
そうか、その発想はなかったわ。
でもただの組頭だし、詳しい村史を見ても、
その当時騒動めいたものはなかったんで、
家庭内でなんかあったのかなーって。
その後代も村内で普通に組頭とか続けて、現在に至ってるし、
戒名は、院号につぐもの+居士なので、
たぶん犯罪者ではないと思うが…
当時、変死や自死した人達につけられた文字も入ってないし、
理由が想像できません。
746 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 07:38:51
変死や自死した人達につけられた文字が知りたいな〜
戊辰戦争で、政府軍が攻めてきて抵抗した幕府側の武家は焼かれたのかもしれない。
748 :
743:2010/07/11(日) 09:33:20
悟 (変死、病死)
頓 (変死、病死、頓死)
戒名の意味なんかでググると他にも色々出てくるが
そのほとんどは事実と無関係だろうなーと思われる。
でも上の2字だけはガチでそうだったよ。
もちろん時代や宗派、地域などで異なるとは思うけど。
1600年代後半から現代までの過去帳を10家族分ほど見たが
ご丁寧に死因まで書いてあったんだよね。
で、変死、自死、頓死とあるものに限り、
見事に全員2字のどっちか(悟が多い)が入ってた。
あと了の字は、本人かその子供あたりが養子ってのも
該当者多かった。
749 :
743:2010/07/11(日) 09:38:31
あ、すまん
悟 (変死)
頓 (変死、頓死)
に訂正な。
病死のうち、伝染病とかなら該当するみたいだよ。
750 :
日本@名無史さん:2010/07/13(火) 08:26:08
↑
悟 (変死)
頓 (変死、頓死)
この苗字を使う人の差別になりそうですが、本当でしょうか?
他の人の意見望む
(((( ;゚Д゚)))
>>743 ○○院(院号)○○(道号)○○(戒名)居士(位号)ってあるけど戒名2文字の部分だろうか?
それとも院号、道号も含まれるんだろか?
english please
755 :
743:2010/07/13(火) 14:53:33
>>753 説明不足スマソ
おおざっぱに戒名と書いてしまったが
道号の一文字目にくるのがかなり多い。
「○○院 悟○○○ 居士」みたいな。
ちなみに院号には入ってないです。
未成年の子供なんかだと、
「○○○悟 童女」のように、戒名の二文字目に多かった。
なかには頓と悟の両方が連続で入ってるのもあったよ。
「○○悟頓 禅門」とか。
>>750 苗字とはちがうけど、差別?になるのかな。ごめん。
あくまで俺の見た過去帳では・・・って事で。
物故者の「旧身分」「民族差別」の記載はもとより「死因」「病歴」「経済状況」等の付記が
確認された場合は、速やかに人権擁護推進本部へご報告いただくようお願い申し上げます。
曹洞宗人権擁護推進本部
757 :
日本@名無史さん:2010/07/17(土) 12:55:21
検地帳に先祖の名がありました。天保期
元禄検地帳もあるのですが先祖の名がありません。
こういった場合の調査方法教えて下さい!
天保の大飢饉で死に絶えた農家に居抜きで入ったという例はかなり多いようです。
それで小作から本百姓になれたわけで、よかったじゃないですか?
759 :
日本@名無史さん:2010/07/18(日) 07:35:20
ありがとうございます。
天保期には庄屋をしていましたので、先祖の名を確認出来ました。しかし
元禄には名がありませんでした。確認できる最も古い墓は、寛政期です。
この寛政期の人物が元禄検地に名があれば繋がりましたが残念です。
天保検地所有土地の小字名は確認出来ますが、元禄検地の小字の所有者は世襲した可能性もあると思っています。
ご指導下さいませ!
760 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 04:47:51
僕は名門小石家に生まれたけど高貴な小石家の先祖がよくわからなかった。
でも見つけたよ。なんか古い文献に小石姫って名前があった。やっぱりだ。
姫の子孫なら僕の気品も納得レベル。これで一安心でした。
残念ながら、江戸時代に女性に姓はなかった。
どんなに偉い殿様の姫でも姓を名乗ることなどありえません。
お笑い草ですよ。
762 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 16:07:28
武家に生まれた女性は当然生まれた家の苗字をもっていたし、
結婚しても苗字は変わらなかった。
今で云う夫婦別姓だな。
だから小石姫が大石家へ嫁入りしても小石姫のままってわけだよ。
764 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 20:36:03
小石姫くらいしか小石が見当たらないから決まりでいいです。
あの名門小石家の一員というプライドが確信に変わった感じだから。
765 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 20:45:24
つまらんプライドは捨てて路傍の小石としてたくましく生きる道を選んだようがいいぞ。
>あの名門小石家の・・・
全然知らんけど何屋さん?
767 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:10:38
明治の皆姓の時に急ごしらえで作られた姓みたいですね。
プライドもいいけれど、事実を受け入れす寛容さも、時には必要だ。
768 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 10:38:42
>>763 > 結婚しても苗字は変わらなかった
そういう話は聞いたことがない。夫婦別姓は朝鮮の話だけど。
769 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 21:44:21
姓→小石
名→姫
じゃないだろ(笑)
770 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 22:17:27
北条政子は源政子ではありません、日野富子は足利富子ではありません。
和宮も徳川親子ではありません。
771 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 22:42:54
菊姫の子孫の名字は「菊」ではありません。
家紋を調べれば…
でも、小石家は一応歴史に名を残しているようだね。ただここに来ている人物がその子孫であるとは分からないけれど。
>>768 武家社会では結婚の最大の意味は家の後継を産むことだから、夫婦が同じ姓を名乗る必要がなかった。
それよりも血統の由緒を示す生家の姓を名乗る方が「腹は借り物、武士の種」には適してたと云える。
明治になり全ての国民に苗字の公称が義務化された(平民苗字必称令)。
その際、妻は生家の苗字を称すべきか、夫のそれを称すべきかが問題となったが、
1876年の太政官指令では、武士の慣行であった夫婦別氏の慣行に従うべきこととした。
これに対しては、庶民の生活実態に合わないなどの理由で、明治政府の夫婦別氏政策に対して、
地方から疑問や批判も出たために、当時のヨーロッパ法(フランス法は夫婦別氏、ドイツ法が夫婦同氏)を
参考にした結果、夫婦単位で妻が夫の氏を名乗る夫婦同氏制が採用され、1890年に公布された旧民法において、
「妻が夫の家の氏を用いるとする」夫婦同氏の制度が正式に採用されることになった。
そろそろ厨二病が押し寄せる時期
いや、明らかに既に到達してる。
777 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 01:08:31
僕のウチ(小石家)は元々は武士階級だったけど戦から逃げて農村に隠れた。
仕方ないから農家のふりして生きて来たけど、本当は高貴な血筋だったんだよね。
家計図を見ると江戸時代には襲名だってしてるから平民のはずがないからね。
襲名なんて農民でもするだろwww
780 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 01:30:04
>>778 農民が襲名するわけないだろ。庶民は黙ってろよ。
>>779 宣化天皇の娘。だから小石家は超名門だって言ってるの!
途中から釣りを狙った騙りが紛れ込んできたな。
782 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 01:49:43
襲名するのは古典芸能関係と職人や商人じゃね?
歴史の教科書に代々襲名してる武士って出てこないし。
>>782 農民でも続けて「何右衛門」とか続くことはままある話だけどな
参考までに↓
近世農民の襲名慣行(東大院生の日本社会学会での発表レジュメ)
「歴史学における通説によれば、農民層においては(中略)家名が独立した存在意義を獲得する契機として「襲名慣行」が取り上げられ、そうした慣行がいつ成立したのかをもって家名の成立が論じられ、結果として家成立の画期が明らかにされるのである」
家計図を見ると平民のはずがないとはどんな家系図だよw
つーか、大字小字にいくらでも「小石」なんて有りそうだし…
苗字が「小石」だってだけで名門の小石家の血筋だといえるわけもないわな
787 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 05:21:31
本物の「名門」には何らかの形跡がある。こじつける必要がない。
小石なんて苗字は、小石混じりの僻地の田畑を耕していた連中でしょ。
それか川原(小石がゴロゴロ)に面した村で何かを作ってた職人とかな。
そーか、川原者だったのか。
芸人の部類だったら襲名しそうだな。
789 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 07:50:54
捏造するような奴らは上流どころかむしろ最底辺だろうね。
>>783 農民でも衛門、兵衛は上層で庶民とは言い難い。地侍の末裔だろ
791 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 08:42:57
いやいや、江戸時代には庶民も衛門や兵衛を使ってますよ。
元々は武士階級だった人達が農村に持ち込んだのだろうけど、
一度持ち込まれてしまえば、あとはなし崩し的に広まりますから。
地域によっては規制があったかもしれませんが。
792 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 09:30:17
地侍なら郷土史に記録があるのでは?
神官などが地侍化したなら高貴なルーツもありうるね。
793 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 14:22:01
細かいことはどうでもいいよ。どっちにしても名門小石家は不滅だから。
きっと昔は小石君(こいしのきみ)って呼ばれてたんだろうなぁ。
なんか痛い・・・
>>791 そうでもないよ。江戸町人とかには見るけど田舎いけば世襲名ばかりだからね
796 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 17:08:16
小石弘なら知ってるけど 関係あるのかな
797 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 17:22:19
799 :
小石君←クンじゃないぞ:2010/07/21(水) 18:57:33
>>798 それも関係あるかも。でもウチは天皇家の関係者っぽいから。
ものすごくネタ臭い
おおかた、知人か同級生の「小石」さんに恨みを持った中学生か何かが
「痛々しい小石さん」の芝居を打って叩かせて気を晴らしてるだけだろう。
801 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 20:02:45
だからさ、途中からネタが混ざってるんだよ。
それも含めてマジレスしたりしなかったりが2ちゃんねる。
てか実際こういう痛い奴は沢山いるからなw
本当だとしたらつまらんね
これが夏休みってやつか
やっぱり大字小字が存在している地名を姓にしているものは多い?
だって山奥に存在していた家のはずが、なぜか水辺に関係するような姓を名乗っていたらおかしな感じがする。
落ち延びてきた侍の子孫だったら話が違うけど。
804 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 21:15:19
支配者階級は土地の所有権を主張する為に地名を名乗り
自然の恵みで生きる百姓は地形が結構多い
水辺の小石さんならやはり河原の小石関係でしょう
805 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 21:24:13
医者なら出はよくないかな
元は穢多身分の河原者だったので、小石と名付けたということはあり得ますね。
江田島とか小石川とか、そういう土地柄ですよ。
小石元俊は流浪中に小石姓に改名してるので、はっきりと繋がりが
わかってる小石家以外とは関係ないでしょうね。
>小石姫くらいしか小石が見当たらないから決まりでいいです。
>細かいことはどうでもいいよ。
>でもウチは天皇家の関係者っぽいから。
いい加減さも度が過ぎる。
わしのとおちゃんは、日本一の河原者だす!
と胸を張って言える日が来ることを願っているぞ。
810 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 22:30:37
>>808 でもさ、全国の自称さん達って大体そんなレベルだと思うぞ。
中卒の田舎の年寄りの作り話を孫が鵜呑みにしたりするんだからな。
数代前の先祖の名前がシンプルな農民・町人(多作・徳次)名前だったら必ずその先祖も町人、農民ということでしょうか。
結構シンプルな名前で庄屋をやっていたりする人物もいるようなんですが。
つまり武士の子孫だと何とか衛門とか兵衛とか必ず付いているのかいないのか、と。
>>803-804 うちの場合は先祖代々住んでる土地から数キロはなれた所に苗字と同じ地名(小字)がある
文化時代のご先祖の名前は「○右衛門」
しかし、家柄は由緒正しい農民だな
本家いわく、戦国時代には武士っぽいこともやってたらしいが真偽の程は定かでない
813 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 23:41:27
>>811 衛門や兵衛は元は朝廷の警護を担う役職。
武士の子孫であることを示すものではないし
形骸化してしまっているのでもはや何とも…。
814 :
ゴリラ顔は大繁殖中:2010/07/21(水) 23:52:47
確かに苗字と同じ字に存在するんだけど本当に少数で、
実際に実家があるとされているところは凄い内陸部で山の奥なんだけど、
字があるところから遠く隔たっている。この場合は移動したと見たほうがいいのかな。
それとも追放されて名前を変えたとか。
816 :
日本@名無史さん:2010/07/22(木) 15:06:08
小石姫の子孫が小石さんなので、山田さんの先祖は山田姫で確定です。
みんなで親指姫の子孫の親指さんを探そうぜ!
817 :
日本@名無史さん:2010/07/22(木) 21:53:57
>>812 夢は持った方がいいですね。
気持ちが大きくなります。
ただ、決して他人には他言しない方がいいですよ。
>>817 大きいというか、田舎ではよくある話だと思うぞ
819 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 06:25:12
江戸時代以前は武士階級だった家が、田舎には少なからず存在する。
が、そんな家が、庄屋でもない単なる百姓へと、落ちぶれてしまうものなのだろうか?
何の形跡もなく、真偽の定かでない家系図だけを根拠とする自称武士の子孫…。
家系図なんて幾らでも捏造できる。武士っぽい名前を羅列すればいいのだ。
「何か」ある家については、郷土史や地域の伝承で語られてきたのでは?
何もないのに主張する人達の根拠は、怪しげな家系図と苗字と家紋…。
夢を語るのは自由だが、事実として次世代を洗脳してしまうのはちょっと…。
武士にも色々いるだろうしなぁ。
上級の武士なら、そりゃあ庄屋とかになるだろうけど、
中〜下級クラスなら農民になることも有りうるのでは。
百姓の中でも乙名やら水呑やら、けっこうな幅があるし。
>>819 あのね基本的に江戸時代の武士の大部分は三河美濃出身者が占めていて残り僅かは生き残った家(島津、毛利等)
さらに少ない数をど田舎の小名が・・・残りはどこへ行ったと思う?
822 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 08:48:13
偽物の家は自分の子孫に本当は偽物であるなんて絶対伝えない。だから本物の家は子孫にどんな者が偽物なのかしっかり伝えていく必要がある。
さもないと数代経てば偽物もいつの間にか本物に成り済ませるし、そうなると朝鮮のような歴史捏造大国になってしまう。
現在でも偽者はたくさんいる。私も実際に承知している偽者がいる。だが、今のところ地元の老人であの家は元々〜と、どこがどういう家柄か
ある程度真実を知っていると思うので、日本はまだ捏造大国にまではなっていない。本物の家だけでもしっかり伝えていきましょう。
823 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 09:00:10
戦前まではどこがどういう家柄か それが生活基準になっていたので田舎にはある程度
真実が伝わっている。それらしい証拠の残ってない、地元にも全く知られていないというのは
明らかに偽物です。
825 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 09:45:53
友達の武家出身者は大概霊感があるから本物だとわかる。
先祖が武士だとか武家だとか空想してる方が幸せかもしれん。
君たちがうらやましい。
827 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 11:11:23
空想でなく本当に武士だとわかってる俺はもっと幸せ。
人間いくら努力しても出自はどうにもならないからね。
828 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 14:06:30
卑しい身分の人間が成り上がるようになり、日本社会は秩序と品性を失った。
育ちの悪い輩は自分の都合しか考えない。腹を切る覚悟がない。
出自を粉飾するような連中は、責任感の欠片もない下品な人間ばかり。
829 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 20:57:36
何が育ちだ。先祖が偉かったらお前が偉いのかよ。イチローの子孫なら尊敬しきれるけど普通の奴らは馬鹿
830 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 21:21:26
BKが、今のような世の中にしたのは、紛れもない事実だ。
>先祖が偉かったらお前が偉いのかよ。
先祖が偉かったら自分もそれに恥じない行動をしようということ。
ご先祖様に申し訳ないとかいうだろう。自分が偉いなんて思っていないのが多数だろう。
なんか痛いなここ・・・
こんな所で書くのもアレだけどさ、いくら公家とか士族華族系がすごいっていっても、
実力が伴ってないとと思うよ。それは世界の王家にしてもどこにでも言える話。
バカな人がこの世界にしたっていうのは、そういう高貴な家柄の人にもバカがいたから。
ヨーロッパとか、良く聞くよね?
だからこそこういう成り上がりが生まれたのだと思うけれど?
家に誇りを持つのはいいけど・・・家を理由に他人をけなすのは違うと思うんですよ。
こんな時代になったからはね。
833 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 21:43:43
けなしてないよ。ただ、家柄は一つの拠り所なのは事実。
それを否定される筋合いはない。
出世した(成り上がった)奴は必ず上流の壁にぶち当たる。
一流のホテルやレストランで勤務する場合にもあることだが、
体に染み付いた「本物たち」との感覚の差に圧倒される。
成金も裕福な状態が数代続けば下品さが徐々に抜けてはくるが、
先祖代々裕福で上流社会に属してきた「家」の空気は特別だ。
そんな奴らに限って頭も優秀だったりする。彼らには劣等感がない。
だから派手に着飾ることはないのに、上流オーラは出まくり。
もちろん上流の精神を受け継いできている家ばかりではないと思うが、
日本の歴史は長く、皇室を筆頭に悠久の時を紡いできた「上流」は別格だよ。
そういうものを妬み否定するのではなく、認めて学ぶ方が建設的。
特別な知能を持つ個体は、歴史を軽く飛び越えるものだからね。
835 :
日本@名無史さん:2010/07/23(金) 23:08:47
そもそも戦国時代の農民と武士の境界線ってどのへんなんだろうな。
名も知れないやつならどっちでもいいな
先祖が有名人なら「すごいね!」くらいは言ってやるが
根拠あれば(お前がじゃないよ)と
根拠なければ(捏造だろうがな)って思いながらね
>>836武士の定義は難しいが
狭く言えば江戸時代のように知行を与えられていれば武士。
広く言えば軍役負担をする身分なら武士。これは江戸時代なら自作農以上でしょ
漏れのひい婆さんの兄(長男)は先祖伝来の財産を浪費したことで父親と対立した結果
廃嫡された後、父親は隠居し資産は兄弟に均等に分配されたそうです。
この場合、先祖に関する仏壇や位牌等は次男が引き継ぐのでしょうか?。
ほほう
具体的経過は分かって結果だけ分からんとな?
>>829 家柄が良いっていうのは、有名人の子孫どうこうではなく、
何世代にも渡って文化や教育のある生活を続けてきた人々のことかと。
843 :
日本@名無史さん:2010/07/24(土) 04:17:14
野球は最高の文化だろ。イチローはチチローから野球文化を引き継いだ文化人だろ。
中学までは日本トップクラスの頭脳だった。東大確実といわれたイチローの頭脳は?
日本の歴史はイチローを産み出すためにあったといってもおかしくないくらいイチローは頂点。
日本が世界に誇れるのはイチローが一番だし野球の歴史の重みはやっぱり特別なものだから。
特に生活レベルはイチローは凄いぞ。お前らイチローより稼げるのかよ。
844 :
日本@名無史さん:2010/07/24(土) 04:19:09
信長、秀吉、家康、イチローってくらいのレベル。未来の歴史家は絶対イチローを評価してるから。
歴史家は先駆者が大好きだから、
日本での実績を引っ提げて大リーグに挑戦した野茂を一番評価すると思う。
野茂は、日本の一流選手なら大リーグでも一流になれるということを証明した。
村上とかは日本では活躍していないからな。
野球の話は野球関連の板でどうぞ
847 :
日本@名無史さん:2010/07/25(日) 02:27:35
無精髭はやして棒を振り回すだけで侍扱いのイチローさん(笑)。
不倫を繰り返す工業高校卒のイチローさんに騙さるなよwwwww
野球は文化ではなく娯楽。てか東大を甘く見るなよ…。
スポーツ漬けにされる様な連中は間違いなく最底辺生まれ。
最底辺層のルーツを語るのも歴史学としてはアリだけどな。
野球の話なんて持ち込んだ結果がこの有様だよ!
849 :
日本@名無史さん:2010/07/25(日) 03:13:17
五輪から排除された野球に未来はない。
つまり、野球を歴史として語る意味はない。
以上。
本題に戻りましょう。
一流のサッカー選手や野球選手に松井、中村といった姓が多いことに気づくだろう?
松井氏は、清和源氏の源為義の子・源維義。松井姓の戦国武将は多く、武芸者としても一流だったことがわかる。
一方、中村氏は、村長という意味あいもあるので、その出自は多様だけれど、村上源氏赤松氏流の中村氏がいる。
宮本(新免)武蔵は、赤松氏の子孫という説もあり、源氏の血統が世界に通用する一流選手の条件ではないだろうか?
プロスポーツ選手と先祖探しは切っても切れない関係ですね。
つまんないからそろそろやめようね。
このスレもおしまいだ。
>>851仕切ろうとする人が現れたらスレは終わりだよ。
さよなら。
フィールドワーク大事だよなぁ
先祖が住んでいたという言い伝えがある場所を訪れようかと思ってる
>>853 それは俺もやろうとおもってる
地元の民族資料館とかに当たってみるのもいいかもしれんね
田舎の公民館みたいな史料館はこっちがドン引きするほど親切だったりするね
基本ヒマだろうし、「俺の持ってる知識を語らせてくれ、伝えさせてくれー!」
…って人は多いかも。
イベントが舞い込んできたような感覚なのか
まあ、好きでその道に入ったのに、
せっかく習得した知識を開陳する機会がないと鬱々としそうだしなあ
田舎の博物施設なんて常連ばっかりで他所からの客が来ることなんてほとんど無いしな。
860 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:08:00
やっぱり僕のウチは違うと思う。三才の娘が旨いものしか食わん。
これはやっぱり上流階級の血筋なんだからな。
861 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:37:23
うちは後から考えて
いまこの活動してる世代が子孫に誇っていただけるような先祖になるかもしれない
そういう人が親戚に何人か出てきた
862 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 20:13:57
ウチもそう。親戚から医者が出たし社長も出た。
結構でかい家建てたし庭に松も植えたし。
863 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:24:35
盛者必衰のことわりあり
今がピークみたいですね
本当に家としての旧家はへったね。田舎いくとみんな引き払ってる
血筋としては都会でいるが数世代もすると忘れ去られていくんだろうね
世に社長と医者が何万人いる事か
866 :
日本@名無史さん:2010/07/29(木) 00:39:50
庭に松も植えたし(笑)
職業の発想は???だけど、松は取り繕う方向としては悪くない気がするw
868 :
日本@名無史さん:2010/07/30(金) 13:36:39
普通の人は一般的に何代辿れますか?
戸籍取得したけど墓はなし。
871 :
日本@名無史さん:2010/07/30(金) 20:19:06
>>866 松の木は手入れにお金が掛かるのよw
うちも、庭に高祖父が明治の中頃に植えた赤松の木が数本有るけど
剪定やら何やらで庭師を頼んで足場を組んだり、結構な手間が掛かる。
いっその事切ってしまおうかと言う今日この頃。
>>868 過去帳が残ってれば江戸時代中期ぐらいまでならさかのぼれると思う
戸籍だけなら江戸時代末期ぐらいが限界じゃないかな
漏れの場合は江戸時代の安政、弘化生まれ位は除籍謄本が取得出来ますた。
長生きじゃないといけないってのはそういうことか。。。
子孫のためにお前らも長生きしろよ!
>>870 あざぁす!
なるほど落ちぶれた天皇に忠義を尽くしたんじゃなくて、時の権力にすり寄って生き残った可能性があるなりね
ほぇぇ
発祥は長野・静岡のあたりだと書いてたな>富部姓
ってことは、土肥氏とかみたいに源頼朝について戦った東国武士が、
地頭として西国に赴いたのかねぇ。
案外先祖のことも調べりゃ判るもんだね
だが、江戸中期までさかのぼっても正直微妙
動きが無い時代だけに「ふうん」で終わってしまう。
戦国時代とかに何やってたかがわかれば楽しいのに…。
まぁ
江戸期以降は全てにわたって捏造が当たり前
問題は室町以前がどうだったかだろ
家紋なんて全く当てにならんし、戒名も同様
かろうじて室町後期の戒名は信用できるものもあるが
884 :
日本@名無史さん:2010/08/12(木) 05:07:11
徳川に付いてた足軽ごときが武士の子孫と胸を張るな!
885 :
日本@名無史さん:2010/08/12(木) 11:06:25
地頭力
888 :
日本@名無史さん:2010/08/22(日) 08:21:59
先祖が偉くてもお前らが偉いのかよwwwwwwwwwwwwwww
夏休みももう終わりですね。
890 :
日本@名無史さん:2010/08/22(日) 21:22:27
先祖は地頭です。
地頭力
地頭って今の村長みたいなもん?
都道府県知事クラスじゃね?
894 :
日本@名無史さん:2010/08/23(月) 20:22:42
私は姓が源なのですが
これってあの源氏、または天皇と血のつながりがあると考えていいのでしょうか?
一応祖母等に聴きましたが有力な情報が手に入れられず、困ってます。
895 :
Pure audio香具師:2010/08/23(月) 20:26:54
漏れの先祖は庄屋だけど、地頭は確かに都道府県知事クラスに匹敵する。
然し、地頭だったとゆ〜証拠は有るの?。披露して。
>>894 こんなところに来てる暇があったら風呂入ってバイオリンの練習をするんだ。
897 :
日本@名無史さん:2010/08/23(月) 22:06:40
>>896 静香ちゃんではないです
結構本気で気になってます
本物なら、自家なり親類のところに「なるほど」と思えるものが1つくらいありそうだが。
物でなけりゃエピソードでも。
>>893 地頭って市町村長クラスじゃない?
都道府県知事クラスにあたるのは守護のような…?
>>894 三原→源、となった人もいるらしい
というか、本姓と苗字は別のものだから、
今の苗字が源だから源氏とは言えまい…
>三原→源
それ面白いなあ。
>>899 うーん、そもそも現在の行政システムに当てはめるのが難しいな
現在よりも階級の多い構造だったし
逆に源を分けて三原にした人もいるとか、
源氏の三原氏もいたりとか、
調べてみるといろいろなパターンがあるっぽいな
903 :
899:2010/08/24(火) 00:12:45
>>902 ああ、その話を逆に覚えてたのかもしれん
奈良かどっかに三原って苗字の人が固まってて、
源氏の末裔で源を分解して三原にした、とかそういう話だったかな
本姓イコール苗字ってあまりいないイメージなんだけど
実際はどうなの?
905 :
日本@名無史さん:2010/08/24(火) 08:06:44
源さんは良い名だな
906 :
日本@名無史さん:2010/08/24(火) 11:44:18
>>894の源です
たくさんのレスありがとうございました
もうすこし親戚とかに聴いて調べてみたいと思います
ありがとうございました!
907 :
日本@名無史さん:2010/08/24(火) 18:32:51
金沢と大阪に多い姓です。
何かしらの謂れはありそうな苗字だよな
909 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 03:08:33
いくらなんでもそれは無いだろwww
俺がつけるとしても、せめてさんずいくらいは外すわ
てか源って苗字なのが怪しすぎるし、大体もろに苗字ってありえんだろ
それに大体どんな謂れんだよw
と釣られてみる
源だからすなわち源氏の末裔ってことは、まあないと思うがな
変わった苗字だから何かしらの由来はあるんじゃね
川の源とかじゃね?
912 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 03:36:32
源氏の源さんがいるかどうかはちょっと興味あるけど、
話や資料が伝わっていない場合はいくら由緒正しい家と同じ苗字でも、
まず赤の他人だよな…
平さんも源さんもまず関係ないと思うよ
藤原さんや橘さんもね
914 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 08:07:43
同級生に源さんいました。大阪人でした。
源です
ずっと本姓イコール苗字だと思っていたのですが、どうやら違うようですね
無知ですみません…
まだ都合がつかず親戚にはまだ無確認ですが
ちなみに熊本在住です。
明治新姓ですな
917 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 17:02:59
本当ですか?新姓
大きなところでも本姓と別の名前があった時代に、
勝手に源や藤原を名乗れたのかという疑問はあるな。
全国の名簿にあたればわかるだろうかw
919 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 18:13:11
源さん
江戸時代の墓ありますか?
>>919 わかりません…今度聞いてみます
関係あるかわかりませんが、家紋はみたことあります
Wikipediaの「源義忠」を見ると、子孫は苗字が源であり、姓も源って書いてあるね。
出典は良く分からないけど。
>>920 「家紋はみたことあります」って、普通の家なら家紋見たことあると思う
で、どの家紋?
>>922 源家家紋と飾られていたのが祖母の家にあったのですが
どういうものだったかは覚えてないです…すみません
俺の祖母方の苗字は橘で家紋は橘紋だけど橘氏とは一切関係ござーせん
>>926 さぁ……わからんけど持ってる中で一番古い明治19年式戸籍には
「明治八年○月○日相續」「前戸主亡父橘○○郎」などと書いてあるよ
>>927 その程度しかわからないなら「一切関係ない」とまでは言えないような
そりゃ関係無い可能性の方が高いだろうけど、可能性を残しておけば夢がひろがりんぐ!
929 :
日本@名無史さん:2010/08/26(木) 01:09:10
家紋なんて更にあてにならんだろww
家紋は100%根拠にならないと断言していいと思う
昔から特別な例(十六八重表菊、徳川葵など)を除いて家紋の使用は自由だったし
被差別階級ですら名門大名と同じ家紋使っていた
それに家紋は一家に一つというわけではなく、古い家ほど多くの家紋を所有している
先祖から家紋を推測することはできても、家紋から先祖を辿ることはできないって考え方でいいの?
そだね
家紋だけでは先祖を判断できないけど、揃えるべき様々な証拠のひとつに家紋も挙げられる
否定にも肯定にも使えないし、せいぜい参考資料
説得力のある結論に辿り着いたときに価値が出るかもしれないもの
935 :
日本@名無史さん:2010/08/27(金) 09:15:23
この系統は代々源姓を名乗り、江戸時代の資料等にも苗字が源であり、姓も源とある。明治維新以降もこの系統は源を今日的な意味の姓としている
除籍簿復活の件だけど、うちの市はダメだった。
理由は
>>711が書いてる通り廃棄証明うんぬん…
というか実際、復活で取得できた人はいるんだろうか?
なんとなくいない気がするんだけど。
ちなみに除籍簿自体は保管してるっぽかったよ。
今後もし国の方で強制的に復活って話になれば、
そのときは出せるって感じだった。
そのシチュエーションの具現化はありえるのかなあ・・・
難しいだろうね。だからこそ今回、期待したんだけど…
うー…
941 :
日本@名無史さん:2010/08/30(月) 07:06:57
うー…
942 :
日本@名無史さん:2010/08/31(火) 03:05:53
うまうま
……ま、そうなるわな。
最近、江戸時代生まれの戸籍で話題になってるけど、ニュースを見ていると
戸籍を電子化していない市町村が結構あるみたいだね。
人口が多い政令指定都市とかは電子化まだのところが結構多い
ほー、政令市のほうがかえって手書きだったりするのか。
京都市も手書きです。字が読みにくいのが困る。
戸籍制度がなくなると先祖探しって難しくなるよね?
なくなるの?
951 :
日本@名無史さん:2010/09/02(木) 22:16:10
大坂某区の除籍はマイクロ化されてたなあ
952 :
日本@名無史さん:2010/09/03(金) 11:58:59
佐賀伊万里陶器商江頭家の子孫を探しています。墓石で赤字で書いているのですが
確認できる方は、今生きているとすれば88歳です。
明治以降転居か、男系が途絶えたかで、もうすでに檀家ではないため
無縁となっていますが、一族の墓が9基ほどあります。
数年前までお布施を郵送してきていたそうです。
墓をきれいにしていればもしかして、江頭家の者が訪ねてきたときに
気づいてくれはしないかと思うのですが。
調査する手段は過去帳だけですかね
953 :
日本@名無史さん:2010/09/03(金) 17:53:32
戸籍をなく従ってる奴は生まれが悪くてその証拠を葬りたい部類に間違いない。
954 :
日本@名無史さん:2010/09/05(日) 21:44:05
ジイちゃんのトコの役所も戸籍の整理してくれなくよかったのに。
>>752 数年前までお布施が郵送された家(寺?)で住所を控えてないのですか。
956 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 15:22:30
>955
そうなんです。捨てたと。修行寺なので、自分のお寺でなく何人もが
あつまってきていて管理しているんです。
あまりしつこく電話したんで、変人扱いされました。しかしその江頭家は
佐賀の筒江という秀吉時代からある登り窯を再興した人物で県の指定になっているんです。
もし末裔の方に連絡付けば、家に眠っている貴重な資料を発見できるかもしれないと
思うので、できるだけ早く行動を起こさなければと、焦っているのです。
957 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 18:13:46
いまどき、先祖調べなんて後ろ向きの趣味をやってる奴らのために、
除籍簿なんか保存しておく必要はない。
保存期間が終了した除籍簿は、法的にはもちろん、物理的にも廃棄すべし。
焼却するなり、裁断するなりして、二度と人目にふれないように存在そのものを抹消すべし。
958 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 18:35:15
今ある自分は偶然ではない気がする
先祖を調べると、時代の激変に飲み込まれたり
天災、病気いろいろ起こり、商売がうまくいかなくなったり
その流れの結果今の自分がある。
親が教育費を惜しんだり、遊興に高じてたりしたら
悲惨な自分があるだろうし
そういうことを考えると自然に墓に手を合わせて
今という時間を一生懸命に感謝して生きる気持が
強くなる
>>957 わざわざ日本史板を覗きに来て、そういうことを書く馬鹿は
豆腐の角に頭をぶつけて死ねばいいのにwww
>>957 先祖調べをするのは身分のある家だけじゃないんだから、いまどきも何もないし、
個々の家の記録でもあるけど、日本の記録でもあるでしょう。
家柄詐称でもしてるの?
961 :
日本@名無史さん:2010/09/06(月) 21:23:05
先祖ネタを嫌うのは●落民か在●だろ。
たてたてゆさゆさまーるかいて
どんな些細な情報もこれからの役に立つかもしれないしね。
何年にどこで生まれて何歳で結婚して、何年後に子供が生まれて、どこで何歳で死んだか。
それが何十人分も集まれば参考になるだろう。
964 :
956&958:
祖父の兄の嫁さんは山形本籍の人でした。結婚は大正時代かもしれませんが
今でも九州と山形の人と結婚といえばなかなか縁がないと思うのですが。大学で
知り合ったり、転勤して住んでいたりしないと。戸籍を見たときにびっくりしました。
確認してみると、山形には本人は住んだことがなかったと言っていたそうです。
山形に佐賀有田の陶器店を出店した人が有田にはいたので、結構商売で人の行き来が
あったようです。こういうことを知ることもできました。