どっち?
2 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 17:57:13
ものすごい醜男だったらしいが
3 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:09:19
本当?それで、あちこちの貴族の娘に手をつけたのか。好色はコンプレックスの裏返し?
4 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:14:07
(尊氏のものと思われていた)肖像画はそんなに醜男でもないと思うけど
5 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:37:49
柄本明のイメージが
絵師に金握らしたんじゃない?
7 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 19:58:29
尊氏に翻弄された人生だな
直義を失脚させる為に使われて、自分の立場が不利になると直義を使って殺してしまうんだから。
最後は直義も殺してしまう
尊氏の方が非道悪人だね!
そうかなあ?師直の方が、尊氏を利用してたのでは?打ち出浜の戦いの後、身の危険を感じた尊氏が、直義を使って始末した、ということをどこかで読んだけど。
9 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:52:48
利用しあってたということだろう
10 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/08(日) 23:18:01
>>4>>6 あれが師直というのはひとつの説だ。
仮に師直だとしたら師直死後の肖像。
詳しくは師直説が述べられた論考を読むこと。
11 :
日本@名無史さん:2009/02/09(月) 01:54:13
スレ潰しのコテハンは、慎め。
執権北条氏になり損ねた一族
13 :
日本@名無史さん:2009/02/09(月) 13:21:12
ウチのは 矢がクロスになってるやつだ。
大谷刑部卿の家門と一緒かも
14 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 16:53:18
>>12 直義一派を完全に打倒してたとして、師直が執権のような立場になることって、あり得たんだろうか?
15 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 17:37:10
>>10 まあ死後かもしれないが輪違いの紋所だから高師直だろう。
でなければエルメスの日本向けポスターか
レス乞食に話しかけるなって
それとも自演か?
スレタイに空白あると検索しにくいんだよなー
19 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:02:33
>>17 最近のレスは自演より、他演、すなわちなりすましの方が多いなw
20 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:30:06
「太平記」何かを読むと尊氏は偽善家なためか
いつでも出家するとばかり言っていてとてもじゃないが大将の器ではない
尊氏が偽善家ぶりを発揮できるように
悪役を引き受ける師直のような家臣は重宝しただろうね
義直も兄の偽善ぶりを信じ、師直さえ打てば兄弟仲良くやれると信じたようだが
本当は一番腹黒いのは尊氏本人だったと。
>>20 そうかなあ?尊氏は偽善家というより、躁鬱病なんじゃない?偽善家とよぶには一貫性がなさ過ぎる。
22 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 17:55:10
>>21 執権北条氏を討ち、鎌倉幕府を滅ぼす→
自らが征夷大将軍となる→
わが子で嫡子の義詮に将軍職を譲る
尊氏の行動は首尾一貫していてぶれてないよ。
周囲には出家、出家、といってばかりだが
周囲にとめられるのを待っているかのようで
義詮を将軍につけるまでは
全く出家どころか隠居する気配もなかったし。
>>22 「出家」と言い出すのがうつのせいではなく
偽善のためであることを説明していただける
とありがたい。
>>22 直義との内乱の時、南朝に降伏したあたりの行動は、行き当たりばったりとしか思えないのだが。
25 :
日本@名無史さん:2009/02/15(日) 01:44:15
躁鬱は病気だったり気質だったりするので医学的所見か心理学的な知見が必要だろうが
「優柔不断」だったというのは間違いなさそうだ。
すなわち決断力に乏しく、先の見通しも甘い。
26 :
日本@名無史さん:2009/02/16(月) 14:07:16
[優柔不断]は義詮じゃないかな?尊氏は先見性はともかく、決断力はあるよ。
27 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 02:08:48
決断っていうより、飛躍的逸脱って感じ。
28 :
日本@名無史さん:2009/02/18(水) 01:19:45
高氏の子孫っているの?
いるよ。
喜連川氏
だから何
>>28のいってる高氏って尊氏のこと?高一族のことじゃないの?
わざとだろ
高一族っぽいな
直前まで尊氏の話が続いてるから凄く紛らわしい
35 :
日本@名無史さん:2009/04/08(水) 21:29:54
逆賊師直信者は、尊氏に操られた悲運の武将という事に仕立て上げたいらしいですねw
だがどうしようと天皇など金で鋳造すればいいとほざいた罪は消えませんw
36 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:49:46
高師直は非常に現実主義。世情が混迷している時には実に能力を発揮する。
「乱世の奸雄」とまでは言わないけど、主張はいちいち的確で納得できるところもある。
南北朝騒乱さえなかったら、非業の最期はなかっただろうし、義詮政権での
細川頼之の台頭はなかった。
37 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 19:35:30
尊氏は庶子出身といえど所詮お坊ちゃま。
38 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:00:48
高師直が浄瑠璃や歌舞伎で吉良上野助になるとは不思議だ
39 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 22:34:49
>>14 高家は代々執事の家柄だし
北条氏のようにはならなくとも
師直が殺されなければ
管領を輩出する家にはなってたと思うな
40 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/05/14(木) 00:11:46
ここも國學院のレスもすべて太平記史観w
『太平記』の見方を鵜呑みにすることの愚はなんなんだろうなw
現代の感覚では、直義が正義なのか、高兄弟が正義なのか、判断するの難しいが
太平記は宋学を基に書かれているから、天皇に忠実だった楠一族は正義の味方で
皇族や公家と何かとトラブルを起こした婆娑羅武士は露骨に悪役さ。
婆娑羅派の代表の高師直が、悪役の吉良になるのは、変な話じゃない。
42 :
日本@名無史さん:2009/05/15(金) 02:40:37
>>40 私アホどすさかい,それだけではわかりません。
先生の御説を御開陳くださいませ。
>>39 というか管領って元執事なんだから、モロ直モロ泰が横死しなければ
高氏が独占することになっていた可能性が高い。
46 :
日本@名無史さん:2009/05/16(土) 01:42:28
>>46 同族のうち格の高い斯波家は当初管領就任を渋ったらしいね。
「そんなの家臣の役職だ」って。
48 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 02:01:22
話が「足利一門、特に総領家内部の執政」ならそうなるだろうね。
しば君には話の単位が「天下」になった実感がなかったんだろ。
逆に、
上位の格式は、最低でも一門の独占。
家臣と一門には明確な線引き、格差がある、ということ。
鎌倉で言うと、範頼義経が執権(まだなかったが)になりたがるかということ。
金沢赤橋らが内管領になりたがるかということ。
江戸で言うと、御三家御三卿が大老老中になりたがるかということ。
話の単位が「天下」になったところで、一門は家臣の役職になりたがらないのは自然。
>39
遅レスだが、
師直は尊氏への取り次ぎ事項を全て取りしきる窓口として強い権限があったし、
軍事によるものだけじゃないからなあ。
それなりの強い権限は持ち続けただろうと思う。
ただし、いわゆる「管領」と違い、大名出身じゃない点に由来して、
管領との性格・権限の違いが生じただろうとは思う。
>42
家柄に関しては細川とかと同レベルだろう。
斯波とかに比べて、明らかに家柄が低い。
>44
おなじく執事の家柄だった上杉ほかは、排除されることになってたかもな?
>48-49
逆に、家格の低い細川は素直に管領(執事)に就任した、とは言えるだろうな。
義経も、(もし機会があったとしたら)同様じゃなかろうか。
他の兄弟と比べて出自が... な分、逆に、主従関係となることを受け入れる可能性が開けていたのでは?
それ以外の例は妥当と思う。
一門の中にも格式があり、格差があったという点は気をつけたい。
家臣も同然として扱われる末席親族(その代表が細川)なら、執事への就任は受容しうる。
51 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 22:11:05
直義排除後、師直が尊氏より長生きしていたら、
鎌倉幕府でいうところの、平 頼綱とか長崎円喜みたいな感じになったのかな。
52 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 22:45:04
朝鮮人
>52
高階氏の支流で、都落ちして東くだりした人の子孫だぞ。渡来系じゃない。
54 :
日本@名無史さん:2009/06/02(火) 02:35:34
>>49 普通に、なりたがると思うよ。
政治実権握るチャンスだし。
それと、例えがかなり的外れ。
御三家とかではなく、
「深溝松平が老中になりたがるか?」「yes」
これが適切。
>>54 深溝松平は江戸時代、ただの譜代大名扱い。
例えが全然適切じゃなかったね。はいやり直し。
>54
さんざん既出だが、
「足利一門の細川が執事になりたがるか。
足利一門の一色が侍所別当(だったか頭人だったっけ?)になりたがるか。」
って問いかけなら良かったのにな。
斯波は執事になりたがらなかったけど。
細川なんかは足利一門の中でもそれほど格の高い家じゃないからな。
イメージ的に鎌倉公方=御三家 斯波=越前家 細川=十八松平
>57
一行目は同意。
堀越公方も御三家クラスと思えるな。実際に将軍も出してるし。
って、ちょっと例としておかしいけど。
斯波は、紀州藩や尾張藩ほどではなくても、水戸藩なみの格ではある気がする。
59 :
日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:21:50
>>55 譜代大名が老中になりたがったら、なんか問題あるの?
おかしなこと言うねぇ。
ていうか、そもそもなんで徳川幕府になぞらえようとするかが
わからん。なんか意味あるのそれ?
>>59 深溝は親藩(一門)じゃなくてそのへんの土屋とか堀田とかと同じ
ただの譜代家臣あつかいだと言ってるんだろ。
斯波は鎌倉時代は御三家な感じだけど、室町には大老から老中と、どんどん格が下がっていく感じだな。
>62
少なくとも室町前半ごろ、足利義教の登場までは、
当人の心中では江戸時代の御三家みたいな意識だったと思うけど。
斯波家当主は管領などという下級職に就くものではない、
当主見習いの若い時期に、当主に代わって管領に就くものだ。って意識。
それがいつ頃なくなったのかは知らんけど、斯波家の管領の初期の何人かは、
明らかに「当主となる予定のものが通過儀礼的に就任する職務」と考えていたとしか考えられない。
64 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 14:40:57
65 :
日本@名無史さん:2009/07/17(金) 13:21:23
自己中が降臨したせいで、どっと寂れたよな。
>>47 真相は以下の通りです。
細川清氏失脚後、佐々木道誉は女婿の斯波氏頼を後任の幕府執事に推した。
しかし斯波高経は三男氏頼を退け、偏愛する四男義将を幕府執事とした(道誉の影響力排除の意図もあったであろう)。
氏頼これを憤り出家。
後世、義敏か誰かが、斯波家の家格を強調するため
氏頼は「執事など仁木細川の類に相応しい卑職」と言って出家したとか話を捏造。
まぁ「執事なんて仁木細川のしごと」という意識はあったのでしょうね。
だからこそ高経は13歳の息子にやらせて自らは背後で実権を握った、と。
>>63 >斯波家の管領の初期の何人か
てゆーか義将の最初の執事就任時のみでしょう。。
>67
いや、どうも、その後もしばらくは同様の状態が続いた様子。
義将もまた、子息が管領になって実権は自分が、って状態を作っている。
69 :
67:2009/09/23(水) 00:48:12
>>68 うん、まぁ。息子(義重)どころか孫(義淳)まで義将存命中に管領にしたもんね。
ただ、管領就任時の義重は35歳。
「当主となる予定のものが通過儀礼的に就任する職務」というのとはちょっと違うのでは。
4年後、義重は父義将に管領職をバトンタッチ。
義将は在職2ヶ月で嫡孫義淳に管領職を譲って翌年薨去。
私は個人的には頼之贔屓なんだけど、公正に評価して義将は斯波家で最も傑出した人物だと思う。
で、義重「まぁまぁ」、義淳「トンデモ」(因みに高経「イマイチ」)。
子→親→孫という不自然な就任順を見るにつけ、
義将が自らの歿後の斯波家の行く末に不安を感じていたであろうことは察して余りあります。
>68
義将の嫡子 義重が管領になったのは30代のことだから違うだろ
義重の子 義淳が管領になったのは確かに義将と同様に13歳のことだし、
義将が死去すると翌月には解任されているから、義将・義重が実権を握ってただろうとは言えるだろうが...
その後、義郷・義健・義敏らは管領に就任する機会がなかった。
71 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:07:39
なんで無理してまで孫に譲る必要があったのか
なんでだろう
73 :
日本@名無史さん:
どうして高階から高に姓を変えたの?