苗 字〔「戸籍制度」の基本知識〕
江戸時代には下層農民も「苗字」を有していたことが明確となっている。
江戸時代には知行所を持っていた旗本や藩士が金を取って「苗字」を庶民に与えていた事例が
多かったことから、幕府はこれを禁じる「お触書」を出している(享和元年〔1801年〕7月)
(末尾の奥宮敬之の書籍 163頁)。しかし、これは表向きのことで、庶民が「苗字」を持つことが
廃れることはなかった。東京都中野区江古田の氏神氷川神社の弘化3年〔1846年〕の
造営奉納取立帳の全村85軒の戸主の全員に「苗字」が記載されていた。これは何も江戸近郊の
ことではなく、長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて
「苗字」を持っている(末尾の豊田武の書籍 140頁)。こういう例はゴマンとあったことが指摘され
ている。
江戸時代の農民は何も上流階級に限らず総ての者に「苗字」があったと考えられるのである。
江戸時代の農村において「支配者に名ばかりを載せ、苗字を書いてないのは下位者・使用人を
賤しめての省略記載で、苗字の無記すなわち無姓ということにはならない」(末尾の洞富雄(1)
−4頁〔同趣旨〕)。これを以って<例外>などという者がいるが(末尾の熊谷開作 138頁)、
そういう例はこれに止まっていないから誤りである。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/koseki_myoji.htm ○明治3年(1870)平民に苗字の公称が許された。しかし近世においても一般庶民は苗字を
持っていた。庶民の苗字公称が禁止されていただけ。
近世において農民や町人は宗門人別帳により把握されていたが、苗字を免許された者以外は
名前しか記されていない。しかし私的な文書、寺社の棟札、石碑には苗字を使用している例がある。
かつては近世の庶民は苗字を持っていなかったという見解が通説化していた時期があったが、
通説を批判した1952年の洞富雄「江戸時代の一般庶民を持たなかっったか」『日本歴史』50号を
契機として、全国各地で苗字を持っていた事例が報告されるようになった。1577年から1610年
に日本に滞在しイエズス会と日本側との交渉にあたったロドリゲスも、名字は高貴な人だけでなく、
通常は大衆も持っており、持っていないのは漁師や身分の低い職人など最下層の人々であった、
と述べている『『日本語小辞典』下、岩波文庫1993、153頁)。これまでの研究によると近世中・
後期には大部分の農民が苗字を用いており、それが明治の戸籍に登録されるのが通例だった
(『長野』99号1981「苗字」特集号)。
農民の苗字の記載のある私的な文書の例を挙げると、常陸国行方郡永山村の安政4年(1857)
「正人別書上」では水呑(無高)2戸を含む百姓96戸に苗字が記載され、苗字がないのは1戸だけで
ある。庶民においても、苗字は家名として継承され、分家に本家と同じ苗字が与えられ、同族の
標識とされていた。
都市民については実証的研究はないが、大部分が苗字を持っていたのではないか。同苗=
同族内の各家の連帯、相互扶助で著名な例としては三井家が知られている。ただ日雇や棒手振商
などのその日暮らしの細民層は、苗字を持たないか、持っていてもそれを名乗ることは少なかったと
思われる。
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