67 :
日本@名無史さん:2008/10/17(金) 11:45:16
預■之趣
字としては「承」のように見えるけど。こういう言い回しってあるのかな?
一瞬、頭年じゃないかとも思いましたが、年頭や当年(いずれも新年の意)はあっ
ても、頭年という言葉はありませんでしたね。
しかし、大名間の書簡にしては偉く字が乱れているような。
69 :
63:2008/10/17(金) 22:18:23
>>65-68 皆様、有難う御座います!
67さんの言うように「承」ならば字としては読めなくは無いですね。
意味も不自然ではなさそうですが、やはり言い回しが問題でしょうか、
何か決まった言い回しが有りそうなのが余計に気になります。
実は以前、この文書のコピーを近世史の先生に見てもらった事があります。
この時、『解答』を聞いておかなかったのが、失敗でした。
ただ、解説はしていただいたので、それによると
形式としては老中奉書
大久保忠真…小田原藩主、文政元年八月から天保八年三月まで老中
公方様…徳川家斉、天明七年四月から天保八年四月まで
内府様…徳川家慶、文政五年三月内大臣、天保五年四月左大臣
若君様…徳川家定、初名家祥、文政七年四月誕生、文政十一年四月大納言
以上から、文書の年代は、文政八年から同十一年の間※
安藤対馬守…この時期は安藤信義、文化九年十二月遺跡相続、同十一年十二月対馬守
文政十二年七月隠居、山城守
おそらく、参勤交代で国許にあった安藤が幕府に年賀の書状を出した事に対する、老中からの答礼
(中略)このような形式的な文書は、家臣などに下賜する例も多いから、
あるいは御用金上納などの折りに下賜されたか、のちに藩士などから入手したとも考えられる
との事でした。
※後日、安藤信義は文政10年8月〜翌11年2月まで在国していた事が分かり、
以上からこの文書が文政11年の物であることが分かりました。
70 :
日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:48:19
預、頭、願はよく似てるよね。後のは、承、年がそれっぽい。
いろいろ組み合わせてみたけどいまいち。
71 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:48:04
古文書用語辞典で、辞書的な構成だけでなく、図版も豊富なものってないでしょうか。
72 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:20:19
くずし字字典とか古文書辞典とかどんなのを使ってますか?
あくまでも自分の場合ですが、
自分が以前薦められたのは
習い始めには、くずし字の形から引く、
児玉幸多編、「くずし字解読辞典」(もとは近藤出版、今はどこだろう?)
少し慣れて来たら語彙の豊富な
同、児玉幸多編「くずし字用例辞典」のセット。
あとは、漢和辞典やら古語辞典、広辞苑などを適宜利用。
このほか、原文書から収録した例文や、異体字一覧、
読み方の基礎などにも触れた構成の
林英夫監修「古文書解読字典」(柏書房)
(なにげに裏表紙の「干支・西暦・和暦対照表」も便利)
あたりですね。
74 :
日本@名無史さん:2009/01/08(木) 19:38:28
質問です。
花押が同一の形状だということで、
別名の人物が実は同一人物というのがしばしば判明していますが、
逆に花押が同じでも別人の例はないんでしょうか。
実は親子である、とかの。
75 :
日本@名無史さん:2009/02/23(月) 23:12:23
さあ
別人が全く同じ花押書けるなら書いてみろや
77 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:48:30
おうよ
花押は意外なことにゆう筆が書くこともある。
最初に一本線引きして、あとは人が書くとかね。
あと花押の形状によっては、他人でも簡単に書ける。
筆・筆圧・墨、それぞれ違うのでまったく同じには書けない。
CSI科学捜査員の目はごまかせない。
上杉謙信の花押がまさにそれ。
本人が書いていないで、最後に少しだけ墨を入れている。
だから少し角ばってて誰でも真似できるようになってるみたい。
81 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 11:26:42
図書館でコピーした風土資料の文中に、見慣れない文字があり、その意味について迷っています。
墓石の銘文の中にところどころ現れる文字なのですが、漢字ではなさそうです。
「b」の字の縦棒を「r」にして、縦棒を全体的に右傾させた形の文字、
あるいは「6」の字の縦棒の上の部分を枝分かれさせた形の文字と表現できます。
活字になっているのですが、梵字でもギリシャ文字でもないようです。
見たところ、文字の欠落していそうな部分にあてがわれているようなので、
校正記号の一種か何かではないかと想像していますが、何か分かりますか?
83 :
82:2009/07/02(木) 11:42:17
84 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 17:04:36
早速の回答ありがとうございます。
実は宮城の栗原郡三迫澤部(沢辺)村(現栗原市)の安永年間の墓誌について調べておりまして、
どうしてもこの文字の意味がわからずに苦労していたところです。
梵字やギリシャ文字、数学記号などに似たような文字がないか探したのですが、
合字という物は初めて知りました。
元の文章は95%以上が漢字で構成されており、わずかにひらがなとカタカナが出てくる程度だったので、
この字が変体仮名の一種だというのは予想外でした。
85 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 23:08:16
最近の史料集だと合字の「より」を
(より)と読み下している場合が多いなあ
個人的には「トキ」、「トモ」は仕方ないとして、
「より」ぐらいは合字で残してもらいたい。
あと助詞として「者」(は)とか「茂」(も)、「而」(て)なども
捨てがたい。
まあ、好みの問題ではあるがw
86 :
日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:18:53
ユニコード表やネット上の画像参照文字では、「ち」の横棒の左側をなくしたような、
あるいは「5」を少し崩したような字形になっていることが多いのですが、
その本では下の丸部分が閉じていて、かなりローマ字圏の文字や記号のように見えました。
ちょうど
>>83のリンク先にある画像のような字形です。
これは合略仮名というのが正式名称のようですね。
また「并」の字の旧字体(横棒が2本とも中央で切れていて、下の横棒の左半分が右肩上がりになっている字)もなかなか調べられず、
時間が掛かりました。
活字に起こされた文章でも手間が掛かるのですから、原書を読むのはとても大変だと感じました。
87 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 01:19:11
中世の情報伝達と、現代における情報伝達の違い説明できますか?
88 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 16:32:16
昨日公務員試験を受けまして古文が一問ありましたが全く分かりませんでした。
問題文のはじめは百〇八〇、という四文字で〇の部分は難しい漢字で忘れました
それで確か、短歌か俳句について書かれた内容で、
選択肢には自分は才能も努力も他人に比べたら
まだまだ足りないというのがありました←この選択肢が正しいとは限らないがこれにした。
ものすごく分かりにくいですがこれは何という作品か分かる方いますか?
古文書初心者です(´・ω・`)
今大学で近世の古文書を読んでいるのですが、難しくて全然読めません…。
活字の資料なのですが、もうなにがなんだか…。
読むこつなどがあれば教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。
90 :
日本@名無史さん:2009/09/10(木) 14:33:24
91 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 23:59:24
「よ」と「り」の合字ってのはあるけど、
「さ」と「ま」の合字って、あるの?
郷土史家が翻刻した文章に「さ」と「ま」の合字ってのが出てくるんだけど、
信用していいのかな?
92 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:10:06
戦国時代の島津家の書簡に、音弓って単語が出てきたんですが何のことでしょう?
弓音なら弓の音なのですが、なんか修繕して音も良いみたいなことが書いてあるので、
琴かなんかでしょうか?
93 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:14:20
戦国時代?
随分最近の話だな
ハープじゃないのか?
94 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:27:01
ここで、日本古代文化史初級問題2問です
1.日本を代表する花といえば、「桜」と何でしょうか?
(ヒント:京都御所に桜と並列して植えられている木、あるいは万葉集で歌われている香具山の香具)
2.まもなくおおみそかですが、この「みそ」とは何か
95 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:33:36
>>89 継続すりゃコツつかめるから根気強くがんばれ。
最初は辞書ちゃんと使って丁寧にね。
慣れてきたら定型句や話の流れから予測していけるようになる。
>>90 もう見てないかも知れんが、出来れば作者を教えて欲しい
99 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:27:08
>>93 遅レスすみません。
なるほど確かにハーブかもしれませんね。
ありがとうございますm(_ _)m
100 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 15:00:21
質問だが、古文書って、ホンコクされたものは対象外?
最近、史籍シュウランとか、寛政重修諸家譜とか、割と興味ある
101 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 15:14:48
古文書を読んでない人いるの?
>>100 対象にしてもいいんじゃない?
過疎ってるし
103 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 04:27:50
>>102 それじゃあこれを
今度実休討死之様体、餘口惜次第候、幸各無異儀被罷退候、
吊旁以一戦可相果覚悟候、然者未其津ニ被相残由、近比無比類儀候、
早々可及行候之条、人数等不散様、
至于爰元着陳可為喜悦候、不可有由断候、恐々謹言
吉成出雲守殿 義長
三好実休が戦死した際のものらしいのですが、「吊爰」の読みと三、四行目の読み下しを教えて下さい。
意味は
此の度三好実休が討死したことについては、大変残念なことであるが、幸いにして各々(実休以外の諸将?)は
無事に退くことが出来ました。なおも一戦を仕り討死する覚悟であり・・・
まではおおよその文意がとれたのですが、三行目以降の意味がうまくとれません。
よろしくおねがいします。
>>103 「吊爰」、吊=とむらう、弔の俗字。爰元=ここもと、此許
105 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 11:21:18
唐大和上東征伝で挫折
>>103 「至于爰元着陳可為喜悦候」
の部分の意味が若干鶏肉いが、その他は普通だな。
ここは、「(雲州が)ここ(義長のところに)に着陣すれば(義長も)喜悦しますよ」
ということかな。
「とむらいがてらいっせんもってあいはてべくかくごそうろう、
しかるはいまだそのつにあいのこらるるよし、
ちかごろひるいなきぎそうろう、そうそうてだておよぶべきのじょう、
にんずうとうさんぜずよう、ここもとちゃくじんいたりてはきえつすべくそうろう、
ゆだんあるべからずそうろう」
この感じいいなぁ。この方向でスレ伸びないかなぁ。
109 :
103:2009/12/29(火) 05:37:49
もう一通三好筑前守関係の文書について質問したいです
東寺領九条縄内事、先年十河并今村雖令押妨、任寺家証文等之旨、
速返付之、当知行之処、立却就十河被官人窪吉次郎競望、早可退彼妨之趣、
対三好筑前守被仰付之条、当納堅可相拘之、若於他納者、二重成之上、
可被加御成敗之由、所被仰出之状如件、
当所名主百姓中
今村・十河の押領を退けて当知行をしていたところ、十河の被官
窪吉次郎が西九条の東寺領を競望している、その妨げを退けるべき趣を
三好筑前に対して仰せ付けたので、(本所へ納める年貢?を)堅くキープ
しておけ、もしほかのとこに納めても、二重に課税する上で、成敗を
申し付ける
という意味でおおよそ、よいのでしょうか?
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/05/1004/0761.tif 同時に出されたこちらの史料では、今村・十河の押領を三好筑前に止めさせ、
相違ない状態だったところ、窪吉次郎が競望しているが、いわれの無いことなので
彼の押領を退け、当知行の旨によるべしとあるようです。
110 :
日本@名無史さん:2009/12/29(火) 16:25:52
>>109 卒論かな?
おおむねいいんだけど、「当納」の訳がちょっとだけ違和感。
「当」納だから、今季の収穫物/年貢ってニュアンスを強く出した方がいいんじゃないかな。
もちろん、本所に納めるんだろうけど。
ところで、この史料は誰が出してるの?
三好被官のようにも見えるし、将軍直臣にも見えるし。
>>111 ありがとうございます。
この文書は室町幕府の奉行人連署奉書です。
全くの初心者第一歩のスレって無いでしょうか?
古典が大学程度読めて漢文が高校レベルならOKくらいだと
古文書を読んでいくのに助けになりますか?
来週、地域の初心者向け講座で5時間ほど
慶長期のものを読んでみる予定です。
114 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 01:29:23
115 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:29:28
ほほー
116 :
日本@名無史さん: