義平じゃあ、東国の武士はまとまらんだろう。
これは別に義平個人の器量とかの問題じゃない。
義平は相模なら三浦、武蔵なら畠山との関係が、深過ぎる。
弟の朝長は、波多野氏との関係が、深過ぎる。
ということは、三浦・波多野と対立することの多い、鎌倉党(大庭・梶原・長尾)や
中村党(中村・土肥・土屋)は、義平を担げない。むしろ、強硬に反対する。
おまけに義平には、東国に家来がたくさんいて、あれこれと活動している以上、周囲と衝突する
るのは避けられない。味方もいるが敵もいる状態。
対して頼朝は、東国の特定の有力者と結びついていないから、強硬な反対者もいない。
領地も家来もないから、周囲との摩擦ゼロ。
つまり、味方もいないが敵もいない状態で担ぎやすかったわけだ。