1 :
1:
従一位太政大臣征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者に仕える御大身を語り、賤商嫌金、文武忠孝以て世に立つ四民の師表、萬山不重君恩重一髪不軽我命軽、近世武家の本質に迫りましょう。
従前の不毛を克服する為、正字正仮名推奨。罵倒禁止。
右曲事たる可き旨、急度申渡候。
では、どうぞ。
2 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 01:06:29
ほい
もうこのスレいい加減いらないだろ?
4 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 09:23:50
5 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:04:30
思い返せば御三卿は大名だの、封建が中央集権だの、勝林太郎がどうだの、ほんとに気の狂った香具師が多かった・・・・
6 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:34:52
御三卿が大名じゃないだ?まだそんなこと言ってるお馬鹿がいんの?
7 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:26:02
8 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:23:09
また本郷が自演をはじめてやがる。
9 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:31:26
↓前スレでの本郷の醜態
628 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/28(土) 23:36:17
先代スレに御三卿は大名だと言い張る怪人がいたが、専門スレでは当然に将軍の家族、独立した家を持たないとされているな。
■▲▼【11:102】【徳川】御三家・御三卿・連枝・家門スレ 二代目
629 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 06:46:48
>>628 >先代スレに御三卿は大名だと言い張る怪人がいたが
お前、本郷じゃないか?
あのやりとりに参加していたが、あれは本郷が、相手がそう主張していると勘違いしていただけだぞ。
何度勘違いを指摘しても、全く本郷は理解できなかったようだけどな。
↓そもそものやりとりはこんな感じ。
本郷「御三卿家は自己の領分を持っていなかった。なぜなら、大名ではないからだ」
アンチ「バカかお前。御三卿は幕府領から領分の村々を割り当てられ、独自に陣屋を置いて
領地経営していたぞ」
このやりとりを、相変わらず思い込みの激しい本郷が、問題を「御三卿家が大名か否か」に強引に
置き換えて見当外れの議論を始めたわけだ。
630 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:00:14
本郷が書いた主張を引用しておく。初代スレの371の後段部分だ。なお、このやりとりは、
武士が商売をどの程度軽視していたかというやりとりの中で出てきたものだな。
> 御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もあ
>りません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。この事情
>をご存知無きや? 本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
10 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:33:03
631 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:06:32
>したがって領分も知行所も給地もありません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。
馬鹿だね〜w
632 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:13:56
当時、一橋家が領知を有していたことを示す史料の画像が、まだリンク切れになってないようなので、
また張っておく。確か兵庫県史資料編からのもので、渋沢栄一が摂津播磨で木綿専売化を試みて、
木綿預手形を「御領知内村々」に対して発行したことに関する史料だ。
http://fout.garon.jp/?key=Gz1wt_JIfX5ybF8wh_HTcXq:vZS&ext=jpg&act=view 633 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:25:07
渋沢は摂津を巡り農兵を募兵してるしね
634 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:33:42
一橋家が和泉摂津で采地を領していたのは誰でも知ってる
635 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 07:38:05
知らぬは本郷ばかりなりw
636 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/06/29(日) 08:43:03
本郷w
637 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/06/29(日) 10:21:38
記憶が薄れた頃に相手をキチガイ扱いして貶めるって本当に粘着質で卑怯な奴だな。
11 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:29:28
上記を読むと結局文盲も御三卿が大名でないことは分ったのか?
12 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 17:47:26
交代寄合の分家の格式は?
大名家と違い、石高が少ない交代寄合だから分家も数百石くらいで、交代寄合家の分家もあるの?
13 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:50:55
>>6 を読むとまだ大名だと思ってる香具師はいるようだぞ。
御三卿が大名じゃないなら、新田藩は大名じゃないな。
15 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 09:06:19
やっぱりいた↑
16 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 11:17:41
ということは
>>9 のいう
> 相手がそう主張していると勘違いしていただけだぞ。
とやらは崩壊だな。
17 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 12:57:49
なんだ、結局ここは知識の乏しい馴れ合いサロンか(笑)
学問板にあらず!
18 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 14:49:50
↑その主張の根拠を書こう
19 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:31:13
学問は知識ではない。
理論だ。
20 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:09:39
知識の連結を整合化したものが理論かと。
分家程度の事柄に答えられず、いつまでも本郷だ御三卿だと前スレから・・・。御三卿と交代寄合に論理性はあるのか?
スレ違い板違いは、あなた方のお言葉に従えば、学問じゃありませんよ。
つまり、非論理的な積み重ねでしかない。
21 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:44:03
御三卿を持出して来たのは教授派に非ず。
文盲である。
22 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:42:50
そもそも教授派なんてものは本郷の脳内にしか存在しないw
自称教授本郷と彼の脳内にいる仲間たちですね? わかります。
何れにせよ御三卿を持出して来たのは教授派に非ず。
文盲である。
26 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 15:19:23
寝言にもせよ御三卿を持出して来たのは教授派に非ず。
文盲である。
教授はが始めたように言うのは文盲共の嘘。
, -─ - 、
, - ' _ヽ- 、
/ _ ,,ハ、\ ヽ、
, ' _/ 〃 \、ヽ 、
/ _ /_ /' ,-- 、l l
l -=‘ー`r っ'/-─`  ̄`ヾ| ll
lミヽ| l l | し' _..ニ、 ,ニ-、 |リ
lミヽヽ l |/ __/ス._)i゙ ト-ヘ'y′
l\\ヽ{ ‐ハ_。rj ヽ_゚ノ {) 文盲には
l l /⌒ヾ ,-- ゝ ̄` } 理由や根拠なんて
,′ |ハ (` ヾ / 無いのね・・・
,′ | l ゝ--' 、 0 /
,′ | l | l ヽ、 ┌、f⌒丶、
,′ || | l | ` − ゝr‐''_.. }
,′ l l | lyヘ h l(´ _.. l
,′ , --┴‐:┤ l| `丶、 ハ、K´ 、 |
,′ /::::ヽ:::::::::::ハ ||─-- 、/\_y_>! ト、
l /::::::::::::ヽ::::::ハ| Y⌒! 人 V!
29 :
日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:06:55
武士は商売を全く蔑視していた
31 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:43:47
募兵は何処でも出来る。
新撰組なんか流山で募兵してる。
だからと言って新撰組が大名な訳でも流山が領分な訳でもない。
>>30 蔑視してるのに専売制度とはこれいかに。爪楊枝削ったり金魚や朝顔育てたりして副業とはこれいかに。
33 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:50:32
愚かなことを
爪楊枝削ったり金魚や朝顔育てたりして副業とは工業
商業に非ず
商業従事は厳禁されていた
34 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 23:28:19
>>33 商業と商売混同しているバカ発見。
商業従事者ではない農民も職人も商売はする。
武士が商売を蔑視していた、というのは負け惜しみだと思うが。
江戸初期から圧倒的有利な状態で商売していたのに、
(土地からの年貢は取れるし、通貨発行権だって武士側が握っている)
あまりに有利なため商売の能力が高められず、幕末になって
徐々に能力を高めていった一般商人階級に圧倒された、ように見える。
36 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 08:48:31
年貢米だって売るしね。
武士以外の出自で出世しようとしたら、算術を習って人脈を築いて、下級藩士なんかで同じポストを狙ってる奴を押し退けて超幸運で勘定役か、
足軽を長年勤めて運よく下級藩士に取り立てられるかだし、商家に奉公して店を構えるのが最も堅いと思う。
そういう点からすると、比較的に努力で出世できる分野に脅威を感じて嫌ったのは有り得るんだろうな。
と同時に羨ましくもあったろう。
出自への依頼心が強くてプライドの塊みたいな奴はガチで嫌ってたんだろうが。
結局のところ「武士」がどうなんて総論じゃ語れないよね。
37 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:57:40
>>36 同感だな。
人は誰でも既得権益を守りたがるのは至極当然。
38 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:30:47
今のお役人もこんな状態なのに省益・既得権益を守るのに躍起になってるしね
39 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:37:36
明治時代の武士なんか既得権益犯されただけで最重要犯罪である内乱まで起こしやがったからな。
最低な奴らだ。
それに比べて今の時代の役人は内乱起こさないだけずっとマシだと言えるだろうw
まだ反乱起こした方がましだよw
41 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 14:44:24
相変らず愚かなことを・・・・
業はなりわいと読む。
業として商に従事する者は商人。
真人間の商取引は商業に非ず。
42 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 16:59:16
>>41 とりあえず君に読解力が無く、話の流れ読めないという事だけは解った。
>>40 巻き込まれて死ぬ非当事者の迷惑を考えろよ。
毎年西南の役だの二・二六事件だのが起きてたら世の中機能しないし、いつ相手の勝手な思い込みで殺されないとも限らない。
44 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:23:13
交代寄合で、華族に列せられたのは何家ありますか?
45 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:56:27
山名と岩松新田 位じゃない?
46 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 23:19:22
山名を入れるなら池田、生駒、平野、本堂、山崎も
岩松以外は皆、高直しして1万石以上と認められて立藩した。
交代寄合じゃないが大沢家は高直し詐欺をして士族へ降格。
8−9000石の旗本ではこういう例無いの?
軽く実高1万行っていそうなんだが。
48 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:51:42
>>47 一般の大身旗本で諸侯格得て華族に列せられたのはいないと思う。
しかし、万石陪臣は一応維新の功労と言うことで男爵与えられた家が多い。
49 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:05:38
どうして読解力が無く、話の流れ読めないといえるのかを書かねば。
学問板らしく。
50 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:49:50
>>47>>48 旗本ではいないね。
ちなみに万石陪臣でも男爵もらえなかった横山とか志水とか久野とかかわいそうだな…
51 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 08:47:17
明治士族の反乱は一般の支持もあったし、第一内乱は国事犯。
倒幕同様、新政府打倒も国事。
最高の人々だ。
それに比べて今の人は内乱も起さないで恥かしい。
>>50 水戸黄門で有名な山野辺も士族で1万石じゃなかった?
実際それだけ収穫高あったかどうかは甚だ疑問だが。
53 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 19:29:12
5000石の交代寄合と高家は高直し成功すれば華族で9000石の旗本は高直しも出来ないって事?
それとも倒幕に関連して微禄の静岡藩士になっちまったとか?
54 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 02:55:47
西南戦争以前の明治初期は形だけ近代化していて中身とのギャップに凄まじいものがある。
洋装の士族上がりの役人は平気で百姓町人を無礼討ちにしていたし
切腹、打ち首、晒し首は日常で、打ち壊しの暴徒は警官や役人を竹槍で刺し殺し嬲り殺しにしていた。
髷を結ってないだけで江戸時代と殆ど変わらない。寧ろより野蛮すらあった。
近代化の実態は明治三十年代と言えよう。
55 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 00:26:35
何を今更
明治元年仮刑律−明治5年新律綱領−明治7年改定律例−明治13年旧刑法
常識でしょ。
56 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 00:43:42
>>55 歴史の真実は形式的な法令とはかけ離れているものであることは言うまでもない。
57 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:09:27
史学上の見解では封建制の終焉は版籍奉還・秩禄処分とされているが制度上のことで
国家構造の実態は西南戦争の鎮圧をもって変革されたと言える。
58 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:53:28
以前、封建制は王政復古の大号令をもって終わったとほざいてた厨坊がいたな。
59 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:59:41
明治維新なんて無かった訳だな
戦前の皇国教育が歴史認識を捏造していたということだ。
60 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 02:08:19
61 :
大學ヘ授:2008/09/13(土) 09:54:06
各分野毎に変化の遅速があるのは当然ですから、領域別に検討する必要が有ります。
刑事に関しては旧刑法、治罪法からフランス法化しました。
無礼討や切腹、「打首」(下手人、死罪の間違)、「晒首」(獄門の間違)が制度として維持されている以上、「日常」なのは当然です。
もっとも刑事法では「明治三十年代」といふのは論者の誤解にて、明治十年代には御一新が完成して居ます。
62 :
大學ヘ授:2008/09/13(土) 10:14:55
政治的には廃藩置県でほぼ、西南の役で完了。
地方行政は郡県法の整う明治十年代には片付き、中央も二十年前後の内閣官制、憲法で内政は上がり。
経済は法典論争の煽りで民法、商法等の出揃う明治三十年代まで掛ります。
外交のみは日露戦争後の不平等条約撤廃にまたねばなりません。
軍事は明治六年の徴兵−鎮台で山を越しますが、その威力は日清、日露の戦役で遺憾無く実証されます。
こうして見れば、54や57が特定分野に偏った見方であることが歴然と分ります。
なほ近代は法治主義ですから、「歴史の真実は形式的な法令とはかけ離れているものであることは言うまでもない 」と言い放つこと自体、前近代的感覚です。
63 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 16:45:14
>>62 君の論旨では日本の近世は明治十年代まで続いていたということだな。
当たり前のことを言うなよ。
おまいは高校生か?
経済史なり政治史なりでそれぞれ時代区分が違うのは当然だ。
軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
65 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 18:50:24
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
↑
基地外ORリアル厨坊?
じゃ反対の理由を書かなきゃ。
訳も無く罵る者こそ狂人。
67 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 02:09:23
長篠合戦のどこが近代なのか?
旧軍の参謀達の研究成果(爆)を鵜呑みにしているのか?
三千丁の鉄砲(爆)の使用か?
塹壕、防馬柵の構築か?
工兵部隊の編成か?
縦隊斉射の戦術採用か?
本当に軍事史齧ってんのか おめーよw
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/15(月) 04:30:39
兵器面を見ても
火縄銃はマスケット銃と同じ前装式滑腔銃であり球形弾を使用。
前装式施旋銃で椎の実弾使用のミニエー銃等の登場により銃器的に近代に突入。
間違ってもゲベール銃は近代銃器とは呼ばない。
兵器面を語ってもこれだから
軍事史的に長篠合戦を近代と区分するのは正気の沙汰ではない。
知ったかぶりで大恥かいたな
69 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 04:36:39
>64 名前:日本@名無史さん :2008/09/14(日) 12:41:39
>当たり前のことを言うなよ。
>おまいは高校生か?
>経済史なり政治史なりでそれぞれ時代区分が違うのは当然だ。
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
↑
無知蒙昧
70 :
世界@名無史さん :2008/09/15(月) 13:54:16
71 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 19:17:21
それは説明になってないな。
何一つ自説の根拠が無い。
どういう時代区分するのか、それは何故なのかきちんと書かなきゃ。
下品兇暴な言辞を反省し、学問板らしく堂々とやろう。
72 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:23:03
それ以前に、他者の批判を全く理解できない人間は議論には不向きだから、
そいつの排除をまず考えるべきじゃねーの。
73 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:32:23
>>71 自説を提唱する場合、
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
の根拠を書くのが礼儀と違うか?
その出典を明示しろ。
主張している学者を連れて来い。
オメーの脳内説だから無理だろーがなw
無駄に便所の落書き書くんじゃねーぞ ワレw
74 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:35:19
お前
軍事史云々はハッタリだろ
恥かく前に土下座して許しを乞え
75 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:37:19
76 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:38:59
>>53 こんなサイトがある。
homepage3.nifty.com/ksatake/libinde.html
77 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:42:34
低脳馬鹿頓馬を晒しておくか
↓
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
>71 名前:日本@名無史さん :2008/09/15(月) 19:17:21
>それは説明になってないな。
>何一つ自説の根拠が無い。
>どういう時代区分するのか、それは何故なのかきちんと書かなきゃ。
>下品兇暴な言辞を反省し、学問板らしく堂々とやろう。
↑
負け犬の遠吠え
78 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:48:27
79 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 10:14:26
それは違うな。
説明の義務は誰にもある。
自分だけは別だと言い張るならそれも理由がいる。
80 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 20:12:17
僕はねぇ 君とは違うんだよ。
81 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 20:17:59
>僕はねぇ 君とは違うんだよ。
全裸で町に出たりするのか? 確かに違うようだが、そんな武勇伝を自慢するなよ。
またも文盲派の負け
83 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 15:12:49
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
↑
知恵遅れ
説明すら出来ない池沼
84 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 15:15:14
またも俺様の勝だな ワッハッハ♪
85 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 22:50:42
さっきNHK「その時歴史は動いた」で
東京学芸大学教授の大石氏が享保の改革の頃の番組テーマで「江戸幕府は中央集権」
と言っていたぞ。
自称大学教授 どうなんだ答えてみろやwww
86 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:37:27
>軍事史だと長篠合戦あたりで近代に入る。
>85 名前:日本@名無史さん :2008/09/17(水) 22:50:42
>さっきNHK「その時歴史は動いた」で
>東京学芸大学教授の大石氏が享保の改革の頃の番組テーマで「江戸幕府は中央集権」
>と言っていたぞ。
>自称大学教授 どうなんだ答えてみろやwww
自称大學教授よ 宿題が2つも出来たな。
答えられなきゃ もう出てこなくていいぞ。
87 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:45:32
またも俺様の勝だな ワッハッハ♪
↑お山の大将我一人。
それより根拠を書きなよ。
一人で訳も無く喚くのは狂人だよ。
89 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 11:56:14
また本郷か!
90 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 17:45:16
御三卿ネタを蒸し返しておこう。
>>11 >上記を読むと結局文盲も御三卿が大名でないことは分ったのか?
明治に入って立藩しているから、単に御三卿が大名でないとだけ主張するなら馬鹿の極みだw
それはともかく、学界では、御三卿は大名ではないとされている。しかし、だからといって、大名では
ないから領知を持たないなどという事実はなく、そのような主張をぬけぬけと行った本郷は馬鹿の極みだw
>>16 >ということは
>>9 のいう
>> 相手がそう主張していると勘違いしていただけだぞ。
>とやらは崩壊だな。
初代スレでのやりとりにおいては、「本郷が相手がそう主張していると勘違いしていた」ために
醜態を晒したのは上に引用した通り。その後に、議論の流れとは別に同様の主張をする人が
いても、本郷の勘違いによる醜態は消滅しないぞw
>>24 >何れにせよ御三卿を持出して来たのは教授派に非ず。
>文盲である。
いや、勘違いによるツッコミを試みて御三卿を本題にしたのも、勘違いのまま蒸し返して自分の醜態を
晒したのも、いずれの場合でも脱線の流れを作ったのは他ならぬ本郷だからw
91 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:33:12
>>90 横レスすまんが、清水は立藩してないよね?
当主不在だったし
92 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:22:39
立藩w
本郷タンはアク禁でも食らってるのかな
94 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 11:04:46
御三卿が正式の藩と認められたのは明治維新で幕府がなくなってからだな。
田安、一橋両家がそれぞれ「田安藩」「一橋藩」として独立した。
しかし、旗本同様の分散知行であったことと、徳川宗家に近すぎる存在だったため、
版籍奉還後、知藩事には任命されず、そのまま廃藩になってしまった。
朝臣になった旧旗本同様、廃藩置県のテストケースと言われている。
95 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 12:35:28
知行が分散していたのは幕閣に参与した関東の多くの藩と同様。むしろ、
10万石程度なら、国一円、郡一円というようなまとまった所領を有している
ほうが珍しい。
96 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 13:49:20
清水家は何度も断絶するわ、宗家は継げない、当主不在で立藩出来ない、明治政府から与えられた家禄も
他の二家より劣る、お家騒動で伯爵返上と踏んだり蹴ったりだったね。
嫡男が飛行機絡みの功績で男爵貰ってわずかに家名を回復したけどさ。
97 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 14:27:42
御三卿は御三卿家の存続じゃなくて宗家の存続のための人員プールが目的だから、
一般の大名のような規準で見ても意味がない。
98 :
日本@名無史さん:2008/09/23(火) 14:38:19
>>97 宗家のスペアと御三家を初めとする諸大名への押しつけ養子要員だなw
徳川家男系があれだけ繁栄を極めた家斉系から殆どが末席の水戸系に変わったのは皮肉。
99 :
日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:22:31
からあげ
旗本に御家人を加えても精々一万数千。
それが代々淳和奨学両院別当源氏長者たる徳川将軍に仕えていた。
101 :
日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:48:12
譜代大名や陪臣を加えれば膨大な数になるけどね。
>>100 神戸の山△組が,組員100名弱でも日本最大に暴力団と言うのと同じゃない?
直臣(直参)だけ数えると,他の大名はもっと少ないでしょ。
103 :
日本@名無史さん:2008/12/02(火) 12:42:44
このスレまだあったんだ・・・
104 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:17:41
おうよ
105 :
日本@名無史さん:2009/04/21(火) 21:29:03
106 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:25:54
以前、封建制は王政復古の大号令をもって終わったとほざいてた厨坊がいたな。
107 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:22:30
村岡の山名氏のホモ小姓の刃傷から始まる仇討ちのホモ小説はほんとにあったの?
108 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 18:01:07
そのホモ小説のタイトルは?
109 :
日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:43:17
タイトルは「興奮」
110 :
日本@名無史さん:2009/07/12(日) 08:53:11
雑草が生い茂ってるな
111 :
日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:30:57
ん?
112 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:31:38
ほー
しらね
114 :
日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:28:49
ん?
保守
116 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 21:24:11
点検
117 :
日本@名無史さん: