1 :
妃実子:
邪馬台国の特徴を一つひとつ挙げていけば、候補地も自ずと絞られてくるのでは?
2 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 01:03:22
邪馬台国の後継国に「イ妥国」があります。
「隋書イ妥国伝」によると「阿蘇山」でイ妥国の祷祭をやっている旨が書かれています。
さあ、候補地はどこでしょう?
3 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:28:56
《邪馬台国⇒倭国》は正しいですか?
隋書倭国伝には確かに阿蘇山の記述はあります。
また隋書倭国伝には「都斯麻国(対馬)の東に一支国(壱岐)、また竹斯国(筑紫)」とあって「竹斯国より以東はいずれも倭に附庸している」と書かれてます。邪馬台国⇒倭なら、筑紫より東が邪馬台国では?
「丹」の採れる所
5 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 13:22:06
6 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:00:42
丹って何?
水銀のこと?朱色?それとも薬?
やっぱり阿蘇が周辺が邪馬台国として有力候補地なのかな。
7 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 17:16:54
>>6 丹はベンガラ。
水銀の朱なら中毒しちまう。
阿蘇周辺、つまり九州が邪馬台国の有力候補地でしょう。
水銀朱だよ。辰砂から朱の顔料を採ってた地域は限られてるからこれだけで数ヶ所に絞れる。
神獣鏡の出土も考えると徳島だろう
9 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:38:10
《丹》が鉄丹か水銀か曖昧なら邪馬台国の特徴のひとつとして数えるのは無理かな。
10 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:40:48
神獣鏡が出土したら邪馬台国?
11 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:43:47
倭=邪馬台国、これは間違いない?
12 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 10:28:01
「その国境・・各々海に至る」ところ、阿蘇山があるところ、「気候温暖、・・草木冬も青い」ところ、「水が多く、陸地が少ない」ところ。これが隋書が伝える邪馬台国。
13 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 11:48:51
>>12 阿蘇山はともかく、北日本以外なら該当場所は無数にある。
14 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 11:56:49
年齢は?
15 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 12:09:07
髪はロンゲ
16 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 12:45:15
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
17 :
日本@名無史さん:2008/06/28(土) 09:30:39
>>13 そうではありません。「その国境・・各々海に至る」ところが重要です。
旧唐書をみると、日本の国境として「東界北界は大山をもって限りとす」とあります。
本州の東や北の様子は中国人は分からなかったということですね。
となれば、各々海に至るというのは九州か四国、阿蘇山とあるのをみれば、当然九州なのだなということになります。
若杉山遺跡以外で水銀朱の精製された痕跡のある遺跡はあるのか?
19 :
日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:42:59
若杉山遺跡は古墳時代の遺跡だから、時代が合致しないのでは?
邪馬台国は弥生時代だろう?
20 :
日本@名無史さん:2008/06/29(日) 19:35:24
倭=邪馬台国かどうかは確信が持てないね。
九州や四国は考えられるが、奈良に結び付くことは何かないのかな?
21 :
日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:56:07
倭人伝が伝える倭国は国家連合、その中心の国が邪馬台国ですね。
北九州に上陸してから、記されている行程はほとんど南。
隋書まで、中国の史書はその方角を訂正しようとはしません。
どの史書を読んでも、すべて倭国は九州内と理解できます。
奈良に結びつくことは見当たりませんね。
22 :
日本@名無史さん:2008/06/29(日) 22:08:29
23 :
日本@名無史さん:2008/06/29(日) 23:38:13
24 :
日本@名無史さん:2008/06/30(月) 14:37:52
倭国=古代日本
古代日本の中心地=邪馬台国や大和朝廷
但し邪馬台国=大和朝廷とは限らない
ってことですね?
そして古代日本で栄えてた地が九州各地であり出雲や吉備、四国、畿内ですね。
25 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 06:47:38
我が国の中に、九州のほかにも栄えていた地方はいくつかあった。
畿内もその中の一つと言えるであろう。しかし、畿内勢力=大和朝廷とは限らない。
26 :
日本@名無史さん:2008/07/05(土) 18:19:26
邪馬台国畿内説は限りなく薄そうですね。
27 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 01:12:57
そうですね。倭人伝が伝える行程記事をみたら、畿内説が成立する余地はありません。
戦前の不自然な考え方から今も一歩も出ていないといって過言ではないでしょう。
だから、畿内説論者は行程は論じないで、「考古学的には・・・」とだけ言うのです。
問題は、九州のどこか、ですが、最近は南九州説が説かれてますね。倭人伝を素直に読めば、南九州とみるのが一番すっきりしているということです。
28 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 17:10:07
南九州が有力ですね。
熊本・宮崎など遺跡や古墳はどんなですか?
邪馬台国比定地に当て嵌まりそうなところを教えてください。
29 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:14:17
ご承知のように宮崎には古墳が数千基あります。それらが邪馬台国の遺跡でしょう。
古墳はかなりの有力者の墓、それが造られたということはそれを支えた多くの人民が住んでいたということです。
これまで住居遺跡等はあまり目立ったものはないようですが、組織だった発掘がなされていないためでしょうね。
かつて高木 彬光の「邪馬台国の秘密」を読んでから、
オレの中では邪馬台国=宇佐神宮で固まったままなのは秘密だ
邪馬台国=ヤマタノオロチ
32 :
日本@名無史さん:2008/07/07(月) 01:08:32
邪馬台国は、盛大に古墳を作りまくらないのが特徴。
よって>29やマキムクは邪馬台国ではない。
33 :
日本@名無史さん:2008/07/07(月) 01:28:30
>邪馬台国は、盛大に古墳を作りまくらないのが特徴。
径百余歩から考えれば、邪馬台国でも古墳が造られたとみるのが自然。
造りまくらないとの根拠は?
34 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 01:02:33
古墳がたった一つしか出てこないよね。それが邪馬台国。
35 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 01:18:10
>>1 その方法論はいいかも。
海を渡って東に行くと、倭人の住んでいる別の地域がある
のが邪馬台国。
36 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 10:33:58
>>34 百余歩の古墳がいきなり一つだけ造られるわけではなく、径三十歩、五十歩などの古墳が造られて百余歩の古墳になると考えるべきでしょう。
百余歩の後も、またその習慣は続いていくと考えなければ。
37 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 10:44:50
邪馬台国って巫女とかはある年齢に達したら残酷に殺される
残酷であればあるほど来世ではより強い力をもって生まれてくるって信じられてたって前に何かで読んだけど、ほんと?
そんで殺した巫女を喰って自分にも力を分けてもらってたって
九州や東南アジアにも似た風習あるよね?
やっぱり邪馬台国は九州説が有力なのかな
で、古代日本国ってのが後の大和朝廷って考えてもいいような
そうなると関東の古墳群はなんだろね?
38 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 17:34:25
邪馬台国の規模は?
面積や人口によって概念も違ってくるよね。
>>35 海を渡って東に行くと、倭人の住んでいる別の地域があるのが邪馬台国。
なら、九州東部か四国東部ってことになるんだろうけど、規模によれば九州全土・四国全土ってことにもなるかな。
39 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 19:04:31
邪馬台国は七万戸、1戸5人として35万人、7人として49万人。
40 :
あ:2008/07/11(金) 21:28:55
平城京で10万人なんだしその数字は誇張。
あと邪馬台国の東じゃなく女王国の東だし、女王国が卑弥呼の支配力の及ぶ範囲とすれば
どこから東なのかは結局不明。
41 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:46:56
>>40 邪馬台国は、より広範囲なのでは?
邪馬台国は女王が統治する国、この場合の女王国は邪馬台国と考えるのが自然ではないかな?
42 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:46:35
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
43 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 07:43:21
>>40 邪馬台国は一つの都市ということではないでしょう。領土が広かったということでは。
女王国と邪馬台国は別だとしても、女王国の中核は邪馬台国のはず。九州の東側が女王国だったと考えるべきでは?
44 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 08:16:19
邪馬台国の中枢が女王国。
45 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:15:56
じゃあ東南一年で裸国、黒歯国に至る、ってどこのことよ?
そして何故そんなことがわかるよ?一年もかけて日本から東南に航海する技術なんて当時あるわけないだろ。
つまり文章のどこかがおかしいんだよ。
46 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:29:49
つまり裸国の件から里数表記ではなく日数表記のところは伝聞だと考えていいのではないか?
つまり邪馬台国は九州ではなく畿内。九州にあったのは女王国だろう。
47 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:56:43
>>45 推理すると、一年は元々の資料では十二月と書かれていた。
それを一年と書き改めた。
しかし、十二月は十二日の見誤りであり、
裸国、黒歯国は九州北部から十二日かかる畿内や四国東部、岡山付近であろう。
一日は30km〜40km
48 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:23:57
>>45 >>47 裸国、黒歯国は南洋の島であろう。十二日ぐらいで行けるはずはない。書いてあるとおりに、一年と考えればよい。
裸国や黒歯国から一年ぐらいかかって漂流してきた人が倭国にいたのではないかな。
49 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 02:05:02
南洋の島だとしても三世紀に一年がかりで航海するような技術なんてないだろ。
50 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 08:29:21
冷静に魏志の正しいと思われる文章のみを拾っていけばある程度の真実が見えるだろ。
郡から女王国まで12000余里で、女王国の東に海があり、女王国の北は戸数や里数を記載できると書いてあるんだから、
少なくとも女王国は東九州だろうよ。宇佐あたりだろう。
問題はここが邪馬台国かということだろ。誇張があるとはいえ、最大戸数で、女王の都があるところにしては
あまりにも辺鄙なとこすぎて可能性が薄い。邪馬台国は大和のほうが明らかに適合するんだし、
何故このようなことになるのか?自分はやはり投馬国と邪馬台国への行程は挿入されたもので、
その他とは連続性はないものと考える。
51 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 08:46:59
東九州といえば神武東征の出発地だし、女王国の位置に符合するのは偶然とは思えない。
つまり神武の子孫であるヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼が共立されたことで、
もともと東九州出身の一族だからその土地を女王国と呼んだのだろう。
例えれば武田信玄が上洛して京都に幕府を開いたとしてもあくまで武田国は甲斐だろう。そのようなことではないのか?
52 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 10:01:58
女王国と邪馬台国を同じではありません。同じならば、倭人伝はわざわざ書きかえたりしません。
女王国は万二千余里のところから始まります。そして、終わりは女王の境界の尽きる所。邪馬台国はその中にあって、北九州から水行十日陸行一月のところにあるということですね。邪馬台国を中心として旁国等が集まった国家連合、それが女王国ということです。
天下 ⊃ 東夷 ⊃ 倭 ⊃ 女王国 ⊃ 邪馬台国
54 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 21:56:26
じゃあ日向あたりが邪馬台国なの?
55 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:26:23
まあ、そうゆうことですね。
56 :
(・へ・):2008/07/14(月) 23:12:31
天下 ⊃ 東夷 ⊃ 倭 ⊃ 邪馬台国 ⊃ 女王国 ⊃ 伊都国、奴国
57 :
(・へ・):2008/07/14(月) 23:14:29
日向は筑前の日向峠、伊都国の近く。
58 :
(・へ・):2008/07/14(月) 23:17:01
>8
水銀朱では中毒が起き、国が滅ぶ。
59 :
(・へ・):2008/07/14(月) 23:24:23
>>27 江戸時代の学者は皆漢文に詳しく、九州の熊襲の女酋長が倭国王を騙って中国と外交をしていたと考えていた。
明治以後、漢文に学者が弱くなり、デタラメな翻訳で畿内説を構築する学者が出現したが、
反対派の学者も漢文に弱く、マトモな反論が出来ずにいた。
60 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:55:58
>>57 日向って地名があればいいって問題ではないな。
61 :
(・へ・):2008/07/15(火) 08:25:55
>>60 日向峠の上が高祖山(高千穂)。近くには可也山がある。その対岸は韓国である。東西に開け朝日、夕日に照らされ、
「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』
の表現と一致する。
62 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:15:21
北九州沿岸でなければ、韓国に行けないとでも思ってるのかな?
朝日、夕日に照らされる所、それで場所を特定するのは無理でしょう。
63 :
(・へ・):2008/07/16(水) 07:37:09
>北九州沿岸でなければ、韓国に行けないとでも思ってるのかな?
韓国に行けないでなく「向韓國」と韓國と向き合はない。
他に表現と一致する候補地がない。
64 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 10:13:00
三十ヶ国にも及ぶ邪馬台国連合は北部九州に広がっていたのでしょう
奴国、伊都国などの領域から類推すれば一国の大きさは旧郡の一、二個程度
九州南部には強大な狗奴国連合があったと思われます
ほかにも、たとえば出雲、吉備などにも同じような小国家連合があったでしょう
地理的にもっとも大陸に渡航しやすいところにあった邪馬台連合が魏などと修好していたということなのではないでしょうか
65 :
名無しさん:2008/07/16(水) 10:21:48
伊都国が邪馬台国連合の外国通商の窓口の国であったことは
想像できます。
魏志倭人伝も、伊都国についたことはすなわち邪馬台国についた
ことになるので、その後の記述は帯方郡からの記述に切り替えたのでしょう。
当時の人には「常識」だったから、あえて記述しないことはよくある。
今でも、東京についたのにあえてまた日本についたと二重の記述はしない。
66 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 12:14:00
>>61 祝詞にもある「筑紫の日向の小戸の・・・」
福岡市の西部に「小戸」という地名がありますね
神社のある一帯は公園になっていますが
神宮皇后がこのあたりに上陸したという伝承もあるようです
一度行ってみたのですが
公園内には皇后一行が上陸後に食事をした場所だと伝えられる「お膳立て」と呼ばれる小半島があり
そのむこうに可也山をのぞむことができました
67 :
名無しさん:2008/07/16(水) 13:09:11
先月頃かな
大分の佐伯市まで高速道路が開通した記事があった。
大分と宮崎の間は、昔は徒歩では厳しいだろう。
従って、大分以北と以南は昔は、別の国と解釈できる。
邪馬台国連合は、今の佐賀・福岡・大分の3県の版図だろう。
邪馬台国の東海上に倭種ありとあり、これは四国・近畿地方だろう。
大分県の姫島という小さな島が、神話に出てくることを考えたら
昔から、海上交通(瀬戸内海)の要衝だと考えられる。
外側は、宗像や前原が要衝でしょう。
68 :
(・へ・):2008/07/16(水) 14:02:10
>伊都国が邪馬台国連合の外国通商の窓口の国であったことは
想像できます。
伊都国は「世有王 皆統屬女王國」(魏の治世 王がいた 倭の国々は皆 女王国に統屬する)と書かれているから、
伊都国が邪馬台国連合の王都で、女王のいた国であり、単なる窓口の国ではない。
69 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 15:10:16
もとは伊都国が九州北部の小国家連合の中心国家だったのではないでしょうか
ある時期に南から攻め込んできた新興の邪馬台国が、その保有する最新の製鉄技術を背景に
一気に九州北部を併合したのではないかという感じもします
伊都国の人口が非常に少なく記されているのはそのあたりを物語っているように思います
歴史ある伊都国人は邪馬台連合に併合されたあと隣国の奴国あたりに移住させられたのでしょう
邪馬台国時代の伊都国は駐留軍に占拠され軍事施設や政庁などが建設中だったのではないでしょうか
70 :
名無しさん:2008/07/16(水) 15:35:32
神籠石の分布
佐賀の武雄、小城(天山の麓)、女山(みやま市)、黒木、朝倉(杷木)
久留米の高良山、前原、豊前の行橋、飯塚
邪馬台国の北九州説の分布と符合する。
ロードオブザリングみたいな狼煙(のろし)台を兼ねていたら、荘大な
勢力を創造できます。
久留米の高良山からはほとんどすべてが見渡せます。
71 :
(・へ・):2008/07/16(水) 18:30:23
>>69 違います。
伊都国の伊には「尹は神杖をもつ形で、神の意志を媒介する聖職の人をいう。・・・伊は神の憑りつくその呪杖をもつ人を意味した。」の意味があり。
伊都とは卑弥呼(事鬼道 能惑衆)の都との意味がある。
72 :
(・へ・):2008/07/16(水) 18:40:42
北九州の神籠石は斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国に対応する山城である可能性が高い。
73 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 19:06:39
志摩国、五百木国、祖谷国、都祁国、美濃国、高高津国(浪速高津の宮)、
添の国、上の添の国、伊賀国、紀の国、山背国、播磨国、宇陀国、
思いつくのは此れ位かな。
74 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 19:21:22
邪馬台国は魏志からは大和とは読めないから九州だろうが、
当時の日本の政治経済の中心地は大和。おそらく神武は邪馬台国付近の出身であり、
幕府=大和、朝廷=邪馬台国 のような関係だったと思う。
四世紀には大和のほうが力が強まり結局邪馬台国は大和と併合したのだろう。
75 :
(・へ・):2008/07/16(水) 19:33:48
九州の邪馬台国の一部勢力が大和に殖民し、切り開いたのが神武。
大和は四〜五世紀ごろから勢力を増し、本国の九州を凌ぐようになった。
白村江の戦い、壬申の乱で疲弊した九州を大和が7世紀末に併合した。
76 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 19:51:47
お前ら倭人達をなめてないか、縄文頃より伊豆諸島産のサヌカイトを
日本全国に販売してたんだぞ、視野がせま過ぎるぞ。
77 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 19:54:11
× 九州の邪馬台国の一部勢力が大和に殖民し、切り開いたのが神武。
○ 海外戦が主体となった時代に、渡航も海戦もできない役立たずとなり、
時代遅れの久米軍数十人を率い、就職口を探した挙句、就職かなわず、
畿内に侵略して兄も戦死し、ボロボロになって必死に得たわずかな土地に
やっと君臨した久米軍の長が神武。支配領域は地町村レベルではなく、
せいぜい大字小字程度。神武が、何百人もいたであろうニニギの子孫の
一人だったため、後世誇大に喧伝されて大和朝廷の祖として崇められるが、
今で言えば、イラン人に偽造テレフォンカードを売らせていたのが時代遅れ
となり、マンションに潜り込んで住民を恐喝、ついに占拠した暴力団のような
存在だ。
神武の子孫が少々領土拡張をしたが、継体が出てきて簒奪されて終わり。
78 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:41:09
79 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:05:48
>>70 久留米を含む筑後平野は邪馬台国の候補地としてとても魅力的です
しかし、私には女王国の東に海があるという記事がひっかかります
伊都国の南で東に海を抱える地域となると有明海西岸でしょうか
そもそも豊かな国家であれば何も他国を侵略する必要はないように感じます
邪馬台は新興の、やせた土地に興った国家ではなかったでしょうか
その技術力や呪術の持つ神秘性を駆使して近隣諸国を従わせていったのではないかと思います
80 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:11:42
>そもそも豊かな国家であれば何も他国を侵略する必要はないように感じます
後漢末から、鉄が国力を決定する時代になったのに、
鉄は半島だけしか採れなかった。
砂鉄から製鉄する技術はまだなかった。
81 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:12:27
>>75 九州北部に本拠を置き
東は吉備、北は朝鮮半島南部に至る版図を持った「倭」は
白村江の戦いに敗れた後、畿内にあった「日本」によって併合されたのではないかと感じます
>>81 吉備が九州に支配されていたような後は見られませんが?
83 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:27:41
九州元号を使っていた版図はもっと広いでしょう。
84 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:28:16
装飾古墳のエリアはもっと広いでしょう。
そうですね、前方後円墳の版図はもっと広いからやっぱり畿内が支配していたのでしょう
86 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:43:59
ということは、吉備が全国支配していたわけですか。
その吉備に九州元号を強要していた北部九州こそ、全国を支配していたわけですね。
87 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:45:43
と思ったら、北部九州を中心に、装飾古墳は東北地方までありました。
やっぱり、北部九州の支配が圧倒してますね。
88 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 07:22:19
>>79 いい着眼点かと。いっそ南九州までいった方がすっきりすると思いますが。
89 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 12:42:08
結局邪馬台国までの水行陸行と戸数は誇張で、あとは魏志通りってことだろ。
まあ山門郡あたりが女王国なんだろうが、畿内王権と同族だったんだろうよ。
足利幕府のように京都にある幕府と関東公坊みたいなもんだろ。
90 :
名無しさん:2008/07/17(木) 13:08:32
邪馬台国当時の畿内は、おとなしい農耕民族だろ
奈良盆地の中心は沼だし、銅鐸をおがんで、平和ボケ
の民族。
いずれ、九州勢力から征服されるまでの民族でしかない。
畿内王権は妄想です。
91 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 15:09:00
それはないな。巻向の規模から察して九州をすでに凌ぐ勢力があったはず。
九州勢力の東征は卑弥呼の時代より前にあったと考えるべき
92 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 15:48:31
世界の考古学者が笑っている、畿内説信仰
墓の規模=国力
アレキサンダー大王とジンギスカンの墓は世界一巨大な墓ですか?
93 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 16:01:05
畿内説の常識は、世界の非常識
陸戦しか戦えない鉄器のほとんどない畿内が、
高句麗好太王碑の「倭人」勢力であるはずがありません。
畿内政権が海をわたって大群を派遣、指揮できますか?
畿内人は、銅鐸でお祭りやって土いじりだけですから。
人間がどんどん海を渡る様子は、北部西部九州を中心として
東北地方まで分布している、装飾古墳に好んで描かれ、
装飾古墳文化圏の文化・習慣です。
94 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:05:43
よーは邪馬台国が東に勢力圏を広げようとして派遣したのが神武で、
これは卑弥呼より前の時代の話。
95 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:43:57
西日本の南岸一体に勢力を持っていた狗奴国連合が
西日本北岸に勢力を持っていた邪馬台国連合を破壊した
それこそ狭野尊であり後の神武だよ。
ふーん
97 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:59:39
狗奴って熊だろう、神武が九州南部→北部→瀬戸内→畿内と東征ルート
のまんま順に落としていったのさ、最後に態々紀伊半島を迂回、南から
邪馬台国を攻めた理由も自国の前線基地がそこにあったからだよ。
98 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:14:30
巻向は畑の区画整理のあと、何も出てない。
99 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:19:02
時代的にでたらめもいいとこw
神武は卑弥呼よりは100年以上は前の人物。
100 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:21:24
じゃ神武を投影した崇神でいいです。
101 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:23:04
神武は卑弥呼よりは100年以上は前の人物。
神武は卑弥呼よりは100年以上は前の人物。
神武は卑弥呼よりは100年以上は前の人物。
神武は卑弥呼よりは100年以上は前の人物。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
102 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:29:22
あれでしょ?神武って実在したかどうかも本当は解からないんでしょ?
103 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 20:44:09
神武は卑弥呼よりは、大分後の時代だと思う。
104 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/17(木) 22:00:44
105 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 23:05:36
結局、スサノヲ=狗古智卑狗が邪馬台国を滅ぼしたということなのでしょうか
天の安河は夜須川=筑後川の支流で邪馬台軍と狗奴軍がここで戦い、狗奴軍が勝利を収めたということを
天の安河の誓約は暗示しているのでしょうか
邪馬台国の王族は一旦現大分県の日田に入り、山国川をさかのぼって宇佐平野で細々と存続したのではないかと感じます
のちに朝鮮半島から九州に侵入したオキナガタラシヒメの息子ホムタワケは
卑弥呼、壱与の系譜を引き継ぐ神夏磯姫と婚姻関係を結んだうえで瀬戸内海を東進し
畿内に侵入したのではないのかという感じがしてなりません
宇佐神宮は何らかの形で邪馬台国と関係があるのだと思います
106 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 00:03:12
妄想もココまでくると立派w
107 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 12:41:57
宇佐八幡神託事件から邪馬台国は宇佐で応神の代に大和に入り、神武は応神がモデルなのが
すぐにわからないのか?
108 :
名無しさん:2008/07/18(金) 12:48:27
宇佐神宮は、上空から見るとなんと前方後円墳だそうです。
109 :
妃実子:2008/07/18(金) 16:18:05
私の希望的な比定地予想では四国説を推したかったのですが、今までの書き込みを見てきて九州東岸が有力なのでは?と思えます。
反論・矛盾点等ありますか?
110 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 16:30:51
比定地は九州の何処かだとは思うが宇佐はありえないでしょう
宇佐まで水行一月もかからない、一月なら太平洋上に出てしまう・・・
距離的優位の畿内説と方角優位の九州説どちらか断定してしまうのは愚の骨頂。
111 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 16:42:43
ぶっちゃけると三角縁神獣鏡これだけで畿内説の勝利なんだよね
それでも九州に賭けてるんだよ、自分も最初は九州説だったから。
112 :
(・へ・):2008/07/18(金) 16:47:33
三角縁神獣鏡は国産でしょ。漢詩が下手すぎ。
113 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 16:51:12
まあまあその可能性も無い事は無いでしょう、説得力もないですが・・・
有明海沿岸と福岡、松浦地域はつながりの深い文化圏
日向、宇佐は瀬戸内海に繋がる別の文化圏
この二つの文化圏を繋げていたのが日田
あと都城、大隅、鹿児島も別の文化圏ではないかと思っている。
115 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/18(金) 18:53:24
>>110 >一月なら太平洋に出てしまう
出やしないね。大陸半島人にとって九州は北九州以外未知の土地だ。
そこを遣使を兼ねて観光したわけで、女王国を探すのに手間取った。
大陸〜半島〜対馬等〜北九州までは結構知悉の土地だからスイスイ
と行けただろうが、鬼が出るか蛇が出るか、あたかもインディ・
ジョーンズの探検の古代史版であり、行ったことのない奥九州は
短期間での調査は終わらない。
準密林を疲労困憊、右往左往して盗賊、険しい山野、蜘蛛の巣が
うんと張り付く樹木の中を危険と隣り合わせで彷徨していた。日数
は重なるばかりであったが、ある日前方が開けて木造建築の都市を
発見して狂喜した。そこの住民、兵隊らと手まねで話をして歓迎を
うけ、そこが卑弥呼の支配する女王国だと分かった。観光を兼ねて
女王国を滞在し、日数はさらに経過してい行った。
こんなんだから一月くらいはおかしくはなく、遣使は太平洋上に出る
くらい間抜けな連中ではない。もっと滞在したけりゃぁ、二月三月
でもおかしくはない。
>>111 >三角縁神獣鏡これだけで畿内説の勝利なんだ
景初3年=239年 は日本の倍暦行使から崇神3年に相当する。
景初2年=崇神2年=238年=紀の崇神六年 に崇神天皇は同床共殿
の策により鏡を殿内に祀った。このことから畿内の一般人民へ崇神の
右へならえの命により、人民が各家に鏡を祀ったその鏡が畿内から
出土する鏡。だからその鏡は卑弥呼の鏡ではない。
116 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:51:23
倭国周旋5000余里。これだけで九州説の勝利なんだけどね。
畿内は倭国とは魏志では認知されてないよ。
117 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:10:51
結局魏志からは邪馬台国は九州とは読めるが畿内とは読めない時点で
邪馬台国は九州なんだろうけど畿内王権とどう繋がってるかが重要なポイント。
結局のところ神武東遷がこの問題の鍵を握っているわけだ。
おそらく卑弥呼の死後に立った男王が神武=崇神なのではないか?
台与共立により追放され畿内に逃亡したのだろう。
118 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:18:15
>>116 君の説だと倭国は九州だけを指す、
九州の中だけで百余国があり戦闘を繰り返していたわけだ
それならば魏志に出てくる国々はすべて九州の中の国ということになるが
国とはいいながら本当に村単位のしょぼいものだったんだな
119 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:28:28
国という概念は江戸時代でさえ現在の県レベルを指しているんだし
ましてや古代なら村単位のことだろうさ。ただ邪馬台国の七万戸は誇張が入ってるだろうね。
せいぜい七万人がいいとこだろう。
120 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:34:47
当時は九州全土で七万人ぐらいだったんじゃw
121 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:40:26
当時の日本全体の人口が推定で約120万人程度らしいから、
九州だけならせいぜい30万人がいいとこだろ。
クナ国も邪馬台国連合に匹敵する勢力だったし、邪馬台国連合20万、クナ国連合10万くらいじゃなかろうか?
そうするとやはり戸数は一戸あたり一人を指すことになるしちょうどいい。
122 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:46:56
>>121 その計算だと日本人の4人に1人が九州人ということになる
だが現在の統計でも九州に住む人は日本人の10人に1人にすぎない
九州三十万人は大杉
123 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:36:33
>>118 >国とはいいながら本当に村単位のしょぼいものだったんだな。
倭国は30国。うち、大国は奴国、投馬国、邪馬台国の3国。かなりの大国だったと考えるべきでしょう。
124 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:50:59
弥生時代の九州の12万人、そのうち
邪馬台国ら大国3国が人口1万人で
のこる約九十七カ国が人口千人ぐらいか。
やっぱり九州説はしょぼいな。
私が知ってるこの国の特徴は女王国だった時代があったという事だなぁ。
126 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 02:45:09
二世紀後半に畿内がすでに九州をコントロールできていて大陸に使者を送っていたとは考えがたい。
127 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 09:30:11
九州元号を畿内政権が使い続けていた以上、
九州政権 > 畿内政権 の位取りは変わらない。
128 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 13:50:03
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
239卑弥呼親巍倭王
266壱与、晋に遣使
…(106年記録無)
372七支刀(近畿)
391倭と百済新羅戦
413倭東晋に献上
421倭王賛、宋遣使
129 :
ローガン:2008/07/19(土) 15:23:39
>>127 > 九州元号を畿内政権が使い続けていた以上、
九州元号とはなんですか?ご教示ください。
まさか、例の二中歴とかいう奴ですか?仮にそうならそれが何故、九州の元号なのでしょう?
130 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 15:56:56
>129
では、どこの政権が制定した元号か、あなたが提案してください。
九州元号は、畿内で盛んに使われたのに、のちに畿内政権から抹殺された一連の元号です。
畿内政権が制定した元号なら、畿内の首長や政府が元号を制定した記録がないのはなぜですか?
質問は、九州元号についてちゃんと自分で調べてからにしましょう。
131 :
ローガン:2008/07/19(土) 16:20:17
>>130 > では、どこの政権が制定した元号か、あなたが提案してくださ
私が提案するまでもないでしょう。出典参照してください。
> 九州元号は、畿内で盛んに使われたのに、のちに畿内政権から抹殺された一連の元号です。
と鶴峰さんが名付けただけですね。九州で
制定された元号だとする客観的な史料をどうぞ。
132 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:27:03
ええ、九州でなくとも私は結構です。
畿内政権が、畿内政権が制定してものでない元号(それは中国の元号ですらない)を盛んに使用し、
後世それを抹殺したということだけで、あなたは承諾されました。それで非常に満足しています。
つまり、畿内政権は別な政権下に位置していたということになります。
133 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/19(土) 16:27:46
畿内説の妄想をま〜だ捨ててないのねぇ。哀れだな。
134 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:29:15
日本語がおかしいので書き直します。
>130
ええ、九州でなくとも私は結構です。
畿内政権が自政権で制定したものでない元号(それは中国の元号ですらない)を盛んに使用し、
後世それを抹殺したということを、あなたは承諾されました。私はそれに非常に満足しています。
つまり畿内政権は、別な政権下に位置していたということになります。
135 :
ローガン:2008/07/19(土) 16:41:03
では
>>127の
> 九州元号を畿内政権が使い続けていた以上、
> 九州政権 > 畿内政権 の位取りは変わらない。
のコメントは撤回ですね。 了解しました。
136 :
134:2008/07/19(土) 16:44:38
アンカーを間違えました。134は
>131のローガンさんへのレスです。
さてそれでは、畿内政権を下に置いていた政権は、どこにあったのか?
半島か、北海道か、東北か、関東か、中部か、中国地方か、四国か・・・それとも?
これは、みなさんだいたい推定されていることでしょう。
137 :
ローガン:2008/07/19(土) 16:44:59
>>134 > 日本語がおかしいので書き直します。
>
> >130
> ええ、九州でなくとも私は結構です。
>
> 畿内政権が自政権で制定したものでない元号(それは中国の元号ですらない)を盛んに使用し、
> 後世それを抹殺したということを、あなたは承諾されました。私はそれに非常に満足しています。
> つまり畿内政権は、別な政権下に位置していたということになります。
>
>
138 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:46:16
>135
いいえ、>136から、結論を撤回するまでもないでしょう。
139 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:49:51
さて、ローガンさん。
畿内政権が使用していた所謂・・・所謂ですよ・・・所謂九州元号を制定した政権は、
九州以外のどの政権ですか?それとも九州政権ですか?
140 :
ローガン:2008/07/19(土) 16:50:46
>>134 > 日本語がおかしいので書き直します。
>
ご丁寧にどうも。
> ええ、九州でなくとも私は結構です。
> 畿内政権が自政権で制定したものでない元号(それは中国の元号ですらない)を盛んに使用し、
> 後世それを抹殺したということを、あなたは承諾されました。
承諾はしていません。
>私はそれに非常に満足しています。
> つまり畿内政権は、別な政権下に位置していたということになります。
>
別な政権下?意味がよくわかりません
141 :
ローガン:2008/07/19(土) 16:56:37
すみません。私、書くのが遅くて。
仕事しながらなので、ボチボチお願いします。
142 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:57:14
>別な政権下?意味がよくわかりません
いまのご回答で、ローガンさんの信用は失墜してしまいました。
最高権力のある国や政権が、どうしてよその元号を使うのでしょう。
もう、ローガンさんからの回答は結構です。
信仰の世界に、論理は無駄ですから(笑
143 :
ローガン:2008/07/19(土) 17:20:14
>>142 > いまのご回答で、ローガンさんの信用は失墜してしまいました。
ははは、もとより私に信用なんかありませんよ。
> 最高権力のある国や政権が、どうしてよその元号を使うのでしょう。
中世以降にしかない文献にあらわれる事。これを指して、古代の事実であるとするのは、思考方法の誤りである事にお気付きください。
> もう、ローガンさんからの回答は結構です。
> 信仰の世界に、論理は無駄ですから(笑
返答するなと云う事ならこれ迄としますが、
史料に全く登場しない「九州王朝」なるものがあった!なんてのが所謂、「信仰」の世界ですよ。
144 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 18:51:58
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
145 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 21:25:34
畿内説信仰なら、何でもありのようですね。
ローガン氏の説では、古事記も偽書という結論になりますね。
隋書イ妥国伝にでてくる「阿蘇山」も「金印」も畿内だと言い出すんでしょう。
白村江まで長年海外で戦争でくきるだけの「鉄」が畿内にはまったくありません。
そもそも海外派兵して海戦を戦う能力が、畿内政権にはありません。
ローガン流信仰の世界なら、畿内政権は石器で戦うんでしょうなあ。
146 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 21:39:40
二世紀後半の段階で瀬戸内ルートで畿内〜九州を往復できるだけの造船・航海レベルがあったのでしょうか?
大量の人を運べるくらいの。また陸路での街道整備はどの程度進んでたのでしょうか?
そうしたことを考えるとやはり九州説のほうに分がある気がします。
147 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 22:01:50
>韓国人は反日主義だと思われている。
>しかし、韓国人が「日本が好きだ」と言うと、政治的、マスコミ的に問題があるので、
>「嫌い」という態度を通しているだけだ。
実は、2000年前から反日主義だったワイ族。その実態とは?
現在の朝鮮人は、半島東北部の太白山脈(たいはく山脈)の東側に住んでいたワイ族(『東ワイ』とも呼ばれた)の子孫である。
高句麗人(フヨ族)ではないし、韓人(カラビト)でもない。今、国際社会で「コリアン」と呼ばれている民族は、実は朝鮮人ですらない。
もともと朝鮮人というのは、紀元前2世紀の時代に半島北部に住んでいた漢人のことである。つまりチャイニーズのことだ。
衛氏朝鮮国の住民である漢人が「朝鮮人」と呼ばれていたのだ。
現在の『コリアン』と呼ばれている半島人(ワイ族=ワイアン)とは、異種なのである。
古代の半島南部に住み、日本列島の住民から韓人(カラビト)と呼ばれていた人々は、倭人系民族だった。
彼らは、とうぜん日本語を話したし、現在の半島人(ワイアン=WAIAN)とは人種・民族が異なっていた。
カラ半島南部においてワイ語(現在の朝鮮語の基になった言語)が公用語になったのは、8世紀以降であり、
7世紀までは、半島南部の公用語は倭語(日本語)だったのである。
つまり、7世紀の『白村江戦争』の後に、ワイアンが半島全域に移住し、今の半島人の先祖となったのである。
ワイアンは、志羅紀人(シラキ人=任那人とも呼ばれた)や百済人等のカラビトとは異なる民族なのだ。
古代日本人が交流していた相手は、あくまでも半島南部の韓人(倭人)であって、ワイ族(今の朝鮮人の先祖)ではない。
古代における日本列島住民と半島南部住民の交流には、朝鮮人(ワイアン)はまったく無関係なのである。
148 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 22:46:27
畿内説信仰
1:古代日本列島の最大政権は、天皇家を中心とする畿内政権しかあるはずがない
2:九州の田舎ごときに、強大な政権があったはずがない
3:畿内の巨大な古墳こそ、日本列島での比類のない国力を示している
さあ、信仰の世界でお遊びください。
149 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 22:58:15
>>143 >史料に全く登場しない「九州王朝」なるものがあった!なんてのが所謂、「信仰」の世界ですよ。
これはちがいます。九州王朝説からすれば、中国史書に記されている倭国はすべて九州王朝なのです。
史料に全く登場しないのは、大和王朝の方だということに気づかなければなりません。
150 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:14:37
天武天皇は大嘗祭を主催したことがないのに、部下の大嘗祭参加に褒美を与えている。
持統天皇は、畿内の天皇で初めて大嘗祭を主催した。
さて、天武の部下が参加した大嘗祭は、だれが主催したのでしょうか?
畿内説信仰の立場からは、どうやって説明したらいいでしょうか。
天智天皇が突然蘇生して、大嘗祭を主催したことにしましょうか?
151 :
ローガン:2008/07/20(日) 01:46:57
>>145 > 畿内説信仰なら、何でもありのようですね。
畿内説信仰と云う言葉の意味がイマイチ不明瞭。
畿内説とは、魏志倭人伝に書かれた女王の都が、後に云う畿内にあったと考えると云うものだとの認識はありますが。
〜信仰と云うものとは関係無いものと考えます。
まあ、貴方が「信仰」の意味をどうとらえるか、ご自由です。
> ローガン氏の説では、古事記も偽書という結論になりますね。
私がいつ貴方に古事記に関する私見を伝えましたか?
是非いつ貴方に古事記云々を伝えたか教えてください。何せ最近記憶力が衰えたもので。
> 隋書イ妥国伝にでてくる「阿蘇山」も「金印」も畿内だと言い出すんでしょう。
一言も言及していない事想像力だけは豊かですね。羨ましい限りです。
> 白村江まで長年海外で戦争でくきるだけの「鉄」が畿内にはまったくありません。
その当時、畿内に「全く」鉄がなかった証明を宜しく。貴方が仰る「まったく」の日本語の意味に沿った内容でお願いします。
言い切っておられる以上まったくなかった根拠をお持ちのはず。是非とも勉強させてください。
> そもそも海外派兵して海戦を戦う能力が、畿内政権にはありません。
ありませんと言い切る以上、万人が納得できる根拠がきっとあるはずですね。是非ご教示をお願いします。
急ぎませんので又、お手空きの折り、詳しく教えてください。
152 :
ローガン:2008/07/20(日) 01:59:23
> 隋書イ妥国伝にでてくる「阿蘇山」も「金印」も畿内だと言い出すんでしょう。
あ。そうそう、倭とイ妥は混用で有るにも拘わらず、史料に沿ったレス。
さすがです。ではお休みなさい。
zzzz…
153 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 02:43:31
ローガンさんの畿内説は、もう無理でしょ。
154 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 18:48:50
他人の説はすべて葬れる、ローガン伝家の宝刀
「あなたを理解できない、言っていることがわからない」
→ こりゃあ便利だ!
皆さんも窮地に立ったら、使いましょう(笑
155 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 18:50:35
学会では九州説なんて
もはやクモの巣が生えているのにね
156 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:02:38
世界中から相手にされていない、孤立学会(笑
157 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:14:21
インド人もびっくり
島国信仰 → 土器編年(笑
158 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:31:21
学会なんてあてにならん。
仮にまた吉野ヶ里級の遺跡が九州からでたら九州説に傾斜するんだろう。
その程度のものだ。結局九州にも畿内にも邪馬台国があったってことだろうよ。
名前も似てるし、神武東遷がそれを示している。おそらく邪馬台国の傍流の人間が神武だったんだろう。
159 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:54:27
神武の存在は信じるのかな?
160 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:12:17
あれだけ神武の記録が、うすみっともない内容なんだから、事実に近いでしょ。
失業軍人集団が都落ちして、暴徒となって畿内に侵入しただけの、暴力団流浪譚。
161 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 08:16:09
神武は東九州の日向から出発してるし、やはり邪馬台国はこのへんだろう。
ただ神武の存在はおそらく架空で、崇神が神武のモデルだと考えられる。
162 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 10:20:32
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
九州説ってどうやって陸行一月を説明しているんだろう?
164 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 10:50:53
>>163 北九州説は、基本的には水行十日=陸行一月、トンデモ系は韓国内の陸行だとか。
南九州説は、すなおに八代辺りに上陸して陸行一月、宮崎とか都城に至るとか。
165 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 12:22:47
なんで邪馬台国の特徴をあげるスレが九州元号で占領されてるんだよw
悪いことをすると妻子を没収される
167 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 14:25:15
>163
畿内説では、自分が持って行きたい場所の都合にあわせて、
原文を無視して自由に改変してます。畿内説は信仰ですから。
168 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:25:22
畿内だって水行十日陸行一月は説明不可能だろ。
169 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:47:25
>>168 畿内説も北九州説もうまく説明できません。すっきりと説明できるのは、南九州説だけです。
170 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:54:55
南九州説だけと思い込む原因は、現代の基準で「水行十日陸行一月」を理解しているから。
171 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 19:30:43
実際は誇張して書いただけかもしれないのに、それをああだこうだと推測するのは
滑稽すぎるw実際、九州だとはなんとか読めないこともないが、
畿内だとは読めない時点で邪馬台国は九州なんだろうが、
畿内とどういうつながりがあったかが重要なポイントだろ。
172 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 19:36:36
邪馬台国の特徴は、巨大古墳の数ではなく、中国以外で錦を生産した唯一の国であること。
畿内では、倭錦がほとんど出土しないが、福岡県からは倭錦がいくつも出ている。
173 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:12:54
南九州説を唱える方々は狗奴国はどこだとお考えですか?
私は狗奴国こそ邪馬台国が侵攻しようとしたのを撃退した国であり
あるいは国家としては邪馬台国より進んでいた国ではなかったかとさえ思います
神武天皇も邪馬台国でなく狗奴国により関係の深い王ではなかったでしょうか
174 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:37:00
>>173 狗奴国は志布志湾沿岸か大隅半島あたりですね。戸数道里が記載されていないことから旁国の一つとみることができます。
175 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:26:46
卑弥呼は天照で、崇神が神武だと仮定すれば万事つじつまがあう。
176 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:38:57
とすれば、歴史上の人物をむやみにイコールで結ぶ、妄想歴史学が始まる。
ジンギスカン=義経だとかきりがない。
邪馬台国は存在しない!
遺跡がない!
遺体無き事件〜おわり
178 :
日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:40:02
いまは、ね。
179 :
よこやり:2008/07/23(水) 20:50:46
>>168 帯方郡〜出雲 水行20日
出雲〜敦賀〜琵琶湖〜淀川〜運河〜大和 水行10日(陸行すれば一月)
大和なら何の問題も無い
180 :
日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:58:51
20日を帯方郡からと読むのが大問題。
181 :
名無しさん:2008/07/24(木) 10:38:40
「邪馬台国の東方海上に倭種あり」との記述を畿内論者はどう説明
するのか?
九州説を支持する根拠の1つに私はこの文言を考えている。
記紀に姫島(大分県)が登場し、ここから東方海上にも倭種(日本人の部族)
がいたと考えるのが、常識だと思うが。
>>181 伊勢湾の事じゃないかな
江戸時代でも七里の渡しとして陸行せず、渡海するのが常だったようなので
183 :
日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:58:45
無理ですね。
伊勢湾まで記述していたら、他にも膨大な記述が必要になる。
185 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:05:00
>>183 そのとおりですね。近畿説では説明がつきません。
まあ、近畿説は、南、陸行一月などみんな無視ですから、これを無視するぐらいどうということはないのでしょうが。
186 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:14:37
倭国周旋5000余里、これからも畿内はありえません。
九州のみで周囲5000里でも短い気がしますが、さすがに畿内は論外。
187 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:45:49
>>186 周囲とみるから短くなるのです。周旋は廻りながら行き着くという意味。要するに半周です。
188 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:10:20
邪馬台国は大和で、女王国というのは南の狗奴国を抜かした九州のことでしょ。
つまりは現在我々が住む国を日本と言ってるのと同じように女王国と言ってるだけで、
伊都国や末盧国は今で言う県のこと。現に伊都国は女王国に統属すると書いてある。
伊都国は女王国に属するってことで東京は日本に属するっていうのと同じことだ。
投馬国と邪馬台国の記事だけ連続式ではなく帯方郡から別ルートで進んだ記事を載せてるわけだ。
女王の都があるのは邪馬台国の大和。
189 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:52:13
大和国でどうやって倭人が海に沈没できるのか聞きたい。
190 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:15:12
>>189 そうですね。隋書には、土地は・・水多くして陸少なし、とありましたね。
191 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 13:46:57
陸地になりかけの糸島半島か、一面湿地の筑後川下流域か。
投馬国は兵庫県北部の但馬地方
そこから陸路1ヶ月で邪馬台国(奈良)に到着
193 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 20:57:18
魏志の記述がすべて正しいのだとしたら、邪馬台国は人口の問題で九州から除外されます。
方向や水行陸行の問題は郡からの記述で、女王国の東の海の問題は女王国と邪馬台国は別物ということで、
言い逃れ可能ですが、七万戸という人口はさすがに九州であるはずがありません。
194 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 21:19:09
>七万戸という人口はさすがに九州であるはずがありません
まるで見てきたような傲慢なあなたの断定など、信用できませんし、
あなたの判断をもとに、みなさんが判定したりしませんから、ご心配なく。
195 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 23:08:17
魏志倭人伝での倭人の特徴で
・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
・女は慎み深く嫉妬しない。
・盗みはなく、訴訟も少ない。
・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。
って所が現在と共通する。やっぱり朝鮮民族とは違うって事だな。
>>192 帯方郡から狗奴韓国まで水行してるのに
わざわざ最後に陸行一月なんていうのは有り得ないよ
197 :
ローガン:2008/07/31(木) 00:29:15
>>195 > ・女は慎み深く嫉妬しない。
ん〜 確かに関西女性ではないような…
あ!論拠は今、横にいる女性です。
もしかして、九州の女性は「嫉妬しない」のかな?
太国さん!どうも有難う!
zzz…
198 :
日本@名無史さん:2008/07/31(木) 20:18:04
太国氏に馴れ馴れしくするなよ変質者 >197
199 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 22:16:21
ローガンさんは事故で治療中のようですから、いたわってやって
下さい。ローガンさん治ったらまじめに論議しましょう。
200 :
日本@名無史さん:2008/08/03(日) 19:29:26
出尽くしたかな?
九州が有利?けど決定的ではないか。
201 :
日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:21:04
文献みりゃ近畿って分かるのにね
池沼なのかな
202 :
日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:49:14
阿蘇山と金印だろ。畿内ダメじゃん。
203 :
日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:58:40
邪馬台国と狗奴国の間に海があるという点だけで畿内はダメ。
204 :
日本@名無史さん:2008/08/08(金) 22:15:31
>>202 1世紀の金印を3世紀の王国の証拠にするのか?
205 :
日本@名無史さん:2008/08/08(金) 22:57:00
そりゃ、中国側で一貫した集合国だと見てるから当然だわな。
206 :
日本@名無史さん:2008/08/10(日) 07:21:46
邪馬台国は、「竹箭は鉄鏃あるいは骨鏃」。青銅器が盛んだところは駄目という説があるね。
207 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 06:11:30
208 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:30:48
生目の前方後円墳は百数十メートルあるからね。径百余歩ともいえそうだ。
209 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:42:55
巨大古墳がたくさんあるのは、漢〜魏〜西晋の薄葬に反しているから、
邪馬台国じゃない証拠。
210 :
(・へ・):2008/08/13(水) 14:00:11
>>204 金印を貰ったのが建武中元二年(57年)。
卑弥呼が共立されたのが光和中(178年〜184年)。
120年ぐらいしか経っていない、十分証拠になるんじゃないか?
正始元年(240年)に「親魏倭王」の新しい印を貰うまでは卑弥呼は「漢委奴国王」印を使用していたんじゃないの?
211 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:05:02
つまり卑弥呼の都は福岡県内だそうです
212 :
(・へ・):2008/08/13(水) 15:04:22
>>210追加説明
『景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡』と「三国志魏書」では
「親魏倭王」の印を貰う前から卑弥呼のことを自称王ではなく「倭女王」と言い切っている。
これは景初二年(238年)に大夫の難升米らを使者として帯方郡に派遣した際、
卑弥呼が「倭王」である証を何か持参した為とかんがえられる。
考えられる証は「漢委奴国王」印を押した書状以外にない。
213 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:13:29
>>209 >漢〜魏〜西晋の薄葬に反しているから、邪馬台国じゃない証拠。
径百余歩というのは、薄葬に反しているんじゃないの?
214 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:23:46
>212
倭王が「漢委奴国王」印を使用?
きっと墓泥棒だと思われただろうな。
215 :
(・へ・):2008/08/13(水) 16:29:08
「三国志魏書」では女王、卑弥呼を「親魏倭王」に任命する前から、正式な倭王として扱っている。
通常なら王と称するとか書かれるはずが始めから倭王。
「漢委奴国王」印を使用していたとしか考えられない。
216 :
(・へ・):2008/08/13(水) 16:38:54
>>214 「漢委奴国王」印は倭奴国に与えられたものだから、柵封されている限り倭奴国の代々の王は使用し続ける。
初代の王が死んだからといって墓に埋めるものではない。
次の新しい印を拝領した時に不要となる。
「漢委奴国王」の発見されている福岡市近郊が卑弥呼の墓のあった場所。
217 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:01:55
>213
薄葬を守って卑弥呼の墓は豪華絢爛な埋葬物はないものの、
サイズは大きめの計画だったから、魏の天子様より格下を守るため、
径百余歩程度のとどめるよう、冊封下で指導してるだろ。
>>215 > 「三国志魏書」では女王、卑弥呼を「親魏倭王」に任命する前から、正式な倭王として扱っている。
> 通常なら王と称するとか書かれるはずが始めから倭王。
ダメ。
高句麗王は、「王」に任官すらされてないけど、終止「高句麗王」として扱われていますよ。
219 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:01:02
かつて「倭」という概念が、民族名のようでもあり、種族名のようでもあり、部族名のようでもあり、曖昧だった。
だから魏志では、「倭伝」と呼称せず、「倭人伝」と呼称した。
卑弥呼在位が150〜200年前なら、中国から倭人王(女王)や委奴国王(女王)と呼ばれていただろう。
しかし卑弥呼の時代には、倭人の国家群ははっきりとまとまった「倭」という民族を形成していた。
だから「倭王」「女王」「倭女王」などと呼べるようになった。
>>219 > かつて「倭」という概念が、民族名のようでもあり、種族名のようでもあり、部族名のようでもあり、曖昧だった。
三国志で「民族」なんて定義あるの?
当時の中国にそんな概念は、無かったのでは?
221 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:40:09
だから曖昧だった。
222 :
(・へ・):2008/08/13(水) 22:40:59
>>218残念でした
『漢光武帝八年 高句麗王遣使朝貢 始見稱王』と高句麗の王は自称の王と書いてある。
高句麗の王は正式な王ではなく、自称「高句麗王」として扱われています。
>>222 > 『漢光武帝八年 高句麗王遣使朝貢 始見稱王』と高句麗の王は自称の王と書いてある。
> 高句麗の王は正式な王ではなく、自称「高句麗王」として扱われています。
それは王号を称した初見が光武帝八年だと言っているだけ。
それまでは、遼西郡下の高句麗侯の扱いだったからで、高句麗として自立した時期を説明している文章だよ。
「高句麗の王は自称の王」などと言うことを強調するために書かれた文章じゃない。
高句麗王も倭王も辰韓の辰王も任官によらず「立つ」ことが記されており、魏志で言う王とはそう言うものなのだ。
官職としての「王」を勝手に名乗ることは「僭称」となり別だが、ある程度自立した勢力の首長は普通に「王」なんだよ。
漢文はちゃんと読もうね。
224 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:14:03
なぜ畿内論者は邪馬台国の東に海があることを無視するのだろうか?
225 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 01:12:56
そこは痛いから、決して触れない約束・・・
226 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/14(木) 05:51:31
「漢倭奴国王」
これの「漢」ってのは漢(韓)半島の事で、「韓を治めてた倭の奴国の王」って意味だと思うよ
227 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 05:59:01
228 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 12:54:03
美濃もん太の溶けた脳味噌の一端(末期賞状w)
>>226
229 :
(・へ・):2008/08/14(木) 14:03:32
>>223 >官職としての「王」を勝手に名乗ることは「僭称」となり別だが、ある程度自立した勢力の首長は普通に「王」なんだよ。
そうですよ。
史書には官職としての「王」か、ある程度自立した勢力が「王」を自称しているのか分かるように書いてあるのですよ。
日本語が不自由なかたですか?
230 :
(・へ・):2008/08/15(金) 13:32:13
分かりやすく書くと
漢籍の王には自称王と皇帝によって任命された王がある。
自称王か皇帝によって任命された正式な王かは文章で判別できる。
「三国志魏書」では女王、卑弥呼を「親魏倭王」に任命する前から、正式な倭王として扱っている。
通常なら「親魏倭王」に任命される前は王と称するとか書かれるはずが始めから倭王。
「漢委奴国王」印を使用していたとしか考えられない。
231 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 16:18:17
倭国の王ならば誰でも親魏倭王になるわけではない。任命はその人だけ。その王が死ねば、またやり直し。
したがって、卑弥呼が「漢委奴国王」印を使用するなどという馬鹿な話はない。
232 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 17:44:47
金印は親魏倭王印もらうまでは漢委奴国王印を使用していた?
つうかだな・・・
素朴な疑問
公孫氏が半島を支配していた頃はどうだったんだ?っちゅう話www
233 :
(・へ・):2008/08/16(土) 08:21:31
>>231 「漢委奴国王」印や「親魏倭王」印は倭の王が変わる都度、次から次えと貰えるものではない。
貰えるのは最初王の1回きりです、後は王から王へ引き継がれていくもの。
したがって、卑弥呼が「漢委奴国王」印の最後の使用者である可能性が高い。
234 :
(・へ・):2008/08/16(土) 08:33:58
>公孫氏が半島を支配していた頃はどうだったんだ?
公孫氏が倭まで勢力を伸ばすほど余裕あるとは思えないし、倭も公孫氏を相手にしないでしょ。
235 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:56:13
>>234 (・へ・)
じゃあ公孫氏が半島支配していた頃は大陸・半島の文物は流入絶えたとでも?
>>229 > 史書には官職としての「王」か、ある程度自立した勢力が「王」を自称しているのか分かるように書いてあるのですよ。
ちょっと違いますね。
「自称」の「王」では無いです。普通名詞の「王」と言えばよいでしょうかね。
これに対して官職としての「王」は固有名詞といえますかね。
扶余、高句麗,、韓、倭、全ての「王」に共通していることです。
貴方が
>>230で書いた「通常なら「親魏倭王」に任命される前は王と称するとか書かれるはず」が正当なら
扶余王も高句麗王も辰王も狗奴國男王も全て「官職としての王」になってしまいます。
東夷伝をもう一度よく読みなおしてみなさいな。
> 日本語が不自由なかたですか?
まさか、プラムにこんなことを言われるとは思わなかったぜ。
でもね、漢籍の話をしていて、行き成り「日本語が不自由」は無いだろうw
237 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:32:09
238 :
(・へ・):2008/08/16(土) 09:41:53
239 :
(・へ・):2008/08/16(土) 09:49:06
『建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
では王の名前も無いですけど。これも個人に授けられたもの?
違うでしょ、印は個人ではなく国から国へ贈られた物。
印には個人名は入っていませんよ。
○○会社××支店長印みたいなもの。
支店長が変わっても印は変わらない。
社名変更の時は変わる。
>>239 違うよ。
中国の官制に貴方が思うような「国から国へ」の概念なんて無いから。
印は「職」に対するもの。官位は個人に対するものだけどね。
その職にある者が使えばよいのだから、新調しても使い回しても構わないが、
空席の職であれば、その職印を使える人はいない。
だから「漢委奴国王印」なんて魏に対して使ったらお笑いの世界ですね。
241 :
(・へ・):2008/08/16(土) 10:21:32
扶余伝には『今夫餘庫有玉璧 珪 瓚數代之物 傳世以為寶 耆老言先代之所賜也 其印文言「濊王之印」』とあり
「今の扶余の庫には玉璧・珪・瓚など先祖伝来の遺物があり、伝家の家宝である。古老は、先祖が下賜された印璽には「濊王之印」と彫られているという」
印は先祖から引き継がれるものと記されている。
> (・へ・)
問題の「漢委奴国王」印の真贋論争に決着をつけた
蛇鈕金印の「テン王之印」も
亀鈕金印の「広陵王璽」も
何れも墓から出土しているぞ?w
特に後者はサイズや模様等から洛陽の同一工房で作られた可能性が高いwww
243 :
(・へ・):2008/08/16(土) 10:37:04
>>240 >空席の職であれば、その職印を使える人はいない。
形の上では任命でも辺境の蛮族の王なんて職は世襲ですから、
皇帝に挨拶に行って「印も引継ぎました、私が新しい王です、宜しくお願いします」で正式な王と認められる。
244 :
(・へ・):2008/08/16(土) 10:42:41
>何れも墓から出土しているぞ?w
新しい印を受領するなど何か印が不要になった時王墓に埋葬されたのでは。
>>243 > >空席の職であれば、その職印を使える人はいない。
> 形の上では任命でも辺境の蛮族の王なんて職は世襲ですから、
> 皇帝に挨拶に行って「印も引継ぎました、私が新しい王です、宜しくお願いします」で正式な王と認められる。
ハァ?
旧王朝のハンコなんて持ちだしたら笑いもの。
失礼の極みだな。
だが、その「失礼」をやってしまったのが伊都国王なのではないかと思ってたりするが?
246 :
(・へ・):2008/08/16(土) 11:40:38
>旧王朝のハンコなんて持ちだしたら笑いもの。
失礼の極みだな。
禅譲により交代した魏は形式上は漢を引き継いだ王朝なんですけど。
漢の印を使うことは、魏が漢の正統な後継者であると認識されている証となり、
魏としても喜ばしいことです。
247 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:32:31
最近、プラムもマトモはなったね。いいこと言うじゃないか。
いままでは、ただ字引を引くだけのレスだったのに。
248 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:35:24
249 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:42:36
誰がどう見たってプラムだろうw
言ってることは、全く変わってないよ。
どうでもいいよw
まあ、永久に「別人」のフリは続けるだろうなあ。
アレだけ恥かしいことしちゃったから。
消える間際には、太国、サガミ辺りにもシカトされてたw
253 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 18:24:01
254 :
(・へ・):2008/08/16(土) 19:05:26
プラム???
255 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 19:10:52
プラム=河童虫=(・へ・)?
256 :
(・へ・):2008/08/16(土) 19:39:01
257 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 19:42:31
『日本の歴史学会は「ミマニアン・ドキュメンツ」(任那日本府-公文書群)を研究せよ』
■『三国史記』編纂の資料として使われた『ミマニアン・ドキュメンツ』(M資料)
高麗時代前期(1145年)に編纂された朝鮮最古の歴史書・『三国史記』は興味深い書物である。
この書は、半島側の資料として、『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、
金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したとされているが、
かつて半島南部を統治していた任那日本府(シラキ日本府)によって記録され、伝承されきた古文書、
いわゆる『任那日本府-公文書群』(ミマニアン・ドキュメンツ)も、資料として使われているようだ。
シラキ(弁韓)を建国した稲飯命とその子孫に関する記録を、『朴氏』(日子氏[ボコ氏])の歴史として
記録しているのだ。
捏造・創作も多く見受けられるが、白村江戦争後にワイ族によって焚書されたと思われていた
『任那日本府-公文書群』が、1145年まで残っていたという事実は驚きである。
おそらく、日本書紀にその名が記されている『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』なども、
『三国史記』編纂の際の資料として使われた『任那日本府-公文書群』の一部であろう。
ミマニアン・ドキュメンツは『三国史記』が完成すると同時に焚書されており、現存しない。
しかし、『三国史記』の内容を、日本側の古文書や伝説・神話と照らし合わせながら分析することで、
ミマニアン・ドキュメンツの内容を、あるていど復元することは可能である。
聖書学者が、さまざまな古文書や考古学資料を基にして、新約聖書-福音書の資料となった
『Q資料』の内容を解明しているように、日本の歴史学者も『古事記』、『日本書紀』、『新撰姓氏録』、
『風土記』、『三国史記』などの内容を調べることで、『M資料』の内容を解明できるであろう。
259 :
(TωT):2008/08/16(土) 21:14:51
河童虫と間違えられるとは・・・トホホ。
260 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:21:44
>>259 (TωT)
もうチョイ、キャラたてなあかんでw
261 :
(´・ω・`):2008/08/17(日) 14:26:12
@『建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬』
A『安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見』
後漢書の上記の文は漢文的には
Aの倭國王は自称などと書かれていないから官職の王であり、
@はAの倭王が何時任命されたかを説明しているものである。
つまり安帝永初元年(107年)の倭國王帥升は建武中元二年(57年)の漢からの印を引き継いだ者だと説明しているのである。
次に続く
B『桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主 有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆 於是共立為王』
で更に卑弥呼が王となり印を引き継いだことを暗に示している。
後漢書は漢代のことを記しているのでここまでであるが、
この後三国志魏書で卑弥呼が「親魏倭王」印を新たに受領したことが記されている。
したがって@で受領した印は不要となり卑弥呼の墓に入れられたと考えるのが妥当である。
@で受領したと考えられる「漢委奴国王」印が福岡市近郊で発見されているということは、
卑弥呼の墓は福岡市の近郊に在ったが現在は破壊されて存在しないという事である。
262 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 18:00:23
>>261 >卑弥呼の墓は福岡市の近郊に在ったが現在は破壊されて存在しないという事である。
奴国のすぐ近くだなw
行程記事との整合性はどうする?www
263 :
(´・ω・`):2008/08/17(日) 19:44:51
>>262 邪馬台国畿内説?wの57-157を見よ。
264 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 23:46:47
>>263 (´・ω・`)
困った時の放射説だなw
行程記事中の奴国が二万戸
で邪馬台国が七万戸
で、この2国が文字通りお隣さん。
えらいすし詰めだぞ?www
265 :
(´・ω・`):2008/08/18(月) 14:09:40
>>264 >困った時の放射説だなw
「邪馬台国畿内説?w」の57-157をもう一度見てください、
放射説ではありません。
>えらいすし詰めだぞ?www
可とは推測地であることを示す文字であり、下記のように推測されたと考えられる。
(邪馬台国)可七万戸=(奴国)二万戸+(その他の国)二十五ヶ国×二千戸
266 :
(´・ω・`):2008/08/18(月) 17:22:39
「邪馬台国畿内説?w」の214に地図あり。
267 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 13:06:27
268 :
日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:57:14
畿内説が窮すると、必ず出てくる三足土器爆撃。
畿内説の論理ズタズタで、言い逃れができない証拠だな。
269 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 21:42:26
狗奴国についてもっと詳しく書いといてくれたら比定の参考になったのにな
270 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:08:29
っつか卑弥呼が魏に泣きつくぐらいだから
狗奴国って邪馬台国に匹敵するかそれ以上の国だったんだろうな
どこをどういうふうに支配してて、人口や産業、軍事、風俗はどうなっていたのか、
邪馬台国と同様に大陸と交渉を持とうとしなかったのか等々、かなり気になる
271 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:19:44
272 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 00:32:52
狗奴国は戸数道里がないから旁国(小国)の一つにすぎない。官が1人しか
記載されていないこともそれを裏づける。
倭人伝と後漢書では、狗奴国の位置がちがう。これは、後漢書が書かれた当
時にはすでに狗奴国が消滅していたためであろう。
273 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:21:11
そういえば狗奴国の官だけ何か妙に他の国と語感違うね。
めちゃくちゃ浮いてる感がする。
274 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:32:52
>>272 敵国だから情報が乏しかったんじゃないの?
同じ女王国内でも遠いからよくわからんって言われてる国が多いし
275 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:27:02
>>273 不弥国までの国々と、投馬国、邪馬台国、狗奴国はだいぶちがった感じがする。
これらが全部北九州とすれば、不自然ですね。不弥国までの国々とはだいぶ離れて
いたということの一つの徴候かと。
>>274 逆にいえば官名がよく分かったなとも言える。それに檄文から考えるべきこと。
檄文が邪馬台国側だけに対するものならば、戦いを鎮める力はないはず。
魏の御使者がかように仰せだ、と狗奴国に伝わる形が必要なのでは?
それに使訳通じる30国に狗奴国も入るはず。となると、もともとは狗奴国も
邪馬台国などと共に行動していた(漢への朝貢など)が、一時的に袂を分かち
小競り合いをしていたということかなと思いますが。
276 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 13:20:56
なるほど
しかしまあ想像しなきゃならん部分が多すぎるのが辛いな、狗奴国は
277 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 17:37:18
不弥国の比定には、宗像・宇美・飯塚の3説がある。
少なくとも、宇美はない。
宗像からなら海を、飯塚からなら大きな川を水行できるが、
宇美には海もなく、大きな川もない。
278 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 18:19:22
>宗像・宇美・飯塚の3説がある。
これらは、全て伊都国は怡土と考えたうえでの説。しかし、問題は伊都国。
怡土では何のために末盧国で下船したのか、南水行とは何だ、ということになる。
伊都国は末盧国から東南五百里。それを素直に読めば、不弥国も当然上記のような
所とはちがってくる。
279 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:18:44
>伊都国は末盧国から東南五百里。それを素直に読めば、
>不弥国も当然上記のような場所とはちがってくる。
末盧國を唐津松浦川河口の東岸とすれば、
伊都國は東南五百里の佐賀市大和となる。
佐賀市大和は、後世には肥前国庁も置かれた古代交通の要衝である。
>>275 > 檄文が邪馬台国側だけに対するものならば
檄は親魏倭王や難升米等叙任者に宛てたもの。
それを配下に伝えるのは倭王達の務め。
281 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:48:17
伊都國は糸島半島でガチだろ
佐賀大和はなんか出てきたの?伊都の印鑑とか
282 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 21:24:59
>>281 糸島半島からは伊都の印鑑は出ていないはずですが。
283 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 21:46:06
>>279 伊都国はおそらくその辺りでしょう。そして、不弥国は吉野ヶ里付近。
肥前国府と吉野ヶ里遺跡、いずれも古代における重要地点ということですね。
そして、そのように解釈すれば、水行二十日、水行十日陸行一月もすっきり
と理解できます。紛れる余地なくね。
284 :
日本@名無史さん:2008/09/07(日) 23:36:59
285 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 00:45:53
>>283 妄想だけ書き連ねて
あなたバカですか?
286 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 05:16:20
狗古智卑狗=河野氏の祖とされる河野越智彦説というのがあるようですね
邪馬台国を脅かしたほどの国であること、男王卑弥弓呼の存在など非常に興味深い国です
287 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 05:51:07
>>278 >>伊都国は末盧国から東南五百里。それを素直に読めば、
>>285 素直になれない
あなたは馬鹿ですか?
288 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 06:44:17
289 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 10:17:31
>>285 妄想にしか見えないとはお気の毒に。
伊都国からは放射式。東行百里は東へ7、8キロ。だから吉野ヶ里がぴったり。
奴国は、当然、筑後川左岸あたりとなります。
投馬国は南へ水行二十日。戸数五万の大国があった所となれば川内でしょう。
邪馬台国は水行十日陸行1月。川内までの半分の所、すなわち八代付近で上陸。
陸行1月で宮崎平野か都城盆地になります。
川内は薩摩国府が置かれた所。都城にしろ宮崎平野にしろ日向の主要部。3世紀
にも当然繁栄していたであろうと推測できる地域。
倭人伝どおりで何の無理もなく邪馬台国の比定ができるのです。これで、九州で
最も古墳が多いことも理解できますね。文献と遺跡、いずれからしても問題なし。
290 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:58:37
偉そうな顔して「邪馬台国は九州なり」と述べている
文学博士や神話学者や文献学者等に言いたい
「邪馬台国は研究室にあるんじゃない、発掘現場にあるんだ!」
291 :
287:2008/09/08(月) 18:29:21
>>288 私は黒を白と言えない素直な馬鹿者です。
292 :
(´・ω・`):2008/09/10(水) 08:37:13
>>275 >不弥国までの国々と、投馬国、邪馬台国、狗奴国はだいぶちがった感じがする。
投馬国と邪馬台国は不弥国までの国々とは全く違う国。
不弥国までの国々は都市国家、投馬国と邪馬台国は都市国家の連合体の領域国家。
倭の邪馬台国は韓での馬韓、弁韓、辰韓に当たる。
邪馬台国の中に対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国があり、
斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国も
邪馬台国の中の都市国家だ。
293 :
(´・ω・`):2008/09/10(水) 08:53:23
>>289 未だに放射式とは驚き。
帯方郡庁から南へ水行二十日で投馬国の中心都市に着く。投馬国は戸数五万の大国(領域国家)。
都市国家である狗邪韓国の在る領域国家が投馬国。
投馬国は韓の南部に在った。
狗邪韓国から邪馬台国の女王の都へは南へ水行十日陸行一月。邪馬台国は戸数七万の大国(領域国家)。
女王の都は伊都国。
狗邪韓国と伊都国にだけ「到」が使われ、投馬国と邪馬台国に対応していることを示している。
294 :
(´・ω・`):2008/09/10(水) 08:58:57
>>293 『水行十日陸行一月』の陸行一月は陸行一日の誤り。
三十日も船旅を続けて来た者が、陸行一月もする理由がない。
日本国内を移動するのには、外洋をも航海出来る船が有れば船旅が早くて楽で安全。
295 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 12:13:41
屁理屈こねて、寒い畿内へ持っていったら、温暖な邪馬台国に失格。
大前提に、はやく気づきましょう
296 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:19:14
>>295 日本列島がどれだけ南北に伸びてると思ってるんだ?
北九州も畿内も対して変わんねえよ
北海道説と北九州説が対峙してるわけじゃねえんだぞ
297 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:21:18
小氷河期の畿内は極寒。
海流のため北部九州は温暖。
残念でしたね。
298 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:39:43
299 :
↑:2008/09/10(水) 22:45:51
妄想畿内君、乙
300 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:00:21
妄想北九州と妄想畿内の戦いか。
301 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:04:14
極寒の畿内は温暖じゃないでしょ。
サイキバ君のために詳細な気候データを少々。
出所は気象庁のサイトで閲覧できる過去の統計データ。
奈良の観測データが取れるようになる1954年から50年間分の平均気温を計算して較べてみた。
内陸に在る奈良が低くて、南国宮崎が高いのは当たり前だが、後は大して違わないと思う。
倭地の風土の記述を邪馬台国の風土と、サイキバ君が読み替えて必死に連呼する気持ちは、
これを見ると判らないでも無いが、畿内説では大阪も邪馬台国なんだよな・・・
福岡 冬(12〜2月) 7.1 年平均 16.4
熊本 冬(12〜2月) 6.3 年平均 16.4
宮崎 冬(12〜2月) 8.2 年平均 17.2
岡山 冬(12〜2月) 5.1 年平均 15.3
大阪 冬(12〜2月) 6.5 年平均 16.4
奈良 冬(12〜2月) 4.5 年平均 14.6
303 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 07:37:01
304 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 10:26:42
横からですが、「温暖」だけで畿内説が吹っ飛ぶとまでは思いませんが、畿内説
にとってかなり苦しい問題であることは間違いないでしょう。
それに持衰の問題もね。大和へきて中国との往来に関する持衰の話がでるとは思
えません。これも九州ならではの話と思いますね。
305 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 13:13:35
平均気温じゃなくて、冬の極寒がないのが、温暖。
よって、小氷河期の畿内は脱落。
306 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 14:06:00
307 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 16:40:05
>>302 対して違わないじゃない。
福岡の冬は9℃、畿内の冬が2℃とかなら畿内説は否定されそうだが。
308 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 17:15:59
309 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 18:40:20
>>307 冬場の気温がまったく温暖ではないのが小氷河期の畿内。
>>309 宮崎は別として、九州もさして「温暖」には見えないが。
311 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 19:45:54
畿内の冬は寒いだろ。生野菜を食う環境じゃない。
312 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/11(木) 19:59:00
冬でも生野菜を食えたのは筑紫平野。
313 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/11(木) 22:33:06
野生の山茶花の北限は背振山地の南山麓。
その他植生についても背振山地が境界になっているものが多い。
温暖な冬の北限は筑紫平野であったことを植生が示している。
314 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 06:37:11
背振山地の南なら築後平野のこと?
>>313 ああ、なんか直感的に分かる。
鳥栖から福岡に入ると気候が変わりますものね。
背振から北側の福岡市とか糸島は冬が結構寒い
邪馬台は古中国語の読み方で「ハ クァ タ」
317 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 17:36:13
普通に考えて、
魏使は夏に倭へ来たのだと思うが。
まあ、詔勅が出たのは景初二年十二月だが、それを持って倭まで来たのは普通に考えて夏だろうな。
難升米達が行ったのは六月だったし、冬場の渡海は避けただろうね。
でも、来て直ぐ帰ったわけでも無いだろうし、その時の使節以外にも倭地来ていた漢人はいたと思う。
それに冬季の倭地に関する観察記録が、使節の報告以外に無いとも思えないが。
319 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 19:03:02
320 :
317:2008/09/13(土) 21:41:31
>>318 俺が言いたいのは、
夏に来たら九州も畿内も温暖だろうがってこと。
それに冬でも大した違いはないし。
321 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:52:57
畿内の真冬に、生野菜を食べる風土はありません。
322 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:11:34
倭人伝の記載を重視するなら、
高野豆腐みたいに越冬用保存食が作られる地域は除外されるだろうな。
確かに高野山と邪馬台国は別物だよ。
324 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 06:56:36
>>321 そもそも本当に冬に来たのか
普通に考えると温暖だから夏だろうが
325 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 08:47:05
>>320 >>324 「冬夏生菜を食す」とあるところからすると、使者は少なくとも倭の地で冬を
過ごしたということでしょう。
810 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/13(土) 22:22:41
夏に食べていた生野菜と、冬にたべていた生野菜を具体的に名(食材)をあげておしえてください。
811 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/13(土) 22:25:55
具体的に名(食材)をあげておしえるために、タイムマシンください。
812 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/13(土) 22:43:13
つまり、現在の九州の生態からはなんの植物であったかわからないということですか。
現代九州で食されている野菜はほとんどが江戸時代以降のものですね。
それ以前となるとどんな植物だったのでしょうか。
815 名前:のんびりひまじん[] 投稿日:2008/09/13(土) 22:51:41
せりなずなおぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ・・・すべて冬野菜です
822 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/14(日) 06:13:55
正月の七草粥に入れる春の七草。
せり、なずな(ぺんぺん草)、はこべら、みんな、普通に関東・東北辺りでも自生している植物ですね。
すずな(カブ)、すずしろ(ダイコン)別に九州特産じゃない。菜っ葉の冬獲りも多いですよ。
万葉集では山部赤人が次のように詠っています。
「明日よりは春菜つまむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」
327 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 15:36:44
春の野草は全国にあるよ。
しかし冬の山菜・野菜を畿内で生食するのは無理。
九州は可能。
328 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 19:20:37
だからさ、冬の九州にあって、畿内にないのは何さ?
ついでに言うが春の七草の春の意味知らないみたいね。
もしかしてサイキバ君かな?
329 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 19:34:15
だからさ、畿内で食べられる冬の生野菜・生山菜って、一つもないでしょ。
もう、この時点で畿内説は落第だね。
冬の九州は緑が豊富。あとはタイムマシンさえ買ってくれれば、
何を食べたか見に行ってくるよ。さっそく用意してくれる?
330 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 19:46:02
つまり、九州の冬の野菜なんて一つも知らないんだねw
331 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 19:50:46
無数にある冬野菜・冬山菜は九州のみ。
古代人が何を食べていたかは、タイムマシンが必要。
しかし、畿内には冬野菜・冬山菜がありません。
残念でしたね。畿内説が決定的に否定されました。
332 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 20:07:37
食用だから「菜」なんだよ。
食わないものは「菜」じゃない。
食えるものの例を挙げてくれと言ってるんだ。
でなけりゃ、冬の九州で生野菜が食えたことの証明にならんぞ。
景初三年元旦の卑弥呼の朝メシのメニューを聞いてるわけじゃない。
いくらサイキバ君でもそのくらいの理屈はわかりだろう?
所詮 アホの九州王朝説論者 サイキバ君 に具体的に
九州で食された冬の生野菜の種類なんて聞いても無理wwww
ところで…
古代の食の研究をしている人間によると
「菜」には「菜っ葉」と言う意味の他に「おかず」「食べ物」と言うニュアンスがあり
「生菜」とは生の魚を食する(今日で言えば「さしみ」)習慣が中国人から見て奇異だったので
特筆に至った…とか言う説もあったなwww
334 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:13:56
卑弥呼の国でどんな山菜野菜を食っていたかなんて書いてないからそれはわからない。
しかし、畿内の冬に生山菜生野菜なんか存在しない。
だから、畿内説は成り立たない。
百万言を費やして反論しても、これは一切否定できないな。畿内説完全破滅。
335 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:25:11
>>334 バカだなあサイキバ君はw
仮に畿内に冬に生で食える野菜が無かったとしても
じゃあ九州にそれがある事を立証しなければ位置比定の材料に使えないよ?wwwwwww
336 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:34:13
立証できてるし。
337 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:36:36
>>336 じゃあ具体的にその植物の名を挙げようねw
それが実際に古代九州で食されていた根拠も一緒にねwww
338 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:38:40
そこは論点じゃない。畿内に存在しないということが決定的。
残念だったね。
>>332 「倭地温暖、冬夏食生菜」と季節を問わないことが強調されているので、
「魚菜」は意識されてないんじゃないかな。
ただ、「菜っ葉」は「菜(食材)」になる「葉」のこと。
根や茎を食用とする野菜も「菜」だよ。
ちなみに、冬でも生食できそうなもので思いつくものでは、
野沢菜で有名なカブナ類は冬獲り、
山芋は秋口の里芋と違って晩秋に獲れて保存性も良いので含めてよいかな。
セリ、ミツバ、ノビル、ミョーガ、ウドなどの多年草(当然「旬」はあるが)、
そしてキノコの類は季節を問わない・・・等々かな。
古くから畿内でも自生・栽培されている食材だね。
まあ、サイキバ君には思いも付かないだろうけどw
>>336 > 立証できてるし。
ほぉ、じゃそれを書けよ。
341 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:55:37
古代畿内の冬に生野菜食・生山菜食なし。畿内に邪馬台国なし。
>>341 > 古代畿内の冬に生野菜食・生山菜食なし。畿内に邪馬台国なし。
そういう事は
>>339を否定してから言えよw
自説の根拠は呈示できない。
他説の根拠は否定できない。
で、結論だけを連呼しまくり涙目で退場か・・・
いつものパターンだね。
344 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 22:25:27
>>338 > そこは論点じゃない。畿内に存在しないということが決定的。
そこが論点だろ?
345 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 00:28:55
もう、畿内説、涙目w
346 :
天之御名無主 :2008/09/15(月) 08:02:06
347 :
出土地不明 :2008/09/15(月) 10:14:12
ここで思い出そう。
不弥国から邪馬台国まで、南に水行三十日と陸行一月、
若しくは水行三十日かかる。
伊都国から放射式に書かれているとしても、
水行十日と陸行一月、もしくは水行十日かかる。
348 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:16:24
>>345 >>346 つまりは、畿内も北九州も駄目ってことですね。
「倭地温暖、冬夏食生菜」などと言えるのは、やはり南九州しかないな。
何故別の板の名無しが紛れ込んでるんだ?
350 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:18:03
>>348 いやいや、夏の倭国はどこも温暖だって。
>>350 だから倭国は冬も生野菜が食えると言う話をしてるんだろうが。
352 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:21:09
>>350 わざわざ「冬」と書いている以上、使者は倭の地で冬を過ごしているのですよ。
「夏の倭国」と言わざるを得ないところが畿内や北九州のつらいところですね。
353 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 10:58:33
354 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 12:56:38
21世紀の野菜山菜を並べてどうする>339
小氷河期の古代、畿内の冬に生の野菜山菜など食えなかったのだ。
福岡県南部〜佐賀県ならOK.
ここは邪馬台国の特徴である、絹や鉄鏃も大量に出る。
355 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 14:00:36
>>354 三世紀の野菜じゃないけど、七世紀の文献に出てくる食材だよ。
畿内どころか、現在のもっと寒冷な地域で自生しているのに、
三世紀当時の畿内で食材に成り得なかったと言う根拠は?
そして、君は三世紀の九州の野菜とやらを提示できるのかな?
356 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 14:47:11
>七世紀の文献
食文化を初め長年、九州王朝から文化が流入しつくしたからねえ。
畿内では九州王朝の評制を使っていたことは有名だよね。
法隆寺も九州観世音寺からの移築だったし、
大和朝廷得意の稲の文化も九州から学んだんでしょ?
357 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 15:05:23
で、何が言いたいの?
冬の九州で野菜が食えた根拠は言えないの?
畿内で野菜が食えなかったと言う根拠は有るの?
「決まっている」とか「はずがない」とかの妄想は聞き飽きた。
少しは実証的な切り口でボールを返しなさいな。
358 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 15:18:36
>>356 しかし、いつもながらホント幼稚だなあ。
根拠を一切言わない結論だけの連呼。 オレ九州説派だけど見てて恥ずかしいと言うか情けないね。
レベルが低いんだなあ、ここの連中は。だから馬鹿にされるんだよ。
359 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 18:39:31
古代小氷河期に、畿内の冬生菜食が全く存在しなかったことだけは、明白。
こりゃ九州に決まりだな。
>>358 マァ、そこが、畿内説も東遷説もそして九州王朝説の論旨さえも理解していないのに
コピーを書き散らかして掲示板に参加しているつもりなってるサイキバ君の悲しさなんだね。
361 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 19:05:34
これだけ決定的に敗北してるのに、未だに
卑弥呼天皇始祖説=畿内説
なんぞ唱えている馬鹿がいる日本って、平和だと思うよ。
362 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 19:18:47
畿内説には、
九州蔑視=九州田舎豪族倭王成りすまし論=畿内説
なんて妄想すら闊歩している。
こんな馬鹿が学会の中心にいて、はたして大丈夫なのか?
>>362 >九州田舎豪族倭王成りすまし論
それって本居宣長ばりの九州説じゃ・・・・
サイキバ君には九州説も畿内説も区別はつかないだろうが。
364 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 19:41:32
>>363 その言葉、そのままお前に返すよ。畿内説の夏祭に言ってやれ。
365 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:02:22
>>362 > 九州蔑視=九州田舎豪族倭王成りすまし論=畿内説
>
> なんて妄想すら闊歩している。
> こんな馬鹿が学会の中心にいて、はたして大丈夫なのか?
学会の中心? 誰の事??
>363 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 19:36:47
>
>>362 >>九州田舎豪族倭王成りすまし論
>それって本居宣長ばりの九州説じゃ・・・・
>サイキバ君には九州説も畿内説も区別はつかないだろうが。
>364 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/15(月) 19:41:32
>
>>363 >その言葉、そのままお前に返すよ。畿内説の夏祭に言ってやれ。
他人のことは、どうでもいいから自分の書いたことの意味を解説してよ。
「九州田舎豪族倭王成りすまし論」つーのは、九州の田舎豪族が倭王に成りすましてたってことでOK?
で、魏志に書いてある邪馬台国つーのは、その田舎豪族の根拠地のことって言う意見になるように思えるが、
それは、世間一般に言うところの典型的な「九州説」とどう違うの?
「wwwww」とかじゃなくて、一般人にもわかる言葉で説明してくれ。
その文章をもってキミの知能程度を判断してあげるからさ。
367 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:26:14
九州蔑視論=大和朝廷の九州田舎豪族成りすまし論=成りすまし九州説=畿内説
・・・結局、それは畿内説なんだよ。
九州には鉄鏃も倭錦も圧倒的に出土するが畿内からはわずかしか出ない。
九州蔑視論はこれを無視した、九州説風畿内説なんだよ。最高権力畿内説。
正しいのは九州王朝説。
368 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:31:08
九州王朝説てどんなの?
369 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 22:02:19
表面上「邪馬台国九州説」を自称する、皇学館大学元総長の田中卓氏の説はこうだ。
・古代出雲国を押さえて以来、畿内大和朝廷が日本列島に君臨し、今日の天皇制に続いている。
・邪馬台国は五島列島にあり、巨大国家大和朝廷に対して、どうでも良い田舎弱小勢力。
・卑弥呼がいたのは、僻地五島列島の福江。
・五島の田舎勢力が付け上がって、中国に貢献した事跡が漢籍に見えるが、無視してよい。
要するに、九州蔑視、畿内大和至上主義。表面上は「邪馬台国九州説」と謳っているが、
その実、最高王権畿内説=大和朝廷至上主義。
>>369 意味がわからんね。
九州王朝説以外は全て畿内説と言ってるに等しい。
つまり太国もキミに言わせりゃ畿内説かね。
アレと一緒にされるのだけは嫌だなw
>>367 >九州蔑視論はこれを無視した、九州説風畿内説なんだよ。最高権力畿内説。
九州王朝論者はスレタイも読まないのかw
邪馬台国スレで、畿内説、九州説といえば邪馬台国の所在地を言うに決まってるだろう。
しかも「九州説風畿内説」の前半の「九州」は邪馬台国の所在地説で、後半の「畿内」は権力の所在を指すのねw
凄まじい新造語だな。
何の説明も無く、そんな言葉を使ったって、他人に通じるわきゃねーだろーが。
キミとか、サイキバ君とか、九州王朝論者には、他人とのコミュニケーションが不可能な人材が多いね。
そして、隔離スレだけじゃ飽き足らず、ところ構わず根拠の無いプロパガンダを貼りまくりに出てくるわけか。
あー、嫌だ嫌だ。
372 :
夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/16(火) 10:25:05
>>361 未だに畿内を少しでも評価したら皇国史観だと思ってる人間が
居るほうがお兄さんびっくりだ。
九州王朝説は最早筑紫皇国史観と化していることにはよ気付け。
>>362 畿内説に闊歩してるんじゃない。九州王朝説に闊歩してるんだ。
どんなに必死に邪馬台国が九州にあったと主張して、畿内説を笑ったとしても、
九州王朝信者にとっては7世紀以前の畿内の隆盛を認めたら畿内説か。邪馬台国を何処におくかも関係なく。
君等、奈良県の人になんかひどいことされたの?
2世紀前半の畿内における縄文文化の再興を持って畿内優勢の証拠とし、
2世紀以前の筑紫の優勢を頑として認めなかった梅原末治・小林行雄・田辺昭三、
色々な筑紫の弥生遺跡の年代を引き下げて筑紫優勢の証拠とし、
7世紀以前の畿内の優勢を頑として認めなかった古田武彦。
どっちもレベルは同じなんだよ畜生めが。
373 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 12:39:54
4世紀初頭に、畿内王権が滅亡したのを頑として認めない、夏祭も同罪。
邪馬台国?
ハワイかグアムだろ
375 :
夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/16(火) 22:30:52
>>373 そうだよね、自分達が最も毛嫌いしている畿内自立論者と同罪だといわれたら
古田教信者の信仰心に火が付いちゃうよね。
376 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:34:22
建国後たった150年で邪馬台国が滅亡する、夏祭の畿内説。
論理が無茶無茶です。
377 :
夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/17(水) 07:21:16
>>376 そら前2世紀から7世紀後半までの
悠久の九州王朝を信じてる君には分からないだろうね。
王朝交替という概念は。
378 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 10:34:06
九州王権が王朝だった時期はそんなに長くないでしょ。
畿内一帯を支配していた銅鐸国家が滅亡したのは、どう説明するの?
>>377
379 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 10:39:47
>>378 サイキバ君乙
『 銅鐸国家 』
・・・そんなもん言ってるのおめーぐらいのもんだwwwwwwww
銅鐸が分布する圏内を即 「銅鐸国家」 にする単細胞。
畿内における銅鐸の分布、詳しく見たこと無いだろ?wwwwwwwwwww
380 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 10:53:18
銅鐸国家は滅んじゃったんだよ。粉々にな。
これが畿内王権の実態なんだよ。
纏向も突然放棄されちゃったんだよ。
よそからやってきた国家連合が畿内を征服支配。
かわいそうにな。
381 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:16:09
まあサイキバ君のアホ理論だと
九州の銅矛国も、山陰の銅剣国も、滅びたって事になるのかな?wwwww
382 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:48:44
383 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 12:08:50
サイキバ君のアホ理論に乗っかると…
まあ纏向からは人為的に破壊された銅鐸も見つかっているから
纏向きは銅鐸国を滅ぼした勢力の都市と見るしかないなw
もし九州の銅矛国を滅ぼした勢力も、畿内の銅鐸国を滅ぼした勢力も同じとするなら
纏向と同時代で規模において勝る遺跡が無い現状では
その勢力の中心は纏向のある大和と言う事になるよな?www
どのみち古代の日本の中心が畿内にシフトした事に代わりは無いwwwwwww
この場合東遷説は無しな。
銅鐸が銅矛に取って代わられたわけじゃないしw
384 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 12:12:48
>どのみち古代の日本の中心が畿内にシフトした事に代わりは無い
古代、九州王朝の天武が、初めて畿内に都を置きましたがなにか?
385 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/17(水) 12:23:12
>>314 >背振山地の南なら築後平野のこと?
佐賀平野
筑後平野は佐賀平野の南側、筑後川の南側。
筑紫平野=白石平野(六角川流域・有明海西岸)
+佐賀平野(嘉瀬側流域+筑後川下流北岸域・有明海北岸)
+北野地域(筑後川中流域・内陸部)
+筑後平野(筑後川南岸+矢部川流域・有明海東岸)
新スレを建てた後、何故か全板で、どのIDでも、突然書き込みできなくなりましたので、
遅レスになりました。
386 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 17:00:29
>>383 >九州の銅矛国を滅ぼした勢力も、畿内の銅鐸国を滅ぼした勢力も同じとするなら
>纏向と同時代で規模において勝る遺跡が無い現状ではその勢力の中心は纏向のあ
>る大和と言う事になるよな?
銅鐸国が他の銅鐸国を滅ぼしたところで銅鐸が消えるはずはありません。
銅鐸が消えたということは、銅鐸国を滅ぼしたのは非銅鐸国だということです。
当然、それは、銅鐸国とは別の地域の勢力だということになります。
387 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 17:08:09
妄想が崩壊しました
こんな妄想
「古代より、日本列島最大最強王権といえば、畿内王権=大和朝廷」
動かぬ真実
「古代畿内王権=銅鐸国にしても7世紀畿内王国も、
外部からあっさり滅ぼされたり、奪われたりしてました」
388 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 22:30:29
389 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 09:22:56
まあ九州王朝説サイキバのアホは畿内における銅鐸の分布を調べて見ようなんて事は微塵も考えないだろうが・・・
一口に畿内を中心に分布と言っても濃密な分布を示すのが1箇所だけじゃないんだよな。
だとするとアホのサイキバが言っている銅鐸国が複数あったのか?
どれかが中心地で他はそこから集中的に銅鐸を配布されたのか?
等々考えなきゃならない事は一杯あるわけで
銅鐸の分布=銅鐸国 なんて思いつきだけで済む話じゃないって事でwwwwwwwwwwww
390 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 15:57:56
いろいろイイワケしても、4世紀初頭に畿内を支配していた国が滅亡した事実が残る。
畿内説の終焉。
391 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/18(木) 19:44:22
>>390 >4世紀初頭に畿内を支配していた国が滅亡した
4世紀初頭に滅亡した国は何処?
392 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 22:02:09
393 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 06:50:27
>>390 4世紀初頭に滅亡?
だったらその国が邪馬台国で何の矛盾も無いなw
アホの九州王朝論者サイキバ君は何を言っているんだろうか?
まあサイキバ理論だと九州の銅矛国もやがて銅鏡国に滅ぼされたと言う事になるんだろうか?w
で銅鏡の分布の中心は、年代観の争いはあっても、やがて畿内中心になると言うのは
もう覆しようが無い出土状況の厳然たる事実な訳でw
そうすると少なくとも7世紀頃まで九州に都があったなんて九州王朝説は成り立たないwww
そんなもはアホの戯言wwwwwwwww
俺はどっち贔屓じゃないけど、近畿派の草生やしながら語る
なんか上目線のような小馬鹿にしたような態度は好きになれん
395 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:38:41
これで、畿内王権には鉄鏃もなく絹もなく、国家の安泰もない弱小国家だということが確定しました。
396 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:39:46
397 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:42:12
>>394 九州説の中には本物の馬鹿も居る。
そいつらは特別に「アンチ畿内」と分類される。
自説を証明しようとせず、自分の結論と畿内説への罵倒だけを繰り返す連中。
そういう人間と対峙するとついつい「上目線のような小馬鹿にした態度」をとってしまう。
ただ、九州説陣営にもちゃんと論争の出来る人物が居ることは確か。
そういう人間に対しては、ちゃんと誠意を持って受け答えをする。
398 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 00:22:43
>>395 >国家の安泰もない
はあ?何を仰っているんですか?サイキバ君はwwww
国家の安泰?
じゃあ畿内に邪馬台国があったら、その国は千代に八千代に栄え続けにゃならんの?www
まあ、なんでサイキバ君がかかる馬鹿丸出しのピンボケを言うのか解説するとだ…
サイキバ君の如き九州王朝説論者にとって、畿内説とは今の皇室にまで繋がる「万世一系」を信奉している連中でなければならないw
故に
>>390のように邪馬台国・卑弥呼以降の4世紀であろうが
その王統の連続性を否定すれば畿内説を否定できちゃった気分になれちゃうと言う構図だなw
どうだ?違うかな?wwwwwww
残念だが「三朝交替」どころか盟主の座も有力氏族の間を移動していたなんて考えを持つ学者もいるのが今の畿内説の現状で・・・
サイキバ君、悪い事は言わない。
九州王朝説なんて 『 九州皇国史観 』 からは早く脱会しなさいwwwwwwwwwww
399 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:47:38
>>398 おまえさあ、サイキバサイキバ連呼してるけど、そんな奴いないんだよ。
鏡見て一人でつぶやいてろ。
お前が皇国史観を愛してるのは良くわかった。もういいよ、秋田。
400 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:34:43
401 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:12:00
なんだ、夏祭の暴言か。
402 :
夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/20(土) 08:40:16
サイキバ、それは最早古田教信徒全体の称号となっている。
王朝交替の概念を実証すれば畿内説が潰れるというのなら、
やってみなさい。
403 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 11:00:42
サイキバの意味と語源を教えて?
404 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 11:41:31
405 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:09:18
ローガンと夏祭は、小氷河期の古代纏向は冬に生野菜を食べるほど温暖で、
内陸部纏向では海で潜水漁をしていたとしています。
ヘソと肛門から牙が生えるほどの才能を持っているため、この二人はサイキバと呼ばれます。
406 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:25:40
↑無知w サイキバが必死 ワラw
407 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:35:09
畿内お馬鹿信者が2チャン依存病ということだけはガチ
408 :
>>403no:2008/09/20(土) 14:54:22
ボケて・・・
>576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
>考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
>畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
>なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw
ツッコミ入れられて・・・
>579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>それと・・・
>「 祭 器 場 」 って何なんだ?
>祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
>初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
>それも考古学用語なのかな?
>後学の為教えてもらえないかな?w
んでもってオチwwwww
>590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
>それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
409 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:17:04
まあ、「古代畿内纏向で潜海漁ができた」なんて言ってる畿内説よりマシじゃね?
410 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:38:59
>>409 そんな事を言っているのはサイキバ君の脳内畿内説論者だけw
そもそも倭人の風習なんだから畿内説には何の問題も無い。
更に言えばその部分は例の「会稽の東」と言う部分で太白伝説に基づくと思われる部分。
実際に倭人の風習を見聞したものかが一番疑わしい個所ではあるwwwwww
411 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:50:38
あはは、もういろいろ言い訳すればするほど虚しいぞ>410
志賀島金印の委奴国〜卑弥呼の邪馬壱国〜邪馬台国〜煬帝・阿蘇山ゆかりのイ妥国と、連続した国体が九州にある。
畿内と違って、絹も鉄鏃も三種の神器もしっかりと出土するのは九州。
もう土器編年を偽装したり、漢籍を改竄しまくって、無理やり畿内に持っていく必要はないんだよ。
412 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:15:56
>>411 まあこの様に関係のない物をあっちこっちからつまみ食いして
さも九州に古代日本を支配したかのような王朝をデッチ挙げるのが九州王朝説w
413 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:29:33
過去の過ちを墨守し、職にありつき飯を食うためだけの学説 = 畿内説
>>413 ついに出るモンが出たって感じだなw
陰謀説と同じレベルのお話がwwwww
そう言えば今は亡き某改めド○ボも
「畿内説は金儲けの為」
とか訳の分からない事をほざいていたなwwwwww
結局この板の九州説のサイキバ、ド○ボのレベルは
どうして今日九州説が畿内説に押されているのか?
その理由が分からないwwwww
だから頓珍漢な事をわめき散らすwwwwwwww
415 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:23:02
本質を見抜かれた犯人の断末魔 >414
416 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/20(土) 20:28:14
>>412 古史古伝のにウガヤ朝70数代等の記述があります。
417 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 22:20:16
>>414 まずそれらの古史古伝が信用できるものだという事を証明しなくちゃね。
418 :
曲学の徒:2008/09/20(土) 22:25:41
419 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/20(土) 23:14:39
420 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:21:36
>>414 そうかな?改め君のほうが 九州王朝のアホのサイキバよりよっぽどまともだと思うがw
421 :
日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:24:47
改め君もローガンも夏祭もめちゃくちゃだろ。
422 :
曲学の徒:2008/09/25(木) 19:17:54
423 :
日本@名無史さん:2008/10/05(日) 21:59:11
http://www.nagasaki-np.co.jp/douga/20081004/04.shtml 【動画】主演の吉永さんらあいさつ 映画「まぼろしの邪馬台国」PR
盲目の作家、郷土史研究家で島原鉄道取締役も務めた故宮崎康平氏と妻、和子さんを主人公とした
映画「まぼろしの邪馬台国(やまたいこく)」(堤幸彦監督、十一月一日全国公開)。
作品と連動し長崎の観光振興を目指す「成功させる会」(会長・石田直生島原半島観光連盟会長)が
四日、長崎市茂里町の長崎新聞文化ホール・アストピアであり、
県内の行政、経済関係者ら百二十人が出席。主演の吉永小百合さん、竹中直人さんが花を添えた。
同会は、長崎、諫早、島原、雲仙、南島原市やJR九州、島原鉄道などで構成。
スタンプラリーやラッピング列車の運行、大手コンビニでのチケット発売などを展開する。
発起人の一人、田上長崎市長は「宮崎氏の姿を通し、長崎の風景を全国に届けることができる」と期待。
岡田裕介東映社長は、約五十年前の康平氏の邪馬台国探しは
「観光と農業を主体とした地域おこし」と位置付けを紹介、「全国の人が島原に行ってみたいと思える作品に仕上がった」と語った。
吉永さんは「島原半島の美しさを存分に見てほしい。竹中さんとの道行きはとても楽しい思い出」、
竹中さんも「風も自然も深く美しく、九州最高!という感じ」とそれぞれ感想を述べ、宮崎和子さん(79)=島原市=に花束を贈った。
原案は、第一回吉川英治文化賞受賞の同名著書。
音楽は、長崎市出身の大島ミチルさん。県内では、ユナイテッド・シネマ長崎、TOHOシネマズ長崎、
佐世保シネマボックス太陽、諫早パルファンの計四館で上映される。
http://www.nagasaki-np.co.jp/douga/20081004/01.flv
424 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 20:41:42
村
425 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 00:36:22
末盧国から2000里の所。
426 :
日本@名無史さん:2009/01/17(土) 08:52:23
427 :
日本@名無史さん:2009/01/23(金) 15:03:42
「邪」の読みは?
「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むのは実は不自然なのでは?
「邪」を「や」と読まないとするなら、ますます大和(ヤマト)から邪馬台国が遠退いていくのでは?
邪馬台はジャバデーと読み、現在のインドネシア。
429 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 04:33:53
ヤマ→閻魔→地獄の存在を説く宗教・鬼道と近い。
この、宗教的巫女の台頭する国々って意味で、場所や本拠地に躍起になる意味なし。
逆に言えば、明らかな本拠地が曖昧だったからこそつけられた呼称=邪馬台国。
伝記に書かれた場所は、大分県。しかし本拠地かどうかは不明。
(秦王国と隣接しているからこそ大国と国交せざるえなった)(そして海路して国東半島を迂回した)
閻魔は羅漢寺として名残りしている=総本山耶馬溪の羅漢寺。
日と地獄。飴と鞭で民衆を束ね(記紀では翻弄して)奈良と和合し天照大神に落ち着いた。
430 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 07:02:02
モーセもさ迷った
イエスは進んで巡業した
倭姫は天照大神の鎮座すべき地を探し廻った。
空海も吉野以前は日本中巡業した。
卑弥呼も同じだったんだな。。。
卑弥呼の場合、国々を束ねる意味もあったかな、秦王国を倭国に取り込むにあたり
政治的活動に乗り出しただけであって天皇家に敵対してなかったと見る
むしろ一員。
431 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 06:10:57
台地で台頭って書け
432 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:27:38
433 :
日本@名無史さん:2009/06/03(水) 14:54:18
三角縁神獣鏡=卑弥呼の魏鏡説が破綻して、
箸墓=卑弥呼墓説しか残っていない畿内説の断末魔
畿内説には無理がありすぎるから、そろそろ諦めたほうがいいんじゃない?
434 :
日本@名無史さん:2009/06/07(日) 05:49:24
もう諦めてんだろう。最近、畿内説の行程の主張を聞いたことがない。
行程の主張w
436 :
日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:11:49
>>433 北九州までは方角と距離を正確に書いていて、最後に水行十日陸行一月とアバウトになるのは、
最後の土地からよほど離れた場所にあるのだろう。
十日の航海と陸旅を一月なら最低関東くらいでないとおかしい。
おそらく岩手か青森だ。
九州じゃ小さすぎて話しにならない。
>>436 いい線いってると思うね。鯨統一郎説では、邪馬台国は岩手、「八幡平」
冬の岩手で生野菜を食ってみろ。
439 :
縦目仮面:2009/06/12(金) 20:41:27
437は小説。面白いよ。
ひむか=ひみこ だね
441 :
日本@名無史さん:2009/09/14(月) 01:56:17
■任那ミマナ(加羅・狗邪韓国・任那倭宰(ヤマトノミコトモチ))
【任那出現文献】
「日本書紀」任那の宮家滅す。400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げた。
「広開土王碑」新羅の救援要請を受けた高句麗軍が新羅の領内王都に進入していた倭軍を追い払い任那加羅まで追撃。
倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にした。
「真鏡大師宝月凌空塔碑(朝鮮の寺の碑)」に太師はその先祖は、任那の王族で・・。
「宋書倭国伝」都督、倭、新羅、任那、加羅・・緒軍事、安東将軍。
5世紀後半に倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
「三国史記」文才のある強首が新羅の武烈王に問われて、私は任那加羅人ですと答えている。
倭国の軍事的強大さには数多く言及してる。好太王碑文の時代に、
百済が皇太子を新羅が王子を倭国に人質に出したと明記。
「南斉書、加羅国傳」加羅、任那は昔新羅が滅ぼした。「通典」に南斉書と同じ、表現がある。
「魏志倭人伝」狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする。
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
【任那は日本領?】
『369年、百済は、高句麗が南下したため、朝廷に出兵を要請。朝廷は、比自ほ、南加羅、
とくの国、あら、たら、から等7国を平定、ひり以下4邑が帰服、これが任那と推定される(日本書紀)。
全羅南北道から忠清南道の一部と考えられる。 朝鮮の三国史記に同様の記録があるので史実でしょう。
高句麗好太碑(好開土王)に 日本軍が渡海し、
百済、新羅を服従させ400年に任那まで高句麗軍が追撃した等のことが書いてある。
以上、三つの資料が一致するので任那は日本領だと考えて良いでしょう。』
『考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)になると、
朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。』
442 :
日本@名無史さん:2009/09/14(月) 05:12:15
>>436 逆だろう。そんなに遠ければ、具体的に書くことがたくさんありそうだ。
九州の中だから、日数だけで済ませたのさ。
443 :
日本@名無史さん:2009/09/14(月) 12:25:07
>>436 後の朝鮮通信使でさえソウルから江戸まで半年がかりでたどり着いているから
古代に一月で東北まで行ける訳が無い。
陸行一日10kmとすると300kmだ。水行を一日50kmとすると500km、
合計800kmでヤマトに着く。
444 :
日本@名無史さん:2009/09/15(火) 16:54:48
周旋五千余里って制限があることを忘れちゃいかんよ。
445 :
日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:16:21
コロナ
446 :
日本@名無史さん:2009/10/22(木) 13:04:26
あの〜ど素人の質問で恐縮なんですが〜
邪馬台国をヤマト国と読むのはなぜダメなんですかね?
もう邪馬台国=九州説も無くなりましたし。
邪馬台国をヤマト国と読んでもいいと思うんですが。
>>446 ヤマトは漢字「大和」の意味だから
漢語「大倭」の音(ダイワ)を、日本で漢字に置き換えたのが「大和」
「大和」の意味(ヤマト)の音をそのまま訓みにしたから
大和はヤマトと発音します。
しかし、どうしても邪馬臺をヤマトと読みたくても
それは法律違反ではないから、罰せられない。
大和を訓ずるなら「おほやまと」
万葉文字も宣命体もそうだが、日本語の音を漢字で表す時は一音一文字だ
音が「ヤ・マ・ト」の3音なら、「邪馬臺」など3文字で表されているのが正解だろう
「倭」は漢字に意味があり、「柔らかい」という日本人のインスピレーションから来た表現
ヤマトの音を漢字で表した時は「邪馬臺」
日本人または国を概念として表した時は「倭」
同じ日本を指している
邪馬台国の魏への使いは、帯方郡から洛陽までの2400kmの海路を、まる半年かけて行ってるんだよな。
それが当時の航行技術だとして、水行10日ってことは、単純に計算すると130kmぐらいにしかならないはず。
近畿って遠すぎじゃね?
>>2 それ倭国の事な。所詮当て字なんだから。違う国と印象操作したいのはよくわかるが無駄無駄w
>>450 歩いた方が速いな、魏ってバカだったんだwww
454 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 14:45:03
>>450 ゆとりかよw
それじゃ時速1km以下じゃないか。 計算もできないのか九州厨はw
455 :
日本@名無史さん:2009/11/16(月) 15:11:04
>>450 朝鮮通信使も江戸時代にソウル〜江戸を半年かけて来ているぞ。
ああそうだ、延喜式に税を運ぶ運脚の旅程日数が載っている
薩摩・大隈〜大宰府は、年貢を運ぶ上りで12日、空身の下りは6日とされている
九州内に1ヶ月掛かる旅程なんてないよ
ちなみに
長門〜平安京は上り21日、下り11日
平安京〜武蔵は上り29日、下り15日
九州内は2日として、大宰府〜武蔵は合計52日
荷物を担いでも2ヵ月あれば行ける事になる
街道が整備されてからの日程はあてにならんだろ
邪馬台国も税をとっていたはずだろ
そもそも魏志倭人伝の日程は税をとることを前提としてないだろ。
魏の外交使節団がその国を訪れて外交することを前提の日数だから、朝貢貿易の大行列を前提に、余裕をみて書かれているはず。
で、実際に景初3年(239年)の6月、女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣して天子に拝謁を願い出ており、
帯方太守の劉夏を伴って魏の都に到着したのがその年の12月だ。
だから、水行が1日あたり13kmぐらいだという数字は動かしようがない。
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町)から投馬国まで260kmで、そこから130km+陸行の位置が邪馬台国だから、
不弥国が広島あたりで、邪馬台国が岡山の内陸あたりだとすれば計算が合うと思う。
邪馬台国まで130km+陸行、ではなく、水行なら10日、陸行なら1月、だから、結局、130kmだと思う。
そう考えないと、陸上を1ヶ月も行く前提で考えれば、日本中どこにも候補地がなくなる。
で、不弥国から投馬国まで水行20日だけど、陸行については書かれてないから、不弥国と投馬国は陸上で隣接しているはず。
よって、不弥国の南に隣接する2万戸の大国ということで、吉野ヶ里が投馬国だと考えるのが妥当ではあるまいか?
だったら、そこから130km南が邪馬台国だから、九州に収まるはず。
×2万戸
○5万戸
>>460 「その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし」っていってるぜ?
つまり台湾あたりになると書いている。つまりは間違っているということだ。
>>462 台湾あたりにはならんだろ。現在の中国浙江省紹興市付近からみて東にあるってわけだから、ちょうど屋久島あたりだって話になる。
吉野ヶ里から130km南というと鹿児島と熊本の県境あたりだから屋久島からそれほど離れてないし、会稽の東といって問題ないと思う。
>>462は「会稽の東治」ではなく「会稽の東冶」だとしたら正しい解釈だといえるけど、
残念ながら、「会稽の東冶」だと表記する記録は五世紀前半以降に成立した後漢書・晋書・翰苑の三書しかないんだよな。
つまり、「会稽の東治」をその時点で書き間違えて「会稽の東冶」にしてしまったということ。
実際、会稽の領域は漢の時代が終わると大幅に縮小していて、呉の時代には現在の浙江省紹興市付近に局限されていたから、もはや「会稽の東冶」とは言えないだろう。
横レスだけど、魏志倭人伝って頼りないんだね。日本国内で
さえ読んでも素直に読めば、日本国内にない。
そんなものの方角を盲目的に信じるのはどうかと思うな。
466 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 05:54:35
467 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 12:10:01
具体的特長は径百余歩だろう。
魏・晋の当時の公の基準で正式に訳せば半径145Mになるけど。
ここだけは、公式値で記していなかった、という独自の解釈もあるようですがね。
混乱を避けるため、ここでは魏・晋の公式値で書いておきます。
各々方で勝手に解釈してください。
468 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 14:26:36
>>467ならない。
円の径なら
先ずその形が円である事を記してはじめて径が円の径と確定します。
この記事の何処に円とわかる記録がありますか?
こんな単純な事に気がつかない学者って何様?
470 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:10:29
「さしわたし」とする場合、さしわたす対象物はなにか?
という事が明記されてなければならない。
ただし、この場合の対象物の形に決まりはない。
471 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:29:37
考えすぎ!
円の直径でよい。
物事はシンプルに考えるものなのだ。
472 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:31:58
アホーほど複雑に考える。
付き合ってられない。
1+1は絶対に2なのだ。
473 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:40:28
どっちみち、
魏・晋尺によると145m余と訳される。円にせよ、正方形にせよ、長方形にせよ、
そのくらいの大きさだ。
混乱を避けるため、ここでは魏・晋の公式値で書いておきます。
後は各々方で勝手に解釈してください。
474 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 18:42:12
一里450メートルだと
万二千里は5000キロを越える。
そもそも日本に収まらない。
じゃまたい国☆はうちう☆にあったのれす
476 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:29:04
>>471 径を円の直径と考える事ほど複雑な考えはない。
円の直径の場合、円は真円という
極限られた円だけ
真円なんてそうザラにあるものではない。
少しは頭使えよ。脳死状態じゃないんだろう?
お前らが複雑と考えているのは、脳が休んでいるからだぞ
477 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:35:27
478 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:20:52
>径を円の直径と考える事ほど複雑な考えはない。
だったら、数学教師にでも国語教師にでも聞いてみろ、アホー。
479 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:28:48
>円の直径の場合、円は真円という
極限られた円だけ
おめー、馬鹿じゃないのか。
自分で屁理屈いってると思わないのか?
480 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:35:09
「円」の直径の場合、
て君のいう「円」って何だ?
>真円なんてそうザラにあるものではない。
だったら直径なんてそうザラにあるものではない、となるよ。
だけど直径なんてどこでも使われる言葉だよ。
つまり円も頻繁に使われる言葉なんだよ。
君も使うだろう。普通になれよ。 ひねくれるなよ。トンデモきちがい扱いされるぞ。
481 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:39:11
>自分で屁理屈いってると思わないのか?
つまり、
九州説はそれほど苦しいって事。
>>480 >>だけど直径なんてどこでも使われる言葉だよ。
現代感覚で古代を語っても、時代錯誤だよ
「どこでも使われる」って、もろに現代のモノサシ使ってるじゃん。
しかも対象は、土木事業と考えられる塚だよ
>君も使うだろう。普通になれよ
俺が使おうが使うまいが関係ないだろう。古代が対象なんだから
>ひねくれるなよ。トンデモきちがい扱いされるぞ。
とても素直な意見だと思うよ
しかも、これでトンデモきちがい扱いされるなら、それは世の中の思考がまちがっているだけだから しかもここできちがい扱いされたところで、実生活に影響を与えるものではないから、きちがい扱いしたい奴はすればいい。
>>479 >おめー、馬鹿じゃないのか。
自分で屁理屈いってると思わないのか?
いや〜ぜんぜん馬鹿なことだとは思わないねえ
それともなにかい、真円以外に直径といえるものがあるのかな?
しかも屁理屈なんて、個人によって受け止め方がさまざまだから
一個人の評価で屁理屈と言われても、なんら説得力はないんじゃないの
しかも、対面ではない掲示板上で言われるんだから尚更説得力無い。
馬鹿くさい議論だ。球である地球のでこぼこの地面に真円など作れない。しかし、杭を中心として
ひもを任意の長さにのばして一周ぐるっと回ればほぼ真円に近い図形は簡単に描ける。それにつ
いて直径の言葉を使ってはいけないというのなら、それはただのひねくれ者。
>>467は半径と書いているのに、いつのまにかみんな直径の話をしている件について
あら、半径ね、上レス読んでなかった。しかし、数学は概念で成り立ってる。点 というのは本来面積は
ないし、線(線分)に本来太さはない。しかし紙や液晶上に書く場合、どうしてもそうはできないんで、
概念上そういうものだと皆が了解してやってるわけだ。真円だって同じことだよ。ま、数学の話では
ないんだろうが。
487 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 07:53:00
見ての通り、河童は頭がいかれているのです。
かわいそうな人なのだから、そっとしておいてあげましょう。
488 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 07:55:12
>あら、半径ね、上レス読んでなかった。
たぶん、直径と書き間違えたのだろう。
489 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:02:59
>それともなにかい、真円以外に直径といえるものがあるのかな?
あるよ、概念なんだから、
概念と実物は必ずしも一致しないからね。
日常に使う言葉だ。
そもそも、円墳に見えれば、直系を測る。それだけ。
どう見えるかの問題。実際は形が少々崩れていてもね。
490 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:08:12
>それともなにかい、真円以外に直径といえるものがあるのかな?
あなたの論法でいったら、世の中のものの形状に数学が応用できなくなるよ。
概念を実社会に応用する事を拒否するとは……、愚かな事を考える人だ。
491 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:57:16
>>489 円墳を見たら外周を測る。
周〇〇
墳で可能な測量は、外周と高さと弧。
現代の図面記載と一緒にしない。円は平面で墳は立体。
古代の人だって、馬鹿じゃないから平面と立体の区別ぐらいつく
そもそも、さしわたしなんて平面上の概念だから。
492 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:04:13
ま、どうでもいい事だけどね。
あの径百余歩は、冢の大きさを表しているわけじゃないから
そもそも論点がズレてるわけだし。
あまり意味がないと思う。百余歩って、115余歩とか123四歩とか57余歩といった表現が
あるなら別だが。。。。千余里と同じで、歩は確かに数字はあるが、大きいとかを表すおお
ざっぱな数字じゃなかろうか?という昨今。
あと前方後円墳は円墳ではないから不可というのも変。首長を埋葬し、埋葬祭祀
のは後円の部分で、方の部分は円に向かってゆくいわゆる坂だし。
何か否定のために、全てを否定するという感じに見える。
494 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:30:59
だいたいあの徑百餘歩で、冢の大きさだなんて言ってる段階で
お話にもならない。
墳墓の記載は普通、外周や一辺の長さと、高さを掲載し、その墳墓の規模を表すものだよ
これはちょっとした山でも同じ。
史書の中ではそうしてるよ。信じられなければ自分で調べて見るが良いよ。
495 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:52:14
>>487みたいなレスしか書けない奴が参加しているから
毎回同じ事の繰り返し、蒸し返しするはめになるんだよ。
ソロソロ自覚しろよ!
496 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 15:33:07
径○○
といったら円の直径だろうよ。
日常でそう使われているんだからしょうがない。
これ、古代も現代も一緒。
だだを捏ねても径が周に置き換えられるわけがない。
周○○と書いてあるなら、文字通り周囲○○となるんだけど。
書いてない事をいわれてもねぇ。
そもそも径と記されたものを周に置き換えて読む根拠はなんなんだ?
497 :
ローガン:2009/12/01(火) 16:15:06
>>494 >墳墓の記載は普通、外周や一辺の長さと、高さを掲載し、その墳墓の規模を表すものだよ
そう。特に「高さ」中華に於いては高さが、墳墓の規模を記す上で最も重要な事項。
それが記述されていない以上、完成形を把握出来なかったと考えるのが順当。
498 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:21:36
>>497 >完成形を把握出来なかったと考えるのが順当
完成前だとしたら、魏使は完成形の形ぐらい倭人に聞いて確かめるんじゃないのかな。
作ってる倭人も、何を作るか知らずに作ってるわけでもないでしょうに。
499 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:47:39
>>496 徑を周と置き換えたのではなく
徑〇〇と書かれていれば
それは平面を表すの。
周〇〇では平面か立体かは判らず、ただ
対象物の外周
ここに高さを加えれば、対象物が立体であることを表すの。
だから冢が立体なら
徑〇〇なんて書かないよ。いや、書けない
だからあの徑〇〇とは、冢が対象物ではない。
500 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:21:28
>だからあの徑〇〇とは、冢が対象物ではない。
そんな言いがかり、世の中に通用するわけないだろう。
オナニーやって何が楽しい。
501 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:53:51
とりあえず短里で問題なく宇美国までは辿りついて
矛盾はない。
とすると100歩は25メートル程度
25メートル程度の墳墓くらいどこにでもあると思うが。
502 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:46:06
>>500 生きているうちに頭は使えよ。
あれの対象物が冢なら、ローガンさんが言うように
基礎段階の測量結果か、平面の墓しか有り得ないの。後は
私が言ってるように、対象物が冢ではない
と 言う二者選択。
絶対に立体構造物ではないのよ。
自覚しなさい。ね
503 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:58:56
邪馬台国の特徴
適度に広い
気候は普段はカラッとしててたまにジメジメ
好いヤツばかりじゃないけど悪いヤツばかりでもない
by 前世が邪馬台国の国民
504 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:01:55
>>501 25メートル程度の墳墓でもかまわないけど、その墳墓の高さは?
505 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:20:04
>あれの対象物が冢なら、ローガンさんが言うように
基礎段階の測量結果か、平面の墓しか有り得ないの。後は
私が言ってるように、対象物が冢ではない
と 言う二者選択。
絶対に立体構造物ではないのよ。
ここでそんなこといっているのはお前だけだ。
あの記事をみて、塚が対象物ではなかった、という奴は殆どいない。
説得力が全くないんだよ。
反論されるのが当たり前の事を根拠にするのは邪道。何時までたっても決着をつけれないよ。
きるがない。
もっと決定的なもので論を構築したらどうだ。
506 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:25:10
>あれの対象物が冢なら、ローガンさんが言うように
基礎段階の測量結果か、平面の墓しか有り得ないの。
ローガンさんは、
特に「高さ」中華に於いては高さが、墳墓の規模を記す上で最も重要な事項。
それが記述されていない以上、完成形を把握出来なかったと考えるのが順当。
といっているんだよ。河童のアホー。
つまり、平面の墓しか有り得ないのではなく、塚の完成形を把握出来なかったの。
ええっ河童きてるの。ぼくいやだなあ。河童って、あぶない人なんでしょう。いやだなあ。
>>505 >ここでそんなこといっているのはお前だけだ。
あの記事をみて、塚が対象物ではなかった、という奴は殆どいない。
大勢いようが一人だけであろうが関係ない。
>説得力が全くないんだよ。
いや、ここで人を説得するつもりで書いてるわけじゃないし
>反論されるのが当たり前の事を根拠にするのは邪道。何時までたっても決着をつけれないよ。
賢い人が大勢参加していれば話は変わる。つまり、賢い人がいないという事だね
>もっと決定的なもので論を構築したらどうだ。
貴方が気付かないだけだよ
↑これ河童なの?いやだなあ、あっちいけよ。
510 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:42:42
>大勢いようが一人だけであろうが関係ない。
賛同者が殆どいないなんて最悪だろうよ。
どこかに問題があるんだよ。
自分に厳しくなりなさい。
でなければ成長しないよ。
>いや、ここで人を説得するつもりで書いてるわけじゃないし
つーか、そりゃー無理だ。
>賢い人が大勢参加していれば話は変わる。つまり、賢い人がいないという事だね
福島のじいさんと同じ事をいうなよ。
まぁ、同レベルという事だ。
人の振りみてわが身を直せ。
>貴方が気付かないだけだよ
気付かせるように努力しろよ。
まぁ、君の手法がまちがっているけどな。
↑これも河童なの?これって「じえん」てゆうんでしょ。ぼく知ってるよ。
512 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:46:45
愛の形が、失われたときに、残されたものは、旅立ちの歌。
さあ今、宇宙に、さあ今、銀河の向こうに、飛んでゆけ。
>>506 >>完成形を把握出来なかったと考えるのが順当
だから基礎段階で計測したんだろう
>つまり、平面の墓しか有り得ないのではなく、塚の完成形を把握出来なかったの。
誤解しないでね
ローガンさんの意見は「基礎段階の測量結果」
私の意見は、対象物を塚とした場合「平面の墓しか有り得ない」
>塚の完成形を把握出来なかったの
把握できようが出来まいが、測量はしたんだし
完成結果を把握できていないんだから、その対象物が立体であったかどうかは把握できないよね?
だったら平面墓でもOKじゃん。高さを記載していないのは事実なんだし
後に立体塚とでも聞いたなら、高さだって聞くことは出来るよね
>>509 >これ河童なの?いやだなあ、あっちいけよ。
あんたが移った方が早いと思うよ
はい さようなら。
516 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:03:48
>>515 ふえーん、いじめた。河童がいじめた、ひいー、ひっく、ひっく、ブン(おもちゃを投げたらしい)
yahooからの出張組が若干名来てますね〜
それと、通常コテさんに
なんだよ顔なじみばっかじゃん。
518 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 07:28:52
>把握できようが出来まいが、測量はしたんだし
完成結果を把握できていないんだから、その対象物が立体であったかどうかは把握できないよね?
どうして測量したと確定できるの?どこにかいてある?根拠は?目測である可能性は?
わからないなら、結論を出すなよ。無責任野郎。
>だったら平面墓でもOKじゃん。
その対象物が立体であったかどうかは把握できない、場合だと何で平面墓と確定できるんだ?
。測量sぢたという証拠はないんだよ。勝手に物語を作るなよ。原文主義でいけよ。君のいう事に説得力なし。自分勝手。
>高さを記載していないのは事実なんだし
後に立体塚とでも聞いたなら、高さだって聞くことは出来るよね
未完成だったら見てないから記さない。
それと、倭人からの伝聞をそのまま記したら、中国式でいう所の高さ表示も糞もないだろう。
519 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 07:48:08
どっちみち、
書紀でいう祟神の姑のももそ姫の箸墓築造が3世紀半ばなんだから、九州言語虫説は100%ありえないんだよ。
3世紀には大和朝廷が畿内にいたなら、九州言語虫説も糞もないだろう。塚の平面形も糞もない。畿内に大和朝廷があったんだから。
君のやる事は自然科学というものを否定する事だ。
君には危機意識が全くない。今や、箸墓築造が3世紀半ばが100%確定されかけているんだよ。
少しは縄文人を見習え!
彼の方が利口だ。
520 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 07:59:07
>>518 目測であろうが歩測であろうが、測量。
可能性なんて言ってるなよ。最後まで見てないと言う設定なんだから
測量した段階の話しで進めなよ
測量した段階では平面であった事は間違いないし
だとしたら、完成も平面だろう?未来は見てないんだから
測量した人にとったら
その冢は平面何だよ。将来に夢を託すような事するなよ、ガキじゃあるまいし
書かれた百余歩は平面なの
こう言う場合、見たものが全てなの。
レス見て改めて原文を見てみた。
> 卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人
確かに「冢」って書かれていて、「塚」ではないな。
なぜか日本語版ウィクショナリーに中国での意味がなかったので英語版を見てみた。
http://en.wiktionary.org/wiki/%E5%86%A2 > 1.burial mound, mausoleum
> 2.grand
塚というよりも、墓地の敷地のことを指すようだ。
522 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 08:57:27
523 :
ローガン:2009/12/02(水) 09:01:29
平面墓 とは何だろうか? 高さや深さを一切持たない墓と云う意味ですかな?
524 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:07:04
「…大作冢徑百餘歩…」と言うのは、
卑弥呼や奴婢百餘人の墓がある墓域は、
不整形な形の墓域であり、その規模は、幅の狭い所で百餘歩
そう書かれています。
卑弥呼の墓を特定して書かれた記事じゃないの。
だだこねてないで、いい加減自覚しなさい。
525 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:13:06
>>523 墓に深さは関係ないよ。
遺体を埋め、平に均し目印でも置いとけば
それで墓の完成だよ
526 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:16:46
箸墓って単なる山か盛り土だろう
問題外だよ。話しにもならない。
527 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:42:21
>>523 それから
余り平面墓にこだわる必要ないよ。立体に対して平面を使用したまでで、深い意味は無いから。
528 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:53:14
>>518 レス読み返して感じたんだが、お前ってなかなか面白い奴だな。
「無責任野郎」って
お前どんだけ入れこんでんだよ
たかだか掲示板の書き込みなのに
無責任だなんて書き込みしちゃって
無責任だったらなんなのよ?ってな返事が返ってくることぐらい予想出来るだろう?しかも責任だなんて
どんな責や任務、義務が有るって言うんだい?
もう少し肩の力ぬいてから参加しなよ
板はなくならないから。
529 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:02:12
>測量した段階の話しで進めなよ
測量した段階では平面であった事は間違いないし
だとしたら、完成も平面だろう?未来は見てないんだから
測量した人にとったら
その冢は平面何だよ。将来に夢を託すような事するなよ、ガキじゃあるまいし
書かれた百余歩は平面なの
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人
と書いてるだろう。徇葬とあるだろう。あきらかに墓だろうよ。誰かに聞いて確かめてみろよ。世間の方が間違っている、というイカサマないいわけはなしだぞ!
そして、日本の古代3世紀半ばの王墓は墳墓だろうよ。
河童の言う事は、独りよがりで説得力をもたない屁理屈なんだよ。
わかろうと努力しても、さっぱり理解できません。
530 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:06:56
>「…大作冢徑百餘歩…」と言うのは、
卑弥呼や奴婢百餘人の墓がある墓域は、
不整形な形の墓域であり、その規模は、幅の狭い所で百餘歩
そう書かれています。
どうして幅の狭い所で百餘歩 なんだ?
そう考えた根拠は?どこに書いてある?
君が決めた事だからか?勝手な野郎だな。
幅の広い所で百餘歩だと、どうして駄目なんだ?
531 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:31:09
>>530 それは「徑」と言う文字が物語っているんだよ。
つうか、文字を調べなくても道理で考えられれば簡単に答は導きだせる。
古代の漢人達もそう考えていたし(用例は自分で調べてみな?でてくるから)
532 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:53:38
一番幅の狭い部分の差し渡しを掲載する事によって、その敷地面積が
そこから導き出された数値よりも小さくなる事が記せる
百餘歩×3で、敷地外周の最小値が解り
五十餘×五十餘×3で、面積の最小値がわかる
533 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:03:51
>>352訂正
小さくなる……×
小さくならない……〇
534 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:15:30
>それは「徑」と言う文字が物語っているんだよ。
知らないねぇ。つまり、君の妄想が根拠なんだろ。
>つうか、文字を調べなくても道理で考えられれば簡単に答は導きだせる。
そんな道理しらないね。どこに書いてある?
>古代の漢人達もそう考えていたし(用例は自分で調べてみな?でてくるから)
何で確かめた?
用例も何もそんな記録はないよ。
君の妄想だよ。
妄想ではなくて確かな事で論を組み立てなければ、しょうがなかろう。
535 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:19:52
↑534は、530の
どうして幅の狭い所で百餘歩 なんだ?
そう考えた根拠は?どこに書いてある?
君が決めた事だからか?勝手な野郎だな。
幅の広い所で百餘歩だと、どうして駄目なんだ?
の件についての事ね。
536 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:26:59
幅の狭い所を記した所で全体の外形は理解できないだろう。
幅の広いい所を記した方がどちらかといえば全体の外形が理解できるだろう。完全ではないけどね。
仮に道理を語るならば、これが道理ではないか?
ま、人それぞれ違う意見だろうから、君のいう道理も決定打にならんよ。道理に頼るは邪道だな。
537 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:43:56
>>536 いや、徑と書かれているのだから、真円〜真円に近い楕円と言う事がわかる。
それに、一番広い所を記載して
最大値以下とするような用例はないし、やはり
最小値を記載してそれ以上とするやり方が合理的なんだよ
形が極端に歪んだものや四角なら他に記載方法があるし(たとえば、周〇〇)
広い部分だったら
徑に、小道と言う意味は生まれないよ
538 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:55:17
>いや、徑と書かれているのだから、真円〜真円に近い楕円と言う事がわかる。
だから円墳に近いだろうよ。
>それに、一番広い所を記載して
最大値以下とするような用例はないし、やはり
最小値を記載してそれ以上とするやり方が合理的なんだよ
なんで合理的であるといきなりワープするんだ。そう考える根拠は?
君のいう事は唐突すぎてわかりづらい。
539 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 11:55:29
だから
私の言ってる事から、それはまぎれもない
前方後円墳の基礎段階の形で、徑は括れの部分だと
主張する奴が出て来ても、私は別の材料で否定する事はあっても、徑に関しては否定しない。
徑とはそういう文字だから
540 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 12:01:42
>>538 それは貴方の判断に任せるわ、ここは学問板だし
人の意見の根拠を探す事もたまには面白いかも?
調べる事によって、自分の学習にも繋がる。
ひまなときでも、私の根拠を探してくれ
541 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 12:02:31
徑と書かれているのだから、真円〜真円に近い楕円と言う事がわかる。
と言う事でいいですね。
542 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 12:13:38
543 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 12:19:27
>>538 円墳は立体だから
全然違う。徑は平面上で用いる文字。
立体の差し渡しなんてどうやって測るの?
544 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 12:57:47
三角測量
545 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 13:46:25
>>544 徑=差し渡し と書いてあるので
さしわたさない三角測量は関係ありません。
『徑』は
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
546 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 13:48:18
河童と福島のじいさん
とでどっちが理解可能だろうか?
どっちもどっちか、難しい……。
547 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 13:51:01
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
これわかる?
やっぱり河童の方が宇宙を歩いている。福島のじいさんよりも難解だ。
548 :
ローガン:2009/12/02(水) 15:14:58
>>525 > 墓に深さは関係ないよ。
そうとも言い切れないでしょう。不起墳に深さを記しているし。
さておき
>>499あの徑〇〇とは、冢が対象物ではない。
と云っているのに
>>520では、
>その冢は平面何だよ。
と云う…。 「徑百余歩」という表現から、平面墓と解釈しているにも拘わらず、何故、「徑〇〇」の対象が冢ではないと云うのでしょう?
レスの流れだと同じ人の書き込みとしか思えないし… よく判らん。
549 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 15:46:15
>>548 二者選択だといい、私は塚が対象物ではない方と言ったの。
550 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 16:44:44
河童は他人の自分に対する態度を不思議に感じてるのだろうけど、
根拠をいわないで結論をいうから顰蹙を買っているんですよ。
551 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 16:46:54
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
この不可解な電波に堪えられる?
552 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 17:01:03
>>550 人って、他人を分析しているように装いながら
結局自分を分析しているだよね。
自分の考えられる範疇でしか分析出来ないから、自分の経験を振り返って。
>>550自己紹介乙
553 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 17:02:21
基本的に、塚ではなく冢と書かれている以上、墓の領域の話だと考えるべきだと思う。
で、当時の墓はみんな塚だった、ということなら冢=塚でなんの問題もない。
でも実際どうなの?
この時期の墓で塚だったのって畿内だけじゃないのかな?
555 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:19:15
河童いやだいやだいやだいやだ、河童こわいこわいこわいこわい。
556 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:21:42
この時期、九州でも前方後円墳の時代に入っている所は入っているね。
557 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 21:36:13
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
私が理解するよう努力する前に、最低でもこれだけは教えて下さい。
これ、いつ、どこで、誰が、なにで、知った事?
559 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 23:04:40
560 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 21:08:58
うーん、わかんねーなー。
[くくく]=全ての差し渡し
を百人に聞いて何人がわかるだろうか?
[エ]=最短
ますますわかんねーなー
人にわかんねー事を一生懸命に考えて何か意味があるのか?
多くの普通の人が理解できないのって、結局、道理に反するって事じゃないの。
河童の頭の構造はどうなっているんだろうか?
変わってるなー
明快でないねー。
だいたいにして、どうやってこれらを確かめるんだろうか。
河童の場合、根拠をいちいち説明しないと変人扱いされるんじゃないか……。
561 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 14:58:32
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
この電波の謎はどうなった?
>>561 電波で一笑するには勿体ないよ君。漢字なんて小学一年生から学習指導が確立されているものに
敢えて挑もうとしている大胆さに乾杯したい所だ。
彼には凡人では嗅ぎ付けない匂いを探知しているのかも知れない。
飽くまでも私の戯言だけど。
563 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 16:00:42
河童は明快なる根拠をいわない。
これがミソだ。
天才なる所以。
ピカソもそうだった。
高橋源一郎もそうだった。
岡本太郎もそうだった。
彼が論の根拠を明かせばしらけてしまう。
謎は謎のままでいい。
僕らは史上稀な手品を見ているんだよ。
なぜ?と問われても、根拠はいわない、
この鉄則さえ違えなければ、
彼は偉大なる芸術家となるであろう。
564 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 18:55:14
芸術とは、偉大なる妄想だ!
そこには理由なんてものはない。
その人の頭に描かれる感性、道理なのだ。
565 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 18:31:08
くくく、エ
白川先生は何とおっしゃってるの?
566 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 23:41:36
邪馬台国の特徴は
女王はヒミカ
ハニワ原人という強大な兵士がいる
567 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 07:33:57
で、司馬遼だか司馬遷だか司馬宙だかしらんが、そういう名前のやつと戦うのか。
568 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 12:25:54
569 :
日本@名無史さん:2009/12/19(土) 15:16:58
>芸術とは、偉大なる妄想だ!
そこには理由なんてものはない。
その人の頭に描かれる感性、道理なのだ。
要するに、これ
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
トンでも
なのね。
アホくさー。
570 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 02:46:02
字統 とかで調べてみたら良いんでないの?
571 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 08:26:13
妄想なんだから、
調べたって99%出てこないよ。
>>571 それ矛盾してない?
妄想なら99%じゃなく100%じゃないの?
なぜ1%の保険を掛けて逃げ道用意するの?
妄想なんだから100%無駄で、もし調べてあったら「俺が首吊るよ」ぐらいの特典付けても大丈夫な100%妄想じゃないの?
そのへんどうなのよ?
573 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 10:07:29
横レスだが、
たかが掲示板のレスで「俺が首吊るよ」なんてありえんが、100%のトンデモだよ。しかしこれが河童流なん
だからしょうがなかろ。
>>573 河童の意見は一先ず置いとくとして、漢字の解析にトンデモと判断
する材料なんてないと思う。
575 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 12:31:28
根拠がなければトンデモでもだろうよ。
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
これどこに書いてある?
妄想=トンデモ
576 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 12:33:57
>それ矛盾してない?
妄想なら99%じゃなく100%じゃないの?
勝手にそう思えば良い。
妄想である事に変わりない。
根拠とされる資料を引用できないわけだから。
577 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 12:58:16
>>576 漢字の解析で、根拠となる資料ってなんなのかな?
578 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 13:10:14
>>576 たとえば、白川の見解に根拠なんて提示されていたか?別に白川じゃなくてもいいよ
説文解字でもいいわ
全て時代の有識者の見解じゃないの?それを信じるか信じないかなんて根拠は
なんか違和感あるよ。
河童の主張がトンデモであろうが正論であろうが、一掲示板では
どうでもいい事で
書いている当事者のキャラが重要なんだと思う。
河童とはまっことおかしき生き物よ、掲示板で理由も述べずにあんな事書けば、当然馬鹿にされることは、河童クラスになれば当然判っているだろうに。まっことおかしかなあ。
ということで、小生は河童の書き込みを参考に
退屈しのぎを兼ねてお付き合いすることとした。
河童の書き込みによると、徑の旁の「くくく」は、「全ての差し渡し」と言う事だが
「くくく」は「川」の元字ということに、従来からの解釈ではなっている。
説文では、耕作地の小流「く」や用水路「くく」の水を深くさらってから合わせて川「くくく」とするとなっている。
そこで河童の説明と説文とを重ね合わせて眺めてみると、ある面白き事を小生は見つけ出したのである。この退屈しのぎという気軽なものだからこそ、見いだせるのではなかろうとする面白きもの、今しばらく小生は時間を掛けてみようかと思う次第をここに書き留めてみた。
581 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 16:53:43
白川なんてどうだっていいんだよ。
ここでは、河童の妄想が理解できないんだから。
まじで、
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
この根拠となる資料を出せよ。
どうせ、思いつきだろうよ。
>>581 河童の解釈だから、資料なんてないだろう?
資料といっても、説文や釈明だと思うよ。
583 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 18:05:15
絶対覗いてる筈の河童は、どうしてだんまり決め込んでいるの?
584 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 18:12:38
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
いくら考えても、この電波、わかんねえなあ。
くくくって何で差し渡しになるんだよ?
エが何で最短なんだ?
もしかして河童は人間じゃないのか?
宇宙の暗号なのか?
585 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 18:15:10
河童は、へんてこな電波を流して、トンズラか。
どういう気なんだ?
表意文字に音は結びつかないとか言いはって、負かされたから単なる煙幕でしょう。
どのみち教祖様の受け売り、聞いてもまともな説明は帰ってこないと思われw
別にトンズラなんてしていませんよ。
誰か一人でも自分で解字に挑戦しようという御仁が現れないかとみまもっているだけです。
さてここで問題です。
>>586は誰でしょう?
ヒント
こんなレスばかりしているから、いつも河童に嫉妬してると言われるんです
そうそう こんなレスもありました。ヒントになるかもしれないので
「人一倍素振りをすれば、何時か必ずイチローになれると真剣に考えてる人のようです。」
>>586 >表意文字
まだ決着していませんから
崩す自信があるなら挑戦しますか?何時でもお相手いたしますよ
無理ですよね〜 茶化すのが精一杯という声が聞こえていますから
>>580 時間つぶしとはいえ、私の意見を参考にしてくださりありがとうございます。
貴方と同じように私の考察も「川」の本字とされる「くくく」という説文から始まっています。 そしてその説文で解説に用いられている「用水路」に注目した次第であります。
自然の造形である「川」という解説に、何故人工的な「用水路」を用いて説明しているのかという一点からのスタートでした。
レスを拝見すると、何かつかめたようで
今しばらくお付き合い下さるとのことですので、貴方の解釈がどのような結果にたどりつくかを楽しみにしています。
>>588 > まだ決着していませんから
自説を明確に説明できないようなので要約してあげるが、
お前の理屈は「漢字は読み手の時代や地域が違っても意味が通じる」
だから「音が無くても文字として成立する」
故に「漢字に音は不要」というようなことだろう。
ただな、音が無くても意味が通じると言うことと、音価を持たせることがでるということは矛盾しない。
逆に漢字には形声または諧声と言う造語法すら存在し、仮借も当然のように行われていることだ。
>>590 >故に「漢字に音は不要」というようなことだろう。
ここはちょと違いますね
「漢字には音は不要」ではなく、意味を持つ漢字には音はないということです。
>ただな、音が無くても意味が通じると言うことと、音価を持たせることがでるということは矛盾しない。
矛盾しているなんて誰も言っていませんよ
意味を持つ漢字の意味を、後世人に伝えるには、音声にて伝えなければならない状況がありますから、その場合漢字の意味を音の意味にて表し整合させる
これが漢字には音が存在するという形になったと考えますよ。
>逆に漢字には形声または諧声と言う造語法すら存在し、仮借も当然のように行われていることだ。
これが何時頃から始められたかわかりますか?
592 :
電波:2009/12/20(日) 20:31:31
形声や仮借のような派生的な語はひとまずおいといて、原初の時を考えよう。
まず古代の馬という動物がいて、それを表す「バ」という音声言語ができた。ここまでで異論があるだろうか。
次に、古代の天才が馬を絵文字にした。まわりこの絵を見た人が、
「バ」と言った(あるいは頭の中で「バ」と考えた)・・・・表意文字には音がある。
何も言わず、頭の中で言語化せずに理解した・・・表意文字に音はない。
となるんじゃないかな。つまりこれは脳論の一つ。
>>591 > ここはちょと違いますね
> 「漢字には音は不要」ではなく、意味を持つ漢字には音はないということです。
その論理が理解しかねるのだがね。
> 意味を持つ漢字の意味を、後世人に伝えるには、音声にて伝えなければならない状況がありますから、
> その場合漢字の意味を音の意味にて表し整合させるこれが漢字には音が存在するという形になったと考えますよ。
どう言う状況かわからないが、それは音価を持たせると言うことだ。
音声にして伝えると意味が無くなるわけじゃないだろう。
自分の言ってることが理解できているのかな?
> >逆に漢字には形声または諧声と言う造語法すら存在し、仮借も当然のように行われていることだ。
> これが何時頃から始められたかわかりますか?
さあねえ、年代何かわからないだろう。
ただ「形声文字」については甲骨や金石の時代から存在するし、仮借についても六書で解説されているのだから
近代の風習ではないよ。
594 :
電波:2009/12/20(日) 21:02:38
河童さんには理論というものはおそらくないでしょう。「(自分のレスの)80%はオタだ。」といってる過去レスを
過去ログ倉庫から見つけるのは難しくないはず。
まあ、自分の時間がつぶれて周りも面白がってくれれば目的達成でしょう、この人の場合。レスを返してる
俺らものせられてるってことでしょう。
しかし音声言語は文字言語より、より根源的なものであり(音声のみで文字のない言語は世界に存在する
が、逆はない)、たとえ表意文字であっても、音声とは無関係に存在することができないのは自明です。
595 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 21:05:54
>>592 >>まず古代の馬という動物がいて、それを表す「バ」という音声言語ができた。ここまでで異論があるだろうか。
ありませんよ
>次に、古代の天才が馬を絵文字にした。
そこに「バ」という音が存在しますか?
その絵文字が「バ」という音と関係するのは、
>この絵を見た人が、 「バ」と言った(あるいは頭の中で「バ」と考えた)
この時点ではありませんか?
つまり、「バ」という馬を意味する音は、馬を表す絵文字に付加した形になり、馬の絵文字を言葉にて説明する手段と言う事です。
だから「馬」と文字化したものには音は存在しないと判断しているのです。
「馬」という文字に音が必要になるのは、「馬」とい文字を言葉(音声)にて説明する時にのみ必要になることだということです。
常に後付けの論理となります。
>>594 >まあ、自分の時間がつぶれて周りも面白がってくれれば目的達成でしょう、この人の場合。レスを返してる
俺らものせられてるってことでしょう。
無粋ですよ
仮に、乗せられていたとしても
598 :
電波:2009/12/20(日) 21:18:24
>>595 >そこに「バ」という音が存在しますか?
この時点で、古代の天才は意識的あるいは無意識に「俺はバを描いてる」と認識してるでしょう。だから脳論
といってるんです。おそらく音声言語体系なしには人間は考えることができないんだと思いますよ。これは
人間の進化の過程と関連してるのではないですかね。
599 :
電波:2009/12/20(日) 21:31:27
これは前回もレスしましたが、人間の音声器官というのはもともと他のほ乳類と同じ、呼吸と食物摂取のため
のものだった。それが、長い時間をかけて複雑な音韻を発声できるようになった。この過程で脳が発達してい
ったはずです。そして音声言語的に思考することで知能が高まり、他の動物とは異なる存在になった。
だから、馬の絵と、発音してもしなくても「バ」は切り離すことができない。
注:このレスは電波です、信じないように。
>>598 >この時点で、古代の天才は意識的あるいは無意識に「俺はバを描いてる」と認識してるでしょう。だから脳論
といってるんです。おそらく音声言語体系なしには人間は考えることができないんだと思いますよ。
しかし、それは文字でもなく言語でもないと思いますよ
飽くまで私が述べているのは、意思伝達手段ですから、意思の伝達がなされない脳内思考は、文字でもなければ言語でもないということです。
601 :
電波:2009/12/20(日) 22:07:08
いやいや、人間の脳は 馬の絵を見た瞬間「バ」に結びつくようにできてるんだと思います。そうでないのは
ごく一部のカッ飛んだ人だけじゃないでしょうか。ではこれで。
文字または絵文字を考えた人は、それを完成させるまでには脳内で
世間でいうところの「バ」を思い描いて完成させたことでしょう。
しかし、この時点ではあくまでその創作者の頭の中だけの話であって、本来の目的である
伝達という仕事はしていません。
この完成した文字または絵文字を、自分以外に自己意思を伝達するために自分以外の視覚にさらさなければなりません。
これがいわゆる文字の原点ではないかと考えるのであります。
ここで晒されたものは音声の伴わない創作者の意思(文字の意味)ということです。
>>602 > これがいわゆる文字の原点ではないかと考えるのであります。
> ここで晒されたものは音声の伴わない創作者の意思(文字の意味)ということです。
そんなことは論点じゃないだろう。
お前さんは、倭人伝に見られれる倭語風の言葉は倭語の音写では無いとい言い張る理由として、
「表意文字である漢字には音が無いから音写では無い」と主張していたんだよ。
漢字に音価があって、それを共有する集団がいれば、音声の記録手段として漢字を利用できるわけだ。
既に「漢字には音が存在するという形になったと考えます」と音があることを自認しているわけで、
その点については、素直に間違いでしたといいなさいな。
>>603 >>そんなことは論点じゃないだろう。
貴方にとっては論点ではないでしょうね
飽くまでも「電波」さんとの会話ですから
>漢字に音価があって、それを共有する集団がいれば、音声の記録手段として漢字を利用できるわけだ。
既に「漢字には音が存在するという形になったと考えます」と音があることを自認しているわけで、
それはもしかして
>>591のレスを指してるのかな?
あそこで私が言ったのは、「漢字には音が存在する」と言ったのではなく
「意味を持つ漢字の意味を、後世人に伝えるには、音声にて伝えなければならない状況がありますから、その場合漢字の意味を音の意味にて表し整合させる
これが漢字には音が存在するという形になったと考えますよ。」
というように、後世の人から見たらそう映ると言っただけです。
漢字には音が存在するなんて言ってませんし、認めません。
>その点については、素直に間違いでしたといいなさいな。
いいえ、私の文字に対する認識の根底には
>>602がありますので、認めませんよ
そもそも文字に音声を持たせようなんていう考えは、書かれているものを音声にて伝えようとする時に発生する手段。
書かれているものは、その伝達方法を視覚にうったえているのだから、そこに音声が発生する意味はないんです。
文字とはそういう性質のものです。
>>605 > そもそも文字に音声を持たせようなんていう考えは、書かれているものを音声にて伝えようとする時に発生する手段。
> 書かれているものは、その伝達方法を視覚にうったえているのだから、そこに音声が発生する意味はないんです。
> 文字とはそういう性質のものです。
シツコクてスマンが、今、電波氏とどんな議論をしていようと関係ないし、文字に対する認識の根底とかも影響しない。
後世の人だろうが何だろうが、音声にて伝える手段があれば「音写」は出来るんだろ。
いいかい、落ち着いて考えて御覧。倭人伝の音写とは、漢字創生時の話では無い、その「後世」の話なんだよ。
>>606 >倭人伝の音写とは
倭人伝に音を文字に写す行為なんてありましたか? という原点に戻ってしまいますよ
倭人伝には「卑彌呼」と
後世の人に視覚でうったえているのですよ。 音を文字に写す必要がないでしょう。
いいですか?
倭人伝に書かれた「卑彌呼」の文字を、当時使われていたであろう古代中国語で音にて表された事が無いとはいいません。(あったでしょう)
その時の古代中国語の発音が、日本語で表現すると(ヒミコ)という発音に近かったかもしれない事も否定しません。
だからと言って
日本語の「ヒミコ」という発音を古代中国語に乗せ、文字に写したという事にはなりませんよ これは可能性云々の話ではありません。
>>607 > 後世の人に視覚でうったえているのですよ。 音を文字に写す必要がないでしょう。
論旨がずれてる。
お前さんは、漢字には音が無いから音写では無い、と言いはってるんだよ。
視覚云々は「音写が出来ないのであれば倭人伝の文字列は何か」と言う問いへの説明だ。
間違えを認めりゃすむことなのに意固地だねw
まあ、今宵はこの辺で失礼す。
また、どこかで徘徊してるのをみ掛けたら絡むかもしれんので、そのときはよろしく。
>>608 寝る前にもう一丁か。
> その時の古代中国語の発音が、日本語で表現すると(ヒミコ)という発音に近かったかもしれない事も否定しません。
> だからと言って日本語の「ヒミコ」という発音を古代中国語に乗せ、文字に写したという事にはなりませんよ
それを世間では「音写」「借音」「仮借」と呼ぶんだよ。
そして、その文字列には、字種を選ぶことによってイメージをダブらすことも可能だし、
まったく無作為に文字を組み合わせることも可能なんだよ。
よってだ、漢語「卑弥呼」の上古音なり中古音を研究することは、当時の倭語の研究にも結び付くのだ。
いいかい、だから今は、議論に口を挿むなら、ちゃんとそこを認めた観点で参加してくれたまえ。
>>609 >また、どこかで徘徊してるのをみ掛けたら絡むかもしれんので、そのときはよろしく。
いいえ お疲れ様でした。
612 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 08:00:03
カッバは表意文字なんてフレーズにつられて、浅薄な妄想を書き込んで恥を掻き、
さらに、後付けで見当違いの屁理屈を出して上塗りをする。
最後は引くこと知らないので、しらを切って開き直る。
いつかどこかで見たような光景だが、進歩のないやつだな。
>>612 河童を援護するつもりでは有りませんが、果たしてそうなのかな?
結局
>>612さんも小生も、河童のお囃子に釣られて、踊らされているのではありませんか?
小生は、彼をかなり強か者だと見ています。
614 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 12:01:19
河童虫に強さがあるというのなら、その「論理性」の無さに由来するんだろうな。
極論すれば1+1の解が3でなければ4に違いない、みたいな発想に何ら疑念を感じない。
もしかしたら論理という概念自体認知していないのかと思う。
なので、説明力もない。
説明といっても自身の脳内にあるキーワードのようなものを愚鈍に繰り返すだけ。
他人には理解しようがないフレーズが延々と続くだけ。
まあ、これが不思議な河童ワールドの極意で氏の人気の秘密でもあるのだが。
>>614さんにお聞きしたいのですが、何故そんな彼を弄るのです?
皆さんお好きですねえ。
他人なんて、そう簡単には分析出来る
ものではありませんよ。(笑)
617 :
電波仮面:2009/12/21(月) 19:58:19
史実を追求するマジメなレスをしていれば間違いは恥だし、自分が信ずる説があれば言い負かされるのは
悔しいだろう。だが、河童さんの場合は、レス展開が面白くなければ それはやはり本人の反省点になると思
うけどね。エンタメ派の宿命はここにもあるんじゃねの?
618 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 19:58:54
>説明といっても自身の脳内にあるキーワードのようなものを愚鈍に繰り返すだけ。
>他人には理解しようがないフレーズが延々と続くだけ。
そうなんだよねえ。まったく理解できないフレーズが繰り返されているんです。
辞書に載ってないことは、他人には理解できないんです、という事に気付いていない。
どこにいったって同じなのにね。
619 :
電波仮面:2009/12/21(月) 20:30:49
>>618 >まったく理解できないフレーズが繰り返されているんです。
そうかなあ。マジな古代史レスならある程度の知識がないと理解できないけど、河童さんのレスは、誰でも
「変なやつが、変なことを言ってる」と見てとれる。・・・そこらあたりが人気の秘密の一端かなと思うんだけど。
>>618 >辞書に載ってないことは、他人には理解できないんです、という事に気付いていない。
読みが甘いし、河童を解っていない。河童は見事に辞書内容を外してるし、この外しが何を意味するか?
まさか河童が、高木淋光の成吉思汗の秘密を知ってるとは
意外だったwwww
しかも歴史秘密シリーズ三冊を所有とは、二度ビックリだw
622 :
電波仮面:2009/12/21(月) 21:32:26
>まさか河童が、高木淋光の成吉思汗の秘密を知ってるとは意外だったwwww
そうかなあ。義経=ジンギスカン はムリの極致だから、あれこそエンタメ派。河童さんの人格形成の過程を
考えれば意外でもなんでもないような。www
623 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 21:35:48
河童が一番受けているときって、御本人がマジで熱弁してるときだよ。
最近のは、いかにも暇つぶしで〜す。ネタで〜す。と言うのが多い。
こういうのはつまらないのばかり。
624 :
電波仮面:2009/12/21(月) 21:45:12
まね。上レスの、表意文字に字音がない というのはさすがに本人も信じてないだろ。その点、師匠の言語虫は
ちょっと違った迫力があるよな。
>>622 縦目よ
最近暇そうだなwwwwwwwww
626 :
縦目仮面:2009/12/21(月) 22:00:26
最近はオカルト板に行くほうが多いな。www
627 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 08:13:16
>河童は見事に辞書内容を外してるし、この外しが何を意味するか?
そんな事考えるの馬鹿らしいよ。
こっちも馬鹿になってしまう。
>>627 >そんな事考えるの馬鹿らしいよ。
こっちも馬鹿になってしまう
河童の2ちゃんへの書き込みぐらいで、馬鹿になってしまう様なら
こんな所にから足を洗いなさい。河童の投稿は楽しむものだよ。
河童がプラムの時代から変わらないのは、相手に対しての柔らかさだと思う。
これがアイツの最大の魅力だwwww
630 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 12:00:39
河童を楽しむには、それなりに経験が必要だよ。
掲示板でのコミュニケーションとは、言葉のキャッチボールだ。
相手の好球、悪球を巧みに受けて返す。
河童の場合、来るのは全て悪球、ひどいのは真上に投げて自爆したりw
河童相手であれば、受け手はグランド狭しと駆け巡らないといけない。
ギャラリーにとっては、そう言う相手のアタフタさも楽しみどころなので、
河童がベテラン相手に瞬殺されたりすると相手の方を非難したりする。
なので、適度に餌蒔きをしつつ、河童の珍プレーを引き出さないといけない。
河童自身ではゲームメイクはできないのだから。
>>630 >掲示板でのコミュニケーションとは、言葉のキャッチボールだ。
相手の好球、悪球を巧みに受けて返す。
河童の場合、来るのは全て悪球、ひどいのは真上に投げて自爆したりw
河童相手であれば、受け手はグランド狭しと駆け巡らないといけない。
小生はそのようには受け止めておりません。多くの悪球が有る事を否定は致しませんが、なかなかどうして、ハッと思わせる
絶好球も投げてくる次第で。
先日から見ていると、
>>630は意図的に河童のイメージを、自分の描くキャラにしようと、周りに植え付けている見たいだ。
こんな事を考えるのはたった一人しかいない。
河童はそれを感づいたから、ここ二日程登場しないのではないかと想像してみる。
縦目。そうだよな?
633 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 16:23:31
>河童の投稿は楽しむものだよ。
トンデモごっこ、ですからね 。
634 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 16:24:54
河童って2チャンネルが楽しいのかな?
>>634 >河童って2チャンネルが楽しいのかな?
2ちゃんと言うか、掲示板は楽しいですよ。
人の心理描写を、顔が見えない状態で探るのが大変面白く、興味深いでせ。
636 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 17:07:06
どこの国にいったって、その国の言葉がわかっていなければ議論はできない。
古代史だって基本がわかって、とんでもを語らなくては全く受けなくなる。
たとえその基本が間違っていたとしてもね。
間違っていても基本は基本、標準語、教科書。
それがわかっていて批判しなければ、ただの世間知らず。
たとえば径100余歩は魏・晋尺を用いれば直径145m余り、これは絶対的な基本。
これがわかっていて批判しなければならない。
それは認めるが、こういう考え方もできる、といったようにね。
最初から径100余歩は魏・晋尺を用いれば直径145m余りとはならない、というのは間違いで世間知らず。
いずれにせよ、公式見解、は滅法強いのがこの世界。
>>636 みたいな人の心理描写を探るのも面白いですよ。
「何故彼はここでこのようなレスをしなければならないのか?」なんてね。
>>637 多分だね、自分はキミとは違うんだ、と言うことを再認識したいがための独白じゃないかな。
俺はそれよりも
>>632みたいな書き込みの方が気持ち悪い。
古代史系スレでは、以前から謎の生物河童虫論と言うのは、
定期的に盛り上がる主要テーマだ。
何をいまさらwだよな。
当事者だってそう思うだろう?
>>638 >古代史系スレでは、以前から謎の生物河童虫論と言うのは、
定期的に盛り上がる主要テーマだ。
マジー!
止めてよ〜。
640 :
縦目仮面:2009/12/22(火) 20:40:20
641 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 20:43:47
河童は常識をわかっていて、トンデモを語っているのか知りたい。
それとも、
単なる世間知らずなのか?
高校を卒業していないのか?
謎です。
>>641 河童は小学校卒業だと自称してたじゃない。
>>641 高校は出ている。が、そこで何を学んだかは定かではない。
少なくとも古代史に関する基礎知識とかとは無縁の生活だったと思うよ。
だから、俺らみたいな歴史ヲタとは、少しばかり感性が違うのだ。
644 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 23:25:50
公式見解が好きな御仁は、東南五百里の地点をどこに求めるのかな?
河童の家の前
646 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 01:56:30
怖ろしい人ですね。
648 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 08:49:02
学校で学んだ形跡はみられませんなあ。
世間的な基礎常識が全くない上での、彼の独特の論法かと。
こういう人は1尺は1歩だと大真面目に言い張るのですよ、世間に存在しない事を。
恥ずかしくも、常識を把握していないからね。
いずれにせよ、世間的な基礎常識を認めた上での、河童説ではないようですね。
>>648 河童を誤解していないか?河童の名誉の為にフォローしておくが、九州説の中で一歩六尺を公言しているのは河童ぐらいだし、
以前河童自ら、温度計と体温計の例えにて一歩六尺の正当性を文献から
説明していたのを覚えてる。
650 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 19:14:36
温度計とか体温計と言うのは三国志とかの文献にでてくるものなのか?
文章読解力のない人に遭遇したみたいだ。
>>650 お前はアホやろ。
>>649は、河童が文献の内容を、温度計と体温計の例えを使こうて
説明してたと
言うてるんやろ。
それをお前と言うアホは、何処をどう縦読みしたら
そんなアホな疑問湧くのかww
653 :
電波:2009/12/23(水) 22:36:17
>>646 「芽むしり仔撃ち」か、大江健三郎だろう。よい作品だった。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>653 なんであっちこっち荒れてるの?
>「芽むしり仔撃ち」か、大江健三郎だろう。よい作品だった
詳しく知らないんだけど、大江健三郎ってアナル愛好家なの?
>>649 よく覚えていましたね(驚き) 書いた当の本人も記憶が薄れすほど前の書き込みでした。
でも、そろそろ私の話題は無しにして下さいな〜。
656 :
電波:2009/12/23(水) 23:20:06
>>654 わかりません。大江健三郎はいじめによって中学校を転校してるので、「芽むしり仔撃ち」にはその時の体験が
反映してるといわれてますね。
>>656 サンクス
大江健三郎って虐められっ子だったんだあ〜。 へ〜 知らなかった。
>>652 体温計とか持ち出さないと漢籍の説明もできないのか?
>>652 悪かったな。
君みたいに優秀な脳味噌してないので、そういう説明しか出来ないんだよ。
>>658 俺はそんな邪道な説明しか出来ないので、君の王道的な説明を
今後の為にも披露してくれないか?
ツッコミ満載で待機しているから
661 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 10:06:56
>河童を誤解していないか?河童の名誉の為にフォローしておくが、九州説の中で一歩六尺を公言しているのは河童ぐらいだし、
以前河童自ら、温度計と体温計の例えにて一歩六尺の正当性を文献から
説明していたのを覚えてる。
という事は 一歩六尺の正当性を考慮するなら、百余歩は145m余り、である事は認めているんだね。
正当性ではない解釈によっての河童節というのなら分かる。
ま、公に認知される正当なものが、邪説をどこまでも苦しめるので頭がいたいのだろうけど。正当は正当。
662 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 10:39:20
>>661 一歩145bの何処に正当性があるのかな?
邪道だよ。
一歩は六尺 これが「井方里」に於いて、歩を建て畝を立てた時に用いられた
一辺の長さ 六尺為歩だよ。
663 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 10:46:07
>一歩は六尺
これで良い。百歩もそれに基ずく。
建歩立畝の場合、
歩=六尺×六尺
畝は「歩百為畝」によって
畝=六尺×六百尺
だから百歩は
六尺×六尺×百 か?(笑)
建歩立畝の場合「百歩」は
六尺×六尺×百=3600平方尺。
3600平方尺の一辺の長さは(1尺〜3600尺)
3600平方尺の正方形の一辺の長さは、60尺か?(笑)
一辺60尺(百歩)の正方形を基準とした場合の円は
二つの円を想定する事ができ
一つは正方形の内接円、もう一つは外接する円だ。
内接円の直径は、60尺
外接する円は、約85尺
(^O^)
668 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 12:52:52
誰も君のややこしい説明に深入りしないよ。
そんなに暇じゃないんだよ。
シンプルイズベスト
を心がけよ。
結局。
>一歩は六尺
これで良い。百歩もそれに基ずく。
聞いてもらいたくば。
>>668 シンプルがいいって、単にモノグサなだけだろう。
私の言ってるのは
基本中の基本で、私の解釈ではな〜い。
漢籍読む人なら皆知ってる事だよ。
670 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 13:14:19
>>668 これはあの有名な改め君でも知ってるものだよ。
知らないとまた馬鹿にされちゃうぞ(笑)
古者建歩立畝
六尺為歩、歩百為畝、畝百為夫、夫三為屋、屋三為井、井方里。
671 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 14:09:45
だから六尺為歩と長さがはっきりしただろう。
>歩=六尺×六尺
これが間違っているんだよ。歩=六尺だ。
そして歩百為畝。
>畝=六尺×六百尺
これが間違っているんだよ。畝=六百尺だ。
ここで畝は面積であらわされていない。長さであらわされている。
そして畝を百並べて夫。ここで初めて面積になる。
君の言うややこしい面積計算は邪道だ。
672 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 14:15:46
つーか、河童のいう面積計算に何か意味があるのか?
673 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 14:32:04
>>671 畝は面積。
歩を百集めた面積だよ
だから畝を建てるじゃなく立てるになってるの
歩を新に建て、畝や夫、屋と順次立てて行き、
最後に方里でしめる。
ここで長さの単位は、最初の尺と最後の里だけ。
歩も畝も夫も屋も井も
全て面積の単位。
674 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 14:46:10
>>672 六尺為歩とは、
面積の単位を定める為に用いられたもので、直接長さとは関係ない。
面積の単位を定めるために、一辺が度量衡の度六尺の正方形を、「歩」と言う面積単位を設けそれを最小単位とし
順次単位が定められた。
だから 「建歩」
その最小面積単位歩が百集まると、単位が「畝」へと
だから 「立畝」
675 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 15:06:50
歩が六尺長さとされてきたのは
この面積単位の応用から
面積単位「1歩」は1歩×1歩の発想からだよ。
しかしこの一歩六尺は、あくまでも面積単位の延長線。これを長さの単位に応用するには、面積の一辺と同じ概念が必要だと言う事だよ。
面積の一辺と同じように、直線的でかつ起点と着点が存在し、起点から着点に移動すると言う条件つきだ。だから
移動距離を表すのに、面積単位「井」の一辺の長さの「里」を用いるんだよ。
676 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 15:06:55
勝手に決めんなよ。
お前が辞書ではない。
歩は長さ単位だ、アホ。調べてみろ。
六尺為歩となっているだろうよ。尺は長さだからね。
長さを並べて初めて面積だ。
いずれにせよ、君に決定権はない。
677 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 15:11:38
どっちにせよ。
百余歩は六百余尺で決まり。
>>676 そりゃ辞書を読む読み手の勘違いだよ。
歩が度量衡の延長線上の
長さの単位なら、尺の次に丈じゃなく歩を立てる。
しかし立ってないだろう?
歩は面積の為に「建てられた」単位だから
度に入らないんだよ。里も同じ。
歩が長さの単位とは
面積の一辺の長さの単位と応用されているからだよ
679 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 15:17:39
>>677 違うだろう。
百余歩は、六尺×六尺×百+余だろう。
>>676 何だよその決定権って?
ガキの喧嘩の捨て台詞か?止めなよ ガキじゃないなら
681 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/24(木) 15:37:58
「寸、尺、丈」と「歩、里」は
ともに長さの単位として用いられるが
最大の違いは「時間概念」
先に述べた度量衡の度は、全てモノサシにて計測されるので、そこに時間概念は存在しない。
しかし、後者の単位は
移動をともない計測されるから、そこには必ず時間概念が存在する。
時間概念の存在する歩が、度量衡の度と一緒に存在出来ない理由がわかるだろう。
だから
六尺為歩の歩は面積単位なの。
時間概念のない尺と、やはり時間概念のない面積単位なら共存は可能だからね。
結局、教科書や辞書の丸暗記したものを
ただ意味も解らず使用しているから こんな単純な事がめんどくさくなるんだよ。
凄い迫力だなあ
684 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 16:06:50
>違うだろう。
百余歩は、六尺×六尺×百+余だろう。
それは明確な間違い。
百余歩は、六尺×百+余
俺は世間・公を語っている。
個人妄想は受け付けない。
>>681 言ってることは理解できるが昔の中国人が
はたして貴方と同じ概念を持ち得たかどうかが
疑問です。
686 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 16:14:33
>百余歩は、六尺×六尺×百+余だろう。
こんなややこしい概念を持つわけなかろう。
大体にして聞いてくるわけにいかなく証明不能だよ。
推測の領域。
>結局、教科書や辞書の丸暗記したものを
>ただ意味も解らず使用しているから こんな単純な事がめんどくさくなるんだよ。
まるで
美濃もん太のセーフティバズーカ砲並み
いや、それ以上だなw
688 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 16:35:29
>>670>>673 これには同意。
>>681 >時間概念の存在する歩が、度量衡の度と一緒に存在出来ない理由がわかるだろう・・・
ここの距離をあらわす歩、里はどうなんでしょうね 。
ただし、時間の概念というのはいらないんじゃね。
>>685 理解いただきありがとうございます。
>言ってることは理解できるが昔の中国人が
はたして貴方と同じ概念を持ち得たかどうかが
疑問です。
私もその辺は確信が有るわけではありません。
後はこれを用いる各々の作業かと思います。
>>684 別に受け入れる必要なんてありませんよ。
各々が自分の考えに理由を持てればいいだけの話ですから。
で、貴方の理由は?
692 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:18:02
理由は考えるものじゃない。
自説を導くために理由づけを考える。これはいんちき野郎のする事。
古代史は考えちゃ駄目だ。
確定事項を見つけ出さなくてはならないのだ。
君のいう事は確定事項ではない。
日本でも歩は古来より長さで使っている。
面積で使った用例はない。ないものは仕方ないだろう。つくるわけにいかない。
あなたのいった事も「歩は面積で使った」といいきれる用例ではない。
>>686 >こんなややこしい概念を持つわけなかろう。
ややこしいかどうかは、受け手の個人差にもよりますから なんとも
>大体にして聞いてくるわけにいかなく証明不能だよ。
推測の領域。
私は下書きをしたまでです。そしてここに色を塗るのは貴方達です。
素敵な色に仕上がる事を期待しています。
694 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:20:29
>言ってることは理解できるが昔の中国人が
はたして貴方と同じ概念を持ち得たかどうかが
疑問です。
>私もその辺は確信が有るわけではありません。
だったら駄目だろうよ。
695 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:28:51
>時間概念の存在する歩が、
これ?何をいってるの。
何だ?時間概念の存在する歩って。
696 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:30:42
>時間概念の存在する歩が、度量衡の度と一緒に存在出来ない理由がわかるだろう・・・
いってる事ぜんぜんわからないんだけど……。
698 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:41:52
わかんねえなあ。
>>692 >日本でも歩は古来より長さで使っている。
面積で使った用例はない。ないものは仕方ないだろう。つくるわけにいかない。
別に日本なんてどうでもいいよ
先にも換算表を提示したが
古代中国では、歩は面積として扱ってるし、長さの単位としても扱ってる。
>>692 >あなたのいった事も「歩は面積で使った」といいきれる用例ではない。
と、貴方が判断したんですよね?
一つの意見として受け取りますよ。
701 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:54:14
面積だろうが長さだろうが
六尺為歩だろう。
百余歩は、君のいう六尺×六尺×百+余。
か、六尺×百+余 となる。仮に君にも半分譲ったとして。
百余歩が、一尺×一尺×百+余。若しくは一尺×百+余 となる。
余地はない。
そこで考えた。
君のいう事に何の意味があるのだ?
702 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:57:44
>あなたのいった事も「歩は面積で使った」といいきれる用例ではない。
と、貴方が判断したんですよね?
一つの意見として受け取りますよ。
だからあ、俺一人だけの意見じゃないのよ。
>>701 >君のいう事に何の意味があるのだ?
どんな意味があると思います?
簡単ですよ 「百余歩は145m余り」ではないということですよ。
>>702 >だからあ、俺一人だけの意見じゃないのよ。
貴方一人の意見ですよね。 他に誰と誰がいるのですか? 加藤君?田中君?それとも高橋君?
>>701 >百余歩が、一尺×一尺×百+余。若しくは一尺×百+余 となる。
余地はない。
それは残念ですね。たぶん、それが今の貴方の限界点なんですよ。
それ以上の事は未知の世界だと思いますので、今すぐ理解するのは困難かと考えます。
今しばらく精進したのち、今一度私のレスを読み返すと、「なるほど」とうなずける筈ですよ。 がんばってください。
705 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 18:23:59
>>691 >時間の概念以外に何かありませか?
歩というのは文字通り、歩幅でもって計測し始めた単位だから、皆それぞれ若干違うので
歩、里を使うときは「おおむね」とか「だいたい」とか「遠くてはっきりとはわからないが」の
意味が含まれてるんじゃないかな。あくまで私見ですが。
河童。。。。。。空気嫁よなあ。
お前がこの辺でファビョらないと、夜ぜんぜん盛り上がらねえよ。
707 :
ローガン:2009/12/24(木) 19:10:53
>>703 >簡単ですよ 「百余歩は145m余り」ではないということですよ。
? 「徑百餘歩」の事かな? この百歩が畝だとすると、「徑」の意味はなんですか?
最短距離とか、云ってませんでした?
>>707 >? 「徑百餘歩」の事かな? この百歩が畝だとすると、「徑」の意味はなんですか?
最短距離とか、云ってませんでした?
「百余歩」です。
>>707 「徑」=全ての差し渡しの中の最短です。
710 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:36:46
だからあ、勝手にものを決めんなよ。
>「徑」=全ての差し渡しの中の最短です。
これは まだ決定した事じゃないだろう。
ルール違反が多すぎますよ。
711 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:46:13
>>百余歩が、一尺×一尺×百+余。若しくは一尺×百+余 となる。
余地はない。
>それは残念ですね。たぶん、それが今の貴方の限界点なんですよ。
あのね、限界を感じさせるあなたの説明不足に問題があるの。
>それ以上の事は未知の世界だと思いますので、今すぐ理解するのは困難かと考えます。
未知の世界の事だからトンデモなの。
>今しばらく精進したのち、今一度私のレスを読み返すと、「なるほど」とうなずける筈ですよ。
それはない。
今読み返したけどまったく理解できない。嘘つき!いいかげんな嘘つくな。
>がんばってください。
君がもっと勉強すればいいんだよ。
君へのこのようなレスは当たり前。
別に驚かないだろうけど。
百戦錬磨の君だったら、こんな流れも察しはついていただろうけどね。
712 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:49:48
>簡単ですよ 「百余歩は145m余り」ではないということですよ。
これ間違いね。
魏・晋代の百余歩は間違いなく145m余りですよ。
あなたに勝ち目はない。
>>711 >>あのね、限界を感じさせるあなたの説明不足に問題があるの。
責任転換というやつですね。
>未知の世界の事だからトンデモなの。
貴方にはまだ見ぬ世界ですからやむ負えないことです。
>嘘つき!いいかげんな嘘つくな
どうやら言葉を正しく使う事ができないようですね。
いいですか、これは以前から申しているように「嘘」というのは、「真実を知りながら故意に違える行為なんですよ」 私がそんなことをしても何のメリットもないんですよ
714 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 21:01:09
>百余歩は、君のいう六尺×六尺×百+余。
か、六尺×百+余 となる。仮に君にも半分譲ったとして。
河童には一歩も譲る事はない。甘えさせるな。
間違いは、矛盾点を見出して壊滅させれば良い。
だいたいにして 百余歩が六尺×六尺×百+余だとはっきりと理解できる用例があるのかよ?
715 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 21:13:10
古者建歩立畝
六尺為歩、歩百為畝、畝百為夫、夫三為屋、屋三為井、井方里。
河童はこれを繰り返すよ。
結局、延長戦突入。
なんか馬鹿らしくね?
>>713 >>これ間違いね。
魏・晋代の百余歩は間違いなく145m余りですよ。
文章内に起点と着点が明確に記され、その測量が移動によって得られたならば
当然、その提示された145mの値でしょう。
しかし、先ほども申しましたように、それらの記載が文章内に見当たらなければ
その値から求められるものは
面積単位「歩(六尺×六尺)」の百倍に相当する面積
そしてそこから得られる一辺の長さは、正方形の場合 六十尺
長方形の場合 六尺×六百尺
一辺六十尺の正方形に内接する円の直径 六十尺
一辺六十尺の正方形に外接する円の直径 約八十五尺も長さとして導き出すことが出来ます。
で、貴方はなぜそのような値になったか説明はないのでしょうか?
>>714 >だいたいにして 百余歩が六尺×六尺×百+余だとはっきりと理解できる用例があるのかよ?
それは貴方の知能を試す絶好の機会かも知れません。
「古者建歩・・・・六尺為歩・歩百為畝・畝百為夫・夫三為屋・屋三為井・井方一里」
(畝・夫・屋・井)これは古代中国で使われていた面積の単位であり、お題は換算表です。
最初に記されている「歩」というのは長さの単位ではなく、暫定的に作られた面積の単位
六尺(歩)×六尺(歩)=歩。 つまり、一辺が六尺の正方形の面積を、「面積単位(歩)」と言ってるのです。
そして「歩百為畝」とは、
「歩(面積単位)」が百個ある面積を「畝」という単位で表す。 という事で
歩が百個という事は、 一辺が六尺の正方形が百だから、
たて600尺(百歩)×よこ6尺(歩)の長方形ということで、この面積が「畝」だと言ってます。これで「畝」とは何かわかりました。
次に「畝百為夫」ですが、
これは、「畝」という長方形を百個集めた面積の単位は「夫」となることをのべており、たて600尺(百歩)×よこ6尺(歩)の長方形を横に百個並べると
たて600尺(百歩)×よこ600尺(百歩)の正方形が出来、この600尺(百歩)×よこ600尺(百歩)の面積を「夫」といいます。
次に「夫三為屋」ですが
「夫」という、たて600尺(百歩)×よこ600尺(百歩)の面積を3個集めた面積を「屋」といい、たて1800(600×3)尺×よこ600尺 の長方形をいいます。
そしてこの、たて1800(600×3)尺×よこ600尺=「屋」を3個集めた、たて1800(600×3)尺×よこ1800(600×3)尺の面積を「井」といい、
これが「屋三為井」です。
で、この正方形「井」たて1800(600×3)尺×よこ1800(600×3)尺
は、「方一里」といってます。 つまり、方一里とは一辺が一里という意味なのです。
一般的に「方一里」と書かれたら一辺が一里の正方形と言われる理由です。
しかし正確には、この「方」は飽くまでも応用であり、ここでいう「方」とは(一辺)という意味です。 正方形は既に「井」という面積単位で記されているから
★「方」=起点から直線的に一方向。
もん太ワールド炸裂してるねwww
721 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 01:46:52
>>710 楕円に長径と短径があることを知らんな。
722 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 07:49:20
いいから、
河童はローガンと天誅にもっと鍛えられろ。
おっと、河童は天誅が誰だか気付いていないか・・・。
>>721 短いのがあれば長いのも有る。
だから「全ての差し渡しの最短」
一つの楕円の中に存在する(同じ任意点を経由する)様々の長さの差し渡し。その中の一番短い(最短)差し渡しをもって「徑」
>>722 天誅さんがここに?
ま、それらしい書き込みは有りますが。
ん〜
最近あっちが目茶苦茶だから 有り得るかもね。
725 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 09:13:27
ここにはいないよ。
>>725 そーだよね
天誅さんは、ザラさんやサイバーさん、それに伊作さん専属っぽく(笑)なっているから
ここまで出張する余裕はないかも。
727 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 10:14:52
君も専属になっているよ。名を変えて。
>>727 私を専属にしても時間の無駄ですよ。
それは天誅さんが一番知ってる事。
>河童はローガンと天誅にもっと鍛えられろ。
アホか
ローガンさんはいいが、天誅なんてヨソ者だろ
何で2ちゃんのやつがヤフーにおそわらんといけないんだね?
2ちゃんをなめてるのか・・・
ローガンさんとか河童さんとか
2ちゃん専門でやってる人が『幅を利かせる』っていうんなら
分からんでもないが、なんでヨソ専門の人に鍛えるなんて
エラそーな事いわれんといかんのだね?
河童さん、2ちゃん専門でやってる人として、新入りに言い返してやれww
732 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 14:12:52
>>731 お前は何時から看板屋になった? あちこちにヘタペタ貼りやがって。
733 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 14:31:03
>>723 任意の点? 中心点を通る径は短径と長径がある。長径は1番短い径ではなく、1番長い径だろ。
>>733 >長径は1番短い径ではなく、1番長い径だろ。
だから「長い」と表現する必要があるんだろ
735 :
ローガン:2009/12/25(金) 15:01:08
ヤフーは一度だけ、行った事があります。改めさんがスレ立てた折に。その時ZANとかいう変な奴がいたので、気味が悪くなって一切、立ち寄ってません。(笑)
さておき、議論に戻って…
河童さん。
>>719は理解できます。しかし貴方はこう書いてますね。
>>699古代中国では、歩は面積として扱ってるし、長さの単位としても扱ってる。
そして
>>709「徑」=全ての差し渡しの中の最短です。
古代中国では、「歩」は面積もしくは長さの単位であり、「徑」は長さの表現であると述べているのですね?
「徑百餘歩」は長さを表したものだと云う事で同意します。
>>733 根本的な文字や言葉を理解していないようだ。
「長徑」の「徑」と、「徑」
一文字では、全く別物だろう。
長徑の徑は、長によって修飾された意味になって
全体の意味を構成する一部だが
一文字の徑は
名詞的な意味しか持ち合わせない。
>>735 >「徑」は長さの表現であると述べているのですね?
「徑百餘歩」は長さを表したもの
ローガンさん。だいたいOKですが、微妙に違うかも。
「徑百餘歩」だけではまだ長さの表現とは言い切れません。
文章全体に晒して初めて
長さの表現だったと解釈でき、しかも計測は
モノサシではなく、時間と移動を伴った計測方法だったと。
だから安易に尺と結びつける訳にはいかない。
六尺一歩で換算計算するには、どうしても一度
面積の概念に晒してからでないと
六尺一歩で換算計算出来ない微妙な表現です。
738 :
ローガン:2009/12/25(金) 16:08:22
>>737 難解なレスですね。私には難しい事はわかりませんが…
>六尺一歩で換算計算するには、どうしても一度面積の概念に晒してからでないと 六尺一歩で換算計算出来ない微妙な表現です。
一度面積に直すのはトリックでしょう(笑)?
1×1=1ですが、6×6=6では無いですね。 一辺1歩の正方形の面積を「歩」とする…が、前提。
これは、「1」であるがゆえ、言える事では無いですか?この正方形を百集めた百歩、一辺の長さは60尺。
前提に照らすと、一辺の長さと面積は同数。ゆえに 60尺を百歩と表現する…これが貴方の論でしょうか?
>>738 >一度面積に直すのはトリックでしょう(笑)?
1×1=1ですが、6×6=6では無いですね。 一辺1歩の正方形の面積を「歩」とする…が、前提。
これは、「1」であるがゆえ、言える事では無いですか?この正方形を百集めた百歩、一辺の長さは60尺。
前提に照らすと、一辺の長さと面積は同数。ゆえに 60尺を百歩と表現する…これが貴方の論でしょうか?
いいえ、一度面積に直すのではなく
百余歩は、四辺形の一辺或は円の直径が必ず付随された長さの値だと言う事です。
740 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 17:10:51
>河童は薄々気付いているのでは?
さっぱりわからなかったが、
俺にも足が見えた。
なあんだ、そうだったのか。
>>738 >この正方形を百集めた百歩、一辺の長さは60尺。
前提に照らすと、一辺の長さと面積は同数。ゆえに 60尺を百歩と表現する…これが貴方の論でしょうか?
円を除けば、正方形「歩」を百集めた歩百の一辺は
「1歩×100歩」〜「一辺10歩の正方形」です。
一辺が100歩の四辺形は、「1歩×100歩」〜「100歩×100歩」の面積を前提とした長さ。
或は、
面積「歩」の100倍の面積を前提としたものです。
尺で換算すれば3600平方尺。
ここで正方形を前提に考えれば、「百余歩」に対して考えられるのは
@一辺が百歩の正方形
A一辺が百歩の正方形に内接する円
B一辺が百歩の正方形に外接する円
C一辺が十歩の正方形
D一辺が十歩の正方形に内接する円
E一辺が十歩の正方形に内接する円
この六通りのパターン。
@Aの徑は、長さ百歩(600尺)
Bの徑は、長さ百四十歩(840尺)
CDの徑は、長さ十歩(60尺)
Eの徑は、長さ十四歩(85尺)
ま〜ぁ ぶっちゃけ簡単に言えば。
「…大作冢徑百餘歩…」と書けば、
対象物が百余歩の面積の範囲に納まっていると言う事。
744 :
ローガン:2009/12/25(金) 18:35:40
>>742 よくわからないなあ。
「歩」を面積単位とするなら、百歩の正方形(畝)の一辺は10歩でしょう。長さ単位の百歩なら、600尺。
それに、外接する円って…?
745 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/25(金) 19:28:40
>>744 >百歩の正方形(畝)の一辺は10歩でしょう
「百歩」の正方形は「畝」ではなく「夫」
「歩百」の正方形は「畝」
>長さ単位の百歩なら、600尺。
それに、外接する円って…?
正方形の長さが、外接する円の直径だから
外接する円の直径は約850尺
746 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/25(金) 19:32:42
>>745訂正
正方形の長さが、外接する円の直径だから……×
正方形の対角線の長さが、外接する円の直径だから……〇
747 :
ローガン:2009/12/25(金) 19:58:18
>>745 >「百歩」の正方形は「畝」ではなく「夫」
百歩とは正方形の一辺の長さの表現ですな。歩が百個集まったものではない、とのレスと承知しました。
貴方の云う通り、面積表現ではありません。
>>744 先ほど
>>745て、百歩の正方形は夫と言いましたが、これは 一辺が百歩の正方形の意味です。
歩の百倍の正方形なら、一辺が10歩の正方形「畝」に相当します。
749 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/25(金) 20:10:35
>>747 >貴方の云う通り、面積表現ではありません。
いいえ
なかなかそうは烏賊の塩辛なのです。
長さには必ず数値に対する起点と着点が存在し、起点と着点が必要ないのは
モノサシを使用した時だけです。
(モノサシには、既に起点と着点が存在するから)
750 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 22:01:20
その起点と着点ってやめてくれないかなあ。
そんなもんどうだっていいだろう。
疲れるから。
あーた、神経質すぎるんだよ。
そんな事いちいち考えていたら、ものごとは進まないだろう。
日が暮れる。
飯食うのにあれこれ考えて5時間かけるタイプか?
751 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 22:08:17
続き
あーたねえ
人間の脳には瞬発力があるんだよ。
感覚なのよ。理屈じゃないのよ。
子供も目で見た映像を暗記して言葉を覚えているのよ。
北京原人とて古代中国人とて同じ。
小難しい理屈を考える意味はないのよ。
>>750 >その起点と着点ってやめてくれないかなあ。 そんなもんどうだっていいだろう。 疲れるから。
疲れるならみなけりゃいいだけ。
>あーた、神経質すぎるんだよ
相当大雑把に書いていますが
>そんな事いちいち考えていたら、ものごとは進まないだろう。 日が暮れる。
全てが貴方中心なら、そうかもしれません。
>飯食うのにあれこれ考えて5時間かけるタイプか?
飯食う時間と私のレスがどのように関係するか説明してもらえませんか?
>>751 >あーたねえ 人間の脳には瞬発力があるんだよ。 感覚なのよ。理屈じゃないのよ。
この相関関係を少し解説していただけませんか?
>子供も目で見た映像を暗記して言葉を覚えているのよ。 北京原人とて古代中国人とて同じ。
この意見は学術的に面白いところですので、そうなることの過程を述べてください。
>小難しい理屈を考える意味はないのよ。
それは 貴方が小難しく理屈を考えるとパニックになるために、自らの経験を述べているのですね?わかりますよ。そういう人いますから。
753 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 01:43:45
もうこう言うの見ると九州説の暗号解読ゴッコの成れの果てって感じだなwwwww
単なる幼稚な言葉遊びもいい所だが
それがツッコミどころ満載なのが余計に悲しいwwwwwwwww
>>749 >長さには必ず数値に対する起点と着点が存在し、起点と着点が必要ないのは
>モノサシを使用した時だけです。
本来「長さ」には方向性はない。
例えば誰かが首に巻いている マフラーの長さ と言ったら
マフラーのどっちが起点で着点か基準があるのかって話しだなw
ついでにものさしに起点着点があるというのは例えば30センチものさしなら
0〜30cmの目盛りをうっていて数字もうっている事を想像してだろうが
数字がなければ右から使おうが左から使おうが同じ。
いや数字がうってあっても「0」を一点に合わせて使わなければならない決まりはない。
数字どころか目盛りすらうっておらず
例えばその全長で1mと言うものならどうすんだ?って話しwwwwwwww
以上言葉遊びに対する言葉遊びでしたwwwwwwwwwww
>>753 漢籍ぐらい読んでくれ
話しはそれからだ
現状では話しにもならない。
755 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 08:31:57
河童はいいかげんにしなよ。
普通になれよ。
おれたちゃ宇宙人でないんだぞ。
超能力者じゃないんだぞ。
人間に通じる事をいえよ。
>>755 >おれたちゃ宇宙人でないんだぞ。
超能力者じゃないんだぞ。
人間に通じる事をいえよ。
ユリゲラーの番組があった次の日は、必ず誰もがユリゲラーとなり
給食の時間に先割れスプーンを擦った。
子供って純心だよね。
757 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 09:23:49
自分の世界へ引き篭もって行く九州論者
それは畿内論者だろ
九州説を否定する根拠を考古学的に説明してくれ
759 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/26(土) 09:41:18
>>757 >自分の世界へ引き篭もって行く九州論者
まだ九州論者とか畿内論者とか、区分けしてるの?
何か差別や区別をして、自分の立ち位置をバミらないと
自分が迷子になったような感覚になり、不安なのかな?
もしかして、自分の世界で右往左往しているのは
貴方じゃないの?
760 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 10:15:19
>>719 >・・・一般的に「方一里」と書かれたら一辺が一里の正方形と言われる理由です。
しかし正確には、この「方」は飽くまでも応用であり、ここでいう「方」とは(一辺)という意味です・・・
>>737・・・「徑百餘歩」だけではまだ長さの表現とは言い切れません。
文章全体に晒して初めて長さの表現だったと解釈でき・・・
「…大作冢徑百餘歩…」との記述から墓の大きさを表していると思われます。
墓の大きさを表すのであれば、起点と着点は明らかなのでここでは長さを示していることになりますね。
よって、直径百余歩の円形であって、ここでは面積が関係しているとはおもえませんがね。
761 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 10:33:18
ローガンさんとか河童さんとか
>2ちゃん専門でやってる人が『幅を利かせる』っていうんなら
分からんでもないが、なんでヨソ専門の人に鍛えるなんて
エラそーな事いわれんといかんのだね?
河童さん、2ちゃん専門でやってる人として、新入りに言い返してやれww
何で?レスと無関係の筈のメが焦ってるんだよ??
762 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/26(土) 10:34:21
>>760 >墓の大きさを表すのであれば、起点と着点は明らかなのでここでは長さを示していることになりますね。
よって、直径百余歩の円形であって、ここでは面積が関係しているとはおもえませんがね。
いいえ。
仮に百余歩が長さだとしても、この長さの単位が「歩」であるいじょう、面積単位の「歩」からの一辺の長さを応用しているので
面積との関係を無視する事はできません。
もし、面積との関係断つのであれば
百余歩は十分度量衡の範囲内なので、長さ「六引」と記載すれば良いだけの話しです。
763 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/26(土) 10:40:00
普通に考えても
墓の大きさを、一長さだけ記載する事自体 考えられない事なんですよね
一般的に記載するならば
高さは別として、形が四角形なら二辺を記載するし、円ならば外周を記載する。
後は面積にてそれらの記載を省くかの 三パターン
>>763追記
もう一つ記載方法がありました。
対象物の形を記載して、全体の長さを記載する方法。
長さ〇〇の前方後円墳とか
このパターンは、面積(対象物の形)から一辺を導く方法に類似しますね。
倭人伝では対象物の形は記載されていないけど
765 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 11:10:38
>>719 >・・・一般的に「方一里」と書かれたら一辺が一里の正方形と言われる理由です。
しかし正確には、この「方」は飽くまでも応用であり、ここでいう「方」とは(一辺)という意味です・・・
>>737・・・「徑百餘歩」だけではまだ長さの表現とは言い切れません。
文章全体に晒して初めて長さの表現だったと解釈でき・・・
「…大作冢徑百餘歩…」との記述から墓の大きさを表していると思われます。
墓の大きさを表すのであれば、起点と着点は明らかなのでここでは長さを示していることになりますね。
よって、直径百余歩の円形であって、ここでは面積が関係しているとはおもえませんがね。
766 :
765:2009/12/26(土) 11:14:05
767 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 11:29:34
>>763 「…大作冢徑百餘歩…」
ここの冢とは 盛り土の墓 のことで、魏志を読む人には、おおむね冢の形が想像できるでしょうから
長さだけ 徑百餘歩 と記述したのでしょう。
もし、面積を基準としているなら「…大作冢徑畝…」と記述してもいいことになりませんか。
768 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/12/26(土) 11:47:13
>>767 いいえ、
畝は面積の単位だけに用いられる文字ではないので
徑畝では、畝は別の意味として作用します。
769 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 12:04:15
>>768 >畝は面積の単位だけに用いられる文字ではないので
徑畝では、畝は別の意味として作用します。
その意味とはなんでしょうか ?
>>769 さあなんでしょう。
文章の中に畝を投げ入れて見ないことには。
ただ、面積単位でない事だけはわかります。
面積単位「畝」は立てられたものですから
771 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 12:28:24
>>770 それなら「…大作冢徑百餘歩…」 も冢のおおきさとして、百餘歩は長さでいいのでは。
あ、でかけなきゃ。
>>771 >それなら「…大作冢徑百餘歩…」 も冢のおおきさとして、百餘歩は長さでいいのでは。
それだったら
「大作冢徑六餘引」でいいのでは
773 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 13:46:02
自己満足したって、
皆がその奇怪な話に納得してくれなけりゃ、ただの妄想だろう。
ZANと同じだろう。
>>773 掲示板で自己満足を得る事って、一番大事な事だよ。それもわからないで掲示板に書き込みしてるの?
掲示板でストレス溜めてどうすんのよ?
ドMじゃあるまいし。
775 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 16:22:32
掲示板なんぞ、
どこでも、行き着くところはトンデモ板さ。
776 :
ローガン:2009/12/26(土) 16:49:24
>>773 >ZANと同じだろう。
ははあ、ZANてやっぱり変な奴なのね。
777 :
ローガン:2009/12/26(土) 17:00:31
>>763 >高さは別として、形が四角形なら二辺を記載するし、円ならば外周を記載する。
どうでしょうねえ?桓帝の墓の記述なんですが…
後漢書礼儀志の注には「山方三百歩高十二丈」とありますね。 又、同書霊帝紀の注には「洛陽東南三十里 高十二丈 周回三百歩」と。
「方」は、四辺の和であると解釈出来るのもありますね。
>>777 >後漢書礼儀志の注には「山方三百歩高十二丈」とありますね。 又、同書霊帝紀の注には「洛陽東南三十里 高十二丈 周回三百歩」と。
「方」は、四辺の和であると解釈出来るのもありますね。
ありますよ。
「方」には(まわり)と言う意味があり、
→〇〇のまわりは××
と、言うように。
「山方三百歩」は
皇帝陵の周囲は……
この山方は、山周と使い分けられているので、陵の形をこの「方と周」で表しているとかんがえます。
「井方里」の「方」とは意味が違う使われ方です。
>>776 >ははあ、ZANてやっぱり変な奴なのね。
ネットで壊れちゃった所はありますが、決して悪人ではありません。
>>777 >周回三百里
私の記憶違いかも知れませんが、周三百里ではありませんか?
外出中にて記憶で書き込みしているため、私の勘違いかも知れません。
780 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 20:33:32
>ははあ、ZANてやっぱり変な奴なのね。
河童と大して変わらないんじゃないの。
そもそもは、どちらも九州説レベルなんだし。
>>780も大した事ないね。
未だに九州説とか区別してる。
782 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 21:38:30
だって畿内論者と九州論者
天と地の差があるもの。
そんなに九州説に区分されるのが嫌なのかい。
>>782 >そんなに九州説に区分されるのが嫌なのかい。
べつに。
ただ、何故区別する必要があるのかな〜って
区別すっていうのは、区別しないと自分の立ち位置を見失うからだろ?
自分の立ち位置がしっかりしているなら、区別する必要性なんてないじゃん。
天と地ほどの差があるのなら、尚更区別なんてひつようない
>区別すっていうのは、区別しないと自分の立ち位置を見失うからだろ?
そうかもね。
ただ、この板で「九州説」と書かれるときは「区別」では無く「差別」だよ。
「馬○」「○呆」「キ○ガイ」とかと同義だから、「最底辺=九州説、自分=少し上」と言う感じ。
>>784 >ただ、この板で「九州説」と書かれるときは「区別」では無く「差別」だよ。
「馬○」「○呆」「キ○ガイ」とかと同義だから、「最底辺=九州説、自分=少し上」と言う感じ。
その差別という感覚は理解できますよ
こういう掲示板形式の対話では、この差別するという事が重要なカギを握りますからね
犯罪にならない程度に何処まで相手をこき下ろすか
ま〜ここは学問板だから
学問という前提のもとに差別するのでしょうが、
786 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 00:20:00
まあ、畿内説なんて言ってるのは、理論的なことは考える能力のないやつだよ。
まあ、邪馬台国がどこだの言ってるのは、建設的な人生を送る能力のないやつだよ。
>>787 >建設的な人生
ん〜。なんかつまんなそう
789 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 06:11:54
17個の玉
790 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 11:48:34
掲示板を俳諧していたってしょうがないと思うけど……。
公の場にどしどし論文を送ろう。公募している場はいろいろとある。
10回に1回ぐらい当たれば上出来だよ。
ただし自費出版には決してかかわらない事。
これはマイナスです。たいがいは馬鹿が陥る。河童は馬鹿じゃないんだし。
でなければ成長しないですよ。
791 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 11:54:24
ナノマシンによる、政治が行われていたことがその最大の特徴でしょう
ナノマシンで疫病や天候操作を巻き起こし、それを予言する
…という、自作自演の恐怖政治が敷かれていたのがかのクニだったのです…
なんと恐ろしいことでしょうか
古代のナノマシンテクノロジーは、現代のそれをも凌駕した技術水準だったのです!
792 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 12:01:34
古代、鳴門海峡には超巨大な橋がかかっており、
実は邪馬台国というのは、その橋の上部および周囲に寄生していた都市国家だったのです
橋としての陸路、そして海運の中継地点としての都市国家として
関所による交通料の徴収で莫大な利益を上げていたそうです
しかも、周辺諸国に対しては、何かあったらナノマシンをちらつかせて威嚇していた…
正に恐るべき国家です
793 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 16:22:38
河童がいないとつまんね。
794 :
日本@名無史さん:2009/12/30(水) 10:08:33
突っ込み所を多く残して、偉そうに語る。
これが客を寄せるコツ。
さらに、つっこみには、受け角を60度くらいづつ変えて3回以上答える。
3回目で全く反対の意見となり、6回目でもとに戻る。
これが観客を長く楽しませる貴重なテクニック。
796 :
日本@名無史さん:2009/12/30(水) 10:37:10
大切なことは、古代史に関する知識があまりなくても反論できるような題材にすること。見ている限りでは河童氏
自体漢文の知識がたいしてあるとも思えない。要は、コアな論客ではなく、広く浅く人を集めること。
>>796 > 自体漢文の知識がたいしてあるとも思えない。
ここ大切なポイントです。
全国河童虫検定とかあったら押さえておかないといけない。
御本人も言ってますが、氏は漢文が読めない。
今の芸風が確立したのも「読めない」がための工夫です。
だから、引っ張ってくるネタは漢和辞典の説明文です。
万人が楽しめるためには必須のテクニック。
ドツボはこのスレを読んでよく勉強しておくように
799 :
日本@名無史さん:2009/12/30(水) 18:32:43
はううう、くやしいのう。くやしいのう。河童は人気があってくやしいのう。
ここは評論家の溜まり場か?
802 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 11:31:49
803 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 12:32:10
>見ている限りでは河童氏
自体漢文の知識がたいしてあるとも思えない。
実は漢文の常識は弁えているけど、敢えてその常識に従わない。
というのなら、アホではあるまいて。
全く漢文の常識がなくて、あのような事を語っている。
と思われているのが実情だろうけども。
804 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 13:16:18
河童さんの場合はあの内容で実際人が集まってるんで、それでいいんじゃないですか。古代史の勉強をしたい
と思って来てる人はパスすればいいわけだし。
ネタばれしてるのにズルズル引きずられるとイラつくことが多いけどな。
>>805 >ネタばれしてるのにズルズル引きずられるとイラつくことが多いけどな。
人の評論などせずに、自分でネタバレしないでズルズル引きずらずイラつかない見本を示して下さい。
807 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 16:33:15
アホと思われようが、河童は漢文の常識は知らんふりするより他ないんだよ。
だって、一旦、世間にはびこる漢文の常識を認めると、その時点で敗北だから。
自分は敢えて常識外の事をいっている、ともいいたくないわけよ。
自分こそが全く正しい事をいっている、で通したいわけよ。
だけど世間が、明らかにそうなっていない所が痛い所だね。
学校での漢文の採点は文科省のルールに従う。河童節は通用しない。
この国では、やっぱり河童は漢文が読めないと断定せざるを得ない。
ルールはルールだ。
それが現実。
河童にとって現実は厳しい。
>>807 河童は世間のルールを知っていて、敢えて自分のスタイルを通していると思う。
でなきゃあそこまで大胆になれないよ。
世間の冷たい風を逆に楽しんでいるかのようにも見えるし
809 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 09:38:51
>河童は世間のルールを知っていて、
それをいっちゃ、河童の敗北よ。
あくまでも河童のいう事の方が真の世間のルールでなければならない筈なんだよ。河童にとっては。
810 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 09:40:25
河童は、自分がアウトローだと認めたくない筈だよね。
河童さんて、もう爺さんなのではないの?
世間に媚を売る必要はないし、自分のスタイルを一貫して持ち続けたほうがいい。
812 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 10:25:47
要するに、世間を捨ててトンデモを貫き通すんだろう。
813 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 10:29:41
いや、だから河童にとってはトンデモじゃないんだよ。
河童節が世間の標準語なんだよ。
河童は、トンデモを語っていない!と思っている筈だ。
814 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 11:38:15
>>813 アホか?トンデモを語ってると思ってるよ。美濃もん太じゃあるまいし。でなきゃ社会人としてはやっていけない。
ただ、建前としてそうは言えないだけで。それより河童にとっては、自分の手の内に入れたフリークはいいとして、
問題はマジメ古代史派に、いかに反感を持たれないよう自分をスルーさせるか、というのもあるんだよ。
815 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 12:04:49
河童さんに聞いて確かめてみよう。
河童さん、どうでしょうか?
816 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 13:09:20
読みが甘いな。
河童は
[くくく]=全ての差し渡し
[エ]=最短
これが社会での正当な解釈だと思っている。だから根拠なんて述べなくてもいいと思っている。
自分がトンデモを語っているとは全然思っていない。
、
817 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 13:19:23
つまり、何回試験受けても頑固に落第するタイプ?
818 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 16:29:03
いや、河童は馬鹿じゃない。
社会をわかっているよ。自分がトンデモだと思っているよ。
但し、それを堂々と認めたくないだけだよ。
馬鹿じゃないが思い込みが強すぎる。
冷静沈着に物事を見極めるという態度に欠けるきらいがある。
それは歴史家として必要な気質かもしれないし、時によっては極めて重大な欠点にもなる。
なんだか凄いスレになっているようだけど・・・・・・
だから言ってるじゃん。学校の授業を何時までも引きずるなって。
未練がましく何時までも引きずってないで、大人なら大人としての向き合う姿勢ってものがあるだろう。
学生や教育関係者は、学校教育(文部教育)に逆らっては生きてゆけないが、
その縛りが取れた大人は、大人としての自由な学問を目指すべきだよ
学問?2chのしかも、歴板のさらに一部だけで通じる学問 wwwww
現役学生や文部教育に従順な人達から見れば、当然私の主張はトンデモであり、とても受け入れる事の出来ないもので有ることなんか百も承知。
しかし、私は既にそれらから解放された一社会人。
自由刑も財産刑も個人責任で正面から受け入れねばならない立場。だったら今一度これまでの学問を根底から見直して考えてもいかんべ。自由だろう?
人がどう評価しているなんて関係ないし、興味もない。
いや何をやろうと自由なんだが、自信があるのなら2ch以外でも広めたらどうだ?
>>821 >学問?2chのしかも、歴板のさらに一部だけで通じる学問 wwwww
あんたがどんだけ偉い学者さんかは知らないけれども、いろんな形の学問が有るからこそ面白いんじゃないか?
いや、あんたにはあんたの形があるだろうけど、あんた以外の人にもあんた以外の形があるんだよ。お偉い学者さんならそのくらい理解できるだろう?
>>823 >いや何をやろうと自由なんだが、自信があるのなら2ch以外でも広めたらどうだ?
自信があるわけでもないし、自信がないわけでもない。
人一人が出来ることなんて
ほんとに微々たるもの、2chだけでも周りを楽しませたり、一石を投じる形が出来たら上出来だし、最高じゃん。
そして余力がまだ残っていたら、それ以外の人にも楽しみを分け与えたいな〜と
考えることはあっても、俺にはそんな器量はないよ。
826 :
日本@名無史さん:2010/01/02(土) 08:20:21
>現役学生や文部教育に従順な人達から見れば、当然私の主張はトンデモであり、とても受け入れる事の出来ないもので有ることなんか百も承知。
河童はやはり馬鹿じゃなかった。
社会では河童節がトンデモに断定される事はわかっていたようだ。
虚しいフレーズではあったが……。
後の強がり発言も、余計虚しい。
827 :
日本@名無史さん:2010/01/02(土) 08:57:40
ま、学校って社会のルールを教える所だけどね。
社会のルールを馬鹿にして、赤信号を直進してしまう奴はやっぱり反感を買うよ。
河童のいうような社会の縛りを取っ払った奴が、大人だとは思わないけどな。
>>827 >ま、学校って社会のルールを教える所だけどね。
だから家の近所の人も、昔知覧から「天皇陛下万歳」と言いながら沖縄の海に片道燃料で飛び立って行ったんだろう。
>社会のルールを馬鹿にして、赤信号を直進してしまう奴はやっぱり反感を買うよ。
別に馬鹿にしなくても反感買うんじゃないの?
で、その信号無視の例えと学問のどこに関連性があるのかな?
社会ルール違反の信号無視には、行政点数と反則金が付いているんだが、学問にはそれに相当するものがない。
>河童のいうような社会の縛りを取っ払った奴が、大人だとは思わないけどな。
ま、大人の定義なんて人それぞれ違うからな〜
829 :
日本@名無史さん:2010/01/09(土) 09:00:38
大倭 魏鏡 あげ
姫皇(卑弥呼)在奈良 VS 姫旧皇(卑弥弓呼)在高千穂
831 :
日本@名無史さん:2010/01/09(土) 19:29:53
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
832 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:27:35
卑弥弓呼と 卑弥呼が 遠戚関係 なので 類似蔑称を 中華魏帝役人が 意図して 使った
833 :
日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:23:44
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
卑弥呼VS卑弥弓呼
は
モモソ媛命VS武埴安彦命
のこと。
邪馬台国は東北にあったなんて言ったら笑われるだろうなあ
836 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 14:19:21
九州以外を言ったら笑われるんだよ。
「ここしかありえない!」って言うやつは全員嘲笑の対象です。
学問をする資格がない。
838 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 17:14:25
まあ、巻向しかあり得ない、ってのはないわな。
畿内だって可能性のあるところはいくつかあるんだし。
839 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 20:48:25
まあ、宇佐しかあり得ない、ってのはないわな。
九州だって可能性のあるところはいくつかあるんだし。
840 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 21:02:09
あるね。佐賀と日向と筑後と太宰府と、あとどこだっけ
841 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:07:30
卑弥呼VS卑弥弓呼は姉の女王と弟王。
邪馬台国内乱を示唆します。
842 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:49:11
843 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 00:27:57
九州は結構可能性の高い比定地多いからね
環濠集落跡くらいなら結構ごろごろしてるし
魏志倭人伝の記述が曖昧でなければ、もう少し絞り込めるのだが
>>841 卑弥呼VS卑弥弓呼
は、
百襲媛命VS武埴安彦命
のこと。
つまり、叔母と甥の戦い。
845 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 11:03:43
こことか纏向スレのコテ評論家 まじでウザい
846 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 21:15:55
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
tes