1 :
日本@名無史さん ◆AW.bYj64Xo :
2008/06/01(日) 00:53:25 三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛
謎の文献 魏志倭人伝に記された、
女王 卑弥呼 とは何者なのか?
又、邪馬壹國 とは何だったのか?
水行十日、陸行一月 この古代史最大の謎を追ってみよう!
天皇家の祖や日本建国との関連も議論しましょう。
前スレ
『謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!19』
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1211287399/l50
テンプレ及びスレ立てのタイミング等々問題ないですよね?w
イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは? イ ヨ タ ン・・・・・・・・・・・・・・
このスレを荒らしているのは 神奈川県民(トリップ無)=三重県民=改め=ドツボ。 意図せず結果的に荒れたという体をとっているが、悪意を持って荒らしているのは明白。 その手口はいくつかあるが、 1 他説に対する罵倒、人格の攻撃。 2 スレを私物化 の二種類に大別される。 特に後者は悪質で、2ちゃんのルールを大きく逸脱した俺様ルールを強要するのが特徴。 少し2ちゃんに慣れた人間には、反論が容易であり簡単に論破できる。 だがこれこそが罠なのであって、それが証拠にドツボはいくら言っても分からない(フリをする) 人間の性質として、明らかな正論が受け入れられないことは大きなストレスだ。 説明しても説明しても、論破されても論破されても、理解しようとしない(フリをする)ドツボは人格を攻撃されることになる。 そして荒れるのだ。 考えてみればすぐ分かるが、ここまで理解力がない人間はそういない。 つまり演技と断定してよい。 なぜ故意に荒らすのか理解に苦しむ向きもあろう。 私にも真実は分からない。荒れた結果、レスが進むことを喜んでいるのかもしれないし、そもそもバトルという行為に魅力を感じているのかもしれぬ。 しかし、そんなことは理解する必要はない。 ドツボが故意にスレ荒らしを呼び込んでいる事実、この一点に注目すればよい。 監視は有効だ。上記をふまえてドツボを監視しているという意志を示すことが重要だ。 我々はドツボが故意の荒らしをやめるまで、永遠に監視する。 賛同する人は、ただ監視中と書込んでくれればい。 それが悪質な荒らしへの対処法になり得ると確信している。
>>5-6 900越えたスレの後継スレを建てる行為は重複には該当しません。
混乱を呼ぶ間違った案内は控えて下さいね。
8 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 02:05:18
おい!古代史厨! とくに邪馬台国関係のヤシら! てめえら、レス重複しまくりだぞ! もっと整理しる!
9 :
8 :2008/06/01(日) 02:12:59
訂正 レス→スレ 重複スレ大杉でつい興奮した、スマソ が、ともかく日本史板が汚えだろが
>>8 スイマセン・・・orz
でも恐らくこの後
「このスレは自分の物だ。自分だけが継続スレを立てる権利を持つ」
と訳の分からない事を言っている 「神奈川県民」(別ハン「改め」)って香具師がスレ立てますw
「そいつがスレ立てるのが分かっているのなら、先にスレ立てるな!」
と仰るかもしれませんが、それなら各人が一個以上のスレを好きに立てて良いと言う事を認めてしまうと言う事になりますw
まあこの神奈川県民=改めと言う馬鹿に手を焼いているのが現状で・・・
できればこの際、板全体の問題として邪馬台国スレの整理統合が自治スレで検討されても良いと個人的には思っていますw
(無論私物化を堂々といっている終止符スレは廃止となるでしょうが・・・)
>>7-10 >>1 に片付けさせとけ
神奈川県民が立てる言うてるから俺等ではどうしようもない。
12 :
前スレまでのあらすじ その1 :2008/06/01(日) 19:13:25
愛知県民 ◆/aQLbFNNDUによるネタ振り。 史書による「鬼道」についての違いについて。 >985 名前: 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU [sage] 投稿日: 2008/06/01(日) 14:14:17 >>事鬼道能惑衆 >魏志では「事鬼道、能惑衆」鬼道に事え、能く衆を惑わす。 >後漢書では「事鬼神道、能以妖惑衆」鬼神の道に事え、能く妖を以て衆を惑わす。 >隋書では「能以鬼道惑衆」能く鬼道を以て衆を惑わす。 >この違い、面白いですね。 >後漢書と隋書では、「衆を惑わす」手段が明らかに違う。 >どんな背景があるのでしょう? >壹與については、結果として「國中遂定」とあるが、壹與の資質によるかどうかは分からない。
13 :
前スレまでのあらすじ その2 :2008/06/01(日) 19:27:13
河童虫 ◆EY2wfgakAQによるネタ振り。 卑弥呼複数(3人)説。 >813 名前: 河童虫 ◆EY2wfgakAQ [sage] 投稿日: 2008/05/31(土) 21:42:12 >初代女王卑弥呼 後漢時代に共立(漢委奴国王) >次代女王卑弥呼 後漢か魏時かは私も正確には不明(禅譲)(親魏倭王) >三代女王卑弥呼(壹與) 魏時共立 ・・・ただし本人からはこれ以上の情報提示は無い模様。 >819 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/05/31(土) 21:50:21 >私だって 言語虫さんにヒントもらってから見つけ出すまで一年以上かかったんですから >そう簡単に安売りはしませんよ >でも、ここまで公開したんだから半年もあれば見つけられますよ >興味ある人だけ挑戦してください。 >興味の無い人は完全スルーでお願いします。
14 :
前スレまでのあらすじ その3 :2008/06/01(日) 19:29:47
改めドツボ主催、コテハンらによる年齢カミングアウト大会。 加齢臭漂うレスの応酬なのでカット。
15 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 19:33:38
「衆を惑わす」とは 卑弥呼に魅惑 させられている、でしょうか
16 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 19:59:04
>>13 河童虫は『世』が『世世』ではないから、『世』は代々の意味ではない、30の意味とか言っていた。
卑弥呼複数(3人)説なら、『世』は代々の意味だろ。
>>16 は改め君かな?
ま、誰でもいいけどね
貴方、何か勘違いしてないかい?
>三十
なんだい、それ?
>>17 >何か勘違いしてないかい?
この言い方よく見かけるけど、上から目線で、見ててなんかめっちゃ腹立つ。
20 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 20:53:34
>>18 河童虫の返事に困った時の言い訳、理解力がない、レベルが低い、勘違いしている。
21 :
河童虫# :2008/06/01(日) 21:27:29
>>19 当然意識的に上から目線だから正解だよ
上から目線されるにはそうされるべき要因があるからするんだよ
その事も考えないで、脊髄反射しててもな〜
いいかな
レス
>>16 で、河童虫の考えは『世』が『世世』ではないから、『世』は代々の意味ではない、30の意味とか言っていた。』と断言してるんだ
断言ではなく、河童虫の考えは『『世』が『世世』ではないから、『世』は代々の意味ではない、30の意味とか言っていたんじゃなかったかな?』
と疑問符を入れておけば、
当然こっちだって
『いや、それは貴方の誤解ですよ』という返答を用意するけど
あれ? トリップが中途半端だ
>>21 それ、売り言葉に買い言葉の低レベルな話。
オレの言葉使いが悪いのはオマエのせいって、小学生かと思う。
>何か勘違いしてないかい?
じゃなくて、相手がどう書こうが『いや、それは貴方の誤解ですよ』でいいだろう。
どこが誤解かまで書いてればなお良いけど、面倒ならそこまでは求めん。
なんで、そんなに無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いするの。
24 :
河童虫# :2008/06/01(日) 21:53:54
>>23 >なんで、そんなに無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いするの。
掲示板だから
26 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 22:59:08
>>25 ドツボちゃんそんな無駄な事は止めて
君も素直にこのスレの議論に加わりなさいw
>>24 掲示板だったら、相手の神経を逆なでしようが何をしようが、やりたい放題ということですか。
28 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 23:18:26
>>27 パーの河童虫には何を言っても同じ。その場その場で思いつきを述べているだけ、虫、虫。
河童のおっちゃんどうする? あんたとか太国、唐松山さんの意見を聞いてもいいかな。 あんた等が今回のみ限定でここでいいんじゃない?言うなら考えるが?
>>29 はおれねw
愛知県民さんお名前わすれとったw
おれ一人がああだこうだ言ってもこの人たちに無視されたらおしまい。
常に連携が必要と考える。
よって、唐さんとか太国氏、KさんAさんで決めていいよ。協力が大切。
>>27 >掲示板だったら、相手の神経を逆なでしようが何をしようが、やりたい放題ということですか。
それは知らないよ
私は
>>23 の
>なんで、そんなに無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いするの。
に対する答えであって
だからと言って
>掲示板だったら、相手の神経を逆なでしようが何をしようが、やりたい放題ということですか。
というやりたい放題がどうたらこうたらと言う問題とは一線を引きますが
>>29 基本的には何処のスレでも構わないのが私のスタイル
>>32 OK いちおー、太氏、唐氏にも意見してもらってから、
正式に決めましょうか?
わたしはもう遅いので寝ます。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
>>30 改め ◆PWTcGEfp1s
全く情けない奴だな。
じゃあ他のコテがこのスレを使うと言ったら
「重複だ!」とかぬかしたこのスレに
「河童、太国、唐松山、愛知県民が書き込むって言ってるから、ボクも書き込むね」
とかあたかも不可抗力の如くほざいて書き込むつもりなのか?
お前に矜持と言う物は無いのか?カス。
まあ微塵も無いとは思うけどwwwwwwww
>>34 おまえらはまだまだ終止符スレに関して意見いえる
立場ではないということ。
下っ端はもっと気を使い、大人しくしてろよ。
36 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 23:58:04
>>35 神奈川県民改めドツボ、寝ると言ったが気になって出てきたのか?
まあそんなにお山の大将ごっこがやりたければ
(もう数え切れないぐらい言われたろうが)
自分でブログHPでもやれって事だなw
残念ながらお前の「脳内俺サマルール」で
お前の気に入らない書き込みを阻止する事はできない。
いい加減に現実見ろよアホww
37 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 00:42:15
>>12 正直その違いが判りません(><)
そもそも卑弥呼の鬼道って何?
どうせまた「五斗米道」だの「シャ−マニズム」だの「神名備信仰」だのetc
・・・オカルト話がイパ-イ出るんだろうけど。。
実際の政治は卑弥呼のぁゃιぃ力じゃなくて
卑弥呼を共立した勢力
卑弥呼は倭国の女王なら 倭国内の有力首長
卑弥呼は邪馬台国の女王なら 邪馬台国内の有力者
によって取り仕切られていたと考える方が自然じゃないの?
38 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 00:52:27
>>31 >なんで、そんなに無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いするの。
↓
>掲示板だから
↓
河童虫は、掲示板だから、無用でも相手の神経を逆なでするような言葉使いをする。
河童虫は、日常生活では、無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いはしないのだろう。
なら、掲示板なら無用に相手の神経を逆なでするような言葉使いをしてもいいと河童虫は考えているのか?
「掲示板だから」の真意はなんだ?
↓
>掲示板だったら、相手の神経を逆なでしようが何をしようが、やりたい放題ということですか。
質問の意図がわかりましたか。
一般的なことではなく、無用に相手の神経を逆なでる、あなたの行為のことです。
>>37 >後漢書と隋書では、「衆を惑わす」手段が明らかに違う。
とまで言っちゃうのはどうかなあ。文章表現の違い程度のことではないか?
とオレも思う。
でも、実際に政治を取り仕切る勢力が、共立するのを納得したのは、
ぁゃιぃ力のせいなんじゃないの。
実際の政治を取り仕切っていた武士が、
財力も兵力も持たない天皇を頂いていたわけだし。
40 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/02(月) 10:30:49
>>38 意図的にさかなでする事もあれば、故意ではない時(相手の受取方に委ねた時、つまり誤解)もありますよ
一概に文の判断だけでは、心内まで表せませんから
だから掲示板。
>>38 もう少し冷静に、私の述べた「掲示板だから」の意味を汲み取ってください。
この2ちゃんに登場する「プラムや河童虫」は、私が五年の歳月を費やし作り上げた 虚像なんですよ。
時々何気ぬ晒すプロフにしても、その文字に確証がないことくらい分かりますよね?
相手を怒らせたり笑わせたり、馬鹿にされたり、煽られたり
それは全て掲示板上で作り上げた虚像が故になせるワザなのです。
例えば、掲示板でよく見かける一触即発場面。しかし相手の実態は
長年病の床の中からの書き込みだったりして
だから掲示板なんです。
ワザと相手をさかなでするのも、今後の戦略の布石かもしれませんね?
そうそう 今盛んに馬鹿にし、虚仮下ろした相手は 隣で携帯に夢中でカキコしている奥さん、又は家族かも知れませんね。 奥さんの送信しようとした投稿Nameを覗くと「河童虫」と書かれていたりして お〜っ、コワっ! アナタはこの話しを否定出来ますか?
梅毒ちゃん、弁解が必死過ぎる。
46 :
38 :2008/06/02(月) 18:41:55
>>40 なるほど、「掲示板だから」の意味がわかりました。
>もう少し冷静に、私の述べた「掲示板だから」の意味を汲み取ってください。
「掲示板だから」だけで
>>40 >>41 の内容を汲み取るのは不可能です。
エスパーじゃないもん。なるべく言葉数はケチらないでね。
日常生活で腹が立って、書き込みも荒れるなんてこともあるので、
意図的に逆なでるすこともあるでしょう。
でも、たかが掲示板。素直に思ったことをそのまま書くのが一番。
>>46 >なるべく言葉数はケチらないでね。
前向きに努力いたします。
48 :
ちんぴら :2008/06/03(火) 11:02:53
みんな、最近どうかしてない? もっと、邪馬台国はなぜできたか、とか、どこを捜せば有力な証拠が出てくるか、 とか建設的な意見を述べ合おうよ。
49 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 11:27:07
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
通説の江戸期伝来よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
50 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/03(火) 11:29:36
>>48 それは
後漢書倭伝と記紀(特に神代記事)
卑弥呼はやっぱ倭迹迹日百襲姫命だよ。 記紀の中でも記述の信用できる継体天皇から昭和天皇の在位年数を平均すると 15年になる。 507年から15を引いていくと222年から237年まで8代孝元天皇が在位している。 実際は多少の誤差は当然あったろうから240年代前半まで彼が在位していたことも考えられる。 こっから近い世代で卑弥呼候補を探すと、彼女しかいない。
>>51 >近い世代で卑弥呼候補をさがすと
いったい何人エントリーし、最終審査に誰と誰を残し結果に至ったんだい?
で、エントリー基準と最終審査基準は何?
ま、単なる釣だと思うが。
名無しに迄なって釣ですか?
>>52 天照大神、倭迹迹日百襲姫命(8代孝元天皇の妹)、倭姫命(12代景行天皇の妹)、
神功皇后(14代仲哀天皇の皇后、仲哀死後15代応神天皇即位まで摂政、事実上15代天皇)、
下照姫(大国主命の娘、邇邇芸命と同世代)、日女命(天照大神の仍孫、3代安寧天皇と同世代)
の6人をエントリー。
熊襲女酋と甕依姫は場所選定の段階で脱落。
選考基準、卑弥呼に相応しい業績が記録されているか。
結果、下照姫命脱落。
最終選考残り、天照大神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命、神功皇后。
選考基準、年代測定法に無理が無いか。
結果、数代ごとに天皇の平均在位年数を求め、そこから当時の在位年数を掴むという方法で
論じられていた天照大神、平均を求める代数がそれぞれバラバラであることと、神功皇后が考慮されていないことにより脱落。
神功皇后、卑弥呼にするには記紀の年代を鵜呑みにせねばならず脱落。
倭姫命、こじつけるには無理矢理な計算法を用いらねばならず、脱落。
(例を挙げれば、「全体の3割を占める」と言う理由で15年〜25年の在位年数の平均を取って出た19年と言う数字を継体天皇前に適用する。)
(偽スレでポスト内藤湖南なる人物がこの方法を用いていた痕跡が見られるので見てみよう。)
(ちなみに、これを太国が褒めていた。)
倭迹迹日百襲姫命、
>>51 で示した通り無理が無いので合格。
よって卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命となる。
>>42 を書くようなお前よりはマシだよ。
しょーがないな 今回のみここでやるしかないのか。 おれがワガママ思われるじゃん。 次から勝手に立てないでくれよ おれが拘ってるところなんだから。ALL
神奈川県民は規制かかって立てれないてよ。 今回のみここを終止符スレ20とみなして進めていこうと思う。 いかがでしょうか?みなさん
56 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/03(火) 20:43:59
旦那様は、大物主の 倭迹迹日百襲姫命の 何処に整合性がある?
57 :
改め研究家 :2008/06/03(火) 21:39:40
警改中!!!
58 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 21:58:03
>>3 >イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは?
スレのタイトルに壹与(台与?)は出てないが、壹与も卑弥呼に匹敵する謎の女王じゃね
だから壹与についての議論も、ここでやっていいだろうと思うよ
ロリ君。きみは「イヨタン・・・・・」しか言わないがww
イヨタンについてなんか考えていることあるならもっと具体的に書きんさいw
イヨタン・・・・・・・・・・・・ に会いたいでつ
このまえ「倭人伝」Tシャツ着てるおっさん見かけたよ 白いシャツにプリントで「倭人伝」てでかでかと書いてある 人気だな〜
乃共立一女子為王 陳寿さんが何故、「一」をつけたかおわかりですか? 乃共立女子為王 で良かったものをあえて「一」をつけることで、 全然意味が違ってくるのです。 卑弥呼は複数と考えてる人はまず、ここを見落としている! ちんじゅさんはえらい!
>>54-55 改め ◆PWTcGEfp1s
>おれがワガママ思われるじゃん。
馬鹿だろ?
>次から勝手に立てないでくれよ
アホだろ?
>いかがでしょうか?みなさん
一回死んどけカス。
63 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/03(火) 23:53:54
>>61 陳壽さんだけでなく、范曄さんも「一」を付けているよ。
「一」は複数の巫女のなかの一人の意。
又は、
「一」複数の王候補をさしおいての意。
厳改中!!!
65 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 00:10:51
乃共立一女子為王、名曰卑彌呼 「一女子を共立して卑彌呼と為す」じゃなくて 「一女子を共立して王と為し、名づけて卑彌呼と曰う」だからね。 卑彌呼を名乗った者が前にいた書き方ではないね。 後任の存在は何とも言えないけど。 卑彌呼が日巫女だとしても、倭の実情と陳寿の認識が同じとは限らない。
66 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/04(水) 09:30:59
>>61 一人であることの人数を強調したい場合
「一女子」ではなく「女子一人」ではありませんか。
>>42 マジレスすると大多数の人は否定できる。
それも客観的にかつ検証可能な証拠をそえて。
あなたのリアルでの対人関係が伺い知れて、非常に興味深い。
69 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 10:18:56
河童無視
>>69 確かに、梅毒の行き詰まったときに見られるファビョりは
今に始まったことではないので、無視が良いでしょう。
>>67 さんのように、哀れみで相手をしてやると
>>68 のように開き直り、釣られたと言われてしまう有様。
wwww河童WIN そうやって無視出来ない事を知っていて、プーは遊んでるwwwそろそろ悟れwww
72 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/04(水) 14:08:34
はいはい 個人的な事は一先ず東京湾に沈めて、 話しを本題に戻してもいい頃合いでは、ありませんか?
73 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 14:10:43
河童無視
>>68 真実を衝かれ 慌てふためくかわわらべ(河童)
そのすがたなお いとおかしけれ
相変わらずプっは人気者だなwww しかもニートな粘着厨には絶大な人気だwww見ていて飽きないよw
オナピ君=アスペリ=朝吉が今の一番人気じゃね? 彼には会話というキャッチボールは無理みたいだが、延々と一人でつぶやき続ける姿はある種感動的ですらある。
77 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/04(水) 20:05:53
>>63 >陳壽さんだけでなく、范曄さんも「一」を付けているよ。
そのとおり!范曄さんは魏志倭人伝を知っているし・・・。
>複数の巫女のなかの一人の意
情報源はどこでしょうか?
というか、貴方の考えからきてるのでは?
乃共立一女子為王
「一」というのはイチ、イツ ひと・ひとつ
この場合は「一つの女子(一人の女子)」が正解とします。
<旺文社漢字典>
「一」というのはイチ、イツ ひと・ひとつ
意味:ひとつ、ひと、ひとつひとつ、はじめ、同じ、ひとつに、すべて、
もっぱら、ひとたび、あるいは、語調を強める助字。
78 :
愛媛県民 :2008/06/04(水) 20:10:25
79 :
愛媛県民 :2008/06/04(水) 20:11:00
このスレを荒らしているのは 神奈川県民(トリップ無)=三重県民=改め=ドツボ。 意図せず結果的に荒れたという体をとっているが、悪意を持って荒らしているのは明白。 その手口はいくつかあるが、 1 他説に対する罵倒、人格の攻撃。 2 スレを私物化 の二種類に大別される。 特に後者は悪質で、2ちゃんのルールを大きく逸脱した俺様ルールを強要するのが特徴。 少し2ちゃんに慣れた人間には、反論が容易であり簡単に論破できる。 だがこれこそが罠なのであって、それが証拠にドツボはいくら言っても分からない(フリをする) 人間の性質として、明らかな正論が受け入れられないことは大きなストレスだ。 説明しても説明しても、論破されても論破されても、理解しようとしない(フリをする)ドツボは人格を攻撃されることになる。 そして荒れるのだ。 考えてみればすぐ分かるが、ここまで理解力がない人間はそういない。 つまり演技と断定してよい。 なぜ故意に荒らすのか理解に苦しむ向きもあろう。 私にも真実は分からない。荒れた結果、レスが進むことを喜んでいるのかもしれないし、そもそもバトルという行為に魅力を感じているのかもしれぬ。 しかし、そんなことは理解する必要はない。 ドツボが故意にスレ荒らしを呼び込んでいる事実、この一点に注目すればよい。 監視は有効だ。上記をふまえてドツボを監視しているという意志を示すことが重要だ。 我々はドツボが故意の荒らしをやめるまで、永遠に監視する。 賛同する人は、ただ監視中と書込んでくれればい。 それが悪質な荒らしへの対処法になり得ると確信している。
80 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/04(水) 20:12:26
>>66 >一人であることの人数を強調したい場合
>「一女子」ではなく「女子一人」ではありませんか。
実際に倭人伝に記されてるのは「一女子」です!
現実を逃げずに受け止めることが大切と考えてます。
「一つの女子(一人の女子)」が正解とします。
<旺文社漢字典>
「一」というのはイチ、イツ ひと・ひとつ
意味:ひとつ、ひと、ひとつひとつ、はじめ、同じ、ひとつに、すべて、
もっぱら、ひとたび、あるいは、語調を強める助字。
81 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/04(水) 20:14:07
>>78-79 シツコイ荒らしだな・・・いいかげん終止符から出て行ってな。
周りに迷惑かけるなって!しつこい
82 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/04(水) 20:27:04
>>72 河童さん 残念ながら貴方の師匠....完璧に間違えてるよ。
卑弥呼の墓はそこじゃない...まあ、邪馬台国を詳しいのは詳しいのだが。
83 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 20:44:49
84 :
朝吉 :2008/06/04(水) 20:47:03
>>81 お前が出て行け!
それがいやなら焼きそばパン買って来い!
>>80 >>一人であることの人数を強調したい場合
>>「一女子」ではなく「女子一人」ではありませんか。
実際に倭人伝に記されてるのは「一女子」です!
現実を逃げずに受け止めることが大切と考えてます。
自分で何を書いているか把握していますか?
>>82 >河童さん 残念ながら貴方の師匠....完璧に間違えてるよ。
卑弥呼の墓はそこじゃない...まあ、邪馬台国を詳しいのは詳しいのだが。
そうなの? 思い込みもここまで来ると、何もコメントすることはありません。
梅毒もやはりドツボにかかると、 形無しですなぁwww ドツボはやはり一枚も二枚も上手だなwww
88 :
河童無視 :2008/06/04(水) 21:28:20
河童無視
>>66 急に用例参照か?
いつもは、用例無視で倭人伝を読んでるようだが。
91 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 21:46:36
自分で何を書いているか把握していないのが河童虫。
>>90 >急に用例参照か?
いつもは、用例無視で倭人伝を読んでるようだが。
意外とそうでもないんだな〜これが、ただ文字にしないだけですが
>>89 へ〜そうなんだ。 彼もなかなか大胆だね(ま、そのくらいの大胆さがなければここじゃ直ぐ潰されるからね)
93 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 21:52:45
河童虫はあちこちで論破されまくり。 でも気にしない。 俺は正しい。 論破さだんじゃない。 相手が馬鹿なだけだ・・・・・・・・・・・・・・・・脳内お花畑。
>>93 >論破さだんじゃない
日本語でOKwww
>>94 わたしのレスは
>>82 それ以降はおれじゃないよ
第三者の意見でしょ。。。
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
卑弥呼さん、卑彌弓呼素さん仲良くしろょww
97 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 22:26:19
改め 監視w
監視中
ドン来いスレ立てまだ〜
梅毒もやはりドツボにかかると、 形無しですなぁwww ドツボはやはり一枚も二枚も(馬鹿さ加減は)上手だなwww
103 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 06:49:47
【張政伝】 張政は南越の兵器廠に務める下級官人の父の子として生まれた 郷校に通っていたがそれほど成績優秀というわけでもなく また腕白ガキ大将でもない普通の少年だった 大人になり父の仕事の手伝いとして兵器廠の資材部門に勤務 港で積荷の検数・検品などを行っていたが 仕事がら船乗り達とも仲良くなり朝鮮や倭島、比島等さまざまな地域の話を聞いたりして そのときに聞いた各地域の特産品で主に兵器の材料になりそうなものを報告書にまとめて提出していた あるとき邪馬壷国から魏王のもとへ誰か人を派遣してくれとの要請があった 魏王は悩んだ 動乱の時期が過ぎたばかりで行政を担当する官人がめちゃめちゃ足りない そもそも海の彼方の僻地へ行けなんて命令したら嫌がって反乱を起こすかもしれない まいったな〜、誰を行かそうかな〜、断ったらマズイかな? そんなとき南越からの報告書で張政なる倭国に詳しいぽい人物がいることを知った 魏王はこれ幸いと張政を呼び出しに倭へ行けとの命令を下した 張政は行きたくなかったのだが王命に逆らえば一家まとめて死刑なのでやむなく赴任することになった 会稽の港(現在の浙江省紹興市)から小さな船で潮流に乗ってドンブラコと揺られながら邪馬壷国へ到着 魏から偉い人がきてくれたと歓迎会を開いてくれたが 酒みたいなものはなんか臭い汁だし、魚は生食だし 鳥肉は焼いてあるけど焼く前に羽毛とろうぜ? 獣肉は焼く前に毛皮はがそうぜ? 味付けは海水の塩味だけですか? 米があるのは関心だけど俺は南越人だから米は食わないんだぜ? 顔で笑って心で泣いて、早く国へ帰りたいと思いつつ十数年の歳月を未開の地で過ごす
104 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 06:50:10
途中で卑弥呼なる婆さん死ぬし、後継ぎのオッサンは無能だして暴動まで起きやがった マジで死ぬかと思ったよ、勘弁してくれよ、こんなとこで死にたくないってばさ その後なぜか壹与なる小娘(萌え系のカワユイ子だった)が首長に就任 なんで子供なの? なんでオトナがやらないの? こいつ政治とかできんの? つ〜か、ただ毎日お祈りしてるだけじゃん? しかたなく、なぜか俺が政治の手伝いまでさせられてしまった 俺はただの兵器廠の役人、ひらたく言えばウォースミスなんだぜ? あんた達バガ? あるとき俺をこんな僻地に追いやったクソったれ魏王朝が潰れたと風の噂に聞く 「よし、もうこんな所にいる理由はないぜ!」 邪馬壷国の人々に惜しまれつつも去るのでした 久方ぶりに故郷へ帰ってみると父も母も皆健在 故郷のバナナ料理に舌鼓を打ち食す 一応「倭国報告書」みたいなものは書いてみたものの あんまり詳細に書くと倭国に詳しいと思われて再び赴任命令をだされるかもしれないので 適当な観光旅行記程度の内容にしておいた まさか適当に書いた観光旅行記が魏の正史に引用されるとは思わなかったよ 陳寿バガ、超バガ、本当バガ、すっげ〜バガ、特バガ! まあいいや、もう二度と行きたくないからね
イヨタン・・・・・・・・・・
106 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 10:54:43
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
通説の江戸期伝来よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
↑このマルチコピペは 邪馬台国系のスレ全部に張りやがるな。 あの梅毒のオナスレにまで張られてる
マルチコピペタン・・・・・・・
109 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 20:43:35
ヒミコたん・・・・・
どうよ?河童さん 貴方の師匠、言語虫氏から“完璧に一本”とってるべ?ww まあ、判定はあくまでも第三者ですがw
改め 監視網設置中!!
112 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 00:06:31
113 :
言語虫 :2008/06/06(金) 00:13:45
114 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/06(金) 00:28:49
改めドツボ監視中・・・
ドツボ監視続行中
117 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 18:38:20
本日は「会った瞬間」議論を開始して下さい。〜24:00までです。 お題は、なるべくタイトルにそってお願いします。 卑弥呼、邪馬台国ネ!
118 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/06(金) 19:54:06
今日も 土俵をはさんで ニラミアイですな。
119 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 19:58:32
ほら、唐松山氏がきたよ。 誰か向かっていけ! 唐松山氏と議論する場合は「相手の土俵で戦わない」こと! かなり手ごわいかもしれん ホツマでならたぶんもっていかれちゃうよ ALL
120 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/06(金) 20:19:30
謎の女王卑弥呼は甕依姫だ。 古田武彦氏と異なる方法で証明できた。
121 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:23:28
>>118 >謎の女王卑弥呼は甕依姫だ。
>古田武彦氏と異なる方法で証明できた。
とかほざいてますが、唐松山さん本当はどうなのでしょうか?
122 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:33:40
美濃もん太 クンは向かって行かないのかな? ほら 唐松山氏、九州王朝大好き氏が対戦相手募集してるよ。 誰か行ってね! ここは終止符スレではナイ!!K-1のリングと思え!!(〜24:00まで) 戦いが終わったら恨みっこナシ 相手のことを考えるな 己のことだけを考えろ!!
123 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:38:38
>美濃もん太氏は、まともなのかバカなのか、よくわからん。 >誰か解説して? ほらほら〜ほら!別スレでいわれてんぞ? ガツンと言わしたれ!大人しくなるかもしれんぞw
124 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/06(金) 20:50:12
無理だろう 書記と古事記が合体し 墓標が守る 紀年 是を 潰さないと 対戦にならない。 他人の 紀年なんぞ 認めたくないし〜。
125 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:59:46
なんだ全員・・・?!他所スレ逃げずにここへ上がってね。
彼等みたいな勇気はないのか?
>>118 >>120 本日は「会った瞬間」議論を開始して下さい。〜24:00まで。
お題は任せますが、
参考にここから選ぶのも良い!
・卑弥呼の正体は?
・邪馬台国はどこにあったか?
・卑弥呼の墓はどこ?
・「陳寿」と「陳儒」 どっちが正しい?
・魏志倭人伝、日本書紀、古事記、旧事本紀、ほつまつたゑ
・神社伝承の謎、鬼道とは?、天照大神は卑弥呼?
126 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:03:01
九州王朝大好き氏へ
>>124 で、唐松山氏から
>対戦にならない
対戦相手としては「まだまだ未熟」とか言われてますが、反論はないんでしょうか?w
127 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:17:58
まあまあ、そこまでは言ってない しかし、他所の掲示板ではかなり論争しているのは事実。 2ちゃんも、もっともまれないといけないのもこれまた事実。 論争があまりみかけない2ちゃんねる
128 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/06(金) 21:19:38
・卑弥呼の正体は甕依姫 ・邪馬臺國は久留米にあった ・卑弥呼の墓は祇園山古墳が最有力
129 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/06(金) 21:28:13
>>126 唐松山氏とは全く話がかみ合わないので、議論にならない。
それはお互い認め合うところ。
130 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/06(金) 21:32:36
>対戦にならない 何て一言も言ってない。 私の 編年内なら 大丈夫、 その他の年代で 主張するには 編年を 先に片づけろ。 こんな 所かな なお今夜は、ネコの捕獲に成功。
131 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:37:30
>ネコの捕獲に成功。 Goodですw >私の 編年内なら 大丈夫、 その他の年代で 主張するには 編年を 先に片づけろ。 >こんな 所かな 唐松山さんは古代史歴〜長いんですか?約何年ぐらい?
132 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:42:41
133 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:47:42
『墳墓名 所在地 大きさ 特記事項』 ・平原方形墳 福岡県糸島郡前原町有田 長辺18m、短辺14m 破砕された鏡42面 ・宮の前C地点墳墓 福岡市早良区16町宮の前 長軸14m、短軸12m 偏楕円形墳 ・祇園山古墳 福岡県久留米市御井町1 1辺23〜24mの方墳 階段状の葺石 ・西一本杉古墳 佐賀県神埼郡東背振村石動 直径約15mの円墳 方10mの張り出し ・古稲荷古墳 大分県宇佐市法鏡寺字上原 1辺20mの方墳 石垣状の積石 卑弥呼の墓 五つの候補地らしいが面白そうなのでここへ書き込んでおきます。
134 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 21:56:05
卑弥呼の墓は、 『徑百餘歩』 方墳の可能性はあるのでしょうか? 祇園山古墳の面白い記事をみつけたので以下に書きます。 >奥野氏の場合は、後漢式鏡37面と大型国産鏡5面を出した >平原方形墳が卑弥呼の墓として最も可能性があるものと見ています。 >その論拠は、42面の鏡の中に、三角縁神獣鏡が1面も入っていないことと、 >鏡の銘文中の文字の節略、脱字、左文字、文様の退化現象が著しく目立つのは、 >中国では後漢後半から三国期にかけての特徴である、ということです。 >そして、奥野氏は、次のように言います。 >九州北部の発生期古墳のなかから卑弥呼の墓を求めるとすれば、 >三角縁神獣鏡出現以前の後漢式鏡のみを多数所有している点、 >日本最大の国産鏡を4面所有している点からも、平原方形墳こそ最もふさわしい。 >しかも、それらの鏡のすべてが副葬まえに人為的に破砕されているという >すさまじい状況は、ながい間、邪馬台国に君臨したシャーマンで、 >鏡の女王ともいえる卑弥呼がその呪術者としての権威を剥奪された姿と >二重写しになって、鬼気迫るものを感じさせるのである。
135 :
サガミハラハラ :2008/06/06(金) 22:45:11
>>133 卑弥呼の墓のおおきさは径百余歩です。1歩は魏代には約144cmですから、150m
以上はあるはずです。全部あてはまらないではないですか。
>>135 >卑弥呼の墓のおおきさは径百余歩です。1歩は魏代には約144cmですから、150m
いい加減なことは書き込まないでください。
137 :
ローガン :2008/06/06(金) 23:15:26
>>135 初めて先生と意見が一致したように思います。
138 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/06(金) 23:33:32
魏志東夷伝の1里は70〜80mです。 里と歩の比率が変わらないとすれば、100歩は25m位になります。 里は距離を表わす単位で、歩は土地の大きさを表わす単位で、 里と歩は別系統の単位となるので、時代によっても比率が変わらなかったとは決め込めません。
ひとまず監視解除
>>138 王朝さん
>歩は土地の大きさを表す単位です。
上帝壇圓八觚徑五丈高九尺茅營去壇十步竹宮徑三百步土營徑五百步神靈壇各於其方面三丈去茅營二十步廣三十五步合祀神靈以璧j用辟神道八通廣各三十步竹宮內道廣三丈有闕各九十一步壇方三丈拜位壇亦如之為周道郊營之
外廣九步營北辰于南門之外日月海東門之外河北門之外岱宗西門之外為周道前望之外廣九步列望道乃近前望道 外徑六十二步壇方二丈五尺高三尺五寸為周道列望之外徑九步卿望亞列望外徑四十步壇廣三丈高二尺為周道卿
望之外徑九步大夫望亞卿望道外徑二十步壇廣一丈五尺 高一尺五寸為周道大夫望之外徑九步士望亞大夫望道外 徑十五步壇廣一丈高一尺】 後漢書/志/志第七 祭祀上/光武即位告天
ここに書かれている「歩」も、土地の大きさを表す単位ですか?
141 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/07(土) 00:28:01
142 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 00:34:41
>>139 しげちゃんの邪馬台国はどこなのかな?
もしかしてここで語る自信が無い〜?
聞いてるから、少しは語ってみろよ。
まあ、詳しい人集まってきて恐縮しないでお落ち着いて行こう!
>>142 改めドツボ監視中・・・
名無しでも直ぐに判るドツボテイストw
相変わらず不自由な日本語のレスww
>お落ち着いて行こう!
お前が落ち着けwww
144 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 00:47:18
>お前が落ち着けwww んだなw ながしとけよw
145 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 00:49:08
んで しげちゃんはどこなんだよ? 改めと一緒のところか? おめー以前、九州王朝が一番近いのでは?とかいってたよな?
146 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/07(土) 09:53:52
>>138 王朝さん
>里と歩
通常『三百歩為里』
だからと言って、百歩が里の三分の一に成る事はない。
『三百歩為里』は固定であり、『六尺為歩』とセットで規定された、距離と長さの換算値。
147 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 10:44:38
>>146 河童虫さん、王朝さん
向こうの19に押されまくりやんw
がんばれ、がんばれ!
>>147 君が名無しで頑張ってくれてるから、心配ないよ。
149 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/07(土) 13:06:09
>>140-141 河童虫さん
「・」が「歩」の文字化けしたところですね。
「歩」は、大きなものの長さ即ち土地の大きさを示す単位になっています。
だから、「歩」は高さには使われません。
大きな物体の場合は「丈」で、これは高さにも使われます。
「尺」は身の回りの物の大きさの単位。
「寸」は小物の大きさの単位。
ここで「里」は上記と全く異なる単位です。
長さの比較がしやすい「歩」「丈」「尺」「寸」の関係は、
時代場所によって異なるでしょう。
特に、短里が使われていた漢代より前には、
「歩」「丈」「尺」「寸」の関係も時代場所によって全く異なると思われます。
魏志東夷伝に使われている短里は、漢以前の東夷への何次にもわたる難民が持ち込んで使っていたものではないでしょうか。
「歩」「丈」「尺」「寸」の関係についても、漢以降とは異なっているのは当然のことです。
短里が周里ではないかの説明にもなります。短里と周里は似たものであると思います。
辰國・秦王國や秦人が東夷にあって、長さ距離の単位が伝わらなかったのは変ではないですか?
150 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 13:21:42
こっちのが詳しそうだなw 紹興本と紹熙本の違いとは著者が違うのでは? 魚豢て誰だよw
151 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 13:27:20
河童虫&王朝 連合スレの方に聞きます。 紹興本と紹熙本の著者て陳寿ですよね? 魚豢の原文はないんですか・・・?
152 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 13:29:20
其俗不知正歳四節 但計春耕秋收為年紀 臣松之以為地應為綈 漢文帝著p衣謂之弋綈是也 此字不體 非魏朝之失 則傳寫者誤也 すまそ ここの部分が違うだけね!
153 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 13:39:53
お二人は中国史について語ってくださいよ 三国志(通称:魏志倭人伝)・魏略・魏書の違いが分かってない人もいるかもしれない。 そして、紹興本と紹熙本とがあることやその違いについて・・・。 もう一つ、実は、陳寿の『原文』なんてもうこの世には存在してないという事実を! みんな知らなかったんじゃない?陳寿の『原文』と思い込んでる人が多そうだが。
154 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/07(土) 13:44:15
>>149 王朝さん
いきなり『短里』と言われても、戸惑います。官制に短里など出ていませんし。
仮に短里だとした場合、長さに換算すると(尺=約4p)でしょうか?
>>151 原本の編纂は陳壽でしょ
魏略は逸文ですから。
156 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 13:55:32
158 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 14:02:18
159 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 14:07:32
>>157 >今日は初心者用の演出ですか?
いやいや、一つ一つ確実に学んでいくことが大切ですし、
結局、知らない人のが多いんですよ。
実際、今ある、『紹興本』と『紹熙本』についても、
わたしは陳寿の『原文』の勘違いしてた一人ですし・・・。
それと『陳寿』、『陳儒』 どっちが正しいんですかね?
普通の話をするのもいいが、学問的なことをここで学ぶことも大切。
160 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/07(土) 14:17:39
>>158 詳しい内容はサイトに沢山あるから
そちらで確認を
陳壽が編纂当時の原本が確認出来ない今『煕、興』を原本と見立て考察するより方法がないよ
で、
『煕、興』のどちらの方が、編纂当時の原文に近いか? なんて考えるのも楽しいよ。
161 :
siraki :2008/06/07(土) 14:26:01
162 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 14:27:23
>詳しい内容はサイトに沢山あるから >そちらで確認を 河童氏はこんなかんじなんで、王朝さんに期待しましょう! よかったら書き込んで下さい。 では温泉言ってきます〜!
【改めと九州ですがはなぜ絡まないか?】 今夜の議題はコレ。
164 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 21:59:49
>>163 >改めと九州ですがはなぜ絡まないか?
それは終止符専門、ドンコイ専門とで分かれてるからでは?
同一人物だからでしょう
>>163 九州ですがはアマテラス説が持論。
しかしアマテラス説は2ちゃん九州説論者の間ではほとんど誰も認めておらず
言い出すと叩かれて九州説同士の内ゲバとなる。ですがはそれは避けていると見る。
改めは、要は古代史の真の解明なんかどうでもよく
自分がスレを取り仕切りたいだけの出しゃばり。
真剣に問題点を議論することはない。
168 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 00:22:42
しょーがないな。 もう過去に議論した「至」、「到」の違い・・・。 いまさらまたここ終止符スレで書き込むことは無いだろうと思っていたが、 分かってない人の為に、お教えしましょう! 授業料は高いですけどw まずは、あなた達の考えをお願いします。
169 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 00:26:40
>>166 人のことを言う前に貴方はどうなんですか?
貴方の「持ち論」というのをここへ書き込む勇気がないだけでしょ?
人の説はどうでもいいじゃないですか。
ここへ書き込んでみなさいよ。
まともな説か、単なる妄想か判断してみますよw
170 :
日本@名無史さん :2008/06/08(日) 00:33:02
「ここの古墳は、まだ知られてないけど、異常に古いんですよ。」「しかも、畿内にある古墳が、
大きさが縮小した形ですべてそろっている。」
・・・「と言う事は、畿内の古墳は、ここをお手本に作ったと言う事ですか?」
「そう考えるのが、自然ですよね。誰でもそう思うはずです」「でも、公には、畿内の巨大な勢力に
あこがれた宮崎の勢力が、畿内に遠慮して、そっくり同じ物を少し小さく作った事になっています。」
・・・「でもそれでは、時代的に矛盾があるではないですか?」
「ウーン・・・・」
つまり、こういう事だったのだ。宮崎の古墳が、畿内地方の古墳より古くなっては困るのだ。
宮崎が先となると神武東征が立証されてしまうのだ。宮崎では、研究者も疑問を投げかけざるを得ない
不思議な物が、数多く確認されつつある。しかし、神武東征や神話と結びつきそうな発見は、
口を封じざるを得ないのが実情らしい。
ちなみに、上記の会話を交わした研究者に、笠置山墳丘墓の事を尋ねてみた。答えは「向こうは、
生目より更に古い。確実に3世紀にさかのぼる。もし日高氏が何か見つけたのなら、それは弥生の
遺跡だから古墳ではなく、ただの山だ。」と言い切った。古墳ではない理由は、時代だけなのである。
逆手に取れば、日高氏の主張する年代は、確認されたわけである。
http://www.gondo.com/g-files/miya/miya1.htm
魏志の卑彌呼は、後漢書の卑彌呼より年をとっているようです。 (後漢書)年長不嫁(魏志)年已長大無夫壻 (後漢書)事鬼神道能以妖惑衆(魏志)事鬼道能惑衆 魏志では「以妖」の二字が無く、若い頃の妖艶さが消えた意味でしょうか。 また、魏志にだけ「男弟」が出てきますが、後漢時は卑彌呼もまだ若く 弟も更に若く、魏時になって「佐治國」したと考えられます。 あえて別人としなくてもいいのでは?
ローガンさん、次の3つを読み比べてください。 1.使驛通於漢者三十許國、國皆稱王(後漢書) 2.今使譯所通三十國(魏志) 3.魏時譯通中國三十餘國、皆自稱王(隋書) 隋書は「魏時」と書きながら、魏志ではなく後漢書に近い表現をしています。 「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」も、そのまま受け取れますか? 私は慎重であるべきと考えます。
唐松山さん ホツマには「おわします」という現代仮名遣いが使われています。 ホツマ文字は、ハングルと同じ発想で作られています。 ぜひ、反論を。
174 :
ドツボ撲滅委員会 :2008/06/08(日) 00:55:32
>>171 県民さん 横からごめんね
>(魏志)年已長大無夫壻
ここに書かれている「年已長大」の「年」って何ですか?
たぶん、ここを解決すれば
>魏志の卑彌呼は、後漢書の卑彌呼より年をとっているようです。
なんて答えは導き出されないと思いますよ
「年」=正月元日〜十二月晦日 年齢とは別モノですよね
「歳」=・・・・・・?
>>171 愛知県民さん
きょうは遅い時間に登場ですか。
珍しいですね・・。
>魏志の卑彌呼は、後漢書の卑彌呼より年をとっているようです。
>(後漢書)年長不嫁(魏志)年已長大無夫壻
>(後漢書)事鬼神道能以妖惑衆(魏志)事鬼道能惑衆
>魏志では「以妖」の二字が無く、若い頃の妖艶さが消えた意味でしょうか。
>また、魏志にだけ「男弟」が出てきますが、後漢時は卑彌呼もまだ若く
>弟も更に若く、魏時になって「佐治國」したと考えられます。
>あえて別人としなくてもいいのでは?
いえいえ、卑弥呼は一人です。
ついこの数日前、河童氏の師匠のもとへ行き、完璧に論破してきたばかりです(笑)
>>176 >ついこの数日前、河童氏の師匠のもとへ行き、完璧に論破してきたばかりです(笑)
よかったね
一年間幸せになれるプレゼントもらって(笑)・・・・・
178 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 01:18:32
>>177 貴方の師匠と議論をしたが、やはり卑弥呼は一人だったということ。
しかし、貴方の師匠は詳しい人です。
私が問いかけた問題にも逃げずに答えてくれたし「勇気」、「器のでかい人」です。
さすが、河童虫さんの師匠ということ。
まあ、論破はされたが相手が悪かったw
>>178 >貴方の師匠と議論をしたが、やはり卑弥呼は一人だったということ
議論したの?
ん〜?
よかったね解決出来て
河童さん、改めさん、こんばんは。 改めさんは温泉ですか? いいですね。 「卑弥呼の湯」ですか? 養老温泉も元正女帝と関係深いですね。
改めドツボ監視中・・・
182 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 01:59:36
>>180 >改めさんは温泉ですか? いいですね。
>「卑弥呼の湯」ですか?
「卑弥呼の湯」は今年、九州旅行へいった時に行きましたね♪
今日のは、日帰り温泉。
>養老温泉も元正女帝と関係深いですね。
養老温泉は浸かったことないですね。
大江川、琵琶湖へ行くときはよく近くを通るんですが・・・。
古代史の本を読んでいてもたまに「養老」を聞くときがあります。
元正女帝関係あるのかは不明・・・。
184 :
日本@名無史さん :2008/06/08(日) 06:31:23
>卑弥呼の湯 九州にはそんなもんもあるんだなw やっぱ九州には「卑弥呼饅頭」とか「邪馬台国せんべい」とかもあるの?wwwwwww
>>170 面白そうですね。笠置(かさご)山墳丘墓(笠置山古墳)ですか。
前方後円墳の起源=鳥型というのも興味深い。
九州の遺跡の保存が悪いのは確かで、まさか意図的に破壊しているとは思いませんが、
思想で史実を曲げるのは良くないこと。
ここも調べる価値はありますね。
卑彌呼の墓が久留米の祇園山でなく、宮崎の笠置山だとすると・・・ どちらも百余人の殉死者を満たしている可能性はある。 宮崎なら「陸行一月」もそれほど不自然ではない。 「径百余歩」は祇園山なら短歩、笠置山なら長歩となる。 笠置山はあまり調査もされずに破壊されているようなので、 東国原知事にも考慮をお願いしたいものです。
卑彌呼の墓が久留米の祇園山でなく、畿内の箸墓だとしても・・・ どちらも百余人の殉死者を満たしている可能性はある。 畿内とすれば「陸行一月」は自然です。 「径百余歩」は祇園山なら短歩、箸墓なら長歩となる。 箸墓は宮内庁が調査を認めていないようなので、 宮内庁にも考慮をお願いしたいものです。
不彌國は「宇美」ではなく、宝満(ほうまん)山の西麓の太宰府と考えるほうがよいでしょう。
水行二十日は宝満川・筑後川を下り、有明海に出るルートになります。
投馬國も問題ですが、邪馬壹國=久留米は厳しいかな?
>>187 >卑彌呼の墓が久留米の祇園山でなく、畿内の箸墓だとしても・・・
>どちらも百余人の殉死者を満たしている可能性はある。
箸墓に殉死者の痕跡があるのですか?
>>170 のサイトによると、笠置山古墳に隣接する「鳥型の羽根部分」には
穴を掘っただけの土壙墓が整然と並んでおり、推定でその数は100基ほどという。
投馬國=玉名から南水行十日、熊本県南部から狗奴國を避け、九州を横断して陸行一月でしょうか。
不彌國=宝満国=大宰府とすると、邪馬壹國への道が見えてきそうです。 今週はこれにて。 ZZZ・・・・
191 :
日本@名無史さん :2008/06/08(日) 14:59:57
>>184 畿内には、「卑弥呼喫茶」だったかな?
巻向周辺になにかあった記憶がするwwwwwwwwwww
192 :
唐松山 :2008/06/08(日) 15:08:06
前方後円墳 って 鳥形?
193 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/06/08(日) 17:32:09
>>179 河童虫さん、いえ元コテは・・。
昨日はレス上とはいえ感情的になってすみませんでした。
夜遅く頭痛が酷くなってきたものですからつい・・。
大人気なくて申し訳ない。
194 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 20:40:34
唐松山さん 反論お願いします。 173 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/06/08(日) 00:55:27 唐松山さん ホツマには「おわします」という現代仮名遣いが使われています。 ホツマ文字は、ハングルと同じ発想で作られています。 ぜひ、反論を。
195 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 20:44:15
河童虫さん いますか? 通称、魏志倭人伝の著者 ちんじゅはどっちの漢字を当てるのが正解でしょうか? 「陳寿」、「陳寿」 どっち? みなさんも答えて!
196 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/08(日) 21:19:04
>>193 “ですが”さん
全然気にしていませんよ。
>>195 どっちも同じ文字になっています。レスを確認下さい。
私は普通『陳壽』としています。
197 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/08(日) 22:29:55
>>196 >私は普通『陳壽』としています。
本当にそれであってるのですか?
>>195 は訂正
訂正前
「陳寿」、「陳寿」 どっち? みなさんも答えて!
訂正後
「陳寿」、「陳壽」 どっち? みなさんも答えて!
198 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/08(日) 23:14:55
>>197 君の意図が見えない(単なる釣りか?)
少なくとも
晋書八十二巻陳壽伝には 『陳壽字承祚』と書かれています。
改め 警戒実施中
200 :
サガミハラハラ :2008/06/09(月) 08:20:28
犯人は青森高校の卒業生。 あ、私の後輩ですね。
201 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 10:22:41
改めドツボが秋葉原にナイフ持って突撃しないか心配です。
>>201 そんなレスするアンタの方が、世間では心配がってる事を、そろそろ悟りなさい。
203 :
ローガン :2008/06/09(月) 15:35:21
>>172 愛知県民さん。
1. 2. 3.の文、読み比べました。
隋書は多く後漢書をおそっています。そして後漢書は冒頭から、先行する魏志をおそっていますね。
後漢書記載の「…三十許国云々」のテキストが魏志にある事は明白であり、隋書の編者は後漢書の記事が「魏時」の事であると認識したからでしょうね。
「則魏志所謂邪馬臺者也」
わざわざ「魏志」とことわっている以上、特に問題ないでしょう。
まあ、色々想像は自由ですが。
204 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 00:11:40
ちょっとした打ち間違いに過剰反応、 物事を矮小化して話の流れをぶち壊す。 これが荒らしの本性です。
207 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 11:06:50
>>205 「心配がってる」って打ち間違いじゃあ済まねえだろw
じゃあ正しくはどう打ちたかったんだ?
糞ドツボの弁護をする気は更々ないが、 「心配がる」は関西でいいますね。 文面で意味が変わりますが、今の場合は標準語だと「警戒する」かな?
209 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 17:08:40
210 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/10(火) 20:17:27
私の様な馬鹿が いるから世の中発展するんですよ。 4,5世紀の編年 第1段が出来ましたので 古伝妄信を 覗いて下さい。
>>208 > 糞ドツボの弁護をする気は更々ないが、
> 「心配がる」は関西でいいますね。
> 文面で意味が変わりますが、今の場合は標準語だと「警戒する」かな?
単にゆとり世代的中学生レベルの言い回しなだけだろう。
いくら関西つーても、真っ当な大人はそんな言い方はしないと思うよ。
キミ、リアル厨決定ねw
212 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 22:49:57
>>211 そんなに悔しいの?
涙浮かべているよwwwwwwwwwww
213 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 22:53:54
>>211 生きる価値なし。でも、騒ぎは起こすなよ。ぷっ
そろそろあいつが現れっるかな?
>>208 ほんまかいな?
関西のどこらへん?
生まれてこの方聞いた記憶ないんやけど・・・
217 :
日本@名無史さん :2008/06/11(水) 00:18:48
>>216 が、必死に関西弁を使おうと努力している。www
218 :
日本@名無史さん :2008/06/11(水) 00:26:32
220 :
Q :2008/06/11(水) 00:53:08
えーと? 関西弁と邪馬台国の関係はよくわからないのですが? それはそれとして。 しつもーん! 12ちゃんでしてた「しんせつにほんのみすてりー」のトンカラリンですが? 吉村サクジ先生が出てきて、ピラミッドとのソウイをシサしたよーな、よーでないような。 で? トンカラリンの天文学的な検証ってどっかにありますか?
221 :
208ですが :2008/06/11(水) 02:42:22
>>211 間違いは誰にでもあるから、
そんなにうろたえなくても大丈夫ですよ。
因みに私は奈良の桜井出身です。
畿内説論者ではないですがw
222 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/11(水) 13:53:42
>>221 僕も奈良出身だが。
幼少年期しか奈良で育っていないので、「心配がる」は知らない。
梅雨の合間の曇りの日に、奈良の家へ草刈に行こう。
223 :
日本@名無史さん :2008/06/11(水) 15:43:25
「が・る」 [接尾]《動詞五(四)段型活用》形容詞・形容動詞の語幹や名詞に付く。 (〜そうに思う)(〜にふるまう)
224 :
朝吉 :2008/06/11(水) 23:13:47
辟易(へきえき)のこと? まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w まず下手な自作自演に癖癖w
225 :
日本@名無史さん :2008/06/11(水) 23:34:26
「がる」は吉野ヶ里遺跡の「ヶ里」を祖語とする。 古代ツングース系騎馬民族の言葉を起源としていることは明白。 奈良に「がる」を語尾に使う方言が存在するとすれば、 古代邪馬台国が、筑紫から奈良まで支配していたことの 傍証となる。
226 :
日本@名無史さん :2008/06/11(水) 23:42:08
(がる)は九州の言葉だよ。 (がり)はその活用形。 九州では(ガリガリ君)ていうアイスバーが有名なのがその証左だよ。 (白熊)も有名だが(白熊)はマルナガがおいしいよ。
228 :
日本@名無史さん :2008/06/12(木) 00:14:43
>>226 ガルは女言葉。英語のGIRLが典型例です。
<心配がる>は<心配GIRL>なのです。
つまりお母さん。玄関を出た瞬間に「ガスの元栓閉めたかしら」などと心配するあれですね。
オール電化にすれば解決します。電磁波が心配などと言うひとがいますが、それが心配GIRLです。
229 :
日本@名無史さん :2008/06/12(木) 00:42:01
関西弁で「かる」やったらあるけどなあ 例) おいドツボ、何してケツ”かる”んじゃ!このドアホウ!!
奈良県の香具師がいるんで極地ネタw
奈良市に確か「トミ」の付く登美が丘とか富雄
また押熊(おしくま)なる地名があったと思うが・・・
その二つの地は結構近いよね?
前者は
>
http://www.library.pref.nara.jp/reference/ref_example.html >奈良町風土記 続編』によりますと、
>「登美というのは神武天皇と 長髄彦(ながすねひこ)との戦いに
> 金鵄(きんし)の飛来によって皇軍が大勝を得たので、この地を鵄邑(とびのむら)と称したと
> 『日本書紀』に記されているところから 生まれたと伝えている。
> その後、鵄邑が鳥見郷となり鳥見庄と変わり、鳥見の鳥を忌んで佳字登美をあてた。」
>と記されています。
・・・と神武東征神話に由来し
後者は神功皇后とまだ子供の応神のヤマト入りを阻んだ二人の皇子の内、弟の忍熊王に由来するとか・・・
で何が言いたいのかと言うと神武と応神、二人の東征のストーリーは元ネタが同じだったのではと・・・
極地っすね… 押熊の近くには歌姫あと神功、高の原、朱雀という地名もあります 平城山(ならやま)と呼ばれる山が昔あって、今はニュータウンになってます。 歌姫は平城京の北にあり、京都に行く唯一の道でした。 以上、地元民でした。
232 :
隊長 ◆RxgHtAIcho :2008/06/12(木) 11:12:10
九州の熊本からですが、『心配がる』普通に使いますね。 他にも『欲しがる』『甘えたがる』『尖んがる』『意気がる』『くわえたがる』『舐めたがる』 『入れたがる』『行きたがる』『出したがる』『揉みたがる』『淋しがる』『悔しがる』 『冷たがる』『転がる』『成り上がる』『のし上がる』『はい上がる』『舞い上がる』等々。。。 大阪は別にして、普通に使いませんか?
「心配」と「がる」をくっつけるなら 「心配したがる」になるんじゃないかな?
それじゃ、心配したいみたいな意味になるじゃねーかwww
『心配がる』=心配に思う 『心配がってる』=心配に思ってる こんなところでいいんじゃないですか。
もう少し『心配がる、心配がってる』を、別な角度から見れば 『心配がる』は内からの視点 『心配がってる』は外からの視点
待て待て、梅毒が絡むとややこしくなる
不安がる 心配がる 安心がる
「不安がる」は一発変換できるけど、「心配がる」「安心がる」は「心配が−る」「安心が−る」と変換されるなあ。 俺的には、「不安がる」はあり。「心配がる」は、まあわかる。「安心がる」はない。
>>239 それは(〜する)と置き換えて見れば分かるのでは?
「心配する」「安心する」は、通常使用されるが
「不安する」は使わない。
つまり「心配と安心」は同じグループだか、「不安」は「心配、安心」とは別グループ だから
もう少し具体的に言えば、「心配、安心」とするものは、その要因が外との関係から形成され 一方「不安」は、要因が外との関係と、することが出来ない。 その辺の違いでは
はいはい、わかったから 梅毒さんもういいよ
>>242 はいはい
出入り自由の掲示板。
アンタに指図され動いている訳じゃないよ(世の中)
九州出身の俺としては、「心配がる」は、なんか有りのような気がするんだよね。 そのあとずっと関西で生活してるから、有りか無しかはっきり解らなくなってるけど。 だから、「〜する」をつければ、「不安」と「心配、安心」とグループ分けできるけど、 九州の方言を考えると、そうはっきりと分けていいのかなとも思う。
>>243 君並に言葉足らずだったかも知れないが、
心配がる論争は 言う と決着済みな上に
君のようなトンチンカンが雄弁と語って泥沼にするなと
書いたつもりだが。
>>245 貴方の頭の中が決着済みなら、貴方はそれはそれでいいじゃん。
>貴方の頭の中が決着済み ワロタw梅毒ファビョったのかw? 日本語でおk
248 :
日本@名無史さん :2008/06/12(木) 22:22:03
個人的主観 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命・倭姫命・神功皇后のいずれかじゃね? 邪馬台国=熊本・徳島・奈良のいずれかじゃね?
249 :
サガミハラハラ :2008/06/12(木) 22:57:27
邪馬台国は佐賀県です。
>>248 邪馬台国は九州で、卑弥呼は畿内。
それなら九州説、畿内説、両者のメンツは立ちますね。
めでたしめでたし。
251 :
日本@名無史さん :2008/06/12(木) 23:08:16
改訂 邪馬台国=宮崎・熊本・福岡・徳島・愛媛・奈良
倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。もと百余國。 漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十國。 郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、韓國をへて、 南し、あるいは、東し、その北岸狗邪韓國に到る。 七千余里にしてはじめて一海を度る。千余里にして対海國に至る。 その大官を卑狗といい、副を卑奴母離という。居する所絶島にして、方四百余里ばかり。 土地山険にして、深林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸あり。 良田なく、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴す。 また南に一海を渡ること千余里にして一大國に至る。官をまた卑狗といい、 副を卑奴母離という。方三百里ばかり。竹木叢林多く、三千ばかりの家あり。 やや田地ありて、田を耕せどもなお食するに足らず、また南北に市糴す。 また一海を渡ること千余里にして末廬國に至る。四千余戸あり。山海に浜いて居す。 草木茂盛し、行くに前人を見ず。よく魚鰒を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。 東南、陸行五百里にして、伊都國に到る。官を爾支といい、副を泄謨觚という。千余戸あり。 世に王ありて、皆女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり。 東南、奴國に至るには百里。官を馬觚といい、副を卑奴母離という。二万余戸あり。 東行して不弥國に至るには百里。官を多模といい、副を卑奴母離という。千余家あり。 南、投馬國に至るには水行二十日。官を彌彌といい、副を彌彌那利という。五万余戸ばかり。 南、邪馬壹國に至るには水行十日、陸行一月。 女王の都する所なり。 官に伊支馬あり、次を彌馬升といい、次を彌馬獲支といい、次を奴佳という。七万余戸ばかり。
女王國より以北はその戸数・道里を略載し得べきも、その余の旁國は遠絶にして詳かにするを得ず。 次に斯馬國あり、次に已百支國あり、次に伊邪國あり、次に郡支國あり、次に彌奴國あり、 次に好古都國あり、次に不呼國あり、次に姐奴國あり、次に対蘇國あり、次に蘇奴國あり、 次に呼邑國あり、次に華奴蘇奴國あり、次に鬼國あり、次に爲吾國あり、次に鬼奴國あり、 次に邪馬國あり、次に躬臣國あり、次に巴利國あり、次に支惟國あり、次に烏奴國あり、 次に奴國あり。これ女王の境界の尽くる所なり。 その南に狗奴國あり、男子を王となす。その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。 郡より女王國に至るには万二千余里。
男子は大小となく、皆黥面文身す。古より以来、その使中國にいたるや、皆自ら大夫と称す。 夏后少康の子、会稽に封ぜられしに、断髪文身し、もって蛟竜の害を避く。 今、倭の水人、よく沈没して魚蛤を捕え、文身し、またもって大魚・水禽を厭わせしも、 後やや以て飾りとなす。諸國の文身各々異り、あるいは左にあるいは右にし、 あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。 その道里を計るに、まさに会稽東治の東にあり。 その風俗淫ならず。男子は皆露し、木緜を以て頭に招ぐ。その衣は横幅にして、 ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。婦人は被髪屈し、衣を作ること単被の如く、 その中央を穿ち、頭を貫きてこれをきる。 禾稲・紵麻をうえ、蚕桑緝績し、細紵緜をいだす。その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・楯・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。 有する所、擔耳・朱崖と同じくは無し。 倭の地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆徒跣。屋室ありて、父母兄弟、臥息処を異にす。 朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるが如きなり。食飲には豆を用い手食す。 その死には棺あるも槨なく土を封じて冢を作る。はじめ死するや喪に停まること十余日、 時にあたりて肉を食わず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す。 すでに葬れば、挙家水中に詣りて澡浴し、もって練沐の如くす。 その行来、渡海して中國に詣るには、つねに一人をして頭梳らず蝨を去らず、 衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰と爲す。 もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、もし疾病あり、暴害に遭えば、 便ちこれを殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。 真珠・青玉をいだす。その山に丹あり。その木には・杼・予樟・・櫪・投・橿・烏号・楓香あり。 その竹には篠・・桃支。薑・橘・椒・荷あるも、以て滋味となすを知らず。猴・黒雉あり。
その俗、挙事行来に云爲する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、 先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く火を視て兆を占う。 その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。 大人の敬する所を見れば、ただ手を搏ち以て跪拝に当つ。 その人の寿考、あるいは百年、あるいは八・九十年。 その俗、國の大人は皆四・五婦、下戸もあるいは二・三婦。婦人淫せず、 妬忌せず、盗竊せず、諍訟少なし。 その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す。 尊卑各ヽ差序あり、相臣服するに足る。 租賦を収むるに邸閣あり。國國市ありて有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。 女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。 これを畏憚す。常に伊都國に治す。國中において刺史の如きあり。 王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國にいたり、および郡の倭國に使するや、 皆津に臨みて捜露し、文書・賜遣の物を伝送して女王にいたらしめ、差錯するを得ず。 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、 あるいは蹲りあるいは跪き、両手は地に據り、これが恭敬を爲す。 対応の声を噫(/)という、比するに然諾の如し。
その國、本また男子をもって王となし、とどまること七、八十年。 倭國乱れ、相攻伐すること歴年、すなわちともに一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。 鬼道につかえ、能く衆を惑わす。年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、たすけて國を治む。 王となりしより以来、見る者少なく有り、婢千人を以て自ら侍せしむ。 ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。 宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。 女王國の東、渡海千余里にしてまた國あるも、皆倭種なり。 また侏儒國あり、その南にありて人の長三、四尺、女王を去ること四千余里。 また裸國・黒歯國あり、またその東南にありて船行一年にして至るべし。 倭の地を參問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、 周旋五千余里ばかりなり。
景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。 太守劉夏、吏将を遣わし送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、 「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、 汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉りもって到る。 汝がある所はるかに遠きも、すなわち使を遣わして貢献す。これ汝の忠孝、我はなはだ汝を哀れむ。 今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。 汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。汝が来使難升米・牛利、 遠きをわたり、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、 銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。 今、絳地交龍錦五匹・絳地粟十張・絳五十匹・紺青五十匹を以て、汝が献ずる所の貢直に答う。 また特に汝に紺地句文錦三匹・細班華五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二ロ・銅鏡百枚・ 真珠・鉛丹各ヽ五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。 還り到らば悉く録受し、もって汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。 故に鄭重に汝によきものを賜うなり」。
正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて、倭國に詣り、 倭王に拝仮し、ならびに詔を齎し、金帛・錦・刀・鏡・采物を賜う。 倭王、使に因って上表し、詔恩に謝す。 その四年、倭王、また使の大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青・ 緜衣・帛布・丹・木・短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。 その六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、郡に付して仮授せしむ。 その八年、太守王官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。 倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹史張政等を遣わし、 因って詔書・黄幢を齎し、難升米に拝仮せしめ、檄を爲してこれを告喩す。
卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。 徑百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。 更に男王を立てしも、國中服せず。更に相誅殺し、当時千余人を殺す。 また卑弥呼の宗女壹與 年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる。 政等、檄を以て壱与を告喩す。 壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。 因って台に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・青大句珠二枚・異文雑錦二十匹を貢す。
イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
261 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 07:20:50
今使訳通ずる所三十國 北岸狗邪韓國を含めるのか、狗奴國なのか、迷うとこだよね。 この場合は、狗奴國を含めて「三十國」とするのが正解とする。 反論あるかたどうぞ!
唐突に原文とか 書くやつ何なの? コピペは最初に書くだけでいいだろ
263 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 07:25:53
徇葬する者、奴婢百余人 この「徇葬」についておくが深そう・・・。 他の史書では「殺人徇葬」とかきされてたりする。 どこだったかな・・・。 そして「水行十日、陸行一月」の不可解な謎の日数。 実は、我々、現代人より昔の人のがこの記事について詳しかったのでは? 大体、わたしはこの謎について分かってきたところ。
264 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 07:30:37
「印綬」 そのまま、「印鑑を授かる」と読むべき! 「一女子」 一人の女子、と読む。 卑弥呼はおばあさんではなく、 卑弥呼が共立されたときは、ガキんちょだったとする。 どこにも、おばあさんで共立されたとは記されてない事実。 あくまでも「女子」すなわち、子供です。
265 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 07:38:45
景初二年六月・・・ その年十二月・・・ 正始元年・・・ こうゆうのは文献に必要な記録記事ですが、 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼 ここは、記録記事ではないとします。 もし、ここに「正始元年」などの記事があれば、それは「魏時代の記録」となるが、 倭國亂の記録とは既に後漢書で記されてるのである。 よって、倭國亂が二つあるbなど言ってはいけない! 卑弥呼も一人つなる! <後漢書> 桓、靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立為王 侍婢千人 少有見者 唯有男子一人給飲食 傳辭語 居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衛 法俗嚴峻
266 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 07:40:49
船行一年可至 どこだろうね? では、また夜会いましょう!
私は参加しないよ
梅毒に同意。嫌だから。
269 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 18:05:05
>>267 >私は参加しないよ
あら どうしたんでしょーか?!
ここ終止符スレは、私と河童さんが書き込んでこそ、盛り上がると感じてる。
ご不満なら新しいスレ作りますか? 河童さん〜
271 :
サガミハラハラ :2008/06/13(金) 18:45:16
ご購入ありがとうございます。 倭国歴訪からすでに8年。弱点や新解釈発見等さらに進展した内容で神功皇后は実在したの付録として メジャーで辿る邪馬台国として収録しております。 是非ご一読を。本屋さんにはほとんどないので、図書館にリクエストなさるのがよろしいでしょう。
272 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/13(金) 18:51:26
いえいえ、こちらこそ勉強になります。 >倭国歴訪からすでに8年。 とすると、サガミハラハラさんの古代史歴は16年ですか? この中で一番長いのでは? 神功皇后は実在した? サガミハラハラさん的にはどれが一番お薦めでしょうか。
273 :
日本@名無史さん :2008/06/13(金) 19:40:38
誰か邪馬台国を語ってくれ! ってか「語れる人」なんて2ちゃんには少ないよな・・・。 河童虫さーーん 出番ですよ。
274 :
日本@名無史さん :2008/06/13(金) 19:50:10
畿内説の人等てほんと怖いよね・・・。
とくに畿内説の方々は「4世紀中葉」の倭迹迹日百襲姫命の大市墓こと「箸墓」を
4世紀中葉から4世紀前半へ、4世紀前半から3世紀後半、挙句の果てには、
4世紀中葉の箸墓を3世紀半葉ときたもんだ!どんどん年代を自分等の都合のいいようにしてる。
↓ここフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でもいつのまにか、
3世紀半葉に変わってるし(笑) もう笑うしかナイ(笑)
箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)は、奈良県桜井市箸中に所在する
箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており、
3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3
「邪馬台国考」 三十国体制と纏まり、帝国と往来が始まったのが紀元前二世紀末(自武帝滅朝鮮) 九州を拠点に本格的に東へ進出始まる。
276 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/13(金) 21:03:13
三十国体制 神武 東征前の 九州の体制も 32国? 同じと考えても良い?
「邪馬台国考 概略」 范曄が後漢書倭伝を書いた目的の一つに、漢時にも魏時同様塞曹掾が倭地に派遣され、既に 倭地の情報は把握されていたと言うことです。 つまり、初代女王卑弥呼が誕生した裏側には、漢朝による属国に対する戦略的管理という意図があったということです。漢時に朝見が記録のように二回だけである筈が無く この二回の朝見記録を記載することにより、漢時に起きた「倭国大乱」の起因を示唆すると言う 范曄の技法。 57年の朝見は邪馬台国(三十国体制)を支配する男王達の代表が朝見し、光武帝から印綬(印鑑証明)を受けているので、邪馬台国は漢の属国だったことは間違いないでしょう。一方107年の朝見は邪馬台国からの朝見ではなく 帥升という名称が示すとおり、本州からの代表であって 当時列島の中心的位置に属する、邪馬台国とは対的に位置する国でした。 (続きは気が向いたときにでも)
>>276 東征は大きく分けて二回
神武はその完結に携わった人
最初は紀元前二世紀〜二世紀(一度押し戻される)
二度目は三世紀後半〜五世紀後半
「邪馬台国考 概略」 107年に生口160人を手土産に帝国を訪れた帥升ではあったが、既に漢朝には邪馬台国が食い込んでおり、 生口160人の豪華な土産を持参しても「願請見」は生口160人と交換に「倭国王の称号」を得ただけで、本来の願いはかなわなかった。 邪馬台国は漢朝をバックに本州侵略を進め その行為に困惑する本州グループの代表である帥升が対策に直接バックに願い出たと言う行為が107年の帥升來朝「願請見」
「邪馬台国考 概略」 つまり 「倭国大乱」とは、漢朝をバックに本州侵略をたくらむ邪馬台国(三十国体制)と、それを阻止しようとする 帥升(本州側)の争い 邪馬台国は一時かなり本州に食い込んだが、侵攻途中で中心的なリーダーが戦死し、リーダー不在となった邪馬台国側は、覇権を争い内乱状態(相攻伐)となり、戦況は一転し 徐々にその侵攻も押し戻されるようになる。
改めドツボ監視中・・・ >河童虫 ◆EY2wfgakAQ >「邪馬台国考 概略」 で、帥升って何処の人なん?w てか第2次東征が三世紀後半〜五世紀後半? 気は確かか?w
282 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 01:07:09
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
283 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 02:06:20
>>269 改め ◆PWTcGEfp1s
>ご不満なら新しいスレ作りますか? 河童さん〜
また重複スレ立てるつもりかこの馬鹿は。
自分で掲示板でも作ってそこで河童と死ぬまで語ってろドアホウ!
284 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 04:03:56
>>283 他所へ行け あほか!
新しいスレ(第二段スレ)立ててなにが悪いんだ?
大体、終止符スレからでていけ おまえ
285 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 04:13:12
>>284 馬鹿か?
この板のローカルルール百回声出して読んで来いカス!
>◆スレッドを立てるときの注意◆
> ●既存スレッドとの重複は禁止。
> スレッドを立てるときは、タイトルを一通り検索してからにしましょう。
> スレッド一覧を開き、Windowsの場合はCTRL+F、Macの場合はコマンド+Fで
> ブラウザ検索をしてください。
> 重複スレッドには既出スレのURLを貼って誘導してください。
それとも200や300レスで次スレか?
馬鹿は2ちゃんから出て行け!!
286 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/14(土) 09:21:41
>>281 >帥升は何処の人?
後漢書認識の倭地の人
だから「倭国王」の称号を賜った。
>正気か?
いたってマジ。
>>285 >馬鹿は2ちゃんから出ていけ
『空白の2ちゃんねる』(笑)
288 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 10:36:06
そして誰もいなくなった・・・
鯖落ち
↑意味プー
291 :
テレビ東京 :2008/06/14(土) 13:00:19
今週の番組で、熊本県にピラミッドがある、と報じていたが、これこそ 邪馬台国?
292 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/14(土) 13:00:52
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
ミナミ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
295 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 13:37:47
>281 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/06/14(土) 13:34:22
>
>>280 >
>そうだそれでいい
>おまえは終止符くるな
>
>ここでスレ主ゴッコしてなさい
うーん、残念!!
2ちゃんでスレ主ごっこなんてする馬鹿
『 神奈川県民改めドツボ 』
ぐらいですから!!
>>275 >「邪馬台国考」
>三十国体制と纏まり、帝国と往来が始まったのが紀元前二世紀末(自武帝滅朝鮮)
>九州を拠点に本格的に東へ進出始まる。
基本的な考えが間違っているのっでは?
天皇家の祖先は今の、「和歌山県」、「三重県」、「奈良県」、「大阪府」らへん一帯に居た。
そこから西進、東進が始まるのです。
ヤマトタケルノミコト知ってるんですか?
たまには、日本書紀関連の本でも読んでみたらどお?
監視中
299 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/14(土) 14:40:10
>>297 基本的に間違ってると考えるなら、邪馬台国の建国から共立に至までのストーリーを述べてみな。
>>299 分かりました。
そのかわり貴方はヤマトタケルノミコトについて語ってください。
それ条件で!
>>298 >監視中
河童さんは「無視」で改めは「監視」でしたっけ?
301 :
改め研究家 :2008/06/14(土) 14:53:33
改めを監視!
後漢書によると、 「・・・・・凡百餘國・・・・・・使驛通於漢者三十許國」 およそ百餘國、使譯漢に通ずる者三十許國。 この卑弥呼の倭である「三十國」ができたのも「漢」の時代ということ。 邪馬台国の建国もこの時代となる。 そして、「百餘國」から「三十國」へ変貌したということ。
303 :
河童 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/14(土) 15:02:31
>>299 記紀の内容については語らないよ。
ヤマトタケル=アラレちゃんクラスのツオイ人
304 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/14(土) 16:30:56
改めさん 河童氏の 掘った落とし穴に 何の意味もありませんよ 誰か落ちないかと 網を張ってるだけ。
>>304 で、そんなレスして
何か意味あるの?
私はただ、邪馬台国を語ってくれと言う改め君のリクエストに応えただけですが。
邪馬台国の卑弥呼の屋敷の周りには、環濠を掘って、 そこに水銀を満たして敵の侵入を防いだらしい。
307 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/14(土) 18:20:54
それで 語らないんだから 何の意味もない 只の釣、落とし穴
308 :
唐松山 :2008/06/14(土) 18:29:24
>306 水銀の池なら 走って渡れる? 比重が重いから。 其れより先に 水銀泥棒ヨケのために もう一つ 勘合を掘る。
卑弥呼が女王 それでいいじゃん
310 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/14(土) 19:04:37
改めさ〜ん、河童さ〜ん 私は、是まで 次のような物を食べてきました。 日本書記、古事記、旧事記、ほつま、墓標。 私の胃袋は コレラを受け付け 病気にも成らず、半分消化 その他に 何か面白そうな ゲテモノは、無いですか? 生まれが ゲテモノ喰いで有名な、○○県ですので、
311 :
唐松山 :2008/06/14(土) 19:20:05
312 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 20:57:49
環濠には水を満たし逆諸木を沈めることで、 泳いでも船を使っても渡れないようにしていました。
313 :
唐松山 :2008/06/14(土) 21:03:42
水銀の池、 沈みたくても 沈めない。 比重を知っていますか?
315 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/14(土) 21:59:23
改めさん ありがとう 食べてみますか。
316 :
唐松山 :2008/06/14(土) 22:03:04
嫁さんが 横やりを入れてきた。 明日 以降
>>302 >「百餘國」から「三十國」へ変貌したということ。
この場合の変貌には
@ 「百餘國」の範囲は変わらず、百餘國が三十國に集約された
A 「百餘國」の中から三十国だけが
という変貌が考えられますが いかが?
>315 名前:唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/14(土) 21:59:23 改めさん ありがとう 食べてみますか。 316 名前:唐松山 :2008/06/14(土) 22:03:04 嫁さんが 横やりを入れてきた。 明日 以降 で、どうして トリップ有りとトリップ無しが何時も交互に表れるの?
河童さん〜あんた考古学を語ってくださいよ(笑) どれだけ知ってるの?考古学w
>>319 >考古学
全く知らん(^O^)/
ただ、自宅の裏山の古墳の発掘調査の時、鏡が顔を地表に覗かせた時は感動した。
考古学の知識なんてあるわけねぇ‐だろ
数年前まで、歴史の知識は小学生レベルだよ
今、やっと中学生レベルにまでは上げたけど
321 :
サガミハラハラ :2008/06/15(日) 00:16:04
>>272 やはり一番新しい「神功皇后は実在した」です。付録として「メジャーで辿る邪馬台国」がついています。
「倭国歴訪」を修正し、あらたな発見や解釈を付加しております。
>>319 改め ◆PWTcGEfp1s
>どれだけ知ってるの?考古学w
「万世一系」も「神武東征服」も丸呑みしているドツボが言う台詞じゃないな・・・
Dotubo kannsityuu....
324 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 06:39:40
>>322 >「万世一系」も「神武東征服」も丸呑みしているドツボが言う台詞じゃないな・・・
太国がいうように大体の王の古墳の数が合っているように問題ない。
まあ、考古学からみれば、日本書紀の記述なんてまるで合ってないわな。
325 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 06:48:26
倭人伝と日本書紀、どっちも日本建国の過程が記されているが、 倭人伝と考古学は一致する。 しかし、日本書紀とはまるで一致しない。 たとえば年代である。 日本書紀と考古学では一致するどころかズレが生じているとしか見れない。
326 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 07:09:36
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての 混乱を断定形で正して見解している。 遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告 をもって、その混乱も解消した。 「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」 (原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也) この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐 とされている。 日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく確認で きていなかったことは事実である。 しかし、ヤマト側の中国の認識よりも、隋国の使者が正しくヤマト側 のことを伝えていれば、それでよいのである。
327 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 07:18:17
ここ終止符スレではあまり考古学に関することが議論・話し合われてないので たまには考古学を扱おうか...。 ていうか、考古学に関して詳しい人はだれかな? サガミハラハラさんとかさすが本をだしてるだけあって少しは知ってそうだね。 そして、この20では考古学を学ぶとしよう。
328 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 07:23:38
Wikipediaで「考古学」を検索すると以下のことが書かれている。 考古学(こうこがく)は人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、 人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の 人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても 文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、 文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、 中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。 近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)が発掘調査されることがある。 考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の 通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と推察される遺物の 施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、 遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。 誰か踏んで!
329 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 07:24:41
ダイ国は九州にあった。 大和は秦王国だろ。
330 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 07:38:11
秦王国と言えば、四国徳島。 三輪山には先住民が住んでいた。
331 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 07:39:01
>縄文時代は、年代でいうと今から約16,500年前から較正年代法による。
>約3,000年前、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、
>世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。
>旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 >弥生時代は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に後続し、
>古墳時代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃から3世紀中頃までにあたる時代の名称である。
>弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に
>移住することによって始まった。(しかし、近年になって縄文末期に属する
>岡山県総社市の南溝手遺跡の土器片中からプラント・オパールが発見されたことにより、
>紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることが判明し、
>また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも
>判明しつつあり弥生時代のはじまりははっきりと定義できない状態である)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3 古墳時代とは、一般に3世紀半ばすぎから7世紀末までの約400年間を指すが、
中でも3世紀中葉過ぎから6世紀末まで前方後円墳が北は東北地方から南は
九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の世紀ともいわれる。
前方後円墳が造られなくなった7世紀には、方墳・円墳、八角墳などが造り続けられ
終末期と呼ばれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3 以前、わたしが読んだ考古学の本には、縄文時代とは、約12000年前から始まり、
弥生が始まる2300年前(紀元前3世紀)までで、そこからは弥生時代。
弥生時代とは、紀元前3世紀〜紀元後3世紀までの時代をいい、3世紀終わり、
又は4世紀からは古墳時代が始まるとあったが、Wikipediaが書いてあるソレとは、
まるっきり違うよね・・・。
332 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/15(日) 07:53:34
>>325 1年が1年365日だというお前の矛盾の吐露だな。wwwwww
思い知ったか? 当時倍暦をやってたんだよ。
お前が思い直すしかあるまいが。wwwwww
333 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 08:01:52
334 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 08:06:04
>>332 >1年が1年365日だというお前の矛盾の吐露だな。wwwwww
>思い知ったか? 当時倍暦をやってたんだよ。
誰が当時倍暦をやってたの?
わたしが言いたいのは「国家」ではナイということ。
稲を作るプロセスでの数え年でしょ。
現に今現在、1年は1年であり国内、どこにもそれの名残なんてないではないか。
335 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 08:36:02
愛知県民んさんは今日くるのかな?
>>171 >魏志の卑彌呼は、後漢書の卑彌呼より年をとっているようです。
>(後漢書)年長不嫁(魏志)年已長大無夫壻
>(後漢書)事鬼神道能以妖惑衆(魏志)事鬼道能惑衆
「年已長大無夫婿」
としすでに長大なるも夫婿なし と読むべきです。
「乃共立一女子為王 名曰卑彌呼」
共立されたときは、子供だったということ。
唐松山さんへ
>>173 を観て下さい!
>ホツマには「おわします」という現代仮名遣いが使われています。
>ホツマ文字は、ハングルと同じ発想で作られています。 ぜひ、反論を。
唐松山さん〜反論お願いします。
温暖な九州や四国では、2期作が行われていました。 つまり、夏の初めと秋の2回収穫できたのです。
337 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 08:41:16
338 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 08:58:03
魏略 裴松之注によれば、 其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀 その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収をはかり年紀となす。 とあるので、稲作文化の列島はでは、そんなかんじだったのだろう。 しかし、日本=和(大和朝廷)で倭(九州)とは別物とするわたしから言わせれば、 日本=和(大和朝廷)は年季を知っていたよ。といいたいのである。 「年」を知らないのは人々つーことかな。
>>332 何だ、暫らく出てこないから逝っちまったのかと思ったら、まだ生きてたのか。
変に期待させるなよ。
>>335 改めさん
>「乃共立一女子為王 名曰卑彌呼」
>共立されたときは、子供だったということ。
違います。
後漢書に「有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁・・・於是共立爲王」とありますから。
「其國本亦以男子爲王」「唯有男子一人給飮食、傳辭出入」は男の子?
>唐松山さん〜反論お願いします。
唐松山さんも、事実には反論できないと思いますよ。
私はホツマは怪しいと見ています。
>>203 ローガンさん
>後漢書は冒頭から、先行する魏志をおそっていますね。
これは違うでしょう?
「自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國」
魏時ではなく漢時ですよ。
范曄が参考にしたのは魏志でなく、八家(又は七家)後漢書といわれる現存しない史書群です。
>>263 改めさん
>そして「水行十日、陸行一月」の不可解な謎の日数。
>実は、我々、現代人より昔の人のがこの記事について詳しかったのでは?
>大体、わたしはこの謎について分かってきたところ。
そうですか? ぜひ教えてほしいですね。
私は連続式に呼んで、不彌國=宝満国(大宰府)、宝満川から南へ水行までは辿れると思います。
ただ、その先がよく分からないのですね。
投馬國=筑後平野、邪馬壹國=熊本平野か。
投馬國=筑後平野・熊本平野、邪馬壹國=宮崎平野か。
後者でも日数は長いですが、行軍じゃなくて大名旅行でしょうし。
343 :
サガミハラハラ :2008/06/15(日) 09:56:04
*昔の人のがこの記事について詳しかったのでは? 太平御覧をみますと、その改編の仕方からみて昔の人も理解できなかったようです。
>>338 『不知正歳四節』とは
倭地では、我が帝国とは違い
「年・時(季節)・月・日 - 記事」という春秋体裁を知らないと、言っているのです
つまり
十二月を年の終わり、正月を年の始めとし年度の切り替え(歳)を行っているわけではなかったと言うことです。
345 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 10:16:11
神奈川県民=三重県民=改めドツボ監視中・・・
>>343 中国人もビックリ放射説w
346 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/15(日) 10:22:29
>>334 >誰が当時倍暦をやってたんの?
反問するが誰が当時グレゴリオ暦をやってたのか?wwwww
>わたしが言いたいのは「国家」ではないということ
意味不明・・・?
>どこにもその名残なんてないではないか
名残の有無で暦法の有無を結論つけるお前の豆脳が、現代観に染まっていて
抜け出せないひどさがありありだな。wwwwwww
347 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/15(日) 10:32:56
>>337 否定してるのはお前だよ。よくお前はデタラメを繰り返す。
348 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 10:57:35
>>340 >違います。
何がちがうのでしょーか?
>後漢書に「有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁・・・於是共立爲王」とありますから。
>「其國本亦以男子爲王」「唯有男子一人給飮食、傳辭出入」は男の子?
はい、男の子です。そこにそー書いてるじゃないですか。
もちろん見えますよね?
349 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 11:02:24
>>348 >何がちがうのでしょーか?
卑彌呼は共立時点で「年長不嫁」です。
「子」だから子供とは限りませんよ。
孔子は子供?
改めさんの「女子=女の子」「男子=男の子」説、案外面白いかも。 「其國本亦以男子爲王」も子供だったとすれば、七八十年在位もおかしくない。 「唯有男子一人給飮食、傳辭出入」も美少年だったのかもね。
>>342 >そうですか? ぜひ教えてほしいですね。
>私は連続式に呼んで、不彌國=宝満国(大宰府)、宝満川から南へ水行までは辿れると思います。
>ただ、その先がよく分からないのですね。
>投馬國=筑後平野、邪馬壹國=熊本平野か。
>投馬國=筑後平野・熊本平野、邪馬壹國=宮崎平野か。
「連続式」正解です。
わたしも大体は分かってきてるので、後日、ここへ書き込みます。
>後者でも日数は長いですが、行軍じゃなくて大名旅行でしょうし。
大名旅行?「旅行」ではないですよ。(笑)
愛知県民さん〜いつから太国になってしまったんでしょう....。
其國境東西五月行南北三月行各至於海
まあここらへんがヒントになるかと思います。
>>348 >はい、男の子です。そこにそー書いてるじゃないですか。
もちろん見えますよね?
男の子かそうでないかは、この韓伝中の魏略逸文を参考に判断されてはいかがでしょうか?
【魏略曰、初右渠未破時、朝鮮相歴谿卿以諫右渠不用東之辰國、時民隨出居者二千餘戸、亦與朝鮮貢蕃不相往來、至王莽地皇時、廉斯saku[偏金旁齒]爲辰韓右渠帥、聞樂浪土地美人民饒樂、亡欲來降。
出其邑落、見田中驅雀男子一人。其語非韓人。
問之、男子曰「我等漢人、名戸來、我等輩千五百人伐材木、爲韓所撃得、皆斷髮爲奴、積三年矣。」saku[偏金旁齒]曰「我當降漢樂浪、汝欲去不。」戸來曰「可。」
saku[偏金旁齒]因將戸來出詣含資縣、縣言郡、郡則以saku[偏金旁齒]爲譯、從kin[冠艸脚今]中乘大船入辰韓、逆取戸來降伴輩、尚得千人、其五百人已死。
saku[偏金旁齒]時曉謂辰韓、「汝還五百人。若不者、樂浪當遣萬兵乘船來撃汝。」辰韓曰、「五百人已死、我當出贖直耳。」乃出辰韓萬五千人、弁韓布萬五千匹。
saku[偏金旁齒]收取直還郡、表saku[偏金旁齒]功義、賜冠乍saku[偏巾旁責]田宅、子孫數世、至安帝延光四年時、故受復除】
ここに掲載されている
『男子』や『男子一人』が男の子であるか判断できるはずです。
>>351 >改めさんの「女子=女の子」「男子=男の子」説、案外面白いかも。
いえいえ、面白いではなくそれが真実なのです。
更立男王國中不服
ここは「男王」です。
陳壽はちゃんと書き分けてるということ。
>「其國本亦以男子爲王」も子供だったとすれば、七八十年在位もおかしくない。
>「唯有男子一人給飮食、傳辭出入」も美少年だったのかもね。
そう、七、八十年です(笑)
「唯有男子一人給飮食、傳辭出入」は少年です。
「無文字、唯刻木結繩。敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字。」 隋書のこの記事、古代文字があった証拠とも取れる。 木に何を刻んでいたのだろう?
356 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 11:41:25
>>350 >卑彌呼は共立時点で「年長不嫁」です。
>「子」だから子供とは限りませんよ。 孔子は子供?
『卑彌呼は共立時点で「年長不嫁」です』とか、倭人伝のどこに記されてるんですか?
どこにもそうようなことが記されてませんよ!
いったいどこからそう解釈したんでしょーか?
倭人伝の原文をよくみて解析して説明して下さい。
357 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 11:44:14
>>353 河童さん
もういっぺん「辞書」と「原文」だけを眺めて解析をやり直しなされ。
一からやり直したほうがいい。
>>357 >もういっぺん「辞書」と「原文」だけを眺めて解析をやり直しなされ。
一からやり直したほうがいい。
じゃあやり直してきますので では
>>356 >『卑彌呼は共立時点で「年長不嫁」です』とか、倭人伝のどこに記されてるんですか?
卑彌呼共立は後漢時のことであり、後漢書倭伝を重視すべきです。
後漢書倭伝の原文をよくみて下さい。
360 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 11:56:00
また、いじけたょ〜この人はw いじけずに反論して下さい 河童さん
後漢書に「有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁、事鬼神道能以妖惑衆。於是共立爲王」 「年長不嫁」の卑彌呼を「共立」したということです。
362 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 12:02:29
>>359 >卑彌呼共立は後漢時のことであり、後漢書倭伝を重視すべきです。
おっしゃるとおり!
>後漢書倭伝の原文をよくみて下さい。
桓、靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主
有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立為王
侍婢千人 少有見者 唯有男子一人給飲食 傳辭語
居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衛 法俗嚴峻
ハイ、よく読みましたが?
卑弥呼も壹與も唯有男子一人給飲食も狗古智卑狗もみな子供ですよ。
「卑彌弓呼素」さんや「更立男王」は7子供とは記されてませんが...。
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
更立男王,國中不服,更相誅殺,當時殺千餘人
では 最後に 其奴, 男子入于罪隸 ,女子入舂槁 (漢書 刑法志) 男子力耕不足糧饟 ,女子紡績不足衣服 (漢書 食貨志) 男 子 耕 農 , 種 禾 稻 紵 麻 , 女 子 桑 蠶 織 績 . 亡 馬 與 虎 , 民 有 五 畜 (漢書 地理志) 又 制 戶 調 之 式 : 丁 男 之 戶 , 歲 輸 絹 三 匹 , 三 斤 , 女 及 次 丁 男 為 戶 者 半 輸 . 其 諸 邊 郡 或 三 分 之 二 , 遠 者 三 分 之 一 . 夷 人 輸 賨 布 , 戶 一 匹 , 遠 者 或 一 丈 . 男 子 一 人 占 田 七 十 畝 , 女 子 三 十 畝 (晋書・志)から抜粋
364 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 12:41:35
>>361 「子供」の卑彌呼を「共立」したとも記されてるわけですよ。
読み方があるのかもしれません。
この問題は、少し解決するまでには時間がかかりそうですね。
365 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/15(日) 12:42:13
>>349 何だ〜この文句は? →
>>337 お前が俺になってるではないか。
相変わらずデタラメの吹鳴だな。
否定してるから、
>日本書紀とはまるで一致しない。たとえば年代←
>>325 はっは!ww お前は困りはてている。wwwwwwww
男子で男の子、女子で女の子? 何言ってんだドツボは? てかもうこんな物、漢籍に対する知識がどうのこうのってレベルじゃなくて ドツボ アタマ ダイジョーブカ? ・・・ってレベル の話だなw
367 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 12:53:37
『三国志』呉書
秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海
子供は、童男童女と記されてるよね...。
う〜ん やっぱり違うのかな。。。
>>366 お前はうるさい ドンコイ行ってろ。
368 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/15(日) 13:01:06
>>362 もっと正確に読みましょう。
>狗古智卑狗もみな子供ですよ。
狗古智卑狗は人物名ではなく官名
『其官有狗古智卑狗』
人物名は卑彌弓呼
『狗奴國男王卑彌弓呼』
改め〜監視徹底
370 :
改めドツボそこまで言って委員会 :2008/06/15(日) 13:31:03
テレビ見ながら監視中・・・
371 :
改めドツボそこまで言って委員会 :2008/06/15(日) 13:33:05
マラソンだた・・・orz
仮説というより妄想ですが 投馬國(熊本・玉名)から邪馬臺國(宮崎)への道 阿蘇山(北の高千穂)コース・・・陸行一月・水行十日 霧島山(南の高千穂)コース・・・水行十日・陸行一月 隋書倭国伝に「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。」 とあるのを見ると、まんざらでもないかと。
壹與は「年十三」とあるけど、3世紀の感覚では「年長不嫁」に入るのかな? いや、それは無いでしょうね。 鬼道とかは書かれていないが、「卑彌呼宗女」でそれを表現しているのか? 謎は尽きませんが、また来週。 ZZZ・・・・
374 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 15:01:35
>>368 >乃共立一女子為王名曰卑彌呼
卑弥呼は「一人」と記されている。
「二人」とか倭人伝のどこに記されてるんでしょーか?
一女「子」
子供と倭人伝に記されてるのが、見えますか?
375 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 15:07:08
>>372 阿蘇周辺(九重・高千穂含む)で間違いなさそうですね。
>壹與は「年十三」とあるけど、3世紀の感覚では「年長不嫁」に入るのかな?
>いや、それは無いでしょうね。
壹與は卑弥呼とは別人ですよ。
どこにも「年長不嫁」、「鬼道」という記事がないので、別々に考えてよいかと。
>鬼道とかは書かれていないが、「卑彌呼宗女」でそれを表現しているのか?
う〜ん 「卑彌呼宗女」なんで、似たイメージをもっていいのか迷いますよね。
376 :
ローガン :2008/06/15(日) 15:10:51
>>341 愛知県民さん。
すると後漢書故に、後漢代の記事であると云う訳ですね?
植生、習俗記事も同様に後漢代の情報に基づいたものだとのお考えなのでしょうね。
植生習俗記事は、19行に亘り記述された結構詳しいものですね。
これらは後漢代に収集された情報であるとお考えのご様子…
後漢はどういう経路でこれらの情報を入手したのでしょうか?又其の根拠はどこに求められますか?
記述の類似からみて、先行史書からの引用と私は考えます。
377 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 15:17:48
>>368 >もっと正確に読みましょう。
>>狗古智卑狗もみな子供ですよ。
>狗古智卑狗は人物名ではなく官名 『其官有狗古智卑狗』
>人物名は卑彌弓呼 『狗奴國男王卑彌弓呼』
官有伊支馬
邪馬壹國の官は「伊支馬」といいます。
一女子
まずは、「子」を子供じゃないということを証明して下さい。
卑弥呼は「女」ですよ?男ではありません。なぜ「女」は信じ、「子」は無視するの?
監視中!!!
後漢書 有一女「子」名曰卑彌呼「年長」不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王 これをどう読むか? では、ちと出掛けてきます〜夜また...。
バイバイ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
381 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/15(日) 15:57:35
>>377 其官有狗古智卑狗
其(狗奴國)の官は「狗古智卑狗」といいます。
と、なるね。
>>379 卑弥呼は(幼稚園の)年長さんなので、(誰かの)嫁になっていない。
と、読めますね。
382 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 16:45:11
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
習俗、植生は、政権の変化に比例して変化するわけではありません。
384 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/15(日) 17:49:46
『有一女子名日卑彌呼』 (一人の) 『乃共立一女子爲王』 (複数の中の一女子) 例えば、七歳の女の子の場合の記載は 『女子七歳』 五歳の男の子の場合の記載は 『男子五歳』 これにて一件落着
385 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/15(日) 18:31:50
>ホツマには「おわします」という現代仮名遣いが使われています。 >ホツマ文字は、ハングルと同じ発想で作られています。 是に 反論しろ ですか では 「おわします」が何時から使われ それ以前の 使い回しを 教えて下さい。 ハングルと同じ発想 多分 殆ど同じ なのかも知れません。 私の考え 神代 天照よりもっと昔に 大陸より暦を持った 集団が 九州へ渡来 集団としては、それほど大きくない。 渡来地に根付く為には、現地語を話さ無ければならない 其れが 1地点のみなら 其所に同化した 言葉だけで 事足りたが、各地に分散するにあたり 言葉を 共通の物としなくては成らない 言葉を共通の物とする為に 和歌が作られた。 暦を 記録、運用するため 文字も持ち込んだが 倭語と整合性を取る前に 漢字が忘れられ 神代文字を 編み出す。 是が 音を 表記する 物で有った。 倭語 標準化の為 約50音に 集約し それに見合うだけの 表音文字を作った。
ヤマト国のヒモソ姫のことです。 糸冬 了
387 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/15(日) 18:39:28
ハングル文字 私は一文字も読めません。 反論」ガ聞きたい 言いますから 反論しましょう。 神代文字とハングル 全く違う発想から 生まれています。 神代文字 1音1語 母音子音による 分類が出来ません、 対し ハングル ヘンとツクリに 分解できます。
388 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/15(日) 19:03:22
私の 各書物の見方 日本書紀=王道 ただし間違いも含む 干支は、間違いではなく 天皇家の暦法 古事記=弱視 年数に弱い。 旧事記=偏向 各系譜を除けば 書記に準ずる。 ほつま=参考書 かゆいところに手が届く。 墓標=有象無象の集合体 是だけでは 使い物にならないが? 何が言いたいかと言うと、 書記のみで 歴史を見たとき 片目で長さを 測らなければならない。 その時私が選んだ もう一つの目が ほつま であった と言うだけのことですよ。 書記とほつま 長さに大きなくるいは無い もう一つの目として役立つか? 皆さん ご存じのように それ以外の書物の干支も 同じ 西暦のラインに並べています。 偽で有る無い よりも 使えるか使えないか? 此方です。 いまさら ほつまを偽 としても 干支には 3通り 在り 西暦、古事記(出雲)、日本書紀 最低 この3通りに 分けないと 読めない。 更なる 反論を 期待。
389 :
唐松山 :2008/06/15(日) 19:59:29
愛知県民 さん 改め さん 九州王朝大好き さん 朝は、西の山を拝んで、 早朝5時から 西の山を見る、 何時 手を合わせるかは 皆さんに お任せ。 あの 屋根の下で 育った私は、 日曜のみ 鶏より早起きであった。 期末テスト大好き 午後は、太公望。 間違っても この日は、 バケツを持って”廊下” さすがに 是だけは無い 全て 太公望。 答えは、北村遺跡であり それ以前?からの 鮭の産卵場。 この答えに 責任を持たないためには、??を抜く 書き方で解るから、 日本語をうまく使えない 奴=私=廊下の常連。
日本の古代史は、皆さんが考えているよりずっと複雑です。 邪馬台国は九州か畿内かといった単純な構造ではなく、 ある時は筑紫と毛野氏が結託し、そしてある時は、筑紫と 出雲が共謀し出雲神話を国史にとりいえる。かと思えば、 呉の勢力と結びついて造船技術や絹織物を伝える。 室町幕府、鎌倉幕府、徳川幕府と100年200年で政権が 変わったように、縄文、弥生時代も目まぐるしく勢力の移行 があったと考えれば、紀元前から大和朝廷が成立するまで、 ずっと卑弥呼の勢力が邪馬台国を支配していたわけではな いことが分かるし、いつの時代の話をしているのか、特定し ないと、安土桃山城は徳川の城だというような錯誤に陥る のです。
今日は三輪山に行きました。 参拝して帰ろうとしたら 本殿奥から日巫女様が出てきました。 やはり売場の巫女とはまた違い、綺麗でした。
392 :
日本@名無史さん :2008/06/15(日) 22:17:00
どこの馬の骨かわからん男が、うちの娘に何するねん?
>>381 >其官有狗古智卑狗
>其(狗奴國)の官は「狗古智卑狗」といいます。と、なるね。
>卑弥呼は(幼稚園の)年長さんなので、(誰かの)嫁になっていない。
>と、読めますね。
独り言っスか?w
>>384 >『有一女子名日卑彌呼』 (一人の)
>『乃共立一女子爲王』 (複数の中の一女子)
>例えば、七歳の女の子の場合の記載は 『女子七歳』
>五歳の男の子の場合の記載は 『男子五歳』
意味不明でつwww
>>385-389 頑張れ〜唐松山さんw
たぶんその文では反論になってナイかと思いますww
>>393 >意味不明でつ
別にこれ以上説明する気もないから、意味不明ならこのまま意味不明でもOK。
>>392 >どこの馬の骨
どうして牛の骨じゃないんでしょうか?
397 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 23:32:16
河童さん 東南陸行・・・ 「到」伊都國 末盧國から東南へ行っても伊都國へは着きません。 東南方向に伊都國がナイからです。 南「至」投馬國、南「至」邪馬壹國 どちらとも不彌國の南にあると倭人伝には 記されています。それなのになぜ、邪馬壹國が北九州湾岸なのでしょうか?
398 :
改め対策班 :2008/06/15(日) 23:40:31
改めを監視
399 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 23:42:14
卑弥呼の正体は「日巫女」なのか...。 歴史上もっとも有名な巫女といえば誰? まずは倭姫命の名前が挙がるのが普通であろう。 彼女は卑弥呼なのか? 卑弥呼=倭姫命を考えてる人はなぜ少ないのか?ではそろそろ・・・zzzz
400 :
サガミハラハラ :2008/06/15(日) 23:43:11
そうですね、何故距離表示が日数表示にかわったのか云々をさしおいても、邪馬台国が伊都国不弥国より 南にあることは否定できません。
401 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 23:48:27
>>400 邪馬壹國は五万戸を誇る投馬國よりも「南」ですよ。
南「至」邪馬壹國と記されてあるとおりです。
そして、
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
ここでも記されてるわけです。
日数表示に変わったのは、魏の使者が万二千里、数えたところは「不彌國」だったということ。
古田はそこが邪馬壹國としてしまったのは間違いということになる。
>>397 それは以前にも説明しましたよ。
皆さんが『東行』を無視するから分からなくなってしまったのです。
はじめから奴国の東へ行くのが目的、単に『規模』を紹介する為に九州を左回りで紹介してるに過ぎません。
倭人在帯方「東南」
403 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/15(日) 23:53:53
>>402 >皆さんが『東行』を無視するから分からなくなってしまったのです。
誰が「東行」を無視したんですか?被害妄想でつか?
誰も無視なんてしてないかと思います。
>倭人在帯方「東南」
うんうん東南に倭はありますよね
>>402 東行きって書いてあるのに西に進む列車だったっけ
>>385-9 お願いです。日本語のルールにのっとって句読点を使った文章に書き直していただけますか。
非常に読みにくくて意味がつかめません。
興味あるキーワードが含まれており、まじめに検証したいので
、なにとぞよろしくお願いします。
>>403 『東行』
私にはこれしか言えません。後はどう解釈されようが、私の知らぬ所。
妄想と解釈される人はスルーすればいいし、妄想と思えない人はどうかもう一度、原文を見つめ直して下さい。
必ず辿り着けます。私がそうであったように
>>404 上辺だけで読むと、そうなりますね
でも、
東行(陸行千五百餘里)
東行(水行三十日陸行一月)
の交点 が『都』
と、考えるとわかりやすいかも?
408 :
サガミハラハラ :2008/06/16(月) 09:49:52
卑弥呼が即位したのは後漢時代の183年です。 後漢滅亡は220年です。 卑弥呼の魏への貢献は238年です。 卑弥呼が80歳で死亡したとしても、即位時は16歳で、後漢滅亡時は43歳です。 子供ということはありません。(卑弥呼は90歳ぐらいまで生きたかもしれない)
409 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/16(月) 10:43:34
>>408 サガミさん
後漢書に、共立時年長と書いてあるでしょう。
十代が年長ですか?
410 :
サガミハラハラ :2008/06/16(月) 13:26:34
うーん、「年長じて嫁せず、鬼神の道につかえ、能く妖を持って衆を惑わす。ここにおいて、 共に立てて王となす。」これが即位時に年長であったととるかどうかですね。 けど没年を90歳とすると、26歳で即位で年長といえるか、それとも95までいきたとすると31歳そくいとなりますね。 どちらにせよ、わたしは卑弥呼は老衰死であったとみています。 魏使が来たとき、卑弥呼は衰弱しており、接見できなかったとみます。
411 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 15:18:01
春秋穀梁伝には、女は十五歳で婚約して二十歳で結婚するきまりとある。周礼にも似たような記述がある。 礼記では、二十歳で父母の喪など特別な理由があれば二十三歳で嫁すとある。 してみると、女性の婚期は十五歳から二十歳になる。 それからすれば、30前後で独身というのは、当時の感覚からして十分「年長不嫁」でありましょう。 倭人は長寿で80歳〜100歳生きたとあるので、100歳まで生きたとすれば、即位時は36歳ですか。
412 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/16(月) 16:46:41
>>411 そこまで綱渡りするべき問題でもないでしょう。
卑弥呼が30歳くらいまで独身だったとか、90歳前後まで生きたとか、どう証明するの?
一般的に「年長」を考えるなら、普通
“ばあさん ”か、それなりの年配者とか、生殖活動が停止した女性とか言う意味でしょ
413 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 17:14:46
個人的な組合せ1 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼→日百襲) 台与=倭迹迹姫命(台与→迹迹?) 個人的な組合せ2 卑弥呼=倭姫命(卑弥呼→姫命?) 壱与=五百野皇女(壱与→五百?)
トヨタン、イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 卑弥呼は若いのか、年寄りなのか? まずは、「年長」というのを考えないといけない。
>>415 >まずは、「年長」というのを考えないといけない。
「年長」は「年少」があるから(年長)がある。・・・・・意外と忘れちゃうんだよね〜
年長が若かったら、年少はどうなるの?
417 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 22:17:02
>>412 まったく綱渡りではない。幼稚園でも「年長さん」という。
現代社会で三十歳独身女性は、まだ若い。
残念ながら現代社会であっても「まだ」とう評価であって、「若い」ではない。
十五歳から二十歳で嫁に行くのが常識的な古代の社会で、
三十歳で独身の女性がいたら、十分「年長」。
社会の常識的な適齢期に対して「長」か「少」かであって、
生物学的に生殖活動が停止した女性と決めつけてはいけない。
というか、みなさんは辞書持ってないの? 倭人伝解析するなら最低でも三つぐらい持ってないと駄目だよ。 持ってる人はどこの辞書使ってる??
420 :
改め研究家 :2008/06/16(月) 22:36:34
改め 警戒実施中
>>417 >まったく綱渡りではない。幼稚園でも「年長さん」という。
なぜ、幼稚園で「年長」という語句がしようされるか?
幼稚園児という範囲の中で、一番年上のランクだからですよ
「年長」とは比較用語です。世の中全ての人が同一年齢だったら「年長」という語句は存在しません。
そういうものです。
>>419 >倭人伝解析するなら最低でも三つぐらい持ってないと駄目だよ
正しい使い方を知らなければ、何冊持とうが「宝の持ち腐れ」
422 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 22:49:51
しかし、結婚してようがしてなかろうがどっちだっていいじゃないか。 個人の問題。未婚で子供がいたからといって、何が悪いのですか? そんなことを問題にすること自体セクシャルハラスメントですよ。 世が世なら魏志倭人伝を書いた珍寿は訴えられたかも。
>>406 >『東行』私にはこれしか言えません。後はどう解釈されようが、私の知らぬ所。
>妄想と解釈される人はスルーすればいいし、妄想と思えない人はどうかもう一度、原文を見つめ直して下さい。
>必ず辿り着けます。私がそうであったように
>>407 >でも、 東行(陸行千五百餘里)
>東行(水行三十日陸行一月)の交点 が『都』 と、考えるとわかりやすいかも?
河童氏が何か言うちょるょ(笑) 誰か相手してやり〜!w
東行「至」不彌國百里
東に不彌國がアルちゅ〜ことダス。
投馬國、邪馬壹國ハ南にアルちゅう〜ことょ。
>>422 >未婚で子供がいたからといって、何が悪いのですか?
何、トンチンカンな事言ってるの?
子供? 何処にそんな記事があるの?
>>412 >一般的に「年長」を考えるなら、普通
>“ばあさん ”か、それなりの年配者とか、
>生殖活動が停止した女性とか言う意味でしょ
貴方が言うてるのは、「年輩」又は「年配」では?
>>416-417 卑弥呼は巫女というのは知ってるだろう。
巫女1000人の仲で1番優れた巫女では?
しかも年長さんにも関わらず婿なし。
426 :
どくだみ :2008/06/16(月) 22:57:57
漢書 師古注
師 古 曰 : 「 少 壯 , 猶 言 稍 長 大 . 」
師 古 曰 : 「 少 壯 者 , 言 漸 長 大 也 . 少 讀 如 本 字 . 」
この顏師古の注は、
「少壮とは、稍く長大になったというようなもの」
という意味だから、「長大」を「壮年」=「おとな」という意味で使っている。
だから、「年已長大」は、必ずしも「ばあさん」という意味にはならない。
「もういい御年なのに、結婚していない」
と、私は解釈します。
>>421 あなたの仰るように、年長とは相対的な評価です。
対して、生殖活動が停止した女性とは相対的な評価ではありません。
年長という相対的な言葉を、生殖活動が停止した女性と解釈するのは思い込みでしょう。
「ばあさん」もまた、相対的な言葉です。
何歳からを「ばあさん」とするかは、状況や社会通念で変わります。
相対的な評価には二種類あります。
1、兄と弟の場合、兄は年長、弟は年少。5歳でも兄は年長。50歳でも弟は年少。
2、ある規準に対して、それよりも年齢が上か下か。
卑彌呼の場合、他の個人と比較しているのではないので、後者の場合。
ある基準とは、社会通念上、女性が嫁すべき適齢期。
>>423 何トンチンカンなレス入れてるの?
今は「年長」の場面です。
それに
>>423 みたいなレスに釣られるような馬鹿はいない(はい、ボウズ確定)
>>426 どくだみさんお久しぶりです
>生殖活動が停止した女性と解釈するのは思い込みでしょう。
確かに、ものの例えとしては不適切ですね(取り消しましょう)
年已長大 無夫婿(倭人伝) 年すでに大人なるも夫、婿無し。 年長不嫁(後漢書) 年をとってるが、嫁いかず。 ただ、一つ言えることが、倭人伝のどこにも「婆さん」なんて記されてないという事実。 卑弥呼が婆さんなら年配、年輩だろ。
どくだみさんお久しぶり。 どことなく現れますなw 「長大」を辞書で調べると「ながくて大きい」だそうです(笑) どくだみさんはどのように考えてるのでしょーか?
>>429 >卑弥呼が婆さんなら年配、年輩だろ。
「年輩、年配」という語句が、後漢書が編纂された時代に存在していたかどうかの確信が持てませんので
その存在を考慮しておりません。
改めさんが「年輩、年配」という語句の存在を知っているなら、ここでご披露願えれば
今後の糧としたいと思います。
>>408 >>410 さがみさんは、卑弥呼即位時は16歳?
>>411 さんが言うように「100歳まで生きたとすれば、即位時は36歳」
というのはどうでしょーか?
36歳という年齢は巫女の中では「長大」だったのかもしれません。
しかも倭人伝のどこにも「卑弥呼は老婆」などきされてないわけですから。
433 :
どくだみ :2008/06/16(月) 23:23:19
>>430 お久しぶりです。
あなたの引かれたyahoo辞書の大辞泉の長大の項
2 大人になること。また、そのさま。
・ 「然らば、年―なるに及び」〈中村訳・西国立志編〉
が当てはまると思います。
ちょっと大漢和を引いてみましたが、同様に、2番目に
成長する・成人する・すぐれている
とあります。
漢籍でも「長大」は体格などに使う方がメインですが、
年齢に対しても使用しますので、倭人伝は年齢の方ですね。
>>434 ??????????
で、「年配、年輩」の使用が確認できる最も古い史料は?
まさか?Yahoo辞書と言いたいのかい?
改め 徹底監視!
>>433 こんな、解釈でど〜ですか?
年已長大 無夫婿(倭人伝)
年すでに成人するも夫、婿無し。
年長不嫁(後漢書)
ある程度の年齢になるが、嫁いかず。
ただ、一つ言えることが、倭人伝のどこにも「婆さん」なんて記されてないという事実。
438 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 23:33:43
改め 警戒網設定
「嫁いかず」じゃなく〜「嫁いけず」じゃないのか!!(笑) 「ど〜ですか」=「どおですか?」と「どうですか?」どっちが正解?! 誰か教えて!!(笑)
440 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 23:36:53
>>433 >漢籍でも「長大」は体格などに使う方がメインですが、
年齢に対しても使用しますので、倭人伝は年齢の方ですね。
そうかな〜?
>>421 >正しい使い方を知らなければ、何冊持とうが「宝の持ち腐れ」
それは私以外の人へ言ってくださいな。
どこが、卑弥呼が婆さんなんでしょうか?!
一般的に言われてる卑弥呼のイメージが・・・わからん。
>どこが、卑弥呼が婆さんなんでしょうか?! クスッ
444 :
サガミハラハラ :2008/06/17(火) 08:38:36
中国が倭は卑弥呼の情報(年齢容姿特技等)をいつどこで入手したのかをも考える必要があるかとも思います。 1、ほとんどの人がそうみていると思うが、魏使の報告による。 2、魏への最初の入貢のとき、魏の都で倭の使者から入手した。 勿論陳寿はあわせてかいたのであろうが、どちらがおもかったのかということです。
445 :
ご参考まで :2008/06/17(火) 08:58:18
お久し振りです。サガミハラハラ氏の着眼点は、なかなかのものと感心します。 魏が卑弥呼の情報を入手した時期は、遅くても、景初二年に公孫淵を討伐した 以前と考えるのが妥当でありましょう。 理由は、軍事行動を起こすに当たっては、情報収集に努めることは古今東西、 同じだからです。無論、明帝は景初二年に急に思い立って遼東を攻めたのでは なく、その前から用意周到な準備をしていたはずです。なんとなれば、明帝が 公孫淵討伐の戦力的余裕が生まれた時期がその時となりますね。 その時期は、魏の青龍三年、234年に諸葛亮が五丈原に陣没した後、まもなく であろうと、私は考えている次第です。
446 :
日本@名無史さん :2008/06/17(火) 10:30:19
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
447 :
サガミハラハラ :2008/06/17(火) 11:08:30
倭人伝には「住まること7,80年。倭国乱れ、相攻伐すること暦年、」とあるが、 卑弥呼について、「年己に長大なるも」とあるが年齢はかいていない。 また何年在位していたかの記述もない。 魏使は卑弥呼の側近に尋ねたはずであるが、それの記述がない。 勿論他の国史にも書いていないのであるが、倭人伝においては年について上記のようにわりと詳しい記述があるのに 書いてないのはなにかすっきりしないと思うのはわたしだけでしょうか。
448 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/17(火) 11:38:50
>>447 サガミさん
そもそも根底で誤解釈しているから、結果いろいろな問題が発生してるのでは?
『年已長大』って、本当に卑弥呼の年齢を示唆しているの? 固定観念先行じゃない?
私はここで、声を大にして言いたい。 本当に古漢文を読める人なら、あの場面は 『卑弥呼の年齢が云々』なんて 解釈しないと思う。
大体、神の嫁の巫女が 人間に嫁いじゃまずいだろ。 旦那がいないのも無理ない
451 :
ご参考まで :2008/06/17(火) 14:22:28
サガミハラハラさん、『女王国』ですよ。『女王国』なんです。 「東夷伝」は、「東夷伝異聞」もしくはないしは、「東夷伝奇伝」的なる記述姿勢は 陳寿に在ったとして、自然かつ当然でありましょう。 故意に書かなかったと解するが自然ではありませんか。
>>447 >卑弥呼について、「年己に長大なるも」とあるが年齢はかいていない。
>また何年在位していたかの記述もない。
>勿論他の国史にも書いていないのであるが、倭人伝においては年について上記のようにわりと詳しい
>記述があるのに書いてないのはなにかすっきりしないと思うのはわたしだけでしょうか。
そうそうスッキリ出来ないのはあなた達だけでしょう。
大体の年齢は記されているじゃないですか。
何ネンぐらい在位したのかも〜!もしかして見えてないんですか?
ちなみにわたしはスッキリ出来てます。
靈帝光和中 倭國亂は漢の霊帝の光和中(178-184年)、歴年無主(歴年とは毎年、数年のこと) 185年〜194年までの間に卑弥呼が共立された。 其人壽考 或百年 或八九十年 卑弥呼がもし百歳生きたとすれば、36〜45歳 約40歳。 ・・・・もし八、九十年生きたとすれば、21〜30歳 約25歳。 卑弥呼が共立されたときは、大体、33才ぐらいというのが分かる。
まあ、卑弥呼の共立時、33才といっても25才〜40才の可能性はある。 反論ある人は遠慮せずにどうぞ...。 まあ、33才といえばもういい大人だよね。
455 :
日本@名無史さん :2008/06/17(火) 21:30:20
ネットに一人、子供が騒いでいるけどなw
アダルトチルドレン。 機能不全の家庭に育ってトラウマを持ったまま大人になり、 自分の説が受け入れられないなどアイデンティティの危機 に陥ると、突如、幼児のようにふるまう大人は結構います。 改めさんも、たぶん、アダルトチルドレンだのではないでし ょうか?
>反論ある人は遠慮せずにどうぞ...。 遠慮させていただきます。
458 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/17(火) 21:54:22
巫女の33才といえば、巫女千人集めても1番年上だろう。
最年長、巫女さんである33才の女性とは?
>>457 河童虫さん 反論どうぞ!
ここは貴方が盛り上げてくれないと始まらない。
ちとドン来いに長倭気味なんで頑張って!〜河童さんの実力でw
459 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/17(火) 22:08:58
>>447 >卑弥呼について、「年己に長大なるも」とあるが年齢はかいていない。
お薦め⇒
>>418 >>437 >また何年在位していたかの記述もない。
お薦め⇒
>>453 >>445 >>451 ご参考までさん
お久しぶりです。
>魏が卑弥呼の情報を入手した時期は、遅くても、景初二年に公孫淵を討伐した
>以前と考えるのが妥当でありましょう。
>理由は、軍事行動を起こすに当たっては、情報収集に努めることは古今東西、
>同じだからです。
卑弥呼が共立された「時」と考えてる人も多いようです。
人伝えにというのも考えられる。
>河童虫さん 反論どうぞ! ここは貴方が盛り上げてくれないと始まらない。 ちとドン来いに長倭気味なんで頑張って!〜河童さんの実力でw とてもとても 私には到底ついていける内容ではありませんので、遠慮いたします。
改め君なら理解できますよね ここで議論されてる内容は、魏志倭人伝の記事と後漢書倭伝の記事をごちゃ混ぜにしたモノが根底に議論されています。 しかし、私は当初から申し上げてきた通り 魏志倭人伝の記事と後漢書倭伝の記事を分けて考えていますので、当然最初から認識が違いすぎます。
462 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/17(火) 23:28:02
福島雅彦さんてどうゆう説を持ってる方なのでしょーか? 他所の掲示板みるとかなり自信ありげな感じなのですが・・・。 だれか,福島雅彦の考えがわかる掲示板のURLを出してください。 卑弥呼は多数としている<人というのだけは分かってます。
463 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/17(火) 23:37:16
河童虫さん たまには他所の掲示板へ殴りこみに行きません? 単なる暇つぶしとしてですが・・・。
監視中 防犯カメラ&非常用ベル、作動中
>>463 >たまには他所の掲示板へ殴りこみに行きません?
単なる暇つぶしとしてですが・・・。
私は遠慮しておきますよ
以前、私も何箇所か足跡だけは残してきましたが、退屈そのもの
2ちゃんねるとyahooの掲示板に匹敵する掲示板は、皆無です。
ま、何処行っても
頑固な年寄りが多数占有する事に変わりはありませんが(笑)
比較的老人ホーム化していない掲示板は、この2ちゃんねるくらいかな?
改めドツボ監視中・・・
>>463 >たまには他所の掲示板へ殴りこみに行きません?
>単なる暇つぶしとしてですが・・・。
ドツボ増長中・・・
ネット番長化しているなこのアホwww
ここが暇つぶしではなかった事に驚き
>>468 気合いの入れ込みようが違う!w
>78 :aratame_himiko:2008/03/08(土) 22:15:42
>スレ1回立てるだけで〜規制でネカフェを7,8件回ったり大変なのわかる?
>5000円札〜一気になくなる苦労が君等にはわからないだろうね。。。
邪馬台国問題は私にとっては唯一の生きがいですが何か問題でも?
471 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 21:19:03
うはっ どんこいから追い抜かされたやん やはり神奈川県民が立てないとだめだな
472 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 21:20:10
>>470 だから、そう簡単に終止符を打たれては困るんです。
謎が謎を呼ばないと、長生き出来ません。
474 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 21:26:10
おーい あほども〜!ここ片付けろよ 何でおれひとりで 片付けないといけないんだよ
ドツボ監視中 片付けに1レス、協力してやったぞ
ドツボを「アホはほっとけ、アホがうつる」と、 放置するとドツボはこうなりますの図
477 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 21:57:48
どいつもこいつも終止符スレを片付けようとはしないのか? 邪馬台国ドンコイ行ってないでここ1000までもっていってくれ
監視中
479 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 22:00:16
監視中
481 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/18(水) 22:07:44
早く片付けろ おれがなぜここに書き込んでるのか分からないのかな? 好きでここでかきこんでるんちゃうやん。 おれがここに居ないとどうなる? どいつもこいつも、やりたい放題...てかんじ。
>>481 >おれがここに居ないとどうなる?
間違いなく良スレ化する。嘘だと思うなら試してみよ。
監視再開
>ドツボがいなくなるとどうなるか? それいいな。是非実行してくれ! やっと、まともな議論が出来る
484 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 22:47:01
>>482 お?おまえそんなこといっていいのか?
あやまれ
なんだ、どうした? 喧嘩か?
卑弥呼は卑弥呼。終了。
言っていいと思う。 No More DOTSUBO
名無しとコテ交互に使い分けて、あちこちにレスするの止めれ。
489 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 22:58:08
>>483 >まともな議論が出来る
あほか おまえらがまともな議論してるのみたことねーぞww
490 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 22:59:35
オマエモナー
オマエモナー
492 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:00:25
493 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:01:21
改めドツボ! お前、日本人じゃないやろう
494 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:03:15
よーし 番付表だしてやる 邪馬台国スレの番付表。 どんこいにおされまくりなんでこれでなんとかなるだろう・・・w まあ、お楽しみに!!
他スレに対抗意識燃やしてたのかwwwアホ過ぎるww もう病気認定して良いんじゃないか?
497 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:09:06
そのまえに終止符11での番付表 A 邪馬台国は九州にありそのまま消えて幻となった。 B 邪馬台国は九州にあり東征して大和朝廷になった。 C 邪馬台国は九州にあり大和朝廷の西進でほろんだ。 D 邪馬台国は近畿にありそのまま消えて幻となった。 E 邪馬台国は近畿にありそのまま大和朝廷になった。 F 邪馬台国は近畿にあり同じ近畿にあった別の勢力にとってかわられ大和朝廷が成立した。 G 邪馬台国は近畿にあり出雲の勢力にとってかわられ大和朝廷が成立した。 H 邪馬台国は近畿にあり九州の勢力にとってかわられ大和朝廷が成立した。 I 邪馬台国は九州、近畿以外の地域にあった。 J 邪馬台国はなかった。
498 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:09:52
これはあくまでも終止符11 太国さん・・・A 九州説で倍暦を唱える。記紀の系図を信じ卑弥呼は祟神天皇の時代。 プラムさん・・・B 魏志倭人伝の解読に力を入れ漢字にはめっぽう強い。実はこの人、 卑弥呼は先代、次代が有り天照大神で東遷説というのは余り知られてない。 サガミハラさん・・・A,C 邪馬台国は佐賀県小城市甘木で小城公園内桜ケ岡が卑弥呼の墓だという。 邪馬台国関連、本の著者でもある。 唐松山さん・・・B 卑弥呼は景行天皇時代の人物。『ほつまつたゑ』を中心に論争。 九州ですがさん・・・AB 邪馬台国は九州。神社の由来とか、吉野ヶ里遺跡などを調べる。 愛知県民さん・・・B 畿内説⇒九州説。卑弥呼は祟神天皇以前の時代で台与=万幡豊秋津師比売 だという。宇佐の比売大神が気になるらしい。 古代さん・・・C 邪馬台国の時代の大和朝廷は九州〜畿内まで影響を与える。 卑弥呼は神功皇后によって滅ぼされた?! 美濃もんたさん・・・I 近代史〜古代史まで興味を持ち、岐阜の山に伝わる伝承を調べる。 邪馬台国は弁韓(百済、任那)の弥鳥邪馬国のこと。 横槍さん・・・E 卑弥呼=天照大神(大日霊女貴命)で女神とする。 ローガン・・・F 畿内説で箸墓は卑弥呼か 壹輿の墓とする。 正月○鹿さん、汽笛一声さん、日本@名無史さん・・・不明
イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・・
500 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:12:04
494で番付表だすといったもののどうしましょか・・・? わたし個人的な考えでいいのでしょうか? というか、おまぃらもっと戦えよ! 番付表だすにしても戦って(論争)くれんと横綱決められないやんw
ドツボ、番付の意味を取り違ってる… 恥ずかし過ぎる
こうやって見ると、このスレを見捨てた人も多いのね。
番付表は(判定)氏につくってもらえばよい。 かなり公平だ
504 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:16:25
終止符での貢献度でいえば、Kさん、Aさん、Tさん、Kさんだろう。 でもそれじゃあ面白くない! もっと論争して、戦ってくれ! じゃないと表つくれないやん おれがジャッジはするので、みせてくれ。それからやな。
505 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:20:42
>>503 おまえ いつか、九州ですが氏をなぐさめてたやつじゃん(笑)
506 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:23:55
終止符11のこれから考えを改めた人はいる?変更届けをお願いします。 太国さん・・・A 九州説で倍暦を唱える。記紀の系図を信じ卑弥呼は祟神天皇の時代。 プラムさん・・・B 魏志倭人伝の解読に力を入れ漢字にはめっぽう強い。実はこの人、 卑弥呼は先代、次代が有り天照大神で東遷説というのは余り知られてない。 サガミハラさん・・・A,C 邪馬台国は佐賀県小城市甘木で小城公園内桜ケ岡が卑弥呼の墓だという。 邪馬台国関連、本の著者でもある。 唐松山さん・・・B 卑弥呼は景行天皇時代の人物。『ほつまつたゑ』を中心に論争。 九州ですがさん・・・AB 邪馬台国は九州。神社の由来とか、吉野ヶ里遺跡などを調べる。 愛知県民さん・・・B 畿内説⇒九州説。卑弥呼は祟神天皇以前の時代で台与=万幡豊秋津師比売 だという。宇佐の比売大神が気になるらしい。 古代さん・・・C 邪馬台国の時代の大和朝廷は九州〜畿内まで影響を与える。 卑弥呼は神功皇后によって滅ぼされた?! 美濃もんたさん・・・I 近代史〜古代史まで興味を持ち、岐阜の山に伝わる伝承を調べる。 邪馬台国は弁韓(百済、任那)の弥鳥邪馬国のこと。 横槍さん・・・E 卑弥呼=天照大神(大日霊女貴命)で女神とする。 ローガン・・・F 畿内説で箸墓は卑弥呼か 壹輿の墓とする。 正月○鹿さん、汽笛一声さん、日本@名無史さん・・・不明
>>503 判定さんは九州説寄りだね。ローガンさんと判定さんの二人がそれぞれ作ればいいとオモ。
で、それを他スレ専任の、九州ですが ◆UEukKMcVo2に認定してもらえば権威もつくよ。
508 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:30:31
みてるから太国氏とサガミハラハラでやりあう。 どっちが論争上手か白黒つけるべし。負けたほうが、河童さんと。 唐松山氏、九州ですが氏、愛知県民氏で議論・論争すると面白い。 あ あくまでも 卑弥呼、邪馬台国ネタね。 では、きょうは寝る。 他の人の意見もよろしく〜それから zzz
>>508 君の指図は受けない。悪いが無視して自由に論争させてもらうよ。
じゃあ、番付はローガン氏と判定氏に任せて、我々はゆっくりマターリ議論を再開しましょ。
511 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:39:59
じゃあどうする?
目線でいったらこんなかんじだべ?
>>508 盛り上げたくてしょーがない。 何か良い意見があればお願いします。
512 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:41:53
ジャッジは改めのがいいよ。 たぶん
司会者いらね アラシいらね コテ占有いらね
>>512 改め君は当分ここには来ない。自分でそういっている。
そして複数の住民がそれを支持してる。
まさか君が改め君本人で、自薦なんて卑怯なふるまいはしていまいが、
経緯を御存じないとしか思えないので、敢えて申し上げておく。
516 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:47:38
♪邪馬台国 ドンと来い♪のスレ主さんは河童さんとやれよ。 みとくから。
518 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:50:42
ほらほら 邪馬台国系盛り上げるのに〜ご協力を〜! ではまじで寝よ
520 :
改めドツボ監視委員会 :2008/06/19(木) 00:19:33
改めドツボ監視中・・・
しかしドン来いスレとスレの伸び方を競ったり
この馬鹿の発想は良くわからないなwww
>>463 改め ◆PWTcGEfp1s
>河童虫さん
>たまには他所の掲示板へ殴りこみに行きません?
・・・何故か頭の中にBGMがwwww
♪俺達はいつでも二人で一つだった。
♪地元じゃ負け知らず。
♪そうだろ
(by青春アミーゴ)
ある意味、負け知らずな二人。
改めドツボと河童虫・・・ ン十年遅れの青春であった。。
523 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 12:34:23
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
524 :
三重県民 ◆jH3Q3bIrRM :2008/06/19(木) 20:31:02
女王國より以北はその戸数・道里を略載し得べきも、その余の旁國は遠絶にして詳かにするを得ず。 邪馬台国の「以北」にある国とは、 対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国 その余の旁國とは、 斯馬国、百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、 對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、 躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。
525 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 21:10:04
シンポジウムの予告を3つ、紹介しようと思ったけど、どっちか言うと考古学系なんだよ。ww んだから、ここはやめとくね〜。 関心あるんだったら、♪邪馬台国ドンと来い♪スレ、見に行ってね〜。ww
526 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 23:08:02
「以北」に投馬国を入れるのはどうかな?女王国までは「万二千里」、投馬国は「水行二十日」の国。
527 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/20(金) 20:54:29
>その余の旁國 どの辺で探しましょうか? 邪馬台国=大和なら其れより奥で、探す 邪馬台国=九州なら其れより奥で、探す 投馬国も含む?、畿内大和は、倭人伝に どんな呼び名(漢字)で記載されているか?
528 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/20(金) 21:00:44
シンポジウム〜!! まあ、有名な先生が来て、場所が近ければ行ってみたい。 サガミハラハラさんがこの前行って来たとか言ってたよね・・・。 詳しく話をここですればいいのに〜!
529 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/20(金) 21:03:48
投馬国 「とぅま」とか誰か言ってたな・・・。 なんで「とぅま」、しかも何故、「う」が小さいのか?笑えてしまった。 「とぅま」、「とぅま」かい(笑)
530 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/20(金) 21:50:41
読みに自信が無いから、とまどっていたんだろう。 因みに私もそんなもんデス。
531 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 02:21:39
とーまかぃwww
投馬国は多摩国。今でいう埼玉県と東京都のあたり。 だとすると、邪馬台国がどこにあったかも一目瞭然。
533 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 10:22:22
今朝、早い時間帯から健康診断。 しかし、昼過ぎから会議があり、それまで自由時間。 誰かそれまで相手よろしく〜! 今、出先からだよ
534 :
↑ :2008/06/21(土) 10:38:55
放置プレイ推奨
536 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 10:59:11
>>535 早い、早すぎる
そして卑弥呼は天照大御神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命、神功皇后
この中のどれかで決まり
>そして卑弥呼は天照大御神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命、神功皇后 >この中のどれかで決まり 誰がいちばん有力なんですか??
539 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 11:14:35
>>535 神奈川県民=三重県民=改めドツボ監視中・・・
この馬鹿とうとう痺れ切らして現行スレ500ぐらいで次スレ立てたか
アホが、じゃあ、てめえが立てた21も500ぐらいで次スレ立てられても文句言えないって話だが
この馬鹿にとって同名のスレがいくら乱立してようがどうでも良くて
「ぼくの立てたスレ」がある事が全てなんだろうなw
もう、どうやってもスレ主ごっこから足を洗えないか・・・
一回死んどけカス!
540 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 11:16:31
>>499 卑弥呼が死んだ時まだ若かった二世女王台与。
この頃東方各国と晋の交流が記録されている。台与の使者も晋に派遣されていたに違いない。
この後、晋は分裂してしまい倭国の記録は途絶えてしまう。
卑弥呼死去の後、倭は再びたくさんの小国群に分裂し、各国王が相争う戦乱の世に逆戻りした。
この状況を打開するため「二代目の卑弥呼」として卑弥呼の同族である台与が擁立された。
「神秘的な権威で支配する女首長」の伝統はこの後も続いたようで
神武天皇と争った紀州の女酋長、景行天皇と争った九州の女族長、
神功皇后、飯豊の皇女 古代女帝たち、斎宮たちなどがこれにあたる。
沖縄など、神の声を聞く女性が尊ばれる風習を残す所もあり、興味深い。
即位時13才。晋王朝にも遣使しているので、少なくとも30才までは在位しているはず。
古代日本において「とよ」は豊饒を意味する女性に多く使われる名前なので
倭国の女性として自然な名前だと思う。
541 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 11:21:39
>>536 >>538 日食の発生を理由として卑弥呼は殺された、という説があります。
太陽を祀る巫女だったから。
日本神話の最高神、太陽の女神・天照大神のモデルは卑弥呼?
それにしても、一番偉い神様が女性なんだから、
フェミニストの皆さんは神道に入信するべき?
キリスト教の神様なんか、あからさまに男性だし。
無断で婚約中の女性を妊娠させるし。「日の丸」って、日本つまり太陽の女神の象徴。
女性が太陽だった古代日本。
神州ハ不滅ナリ
543 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 11:35:40
>>532 日本で最初に文明国家が発達したのは、九州北部です。
日本の中心は九州でした。それが、いつのまにか日本の中心が近畿地方に移り、
その後さらに関東地方へと中心地が移りました。
九州から近畿に文明の中心地が移ったのはいつごろか不明ですが、
おそらく九州の文明を持った実力者が近畿の豊かな土地に移住し
新しい国を開拓していった歴史があるのでしょう。
そのとき、地名はどのように付けたのでしょうか?
アメリカの開拓者たちは、現地人の地名を使う他に故郷の地名にちなんで
ニュー○○、というように地名を付けました。
北海道の開拓者たちも、アイヌ地名を使う他に出身地にちなんだ地名を付けました。
伊達家仙台藩出身者が開拓した北海道伊達市や、広島出身者が開拓した
北海道北広島市、十津川出身者による新十津川町などがあります。
彼らは伝統の祭りや地名と一緒に移住していったのです。
九州から東に移住した人たちが、故郷九州の地名を本州に持ち込むという事は十分に考えられます。
544 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 11:59:05
余談も書きこみます。書紀ですが… 書紀の神話記述の特徴はやはり「一書」にあると思う。 神話を断定的に語るのではなく、「違う説もあって…」というかんじに 樣々な異説を同時に掲載している。 そんなに列挙しなくてもいいじゃないかってくらい載せてる。 これが好きなんだ。 書紀は「都合の良いように改竄されている」と批判されるけれど それを言うならどんな史料も似たり寄ったりでしょう。 好きなように書き換えられるなら、こんな異説を載せる必要は無いし これほど異説を載せている史料は珍しいでしょう。 書紀編集者(神話担当)が山積みされた史料の山の中で うなっている姿を思い浮かべると俺、非常にうれしくなるんだよね。 いや、勝手な妄想なんですが…。
545 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 12:04:43
論争の終止符は「発掘」にのみよると思います。 邪馬台国ってのは「群雄割拠の倭国を軍事力で統一した国」じゃあないんですよね。 神として信仰される卑弥呼の前に集った各国の王様が共同して従った「連合王国」なんだよね。 だから最大の遺跡が発掘されても、遺物が大量に発見されても 金印がみつかっても、 それは「連合国の一国の首都」でしかないんですよね。 卑弥呼が元々どこかの国の女王だったならともかく 彼女は広域に信者をかかえる 教祖なのだから土地に縛られる事は無い。 結局、九州北部のどこか、ってことに… 御しまい。
546 :
当世奇妙 :2008/06/21(土) 12:12:48
倭人伝に卑弥呼の死に大して奴婢百余人を徇葬したと記されている。 3世紀で徇葬の考古学的証拠はあるのでしょうか? 文献では徇葬者が泣き叫ぶと言うのがあったのを記憶していますが?
>>497 正直、この分類はよく分かりません。
「そのまま消えて幻となった」とは?
「ほろんだ」「とってかわられた」と同じ意味ではありませんか?
最近、邪馬壹國=宮崎説に興味をもっていますが、神武東征との関係は難しいですね。
あえて言えば、神武は庶流であり、はみ出し者だったかもしれません。
>>376 ローガンさん
>すると後漢書故に、後漢代の記事であると云う訳ですね?
「後漢書故に」ではないです。
「使驛通於漢者三十許國」はっきり「漢」と書いてあるでしょう?
范曄が魏志を見て、勝手に時代を変えて書き直したということ?
後漢史については現存しない多くの史書があったことは確かで、当然そちらが参考史料です。
植生や習俗などは漢時と魏時で大きく変わるはずもなく、「三十許國」から伝わっていたでしょう。
ホツマについての唐松山さんのレスは、私への反論にはなっていないと思います。 ただ、古代文字については、私も認識を改めました。 隋書倭国伝(俀國傳)の次の記事。 「無文字、唯刻木結繩。敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字。」 「無文字」と記しながら、直後に「唯刻木」と記しています。 木に何を刻んでいたのでしょう? 漢字でない何らかの文字があった可能性は否定できません。
550 :
ローガン :2008/06/21(土) 16:31:48
>>548 愛知県民さん。
> 范曄が魏志を見て、勝手に時代を変えて書き直したということ?
はい、そう考えます。
>現存しない多くの史書があったことは確かで、当然そちらが参考史料です。
もちろん、否定はしませんが。
> 植生や習俗などは漢時と魏時で大きく変わるはずもなく、「三十許國」から伝わっていたでしょう。
確かに変化は無いでしょうね。
しかし、我が国に虎や豹は居ませんって伝えたのですか?
調べに来ないと判らんでしょう?
それに文章の類似です。魏志をおそったと考えるのが自然でしょう。
551 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 17:08:13
>549 木に何を刻んでいたのでしょう? 文字(漢字)には意味がありますが、古代文字(オシテ)には意味がありません。 意味がない=文字ではない、是が中国人の見方でしょう。 古代文字(オシテ)=発音記号。 >書紀は「都合の良いように改竄されている」 書記を都合の良いように改竄しているのは、現在の人間ですよ。
>>550 >> 范曄が魏志を見て、勝手に時代を変えて書き直したということ?
>はい、そう考えます。
ローガンさん、それはないですよ。
范曄さんが生きていたら名誉毀損で訴えるかも(笑)
漢書に「楽浪海中有倭人、分為百余国、以歳時来献見云」と記されているように、前漢の時代から、
倭人は楽浪郡に朝貢していた。中には漢の都まで赴いた倭人もいた。
初めて虎を見た倭人がびっくりして、我が国にはこんな獣はいないという話になるのは普通のこと。
日中交流は魏から始まったわけではありません。
554 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 18:31:47
556 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 19:00:22
大国さ〜ん フトマニ図を使う 占い方? 判りましたら…
557 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 19:11:34
ア=. イ=− ウ=| エ=Y こんな読み方ですか? う〜む。
太占(ふとまに)の法といえば、鹿の肩甲骨を焼いて、その割れ具合で今後の策を占うことですね? 其俗舉事行來、有所云爲、輒灼骨而卜、以占吉凶、 先告所卜、其辭如令龜法、 視火[土斥]占兆。 魏志倭人伝にも書かれている。
>>557 ちょっと違いますね。
・はア行(アイウエオ)
ーはサ行(サシスセソ)
|はカ行(カキクケコ)
Yはタ行(タチツテト)
560 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 19:40:27
神功皇后説 熊襲の女酋説 筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説 倭姫命(やまとひめのみこと)説 ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説 卑弥呼=下照姫説 アマテラス=卑弥呼説 日女命(ひめみこと)説 卑弥呼=卑弥呼説 次スレは三重県民、スレ22は愛知県民さんがスレ主やる?
改めドツボ監視中
562 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 19:53:19
『有棺無槨』 「棺」と「槨」の違い <信頼の旺文社漢字典> 「棺」・・・音は、カン ・・・意味は、「ひつぎ」(内棺、かんおけ、死体を治める箱。 ・・・解字は、木と音を表す官とで、死体の周りを囲む木箱の意を表す。 「槨」・・・音は、カク ・・・意味は、「うわひつぎ」、外棺、棺の外側をさらに囲む外箱。 ・・・解字は、木と郭(外を囲む意)の省略形亨とで、棺の外にかぶせる外棺の意を表す。 九州ですが氏・・・・ここ終止符スレでなら返答しますよ。
563 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 19:56:48
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
564 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 19:58:40
565 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 20:02:56
愛知県民さん 失礼しました、良く読まずに書き込んだ。 ここからが問題なんです、 神代から有る。=私 平安以降=愛知県民さん 少しの間 この問題は、横に置いといて @ 卑弥呼=神功 A 卑弥呼=崇神 @は書記の書かれた時代?から、でしょうがAは、何時から?T大先生が、提唱したから? @も書記は、卑弥呼に一言も触れていない、時代は、魏書が言う卑弥呼の時代。だから。 A、この時代設定も 崇神5,6年=193新羅本記 2世紀末=巻向の土器=崇神11年、異族多帰 274年神功元年=273年日食 これらが知られていない時代ならいざ知らず、今も生き続ける理由が 何か有るのでしょうか?。
566 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 20:10:17
『魏志倭人伝』 其死有棺無槨封土作冢 その死、棺有るも槨無く土で封じ、冢を作る 唐松山 ◆V0F34EbmQA さん、愛知県民 ◆/aQLbFNNDU さん、 上のを日本語版になおしたら、こんなかんじと思うんですが、 如何でしょうか?!
567 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 20:20:52
>其死有棺無槨封土作冢 =甕棺墓でしょうな。
568 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 20:30:41
『魏志倭人伝』 の風俗記事 以朱丹塗其身體 朱丹を以てその身体(旧字:體)に塗る 日本語にすればこんなかんじ? 「朱丹」について調べたが、私が以前、読んだ本の記憶によると... 人が亡くなったり、何かのまつりごとする際、 人々の身体に「赤い粉」を塗りたぐった...とか書いてあった。 何か、「赤鬼」でも出そうな世界。 もしかすると赤鬼伝説もこれと関係するのでしょうかね。
569 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 20:35:10
最近、太国〜みないね?! ALL わたしに恐れを為して、邪馬台国ドンコイへ逃げたかな?!アッハハ 太国さーん 「ヒミコの年代」で論破されかかったからって 逃げなくてもいいのにぃ〜><
570 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 20:47:23
>>560 >スレ22は愛知県民さんがスレ主やる?
私は無理ですよ。休日のぐうたら参加ですから。
だからこそ続いてきました。
>>566 >其死有棺無槨封土作冢
隋書の「死者斂以棺槨」との違いに注目です。
572 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 20:53:51
>>551 唐松山さん
>文字(漢字)には意味がありますが、古代文字(オシテ)には意味がありません。
>意味がない=文字ではない、是が中国人の見方でしょう。
ほつまのヨシテ文字?!
「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」のもともと字といえば分かりやすいのでは?
現在の人々は、漢字と平仮名を使っている。
平仮名の原型=ヨシテ文字 ということよ。
>>572 >平仮名の原型=ヨシテ文字 ということよ。
改めさん、「ヨシテ」じゃないです。「ヲシテ」でしょ?
そんな間違いはヨシテ(笑)
それはともかく、ヲシテと平仮名はまったく違います。
ヲシテはハングルと同じく、母音記号・子音記号を組み合わせて作られています。
574 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:02:07
やばいやばい〜!弥生の墓について勉強しなくちゃいかん...。 甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓 みなさんどれがどれか全て知ってるのでしょうか? もし写真が載ってあるホームページがあれば、ここへURL書き込んでくれませんか?
575 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 21:03:36
>572 考え方は、そんなところが正解だと思いますが、 一文字の違いに参加しない私の実力?察してください。 一文字の違いより、年代設定に拘っていますんで。
576 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:04:09
577 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:09:16
>>573 愛知県民さん
ヲシテ文字に詳しくは知りません。
ただ、ほつまを解読した先生方の本を読んで学んでるのです。
もう、その先生方に頼るしかないというか、わたし自身は、あの妙な文字を見せられても
なにがなんだかワケが分からないのが現実ですね。いや〜サッパリでつわ(笑)
578 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:13:37
そんな状態でなぜ「ほつま」を信用するの?という声が聞こえてきそうですが、 その先生方の解読したという本を読む限りでは、もう『素晴らしい』ことが書かれてる としか言いようがナイというか、本を読み終わった後、各自がどう思うか?なのです。 解読?出来ませんよ〜あの奇妙な文字だけは・・・・w
改めドツボ監視中・・・ この馬鹿がスレを立てたもんで現在同スレタイで 19・20・21 と3つもスレが並立している事になる。 まあドツボのアホにすれば 「19・20はぼくちゃんが立てたスレじゃないもんねえ(笑)」 と言う理屈なんだろうが、ならば筋を通してこの20にも書きこまないなんて事もできないw かと言ってこのスレを自力で数日中に1000達する根性も無いだろうwww 恐らく週末にしかスレ立てができず、平日に他人の手により次スレ立てられるなら・・・ などと考えたんだろうがw そこまで自分が立てたスレでないと気が済まないのなら2ちゃんなんか止めて さっさと自分でブログでも掲示板でも立ち上げりゃ良いんだって話だが このリアルキチガイは学習しないんだよなあwww
580 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 21:20:11
581 :
改めドツボ監視委員会 :2008/06/21(土) 21:24:07
>>580 ん?
改めドツボのアホが名無しで書きこんでいるのか?w
なんで俺がそのスレを片付けなければならんのだ?
全く最近はアキバにトラックで突っ込むキチガイがいたりで
理不尽な事が多すぎるwww
>>577 改めさん、ヲシテ文字の構造は単純です。
5個の母音記号
○はA、ΩはI、△はU、弓はE、□はO
8個の子音記号
|はK、ーはS、YはT、十はN、||はH、TはM、さかさTはY、さかさYはR、ダイヤはW
ほとんどはこの結合で出来ています。
>>554 ,
>>555 参照。
583 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 21:27:52
>>573 愛知県民さん
>それはともかく、ヲシテと平仮名はまったく違います。
>ヲシテはハングルと同じく、母音記号・子音記号を組み合わせて作られています。
愛知県民さんに何がいいたいかというと...。
「ほつま」を信じる人達はわたしみたいな考えの人が多いということ。
貴方が唐松山氏へ質問している内容をわたしにされてもサッ〜〜パリですわ。
以前、「おわします?」だったかな?唐松山さんに反論どうのていうのも、
そもそも「ほつま」を信じる人にそんなのどうでもいいこと というか。
唐松山さん〜「ほつま」についてこんなかんじでOKですよね?
>>582 訂正
×8個の子音記号
○9個の子音記号
585 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 21:40:11
>583さん 有り難う そのとおり、文字より中身に拘ります。 卑弥呼と直接関係は、無いが 雄略の没年を 出雲暦と皇暦に分けて、考えると 雄略天皇 384,出雲446己未 皇暦1166丙戌 大長谷若建命/雄略21 己未年8月7日62 武烈天皇455 、出雲473丙戌 皇暦1133 癸丑 小長谷若雀命/武烈25 丙戌年12月8日18 継体天皇 元年=西暦507年 庚申 前年506年 己未ですから 雄略没年、出雲暦己未を皇暦己未年と 間違えた、 この考え方は、書記の改ざんとは、呼べない、呼ばない。 倭王武=雄略 とするには、 書記の改ざんか、修正の違い。 まだ、検討するには早すぎ?。ですので 卑弥呼が終了したら…。
586 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:43:08
>>583 はわたしです。
>>582 >>584 勉強熱心で関心致しました。
しかし、わたしから言わせれば、愛知県民さんは何かがズレてる...。
何故、わたしが「ほつま」を信じ、学んでいこうとするのか?
まず、わたしが確信としてるものが「何なのか?」見えてないというか。
587 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 21:48:03
>>585 唐松山さん
>583さん 有り難う そのとおり、文字より中身に拘ります。
同意
ほつまつたゑは『文字より中身に拘ります』としか言えません〜!
まさにその通り。
愛知県民さんの質問自体〜サッパリでつわ。。。。
588 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 21:48:19
愛知県民さん、 飛ぶのは、4,5世紀 3世紀は、書記に書かれている年代を信じ(373年神功元年頃、日食まで) 4,5世紀で 「飛ぶ」。 3世紀で飛ぶと着地に失敗する。=あと100年間、「崇神=卑弥呼」で 安泰。
589 :
ローガン :2008/06/21(土) 21:48:32
>>562 > 九州ですが氏・・・・ここ終止符スレでなら返答しますよ。
改めさん。相手は自己矛盾男ですよ。
疲れるだけ…
590 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 21:51:16
> 九州ですが氏 この数日の論は イケテル。
>>586 改めさん
私はズレていますか・・・
少なくとも、ヲシテが平仮名の元であるというのは違うと思いますよ。
先生方の解読したという本を読んで感心するのも良いですが、盲信はよくないでしょう?
やはり自分で考えるべきなのでは?
私も河童さん辺りからよく突っ込まれて、かなり自分で考えられるようになったと思っています。
まだまだ不十分ですし、完全に出来るとも思わないですけどね。
593 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:02:28
>>591 >先生方の解読したという本を読んで感心するのも良いですが、盲信はよくないでしょう?
>やはり自分で考えるべきなのでは?
>私も河童さん辺りからよく突っ込まれて、かなり自分で考えられるようになったと思っています。
河童さんが何故、あのクツワムシ師匠の弟子になったか?
わたしも、唐松山氏もなぜ「ほつま」を信じ続けるのか?
あまたは考えたことがありますか?
妄信ではなく、最終的に「信じる」と「判断」したのは、己自身の「力」デス。
ズバリ答えを言ってしまえば、「第六感」デス。
取り入れるか?取り入れないか?全て己の「判断力」にかかってるわけですよ。
594 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:05:48
>>589 ローガンさん
>改めさん。相手は自己矛盾男ですよ。
>疲れるだけ…
彼のネタはなかなかでしたよ。
しかし、彼は頭がよくナイようなので....。
595 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 22:05:48
訂正 × 373年神功元年頃 ○ 273年神功元年頃 1週間前の 私の書き込みより 書記のみで 年数を修正しようとすると 片目ですので 長さを、誤る。 そこで、私が選んだ もう一つの目がホツマ、是だけです。 その両眼で見た、編年を、私が提唱しています。 もし ホツマが書記のコピーなら 編年に狂いが生じる、(二つのテレビ画面を見ているのと 変わらない。) そこを突っ込んで貰いたい。
596 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:07:32
「ホツマが書記のコピー」 似ても似つきません まったく別物ということ。
ローガンさん、ドツボに 「九州ですがは自己矛盾男云々…」 を書くというのは物凄く皮肉を込めてますねw
598 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:10:08
>そこを突っ込んで貰いたい。 みなさん〜遠慮せずにガンガン突っ込みましょう(笑) 遠慮はよくない。
599 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 22:15:04
遠慮無用 こう書き込んだら、「遠慮しなさい。」が正解?
600 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 22:16:01
つうか
>>594 のドツボの
>しかし、彼は頭がよくナイようなので....。
これが自分のことを言って自爆しているんじゃねえか?w
それに・・・
>>586 >まず、わたしが確信としてるものが「何なのか?」見えてないというか。
おめーのキャッチした電波なんかシラネーヨw
>>593 >ズバリ答えを言ってしまえば、「第六感」デス。
それは宗教・カルトの話だw
・・・ドツボ節全開ですなwwww
601 :
ローガン :2008/06/21(土) 22:18:50
>>597 > ローガンさん、ドツボに
> 「九州ですがは自己矛盾男云々…」
> を書くというのは物凄く皮肉を込めてますねw
え、わからないので説明して下さい。
河童虫さんがおっしゃってたので、自分の未熟に気付きましたが。
お気楽掲示板とはいえ、最低の常識はあるはず。
人をキチガイ扱いする態度が許せなかったのです。
602 :
改め :2008/06/21(土) 22:20:36
あ〜〜ん。ぼかあ〜毎度太国にめっちゃやりこめられてる〜〜んだ。 悔し涙がいっぱい〜んだよ〜〜ん。。
>>594 >彼のネタはなかなかでしたよ。
しかし、彼は頭がよくナイようなので....。
死にそうだ〜 これ以上笑わせないで「彼のネタはなかなかでしたよ」
さりげない陶酔
604 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:24:56
>>600 >これが自分のことを言って自爆しているんじゃねえか?w
あ〜確かに高卒だし、学問はナイな...。
>おめーのキャッチした電波なんかシラネーヨw
おまえはわたしのレスを見ても笑ってるが、
こっちもお前をみて笑ってるんだよ(笑)
これが、「ほつま」を「知ってる人」と「知らない人」の差だ!
605 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:27:58
606 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:29:31
河童さんいますか〜? 以上のやりとり貴方はどのようにかんじてるのでしょうか?
天狗の鼻の折れた改め監視中ww
608 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/21(土) 22:31:07
≫603 その上を行く 頭の良くない、唐松山、 早く つぶせ〜。 本日 此処まで。
609 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:32:54
太国だ〜ぁ? あいつは終止符スレから逃げてるだけじゃん。 ビビッてるんだよw 彼は〜もう論破されるのが怖くてしょーがないwww
610 :
改め研究家 :2008/06/21(土) 22:33:41
611 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 22:35:20
改め監視
612 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:37:51
最近は愛知県民さんが凄い〜勉強している! 太国がここ終止符スレへ来れないのもうなづけるよねwww ほら〜がんがんレスして!
>>555 のリンク先
そもそも焚書坑儒等と言う暴挙はそれが今日にまで伝わっているから解かるのであって
(法家の誰それが始皇帝に進言した云々等々・・・)
もしも完璧に隠蔽・抹殺ができていたならその様な事があったこと自体解からないはずだw
一体何をもって神代文字の抹殺がされた根拠と成すのか?w
神代文字は必ずあったに違いない!
↓
今に伝わっていないのは時の権力者によって抹殺されたからだ!
先ず脳内結論ありきの無茶な論法w
涙目流したか? 改めよww
615 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 22:40:48
監視中!!
616 :
改め研究家 :2008/06/21(土) 22:43:27
改め逃亡のもよう
617 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:44:26
>>568 のこれについてみなさんの意見を聞きたいですね。
『魏志倭人伝』 の風俗記事
以朱丹塗其身體
朱丹を以てその身体(旧字:體)に塗る 日本語にすればこんなかんじ?
「朱丹」について調べたが、私が以前、読んだ本の記憶によると...
人が亡くなったり、何かのまつりごとする際、
人々の身体に「赤い粉」を塗りたぐった...とか書いてあった。
何か、「赤鬼」でも出そうな世界。
もしかすると赤鬼伝説もこれと関係するのでしょうかね。
618 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:45:44
『魏志倭人伝』 其死有棺無槨封土作冢 その死、棺有るも槨無く土で封じ、冢を作る これはもういいの?
619 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 22:45:53
改め出頭か。w
620 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 22:48:15
しぶしぶ登場なのw
622 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 22:50:06
>>614-616 >>619 おまえら〜もっとまともなレスできないの?
学生が勉強になるような学問的なレスをしてくれな。
というか邪馬台国についてなにか語ってみろよ。
唐松山氏とか古代史に詳しい人がみてるから恐縮してんのかな?w
引き続き警戒中
>>617 >何か、「赤鬼」でも出そうな世界。
もしかすると赤鬼伝説もこれと関係するのでしょうかね。
だから日本で登場する鬼の基本色は赤いの「侏儒國」っていうだろう
赤鬼さんはいったい何をしたというんだ。
何時も誰かにいじめられ、ヒーローで登場したことなんか一度もないんだ
ウィキペディアより。 『ホツマツタヱ』には、歴史だけでなく、宇宙の成り立ちと構造、宇宙と人間の関係、生死の意味、女男の分離、その役割と宇宙の関係、 人間が食べる物の意味と望ましい食事方法、人と社会、技術との関係、国家の成立、国家の本質、アマキミ(天皇)の発祥、国家の統治の法、 三種神器の発祥とその意味、家族の意味、子供の意味、望ましい教育方法、人間の不幸の原因、社会の乱れの原因、犯罪の原因と対処方法、刑罰の意味、 皇室の起源と社会的役割、哲学的意味、いくつかのヤマト言葉の語源などもまた記されている。 要は、ホツマは単なる歴史書ではないのですね。 この記事の通りであるなら、すべての日本人、あるいはすべての人類が読むべき書物といえるでしょう。
改め君。泣き言をたれるな。w
>>622 改め ◆PWTcGEfp1s
まあそんなお話よりスレのお話が先だなw
お前何考えてこのタイミングで次スレなんか立てたんだ?
それがどう言う結果を誘発するか一手先すら読んでねえだろ?アホwww
>>618 >『魏志倭人伝』
其死有棺無槨封土作冢
その死、棺有るも槨無く土で封じ、冢を作る
これはもういいの?
もういいの。どころか
最初から問題にもならない場所 単に倭地の風俗を記述しただけだろう
まったく〜誰だよ〜! 武陽さん(女の子)に挨拶行った〜「改め」は!! わたしは、「改め ◆PWTcGEfp1s」(トリップ付き) 高卒だが、物事をいいほうへ持っていくおれって頭は悪くは無いなww
>>629 改め ◆PWTcGEfp1s
>高卒だが、物事をいいほうへ持っていくおれって頭は悪くは無いなww
勘違いするな馬鹿w
お前の馬鹿さ加減は学歴に起因する物ではない。
知識の多寡ではなく発想の方向性が馬鹿なんだ。
>>624 河童さん
「侏儒國」と赤鬼てどう関係あるの?
何か知ってたら書き込んで下さいな。
632 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:08:47
学校などなかった古代人はどうやって知識を得たのでしょう?
633 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 23:11:53
>赤鬼さんはいったい何をしたというんだ。 >何時も誰かにいじめられ、ヒーローで登場したことなんか一度もないんだ 桃太郎はヒーローだが、鬼っていったら悪いイメージがあるよね。 かごめ〜♪かごめ〜♪か〜ごの中の〜鬼は〜♪ カゴメ歌にしても鬼が囲まれている。 実際は「鬼」がイジメられてたのかもしれない!
634 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:13:20
イジメられてんのはお前→改めwwwww
監視中
636 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 23:16:13
>>625 >要は、ホツマは単なる歴史書ではないのですね。
>この記事の通りであるなら、すべての日本人、あるいはすべての人類が読むべき書物といえるでしょう。
あ〜やはり「ほつま」を分かってですね。
「ほつまつたゑ」というのは、うそのつたゑではなく「ほつまつたゑ」
つーことですよ。
「伝え」です〜伝え。
637 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:19:17
プッ!! アラタメ気ハタシカカ???www
638 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 23:21:38
>>626-627 >>630 >>632 >>634-635 おまえらが恐縮して何も語れないのは、感づいてるんだよ。
それだけ唐松山氏、愛知県民氏、河童虫氏のレベルが高いつーことかな?!
>>628 >もういいの。どころか
>最初から問題にもならない場所 単に倭地の風俗を記述しただけだろう
ん〜〜〜〜同感でつわ。 特にはないよね...。
639 :
改め研究家 :2008/06/21(土) 23:21:42
監視厳戒
640 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/21(土) 23:23:09
河童さん〜こっちこい〜! 今夜一気に999までもっていこうよ。
641 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:26:23
改め! お前秋葉原へ拝みに行ったか?w
642 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:28:09
>>638 って〜ことは ォ前のレベルが低いってことよ。ww
643 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:39:00
>>640 >河童さん〜こっちこい〜!
今夜一気に999までもっていこうよ。
意図的にスレを消費することには賛成できない。
645 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:51:27
リアルキチガイ改めドツボ監視中…
>>636 >あ〜やはり「ほつま」を分かってですね。
あーちょっとマジレスしておくと
>>625 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
>この記事の通りであるなら、すべての日本人、あるいはすべての人類が読むべき書物といえるでしょう。
…これは恐らくある種の皮肉を込めているのではないかな?w
>>554 の図は神道で用いる「天津金木」に通じる物がある気がするし
(易の算木みたいなものでその組み合わせとか配列で森羅万象を解き明かすとかなんとかw)
加えて
>>625 の内容とくれば如何にも宗教家・オカルティストが書いた気配がプンプンだwww
647 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 23:54:26
>>645 >よくいうよww
あんたw
で、名無しとコテを交互に使い分けることによる効果って
何? ここまでopenになると
使い分ける意味無いんじゃないの?
それとも、これはお芝居なの? 配役ごとにキャラを変えた?
>>645 もしかして君は、ちょっと歴史好きの劇団員ですか?
そしてこの2ちゃんを舞台にしたいのでは?
>>647 改めドツボかな?
ドツボならフライングでキサマが立てたスレ削除依頼出して来い!
ドアホウ!!
651 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 00:07:16
なにが〜?
>>645 はおれだよ
たまに名前忘れてレスすることあるよ
652 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 00:10:35
>>650 あの〜スレの話は辞めてくれません?
少しはあなたも古代史についてかたってみたらどうです?
>改めドツボ監視委員会 て
そんなにわたしって注目される人物か?
>>652 退屈だから、 目が覚めるようなネタを投下してくれ
654 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 00:22:12
>>53 >天照大神、倭迹迹日百襲姫命(8代孝元天皇の妹)、倭姫命(12代景行天皇の妹)、
>神功皇后(14代仲哀天皇の皇后、仲哀死後15代応神天皇即位まで摂政、事実上15代天皇)、
>下照姫(大国主命の娘、邇邇芸命と同世代)、日女命(天照大神の仍孫、3代安寧天皇と同世代)
>の6人をエントリー。
>熊襲女酋と甕依姫は場所選定の段階で脱落。
>選考基準、卑弥呼に相応しい業績が記録されているか。
>結果、下照姫命脱落。
>最終選考残り、天照大神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命、神功皇后。
>選考基準、年代測定法に無理が無いか。
>結果、数代ごとに天皇の平均在位年数を求め、そこから当時の在位年数を掴むという方法で
>論じられていた天照大神、平均を求める代数がそれぞれバラバラであることと、神功皇后が考慮されていないことにより脱落。
>神功皇后、卑弥呼にするには記紀の年代を鵜呑みにせねばならず脱落。
>倭姫命、こじつけるには無理矢理な計算法を用いらねばならず、脱落。
>(例を挙げれば、「全体の3割を占める」と言う理由で15年〜25年の在位年数の平均を取って出た19年と言う数字を継体天皇前に適用する。)
>(偽スレでポスト内藤湖南なる人物がこの方法を用いていた痕跡が見られるので見てみよう。)
>(ちなみに、これを太国が褒めていた。)
>倭迹迹日百襲姫命、
>>51 で示した通り無理が無いので合格。
>よって卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命となる。
「無夫壻」倭迹迹日百襲姫命て「夫」いるよね?なぜ脱落しないの?
>>652 例えば
(ぬかたのおおきみ)はどうして「額田」なんて、絶対に読めそうもない
「額」文字をしようしたか? とか
656 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 00:31:50
河童さん〜貴方とは「卑弥呼、邪馬台国と天皇家をつなげるものとはなにか?」 について話したいと考えてたところ あと、卑弥呼が活躍した年代とはどの天皇なのか? 時代に関する問題も解いてゆきたい
657 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 00:37:24
あおによし(奈良の都)、ようは、平城京。 古と書いて「古(いにしえ)」 「額田」てこの付近の地名じゃなかったかな?
>>652 >そんなにわたしって注目される人物か?
十分注目されている。
自信を持て。
もっともこの板の邪馬台国関連スレ限定だが…
ただ悲しいかな、その注目点が古代史・邪馬台国に関する書きこみ内容では無く
2ちゃんでは成り立たないスレ主ごっこをやっている馬鹿さ加減なんだがwww
>>656 >あと、卑弥呼が活躍した年代とはどの天皇なのか?
時代に関する問題も解いてゆきたい
何時に卑弥呼を対象にしているかにもよるが、天皇そのものが神武からの起こりとなっている以上
五世紀末までは天皇と言う制度は存在しなかった。
それ以前は「帝」
>河童さん〜貴方とは「卑弥呼、邪馬台国と天皇家をつなげるものとはなにか?」
君が倭人伝を読みこなせるようになったら、何時でも取り上げてあげるよ
>>657 >古と書いて「古(いにしえ)」
「額田」てこの付近の地名じゃなかったかな?
じゃあ、額田の名称より額田の地名の方が古いの?
もう少し目が覚めるような答えできないかな〜
>>656 「ぬかた」を「額田」と言う文字を使ったところに、目が覚めるネタが転がっているんじゃないの?
額田姫墳墓は猿石と共に飛鳥の高取駅の近くにあるよ
>>657 「あおによし」とは、奈良にかかる枕詞(まくらことば)です。
「あおにがとても美しい」といったような意味です。
>>584 訂正
×9個の子音記号
○10個の子音記号
「・」という記号は「子音が無い」ことを表しています。
河童さん、こんにちは。 額田王はちょっと見当つかないです・・・ 三河国にも「額田郡」があり、各田、農多とも表記したことが木簡から確認されています。 廃藩置県(1871年)時、旧三河国と、旧尾張国知多郡を範囲として「額田県」が置かれました。 1872年に愛知県に編入されて消滅しました。 1956年、合併で「額田町」が出来ましたが、2006年に岡崎市に吸収されて消えました。 ローカルネタですみません。
665 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 11:02:25
>>662 >「あおによし」とは、奈良にかかる枕詞(まくらことば)です。
>「あおにがとても美しい」といったような意味です。
ほう、枕詞(まくらことば)でしたか〜情報ありがとうです。
奈良の都、ようは「平城京、緑が生茂って美しい」という意味。
これって誰の言葉なのかご存知ですか?
667 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 11:19:36
青丹吉寧楽乃京師者咲花乃薫如今盛有 (あおによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり)
青 丹 吉 寧楽乃 京 師者 咲 花 乃 薫 如 今 盛 有 あおたん よし ねらの みやこ もろもの さく はなの かおるごとく いまさかり あり
669 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 11:37:43
>>667 >>668 巻第三 328番 大宰少弐小野老朝臣の歌一首ですか。
河童さんとか詳しそう。
万葉集の巻第一 1番の歌は雄略天皇ですね。
天皇御製歌
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳爾
菜摘須児 家吉閑 名告紗根
虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座
我許背歯 告目 家呼毛名雄母
>>670 県民さん
>万葉集の巻第一 1番の歌は雄略天皇ですね。
天皇御製歌
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳爾
菜摘須児 家吉閑 名告紗根
虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座
我許背歯 告目 家呼毛名雄母
かれこれ半年以上からかっていますが
いまだに読みきれません。
「山跡」は通常(やまと)とは読むことが出来ないのに
何故(やまと)と読ませたか?
「菜摘」は(なつむ?)(なつみ?)
「告目」とは?
この歌は何時の季節を表現しているか?
様々な疑問が・・・・・・
>>671 >かれこれ半年以上からかっていますが
すみません、「半年以上かかっていますが」ですよね?
河童さんなら、からかわれても仕方ないか(笑)
河童さんの「神武は5世紀後半」説には、この歌も関係あるのですか?
>>664 県民さん
>額田王はちょっと見当つかないです・・・
これはちょっとした笑い話のようなことでして、信じる信じないは県民さんに判断で
ぬかたの名称に「額」(ひたい)の文字を登用したのは、女性の最高位に位置するが故に付けられた
皮肉たっぷりのユーモア
額は顔のどの位置にありますか?
そう、目の上に位置しますね
「額」の文字は、目の上(メの上→女の上)にあるから (所謂 目上)です。
>>672 >河童さんの「神武は5世紀後半」説には、この歌も関係あるのですか?
関係ないでしょう。
雄略と妾を詠んだもののようですから
雄略天皇といえば5世紀後半、 万葉集の編纂は7世紀後半以降ですから、 200年も前の歌ということになります。 季語や枕詞といった様式は、あとの時代に 整えられたものです。
676 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 12:24:47
>>675 貴方、その時代〜なかなか詳しいですね。
わたしは、「万葉集」なるものはあまり興味ないので・・・・。
あ それとたまには、「age」て下さい。みなさんもw
>>674 おや、そうですか。
神武=倭王武≠雄略ということですね。
そうすると、雄略は5世紀後半でなく、もっと後の時代というお考えですか?
通説では、例の埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣銘の「獲加多支鹵大王」は雄略で、「辛亥年」は471年。
これについても違うお考えなのでしょうね。
>>675 >季語や枕詞といった様式は、あとの時代に
整えられたものです。
と、万葉集を編纂したひとや歌を詠んだ人が証言しているのかい?
単に、本や学校で組み込まれた知識だけで判断していないかな?
もう一度じっくり一番歌を自分なりに読んでみたら?
出来れば仙覚さんの読み下しも忘れて
>>677 >そうすると、雄略は5世紀後半でなく、もっと後の時代というお考えですか?
通説では、例の埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣銘の「獲加多支鹵大王」は雄略で、「辛亥年」は471年。
これについても違うお考えなのでしょうね。
さ〜どうでしょう?
仮にですよ
神武の次代、或いは数代後が雄略ではいかが?
680 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 12:39:29
「弥生の墓」 甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓 みなさんどれがどれか全て知ってるのでしょうか? もし写真が載ってあるホームページがあれば、ここへURL書き込んでくれませんか。
>>669 >津田左右吉さん 乙
そんな人知らない。会った時もないし見かけた事もない
682 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 12:48:12
甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓 大まかにいえば「材質の違い」だそうです。 棺は棺おけ、槨は施設といえば分かりやすいか。 まあ、ふつうの解釈で「石」棺など、其の材質が記されてないのであれば、 「有棺無槨」は木棺墓と解釈してよいのでは?
683 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 12:48:57
>そんな人知らない。会った時もないし見かけた事もない うん おれもw
684 :
改め対策班 :2008/06/22(日) 12:55:58
監視中
686 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 13:14:41
>君が代理で答えてみたらどうですか? なぜ、人にフル?
>>679 >神武の次代、或いは数代後が雄略ではいかが?
神武と同時代でもよいのでは?
>>682 >甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓
支石墓、墳丘墓は、墓の上部による分類。
甕棺墓、石棺墓、木棺墓は「棺」による分類。
支石墓の中にも、直下の埋葬方式として土壙墓・甕棺墓・石棺墓などがあります。
古代史を語っておいて津田左右吉を知らないとは、美濃部達吉を知らないより悪質。
689 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 13:27:52
大型古墳には、「陪塚」とよばれる小古墳が築造される場合がある。 主に主人の従えた従者・大臣等の殉葬といわれてるらしい。 卑弥呼の墓はこれと同じか同じではないか。 言語道断。
690 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 13:29:38
>古代史を語っておいて津田左右吉を知らないとは、美濃部達吉を知らないより悪質。 ほらほら言われてるよ〜〜河童さん 反抗どうぞw
691 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 13:30:42
監視
改めドツボ監視中…
>>669 改め ◆PWTcGEfp1s
おいドツボ、フライングでキサマが立てたスレ削除依頼出して来い!
ドアホウ!!
つうかだな「丹」が何か知らなくても「青丹良し・・・」に続くのが「奈良の都は」なのだから
「青丹良し・・・」で奈良の都の意に介するのが無茶な話。
漢籍を辞書ひく前に日本語勉強した方が良い。
そんな間違いリアル中学生でもやらないw
694 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 13:37:22
>>687 甕棺墓、支石墓、石棺墓、木棺墓、墳丘墓
あら?愛知県民さんは、ご存知でしたか?
それとも今、調べたのかな?
わたしは以前、よんだ本にそんなこと書いてあった記憶がして、
さっきアサリましたよ。
それによると、「木棺、石棺、埴輪棺、陶棺、爽チョ棺」の違いは、
材質の違いによる と載ってまして。
日向三代の墓が気になります。 古事記では、火遠理命の墓が「其高千穂山之西」にあると書かれているだけ。 日本書紀では 瓊瓊杵尊:筑紫日向可愛之山陵 彦火火出見尊:日向高屋山上陵 鵜葺草葺不合尊:日向吾平山上陵 いずれも鹿児島県内とされましたが、宮崎県にも伝承地・参考地があります。 ただ、男狭穂塚が瓊瓊杵の墓というのはどうか・・・? 古事記に邇邇藝命の墓が書いてないのも不思議ですね。 醜く丈夫な石長比賣でなく、美しく儚い木花之佐久夜毘賣を后に選んだために寿命が短くなったと (面白い話ですね)書いてあるのに、その死について書かれていないのは・・・
696 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 13:39:06
泣きっ面か、改め・・・w
>>694 私は考古学に詳しくないので(何にも詳しくないですが)さっき調べました。
>>692 >つうかだな「丹」が何か知らなくても「青丹良し・・・」に続くのが「奈良の都は」なのだから
>「青丹良し・・・」で奈良の都の意に介するのが無茶な話。
>漢籍を辞書ひく前に日本語勉強した方が良い。
>そんな間違いリアル中学生でもやらないw
ん?君は誰?
日本@名無史さん (ブルー)いっぱいいすぎてもう誰がだれやら(笑)
700 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 14:09:54
死面楚歌の改め君www
701 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 14:11:32
アラタメによしw
ローガンさんの代わり、九州ですが氏へ「内箱・外箱の違い」を説明してきたよ。 ローガンさん〜どうですか?あんなかんじですよね?
>>695 >日本書紀では
>瓊瓊杵尊:筑紫日向可愛之山陵
>彦火火出見尊:日向高屋山上陵
>鵜葺草葺不合尊:日向吾平山上陵
>いずれも鹿児島県内とされましたが、宮崎県にも伝承地・参考地があります。
>ただ、男狭穂塚が瓊瓊杵の墓というのはどうか・・・?
西都原古墳群
男狭穂塚・女狭穂塚は、九州旅行へ行ったときに一度はよってみたいと考えてます。
誰か、行ったことある人はいるのでしょうか?ALL
>古事記に邇邇藝命の墓が書いてないのも不思議ですね。
>醜く丈夫な石長比賣でなく、美しく儚い木花之佐久夜毘賣を后に選んだために寿命が短くなったと
>(面白い話ですね)書いてあるのに、その死について書かれていないのは・・・
木花之佐久夜毘賣の死「については唐松山氏に聞けばよいと思います。
彼は〜古代史のことをいろいろと知ってるはずですよ〜! 愛知県民さん
704 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/22(日) 14:26:29
>>703 はわたしです(笑)
またネーム入れるの忘れた〜!
705 :
改め研究家 :2008/06/22(日) 14:30:10
逐電の言い訳
706 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 14:33:44
電改質〜?ww
707 :
改め研究家 :2008/06/22(日) 14:35:17
監視中
監視中
わたしもそろそろ出掛けなくては・・・・。 また夜に来るかもです。 〜See you again 〜
最後に〜 河童さんへのレス >全然勉強になっていません。 いやいや、貴方とかローガン氏は分かってるので勉強にはなりませんよ。 しかし、九州ですが氏には、「学べた・勉強になった」つーことで言うたのです。 >その解釈から「有槨無棺」を説明してみたら >そこに身分は加味されないことに気づくから 誰が倭人伝に「身分」が「記」されとる言うたのですか? 「有槨無棺」 と書かれてるだけです。記されてませんよ? その「字」からするイメージとして、後に続く立派は王墓のイメージと比べて、 わたしが感じたイメージでつ。 〜See you again 〜
幾星霜を経て後、オシロワケ天皇(人皇十一代景行)のツクシ巡狩のみぎり、コノハナサクヤ姫とニニキネの美しい生涯に思いを馳せた君は、 日向国(ひうがのくに)を「妻(つま)の国」と名付けて、二神への愛の手向け(たむけ)としました。 今この物語の名残をとどめる都万神社(つま・木花之開耶姫祭神)が、西都(さいと)市の妻町に歴史の証として鎮まっています。 「妻(つま)の国」=投馬國? また謎が増えました。 ではまた。ZZZ・・・・
713 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/22(日) 15:24:46
>日向三代の墓が気になります ホツマでは、筑紫のヒムカです。アビラ山=日向峠の南南東?。
/::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\ (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\ /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::) (::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ (:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::) (::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::) ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::) | =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ=== |:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ _________ |/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| | / .( .(● ●) )ノ / ( ・ / :::::l l::: ::: \ .) < あおによし(奈良の都)、 ( // ̄ ̄ ̄ ̄\:\. .) \ .\ : )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ |::: ::::(: /.. \_________ \ ::: :::::::::\____/ :::::::::: / ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ \丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: / | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: :: __/ |  ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄
>>714 ヒガムナひがむな〜!
そして変なレスは辞めろ!!!!!!!
だれか消すの手伝ってくれよ もう荒らしがうざいうざい。゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
717 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 23:10:08
ww
718 :
改めですが :2008/06/22(日) 23:26:49
改めがんばれ
徹底監視中
おまえらまともなレスしろよ 「監視」ておれのレスが注目されてるのは分かったからさ〜!
♪氏ね! 氏ね! 氏んじまえ〜
>>712 のレス
>幾星霜を経て後、オシロワケ天皇(人皇十一代景行)のツクシ巡狩のみぎり、コノハナサクヤ姫とニニキネの美しい生涯に思いを馳せた君は、
>日向国(ひうがのくに)を「妻(つま)の国」と名付けて、二神への愛の手向け(たむけ)としました。
>今この物語の名残をとどめる都万神社(つま・木花之開耶姫祭神)が、西都(さいと)市の妻町に歴史の証として鎮まっています。
>「妻(つま)の国」=投馬國? また謎が増えました。
他の人はこのレスについて何か書き込んでね。
>>721 ここは「学問・文系」の日本史板です。
スレ違いだし、変なレスは辞めろよ
みんなで横柄な改めを監視しよう!!!
<●> <●>
726 :
改めさん応援隊 :2008/06/22(日) 23:58:18
改めさんがんばれー
>>723 改めドツボ
ここは「学問・文系」の日本史板です。
おまえの私物スレを立てる為のスペースではありません。
/__.))ノヽ .|ミ.l _ ._ i.) (^'ミ/.´・ .〈・ リ このスレはわしが育てた .しi r、_) | | `ニニ' / ノ `ー―i
730 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 17:52:12
「倭王「帥升」が素盞嗚尊で製鉄王である」としたら、 何故『記・紀』に出てくるスサノオ全部に触れなければ成らないのか、 が良く解らないのだが…。 「オロチ退治」⇒素盞嗚尊は八百万の神々の裁定の製鉄国有化推進派、此れに対して抵抗勢力の製鉄の長(おさ)が八名居た。 *「そが目は赤かがちの如くにして身一つに八つの頭八つの尾あり。またその身にコケまた檜椙生ひ、その長は谷八谷峡八尾に度りて見ゆ。その腹は、悉に血たり爛れたり」⇒自然地形涸れ谷利用の登り窯の製鐵炉。
邪馬台国 ドンと来いスレで、 当事者(ですが・ローガン・河童)ヒートアップしすぎってwww ですがは言ってることは、沸け分からん箇所が多い しかし、それに振り回されているローガンさん、河童さんてところか・・。 まあ、まともなのはローガンさんの言うことだが・・・。 ローガンさん、河童さんは論争べた・・・このままでは、負けるよ。 まあ、ですが氏は、沸け分からん箇所が多いが論争しってるつーか。 どっちかっていうと二人相手に横綱相撲とってる。 「九州ですが」だよね?ALL
732 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 19:11:23
二人相手になかなかやるじゃんてことかな?www
733 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 19:27:57
個人的には河童さんに頑張って欲しいが、公平な「第三者の目」でいえは、 九州ですが かな? なぜか? 全体的なイメージでいえば、二人相手に よくやってるつーか... ローガン氏・河童氏が、ですがに振り回されている印象がある。 ですがくんに「有効」を与えてもいいと思う。 さて、みなさんは?
734 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/23(月) 20:13:44
で、なんで名無しで登場するの? 今時、論争の勝敗気にする奴って、数少ないから直ぐわかる。 だいいち、論争に勝っても過去は変わらない。
>>734 ハイハイはっきり言いましょうね。
>>731 は改めドツボであるとw
「○○さん押されてますよ」
「××さんもっとしっかり」
「うーん△△さんの勝ちかな?」
・・・こうやって仕切りたがるのがドツボの性w
故にスレ主と言うポジションに異常に執着するわけなんだなwww
736 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 21:22:43
>>734-735 あらっ わたしのジャッジにご不満んでスか?
ここ終止符スレではなく邪馬台国 ドン来いで議論してるわけだが、
そこのスレ主さんの「イヨたん・・・」さんでは、ろくな判定もつけれないでし。
あの人じゃあなぁ・・・。
以前、河童さん〜はどくだみさんで議論してたけど・・・
「どくだみさんにはかなわない河童」とか言われてたよね。
引き分けで、挑まれた河童さんの逃げ切りだろ。どーみても!
ていうのが、でしゃばってる理由でつwwwwwwwwwww
帥升の「帥」だけれども、本当に「すい」と呼んだのだろうか? 師匠の「師」とどう違うのか疑問です。 もしかして「もろ」と読んだのではないでしょうか?
>>736 私がどくだみさんとレスのやり取りをしたのは、どくだみさんから得るものがあると
感じ取ったからで、どくだみさんの議論勝ちしようなどとも考えていません。
自分の説明ベタは、自分が一番知っていますから
739 :
サガミハラハラ :2008/06/23(月) 21:30:39
帥=shu だそうです。ちなみに升=shengだそうです。 合わせてシュシェン。これは博多訛で、もとはスセンです。 博多の西に周船寺があります。この周船が帥升のなごりとおもわれます。
740 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 21:46:31
>>739 >帥=shu だそうです。ちなみに升=shengだそうです。
それはどこから仕入れた情報でしょうか?
本当なのかどうなのか、まずはそこからです。
741 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 21:52:20
トナメ参戦中:2008/06/21(土) 18:53:50 ID:hN1Mc/4m0 日王陵を密かに発掘調査した宮内庁特別班の報告によれば 倭王の遺骨と見られるものが入ったツボはなぜか下段に置かれ その上にひときわ大きい骨壷が存在していたそうです 身長140cmほどで脊椎が曲がり貧相極まりない倭王にくらべその ツボの主は古代でありながら身長が187cmほどの偉丈夫であったと 推定され豪奢な副葬品も共に納められていたとか そして倭王の頭蓋骨は中央にくぼみがあり形が上記の人物の 足型にぴたりとはまっていたのだそうです 恐らく古代倭国は韓系渡来人が日王のさらに上に位置し日王を 日常的に足で踏みつけているほど尊崇の対象であったのでしょう 一部日王陵に未だ正式な発掘許可が下りないのはそうした恥辱の 歴史を覆い隠しジャップの劣等感を刺激しないため、そして在日の マイノリティ市民に対するヘイトクライムを抑止し彼らとの友好善隣を 円滑に進めるため、そのためなのでしょう。。。。。。。。
742 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 21:54:04
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
743 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 22:09:27
>>742 あらっ 稲作さん〜新バージョンでスか?
なかなかかわんなかったけど月一で変えていったほうがいいね。
ボランティアお疲れ様ですwwwwww
744 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 22:13:21
>>737 『帥升』
「帥」升 で何て読むんでしょうね。
河童さんに聞いてごらん。
たぶん、帥升=スイシホ という答えが帰ってくるはずwww
おれの予想は当たるんだよんww
>>744 >たぶん、帥升=スイシホ という答えが帰ってくるはずwww
おれの予想は当たるんだよんww
残念でした「スイショウ/スイショー」
746 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 22:33:49
しかし、帥升や卑弥呼の使いは本当に文字をもたなかったのでしょうか? 邪馬台国が九州なら、当然、大陸との交易があったはずだし、通訳や道案内 なしに朝貢したとは考えられません。とすると、音ではなく文字。元帥=師 だったとする説も無視することはできないのではないでしょうか? いわゆる通訳兼代筆屋がいてもおかしくないと思います。
>>746 絶対に答えの出ないネタ出してどうするの?
ここで妄想合戦でも繰り広げる気かい?
748 :
サガミハラハラ :2008/06/23(月) 22:58:53
>>741 古神道の最高権威はちゃ〜んと知っている。負け王改めwの豆脳ではこういう
ことは出て来ない。wwwww
神武〜武烈天皇までは短身であるのが天津法則であり、長身者は天皇にはなれ
ない。ただし顯宗、仁賢は若干大きい。繼體〜文武天皇までは大柄だ。ただ崇峻
天皇は小柄のお方のはずだ。
だから日王が短身だとかで笑うのは天から逆に笑われることがある。今上も
も昭和天皇も東宮殿下も長身でないのはこの天津法則であり、今は大柄だと天皇
の生まれではない。お前、身を恥じろ。
バレーボ−ルは不利だがね。w
昨日の対大柄アメリカ戦も女子バレーは惜敗したが、皇位は現今は短身のお方
と決まってるんだよ。天から笑われるぞ。wwwwwwwwwwwwwww
それとも他人の書きこみのコピーか? 〜ならば謝るぞ。そいつを笑えばいい。
750 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/23(月) 23:16:40
あまり
>>741 氏を突付いてはかわいそうなので、それがしの言いすぎと、この件
拙者の口をストップとしたい。
それより負けしか知らない改めの脳内を折伏するとなお〜面白い。www
毎回あいつは余に1本とられて逃亡するのが日常茶飯事。wwwwwww
751 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 23:19:27
>>749 なんだブルー太国w
>古神道の最高権威はちゃ〜んと知っている。負け王改めwの豆脳ではこういう
>ことは出て来ない。wwwww
>>741 は改めじゃねーよwww 彼は22時少し過ぎに寝どころに入ったらしいが、
1時間後、眠れずにまた起きてきたところだw
早寝早起き〜明日の仕事に備えよう!では zzzzzzzzzzz
752 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/23(月) 23:29:10
どうやら
>>741 氏は改めではないらしい。で、突付くのや〜めた。
改めは負けることがうれしいらしく、余が来るとスーグ逃走してしまう。改めは
大震国本紀で本気に大負けしたので、秋葉の加藤みたくキレテいるようだ。www
753 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 07:15:58
帥升=師 そのソースは?
754 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 13:21:03
師升と書いてある史書もあります。
755 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 20:00:01
>>754 >師升と書いてある史書もあります。
後漢書以外で?
756 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 20:15:44
>>752 太国さん
>改めは負けることがうれしいらしく、余が来るとスーグ逃走してしまう。
それはあんたでしょ。数日間、姿見せなかったのも、
わたしへのリベン時として山篭りでもしてきたのかな?w
>改めは
>大震国本紀で本気に大負けしたので、秋葉の加藤みたくキレテいるようだ。www
大震国本紀なんて初めから信用してないし.........。
757 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 20:18:05
>>749 >顯宗、仁賢は若干大きい。繼體〜文武天皇までは大柄だ。ただ崇峻
>天皇は小柄のお方のはずだ
妄想ですか?
まあ、昭和天皇、今上天皇はそう大柄ではないな。
758 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 20:23:30
監視 だれも喪前を信用してない。w
759 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 20:43:13
>>758 雑魚はコテハンさんのレスを眺めとけばよい。
しょせん、日本@名無史なんだから。
改めさんがんばれ
761 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 21:04:58
帥升の「升(しょう)」の読み方ですが、「升」は文字ではなく、 鳥居をあらわす記号ではないでしょうか? だとすれば、全国津々浦々に分布するほぼ全ての神社に 鳥居がある理由がわかります。 帥升とは、全ての神社を統帥する司祭者という意味ではない でしょうか?
762 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/24(火) 23:02:55
謎の女王卑弥呼は誰か? 邪馬台国問題に終止符!16 Pu!! (大震国本紀)←wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >362 改め:2008/04/26 00:30 カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に活躍した時代の人で 卑弥呼の倭と大和朝廷と結びつける重要な証拠となる。←笑い止めwwwww
>>762 >>362 改め:2008/04/26 00:30
カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に活躍した時代の人で
卑弥呼の倭と大和朝廷と結びつける重要な証拠となる。←笑い止めwwwww
同意
764 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 23:17:03
アラタメ失脚かー!w
765 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 23:22:58
なぜ、悔い改めないのだろう?
766 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 23:26:19
>>762 わたしの考えとスレを盛り上げようとネタだしとを一緒にするなて。
誰がそんなこと言った?
もし、これが本当なら?と前もって書き込んだはずだが?
それに「大震国本紀」なるものは何なのか?知ってるのか?
シッテルならここへ書き込んでみろ〜おっさん
>>762-3 人を嘲笑するのはいけないよ。
馬鹿に「馬鹿」と言っても名誉棄損は成立するよ。
馬鹿であることを隠してる人の馬鹿を暴くとプライバシーの侵害になるよ。
大人ならここは暖かくスルーしてね。
奥野正男か? 奥野氏の棺上げが載ってあるHPみつけたので書き込んでおく。 では、以下をどうぞ。 卑弥呼の墓の条件 「大いに冢を作る、径百余歩、葬に殉ずる者は奴婢が百余人」 「その死は棺ありて槨(そとばこ)なし、土を封じて冢を作る」 という魏志倭人伝に照らして次の条件にかなうものを卑弥呼の墓とした。 奥野は言う、 1.1 冢(ちょう)であること。それは盛り土のような塚であって、見上げるような高さの墳、つまり前方後円墳ではない。 1.2 径とは円の差し渡しであり、前方後円墳などの全長ではない。 1.3 百余歩とは、「目分量」として百歩ほどの意味。歩数なら50〜60m。 1.4 棺とは、弥生時代の甕棺、木棺、箱式石棺などをさす。 1.5 槨(かく)なしとあるから、棺が外箱に入ったものではない。 (奥野説を良く読むと、いわゆる竪穴式石室自体が外箱になる、という考えだ) (すると、竪穴式石室を持つ一般的な前方後円墳は、卑弥呼の墓ではない、となる) (私は、槨とは、マトローシュカ人形的多重層棺桶という意味に取っていたのだが) (ツタンカーメンとか秦始皇帝などは、厳重に何層もの箱に入っていたようだ) 1.6 後漢式鏡の大量埋蔵が卑弥呼墓の条件 以上の奥野の諸条件からすると、箸墓は外れるらしい。
>>763 >同意
何が同意だ!
「大震国本紀」なるものは何なのか?知ってるのか?
わたしが終止符スレを盛り上げようとしてる横で何騒いでるんだよ!
ネタだししてわるいかーー!
770 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 23:38:46
同意
772 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 23:49:31
>>771 ハイハイ それよか、「大震国本紀」をちゃんと説明してから笑って下さいな。
「大震国本紀」なるものが、この世に存在するのは事実。
この本紀を偽者・信じられないとしたものは何なのか?
まずは議論してから否定するべきと思いませんか?
全然、議論も何もせずに分かったような態度でいいのでしょうか?
どこで「大震国本紀」は偽者と決定付けたかそれをここへ書き込んで下さいね。
あ 太国も
773 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/24(火) 23:58:49
太国さんへ
「大震国本紀」 これは何なんですか?
貴方は知ってて笑ってるんでしょうね?
ならちゃんとこれが偽者であると決定付けた「理由」を説明して下さい。
私の考えでは、古代の史書が、昔から大事に保管されて、現在まで残っているのなら、
それは、重要な貴重な史書となりえるでしょう。
しかし、「大震国本紀」が生まれたのはごく最近で近代史なワケですよ。
もしここに書かれてることが「本物ならば、
>>762 で言ったようになるのでは?
といったまで。最近出来た古い列島のことが書かれてる「大震国本紀」はあまり信用は出来てないわけで
わたしの考えをもっとちゃんと聞いてから、突っ込むところは突っ込んで下さいね。
ただ、貴方のレスをみるかぎりは、そこらへんの揚げ足取りばかりしてる奴等と同じで、
「単なる嫌がらせですか?」と思ってしまう。
よ〜〜〜し、次は、「大震国本紀」なるものは偽者かとことんやりますか?
まずは私のレスをみて笑ってる貴方からお願いしますよ。
>>772 何か勘違いしていませんか?
私が一度でも「大震国本紀」を記載しましたか?
私が指摘しているのは、安易に書き込まれた
『カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に活躍した時代の人で
卑弥呼の倭と大和朝廷と結びつける重要な証拠となる』という部分です。
775 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/25(水) 00:09:03
>>774 んじゃあ〜やっぱり太国氏だね......。
太国さーん ちゃんと説明できてから笑ってネ。
貴方がどこをどうとって、それが偽物と決定づけたのか?
ちゃんと〜逃げずにレスして下さい。
わたしの今の考えで言うと「まだ偽物と決定まではいかず」、
「あまり信用出来なさそうな史書」ととってる。
776 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/25(水) 07:09:28
777 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/25(水) 07:11:18
それの >362 を眺めてモノを言えwwwwwwwwwwwwwwwwwww
778 :
ローガン :2008/06/25(水) 16:27:38
>>768 見逃してました。
> 奥野は言う、
> 1.1 冢(ちょう)であること。それは盛り土のような塚であって、見上げるような高さの墳、つまり前方後円墳ではない。
史記に「掘始皇帝冢私収其財物…」と。始皇帝陵の高さは当時115mのようです。
> 1.2 径とは円の差し渡しであり、前方後円墳などの全長ではない。
前方部分は作業通路だと考えています。卑弥呼の墓の記事では、使者が作冢中を見たようにもとれます。
「大作冢」…作業人夫達が、通路である前方部分を登り降りしていたなら、墓自体は円墳と認識したと思います。(単なる想像ですが)
779 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/25(水) 18:10:39
>>778 ローガンさん
『徑』にて、円墳を想定した理由は?
墓の形は様々だし、この形と想定出来る記載もありませんよね。
でも
ローガンさんは円墳を想定してますよね?
780 :
ローガン :2008/06/25(水) 18:35:08
>>779 徑百餘歩ですから。
150m位… アバウトな数字だと考えて少なく見て、仮に100mだとしても円墳で良いのではないでしょうか?
他の候補が思い当たりません。
781 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/25(水) 18:43:03
>>780 ローガンさん
つまり、結果の想定(候補)を先にしたということでしょうか?
『徑』だけでは
円と限定する事はできませんから
『徑』=ショートカット
で、卑弥呼の墓が現存しているという根拠はいったいなんなのでしょう? 文献には 卑弥呼の墓としての大雑把な記録が残されていますが その記録されたものが、現在に至るまで形として残っている保証はまるでありません なのに、箸墓という候補を前面に押し立てるのは・・・・?せめて発掘調査してから浮き上がる話題ではないでしょうか? そう、モモちゃんと卑弥呼を結びつけるものも何も無いのに 世の中の流れは、卑弥呼の墓が現存しているという前提に語られてはいませんか?
783 :
ローガン :2008/06/25(水) 19:20:37
>>781 河童虫さん。確かに該当するのは円だけと云う訳ではなさそうなので、
「ただし、円墳のみが候補ではない。」と付け加えておきましょう。
>>783 ローガンさん
「径」が、円の差し渡し
と、捉えることには異論はないのですが、「円の差し渡しも含む」と捕らえたほうが正確な解釈だと
判断する私の考えはどうでしょう?
で、この「円の差し渡し」は
平面状に描かれたものにのみ通用するもので、決して立体のものには通用しないものと考えています。
785 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/25(水) 20:02:30
>784 同意。
786 :
ローガン :2008/06/25(水) 20:09:38
すみません。又後程、帰ってからにします。
787 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 20:14:07
邪馬台国って山口県に決定ですか?
788 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 20:25:05
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
ローガンさんには申し訳ありませんが 箸墓は単一墓、しかし文献には「大作冢」と複数(群)墓と記載されています。 箸墓は複数或いは群墓で形成されているのでしょうか? 「大作冢」の「大」は(大いに/おおいに) (おおいに)の場合「大いに」と「多いに」に分類され 多いに= 形の統一されたものが複数 大いに= 形の不揃いのものが複数
790 :
どくだみ :2008/06/25(水) 21:33:07
>>789 河童さんは、師匠のホームページに載っていた、
「彼女の墓は“大”量に作られた“古墳群の中”」
というのを信じているらしいですね。
久しぶりにあのHPを見ましたが、
よくもまあ、あんなでたらめをポンポン断言しているものだと、
最初は笑っていましたが、だんだん腹が立ってきました。
まあ、世の中、とんでもない新興宗教の教義を信じている人が
少なからずいますから、生活に支障をきたさない
あの程度のことに目くじらを立てることもないのでしょう。
791 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 21:44:48
河童さんは、洗脳されて信者になったんですね?
792 :
ローガン :2008/06/25(水) 21:53:07
>>789 すみません遅くなりました。
> ローガンさんには申し訳ありませんが
私の事など別にどうでも…ひょっとしたら明日にも考えが変わる妄想家ですから。
> 箸墓は単一墓、しかし文献には「大作冢」と複数(群)墓と記載されています。
> 箸墓は複数或いは群墓で形成されているのでしょうか?
>
> 「大作冢」の「大」は(大いに/おおいに)
>
> (おおいに)の場合「大いに」と「多いに」に分類され
>
>
> 多いに= 形の統一されたものが複数
> 大いに= 形の不揃いのものが複数
初めて聞きました。漢文に疎いので。 もし良ければ用例等、ご教示ください。
>>790 どくだみさん
>河童さんは、師匠のホームページに載っていた、 「彼女の墓は“大”量に作られた“古墳群の中”」
というのを信じているらしいですね。
久しぶりにあのHPを見ましたが、 よくもまあ、あんなでたらめをポンポン断言しているものだと、
最初は笑っていましたが、だんだん腹が立ってきました。
まあ、世の中、とんでもない新興宗教の教義を信じている人が 少なからずいますから、生活に支障をきたさない
あの程度のことに目くじらを立てることもないのでしょう。
何かどくだみさんに迷惑かけましたでしょうか?
それに
>>789 のレスに対するコメントが、
>>790 の個人的な感情とは いささか情けない話ではありませんか?
>「彼女の墓は“大”量に作られた“古墳群の中”」
というのを信じているらしいですね。
?????なんのことですか?
私の
>>789 のレスが、虫さんのHPの何処に掲載されているのでしょう?
>>789 は、私個人の見解であり考察の結果です。
それに、虫さんからの卑弥呼の墓についてのアドバイスは
『単一墓か、群墓か、文中から見極めなさい』というアドバイスだけですよ
人間
腹が立ったときにはぐっと堪えるだけじゃなく、たまにはストレス発散のため行動に出る事も必要です。
>>792 ローガンさん
「處山林之間、常穴居、大家深九梯、以多為好」・・・・・(三国志挹婁伝)
「・・・・・・・・・・大きな家は九本の梯子の深さがあり、梯子の多いことを良とする。」
「以殷正月祭天、國中大會、連日飲食歌舞」.......(三国志扶余伝)
「.........国中が大いに会し、連日、飲食と歌舞」
もう少し解りやすい用例があればいいのですが
795 :
ローガン :2008/06/25(水) 22:24:09
うわ!どくだみさんが怒ってる。 私の幼稚なレス等控えて、河童虫さんとの高尚なバトル… 楽しみです。
796 :
ローガン :2008/06/25(水) 22:35:48
>>794 ご教示ありがとう。河童虫さん。
確かに仰る通り、私には分かりにくいですね。
今、辞書を見たんですが、「多」の場合、副詞になると「おおいに」なんてないように思います。
>>795 ローガンさん
>私の幼稚なレス等控えて、河童虫さんとの高尚なバトル…
楽しみです。
高尚なバトル
そんなものありません。 私は一般とは違う視点で書物を見つめていますので
物の見方、考え方が根底から違ってきます。
根本的な考えの違うもの間で議論が成立することは、先ず不可能でしょう。
798 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 00:02:43
女子短大生6人世界遺産大聖堂に落書き。 岐阜の短大生だというが、自分の名前をかいたらしいので誰かはわかるだろう。 どんな顔かみたいので誰かしらべて載せてくれませんか。
799 :
警告 :2008/06/26(木) 00:09:40
スレ違い
800 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 00:17:03
ローガンさん、河童虫#さん、スレ違いだって。
801 :
どくだみ :2008/06/26(木) 00:33:11
>>793 >何かどくだみさんに迷惑かけましたでしょうか?
あのHPには不快な思いをさせられました。
というのは冗談ですが、貴方が言語虫説を信じ込んだように、
また、新たに迷惑を被る人が出てくるかもしれませんね。
でも、一億二千万人の中の数人ですから、目くじらを立てるほどのことではないのでしょうね、ということです。
たまたま縁のあった人は、こういうので誤られないように少し注意を喚起したいと思うだけです。
>それに、虫さんからの卑弥呼の墓についてのアドバイスは
>『単一墓か、群墓か、文中から見極めなさい』というアドバイスだけですよ
かのHPには、群墓であると明言してあって、その根拠が「大いに墓を作る」だからだそうです。
「大作冢」を複数(群)墓と解釈するのは、師弟共通ですね。
「彼女の墓は“大”量に作られた“古墳群の中”にアリ」が正しいなら、
「卑彌呼以死,大作冢,徑百餘歩,ジュン葬者奴婢百餘人.」ではなく
「卑彌呼以死,ジュン葬者奴婢百餘人.大作冢,」ではないですか。
詩人稱西伯受命曰文王.伐崇、密須、犬夷,大作豐邑.(史記)
文王は豐邑という都をたくさん作ったのですか?豐という邑は一つしかないはずですよ。
會夫人死,晧哀愍思念,葬于苑中,大作?,使工匠刻柏作木人,
?冢中以為兵衛,以金銀珍玩之物送葬,不可稱計.(三国志 呉書の注)
孫晧は夫人の死を悼んで、たくさんの冢を作ったのではないですよ。
まあ、こういう例を挙げても、「何か勘違いしていませんか」とか、
「手札は全部さらしてませんから」とか、そういう類のレスを頂くんでしょうね。
>腹が立ったときにはぐっと堪えるだけじゃなく、たまにはストレス発散のため行動に出る事も必要です。
ヤフー掲示板に行けと仰いますかw
プロフィールの写真を見たら、そんな気はふっとびますよ。
それに、あらためさんが行かれた時の応対を見ていましたが、議論しに行く価値があるとは思えませんでした。
802 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 00:44:17
>>798 名前愛称まではわかりました。
まなーちいーゆいーあやなーりかーみき だそうです。
横に亮介ともっと大きな字で刻んでありました。
顔写真わかったら貼ってくださいね。
ここにもトリップ記念で書いておこうかな。 お墓の話ですね。 「彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」 百餘歩は約140mですね。300歩=1里とすれば。 「徑百餘歩」をどう考えるかですけど 墓の設計者でもなければ、墓の上を踏んであるかないでしょう。 それに墓が円形だの四角形だのどうでもいいんじゃにですかね。 これは葬儀への道って解釈した方が叙情があるような気がします。 そこで婢百餘人泣いて弔っていたと。
804 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 09:20:13
>>801 どくだみさん
『何か勘違いされてはいませんか?(笑)』
冗談はさておき、倭人伝は基本的に、紀伝体で書かれた記録書です。文体も、向かって右側が左側よりも時間的に古く、上より下の方が新しい
こういう文体に構成されています。
で、肝心の『卑弥呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人』ですが
これを記録構成的に組みかえてみると
@卑彌呼以死、大作冢
A卑彌呼以死、徑百餘歩
B卑彌呼以死、奴婢百餘人このような箇条書となり、時間経過も@→A→Bとなります。
全く、どくだみさんの構想とは異にするもので、これをB@Aではないかと問われても、時間経過がそのようになっていますので、変えるわけにはいきません。
たぶん、どくだみさんの提示された『卑弥呼以死……大作冢』の文体は、時間経過を考慮せず、一つの纏まりとして捉えているのではないでしょうか?
それでは、私と意が異なるのも当然かと。
805 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 09:54:14
>>804 訂正、追記
B卑彌呼以死、奴婢百餘人……×
B卑彌呼以死、徇葬者奴婢百餘人……〇
m(__)m
806 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 10:30:02
>>803 トリップ記念おめでとうございます。
>百餘歩は約140mですね。300歩=1里とすれば
いいえ違います。
『三百歩為里』は『三百歩為里』と言う、換算値であって
決して動かせるものではありません。
『里』に対して『三百歩』と言う値が最低値であり、仮に百歩を里にしようとしても、もうそこに里の単位は存在していません。
『里』は三百歩あるから里なのです。
807 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 10:56:33
>>803 つまり、里と歩の関係は300と言う値であり
歩は里に対して300・600・900…と、300の倍数でしか変化しません。
808 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 12:01:12
アホになります
809 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 21:00:02
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 饒速日命,天磐船に乗り 太虚をめぐりゆきて この郷におせりと天降りたまうとき 名づけて「虚空見日本国」という 日本という名は、この人が用いた。 日本はヒノモトと読む。 東大阪市に「日下」という地名があり,饒速日尊は,ここから大和に入ったと伝えられている。
810 :
どくだみ :2008/06/26(木) 21:13:55
>>795 ローガンさん
いやいや、怒ってるのはかのHPの内容であって、ここのレスについては別に怒ってませんよw
私と河童さんのやりとりなんて、断じて高尚ではないです。泥臭い話です。
二人きりにされると寂しいので、構って下さい。
811 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 21:37:59
帥升の「升(しょう)」の読み方ですが、「升」は文字ではなく、 鳥居をあらわす記号ではないでしょうか? だとすれば、全国津々浦々に分布するほぼ全ての神社に 鳥居がある理由がわかります。 帥升とは、全ての神社を統帥する司祭者という意味ではない でしょうか? 帥升=八重事代主神 ありえる
812 :
どくだみ :2008/06/26(木) 21:49:56
>>804 河童さん
久しぶりの長編です。ご期待下さい。
>倭人伝は基本的に、紀伝体で書かれた記録書です。文体も、向かって右側が左側よりも時間的に古く、
>上より下の方が新しい。こういう文体に構成されています。
貴方の仰るとおりですね。(紀伝体が常にそうというわけではないですが、ここはその通りです)
ですから、時間経過は
1、卑彌呼以死 → 2、大作冢=徑百餘歩 → 3、徇葬者奴婢百餘人
でしょう。
>A卑彌呼以死、徑百餘歩
これ間違いですよ。
>『其死有棺無槨封土作冢・・・』
>其死、有棺無槨
>其死、封土作冢
これは、貴方がやった分解ですが、「其死、有棺無槨」「其死、封土作冢」は、
それぞれ一文として成り立つので正しいです。
でも、「卑彌呼以死、徑百餘歩」は文として成り立ちません。
「死の徑が百余歩」って意味が通らないでしょう。これは間違いです。
さらに、「有棺無槨」と「封土作冢」は直接的に前後関係はありません。
死という状況について、棺槨と冢という二つの要素を並列に説明しています。
だから、貴方がやったように、「其死」を主題提示として、ふたつの部分に分解できます。
しかし、問題の文の場合、卑彌呼が死んだから冢を作ったのであり、冢が無ければ葬は行えないので、
「卑彌呼以死」と「大作冢」と「徇葬者奴婢百餘人」には時間的に前後関係が認められます。
だから「卑彌呼以死」を「其死」のように、主題提示として、文の各要素に分配することはできません。
つづく
813 :
どくだみ :2008/06/26(木) 21:51:55
私は、時間経過に関しては貴方と全く同意見で、一纏まりに考えているのではありません。
ならば何故、文の順序が違うと言ったか説明します。
貴方の主張が正しければ、
卑彌呼が死んだ→あらかじめ百余人分の墓を作った→卑彌呼の葬式で百余人を殺した
ということになりますね。
ところが、先に
>>801 で示した通り、「大作」には「大規模にやる」という意味はありますが、
数が沢山という意味は直接にはありません。
貴方が例に挙げた「大いに会す」のように、会盟などの場合、
大規模だと会盟に参加する国の数が沢山になるので、
そう訳せる場合もあるというだけです。
さて、「大作冢」の場合、普通に読めば「大規模に冢を作った」にしかなりません。
だから、「百余人分の墓を作った」という貴方の主張を正しく読者に伝えるには、
卑彌呼が死んだ→葬式で百余人が死んだ→卑彌呼と一緒に百余人分の墓を「大いに作った」
でなければなりませんよということです。
おわり
814 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 21:59:10
815 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 22:07:14
神道五部書 (一)天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき) (二)伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき) (三)豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんき) (四)造伊勢二所太神宮寶基本紀(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき) (五)倭姫命世記(やまとひめのみことせいき) 古事記・日本書紀とどっちが古いの?
816 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 22:15:11
817 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 22:20:25
>河童さんは、師匠のホームページに載っていた、 >「彼女の墓は“大”量に作られた“古墳群の中”」 >というのを信じているらしいですね。 >久しぶりにあのHPを見ましたが、 >よくもまあ、あんなでたらめをポンポン断言しているものだと、 >最初は笑っていましたが、だんだん腹が立ってきました。 同じく(笑)
818 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 22:27:53
河童って両生類で良いんだっけ?
819 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 22:31:30
スレ主だよ 神奈川県民=河童虫
>>817 悪いけど、相手にしないよ
さて、
>>812-813 どくだみさん
A(A卑彌呼以死、徑百餘歩)に気づくなんて流石ですね マジ脱帽です。
私もAを記載しようかどうか悩んだのですが、どうしても時間の流れを説明するのに必要だったもので
この徑百餘歩は、@とBのどちらにも関係し、
@卑彌呼以死、大作冢徑百餘歩
A卑彌呼以死、奴婢百餘人
と、するわけにはいかなかったための苦肉の策です。
ストーリーとしては
死によって大急ぎ墓(奴婢分を含め)を作り、奴婢に葬らせ奴婢を葬った
このようなストーリーです。
ここで大事なことは、卑弥呼に女王の冠がないこと、ここをどう読むかでストーリーはまるで変わって来ます。
奴婢は(なんで女王様が?)と、思ったのではないでしょうか?
墓を作るのも大変だったんでしょう、だから(大作冢)
いたるところ墓だらけだったから、ショートカット測定の(徑百餘歩)
単に(大作)だけで(おおいに=沢山)と解釈したわけではありません(徑百餘歩)(奴婢百餘人)という記載があるからこそ
そう解釈できたのです。
>>819 >神奈川県民=河童虫
アホ〜
茨城県民=河童虫だよ
そういえば以前、 九州ですが=プラム と、散々言っていたアンポンタンがいたが
もしかして君か?
>>817 情けないね〜 そんなレスする時間があったら、漢籍扱っているんだから漢字の一つもおぼえなよ
そして、どくだみさんより早く突っ込み入れられるようにしてください。(お願いします)
高卒だって十分出来るよ
822 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 23:17:23
卑弥呼一族と天皇家は同じ?
823 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/26(木) 23:22:40
別 天皇一族 →畿内 卑弥呼一族→九州
824 :
ローガン :2008/06/26(木) 23:25:26
>>818 >
> 河童って両生類で良いんだっけ?
>
清酒〇桜の河童には乳房があります。哺乳類だと考えます。
825 :
819 :2008/06/26(木) 23:25:33
>>820 >A(A卑彌呼以死、徑百餘歩)に気づくなんて流石ですね マジ脱帽です。
まじ〜笑える
意味ワカリマセン(笑)
どくだみさんより早く突っ込み入れられるようにしてください。ナイス
826 :
ローガン :2008/06/26(木) 23:39:20
卑弥呼以死… このくだりなんですが、6年詔に基づき8年以降に張政等が来倭したが、既に卑弥呼は死んでおり、其の作冢中に出会した…。 と読んでいるのですが、皆さんのご意見やいかに、教えてください、エロイ人。
827 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 23:54:56
>>823 何が『別』だ。
あらためから論破されたくせに。
>天皇一族 →畿内
凡二十三世 並都於筑紫日向宮
自筑紫宮入居大和州橿原宮 ほらよ。
>>826 >エロイ人
エロイ人ではなく両生類ですが
>既に卑弥呼は死んでおり
それって本当にそうだったんでしょうか?
以降の史記編纂者は「正始中卑弥呼死」ときさいしていますよね
>>827 私は、張政の来倭の後に女王の死と卑弥呼の死と考えています。
830 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 00:22:53
831 :
どくだみ :2008/06/27(金) 00:26:13
>>824 清酒黄○の河童のCM、最近見ませんね。
あれって、全国的に流れてたのかな?
833 :
ローガン :2008/06/27(金) 00:40:52
>>828 > 以降の史記編纂者は「正始中卑弥呼死」ときさいしていますよね
そうですね。姚さんもひょっとしたら私と同じように考えたのかも…。
それは冗談ですが、正始中ですから、嘉平迄下らないので。
8〜9年頃張政等来倭なら辻褄は合うように思います。
>>826 ローガンさん
自分はそんなにエロクないと信じたい私ですが、
文章の流れからすると、
張政が来たのが何らかの引き金になって卑彌呼が死んだという感じを受けます。
以死の以が、そんな感じを匂わせているんじゃないでしょうか。
>>832 ありがとう。なつかしいなあ。
1980年のかっぱ竜宮城で最後なのかな?
836 :
どくだみ :2008/06/27(金) 00:50:26
>>820 河童さん
文章の流れは、
1、卑彌呼以死 → 2、大作冢=徑百餘歩 → 3、徇葬者奴婢百餘人
というふうに、スムーズに流れています。
なのに、貴方の説を成立させるためには、貴方が言うように、徑百餘歩が前にも後にもかからなければならなくなるんですよ。
文章の流れと、文章を解釈した時の時間の流れが同期してないわけです。
だから、文章の順番が違うんじゃないですかと書いたわけです。
しかも、卑彌呼以死大作冢徑百餘歩で一旦文が終わっているのに、徇葬者奴婢百餘人という、次にくる別の文を見なければ、
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩の文意を決定できないという矛盾も含んでいます。
837 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 00:59:52
どくだみさん 何才なの?
838 :
どくだみ :2008/06/27(金) 01:08:16
>>837 河童のCMを懐かしく感じるような年であります。
839 :
ローガン :2008/06/27(金) 01:08:31
>>835 > 文章の流れからすると、
> 張政が来たのが何らかの引き金になって卑彌呼が死んだという感じを受けます。
> 以死の以が、そんな感じを匂わせているんじゃないでしょうか
なるほど、そうですか。再考してみます。
ただ、私見も首皮一枚くらい、残ったのかな?
ではお休みなさい。
ZZZ〜
840 :
どくだみ :2008/06/27(金) 01:20:24
>>839 お休みなさい。よい夢を。
>>837 ついでに、年を聞かれて素直に答えたくなくなる微妙なお年頃でもあります。
841 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 01:24:08
>>806 ,807
すみません、何がいいたいのかよくわかりませんでした。
私は皆さんが墓が丸いだの四角だの盛り上がってるので
まず、「百餘歩」とはなにものかということを順序だてて考えていました。
843 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 07:12:08
>「百餘歩」とはなにものかということを順序だてて考えていました。 距離では?
844 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 07:29:25
>>827 お前こそ改めじゃないのか〜〜〜〜????wwww
論破したのはこちらだ。改めは毎回余に苦杯を飲まされて無コテで書きこんでる。
〜見ろ、このごろ奴は書きこみを滞っている。なぜか???
大震国本紀の失敗をつつかれたから関心が薄まるまで逐電してるのさ。www
図星だろう。wwwww
その文はどこからの記事で何年頃だ? これもつつかれるから書かないのか?w
845 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 07:39:19
>>844 >天皇一族 →畿内
どこが天皇一族は畿内なの?
凡二十三世 並都於筑紫日向宮
自筑紫宮入居大和州橿原宮 ちゃんと説明してね
846 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 07:46:52
>>842 貴方は「百餘歩」の値に対し「三百歩為里」を用いて、その三分の一だから百歩=140mではないかと判断したわけです。
それに対し
私は「三百歩為里」の三分の一は、机上だけで実際には使えない計算であることを説明したのです。
本来墓の規模は長さを用い、度量衡に定められた(…尺、丈、引)という単位を当て嵌めるからです。
貴方の言われる「一里=三百歩」は、長さではなく
距離に相当する換算値なのです。
括地志云:「比干墓在衛州汲縣北十里二百五十歩.」
848 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 09:23:05
>>847 それって
十里二百五十歩?
原本見ていないからなんとも言えないけど、
確か以前の記憶では(間違っていたらスマソ)
十裏二百五十? ではありませんか?
この括地志云にははっきり「里」を使用していますから、裏を里に変換する過程が欲しいところです。
849 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 12:46:49
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
850 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 14:14:54
>>845 改めよ
ちゃんと説明するのはお前のほうだねぇ。どこの文献でいつの時代なのか書いて
ないんでは〜説明しろとはお前のほうだ。お前が説明するんだよ。
いくら天皇一族が畿内に住んでても、それは九州旅行も少しはするし3世4世と
なってくれば他の地方に住むことは言える。基本的な話のことだ。
お前もビクついてないで、コテハンに戻したらいいんでないのか? それとも
まだ怖いのか〜??www
851 :
ローガン :2008/06/27(金) 15:35:47
そうそう、どくだみさん。 ふと思い出したのですが、確か以前に冊府元亀を根拠に、「八年朝貢者を壹與」とされてなかったですか? 昨夜のレスと矛盾するような気が… 私の思い違いだったらごめんなさい。
>>850 改めよ(態度を)改めよ、てゆうことだなw
853 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 16:37:20
卑弥呼の古墳って意外と大阪城かもね
854 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 17:32:21
855 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 17:38:01
実は甲子園球場。 ♪蒼天駆ける日輪の〜 ・・・日輪とは アマテラス=卑弥呼の事 これ正解。
改め、改め〜うるさいな〜!なんだよ? それとみなさんスレ上げてね〜スレは上げまくれ! 河童さんとか愛知県民さんも〜最近あげてくれない!!!! E-mail 欄には、「sage」ではなく、「age」で入力しましょう!!ALL
>>850 >改めよ ちゃんと説明するのはお前のほうだねぇ。どこの文献でいつの時代
>なのか書いてないんでは〜説明しろとはお前のほうだ。お前が説明するんだよ。
>いくら天皇一族が畿内に住んでても、それは九州旅行も少しはするし3世4世と
>なってくれば他の地方に住むことは言える。基本的な話のことだ。
あんたはいっつも〜ヘリクツで誤魔化してるよね!
>>827 さんに質問んされてるじゃん ちゃんと説明できないのか?
なんだわたしにフルんだよ。〜たくいつもわたしが説明してばかりで
あなたはちゃんと答えないじゃないか。
それに「3世4世」てどこをみておっしゃるのか?
「凡二十三世」とそこに記されてるんでしょ?見えないのか?
>>838 >河童のCMを懐かしく感じるような年であります。
どくだみさん〜もっと若いと思った。
「河童のCMが懐かしいて」いうぐらいだから40オーバーだよね。
わたし?わたしは平成生まれてことで(笑)
>>852 >改めよ(態度を)改めよ、てゆうことだなw
俺のレスは正座して聞いたほうがいいんじゃね?ww
誰か踏んでちょ。
改めドツボ発狂中・・・ おーい、みんな逃げろ。 ドツボがナイフ持ってトラックで突っ込んでくるぞ(棒読み)
きみは、どのななしさんかな?どつぼの愛称つけた人? それにきみもコテハンつけたらどうだい? 何なら命名してやろうか?w
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
862 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 19:35:12
改めよ。アナグマの穴から渋々のこのこと出てきたようだな。ww
その
>>827 が他ならぬお前なわけだよ。ww だからお前が答えればいいことだ。
お前と争ってるのは編年のほうだ。九州説はお前とだいたい場所が同じ説だから
そんなこと位で目くじらたててガタガタつつくな。
>>862 あなぐま?そらぁあんたでしょ。他所のサイト逃げて(笑)
『編年』言う前に、何故「天皇一族 →畿内」なのか答えて下さいな。
『倭人伝』
世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
『宋史』
倭國者 本倭奴國也
凡二十三世 並都於筑紫日向宮
彦瀲第四子神武天皇 自筑紫宮入居大和州橿原宮
『新唐書』
自言初主號天御中主 至彦瀲凡三十二丗 皆以尊爲號 居筑紫城 彦瀲子神武立 更以天皇爲號徙治大和州
『大震國本紀』
伊都國在筑紫 亦即日向國也
東南陸行五百里 至伊都國 乃磐余彦古邑也
/::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\ (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\ /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::) (::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ (:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::) (::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::) ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::) | =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ=== |:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ _________ |/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| | / .( .(● ●) )ノ / ( ・ / :::::l l::: ::: \ .) < 俺がスレ主だ ( // ̄ ̄ ̄ ̄\:\. .) \ .\ : )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ |::: ::::(: /.. \_________ \ ::: :::::::::\____/ :::::::::: / ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ \丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: / | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: :: __/ |  ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄
>>864 そらぁお前の顔だろ
いやがらせなんてキモチ悪い
866 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 20:09:49
PuPu!! お前もおかしなことを言い出したな。その矢印は神武即位後の話だよ。 お前の出典は伝以外それ以前のことでないか。 神武以前は、それは一族は九州だがねぇ。w そこまで言わねばわからんのか? − − − − − − − − − − − − − − − − − − www(大震国本紀)www 謎の女王卑弥呼は誰か? 邪馬台国問題に終止符! 16 >360 改め:2008/04/26(土)00.21 もし、これが本物の資料だとすればカムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に 活躍した時代の人で 卑弥呼の倭と大和朝廷を結びつける重要な証拠となる。 − − − − − − − − ↑ − − − − − − − − − wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
867 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 20:12:19
訂正 × >360 ○ >362
868 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 20:14:46
監視
869 :
ローガン :2008/06/27(金) 20:16:58
>>847 > 括地志云:
ああ、そうですね。括地志なんて有りましたね
。翰苑の百済に次のような記述があります。
「國東南百里有得安城々方一里此其東方也國南三百六十里有下城々方一百卅歩此其南方也國西三百五十里有力光城々方二百歩此其西〇也國東北六十里有熊津城一名固麻城々方一里半…」
歩は里の下の長さの単位。徑百餘歩も同様でしょうね。
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
872 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 20:27:09
www(大震国本紀)www 謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符! 16 >362 改め:2008/04/26 もし、これが本物の資料だとすればカムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に 活躍した時代ほ人で 卑弥呼の倭と大和朝廷を結びつける重要な証拠となる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー ↑ ーーーーーーーーーーーーーーー wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
873 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 20:29:01
訂正 × 時代ほ人 ○ 時代の人
874 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 20:36:28
>>872 『大震国本紀』は倭人伝ほど重要とは考えていないが、
本当にうそばかりが書かれてるのか?
あなたは、『大震国本紀』を馬鹿にしてるみたいだが、何故そういえるの?
理由を述べずにただ、批判するだけw
ちゃんと調べて「ここがこうだから、このようになって、だから信用できない」
というふうに言えばわたしも気がおさまるんだが、それもしないでよく笑えるね?
まずは何処が間違っててうそなのか答えたらどうだい?
875 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 20:40:05
ほらほらほらっ サガミハラさんや河童さんみたいに逃げるか?w みなさん〜注目! この人が馬鹿にしている理由を聞きたいよね? 笑うなら笑うだけの『理由』述べてからにしなさい。 ほら〜みんなみてるよ 論破されまくりの〜太国さんw
876 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 21:16:54
「有棺無槨」て他所スレでやってたよね でもこれの違いは何? 『梁書 高句麗伝』 其死葬 有槨無棺 『魏志倭人伝』 其死 有棺無槨 封土作家 との違いは?
| ト〜〜〜〜'´! | __ |ドツボ殲滅軍 | | /ロ=ロヽ(〇) ト 〜 〜〜〜' | ||c|^▽^)| |r゚ュ、 | | と(=Vロつi iト={[ニニ!ニエニニi | |_riiニ)Iニニコ (! _ i)_ノ__jコ。iロi ̄! i、_ | /ラ───── i !─。─t=ニニニ=-|__ |`  ̄ ̄ ̄ i ト、_ノ ! |ヲj | |_____゚__| ! ̄! ___ ト-───‐'=============`二二二二ニニ!─ュ /r,ュr qュ ......................................==≡≡==........__r q三三、 ! ̄ ̄  ̄ ̄ i roュ rュ rュ roュ i i / ハ 三_____゚______ハ ', / ____,'__ッ ヒコココ ヒコココ い_____ ゙、  ̄ト三三三三ハ......................................................................ハ三三三三i ̄ {三三三三ハ ハ三三三三} {三三三三ハ----────────----ハ三三三三} ヾ三三三三ツ ヾ三三三三ツ
ネタ投下するか〜♪ 三國志 倭人伝(通称:魏志倭人伝) 卑彌呼以死 大作家 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 三國志 夫余伝 殺人徇葬 多者百數 三國志の著者 陳壽さんがどうして「徇葬」、「殺人徇葬」使い分けたのか? つーことよ。
「訂正」
大作家 ⇒ 大作冢
おれ明日居ないからみなさんきてね。
それと、
>>877 落書きするな!!あほが!!
>>869 ローガンさん
いきなりマニアックな括地志云を出先で提示された時は、流石に対応に苦慮します(笑)
さて、先ほど提示された「里と歩」
>「國東南百里有得安城々方一里此其東方也國南三百六十里有下城々方一百卅歩此其南方也國西三百五十里
有力光城々方二百歩此其西〇也國東北六十里有熊津城一名固麻城々方一里半…」
これをもう一度眺めてください。
歩を使用しているその対象物はすべて長さ、そして里は距離と、その用途の違いで使い分けされています
用途が違うものを同じ概念で統一することは出来ないのでは?すると、先ほどローガンさんの言われた
>歩は里の下の長さの単位
は、全く矛盾する話となります。
仮に、ローガンさんが言われるように「歩は里の下の長さの単位」が成立すると
長さの単位「歩」をあり一定数集めると、距離に変化するという論理が成立してしまいます。
絶対に変ですよね
>>873 >『梁書 高句麗伝』
其死葬 有槨無棺
『魏志倭人伝』
其死 有棺無槨 封土作家 との違いは?
いろんな人を論破してきたんだろう?そのくらい自分で考えてみれば
簡単だろう?
>>878 徇葬なんて考える暇があったら、どうして卑彌呼に女王の冠がないのか考えたほうがよっぽどオモロイ
勝敗採点 改めの一本負け!
883 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 21:51:43
横暴マン アラタメ監視
>>881 >いろんな人を論破してきたんだろう?
太国はかんぺきに論破したかな?!あいつ今頃、泣いてるよ。
彼の『倍暦論』は、決史八代の崩御が1〜15日という。
その間に「倍暦」をやったな...という考えらしい。
しかし、崩御以外では15〜30日の記録があるわけで。。。
>>883 其死 有棺無槨 封土作家
どこが横領なん?w
885 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 22:13:21
監視中
サガミハラハラさん 神功皇后は当時、どっちの扱いをされてたのでしょうか? 「大君(天皇)」、「摂政」 どつち?!
888 :
改め研究家 :2008/06/27(金) 22:19:45
うひゃ〜〜〜〜 とことん監視だ
荒溜め監視!
>徇葬なんて考える暇があったら、どうして卑彌呼に女王の冠がないのか >考えたほうがよっぽどオモロイ 三國志 倭人伝(通称:魏志倭人伝) 卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 わっはは 「女王」の冠があったほうが「怖い」ょ 復立卑彌呼宗女壹與 年十三為王 國中遂定 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還 卑弥呼だけではなく「壹與」にも冠はついてません。 陳壽さんが二度同じコトをいうアホなワケがない。。。。
891 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 22:32:09
w 謎の女王卑弥呼は誰か? 邪馬台国問題に終止符! 16 w >362 改め:2008/04/26 00.30:03 wwwww(大震国本紀)wwwww もし、これが本物の資料だとすれば カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より 後に活躍した時代の人で 卑弥呼の倭と大和朝廷を結びつける重要な証拠となる。 =========================== ↑ ================================= wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
892 :
改め研究家 :2008/06/27(金) 22:37:21
ひねくれ者を監視する
〜〜協力監視中
改めドツボ監視中・・・
>>884 >太国はかんぺきに論破したかな?!
>あいつ今頃、泣いてるよ。
笑えるw
ドツボのアホ、ネット番長振り全開、厨丸出しwww
そもそも論破云々は両者がある程度は同じベースに立って初めて可能なわけで
太国の理論はそれすら難しい。
証明もできなければ論破もされないと言うシロモノw
>>891 わらえるのは貴方のほうですよ。
列島の人の流れを言っときましょう。
縄文時は東北に集まり⇒弥生時は九州。
古墳に入ってからは畿内なのです。
詳しくは語れませんが、考古学で「判明」してることですよ。
天皇一家がこの流れに反したという記録が残ってますか?
神武天皇までは「神」の時代。
神武天皇以降は「人」の時代なのです。 ここで時代が変わってるということ。
卑弥呼の時代? 「弥生」ですよ〜弥生。
わたし個人的な考えでいえば、卑弥呼の活躍したのは「神武以降」と考えています。
しかし、神武天皇以前に卑弥呼が活躍したという可能性も不貞出来ない。
倍暦は不滅です。いまだにだれにも論破されていません。 しかし、そうすると、欠史8代は、まともな暦すらなかったという後進性を 露呈してしまうことになり、九州王朝が「王朝」と呼べるだけの支配体制 を築いていたかどうかまで否定してしまう恐れがあった。 両刃の剣ということです。
897 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 22:44:53
895を訂正する
「訂正前」
可能性も不貞出来ない
「訂正後」
可能性も否定出来ない
>>894 一人で邪馬台国も語れないガキはレス眺めとくだけにしてろ
あははっ何だい?不貞って? 徹底監視
改め包囲網設営準備
900 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 22:48:51
>>896 >倍暦は不滅です。いまだにだれにも論破されていません。
>しかし、そうすると、欠史8代は、まともな暦すらなかったという後進性を
>露呈してしまうことになり、九州王朝が「王朝」と呼べるだけの支配体制
>を築いていたかどうかまで否定してしまう恐れがあった。
勉強し直しなさい。
おれとか河童さん、太国さん等、コテ有の人をみてなさいよ〜!
901 :
日本@名無史さん :2008/06/27(金) 22:49:44
アラタメ包囲かw
902 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/27(金) 22:51:33
逃げるんではない〜! 食事してくるんだよ。 後で来るからレスじゃんじゃんお願いしますよ〜ALL
改めドツボ監視中・・・
今日はチョット太国の倍歴理論と言うか
その寄って立つ最大の根拠
欠史八代の日の記述が月前半に集中してしまっている
・・・事に付いての説明を試みてみるw
(まあ仮説も仮説で妄説と言ってもらっても良いがw)
元ネタが皆無もしくは殆ど無い欠史八代の月日に関して
占術による吉凶により、その出来事が起こった日を割り振った。
(○月に起こった慶事なら×日が相応しい・・・と言う風に)
で、その吉凶のワンサイクルが15日以下であったと・・・
まあその元になった占術がどのような物であったのか分からなければ意味が無いんだが(苦笑
以上の事を思いついた記事を貼っておく
『奈良・明日香村 石神遺跡 国内最古のカレンダー「元嘉暦」木簡発見』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics030227-2.html
それでは
>>847 さんが昼間提示した括地志云でも
> :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 08:19:38
>括地志云:「比干墓在衛州汲縣北十里二百五十歩.」
これは史記本紀(周本紀)巻四 括地志
内容は、比干の墓の所在地と規模を記したもの
比干の墓は衛州汲縣の北十里に在り、墓の規模は二百五十歩 と、なり
当然、「○○里×××歩」という記載ではない。
>>847 さん、引用はくれぐれも慎重に
905 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 00:00:56
age
906 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 00:18:04
太国さんがギブアップみたいなので誰か変わりに説明して下さい。 考古学的に人々の流れというのは、判明されている。 縄文時は「東北」へ、弥生時は「九州」、古墳時は「畿内」に人々が集る。 んで次の記事に書かれてる内容は本当なの?誰か答えて下さい。 『倭人伝』 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 『宋史』 倭國者 本倭奴國也 凡二十三世 並都於筑紫日向宮 彦瀲第四子神武天皇 自筑紫宮入居大和州橿原宮 『新唐書』 自言初主號天御中主 至彦瀲凡三十二丗 皆以尊爲號 居筑紫城 彦瀲子神武立 更以天皇爲號徙治大和州 『大震國本紀』 伊都國在筑紫 亦即日向國也 東南陸行五百里 至伊都國 乃磐余彦古邑也
907 :
どくだみ :2008/06/28(土) 00:23:43
>>851 ローガンさん
なにかその辺りの話題で冊府元亀か太平御覧を引用したような記憶がありますが、
よく覚えていません。すみません。
PC変えたので当時書いたことも記録がないんですよ。(たいへいぎょらんも一発変換できなくて不便です)
それで、自分で何を書いたか思い出せません。
いま、手元に冊府元亀がなくて、あらたに調べるのもできなくて。
どなたか、冊府元亀の電子テキストを公開しているサイトとかご存じないですか。
908 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 00:26:23
食いつき悪いな〜〜 魏志倭人伝の行程記事、「水行十日 陸行一月」の謎でもやります?みなさん 私たちの感覚でいうと九州南部の海沿いまで行きそこからまた陸?となるのがこの問題。 邪馬台国はどこか?ちなみに邪馬台国の女王ではなく「女王の都する邪馬壹国」 が正解である。
909 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 00:28:42
おっと〜どくだみさん こんばんわ。 貴方の邪馬台国を聞いてみたいです。 よかったら語ってくれませんか? まあ、わたしと考えが違うところはすかさず突っ込みますがww
>>801 どくだみさん
>ヤフー掲示板に行けと仰いますかw
>プロフィールの写真を見たら、そんな気はふっとびますよ。
>それに、あらためさんが行かれた時の応対を見ていましたが、議論しに行く価値があるとは思えませんでした。
あら みてたんですね・・・。 最近も行って来ましたよ
〜3週間前の週ですが。。。。6/2週
誰かコテハンさんいないの? 暇なんで相手してね 踏んで
912 :
ローガン :2008/06/28(土) 00:52:35
>>880 > いきなりマニアックな括地志云を出先で提示された時は、流石に対応に苦慮します(笑)
あら、それは失礼しました。ご迷惑をかけました。
> さて、先ほど提示された「里と歩」
> >「國東南百里有得安城々方一里此其東方也國南三百六十里有下城々方一百卅歩此其南方也國西三百五十里
> 有力光城々方二百歩此其西〇也國東北六十里有熊津城一名固麻城々方一里半…」
> これをもう一度眺めてください。
> 歩を使用しているその対象物はすべて長さ、そして里は距離と、その用途の違いで使い分けされています
なるほど、百「里」、三百六十「里」は距離…つまり「里」は距離を表示していると。
そして方一百卅「歩」、二百「歩」は長さの単位であるというのですね?
> 用途が違うものを同じ概念で統一することは出来ないのでは?
「城方二百歩」と「城方一里」
概念が違うとはどういう事でしょう?程度の違いは私でも理解できます。
>すると、先ほどローガンさんの言われた
> >歩は里の下の長さの単位
> は、全く矛盾する話となります。
どうしてですか?
>>910 あらためさん
たぶん、3週間くらいまえの時のを見ていたのだと思います。
むかし、何の予備知識もなく初めて倭人伝を読んだとき、
水行十日陸行一月を、「水行なら十日、陸行なら一月」と解釈したのを覚えています。
水行と陸行の両方を書いているのは、ここだけなので。
江戸時代、江戸〜京都は徒歩で20日くらいだったそうなので、
九州北部から畿内まで、陸行で一月、瀬戸内海伝いなら十日というのは、
数字としては、可能性はあるかなと思います。
私は、日本史・考古学は全く門外漢なので、邪馬台国の位置特定などやろうと思ってもできませんが、
やはり、伝統的に卑彌呼=神功皇后説を支持したいです。
畿内に本拠があって、九州北部に出先機関があって、
両者の情報が混同されて倭人伝の記述になったのではないかという憶測を抱いています。
>>912 ローガンさんへ横レス
>なるほど、百「里」、三百六十「里」は距離…つまり「里」は距離を表示していると。
>そして方一百卅「歩」、二百「歩」は長さの単位であるというのですね?
全然違いますよ。
「里」も「歩」ももともとは『長さ』です。
距離?距離とは何ですか?となるわけです。
距離という言い方は後から出来たもの。
当初そのような区分ワケはありません。
人体を使ったモノサシというか、距離=長さだったわけです。
915 :
どくだみ :2008/06/28(土) 01:05:18
>>904 河童さん
横から失礼。
>比干の墓は衛州汲縣の北十里に在り、墓の規模は二百五十歩 と、なり
>当然、「○○里×××歩」という記載ではない。
いま原文を見ましたが、どうも「墓の規模は〜」ではなく、
十里二百五十歩のようですよ。
いわば一メートル五十センチのような。
ちょっと、他も当たってみます。
916 :
ローガン :2008/06/28(土) 01:07:41
>>913 どくだみさん
>たぶん、3週間くらいまえの時のを見ていたのだと思います。
見てたとは、知りませんでした(笑)
彼等の「卑弥呼が二人」という考え方に矛盾があることが分かったかと思います。
>江戸時代、江戸〜京都は徒歩で20日くらいだったそうなので、
>九州北部から畿内まで、陸行で一月、瀬戸内海伝いなら十日というのは、
>数字としては、可能性はあるかなと思います。
江戸時代ですよね?そして、卑彌呼=神功皇后説ですか。。。
>畿内に本拠があって、九州北部に出先機関
ヤマトは二つという橋本説でつか?
どくだみさんは本とかよく読みそうなイメージあるのですが、
誰(著者名)の本を読まれてるんでしょうか?いっぱい読んでそう・・
河童さんは居ないんですか? おーい 河童さーーーっん もう寝たのかな?! 「里と歩」 ちゃんと説明して下さい。
919 :
ローガン :2008/06/28(土) 01:21:27
>>907 > なにかその辺りの話題で冊府元亀か太平御覧を引用したような記憶がありますが、
> よく覚えていません。すみません。
いえ、失礼しました。では取り下げます。
920 :
どくだみ :2008/06/28(土) 01:29:11
里と歩について、
秦本紀の注に括地志をひいて
括地志云、葵丘在曹州考城縣東南一里一百五十歩郭内
(葵丘は、曹州考城縣の東南一里一百五十歩の郭内にある)
とあります。郭内とあるので、丘の規模が一百五十歩と読むのは、ちょっと無理そうです。
それから、漢書賈山傳に
「又為阿房之殿,殿高數十仞,東西五里,南北千歩」
阿房宮の東西が五里で南北が千歩とあります。
里も歩も長さの単位です。
メートルとセンチのように、同一単位体系のなかに属すと思われます。
漢書食貨志の中に出てくる歩は、明らかに面積の単位なので、
歩には、面積の単位と長さの単位の二つがあったのではないかなあ。
>>917 改めさん
本を読むのは好きですが、時間とお金を邪馬台国関係にまわせないでいます。
そもそも年季が浅いので、みなさんのレスを、へえ〜と読ませていただいているくらいです。
>>919 ローガンさん
いいえ、こちらこそ記憶が曖昧で、ちゃんと答えられなくてすみません。
いずれPC環境などが整った時、覚えていたらお答えするようにします。
>>695 愛知県民さん
>日向三代の墓が気になります。
>古事記では、火遠理命の墓が「其高千穂山之西」にあると書かれているだけ。
>日本書紀では
>瓊瓊杵尊:筑紫日向可愛之山陵
>彦火火出見尊:日向高屋山上陵
>鵜葺草葺不合尊:日向吾平山上陵
>いずれも鹿児島県内とされましたが、宮崎県にも伝承地・参考地があります。
>ただ、男狭穂塚が瓊瓊杵の墓というのはどうか・・・?
『日向』と書いて「ひゅうが」ではなく「ヒムカ」というのはよく聞きますよね。
今の宮崎県日向岬へは何度か出掛けたことが有ります。
しかし『日向』というのは本当に今の「ひゅうが」付近なのでしょうかね。。。
922 :
ローガン :2008/06/28(土) 01:49:28
>>920 > 里も歩も長さの単位です。
> メートルとセンチのように、同一単位体系のなかに属すと思われます。
仰る通りかと思います。
明後日、卑弥呼さんのお墓参りに出掛けてきます。
ではお休みなさい。
>里も歩も長さの単位です。 > メートルとセンチのように、同一単位体系のなかに属すと思われます。 う〜ん それはちょっと違うような・・・。 とういうはTV必死で観てるしもう寝ますので〜また明日〜!
>>895 改め ◆PWTcGEfp1s
>詳しくは語れませんが、考古学で「判明」してることですよ。
しかし・・・
「神武東征史実で知っている人に聞けば皆知っている」 とか
「畿内説は金儲けの陰謀」とかの電波飛ばしまくっているこのアホが
”考古学”と言うのは性質の悪い冗談と言うか
笑えない笑い話だなwww
「列島の人の流れ」?
「天皇一家がこの流れに反したという記録」?
・・・一体何をほざいているんだ?この土器違い土壷はwwwwwww
925 :
サガミハラハラ :2008/06/28(土) 03:58:59
>>922 場所大丈夫ですね。佐賀県小城市甘木ですよ。
926 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 07:44:03
ハハっ〜! 改めは号泣して寝付かなかっただろう。wwwwwww 改めでも どうにもならない〜 ↓ この紀の厳粛な記述! 改めが否定しても揺るがない。 【欠史八代の天皇崩御日数統計表】 1日 0 11日 0 21日 0 2日 1 12日 0 22日 0 3日 0 13日 0 23日 0 4日 0 14日 0 24日 0 5日 1 15日 0 25日 0 6日 1 16日 0 26日 0 7日 0 17日 0 27日 0 8日 2 18日 0 28日 0 9日 2 19日 0 29日 0 10日 1 20日 0 30日 0 このように天皇崩御は八代間はすべて月上旬である。死亡日をくじ引きとかで 日を決めるなどは死者に無礼であろうし穏当ではない。改め運動会の日程を変更 することはやってることは十分できうる。行事の認定は変更できる。当たり前 だな。死亡日は暗殺とか自殺等特別な事由がない限りいつやってくるか決められ ないからその日に死んだということである。上表を見れば中旬下旬の死亡が唯の 1個も無い。これは当時3倍暦を行っていた文証なのである。
927 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 08:01:53
さ〜て、何から説明したらいいのか? では、先ず度量衡の統一以前と以後にわけましょう。邪馬台国に関連するのは統一以降ですし、統一以前を扱うとかなり複雑になりますから。 先ずは「歩」から 単位「歩」は大変便利な単位で、長さにも距離にも活用できます。(だから今もグチャグチャなんですが) 「長さ」は対象物が存在し、そこに時間は存在しない。だからモノサシを用い測定する。 「距離」は二点間の間隔、二点間には対象物は存在せず、始点、着点間の移動を意味し、必ず時間が発生する。 続く
928 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 09:18:23
>>927 の続き「歩」
単位「歩」にも、長さや距離のように二つの概念が存在し、一つは長さのように時間を伴わない「歩」
そして距離のように、時間を伴う「歩(あるく/移動)」
長さの「歩」は、もじどおり、体の部位(歩幅)を利用したモノサシ(指幅等と同じ)
だから度量衡の度と同じ用途に使えるのです。
しかし「歩」には、もう一面の顔、距離があるので官制度量衡(度)に、掲載されない理由でもあります。
続く
929 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 09:50:04
>>928 の続き
度量衡の度の単位は(…分、寸、尺、丈、引…)、これらは全て、対象物の長さをモノサシにて測定し数値化した時に用いる単位、しかも全て“直線”。
しかし、物は全て直線とばかりは限らず、モノサシでは測定不可能、或は困難な曲線も存在します(長い物等も含む)。
そういう時に利用されるのが「歩」(歩幅にて長さを測定する)
身体の部位を使用し、尚且つ度量衡単位に歩幅を合わせ規定モノサシ の代用として “モノサシ歩”を利用
これが、対象物の長さを歩幅にて測定する
“モノサシ歩”です。
これなら身体の大小に関係なく、長さを身体の部位にて測定できます。
つまり、墓の規模百餘歩とは
モノサシ歩幅を百回繰り返した長さの結果です。
だから「百餘歩」
続く
ここまでで
反論あれば受け付けます。
930 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 09:56:22
www 改めの面白い説 www www 大震国本紀 www w 謎の女王卑弥呼は誰か? 邪馬台国問題に終止符! 16 w >362 改め :2008/04/26(土)00.30:03 もし、これが本物の資料だとすれば カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に 活躍した時代の人で 卑弥呼の倭と大和朝廷を結びつける重要な証拠となる。 ======================== ↑ =============================== PuPuPu!!! wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
931 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 10:04:53
この論理を古代史関連で、掲載した著書・論文等を目にした事がありません。 有りましたら御一報下されば幸です。 自画自賛ではありませんが、多分 日本で初めての公開かと? ま、公開掲示板に記録することにも意味があるんですが
>>804 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
ツッコミどころ満載のレスだなw
>倭人伝は基本的に、紀伝体で書かれた記録書です。
これは当然だが
>文体も、向かって右側が左側よりも時間的に古く、上より下の方が新しいこういう文体に構成されています。
この説明と「紀伝体」が何か関係あるのかな。史書全体の体裁からみたら全く逆の説明なるが。
若しかしたら「編年体」の意味で「紀伝体」と言う用語を「理解」しちゃったのかな。
>これを記録構成的に組みかえてみると
>@卑彌呼以死、大作冢
>A卑彌呼以死、徑百餘歩
>B卑彌呼以死、奴婢百餘人このような箇条書となり、時間経過も@→A→Bとなります。
漢文の一文における単語の順番の話(文法)と自己流「紀伝体」の解釈(時系列)を較べて何か意味があるのだろうか?
>大作冢』の文体は、時間経過を考慮せず、一つの纏まりとして捉えているのではないでしょうか?
虫流中国語によれば「我是男子」と言う文章は 「我→是→男子」と言う「時間経過」をたどっていることになる。
私は生まれたときから正真正銘の男性であるがw
虫流に言えば先ずは、我(私)が在って(生まれて)、それから男になったような理解になる。
別に私は性転換手術など受けた憶えないぞw
ちなみに「紀伝体」とは、「春秋」のような時系列順に綴られる「編年体」とは異なり、
各ジャンル別に章立てして綴られる史書形式として「一般的」には使われる用語だ。各章内の記述は時系列で綴られるのは自然の流れであるが、別に前後しても構わない。
933 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 10:16:52
>>932 ツッコミありがとう。
しかし、編年体だけでくくれないから「紀伝体」としんだが
この倭人伝には春秋の要素も十二分に組み込まれているよ「本紀」読んでみな
934 :
どくだみ :2008/06/28(土) 10:20:15
>>929 具体的に文献に即した実証が伴わなければ、貴方がそう考えたということにしかなりません。
貴方の思考が論理的に矛盾がなく、宇宙の真理を言い表していたとしても、
古代中国人がそう考えていたのでなければ何の意味もありません。
貴方の哲学的な考察もいいですが、是非実証的にやってください。
それがユークリッド幾何学の限界というものです。 一様ではなく湾曲した時空を記述するのには、 擬リーマン多様体の枠組みが有効だし、古代史 を学ぶ者にとってもリーマン幾何学は必須となり つつあります。 同様に年代測定に必要なC14など放射性同位 体に関する基礎知識、地層学、火山学、鉱物学 などの素養も大切。 古代史研究にとって古文書を解き明かす非科学 的なアプローチは時代遅れになりつつあります。
936 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 10:29:55
卑弥呼=神功皇后 は成立し難い。なぜか? もしそれを肯定すると、その後代 の應神、仁徳の連続百数十歳の寿命を遠回しにこれも肯定したことになるから、 ありえないのである。
937 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 10:30:09
>>934 どくだみさん
それで十分じゃないですか? 場末の素人ですよ
しかも2ちゃんねる。
この記事を見た誰かが受け継ぎ、実証すればいいんですよ
で、何か反論見つかりましたか?
そして、たまにはツッコミばかりでなく
自分から積極的に参加され、突っ込まれる立場になることも
いとをかし
938 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 10:40:40
>卑弥呼=神功皇后 は成立し難い。なぜか? もしそれを肯定すると、その後代 >の應神、仁徳の連続百数十歳の寿命を遠回しにこれも肯定したことになるから、 >ありえないのである。 應神、仁徳はもっと短く、仁徳以降はもっと長いということはないの?
939 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 10:54:50
河童さんとかサガミハラさん〜
>>920 >>922 のこれらはどう思います?
>里も歩も長さの単位です。
> メートルとセンチのように、同一単位体系のなかに属すと思われます。
どれも身体尺でもともとは「長さ」だが、
上のように「メートルとセンチ」と同じに考えてはいけないと思うんですが...。
940 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 11:06:49
>>930 太国さん
>PuPuPu!!!
わたしも「大震国本紀」なるものはあまり信用過ぎるといけないという考えです。
しかし、ただ単に笑ってばかりじゃなくどこが、どの箇所がどうおかしいのか
それから笑うべきでは?
貴方のものの考え方はおかしいですよ?
ちゃんとおかしい箇所を見つけてそれから笑いましょう。
941 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 11:10:56
>>932 横レス
>ツッコミどころ満載のレスだなw
>>937 でも言ってるが・・・つっこみばかり入れるんではなく
たまには語ってみたら?
ただやみくもに突っ込むのより突っ込まれてる語り手のが、難しいということ。
942 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 11:41:02
>>939 bやaは
現在メートル元器を基準に、全ての単位(距離も含め)が割合により統一されていますから
昔と違い
混乱する事はありません。しかし
やはり時間だけは単位に組入れる事は出来ず、長さと距離の区別は存在します。
943 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 11:45:58
>ツッコミどころ満載のレスだなw 突っ込まれるような、編年と時空で考えている方が多いからネ。 ところで私の編年に突っ込みを入れて潰す 元気のある人は? 居ないの。 >932 名前:日本@名無史さん 挑戦してみない? 此処のスレは流れが速いので 古伝妄信 にて。
944 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 12:05:56
ホ28261 アメフタヱ アススコヨミと ナをかえて アヅサにほりて たてまつる ホ28406 このフミを ミカサにこめて キミのトモ ナガスネヒコは そのクラを ひそかにあけて うつしとる アヅサにほりて=木刻 このフミを=フミ(文)なる言葉が何時出来たか? 漢字以前に文字が無ければ、“フミ(文)”は漢字と共に渡来となりますが 文=フミ この読み方は 中国や半島渡来ですか?
>>933 > しかし、編年体だけでくくれないから「紀伝体」としんだが
> この倭人伝には春秋の要素も十二分に組み込まれているよ「本紀」読んでみな
この部分、意味不明だな。
「春秋の要素」ってなんだ?漠然としていて他人に伝わり難い表現だな。編年体の意味か?
渉外記事については編年叙述されているので、ならばストレートに編年と書けばいいじゃないか。
また、帝紀は正しく編年体だが、それと倭人伝の叙述法に関する話題と何か関係があるのか?
「本紀」を読むと「倭人伝には春秋の要素も十二分に組み込まれている」ことが分るのか?
まあ、細かいことはどうでもよい。
要するに「紀伝体」と言う用語を時系列叙述の意味で使用するのは、
一般的じゃない、つまり、誤解を招く用法だ、と言うことは理解できなかったわけだね。
>>713 唐松山さん
アビラ山は、ベネズエラの有名な山らしいです。(笑)
いや・・・縄文人は太平洋を渡ったという話もあるから、笑えないかも。
それはともかく、福岡市にも油山、荒平山があるのですね。
まだまだ知らないことだらけです。(汗)
>>921 改めさんも同じことを指摘している?
ただ、福岡には「日向(ひなた)峠」らしいですが。
日向山、日向川も同じ。
>>944 >アヅサにほりて=木刻
興味深いですね。
Yahoo!辞書 あずさ〔あづさ〕【梓】
1
ヨグソミネバリの別名。古くは弓を作るのに用いられた。《季 花=春》
キササゲの別名。
アカメガシワの別名。
2 「梓弓(あずさゆみ)」の略。
3 「梓巫女(あずさみこ)」の略。
4 《昔の中国で1を使ったところから》木版印刷に用いる版木。→上梓(じょうし)
あずさ‐みこ〔あづさ‐〕【梓巫女】
梓弓(あずさゆみ)の弦を打ち鳴らして神霊・生き霊・死霊などを呼び寄せ、自分の身にのりうつらせて託宣をする女。いちこ。口寄せ。
948 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 12:30:30
>>945 倭人伝で敢えて記されずとも、本紀にそれが記され
同時に倭人伝に記されなかった紀年がわかる
それって春秋ではありませんか?(具体的な箇所には触れませんが)
私の認識に間違いがあれば指摘下さい。
国宝金印 国宝金印は紀元一世紀(弥生時代)のものです。この頃、日本各地には 百余りの小国家が成立していたといわれています。 小国家はお互いに戦い、分裂統合を繰り返しており、一つにまとまってはいませんでした。 その中には中国へ使者を派遣し、漢の皇帝に貢ぎ物を献上(これはけんじょうて読む) していたものもありました。 しかし、そのためには、船の遭難など大きな危険が伴いました。 命を懸けて新しい文化を取り入れていたのです。 年始に九州へ出掛けた。 その時、九州国立博物館で購入した「金印」に説明書が入っており それに上のことが書かれてるのである。 やっぱり命がけで大陸へと文化を取り入れたとある。 こうゆうことは確かに本当だろうね。 百余りの国々とか現実を思わせる記録。 国内にある、古事記や日本書紀の記述は少し夢物語というか歴史書としていいのか。
金印について、「後漢書・東夷伝」の中に次のような内容の記述があります。 「西暦五十七年、倭にある奴という国の使者がやって来て貢ぎ物を献上した。 その使者は奴國の大臣であるという。奴國は倭の南方(福岡県付近)に あるのだという。これに対し、漢の皇帝・光武帝は印綬を授けた。」 『旧唐書』 倭國者 古倭奴國也 日本國者 倭國之別種也 或云 日本舊小國 併倭國之地 『新唐書』 日本 古倭奴也 其王姓阿毎氏 自言初主號天御中主 至彦瀲 凡三十二世 皆以「尊」為號 居筑紫城
>>948 >この倭人伝には春秋の要素も十二分に組み込まれているよ「本紀」読んでみな
上の文章の「意味解説」が下文なのですね。
> 倭人伝で敢えて記されずとも、本紀にそれが記され
> 同時に倭人伝に記されなかった紀年がわかる
> それって春秋ではありませんか?
つまり「春秋の要素」「春秋」って「紀年」と同義で使いたわけ?
何で「紀年順に」とか、誰にでもわかるような表現ができないの?
>具体的な箇所には触れませんが
「具体的」と言うと倭人伝には出てこない正始四年条の「倭國女王俾彌呼遣使奉獻」記事しかないわけだが、
他に何の年次が判るの?
貴方は「春秋の要素=(紀年)も十二分に」と書いている。
「十二分」ってどう言う意味で使ってるの?
> 私の認識に間違いがあれば指摘下さい。
つまり、全部。
つーか、一般人と貴方では使う用語の意味が全く違う。
まあ、紀伝と編年のように真逆に近い用語を疑問なく使われているので、
他人には通じていないと伝えたかっただけだが・・・・
日本舊有伊國 亦曰伊勢 與倭同隣 伊都國在筑紫、亦即日向國也 末盧國之南曰大隅國 始渡一海 千餘里至對馬國 方可四百餘里 又渡一海 千餘里至一岐國 方可三百里 本斯爾岐國也 子多諸島 皆貢焉 又渡一海 千餘里至末盧國 本挹婁人所聚也 東南陸行五百里 至伊都國 乃磐余彦古邑也 >偽書といわれている史書にあまり深入りするつもりはないが、偽書だからといってその内容がすべて >偽史だとは限らないということは心に留めておく必要がある。 >歴史は支配者による見方と民衆による見方とは異なっていて当然であるが、 >どちらが史実に近いかというとそれは一概にはいえない。 >その支配者の時代の歴史は支配者による自己に有利な歴史に書き換えられていると >一般的にはみられている。一方、民衆のみた歴史には民衆の誇りと夢や期待も入っており、 >政治・政略面でもどこまで史実に基づいているか疑問が残る。 >しかしながら歴史を考えるとき、これらの史書の「いいとこどり」や、 >偽書といわれている史書を偽史として頭から切り捨てるのではなく、 >多くの史書との照合の中でそれらを判断していくべきではないかと う〜ん どうなんでしょうね・・・・。
953 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 13:07:29
>古事記や日本書紀の記述は少し夢物語 これらを正しい歴史書に直すのが 此処の目的 当然 これらには、使い回し、省略、年代間違い、等が含まれています。 西暦273年、日食を無視するような読み方をすると 又突っ込まれますよ。
>>953 >西暦273年、日食を無視するような読み方をすると 又突っ込まれますよ。
無視したらどうなるんですか?
日食なんて一年或いは二年に一度くらいのペースでみられるのでは?
違ってかな?
955 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 13:18:29
>福岡には「日向(ひなた)峠」 ヒムカに日向という文字を割り当てる、後代の人が”日向”の文字をヒナタと読む 良くあることです。 私の田舎より ”錦部”どう読みますか? 現在=ニシキベ 江戸時代まで=ニシゴリ 良くあることです。
956 :
神奈川県民改めドツボ :2008/06/28(土) 13:22:19
/::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\ (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\ /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::) (::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ (:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::) (::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::) ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::) | =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ=== |:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ _________ |/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| | / .( 。 ・:・‘。c .(● ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ / ( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o ) < 俺がスレ主だ!! (; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.) \ .\。・:%,: )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ | ::::(: o`*:c /.. \_________ \ ::: o :::::::::\____/ :::::::::: / (ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ \丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: / | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/ |  ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄
太国さんへ <大震國本紀> 東南陸行五百里 至伊都國 乃磐余彦古邑也 東南、五百里、陸行すると「伊都國」へ至る。すなわち、イワレヒコの故郷。 「伊都國」が、イワレヒコの故郷と言ってるんです。 まあ、わたしも信用してるわけではないですが、笑うところかな? もっと真面目に議論してはどうですか?
>>956 九州ですが しつこいぞ!
おまえはドンコイでやっとけよ。 いやがらせすな。
倍暦説について。 闕史八代もそうですが、古事記の没年干支(15件)のうち、日付が書かれている13件すべてが15日以前です。 これには何か特別な理由がありそうですね・・・
960 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 13:33:46
>>951 この河童虫(プラム)と言うオヤジは、いい年こいて日本語が使えない。
読解力、説明力とも小学生レベル。
それでいて聞きかじりの専門用語を生半可な理解で使ったり、
意味も無くもって回った言い回しをしたりする。
多分、中身の無い薄っぺらな内容に少しでも箔をつけたいのだろうが、
それには、ますます意味が通じなくなる効果しかない。
御本人も当然自覚はしているが、誤用、勘ちがいを指摘されると
何故かムキになって反論や言い逃れを試みる。
結局、知識の底が浅いので追い詰められることになるが、
そこで最終的に逃げ込む場所として利用したのが言語虫の世界だ。
「意味が通じない」ことを逆手に取った最終防御策というわけ。
これは傍から見たら、虐められっ子の弱虫小僧が肥溜めに飛び込んで
「さあ、文句があったら繋ってこい」と言ってるようなもんなんだがw
>>959 自然の一年という「絶対数」は変わりませんが?
記紀編集者が用いたものでは?
963 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 13:39:23
>倍暦説 科学的根拠を示せと 突っ込まれるだけ。
>>931 河童虫
>自画自賛ではありませんが、多分
>日本で初めての公開かと?
何やら大発見のようだが(苦笑
「歩」に6尺と厳密に規定された物と
人が実際に歩んで測った物(この場合その人間の身体の大きさでばらつきが出る)
この二つの意味があり
魏志倭人伝の「百余歩」は後者の意味であろうと言う事は
もう説明するまでも無い周知の事なんじゃないのか?
>>960 河童さんは評価しているよ
たしかにはちゃめちゃな感はあるが、逃げずに語るという、その姿勢はいい。
貴方も文句ばかりではなく邪馬台国を語ってみたら?
一度も語ったことナイ名無しさんw
>>961 >「大震国本紀」という書物は無く、「桓檀古記」の一部分ですね?
わたしもあまり信用しすぎるなと感じてるのですが、
否定するならまずは議論をしてと考えます。
966 :
神奈川県民改めドツボ :2008/06/28(土) 13:45:38
/::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\ (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\ /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::) (::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ (:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::) (::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::) ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::) | =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ=== |:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ _________ |/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| | / .( 。 ・:・‘。c .(● ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ / 俺がスレ主だ!! ( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o ) < 九州ですが しつこいぞ! (; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.) \ .\。・:%,: )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ | ::::(: o`*:c /.. \_________ \ ::: o :::::::::\____/ :::::::::: / (ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ \丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: / | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/ |  ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄
>>963 >科学的根拠を示せと 突っ込まれるだけ。
統計的根拠にはなるかもしれません。
日本書紀で見ても、初代神武から14代仲哀天皇までのうち、崩御日付がある13件すべてが11日以前。
不自然であることは確か。
>>967 >不自然であることは確か。
その場合でも倍歴説は合理的な説明ができる仮説の中の一つに過ぎないだが
その事象をより上手く説明できる仮説が無い以上、太国はまだまだイケルw
まあ現代でも結婚式等の慶事は「大安」とかを選択すると同じで
崩御の日付を何らかの法則で割り振った結果だと推測するが・・・
970 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 14:04:44
唐松山さんよ 当時の朝廷は高度の現代教育なんか受けてないぞ。w あなたの水増しとやら のほうが、もっと嘘臭い。改めとべったりではみんなに呆れられる。改めは 嘘の凝り固まり。マヤとかエジプトの1年は改めの言うとおりはやってない時代 がある。今だってマヤの地域では1年が365日でない暦法をやっている。これだけ でも改めのほら吹きwwwwwwwwのは見え見えなのさ。
971 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 14:05:15
>>964 >「六尺為歩」
これは距離。
(皇帝の乗る車の車輪径)
まだ距離は語っていません。
>>969 崩御だけでは無いみたいですね。
貝田禎造氏の研究によると、日本書紀の全日付のうち、弟2代綏靖〜32代崇峻天皇まで(崇神を除く)では
1〜15日が92%、16〜30日が8%という。
神武紀・崇神紀・推古以降はこの不自然さが見られないのだとか。
973 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 14:16:26
www 改めの豆脳の中味がどういうものなのか見当がつく面白〜い説 www wwwww 大震国本紀 wwwww www 謎の女王卑弥呼は誰か? 邪馬台国問題に終止符! 16 www >362 改め:2008/04/26(土)00.30:03 もし、これが本物の資料だとすれば カムヤマトノイワレヒコは卑弥呼より後に 活躍した時代の人で 卑弥呼の倭と大和朝廷を結びつける重要な証拠となる。 --------------------------- ↑---------------------------------- プッ!!! wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
974 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 14:17:09
>>970 アホか
あのね 歴史つーもんをもっと理解しろよ。
古代列島人てのは、とにかく大陸をみて真似したんだよ。
紀元前から国交はある。
大陸(中国)が倍暦なんてやってナイのに〜どうして朝廷の大王が?
列島人が真似したのはマヤ文明でもなく中国(大陸)ということよ。
其俗不知正歳四節 但計春耕秋收為年紀
これは、稲作文化における田舎の農民、ようは人々の風習だよ。
975 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 14:20:52
愛知県民さん 崇神紀を見れば欠月が3年周期で変わりながら3ヶ月ばかりあり、当時の1ヶ月 がまるまる30日(あるいは28日)なくて10日間とか15日間とかだと3倍暦が できるわけで、崇神の時代も3倍暦をやってたと観られます。三輪山の『三』 とは3倍からの呼び名じゃありませんか?
976 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 14:21:15
>>973 あんたはそこら辺の河童虫氏へ突っ込みを入れてる日本@名無史さんと
あまり変わらないよ。
なぜ、笑うのか説明してみろよ
977 :
改め ◆PWTcGEfp1s :2008/06/28(土) 14:23:06
太国 ◆yVAs7uaYlY の「倍暦」 ほんと〜おもしろい人だね 古代天皇による「倍暦号令」てか〜〜〜〜〜〜?w 脳内お花畑〜おめでとう
978 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 14:24:07
監視中
979 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 14:25:44
太国さん 墓標の考察停止は、16日以降の日付が有るため、ですか? 日々の干支が 1年の長さを正しく表示している以上 倍暦で圧縮は困難と言うより不可能 記録された、日々の干支に偏りがあるのは、当時の生活リズムに依ると考える。
980 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 14:26:48
愛知県民さん 月後半がかように二桁にも行かない少なさは倍暦を行使していた関係でしょう。
曹操の従妹なんでしょ?
982 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 14:33:53
改めドツボ監視中・・・ 改めドツボと太国の化学反応は相変わらずだなw
983 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 14:35:59
>>979 1年の長さを正しく表示してるとはどのようなことからなんですか?
空白日がありますよ。八代の崩御記録はあなたの主張の生活リズムとやらを
破折してますね。改めとかっこつけてては為になりませんよ。
推古天皇時代の602年に百済僧・観勒が天文、暦本、陰陽道を伝えたという。 平安時代に編集された『政事要略』という本には推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布を行ったとある。 この時代には暦法をめぐる混乱があったのでしょうか?
985 :
改め :2008/06/28(土) 15:00:33
列島人が真似したのはマヤ文明でもなく中国(大陸)ということよ。 違うというなら反論お願いします〜〜太国さん
987 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 15:11:35
>>986 神奈川県民=三重県民=改めドツボ
なんで、そんな見え透いたダブハン・・・いやトリプルハンドルするん?
>>985 列島人は決して劣等人ではなかった。
漢字が来る以前に、おそらく独自の文字、独自の歴史を持っていた。
ならば、独自の暦法があった可能性も考えてみるべきでは?
>>957 仮に、その大震國本紀の記事が正しいとしても、磐余彦が卑彌呼以後とは限らないと思います。
伊都国がいつから存在していたかが問題。
>>987 >トリプルハンドル
名無しを含めそんな半端ではないだろう。スレの七割は彼の自演で成り立っているのかも知れない。
因みに大震國とは、渤海国のこと。
渤海(ぼっかい)698年 - 926年)は満州から朝鮮半島北部ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国。
元来は700年建国説が有力であったが、鳥山喜一の研究により698年建国説が定説化している。
高句麗滅亡後にその遺民である大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、中国からは「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、
最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_ (%E5%9B%BD)
992 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 16:09:07
日々の干支は、数字に直せます。 だから書記は、リントク暦デ書かれている、 等と言われる訳デス。 日々の空白を数えるより 空白の年の偏差を考えること。 1日を二つに分けるような、大きな日食は、273年のみ 毎年有る様なゴミと同一視しないこと。
993 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 16:26:46
>列島人は決して劣等人ではなかった。 それだけの考えが有るのなら、列島の文化は、半島から数十年遅れて入ってきた、 こんな考えは直ぐに捨て、 鉄以外、文字等は同等 農業は、半島に先行ぐらいに改めるべき。
995 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 16:30:15
皆既日食なんか神武からいくらでもあるだろう? 1回ではないだろう。
996 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/06/28(土) 16:44:30
273年の日食 現在の5月夕方5時頃最大94パーセントの食 日本本土上においてこの時代これ以上大きな 食は、有りません。 4世紀になると 小さな食が何回か有りますが、それでは書記の記事と整合性がとれない。
997 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 16:44:39
>>963 >科学的根拠を示せと 突っ込まれるだけ
↓
>>992 >1年を二つに分けるような 大きな日食
唐松山さんよ。12時間も長続きする日食があるのか? それこそ科学的根拠を
示せどころか、科学的根拠が無いと言われるだけだぜ。w
998 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/28(土) 16:46:45
>>997 訂正
× 1年を二つに分ける ○ 1日を二つに分ける
>>846 他の河童さんの書込みも読んでおおよそ言いたい事を理解しました。
つまり距離とは時間の観念が付きまとうものであり
その最低単位は「里」(およそ433m)であるということですね。
それ以下の尺度は「長さ」であって、純粋に幾何学的なものであると。
考え方はわかりましたが、それで得られたであろう当時の人たちの実用性とは
なんでしょうかね。
>>河童プー
>>960 で必死にドツボが挑発しているぞ
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