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日本@名無史さん:
で、ヤマトの落人の話な。
徳川は幕府普請と称して、石積みを得意とするヤマトの末裔を地方へ連れて行った。
完成後、「事故で死んだ」または「縄張りを口外させないため」として殺害することもあった。
ヤマトは畜産をする者も多かったので、因縁をつけて処刑するために
「生類憐れみの令」なんておバカな法律まで作る始末。
そして、畜産業者を被差別階級へと貶めた。
それでもしぶとい彼らは、東北からの荷運びを苦とせず、商人として財を成した。
津軽は古代からヤマトの一派が住んだ土地。
(大陸で遊牧民だった彼らが伝えた弦楽器が、のちに津軽三味線となる)