1 :
落人さん:
以前「平家落人村」スレがありましたが、今回は平家に限らず、日本史上で敗者となり、
各地に潜伏を与儀なくされた「落人」達やその周辺について語り合いましょう。
>>1 スレ立て乙です。
平家落人スレの
>>993さん、湯西川レポよろしければこちらでよろしくお願いします。
ううっ、前スレで誘導してないモンだから思いっきり過疎ってる・・・
隠れキリシタンの事もいいんかね?
秋田県の尾去沢鉱山跡のテーマパークには隠れキリシタンの復元人形があるんだけど、
彼らってその後どうなったか気になる。
鉱山には山法とか言う独自の法があり一種の治外法権みたくなってたから、
弾圧を逃れたキリシタンが潜伏するにはよかったって事なんだけど、
各地の鉱山の隠れキリシタンが、幕末まで潜伏し続けた話は聞かないんだよね。
どーなっちゃったかなー?って思ってさ。
9 :
日本@名無史さん:2008/05/16(金) 00:24:50
鉱山で働かされていた切支丹たちの多くは
幕府の追及に耐え切れなくなった各藩によって
殺害された・・・・・。
隠れキリシタンの里みたく、村ぐるみで隠蔽しないとダメだったんかな。
祖先がホントはどういう氏素性か判らない平家落人村と違い、
隠れキリシタンの里の場合はその末裔も「現役」の隠れキリシタンだから、
伝説と言うより、現実なんだよな〜。
ロマンと言うにはちょっちナマナマし過ぎるとこある。
隠れキリシタンの「おらんしょ」とか「マリア観音」とか
人の歴史や信仰形態の独自化や変化には興味もあるんだけど
(明治になってからも迫害、流刑があったんだよね)
平家の落人村ってのは、ほとんどがただのガセだもの。
ガセだからこそ伝説になる。
思いこみの強さが伝説の生命線。そうでなければ時が経つと風化してしまう。
何でそう思ったか、それはそれで興味深い。
思ったのではなく、自分達以外の者にそう思わせたかったのだよ。
とかく山人は里人に賎視されたからね。
やっぱ平家村多すぎだよな。
南北朝や戦国じゃあもっと大量の落武者出ただろうに。
琵琶法師が平家物語を全国津々浦々で語って歩いたおかげかね。
琵琶法師以前に「聖」が僻地を回って「あなた方の祖先は平家ですよ〜」と説いた。
すると平家物語の詳細も知らない僻地の人間は有り難がって、飲み食いさせるわ
泊めてくれるわ、さらには若い娘を抱かせてくれたとか。
その後、江戸時代には偽系図師がさらに一儲けというわけだよ。
平家村のほとんどの系図が江戸期のものだっていうものね
そろそろ平家から離れましょう。
お〜〜い離れ過ぎだ〜〜戻ってこ〜〜い!
24 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 01:24:40
さすが落人スレ、レスがない・・・・・・w
25 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 01:43:58
あ、次スレ立ってたのか。ぜんっぜん気付かなかったww
前スレの1さんはどうしてるかな。
どっかの山の中に「この先日本国憲法通用しません」って書かれた村がある、
そこにうっかり入っていくと虐殺されるって話あったよね。
まあただの都市伝説だろうけど
犬鳴村のことか。あれって落人が作ったんか。目立つ看板だな。
あそこは落人村じゃないよ。
世捨て人の集落な。
28 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 11:31:14
29 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 09:25:45
>>28 すごいね。もしかしたら、現在の日本で唯一正当な
藤原氏の「藤原さん」なのかもしれないね。
多分というか絶対に違うな、それは。
>>28 126 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/06(水) 02:18:23
>>124 60年に一度咲くとかいう幻の牡丹ですね。
しかし、高塚山にあるのは後醍醐天皇の陵であるというのは
京丸にただ1軒残った藤原家の当主・忠教氏自身が語っていますね。
そもそも後醍醐天皇に供奉して当地まで辿り着いた京都北面の武士
藤原某の25代目当主がその方なのですから。
ちなみに当地の南の井伊谷には宗良親王、北の浪合には尹良親王が
おられたというのが当地付近の伝承ですよね。
先日、湯西川に行ったけど、あそこまで落人をアッケラカンと表に出されると・・・・。
33 :
石垣眞人:2008/09/08(月) 16:05:39
34 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:29:15
京丸藤原家だけはガチです。
京丸藤原家の風習は
子供は兄弟別々の小学校や中学校へ行かせるのだそうな。
理由は、敵に襲われた時、血筋が断絶しない為なんだって
聞いたことがあるが、凄いなぁ〜と思ったものです。
35 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 19:12:39
部落の人は必ず 出自を平家やら戦国期やらの落人というよね
大体落人と自称してる人は、今までほとんどがBでガチだった
36 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 19:28:19
>>35 必ず?
菅原道真が流された時に付き従ってきた高丘蔵人秦金平という人の子孫を名乗ってる部落とかなら知ってるけど?
37 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 20:02:13
秘境で落武者伝説のある所はたいていいつの間にか平家ということに伝説が変容してしまった。
秘境とは言え外部との交通がゼロではないから他所の平家落武者伝説の影響を受けて。
38 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:04:12
39 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:14:23
普通の農村の草分けの家にもそういう没落した武士の末裔とか合戦で破れて落ちてきたといった伝承が必ずといって良いほどあるよ
40 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:30:28
間宮林蔵なんてまさにそれですよ!
三井とかの豪商も落武者伝承ある家系だっけ?
41 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:53:09
>>39 そんなことはない。庄屋名主層はある程度出自がはっきりしていないと任命されない。落人という出自を当時の幕府すらまともに扱ってないと思いますよ
42 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:11:49
豪農は合戦で敗れたりして没落した武士にその家系の出自を求めている家がほとんどだよ
43 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:15:18
>>41 江戸時代学歴社会 庄屋の出自んなもんねぇよ(−_−メ)
44 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:15:43
>>42 自称でね。しかしそういう家は役は貰えないだろ
45 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:16:40
落武者伝承がある豪農だと韮山代官支配甲州街道日野宿の名主佐藤家が有名
46 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:17:48
47 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:37:05
うちの近所にある昔名主やってたでかい家も甲斐から逃げてきたらしい
48 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:42:53
戦国期、武田や小笠原につかえてた摂津源氏なんかも食い詰めて、信濃に逃げてきたんだろ。
49 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:56:03
新潟も甲斐武田が滅ぶと、武家が農転して庄屋になった話が多い。
白根か味方の越後豪農のどっかの家がそうだった。
50 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 23:46:09
ですから 近世は庄屋帰農は大半が武家の末裔ですよ
佐竹家転封の際ほとんどが現地に置き去りにされた家臣団。それらはみんな庄屋帰農した
しかし平家落人などというやからはまずありえないといっている
庄屋は出自はほとんどが戦国期まで武家というのが多いですよ。だから庄屋なんでしょ
平家落人などというふざけた根拠がありえないというはなし
51 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 23:49:54
>>50 武家は武家のまま武家屋敷住まい。
百姓頭が庄屋。
52 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 23:56:28
帰農はよくあるパターンだとおもうが、確かに平家落人は怪しい。
だって平家の人数なんてたがが知れてる。
53 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 23:59:16
佐竹が家臣団のほとんど置き去りにして秋田に転封した?
秋田でも家臣を新規取立てしてるのに?
54 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:23:37
>>51 なにいってるのこの低脳は。
武家なんて戦国以前なんてどれほどの数だよ
庄屋に帰農した戦国大名もいるんだがなにか?
55 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:27:39
156 日本@名無史さん 2008/09/07(日) 18:55:21
スルーしないでキチガイに構ってるやつが悪いなw
まあスレたてたのがキチガイ本人なのだから難しいかな
いろんな板で同じようなことしてるよこのキチガイは
特徴としては
いろんなコテハンが突然現れて罵り合いのパターン
差別的な言葉やエタ・ヒニン・同和などの話題が必ず出る
近衛兵の話題もよく出るみたいだね
157 日本@名無史さん 2008/09/07(日) 19:01:46
ようは構ってほしいだけのアホなわけよ
158 革命家 2008/09/07(日) 19:05:56
おれはこのスレはたてていない
たてたいがたてられない
俺は庄屋の実態を示したいわけではない
庄屋は大名なんぞ目じゃない財産と力とをもっていて中級以下の武士ごとき敵ではないという事実のみをしらしめたいだけだ
それからおれはそれほどコテ名は使ってはいません
革命家 、 あ 、クルセーダー 板東太郎、
しか使っていない
何でも 屑の低農コテを俺と同一にしないでいただきたい
おふざけで鼠先輩も使ってはいるが。 鼠先輩て気合い入った大和根性もってんな
ギザかっけえよ
56 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:32:17
大名は大名だろww
庄屋は庄屋だろwwwあ庄屋
57 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:41:00
だから、益子家や田村家は大名だろ。しかし滅亡して庄屋帰農してるだろが
さらに 水戸徳川藩内の庄屋家もかなりの数が佐竹旧臣
北条家滅亡後の武士団も帰農庄屋
関東に点在する旧土豪地侍も 徳川入府により強制庄屋帰農
しかし平家の落人と語る出自の庄屋などきいたことない
関東では平家落人で有名なのは たった一つ 湯西川があるが 実際どうなのかはしらないが ものすごい山奥
こんなの幕府や藩の認知外のUFOだろ当時は。
58 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:42:18
三春の田村家は庄屋になんかなってないよ!大名にはなってるけど
59 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:44:20
四国の平家落人村にも阿波蜂須賀家によって庄屋は置かれてますが?
60 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:51:56
大名ではないな
農民頭が庄屋
61 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:53:58
62 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:55:27
モウそれでいいんじゃね?(^^;)))
>>57 義務教育終了してない感じだしめんどくさい(-_-)
63 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:55:44
64 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:57:20
>>61 これには三春の城主田村家が庄屋になったなんて書いてないね
田村家は幕末まで大名だしさ
65 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:58:56
書いてなくても
関係分家であるとかいてあるだろ
どのみに名族庄屋だろ
66 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:00:28
田村家と益子家が庄屋になっただけか?
帰農 農民つーことだろ
67 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:06:18
上野家は どうなんだよ 足利支流庄屋だろ
68 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:12:19
なにはともあれ庄屋に任命されてるなら 名門だよ 江戸初期からの庄屋なら。
69 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:16:18
名門とか庄屋とか・・・まあそれでいいんじゃね?
70 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:18:46
>>59 なかには本物の平家落人もいるだろうが 極々少数だろ
大体小作はみんな平家落人とほざくのだが、こんなんが多いといっている
71 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:21:07
結局武士になれなかったから庄屋
72 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:23:52
官位もない武士でもない。
結局、帰農する庄屋しかない。
大名になれない。
73 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:25:46
庄屋はたかが農民という固定観念が そういう発送なんだろ みんなそうだよな まったく
庄屋は大名の本陣でもあるし郷士格もある家が多い
足軽まがいの下級武士は 名字も へたすりゃ帯刀も 服装も 許されてないだろが
さらには身分保障すらない 家はあるのか?長屋住まいだろ
さらには出自は小作人のなし崩し的な身分 武士とは名ばかりのBと変わらぬ衣食住のくせに
庄屋は 門構えから屋敷 蔵 財産 出自 なにをとっても上士なみだろ
実際江戸初期 上士が帰農庄屋になったケースがどれほどおおいよ
もう少し現実を勉強しろよ 暴れん坊将軍ばかりみてないで
74 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:33:28
年貢納める良民、つまり民草あるいは土民
75 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:35:21
>>71 だからさ その発想がおかしいんだよ それ現代人の発想な 武士ならかっこいいからなにはともあれ武士がいいという現代人な
当時は土地こそがすべて
上士で帰農した例が多かった理由は 武士などより裕福な生活も立場も、江戸初期までは得られたし、武士が絶対になる価値観は江戸中期以降だろ
江戸初期 土豪などは 城下に下るより庄屋に帰農した例が関東には圧倒的に多かったのは 土地の既得権を幕府が保障したから。
だから城下にくだってまで武士になどなる必要がなかった
武士になったのは 中級武士以外なんて どいつも土地なんかもってねーやつばかりじゃねーか
勉強しろよ
76 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:38:07
↑訂正。中級武士以下な
77 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:40:02
主家を持たない土民だから大名からもお呼びがかからないし前身はともかくその時点で既に武士じゃないから転封先にもついていかなかったんじゃないの?
78 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:41:47
農民税収の暮らしの庄屋
79 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:42:44
変なのがいるな
>>75 勉強のしかたを教えてください。
まず読むべき歴史史料など教えてください。
80 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:48:47
主家をもたないもなにも どこの大名も 戦国期なんか 在地の土豪地侍達に声かけかき集めた寄り合い所帯だろが
なにいってんだよまったく
声がかかるもかからないも なんで足軽風情の下級武士に声がかかって 二、三個の村仕切ってる庄屋クラスの地侍には声からないと考える?
城下に下りゃ給金生活 広大な先祖代々の土地は飯上げだろ
そこまでして武士になる土豪地侍なんか当時いねえよ
武士がかっこいいからなんて本気で当時思ってたと思ってんのか?
出稼ぎ労働 一攫千金立身出世の小作の成り上がり道にすぎなかった藩士改め下級武士中級武士を 勘違いしてんじゃねいの?
81 :
あ:2008/09/09(火) 01:54:28
誰にレスしてるのかわからなくなってきたから コテ名乗らせていただくが
武士は当時 小作あがりの足軽風情の食い扶持という価値観が中級武士以下の武士
単純に 三食飯付き官舎付きの自衛隊に入ってる価値観が当時
そんで会社経営の息子が 土地までとられてまで 自衛隊はかっこいいからと門たたくのが当時の価値観だとでも思ってんのか?
だから暴れん坊将軍のみすぎやゆうとるやろW
たわけが
82 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:58:28
↑あ庄屋入出禁止
83 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:59:22
暴れん坊将軍ってテレビでやってる?昼間やってる再放送?
そんなの見れてるんだこいつ
ニートだね
84 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:00:18
85 :
あ:2008/09/09(火) 02:05:53
帰ります すまない
86 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:25:03
在方では庄屋や名主が筆頭なのは確かなんだけど
ある西国大名領での順序でいうと
大庄屋>同嫡子>郷士>社人>同嫡子>出家>医者>庄屋>焼物師>方頭>盲僧・馬医・平百姓
まあ話がスレチなったったけど、君の言う方が正しい(もしくは妥当だ)ってことは解る。
兵農分離も知らない人を教え諭すのは大変だったろう。ご苦労さん。
89 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:03:46
90 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:04:38
こいつ自演して上げたり下げたりなんなんだろ?
91 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:35:49
あ庄屋はウザいが、庄屋が商人蔑視と同じように下級武士の僻みから低く見られてることは確かだな。
アメリカの差別主義者にはアイルランド系が多かったと言われてるのと同じで、
一見不自由が無いように見えても実際は上から差別されてるから、自分より弱い(?)者を叩くんだな。
大庄屋や豪商が弱かったとは言えないからなんと言ったら正しいか思いつかんが。
92 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:01:50
またキチガイ庄屋が暴れてたんだー
>>89 また部落かよ。これも庄屋だろ?そんな地域はないなに書いてんだかな
自演が酷かったな〜ウンザリだよ〜
京丸の藤原家も今や一軒だけでしたね。
過疎ってやつは・・・・・。
94 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 00:23:33
過疎は自演厨の格好の標的
しかもスレ違いも甚だしい「庄屋」ネタwww
しかも自分で自分を叩いたり自分に質問したり同意したり・・・
こいつ自演しかできねんだろな(哀)
多分どこでも相手にされていないのだろうね憐れ憐れ・・・・。
この流れも自演だろ
>>92以降は違うよ。
で庄屋って有名な香具師なのか?
102 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 02:53:15
キチガイっているんだな
>>100なんかモロ自演カミングアウトにしか見えないし
それはお前さんだろ?w
自演疑り深いのもいい加減にしろよな
104 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 03:00:41
初めて書きこんだらこんな真夜中に即返事が!
だから自演じゃないでしょ?
少なくとも今の瞬間はねw
106 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 03:21:10
>>98>>99の書き込まれた時間は同時であることから、即連投はシステム的に無理でしょ
107 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 03:22:53
109 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 06:55:15
僕の先祖は木曽義仲軍から逃げてきて農家に入り込んだ
だから源氏から農民になったってこと
天皇家の子孫としてのプライドはあるよ
>>91だがいつのまにか自演にされてるww
やめてくれよ、「あ」みたいなキチガイと一緒にするなww
まぁスレ違いは認めるがorz
111 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 17:03:16
112 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:10:12
一度は落人として身を隠したがその後に再起した例ってある
113 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:30:54
木曽冠者義仲
114 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:39:51
115 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:54:02
伊勢三郎義盛
116 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:46:14
チョン羅三郎
117 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:55:24
>天皇家の子孫としてのプライドはあるよ
もとを辿れば今の日本人の結構な数が天皇家の子孫になるんだが・・・・・
118 :
あ:2008/09/10(水) 23:13:33
本家にも生まれてないのに
根拠のない血筋に誇りを抱き、
近親の分家でも他人同然なのに本家の偉業をあたかも何十代も離れた縁もゆかりもない家が、
自分のことのように誇る様は何なのいったい?W
我が一門にも遠き分家の分際が同じ名字というだけで、
地侍であった本家である我が庄屋家を自分の家のことのように触れ回ってる馬鹿がいるが、迷惑先晩なんだがW
まー俺も長男じゃないが、それにしても呆れるなW
119 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:18:23
迷惑「先晩」というのも呆れるなあw
121 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:29:05
相手するんじゃねえぞ皆の衆!
これからの自演地獄にも目をつぶるこった!
122 :
あ:2008/09/10(水) 23:32:53
だから慈円してねいよ
なんでなん?なにが根拠で自演なんだよ わけわかとあきらなんだけどよ
123 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:33:36
古いギャグやなあwww
おっさん、いくつやねんて?
124 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 03:17:42
>>117 ツッコミどころが違うんじゃね?
義仲に着いていった雑兵が源氏なわけないだろ(笑)
125 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 10:06:26
>>124 確かに家人ごときが源氏なわけはないがなw
もしも源氏だと信じているのなら、と寧ろ親切心からのツッコミなんだけどねww
126 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 10:58:01
戦国時代の木曽氏や大石氏も怪しいけど
127 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 15:05:29
義仲伝説は眉唾物が多すぎるからな。
128 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 16:12:16
京丸藤原家だけはガチ
129 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 16:17:34
あんたもしつこいなあ。
何がガチなんだか知らないが、たかが北面の武士だろ。
130 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 16:59:19
多すぎる義仲伝説は怪しいが、長野や岐阜の山奥は落人が隠れ住んでいても不思議じゃないね。
131 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 18:46:12
オナニー!オナニー!オナニー!が口癖wの創価学会員の30代の逝き遅れキモデブ婆さんは
欲求不満の●性犯罪常習犯●なのでオナニー!とかエロ!とか性的な事が異常に好きwww
脳内妄想で犯罪者を作り出して偉そうに説教したがってるのは基地外すぎるw
現実世界で覗きとか盗聴とかやるなよwwwww
熊本隆談www
132 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:57:40
○○伝説などはほとんどがその○○の家来とか従者の類なんだろうね
133 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:24:12
家来や従者でもない
134 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:49:22
な〜んだ分かってるじゃんw
135 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 01:27:22
大体が部落だろ
「○○の家来の一団が村外れの寺で一泊した。」
が先祖代々の伝言ゲームを経て大袈裟になると
「あの○○が庄屋の娘に産ませた子供の子孫が僕なんですよ。」
くらいには余裕でなります。
「落人を村に匿って手当てをした。」なら
「看病をしてる内に娘と恋に落ちて・・」になる。
三日で村を去っていても永住したことになります。
「○○の家来の家来が〜」なんて類の話は
「友達の知り合いの親戚の近所に〜」などと同類項。
真実には複数の証拠があり全ての辻褄が合うものです。
曖昧な証拠でさえ複数集まることで事実が浮彫りになることがある。
しかし、作り話はいつも詰めが甘く矛盾だらけ。
ご愁傷さまです。
よくあるのが先祖伝来の証拠の品々があったが
火事で焼けてしまった、とか・・・・。
138 :
日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:29:19
やっぱ源平に無理矢理繋げるのが基本なのかな。
平地の農耕民に蔑視されている山間民としては
落人としては古く由緒があって何となく実感もある
「平家」とするのが一番だったのでしょうね
戦国時代の落人の子孫が住んでる集落知ってるよ。
秘密の抜け道があって中には甲冑が隠されていた。
伝承も史実に合致するし地理的にも納得できる。
そんなところもあるんだが大半は捏造だよな。
141 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 15:47:17
平家落人の女性にかけたことある男性の体験談が聞きたい
142 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:33:29
>>139 山間民が自ら称したというよりは高野聖や家系図師らが入れ知恵したらしいですね。
144 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:53:54
やっぱりか
エタの正当化ですね
145 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:58:17
>>137 がいしゅつかもしれませんが
日帝が焼いたとか秀吉が壊したとかね。
>>145 そのテの方々にバレるのを憚って自ら焼却したというのもあるよね
他には役人「らしき」人が来て貸したまま戻ってこないとかね
(これは何故だか明治初期にというのが多いんだよねw)
147 :
日本@名無史さん:2008/09/26(金) 01:00:51
ほほ〜〜〜d!
148 :
日本@名無史さん:2008/09/26(金) 01:03:52
具体例ゼロっすね?
具体例なんざそこら中の落人部落と称する集落にあるわな。
訊いてみてみ。
ほしゅ
151 :
日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:27:38
おーい!人生の落人ども!
何処にいる!!
ココにいるよ。中々うまい表現だな。
153 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 22:44:00
保守
そもそも本当に落人達が作った村って存在するのか?
南北朝辺りにいっぱい居たと思うが。
仮にあったとしても文字に残さない限り忘れるだろな。
日本書紀の編纂者だって500年前のことなんか全然知らない。
155 :
日本@名無史さん:2009/03/15(日) 06:39:37
なくはないだろうな。作り話の方が多いとは思うけどな。
156 :
日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:45:45
学生時代のクラスメイト(女)が中高時代、度々近所の蔵の中にお姫様がいる夢を見たらしい。
島根県のとんばらとか言っていたが、自分関東圏で分かりません。
その辺には落人伝説あるんでしょうか?
頓原もそうだが、中国山地にも落人部落と「称する」村は多いからな〜
今の日本の村というか集落はその多くが室町以降に出来たんだよな。
平安時代から続いてる集落があったとしたらレアもんだよ。
別に落人村でなくったって十分に価値がある。
160 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 03:33:10
お前らNHKのタイムスクープハンター見た?
うん、落武者のやつね。
まあまあ面白かったよね。
162 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 07:09:36
元木地師や鋳物師たちの連中が
土地に定着してから言い出したんだろう。
そうとばかりも言えないみたいだよ
164 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 18:01:57
俺の地元、山形県酒田市の平家の武将池田彦太郎秀盛の伝説は子孫が室町中期に城を持っていたし
江戸期も名主や荘内藩士や米澤藩士になった者もいるから落ち武者伝説の中では信憑性が高い様におもう。
小松重盛や斎藤実盛の墓もあるけど嘘くさい。
一説には本当だとしてもその家来か江戸期の成金偽系図が元ネタらしい。
落ち武者と呼べるか分からないけど米澤に帰れなかった上杉家の元家臣や最上家元家臣が帰農した新田集落は結構おおいですよ。
とここまでマット県のおらのすんでいるところだけが貴種なんだ理論でした。
はい!次の人どうぞ。
166 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 21:41:16
僕のご先祖様は木曽義仲の家臣の今井兼平の重臣だったけど農村へ逃げて農民になった。
その頃からずっと今の名字だから旧家中の旧家。
はいはい
必ず自慢する馬鹿が現われるんだよねww
先祖自慢がちらほらあるので俺も。
俺の家系も昔から平家の落人を先祖に持つと言われて来て、調べたら、平家に全然関係無かったwww
調べた結果、我が家系のルーツは藤原北家菊池氏流の菊池武村との事。
平家の末裔と信じてた俺ポカーンでしたww
>その頃からずっと今の名字だから旧家中の旧家。
階層にもよるが、農民は公的に名乗れなかっただけで、俗名として江戸時代も苗字を持っていた農民も、
いることはいるが、「江戸以前から伝えられたと自称している苗字があるから」=木曽氏の陪臣だったとはこのスレ
的にも相手にされないかと。 話しよくきいてみると、実は江戸時代からの家系図だったとか、江戸になってから
(家の中でのみ自称していたとか)そういう話しばっかりで正直秋田よ。
171 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 05:47:13
仕事が金融関係で山奥の事務所にいた事が在るけど落ち武者集落ばっかり。
どうせ嘘だろうと思っていたら渋谷とかは一応、平家由来の名字なんだってね。
嘘だとしても話としては上手く出来てるな〜とおもった。
落ち武者=士族?だと思っている人がいて自慢するジーさん達も多いけど落ち武者しゅうらくなんてろくな者じゃないと思ってる人も多い。
デブタレの松村邦洋の家も落ち武者でラジオで「俺の家なんて落ち武者家系だから臆病ものなんだよ。結局再起できなかったんだから。」と言っていた事が在る。
俺の先祖が〜俺の先祖が〜と、何処から見ても田舎の集落ずまいのくせに
平家の子孫だと先祖自慢している奴にろくな奴がいた試しがないな。
173 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:46:06
166だけど僕の親戚には医者もいるし庶民とは違うから。
医者がいるから庶民とは違うってか?
バッカじゃね?www
はいはい、一生誰からも相手されずにいなさいな!
175 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 02:41:10
>>173 コレハマタ オソレオオイコトデゴザリマスルナWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
>>173自身は医者でもなんでもないということか。先祖自慢や、親戚自慢ばかりで
本人自慢がないのはどういうことだw
177 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 06:06:52
そういえば昔勤務していた田舎のクソババアから
「私の故郷で様が付くのは神様、仏様と私の実家の医者の和田様だけなんだよ!」といって大威張りしていたな。
昔は田舎じゃ医師は士族に準ずると思い込まれていたらしい。
いまどき庶民から医者になるケースは珍しくないからなぁ。
179 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 07:30:20
ある平家落人伝説集落の話。
無人寺に色々な品あったが江戸檀家仏教の時に取られたまま、うやむや。
史料には残っていて有志が返還請求してるが、まともな回答なし。
金の仏像とか処分されてんだろうな。
本人は親とかから聞いて思い込んでいるのかもしれんが、ほとんどはニセ子孫だよ。
だいたいが明治維新の新姓の時に、箔をつけたくて名家の子孫を自称。
系図も捏造。
そんなのでも3代もすると立派に「家はxxの子孫で」などと語りだす。
181 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:16:38
家系図とか刀なんかは幾らでも用意できるからな。
平家に限らず「落人」の子孫と称する家や集落には
その由来を伝える品々があるにはあったが
過去に無くなったという話がよくある。
あるものは時の権力側によって取り上げられた。
また、あるものは火事などの天災・人災によって
失われたと。
しかし、そんなに「都合よく」無くなるものなのかな?
本物なら武器や防具は隠して保管するだろうね。
184 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 06:22:00
鎧を埋めた塚とか刀を埋めた場所とかはよくきくね。
太閤刀狩りとらた、昭和刀狩りで取られた火事で焼けたからすてたとか。
平家の落ち人の持っていた?折れた刀を子孫宅から貰った事が在る。
研いでみたら江戸時代に流行ったスダレ刃と呼ばれる刃文が見事!つまりは江戸時代の刀でした。
湯西川の資料館にも平家落ち人の太刀があるらしいけど、、もし本物だとしたら平安時代の刀は国宝か重文級。
自称にせよ、何で平家に集約したのかね?
江戸時代に詐称が始まったなら、戦国期の落ち武者でもよさそうだけど。
186 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:08:20
>>184 隣町に落人が姫を守って逃げてきた伝説がある。
古い屋敷があって多分昭和20〜25年頃に建て直したんだけど
老朽化した屋敷の解体作業に参加したうちのじいちゃんによると
地下に掘られたスペースから甲冑や刀が出てきたらしい。
某合戦から落ち延びてきたと考えるのが一番自然だという。
問題は姫の存在。落人は事実でも姫は捏造という可能性もある。
姫の存在を示すような遺物は出ていないようなので。
ただ、もしも姫が事実なら滅びたはずの某家の血筋が残っていたことになる。
落人伝説の中には一部だが本物もあるわけで
そういうものがしっかり調査されたらかなり面白いと思う。
>>185 戦国だと時代が近すぎて何らかの証拠がないと不自然だからでは?
187 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:53:38
合戦に敗れてあてもなく落ちて土着するなんて不自然だよ
その某合戦ってなんだよ?
188 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 19:18:22
>>187 個人情報に関わるから詳しくは言えんよ。
山に囲まれた集落だから地元民以外は踏み込むことはない場所。
信じてくれなくてもいいけど、何でも否定すればいいってものじゃない。
あてが有ったのか無かったのかはわからんわけだしな。
情報も何もあかせませんが、信用してくださいって信用できるはずもないし、
雲をつかむような話を聞かされてもねぇ・・・・
一応日本史板が学問板だから、自説の証明にはそれなりの根拠を
求められるもので、霞をつかむが如き話は相手にされないかと。
190 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:36:43
落人伝説は基本的には怪しいものが大半ってことが前提。
しかし、落人は存在しなかったとは言えないわけでしょ。
負けた側が毎回全滅するわけじゃないし、ゲームみたいに消滅しないし。
だから、何らかの形跡があるところはしっかり調査して欲しいなぁって話。
信用して下さいなんて言ってないし、無闇に噛みつかれても困る。
話の流れがわからないKY(これ死語?)な人を相手にしたくないんだけど
都合よく遺物が紛失しちゃってるのは…っていう正論に乗っただけだから。
191 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:52:40
熊本にもあるよね、平家の。
なんかショックだな、違うかもしれないなんて。
192 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 02:17:20
落人というのは落ちて行く先(目的地)があってそこを目指している
>>190 証明責任があるのは主張する人々であって
存在しなかったとはいえないから、その土地に住む人々がそういう類の子孫なんてことは
別段おれらはどうでもいいのよ。
自説を補強できる証拠などがあれが納得いくし、なければ相手にしない。
それだけの話です
空気読んでくれとかそういうのはこの手の議論には関係ないから。
194 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 04:40:31
証明責任云々を言ってる馬鹿は何者?
落人伝説は眉唾物ばかりで証拠のないものばかりという話題の中で
単に信憑性のある一例を挙げたということだろ
具体的な地名が出てないのだから話を広げる必要がない
自説?伝聞を報告するだけでそんな大層なものになるのか?
2chはいつから学会になったんだ?
195 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 05:41:40
てか>187はこのスレの存在そのものを否定しかねないレスだなw
まあまあ、ヘンに熱くなることもないでしょ?
学者の集まりでもないんだし。
仮にそうだとしても熱く学説を語り合う場ではないしね。
197 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:01:46
東北の落ち武者村を数カ所知ってるんだけど伝承によれば豪雪地帯に9月ごろ辿り着いてる。
家もないのにどうやって冬を越したんだ?
昔読んだマンガだと落ち武者が村人を殺して住み着いた話があった。
198 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:22:51
落武者っていうのは故郷に帰るやつらだろ?
199 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:21:05
>>197 落人狩りをする農民がいたんだよな。
逆に農村が襲われていても不思議じゃないな。
>>198 コネがあちこちにある奴もいるだろ。
本拠地が全滅(城を落とされたとか)したらどこに帰るの?
200 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:39:04
>>197 阿波の祖谷地方では平家の落人が先住者を殺害して居着いたと。
もっとも落人が礼を正して挨拶したのに先住者が無礼な態度を
とったからだとか。後世の理由づけかも知れないけどね。
>>199 おっしゃるように縁者を頼んで他所に行った例が多いみたい。
もちろん他国も含む。
201 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:23:41
落ち延びた先で再起できた人達はその後の歴史にも残った。
再起するチャンスがないまま歴史に埋もれた人達もいるでしょう。
落人が悲惨とか考えると胡散臭いが義仲腹心樋口なんか大河の主役や
日本古武道の重鎮。
>>186 屋敷の解体跡から甲冑や刀が出てきたのなら、
見る人が見ればどの時代の遺物かはわかるので、
そういう顛末まで聞きたいものだ。
しかしたいていは184の語っているように、源平時代のものではなく
単なる江戸時代のものだった・・・とかが多いように思う。
日本の平安末から中世なんて、ずっと戦のなかにあったようなものだから
おびただしい敗者の群れが山に谷に落ち延びていったのだろう。
が、やはり多くの「平家の落人村」は怪しいものだというのが本音。
実は戦国時代の敗者たちが山村で帰農したのが起源の集落なのに、
時代をどーんと誤魔化して「平家の」落人に粉飾しちゃったような例が
多々あるように思えてならない。
>>200 四国人だが、祖谷の連中ってそんなに凶悪だったのか。。。。
実際あそこにいったことあるが、先住者殺害云々は一言も案内にかかれてなかったな・・・。
205 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 01:22:24
平家を語っちゃうのは戦国時代の雑兵の生き残りとかじゃね?
戦国時代の敗者でも身分が高い奴らは粉飾しなくていいからな
足軽クラスとかの雑兵なら別に身分を隠す必要も無いんじゃないの。
落ち武者狩りの対象になるほどの価値もないだろうし。
207 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 02:04:30
いや隠したんじゃなくて語ったって話さ
本人じゃなくて子孫が粉飾したりするんだよ
雑兵でも一応は戦いに参加してるってことじゃん
代々語り継がれながら脚色されて平家になるんだろうな
古い時代なら証拠がなくても仕方ないって方向で(笑)
>>206 対象にならないなら身分を隠して足軽雑兵にばけらったら
逃げ放題になっちゃうじゃん
209 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 04:33:25
合戦後の落武者狩りでも足軽の首も十分手柄になるのだけど
210 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 04:34:28
それに実際に落武者が隠れ住んだ村なんてないし
211 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 04:40:46
村に隠れ住むなんてことは容易じゃないよな。
村にも2chにも通報する奴はいるんだから。
無いと言い切るのはどうかと思うが。
212 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 06:07:00
信憑性は薄いんだが、きいた話。
合戦に負けて源氏が治める土地の山奥に山流しになった平家がいた。
時代が下がって、源氏の姫をめとりその臣下になることを約束してようやく山奥からでてきた。
ていう話が故郷にある。
ちなみに、村から奥へ入る山には源平合戦の頃の山城跡がある。
これは学術調査で本物だった。
213 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 06:33:45
>>212 その源平合戦の頃の山城ってなんていう山城?
214 :
212:2009/05/07(木) 11:06:03
城名書いたら身ばれするかもなあ。
源平の頃の城なんで作りは、もちろん城つーより、砦。
ヒントは甲陽軍鑑。
あと山の城。
山城ってもしかして祖谷のちかくにある山城町のことだったりしますか?
216 :
212:2009/05/07(木) 17:01:24
そこではないな。
城名書いてもマイナー過ぎて分からんかもな。
甲陽軍鑑に「この村の奥に源氏の城があった」ってかかれていた。
地元住民も昔からあそこは源氏の城だって言い伝えられてた。
詳しく調べていた先生がいたんだけど、死んじゃった。
217 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 18:04:31
新選組の原田佐の助のモンゴル落ち武者伝説?
戦死した軍神”杉野兵曹長”と中国であった話?
なんかも落ち武者伝説の類いなのかな?
俺としては秀吉の朝鮮出兵の脱走兵の子孫、東南アジアの日本人町の子孫なんかも気になる。
218 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 18:26:37
山形県には武田姓が多いんだけども武田家の落ち人が多く土着したとの説が在る。
もし本当だとしても武田の雑兵が逃げ込んで着て嘗ての主家の名前を名乗っている例が多いらしい。
>武田の落人
wwwその武田って甲斐の武田?
どこをどうして、なんで山形くんだりまでw
だいたい、武田家の崩壊において戦らしい戦は信州の高遠城攻防くらいで
あとは雪崩のごとく人心離反し、新府城でも戦はないし
田野で勝頼らが自害するまでの行程での脱落者も多いし
なりを潜めてた家臣も大量にいるのに
なんで、武田の雑兵が関東をすっ飛ばして山形にw
あー、笑いが止まらんわ。
>>216 そうか、祖谷のちかくに(といってもあの辺街道整備される以前はすごい秘境だったので)
町村合併前は山城町に呼んで字がごとく、戦国以前の城砦跡が点在していたからそれがらみかなと
おもったが、勘違いだったようだ。
221 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:05:13
>>204 遅レスで申し訳ない。私も四国人の端くれなんだw
先住者というのは東祖谷の大枝にいた「喜多」姓の名主の一統のこと。
寿永三年の元旦、祖谷の平家伝説の中心となっている「平国盛」という人物が
安徳天皇を奉じて山の岩屋で隠れていた。が、飢えをしのぐ為に仕方なく山を
下りて名主の喜多家を訪ねる。礼を正して、食糧を分けてもらえるよう交渉するが
元旦の酒宴に興じていた名主の一統(といっても野武士)に嘲笑され、縁起が悪いと
追い立てられる。そこで国盛以下の落人は彼らを斬って、暫く大枝の地に滞在
したという伝説があるんだよ。
あくまでも伝説だし、この国盛という人は清盛の甥ということになってはいるけど、
平家の系図にも見えない。
国盛ら安徳天皇一行は、この後、阿佐の名主「阿佐」氏の招きで阿佐の地へ
移る。この阿佐氏が現存する「平家の赤旗」を伝える阿佐家の祖先で、阿佐家は
当地の名主として、つい最近まで住民から「旦那様」と呼称され尊敬されていた。
また、国盛らに一統を殺されたはずの喜多氏は、蜂須賀氏の阿波統治時代に
祖谷一帯の名主を束ねる「政所」を歴任し、年貢・賦役などの厳しい処置を行い
住民の隠れた反感や恨みを買っていたようだね。
もっとも、その喜多氏も系図上では平維盛を祖としているようだしね・・・・。
さらには伝説の平国盛も阿佐氏の系図でしか名が見えず、その阿佐家に伝わる
「平家の赤旗」なる布地も、どう時代を遡っても南北朝期のものらしい・・・・。
真実は歴史の荒波の中・・・・何とも浪漫の漂うお話ではあるよね。
長々とすみませんw
222 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:11:11
国盛ってだれ?どの系統?
223 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:13:24
阿佐家の家系図のよると、清盛の弟・門脇中納言敦盛の第二子なんだってさ。
224 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:38:02
国盛なんてそんなやつはいないよ
だから、あくまでも伝説なんだよなw
浪漫の香りが漂う・・・ね。
226 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 06:29:54
具体的な名前が出てくる話の方が実は胡散臭いんだよなw
国盛って能登守のことだぞ。
義経が八艘跳びで逃げた相手だぞ。
壇ノ浦のヒーローだぞ。
つーか安徳天皇には誰も突っ込まないのか?
徳川家康だって新田落人伝説、騙って天下取った。
本物とか虚しいだけ。本物(頑固な上野諸将から新田宗家として認められていた)
岩松冷遇し逆に胡散臭いと持って行き徳川の胡散臭さ軽減。
まあ、どの落人伝説にも何らかの利用価値あれば成功してる奴が必ず居る。
助詞の欠けた文章って、なんて不気味なんだろう。
230 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 07:16:58
出身地に因んだ英雄の子孫である事を偽称する場合が多いらしいね。
東北の豪商本間家は新潟出身の奉公人だったのに豪商になってからは佐渡の大名本間の出身である事を自称して系図を作っている。
豪商や大地主は大概が高利貸しで悪ドクもうけて一家を成したくせに有名武将の子孫を自称する場合が多い。
佐藤斎藤ウマの糞とかいう言葉が在るくらいだが佐藤姓は佐藤忠信継信兄弟の落ち人の子孫を自称する家が多く在る。
231 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 07:18:19
鴻池は尼子浪人の子孫だっけ?
なんかこれもうさん臭いな。
232 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:08:09
>>203 甲冑はボロボロで一体は触れた途端に崩れ落ちたって聞いてる。
その家の家系図は戦国時代末期から始まってるとのこと。
てか俺は平家の落人の話だなんて一度も言ってないからね。
田舎の昔の話だから、専門家を呼ぶなんて発想はなかったんだって。
地域の年寄り達はその家の人達を未だに別格扱いしてる。
233 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:30:46
>>231 いや、それは本物らしいよ。
山中鹿之助の子孫だって。
234 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:38:11
>>227 それは平教経なw
もっとも国盛なる人物はその教経をモデルにしているとか
安徳帝についてはまた後日
それにここは突っ込むスレじゃないしw
平家や地元のヒーローを騙るのはまあわかるが、
朝鮮の王子の子孫を自称した宇喜多とか、
源為朝の子孫を自称した琉球王家は何がメリットだったのかよくわからん
236 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 07:26:13
確か丹波哲郎は曹操に追い出された漢の皇帝の落ち人の子孫といっていたな。
元首相の羽田なんとかは徐福の子孫?を自称していたらしい。
秦(はた)が羽田になったんだとか。
折れの知り合いに親父の実家が那須与一の子孫だと自慢していたヤツがいたけど心の中で笑ってしまった。
田舎じゃ源平時代の自称子孫なんてごまんといるよ。
237 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 07:52:23
源平時代の子孫を語る農民の子孫大杉だよな。
家系図作って架空の人物まで登場させて…。
ちょっと突っ込むとボロが出る話ばっかw
238 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 16:57:01
家系図どころか墓まで作ってるからね。
同じ平家武将の墓が全国に何カ所もある。
折れの知ってる平家の落ち人(平の清盛の孫?)で代々小松清七って農家が在る。
小松(平)重盛の息子って事になっていて墓まで在るけど近年の研究だと小松村から引っ越して来た農民
清七が後付けで考えたストーリーらしい。
小松家の分家に伝わる話だと炊事している煙が見えたから住み着いたと在ったけど、この地区には全部親戚関係の小松姓しかないから
落ち人だとしたら原住民を殺して住み着いた可能性がある。
239 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:18:03
岐阜県のダムに沈んだ徳山村にも平家の落人伝説があるよ。
うちの田舎は平家の落ち武者を突き出した伝説がある
その鎮魂のための神社が今も残る
こういうケースもたくさんあるのかな?
それが「平家」の落ち武者なのかどうかは別にしても
時々聞くエピソードではあるよね。
落ち武者狩りの祟りを怖れての事もあったらしいね。
だから、「八墓村」の世界なんだよw
243 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 17:15:26
平家関係は怪しいよ。僕のうちは木曽義仲に使えてた本物。
戦が嫌になって「や〜めた」って言って逃げて帰農した。
漢字を間違えるようでは、「使え」ん奴よの〜www
もっとお勉強して出直しなさい
>>243 おまい、以前にもそんな事書いて叩かれてたよな(笑
246 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:12:23
「や〜めた」(笑)
247 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:24:09
木曾冠者義仲に仕えてたからって武士やめる必要ないしやめたやついないよ
248 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 05:04:35
武士身分じゃなくて下卑な位のやつじゃね?
249 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 06:34:03
ご先祖様は身分が高い武士だったけど落ち延びて帰農した。
と、図々しく言い切ってしまえばみんな名門の血筋w
負けた側の身分が高い武士が逃げ切ったということは
自分の安全が保証される場所まで辿り着いたってことじゃないの?
歴史の表舞台からは消えても、地方の名家として存続するでしょ。
名主でも何でもない農民が身分の高い武士の子孫である確率はほぼ0だと思う。
250 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 07:48:44
ウチの爺さんが「平家の便所くみでも山奥に逃げれば平家の落ち人だ!」とかいっていたな。
251 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 16:35:15
>>249 仮に何の縁もない村に逃げ込んで匿われたとする。
そのまま住み着くなら、その地の有力者の家に婿入りだろうね。
飢饉で村ごと傾かない限り庄屋クラスが最低ラインかな。
>>250 落武者じゃなくて落人だからな。奴隷でも負けて逃げれば落人。
落人=武士=身分が高いって短絡的すぎ。
>>243 お前が一番胡散臭い。
252 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 01:37:43
どの辺りからが「身分の高い武士」になるのかはわからんが・・・・。
「身分の低い武士」或いは「身分の高い武士」に仕えていた小者などが
自分の仕えていた(仕えていなくても)「身分の高い武士」を名乗っても
現在「落人村」といわれている僻地、しかも当時の住民の知識では
真偽はわからんかったろうな。
で住み着いたとして、
>>251氏の言うように現地の有力者の家に
入り込むのが常套手段だったのかもな。
253 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 01:57:17
実際は敗者の足取りはほとんどつかめているからいわゆる落人部落は捏造以外の何者でもない公算が高い
254 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 03:02:30
足取りが掴めている「敗者」って、いわゆる「身分の高い」著名な方々だろ?
>>251も言うように落人は身分の高い武士階級だけじゃないと思うよ。
それら身分の低い者らが、いつまでも身分の高い「敗者」に着き従ってたとは
限らないだろうし。
だから「敗者の足取りを掴む=落人部落は捏造」論理は、ちとヘンだよね。
もっとも「落人部落は捏造の公算が高い」論理には賛同するよ。
自称○○(結構身分が高い)の子孫は、実際は○○の家来の子孫だったりする。
で、自称○○の家来(そこそこ身分が高い)の子孫は単なる雑兵の子孫だったりする。
そして
途轍もなく身分が高い○○の子孫を語る輩は、実際は最下層の血筋だったりする。
完全な捏造ではなくても尾ひれが付いて粉飾されているものばかり。
妊娠中の妾を逃がしたら行方不明になったケースだってあったかもしれない。
長い歴史の中では様々なケースがあっただろう。
しかし、大半は怪しいげで矛盾に満ちた作り話ばかり。
江戸時代に中級以下の農民だった家はほぼアウト。
寺社関係の血筋なら時代を遡れば身分の高い先祖に繋がるかもしれないが
郷士でも名主でもない農民のルーツはほぼ100%農民でしょ。
何らかの合戦に参加したことはあるのかもしれないが
末端の農民兵だって「戦に参加した」には違いないわけで
戦ったからといって武士だったことにはならない。
敗戦が濃厚になってきて真っ先に逃げるのは雑兵。
途中で逃げ出すような輩は間違いなく農民。
256 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 15:34:44
と農民嫌いの方がおっしゃるとおりかと。
ほとんど自己の利のみで参戦(あるいは参戦させられた)農民=雑兵。
負ければ一目散に逃げるのみ、勝っても追い剥ぎと化す彼ら。
そんな彼らが逃げた先で武士を名乗ることも仕方ないことかも。
と言いつつ、もし自分が身分のあった者の末裔なら自慢したいのも人情かなw
その中の348人は百姓の子孫てか?
「先祖はネラー」の現実を突きつけられるのが怖くてルーツを探れない!!
261 :
日本@名無史さん:2009/05/14(木) 09:00:53
>>257 本物の子孫が自慢するのは構わんが、嘘なのに自慢する馬鹿が絶えない。
他人の先祖話を「自慢話は聞きたくない」と拒否する奴もアホ。
本物の話はリアリティがあって興味深い内容が多い。
大半の戦国武将は力を持ったから系譜の詐称できた。
これらも嘘なのに自慢と言える。
しかし江戸時代は長いので、この時代の武士には権威が成立。
詐称する有力者がいるから本物が迫害される的な考え方は必要だと思う。
清水昇『消された一族』 とか。
263 :
212:2009/05/21(木) 11:47:16
今、軽く故郷のことをググったら真相らしきことがでた。
城の主は甲斐源氏嫡流であったが、妻が平氏の娘であり
また甲斐源氏の勢力拡大を恐れた頼朝と主の弟達により滅ぼされた。
そして村には妻の父が「小松殿」と呼ばれていたいわれか、小松姓が多い。
ちなみに村は日蓮がいた頃にはすでにあったという記録がある。
戦国時代は信玄公の母の故郷の地だった。
まぁ今はただの過疎化の農村ですけど。
先祖がすっごく微妙
誇れるほど有名でもないけど
卑下するほど悪くもない
…結局、誰にも言わん
>妻の父が小松殿
プ・・・、真面目に調べたんだろうに吹いてしまう。ごめんね。
普通の常識から言うと平家で小松殿といったら、
内大臣「重盛」なわけだ。大物だぞw
まあ平家物語のなかでも、重盛の子(公達、男子ね)たちは
悲劇的な末路を同情をもって描かれている人々なので
平家物語の流布に従ってその逸話は地方にも浸透し、
様々な地方で独自の伝説・伝承を生んでいることが多いんだよな。
ちなみに重盛に娘がいたという記録は残っていないはず。
>信玄公の母の故郷の地
ああ、はいはい、大井庄の大井氏ね。富士川沿いの峡南地域か。
身延山があるので、日蓮宗の寺は多い。
あの辺は平安末期だと加賀美氏とか小笠原氏とか秋山氏、
南部氏が領していたんじゃ。
まあ、伝説はロマンだから、それはそれだがw
まあ、そう突っ込んでやるなよ
各地域にいろいろな伝承・伝説があって
それがその地域の人々の心の支えとなってきた面もあるだろう
そっと聞いてあげようや、な
んだな。もちろん
>>265のような解説係も必要だがな。
268 :
238:2009/05/22(金) 06:24:17
元祖小松様伝説が各地に残っている事が分かって非常に参考になります。
ちなみに私は東北某県県境ですが趣味で歴史を調べていたら隣の県境にも同じ話が残っている例が多い事が分かりました。
古い家系だとどこも聞いた事の無い様な武将の名前を引き合いに出して元祖村上様や小松様を名乗っています。
確かに
>>265さんもおっしゃるように悲劇的な面から「小松」系は人気があるよね。
ただでさえ判官贔屓だからな我ら日本人は
271 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 07:42:49
現代刀匠の自伝を読んでいたら街道の宿場には幕府軍の置いて行った刀が沢山残されていたと書いてあった。
新選組の永倉新八も刀を農家に預けて町人に化けて江戸に落ち延びたと自伝にあった。
本当に逃げる時は変装して逃げるんだろうから武器を持った落ち武者は少なかったんじゃないだろうか?
そう浪漫なのだ。
地元の人は信じてるし、城跡が本物らしいからなあ。夢が膨らむよね。
>>265さんが書いているのがすこぶる伝説の地域に近い。
微妙にずれてるんだけどね。
そこの村のわかっている歴史は
平安末期、秋山光朝の所領(妻の父が小松殿説)城跡あり
鎌倉時代、日蓮関係の書物に地名あり
南北朝時代、武田大井氏の所領の記録
戦国時代、大井氏の城ができる(城跡あり)
今住んでる人は落人というより、農民の子孫とか下働きの人の子孫とかだろうね。
身ばれ限界なのでこの辺りで。w
273 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 10:46:47
>>271 江戸時代に町に紛れるのと戦国時代以前に山を越えるのでは全く違うと思う。
前者は武器を持たない方が安全だが、後者は武器なしでは危険じゃないか?
>>271 273の言うように、ここで多く話題になっている戦乱の時代と
幕末時の旧幕臣や佐幕派たちの逃亡劇とは背景も事情も政情も違うからね。
篠田鉱造の「幕末百話」や「明治百話」を読むと
上野戦争に敗退しての幕臣や佐幕派の、変装しての逃亡劇が
いくつか載っているよ。
>>272 山川の「○○県の歴史散歩」ほどの本でも参照すれば
すぐにわかるような地域名だし、そんなに勿体つけることもない。
まあ、そう突いてやるなってw
>>212=
>>263=
>>272は「軽く故郷のことをググったら」とも書いておるぞい
みんなの地元にもそういった類の「浪漫」話の一つや二つはころがっておろうてw
ただ、確かに戦国期のそれと幕末期のそれは全く事情が違うとは思うがな
篠田氏の著書とはまた粋なものを出してこられたな!
篠田のシリーズは「幕末百話」「明治百話」「女百話」って
みな持ってるけど、ただ面白いから読んでるだけであって
粋趣味とかそういうもんじゃないけど。
維新〜明治はまだまだ今と地続き・・・って意識があるからね。
いやいやご謙遜をw
篠田氏著書は派手ではないけど、あれらの逸話の中から
歴史の何たるかが見えてくるような気がしますぞい
278 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:28:59
落人の子孫があげます
279 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 02:12:02
敗者が地方の庇護者の元に落ちるのは実際あったけどな
木曽義仲とか
その類もある意味「落人」だよね
その庇護者が時の権力に巻かれてしまって
頼って落ちて来た者を殺害ってのもよくあったよね
源九郎義経とか
281 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 03:33:31
長田に殺された頭ノ殿義朝とかな
このスレって、もともとは平家の落人村を語るスレの発展版なのだが、
この源氏系の落人の流れも面白いものがあるな。
283 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 06:49:40
義経は緒方三郎惟栄を頼って豊後を目指したが嵐にあって挫折したんだよな。
惟栄が義経の為に用意していた城がその後、「荒城の月」の題材となった。
284 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 11:56:48
平治ノ乱で破れた源家の者は捕らえられたり落ちる途中で殺されたりした
家人も東国などに戻り後に平家に使えた
山里に隠れ住んだものなどいなかった
285 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 16:26:30
敵の名簿があって全員チェックしてたの?
286 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 16:47:51
現在2009年−平家の滅亡1185年=824年
一世代30年として約27世代前
その間の先祖の数は1億3千万を突破
まあ、近親婚を繰り返さない限り平家の血筋と言っても限りなく薄い訳で・・・
ロマンをなくすようなことを言ってすまん
287 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 17:10:56
そういう話はどうでもいいんだよ。
誰が子孫かじゃなくて当時の落人の行方が知りたいだけ。
288 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 18:40:52
平治の乱に負けた源氏の家人はほとんど全て地元に帰ってるね
足立遠允とか謹慎してたらしいが逃げ隠れした形跡はないし
289 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 19:19:47
平家の家人も同じじゃないか?
290 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:32:24
普通に考えて、負けた側が根絶やしにされるなんてありえないよ。
291 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 22:06:24
平治の乱で壊滅的な敗北を喫した源氏及び源氏の家人が実際に野山に隠れ住むとかなかったことで
平家の落人が隠れ住んだ村など妄想でしかないってことだな
292 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 23:07:06
てか源氏がリベンジに立ち上がったから義仲は挙兵したけど
あれがなかったら義仲の子孫は歴史に埋もれて山奥の伝承で終わってたよな。
ただし鎌倉も諸国で平氏残党の追討に度々繰り出しているから敗残兵が治安を乱していたのかもしれないがやがて落ち着きを取り戻したであろう
294 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 23:42:45
295 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 23:46:36
>>292 周知に広く知れ渡っていたから義仲は平家追討の綸旨を賜ったんだろ?
296 :
日本@名無史さん:2009/05/26(火) 23:48:26
義仲は平治ノ乱に関係してないしね
297 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:31:44
そもそも平家一門あるいは有力家人で消息不明なやつっていないよなw
そもそも源氏全員と平氏全員が敵対してたわけじゃないんだよな?
それに処分されるのは敵対した上層部だけだろ?
大半は、負けて村に強制送還された農民兵の作り話じゃね?
戦国時代は地域によって色んな事情があったかもしれんが。
源義経で吉野山でさ迷ったが奥州平泉に入ってるもんな
300 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 15:20:20
>>298 だから、全員分チェックしたのか?って。
301 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:21:41
全員分チェックって?
302 :
日本@名無史さん:2009/05/27(水) 19:18:58
強制送還された農民兵「全員」に訊いたのか?って事。
303 :
日本@名無史さん:2009/05/28(木) 01:12:06
強制送還された農民兵って?
305 :
日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:02:34
>強制送還された農民兵
バカだろコイツww
307 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:34:06
今週のテーマは「強制送還はあったのか?」です。さあ語れ若人よ!
308 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:59:58
農民兵っていうのもおかしいと思うよ
310 :
日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:59:35
だよねw
もっと勉強してもらわんといけんなw
なんか全然よくわかりません。どの話を信じればいいんでしょうか。
己を信じることだよ、まずは。
313 :
日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:50:05
おこちゃまのいじめかよw
おこちゃまとて、カキコの前には学者までとは言わんが
それなりの知識をつけてきてもらわんと読むほうの誤解を招くぞい
お〜〜い!人生の落人たち!
もう6月だぞ!
316 :
日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:48:15
東京が嫌になって田舎暮らしを始める人達はある意味、現代の落ち武者?
それはどちらかというと「世捨て人」の部類じゃね?
リストラされて田舎に職を求めて流れた人のほうが「落ち」てるっぽい。
318 :
日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:13:22
地方に仕事なんかないよ!!!!!!!!!!!!
>>316 お前、お子ちゃまだろ。
東京で暮してれば成功なんて時代はもう過ぎてるし
AA機器も充実し、通勤しなくても働ける職種や在宅可能な会社もある。
生活を営むにあたって住環境や自然とのかかわり、
多種多様な生活を選択できる時代なんだよ。
まあ昔の武士も戦いに敗れて「帰農」した例は多いからなあ
322 :
日本@名無史さん:2009/06/09(火) 03:54:39
>>319 ただそういう職種にまともなのはそう無いよね。
時間の切り売り、金の為だけに働くならいいんだろうけど。
>>322 まともな職種もあると思うけど?
むしろ特定スキルの必要な仕事も多いと思うが・・・
ほんとに何も知らないガキなんだなぁ。
ライフスタイルの選択として田舎暮らしやUターンをする人、
就農を志したり、新しい農業ビジネス起業のために地方へ赴く人、
いまやおおぜい居るし、さんざんに報道されてるというのに。
おいおい、ちょっとスレチな方向へ向かってるぞw
325 :
日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:20:30
>むしろ特定スキルの必要な仕事も多いと思うが・・・
とても一般的じゃないことを証明しちゃってるよw
>>322のまともってのはいわゆる大企業とか官公庁とかエリートが就く職種って事だろう。
人の事をおこちゃまだのガキだのと言いたがってるけど何かのコンプレックスの裏返しかな?
>大企業とか官公庁とか しかがまともじゃなくて
なおかつエリートでも無いってのも変だぞw
だから方向修正しなさいってばw
静岡県の某所にも落人伝説があって、住んでる人間の
ほとんどが同じ苗字。特に田舎って訳でもないけど、
結束力は今でもある感じ。
マイナー武将の落人部落(伝説?)はそれはもう実際にたくさんあるよ。
おれも諏訪神党由来の某氏の落人部落出身の人に会ったことある。
静岡に限らず、地方の辺境部落では住人の苗字が同じという所は多いね
だから、苗字だけでは呼ばず「上の○○」「下の○○」とか名前で呼ぶよ
331 :
日本@名無史さん:2009/06/12(金) 01:46:47
「辺境部落では」というより、「近代以降に成立した都市部以外では」だな。
う〜む。柳田御大もマイナー武将の落人伝説までは調べてないだろうな。
どうなんだ。真偽の程は?
333 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:55:50
東京にも平家の落人と称す旧特殊部落があったねw
334 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 23:13:24
日本史に疎い人権板のバカがいますねw
↑と人権板の馬鹿が自己紹介していますw
はいはい。もうその辺りにして。
だから、やめれって。
知るわけないでしょ
皆、次々と落ちてゆき、とうとう俺だけになったのか・・・・・・・・・。
いや拙者もでござるよご同輩
落人ウラヤマシス・・・
自分これ以上落ちたら逝くしかない・・・
それが落人クォリティ
どうやら人生の落人達と同じ仕事には就けそうだ。
だがこれでは終わらんぞ。足軽まで這い上がってみせる。
いや、足軽と言わず足軽大将ぐらいまでガンバレ!
どうだ?這い上がったか?
まだ雑兵のようだなw
みんな〜〜落ちてるか〜〜い?
このスレもかなり落ちた(今711)。スレタイにふさわしい位置だ。
351 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 13:08:59
うーん
って上げたな!
奢れる者は何とやらと申すぞよw
353 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 00:09:10
人生の落人たちよ
新年だぞ 元気を出せ!
354 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 02:21:35
ほす
元気
356 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:07:26
ほほー
357 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:27:54
もうすぐ新年度だが
落人となった者にもまだチャンスはあるから元気を出せよ!
前のスレも長く続いていたが
このスレも定期的に保守する人により絶えずに続いているものと見える。
続きさえすれば、また誰かが現れて盛り上げてくれるだろう。
死に絶えてしまったらそこで終わり。人生と同じだね。
359 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 14:55:55
おっしゃる通りですな
落人には落人なりの人生がある
時来たりなば再び隆盛するのも人生かと
360 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 06:16:21
全国に沢山落人伝承があるわけですが、戦場から離れ過ぎている地域が多い気がします。
タクシーで駅まで行って新幹線に乗って逃げたわけでもないのに、遠くまで逃げています。
ある程度身分のある子女が逃げる場合、家財道具ごと家臣が運ぶのではないかと思います。
となると、移動できる範囲内で、味方側の支配力が及ぶ地域で、隠れることができる場所…
といった条件に当てはまる場所にはリアリティを感じますが、かなり?な地域があります。
当時の状況を考えると、わざわざそちら側の方角に逃げるわけがないのでは?と思ったりします。
もちろん、戦いながら四方八方へ散らばることはあるでしょう。
しかし、負傷者が徒歩で本州の真ん中辺りから、九州や北海道まで逃げて行くものでしょうか。
うちの地域では落人を匿って手当てした昔話があります。某戦いの舞台から山を越えた地域です。
手負いの落人にできるのは、精々山を一つ二つ越えるくらいなのではないでしょうか。
逃げ隠れたという伝承を主張するのに、地理的にどう隠れたのか疑問な場所も多々あります。
伝承には作り話が多いとは思いますが、あまりにも稚拙ではないかと感じます。
そりゃーw、壇の浦で敗れた平家の人々が
北関東まで生延びて逃れるてきた・・・なんて、
普通に考えても馬鹿らしいことを
大真面目に吹聴してるのが「平家落人伝説」ですから。
だとすると、中国地方の山の中なんかにある落人の集落は、
屋島から壇ノ浦にいたる過程で落ち延びた人たちが隠れ住んだということで、
信憑性はかなり高いことになるのかねぇ
漏れの地元(中国地方の瀬戸内海沿い)にもそういわれる地域がかなりあるんだが
>>362 北関東の平家落人部落を、普通に考えて馬鹿らしいと書いたまで。
中国地方などなら信憑性が高い、とまでは言ってないよ。
伝平家の落人部落のなかには真実逃れた兵士クラスのものなら
信じられるものもあるかもしれないが。
落ち武者が集落を形成した・・・場合でも、
その発生は戦国時代だったり、山間の貧しい集落が
そう名乗ったりしてるだけの例も多いもんな。
反対意見をただ言ってるだけのようでゴメンだけど、
研究者の書いた落人伝承の実地調査や文献の検証についての本を読めば
「平家落人部落」のほとんどが、その集落、部落としての発祥が
源平争乱時代じゃなかったりする。
364 :
日本@名無史さん:2010/04/22(木) 02:54:13
そ〜んなの〜常識〜ぱっぱぱらりら♪
今ごろ何言ってんのかな坊やは?w
>そ〜んなの〜常識〜
古すぎて何の歌やら気付くのに時間がかかった・・・
落人だから世間の流れに無知でして・・・w
367 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 01:29:00
>>363 関東の平家落人は鎌倉北条氏じゃまいか。
そもそもはそうかも知れんが、今となってはゴチャ混ぜになっとるだろうな
369 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 21:47:07
自分の住んでいる町には将門の弟や、承久の乱で京方についた武士の落人伝説がある。
370 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 22:27:49
平家は渡来人秦氏だよ
秦氏は縄文人と近い民族だったから、
縄文人が多く住む山地に逃げた。
石田三成の遺族は、三成死後、津軽へ渡った。
これも、津軽が三成と同祖の者が住む地だったから。
371 :
日本@名無史さん:2010/04/23(金) 22:43:08
秦氏とヤマト。
古代の天皇家を輩出したと思われる、この2系統の血を引く者に
江戸幕府は執拗な嫌がらせをした。報復を恐れて。
全く夢のない話ですね・・・
>>370 何言ってるんだよ、テレ東の歴史番組で
平家はペルシャ人って言ってたじゃないか。
>>372 へええ。じゃあビンゴだ
秦氏って中国の秦の末裔らしいし、秦にはペルシャ人もいたらしいよ
374 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 00:55:47
で、ヤマトの落人の話な。
徳川は幕府普請と称して、石積みを得意とするヤマトの末裔を地方へ連れて行った。
完成後、「事故で死んだ」または「縄張りを口外させないため」として殺害することもあった。
ヤマトは畜産をする者も多かったので、因縁をつけて処刑するために
「生類憐れみの令」なんておバカな法律まで作る始末。
そして、畜産業者を被差別階級へと貶めた。
それでもしぶとい彼らは、東北からの荷運びを苦とせず、商人として財を成した。
津軽は古代からヤマトの一派が住んだ土地。
(大陸で遊牧民だった彼らが伝えた弦楽器が、のちに津軽三味線となる)
×幕府普請
○天下普請
376 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 03:12:07
落人どもが活気づいて良かった良かったw
377 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 03:23:20
日本列島自体が落人の里っていうウワサ
それでもいいんじゃないとしか言いようのない現代
379 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 11:46:49
いやいや〜
有能で豊かな人達だったからこそ、大陸を泥棒中華に追われたんだよ
われわれのご先祖はみんな、島国に落ち延びて、新たな国を作った人たち。
落人だったことを恥じることはない。
落合伝説を語り合うスレかとオモタw
381 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 02:07:10
ま、落ち武者のような頭しとるがな〜
戦国時代の落人伝説が色々載ってる本でお奨めないですか?
民俗学的なアプローチのものとか…
う〜〜ん・・・戦国時代のね〜・・・・
やっぱり「落人=平家」なのか、そちらの本なら多々あるが・・・・