87 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 00:13:09
太田道灌が本格的に築城した
大庭城址公園
行ったやついる?
88 :
日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:35:35
いない。伊勢原にある首塚だけ。
あと伊勢原には道灌の子孫がいるよね(もと農家?)。
89 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:48:25
90 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:56:31
伊勢原市役所の担当部署に聞いておくんなまし。
以前伊勢原市の市民だよりみたい?のにに出ていたのを見たことがある。
子孫の人物写真ではなく子孫の家が紙上誌に写真として載っていた。
91 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 22:14:08
ありがとうっス
92 :
日本@名無史さん:2008/10/06(月) 21:17:27
昨日、道灌祭りあったね
93 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:55:20
>>87 ゴメン、大庭城って聞いたこと無いんだが・・・
>>89 神奈川県藤沢市にある大庭城址公園の大庭城だろう。
戦国時代は 扇谷上杉氏→北条氏 という変遷を辿った。
史料への登場はほとんどなく、北条早雲により攻略されたこと、
北条時代に北条左衛門尉(180貫)が領主であったこと以外はよくわかっていない。
かなり大規模な城だが小田原城から程近いため、北条氏がここに大がかりな城を気築く理由が無く、
北条氏による改修が加えられたものの、遺構そのものは扇谷上杉氏時代のものとも言われる。
太田道灌が築いたとされるが、飽くまで伝承に過ぎない。
道灌の時代、ここに巨城を構える必要が無いし。
道灌没後の長享の乱の際に三浦氏や三浦氏女を妻とする太田資康らが本格的に改築したような気がする。
道灌は運動技能向上とエネルギー効率の関係性と
臨界期という運動技能獲得のための条件がそろう時期を見桁ことでも有名
96 :
日本@名無史さん:2008/11/14(金) 14:29:44
脊髄小脳路を横断面でみると同側の側索を通る。
97 :
日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:48:57
道灌の末裔らしき人物が肥前龍造寺の家臣にいるんだが、名は太田資元と云う
のち鍋島35,7千石の代々家老職で5千石
98 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:16:17
ぐぐったら道灌の子孫ってたくさん出てきた
子孫なんだろうな
それだけ
>>97 道灌の孫だかが肥前に下向しているのは確か。
竜造寺家とも婚姻関係があり、肥前史で割と重要な位置づけを占めている。
>>97、99
道灌の子孫かどうかは明確じゃねーぞ
道灌没後の文明〜享禄にかけての太田氏は生き残りを賭けて必死になってる最中
そんな時期に家を支える一門の子を九州に下向させるとは考えられん
道灌についての資料でも九州に子や孫が下向したなんて記事は見たことない
肥前太田の在地豪族が勝手に太田道灌の子孫を称したか、
あるいは道灌の系統とは別に肥前に繁栄していた同族の太田氏だろ
101 :
日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:38:08
埼玉三名城
川越城
岩槻城
忍城
102 :
日本@名無史さん:2009/02/02(月) 09:53:16
道灌の所領は岩槻あたりだから
江戸城を建てたのは江戸氏だろう
北条氏が長く住んでたのに影の薄さが異常すぎる・・・・
>>102 江戸は北条氏の所領ではあったが、領主として住んでたのは北条氏じゃねーぞ?
104 :
日本@名無史さん:2009/03/14(土) 05:32:51
北条の一族の遠山氏だっけ??
105 :
日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:37:19
遠山も太田資康も江戸衆だよ
106 :
日本@名無史さん:2009/04/14(火) 23:52:16
道灌の頃の江戸城がどんあだったか知りたい。
そもそもどのへんにあったんだろう?
今の天守閣跡あたり?
107 :
日本@名無史さん:2009/05/16(土) 17:56:05
うちの祖先は家康が江戸開城のため下見に来たとき、江戸城と江戸を案内した
そうです。
その当時、江戸はまだ小さかったので馬でまわっても1日2日程度だったそうです。
108 :
日本@名無史さん:2009/05/16(土) 18:05:28
江戸城
岩附城
河越城
忍城
109 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 23:07:22
川越の資料館で同感を紹介するビデオを見た、、、どうかんがえても同感は家康の豚野郎よりも10倍実力は上、、、運だけで天下取ったラッキーマンと悲運の天才同感、、、対象的すぎ
110 :
日本@名無史さん:2009/08/17(月) 23:19:03
太田道灌の子孫の資暁氏は最近まで東京海上の専務だったそうな。
戦国板の道灌スレに子孫についてのレスがかなりあるよ。
112 :
日本@名無史さん:2009/10/12(月) 13:21:18
>>107 馬でゆっくりとぼとぼ行っても2日でどれだけ進むと思ってんだよ
113 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 23:44:19
huu
114 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 09:04:44
視察でただ通るだけなら視察じゃねーよ。
時間をかけた観察や説明があるだろ
察しろよ
115 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 18:40:25
道灌が頼政子孫て話信頼できる?
>>114 1590年当時の「江戸」の広さを言ってみな
掛川藩の時はいつ?幕末の時には太田氏ってあったけど
いつか道灌が大河ドラマで扱われるようになりますように
>>94 一応
平安末 は大庭氏の拠点ね
鎌倉党の一流、大庭氏は鎌倉郡、高座郡堺の大庭御厨を支配した鎌倉党の一派の拠点
121 :
日本@名無史さん:2010/01/05(火) 21:01:32
>>119 同意
太田道灌で主人公は、難しいと思います。
北条早雲ならありえるかも!
道灌てそんなに歴史に残ることしてるか?
長尾景春の乱を鎮圧した。
長享の乱の遠因となった。
正直、微妙。
江戸築城は江戸氏だろ?
125 :
日本@名無史さん:2010/03/02(火) 21:31:21
扇谷上杉衰退の原因は、道灌粛清より定正の急死の方が大きい
>>122 八重七重・・・の和歌は、その逸話の信憑性は差し置いて
江戸時代には超有名。
127 :
日本@名無史さん:2010/03/02(火) 22:44:18
最近出た黒田基樹氏の太田道灌の本を見た人いる?
わりあい判りやすい文章で、図版やら子孫の人のコラム、道灌状などの解説が
豊富で結構面白かったと思うんだけど。
山吹の里ってあちこちにあるな
129 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 22:38:24
>>127 見ました。 『図説太田道灌』ですね!
黒田基樹氏の太田道灌研究の到達点を、
わかりやくまとめたいい本だと思います。今のところ道灌本の決定版でしょう。
>>123 むしろ、悲劇的な最期を迎えていることの方が問題かな。
道灌は、青年期の主人公に大きな影響を与える大人的な役割が似合ってる
ガンダムでいうところのランバ・ラルとか
131 :
日本@名無史さん:2010/03/16(火) 22:28:49
豊島方 石神井城での戦で非業の死をとげたと言う照姫伝説が知りたい
132 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 18:44:47
小説だろ
照姫伝説は後世の創作
江戸氏時代の遺構はなんもないのか?
135 :
日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:06:01
保守