山岡鉄舟(1836-1888)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/97/Yamaoka_Tessyu.jpg 幼少から神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流を学び、武術に異常なほどの才能を示す。
浅利義明門下の剣客。維新後、一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。
幕臣として、清河八郎とともに浪士隊を結成。
江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する
駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会する。
明治維新後は、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。
勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称される。
剣・禅・書の達人として知られる。
その行動力は、西郷をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。
身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)と大柄な体格であった。