>>751 >つまり『平将門』は氏が生まれ育った南九州の歴史になぞらえた着想が
原型なのではないだろうか
作家なんてみんなそうっしょ。
新田次郎の「武田信玄」に出てくるヒステリックな三条夫人は自身の妻がモデルと言われているし、
子母澤寛の「父子鷹」なんかに出てくる勝小吉やその妻は、氏の故郷北海道の祖父母がモデル(因みに氏の家は旧幕臣の家系)。
案外みな、自分が「生まれ育った」風土や環境に根付いてるもんだよ。
また、そこから名作が生まれもする。
『先代旧事本紀』に、饒速日命が河内に天降るとき、天磐船に同乗の神々の中に
天津麻良・天津曽蘇・天津赤占・富々侶.天津赤星のいつとものお五部人を記して
いるが、最後の「天津赤星」こそ「天津甕星、香々背男」であり、饒速日命に同行し
た一次東征というか、前期天孫降臨族といえるだろう。
その血を引くのが、北斗信仰で知られる平将門だったのだ。
756 :
日本@名無史さん:2009/03/07(土) 12:58:45
757 :
日本@名無史さん:2009/03/07(土) 13:29:58
758 :
日本@名無史さん:2009/03/16(月) 02:09:10
759 :
日本@名無史さん:2009/03/19(木) 02:43:08
760 :
日本@名無史さん:2009/03/25(水) 23:26:27
今日は小次郎さんの命日なので上げとこう
761 :
日本@名無史さん:2009/03/28(土) 22:39:42
佐野、狭山、猿島、佐倉、佐原・・そして佐竹。
関東地方は「さ〇」に付く古い地名がたくさんあります。
この「佐」「さ」の付く地名と平氏は深い関係があります。
762 :
日本@名無史さん:2009/03/30(月) 12:30:07
↑どうして「佐」がつくと平氏縁の処なのですか?
おしえて!先生!
>>762 「佐」は英語の「The」「ザ」と語源が同じなのです。
唯一のものであることを強調する英語の定冠詞と同じ働きなのです。
同じような定冠詞として、「み」があります。こちらは、漢字にすると
「御」「美」「三」となり、御倉、御諸、美里、美濃、三河、三浦・・
英語の「My」に近い使われ方だったと推定できます。
764 :
日本@名無史さん:2009/04/10(金) 19:14:40
ブヨウ土下座保守age
平将門は素晴らしい
766 :
日本@名無史さん:2009/05/07(木) 19:13:53
将門さま〜(^0^)/
767 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 09:29:47
768 :
日本@名無史さん:2009/05/15(金) 17:39:28
770 :
日本@名無史さん:2009/07/03(金) 02:12:17
紀子様の弟が将門の子孫と結婚してたな
771 :
日本@名無史さん:2009/08/27(木) 18:08:22
age
東京4区から立候補している平将明さんて将門の子孫でしょうか?
もしそうだったら、いずれ関東の新帝になるかもしれませんね。
頑張ってほしいものです。
平将門は、職能武士か開発領主かで言えば
開発領主に分類されるのかな?
祖父の高望や伯父の国香は職能だと思うが、将門はもう土着しちゃっただろ
高望・国香は自分のこと武士とは思っていないんじゃないでしょうか。
それはそうと、貞盛と将門はどちらが年上なんでしょうか?
なんとなく将門の方が年上な気がしていたけど、貞盛の父親の方が長男なんですよね。
775 :
日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:56:57
みんな〜オンリーイエスタデイを歌うのよ(怖)
取手市・・・砦市
将門公の評価は、古代の朝敵から、中世の崇敬対象へ、
さらに明治時代の逆賊視、ついで戦後の英雄化と激しく揺れ動いた。
最近ではより学術的な面からの研究が期待されている。
>>774 >高望・国香は自分のこと武士とは思っていないんじゃないでしょうか。
一般に平高望は、藤原利仁などとならんで寛平延喜勲功者の代表とされています。
秀郷や貞盛などの、
承平天慶勲功者の一つ前の時代に東国に赴いて群党蜂起を鎮圧した、いわば軍事貴族第一世代です。
まあ「武士」という用語が用いられるようになるのはもう少しあとの時代でしょうが、
「武人」としての自覚は有していたのではないでしょうか?
779 :
日本@名無史さん:2009/11/13(金) 03:25:53
良文は将門に与していた?
被差別は将門とつながりがあるね
>>780 うんうん、分かる気がする。
なんとなく南北朝時代の後醍醐天皇(南朝)方を支えた勢力を彷彿とさせる。
良文の末裔千葉氏は江戸時代の前までは千葉介だったし、
北条氏も平氏だったんらしいし、関東の豪族は将門ゆかりの家系が多い。
北条は歴代執権に平家流の意識はなかったよ
784 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 11:54:16
歴史の謎だね。
北条は明らかに平氏、しかし当時の守護はほとんど源氏。
不思議だな。
戦国時代の織田、長尾、毛利、北条、松平、なんかは源氏の出じゃないよね。
785 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 14:24:24
ちなみに俺の女房は藤原秀郷の子孫だぞ。
北関東じゃ全然珍しく無いけどな。
俺は源氏系らしい。佐竹藩。
786 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 16:39:17
>>784 >北条は明らかに平氏
「明らかに」とまで言い切れる根拠は?
ただ誤解しないでいただきたいのは、私は北条氏平氏説を仮冒と言っている訳ではありません。
>当時の守護はほとんど源氏
室町時代ならばともかく鎌倉時代の守護は、
梶原、安達、大内、山内首藤、佐原、宗、後藤、少弐、大友、島津、小山、比企、千葉、八田、葛西・・・
と源氏以外の方がむしろ多いくらいですよ。
嵯峨天皇時代に検非違使が創設されて以前に設置された弾正を名乗る守護大名は結構いますよね?
律令制の役所ということ、「尹」という官名から蘇我氏の傭兵的な立場にあった東漢氏(実際には朝鮮渡来の複数の小集団)
との関係がうかがえます。
で、将門が神託を受けたことになってる神社って、どこなの?
(どこの巫女)
総社神社?八幡八幡宮?
上野の一ノ宮は貫前神社だけど
789 :
日本@名無史さん:2010/01/24(日) 01:20:25
平将門が主役で面白い小説ありますか?
北斗の拳のラオウは明らかに将門をイメージして作られている。
ただし、途中から全然違ってしまったけれど・・・
791 :
日本@名無史さん:2010/01/24(日) 16:24:51
司馬遼太郎の「北斗の人」は千葉周作伝だけれど、
将門や妙見信仰を強く意識して書いている。
793 :
日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:39:52
啼くよ<794>うぐいす平安京
795 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 08:37:49
吉川英治さんの小説の評価はどんな感じですか?
796 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:34:08
>>788 茨城県の大宝八幡宮
この神社ホームページ持っていて、由緒にもそう記載しているよ。
797 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:34:53
798 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 22:18:44
799 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 13:04:09
ほほー
800 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 17:46:49
太っ腹な親分肌だけど、
政治的な身の処し方になれてなかったのでは?
はじめは桓武平氏の名門としての誇りもあった。
しかし関東の純朴な原住民に接しているうちに、
同情してきたんだろう。
関東支配なんてとんでもない。
横暴無知な朝廷とのあいだに立って、
原住民の生活を向上しようとしたんだろうなあ。
「平家物語」
それは・・平屋の家であった。
by 藤子.F.不二雄
802 :
日本@名無史さん:2010/06/26(土) 16:49:19
加藤剛の息子は小次郎
山口崇の息子は太郎
803 :
日本@名無史さん:
話題がないね…