衝撃的事実 士農工商はなかった 武士は誰でもなれた
士農工商はありませんでした
武士には誰でもなれました
(みのもんた司会のクイズ番組でそう言ってました)
2 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 08:15:45
社員には誰でもなれた
3 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 08:45:08
まあ拡大解釈だろ。
4 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 08:46:22
武士株な
5 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 08:47:26
>>1 士分の株ってやつ買うってのは
時代劇でお馴染みじゃないのか?
いまさらって感じがw
安田 善次郎や樋口一葉の伝記にも書いてるし
武士身分の生まれでなくても武士になることは可能だった。
しかし武士になりたいと思った者すべてにチャンスがあったわけではない。
またそのチャンスを生かせるかどうかもかなり狭い道。
ただし株の話は別としても、藩によっては下記のコースはあり得た。
百姓の次男以下→臨時雇いの足軽・小者等→精勤→正規の足軽
更にそこから本格的な下級武士に昇進する者も希には居た。
7 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 09:38:34
世襲制度みたいなのがあったらしいな。
武士士っていうのは今でいう自衛隊などの公務員か。
8 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 09:47:11
士農工商という身分制度はありませんでしたってのはある意味そうである意味そうでない
実際にこの士農工商の中に入っている人たちは貴族や武士などの姓持ちとその他大勢の百姓
これが問題になったのは部落問題なんかにありがちな士農工商に入ってなかった人たち
江戸幕府までは構成員として意識していなかった人たちがいきなり国土や国民という概念の導入に
よって日本国民にされてしまった問題を取り扱うときに。。。まあいいか
百姓身分から武士なるのは、町人からなるよりは広い道だった。
あくまで比較的楽というだけだが。
武家奉公人でも百姓は良いが町人は駄目という場合も多かった。
下級武士の結婚相手として百姓は良いが町人は駄目という藩もある。
むろんどっちも駄目と言うところも多いけど。
10 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 11:39:51
武士は農民から産まれた、地主が武士、小作人が足軽
武士が農業をすることは認められていたが商業するのは卑しまれた
今でもバイト・派遣から正社員になることが出来るが
だから格差がないというわけではない
11 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 12:58:04
百姓町人から武士になった例はごく稀なケースでありほとんどの百姓町人は死ぬまで百姓だった
武士になる手段も金か学問か剣術に限られた
12 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 13:10:21
武士・・・正社員
足軽・・・派遣社員
フリーター・・・農民
ニート・・・無宿人
13 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 15:05:58
14 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 15:26:36
>>12 農民がフリーターなら
日本人の95%はフリーターな時代だったわけだ
15 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 16:10:12
16 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:01:39
あほだなあ
実際には上級武士と商人が金持ち、豪農、職人、普通の農家、小作人と続いて下級武士は最貧民だったのに
17 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:16:35
いつの世も金持ってる奴が強い
18 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 20:06:00
勝つ回収?
19 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 20:59:49
御家人株の取得や養子縁組以外で百姓町人から武士になったのは学者が一番多いのかな?
20 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:14:57
下官人になって官位をもらう
21 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:18:54
>>19 医者とかな
御殿医なんて百姓出身でも、その辺の大名より官位高いから
大名は御殿医に会うと礼をとらなきゃならない
大名はそれ嫌だから江戸城で御殿医に会わないようにしてたらしい。
江戸時代は細かい領土替えが多くてその都度、自主退職・解雇・新規採用が非常に
多くあったと思われる
うちの近所に国人クラスの武士の子孫である百姓がいて、あるとき、どっかの藩の
飛び地の領地になったとき、新規採用されて在地の代官みたいな職に就いていたし
>>18 5代かけて農民→高利貸し→検校→旗本→伯爵、とクラスチェンジしてるな。
こういうのは朝鮮半島やインドではあり得ない。中国では王朝が交代する時に時々ある。
日本の身分制度は動的、朝鮮半島やインドは静的であるとも言える。
半島でも科挙受かったり系譜詐称したりで、李朝末期には両班階級がやたら多くなってなかった?
25 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:24:58
農民と一言で括るのは乱暴だぞ
豪農と小作人では天地の差があるんだから
26 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:30:09
例え武士であっても関白太閤様には頭をさげなきゃならねえ。
27 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:33:08
秀吉のころはまだ兵農未分離
28 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 10:10:00
半島は両班乱発してた
インドはカーストで一生固定
朝鮮は両班でないとそもそも科挙の受験資格さえない。
中国の場合は平時でも下記のコースはあり得た。
貧農の小せがれが食い詰めて都会に流れてくる→
運良く商売で成功→土地を購入地主となる→
息子に家庭教師をつけ学問をはじめさせる→
曾孫くらいの代になると前歴など忘れられ立派な士大夫→
玄孫あたりが科挙合格→宰相に出世→めでたく爵位を貰う。
また裏口だが金を積めば直接知県(市長クラス)くらいにはなれた。
30 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 10:30:30
>>24 > 李朝末期には両班階級がやたら多くなってなかった?
いや、両班階級出身者が一番多いのは現代だろ。
日本の植民地になって一番損をしたのは王族と高級貴族以外の両班階級であって、庶民は平等に扱われるようになって
得したはずなのに揃って日本を非難しているところを見ると、今の韓国人は在日も含めて全て両班出身者で平民はみんな
日本軍に入って戦死して死滅してしまったみたいだから。
32 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 11:15:49
姓を持っているのは公職者
それ以外をまとめて百姓と呼ぶんだ わかるかい?
33 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 13:04:51
>>9 そんな話は聞いたことがない。どこの藩の話?
34 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 13:06:09
そもそも、百姓と町人では比率が違いすぎるんじゃあ?
百姓は人口の9割いるけど、町人は武士以下しかいない。
そもそも百姓と町人の区別は行政的なものだけ。
身分的な区別はない。
36 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 15:14:19
幕府代官所手代になるのは百姓の次男三男が多かったらしいが、抱入伺いには
江戸市中の町人(地面持ち)が請け人になることが条件で、それが済んでから
幕府の人別に入り代官所に配属された。
37 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 21:44:35
なにが行政的なのものだけだよw
それもひつこくコピペして気が狂ってんのか?
ここで仮に行政的なものとすれば、それはすなわち制度としての動かしがたい差別区別があるということw
38 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 21:52:45
>>37 行政的ってこういうことだよ、無知さん。
・住民登録が町なら「町人」
・住民登録が村なら「農民」
39 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 21:54:24
>>35 上下の関係はないけど身分としての区別はあるよ
40 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 21:56:45
つまり、
・町に住んでたら農業やってても町人
・村に住んでたら商工業やってても農民
41 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:03:11
>>39 「町に住んでる身分」「村に住んでる身分」という違いはあるね。
あと、農民には4割〜7割程度の年貢を課したけど、
町人にはそのような税金をかけてない。
(金持ちだけに些細なの売上税をかけただけ)
あと、町人は転居自由だけど、農民は逃げると武士が
追いかけてきたという違いもある。
42 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:05:46
町人は地所持ち
43 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:10:19
44 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:15:46
違わないよ。
登録って・・・・
岡山藩支藩鴨方藩池田家(幕末期)の徒27名の妻の実家
百姓17名、町人1名、徒1名、岡山藩士5名、岡山藩陪臣2名
※過半数が百姓と縁組み、同輩との婚姻は意識的に避けたのか少ない。
※閉鎖的婚姻集団だった幕府御庭番とは対照的。
同時期の士分以上の場合はほとんどが武家相手、寺社と医師が少数、百姓・町人皆無。
松代藩真田家
侍層は百姓から養子を取ることはほとんどないが、徒ではかなり例がある。
規定上も町人ならともかく、帯刀百姓からの養子は問題なかった。
なお松代藩は藩御用の百姓・町人に毎年数名帯刀を許し、他藩に比べ帯刀百姓は珍しくなかった。
津山藩松平家
城下近郊の山北村ではほとんどの家が武家奉公に出ていた。
足軽奉公は本百姓・中農が多く、中間は名子・零細百姓が多い。
戸主が多いが親子が別の名字で奉公している場合もある。
十代後半で奉公をはじめ中間→足軽・中間小頭→足軽小頭と昇進するが、
そこから徒への昇進は希、規定上は足軽奉公55年で徒格。
足軽・中間小頭は奉公期間限定で名字帯刀。
足軽は中間よりは継続して奉公する傾向が強いが、必ずしも実子に後を譲らない。
どうやら本業の農業経営で人手が余ると奉公に出ていき、人手不足なら辞めたらしい。
岡山藩池田家
城下近郊の津島村の枝村新野の場合持高15石以下はほとんどが武家奉公を実施。
15〜30石は家族のみ、30石以上は下人を使用、どちらも農業に専念。
※この村の場合は武家奉公は農業だけでは食えない貧農の副業なのか?
磯田道志著「近世大名家臣団の社会構造」東京大学出版会より
※は個人の感想
47 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:22:56
武士は、「町」の治安は守るけど、
「村」は野放し状態だったって違いもあるよ。
村では盗賊がいようがお構いなしだったらしい。
町では10両の盗人も逮捕死罪だったのに。
おかげで、農民が町に出てきて犯罪を起こすことが
幕末に頻発して武士は四苦八苦だったとか。
48 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:27:40
>>46 っていうか「徒」って足軽?
卒といえば、明治に平民以下って言われて、すぐ制度消滅したくらい
馬鹿にされた身分なのに。
49 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:28:51
徒は足軽とは違うでしょ
50 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:30:54
>>9の話って「徒」の話だったのかよw武士じゃなくてw
ちなみに、武士は武士の中でも100石なら100石同士、50石なら50石どうしって
かなりせまーい範囲で婚姻してたから、そもそも百姓町人なんてお呼びじゃない
んだよ。
51 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:34:17
下級武士はその限りではない
津山藩の場合足軽は百姓は容認、町人は忌避。中間は町人も容認。
17世紀では徒も一代抱えの傾向が強かったらしい。
一般的に徒の世襲が公認(現状追認)されるのは18世紀後半らしい。
久留米藩は徒どころか通常は士分の最下級である中小姓まで一打抱えだがこれは例外。
大道寺藩は一代足軽(百姓・町人からの取り立て)の子弟を徒以上の養子にすることを禁止。
54 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:39:51
徒は武士ではない。藩士とはほとんど結婚してもらえない身分。
ていうかもともと百姓上がりなのでは?
55 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:42:20
幕府の御徒士も一代抱えだが武士だよ
56 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:43:07
広い意味で武士(武芸者)でも、藩士じゃない。
平戸の松浦家あたりは徒は儀礼上町人・又者と同格らしい。
普通は士分とは断層があっても足軽や町人と同じ扱いってのは珍しいらしいが。
58 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:50:38
町人で武士になったのって元とび職とかばかりらしいよ。
町人は頭脳労働が多いから、体力があまりないらしい。
だから、足軽みたいなのに必要とされる運動能力があまりない。
武士も平和すぎて体力があるやつが少なくなってたから
外から雇ったのだが。百姓は、肉体労働なので、
そのへん問題なし。
60 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:56:20
ウンザリ・・・
足軽は、犯罪者確保、籠もち等の現業肉体労働だからね。
62 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:05:07
足軽は一般武士より、背が高く、がっしりした体格の人ばかりだったらしい。
体格採用でしょう。
変な人がまぎれてるよ〜
江戸後期の徒は事務職だな。まあ市役所の事務員さんってところ。
で威張るだけで事務能力のない平士(馬廻級)は徐々にお飾りになり、
結局余り威張れなくなって、待遇も多少は改善された。
65 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:08:57
>>64 んなことはない。藩によって違うのかもしれないけど。
江戸時代に事務なんてほとんどない。仮にあったとしても
そういういい仕事は代々の武士がやるので、
一代採用のやつは、犯罪者確保とかの一般武士がやりたがらない
不浄職をやらせるために雇うんだよ。
農民が足軽になって、犯罪者確保役をやることが多かったらしい。
もちろん幕末の話。
67 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:12:46
事務なんてオイシイ仕事をわざわざ人を雇ってやらせるわけないだろw
武士自体が生活に困窮して内職したり、脱藩して職人や零細商人に
なったりしてるくらいのに。
68 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:20:29
旗本様だって、与力なんていやーな仕事をしてるのに、徒が事務って(笑)
69 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:37:14
70 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:38:54
>>68 もしかして幕府の諸組与力のこと?旗本が?
71 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:49:15
>旗本様だって、与力なんていやーな仕事をしてる
(笑)
72 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:07:29
>>70 奉行所付の与力って・・・旗本じゃないしねぇ
まちがったっ!
>>73 奉行所付の与力って・・・旗本じゃないしねぇ
75 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:13:10
76 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:18:18
300石取りでも与力なのに・・・って言いたかった。
77 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:18:35
家柄優先の政治は必ず倦怠と衰退を生み出す
2200年前の秦のほうが近代的だな(秦は手柄を上げれば、法に基づき外国人・罪人・民衆でも褒美や爵位が与えられ出世の道が開けた)
78 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:31:57
江戸幕府のほうが近代的だろ。
武士なんてアレみんな家柄無視じゃん。
>>78 アホ?
徳川家康は荒れた戦国時代を目の当たりにしてきた
木下藤吉朗みたいな、成り上がりが出てこないように
家格超重視の身分格差固定で、民衆をがんじがらめにしたんだよ。
だから超封建的な、格差町社会を作り出したんだよ。
下層民衆が山っ気を起こさない為には、当時はそうするしかなかったんだけど・・
ではちみは、三河武士団に家柄があるとでも思ってんのか。
三河武士団が秀吉以上だとでも?
まあ秀吉も成り上がってから身分固定した。刀狩して。
家康も成り上がってから身分固定したわな。
成り上がり者は近親憎悪があるからな。
徳川家康「郷村の百姓どもは死なぬように生きぬようにと合点致し修納申付るように」
>>80 だいたい秀吉なんて、まだ尾張の素性のわからない出自だしね。
その点家康三代目前ぐらい前から、三河武士団はしっかりした家柄がある。
家康も怪しいが、その家来の三河武士団はもっと怪しい。
秀吉並のやつも大勢いる。信長の家来とかそれ以下も怪しい。
前田とかそれ以下とかな。江戸時代の武士の7割は愛知出身者。
そいつらが譜代大名やら旗本やら、江戸幕府の主要な地位をしめたわけで。
江戸時代に維新があって、維新後徳川家中心に血筋の怪しい連中内部で
身分固定したわけだ。
高家とかの例外があるとはいえ、基本は家柄ではなく、
江戸初期の勲功による経済水準(石高)で子々孫々まで身分固定だな。
85 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 02:23:40
>>83 >江戸時代の武士の7割は愛知出身者
多いのは確かだがちょっと大杉
>まあ秀吉も成り上がってから身分固定した。刀狩して
>江戸時代の武士の7割は愛知出身者
>武士というか大名の7割が愛知出身だろ
・・・・何これ?
>>86 何もヘッタクレも無くて、江戸時代の大名の7割が愛知出身
愛知県なんて無いぞ
89 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 10:13:57
鎌倉や室町の時代には関東武士ばかりといいたげなスレだな
90 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 10:14:58
武士の7割が中日ファン
91 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 11:32:37
武士にも色々な種類がいるわな。
主を持つ旗本、藩士、後家人など。
また主を持たない武士は浪人や剣客商売で生計を立てていたらしい。
道場に入門し、藩に推薦された浪人も中にはいたのだろう。
例外もあるが一般に士分は算勘の出来る人材に乏しく、
その手の能力が必要な職にはある程度下の身分から登用せざるを得なかった。
株購入での徒クラスへの流入はそう言う意味で仕方なく容認されていた側面もあるらしい。
93 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 11:40:11
>>87 まだそんなこと言ってるのかよ
じゃあ武士の起源は大阪になるよ
94 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 11:53:27
まとめ
士農工商という身分制度はありませんでした
武士は誰でもはなれませんでした
ということでOK?
>>92 じゃあ、商人系有利だったんだな、事務職は。
百姓なんて算段はおろか、文字も読めないし。
織田信長の人材登用でも、官吏系は商人系を採用してるね。
松井友閑とか。軍団系は百姓系。
96 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 13:10:55
勘定・算用の武士はどこも下級武士だよ
勘定方ってけっこう花形だよ
大蔵省だから
98 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 13:35:37
大蔵省ではない
株購入できるくらい金を持っていると言うことは、
金勘定・金儲けが得意である可能性が高いって言う考え方も出来るな。
出自が農民・町人だろうと、勝海舟のご先祖みたいに盲人だろうと。
102 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:01:05
旗本株を買うという表現はおかしいな
持参金を持って婿入りするという表現の方が正しいか
その後もいろいろと本家から支援してもらってるっぽいしな
勝海舟のご先祖って男谷検校のことだと思うが
検校になってる時点でただの町人ってわけじゃないからなw
103 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:29:50
>持参金を持って婿入りするという表現の方が正しいか
だからそういう行為を「株を買う」と表現したんだよ。
まるで株のように武士の身分が売り買いされていると。
104 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:41:00
株の売買と違って、養子になってなおかつ娘さんとか血縁者を嫁さんにしなきゃなれないんだぞ
当時の女性の人権がいくら低いからと言っても株の売買とは少々意味合いが違うと思うがね
105 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:46:34
106 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:54:09
あのクイズ番組は勉強不足だよ。例えば
昔は稲作は弥生時代から→縄文時代から稲作があった
しかしこれは考古学界では30年前から2年前までの見解だ
今は稲作=弥生で弥生の始まりをBC3世紀→BC10世紀に変更
107 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:56:59
>>104 だからそういう行為を「株を買う」と表現したんだよ。
まるで株のように武士の身分が売り買いされていると。
これ以上の説明はいらんよw
なぜそういう表現が定着したのか、もう一度よく考えてそれでも納得いかないならスルーしとけw
108 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 16:59:14
持参金は嫁(婿)の婚家での待遇を保証するためのものでもある。
109 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 18:44:55
>>106 それも間違い、水田稲作の始まりね。
陸稲はそれより遥か以前(縄文前期)から入ってきている。
110 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 18:47:55
持参金は財産の生前贈与目的だよ。
江戸時代、家は男子しか継げなかったが、
女子には嫁入りのときに持参金を渡したんだ。
スレ違いだけど大名家同士の養子取りで持参金の額を巡ってあれこれやりとりして、
結局持参金の額の方が決め手になって年齢の希望を取り下げた話を読んだ。
当主の急死の場合は別として養子市場は買い手(と言う表現はやや不穏当だが)有位だったようだ。
112 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:17:18
武家の持参金付き養子縁組とはちがうけど
高額の持参金は一般的には簡単に離縁されないため、嫁ぎ先で不当な扱いを受けないため。
離縁するときは持参金は全額返還しなきゃならんから。
113 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:38:42
武家諸法度に宝永七年に加えられた一文
近世の俗、婚を議するに、或いは聘財の多少を論じ、或いは資装の厚薄を論じ、
甚だしくしては貴賎相当たらざる者、婚をなすに至る。これらの弊俗一切に禁絶
すべき事
114 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:47:54
武士が農民や町人を自由に切り捨てる権利を保障されてたのは有名だけど、
農民は町人を自由に切り捨てる権利は保障されてたの?
農民は刀の所持を禁止されてたから、鎌で斬り殺してたのかな?
あと、公家や僧侶は士農工商に入ってないけど、これよりも下の階層だったの?
町人は公家や僧侶を自由に切り捨てる権利を保障されてたのかな?
115 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:50:05
>114
>武士が農民や町人を自由に切り捨てる権利
そんな権利は無い
農民も脇差や刀で仇討ちや復讐やってるよ
116 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 20:43:00
たしかに百姓も町人も脇差で殺したりしてるな。正当防衛であればお咎めもなかったようだ。
百姓一揆の時は刀脇差類はあえて持たないのが作法だったらしいが
足軽の場合は一般的にいかなる場合であっても百姓・町人の切り捨ては認められなかったらしい。
まあ正当防衛は別の話になるんだろうけど。
逆になまじ宮仕えなため(軍法?)に、切り捨てられる基準が百姓・町人より緩かったらしい。
118 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 00:13:04
相撲界における親方株のようなものだろ
先代の家族を養う条件で親方になってたのが金銭譲渡に変わった
旗本も無役が代々続くと困窮していたからね
榎本武揚なんか父親が榎本家に婿養子に入ったんだけど
後妻との間に生まれてるから榎本家の先祖と血は繋がってないし
119 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 00:52:28
>>114 士農工商の農工商は偉い順ランキングじゃないよ。
帯刀と刀剣類の使用は別問題だからね〜
121 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 03:19:32
どうでもいいけど、商家の用心棒は泥棒を切りおとしたりしてたけど、
用心棒は武士なの?
切り落としても泥棒を斬りおとすのは罪にならないんだっけ?
正当防衛だから?
124 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 08:55:50
江戸時代も中期以降になれば市場の規模も決まってしまっていて
武士はスタグフレーションに悩まされるとともに超リストラ社会に突入するわけだ
物価は上がるけど給料は昔のままあがらない、なんかあるとすぐ減俸や切腹
125 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 11:45:01
江戸時代にスタグフレーションって、どんな状態だよw
126 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:35:41
>>125 おまえの先祖は百姓だったから知らんのだろ。
ちなみに武士と同じく農民の給料も変わらないわけだが、
農民は村から一生でないで耕作したもんを食うだけの
非文明人なので、町の物価があがっても関係ない。
そもそも金なんて死ぬまで目にすることはなかっただろ農民は。
127 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:37:51
バカ息子がいる家は減俸
佐賀藩の教育政策は素晴らしかった
優れた農民の子息が武士になれたのだ
佐賀藩こそ日本の平等思想の草分け
128 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:39:35
126の農民の給料って、取れた農作物の数ってことね。
130 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:41:02
武士が困窮して必死で脱藩するなか、必死で武士になろうとする農民って低知能なの?
131 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:43:58
ちなみに農民が結構豊かな生活ができていた地域が多いんだが
これらは税金対象にならない作物だったり高く売れる作物を作ったりしていたり
内職などに励んでいたりということで都市部の物価が上がってもそれなりの収入を確保できていたからだな
132 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:45:52
>>130 鍋島侍従の家来で困窮で脱藩した武士がいたの?
133 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:46:52
134 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 13:06:12
>>129 百姓発見。おまえは永遠に田舎に引きこもってろよ。
135 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 13:07:53
>>131 多くない。非常に少ない。
飢えた百姓が町に出てきて、町人の蔵を襲ったりして、
取締りの武士が足りなくて困ってた。
これは日本の中でも豊かな大阪の話だよ。
136 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 14:43:17
>>133 金のために芋虫わしづかみにできる田舎者きんもー
>>135 真偽の程は不明だが、大阪の人口35万人の内、与力60騎、
同心100人程度の武士しかいなかったらしいね。
138 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:20:12
139 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:27:08
>>137 大坂城代の家臣や大番衆、諸藩の武士もいるだろ
140 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:33:29
141 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:35:49
金産む芋虫に様づけしてきんもー
142 :
日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:36:40
金になるなら芋虫にも「お蚕様」とか様づけする薄汚い田舎者きんもー
145 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 00:29:18
農民はリアル武士を知らないからなあw
146 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 04:44:29
http://izanagi.iza.ne.jp/blog/ ↑武士の起源は高麗からの渡来人↑勢力に端を発しています。
関東平野は高麗からの渡来人が多く住み着きました。
高麗渡来人は剣と馬を巧みに操り、武闘集団を形成していきました。
そして武士の祖と言われる足利氏の台頭によって武士社会が出来上がったのです。
ですから足利氏は高麗系武闘集団であったといえます。
日本は全て渡来韓国人が形作った国なのです。
147 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 09:25:56
渡来人=韓国人ではないと何度。。。
×渡来韓国人
○朝鮮半島系を含む渡来人
当時韓国なんて国はない。
高句麗と現在の韓国の関係は第一尚氏琉球王国と現日本国の関係と同じ程度の関係しかない。
149 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 10:55:47
武士になれた人たちも武士になりたかったかどうかは別のお話
150 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 01:18:53
戦国時代、全員が全員武士にはなりたいと思わないだろ
刀や槍でやられて死ぬの嫌じゃん
痛いし
戦国時代は村同士で合戦していたらしい 村同士で合戦が起こると同盟している他の
村々も参戦する だいたい敵の敵は味方って感じ 一箇所で始まると一郡〜一国巻き
込まれてしまう 土豪〜国人なども引きずられて参戦することになる(一方的に合戦を
止める力はない)
よって、この時代。。。というか中世は否が応でも誰でも武装しなければならず、いざ合戦
が始まると武器を持って戦わなければならなかった
武士と百姓と区別がつかない いったい誰が武士で誰が百姓なのか? 所有している
農地の広さで決まるのか? 足利将軍や守護の認定があれば武士なのか?
152 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 06:44:25
将軍または将軍に委任された地方統治者の認証があって初めて武士となる。
現代でもそんな武家団体が数社ある。
153 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 08:15:33
154 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 09:40:30
そもそも武士っていつ頃から武士って言い出したんだ?
源頼朝は武家の棟梁と思われガチだが実際には中央の官位を気にしていて公家っぽいし
足利家も武家の棟梁というより公家に近いよな
秀吉が刀狩するまでは武士という身分は確定しないのはわかるんだが
武装公家と武家って区別されていたんか?
155 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 14:51:38
武士とは大衆見識からの比較論概要ではなく、あくまでも統治者からの認証制度によるものである。
156 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 15:01:51
江戸時代からは公家も武家も一緒くたんだ。
武装公家は武器を持ち敵と戦うことで作家流には武士として描かれるが元々公家は政府公認の政治家であるため現状は百姓(帰農)をしていたとしてもけして武士以下には成りえない身分である。
157 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 15:16:11
>>154 >秀吉の刀狩り
刀狩りなんて関係ないよ
158 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 08:43:06
なんで江戸時代に士農工商に別れたと思い込まされてたんだ?
そこらへんの説明希望
159 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 09:16:37
平安の中頃から、農民の親玉が首領になって、徒党を組んで縄張りを守る様になったのが、地方の武士の始まり!と詠んでる。
160 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 11:19:28
ていうか、農民=兵卒、武士=士官だろ。江戸以前は。
兵卒は農家と兼業。
162 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 14:57:26
洋の東西を問わず、通常軍隊で士官は貴族扱いだ
それ以外の立場の人間とは食事も一緒にしないし待遇に明らかに差がある
出世するのも当然この立場の人間
それを武士と呼ぶのか貴族と呼ぶのか他の名称で呼ぶのかはその国とその時代の問題だな
163 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:08:33
武士が貴族なわけないだろ。アホかよ。
武士で貴族なのは、貴族並みの爵位があるやつのみ。
徳川御三家前田家の当主のみ。
軍隊でも将官だけ佐官や尉官は違う。
そもそも日本じゃ軍人は貴族という風習はないから誰でもなれる。
164 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:12:34
そもそも貴族は1万人に1人以下なのが普通。
武士みたいに100人に10人いるのが貴族なわけないだろ。
イギリス貴族をイメージするから一部の有爵貴族だけを貴族と考えることになる。
実際のヨーロッパでは爵位を持たない貴族の方が多かったし、
東欧などでは貴族が人口の10%を超える国もいくつかあった。
と言うかイギリスみたいに貴族が限定されている方が希で、
イギリス式に言うジェントリィは貴族に含んでいる国の方が多い。
スペインなど地方によっては貴族の方が平民より多い場合があり、
村民のほぼ全員が貴族である村まであった。
つまり貴族であるという事実以外になんら卓越性がない貴族も多かった。
そう言う基準で言えば薩摩の郷士も貴族といえよう。
166 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:35:18
貴族といったら平安貴族や英国貴族しかイメージできないのか?
イギリスを除くヨーロッパの貴族は、騎士クラスの爵位のない小貴族まで入れたら、
貴族はたくさんいるぞ。
ユンカーとかシュラフタなんて、日本なら武士だろう。
まあ、日本の武士の場合、徒士とか足軽は単なる兵卒だろうが。
167 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:55:26
>実際のヨーロッパでは爵位を持たない貴族の方が多かったし
それは貴族ではない。
168 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 00:02:15
>>166 ユンカーやジェントリは500石以上級の武士だよ。
>>165 平民より貴族が多いという言葉自体がナンセンス。それは独身貴族みたいなのと同じたいして意味のない言葉のアヤにすぎない。
貴族という意味自体意味なし。
欧米人の書いた日本の本でも貴族は公家のことのみを指している。
あと、これは重要だけど、日本以外では、平民よりも奴隷が多い。
江戸と同時代の李氏朝鮮では、両班1割、平民4割、奴隷5割。
日本みたいに平民が一番下ってことはない。
平民自体、遊び暮らしていても生活ができるような階層だよ。
169 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 00:08:20
世界史上では、
日本の農民はロシアの農奴と同一視されてる。
つまり、日本の江戸時代のほとんどの農民は奴隷階級。
ヨーロッパだってそうだよ。貴族(特権階級)と、
ブルジョワ(町人=自由民=平民)、農民(農奴)。
日本の農民は正式な土地持ちではなく、形式上、
武士に使役される者だからね。
農地から逃げると武士が追ってくるし。
168=169がモノを知らないってのは、よく分かった。
>ユンカーやジェントリは500石以上級の武士だよ。
ユンカーやジェントリ(?)って全く知らないけど500石以上級の武士にしとこう。
(俺様基準。反論は許さん。500石という数字の根拠?気分だ!気分!空気嫁!)
>欧米人の書いた日本の本でも貴族は公家のことのみを指している
誰の書いた本?
>平民より貴族が多いという言葉自体がナンセンス。それは独身貴族みたいなのと同じたいして意味のない
>言葉のアヤにすぎない。貴族という意味自体意味なし。
どこかで聞いた話だと思ったら↓で思い出したw朝鮮限定の話だねこれ。
>あと、これは重要だけど、日本以外では、平民よりも奴隷が多い。江戸と同時代の李氏朝鮮では、両班1割、平民4割、奴隷5割。
>日本みたいに平民が一番下ってことはない。平民自体、遊び暮らしていても生活ができるような階層だよ。
古代の話なのか中世の話なのか近世の話なのか…
日本以外って、朝鮮=世界?
あと、日本みたいに平民が一番下ってことはない。 という168の素人妄想の日本社会観が想像できない。
来る板間違えてないか。
>世界史上では、 日本の農民はロシアの農奴と同一視されてる。
>つまり、日本の江戸時代のほとんどの農民は奴隷階級
半世紀前の思想だね。169の歳が気になる。もしかして団塊の世代?
>日本の農民は正式な土地持ちではなく、形式上、武士に使役される者だからね。
>農地から逃げると武士が追ってくるし
ソースは時代劇?
171 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 03:24:26
実態としてジェントリーに相当するのは庄屋だと思う
何でも鑑定団でも「庄屋のお宝は間違いない」と言ってるでしょ
殿様の次に財産持ってるのは庄屋だよ
武士団と村とは上下でなく横の関係と見た方が正確だろう
決められた量の年貢は差し出すが村の中は自治
中世の村同士の合戦で片一方の村がもう片一方の村を完全に征服することは
あったのか?
もしあったとすれば・・・・・家康の系統の松平家なんてこんな感じでのし上がって
きたのかもしれんな
173 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 04:47:54
例外はあるが、兵農分離されるまでは、武士=農民と考えても差し支えはないと思います。
174 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 05:19:01
175 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 05:26:42
農民って作った米の半分とられてたんだろ
176 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 05:57:47
>>174 足軽でも一番槍や兜首を挙げれば石が貰えるよ
>>167 > >実際のヨーロッパでは爵位を持たない貴族の方が多かったし
> それは貴族ではない。
その認識は間違い、貴族に爵位は付き物ではない。
近世以降に英国式爵位を導入するまで爵位そのものがない国もあるし、
有爵貴族は上級貴族の一部を占めるにすぎない国もある。
一部の無爵貴族は下位の有爵貴族より社会的にも儀礼的にも上位である国もあった。
日本の貴族に対するイメージはどうしても英国と華族にとらわれがちになるが、
あれはむしろ例外に近いと考えた方がよい。
旗本や藩主一門・家老等門閥藩士程度は世界史的に見れば貴族の内だろう。
庄屋ですらない名ばかりの郷士まで貴族と言えるかは微妙だけど。
179 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 10:24:25
学問板というのはこういうネタっぽいスレすら議論の場にするからすごいな
士官クラスが特別扱いってのは現代でも同じだね
特に大佐以上の階級であれば外国の軍隊の士官でも敬礼をしなきゃいけない義務がある
軍隊でなくても近頃評判の悪いキャリア官僚なんてのはその名残
昔からエリートとそうでない人間を区別してきた名残だな
それが出自で選ばれていたのか、試験で選ばれていたのかの違いがあるだけだ
180 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:24:46
庄屋って取れた米の半分を武士に取られてただろ。
要するに中間搾取人だよな。
ジェントリはほんとの地主で、米を半分取られたりしてない。
181 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:25:53
>何でも鑑定団でも「庄屋のお宝は間違いない」と言ってるでしょ
聞いたことねー
庄屋の系図はほとんど偽者だし
金があるってだけならもっとほかにもいそうだ
単に田舎だから、戦災で焼けてないってだけだな
182 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:35:53
>>170 おまえはあまりに無知すぎて話しにならない。
183 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:38:15
184 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:52:53
なんでギリシャローマの哲学者が平民(市民)なのに
遊んで哲学史ながら暮らせたか知らないのかねえ?
ヨーロッパでは、貴族>市民>奴隷があたりまえ。
近世になって、農奴がその奴隷になった。東欧とかロシアとか
すごいよね。農民の農奴っぷりが。
むしろ、奴隷階級という階級がなかった日本が異常。
普通の農民=奴隷、庄屋=奴隷と支配者武士の間にたつ奴隷頭。
日本は士農工商っていう江戸時代にはなかった制度が流布される
ようになってから、農民の感知がいっぷりがすごいな。
185 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:55:29
ドイツとかでも自治権有りの都市住民と、自治権なしの村の農民では
ぜんぜん違うのに。要するに自治権なしって奴隷ってことだよ。
186 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 11:57:21
奴隷階級のなかった日本では、農民のほとんどが世界史上でいうところの
奴隷になると思う。
187 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 12:01:04
農民なんて漠然と語ってるが本来は土地持ちと小作人を分けて考えないとねえ
188 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 12:21:52
>>186 日本には奴卑がいたろう、生口にされたりするんだ
189 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 12:58:12
エタ、ヒニンは、奴隷だろ。餌やれば何をさせてもいいんだからー
彼らの末裔が人権得て○落解放と騒いでいるんだろう…
奴隷じゃないっての。
ただの特殊技能集団だっての。
191 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 13:56:11
>>187 土地持ち=武士
江戸時代の土地は全部武士のもの
あとカースト制度でも、聖職者>貴族>平民>奴隷で奴隷が一番
多いよね。部落は1%未満しかいないから、
世界史基準でいう奴隷にしては数が少なすぎる。
小作は明らかに奴隷だろう。町でも無宿者は奴隷。
192 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 13:59:57
奴隷が平民以上にいないと、平民は遊んで暮らせない。
1%程度じゃあ、奴隷というより、単なる見せしめのためにいる
だけなんじゃないの。
平民が遊んで暮らせるってどこのパラダイスだよ。
じゃあ遊んで暮らせないお前のオヤジは奴隷かよ。
で、遊んで暮らせてるお前は平民かw
どうやって奴隷階級から平民階級に出世したんだい?
194 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 15:20:35
通称農民の中にもいろいろあるってんだ
土地は全部武士のモノだから全部が奴隷なんて乱暴な理屈だな
豪農と言われていた人たちや小作人ですら下級武士よりいい生活をしていたってのに
195 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 15:22:58
おまいら
一から勉強しなおせw
196 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 15:26:21
>>193 だから日本は平民でもいろいろだろ。金持ち平民は遊んで暮らせるぞ?
戦前はとくに。
197 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 15:33:28
日本は平民という言葉に奴隷も含むからな。
財閥も平民なら炭鉱労働者も平民。
金持ち平民=外国で言うところの平民・市民
貧乏平民=奴隷。
198 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 16:19:04
>>197 強制労働者でもない限り日本だろうがヨーロッパだろうが、炭鉱労働者は平民だが。
それを奴隷ってwあほかw
199 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 16:22:29
ヨーロッパでは炭鉱労働者は奴隷だったよ。
現在の話じゃないんだから、低脳(低農)じゃないなちゃんと読めよ。
あと現在の話すんなよ。現在は奴隷なんて制度のある国ねーだろ。
インドはあるか?w
200 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 16:44:25
>ヨーロッパでは炭鉱労働者は奴隷だったよ。
>ヨーロッパでは炭鉱労働者は奴隷だったよ。
>ヨーロッパでは炭鉱労働者は奴隷だったよ。
201 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 17:15:10
炭鉱労働者は安いながら賃金もらって働いていた労働者だろ
話の流れからすれば小作人とか水呑百姓に例えるのが正しい
欧州で炭鉱労働者が活躍していた時代にはまだリアル奴隷が存在してたはずだぞ
202 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 17:32:26
日本人が100人だとすると、90人が農民、90人のうち小作人や
水のみ百姓は60人から70人程度。人口の6−7割が奴隷っていうのは
世界的な奴隷の比率としても平均的なので、水のみや小作が奴隷って
いうのが正しいんだろうね。
203 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 18:32:22
金持ち平民>>>貧乏華族
なんか奴隷キチガイが巣くってるな。
そもそも社会形態が異なるんだから……
206 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:13:03
>>191 カースト制度のシュードラを奴隷と訳すのがそもそも間違い
商店を営む者がバイシャで店員がシュードラだ
江戸の農民は農繁期は忙しいが、それ以外は遊んで暮らせてた
農民が米を食えないというのも間違い
暴落を恐れ米を作りすぎない為または飢饉対策で雑穀を作っていた
なんでこうなったかというと武士の給料は米換算なんで
米価格の暴落を嫌ったから、
米を作るなって命令した将軍も居るし米価格も何度も暴落している
一揆は今で言うデモ行進、武器は持たない
それから江戸は意外と自作農が多い5割以上居たはず
ただ大地主の小作の方が生活は楽だったそうだ
208 :
207:2008/04/18(金) 01:19:25
江戸=江戸時代
ですだ、代官様w
209 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 01:52:46
士農工商は身分制度じゃなく職業区分だろ。
図的に書くと
天皇
皇族 摂関家
将軍家
公卿以上 上級諸侯
諸大夫 諸侯
官人 布衣以上および上級陪臣
一般旗本
随身 御家人および中級陪臣
資人 一代抱え 下級陪臣 名主・庄屋 大店の主人
奉公人 本百姓 商店主 頭領職人
小作人 奉公人 徒弟職人
210 :
209:2008/04/18(金) 02:17:37
おまいらに教えてあげるけど
身分というのは通婚できる階層のことだよ。
一代抱え 下級陪臣 名主・庄屋 大店の主人
↑
これらが同格なんてあり得ん 前二者は役場の非常勤職員(バイト)・役場の初級採用職員、
後二者は市町村長・大会社社長にあたる
今の叙勲制度でも初級採用だとよほど頑張って勲6〜8等くらい(バイトは論外)、後二者は
勲2〜4等は堅い 社会的責任、ステータスは天地ほどに違う
とにかく、オッサンのおまえらが数十年前に読んだ本はもう古い
新しい本を読めよ
213 :
209:2008/04/18(金) 07:24:20
あほか?
明治以降の気分でものをいううんじゃないぞ。
214 :
209:2008/04/18(金) 07:45:09
根拠として
掛屋の広瀬家は文化・文政期に新田開発と財政再建の功で黒田家より
下級陪臣相当の士分を与えられている。
広瀬家の本家は筑前の庄屋である。
215 :
209:2008/04/18(金) 07:49:54
>>211 三十表二人扶持の一代抱えの同心がバイトなのか??
216 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 08:13:49
>>211 お前頭大丈夫か?
一代抱えの手付・手代・同心が現代の役場の初級職員に相当するわけねーだろ。
数人の手付・手代・同心で人口数千人以上の行政を執行していたんだぞ。
庄屋請を知らねーのか?
お手先と勘違いしてるんじゃねーのか?
身分格式と権限は比例しないから同列に語ってもどうかとは思うけど。
極端な例だと団左衛門は五百石級の旗本より経済力有るし、
権限だってほとんどの五百石級旗本より大きい。
旗本がたまたま勘定奉行にでもなってれば別だけど。
218 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 08:55:46
★ 星野仙一氏 はサムスン選出聖火ランナー ★
★ 中国のチベット弾圧に抗議してボイコット・発言を!★
『言うべきことはいわなきゃだめですよ。
もう本当日本人、中国に対しても韓国に対しても本当に腰が引けてるね。』
と言ったのは星野さんあなたです。jp.youtube.com/watch?v=SWot8◆GKCfN0 (◆を除く)
<抗議先>
メール: info アットマーク tigersfanclub.jp 本社内にあるファンクラブ事務局
(@を付けて下さい)
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郵送:〒 6 6 3-8 1 5 2 兵庫県西宮市甲子園町1番4 7号阪神甲子園球場内
219 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 09:06:25
本当の奴隷の扱いをしらないから日本に奴隷が存在したなんてかけるんだよな
それは置いといて
士農工商は職業区分でもないだろ
ただ国が影響を与える範囲を概念的に示した言葉だと思ってたんだが
今で言う日本国民というのと同じ感覚
士農工商は江戸幕府の経済政策上の優先順位を表したものにすぎない。
身分制度でないことは農工商間で何ら身分上の区別がなかったことからも明らか。
士(=軍人・官僚)を最上位として、農本主義を謳い、商業を卑しんだ。
別に農民が商人よりも偉かったわけではないしね。
221 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 10:10:48
藩の財政助けている商人の力は相当強かった。
小藩ならなおさら
222 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 10:54:25
豪商ならば殿様よりも贅沢な暮らしをしていた時代だからな
223 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 11:04:37
それでも身分は下級陪臣並み。
224 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 12:19:39
日本の場合、身分が高くて得することなんてあるんか?
>>224 身分が高くないと無礼討ちされても文句が言えない。
226 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 13:13:08
無礼討ち(笑)
227 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 13:14:30
>>214 黒田家みたいな転封のなかった家だと徳川200ウン十年のあいだにそういう序列も
できていたかもしれんな 閉鎖的集団はそういう序列にやかましくなる
200年間、朱子学で洗脳されきっていただろうし
旧日本陸軍では陸大の○番目以内に入ってない卒業生が作戦課に配属されても
嫌がらせで部屋に入れてもらえなかったとかいうし、流動性のない閉鎖的集団って
のはえてしてこんな感じになる
>>216 徴税以外の業務(インフラ整備・警察業務など)はほとんど放置してただろうし、木っ端役人
数人で済んでたんだろう
229 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 17:39:54
黒田家から下級士分に遇された広瀬家って豆田町の広瀬家じゃないよね
鳥取藩の場合は成り立ちからほとんどの期間郷士は存在しなかった。
鳥取藩成立以前にこの地の領主は数度変わっており、
郷士的存在は旧領主の家臣になって転封に着いていくか帰農してしまったらしい。
江戸後期になって献金により名字帯刀の百姓から郷士になる例が出てくる。
金額は五千両とか七千両とか。
ほとんどは献金らしいが医療関係・反射炉建設に尽力・戊辰戦争で奮戦等功績による例もある。
また後期になると海防関係で藩士の次男三男厄介を登用して土着番士と言う制度が出来た。
これは土着しているが正規の武士であり馬廻=平士身分。
郷士の一部が、私兵募集や砲台建設の功績でこの土着士に登用されている。
また維新後郷士の少なくとも一部は士族となった。
231 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 20:57:07
農民や町人と武士の髪型ってなんで違うの?
っていうか、農民や町人はなんでサヤカキ剃ってたの?
あれって兜かぶったときに蒸れるから剃ってたんでしょ?
農民や町人は兜かぶる必要ないじゃん。
232 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:27:05
>>223 そもそも身分が高いってどういう意味かわからない。
財産もちなら身分高いんじゃないの?
公務員第一主義って田舎モンですか?
233 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:29:55
>>231 髪型が違うのは時代劇の嘘。
武士は勤め人(公務員)なので髪型が決まってて、町人農民は自由だったわけ。
で町人は今の人が髪型お洒落するみたいに好き勝手いじってただけ。
町人の髪型は武士みたいなのから変なのまで実際はバラエティに富んでた。
髪型が決まってたのは武士だけ。
234 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:31:20
町人がゆるーく結い上げてたのはオサレの一種。
235 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:34:06
>>224 なんの能力もないバカでも身分の低い人間を見下せて精神衛生上よい。
236 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:38:10
>>232 君には理解しがたいだろうけど
その田舎モンが封建時代に生きていたリアル日本人なんだよ。
237 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:11:33
>>235 果たして見下せていたのかどうかね?
江戸の安い蕎麦屋で、1杯のうどんを3人で分ける下級武士。
同じ蕎麦屋で食事する裕福でもない普通の町人が1人1杯蕎麦をすすりながら
投げかけられる哀れみの視線。視線。
京都大阪では遠慮なく笑われるよ。
田舎では武士は気に入らなきゃ百姓切り倒してもいいけど、
都会だと変なことをすると皆見てるからね。
238 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:30:37
貧乏武士が見下してる「つもり」でもなあ。
武士も石高収入によって「身分」が決まってるわけだし、経済原理は
痛いほど知っている。
織田2万石より、前田100万石のほうが身分は偉いのだ。
239 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:45:44
>>238 痛いぞ お前。
赤穂浪士を持ち出すまでもないが
匠頭よりも従四位下権少将の方が官位官職は上。
240 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:01:39
>>239 高家みたいな例外中の例外を武士の普通みたいに語るなよ。
前田家100万石のほうが織田2万石より官位も地位も扱いも上。
これがすべての武士で普遍的。
241 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:05:19
序列は徳川宗家将軍家との親疎と官位官職の上下で決定するのは
隠然たる事実。
242 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:10:07
加賀中納言と紀伊大納言の違いは分るか?
243 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:11:38
藩内の武士の職種が石高に左右されるのは常識だろ?
旗本だって、奉行になれる石高や、代官になれる石高が決まってるよ。
華族も厳密に石高だけで爵位が決まったしね。
どう言い訳しようと、”金持ちさ”が武士の身分を95%決定する。
244 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:15:38
ゆとり狂育の拝金主義者か。
農本主義の封建制は金・商を卑しんだのだぞ。
245 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:18:41
穢多の弾左衛門も苗字帯刀だったしな。
246 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:19:19
>>244 ていうか、そもそも士農工商って、経済力をつけた市民が政府を覆すことを
おそれて流布した「嘘も方便」だよ?
そんなの信じちゃってるわけ?
そもそも、商を卑しんだって言葉自体、明治以降の資本家と労働者の対立の
なかで貧乏人が大声で自己正当化するようになっただけなのになあ。
士農工商もそうだけど。江戸時代はそんな制度なかったのに。
そんなことも知らず、貧乏人根性丸出しで「金・商を卑しむ」なんて
妄想を信じている(信じたい)とは卑しすぎる。
247 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:21:07
>>243 馬鹿じゃねーのか。
石高は軍役の基準だろw
たわけww
248 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:22:23
ゆとりでもないのに知能が低い貧乏人のおまえにおしえてやるけど、
もともと「商」っていうのは、江戸時代以前は、大名や貴族が独占してたわけだよ。
江戸時代になって分業したんだな。徳川家が百姓上がりだったせいで。
249 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:24:25
>>247 おまえは単なる低脳か?
話しかけるなよ、低脳。
石高はもともと収入。収入にしたがって「軍役の基準にもなる」だけ。
これ以上は相手しないよ?
250 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:33:04
お前救いようの無い白痴だなw
「商」じゃなく「市」「座」の管理・徴税権だろが。
いつ大名や貴族が「商」ごときに手を染めた。
土倉や貸し上げを知らねーのか タコ。
251 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:34:08
朱印船貿易とかあったな
252 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:36:18
>>249 超低脳だなお前。
武士は軍人。
執政は軍政。
253 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:37:03
>>250 大名貴族は、貿易とか通商とかやってるけどねえ。
江戸大名ですら貿易でかなり利益を上げてるんだけど。
百姓は知らないかねえ?
江戸商人は普通に管理・貸し上げもやってるけどねえ、家賃取ったり?(笑)
もーいーかい。
254 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:39:34
>>252 バーカバーカ
おまえが書き込むとスレが穢れる
255 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:43:08
>>249 勉強して出直せ。まあ勉強出来る脳も無いだろうが(ぷっ)
例えば大名行列は厳格なる軍役に忠実に従ってる。
謀反・怠慢は武家にとってあるまじきことだ。
256 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:44:04
外国では貴族は商業やってるのが普通
イギリス王室でも今だにオーナー企業の社長だしな
257 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:44:28
258 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:45:31
259 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:47:23
>>254 超低脳のくせして俺様に歯向かうなんて恥知らずめ。
260 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:48:19
>>250 おまえの思う「商」って行商の話?
普通に商売してるけどね、信長の父とかさ。
あと信長側室の生駒家って大金持ちの材木商で有名な武家。
261 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:49:30
>>258 論説の一つも打てないのか?
超低脳www
262 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:52:53
263 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:58:08
おまえは武士が「商人」なんてしてないとかほざいてた百姓だろ?
百姓は田舎にいるからモノを知らないんだよ。
ただ恥ずかしいからここで教えてやった恩人なんだよ。
ちょっとは感謝しろよ。啓蒙してやってんだよ。
264 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:01:06
>>260 馬借上がりの生駒家は生駒騒動で寛永十七年改易。
265 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:04:34
信長の時代材木商なんかしてねーだろ。
嘘つくんじゃねーよ。
啓蒙の意味も知らねーで恥の上塗りwww
さて、このあたりで決着をつけてあげましょう。
>日本史学界では、古代日本には商人がいなかったとするのが通説ではあるが、
>これは古代日本に商業が存在しなかったという意味ではない。
>当時にも大規模な商業・流通網が存在したと推測はされるものの、
>それは主として豪族などの支配階層が従事・関与していたために商業を
>専業として従事する独自の階層が出現しなかったという意味である。
wikipedia「商人」より引用
つまり、大昔は商業は、豪族(=貴族)の独占だった。
267 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:06:35
>>263 俺様に直答するんじゃねーよ。
身の程知らずがwww
268 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:11:32
270 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:14:09
百歩譲って
どこにも「大名」「貴族」とは書かれていないが。
271 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:14:11
>>269 過去20年に渡り、日本で最も犯罪を犯している害人は「中国人」です。
年度 外国人検挙総数 中国人検挙総数 国籍別の検挙順位
平成18年 40128件 14170件(35%) 1位:中国
平成17年 47865件 17006件(35%) 1位:中国
平成16年 47128件 16950件(36%) 1位:中国
平成15年 40615件 16708件(41%) 1位:中国
平成14年 34746件 12667件(36%) 1位:中国
平成13年 27763件 12131件(44%) 1位:中国
平成12年 30971件 16784件(54%) 1位:中国
平成11年 34398件 15458件(45%) 1位:中国
平成10年 31779件 10451件(33%) 1位:中国
平成. 9年 32033件 . 8501件(27%) 1位:中国
平成. 8年 27414件 . 7310件(26%) 1位:中国
平成. 7年 24374件 . 8904件(36%) 1位:中国
平成. 6年 21574件 . 5916件(27%) 1位:中国
平成. 5年 19671件 . 4032件(20%) 1位:中国
平成. 4年 . 7457件 . 2417件(32%) 1位:中国
平成. 3年 . 6990件 . 2204件(32%) 1位:中国
平成. 2年 . 4064件 . 1841件(45%) 1位:中国
平成. 1年 . 3572件 . 1895件(53%) 1位:中国
昭和63年 . 3906件 . 1798件(46%) 1位:中国
昭和62年 . 2567件 . . 945件(37%) 1位:中国
入国管理局の情報受付
外国人の不法滞在を見かけたら通報しましょう。
ttp://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html 各府省への政策に関する意見・要望
ttps://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
272 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:14:33
今も昔も政界と財界は切っても切れぬ間柄。
>>268 百姓なみだ目w
>>270 古代の話だから、支配階層と豪族という言葉が貴族・大名に該当します。
274 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:18:20
貴族とは五位以上の者。
墓穴を掘ったな。
275 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:19:45
276 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:22:44
277 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:22:52
>>274 そもそも、ほうっておくと、貴族が、兼業するから、5位以上の商業を
禁じてるんだろうに。でも禁じてもやってるよな、社会が混乱すると。
平家なんて商業独占してやりたい放題だったしな。
278 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:26:54
279 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:27:17
わざわざ5位以上の貴族の商業を禁じてるのは、
禁じる前は、皇族貴族が商業兼任しまくりだったからだって読解
できないのかこいつ。
280 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:28:16
281 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:29:50
嘘はいかんぞ
282 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:31:30
283 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:35:21
資料も何も、高校日本史教科書にもしっかり書いてる罠
スレ伸びすぎw
二人だけで議論してんなよ。
285 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:37:05
史料と言っているんだぞ
286 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:38:45
出しても低脳でこずるい百姓には理解できないよ。
287 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:39:52
超低脳は嘘を詫びろ。
288 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:43:37
ところで
徳川家を百姓上がりと言ったが根拠は何だ?
289 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:46:31
>>287 ほんと、貴族は商業しないとか言ってた超低脳はさっさと詫びるべきだね。
290 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:48:30
生駒の件ごまかしても無駄だぞ。
291 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:51:47
幕府の将軍やら時の権力者がやりまくりだった
海外貿易は商業じゃないとでも思ってんのかね
貿易は商業ど真ん中の言葉だが
あほらしくて何のための議論なんだかさっぱりわからない
292 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:53:40
柵封
朝貢
293 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:01:21
教科書の「日明貿易」は間違い。
懐良親王の「良懐」
足利義満の「源道義」名義での柵封に対する朝貢。
大内氏も細川氏も名義を借りていた。
294 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:02:43
ほんと、低農は最低だね。
低農にコンピュータなんて与えるから公害を撒き散らす。
鼻たらして一生隙や鍬をもって田畑を耕してればいいのに。
295 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:04:33
>>293 それが朝貢だったとしてだからなんだ?
貿易は死ぬほどしている。
江戸初期でも朱印船貿易とかな。大名は莫大な利益を上げてた。
史料と資料の区別の付かない相手と論争して虚しくないか。
297 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:07:28
嘘の弁明はまだかね
超低脳君。
298 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:13:04
徳川家が百姓上がりだという根拠はどうなっているんだ。
299 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:16:15
くくww
無知がばれて、どうでもいいようなことを言い出したなwww
さすが低農www
300 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:17:56
301 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:20:55
超低脳は嘘つきwww
がははは
302 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:23:04
生駒の何が嘘だって?
生駒は商人兼業武家の何が嘘だって?w
303 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:23:19
すぐばれる嘘をつくのは
無知を通り越して白痴w
304 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:24:51
過去レスを見ろ タコw
超低脳君。
305 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:25:42
自分は言ってることの99%が嘘の癖によくいうねえ。
超低脳だから、何を言っても許される環境で育ったんだなw
周りはおまえのことは超低脳だと思って許してきてくれたんだなw
306 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:30:30
>>305 そっくりそのままお前自身に返す。
暖かい周囲に感謝して 嘘を金輪際つかぬことだ。
307 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:31:54
もしかしてこの超低脳、wikiだけを見て、生駒は馬借だから材木商じゃないと
思ってるとか??ww
超アホwww超ウケル
しかもすんごく些細なことwwwそれくらいしか突っ込めないのかよ
お前の言ってることは全部嘘で百姓の悲しい妄想だったのにそれは棚にあげてかよwwww
308 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:32:53
うn
309 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:33:54
もうしらねーよwwwwwww
310 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:34:17
ζ
. / ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ヘ
|\ / /ヘ
|(・) (・) ||||||| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|⊂⌒◯-------9) < よし、わしにまかせろッ!
| |||||||||_ | \_____________
\ ヘ_/ \ /
_,/. \____/`iー--‐、
,__、/i | _;ヘ.,`二´/ ! | ヾ ヽ,
/,,-ゝ-、i、i、 `ー‐'´ .| | `'' ヽ
. i 、, ´-一'、i、i、 - ┼'''' | | }、
| 、, ´-一'i、.i、 -‐|!_,,,_ | ゝ、/`' |
/| `'´<'アノ| i、 ,|! ,ノ イ|, 、|
|/ _丿´/ `ー---一' { { `}
/ /´ _/ 〃 ー- {. | }
311 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:36:38
いいわけは見苦しいぞ。
超低脳は頭を低くして身の程を弁えよ。
嘘をついてでも己の妄想を開陳したがる根性がさもしい。
お里がしれるぞ
慎めw
312 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 03:33:31
この手の自演喧嘩見飽きたわ
313 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 10:08:22
喧嘩やめて仲良く武清の話しでもしようぜ
314 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 12:24:12
生駒は材木商だよ。吉乃の時代はな。武功夜話にも書いてある。
315 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 15:47:46
カースト制といっても一つの部族みたいなもんだろ。
最高位のバラモンが僧侶であって、次に武家のクシュトリア、平民のバイシャ、奴隷のシュードラがいるが軍人の中村天風はバラモンであるカリアッパに仕えたシュードラの身分であった。
またマハラジャのようなバイシャ商人もクシュトリアより贅沢な生活をしていた、又は王家クシュトリア身分のマハラジャも僧侶に説法をできたので曖昧な部分がある。
次にいけにえについてであるが、あればバラモンが動物を神に捧げるという制度であり、ジナなどがバラモンの制度に異義を唱えジャイナ教を作ったというものである。
ただしジナもバラモンの苦行を尊いものとしていたので後のクシュトリア出身のブッダ・ゴータマに否定されている。
316 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 19:05:12
クシャトリアは武家じゃないよ
317 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 02:42:04
シャクトリムシ?
318 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 13:13:27
ちなみに朝廷とは今でいう政府の事であり、京都御所や皇居とは役割が違う事だけは知っておいたほうがよかろう。
319 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 13:25:05
320 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 13:37:09
レベル低いカキコばっかだな。
321 :
日本@名無史さん:2008/04/20(日) 16:13:39
>>320 所詮 みのもんた如きの番組がネタ元だからなw
322 :
日本@名無史さん:2008/04/21(月) 13:30:52
このスレの次スレ作るなら
鎖国はなかった?
とかのタイトルにしてくれ
323 :
日本@名無史さん:2008/04/21(月) 20:03:35
ニュー速+で日本に飢饉などなかったって
電波飛ばしてた奴はいたけどW
鎖国は無かっただろw
いうならば
幕府が勝手な貿易を禁止して貿易国を管理してただけ
それにヨコヤリ入れたのが米国で
無視してたのが長州で
325 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 09:55:08
カトリックの国とは交易しなかっただけだろ
プロテスタントは布教活動しないからOKだったわけだが
326 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 17:50:33
鎖国というのは
完全に外国をシャットアウトした状態か?
一部特例を儲けてあと
シャットアウトした場合はなんていえばいい?
管理貿易
中国、台湾もおK
329 :
日本@名無史さん:2008/04/22(火) 20:22:18
>>315 今インドを支配しているのは王族を含めてもイスラム教です。イスラム統治者による武士の扱い確定事項についてはこちらは関知しません。イスラム商人のやることには付いていけません。
>>323 たしか日本一の大地主本間家のお膝元では
江戸期を通じて餓死者が一人も出てないはず
ただ体が弱っての病死が多発した事はあったらしい
なにしろ農民の娯楽が歌舞伎や雅楽を演じて楽しむ事だった
というから、その安定ぶりが分かるw
昔の大地主は小作人の面倒や慈善事業は当然だったので、
餓死者が出て一番非難されるのは地主
本間家って土地集積商人だろ。
本間家の百姓は丁稚だろ、要するにw
332 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 11:39:27
アメリカはカトリック扱いでペリーに脅されて開港したんか?
>>332 違う
ペリーが長崎に入港すれば特段問題なく交易できた。
浦賀に来てその場での外交交渉を要求した、さらに長崎以外の寄港地を要求したのが問題だった。
>>332 宗派は関係ない。幕府から許可を与えられた国しか交易できない。
335 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 09:18:28
その許可をカトリック国相手には出さなかったって話だろ
まあオランダも独占したくて
幕府にはホラ吹いてたんとちゃうのん?
337 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 20:26:22
勝小吉も座頭市あがり
まあ貧乏武士の養子になったわけだ
宿無しの○くらでも
直参の重臣に成り上がれる
っちゅうこっちゃ
商家の出で算盤の立つやつが、融通方とかで士分で召し抱えられてたり
商家の旦那が店に居るまま、○○藩融通方みたいな肩書きを持ってることは有ったみたい
大阪の鴻池家なんかでも大名貸しをして他ので金を貸してる大名から
士分をもらって、身分は武士身分だった
342 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 21:59:20
鴻池の先祖は元大名
尼子と同じ京極の一族
343 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:16:26
山中鹿之介。
岡山藩だったかその支藩だったか(津山藩だったかも)で、
武家奉公人が長年の勤続の末に徒に登用されて次男に跡を継がせ、
長男は農民のままとか言う例もあるみたい。
で次男の方が本家かって言うとそうじゃなくて、長男の方が本家。
これって武士になりたかったのかそうじゃないのかよくわからない。
345 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:24:53
女でも武士どころか
城主にもなれた
346 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:26:26
魚でも武士になれた
347 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:38:46
>>344 家の制度だからな。
身分格式の上下よりも家督(先祖の墓・位牌)が優先。
348 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 23:07:16
349 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 23:46:24
大名貸しは士分になると痛い目を見ることもある。
藩士が大名に金を貸してることになるので、踏み倒されても文句言えなくなる。
お家のためになっちゃうからな
351 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:50:30
本村へ帰れば
本家の農民の兄が上席
でも役所などに行けば
武士の弟が上席
相手が庄屋でもそうだよ
353 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 13:17:04
>>330 飢饉で死んだのは
仮想農民じゃ無かった?
本当の農民は農作物作ってたし
みなしで年貢取り立てられてた
田舎の商人、特産品生産してた田舎の町人が
年貢と生活費高騰でお陀仏に
354 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 14:00:00
355 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:32:36
みなしで年貢取り立てられるのは商人じゃなくて本業百姓の行商人の話だろ
そもそも、町に住んでるのを町人、村に住んでるのは商業やっていようが農民だよ
本業商人の百姓?
なにそれ
逆か
358 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 08:40:12
>>355 そう
何か小さい港町とかは
船で貿易?見たいな事してるのに
農民扱いで米で年貢取られてた
田舎の特産品作ってるのも
そういった連中はダブルパンチ食らうので
飢饉で真っ先に死ぬんじゃないかとw
359 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 11:10:09
飢饉っていっても全国規模のものはないだろ
複数年飢饉状態だったりとかじゃない限り飢饉で最悪の結果になったときって
藩が備蓄米を換金してしまっていたりしたときじゃないか?
360 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:03:42
基本的にまともな商人は町に住んでいる。町は年貢はない。無税。
(金持ち町人には所得税みたいなのがあったけど、年貢に比べたらごくわずか)
そもそも年貢とか取られるのは「武士の土地で田畑を耕してる」農民だけ。
だから武士の土地で耕作してる使用人だからたくさん取られる。
江戸時代では統治の簡略化のため、村なら年貢、町なら”なし”なので、
>>358の港町は藩の公式認定では港「町」ではなく、単なる「漁村」扱いなんだろう。
361 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:15:37
町にすんでたら問答無用で 町人
村にすんでたら問答無用で 農民
あと、盗賊が放置してある田舎には基本、商人などいない。
貿易なんて大げさなことはしてないし、あまった作物を行商してるだけだろ。
362 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:18:54
何が言いたいかって言うと
>>353のいってる田舎の町人は町人じゃない。農民。
みなしで税金取られるのは村の農民だけ。村には町はない。少なくとも藩に町だと認定されてない。
町と認定されると、経済効率をあげるため武士が犯罪者を捕まえるし治安を守る。
村は放置。盗賊やりたいほうだい。
363 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:24:17
だから百姓や漁師が軽く行商やってるとかいう程度ではめったに町認定されない。
農民は雑穀や野菜なんかも作ってるし
野草や川魚なんかも食える
飢饉で先に死ぬのは町人
というのは一理あると思う
町人というのが江戸の町人のみを指しているのなら
あまり考えにくいが田舎の町人なら十分考えられる
それに対する町人の手段として打ちこわしがあった訳だし
打ちこわしは一揆より過激で切羽詰まっている
365 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 16:59:05
町人とは普通地所持ちだろ?
町に住んでる人が町人でないの?
たとえば長屋に住んでる人は何もの?
367 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 17:32:59
長屋に住んでいる人々
職人、浪人、行商人、芸人、奉公人
368 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 19:06:11
大雑把な原則は町も村も土地に対して税金がかかる。
よって土地を持ってない人間は無税。
土地を持ってない農民は百姓扱いされないし長屋に住んでる店子は町人扱いされない。
町の地所については商業規模から言って極端に安い税金しかかからないので実質無税に近い。
それではあまりにも公平を欠くんで、大規模な商人は御用金を臨時徴収されることが多い。
369 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 22:05:36
ていうか、江戸の町人なんて、大阪とか西日本の町人に比べたらたいしたことないよ?
江戸が商業の中心になったのなんて明治以降だよ。
それ以前は西高東低。博多のほうが江戸よりはるかにすごかった>商業
370 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 23:47:30
東京の商人はショボイのしかいなかったから、
東北の藩の米まで大阪まで運ばれて大阪商人によって裁かれてました。
371 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 00:48:22
確かにヨーロッパの貴族や騎士なんかは、日本の武士と同じ封建領主なわけだが、叙任・昇任とかを管理している
役所(神聖ローマ帝国とか)あって家紋の組み合わせとか、結構厳密に運営されてて、誰でもなれるっていうものじゃ
なかったようだ。
十九世紀になるとブルジョアとかがのし上がってきて、かなり緩くなってたようだが・・・
その点、日本の武士は割合に階級間の移動があったようだね。
372 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:20:57
日本の武士は戦国時代の百姓から成り上がったやつばかりだからだろ
374 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:48:42
キヴィタスの戦士
>>372 武士のすごい所は増殖するところw
貴族は数が少ないし日本を統治する力は無かった
でもなあ江戸の武士ってかなり質素な暮らししてたんだよね
武士になりたいと思った町人や農民は少なかったと思う
娯楽禁止だし下級武士なら暮らしは悲惨の一言だし
幕末でも盛り上がったのは下級武士で町民農民はほとんど無視
武士に憧れてる奴が多ければ戦国時代みたいに
農民から兵が多く出たはず
まあ兵を出せるほど
武士側に金がなかった
とこもある
みんな自腹だからね
377 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 02:46:16
>>375 町人は佐幕側ばかりに金を貸してたしね。江戸時代よ永遠に続けって
感じだろうね。
関係ないけど、関が原の戦いのとき、堺の商人とかは、商業を横取り
してくる西軍の商人大名を嫌って、東軍にばかり大船を貸してた
らしいよ。西軍は船を出して援護しようにもできなかったそうな。
で、江戸時代は望みどおり商人による商業独占。
町人て商人のこと?
そんなことないよ
かなりの藩はペリー後の財政難で、商人から借金して産業ないから返すあてなく
もう踏み倒しするしかなくて
商人側もこの先の財政見通し考えて
世の中変えるべきとしたのも多いよ
379 :
581:2008/04/29(火) 09:42:26
藩の主な城下町以外はほとんど村扱いだろ。大坂・京都は違う気がするけど。
薩摩や仙台にある家臣たちの小城下町は扱いとしては村。
あと、城下町でも江戸がそうだったみたいに周辺部の農村が地続きで都市化している例も多い。今の感覚で「旧高旧領
取調帳」なんか読むと驚かされることもある。
381 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 12:50:55
正直、信長の傭兵以降は、金が世を動かしてるでしょ 当たり前
382 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 12:58:09
383 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:03:30
武家は金を卑しんだ。
384 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:16:18
信長の傭兵?信長が他の戦国大名より傭兵を積極的に大量採用してた証拠となる資料とかあるの?
385 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:18:24
386 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:28:47
>>383 それは百姓がそう教えられただけで、武士は金大好きだよ。
387 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:30:09
江戸の武士も商業兼業したりすると、
商業の癒着が禁止されてたみたいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E4%BA%BA >日本には商人がいなかったとするのが通説ではあるが、
>これは古代日本に商業が存在しなかったという意味ではない。
>当時にも大規模な商業・流通網が存在したと推測はされるものの、
>それは主として豪族などの支配階層が従事・関与していたために
>商業を専業として従事する独自の階層が出現しなかったという
>意味である。日本の律令で皇親・五位の官吏の商業従事を禁じて
>いるのは、これらの階層が権力を利用して商業活動をして巨利を
>貪る事を防止する意図があった。
388 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:32:28
消費経済ど真ん中にいる直参や江戸在勤の武士は金がないと食えないよ
389 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:33:33
武家諸法度。
390 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:40:15
徳川家は日本一の金持ちだよ
百姓ってまじで信じてるんだね
391 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:44:30
近世封建制を勉強しなさい。
392 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:45:25
江戸時代の町では金がなければ何もできないよ
木曽義仲の時代みたいに、支配地から強盗できれば必要ないけど。
関係ないけど百姓は金という概念がわかってないから
町に出てきては町人の蔵を襲ったりして田舎に逃げていくので
武士が困ってたらしい。
驚くことに農民と盗賊が同一視されてたらしいってこと。
393 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:52:34
徳川家康「郷の百姓は、死なぬように生きぬやうに合点致し収納申付」
394 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:03:07
江戸武士の金に関する汚職率(収賄とか公金横領)ってすごかったらしいよ。
商人からの接待を受けるのは中級武士以上の日常(「元禄お畳奉行の日記」)。
徳川吉宗が全国80人弱の代官の汚職を調べたら、そのうちほとんど
全員がなんらかの汚職をしていて、半数が死罪になるほどの汚職をしてた。
で、半数が切腹。
あまりにひどいので、その後、調査をやめたらしい。
旗本がいなくなっちゃうから。
395 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:05:21
396 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:08:57
>>395 ばか。
役得だったら犯罪認定で切腹させられないだろ。
397 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:09:55
まあ武士は簡単に金に釣られたわけだな。
398 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:10:53
公金に手を付けるのは横領だな
399 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:11:36
町に生きてれば金がいる。
武士も蕎麦を3人一人で食べててバカにされるのはつらいから
汚職もするよ。
400 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:19:49
商人には見向きもされず、公金を扱う地位にもいない
下級武士やら足軽やらが金は卑しいと必死で自己正当化したわけだな
401 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:25:59
農民「金ってなんだ?うまいのけ?食べられねーだらいらねーだ」
402 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:16:58
百姓も金がいるわけだが
汚職じゃなくてチップだな
今で言う汚職なら確実に切腹
404 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:31:08
武士が商人にチップをもらってるのかよw
405 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:36:24
旗本なんて知行所の百姓に堂々と金をせびっている。
406 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:41:37
金に困った武士が戸籍売ったりしたんだろ
新撰組の斎藤一の父親も金で武士の位を買ったらしいし
407 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:51:28
下級武士も公金に手をつけて島流になったりしてるよ。中村半次郎の父親とか。
百姓が金を持ってるわけないだろ。
ソースは?
下級武士よりは裕福だったろう>百姓
そもそも、江戸時代と今では同じ「汚職」という言葉でも定義が違うことは理解しておくべき。
少なくとも今は猟官運動は政治家の世界にしか表向きは存在しないが、江戸時代はちょっとした小役人になるとか官位を一
つ上げるとか実入りのいい領地に替えてもらうとかということになると金銭が動かないと話にならない。
田沼を弾劾した松平定信にしてからが、田沼のところへ猟官に出向いてるこの矛盾。
現在汚職とされているものでも当時の感覚から言えばせいぜいお歳暮お中元くらいの感覚のものがある。
実際に罰せられてるのは、当時のレベルでも酷いものか、そうでなければ猟官に失敗したヤシが逆切れして刃傷を起こしたり
とかで騒動が表ざたになったもの。こうなると建前上関係者を罰さないとご政道が成り立たない。
下級武士っていってもいろいろだからな。
岡山藩では、1000石以下は下士 と言い切ってるし。
徒は零細同族企業の出世の見込みほぼゼロのサラリーマン。親もそんな感じ。
足軽はパート従業員なんだけど、実は実家はまあかつかつ食うくらいは可能な農家が多い。
イメージ的にはそんな感じで、経済的には足軽の方が上だったりする場合も多い。
>>409 百姓だって農閑期には出稼ぎとかバイトや内職するがな
百姓仕事が年中無休とか思ってないよな?
あと余った米も売って金にできる
仮に8割年貢でとられても藩主の元で土木仕事でもすれば
現物支給で4割ぐらい米が戻って来てこれを売った、こんな感じ
あと地域差は有ります
江戸前期は余裕無かったらしいが、
出稼ぎ無しで食って行ける百姓なら年間百日以上休める
むろん休む日は自分で決めれる
小作人だって江戸中期以降は80日ぐらい休めたという
でヒマになると旅行にいく、伊勢参りが一生の夢だったらしい
お陰参りで500万人集まったとか聞くと農民も旅行出来たのは確実
19世紀になると商品の流通が当たり前になるよね
関西なら二毛作?みたいな感じ?河内木綿とか
兵庫でも菜の花とか
いろいろ作ってた
大阪の商人が買ってくれるんだよ
天領だしけっこうウハウハしてたんじゃない
俺、高槻在住だが、昔からの集落には物凄いでかい旧家がたくさんあるぞ
旧藩の藩士の邸宅もちらほら残っているが、門構えなど周辺集落の旧家の
ほうがでかい
写真に撮って見せたろか?
417 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 13:23:14
下級武士より百姓の方が生活が楽だった
さらに百姓の中でも商売をしていた人間などは結構裕福な生活をしてたんだ
江戸末期にもなればその差が開きすぎてる
だから明治維新は下級武士が起すんだ
上級武士や百姓はほとんど参加してないだろ?
一番社会の歪を背負わされていたのが百姓でなく下級武士だという証拠でもあるんだ
418 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 13:32:32
>>361 >あと、盗賊が放置してある田舎には基本、商人などいない。
>貿易なんて大げさなことはしてないし、あまった作物を行商してるだけだろ。
>>362 >村は放置。盗賊やりたいほうだい。
あのなぁ、村には若衆の自警団があるんだよ。
裸祭りとかやってる連中が鍬持って集団で襲い掛かってくるんだよ。
盗賊にとっては分別のある武士に捕まったほうがましだろ。
おれの実家は、広島のど田舎で旧家。
江戸時代は屋号を持って商売してた。
豪農は質屋(金融業)、酒屋なんかやってんだよ。
少しは近世の村について勉強してから書けよ。
>>361 >町にすんでたら問答無用で 町人
>村にすんでたら問答無用で 農民
村に住んでたら百姓。
まぁ、人別帳では農工商、みんな平人って書いてあるだけ。
自警団はコワイヨ
代官なんかも自分とこで盗賊なんか出ると責任なるからね
盗賊した流れ者が自警団に捕まって山に埋められても知らんふりだよ
420 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:14:33
自警団といえば江川代官支配地の農兵が最強
421 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 19:45:04
>>418 つまり武士と平人は軍制上の区分、百姓と町人は税制上の区分ってことですか?
>>417 >一番社会の歪を背負わされていたのが百姓でなく下級武士だという証拠でもあるんだ
一般社会というより武士制度の歪みだと思う
何しろ長子相続で一子相伝だから、
次男三男は、兄が死ぬか養子に行けないと結婚も出来ない始末、いわゆる穀潰し・・
藩主も家臣が増えると分け前が減るので増やせないし、米を増産すると暴落するし
米以外の特産品を産み出した藩は成功してる例が多いが
武士は制度的な袋小路状態に陥ってしまっていた
普通ならこうなったら他の国を侵略するんだけど、秀吉が失敗してたからこれも無し
あまった武士を積極的に農民や町人にしていたなら
もっと違う発展をしてたかもしれん
423 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 10:56:46
本当に聞けば聞くほどかわいそうな下級武士
424 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 11:19:06
家族計画が大事だね。
膣外射精とか一般的だったんだろうか
425 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 12:02:18
まあ江戸時代っていうのは武士階級が250年かけて没落していった
時代だからな。
で最終的に喰えなくなって革命(明治維新)と。
426 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 13:23:24
自警団なんて村社会な自己勝手な、自警団自体が他者から見れば
盗賊にみえるような組織がやりたい放題な時点で商業発達は無理
自宅警備員なんて村社会な自己勝手な、自宅警備員自体が他者から見れば
ニートにみえるような人間がやりたい放題な時点で就職は無理
428 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 14:58:19
自警団=盗賊
武蔵国比企郡で近在に知れた富農の根岸家では多数の浪人者を雇い、打ち壊しの来襲に備えていた。
この根岸家は浪士組の根岸友山の家である。
430 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 19:29:21
それって商家の用心棒みたいなものか
根岸友山って相当な使い手だったらしいな
>>431 大河ドラマでは滑稽なジジイ扱いされてたけどなw
友山の手記を見ると、近藤のことはかなり嫌っていた風情が感じられる。
>>421 士農工商という身分はあるし、それぞれの身分にさらに細分化した身分がある。
身分に上下はつきものだが、士を除く農工商という職業に階級的な差は無い。
士農工商の序列は儒教の職業観であって、現実には士を除けば農工商の間に序列は無い。
ただし、それぞれの内部の身分には当然序列はある。流動性のあるものもあるし無いものもある。
例えば、水呑百姓の場合、そこから本百姓に上昇できるのは、地方や時代によって可能な場合と
不可能な場合がある。商人や職人の場合は能力しだいで上昇できるから流動性は高いね。
百姓と町人の別は居住地による。ただし、町人とは厳密には町政に参加する資格のある者
(税を払っている地主、不在地主から委託を受けた家主が代替することあり)であって、店子の職人、
奉公人、日傭などは町人ではない。歴史の本では「庶民」と書かれることが多い。
村は元々自衛集団として発生したものだから、当然自衛のための組織はある。
村の文書には「御若衆中」と書かれる。歴史書には「若者組」と書かれることが多い。
村に限らず町でも治安の基本的な部分は自治に拠っているんだよ。
村の商売は、近隣の町から雑貨を仕入れて売る小商売から、豪農による質屋、酒屋、味噌屋
などいろいろあるよ。
434 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 18:24:22
435 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 18:25:28
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〇吐血論
436 :
日本@名無史さん:2008/05/07(水) 22:41:40
避妊でも武士になれた
437 :
日本@名無史さん:2008/05/09(金) 22:16:13
絵他は武士になれない
バカばかしい
439 :
日本@名無史さん:2008/05/25(日) 08:11:50
真剣馬鹿だから
440 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:27:04
哲学者カントは『永遠平和のために』で、商業精神と戦争は両立しない、そして遅かれ早かれ
あらゆる民族を支配するようになるのは、商業精神である・・・・・・と述べた。
441 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:50:08
>346
かつお武士
時代遅れの黒電話の家に
住む落ちこぼれ坊主とちゃうで
442 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:53:14
宮本武蔵
家柄は農民だが、兵法を学び浪人になる。仕官をしていないから武士と言えるのかはわからないが、剣豪として有名になったのは事実であろう。
443 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:53:33
金さえあれば座頭市でも武士になれた
勝小吉のオヤジ
444 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 23:04:52
>>442 関ヶ原の戦い出兵したが武勲なし
たくわん和尚大嫌い。宮本武蔵www
逃げと奇襲だけは得意技
巌流島の決闘
佐々木小次郎 は60歳 武蔵29歳
武蔵は30歳越えた辺りからは何もしない絵かき人生を送る。
445 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 00:09:40
武芸者だからね
武蔵って、細川家かどっか
九州の大大名に仕官してなかったっけ
447 :
日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:04:08
タコでも殿様になれた
武士になりたい
449 :
日本@名無史さん:2008/10/12(日) 06:09:49
士農工商という語呂言葉自体明治以降だからな
450 :
日本@名無史さん:2008/10/12(日) 06:14:40
士農工商という語呂合わせ自体が明治以降だもんな
451 :
日本@名無史さん:2008/10/14(火) 19:40:37
武士が商人や農民になってしまうと、もう武士に戻れないのか?
勝手に戻っても誰も分からなきゃよいのかな?
ならば農民や商人だって、勝手に武士だと名乗れば武士になれるのでは?
禄を受けるのは別な話しとして。
452 :
日本@名無史さん:2008/10/14(火) 19:52:10
勝手に
芸州浪人・浅野某と名乗ったり
大坂浪人・河合某と名乗れば楽勝
453 :
別スレのコピペ:2008/10/14(火) 19:54:09
士農工商の話しで実際は基本的に武士>町人>農民>被差別民ですが、
江戸時代の笑話にこんな話があります。
とある、剛勇な武士たちが集まる道場がありました。
その道場に居る武士たちはまさに無敵状態で近隣から恐れられてました。
しかし、ある日、その道場に小柄で貧相な男が現れて「相撲を取らせろ」と要求してきました。
すると、その男と組みあった道場の武士たちは次から次へとコロリコロリとその男に投げ飛ばされていきます。
あとで話しを聞くとその小男は実は金貸しの商人で道場の武士たちは全員、その男に金を借りていたのだそうです。
まあ、武士が偉いといっても、実質は現代と同じで金のある商人よりは立場が低かったわけです。
ましてや江戸時代の武士は生活に困窮してましたし。
454 :
日本@名無史さん:2008/10/15(水) 09:24:41
金は剣よりも強しだな
455 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 21:29:33
歴史上、農民から武士になって最も出席したのは豊臣秀吉だろう。
では、士農工商の身分制度が確立したと言われる江戸期における農民武士の出世NO1は誰だろうか?
近藤勇かな?
456 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 21:35:20
清水次郎長かな
457 :
日本@名無史さん:2008/10/18(土) 22:01:45
桂昌院の一族じゃねーの?
458 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 06:15:38
>>455 秀吉の家系は元々、武士だよ。
「木下」という苗字もある。
半士半農ってことだる
当時としては珍しいことではない。
よほどの上級武士以外の武士は平時の時は
農村にいた作物を作る。それが普通だ。
459 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 12:42:58
足軽はどう考えても下級武士の階級やろうに。
一部の豪農は地侍になれたが、
やはり古くから武家の家系でなければ
藩士になりずらかったろうに。
町役人、村役人(庄屋)、も武士にカテゴライズ
されるのかは疑問だが。
江戸時代の武士の人口は
約200万〜300万人であり、武士、代官、浪人など
様々じゃろうなあ。
460 :
日本@名無史さん:2008/10/20(月) 09:30:56
>416
>俺、高槻在住だが、昔からの集落には物凄いでかい旧家がたくさんあるぞ
>旧藩の藩士の邸宅もちらほら残っているが、門構えなど周辺集落の旧家の
>ほうがでかい
住んでる人数が違う。
江戸時代でも時期によって変化してるが、農家は比較的大家族。
城下の屋敷とムラの農家を較べるというのもどんなものだろうか。
紀尾井町の屋敷と、当時は田舎だった渋谷や世田谷の武家屋敷を
面積だけで較べても始まらないのと同じ。
諸藩でも、重臣の中には広大な敷地の下屋敷を持つ者もいたが、
大抵が町のはずれに位置していた。
城に近い本邸より広いのが普通だ。
ステータスは城に近い屋敷の方が遥かに高い。
461 :
あ:2008/10/20(月) 10:12:07
だからさ なんで足軽が武士なのよ
江戸期 下級武士なんていないだろうが。下級武士とは明治期 維新卒どもや時代劇が作ったもの
そもそも足軽は 応仁の欄により 無宿野郎や賤民やらヤクザや流れもの 博打野郎 小作の次男三男などが、
これ見よがしに武士の死体から武具をかっぱらって、近畿地方などで盗賊化していったものだぞ
中世では失うものがなにもないこの盗賊ヤクザどもを 戦国大名たちが、戦でパシリにしただけなのに、いつから武士扱いになったよ
そもそも 江戸初期 バクハン体制化で藩士登用のさい、 由緒や家系図、また家柄などが審査の対象になっている。基本、外様以外は武士団は少ないため、
譜代等は入府地で武士を登用してる。その際 地元の地侍や豪族、のような名門を上士及び中止にしてる。
しかしその際 地侍や豪族は半農半士が当たり前なので、武士になるか庄屋になるか、きちんと選択制にしてる。
しかし武士を選べば地侍や豪族の広大な土地はほとんど没収され、でかい屋敷も没収トされ、城下のきたねえ官舎まがいに住まわされるため、
庄屋として帰農する地侍豪族がかなり多かったわけだ
しかし 糞卒の足軽野郎は そのまま長屋にぶちこまれ、エタまがいのやっつけ仕事と服装、福利厚生 役、 などでエタと紙一重が足軽 。
当時から奉公人であり、武士身分は中士以上だぞ!
本来の騎馬は庄屋や上士
その長刀朗等は中士
ただの馬引き胆壺持ちが足軽奉公人だろ
いつまで低脳な日本史かたってんだ?いい加減にしろよ
騎馬武者はほんらい 上士と庄屋くらいのもんだろが! 現実をきちんと勉強しろやぼけ
462 :
日本@名無史さん:2008/10/20(月) 13:33:44
ジョン万は漁師のくせに幕臣になっちまったな。
〉名主(庄屋)
幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。ただ富力は、藩士階級一般より上だったことはいうまでもない。
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
>応仁の欄 >バクハン体制
相変わらず「あ」は間抜けだな。
465 :
日本@名無史さん:2008/10/21(火) 09:35:10
466 :
あ:2008/10/21(火) 10:22:30
↑
なにががっかりだ?なにかまちがえてることいったか?俺のブレインに文句ある?
俺の語る日本史が現実なんですよ。伊達じゃないんですよ俺の知識ぶりは!
さっそく低脳にもの申すが、
>>390 徳川が一番金持ちだ?プゲラチョップW 恥ずかしくないのか?
いいか 財産というのは負債や借金 借入まで含めて財産となる
そもそも徳川宗家は、支配地が四百万石 その税や収益が基本だ。そしてマツリゴトや大奥、給金などの国体は借入金で江戸中期以降はやる始末
財とは、この借り入れは財産として加算されてのこと。 だから総資産は借金までが自分の財産として計上されるため、莫大な数字になるだろう。
しかし 実際将軍など 、固有の財は 武具や骨董品着物などの時価程度の財のみ。かりに不動産を所有していたとしても、
本来借金は家中である大名家事態に由来してのものなわけだから、純利益や純財産という、借金などを差し引いた資産を計上すらば、
庄屋などより格下資産となるのは明白
前にも話したが 幕末 長岡戦争の際 藩主牧の家の財産を全て売っての武装であったが、藩主が固有の財とは結局武具や骨董品などの時価財産程度。不動産などはないに等しい
しかし庄屋は関東などは元土豪や地侍なため、町の半分やら五分の一くらいの土地を不動産として所有し、
また借金自体はなく、権益や利権は、下手すりゃ普通に万石大名家くらいの収益はありますよ
大名家は収益から、その年の国体費 給金など赤字なほどの出費がある
しかし庄屋は余分な出費など皆無
だから庄屋家と大名家を企業として比べれば、庄屋の純利益は、たかが一万石程度の雑魚大名家より明らかに大きい
実際維新後見りゃ歴然だろぼくぇ
紀伊徳川家老家は維新後五年後には娘を身売りさせるまでに落ちぶれる
かたや庄屋家は政治家だらけ。庄屋出自の総理は何人いるかしってっか?
半端じゃねえんだよ庄屋の不動産はよ
467 :
あ:2008/10/21(火) 10:38:34
>>417 当たり前ですよ
下級武士とは本来存在しない
上士が騎馬武者格なら下級武士は中世の朗等身分なわけだ
よく言われてる足軽やら徒 中間小物クラスは 本来のそれらに属していなかった出自。
だから奉公人とされた
武士とは武家由来の権利や格、 そして権益が継承されてのこと
単純に最近ファミレスの管理職への残業不払い事件で、管理職としての権利格など持されてないのに、管理職だと会社から決められ、残業大は管理職なんだから必要なしとされた
管理職=武家としての格や権限などもたされてないのに、足軽ごときや徒や糞卒野郎は、給金体系は武士身分だとしても、
実体は管理職=武家ではない。ただのアルバイターと同じ格なわけだ。
刀や名字が許されていたとしても、石高もそこそこだとしても、
権限が委譲されてない卒やら足軽ごとき腐れ野郎が、武家=武士と名乗れると思ってんのか?
いいか !卒や足軽は武士じゃない。ただの馬引き奉公人。
ギリギリが中級武士といわれる徒以上だろ 。本来はこれすら武士とは中世じゃいわないが、江戸ですら武士とはこのクラスがギリギリ。
徒以下を武士扱いなんかしてないから。
勉強せんかいばかどもが
468 :
あ:2008/10/21(火) 10:54:57
>>418 すいません、時代区分もできない最下層出自さんとはあなたのことですか?W
なにが自警団だよ 。足利時代の葱社会のことだろ
確かにあの時代は青年団が自警団の役割をはたしていたのは事実
しかしそれらも 江戸は庄屋という列記とした町の天皇が納めるに至る
江戸期に自警団がムラムラにいたと思ってるんじゃないだろな?
村の警察は庄屋に一任されてる 。だから関東庄屋には武器を蔵や屋敷壁に吊してある家が多い
基本 盗賊などや一揆などの不届きものが村に出没した場合、藩命により庄屋が責任もって撃退する事が通例
それでも収まらない場合は藩から使者や武士が庄屋と事に当たる
基本、村 で警官武装できる、許される、権限委譲されてる、捕縛できる格を一手に委ねられてる家柄はあくまで庄屋だけだ
その際も あくまで庄屋一門の分家若い衆は使うが、同門以外の百姓を使って事に当たるなんてことも少ない
だから自警団とかいう足利時代の原始人みたいな社会は、江戸期にはそんざいしませんから!
まだまだ今後、真実としての真意と現実と現状と実体と実情と肖像と推移と情態と総体を、
あんたらお馬鹿が信じてる、現代で作られた日本史像とを比較して暴いていくんで、
まじ論破しまくりますから
まじやっちゃいますから
まじいっちゃいますから
私の脳伊達じゃないですからW
朗等って「郎党」の間違いじゃないの?
ずっと間違って使っていることに何で気づかないんだろう。
不思議だ。
470 :
日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:02:05
郎等とも郎党とも書くのは確かだが
朗等とも書くのか?
キーボード変換されたのだが。
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ 現実逃避か?
平々凡々 江戸時代に現れた
あ庄屋
幕末まで大きな戦はなかった〜
平和ボケ あ庄屋
てした。
474 :
日本@名無史さん:2008/10/24(金) 00:47:35
自分を自分で叩いたり自演しまくりだっつーのw
475 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:31:22
西日本の家系図をしらべると、農民が武士になったり武士が商人になったり
という例がごろごろある。なるほどと思う。
明治維新のあと武士が大道芸人になったり徳川旗本が落語家になったり
前の戦争のあと華族さんが映画俳優になったり、日本ってそういう国な
んだ。日本人にとって身分なんてこの世の仮の姿にすぎないなんだな、
きっと。
>>457 約810家存在した華族制度廃止後、没落する華族多かった。
芸能関係で貴族出身なんてヨーロッパだって、ピーターガブリエル(英・ミュージシャン)、オードリーヘップバーン(蘭・女優)、ルキノヴィスコンティ(伊・映画監督)などふつうにいるんですけど…
478 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:16:44
オードリーヘップバーンが貴族?
ここは日本の士農工商を検証しているわけで、ヨーロッパとくらべて
どうてことだと、インド、中国、世界中の話になるわけで、それぞれ
歴史も文化もちがうから、477は何を言いたいのということになる
よね。で、何を言いたいわけ?
479 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:31:01
480 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:37:17
狂い度が増している
481 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 00:06:42
オードリーヘップバーンは「ローマの休日」の中では王女様
だったよね、たしかに。で、ヨーロッパでも日本とおなじよ
うに身分制度なんてゆるゆるだったんだ、とそう言いたい訳
か。475ちゃんと読んだけど。
482 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 00:32:13
やれやれ、レス番まで示してやってるのに、一字一句順を追って説明しないと理解が及ばないとはねw
>>475 >明治維新のあと武士が大道芸人になったり徳川旗本が落語家になったり
前の戦争のあと華族さんが映画俳優になったり、日本ってそういう国な
んだ。日本人にとって身分なんてこの世の仮の姿にすぎないなんだな、
きっと。
>日本ってそういう国なんだ
>日本ってそういう国なんだ
>日本ってそういう国なんだ
>日本ってそういう国なんだ
「日本って」と特定の国を挙げてその特殊性を主張しているから
、いや他の文化圏にもそういう例はあるよ、と述べた訳で、
それが何で
>>478 >ここは日本の士農工商を検証しているわけで、ヨーロッパとくらべて
どうてことだと、インド、中国、世界中の話になるわけで、
なんて展開のさせ方になるんだよw
ちゃんとスレの流れを読めばわかることだろうがw
483 :
482つづき:2008/10/26(日) 00:49:34
それと
>>481 >で、ヨーロッパでも日本とおなじよ
うに身分制度なんてゆるゆるだったんだ、とそう言いたい訳
か
一言もそんなこと言ってない。
理由は
>>482で示した通りだよ。
こういうのは高校で普通に国語の授業を受けていれば、「深読み」として繰り返し注意を受けるもんだが、
やはり湯取りちゃんなのかなw?
484 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 15:46:20
>>468 庄屋がムラの天皇????
どこの藩ですか?
少なくとも関八州ではムラには数名の村役人がいて合議で
自治にあたっていたと思いますけど
江戸時代の後半では中農が没落してムラの構成が両極端に
なる傾向があったらしいですが それでも小農の発言権は確保されていた
で 治安の問題だって村で勝手なことはできないはず
たしか小田原の大久保家の分家で葛山辺りで侠客の抗争事件で
殺された侠客の死体を届け出ずに勝手に埋め大問題になったことが
あるんですけど?
検索したら「献金」が1レスしかなかったんであえて書くが、将軍からすれば陪臣ではあるが大名の家来には献金して武士になった人が
結構ある。あと、庄内藩の本間、仙台藩の大文字屋・升屋などのように大名家の金主でありながら禄高をもらっている例もある。
486 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 16:13:02
つ 御家人株
なんかやり手の旗本の用人になって主君が出世で大名に
自分も士分にってコースもあったような
>>484 でーたぁー
あ庄屋天皇発言www
(・Д・)はぁ?庄屋は農民だろ
>>484 新書で資料なんておこがましいんですが
『江戸の訴訟―御宿村一件顛末―』(岩波新書、1996年)
「国定忠治」 岩波新書
これらによると少なくとも天皇のように強大な庄屋の姿など浮かんでこないし
北島康介と徳川家康どっちが上?
491 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:33:50 BE:182226825-2BP(171)
492 :
いのっぷ ◆EW4r9yZWwk :2008/11/01(土) 16:22:59 BE:109336032-2BP(171)
何藩とは敢えて名指ししないが、士分として出仕していたが、
大名の勘気に触れた。或いは大名が改易になって禄高を没収された後、庄屋をやっていた家があるな。
この家は改易されて庄屋に成り下がった大友氏並かそれ以上に名家だ。
こういった元士分でなおかつ庄屋だったというのは世間に認められるべきだとは思うが、
ただの庄屋なんて農民と同じ、下賤な成り上がりが世間に認められるべきではない。
因みに上記の庄屋とは、
かの高名な西園寺十五将・土居清良の末裔で伊予吉田藩の代官・庄屋の
土居与兵衛一族。この一族の先祖は穂積濃美麻呂である。
もう一つは兵頭氏で伊予八幡城主・兵頭主計頭の末裔と
因幡金剛城主・兵頭源六の末裔、この一族の先祖は菅原貞衡で設楽氏の分流。
上記で大友氏並かそれ以上に名家だと書いたのは、中原能直を末裔とする大友氏よりも
名門になるかも知れないという意味。
493 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:25:48
エッタが旗本にもなってますしねw武士なんてそんなものですよ。実態が明確でない存在ですからね。
>>492 穂積とか物部とか中原とか上古以前の氏族の名前や、藤原氏によって脇へ追いやられた氏族の名を後の時代に聞くとなんか部落を連想する
要するに中央で消えたり存在が希薄になった古代氏族の名はどこかエタ臭い。
おなじくダッセー百姓頭にすぎない庄屋になったならそれで丁度よかったんでない?
495 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:59:38
百姓て江戸時代は農工商の通称でなかたの。
それで農工商人は皆苗字をもっていた。ただ名乗ることができなかった。
それでなければ、百の姓(かばね)とは云わないでしょ。
百のバカね
497 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:31:26
498 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:32:55
百姓は大陸伝来の御言葉
499 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:47:12
江戸の時代は幕府は職人や商人は水のみ百姓(土地を持たないため)に分類されてたはずだ
500 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 02:05:51
「町(まち)」「町(ちょう)」の使い分けの江戸のルール
まち……江戸時代に幕臣の屋敷があった場所
ちょう……町人(職人)などが住んでいた場所
現在の外堀に職業ごとに町人を住まわせた
(例)ちょう…大工町・呉服町・人形町・鍛冶町など
農村地庄屋百姓
※一部の地域では例外もあります。
501 :
いのっぷ ◆EW4r9yZWwk :2008/11/02(日) 02:42:38 BE:255116472-2BP(171)
>>494 神職や僧職の華族として、男爵を授爵している者の内、
8名は国造を先祖に持ち、その他にも上古以前の氏族を先祖に持つ者が
大部分を占めている。日本には源平藤橘を名門として崇拝するきらいがあるが、
同じく上古以前の氏族に対しても名門として重視するきらいがあると思われる。
先程のレスで挙げたのは家格としては上級武士に匹敵する位だといいたかっただけ。
名門でもない庄屋なんて農民以外の何者でもないことは明白。
502 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 08:27:30
>>501 明治政府が「士農工商」という身分制度を確立した、なんていう
ことほざく池沼は書き込むな。
503 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 10:38:13
504 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 10:45:31
505 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 10:52:49
江戸時代は「まち」三つしかない。江戸のまち、京のまち、大阪のまちです。その他はまちじゃない、通称でしょが
庄屋などは兵農分離後に出来た制度だ。それ以前は農民は兵でもあったはず。
だから彼らは皆苗字を持っていた。
江戸の時代始めは武士にとっては平民は農だけ。時代が進み生産性の向上により
農から工商が分離した。武士にとって士とそれ以外(年貢の納め義務者)の二つの身分で充分だった。
エッタ、非人は武士にとってまた別な機能として必要としていた。
明治になって貴族となりあがりの武士等は自分達が新たに手に入れた権益の保持拡大のため
身分の細分化、つまり皇華士平民の分離の必要から江戸の士農工商の
ハッキリした分割をデッチアゲしたんじゃないの。
506 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 10:59:14
>>505 君、なかなか頭よろしいじゃないか。後半はそのとおりだよね。しかし庄屋はそれ以外ではなく、旧支配階層旧在地領主の身のやり場として与えた特権階級であるという前提が抜けてるよ。まじでさ!
508 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:54:15
庄屋は幕府にとって必要だったのは年貢を農民から徴収するための機関的位置付け
であり、形式的には幕府の末端の装置であることでしょ。
後に生産性の拡大に合わせて農民の利益代表をする立場に変わってきたのが筋でしょうね。
江戸の260年は時代と経済の発展を考慮しなければ・・・・
鎖国とは云え、江戸の時代は封建制から資本主義の発展の段階でもあるのですからね。
509 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:06:54
510 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:09:17
511 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:14:24
>>508 それに形式的格や役が庄屋というなら、藩内の庄屋三人がいなくなっただけで藩政藩経済は崩壊しますよ?
しかし中級武士が10人いなくなっても藩はびくともしない。
形式的地位や格はどっちですか?早く答えてくださいよびっちりみっちりくっきりはっきりと!
512 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:22:19
>>508はカッコつけて話してるが、中身はデタラメの薄知の厨房クラスw勘弁してくださいよ知ったか三郎はW
513 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:44:28
>それに形式的格や役が庄屋というなら、藩内の庄屋三人がいなくなっただけで藩政藩経済は崩壊しますよ?
崩壊しねーよ!
514 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:46:45
まつりごとは武家に任されておりますの原則
515 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:00:00
516 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:02:29
>>514 まつりごとってなに?はっきりいってくださいよ
武士 要は藩主以外の武士が権限委任されてるまつりごとあるならいってよ
で、庄屋の村政はまつりごとではないという持論の具体的根拠のべてくれないかな?君の感情論なんかきいてないんだけどW
>>516 あのー
庄屋は村役人の一人に過ぎませんよ?
518 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:07:52
>>516 で、中級武士や卒はその藩政の雑務にすぎませんが?
519 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:09:18
一般武士の次男・三男は普通に医者・商人・職人とかになってるよね。
521 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:13:22
庄屋は決して形式的存在ではないことが何故理解できないのか・・・
年貢は幕府の基本的な財政基盤です。その徴収を担い手が庄屋の位置付けであることが
理解できないほどの低脳かな。
江戸幕府のまつり事の基本は政権の維持と収入の安定だけだ。
だから倹約と禁令しかないだろうに。国家体制の基本的ヴィジョンのない政権です。
経済の政策のない政権です(一部吉宗以外は)ただただ倹約だけです。
倹約は幕府の収入の維持管理の為だけです。
江戸の260年は武士以外の者たちは生産を向上させ、収入のアップを努力していますよ。
その為に富めるものはより富、貧乏な者はより貧乏にと、資本主義的発展があります。
だから明治維新後、日本は一気に天皇を中心の大地主社会が成立したのです。
江戸の初期、中期、後期の区別連関をするのは 君 の脳は悲鳴をあげている。
基本的馬○ですね。鹿と遊んでなさい。
522 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:22:57
だったら 卒と庄屋とを比較し、藩から与えられてる付与されてる寄与されてる権限や権利をならべたら歴然でしょ
役人の役すらない卒という輩はじゃあなんなの?Bとかわらぬ暮らしと財産。身分保障も社会保障も皆無の卒。分限帳にも乗らない卒。給金とはなばかりのピンハネ労働。
家なし屋敷なし土地なし由緒なし苗字なし
どれだけカスですか?
庄屋は 屋敷財産は家老クラス並。苗字帯刀あり。出自は元豪族や地侍、領主など。土地は最低でも百石クラスの領地所有。小作は2、30人くらいを囲う三十人扶持並。
実際は畑など耕さず、農作物等の租税徴集権利を藩主以外に唯一持つ。
税率改訂も庄屋に委任されており、
村の警察権、
村の斡旋
村の裁判権
村の仲裁
村の政治
村の司法
全て村という領地の一切の権限を裁量の下に権利遂行できる権益をもつ。
大庄屋クラスは平均石高千石クラス。
屋敷は家老クラスの門構えや着衣まで許される。また藩主本陣にまでお目通り。
524 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:29:48
下級武士や卒は藩主目通りならないよね?W
>>522 それ どこの藩ですか?
少なくとも関八州
駿河あたりまでは
村の警察権、
村の裁判権
村の司法
の権利なんてないですけど
あればアレほど侠客が横行しませんが?
526 :
あ:2008/11/02(日) 14:39:14
>>525 は?だれが流れものまで捕縛できる権限なんていいました?
基本的に一揆や村内のもめ事、治安維持、村人どおしの喧嘩仲裁は庄屋の権限なんですよ。藩の評定に直訴しなくても庄屋が裁量で斡旋できるとなってますよ?
さらに藩への訴状は庄屋を通しての村役場が庄屋ですよ?
税や農地戸籍も庄屋が管理ですよ?
いつ広域警察をやってるなんていったの?
関八州取締は幕府直轄がきちんと専門機関がやってるでしょうよ
きちんと日本史理解してまちゅか?W
527 :
あ:2008/11/02(日) 14:42:25
ざゃあいってくださいよ
村政を武士が直接統治していた村をたった一つでもいいから藩主ならびに上士直営店の村があるならいってくださいなW
幻覚妄想は勘弁なW
528 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:46:04
当時の幕府も藩も財政的に機能的に必要なら何時でも20ピョウ2人扶ちなど直ぐ採用(武士)する。
無駄飯食いは家禄の削減で追い出す。
武家の次男3男など、生きるため平気で商家になったり、所謂百姓になったり・・・
江戸の時代はもっと流動性のあるじだいです。もう少し時代が長ければ日本の産業革命があったかもね。
明治政府は大地主と官僚と軍人に金持ちが寄生する変則政権です。健全な資本主義の発展を阻害した。
日本の官僚制は強固でさ。これから大変だ。
江戸の村の自冶の制度は日本の民主性の萌芽だったのに。
529 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:49:04
こういう自演多すぎないか?
530 :
あ:2008/11/02(日) 14:51:32
だから慈円してないから
そうやって逃げるなWきちんとでたらめ論を論破されましたとわたしにいいなさいよW
531 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:53:35
狭山事件ってどうなの?
640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 05:36:24 ID:0gPchmeU0
>それは徳川幕府成立時において、
>士農工商穢多非人という形式で確定されたことは公の認めるところである。
嘘 www
徳川幕府は一度も農工商の身分差を公式に述べた事はない筈
明治以降のアフォな学者が士農工商の本来の意味を取り違え
それが何故か教育の現場でよく使われる様になっただけw
また徳川幕府は特に穢多を下としたわけではない、農工商と
別の系列として(役務の関係上)支配態形に取り込む形での
システムを構築しただけ、その為に百姓諸々から距離が生じ
「あれらはわしらとは違う」という大勢民衆からの認識的慣習
を幕府 もなあなあで受け入れた様なもの
非人は少数の代々の者と多数の失職者(つぶれ農工商)で
現在のホームレスに役(刑吏、人足など)と勧進権を与え
た様なもの、現在でいう福祉に近いシステムで自身が福祉
の世話になりながら福祉の仕事にも従事するというなかなか
なシステム、当時の一般民衆からの視線は同情的な面も
蔑視的な面もあり、まさに現在のホームレスを視るのと同様なもの。
532 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:54:55
江戸時代も文盲率は世界と比較して低くはないんですよ。
百姓も結構文字を書ける読める者いたんですよ。
固定的に士農工商を考えるの間違いだ。
533 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:56:52
現役の百姓は武家ではないで終了
534 :
あ:2008/11/02(日) 14:59:36
>>532 君も浅はかだな
庄屋はほぼ識字率百パーせんと
なぜなら一人役場状態の庄屋様は読み書きそろばんできなきゃ一人で役場役全部できませんよ
また寺子屋などは庄屋様だけでなく豪農まで通ってます
また一部藩校では庄屋様は唯一出入りが許されてます
庄屋は特権階級であり真の武家ですよ
535 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:07:39
貧農でも寺子屋通うよ
536 :
あ:2008/11/02(日) 15:09:04
卒や下級武士の識字率は三十パー以外といわれてますけどね
いったい何の存在意義がこれらにあったのかさっぱりわからんW
537 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:09:27
大半の武士は封建領主から家禄をもらう寄生的存在です。
当時の寄生虫的存在です。庄屋は出すほうです。生産単位の代表者です。
形式はどうであれ、庄屋は武士になりたかっただろか?
538 :
あ:2008/11/02(日) 15:11:22
>>535 まー伊藤俊作のような例外は江戸だからありますが ほとんどの村では通ってません
通ってる暇ありません。貧しすぎていきてくことが精一杯
全体の三パー以外はまちがいないですよ
539 :
あ:2008/11/02(日) 15:17:02
>>537 素晴らしい 素晴らしい疑問! 慈円といわれそうだが素晴らしい疑問だね
そういうことなんです
要は 庄屋出自は関東などは豪族地侍土豪有力家臣団は勿論、改易大名から戦国大名まで庄屋に帰農している例がほとんど。
要はなぜ武士に、城下に下れば武士に余裕でなれたのに関東中世有力者はほとんどが庄屋を選んだのか!
ここに江戸初期までの武士という価値観が存在する
こういうことを追求するのが歴史なんですよ あんたらわかった?W
540 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:18:35
この人病院から2ちゃんやってるのかなー?
542 :
あ:2008/11/02(日) 15:24:25
そもそも専属戦闘武士団作った信長は 誰をこれらにした?
小作人や宿なし 無宿 渡世人 犯罪者などを専属戦闘武士団として備えたろ
じゃあなぜあのころ江戸時代みたいに何千両も金出してまで御家人株かってまで武士にならなかった?
そうもしらず 大河ドラマみながら
【武士ちょ〜かっけ〜】
とか馬鹿面さげながら叫んでるんだろうがW
>何千両も金出してまで御家人株
baka?
>>526 あのですね
いくつかの村落をまとめて支配する代官所があります
幕領でも藩領 知行でも同じです もちろん小知行主の場合は現地の村役人に
委託しますけど
流れ者の罪人でも村で取り押さえていい
しかし司法権は幕府 藩主 もしくは知行主にあります
関八州は幕領 藩領 知行が交錯しています しかし大体こんな感じ
ただ広域犯罪や重罪のときは知行主を超えて勘定奉行 関八州取締役の
管轄になります
アナタのおっしゃる例はどこの藩ですか???
545 :
あ:2008/11/02(日) 15:26:24
>>541 なにかわたくし、間違えてることを一ミクロンでもいってらっしゃいますか?
>専属戦闘武士団作った信長
これも頭イッちゃってるね!
547 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:31:02
庄屋がどうのこうの書いてる変態に構うやつがいるから喜んでるよきっと
スルーしないのは雑草に養分与えるようなもの
544も自演だと思う・・・
549 :
あ:2008/11/02(日) 15:33:40
>>544 だからいってるじゃないですか
だれが流れものを捕縛できないなんていったの?庄屋の手に負えない警察権は藩や幕府による権限で強制執行されるといっただけで、あなたは庄屋には警察権などないといったからいったんですよ。
あと、司法権は私の言葉の文です 。裁判権を持ってるといいたかっただけ。
家裁はまさに庄屋といいたかったのです。
町役場 町家裁 町交番 等はすべて庄屋様だといってるだけです 。
551 :
あ:2008/11/02(日) 15:35:09
>>549 言葉の文ではなく言葉のあやです
すいません
こりゃ完璧に自演だわ
>>549 >は?だれが流れものまで捕縛できる権限なんていいました?
大丈夫???
554 :
あ:2008/11/02(日) 15:36:39
なんでも慈円にして 追い詰められると逃げるというのは卑怯だよ
そんなに早く携帯で長文かけるわけないだろ
552も自演w
556 :
あ:2008/11/02(日) 15:38:51
551のれすは549の自分が書いたレスの間違いを正しただけで慈円てか?
どんだけ言いがかりだよ
論破されたならきちんと論破されましたといえばすむことだろ
557 :
あ:2008/11/02(日) 15:41:07
なんだかんだで 中傷しかできてないだろ
俺なにかまちがえた歴史いってんの?
なにが大丈夫?なの?いみわかね
558 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:41:18
全部自演でオケ?
559 :
あ:2008/11/02(日) 15:42:19
ふざけんなこら
お前ら自分で書いたスレまで俺の慈円にしようとしたててんだろがボンクラ
560 :
あ:2008/11/02(日) 15:43:44
この短時間に連投できるわけねえだろカスが
エラーになるにきまってんだろたわけが
561 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 17:33:28
関八州を幕府は何故置かなければならなかった。これを考えてみれば・・・
既に百姓の生産活動や経済活動が小さな地域では収まらなくなった証拠でしょう。
本来はその土地に縛られていた百姓が、封建領主の思惑を超えてその行動範囲を拡大した証左だ。
江戸時代の中期以降は教科書に載っているような、暗い社会ではない。
百姓が兼業あるいは専業で生産性を拡大した、もっと生き生きした時期だ。
寄生虫の武士より自力でいきる百姓の時代への移行期だ。幕府は禁令しかテダテノない・・・
貧乏武士より豊かで自立自尊の存在の方が、ええんじゃない。
562 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:08:20
幕府のまつり事は常に後手後手で・・・
百姓の旺盛な行動を取り締まるだけで、禁令禁令ばかり・・
明治政府はコノ動きに反動的に対処するべき士農工商をデッチアゲ
皇華士平民の根拠にしたのかな?
563 :
あ:2008/11/02(日) 20:05:02
↑君なかなかだな。
いずれにせよ江戸幕藩体制化で士農工商という制度化された法律なんて皆無。
またそんな具体的諸施策を具現化した歴史的事項も皆無。
またこれらを体系的支配構造とした秩序すら皆無
で、なんで士農工商があることになる? ばかどもが
564 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:19:46
あるのは武士と百姓(庄屋を含む農民、商人、漁民など)、僧侶や神官の別くらいのものだよな。
565 :
あ:2008/11/02(日) 20:24:23
いいかげんにしたらどうだ
何億兆回もいうが庄屋は農民じゃない
特権階級であり半武家半御家人だ
庄屋は農家じゃない 庄屋は武家だぶーーけーーー
武家だよ庄屋は 庄屋は武家だ
武家なんだよ武家 庄屋様は領主であり武士じゃなく武家
566 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:29:38
在地代官は武士、大庄屋・庄屋は百姓。庄屋クラスの有力農民が代官所手代などに
召抱えられれば一代限りの卒。
567 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:56:39
>>566 手代になるのは有力農民の次男以下で当主がなるには隠居しなければならない
理由は百姓の人別から幕府へ人別送りをして分限小札を得ることが必要だから
代官所手代は一代限りの準幕臣だが御代官に推挙され手附を経て稀に御勘定まで出世できる
568 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:00:11
関東取締役出役に任命されたのはこういう人たち
百姓とは人別が違うので親子でも村役人は土人として扱われる
569 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:04:16
ちなみに百姓から手代に採用される時には請け人(保証人)が必要でこれは地面持の町人に限られた
570 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:21:11
手代御抱入に際して彼らは御公儀に百姓町人の上に立ちお役に励むことを
梵天帝釈四大天王、総日本国中六十余州大小神祇、殊伊豆箱根両所権現、
三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神に誓い請文した
土一揆というものは名主・庄屋、土倉、造り酒屋(これらはかぶっているものも多い)等に対して行われたものの方が圧倒的に多い。
徳政一揆
573 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:38:50
そりゃ中世には兵農分離なんてやってないし。
575 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 22:09:21
近世の話だろ→土一揆
一部地域で例外はあっても基本的に村役人は武家になれない
577 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:10:21
江戸幕府はその政権の維持に武家の優位性を徹底させた。そして武士道という道徳で武士の資質の固定化をはかった。
260年間に経済的に百姓が発展して、実質の経済の主体は武家から農工商に移っていった。
経済の実体の主役のでない武家がどれだけの政治の主導権があったのか?
事実第二次長州征伐では奇兵隊に負けた幕府軍でね。
江戸の中期以降は武家は世襲制のあるだだの公務員でしかなかった。
そんな武家になんの魅力があるのか、わからん!
血統書つきの猫がいいのか、雑種の猫程度の差だろに!
>>576 基本的に村役人は武家に「ならない」が正式だろうな。金払えば武家に簡単になれたから。
578 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:22:04
村役人は金払っても武家にはなれない
面倒な手続きがあり村役人のままでは格式が与えられるだけで武家にはなれない
579 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:27:02
村役人のままでは人別送りができません
580 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:29:06
一揆がおきれば簡単に藩の取り潰しされる武家がどれだけ百姓を押さえつけられるのか?
しかも生産単位の反乱を寄生虫の武家が徹底的に抑える事などできっこない。
事実、奉行の首を談判で勝ち取った庄屋もいた。
その庄屋とて江戸の中期以降、本百姓や小百姓の実力の拡大で力を失い交代制の制度に変化していく一部地域もあった。
581 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:35:08
>>578 江戸後期では金を払えば簡単に武家になれたでしょ。
貧乏武家の株は大安売りでさ。武家の娘の借金のかたの町人への妾奉公ですらあった時代ですよ。
583 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:39:55
>>581 武家になるには村役人を辞めて百姓の人別から抜けなければならない
つまり村役人のままでは武家にはなれない
584 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:41:49
つまり縁組で百姓の人別から離籍してから武家になるわけですか?
586 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:06:29
当時の手続きだって、今の様に贈収賄の刑罰があるまいし、いくらでも方便はあったせしょうに。
百姓の人別から外して武家の張に入るには方便はきかないよ
そもそも武家になるにはというより、身分的締め付けが強くなったといわれる江戸中期は逆に武家御家人株の売買が横行しています。エッタでも旗本になれています。地獄の沙汰も金次第です。人別から戸籍をわざわざ削除しなくても農家でも御家人に軽くなれてました。
嘘は止めましょう
589 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:22:35
金で買ったといっても縁組か新規抱入れで人別送りしてるんであって自由じゃないよ
百姓や町人の身分のまま御家人にはなれないよ
590 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:24:54
御役に就く時や御番入りする時には芸術届も提出します
591 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:26:15
だいたい嫁入りや婿入りでも人別送るしね
592 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:27:47
>>エッタでも旗本になれています。
>嘘は止めましょう
593 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:35:15
武家の身分は武家にとって最後の砦だから、手続きの面倒くささはあったかもね。
ただ百姓の身分を捨ててまで武家の身分を欲しがるかな。殿様でも成るなら別だけど。
旗本なら殿様ですね
595 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:40:23
弾左衛門もその財力は旗本3000石に相当したのは事実だし、それ並の待遇はあった。
殿様と呼びませうかと女房言い
格式だけなら金で簡単に与えるけど武士そのものになるには金以外にも手続きがあったんだろうな
金で御家人になれたのは確かにそうだけど養子になったりした結果だからね
才能を買われて武士になった百姓町人も召し出される時は隠居してるし
○隠居→人別送り→新規召出
×百姓町人→武家
600 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:00:17
>>570 >梵天帝釈四大天王、総日本国中六十余州大小神祇、殊伊豆箱根両所権現、
三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神
まさに武家の起請文だな
601 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:19:55
江戸時代に穢多、長吏、非人等住む場所は差別隔離されていたが、町家での
飲み食いはそんなに差別はされていなかった。ただ遊郭の出入りは禁止されていたか、実際はどうか?
明治になって政府は税金欲しさに解放令を出した。
けれど既に百姓自冶の確立をしている社会に賎民が入り込むには百姓の力が大きくなりすぎていたので
その差別意識は強力な形で現れた。
平民は江戸の末期もそうだあった様に、明治政府の命令など聞く耳などもたない。
松方のデフレ政策がなければ、賎民の経済的破滅はすくなかっただろに。
士農工商は明治政府の天皇制を確立するためにデッチあげの政治的意図の所産かな?
602 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:30:59
スレタイ嫁
603 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:39:07
>>595 >弾左衛門もその財力は旗本3000石に相当したのは事実だし
三千石の“旗本”になど相当しとらん。
あくまでその財力を石高になおせば三千石程度あったというだけ。
604 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:41:49
行政書士でも弁護士並みに稼ぐ奴はいるさ
605 :
あ:2008/11/03(月) 02:03:51
>>603 弾左右衛門が旗本や御家人株を買おうと思えば余裕だ
しかし買ったものはいない
なぜだよ それは弾左右衛門がもってた興業権や経済特権の方が、武家になるメリット【厨房の憧れ以外実際ない】よりはるかに上回っていたからだ
しかもたかが藩士くらいにわざわざ弾家や庄屋かなろうと思う奴などいなかったことがわかる。
戦前 軍部が台頭していた。まさに江戸時代の武家社会といわれていた時代より軍閥軍人社会だったのは間違いない。
そして地方は庄屋地主型社会は寝ずよく残っていたが、庄屋地主の長男や当時の財閥系企業体の経営者【例えれば弾家や豪商になるだろう】が、
藩士【中隊長クラスの中尉クラスは武家なら上士に当たってしまうため、よくて軍曹が中級藩士だろう】程度になるため、
財や土地、権利権益までかなぐりすててまで没収されてまで藩士になったと想うか?
実際当時の軍人警察も武士出自が多いのは武士だから選ばれたわけでなく、
土地も財産もない武士の雇用先はまさにこれら程度しかなかったからだ。給金もらわな生きていけない奴ら
庄屋経営者地主などは 給金もらわなくても 余裕だもんなW
たかが藩士くらいならなるやついねーよW よほど勝新太郎の爺みたいな検校のくせに渡世人みたいなヤクザもんが厨房みたいな憧れでなるくらいでさW
606 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:09:43
また電波か
もしかして、また妄想で断定?
本気でアタマおかしいんだなぁ、お前
607 :
あ:2008/11/03(月) 02:13:59
実際卒や足軽クラスなら 軍隊では最高でも一等陸士だろW
ほとんどが中卒でも最初になる三等陸士の一平卒
こんなんなるために 庄屋が莫大な財産や不動産、権利権益まで没収されてまで城下にくだるわけねえだよばかW
現実わかるべ?
608 :
あ:2008/11/03(月) 02:15:35
だからなにがどこが猛壮なわけ?現実だろ 事実だろが
609 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:27:50
〉名主(庄屋)
幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
610 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:31:37
庄屋の次男以下なら、どっかの養子になって、株買えば武士だよ。
苗字帯刀が許されれば、後は羽織でもきれば武士だ。
その時、財産や不動産、権利権益等捨てる必要もない。
逆に武士が商人の家に養子ではいれば立派な町人だ。
>>610 庄屋の次男以下に限った話じゃないよ!
>苗字帯刀が許されれば、後は羽織でもきれば武士だ
そんなことないんだよ
612 :
あ:2008/11/03(月) 02:43:00
そげんゆうこつなら、 特高【特別高等警察】は特定国家公安にあたり、江戸時代ならまさに直臣くらすの役だろう
特高には今ではしんずられないほどの権限が与えられている
この特高に逆らえば華族以外はほぼその場で射殺されることにもなる
特にこの特高がかつやくしたのは満州
しかしこれだけの権限もっていたから経営者地主より社会的立場は上だなんて妄想はなはだしい
武家株も金さえあればくるもの拒まずの職が社会的立場は卒でも上なんて幻想なんだよ。
卒より身分が低いなんていう解釈は 士農工商と同じで現代につくられた妄想解釈だからほんとに。
613 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:44:33
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【チョン未満】北海道人は劣等民族 [人権問題]
貧農、水飲みクラスから庄屋になった奴の方がずっと多かったんじゃね?
615 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:52:29
なんで庄屋にこだわってんの?
なんかリアル中卒みたいだけど
江戸時代は、大雑把に言えば、武士とそれ以外の二元論になる。
その基準は、将軍家や諸侯に属している(家臣としての主従関係がある)かどうか、と捉えると解りやすい。
武士や農民という身分は、その時々の状態を表すものであり、実情はともかくとして、理屈の上では固定されたものではない。
代々の農民でも、将軍家や諸侯の家来になると武士となり、関ヶ原以来の大身の武士でも、主従関係を失えば武士ではなくなる。
天領の手代は、公儀お抱えの役人として、代官から給金と扶持米を支給され、職務上は士分の待遇を受けているが
いわば雇われ人の立場であり、将軍家や代官(旗本)の家来になったわけではないので、武士としての身分保障はなかった。
その他、武士のように見えて武士ではない(家臣としての主従関係がない)ものとして、士分格や名字帯刀の待遇がある。
617 :
あ:2008/11/03(月) 02:58:49
>>614 うそつくなボンクラ
関東庄屋の方が 武士なんかよりほとんど流動性がねえよ
こういうと語弊がありだろうが確かに江戸中期までの庄屋は名門武家アガリ出自だったが中期以降から経済の流動性が激しくなり、新興地主等の台頭により没落する旧庄屋層がでてきたのは事実
でもそれも一部だ だからといって新興地主が庄屋格になれたというのも一部のみ
実際関東農村調べてみると 庄屋がいない村がかなり多い
組頭や百姓代はいるが庄屋がいない村
旧名門庄屋層の没収により必ずしも庄屋が新しく任命されることはない。
また麻生庄屋のように、こういった没落庄屋村は近隣豪族庄屋の管理下におかれることが多かった。
なかには商人くずれの美智子家庄屋も江戸後期台頭しはじめるが、それは武家と同じ
しかし小作や水飲みから庄屋になったものがいないとは言わないが 武士なんかよりそんな出自の流動性は皆無にしとしいから
618 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:03:23
で、このスレを信用している馬鹿ってどれくらいいるの?
619 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:05:19
問 手代は御代官の雇のようなものでありますか。
答 左様、手代は御代官の雇です。
問 すると旧幕の人別に入っているのではありませぬのか。
答 勤め中は幕府の人別であります。
620 :
あ:2008/11/03(月) 03:09:15
>>614 逆に中卒が庄屋にこだわるわくねえだべよ
中卒は大体信長や秀吉に憧れるもんよ
青森の富豪成金にして選挙マニアの偽名羽柴秀吉氏のようにW
また現代につくられた虚構だけにとらわれた武士マニアが中卒程度だろ
江戸を理解するならなにより庄屋 という階層の社会的立場や他の身分との相関性を体系的に紐解けば、江戸期の根幹的構造が浮かび上がってくるよ
そこにこそ 現代につくられた虚構としての日本史からの脱却がなせる唯一の手段
現実としての真意となる武家武士藩士の存在が浮かび上がるよ
また我が一族は地侍武家超名門庄屋家だが、明らかに士農工商などといった現代の虚構史観とは異なる存在としての支配階層だったことがわかってる
621 :
あ:2008/11/03(月) 03:10:32
622 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:12:03
ミエミエの自演したり恥ずかしいよ
徳川幕府県治要略くらいよんどけよ中卒w
623 :
あ:2008/11/03(月) 03:14:06
慈円してねつてんだろ なんで故意的慈円認定による意図的謀略により全部一人レスにしたてようとすんだかよ
624 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:30:40
この中卒けっこう歳くってそうだなw
>>619 天領の手代は、代官の私的な家臣やお雇いではなく、幕府の役人。
代官を通じて幕府から諸経費的に給金を支給されていた。
大層な役柄であり、士分の容儀を許されていたが、私領においては士装を解かねばならない。
あ庄屋農民はレスこないでね!
荒らし回るヤメなさい。
このスレ武家のお話しで
農民格の庄屋は議題外です。
627 :
あ:2008/11/03(月) 03:35:18
まだギリ二十代だよ雑魚
それからな 俺は関八州屈指の進学校卒なんだよ
なめんなよ虫螻が
628 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:38:47
皆さん「あ」の正体がわかりました。
関東の進学高校=マーチクラスに7割程度受験する普通の高校
「あ」は大学をあきらめて専門学校に進学しました。
専門学校を卒業し歯科技工士になり、歯科技工所に一応、超低賃金で就職
しかし、その技工所でも「下手くそ」「使えない」のレッテルを貼られ退職。
一時ニートだったが、現在、コンビニで働いてる。
こういう人生を逆恨みして、自分の家系の過去を過大に思い込み
「庄屋は昔、地位が高かかったんだ」と自説を垂れ流している。
また、日本に革命でも起これば「きっと自分は今の状態から抜け出せる」
と誤解しています。
629 :
あ:2008/11/03(月) 03:39:31
>>626さん
士農工商はなかった 武家は誰でもなれたというすれないようを解釈するなら
わたくしは 旧武家層である庄屋層と新武家層である藩士とをはかくせねばならないとかんずるのです
わたくしは正しい啓蒙をなしたいのです
どうかお許しください
スレ回数は控えるようにしますから
630 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:43:05
631 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:43:57
632 :
あ:2008/11/03(月) 03:44:58
申し訳ないがマーチなんて恥ずかしいくて行けません
マーチなんかいく程度の私立脳ならわたくし大学などにいきません 恥ずかしいですから
マーチしか行けないような高校にも進学いたしません 情けないですから
きちんと中学時代最低限勉強してれば マーチなんてレベルのところにまずこだわらない名門大学にはいれるはずです
マーチてW 偏差値五十代高校が割拠する大学ですよねW はずかすぃW
633 :
あ:2008/11/03(月) 03:45:53
だから慈円してねいよ
634 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:47:44
635 :
あ:2008/11/03(月) 03:50:01
>>628=
>>634のくせにわざと俺に問いかけておきながら慈円認定するクソ餓鬼乙 ばればれなんだよ
636 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:51:12
637 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:51:31
>>629 >わたくしは 旧武家層である庄屋層と新武家層である藩士とをはかくせねばならないとかんずるのです
あ)よ
お前は江戸時代の庄屋階層が軒並み旧武家層からの成り下がりであり、
江戸期の諸藩の藩士は逆に軒並み非武家層からの成り上がりだという事にしたいのかw?
もうこの辺でいい加減にしとけ!
638 :
あ:2008/11/03(月) 03:55:38
そうはいってませんよ
上士くらすは庄屋と同等といってるじゃないですか
しかし卒や下級は応仁以来の成り上がりなのはしかたがないでしょう 現実ですから。
しかしわたしは家柄対決ではなく 現実としての真実を 階層のハザマから読みとれるといってます
武家層だけをみて歴史を語るなんざ 歴史家のする発想じゃない
639 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:55:49
640 :
あ:2008/11/03(月) 03:57:33
書き込み時間みろよゴキブリめ
一分以内に三レスも四レスも連投できるわけねえだろ禿鷹め
641 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 03:57:49
ああ言えば庄屋
642 :
あ:2008/11/03(月) 04:02:29
わたくし 以前大学対抗のディベート大会でキングに輝いたこともある論破王です
私は人間として というより脳細胞が別格なので申し訳ない
戦国から近世初頭にかけて、領主や土豪が帰農して庄屋や本百姓になったりしたので、庄屋が武家の系統であることは多いと思う。
(関東の場合、戦国時代の豪族が庄屋になり、その家臣が本百姓・小作人になって、一村まるごと主従関係を保っていた例まである。)
また、庄屋は、長屋門とはいえ門を構えることと、玄関を設けることを許されており、格式の点では申し分のない扱いを受けていた。
精神面を見ても、庄屋の子弟は江戸や京に遊学したので、下手な武士よりも教養が深いし、その見聞や交流は思いのほか広い。
とはいえ、スレタイの士農工商は江戸期のことだと思われるので、郷士の家格は別として、庄屋の属性は武士ではない。
644 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:07:45
608 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/10/24(金) 16:27:46
皆さん、「あ=庄屋」の正体分析できました。
関東の進学高校=マーチクラスに7割程度受験する普通の高校
「あ」は大学をあきらめて専門学校に進学しました。
専門学校を卒業し歯科技工士になり、歯科技工所に一応、超低賃金で就職
しかし、その技工所でも「下手くそ」「使えない」のレッテルを貼られ退職。
一時ニートだったが、現在、コンビニで働いてる。
こういう人生を逆恨みして、自分の家系の過去を過大に思い込み
「庄屋は昔、地位が高かかったんだ」と自説を垂れ流している。
また、日本に革命でも起これば「きっと自分は今の状態から抜け出せる」
と誤解しています。
そのうち、東京で革命を叫んでテロを起こすでしょう。
これが彼の正体です。「あ」違うところあれば反論してみな?
645 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:09:20
>わたくし 以前大学対抗のディベート大会でキングに輝いたこともある論破王です
>
>私は人間として というより脳細胞が別格なので申し訳ない
どうみても病的な妄想家です。本当にありがとうございました。
646 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 08:49:18
歴史への視点を当時の支配者から見るのはその時代を理解するのに不十分だ。
一般庶民の文献が少ないからなかなか見えない。
特に江戸中期以降は武家の役割は唯の世襲制公務員と理解した方がいいんじゃない。
時代は既に「百姓の時代」が始まっているのだから。サンピンの時代の始まりだからね。
庄屋だって江戸の中期以降は嘗ての力を失い、実力を付けた本百姓小百姓の時代の始まりだ。
経済的主導権を失っていいく武家に何の魅力があろや。
明治維新だって豪商豪農の経済的支援で出来たものだ。既に虚構の存在になりつつの武家は
ナルシズム的自尊心だけでは明治維新後は、あっという間に没落や。
明治以降、士族登録したのは家の概念から抜けきれない時代錯誤の武家と公務員武家かな。
だから明治以降士族に対しての畏敬など直ぐに消えていく。
明治の特権階級を確立する為に江戸の「士農工商」の拡大解釈が必要だったんだよ。
それにしても、このスレは発育不全の低脳ガキが多いな。おまえの尻が自分で拭けるように成るのがさきだろう。
647 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 09:13:52
↑また馬鹿が現れやがった。当たり前のことを書いてなに悦に入ってんだか。
>>646 〉一般庶民の文献が少ないからなかなか見えない
武士の側からみれば記録する必要性も感じられないほど取るに足らない存在でしかなかったということ。
また、百姓の側からみれば、自分達のことを文献に記すことも出来ないほど無教養だったと自ら告白してるようなもの。
649 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 10:57:07
痛い庄屋ヲタ必死だねぇ〜
粘着しすぎだろ。おまえバイセクシャルか?
650 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 11:13:41
>>648 書くことによって武家の無能性の証明になる事だてあるだろが・・・低脳
記録は支配者にとって都合の良いことに限定されることだってあるだろう・・・ゴミ野郎
>>649 また低脳差別ゴミか! おまえの友達のゴキブリと遊んでろ!
>>648 庄屋クラスなら江戸期の村政文書を所有する家はザラにあるよ。
当主の個人的な日記・見聞記を保存する家もザラにある。
中には家系の由緒を伝える江戸期以前の古文書を所蔵する家もある。
庄屋などの上農層は、神官などと共に在方における知識人層であるから
何ら珍しいことではない。
武蔵国の場合、幕府・昌平坂学問所編纂の『新編武蔵風土記稿』
(文政年間完成)が、そのような家を「旧家」という項目を設けて
各村毎に特記している。それらの家は旧・領主、土豪の家系の者が多く、
文書とは、例えば小田原北條家から発給された所領関係の文書だったりする。
一般武士の場合、そのような文書を持つ家は珍しく、江戸期以前の系譜・事蹟を
たどれない家が大半。一般武士のルーツは、領主や土豪には至らない自作農レベル
の者が中心だからだろう。
>武士の側からみれば記録する必要性も感じられないほど取るに足らない存在
>自分達のことを文献に記すことも出来ないほど無教養だったと自ら告白
>してるようなもの
煽りで書いてるなら分からんでもないが、本気でそう思ってるとしたら
重症だな。無知・無教養だと自ら告白してるのは君自身だよ。
「武士は偉くて裕福、農民は全部ひっくるめて下賤で貧乏」
こんな江戸時代観を持つ人間が今でもいることが驚き。
時代に取残されてるな。
こういう人って、先祖が足軽とか小作農民とか都市貧民層とか
社会の底辺の階層の人なのか?
武士信仰と卑屈な農村観が異常すぎる。
田舎でさんざん貧乏して、都会に行けば何とか食っていけるだろ、
って事で都会に集まった貧乏人は、田舎に対してネガティブなイメージしかない。
彼らにとっては田舎=農民は貧乏・悲惨・卑屈の象徴なんだろうな。
だけど、こういう連中が現代日本の都市住民の主流なんだよね。
地方で食えない連中が都会に流れた。産業革命以後の英国や欧州大陸諸国、
現在の途上国、歴史上よくある現象だ。
653 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 12:21:01
>>651 長々と書く前に
>>646をよく嫁よ。
〉一般庶民の文献が少ないからなかなか見えない
〉時代は既に「百姓の時代」が始まっているのだから。サンピンの時代の始まりだからね
〉庄屋だって江戸の中期以降は嘗ての力を失い、実力を付けた本百姓小百姓の時代の始まりだ
「一般庶民」、
「サンピン」、
「実力をつけた本百姓小百姓」
これらがお前の言うような
≫「江戸期の村政文書を所有する」「ザラにある」「庄屋クラス」
について述べている文章に見えるのか?
≫「家系の由緒を伝える江戸期以前の古文書を所蔵する」「家」
について述べている文章に見えるのか?
≫「庄屋などの上農層」
について述べている文章に見えるのか?
うん?うん?うん?
「百姓」と見下されてカッとなってるんだろうが、どう見ても
≫異常すぎる
のは君の方だよ。
654 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 13:09:52
スレタイを読めよ
例えば庄屋や名主から登用されて武士になる場合にはどういった手続きが必要だったかとか
同じく寺社人から武士になる場合とかか書けよ
655 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 13:26:02
ようは幕府の養子縁組以外の方法だと
幕閣への抱入伺いと人別の移動と請け人が必要なんだろ
>>653 >>646はお前の文章なのか?意味不明。
>>648が無知を曝け出す大間違いの文章書いてるから指摘しただけ。
>「百姓」と見下されてカッとなってるんだろうが
見下されても何も、俺の家は百姓じゃないから。
そう言うお前はそんなご立派な家の人間なのか?
648並みの無教養ぶりでさw
657 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:00:38
庄屋から武士になるには隠居した上で身元保証を立てて浪人として召し抱えられるんだろ
658 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:03:35
御家人株買って行商人や盲目の街金までが武士になってますが何か?
661 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:08:22
買うと言うことは縁組や組内の推挙を金で買うことですよ
もちろん人別の移動が必要です
662 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:09:37
御家人株が誤解されている悪寒
榎本武揚の父・円兵衛は旧名を箱田良助といい、備後国の箱田村で、
その地の実力者(庄屋)と福山藩主の家臣の娘との間に、家の次男として生まれました。
良助は学問に秀でていたので、その才能を活かそうと、やがて江戸に出て天文学を学びました。
彼は地図測量で有名な伊能忠敬に師事し、忠敬の死後、その志を受け継いで日本地図完成に尽力しました。
その後、彼は幕臣(御家人)の榎本家の株を50両で買い、榎本家の娘を娶って婿養子となり、
名を榎本円兵衛武規と変えました。そして、天文学と日本測量で培った知識が、
時の将軍徳川家斉に気に入れられ、彼の御伽衆として仕えるようになりました。
勝海舟は文政6年(1823年)、江戸の本所亀沢町で生まれた。
父・小吉の実家である男谷家で誕生した。
曽祖父・銀一は越後国三島郡長鳥村の貧農の家に生まれた盲人であった。
江戸へ出て高利貸し(盲人に許されていた)で成功し巨万の富を得、
検校の位を買い、米山検校を名乗った。
銀一の子・平蔵は、御家人株を入手して男谷家を興した。
男谷家はのちに旗本に昇進した。その三男が海舟の父・勝小吉である。
小吉は三男であったため、男谷家から勝家に養子に出された。
勝家は小普請組という無役で小身の旗本である。
勝家は天正3年(1575年)以来の御家人であり、
系譜上海舟の高祖父にあたる命雅(のぶまさ)が
宝暦2年(1752年)に累進して旗本の列に加わったもので、
古参の幕臣であった。
665 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:44:18
>>660 >お前馬鹿だね。
レスの流れに関係なく
>>648の内容は間違いだと言ってるのだ
なにが
「と言ってるのだ」
だ。
今になってあと付けで言ってんじゃねえか!
>>646の
「一般庶民」
「サンピン」
「百姓小百姓」
などの言葉を承けて俺が
>>648のレスをしたことを理解できずに
>>656 >
>>646はお前の文章なのか?意味不明
とか
>>651 >庄屋クラスなら
と「庄屋」で始まる文章を本気で書いてるなら、
君は歴史以前に国語の勉強をした方が良いよ。
いやマジで。
666 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:44:39
少禄旗本 勝小吉
樋口一葉の父、則義は甲斐国・中萩原村の生まれの農民だった。
しかし、農事を好まず、村の寺で学問の手ほどきを受けていたが、
同じ村の「たき」という女性とともに、駆け落ち同然で江戸に出た。
則義は幕府の蛮書調所の小使いから始め、御家人株を買って幕府直参となる。
幕府崩壊後は、東京府に出仕。1876年に免職となるが、
警視局傭となり、そのかたわら金貸や不動産の斡旋で蓄財した。
668 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:47:49
家督相続した一葉はひどい貧乏たけどね
馬鹿が、己が馬鹿という今更な事実を突き付けられてパニクってるね>665
670 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:55:33
川路聖謨と井上清直も代官所の書役か手代の家から旗本に養子に行って出世してるね
671 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:03:56
百姓の記録なんて掃いて捨てるほどあるのによっぽど資料を読んだことないんだね
672 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:05:59
>>669 君は
>>651で
>煽りで書いてるなら分からんでもないが、
と書いているが
>>660 お前馬鹿だね。
>>669 >馬鹿が、己が馬鹿という今更な事実を突き付けられてパニクってるね
どうやら「煽り」は君の方のようだね。
以後スルーするわ。
だが国語の勉強だけはしておけよ。
673 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:08:19
なにこれ?????????????
自演????????????????????
674 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:09:48
649 は俺でその後何も書いてない。
675 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:29:52
チンケなプライドがぶっ潰されましたね
676 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:41:24
と先天性脳欠落者が妄想を申しております
庄屋の家の次男が上級藩士の養子となって藩士の家を継いでいる例は見かけるね。
その場合は普通の養子縁組で、御家人株とは関係ないが。
結構、武士=地主とか言ってる人がビックリだな
679 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:45:48
こいつぁすげえわ、ハリボテの風車どころじゃねえや、見えない 戦車と戦ってやがる
680 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:47:19
>>680 高松凌雲は、天保7年(1837年)12月25日、福岡県で庄屋の子として生まれた。
20歳の時、久留米藩の藩士・川原家の養子となった。
22歳で江戸にいる兄を頼って上京し、医師を志すようになる。
まず、その当時、蘭方医(オランダ医学)として著名だった
石川桜所の門下に入り、オランダ医学を徹底的に学んだ。
その後、大阪に出て全国から俊才が集まっていた適塾に入塾し、
緒方洪庵の指導を受けた。凌雲はここでも頭角を現し、
西洋医学の知識のみならず、オランダ語を自由に操るまでになる。
更に、幕府が開いた英学所で学び、英語もマスターした。
慶応元年(1865年)、凌雲の学才を知った一橋家が、
凌雲を一橋家の専属医師として抜擢する。
ほぼ時を同じくして一橋家出身の徳川慶喜が第15代将軍となったため、
凌雲は幕府から奥詰医師として登用されることとなった。
渋沢栄一は天保11年(1840年)2月13日、武蔵国血洗島村(現:埼玉県深谷市)に
父・市郎右衛門、母・エイの長男として生まれた。幼名は市三郎。渋沢成一郎は従兄。
渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける富農だった。
原料の買入れと販売を担うため、一般的な農家とは異なり、常に算盤をはじく
商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、
藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出かけるようになり、
この時の経験がヨーロッパの経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、
後の現実的な合理主義思想につながったとされる。
徳川慶喜の家臣・幕臣として
5歳の頃より父から読書を授けられ、7歳の時には従兄の尾高惇忠のもとに通い
四書五経や『日本外史』を学ぶ。剣術は、従兄弟の新三郎より神道無念流を学んだ。
18歳の時(1858年)には惇忠の妹千代と結婚、名を栄一郎と改めるが、文久元年(1861年)に
江戸に出て海保漁村の門下生となる。また北辰一刀流の千葉栄次郎の道場
(お玉が池の千葉道場)に入門し、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。
京都に向かい、一橋家家臣の平岡円四郎の推薦により一橋慶喜に仕えることになる。
仕官中は一橋家領内を巡回し、農兵の募集に携わる。
主君の慶喜が将軍となったのに伴い、幕臣となり、
パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の弟徳川昭武の随員として、
フランスを訪れる。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。
パリ万博とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学するものの、
大政奉還に伴い、慶応3年(1867年)に新政府から帰国を命じられ、12月に帰国した。
某、百姓に帰りまする(by渋沢)
郷 純造(ごう じゅんぞう。文政8年4月26日(1825年6月12日)-
明治43年(1910年)12月2日)は、
幕臣、大蔵官僚、政治家である。男爵を授けられた。
美濃国黒野(現在の岐阜市黒野)の豪農の三男として生まれる。
弘化元年(1845年)江戸に出て大垣藩用人に武家奉公した後に
旗本など奉公先を転々とするが、長崎奉行牧義制の納戸役として
嘉永5年(1853年)のオランダ使節来訪問題に対応し、
続いて箱館奉行・堀利煕の用人としてその樺太・蝦夷地巡回に随行する
など対外問題に遭遇、更にその経験を大阪町奉行鳥居忠善に買われて
貿易問題を担当して同家の家老として抜擢された。
鳥羽伏見の戦い直後に撒兵隊に属する旗本の株を買って幕臣となるが、
同隊の新政府に対する徹底抗戦路線には従わずに江戸開城後は新政府軍に従った。
明治維新後は新政府に入り大蔵官僚として活躍する。
特に渋沢栄一や前島密、杉浦愛蔵ら旧幕臣の登用を
大隈重信や伊藤博文らに薦めた功績は特筆すべきである。
実業家・貴族院議員の郷誠之助は、純造の次男。
前島 密
(まえじま ひそか、天保6年1月7日(1835年2月4日) -
大正8年(1919年)4月27日)は、日本の官僚、政治家。
男爵を授与された。日本の近代郵便制度の創設者で、
1円切手の肖像で知られる。
「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。
その多大なる功績から「日本近代郵便の父」と呼ばれる。
•天保6年(1835年) - 越後国頸城郡津有村下池部(現在の新潟県上越市)に
豪農、上野助右衛門の二男としてうまれる。
房五郎と名づけられる。
•弘化4年(1847年) - 江戸に出て医学を修め、蘭学・英語を学ぶ。
•安政5年(1858年) - 航海術を学ぶため函館へ赴く。名を巻退蔵と改める。
•安政6年(1859年) - 武田斐三郎の諸術調所に入る。
•慶応元年(1865年) - 薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師となる。
•慶応2年(1866年) - 幕臣・前島家の養子となり、家督を継いで前島来輔と名乗る。
漢字御廃止之議を将軍・徳川慶喜に提出。
•明治2年(1869年) - 明治政府の招聘により、民部省・大蔵省に出仕。
・明治35年(1902年) - 男爵授与。
686 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:54:28
>>681 河原家は久留米の有馬家中ではなく陪々臣ですよ!久留米藩の有馬の家来の家来!
根岸 鎮衛(ねぎし しずもり)は、
江戸時代中期から後期にかけての旗本、南町奉行。
150俵取りの下級旗本の安生定洪の3男として生まれた。
江戸時代も中期を過ぎると御家人の資格は金銭で売買されるようになり、
売買される御家人の資格を御家人株というが、
同じく150俵取りの下級旗本・根岸家の当主・根岸衛規が30歳で
実子も養子もないまま危篤に陥り、定洪は根岸家の御家人株を買収し、
子の鎮衛を衛規の末期養子という体裁として、根岸家の家督を継がせた。
鎮衛が22歳の時のことである。
(御家人株の相場はその家の格式や借金の残高にも左右されるが、
一般にかなり高額であり、そのため鎮衛は定洪の実子ではなく、
富裕な町家か豪農出身だという説もある。)
689 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:03:26
Wikipediaコピペw
690 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:08:20
久留米藩士有馬飛騨の家来だね
でも脱藩といってるから藩士ではあるのか
694 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:16:55
695 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:18:29
陪臣はいつまでも陪臣という制度があり、藩内は佐幕と勤皇の2派に分かれて反目し合っているなどで、武士の生活に見切りをつけ、医者を志して、ついに脱藩を決意した。安政6年4月、黙って養家を出た凌雲は、そのまま久留米の地を去った
だってさ
696 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:22:15
697 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:23:53
正確に言うと脱藩ではなく有馬飛騨家から逐電だろうね
>>696 というか「藩士」という言葉自体、当時の正式の用語か?
河村瑞賢(1617-1699)は伊勢国の貧農の子だが
江戸に出て豪商になり元禄年間には旗本になっているね。
700 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:27:33
藩士より家中だね
直臣じゃないから有馬家家臣有馬飛騨の家中で久留米城主有馬家の家臣じゃない
>>696 少なくとも「武士」ではあるんじゃないの?
>>698 藩って言葉が無かったんだから無いだろうな
「XX家中」ってのが普通でしょ
703 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:29:56
江戸で言うなら農家の次男が旗本の家来の養子になったようなもので上級武士なんて程遠い
まして久留米の田舎陪臣だではな
704 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:31:00
705 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:33:35
あーあ
ウィキなんて貼るからだよ
706 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:35:39
>>681 >庄屋の家の次男が上級藩士の養子となって藩士の家を継いでいる例
これが高松凌雲?
そもそも武士=貧乏暇なしの時代だからなぁ
農民が武士になったら「ヤクザ者になった」と嘆かれるぐらいだし
水戸学の藤田幽谷は古着屋の次男から水戸藩士(150石)になってる
710 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:43:35
藤田東湖なんて誰でもしってるよ?
それがどうしたの?
711 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:44:34
庄屋必死だなw
712 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:46:26
ソースがWikiって最低だな
714 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:54:51
高松が養子に行った河原家は久留米藩の上級藩士なの?
715 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:55:31
>>712 確かにWikiはどの分野でもいい加減さが散見されるが、
内容に批判があるのならば、具体的箇所を指摘して反証しろよ
「あ」は昭和53年頃、代々自称庄屋と称する家の次男として栃木県に生まれた。幼い頃から嘘吐きとして知られていた。親戚一同自称庄屋・村役人の家系であったと自称する。
「あ」家はかつては富農だったというが、「あ」の生まれた頃には土地その他財産は全て他人に取られ、生活に窮した「あ」は生きるために詐話師的な才覚を身につけることになる。
兄はヤンキー、父は飲んだくれという環境下で育った経験が今日の2chにおける狂ったレスをしまくるという素地を作り出し、
スレ住人達から侮蔑を含んだ嘲笑を受けながらも、一向に止むことのない妄想を抱くに至ったとされる。
自身の生家は名門足利家の一族であると
幼い頃より教えられ、その子孫である己れこそが日本を変革する使命を担うことになるのだという強い妄想を抱く。
その思想は、独学で学んだ。
18歳の頃には歯科技工士専門学校に入学するも挫折。数年に渡るニート生活を経たのち、現在はコンビニ店員をしながら、2chに支離滅裂で矛盾に満ちたレスを投下しまくるといった毎日を送っている。
717 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:57:35
>>714 上級藩士ではなくて家老=上級藩士の家臣だよね
718 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:01:23
陪臣、又者、又家来
719 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:05:14
>>715 ココ↓
久留米藩の藩士・河原家の養子に
720 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:13:39
>>719 「藩士」は現在の言葉だから微妙なんじゃないか?
直臣・家中と書いてあれば間違いだが。
地方知行制が残存した仙台藩の例でもそうだが、
家老の家臣を「藩士」でないと否定するのも無理があるような。
721 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:15:39
>>719 陪臣を藩士というのはかなり無理があるよ
722 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:19:04
719じゃなくて
>>720だったね
旗本の家来を幕士や幕臣とは言わないし無理があるよ
723 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:20:39
一般的に陪臣は士ではなく準士です
724 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:20:59
>>601 馬鹿いわないように
弾左衛門が八百善でどういう扱いうけたか知らないのか?
被差別民は店で飲食できたとしても 裏で器も別
それもごくまれだよ
725 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:21:14
件のWikiでは
藩士(はんし)は、江戸時代の各藩に仕えた武士に対する呼称。
厳密には武士以外にも足軽や中間といったいわゆる士分格ではない者も含まれている為、
藩士=武士というのは間違いであるとすることがある。
つまり藩籍を有する者全てを指す方が正しいとする説がある。
但し、藩士=士分を指すことが多い。
ちなみに江戸時代は、藩士が自らのことを藩士と呼ぶことはなかった。例えば、薩摩藩の藩士なら自らのことを「薩摩藩藩士誰々」と名乗るのではなく「島津家家臣誰々」と名乗った。
726 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:25:21
つまり陪臣を藩士というには無理があるわけだ
727 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:26:15
家老とその家来が同じであるはずもない
728 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:28:27
家老の家来(陪臣)は家老に仕えているのであって藩に仕えているわけでわないからWikiの定義にも当てはまらない
>>722 幕府じゃなくて久留米藩の話だろ?
久留米藩の制度ではどうなんだよ?
この藩は陪臣が一般的にうじゃうじゃいる藩なのか?
ちなみに武家ではないのだが、朝廷では
摂関家や清華家、宮家、門跡に代々仕える者でも
諸大夫・侍は、れっきとした有位者で朝廷の「官人」だよね。
だから陪臣的形態のみで云々できない。
各藩ごとの規定等によって判断するしかないのでは?
731 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:37:53
陪臣は相当いるだろうね
732 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:40:15
733 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:42:05
数はしらないよ
734 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:20:41
735 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:28:09
外様の有馬家だから常識的に
本来は、大名の家臣は陪臣。将軍の直参である大名が直臣なので、大名の家来が陪臣で、その家来は陪々臣。
大名を基準にした場合は
1.陪臣の扱いは大名によって異なる。
陪臣は、直臣と同席さえ許されず、場合によっては無礼打ちの対象となるなど、明らかな差別を受ける。
(大名の家臣が公式には旗本と同席できないのと同じ。)
幕末には、勝手に陪臣が家中を名乗る例があるかもしれないが、幕吏に捕縛されたときにどう出るかは、その大名家の家風による。
2.旗本の家臣は、実力差はともかくとして、格としては諸藩の士と同格。
大名も旗本も、石高は違えど、将軍家直参のお目見えで、その意味では同格だから、家臣の地位も同格となる。
3.大名の家老の家臣であっても、本藩から見れば陪臣であるが、制度的には陪臣にあたらない者がある。
紀州などの付家老の家臣がそれで、付家老は大名(将軍家の直参)でもあるから、その家来が陪臣と蔑まれるいわれがない。
4.ところで、大名の家臣は殿様から知行を受けているが、例えば家老の家臣は家老から知行を受ける者であり、大名家とは直接のつながり
がないので、その大名家の軍勢の一部ではあっても、家中ではない。
5.したがって、藩士=家中と捉えるのであれば、陪臣は藩士ではない。
なのですが、陪臣を藩士と表現したのは、まあ御愛嬌で、いいじゃない? (ショックを受けて、面白いレスが止まるのが残念)
豪農の次男・三男が上級藩士や幕臣に養子に行く件だが
俺の記憶では、形式上、別の武家の「猶子」となった上で養子縁組
していたように記憶している。だから藩の公式文書等からだけでは
実態が分からないようになっている。非公式の家伝や記録で判明するもの。
富農層は、その子女が上級藩士の家に奉公に行くなどで接点を持つことが
多く、また藩士側も財政的な援助を期待して縁戚関係となることがあった。
なお、明治期の宮家では代々奉公する京都時代以来の侍女・女中もいたが、
東京近辺の豪農の子女が奉公に上がっている例もよく見られる。
738 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:39:14
ウィキだからな
739 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:56:31
まあ、武士程度では敷居も低く、農工商も入り込む余地はあったということだろうね。
旗本も貧農上がり、能役者上がりもいるし。
さすがに大名になると増山(譜代)、本庄(譜代)、間部(譜代)は稀有な例
かもしれない。
更に堂上公家になると、成上り臭いのは富小路(二条家庶流を称す)と
竹内(清和源氏を称す)の2家だけだね。
740 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:51:32
旗本はエッタまでいますから
741 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:25:43
誰よ
742 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:29:06
剣が達者なら
料理人やアサリ売り
座頭市や染物屋でも
武士になれた
743 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:33:45
やたら庄屋と穢多非人の話題になるね
いかにも頭悪そうだし間違いだらけで読む気にもならないけど
745 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:36:00
>>744 農民クラス(庄屋・百姓・穢多)グループ
>>744 つ
〉このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【チョン未満】北海道人は劣等民族[人権問題]
なんで市民平等なのに、皇室があるの?[人権問題]
【理事長も学生も】中核派 part63【みんな労働者】[共産党]
人権板・共産党板を根城にしてる連中が出張してきて建てたスレですから・・・
〉やたら庄屋と穢多非人の話題になるね
そういう連中が自演を連発しながらかいてるからね。
スレ全体の臭いでわかるでしょ?(^ω^;)
747 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 16:51:37
中岡慎太郎は庄屋です。
748 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 17:00:55
幕末の志士 北添吉摩も庄屋っす
749 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 17:02:17
いや、松尾多勢子も庄屋志士だす
750 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 17:04:10
そういや吉村寅太郎も庄屋の志士だねぇ
751 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 17:04:54
まだまだいますよ!松尾庵も庄屋の維新志士だし
752 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 17:07:16
すげーな!庄屋って幕末もそんなに活躍してる偉人がいるんだね!野崎主計も庄屋の志士だしね!庄屋は江戸時代でもやはり力があったんだね!庄屋はなかなか凄かったんだよね
753 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:14:12
商人から大名にまで上り詰めたのは、小西幸長が最後かな?
関ヶ原後に首謀者の石田、安国寺と共に斬首されたのも、
これが原因(商人風情が調子乗るなと見せしめ)
754 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:18:15
岩倉の周旋婆が出るとは思わなかった。
756 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:28:01
連投自演ウザ
757 :
あ:2008/11/04(火) 22:39:52
どうして俺は歯科技工士となるの?どっからそんな発想がでるんだ?わたしは革命思想家ですよ 偉大なる哲学者だ
それからな 庄屋じゃないというが、勿論町の郷土史に 地侍から庄屋になったとかいてあるし、我が民はみんな庄屋様 お大臣様と呼ぶのじゃよ!なめんなエテ公W
さらにな 初代任命町長様だぞこら!県の有力諸侯だぞこら!町の天皇様だよこら!
いいことおしえてやんよ あのな
758 :
日本@名無史さん:2008/11/04(火) 22:44:22
うそつきwww
そんな嘘にだませれる日本人はいねーよっばーやばーや。
曾じいさんわかんないなんて
外国人登録原票しか見たことないチョソが言ってるなら納得
759 :
あ:2008/11/04(火) 22:52:18
いいか 戦後の成り上がり地主か、また名門庄屋かの見分け方おしえてやっからよ
例えば我が超名門地侍男庄屋一門の場合 戦前までは土地は十町以上の領土を保有するまさに、武家庄屋。
しかし戦後マッカーサーのクソ野郎のせいでなんと半分以上小作野郎に無料解放させられた。
しかし、いまだに四町以上の領土をもつ。
その領土だが、屋敷の周り一面全てが我が名門地侍男武家庄屋一門の土地なわけ。
なにがいいたいかというと、昔ながらの名門庄屋一門なら必ず屋敷周辺にかなりの土地を保有してるわけ。
しかし戦後成り上がり地主は屋敷近辺ではなく、屋敷から離れた飛び地所有がほとんど。買い占めた土地だからだ。
だから屋敷一帯の見渡す限りの土地を持つ庄屋はまさに豪族武家庄屋の証。
しかし飛び地だらけの輩は身分卑しい明治以降の成り上がりクソ野郎ということ
間違いないよ まー我が一門は屋敷一帯は分家だらけ。恐らく世帯数は百は超える。さらに地域じゃ名門とされる神社の神主も分家。
悪いが、我が庄屋一家に、大名だろうが旗本だろうが、でかい口聞こうもんなら、聞けるもんならぶっちゃけ潰し愛だよね
伊達じゃねえんだよ二十八代続く名門男庄屋一家はよ はんぱねえんだよ
いつでも豪族化してやんよ
いつでも天下とってやるよ
760 :
あ:2008/11/04(火) 23:23:12
働くってつれえな バイト週五日いれたらもう生きてるのがめんどくさくなってきたよ
よく君ら働くの頑張れるな まじそこは尊敬するよ
いまでも江戸時代ならよかったのに・・
もう働きたくねえよ 革命家くらすの脳はもってんのに、関東有数の進学校でてるのに、工場労働者風情にこき使われてるのが許せない
うむ。確かに脳細胞が別格だ。
少し落ち着けよ。
ここは「士農工商はなかった」スレだ。庄屋スレを立てたらつきあってやる。
俺のご先祖は在地武将が庄屋になったクチだから(江戸中期に分家した家系の末葉だが)、多少は解る。
762 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:32:21
>>761 庄屋=農民が農民に帰農しただけwww。
763 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 04:43:21
いつでも天下とってやると景気のいいことを言ったり、かといえばわずか30分後のカキコで
泣き言を言い出したり。早く精神科を受診してもらいたいものだ。迷惑にもほどがある。
764 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:03:07
まあ、大名・大身旗本以下の武士なんてものは
所詮取るに足らない連中だという、当たり前の結論にたどりつく訳だね。
江戸期以前の先祖は不明、無位無官、俸禄制で所領無し、藩政機構の歯車…
彼らの先祖は「普通の」農民だから当然か。
そして地方では、武士の多くが明治維新後、再び二百数十年前の先祖と同じ
農民に帰っていった。
津軽のリンゴ農家、静岡の茶農家、北海道など各地の開拓民、
東京近辺では旧・下総牧の開拓民らがその好例だ。
>>764 まぁ、そういう武士を庶民は目の当たりにしてるからこそ、
江戸時代は280年も続いたのかもね(上級の武士は目の当たりにしないw)
766 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 01:07:55
人権問題板を見てきたけど自演というか限られたごく少数の人物(1人か2人)が書きまくってるようだね
ここでもやはり学問ないやつがネットの情報や過去スレ?とかで拾い集めたにわか知識で自演したりキャラ確立を目論んだりばかりしているようだね
年中無休で2ちゃんやってる廃人だな
767 :
あ:2008/11/06(木) 02:11:48
>>761 そうだったんですか。さすがは名門庄屋ですね
わたしは 士農工商という妄想を解くカギはまさに 行政末端の全てを担っている庄屋にあるとおめいいいました
が、このスレが場違いであるなら控えます
また庄屋スレがたったならよろしくです
まぁ、実際問題、武士は少なすぎて強権を使っての統治なんて不可能だったからなぁ
やはり色々動いたのは庄屋とか大家とか、直接庶民と関る人たちだったんだろうね
確か、江戸の同心が数十人だっけ?
769 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 03:48:34
〇庄屋クラス農民百姓
〇武家の役人クラス
武士の中ではそれなりの最高ポスト
寺社奉行
町奉行
勘定奉行
役人
と武士がいたからね。
庄屋の先祖は農民であり農民から農民へ帰農した庄屋ですから農民庄屋でいいじゃない
770 :
あ:2008/11/06(木) 04:28:01
どうして庄屋をそこまで農民出自にしたいのかね?それこそ捏造だよ
きちんと戦国大名やら豪族地侍 大名家有力家臣団が帰農したとでてるのに。じゃあそれをどう説明するの?
そもそも徳川家家臣団のうち 大名家である榊原や本多 鳥居などは元は駿河の地侍ですよ?
もとは駿河の土田舎の半農半士ですよ。
さらに 旗本クラスはほとんどが駿河の豪農の次男三男など。
大体 戦国期いぜんの守護以外の守護代 国人 地頭クラスはみんなそれなら農民になっちまうよな 基本これらは荘園経営を基盤の、財とする武装集団。
あくまで荘園とする豪農基盤の武装集団。
戦国以降の、由緒書き一つ身一つで仕官する世界なんて存在しねいのだよ わかるか厨房?
この時代の仕官や侍身分の付与は土地荘園ありきで初めてその力を認められる。
江戸期大名家は半数以上が江戸期以前は半農半士身分の地侍だぞ。これらは少しでも農にたずさわってりゃ農家というおまえの理論なら、大名家こそ農民出自だな。
戦国以前の名門守護家は九割滅亡してる。本来の武家身分はこいつらだけのはず。
こいつら血筋で大名家になった奴なんて一割未満はいうまでもない。
なら武家身分の大名家なんてほとんど存在しねいのだよ
大体もう少し足利期までの武家や荘園 地頭や国人領主 また守護家の支配の実体 などをもう少し勉強してきなさい
771 :
あ:2008/11/06(木) 04:36:46
誤解のないようにいうが、直参が三河の豪農出身の地侍かなんだかわからないようなやつらが多いといったが、
馬鹿のためにあらかじめいうが交代寄合や高家、一部大身家を除いた直参を言っている。
ほとんどの末端旗本などみんな駿河の田舎百姓のせがれですよ
772 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 05:48:29
>どうして庄屋をそこまで農民出自にしたいのかね?
なんだ、こいつは庄屋が農民出自と相手が主張していると勘違いしてたのか。
いくら江戸時代に庄屋が高い地位だったとあ庄屋が主張しても、江戸時代には
百姓だから勘違いも甚だしいと馬鹿にしてるんだけどな。
そういえばあ庄屋の家はどの家から分かれたという話になってるんだ? まさか
いかにも田舎豪農が捏造した臭いプンプンの胡散臭い出自ってことはないだろうな。
773 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:20:15
江戸時代は、徳川将軍家さえ安泰で
あればそれで良いというとんでもない暗黒時代。
庶民はどんな罪を犯せばどんな罰が下るのかさえも分からなかった。
百姓は「死なぬよう生きぬよう」の最低生活を強いられ、
厳しい身分制度は職業の選択も結婚も出世も僅かな範囲に限られた。
鎖国によって文明の発展が遅れ、
武士は町人農民を見下し、町人農民はエタヒニンを見下しストレスを解消した。
江戸時代によって内向きで卑屈、嫉妬深い現在の日本人が出来てしまった。
774 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:23:21
武士が農民を見下していたというのが適当すぎるのだよ。下級武士が庄屋をバカにしてるわけがありえないていってるダニ
775 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:45:54
>ありえないていってるダニ
名古屋人キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
776 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 08:21:33
>>773 今の自分の人生がろくでもないからといって、日本人の気質を極端に低く評価するのも
どうかと思うぞ。
>>773 アホすぎ
もしそんな政策してたら、李氏朝鮮みたいになるだろw
平日の真夜中3時から朝にかけて2ちゃんやってるっていうのがすごいな
779 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 10:24:03
庄屋=幕藩体制の年貢収奪のパシリ=農民の直接の敵
武家政権から見た武士の本流は鎌倉時代の御家人だ。そして、彼らは、平安時代の開発領主だ。
中世以降の武士の原型は開発領主といわれるが、大和朝廷から見れば、官位・官職を得てない者は、単なる百姓の位置づけだ。
有力な開発領主は鎌倉の御家人となり、本領安堵を得た。
どの時代でも、時の政権に属する者と、それ以外の者に分けられる。政権に連なった開発領主は武士、それ以外は百姓と呼ばれる。
室町時代には、将軍や守護・地頭が主だった武士だが、その家臣も武士と呼ばれる。
そして、将軍や守護・地頭の家臣ではない開発領主も、形式的には守護・地頭その他有力家臣と主従関係を結んで、地侍となっていた。
応仁の乱(全国的に起こった惣領と分家の権利争奪戦)で下克上に突入し、ときによって武士とその他は入れ替わる。
武士や地侍にも家臣がおり、この時代の武士は相当多い。地侍に属さない自作農も足軽・小物として強制または自発的に従軍したから
隷属農民は別として、純粋な農民は少ないだろう。
その後、豊臣政権の刀狩りによって、在地の地侍は武装を解除され、時の政権に連ならない開発領主(=百姓)に戻り始めた。
関ヶ原から徳川初期の大名廃絶までの期間に、政権への帰属が大量に整理され、開発領主の末裔は、武士と百姓に二分された。
いずれも元は武装勢力の統領なので、武士になった者は馬廻り以上の上級武士、百姓になった者は庄屋・名主の上層農民となり
その家臣団は、中・下級の武士や陪臣、小前層(役に就かない本百姓)や小作人となった。
幕府や諸藩は、門構えと玄関(上級武士にしか許されない)を庄屋・名主に許したが、それらは、もともと持っていた権利を残したものだ。
旗本や上級藩士は、開発領主型の武士や地侍の出身が大勢を占めているので、庄屋・名主が同じ階層であることを知っている。
村落自治を任せることだけが理由であるなら、下級武士以上の格式を与える必要がない。すべての名誉を奪えば反乱が起こると踏んだのだろう。
江戸も中期以降になると、士農工商(士とそれ例外)は固定化され、庄屋・名主といえども、下級武士や足軽風情に対抗できない。
かつては往来し合った開発領主であるが、身分の断絶は明確になり、形式的に下級武士の家臣や養子となる手続きを経なければ、武士として
政権に連なることはできなくなった。江戸期の身分の固定化は、流動性はあるにしろ、相当強固といえるだろう。
明治維新で逆転が起こる。明治政府は、地券(土地の所有権を証する権利書)を武士には発行せず、本百姓に対して交付した。
すでに石高に応じた現米受給権しか残っていなかった武士は、領主の形式は否定され、農地の所有権と納税義務を手にすることができなかった。
そして、近代は制限選挙の時代であり、大正14年の衆議院議員選挙法改正を見るまでは、少額納税者には選挙権がない。
当時の選挙権者の職業は、意外なことだが、その大多数は農業である。
連投、スマソ
このスレの主題に合うのは6番目だけだが、一応、全体の流れを概観してみた。
かなり単純化しているし、個別の事例も無視しているけれど、武士の原型とその興廃がわかると思う。
788 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:42:13
〉名主(庄屋)
幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
790 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:35:53
庄屋の中で優れた能力のあるものがようやく徒歩格の
勝手向の下役人になれるかどうかという有様だからな。
791 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:37:57
土地の一生懸命の武士が戦国時代の後期に土地から切り離される。
この時点で武士の位置付けは明らかに変わった。
本来の武士の機能である村の支配は庄屋が引き継ぐ過程で村の形態も変わったでしょう。
士農工商があったとは思わないが権力をもつ者と税金を納めるものとの間を広くしようとしたのは確かだが
逆に税金を納める者にとっては権力を持つ者からその権力を弱めるのも当然です。
お家断絶でリストラされた武士がその経済的な事から百姓町民へ、逆に経済的に豊かな百姓町民が権力に入っていく。
江戸時代中期以降は身分の固定などなかったのでしょうね。
自分の家系を見ても親父の家は士族だけれども貧乏だったらしいし、お袋の家は百姓だけども金持ちです。
江戸時代中期以降の武士は公務員でしょうね。今とは少し違うが。
身分など経済的豊かさが時系列に置き換えれば幾らでも変化していくから、
武士の特権など当初の物から失っていくのは当たり前で。
江戸中期以降は実質百姓町人の時代でしょう。ただ公務員である武士はその権力と利権を維持するためには
(今の公務員も同じだが)身分の固定をしようと必死だった。その程度でしょう。
794 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:16:29
上級武士の藩士、旗本はよほどのことが無い限り再仕官可能?
795 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:17:48
上級武士の藩士、旗本は浪人になっても、よほどのことが無い限り再仕官可能だった?
796 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:22:54
むしろ、再仕官が可能になるように相互扶助のために姻戚関係の構築にいそしんだ。
藩の重役なら何とかなる場合も多いからな。
797 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:43:08
近代の身分制度
明治時代になると近代国家に脱皮するためには中世封建制社会の身分制度を破棄
することは避けて通れないと考えられ、政府により江戸時代の身分制度が廃止され
四民平等(しみんびょうどう)の政策が採られることになった。ただし、支配階層には
皇族・華族・士族の称号が付与され、戸籍に明記された。皇族は、戦後の制度にも名
をとどめており、天皇及びその親族を指す。
華族は、公家と大名など最上級の武士に付与された。
士族は、上級の武士に付与された。
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%B0%91%E5%B9%B3%E7%AD%89 下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
下級武士・農民・職人・商人は一括して「平民」とされた
798 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:44:36
江戸中期以降になると、主君から暇を出された重臣が他家に再仕官するのは厳しいだろうね
二君に仕えず
799 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:52:57
自ら出奔した旗本を拾うなんてできないしね
800 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:57:51
今の高級官僚は天下りでがっぽり稼ぐが下級官僚は使い捨て
801 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:05:45
高級官僚ほど派手やかな再就職じゃないけど中央省庁の一般の公務員も天下りしてるよ
50で勧奨退官して無職なんていないし
802 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:16:35
江戸中期以降の武士は世襲制の公務員か? 否、世襲制の領主の奉公人でしょ。
そんな奴を偉いとする為、江戸幕府は必死だったのよ。
士農工商は明治時代からの官僚性を肯定する為の政治の道具かな。
803 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:20:30
本来は陪臣も中上級あたりなら知行取りなのに、藩政改革で根無し草になっただけ。
実体が伴わないからといって、藩の都合でそうなったんだから金のかからない格式
くらいは据え置く必要があるだろう。
804 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:34:07
武士に対抗する勢力も出てこなかった
豊かな百姓町民は貧乏武家など相手にするほど暇でなかった。
806 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 20:41:28
>>797 下級武士には「卒族」が用意され、その後士族と平民に分割された
貧乏百姓
赤貧洗うが如し です。
百姓は生かさず殺さず
で良いのです。
貧乏武家はナルシズム的虚構の自尊心だけで生き
生存競争に打ち勝った百姓町人は人間性を謳歌した。
これが江戸時代です。江戸時代は封建制ではない、武家専制時代だ。
それも落ちぶれるのが必然の武家の最後のあがきだが。
飢餓にXX飢饉とか名前付いて記録されるぐらい、江戸時代の生活は安定していた
812 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 12:41:53
一揆にXX一揆とか名前付いて記録されるぐらい、江戸時代の生活は安定していた
813 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:05:04
814 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:14:37
【反資本主義運動】ネット政党 -net seitou-
ttp://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1226057526/ 「進化する匿名団体 ネット政党の主張」
〜資本主義というOSは不具合が多発だ!〜
1)潜在的需要不足は解決できない。
(機械、PCが発達した今、本当は2,3時間働けばよい。)
2)社会的備蓄の概念の導入
(過剰生産、過剰消費をせず、余剰生産物は備蓄)
3)民主的幕藩体制への移行
資本主義は巧妙な統治のための奴隷システム
(アンチロスチャイルド同盟参照)
4)プロパガンダ、愚民教育からの脱却
5)有効期限付き貨幣の導入
(不況が起きない。生産物を基礎にした貨幣による俸禄制度。)
※ネット政党に入ろう!といっても、活動はBLOGや知人に宣伝するだけ!
または、ネット政党のスレッドに書きまくるだけ!
応援メッセージ、賛成メッセージ、アイデアなんでもあり。
不特定多数!匿名政治団体!とにかく書き込め!
815 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 10:53:24
>>809 百姓といっても当時庄屋を百姓というカテゴリーでは扱っていない。
816 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 10:55:30
>>810当時の下級武士や中級武士は庄屋にそのプライドをぶつけられているほどの力があったかが問題です
817 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 11:18:21
818 :
日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:40:40
江戸時代は、我々が想像出来ぬほどのパラダイスだったようです。
取りあえず、「渡辺京ニ」でぐぐってみて?
819 :
日本@名無史さん:2008/11/13(木) 03:10:03
820 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 09:50:16
江戸時代の士農工商という身分制度で
武士の次に農民が偉いという、一部の学者の主張によると
単なる建前であったとされているが
僕はそうは思わない。
百姓の仕事というのは単純作業とはいえ肉体的な労働量は計り知れないんです。
当時の支配層は理屈抜きで農民たちに尊敬、感謝の念を抱いていたはずであると僕は核心しています。
それと同時に恐れも感じていたはずです。
821 :
あ:2008/11/17(月) 12:55:37
↑
822 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:01:32
太閤検地で喜んで帰農したもんな〜みんな。
823 :
あ:2008/11/17(月) 13:02:25
↑ そうなんですが、しかし尊敬はしていないのはわかる。生かさず殺さずのお触れがでているのだから。
しかし士農工商がなかったといっているのです
士と農は明らかにかぶっていた身分だということです
その代表閣として庄屋はまさに 中士以上上士以下ということです
藩が庄屋家にたいし、藩士のごとく裁きや沙汰や一方的解雇などよほどでないかぎり聞いたことがない
一般百姓は確かに藩や藩士に虐待めいた例も多数ある
が、庄屋と上級藩士が結託して悪さした例はあっても、たかが藩士が庄屋にでかい面下げて酷使した、酷使できていたという例などみたことがほとんどない
824 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:06:12
江戸時代の価値観では、武士は片手間に農業をやることは美徳、手工業は
やむを得ない、商業は論外だったからな。
825 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:09:23
あ庄屋家←アホっぽさ丸だし
×庄屋家
〇庄屋
×社長さん
〇社長
わかる?庄屋に(家)はつけないの!
826 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:33:18
庄屋が直接接して平身低頭する相手は代官だが、こりゃ中下級藩士がなる役職だぞ。
士→卒(足軽)と本百姓→本百姓以外の農民と職人と商人、
だったと聞いたことがある。
俺の記憶は曖昧だし、あくまでもその学者さんの説だけど。
828 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:52:59
>幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
>士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
>しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
>そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
829 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:58:46
大庄屋と庄屋の違いもある罠。
その大庄屋とて身分は徒よりも下だったし。
土佐藩では大庄屋、庄屋も藩士だったが、
身分は足軽よりも下。
白札、郷士御用人、郷士、用人、徒、足軽、大庄屋、庄屋、
地下浪人の序列。
830 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:06:07
>>828 庄屋
晴れ姿は紋付袴だけで武士ではないので刀はささない。
831 :
あ:2008/11/17(月) 14:08:48
>>825 だったら藩士程度が武家屋敷などとほざかないでもらいたい
本来武家とはご家中を有する武族をさす
藩士ごときが武家などとほざかれるとカタハラ痛い
確かにそういう意味では庄屋は庄屋家ではないが、なら藩士も武家とほざかないことだ
832 :
あ:2008/11/17(月) 14:11:21
それから地方代官は 代庄屋や有力庄屋が郷士みぶんで兼任するのも多いんですよ
さらに中級節が代官になっても中級節にひれふしつるわけではなく 代官職に頭下げてる
かんちがいしないでもらおうか
833 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:12:12
藩士でも家中の者くらいはいるだろ。何言ってんだこいつ。
834 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:24:31
在地代官と庄屋では天と地ほどに格が違う。
卒程度の役しか務めなかった庄屋の末裔は身の程をわきまえなさい。
835 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 15:47:46
あ
=クルセーダー
=クルセーダー家臣くるくるぱー
=くるくるぱー将軍
=長三郎江戸日記
836 :
あ:2008/11/17(月) 18:12:29
>>833 ばかすぎだな小鳥の脳みそ
藩主以外で家中を持つ領主いってみんかい
>>834 なんで?役なら庄屋は大名なみだろ
前々からいってっけど 庄屋は 税率までキメラれんだよ
さらに斡旋 徴収 村の治安維持 家庭裁判権 ようは一人役場
なんで卒はなんの役あるの?
庄屋は正式な家中というなの家来を持たない一人大名だろ
認めようよ
837 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:19:52
庄←だせぇ
838 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:27:21
戦国大名も 〜庄領主と呼ばれていたのが本来の正式名です
庄屋はその庄屋の屋形という意味で庄屋ていわれたのが原型です
はやく真剣ゼミの赤ペン先生に速達でおくってこい
839 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:47:32
>>836 >主以外で家中を持つ領主いってみんかい
大藩の家老は大名の領内で所領を割り当てられ、陣屋を構えていることが珍しくなかった。
付家老・城代家老ともなれば数万石単位も珍しくない。格式を整え、石高相応の軍役を
務めるには、定数とはいわずとも多少なりとも人数を抱えている必要があるしな。
>前々からいってっけど 庄屋は 税率までキメラれんだよ
百姓相手に幅利かせてるだけだろ。
本当に馬鹿な奴だなDQN百姓のDQN親玉は。
840 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:50:49
>>838 戦国期にどうあろうと、江戸幕府からは百姓扱い。DQN百姓のDQN親玉は
身の程をわきまえるべきだ。
841 :
あ:2008/11/17(月) 19:13:24
なして 読み書きそろばんにたけた庄屋がDQNよばわりされなきゃならないのか。
DQNならまさに陪臣ですよ。根拠はヤクザの歴史というスレにさっき書いていたので呼んでみてください
それから家中ですが 大藩の家老は大名家の分家も多い
しかし支藩の藩主としての家老ならたしかに家中でもいいが、藩内の千石陣や家老は家中なんていわない。家中にいる身だろ
以前ハチスかけの稲午事変のような家老が支藩の独立大名なら確かに家中だが、基本このクラスはまず大名家の分家扱いです
家中をもつとは微妙によべませんよ
842 :
あ:2008/11/17(月) 19:18:16
843 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:26:13
読み書きくらいお前のごときDQNでも出来るだろ。あと、リンク先のどこが陪臣に言及してるんだよ。
千石程度の家臣なら相応の数の陪々臣がいる。その程度のことも分からないボンクラがいつまで
勘違いのレスを続けてんだよ。
DQNはとっとと身の程わきまえて一から勉強しなおせ。
844 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:27:06
このバカ、陪臣と下級武士の区別がついてないようにも見えるな。
845 :
あ:2008/11/17(月) 19:34:20
だから リンク先に 陪審の入れ墨やらのDQNぶりかいてあるだろ
それから当時庄屋クラスに読み書きそろばんにたけた学識経験者は 明らかに三パーいないですからW
それから陪臣がいるから家中じゃないでしょうよ
なら旗本全てが独立家中武家になるだよ
いいか 家中とは 独立した自治行政区を領する運営する藩主がいて、その藩主が有する特権の下で、権利や義務を遂行することで生きるものたちがいる
これすなわち家中
藩の家老がなんぼ陪臣ごとき雑魚を抱えようとも、その家老が有する基本的権限の属性は、目上の藩主から由来するもの
ということは 家中をもつとまではいいません
俺ってまじすんげー頭だなW ほれぼれすんぜW
見習えよ小鳩君W
846 :
あ:2008/11/17(月) 19:38:27
いいですか 徒は武士扱いしてるとことしてない藩があるといってる
ようは 全国一律の常識的武士としてあつかわれてもいない徒ごときが 下級なれど 本来の意味的武士として分類できるかも微妙とおれはおもってる
847 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:40:55
>旗本全てが独立家中武家になるだよ
それが答えだ。物も知らん馬鹿が思い込みを元に見苦しく吠えるな。大名も
旗本も将軍家の家中ってことすら思い当たらないってのかよ。
お前薬でもやってんじゃねーのか。主張が支離滅裂で基地外じみているぞ。
848 :
あ:2008/11/17(月) 19:49:09
わたしをDQNよばわりはまじ勘弁してください
いいか 君がいってる家中とは 明治以降の伊藤広文やら山形ありともを立派な下級武士だといってるのとおなじくらい あいまいな家中をいっている
単純に 完全な独立した分家藩大名家なら家中を所有となるが、
旗本は意思権限はあくまで幕府に帰属する。本来譜代家は家中とは呼ばないが、江戸期以降大名として、徳川家から独立を許された身が大名だ。
旗本の 高家や寄合は別としても、レベルの低い御家人旗本は たとえ陪審がいても家中と呼べる独立した権限など皆無
ましてや藩の大身家老なら ただ単に家老であって 独立などゆるされてないだろが
あ〜庄もねぇ〜
850 :
あ:2008/11/17(月) 19:56:27
また論破してしもた・・・WWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
851 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:59:10
お前の脳内定義など何の意味もない。勝手に自分の主観で独立か否かの線引きをするな。
お前はDQNというよりは電波だ。それを自覚しろ。
852 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:02:56
当否関係なく自分の主張を続けて、相手が呆れてレスをつけなくなったと見たら
勝利宣言。こいつまるで朝鮮人だな。
853 :
あ:2008/11/17(月) 20:04:12
もっといえば 例えば千石家老が藩にいたとする
その家老が不祥事おこさば 沙汰を下されるのは大名家そのものになる
なぜなら 家老がなんぼ雑魚陪審かかえようと、家中をもつ独立した身分じゃないからだ
また 浅野家のような 支藩としての分家大名家ではなく、 分家から独立した大名家となるような浅野巧みの上はまさに家中をもつ独立した大名家
しかし 紀州藩のような大身家老は一万国をこえて 飛騨守など家老が名乗れる格式であろうとも 家老だけが裁かれるものではなく 監督管理権限の義務を持つ紀州藩もおとがめとなる
これは家中じゃないんだよ小鳩君 私から学びたまえ
854 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:08:46
薩英戦争の尻拭いは、薩摩藩島津家が将軍家の家中であったために
幕府が行うことになった。それと同じだ。
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
855 :
あ:2008/11/17(月) 20:08:49
なんでだ?じゃあ君のいう 家中は陪審さえかかえていたら家中になるというのが小鳩の定義か?WWWWWわらわれるぞ
ちがうなら定義いってみろ
家中
大名家中→家老→藩士家臣 →陪審
なのに、なんで途中の家老が家中をもつ身になれんだ?いってくれやW
856 :
あ:2008/11/17(月) 20:11:02
撮影戦争で 薩摩は幕府の家中だからなんていってないだろ
パリ万博で 薩摩は 藩とは一つの国だと列強に主張してただろが
857 :
あ:2008/11/17(月) 20:13:51
あれれれれるれ〜?どちちゃったのかな〜?WWWWWぷぷぷ
858 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:14:21
家老がトラブルを起こせば大名が幕府から咎めを受けるように、家老の家臣が
トラブルを起こせば、その主君である家老が大名から咎めを受ける。
陪陪臣の主君は大名でなく陪臣である家老だ。大名に直接仕えないから陪陪臣と
みなされるわけだろうが。
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
860 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:16:54
>>856 パリ万博では、薩摩は琉球王国の枠で独立国と主張していた。それくらいは
知っておけ。つーか、大名が将軍家の家中であるということすら知らなかったっ
てのかよ。
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
861 :
あ:2008/11/17(月) 20:23:19
いいかぼんくら
例えばトヨタが、 トヨタ埼玉工場の工場長が直々に派遣社員をやといました。
その派遣が工場ないで不祥事起こせば埼玉工場長がお咎めと責任を追求される
しかしその埼玉工場はあくまでトヨタ全社のうちの一部であり その派遣もトヨタ労働者の一部
埼玉工場は豊田全体の利益や 意思 目的の中での一つの役割を持つ組織体であって 損害は埼玉工場だけにはとどまらない
で、小鳩の理論だと埼玉工場は社員を多数抱えてるから 独立した会社だといっているわけだ
馬鹿もシコってからにしてくれやWWWWW
863 :
あ:2008/11/17(月) 20:29:44
だから おまいはいつもあげあしなんだよW
いいか 日本を一つの国としてとらえた場合の外国との関係上は 政治内閣府の幕府が国王となり、たとえ外様でもその幕府政治の名の下に統制されている以上 家中になるわな
なんせ徳川日本だから。いちいち朝廷だすなよ?
しかし パリ万博では薩摩は日本国王として名乗ってんだよ
藩は独立したもので、薩摩は徳川に既存した集団ではない、日本の国王は薩摩だと。
だいたい いつの時代から外様は徳川家中だなんてきまった?いつ徳川は外様を家中扱いとして規定した大名とした?いってまろこら
864 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:32:02
江戸時代の主従関係と現代の企業の上司部下の関係は全く別物だ。
課長は部長の家来だとでも思ってんのか。
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
865 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:32:36
部落解放同盟から徹底マークされてる人?
866 :
あ:2008/11/17(月) 20:33:28
>>858 そんでその大名家は将軍家からお咎めうけんだよハナタレ
867 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:40:40
家中とは独立した大名家であって、やはり家来の数ではなく、その大名家に依存した立場であるなら家中とはいえない
868 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:41:49
>いつ徳川は外様を家中扱いとして規定した大名とした?
外様が徳川将軍家に臣従したのは、関が原の戦い前後から家康の征夷大将軍就任までの間。
教科書レベルの知識くらい頭に入れておけ。
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
869 :
あ:2008/11/17(月) 20:42:38
例えば庄屋も同じで 独立した支配機構がある。
これは大名家と同じ立場
しかし家来を持たないため大名家ではないというだけ
870 :
あ:2008/11/17(月) 20:45:52
>>868 いいか 関ヶ原前の爆藩体制以前の大名関係などの話をいつしたの?
爆藩体制下の外様と将軍家の関係をはなしてるんでしょうよ
871 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:47:40
スゲー!
ここの自演君は部落解放同盟から指名手配中なの?
872 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:50:59
>しかし家来を持たないため大名家ではないというだけ
武士でもない単なるドン百姓の親玉が家来を持つわけないじゃん。
何を今更。
873 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:51:45
874 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:52:29
いい加減、おのれの馬鹿さ加減に気付け電波。
875 :
あ:2008/11/17(月) 20:53:30
家来を持たないというか 家来を持たないわけだから 大名とはいってない
だから一人大名
876 :
あ:2008/11/17(月) 20:54:33
いや、だって薩摩は徳川家中だといったのはそっちじゃん
877 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:55:01
部落解放同盟から指名手配って?!
878 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:56:32
>>875 >家来を持たないわけだから 大名とはいってない
はあ?
>だから一人大名
言ってんじゃねーかバカがw
879 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:00:21
きっちり参勤交代こなし、木曽三川の工事まで請け負うなど、命じられたさまざまな軍役を
こなした実績がある。その島津家を、臣従してないとか徳川将軍家家中じゃないとか
言われてもバカジャネーノって感じだな。
880 :
あ:2008/11/17(月) 21:01:12
だけど、家老が家中をもつものではないという議論は俺が正しいよ
881 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:02:55
外様の意味と藩とはなんなのか
またそれならなぜ藩から藩へ移動する場合 手形がひつようなわけ?
882 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:09:31
>>881 藩は独立国家か否かという議論だな。スレチもいいところだ。
883 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:10:24
なんで部落解放同盟から指名手配中なの?
884 :
あ:2008/11/17(月) 21:11:46
だから藩は独立してるから藩なんじゃないか
なんかスゲーなここ
886 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:22:36
幕府が朱印状を出して所領安堵する手続きがある以上、主従関係があるとみなされるのは当然。
887 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:09:38
>>829 土佐藩の足軽なんて苗字も名乗れなかったはずだが?
ソースは「竜馬が行く」と「人斬り以蔵」ッス
藩によって事情が異なるでしょう。
士分格を与えられて苗字帯刀を許された大庄屋、庄屋もいるし、
士分とは認められずに苗字を名乗れなかった足軽もいた。
実際庄屋は苗字が許されているのは少数だと思うのだが
891 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:42:28
>>875:あ
>家来を持たないというか 家来を持たないわけだから 大名とはいってない
だから一人大名
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
拗ねた子供の言い分かよW
足軽も庄屋も明治以降は「平民」に組み込まれたの
で同格。
しかし、住居や暮らしぶりは庄屋の方が圧倒的に上なので、
江戸時代に生まれるなら庄屋の家に生まれたい。
足軽から侯爵はいるね
伊藤博文は農民の倅から公爵に上りつめた。
>>892 >足軽も庄屋も明治以降は「平民」に組み込まれたの
で同格。
後世の身分制を基準にして前時代をみるのはおかしいだろ
足軽ってのは本当にビミョーな身分だよな。
武士であるとは言い難いが、一応二本差しは許されている。
898 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 01:24:04
もしかして日本史が苦手な人が一生懸命自演してる?
899 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 01:30:41
900 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 01:32:20
ほんと自演ばっかだなw
>>892 卒族廃止の際に譜代の足軽は士族に編入されたよ
902 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 04:27:55
>>901 一部の譜代の足軽を除いて「平民」に編入された。
904 :
日本@名無史さん:2008/11/18(火) 10:33:52
知り合いの霊媒師にこの事件見てもらったんだけど、
犯人は探検部のメンバーと親だって。共謀して名倉さんを地底湖で殺したらしい。
商人の位置づけは?
百姓、町人のいずれか
一般的に町人とは由緒と特権を有する地主である
江戸八百八町
語呂合わせが癖になる
静岡大学の大和田先生に士農工商を聞いてみたいな
>>905 純粋な商家とはちょっと違うが、
おれのお袋の実家は江戸時代、東北某藩の代々刀鍛冶の棟梁の家だったけど、身分は士分。
菩提寺も江戸から現代に至るまで藩主やその一族と同じお寺。
職掌は「商」と「工」を合わせたような感じのものだったそう。
明治以降も時流の波に上手く乗って、別宅として洋館は建てるは、温泉地に別荘は持つはで、凄い羽振りっぷり。
まあそれでも戦後はかつてより大分規模は縮小したそうだが。
それでもおれの父方の祖父の家、祖母の家や母方の祖母の家といった、明治以降の先祖の家々の中では断トツの富裕さを今でも誇っている。
凄いね
生駒家のように、商人が士分というのもあるんじゃない?
刀鍛冶の刀匠は昔から優遇されてきたよ
土佐藩でも重宝な職人は郷士御用人身分が多かったらしい。
一領具足末裔じゃなくて上方から呼んだ腕の良い職人とその末裔。
郷士御用人は普通の郷士より一つ上、白札より一つ下の身分。
>>909の先祖みたいのは土佐にはいないけどね
具体的に郷士御用達身分とは何ですか?
白礼とは?土佐のみの身分?連投スマソ
>>912 鍛冶屋は一部藩を除いては概ね職人ですよ
あの、鴻池等の豪商はどんな感じなんですか?
お金持だったらしい。
>>915 土佐藩は郷士に階級があって、白札はその最上位、御目見(おめみえ)だったと思う。
武智半平太が有名。
921 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 05:47:05
>>918 幕府御用の十人両替とか各藩への大名貸しをやっているから、大きなところは
大抵扶持をもらっているだろう。
922 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 06:05:36
>>921 すると立場は商人ではなく士格分ということですよね!?
926 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 10:33:32
特定の藩からは士分格。
どの程度の地位なんですか?
土佐郷士くらいか
土佐山内家は、呼び方が「やまのうち」みたいだね
930 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 12:49:15
大名貸し商人への扶持米は単なる名誉の付与のようなもので、精々数十石から数人扶持程度の
中下級武士相当。その代わり藩主が屋敷傍を通るなら必ず挨拶に立ち寄ったりする。
それでも凄いじゃないか。憧れる
武士になりたいな〜
プレステの信長の野望と三国志、どっちを買いに行こうか迷ってる
三国志は好きだけど、ありえない技が多すぎるんだよね
鉄砲も使えないのが痛いよね?
どっちがいかな〜迷う
レッドクリフでも見に行こうかな
レッドグリフだっけ?どっちでもいいか
レッドクリルだろ
いや、ヘッドグリフじゃマイカ
ベッドクリフかも
ペットクリフの可能性も否定できない
レッドグリル
>>875 それが大名だって言うなら、狂言の大名も立派な大名だな。何しろ太郎冠者というれっきとした家臣が一人いるんだから。
それよりも「撮影戦争」にワロタ。ニコンとキヤノンとオリンパスとペンタックスなどの連合軍がコダックやライカやポラロイドなどの黒船連合を攘夷
するんかよw
ロッドシュチュワートの間違いか?
レッドオクトーバーを追え!です
>>944 >ニコンとキヤノンとオリンパスとペンタックスなどの連合軍がコダックやライカやポラロイドなどの黒船連合を攘夷
するんかよw
ミノルタのこともたまには思い出してあげて下さい><
レッドホットチリペッパーズ?
レッドツェッペリンの聞き間違えか!?
レッドリボン軍て懐かしいな
オリンパス?オリンポス?
オクトパス
レオパレス
レオナルドw
レオポルド
レジデンス
レッドロブスターグリル焼きウマ━━(゚д゚)━━!!
レジェンド
レズビアン
レッツラゴーw
レストラント
レミオロメン
レグザイル
レッジーナ
ポリデントポリデント
ポンキッキ〜
ポリンキー
インポテンツ
インキン
タムチンキスプレー
ハニカミオウジ
ヨロシクウィッシュ
チョリッス
プッチーニw
カメハメハメハ
ゲーハー
コリン星
キャンキャン
キャシャ〜ン
アッシャー
スザンヌ
カーリー
マーガリン
マジョレットヌーボー
マッキンレー
マッキントッシュ
ピエール
ヒッチコック
アンジェリーナジョリー
イエス.ウーキャン
ルスランカラエフ
ポロリ
ルネッサ〜ンス
ミスチル
チルチルミチル
チェジウ
コサックダンス
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パックン
マックン
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