1 :
日本@名無史さん :
2008/03/27(木) 17:15:22 享和元年(1801)の御触書 領主によって苗字帯刀を許された庶民は (1)郷士のように由緒あって以前から許されていたもの (2)奇特な行為によって褒賞として新たに許されたもの (3)町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
2 :
日本@名無史さん :2008/03/27(木) 20:00:29
九州肥後だけど菖蒲刀しか許されなかったって話を聞いたことがある
3 :
日本@名無史さん :2008/03/28(金) 00:21:32
4 :
日本@名無史さん :2008/03/28(金) 00:54:02
それって、民間人が実績を買われて行政の役職に就いたから 呼び名たる苗字と官職の証たる刀が授けられたって事じゃない?
5 :
日本@名無史さん :2008/03/28(金) 19:26:42
藩に苗字帯刀許可の記録って残ってるの?
残ってるよ
7 :
日本@名無史さん :2008/03/28(金) 20:03:32
庶民が幕府や大名や旗本に武士として召し抱えられた時点で苗字も帯刀も付いてくるよ
>>7 いや、そういうことじゃないと思うのだがスレの趣旨として
9 :
日本@名無史さん :2008/03/30(日) 06:13:27
上州の郷士(新田遺臣)についてご存知の方いませんか? 天領が主だと思われますが、この場合は代官所支配になるのかな?
10 :
日本@名無史さん :2008/03/30(日) 11:15:13
よく高山彦九郎の家が郷士だとか書いてあったりするが郷士なんていないよ。 あの辺りは私領のほうが多いと思う。
11 :
日本@名無史さん :2008/03/31(月) 07:38:50
自称郷士は多いわけで、そのなかで暗黙の了解もしくは黙認で苗字帯刀を していたのはいたのだろうか?
12 :
日本@名無史さん :2008/03/31(月) 11:50:10
私的な場合でも百姓が帯刀してら咎められるだけ。 公的に苗字を名乗り大小を帯ることはできない
村で勝手に自称なんてしてたら即村八分だよ
14 :
日本@名無史さん :2008/03/31(月) 14:27:23 i
村八分のうえ訴訟にもなりかねないね。 八王子千人同心なんか村落内で武士だと主張して威張ってたら訴えられてるしな。
15 :
日本@名無史さん :2008/03/31(月) 16:32:21
百姓から武士になるのはすごく難しい 現代も日雇いからサラリーマンになるのは難しいよな
春ですね
17 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 00:00:58
>>13 勝手に小作人が始めたらそうだろうが・・・
土豪等が昔からしてましたってことは無いのかな?
門だって戦国時代からあるやつは庄屋じゃなくても好かったらしいし
土豪はたいてい庄屋・郷士になってるし苗字帯刀だったりする
19 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 00:20:19
栗林忠道は松代の郷士だったらしいし、新田次郎は諏訪の郷士 信州って郷士っていたのかな?
制度としては藩によって違うけど、戦国期に地侍だったのがそのまま帰農したケースはほぼ黙認されて、自分たちで勝手に郷士を名乗ってるケースがあるようだ。
21 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 02:18:27
基本的に郷士って兵農分離の進まなかった(進めなかった)地域の もので徳川幕府自体は認めていないため江戸から遠くの地域で 大名の転封後懐柔政策もしくは島津氏のように室町戦国期のままかのどちらか
22 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 05:23:36
>>18 等
ひとつ誤解があるのだが庄屋というのは地侍の延長線上にあるもの
一般的にいえば農家の大きいもの
郷士というのは本来的意味の武士が自分の領地なりに帰農(農民に帰ったもの)
したものをいう本質的に違うのだが、浪人と名乗っていたものが幕末期に郷士というようになった
これは教科書的
薩摩郷士などは庄屋層であるべきである
23 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 09:23:08
>>19 うち松代藩内で郷士だよ。うちもともと武田家の間者で手柄立てて
領地貰ったけど武田家滅んでその後はよく知らないけどどこにも仕官
しなくて郷士になったらしい
>>22 藩によって違うから、その説は全てには当てはまらない
26 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 17:36:36
>>22 だから面白い
>>23知ってるが・・・金で買うもんだろ
信州は兵農分離が進まず(武田家が中世の組織だったため)家臣団は
半農半士が大半で庄屋は存在しても郷士はいないはず。
逆に信長支配下の岐阜等は郷士がたくさんいてもおかしくはないが
家康が新たな強敵の出現を恐れたため、在郷の土豪等は悉く百姓に戻された。
ま、多数が幕臣になったというのもあるかもしれんが
27 :
日本@名無史さん :2008/04/01(火) 17:46:28
兵農分離を誤解してるな
>9.10上州の郷士は士族になってまっせ
高山彦九郎正之の家は明治になってから彦九郎の功績により苗字帯刀を許されたという。 彦九郎は自分の身分をきかれると『儒士』と答えているが、生まれは農民だろう。 水戸弘道館教授、彰考館総裁杉山復堂「高山彦九郎伝」によると 『常に帯刀し、役人もこれを禁ずることはなかった』 『帯刀して諸国を旅し』 『役人に「庶民の帯刀には国の定めがあるのになぜ双剣を身から話さないのか」 と言われると「私は高山遠江守以来二十余代目、その間、一人も帯刀しなかったものはいない」と答えた』 また、幼いことから剣術を好んでいたという。叔父の剣持長蔵は馬庭念流の達人だった。 管茶山『筆のすさび』よれば、幕府の役人が彦九郎を呼び出しなぜ旅をしているのかたずねた。 彦九郎は「忠孝のことをきくためだ」と答えたので役人は彦九郎に論語の講釈をさせた。 数日たって役人は彦九郎をまた呼び出し、彦九郎の講釈を隣の者に書き取らせ、彦九郎の苗字帯刀を許したという。 その他彦九郎が帯刀していたことを書き残したものは多い。同時代のものもある。 彦九郎の生地は上野新田郡細谷村内の旗本筒井氏領だった。 彦九郎の父は相模に行っていた時に殺害されたので、筒井氏の手のものが暗殺したと考えた彦九郎は 復讐しようとした。しかし細井平洲はその彦九郎を「不孝者」と言ったので、彦九郎は刀に手をかけて不孝とは何だと言った。 平洲は「既にこんなに家人を心配させているのに不孝に気付かない。それこそ不孝だ。」 と言ったので、彦九郎は自分の誤りに気付いて平洲の弟子になったという。 正田喜久『明治維新の先駆者 高山彦九郎』より
幕末はゆるゆる状態だから、あんま参考にしない方がいいぞ
彦九郎は幕末じゃないよ。
明治はもっと滅茶苦茶じゃないかw
>>29 >私は高山遠江守以来二十余代目、その間、一人も帯刀しなかったものはいない
こういうの探してた
34 :
日本@名無史さん :2008/04/02(水) 00:29:23
35 :
日本@名無史さん :2008/04/02(水) 01:04:09
林と高山と蒲生だろ 幕末じゃなくて江戸後期だな
上州郷士? 高山彦九郎 自称新田十六騎高山遠江守の末裔。帯刀公認? 須田房之助 自称信濃須田氏の末裔。『百姓房吉』扱い(前スレより) 中居屋重兵衛 中居村名主出身
37 :
日本@名無史さん :2008/04/02(水) 02:11:17
江戸から明治にかけて、たまに「帯刀(たてわき)」という名前の人物いるけれど、 どういう理由で、親は命名したんだろう?
つけた親に聞いて来いw
>>37 百官名といって、昔公家が諱を避けて官職名で呼び合っていたのがうつって
官職名を崩したものを自分の通称としたもの。武士ならば諱(いみな)は別にある。
主税、主膳、雅楽、采女みたいな感じでね。
帯刀は帯刀舎人(皇太子の護衛)から。
>36上州の郷士は苗字帯刀が認められてたという理由で士族の班に列した どの程度の郷士なのか?
うちの宗家は代々上州に住んでいて、郷士と言い伝えられていたけれども、 自分が歴史に興味を持って調べてみると輪番で名主/組頭を勤める上層農民だった。 でも、公に発行されている歴史書の類にも郷士と書いてあるし、 祖父は平民だが由緒書きで宮内庁関係に奉職できたから何でもいいw 戦前でも士族/平民で待遇に差はなかったそうだ。
42 :
日本@名無史さん :2008/04/03(木) 20:30:50
初歩的なな質問で申し訳ありませんが、 在方で「給人格」とか、「御徒士格」というのは郷士のうちに入るのでしょうか?
43 :
日本@名無史さん :2008/04/03(木) 23:39:37
給人(侍)>徒士 ←武士 郷士 ←武士と農民の間 じゃないの? わかんない
44 :
日本@名無史さん :2008/04/03(木) 23:50:04
林子平って親は旗本だろ 取りつぶされたわけだが
45 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 00:07:37
子平自身は仙台候の御家来ですが?
46 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 00:11:39
48 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 00:35:08
49 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 00:50:31
社会科で習うよね
50 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 00:51:33
上州の郷士って具体的にどういうもの?
百姓です
要するの学術的用語と慣用的用語ってこと? 学術郷士=藩に籍のある武士 慣用郷士=浪人 こんな感じ?
53 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 07:40:30
浪人というより旧地侍の子孫やそれを称する人達だろ。 公的な身分上は農民だけど、既得権益を黙認されていたんだろ。
戦国大名の領国支配の末端を担った下級代官や寄子同心的な地侍からの系譜を伝えている幕藩期の百姓が豪農になっている例はよくあるが、 正式にではなく郷士を称したり苗字帯刀を黙認されてた例なんてあるんかい?
55 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 16:43:06
地侍幻想にとらわれると郷士という曖昧な言葉を好んで使う
56 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 18:10:02
別の県だか、ウチは苗字帯刀で、親戚は「郷士だ郷士だ」と言う。ウチの藩には郷士制度は無く、「郷士」はほぼ自称か、子孫の妄想。戦国時代は地侍で、当時の領主の分限帳の最後の方に御先祖が載っている。 領主が転封後も残り、新しい藩主から苗字帯刀は黙認されたみたいだ。
57 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 18:18:57
正規に郷士の制度や呼称がある藩は土佐藩とどこ?
58 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 19:42:57
最も有名な郷士は薩摩藩の外城家中。 村役人を兼ね村落支配の要となった。 十津川郷士も有名。 太閤検地の際に赦免地とされ江戸時代にも特権を引き続き有した。 文久3年には禁裏御料となったので天皇の直臣の地位を得た。
59 :
42 :2008/04/04(金) 21:53:30
>>43 >>47 有難うございます。やはり単純に「郷士」と言うには無理があるようですね
うちの地元の藩の場合、慶応ニ年、「在方役人並格式覚」
給人格>山奉行格>御勘定人格>独礼
>御徒士格
>割頭格>江筋割頭>郷目付格>水陣守>苗字帯刀御免
>苗字御免之者
>名主苗字無之者>名主代役>名主格>須賀番>御用達
なお元日の年頭御礼での待遇(万延ニ年)
在町徒士格以上が登城、
諸士並びに大目付、御徒士目付が御祝儀を申上げた後、
在町独礼以上が年頭御礼、ここまで、月番年寄の謁
徒士格之者、大目付の謁
在町徒士格、郡奉行の謁
ご参考までに。
60 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 23:36:34
>>58 板的に評判のよろしくない司馬さん的には、おそらく代官所は百姓と認識
していたのでは?確たる証拠はないらしい、ただ免租地という特別な場所ではあったらしいが
62 :
日本@名無史さん :2008/04/05(土) 02:30:16
外城士は薩摩では郷士とは言わない
63 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 02:18:19
苗字帯刀を許されてたのがその辺りに多いからじゃないのか
65 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 12:30:51
制度としての郷士なら下級とはいえ大名家に侍として遇されるんだから苗字帯刀はあたりまえじゃないの?
66 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 12:34:58
武士だったけど帰農したとか前領主の家臣だったとか 苗字帯刀しているけど大名家との主従関係は曖昧な奴もいただろう
67 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 12:47:21
68 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 12:49:32
>>66 苗字帯刀を許された百姓が郷士を自称してる場合はそうだね
私の母方の家系は 江戸時代に年貢を納めるのに木曾川に舟を手配していた庄屋でして、 明治期に東京で奉職した西服部家から家を買ったそうですが、 大正のはじめに当主が早世して以降、没落しました。 ちなみに家紋は「五枚の笹」に似たものらしいのですが、 庄屋でも家紋を使用するのは普通に認許されていたのでしょうね。
家紋はえたでも持ってたそうだし、取り立ててこだわるようなもんじゃないよ
穢多と呼ばれていた立場の人らはとにかく非人と呼ばれていた人らは如何でしたか?
何が如何なのか知らんが家紋は誰でも持ってた 非人でも大名でも皇族でも
それでは政商三井の家紋は、いつごろ作られたのですか?
三井に聞いてくれば
75 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 22:07:24
>>66 前領主の家臣だったという前歴はあまり意味がないような気がする。
そんなの大勢いただろうしね。
76 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 22:46:14
あのさ、苗字帯刀の庄屋や名主もすべてが普段から帯刀してたわけじゃないんだけど
そりゃそうだろ
78 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 22:56:11
ほとんど帯刀なんてしてないよ 帯刀してたのは稀なケース
誰も普段から帯刀してたなんて思ってないと思うが
80 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 23:50:35
領主に帯刀を許されてない単なる自称郷士なら普段も晴れの場でも帯刀できないよな
時代劇で堂々と刀差したヤクザいるけど あれって不思議な感じがする
旅行する時は護身用の脇差しを帯刀することは庶民にも許されていたから、博打打ちはいつも旅姿をして長脇差しを差していた
83 :
日本@名無史さん :2008/04/07(月) 01:13:59
基本的なことだけど帯刀とは二本差すことです
84 :
日本@名無史さん :2008/04/07(月) 02:45:23
>>76 どの程度のことを言うのかな?そんなことを言い出したら下級武士だって
用向きの無いときは近所を丸腰で歩いてたらしい
商家の場合はほとんど帯刀はしないらしいけど大庄屋はしてるんじゃね?
家の中じゃやらんと思うけど
余裕のある家でもなければ普段は農耕に従事していて、 日常的に帯刀はしていないと思う。 みんなの家は裏紋は伝承されている? うちは忘れ去られていて不明。
ぜんぜんわかってない・・・
87 :
日本@名無史さん :2008/04/07(月) 21:38:23
>>76 >あのさ、苗字帯刀の庄屋や名主もすべてが普段から帯刀してたわけじゃないんだけど
前スレにあったよね。式目のときとか、領主出迎えの際に正装・帯刀していたとか。
どうせ春厨だ スルーしておけ
89 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 00:32:12
うちの先祖は殿様の財政を救ったとかで苗字帯刀を許されたらしいんだが苗字帯刀だと郷士なの?
90 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 01:38:31
>>85 余裕のない庄屋は苗字帯刀は許されないのでは?
というか。小作人と同じように田圃耕す庄屋っていたの?
>>89 最近は郷士とは言わないね。昔は総称として使われてたらしいけど
91 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 01:52:32
苗字帯刀の名主や庄屋は村役人であって大名家によっては制度上の郷士なんていないしな
セロ弾きのゴーシ
93 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 04:19:09
でも本来の郷士というのはおそらく総称的なものでは? 太政官公布で由緒ある郷士は士族に列すとあるから、おそらく 士籍を確認できるものを考えてるのだとは思う
>>90 うちの地方は農地解放の影響がない位の広くはない地域だから、
庄屋も自分で耕作していたよ。
献金で苗字帯刀を許された家は高利貸しで蓄財した家が多いのかな。
95 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 08:43:53
地方によるんだろうが普通土地が少なければ庄屋は置かないけど 全般的に貧しい地域だとおく必要はあるんだろうな 家なんて一村に3人の庄屋、それも庄屋は年番で二軒で交代だから 6軒の庄屋がある。理由は3つの地域が離れているのに一つの村だかららしい
96 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 12:54:36
新撰組に出てくる壬生郷士ってのは何?京都だと京都所司代支配とかなのかな?
97 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 13:04:43
壬生住人士
98 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 13:10:34
藩によってはいろんな村へ転勤をする藩機構末端の役人としての色が濃い庄屋もいるしな
一、主を持たず、田畑作らざる侍、相払わるべき事
二年前に八木氏が本を出したけれど、 壬生郷士は1700年頃まで自称にすぎなかったらしい。 自分の実家のある街は千石クラスの村だったけれど、 五人の旗本に分割統治されていて、それぞれに村役人がいた。 無駄極まりない・・・
101 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 16:55:31
単に苗字帯刀を許された分限の百姓とは別に、藩の面附帳などに郷士として家中の扱いであれば郷士だな。 そうでない者は帯刀するのも式事や神事の時だけだし身分は百姓。
102 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 17:11:48
細川家なんて肥後入部の翌年に大庄屋・小庄屋はすべて大小を帯刀、百姓も脇差を指せ。 持ってない場合はすぐに買い求めろ、と命令を出している
奈良県十津川村の村民は皆士族だったの?
104 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 01:10:44
>>100 1700年以降は士として認められたの?
十津川郷はちょっと異質な扱いぢゃなかった? 天領で村民は近衛兵的な扱いだったような。 普段は農民だけど。。
106 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 02:30:29
>>106 明治4年に全村2233戸すべて士族に編籍されました
>>104 京都壬生 八木家の歴史1 八木家と新選組
八木 喜久男 (著)
108 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 05:32:16
1って2も出す予定なのかな?
109 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 13:55:34
天領?
110 :
日本@名無史さん :2008/04/09(水) 14:24:38
十津川は維新の勲功で士族に列したんだろ
>>102 その時期はどこでも帯刀に関しては緩かったし江戸の町人も帯刀してた。
時代が下がると、鍋釜に「ほそかわえっちゅう」と書くと金目がないから
錆びないとまで江戸の民衆に嘲られた有名な貧乏藩になって、徹底した
献金主義を敷いて往来で傘を差す(傘御免)にも5両、脇差は10両とか
一領一匹は何両とかなり細分化され、家臣に準ずるまたは組み込まれた
格式まで与えられた者は士族に編入された。
アイヌって帯刀許されたの?
114 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 00:08:46
アイヌが佩いた太刀とか脇差(蝦夷拵)とか残ってるけど祭祀用だろうな
>>113 シャクシャインの乱以降、武器、狩猟具はおろか、農具に至まで刃物を取り上げたため、アイヌは農業ができなくなり、漁労、採集のみで人口が激減したそうだ
116 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 02:30:07
武田家旧家臣で帰農したものは郷士化しなかったの?
117 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 03:36:41
小松帯刀は?
118 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 03:53:46
それはたてわき
>>109 天皇の直轄地のことですよ。
だから十津川郷は江戸時代でも幕府領ぢゃなかったと思います。
十津川郷の村民は古くから天皇に危機があるといち早く駆け付けてた経緯があって。
維新後それが認められたんでしょね。
十津川郷士は坂本龍馬とも繋がりが結構あったみたい。
120 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 04:55:39
121 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 14:18:47
122 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 15:54:00
>>118 このスレの苗字帯刀は「たてわき」じゃないってこと?
知り合いに帯刀(たてわき)さんという苗字の人がいたから
そうだと思ってた。
123 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 16:25:13
天領という言い方は確かに間違えやすいな。 字面からして天皇領と思うもんな。 だいたい明治になってから徳川から召し上げた旧幕府領が天皇領になったから天領だろ。 十津川は幕府直轄とはその通りだが、実際、数年は天皇領になってるんじゃないか? 徳川時代は幕府領をたんに御領、天皇のまかない分は、禁裏御料とか呼ばれた。
>>123 十津川は禁裏御料にはなっていないよ。禁裏御料の郷士なら山科郷士が有名。
十津川も維新後は御料になってるがそれは関係ない話しだしな。
126 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 17:02:48
127 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 17:07:45
山科郷士は幕府も認めているし禁裏への役目も務めているしはっきりしているな。
128 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 17:15:44
十津川は幕府領でしたが 文久3年に武家伝奏の付属となり禁裏守衛の令旨を賜ります おそらく同年宮中クーデターで尊攘派を一掃した親幕派皇族 中川宮朝彦親王の企画によるもので慶応2年までの3年間は 十津川郷士だけが御所の諸門を警護していました この時に幕府領から皇室領に変わったと見るべきでしょうが 扶持米50石は幕府から支給されたので両属とも考えられます 士族籍への編入は禁裏守衛の功績によるものでしょう 中川宮は失脚しますがそれと御所を守った事実は別ですから
129 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 17:17:43
130 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 17:20:01
山科郷士も士族編入されてる
>>128 >この時に幕府領から皇室領に変わったとみるべきでしょうが
この時は十津川の領主はまだ変わってないのでそう見るべきではない
132 :
日本@名無史さん :2008/04/11(金) 10:58:03
士族編入されるされないの線はどの辺にあるのか?
>>132 実態(藩によるが家中での武士としての実態)、勲功、由緒(特に朝廷との関係)じゃね?
十津川も山科も例外的な存在ってことだわな
135 :
日本@名無史さん :2008/04/12(土) 06:27:20
そういってしまうと薩摩や土佐の郷士も明治の勲功で例外 やはり郷士というのは支配者側から見ればただの百姓にしか過ぎないのか
136 :
日本@名無史さん :2008/04/12(土) 07:49:43
137 :
日本@名無史さん :2008/04/12(土) 17:41:37
薩長土肥(官軍)側は考慮されてると思う・・・
138 :
日本@名無史さん :2008/04/12(土) 18:53:34
官軍に参加した長州の農民は士族 平民宰相は賊軍の家老の子孫
139 :
日本@名無史さん :2008/04/12(土) 19:01:53
>>138 華士族の分家は平民
官軍だろうが賊軍だろうが家老の次男は平民
140 :
日本@名無史さん :2008/04/13(日) 10:23:18
郷士というのは壬申戸籍における地士にあたるわけ?646戸しかないわけだが・・
141 :
日本@名無史さん :2008/04/13(日) 10:48:10
戸籍を分けなければ次男三男でも士族でいられるだろう?
142 :
日本@名無史さん :2008/04/13(日) 17:44:26
>>141 >戸籍を分けなければ次男三男でも士族でいられるだろう?
次男・三男が結婚を機に生計を独立させればその時点で平民だべさ。
143 :
日本@名無史さん :2008/04/13(日) 17:51:48
ところがどっこい、昭和初期の不良華族事件の例を見てもわかるように、 結婚しても兄貴の戸籍に残って、華族の族称を持ってるヤツもいるんだよな。 いまと戸籍制度がちがうから、結婚即独立じゃない。 戦前の戸籍は、いまの核家族と違って、弟の夫婦まで入ってる大家族制だ。
144 :
日本@名無史さん :2008/04/13(日) 18:49:31
上野国で旗本500石(水野氏)の知行地の宿場役人(本・脇本陣ではない)で御中小姓格苗字帯刀御免になっている家があるのですが、 仮に地頭の水野氏が改易などで潰れたりしたら苗字帯刀の格式も消えてしまうのですか?
>>143 鹿児島は士族ということが一種のブランドで、
ずっと戸籍を別にしなかったらしいね。
成り下がった士族にも平民が敬語を使っていたようだし。
146 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 00:33:10
鹿児島って終戦まで、表札に「士族 ○○○○」とあったらしいね。 「日本赤十字社員」の表札かけてるのと同じような感覚だったんだろうか。 ちなみに日赤社員の表札ってのは、日赤に寄付した人がもらう表札で地方によくある。 金額によって「佩有効章」とか仰々しく書いてあるのもある。
147 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 02:30:50
明治時代の文献に出てくる会社員てのは株主のことだね
148 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 04:20:52
法律用語では今でも会社員=株主では?
149 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 10:04:49
会社員=株主 会社員と呼ばれてるのは正規雇用労働者
150 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 18:46:24
合名会社とか合資会社では社員=株主だったかな?
151 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 20:55:40
>149昔街道を行くで十津川郷士の家も表札に士族OOってあったね うちの田舎だと1万石程度の陣屋があるが士族様より元庄屋様の方が 戦前活躍してたそうな。士族様は目立たないようにやってたそうだが 地方差ってあるんだろうな
旧民法下では戸主の権限が強いから 平民になっても、独立のため分家するという流れもあるな。
153 :
日本@名無史さん :2008/04/15(火) 18:08:47
藩士(もしくはそれ以下)で苗字帯刀を許されていたが士族に成り損ねた のは、やはり幕軍側に多いのだろうか
154 :
日本@名無史さん :2008/04/16(水) 21:07:55
仙台藩とか会津藩とか、けっこうそういうのが多いんじゃないかな。 仙台藩の場合、領土の半分以上を没収されたので、家臣の禄を大幅に削減して、 万石級の重臣でさえ家禄数十石に減らされ、陪臣たちがリストラされた。 会津藩の場合、斗南に移住せず、会津に留まった旧臣もいた。 そういう者たちは、帰農した旧幕臣同様、武士の身分を失い平民籍に編入された。
薩長側でも脱藩した香具師はどうなの?
156 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 01:32:21
陪臣って平民だろ?
157 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 01:36:55
伊達の陪臣たちの中には、士籍にとどまりたいため、北海道開拓に従事した。 当初は平民籍に編入されていたが、明治の中頃に士族に復帰できた。
158 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 01:39:39
>>157 >士籍にとどまりたいため、北海道開拓に従事した。
→「士籍にとどまりたいため、北海道開拓に従事した者もいた。」 に訂正。
159 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 01:57:32
陪臣は武士なの?苗字帯刀を許された使用人に過ぎないのか・・・
身分としての士と 帯刀とは必ずしも一致せんからなー ややこしい
161 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 23:39:31
株式=株式会社の細分化した社員の地位⇒株主(社員) 一般に言う会社員は従業員。 合名、合資の社員は業務執行者=株式会社の取締役。
世襲武士→幕臣なり藩なり世襲での武士、幕府や藩に家系図届けての正社員→身分としての武士 藩とかが一代限りで武士扱いがされた者→医者とか技術とか学問剣術なんか認められて武士身分扱いになった者で契約社員みたいなもんで町奉行所の与力同心もここ 武士に雇われて苗字帯刀を許されたもの 身分は武士ではない サンピンとか言われる用人とか 代官所で事務員するとか 普通は仕事辞めたら苗字帯刀できない 世襲とは限らない 庄屋とか地方行政の末端を担っている者は苗字帯刀、身分は武士ではない 普通は世襲される 訂正よろ
163 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 05:36:56
町奉行所の与力同心は確かに一代抱えだが、実際は子が再び召し抱えられることで世襲した。 また医術や剣術で抱えられたものも、似たようなもの。
164 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 08:05:58
一代抱えでも隠居するとき後任を推挙できたからな 版籍奉還後大名を華族としその家臣を士族としたが 「旧来同心ノ輩ハ卒ト称ス可キ事」で軽輩の武士は卒族になった 3年後世襲の卒は士族に一代抱えの卒は平民に移籍されたが 大部分の者は平民籍にされたようだ
165 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 10:38:52
町奉行の同心は本来帯刀できない
じゃあ中村さんは…
いつから武士の定義を決めるスレになったんだ
>>1 嫁
168 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 14:53:10
>>165 たしかに町方同心は二本差しではなく刀一本らしいが
169 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 22:10:45
>>157 >伊達の陪臣たちの中には、士籍にとどまりたいため、北海道開拓に従事した。
陪臣とはいっても、万石級の一門・一家クラス、それに次ぐ数千石級の家に仕えた中には、それこそ1000石〜数百石取りクラスの陪臣もいたわけで。
伊達家は最後までミニ幕府みたいなものだしなあ。
170 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 05:29:39
着流しで大のみを落とし差し・・・ 池波正太郎描くところの粋なさむらいじゃんw
171 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 07:26:36
>>170 >着流しで大のみを落とし差し・・・
>池波正太郎描くところの粋なさむらいじゃんw
着流しで脇差しのみを落し差しじゃなかった? 正太郎の書く粋なさむらいは。
172 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 09:55:31
>>134 穢多身分の小法師で士族になった人もいるしな。
173 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 10:26:46
>>173 京都ですよ。ツラッテイ千本に見に行かれたら?
175 :
日本@名無史さん :2008/04/21(月) 21:46:16
ものすごく田舎のほうって江戸幕府がはじまった事知らずに中世のまま 何か時々代官というやつが米取りに来るなーーと思いつつ二本差で何て こたーないの?
つ刀狩
177 :
日本@名無史さん :2008/04/22(火) 01:40:37
日本は狭いし(文化、民族的な意味でも)、中央で発生した権力はすぐ細部にまでいきわたる。 郵便制度が一夜にしてできあがったかのように感じるのもそのため。
時々小学校レベルの日本史すら知らないようなのをこの板で見るけど 外国人なんだろうか
179 :
日本@名無史さん :2008/04/22(火) 20:08:05
小学生レベルの当然と思われてることを疑うのが最近の主流だよ 三段撃ちとかetc
180 :
日本@名無史さん :2008/04/22(火) 20:27:15
>>180 なんか思い違いしてるみたいだけど、人権板はBを叩いて楽しむ人たちの板だぞ
182 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 03:47:16
>>179 だね。
それに175のような素朴な問題は、
教科書を読んですっと把握できるようにはなっていないはず。
たとえば刀狩りという単語とその語意のみを詰め込むだけで終わってしまう。
175が素朴な疑問?単なる馬鹿だよね
馬鹿というかゆとりというか 俺は朝鮮人かと思ったぜ
185 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 16:21:21
>>183 自分たちが本当の馬鹿である可能性に気付かないのか?
自分で調べもせず安易に聞くようなのは、バカやゆとりとしか見られないわな。
本に書いてあることが事実だと思い込むゆとり世代が多くて困ったもんだと 某講師がいってたのを思い出した。横レス
188 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 19:31:51
スレ違いネタをひっぱるのもどうかと
刀狩自体が不完全で五大老の領地では行われてないようだと前スレで出てたし 完全に農村が武装解除されたのは米占領時であって、かなりの量の刀が農村に はあった
191 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 19:57:44
刀狩りなんて関係ないよ
苗字帯刀と関係ないじゃん ひっぱるなよ
穢多頭の浅草弾佐衛門が二本差しにしてる写真を見たことがある。 なぜ帯刀が許されてたのか、幕府の資料が無いので確定できない。 弾佐衛門側の由来書には「家康に許された」と書いてあったそうだ。
幕末は何でもおkだったからな
195 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 22:18:44
196 :
日本@名無史さん :2008/04/23(水) 22:34:16
弾ざえもんは配下と長州征伐に従軍して士分になったんじゃないか?
だんざえもんは一応 家康から頼朝公の末裔で 関八州の頭として認められてる もちろん頼朝公の末裔に 信憑性ないが、徳川自体があれだからw それで頭としてのお役目として帯刀も認められてる 当時は武士ではもちろんない 士分として認められたのは 慶喜公が伏見桃山敗戦後 江戸城に帰って謹慎するまでの間と思う 近藤さんの甲州行きに 配下の人間だしてる 配下の彼らは士分ではないが、 江戸に来た板垣軍にあいさつしたころは だんざえもんは士分ノハズ 但しここはどさくさで出た書面もハッキリセズ 幕府の意図は町人身分かもしれん
長州征伐に出たのは シンモンさんとその配下のことと違うかな まあ京都大阪までだけど 彼らは士分にはなってないし、もう足軽扱いでもないね この頃はもう何でもありだね 実際旗本あたりでも 兵隊は火消しあたりにやらしとけばと公言 した香具師もいるしらしいw もうそれじや武士なのかとw
幕末は範疇に入れないということで なんでもありだからね
矛盾しすぎw教科書嫁とかなんでもありとかw
自分以外は同じ奴が一人で書いてると思うなら、精神科を受診することをオススメする
なるほど・・・
203 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 01:55:31
204 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 10:52:42
庄屋=地侍ではないよ
浪人は浪人
庄屋さんはあくまで農だよ 浪人は仕官探し中の武士
207 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 12:58:05
>204江戸初期にはほぼイコールではないか?戦国期にも領地経営の庄屋(名主) がいたそうだが事あれば兵を拠出してるし、 >205その資料に浪人を区分けしてる。庄屋と浪人って兼務可能なの? >206仕官の望みは絶たれてるのに苗字帯刀して農業やって浪人?
ていうか武士とは別に庄屋や名主は戦国期にもいるわけで
地侍というより土豪→庄屋のパターンが多い気がする
210 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 16:27:14
スレ的に例外的もしくは現状では理解できにくい当時の状況を鑑みて考えたいのだが 仕官できずに土地で庄屋をやりつつ浪人身分として苗字帯刀をしていたのが>203 なわけだ。ここで刀狩された地侍と、何故か苗字帯刀してる農民の違いが知りたいわけだ
211 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 16:33:41
刀狩ってw
212 :
日本@名無史さん :2008/04/26(土) 16:43:25
>>210 庄屋の長男が家を継ぎ、次男以下が仕官したりする
>>213 いやいや両方とも仕官できない場合について
他家に養子に行ったり商起こしたり出家したりと色々
武士の跡継ぎ以外 →他家へ養子、武家の用人、本家の居候、 後は農工商などの町人身分へ転向じゃね もちろん徳川になって 身分が固定されてからだけど
庄屋で苗字帯刀を認められたのは 献金で藩へ貢献したのもあるが、 基本的にはその地域の行政雑務末端のお役目を 藩から任されてるからじゃないかな 戦国時代からその土地に半農半士で土着化してたんが つまりことあればその地域の農民率いて戦争に行ってたんが、 刀狩り以降の身分固定で農の方になったんじゃないのん 特定の主人がいなかったり、 他への地域移動がいやだったりしたんか、 戦争がいやになったんかな?
一応役人だしな 身分固定と言っても流動的なもんだよ 農家ら士や商にもなるし逆もまたある
藻舞ら>>203全然読んでないだろ
pdfの時点で読む気がしない
悪い全然読んでなかった。 で、今読んでみたんだが、結局革嶋家の身分は明治になり どの位置に置かれる事になったんだろうか。
大正期に士族てのもよくわからんな
平民に納得できずに士族編入運動を行い念願かなって大正二年に士族へ
必死すぎてワロタ
維新時官軍と交流があったせいだろうが士族に成れたのはすごいな。 庄屋系で士族になったのって官軍側だけかな?
227 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 14:13:19
庄屋じゃないけど幕府の御料所内の苗字帯刀をゆるされた者の中にも士族に列せられた 学者とかはいるよ。
明治初年辺りは平民でも官吏は士族扱いでそのまま士族かな?
229 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 18:39:03
出羽酒井家の足軽である浮組は士族ですか?
浮組は最上遺臣で平時は農町人
231 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 20:47:06
帰農、兵農分離、刀狩り 三大妄想
232 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 20:51:49
>>232 こいつは各スレを荒らしてるやつなのでスルーしてください
>>231 妄想というか現実に行おうとしたときの歪みが周辺論
235 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 21:15:20
戦国時代にも兵と農は別だし分かれてるしな
は?
237 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 21:43:06
戦国時代でも兵農は分離しているのは常識
地域と時代に寄るだろうが
239 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:02:45
いつ常識になったんだろう
240 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:13:38
地域によるね。でも兵農が一致していた地域や時代は知らないな。
241 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:16:21
追い詰められた戦国大名が一大決戦をする時には「天下の御弓箭」とか「御国の為」などと言って農村から兵員を徴発したがこれは臨時の徴兵であり実際は金で雇われた匹夫同然の役立たずが村から送り込まれたりした。 幕末でも農兵を募ってるがこれも臨時の徴兵。 乱世に戦闘員を常に農民に依存していては国が立ち行かない。
分離してたとこは?
兵農一致=武田軍、長宗我部 、島津等 兵農分離=織田軍等
244 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:29:40
バラッバラじゃないかw
分離してるほうが少ないんじゃね 信長が始めたんだろ
247 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:37:06
信長が分離ってw
時代地域によりバラバラ。でも上層部は分離傾向が強いが自領地を 持ってるのなら分離とはいえないかも。 江戸期のように移封領地替え等あり自領地と切り離されて分離と呼べるかも
249 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:43:57
信長はゴロツキ集めて農繁期に攻め込んでウマーだろ?
251 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:49:40
兵農分離できていない地域は農繁期になると兵力動員が極端に少なくなる
253 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 22:55:35
分離してても同じだろ
職業軍人は田圃を耕しません。だって戦争で食っていけるんだもの
は?
257 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 23:01:34
>>231 その3つのなにが妄想なんだ?
まあ兵農分離といっても幕府旗本の軍役による主体は農民だけどね。
258 :
日本@名無史さん :2008/04/27(日) 23:10:14
織田信長が他に先んじて兵農分離したとかって変な時代劇の見すぎじゃね?
織田信長がさらに兵農分離を進め、他の諸勢力を軍事的に圧倒した ただし国人や地侍等の既得権授益層の解体を意味するため、最終的に徹底しされるのは豊臣秀吉の天下統一後である
・・・井沢元彦を参考にしろって・・・かw
田舎の方で武士も見たことがない地域では苗字帯刀もない気が・・・
263 :
日本@名無史さん :2008/04/28(月) 21:57:52
初歩的なことですみません、そもそも苗字の「私称」を禁じたのはいつの事ですか?
「私称」は禁じられてないよ。歌舞伎役者の名前等 公文書に庶民は苗字が載らない
265 :
263 :2008/04/28(月) 22:33:46
あっ、すみません間違えました! 「公称」が禁じられたのが何時からなのかな とお聞きしたかったのです。 領主への願書とか、届書きとか、 やはり、太閤検地からでしょうか?
いつからというか最初からじゃないのか 庶民が公文書に苗字入りで署名してあるのなんて見たことない
267 :
日本@名無史さん :2008/04/28(月) 23:23:08
苗字の意味をたどればわかりそうなもの。
GW中だけでもsageでいこうよ 変なのが荒しまくってる
>>265 公家、武士を除く、農以下は公に認められた者以外は公称はだめということだから、
士農工商が明確にされてからだね。はっきりしたのは江戸時代になってからだろうね。
270 :
日本@名無史さん :2008/04/29(火) 09:12:19
小松帯刀・・とかもついてるけど・・・ あれも なにかりゆうあるん?
271 :
日本@名無史さん :2008/04/29(火) 09:35:05
百官名
272 :
日本@名無史さん :2008/04/29(火) 09:49:36
273 :
日本@名無史さん :2008/04/29(火) 10:15:33
>士農工商が明確にされてからだね。 いや、俺は気にしないんだけど、そういうこと書くとうるさいのがやってくるよ。
274 :
265 :2008/04/29(火) 11:32:10
>>274 悪いこといわないから苗字の成り立ちとかを自分で調べた方がいいよ
士農工商て・・・
277 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 01:02:28
先日、深谷克己氏の「江戸時代の身分願望」を図書館で借りた。 士分化願望や身上がり、献金郷士などを詳細に記述しているので勉強になった。
278 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 03:46:57
死のう交渉のうちお前等の先祖なんか皆死のうののうの方の身分なんだから農民どうし荒らそうな
279 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 08:28:51
>>270 どこの藩(とくに外様)も家老重臣級は百官名を名乗ってる場合が多い。
でも当然正式なものじゃないから
伊達兵部や柴田外記や原田甲斐とか国司信濃とか福原越後みたいに守や介はつかない。
将監、将曹、監物とかも多い
280 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 09:33:50
281 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 17:12:27
>>279 伊達兵部は家老じゃないし正式に従五位下兵部大輔に叙任されてるゾ!
282 :
日本@名無史さん :2008/04/30(水) 19:57:13
ここは武士を語るスレではないぞ!
_人人人人人人人人人人人人人人人_ > 携帯厨は氏んで良し!、 と・・・ <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ /´ /  ̄'-- 、. ト- 、_ i ::::::::: ───´─┬┐ ,ヘヘ ` `ヽ、_ノ ::::: ___,,,...-‐''"| | ,'^ '^ヘ i '., ::::::::::  ̄7 | | i ! _/,,..-i─i ', :::::::::::: i | |ヽト:::::::`レ'_,...!,_ノ、 ,' i. | .| .| | |'r、::::::::::::´r~ヽヽ !/ | | | | | | トi:::::::::::::: ト__,! イi___.ハ .| | | | |"´ ""/ イ' ノ | : | |、 r‐ァ 〈イノイ i | : | |Y>、.,_____,,...イイノハ!. | | :::::::: | | Y ノハ_,くヽイ_〈 イ>ト- 、_ .| | :::::::::: | | 〈イ |/7〈ハ〉 !ヘイ ハ.| | :::::::::::::::|______|__| }><{!/ ≠ く/. i' !__  ̄ ̄ ̄__/_______/ V !/'7ヽ、_ !7ヽ、. | / ハ ニ二二i -二ニ---、としi /しヽ、_/ 7ヽ_」/ .| | ________________ンー|.|""""`^ゝ、._ ` /-'´ |::::::::| |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄二=-┐ |::::::::| |
284 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 00:11:57
神主って苗字帯刀なの?
285 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 00:20:56
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【Zeiss Nikon】 ZFレンズ Part-009 [カメラ] COSINA Voigtlander BESSA ZeissIKON 総合【5】 [カメラ] --------------------------------------------------------------------------------
>>284 苗字帯刀って何なのか根本から調べなおすことをオススメする
287 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 00:48:42
藩によっては神主は苗字帯刀だね
288 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 03:37:25
皇族に次ぐ由緒正しき家系は古代から続く神主の家系だぞ。 大和朝廷に統一される前の小国家の王族や、上級貴族の子孫だ。 苗字帯刀云々なんていうレベルで語る庶民とは違う。別格でしょ。
289 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 10:01:25
武田に蹂躙された諏訪家などはとても古い家だな
290 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 12:30:50
>>288 古代から続く名族の神職ってごく少数だろ?普通の村の田舎神官はどうだったんだろうか。
>>290 田舎神官でも名族の分家の人が結構いるよ。
近所の神主さんちも奈良にルーツを持つ何十代も続く家だった。
292 :
日本@名無史さん :2008/05/01(木) 14:28:11
村の田舎神官で無位ならせいぜい脇差に白張の狩衣だな
ここで聞いても正しい答えは出てこないよ 横着しないでちゃんと自分で調べなさい
まあ脇差だろうね
神風連の太田黒とか藩士同様だな
296 :
日本@名無史さん :2008/05/02(金) 15:18:07
>>289 現存する諏訪家屋敷。
1500坪の敷地に茶室もある。
297 :
日本@名無史さん :2008/05/02(金) 15:19:36
298 :
日本@名無史さん :2008/05/02(金) 16:19:47
この諏訪家は信州の分家なのかな?
299 :
日本@名無史さん :2008/05/03(土) 14:32:53
諏訪因幡守
300 :
日本@名無史さん :2008/05/06(火) 12:40:14
苗字帯刀の証文って残ってるの?
残ってるよ。 比較的大きな藩のあった市に住んでるなら、市史の史料篇でもあたってみるといい。 市史の編纂時に旧家に文書の調査が入ってるはずだから、現物は見れなくても内容ぐらいはわかる。
たとえばこんなのが各藩に良く残っている 三十両献金 一代苗字帯刀御免 三両 〃 一代裃御免 みたいなやつ
諏訪のタケミカヅチは甲斐武田の祖先なのでしょうか?
市史ではなく県史にこんなのがあったよ。 熊本県史料・中世篇二「梅谷文書」という古文書に 「福嶋之内躍村之者共、刀脇指被成御免者也」 躍りをする者の村で算所だったらしいが扶持米114石を下しおかれ帯刀御免だそうだ。
305 :
日本@名無史さん :2008/05/10(土) 20:37:19
豪商や豪農じゃなくても帯刀御免ってあるんだ
天皇って苗字帯刀は許されてないの? 少なくても苗字はないよね。これも幕府の公家の押さえ込み政策?
307 :
日本@名無史さん :2008/05/10(土) 20:42:02
皇籍にあるものは苗字は必要ない
308 :
日本@名無史さん :2008/05/10(土) 22:51:24
庄屋文書でしょ?散逸して無いのも多いよ、というか残ってる方が珍しい
309 :
日本@名無史さん :2008/05/11(日) 19:36:53
310 :
日本@名無史さん :2008/05/12(月) 02:47:28
隋書には「倭国王は阿毎氏」と書いてあるけどね
天皇は神であり 人間では無いとされているから 苗字は無いみたいですよ
312 :
日本@名無史さん :2008/05/12(月) 10:03:36
苗字の発生過程と成立をまずは考えよう!
313 :
日本@名無史さん :2008/05/12(月) 13:16:40
中国皇帝には姓がある 姓がない国王がいるなんて予測不能だったのだろう
314 :
日本@名無史さん :2008/05/12(月) 16:23:41
幕末まで○○院という法印(山伏) 苗字を持っていた様だが町史の苗字御免には無い
町史とかどうでもいいよ
316 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 10:22:27
苗字帯刀を正式に許されてたものだけが帯刀してたか?で疑問があるわけよ。 先祖代々帯刀してるのに何故いかんの?ふざけるな!という頑固爺が普通いるわけじゃん。 お上が怖くて生きていけるかって威勢のいい爺さんが。
317 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 20:20:49
318 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 20:52:17
牢人とかくのは、いくさに負けたほうの兵士を牢屋に入れていたことから?
そんな頑固爺さんが普通にいる?
320 :
日本@名無史さん :2008/05/15(木) 05:40:49
>>319 最近の年寄りは物分かりがいいというか若者に媚びてる感じだが
戦前世代の頑固さは石頭、くそ爺、雷親父・・・
321 :
日本@名無史さん :2008/05/15(木) 06:18:52
江戸初期ならいいけど村にそんなやついたら村全体の責任になってしまうから無理だよ
322 :
日本@名無史さん :2008/05/15(木) 06:47:01
でも>>1のお触書が出されてるってことは違反者が多いからってことじゃないの?
>>322 うちの田舎じゃ幕末の頃に馬に乗って帯刀した馬鹿が出て大騒ぎになったと言ってた
地方にもよるだろうけど、村社会で違反者がごろごろいたとは思えない
江戸なら違うかもしれないけどね
325 :
日本@名無史さん :2008/05/15(木) 20:08:42
突然帯刀を始めれば違反者だろうが戦国時代からの流れで黙認ってのもありそうな気は するけどね。苗字帯刀の伝承は多いけど証拠は少ない
326 :
日本@名無史さん :2008/05/16(金) 04:12:10
現存する国重文クラスの庄屋屋敷を尋ねたら?
327 :
日本@名無史さん :2008/05/16(金) 04:25:47
米府紀事略にこんな覚書があった。苗字は許されてないけど帯刀と裃は許されたようだ。 「穢多頭十次兵衛、刀差し許され、上下着用仕るべき事 但し、御扶持は下されず候事」
329 :
日本@名無史さん :2008/05/17(土) 09:57:23
本陣の家なんて文書読んでも苗字は無いけどな。。大名宿泊時のみ苗字帯刀なのかな?
本陣でもある家とない家がある ある家の方が多いんということジャマイカ
ごみん 公式文書では使えなかったんジャマイカ?
332 :
日本@名無史さん :2008/05/17(土) 12:23:15
本陣でも文書の相手によって使い分ける 苗字御免の格式与えた藩の公式文書なら苗字書き記せる 幕府には名乗れない ってこと?
333 :
日本@名無史さん :2008/05/17(土) 17:13:02
詳しくは分からんが郷土史調べると本陣の家に苗字記載は無い。 大庄屋はあるね。
大庄屋は在職中は組や手永の地域名を苗字として名乗らされてるケースが多い。
335 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 04:00:22
苗字があっても本姓が無いケースは多かったの?
337 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 07:00:28
>>335 多くは無いけど大分とか北九州の藩だと手永名が公用の苗字
338 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 07:46:21
妙寺タテワキ
339 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 08:43:05
340 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 08:52:35
柳川はちがうけど大庄屋は準御士分格。
341 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:23:15
>>336 元々、武士が帰農した名主、庄屋の家など家伝として本姓を持ってたのでは…
342 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:26:50
有名なところでは豊後杵築藩の場合、領内6手永(八坂・安岐・小原・来浦・竹田津・両子)に各一名の 大庄屋が置かれたが、その大庄屋の文化元年当時の姓名は八坂弥一郎、安岐長之助、小原鉄之助、 来浦新三郎、竹田津左助、両子隆助の六名。 これら杵築藩の大庄屋は藩主松平家の分限帳において知行方に列し、延宝二年には「大庄屋出陣之人数」として 軍役も課せられており在職中は士分格。だが逃散や強訴の頻発から2名の大庄屋が自主的に退役を願い出たこと から藩は結果6名全員に退役を命じ大庄屋制は廃止された。
343 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:30:22
>>341 うちの親戚もそうだよ。
筑後の永松家だけど、本姓は桓武平氏。
344 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:31:50
>>341 私的に姓を持つことはあくまで自由だから帰農した村役人でなくても家伝として普通にあるよ。
345 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:51:35
話、変わるが一般的に東日本は名主、西日本は庄屋と呼ばれたが役職その他、身分的な違いはあったのだろうか?
豊前田川郡伊田手永の大庄屋も藩の公式名は伊田九朗右衛門だが実際は八尋氏
347 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 09:53:44
348 :
日本@名無史さん :2008/05/18(日) 15:48:35
藩儒とかじゃない学者の苗字帯刀ってどうなの?
>>348 総髪にして羽織袴に脇差ってイメージだけど、幕府や藩に属してないなら浪人扱いで黙認なんじゃない?
350 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 10:23:41
一般平民が学者、または医者になれただろうか?「読み書きそろばん」すら出来ない子供が圧倒的多数で教育機関も藩士の子弟は「藩校」名主、庄屋、商人等の子弟は「寺子屋」と明確に分けられてたし、寺子屋の教師も僧侶や武士(浪人を含む)だったはず。
351 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 11:00:08
>>350 実例ですが日田の広瀬淡窓は、諸国から咸宜園に武士の子弟や僧が多く入塾しているので帯刀の身分でないと不都合だろうという
ことで西国郡代塩谷大四郎の家来分ということにしてもらい苗字帯刀の身分になります。塩谷が江戸に帰った後は後任の竹尾清右
衛門の家来分として引き続き同様の待遇を受けます。
最終的には長年の学問出精教導を認められ幕府より正式に苗字帯刀永々御免を仰せ付けられます。病死後は孫の孝之助が苗字帯刀
の身分を相続しました。
352 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 11:09:01
>>350 名主、庄屋、商人等の子弟は「寺子屋」。普通の百姓の子弟も寺子屋ですよ。
江戸後期の寺子屋の数からして僧や神官、浪人より百姓身分の師匠が圧倒的に多かったと思います。
353 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 11:47:29
>>351 一般的に考えてもそれが自然でしょ?
現代でもあの塾は某有名大、居てるから…
肩書は百姓身分ではマズイでしょ?
354 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 12:16:08
藩校も確か末期には庄屋や豪商の子供を受け入れてたよな?どこの藩だったか・・・
355 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 12:18:59
庄屋って自分が農である意識が全然無くてどちらかというと武だと思ってる。
356 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 12:28:37
有名な学者って農民出身がほとんどじゃん
357 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 12:29:42
今は農でも先祖の出自が士の家が多いからな。
358 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 17:15:02
武士って武装農民
359 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 17:17:30
高山彦九郎
360 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 17:39:18
高山彦九郎は気違い
農民出の学者は武士になるんじゃなくて僧侶になるって選択肢はないの? そっちの方がハードル高いのかな。
362 :
日本@名無史さん :2008/05/19(月) 20:47:38
>>350 農民の高山彦九郎は寺子屋で学んだ後
伊勢崎藩で学んでいる。この頃まだ伊勢崎の藩校はなかったが、
後に藩校の教授となる浦野神村らに学んだと考えられる。
ある日、神村が講義をしているところに彦九郎もやってきてこれを聞いていた。
神村の講義は論語の次の部分であった。
斉の景公、政を孔子に問い、孔子答えて曰く
「君は君らしく、臣は臣らしく、父は父らしく、子は子らしくあるべきです」
景公曰く「良い。そうでなければ、粟があっても食べないだろう」
これを聞いた彦九郎は泣き出したので他の門人はそんなに悲しい話かと問うと、
彦九郎は刀に手をかけて
「景公は贅沢好きで世間知らずな公子であったのに聖人の言葉をきき食を断って死ぬといった。
にもかかわらずあなたがたは他人事のように話を聞いている。
あなたがたは皇国の糟粕で乱臣賊子の奴僕だ。」と言い、また大声で泣き出した。
他にも岡白駒河野恕斎父子、細井平洲など一流の学者に学び、
前野良沢、柴野栗山などやはり一流の学者を交流を持った。
この上杉鷹山の師細井平洲も農民出身。
徳島藩は辛うじて朝敵の汚名を免れた典型的な日和見藩だが、 藩の在郷士分は士族だよ。騎馬も許された不思議な身分だし。
364 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 11:42:02
結局は徳川幕藩体制と言えども、各藩によってまちまちと言う事だ。
365 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 13:16:49
苗字帯刀を許されてると切腹も許されるの?
366 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 13:18:22
幕府の農兵も苗字帯刀だし奇兵隊も苗字帯刀
幕府歩兵も苗字帯刀だね
368 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 21:48:27
ていうか藩校とかの先生なんて百姓出身
369 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 22:00:18
尾藤二洲先生は船頭の子
370 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 22:07:49
本来の武士身分って全国で2万人(家族は除く)ぐらいだろ。
371 :
日本@名無史さん :2008/05/20(火) 23:33:59
元は武士でも藩政期に帰農してた連中は農民だから
じんしん戸籍では 武士25万で4% ウィキだけどね
その前に、ここは武士を語るスレではないのだが
374 :
日本@名無史さん :2008/05/21(水) 11:02:50
>>368 居てたとしても、よっぽど才能を買われて登用された人間だろう。
375 :
日本@名無史さん :2008/05/21(水) 11:27:23
>>374 どこも百姓身から有能な学者がでてるんだ
376 :
日本@名無史さん :2008/05/21(水) 12:07:53
寝て食ってればいい武士階級から上昇志向の強い有能なのが現れるわけは無かろう 維新時だって官幕ともに食うや食わずの最下級武士ばっか
長州征討の時にすでに幕軍も長州も実戦部隊の主体は庶民から採用した歩兵だからな
幕末の有名な学者で武士の子て 緒方洪庵くらいじゃないのん
379 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 17:12:30
尾藤二洲や頼春水や菅茶山も百姓から昌平黌や藩校の先生になってるな
380 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 18:52:27
新選組の土方とか、近藤も養子に出る前は宮川という農家でしょ? あれはなんで苗字もってたんだろう。 苗字があっても普段は名乗っちゃダメってこと?
381 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 19:00:47
>>380 大半の農民は姓を持っていたことは、今では定説。
藩に提出する文書には○○村、○○兵衛としか記されなった
けど、私称は許されていた。
382 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 19:43:56
>380多摩地域は幕末期に治安の悪化から庄屋等豪農に苗字帯刀を許し治安維持にあたらした と趣味で郷土史やってる地元のおっちゃんたちが言ってるらしいがソースはあるのかな?
>>380 多摩ソースは知らんけど、
本来治安維持という武士階級のお役目を
豪農が公の役所から委託代行してるようだから
話としてはおかしくないんじゃないの
多摩の話題に持っていこうとしてるアホは日本史板とは思えないほどの初級者だな
385 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 22:47:37
多摩は初級なのかァ。
いわゆるスレ違い
387 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 23:08:18
みんな気をつけよう。 数人の研究者クズレが日本史板に粘着常駐して嫌がらせをしている。 奴等の揚足取りや罵倒には目的とメリットがある。 スレ毎に分担してるのがバレてるぞw
388 :
日本@名無史さん :2008/05/22(木) 23:30:43
蝦夷と書いて(えみし)清原氏・安倍氏はエミシじゃ!
389 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 00:19:31
390 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 00:20:31
391 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 00:30:26
392 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 00:33:59
幕臣だろ?
393 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 01:33:41
おまいら武揚隠士を知らないのかよ? カクレ住人だなwww
394 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 05:11:45
庄屋のまわりは湿地帯です。 部落よりやや上のエタです。 庄←エタやヒニンの部落民が良く使う苗字です。 庄屋は武士でなく庄屋は武士のような活動はしなかったそうです。 文庫本より 庄屋の苗字に庄と付く苗字は全くないことで明らかになります。
395 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 07:06:18
よく分からんが田舎で土地買うなら庄屋の家の近くにが原則だぞ。 良い地盤の上に立ってるかららしい
396 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 07:07:24
397 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 11:00:05
398 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 12:26:34
日本史の基本を知らない輩が大量出没。
399 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 17:16:48
庄屋イラネ
文庫本の販売元と著者を書いてくれないとなw
401 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 17:41:45
角川スニーカー文庫
402 :
日本@名無史さん :2008/05/23(金) 18:24:39
興味があるならこれから学べばいいじゃないか。 やるならどんなことでも全力で一生懸命やれよ。 精一杯、全力でやったなら、どんな結果になっても悔いは残らないはずだから。
スニーカー文庫よりフランス文庫のがいいお
404 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 13:15:26
伊勢の御師が裃着けて双刀差してる絵とかあるけど許可とってたの?
405 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 13:49:52
華族制度
406 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 14:00:39
御師って普通平安貴族を真似た衣裳だけどな
407 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 20:21:19
庄屋層の郷士化っていうのは先祖がえりなのかな?
408 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 20:30:38
戦国時代に庄屋はいますが武士ではありません
409 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 23:19:56
「門ん家」「前ん家」が無い家は胡散臭い。単なる名子は門でも前でも無い。 地方では今でも幹部名子の家系は門・前等残ってる。
410 :
日本@名無史さん :2008/05/24(土) 23:30:30
御師っていうのは伊勢講の集金人兼手配師。
411 :
日本@名無史さん :2008/05/25(日) 00:54:04
御師の屋敷では一度に百人規模の宿泊者に食事を供すため 何段にも重ねた蒸籠で蒸し上げた魚にコテで焼き目をつけた 「焼き魚」を出してたんだよな
412 :
日本@名無史さん :2008/05/25(日) 02:07:53
江戸時代も同様です。 藩体制によっては庄屋は庄屋であり武士ではなく 何かがあっても庄屋は出ずに ほとんどが下級武士に任せていた。 藩により違いがありますので庄屋は武士でなく身分を買っていただけで 他は何もしないってのが主流でした。
413 :
日本@名無史さん :2008/05/25(日) 07:30:28
>>411 >御師の屋敷では一度に百人規模の宿泊者に食事を供すため
>何段にも重ねた蒸籠で蒸し上げた魚にコテで焼き目をつけた
>「焼き魚」を出してたんだよな
漫画の「包丁無宿」にもそんな話あったな。
「和食界征服」を企む悪役に対抗する主人公が戦うストーリーなんだけどw
414 :
日本@名無史さん :2008/05/25(日) 22:02:07
これより、刀狩りを行う!!
415 :
日本@名無史さん :2008/05/25(日) 23:17:21
今度、となりに越してきた○○刑部です。 主家が転封になったので、残っちゃいました。 一族郎党、刀を鍬に持ち替えて頑張りますのでよろしくね!
帰農って簡単じゃないよ。開墾して草分けになるんだから。
417 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 01:51:52
僅かな知行地があるので耕しますだ!
知行地を耕す???小作として?
419 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 19:45:32
昔は自分の元知行地に帰農した武士を郷士といってたらしい
420 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 20:22:38
それ知行なのか?
421 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 21:14:37
自分の土地。
422 :
日本@名無史さん :2008/05/26(月) 22:02:12
>自分の土地 それ基本的に間違いです
423 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 06:49:04
縁もゆかりも無い土地に帰農はできないでしょ。
424 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 06:54:40
知行地に帰農なんてできないだろ?
425 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 13:46:02
知行地ったって、そこからの年貢を収入にする権利があるだけで 基本的に土地自体は百姓のものだから、帰農しようと思ったら土地を買い上げなきゃならん。
427 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 16:42:41
428 :
日本@名無史さん :2008/05/27(火) 17:01:17
基本的なことを勘違いしてる。 自分で田圃を作る。
土地は誰のもの? 開墾したらその人のもの?
430 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 01:08:10
これより、太閤検地を行う!
431 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 04:40:13
432 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 16:59:15
>429おそらく誰のものでもない 開墾して検地を受けて始めて認められるんじゃないの?
だね。 勝手に開墾して、無届けだと「隠し田」として処罰の対象だからね
434 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 22:11:20
新田開発を請け負って大百姓になった者多数
でも請負って開発するのに金かかるから、元が金持ちじゃないとダメじゃないの
436 :
日本@名無史さん :2008/05/29(木) 14:55:23
>>426 少々の土地くらいは権力で強制収用できないの?
437 :
日本@名無史さん :2008/05/29(木) 14:56:27
50年分割払いで直営田にする!
438 :
日本@名無史さん :2008/05/29(木) 19:30:49
庄屋どの、もう一年、年貢を徴収するのを待ってくれるよう 郡奉行に頼んではくれまいか・・・ 開墾して4年目、いまだ家族や家人共を養うのがやっとなのだ(ry
その方、娘がいたそうな
440 :
日本@名無史さん :2008/05/30(金) 04:49:53
それだけはお許しくだせぇ庄屋様(涙) 娘はまだ、13ですだぁ。
441 :
日本@名無史さん :2008/05/30(金) 09:44:28
ちょうど食べ頃・・・いや、働かせがいのある年頃じゃノー
442 :
日本@名無史さん :2008/05/30(金) 11:14:17
たまには帯刀したい。せめて脇差だけでも帯たいものである。
443 :
日本@名無史さん :2008/05/30(金) 21:48:05
脇差ならいいんじゃないの?
網元や水軍、、、豪商はあるな。
446 :
日本@名無史さん :2008/05/30(金) 23:41:12
そういやー千葉周作も若い頃苗字帯刀してたって話だな。 喧嘩時などはさすがに不味いので脇差一本で参上だったとか
馬庭念流VS北辰一刀流 田舎百姓同士の伊香保の出入りw
448 :
日本@名無史さん :2008/05/31(土) 01:06:13
>>445 だからヤクザは長脇差を使うわけだ
脇差と言いながら長刀並みの長さ
江戸後期には日常的な百姓町人の脇差はご法度なわけだが・・・
450 :
日本@名無史さん :2008/05/31(土) 13:52:41
天空に輝く北極星と北斗七星。妙見大菩薩様なるぞ。
451 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 00:20:16
格式としての苗字帯刀と実態としての帯刀私的な苗字の名乗りは峻別しろ
452 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 17:07:49
でもある程度の格式がないと私的な苗字帯刀も難しい気が・・・
453 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 20:06:09
水戸黄門の助さん格さんや膝栗毛の弥次さん喜多さんが脇差さしてるのと、 ヤクザの長脇差はどちらも道中差しと解釈してOK?
オケでしょう
455 :
日本@名無史さん :2008/06/01(日) 22:43:32
長脇差しの類は時々規制されてるよ
456 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 00:17:50
武士は2本差し 1本では帯刀とは言わんでしょう
458 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 18:08:00
>>456 >うちの先祖の画像、左、三代、右、四代目
見れないんだけど・・
459 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 18:52:53
見たくもない
460 :
456 :2008/06/02(月) 19:59:03
>>457 やはり、そうですか・・・
>>458 すみません、公開し忘れておりました。
何度かクリックすると大きな画像になりますが、
それでも見辛くてすみません、
(写真は県の博物館で、時代、貴賎を問わず県内に残る肖像画を
展示した時の図録からです。)
>>459 まあ、たしかにw
461 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 20:48:26
わざとらしい薄消しはなんか意味あるの?神林復所
462 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 20:52:37
前にも先祖が平藩の郷士?与力格?だったとか書いてた人がいたからその人だろうね。
463 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 20:59:44
>>460 これは領民の上層階級の盛装ですね。
紋服が熨斗目ではないのが物語っている。
464 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 21:03:17
切れてるから良く見えないけど初代は白扇を腰に差してる?
>>457 ていうか肖像画だから脇差を指していれば十分なんだが。
裃姿の肖像画に藩儒の賛が記されている時点で超上層だろw
467 :
460 :2008/06/02(月) 22:07:25
みなさま、有難うございます。
以前の書き込みをご記憶いただき恐縮に存じます。
下手な小細工はしない方が良かったですね、大変失礼致しました。
>>464 初代は火鉢を前にして白扇は傍らに置いています。
二代以降は手に持っています
名主でこれか。すごいね 大庄屋はどんなもんなんだろう
469 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 00:38:30
名主格っていうことは名主ではないということ?
470 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 03:47:16
公卿・公卿・神主・将軍家・初代名・外様大名・上流武家・下級郷士・農民・ 【wikipedia】に歴史的な偉人がいるかいないか 等で日本人チェックする。 いない奴らは部落民・在日なんだよ
471 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 07:26:40
>469 ・名主交代制で名主を務めることが出来る家 ・金もしくは功労によって文字通り格のみ
472 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 08:35:05
・上の事情によってツケを回された年寄その他
473 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 10:42:49
平藩は新田開発で郷士、与力、新切取、刀御免になった者が多い。最も多く存在したのは楢葉郡。 上層農民の彼らは村役人を兼ねる場合が多かった。
474 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 11:12:17
天領じゃ新田開発しても何にも無いのにね・・・年貢は安いが
475 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 11:12:54
新田開発が成功すると新切取。献金すると与力→郷士
476 :
日本@名無史さん :2008/06/03(火) 11:24:38
まずは金だよな。極貧から学者になり大成するのも稀にいるが。
478 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:55:22
ご先祖様へ、苗字帯刀なんてしなくてもいいから、 藩へ献金する分を小判で埋めておいてくれれば良かったのにorz
479 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 22:01:40
江戸時代の写真なんかだと坊主頭の医者っぽい人物も大小を帯刀したりしてるけど あれはOKなの?
>>479 おまえんち鏡無いのか?
お前さんの髪の毛と同じだよ。
481 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 02:54:28
>>478 お蔵を作るときにお蔵の下に埋めるのが結構あったみたいだけど掘って見たら?
>>479 藩のお雇いとかは公式の場合はするでしょ
考え方は農生まれでも足軽や用人になってるときは帯刀するのと同じ
まあ医者だからいつもするのは人によるだろうけど
町医者は帯刀はしないだろうね
483 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 15:18:25
献金する金がなくても武家に若党や足軽奉公すれば実際に帯刀身分になれる。 旗本に奉公してた連中が村に返っても帯刀をやめず問題になってたらしいけど
484 :
478 :2008/06/07(土) 15:40:59
>>481 昨年、掘ってみまつた。
なんか、欠けた茶碗や、瓦片しか出てきませんでつた(ry
485 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 15:51:31
埋蔵金は「ある」としか言えない
>>484 あきらめるな絶対出てくる。
そしておそらく、中にはこんなメモが入ってるはずだ。
「未来の俺へ
悪いがこの金は屋敷を建て直すのに使わせてもらった。
残念だったな。
天明元 辛丑年
治郎左衛門」
487 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 19:43:29
>1のお触書に意味が少し分からん 役職についてりゃ苗字帯刀していいと取れるがどういう趣旨で出したんだろうか
488 :
日本@名無史さん :2008/06/07(土) 20:29:13
489 :
日本@名無史さん :2008/06/08(日) 01:17:12
自称戦国大名のの一族で、大名が開いた道の片一方の入り口の砦っぽいところに 本家が消えてからも、い続けていて、時々ご家老の苗字をもらったりしているけど 藩士でも庄屋とかでもない家柄の私が通過。 参勤交代とかで藩主が近くを通るときに、狼煙を上げてお出迎えとかしたらしい。 明治になって神官になったが地元の殖産興業と鉄道ひくので財産を 使い果たしかけたところの火事で、何がなんだかよくわからなくなってしまったという。 藩士ではないので身分は平民なり。
>>489 藩士でも庄屋でもないって、江戸時代の家業はなに?
492 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 07:09:25
郷士じゃね?苗字持ってるみたいだし
493 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 07:18:29
郷士って家業じゃねえだろw
普通に村役人でもやってた百姓じゃないの? 村で一番の金持ちが必ず名主になってたわけでもないし その地方で長く根を張っていた戦国大名の一族なら、 藩のほうでそれなりに処遇してても不思議ではないでしょ。
村役人って庄屋以外なんかあったっけ
自己解決
しかし
>>489 は村で一番の金持ちとはどこにも書いてないが
どこからそんなのが出てきたんだw
497 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 15:28:46
>>495 庄屋=いでいう自治会長
地方では庄屋は武士ではなく武士は下級藩士から出すのが極普通であたった。
499 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 17:09:05
501 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 17:30:14
502 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 17:48:47
庄屋の権限はもっと大きいぞ。村に割り当てられた年貢を家ごとに割り振るのは庄屋の仕事。
503 :
日本@名無史さん :2008/06/10(火) 17:51:26
>>502 全国各地の庄屋全ての苗字を書いてくれないか?
基地外が混じってるようだ
507 :
日本@名無史さん :2008/06/12(木) 01:05:12
>>491 基本、お百姓さんだな。
あと山伏もやっていたけど、職業じゃないか。
位牌に別当とかあるのがあるから、なんか藩の役職についていたか、盲人だったか。
江戸に出て幕府の火薬関係の何かをやっていた人もいるらしいけど、こっちに記録がないし、
幕府の記録調べるの大変そうだし。
なんで、ご家老から苗字もらったかもわからないし。
砦っぽいところだけに、鎧とか弓矢たくさんあったらしいけど、今残っているのは壊れた腹巻みたいなやつだけだし。
>>496 一応最初の選挙のときに投票権があったくらいの金持ちです。
曾祖母さんの姉が嫁いだ先は、藩でも指折りの大肝煎だったそうだが、
うちの曾爺さんの道楽に付き合ってだいぶ傾いたけど、火事にならなかったので
戦時中は旧藩主家が疎開していたとか。
509 :
日本@名無史さん :2008/06/13(金) 22:59:07
名主、庄屋、肝煎、検断他にはなにがある?
510 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 11:07:41
村役人=苗字帯刀ではないんだけどな
新撰組の近藤勇のように 武家に養子に入れば百姓でも帯刀できるではないか。
512 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 11:43:04
近藤勇は武家に養子に入ってないんだけど。撃剣師匠の近藤周助の養子に入っただけで身分は百姓のままだよ
513 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 14:03:04
>>489 うちのかーちゃんの実家も、戦国時代に新しく開かれた道の入り口の門番とかだったらしく
屋号が「下戸」(げど)ですよ。
>>512 でも、直参とかになったしぃ
514 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 14:38:57
直参になったとか関係なくねーか?
515 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 17:27:54
田舎剣術の師匠の帯刀はまあ黙認だったんだろうね。
516 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 21:04:55
>>510 けど>>1のお触書を見ると庄屋になりゃ帯刀出来そうに書いてあるがな
517 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 21:09:50
>>516 >1のどこにお触れ書きなんてかいてあるの?
江戸時代の「屋号」は、誰でも持つことが出来たの? 家が堀江屋って屋号だったが、江戸の商人のように裕福だった 訳でもなく、かといって小作農だったという証拠も特に無く・・・。
519 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 23:03:25
屋号は苗字じゃないから持てるけど、普通は商人が持つものでしょう
520 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 23:09:11
>>518 村方でも小商などしていれば、べつに構わないのでは?
その後商売を辞めたとしても、屋号は家号として残る場合もあるし
ちなみに家は竹廼屋、母の実家は石川屋
521 :
日本@名無史さん :2008/06/14(土) 23:44:35
東京近郊の住宅地で俺は転入してきたわけだが 元は古くからある集落で相続税払うために地主が土地売却 1軒の屋敷の跡に数軒の住宅とかアパートとかが建ってる 古くからの住民には特定の姓があるのだがそれとは別の姓もある 大地主の原は別姓石橋でやはり地主の西村も別姓石橋
屋号は昔の苗字代わりだから商売してなくても持ってるものでしょ 今も田舎の方だと苗字じゃなく屋号で呼んでるよ
ちょっとググったら地方によって違うのか 何もかも地方によって違うからダメだなこりゃ
524 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 02:52:11
庄屋の半分ぐらいは帯刀を許されてたのかな?
525 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 11:36:10
526 :
あ :2008/06/18(水) 11:44:01
庄屋名主の帯刀が許されてるのは 大半が江戸初期からの永代庄屋の 名門家が大半 中期以降の庄屋などはあまり許されてないケースが多い 新田と呼ばれる地域の名主はかすばかり 基本的に 帯刀が許されている庄屋は 江戸期以前から 豪族や国人武士の帰納者がほとんど
永代庄屋ってどこの地域の庄屋ですか? 仮に領主が替わっても庄屋職の世襲が約束されてたってことだとしたらそれを担保し得るのは大公儀?
528 :
あ :2008/06/18(水) 12:18:17
もちろん 大権現お墨付き貰ってる庄屋いますしね それに 管理監督者である大名家が代わることでの 地方自治の役職や役目、役割等の人的変遷が 根こそぎ変えられると事例などあまりないですよ 基本的に 村社会の末端行政は 普通は委任委託委譲されていますから 江戸初期からの庄屋は大半が世襲的身分保障がある程度の範囲でなされてたと見解するのが妥当です そもそも幕府が 初期に帰農させる口実が それら豪族や国人武士の既存の権利や既得権益の保障が前提でしたからね
529 :
あ :2008/06/18(水) 12:25:04
さらにいうと 村社会の日本で 例えば目に見えた保証の形というものが存在していなくとも 行政監督官にすぎない行政庁としての役割権限をもつ大名家 ようは監督、管理、指導、運営 というマクロ的役割 分権的末端行政区の村社会の中での確立された庄屋身分は 暗黙のうちの保証された権限として 個人に委ねられていたことは 容易に確定できますよ
530 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 12:41:58
アホ?
531 :
あ :2008/06/18(水) 12:48:31
は? なめてるのか? 俺は あらゆる学問に精通した いまだかつて論破されたことない男だ なにが論述でおかしいのかいえるならいってからアホといえ 俺の論述が難しくてわからないだけだろ(笑)
532 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 13:59:20
↑狂人?
533 :
あ :2008/06/18(水) 15:05:07
だからなんで狂なんだよこの変態 根拠もないくせに あげくは理論的に言い返せないくせに どーしょもねーくずだな
534 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 15:10:23
↑ブヨウインシ?
535 :
あ :2008/06/18(水) 15:20:36
そうだよハナタレ よく覚えていたなくず どいつもこいつも学術的な専門性がないばかばかり 笑えるがな
しかし、実際のところ誰が許可したのですか? いつの時代の話ですか? その辺からして不明確で、話が見えてきませんね。。
537 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:22:43
庄屋様はこちらでも ウンチをお漏らしでしたか。。。
538 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 23:26:52
539 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 00:35:48
>>538 >庄屋の苗字について調べました。
庄屋←て苗字の庄屋はいませんので悪しからず。
我が主の粗相をお許しください。。。
庄屋様ぁ、おバカまるだしでございするぞ
540 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 05:08:07
庄〇・徳〇・金〇・伊〇・日〇・富〇 〇原・〇本・〇山・〇原・〇島・〇田 在日に多く使われる通名・苗字は 日本人ぽっいけど頭文字が立派で金持ち風なのが特徴です。 これはマジな話し。
541 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 12:37:32
あ【あ】[固有名詞](日本史) 2chの日本史板のコテハン。 自演厨で上層農民階級が下層士族階級より偉いという妄想にとりつかれて 何度も自分の発言を自演で擁護するためうざがられる。 およそ日本史板住人とは思えない独特の【あ】用語を駆使した書き込みを行う。 ダニやゴキブリなど汚い暴言を繰り返し、前後の流れを無視して論破宣言をするなど どうしようもないコテハンだが、あまりのキレっぷりと、ぶっ飛んだ理論展開から 他の住人からは精神病ではないかと心配されていると言う面もある。 あ用語【あようご】(日本史) 日本史板の厨コテハン、【あ】が妄想から作り出した独特の歴史用語 [豪族庄屋][小作庄屋][エタ侍][地侍庄屋]等があるが、 まともな精神状態の人間には理解することができない。
543 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 12:57:50
博徒なんかは通り者だと称して長ドスを差してたらしいけど通り者(旅行者)なら脇差帯てもよかったんだよね。 道中でなにかあった時は抜いたり斬ったりしてもよかったのかな?
>>543 野犬とか盗賊から身を守るためなら斬ってもよかったんじゃね?
546 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 16:17:21
うちの曽祖父が明治20年代後期旧制中学に行くため上京する折 追いはぎが出るためと称して一本刀を差し懐には拳銃を携えて出かけたそうな。 昔は治安が悪かったのかね?
廃刀令がでていますが…
548 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 22:38:04
廃刀令以後も懐剣や包んだ刀の携行はOK 拳銃もOK
549 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 00:34:01
550 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 00:37:00
791 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/06/22(日) 01:00:52
>>789 それは足軽長屋、足軽は士族ではない、The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
The do you under stands
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そこの あ はブヨウインシだからお触り禁止 1人自演で1000まで埋めるキチガイだから
553 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 23:59:53
>>546 あ、うちの曾爺さんも上京するときはいつも脇差を持っていっていたとか聞いたな。
おれの曾祖父は脇差を仕込んだステッキ持ち歩いてたそうです
555 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 01:38:04
旧制中学は剣道やってるからな俺たちが刀持つのとは格段に意味が違うんだろうな
>>554 それ、座頭市(-_-)⊇だろが!つっこみ
557 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 01:59:26
廃刀令以後に仕込杖や懐刀が流行ったらしいよ
558 :
550 :2008/06/25(水) 03:24:20
>>552 いっしょにしないでくれ
あのスレで言いたいことあったけど、キチガイが立てたスレだから
情報は書かなかったってのに
言いたいことって何?
山野ってアニオタだったんだな マジで見直した
苗字帯刀が許されてもあまりメリットなさそう…
>>561 苗字帯刀が許されても、武士になったわけじゃないから自己満足の域を出ない。
つーか江戸後期はほとんど献金に対する腹が痛まない褒美だし
564 :
日本@名無史さん :2008/06/26(木) 19:01:12
おなじ郷士間でも献金郷士は揶揄されていそうだな
565 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 23:14:11
どこの藩?
566 :
日本@名無史さん :2008/06/28(土) 23:35:52
まあね。 ウチみたいな由緒正しい鎌倉御家人の子孫から見ると、殿さんも何処の馬の骨かわからん成り上がり者だから、影では○×さんと言っていたそうだし
前に広瀬淡窓の苗字帯刀永世士列のことが書いてあったけど 幕領でいかに庶民の永世苗字帯刀が破格格別の恩典であったかこの淡窓の詩でもわかる 朝来寵命下山村 身著逢衣及子孫 自覚一肩坦不起 国家恩又聖人恩 山深い日田の田舎にいる淡窓にとって永世帯刀で租税夫役を除かれ踏絵を免ぜられたことが当時いかに驚異の恩典であったかがわかる詩である。 淡窓の学才賢才に今さら疑いはないわけだが、彼がこの恩典に預かったのも当時の老中がかの水野忠邦であり、その元で御納戸頭の職掌にあったのがかつて日田で淡窓が教えた羽倉簡堂であったという偶然があってこその快挙であった。 事実儒者としてこの恩典を受けたものは伊藤仁斉、那波魯堂、近藤篤山ら数人に過ぎなかった。
568 :
日本@名無史さん :2008/06/29(日) 06:44:33
幕領なんてお目こぼしがその代わりに多そうな気がするけどね
>>567 どういう偶然かわからないけど
羽倉と共に幕府三人兄弟と並び称された川路左衛門尉も豊後日田の産まれなのは単なる偶然とは思えない巡り合わせだな
広瀬淡窓は俗吏(日田代官塩谷正義)の干渉・弾圧日本史よって咸宜園を閉鎖寸前にまで追い込まれたりしたこと(官府の難)もあったから、同じくかつて当地の明府(日田代官)だった羽倉に推挙され幕府に永々苗字帯刀を許されたのだから特に感慨深いものがあったのだろう
571 :
日本@名無史さん :2008/07/06(日) 21:49:05
庶民が勝手に帯刀したらどうなるの?
銃刀法違反。懲役1年以下の刑。
573 :
日本@名無史さん :2008/07/08(火) 03:23:11
知人が「うちは昔から苗字があったから武士の家系。」と常々語っていました。 先日、「公的に使えないだけで庶民にも苗字があった。公文書とかには使えないけど。」 と話を振ってみたら、「もちろん僕は公文書に書いてあるのを見てるから・・」と言いました。 よく嘘をつく人だし、慌てて誤魔化すような話し方で、それ以来彼はその話題を避けます。 同じ苗字が何十軒も固まる元農村で、彼の家が庄屋だった形跡さえありません。 田舎町なので昔からの名家なら年寄りの間では有名だったりします。 ほぼ間違いなく作り話なのですが、今まで散々自慢して周囲を見下す発言をしてきた人なので、 懲らしめてやりたいのですが、否定する証拠を突き付けてやることは可能でしょうか?
平の百姓から恒久的な苗字帯刀を得るのに5000両はかかりそうだけど、どこにそんな金が
575 :
日本@名無史さん :2008/07/08(火) 22:48:25
>>574 一代で築くわけじゃないからね代々献金を重ねての結果
10代200年だと一代当たり500両か
576 :
日本@名無史さん :2008/07/08(火) 22:54:22
場所によって違うからなんともいえないな。 天領はかなりゆるかったけど。
577 :
日本@名無史さん :2008/07/08(火) 23:42:31
ゆるい?それは勝手に帯刀してるのを取締れる力が足りなかったってことだよね? あるいは諸家から士格などを賜った豪農がいたから? 幕府御領の領民で幕府から直接に苗字帯刀の身分を得るのはなかなか大変だし老中の決裁が必要だから
578 :
日本@名無史さん :2008/07/09(水) 06:51:42
代官が許すってことは無いの? 後、田舎の方って歴史と格式にうるさくて席次まで決まってるんだが 天領、旗本領。藩領が入り混じってる地域で格式の低い家が藩領にあって 苗字帯刀を許された場合どうなるんだろうか?
580 :
日本@名無史さん :2008/07/10(木) 20:59:30
先祖さま、困るんだわ子供の時だからって、 手習帳の裏に「〜吉郎、平○○」なんて署名しては… うちは表向き藤原氏って事にしているんだから… 自分だって晩年、「〜衛門、藤原○○」って署名しているじゃないですか! 仮冒だってわかっちゃうでそ! 不利な証拠は消しておいてもらわないとw
仮冒だって新平民だっていいじゃない。 ミトコンドリアイブの子孫に変わりないのだから。 実はネアンデルタール人の血を引いているっ人が いたら、それこそ詐欺師かどうか調べてもらうしかない。
582 :
529 :2008/07/13(日) 01:13:18
やっと訳わからん庄屋のスレが終わったな。 そんなに大名以上の実力があったなら,大名なってて百姓になってないって。
583 :
日本@名無史さん :2008/07/13(日) 01:16:19
↑すまん,このスレの529じゃなかった。
584 :
日本@名無史さん :2008/07/13(日) 01:23:03
バカが一匹暴れてるから覗いてみて
家柄とか先祖自慢する人うざい Part4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1200842875/l50 94 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/02/04(月) 13:48:27
士族以上の身分に対してこのようにバッシングが多いのは、単に9割近くの家が
百姓や町人、その他だからだろう。そいつらがどんなに嫉んでも金では買えない。
だから士族以上の身分だった者たちは百姓どもが何言っても相手にするなよ。
--------------------------------------------------------------
その百姓、町人でも金で買えた武士の身分
そんな「武士」の身分を誇らしげに語る池沼w
お久し振りです。 我が母系の祖先が、代々庄屋だった者ですが 苗字を何度か替えたと当主の伯父が申していたそうです。 伯父の話では木曾川に年貢を納める役で舟を手配していたそうですが、 代々、治右衛門を襲名していたようです。伯父の名前にも「治」があります。 母系の祖父の名前には「治」がありませんでしたので、いわゆる通し名でなかったと思いますが、 外祖父の父(つまり伯父の祖父)は、治衛という名前の人物で、大正のはじめに40歳余で他界してから没落していったそうです。 残された母子らは食うに困りませんでしたが、治衛の伴侶が漢方薬の薬局を営んでいたそうです。 しかし、東京に奉職した西服部家から治衛が買い取ったという家は瓦葺の二階建てで家紋も母方の実家と異なっており、養蚕施設や蔵もあったそうです。
586 :
日本@名無史さん :2008/07/13(日) 19:14:49
天領の庄屋は、地元の戦国大名の支流で帰農した家とかに任したりしてたみたいだね。 周辺の大名の見張り役としてちょうど良かったのかも。
>>586 うちの地元は旧幕府直轄領だけど名主を勤めた家は時代によって変わってるし一番古い家も江戸初期によそから流れてきた家系だよ
名主はころころ変わるけど庄屋は変わらないからね
名主も庄屋も意味は同じだよ
意味というか中身に若干違いがある 名主は年番名主や入れ札制が多く、庄屋は代々続く世襲制が多い
播磨の文蔵さん一人で7000両とか一体何やってる人なんだか
593 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 20:28:01
いや完全に同じとはいえないはず。防犯では庄屋・名主を使い分けてた事例が あったが・・・思い出せない。 基本的には>592さんの言うとおりだと思う
594 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 20:54:40
>>591 市場村の近藤文蔵なら、新田開発や加古川水運、廻船業、小野藩御用商人など。
595 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 20:58:00
庄屋は町の区画整備や土木事業 土建の大将じゃない? 戦も無く江戸時代は比較邑楽かな時代です。武士の役割が無くなり下級武士は大工や傘職人掛け持ち仕事していた。 徳川幕府260年の中武士役割が無くなりつつありました。 黒船の来襲により 鎖国や攘夷など 日本の上層部の内部が分裂により幕末維新戦争になる。 江戸時代の庄屋は村や庶民の自治会長です。 武士が多い藩では庄屋は庄屋であり 武士の役割はしなかった。
596 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 21:06:41
村方は、武士の世界から見たら政治に関与出来ない、取るに足らない存在。 しかし村方からすれば、騒動を起こさない限り放任という形ながら自己の 裁量権が認められていたため、統括役の庄屋に裁判権や年貢の各家負担 割り当てなどの重要な役目が集まっており、非常に重要な存在だった。
597 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 21:17:36
>>595 そりゃそうだろう,戦国時代や土地の横領侵略が日常茶飯事な世ではないし,
治安を守ってくれる者がいれば,農民だって武装したり武芸を鍛える必要はな
かったんだろう。
農民の本業は農業であり,江戸期までは自分たちで守らなければいけなくて武
装してたんだから。
598 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 22:20:23
奉行や役人 カッコイイけど 【【日本の氏族】】これググれ
現在重要な仕事をしていることと、 由緒正しい武家の家柄というとこは全く尺度が違う。 百姓上がりの庄屋に帯刀を認めることなどあり得ない。 金を出せだ許すといったものでもない。 その辺の線引きは厳格。
600 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 22:46:40
【【日本の氏族】】これググレ 相手するのが面倒だ!!!
601 :
日本@名無史さん :2008/07/14(月) 23:08:50
>>599 上級武士はともかく、下級武士の中には農家の二、三男から
武家に奉公にあがって、士分に取り立てられた百姓あがりの
者だって多数いるのだが
602 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 01:31:18
庄屋もころころ替わるよ 庄屋の任免も武士がやるわけであり…
603 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 03:48:08
庄屋が無闇に武士に逆らうことはないし、武士が村方の実情をいちいち把握しているわけでもないから、 庄屋が重大な業務上の過失を行ったり、経済的に没落して体面が保てなくなって別の人間を村方が 推挙したりという形でもなければ、指名するのも難しいだろう。
wikiをソースにしたり
>>599 みたいな無知がいたりと見る価値のないスレだな
もうちょっと勉強してから書けよ
市場でなく加東群太郎大夫村になってますけど地名が変わったんでしょうね。
606 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 19:53:33
>>605 変わったというか、当時の文献でも両方の名前が入り乱れているようだ。
607 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 20:02:51
苗字帯刀なら50両献金でくれるよ!
608 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 22:21:02
↑ 嘘付くなや豚
609 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 22:35:43
「地方によって事情が違う」これ重要 関東では名主になるのに旧支配層(鎌倉御家人クラス)の血統は必要だからな。
610 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 22:46:47
>>609 さんがいいこと言ってますね!そうなんです。仮にそういったクラスの由緒がない帰農家は、庄屋名主以外の村三役程度にしかなれなかった
百姓上利の庄屋に名字帯刀を許すようになったのは、世が荒れた江戸末期のことです。 新撰組のような百姓上がりを許すようになったのは、江戸幕府を支えていた基盤が 緩んだことによるものでした。例外を認めてしまったら、鎌倉以来の武士の世の中を 維持できるわけがありません。 自分を武家の出身だと思いたい人がいることは理解できます。 しかし、現実を直視したほうがいい!と思いますよ。
612 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 23:02:10
>>611 あなたは基礎の歴史学を知らなすぎる。だから中世期から士農分離が明確化してたなんてトンデモ意見がでる。
各地方の土豪達は基本は農家ですよ?しかし土地を守るため一族で武装した。こんな土豪は全国無数w そもそも徳川軍団も国人クラス以外はこういった土地土豪の寄せ集めなんだよ。こういったグループが帰農すると、名字帯刀庄屋になるケースが多かった
恥ずかしいよあんたのレベル
613 :
日本@名無史さん :2008/07/15(火) 23:55:32
>>571 今更かもしれませんが、
「若し隠して帯刀する者ありて露見するときは、
軽追放位ひの仕置きには相成ることなり、」
大石久敬『改正補訂地方凡例録 巻之七下』「一、由緒百姓之事」寛政6年より
(日本史料選書4、『地方凡例録 下巻』大石慎三郎校訂1969近藤出版)
614 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 00:30:41
No.1【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗 (信濃・上野)=比企能員 (越後)=佐々木盛綱 (下野)=小山朝政 (常陸)=八田知家 (下総)=千葉常胤 (武蔵)=平賀義信 (相模)=三浦義澄 (伊豆・駿河)=北条時政 (遠江)=安田義定
615 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 00:31:25
No.2【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (三河)=安達盛長 (尾張)=小野成綱 (美濃)=大内惟義 (伊勢)=山内首藤経俊 (近江)=佐々木定綱 (若狭)=津々見忠季(島津) (和泉)=佐原義連 (播磨)=梶原景時 (淡路)=横山時広?
616 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 00:32:29
No.3【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (但馬)=小野時広 (讃岐)=後藤基清 (土佐)=佐々木経高 (出雲)=安達親長 (安芸)=宗考親 (石見・長門・隠岐)=佐々木定綱 (対馬)=河内義長 (筑前・肥前)=武藤資頼 (日向・大隅・薩摩)=島津忠久
豪族は地名に由来する 守護は朝廷・公家・武家【日本の氏族】ググレよ 後は地元の地方の藩士や郷土資料参照したい、ソース提示でヨロシクね! 後は戦国時代過ぎた江戸時代は比較穏やかであるが為に商人も増えたし郷土整備もおこなわれていた。 後、成り上がり豊巨秀吉は別格
618 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 00:45:25
619 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 02:04:54
620 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 02:18:29
ひと言レスは無視しとけよ。
622 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 03:02:07
623 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 08:10:36
幕末で地方の貧乏藩なら50両で苗字帯刀御免でもおかしくない
624 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 09:30:36
備中国あたりは、備中村鑑を見るとすべての庄屋に苗字がある。実際に墓を見ても 院号がついていたりして、単なる僭称とも思えない。あれはどういうことだろう。
領主によって庄屋など村役人の待遇はちがうんだよね 西日本には庄屋在職中は苗字が許された所がけっこうあると思う 土佐や小倉、福岡、熊本やもたしかそうだ
626 :
あ :2008/07/16(水) 11:48:10
あのな 江戸初期からの庄屋は大権現お墨付きを貰ってる名字帯刀庄屋が多数いるんだよハナタレ わかるか?
関西では、奈良時代あたりから続いている庄屋ってのもあるな あの塩爺の実家がそうで、藤原不比等の子供が先祖らしい。
628 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 17:44:31
>>625 補足すると、備中というのは近畿八ヶ国や関東と同様に典型的な非領国地域。
幕府領、数万石程度の小藩領、岡山藩分家の新田藩領、御三卿領、他地域の
藩の飛地領、旗本領といった感じで非常に多彩。だから不思議なんだよ。
>>626 バカは引っ込んでいなさい。目障りだからね。
629 :
あ :2008/07/16(水) 20:03:26
↑ いやいや うそなんて言ってないから お墨付きもらって帰農した庄屋いないとでもおもってるんですか?
630 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 20:10:18
>>629 バカは引っ込んでいなさい。目障りだからね。
631 :
あ :2008/07/16(水) 20:32:00
馬鹿は お・ま・え (σ・∀・)σ
>>631 よっ!久しぶりだな
‘あ’庄屋どん テメェが生きてたとは日本は平和だな!!
あ庄屋どん精神病棟からやっと脱出できたんだね!
虚言発作が始まっちまったなwww
あ庄屋どんはやく病院へ帰りなさい(^o^)/
633 :
あ :2008/07/16(水) 21:02:32
おす!だから嘘濃いてねーすよ 虚言なんていってねーし 家系家柄大辞典にのっとるわぼけ 庄屋が財産や身分が武士以上いうのが信じられないし また認めたくないんだろ卒 わるいが 庄屋ばかにしとったら苦汁なめさせられちゃうぜ?伊達じゃないんすよ庄屋はまじでWW
634 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 21:10:05
. ┌┬┬┬┐
.―――――┴┴┴┴┴―――、 ______________
|| ̄ ̄ ̄||  ̄||| ̄ ̄ ̄|| | ̄ ̄ヽ /
|| アヒャヒャ| | ||| アヒャ || |_∧ ヽ / では
>>632 を
||(・∀・)_| |・∀||(・∀・)|| | ) [ ] < 引き取らせていただきまーす
||_ ̄ ̄_|_|_/ | ̄ ̄ ̄.|| | ̄ ̄ ̄ || \_____________
l O| ―-.|O゜| 東京精神病|.|院 ニニ .||
|_  ̄口 ̄ l_l⌒l|____|.|l⌒l_||_|__| ブロロ-‥‥
`ー' ̄ ̄ ̄`ー' `ー' `ー'
635 :
あ :2008/07/16(水) 21:10:30
>>627 そうなんすよ 庄屋は名家が多い
実際関東の江戸初期から帰農した庄屋は 鎌倉御家人家系も多いようだし。
もちろん 国人 地侍 土豪 あがりも大半ですよ
ちなみに武蔵国の端の大庄やも 元国人です
>>635 まあ、本当に名家かというと、血筋のねつ造が非常に多い
庄屋などで先祖が貴種とされる系図を調べたら殆どが偽系図だったとか。
その多くが土豪の子孫が源平藤橘を仮冒したもので、特に藤原氏と源氏は人気があり、
また山奥の村などには平家の落人と言うパターンが多い
637 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 21:54:52
>>635 お,「あ」を久しぶりに見た
スレ無くなって消えたと思ったが
国内サッカー板の●●2008J1へ昇格するチームは? part29●●スレの
158 :あ:2008/07/13(日) 22:28:17 ID:JumtPJatO
たぶん広島はもう確定。
確かにこれから失速はありえるが、たとえそうなってもライバルは山形だけ
セレッソはどんな戦力いても関係なしの弱さ
これあんたの書き込みかい?
庄屋だけでなく,J2にも興味あるんだ
638 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 21:56:06
山賊上がりが地主に圧力をかけ、娘を孕ませて子を産ませ、 後見役として支配する。よくある話です。 北条氏も鎌倉の御曹司を使って幕府を我がものにしました。
639 :
あ :2008/07/16(水) 22:10:50
>>636 確かに 家柄だけで言うなら 天皇を祖とする宇都宮家支流益子家も 戦国大名を経て 庄屋になってる。だが全部が全部じゃないのもわかる
例えば俺の一族は家柄はよくないですよ
別に源平でもない ただ小地域の土豪というだけ
ただそれすらない卒ごときには 身分の枠を超えて 庄屋にかてるわけないどころか 関東サイジャク黒羽藩なら 我が一門でもタイマンナラかてるといってるだけ
庄屋は強いんです!まじで
640 :
あ :2008/07/16(水) 22:15:11
>>637 いや、俺じゃない 玉けりなど一ミクロンも興味なす
俺は学問板以外は全くいかない
学問版で知識統一、見識論破、論理闘争 でしのぎ削り、俺の脳をしらしめてやること意外興味ない
東洋最強脳だからよ俺
>>639 タイマンだせぇ”m9(^Д^)
流石だ!中卒 あ 庄屋どん語録
江戸の喧嘩や祭は華かwww 庶民派あ庄屋どん
金持ち庄屋は喧嘩せず。
642 :
あ :2008/07/16(水) 22:40:14
>>641 金持ち庄屋は なりあがり!
この上で述べた下野戦国大名益子氏の戦国期ストロングスタイルを調べてみるがいい
まー国人と分類するのが妥当だろうが 江戸期 常総国庄屋になった後も 一揆を弾圧しまくる活躍ぶり
当時の江戸初期では、結城藩や、いや
下館藩と同じ位の力と財力と権威をもっていたといわれてる。なぜなら益子家配下は大名に江戸期にはなり、戦国大名の益子家は庄屋に。
当時の部下たちが、社長を支配する形。関東はこういった半端じゃない代豪族庄屋多いんですよ!庄屋は強いんです
合戦上等!!
643 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 22:49:27
>>642 おいおい,成り上がりって。
配下が大名になって家名を上げてるのに,庄屋って,成り下がってるじゃん。
しかも,一揆の弾圧は元配下の大名の命令で行ったんだろ。
644 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 22:52:52
>>642 タイマンでナキベソか?
なんだ次は団体戦かwww
所詮、あ庄屋どん
低次元な争いに参加する奴らはいない。
あ庄屋は関東だな!
645 :
あ :2008/07/16(水) 23:12:38
>>643 ばかだな 当時益子氏は戦国期結局結城家に滅ぼされたが その結城市は益子家にたいし 仕官よりも 庄屋として 立場に配慮したと言われてるよ
庄屋これすなわち 藩の管轄でありながら治外法権 だから益子家家臣は逆に仕官させ武士として統括し 元戦国大名の益子家は庄屋として 対面をもたせたという形
わかるか?没落したなんてすぐほざくが 実際はこれが現実
わかったか き・ち・が・い ・
芳賀氏だよ。本当の成り上がりは。
武士階層が江戸時代を通して増大していて、 江戸時代末期には武士の割合が急増する寸前だった。 明治以降は足軽が士族となった。さすがに江戸時代の内は 武士扱いされることはなかったけれども、その兆候はすでに あったのだろうな。 江戸幕府があと100年続いていたら、武士が人口の半分とかに なりかねなかった。朝鮮半島の両班の急増を笑えない。
>>639 武家ってね、結構団結力が強いんだよ、軽輩でも馬鹿にすると上が黙っていない。
何せ身分しかよりどころが無いからね身分を犯すようなことをすると
大庄屋でも袋叩きにされて首切られちゃう。
それが江戸時代の侍。
だから、財産は上でも身分は下だってさんざん言われたでしょ前スレで。
また、あが沸いてるのか こいつ荒らしだから、来るとスレがあれてウザイんだよな
650 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 23:32:51
【パラノイア爺】(日本史板常駐) 2chの日本史板の常駐住民。 異常なまでの粘着性で、底の浅い日本史知識を得意げに披露し、周囲が呆れ 果てて返レスしないと勝手に勝利者宣言をして、失笑を買うw 妄想だらけの自分の意見に同意しないと逆上して、勝手に脳内で相手を同一認定しまくる。 しかも、ハズれる場合が多いw その異常なまでの偏執ぶりのため、住民達からうざがられる。 およそ日本史板住人とは思えない「鮮コロババア」「ブヨブヨ陰茎」などの下品な言葉を 使って周りから顰蹙を買う。 官尊民卑思想の権威主義的な性格で、「下級公務員は自治会長よりも偉いんだ!ゴラァ!」 のようなアホな発言を繰り返して、またまた失笑を買うww 「負け犬」「卑しい身分」等の語彙を好み、どういう理由からか関東在住か関西在住かについて 異常に拘る。 明らかに人格障害レベルの人間で、現在精神病院に通院中で、職には就いていない 模様である。 パラノイア爺、今日も早朝から彼の火病レスが、このスレで目にすることができる だろう。
651 :
日本@名無史さん :2008/07/16(水) 23:37:49
これって一人でやってるんだよね
現実を受け入れられずに庄屋至上主義を盲信するアホwお百姓さん年貢まだ〜?取り立て屋のお侍に怒られちゃうよw
>>646 あらま、うちの母方の祖母の実家の苗字だw
庄屋だったけど、40石ほどの持ち高だったなあ
654 :
あ :2008/07/17(木) 00:06:35
荒らしてないじゃん 庄屋の名門ぷり列強すればあらしになるってか? おまえ等が認めたくないから嵐だというんだろ それから↑ おまえの親戚と益子家は別物 四十石なんて本百姓だろ 益子家は千石弱ある大庄や ムラムラ束ねる豪族庄屋で さらに宇都宮家支流の名門家 一緒にすなや
655 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 00:09:23
すなやw
656 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 00:17:51
あ=クルセーダー、 です。皆の衆、小馬鹿にしてやってください
657 :
あ :2008/07/17(木) 00:20:03
>>648 そりゃあんたのいいたいのはわかるが
こちとら 戦国期 しのぎ削ったあの最前線
だてじゃないんすよ
卒が 身分にすがり 面子かけて攻めてくるなら 一門の名にかけて返り討ちにしてやりますよ
上級武士ならまだしも 中下級扶士どもが団結しようもんなら こっちには 近隣ムラムラ納めてる 土豪あがり庄屋家たちと親戚一門ですからね
やってやりますよ 戦国地侍の末裔と 当時の 出自不祥のさんぴん侍の長屋住まいどもと どっちが強いかみしてやりますから
庄屋一門連合なめとったら 畑のかかしにしてやりますよ
く・し・ざ・し
槍では部門誉れ高き一族ですから
合戦上等
658 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 00:38:15
>>657 合戦上等って,何それ
百姓になって足軽役人に土下座することで,土地に残ることを許してもらったんじゃないの?
家臣だって残ってないじゃん。
そんなに一族一門があって合戦上等なのに,何で大名として生き残ってないの?
659 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 00:39:09
人権板っておもしれいの?
あ氏へ / ⌒ヽ / \ ,.-‐''⌒ヽ ,.=、 ヽー、 ,〃/∠彡ニ\ (.fゃ) | j / ミ彡三ヘ`=´ | | / ミ彡三∧ j ./ ト ャ''" ミ彡三∧. // 」i _;''_, ミ彡'ニミヘ、 〃 リ ´ ̄ リ´ f'`ij }/「i| ヽ- '´/ソ'川|| ヽ一 「彡'川ll.||| T _ / ´ j||.川|| ` ̄了、 i! 川.川| _」. \ | j| 川|ト、 _/ ̄ \ \ '_/./川 `  ̄ `  ̄ ´ ネゴトワ・ネティエ[Negtva Netie] (ルーマニア.1935〜54)
661 :
あ :2008/07/17(木) 00:56:32
あのな 足軽役人が庄屋様にでかいつらしてたなんて肛門様のみすぎやっちゅうねん 上記益子家以外にも 上野家のような名門すぎる豪族庄屋じゃなくても 茨城は 佐竹が天封する際 家臣団はその後入府した水戸徳川によって大半が庄屋に帰農させられてる 下等武士が庄屋にでかいつらしてたなんて幻想だっつーの なにも大名になれた関東の生き残りなんて全国比率でももっとも低いじゃん関東は。 だから俺が言ってるのは庄屋に帰農したのは負け組じゃないといってんだよ 益子家のケース見ても あえて管轄大名家は 益子家に敬意を払って庄屋にした 江戸初期は庄屋=荘園領主といってんだろ 今現代の武士という意味合いが現れるのは中期以降といっとるんだよ小僧
662 :
あ :2008/07/17(木) 01:04:22
さらに 武蔵や上野にも 元和年鑑帰農庄屋は 代豪族あがりや益子家ほどでなくとも ちょっとは名のしれた地侍 また亡大名家家臣団などがほとんどなのだよ 舘野家も名門戦国弱小大名家臣崩れで その後小山で大庄や
663 :
あ :2008/07/17(木) 01:14:00
コウズケ国では黒澤家という中山郷領主は 元は北条家に従う土豪領主 しかし江戸期には幕府にめしかかえられることより 領地守護のため 帰農し庄屋になってる 関東は名門士族系庄屋が大半なんだよ おわかるぅい〜〜 ?
664 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 01:19:45
アウトロー板のテルってなんだ?
その水戸領内で、年貢を催促に来た役人を庄屋が偽役人と勘違いして殺害した結果 藩の軍勢によって、一村、撫で斬りにされてしまいましたとさ。(生瀬事件) あまり武士を見くびる物ではない。
庄屋どん、現実を知りびびりあがったかw
667 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 05:37:18
あ庄屋に聞きたいんだけどさ。自分の家は武門の家でとか散々吹聴してるけどさ。 新撰組やら渋沢栄一やら、関東の有力農民層が結構活躍した幕末には、お前の家の 人間はさぞや活躍したんだろうなあ。 でなければ、相手が弱っても小さくなって震えてるだけの小心者で、完全に幕府が 倒れて1世紀以上経ってから「ボコボコにしてやる」などと嘯くとんでもない下劣漢と いうことになるぞ。
>>657 馬鹿じゃない?江戸時代に庄屋が武士階級を馬鹿にして無礼な振る舞いを続けたら
馬鹿にされた足軽だけが攻めてくるとでも思ってるわけ??
藩をあげて犯罪者として訴追されるし、抵抗したら一揆として下手をしたら幕府が出てきて
結局は首をはねられる、そして藩や幕府はその財産を召し上げてウマーと言うわけだ
難癖つけられて財産没収された豪農豪商が多いのを知らないのか?
酷いのになったら、大阪の淀屋や江戸の紀伊国屋みたいに財産に目をつけた幕府が
百姓町人の分際で贅沢をするのは僭越だ、と訳のわからない難癖をつけて財産没収身は追放
とかにされた例もある、当時の武家階級はどうして力や金のある百姓町人の力を削いで
金を分捕ってやろうかと、虎視眈々とねらってたからな。
大名貸しだって綱渡りだった、昔は借金をするのは武士の体面に関わると言うことで
借用書は書かず、反対に大名貸しに対して大名家が米や金を貸したと言う
正反対の種類を書く場合があったんだが、某大名家なんか取り立てに開き直って
対面のために作った逆借用書を盾に、反対に書いてある金を返せと逆ネジをねじ込んだ
と言う話もある。
名字帯刀を許されたら特権階級と勘違いしている人がいるが、名字帯刀は 今の○○褒章みたいな物で、たいした価値はない なぜなら切り捨て御免などの特権が付いていなかったから。
670 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 17:23:42
OO褒章の価値が減じたのは戦後だと思うが・・・戦前なら非常に名誉なことだと思う
671 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 18:07:45
戦前ってのは、たとえ郵便局の一般職員でさえ、軍隊の上官のような命令口調で 応対していたくらいだからな。役所やそれに近いものには随分敬意を払ったもの らしい。 普通の官公庁ではそういうのは減ったが、何故か各地の法務局にはそういう高飛車な 輩が一人はいる。若い人たちは普通の窓口応対なのに、土地台帳の閲覧を希望したら、 普段扱わない業務だからか、責任者らしきやたら態度のでかいオッサンオバハンが 出てきて、時には癇癪まで起こしてくれる。迷惑な話だ。
672 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 20:22:56
合戦上等とか何をどうしろと
武士に成り上がる最後のチャンスは関ヶ原の戦いだった。 そのチャンスを逃した、もしくは、加担する相手を間違えた ものは、結局、武士にはなれなかったのです。
674 :
日本@名無史さん :2008/07/17(木) 20:56:11
>>672 江戸時代は合戦という合戦はないに均しい
幕末の京都がやや荒れていただけ 飛び火してから幕末〜明治維新戦争。
江戸時代は天下統一され
それにより商人 豪農家は豊かになったけどね。
江戸時代は平和
幕末は幕府に対する不平不満の士族達が荒れただけ。
下級武士は品が悪い
676 :
あ :2008/07/17(木) 23:54:38
>>665 生瀬事件 久々に血が上りましたよ 許せない 徳川ごとき血統詐欺のたかが土豪のなりあがりの分際が 。。。
たたかいてー良民のために 徳川がなんぼじゃいとはいわないが 許せねー
三河の田舎侍だったころなら 一門タイマン合戦でひねりつぶしてやんのに
いらいらするぜ 水戸の肛門一族め
>>667 あのですね なにも新撰組のように武人だけが部門誉れだとはおもいません
庄屋は村の行政一切と守護をやらなければならない使命がある。
私は 一族がそれを全うしたからこそ 維新後国から任命町長を代々賜ったと思います
しかもここは地方藩です 庄屋の地位を投げ出し 労使組に入ったら 間違いなく藩から罪人扱いとしておとがめ受けていたはず
諸事情で幕末暴れん坊にはなれなかった一族ではありますが しかしこういう逸話が残っています
新政府軍が奥州街道を上っていく際 関東近隣ムラムラは恐れおののき それに乗じて治安なども悪化したそうです
特に私の統治するムラムラは藩の城下から離れた位置にあり 我が一族は不測の事態に備え一族で 武装し槍を従え ムラムラの警備に当たったと。
立派でしょ!村の領民を治安を守った サイゴクの田舎侍どもが大挙しゃうもんなら 十旗トウセンすから! とはいいませんが、あいつら雑魚のくせに鉄砲もってますからね
だが 気構え 根性 気合い 魂は これぞ我が一族は男の中の男の中の男の中の男!大和魂とは我が一族を指すと、証明できる一門の歴史
どこが新撰組より劣りますか?
677 :
あ :2008/07/18(金) 00:10:41
>>668 そりゃあんたがいってることはわかる
ここは関東 仮に一向一揆ばりにいきおいにのったとしても宗家本体に皆殺しにされるのはわかりますよ
ただなにも徳川相手にするとは言っていない
一時でも 生意気な成り上がり弱小譜代程度なら
みちずれに潰してやる、いや、潰すことが現実的に可能だと言ってます
潰したところで その後は皆殺しにされれのはわかりますので 一族の名を残すという名目で
藩と一門のタイマン合戦なら つぶしあい上等ていってるんです
庄屋は農民の雑魚だと思ってるんだろうが 関東庄屋は他とは生い立ちも発祥も大和魂も違う
しかも兵隊数や武装の面でも 弱小藩なら勝てることはありえますよ現実的に。 やるきんなりゃ戦国大名と同じっすからね性質は関東庄屋は!
なめとったら 譜代上等っすから!!三本槍の餌食っすよ
678 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 00:11:03
>>667 名族庄屋を新撰組なんかの血に飢えた浪士と一緒にするな,そんな汚れ仕事なんか下級武士や貧農のすることだ。
名族庄屋にとって大事なのは,先祖代々の土地を他人に取られないようにすることだ。
一体幕府のために戦って何の得がある?
薩長が勝てば,そちらに年貢を納めれば済むことだ。
自分に関係ないのに戦って死ぬのはバカだ。
679 :
あ :2008/07/18(金) 00:16:11
>>672 それについて、生瀬事件概要でもあたまきたんで スレたてたいんすけど
何度やってもエラーなんでできないんすよ
>>674 それは根こそぎ違うな
庄屋も没ラリクスしていったねが多いですよ
江戸の時代背景利用して牽制ほこれたのはなりあがりの一部のみ
地方はけして平和じゃない 一揆だらけですよ
武士は完全支配されてる立場だから 武士達の歴史見れば絶対服従で平和に見えるだろうが 全体でみれば平和は都市部だけ
祖母の実家の村は社家の自治区だったらしい。 社家の下に苗字帯刀を許された家が数十件あり 祖母の家も苗字帯刀を許されていたそうです。 社家を守る役割の身分はどんなものなんでしょう?
681 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 05:54:54
>>676 主張が支離滅裂だな。一万石程度の小藩なら一族でボコボコにしてやったと
いいながら、
>なにも新撰組のように武人だけが部門誉れだとはおもいません
ってのはなんだよ。とりあえず言い返し続ければ勝ちと考える小学生レベルの
精神状態かよ。
で、実際にやったことは、引け腰でムラの自衛に兵を出しただけか。庄屋の
当然の義務を履行してるだけじゃん。で、実際に衝突しても敵わないことを
認めていながら、相変わらず負け犬の遠吠えのように
>サイゴクの田舎侍どもが大挙しゃうもんなら 十旗トウセンすから!
>とはいいませんが、あいつら雑魚のくせに鉄砲もってますからね
などと書いてみせる。おまえ、滅茶苦茶見苦しいぞ。
682 :
あ :2008/07/18(金) 07:39:38
>>681 は? だって幕府滅ぼしたどころか奥州悦同盟まで滅ぼしたユウハン連合にどうやってかつんだよ?いつ三十万石以上の大半連合にかてるなんていったよ
いいか? 幕末時代庄屋だからといって一族で武装してムラムラ守った形跡のある名門の気概のある庄屋は 近隣でもなかったですよ
調べてみたんですが 奥州街道沿いのめらむらでは 恐れおののき 村民みんなで他のムラムラに疎開した村庄屋も多いんですよ
関東といっても全てが土豪地侍あがりの庄屋とはちがう
しかも当たり前のことすらできなかった幕末で 関東ではサイゴクは なんだかんだ言っても関東をあらしにくる賊という感情が大半だったようだ
その中で 一族で武装し 鉄砲隊だということしりながら家宝の三本槍でも戦う魂こそ大和魂
それに労使組募集時代はまだまだ安定した平和社会 関東地方農村は あらゆる情報は遅れてはいってくる
関東農村が浮き足だったのは薩長が江戸に進軍してきたあたりで 幕府がやばいときずきはじめたのが現状なんですよ
その中で庄屋業を放棄して 労使組に入るなんて言うのは不可能に近いというより不可能とわかるだろ?
しかし与えられた運命の中で 最大限大和魂をみせつけてますよ
奥州街道沿いのムラムラは避難するなか 我が一門は武装し 立ち向かおうとした魂が伺える
だてじゃないんすよ どこが支離滅裂なんだよ
弱小藩なら現実的に勝てると言ってるが 徳川やユウハン連合相手に幕末にかてるなんていってないだろ ばかじゃねーのW
文盲はこれだから困るW
合戦上等の俺の先祖代々の大和魂は そこかしこに見え隠れしてるじゃん
683 :
あ :2008/07/18(金) 07:59:22
ていうか 西南連合にかてるなんていってるほうが見苦しいだろが 宇都宮藩だって寄せ集め残党に1日で落城させられてんのに、鳥羽伏見でもあんだけ悲惨な目に遭う幕府群なのに そんななかで 薩長にもかてるなんていってるほうが見苦しやろが!ちゃうんかい! こっちは 感情論で小藩にならわが庄屋一門でかてるといってんじゃねえんだよ わかるか文盲盲察盲脳盲学野郎WWWW 勉強しなおせ!
684 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 08:34:56
江戸時代の鉄砲の大半は村にあるんだけどね
685 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 09:08:30
同地域で新撰組のような部名で鳴らした戦闘集団や、渋沢栄一のような乱の首謀者から 経済人に転進した英傑を出しながら、あ庄屋は自分の先祖が大軍相手にムラにこもって プルプル震えていただけであったにも関わらず、肥大した自尊心をもてあましてスレを 荒らしまくってるわけか。 結局、時代を読む先見性もない田舎者であったことを言い訳にし、田舎者の得意分野である 槍働きでもいいところを見せられず、まったくいいところのなかった先祖があ庄屋にとっては 誇りなわけか。 言い換えれば、江戸時代にムラ一つ預かるだけの既得権益に満足してろくな研鑽も積まず、 時代に出遅れ、へっぴり腰で身構えていたことを武功と吹聴する。武装したことも、そう しなければ江戸時代を通じて見下してきたムラの百姓連中にまで馬鹿にされるから仕方が なかったってことだろ。 情報がないならむしろ、武功を誇る家なら領主の大名家に参陣して幕府軍に入ればよかった ろうに。兵力がいくらあっても足らない時期だから、百姓の親玉ごときでも喜んで受け入れて もらったろうよ。ま、藩に負け犬根性を刷り込まれた百姓の親玉には、そういう発想も出て こなくて当然だけど。
686 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 09:09:21
>>684 害獣を脅して追い払うためと称して藩から貸与されたりね。
687 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 09:28:45
貸与もあるがほとんど自前
>>677 なあ、もう少し読解力つけようよ
>抵抗したら一揆として下手をしたら幕府が出てきて結局は首をはねられる
と書いてあるでしょ、武士は上は将軍様から下は陪臣の下士まで、一直線に繋がってるんだよ
下士に無礼を働くと藩が出てくる、藩に抵抗したら幕府が出てくる
まあその前に、藩侯が外様だった場合は領内管理の不行き届きで
藩が取りつぶされて天領になる可能性はあるけどな
でも、武士に逆らった庄屋は結局首を切られるそれどころか一族皆殺しにされる、
まあ藩に恨みがあって自分の一族の全員の命と財産とを引き替えに、藩の取りつぶしを狙うなら良いけど。
生き残るつもりなら庄屋を含めた百姓が武士に勝つことはできない、個人や藩の問題ではなくて
江戸時代の社会全体を敵に回すことになるから。
下士を相手にすると藩が出てくる、藩を相手にすると幕府が出てくると、そういう仕組み
身分制度は幕府による支配の拠り所だから、それに逆らった物は容赦されない。
>>681 >とりあえず言い返し続ければ勝ちと考える小学生レベルの精神状態かよ。
いやそれは、小学生レベルと言うより、まるで某ミンジョクの精神構造ような・・・
>>688 ちゃんと
>>みちずれに潰してやる、いや、潰すことが現実的に可能だと言ってます
ってかいてあったね、俺の方がちゃんと読んでなかったようだ、
"あ"を見くびって、いい加減に読んでいたようだ素直に謝っておく、すまん
まあ、死ぬ覚悟があるなら集めた百姓の数によっては、旗本がやっと1万石を超えて
陣屋を構えた程度の藩なら、幕府が出てくるまでの間は良い勝負になったかもしれないな、
でも小なりとも城持ちの大名なら勝てないと思う。
あと、幕府を相手にしちゃうと、庄屋どころか改易させられた3藩から多数の牢人が参加して
殆ど武士・百姓町人連合軍の様相を呈していた島原の乱規模の一揆でも勝てなかったわけで。
あと、"あ"が言っていることに一番近い事例に"土豪一揆"と言うのがあるけど 幕藩体制初期に、自らが藩主に取って代わらんと土豪一揆を起こした 豪農階級で一揆に成功した例ってあるの??? つまり、"あ"の言う庄屋=土豪が領主勢力を打ち破った例なんだけど そういうのが有れば、詳しい人よろしく。
692 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 11:09:05
長文ウザくないですか?
694 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 12:36:27
695 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 14:19:54
>>691 一揆鎮圧に失敗して大名取り潰しの佐々とかのパターン?
696 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 14:39:49
庄屋が農兵を率いて陣屋支配の少大名を攻めるなんて有り得ないよ。 まず庄屋には人数を集める力がないし小作を兵として徴発する根拠がないから。 現に実例が存在しない。 仮に金をばらまいて人を集めても大名に対抗する戦力にはならない。
697 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 14:41:21
一揆首謀者側が領主に取り立てられることはなかっただろうな。 それをやったら国全体の秩序が保てない。
698 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 15:19:22
>>697 当然、江戸時代は幕府主権の世の中。
地方で何かあれば幕府軍つれて鎮圧しに行くだろう、それを抑えるが各藩主の役名です。
699 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 15:25:50
一揆がなかなか収まらないとまず幕府は周辺の大名にも出兵させる これで鎮圧できなかった一揆は島原以来ない
700 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 15:28:19
できれば、あ庄屋が足掻く様をもう少し見たいものだ。
701 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 15:28:39
江戸時代の一揆では大名も一揆側も鉄砲の使用は控える指向にあった
702 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 15:33:45
そもそも江戸時代の一揆は権利の奪取を指向していない
日本史板史上最悪コテハン【あ庄屋の嘘論説】 其ノ1:庄屋は下級武士より上の存在 其ノ2:庄屋は中級武士より上の存在 其ノ3:庄屋は藩主や殿様以上の存在
704 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 16:07:52
自己紹介イラネ
705 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 18:05:31
付け足すと、あ庄屋は天皇家など物の数ではないとまで言ってたな。歴史的に 一体なにをしてきたのかとかなんとか言って。
706 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 18:22:39
>実例がない これに尽きるな
>>609 嘘
横浜やさいたまは、氏素性の知れない旧名主が殆んど。
708 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 20:04:42
>>704 天孫族に先立って大和の国に舞い降り、大和を瑞穂の国と
言われるような豊かな国にしたのは、大国主の命の子孫である庄屋様。
それを考えたら、武力には勝っていたものの生産的な行為が全くできな
い天皇家の面々と比べようがないという意見はもっともではないでしょう
か?
>>708 呆れた〜
次は庄屋と天皇家かwwwww
とうとう、無縁世界に突入wwwww
朝廷や将軍家や公家 又は藩のお殿様クラスなら婚儀など遠縁に近い存在だろうがな・・・・ 全くもって天皇家と庄屋は無縁関係ですし 天皇家が庄屋と会うことすらなかったと思います。 有名武家の人間すら天皇に会うことは難しいかった時代ですし
いまじゃ庄屋の子孫が皇后ですがw 世も末だね。
712 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 21:36:32
庄屋の子孫の皇后って美知子さま? 庄屋なの?
>>712 日清製粉創始者
正田貞一朗
令嬢 正田美智子様
庄屋でなく 旧姓 正田です。
715 :
日本@名無史さん :2008/07/18(金) 22:06:59
>>714 からすれば
正田家は
鎌倉期は,新田氏自体が落ち目の御家人だし,その家臣は鎌倉殿の御家人ではないし
一旦は商人になって,それから名主になっているから“土豪庄屋”(笑)でもないな
しかし,歴代努力して家運を上げてきた家ではあるようだな,正田家は。
>>715 一般階級から皇族へと商売上手ですね。
一般階級とはいえお嬢様ではある。
>>715 >一旦は商人になって,それから名主になっているから“土豪庄屋”(笑)でもないな
米穀商であり、名主も兼ねていたというのが正確でしょう。
718 :
日本@名無史さん :2008/07/19(土) 00:01:49
正田家の家譜や商売はいいけど本題の苗字帯刀はどうだったの
719 :
あ :2008/07/19(土) 04:07:11
ちきしょー スレがたたねーや あったまくんぜ おまえらつっこみがいありすぎだなW 旗本なら張り合えるとか天皇とかW 旗本が何人のシモベがいるっちゅうねんW多くて数十人程度の下郎ごときで 地侍庄屋にタイマン合戦でかてるとおもうなよ?WW XW WWWWWWW 天皇だ〜?なんぼじゃいチョン皇が! 正田家は館林藩内でも屈指の財閥だった 確かに家柄はたいしたことないが 作り醤油問屋で屋敷もすごく 成り上がりではあるが ギリギリ名門庄屋家 武功ではなく財力誉れ高き庄屋家 あんなチョン皇がどしたい! こちとら 戦国期からシャバでシノギ削って一門の名を刻んでんのに あのカマ族はなにしとんねん 働かんかい シャバは甘くねーでゃ シャバで汗水たらして シノギけずんかい!それめできねーで家柄だ? いつまでヤマトのタケルちゃんの功績にしがみついとんねん チョン皇がなんぼのもんじゃい 戦国期なら首チョンぎっちゃうよん 関東という中小豪族列島最激戦区のシャバで血と汗と誇りを流し 家名と土地守り抜いてきた俺の一族の大和魂一門の方が格上だべ! 肛門洗って待ってなさい カマチョン相関皇
720 :
日本@名無史さん :2008/07/19(土) 04:50:29
>シャバで汗水たらして シノギけずんかい!それめできねーで家柄だ? いつまでヤマトのタケルちゃんの功績にしがみついとんねん 確か、おまえ自身は大学中退、オヤジや兄達はやたら喧嘩っ早く、ろくに働きもしない。特にオヤジなどは 先祖代々受け継いできた土地や家宝の武具類などを叩き売って糊口をしのいでるんだっけ? いつまで土豪庄屋などという中途半端な存在の先祖の功績にしがみついとんねん。
721 :
あ :2008/07/19(土) 07:40:34
おれは確かに大学中退だが 兄貴は仕事してるがチンピラ風 おやじは 専業農家だが 財を売ることしか考えてなく あやつが大半を売り またきずものにしたというだけだ。母親は基地外 オヤジの兄弟もバカばかり じいちゃんまでは優秀で、近衛師団後は高校などの先生や任命教育委員長までしてたのに。 おそらく 母親の血統がわるいから呪われてるんだろうな 俺以外偏差値40代の高校しかでれない一族。 情けない 確かに男らしく、スポーツ万能マッチョ一家で 根性の座った大和魂持った武闘派一門だが 恐ろしく馬鹿ばかり 俺だけ マッチョになれなかったが ゆういつ脳みそ最強にうまれた 確かに呆れてんだよあの家族には俺も。かなしすぎんぜ やべー 気持ちが落ち込んできたぜ ただ 俺は自分の今の平成の一族以外の先祖は尊敬している ゆういつの誇りだ チョン皇よりよほど肝っ玉のすわった大和魂日本男児一族よ! 自慢してなにが悪い?卒の分際の水飲みヘタレ一族のくせに 武士だと粋がってる奴が多いから 現実教えちゃるんじゃ!
クル面白いな
720 721 722これ自演だよね 朝の短時間に異常だもん
724 :
日本@名無史さん :2008/07/19(土) 10:15:11
>>723 庄屋関係のスレをID表示にしたら,面白いことになるな。
PCと携帯の使い分け自演でも,偶に失敗するヤシいるし。
あ庄屋 得意技 PCと携帯からの 二投流!自演
726 :
あ :2008/07/19(土) 22:02:14
あのな パソコンあったら新しいスレたてられんべや おらーやっと人のパソコンぶっこわして弁償したばかりやっちゅうねん 携帯からだとエラーばかりでスレたてらんねーしよ どうして日本史板は基地外のごとく自演認定したがるのかまったくわからん
728 :
あ :2008/07/19(土) 22:20:02
おれみてねよ 昔は人のパソコンからしょっちゅうみてたが 架空請求のオンパレードが着てからやらなくなったな ましてや携帯だし ましてや白人女しか興味ないから 白人サイト見てると大体行き着く先は架空請求なんだよなW それ このスレ見てる人はこんなスレも見てますってやつだろ? 間違いなくパラダイス爺だろWWWWWWW 絶対おれじゃない
架空請求のオンパレードw
庄屋は縄文時代から栄えた地方豪族が多いようです。 いち早く、大陸式の稲作を取り入れ、下々の民を束ねた のが庄屋の起こり。当然、村の防衛も仕事だったし、 武士的な働きをしていたものもいるでしょうし、武士に なったものも多いと思われます。 まあ、全部が全部武家以上に由緒あり家柄だったとは 言いませんが・・
731 :
日本@名無史さん :2008/07/19(土) 23:38:24
>721 >ゆういつ脳みそ最強にうまれた 毎回間違えているから打ち間違いではないだろうが、「唯一」は「ゆいいつ」と読むんだぞ。 最強のバカだなお前は。ま、オヤジや兄弟の血をきっちり引いてるってこった。
>>731 あ庄屋 welcomeアホっぽいレス待ってたぞ!
>>730 庄屋、豪農家が発展したものです。
庄屋農民ですよ
まあ、城下町の御用商人のような庄屋はともかく、 地方では庄屋は有力者だったことは間違いないところです。
735 :
あ :2008/07/20(日) 00:25:37
>>730 ようはさ 平安期の荘園領主は武士の期限と密接に関係しているわけだが これが テナントファーマーと自衛を両方兼ね備えたのが中世期の土豪豪族であり
その延長上に庄屋なんですよね あなた素晴らしい見識もってますゆ
>>731 唯一 ほんまや 何で俺の携帯だけ変換できねんかと思ったら読み方間違えてたんか まじちょい感動
>>732 おまえはまったくわかってねーな
地方豪族は合戦しないときはなにやってんだかいってみろ 商業も確かにあるのはあるが 基本は農家なんだよかす
いつまで庄屋の実態わからなきゃきがすむんだよ
土豪庄屋は名字対等はもちろん 村の警察、行政 司法と 三権一立のけんげんもっってんだよぼけ
なめとったらあかんど!
>>730 豪族なら朝廷の敵(朝敵)だね!
狙い撃ちされるぞ!
737 :
あ :2008/07/20(日) 00:35:23
さらにいうと近世武士は土地とは完全に切り離された存在で 単にそれら村村の庄屋を管理監督してるだけの存在が藩主であり、 ましてやそいつから給金もらってる藩士は論外 仮におとり潰しで浪人になったたかが雑魚なら 我が庄屋一門の縄張り立ち入ろうもんなら その時こそ力の差見せつけてくれるわ!長屋問の前で三本槍でタタッキッチャルワ!W あきらかに人間的価値や力、すべて庄屋が上 こういうことな現実は
>>715 君の直系先祖は、新田義重の時代(平安末期から鎌倉初期)何をしていたの?
三本槍の意味が分からない まあいいか
司法権なんてないし
742 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 01:41:22
>>737 関八州は,関東取締出役いわゆる八州廻りが治安維持に当たってるんですよ
ちなみに関東取締出役は足軽格ね。
743 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 01:44:50
744 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 01:51:30
八州様が足軽格? 代官の下僚から出役するが足軽ではない
745 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 01:53:19
もちろん代官所手代は庶民から採用されたのは知ってるけど足軽格ではない
746 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 01:55:34
関東取締出役には名主は低身低頭
747 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:00:47
関東取締出役は手附手代からなるが普請役格→普請役元締格→進物取次上番格→支配勘定格と進む。稀に御勘定となる。
748 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:01:54
八州廻りは,代官所手附からも出てますね。 手附は,御家人役ですよね。
749 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:19:37
手代は町人が請人となり人別が幕府に送られるから在勤中は御家人だね 長らく勤めたら新規召出されで手附になる
750 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:26:04
まあそんな関東取締出役に庄屋は下座で平伏すわけだが
751 :
あ :2008/07/20(日) 02:26:48
>>740 三本槍とは代々我が一門の家宝になってる 家紋が入った 矛先が三本に分かれてる槍のことだたわけW
>>741 司法権あるでしょ だれも立法権なんていってない
村人の仲裁や斡旋は庄屋の役目ですが何か?
村の一切合切は庄屋にゆだねられてますが何か?
関八州とかばかじゃね?WWW W W W X
関東に点在する村村を 藩の枠超えて見回りながら治安維持してんのか?W
意味はき違えた馬鹿乙WWW
いまでいうFBI的広域捜査盲であるのが関八州
しかも実態は人数不足で 検挙などまれにしかないドシロウトW
チンピラあがりの平蔵以外だったわけだが、
勉強しろ小僧WWWWWWW
752 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:31:16
司法権は領主にあるつーのw
753 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:32:45
三本槍?それきっと片鎌槍とか十文字槍っていうんだよw
754 :
あ :2008/07/20(日) 02:33:30
百姓どもの一揆を誰が鎮圧してやってるのか考えたまえ 武門誉れ高き地侍庄屋様が毎回出陣してやってんだろ 関八州がでかいツラシタラ 我が村で 我が一門が葬っちゃるわいWWWW 雑魚が二、三十匹たむろったくらいで、最激戦区をシノギ削ってシャバ生き抜いた大和魂関東庄屋はびびりゃせんわい! 地侍庄屋をなめすぎだべおまいら!
755 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:37:29
>三本槍とは代々我が一門の家宝になってる 家紋が入った 矛先が三本に分かれてる槍のことだたわけW バカスギテワロタ
756 :
あ :2008/07/20(日) 02:39:13
>>752 低農乙
じゃあ藩主以下地方奉行所は村内のイサカイを全部沙汰下してたんだな?
重大事件や殺人以外の村人同士のもめ事は庄屋がやってまーしーたー!
これはりっぱな司法権の庄屋委譲ですがなにか?
勉強しなおせぼけなすW
757 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:41:54
>三本槍とは代々我が一門の家宝になってる 家紋が入った 矛先が三本に分かれてる槍のことだたわけW マジで馬鹿すぎだが、 それって十文字槍か片鎌十文字槍か月鎌十文字槍か牛角十文字槍だよきっとw
758 :
あ :2008/07/20(日) 02:42:14
これより三本槍改めて十文字槍と称す
759 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:43:34
ひょっとして手違十文字か懸外十文字?鍵槍?
760 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 02:44:57
雁形槍かもねW
761 :
あ :2008/07/20(日) 02:47:59
さらにいえば 庄屋は藩の下す税率以上に村民に税率をあげることもできてるわけだ で、卒はその頃なにやっとんねんW 藩から社員としての身分も保障されてない派遣が、河川工事や皮裁縫やらかして、武士ヅラされてたひにゃ〜たまりませんぬゎ〜WWWWW
司法権は庄屋にあった地方も多いのでは? 豪商・鴻池家が開発した鴻池新田では、領地内の争い事を裁く 裁判所の役割もあった>会所
763 :
百姓 :2008/07/20(日) 04:49:41
>>761 ちょっと奉行所に行ってくる
乍恐以書付を御訴訟奉願上候
当村惣百姓一同奉申上候、村方庄屋あ儀、無知蒙昧な者ニ御座候間
是まで一同、様々申し諭し候へ共、一向聞き分け申さず、
却って庄屋之権威を以、法外成る御返答、理不尽に悪口等被致候故、
御年貢御上納、スレ進行にも差支え,甚だ迷惑致し居り候
何卒格別之以 御慈悲当人被 召出、御吟味の上
右あ庄屋追放被 仰付被下置候得ハ、難有仕合奉存候、以上
平成廿子年七月
惣百姓(印)
御領主様
御奉行所 御役人衆中様
>>763 平成の時代に「御訴訟奉願上候」なんていう、時代錯誤も甚だしい、
「お上」意識を抱いているアホが、このスレで「土民」だの「どん百姓」
なんて言葉を使ってるんだなw
あがそんなにウザイんなら、奉行所なんぞに行かずに、弁護士事務所
へ行って訴訟を起こす相談でもしろよ。
第一、今の時代に奉行所なんていうものは存在しない。
765 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 05:54:57
↑なんか病的だな。一体何者だ?
766 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 05:56:18
お?反応が早いな 例のキチガイか?w
767 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 06:01:42
768 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 06:17:26
また自演?
769 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 06:47:52
無闇に自演認定する奴がいるな。根拠はたぶん
>>723 の「朝早くに無闇にカキコが並ぶわけがない」とか
その程度のようだけど。
自演認定する奴自体が朝早くに書いてるのに、なにを言ってんだかw
770 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 08:28:29
同じ庄屋でも藩領と僻地の天領じゃ違うんでないの? 僻地の天領なんて中世のままの土豪じゃないの?
771 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 08:32:45
769 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/07/20(日) 06:47:52
無闇に自演認定する奴がいるな。根拠はたぶん
>>723 の「朝早くに無闇にカキコが並ぶわけがない」とか
その程度のようだけど。
自演認定する奴自体が朝早くに書いてるのに、なにを言ってんだかw
---------------------------------------------------
と、早朝の6時47分に書き込んでいるバカの
>>769 が申しております
772 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 08:44:48
>>771 頭を使わずに鸚鵡返しレスなんかするから、そういう訳の分からん内容になるんだ。
ヴァカ?
773 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 08:59:40
774 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 09:02:34
早朝に自演認定する奴をバカだと攻撃する、 早朝6時47分に書き込んでいるバカ
775 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 09:19:03
×早朝に自演認定する奴をバカだと攻撃する ○早朝でのカキコの連続が自演と認定する奴をバカだと攻撃する
776 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 09:20:08
病的な奴が約一名
三本槍って…w
778 :
あ :2008/07/21(月) 04:13:34
昨日の朝方 俺が一ヵ月前 全財産の三分の二はたいてかった ブリジストンの最高級ママチャリパクられたorz 気が狂いそうだぜ 二万もしたんだぜ?俺の全てだった。俺の唯一の財産だった あげくは籠にいれてたバックごとぬすまれ 残りの全財産三千円までもぬすまれた 怒り狂って朝から盗まれた現場で 今まで約20時間はりこんだがとっつかまえらんなかった もう俺にはなにもない 食う金もない 足がない バス乗れない 電車代もないからバイトもいけない 貯金はあと60円 まじどうすりゃいんだよ しにてー。。。 おまえ等いいよな 幸せで。幸せな奴にはわかるまい 俺や加藤のような 頭が兆ドキュウにいいのに転落していく人生を。 あ〜あ ちり紙に醤油付けてしゃぶってるとうまいんだよな それで数ヶ月間しのぐしかねーな
779 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 05:16:27
ちょっと中途退学した大学名を晒してみろ。お前は何もかもが中途半端に見えるからな。
780 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 05:33:59
まーおまいらが出てる私大ごときとはレベルちゃいまっけどなW 学科単位だと日本最高レベルともいわれているが、そもそも全くその学問 興味ないがな まー俺的には大学なんて 推薦でもくる馬鹿もいるわけだが 私立じゃ馬鹿ばかりだよなW 高校の方が自慢なんだがな 高校は関東有数の進学校だからな お前はなのれるのか?W名乗れるならなのってみろ大将WWWX
781 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 06:13:23
家に関する情報は散々流しながら、大学名は晒せない? アンバランスな奴だな。 本当に自慢できるレベルなら、お前のその性格では晒さずにはいられないだろうに。 少なくとも国語力はDQNレベル。ケータイの機能のせいにしても無駄。
782 :
あ :2008/07/21(月) 06:31:56
家柄は 庄屋という比較分析するなかでの参考資料として 我が一門の例をだした しかし大学は関係ない そもそも卒業すらしてない 一般教養というなんの役にも立たないくだらない比較 での入学時のれベルである大学の偏差値など 参考にもならないと思う それにききたきゃじぶんがまず名乗らんかい! 自信ないんだろ二流大卒看板がW
783 :
あ :2008/07/21(月) 06:38:11
それからまじひでんだよ携帯が。むだとかいわれても ひでいんだからしかたあるめーや げんわをばかにしたが おまえ等の携帯はそれができるから バカにしたんだろ? げんわとうちこまなきゃ返還できないこの携帯の俺のみになればわらえねえんだよ
784 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 06:39:35
中卒ですが何にか?
785 :
あ :2008/07/21(月) 06:57:21
そういうくだらない釣りをいってるから自演認定されんだよたわけ 俺は高卒ですがなにか?
786 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 07:00:06
中卒ですが変換くらいちゃんとできます
787 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 07:02:33
三本槍ワロタ
788 :
あ :2008/07/21(月) 07:19:48
三本槍は 一族がそういってるからだ 庄屋も 近所の百姓どもが 我が一門を庄屋様と呼ぶため 勘違いしてるわけじゃない
789 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 07:21:40
三本槍w
790 :
あ :2008/07/21(月) 07:40:21
馬鹿にしてるようだが あんま地侍庄屋なめとると歴史的にも ナリマサのようなざまあみない結末になっど 一向一揆 三河一気 肥後一揆いえば霧ないが 地侍が怒り出すと 守護など即潰されてきた歴史だけどな 秀吉も 各地方大名より恐れたのが また信長が各地方大名より手こずったのが 土豪地侍一揆 その激戦区でのシノギの歴史が全て刻まれた十文字槍 ぶっちゃけ旗本なら絶対地侍庄屋には四家くらいたむろわなきゃ まず勝てないよ 現実的に。 あーあ 生まれる時代間違えたぜ 合戦して〜 生瀬騒動の水戸の卒どもを 串刺しして功名をあげて〜
791 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 07:45:15
一族が揃って大馬鹿でも十文字槍を三本槍とは言わないよw 絶対にねw
792 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 07:46:15
三本槍か…
793 :
あ :2008/07/21(月) 07:51:42
だから俗称とわかろうよ 徳川も水戸や尾張と一門を俗称で呼ぶように 三本槍も一門の俗称 なにもおかしくない
794 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:07:20
一筋の槍を一本二本とは数えないよ
795 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:10:33
その庄屋様は苗字帯刀は認められてたの?
796 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:11:45
十文字槍を三本槍と呼んでただって?馬鹿じゃないの
797 :
あ :2008/07/21(月) 08:13:17
先が三つ叉に別れてるから三本槍といってたんだろ
798 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:17:10
>>797 それを三本槍とは言わないよ絶対にねwただの十文字槍なんだからwなぜ鎌が本になるw
799 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:18:11
十文字槍も知らなかったんだろうねw
800 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:20:06
その伝家の三本槍の銘は?
801 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:22:22
家紋が入ってるんだっけ? どこに入ってるの?w
802 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:23:17
なんでこんな嘘ついてんだろこいつ…
803 :
あ :2008/07/21(月) 08:34:02
また実家帰ってみないと思い出せんな バカしかいないあの家には帰りたくもないんだがな ただおまいら 我が一門の屋敷みると 代官屋敷や藩主邸と見劣りしない庭園に その権勢誇った地侍の力を思い知るだろう 庄屋は藩士よりすごい第三支配階層であることを。 まず湧き水がでてる池に驚愕し また領地である裏山に唖然とし 玄関口の長境戸に恐れ、そこの先にある四つ足門長や門に恐怖し、 そこをくぐって現れる土蔵倉群にトラウマになり、家から現れる品のなさの低農感丸出しの親にあきれかえり、敷地四千坪強の広大な敷地の前に呆然とし 藩内有数の家紋家である我が一門の現実に 開いた口がふさがらんだろう
804 :
あ :2008/07/21(月) 08:35:22
なんでも嘘になんなおまえ等に言うと。
805 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:38:15
その三本槍は柄や鞘はついてる?身だけ? 錆び身?研ぎ身?
806 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 08:39:16
庄屋が領地もってるの?
807 :
あ :2008/07/21(月) 08:44:23
>>805 だから実家じゃねーからおもいだせねっつの
それから庄屋は土地というなの領地持ってるよ
いつ庄屋の土地が藩主のものになった?藩主てW WW WWWW
どこに藩主固有の土地があんだよ くそ転勤族がよW
808 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 10:18:55
809 :
あ :2008/07/21(月) 13:37:49
唯一はまじカルチャーショックW サンクスW かねもねし ふろもはいれねし いっそのこと俺も大和魂もった男になろうと思って 知り合いのバリカンで丸坊主にしたぜW さすがは武勇誉れ高き一族の末裔だけに 男勝りな男んなかの男になったぜ! あ〜合戦して〜
810 :
日本@名無史さん :2008/07/21(月) 16:46:02
>日本史のトレーディングカードを考案するスレ 2 名前:あ :2008/07/21(月) 08:09:39 誰か我が武勇誉れ高き名門一門の三代目頼家という名の戦国武将だった先祖のカードくれ あ庄屋って及川?
さ〜天然妄想族派遣社員あ庄屋暴れる時間帯です。 さて、今宵はどのようなバカレスご披露してくれるのかな?
もうやめとけばいいのにね。 いまさら家柄で暴れても何にもならんだろうに。
813 :
あ :2008/07/22(火) 11:24:17
私 は家柄云々をもうしておるのではない 格式でいえば 私の一族は初代は別に天皇家や源氏ではない ただ 卒がなまいきぶっこいてるねが いい加減黙って見過ごせない範囲なんです地元では。 我が領地のムラムラ旧3村は 元城下からかなりの距離が離れてはいるのですが 町内で 下級武士の末裔どもが 我が庄屋一門より身分も立場も格式も 全て上だと威張り垂らす始末 我が一門は 町の郷土史にも少なからず乗ってる三十代弱続く 分家には神主までいる家計なのに 卒どもは えて公みたいな家といえ柄と格式のくせに武士という事だけに執着して横柄きわまりない はなしにならないんですよ
814 :
あ :2008/07/22(火) 12:22:38
町の議会でも下級武士の末裔家は とりあえず農家を見下す 多分教科書でよんだ士農工商の価値観を間違えた形で理解し それを誇りにしてるのでしょう が それも行き過ぎればもはや見過ごすこともできない範囲にまで及ぶ 農家のくせになどといった言動は 私が小さい頃は日常茶飯事でしたよ 我が爺様は 教養あり この絵師団で大隊長もしたり教師もしていたので紳士でした なにをいわれても 粕の卒の僻みに挑発にのることはなかった だが 俺は黙っちゃいない いまだに卒の爺どもは なにかと我が一族を目の敵にし 態度や屋敷に文句垂れる始末 あまりの舐めた干渉はもはや 江戸初期なら卒ごときはぶったぎってやるんだがな 卒ほど勘違い野郎はいない 中級武士以上は我が一族と親戚も多いが 下級武士などこっちが願い下げの縁組みなのに でかい面で上目線でもってくるなど 勘違い甚だしい いつの時代に 名門地侍庄屋より卒が藩内で格上認定されてるのか教えてもらいたいもんですよ だから この板の卒子孫にも 肛門脳ではなく 現実の違いをしってもらおうと思っています
815 :
あ :2008/07/22(火) 12:32:31
だいたい 江戸期以降も こっちは 国家任命町長 近衛師団大隊長 戦後は町会議員 任命教育委員長 そして今に至るが 卒は なんの役すら任命されず 大半が戦中は一平卒のよくて伍長クラスしかいない分際 江戸期以降も何一つ農家とバカにする庄屋一門に 役すら勝てない雑魚身分が いったい武士と固有名詞使える身分の武士なのかききたい 墓一つとっても 戒名ひとつとってめ 格式由緒ひとつとっても 屋敷ひとつとっても 明治以降の国からの扱いひとつとっても なにからなにまで歴然としてるのだが いまだに卒爺どもは上の空
816 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 12:57:35
>あまりの舐めた干渉はもはや 江戸初期なら卒ごときはぶったぎってやるんだがな 江戸初期なら間違いなく報復として一族郎党皆殺し。今ならお前が刑を受けるだけ。 陰口叩く以外に何も出来ない以上、負け犬の遠吠え以外にどう解釈する余地がある だろうか。 >墓一つとっても 戒名ひとつとってめ 格式由緒ひとつとっても 屋敷ひとつとっても 明治以降の国からの扱いひとつとっても >なにからなにまで歴然としてるのだが 経済的なもの以外に中下級武士に敵うものは何もないといつになったら気付くんだ。
817 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 13:06:44
しかし、江戸時代以前と明治以降に旧士族以上の家格なのが間違いないなら、 卒族じじいたちとやらにはそれを盾に反論すればいいだけの話だろ。江戸時代 以前だろうが以後だろうが過去の話だからな。 なぜ事実を曲げてまで江戸時代にアンバランスに庄屋の格を高く見せようと するんだ。
818 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 13:19:42
卒階層(徒士以下)出身の将官たくさんいるよ
819 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 13:21:42
あ庄屋とその周囲の元卒族の話だろ。
820 :
あ :2008/07/22(火) 13:43:51
>>816 それはどうかな
江戸初期三代家密までなら 卒事態庄屋にでかい口やタメ口など聞けなかった聞いてなかったと思いますけどね
そもそも生瀬事件に代表されるように 関東庄屋は大半が地侍や大名上級家臣団が帰農してるのがハッキリしてる
足軽風情が 農家とはいえ初期に帰農庄屋一門になめた口などきいてるはずかないと はっきりわかる
だから生瀬事件のように 水戸城下に 馬鹿ずら醜態さらされるはめになっているんですゆ?
江戸初期 あんま帰農庄屋に粋がると 卒なら一網打尽のこっぱ微塵すから。やっちゃいますよW
ただ相手がわるかったが 譜代程度なら 生瀬のように報復でせめて着ようものなら 生瀬大和魂庄屋のように 迎え打ちますから。
毎度ですが 藩内の数分の一の村むらは我が領地。隣村の庄屋たちも一門親戚筋 土豪一門舐めてんなら しのぎ削ったりますよ
譜代のたかが成り上がり大名と シャバ激戦区の関東生き抜いた庄屋連合 どっちが強いか見せてやりますよ
実際生瀬でも水戸藩はかなりの犠牲だしてますしね
報復に一族皆殺しにされるといいはりなら 上等です 藩主諸とも我が一門共々地獄行きますよ
そんくらいの力 江戸初期はありやすから 真実が証明してますから!
いっちゃいますよ
さらに
821 :
あ :2008/07/22(火) 13:51:44
>>817 それはですね 相手卒爺も知ってるはずです
知ってるから縁組みも持ってくる しかし高飛車
あいつらはなにかと武家だ武家だとはじまる
ほったてごやの 足軽風情が生意気に。
武士的身分にすがらなくてもいいクラスの一族だったから帰農したまでなのに、武家が全てだと勘違いは永遠に墓場までだよどうせ
時代の誤解認識もはなはだしい
藩内でいつ庄屋は下級武士より待遇や扱いが下になった?
あくまで対面的めんつの上下が いちをなしくずしてきに島原の覧以降上として決められたにすぎないだろ
実際は庄屋にでかい口たたけていたわけでもないくせに。
いつでも 時代が時代なら 卒連合ごとき合戦上等なのに 生まれる時代まちがえたぜ
畜生
822 :
あ :2008/07/22(火) 13:58:51
だいたい土豪地侍庄屋なめてかかると どうなるか 肥後一気みれば火をみるより明らか 事実が真実を証明してます 関東庄屋は強いんです
823 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 14:12:59
他スレに誤爆してしまった、スマソw 今度はここにレス >負け犬の遠吠え以外にどう解釈する余地がある だろうか。 ID出なくても同一だとすぐに分かるw パラノ爺は「負け犬」という言葉をやたら多用するからw
824 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 14:37:12
825 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 15:54:49
江戸時代 藩によりけり 江戸時代は武士は必要とされていない。
826 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 16:48:27
用心棒程度にしか必要とはされなくても、敬意は払われていた。
827 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 17:31:28
端正な顔立ち切れ長の目 自衛隊イケメン部隊 若くて長身 特別儀隊 長身一方、身長174cm以上と言われている 皇軍部隊 皇宮警察 TOEIC640以上 大卒 スキー乗馬 剣道柔道二段以上 大型二輪免許 御所警備 各国要人迎え 15万人以上の警察官や自衛官から選ばれたカッコだけの部隊
828 :
あ :2008/07/22(火) 18:06:35
>>824 いいところに目を付けられておりますね すばらしいです!
天領でもないかぎり 地方藩は譜代外様問わず 城下から離れた村村を統括する代官は 大半が大庄屋が郷代官として兼任しています
特に関東各班はそのスタイル
武士は城下での管理事務が主 現業前線は 庄屋にほとんど一任。さらに管轄区ごとに代官を庄屋とおいている
実質卒はお役目御免 城下に上らず お役御免でいったいなにやらかしてんだかW
我が一門も郷代官をしていたが 世襲ではなかったようですが 代により何代かにわたり就任しております
城下でもないかぎり 村村は武士など関係ない
まーそこらが一揆をうみやすい恩賞であったことも間違いない
あなた素晴らしい見識ですね
>>826 用心棒とかW あんたテレビのみすぎだろW
俺も三本槍ほしいです
大体何代ぐらい続いたら旧家って言うの?
832 :
あ :2008/07/22(火) 18:39:23
>>830 親父にいえば一万でうってくれるとおもいますよ俺がいないときなら。
かっちょい〜ですよー
>>831 今の平成でどんだけ最低でも20代以上でしょ
一億歩ゆずっても15代以上
これ以下はありえない なぜなら成り上がりがおおく また由緒発祥不詳が大半になるのがこの代あたりからになるため。
833 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 18:45:40
>>831 平城京時代〜平安時代・鎌倉時代
およそ1000年以上前から続く氏族
これが名家の証です。
江戸時代続く家はまだ赤子
龍谷大學370周年です。
834 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 18:45:47
>>828 で、あ庄屋の家は代官だったのか。遠隔の飛地の場合は在地代官を取り立てる場合も
多いが、本藩領ではそのメリットは少ないから、藩士から代官を任命する場合が多い。
単なる庄屋大庄屋では後の卒族にすら平身低頭の立場だぞ。
>>832 なるほど。
祖父は家が長く続いていることだけを拠り処にしていたらしく、気になっていました。
>>833 千年以上ってすごいですね。どこまで続くのか興味深いです。
836 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:05:01
天皇家・朝廷・公家・社家・将軍家・武家・大老家・家老家・重臣・下臣・代官・役人
838 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:30:10
郷代官=武士じゃありませんよ!
839 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:40:24
840 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:47:46
南町奉行所
841 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:49:05
東町奉行所
842 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 19:49:13
こういう場合は世田谷大場家の事例がよく出るよね
844 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 20:04:03
845 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 20:04:12
>大場家 彼の場合も関東の大名領みたいだからちょうどいいんじゃないの?
846 :
日本@名無史さん :2008/07/22(火) 20:28:00
むしろ
>>838 に武士でない代官の例を出してもらいたいな。
彦根藩の享和元年まであった”町人”代官は?
>813 > 私 は家柄云々をもうしておるのではない > ただ 卒がなまいきぶっこいてるねが いい加減黙って見過ごせない範囲なんです地元では。 > 思いっきり家柄にこだわってるじゃねーか > はなしにならないんですよ > 自己紹介おつ
しかし、庄屋ふぜいが、経済力に任せて名字帯刀を願い出るとはけしからん。 そんな申し出は門前払いと言いたいところだが、わしもいろいろ物入りでな。 事と次第によっては、特別の計らいができないこともない。 まずは、誠意を見せることだな。
850 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 00:33:18
849 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/07/22(火) 23:53:23 しかし、庄屋ふぜいが、経済力に任せて名字帯刀を願い出るとはけしからん。 そんな申し出は門前払いと言いたいところだが、わしもいろいろ物入りでな。 事と次第によっては、特別の計らいができないこともない。 まずは、誠意を見せることだな。 --------------------------------------------- と、貧乏人の卒爺が申しております
851 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 01:30:13
郷代官とかって藩士格であっても藩士じゃないしね 大庄屋みたいなもの
853 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 05:50:43
>>852 せっかくリンク張ってるんだから、
>>824 を見てから書いてくれないかね。
なお、同じく麻田藩の川辺郡飛地領の在地代官森本氏は、のちに本領に
移って中級武士程度の禄をもらい、勘定方を務めたり、一時期は隣藩の
三田藩に仕えたりしている。
854 :
あ :2008/07/23(水) 06:40:43
ですから私は以前から申していますが 家系大辞典で 我が一門が管轄藩の藩士であったと記載されているのは 郷代官の際郷士格をもらっていたことがそうとらえたのだと思いますが 郷代官の役務める際郷士というなんとも曖昧な身分を発行したケースが多いのでしょう ただ 郷代官の役はまさに 藩庄屋の縄張り越えた離れ地の一括管理であって 本来での武士の仕事です またこれらに卒が就任したなんて聞いたことがないW ですからパラダイス爺がいっておられる経済的にものをいわせというねは違う 大庄屋は経済力があるからなるんじゃない もとは今ある町丸まるが一門領地 だからムラムラ束ねる大庄屋であった 郷代官も 他の村に顔が利き 力があり また勿論経済力もある 由緒もある といった全てがかねそなわるわさに小藩主庄屋に 職務遂行上役に立つという利点も認められてのこと しかし藩が一番おそれるのが 大庄屋はもはや小藩主なみの領地面積と経済力と領民と由緒が備わる唯一家 それらに世襲や藩士飯抱えによる藩内卒などの余剰藩士との不均衡や在地藩主のカリスマ性を脅かす存在になるのを恐れたのでしょう しかし 郷代官中は なる人物が庄屋であれ藩士であれ ヤクムや権限は同じである以上士格といわざるをえないでしょう
855 :
あ :2008/07/23(水) 06:59:33
訂正です 上の文で最後の方で士格といいましたが 藩士であると言うことであると訂正します 間違えました 藩士の権限を庄屋に委託し それを認可されて役目に当たる以上 そこに付随し 発生する効力は それが藩士であろうが庄屋であろうが同じこと こういったことから総合的に検討しても 卒ごときが士分なら 郷代官も立派な藩士だろ どう考えても。
856 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 07:56:50
あ庄屋の家は大庄屋ではないだろ。代官・大庄屋・庄屋はそれぞれ扱いが隔絶して いるぞ。 それはともかく、庄屋、大庄屋も、有力農民としての家格を維持するために経済的な 裏付けは必要。没落すれば別の家が代わりにその役に就く。いくら土豪出身の庄屋 でも、経済的に没落すれば庄屋を世襲できなくなる。 庄屋になるのに経済力は必要条件だが、十分条件ではない。当然だ。
857 :
あ :2008/07/23(水) 08:12:37
いや、私の家は大庄屋に分類されると思いますけど。 前からいってますが おさらいしますと 地侍時代は今現在の町全域が領地 江戸期は通常ムラムラ三つの庄屋と前からいってます そのムラムラの面積領域は 今現在の町の半分にも登ります これは立派な大庄屋じゃないんですか? いちいち同業者の庄屋にめくじらたててるわけじゃないので大庄屋とはいいませんでしたが ただの庄屋なわけないでしょ 名字対等 及びこれだけの屋敷及び 土蔵蔵にはおびただしい数の武装庄屋 ただの庄屋がこんだけ出来るはずがない
858 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 09:10:46
ああ、大庄屋か。 大庄屋になるのに経済力は必要条件だが、十分条件ではない。当然だ。 屋敷や蔵は金持ってりゃ作れる。苗字帯刀は藩に金出してへりくだってりゃ もらえる。
859 :
あ :2008/07/23(水) 09:33:23
どうしても庄屋を金で物言わす農民やろうとしたいようだが いいか 元和年鑑庄屋は大半が 名字対等は許されていると 私が調べた関東土豪庄屋はなってる 確かに全てではないが 江戸初期庄屋はそれは帰農に対する付加価値としてセットでつけられていたこと また元和年鑑庄屋はとにかく屋敷や門構えはすごい これも江戸初期は帰農する代わりに許された付加価値でもあったこと 例に取れば 下野戦国大名庄屋益子家は その他にも 勿論本陣は当たり前だが 藩主の狩りの際同行も許されていたほどの庄屋 藩士ですら益子様と呼んでいた庄屋 しかし庄屋 といいたいんだろうが なにもかも金で買った特典物というのは違う 由緒に付随しての特典物であったことはいうまでもない 卒のように 買う金もない賤士は論外だけとなW
860 :
あ :2008/07/23(水) 09:46:10
有名な庄屋には戦国大名田村家が伊達の裏切りにより流浪の結果を招いたが 三春藩庄屋層は大半が田村家一門及び家中家臣団であることは有名 三春藩はたしかに小藩ではあるが 別格の待遇を持って藩士は庄屋層に気を使っていたと言われてる
昔、近所の出張焼鳥屋のオヤジ(ヤンキー風)が、俺はこんなんだが実家は庄屋だったと嘆いてた。 話を聞くと10代前後しか続いていないらしく、別にたいした家でもなかったよ。 近所のお頭様と言われてる三役もただの百姓で、家も由緒もとてもあるとは思えない。
>>859 名字帯刀=士分ではない。
名字帯刀が許されていても、基本的に農民は農民、町人は町人
863 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 15:45:32
>>862 庄屋は町民です。
士分はない庄屋は町民。
864 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 15:59:43
「近世大名の領国支配の構造」(花岡 興輝著)という本には、全国で大庄屋を務めた家が載っているよ。
865 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 16:02:58
ちなみに、うちは 肥後八代種山手永大庄屋。総高17,000石。 遡ると、豊後大友家臣団、将軍。
866 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 16:43:41
【氏族】 公家・社家・大名・藩主・・武家・苗字帯刀許された時代 公家は住む京都の土地や通りの名前から由来が多いらしい。
867 :
あ :2008/07/23(水) 21:47:24
大体庄屋を馬鹿にしてるが おまえ等が尊敬するチョン皇の初代民間人は庄屋なんだよ庄屋! みちこはしょーやー〜!
868 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 21:56:58
皇后美智子は お金持ちのお嬢様です。 歴代皇族として初の民間人一般人が皇室入り昭和時代の話し 醤油屋の娘さん
最近スーパーに「正田」って醤油を置いてるのをよく見かける
870 :
あ :2008/07/23(水) 22:44:46
その醤油屋はしょ〜やですからWWW みちこはしょ〜やー! 庄屋様ですよ庄屋様! 庄屋なんですからWWWW
871 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 22:49:51
>>870 一般人とか民間人からとか、記録映像アナンサーがいってた。
庄屋民間人ですね。
872 :
あ :2008/07/23(水) 23:23:34
いやいや 庄屋もなにも武士も民間人ですよ 大名ならまだしも たかが藩士程度は庄屋と同じ民間人扱いでしょW まーチョン皇かすごいだの庄屋は身分不相応などほざいてますが 天皇直系は庄屋との混血ですからWWWW 庄屋をなめすぎだろWWWW 名実ともに 藩主≧庄屋=上級武士>中級武士×断絶 越えることのない被差別 卒、B、 水飲み ということ再認識できたでしょぶっちゃけ!
874 :
日本@名無史さん :2008/07/23(水) 23:52:47
× 庄屋 〇 名主
麻生太郎の生家も江戸時代は、庄屋さん。 麻生太郎の妹は寛仁親王のお妃。
876 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 07:42:30
不思議なんだけど、卒族ってほんの数年だけあっただけで、のちに士族か平民かに 吸収された身分だろ。あ庄屋が卒族出身のじいさんって言ってる人たちは本当に 卒族だったのか? 士族をこき下ろして言ってるだけじゃないのか?
877 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 08:31:05
徒士とかいう卒族(足軽)に毛が生えたような士族もあるし。 徒士は、江戸時代前半は武士ではなかったしね。
878 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 08:46:16
あ庄屋の言動からすれば、たぶん中級武士くらいまでは卒呼ばわりしていそうだな。
880 :
あ :2008/07/24(木) 10:23:06
>>873 いえ 虚言壁でなく 現実見えてきたでしょ?
いわゆる
>>875 のことですよ 麻生たろうも庄屋 チョン皇は庄屋と血縁大杉WWW
881 :
あ :2008/07/24(木) 10:27:07
>>876 まーパラダイス爺様のことだろうが 彼は卒であるが、平民にされたことがよほど受け入れられないんだろう
現実の社会の中での庄屋と卒との関係や立場すら捏造してまで卒を重要階級にしたいらしいからW
882 :
あ :2008/07/24(木) 10:39:59
>>878 いや、いちを私的には中級武士と今現代でいわれる武士が本来の江戸武士の末端だと思ってますよ
だから卒は本来武士ではなくまた耕す畑もない
これこそグレー身分ということですね 藩によって幕末まで藩士扱い家中として取り扱ってない藩ありますし
かといって取り扱っていたから武士だというのも違う 藩によって扱いまばらというのは まさに身分としての武士として確立していたのではなく
藩の事情による底上げ階級にほかならない
ようは下級藩士は武士ではなく 事情による補完的意味合いを主とし、常態として保証された存在ではない身分=現代版派遣ということですよ
>>879 上記の私のあまりに論理的定義の数々をみなさい
狂ってるくらい完璧に、真実を真意と本質とを相関せしめながら真理と変える学術的論述は、もはや芸術ですよ!
ほれぼれするぜ 自分の脳みそに!
883 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 10:52:12
で、あ庄屋自身はクソ惨めな自分や親兄弟の現状を受け入れられない、 パラダイス爺様と同レベルのゴミであることを認識していないわけか。 もしかしてあ庄屋って、父親はクソ団塊で左翼活動家崩れ、母親は 活動を通じて知り合った在日朝鮮人の類か? おまえ自身は白人至上 主義で、母親の血筋は悪いとか言い、しかも父親は歴史的な継続性を 否定するように家宝を無闇に低い評価をつけて売り払うとか。基本 スタンスは、お前も含めて「時代の価値観に極端に従ったミーハーな 行動パターン」だからな。
885 :
あ :2008/07/24(木) 11:54:44
>>883 今現代の家系はいいんですよ 歴史はなしてるんですから。
親父等は長男で生まれた 専業農家は田舎では学歴はつけないんですよどこでも。跡継がなくなるから。
親父等も長男で生まれたため教育を受けなかった。だから馬鹿すぎだが、農家の長男は男らしく育たなければならないですよ。
そう育てられたんだから問題ないんですよ馬鹿でも。なにしろ土地畑がもの凄いんですから。
俺は長男じゃないから教育をつけさせられ、町じゃ常に学年トップクラスだった。
トップといわないのは、学年一位だったやつは 小作出身だったが東大医学部までいってしまった
だがそいつ以外負けたことはないがな。
それに代々右翼家系ですよ。右翼じゃなきゃコノ江師団はいるわけないじゃない。俺だけ反日左翼の白人究極信仰にうまれただけ。
それから母親の家計は藩士ですが、なにかと呵責にさわるんですよ。
由緒でいえば代々親戚筋の近隣庄屋家計の方がよほど血統由緒いいのに、江戸藩士という現代子孫の奴らはどいつも武家だと威張り、大した由緒もない癖に上目線
本来武家は大名クラスくらいだろ。家中の分際もたやすく武家だと語る始末 血統もろくなもんじゃない。
よほど婆ちゃんの実家の庄屋家の方が名門! 戦国期は山城の城主だった豪族が帰農した庄屋家だ。 よほどばあちゃんの家系の方が武家だ。しかし母親の一族は常に庄屋を見下す態度
戦国期なら母親の一族など軽くぶっ潰してやるんだが。
こういう一連があり 母親の家系など血統も由緒もない雑魚家系の血筋が入ったと言っている
母親の家系も周りの藩士の末裔というやつらも 合戦してけりつけたいわ
今が戦国期なら 一族で武装し、横のパイプのつながりがもてない貧弱滅亡関東守護地の中で生き抜いた地侍庄屋の大和魂を見せつけてー
我が一族の先祖こそが大和魂もった武家だ!
886 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 12:01:24
887 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 17:50:31
いくら自分のうちが凄いとアピールしようと、せめてどこの藩かもわからなければ 検証のしようがないちゅーに。
888 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 17:57:22
農家の跡取りが余計な学があってはならないというのも、なんか示唆的だな。 資産を持った旧家なら、普通は市町村会議員くらいは目指すだろ。そうすれば 周囲の妬みやっかみも振り払えるはずだからな。
889 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 18:23:25
>>885 その場合は武家と言わず豪農家でいいんじゃない?
庄屋は武家屋敷にいない。
庄屋は田畑が広がる町屋暮らしだよ
【近代日本人の肖像】カテゴリー】 ◎公家・旧大名◎政治家◎官僚◎陸軍軍人◎学者◎実業家◎医師・薬剤師等◎芸術家 首相◎外交官◎法律家◎海軍軍人◎教育家◎ジャーナリスト◎宗教家◎文学者 日本史に残れば偉人です。
>>890 >首相◎外交官◎
外交官出身で、戦後首相も務めた幣原喜重郎は、
門真の豪農の出です。
892 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 20:40:55
物理学の最高権威で、湯川秀樹、朝永振一郎という二人のノーベル賞受賞者を育てた
仁科芳雄は、庄屋、のち代官の
>>824 の家の出。
>>891 吉田茂豪農家です。
(平城・平安・鎌倉・室町江戸時代)〜(幕末・明治・大正・昭和初期)話しです。
894 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 20:57:24
政治家って田舎の造り酒屋の出身てのが結構多くなかったか。あれも豪農だろ。
895 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 21:26:21
>>894 戦前や大戦中等は公家や武家人間ばかり
豪農家が多くなったのは敗戦後・戦後の首相とかね。
企業家とか豪農家とか造り酒屋とか
896 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 21:38:48
じゃあ農民出身で子爵になった渋沢栄一が出世頭かな。
897 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 21:52:22
>>896 首相の話題でした。
華族制度の華族はしらない。
898 :
日本@名無史さん :2008/07/24(木) 22:00:24
ここは本当に日本史板なのか?
>>898 あ=クルセーダーのスレはいつもこんな感じだよ。
所詮あらしの隔離スレよ
900 :
あ :2008/07/25(金) 17:35:56
888 ですから 戦後はチョウカイギインでしたよ しかし 今は親父じゃむり 学が無さすぎる まともな日本語すらはなせないくらい教養がない ひどすぎる
901 :
あ :2008/07/25(金) 17:38:52
889 ダカラ 城下からかなりはなれてるムラムラ3つを納める庄屋といってるだろ はじめはまさかこんなとこまでこの藩がおさめてたナンテまちのにんげんなんて誰も知らないくらいです 誰も知らない そんくらい離れてますよ城下からは。
902 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 17:41:56
>>901 武家屋敷から離れた
田畑広がる農村区域に庄屋の家。
農村倉し庄屋
903 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 17:45:06
>>900 その国語力では、おまえ自身も無理だろうな。
904 :
あ :2008/07/25(金) 17:46:00
889 それからなんでゴウノウなの?ゴウノウはあたりまえなんですよ その上で大庄やといってるんですよ ゴウノウだけならどこにでもいるでしょ そこらへんきちんとしてくださいよ 藩いってもいいが いうと町じゃソレなりに格式あるいえなので 自分以外にも迷惑かけるかもしれないんで ひかえさせてもらいます 親戚にまで迷惑かかるのやなんで。 なにしろ屋敷素性いってるので 町じゃ藩主家ですら 我が一問ほどの邸宅はないので 墓までいっちゃったし 墓も藩主と一門だけですから 墓の形とか
905 :
あ :2008/07/25(金) 17:53:18
西田幾太郎 福田総理大臣 藤山一郎 河野一郎 麻生一族 森首相 竹下首相 犬飼毅 菅直人 夏目漱石 大江ケンサブロウ などなど 庄屋出自の有名人は多い。旧自民党は庄屋があっとうてきに多い そのなかでも 麻生太郎や夏目など 清和源氏の流れ組む名家庄屋や 麻生のような戦国国人土豪あがり庄屋も多数
906 :
あ :2008/07/25(金) 18:06:39
902 というか それだけ権勢をほこったから 一門のムラムラから外れたところに城下つくったんでしょ まーいずれも城下からめちゃくちゃはなれてるから権利は江戸期もドクセンジョウタイでしたようですけどね なにしろ山も持ってるし 湧き水がでる池まで館にあるし 土蔵蔵群には武器ざくざくですからね ようは城下からはなれてるというより 今現在の場所も土地も 地侍時代からの権利を保証されたからでしょ 城下に近い百章ほど小わっぱがおおいんですよ? 麻生家みてみなさい さすがに我が一門の庄屋は あそこまでの国人あがり庄屋でないので かてませんが 麻生家は城下町から近いですか? また三春藩や水戸藩などの 戦国家臣団あがりの庄屋や大名あがり庄屋の益子や田村家などの庄屋は城下からみんな離れてますがなにか?
907 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 18:10:35
庄屋はムラを治めるのが役割なんだから、城下に近いムラでもない限り 離れてるのは当然じゃん。 いくら我田引水で威張ってみても、藩名さえ出さないなら検証のしようが ないから、一人で騒いでいることにしかならないぞ。
908 :
あ :2008/07/25(金) 18:14:40
903 あまりにもいわれるのでひていしませんが 学生時代国語だけがものすごくわるく 常に偏差値60前後しか取れなかったが しかし総合では常に平均総合偏差値は70を軽くこえている 国語が普通にできていたら とんでもなかっただろうな俺 自分の脳みそに惚れ惚れしますからね
909 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 18:17:05
暗記力だけが極端によくて、理解力が凡人程度って感じか。
910 :
あ :2008/07/25(金) 18:23:14
907 ですから いったら ハンナイ有数の庄屋家であるわけだから すぐばれちゃうんですよ たかが譜代藩程度なら庄屋など数家しかないんだから。 関東庄屋 例えば我が一門からちかい庄屋家でいえば 水戸藩や結城藩 館林藩 また八三春藩や八王子、岩槻藩などの庄屋調べれば、どれほど旧家臣団や大名あがりや地侍や土豪あがりの庄屋が大半かわかりますよ 屋敷や藩士との立場など 卒とは比べ物にならないほどの格式だとわかるでしょうよ はんぱじゃないですよ関東庄屋は江戸以前はほとんど上級武士あがりですから
911 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 18:25:13
>>905 残念ながら、どれもお前の先祖でない。
自慢できるのは国会に行った政治家達の孫や子孫の人だけ!
912 :
あ :2008/07/25(金) 18:54:14
ですから 我が一門も江戸以降も国からの任命ちょうちョウしてますがなにか?
913 :
あ :2008/07/25(金) 18:59:43
911 わたしがいいたいのは 庄屋はサッチョウ関係なくかつやくしていますが 卒はサッチョウ以外に活躍できてるやつぶっちゃけごくしょうすうでしょ笑 貧しすぎて立場弱すぎて格式なさすぎて土地なさすぎて社会的信用なさすぎて笑 庄屋はアラユル面で小藩主なみですからねまじで
914 :
あ :2008/07/25(金) 19:02:05
だって美智子だけやないっすからね庄屋血筋皇族は! 麻生庄屋一門も 三笠のみやか秩父のみやかなんかも庄屋混血ですか
915 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 19:05:54
あ庄屋本人を見る限り、過去の栄光にすがるという点では、 卒爺とか呼んでる人たちと何の違いもないぞ。
916 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 19:30:00
>>910 あ庄屋はU高・・・浦高出身なのか?
岩槻さいたま周辺の旧名主家で由緒のある家はさほど多くないと思われる。
K島家は藤姓足立流の名族だけどね。
918 :
あ :2008/07/25(金) 19:46:16
916 なわけないだろ ソツジジイも バトルシテルヒとも 別人 なんどもいうが携帯がひでえんですやよ そんな連投しながら別人文章かける能力はこの携帯にそなをってないから。 それからよく私の出身校しているな 川島家ではないですが 川島も有名な名家ですよね よくしってますね。あなた埼玉毛人?
大宮のko島 浦和には千葉の支流が居るとか? さいたまより岩槻の方が旧家多いだろうけど 旧家が多いのは県北県西。
920 :
あ :2008/07/25(金) 20:11:08
あんた 埼玉人だな 知りすぎてる モウコレイジョウは言えない 大宮のような門前町でないのはたしか あなた新都心駅周辺て 昔なんの場所かしてる?
線路か
922 :
日本@名無史さん :2008/07/25(金) 21:00:48
庄屋は民間人です。 皇族も次から次へと民間人入ってるよ 美智子様も民間人から皇族へ入っ来たからね。
923 :
あ :2008/07/25(金) 21:34:36
新都心は昔クビキリバだよね みんかんじんというが じゃあ皇族以外でミンカンジンざゃない一族てだれ?
925 :
日本@名無史さん :2008/07/26(土) 00:21:02
あ庄屋 くだらねぇレスしてくれ! ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
実は関東系庄屋のほとんどが天孫族。 崇神天皇の子、豊城入彦が末。 豊城入彦―八綱田命―彦狭島命―御諸別命― 大荒田別命―上毛野君 特に御諸別の命は佐野市府田神社に居住地があったという伝承があり、 子を庄屋として派遣することで関東一円を支配していた。 つまり、庄屋は、源氏や平氏より由緒のある天皇の赤子ということになる。
927 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 03:33:40
928 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 03:51:03
天孫族 万世一族だし 京都に都開いし 関東はしらないね。
929 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 06:41:23
あ庄屋の母親が父親の家を見下しているのは、むしろ武家の出で教養を重視する 母親が、DQNそのものの父親を軽蔑し、その原因を百姓であったことに帰結させて いるからじゃないか。 母親の側に立って考えてみろ。町会議員の長男で、伝統ある武家へ嫁ぐというので 期待していたら、武家ならあって当たり前の最低限の教養すらなく、土百姓そのものの とんでもない田舎者。これは到底武士の末裔として扱えないと判断するのが当然だろう。 それに対してDQN父はろくに働きもせず、息子も過去の栄光にすがるだけで本質的な 部分で行動を変える気がないなら、そりゃ軽蔑され続けるのも当然だ。 おまえ自身、学校の成績がいいだけでは意味がないと言ってたろ。分かってるなら、 無意味な家柄自慢を繰り返すなんて下品な行動をしてないで、自己研鑽に励めよ。
930 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 10:41:09
そう、江戸時代の武士学問8に対し武道2ぐらい。 身分高い武士ほど教養が必要です。 今で言うと大学受験するぐらいの勉強は必要だった。 江戸に行きがる武士多くは東大に行きたいって感じかな。 長崎に行けば蘭学が学べただろうし 兵学も必要だろうし
931 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 11:11:08
江戸初期に上士など帰農してるじゃん。どういう気持ちだったのだろうか?
932 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 11:17:01
江戸時代なら技術職とか身につけるほうがマシかもな 兵法学んでも黒船くるまで戦なんてないしなwww 半農半士かな
933 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 11:29:12
江戸時代 副業として傘職人しながら武士をしていた。 木村屋あんぱん創業者も元は下級武士 武士の意味がなくなった時に職業訓練校パンの研修で覚え 和風のパンを編み出した。
台東区には苗字帯刀を許された庄屋様がたくさんいたそうです。
935 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 13:11:46
庄屋なんて一人もいないよ 名主はいたけど
936 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 13:33:56
日雇い派遣って江戸時代ならどのくらいの身分かな、足軽小者?
937 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 13:35:46
口入れ屋経由の日雇い人夫だろ
938 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 13:38:49
本貫 てな〜に?
女の子が手で逝かせてくれるサービスかな?
940 :
日本@名無史さん :2008/07/27(日) 16:57:07
>>934 江戸町名主は苗字帯刀を許されてる。奉行所に入るときだけは刀を
差してはいけない。
後、町年寄りだっけ?3家は年賀の挨拶のために将軍に拝謁できる。
「あ」さんて,今忙しいのかな 日曜日の夕方から,全くカキコが無いや
刃渡り15センチ以上の刃物の携帯は禁止です。 武士を気取って長いのを持って新宿あたりをうろついていると、 特別警戒中の警官に荷物検査をされ、逮捕もありうる。
944 :
日本@名無史さん :2008/07/31(木) 17:51:39
どこでも朝鮮人認定されてんなクル様w妄想論はまあまあ面白いが、結局自分が気付いてないだけで、チョン血脈の酷い文章能力が全快出てしまっているぞ
946 :
日本@名無史さん :2008/08/01(金) 10:22:07
土地所有権はあくまで地主農民にあり 藩は徴税権や裁判権を持つだけなのかな、そうでなければ国替えは不可能
947 :
日本@名無史さん :2008/08/01(金) 10:41:29
948 :
日本@名無史さん :2008/08/03(日) 21:15:39
950 :
日本@名無史さん :2008/08/08(金) 08:56:10
>>949 微妙じゃないか?服が綺麗だからで、普通の服着せたらどうなるのか?
951 :
日本@名無史さん :2008/08/11(月) 22:54:49
>>1 の意味がよく分からんね。幕府が出したんだろ?
読むと庄屋なら苗字帯刀して言いと取れるが・・
952 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 02:42:22
【近代日本人の肖像】カテゴリー】 ◎公家・旧大名◎政治家◎官僚◎陸軍軍人◎学者◎実業家◎医師・薬剤師等◎芸術家 首相◎外交官◎法律家◎海軍軍人◎教育家◎ジャーナリスト◎宗教家◎文学者 偉人列伝 天皇家・朝廷・公家・神官・武家・守護官職・豪族・氏族 公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・軍人・警察官・博士号・大臣・総督・医師・首相 貴方苗字がなければ部落民や在日です。
953 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 08:00:46
在日なら苗字あるだろうに朴とか金とか
954 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 09:57:29
天皇には苗字は無いけど、部落民なのですか?
955 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 10:08:07
実は「倭」という姓があった。 倭讃、倭済、倭武など。
956 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 15:29:48
958 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 16:23:19
でも 江戸期の大名の苗字なんかどこにでもある苗字だし、実際うちの地域の苗字も大名と同じ名前いぱいいる
959 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 17:37:52
田中吉政とか? 家康の養女をもらったけど改易されちゃったね。 キリスト教を重んじすぎたとか。
960 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 18:31:21
大名の苗字 加藤 田中 井上 阿部 林
961 :
日本@名無史さん :2008/08/12(火) 19:00:54
高級旗本の苗字 鈴木 佐藤 高橋 佐々木 小林 新井 井上 木村 島田
962 :
460 :2008/08/16(土) 21:19:48
963 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 16:11:25
>>958 そりゃ明治以降勝手に名乗ったに過ぎない
964 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 16:58:36
足軽あがりの浅野なども名字名乗ってる そもそも足軽は応仁の乱時、町民が勝手に武装し、戦乱に参戦したり略奪したりして力付けたに過ぎない そもそもどこにでもある名の大名家は、当時勝手に付けた名であるからこそ、どこにでもある名になってるわけだ 守護家はかなり独特の名。想像してそうそうつけられるような名じゃない。
965 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 17:17:19
守護大名の苗字だっても地名だろ
966 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 18:37:52
>>965 守護や大名は朝廷による任命され各地を守る。
豪族は朝廷に敵視する側による。
967 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 18:42:52
守護=朝廷 豪族=朝敵
968 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 18:56:53
蘇我も物部も中臣も秦も小野もみんな朝敵。
969 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 19:16:40
No.1【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗 (信濃・上野)=比企能員 (越後)=佐々木盛綱 (下野)=小山朝政 (常陸)=八田知家 (下総)=千葉常胤 (武蔵)=平賀義信 (相模)=三浦義澄 (伊豆・駿河)=北条時政 (遠江)=安田義定
970 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 19:21:28
No.2【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (三河)=安達盛長 (尾張)=小野成綱 (美濃)=大内惟義 (伊勢)=山内首藤経俊 (近江)=佐々木定綱 (若狭)=津々見忠季(島津) (和泉)=佐原義連 (播磨)=梶原景時 (淡路)=横山時広?
971 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 19:27:09
No.3【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族) (但馬)=小野時広 (讃岐)=後藤基清 (土佐)=佐々木経高 (出雲)=安達親長 (安芸)=宗考親 (石見・長門・隠岐)=佐々木定綱 (対馬)=河内義長 (筑前・肥前)=武藤資頼 (日向・大隅・薩摩)=島津忠久
972 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 19:42:30
No4【鎌倉幕府の制度】(不在地域) ◎陸奥(青森・宮城・岩手・福島)守護・豪族不在 ◎出羽(山形・秋田)未開拓地域 守護・豪族不在 ◎蝦夷(北海道)未開拓地域 守護・豪族不在
973 :
日本@名無史さん :2008/08/28(木) 19:06:30
あ 庄屋 は今頃、宿題に追われてるのかな〜 やっと(b^-゜) スレに静けさが取り戻されきた。
庄屋はどうか知らないけれど、名主は名字帯刀を許されていたし、 中には中央の支配を受けず、自治権をもっていた者さえいますよ。
苗字帯刀をゆるされてない名主も多いんだが。。。
976 :
日本@名無史さん :2008/08/28(木) 22:29:00
そういうのは、いまでゆうところの名ばかり管理職。 実質的に何もできない名ばかり名主が増えたことで 農村は疲弊していったのです。
977 :
日本@名無史さん :2008/08/28(木) 23:21:24
幕府の代官支配地には苗字帯刀を代々許された名主も庄屋も少ないよ
978 :
日本@名無史さん :2008/08/28(木) 23:33:51
幕府領だと苗字帯刀の許認可の決済が老中までいくから易々とは認められないけど旗本知行地の百姓なんて殿様に献金すればすぐに苗字帯刀だもんね
979 :
日本@名無史さん :2008/08/29(金) 01:11:00
代官地なら黙認とかありそうでない?慣習とか
980 :
日本@名無史さん :2008/08/29(金) 19:38:55
なるほど。進学校の生徒会長なら凄いが、底辺校の生徒会長なんて誰でもなれるってことか。
981 :
日本@名無史さん :2008/08/29(金) 20:30:50
>>107 図書館で読んできたが・・・郷士というか農民に苗字帯刀許したってとこだね。
あんま詳しく述べてないけど戦国時侍や地侍だったのは多いのに何故自分たちだけが
許されたのか、あんま詮索してないと言うか失伝したのか。
維新時は士族になったのかな?
982 :
日本@名無史さん :2008/08/29(金) 21:10:07
苗字帯刀は領主から町奉行所への届出が必要だったはず。 勝手に名乗ることが黙認されたとしても、公式の場では使えない。
先祖代々の土地を寄進し、名主を世襲している本来の名主は、 広範囲な自治権や自衛のための武器の保有も認められていた。 領主から派遣された名主は、農民から年貢を徴収するだけの役人。 全く別のものなんです。
984 :
日本@名無史さん :2008/08/29(金) 22:05:27
名主が土地を寄進?
家の家も源満仲から始まり、戦後のマッカーサーから日本を守った名家だけど 名主には勝てないよ。