♪邪馬台国 ドンと来い♪ 28

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【帯方郡から伊都国までの経緯1/2】

船行1000余里について:
「1000余里」は外国への運行上の予算算定の最低単位ではないかと考える。
一昼夜の連続運用→1000里、として計算しているのではないか。
出港し到着するまでの乗組員給与、備蓄物資の量(価格)などををその単位で算定し「予算」とする。
したがって帯方郡から狗邪韓國までは7単位、あとは1単位であるということ。
タクシーの最低料金のようなものと考えれば現代人には理解しやすいかも。
※(北岸)狗邪韓國については、倭人伝であるから倭属領である可能性があり。蛇足

一大国について:
壱岐島とするなら対馬からの連絡地としてはあまりに中途半端なため、ガイドとして紹介した可能性がある
と考える。
対馬からの実際の連絡地で、それを北九州に求めるなら飯塚(イータイから)などの地名由来を考える。

一大国から末盧国について:
ここは重要である。
方位が示されていないのは何らかの政治的また軍事的な隠蔽があった可能性がある。
その場合、地名の特異性を考えてみるべきだろう。
盧とは丸く囲われた形状、また金属錬成のための瓶(かめ)である。
対馬、あるいは壱岐から海を渡り(沿岸ではなく)1日程度で到着する場所として松江が
それにふさわしいと考える。
宍戸湖の形状、大塚山という火山は沿岸から格好のランドマークだろうと考える。
隠岐島についてはかくれた分岐点というなかなか暗示的な名称である。
亀岡鹿谷遺跡で見つかった黒曜石は隠岐産という説もあり、なんらかの土産購入のための
寄港地だったかもしれない。いずれにせよ古来から連絡があったというのは確かだろう。
594573:2008/05/20(火) 19:37:22
【帯方郡から伊都国までの経緯2/2】

末盧国から伊都国について:
陸行500里は松江→亀岡に合致している。
なぜ船ではなく陸行なのかの意味の意味もわかりやすい。
また瀬戸内海経由ではないという理由も伊都の南、狗奴国と係争中ならば当然のこととなる。
邪馬台国(女王国連合)は瀬戸内海の制海権がとれていないためだ。

余談)狗奴国の「郡」について
大和、那古野近辺を奴国としてそこから郡(狗奴国中心)までは魏志倭人伝の狗奴国紹介文に
書かれている。
「其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國萬二千餘里」
ここでの「郡」は狗奴国の郡であろう。伊勢湾から一万二千里、船で12日である。
鹿児島近辺ということになる。熊襲→狗奴国かもしれない。

とりあえず。
595573:2008/05/20(火) 19:49:40

追考

一大国について:
狗邪韓國から放射状に対馬、一大、末盧をガイドしている可能性もある。
596573:2008/05/20(火) 20:14:26
伊都国について再掲しておく。


伊都国は現在の亀岡・京都あたりにあった。
不彌国は美濃方面、奴国は名古屋(津あたり?または志摩まで?)方面
つまり琵琶湖南岸の二つのルートを示してる。

船行2方面は(伊勢湾は南向き)
邪馬台国:現在の伊勢湾(奴国)から宮城県の松島まで、残りは陸行で岩手八幡平
斯馬国から奴国までの列記は途中の港だろう。蘇奴国→冨士山近辺、対蘇国→双子山近辺など

投馬国は船で20日だから、沖縄。馬に投げるから(縄)ってのはギャグだねwでもありそう
流刑に使われてたのかもしれないし。