【新説】邪馬台国は四国徳島だった?!【浮上】

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2日本@名無史さん
根拠3

魏志倭人伝によると、邪馬台国について「その山には丹がある」と書いてある。
丹とは水銀のことで、邪馬台国に中には水銀丹(朱)の出る山があると、
書き残している。邪馬台国時代の水銀鉱山跡というのは、
徳島阿南市の若杉山遺跡でしか見つかっていない。水銀を生産している遺跡は、
他の場所から発見されていないので、ここだけらしい。よって「丹がある」という
一文からすれば、四国説はかなり有力となる。

根拠4

邪馬台国の時代から続く1800年続く一族「阿波忌部一族」がいる。
この一族は、古代から現在まで続く天皇家の宮廷の祭祀をしていたという。
儀式の中で、(大嘗祭のことか)、麻で作る織物(アワタエ)を献上する役割である。
現在の当主は三木信夫氏であり、番組内でインタビューに答えている。
その中身は「阿波には大きな先進文化をもった部族がいたことは確かで、
その後、この部族は阿波から近畿へ移動して日本の礎を築いた」と語っていた。

根拠5

近畿と四国の地名の一致。山城、伊賀、大阪、河内、勝浦など近畿にある地名は、
徳島にもある。
徳島や香川で作くられた壺などが、同じようなものが近畿でも出土している。
徳島と近畿に何らかの関係があるということか。