直臣の世界  交代寄合巻四

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1
 従一位太政大臣征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者に仕える御大身を語り、賤商嫌金、文武忠孝以て世に立つ四民の師表、近世武家の本質に迫りましょう。
 従前の不毛を克服する為、正字正仮名推奨。罵倒禁止。
 右曲事たる可き旨、急度申渡候。
 では、どうぞ。
2日本@名無史さん:2008/03/19(水) 01:43:21
2げっと
3日本@名無史さん:2008/03/19(水) 02:00:57
>>1
あほかお前は?
徳川宗家を承継した時点で 官位が従一位太政大臣なわけねーだろ??

しかも お前さんの「従一位太政大臣淳和奨学両院別当源氏長者」との
カテゴライズでは徳川将軍に限定されないぞ。
足利義満はどうなるんだ?

近世武家とやらの主従関係を「御恩」と「奉公」の根本原理抜きで説明してくれ。
4日本@名無史さん:2008/03/19(水) 02:10:51
>>2 訂正
「従一位太政大臣淳和奨学両院別当源氏長者」
     ↓
「従一位太政大臣征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者」
5日本@名無史さん:2008/03/19(水) 10:18:35
 どうしてそう頭が悪いのか。
 第一に叙位叙任権は御門ののものであるから、正式の任官手続を待つのは当たり前。誰も徳川宗家を承継した時点で瞬間的に官位が従一位太政大臣になるなどと言っていない。話を作るな。
 第二に太政大臣は官位ではない。無知なことを書くな。
 第三に交代寄合、近世武家と書かれてるから江戸時代の話であることが明らか。
 第四に足利幕府を継承し、その前例を踏襲したのが徳川幕府。淳和奨学云々も室町の古例を踏んだまで。過去に先例があるのは当たり前で、もしなければ淳和の官職を帯びる必要も可能性も消滅する。古法は慣習法であるという常識を弁えろ。
 前代までに先例が定着していなければ慣習法も成立しない。
 第五に、鎌倉時代と江戸時代とは全く別な時代である。七百年の差を弁えろ。
6日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:11:44
>>5
「御恩」と「奉公」は武士の根本原理じゃないのか??
お前の駄文は何の回答にもなっていない。
7日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:22:52
>>5
バカじゃねーの?

鎌倉時代と江戸時代が七百年も差があるわけねーだろw

1192年+700年で1892年(明治24年)
1333年+700年で2033年(未来)

足し算もできねーのかよw

頭悪過ぎwww
8日本@名無史さん:2008/03/19(水) 13:43:13
武家政権七百年は常識
1333年を基点にするのも異様。
御恩と奉公の関係はその歳に成立したのかw
基督暦使用がそもそも異常心理。
9日本@名無史さん:2008/03/19(水) 15:30:08

痴れ言を垂れるな。
言い訳は見苦しいぞ。

てめーが
>第五に、鎌倉時代と江戸時代とは全く別な時代である。七百年の差を弁えろ。
と書き込んでて恥知らずめ。

お前は「鎌倉時代」「江戸時代」のワードしか言ってねーぞ。
言葉足らずの脳足らずめ♪
10日本@名無史さん:2008/03/19(水) 15:36:19
ここはどうも殺伐としてることが多いな。
議論は良いけど罵倒は止めましょうよ。
11日本@名無史さん:2008/03/19(水) 16:15:16
>>1
近世武家とやらの主従関係を「御恩」と「奉公」の根本原理抜きで説明してくれ。

武家政権を支え続けたのはこの根本原理だ。
明治政権の版籍奉還・秩禄処分の断行及び国軍創設・廃刀令は国家改造の大事業であったことは
常識である。

12日本@名無史さん:2008/03/19(水) 18:02:27
昔から文盲が荒しまくってきた。
13日本@名無史さん:2008/03/19(水) 18:15:22
版籍奉還まで武家政権を支え続けたのは主従関係を「御恩」と「奉公」の原理だと繰返し叫ぶ割に一度も理由が述べられていない。
教授派は初めから理由を述べて否定してるんだから、文盲派も自説の根拠を述べなきゃ。
14日本@名無史さん:2008/03/19(水) 18:55:17

勝手に○○派なんて名付けるな。
教授会ごっこは妄想世界でやってろ。
15日本@名無史さん:2008/03/19(水) 18:58:13
>>13
根本原理とは「武士」が「武士」であることなんだよ 君。
16日本@名無史さん:2008/03/19(水) 19:01:27
やっぱり >>1 は自称大學教授だったな。(ぷっ)
17日本@名無史さん:2008/03/19(水) 19:13:23
「御恩」と「奉公」の根本原理を本質として内包する観念が「武士道」なんだよ。
当時は「士道」と呼ばれていた。
18日本@名無史さん:2008/03/19(水) 20:21:42
 違うな。
 それは江戸時代の言葉。
 鎌倉以前は弓馬の道等と呼び、内容も異った。
 主あるを知りて主に主あるを知らざるこそ真の武者、なんどという徳目は江戸期には通らない。
 極悪非道の謀反人として極刑に処せられてしまう。
 なお士道は漢語で、士大夫の道、の義。
∴武士道≠士道
19日本@名無史さん:2008/03/19(水) 20:40:07
江戸時代の話をしているんじゃないのか??
20日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:06:28
>>12
記憶の抑圧か。
21日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:23:14
前スレからの引用

>中央集権化が近世の扉をこじ開けたのなら我が国においては領国内中央集権化という
>二重構造によって近世を近世を迎えたことになる。
22日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:33:57
>>18
「忠臣二君にまみえず」は徳目だろ?
23日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:37:53
それ言って相続人に殺されかかった人も居たな。
24日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:47:06
>>18
それは違うな。

「主あるを知りて主に主あるを知らざるこそ真の武者」は
天皇の臣下である徳川将軍家が諸侯を臣従させ統制する上で都合が良い。
25日本@名無史さん:2008/03/19(水) 22:18:47
日本の場合臣下が100の動員力を持っていれば理論上は主君は100の動員を期待できる。
西欧だと期待できる動員兵力は50とかだったりする。
陪臣の直属主君の動員に対する動員義務が100とすると、
その上の主君の都合による動員の際は50が義務だったりするようですが、
この日本と西欧の差はなんですか?
26日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:30:07
>>21
領国内中央集権化→一揆構造の解体
27日本@名無史さん:2008/03/20(木) 19:34:06
封建領主である諸侯の「鉢植え大名」化
28日本@名無史さん:2008/03/20(木) 22:59:00
そうです。
それが近世大名で、中世と大きく違うところです。
まして鎌倉は中世のそのまた前期。
近世とは大きな開きがあります。
この700年分の違いが全然わからないようでは歴史を論ずる資格が無い。
29日本@名無史さん:2008/03/21(金) 00:28:35

>>24 >>26 >>27 は私だが そんな初歩的な事を論じてるのではない。
我が国は支配階級である武士が本質を変えることなく近世を迎えてしまった
事に特異性を有している。  
強いて言えば神聖ローマ帝国後期のハプスブルク家の支配構造に似ている。
天皇と徳川将軍家との関係はローマ教皇とハプスブルク家との関係に形の上では近いし
幕藩体制の確立期とヴェストファーレン条約は時期も近い。
ヴェストファーレン条約とは帝国内の諸侯の自治を認めた条約である。

日本における武士に近い階層がユンカーであった。
ユンカーは諸侯ではないが貴族の末裔であり地主として又は官吏として
諸侯王の領国支配を担っていた。
ユンカーは諸侯王と臣下たる契約を結んでいたのである。

日本における武家社会の根本原理である「御恩」と「奉公」は信義に基いた一種の契約であり
社会構造は変化しても鎌倉時代から江戸時代まで通念として変わる事はなかった。

近世の定義が中央集権化であるならば 日本・ドイツはその特異な例として
封建制と中央集権化という二重構造をもって近世を迎えたのである。
30日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:08:33
↑ばか
 封建というのは本質的に地方分権である
31日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:14:04

痴れ者
その定義でいくと日本に近世は無かったことになる。
32日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:17:42
>>30
用語は正しく使え。
33日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:22:57
>>30
>>29 だが読解能力と基礎知識が無ければ無理してレス付けるな。
分かったな。
34日本@名無史さん:2008/03/21(金) 09:13:13
日本史に近世があってもなくても構わない。
支那史には近代が無いというし、世界の大半が有史以前からいきなり近現代になった。
中には今だに有史以前の例もある。
日本史に古代も無いだろう。
まあ、近世があるといいはるならそれをきちんと論ずることだ。
〇分ったな。
×分かったな。
35:2008/03/21(金) 10:02:20
まあ穏やかにやりましょう。
封建という言葉、概念の出発点からして「封じて建る」、統一を否定して分裂を進めるというか、地方分権主義ですね。
36日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:15:15
>>34
日本近世史は定説だろ。
現在の学術・研究・教育を否定することになる。
君にそれに挑戦する覚悟が有るのなら ここで論説したまえ。
37日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:25:14
定説かどうかは兎も角、定説だから恐れ入って随う、じゃ学問にならない。
ガリレオやコペルニクスに恥じよ。
教科書にそう書いてあるもん、じゃ小学生並。
自分の頭で堂々の論陣を張ってみよ。
38日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:29:04
>>34
君の考え方だと日本は1945年まで天皇を現人神として崇拝する
シャーマニズム国家ということになる。

歴史学を一元論で捉えてはならない。
39日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:34:55
>>37
定説を否定する立場が論陣を張らなければ説得力もない。
うわ言でしかない。
40日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:35:29
現在の学術・研究・教育を否定することに挑戦するのが学問的態度。
その時々の多数説を丸暗記するのは学問といわない。
そうゆう根性からして北朝鮮的。
41:2008/03/21(金) 10:39:26
定説であろうとなかろうと、主張は必ず根拠を挙げてください。
数学は定理であれば一応証明の省略が許されますが、歴史ではそうは行きません。
42日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:42:03
>>40
だから ポーズはいいから
日本に近世が無かったとする論説を展開してみ。
43日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:47:05
日本史に近世はあると思うが、それは中央集権と関係無い。
いったい何を以て近世概念を立てるのか。
その定義から固めなければ。
もし中央集権だというなら、日本史に近世は無かった、としか言いようが無い。
三百諸侯に分裂した状態を中央集権だなんて発狂している。
中央集権とは律令制や大日本帝国憲法体制のことだ。
江戸時代は地方分権どころか、顕著な分裂状態だ。
44日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:54:39
日本の近世は全国を武力統一して後 勲功諸侯に封土を再分配して
始まるんじゃないか?
スクラップ&ビルド
45日本@名無史さん:2008/03/21(金) 10:58:14
>>43
>>29 だが私の考えは提示している。
46日本@名無史さん:2008/03/21(金) 11:40:18
私の近世概念は

日本の近世は「法」と「秩序」によってもたらされた。

「法」とは大公儀
「秩序」とは朱子学

諸侯は地方統治の代理人→「鉢植え大名」
江戸幕府は間接あるいは直接全国を統治。
しかし開幕以前の大大名も温存で中途半端。
47日本@名無史さん:2008/03/21(金) 11:43:32
伊達・前田・島津はミニ幕府だな。
48:2008/03/21(金) 11:58:01
日本に近世が無かったとする論説の展開を要求するのは構いませんが、その場合、近世があったとする論説も展開してください。
学問は対等平等に論戦せねばなりません。
一方的態度は良くありません。
49日本@名無史さん:2008/03/21(金) 12:52:02
スレ主は「近世武家」とスレ題で述べているが
自身の立場も明確にすべきである。
50日本@名無史さん:2008/03/21(金) 15:01:08
そうすると我国には近世があった、でもそれは中央集権とは関係ない、でおk?
51日本@名無史さん:2008/03/21(金) 15:38:58
不完全な中央集権
  または
中途半端な中央集権
52日本@名無史さん:2008/03/21(金) 17:58:35
違うな。
それは、色の白い白人、というに等しい。
封建は初めから終りまで地方分権。
中央集権とはそもそも相容れない。
53日本@名無史さん:2008/03/21(金) 17:59:59
色の白い黒人だった
54日本@名無史さん:2008/03/21(金) 19:48:45
もっと、具体的な事柄を話そうぜ。
抽象的な理屈ばかりでスレを空回りさせてもしょうがない。
55日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:39:33
近世は時代区分の名称。
封建は社会構造であり統治システム。
同一次元で語ってもしょうがない。

>>52
江戸幕府は専制君主制であり徳川将軍は大君である。
統治システムとしては封建制であり自身もまた封建領主であった。

法制的には中央集権的(領主裁判権の限定)
大公儀の御法度
例:お家騒動・百姓一揆・重罪人の処罰

軍事・警察権及び税制的には地方分権

徳川将軍は諸侯連合の盟主ではなく絶対的な主君

56日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:46:11
おまいら


交 代 寄 合 に つ い て 語 れ
57日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:58:53
日本型の近世
「天下の御政道」強力な中央政権
58日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:02:03
スマヌ

日本型の近世=武家による強力な中央政権「天下の御政道」
59日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:05:48
気が狂っているな。
何をどうやっても黒人は白人にならない。
60日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:14:15
山名とか岩松とか、明治維新ではあっさり徳川を裏切ったよな。
同じ新田一門なのに・・・
61日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:48:21
白人は色の白い黒人、日本人は黄色い黒人。
>>60
岩松は大して優遇されてないからあまり恩義も感じてないんだろう。
62日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:54:31
朝鮮人はホモエレクトス直系かもしれないから黄色い黒人じゃないかもしれない。
だって彼らの自称だとホモサピエンスじゃないんでしょう。
63日本@名無史さん:2008/03/21(金) 21:55:52
山名は回り中倒幕派だもんな、自立するほど力ないし。
64日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:47:50
封建制は中央集権を否定する所から出発した。
和漢洋、何れの封建制も中央集権制の破壊者である。
西洋近世は中央集権指向だが、あれはそもそも封建制ではない。
我近世は封建制である。
近世という点で時代区分上同じ名を冠するが、封建か否かという点では全く異る。
西洋近世が中央集権を向いたのは、それが封建制を打破って成立した新時代だったから。
我近世は封建制だから何をどうしても絶対に中央集権にならない。

65日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:36:14
>>64
自分が何言ってるのか分ってるの???
66日本@名無史さん:2008/03/22(土) 00:09:19
>>64
中世の封建制と近世の封建制はどこがどう違うんだ?
67日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:18:22
 はっきり異質だからこそ別個の時代に区分されてるんだろうが、馬鹿者!
 西洋史では中世が封建、近世が封建を押潰して成立した絶対主義体制。これは中央集権を指向した。反封建だから当然だ。
 日本史では近世も後期封建制、世界に稀な純粋封建制。封建であるからは当然に疾風怒濤の地方分権指向。これを中央集権だなどとは気が狂っている。
68日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:35:52
封建のほの字を発音したとたんに中央集権は吹飛ぶ
69日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:38:23
教授派が出て来ると文盲派が吹飛ぶw
70日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:18:32
>>64
日本には封建制が無かったとする説も有る。

封建とは周王朝を規範とする政治制度=貴族による土地と人民の私有

西欧の封建制(フューダリズム)=貴族・騎士の主従関係(従士制)による土地と人民の支配(農奴制)
 
日本の場合:武家の主従関係(御恩と奉公)において保護(本領安堵)及び武功・勲功(奉公)の
恩賞(御恩)として所領が与えられた。
所領とは知行(徴税権・支配権)に過ぎず土地と人民の私有ではない。
言い換えれば 諸侯の「鉢植え大名」化が容易であった。
71日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:25:30
>>67
「大公儀」「天下の御政道」はただの飾りか?
馬鹿者!
72日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:28:25
>>67
「参勤交代」「天下普請」はどう説明する!
タコ!
73日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:30:16
>>69
記憶の抑圧は引っ込んどれw
74日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:52:55
>>67
領主裁判権が限定されてるのに「純粋封建制」と言えるのか?

さあどうする♪
75日本@名無史さん:2008/03/22(土) 07:11:14
こういう言い争いだけでスレが回転するのって空しいな。

おまいら、交代寄合とか旗本について語る気はないのか。
76日本@名無史さん:2008/03/22(土) 07:26:24
素直に老中とかいわんのかw
77日本@名無史さん:2008/03/22(土) 08:53:49
 私有云々というテーゼ自体が誤っている。
 私有なら必ず処分権を伴わなければならない。
 自由に処分できないものは私有と呼べないが、そんなものは無い。
∴私有ではない。
78日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:10:01
実際に与える場合と事実として占有しているものを公認するだけとは、
少なくとも当初の扱いは全く異なるよな。
平和的な占有が何世代も続くとわけわからなくなるけど。
79日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:14:15
 分らないのはあんただけ。
 本領安堵という。
 扱いは異るが、それは本質に由来する潜在的なもので、外見上大して違わない。
 違うと言い張るならどう違うか言わねば。

 何れにせよ、江戸時代は顕著な地方分権体制。
80日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:23:17
重層的階層関係の末端近くまで封建関係が浸透している場合と、
国王(みたいなもの)と領邦君主(ごときもの)との間には封建関係が成立しているが、
領邦内部にはほぼ封建領主が存在しない場合は本質的に異なるものなのか?
それとも単に後者は前者が崩れた状態なのか?
よくわかりません?
81日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:23:55
>>77
 自由裁量権の無い私有もある。東照大権現様拝領の品等
∴君の論旨は破綻。
82日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:31:24
>>79
「顕著な地方分権体制」と語気が弱まったじゃないか。
「純粋封建制」(笑)と唱えないのか?
83日本@名無史さん:2008/03/22(土) 10:49:31
訳も無く笑う者は狂人
84日本@名無史さん:2008/03/22(土) 14:02:12
破綻しているのはあんたの頭
自由裁量は公法用語だから私有には初めから何の関係も無い。
ここでメルクマールになるのは処分権。
85日本@名無史さん:2008/03/22(土) 16:52:40
スレタイに直接関係ない話題で論争してスレを枯らしてる連中の狙いは何?
86日本@名無史さん:2008/03/22(土) 16:55:30

屁理屈こねくり回してるんじゃないぞ
87日本@名無史さん:2008/03/22(土) 16:57:32
それはあんたがおかしい。
近世武家の性格を論じているのだから重要な議論だ。
ここは学問板。
道楽板ではない。
学理的理解が嫌なら屁理屈こねくり回しさずROMっていてね。
88日本@名無史さん:2008/03/22(土) 17:01:35
屁理屈こねくり回してスレタイどおりの話題をさせようとしない連中こそ、
客観的にはスレ荒らしだがな。

そういう論議をしたいなら、別に「直臣・交代寄合」にスレでやらず、
日本の封建社会の性質を論じるスレを立てて、そっちでやればよかろうに。

スレジャックみたいなことして、学問板とか開き直る方が大人げない。
89日本@名無史さん:2008/03/22(土) 17:35:47
学問板と大人げは関係がない。
それこそ荒しだよ。
武家の、幕藩体制の本質だから、武家を考察するには不可欠の前提だ。
学理的理解を欠いた議論は無意味。
学問が嫌なら出ていってね。
90日本@名無史さん:2008/03/22(土) 17:52:18
旗本は島原の陣に主攻でも助攻でも動員されていない
全然動員されていない
91日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:01:15
>>90
そうそう この件は自称大學教授の主張で論証はまだだったな。
92日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:06:51
>>67
領主裁判権が限定されてるのに「純粋封建制」と言えるのか?

笑わすな♪
93日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:14:39
↑は知らないんだね。
純粋封建制の名は定着していて、マルクスなども用いている。
それで領主裁判権が限定されるとどうして純粋封建制じゃないんだえ?
第一領主裁判権の限定って何だ。
一度も説明が無いぞ。
争点は純粋封建制かどうかでなく、中央集権か地方分権か、だろ。
しっかりしろ。
訳の分らないことを書くんじゃないぞ。
94日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:16:25
>>84
切腹覚悟ならば東照大権現様拝領品を処分してみれば。

武家社会とはそういうもの。
現代人の感覚・法規で論じても意味が無いし的外れ。
95日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:37:25
>>89
スレタイどおりの話題を無視して、自分勝手にスレタイから脱線した話題で
スレを乗っ取るのが「大人げない」ということ。
学問板がどうとか、そんなことは関係ない。要するにマナーの問題。

2chの歴史板はタテマエ上が学問板のカテゴリーだが、実際には趣味的な板だし、
本当に学問的な論争がしたいなら、自前のブログかHPでも開けよ。
そこまでしなくても、そういう「学問」の論争をメインにしたスレを立てればよい。

交代寄合のスレなのに、一部の論争屋が肝心の話題を語らせないような雰囲気を
作ってることこそ、「荒らし」だろうに。
96日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:59:02
ところで肝心の交替寄合は封建領主なのか?
97日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:10:23
>>93
>>55 で説明してある。
実態は二者択一論では無く両者の混在だ。
中央も地方も武家による軍事政権なので汎用的に封建制は認める所ではあるが
問題の中央集権か地方分権かに関しては慎重に議論しなければならない。

何故ならば武家により打建てられた政権として封建制を基盤としながらも強力な
中央政府(専制君主制)は開幕以来の命題であった。
大阪の陣、将軍秀忠による大量の諸侯改易、それに続く家光の「生まれながらの将軍宣言」
それらは強力な中央政権指向である。
根本は関ヶ原の勝ち方に原因が求められる。中央政府の中央集権指向は徳川260年続けられることになる。

江戸・京都・大阪・長崎及び天領の統治形態は完全なる中央集権型であり
その長官(官僚)である小大名・旗本は自身の封建家臣団による統治ではなく
行政機構の管理責任者として司法・行政に従事した。
その他諸侯領においては地方分権ではあるが 司法においては「大公儀」「天下の御法度」
に優先・制限された。お家騒動・百姓一揆・強訴打ち壊し・重罪人・キリシタン等は評定所の
裁定・処分であった。
また、参勤交代・軍役の維持・天下普請・諸侯家族の江戸在住は強力な中央統制があった事を
意味する。
98日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:25:51
社会的経済的要因により分権せざるを得ない場合を除けば、
中央政権は必然的に集権を指向するものじゃないの?
成功するかどうかはともかく?
分権を希求する地方領主も自らが中央政権に成り上がれば集権を指向するのでは?
99日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:30:46
>>97
関ヶ原は総力戦ではなく省エネ戦だからね。
100日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:41:40
総力戦という言葉の意味が判ってない。
これもテクニカルタームで専門用なのだから、語義も知らいで出鱈目吹いちゃいかんぞ。

98はいい線を行っている。
封建領主が封建領主のまま利己的に権力強化を図ったところで封建でなくなる訳ではない。
それにしても英国には地球平板協会があって地球は平らだと言い張っているそうだが、江戸時代を中央集権という基地外を始めて見た。
101日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:47:12
>>100
あえて総力戦と言ったまでまでだ。

ユーモアセンスも解せぬ専門家気取りは命取りだぞ。
肝に銘じておけ。
102日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:51:33
>>100
では中央集権政治機構が無くその出先機関も無かったという論証をしてくれ。


103日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:53:01
学問板で落語無用。
学術用語はきちんと学んで正しく使え。
104日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:54:43
話を作るなよ。
出先機関も無かったという論は未だ為されていない。
105日本@名無史さん:2008/03/22(土) 22:09:52
>>104
>>97 を有り難く拝読しろ。
思考停止したままじゃ学問は進歩しない。
106日本@名無史さん:2008/03/22(土) 22:43:40
何処を読んでも出先機関が無かったという論は為されていない。
妄想は学問を退歩させる。



107日本@名無史さん:2008/03/22(土) 22:58:48
妄想はお前の専売特許だろ?
108日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:01:04
出先機関の話題は都合でも悪いのか?






109日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:04:07
 幕末、外国の中央集権を見て勤皇、佐幕両陣営とも対抗上慌てて中央集権を目指した。
 勤皇党の中央集権化政策は廃藩置県によって結実し、幕府のそれは早く文久の改革以降の諸政策に現れる。
 諸侯廃止であるが、実現を見ぬ間に幕府が倒れてしまう。
 私領を取上げる上知令や大名ならざる御三卿にその萌芽を見る、と言って言えなくもないのだが、文盲は御三卿は大名だなどと珍説を怒号して来たものだから自縄自縛w
 何れにせよ、端から中央集権であるならば遥か後年、幕末も押詰った維新の頃に慌てて中央集権化を図る必要は無い。
 これは大化の改新に似ている。
 中央集権、単一国家体制を採る唐、新羅に、ばらばら地方分権の氏姓制度の寄合所帯では太刀打ちできない。
 かくて典型的中央集権の律令国家を構築した。
110日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:23:38
東照大権現様拝領品を処分できないのはそれが私有でないからだ
私有物なら自由に処分できる
分ったか

なほ私有私有と連呼するのはあほな論者の記憶ちがいで、経済史の連中を中心に所有と呼んでいる。
111日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:29:57
>御三卿は大名だなどと珍説を怒号して・・・・・
      ↑
   誰のことを言ってるのか?
112日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:31:29
文盲派
113日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:45:08
ヨーロッパの貴族諸侯は国王から拝領した土地や品物をバンバン処分してるのだが
114日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:46:30
>>112
記憶の抑圧は引っ込んでていいぞ。
115日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:00:03
>>110
私有でなければ旧大名家に東照大権現様拝領品が私蔵されてるんだ?
お前の言う法的根拠だと維新時に徳川家に返納されるべきだろ。

116日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:04:08
江戸の島津屋敷・毛利屋敷・鍋島屋敷等は不法占拠だろ?
117日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:37:41
君たち、全然民法−所有権理論が分らないでしょ
だいたい私有ってなによ
物件法定主義により、法律に書いてない物権は認められないんだからな
私有なんてない
118日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:40:54
処分できるなら所有しているということだ
所有権の内容は使用、収益、処分権だから、これを欠けば所有でない。
所有でない私有というものは認められない。
というより、馬鹿の覚え間違い。
世間の学者は、所有、と呼んでいる。
119日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:44:09
元々、ヨーロッパの貴族諸侯は国王から拝領した土地や品物をバンバン処分してたらどうだいうのだ。
日本では出来ないから所有してないとゆうだけの話。
それすらもどうでもいい。
主人に貰った皿が割れようがお菊が化けて出ようが、封建制に何の関係も無い。


120日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:47:57
          ,′ _
           , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
        _/     l|/,     ゛、
      /:/    爪! l| il| |     ヽ
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.      !::::l   /|.lヽ!    リ }ハ_     i    好きです、日本の兵隊さん!  
     l::::|   l/l|二、    ,二., l  i l          
     |::::l i l,/_j::、     _j::、ヽl i ! !         
     l::::| l l! _ヒ」     ヾ┘ j l | |
      l::::i! i l l       ;     //l j i !
      !::::lヽ!、ヽ'、   、__,   ノ'// ///
.      j::::::!::::::ヽ゛、        ///!'´    
     i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
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    j::_,,-ヽ:::::::ヽ      iヽ:::::::::ヽ!
121日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:52:10
>>100
俺は一度も「中央集権」と言ってないぞ。
過去レスをROMってみろ
「中央集権化」「中央集権指向」「強力な中央政権」「中央集権型」「強力な中央統制」だ。

122日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:02:20
>>117
>>115 だが「私有」を「所有」と書き換えることにしよう。
123日本@名無史さん:2008/03/23(日) 09:38:32
 よろしい。
 良い態度である。

 さて、経済史の人には、封建領主は領知を所有していた、という言い方をする人々がある。
 これは学理として間違っている−処分できないから−が、兎に角用語例としては所有である。
 私有では、ビンボー、偉い、つおい、俺んだ等々と同じく内容が無い。
 私有という日本語はあるが、具体的に、租借権とか地上権とか永小作権とか表土権というふうに内容を確定せねばならない。

 今日はこれから無料デーの博物館と按摩に行くので又今度。
 出先とやらの話も、辞を低うして丁重に教えを請うなら訓示を垂れて遣わす。
 戦後の歴史学界は占領下で洗脳された赤い発狂者で溢れている。
 隣接諸学界の動向に意を配り、自ら洗脳を脱せよ。
124日本@名無史さん:2008/03/23(日) 09:45:35



中央集権とか所有権とか抽象的な話題ばっかりしてる連中は、別スレ立ててそっちに移動しろ。



125日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:11:46

所有でなければ旧大名家に東照大権現様拝領品が所持してるんだ?
>>123 の言う法的根拠だと維新時に徳川家に返納されるべきだろ。


126日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:14:29
交代寄合といえば、このサイトは必見
よくまとまってると思う。
 ↓
KUBOの家系城郭研究所
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/sub1-1.htm
127日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:16:26
>>123
中央集権型の幕府出先機関の話題は都合が悪いのか?

そのほうの言い分を申せ。
128日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:16:43
上記サイトより

(1)交代寄合表御礼衆
 *松平家の一門・譜代
  ○三河新城7000石 菅沼家
  ○下総飯笹6000石 松平(久松)家
  ○三河西郡4500石 松平(竹谷)家
  ○駿河久能1800石 榊原家(越後高田藩本家)
  ○遠江気賀3459石 近藤家
 *旧織田・豊臣系
  ○出羽矢島8000石 生駒家(元大名)
  ○備中撫川5000石 戸川家(元大名)
  ○美濃岩手5000石 竹中家
  ○大和田原本5000石 平野家
 *中世以来の豪族
  ○常陸志筑8000石 本堂家
  ○近江朽木4770石 朽木家(丹波福知山藩本家)
 *旧守護大名系
  ○但馬村岡6700石 山名家
  ○近江大森5000石 最上家
 *大名の分家・一族
  ○越前白崎3000石 金森家(美濃郡上八幡藩分家、本家は改易後旗本として存続)
  ○陸奥横田5000石 溝口家(越後新発田藩分家)
  ○豊後立石5000石 木下家(豊後日出藩分家)
  ○備中成羽5000石 山崎家(讃岐丸亀藩分家、本家は断絶)
  ○肥前富江3000石 五島家(肥前福江藩分家)
  ○日向飫肥2000石 伊東家(日向飫肥藩分家)
  ○播磨福本6000石 松平(池田)家(備前岡山藩分家、元大名)
129日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:17:33
(2)交代寄合衆
 *那須衆
  ○下野福原1000石 那須家(元大名)
  ○下野佐久山3500石 福原家
  ○下野芦野3016石 芦野家
  ○下野森田1300石 大田原家
 *美濃衆
  ○美濃多良2300石 高木(西)家
  ○美濃多良1000石 高木(東)家
  ○美濃多良1000石 高木(北)家
 *信濃(伊那)衆
  ○信濃阿島2700石 知久家
  ○信濃伊豆木1000石 小笠原家
  ○信濃山吹1115石 座光寺家
 *三河衆
  ○三河松平440石  松平家
  ○三河大崎607石 中嶋家
130日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:20:35
(3)その他に「四州」に準ずる家として次の3家があった。
  ○上野新田郡120石 岩松家
  ○肥後米良無高 米良家
  ○三河長沢300石 松平(長沢)家
131日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:23:13
旧交代寄合の家
 ○松前家〔蝦夷福山無高〕
 ○松平(久松)家〔下総多古8000石〕
以前に交代寄合であった家
 ○石河(いしこ)家〔美濃加々島4520石〕
 ○一色家〔武蔵幸手3500石〕
 ○打越(うていち)家〔常陸新宮3000石〕
 ○大嶋家〔美濃2000石〕
 ○織田家〔大和松山内2700石〕
 ○京極(田中)家〔1000石〕
 ○新庄家〔常陸鹿島郡7000石〕
 ○神保家〔大和高市郡6000石〕
 ○神保家〔下総香取郡1500石〕
 ○高原家〔讃岐直島2000石〕
 ○多羅尾家〔近江信楽500石〕
 ○津軽家〔陸奥4000石〕
 ○津田家〔美濃3011石余〕
 ○妻木家〔美濃妻木7000石〕
 ○遠山家〔美濃明知6530石余〕
 ○能勢家〔摂津地黄4008石〕
 ○花房家〔備中5000石〕
 ○平岡家〔美濃2000石(5000石)〕
 ○本多家〔遠江4260石余〕
 ○松平(長沢)家〔三河形原5000石〕
 ○溝口家〔越後池端5000石〕
132日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:38:30
以前に交代寄合と推定される家
 ○赤松(石野)家〔上総3015石〕
 ○戸田家〔美濃5000石〕
 ○戸田家〔美濃5000石〕
 ○宮原家〔下野1140石〕
 ○由良家〔常陸牛久1000石〕
 ○岡本家〔下野塩谷3860石〕
 ○千本家〔下野芳賀郡3870石余〕
 ○近藤家〔信濃伊那郡山本4300石〕
 ○松平(久松)家〔信濃禰津5000石〕
133日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:49:18
旧大名家が東照大権現様拝領品を所有してるのは

道で拾った財布のように一定期間落とし主が現れなければ拾い主の物に

なるのと同じ理屈か?

時効による所有権の移動なのか?

徳川家が最初から永代貸与されてる品だと言い張れば旧大名家に処分権は無いはずだ。
134日本@名無史さん:2008/03/23(日) 10:55:05
徳川宗家の現当主が日光東照宮に納められてる徳川家康所用の甲冑を
返せと言えば返して貰えるものなのか?
135日本@名無史さん:2008/03/23(日) 11:32:09
>>129
伊那三衆はいずれも信濃南部の地方豪族が江戸時代にそのまま交代寄合になったもので、
領地は現在の長野県下伊那郡という狭い地域に隣り合って接している。

同じく>>132の近藤家も伊那三衆の隣地に領地があったが、公儀馬術指南役
だかを仰せつかって代々江戸定府となったため、いわゆる交代寄合の席
には入らなかった(伊那四衆とは呼ばれなかった)という訳か。

ちなみに近藤家はもともと堀秀政の家臣で紆余曲折を経て伊那郡に領地を構
えることになったが、その後堀家も2万石の大名として同じ下伊那郡の飯田
の地へ移封されてきたから、変なところで遠縁が復活したということになる。
136日本@名無史さん:2008/03/23(日) 18:33:46
126 以下は新スレが立つ度に毎回うpされて迷惑だ
137日本@名無史さん:2008/03/23(日) 19:02:12
スレタイどおりの内容なのだから、全然迷惑ではないな。
138日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:03:48
          ,′ _
           , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
        _/     l|/,     ゛、
      /:/    爪! l| il| |     ヽ
       /:::/   | l l``` "´| ト、 l    ゙、
.      !::::l   /|.lヽ!    リ }ハ_     i    好きです、日本の兵隊さん!  
     l::::|   l/l|二、    ,二., l  i l          
     |::::l i l,/_j::、     _j::、ヽl i ! !         
     l::::| l l! _ヒ」     ヾ┘ j l | |
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      !::::lヽ!、ヽ'、   、__,   ノ'// ///
.      j::::::!::::::ヽ゛、        ///!'´    
     i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
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    j::_,,-ヽ:::::::ヽ      iヽ:::::::::ヽ!
139日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:21:17
だって反覆こぴぺ荒しだぜ
140日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:00:32

旧大名家が東照大権現様拝領品を所有してるのは

道で拾った財布のように一定期間落し主が現れなければ

拾い主の物になるのと同じ理屈か?





141日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:03:07
 拝領品はどうでも宜しい。
 封建制の正確に何の関係も無い。
 第一、法学の全く分らない者が幾ら愚図愚図むずかっても無駄。
 従来論じられてきたのは、領国に対する権限だ。
 これを処分できるなら、所有か準所有と言える。
 無論、売飛す、質入するなんてことはできないから所有ではない。
 よって領主が領国を所有していたとする経済史の一部の珍説は成立たない。
142日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:12:02

古賢は、道に落ちたるを拾わず、と言われた。
何でも拾うんじゃないぞw
143日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:20:58
豊後日田の大名貸しの掛屋が江戸後期に福岡黒田家に数万両の金を
用立てた担保は知行(徴税権)の一分だそうだが
質入と同じ性質じゃないのか?
黒田家に限らず東北の本間家から借りた諸侯も同例と見て良いだろう。

江戸後期の諸侯は勝手に知行を所有と認識していたことになるぞ。
144日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:31:42
そんなことより交代寄合を語れ。
拝領品だの日田の掛屋の話題は、別のスレでもできる話題だ。

交代寄合スレで、直接関係ない話題を延々続ける方が「荒らし」だろうに・・・
145日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:34:54

 × 同例   〇 同列  勉強は先づ国語から

 そういう事実は無い。
 公権は担保に供することが出来ない。
 有り得るのは、将来の歳入を引当にすることだけ。
 つまり債権質だ。
 これは単なる金銭債権であって、知行もへったくれも無い。
 
146日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:41:38
>>145
ばっかじゃね。
同じ例の意味だよ タコ。

広瀬淡窓の広瀬家文書を精読したまえ。
147日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:44:11
ばっかでタコは文盲同例男。
同例という日本語は無い。
勉強は先づ国語から

148日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:49:44
>>147
反証に窮したか♪


149日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:53:24
でわ文盲なりの論証をw
150日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:54:18
それより直臣ネタの 
島原の陣の論証をした方がいいとおもうぜ。

151日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:55:49
>>149
記憶の抑圧(ぷっ)
152日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:57:17
144 はあれだな、粘着オタクだな。
交代寄合は封建領主なのだから、その性格を論ずることはスレの本質だろうに。
学問は道楽ではない。
道楽者の趣味に合せる訳には行かない。
153日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:59:36
島原の陣の論証もいいがどうした、反論に窮したか?
どうせ何時ものように文盲が吹飛ぶだけ。
毎度のことだ。

154日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:04:38
このスレの皆はお前が釣れるのを待ってたんだから
期待に期待に答えて「島原の陣の論証」をしてやれよ。



155日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:05:00
今、公務員が借金で俸給−給料を差押さえられるとする。
給料のもとは税金だ。
だからと言って統治権だの徴税権が処分になってる訳では全然ない。
単にそこにある現金を抑えるだけだ。
公権には指一本触れられはしない。

史学科の香具師は無学文盲揃いで本当に嫌だ。
156日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:08:33
>>153
人の言葉をオウム返ししか出来ないのか??

吹飛びたいね♪


157日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:09:40
慣れてるもんねw
158日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:14:27
わくわくするぜ。島原の陣の論証!

159日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:15:37
旗本は島原の陣に主攻でも助攻でも動員されていない
全然動員されていない
160日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:16:35
くれぐれも 吹き出させるんじゃないぞ。

161日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:21:58
とゆう訳で、領主が領国をヲ所有していた、とする説は成立たない。
所有概念の分らない史学科や経済学科の説。
入学偏差値低いからな。

例えば国府軍の司令官には自軍を準所有しているものもいた。
軍隊売飛ばし代金持ってスイスへ引っ越した剛の者がいる。
支那軍の特性だな。
162日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:24:48
>>159
チーン 勝負ありました。

島原の陣では旗本鈴木重成は追討史・松平信綱に従って戦地入りし
原城攻撃に参加、一番乗りの武功を顕彰されている。

よってお前の負けwwwwwwww


163日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:27:53
>>152
交代寄合スレで、交代寄合の話題を意地でもさせない連中の方がよほど粘着だがな。
近世社会、封建社会の性質を論じたいなら、そういうスレタイのスレでやるべきで、
こんな限定的なスレタイのスレをジャックしてまでやる方が、よほど粘着だ。
このスレに執着する理由がわからん。

それに本気で近世史の学術論争したいなら、それこそ学術論文でやれ。
164日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:33:40
>>161
>領国をヲ所有していた、

先ずは国語の勉強から
165日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:34:35
中世と近世を併せると数え方にも拠っては千年を越す。
墾田永代私有令から安政条約不勅許までだと、1100年以上。
鎌倉幕府成立から維新回転まででも700年弱。
この長大な期間の初めから終りまでには随分な変化がある。
同一視できる筈が無い。
平安から鎌倉にかけての御恩と奉公云々で、遥か後年、西洋から近代艦隊押寄せる幕末を説明しようというのも相当な馬鹿。
166日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:35:29
文盲がどうとか論証がどうとかでギスギスした言い争いしてる連中は、
どっかよそでやってほしいね。
167日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:37:33
162もしみじみと低脳だな。
先づ同じ話を何度も書くな。
荒し行為だ。
次に、それは動員か?
動員という言葉の意味が判っているか?
更に、それは主攻か?それとも助攻か?言葉の意味が判ってから喚け。
168日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:39:30
学術が嫌なら出て行ってね。
このスレを馬鹿に乗っ取らせはしないぞ。
169日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:39:33
>>167
負け犬は消えろwwww
170日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:40:18
毎度の事ながら文盲は一瞬で負けちゃったんだね
171日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:45:04
>>170
記憶の抑圧は出て来なくていいぞ。
172日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:46:01
抒上により、旗本勢は島原の陣に主攻でも助攻でも動員されていない
一切、全然動員されていない
第一、動員令が発せられていない
あるというなら出してみろ
勝手に兵を動かせば家は断絶身は切腹
尤も、誰も勝手に兵を出しはせぬがな

わくわくしたのに残念だったな
これからは罵り喚く暇に勉強せよ

173日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:46:42
>>167
思わず吹き出したじゃないか。


174日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:50:05
例えば昭和十何年だかに発せられた「第五動員の甲」というのは全国規模で、殊に西日本で大規模だった。
何十万人召集されたか分らない。
これが動員というものだ。
文盲故に語義が分らなかったんだな。
何事も基礎学力が肝心だ。
175日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:50:23
>>172
記憶の抑圧とはお前のことだ。

いつ「旗本」を「旗本勢」にすり替えたんだ?

176日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:50:53
訳も無く吹き出すものは狂人w
177日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:52:41
>>174
関係無い話題を持ち出し引用して
自己弁護は見苦しいぞ。

178日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:53:57
妄想乙
旗本に置換えても全く同じ

但し戦争は個人でするものではない
必ず旗本勢を構成するから、そういう反論自体低脳の証

でも、まあ此処は「旗本」で応じてやってもいいぞ
別段論旨に変更の必要も無し
179日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:59:59
族に旗本八万騎という。
直参知行三百万石から概算してこの数字は当らずといえども遠からずであろう。
この八万騎中、一人や二人出掛けて行っても、旗本が動員された、とは到底いえない。
そののこのこ組も動員はされていない。
お役で出向いただけ。
そもそも動員令が出ていないんだから何を喚いても仕方が無い。
無い動員に応召のしようが無い。

因みに旗本は大番を中心に編成されている。
勿論一組、一兵もも動いていない。
180日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:04:26
動員の語義は、国語辞典を見れば書いてある。
ここでも歴史理解以前に、文盲の国語力欠損が足を引っ張ったな。
181日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:06:21

「動員」で屁理屈こねて見苦しさにも程がある。
他にも旗本が参戦しているのは前スレでも書いてるんだがなw

そんなに口惜しいか♪
182日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:09:07
>>179
言い訳がましいぞ。
183日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:11:01
そもそも参戦の話はしていないし、参戦は動員ではない。
又、参戦したかどうかも疑わしい。
戦場にいれば皆参戦と言う訳ではない。
これは例によって参戦という言葉の意味が分らないのだろう。

とまれ、旗本は八万騎いる。
一人や二人で、旗本が動員された、というのが詐欺的論理。
旗本は一人も動員されていない。
動員令無しに動員はありえない。
184日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:13:30
「族に」とは何だ?
スペクターか??
185日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:16:16
付言すれば、一人や二人で、或はその百倍でも、主攻も助攻も成立たない。
決死籠城の数万人を相手に、胡麻粒ほどの人数で如何なる作戦も取り得るものではない。
助攻作戦というのは、例えばインパール作戦に対する雲南助攻作戦の如し。
中将の指揮する数個師団が投入されている。
これも例によって語義が分らなかったんだな。
文盲だから。
186日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:16:23
>>183
トンチンカンなこと言ってんじゃねーぞ。
187日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:18:13
大東亜爺か。
188日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:19:23
 以上の次第で、島原の陣に旗本は一兵も動員されていない。
「動員」
 それは動員令の発令、執行である。
 何れも全く為されていない。
 動員されて島原へ赴いた者は一人もいない。
189日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:23:12
インパール作戦は成功したのかね。
190日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:25:33
 稀に島原の陣頭に立った者があっても全体の千分の一も居らず、これを以て旗本が動いたように言うのは、消防署の方から来ました、とゆう詐欺師の言動。
 第一、動員された者ではない。
 動員は一切為されていない。
 ゼロ、である。
 平時の御役から派出された役人が戦場に赴いても、戦闘任務であったかも疑わしく、仮にこれを肯定しても動員ではない。
191日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:31:25
論点の捏造だろ
お前の駄文は。

192日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:34:16
抽象論は止めれと叫んでる怪人がいるが、学問とは抽象化作業だよ。
ここは学問板。
学問が嫌なら趣味板へ逝って良し。
193日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:41:54
やっぱり文盲は吹飛んだw
何時もながら鎧袖一触。
194日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:44:18
>>193
記憶の抑圧だなお前の症状は。

195日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:48:54
反覆こぴぺ荒し↑
196日本@名無史さん:2008/03/24(月) 01:51:42
次は徳川将軍が代々従一位太政大臣淳和奨学両院別当源氏長者である話で文盲を踏み潰す事だろーw
197日本@名無史さん:2008/03/24(月) 02:01:41
幕府派遣軍

上使・御書院番頭 板倉重昌(800人)
上使・筆頭老中  松平信綱(1500人)
副使・      戸田氏鉄(2500人)

198日本@名無史さん:2008/03/24(月) 02:26:35

寛永十五年一月七日
目付兼松弥五郎左衛門正直が将軍徳川家光の命を諸将に伝えてるんだがな。

199日本@名無史さん:2008/03/24(月) 08:37:26
でも旗本は動員されていない。
200日本@名無史さん:2008/03/24(月) 09:21:18
ここの皆さんが邪険にするからなのか、平安貴族スレに本郷さんが出てきてしまいました。
何か内容が違うから別人かもしれませんが。
201日本@名無史さん:2008/03/24(月) 09:50:17
↑ どこが学問なの? 分りやすい荒しだね。
202日本@名無史さん:2008/03/24(月) 10:07:25
文盲は学問と無縁。
字が読めないんだから。
罵り喚いて荒すだけ。
203日本@名無史さん:2008/03/24(月) 12:20:01

背伸びして旧字も間違いだらけの記憶の抑圧。
204日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:24:32
「動員」か否かは全く問題にならない。
島原の陣における徳川幕府の軍事機構の中枢で直属士官である旗本が
有効に機能していたのは史実である。

言葉尻で屁理屈こねくり回してるんじゃねーぞ。


205日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:06:44
 もともと動員の話をしているのに今更何を言う。

 論者は、旗本の根本義が判っていない。
 旗本とは、主君の旗の本、すなわち本陣の備え、直属の親衛軍である。
 旗本どころか大名も限定的動員しか為されていない状況だから、将軍は当然出馬しない。
 将軍自身が出馬しないのに親衛隊たる旗本が動く筈が無い。 
 旗本は、将軍家の馬前に従う。
 故に、島原の陣に際しても江戸で将軍の旗本を固めた。
 将軍が江戸を動かぬ以上、旗本も動かない。
 大番が江戸城の他に大阪城や二条城を固めるのも、そこが将軍の持城だからだ。

 なほ旗本は有効に機能もしていない。
 八万期の殆ど全部が江戸で空しく脾肉の嘆をかこっていたのだから。
 そもそも旗本を有効に活用するような段階ではない。
 それぐらいなら譜代大名を動員する。

 旗本は士官でもない。
 士官という言葉が分っていない。

 こうした無知の重層構造の上に初めて御三卿が大名だの、武士が金を卑しまぬなどという珍説愚説が飛出すのである。
206日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:14:47
>>205
前スレから続いてる島原の陣の話題は「動員」が論点ではない。
ここに及んですり替えるんじゃないぞ。

だから記憶の抑圧と言われてしまうんだ。
世間で恥書かぬ様、以後慎むがよい。
207日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:17:22
>>204
ぼけ!
百姓一揆の鎮圧如きに将軍が出馬するか たわけwwww
208日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:32:34
>>205
笑わすんじゃないぞ。

「無知の重層構造」←0が幾つ重なっても掛け合わせても構造を成す訳ねーだろ。


209日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:00:35

副使・石谷十蔵
長崎奉行・榊原飛騨守
目付・兼松弥五左衛門正直
船手・向井将監忠勝の嫡子五郎八正俊
府内目付・牧野伝蔵→佐賀鍋島軍軍監
府内目付・林丹波守→筑前黒田軍軍監
鈴木重成→松平信綱に従い出陣(一番乗りの武功を顕彰される)
書院番・中坊長兵衛時祐→松平信綱に従い出陣
天野長三郎長重→松平信綱に従い出陣(後に島原の陣に従軍した旗本の最後の生き残りとして五代将軍綱吉から賞賛の声を与えられる)
上使・三浦志摩守正次
服部半蔵→松平信綱に同行

旗本ではないが譜代大名水野勝成は将軍家光直々のお声掛かりで6000の兵を率いて参陣している。


210日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:19:25
なんで島原の乱の話題を延々と続けるのか理解に苦しむ。

おまえら、スレタイが読めないの?
そんなに島原の乱を語りたければ、島原の乱のスレ立てればいいのに。
211日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:22:14
交代寄合スレなんだから、交代寄合を語りたい者が来た場合は、そっちを優先すべし。
とりあえず、スレの趣旨を忘れさせないために貼らせてもらう。
どうしても気に入らないなら、スルーするか他所へ行け。

交代寄合といえば、このサイトは必見
よくまとまってると思う。
 ↓
KUBOの家系城郭研究所
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/sub1-1.htm

212日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:22:58
上記サイトより

(1)交代寄合表御礼衆
 *松平家の一門・譜代
  ○三河新城7000石 菅沼家
  ○下総飯笹6000石 松平(久松)家
  ○三河西郡4500石 松平(竹谷)家
  ○駿河久能1800石 榊原家(越後高田藩本家)
  ○遠江気賀3459石 近藤家
 *旧織田・豊臣系
  ○出羽矢島8000石 生駒家(元大名)
  ○備中撫川5000石 戸川家(元大名)
  ○美濃岩手5000石 竹中家
  ○大和田原本5000石 平野家
 *中世以来の豪族
  ○常陸志筑8000石 本堂家
  ○近江朽木4770石 朽木家(丹波福知山藩本家)
 *旧守護大名系
  ○但馬村岡6700石 山名家
  ○近江大森5000石 最上家
 *大名の分家・一族
  ○越前白崎3000石 金森家(美濃郡上八幡藩分家、本家は改易後旗本として存続)
  ○陸奥横田5000石 溝口家(越後新発田藩分家)
  ○豊後立石5000石 木下家(豊後日出藩分家)
  ○備中成羽5000石 山崎家(讃岐丸亀藩分家、本家は断絶)
  ○肥前富江3000石 五島家(肥前福江藩分家)
  ○日向飫肥2000石 伊東家(日向飫肥藩分家)
  ○播磨福本6000石 松平(池田)家(備前岡山藩分家、元大名)
213日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:23:40
(2)交代寄合衆
 *那須衆
  ○下野福原1000石 那須家(元大名)
  ○下野佐久山3500石 福原家
  ○下野芦野3016石 芦野家
  ○下野森田1300石 大田原家
 *美濃衆
  ○美濃多良2300石 高木(西)家
  ○美濃多良1000石 高木(東)家
  ○美濃多良1000石 高木(北)家
 *信濃(伊那)衆
  ○信濃阿島2700石 知久家
  ○信濃伊豆木1000石 小笠原家
  ○信濃山吹1115石 座光寺家
 *三河衆
  ○三河松平440石  松平家
  ○三河大崎607石 中嶋家
214日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:24:32
(3)その他に「四州」に準ずる家として次の3家があった。
  ○上野新田郡120石 岩松家
  ○肥後米良無高 米良家
  ○三河長沢300石 松平(長沢)家
215日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:32:56
これ↑も反覆コピペ荒し。
自分勝手な香具師だ。
216日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:52:33
>>205
封建制・近世前期の島原の陣に 中央集権・近代の軍事用語「動員」を
引っ張り出して来て 
お前 頭ダイジョーブか??
217日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:11:24
当代は陣触等と呼んだが、意味は同じ。よって↑こーゆー香具師の頭は大分足りない。
218日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:26:37
 動員無しに戦争は出来ない。
 かかる動員への依存度は、即応性の乏しかった当代の方が、現代より甚しい。
 現代戦は常時臨戦態勢だから、動員の余地は乏しいのである。
 自衛隊だって現役二十五万に対し動員の余地は予備自衛官の六万しかない。
 これに対し第二次大戦以前の軍隊は四万の米陸軍が動員されて八百万に膨れ上がるという圧倒的依存度であるから、動員無しに戦争は出来ない。
 だから二十世紀まで、動員は宣戦布告を意味した。
 江戸初期も同様、否、これ以上だったのである。

 以上の動員云々関らず、旗本勢は島原に出ていない。
 将軍の御旗本、江戸を固めていたからである。
 それが旗本の本務であり、旗本の語義である。
 戦闘序列に入っていない、部隊に編成されていない文官の類が、それも八万騎中の千分の一がどうのといって旗本が島原に参陣したように言うのは欺瞞であり虚言である。
 旗本の任務は旗本勢を編成して本陣を固めること。
 将軍の旗が動かなければ、旗本も動かない。
 常に将軍の旗の下を固める、これを旗本という。
 旗が動かないのに旗本が動いたということ自体、頭がおかしい。
219日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:44:07
交代寄合の一覧
※ 須原屋版『文化13年武鑑』による

表御礼衆
菅沼家    三河設楽郡新城領主   帝鑑間詰 元丹波亀山藩藩主
竹谷松平家 三河宝飯郡西郡領主   帝鑑間詰 元吉田藩藩主
榊原家    駿河有度郡久能領主   帝鑑間詰 久能山東照宮門番 家督時に五位諸大夫任官 本家筋にあたる。
本堂家    常陸新治郡志筑領主   柳間詰
生駒家    出羽由利郡矢島領主   柳間詰  元高松藩藩主
山名家    但馬七味郡村岡領主   柳間詰  屋形号
松平(池田)家 播磨神崎郡福本領主  柳間詰 鳥取藩松平(池田)相模守家分家 元播磨山崎藩主・元因幡鹿奴藩主 初代松平(池田)輝澄は徳川家康娘・督姫男
平野家    大和十市郡田原本領主  柳間詰   賤ヶ岳の七本槍の家系
木下家    豊後速見郡立石領主   柳間詰  日出藩分家
山崎家    備中川上郡成羽領主   柳間詰  元丸亀藩分家
最上家    近江蒲生郡大森領主   柳間詰  元山形藩藩主・屋形号
戸川家    備中都宇郡撫川領主   柳間詰  元庭瀬藩藩主
竹中家    美濃不破郡岩手領主   柳間詰
溝口家    陸奥岩瀬郡横田領主   柳間詰  新発田藩分家
朽木家    近江高島郡朽木領主   柳間詰  福知山藩本家筋
近藤家    遠江引佐郡気賀領主   柳間詰  元井伊谷藩藩主
金森家    越前南条郡白崎領主   柳間詰  元郡上八幡藩藩主分家
五島家    肥前松浦郡富江領主   柳間詰  福江藩分家
伊東家    日向郡賀郡飫肥領主   柳間詰  飫肥藩分家
220日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:45:54
四衆
那須衆
那須家   下野那須郡福原領主  柳間詰  元烏山藩藩主
福原家   下野那須郡佐久山領主 柳間詰  那須衆
芦野家   下野那須郡芦野領主  柳間詰  那須衆
大田原家  下野那須郡森田領主  柳間詰め  大田原藩分家・那須衆
美濃衆
高木(西)家 美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(東)家 美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(北)家 美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
信濃(伊那)衆
知久家   信濃伊奈郡阿島陣屋領主  柳間詰 伊那衆
小笠原家  信濃伊奈郡伊豆木陣屋領主 柳間詰 勝山藩分家 伊那衆
座光寺家  信濃伊奈郡山吹陣屋領主  柳間詰  伊那衆
三河衆
松平家   三河加茂郡松平領主柳間詰 松平家庶長子家 三河衆
中島家   三河渥美郡大崎領主  柳間詰  三河衆 備中松山藩板倉家類家
四衆に準ずる家
米良家 日向児湯郡米良領主  柳間詰 無高  肥後菊池氏後裔・肥後人吉藩主相良家の扶養
221日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:47:20
その他
※ 須原屋版には、記載のない交代寄合

四衆に準ずる家
岩松家  上野国新田郡新田庄内120石 新田義貞の末裔 明治の華族令で、男爵を授かる。
222日本@名無史さん:2008/03/24(月) 20:03:51
>>218
後だしジャンケンするなっつーの。

さっき覚えたんだね♪

223日本@名無史さん:2008/03/24(月) 20:14:49
>>218
「本務」と「語義」に拘泥して史実を直視出来ない
歴史・史学を語る資格無し。

よっぽど口惜しいんだな(ぷっ)
224日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:36:15
 史実として、旗本は動いていない。
 旗が動かなかったから。

 戦時編成を採らず、陣触によらず、戦闘序列に入らず、平時の御役で、甚だしきは文官がのこのこ出張るのは出陣でも参陣でも出征でもない。
 ただの出張。
 それすらも八万騎中、稀有の例外。
 八万騎中ほんの幾人かが何をどうしようと旗本が動いたとは言えない。
 言い張る者が詐欺漢。
225日本@名無史さん:2008/03/24(月) 23:20:58
島原御陣は九州の諸侯を以て戦った。
他地域の大小名は動員されていない。
譜代大名も格別動員されていない。
況や旗本を繰出すような自体ではない。
旗本は親衛軍である。
常に君公の旗の下にある。
旗本を旗下とも書くのはこの故である。
226日本@名無史さん:2008/03/24(月) 23:26:19
219 以下は変態粘着反復こぴぺ荒し。
227日本@名無史さん:2008/03/25(火) 03:01:51
>>225
ちゃんと調べてから物を言った方がいいぞ。



228日本@名無史さん:2008/03/25(火) 06:02:10
「動員」なる言葉を使って史実の捏造を試みても
識者を笑わすだけだぞ。

「動員」なんかどうでもいい。
実戦参加の事実が史学では重要である。

「動員」、百歩譲って「陣触」は上意下達の手段でしかない。

自称大學教授はこのスレの皆から嫌われ(実社会でもそうだろうが)無視されている
原因が己にある事を冗談抜きに真剣に受け止めた方がいいぞ。





229日本@名無史さん:2008/03/25(火) 09:41:08
教授は良いことも言ってるんだけどね、的確な指摘もあるし、
ただ原則論に拘りすぎなのと、時代の変化に無頓着なのが欠点。
230日本@名無史さん:2008/03/26(水) 00:35:47
旗本は島原の陣で実戦に参加していない。
そもそも出陣していない。

国語辞典にすら「旗本 大将の本陣にいる武士」とある。
大将のいないところに旗本がいるという発想が狂的。
231日本@名無史さん:2008/03/26(水) 01:31:21
>>230
太平洋戦争では近衛第二師団がスマトラ島メダンに出征しましたが?
そのときには大元帥陛下もスマトラ島にいらっしゃいましたっけ?
232日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:21:37
1.近衛は近代国民軍であり、旗本ではありません。辞書を牽いても、大将の本陣にいる武士、とは書いてありません。
2.大元帥陛下は武家の棟梁であられず、陣頭に立たれる筈がありません。
3.近衛2Dは戦時急編の予備兵団であり、原隊が近衛であるに過ぎません。
4.近衛2Dは動員され、戦闘序列によって出征しております。
5.近衛2Dは二万余の大軍であり、予備にもせよ近衛を冠する兵力全体の一半を占めるのですから、この出陣を以て近衛が動いたと称するのは、八万騎中の僅か数人を以て旗本出陣したと称するような露骨な虚言ではありません。
  若し近衛2Dの数人がスマトラへ出張したとしても、近衛が出陣したは申せません。
233日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:30:30
軍目付や使番は島原に行かなかったの?
234日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:31:15
6.近衛2Dは全作戦の主力を担う主戦部隊です。何もしていない島原の旗本とは違います。
235日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:31:55
軍目付=使番
236日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:45:31
軍目付=使番が島原へ行ったかどうかなど論じていない。
島原に旗本は出陣していないといっているのだ。
237日本@名無史さん:2008/03/26(水) 10:20:10
>>236
論じてなかったのか。横から入って悪かったね。
238日本@名無史さん:2008/03/26(水) 10:36:39
>>236
鈴木重成
石谷十蔵
榊原飛騨守
向井五郎八正俊
牧野伝蔵
林丹波守
中坊長兵衛時祐
天野長三郎長重
三浦志摩守正次
服部半蔵

ちょっと調べただけで 彼等が島原に出陣した事実が判明する。
彼等は旗本じゃないのか?

いい加減 妄想珍説を開陳するんじゃないぞ。
239日本@名無史さん:2008/03/26(水) 11:19:14
旗本以外の何者でもないね
240日本@名無史さん:2008/03/26(水) 11:42:17
>>230
しつこいなあ。
言葉に多義性(複数の意味)があるのは珍しくない。
「旗本 大将の本陣にいる武士」としか書いてない国語辞書など、欠陥辞書だよ。
(そんな辞書があるとも思えず、単にこの馬鹿が他の意味を見落としているか、屁理屈こねるために無視しているだけだと思うが。)

別の辞書も参照するとか、もう少し広い視野を持てないようだと、馬鹿さらすだけだよ。
241日本@名無史さん:2008/03/26(水) 18:13:44
まだ、島原の乱の話やってるのか?
旗本の話題の派生的な話題としてやるのならともかく、ここまでしつこくやるとスレ違いだぞ。
そんなに島原の乱にこだわって語りたいなら、専門スレ立てればいいのに。

一部の固定客だけでスレを占有して、一見さんお断りみたいな雰囲気は作るなよ。
古代史関係のコテハンスレみたいになりつつあるぞ。
242日本@名無史さん:2008/03/26(水) 18:43:26
島原に旗本は出陣してないなんて書かなきゃ良かったのに
243日本@名無史さん:2008/03/26(水) 19:03:15
本郷ってなんだか今の中国のようだな
空気嫁っての
244日本@名無史さん:2008/03/26(水) 23:07:40
島原に旗本は出陣してないよ
ずうずうしい嘘つきめ
245日本@名無史さん:2008/03/26(水) 23:12:58
ガリレオやコペルニクスを弾圧したような人だな。
空気は学問ではない。
学問は仮説と検証に拠る。
空気に拠らない。
246日本@名無史さん:2008/03/26(水) 23:57:33
大辞泉より
はた‐もと【旗本】
1 戦場で大将のいる本陣。本営。
2 大将に直属し、本陣を守る役目の武士。幕下(ばっか)。麾下(きか)。旗下(きか)。
3 江戸時代、将軍家直参(じきさん)で、1万石未満、御目見(おめみえ)以上の武士。

247日本@名無史さん:2008/03/27(木) 00:08:00
>>244
黄色い救急車に連れてってもらえ。

記憶の抑圧かどうか診断してもらえ。

まあ、そのまま収容されるだろうがなw
248日本@名無史さん:2008/03/27(木) 00:26:05
ガリレオもコペルニクスも弾圧されてないよ
ずうずうしい嘘つきめ
249日本@名無史さん:2008/03/27(木) 03:23:23

旗本・天野長三郎長重は後年、五代将軍徳川綱吉から島原に出陣した旗本の
最後の生き残りとして直々に賞賛の声を与えられている。

紛れもない史実である。


250日本@名無史さん:2008/03/28(金) 10:04:27
同じ話を何回するのよ。
壊れた蓄音機じゃあるまいし、見るからに低脳だなw
251日本@名無史さん:2008/03/28(金) 11:06:46

論破されて
口惜しいか♪
252日本@名無史さん:2008/03/28(金) 11:25:12
>>250
ばかだね。
同じ音を繰り返し再生するのは 蓄音機が壊れてるんじゃなく
音盤(レコード盤)に傷もしくは異物が付着して
針飛びを起こすからなんだぜ。
よって お前の負け。
勉強になったか?
253日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:07:44
余計なこと書かなきゃいいのに。
254日本@名無史さん:2008/03/28(金) 14:14:21
ガリレオやコペルニクスの伝記を読みなさい
255日本@名無史さん:2008/03/28(金) 14:23:53

スレ違い 荒らし
256日本@名無史さん:2008/03/28(金) 16:41:25
>>252
本当にこいつは馬鹿だなあ。
「壊れた蓄音機」・・慣用的な隠喩の典型じゃんか。そういう意味で正しい日本語だよ。
辞書の使い方も小学生以下だし、隠喩へのツッコミも幼稚園レベル。
もっと勉強したほうがよいぞ。
257日本@名無史さん:2008/03/28(金) 17:22:53
>>256
涙がでるほど口惜しいんだな♪



258日本@名無史さん:2008/03/28(金) 17:35:37
>>256
お前友達いないだろ。
ムキニなって反発して(ぷっ)
259日本@名無史さん:2008/03/28(金) 18:10:20
「♪」はキモ杉るからやめてほしい
260日本@名無史さん:2008/03/31(月) 23:15:22
罵り騒ぐ文盲w
>>256 は飛入りだと思うが、論旨は正鵠を射ている。
261旅姿三人男:2008/03/31(月) 23:38:11
高木家(交代寄合美濃衆)陣屋遺構、大垣市上石津町郷土資料館
262日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:23:46
正鵠は得るものなんだけどな
263日本@名無史さん:2008/04/02(水) 00:34:07
また頭の悪いことを
ちゃんと調べて書きなさいよ
264日本@名無史さん:2008/04/02(水) 17:20:08
>>256
釣れてたのは別の外道雑魚か・・・
265日本@名無史さん:2008/04/03(木) 21:42:18
↑外道雑魚
266日本@名無史さん:2008/04/03(木) 22:17:55
ここは不思議と武揚なんたら氏は出没しませんね。
互いのテリトリーを荒らさないって言う暗黙のルールでもあるんですか?
267日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:22:06
武揚なんたら・・・
最近、城関連スレでも荒らし始めてるよ。
268日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:32:03
>>263
・正鵠を得る(せいこくをえる)[=射る」
 ものごとの急所や要点を正しく押さえている。核心を突いている。
 類:●的を射る●肯綮(こうけい)に当たる●当を得る
 ★「正鵠を射る」とも言うが、本来は「正鵠を得る」。
 
http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien03/sa13.html
269日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:57:55
↑をクリックしたら、危険なサイトです云々、というウィルスバスターの警告表示が出た。
 悪質な荒しだな。
270日本@名無史さん:2008/04/04(金) 20:24:25
まあどっちも自己顕示欲が異常に強い単なるかまって君なのは間違いないよなあ。
歴史知識披露するのは構わないがかまってくれなかったり意図に反するレス貰ったときの
荒らしぶりはコテの中でも群を抜いている。
ある意味才能だな。
271日本@名無史さん:2008/04/11(金) 13:31:21
1万石の譜代大名と9000石の旗本って参勤の有無以外で差があるんですか?
272日本@名無史さん:2008/04/11(金) 18:28:40
1万石でも実収7000石くらいあるのと、9000石で実収2500石くらいでは大違い。
273日本@名無史さん:2008/04/11(金) 19:03:19
19世紀に加増なし高直しで7、8000石程度の旗本が3家ほど大名になっている。
幕府内部のでの扱いは違うが領主としての本質は大差がないと思われる。
もっとも維新後は天国と地獄、かたや華族、9500石の旗本も最終的にはただの士族。
1万石丁度ないし1万石強の大名の数に比べて、8000石以上の旗本ってあまりいない。
推測だけど実高が7,8000石ある場合は何か事情がある場合を除いて
概ね1万石と認めたんじゃなかろうか。
実際維新後届け出された実収がかなり少ない大名も相当数いる。
274日本@名無史さん:2008/04/11(金) 21:32:11
そうなるとなぜ横田は
275日本@名無史さん:2008/04/11(金) 22:00:54
なにか功績が少々不足だって言う見解だったんだろうな。
わざわざ9500石なんかにしたのは何か意味があるんだろう。
平安中期には正五位上と言う位階はほとんど使われなかったが、
左右中弁に差を付けるために左中弁が従四位下、右中弁が正五位上
になった例がある。
それと同じような理由で同時期の一万石か九千石の誰かと
差を付けるために500石が付加または減らされたのかも?
276日本@名無史さん:2008/04/11(金) 22:24:47
表高1万石でも収穫高7000位しか無い大名ザラにいるでしょ?
収納高なんか悲惨・・・
277日本@名無史さん:2008/04/11(金) 22:34:36
職制も三千石くらいになると小大名と大して変わらないらしい。
まあ人数は少ないし多少簡素だろうけど本質的には同タイプらしい。
278日本@名無史さん:2008/04/12(土) 07:24:21
根拠を書きなさいよ
279日本@名無史さん:2008/04/12(土) 09:18:46
>>278
人口50万の市も5万の市も、組織機構はあまり変わらない。
そういうのは参考にならないかな。
280日本@名無史さん:2008/04/12(土) 09:53:48
つくばね社「資料が語る江戸期の社会実相100話」日本風俗史学会編
と言う本で読んだんだが、
明治時代に発行された雑誌「旧幕府」第4号に収録された「旗本風俗」
と言う一文があるそうだ。執筆者は元五千石級の旗本らしい。
それによると家臣は百俵前後の家老を筆頭に側用人・奥用人・納戸役・地方役人
・蔵本締・目付役・吟味役等の役職が有る。給人・中小姓は役職?格式?
下の方は徒・足軽・仲間で、仲間は渡り者ではなく在所の雇い入れ。
奥向きの方は老女・側女(側室)・小姓・祐筆・呉服の間の役職有り。
もう少し大身になると医師・絵師・武芸師範とかも居るそうだ。
交替寄合池田家の分家三千石の池田家や、親類でやはり三千石の下間池田家には、
小大名に準じた家法があるそうで、組織もそれなりにあったのだと思う。
281日本@名無史さん:2008/04/14(月) 08:34:24
山名は維新後に1万石に高直しして大名に列して男爵だったっけ?
御三家の付家老は維新後一応諸藩に列したみたいな。
高禄の旗本では高直しして諸侯に列した例無いよね?
282日本@名無史さん:2008/04/14(月) 09:23:26
高家大沢家がやろうとして一時は華族になったが、水増しが発覚して処分された。
海だったか湖だかで魚が捕れるとか抗弁したそうだからまさに水増し。
283日本@名無史さん:2008/04/14(月) 13:24:19
詐欺で逮捕されたんじゃ?>高家 大沢
5000石程度でも高直し男爵結構いたから7000石以上の超上級旗本なら
実高一万石以上ありそうなんだが。
284日本@名無史さん:2008/04/14(月) 15:28:45
>>283
高直しが詐欺なんよ大沢の場合
浜名湖の水面まで田地に仕立てて石数を増やした
285日本@名無史さん:2008/04/14(月) 19:03:28
近代に突入する時期に、なぜ領内の人口でなく石高なんて時代遅れの指標を選んだんだろうね。
漁獲にしても、小物成として実収入の一部を占めていたのはどこの藩でも同じなわけで、特に
東国では田地以外に畑地による諸作物で石高の帳尻を合わせるのが普通じゃなかったっけ。
286日本@名無史さん:2008/04/14(月) 19:42:28
>>284
諸侯昇格は明治元年(慶応4年)の話
封建時代の最後の話だと考えよう

明治2年の版籍奉還で諸侯・公卿とも廃止され華族になった
堀江藩は明治元年大沢基寿に新封1万石→2年廃藩除封
近代は版籍奉還以後と思えばよい
287日本@名無史さん:2008/04/14(月) 20:04:56
江戸幕府も終末期の頃に蒔田家(備中:7700石余)、牧野家(越後:6000石)、
本多家(三河:9000石)が山稜修理の功績か何かがあって高直しで大名に。
288日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:46:10
>>287
その3家は「江戸時代から大名だった家」ということで子爵になれたの?
289日本@名無史さん:2008/04/15(火) 08:20:41
高直しを認められて1万石以上になったからです。
290日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:31:05
御一新前からの諸侯かどうかが、子爵と男爵の分かれ目。
蒔田、牧野、本多などは終末期とはいえ、江戸時代のうちに諸侯に昇格した。
一方、山名などの交代寄合は維新後に新政府に帰順して、立藩を許された。

ほんの数年のちがいだが、維新前か後で差が生じた。
291日本@名無史さん:2008/04/17(木) 23:57:12
附家老家は元々譜代大名格なのに男爵。
江戸時代は一万石の大名よりも格上だったのに可哀相。
292日本@名無史さん:2008/04/18(金) 06:12:14
×江戸時代は一万石の大名よりも格上
○江戸時代のはじめは一万石の大名よりも格上

いつの間にか、江戸城に附家老の詰間はなくなってしまいますた
293日本@名無史さん:2008/04/19(土) 08:21:15
正鵠の鵠は弓の的の意。
射るが正しい。
294日本@名無史さん:2008/04/19(土) 11:23:33

水も温み 今のシーズンは朝から喰いもいいね。
釣り針はガマカツ3号で餌は鶏がらで撒き餌無しでもOK。
295日本@名無史さん:2008/04/19(土) 11:28:45
>>294
害魚はキャッチ&リリースしちゃ駄目なんだって。
処分するか食するかだけど気持ち悪くて食べられないよねー。
陸に放置して自然に帰してあげましょう。
296日本@名無史さん:2008/04/19(土) 12:54:13
横田筑後守の9500石というのは、いかにも中途半端だな。
500石くらいケチらずに加増してやればよかったのに。
297日本@名無史さん:2008/04/19(土) 14:33:08
敢えて大名にしないっていうのも何か作為があるんじゃないの?>>296
加増しなくても高直しって言う手もあるしね
298日本@名無史さん:2008/04/20(日) 23:46:42
正鵠を射た意見を書こう
299日本@名無史さん:2008/04/21(月) 12:49:16
参勤交代する微禄の大名よりも経済的には豊かじゃない?
6000石以上の超高禄旗本。
300日本@名無史さん:2008/04/21(月) 15:43:40
経済的な話だけだと格式が上がるギリギリよりちょい下の石高がおいしいらしい。
2700石くらいとか、900石くらいとか。
旗本の場合700石くらいだとあんまり堅苦しくなくて気楽だったらしい。
あくまで武士としてはだけど。
301日本@名無史さん:2008/04/21(月) 22:03:16
そうなると横田は
302日本@名無史さん:2008/04/22(火) 01:19:32
ウィキペ見ると、吉良氏が維新後に知行地のあった長生郡寺崎へ移住したと
あるんだけど、その場合どうやって生計立てていたんでしょう?
303日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:07:21
名主の家や寺に居候するとか、土地を分けてもらって農業経営するとかじゃないの?
小栗上野介も帰農したとき、寺に居候して晴耕雨読の生活をめざしてたようだし。
304日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:49:49
旗本の場合はあまり酷い収奪とかしていなければ結構領民が親身になってくれたらしい。
若い頃に妻が行儀見習に出ていたりするからだろうか?
305日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:57:04
交代寄合って言っても5000石以上の名実共に準諸侯と下級の100−1000石程度の土豪上がりだとかなり違うと思うけど。
下級交代寄合ってどういう生活していたんだろ?
306日本@名無史さん:2008/04/23(水) 06:11:39
>下級交代寄合
長澤松平家はたちの悪いヤクザそのものでした。
307日本@名無史さん:2008/04/23(水) 06:16:38
>>305
下級交代寄合は本陣に泊れたのかな?
308日本@名無史さん:2008/04/23(水) 06:48:04
本陣は公務で旅行する人間なら通常の旗本でも泊まれたわけだから、当然泊まれたと思うが。
309日本@名無史さん:2008/04/23(水) 13:29:31
下級交代寄合も従5位下の官位貰えたの?
400石の4州あたりなら格式も大名並み?
江戸屋敷もでっかいのかな
310日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:56:46
旗本でも重職につけば従五位下を貰ってるしね。奉行とか。
でも交代寄合は正式の叙任されたのはほとんどいなかった気がする。
基本的に役職に任命されなかったし。○○守とかよく名乗ってるけど、
読んで字のごとくただの「名乗り」。

ただ榊原家だけは当主は従五位下、諸大夫になったはず。
311日本@名無史さん:2008/04/24(木) 00:47:44
× 従五位下、諸大夫

〇 従五位下諸大夫
312日本@名無史さん:2008/04/24(木) 00:50:53
税制が土地に乗っかってるんだから、石高を基礎にするのは当然。
人口は関係ない。
313日本@名無史さん:2008/04/24(木) 01:47:56
百姓が逃げたら米も作物も採れない。
314日本@名無史さん:2008/04/24(木) 07:42:18
>>312
一体どのカキコに対するコメントだよ
315日本@名無史さん:2008/04/24(木) 07:44:28
たとえば500石級の旗本の知行所一村が丸ごと逃散したら。
316日本@名無史さん:2008/04/24(木) 08:30:24
そのクラスだと一円支配ってことはあまりないですけどね。
大概相給で同じ村に他にも領主が居ます。
317日本@名無史さん:2008/04/25(金) 08:22:36
一円も支配も一円支配も中世用語であって、江戸時代を語るに相応しくない。
何百年分も頭がずれている。
318日本@名無史さん:2008/04/25(金) 11:21:56
なんかつまらん揚げ足取りだな。
中世と江戸時代が何百年も隔たっていてたまるかヴォケ。
319日本@名無史さん:2008/04/25(金) 11:24:28
つーか、「支配」は近世どころか近現代の政府の体制でも使われる用語じゃないのか。
320日本@名無史さん:2008/04/25(金) 13:43:39
相給の場合の年貢の取り方ってどうなるんですか?
@庄屋が一括して村民から徴収して、領主の石高・税率に応じて案分?
A百姓Aは領主αの領民、百姓Bは領主βの領民という形で人ごとに区分?
B土地ごとに区分。
 百姓Aは領主α・βの領地を耕しており両方に納税。
 さらに領主γに年貢を収める百姓Cの土地の一部を購入し領主γにも納税。
Cその他
 以上のどういうやり方でしょうか?
それと相給の場合で税率が極端に違ったりすると、
ABの場合高い方の領民だけ逃散したりしませんか?
Bの場合だと裁判の管轄とかも気になりますね。
複数の領主にまたがる場合は幕府が初審から裁定?
321日本@名無史さん:2008/04/25(金) 14:32:03
>>317
ああ、じゃあ学術用語としては一円知行と分散知行、同時代の用語としては一給と相給、とでも言えば満足かい?w
322日本@名無史さん:2008/04/25(金) 14:38:44
>>320
確か一般的には(1)だったように記憶してるが。
そうでないと関東や畿内の村のように十三給とかだと計算がややこしくなりすぎる。
と言うか、一給でも年貢は基本的には村請。逃散が出れば残った百姓が分担してとにかく村請の年貢高になるようにする。
できないような不作の年には村から支配役人へ申し出て毛見取もしくは定率を下げることにより払える分まで村請高を下げ
てもらうことになる。
323日本@名無史さん:2008/04/25(金) 15:54:57
基本は土地による区分。一つの村に複数の領主がいる場合は、それぞれに別の庄屋を
置くのも珍しくない。更には、地主と小作人の関係でも、わざわざ田んぼに縄で区切りをして、
収穫の段階からそれぞれの取り分を別に扱うということも行われていた。

田には上上田から下下田まで格付けがあり、更に水利関係やらなんやらで毎年の収穫量が
田ごとに異なる。農民の努力の度合いによっても異なる。農民と田畑の双方が検地によって
領主に所属しているのは当然。

関東の場合は、旗本領の幕府代官への委託が進んでいたらしいから、代官が手間を省く
ために石高割りを旗本に了承させていた可能性はあるかもしれないけどね。
324320:2008/04/25(金) 16:41:17
>>322
でたらめ乙。>>323を信じる。
325日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:19:18
俺は前スレで >>323 が言うように 

>旗本領の幕府代官への委託が進んでいたらしいから・・・・・

同じ内容のカキコミをしたら なんたら偉そうな奴に攻撃否定されてしまって
このスレに参加するのが嫌になっていたが最近そいつが来ないので復帰します。

関東に限らず、西国筋郡代の支配地でも委託が行われていたのが「天領日田」日田市史
(昭和五十年代に日田市が刊行)の記述でも覗えます。
326日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:35:16
>>325 ですが
港湾整備も幕府郡代の役目だったらしい。
豊前中津小笠原家の領内の港を文政年間に塩谷郡代が掛屋広瀬久兵衛に
命じて整備させたそうです。

327日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:42:53
幕府って威張ってるイメージが強いけど
旗本・諸侯の世話もしてたんだな。
328日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:44:19
320ですが、324はわたしじゃないですよ。
>>322さん、>>323さんご回答ありがとう御座います。なかなか複雑なようですね。
仮に@だとした場合、
A村では税率40%の領主αと45%の領主βが相給、
B村ではαと35%の領主γが相給とかだと、
村民の立場から見れば、領主が違っても同じ村なら税率は同一、
逆に同じ領主でも別の村だと税率が異なることになり、
それはそれで奇妙な感じもしますね。
それと別に領主が異なる土地の所有は非合法じゃないですよね。
そうすると極端な場合5人も6人も領主の土地を耕作している地主がいたりして、
その人物に対する人身支配はどうなるんだろう。
ああ面倒くさい。
ひょっとして領主の違いって、少なくとも平常時は現代の市町村の違いほども意味がない?
329日本@名無史さん:2008/04/25(金) 23:11:58
江戸後期から幕末までの期間、幕府中枢は近代国家へのトライを何度もしているな。

蝦夷地幕府直轄地化、上知令、主要港湾(新潟柏崎など)の支配、海防掛の設置など
結局反対派に押されて撤回された政策も多いけど。

明治維新がなければパープリンの封建家臣団をお払い箱に出来なかったのだろう。
330日本@名無史さん:2008/04/26(土) 05:13:50
江戸300諸侯は独立小国家であり当時の日本は分裂国家だったと基地外が自説を
開陳していたが それは間違い。

諸侯・旗本は主君である徳川将軍家の斡旋により官位・官職を授けられ徳川将軍家より
武功・勲功・忠勤の対価として領国・知行所を安堵され封じられ加増されたことは
言うまでもない。
封建諸侯・旗本およびその家臣団は本質的に軍事組織であり領国・知行所支配の最大の
目的は軍役の維持であり、兵糧・軍用金の確保・備蓄であった。
行政は封建領主の義務というより税収の安定化さらには増収の為の施策であり民生を考慮して
のことであろうはずもなかった。
故に封建領主の領国・知行所支配の本質は主君である徳川将軍家への忠義・御奉公であったのである。
「鉢植え大名化」がそれを証明している。
近世封建制が室町以前のそれと異なるのは守護(在京も多く実際は守護代を派遣もしくは現地採用)は転勤族であるのに対し
地頭系の国人はまさしく根付きの土豪であったことだ。
中世以来の重層的な土地支配の構造を変革させ得たのは軍事力の効率化の必要性であったことを忘れてはならない。

封建制とは縦の関係であり「まかされている」のであって独立では決してない。
敢て言うならば「独自性」である。
近世封建制とは封建制の最終進化形であると言える。
331日本@名無史さん:2008/04/26(土) 07:27:47
>>329
そこに並んでいる項目って、本当に近代国家への移行を目指す動きだったのか。
単に幕府財政立て直しが目的じゃないのか。どう考えても幕藩体制解消には
つながらんと思うが。
332本郷 義昭:2008/04/26(土) 09:11:27
一応近代国家への胎動であったといってよいでしょう。
大公儀の目指すところは幕威の回復、幕権の強化であって、財政再建ではありません。
かつての三大改革は財政に比重がありましたが、文久の改革等はより深刻な危機感に基く根本的改革でした。
武家は銭勘定で成立つものではありません。
幕府は金を儲けて成立した訳でなく、赤字で潰れた訳でもありません。
何の検討も無く突然に財政立て直しが目的だと言い出すのは多分に妄想です。
333日本@名無史さん:2008/04/26(土) 13:58:30

封建諸侯が地方分権自治体だと勘違いしている愚か者は

まだいるのかな?

334日本@名無史さん:2008/04/26(土) 14:54:16
さあ、どうだろう?
文治政治移行後の幕府はトラブルが発生しない限り外様系大名領の政治に直接介入してないし、ほぼ幕府に準拠した
(もしくは老中等の領地ではテストケースとして少し先駆けた)法体系・行政システムを持っている譜代大名は別としても、
旧族系外様大名の領内では幕府と異なる法体系・行政システム・課税率でやってたからなぁ。
江戸時代における封建諸侯は、地方分権とまでは言い切れないがどう考えても中央集権ではあり得ないと思うんだが。
現代で最も似ているのは、合衆国(対外的外交権を持つ幕府を連邦政府、地方政府である藩を州)じゃないかと。

で、自称「愚か者ではない」>>333はどう思ってるの? 自分の考えは表明することなしに他人にいろいろ書かせておいて、そ
れを上から目線で片っ端から愚か者呼ばわりしながら腐すのに徹するつもり?
335330:2008/04/26(土) 19:08:21
>>334
う〜ん 合衆国ね・・・
幕藩体制は連邦国家の形成でもないですし
封建諸侯はその成り立ちがどうであれ、主君たる徳川将軍家から領国・知行所の
支配を「まかされていた」訳ですから。
封建諸侯の領内での法体系・行政システム・課税率は主君徳川将軍家から見れば
どうでもいい話で天下の御法度に触れなければ「よきにはからえ」でしょう。
まあそれが領国経営の「独自性」とでも言えるでしょう。
武家による封建制の本質は武功第一の忠義・御奉公ですから。
336日本@名無史さん:2008/04/26(土) 19:42:16
奈良本辰也も、二十数年前に旺文社から出た通史の幕末の巻のまえがきで、
「徳川合藩国」という表現を使ってたな。
337日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:46:26
>>306
どんな事をしたのですか?
338日本@名無史さん:2008/04/27(日) 00:11:41
かつあげ
339日本@名無史さん:2008/04/27(日) 06:48:24
>>337
大名行列が橋を通るときに先回りして、葵の御紋を大きく染めた布を敷いて通れなくし、
言い掛かりをつけて通行料をむしりとるとか。矛先はもちろん大名だけじゃなくて、
一般庶民にも平等に同じことをやっていた。
340日本@名無史さん:2008/04/27(日) 07:01:57
外様の旗本もいたんだよねー
なんか感覚的に納得いかないものがあるが
譜代じゃなくても万石以下の領主でお目見えできれば旗本なわけで
こいつら感覚的にどんな感じだったんだろ
「天下の直臣!」っておもってたんだろうか
それはそれで譜代のれんちゅうからみたら「ぷぅw」って感じだよね

あとTVで「たこ」が悪口なのは旗本が御家人を「お目見え以下」と馬鹿にしたのが詰まって
いかと読んでいたのが悔しくて御家人が「旗本はたこ」と対抗して言ったのが起源っていってたけどマジですかー

なんか900石ぐらいの領地ありの江戸住み旗本が武士で一番江戸期を謳歌してそうだ
341日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:11:48
900石は中途半端だな。旗本の線引きは3000石と10000石だから。
342日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:42:34
外様の旗本ほど不安で危険な存在はないだろう。
誰かさんの「大将の旗の下説」を採るならば寝首を掻かれかねない。
語源がそうであれ徳川将軍家の直臣の家格としてのカテゴリー。
343日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:51:50
誰でも大将の旗の下説。
辞書にも書いてある。
344日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:52:15
>外様の旗本
旗本は、たとえ外様大名の分家でも加増されて大名になれば譜代だぞ。
345日本@名無史さん:2008/04/27(日) 09:59:33
じゃあ 関ヶ原以前、江戸入府以来の線引きは嘘?
346日本@名無史さん:2008/04/27(日) 10:04:23
外様大名はダウンサイジングして一旦武装解除すれば
新規召抱えとしての解釈?
347日本@名無史さん:2008/04/27(日) 10:18:58
>>344
大友家分家の立花宗茂は関ヶ原で改易後、浪人から一気に筑後柳川の大名に
返り咲いている。
破格の取立てだが外様大名としての処遇はどう説明する?
348日本@名無史さん:2008/04/27(日) 11:11:37
>>347
一気に制度ができあがったわけじゃないからなぁ。丹羽長重なんかもそうだけど過渡期のお話ってことでくくれないか?
あ、それから一気にじゃないぞ。大坂の陣ころは陸奥棚倉の大名だった。
柳川復帰は箱物やり過ぎて大坂の軍役が果たせなかった田中忠政が無嗣改易になってからだ。
で、その後に丹羽長重が入って棚倉城を築城したわけだ。
349日本@名無史さん:2008/04/27(日) 15:55:34
>>347
別に>>344のケースと矛盾しているようには見えんが。気に入られたから譜代になるべきという
発想自体がよく分からん。
350日本@名無史さん:2008/04/27(日) 18:46:45
封建領主は司法立法行政殊には外交軍事を専断し独自の小国家を率いている
351日本@名無史さん:2008/04/27(日) 19:30:30
>>350
いつのじだい?
352日本@名無史さん:2008/04/27(日) 19:32:37
>>350
どこのくにのはなし? おばかさん
353337:2008/04/28(月) 10:44:05
サンクスです
やくざが代紋を言いたがるのはこういう所からきているのかもしれませんね
354日本@名無史さん:2008/04/28(月) 14:03:38
また根拠なき妄想を
355日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:32:00
>>354
350 のカキコミをどうおもいますか?
356日本@名無史さん:2008/04/28(月) 16:35:55
立花って若年寄までいるけどなんで?
357日本@名無史さん:2008/04/28(月) 19:02:42
>>351 封建時代
358日本@名無史さん:2008/04/28(月) 19:58:59
>>356
三池藩の立花種周だね。初代藩主が>>344のケースそのままじゃん。
359日本@名無史さん:2008/04/28(月) 20:10:39
>350
>封建領主は司法立法行政殊には外交軍事を専断し独自の小国家を率いている

そりゃ封建領主ではなくて独立国家の君主だ。
360日本@名無史さん:2008/04/29(火) 00:28:32
だからそういってるんじゃないの?
361日本@名無史さん:2008/04/29(火) 00:44:53
>>360
ばか?
362356:2008/04/29(火) 00:53:51
>>358
そうだね。サンクス
363日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:53:24
>>360
どこの国の話かしらないけど
世界史板へ池ば?
364日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:49:55
教授。
「衝撃の事実 士農工商はなかった板」で基地外供が喚いております。
如何致しましょう?
365日本@名無史さん:2008/04/29(火) 19:00:12
>基地外供が喚いております
本郷も仲間だから、意外と気が合うんじゃないだろうか
366日本@名無史さん:2008/04/30(水) 09:04:02
>>355

正しい。
客観的事実そのまま。
というより、正しくないと思うならそのわけを書かなきゃ。
367日本@名無史さん:2008/04/30(水) 11:19:50

自演 乙。
368日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:32:12
ではそう決め付けるわけを書かなきゃ。
369日本@名無史さん:2008/05/01(木) 09:13:27
文盲の負け
370日本@名無史さん:2008/05/01(木) 10:31:32
>>369
自ら負けを認めたかw
恥という文字だけは読めないにしろ意味は分かるみたいだなw
短い文章の中に君のクズなりに残った良心を感じるわ(爆)
371日本@名無史さん:2008/05/01(木) 10:43:24
>>366>>368
どっちが正しいか考えたいので、両方とも書いてよ。

>>365
喚いてるのが本郷だと思ってたよ。
372日本@名無史さん:2008/05/01(木) 17:33:26
>>350 が何時の時代で日本なのか外国なのか明記せずに述べているので検証しようがないが
このスレの「直臣の世界 交代寄合」の視点で考えてみる。

先ず封建領主の本分は主君である徳川将軍家への忠義と御奉公である。

>司法立法行政
領国支配の目的は軍役の維持・兵糧の備蓄をもって主君たる徳川将軍家に忠義と御奉公を尽くすことにある。
従って司法立法行政は副次的なもので全てにおいては忠義・御奉公に優先される。

>殊には外交軍事を専断し
外交を異国との交わりを言ってるのなら天下の御法度に触れるので有り得ない。
他の封建領主とのことを言ってるとしても封建諸侯家同士の婚姻に関しては武家諸法度の定めにより
幕府への届出無しに専断することは出来ない。
軍事に関しても幕府への届出無しに築城は愚か石垣の修理ひとつ出来ない。
また兵を動かす場合、主君の陣触れが必要であり勝手に兵を動かせば謀反である。

>独自の小国家
まあ主君より「まかされてる」ので「独自性」があっても構わない。
領国が小国家と言えなくもない。

近世封建制の極極初歩的なところでミスが多いな。

373日本@名無史さん:2008/05/01(木) 23:33:57
ヨーロッパの封建制社会における王権に比べると、江戸幕府の力は強いと思う。
あっさり改易が行えた江戸幕府と、戦争を行わなければ諸侯の取り潰しなどできなかったフランス王権の比較なんかも面白そう。
374日本@名無史さん:2008/05/02(金) 05:26:34
>373
フランスも時代とともに王権が強化されたけどな。
100年戦争が終結により最大外様・アンジュー家を排除し、
さらには最大親藩・ブルゴーニュ家取り潰し後は
江戸幕府とそうかわらんだろ。

それよりも、それこそ諸侯が「司法立法行政殊には
外交軍事を専断し独自の小国家を率いてい」たドイツなんかどう?
375日本@名無史さん:2008/05/02(金) 07:28:47
>>374
ひとくちにドイツと言っても広い。
広義のドイツ語文化圏は東はハプスブルク帝国から西はアルザス地方、北はバルト海沿岸の
旧ドイツ騎士団領から南はアルプス地方まで。
神聖ローマ帝国は皇帝が徳川将軍、諸王侯が大名、ユンカーがそれ以下の武士に相当し
ローマ皇帝は天皇といったところか。
376372:2008/05/02(金) 07:32:23
>>366
俺の考えは述べている。
今度はお前の番だぞ。

377日本@名無史さん:2008/05/02(金) 10:41:49
欧州封建は中世であり、本邦江戸時代は近世。
本質的に違う。
378日本@名無史さん:2008/05/02(金) 12:08:57
>>375 訂正

×ローマ皇帝→○ローマ法王
379日本@名無史さん:2008/05/02(金) 14:39:26
>>373
> あっさり改易が行えた江戸幕府と、

それも平和な時代が続くにつれて、改易どころか転封すらできずに発案者の老中が失脚する体たらくに。
380330および372:2008/05/02(金) 21:34:18
>>366 >>379

君には論説能力が無いのか?

それとも気分で思い付きを言っただけなのか?
ここは学問板だ。自由な論争は大いに結構だが、自己責任があることを忘れるでないぞ。
381日本@名無史さん:2008/05/02(金) 22:05:11
>>379
岡山って外様だろ。
382日本@名無史さん:2008/05/02(金) 22:32:17
制度・法律・慣習がどうだろうと結局は相互の力関係次第。
中央権力が相対的に地方権力より相当程度に強ければ取りつぶせるし、
そうでなければ出来ないだけ。
同じ政権でも時期よって出来たり出来なかったりするのは当たり前だし、
同じ時期でも相手によって出来たり出来なかったりするのも当然。
383日本@名無史さん:2008/05/02(金) 22:42:30
>>382
具体的な論説を求む。
384日本@名無史さん:2008/05/02(金) 22:49:35
個々の領主は潰せるが全部の領主を潰して官僚制による統治に切り替えることは出来ない。
なんで中世(近世も?)だけこうだったの?
なぜ古代に出来たものが中世は不可能だったのか?
385日本@名無史さん:2008/05/02(金) 23:06:11
>>384
軍事と深い関係があると思うぞ。

律令軍団は弱かった。蝦夷攻略で数万人も動員して数千人の蝦夷に相当手こずっている。
前九年・後三年の役の源氏軍は清原氏及び坂東武者が主力。
まさに「一所懸命」の働き。
386日本@名無史さん:2008/05/03(土) 05:11:07
まあ律令を手本とした大唐帝国は社会主義皇帝制(実は矛盾しない)国家だからな。
現在の中華人民共和国もその伝統の流れを受けている。
東アジアの社会主義は西欧の空想的社会主義や科学的社会主義とは異質なもの。
387日本@名無史さん:2008/05/03(土) 11:44:44
言ってる事は分るが、君主制と社会主義は両立しない
細部のみを見て大局を見誤ってはいかん
388日本@名無史さん:2008/05/03(土) 12:07:32
>>374
フランス王権が江戸幕府なみに強くなった時代って、もう封建社会が終わってないか?
389日本@名無史さん:2008/05/03(土) 14:57:08
その通り。
377をよく読め。
390日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:28:28
>>389
逆に考えてみることもできる。
江戸時代は本当に「諸侯が司法立法行政殊には外交軍事を専断し独自の小国家を率いていた」
社会だったのかね。確かに封建社会でも王権が強かったイングランドみたいな例はあるが、
江戸時代の中央政府(江戸幕府)はフランス絶対王政下の王権に等しい強力な力を持っていたわけだ。

そう考えてみると「江戸時代は地方分権的な封建社会」という一般論も、少々再検討の余地がある。
391日本@名無史さん:2008/05/03(土) 16:32:05
ない。
封建は本質的に分裂国家。
392日本@名無史さん:2008/05/03(土) 16:57:03
もう抽象的な理論でバトルするのはいいよ。
前にもこんな論争でスレを私物化してる何人かの連中がいたけど、
またそいつらが暴れてるのか?
393日本@名無史さん:2008/05/03(土) 16:59:48
ちょっと油断してると、すぐ旗本とか交代寄合の話題から脱線して、
派生的な話題から抽象的な理論で神学論争やりたがる厨(実年齢はオッサン?)が多いな。

論争屋、うぜえええええええええ。
394日本@名無史さん:2008/05/03(土) 17:56:54
「え」をだらだら並べられるよりはましだけどね
395日本@名無史さん:2008/05/03(土) 19:09:27
>>393
このスレを旗本・交代寄合の情報ソースにしてる人には申し訳ないけど
学問・研究は基本的に孤独で能動的なもの。

ネット掲示板は情報交換および論争の場だから
先ず、自己の既存の知識や研究を提示して賛否を問うことこそ
学問の精度を高める姿勢だと思うんだがな。
396330および372:2008/05/03(土) 19:37:36
>>391

公方様への忠義と御奉公があつての封建領主。
それを「分裂」とは言わない。

取り潰された諸侯家は忠義と御奉公が足りなかっただけで
存続した諸侯家は「一所懸命」に忠義に励み、御奉公を尽くした。
ただそれだけ。

まあ時代が降りるに従って末期養子の禁を緩和したり、参勤交代の期間短縮など
融和的政策が目立つようになるんだけどな。
397日本@名無史さん:2008/05/03(土) 20:54:16
まあ、2chごときで本気になって学問的論争をやろうなんて勘違いはやめて、
もっと気楽に旗本を語ろうぜ。

学問をタテに一部の人間でスレの私物化、占有、乗っ取りはやめてほしいわ。
398日本@名無史さん:2008/05/03(土) 21:49:17
ここは学問板なのだから、↑のような放言こそ私物化、乗っ取り
399日本@名無史さん:2008/05/03(土) 23:07:38
本気で学問やるなら学術論文で自論を開陳すればよい。
2chの歴史系板は学問板とはいえ、実質、趣味や娯楽として歴史を楽しむ場だ。

常連のギスギスした論争で、一見さんお断り状態のしゃべり場にするなよ。
400日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:00:43
>>381
水野忠邦の三方領地替えに岡山なんて出てきません。
401日本@名無史さん:2008/05/04(日) 12:49:00
>>399
データをコピペするスレがそんなに楽しいか?

2ちゃんで情報を得ようとする性根が浅ましい。
402330および372:2008/05/04(日) 12:56:23
>>400
水野忠邦の三方領地替えを論じてみてください。
403日本@名無史さん:2008/05/04(日) 13:39:55
岡山と水戸と仙台。ある種の価値観における御三家をシェイクさせて様子を見ようとする計画。
404日本@名無史さん:2008/05/04(日) 16:20:24
>>402
松平大和守家・・・領地が分散してて効率悪いなぁ。そもそも前橋からの避難民だし川越はイモ臭いからやだし。本当は
           姫路に帰りたいけど無理みたいだから今よりいいところに行きたい。義理の息子を通してパパに頼んでも
           らおう。
牧野備前守家・・・新潟警備に金がかかって仕方がない。川越行けると次は老中かな。・・・でも、川越も江戸湾警備して
           なかったっけ?(結果的には動いた方がよかったのかも。いくら河井が基地外でも、江戸の傍で武装中立
           なんてことは考えなかったろう)
酒井左衛門尉家・・・えー、長岡かよ。領地半分じゃん。添地で補填してくれるって言うけど飛び地だと効率悪いじゃん。
             それに、本間家が貸した金返せって言い出したらどうするんだよ。
水野越前守・・・上地令のテストケースとして成功させないと。うまくいけば川越の次期当主のパパである将軍からも支援射
          撃をしてもらえそうだし。
征夷大将軍・・・紀五郎ちゃーん。水野に頼んでよくしてあげるから待っててねー。
本間様・・・貸した金返せよ。踏み倒して引越しとか許しませんよ。

・・・というそれぞれの思惑がぶつかって、最後は本間様が勝利して水野が失脚した話。

>>403
基地外と基地外と基地外を混ぜてどうしようってんだ?
405日本@名無史さん:2008/05/04(日) 17:42:56
>>404
>基地外と基地外と基地外を混ぜてどうしようってんだ?
お前みたいに突き抜けたシロモノができるかもしれないじゃないか。
406330および372:2008/05/04(日) 19:41:56
>>404
天保11年の三方領地替え計画の頓挫に本間家が関与してたとは新説だな。

俺の見解では天保9年に将軍が家斉から家慶に代替わりしてるので天保の改革の
前哨戦として将軍家慶の存在感誇示が背景にある。
水野忠邦は計画の頓挫で結果的に主君に忠義を尽くしたことになる。
正しくは天保の改革は家慶・忠邦コンビで進められたということだ。

天保11年の三方領地替え計画は後の上知令とは無関係であるといえる。
407日本@名無史さん:2008/05/04(日) 21:05:18
小説を真に受けた奴が本間家とか言ってるだけだろ
408日本@名無史さん:2008/05/04(日) 21:43:14
>>406
関与したくもなるだろ。移封時に借金踏み倒しなんてのは三都の商人相手には使えないが国許の商人には有効な手段だ。
そもそも酒井に代わって庄内に来ることになっていた松平大和守家は踏み倒しの常連だ。
踏み倒し以外の得意技には苛斂誅求で一揆を発生させるってのがある。
白河時代にも全領一揆が起きてるし、姫路でもちょうど前橋転封は一揆発生の真っ最中だ。
おかげで、次に姫路に来た酒井雅樂頭家が最初にした仕事は一揆鎮圧。
白河みたいな不作地で一揆起こすならまだしも、姫路みたいに実入りのいい所で一揆とはどういう政治してたんだか。
もっとも、それもこれも2代目の殿様を一代に7、8回も動かしてる幕府のせいだ。
外様ならともかく、親藩をそんなに弱体化させてどうする。
409330および372:2008/05/04(日) 23:18:49
>>408
君の記述は、言い方が酷だけど時系列が滅茶苦茶だ。

それと前スレでも書いたが
諸侯の領国支配の本分は忠義と御奉公であり、行政は副次的なものである。
さらに上意に従い速やかに退去・入国することは不思議なことではない。

入国・城受け取りに関して戦闘フォーメーションで行うのは武家の作法であるので
酒井雅楽頭家は勤めを果たしたと言えよう。

親藩といえども当主が幼少などの理由で減封・転封されるケースがあった。
410日本@名無史さん:2008/05/05(月) 01:22:24
幕末において尾張・越前などの大身の親藩は裏切り者揃いなので
彼等こそ弱体化させておくべきだった。
なぜか外様の伊達・南部が最後まで佐幕派だったのは不思議。
411日本@名無史さん:2008/05/05(月) 03:07:29
だってお隣が佐幕派だって言うんだもん、仲間外れは嫌だもん
412日本@名無史さん:2008/05/05(月) 09:02:54
譜代大名も「直臣」には変わらないけど、交代寄合でも旗本でもないよな。
譜代大名ネタはまあいいけど、そこから派生して抽象的な論争に持っていくなよ。

と、長文厨や論争屋に釘をさしておく。
413日本@名無史さん:2008/05/05(月) 10:15:32
諸侯では佐竹・南部・細川・喜連川・小笠原
交代寄合・旗本では最上・山名・吉良・一色・岩松・由良・武田・などなど

清和源氏棟梁源頼信に一番近い系統はどこだろう?
便宜的に慶安年間の時点でということで
414日本@名無史さん:2008/05/06(火) 09:47:21
>>413
嫡流に養子が入ってない系統だろうな。
415日本@名無史さん:2008/05/06(火) 10:45:51
分類すると
新羅三郎義光流    武田(傍流)・佐竹・南部

足利一門       喜連川(関東公方)・吉良・細川(分家の傍流)・最上(斯波氏庶家)・一色(傍流)
           今川(吉良家分家)・畠山(庶流河内畠山家)

新田一門       山名・新田岩松・由良・横瀬(?)

頼朝落胤(?)    島津(分家が宗家化)・大友(?)
416日本@名無史さん:2008/05/06(火) 11:19:45
追加
新羅三郎義光流    小笠原(南部と同じく甲斐源氏分流)
417日本@名無史さん:2008/05/06(火) 11:32:30
>>415
順当なところでは吉良か喜連川だろうけど

う〜ん へたすると
佐竹が源氏の正統となってしまうのか。
418日本@名無史さん:2008/05/06(火) 11:52:23
喜連川は江戸時代、全然関係ない家から養子が入ってたから、
正統というのもなんだかな。

明治以降は水戸斉昭の子孫だし。
419日本@名無史さん:2008/05/06(火) 16:34:14
やはり吉良はそれなりに血筋が良くて威張ってたわけだ。
420日本@名無史さん:2008/05/06(火) 18:26:04
>>418
喜連川の分家に、高家旗本の宮原という家があった。
ここは足利尊氏の血をちゃんと引いている(途中一回だけ、女系で血をつないだことがあったけど)。
421日本@名無史さん:2008/05/06(火) 20:06:53
>>420
正確には古河公方の分家だね。ただし管領上杉家に養子に入った足利晴直が宮原家の祖というこだな。
そして宮原義久が武田勝頼の娘と結婚して古河公方家と甲斐武田家の両方の血を残してるんだね。
しかし、嫡子は宮原 庶子は穴山を名乗ったそうだ。
422日本@名無史さん:2008/05/09(金) 17:28:31
中将って言ったら大名でも伊達薩摩位だろ?それ以下の国持ちは少将か侍従
吉良って凄いねえ。
423日本@名無史さん:2008/05/09(金) 19:40:55
>>422
高家は官位が高かった。
官位じゃなくて位階だけど、神主もやたら高かったらしい。
村の鎮守の神主が、位階では領主と同格だったりしたらしいよ。
424日本@名無史さん:2008/05/09(金) 20:34:21
>>422
AHO?
425日本@名無史さん:2008/05/09(金) 20:36:56
源氏の名門佐竹家は源氏氏の長者の徳川将軍家を心の底ではどう思ってたのだろう?
426日本@名無史さん:2008/05/09(金) 23:52:09
>>423
官位が高いと言っても、吉田家発行の偽官位だし・・・。
427日本@名無史さん:2008/05/10(土) 00:43:13
高家とは裏腹に交代寄合家は官位・官職を叙されない者が大多数。
万石以下なのに参勤交代・軍役・手伝い普請は大名並に義務。
徳川譜代家臣がほとんど居ないのは 交代寄合家でいることが正に苦行荒行であったことを物語っている。

まるで罰ゲームのようだ。
428日本@名無史さん:2008/05/10(土) 04:24:11
>>427
山名氏は従五位下因幡守
429日本@名無史さん:2008/05/10(土) 11:29:29
>>428
山名氏は稀有な例であるが、かつての「六分一殿」が従五位下因幡守とはあまりにも官位・官職が低すぎる。
諸大夫層の最下位である。
山名氏の祖である山名三郎義範は八幡太郎源義家の曾孫であり、得川四郎義季の兄であって新田宗家に次ぐ
家格である。
因みにその後没落した山名豊国は豊臣秀吉の御伽衆(足利義昭もいる)になっている。
豊臣家を滅ぼした徳川家にとってみれば新田一門を僭称する以上、山名家の処遇には気を使ったのだろう。
同族であり室町期の名族の体面を保てる最低ラインが諸大夫層の最下位だったのだ。
430日本@名無史さん:2008/05/10(土) 12:31:02
室町期も分家の山名家ってその程度の官位じゃ?
431日本@名無史さん:2008/05/10(土) 14:56:28
山名氏宗家の血筋は誠豊の代で途絶えるが但馬守護家は右衛門督、因幡守護家は中務少輔で存続。
交代寄合の山名家は因幡守護家なので従五位下は妥当なところだろう。
山名氏宗家を受け継いだ但馬守護家は豊臣家とともに大阪の陣で滅んでいる。
ただし但馬守護家落胤が清水家として幕府旗本として存続している。

因幡守護家の豊国が徳川家康に謁見したとき山名氏宗家相伝の羽織を着用していたこと
「上乗輿白無垢着金紋先箱爪折傘」使用の免許を得ていることから、幕府から山名氏宗家
を黙認されていたのだろう。
432日本@名無史さん:2008/05/11(日) 10:02:29
学問とは抽象化作業である
433日本@名無史さん:2008/05/11(日) 10:18:02
一部の学問では、対立する学者への中傷作業がメインである
434日本@名無史さん:2008/05/11(日) 10:32:31
それは2chでの自称研究者や院生崩れどもの泥仕合を見てれば納得できる。
435日本@名無史さん:2008/05/11(日) 16:47:01
10万石以下の外様大名の官位なんか従五位下で一生固定だから山名の官位は妥当でしょう?
436日本@名無史さん:2008/05/11(日) 18:16:31
全盛時の山名宗全が従三位右衛門督だが正統とされる但馬守護家は豊臣家とともに滅んでるからな。

斯波家の本宗家武衛家の極官は従三位左兵衛督であるが歴代当主は従四位下から正四位下が多い。
その斯波家の分家の最上家は屋形号を許され最盛期の義光は出羽の太守として従四位上に叙されている。
足利一門とは言い難いが義光の曾孫である義俊は最上家改易後、従五位下侍従の交代寄合として最上家の存続を許されている。

官位・官職に造詣の深い人ならばもうお解かりだと思うが従四位下と従五位下との間には途轍もない壁がある。
高家とは違い交代寄合は罰ゲームだったと思う。
437日本@名無史さん:2008/05/11(日) 19:28:50
武家官位は昇進ってことがあまりないから個人的には見ていてつまらない。
438日本@名無史さん:2008/05/11(日) 22:15:37
「何も足さない 何も引かない ただひたすら現状維持」これが交代寄合家の醍醐味だろ。
439日本@名無史さん:2008/05/11(日) 22:56:45
スレ違いだが由良が高家は絶対納得できねー。
440日本@名無史さん:2008/05/12(月) 07:39:15
だから392は無学文盲の言い分
441日本@名無史さん:2008/05/12(月) 08:22:00
>>339
そうだね。
俺にも由良が高家である根拠がわからない。
岩松から実権を簒奪した横瀬が由良に改名し将軍足利義輝に接近して「毛氈鞍覆・白傘袋」
の免許を得ているが屋形号を許されたとは史料に見えないし由良成繁の刑部大輔補任もあやしい。

由良氏は成繁から代々信濃守を名乗っているが従五位下侍従の高家旗本とされたのは
三代将軍徳川家光の勘違い(由良が新田一門)とえこひいきの賜物だな。
442441:2008/05/12(月) 08:31:37
>>439 へのレスの間違い。 スマソ
443日本@名無史さん:2008/05/12(月) 10:20:12
御供衆
444日本@名無史さん:2008/05/12(月) 11:20:01
高家、交代寄合って室町期の名門家を5000石程度で飼い殺して織豊大名や譜代の成り上がりから見て罰ゲームと言うよりも良い晒し者って感じか?
1000石いかない奴らは問題外かw
445441:2008/05/12(月) 11:31:21
御供衆は足利尊氏の挙兵に随身した岩松家であり家格は御相伴衆。
岩松家純の子息明純は室町将軍の外様衆となっている。
この時点で横瀬国繁は岩松家の筆頭家老でしかない。
446日本@名無史さん:2008/05/12(月) 17:18:25
下克上は関東から始まった。
一般的には応仁の乱の後動乱が全国に拡がったとされているが
実際は 将軍足利義教の永享の乱鎮圧、それに続く結城合戦において鎌倉以来の武家が没落している。
逆に両上杉家は勢力を拡大しているのだ。
その要因として関東管領上杉家が他国者浪人(他豪族の被官)を多く召抱え戦力としたことが挙げられる。
鎌倉将軍の側近として東下してきた公家出身の上杉家は家臣団の層が薄かったからである。
結城合戦は我が国にパラダイムシフトを引き起こした事件として記憶されるべきであろう。
447日本@名無史さん:2008/05/12(月) 17:59:21
信長・秀吉・家康の戦国後期末期よりも
享徳の乱・応仁文明の乱の戦国初期がマニアにはたまりません。

448446:2008/05/12(月) 18:18:56
長尾景虎の長尾家が正にその良い例。
三浦系の相模国の弱小武士だった長尾家は関東管領上杉家に拾われその被官となり
永享の乱・結城合戦・享徳の乱と主君上杉家と供に勢力を拡げ家宰や守護代を輩出し
関東・越後に一族を扶植していった。
まあ上杉謙信は典型的な成り上がり者といったところか。
岩松家における由良家も同じようなもの。

449446:2008/05/12(月) 21:36:56
話がスレから逸れてしまって申し訳ないが
滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」は読み物として 没落から再興を果たす名門武家側の視点で
描かれていて興味深い。

史実では源氏の名門里見氏(新田一門)は結城合戦の後一時途絶えている。
「里見代々記」によれば里見家基は落城のおり討死しているが嫡子義実は三浦から舟で安房に
逃れ一代で安房を切り従えたというのだが真偽の程はわからない。
この逸話は安房里見氏と大新田氏里見家を結びつける仮冒の可能性がある。
安房里見氏が惣領制崩壊と下克上により安房一国の支配者となり権威の正統性を新田里見氏に
求めたと解釈するのが適切であろう。
後に江戸時代、大久保長安事件に連座して当主忠義は国替え減封さらに死亡をもって御家断絶となった。
嗣子が居たにもかかわらず高家・交代寄合として生き残れなかったのは少なくとも幕府から安房里見家
の系図が仮冒と看做されていたと考えるのが妥当であろう。

最後に滝沢馬琴の一連の作品は判官贔屓の日本人の心に訴えかけるエンターテイメントだと捉えるべきだろう。
450日本@名無史さん:2008/05/12(月) 23:22:38
>>441
横瀬氏は横山党の出自だもんね。
横山党は小野氏子孫を名乗ってるが、これすら
仮冒と言われてる。
そして主家に下克上して新田氏から高家。
うまくやったと言えばそうだけど、高家衆の
中で居心地良かったのかね?w
まあ、旧守護家出身等の高家は分かるけど、あと織田氏
なども高家にはあんまり、、、そんな気はするが。

446の書いてる里見が高家に残らなかったのも色んな理由
有るんだろうけど、むしろいくら北条氏に支配されて
いたとは言え、千葉氏あたりが高家に残れなかったって
のも不思議だね。
小田原役時の当主は北条氏政の子だったけど、直系の
子孫はまだ居たんだし、血筋から言っても高家当確と
思うんだが・・・。
余りに江戸に近すぎる名族大名だったから警戒されたの
かな?

451日本@名無史さん:2008/05/14(水) 23:38:30
たしかに江戸に近い名族は幕府にとって処遇が厄介だね。
たとえ遠国に国替えしても旧領民には「お屋形様」の記憶があり、比較対象されないように
不始末で改易お取潰しの方が過去の遺物扱いということで人心一新させ易かったのだろう。

しかし太田道灌の子孫、江戸太田氏(後北条氏から寝返るが第二次国府台合戦で没落)と武蔵遠山氏は後北条氏の江戸城代を
勤めていたにも拘わらず江戸時代、徳川家臣として旨い事生き残った。
ひとえに徳川家康の側室「お勝の方」(彼女は太田資宗の叔母とされている)の影響力の賜物だろう。

江戸太田氏の太田資宗(太田氏嫡流は仮冒の可能性が高い)は五千六百石の御小姓組組頭から浜松三万五千石の大名に大出世し、
子孫は掛川五万石で明治維新を迎え、さらには静岡立藩の立退き料三千五百石プラスで転封している。

明智遠山氏については謎が多いが小牧長久手で徳川家康に属して以来、関ヶ原での武功で東美濃の旧領六千五百石を
回復しているが、後北条家臣で江戸城代であった武蔵遠山氏(遠山綱景は「お勝の方」の母方の祖父である)とは同族である。

天海大僧正(一説によると明智遠山氏)が「お勝の方」を徳川家康の側室に推挙したのは武蔵遠山氏への同族意識も
有ってのことだろう。結果的に後北条旧臣の武蔵遠山一族は旗本として江戸時代を生き残っていくこととなる。
「遠山の金さん」こと遠山景元はこの武蔵遠山一族であると伝う。

452日本@名無史さん:2008/05/15(木) 00:04:48
>>450
千葉氏も太田氏も北条氏政の子を養子に貰って当主にしてるんだね。
対上杉(長尾)、対佐竹・里見の戦略だろう。
453日本@名無史さん:2008/05/15(木) 05:10:13
由良国繁はわかるけど弟の長尾顕長は旗本?
454日本@名無史さん:2008/05/15(木) 12:28:19
>>452
てか限りなく押し付けだろうと思われ。武蔵の大石しかり
下野の佐野しかりで。
>対上杉(長尾)、対佐竹・里見の戦略だろう。
↑これは北条家側から見てよりそうだろうね。
455日本@名無史さん:2008/05/15(木) 13:57:46
小田原の陣後の豊臣政権下での由良国繁と長尾顕長兄弟は小田原籠城の咎めを受けることなく
帰参が許されたという。
二人の実母妙印尼の前田利家を介して秀吉への働き掛けが功を奏した形ではあるが、徳川家康の関東入部に際し
由良国繁は常陸国牛久五千四百三十五石へ領地替え(先に本領安堵の約定があった為牛久は代替地)されることになる。
妙印尼及び兄弟二人連名宛の秀吉の朱印状は残されているが由良家の処遇に関するもので足利長尾家については触れられていない。

徳川家康が新田流源氏を僭称しだしたのもこの頃である。当時「藩翰譜」は未だ編纂されておらず、諸家の家伝については化冒も
そのまま信じられていた状況で新田嫡流を称する由良家が家康に保護されたのだろう。
秀吉の朱印状に家康の口添えがあったと考えることも出来る。

他家(足利長尾家)に養子に出た顕長は佐竹家にお預けとなって本領を安堵されることもなく、徳川家に召抱えられることもなく
生涯を終えたと伝う。

456455:2008/05/15(木) 14:05:11
>>455 訂正
×化冒→○仮冒
457455:2008/05/15(木) 15:59:17
由良家は国繁の嫡子貞繁が相続し関ヶ原、大阪の陣で武功を上げ七千石まで所領を加増されるが
貞繁死去に際して嫡子の相続が認められず弟の忠繁が相続するも将軍家に御目見えしていなかった為
減知され所領を一千石とされている。
貞繁家が改易されて忠繁家が一千石の書院番旗本として存続したという説もある。
忠繁の長男貞房が由良家の家督を相続し書院番旗本に列していたが寛文元年内裏造営の為上洛を命じられ
参内につき従五位下侍従信濃守に叙任され高家職に就き由良家は代々高家旗本に列することになる。
貞房の息子達は長男が由良を名乗り、次男以下は横瀬を名乗っている。
458日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:31:35
>>453
長尾顕長の子は由良国繁の子と一緒にいとこ同士で
関が原、土井利勝配下として大坂の陣に参加して
そのまま代々古河藩の家老。
459日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:33:20
>>457
由良家の新田嫡流の仮冒が半分バレていたんだね。
460日本@名無史さん:2008/05/16(金) 06:46:26
土井利勝の家康落胤説もあったな。
461日本@名無史さん:2008/05/16(金) 17:01:32
鎌倉殿御一門の阿野氏は女系で堂上公家で残ってるが
男系は断絶してないはず(全成の四男・時元の系統)だが南北朝期に
消息が分らなくなっている。
武威も無いので仮冒する土豪も居なかったのだろう。

余談だが、私の友人で渡辺という人が居るが先祖は江戸時代、御徒士御家人(100表程)
だったそうだ。
名前は彼も含め男子は代々1文字で渡辺党(嵯峨源氏)の伝統を受け継いでいる。
三河渡辺党の出自だろうと思われる。
462日本@名無史さん:2008/05/16(金) 17:55:05
由良・織田辺りでも高家になれるんなら、それこそ
地方の藩士クラスでも(二本松畠山の子孫とか、千葉氏
とか宇都宮氏とかもろもろ)など、嫡流に近きゃ皆当確だよな。
要は運不運てことか。。。
もっとも上に書いた2家以外は、高家に相応しいとは思う。
もっとも日野とか公家出身は微妙に反則(?)なイメージ。w
463日本@名無史さん:2008/05/16(金) 18:26:42
高家の採用基準は上洛して参内(昇殿)資格に必要な官位(従五位下以上)に
相応しい家柄の直臣の武家ということだろう。
諸侯家(徳川親藩含む)に既に仕官していれば人事不介入の原則(暗黙のルール)
で無理だったと考えられる。
因みに豊臣秀吉は諸侯家の人事に介入しまくっている。
464日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:23:38
違うだろう。
元々高家は名家優遇策。
役は後から付いてきた。
役高家でない表高家は仕事も無い。
465日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:30:05
支離滅裂だな。
役の話なぞしていないのだが。
466日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:32:50
インチキ皇胤の大沢のどこが名家だ?????????????
467日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:37:06
>>464
自分の書いた文章をじっと反芻せよ。
そして恥じ入れ。

以上。
468日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:41:28
役でないなら採用基準などといわぬが良い
469日本@名無史さん:2008/05/17(土) 00:26:58
>>464
>役は後から付いてきた。

>>468
高家旗本は役ではないぞ。
正しくは高家職。
470467および469:2008/05/17(土) 00:33:31
>>464 >>468

自分の書いた文章をじっと反芻せよ。
そして恥じ入れ。

以上。
471日本@名無史さん:2008/05/17(土) 09:35:36
理由は?
472日本@名無史さん:2008/05/17(土) 11:03:35
話が噛み合ってないので整理しよう。
両者の言い分は其々間違いではない。

正しくは
高家は徳川幕府の職制。
役付きは裏高家 無役は表高家。
役の必要が生じて初めて表高家は任官(参内、昇殿の資格である従五位下以上 また勅使と
正式に接する時必要)して裏高家に列する。

また、1615年に将軍秀忠により石橋・吉良・今川の三家が召しだされ高家となっている。
幕末までに26家が数えられる。
表高家とは職はあるが役はないという状態の高家であるといえる。
因みに一番微禄の高家は減知後の品川家三百石である。
473日本@名無史さん:2008/05/17(土) 11:20:23
大相撲の三役とは
幕内力士としての有職者であり、三役の何れかを有帯している。
474日本@名無史さん:2008/05/17(土) 11:38:11
付け加え
大関・関脇・小結は職制ではなく、職制上は幕内力士(区別する為に他を平幕力士と言うが)。
故に番付が上下(昇進・降格)する。
役は序列であると解釈するのが妥当である。

横綱は神の領域、よってしめ縄で神位を現わす。
475日本@名無史さん:2008/05/17(土) 12:22:59
裏高家?奥じゃね?
476日本@名無史さん:2008/05/17(土) 12:26:15
>>475
ご指摘ありがとう。
ミスでした。訂正します。

×裏高家→○奥高家
477日本@名無史さん:2008/05/17(土) 13:18:27
裏高家ってなんか面白そう。対朝廷交渉の裏面で暗躍ってか。
478日本@名無史さん:2008/05/17(土) 14:40:04
今の相撲の生き神様は二人ともモンゴル人。
479日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:15:51
石橋家って、ほんとに高家になったの?
480日本@名無史さん:2008/05/18(日) 00:53:31

 × 恥じ入れ

 〇 恥入れ

481日本@名無史さん:2008/05/18(日) 01:34:43
高家というのは身分、格式です。
職ではありません。
482日本@名無史さん:2008/05/18(日) 02:03:19
>>481
職(しょく)ではなく(しき)。

室町の古制では 三管領四職。
483日本@名無史さん:2008/05/18(日) 12:29:47
 それも違う。
 職が式なら採用もへったくれも無い。
 第一、処分可能な私権に接近する。
 また式は室町どころか、遥か以前、平安の御世の所産だ。
 式的職が江戸時代に絶滅したとまでは言わぬが、中世概念を安易に近世へ持込むのが間違っている。
 中世と近世は、全く別な時代なのだから。
484日本@名無史さん:2008/05/18(日) 13:38:59
そろそろウンチク王がウザくなってきた。
そういう議論で、また抽象的な論争に持ち込もうったって、そうは問屋がおろさん。
485日本@名無史さん:2008/05/18(日) 13:41:51
名無しになってから汚い性根が更にエスカレートしているよな。名無しとコテ使い分けて自作自演や足掻きをしていた頃よりはマシだが。
486日本@名無史さん:2008/05/18(日) 13:50:33
>>483
無学の哀れさよ・・・・・・・・・・
487日本@名無史さん:2008/05/18(日) 13:54:31

もし万一、害魚が釣れてもキャッチ&リリースしてはいけません。

陸に放り上げてそのまま放置して自然に還してあげましょう。

488日本@名無史さん:2008/05/18(日) 14:05:24
>>983
あほ?
489日本@名無史さん:2008/05/18(日) 15:26:54
新緑の季節は気持ちがいいね。
490日本@名無史さん:2008/05/18(日) 15:39:34
最近の多摩川じゃブラックバスどころじゃなく
ピラニア、アリゲーターガー、パイクなんてのも釣れるみたいだね。

2chも環境破壊が進行してるね。
生態系が破壊されればもう住めなくなるしね。
以前はレス付ける礼儀(匿名の世界だからなおさら)ってもんがあったよな。
491日本@名無史さん:2008/05/18(日) 16:06:22
そんなことより、石橋ほか名門3家を家康が任命したのが高家の起源といわれるのに、
その後の高家一覧に石橋の名前が全く見当たらないのはどういうことだ?

高家はおろか交代寄合にすら、石橋の名前はないではないか。
492日本@名無史さん:2008/05/18(日) 19:08:32
学問とは抽象化作業である
493日本@名無史さん:2008/05/18(日) 19:09:58
で、石橋はどうなったんだ?
有名な家康による石橋ほか3家任命説はガセでいいのか?
494日本@名無史さん:2008/05/18(日) 20:51:08
ブリヂストン
495日本@名無史さん:2008/05/18(日) 20:54:56
>>492
俺は ブラックが好きだな。
496日本@名無史さん:2008/05/18(日) 23:45:04
任務が無いので「任命」と呼ぶのは間違い
497日本@名無史さん:2008/05/19(月) 00:14:47
それも違うな。
498日本@名無史さん:2008/05/19(月) 00:16:18
上にある山名って、久能の榊原みたいに家督で従五位下に叙任されたの?
499日本@名無史さん:2008/05/19(月) 09:37:15
× 叙任

〇 叙位
500日本@名無史さん:2008/05/19(月) 11:12:34
それも間違い。
501日本@名無史さん:2008/05/19(月) 12:15:56
江戸時代、武家の従五位下は侍従とセットで慣例化されてたので
「叙任」という表現は間違いという程のものではない。
揚足取り対策として
「叙された」という言い回しだと無難であるな。
502日本@名無史さん:2008/05/19(月) 13:23:13
開き直る文盲
503日本@名無史さん:2008/05/19(月) 13:30:10
侍従とセットって?
504日本@名無史さん:2008/05/19(月) 13:51:17
侍従は四位相当だろw
505日本@名無史さん:2008/05/19(月) 14:17:14
>>504
初任官は従五位下侍従。それは昇進後、官職如元。
506日本@名無史さん:2008/05/19(月) 14:17:43
セットってどういうこと?
507日本@名無史さん:2008/05/19(月) 15:01:51
>江戸時代、武家の従五位下は侍従とセットで慣例化されてたので

これがよくわからん
508日本@名無史さん:2008/05/19(月) 15:14:48
官途、初任官が従五位下侍従の家格の武家。
509日本@名無史さん:2008/05/19(月) 22:26:57
で、石橋家については誰も答えられないのか?



大口叩いてるわりに、どいつもこいつもたいしたことないな。
510日本@名無史さん:2008/05/20(火) 08:50:08
大口叩いてるわりに、何も知らない奴と好一対だな。
511日本@名無史さん:2008/05/20(火) 09:51:42
>>509
お前のブラフだろw
手の内を読まれているぞ。

512日本@名無史さん:2008/05/20(火) 10:35:27
兆発して労せず知識を得ようとする魂胆ですね。
513日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:01:14
揚足取りったって完全な間違いだろ。
態度の悪い香具師だ。
514日本@名無史さん:2008/05/20(火) 21:46:11
>>513
何のことかなー
515日本@名無史さん:2008/05/20(火) 21:51:02
>>509
知りたければ図書館行けば?

俺は教えてやんねー。
516日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:11:47
石橋家がどうのなんて学問ではないな。
学問とは抽象化作業だ。

517日本@名無史さん:2008/05/21(水) 00:24:32
高家が職な筈は無い。
職なら売飛ばせる。
518日本@名無史さん:2008/05/21(水) 00:33:36
>>517

東宮職、侍従職は売り飛ばせるのかよw

ちゃんと説明するんだぞ。
519日本@名無史さん:2008/05/21(水) 09:33:45
 また頭の悪いことを・・・・
 職なら処分できる。
「しき」ならな。
 先づ読み方から勉強せよ。
520日本@名無史さん:2008/05/21(水) 09:49:02
肝煎と奥高家は「職(しょく)」だろう。
表高家は無役の「職(しょく)」なのか、
「職(しょく)」でない地位ないし待遇なのかよくわからない。
高級寄合みたないものか?
江戸時代の公的な部分で「職(しき)」なんて存在したのか?
521日本@名無史さん:2008/05/21(水) 10:35:49
>>517 >>519
お前 ウィキ見て書いてるだろ
522518:2008/05/21(水) 12:12:39
>>519

だから売り飛ばせるのかよw
523日本@名無史さん:2008/05/21(水) 14:51:37
職がしきなら売飛せる。
524518:2008/05/21(水) 15:14:00
>>481
お前、嘘ついてたな。

525日本@名無史さん:2008/05/21(水) 16:39:00
また、論争厨、抽象厨が荒らしてるのか。
そうやってスレを枯らして、何が面白いのだ?

ば〜か
526日本@名無史さん:2008/05/21(水) 21:55:49
すれっからし乙!
527日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:42:50
「しき」の定義って売り飛ばせることなのか?
家産化してても売り飛ばせるとは限らないと思うけど?
養子って形式を取るの?
って言うか「しき」と「しょく」って本当に明白に区分できる概念なのか?
あるいは当時の人はきちんと区分していたのだろうか?
528日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:04:57
札幌ターミナル出身者いる?
529日本@名無史さん:2008/05/24(土) 08:46:06
>>525 学問がいやなら学問板に来るな!

>>527 481思うけど、だけでは仕方が無い。理由を書こう。
530日本@名無史さん:2008/05/25(日) 18:23:45
分り易いしきが株式
531日本@名無史さん:2008/05/27(火) 23:22:54
厳密には可処分ということ。
それが職(しき)。
532日本@名無史さん:2008/06/01(日) 21:42:09
しばらくのぞいてなかったが、またスレ違いの話題で荒らすヤツが出て、
案の定、スレを枯らしたかw

素直に旗本や交代寄合の話題をすればいいのに、意固地な馬鹿だな。
533日本@名無史さん:2008/06/01(日) 23:16:10
罵って荒してるのはおまい↑
534日本@名無史さん:2008/06/02(月) 18:27:44
高家は旗本なのであるから、その性格を論ずることがスレ違いな筈は無い。
535日本@名無史さん:2008/06/02(月) 19:23:33
上杉家にも高家はあるぞw
チンカスw
536日本@名無史さん:2008/06/02(月) 19:32:26
荒しは所詮人格劣等↑
537日本@名無史さん:2008/06/02(月) 19:35:51
喧嘩上等!
538日本@名無史さん:2008/06/02(月) 20:47:35
wikiを眺めていたら、山名豊就なる人物が寺社奉行になってるのだが、
山名で寺社奉行になるのもありなのか。
ほかにもずらっと譜代大名が並んでいる中に、突然北条氏朝とか毛利政苗とか
でてくると何で?と思ってしまう。
539日本@名無史さん:2008/06/03(火) 12:52:24
>538
寺社奉行どころか、綱吉は山内の分家を若年寄に登用してるし例外はままあるんじゃね?
譜代色が強いとはいえ、松代の真田だって老中出してるし・・・
540日本@名無史さん:2008/06/03(火) 12:57:34
旗本なら、外様の大名の分家だろうがなんだろうが、
譜代扱い(というか差別なし)になるから分かるけどね。
541日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:13:52
綱吉時代は仙台伊達家支藩の一ノ関・田村右京大夫も完全に譜代扱いだしね
542日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:21:36
そういえば一関城って全く位置分かってないんだよね・・・と、元一関藩士の末裔が
スレチ発言をしてみる。

山名家って交代寄合だよね?寺社奉行は大名役だったと思うんだけど・・・名家だから
大名格ってのは分かるけど、財政的に勤められたのかなぁ?
543本郷 義昭:2008/06/03(火) 14:35:38
真田は関が原以前から臣従しているし、徳川将軍の血筋なんだから、外様扱いしないのは当り前。
544日本@名無史さん:2008/06/03(火) 15:26:46
真田の詰間w
545日本@名無史さん:2008/06/03(火) 16:12:19
外様扱いしないのは分かるが完全な譜代とも言い切れねーだろ。
だから譜代色が強いって断ってるだろうが。
スレの流れみても揚げ足取りばっかのようだなw
もう書かねーわw
546日本@名無史さん:2008/06/03(火) 16:55:20
真田家=願譜代
547日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:47:32
>>546
「譜代になりたいんです」と言えば願譜代って簡単に認められたの?
548日本@名無史さん:2008/06/03(火) 23:51:35
反論や指摘に遭うと拗ねる 245 はスネオ。
学問の真髄は批判だぞ。
549日本@名無史さん:2008/06/03(火) 23:54:48
もとい、545

550日本@名無史さん:2008/06/06(金) 10:51:40
役高家が文字通り役職すなわちしょくなのを、しきだと言い出す屁理屈男が流れを歪めたと思う。
551日本@名無史さん:2008/06/06(金) 19:59:16
願い譜代は、将軍家から養子を貰ったとかいうパターンでは。
552日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:06:24
一ノ関の田村家は願譜代ですらないよね?
553日本@名無史さん:2008/06/07(土) 00:49:39
>>542
釣山公園じゃないの?
554日本@名無史さん:2008/06/07(土) 02:22:42
田村家はなにかと別格扱い
江戸屋敷の表門も十万石の格式だし
555日本@名無史さん:2008/06/08(日) 03:38:12
>>551
真田家が松平定信の子を養子にしたり、脇坂家が堀田正盛の子を養子にして老中を出したのが典型的な例かな?

>>552
綱吉が一時期、外様小大名をやたら起用してた時期がなかったかと。八戸南部直政は側用人やってる。
中村藩山内豊明は奏者番から若年寄に昇進したが、辞退して綱吉の怒りをかって改易されてる。
556日本@名無史さん:2008/06/10(火) 19:42:53
>>372

 先づ封建領主の本分は武門の棟梁、小国家の主として振舞うことです。

>司法立法行政
 領国支配の目的は軍役の維持・兵糧の備蓄をもって主君たる徳川将軍家に忠義と
御奉公を尽すことにある。従って司法立法行政は副次的なもので全てに於ては忠義
・御奉公に優先される。

 大きく間違っても居りませんが、それを言うなら徳川氏の覇権にしてからが軍事
優先で、統治は同じく二の次なのです。大公儀の統治も私領主のそれも、この意味
で等価ですから、貴説の根拠にはなりません。

>殊には外交軍事を専断し
 幕府への届出無しに専断することは出来ない。・・・ また兵を動かす場合、主君の
陣触れが必要であり勝手に兵を動かせば謀反である。

 届出制は許可制と異り、自由であるということです。兵権は武家の本質です。統帥
権は確立されていました。統帥権と戦争の自由とは全く別個の問題です。大日本帝国
憲法で統帥権が確立されていても、勝手に戦争できないに同じ。だからと申して兵権
無きに非ず。発動は決心次第。徳川幕府の起るときも滅ぶときも諸侯は是を実行せし
なり。

>独自の小国家
 まあ主君より「まかされてる」ので「独自性」があっても構わない。領国が小国家
と言えなくもない。

 封建は元々主君より任された独立国です。別個の元首、別個の政府、別個の法を持つ。
毛利氏が単独で列強にし開戦し、単独で敗れる。他領主−他国は関知しない。戦争すら
独自に行い、講和条約も独自に結ぶ。高度の独立性がありました。薩英戦争も、パリ
万博も同じ。だからこそ廃藩置県で中央集権化を図る必要が有ったのです。
557日本@名無史さん:2008/06/11(水) 02:47:30
毛利も島津も攘夷開戦の根拠は幕府の命令でしょ
現地での停戦交渉で賠償金は幕府が支払ってる
必ずしも藩の単独戦争じゃない
558日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:03:40
違うな。
天朝様にせよ大公儀にせよ、その命令は全国に発せられた法令だ。
特定の領主だけが開戦し、自余は傍観した。
遵奉するもしないも君公次第。
和戦の決は諸侯にあった。
559日本@名無史さん:2008/06/13(金) 01:47:08
毛利も島津も何処からの援軍も無く、全く独力で戦っている。
単独戦争なることは明らか。
560日本@名無史さん:2008/06/15(日) 22:37:29
別個の統治単位が雲集し、各単位も百二十四万石だったり数十石だったり直轄(直臣)だったり孫(陪陪臣)だったりして支離滅裂なんだから単一国家でないのは当り前
561日本@名無史さん:2008/06/15(日) 23:45:59
だから18世紀までのドイツみたいなものだよ
ローマ法王=天皇、神聖ローマ皇帝=将軍
オーストリア=天領、プロイセン=薩摩藩
その他三百諸侯がドイツ中にいた
ハンブルクなんかは中世自治都市の堺に近い
江戸幕府は一応大政奉還まで日本一の大領主だったけど
ドイツは途中からプロイセンが皇帝を凌駕しちゃった
単一国家ではないが1つのまとまりではあった
562日本@名無史さん:2008/06/16(月) 04:23:55
558がバカなのはわかった
563日本@名無史さん:2008/06/16(月) 06:15:43
全国は朝廷の支配で、政務を幕府が代行っていう建前で統一支配してたわけだろ。
564日本@名無史さん:2008/06/16(月) 08:12:58
561は客観的把握で、或程度正しいと言えるだろう。
562は只の罵声で荒し。きちんと理由を書かねば。
563は、その政務が分裂していた事実を直視す可き。統一しはなどというものは乏しいし、「支配」の語義も誤っている。テクニカルタームは正確に使おう。
565日本@名無史さん:2008/06/16(月) 08:45:29
藩が独立した国かは、主権があるかどうかがポイントかな。
今の連邦国家の自治共和国など程度の主権しかなかったんじゃないの?
参勤交代で明確なように、将軍の臣下という位置づけだし、だからこそ大名は
幕閣にも参与するし。
566本郷 義昭:2008/06/16(月) 08:59:29
 仰りたいことは一応分りますし、反対でもありませんが、近代法概念を何百年も
昔に遡ってそのまま持込むことは疑問です。近代でも国家でもなく、近代法も存在
しなかったのですから。

 内、独自の司法立法行政権あり、外、外交、戦争権がありますから、自治共和国
程度では済まないでしょう。その権限は自治を越え、独立国としてパリ万博に参加
し、幕府の非戦政策を排して単独で列強と戦争するほどだったのですから、今の英
連邦と言っては言い過ぎでしょうが、ドイツ普通法時代は比較的適例でしょう。

 肝心なことは、これが封建の本質であり、中央集権と封建とは真っ向対立する観
念だということです。この意味で、中央集権的封建なる珍説は全く容れる余地無く、
封建の何たるかが全然分っていないと言わざるを得ません。
567日本@名無史さん:2008/06/16(月) 09:27:35
>外交、戦争権がありますから
幕府による私闘禁止、幕府の管理下での諸外国との外交は、幕末に箍が緩むまで維持された。
幕末は、いわば統制が緩んだことにより政府の閣僚が対外勢力に内通した状況だから、その
状況を根拠に江戸期一般を語るのはナンセンス。

>これが封建の本質であり、中央集権と封建とは真っ向対立する観
>念
江戸時代が封建制の下にあったという解釈自体が後世のものである以上、事実の方が
封建制で説明がつかないなら、別の解釈を用いるのが当然。
568日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:33:31
そんな高尚なもんじゃないね封建制は
封建制≒ヤクザの世界と考えれば分りやすい。

巨大組織の若頭、代貸、舎弟頭は夫々組織の首領であり その組織の若頭以下の
幹部も自らの組織を率いていて その組員・構成員は夫々縄張りを持っている。

上納金システムは天下普請だし
定期会合・襲名披露・各種祝祭式事は参勤交代その他だな。
569日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:38:18
ヤクザが表の世界仕切ってたまるかよヴァーカ
570日本@名無史さん:2008/06/16(月) 19:26:55
>>569
共産党支配の国家はそういうものだと思う
571日本@名無史さん:2008/06/16(月) 19:33:58
ヤクザが表の世界を仕切る・・・よくあること
572日本@名無史さん:2008/06/16(月) 21:01:59
ヤクザなんか政治家なんかわからん人いるし
573日本@名無史さん:2008/06/16(月) 22:21:02
封建制を今の世に継承してるのが
「極道」だと言える。

>>569 は温室育ちの未熟児?
574日本@名無史さん:2008/06/17(火) 05:31:28
暴力をもって我欲を満たそうとする人間が多数いる場合に秩序を保とうとすれば、
ただ押さえ込もうとしても反発を受けてまとまりがなくなって逆効果だから、封建
社会のような社会システムで、むしろ暴力を正当化する論理で丸め込むのが
有効な手段。前近代然り、現代裏社会然り。
575日本@名無史さん:2008/06/17(火) 10:10:36
封建制をヤクザという表現をもって批判できるのは、封建制以上に社会を安定させられる
制度が想定できる場合に限られる。

ヤクザが現代社会で嫌われるのは、単に民主政治下に置いては反社会的だから。
民主政治が想定できない前近代をヤクザ社会だと批判するのは論外。
576日本@名無史さん:2008/06/17(火) 10:17:27
北朝鮮なんかギャングが一定地域を占拠して国家を僭称してるだけだもんな。
本来なら韓国警察が取り締まるべきなんだが。
もちろん無理なのはわかってるけどね。
577日本@名無史さん:2008/06/17(火) 10:19:51
江戸時代って封建制か?
幕府に喧嘩売るのは実力差が有りすぎて無謀としても、
津軽と南部が戦争するとかくらいじゃないと封建制じゃない気がする。
578日本@名無史さん:2008/06/17(火) 10:38:05
まあ中央集権も単一の巨大ヤクザが支配する世界なんだけどね。
他のヤクザの存在が許されないだけのことで。
579日本@名無史さん:2008/06/17(火) 15:54:45
ヤクザは面子に傷をつけられると相手を殺すが、政府は自分で面子を傷つけて
構成員を貧乏にする。全く別物だ。
580日本@名無史さん:2008/06/18(水) 00:26:41
ここは学問板。
根拠を書きなさいよ。
581日本@名無史さん:2008/06/18(水) 03:29:05
また、封建制の性格がどうのこうのとスレタイから脱線した論争かよ。
論争厨はよそでスレ立ててやれよ。


旗本の話題の邪魔するな、ボケナス。
582日本@名無史さん:2008/06/18(水) 03:32:16
何としても、ここで旗本や交代寄合の話をさせたがらない意固地な厨が居座ってるな。

なんで、交代寄合って銘打ってるスレで、抽象的な論争したがるかな。
たまにやるならまだしも、気がついたらいつもこの流れだ。


スレジャックはたいがいにしろ。封建制論争スレ立てればすむことだろ。
583日本@名無史さん:2008/06/18(水) 04:18:24
あほか学問の醍醐味は高度な議論だ
それが理解できないならガクモンイタカラデテイケ
創作文芸や半角なんかの低級な板にでも行って妄想垂れ流してこい
学問を理解できない詰め込み教育クズにはお似合い
584日本@名無史さん:2008/06/18(水) 05:08:01
話題振れば自然にそっちに話が流れるだろうに、ヒス起こして自分で荒らしてりゃ世話ないな。

バカ?
585日本@名無史さん:2008/06/18(水) 10:24:42
学問は抽象化作業です。
個別事象への言及は、そこから抽象論へ昇華せぬ限り、学問の名に値しません。
簡単に言い切れば、抽象論だけが学問です。
学問板に於て抽象化を伴わぬ議論は、本質的に荒しです。
こういう無学な好事家が、学問板の機能を妨げているのです。
586日本@名無史さん:2008/06/18(水) 12:07:57
学問板の機能?
587日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:17:11
どっちでも楽しければそれで良いじゃん。
学問?2チャンになにを期待してるの?
暇つぶしか、せいぜい娯楽だよね。
588日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:35:03
交代寄合衆に話し戻そうよ
589日本@名無史さん:2008/06/18(水) 14:24:43
学問板へ来て何を言う。
学問以外の発言は荒し行為だ。
590日本@名無史さん:2008/06/19(木) 18:49:22
学問厨のスレジャックはいい加減にしてほしいわ。
二言目には「学問」と大義名分かかげて、スレタイどおりの話題をせず、自分勝手な話題で論争して、
スレをギスギスした雰囲気にして何が楽しいのやら。
591日本@名無史さん:2008/06/19(木) 19:48:18
>>566
>独自の司法立法行政権あり、外、外交、戦争権があります

外交権こそ無いけど、アメリカの州もそれに近いのでは。
州は独自の軍隊も持ってるわけだし。
592日本@名無史さん:2008/06/19(木) 20:10:49
一万石とか一万二千石くらいで3、4千石くらい分知して旗本になっちゃうのって
なにを考えているんだろう?
下手に小大名より多少禄高が減っても大身旗本の方が良いの?
名より実を取ったのかな?
593日本@名無史さん:2008/06/19(木) 20:36:46
>>592
一種のお家騒動で,嫡男が嫌われたか,分知された子が可愛かったんじゃない
594日本@名無史さん:2008/06/19(木) 20:59:30
備中だったか美作だったかの3、4万石くらいの大名で、
分割相続が家訓?ってくらい分知しまくりの家があった。
その後本家は跡継ぎが居なくて絶えたが、分家旗本が多いから家名は残った。
5千石くらいを筆頭に5、6家で併せて1万3千石くらい。
数値上は分家が一軒だけなら大名として残った勘定になる。
595日本@名無史さん:2008/06/21(土) 01:40:23
>>591 そうですね。ですから米国は連邦国家です。
596日本@名無史さん:2008/06/21(土) 13:29:05
スレちがいの連邦制国家の話はイラネ

鹿島則孝は、文化十年、江戸に旗本・筑紫佐渡守孝門三千石の三男として生まれた。
天保八年鹿島則瓊の養子となり、安政五年大宮司となる。
明治九年(一八七六)隠居し、同二十五年十月二日没、八十歳であった。

則孝の父、筑紫孝門は、浦賀奉行・日光奉行等を勤め、采地三千石の旗本であった。
旗本の総数約五千二百名、その内、三千石以上は約二百四十名に過ぎない。
筑紫家はかなり上位の家柄であった訳である。
筑紫家に仕える家臣は、家老、用人、給人、近習、中小性、老女、側女、次女、小間使、
茶の間女、末の女などであった。
597日本@名無史さん:2008/06/21(土) 16:16:30
>>596
家老、用人は鹿島家からの蔵米支給それとも知行取?
598日本@名無史さん:2008/06/22(日) 21:39:35
>>595
アメリカ大統領(というか、連邦政府)には州を取り潰す権限なんか無いぞ。
あっさり諸侯を改易できる(フランス絶対王権に匹敵するほどの権限)ほどの中央権力があるのにも関わらず、
それでも「江戸時代は中央集権じゃなく地方分権」と言い切る本郷氏の意見に疑問を感じるのは俺だけですか?

あと、薩摩がパリ万博に参加したときには「琉球王国の支配者」という名目を使ったはず。
599日本@名無史さん:2008/06/22(日) 21:58:22
どうして突然鹿島家の話が?
ところでまあ周知のことかもしれんが、
鹿島氏を名乗る家には二つある。
一つは上のレスにでてくる鹿島神宮の大宮司を世襲した中臣姓の鹿島氏。
もう一つは鹿島神宮の惣大行事職を世襲した平姓の鹿島氏。後者は吾妻鏡にも出てくるれっきとした武家である。
600日本@名無史さん:2008/06/22(日) 23:22:16
筑紫氏って戦国時代は九州の武士だったのに、旗本になって江戸暮らしかよ。
601日本@名無史さん:2008/06/23(月) 00:07:11
大友だってそうだよ
602日本@名無史さん:2008/06/23(月) 00:39:01
>>598
>それでも「江戸時代は中央集権じゃなく地方分権」と言い切る本郷氏の意見に疑問を感じるのは俺だけですか?

八幡和郎氏も「江戸時代が地方分権だったなんて真っ赤な嘘」と、複数の著書で言い切ってるな。
八幡氏もれっきとした大学(徳島文理大学)の教授だから、本郷義昭氏とどっちを信じるかは価値観の問題。
603日本@名無史さん:2008/06/23(月) 21:28:21
封建論争はよそでやれ。うぜええええええええええ。
604日本@名無史さん:2008/06/23(月) 22:39:17
>>603
お前がうざい。
605日本@名無史さん:2008/06/24(火) 00:30:10
同感。
ここは学問板だ。
602も603も、喚く前にきちんと理由を書かねば。
606日本@名無史さん:2008/06/24(火) 01:14:15
そもそも封建論争はスレ違いじゃね
別スレ立てるべきだよ
607日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:30:00
旗本筑紫氏について語るほうが、よほど直親の世界を語るスレにふさわしい。
608日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:29:34
ではその理由を開陳したまえ。
理由も無く騒ぐは学問に非ず。
609日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:36:41
何で,「万石以下の諸侯」という括りではいけなかったのだろう。
旗本の範疇に括られることは,文字通り諸侯の列から外れることになると思うが。
交代寄合と称された家々には,反発はなかったのだろうか。
610大學ヘ授:2008/06/25(水) 15:12:02
それは武士の戦闘員たる、武家の戦闘集団たる本質を全く没却する説です。
小身者は独立部隊を編成できません。
区別は当然です。
611日本@名無史さん:2008/06/25(水) 15:44:18
確かに独力で一隊を構成できるかどうかは重要。
連隊旗とでも言うべき大馬印が許されるのが六千石以上からだから、
本来の軍制上は一万石そこそこと一万石弱は大差なかったんだろう。
最初期は五万石か十万石以上とそれ以下の差の方が大きかったらしい。
それがずっと小規模である一万石が区分点になったということは、
それほどの大軍でなくても意味がある時代になったってことなのだろうか?
区分けするときはキリのいい数字にするのは本能みたいなものだから、
区分けすることにより落差が大きくなるってことはありがちだな。
612日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:15:03
>>610
もちろん,武家である以上,軍役を無視するわけにはいかないことは同意。
では,あえて他の旗本とは異なる参勤交代が認められたのは,どのような所
以なのでしょうか?
613大學ヘ授:2008/06/26(木) 01:01:32
万石に近いから、近い処遇をした言うだけです。
参勤交代は大公儀の利益ですから、忌避する必要も有りません。
614日本@名無史さん:2008/06/27(金) 02:10:35
>>613
でも、小身の交代寄合もいましたよ?
615日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:21:42
無役っての旗本とか御家人は働かなくていいんだろ?
何してたんだ?内職すると怒られるというしすることなっしんぐ

大名スレに書いちゃったよorz
616日本@名無史さん:2008/06/27(金) 08:41:52
建前上は学問とか武芸に励んでいることになっている。
旗本の方は中期以降は遊んでる連中が多いよな。
御家人は内職してたらしく、二本差しの職人みたいなのも多かったそうだ。
まあ禄が少ない連中は家庭菜園くらいはやってたらしい。
617大學ヘ授:2008/06/27(金) 10:24:38
建前をいうなら、何よりも軍人であり、領主です。
よってすることは幾らでもあります。
役方こそ平時の加役に過ぎません。
これは旗本より大身の大名を見れば分り易いでしょう。
無役の大名が暇な訳ではありません。

>>614
 それが万石並の礼遇であり、格式というものです。
618日本@名無史さん:2008/06/27(金) 15:19:37
小普請の旗本の中には、零落して、見世物小屋の木戸番やってた奴まで
いたそうな。評定所へ呼び出しがあり、組頭が屋敷へ出掛けると荒れ放題で
無人になっていてびっくり。慌てて探し出して、大小や衣服を貸して出頭させて
事なきを得たとか。
619日本@名無史さん:2008/06/27(金) 17:19:23
>>618
そういうことを書くと、また本郷が「下級旗本は武士ではない」とか
わけの分からない主張をはじめるぞ。
620日本@名無史さん:2008/06/27(金) 17:36:57
足軽や徒歩が武士じゃないのは常識だろ?大学教授も言ってるし
まぁ地元に行けば足軽でもいまでもお侍の家系でいばれるけどね
小学校とかひどかった。武士の子孫とそれ以外で当然のように扱い違ったからな
だから田舎はいやなんだ。東京に出てきてよかった
冷たいとかいうが干渉しない分まだましだ
621日本@名無史さん:2008/06/27(金) 17:40:27
>>617
いや、概ね同感なんですけどね。
領地の統治を幕府の役人に委任しちゃった旗本なんかは、文武の鍛錬以外にすることあったのかなあと。
622日本@名無史さん:2008/06/27(金) 17:46:43
お役を頂戴するための運動や家計の算用、借入と返済など?
623日本@名無史さん:2008/06/27(金) 19:42:57
>>619
武士身分の御家人と下級旗本(しかも出自が怪しい)罵り合い
罵倒用語「イカ」と「タコ」の事始。
624日本@名無史さん:2008/06/27(金) 19:59:45
ついに下級旗本を足軽や徒歩扱いする奴まで出てきたか。
足軽に御目見得を許す将軍なんていたのかよw
625日本@名無史さん:2008/06/28(土) 14:23:39
幕府の御家人に足軽っている?
626日本@名無史さん:2008/06/28(土) 21:54:49
足軽ってなまえではないけれど、所謂「同心」がそのクラス。
627日本@名無史さん:2008/06/28(土) 22:31:55
大學ヘ授,ご教授下さい。

最近「庄屋VS中下級武士」なるスレにて,旧豪族系の庄屋は,領主の上級家臣(家老層)と同格であるとの説を説かれる方がいます。
また,その方は,豪族系庄屋は,その抱える財力,所有地,小作人,親類縁者の数などから,大名から中下級家臣よりも重きを置かれた。
10万石弱の大名よりなどよりも上だと説かれています。
これは,幕藩体制下において,事実として認められることなのでしょうか。

628日本@名無史さん:2008/06/28(土) 23:36:17
先代スレに御三卿は大名だと言い張る怪人がいたが、専門スレでは当然に将軍の家族、独立した家を持たないとされているな。
■▲▼【11:102】【徳川】御三家・御三卿・連枝・家門スレ 二代目
629日本@名無史さん:2008/06/29(日) 06:46:48
>>628
>先代スレに御三卿は大名だと言い張る怪人がいたが

お前、本郷じゃないか?
あのやりとりに参加していたが、あれは本郷が、相手がそう主張していると勘違いしていただけだぞ。
何度勘違いを指摘しても、全く本郷は理解できなかったようだけどな。

↓そもそものやりとりはこんな感じ。
本郷「御三卿家は自己の領分を持っていなかった。なぜなら、大名ではないからだ」
アンチ「バカかお前。御三卿は幕府領から領分の村々を割り当てられ、独自に陣屋を置いて
     領地経営していたぞ」

このやりとりを、相変わらず思い込みの激しい本郷が、問題を「御三卿家が大名か否か」に強引に
置き換えて見当外れの議論を始めたわけだ。
630日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:00:14
本郷が書いた主張を引用しておく。初代スレの371の後段部分だ。なお、このやりとりは、
武士が商売をどの程度軽視していたかというやりとりの中で出てきたものだな。

> 御三卿は大名でも旗本でも御家人でもなく、したがって領分も知行所も給地もあ
>りません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。この事情
>をご存知無きや? 本件論争に於て御三卿を引くというのは自滅的です。
631日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:06:32
>したがって領分も知行所も給地もありません。領民一人も無く、自前の家来も無いといって大過ありません。


馬鹿だね〜w
632日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:13:56
当時、一橋家が領知を有していたことを示す史料の画像が、まだリンク切れになってないようなので、
また張っておく。確か兵庫県史資料編からのもので、渋沢栄一が摂津播磨で木綿専売化を試みて、
木綿預手形を「御領知内村々」に対して発行したことに関する史料だ。

http://fout.garon.jp/?key=Gz1wt_JIfX5ybF8wh_HTcXq:vZS&ext=jpg&act=view
633日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:25:07
渋沢は摂津を巡り農兵を募兵してるしね
634日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:33:42
一橋家が和泉摂津で采地を領していたのは誰でも知ってる
635日本@名無史さん:2008/06/29(日) 07:38:05
知らぬは本郷ばかりなりw
636日本@名無史さん:2008/06/29(日) 08:43:03
本郷w
637日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:21:38
記憶が薄れた頃に相手をキチガイ扱いして貶めるって本当に粘着質で卑怯な奴だな。
638日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:32:31
どこかの藩で足軽でも御目見得があるって呼んだような気がするな。
記憶違いかもしれないけど。
徒なら一部が御目見得な藩もある、鳥取池田家とか。
639日本@名無史さん:2008/06/29(日) 14:54:42
本郷は普段は居丈高で他の人間を侮蔑するけど、窮地に陥ると、一人何役かの成りすましで
本郷支持派が多数いるかのような工作を始めるんだよな。で、それを指摘されると、○○スレで
認められたことだ、とか開き直る。

他スレで認められていようがいまいが、姑息なやり方で軽蔑を受けることまで逃れられるわけでは
ないのに、本当に見苦しい醜態を晒しまくってくれるんだよ。

>>632の史料にしても、御三卿が領知を有していたことをどうしても本郷が理解しようとせず、一次
史料を出せのなんのとごねまくったから、手間かけてうpせざるを得なくなったシロモノだからな。
640日本@名無史さん:2008/06/29(日) 22:02:15
大學ヘ授さん,こんなところで文盲を相手にしてないで庄屋中下級武士対決ス
レに来ませんか。

庄屋を,今の公務員制度を持ち出して論じ,上級武士相当だと主張する人がい
ますよ。
法学部ヘ授であり,武家の法制にも精通されている貴方なら,高いレベルの論
戦になると期待しております。
641日本@名無史さん:2008/06/30(月) 00:43:09
薄汚い教授晒し上げ
642日本@名無史さん:2008/06/30(月) 01:10:30
          ■毎日新聞廃刊か■


★祭り★
「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事23
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1214751622/
★祭り★
【毎日新聞】ネット上に変態報道の処分と無関係の社員を誹謗中傷する書き込み→名誉棄損で法的措置を取る方針★68
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214754605/

オカルト板 http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1214722851/
英語板 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/english/1213971760/
大規模OFF http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1214614538/
YouTube板 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1214375128/
医歯薬看護板 http://school7.2ch.net/test/read.cgi/doctor/1214482587/
ニュー速 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1214694982/
医者 http://society6.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1210492753/
マスコミ http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1214603376/
643日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:43:10
>>602
どのご本を読んでも彦根マンセーの八幡センセーを例に出すとはw
彼は元々法学系の官僚だから、歴史畑から見れば我々日曜歴史家と大差ない。
八幡信者なんて、鈴木信者や井沢信者と大差ないぞ。むしろ地域差別を公然と著書で展開する分だけ鈴木や井沢よりも悪質だ。
それにもかかわらず信者がつくのは、日本の学校歴信仰・肩書信仰が根強いから以外に理由がない。
644日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:23:27
八幡って、二十数年前に通産省からフランスのENA(国立行政学院)に留学して、
フランスで地方の副知事(日本でいう郡長か支庁長)の研修も受けてきた官僚なのに、
なんで歴史ヲタの仲間になってしまったんだろう?
645日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:54:14
それは八幡が、現代の「直臣」(日本国政府の中央官僚)だったから。
646日本@名無史さん:2008/07/18(金) 19:00:34
そういえば、現代の「直臣」(国家公務員)は○○官と名乗れるが、
現代の「陪臣」(地方公務員)は○○吏員としか名乗れないんだよな。

直臣なら事務官、技官にあたるものが、陪臣なら事務吏員、技術吏員。
ニュースで話題の大分県教委の連中も「審議官」ならぬ「審議監」。
本当は「官」を使いたいのに使えないから、わざわざ同音異字を使ってるようで、
「審議監」とうい名称がいかにもバチモンくさいw
647日本@名無史さん:2008/07/18(金) 19:19:26
警察官は?
648日本@名無史さん:2008/07/18(金) 19:55:23
警察官は地方公務員で唯一「官」を名乗れる特異なケース。

実は終戦後、GHQの指令で国家警察が解体され自治体警察に移行した際、
自治体警察の警察官は「警察吏員」と改称された。
しかし、講和独立後に新警察法で中央集権的な国家警察が事実上復活した際、
各県警の警察官は法律ですべて「警察官」と改められた。
649日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:12:46
国家公務員を直臣とか地方公務員を陪臣とかに例えるのはちょっとちがうようなきがする
650日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:35:51
歴史的経緯から言えば、国家公務員の前身の官吏は「天皇陛下の官吏」であり、
まさに大日本帝国の直臣、天朝様の旗本。

一方、地方公務員の前身である公吏は、自治体としての府県・市町村の職員であり、
とくに市町村の場合、地域共同体によって雇われた人々と言える。
確かに「陪臣」とは意味合いがちがうが、天皇陛下の官吏たる中央官僚から見れば、
市町村の書記などは「民」の側の存在で、明らかに格下の存在。
651日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:06:09
>>648
確かに警察官は法律上の用語ではあるが、どちらかと言えば通称の意味合いも多い。
例えば刑事訴訟法では警察官と呼ばず司法警察職員(司法警察員、司法巡査)と呼ぶし
警察官同士の間ででは警視庁巡査、○○県警部補と呼ぶことが多い。

「刑務官」という呼称も刑務所に勤務する職員の通称であり、正確には
法務事務官看守、または矯正処遇官なる官職名がある。
652日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:06:41
明治維新で幕府がつぶれた際、高禄の旗本ほど新政府に帰順して「朝臣」となり、
駿府に無禄覚悟で移住したものは下級の幕臣が多かったという。

また、外国方、勘定方、町方のような行政の実務を行う役所に勤めていた役人は、
そのまま引き続いて新政府に出仕することになった。
町方の与力・同心であった者はそのまま東京府や警視庁に勤務したものが多い。

もっとも旧幕以来の老朽官吏は、明治十年代くらいに「非職」=リストラされたが。
653日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:28:31
朝臣にはどの旗本も希望すればなれたんですか?
だったらなったら勝ち組なんだから明らかに貧困が待ってる静岡いきを
選ぶのは馬鹿だろ
654日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:46:16
どの旗本でも希望すればなれた。
ただし、本領安堵されたのは江戸開城前に上洛して誓紙を出した者まで。
それ以降に帰順した者は、あらためて旧禄高より減額された俸禄を与えられた。
しかし、本領安堵組もまもなく禄高を減額されて俸禄制に切り替えられた。

この他、旧領地に土着した帰農組もいるが、これも高禄の旗本に多かった。
旧領地の名主や豪農を頼ったようだ。
655日本@名無史さん:2008/07/19(土) 18:08:50
>>620
今でも?どこの田舎だよ。
「だから田舎はいやなんだ。」大正生まれの伯父(旗本の子孫)が昔言ってたな。
656日本@名無史さん:2008/07/20(日) 09:36:58
結局のところ、さっさと朝臣になった者もよかったのは当座だけで、
すぐに没落してるんだよな。

立藩できた山名にしてからが、伍長だしw
657日本@名無史さん:2008/07/20(日) 10:55:50
国軍草創期の伍長は立派な肩書。
皇族でも初任官は少尉。
658日本@名無史さん:2008/07/20(日) 11:09:35
陸軍大将を自他共に認めた西郷隆盛だけが突出して高位なだけ。
659日本@名無史さん:2008/07/20(日) 12:53:24
明治初年の武官の任官は、薩長のお手盛り。
士官がすべて少尉からスタートしたわけではない。
年齢、実績、出身などを考慮して任官が行われた。

皇族の有栖川宮、公家の四条隆謌は最初から高い階級からスタートしたが、
一方で若い公家は少尉から再スタート。
660日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:06:48
西南戦争直前の陸軍の最高実力者山県有朋ですら少将でしょ。
661日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:16:41
元帥やら上級大将がゴロゴロいる旧ソ連やナチスドイツが異常。

米軍では司令官は准将か少将。
アイゼンハワーやマッカーサーは特別w
662日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:19:48
どうして西郷隆盛だけが最初から突出して陸軍大将だったのかエロイ人教えてくれ。
663日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:24:18
>>661
第7騎兵隊のカスター将軍は米国陸軍中佐。
664日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:21:48
>>662
東征大総督府参謀(事実上の江戸攻め総大将)にして江戸無血開城の功労者。
そして薩摩武士団の頭目。

御親兵に薩摩藩の精鋭を差し出した廃藩置県の功労者でもある。
665日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:50:26
>>661
最近の米軍(湾岸戦争以降)は矢鱈と高級将官が多い気がする。
米国も軍事国家化してるのかな。
666日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:05:56
桐野や篠原が少将だから西郷は当然大将
667日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:30:27
でも、西郷も人斬り半次郎も近代的な軍事学の素養はないよな。
668日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:35:11
>>666
小松様は?
669日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:41:25
西郷の陸軍大将は薩摩人の自称だろw
近代国軍の陸軍大将と薩摩芋藩侍大将を混同してねーか?

670日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:53:03
近代軍制上5000人規模の組織の長は連隊長 即ち大佐、良くて少将が妥当。
西郷は身分の低い小姓組出身で畏れ多くも有栖川宮様とは比べ様も無し。
671日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:55:39
ということで
西郷隆盛は陸軍大佐が妥当という結論です。
672日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:00:00
じゃあ 西郷はどうして三階級も特進してるの?
673日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:07:07
勲功
674日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:21:38
>>672
駄々を捏ねて出仕拒否した西郷に堪りかねた明治帝が親任したから。
親任官は最高位という慣例で、まんまと陸軍大将を拝命したってのが事の真相。

675日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:25:48
交代寄合の山名が軍制規範を適用されて 伍長
西郷隆盛が駄々を捏ねて 陸軍大将

その程度だね 所詮明治政府は。
676日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:27:31
戊辰戦争後、はじめ西郷は鹿児島藩大参事(維新前の家老に相当)に就任。
廃藩置県に先立って御親兵となる薩摩藩兵を率いて上京、参議に任命された。

その後、政府軍のトップとして元帥・近衛都督に任命され、参議と兼任したが、
すぐに元帥は廃止され、あらためてただ一人の陸軍大将に任命された。

この時代の陸軍大将は文字通り陸軍のトップというべき地位。
677日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:30:44
歴代の徳川将軍の多くが右大臣・右近衛大将であったことを考えると、
参議・陸軍大将となった西郷は、かつての将軍なみの権威があったのか。
678日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:35:08
じゃあ 西南戦争は西郷隆盛の最後の大法螺ってことで桶?
679日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:44:13
>あらためてただ一人の陸軍大将に任命された。

ここだね。西郷の駄々捏ね事件。

680日本@名無史さん:2008/07/20(日) 18:03:48
数千人の兵隊つれて上京して出仕拒否されたら天皇も嫌だったろうね。
681日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:05:03
>>677
確か西郷って、参議をやめて下野したあとも、陸軍大将だけは現職のままだったんだよな。
当時は大将は西郷ただ一人だから、陸軍大将が故郷にひっこんで地元の武士の首領になってるのは、
確かにそんな感じはあったかもな。
682日本@名無史さん:2008/07/21(月) 11:28:16
統帥権は天皇にあるから西郷が下野しても大久保らは軍籍剥奪できなかったのか?
683日本@名無史さん:2008/07/21(月) 11:36:42
自称大學教授も武陽隠士もパッタリ現れなくなったね。
やっぱり相通じて日本史板に居座ってたんだな。
684日本@名無史さん:2008/07/21(月) 16:03:02
西郷南州は古今無双の英雄
685日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:34:34
自称大學教授もIP抜かれたのかな?
686日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:51:56
IP非表示板で、フシアナさんにもひっかからずして、どうやってIPが抜かれるの?
687日本@名無史さん:2008/07/22(火) 17:35:46
IP表示板に書き込みし、しかもフシアナサンに引っかかったんだろ。
688日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:46:31
2ちゃんねるに書き込むようなやつにはろくなやつはいない(´・ω・`)
689日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:56:24
行って見た。
たしかに【徳川】御三家・御三卿・連枝・家門スレ 二代目とゆうところでは御三卿が大名でないとゆう前提で話してるな。
690日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:22:32
682は憲法制定が明治22年だということを忘れておる
691日本@名無史さん:2008/07/25(金) 18:31:01

西郷隆盛の真実の階級は薩摩芋藩侍大将w

692日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:54:37
西郷の曾孫の一人は鹿児島で陶芸家やってる。
693日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:01:20
西郷の芋藩内の身分は、下級武士なんていっちゃってるが、真っ赤な嘘
下級武士にもはいれないくらいの家中にもみとめてもらえなかった武士とは名ばかりの小者


694日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:58:49
篤姫の実家の今泉家の家老(薩摩藩主からみたら陪臣)と
西郷、大久保など小姓与の下級武士(一応、藩の直臣)って、
やっぱり貧乏でも後者の方が格上なの?
695:2008/07/26(土) 12:35:08
小姓糞野郎はイシンゴの立場はどいなのかきいてりぬか?
696日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:50:35
西郷の陸軍大将への出世を凌ぐ歴史上の人物は
豊臣朝臣羽柴秀吉ぐらいかな。

西南戦争以前限定でな。
697日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:01:29
おいおい 西郷はいちをでもジキシンじゃないだろ藩の。

西郷一門は代々藩士としての立場にみとむてもらえてないだろがや
698日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:05:19
喜連川足利家は徳川将軍家の直臣ではなく客分だからすげぇ
699日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:02:14
西郷家って城下士の最下級の「御小姓与」だろ。
島津家から見たら、下っ端でも直臣だろ。
700日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:17:13
>>696 豊臣朝臣羽柴秀吉・・・なんかめちゃくちゃw
701日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:50:41
島津家からしたら下っ羽どころか、おめどおりすらありえない家中とは名ばかりの野良侍だろ
武士としての格式などあったもんじゃない
702日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:06:47
「御小姓与」は徒士や足軽よりも上で「侍」だ。
たとえ最下級でも城下士の「侍」身分なので、名目だけでも「お目見え」の資格はある。
鹿児島県士族出身の海音寺潮五郎先生がちゃんとそう言っている。
703日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:36:21
>>700
そういう場合は羽柴太政大臣豊臣朝臣秀吉と言うべきか?
704日本@名無史さん:2008/07/27(日) 06:19:33
そんな名乗りなんかどうでもいい

つまんめーこと論ってんじゃねーぞ タコ野郎。

>>696 の問いに答えろや おまいらw
705日本@名無史さん:2008/07/27(日) 07:30:32
>>704
継体天皇
706日本@名無史さん:2008/07/27(日) 17:14:21
野中ひろむ じゃね?
707日本@名無史さん:2008/07/27(日) 17:16:43
西南戦争以後ジャン
708日本@名無史さん:2008/07/28(月) 18:12:37
>>705
継体天皇は傍系にせよ、もともと皇族じゃないの?
709日本@名無史さん:2008/08/02(土) 11:54:25
不敬罪!
710日本@名無史さん:2008/08/03(日) 05:28:30
同時代でも田もなかった雇われ貧農から毛利家と同格以上の公爵総理大臣になった伊藤俊輔や
中間(足軽?)から公爵総理大臣元老になった山縣狂介のほうが
西郷より出世たといえるんじゃないか?
こいつら西郷以下の出自だし維新の連中見まわしてみても
ここまで上り詰めたのはこいつらだけな気がする
秀吉だって実は貧農じゃなかった説も優勢だし実は伊藤のほうが凄いかもしれん
711日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:17:47
>>706
なんで野中さんが出てくるの?そんなに出世した役ついてた?
712日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:51:18

 × 下っ羽

 〇 下っ端
713日本@名無史さん:2008/08/04(月) 11:11:49
公爵総理大臣は太閤秀吉ほど権力持っていない。>>710
所詮国家という機構の中での最高位、君主じゃ無いから江戸時代で言えば老中とか政事総裁職程度だと思う。
714本郷 義昭:2008/08/06(水) 12:42:12
当時の法制上、武家は「重き武家奉公人」と「軽き武家奉公人」に二分されます。
よってこれに頓着せぬ既出の議論は少しずれて居ます。
ここは学問板なのですから、学問の基礎に立って論じましょう。
715日本@名無史さん:2008/08/06(水) 18:53:43
御三卿に領知がないとか言ってた馬鹿が出てきたな。
716日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:27:01
ちがうちがう

御三卿は諸侯じゃなかったと放言、珍説開陳してる頭が弱い人だよ。

717日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:33:28
>>716
わざと混乱させようとしてるだろ。本郷の自演か?
718日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:44:58
御三卿は諸侯だという怪人は理由を述べなきゃ。
精々関内侯。
719日本@名無史さん:2008/08/06(水) 22:08:45
>>713
君主ではなくても、「日本で最大の決定権を持つ人」にはなっただろ。
秀吉だって、名目上は君主ではないぞ。

(領主としては君主でも、日本全体の君主とは言えない)
720日本@名無史さん:2008/08/06(水) 22:10:54
↑ スレ違い
721日本@名無史さん:2008/08/07(木) 05:20:30
やはり本郷の自演か。見え見えのやり方では、一月前に>>628-637で徹底的に
馬鹿にされたことを挽回するのは到底不可能だぞ。

>>716>>718はどちらも本郷の書き込みだろうが、一人でバカなやりとり続けてろw
722日本@名無史さん:2008/08/07(木) 08:42:49
そう断定するならきちんと理由を示さなきゃ訳も無く喚く文盲だ。
723日本@名無史さん:2008/08/07(木) 10:29:05
文章が特徴的だからな。それに、ほんの一月前に>>628-637で徹底的に馬鹿にされた
あとに本郷に都合のいい主張を始める奴なんざ、本郷の自演くらいのもんだろ。

死ぬまで自演やってろw
724日本@名無史さん:2008/08/07(木) 14:48:37
>>723たちはなんで見えない存在すらしていない敵とたたかってるの?
ファイテンファイテンってこと?
725日本@名無史さん:2008/08/07(木) 15:37:49
そろそろ西郷ネタでも本郷ネタでもなく、直臣・旗本・交代寄合について語れや。
726日本@名無史さん:2008/08/07(木) 18:46:35
>>725
お前が語ればいいだけの話。
727日本@名無史さん:2008/08/07(木) 20:47:00
旗本が退屈して着流しで薩摩まで行ってもいいのだろうか・・・
というか誰だか知らんけど
旗本の額に三日月傷をつけた奴はなんかしらの
重罪に問われたりしなかったのかな?
人ごとながら心配です
728日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:05:54
交代寄合であろうが寄合席旗本であろうが語る価値は低いな。
単体では軍事的にも無力で番を編成してはじめて戦力と言える。
20家ぐらい合併統合して五万石の譜代大名にした方が運用上遥かに合理的だ。

旗本の殿様各人に士分の家臣より多くの戦闘能力の無い中間や奉公人が居るんだぜ。
全く無駄w
729日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:22:28
俺の構想では
大名は五万石以上、旗本は千石未満で(諸侯家でも家老重臣は千石未満)
その間の階層は一切無し。
730日本@名無史さん:2008/08/08(金) 08:31:31
愚かなことを・・・・
旗本は戦力の中核。
731日本@名無史さん:2008/08/08(金) 08:51:01
まあ効率だけ考えたら>>729が良いんだけど、
中途半端なクラスは純軍事的観点からは無駄。
地方統治の意味でも非効率の極み。
あのへんが存在しているのは単に政治上の待遇の問題かな?
732日本@名無史さん:2008/08/08(金) 09:09:34
身分制というか階層の否定までは時代的制約で出来ないとして、
せいぜい合理化するとこんなところか。
旗本は全員蔵米取りで千俵・五百俵・三百俵・二百俵・百俵の五ランク。
昇進による足し高で五倍程度までの昇給有り、つまり上限五千俵。
733日本@名無史さん:2008/08/08(金) 09:14:29
サイズがそろってないと編成ってしにくいよね。
そう言えば大番とかの各組は、頭はともかく組頭以下の総石高が、
ほぼ同じになるように組まれていたのだろうか?
それと同じ番士でも千五百石とかと二百俵とかって、
ある意味同等、ある意味同等じゃない。
実際のところはどういう関係だったんだろう?
なにかこういうことって書いてある本もあまりない?
734日本@名無史さん:2008/08/08(金) 10:22:46
番方って、番頭→組頭→番士って指揮系統になってるけど、
諸組付属の与力・同心ってのはどういう役割なの?

番士自身も家臣がいるんだから、与力・同心はいらんような。
735日本@名無史さん:2008/08/08(金) 10:29:28
同じ組に所属している番士同士で千五百石の者が二百表の者と
馬を並べることに抵抗感ってなかったのかな?
736日本@名無史さん:2008/08/08(金) 10:33:32
千石以上の旗本って体面以外の意味ないじゃん。
737日本@名無史さん:2008/08/08(金) 13:34:16
番頭や組頭が死傷等で指揮を執れなくなった場合とか、
分断されてしまった場合、とっさの場合とか、
石高の大きいものが指揮を執るんだろうか?
それとも年齢とか経験順?
まあ馬を並べるところまで良いとしても、
二百俵に下知されるのはいやだろうな千石級は。
738日本@名無史さん:2008/08/08(金) 13:41:43
下知される、はちょっとへんか、
指図される、くらいがいいのかな?
739日本@名無史さん:2008/08/08(金) 17:22:34
でも組頭が平番士より石高が低いケースって、けっこうあったんじゃないの?
740日本@名無史さん:2008/08/08(金) 18:50:54
しょうぎ隊の時は代々直臣でもない天野が
振り返ったら旗本たちは誰もいなかったそうですな
大久保とかいうじいさんも気づいたら部下誰もいなくて孤立して銃撃されて死んだそうだ
741日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:36:37
旗本家の5丁程度の鉄砲足軽に何の威力があるんだろう?
五万石の大名なら最大150名規模の足軽鉄砲隊を組織的に運用できる。
銃兵中隊だな。
742日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:44:20
河合ガトリング家老は牧野家が二万石程度だったなら
新政府軍に徹底抗戦などしなかっただろう。
743日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:00:21
書院番士で三千石の旗本の主な仕事は公方様に近侍して襖や障子の開け閉めですかそうですか。
744日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:07:13
その三千石の旗本の家臣や奉公人は自分の殿様の仕事振りを見ることは
絶対ないだろうなw
745日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:46:28
トイレ掃除担当とか将軍が外出する時の糞尿の処理担当とか
吐き出す痰を始末する痰壺担当みたいなことを代々していた旗本もいるのですか?
お目見えできないと将軍にあえないからこれらできないし御家人の仕事ではないと思うけど

終世襖開け閉めだけで>>743みたいな石高貰えて生活に困らないなら
羨ましすぎるけど生まれた時から死ぬまで上記の担当はいやすぎる
746日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:16:49
>将軍が外出する時の糞尿の処理担当
公用朝夕人土田孫左衛門世襲、御目見得以下
天保7年の大概順だと、御目見得以下78位
直接口を利かないから御目見得以下なのかな?
747日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:20:46
一万石の区分が重要になったのは家光時代、つまり平和になってかららしい。
1万2千石も8千石も、どのみち意味がある独立軍団を形成できないということでは
大差がないから戦時にはさほどその差が意識されなかったんじゃないだろうか。
748日本@名無史さん:2008/08/11(月) 10:59:32
大名の「城主」「準国主」「国主」が重要なのであって立派な諸侯。
無城の「城主格」や「陣屋大名」は諸侯と呼ぶにはおこがましい。
749日本@名無史さん:2008/08/11(月) 11:08:53
>>743
その書院番士の旗本は御城での襖の開け閉めのクセが抜けずに
ついつい自分の屋敷でやっちまったてのはなかったのかな?
750日本@名無史さん:2008/08/11(月) 16:41:39
武家諸法度寛永令(抜粋)
一、大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。
一、諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。
一、国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事。
一、乗輿ハ、一門ノ歴々・国主・城主・一万石以上ナラビニ国大名ノ息、
  城主オヨビ侍従以上ノ嫡子、或ハ五十歳以上、或ハ医・陰ノ両道、病人コレヲ免ジ、
  ソノ外濫吹ヲ禁ズ。

各条文における大名身分の者についての表記が統一されていない。
「大名・小名」「諸国主・領主」「国主・城主・一万石以上」と3通りの表記が見られる。
そもそも「小名」とはどういう身分の者を指しているのか?
751日本@名無史さん:2008/08/11(月) 18:25:32
>一、諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。
これは旗本や寺社や公家なども含まれるから、他と表現が違うのは当然だろうな。
752大學ヘ授:2008/08/11(月) 18:55:39
同一法規の中では当然厳密に使分けられて居ます。
用語例に乱れがあるのではなく、論者に法解釈能力が無いようです。
753日本@名無史さん:2008/08/11(月) 19:07:04
>>752
おい本郷、他人を批判したければ、御三卿に領知がないなどといって他人を
怪人呼ばわりしたり散々荒らしたことを謝罪してからにしろ。出来ないなら
もうカキコすんな。
754日本@名無史さん:2008/08/11(月) 19:31:35
公人朝夕人、10人扶持で持高なし、殿席がないのはいいとしても、
身分は譜代でも二半場でも抱入のどれでもない、
しかも上下役でも役上下でも羽織袴でも白衣でもない。
なんだか鵺のようなわけのわからない存在。
幕府に対する奉公には違いないんだけど、武士なのか?
755日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:08:26
>>752
小名とはどういう身分か答えられないなら出てこなくていいぞ。
756日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:17:50
757日本@名無史さん:2008/08/12(火) 17:12:12
無役で仕事がなく旗本と
仕事は一応あるけどなんかあってもなくてもいいような
クだらんないような旗本って禄とか石が同じならどっちが幸せだろう
役料つくなら前者のほうがいいのかな
毎日登城してすることが襖の開け閉めとか
箸を差し出すだけとかでも

あと城内に坊主頭を大量に雇っておくのは
戦がきまるとそいつらを斬り殺して軍神の生贄として
血祭りに上げるためだというのはマジ?
758日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:22:52
5千石くらいで無役の旗本寄合席とかが気楽でよさそう。
どうでもいい仕事でも同僚との付き合いとかめんどくさそうだし。
759大學ヘ授:2008/08/12(火) 21:08:20
御役に就きたがる直参は小心者ほど多い。
これは出世の機会や増収を得たいからです。
なほ無役と言ふのは軍役、仕置といった本務に徹する立場であって、無職とは全く異ります。
760日本@名無史さん:2008/08/12(火) 21:29:01
戦などない太平の世に出世を望む奴を小心者呼ばわりかよ。相変わらず狂ってんな。

誰の目にも明らかな過ちを犯しておきながら謝罪さえしない小心者は見苦しいだけだぞ。
761日本@名無史さん:2008/08/12(火) 21:58:46
文脈から考えて「小身者」の変換ミスだと思われ。
762日本@名無史さん:2008/08/12(火) 22:31:58
つまり微禄の士
763日本@名無史さん:2008/08/13(水) 00:53:37
>>759
小心者の直参は金を卑しむどころか拝金主義だったというのだな。
764日本@名無史さん:2008/08/13(水) 01:03:03
大阪の陣で 
たしか大身旗本家の部隊丸ごと仙台伊達家の鉄砲隊の味方討ちに遭って
全滅事件ってのがあったなw

七千石程度の旗本って軍事的に何の意味も無いwww
765日本@名無史さん:2008/08/13(水) 01:51:04
近代に於いても独立中隊(2百人程度)はゲリラ戦以外使い道が無い。
軍事的に通常運用単位は連隊(2千〜3千人)
機動力を活かした最小単位は混成大隊(8百人程)

連隊≒城主(五万石以上)
混成大隊≒無城(二万石以上)

766大學ヘ授:2008/08/13(水) 08:26:01
 勉強した上で書きましょう。
 独立中隊は多く特科です。
 軍事的に通常運用単位は師団です。
 連隊も戦時には一万人を越えることがあります。
 混成大隊とやらは通常独立大隊ですが、千三百人程度です。
 八百人なら非独立部隊です。
 何れにせよ、砲兵工兵等々の各兵種あり、大隊でも人数は著く異りますから、先づ兵種を特定した上で書きましょう。
767日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:38:05
旗本が砲兵工兵部隊編成してたまるかよ。考えてから突っ込め。
768日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:45:18
指揮の自由度が比較的高いのは師団長と大隊長といわれているな。
769日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:00:35
>>764
大阪の陣で伊達の味方討ちで全滅したのは七千石の旗本神保家主従の部隊だっけ。
770日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:25:27
島原の乱も1万石の小大名板倉重昌を大将とも軍監ともよくわからないような立場で
派遣したのが早期鎮圧失敗の原因みたいな気がするし。
最初からせめて5万石級の自力で部隊を編成できる大名を
投入すべきだったんだろうな。
1〜2万石程度では大規模戦闘では援軍がせいぜいかな。
771日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:40:28
>>769
同程度の人数だったら全滅していたのは伊達の方だったのに残念w

>>770
まあ農民風情の一揆ばら、板倉程度で十分だと舐めてたんじゃなかろうか。
で、軽量級だし農民相手に戦死も馬鹿らしいからとゥ大名も余り本気で戦ってないし。
で、松平伊豆守は本来はその戦後処理のために派遣される予定だったんだが、板倉は更迭されると勘違いしたのと大名が働かないのでヤ
ケになって無理攻めして死んだとも言われてる。
だったら最初から松平・戸田でいいじゃんとも思うが、きっとあんまり大身の大名を送っても恩賞の原資がないから板倉でもいいか、とか考え
た可能性はないだろうか。元々が1万石なら、倍増してももう1万石ひねり出せば済むとかで。
772日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:27:34
長州征伐のときは藩主自ら前線に出た大名は誰もいなかったな。
773日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:38:06
味方討ちした伊達家は物証や状況証拠がありながら知らぬ顔でお咎めなしw
挙句の果てには「我が軍勢の前に立ちはだかる者は敵味方関係なく討ち果たすのみ」
と息巻いてたとか。

明石を逃がす為の謀略臭いなw
774日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:45:53
駿河大納言事件の時も、仙台伊達家は詮議すらされずお咎めなし。
とばっちりで改易された肥後加藤家カワイソスw

明石を逃がしたのは伊達政宗自身がキリシタンだったからてな説があるな。
775日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:10:37
>>772
広島も前線
776日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:26:22
>>772
第二次長州征伐でも、芸州口の井伊・榊原軍は殿様は出陣してないよな。
小倉口の援軍に出兵した細川などの九州諸藩も同様。

小倉城に在陣した老中小笠原壱岐守が唯一陣頭に立った殿様では?
777日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:49:48
小笠原壱岐守は藩主じゃないけどな
778日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:54:37
>>776
小笠原近江守もいるよ
779日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:00:16
あの当時、小倉藩主小笠原大膳大夫は既に病死していて藩主は空位だった。
本来なら譜代でも改易になってしかるべき状態なのに、なぜ幕府は不問に付したのか?

小倉城に老中まで滞在してるんだから、事情は幕閣に筒抜けだろうに。
780日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:22:35
小倉口の一番手は細川越中守が筆頭で立花飛弾守、続いて小笠原左京大夫、小笠原近江守、小笠原幸松丸で
二番手が黒田美濃守、鍋島肥前守
因みに島津修理大夫と有馬中務大輔は萩口
781日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:30:41
でも薩摩や広島は拒否した
付家老だけど水野大炊頭忠幹とかも前線に出てるね
782日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:37:27
千束藩主小笠原近江守は長州軍の大里進行での最大の激戦地笠松台場・住吉松原の戦いで自ら槍を持って奮戦してるよ
783日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:42:33
幕末のごたごたっぷりをみると
万が一幕府が勝って再興しても後始末大変だろうなぁ
通例どおりなら改易になってしかるべき大名もごろごろいるし
軍令変わってるし参勤交代廃止してるし
百姓町民あがりの幕臣(それも結構な地位にある場合が多い)いっぱいで特例だらけ
甲府近藤家ができていたとかは置いといても
直臣旗本一新されるだろうね
784日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:44:28
>>779
小倉口総督小笠原長行が滞在したのは小倉城じゃなく開善寺だよ
785日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:52:59
>>783
幕府も農兵からなる銃隊を主力にしてたしもはや旗本八万騎の終焉であり武士の世の終焉
786大學ヘ授:2008/08/13(水) 15:00:25
指揮の自由度が比較的高いのは独立隊長です。
また旗本の兵種は騎兵歩兵工兵と色々です。
勉強した上で書きましょう。



787日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:07:00
>>779
大膳大夫じゃくて左京大夫だろ
788日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:10:56
殿様ってことなら陣頭に立った多くの旗本たちも殿様だろ
789日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:22:28
第二次征長のとき、旗本はやる気が全然なかった。
物見遊山の気分で大坂に来て毎日のように観光や食べ歩きしてる者やら、
息子にさっさと家督を譲って隠居する者やら、さんざんだった。
790日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:35:48
長州の狙撃を恐れて家来に派手な陣笠や陣羽織を着せたりとか
791日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:46:50
考えてみれば、長州征伐当時の旗本って実戦経験のあるヤツなんて皆無だろ。
いってみれば現代の平均的日本人にいきなり戦場に行けというのと同じ。

そりゃ、>>789-790みたいになるわ。
792日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:52:18
佐久間とかいう旗本が奮戦して死んだのは
鳥羽伏見だったけ?長州だったけ?
793日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:52:19
前線に出されて長州との実戦経験を経た旗本たちは我先にと鎧を脱いで軽装になったらしいね
貫通銃創のほうが治りが早いし下手に鎧なんて着けてると弾丸と一緒に鎧や鎖が肉や骨に入り込んで致命傷にもなったらしい
794日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:53:41
ただ、禁門の変当時の会津藩士なんかもそれまでは実戦経験がなかったわけで、
太平の世のナマクラ武士がいきなり戦場に放り込まれた感じだな。

1860年代の武士は、太平の世に生まれ育った役人や無役のニートだったのに、
突然頃し合いをやらされたわけで、現代に置き換えてみたら恐ろしいことだ。
795日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:01:01
そりゃいくら旗本の殿様でも戦場の恐怖に駈られて逃げるだろう
人足体に身をやつしてな
796日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:08:47
>>786
「独立隊長」とは何??

ショッカーのゾル大佐のことか?


797日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:08:48
戦場の恐怖なんて経験しないとわかんないもんな
798日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:15:37
ショッカーってなんだよ
799日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:19:22
???
>指揮の自由度が比較的高いのは独立隊長です。
800日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:25:33
>指揮の自由度が比較的高いのは独立隊長です。

当たり前のことそのまま威張って言って 馬鹿?
それに「独立隊長」って何?
軍事知ってんの?
801日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:50:34
教授は15時にネットし放題なのか羨ましい
でも大学講師や教授ってコネがないとなれないんだよね・・・
父親がそうそうに死んで祖父から憎まれてるおかげで
あらゆる世界にコネが一切ないうえに国士館中退で無色で来年29の俺は絶望
小禄でもいいから世襲できる世界に生まれたかったぜ・・・
802日本@名無史さん:2008/08/13(水) 17:51:50
大学っていま休みだろ
803日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:18:05
しかもお盆だし
804日本@名無史さん:2008/08/13(水) 19:44:43
>>792
鳥羽伏見。洋式歩兵の指揮官だったはず。

幕末には直参旗本は清朝の旗人同様、怠惰で享楽的な高等遊民と化してたから、
実戦での戦力としては役に立たなかった。
仮に幕府が続いていたとしても、既に兵賦による傭兵が主力となっていたことから、
軍事的に無意味になった旗本には大規模なリストラが行われただろう。
805日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:08:43
佐久間信久かな?
一応佐久間信盛の子孫らしい
同僚の窪田さん(一緒に討ち死)は2千石だからこの人もそれぐらいですか?
806日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:11:11
三千石だったと思う>佐久間家
807日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:59:18
征長で討死した三枝刑部様は?
808日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:02:22
猩々緋の陣羽織、緋威の甲を着し采配にて指揮するもあり。或いは槍を捨てて逃れるもあり。
また人足体に身をやつし退き去るもあり言語道断の事に候
809大學ヘ授:2008/08/14(木) 09:04:29
独立隊長とは独立隊の長です。
例えば小隊や大隊は常設でなく、その長も常置でなく、敢て設けても独立隊でなく、その長は直属上官たる中隊長や聯隊長ののスタッフに過ぎず、権限も制約されて居ます。
将校の役職を中隊附とか聯隊附とかいうのはこの為です。
海軍の駆逐艦長や潜水艦長が艦長でないに似る。
団体長に非ず。
分ることだけ論じましょう。
810日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:35:09
江戸時代の軍制で騎兵なんていてたまるかよ。
それ以前に、近代兵制との比較自体が無意味だ。
811日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:43:18
制度上は潜水艦長は艦長ではないが、制度上の上官の潜水隊指令は
当然ながら戦闘時の各艦の指揮は潜水艦長に任せるほかない。

制度だけで物を語ろうとするから本質から乖離するんだ。
812日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:53:22
常設といえば徳川幕藩体制の封建領主は常設なわけで
城主≒連隊
国主≒師団(複数国の主は軍)

七千石の旗本≒使い道無し
で桶?
813日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:03:16
やっぱり
城主未満の封建領主っていらんよなー。

五万石以上の大名と二百表から三百表の蔵米取旗本に収斂した方がいいなw
814日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:12:14
行政上も5万石未満は非効率なんだろうな。代官も最低がそのクラスだし。
論功行賞の必要性がなければ1万石程度の半端な領主は作りたくなかっただろう。
815日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:22:46
藩でも家臣は万石単位の大身でもない限りは蔵米取りに徐々に移行していた。
千石程度の旗本がなぜそのまま知行地を与えられたままだったのか。
旗本のプライドの拠り所を奪えなかったということか?
816日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:31:18
なんか家光の頃に流しの武家奉公人の江戸流入を嫌って、
蔵米の旗本を知行に変えたらしい。
これなら自領から動員出来るからってことみたいだけど。
とは言えまだ軍役制度が有効少なくとも表向きはだった頃の話、
幕末になると軍役制度も崩壊してたし、制度疲労?
817日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:51:27
>>794
> 1860年代の武士は、太平の世に生まれ育った役人や無役のニートだったのに、
> 突然頃し合いをやらされたわけで、現代に置き換えてみたら恐ろしいことだ。

現代だったら、無役のニートは他人を殺すだけならやってるがな。ただ、相手に殺される可能性があるという状況だと普段の勇者っぷりが出
せるかどうかは甚だ怪しいがw
818日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:52:14
徳川幕府はアホだったのかなあ?

早々と大阪の陣で七千石の旗本が軍事的に無力であったことが証明されてるのに
高禄旗本を放置してw
819日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:55:06
つーか旗本自体が将軍直属の軍隊だろ。
慶喜は旗本のブザマな体たらくを見て抗戦を諦めたようだが。
820日本@名無史さん:2008/08/14(木) 10:59:38
死体処理係りにも迷惑な話w
無力なクセにイキガッて殿様以下全滅して死体累々w

スケールメリットて力学の基本中の基本だろ。

821日本@名無史さん:2008/08/14(木) 11:12:11
徳川将軍家旗本衆よりも室町幕府奉公衆の方が軍事的に優秀だな。
時代が違うのは弁えた上で、足利義教の天才的発想が作り出した親衛軍で
永享の乱、続く結城合戦で絶大な威力を発揮した。

徳川幕府はよく言われるように足利幕府の継承者たらんと欲したわけで
江戸開幕の時点で旗本制度が過去の遺物になっていたことに気付いていなかった
と言える。
822日本@名無史さん:2008/08/14(木) 11:21:01
俺の結論として旗本制度は中世の遺物で近世に於いてはまさしくキメラである。
戊辰戦争に駆り出された旗本衆には誠に気の毒な話である。
823日本@名無史さん:2008/08/14(木) 11:44:47
綱吉時代頃に、俸禄制だった旗本まで地方知行に切り替えてるんだが、
これは旗本自身が領主として知行所を持つことを名誉に感じていたほか、
地方知行制の方が地方支配の手間を領主となった旗本に転嫁できるので、
幕府自身の負担が軽減できるというメリットもあったらしい。
824日本@名無史さん:2008/08/14(木) 12:11:22
なんか流れが5万石以下の大名と旗本いらね派の自演臭い
825日本@名無史さん:2008/08/14(木) 12:57:11
そして旗本の運命は引力の如く戊辰戦争に吸い寄せられていくのであるw
826日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:21:25
直参旗本って明治維新で朝臣になれず静岡藩士になった者なんて
例えば千石の株主が幕府という企業の破綻で 塩漬け→紙屑 になったゼファーや
アーバンの凍死家のようなもの?
827日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:31:21
実体経済はマネーゲームと違うので
封建制崩壊で禄を無くした武家の農業資本を吸い取った奴等がいるな。
金銀、美術品という形で海外に流出した資産以外に。

明治維新の黒幕は誰だ?
本当に腹黒い奴等は
828日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:31:49
旗本は国会議員
大名は知事みたいなかんじ
地方議員は国会議員から見れば陪臣だから生まれついての偉さが違う
829日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:16:51
>>828
その例えまったく外れてる
830日本@名無史さん:2008/08/15(金) 17:03:43
第一次大戦前の帝政ドイツにたとえれば、
旗本はプロイセン王国の軍人・官僚の供給元であるユンカー。
大名はバイエルン、ザクセン、バーデンなど各領邦の君主。
陪臣は各領邦の軍人や官吏。
831日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:04:28
そういう例えはあまり意味がないと思われ
832日本@名無史さん:2008/08/15(金) 19:32:29
幕末に幕府が持ち直されてたら
榎本とか中興の功臣として大身になってたんかな?
833日本@名無史さん:2008/08/15(金) 19:43:06
>>830
その例えだと宰相ビスマルクの説明は破綻するぞ。

大老、老中に準えるなら自身もまた領邦君主でなければならない。
彼はプロイセンの貴族階級であってドイツ帝国の皇帝を兼ねるプロイセン国王の
臣下であると同時にドイツ帝国の宰相に就任したのだが領邦君主と同列とは言えない。
ドイツ帝国は領邦君主を力で屈服させた歪も内包していたと言える。

我国の近世封建制は朱子学の徳をもって統治されたことが特筆すべき点である。
834日本@名無史さん:2008/08/15(金) 20:25:11
別にいいじゃん。旗本の立場を近代軍制に当てはめようとする馬鹿もいるくらいだから。
835日本@名無史さん:2008/08/15(金) 20:53:27
七千石の旗本って意味ねーよな。
836日本@名無史さん:2008/08/15(金) 21:52:39
>>835
伊達厨は黙ってろよ。どんなに茶化したってDQN宗が敵より味方を多く殺した事実は覆らないよ。
837日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:06:25
神保美貴のヘアヌード
838日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:24:00
戦場に於いては番方を編成してこその旗本。
大身旗本の単独行動は邪魔なだけw
839日本@名無史さん:2008/08/16(土) 04:18:46
味方打ちしたりドン五里したりのド田舎藩よりはよほどマシ。あの藩は
まともに戦ったことなんかないだろ。
840日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:45:36
旗本の本質が戦士である以上、近代軍人との比較も無駄ではないだろう。
841日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:52:08
>>840
その通り
842日本@名無史さん:2008/08/16(土) 10:59:31
単なる例えは比較になってないけど
843日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:37:19
>>839
キリシタン伊達政宗謀略説を知らないのか?
844日本@名無史さん:2008/08/16(土) 13:08:51
そもそも旗本が家の制度と結び付いたからおかしなことになったんだな。
織田家では馬廻り衆、黒布衣衆、赤布衣衆は国人領主の二男三男から選抜された。
前田利家、佐々成政が有名であるが彼等は本家を相続する以前は蔵米取りであり、
本来の旗本衆の姿を見ることができる。
旗本は馬廻り衆と同義の任務であったのが泰平の世において家格化したのである。
諸侯の分家旗本の根拠を垣間見ることが出来ると言えよう。


845日本@名無史さん:2008/08/16(土) 17:46:08
単なる例えは比較になってない、と言い張るならその根拠を述べなきゃ
846日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:00:17
例えは比較の一種。
よって842は虚言。
847日本@名無史さん:2008/08/16(土) 23:27:09
全く異なる制度のお遊びめいた比較を馬鹿にされたのに、なぜか戦士としての
旗本と近代軍人との比較を擁護する馬鹿w
848日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:27:41
先込め単発の火縄銃は100丁以上を集団運用しなければ威力も意味もない。
大身旗本の10丁程度の鉄砲足軽は戦力どころか次弾装填動作中は無防備で
同僚兵士の負担をも増やしてしまう。
旗本の軍役規定は大名のそれの単なる縮小版であり軍事的配慮の欠落したものと言える。

849日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:38:22
>>847
馬鹿に(w)を無駄に付ける頓馬よ
馬鹿だと言い張る根拠を述べなきゃ
850日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:44:03
旗本に戦士としての本質以上に語る価値があるのか?
851日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:49:43
旗本の戦力としての真価は馬廻り衆として番方を編成することにある。

大名縮小版の大身旗本は戦場に於いては邪魔なだけで軍事的に無意味。
852日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:19:21
>>847 はバカ?

我国において近世封建軍役と近代国軍軍制は全く異なる制度ではない。
旧城主領である県庁所在地には連隊本部・駐屯地が置かれ、旧太守領城郭
には鎮台(広島鎮台、熊本鎮台など)が置かれた。
近代軍制は西欧のそれをそのまま移入されたのではなく我国の伝統と風土を
充分に加味して整えられたのである。
853日本@名無史さん:2008/08/17(日) 05:35:59
どうも少なくとも一部は本郷が自演しているっぽいな。>>849の通り独特の文体で無闇に
相手の指摘に根拠を求めたり、噛み付いてる相手のレス自体に既に根拠が述べられてるのに
執拗に粘着したり。
しまいには、江戸期の軍制を近代軍制の部隊編成に無謀にもなぞらえて比較してたために
馬鹿にされたにもかかわらず、>>852のように強引にその論点とは全く異なる共通点を持ち出して
無意味な反論をしようとしたり。

本当に頓馬だなw
854日本@名無史さん:2008/08/17(日) 12:12:28
>>853
頓馬とはその方のことだぞ。
855日本@名無史さん:2008/08/17(日) 12:22:17
人には根拠根拠とやたらやかましく、根拠を出していても気付かない頓馬のくせに、
自分は言いっぱなしでOKってか。

本当に頓馬だな。
856日本@名無史さん:2008/08/17(日) 13:16:23
結局のところ、旗本の番方って江戸城の警備くらいしか仕事がなく、
平時はそれでよかったが、幕末の動乱の時代になると戦力として全く役に立たず、
慶喜政権での軍制改革が続いてれば、いずれはリストラの運命だったんだろ?
857大學ヘ授:2008/08/17(日) 14:09:28
 全く見当違いです。
 徳川氏は覇権確立後も自身最大の大名でありましたから、大名としての軍制を持っていました。
 前田氏以下の旧朋輩諸侯が旗本を持っていたように、徳川氏もこれを要しました。
 前田氏が長氏以下の万石取重臣と別に千石百石の家臣を要したように、徳川氏もこれを要しました。
 徳川も前田も、こうした小侍無しには崩壊してしまいます。
 なほ城郭警備は当時、最も名誉ある要務で、幕府制度上も警備司令官は大蔵大臣より遥かに上位です。
 
858日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:18:00
城郭警備が旗本にとって名誉ある仕事であったことは認めるけど、
太平の世では役方に比べて重要度が低下し、閑職だったのも事実では?

財務・民政の実務官僚でもなく、近代的な訓練を受けた軍人でもない番方は、
幕末も押し迫った時期には無用の長物になってしまった。
859日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:39:13
幕府はいわば軍事独裁政権だから、軍事偏重なのは当たり前。
にもかかわらずその軍事に関して全く役立たずの旗本は、タコそのものだな。
860大學ヘ授:2008/08/17(日) 19:12:07
徳川の覇業が旗本の精鋭によって成った史実を没却する謬見ですな。
三河武士団といえば精強を以て鳴ったものです。

861日本@名無史さん:2008/08/17(日) 19:18:25
先祖の栄光に胡坐をかいて無用の長物と化した卑劣な愚者集団。
自分が戦場に出たくないからといって、年端も行かない子供に家を継がせて
引退する奴らが続出するなど、どこまで卑劣なんだよ。
862日本@名無史さん:2008/08/17(日) 19:56:06
幕府自身も最終的には旗本そのものを軍事集団として再編することを断念して、
家禄の半分を軍役金として徴収して、それで傭兵を組織する方針に転換した。

要するに旗本は軍事費の負担だけして下さいってこと。
863日本@名無史さん:2008/08/17(日) 20:05:47
言い換えれば、もともと知行を与えずに幕府代官にでも任せていれば小コストで歳入が得られるのに、
役立たずに半分を持っていかれたわけだ。
864日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:20:22
>>860
三河武士団が精強をもって鳴らした最後の戦いは小牧長久手戦役。
小田原攻め、関ヶ原も主力は秀吉子飼の大名であり
大阪の陣においては真田幸村の家康本陣強襲に際して大御所家康を置き去りにして
我先に逃げ出す体たらく(大久保彦左衛門談)
三河武士の典型、徳川家の譜代旗本と言えるものは安祥衆。まぁ岡崎衆までだな。
865日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:37:58
徳川家旗本衆の軍事的機能不全は二代秀忠で既に始まっていた。
家康は関東入部に際して譜代衆を五万石目安で二百万石余りの所領に配していたのだが
秀忠の凡庸なる家臣偏愛で軍事的に中途半端で無意味な万石前後の小名を増やしてしまった。
野戦の達人の家康にしてみれば歯痒かったに違いない。
866日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:12:31
五万石だろうが一万石前後だろうが、役立たずなのは一緒です。
867日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:00:51
真田勢には大大名の前田も伊達も踏潰されたのだから、格別小身者や旗本を否定する理由にはならない。
868日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:13:00
石高の高低にかかわらずもの用に立たない兵力ばかりだし、国持ちだろうが城主だろうが待度が高いほど役に立たなかった時の評価が酷しいのは当然
869日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:33:49
>>867
真田勢(浪人主力=プロの傭兵)
大身旗本(軍役は大名の単なる縮尺版)

これは雲泥の差。
870日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:36:36
その辺は歴史が証明済み
871日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:37:52
>>866
若い頃、ケンカをしていればそんな見当違いのセリフは出ないぞ。
872日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:41:03
肉声をもって他人にものを言うのと2ちゃんで書くのとは違うんじゃね?
873日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:43:42
漫画じゃないんだから
命懸けの者同士で1対5で勝つのは無理。

五倍もの敵に囲まれたら相当怖いぞ。
874日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:46:04
危機的な戦時においては石高=人数とは限らないよ
875日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:47:27
だいたい一万石と五万石の軍勢は1対5じゃないし
876日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:48:47
数で戦の勝敗が決まらないのは常識
877日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:56:30

関ヶ原のときの井伊と福島の先陣争いのように十万石以上の者の単独行動と
七千石の旗本が戦場で邪魔臭くウロチョロするのとは全く違う。



878日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:00:14
>>874 >>876 ばか??

戦の怖さを知っている智将は必ず多数派工作をする。
家康公然り。
879日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:32:53
一万石と五万石の多数派工作
880日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:36:39
>>879
お前 家族からも距離置かれてるだろ。
881日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:41:32
戦国の世には「一万石の大名」は存在しない。

882日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:58:51
戦国限定すか?
883日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:36:45
見当はずれな反論が続いているな。喧嘩での数とか、多数派工作とか。
将軍家の配下の大名で一万石だ五万石だと語ってるんだから、戦場の兵の総数には
大した違いはないだろ。問題は兵数じゃなくて、指揮系統を事前に確立できるかどうかと
いう点じゃないのか。
884日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:55:10
数でまさってて負けたいくさのほうが世界中探しても太古からすくないよ
少ないからこそまれの勝利が目立つ(たいていそれは一時しのぎの勝利で
最終的に数に潰されるんだが)し勝てなくても奮戦が有名になるんだよ

物量で圧倒的に勝ってれば旧日本軍でも米軍好き放題ぼこれるわ
どんな崇高な理想も気高い精神も根性も
クズ見てぇなゲスの集団にすら数で劣ってたら絶対に絶対に絶対に勝てないんだよ
戦いは数。数があれば練度が低くても必ず勝つ
生まれてから一生かかってすべてを費やして人生犠牲にして得た奥義をもつ戦闘のプロでも
くっちゃくっちゃよだれたらしながらポテチ食って何の努力も苦労もしなかった連中10倍相手じゃ
天地がひっくり変えても勝てん
そいつの努力とか全部無駄だってことだ人生どぶに捨てただけよ
885日本@名無史さん:2008/08/19(火) 05:35:48
徳川家の石高が一定なんだから、配下が一万石大名X人だろうが五万石大名X/5人だろうが
徳川家全体の兵数に大きな違いはないって言ってんだよ。

つーか、戦国時代の兵制でも、家老>侍大将>侍>足軽というピラミッドだろ。侍から
侍大将程度の人間を独立兵力とする発想自体、軍の組織化の問題そのものだろ。
886日本@名無史さん:2008/08/19(火) 09:44:08
>>885
武田家と大友家の没落の説明がつかんぞ。
お前の言うピラミッド構造は時代の覇者=織田家系のものだ。
だが元祖は今川家。

武田家と大友家はそれぞれ三カ国以上の太守から耳川の戦、長篠の合戦の敗北を機に
一気に没落した。
両者の軍制に共通していることは国人領主の連合軍の色彩が濃いということ。
武田騎馬軍団厨や大友家臣団厨には申し訳ないが、軍団でも何でもなく奴等は
貴種を担いでいた烏合の衆だっただけのこと。
勉強してから書き込むことだぞ。
887日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:00:39
「徳川家」とはっきり書いてるのに武田や大友を持ち出して議論を混乱させるな。
話の流れは「中途半端な兵力である旗本・小大名の軍編成上の扱い」だ。
888日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:02:23
>>883
軍役を理解してないな。
石高に応じて槍の数から荷駄人足の数までこと詳細に規定がある。
所領を任されている義務だ。
しかも誰かが加勢してくれるなんて甘いもんじゃない。
大阪の陣で軍役に不備があった筑後田中家のように勝ち戦でも改易される。

石高の多さ=領主の豊かさと勘違いしてるのは泰平の江戸期のイメージ刷り込みで
しょうがないが、主君に何よりも軍事をもって忠義を尽くす武家にとって重き責任であった。
家とは忠勤に励み名誉を重んじる組織であって殿様個人ではないことは言うまでもない。



889日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:07:24
>>885
>つーか、戦国時代の兵制でも、家老>侍大将>侍>足軽というピラミッドだろ。侍から
 侍大将程度の人間を独立兵力とする発想自体、軍の組織化の問題そのものだろ。

お前は自分の書いた落書きも読めない文盲か?


890日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:18:56
つまり江戸期の大名は相変わらず「坂東武者は主あって主に主あるを知らず」 の
ノリだったわけだな。
891日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:20:58
>>887
番方に編入されない小大名や大身旗本は否が応でも独立部隊の「備」。
しかも自己判断の抜け駆けも加勢も退却も軍律によって厳しく禁止されている。

運が悪ければ全滅。
892日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:22:12
「戦国時代の兵制」を「戦国時代のあらゆるの戦国大名の兵制」と勝手に読み替えて
ムキになって反論する文盲w
893日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:25:03
>>883では

>問題は兵数じゃなくて、指揮系統を事前に確立できるかどうかと
>いう点じゃないのか。

とあるのに、文盲はまさにそれと等しい主張をしつつ>>883を攻撃するのなw
894日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:30:01
>>890
江戸末期の第一次長州征伐後の長州藩家老福原越後らの切腹は幕府への
謝罪の切腹ではなく、主君毛利家への忠義の切腹だからな。
895日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:32:42
>>893
誰の書き込みか判別できるようにコテハン使えよ。
896日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:38:24
>>892
便所の落書きはお前なのか? 文盲君
897日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:43:59
>>892
あなたの文章に問題があると思うよ
898日本@名無史さん:2008/08/19(火) 10:52:26
問題の落書き
  ↓
885 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 05:35:48
徳川家の石高が一定なんだから、配下が一万石大名X人だろうが五万石大名X/5人だろうが
徳川家全体の兵数に大きな違いはないって言ってんだよ。

つーか、戦国時代の兵制でも、家老>侍大将>侍>足軽というピラミッドだろ。侍から
侍大将程度の人間を独立兵力とする発想自体、軍の組織化の問題そのものだろ。


899日本@名無史さん:2008/08/19(火) 12:06:07
蘇る文盲
900日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:14:43
軍事における質量保存の法則ってかw

野戦においては戦線という限られた場所で兵力の激突が見られるので
多数の均一した質の兵力を組織的に運用できる軍団や番方が小名の群れよりも
有利であることは言うまでもない。
兵站に於いても自活手弁の小名の群れとは比べようもない。
901日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:19:17
>>885 は軍事史、戦史を知らないんだね。
902日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:28:46
戦術的に小名の群れが活用できる場面は
圧倒的優位な攻城戦か敗残兵追撃戦で、落ち武者狩の掃討作戦には重宝されるな。
903日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:52:17
相変わらず見当外れの指摘が続くな。
そりゃ全部>>885の記述の「軍の組織化の問題そのもの」だろうが。

文盲は何度指摘されてもおのれの過ちに気付かない。頓馬なやつらめ。
904日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:56:53
稚拙な内容だから何を言い繕っても恥の上塗り
    ↓
885 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 05:35:48
徳川家の石高が一定なんだから、配下が一万石大名X人だろうが五万石大名X/5人だろうが
徳川家全体の兵数に大きな違いはないって言ってんだよ。

つーか、戦国時代の兵制でも、家老>侍大将>侍>足軽というピラミッドだろ。侍から
侍大将程度の人間を独立兵力とする発想自体、軍の組織化の問題そのものだろ。


905日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:57:34
>>885
馬鹿が。家来と与力の区別もつかんとは。こいつが一番文盲。
906日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:00:14
しかも軍事を知らずに得々と軍事を語っている。
907日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:22:29
過去レスにまた馬鹿発見
    ↓
883 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:36:45
見当はずれな反論が続いているな。喧嘩での数とか、多数派工作とか。
将軍家の配下の大名で一万石だ五万石だと語ってるんだから、戦場の兵の総数には
大した違いはないだろ。問題は兵数じゃなくて、指揮系統を事前に確立できるかどうかと
いう点じゃないのか。


こいつ救いようのない馬鹿だな。
自分で将軍家と言ってて「指揮系統云々」の問題提議(恥)
将軍家の事例は歴史的事実あるのみ。


908日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:23:34
部隊の長にとっては家来と与力の違いがあろうが、徳川家にとってはどちらも自分の家の家来。
いつまで問題の取り違えを押し通そうとするつもりだ文盲は。
909日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:26:57
>>907
小大名や旗本の軍事上の問題点が論点だから、部隊編成が問題になるのは当然。
史実は史実だが、論点はその史実の問題点に関して導き出されたものだ。

重箱の隅つつきで問題を矮小化させる文盲。まだまだ頓馬なレスを続けてくれそうだな。
910日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:34:06
「指揮系統」が軍事の全てだと思い込んでる馬鹿。
戦史評論でよく目にする「指揮系統」をチラつかせれば知ってんだよ俺はと
言いたくてしょうがないのが透けて見える。
しかも軍事をしらずに(恥)
911日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:41:03
当たり前のことを屁理屈の材料にしてて見苦しい
      ↓
908 名前:日本@名無史さん :2008/08/19(火) 17:23:34
部隊の長にとっては家来と与力の違いがあろうが、徳川家にとってはどちらも自分の家の家来。
いつまで問題の取り違えを押し通そうとするつもりだ文盲は。


912日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:47:11
>>909
指揮系統の話がしたかったんじゃないのか?
欠点を指摘されればそちらを繕う。
これじゃ軍事の素養も皆無だな。
913日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:49:34
>>908
1.じゃ、何で宇都宮藩に付属させられていた根来同心は本多正純の命令を聞かなかったんでしょうね?
2.何で紀州の付家老安藤家に付属させられていた横須賀衆は安藤家の家来になるのが嫌で大量脱藩したんでしょうね?
しかも、こいつら処罰もされず紀州藩の仲介で松阪城城番に返り咲いてるんでしょうね?
914日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:20:36
>>913
統制力不足。平和になれば事なかれ主義が横行して、駄々こねる家臣に思い切った統制が
しづらくなる。軍事だろうが政治だろうが同じ。官僚が政治家のいうことを聞かないようなものだ。


それはともかく、鸚鵡返ししかできないバカが荒らしているな。軍事を知らないとか無闇に
書いてるけど、それがこの馬鹿のコンプレックスなのかな。
夏厨ウゼ
915日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:50:15
>>914
家臣じゃないだろ
与力の統制を質問してるんだろ?

それに軍事と政治は全く別物。軍律(軍法)が刑罰を伴っているが
官僚は政治家にそもそも従属していない。
全く見当はずれ
916日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:18:30
旧守護・国人領主以外の大身旗本の起源は賤ヶ岳の七本槍だろうな。
秀吉は福島、加藤を五千石クラスに取り立てているが大名への過渡的な処遇で
すぐに軍団を維持できるレベルに引き上げている。
山内一豊も近江・播磨内五千石の次のステップは近江長浜二万石である史実が
示しているように軍人としてのランクには一万石前後の禄高は無い。
五千石の旗本は大名への最終ステップであり、五千石以上一万二千石未満の者は戦力として
何の期待もされていなかったということだ。
917日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:37:11
だからなにが言いたいんだろうか?
918日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:38:59
七千石の旗本いらね
919日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:27:58
>>914
理解が薄いな。要するに禄高・格式が低いだけで(将軍から見た)身分は同格だからに決まってるじゃないか。
何のために関白になりおおせるまでの秀吉が味方に付いた織田家の旧同僚にどんだけ気を使ったか考えてみなよ。
おかげで、長久手でしなくてもいい敗戦をしたのがその一例だ。あと信長の葬儀の形式的喪主が誰だったかとか。
ほかにも、大坂冬の陣じゃ藤堂高虎が与力につけられた大和の小大名たちがなかなか指示に従わず困っていたと言う話も聞く。
家臣と、同格の協力者とは全然別物だ。
920日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:32:23
ああ、それから紀州藩の場合は将軍じゃなくて「殿様から見た身分が同格」と適宜読み替えてくださいね。
旧陸軍で言えば、師団長の建制の部隊が家臣に、軍司令官の命により配属された軍直部隊や他の師団の部隊が与力に相当したり
しなかったりw
921日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:28:29
本来、数百石の旗本は番方の主力で三千から五千石の旗本は大名への道が嘱望された少数のエリート。
旗本は任務であって家格ではなかったが泰平の世の世襲により格式化したと言える。
旗本身分の禄高が百表程度から九千石台までの幅がそれを証明してると言えよう。
922日本@名無史さん:2008/08/20(水) 04:37:01
>>915
>家臣じゃないだろ
>与力の統制を質問してるんだろ?

>>919
>要するに禄高・格式が低いだけで(将軍から見た)身分は同格だからに決まってるじゃないか。

やはり馬鹿が突っ込みを入れてきたね。
主君の命令で与力についてるんだから、それをごねるのは主君の命令に従わない状況に
他ならないだろうが。あと、大臣は官僚を指導する立場だ。
統制がきちんとしていれば、老中や大目付が「馬鹿の言い分では同格のはずの」諸大名を
きっちり締め上げることが出来る。

表層で物事を捉えようとするなよ。
923日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:26:46
>>921
いや、だから寄合旗本にしろ小大名にしろ、兵力として中途半端なんだって。
一万石の線引き自体が軍事無視だから、エリート云々は軍事とは関係ない
ところでの話だから、「本来」ってのとは違う。
924日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:40:09
中期以降大身旗本や譜代藩が兵力として養ってたのは軍役規程の半分くらいだろ
925日本@名無史さん:2008/08/20(水) 09:26:17
>>922
また気持ち悪いくらいの早朝から
便所に落書き書いて喚いてるな。

>大臣は官僚を指導する立場だ。
お前は「政治家」と書いてたはずだぜ 
都合よく掏り替えるんじゃねーぞ。

統制が効いてないから与力が反発したのは史実だろ?
お花畑のお前の脳は原理原則に捉われ過ぎで実態を見てねーな(恥)
926日本@名無史さん:2008/08/20(水) 09:51:05
>>923
説明が足りなかったね。
「本来」で言ったのは織豊政権から幕初までの旗本のことで
「泰平の世」は三代将軍家光以降の話なんだ。

旗本身分に百表程度から九千石台までいるのは 一定の階級秩序があった
軍人である旗本衆に、万石未満の武家のいろんな処遇の結果がまぜこぜ
になった名残だ。ということ
927日本@名無史さん:2008/08/20(水) 09:58:40
小大名や大身旗本が兵力としては中途半端という認識では
このスレ参加者は一致してるようだな。

さて、小大名や大身旗本が必要不必要ではどうだろう?

928日本@名無史さん:2008/08/20(水) 10:49:19
>>922
文治政治に体制が変わってからの論理だけで語るなよ文盲。
秀吉〜家光の頃までは家臣が主君の命令に従わない例なんかいくらでもある話じゃないか。
そんなのも知らないなんて、おまい漏れ以上の馬鹿だな。少なくともこの時代の習慣に関する知識がなくて言ってるのは間違いない。
流石に紀州の与力たちは時代を考えたら随分思い切ったことをするとは思うが。
929日本@名無史さん:2008/08/20(水) 11:00:44
一万石の線引きは軍事を一切無視してるって点で賛同するな。
930日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:39:01
万石以上と万石以下では軍役が違うんじゃね
931日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:40:24
>>930
調べましょう
932日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:42:29
軍役ちがうよ
933日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:22:53
歴史とは皮肉なもので大禄の尾張、譜代筆頭の井伊は官軍で
千葉のしょーもない小大名が旧幕府軍だったりする。
恭順を表してた旗本小栗は斬首だぜ 斬首。
戦力として全く無力って分りきっていた小大名や大身旗本を容赦なく捻り潰した薩長は
武士の情けもねーんだな。

仮にもっと早期に左幕の意思の強固な小大名や高禄旗本が領知返上して百万石の経済背景で
徳川家宗家の近代旗本軍を創設していたら薩長の自由にはできなかっただろう。
934日本@名無史さん:2008/08/20(水) 18:44:46
天保の改革で上知令が失敗したことを考えれば、それはできない相談というものだ。
替地をやると言っても、実入りの多い江戸・大坂近郊の領地を手放すのに難色を示したのは、
ほかならぬ譜代大名と旗本だった。
935日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:15:30
譜代小大名と高禄旗本は獅子身中の虫。

大阪の陣で七千石の旗本が邪魔臭く全滅して戦力外が証明されてるのに
家光以降の将軍家ときたらボンクラ揃い。
俺が将軍家だったら
高家、交代寄合は記念物として残し
旗本は任務として一代限りにして二百石クラスの御家人の層を厚くしベースにして
そこからの選抜制にするのだがな。
936日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:36:14
史実として大身旗本なんかごく僅かで御家人層がもっとも厚いよ
937日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:38:40
いやだから世襲旗本は無しねって話。
938日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:43:11
軍事的には世襲は効率悪いと思う。
文官養成には悪くないけどね。
全国民を教育してそこから官僚養成するより効率的かもしれない。
官僚は独創性要らないし。
939日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:30:21
世襲旗本に担保されてたのは忠誠心ぐらい。
だけど幕末に裏切られまくりw
940日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:39:37
御家人株や旗本株が売買される民度の低さは神君も想定外。
民度が低いって知ってたから儒教精神を根付かせようと「賤商嫌金」を
スローガンにしたのかも。
941日本@名無史さん:2008/08/21(木) 06:04:27
>>925
大臣は政治家だから、大臣の指導下にある官僚はつまり政治家の指導下にある。
ヴァカ? 文盲??

>>928
統制が利いていれば、軍令を聞かない家臣はぶった切って他の家臣への見せしめに
することも可能。統制が不十分だっただけの話だ。


この二つのレスなんざ、重箱の隅つつきの類じゃねえか。なんでこんな視野狭窄の
文盲が無闇に湧いて来るんだ。
942日本@名無史さん:2008/08/21(木) 08:55:33
また早朝から便所の落書きか・・・
943日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:41:09
>>941
じゃ、>>935が書いてる上知令は?
本来将軍家の家来ではなかった外様大名が反対するならともかく、現将軍の血統を出してる紀州藩だの現職の老中だのが反対してポ
シャるって徳川幕府はどんだけ統制効いてないんだよ。
で、誰一人反対者を見せしめにぶった切ることもできず却って発案者の水野忠邦が失脚してるじゃないか。
これだけいろいろ実例が(しかも上知令なんて中学の教科書にも載ってる事項だぜ)あるのに重箱の隅つつき呼ばわりか。
おまいの重箱は随分大きいんだな。東京ドームくらい大きいのかね?
944日本@名無史さん:2008/08/21(木) 14:10:17
>>941
用語は正しく使用すること。
945日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:24:49
豚知己
 ↓
914 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:20:36
>>913
統制力不足。平和になれば事なかれ主義が横行して、駄々こねる家臣に思い切った統制が
しづらくなる。軍事だろうが政治だろうが同じ。官僚が政治家のいうことを聞かないようなものだ。


それはともかく、鸚鵡返ししかできないバカが荒らしているな。軍事を知らないとか無闇に
書いてるけど、それがこの馬鹿のコンプレックスなのかな。
夏厨ウゼ


946日本@名無史さん:2008/08/21(木) 18:12:46

軍役に騎馬と定められてるのに馬を飼っていない旗本は
何に乗って馳せ参じようと思っていたのか?

947日本@名無史さん:2008/08/21(木) 18:52:05
>>940商才や文才のある旗本や御家人は次々に株をうっぱらって金になるほうに進む。二代目三代目ね旗本や御家人は戦争を知らない子供たちなんだから武士の誇りや武術なんかも正直興味なかったろう。
時代も軍人を必要とはしなかったし。でも庶民にとっちゃ武士の身分は魅力的なもんで金に余裕のある奴は次男やら三男に株を買ってやったりしたんだろう。
お互いの利害が一致して株の売り買いが行われたし起こるべくして起きた。そりゃ家康は驚いたかもしれんがその種を蒔いたのは他でもない家康本人。
冷静に考えたら庶民が戦国の世で刀や槍で武士に成り上がったのが江戸時代では財力で武士に成り上がるように変化しただけ。
それでも残った旗本連中は馬鹿正直に徳川に従って最後の将軍慶喜の方針にも大人しく従って恭順した。
対象的に幕末に成り上がった新撰組やら大鳥圭介なんかは恭順命令に従わず脱走して会津救済や函館新政権に戦闘理由を求めて戦い抜いたがな。
948日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:10:39
>>940民度がどうとかというより、幕臣の2、3代目たちは戦争を知らない子供たちで武士の誇りや武術にメリットを感じらなくなった。文才や商才を生かして生活した方が確実に儲かる時代になったから身分も捨てた。
でも庶民にとっちゃ武士の身分は魅力的なもんで金に余裕のある奴は次男やら三男に株を買ってやったりしたんだろう。戦争がないから武力ではなく財力でそれを求めた。
家康は驚いたかもしれんがその種を蒔いたのは他でもない家康本人だな。真のサムライは江戸時代が始まると同時に滅んだとも言える。
それでも残った古い家柄の幕臣連中は馬鹿正直に徳川に従って最後の将軍慶喜の方針にも大人しく従って恭順した。
対象的に幕末に成り上がった新撰組やら大鳥圭介なんかは素直に恭順命令に従わず脱走して制御不能になり会津救済や函館新政権維持を戦闘理由に暴れ回った。
949日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:11:49
なんか同じような文を載せちまったすまん。
950日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:03:04
推敲を重ねてたのか?
951日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:13:17
この国の民度はずば抜けて低いと思うよ。
隣の国には負けるがなw
952日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:54:07
まあ外からの危機がなければ既得権をぶちこわす改革なんて出来るわけないよね。
おまけに既得権自体が武力を持ってるし。
953日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:55:52
隣というとアメリカですかロシアですか中国ですか?
ああオーストラリアね、それともフィリピン?
まあもっと近くに民度とか問題外の地域はありますが。
954日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:21:56
>>952
小泉「改悪」に毒されっぱなしだなw
955日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:41:53
>>948
儲かる云々はここ百年ぐらいの価値観だな。
我国の伝統的価値観は「支配すること」。
いかに領民から搾り取るかどうかだ。

956日本@名無史さん:2008/08/22(金) 08:18:11
>>943
田沼の時代の明和の上知では統制が利いていたから、譜代大名・旗本が中心の地域、特に
尼崎藩の命綱だった西宮・兵庫津なども含めた地域の上知が行われた。
天保期には、田沼の政策がきっかけで商品経済の発展が加速されて諸大名の経済困窮が
進んでおり、諸大名の反発の大きさのために統制が利かず、上知を含む水野の財政改革が
破綻した。


夏厨ウゼ
957日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:08:42
>>955
武士だから
搾り取れるポジションとは限らんし

典型例が足軽
傘の内職しているようなら、甲斐性のある町人農民の家の方がマシ
958日本@名無史さん:2008/08/22(金) 11:52:25
>>956
文章は正しく書こう
財政改革が破綻したではなく頓挫した
959日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:50:53
>>956
1.> 田沼の時代の明和の上知では統制が利いていたから、譜代大名・旗本が中心の地域、特に
  > 尼崎藩の命綱だった西宮・兵庫津なども含めた地域の上知が行われた。

2.> 天保期には、田沼の政策がきっかけで商品経済の発展が加速されて諸大名の経済困窮が
  > 進んでおり、諸大名の反発の大きさのために統制が利かず

1の結果が2、と見れば、長期的には幕府の政策は失敗だったわけだ。
自ら統制力がなくなる方向へ舵取りしたわけだから。
だったら君が言うように反対するヤシは御三家だろうが現職老中だろうがバンバン改易・斬首した方がよかったんじゃね?w
960日本@名無史さん:2008/08/24(日) 06:53:52
統制が利いてれば、ワンちゃんを苛めたり蚊を叩き潰しただけで改易とかいうように、
シーシェパードもびっくりの状況もあり。
あんまり処分を繰り返すと、中国の暴君とかスターリンのように組織の弱体化で
国家の危機を誘発するところまで行くけど。


ごく基本的な話をいつまでさせる気だ。単に、統制って言葉をいまいち理解してない
厨房じゃないのか。
961日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:36:49
>>960

アメリカ盲従反革命分子乙
962日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:41:58
>914 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:20:36
 >>913
 統制力不足。平和になれば事なかれ主義が横行して、駄々こねる家臣に思い切った統制が
 しづらくなる。軍事だろうが政治だろうが同じ。官僚が政治家のいうことを聞かないようなものだ。

       ↑
統制って言葉をいまいちどころか全く理解してないなw


963日本@名無史さん:2008/08/24(日) 16:08:16
論争屋ウゼ



また、こんな流れでスレをおまいらだけで乗っ取る気か?
964日本@名無史さん:2008/08/24(日) 16:32:40
>>963
お前が交代寄合について語ればいいだけの話と違うか?

965日本@名無史さん:2008/08/25(月) 07:53:56
相変わらず鸚鵡返ししか出来ない厨がウザいな。その上、学問板で
論争を荒らしとみなす馬鹿までいるのか。

サルかこいつら。

966日本@名無史さん:2008/08/25(月) 08:20:29
いいえ人間ですよ。
967日本@名無史さん:2008/08/25(月) 08:48:59
なんだ、バカな人間だったのか。
968日本@名無史さん:2008/08/25(月) 13:19:32
>>965 >>967

お前が如何程の論陣を張っていると言うのだ?
それが学問板を笠に着るとは笑止千万。
蒙昧なることは他人様の前で言上するでないぞw
969日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:09:56
>>968
>>960でも書いたように、ごく基本的な話をしてるだけ。それを論争などと言って
排除しようとしてるのはサルなみの知能の>>963だ。


まともな読解力もないくせに茶々入れしてくんなよ頓馬。
970日本@名無史さん:2008/08/26(火) 14:08:28
>>969
それは、猿に対する侮辱なんだと思うが。個人的には、>>963より賢い猿ならいそうな気がするな。
971日本@名無史さん:2008/08/26(火) 16:12:34
教授がいないとカキコの質が落ちる。
972日本@名無史さん:2008/08/26(火) 18:09:52
論争屋はいらない。スレを空転させてるだけで、まるで昔の社会党と同じだ。
973日本@名無史さん:2008/08/26(火) 18:53:31
馬鹿が当たり前の意見にいちいち噛みつくのをやめれば馬鹿馬鹿しい論争や空転も
減るだろうよ。

で、お前は昔の社会党と同じように、まともな対案も出せずにいちいち噛み付くだけの
馬鹿か?
974日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:11:17
どうやら新自由主義者の工作員が紛れ込んでいるようだなw

お前は逆立ちしても下層階級なんだから金融資本のポチやってて使い捨てだぞw

975日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:15:47
>>973
アホか?
対案提示要求は言論誘導の姑息な手段だろw

976日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:18:24
>>973
見識が低いだけじゃなくて基礎学力も皆無だな。

お前の脳に皺はあるのか?
977日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:33:46
突然ファビョったな。見苦しいことこの上ない。
978日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:52:28
>>977
左翼=朝鮮ってな
ステレオタイプの思考停止だな お前はw
979日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:55:01
>>977
単純なやつだな
リアル社会生活でもカモられ続けだろ
980日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:57:48

スターリン同志が降臨しましたよ

981日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:59:08
結局こいつは罵倒しか出来ない馬鹿かね。

この調子なら、馬鹿の罵倒でちょうどいいスレ埋めになるか。こんな馬鹿スレなんざ、
次スレは無しでいいよな。
982日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:01:25
>>977
自己批判の場だけは与えてやるぞ。
983日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:02:37
>>981
誰も同調者無し
惨めw
984日本@名無史さん:2008/08/27(水) 05:54:05
この馬鹿は、スレ埋めすらできない役立たずかよ。使えねーな。
985日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:21:09
>>984
こいつは嫌われ者だな。自分で同調者無しを証明してやんのw

臭せーから湧いてくんじゃねーぞ。

986日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:25:19
>>984
スレ埋めなんてさせねーよ。
いつまでも この馬鹿の頓馬ぶりを晒してやるぜ。
987日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:40:36
で、統制派wはどこに消えたんだ?
988日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:10:45
スレタイに「学問」「抽象」「論争」って入れた論争スレ立てて、思う存分やってくれ。
オマエラの隔離スレだ。
989日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:38:37
馬鹿の教育を論争扱いとは、程度が低すぎやしないかね。
990日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:16:30
990
991日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:17:34
 
992日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:21:20
 
993日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:22:14
 
994日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:24:16
 
995日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:27:05
995
996日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:29:03
 
997日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:30:31
 
998日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:01:17
最後まで論争厨に荒らされまくったスレだったな。
999日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:04:06
一部の固定客だけでスレを占有して、一見さんお断りみたいな雰囲気が続き、
古代史関係の痛いコテハンスレみたいになってしまった。
1000日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:06:01
学問、学問と連呼して罵りあいが目的になってた論争厨はうんこだな。
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