【初心者】スレッド立てる前に質問をPart22【歓迎】

このエントリーをはてなブックマークに追加
952日本@名無史さん:2008/09/10(水) 09:22:17
加藤明成
953日本@名無史さん:2008/09/10(水) 11:58:59
加藤明成に寵愛されたのに殉死しなかったのですか?
954日本@名無史さん:2008/09/12(金) 13:27:24
>>593

ここで聞く前に、まず加藤明成と堀主水の間にどういう事件があったか調べてみてくださいな。
955日本@名無史さん:2008/09/12(金) 14:12:49
>>952

堀主水が寵愛を“受けて”たとしたら
明成じゃなくて、父の加藤嘉明なのでは?
956日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:16:08
何でみんな邪馬台国や奴国が日本だったって決めつけて研究してるの?朝鮮半島南部とかの可能性はないの?
957日本@名無史さん:2008/09/13(土) 08:25:29
邪馬台国は やまと と読めるからかな
958日本@名無史さん:2008/09/13(土) 11:21:25
>>954
柳生十兵衞に男でおなくなりあそばされる事になる原因を作ったんですね。
しかし、豊臣恩顧の大名がこれくらい良い口実を作りながら、それでも一応大名ではいられたというのもなにげにすごいな。

清正や福島正則はお家取りつぶされているよな。
959日本@名無史さん:2008/09/13(土) 14:40:08
>>956
楽浪郡なり帯方郡から海を渡った所にあると中国の史書に書いてあるから。
朝鮮半島内で敢えて陸ではなく海上を移動した方が良いという箇所もないし。
960日本@名無史さん:2008/09/15(月) 23:06:38
幕末に武士に西洋式の軍事訓練をやったら当時の日本人は手を振って歩く習慣がないため
隊列を組んで行進できず難儀したと聞きましたが、そのことについて詳しく解説願います。
961日本@名無史さん:2008/09/15(月) 23:58:34
質問です。
儒教が「儒教」と「儒学」に使い分けられている理由がよくわかりません。
江戸時代ではすべて「儒学」として表現されていますし、
大陸のほうの歴史でつかわれるときは「儒教」と表されています。
この二つはなにをもって区別されているんですか?
それと宗教でもないのになぜ儒教も道教も「教え」の字が入っているのですか?
962日本@名無史さん:2008/09/16(火) 01:16:06
> 宗教でもないのに
逆ではないかと。信仰に「思想の教え・導き」があるのが宗教として定義された。
儒教・儒学の区別については、
儒教は原典の実践であり、
儒学は儒教本体をそのままではなくそれをどう解釈するかという学問。
963日本@名無史さん:2008/09/16(火) 03:06:15
>>960
知らんけど、手を振らずに歩くのが基本で、振るばあいは、右足右手を揃えて出す「なんば歩き」タイプだったとか。
筒袖ではない和服だと、そのほうが都合がいいからじゃないですかね。
あと、剣道でも、足に合わせて手を振る癖が染みついていたりしたら、どうしようもないですね。
走るときも、刀の刃が体に向かないように右肩に背負って走るとか。

何で「難儀」したかは、逆に、手を振らずに歩いたりしてみれば分かるのでは?
個人的には、腕を振ろうとするとぶつかって駄目な大きいザックを背負って歩くのに慣れたせいで、手を全く振らずに歩けますが。
逆に、しばらく練習しさえすれば、運痴の人でないなら難なくできるようになりますね。
964日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:09:53
>>962
便乗質問。お詳しそうなのでお分かりになれば教えて下さい。
儒教、道教、仏教という「語」の初出はいつ頃かは分かりませんか。
965日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:10:41
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ
ニヤ(・∀・)ニヤ(・∀・)
966日本@名無史さん:2008/09/16(火) 16:17:07
日本の戦国時代には騎兵が居なかったらしいけど、なぜですか?
967日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:35:01
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/
968:2008/09/16(火) 17:41:37
必死にマルチしてるね。
本人はおもしろくて仕方ないと思ってんだろうねえ・・・
969名無し募集中。。。:2008/09/16(火) 22:19:35
緒方洪庵の適塾には
女子の塾生はいたんですかね?
970日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:27:43
いなかった
男尊女卑の時代
男と女が共に机を並べるなんてありえない
女子は裁縫でもならってりゃよかった
971日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:29:38
>>966
知らんけど「騎兵」が成立しうるほどの大型の馬がいなかった、とかいうじゃないですか。
972日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:30:56
便乗質問ですが時代劇で見かける男物の袴にポニーテール、帯刀した女性剣士なんていたんですか?
973日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:36:58
歴史小説を読んでいると、すくない兵力でも平気で挟撃したり包囲していますが、
実際に、戦術としてはどうなんでしょうか。

挟撃や包囲をして乱戦になったら、数の少ない、しかけたほうが不利になる気がするのですが。
974日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:37:11
>>964
日本の歴史に何も関係ない外国語の話は、思いっきり板違いじゃないですか。
975日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:00:03
>>973
日本史じゃないが、カンネーの戦いとか調べてみるといい。
優秀な指揮官が有力な機動戦力を率いると、兵数で劣っていてもどれだけ一方的な
戦いが出来るかの見本みたいな合戦だから。

もっとも、基本戦闘は敵より多い兵力を用意するのが基本。
織田信長なんかは(桶狭間以外は)だいたい忠実にこれを守ってる。
976日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:01:01
「基本」は大切なことだから二回言いましたよ。

…ちゃんと見直せばよかったorz
977日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:11:44
>>961
何らかの変な思い込みに則って、言葉の意味を取り違えてます。
ある程度以上に詳しい漢和辞典で、「儒・儒教・儒学」という言葉の本来の定義を正確に確認し、
各々の異同を正確に把握することが先決。

> それと宗教でもないのになぜ儒教も道教も「教え」の字が入っているのですか?
「宗教」とか「道教」という言葉自体の正確な定義の確認が必要。
後者は明らかに宗教。前者も宗教と同じ面を持ってます。
違うと思うなら根本的に間違っています。
正確に把握できれば、自分自身の疑問に簡単に答えることが可能。
978日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:18:57
>>973
軍事板のほうが適してますね。

>>975
割り込みだけど、そういうのは「歴史に残るような希な例外」じゃないですか。

> すくない兵力でも 平気で 挟撃したり包囲
・・・したりするのは「絵空事」で、基本的に>>973の疑問は「正しい」ということでよろしいかと。
979日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:52:26
>>975
>>978
ありがとうございました。
カンネーの戦いもざっと調べてみましたが、

基本、やってはいけない。
ただし、相手の兵や指揮官が実戦不足などの理由により、
囲まれたらパニックを起こすような場合は例外。

って感じですか。
980日本@名無史さん:2008/09/17(水) 06:50:19
>>979
いや、そんな杜撰な括りじゃ駄目なわけで、軍事板のほうが適してます、はい。
(・3・)むずむずむず。
 ↑
ぼるじょあではないので念のため。
981964:2008/09/17(水) 07:57:23
>>974
大陸での初出の時期を知りたいわけではありません。

講談社学術文庫、増谷文雄著正義眼蔵(三)p70「仏教」の巻の解説で、巻の名が
「仏教」であるが、この言葉は今通常使用している「仏教」とは意味が違う。
明治以前は、仏法もしくは仏道であったとある。(原文のママではない)

浅学の身なれば、そうかと初出や「宗教」という語を使い始めたのはいつか
を調べたがわからない。考えれば、先の3教は「教」が付くが、明治以降
重視された神道は「教」でなく「道」だ。
更に、3つの教といえば空海が三教指帰を著しているが、現在の解説では
「教」付きで出てくるものばかり。空海が「教」の語を使って書いている
かも分からない・・・というので先の質問に及んだわけです。

余談ながら今NHKでやっている「篤姫」の時代、大多数の攘夷志士が日本は
先史以来「鎖国」と思っていたらしい。自分も増谷氏の説明以前は3つの
教の「語」が空海の時代からあったものと思ってました。汗顔。
982日本@名無史さん:2008/09/17(水) 08:58:52
>>971
それは鈴木の虚説。日本の騎馬は蒙古馬と並んで遜色ない大きさだよ。
983981-964:2008/09/17(水) 11:01:11
間違いがありました。
×正義眼蔵
○正法眼蔵
×自分も増谷氏の説明以前は
○自分も増谷氏の説明を読む以前は
失礼しました。
984日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:01:17
>>956
騎乗した兵士だけで部隊が組めるほど馬が居なかった。
と言うより、下っ端は合戦に使えるような馬なんて持ってなかった。
ヨーロッパでも騎兵というのはハンガリーあたりの騎馬民族が傭兵としてやっていた例がほとんど。
北東アジアから東欧あたりの騎馬民族以外には、騎兵という兵種そのものがほとんど存在しない。
中世ヨーロッパには多少居たが騎馬突撃みたいなのは結局あまり流行らず、損害の補充が難しいと言うのもあり、結局廃れる。
ナポレオンが騎兵の栄光を復活させるが、以降は下り坂。

>>972
まあヨーロッパみたいに火あぶりになる訳じゃないとはいえ、正気の娘が男装なんて「男の振り」をしなければいけない状況以外では基本しない。
男のふりなら髪は真っ先に切られる。よって成立しない。

もちろん「あそこの娘は」と陰口をたたかれながら、やっていた女性が居ないとは限らないが。
985日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:16:30
>>981
あ なるほど。
対立するものがなければ区別するための用語は必要ないのだから、それらと対立する
新来のキリスト教あたりが関係していそうな気がしますが、どうなってるかな?
986日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:20:40
>>982
あ そうなの。

>>984
モンゴルのように、国民皆騎馬くらいの勢いでないと恒常的には成り立たない、という感じかな。
987日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:25:39
質問です。
1.戦前の日本の教育制度について知りたいのですが、わかりやすいサイトや本は無いでしょうか?
現代だと小学校、中学校が義務教育で、大半の人が高校に進学し、その後就職するか進学
するかに分かれる、とそれなりに単純な構造なのですが、戦前の分岐型教育は高等小学校と中学校
がどういう風に違うかとか、高校進学者は四年で卒業しているがカリキュラムはどのようになっているか
とか、わからないことが多くて困っています。

2.戦前の東京で、高級住宅街というとどのあたりだったのでしょうか?
華族の屋敷などが立ち並ぶ…というような町並みが日本にあったのかは知りませんが、そういうイメージ
の場所です。
988日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:28:02
てことは、アザンクールの「フランス騎士隊の突撃」というのも、
重装備の騎士が集団で突撃したというわけではなく、小姓なり旗持なりを
混ぜた騎士歩兵混成部隊の突撃みたいな感じだったのかな。
989日本@名無史さん:2008/09/18(木) 02:06:41
>>987
教育制度の変遷は、wikiにまとまって書いてなかったっけ?

高級住宅街というのは、どうなんですかね?
旧華族の豪邸は、元何藩の下屋敷とか書いてあるのが多いと思うけど、戦時の堡塁になるはずだから、
山の手に、わざとバラバラにあてがわれていたんじゃなかったかな?
それらの周辺は、一等地ということになりそうですね。
990983-964:2008/09/18(木) 08:02:24
>>985
質問スレで質問以外の書き込みは非難の対象になるかも知れませんが、お許しを。

マ、そういう疑問から三教指帰とか円仁の求法入唐行状記だったか、原文が載って
いる本を見たいと思っているけど、なかなかナイ。

神道についてはぐぐったら、日本書紀の用明天皇の条に「天皇信仏法尊神道」って
のがあり、「神道」の初出と見られている。解説を2、3見ると、仏法仏道に倣っ
て、神道としたんではないかとある。江戸後期、大阪の富永仲基が神道が今の形に
なったのは(今に言う)仏教のお陰と言い出したらしい。

蛇足ながら、道元の著を見ると、当時、臨済宗や曹洞宗などと宗派を名乗る習慣が
中国で興っているが、そんなのやめろと憤っている。曹洞宗は釈迦以来の正伝一統
の教えであって派を名乗るような部派ではないという気概。
991日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:49:56
そろそろ次スレ立てて下さい
992日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:05:44
>>990
そういう疑問は、やはり宗教関係の板とかではないですかね?
仏「教」の専門の方とか、言葉の用例を詳しくご存じではないかと?
当然、「特に心当たりがない」かどうかも分かるわけだし。
993日本@名無史さん:2008/09/19(金) 11:47:57
「江戸時代の旅や交通」それも初期のものと、「島原の乱」について調べています。
包括的に学ぶことの出来る本かサイトを教えて下さい。
994日本@名無史さん:2008/09/19(金) 15:27:21
今だとぶどう、桃、なしなど色々手に入りますが戦前はこういう果物はどういう扱いだったのでしょうか?庶民も食べてたの?
あと、果物を作ってる農家って結構身分が高いって聞いたのですがホントでしょうか?
995990-964:2008/09/19(金) 18:43:53
>>992
レスをどうも。
宗教板に行くと「あらし」が吹きますね。歴史板の方がまだ冷静かと。
疑問が解けないとメシが食えないという話でもないので、気長に構え
ます。有難うございました。
996995-964:2008/09/19(金) 19:06:51
>>994
○○村史、△△町史というような書物が見られるなら見ると分かるのでは。

わが故郷の村史を読んだ記憶だと、田圃や畑にできない山の斜面に蜜柑や
枇杷を植えて現金収入の増大を図ったとある。植える場所があるというの
は地主だから、土地を持たないレベルの小作農には不可能ではある。
(戦時中は果物どころでなく、イモ、カボチャ、マメ、粟などに転化され
 た見たい。)

市場へ出荷されても買えない人に手が出ないのは今でも同じではないか。
冷蔵庫がない時代だから日持ちせず高価というのは考えられる。

わが故郷は西国だが、東国の産物のリンゴ、クルミ、杏などは特別な日
(祭り、正月など)しか口にしなかったようだ。
997日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:39:01
次スレ立てますね。
998日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:45:23
>>1-3をコピペ修正したのみですが、立てました。
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart23【歓迎】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1221820804/
999日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:47:46
>>998
1000日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:57:27
>>993
「江戸時代の旅や交通」というと、初期はどの程度記述していたか憶えてないけど、新書で何かあったような。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。