聖徳太子 総合スレッド

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1日本@名無史さん
誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が
全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の
実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら
決定的らしいのです。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008021002086536.html
2日本@名無史さん:2008/02/27(水) 18:15:03
聖徳太子知ってる?
3日本@名無史さん:2008/02/27(水) 18:28:25
>「聖徳太子はいなかった」

推古天皇もいなかった
光明皇后もいなかった
弘法大師もいなかった
吉田兼好もいなかった
北条早雲もいなかった
真田幸村もいなかった

でも、後世そう呼ばれた人物は実在した。
4日本@名無史さん:2008/02/27(水) 19:03:59
>1の記事は、
冠位十二階も三経義疏も飛鳥時代には存在しなかったことをあげて、
聖徳太子の実績はすべて嘘だったと言っているわけであって。
実在した厩戸皇子は法隆寺を建て、
叔父蘇我馬子の仏教崇拝を引き継いだだけの人物だったらしい。
5日本@名無史さん:2008/02/27(水) 19:39:44
>>4
よく嫁。冠位十二階については言及してない。

冠位十二階は隋書にも記述があるから、これを否定するのは難しい。
6日本@名無史さん:2008/02/27(水) 19:48:21
十七条の憲法と三経義疏を否定
7日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:21:34
聖徳太子は六世紀末に威徳王が倭国に派遣した百済の王族
8ローガン:2008/02/27(水) 20:40:40
>>5
紀の冠位十二階の記述には主語がありませんね。
9日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:41:41
>>7
聖徳太子って誰?w
10日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:45:38
>>8
そこで法王帝説ですよ
11日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:47:07
>>7
それは舒明天皇が義慈元年に倭国に派遣された男だという説のパクリだな。
12ローガン:2008/02/27(水) 20:55:55
あ、私は聖徳太子とは全くの架空の人物だったとは考えておりません。
後世尾ひれがついた太子伝説、太子信仰については勿論割引が必要だとは思いますが
13日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:29:00
>>1
>「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
聖徳太子がいなかったことにしたい変な人達が勝手に
「聖徳太子はいなかったことに決定!」宣言してるだけ。
まともな根拠はなにもない。
だいたい厩戸の皇子が実在したと認めるのに聖徳太子はいなかったって何だ?
同一人物だぞ。
14日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:31:17
いなかった派て
トンデモなやつばかり
15日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:49:13
>>1
>十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、
具体的根拠は?

>戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論
なんで内容、文体、使用言語から十七条憲法が創作になるの?
まさか太子の時代には使われてなかったとか、そんなアホな理屈言ってないよね?

>三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製
仮に三経義疏が太子自筆でなかったとして、それがなんで太子がいなかったことになるの?

>世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国●帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。
仮に釈迦三尊像や薬師如来像、天寿国●帳が後世の作であったとして、それがなんで太子がいなかったことになるの?

>聖徳太子が日本書紀によって創作され、後世に捏造(ねつぞう)が加えられたとの結論が学界の大勢になりました。
歴史上の人物の事跡が潤色されることはよくあること、それを大袈裟に捏造とか、人物そのものが創作とか言うほうが異常。
本当に歴史を捏造してるのは、そういう異常な奴等。
16日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:06:49
遠山美都男(史学博士・日本古代史)
『天皇と日本の起源』(P63〜P64)より

近年、大山誠一氏は、『日本書紀』に描かれた聖徳太子が編纂者による創作の所産であり、それと実在の厩戸皇子とは別個に考えるべきだという「聖徳太子虚構説」を唱え、脚光をあびている。
しかし、『日本書紀』の聖徳太子像に多くの粉飾が加えられていることは、大山氏以前に多くの研究者がすでに指摘ずみのことである。
大山説にメリットがあるとすれば、それは聖徳太子像を創造した人物の具体名とかれらに共通する動機を明言したことであろう。
だが、この点については種々の解釈が可能であって、大山説はなお仮説の域を出ていないといわねばならない。

さらに、大山説の問題点は、実在の人物である厩戸皇子が王位継承資格もなく、内政・外交に関与したこともない、たんなる蘇我氏の血を引く王族に過ぎなかった、と見なしていることである。
斑鳩宮に住み、壬生部を支配下におく彼が、王位継承資格も政治的発言権もない、マイナーな王族であったとは到底考えがたい。

大山氏のいうように、『日本書紀』の聖徳太子はたしかに架空の人物だったかもしれないが、大山氏の考えとは大きく異なり、やはり厩戸皇子は実在の、しかも有力な王族だったのである。
17日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:15:15
誰だって聞いてんだよ
18ローガン:2008/02/27(水) 22:35:30
>>16
ああ、大山さんはトーンダウンしたのですか。知りませんでした。ご教示ありがとう。
19日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:06:22
>敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。

純漢文の語法で書かれてないことについてはどう説明したんだっけ?
20日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:51:48
日本人のアイデンティティーの根元に関わるモノは徹底的に叩き潰す
21日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:00:25
なぜ一万円からはずされたの?
22日本@名無史さん:2008/02/28(木) 06:28:58
外圧的内圧
23日本@名無史さん:2008/02/28(木) 08:03:50
>>15
聖徳太子=太子とは皇太子の意味。

実在する厩戸皇子が推古天皇の皇太子ではなかった可能性は高いよね。
はじめて皇太子が建てられたのは、天武天皇の皇太子草壁皇子から。
それ以前は、大王が死ぬと群臣が推挙して次の大王を立てていたから。
「太子」は明らかに架空だ。
24日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:06:19
次の代に推挙されるのは確実だと見られてたってことじゃねえの。その状態を後の人間は
太子と表現したんじゃないのか。
ライバルのいなくなった蘇我氏のバックアップのもとで寺とか建てまくってたわけだし。
25日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:21:35
>>24
推古天皇即位時点ではおそらく
推古の実の息子竹田皇子が最有力候補
何人もいる皇位有力候補の一人を表す「大兄」であった可能性はあるが
厩戸の子山背大兄王が天皇になれなかったように
絶対的な次期天皇などこの時代には存在しなかった。
その意味では、次期天皇として天皇と同じく内裏に住み、
政変などで廃太子にされない限り確実に次の帝位を踏める皇太子とは全く異なる。
厩戸皇子は父用明天皇にたててもらった上宮と呼ばれた屋敷に通常住んでおり
推古天皇が住む皇居豊浦宮、小墾田宮には住んでいなかった。
26日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:25:54
厩戸皇子が政治をとったと歴史を改変するために
のちの時代の天智称制、草壁称制にならって
厩戸を皇太子になぞらえた可能性はある
しかしこの時代皇太子が存在しなかったのは勿論
天皇以外の皇族が政治に関与した可能性も低い
蘇我馬子が推古天皇を補佐し
厩戸皇子は馬子の姻戚筋の皇子ということで持ち駒の一つとして
自由に寺を建てさせてもらっていたというところだろう
27日本@名無史さん:2008/02/28(木) 10:45:07
草壁皇子も皇太子とされたのは持統朝になってからではないのかね?
大津皇子をぶっ殺したのを正当化するためとかで。
28日本@名無史さん:2008/02/28(木) 10:56:17
天武朝に天皇、皇后という名称がはじめてつかわれた。
天皇は中国の天王思想と皇帝の名からのもじり、
皇后は中国王朝の名称をそのまま輸入。
中国王朝にはあった皇太子制度がこの時期輸入された可能性は高い。
持統天皇は退位前、孫の軽皇子(文武天皇)を皇太子に推挙、
ほかの天武皇子から反発を受けた記事もあるので、
この時期に皇太子制度があったことは確か。
29日本@名無史さん:2008/02/28(木) 11:50:25
1 聖徳太子は、今日の皇太子のような身分だったのか?
  たぶん、違う。
  ゆえに、
   a 聖徳太子は存在しなかった、捏造だった
   b 当時の太子=皇太子という(>>23)の想定が誤っている
  のいずれかであるが、落ち着いて考えれば、bの「当時の太子=皇太子」という想定がそもそも根拠レスな妄想であることに気付く。どこにもそんな記述はない。

2 聖徳太子はいつから、聖徳とか太子とか呼ばれたのか。
  生きているうちにそう呼ばれていたという明確な証拠はない。
  しかし、日本書紀の作成以前にそう呼ばれていたことは、法起寺銘などでほぼ確実。

聖徳とか太子とかの称号についていくら突付き回しても、その実体(用明の子で、推古の甥で娘婿で、馬子の娘婿で、数々の政治上の功績や仏教上の功績のある厩戸という名の人物)の否定にはつながらない。

「聖徳太子はいなかった」というのは、受け狙いのホラ吹きによる詐欺まがいのセールスコピーのようなもの。
30日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:26:43
最近の書き込みを見ると、「太子」や「皇太子」という言葉そのものががインチキくさく見えてくるが、
用語としては、聖徳太子のはるか以前の時代から「太子」や「皇太子」という言葉や、
「皇太子が天皇に即位した」といった表現は、日本書紀にはテンコ盛りのように出てくることは、知っておいて欲しい。

また、推古元年(593)四月の「立厩戸豊聰耳皇子為皇太子、仍録摂政、以万機悉委焉」ぐらいも知っておいて欲しい。
皇太子にしたと明記してあるのに、何の根拠もなく「皇太子ではなかった可能性は高いよね(>>23)」という奴はペテン師と思ったほうがよい。

(皇太子が)「次期天皇として天皇と同じく内裏に住み(>>25)」とか、
「しかしこの時代皇太子が存在しなかったのは勿論天皇以外の皇族が政治に関与した可能性も低い(>>26)」など、
ヌケヌケと根拠のないこと、つまりウソを言い続けているので、要注意!
31日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:28:21
いくらなんでも捏造はないよね、
しかし明らかに仏典や聖書からのパクリと
わかるような記述もみられ、キリスト=厩戸の皇子=聖徳太子のような書き方
からして(しかしキリストが死んで700年もあとだしwww)

よほど凄いんでしょう。日本の歴史上、「「初めて」」中国に遣いをだしたよね。
それが600年。 その前は?w
このひと、後の記紀のもとになる歴史書もまとめている。(書いている。)
つまり、神武が日向から来たとかいう、あれ。

この聖徳太子、と呼ばれる人物の前は書物も歴史書もなく
あるいは焼き尽くされ、しかも最初の遣いは外交の仕方をしらずに苦労してますね。

つまりそれ以前までに中国と交流していた日本の国々と王族は全くの別筋ですな。
32日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:29:56
>>31

ああ、キリストが死んで700年後は間違いですな。550年ぐらいですな。
失礼しやしたw
33日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:30:30
用語の齟齬で「聖徳太子はいなかった」とかいうトンデモはもうウザイ。
例えば、「天皇」という称号は飛鳥池遺跡の天皇木簡により、天武が使っていたことはほぼ鉄板であるが、それ以前は明確な証拠はない。
だからといって、「神武から天智までのすべての天皇は、日本書紀に『天皇』と書いてあるから捏造」と言う奴がいたら馬鹿だろう。
発想が時代遅れだろう。

「聖徳太子はいなかった」というのは、受け狙いのホラ吹きによる詐欺まがいのセールスコピーのようなもの。

聖徳太子虚構説は、今となっては、古臭いアンチ皇国史観とか唯物史観などの先入観や偏見の遺物。
それに、団塊世代の日教組系の馬鹿教師などが食いついているだけ。
(ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010714.html)
34日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:36:34
>>29
>日本書紀の作成以前にそう呼ばれていたことは、法起寺銘などでほぼ確実

おいおい、ほら吹き君w
法起寺銘は、鎌倉時代成立の『聖徳太子伝私記』に書かれてあるもの。
鎌倉時代の史料を出してきて、日本書紀成立以前から
聖徳太子と呼ばれていたことは確実なんて、どこの学者も言っていないよ。

「聖徳太子」の名称が、明らかに後世の「皇太子」を意識したものであることは間違いないし、
法隆寺を建てた「厩戸皇子」を否定してる人はいないだろ。
35日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:39:04
>>30
ふーん、日本書紀に「○○天皇」とあるのを見て、
君は天皇、皇后という称号が神武天皇のころから使われていたとみるわけだね。
天皇、皇后、皇太子が神武天皇から確実に存在したと。
とんでも君だね。
36日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:19:30
>>34
人をほら吹きというくらいなら、資料の紹介とかはもっときちんとしたほうがいいよ。
どうせ書くなら、「法起寺三重塔の露盤は現存していないが、鎌倉時代成立の『聖徳太子伝私記』に露盤銘が載っていて、
それによると法起寺は上宮太子聖徳皇(=聖徳太子)の遺願によって岡本宮を寺に改ためたもので、露盤は706年に作られたとされている。」
とかね。
で、露盤銘の真偽については諸説あるかもしれないけど、これを正しいとする説は人を「ほら吹き」呼ばわりするほどの珍説でもないよ。
あと、上宮太子聖徳皇は聖徳太子ではないとかの屁理屈はやめてね。

そんでもって、706年は日本書紀成立以前です。  (終了)

それよか、皇太子とかについてウソをつきまくっていたホラ吹きを、一緒にとっちめないか。(アンタじゃないよね。)
37日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:22:51
古事記と日本書紀以前の書物って何? 

日本書紀以前の書物の文書みせてよ。
38日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:26:31
>>35 天皇、皇后、皇太子が神武天皇から確実に存在したと。

ウ〜〜〜ン、この手の反論が一番始末に悪い。
なにせ、必要条件と充分条件という論理のイロハも分からずに、人のことを「とんでも君」と誹謗するのだものなぁ。

「神武から天智までのすべての天皇は、日本書紀に『天皇』と書いてあるから捏造」と言う奴がいたら馬鹿だろう
とは書いたけど、
「神武から天智までのすべての天皇は、日本書紀に『天皇』と書いてあるから本当に天皇だった」とも言っていないのですが、・・・。
39日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:45:58
>>37 日本書紀以前の書物の文書みせてよ

日本書紀以前のもので、書物としてまとまってきちんと残っていて、年代も確実視されているものはない。
しかし、文字資料は書物だけではないよ。銘文(石碑や剣や鏡などなど)とか木簡とか墨書(土器など)等、いろいろな種類がある。

ここでは、法起寺三重塔の露盤銘を例に挙げていて、それが706年のものと書いてあるじゃろうが。日本書紀は720年ということぐらいは知っているよね。
ただし、これは鎌倉時代の文書からの引用ということになるけど、・・・ところで、逸文とか知ってる?
短絡的に逸文を否定したりすると、笑われるだけだよ。

なお書物としては、聖徳太子が書いたとされる法華義疏が現存(!)しているが、本当に聖徳太子の真筆かは諸説あり。
(ただし、735年以前であることはほぼ鉄板で、あとはどれだけ年代を遡れるかだ。)

聖徳太子虚構説の方々は、こういった資料もきちんと否定しないと成り立たないのだがねぇ。
40日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:03:53
>>34 「聖徳太子」の名称が、明らかに後世の「皇太子」を意識したものであることは間違いないし

ここでいう「後世の皇太子」とは、軽皇子(文武天皇)(>>28)あたりを指しているのかな?
何度もいうけど、太子や皇太子といった用語はいくらでも出てくる。
太子と皇太子の用語の使い分けは法則性がよく分からないが、少なくとも同時代には同じ人物をさしているようであり、太子と皇太子は同じと考えても大きな誤りはなさそう(・・かな・・・自信はない)。

聖徳太子の話なのに、軽皇子を持ち出すのは唐突な感じがするし、「意識した」など何の根拠もない。
有名な、「持統−草壁−軽(=文武)のラインを強調するために日本書紀は書かれたんだよ」といった説の、伏線かな?
だとすれば、かわいい孫の文武を、子孫が滅亡した聖徳太子になぞらえるなど縁起でもねえと、持統あたりが言いそうだがね。

トンデモっぽい話はおいといて、何の根拠もない話なのに、「間違いない」ですか。
(そういえば、長井秀和ってどこいった?)
41日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:37:11
ちょっと「太子」について書いとくか。

内容的には講談社の『日本の歴史』シリーズで大山説批判の一つとして指摘されてることだが。

『隋書』倭国伝に「名太子為利歌弥多弗利」というくだりがある。
岩波文庫版の現代語訳には「太子を名づけて利歌弥多弗利(和歌弥多弗利か、ワカミタヒラ・稚足、ワカミトホリ・若い御世嗣、ここでは聖徳太子を)となす。」とある。

つまり、飛鳥時代に太子を意味する倭語「和歌弥多弗利」が存在したことがわかる。

『隋書』では「和」ではなく「利」と書かれているが、ら行から始まる単語が大和言葉にないという特徴から誤字だとわかる。
また、太宰府天満宮にのみ伝わる『翰苑』という唐代の類書には、「王長子号和哥弥多弗利、華言 太子。」(翰苑、蕃夷部 倭国)とあり、『隋書』が誤字である傍証になる。

つまり、厩戸皇子が後の皇太子にあたる地位にあったとしてもなんら問題はない。
42日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:00:46
>>41
引用文訂正

×ワカミトホリ・若い御世嗣、ここでは聖徳太子を)となす。

〇ワカミトホリ・若い御世嗣、ここでは聖徳太子)となす。
43日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:32:21
>>37
>「神武から天智までのすべての天皇は、日本書紀に『天皇』と書いてあるから
>本当に天皇だった」とも言っていないのですが、・・・。

そう思うなら、自分で言ってることも訂正したら?
日本書紀に皇太子と書いているけれども、
神武天皇が天皇ではなかった可能性が高いのと同様、
聖徳太子が皇太子だったという根拠もない、
自分で証明してるじゃない。


44日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:36:36
>>36
だからあ、『聖徳太子伝私記』は鎌倉時代の成立。
日本書紀には「穴穂天皇」と載っている人物を、
のちの時代の歴史書は「安康天皇」だと書き換えているわけ。
のちの時代の史書が「上宮王子」とでもあったものを
聖徳太子のことだ、と解釈して、
こういう文章が載っていましたよ、と書きかえることだって充分あるわけ。
厩戸皇子在世時の史料ではないことが明らかなのに、
そんなのが証拠になるわけがないでしょ。
45日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:38:21
>>41
「隋書」は当時の天皇は男だったとしているよ。
適当に中国の制度をあてはめて書いているから、
日本の風俗、制度についてはかなり内容はいい加減。
遣使したのは事実だろうが。
46日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:40:02
なぜか奈良市内の法華寺(皇室の御寺)と海龍王寺聖徳太子二才像があるんだな
不退寺はどうだったんだろう?
ウワナベ・コナベ古墳の石棺はあるけどね
47日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:22:25
法華寺の童子像は聖徳太子像とは確定されていない。
また聖徳太子二歳像はこの2寺だけではなく全国各地にある。
いずれも平安末〜鎌倉時代に作られたが、
聖徳太子の伝説をもとに聖徳太子信仰が全国的に広まって作られたもの。
勿論、聖徳太子存命時のものではない。

不退寺は平城上皇が晩年に暮らしたという寺。
息子の阿保親王から孫の在原業平に伝わったとされる。
阿保親王像とされる童子像はあるが
聖徳太子像はなかったはず
48日本@名無史さん:2008/03/19(水) 13:27:15
だからあれだろ?

太子は存在して政治の重要職にいたのは事実だが

誇張されすぎてる所があって、だから非実在説なんてオカルト説が生まれたんだよな
49日本@名無史さん:2008/03/20(木) 15:35:21
【国内】韓国人犯行グループによって盗まれた聖徳太子の掛け軸の修復が終了[03/20]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1205978072/
50日本@名無史さん:2008/03/22(土) 18:39:19
キリストが死んだとか言ってる馬鹿がいるが
キリストが本当に死んでたらキリスト教なんて
存在してねーよ
復活したから宗教になったんじゃねーか
51日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:18:06
聖徳太子の実在説非実在説のあらそいと、法隆寺が再建されたい野菜書のままだという論争で

実在説が非再建論で非実在説が再建論だったのがよく分からない。
再建論なら仏像の裏に掘られた文が聖徳太子の時代のものではないという説を説明できるのに。
焼けた寺がわざわざ再建されるくらい、再建される時に聖徳太子は偉人扱いだったって事にもなる気もするし。

誰か素人の俺に分かるように説明してくれ。
52日本@名無史さん:2008/03/24(月) 16:28:47
現在ある法隆寺は持統天皇のころの建築で一致している。
(薬師如来が持統朝には伝来していなかったとみられること、
銘文中の用語がのちの時代のものであること)
ただ、蘇我馬子が飛鳥寺を建立して以来、寺建築は皇室の関心の的で、
厩戸皇子なる皇族が法隆寺(今あるものではなくこれ以前に)を建築した
ということを否定している学者は少ない。
つまり、仏教に入れ込み、法隆寺を建設した皇族の厩戸皇子はいたが、
推古天皇の皇太子で、推古朝において摂政となり、政治をとった聖徳太子はいなかったと。
用明天皇には大勢皇子がいたので、厩戸皇子なる皇子がいたということそのものは、
否定してはいないはず。
53日本@名無史さん:2008/03/30(日) 23:03:20
>推古天皇の皇太子で、推古朝において摂政となり、政治をとった聖徳太子はいなかったと。
根拠は?
54日本@名無史さん:2008/04/07(月) 16:32:19
いなかった事にしたいのは支那の工作員だろ?
55日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:33:56
日本書紀否定は朝鮮人が大好きなテーマ
56日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:38:17
皇太子は天武朝にできた制度
この時代には天皇が死んだら群臣の推挙で決めていた
推古朝に皇太子制度があったのはおかしいんじゃなかったっけ?
推古天皇は聖徳が死んでも皇太子を選定しなかったし、
山背王と田村皇子は推古の崩後にはじめて帝位を競って争っている。
57日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:45:33
58大村益次郎:2008/04/07(月) 17:46:11
59日本@名無史さん:2008/04/16(水) 04:24:38
飛鳥寺のモデル、韓国の王興寺か 塔の構造、出土品似る
ttp://www.asahi.com/culture/update/0415/TKY200804150318.html
60日本@名無史さん:2008/04/16(水) 21:23:40
聖徳太子の誕生シーンはキリストのパクリだったんだよ、ななんだってー。って話は事実だとしても別に不思議な話じゃないよね?。
キリストが生まれてから500年以上も経ってからなんだし。
61日本@名無史さん:2008/04/17(木) 00:07:55
厩戸皇子は生粋の阿波国人らしいがな
62日本@名無史さん:2008/04/17(木) 03:26:20
【文化】奈良飛鳥寺のモデル、韓国の王興寺か 塔の構造、出土品似る 百済王の発願で577年に創建…朝日新聞[04/16]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1208298676/

◆◆◆ネオ騎馬民族説◆◆◆

【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/
http://p2.chbox.jp/read.php?url=http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/all
532-533 560-562 564

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1174084868/435-440
63日本@名無史さん:2008/04/17(木) 03:43:34
64日本@名無史さん:2008/04/19(土) 17:03:15
飛鳥寺の創建には百済から迎えた瓦師や仏師、
建築士らがかかわったことが日本書紀に明記されてあるから、
別に百済の寺と似ていて不思議はないよね
65日本@名無史さん:2008/04/21(月) 02:03:42
物部守屋の名前もソロモン神殿のモリヤ山が由来かw
66日本@名無史さん:2008/04/23(水) 18:03:59
67日本@名無史さん:2008/05/09(金) 11:40:55
推古天皇は敏達天皇との間に2男5女を儲けたとされている。竹田皇子を
寵愛し、後継者として考えていたが竹田皇子は早世した。ところが気になるのが
尾張皇子、尾張皇子には位奈部橘郎女がおり、彼女は聖徳太子との間に
一男一女を儲けている。尾張皇子って本当は推古天皇の実子じゃなく他の
女性が産んだ子を推古天皇が養子にしただけじゃないだろうか。

尾張皇子について詳しい人教えてください。
68日本@名無史さん:2008/05/09(金) 14:25:39
記紀による限り尾張皇子は推古天皇の実子。
崇峻天皇没後、次の帝位を竹田皇子と厩戸皇子が争った時期、
尾張皇子はまだ幼く(尾張皇子は推古天皇が産んだ6人目の子)、
実兄竹田皇子の存在もあったために、
皇位継承争いには加わらなかったと思われる。
また、母の推古天皇が当時としては69歳まで生きたため、
推古天皇より先に没し、推古没後の皇位継承争いに加わることもなかったと思われる。
尚、推古の長女菟道貝蛸皇女も厩戸皇子の妻になっており、
皇女の嫁ぎ先は当時皇族にしか求められなかったことから、
尾張皇子の娘が厩戸皇子の妃になったことは特に珍しいことではない。
天寿国曼荼羅繍帳を作ったとされる尾張皇子の娘橘大郎女は
厩戸に比べて相当若い妃であったであろうとは考えられる。

(推古天皇即位時点での皇位継承有力者の年齢)
推古天皇(敏達天皇大后) 40歳
厩戸皇子(用明天皇嫡子) 20歳  
竹田皇子(推古天皇長男) 推定18歳
尾張皇子(推古天皇次男) 推定11歳
69日本@名無史さん:2008/05/10(土) 05:18:40
>>68
皇極・斉明天皇が譲位するまで生前譲位はありませんでした。推古天皇の時代には
天皇(大王)が亡くなるまで次期太子を決めることができなかったんですね。
すると尾張皇子も娘を儲けたのは良いとして、竹田皇子と同様母の推古天皇の
生前に死亡したのですね。そして孫娘が産んだ一男はまだ幼く天皇の後継者には
なりえる資格がなかったと解釈してよいのでしょうか。また、宜しく御教授ください。
70日本@名無史さん:2008/05/11(日) 04:16:11
聖徳太子って存在をもし作ったとしたなら
一体何を隠したかったのかな?

誰が創作したのか本当にいたのかよくわからんけど
71日本@名無史さん:2008/05/12(月) 14:34:02
天武朝に、天皇を称える国史を編纂しようという気運が高まった→
天武の兄天智は若いころ中臣鎌足らとともに蘇我氏を討った。
天皇家や藤原氏を称えるため、蘇我氏は悪者にしなければならない。→
しかし、推古朝を編纂する際、偉大な功績を残した大臣蘇我馬子の存在が気になる。
馬子は中大兄らが討った入鹿の祖父、蝦夷の父で偉大であってはどうしても困る。→
厩戸皇子の子山背王は舒明天皇との皇位継承争いに敗れ、蘇我氏に滅ぼされた。
厩戸皇子は蘇我馬子が生きた時代と時代的にも一致する。
厩戸皇子は本当はこの時代にはなかった皇太子だった、
それも聖主であったことを表すために聖徳太子という尊号を与え、
大臣蘇我馬子の功績はすべて「聖徳太子」の功績ということにした。
72日本@名無史さん:2008/05/12(月) 16:38:45
>>71
文章荒いけど、言ってることはよくわかる。
おそらく、偉大な「聖徳太子」誕生の事情はこれでガチだろう。
「聖徳太子」に対する異常な賞賛の理由もさらっと説明できるし。
ま、ほとんど定説と言っちゃってもいいだろ。
73日本@名無史さん:2008/05/12(月) 21:40:39
「立派なじいさんの孫が極悪人」
それがじいさんの功績を消さなければいけないほどのこととは思えないのだが。
74日本@名無史さん:2008/05/12(月) 22:30:39
>>73
チミには歴史や人間を語るセンスがないとおも。
入鹿が「極悪人」かどうかは知らんが、暴力を用いて権力を奪取した者にしてみれば、その正当性を訴えるために「極悪人」としなければならなかったし、たとえ祖父であろうとも、その家の功績は目障りだったはず。
ま、平民にはわからない感覚なのかも知れんが。
75日本@名無史さん:2008/05/12(月) 22:38:54
>>71-74
妄想乙。
76日本@名無史さん:2008/05/12(月) 23:03:31
要するに、蘇我馬子は医大だったということでオケ!?
77日本@名無史さん:2008/05/13(火) 01:32:07
おそらく、後付けで粉飾された部分を除いた聖徳太子の治績の多くも、馬子の手によるものと考えてよかろう。
78日本@名無史さん:2008/05/14(水) 21:09:01
>>77
妄想乙。
79日本@名無史さん:2008/05/14(水) 22:25:36
いやむしろ「聖徳太子」こそ妄想の産物だろ!www
俺も一応、厩戸皇子の実在までは否定するつもりはないけどねw
80日本@名無史さん:2008/05/15(木) 22:29:31
>>79
それはお前の妄想
81日本@名無史さん:2008/05/15(木) 22:56:10
>>80
君は聖徳太子の『未来記』でも信じてるのがお似合いだよ!www
82真皮の太子:2008/05/17(土) 01:05:40
なかなかレベルが高いね。だ、もんで参入。
大山氏が聖徳太子はいなかったというロジックは、太子をキリストに言い換えてみればよく分かる。
イエスはいた。でも、人間に水をワインに変えたり、いざりの足を立たせることなんかできるはずはない。
だから、キリストはいなかった。ということになる。大山が言ってることはこれと同じ。
キリストの神秘化がいつの時代に行なわれたかは、もうすっかり解析されている。でも、キリストはキリスト。
大山の話をキリスト教国の歴史学者や神学者に聞かせたら、笑い出すだろう。
水戸黄門が漫遊できたはずはない。だから光圀はいたけど黄門はいなかった?
聖徳太子の事績から、神秘的なものを取り除いたら厩戸になるという発想そのものがヘン。
真皮を除いたら名前が変わるのか(包茎手術したら変わるけど)。
大山のデータ処理は作為的過ぎるんだ。
83日本@名無史さん:2008/05/18(日) 01:08:49
わしも参入おけ?

作為的に見える、ということは逆に論理的には間違ってない、ということじゃないのかな。
ある論理があって、それが作為的かどうか、はまた別の話でもあるだろうし、82さんの
言ってる事は大山の論と同じに思う。

ところで聖徳太子がいなくてもあんまり困らないけど、キリストが明日にでも復活して
「全部ウソぴょ〜ん」って言ったら困る人多いだろな〜。
ほんでさ実際、神秘化というウソ、はつかれてるわけだから、なかなかややこしくないかな。
いかん、話がずれた。
84日本@名無史さん:2008/05/18(日) 11:35:57
>>82
前半の論旨は至極尤も、てかそんなことは言わずと知れた自明のことだが、後半言ってることがよくわからん。
同一人物でも別人格、ということがあるうるのは心理学でも認められてることで、ましてや轢死の人物ならなおさらジャマイカ!?
東照大権現様と徳川家康は同一人物だが、別人格ジャマイカ?
マグダラのマリアと聖母マリアが同一人物かどうかは俺にはわからないけどね。
85日本@名無史さん:2008/05/19(月) 02:12:31
>>77の言うようなことを記した史料は存在しない。
>>77の言うようなことを証明するものは何も無い。

つまり空想に過ぎない話ということ。
86日本@名無史さん:2008/05/19(月) 21:37:08
>>85
ところで、『未来記』だと地球が滅亡するのはあと何年後ってことになってんの?
87日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:09:49
残念ながら、轢死というのは史料に残ってないことが山ほどある。
それに、その残ってる史料というヤツも誤謬や偏見を多分に含んでるんだよ。
実証史学が史料から一歩も離れられないというなら、轢死学者に轢死の実相を明らかにすることは不可能。
そんな轢死学に期待するよりは、君も平民なら平民らしく、常識を使って自分のアタマで考えてみるんだな。
88日本@名無史さん:2008/05/20(火) 05:37:25
>>77みたいな話は
全く実証性のない空想。
89日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:13:13
今更だが、『日本書紀』の記述でも「是歳、皇太子(聖徳太子)・嶋大臣(蘇我馬子)、共に議りて、天皇記及び国記、臣連伴造国百八十部并て公民等の本記を録す」とあり、少なくとも歴史書編纂事業は太子と馬子の共同事業とされている。
馬子の名前を後で付け足す理由はないから、馬子の関与大なるは確実。対する太子の方は……さすがに俺も、太子の名前が後で付け加えられたなんて主張するつもりは毛頭ないけどね(笑)
また、こういう場合、上席者は単なる名義貸しであることが定石、とは言わないが、得てしてそういうことがよくあるということも、頭の片隅くらいにはいれとこうね(笑)
90日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:18:51
ま、平民と話しても詰まらないだけなんで、これくらいにしておくが、もう一言だけ言っておけばだな、聖徳太子の超能力は『日本書紀』の保証付きだからなwww
そこんとこ、くれぐれも誤解のないようにw
91日本@名無史さん:2008/05/21(水) 01:14:59
>>89
まあ、>>77みたいな空想には結びつくものじゃないがな。

>>90
えーと、『日本書紀』は当てにならないと言いたいようだな。
『日本書紀』が当てにならないならば>>89の話も当てにならないし、
そもそも蘇我氏そのものが存在しなかったことになるw
92日本@名無史さん:2008/05/21(水) 01:33:57
>>91
君は味噌も糞もカレーも一緒に呑み込むような人間か?
もしその区別がつくのなら、『書紀』の太子周辺の記述が、とりわけ粉飾の色が強いということくらいは理解できように┐(´ー`)┌
93日本@名無史さん:2008/05/21(水) 18:57:18
>>91
おまいはそうやってイチかゼロでしかモノを考えられないのか?
そんな単純な話なら楽でいいけどよw
ま、オツムの弱い奴って、すぐそうやって楽をしたがるもんだけどなw


ゆとり、おそるべし(((゜д゜;)))
94日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:12:06
日本書紀の自説に都合の悪い所があれば粉飾捏造とする。
日本書紀の自説に都合の良い所があれば真実とする。

ご都合主義の典型的事例ですな。
95日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:22:56
>>94
勿論ご都合主義であるかどうかの判断はあろうが、批判的に史料考証をするのは当然、歴史学のいろはの‘い’だぜ。

だいたい『日本書紀』自体がご都合主義的記述に満ちているのだから、それを取捨選択しないでどうする!?

矢張り君は糞とカレーを混ぜて食うのがお好みらしいなw

マジで詰まんねーよおめえヾ( ´ー`)
96日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:36:03
まあいい、それなら具体的いこう。
君もさすがに『書紀』の叙述を丸ごと信じてはいまい。
君の言うご都合主義的かどうかは知らぬが、少なくとも事項ごとにその当否を判断するだろ?
例えばこれはどうだ?
「生れましながら能く言ふ。聖の智有り。壮に及びて、一に十人の訴を聞きたまひて、失ちたまはずして能く弁へたまふ。兼ねて未然を知ろしめす」
君はこの記述を歴史的事実だと思うのか?
この部分を否定したら、丸ごと『書紀』を否定しなければならないのか?
つまらないのでいい加減うんざりだが、一応訊いてやる。答えよ。
97日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:37:05
>>95
『日本書紀』を自説の都合のいいように恣意的に取捨選択をしているから
ご都合主義と言ってるんだよ。

>>96
常識の問題だよ君
日本書紀に限らず、中国史書なんかでも
帝王の出生伝説とか眉唾な話は多々あるわけでね。
ある中華皇帝が眉唾な話で潤色されてるからといって
その事跡まで潤色扱いして否定するなんで馬鹿げた話だ。
98日本@名無史さん:2008/05/22(木) 22:56:49
>>97
君が糞とカレーの分別がつくようなのでよかったよwww
そのとおり、君にも『日本書紀』がいかに“ご都合主義”的で作為に満ちた叙述をしているかわかっただろう?
そのことが確認できればそれで充分なんではあるが、敢えて一言付言すれば、君はそのご都合主義の生じた理由を中国の史書になぞらえて推定し、私はそれとは違う推定をする、それだけだ。
事績にまで敷衍するのは怪訝しいという指摘だが、例えば冠位十二階の制定はどうだ?
『書紀』には太子の事績であるとは書かれてないようだが、いつのまにやらそれが太子の事績であると当然のように了解されてはいないか?
ま、ソースはこの板の最初の方だがなwww
99日本@名無史さん:2008/05/24(土) 00:32:21
>>31
という事はキリスト教日本伝来は早かったのね。
100日本@名無史さん:2008/05/24(土) 06:57:00
>>99
景教な
101日本@名無史さん:2008/05/24(土) 12:58:05
>>99
知らぬならググってみればホトトギス
102日本@名無史さん:2008/05/25(日) 13:00:30
胡散臭い・・・
聖徳太子の末裔とかいっちゃってるよ!
http://www.robinhouse.co.jp/yamato-1.htm
103日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:37:38
建築方面では、太子講、というのが今でもあるけど、聖徳太子を語るときにあまりそっち方面からのアクセスはないね。
宗教&政治的聖人、以外にも職人さんの信仰の対象にもなってるんだよね。
そういう職人さんたちは書紀的な太子の奇跡みたいなのではなくて、あくまで職能的な
ものを対象としてるのだけど、実際に太子がそういう曲がり尺を考案したとかそういうことをしていたかどうか、
これはどうなんでしょうね。
地方のお寺にもいきなり、太子堂、みたいなのがあって別に法隆寺とはなんの関係もないのでしょうけどね。
スレチでごめん。
104世界@名無史さん:2008/06/01(日) 22:57:27
聖徳太子とキリストは何の関係もない。馬小屋で生れたとすら書いてない。原典欲嫁。
皇后(間人皇女)は馬官の屋敷で出産しただけであって、その時に厩の戸に触ったから安産だったって書いてある。
馬は生まれるとすぐに立って走り出すから安産のシンボル。つまり、犬の帯をしたから安産だったって程度の意味しかない。
それを無理やりキリストにこじつけたのは久米邦武。あいつは、神道を道教に引っ付けたり、とにかく引っ付けるのが大好き。
当時出産は血の穢れだったから宮中では産めず、宿下がりした。産屋で産んで、産屋は使用後焼却したらしい。
これはかなり後世でもそうで、太子の場合その生んだ場所が馬官の屋敷だったに過ぎない。
105魔 歴史地理:2008/06/03(火) 20:07:00
推古天皇は居るよ
106日本@名無史さん:2008/06/05(木) 08:04:15
官位制と官職制を制定したのは聖徳太子だよな?



科挙の試験に合格すれば官職に就けた。
本来の官位制を忘れ、家柄が優先されたのが平安時代だな。
107日本@名無史さん:2008/06/05(木) 08:21:54
科挙の試験で合格し、宮廷職や武官に就くのが奈良時代の官位制。
いつからか、家柄の良い貴族(藤原氏)しか官位がもらえなくなった。
その概念を壊したのが武家の平清盛で、その後をついてきたのが源頼朝。
また武家政権から平民政権に変えたのが豊臣秀吉や石田三成で、家康が平民政権を恐れ士族政権に戻した。
だが士族封建政治に限界が来たので、坂本龍馬や伊藤博文が近代財閥政治を作った。
だが財閥政治にも限界が来たので、軍人が台頭してきたというのが大まかな流れである。

108日本@名無史さん:2008/06/05(木) 09:29:44
>官位制と官職制
それでは、概念が重複してる。官職+位階=官位
まあ、たぶん冠位と書きたかったんだろうが。

>家柄の良い貴族(藤原氏)しか官位がもらえなくなった
そんなことはない。6位以下なら中下級氏族も叙されている。

あんまりいい加減なこと書いてると、また夜にブヨがわめき出すぞ。
109日本@名無史さん:2008/06/05(木) 18:08:42
平安時代は宮中で位階を受ける儀式に参加するのは本姓の藤原氏が主流。
オケーい?



110日本@名無史さん:2008/06/05(木) 18:13:58
藤原氏以外も受けていたのだろうが。
中流や下流も受けれたのも理解できる。
111日本@名無史さん:2008/06/06(金) 13:07:01
>70
日本書紀の成立過程をみるとよく分かる。
669年白村江で倭軍敗退。その後、北九州に唐軍に進駐されていた。
唐新羅との戦争に敗れた倭は、正史で半島大陸に野心がなかったことを訴えなければならなかった。
東京裁判みたいなもんだな。
そのためには、隋の皇帝に迫って、倭の「天子」の地位を認めさせた太子の業績は、歴史から抹殺する必要があった。
だから、当時天皇であった厩戸は、皇太子にされた。皇太子なら、私人であり、隋への無礼も国がらみでなくなる。
で、皇太子に格下げされ、そのままでは祟りが怖いので、その代償として偉大な聖人とされた。
というところジャマイカ。
112世界@名無史さん:2008/06/20(金) 23:28:16
>111
ありゃ、久しぶりに来て見れば・・・過疎スレ?
113日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:28:02
山川の詳説日本史研究が10年ぶりに改訂されました。
案の定というか、古代史を矮小化する記述が増えてます。

・「魏志倭人伝」は存在しない
・「任那日本府」は存在しなかった
・世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない
・「聖徳太子」は架空の人物
・「大化の改新」は存在しなかった
・天武天皇以前に「天皇」はいなかった
114日本@名無史さん:2008/09/02(火) 06:08:00
「あった、いた」 という記録も確かにあるのだから決定なんてできないだろ
いなかったのかも、ならわかるが。
まあ色々な論が出てくるのは面白いけどね
115日本@名無史さん:2008/09/15(月) 04:31:00
聖徳太子否定論者は、自分の能力を基準にして偉人を否定する者である。
もっと素直になれと言いたい。
116日本@名無史さん:2008/09/16(火) 00:05:47
田中英さんとかの反論があまり出てこないけど、どうしてなのかな?
結局最近では、法隆寺再建問題はどうなったの?
年輪年代法が信用できない、なんてのもよそのトピではみたことあるんだけど。
117日本@名無史さん:2008/10/14(火) 17:52:40
118日本@名無史さん:2008/10/14(火) 19:43:53
めちゃくちゃおもろいよ。
当時クレームがついたぐらい影響もあったし。
ま、捏造だったらしいが。

今でもたまによみかえすよん。
119日本@名無史さん:2008/10/14(火) 20:20:40
>>118
同性愛、妹との近親相姦。超能力。タイトルとは関係ない漫画だけどね。
12048:2008/10/15(水) 01:17:05
>>111
そういえば隋の煬帝への親書は書紀に載ってないんだったっけ。
筋が通ったご意見に感心。
丸ごと信じるわけじゃないけど、無視できない意見だと思いました。

十七条憲法、冠位十二階、三教ギ書が太子の業績ではないというのには反対。
時に天才が生まれるのは認めたい(空海もそう)。というか反対(認めない)理由がない。
書紀の礼賛にはさすがに作為を感じるが・・・。日本の基礎の基礎?を馬子とともにつくった
皇子(天皇か?)はいたんじゃないのかな。その人が聖徳太子と呼ばれた。
ことさら存在を否定する必要はないと思います。
12148:2008/10/15(水) 01:24:02
あの漫画は面白かった。
女性作家ならではのストーリー展開だったね。
122日本@名無史さん:2008/10/15(水) 19:38:05
聖徳太子の母親がペルシャ人説ほんとかな?
ホントだと嬉しいな。
123日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:51:08
>>122
それは無い
出自がはっきりしてないと皇族と結婚できないのは今も変わらない
124日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:54:47
>>117
主人公が、聖徳太子である理由が欠片も存在しないのを許容できれば、おもしろい漫画。
125siraki:2008/10/15(水) 21:00:21
豊總耳聖コ上宮法王 百済 貴首王 戦死
http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102655
126日本@名無史さん:2008/10/15(水) 21:14:02
蘇我  馬子
蘇我入鹿
    ↑
こんな馬鹿げた父と息子がいたとしたら、蝦夷も笑ってしまう。
蘇我氏自体が架空の氏族で、葛城氏の存在を隠ぺいする目
的で、でっちあげられたのではなかろうか?
聖徳太子?キリスト生誕をモチーフに作られた寓話。
127日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:37:36
一応、爺と孫だけどな。
最近は関なんかが立派なシリーズになっててビビルけど
太子は入鹿だったとか馬子だったとか、何で今更ってとこだ。
128日本@名無史さん:2008/10/16(木) 15:27:28
>>123
お母さんは孔部間人皇后(あなほべのはしひと)と呼ばれていましたね。
記憶がハッキリしていませんが、ペルシャ語でアナは「私」、ホベは「良い」だったと
思いますが、これをつなげると、「私は良いハシ国人の皇后」となるのでしょうか!!

始皇帝は目が青かったと言われていますが、聖徳太子も目が・・・ペルシャ人は黒かったかな?
129日本@名無史さん:2008/10/16(木) 17:01:39
波斯(パーシ、ハシ)人と云えばペルシャ人だが。

じゃ聖徳太子はダルビッシュ見たいな感じか。
130日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:38:31
もしかしたらじいちゃんがブラジル人の小島よしおのようなキャラだったのではないの?
131日本@名無史さん:2008/10/16(木) 22:38:53
聖徳太子の両親は兄妹結婚(異母だが)
ペルシャ人とかそんなに先進的じゃなかった模様
国際結婚どころか思いっきり身内(それも兄妹で・・・)結婚
13248:2008/10/18(土) 08:16:26
>>131
あのあたりから天智朝、天武朝の皇族は近親婚が多いね。
天皇に近い血ほど高貴だとされてたから、不自然だとは思わなかったんでしょ。
あるいは「天皇家の血をつくる」こと自体が目的だったとも妄想できる。
古代国家では別に珍しいことじゃないんでしょ(勉強不足でスマンが)。
133日本@名無史さん:2008/10/18(土) 23:36:30
>>132
平安時代までの貴族は身分の高い人にあこがれていたため近親婚ヤりまくりだった。 

聖徳太子が生きた飛鳥時代だともっとトンデモなくて皇后や妃には血統を重視して同一家系から選ばれました。
勿論、豪族の娘を娶る事も多々ありはしましたが、正妻に迎えるケースは稀でした。 
殊に皇后ほどの身分となると、やはり同じ皇族から迎えるのが無難とされた様子です。 
兄弟にして夫婦とか伯父と姪の結婚とかそんなのが当たり前の世界・・・。これが飛鳥・奈良時代の天皇家。 
有名な例としては天智天皇(中大兄皇子)と妹の間人皇女(孝徳天皇皇后)との同父同母間の関係です。 
当時は、異父母系の関係は許されていましたが、彼等の関係はその掟を破るものであり、 
そのため天智天皇は間人皇女が死ぬまで天皇になれなかったという説があります。
その結果として体が弱い人や知能が明らかに劣っている人や異様に短命な人が多かったらしい。
日本書記にも生まれつき白髪だったとかとか,生まれつき声が出なかった皇子が記載されています。 
しかし,平安時代以降は藤原氏との度重なる婚姻により劣性遺伝の可能性は否定できませんが、
異常性について正史には残っていません。 おそらく、歴史に記載されなかった劣性遺伝の皇子が存在したでしょう。
無論医学的に血のつながりの濃い近親婚を禁じる理由なんていくらでもある。 
ただし、近親婚をすると不良品ができる可能性が高くなるけど、生まれつきの天才ができる場合も高くなる。その典型的な例が競走馬や家畜。 
実際、聖徳太子ような生まれつきの天才は近親婚の産物だから近親婚=悪い遺伝を持った子ばかり、ということもない。 



でも、家畜と違って人間の場合は「身体・知的能力が劣る奴は4ね!!」というわけにはなかなかいかないからなぁ〜。 
134日本@名無史さん:2008/10/19(日) 07:53:03
血のつながりを重視して同族同士の結婚を繰り返したことが蘇我氏滅亡の原因。
腐った羊水の女が奇形児やダウン症、脳性麻痺、学習障害児を次々に産み落とし、
滅亡に追いやったんだよ。
聖徳太子は、そんな呪われた血の池に咲いたあだ花。
135日本@名無史さん:2008/10/19(日) 08:07:51
>>134
この板で既出だが、
お前のあげた奇形児やダウン症、脳性麻痺、学習障害児は
いずれも近親結婚とは一切関係がない。
近親結婚も通常の結婚も奇形児の生まれる確率は全く変わらない。

それに、蘇我氏内部に奇形児なんていたっけ?
とにかく近親婚の影響ではないから。
136日本@名無史さん:2008/10/19(日) 08:15:29
内々に処分されてきたのです。
流産も多かったと思われます。
137日本@名無史さん:2008/10/19(日) 15:57:27
日本人て何でこうだめなんだろうね。
自国最高の偉人の一人をまともに顕彰もできないなんて。
138日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:19:15
>>134
蘇我氏とかどうのこうのは関係ありません。
重要なのは近親婚をやると遺伝子疾患に罹る確率が高いという事実だけです。

近親婚をやると常染色体劣性遺伝疾患の頻度が増加することが知られています。
常染色体劣性遺伝は、 問題のある遺伝子を二親ともから遺伝されることによって引き起こされる病気なので、
保因者のいる家系同士で子供を作ると、劣性遺伝子を両方持つ可能性が高いのですね、
およそ普通婚の12倍程度だといわれています。

常染色体劣性遺伝疾患の代表的な例として知られるるのは、
全身白子、先天性魚鱗癬、テイ. サックス病、嚢胞性線維症、フェニルケトン尿症、
ガラクトース血症、糖原病T型、ウイルソン病などがあります。
詳細は↓で・・・。
http://genetopia.md.shinshu-u.ac.jp/basic/basic1.htm
http://www.geocities.jp/nac_vet/genetics/asrecessive.html
http://merckmanual.banyu.co.jp/cgi-bin/disphtml.cgi?url=21/s286.html
http://www.h2.dion.ne.jp/~park/index1/i1009arjp.html
http://membrane.jugem.jp/?eid=235
http://www.mh.nagasaki-u.ac.jp/iden/basic4.pdf
http://www.primate.or.jp/PF/yasuda/11.html
139日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:50:12
近親婚によって劣性遺伝子が発現しやすくなる。
としか書かれていないな。
140日本@名無史さん:2008/10/20(月) 19:29:39
>>139
確か、人間の遺伝子にはかなり高い確率で損傷があるとか。
でも遺伝子(=ここでは染色体の意味)は一対なので、異常な部分があっても優性遺伝で無い限り
もう片方の遺伝子が補っていて、表面には顕れません。でも父母が近縁者だとすると、
父親由来の遺伝子と母親由来の遺伝子が同一になる可能性が高くなります。 
結果、異常な遺伝子が一対揃ってしまい、病気や奇形などになる確率が高くなります。 

シミュレーション:劣性遺伝の場合
 Aa : 父親の遺伝子。aが変異した異常な遺伝子。aは発現せず正常な人。
 Ba : 母親の遺伝子。父親と血縁で、aは遺伝した異常な遺伝子。同じくaは発現せず正常な人。

 生まれた子供の遺伝子: 
 AB : 正常な遺伝子を持った子供。
 Aa : 父のAと母のaを受け継いだ子供。父と同じ、aは発現せず正常な人。
 Ba : 母のBと父のaを受け継いだ子供。母と同じ、aは発現せず正常な人。
 aa : 両親の異常なaを受け継いだ子供。aの以上が発現し、病気や奇形が発症。

なんと、25%の高確率で異常が出てしまいます・・・。
141日本@名無史さん:2008/10/20(月) 19:42:19
近親婚による天才=聖徳太子
   〃    異常=冷泉天皇他
142日本@名無史さん:2008/10/20(月) 20:17:46
よもや今時優性遺伝劣性遺伝の意味を理解してないやつが居るとはw
143日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:02:26
蘇我氏に限らず、近親婚が原因で滅んだ氏族は数知れずいるのに、
今の日本では従兄同士でも結婚できるというのはどういう良賢なの
でしょうね?
144日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:27:02
>>143
桓武天皇も異母妹の酒人内親王を妃にしてる。
脇腹の皇子が即位して、后腹の内親王が皇后になれないというある意味すごいことだけど。
更にその桓武の息子の平城天皇は、酒人内親王の娘である
朝原内親王を妃にしている。従妹で異母妹という血の濃さ。

平安は中期以降は異母兄弟の近親婚はないよ。

そして近親婚の優れた例で引用されるのは常に聖徳太子で、他は殆どいないということも考慮した方がいい。
濃すぎる血の弊害での奇矯な例なら、天皇家だけでも陽成天皇や冷泉天皇、花山天皇などが出てくるのにね。 
145日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:31:50
大正天皇、愛子・・この辺も考慮すべし。
146日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:42:12
藤原氏とかの血も入ってるから完全に近親婚てわけでもないよ。
147日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:58:45
柳原白蓮が大正天皇妃になってれば面白かったのに。
148日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:22:31
>>140
おいおい・・・
近親婚で「奇形」は出ないよ。
具体的にどんな病気が「優性遺伝」か調べてごらん。
この板の連中が声高に連呼している「奇形」「精神病」は
近親婚の影響が出る「優性遺伝」の病気ではないから。
残念だろうが。
149日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:42:48
>>141、143
両親が兄妹婚でまともだった例

聖徳太子、来目皇子、長屋王、藤原麻呂(京家の祖)、孝謙天皇等々

そこにあげられてある陽成天皇、冷泉天皇、花山天皇は
いずれも両親がいとこ同士でそれほど血縁は近くないんだよ。
いとこ婚まで探すなら、優秀な天皇の例はいくらでもあがる。

おば×甥婚でまともだった天皇の例
元正天皇、後冷泉天皇、花園天皇等々

両親がいとこ同士でまともだった天皇の例
円融天皇、一条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、
後冷泉天皇、後三条天皇、鳥羽天皇、後白河天皇
後宇多天皇等々

貴族でも藤原道長とその妻源明子はいとこ婚。
摂関家でも近親婚は多い。
そもそも陽成天皇や冷泉天皇、花山天皇のような精神病は
近親婚は全く影響なし。
そもそも天皇家に遺伝病が伝わっていなければ近親婚でも病気にならないし、
優勢遺伝する遺伝子が入り込めば兄弟姉妹みなが発病するので
一人だけが突然変異で発病することはありえない。
150149:2008/10/21(火) 20:01:14
孝謙天皇
両親が兄弟婚→おば×甥婚に訂正。
151日本@名無史さん:2008/10/21(火) 20:49:07
人類進化の歴史を理解していない人が多いみたいですね。
ミトコンドリアアダムとイブの集団も100人程度の小さな集団内で近親
相姦を繰り返したことで現在の人類の祖先となる集団を形成した。
でなければ、短い時間でネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドといった
人類の進化を遂げることはなかった。
近親相姦こそ、進化の原動力です。
152日本@名無史さん:2008/10/21(火) 21:29:09
F島とD東でさえ生き残っているわけだし、
100円割れしたからダメというわけでもない。
まだまだ安心ですね。
153日本@名無史さん:2008/10/22(水) 19:39:09
>>144
陽成帝や冷泉帝の異常が近親婚によるものだという説明はされてないと思うが。
154日本@名無史さん:2008/10/22(水) 21:11:06
>>151
人間以外の生物でも、血縁の近いもの同士の間に子孫を残すことを避けるよう進化しており、例えば植物では自家受粉を忌避するしくみを持っていますし、
人間を含む動物では、体臭などを手がかりにして、近い親族への性欲が生じないようになっていることが多いのです。

近親相姦は自然状態では「できるだけ避けること」であり、絶滅に瀕した際の緊急避難的措置です。

進化の淘汰圧に、劣性遺伝子が大きく関与していることは事実でしょう。「人間以外の哺乳類の近親相姦はよくあること」というのは、人為的な育種(品種改良)のことでしょうか。
わざと近親婚をさせて劣性遺伝子を発現させることで排除し、ある特定の遺伝子のみをピックアップしているのです。沢山の「要らない子孫たち」をぶっ殺すことで初めて可能な操作です。
多様性をなくすことで、遺伝子を均質化しているとも言えます。多様性を無くした種は、環境の変化に対して極めて脆弱です。
古代エジプトのファラオの家系や、上代日本の皇族についても、ごく稀に発現する“遺伝的スーパーマン”のために、多くの闇に葬られた命があることはよく知られています。
御幣があることを承知で言うなら、やんごとなき血統を奉る周囲の勢力によって、“品種改良”されていたのです。

決して近親相姦を好んだからではありません。
155日本@名無史さん:2008/10/22(水) 21:27:00
>>154
好きで近親相姦を繰り返したわけではなく、
ほかに相手がいなかった。そういう理由では?
156日本@名無史さん:2008/10/22(水) 21:36:54
>>154
天皇家や藤原氏などは貴種だから人為的に近親相姦したのは事実だが
近親相姦は自然状態ではできるだけ避けることであったかというと人間の場合そうではない。
新幹線やインターネットの出会い系もなかった時代、
交通手段を持たない人類の移動手段は限られていて、
狭い「村」で生涯を終えることがほとんどだった一般庶民は意外と近親婚だった。
若い男女が出会う手段は「村」の中でしかなく、
あるいは親が親戚から年齢の似た異性を探し出して娶せたりしたため。
戦前における日本の一般庶民の婚姻は意外に近親婚なのだ。
一夫一妻である庶民は兄弟姉妹婚すらなかったけれども、
いとこ婚やら兄嫁の一族に妹が嫁ぐとか、
血縁のあるところにしか娘をやらないという
閉鎖性がどこの社会でもみられていたのだ。
一般庶民ですらそんな具合で命をつないできたのだ。
157日本@名無史さん:2008/10/22(水) 21:57:33
ここは聖徳太子スレでつ。近親相姦の話がしたいなら専用スレ立ててそちらでやってください。
158日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:12:07
近親相姦で生まれたあだ花=聖徳太子。という論旨なんですが・・・
159日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:59:51
証明できてないし
160日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:07:04
>>155
相手がいないというか、
欽明王統があえて閉鎖的な血統を創り出そうとしてたってことでは。
男系世襲を確かなものにするために。
閉鎖的な婚姻をしてれば
継体みたいに入婿で王位継承することは防げるから。
161日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:10:41
>>160
古代日本は双系主義
母方でも父方でも天皇の子孫であることが望ましい
持統天皇あたりからおかしくなったんだよな
孫の文武天皇に皇族の皇后をめとらせなくなった
早世の天皇が出たりすると
一気に天皇にめあわせるべき内親王がいなくなるっていう事態になったり
162日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:51:04
遺伝疾患の診断やその遺伝予後を判定するためには,詳細な家系図を作ることが必要である.家
族歴を聴取する意義としては,以下のことが挙げられる.

1)正確な診断の助けとなる.
2)正確な予後を推定することができる.
3)遺伝疾患の発症前診断や発症予防が可能となる.

家系図は必ず古い世代を上に新しい世代を下に記す.日本ではしばしば左から右に向かって書いてある家系図を見かけるが、
上から下というのは国際的に決められていることなので,左から右というのは好ましくない.
家系図をとるにあたってのコツとしては次のようなことがある.

1)血縁者およびその配偶者,特に遠縁の血縁関係の聞き出しには,まず固有名詞と住所を聞いておく.そうすれば,次にそのまた血縁者を聞くときに,クライエントはすぐ思い出すことができるであろう.
2)いま問題になっている遺伝性疾患に関係ある事項のみならず,関係ないと思われてもできるだけ情報を詳細に集める.
3)流産,死産,新生児期あるいは乳児期などに死亡したものの情報は非常に重要である.
4)最初からきれいな家系図を描こうと思わないこと.最初はラフなものでよい.すべての情報を得た後,清書する
163日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:52:41
家系図から情報を読みとる際,最も重要なことはどの人とどの人がどれだけ遺伝子を共有しているかを知ることである.親・子・兄弟はそれぞれ遺伝子を1/2ずつ共有しており,
第1度近親と呼ばれる.我国では伝統的に「親等」という言葉があり一般にひろく用いられている.しかしこれは法律用語であり,1親等は親と子の関係を表し,兄弟は2親等になってしまう.
したがって親等という言葉を医学用語として用いてはならない.兄弟も親・子と同じく,1/2の遺伝子を共有していることに注意が必要である.
祖父母,孫,オジ・オバ,オイ・メイは第2度近親であり,1/4の遺伝子を共有している.いとこは第3度近親で,1/8の遺伝子を共有している.
常染色体優性遺伝病の場合は第1度近親者の情報がとくに重要である.患者の両親が正常と思われる場合でも軽微な症状がないかどうか詳細に検討する必要がある.
表現度の差の大きな疾患もあるからである.また患者が生まれたときの両親の年齢を聞いておくことも重要である.父親年齢が高くなると常染色体優性遺伝疾患の突然変異率が高くなるからである.
常染色体劣性遺伝病が疑われる場合は,夫婦間に血縁関係がないかどうかを記載する.夫婦間に血縁関係があると常染色体劣性遺伝による疾患である可能性が高くなる.
最近では核家族が多くなり,先代にさかのぼって家族歴を聴取するのが困難になりつつあるが,両親の出身地を聞いておくとある程度類推できることがある.
X連鎖劣性遺伝病を対象とするときはとくに母方の家系の男性について詳しい情報を集める必要がある.
家系内に同じような病態の患者が複数発生すると,短絡的にメンデル遺伝病を考えがちであるが,親に均衡型相互転座があり,
それに由来する染色体異常の場合や,母が抗てんかん薬を服用していて,その催奇形作用により発症したものなどもあるので,
詳細に家族歴を聴取する必要がある.
164日本@名無史さん:2008/10/23(木) 00:03:44
>>162-163でいろいろ書いたが・・・。

だいたい、近親婚は非常にリスキーです。

で、近親婚についてのタブーが強い地域と比較的弱い地域があります。例えば、アジアでは中国大陸と朝鮮半島はタブーが強いのです。
この背景を見ると、中国では牧畜が大昔は盛んだったのです。で、家畜のようなつくりの単純な生き物でも、近親交配を続けると、やっぱりヘンテコリンなのが生まれるんですね。
それを身近にみた人々は、近親交配を忌み嫌うようになります。中東アラブでできた、砂漠地方発の宗教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)も同じです。
近親交配から、変な家畜が生まれるのを経験的に知り、それが宗教的罪と融合して、宗教的に禁止されるんですね。

で、日本、東南アジア、エジプトのように、牧畜が盛んではなかった地域では、近親婚は比較的多かったのです。
これは、皇族や高級貴族に特にみられ、財産の安定と血の純潔さという観点から、近親婚がなされていました。

ただ、近親婚を徹底した結果、変わった事例も出てきました。
それは、近親婚はリスキーな反面、それを続けると、たまに、異様に優秀な人が現れたりするのです。
聖徳太子がそうです。彼の家計図をみるとわかりますが、まさに究極の近親婚の連続で生まれた人です。
これは、動物実験でも報告されていまして、まれに優秀な種が生まれるそうです。
16548:2008/10/23(木) 17:38:24
ひゃあ、みなさん凄いな。
かなりハイレベルな書き込みなんじゃないの。
読めば理解はできるけど、自分じゃとても書けないないようだから、
何だか悔しい気もするぞw
164さんの結論からしても「太子はいた」と理解しておきたい。
ただ、近親婚だから天才が生まれたとは、まだ言い切れないわけだよね。
これはどっちでもいいけど。
166日本@名無史さん:2008/10/23(木) 19:07:17
>>164
中国大陸と朝鮮半島では近親婚のタブーが強いというのは間違いだな。
中国人が同じ苗字の男女の結婚を古来禁じていたことは有名なことだが、
これだけでは近親婚を免れえない。
なぜなら、子供が父方の苗字を名乗れば、父方の同姓の者とは結婚できないが
苗字の違う母方の近親者とは結婚できてしまうから。
中国の「同じ苗字の者は結婚するな」は別段近親婚禁止のための政策ではなく、
父方の近親にしか影響が及ばないという点でその主張は認められない。
167日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:03:12
>>161
別スレでも似たような「双系主義」って表現が問題になってたけど、
あくまで男系が天皇家であることが大前提で、その範囲内での双系なので、
大ざっぱに言ったら、やはり男系主義だろう。

女系要素を加味した男系主義といった方が正しい。
なぜなら継体以降の継承で、女系だけを根拠に即位した天皇はいないから。
168日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:13:07
皇室は神武天皇以来男系が崩れたことはない。女系、つまり女帝の子孫が皇位についたことは一度もない。
それにしても近親婚の影響は聖徳太子を語る上では瑣末なことだ。
169日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:17:46
>>167
君はあちこちに同じようなレスを張り付けて煽りたてている
女系天皇反対論者なわけだけど、論旨を読んでレスしてる?
古代日本ではなぜ近親婚が行われていたかという議論でしょ。

古代天皇家で血縁の近い女性が天皇の配偶者として選ばれたのは
双系主義(母方でも天皇の血を引いていることが望ましい)からに相異ない。

君があちこちで張り付けている
日本は男系主義だ!男系主義だ!の主張では
なぜ天皇の配偶者(大后や皇后)が皇族から選ばれていたのか説明できないよ。
170日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:02:03
>>169
むしろ、ことさら「双系」を強調して、女系を強調しすぎるほうが
事実を歪曲してると思うけどね。

例のスレでも、女系派の事実歪曲が指摘されてたと思うが。

単純に、天皇家の系図が確実な継体天皇以降の皇位継承の例を見ればわかること。
すべて男系で皇統に属する人物が皇位についている。
「女系要素を加味した男系主義」といった方が、「双系主義」なんた誤解をまねく言い方より、
系図や史実の即した言い方だろうに。
その大后や皇后自身も男系で皇統に属する皇族である以上、天皇家という大枠が前提だろうに。

おたくはやけに「女系」にこだわってるけど、天皇家という男系の中の女系にすぎないのだから、
継体天皇の男系子孫による皇位継承であることは間違いない。
それを単純化して言えば「男系継承」、細かく言えば「女系加味の男系継承」で、どこが問題?

女系、双系を連呼するほうが史実に反する。
171日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:06:01
>>170
ここは聖徳太子のスレですが?
スレ違いの内容は他スレへ行ってください。
聖徳太子の父は欽明天皇の皇子。
聖徳太子の母は欽明天皇の皇女。
ここをもって双系主義だと言っているのですが。

おたくが声高に女系反対を訴えているのは
聖徳太子の母方が天皇家だと不都合だからですか?

完全にスレ違いですよ?
172日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:13:05
つ女系加味の男系継承
173日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:19:58
男系女系で問題になるのは父系のみ。母系はどうでもいい。
174日本@名無史さん:2008/10/24(金) 19:59:12
>>166
中国・韓国の場合は「インセストタブー」として禁止されていただけ。儒教では近親婚は”悪”だからな。 

古来より、牧畜などをしていた人類は、近親での交配の蓄積が何をもたらすのか経験上知り過ぎるほど知っていたはずです。 
日本のインセスト・タブーはかなり緩い方みたいです。現在の3等親ってルールも国際的にはかなり狭いほうみたい。
インセストタブーの文化人類学的な意味付けを理解したかったらレヴィ・ストロースとかその関連書籍を読むことを薦めとくよ。
世界中には多種多様なインセストタブーがあって、それらが統一的な原理で理解できることに感銘を受けるかもよ。 
17548:2008/10/25(土) 00:53:47
凄い人たちがいるスレだとは分かったけど、
一般参加もできるように、そろそろ聖徳太子に戻ってくれるといいな。
太子は何者か? そもそも存在したのか?
日本の基礎をつくったと評価して良いのか?
そういった本筋というか、より太子に近い話題を希望。
176日本@名無史さん:2008/10/25(土) 20:46:31
何者かというなら、用明天皇の皇子、厩戸の皇子である。厩戸は太子の生れた土地の名であり、読み方は「うまやと」と濁らない。
言うまでもなく、実在の偉人である。太子の業績をつらつらながむるに、後に聖徳太子と称えられる皇子がいたと結論せざるを得ない。
まず十七条憲法、特に第十条の「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚かにあらず」、
つまり人間が「自分は聖者で相手は愚者だ」と思っている実態を喝破できる人物など、同時代はおろか、書紀編纂時にも他に存在しない。
また外交政策、馬子や入鹿では、あのような対等外交は考えもつかないだろう。冠位十二階もまた然り。
177日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:11:12
遣隋使を送ったのは蘇我馬子だよ
崇仏論で辛苦をなめた馬子がついに姪の推古天皇の即位を見て
日本を先進国に追いつかせようとして送ったものだ

物部氏や中臣氏と長年争ってきた政界の長老蘇我馬子や
夫の没後天皇指名権を掌握し、天皇家の尊母として遇されていた推古天皇を退けて
厩戸ごとき青二才の若者が政治に口出しさせていただけるはずもない。
178日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:24:25
>>177
問題は遣隋使ではなく、国書の方。
遣使自体は誰でも思いつく。
天皇の大喪という大切な席で、ライバルと皮肉を言いあうような小物に
「日出処の天子」なんて書けると思うかい?
179日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:43:42
>>178
崇仏論者で渡来人の知識を持って日本初の飛鳥寺を建てた
国際情勢に詳しい蘇我馬子ならばそうしただろうね。
蘇我氏は渡来人と深い関わりがあり、
隋の置かれた情勢、日本のおかれた情勢はよく理解していた。

物部合戦には馬子配下の皇族として参戦、
馬子の真似して飛鳥寺そっくりの寺を建てることに没頭していた
厩戸には無理。

天皇の大喪で皮肉って、後の時代に蘇我氏に不利なように
作られた話でしょ。
180日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:56:54
>>179
いくら国際情勢に詳しくても、時代の価値観を大転換させることはできないよ。
海千山千の政治家ならなおさらだ。
一人の天才をもって初めてできること。
物部合戦て・・・少年時代の話だろwwwww
181日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:31:55
蘇我稲目、馬子に比べて、
蘇我蝦夷、入鹿があまりにも凡庸だったために蘇我氏は排除された
というのが真相だろう?
182日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:33:06
>>180
隋との対等外交要求は国際情勢を知り尽くして初めて可能なこと。
条件さえ整えば案外簡単に誰でも思いつくことで天才でなくても十分だ。
そもそも、君は聖徳太子が十人の話を同時に聞くことができたとか信じてるの?
聖徳太子の神格化は平安末期〜鎌倉時代。
貴族しか読めなかった日本書紀が庶民にも広まりだして、
大昔十人の話をいっぺんに聞くことができる偉い人がいたらしいということで
あっちこっちで庶民が聖徳太子像を作って祀りだした。
聖徳太子が神様だの偉い人だの言われだしたのはそれから。
生きてた時にはただの人。
18348:2008/10/25(土) 22:59:03
>>182
ただの人が書紀であれだけ賞賛される(異常なほどでしょ)とは思えないが・・・。
オレは天才児・厩戸、後の聖徳太子はいたと思うけどな。
見てきたわけじゃないから、絶対にとは言わないけどさw
18448:2008/10/25(土) 23:16:34
十七条憲法、冠位十二階、三教ギ書は太子の仕事か、否か。
これも太子の仕事だと思ってます。
もちろん根拠なしw
でも否定する根拠もないんじゃないのかな。
185日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:33:22
>>179
渡来人と親好のある、空気の読める蘇我馬子。
それならなおのこと、中華帝国に向かって「俺とお前は同格だよな、仲良くしような」なんて文書くらないと思う。
186日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:35:41
>>182
当時の中華王朝は絶対的な存在だっんだが?
少なくとも面と向かって「天子」と名乗るのは老練な政治家の発想じゃないよ。

>君は聖徳太子が十人の話を同時に聞くことができたとか信じてるの?
そんな伝説は学問とは関係ないだろ。何でそんな話になるの?

>聖徳太子の神格化は平安末期〜鎌倉時代。
そりゃ神格化であって、賞賛とは違う。賞賛自体は書紀からある。
187日本@名無史さん:2008/10/26(日) 00:07:34
>>184
十七条憲法が後世の創作だとすると、その配列の説明がつかない。
何で第一条が「和をもって貴しとなす」なのか?
仏僧の手になるなら第二条「篤く三宝を敬え」が来るはずだし、
官吏の作文なら第三条「詔を承りては必ずつつしめ」が冒頭に来るはず。
つまり太子以外には発想し得ないということですね。
188187:2008/10/26(日) 00:15:33
それと、憲法と三教義疏は、文章の特徴が似ていると、坂本太郎博士の本に書いてあります。
189日本@名無史さん:2008/10/26(日) 08:55:46
>>185
国際情勢を読めないお前の頭ではそうなる。
当時の隋のおかれた国際情勢を見てごらん。
東西南北敵だらけで、自分の同盟国を求めていたんだよ。
隋が日の出の勢いのときに小国日本が生意気な文面を送りつけていれば
下手すりゃ隋に攻め込まれてた。
日本が国際情勢無視で対等貿易を求めたと思い込んでるお前がバカ。
190日本@名無史さん:2008/10/26(日) 09:08:17
ずいぶん隋を擁護するじゃないか。
しかし、天命で選ばれた天子にすぎない隋の皇帝と、
存在そのものが神である天皇と、どちらが偉い
かといえば、それは答えるまでもないじゃないか。
191日本@名無史さん:2008/10/26(日) 09:34:29
>>190
天皇は神である、崇めよ、と命じたのは天武天皇。
歌人らに天皇は神であるという歌を詠ませ、
国民に唱和させたりしていた。
(なんか戦前の日本みたい)
この頃の大王は神格化はしていないよ。
そんな思想はもっと後の時代の天皇家が自分で言い出したこと。
192日本@名無史さん:2008/10/26(日) 10:07:39
>>189
問題は誰がそれを考えたかってこと。
いくら国際情勢を読んだところで、価値観の大転換ができなければ、対等外交など思いもよらないもの。
193日本@名無史さん:2008/10/26(日) 11:49:13
>>189
中華帝国が東西南北敵だらけなんていつもの事というか標準状態だし。
だからといって和親政策を超えて同盟を求めるなんて夷荻に対する態度じゃありえないし。
なにより、下手すれば攻められていたような文書を国際情勢を理解している有能な、しかし立場は大臣にすぎない蘇我馬子が送るわけ無いだろ。
194日本@名無史さん:2008/10/26(日) 13:26:46
>>193
お前の説なら、遣隋使を送ると発案したのは推古天皇。
ほかにはありえないということになる。
そもそもこの時代、皇太子は存在せず、
天皇が存在するのに他の皇族が政治に介入するなんてありえないこと。
大臣である蘇我馬子が推古天皇に助言することはできるが、
何の権限もない甥は政治の蚊帳の外。
195日本@名無史さん:2008/10/26(日) 13:57:32
>>194
なぜ?
発言力くらいはあっただろ、ただし最終的に遣隋使を送る事を決めたのは推古天皇に違いない。
196日本@名無史さん:2008/10/26(日) 14:02:23
>>194
(゚Д゚)ハァ? 上宮王は摂政ですが?
197日本@名無史さん:2008/10/26(日) 14:52:07
摂政っていっても、平安時代のとは随分違うだろうけど。
推古は聖徳太子よりはるかに政治のベテランだし。
198日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:00:48
じゃその「随分違う」っていう具体的な内容と根拠は?「だろう」じゃなくてさ。
199日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:12:05
>>196
この時代「摂政」などという地位はない。
むしろ、清和天皇を9歳で即位させた良房が、
適当な先例を求めて日本書紀のこの記述に着目し、
「摂政」という地位を確立させただけ。

摂政は政を摂るというそのままの意味で
それ自体は役職でもなんでもない。
実際、同時代の女帝は自分で政治を行っており、
男性に政治を委ねて遊んでいるというような悠長さはない。
持統天皇しかり、斉明天皇しかり。
当然、推古天皇も自分で政治を行っていた。
200日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:23:48
だから聖徳太子が「政をつかさどる」地位にいたから、後の時代に摂政という役職が発生したんだろ。
201日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:28:54
>>199
つまり聖徳太子が「政を摂った」わけだろ?
202日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:29:15
橘豊日大王の王子である厩戸王が、おばの額田部大王のもとで政務に参与し、
大臣蘇我馬子と共同で執政の座にあったということでいいだろ。
203日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:33:51
蘇我入鹿は、すでにこの当時、天皇と並ぶ大王であり、
実質的に摂政に近い政治支配をおこなっていたことは
日本書紀からも読み取れます。
204日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:35:36
>>200−203
だから、それは日本書紀の作り話。
そもそも、天武天皇の皇太子草壁皇子まで日本に皇太子は存在しなかったのに、
日本書紀では聖徳太子を皇太子としている。
山背大兄皇子と舒明天皇が争ったのも推古天皇の没後だし、
用明天皇の没後もクーデターがあったっけ。
いずれもこの時代に皇太子制度がなかったことの証拠。
もちろん、皇太子がいないのだから皇太子が政治に参加したというのも嘘。
聖徳太子が摂政したというのも嘘。
205日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:38:37
>>204
そんなこと言ったら「天皇」自体「嘘」だろうがよwwwww
「嘘」なのではなく、後世の用語を使ってるだけ。
206日本@名無史さん:2008/10/26(日) 16:07:09
皇帝や天皇が没後後継争いでもめないようにあらかじめ指名しておくなんて、春秋時代にはすでにあったわけでいくら東夷の蛮国とはいえそういう考えが伝わるまで千年以上もかかるわけがない。

まして「渡来人との親交もあり、国際情勢が理解できていた蘇我馬子」が居る大和朝廷ならなおのことだ。
207日本@名無史さん:2008/10/26(日) 16:45:34
「皇太子」とか「ヒツギノミコ」という名称はなかったにせよ、
ヌカタベ女王様の後継者候補、万一の場合の代理くらいの認識はあったろうな。
208日本@名無史さん:2008/10/26(日) 16:56:44
隋書には「太子を名づけて利歌弥多弗利となす」とある

後の皇太子みたいな身分が存在したことを示唆してると思う
20948:2008/10/26(日) 17:16:18
途中で頭が良い人が多いスレだと感心したんだが、
いくらなんでも、太子の時代のことを「あれは嘘だ」と言い切る
ほどの自信を見せられると、「何だかなあ・・・」って感じだよw
1000数百年前のことが手に取るように分かるって、
いくらなんでもそこまで頭がいいヤツっていないだろ。
せめて「こう言われている」程度にとどめておけよな。
でないと、頭がいいヤツどころか、頭がいいつもりのドキュン! になっちゃうぞw
210日本@名無史さん:2008/10/26(日) 18:48:52
摂政と皇太子がごっちゃになってないか?
211日本@名無史さん:2008/10/26(日) 23:15:04
>>204の考えだと、どちらも国政に参与できるみたい。
212日本@名無史さん:2008/10/27(月) 00:21:37
「摂政」とか「皇太子」とかいう漢語表現の言葉がなかっただけで、
大王の後継者として、大臣とともに執政するポジションだったんだろ。

それを後付で皇太子とか摂政と呼んでるだけ。
それに書紀だと、「摂政」そのものの表記はなくて、動詞的な表現だけだろ。
213日本@名無史さん:2008/10/27(月) 07:13:39
推古の下で、太子は次期天皇としての勉強をかねて一部権限を持たされて、馬子がサポートしてるってとこか。
214日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:20:45
日本書紀・推古元年条より
「厩戸豊聡耳皇子を立てて、皇太子とす。仍りて録摂政らしむ。萬機を以て悉に委ぬ。」
(厩戸皇子を皇太子として政治全般を司らせた)

確かに「摂政」という言葉は名詞・官職名としては使われておらず、動詞的表現として、
「録摂政らしむ(まつりごとふさねつかさどらしむ)」と出ているのみである。
「皇太子」については「天皇」号同様、書紀編纂時の用語を遡らせて使っているにすぎない。

要するに厩戸王が大王の後継者に指名され、次期大王の有力候補として政務全般を任せられた
ということを表現している。
215日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:34:34
>>214
なぜ推古天皇はそれに同意したの?
息子の竹田皇子のほうが血筋もいいし、
最有力候補だったろうに。
竹田皇子が長命だったら推古天皇は我が息子を政治に参加させて
厩戸皇子なんかどっかやっちゃってただろう。
216日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:52:47
竹田皇子は母・推古からしか蘇我の血をひいていないが、
厩戸皇子は父系母系双方から濃厚に蘇我の血をひいているので、
蘇我馬子にとっても相棒として都合がよかったんじゃないの?
217日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:04:08
>>216
蘇我氏の判断ならば、
姪の推古天皇のほうが甥の子の厩戸皇子より血筋が近い。
厩戸皇子なんかより推古天皇と2人で政治をやったほうがいいよね。
で、なんで若輩者で血縁もそれほど近くない厩戸がでてくんの?
218日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:04:15
>>215
竹田の皇子よりさらに上の彦人大兄王子がいたからじゃね?
彦人が即位しちゃうとどう考えても竹田の出番ないし。
彦人の方が兄貴で血統上も良いとなると竹田の出番がない。
自分が即位してしまえば竹田は天皇と天皇の間の子供になるから、その上で聖徳太子の方が自分と竹田より先に死ねばめでたく竹田皇子が即位できるじゃないか。
219日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:04:32
竹田皇子が死んだから厩戸皇子が皇太子(みたいなもの)になったんじゃないのか?
馬子は、押坂彦人大兄皇子ならともかく竹田を忌避することはないだろう。
220日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:27:51
>>218
彦人大兄皇子の母親は息長氏。
記紀は息長広姫が敏達天皇のもともとの皇后で、
推古天皇は後妻という扱いをしているのだけれども、
近江の地方豪族息長氏の娘が皇后になるというのは疑問が多く、
実際には欽明天皇の皇女である推古天皇が大后、
広姫は側室の扱いだったのを広姫の孫である舒明・皇極天皇が即位、
曾孫である天智・天武天皇時代に広姫を皇后に祭り上げたという説がある。
つまり、息長氏を母とする彦人大兄皇子はたとえ長子であっても庶子にすぎず、
推古天皇を母とする竹田皇子がどう考えても敏達天皇の嫡子。
最初から彦人大兄皇子の出る幕はなかったという説もある。
221日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:29:38
>>219
その説だと、推古天皇の即位と同時に「摂政」し、
女帝に代わって聖徳太子が政治を全部行ったという
日本書紀の記述と矛盾するよね?
竹田皇子が没するまで聖徳太子は政治に携われず、
それまでは推古天皇もしくは竹田皇子が政治を行っていた
ということになる。
222日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:45:09
じゃあ竹田は推古の即位前に死亡。
223日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:05:09
>>220
広姫は皇族の娘のはずだが?
224日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:07:48
>>222
竹田皇子は物部合戦のときには生きていて
蘇我氏に味方する皇族として担がれたりしてるから
推古天皇即位時には生きているよ
いつ没したかは不明
推古天皇は自分が死ぬ時に愛息竹田皇子と合葬するように遺言しているから
推古天皇よりは先に死んだことしか分からない
推古天皇はこの時代としては大変長命で(日本書紀では75歳)
厩戸皇子も当然推古天皇より先に死んだんだけどね
225日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:10:27
>>223
広姫の父は息長真手王。
一般的に息長氏と呼ばれる。
息長氏は一応応神天皇の子孫ということになってはいるが、
この頃の皇族とは相当血縁が離れている。
欽明天皇の実の皇女である推古天皇に比べ、
広姫の出自が見劣りするのはどうしようもない。
226日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:20:14
日本書紀に「姿色端麗・進止軌制」と記されるように、
推古天皇は、才色兼備の女帝だったのですね。
その娘、、小墾田皇女の血をひく小和田雅子妃の御子
愛子様が即位される日が今から楽しみです。
227日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:33:37
>>224
物部合戦と推古即位の数年の間に死去
228日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:43:59
>>226激同です。ウルウル
229日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:44:24
>>227
推古天皇には竹田皇子だけじゃなくて
尾張皇子という息子も居たっけ。

それはともかく、推古天皇は厩戸皇子が死んだあと
誰を摂政にしていたんだろうね。
女帝だから摂政をおいて自分で政治を取らなかったというのならば、
すぐに次の摂政を置かなければ政治を摂る者がいなかっただろうに。
って、何のための天皇?
230日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:25:59
大臣馬子がいるからなんとかなったんじゃないの?
馬子亡き後は王族群臣の集団指導体制になってたかもしれんし。
231日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:30:03
馬子は太子の没後4年しか生きてない。推古天皇の崩御はさらにその2年後。
つまり結構矢継ぎ早に死んでる。
23248:2008/10/27(月) 22:38:35
>>229
天皇は皇帝と違って、
現実世界のマツリゴトと、
神事=マツリの両方を司っている。
当時は太子が現実政治、推古が神事の分業制だったと思われ。
23348:2008/10/27(月) 22:39:48
神事→宗教行事としたほうが分かりやすそうだ。
234日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:45:43
馬子が推古に領地をねだって「自分が愚か者と言われるのは我慢できるが、
おじ上が不忠者といわれるのは我慢できない」って言われたのは、太子死後の話か。
235日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:31:30
推古って亡くなったとき70代だったはずだが、
そのおじの馬子って死んだとき何歳くらいだったんだろう?

当時としてはかなりの長寿じゃないか?
236日本@名無史さん:2008/10/28(火) 00:30:56
この時代、生年がはっきりわかってるのは天皇とごく一部の皇族だけだからな。
237日本@名無史さん:2008/10/28(火) 16:57:28
>>217
そりゃ「切れる」からだろう
仏教の理解が偉い切れる男だったのはまず間違いなかろうし、
相当賢くて自分の血筋でもあり天皇の血筋の若いいいのが居るわけだ。
そんな仏教傾倒して理解も凄い皇族なんて他におらんかったろう。

しかし使えるが男子であり、天皇になりうるわけで、自立しては危険。
だからこその女帝があくまで天皇というシステムなのだろう。

摂政なんてシステムはそれまでなかったし、聖徳太子の成功で以後確立されたシステムで
女帝もはじめてのことで馬子が強引に女帝という前例の無いことをやって傀儡を作ったのだろう。
でお飾り天皇で臣下が実質動かすというシステムを狙った。
その体制でなら聖徳太子は危険性が無く非常に使える人材だから最良の形。
238日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:02:59
>>199
だが、孝謙天皇は道鏡を取り立てる最に
仏教を重視して、聖徳太子の御世を目指していたようなことをいうてるから
やはり摂政的な位置付けで聖徳太子は政治を行ったというコンセンサスはあったと思うよ
女帝が摂政型システムの政治を行うかどうかは各自判断あるにせよ
聖徳太子は従来の説どおり、やはりそういう形態だったと考えてもいいと思う
239日本@名無史さん:2008/10/28(火) 19:21:06
梅干し博士だったか、聖徳太子が活躍しだしてから薨去までは、さしものやりたい放題の馬子もなりを潜めていた、
太子には頭が上がらなかったのだろう、という指摘を呼んだことがある。
馬子としては自分が仕切るつもりで、あくまでも自分の手足となる有能なパートナーとして太子を選んだんだろうが、
あまりに次元が違い過ぎてそうは問屋が卸さなかったってとこだろう。
240日本@名無史さん:2008/10/28(火) 19:32:39
聖徳太子死去後に葛城県を欲しいといったら、推古に拒否されたわけだが。
そんな要望を出すだけでも横暴ってことか。
241日本@名無史さん:2008/10/28(火) 21:09:48
推古天皇は、日本書紀に「姿色端麗・進止軌制」と記されるように、
才色兼備の女帝だった。その娘、小墾田皇女の血をひくのが小和田家、
雅子妃の御子愛子さまが即位される日が待ちどしいですね。
24248:2008/10/31(金) 13:08:31
愛子さまが天皇になったら、
いままでの慣例では結婚できないんでしょ。
愛子さまを天皇にするなら、皇室御章典(?)を改訂して、
結婚できるようにしてあげて欲しいが・・・。
243日本@名無史さん:2008/10/31(金) 21:09:02
愛子様が結婚できないって?
卑弥呼も未婚で子供がいたというから、
三輪山からの通い夫がいてもおかしくないですね。
愛子天皇が、体調を崩されたとか言って半年くらい公務を休まれたら、
・・だと思っていいでしょう。
244日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:38:26
現在の皇室典範では天皇になれないから、結婚できないなんて事はない。
245日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:10:23
愛子妃は紀宮妃のように、一般人のショボイ中年男と結婚して、
皇籍離脱して自活しますので、皇位継承には関係ないよね。
24648:2008/11/02(日) 13:05:10
>>244
ああ、皇室典範だったね。
ありがと(恥ずかし)。
だから、改訂するとき、つまり天皇にするなら、
結婚できると明記してやってほしい。
247日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:37:32
ユージンがいるからアイコの出る幕はないよ。
24848:2008/11/02(日) 14:07:18
>>247
それもそうだな。
いまどき皇位継承争いもないし、
すんなりユージンだな。
皇太子は痛恨なのかもしれんが、
騒動はないだろ。
249日本@名無史さん:2008/11/02(日) 22:47:52
>>248再び日本を二分する南北朝時代に入る。
250日本@名無史さん:2008/11/03(月) 00:01:19
聖徳太子はどうなった?
251日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:19:59
>>250はぁ?それってだれ?
252日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:32:37
スレ全体を否定するなwwwww
253日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:44:26
今年は裴世C来日&第2回遣隋使派遣1,400周年記念。
254日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:50:40
聖徳太子二王子像って、太子像かどうか証明されてないそうだけど、太子じゃなきゃ誰なの?
25548:2008/11/08(土) 09:38:52
>>254
誰かってのは想像するしかないけど、
どうも本物の太子像ではなさそうだよね。
オレは夢殿の救世観音の顔が太子の顔だという
梅原説を信じてるけどさ。
二王子像の太子は描いた人の想像じゃないかな。
描いた人も特定できんのだから、それこそ想像の域をでないが・・・。
256日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:31:20
ん? それだと太子像には違いないことになるが。
257日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:27:25
>>254
その画に描かれてある3人が高松塚などの絵とは異なり、
いずれも中国の衣装を身につけていること。
このことから中国で制作された絵が日本に伝わったものという
説があるらしい(当然描かれた人物は日本人ではない)。
制作時期が8世紀の奈良時代のものと査定されていることからも
中国や朝鮮系の渡来人が来日して書いたものだとしても
8世紀には生きていなかった厩戸皇子を書写したものではないと言われる。
258日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:24:23
成程。日本人かどうかもわからないわけね。
ただこれはどうかと思う。

>8世紀には生きていなかった厩戸皇子を書写したものではないと言われる。
太子だろうが誰だろうが、彫刻だろうが絵画だろうが、後世に製作された偉人像なんてざらにあるんだが。
259日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:40:16
二王子の髪型はみづらだろ?
26048:2008/11/09(日) 09:22:04
やはり、あれは何者かが「想像で描いた太子像」で、
その意味では太子像だと思うが。
実物と似てない(らしい)のは、教養・人格ともに理想的な
人物というところから想像して描いたからじゃない?
服装が中国式らしいから中国で描かれたのかな。
ただ、太子の時代は「中国かぶれ」だったろうから、
本当にああいう服を着ていたってこともありそうだよね。
261日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:34:53
二王子像はもともと、誰を描いたかわからないものを誰かが太子像と言いだしたんじゃなかったっけ?
26248:2008/11/11(火) 14:15:18
やや苦しいが、
周りがみんな「なるほど、これこそ太子様だ」と思ったんなら、
それでいいんじゃないのかな。
多くの人が太子に抱いていたイメージと二王子像の太子(と思われる人)とが
ピッタリだったら、それを太子像として崇めればいいんじゃないの。
その意味で、まったく別物だとは言えないところがある。
現代の我われは「でも、ホントは違うんだよな」と知っておかないとマズイけどさ。
263日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:18:36
>>253
その第二回遣隋使の時の国書が、書紀の記す「東天皇、敬みて西皇帝に白す」で、素直に読めばこの時に天皇号が成立したことになる。
多くの研究者は否定しているが、しかし前年の国書との整合性、天寿国繍帳銘等の金石文に鑑みて、この時に成立したとみても不自然ではなかろう。
つまり今年は、天皇号成立1,400年。
その60年後に、新羅僧道行によって熱田神宮の神剣が盗まれ、更にその1,200年後に明治維新、そのまた140年後、初の黒人大統領が誕生したのである。
264日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:38:40
黒人大統領がそんなに嬉しいか?
俺は気に入らないけどな。
26548:2008/11/12(水) 04:35:16
黒人大統領ねえ。
アメリカはこれからドン底だから、
その間だけ任せてみようってことかなあ。
ホントの自由平等な国になったってのなら祝福するが・・・。
アメリカがそんな簡単な国とは思えないのも確かだ。
266263:2008/11/12(水) 19:44:09
いや、俺の言いたいのは、「天皇号成立は608年」てことだ。
267日本@名無史さん:2008/11/12(水) 20:55:35
>>263
日本書紀をもって正しいというなら天皇号の成立は
神武天皇のときだ
紀元前に成立したというのか
そもそもその文章は隋書の文面と違う
日本書紀にしか書かれてない
268日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:37:23
違うも何も、第2回遣隋使の時の国書の内容は、隋書には記載されていない。
269日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:23:04
補足。
俺は書紀の内容と他の資料を比較分析して仮説を立てたのであって、書紀の記載自体を根拠にした覚えはない。
270日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:06:01
いやあ、すまんすまん。第2回じゃなくて第3回だったわ。
27148:2008/11/13(木) 10:18:29
>>270
ん? 第2回でいいんじゃなかった?
1回目が600年。
その前か、間にもう1回あったの?
272日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:54:37
>>271
それは607年の遣使だよね? 「日出処天子」の。
「東天皇」はその翌年、裴世C来日を受けて、同年に行われた第3回の遣使。
273日本@名無史さん:2008/11/13(木) 20:37:13
>>269
根拠にした書記以外の資料って何?
史料じゃなくて資料ってw
それを明らかにしてくれないと。
研究者たちの間では推古朝での天皇号の成立には否定的だからね。
推古朝における遣隋使では倭の国王の名をたずねて
「姓はアメ、名はタリシヒコ」と答えるのが精いっぱいだった。
天武朝の遣唐使のときに「はじめて倭国が我が国の号は日本である、
国王のことは天皇と呼ぶと言ってきた」という記述が見える。
これをもって天皇号、日本という国号の成立とみなしているからさ。
274日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:53:57
>>273
天寿国繍帳銘を挙げた筈だが?w
法隆寺薬師三尊像光背銘にも天皇とあり、
同釈迦三尊像には「法皇」の語がある。
また、「善隣国宝記」「野中寺弥勒像銘」にも天皇号の使用が見られる。
隋書にある前年の国書「日出処天子」も有力な傍証となり得る。

>天武朝の遣唐使のときに「はじめて倭国が我が国の号は日本である、
>国王のことは天皇と呼ぶと言ってきた」という記述が見える。
そりゃ向こうが正式に認めたって記事だろ
27548:2008/11/14(金) 01:16:37
>>272
ああ、ありがとう。
混同していました。
276日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:40:13
>>274
「天寿国曼荼羅繍帳 銘」は実物の文字が残っているのではなく
「上宮聖徳法王帝説」に載っているもののはず。
「上宮聖徳法王帝説」は紀記のもととなった史料を使っているといわれるが
その成立は推古朝ではなく記紀と時期を前後する。

薬師如来像については7世紀後半より早い時期の鋳造ではないことが
確認されている(推古朝の政策ではない)。

また、「法皇」は仏教用語で「釈迦」を表す。
仏教に熱心だった尊い人の意味で
のちに日本で使われるようないわゆる
「法皇(出家した上皇)」の意味はない。

よって、君の説は否定されるのだが。
277日本@名無史さん:2008/11/14(金) 21:55:21
いくら見えない相手だからって、上から目線で「君」というのは気になるな。
278日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:08:37
>>276
「天寿国繍帳銘」は、「帝説」以外にも複数の史料がそれぞれ独自に伝えており、内容にも若干異動がある。
「天皇」の部分は各史料が一致して記しており、その周辺にも異動が無いので、信用していいと思われる。
なお、参照した史料が推古朝でないから、内容自体も推古朝でないという考えは、論理的ではない。
27948:2008/11/18(火) 18:22:11
天皇の名称は聖徳太子の発想かな。
違うにしても、中国にもらう「王」「国王」じゃなく、
しかも「皇帝」とも違う天皇なんだから、気宇壮大、嬉しいね。
律令体制後からの名称なのか、正式な認知はいつからかよく分からんが、
太子の時代に天皇という概念はあったと思うがね。
中国の史書は、めったに否定できないよな。
280日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:13:41
はっきり言って
お札から聖徳太子がいなくなってから
日本経済にいいことは
一度もない
281日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:18:42
>>256
その通り
282日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:23:34
>>279
「天皇」という言葉自体は、三皇五帝の「天皇」「地皇」「人皇」のうちの「天皇(てんこう)」として、前漢司馬遷の『史記』に出てくる。
283日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:28:42
厩戸皇子が実在したなら
聖徳太子は実在だろ
284日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:29:57
聖徳太子はフィクションだってさwwww

このスレ終了でいいだろもうw
285日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:30:50
いいれす
286日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:35:07
捏造説はこじつけ的な解釈が多い。
287日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:37:32
権力者が捏造したとか
という発想自体が
今の価値観を基準にしすぎ。

古代人を冒涜している。
288日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:37:46
聖徳太子が捏造だったなんて・・・ (´・ω・`)
28948:2008/11/18(火) 20:39:56
>>282
ああ、言ってもらって、そういえばって思い出した。
ありがと。
聖徳太子は史記も読んだろうし、もし発案者なら史記からとったかな。
歴史上に天才児はいるんだと思うよ。
オレは太子、空海、信長の3人をいつも挙げるんだが。
290日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:40:16
さぁーて、歴史、特に最近多い歴史の新説番組、日本の歴史が間違いだらけだと
国民の心理に刷り込んで1番特をするのは誰だろうね
所詮は娯楽番組だからと笑っていても、歴史なんて本当の事は
誰にも解らないなんて思っているとこに、外から日本の歴史は間違っていると言われたら、
否定出来ない世論の形成が目的のように思われる。
291日本@名無史さん:2008/11/18(火) 21:21:01
>>284
まったく最近のTV番組は・・・
292日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:35:58
関連スレ
△聖徳太子はフリーメーソンだった△
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1188737437/
293イエスキリストも捏造:2008/11/19(水) 05:56:32
欧米社会で現在起きていること、及び今まで起きてきたことは宗教と大いに関係がある。
昔から人を管理する道具として、宗教、金融、マスコミ、暴力がある。その中で宗教
は、古代から人を操るための常套手段として用いられてきた。宗教心を利用すると非常
に多くの人を操ることができる。(ベンジャミン・古歩道)

George Carlin on Religion - The Greatest BS Story Ever Told
http://jp.youtube.com/watch?v=3ynhCldtd6A

George Carlin - Religion is bullshit.
http://jp.youtube.com/watch?v=MeSSwKffj9o

ジョージ・カーリンはアメリカの超ぶっ飛んだ素晴らしいコメディアン。
キリスト教国家アメリカでよくこんな宗教批判を出来たものです、男の中の男です。

Zeitgeist (時代の精神)
http://video.google.com/videoplay?docid=-7913776862105239439
*キリストというキャラクターは文学と占星学の掛け合わせで、エジプトの太陽神ホルス
を完全に盗用したものである。
*聖書とは天文学と神学の融合したもの以外なにものでもなく、他の神話と何も変わらない。
*キリスト教とは太陽崇拝でキリストという男を太陽に仕立て敬意を払うパロディである。
*キリスト教は実話ではありません。実はキリスト教とはローマ帝国時代の作り話であり
政治的理由で創られたのです。イエスとは聖書の中の太陽の神で他の宗教の神と同様に
神話上の人物だった。彼は政治的理由で社会操作する為の創造上の人物である。
*キリスト教及びその他全ての神の信仰制度は、””時代詐欺””である。

The God Who Wasn't There (動画)
http://www.onlinedocumentaries4u.com/2008/08/god-who-wasnt-there.html
http://www.megavideo.com/?v=IEJFTZP6
294日本@名無史さん:2008/11/19(水) 06:23:12
>>288
結構昔から言われてたよ
馬鹿げたモノもある中「新説日本ミステリー」の中でも比較的まとまな解釈に入ると思う

今では聖徳太子は教科書でも厩戸皇子として教えられているが、我々が教わった
聖徳太子の偉業とは全く違うんだな

「隋書」には斑鳩寺を建立した書かれているだけで、政治的な権力もそれほどなかったらしい
聖徳太子は国名を「日本」と改めた頃に厩戸皇子をモデルにして後世に作り出されたヒーロー
であって実際の厩戸皇子とは似ても似つかない存在なんだよ

強大な隋に対抗する意味でも架空のヒーローが我が国に欲しかったのではないかな
政治的にも蘇我氏の功績を抹殺したい藤原氏が聖徳太子がすべてやったことにしたほうが
都合がよかったとかね


29548:2008/11/19(水) 10:11:24
聖徳太子が捏造だとすると、
入鹿グループが山背一族を殺して、
大化の改新でその入鹿が誅されてという一連の流れも
一貫性が失われてしまうと思うが、
そのへんはどう説明してるんだろう。
296日本@名無史さん:2008/11/19(水) 12:01:30
>>294
今の聖徳太子捏造説は現実の今の政治と関係して起きてるものだからたちが悪いんだよ。
297日本@名無史さん:2008/11/19(水) 20:27:08
>>294
>「隋書」には斑鳩寺を建立した書かれているだけで、政治的な権力もそれほどなかったらしい
「隋書」には冠位十二階が間違って書かれてるだけで、そんな我が国の内部事情など殆ど書かれてないよ。

>強大な隋に対抗する意味でも架空のヒーローが我が国に欲しかったのではないかな
その隋は607年の遣使から10年後には滅んでいる。太子伝が書かれた頃には存在していないよ。
298イエスキリストも捏造:2008/11/19(水) 23:22:34
捏造w
299日本@名無史さん:2008/11/20(木) 00:11:42
>>296
どーゆーことやねん
300日本@名無史さん:2008/11/20(木) 11:38:52
昔の捏造説は冠位十二階と遣隋使のことは認めていた。今の捏造説はそれすらも認めていない。
遣隋使の国書で有名な「日いずるところの天子〜」が左翼系の学者にとっては目障りなものみたいだ
301日本@名無史さん:2008/11/20(木) 20:53:25
これまでは大山誠一とか、ごく一部が一般書籍を出す程度で、一般の目にはほとんど触れなかった。
しかし最近は、歴史ムックとか廉価版書籍とかテレビとか、手軽なメディアで捏造説を垂れ流してるから悪質だ。
302日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:35:23
十七条憲法に当時存在しなかった役職が載っているとの話だが、国司に相当する役職って聖徳太子の頃になかったの?
旧名を改めただけという可能性はない?
あと「厩の皇子は存在した、推古天皇の摂政だった」というのを認めながら、十七条憲法が嘘だから功績すべて虚構ってのはどういう理屈?

後一番謎なのは、「聖徳太子が言ったんだから十七条憲法守りましょうね」という理屈は日本書紀の頃に聖徳太子信仰のはしりみたいな状況がなければ成立し無くないですか?
頭のいい人解説して。
303日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:49:24
>>302
推古朝当時に国司がいたことは今では、というよりとっくの昔に明らかになってるよ。
むしろ国司と国造を併記する方が、後世の創作ではあり得ないと、坂本太郎博士は書いてる。
304日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:09:19
あの時代に荒削りとはいえ律令制の重要性を理解して導入できるだけの知性と教育を受けていたのは
蘇我氏のサラブレッドとして期待され英才教育を受けていたことであろう聖徳太子しかいないのではないか
30548:2008/11/21(金) 10:45:06
日本書紀は全面的には信じられないが、
骨格は信じられる。公式の国史なんだしね。
そこに太子の業績だと明記してあれば、
よほどの疑問、矛盾、反論(証拠)がない限り
捏造などと言ってはいけない。
興味本位のTV番組はまだしも、学者、教育者(特にこっち)が
軽々に捏造説など言うのは、その資格を疑われる愚挙だよ。
306日本@名無史さん:2008/11/21(金) 11:11:32
もし太子が居なかったとしたら、日本は皆で一致して「日本は中国と対等である」と
文書を送ったのか。凄い気概だな。
307日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:15:08
最近の子供は聖徳太子をどう習ってるかと思って、本屋で中学生の参考書を立ち読みしてみた。
流石に太子の存在も業績も否定はしていないが、すべて馬子と連名になってるのには驚いた。
308日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:34:19
>>303
この時代は土地と人民は豪族が支配し、豪族の棟梁が大王だった。
それが大化の改新(日本書紀に従えば)によって初めて公地公民、
豪族は土地と人民の支配をやめ、天皇(大王)が支配するようになった。
そして地方を統治するために中央から国司が派遣されるようになった。
その記述は日本書紀にすら見られないんだが。
坂本太郎ってずいぶん昔の学者だよね?
309日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:46:06

聖徳太子 = オナ吉 ってことか。

310日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:03:19

夢殿にこもってオナってた訳だな。引きこもりでオナニー...。
【ヒキ一族】じゃん、聖徳太子。夢殿って言うぐらいだから夢精してたのかなあ。
ああ、そうだ、夢精だなあ。 
ってことは...ナチュラルな射精ってことだな。渡来人がそれをゴックンしていたわけだな。
渡来人か...。そうするとチャンコロが聖徳太子のザーメンをゴックンしていたわけだな。
【ヒキ一族】はオナっても誰もゴックンしてくれないよな。ああ、臭くてキモイからな。
風俗のオネエチャンにオプションで払ってやってもらうのが関の山だろう。
だろうな。嫌がるだろうなあ、オネエチャン...。吐き戻して2時間以上は歯磨きするだろうな。
歯茎がなくなるかもなあ。なんてったって糞チャンコロ【ヒキ一族】のだからなあ。
逆にチェンジされるのが順当だろうなあ。ああ、金貰っても嫌だろうな。
311日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:03:44
>>308
もちろん同じ制度があったわけではなく、同名の役職が存在したということだ。
雄略紀に「任那の国司」、清寧紀には「播磨の国に遣はせる司(みこともち)」とある。
312日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:16:09
>>307
天皇だった推古も入れたらいいのにな。
31348:2008/11/22(土) 03:46:34
天皇家に天才児が出たっていいじゃないか。
遣隋使、冠位十二階、十七条憲法、三教義ショ、国史編纂事業と、
当時は最先端の仏教国家だった中国を参考に律令国家をめざす意思が
太子の業績には一貫して流れている。
これらの仕事は幼少期から英才教育を受けてきた太子に帰されるべきで、
氏姓制度の域をでられなかった馬子は、とまどいながらもできる限り協力した。
こう考えるのが自然だと思うよ。
314日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:47:05
>>313
この時代そこまでの権限を行使できるのは天皇をおいてほかにない
厩戸皇子は推古天皇をないがしろにして政治を思うがままに行ったのならば、
なぜ推古天皇は退位しなかったんだ?
皇太子が政治を行ったというのはのちの中大兄皇子を連想させるが、
こちらは執政者たる天皇である孝徳天皇と当然不仲となり
ついには孝徳天皇をおいて飛鳥へ帰り孝徳政権は短命なものとなった。
推古天皇は厩戸皇子より長生きしているんだよね。
それなのに他の皇族たちも豪族たちも政治をしない推古天皇になぜ従っていたんだい?
厩戸皇子の死後、その子山背王はなんら政治に関与した形跡はないし。
31548:2008/11/22(土) 21:23:01
>>314
というか、日本の女帝で政治を執ったのは持統天皇だけでしょ。
彼女は同時代の武則天を意識していたらしい。
ああ、孝謙天皇も定説とは違って真面目に政務を果たしたようだね。
推古天皇は太子を摂政に任命して、大臣・馬子と2人で政治を執ってくれって、
確か詔を出してたはずだよ。
山背は推古の死の床で天皇を望んだけど確約は得られなかった。
で、結局は田村皇子(舒明天皇)に天皇位が行った。
太子の遺志を継いだ政治をしなかったというより、できなかったんだと思うよ。
31648:2008/11/22(土) 21:28:08
太子の死後は、当然ながら馬子が政務を担当したんでしょ。
山背は摂政でも皇太子でもなかったはず。
317日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:29:10
>>315
平城京遷都を成し遂げた元明天皇、
日本書紀献上のときの元正天皇、
白村江の戦いに自ら出兵、朝軍を率いて筑紫にまで行った斉明天皇。
彼女らは皆自分で政治をとっているよ。
日本では男しか政治をとってはいけなかったのならば
そもそも女帝を立てる意味などなし。
特に天武以降は天皇神格化により一層
天皇の地位が向上した時期。
幼児だろうが臣下だろうが誰でもいいから
男を天皇にするだろうが。
318日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:35:13
>>316
馬子も推古天皇より先に死んでいます。
まずは史料を読もう。
残念。
31948:2008/11/22(土) 21:38:53
元明・元正の時代は、もう藤原氏(不比等)がいたでしょ。
斉明のときは実質、天智称制だし。
それに、天武以降は大王を天皇に祀り上げて、権限を縮小した時代。
これは養老律令に明らかに示されている。
天皇位は血の論理。臣下は天皇にはなれない。
幼児なら必ず摂政か太政官が代わって政務を執る。
32048:2008/11/22(土) 21:43:25
>>318
それは失礼。恥じ入るばかり。
てか、馬子が太子より長生きだったらいいのさ。
馬子=氏姓制度支持派と考えれば矛盾はしない。
蝦夷、入鹿と後継者がいたからね。
321日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:57:51
>>319
不比等が政権をとるのは外孫の男性天皇聖武天皇の誕生を見てから。
何ら姻戚関係にない元明・元正の時代に不比等が政治を牛耳った事実はないし、
女帝を立てれば臣下が自由に政治をとれるのであれば
もっと早い時代に天皇は女系継承で女帝のみになっていたはず。

元明天皇は長屋王に嫁いだ娘の子に親王宣下を与えたり、
不比等が即位を心待ちにしている聖武の座を脅かすようなことも平気でしており、
不比等が2人の女帝に代わって政治を行っていたというような事実はない。
むしろ、男性の草壁皇子称制のときのはその母(のちの持統天皇)が、
そして男性天皇である文武天皇の時代にはその母(のちの元明天皇)が
政治を行っていたということはあるだろう。
32248:2008/11/22(土) 22:10:21
>>321
不比等をどう考えるかの問題だと思うけど、
不比等が政治を執った「事実はない」というのは言いすぎでは?
元明の時代にはすでに右大臣で、左大臣も太政大臣もいず、
実質は臣下NO1だったはず(要確認ね)。
養老律令に不比等の名前はないが、大宝律令は不比等が主役でつくった。
女帝は通常の形ではない。元明や元正は天智の不改常典(実在は?)を根拠に、
むしろ遠慮しながら即位したんじゃないの(聖武への「つなぎ」として)。
32348:2008/11/22(土) 22:24:32
元明は元正に譲位するとき、
はっきり「聖武へのつなぎ」と宣言してるよ。
32448:2008/11/22(土) 22:44:52
元正帝の最後の詔は、
何かの花を髪に刺さないと政庁に入れません、
だったとか。こういう話は好きだなあ。
純な心というか、深窓の令嬢がそのまま成長した感じ。
歴代女帝では元正帝がいちばん好きです。
325日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:59:53
推古は敏達の皇后で、聖徳太子よりはるかに政治のベテラン。
32648:2008/11/22(土) 23:10:21
>>325
そうだったでしょうね。
そういう推古帝だからこそ、
太子に政務を任せた。
新しい政治は厩戸に任すなんてのは、
政治を良く知っていないとできない発想だよ。
327日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:23:22
それなら、さっさと天皇を譲ってたよ
328日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:27:03
>>314
そもそも生前退位は次の次の代までないわけで。
32948:2008/11/23(日) 00:55:40
>>327
そういう問題じゃないでしょ。
推古、太子、馬子のトロイカ体制は
理由は不明だが、最初から決められてスタートしたもの。
何か太子否定の意図が先走ってませんか?
33048:2008/11/23(日) 01:36:43
何で聖徳太子を否定したがるんだろうね。
その意図が分からない。
もし、オレが相手をした一連のレスがその理由なら、
あんまりに空虚(ドキュン)だしなあ。
331日本@名無史さん:2008/11/23(日) 02:15:22
聖徳太子に限らず、イエスやブッダの非実在説とか、宮本武蔵弱かった説など、自分に理解できない巨人を殊更に否定したがるやからは昔からいるわけで。
33248:2008/11/23(日) 02:23:11
それが本質の答かもしれないね。
でも、そういう人間は教育者にだけはなってほしくない。
いま現在、教育者でいるなら、すぐに辞表を書いてほしいな。
333日本@名無史さん:2008/11/23(日) 09:03:49
>>329
最高権力者である推古が太子や馬子に全部任せたってのが疑問なだけ。
権限の一部委譲はあったと思うけど。
334日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:36:56
天皇の天皇たる根本は神事の執り行いだろうに。
それまで太子に任せていたというならともかく。
335日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:50:53
>>333
政治の実権は推古帝即位以前から馬子が握ってたろ。
そもそも推古帝を立てたのが馬子なわけだし。
それじゃ馬子の好き放題だってんで、太子を抜擢したわけだろ。
33648:2008/11/24(月) 04:39:44
>>335
そうだろうね。
摂政を置くかどうかは皇室の「内輪の問題」だと言えば、
さすがの馬子も反対はできなかったろうしさ。
このへん、確認しておくほうがいいな。
337日本@名無史さん:2008/11/24(月) 05:06:35
聖徳太子は居たと思うよ。でも「初めての中国へのお遣い」とか
やってることが、それまでの「倭国」の歴史に合ってないし、聖書や仏典から
パチッた生い立ちの記述や名前の付け方も将軍様化させているところが異常。

つまり、こいつは記紀がおかしな元の元なんだよ。

思うに実はこいつは大和朝廷が日本を統一した初めての立役者...
彼の親・系図の祖先はまだ「天皇」ではない地元の王ぐらいに
しか過ぎなかったぐらいのことはあるんじゃねえの?
33848:2008/11/24(月) 10:07:33
>>337
ほんとにね、あの記紀の記述は何なんだろう。
オレはいちおう国史だってことに敬意を表して、
過剰なホメ言葉は退けつつ、太子は皇室(大王家)の一員だと思っている。
思い切った政策は、家庭教師(高句麗の僧に仏教、百済の博士に儒教)の影響じゃないの。
いずれにせよ、記紀にある太子一連の仕事は、個人の手になる(つまり太子ね)と考えたほうが
整合性があると素直に思えるんだよな。
339日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:39:18
>>337
前にも書いたが、厩戸という名前は、厩戸という土地で生まれたから。
その名前から厩で生まれたという伝承が生じたもの。
まあ片岡の飢人の話もあるし、聖書の影響はあるかもだが。

>>338
そうだね。そう考える方が自然だよな。
340日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:06:54
×聖書の影響
○聖書の断片的な影響
341日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:18:08

蘇我で唯一否定出来なかった人物!

34248:2008/11/26(水) 12:44:12
聖徳太子は日本国の節目に現われる天才たちの魁。
空海は置いて、あとは信長、明治維新では竜馬(ちょっと疑ってる)を挙げようかな。
時代を転換させて、おそらくはみんな不幸(悔しい)な死に方をしている。
時代を変える天才は、日本に限らず世界中で短命だよね(具体例多し。みんなチェックよろしく)。
当時の49歳は短命じゃないなんて、下らないこといわないでね。
政治生命のことだから。
34348:2008/11/26(水) 12:44:56
聖徳太子は日本国の節目に現われる天才たちの魁。
空海は置いて、あとは信長、明治維新では竜馬(ちょっと疑ってる)を挙げようかな。
時代を転換させて、おそらくはみんな不幸(悔しい)な死に方をしている。
時代を変える天才は、日本に限らず世界中で短命だよね(具体例多し。みんなチェックよろしく)。
当時の49歳は短命じゃないなんて、下らないこといわないでね。
政治生命のことだから。
34448:2008/11/26(水) 12:46:06
なんでダブったんだ。
すまんね。
345日本@名無史さん:2008/11/26(水) 12:47:17
大化改新での施策は既に、馬子と太子によって準備されていた!
しかし復古的な藤原と唆された中大兄皇子によって中断するも…
34648:2008/11/26(水) 12:58:15
後の鎌足、続く藤原歴代の施政は蘇我・太子のパクリ。
しかし、それが悪いとは言わない。
時代の流れがそうだったんだと思うな。
347日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:02:10
>>340
影響じゃなく、パクリ。聖書だけじゃなく
中国・朝鮮の伝承のパクリ(三足烏とか)や仏典のパクリもある。
348日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:02:59
これも入れちゃえ、あれも入れちゃえ。
このレベルだよ。
34948:2008/11/26(水) 13:13:36
>>348
まさにそんなレベルだねw
でも、それなりに意味はあったと思うよ。
35048:2008/11/26(水) 14:27:44
日本史進化論wは太子から始まった。
否定できる人はしてみなさい!
って、こういう挑戦的なのはいかんかなw
351日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:47:49
>>342
20で摂政になって49で死んだ太子の政治生命が何で短いんだ?
35248:2008/11/26(水) 18:22:19
>>351
三経義ショあたりは、もう政治から離れてるんじゃないのかな。
新しいことやりすぎて馬子(ほか有力豪族)と対立したような気配がある。
想像抜きでも、最後は明らかに政治には関わってない。
なんせ「世間虚仮、唯仏是真」だからさw
353日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:03:41

武士が、力を持つまでの日本の在り方を基本的に決めた!
といっても過言で無い。



35448:2008/11/26(水) 19:07:40
聖徳太子も武人(武士ではないな)だった。
その意味では353は正しい。
355日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:55:25
>>347
おいおいw
人がせっかくトンデモになりかねない「聖書からの拝借」を慎重に扱ってんのに、台無しにするなよw

>>352
「世間虚仮、唯仏是真」とは、要するにプラトンのイデア論と同じことを言ってるんだよ。
つまり太子は悟りを開いたってこと。
「世間虚仮」この世は幻影(イドラ)である。
「唯仏是真」イデアの世界こそが真実である。
35648:2008/11/26(水) 20:18:20
>>355
へえ、そうなんだ。面白い。
オレはまったくの畑違いから
梅原さん(西洋哲学)の本を読んで
日本の歴史、特に古代史に興味を持った。
ギリシャ哲学と仏教を同じレベルで語るのには違和感ありだが、
真理ってのは単純で、地理的、時間的にも共通なんだね。
357355:2008/11/26(水) 20:29:55
いや、俺の考えだからね。
358日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:02:33
>>355
確かに、晩年の太子は政治を離れていたという人は多いね。
政治の舞台から場所を失った厩戸皇子が隠居地で仏教に傾倒した。
たしかに厩戸皇子が丹精こめて次々と作り上げた法隆寺などがある場所は飛鳥から遠く
毎日朝廷に出仕している人間が住む場所ではないよ。
厩戸皇子は母親の穴穂部皇女を中宮寺に住まわせたりしているからね。
蘇我馬子が天皇の宮殿の傍に飛鳥寺を建てたのとは大違いだ。
35948:2008/11/26(水) 21:18:19
中宮寺の弥勒菩薩は最高!
行くと数時間はみとれてる。
早く死んだお袋の代わりw
360日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:09:17
>>358
太子は政務の傍ら講経したりしてるから、政治から遠ざかって仏教に傾倒したというのは時系列的に正しくない。
むしろ太子が本当にやりたかったことが、仏法を日本に定着させることだったとは言えまいか?
また、斑鳩の宮は海外との交通の要衝、情報の拠点であって、飛鳥からただ遠ざかったわけではないよ。
36148:2008/11/26(水) 22:18:43
オレも、斑鳩に宮をつくったのが、即、隠棲とは思わない。
ただ、斑鳩に移ってしばらくしてから、太子の政治パワーが薄れた感はぬぐえない。
それでいいと思っているが。
362日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:00:50
でも「日出処天子」は斑鳩の宮に遷った後だよ。
斑鳩に遷ったこと自体と言うより、やることやったからじゃね?
36348:2008/11/27(木) 04:11:38
>>362
否定しません。
そうかもしれない。
そうであってほしいしね。
364日本@名無史さん:2008/11/27(木) 06:11:41

ある意味、日本のアイデンティティを当時の国際的な政治・文化状況下で確立しようとした初めての人物だったんだよ!
だからあれほど蘇我の血が流れていても、神道より仏教を重きを置いていても…天皇で無くとも影響力が消えなかった。


365日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:48:41
聖徳太子は日本主義の租だから、サヨク学者が消したくてしゃあないんですよ
でも三経義書見ても明らかなように、異常に仏教に傾倒して政治に活かしてた人が居たのは間違い無い。

隋書倭国伝にはこうある
>使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、
>天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。

これの倭王って誰よ?結跏趺坐までするする王て。つったら聖徳太子以外ありえないでしょ。
聖徳の名だって木簡などにはほんの50年もすれば散見されだす上に
のちには仏教に傾倒した孝謙天皇が聖徳太子時代の治世を目指して銅鏡を重用したりもしてるし
フィクションとする根拠のほうがむしろ無理がある。

有名な聖徳太子の絵だって、あれ法隆寺の中でも聖徳太子の廟の建物から出てきた絵で
あの装束の絵で聖徳太子図という絵は他にも沢山あって明らかに聖徳太子ですよ。
札から消したり教科書から消したり、ちょっと異常すぎるよ。
366日本@名無史さん:2008/11/27(木) 20:06:19
跏趺ってあぐらのことで、結跏趺坐じゃないよ。
367日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:05:26
>>360
当時は斑鳩にいくまで相当な日を要した。
しかも厩戸はここに実母までを移住させている。
それで自分は飛鳥からほとんど動かなかったのならばとんだ親不幸だ。
厩戸は用明天皇とその大后の長子で
父親から上宮をもらうなど経済的には恵まれその金で寺を建てたのは事実だろう。
しかし政務は見てないだろうな。
当時あれだけの大寺を次々と建てればかなり父親からの遺産も浪費しただろうし、
聖王どころか賦役を負わされた庶民からは相当恨まれていただろうし。
368日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:26:59
>>366
「跏趺して座す」という表現には諸説あると思うけど、
この表現は各種仏教経典にお釈迦様の姿としてよく出てくる表現そのままで
(漢文だとお経の表現そのまま)
わざわざそれを記すというのは、単にあぐらと言う意味でなく
仏教に帰依を言ってると読むのが自然だと思うよ

369日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:33:47
>>368
蘇我系の天皇はみな仏教に帰依していたんだよ
用明天皇、推古天皇、みな崇仏派の天皇だった
仏教に帰依したのは厩戸一人のみなんてとんでもない
370日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:59:12
>>367
> 当時は斑鳩にいくまで相当な日を要した。
そんなことはない。馬に乗れば約2時間で着く。
まさか直線道路が通ってたことを知らないんじゃなかろうね?

> しかし政務は見てないだろうな。
根拠を示せよ。

> 当時あれだけの大寺を次々と建てればかなり父親からの遺産も浪費しただろうし、
当時は寺の建立は国家事業。それに寺なら馬子だって建ててる。

> 聖王どころか賦役を負わされた庶民からは相当恨まれていただろうし。
じゃあ何で太子信仰が庶民にまで広まったんだ?
あと証拠は?


>>368
だとするとえらく持って回った表現だね。
371日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:59:53
帰依していたといっても、知識はかなり劣る。
なので百済から僧を招き、どんどん訂正していったのは
あくまで守屋討伐以後だよ
で、当代随一の日本側の仏教博士というと、やっぱり聖徳太子じゃねーの?

そうでなければほんの50年や100年後にあそこまで仏教の守護者として崇められるものだろうか?
三経義書を著して正しい様式で寺院や仏像をどんどん作った人は誰か?と考えた場合
やはり適任は聖徳太子といわざるをえない。
372日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:02:28
サヨク学者的な聖徳太子大嫌いっ子がここにも居るなあ
好き嫌いは別として、客観的に遺物や書物、木簡などを見ていけば
やはり聖徳太子は政治を行ってたし、仏教王として振舞ってたと考えるほうが学問的な見方だと思うよ。
聖徳太子貶めるのにはなんだかイデオロギーが入ってる気がしてならない。
373日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:03:23
>>371
中国からの使者に仏教の説法でもしたならともかくw
隋書のあの程度の表現から事実を歪曲しすぎ。
とんでもない厩戸の過大評価だな。
日本書紀ですら天皇は推古だったと言っているのに。
374日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:04:18
どうでもいいけどみんな「義疏」ぐらいちゃんと書こうよ。
375日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:14:42
>>372
あげたり下げたり一人で自演、ごくろうさん。
毎日ここにいるんだね。
文体が同じだからよくわかるよ。
376日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:17:12
>>373
一応俺仏教経典の研究やってるのですが、感覚わかんないかもしれないけど
「あの程度の表現」と思ってしまうのは仏典を知らなすぎると言わざるをえない。
そうじゃなくって日々結跏趺坐をしていると読むべきだよ。

普段あぐらかいて執政をおこなってると書いてるのでなく、
政治を執り行う時間などと並立して、1日の行程として、跏趺をわざわざすると書いてんだし。
377日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:18:53
>>375
俺はそんなことやってないうえに今日始めて来たのだが…
たぶんキミが単に袋にされてるだけなんじゃないのー
378日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:25:27
>>376
あれは政務が夜明けとともに終わるって記事では?
なのでこれは政務ではなく、四方拝のことだとも言われてるし。
37948:2008/11/28(金) 00:48:11
下らないイデオロギーに冒されている人は
聖徳太子と書かないで、あくまで厩戸と書くからすぐ分かる。
韓国の学者が天皇と書かずに、あくまで日王と書くのと同じだね。
>367なんて、その典型みたいだな。
特定のイデオロギーに冒された人は心理の探求には向かないよ。
我田引水、牽強付会のオンパレード。何より素直な目が失われる。
38048:2008/11/28(金) 00:55:35
367,369、373なんか、ちょっとヒドすぎない?
本人は気がついてないんだろうけど、やなニオイがプンプンするよね。
とりあえず370の疑問に答えてみたらどうですか。
太子否定の論拠がさっぱり見えてこない。
381日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:03:44
厩戸って名称も妥当なのかつったら微妙だよな
上宮王とでもしたほうが他の皇族との対比で言えば妥当だろう
上宮王という記載も頻出するわけで、当時の普通の呼び名だろ

あと聖徳太子じゃいけないってのもようわからん
本名にしろってなら額田王とかもダメだし
ぜんぶなんちゃらのミコトにしろとでも?
通称で教科書に書かれてる人なんていっぱい居るのになんでまた…という気がすんだよな
38248:2008/11/28(金) 02:08:24
教科書から聖徳太子を消すって、
何の意味があるんだろう。
それこそ論拠を示してほしいもんだ。
あと任那の日本府とかも消されたんだろ。
日教組はロクな教育もできないくせに、
こんなことばかりに熱心なんだから、まったく。
衰退し切って形ばかりの組織に追い討ちかけたくはないけどさ。
383日本@名無史さん:2008/11/28(金) 03:46:36
歴史*学*とイデオロギーは切り分けないとねえ
歴史学は政治的なものと不可分なもんだという意見もあるだろうが
少なくとも歴史学者は学問であろうとしないといけない
384日本@名無史さん:2008/11/28(金) 04:39:25

蘇我稲目と欽明から、または継体との絡みから解明していかないと馬子と太子は理解出来ないと思うよ。
あの時代に日本の権力構造が変わり出したのだから…
大化改新は飽くまでもそのリアクションでしか無いと思うな…
天智と天武がいいとこ取り過ぎな感がある。

385日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:00:30
>>2

あたりまえでしょ、そんなこと!

聖徳太子知ってるかって、

んな無礼な質問があるか。
38648:2008/11/28(金) 10:12:24
>>384
継体天皇は応神天皇の5代(だっけ?)孫というから
皇族の中とはいえ、かなり血が薄くなっている。
当然、前代・武列までとは違って権力基盤が弱かったはず。
だから皇后ほか配偶者には天皇家の血が濃い女性を選んでるよね。
その子の欽明天皇にとっては、それが少しは良かったんじゃないかな。
でも、まだ不安定だから、欽明天皇は相当に稲目を頼ったと思う。
このころから、いわゆる天皇の「親政」は通常の形ではなくなったのでは?
大連でなく、大臣と二人三脚になったのも、何か意味がありそうだ。
そんな流れの中で、太子は皇室再興の期待の星だった。ここまでは間違いないと思う。
387日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:43:02
子安のおっさんのように
戦争のトラウマから
日本的なものを次々
消したい人達がいるんだよね。
38848:2008/11/28(金) 20:54:41
>>387
バカな話、愚かな話だよな。
こんな国際化社会に日本的なものを消してどうすんだw
国際化は、つまり国内化なんだよ。
共通ルールはつくるにしても、その先どうすんだ?
これが日本です、って独自のものがないと世界に呑み込まれるだけだろ。
ここが分からないのが、いわゆる日本的文化人の限界だわなw
外国様は偉い、日本は後進国って、こんな事実誤認があるかよ!
過去の遺物たちは、もう消えてくれよ、いいから。
389日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:19:57
>>386
天皇とか皇室の観念は、この時期まだ…
王家が存在しなくなったヤマト政権が、形式的に継体を担ぎ出したが、何故か欽明と蘇我が仏教とともに…?
また、太子に神道をどの程度認めるの?
(・_・;)


390日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:32:57
>>386
欽明天皇がなぜ蘇我稲目を頼る?
実は、蘇我氏は系譜自体が不明。
欽明朝に忽然と蘇我稲目という大臣が現れ、娘を次々と天皇の妃にした。
この時代、先進的な仏教を好んだ蘇我氏は物部氏や中臣と対立、
敏達天皇は仏教の信仰をやめ、蘇我氏にとっては不遇な時代となった。

そもそも、蘇我稲目がどこの誰なのか。
なぜ突然大臣になって、天皇と姻戚関係を結べるようになったのか。
(欽明以前に蘇我氏から出た天皇妃は皆無)
用明以降、皇極まで権力を手中に収めた蘇我氏の政治力に対し、
若年の厩戸に何ができたのか。
そのあたりのことがわかってる?
39148:2008/11/28(金) 21:37:42
>>389
天皇、皇室の用語は用語として使っただけです。
律令の成立を待たなければ天皇も皇室もないとか、
そのへんは前提として分かってもらえるかと思ってね。
で、継体天皇から欽明天皇へ移るころに、何があったんですか?
教えてください。

そういえば太子と神道はあまり関連つけられないね。
でも十七条憲法を読むと、もちろんのこと無視してるわけでもない。
神道(勢力)、仏教、儒教、みんな「和」の精神で力を合わせようって、
太子の政治方針はそんな感じじゃないのかな。
単に仏教だけという単純な人間ではないと思う。
39248:2008/11/28(金) 21:42:31
>>390
分かっているつもりだが、
だから君は何が何だと言いたいの?
厩戸wは何もできなかった、聖徳太子はフィクションだってか。
それにしても、ずいぶん不遜な、人を見下したレスだことw
393日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:45:57
>>392
このスレをわがものにして不遜なレスを続けているのはそっちなのだが。
自分のレスに「間違いない」などという不届きな文面を載せているが、間違いだらけ。
稲目はなぜ欽明天皇の世で力を持ったのか。
全くわかってないね。
自分のむちゃくちゃな文章を読みなおしてごらん。
39448:2008/11/28(金) 21:53:53
>>393
ずいぶん迅速なレス返しで恐れ入りますが、
オレは「間違いない」と断定したことなどない。
いつも自分の勉強不足が不安だから「だと思う」くらいがせいぜいだ。
むちゃくちゃと決め付けて、その根拠を言わない。
分かってないのはオレか、君か、間違いないのは君がオレを見下していることだ。
いや、オレだけではなく、自分以外のすべてを見下すタイプとか?
39548:2008/11/28(金) 22:06:26
>>393
オレのレスがむちゃくちゃだという根拠と、
君が人を見下せる根拠。
ちゃんと書いてね。
396日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:27:14
>>390
不明ではない。
武内宿禰の子、蘇我石川宿禰の子孫と系図にある。
武内宿禰を認めない現在の学界では「不明」となるが、
当時は由緒正しい家柄だった。
397日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:29:38
>>380で根拠なく人を見下してる人がいっても、説得力皆無。
398日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:34:57
>>394
386の文章を読みなおしてから出直せ。
他のスレにまで出入りして毎日荒らしてるみたいだが
君のような暇人じゃないのでね
399日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:45:02
>>396
うわ・・
こいつ「天皇が神様の子孫だということは間違いない」とかまじで思ってんのな。
まじでただの基地外だった。
40048:2008/11/28(金) 22:48:07
>>397
根拠なくないでしょ。
そのまんまじゃない。
401日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:53:03
>>399
(゚Д゚)ハァ? 武内宿禰が活躍年代は神代ではありませんが?
捏造も大概にしてねw
それと「神が先祖なのではなく、先祖を神と呼んだ」って発想はないのかね。
因みに俺は48氏ではないよ。
40248:2008/11/28(金) 22:53:47
>>398
結局、オレの質問には答えないのね。
あげくは荒らし、暇人か。
君みたいな卑怯者よりよっぽどいいがなw

397、398
君らはいつも数を頼んで出てくるのな。
恥ずかしくないのか?
そして、人をまともに相手しないで、
余裕を装って逃げていく。話にもならないよ。
403日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:11:38
>>402
「欽明天皇がなぜ稲目を頼るのか」
この質問に答えられない48の知能
40448:2008/11/28(金) 23:20:49
>>
知能と知識を識別できないのが
403の知能。
で、何なの? 見解の相違があるの?
それとも歴史的「事実」をオレが無視してるの?
もったいぶらないで具体的に言えよ。
体中がかゆくなるよw
40548:2008/11/28(金) 23:26:02
欽明が稲目を頼る(オレが考える)理由は、
もともとオレの「むちゃくちゃな文章」に書いてあるでしょ。
質問に答えないのはア・ナ・タ。
406日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:47:56
>>405
君の質問、君の書いた文章がむちゃくちゃだという根拠を説明しよう。

>継体天皇は応神天皇の5代(だっけ?)孫というから
>皇族の中とはいえ、かなり血が薄くなっている。
>当然、前代・武列までとは違って権力基盤が弱かったはず。
>だから皇后ほか配偶者には天皇家の血が濃い女性を選んでるよね。
>その子の欽明天皇にとっては、それが少しは良かったんじゃないかな。
>でも、まだ不安定だから、欽明天皇は相当に稲目を頼ったと思う。
>このころから、いわゆる天皇の「親政」は通常の形ではなくなったのでは?
>大連でなく、大臣と二人三脚になったのも、何か意味がありそうだ。
>そんな流れの中で、太子は皇室再興の期待の星だった。ここまでは間違いないと思う。

このすべてがむちゃくちゃ。
継体天皇の大后(手白香皇女)以外の配偶者に皇族出身者なんていないだろが(その1)
欽明天皇が稲目を頼ったという箇所を史料から抜き出せ(その2)
天皇の親政が通常のものじゃなくなったという事実を史料から抜き出せ(その3)
欽明天皇以降大臣と二人三脚になった例を史料から抜き出せ(その4)

太子が皇室期待の星だった。ここまでは間違いない。

馬鹿ですか?
40748:2008/11/28(金) 23:48:03
お〜い、卑怯者、眠くなったから寝るぞ。
オレだって暇人じゃないんだから。
書きたいことがあるなら、君もいろんなスレで書けば。
書きたいことが湧いてこないんなら、君に人を見下す資格はない。
それに堂々とぶつかってこいよ。女々しいぞw
40848:2008/11/28(金) 23:55:49
ありゃりゃ、しっかり書いてきたねw
ざっと読んだけど今日は寝ます。
明日、というか早く目が覚めると思うけど、
じっくり読んでレス返しますよ。さほど難しい話でもなさそうだし。
とにかく書いてくれてサンクス。
409日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:58:20
>>408
暇な学生だかニートだか知らんが、もう相手はしてやらんよ。
お前のような馬鹿のいるスレは張り合いがないのでね。
返答はせんでよし。
まともに史料も読めない奴とは話にならん。
410日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:59:01
しかし、48って、どんだけ連投してんだ?
日本史スレ見て恐ろしくなった
まじで基地外だろうな
41148:2008/11/29(土) 00:10:01
なんだ楽しみにしてたのに。
409と410には402で書いた後半を送ります。

オレの仕事は君らには想像できんかもな。
世の中には、いろんな職業があるんだよ。
つたない経験で、すべてを分かった気にならないようにね。
41248:2008/11/29(土) 07:22:38
>>406
その一=オレの事実誤認。訂正するしかない。
そのほかは、もったいぶった割に衝撃がない。
見解の相違の範疇だな。
結局、君らは何を言いたかったんだw
正体見たり・・・ってやつだな。
ただ、連投は事実なので、しばらく書き込み遠慮します。
413日本@名無史さん:2008/11/29(土) 12:46:55
>>412
正体って何?
414日本@名無史さん:2008/11/29(土) 19:57:30
前世魔人
415日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:31:40
>>385
だがそれが現実のものにならないとは限らない。
例えば戦前は楠木正成を知らぬ者はなかったが、
今の若い者は知る者の方が少ない。
416日本@名無史さん:2008/12/02(火) 03:50:17

気にする事じゃない!
あと100年経てば、今生きてる奴は誰1人いない。

批判的な奴も、好意的な奴も…



417日本@名無史さん:2008/12/03(水) 19:29:37
『諸君!』の最新号に、愛教大名誉教授北村良和氏の「“聖徳太子抹殺”の首謀者を、ついに突き止めた」と題する論考が載ってる。
内容は、かいつまんで言えば、水戸学派に代表される漢学(今で言う媚中派?)インテリこそがその首謀者だというものだが、
聖徳太子と仏教と皇室を三位一体とするなど、疑問の点も多い。
しかし、聖徳太子の否定が即座に日本人のアイデンティティの喪失につながるという指摘は注目すべきだろう。
41848:2008/12/06(土) 11:37:58
>>417
その記事、まだ読んでいません。
でも、水戸学派かあ・・・。ちょっと意外だ。
聖徳太子否定=和の否定、でいいんでしょうか?
419日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:00:45
聖徳太子に批判的なのは左右どちらの陣営にもいる

右のほうは神道マンセーからアンチ仏教になって、皇族の一員なのに「日本仏教の父」として崇められている太子が気にくわないと思ってるのがいる

大山誠一の太子虚構説を焼き直して新書を書いた谷沢永一は保守系論客だし
420日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:34:19
偏狭な愛国心だよな
明治の蛮行・廃仏毀釈の時も太子は罵詈雑言だったらしい

日本は戦争に負けるべきして負けたかと・・・・・
42148:2008/12/06(土) 14:43:55
>>420
オレもそう思います。
負けるべくして負けた。
戦死者と遺族はいい迷惑だよ。
愛国心であれ何であれ、偏狭なのはいけない。
偏狭なやつは威勢がいい。
威勢がいいやつに乗せられたら進路を誤る。
理性的にいかないと(難しいが)。
422日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:32:46
一部の神道家の間では、太子は「仏魔」と言われて毛嫌いされている。
偏狭な愛国心の最たるものだろう。
ただスレチになるけど、おれは負けた原因が偏狭な愛国心だとは思わない。
負けるべくして負けたというのは同意だが、
不正義だから負けたというのではサヨクと同じではないかな?
単に弱いから負けたんだと思う。
42348:2008/12/07(日) 03:58:58
>>422
不正義などとは思わない。
単に弱かった。その通り。
みんなそう思ってるんじゃないの?
424美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 04:40:50
×推古天皇時の天皇家の皇太子

○聖徳の太子(厩戸の王子)

稲葉(岐阜尾張)の聖徳(愛知県一宮富田周辺)を治めてた王が聖徳の王で、いわゆる「厩戸の王」
その息子が厩戸の王子(聖徳の太子)


ちなみに聖徳寺も飛鳥寺も奈良や京都じゃなく岐阜尾張にあった寺だよ
425日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:54:53
こじつけもいいとこだな。どこをどうすれば蘇我氏との接点が出てくるんだ?
426美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 13:11:38
>>425
蘇原もあるし飛鳥寺もあるし、イルカ池もあるし飛鳥川大和川もあるし、蘇我石川麿呂の墓もあるし、聖徳もあるし、十七条もあるし

つか聖徳太子って密教徒でしょ?
法王なんて書き方もされてたよ
427日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:28:15
>つか聖徳太子って密教徒でしょ?
>法王なんて書き方もされてたよ

これはちょっと有り得なくね?

622 聖徳太子没
637 善無畏生まれる
671 金剛智生まれる
705 不空生まれる

唐に密教を伝え弘めた三人の僧が生まれる以前に、太子は没している
法王と呼ばれているからといって、何故密教なのかわからないし、そもそも、太子が生前から法王と呼ばれていた証拠はない
「聖徳」も「法王」も太子没後の呼称でしょ
428美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 15:38:58
>>427
奥美濃の山岳地帯に密教の修検場の寺を幾つか開山してるんだよ

東大寺を建てたとされるギエンの弟子の良弁はその修行場の人だし

あと密教って大乗仏教とは違うくて、それ以前に日本に入って来てる宗教だよ
空海とか陰陽道とかあっちの系統だよ
錬金術とかカッパーラとかのタントリズムの宗教だよ
429日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:01:12
あのね、密教は大乗仏教の最終型みたいなもんで、大日経や金剛頂経といった重要経典の成立は太子没後
そんで、善無畏が大日経を中国語に訳したのが725年だし、金剛頂経を訳したのは金剛智と不空だし
年代的に合わないんだよね

太子が生きてた頃にやっとインドで初期密教が流行り出した感じで、中国やインドネシア、チベット等に弘まり始めるのは太子没のはなし
430美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 17:38:07
>>429
>仏教以前に日本に入って来てる宗教

って言い方が悪かった
密教って言い方も良くないや

要は日本古来からある信仰だよ
密教や陰陽道や真言宗やいわゆるタントリズムって奴だよ
山岳信仰もあれタントリズムから来てる信仰だし、巫女や御子とかの祈祷や神示もタントリズムだよ
ジャーマンって言えば解りやすいかな?
仙人や天狗もそういう人達の事だよ
どこがタントリズムにしろシャーマニズムにしろ、どこが発祥も糞も無くて世界中に存在する信仰の形見たいなものだよ
431日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:51:57
>>423
これは失礼。
話の流れから「偏狭な愛国心」(つまり間違った愛国心、ひいては間違った正義)こそが敗因だって読めたもんだから。
それをもたらした視野狭窄、リアリズムの欠如が敗因ということなら同意。

>>424
ソースよろ
432日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:17:21
良民と賤民?なぜ?
433日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:18:12
聖徳太子がキリストと同じく馬小屋で生まれたというのはまゆつばだなー。
日本史や日本神話と西洋史や聖書は多くの相似点があるけど、
そのうちのいくらかは明治の開国時に西洋と肩を並べるために捏造したものもありそう。
434日本@名無史さん:2008/12/08(月) 13:59:16
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ その典型が東大出の
 阿呆供である
 中を真空にした電車の中にロボットを立たせて、急発進と急停止を行う。ロ
ボットは急発進時に後方へ、急停止時に前方へ転倒する。これは空気の慣性の
影響を無くしているから空間とロボットとの相互作用である。従来、慣性は物
質の持っている性質と考えられたが、私は空間から働く力であると言う仮説を
立てた。
 また、運動エネルギーも同様に空間が物質を後押しするエーテル量の作用と
考える。なぜなら物質の質量は速度によって増加するからである。なぜ、速度
によって質量が増加するのか。質量とエネルギーの等価原理では説明出来ない。
物質に熱エネルギーを与えても質量は増加しない。エーテルの歪が重力を形成
していると考える方が妥当である。
 湯川は原子間の引力を電子を交換する作用だと考えて、陽子間の引力を中間
子を交換する作用と言う妄説を立てた。前者は電気力で説明出来るが後者は何
の根拠もない。陽子は三つのクォークに分かれる。それらを結び付けているのが
グルオンである。新しい素粒子が出る度にそれを結び付ける物が必要となる。
 原子核に光を当てると電子と陽電子が対発生し、電子と陽電子が結合すると
対消滅して光となる。電子は重さがあり光には重さがないこんな事はおかしい。
陽電子は電子の反物質だと言い、物質には反物質があると言う。こうして考え
ていくと無数の素粒子が考えられ、それらを支配する法体系は崩壊する。
 この謎を解いてみる。陽子と中性子は本来同じ物であり、それが自然崩壊し
て電子を放出して小さくなる。これが速度を変える事によって、クォーク、レプ
トン等に化ける。学者は自分の理論に都合の良い物を採用し、悪い物を抹殺し、
データを改竄して自説を正当化する。また電子も崩壊してエーテルに分解する。
 重力、電磁気力と核力をエーテルによる相互作用と考えれば、全ての理論が
説明出来てしまう。エーテルが神の意思(気)によって働いていると仮定すると、
超能力も説明がつく。物質の瞬間移動は気の束縛から解かれた物質がエーテル
となって分解され、光速度を遥かに超えて移動し、霊体の型通りに再構成され
るから可能となる。
435日本@名無史さん:2008/12/08(月) 14:02:40
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 2
 太陽の本当の色は緑色である。それが活動が激しくなるにつれて黄、橙、赤、
白と変化する。植物は太陽の霊気を受けているから緑色の命の炎で発光する。
紅葉はそれが燃え尽きる時の色と現れる。
 人には魂魄の魂が宿っている。赤白い人魂は生霊の魂であり、青白い人魂は
死霊の魄である。人は太陽の霊気をもらって命の炎を維持している。白い米を
食べて赤い血となるのは太陽の赤色の霊気が宿るからである。夕日が赤く大き
くなるのは太陽が休息する為である。
 カエデの5葉の葉の一部を切り取ってキルリアン写真をとると、切り取った
部分が元の形に現れて発光して写る。これは物質としての葉の一部は失っても、
霊体としては残っているからであり、これはオーラである。石にも霊体があり、
霊が抜けると風化して壊れてしまう。石の霊体と生物のオーラとは別物である。
 心霊写真の中に例えば右足の膝から下が透けて消えてしまっている物がある。
これはいかなるトリックを使っても作る事が出来ない。例えば、膝から下の部
分を激しく振り動かして撮ればそれに近い写真が出来るが、膝との境界線部分
が動きによって霞んだ様に写ってしまう。心霊写真のそれは明瞭な映像である。
デジタル処理すればうまく誤魔化せるが昔に撮ったフィルムに残った映像は説
明不可能である。
 光は神の現れであり、虹の7色は7種の神霊の働きである。直接目に見える
物以外の光によって写る映像は霊の働きによって変化させる事が出来る。あた
かも霊体が写る様に。心霊写真の膝から下の部分は亜空間に移動したのではな
くて、その膝から下の部分の霊体が分霊して煙の様に消えて見えなくなったの
である。
 このように、心霊写真は霊もしくは神霊の存在を証明しているのである。い
かに科学が嘘を言っているかお分かりでしょう。
436日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:18:24
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 3
 宇宙の空間には重力がない。地球の周りには重力が存在する。それも地球に
近づく程強くなる。重力の根源を地球に求め、地球が引っ張っていると考えた
ニュートンの考えは妥当である。時空の歪みが重力であるとほざいているアイ
ンシュタインの妄説はなぜ地球の周りだけ時空が歪むのかを説明出来ない。そ
こで真打に登場して貰う。宇宙の空間はエーテルが充満しており、エーテルは
絶えず運動している。すると、地球が障害物となって地球の裏側に空白が出来
る。その空白に周りからのエーテルの圧力がかかる。例えると、川の流れに石
があると、石の後ろに窪みができ、そこへ水が流れ込むと考えると分かる。こ
れが重力の正体である。
 フィラデルフィア実験で駆逐艦が瞬間移動し、人の体と甲板が融合した事件は
私の理論で説明出来る。瞬間移動したのは別の次元の時空に移動したのではな
くて、物質がエーテルに分解され、それが超光速度で移動し、霊体の型通りに
再構成される時、電磁波が障害となって、鉄と人体の原子が分離出来なかった
からである。電磁波はエーテルを振動させる事が出来る。正弦波の負(向きが逆)
の部分だけを切り取った電磁波を共振させて増幅し、これをエーテルに衝突さ
せるとエーテル内を移動することが出来る。これがUFOの飛行原理である。
 サイコロの博打で、丁と半の出る確率は数学ではどちらも2分の1である。
Aが適当に丁か半に賭けて当る確率も数学的には2分の1である。Bが賭けて
も同様である。Aはバカづきして大儲けし、Bは大損した。私達はこの現象を
見て運が良い悪いと言う。麻雀をした時、私の当り牌は場に出て残りは後1枚。
私がつもる確率は4分の1。相手の当り牌は残り5枚で早くからリーチをかけ
ており、確率的にはとても勝てないが、今の自分の運なら勝てそうな感が働き
強く押したらつもってしまった。こんな場合は数学など無意味で、運を計算す
る公式など存在しない。
437日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:21:47
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 4
 天理教の中山みき、大本教の出口なおなどの教祖は、神の言葉を取りつぎ、
神の奇跡を具現させた。病気直しを行い、目くらを目明きする事も出来た。予
言した事は全て的中した。これらを目の前にして信じない者はいないのである。
これらの宗教は広まった。キリストが病気直しをし、パンの数を増やし、海水
を割って渡ったのも本当である。しかし、残念ながら死んで甦ったのは誤りで
ある。キリストは日本で教えを受けて修行し、奇跡を行える様になって祖国へ
帰り伝道した。その際帰ったら殺されると忠告され、その時は双子の弟が身代
わりになると言う約束で帰国が許された。弟が身代わりとなって死んでからキ
リストが現れれば、甦ったと言う奇跡によってキリスト教が普及し、神の教え
を広まると言う試みである。後にキリストは日本の地で亡くなった。彼の使徒
と日本人との混血がアイヌ人である。正しく、日本は神の国、世界文明の発祥
地である。
 出口王仁三郎は天候を操り、霊界を探検して過去の出来事、未来に起きる事
まで知り得た。自分の体を1匹の虻にへんげする事も出来た。忍法にもその術
があり、西遊記の孫悟空も類似の術を使った。
 俳句が57調なのは神の旋律がその様になっているからであり、天地創造の
3貴神が5神、7神となってこの世を創った。七五三はこの神の発展を逆行さ
せるものであり、しめ縄や鳥居は神の働きを封じ込める呪術である。神社の周
りを石柱の結界で縛っているのも同じ理由である。
 日本は朝鮮人等に侵略され、外国の神が日本の神を押し込めているのである。
仏像が足で踏みつけている天邪鬼は日本の神である。
 いよいよ日本の神が復活する時が来た。外国の偽の仏教、キリスト教等信じ
て罪を犯している者供よ。火の洗礼、水の洗礼の神罰を受けて見るがよい。

438日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:32:50
屋敷を払うて田売りたまえ。
スッテンテンの命。
439日本@名無史さん:2008/12/12(金) 12:56:53
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 5
 万有引力の公式F=Gm1m2/r^2は多くのデータを集めて導き出したもので、
数学から導き出されたものではない。数学は物理的事象の存在の裏付けがなく
てはゲームと同じで、実用的には何の役にも立たない。万有引力が距離の2乗
に反比例するのは、光の強さが距離の2乗に反比例するのと同じである。光子
が球状に拡散する様に力の元のエーテルも圧力の高い領域から低い領域へ拡散
していく。圧力の高い所では反発力が、低い所では引力が働く。
 フレミングの右手の法則では、磁界中で力を加えて導体を運動させ様とすれ
ば、誘導電流を生じて反対方向の電磁力が働き、その運動を妨げようとする。
 また、ル・シャトリエの法則では、窒素と水素が化合してアンモニアを生じ
て化学反応が平衡状態の時、窒素と水素を追加したら、その影響を和らげる方
向として両者を少なくする様にアンモニアが増加する。自然は加えられた影響
を少なくする働きを持っている。これらの現象ははすべてエーテルの圧力を均
一にしようとする働きである。
 私はこれとは別に、霊子がお互いに好き合っていれば引力を、嫌い合えば反
発力を生じると言う仮説を持っている。
 フィゾーの光速実験で、光を歯車の溝に通してそれを反射鏡で反射させ、戻っ
て来た光を前の溝に通るよう設定する。歯車を高速回転させて溝を通過する光
を目で見て、その光の点滅が次第に速くなり点滅が消えた時の歯車の円周の長
さと回転数から光速度を求めた。しかし、私は疑問に思わざるを得ない。点滅
が消えた時に再び戻って来た光を見たのだろうか。目の明暗を感知する感度の
限界が来て点滅が消えた可能性が高い。干渉縞の影像にしてもこれはエーテル
の干渉縞であって光子の動きではない。光子は粒子であり、エーテルは光子が
光子に衝突して力が伝わる媒体波だと考えている。私は古人の言い伝えの様に
光は何億光年の彼方からでも瞬時伝わって来ると考える。光速度はCではなく
エーテル(媒体波)の伝達速度がCである。
440日本@名無史さん:2008/12/12(金) 12:58:26
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 6
 相対性理論の妄説を正す。
 光速度Cで伝わって行く光をUFOで追跡して、UFOも光速度Cで光に並
行して光の速度を測定する。すると測定器はCを示した。光に印を付けてそれ
を見る事が可能であれば、並行して目の前を進行している光が止まって見える
のが真実である。すなわち測定器では光の真実の速度を測る事が不可能である。
 今度は光とUFOが0点から光速度で同時に、光は左へ、UFOは右へ進行
した。1秒後には光とUFOは0点からそれぞれ30万qの地点に到達した。
両者の距離は60万qである。UFOから光を見れば、速度は距離割る時間の
2倍の光速度になると考えるのが正しい。でなければUFOは0点に停止して
いたと同じ事になる。それになぜ光の速度だけが不変となるのか分からない。
 ローレンツ変換によって時間が遅れると言う式を導き出しているが、前にも
言った様に数学で物理的事象を導いてはならないのである。もし時計が本当に
遅れる現象があるならそれはエーテルの歪みの影響と考える。
 地球と供に自転している空気は、東風の台風に吹き飛ばされしまうが、いつ
の間にか地球と供に自転している。こんな事は有り得ない。地球と空気は慣性
力で自転している。鉄砲の弾は慣性力で飛び続けるが空気の抵抗でやがて止ま
ってしまう。再び地球と空気が24時間で1回転するよう誰が調節しているの
か。自転は誤りで、エーテルを否定したマイケルソンの実験は地球が自転して
いないので誤りである。
 神は殺し合いのない、人も動物も虫けら等も楽しく暮らせる弥勒の世を築か
れようとしている。貴方の今のままでは悪さをしないように草木に替えるしか
ない。人は神の御用をするのが使命であり、その為に生まれて来たのである。
神の弥勒の国作りの役に立たなくては、世の為人の為にならない。為にならな
い人生は無意味である。
441日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:12:27
3行以上のレスを読んでいる人は1割くらいかと。
442日本@名無史さん:2008/12/14(日) 22:22:05
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿者だ 7
 光の青、緑、赤の色は波長の違いだと説明している。v=fλより光速度は同
じであるから3者は違った周波数を持っている。その周波数は原子内の電子の
軌道から生ずると言う。電磁波は短波、長波等があり、v=fλより電磁波の速
度は光速度Cであるから違った周波数となる。放射線γ、χ線の速度もCである。
すると、光も電子も磁気も素粒子の一部も全て同じ物質が違った周波数を持つ
事によって、これらの粒子になると結論付けられる。質量はエネルギーである
と言う事もこれを裏付ける根拠となる。しかし、周波数の違いだけでは光、電
子、素粒子の一部の性質を説明出来ないし、粒子には波の干渉など存在しない。
電子が二つの穴を通過して出来る干渉の縞模様は電子が波というのではなくて、
電子と媒体波(エーテルと言われる物で光子同士が衝突して出来る、力を伝え
る光子の帯)が力の作用を及ぼし合って、その影響がエーテルの縞模様になる
のである。当然、電子の存在確率を波と定義している量子力学も間違いである。
エーテルの存在を否定した為に相対性理論、量子力学、ホーキングのお化けを
生み出したのである。
 陽子が電子に、電子が光子に崩壊し、力を伝える媒体としてのエーテル(光子
帯)が存在する。光子は無限に近い速度を持っている為、人間には捕捉されない。
人間が捕捉出来るのはエーテルの速度Cである。エネルギーはエーテル量で、
エーテルの歪みが力として働く。光子の霊体を霊子(心)と言う。この霊子帯が
神であり、神の見えざる手によって力が制御される。神は神界から心によって
現界を動かしている。現界から三尺上は神界と重なり合っている。人間の頭に
神霊が降りて来て、予知夢を見せたり、第六感を働かせたりするのである。
 学者の高慢な鼻を折り、科学妄信者の目を覚まし、神の真理を知らせる為に、
見出しに馬鹿者と侮辱しているのを許してほしい。世の中には私よりも優れた
能力を持っている者もいる事を知っている。
443日本@名無史さん:2008/12/19(金) 21:12:12
聖徳太子は、日本で死んだといわれているキリストの子孫だろう?
444日本@名無史さん:2009/01/12(月) 19:59:36
嫌だスレに追い上げられてる。
445日本@名無史さん:2009/01/15(木) 00:08:52
大山説で納得いかないのは、太子信仰が日本書記から
生まれた、政治的・策謀的に創造されたと考えてること。
信仰ってんのは徐々にどこからともなく顕れて
それを政治的・教団的によすがにしたり利用したり
することから始まる。
大山は聖徳太子と称された人を自分と同じレベルに
落としてあげて肩の荷をおろしてあげたなどと安考え
してそうだけど、世の読書人は大山がくだらない
ことだけはわかった。まあ、教えてる大学のレベルから
して学生を感化させるの簡単だったろうけど。
446日本@名無史さん:2009/01/15(木) 02:21:08
民主・輿石氏、日教組にエール? 「教育の政治的中立ありえぬ」 

 民主党の輿石東参院議員会長は14日、おひざ元の日本教職員組合(日教組)が都内で開いた新春の会合であいさつし、
「教育の政治的中立はありえない」と述べ、「反日偏向教育」の根源ともいわれる日教組へのエールと受け取れる発言をした。
教育や教員の政治的中立は教育基本法や教育公務員特例法で定められており、日教組に肩入れする同党の“危うさ”がまたぞろ浮き彫りになった。

 輿石氏は日教組傘下の山梨県教組(山教組)の元委員長。現在は日教組の政治団体、日本民主教育政治連盟(日政連)の会長でもあり、
会合では「私も日教組とともに戦っていく。永遠に日教組の組合員であるという自負を持っている」と宣言し、政権交代に向け協力を求める場面もあった。

 平成16年の参院選の前には、山教組などで構成する事実上の輿石氏の政治団体が教員から選挙資金を集め、
山教組幹部らが政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で罰金命令を受けるなどした。自民党の有志議員による
日教組問題究明議員連盟(会長・森山真弓元文相)は、次期衆院選に向け日教組の偏向性を調査する構えで、議連から「輿石氏は標的になる」との声も出ている。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090114/stt0901142151011-n1.htm
447日本@名無史さん:2009/01/18(日) 15:32:17
聖徳太子って官位12階の制度や憲法制定、遣隋使派遣等の政策は教科数によく出ているけど、その後、死ぬまでの十数年間はあまり触れないよな…
448日本@名無史さん:2009/01/19(月) 20:25:32
薨去の2年前の、天皇記、国記、臣連伴造国造百八十部並びに公民等本記の編纂は教科書に載ってる。
少なくとも昔は載ってた。今はどうか知らんが。
449日本@名無史さん:2009/01/19(月) 21:04:40
今は天皇記、国記は蘇我馬子と共同で編纂となっている。
臣連伴造国造百八十部並びに公民等本記は載ってない(山川出版の高等学校日本史教科書)。

天皇記、国記は子の山背王のところではなく馬子の子の蝦夷の自宅に保管されていたあたり、
どこまで厩戸が関与したか疑わしいが。
450日本@名無史さん:2009/01/19(月) 22:09:33
聖徳太子は存在しなかったというのが歴史研究者の間ではすでに定説だし、
武内宿禰に続いてお札から姿を消したし、教科書から消える日ももう近い。
法隆寺を扱ったガイドブックや案内板の片隅に残るだけの存在なのでは?
451日本@名無史さん:2009/01/20(火) 04:28:09
>>450
歴史研究者って誰?
そこらのオッサンだろ!


452日本@名無史さん:2009/01/24(土) 12:21:48
>>2


あたりまえでしょ!そんなこと!

無礼な質問をして。

君はイエス・キィッスト知ってるのか?
そう聞かれたらどーすんだチミ!
453日本@名無史さん:2009/01/24(土) 19:01:28
>>450
>聖徳太子は存在しなかったというのが歴史研究者の間ではすでに定説だし

とりあえず、>>16>>41で紹介してる本の著者は批判してるし、何を根拠に定説だなんていってんのかね?
454日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:51:08
では居たということを立証してくださいよ。
455日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:06:53
日本書紀を始め様々な史書に載っている、以上。
456日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:38:08
>>452
イエス・キィッストwwwww
457日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:59:45
>>455
書いてあることはすべて史実だということ?
すごい思考回路だな。
458日本@名無史さん:2009/01/25(日) 00:44:54
すべてが事実だとは限らないから、存在自体が捏造だとでも言いたいのか?

そんなこと言ったら聖徳太子どころか昭和天皇ですら「記録に残されているからと言って実在の人物である証明にならない」って事になるぞ。
459日本@名無史さん:2009/01/25(日) 01:20:29
だから居たと確信しているのなら、その具体的な根拠を示してくれと言うんだよ。
史書云々は、あなたが言ったことでしょうに。
460日本@名無史さん:2009/01/25(日) 02:03:40
だから、日本書紀にきちんと記録が残されている、用明天皇の皇子で推古天皇の摂政を務めた、法隆寺建設をした人物。
板かどうかだけなら十分だろ。
461日本@名無史さん:2009/01/25(日) 03:03:53
まず、厩戸皇子の実在を否定する歴史学者は大山誠一を含め一人もいない

で、大山は厩戸の諡号である「聖徳太子」と厩戸を切り離し、書紀の太子関連の記事に虚飾があるから、「聖徳太子」は書紀編者が創った架空のキャラクターであり実在しないってのがその主張

問題は、まず世間一般でも聖徳太子=厩戸皇子で通ってるから、「聖徳太子非実在説=厩戸皇子非実在説」と誤解されやすいこと

さらに、当の書紀自体が「聖徳太子」という言葉を全く使用していない
諱の厩戸豊聡耳皇子の他は専ら「皇太子」と表記している
にもかかわらず、書紀編者が「聖徳太子」という名前のキャラクターを作り上げたというのはちょっと違和感がある

諡号は当人の死後に贈られ、以後専ら諱ではなく諡号で呼ばれるものだが、国家の正史たる書紀で「聖徳太子」という諡号が使用されていないということは、「聖徳太子」という諡号は国家が贈った名前ではない可能性が高い

用明紀の厩戸誕生記事に小さな字で「更は名けて豊耳聡聖徳といふ」という文があるが、この「聖徳」について岩波文庫版の注には

>法起寺塔露盤銘に「上宮太子聖徳皇」、帝説に「聖徳王」「聖徳法王」「上宮聖徳法王」とある。
>太子の死後、仏徒の唱え出したものであろう。

とあり、「聖徳太子」という諡号は法隆寺等の仏徒が贈った可能性が高い

そうなると、中国的な「有徳の聖人」の太子を創造し、架空のカリスマとすることで、律令国家建設を推進したとする大山誠一の説は成り立たなくなる

そもそも、太子伝説は太子信仰を無視しては成り立たないし、書紀成立以前の古事記の「豊聡耳命」や天寿国繍帳銘、法起寺塔露盤銘等に厩戸皇子の尊称が用いられていることから、書紀成立により太子信仰が生まれたとする大山説には無理がある
信仰する側の主体性を無視し、国家の都合による信仰の強要によって、今でも続く太子信仰が生まれたとするのは、あまりに信仰する側の人々を馬鹿にし、古代の国家権力を過大評価し過ぎるように思える
462日本@名無史さん:2009/01/25(日) 11:41:03
大化の改新までは蘇我氏が倭国の大王。葛城皇子(その時はもちろん皇子ではない)が入鹿を倒して、政権を奪った。蘇我王朝の事績はすべてのちの天皇家のものとしたが、蘇我王朝の仏教政策はそのままでは継承できなかった。
そこで天皇家のなかに聖徳太子、と言う人物を創作し、彼が仏教を振興したこととした。太子は蘇我仏教の受け皿。
463日本@名無史さん:2009/01/25(日) 11:49:50
じゃあ、法隆寺の戊午年銘釈迦如来及脇侍像の光背裏面に書かれている、
「ソガ大臣」てのは誰ですか?
464日本@名無史さん:2009/01/25(日) 11:50:54
隋王朝と対等な関係を持とうとした倭国支配者の存在を抹殺することが聖徳太子否定論者の目的にあるようにも思われる。そのままでは中国の思うつぼ。
かといってフィクションを歴史として教えることは日本史の権威に関わる。それが誰であれ、隋に無礼な国書を送った倭国指導者がいたという事実は、しっかりと押さえておくべき。
465日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:02:33
>>463 釈迦如来光背銘は後世のもので、飛鳥時代までは遡らず、銘文は信頼に値しない。また、誰も指摘しないが、光背の図像もその時代のものと異なった部分があり、疑問なしとはしない。
法隆寺の本尊だから正面切って疑問を呈する人はいないが。
466日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:02:53
非存在論者が言いたいのは

1,豊臣秀吉が墨俣に一晩で城を築いたのは嘘である、よって豊臣秀吉なんて存在しない
2,徳川家康という人物は確かに存在しているが、生前東照大権現などと呼ばれていた形跡は全くない、
  これはつまり実在した「徳川家康」と「後の世に東照大権現と呼ばれた人物」とはなんの関わりもない証拠である。

こんな感じの主張なのか?
467日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:05:26
>>465
法隆寺って一回焼けたんだろ、設立時と本尊も違うんじゃない?
だったらとうじ「初回建設時の手法で作り直す」なんて事はしなかったんじゃない?
468日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:11:08
>>466
そういう頓珍漢を言い出す人がときどきスレに現れるんだが・・・
スレを最初から読んで書き込んで御覧。
「豊臣秀吉」も「徳川家康」も同時代史料で存在が確認できる。
また、「徳川家康」は三代将軍徳川家光によって日光東照宮が建てられたとき
その祭神として東照大権現とされたことが史料で確認できる。

だけど、聖徳太子はどうかな?
聖徳太子がのちの時代の贈名で、生きていた当時そう呼ばれてはいなかったことなど定説だが、
功績のほとんどが実物と異なっており、そもそもこの時代「皇太子」は存在しなかったのに
太子と贈名されていることだけでも相当な史実とのかけ離れが多いことを議論しているんだよ。

確かに、「厩戸皇子」という一人の皇族が後世蘇我氏を貶めるために
どんどん史実とは異なる功績と人生を与えられて膨れ上がり、
「聖徳太子」という全く別の人格と名前で呼ぶようになったということは事実なんだろうが。
469日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:14:48
>>465
本尊のじゃないよ。戊午年(628)の小型仏像のこと。
だいたい、本尊の光背文に蘇我氏は出てこないでしょ。
470日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:15:46
>>468
じゃあ、聖徳太子の時代の人で「同時代資料で存在が確認できる」人って誰?
蘇我馬子や推古天皇は「同時代資料」で確認できるのに聖徳太子は出来ませんとかなら説得力もあるが。
471日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:19:42
>>462
てことは、推古・舒明紀に出てくる、
境部摩理勢・雄摩侶、桜井和慈古、高向宇摩・国押、河辺禰受、田中臣某、小墾田臣某、
といった蘇我一族の人たちは、当時は皇族(王族)だったってことでOK?
472469:2009/01/25(日) 12:36:26
ごめん、戊午年じゃなかった。戊子年(628)だった。
473日本@名無史さん:2009/01/25(日) 19:01:46
>>468
同時代史料なら天寿国繍帳がある。
鎌倉時代に現物が発見され、全文が記録されている。
474日本@名無史さん:2009/01/26(月) 04:44:59
流し読みしたが、アホ発言連発の48に苛立った。
475日本@名無史さん:2009/01/28(水) 20:53:48
>>470
蘇我馬子は同時代史料で確認できるよ。
「日本書紀」を読んだことがない人?
推古天皇の生きているときの名は
豊御食炊屋比売命(古事記)
豊御食炊屋姫尊(日本書紀)。
天皇在位中は「スメラミコト」とよばれましたが?
推古天皇という名は奈良時代に贈られたもの。

ちなみに推古朝において皇太子制度がなかったことは、
推古天皇の死後初めてその後継をめぐって
山背王と田村王が争っていることでも明らか。

>>473
天寿国繍帳の文章は現存していない。
鎌倉時代の書写は精密度に欠け
聖徳太子という後世の呼び名に置き換えた可能性が指摘されている。
飛鳥時代に作られた実物に「聖徳太子」という文字が
刻まれているのなら別だけど。
476日本@名無史さん:2009/01/28(水) 21:00:03
「聖徳太子」と厩戸皇子をことさらに区別して、
聖徳太子はいなかったとか言う連中は中二病くさい。
定説に反すること言ってる自分に酔ってるんだよな。
477日本@名無史さん:2009/01/28(水) 21:05:45
>>475
>聖徳太子という後世の呼び名に置き換えた可能性が指摘されている。

そんな可能性は指摘されていない。
銘文には「聖徳太子」ではなく、「等已刀弥弥乃弥己等(とよとみみのみこと)」と記されているからだ。
478日本@名無史さん:2009/01/28(水) 22:37:41
>>475
その確認できる資料が日本書紀なら聖徳太子のことも確認できるだろ。
まして後の時代の贈り名なんだから太子の称号がついていてもなんの不思議もない。

日本書紀に書かれていることを否定する根拠が日本書紀ですか?w
479日本@名無史さん:2009/01/29(木) 07:33:00
そういうことになるな。
480日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:09:49
厩戸皇子はスーパーマンだったの?
481日本@名無史さん:2009/02/11(水) 01:35:13
>>1
実証的歴史学て、いつも、「らしい」のオンパレード!



482日本@名無史さん:2009/02/11(水) 23:24:29
誰か>467に答えてよ
483日本@名無史さん:2009/02/15(日) 18:48:01
法隆寺の本尊である釈迦三尊像は、光背の上の部分が破損し、修理した跡が残っている。
これは、火災から避難させた時のものではないかと推測され、この本尊が創建当初の物であることの傍証となっている。
法隆寺の立場からは、本尊は太子時代のものであってほしいわけで、よほどのことがない限り後の時代に作り直したとは認めないだろう。
様式的には7世紀後半に作られた仏像より古式だから、あえてそれを否定する根拠はない、とされる。
金堂右に並ぶ薬師仏のほうは、飛鳥様式風に作られているものの、白鳳頃の作とされるが、確かにこれとは顔のテイストが違う。
484日本@名無史さん:2009/02/16(月) 11:19:45
関係ないけど安威鎌足塚の被葬者がなんだか気になる。
初老の背の大きな人で(X線写真による推定身長は165cmだけど実際にはわからない)
落馬して下半身不随になり、しばらくしてから死んだんだよね。
鎌足じゃないとすると皇族墓が有力だそうだけど
あの帽子の模様とかなんかオリエンタルな感じがして
法隆寺の織物系のイメージがあるなあ。
昔の人は背が高かったんですねえ。
ここの塚に是非行ってみたいかも。
ほんとは遺体を見てみたい。
ペルシャ系の人だったりして。
485日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:59:10
>>462
聖徳太子は信じないのに大化の改新は信じるとかwww
486日本@名無史さん:2009/02/26(木) 01:07:38
>>480
導入から間もない仏教の大変な擁護者であり、
寺院に多額の寄附援助をした人であることは間違いない。
それに感謝した僧侶達が、こんな立派な人が仏教を信奉したのですよという
仏教の権威確立・布教的意図を含めて、
太子伝説を各地に広めた。この点は自信ある。
487日本@名無史さん:2009/02/27(金) 20:56:51
>>486
僧侶の意図がそうだったからと言って、太子の実際の事績を判断する根拠とはなり得ない。
488日本@名無史さん:2009/03/10(火) 22:41:31
489日本@名無史さん:2009/03/11(水) 09:06:42
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、
歴代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになってい
る。と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、聖
徳太子の祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。
 聖徳太子の正体は用明天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用明2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用明天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると断定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
490日本@名無史さん:2009/03/11(水) 09:09:52
 日本テレビ真相報道バンキシャ「岐阜県庁で新たな裏金作り」の報道は真実で
あり、役人は前の裏金事件を反省するどころか新たな新手を考案して、悪行を
繰り返している。役人に天誅を下し、税の不払いを断行して兵糧攻めにすべし。
 県土木事務所の職員が工事代金を水増しして業者に発注し、その余剰金約200
万円を職員の指定する銀行口座に裏金として振り込ませた。その事実を建設会
社役員・蒲保広氏が証言した。蒲氏はメーソンから脅迫を受けて虚偽の証言を
したと言う嘘の証言を強要された。日本テレビはメーソンの圧力に屈して誤報
であったと謝罪した。
 蒲氏は県が追加工事で裏金を捻出していると言う不正を告発しようとインタ
ーネットに書き込み、テレビ局から情報提供料として1万円受け取り、今回は
出演料等を受けていない。こんな端金の為に裏金作りの証言をする筈がない。
建設会社の不正を自ら暴露し、県の発注工事が無くなる危険性を侵して証言す
る馬鹿はいない。県の工事を請けれなくなった腹癒せも手伝って証言したので
ある。補助金の不正経理を指弾された県の会計処理に不正があると見るのが妥
当である。マスコミは蒲氏を公金詐欺容疑で起訴された人物(後に捏造の詐欺罪)
で数百万の借金があるとして、いかにも悪人の様に仕立てている。
 今回メーソンがこの様に圧力をかけて来たのは、県が未だに裏金作りをして
いると住民に知られる事が大問題となり、国民の行政・政治不信に歯止めがか
からなくなるからである。民主党の永田議員偽メール事件も本当のメールを闇
に葬った。その為政治家生命を絶たれ自殺したのである。プライバシー保護法
は政治家等の不正を隠す為に作られた。正義が抹殺され、悪がはびこって世も
末である。
 愈々神が悪の極まったこの世の鬼を、退治する時となった。今年、ハルマゲ
ドンは北朝鮮によって口火が切られ、来年、駐留米軍の移転後、ロシアが進攻
し、日本総攻撃が始まる。日本は核の洗礼を受け、飢餓地獄に落とされ、人の
顔をした鬼が人を食うなどの地獄絵図が展開される。
491日本@名無史さん:2009/03/11(水) 11:36:37
>>475
聖徳太子がなくなった後に皇太子を立てられなかったという考えもある
聖徳太子がいなかった。全部馬子の業績だというフィルターで見ている人大杉
492499:2009/03/11(水) 11:57:03
聖徳太子がいなかったなら、
これまで太子の業績とされてきたものは、
すべて馬子あたりに帰されるのかな。
太子抹殺にはどうも恣意的なものを感じる。
→納得できない!
493499:2009/03/11(水) 12:19:43
太子という天才児がいたか、いなかったかは別にしても、
「聖徳太子」という「概念」が日本人の中に根強く「あった」のは確かです。
それを頑なに「厩戸」と言いかえる神経が痛い。
韓国マスコミ(歴史学会も)が「天皇」と記さず、頑なに「日王」と記すのと、
姿勢は同じ。これが明らかな誤りで、この点では韓国マスコミ・学界は世界の(苦)笑い者
なのは、ふつうの感覚の持ち主なら誰でも分かる。
恥ずかしいことだと思いますけどね。
494日本@名無史さん:2009/03/13(金) 07:38:03
>>492 ちょっと古い聖徳太子のイメージは、隋の煬帝に「日出国の天子、書を日没する処の天子に送る云々」と中国に対して対等な外交を展開した人物だ。
日本を中国の下に置こうとする勢力は、これが面白くないんだね。半島系も自分だけが属国である寂しさに耐えられず、日本を巻き添えにしようとしている。
こうした連中にとって聖徳太子は抹殺したい人物なんだろう。ただ、聖徳太子が虚構である可能性が高いことは事実だと思う。なぜ、そのような虚構が必要だったか、と言う観点から考えるべきだと思う
495499:2009/03/13(金) 14:56:04
>>494
先に結論、あるいはイデオロギーありき、ってことでしょ。
そういう臭いがプンプンするレスが多い。
あれほどの(日本書紀)超人がいたとは私も思いませんが。
496日本@名無史さん:2009/03/13(金) 21:43:30
世の中には天才としか呼べない人が存在する。
空海の事績はよくわかっている。
しかし、聖徳太子のことになるとよくわからない。
というのも聖徳太子崇拝はおもに仏教側から出たもので、
といって日本仏教史上では後の評価ほど下がっていく。
十七条の憲法や冠位の制定といっても、
天武帝や藤原不比等の業績ほどでもない。
しかし、聖徳太子には確かに何かある。
497sage:2009/03/14(土) 01:49:17
ここで大胆なことを聞くようだが、記紀の記述以外に、聖徳太子あるいは
厩戸王の実在を証明する資料・事績は、あるのか?
498日本@名無史さん:2009/03/14(土) 06:29:07
法隆寺関係の資料

結局、この資料をどう評価するかによって太子像が変わってくる

大山誠一はばっさり一刀両断で切り捨てた
499497:2009/03/14(土) 10:06:33
すまぬ、あげてしまった。
497でききたいのは、「記紀以前」に実在したことが確かな
資料・事績ということで、おながいしまつ。
500日本@名無史さん:2009/03/14(土) 13:33:59
日本で記紀以前に実在したことが確かな資料がある人物なんて誰がいるんだ?
501日本@名無史さん:2009/03/14(土) 20:46:10
つまり推古天皇や馬子も実在があやしいと。
502日本@名無史さん:2009/03/15(日) 01:10:06
>>497
「記紀以前の史料」自体が極めてわずかしか現存していない。
何度も出てきた天寿国繍帳にしても、現存する部分のみでは何もわからない。
503日本@名無史さん:2009/03/15(日) 01:30:40
ただし、「上宮聖徳法皇帝説」に引用されたもの等で復元された銘文には、
「宿禰」を「足尼」、「比賣」を「比弥」など、記紀以前の古い表記が見られることもまた事実である。

>>500
稲荷山鉄剣には雄略帝や大彦命の名が明記されている。
504日本@名無史さん:2009/03/15(日) 19:52:21
>>501
隋の記録では倭国はどうみても男王の国だものなあ、推古当時は。
王子の「リ(ワ?)カリタムリ」ってのは、だれ?
505日本@名無史さん:2009/03/15(日) 20:54:09
例えば「明史日本伝」では、秀吉を偽関白と言ったり、光秀が二人に分かれている。
大陸の記録が100%信用できるわけではない。
現に隋書は、冠位の順序を誤っている。
アメタラシヒコとは、別の史料による王の呼称と考えられる。
天皇号の前段階としての天王号の存在を井上光貞氏が指摘しており、その和訳であろう。
ワカミタフリとは若い世継という意味の普通名詞で、「源氏物語」にも「わかんどほり」という言葉がある。
506國學院大學卒:2009/03/15(日) 21:03:44
今からNHK総合で法隆寺。
板住人なら見よ。
507日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:10:02
法隆寺再建は日本書紀の記述通りでしたね
508日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:15:26
>>504
奈良時代の木簡で王や女王たち皇族の名に付されている「若翁」や
古語で皇室の血筋や皇族を意味する「わかんどほり」のことかと。
509日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:15:35
秘仏、救世観音がテレビ画像に!
よく許可が出たな!
510日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:17:36
国宝のオンパレード
511日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:26:23
>>505
姓は阿毎(あめ)、
という時点でズイの記録は間違ってますな。

たしかに「ハツクニシラススメラミコト」
と同じような称号に聞こえますね。
512日本@名無史さん:2009/03/15(日) 22:12:08
隋書に記載の「ワカミタフリ」と「アメタラシヒコ」がほぼ正確
な呼称であるとするなら、女王ではなく男王とした記述も100%
でたらめとも言い切れまい

>>509
法隆寺も、昨今は聖徳太子非存在説が何かと話題になっていることに
対して相当な懸念を抱いていることの証しでしょうか
513日本@名無史さん:2009/03/15(日) 23:38:47
隋側が倭語そのものを記録していたおかげで、隋側の理解と倭語の意味と両方から検証できたわけで、男王については倭国側からもそれを示唆するような資料が出てこないうちは怪しい

要は、裏がとれてない情報
514日本@名無史さん:2009/03/15(日) 23:47:21
>>503
稲荷山鉄剣は読めない、ってのがFAだよ・・・
あやふやなものを出さないでくれ
515日本@名無史さん:2009/03/15(日) 23:51:50
>>514
はあ?
516日本@名無史さん:2009/03/16(月) 19:21:17
>>514
古田信者乙
517日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:34:01
【歴史】聖徳太子は聖王の生まれ変わりなので百済系王族

百済第27代王・威徳王の息子、阿佐太子が西暦593年にもたらしたという救世観音像と
百済系渡来人が作った百済観音像だ。 救世観音像は「威徳王が新羅(シルラ)との
戦闘で亡くなった父の聖王の姿を作ったもので、法隆寺を建立した聖徳太子は聖王の
生まれ変わり」という過去の記録が伝えられる。

このため韓国テレビの歴史ドキュメンタリー番組が百済の聖王の姿を3次元(3D)で
再現しながら、観音像の顔を使用したこともある。
聖徳太子も日本古代王家で百済系の王族に分類される。

奈良公園内にある東大寺も百済と関係が深い。
この巨大な仏像を作る造仏師として百済滅亡後に日本に渡ってきた百済の流民が
多数参加したというのが、東大寺の僧侶の説明だ。 大仏造成の責任者だった
僧・行基も百済系という。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=112668&servcode=A00§code=A10

蘇我氏、藤原氏だけでなく聖徳太子も百済系、大仏造成の責任者も百済系
おいおい、倭人は一体何やってたんだよwww
全部、百済人のお陰じゃんwww
518日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:09:30
昭和天皇はアショーカ王の生まれ変わりだが、インド系なのかwwwwwwwww
519日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:40:20
2ちゃんでにレスにwwwwっていう草を生やしてるヤツには、朝鮮人が多い。ほんとの話
520日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:46:23
聖徳太子までもが韓国系だったなんて・・
やっぱ偉大だよな韓国人は
倭人は韓国系の支配者に従ってただけだろww
521日本@名無史さん:2009/03/17(火) 22:12:08
朝鮮には聖徳太子みたいな偉人がいなくて残念だったね。
卑怯にも、明と講和した後に退却した島津を追撃して返り討ちにあった
リスンシンとかいう将軍が一番の英雄の国では仕方ないか。
そうか、朝鮮ではその島津氏も韓国系に入れてるのかな。
522日本@名無史さん:2009/03/28(土) 00:58:18
>>21
実在していない人物を、国のお札にすったら諸国の笑い者になるからですよ。
523日本@名無史さん:2009/03/28(土) 15:26:18
聖徳太子はともかく、武内宿禰の存在まで否定することはできない。
524日本@名無史さん:2009/03/28(土) 21:36:07
イエスや釈迦の実在を疑い、聖徳太子まで疑う。
日本も少し前はまともな研究でもちょっとデンパがあった。
いわゆる市井のものは大半がデンパ。
それは資料が少ないことで妄想の入り込み余地があるから。
ことに百済新羅高句麗の三韓関係なんてほとんど史料がないから、
何でもありのデンパ説が素人でも可能になる。
代表的なのが、万葉集を朝鮮語で読むというもの。
言語学的には語呂合わせレベルだから、素人しか書いてはいなかったが。
聖徳太子非実在説、何とか人説、これに同じ。
525日本@名無史さん:2009/03/29(日) 13:11:25
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿だその典型が東大出の阿呆
 病弱な鶏は殻がない膜だけの卵を産むが、しばらく放置しておいた後に膜を
破ると、その中で蛆虫が湧いている。膜の守りを破って蝿がその中へ卵を産み
つける事は不可能である。本来鶏になる筈の黄身に、邪な言霊によって分霊化
した魂が宿って生命が誕生したのである。
 仙人は遺骸を残さずに身罷った。これを屍解と言う。裳抜けの殻と言うのは、
人が死んで遺骸が煙の様に消え、後に衣装だけが残ったと言う故事に基づいて
いる。野生の動物(烏等)も自然死(病死は除く)では遺骸を残さない。これは神
が醜い死体を晒す事を防ぐ為の愛情行為なのである。屍解がなかったらそこら
中は白骨の山となる筈である。
 物質は霊体の凝り固まった物で、霊体の意志に従う。その意志が様々な言霊
として表現される。霊と言う実体を持った波動である。
 現代医学の嘘を見破る
 病気になるのは決してウイルス等に感染するからではなく、体内に取り入れ
た毒や邪霊の憑依によって起きる。風邪は狐の分霊が気の防御の隙間から入る
のである。
ではなぜ、抗生物質の毒で病気が治るのか。その毒が細胞の炎症を止め、壊死
を防ぎ、邪霊を追い出す為である。
 がんは早期発見して、取り除けば治ると言うのは嘘である。5年ぐらいで再
発する。がんになる原因は肉類を食べるからである。肉類は消化されて血液と
なる。その血液が細胞に化成する時に、殺された動物達の怨霊が細胞に宿って、
宿主をとり殺そうと活動する。それががん細胞である。だから、がん細胞を殺
しても、穢れた血液がある限りはがん細胞を産生する。
 代替医療にマクロビオティック療法がある。食事を菜食にしてがん細胞となる
血液の元を断ち、有機農法で作られた玄米の力で自然治癒力を高めてがん細胞
を退治するものである。 現代医学は発達しているのに病気が減らないのは、
人間の悪業が改まらないからである。
526日本@名無史さん:2009/03/31(火) 03:30:02
聖徳太子って知ってるか?
四宮正貴は知らなかったらしい
527日本@名無史さん:2009/03/31(火) 07:44:07
聖徳太子は実在していません。
当時の日本は仏教伝来時に百済によって征服されました。
真実は、仏教勢力=百済の軍勢が日本を滅ぼし、植民地にしました。
石上神宮を守り、軍事を司る物部氏は激しく抵抗し、滅ぼされてしまいました。
滅ぼしたのは、百済に与した蘇我氏と、百済の王子であった上宮王です。
古代朝鮮から軍勢を率い、日本を滅ぼしたのです。
528日本@名無史さん:2009/03/31(火) 12:19:58
デンパ説とチョン捏造説満開だな。

529日本@名無史さん:2009/03/31(火) 15:03:54
日本の方には残酷な現実でしょうが、現に奈良県は韓国語で、
「首都」を意味します。

物部氏が自称していたナガスネヒコの子孫ですが、これは神武が
東遠したときに激しく抵抗した豪族とされています。
現在の交野市付近 

むろん神武伝説はでたらめです。ですが、時期を違えて百済が
日本を征服した証拠でしょう。

古代宗教を守護していた物部、中臣は百済の軍勢がもたらした
仏教に激しく反発し、物部は滅ぼされ、中臣も勢力を削減しました。

そして蘇我や蘇我に近い百済の王子上宮王が政治を司りました。
証拠があります。
蝦夷(えみし)はなぜ蝦夷なのか、クーデター後に本来の名称が、
馬子、蝦夷とおとされたのでしょう。しかし一部真実を物語ります。

馬子=古代朝鮮から騎馬民族が到来し、やってきた王子。

蝦夷=古代朝鮮からやってきたまつろわぬ民と
大化改新で「独立」した中大兄皇子がそれまで存在した天皇期、国記を
燃やして新規に改ざん歴史書日本書紀を「創作した」 
これが真相。
530日本@名無史さん:2009/03/31(火) 15:05:50
奈良県のnaraは韓国語で、首都を意味します。植民地の首都という意味もあります。
つまり、奈良時代とは、百済に征服されたヤマト政権の時代だったとしか考えられません。
531日本@名無史さん:2009/03/31(火) 17:40:43
蘇我入鹿は一説によると大王説もあるしかし改新でクーデター発生、蘇我大王家は滅ぼされた。
しかし蘇我入鹿は代々韓子ー高麗ー稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿と続いていることから明らかであるように
百済から来た豪族である。 そして神武東征の真実とは百済の日本植民地作戦であり、
蘇我氏は重要な役目をおっていた。 また稲目は文字通り稲作を日本に伝来した功績が
あるのであろう。組織的な稲作を日本に伝来した事績があるから、このように名がついたのではないか。

日本書紀は改竄多く特に蘇我氏においては名がいかにもおとしめられているおそらく失われた国記、天皇記
(当時大王との名称が普通であり、改新後の天武が天皇とつかったものであるから本来の名称は異なる可能性が
つよいが)が真実の歴史書であったと思われるが、蝦夷の「自殺」と蔵書の焼失という形で真実が失われた。
532日本@名無史さん:2009/03/31(火) 19:29:30
「蘇我」という氏を持ってること自体大王でなかった証拠なんだが。
533日本@名無史さん:2009/04/01(水) 02:42:44
入鹿天皇説を知らない倭人がかわいそう(本当にある)
534日本@名無史さん:2009/04/01(水) 02:47:10
ちなみに物部氏は昔から機内の豪族であり、物部氏が滅んだ後は、中臣氏が蘇我や蘇我系の皇族を
異常に憎んだ背景は単なる宗教戦争や政治の実権争いだけでなく、物部や中臣が「征服された側の豪族」であり、
「大王家や蘇我家が百済から来た征服者である事実からも明らか。
535日本@名無史さん:2009/04/01(水) 02:59:39
「なぜ」加羅諸国にあれほどこだわったのか(天武朝)考えてみよう。
理由は百済の王家の分家筋が加羅を征服し、そこで実力を養い、日本列島に
進行し、諸国を制圧したからではないだろうか。
だから、加羅はいわば大王家の発祥の地であり、いずれは百済を圧倒するための
足がかりでもあった。
またこの説を信じるなら、なぜシルラ新羅と根本的に仲が悪いかも説明できる。
そもそもヤマト王権は日向発祥では、「なぜ」真っ先にクマソを制圧できなかったのか
が説明できない。 クマソが完全に服属するのは10世紀すぎて種子島も律令体制に
組み込まれるようになってからである。
どうかんがえても日向説だと矛盾するヤマト王権が強いのは北九州から機内にかけてであった。
畿内説もおかしい越の国は雄略つまり倭王武の地であり、明らかに別の国である
おそらく倭王の大乱時に倭国の覇権をめぐり各地であらそい勝者を万世一系だとねつ造し
血縁関係があるように見せかけたものであろう。
時代はくだって我々が知るのは日本書紀の改竄疑惑をのぞけば近江朝廷を滅ぼした天武が
大王から天皇をはじめて使うようになり、姓制を下賜してからである。
蘇我氏の時代の歴史書ー国記や日本記は現存していない。
あくまで天武が覇権を確立してからの歴史観でしかみていないのである。
大友皇子が既に即位していた可能性が指摘されているように、蘇我氏が「本当に」臣下に
甘んじていたのかそれも疑わしい。
536日本@名無史さん:2009/04/01(水) 04:55:37
すっかり電波スレになっちゃった。
537日本@名無史さん:2009/04/01(水) 14:26:29
奈良は元々朝鮮語で、
「首都」という意味。
あきらかに百済王家の分家が日本に侵入し
(おそらく 倭の大乱時に九州ー瀬戸内ー機内に侵入し、当時の倭王勢力を
 滅ぼして政権を成立させたものだろう)
538日本@名無史さん:2009/04/01(水) 21:38:58
奈良は朝鮮語でウリナラ(我が国)のナラ。
下らないは百済無い。
ワッショイは朝鮮語のワッソから。

この手のものは今ではすべてこなごなに反論されている。
「万葉集」をハングルで読み解くというひところはやったデンパ説に同じ。
だいたい古代朝鮮語(三韓の言葉)がほとんどわかっていないのに、
というよりもわかっていないからこそ、
妄想捏造が乱造される。
539日本@名無史さん:2009/04/02(木) 21:16:07
         _____________________
         |
         | 東京都立松沢病院ですが何か?。
         |  _____________________
         |  / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――'          (●ヽ
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    _.,/. ( ゚Д゚ ) | :::|//  ( ゚Д゚ ) <>>525を迎え入れに来ました。
   |/,,,,,へ⊂ ヽ  .//  ,/  ノ/ ||\______________
  ,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄   =。|┃       |━━━━━...............|
  |______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,都立松沢病院,,,,,[|
 ._|]0::∴:::0::[二二il:]    ,-―-、 ,,|         |       .     [|
 |====== ;...........|  /,  ̄ヽ |~~|.        |  /,  ̄ヽ |     {|
 ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
     ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
540日本@名無史さん:2009/04/03(金) 00:06:00
>537
奈良って地名、大雑把に数えただけで、40以上あるって。
541日本@名無史さん:2009/04/03(金) 03:18:59
たとえば?
542日本@名無史さん:2009/04/03(金) 14:26:16
信仰上の聖人としての聖徳太子とそれなりに有力な皇族だった厩戸皇子を故意に混同し、前者を否定することによって後者を否定するというのは姑息。
543日本@名無史さん:2009/04/18(土) 22:20:22
なぜ日本史上の巨人という視点をスルー?
544日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:49:28
>>2

謝れィ!
545日本@名無史さん:2009/05/18(月) 00:00:53
「ナラ」は“平ら”という意味だよ
546日本@名無史さん:2009/05/18(月) 00:14:54
奈良「ナラ」の語源について
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1423745974
「奈良」は朝鮮語で
「富士」はアイヌ語か?
ttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm
“なら”と“ははそ”の語源学
ttp://blog.livedoor.jp/nara_suimeishi/archives/51133182.html
547日本@名無史さん:2009/05/18(月) 00:15:36
文藝春秋 2009年6月号
法隆寺は燃やされた ここまでわかった世界遺産    武澤秀一
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0906.htm
548日本@名無史さん:2009/05/18(月) 10:41:20
 君達は馬鹿な学者の妄説を鵜呑みにしている馬鹿だその典型が東大出の阿呆
 豚インフルエンザは疫病で、鶏・豚の怨念によって生まれたものである。馬
鹿な高校生が発病するのは、フライドチキンや焼肉をよく食うからである。神
戸市は神の神聖な場所で穢れた西洋文化が入り込み、大阪は食い倒れの卑しい
土地だから、神の戒めを受けたのである。怨念は光速度を遥かに超えて瞬間移
動する。人間の智恵で防ぎ切れるものではない。科学等糞の蓋にもならないも
のに何時まで頼っているのか。まもなくインフルエンザ禍も終息する。これは
あくまでも神の警告である。 
 神が怒れば、雷鳴となって轟き渡り、稲妻が巨木を裂く。
 息吹けば、嵐となって穢れを祓い清める。
 地団駄を踏めば、地震となって大地を裂く。
 怨めば疫病となって、その毒が人畜を損なう。
 大神の涙が彗星となって地球に現れ、流星ときらめく。
 神は弱いものの味方。その悲鳴の声を聞けば、顕正破邪の神剣を振るわない
訳にはゆかない。神は声をからして血を吐いて、人間の罪を諭しても、邪霊に
犯された曲人(まがびと)のつんぼ・めくらには感知出来ない。聖母マリアが人
間の悲惨な末路を嘆いて、血涙を流して悲しみにうち倒れている。
 曲人は顕正破邪の神剣によって魂まで焼き滅ぼされ、その苦しみにのたうち
回って消滅する。神の情けで助かった者も草木にかえられる。こうして顕正破
邪の律法が確立されたみろくの世に悪の棲家はなくなる。
549日本@名無史さん:2009/05/19(火) 12:33:24
                     ‖+|
                     ‖ ̄
                     ‖   ダレカツカマエロー!!
                        ./| ̄ ̄ ̄|    ○_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             .∧_∧ | .|: 都立 :|     (゚Д゚ )__<患者の>>548が逃げたぞ ゴルァ!!
               ( ´Д` )| .|. 松沢 :|    |  づ/  \______________
    ミミ皿皿皿皿皿._)   (_皿...|: 病院 :| 皿皿l ̄ ̄ ̄l皿皿皿_
  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
  ミミミミ彡    /,r|    r‐、い|  /  |             :|皿皿皿皿皿
  ミ彡ミミミミ   [.| | .|   {ニ }/.|/    | 田   田   田   田 :|        |
  ミミミミ巛彡.  {_} |    `‐'i"    |  .|             :|田 田 田│
  ミ彡彡ミミミ   /"ヽ-、 .|./| ̄ ̄ ̄ ̄|              |        │
  ミミミミミミ彡ミ二. |  .| ヽ .| _|    ╋:‖  | ̄ ̄|  :| ̄ ̄|  |田 .三.  /□∧ アラ >>548 サソ
  | | i.|...:;;:;; 三≡|   |λ {ll|..:|  :┌─‖  |┐ _,:|  :|   ._:|  |_三二 (゚ー゚*)    ドッタノ?
  | l i.|:;:;;;;;;;:  | | mn_ ヾ._リ_:| _ _|  ‖  |│_|  :|__|  |  . ||  (y[と)]
550日本@名無史さん:2009/05/24(日) 03:25:00
反日マルクス信徒の行状は留まるところを知らないね
551日本@名無史さん:2009/05/29(金) 18:31:33
O山の「聖徳太子と日本人」によれば、
「古事記」が推古で終わっているのは「厩戸王が登場した瞬間に幕を閉じたに等しい」
ということで、すでにここに「上宮之厩戸豊聡耳命」という異例の尊称すら存在した。

この古事記の終わり方と太子の関係は、古事記が「中断に至った事情と、将来の方向性を暗示」
しているという。ともあれ奈良朝初期の人らが歴史を顧みるとき、その存在をエポックとして
とらえていたこと意味するのだろう。

歴史を以前と以後に隔てるような偉大な人物像が、一朝一夕に形成されるはずはなく、つまり
「日本書紀」編纂はるか以前から畏敬をこめた聖徳太子像が定着していたことがわかる。
552日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:29:27
シロウトで悪いんだが、「アメタラシヒコ」の「タラシ」ってのは「アマテラス」の「テラス」と似てない?
当時の発音がどんなもんだったかは全然知らないけど、「アメタラシヒコ」ってのは個人名じゃなくて、「そっちの国の一番偉い人は誰?」みたいな質問を
意味を違って受け取って「アマテラスである」みたいに答えた、ってのは問題外?
そうなると男性名詞の「ヒコ」が意味不明になってくるけど、聞いたほうも当然男王だと思ってるから意訳して記述した、みたいな。

100%完璧な通訳とか、記述、というのがありえないなら、このくらいの「意味の誤解、誤理解」ってのはありそうなもんなんだけど。
553日本@名無史さん:2009/05/29(金) 20:40:17
そもそもなんで隋書にわざわざ「男王」って書かれてたんだ?
女王なんてまず滅多にいないだろうに。
554日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:04:30
厩戸皇子が「総摂万機、行天皇事」していたから。
555日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:58:13
向こうの情報を100%信じるのがそもそも間違い。
「明史日本伝」などは、秀吉が関白を僭称したと書いたり、
光秀が二人に別れたり、かなり出鱈目。
なにか別の時代の資料を参照して書かれた可能性が高い。
556日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:40:02
>>555
向こうの資料たっていろいろあるんだから、その資料ごとに信憑性は考えるべきじゃないの?
一つの例を拡大解釈したり普遍化したりするのは2ちゃんの常なんだけど。
557日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:06:50
だから言ってるだろう。
聖徳太子は天皇で、後日本書紀を編纂する時点で都合が悪いから皇太子にされたんだって。
白村江の戦いに負けて敗戦国になった倭にとって、煬帝をへこました太子は、とっても都合が悪かったんだよ。
だから格下げされた。皇太子は国家の代表じゃないからね。
558日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:15:36
連スレスマン
何でこんな簡単なことが分からんのだ。だから大山みたいなバカがのさばるんだ。
大体、大山の言うように、草壁の先駆者として聖徳太子が創作されたのなら、
草壁には、子孫絶滅という呪がかけられることになるじゃないか。
聖武や光明子がそんなことするわけ無いだろうが。
559日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:33:56
田原「聖徳太子が何言ったかって」
4様「何言ったんですか?」
田原「聖徳太子」
4様「えぇ」
田原「知らない?」
『ウフフ』(周囲が笑う)
4様「だから何言ったんですか?」
田原「聖徳太子知ってるかって」
4様「知ってます」(4様顔がひきつる)
田原「知ってますね」
4様「えぇ、えぇ……あたりまえでしょそんなこと!」(4様激怒)(豚激怒)
『アハッ!』(女性司会者思わず吹く)
560日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:09:23
聖徳太子の弟子の歌ってなんだっけ?

守るも攻めるもお金が無ければラリルレラリルレランランラン♪
聖徳太子様♪
一度や二度の遊びなら・・・・♪

金は天下の廻り者まわりもの♪
561日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:01:01
で、推古天皇が天皇になって、聖徳太子が天皇にならなかった理由は?
562日本@名無史さん:2009/06/16(火) 19:26:55
そりゃ太子のが先に死んだから。
563日本@名無史さん:2009/06/24(水) 02:05:24
太子は天皇になれなかった。
理由は、太子の腹違いの兄、田目皇子と、太子の実の母、間人皇后が通じてしまい、子供が産まれたから。つまり、お母さんが太子のお父さん用明天皇の息子とやっちゃったから。
スキャンダラスなお母さんをもってしまったために、天皇になることができなかった。直接の原因ではないにしろ、当時としてもタブーだったんだろうね。
564日本@名無史さん:2009/06/24(水) 02:10:58
と、梅原猛・著の聖徳太子4に書いてあった。読了あれ。
565日本@名無史さん:2009/06/24(水) 02:20:30
聖徳太子はいなかったなどと言っている方達は、キリストやブッダはいなかった。と言っているのと同じです。日本人として恥ずべき事です。
566日本@名無史さん:2009/06/28(日) 13:30:05
東照大権現も豊国大明神も第六天魔王も存在しなかったと言うことかな。
567日本@名無史さん:2009/06/30(火) 19:23:33
聖徳太子の未来記と未然記ゲットしますた。

未来記は「聖徳太子の日本が沈む日 秘書未来記の真相」
という本に国会図書館の蔵書の「聖徳太子日本国未来記」の全ページ分の写真と活字で全文が
未然記は「続神道大系 論説編 先代旧事本記大成経4」
に活字で「未然本記」全文がありますた。
568日本@名無史さん:2009/07/11(土) 19:46:05
>>557
その通り
播磨国風土記にも聖徳大王って書いてるもんね
569日本@名無史さん:2009/07/12(日) 12:03:05
>>517
蘇我氏は新羅系で百済系ではないだろ
それともモクマンチが蘇我満智説か

>>504
アメタラシヒコは用明と新唐書に書いてある
これ以上の証拠はないだ
570馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/07/12(日) 13:32:21
 聖徳太子の未来記
 その時、魔王波旬は仏法によって釈迦の仏法を破り、日本を乗っ取って鬼の
国にしようと願う。故に3人の眷属を使う。邪法を授けて日本の衆生を惑わし、
三悪道に落さんと欲する。
 親鸞法師、阿弥陀仏の念仏を唱えさせ、戒律を守らず、女犯を許し、斎食を
行わずして肉味を喰らう。法を破って肉食する事が戦争が起きる因縁(怨霊が恨
みを晴らす)であり、亡国の基である。日本の末世には六天の魔王が猛威を振る
い。日本人の悲劇を見て外国人が喜ぶ。畜生顔の人が物を言う。夜半に太陽が
出る。地獄の苦しみに耐えて誠を尽さねば罪を償えない。早く改心する者程楽
になるぞよ。
 人の先祖は神であり、生物は神魂の宿った同類である。この様な教の神道が
あるのになぜ仏教が普及したのか。外国に侵略され、仏教の邪法と煩悩に迷わ
されのである。
 乙巳の変は三韓の献貢の日に、倉山田麻呂、犬養連勝麻呂と佐伯連子麻呂が
天皇の御前へ進み、子麻呂は将書を読もうとしたが、汗が出て体が震えて出来
なかった。入鹿がなぜ震えているかと問い。天皇の近くで恐縮し、入鹿の威厳
に恐れたと言った。その時中大兄皇子が飛び出て、入鹿を斬殺した。子麻呂ら
3人は三韓の使者であり、将書は天皇に渡す物である。入鹿大臣が同席する必
要なし。子麻呂は天皇殺しが恐ろしかったのだ。子麻呂と中大兄(百済豊璋)は
仲間で、鎌足(新羅武列)も然り。
 年号は天皇名と一致する筈だが、変後に九州年号が使われたのは天皇暗殺の
証拠。
 2・26事件は百姓一揆である。景気悪化のしわ寄せを米価引き下げによる農民
苛めによって消費者を助けて凌ごうとしたのである。昭和天皇は弱者を見殺し
にする冷血漢である。
 天皇はアメリカとの密約で原爆投下まで降伏するなと命令されていた。朝鮮
人の天皇は日本人が幾ら死のうが平気なのである。本当なら自決する筈である。
571日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:57:15
熱中症には気を付けろよ。
572日本@名無史さん:2009/07/13(月) 10:36:31

                     ‖+|
                     ‖ ̄
                     ‖   ダレカツカマエロー!!
                        ./| ̄ ̄ ̄|    ○_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             .∧_∧ | .|: 都立 :|     (゚Д゚ )__<患者の>>570が逃げたぞ ゴルァ!!
               ( ´Д` )| .|. 松沢 :|    |  づ/  \______________
    ミミ皿皿皿皿皿._)   (_皿...|: 病院 :| 皿皿l ̄ ̄ ̄l皿皿皿_
  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
  ミミミミ彡    /,r|    r‐、い|  /  |             :|皿皿皿皿皿
  ミ彡ミミミミ   [.| | .|   {ニ }/.|/    | 田   田   田   田 :|        |
  ミミミミ巛彡.  {_} |    `‐'i"    |  .|             :|田 田 田│
  ミ彡彡ミミミ   /"ヽ-、 .|./| ̄ ̄ ̄ ̄|              |        │
  ミミミミミミ彡ミ二. |  .| ヽ .| _|    ╋:‖  | ̄ ̄|  :| ̄ ̄|  |田 .三.  /□∧ アラ >>570 サソ
  | | i.|...:;;:;; 三≡|   |λ {ll|..:|  :┌─‖  |┐ _,:|  :|   ._:|  |_三二 (゚ー゚*)    ドッタノ?
  | l i.|:;:;;;;;;;:  | | mn_ ヾ._リ_:| _ _|  ‖  |│_|  :|__|  |  . ||  (y[と)]
573日本@名無史さん:2009/07/19(日) 05:40:03
聖徳太子は後に付けられた名前でしょ?
居なかったと確定される証拠もないのに
なんで名前が消されたの?
だったら明治天皇も昭和天皇も昭和天皇って名前をつけるのも
間違いだよね?
574日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:37:52 BE:1722548148-2BP(0)

多分ヒロヒトと呼び捨てにしたいんだろうね
575日本@名無史さん:2009/07/23(木) 19:40:55
みんなレベルたかすぎワロタ

質問。

聖徳太子が実在して、推古天皇に蘇我馬子と共に他の人たちよりも一目置かれて
仕えていたと過程した場合、聖徳太子と蘇我馬子ってどんな関係にあったんですか?

推古天皇は上の方みている限りなかなか聡明な方で馬子の姪っていったって
やっぱり天皇だから、敬いつつも蘇我氏と距離をおいていたって印象があるんだけど
太子の場合幼少のころは仏教関連でかなり蘇我氏とべったりじゃん?
よく天皇家は聖徳太子以降蘇我氏と乖離しはじめたたって言われてるけど(根拠不明)
そう考えると実際太子と馬子の間柄がどうも見えてこない。
三人仲良くまつりごと!だろうが推古朝から敏達(の血統≠推古)派とか蘇我(用明)派とかあったのかな。

あと、厩戸王や蘇我氏についての良い本があったら教えてください。
隠された十字架とか読んでて目が回りました
576日本@名無史さん:2009/07/24(金) 10:17:31
そもそも聖徳太子も蘇我一族、馬子の娘と結婚してるし義理のお父さん。
推古天皇は最初天皇になるのは女性だからということで断ってたんだけど
馬子がじぶんの操り人形として扱えるからという考えがあったらしい。
推古天皇はそれがわかってたからおいの聖徳太子を絡ませることによって
馬子に操られるのを牽制した部分があるらしい
577日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:16:23
アメタリシ
578日本@名無史さん:2009/07/26(日) 19:25:03
>542
そうなんだよね。
「聖徳太子の誕生」って糞本が出てから、ずっとトンデモ本と言い続けているんだけど、
なかなか理解してもらえない。
579馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/07/29(水) 11:39:16
 地球が自転しているモデルとして飛行機で思考実験してみる。地球の自転に
合わせる為に飛行機を時速1400qで東方向へ飛行させ、その中でラジコンヘリ
をホバーリングさせておく。そこから、急にヘリコプターを時速50qで西方向
へ飛ばす。すると、ヘリコプターは慣性の法則によって大きな横Gを受ける。
しかし、地上でヘリコプターを飛ばしても横Gはかからない。つまり、地球は
自転していない。地球の公転による、地球から見た恒星の年周視差はない。だ
から、地球は公転していない。それを誤魔化す為に、年周視差が微小であると
言うのは、地球から恒星までの距離がかけ離れていると嘘を言っているのだ。
 ヘリコプターが時速50qで西方向へ飛ぶ時に、その機体はローレンツ収縮に
よって西方向へ縮む。すると、機体の後方から飛行機までの空間は伸びるのだ
ろうか。飛行機内が真空であるなら、何も存在しない真空の空間が伸び縮みす
る筈がない。ヘリコプターを構成している原子が飛ぶ事によって振動数が減っ
て時計が遅れても、その移動距離は時間と共に増えるのだから時間が遅れた事
にならない。
 我々が体感出来るのは物質の静止質量であり、物質の運動速度の増加によっ
て増える慣性質量は、エーテルの歪みによって生ずる見かけ上のものである。
相対性理論は大嘘である。
 核分裂は1個の原子が2個に分裂し、核融合は2個の原子が1個に融合する。ま
るで逆の反応なのに両者とも核エネルギーがとり出せるのはなぜか。放射性物
質は自然に核分裂する。素粒子が自然にエネルギーに変換される筈がない。核
力は急激なエーテル圧の変動によって起きるエーテル圧平均力である。
 電子銃を二つのスリットに向けて撃つと縞模様の回析像が出来るのは、空間
に充満しているエーテルと電子が干渉し合うからであり、電子は粒子であって
波ではない。量子力学の確率の波と言う概念は大嘘である。
 光の速度は無限である。霊体が光となって具現し、霊体はエーテルの束縛を
受けないからである。絶対時空に充満しているエーテルが慣性力等の力を生み
出している。光速度Cはエーテル波の速度である。
 科学はなぜと言う疑問に答えられないのは嘘だからである。なぜと言う疑問
に答えられるのが真理である。
580日本@名無史さん:2009/07/29(水) 20:46:22
水素原子を「核分裂」させるのが水爆なんだよって言う話を思い出した。
581馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/03(月) 12:12:12
 メーソンの日本人皆殺しがいよいよ始まる。今年の様な冷夏が3年は続くか
ら、日本は米の備蓄が無くなって、悪魔の思惑通りの兵糧攻めとなって、餓死
者が激増する。後は世界が一つになって、日本を取りに来る。北朝鮮、中国、
ロシアが攻め込み、最後は総大将のアメリカの餌食となる。それまでに改心し
て置かないと、魂まで救い様がないぞよ。悪魔の宗教や偽科学の洗脳から抜け
出す事が大事であるぞよ。
 科学は実現象を説明出来ていない。
 地震の発生機構(火龍、マグマと顕現する)、自然治癒力(神霊力)、生命の発
生(天神と地祇の働きによって物に魂が宿り、人となる)、動物の帰巣本能、地
震予知(霊能力)、根源の素粒子(エーテル、素粒子論では素粒子同志を結合させ
ている物が素粒子と言うのでは限りが無くなって、すでに破綻している)、空か
ら降る魚(龍が竜巻を起こす時にくっ付いた物)、悪水からボウフラが、雑草か
らバッタが湧く(悪の言霊力)が説明不可能。
 UFOの反重力、反慣性力飛行の原理が説明出来ないから、UFOの存在を
否定するしかない。
 超能力(透視、テレパシー、念力、予知、化身等)の原理が分からないから、
これも否定。
 ミステリーサークルは小型UFOが作っているのに人が作っていると誤魔化
している。
 神の奇跡(聖母マリアの血涙、モーゼの海割り)、神隠し、神がかり、人魂、
幽霊、心霊現象、幽体離脱、虫の知らせ、こっくりさん、金縛り、狐憑き、狐
狸の化かし、妖怪、キルリアン写真、ポルダーガイスト、ドッペルゲンガー等
も説明出来ない。
582日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:54:50


                     ‖+|
                     ‖ ̄
                     ‖   ハヤクツカマエロー!!
                        ./| ̄ ̄ ̄|    ○_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             .∧_∧ | .|: 都立 :|     (゚Д゚ )__<患者の>>570>>581が逃げたぞ ゴルァ!!
               ( ´Д` )| .|. 松沢 :|    |  づ/  \______________
    ミミ皿皿皿皿皿._)   (_皿...|: 病院 :| 皿皿l ̄ ̄ ̄l皿皿皿_
  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
  ミミミミ彡    /,r|    r‐、い|  /  |             :|皿皿皿皿皿
  ミ彡ミミミミ   [.| | .|   {ニ }/.|/    | 田   田   田   田 :|        |
  ミミミミ巛彡.  {_} |    `‐'i"    |  .|             :|田 田 田│
  ミ彡彡ミミミ   /"ヽ-、 .|./| ̄ ̄ ̄ ̄|              |        │
  ミミミミミミ彡ミ二. |  .| ヽ .| _|    ╋:‖  | ̄ ̄|  :| ̄ ̄|  |田 .三.  /□∧ アラ >>581 サソ
  | | i.|...:;;:;; 三≡|   |λ {ll|..:|  :┌─‖  |┐ _,:|  :|   ._:|  |_三二 (゚ー゚*)    ドッタノ?
  | l i.|:;:;;;;;;;:  | | mn_ ヾ._リ_:| _ _|  ‖  |│_|  :|__|  |  . ||  (y[と)]
583日本@名無史さん:2009/08/04(火) 23:06:59
>533
入鹿天皇説を知らない倭人がかわいそう(本当にある)

でも入鹿が天皇だったとしたら、従兄弟?の石川麻呂が蘇我氏をそのまま名乗って大臣でいたのも妙ジャン。
もっとも石川麻呂って名もへん。蘇我氏の本拠が石川だから、蘇我の男って普通名詞のように思えるし・・・
584日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:00:03
わをもってとうとしとなす。さからうことなきをむねとせよ。



聖徳太子←学校創設者
585馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/10(月) 11:48:50
 高周波、高圧電圧をかけたテスラコイル回路によるハチソン効果(反重力)は
エーテル波の歪みを利用したものである。
 フィアデルフィアの実験では、駆逐艦をプラズマで幽閉すると瞬間移動し、甲
板と船員の体とが融合すると言う奇怪現象が起きた。駆逐艦が瞬間移動する事
が出来たのはエーテルの束縛を離れたからである。甲板の鉄と人間の体が融合
したのは、原子結合力もエーテル力に依存しており、エーテル力がかからない
場合は素粒子がばらばらとなっており、エーテル力がかかると霊体の型通りに
原子が再結合される。何らかの支障があって、鉄の原子と体の原子が混合して
しまったのである。
 この二つの事例から、重力はエーテル(神の気)によって生じ、原子内の素粒
子を結合させている力もエーテル力である事が証明された。
 本物の宗教は釈迦、キリスト等の教祖が開いたもので、今の宗教はどれも悪
魔が改悪したものである。
 今の科学は神の道から外れた魔道を行くもので滅びる運命である。
 学問、経済、政治、道徳も何もかもが魔道に落ちて、正しい物は一つもない。
経済は正業である昔ながらの米作り農業を食い物にしている弱肉強食経済であ
る。弱者が滅べば強者も滅びるのが理の当然である。
 まさしく、末法の世である。だから、正神が世を立て替えるのである。早く
改心して、鬼退治される鬼から神人とならねば日本人として生まれて来た甲斐
がない。畜生以下では人として恥かしいのである。
586日本@名無史さん:2009/08/11(火) 22:00:25
>575
隠された十字架とか読んでて目が回りました

そりゃ気の毒。最初にあたった本が悪かったですね。
梅原史学は10年後には消えているでしょ。
587日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:06:35
竹下登元首相はバブル期に聖徳太子五万円札発行を検討していた。

竹下登元首相は早大卒だが壱万円券を諭吉にしようと提案したのは、当時の竹下登蔵相、当時の小泉純一郎大蔵政務次官(副大臣)である。

塩川正十郎元財務相(元蔵相)は聖徳太子のお札復活はないと発言した。壱万円券は経済人か首相経験者が候補にあがっていたが、工芸官(技術者)の技能不足、家電や金融業界を配慮して諭吉続投になった。
588馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/16(日) 14:03:07
 日本の米が高いと言う洗脳
 岐阜県の銘柄米初霜の店頭価格は1俵が18000円で、1合当り45円(1俵は400合)
となる。1合は御飯茶碗2杯分。それに比べて、パン1斤(6枚切)は180円で2枚で
60円である。米が腹持ちがよいのは、米は夏の太陽エネルギーを得ており、裏
作の小麦に比べて、栄養とパワーの上で格段に勝っているからである。なぜ、
外国産の米が安いのか。中国は人海戦術で作っており、アメリカは国が農家に
補助金を出しているからである。
 日本の農家の現状を説明すると、兼業農家の1戸当りの米の作付け面積は約5
反である。米作りに必要な機械がトラクター=200万円、コンバイン=200万円、
田植機=60万円、軽トラ=60万円で、耐用年数10年として1年当りの経費は52万円
となる。米の収入は、初霜(16000)が1反当り7俵の収量として56万円となる。農
薬、肥料等の雑費も足して差し引くと大赤字である。百姓は他者に食い物にさ
れ、苦労損しているだけである。大型の機械を導入して合理化しても、その借
金の返済の穴埋めで米作りでは生計が成り立たない。
 百姓を殺しているのがアメリカ主導の農業政策である。減反政策によって農
家の収入を減らし、ウルグアイラウンドで、国産に匹敵する量の米の輸入を義
務付けられて米価を引き下げられている。日本人の米離れを画策したのはGHQで
ある。「米を食うと馬鹿になる。中気となる。小麦を食べると利口になる。」と
洗脳した。日本人を身体的、精神的に弱体化させる施策が行われた。中でも効
果があったのは、女権の強化である。男の言う事を聞かない自立出来る女が米
食を放棄し、日本の道徳を破っていった。それによって、男権の弱化と日本人
の堕落が始まった。こうして、日本人は人情をわきまえないエゴイズムの金の
亡者となり、正義や誠実が疎外され、悪や不実が歓迎される世の劣等民族に落
ちた。そこには、悪魔の洗脳(科学等)を見破る知性の欠けた1億総白痴がうご
めき、悪の世を改める勇気を持たない士の亡霊がたたずんでいる。
 今は不況なのではなくて、人の生き血を吸っていた、世の中の不必要なもの
が淘汰されて行くのである。動物達の悲鳴を無視し、神を無き者にして贅沢を
享受している鬼に天罰が下る。
589馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/16(日) 14:06:04
 日本が侵略国家と言う洗脳
 満州事変は天皇が命令したのである。作戦は石原莞爾が担当した。関東軍の
独走として、天皇が関知していないと言う統帥権侵害で河本大作大佐が軍法会
議にかけられそうになった。河本はそれなら本当の事を公にして話すと開き直
った。西園寺公望は事をうやむやにする様指示した。河本は軽い処分となった。
田中義一総理はその為に責任を取らされて、辞職した。ここに、田中上奏文と
言う物がある。世界を制する為には中国を制する。満州進出は中原の鹿を追う
足掛かりと言うのである。日本の様な弱小国が世界制覇など出来る筈がない。
メーソンによる、日本を侵略者に仕立てて葬ると言う陰謀である。大正天皇は
英国からガーター勲章を貰っている。天皇家とメーソンは結び付いていた。
 日本は前門の虎・欧米列強と後門の狼・ロシアに包囲されていた。その中で
同じアジアの中国と支那事変を起こす事は自殺行為である。アメリカはパイロ
ットが戦争に参加していた。日本は真珠湾攻撃で手を出す前に、ビンタを張ら
れ、石油禁輸の制裁を受けて追い詰められていた。ここでアメリカに屈すれば、
間違いなく殖民地にされ奴隷になっていたのである。論より証拠、戦争に負け
た為にアメリカの言いなりになって、バブル崩壊、今回の金融危機と詐欺に遭
って、国益をアメリカに掠め取られたのである。
 日本の天皇が世界を統治する様に天の規則が定まったにもかかわらず、朝鮮
人が聖徳天皇を暗殺して、天皇にすり替わり、日本人を騙して日本人の滅亡に
暗躍している。メーソンよる日本を悪者に仕立てて葬る陰謀は完成している。
 日航機御巣鷹山墜落事故は、バブル崩壊の原因のプラザ合意に、日本を従わ
せる為のアメリカの恫喝であった。福知山線脱線事故は、金融危機を作った証
券投資信託が普及する切っ掛けとなった、郵政民営化を日本に認めさせる見せ
しめだったのである。正しく日本人はアメリカの生け贄にされているのである。
590日本@名無史さん:2009/08/16(日) 15:51:13
「統帥権の独立」を主張して、軍部の独走を許したのは鳩山の爺さんだろ!
アメリカは世界不況でニュー・ディールに失敗。不況克服の為には戦争しかない。しかし「モンロー主義」の建て前上、戦争出来ない。
如何に日本からの宣戦布告させる事できるか!ルーズベルトとハルが考えた事は?



591日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:31:57 BE:2637650977-2BP(1549)

いい加減にしろ
592日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:03:25
>>587-590の主治医です。
この度、このような騒ぎをおこすに至ったことは、
主治医として、大変残念な事であり、また、治療の効果が
まだまだ現れていないことを証明しているため、そろそろ
最終的な決断を下す必要があるようです。
みなさんお聞きになったことがあるかもしれませんが、
必ずしも心の病は、特殊な病気ではなく、誰もがそうなる
可能性があります。しかし、だからといって、これ以上、
>>590を放置することは、例えば何の関係もない人を傷つけたり、
逆に>>590自身の将来にとり、必ずしも良いことではありません。 
そこで、私は、>>590の両親、臨床心理士などとも相談して、
>>590をしばらくの間、ネットの出来る環境から離して、
濃密な人間関係の中で治療をすることにしました。
>>590にとっては、納得がいかないことかもしれませんが、私も、
医師免許をかけて、>>590を徹底して治すことに致しました。
どうかみなさん!>>590が戻ってきましたら、このような人を悲しませる
スレではなく、みんなに感動を届ける以上の人間になっていると思いますので、
暖かく見守ってやってください。
593日本@名無史さん:2009/08/17(月) 08:22:28
>>590の大学の就職課の鈴木です。

このたびは、我が校の学生がこのような騒ぎをおこしてしまい、誠に申し訳ございません。我が校の優秀な学生達の大半が超一流大手企業に続々と内定し、5月上旬までに就職活動を終えている中、
就職活動も終盤にさしかかった6月のはじめに>>590がこの就職課へと相談にやってきました。>>590の話を聞くと、就職留年をし、去年の12月から就職活動を始めたにも関わらず、
未だに一次面接すら突破したことがないということなのです。そこで私は、求人票の中からどこでもいいから企業を選ぶように>>590に薦め、
結果つい昨日>>590はとある企業に内定したことを満面の笑みを浮かべ、私のもとに報告をしに来ました。そして、私がその内定先の名前を尋ねると、>>590は嬉しそうに・・・。


「先生!楽天に内定しました!誰でも知ってる東証1部上場企業ですよ!

僕でもやればできるんですね!これで友達に馬鹿にされずに済みます!」


・・・と自慢げに語ったのです。私はなんともいたたまれない気持ちでした。ところが、今日になって青ざめた顔をした>>590が就職課にやって来ました。
そして就職課にある端末の前に座り、もの凄い形相でキーボードをタイプしているのです。不審に思った私がこっそりとその端末の画面を覗くと…。
>>590が「死ね死ね死ね死ねみんな死んでしまえ…」とつぶやきながら、このスレで連投して荒らしていたのです。ですが、みなさん、どうかこんな>>590を許してやってください。
このような状況になってしまった原因は>>590だけにあるのではないと思います。>>590をこんな人間にしてしまった、日本の教育制度、就職氷河期が悪いのです。
594日本@名無史さん:2009/08/18(火) 17:35:35
>586
だったら誰を信じる?
595586:2009/08/19(水) 23:30:43
誰を信じる?じゃない。自分で原典読んで、自分の頭で考えてみようよ。
日本史家は、イデオロギーのフィルター通してしか見ないからね。直接原典読むと、えって思うことは多い。

ところで、隠された十字架、実際に読んだ? 
こういうように思える、こういうイメージがある。そればっか。途中で秋田わ。
596馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/20(木) 11:31:26
>>592-593
 こいつはメーソンの回し者で、歴史の真実を曲げ、真実の者を気違いに仕立
てて抹殺しようとしているのだ。歴史の真実を証拠立てて述べているのに、何
の根拠もなしにただ否定する馬鹿である。いくら否定しようとしても真実は揺
るがないのである。
597日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:31:58
>隠された十字架、実際に読んだ?
オレは読んだけど。

>こういうように思える、こういうイメージがある。そればっか。
飛鳥時代の文献は極端に少ないので(まあ、それ以前もだが)、事実や諸文献を
推論で埋めていくのは仕方のないこと。この時代を対象とした古代史に関しては
梅原に限らず皆そうしている。
598馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/20(木) 14:37:06
 欧米人は人道的な淑女紳士であると言う洗脳
 欧米人の祖先は狩猟で食糧を得ていた肉食獣であり、今でも人間に近い牛や
豚を屠殺して食っている。日本人の祖先は穀物の栽培で食糧を得ていた。飢餓
の時に魚食を許された。魚食を許されたのは、神が悪魔を魚貝類に変えたのだ
から、悪魔を殺す事は罪が軽いからである。今の人間はこれを拡大解釈してい
るが、殺生は罪深いのである。殺生する事が出来るのは神だけの特権である。
 世の中にはへそ曲がりがいて、植物も生物だから、これを食べる事も殺生で
あると言う。しかし、食べる時には植物は寿命になっており、痛みもない。動
物の命の糧になって世の中の役に立っている。
 キリストは乞食の様な生活を送って、他者からの搾取を戒められた。税金徴
収人を憎んだのもその理由からである。欧米人はその教えに背いて、黒人等を
征服し、奴隷として使い、動物達の棲家であるジャングルを開発して、金儲け
を企み、金、銀、財宝を手に入れた。そこには動物達の屍が残った。
 人間の文明の利器を生み出す為には、どのくらい害毒を撒き散らしているか
分からない。その実例が原子力発電所の放射能廃棄物である。
 欧米人は金儲けの為には、戦争を起こして、人を大量虐殺し、人をペテンに
かけて金品を強奪している。まさに鬼畜米英とは本質を捉えた言葉である。鬼
畜米英は日本を侵略者に仕立てて、罠にはめて、戦争に引きずり込んだ。日本
兵の捕虜を虐殺し、女、子供まで狙って、機銃掃射した。日本の家は木で出来
ているから、爆弾よりも焼夷弾の方が効果が上がると言って、焼夷弾を使った。
広島、長崎の原爆は朝の外出時間を狙った。日本人皆殺しを企んだのである。
歴史は繰り返される。
 アメリカは日本軍の玉砕、神風攻撃を恐れた。だから、日本人を懐柔する為
に、女、子供を親切にし、食糧等支援した。ユニセフ等人道支援は、悪魔が天
使の仮面を被って行う、偽善行為である。同じく、社会保障も偽善である。生
活保護は人の生血を吸っているのである。母子手当、健康保険も然り。
599馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/20(木) 14:41:02
 雷は高い物に落ちるのではなくて、電気抵抗の低い方向へ落ちる。真空より
も高い物体の方が電気抵抗が低い。なぜ、雷は真空中を、電気抵抗が低い所が
探知出来るのだろうか。これをアインシュタイン式に、時空が曲がっていると
仮定すると、電気によって時空が曲がり、物体の周辺の時空が曲がる事になる。
電気があってもなくても時空が曲がる事になり、この仮説は誤りである。静電
気でホースの水の流れが曲がるのを見れば、電気が関係している様である。
 考え方を変えて、物体の周辺にエーテルがうごめき、それが重力と働く。静
電気がエーテル圧の高低の空間を作り出しているのであれば、物質はエーテル
圧の低い方向へ動く。すると、最初の疑問の答えは、雷はエーテル圧の低い、
電気抵抗の低い方向へ落ちて行くと解明出来る。
 なぜ、磁石人間は鉄のフォークでも岩石でも体にくっ付けてしまうのか。気に
よってエーテルを体中へ循環させているのである。
 話に聞いた事だが、母親を背負って歩いていて、急に重たくなったと思った
ら、息が絶えていたと言うのである。生きている時には、気によってオーラが
放射されて、重力が軽減されているが、死ぬと気が絶えて重くなる。
 フランスのケンブラン博士は石灰岩のない花崗岩地帯のブールターニュで、
ニワトリがよく雲母を食べているのを観察し、カルシウム分がないのにニワト
リが石灰質の殻の卵を産むのはなぜだろうかと疑問に思って研究した。ニワト
リが雲母の中のカリウムを体内でカルシウムに変換しているのでないかと気が
つき、実験を行ったらその通りであった。
 原子変換を身近な例で証明しよう。私達の髪の毛は1日に1o伸びています。
重さが約0.1rです。蛋白質を構成している元素に窒素があります。仮に全て窒
素で出来ているとして計算すると、窒素の原子量(6×10^23個)は14gだから、髪
の毛に含まれている窒素原子の数を計算するには次の計算式のxを求めればよい。
  1:140000=x:6×10^23
 Xを求めると、1個の毛髪細胞は、1日に4.3×10^18個の窒素原子の化学合成を
行っている事になります。1秒間では5×10^15個の化学合成を行っている事にな
り、これは普通の化学合成の速度ではありません。原子の核分裂の速度です。

600日本@名無史さん:2009/08/20(木) 21:57:46

      ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
     < きゃ〜っ!!!先生〜っ!!大変です!!          >
     < また>>590が逃げて、何処かに迷惑かけてます!!      >
     <                                      >
       ̄|/∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
      | ̄ ̄ ̄|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 口口 都立松沢病院口口.  |
| 口口   ___   口口. |
| 口口口 |  |  | ..口口口..|

601日本@名無史さん:2009/08/21(金) 00:14:04
>597
程度問題だよ。
602馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/23(日) 15:11:22
 正直者の頭に神が宿る、知能障害者のサヴァン症候群は神の霊能。神の存在
が分からずにそれを鈍くさい理論で紛らす、阿呆のノーベル賞科学者
 天海(明智光秀)の予言
 かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が
統べった 後の正面誰れ
 閉じ込められて罪を着せられた太陽神は、いつ出て来るのか。岩戸開きの前
に日本とユダヤが手を結ぶ。心の鬼を退治しなさい。
 通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ 一寸通し
て下しゃんせ 御用の無い者通しゃせぬ この子の七つの御祝いに 御札を納め
に参ります 行きはよいよい 帰りは恐い 恐いながらも通りゃんせ通りゃんせ
 通りなさい。ここは極楽浄土への細道です。改心出来ていない者は通しません。
極楽へ行けます様、神に命を捧げます。恐い目に遭っても耐える事が出来るな
ら通りなさい。
 今より250年経つと、世の様子が変わり、悪魔の法が盛んになって、空を飛ぶ
人、地を潜る人が現れる。風雨を呼び、雷、稲妻を起こす者も出る。死人を生
き返らせる術を使う。人の心悪くなって恐ろしき世相を見る。
 妻は夫の言う事を聞かず、男は長髪、軟弱で戦争の役には立たない。女は短
髪で化粧して卑猥な服を着て、不倫に走り、家庭を守らない。
 西洋思想を真似て、忠、孝、礼、仁、義も廃れる。
 天変地異の災難が起こって、人民の半数が滅び、外国の軍隊が攻めて来る。
 この時、弥勒菩薩が現れ、人民を悔い改めさせて世を救う。それまでの百年
間苦難が続く。(をのこ草紙)
 草津(2002~5) 貧乏人が生活苦で重税に喘ぎ、金持が特権で潤う(小泉の構造
改革の弊害)。
 大津(2006~9) 井戸から水が溢れ(洪水)。それに取り付く、日章旗(戦争)の
衣の子供(北朝鮮のミサイル)。牛が米俵の荷台を引く、家の松が地を這う(冷夏
による米の不作)。2頭目からの牛が黒い米俵を引く('9年からの大飢饉)。
 京都(2010~13) 三条大橋の中央に重い荷を担いだ人足が居て、そこへ大名行
列が来る(国家破産)。それを見物する京女(世の終に浮れる輩)。橋の下を見詰
る人(自殺者)。有りもしない赤い山(戦争勃発、富士山噴火)。(安藤広重の東海道53次)
603日本@名無史さん:2009/08/24(月) 21:57:29
厩戸王で遣隋使派遣以降はこれといって目立った事してないけど何してたんだろうね
いや相変わらず仏教には深く帰依してたんだろうけど

馬子と陛下にはぶられたとか体調崩したとか政界から引退したとか色々な意見
あるみたいだけど単純な推測としてどう思う?
604日本@名無史さん:2009/08/24(月) 22:05:17 BE:430637524-2BP(1551)

歴史書の編纂してるじゃん
605日本@名無史さん:2009/08/25(火) 10:33:02
法隆寺とかたててるじゃん
606日本@名無史さん:2009/08/25(火) 19:12:20
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607日本@名無史さん:2009/08/25(火) 22:58:07
>603
今ごろ何を・・・
法律の制定(17条憲法)、官僚機構の整備(冠位12階)、仏教の国教化、副都心の整備(斑鳩宮)
つまり、それから数世紀の間、この国の国是であった、律令国家体制構築の嚆矢ジャマイカ。
それ以後、狂ったようにこの国はその方針に邁進したんだ。
608日本@名無史さん:2009/08/28(金) 15:32:25
 民主党政権による地獄への道
 自民党は自由を、民主党は平等を標榜するもので、どちらもメーソンで、双
頭戦略である。自由であれば平等にならず、平等にすれば自由は束縛を受ける。
自由と平等はお互いに矛盾するもので、これが為に国は壊血病で滅びる。
 民主党は左翼である。平等を旗印に、外国人に参政権を与えると、外国人が
多数派になって政治が乗っ取られてしまう。愛国精神のない外国人は利権だけ
吸って、嫌になったら勝ち逃げする。
 選択性夫婦別姓を認めると、家族のつながりが希薄になって、親権問題等争
いの種となり、家庭崩壊を助長する。
 元慰安婦の補償を行い。日本は留まりのない戦争賠償をさせられ国貨を失う。
鳩山由紀夫の友愛外交は相手の良い様にたかられるだけである。
 米国との自由貿易協定締結は相手の利益ばかりで、農家を潰す。新テロ特措
法の給油活動の停止、集団的自衛権行使の抑制は日米安保に亀裂を生じさせ、
駐留米軍の削減を招いて、外国の軍隊の侵攻を許す事になる。
 靖国神社に替わる国立追悼施設の建設は日本人の魂の喪失となる。
 日教組の自虐歴史の洗脳、男女同権推進は、日本男子を精神的自殺に追い込
む悪の企みである。
 国民へのばらまきのつけは取り返しのつかないものとなる。
 安倍、福田首相はメーソンの恫喝によって辞めらせられ、松岡農相を暗殺し
たのもメーソンである。米国との自由貿易協定締結を催促し、日本農業の壊滅
の支障を消したのである。
 年金納付の改竄、公務員の裏金の表面化、金融危機等で、自民党政権の失政
を印象付けさせて、民主党の政権交代に、国民の期待を持たせる様に世論誘導
したのである。メーソンが国民の衆愚を世論によって操っているのである。裁
判員制度も同じ手段である。
 メーソンは携帯電話の盗聴、防犯カメラによる監視、ETCのGPSによる
所在の把握、ICチップによって、個人情報を収集し、コンピューターによっ
て住其コードに集約して、国民監視制度を完成させた。悪魔の刻印「666」を
受けていない者を抹殺しようとしているのである。
609馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/08/28(金) 15:35:03
 日本は神国なり
 大国常立大神はこの世の滅亡を座視するに忍びず、日本人を覚醒させる為に、
天理、金光、黒住、大本教を開いたが、人は奇跡では改心出来ず、止めに日月
神示を降ろした。これは元神の真心によって人民を説得しようとするもので、
予言めいた内容は実際に起きており、真実を捉えている。国常立大神は厳格な
神政を敷いて統治いていたが、悪神らの訴えによって、引退を余儀なくされ、
刑罰を甘んじて受けた。責任を取る様にして、天教山の火口に身を投じた。悪
神らは炒り豆に花が咲くまで現れるなと、この神を鬼に見立てて追い払った。
この節分の行事と鬼門封じは元神を調伏する呪法である。元神は幽冥界に落ち
て閻魔大王となった。西洋で言う堕天使ルシファーである。
 元神の霊界での金龍の姿が、龍の形をした日本列島に顕現している。敵の侵
入を防ぐ為に海水を張り巡らせて、護っていたのである。
 新興宗教が弾圧されたのは、日本を支配する悪魔が正神の復活を防いで自衛
する為である。天理教では高山の神は韓神だと言っている。天皇家を憚って高
山の神と言う隠語を使ったのである。京都御所の天皇の座の前に麒麟と獅子の
図柄が飾ってある。南北ユダヤ統一の図で、天皇家はユダヤのユダ族である。
日本の神が竜神から獅子にすり替わったのはその為である。
 オウム真理教は新興宗教をカルトとして葬り去り、反ユダヤ思想を叩き潰す
為に、メーソンが立ち上げたものである。
 大本教では、大本は日本の本、世界の本である。大本で起きた事が日本、世
界に波及する。これを雛形経綸と言う。政府が第1次弾圧を行った為に、日本
が太平洋戦争を起こす事になった。第2次弾圧は1935年12月8日で、真珠湾攻撃
は41年12月8日で日付けが一致する。出口王仁三郎が捕まった場所がしんじ湖で、
真珠湾と似通っている。弾圧した岡田首相は2・26事件で襲撃された。王仁三郎
の満蒙進出が満州事件に波及する。2度目の弾圧がハルマゲドンに波及する。ハ
ルマゲドンは日本における、神と悪魔との戦いである。悪の3大将、八岐大蛇ら
が敗れて、ミロク神政に改まる。
610日本@名無史さん:2009/08/28(金) 18:41:04

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611馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/02(水) 15:06:55
 メーソンは神の悪の御用の選民
 英国王室の紋章は左に獅子が、右に1角獣(馬)が立ち上がろうとする姿に描
かれている。馬は胴体に鎖が巻きつけられて繋がれている。王冠の上に獅子が
立っている。ここで疑問に思われるのは、獅子が王のシンボルであるなら、な
ぜ1角獣を鎖で縛る必要があるのか。その答えは1角獣の方が王のシンボルで
あり、獅子は女系である。英国王がエリザベス女王になっているのもその為で
ある。ミケランジェロ作のモーゼ像には頭に雄牛の様な角が生えている。
 天皇家の紋章は左に1角獣(麒麟)が、右に獅子がいて、王冠には麒麟が描か
れている。中央に枠の中の8匹の獅子とそのうえの左に2匹の麒麟、右に2匹
の獅子がいて、これはユダヤ12支族を表している。最高位は麒麟で天皇家はダ
ビテ王を引き継ぐユダ族である。
 霊界物語に、ロシアで発生した悪霊が八岐大蛇で、各国の国王に憑依し、イ
ンドで発生したのが金毛九尾の悪狐で、王妃に憑依して活動している。ユダヤ
で発生したのが6面8臂の邪鬼で、自分が盟主になって全世界を妖魅界にしよ
うと企んでいる。これがメーソンの本体である。ヨハネ黙示録に、龍の口と獣
の口と偽預言者の口とから、がま蛙の様な汚れた霊が三つ出て来るのを見たと
あり、メーソンが偽預言で偽救世主になって現れるのである。エホバの証人等
がその例である。しかし、別頁に、王座の周囲に4つの生物があり、第1の生
物は獅子、第2は雄牛、第3は人間、第4は鷲とあり、メーソンは神の召使と
なっている。即ち、メーソンは悪魔に魂を売った人間供を退治する使命を受け
ているのである。ユダヤ人(メーソン)は虐殺されて怨霊になったのである。龍
神は怨霊になって大蛇に化身した。神風特攻隊の怨霊は、暴走族となって爆音
を響かせ、無差別殺人を行って憂さを晴らしている。メーソンの侵略を防ごう
と、国や国民の命を護る為に命を捧げたのに、日本国民はそれを感謝するどこ
ろか、侵略者にして唾を吐き、日本を亡国に陥らせる元凶となっている。
612日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:09:18
もういいかい?
613日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:11:35
太子は超能力者
614馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/05(土) 10:30:06
 江戸時代、百姓は馬車馬の様にして働き、重い年貢に苦しめられ、ご公儀に
無礼を働いたとして、犬猫の様に殺された。
黒船が来て、幕府が外国の要求を受け入れた為に、庶民の生活が益々苦しくな
った。坂本竜馬ら草莽の士が窮民を救う為に倒幕に立ち上がった。明治維新を
実現させる為に何万人もの草莽の士が斃れた。
 帝政ロシアは日本を含むアジアの侵略を企み、コンクリで固めた旅順要塞を
建設して、その基地にしようとした。貧しい日本は乏しい武器弾薬を使って、
肉弾攻撃を行うしか方法がなかった。死屍累々の山を築いても、28センチ榴弾
砲をもってしても、堡塁を破壊する事は出来なかった。砲撃の援護射撃を受け
た決死の肉弾攻撃が功を奏した。乃木将軍の真心に将兵が奮い立ったのである。
ロシアの侵略を防ぐ為に何十万人もの兵士が斃れた。
 メーソンはアジア侵略を防ごうとする日本を、侵略者に仕立てて葬る為に、
日本のメーソンを使って真珠湾攻撃を工作させた。日本の最後通牒遅延を工作
したのは、騙し討ちにして米国民の戦意を高める為である。
暗号解読によって空母等新鋭艦を避難させた。ミッドウェー海戦で艦爆の兵装を
転換させて敗因を作った。日本軍は玉砕、神風特攻で最後の抵抗を試みた。自
分の命を捧げる事で護国の鬼となって、国民の命を護ろうとした。日本を護る
為に何百万人もの人命が失われた。最後に特攻隊員・大塚要の遺書を紹介します。
 母上様
 要は特攻破邪隊第3隊の一員として往きます。
 母上様もこの一事あるは覚悟されていた事と思います。
父亡き後、母上がいかに御苦労なされたか一番知っている自分です。しかし、
国あっての家です。国のお役に立つ、君の御楯となる、男子としてこれ以上の
光栄がありますでしょうか。母上には申訳ありません。家はお願いします。要
が先に逝ったからとて、母上は決して悲しまないで下さい。また身体を悪くさ
れたりすると死んでも死に切れません。健康に充分注意して決して無理をせず、
強く生きて下さい。
615日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:45:34
もういいだろ?
616日本@名無史さん:2009/09/08(火) 12:43:38
聖徳太子はいなかった
617日本@名無史さん:2009/09/08(火) 13:31:09
んなわけねーだろ
618日本@名無史さん:2009/09/08(火) 15:13:17
聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿

聖徳太子は天皇に即位していた。聖徳太子が死んだ時、哀悼の意をこめて次の一首が残された

「いかるがの とみのをがはの たえばこそ わがおほきみの みなわすらえめ」

「おほきみ」とは天皇号ができる以前の日本の国王の呼称

乙巳の変は捏造された事変(優秀な蘇我氏一族を滅ぼす為に政敵によって蘇我入鹿一人が悪者にされ、暗殺されて真の歴史から排除)

政敵 =中大兄皇子(天智天皇)+中臣鎌足(百済の王子/豊璋)


九州王朝(天皇家) 対 出雲王朝(蘇我氏)


アマテラス(九州王朝) 対 スサノオ/ニギハヤヒ(出雲王朝)



神武天皇以後の大和朝廷 = 九州王朝(天皇家)> 出雲王朝(物部氏・蘇我氏)


日本書紀編纂にあたり、全て九州王朝(天皇家)の都合がいいように「歴史書」が作成された

作られた聖者:聖徳太子 = 実在の聖者:蘇我善徳(歴史の表舞台から抹殺)

※奈良県在普賢寺内に蘇我入鹿の邸宅跡とされる「入鹿神社」(祭神はスサノオと入鹿大臣の両柱合祀)があり、石碑には「聖徳太子御自作大日如来仏起山普賢寺」と刻まれている
619日本@名無史さん:2009/09/08(火) 15:16:11
聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿
聖徳太子は天皇に即位していた。聖徳太子が死んだ時、哀悼の意をこめて次の一首が残された
「いかるがの とみのをがはの たえばこそ わがおほきみの みなわすらえめ」
「おほきみ」とは天皇号ができる以前の日本の国王の呼称
乙巳の変は捏造された事変(優秀な蘇我氏一族を滅ぼす為に政敵によって蘇我入鹿一人が悪者にされ、暗殺されて真の歴史から排除)
政敵 =中大兄皇子(天智天皇)+中臣鎌足(百済の王子/豊璋)
九州王朝(天皇家) 対 出雲王朝(蘇我氏)
アマテラス(九州王朝) 対 スサノオ/ニギハヤヒ(出雲王朝)
神武天皇以後の大和朝廷 = 九州王朝(天皇家)> 出雲王朝(物部氏・蘇我氏)
日本書紀編纂にあたり、全て九州王朝(天皇家)の都合がいいように「歴史書」が作成された
作られた聖者:聖徳太子 = 実在の聖者:蘇我善徳(歴史の表舞台から抹殺)
※奈良県在普賢寺内に蘇我入鹿の邸宅跡とされる「入鹿神社」(祭神はスサノオと入鹿大臣の両柱合祀)があり、石碑には「聖徳太子御自作大日如来仏起山普賢寺」と刻まれている
620タコです:2009/09/08(火) 16:20:09
聖徳太子=蘇我馬子ではないんですか?
「古事記に隠された聖書の暗号」石川倉 たま出版
621タコです:2009/09/08(火) 16:23:56
ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグとの対談

10支族がサマリアを出て、しばらくして神武東征が開始されています。
天皇の公式名スメラ・ミコトは古代ヘブライ語の一方言で「サマリアの陛下」を意味しますし、
神武天皇の正式名“カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト”は、
「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になるのです。
やはり10支族が現在の日本人の直接の先祖になったと、私は考えます。
重要な政治機構や神道なども古代ヘブライのものに一致しますしね。
■Q. つまり、アイデルバーグさんは、古代ヘブライ民族がそのまま日本人になったというお考えなのですね。
■A. そうです。もちろん現在のユダヤ人は混血していて、かつてのヘブライ人ではないですし、日本人も変わりました。
でも今でも日本人の中にはユダヤ人のような顔つきの人がいますし、ヘブライ人の中にもモンゴロイドのような容貌の人がいます。
■Q. 先ほど、古代日本の政治機構もヘブライ的だといわれましたね。
■A. “大化の改新”というのがありますが、古語では「タイクワ」と書かれているようですね。
これは、ヘブライ語で、“希望”を意味するのです。
おそらく、神道系の人々と仏教系の人々が争い、結果的に神道系の人々が勝って法律を決めたのだと思うのです。
だから、この“タイクワの改新”の法律は、ほとんど聖書から取られています。
■Q. 一般には中国の影響だと言われていますが。
■A. いえ、身分を区別するために冠をかぶる制度を取り入れたほかには、中国的な要素はありません。
残りすべては、その出所を『旧約聖書』で正確に確認できるのです。
■Q. 確か、ご本には身分を示す言葉もヘブライ語であると指摘されていますね。
■A. ええ、神武天皇が定めた“アガタヌシ”は(AGUDA-NASI)で「集団の長」を示し、
“ミヤツコ”はヘブライ語で「代表者」の意となります。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb412.html
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
622日本@名無史さん:2009/09/08(火) 22:19:14
セットで
623日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:30:03
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  .―――――┴┴┴┴┴―――、       ______________
 || ̄ ̄ ̄||  ̄||| ̄ ̄ ̄|| | ̄ ̄ヽ     /
 || アヒャヒャ| |  |||ウヒャヒャ..|| |_∧  ヽ   / それでは>>590>>611>>614>>620-621
 ||(・∀・)_| |・∀||(・∀・)|| |  )  [ ] <  引き取らせていただきまーす
 ||_ ̄ ̄_|_|_/ | ̄ ̄ ̄.|| | ̄ ̄ ̄ ||  \_____________
  l O| ―-.|O゜| 都立松沢病|.|院 ニニ .||
  |_  ̄口 ̄  l_l⌒l|____|.|l⌒l_||_|__|  ブロロ-‥‥
   `ー' ̄ ̄ ̄`ー'  `ー'   `ー'

624馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/09(水) 11:22:54
 ナチスのユダヤ人ホロコーストのまやかし
 ナチスのユダヤ人ホロコーストが嘘である事の最大の根拠は、アドルフ・ヒ
トラーがユダヤ人だからである。彼の父アロイス・ヒトラーは母マリア・アン
ナ・シックルグルーバーの私生児であり、彼女がウィンの男爵サロモン・マイヤ
ー・ロスチャイルドの家政婦を勤めていた時の子供である。即ちヒトラーの祖
父はユダヤ人である。ヒトラーが入っていた黒魔術の秘密結社・トゥーレ協会は
ユダヤの影が濃い。
 ドイツがポーランドへ侵攻し、オランダ、ベルギー、フランスと征服したが、
ドイツ軍装甲部隊が突然ダンケルク前面で停止した。その為に英仏軍33万人が
脱出出来た。こんな愚行は有得ない。1941年6月にロシアへ侵攻したが、なぜそ
の前にユダヤの本家・イギリスを征服しないのか。日本が真珠湾攻撃を行った
直後、ドイツがアメリカに宣戦した。三国同盟は日本が苦戦になってから行え
ば良い。この宣戦は早すぎる。イギリスはアメリカの参戦で生き返った。タイ
ミングが良すぎる。
 ドイツは前の大戦の賠償金の支払義務を負わせられ、軍備資金の調達はどう
様に捻出したのか。ナチスの反ユダヤ主義は表向きの事で、裏ではユダヤ(メー
ソン)と結託していた。そう考えれば様々な疑問が氷解する。
 アンネ・フランクはなぜ日記を書き始めたのかと言う理由を述べている。私
には信頼出来る友達がいない。誰にも見せたくない、心の内をぶちまけたもの
を書いて、心を慰めたいからです。そこには母親への辛辣な批判、大人への反
抗、恋心、セックスの好奇心等が書かれている。戦争が終わったら国民の苦難
話を募集するとのラジオ放送を聞いて、自分も本を出したいと考え、日記を小
説風に書き直したとある。しかし、少女が心に秘めた告白を公開するだろうか。
放送が流れた時期は連合軍上陸の3ヶ月前で戦局は不明で、現実味に乏しい。
父オットーが生還したのはガス室がなかった事の証明。
 アンネは収容所でチフスにて死亡した。メーソンはこの少女を悲劇のヒロイ
ンにしてプロパガンダに仕立てたのである。ナチスのユダヤ人差別、虐待、大
虐殺を宣伝して自らを正当化し、世界の人民の同情を得て、念願のイスラエル
建国を果たした。
625日本@名無史さん:2009/09/09(水) 12:36:47


                     ‖+|
                     ‖ ̄
                     ‖   ツカマエロー!!
                        ./| ̄ ̄ ̄|    ○_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             .∧_∧ | .|: 都立 :|     (゚Д゚ )__<統合失調症患者の>>590>>624が逃げたぞ ゴルァ!!
               ( ´Д` )| .|. 松沢 :|    |  づ/  \______________
    ミミ皿皿皿皿皿._)   (_皿...|: 病院 :| 皿皿l ̄ ̄ ̄l皿皿皿_
  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
  ミミミミ彡    /,r|    r‐、い|  /  |             :|皿皿皿皿皿
  ミ彡ミミミミ   [.| | .|   {ニ }/.|/    | 田   田   田   田 :|        |
  ミミミミ巛彡.  {_} |    `‐'i"    |  .|             :|田 田 田│
  ミ彡彡ミミミ   /"ヽ-、 .|./| ̄ ̄ ̄ ̄|              |        │
  ミミミミミミ彡ミ二. |  .| ヽ .| _|    ╋:‖  | ̄ ̄|  :| ̄ ̄|  |田 .三.  /□∧ アラ >>624 サソ
  | | i.|...:;;:;; 三≡|   |λ {ll|..:|  :┌─‖  |┐ _,:|  :|   ._:|  |_三二 (゚ー゚*)    ドッタノ?
  | l i.|:;:;;;;;;;:  | | mn_ ヾ._リ_:| _ _|  ‖  |│_|  :|__|  |  . ||  (y[と)]
626日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:28:23
明太子の一種でしょ
627馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/09(水) 21:27:16
 狂牛病は牛の共食いによって起き、豚インフルは豚の共食いによって起きる。
牛も豚も人間に近い動物で、彼らを食う事は共食いと同じである。
 神の最後の審判
 日本人は神の戒律(不殺生(肉食も)、不姦淫、不愉盗、不虚言、不破壊(神が
創り賜うた自然の破壊))を破った罪で死刑に処する。ただし、反省して改心し
た者は、それまでの罪に応じた死の苦しみの試練に耐える事が出来れば、弥勒
の住人となれる。改心出来ない者は当然その試練に耐えれないから、段階的に
動物以下にされる。最下位は草木に替えられる。その中でも極悪なものは魂ま
で焼き滅ぼされる。
 人間供の罪状
 科学者 神の存在を否定し、神の働きを愚かな理論にすり替えて誤魔化し、
人民を騙している自然破壊の極悪人。
 宗教家 神の戒律を人民に正しく伝えず、悪魔の宗教を広めた極悪人。
 政治家 神の天産自給の政治を行わず、金権政治をはびこらせた極悪人。
 教育者 間違った道徳、学問を世に広めて、非人を産み出す学歴社会を築い
た極悪人。
 医 者 人民の悪業を悟らせず、邪道の西洋医学で誤魔化して、自然治癒力
を毒によって弱体化させている極悪人。
 農 家 土地を農薬と肥料で汚染し、毒漬け作物を売っている悪人。
 主 婦 女の役割(家事等)をまともに勤めず、男に逆らって、不道徳を行い、
社会制度を壊している悪人。
 企業家 金儲けに走り、公害を撒き散らし、国民から搾取している悪人。
 公務員 公僕を忘れ、世の為に働いていない、税金泥棒の悪人。
 商 人 商品を右から左に動かすだけで暴利を稼ぐ悪人。
  その他世の為に不必要な職業 人の生血を吸っている悪人。
 世の為に役立っているのはただ一つ、昔ながらの百姓のみである。
628日本@名無史さん:2009/09/10(木) 18:17:51



      ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
     < きゃ〜っ!!!先生〜っ!!大変です!!          >
     < また>>590が逃げて、何処かに迷惑かけてます!!      >
     <                                      >
       ̄|/∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
      | ̄ ̄ ̄|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 口口 都立松沢病院口口.  |
| 口口   ___   口口. |
| 口口口 |  |  | ..口口口..|
629馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/12(土) 14:26:08
 明智光秀の正体は斎藤義龍
斎藤義龍→明智光秀→千利休→表:南光坊智楽院(南朝内落胤)、裏:柳生石舟斎
斎藤竜興→古田重勝→古田織部→表:柳生宗矩、裏:服部半蔵
 美濃8代守護・土岐成頼は丹後から逃れた一色兵部少輔義遠の子である。義遠
は八社神社に鐘を奉納したが、元は垂井町清水寺の鐘である。これは天皇家血
筋の成頼を貰った美濃側の返礼で、彼は後醍醐天皇の子孫、長屋親王の血筋で
ある。秀吉、家康が光秀を殺す事が出来ないのは天皇家の崇りを恐れたからだ。
 成頼の孫が頼芸で、道三は彼の愛妾・三芳野を貰った。そのお腹にいたのが
義龍である。だから、一色左京大夫義龍と名乗った。義龍は親殺しと言われて
浄土宗と争って、その混乱の責任をとって、跡を竜興に譲って隠居した。名を
明智光秀と変え、放浪に出た。彼が義昭の幕臣になれたのは一色家の血筋の為。
信長が光秀を家来にしたのは、彼の才能に惚れたからであり、彼に従属する美
濃衆を利用する為である。
 谷汲の頼芸の墓の家紋は二引き両で一色家の家紋である。天海の喜多院の家
紋も同じ。光秀が義龍である証拠は隣の三芳野神社で、母を偲んで名付けた。
 秀吉が利休を切腹させた・嘘のは正体が光秀だとばれたから。家康が織部を
切腹させたのは正体が竜興だとばれたから。
 重勝と織部は本巣市山口で生まれ、同時期に同じ官位を得ている。両者は同
一人物。生れも辰年。
 柳生家の家紋は二階笠で、謂れが坂崎政道から譲られたと言う。しかし、家
紋は血筋を表す大切な物で貰う訳がない。秀吉は重勝に朝鮮役の軍功で唐人笠
三の家紋を与えた。二階笠はその変形である。忍術は天皇の神仙術から派生し、
裏柳生の御庭番はそれである。
 一色軍記では一色義定は本能寺の変以前の2月に殺されたとあり、丹州三家物
語では9月に殺害とある。即ち細川藤孝は信長殺しの犯人側で、義定が光秀に味
方しない様事前に殺害し、事後にすり替えた。信長は本能寺ではなく二条城で
秀吉に殺され、信忠は安土城で家康に殺された。父子の遺骸を光秀天下防止の
為隠した。明智軍記はその秘密隠蔽の為に書かれた。明智城跡の六親眷属幽魂
塔の下から江戸時代の煙管が出た。偽装である。
630日本@名無史さん:2009/09/13(日) 22:51:27
631日本@名無史さん:2009/09/14(月) 00:10:55

         _____________________
         |
         | >>590>>627>>629さ〜ん!!おくすり飲もうよ〜!!
         |  _____________________
         |  / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――'          (●ヽ
         | /http://www.byouin.metro.tokyo.jp/matsuzawa/ヽ
       /| /______________________ヽ
      ,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
     ,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    _.,/. ( ゚Д゚ ) | :::|//  ( ゚Д゚ ) <>>590>>627>>629が妄想型の統合失調症を患っているので迎えに来ました。
   |/,,,,,へ⊂ ヽ  .//  ,/  ノ/ ||\______________
  ,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄   =。|┃       |━━━━━...............|
  |______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,都立松沢病院,,,,,[|
 ._|]0::∴:::0::[二二il:]    ,-―-、 ,,|         |       .     [|
 |====== ;...........|  /,  ̄ヽ |~~|.        |  /,  ̄ヽ |     {|
 ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
     ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
632日本@名無史さん:2009/09/14(月) 13:45:19
聖徳太子はいなかった。

by大山誠一
633馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/15(火) 13:24:25
 宮本武蔵の正体は柳生十兵衛
 宮本武蔵と佐々木小次郎との巌流島の決闘は1612年に起きた。細川家の剣術
指南の小次郎は武蔵に敗れて18歳で亡くなる。小次郎は富田勢源の弟子である。
しかし、勢源は美濃国主・斉藤義龍の御前で梅津某と試合を行い、勝っている。
それは1560年の事で勢源は40歳を過ぎていた。仮に彼の生年を1520年として、
1612年には92歳である。そんな年寄が弟子をとるのか。小次郎は18歳で指南役
が勤まるのか。勢源は小太刀の使い手、小次郎は長剣で矛盾している。
 豊前29万石の藩主・細川忠興は慶長15年小倉城を改築して移った。翌年津山
藩船が小倉領海を侵犯する事件が起きた。翌々年に巌流島の決闘となる。徳川
家光(光秀の子)は、父を謀反人に仕立てた忠興を、改築を口実にして反逆罪で
失脚させる為、武蔵(公儀隠密・柳生十兵衛)を津山藩船に乗り込ませて侵入さ
せた。忠興は剣豪・小次郎を雇って、御前試合の形で殺そうとした。だから、
武蔵は逃亡の為に、遅れて船で来たのである。
 武蔵は徳川家の為に働いている。関ヶ原の戦いでは宇喜多軍に紛れて内部撹
乱。大坂の陣では豊臣軍に紛れて内部撹乱。島原の乱では小倉藩家老・伊織と
共に参戦。武蔵が師とした沢庵和尚は柳生宗矩との関係が深い。紫衣事件で出
羽上山(藩主土岐頼行は光秀と血縁)へ流罪になった沢庵を、宗矩が家光に進言
して赦免させた。その使者の十兵衛は出羽国正法ヶ原で伊織を得た。家光は彼
の為に東海寺を建立した。沢庵は光秀の血縁者である。武蔵の五輪書には禅の
思想が入っており、枯木鳴鵙図は名画である。頼芸の鷹図と印象が似ている。
十兵衛は頼芸の曾孫。
 忠興の跡を継いだのは三男忠利で、長男廃嫡、次男自刃と二人が失脚したの
は不自然である。忠利は幼時、家康に人質にとられ、友矩とすり替わったので
ある。
 武蔵の父・新免無二斎は入道名で本名でない、暗号。新しく免ぜられた→剣
術指南役の宗矩。十兵衛は氏井孫四郎光秀と署名した文書を残して暗号にして
いる。柳生家は光秀の血筋で、十兵衛は明智十兵衛光秀からの由来。
 美濃から名僧、剣豪を輩出している。心頭滅却の快川禅師、宝蔵院槍術・可
児才蔵、鏡新明智流・桃井春蔵等。
634馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/17(木) 17:32:17
 チンギス・ハーンの正体は源義経
 源氏7代目源義朝の三男・頼朝は平清盛の手に落ち、斬殺される運命(昔から
父の怨みが子に伝わって仇をなすと考えられていた)にあったが、池殿の命乞い
で助けられ、伊豆に流されたと言う。しかし、池殿は清盛の父・忠盛の後妻で、
弟・頼盛の実母である。忠盛の太刀(抜丸)を清盛は嫡子ならば、きっと譲って
貰えると思っていたのに、頼盛が継母の当腹の愛子だったから太刀を譲り得た
ので、兄弟の仲が悪くなったとある。そんなまま母の進言を清盛が受け入れる
だろうか。兄弟の確執が発展して、1179年の清盛のクーデターに際し、頼盛は
解官された上、兄による追討の噂が立ち、所領も没収された。つまり、事実は
頼朝は斬殺されているのである。義経は母・常盤御前の必死の嘆願で命を救わ
れた。清盛は彼女に懸想していたからである。だから、頼朝は偽者で、源氏の
頭領は義経であった。彼は遮那王と呼ばれていた。義経の大活躍は彼の才能に
依る所も大きいが、彼を源氏の頭領と信じた家臣の存在も大きい。
 後白河法皇は清盛に奪われた政治の実権握る為に、義経を使って平家を滅ぼ
し、義経と暗愚の頼朝をお互いに争わせて、頼朝と手を組んで義経追討の院宣
を出して義経を失脚させた。
 義経は奥州の藤原秀衝の下を頼り、最後に衣川で自刃した事になっている。
しかし、義経北行伝説は間違いなく、真実である。津軽の三厩は義経・弁慶・
亀井六郎が馬と供に隠れた岩屋である。竜飛岬は義経を竜に見立てて、そこか
ら旅立ったと言う意味。兜島はそこで兜を脱いだ所。
 義経がチンギス・ハーンだと言う根拠
 義経の生年は1159年、チンギスは1162年で近い
 モンゴル人の兜の紋章が源氏の家紋・笹竜胆に酷似
 モンゴル人の鎧が日本の鎧に似ている
 源氏の白旗とモンゴル皇帝即位式の9本の白旗
 騎乗して弓を打つ戦法は日本の流鏑馬
 火薬の使用は日本の忍者が使った物から由来、火薬を発明したのは日本で、
硝酸カリウムは蓬等に糞尿をかけて発酵させて作った。これはナチスが空気中
の窒素から作る遙か前に完成させた技術である。
635馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/17(木) 17:35:01
 石田三成は家康の天下取りの為に働いた工作員 
 石田三成は福島正則ら武断派に憎まれていた。それは朝鮮の役で秀吉に彼ら
の事を無能と報告していたからである。そんな人物が家康を敵に回して豊臣恩
顧の大名を指揮して戦争など出来る筈がない。関ヶ原の戦いの直前に三成が武
断派の大名に命を狙われ、なんと家康の屋敷に逃げ込んで命を助けられている。
この時期、三成も家康もお互いに相手を敵であると認識していた筈である。な
のに、なぜ、家康は三成を助けたのか。石田・上杉軍事同盟によって家康は会
津征伐に赴いた。家康に背いた上杉は当然取り潰される筈である。この時、征
伐軍が三成と上杉に挟撃を受けたら家康は滅びていた。だから、断固として上
杉に報復しなければならない。即ち三成は家康と共謀を図ったのである。
 島津義弘は関ヶ原の戦いに引っ張り出され、垂井に布陣していた。東軍が岐
阜城を落として進軍して来たので、三成は合渡川を渡らすまいと、義弘に墨俣
に来る様に命じた。ところが、急に大垣城へ撤兵すると言い出し、最前線の島
津軍が敵中に取り残された。これは島津軍を滅ぼす策である。敵は岐阜城、合
渡の戦いで疲労しているから、夜襲を仕掛けるべきだと言う、島左近の提案を、
正々堂々と大軍でもって雌雄を決するべきだと一蹴した。島津義弘はこの合戦
は欺瞞であると悟ったのである。先陣を務めている東西両軍の宇喜田秀家と福
島正則はお互いに豊臣恩顧の大名ではないか。小早川も毛利も山の上に潜んで
いるばかりで傍観している。山を下って、家康本陣を襲えば西軍の勝利である。
その小早川が寝返った。小早川の代わりに三成と親交の厚い大名をそこに布陣
させて置けば、勝てたのである。寝返った大名は小早川の隣に固まっていた。
こんな偶然があるだろうか。
 秋田県に石田三成の墓が存在し、大奥の春日局の2番手の女御(於楽の方)は
三成の縁者であった。
636馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/17(木) 17:41:02
 石川五右衛門は盗賊ではなく秀吉暗殺を図った忍者
 五右衛門は百地三太夫の中忍で、柳生宗矩(服部半蔵正成)が百地三太夫を介
して、五右衛門に秀吉暗殺を命令した。三太夫は関白豊臣秀次の執事・木村重
茲の依頼で、成功すれば関白に家臣として取り立てて貰える。秀吉は天正伊賀
の乱時の不倶戴天の仇だとそそのかした。しかし、五右衛門は失敗して捕らえ
られ、釜茹の刑に処せられた。怒り狂った秀吉は1595年に秀次を高野山で切腹
させ、彼の妻妾、子女38名をことごとく三条河原で斬首した。天道はこれを許
さず、彼は三ヶ月後に病に倒れた。翌年には伏見で地震が起こり、伏見城が倒
壊し、10名程が亡くなった。方広寺の大仏の首が落ちた。この現象は秀吉の死
を予言していた。
 秀吉の秀次殺害は豊臣家を滅ぼす原因となった。子・秀頼の愛情に目が眩ん
だのである。秀次に関白を継がせれば豊臣家は磐石となって、秀頼もその恩恵
を受けれたのである。徳川家康はそれを防ぐ為に宗矩に陰謀を実行させた。宗
矩は1596年7月12日、遺骸を埋めた畜生塚に白折鶴5羽を供えた。自分の行いか
ら罪の無い者を殺す事になった事を詫びたのである。
 方広寺の鐘の碑文に国家安康の文字が入っているのを、家康を呪う物だと言
いがかりをつけ、それを口実に攻撃を仕掛けて大坂の陣の戦争にした。このア
イデアを提案したのは天海(光秀)である。天海は家康のブレーンであった。
637馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/19(土) 13:01:09
 神武天皇の正体は徐福
 古事記による神武(徐福)の東征は中国人が日本人を征服していく様を描いた
ものである。神武は兄五瀬命を引き連れて筑紫に上陸した。日向、安芸、吉備
を制圧し、奈良の生駒山の長髄彦と戦い、五瀬命が矢を受けて傷ついて亡くな
ったので、和歌山市和田に埋葬した。今度は熊野に上陸すると、大熊が現れて
神武は失神してしまう。布都の大刀で正気に戻った。桜井市の土蜘蛛・八十建
を討った後、橿原市で統治した。神武は大物主神の娘・伊須気余理姫を娶った。
 崇神天皇の御世に疫病が流行り、人が絶滅しそうになった。そこで天皇が嘆
いて、眠っている時に大物主神が現れて申すには、疫病の流行は私の意志によ
るものだ。だから、意富多々泥古をもって、我前を祭らしたまはば、神の気
(崇り)起こらず、国も安泰するだろう。使いを四方へ走らせて彼を探し出し、
三輪之大神を斎き祭られた。これによって疫病が収まり、国が安泰した。彼は
大物主神の子孫である。邇々芸命が皇位を奪った為に大国主神が崇りをなすの
である。
 崇神は初国知らし天皇と記されており、神武は始馭天下之天皇とされている。
このことから二人は同一人物で、神武を英雄、崇神を大物主神の崇りで悩む凡
庸人として描いている。
 神武の東征を徐福伝説の地に比定していくと、筑紫は佐賀に、日向は延岡に、
和歌山市和田の五瀬命の墓は和歌山県新宮の徐福の墓に見立てる事が出来る。
秦の始皇帝の命じた不老不死の霊薬の在り処の蓬莱山は富士山であり、そこに
も徐福伝説がある。岡山の桃太郎伝説で、鬼ノ城に籠った温羅と言う鬼(百済の
王子と言う伝説は秦族が後に百済王家となったから)は方術を使う徐福と考えら
れる。これだけ一致するのを偶然とは言い切れない。
 4世紀に最大の前方後円墳が吉備に存在している。前方後円墳は中国人の墓で
円墳は日本人を表し、それに楔を打った形になっている。日本の神を釘付けにす
る呪いである。日本の天皇の墓は小規模な円墳で、外国みたいに権威を誇示する
巨大な物は作らない。それを作る為に人民を使役する事は天皇の御心に反する。
高松塚古墳は聖徳太子の墓で、彼の復活を恐れて首だけ持ち去られたのである。
638日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:30:24
はいはい
もういいかい?
639馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/21(月) 14:09:07
 人間がいたいけな牛豚を斬首している。天道はこれを許さず。
 天武天皇の正体は竹田皇子
 蘇我馬子(百済王義慈)、蘇我入鹿(豊璋)と蘇我蝦夷(藤原不比等)にとって日
本を乗っ取る為の敵は彦人皇子と竹田皇子である。大化の改新は彦人皇子(聖徳
天皇)を蘇我入鹿(豊璋)と藤原鎌足(新羅武烈王)が暗殺した事件である。入鹿は
聖徳太子の係累を滅ぼした。蘇我氏の悪名が広まったので藤原氏と改姓し、豊
璋は彦人皇子の曾孫の中大兄皇子になりすました。聖徳太子の暗殺を隠す為に、
彼の業績を前にずらし、中大兄皇子の業績を後にずらした。だから彼は19年間皇
太子のままでいなくてはならなかった。その間、高市天皇、長屋天皇が治めた
が、それを女帝にすり替えた。
 天武天皇が古事記を選録させたのは、諸家に伝わっている帝紀及び本辞は真
実と違い、多くの虚偽が加わっている。今の内にその誤りを正さねば、幾年も
経たない内にその趣旨が失われてしまう。それらは国家の原理、天皇政治の本
である。正しい帝紀を選んで記し、旧辞をよく検討して偽りを削って真実を定
めて、後世に伝え様と考えたからである。こんな言葉は日本天皇でないと発言
出来ない。天皇は肉食禁止の詔も出している。
 安万呂が言う。上古の時は言葉とその内容が素朴で、文章に書き表すとなる
と、漢字の用い方が難しかった。全ての漢字の訓を用いて記した場合には、漢
字の意味と言葉の意味が一致せず、全て音を用いて記すと記述が大変長くなる。
そんな訳で一句を記すのに音訓を混用した。日下を玖沙訶(くさか)と記した。
これは神代文字をそのままの発音で表すとくさかだが、太陽の下と言う意味で
ある。日本には漢字以前に神代文字があった。外国の侵略によって神代文字を
破棄させられ漢字を強要された。これは日本人の知能を低下させる陰謀である。
 正しい皇統の敏達天皇の皇子から該当者を探すと、竹田皇子が一番可能性が
高い。竹にはかぐや姫伝説の意味が込められている。天皇の皇后には大国主命
の娘が代々なっていた。それが藤原氏に代わった。それまでは母体が日本天皇
で魂がユダヤ王であったが、その両方がユダヤに代わった。だからかぐや姫は
月(幽界)へ帰ったのである。
640馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/21(月) 14:11:07
 魏志倭人伝は日本文明の先進性を否定する為に書かれた偽書
 魏志は言う。倭国の王は男であったが、紛争の後、邪馬台国の卑弥呼が支配
した。男子は皆顔に入墨を入れている。男子は縫っていない横帯を結んで衣と
している。婦人は髪を丸め、単被の中央に穴を開けて頭を通して着ている。こ
れではまるで土人である。
 魏から邪馬台国の卑弥呼に銅鏡百枚が与えられたとある。福知山で景初四年
の銘が入った斜縁盤龍鏡が出土し、実際には存在しない年号の入った鏡の登場
で、三角縁神獣鏡は国産である事が判明した。この鏡は全国から出土し、400枚
を超えている。魏志倭人伝の記述は既に破綻している。邪馬台国へ至る道のり
は適当に書いたものである。それを巡って学者が論争しているはお笑い草だ。
 竹内文書によると、日本の天皇が天の鳥船に乗って世界中を巡航したとある。
世界最古の土器は日本の縄文式土器で、南米エクアドルでも出土している。ペ
トログラフ(岩刻文字)が世界中に存在し、その発祥地は日本で、竹内文書の神
代文字によって解読出来る。
 日本語の47音は47神の言霊で、言葉の通りの事が実現象として起きる。伊邪
那岐・那美神は言霊によって、島と神を産んだ。天地の造化3神は、ア、オ、
ウ(ス)の言霊神である。モーゼ、キリストは日本で修行して言霊術を会得し、
海割り、パンの数増やし等の奇跡を行ったのである。天皇がその国の人の能力
に合わせて、言葉と文字を与えた。外国語は幼児語である。その真実が書いて
ある竹内文書は、メーソンが支配するアカデミーにとって抹殺すべき物であっ
たから、馬鹿の東大出の狩野亨吉は偽書だと決めつけた。
 魏志は日本文明を未開な文明にしておかねば、日本文明の精華を盗み取って
築いた中国文明の虚構が崩壊し、優位を誇る中華思想が笑い物の種になる。今
でも中国は猿真似のコピー商品を作っているではないか。
 旧石器遺跡捏造事件は日本の先進文明が公になるのを防ぐ為のメーソンの猿
芝居である。何十万年もの間土中に埋まっていれば、石器の周りの土が石化し
てこびり付き、それを削り落とす作業が必要となる。上高森遺跡の石器のその
作業を行っている写真が存在する。自分で埋めた物を掘り出しても、専門家が
見れば一目瞭然である。
641日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:28:57
この発作はどうしたら治るの?
642日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:08:36
ひとりで嵩張ってるからなァ
643日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:05:04

 .          ┌┬┬┬┐
  .―――――┴┴┴┴┴―――、       ______________
 || ̄ ̄ ̄||  ̄||| ̄ ̄ ̄|| | ̄ ̄ヽ     /
 || アヒャヒャ| |  |||ウヒャヒャ..|| |_∧  ヽ   / それでは>>590>>633-636
 ||(・∀・)_| |・∀||(・∀・)|| |  )  [ ] <  引き取らせていただきまーす
 ||_ ̄ ̄_|_|_/ | ̄ ̄ ̄.|| | ̄ ̄ ̄ ||  \_____________
  l O| ―-.|O゜| 都立松沢病|.|院 ニニ .||
  |_  ̄口 ̄  l_l⌒l|____|.|l⌒l_||_|__|  ブロロ-‥‥
   `ー' ̄ ̄ ̄`ー'  `ー'   `ー'

644日本@名無史さん:2009/09/24(木) 10:39:31


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 || ̄ ̄ ̄||  ̄||| ̄ ̄ ̄|| | ̄ ̄ヽ     /
 || アヒャヒャ| |  |||ウヒャヒャ..|| |_∧  ヽ   / それでは>>590>>637>>639-640
 ||(・∀・)_| |・∀||(・∀・)|| |  )  [ ] <  引き取らせていただきまーす
 ||_ ̄ ̄_|_|_/ | ̄ ̄ ̄.|| | ̄ ̄ ̄ ||  \_____________
  l O| ―-.|O゜| 都立松沢病|.|院 ニニ .||
  |_  ̄口 ̄  l_l⌒l|____|.|l⌒l_||_|__|  ブロロ-‥‥
   `ー' ̄ ̄ ̄`ー'  `ー'   `ー'



645馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/24(木) 12:36:09
 美濃を制する者は天下を制する
 織田信長は父の時代からもそうであったが、何度美濃を攻略しても失敗に終
わった。美濃兵は戦国最強の強兵であり、難攻不落の稲葉山城を後ろ盾にして、
尾張兵を翻弄した。南北朝時代、土岐頼遠は五条大宮合戦で新田義貞を破り、
青野ヶ原合戦では、南朝北畠顕家ら上洛軍50万騎に無謀にも千騎で猛攻を加え
て一矢を報いた。それが切っ掛けで上洛軍が滅びた。足利尊氏に土岐滅ぶれば
足利滅ぶと言わしめた。それほど桔梗衆は恐れられた。美濃は武芸が盛んな所
で、優れた刀匠もいて、火縄銃も作っていたと考えられる。白川村の合掌造り
家の床下で火薬を作り、その財宝が紫雲城黄金伝説となった。信長が天下を取
れたのは強兵の美濃兵と火薬を手に入れたからである。永禄7年に信長が稲葉山
城を攻めた時に、城内にいた竹中半兵衛が夜間に城門を開き、氏家、稲葉、安
藤らが裏切った為、流石の難攻不落の城も落ちたのである。卑怯な手段を使っ
た事を隠す為に、半兵衛のクーデターを切り離して、永禄十年に落城したと偽
った。永禄十年は伊勢攻略もあり、2面作戦は無理。
 今川義元は田楽狭間で、蜂須賀小六ら川並衆(美濃忍者)が百姓に化けた者達
の戦勝祝いとして、鮎の田楽と酒の振る舞いや田楽踊りの饗応を受けて油断し
ていた。そこへ、信長の奇襲を受けた。田楽師になりすましていた服部小平太
が槍を奪い、義元を串刺しにした。その故事から串刺しにして焼いた物を田楽
という様になった。
 徳川家康の三河兵は今川に支配されていた弱兵で、弱兵同志の尾張兵、三河
兵が武田兵に勝つ為には3千丁の銃と言う虚構が必要であった。実際は長篠城
の奥平貞昌の寝返りで勝利した。家康の三河兵が三方ヶ原で武田兵に惨敗した
為に、強兵の武田騎馬軍団と言う虚構が作られた。その武田軍法書の甲陽軍鑑
は嘘の羅列である。騎乗では片手に手綱、片手に武器で不利である。騎兵は奇
襲、退却に有利なだけである。
 美濃は木曾三川流域に広がる肥沃な土地を持つ穀倉地帯で、経済が豊かであ
る。徳川幕府が美濃に大大名を置かなかったのは美濃の潜在能力を警戒したか
らである。壬申の乱、関ヶ原の合戦が美濃で起きたのも東西を押さえる要所だ
からである。
646馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/24(木) 13:21:14
 真田幸村伝説
 関ヶ原の合戦に徳川秀忠が遅参した事は有り得ない事なのである。徳川家が
天下を取るか滅亡するかの決戦である。すると、勝敗は既に決まっていた事に
なる。三成と家康は裏で共謀していた。小早川秀秋の寝返りは筋書通りである。
豊臣恩顧の大名同志を共倒れにさせ、徳川家の被害を最小限にして温存しよう
とした。上田城の戦いはその口実になった。真田と徳川は真剣に戦っていなか
った。幸村は家康の密命を受けて、世に溢れている浪人を始末する為に大阪方
に付いた。真田幸村の大活躍は虚構である。家康が幸村を日本一の武将と称え
ているのが臭い。酷い目に遭わされた敵を褒める事はおかしい。
 ここに幸村逃避伝説がある。大阪城に真田の抜け穴が存在する。「花の様な秀
頼様を鬼の様なる真田が連れて来て退きも退いたよ加護島へ」と童歌にある。幸
村の墓が秋田県大館に存在する。近くに三成の墓があるのは両者が同類である
事を物語っている。島原にも幸村と秀頼の墓がある。幸村は大助と共に、徳川
幕府が禁じているキリスタンを殲滅する為に、天草四郎を旗印に立てて反乱す
る様工作した。天草四郎は豊臣秀頼である。彼が16才の美少年と言うのは虚構
で、16才では反乱軍を指揮するには役不足である。彼の美貌は茶々譲りである。
647ナナシシステム[WAN Network by ] ◆X8lOYUBvaNn7 :2009/09/24(木) 18:03:11

                     ‖+|
                     ‖ ̄
                     ‖   ツカマエロー!!
                        ./| ̄ ̄ ̄|    ○_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             .∧_∧ | .|: 都立 :|     (゚Д゚ )__<統合失調症患者の>>590>>645-646が逃げたぞ ゴルァ!!
               ( ´Д` )| .|. 松沢 :|    |  づ/  \______________
    ミミ皿皿皿皿皿._)   (_皿...|: 病院 :| 皿皿l ̄ ̄ ̄l皿皿皿_
  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
  ミミミミ彡    /,r|    r‐、い|  /  |             :|皿皿皿皿皿
  ミ彡ミミミミ   [.| | .|   {ニ }/.|/    | 田   田   田   田 :|        |
  ミミミミ巛彡.  {_} |    `‐'i"    |  .|             :|田 田 田│
  ミ彡彡ミミミ   /"ヽ-、 .|./| ̄ ̄ ̄ ̄|              |        │
  ミミミミミミ彡ミ二. |  .| ヽ .| _|    ╋:‖  | ̄ ̄|  :| ̄ ̄|  |田 .三.  /□∧ アラ >>590 サソ
  | | i.|...:;;:;; 三≡|   |λ {ll|..:|  :┌─‖  |┐ _,:|  :|   ._:|  |_三二 (゚ー゚*)    ドッタノ?
  | l i.|:;:;;;;;;;:  | | mn_ ヾ._リ_:| _ _|  ‖  |│_|  :|__|  |  . ||  (y[と)]
648日本@名無史さん:2009/09/25(金) 10:36:15


                     ‖+|
                     ‖ ̄
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  ミミ彡ミ  田 田./     . `、 |    /| 田   田   田   田 :|
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649馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/28(月) 11:21:12
 怨霊を封じ込めていた結界が破れて、天変地異、戦争、疫病が起きる
 平成20年6月の秋葉原連続殺傷事件は、平将門の怨霊の仕業である。事件は神
田明神の氏子町で起きた。
 平将門は桓武天皇の曾孫・高望王の孫で、父の死後、高望王の子孫間で領土
を巡って後継者争いを行い、伯父・国香と源護一派の連合軍と戦って勝利した
が、源護が朝廷に訴えたので、上京して陳謝した。武蔵国司が京から赴任して
来て悪政を行った。朝廷及び国司の政治汚職に不満を抱いて、国司側と戦って
反乱を起こし、下総、下野、上野国を襲って国司を追い出した。将門は巫女の
託宣を聞いて新皇を名乗った。下野国の押領使・藤原秀郷らが将門追討の挙兵
を行って、将門軍を破った。将門は京都で斬首されて、晒されていた首が関東
まで飛んで来て落ちた場所が、大手町にある首塚である。
 関東大震災後、大蔵省がここに仮庁舎を建て様として、首塚を潰そうとした
所、関係者が死亡する事故が起こったり、怪我人が続出し、大蔵大臣まで死亡
した。都民は将門の崇りに恐怖した。終戦後、GHQがここを駐車場にしよう
とした。ブルトーザーが首塚を整地しようとした所、ブルトーザーが横転して
運転手が死亡した。普通なら横転する筈がない事故に、さすがのGHQも恐れ
てしまい、工事は中止となった。その将門の怨霊の崇りが、結界が破れる事に
よって、表面化したのである。
 国常立大神、素盞鳴神、大国主命、聖徳太子、菅原道真、平将門、2.26事件
刑没者、神風特攻隊の崇りが神の怒りとなって、天変地異を引き起こし、戦争、
疫病を蔓延させる。神の怒りを被るのは人間に罪があるからである。
650馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/09/28(月) 12:10:33
 豊臣秀吉の出自はサンカである
 ずいずいずっころばし ごまみそずい
お〇んこちん宝はめまくり、ごまのはいの秀吉淀はめっこ
 茶壷に追われて トッピンシャン
茶壷=千利休(光秀)が自分の正体をばらして、秀吉を追及する 
 抜けたらドンドコショ 俵のねずみが
利休切腹で危機を脱して、腹鼓を打って笑う 俵藤太の子孫のはげねずみ(秀吉)が
 米くってチュー チューチューチュー
天下を盗んで(万石取りとなって)チューと鳴いて喜ぶ 
 おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも
殺された信長の怨霊(おっ父さん)と濃姫が幽界から秀吉を呼んでいるが 
 行きっこなしよ
なかなか死なない  
 井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれ
茶室で茶碗=利休を切腹(芝居)させたのはだれだ
本能寺の真犯人(鬼)は誰だ               天海(光秀)作
 秀吉の先祖は俵藤太(藤原秀郷)で、木下藤吉郎と名乗ったのも藤の生命力(蔓
を巻きつけて締めて木を枯らしてしまう)を崇拝するサンカの末裔だからである。
蜂須賀小六ら川並衆はサンカの忍者で、日本の神代文字の一つであるサンカ文
字をあぶり文字として使用する朝鮮人(百済難民)である。百済王家の人達は顔
立ちが整っていたから、天皇や公家に化ける事が出来たが、それ以外の者は顔
立ちが卑賤の相をしていたから、サンカのままか、武家になるしかなかった。
このサンカが後に穢多と呼ばれる賤民となるのである。江戸時代には死刑執行
人となり、今では家畜屠殺人となっている。同和と言っても人種が違うのだか
ら同じにはなれない。赤犬を平気で殺して食う朝鮮人と融和は図れない。人食
い人種の中国人とも無理である。
 秀吉は晩年、信長の怨霊に苦しめられた。方広寺の大仏は信長の慰霊の為に
作られた。自分の嫡子・ひろに出した手紙に、御ひろ様と敬称を使っている。
これは信長の怨霊を恐れていたからである。ひろは信長の血筋である。信長を
殺した犯人は秀吉である。光秀は濡れ衣を着せられたのである。
 何時まで嘘の歴史を引き摺って行くつもりか。死ぬまで騙され続けているが
良い。それが因果応報の宿命であり、改心出来ない鬼の末路である。
651日本@名無史さん:2009/09/29(火) 22:24:25
         _____________________
         |
         | >>590>>649-650さ〜ん!!
         | キミの言ってることはわかったから、このクルマに乗って!!
         | キミがクスリを服用すればキミが言ってる陰謀は粉砕されるよ〜!!
         |  _____________________
         |  / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――'          (●ヽ
         | /http://www.byouin.metro.tokyo.jp/matsuzawa/ヽ
       /| /______________________ヽ
      ,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
     ,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    _.,/. ( ゚Д゚ ) | :::|//  ( ゚Д゚ ) <>>590>>649-650が統合失調症を患っているので迎えに来ました。
   |/,,,,,へ⊂ ヽ  .//  ,/  ノ/ ||\______________
  ,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄   =。|┃       |━━━━━...............|
  |______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,都立松沢病院,,,,,[|
 ._|]0::∴:::0::[二二il:]    ,-―-、 ,,|         |       .     [|
 |====== ;...........|  /,  ̄ヽ |~~|.        |  /,  ̄ヽ |     {|
 ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
     ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
652馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/01(木) 11:58:28
 織田信長の出自は物部守屋の子孫
 織田家は津島神社を氏神としている。津島神社の祭神は素盞鳴神で、牛頭天
王とも呼ばれる。物部氏の祖神は饒速日命であり、素盞鳴神の神裔である。
 信長は今川義元との田楽狭間の戦いの必勝祈願に熱田神宮に詣でている。熱
田神宮には素盞鳴神の八岐大蛇退治の時に、大蛇の体内から出て来たと言う草
薙剣が奉納されている。神武天皇の皇后・伊須気余理姫は大物主命(大国主命で
素盞鳴神の神裔)の娘であり、神八井耳命はその次男で尾張の丹波臣の祖である。
丹羽長秀はその子孫である。
 物部氏は蘇我氏と神仏戦争を行った日本土着の民族である。だから、蘇我氏
(朝鮮人)の秀吉と家康によって暗殺された。その時代の天皇家も蘇我氏を改姓
した藤原氏で同類である。
 美濃市の大矢田神社のひんここ祭りは、素盞鳴神の八岐大蛇退治を題材にし
ているが、本当は信長の仏魔退治を称えているのである。(素盞鳴神を演じる代
官の陣笠に木瓜の家紋が入っている。織田木瓜である。今から五百年前から始
まったと言われている。)百姓が一向宗の邪教に洗脳されて魔道に落とされて行
くのを、信長が素盞鳴神の様に大蛇の仏魔を切り倒して救う場面を人形劇で演
じている。信長は比叡山延暦寺を焼き払って僧侶を皆殺しにし、長島の一向一
揆を殲滅させた。正に英雄である。浄土真宗や日蓮宗等を信仰すれば畜生道に
落ちて、犬猫等に生まれ変わる外ない。家で飼っている犬猫は、因縁によって
その家へ辿り付いた、ご先祖の姿なのである。主人が大病して犬が身代わりに
なって死んだという話は、主人と犬が霊的につながっていたと言う証拠である。
653日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:16:07
リアル池沼、リアル基地害、真性DQNで、チキン野郎の 馬鹿な学者の妄説信者へは、
粗悪な精子と卵子を使用して製造されており、
妄想癖があまりにも酷く、"若年性健忘症" も発症しており
"リコール対象" となり、精神病院に強制送還されましたぁ〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

本日、東京都某所の精神病院に強制送致された馬鹿な学者の妄説信者へは
早速、面談や脳のMRI検査を受けたところ、
脳腫瘍が見つかり、脳みその一部が腐敗して
ウジ虫がイパーイ湧いていて "重症" でしたぁ〜www

他の患者とは隔離された部屋に収容され、ベッドに寝かされて革手錠で
両手・両足を拘束された状態で24時間ビデオカメラによる監視が行われます

以上、馬鹿な学者の妄説信者へが精神病院に入院のニュースをお送りしましたぁ〜(^0^)/
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
654日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:32:09

【10月の臨時国会で民主・公明が外国人参政権法案提出へ】

            _,‐/.|       ヽ.,лi'\,‐i
           ノ   .|      ,ノ  (´・ω・`)´i
          /    `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
    _ __ノ‐-ー'     ,‐^'‐‐,iー,,l´        ~   ,}
 ‐‐=''‐'`フ   中国  ,‐´     `\   朝鮮  /"
     .t_   . i`ヽ_/   < `∀´ >   ~j      `i、
     .л)   .`j     ___,,,--、   '‐!      ζ
    __| . jヽ‐'´~    /''     `ヽ  ヽ, ,,---'´´~
    `フ `i      ノ        ヽ, /
    `'''ーt´   ,‐,/~          .i /
      <   _j 

韓国人の民度
ttp://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=98279&fid=98279&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_59&number=83664
貸し出しと返却を自由に市民たちの良心に任せる良心本棚がオープン !

 …3ヶ月後, 3千冊全部 紛失&未返却 orz
655日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:42:17
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
656日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:56:13
>652
織田氏の出里は越前織田剣神社。出自は忌部氏と言うのが定説。
657馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/06(火) 13:32:26
 継体天皇の正体
 第20代安康天皇が先夫の子に殺された。皇位継承の第1位は履中天皇の第1皇
子・市辺忍歯皇子であるが、安康天皇弟・雄略天皇が彼を狩猟に誘い出して暗
殺した。彼の二人の皇子・意祁、袁祁王に魔の手が伸びる事を直感した日下部
使主は、二人を丹波に逃れさせようとしたが、すでに追っ手が先回りしていた
ので、真清田神社のある一宮へ逃れさせた。すると、弟の袁祁王に子が生まれ、
根尾村で養育してもらう事になった。しばらくして、雄略天皇が亡くなり、清
寧天皇が病に伏した。皇子のない天皇は市辺忍歯皇子の遺児に後を継がせよう
として探索させた。意祁王が天皇になる事が決定したが、自分がなると弟が天
皇になる機会が無くなるので、先に弟に譲った。皇位を奪った方の男子が絶え
た為、正統の皇統の者を天皇にせざるを得なかった。朝鮮人は皇位継承を巡っ
て殺し合い、日本人は皇位を譲り合う。そこに日本人としての正当性が垣間見
える。
 その日本人天皇の継体天皇を、古事記では応神天皇の五代目の子孫と偽って
朝鮮人の皇統に組み入れ、またもや、聖徳太子を暗殺して皇位を奪回した。
 現在の天皇家に皇位継承の男子が絶えていたのも、正統な皇統から皇位を略
奪した禍の為である。礼宮の悠仁親王は人工授精によって出来た子である。佳
子誕生から12年目に出来た子であり、当時40歳の全白髪の礼宮の老けようから
自然に出来た可能性は低いのである。私が敢えて敬称を用いないのは日本人か
ら皇位を奪った朝鮮人を軽蔑しているからである。
658馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/06(火) 13:34:11
 神書「ホツマツタエ」
 私の予言通り天変地異(地震、台風)が起きた。今度の御前崎台風は日本列島
を縦断するようにかすめて、駿河湾辺りで上陸するだろう。洪水被害で稲が泥
にまみれて米が不作になる。来年から冷夏が襲って大凶作が続き、日本は餓死
者が激増する。兎年は戦争が蔓延する年であるぞ。
 伊邪那岐神がアワの歌の前半(アカハナマイキヒニミウク、フヌムエケヘネメ
オコホノ)を歌い、それに合わせて、伊邪那美神が後半(モトロソヨヲテレセヱ
ツル、スユンチリシヰタラサヤワ)を歌う。天の御柱を男神は左廻りに、女神は
右廻りに回って、言霊(48神)をつなぎあわせて行くと、遺伝子の2重らせん構
造が完成する。人間は48神の言霊神によって生まれたのである。
 男女2神が島産み、神産みを行った時、天の御柱を男神は天と感応する為に
左廻りに、女神は地と感応する為に右廻りに回って、女神が「わなにやし、うま
し男に、会いき」と声をかけ、男神が「あなにゑや、うましおとめに、会いぬ」と
声をかけた。すると、淡島とヒル子が産まれたので海へ流した。両神は太占で
神託を伺うと、女が先に声をかけたのが悪いと出た。今度は男神が先に声をか
け、女神が後に続けた。すると、日本列島と八百万の神が産まれた。伊邪那岐
神は最初の失敗をあ(吾)はじと述べた。これが淡路(あわじ)、尼崎(あまがさ
き)の地名の起こりである。
 田のゾ苗は日の「ウル」、畑のロ苗は月の「ナミ」の栄養が備わっている。人は
もともと心の中心は日と感応し、心から派生する心葉は月と感応する。きちん
とした食事をして、素直に生き長寿を保てば、死んでから魂魄は日月の家に帰
っていく。鳥も獣もこの日の「ウル」と月の「ナミ」の栄養素がまったくない。だ
から、中心と心葉が育たないのだ。中心と心葉に日月の霊気がないと天界の日
月の宮と感応出来ないで、もとに帰れず、動物へ生まれ変わってしまう。
 もし、間違って肉を食べれば、命はそれほど惜しくはないが、魂の緒が乱れ
て魂魄がもとの天界の宮へ帰れず、地をさ迷い苦しむ。さらに獣の種を求め合
って、獣に生まれ変わるのである。
659日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:55:50

    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
    | マルチポストの>>654>>655を回収に来ました。       板をきれいに |
    |__  ________                    __  ___|
     ,_∨_______       γ===============┐..    V
   . γ;二二二, ll .__/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//  \______/ )\ゥアア・・ 
. _  // ∧_∧ |.|| | .|    東京都   .l l,,,,,,,,,,,,,,,,,,\____/ /__\
[_].//( ´∀`).| || | .|           ヽヽ丶    |8|| ̄ / / ̄ヽ  |6|
.└/l__/__  ).| || .|__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽヽ ヾ-ー「:l|_/ /__∧ ヽ  ||
  |    (_/ [||| --|_________ヽヽ  ゞ |.:ll ./ /;´Д`) ミ. ∧_∧ ポイッ
  lフ  ,------|.l_|二二l_l/ ̄ ̄/l /γ二二..ヽヽ __ヾ |.:|/.    \ヽ⊂(∀`  )ミ
 [ll三// ̄ヽ\|.\===l二二l__l /// ̄ヽ\~ヽヽ_匚|]二||二二二||_.(⊂  )
  └--l .※ ..l ..凵======-l/.l .※ ..l |_l~(\__/~'==l=======l==/y  人
    丶  ./_/   丶_/_/    .丶  ./_/_/ ̄~~丶_/_/_/ ̄ ̄ ̄ (___)__)
660日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:33:39
リアル池沼、リアル基地害、真性DQNで、チキン野郎の
馬鹿な学者の妄説信者へが所有するパソコンは全てパクってきた盗品・盗品・盗品・盗品・盗品でぇ〜す(^0^)/
wwwwwwwwwwwwwww

絶対・絶対・絶対・絶対・絶対、盗品に間違いありませぇ〜ん!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

昨今の世界同時不況で、あちこちの企業・職場で
リストラが始まって、人員削減→派遣切り→正社員切り→失業の
暗いニュースが聞かれる今日この頃、
遂に身体障害者や知的障害者にも "粛清の嵐" が吹き荒れて
遅刻や無断欠勤の常習犯である馬鹿な学者の妄説信者へは
本日(7日)をもってクビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)
クビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)
クビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)
クビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)
クビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)
クビ切りカイ━━━〓〓(゚Д゚;)━━━コ!!(解雇)されますたぁ〜wwwww

リアル池沼、リアル基地害、真性DQNの馬鹿な学者の妄説信者へは
100%再就職できませぇ〜ん!wwwwwwwwwwwwwww


馬鹿な学者の妄説信者へ、ニート決定おめでとう♪(*^▽^)/
おめでとう♪(*^▽^)/おめでとう♪(*^▽^)/
おめでとう♪(*^▽^)/おめでとう♪(*^▽^)/
661銀河 秋彩:2009/10/11(日) 23:28:48
茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流(巻1・20)
あかねさす【大海人皇子(茜)(夏)が刺した】
紫野逝き【天智天皇(春)】
標野行き【今上(弘文)(春)天皇が統治している】
野守は見ずや【その弘文は、見ていないでしょうね?】
  額田王(推古天皇)(秋)
君が袖振る【大海人皇子、貴方が皇位を簒奪しようとしているのを】

★【額田王=君臨者・大田(十市)皇女=推古天皇=小野妹子(蘇因高=蘇の卑弥呼・ピぃむこ→ピ音の欠落→ぃむこ→いもこ)】
母・推古天皇と娘・大伯(明日香)皇女の二人の額田王の陵は【明日香の、菖蒲池古墳】

★【倭王・多利思比孤=姓は阿毎、字は多利思北狐、阿輩雛彌と号した利歌彌多弗利=軍王(こにきし)=天武天皇】
(継体&崇峻)天武天皇の墓は、「高松塚古墳(首無し遺体)」。

最初の即位「雄略天皇(聖徳太子)」の諡号は、【大津皇子】=二度目の即位・聖武天皇。

662日本@名無史さん:2009/10/12(月) 04:47:07
  Λ◎Λ   馬鹿な学者の妄説信者への主治医です。
 ( ´Д`)  この度、このような騒ぎをおこすに至ったことは、
 (\  /) 主治医として、大変残念な事であり、また、治療の効果が
  |____Ω__|  まだまだ現れていないことを証明しているため、そろそろ
 (__)_)  最終的な決断を下す必要があるようです。
        みなさんお聞きになったことがあるかもしれませんが、
        必ずしも心の病は、特殊な病気ではなく、誰もがそうなる
        可能性があります。しかし、だからといって、これ以上、
        馬鹿な学者の妄説信者へを放置することは、例えば何の関係もない人を傷つけたり、
        逆に馬鹿な学者の妄説信者へ自身の将来にとり、名から図示も良いことではありません。
        そこで、私は、馬鹿な学者の妄説信者への両親、臨床心理士などとも相談して、
        馬鹿な学者の妄説信者へをしばらくの間、ネットの出来る環境から離して、
        濃密な人間関係の中で治療をすることにしました。
        馬鹿な学者の妄説信者へにとっては、納得がいかないことかもしれませんが、私も、
        医師免許をかけて、馬鹿な学者の妄説信者へを徹底して直すことに致しました。
        どうかみなさん!馬鹿な学者の妄説信者へが戻ってきましたら、このような人を悲しませる
        スレではなく、みんなに感動を届ける以上の人間になっていると
        思いますので、暖かく見守ってやってください。
663馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/12(月) 12:15:22
 メ−ソンは人類の生き血を吸う吸血鬼
 サブプライムローンは低所得者を対象にした住宅金融債権で、初めは金利が
低率であるが、変動して高くなると言うもので、焦げ付いて債権回収不能にな
る危険性の高い金融商品である。メーソンはこれを日本等に売りつけて莫大な
利益を得た。これは詐欺商法である。また、為替と株価を操作(イカサマ博打)
して不当な利益を上げている。
 メーソンは八百長の戦争(テロとの戦い)によって軍需産業を潤し、その復興
事業を獲得して経済不況の景気回復を図っている。その為に市民が戦争で殺さ
れている。
 メーソンは特許侵害、欠陥商品、闇カルテル締結等言われのない事を訴訟事
件にしてその損害賠償金をせしめている。これはたかり商法である。裁判員制
度は洗脳された市民をメーソンの意のままに操って司法を支配する手段である。
メーソンは資本主義経済を牛耳る事によって世界を支配している。武力を背景
とした恫喝外交を行う事によって。その資本主義経済は弱者の犠牲が無くては
成り立たない。メーソンの様に借金を踏み倒せば負の数は存在しない。必ず世
界大恐慌となり、世界大戦の破壊・殺戮行為後の復興事業によって景気回復が
行われる。メーソンの作った経済を破壊しなければ、何時までもメーソンの奴
隷である。自由資本経済も共産経済もいずれは破綻する。アメリカは貿易と財
政の双子の赤字を抱えても国家運営出来るのは、基軸通貨のドルを湯水の様に
印刷し、国債を日本等に買わせ、詐欺商法等インチキを行っているからである。
この様な欺瞞が何時までも続く筈が無い。神の天産自給経済だけが永遠に続く、
人類幸福への道なのである。
664馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/12(月) 12:18:04
 神1厘の仕組み
 秋の高山祭の「布袋台」のからくりに神1厘の仕組みのヒントが暗号で隠され
ていた。これを仕組んだのは天海(光秀)である。かごめの歌の鶴(日本)と亀(ユ
ダヤ)が統べったがここにも表現されている。唐子が平行棒を空中ブランコの様
に飛び伝って、布袋の肩に乗ると言う演技を行う。成功すると紙吹雪と共に和
光同塵の旗が閃く。平行棒が経糸(ユダヤ)でそこに唐子の緯糸(日本)を通して、
錦の御旗を織りなさいと言っている。緯糸(日本)は筬で打ち叩かれる。(人類の
罪を贖う役目を負う)和光同塵とは菩薩が衆生を救う為に自分の本来の知徳の光
を隠し、穢れた俗世に身を現す事である。救世主が神1厘の仕組みを行って贖
い主になるまで、誰もその尊さに気づかない。即ち、物事の真理を知る者は優
れた知徳の持ち主だけである。あとの目くら・つんぼの衆愚はその菩薩の教導
を受けなければ、右も左も分からない。人は神だけが頼りである。大峠になっ
たら科学等は何の役にも立たない。
 敵を滅ぼす事なく、敵が敵でなくなる方法があるではないか。それが神1厘
の仕組みである。
 衆議院議員・中川昭一氏の泥酔会見は酒ではなく、薬物による酩酊症状であ
り、中川氏を失脚させる陰謀であった。民主党政権を阻止する者の見せしめと
して、メーソン暗殺部隊が毒殺したのである。父・中川一郎氏は自民党総裁選
に出馬して中曽根総理擁立を邪魔した為に、メーソン暗殺部隊によって絞め殺
された。
665銀河 秋彩:2009/10/12(月) 18:21:32
>637 :馬鹿な学者の妄説信者へ

 なかなか良く学習しているようですが、ちょっと違う。
「神武」は、【ヘブライ語サマリアの皇帝を意味する】そうですが、
「二重式読法(取り合えず、そう呼ぶ)」で記載されており、
【(真の天皇号の始祖)聖武天皇と重ねられている】。
「五瀬命」は、【(伊勢命)有間皇子】、「長髄彦」は、【大海人皇子】、
「大物主神」は、【推古天皇(額田王)太田(十市)皇女】、
「伊須気余理姫」は、【桜児=鵜野讃良皇女(のちに、持統太上天皇)】。
私は、「崇神天皇」は、【持統太上天皇】だと思う。
その夫【天武天皇】は、「崇峻天皇」である。
即ち、「聖徳太子(大津皇子の諡号)の、崇峻(天武)天皇弑逆」である。
天の海【大海人皇子】に雲【藤原氏】の波【蘇我氏】立ち月の舟【天武天皇の死】
 星【豪族たち】の林に漕ぎ隠る見ゆ 人麻呂(大津皇子)歌集(巻7巻頭歌)
例えば、大仙陵(前方後円墳)は、【マナの壺】の形をしている。
さすれば、最初に述べた【ヘブライ語サマリアの皇帝を意味する】と結びつく。
「高松塚古墳」の【葬者は大津皇子、被葬者は、天武天皇(首無し遺体)】である。
「魏の薄葬令」に適った大きさである。
ともあれ、【皇統君臨家(天皇家)の陵は、円墳】である。
666日本@名無史さん:2009/10/13(火) 18:14:33
┌───   初めてきた方への注意 ──────┐
|このスレッドは天才チンパンジー「アイちゃん」が  .|
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|                   日本霊長類研究所 |
└─────────────────────┘
667銀河 秋彩:2009/10/13(火) 19:45:28
では、「猿」と名前を変えたらどうだ、日本@名無史くん。(笑)
668日本@名無史さん:2009/10/14(水) 13:11:38

l

l

l

l

l
http://jp.sevenload.com/videos/aFMwfHy-09-06-20
6691262:2009/10/14(水) 19:52:32
馬子と太子は親子?
670馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 11:35:10
 神経と言う概念の嘘
 厳寒時に滝に打たれても風邪を引かないのは気を張り詰めているからで、運
動して汗をかいて風邪を引くのは気が緩んでいた為である。武士が真剣勝負の
果し合いで斬られても痛みを感じないのは、必死になって気が亢進しているか
らである。心が体に作用する。ではその心は何かと言うと、見る事が不可能な
魂である。その魂によって喜怒哀楽の感情が生まれる。悪い事をする時に気が
咎めるのは、人間の魂の中に神の分御霊が入っているからである。神の戒律を
破って悪業を行う事は、この御霊を汚してことである。人間の霊魂が邪霊と同
調して堕落しているのである。
 胃腸等の内臓の臓器は人間の意志では働かない。しかし、精神的な影響を多
分に受ける。人体を組織している細胞の一つ一つが自らの意志で動くが、脳(主
宰神)の命令に絶対服従するから手足が意志通りに動く。千切れた蜥蜴の尻尾は
脳の命令によらなくても自ら動く事が出来る。首を切られた鶏を食道から餌を
与えて育ててやると、長い間生きて歩き廻ったと言う事例がある。人間が邪霊
に憑依されて体を操られる現象は、科学では全くのお手上げ状態である。精神
異常と誤魔化す外ない。運動、感覚神経と言う概念は全くの嘘である。神経に
よって何が伝わるのか。電気信号等では心の影響を受ける要素はない。神経は
神と人との意志伝達である。神(脳)が人(手足等)を超能力で動かし、人(感覚)
は神(脳)に霊能で感覚を伝える。針麻酔は針の刺激で神経鎮静作用のエンドル
ヒィンが出ると言った嘘で誤魔化している。
 東洋医学の裏表48の経絡は言霊神48神が体を巡る通路であり、邪気が侵入す
る道であり、つぼは開口門である。つぼから神気を取り入れ、邪気を追い出す
事によって病は治る。五臓六腑の陰陽の平衡が崩れた隙ををついて邪気が進入
するから、その平衡を保つ事が大切である。正しい生活、食事に努める事によ
って健康は保たれる。
671馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 11:49:11
>>665 銀河君は聖徳太子の正体をまず学習しなければならない。
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、
歴代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになってい
る。と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、聖
徳太子の祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。
 聖徳太子の正体は用明天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用明2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用明天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると断定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
672馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 11:57:09
 つづき 聖徳太子の謎
 蘇我馬子の専横によって、蘇我稲目の娘の子が用明天皇になり、次に崇俊天
皇になった。崇俊天皇が暗殺されて、蘇我氏の血筋の男子が絶えた状態になっ
た。当然聖徳太子が天皇になれば良いのに、用明天皇の妹が推古天皇になった。
なぜ、太子は天皇になれなかったのか。摂政を務めるなら天皇になれば良い。
 この後押坂彦人大兄皇子の子が舒明天皇になり、其皇后が皇極天皇になった。
皇極天皇在位中に蘇我入鹿が専横の罪で中大兄皇子に暗殺された。彦人皇太子
は蘇我氏の血筋ではない。なぜ、天皇の血筋が本筋に戻ったのか。どうして、
本筋に戻った事が蘇我入鹿の専横となるのか。皇極天皇は後に斉明天皇になる。
この辺りの皇位継承はおかし過ぎて話しにならない。時の彦人皇太子がいつ亡
くなったのか分からないのもおかしい。
 聖徳太子は仏教を普及させた事になっているが、神道の奥義書、先代旧事本
紀大成経を撰述している。この中に予言書の未然本紀がある。神仏論争時代に
この両立は難しい。
 太子の正妃は莵道貝蛸皇女であるが、太子が病となり、妃の膳大郎女が看病
して二人が同時に亡くなった。太子の死亡年が621年と翌年の2説ある。太子
を妻でなく妾が看病し、二人が同時に死亡し、その年が2説ある。こんな話は
不自然であり、2説あるのは捏造の疑いがある。
 「上宮聖徳法王帝説」に、聖徳太子と山背大兄王が親子でないと言う人がいる
ようだが、それは良くない事だとある。そのように言論統制するのは本当の事
が広まると困るからである。書記は太子の子が山背大兄王だと言っていない。
 729年に長屋王が死亡し、737年藤原不比等の4子が疫病で死亡した翌年から
藤原氏が法隆寺の食封を再開し、夢殿を建立した。これらの行為は長屋王の怨
霊封じであり、長屋王が太子の孫だと分かると、法隆寺が太子一族の怨霊封じ
の祈祷をした事が分かる。
 隋書に、600年倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比孤(天足彦)で天下を支える
男(天皇)となる。この時は推古天皇で男の天皇は聖徳太子以外は考えられない。
673馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 12:04:43
 法隆寺の謎
 聖徳太子は607年に法隆寺を父用明天皇の為に薬師如来像を本尊として建てた。
 しかし、623年に太子の菩提を願って遺族が造った釈迦如来像と鎌倉時代の阿
弥陀如来像が同じ金堂に三具並んでおり、中央の釈迦如来像が本尊だと分かる。
薬師如来像は釈迦如来像に比べて鋳造技術が進歩した物であり、前者の方が後
作となり、製造年が逆転する。法隆寺の本尊が2具あるのはおかしい。
 書記に670年に法隆寺が焼失したとある。しかし、「法隆寺縁起幵記資財帳」
には再建されたと言う記載が無く、建物の尺度が大化の改新以前の高麗尺で後
の唐尺でないから、再建説は成り立たない。様式も雲形斗栱など飛鳥時代の物
である。西院伽藍内を掘ったが焼土は無かった。
 すると、若草伽藍説が出てきたが、再建するなら同じ場所に建てる筈で、法
隆寺の南に面する向きと若草伽藍では、ずれている。区画の時代が違うのだ。
 609年に造られた飛鳥寺の丈六如来像の大衣は、右肩から前を覆って後ろへ
回して左腕前膊にかけているから襟が2重である。しかし、法隆寺の釈迦如来
像は襟が1重で最後は左肩の背面に垂れている。作者は両方とも止利で、前作
が正しく着用し後の物が着用法が分からないのは理解に苦しむ。釈迦如来像は
溶銅が拙く鋳造し直した跡がある。
 このように文化が衰退したのは侵略されたからであり、大化の改新を境とし
て飛鳥から天平へと移り、唐様式になったのも侵略が原因である。
 書記が670年に法隆寺が焼失したと記した目的は、唐文化によって再建した
事にしないと飛鳥文化の技術の高さを否定出来ないからだ。
 やはり、聖徳天皇は大化の改新時に暗殺されて、それを隠蔽する為に622年
に病死したと言う嘘を後世に残す為に釈迦如来像が造られ、薬師如来像は聖徳
太子の様な聖者が仏教を勧めたと言う方便で仏教を普及しようとした。其像が
あった寺が太子の崇りで焼失したから法隆寺に移したのである。
 天皇家はフリーメーソン
 狛犬を研究して分かった事だが、神社の前にある狛犬の起源は古代イスラエ
ルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、左のものは狛犬で本当の
姿は一角獣の麒麟である。皇室に伝わる紋章にも同じ物がある。
674馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 12:07:50
 朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
 日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
 大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。二人は天武天皇の血筋ではない。
 天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
 文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。
675馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/16(金) 12:09:31
 長屋親王は天皇になっていた
 天皇は中国語読みではてんのうだが、日本語読みではあめのすめらきと読む。
天孫降臨説から天を前につけているが、皇の一字で天の下を治める尊と言う意
味である。また、王は1国を治める君主である。皇子は天皇の嫡流の子で親王
はその孫である。王子は嫡流外の子を指す。
 昭和63年から長屋親王邸の木簡の発掘調査が行われた。邸宅は5.7ha
の広さで、不比等邸に匹敵する。
 宅地東辺に掘られた溝から大量の木簡が発見された。
 長屋親王宮大贄鮑十編
 これは長屋親王に献上された干しアワビに付けられた荷札で、大贄とは天皇
の食物を表す。長屋親王は皇太子になる前に、天皇の代理を務めていた?献上
する者が親王と尊称し、大贄と書いた。
 吉備内親王大命以符 婢筥入女進出
 吉備内親王の命令で端女の筥入女を呼び出す。大命とは天皇の命令を表す。
これは長屋天皇の死後、その室である吉備内親王が天皇の代理を務めていた?
 長屋親王御命符
 長屋親王の命令書に御命が使われており、これも天皇の命令を表す。
 長屋皇宮俵一石舂人夫
 長屋天皇の宮で人夫が米一石搗く。
 後皇子 後皇子命宮
 後天皇の子 後天皇の子の宮殿
 芳野幸行用貫簣
 天皇の芳野御幸(外遊)用荷物
 長屋親王邸の木簡が千年以上の間保存出来た理由は、粘土によって密閉され
て、空気と水から遮断されていたからです。溝に廃棄後すぐに、粘土で埋めら
れたと考えられる。すると、この木簡を後世に残そうとした意図が読み取れる。
 以上のことから推論すると、長屋親王が前皇(聖徳天皇)の孫で後皇(高市天
皇)の死後、長屋親王が天皇の代理を務めたのは祖父、父が相次いで殺された
からである。後に天皇になったが藤原氏の陰謀によって毒殺された。その室吉
備内親王が天皇の代理を務めていたが、長屋天皇一族すべてが殺された。その
事実を後世に残そうとして、家臣が木簡を土に埋めて隠したのである。
676日本@名無史さん:2009/10/18(日) 00:31:13

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677日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:49:06
聖徳太子は百済人
678日本@名無史さん:2009/10/19(月) 14:35:00


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└─────────────────────┘

679馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/20(火) 12:48:10
 ノーベル賞はペテンで賞
 湯川秀樹は仁科芳雄博士の理化学研究所から原爆開発の機密文書を盗み出し
て、メーソンに提供した功績によってノーベル物理学賞を与えられた。湯川は
原子同志が電子を交換し合って結合しているのをヒントにして、原子核内の陽
子同志も中間子を交換し合って結合していると言う仮説を立てた。原子が結合
するのは核内の陽子と電子との間に電気的な引力が働く為であるが、陽子と中
間子との間に作用する力の本体が不明のまま中間子理論が提唱された。この弊
害的理論によって無数の素粒子(虚構)が誕生し、その素粒子同志を結合させる
新たな架空の素粒子が偽作され続けた。無数の素粒子は中性子が電子に崩壊す
るまでに見せる中性子の様々な形態である。
 陽子と電子との間に電気的な引力、斥力が働くのは、エーテル圧均等力によ
るもので、核力はエーテル圧均等力によって電子雲が中性子を凝縮させている
力である。陽子と中性子は同一の物である。
 南部陽一郎、益川敏英、小林誠の三馬鹿トリオは、事実を捻じ曲げた嘘の科
学を世に広める為に物理学賞を与えられた。
 佐藤栄作は沖縄返還協定で米が支払う事になっていた土地の原状回復補償費
4百万ドルを、国民を騙して日本が肩代わりをし、核兵器の沖縄への持込の密
約を結んだ為に平和賞を与えられた。
 大江健三郎は沖縄戦の集団自決は軍部の命令だと主張し、日本の自衛戦争を
侵略戦争の悪におとしめる様奔走している。大江は日本人の誇りを傷付けて日
本人を堕落させる為に文学賞を与えられた。

680馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/20(火) 12:50:09
 神の弥勒神政への立て替え
 神がこの世の不要な物を破壊し、人の生き血を吸っている鬼を退治する。
 野生の動物は金がなくても勤労しなくても楽々と繁栄しているではないか。
それは人間の様な贅沢な生活を望まず、神の自然の恵みだけを頼りに生活して
いるからである。神の戒律を破ったものが肉食獣の餌食となる。人間は動物に
見習わなくてはならない。
 人間は金がなくて生きて行けないのは、税金、健康保険料、年金保険料、布
施等で金を搾取されているからであり、生き血を鬼に吸われているからである。
食糧等は自給自足でまかなえばよい。すると、この世の不要な物は今の人間文
明の全てである。なぜ、神が台風や地震等によって、それらの物を破壊しよう
とするのか分かるではないか。がんや豚インフルエンザ等の病気が存在するの
は、人の生き血を吸っている鬼を退治する為である。
 我々は江戸時代の生活に戻らなくてはならない。我々の仕事が無くなったの
は機械文明によって仕事を奪われたからである。便利さにうつつを抜かして、
逆に人間が機械に使われているのである。
 支配階級の武士がいなくても犯罪がない社会、自給自足と相互扶助の人情豊
かな優しい社会、神の自然の恵みを感謝する神祭りが行われ、神と人が交流出
来る社会、正義と真実がまかり通り、悪と偽りが淘汰される社会、人物が正し
く評価され、人格者が上に立って活躍し、礼儀、秩序が守られる社会。それが
人類幸福への道であり、弥勒の世である。
681日本@名無史さん:2009/10/20(火) 23:14:20


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682銀河 秋彩:2009/10/25(日) 04:06:55
アホな君は、【史実】を知らないな。(笑)

  倭国・物部系(夏)
 母「(君臨者)皇極太上天皇」=【倭国・筑紫王朝・物部系(夏)】=【同時に高句麗王】
(子)末弟「(統治者)孝徳天皇(★大国主命)」=【倭国・筑紫王朝・物部系(夏)】=【額田王・太田皇女の先夫】
(孫)孝徳の長男「有間皇子(夏)」=【即位したが、天皇名(諡号)は不明】
 「藤ノ木古墳」=【孝徳天皇と(グルグル巻の仏像のモデル)有間皇子(定恵)の陵】。
 「法隆寺」は【県犬養(橘)三千代の菩提寺=倭国・孝徳天皇と有間皇子の怨霊封じ】。聖徳太子の怨霊封じでは無い。
  復活倭国・物部系(夏)
(子)長男「泉蓋蘇文(いり・かすみ)」=【高句麗の大臣・のちに、(復活倭国)天武天皇(夏)】=【孝徳天皇の皇太弟】
 「檜隈大内陵(通称・天武持統陵)」から移葬された「高松塚古墳の被葬者」=【天武天皇(首無し遺体)】
(復活倭国)「持統太上天皇」=【鵜野讃良皇女(莵道貝蛸皇女)】

  皇極太上天皇、長男の泉蓋蘇文(いり・かすみ)に殺される。
君が目【皇極太上天皇の国】の恋しきから【韓】に泊てて【果てて】居て
 斯くや恋ひむも君が目【国】を欲り  中大兄・統治者の職掌【倭国・孝徳天皇】
683銀河 秋彩:2009/10/25(日) 04:08:46
  新羅・天智大伴系(春)
祖父「新羅王・武烈」=百濟鎮將・劉仁願=【天智天皇(春)】
 父「用明(景行)天皇」=【天智天皇の長男・弘文天皇】=【額田王・太田皇女の後夫】
長男「●聖徳太子」=【雄略天皇(ヤマトタケル)=大津皇子=聖武天皇】
=【母は蘇我系(秋)推古太上天皇、父は天智系(春)弘文天皇】。

  大倭国・蘇我大王家(秋)
祖母「(君臨者)斉明太上天皇(★天照大神)」=【大倭国蘇我系最初の君臨者(鏡皇女・安見児)】
 母「(君臨者)推古太上天皇」=【大倭国蘇我系の君臨者=●額田王・太田(十市)皇女=大津皇子(聖徳太子)の母】
長女「(君臨者)○○太上天皇」=【大倭国蘇我系の君臨者=額田王・大伯(明日香)皇女】
長男「(最初の即位)雄略天皇」=【太政大臣・大津皇子(諡号は、聖徳太子)=聖武天皇(二度目の即位)】

  巨勢(こせ)藤原系〈冬〉
父「(統治者)舒明天皇」=【中臣嘉摩子(斉明太上天皇の夫)=藤原鎌足】
長男「(統治者)藤原不比等」
 
684日本@名無史さん:2009/10/25(日) 22:34:42

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685馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/26(月) 09:54:08
 映画「沈まぬ太陽」は洗脳映画
 1985年に起きた日本航空機御巣鷹山墜落事故の原因は、圧力隔壁が急激な減
圧によって破壊されて、それによって垂直尾翼の油圧系統が破損して操縦不能
になったと結論付けられたが、これを否定する証拠写真が存在する。客室乗務
員の指示で酸素マスクを付けている乗客を写した写真である。圧力隔壁を破壊
する様な圧力が働いたのなら、人間の鼓膜が損傷して乗務員の指示を聞き分け
る事が不可能である。自衛隊が事故当日の夜に捜索を断念して翌日に再開した
と言っている。しかし、米空軍のアントヌッチ中尉が迷走する123便を追跡して
無線で墜落位置を連絡している。「ラージ ファイア フロムヨコタ 305度 34
マイル」火災の煙で容易に発見出来た筈であり、自衛隊は緊急に救助活動を行な
うべきである。なぜ墜落位置が不明だと言う嘘をつく必要があったのか。それは
横田基地の米軍機がミサイルで打ち落とした痕跡を消す為に、自衛隊がその隠蔽
作業を行なう時間が必要だったのである。ボーイング社が圧力隔壁の修理ミス
を認めたのはメーソンの圧力がかかったからである。
 福知山線脱線事故は工作員による置石工作事故である。運転手が急ブレーキ
をかけた姿勢で死亡しているのに、レールにその痕跡が残っていないのである。
半径3百メートルのカーブを時速100q程度のスピードで疾走しても脱線しない。
100qで脱線するなら新幹線は常時脱線し、自動車は高速の中央分離帯に激突す
る。さらに、連結した車両同士が牽制しあって脱線を防ぐ。ブレーキの効かな
い電車、脱線したと気付かなかったと証言した車掌等不可解な事が多すぎる。
松川事件と類似している。
 メーソンはこの様な見せしめを行なう事によって、日本の政治家どもを脅し
て牛耳って来たのである。
 映画「沈まぬ太陽」は二つの事故を、会社側の過激な労働条件が原因であるか
の様に思い込ませ、事故の真相を闇に葬る為に作られた洗脳(プロパガンダ)映
画である。
686馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/28(水) 11:15:32
 穢らわしい毛唐の科学には真実など無い
 毛唐は肉食獣だから生臭い死臭がして臭くてかなわない。菜食者の遺体から
は菊花の香りがする。
 大己貴命一人巡りて民の糧毛肉許せば肥えつのり皆早枯れす。稲は穂虫奇杵
命馳せてこれを問う。下照姫の教え草習い帰りてオシの葉に肩けば穂汚の虫去
りてやはり老やむ実る故。
 大国主命が民の食糧を監視する。獣肉を食すると肥えて早死にする。久延彦
命がこれに怒りて稲の害虫を発生させる。下照姫が押草を手にして言霊で祓え
ば蝗が逃げて稲が稔る。
 人の雅は情け枝。天より授く魂と魄結ぶ命の魂中心。生む血は肝ぞ魄の根葉。
腎心葉肺結ぶ。四臓の脾や根の六臓渡る雅が物を知る。
 人の雅(言霊神)は情け(神の分け御霊)の枝。天より授かる魂と魄が魂の緒で
命を結びて、心臓に魂が宿り拍動する。その生命体の魂が血液となって肝臓に
納まる。魄の拠り所である。腎臓は心臓の拠り所である。肺臓が魂と魄を結び
付けている。四臓の脾臓や拠り所の六腑を雅が巡って神の分け御霊が物を理解
する。魂は酸素(太陽の霊気)で生命活動の源である。魂(火)と魄(水)が結ばれ
て精(土)となる。太陽と月が結ばれると地球となる。
 雅中心に告げ置けば血脈の痛みも知る中心。心葉悪しき業なせば雅中心に告
ぐあわれ。転ぶが起すあわれ枝まして我が身は雅より胸に通ずれば、怪しなく
身を修れど。盗む心葉雅より五臓に告げて安からず。眉目に言葉に煩ぐくまり、
雅からとき過ぎて成るハタレども。それ試みに業をなせ、我卑除く雅有り。こ
れ松榧の膠なるぞ。雅無ければ身も枯るる。渡る雅が物を知る。情け中心に通
えると。
 雅(言霊神)が心臓に告げれば血脈の痛みも知る心臓。腎臓が悪しき業を行え
ば雅が心臓に告げるあわれ(他の痛みを感じる)。悪を防ぐ枝を増して我が身は
雅より胸に通ずれば怪しくもなく身が修まる。盗む思いが雅より五臓に伝わっ
て動揺する。人相が悪くなり、言葉もおどおどする。雅から時過ぎて発生する
魔軍。試しに悪しき業を行えば魔軍を防ぐ雅がある。これは松脂の様な物であ
る。雅が無ければ身も枯れる。雅が巡って物を理解する事が出来る。神の分け
御霊の心臓に雅から伝わると。
687馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/29(木) 12:23:02
 メーソン鳩山由紀夫の狙いは日本防衛網の無力化
 鳩山は沖縄にある米軍基地を海外(グアム等)に移転させて、北朝鮮、中国と
ロシアの日本侵略を容易にして、日本を共産主義国家に改革する野望を持って
いる。正に日本赤軍(左翼)である。この思想を近衛文麿も持っていた。
 鳩山が日米合意の普天間移設に反対しているのは、このまま両者の話し合い
が物別れになって、米軍がグアムに撤退すれば好都合なのである。メーソン米
国もそれによって日本を戦争に巻き込める事が出来るから望む所である。鳩山
と米国が八百長の喧嘩をしているのである。ロシア等を裏で操っているのもメ
ーソンである。
 メーソンの悪魔がイスラエル(本当は日本)でハルマゲドン(神と悪魔との戦い)
を行って全知全能の神を破って、その座を奪おうと悪巧みしている。日本は創
造神が守護する最後の牙城である。悪魔は日本人を人質にとって神を言いなり
にしようと企んでいる。
 日本と米国が普天間移設で揉めている時に、海上自衛隊の護衛艦「くらま」が
韓国籍のコンテナ船と衝突した。護衛艦の船首があの様に激しく炎上する事は
有り得ない。船首には燃料も爆弾も存在しない。メーソンの命令によって護衛
艦が故意に衝突事故を起こしたのである。「第1幸福丸」の転覆事故は潜水艦の
仕業である。1988年、海上自衛隊潜水艦「なだしお」が故意に衝突事故を起こし
て、「第一富士丸」の乗客30名を殺した事件と類似している。メーソンが日本を
からかって嘲笑しているのである。
688馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/10/31(土) 13:21:33
 今も昔も世の中は悪と嘘が勝利し正義と真実が敗れ去る
 直江兼続は主君・上杉景勝を動かして、石田三成と共に関ヶ原合戦を引き起
こした張本人である。家康が上杉討伐の軍勢を率いて行く途中の小山で、三成
の挙兵が伝わったとあるが事前に把握していた。小山軍議で福島正則に「内府
殿にお味方申す」と発言させたのは予定の筋書である。他の大名は三成に大坂
で妻子を人質に取られ去就に迷っていた筈である。細川忠興の妻・玉子が自害
したと言う話は嘘くさい。キリシタンは自殺しないし、無抵抗主義である。秀
吉が主君・信長の仇を討って天下を取ったのだから、玉子(光秀の娘)を離縁し
なければならない。しないで済んだのは光秀が信長を殺していないからだ。秀
吉と家康が共謀して信長を殺した。家康にとって玉子の存在は目障りであった
から隠れて貰った。三成は玉子の自害で人質を見逃す口実を得た。殆どの大名
は妻子が助かる保証を得ていたから家康に味方した。労せずに味方の軍勢を得
て戦う事が出来た。なぜ上杉軍はこの軍勢を追撃しなかったのか。直江は家康
に喧嘩を売って、命懸けの勝負に出た筈である。それが武士の矜持である。三
成の軍勢と挟み撃ちにすれば徳川家は滅んでいた。直江は敗戦後なぜ死罪にな
らなかったのか。家康は「毛利の家老には宍戸、島津には伊集院がいる。こい
つらは皆三成に頼まれて自分の主人に逆心を勧めた連中だ。直江一人成敗すれ
ば、奴等は皆自分も殺されると思って、領国に楯籠もって大乱を招く。直江は
助けて置くのが得策だ」と述べている。これは大嘘である。関ヶ原合戦の際毛
利を吉川広家が、小早川を稲葉正成が徳川方の軍使で見張っていた。だから、
毛利等は動けず、小早川は裏切った。島津義久は義弘を代理に立てて西軍に参
加させたが、義久は徳川方で義弘の兵増強を阻んだ為、千人余の手勢となった。
 三成も直江も家康も皆ぐるで、八百長の喧嘩を演じていた。関ヶ原合戦は豊
臣恩顧大名を共倒れにして徳川が天下を取る為の権謀術数が働いた世の醜悪を
見せた物である。今の世はそれが極まった世の末で、だからこそ絶対神が世を
立て替えるのである。
689今も昔も世の中は悪と嘘が勝利し正義と真実が敗れ去る :2009/11/01(日) 14:53:37
 司馬遼太郎の阿呆が書いた坂の上の雲では日露戦争の真実は分からない
 帝政ロシアはアジアを侵略する基地として旅順港を整備して防衛の為の要塞
を構築した。望台砲台には射程10qの巨大な海軍砲が設置され、それを護る様
に堡塁が構築された。その堡塁は厚さ2mのコンクリ壁で覆われ、28サンチ榴弾
砲をもってしても破壊出来なかった。
 この堡塁の存在を知らずに第三軍の乃木司令官が第1回旅順総攻撃を行った。
死傷者1万6千人を出した。軍令部は弾が欠乏した時点に至っても海外に殺人用
の榴散弾を発注した。大本営の阿呆が兵士を殺したのである。決して乃木司令
官が無能なのではない。無理な攻略期限を押し付けた大本営が悪いのだ。
陸軍としては堡塁を落とさないと望台砲台を破壊出来ない。武器弾薬の乏しい
日本は肉弾攻撃しか方法がなかった。28サンチ榴弾砲を使用したが、第2、3総攻
撃は失敗した。海軍の要望を聞いて、203高地攻略に切り替えた。死戦を乗り越
え、戦傷者2万人出して攻略した。そこから旅順艦隊を砲撃したと言うが、28サ
ンチ砲は榴弾であって徹甲弾でないので、鋼鉄で鎧われた軍艦の装甲を貫く事
は出来ない。黄海海戦で艦船は修理不能になっていた。203高地攻略は無意味で
あった。
 黒溝台会戦でロシア軍10万人が総攻撃をかけてきた。秋山支隊ら8千人が塹壕
を掘って陣地を構築し、鉄条網と機関銃で死守した。
 奉天会戦は膠着状態に陥っていたが、追い風の神風が吹き、ロシア軍は砂塵
で視界を奪われ、クロパトキンが難攻不落の旅順を落とした乃木の第三軍を恐
れて、混乱の末退却した。
 乃木は将兵から慕われ、この人の為なら命を捨ててもよいと思わせる風格を
持っていた。だから、砲撃の援護射撃に助けられた決死の肉弾攻撃が成功した
のである。偉大な乃木だけがなせる業である。司馬は乃木のこの精神主義を否
定し、戦術面の功罪ばかりを述べて、嘘の羅列の日露戦史を参考にして、児玉
源太郎を持ち上げている。児玉は大本営の過失を乃木に押し付けて、乃木の手
柄を横取りしたのである。
690馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/03(火) 10:56:06
 女は魔物
 安珍清姫物語
 今から千年の昔、奥州白河に安珍と言う若い山伏がいて毎年紀州へ熊野詣を
していた。そこの宿の娘・清姫に懸想され据膳を食べた挙句、妻にする約束を
してしまった。何時まで待っても現れない安珍に絶望して、清姫は日高川に入
水した。騙されたと悟った清姫は怨霊の大蛇に化身して恨みを晴らそうとする。
可愛さ余って憎さ百倍となる。安珍は道成寺に助けを求めて、寺の僧が重い釣
鐘を下ろしてその中に安珍を隠した。大蛇は安珍を見つけ出し、口から火を吹
きかけて攻め立てる。後で鐘の中を調べると焼け焦げた安珍の亡骸があった。
 夜叉ヶ池伝説
 美濃の国の神戸に安八大夫と言う長者がいて、沢山の田畑を持ち、百姓を使
役していた。817年、大変な旱魃があり、作物の葉が黄色くなって枯れる寸前に
なった。長者は竜神(魔神)に雨を降らせてくれるよう祈願した。生贄の娘を出
せば望みをかなえると言う。長者は自分の娘をさし出した。すると、雷と共に
大雨が降って作物が蘇った。その娘が大蛇に化身して、夜叉姫となって池に住
みつくようになった。人々はその池を夜叉ヶ池と呼ぶようになった。
 人の憎しみ、妬み等の悪情念が邪気となって大蛇を生み出すのである。悪魔
を生み出すのは人の心からである。女は竜が人頭竜(人魚)となり、人頭竜が人
間に進化したもので、獣性が残っている。その獣性が仏教の五戒(不殺生、不偸
盗、不邪淫、不妄語、不贅沢)を破るのである。その為に血の穢れと出産の痛み
が与えられている。自分の美容と若さを保つ為に、人工中絶の胎児エキスを服
用したり、男の精を吸い尽くそうとするのである。
691馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/05(木) 13:39:31
 日本のサムライよ立ち上れ
 高知県知事裏金疑惑は2003年9月県議会で自民党議員の依光が、橋本知事が19
91年知事選で後援会長から1億円を借り、県の大型工事を受注した建設会社・熊
谷組、新進建設から集めた裏金で返済したと指摘した事から発覚した。
 日本歯科医師連盟闇献金事件は2004年7月同連盟の不正会計で発覚し、2001年
7月、元総理橋本龍太郎が同連盟から料亭において1億円の小切手を受け取り、
収支報告者書に記載しなかった。
 この二つの事件は時期的に近く、金額も同じ1億円である事が怪しい。メー
ソンは自民党の派閥を解体する為に嘘の汚職事件を捻り出したのである。日本
歯科医師連盟闇献金事件は収支報告書に記載すれば問題なかった。1億円を渡し
た同連盟の臼田貞夫が有罪になっているのに闇献金を指示した村岡兼造が無罪
なのもおかしい。
 小沢一郎の資金管理団体陸山会の収支報告書の2004年分の収入の借入金4億
円は、西松建設等の闇献金で、定期預金のままでは出所を追及される為に土地
に換えて証拠隠滅した。その年に土地売買の会計処理を行うとばれるので翌年
に偽装した。これで定期預金を担保にして借金してその金で土地を買ったと言
う嘘で誤魔化そうとしたのである。
 小沢由紀夫の故人献金問題も闇献金を誤魔化しているのである。
 政治家どものワルは公金を食物にした賄賂を懐にして、選挙資金や重要ポス
トに就く為の謝礼にして議員出世の悪巧みを図っている。
 国民が汗水流して稼いだ金(生血)を、行政が経費だ、銀行が預金だ、証券会
社が投資だと騙して吸い上げて、メーソンに貢いでいる。そうでなければ経済
大国の日本が借金大国になる筈がない。
 こいつらの跳梁跋扈を許したら、日本は破産して外国軍の侵略を許す事にな
る。国賊は市中引き回して処刑獄門にしても飽き足らない。
 我々サムライは政府の政策に徹底抗戦して税金等不払いを敢行して、平成維
新を成し遂げよう。第2の坂本竜馬の出番が来たのである。勇気のある士は立ち
上れ。卑怯者の蛆虫は指を咥えて見物していろ。
692馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/07(土) 08:51:59
 地動説敗れたり
 地球は慣性力によって東方向へ南面して左旋回していると言う。大気も地球
の自転と共に左旋回している。空中で羽ばたいている浮かんでいる蝶々はこの
空気の流れに身を任せているから止まって見える。この蝶々が急に空気の流れ
に逆らう様に西方向へ飛び立つ時に、空気の抵抗と体重が作る横Gを受ける筈
だが、蝶々は軽やかに飛び去った。逆に東方向へ飛び立てば追い風を受けて加
速される筈だが、そんな風には見えない。
 星座は北極星を中心点にして北面して、左旋回して1日に1回転している。こ
れを北極点で観測すると、北極星は動かず1Åのずれも生じない。今度は赤道上
から観測すると北極星は半径yÅの円運動の軌跡を描いた。これは地球が自転
して観測点が赤道半径6,378qで円運動している為である。(半径yÅの円運動
とは仮に自転していると仮定した場合の想像上のものである)地球は公転半径14,
960万qで1年に1回転している。すると、赤道上から観測すると北極星は半径
yÅ×23000の円運動をしなければならないがそんな現象は見られない。
 恒星までの距離を年周視差で求めます。地球の公転軌道の直径を基線として
三角測量するのです。太陽ー北極星ー基線の端が作る角度が年周視差です。こ
の角度によって北極星の距離は1985年まで800光年であったが、1998年に430光
年と訂正された。その理由を大気の揺らぎの中でこの角度を測定する困難さの
誤差だと嘘を言っている。430光年と言うのも嘘である。
 月がいつも同じ模様の面を見せているのは、公転と同じ周期の29日に1回転で
自転しているからです。こんな話を鵜呑みにするのは馬鹿である。月の自転も
公転も偶然の結果であり、偶然の慣性力で回転している。その両者が一致する
確率は万が一もない。月のクレーターは隕石衝突の跡である。それによって自
転の回転力にブレーキがかかる。誰が自転と公転の周期を一致させているのか。
普通に考えれば月が自転していないと考えるのが正しい。
 以上の論拠によって地動説は誤りで天動説が正しい事が証明された。
693日本@名無史さん:2009/11/07(土) 09:14:50
女帝をカモフラージュと仮定したら
■教科書
 33推古34舒明35皇極36孝徳37斉明38天智39弘文40天武41持統
□史実
 33聖徳34舒明35古人36孝徳37有馬38天智39弘文40天武41高市
694馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/10(火) 09:32:07
 科学を信ずる者は地獄へ落ちる
 物体に慣性力が働くのはエーテルの働きの為である。電気の+はエーテル圧
の低い領域であり、−はエーテル圧の高い領域である。エーテル圧均等力によ
って電気的な引力、斥力が働く。電子はエーテルを放出して崩壊し、磁気力は
エーテルの渦が作る回転力である。重力はエーテルが地球の裏側に廻り込もう
とする力である。核力はエーテル圧によって電子雲が固められ、電子から放出
されるエーテルが中性子を凝縮する力である。核内の中性子が電子に崩壊する。
原子力は電子の向きが揃って核内に向かって凝縮させていた配列が崩れて、中
性子が電子の形態を通り越して一気にエーテルに崩壊する現象である。
 三田光一氏が月の裏側を念写した時、彼の霊体が一瞬の間に月の裏側に到達
してそれを目撃し、瞬時に体に戻ってその記憶の映像を念写したのである。霊
体はエーテルの束縛を受けないので一瞬の間に宇宙の果てまで到達する事が出
来る。光速度Cを遥かに超えた速度である。本当の光の速度も同様である。
(光速度Cはエーテル波の速度である)
 相対性理論によると、光速度を超えると時間が遡って(光速度が不変だとか、
それを超えると時間が遡るとか。なぜ光速度だけが特別扱いになるのかその理
由が不明である)過去の時空にワープするそうだが、霊体は宇宙の果てや神界の
様子を目撃して、それを記憶して戻って来るだけである。こんな話をすると馬
鹿の石頭の学者は信用しないが、平田篤胤が神隠しに遭った仙童・寅吉から聞
き出しているのである。
 昔から語り伝えられた迷信と呼ばれるものが真実であり、科学はそれを否定
して人々を虚構の中へ惑わせて、地獄へ落としているのである。
 なぜ、今豚インフルエンザで人が死ぬのか。昔はなかったエイズ、狂牛病等
の病気が発生するのか。天変地異の起きるサイクルが急に早まったのか。それ
は神が人間を裁く事によって、人間の悪業を知らしめようと無言の伝言を送っ
てくれているのである。
695日本@名無史さん:2009/11/12(木) 16:26:32
覆されるか『日本書紀』/第一回・神武天皇はどのように<創られた>のか
誌名 : 週刊朝日 [ 2009年11月13日号]
キーワード : 足立倫行/三輪山 、 天照大神 、 桧原神社 、 箸墓古墳 、 纒向遺跡
キーワード2 : 邪馬台国 、 前方後円墳 、 松木武彦教授 、 古事記 、 ヤマト王権 、 崇神天皇 、 仁徳天皇 、 雄略天皇 、 継体天皇他


覆されるか「日本書紀」(2)−「聖徳太子はいなかった」説はホントなのか
   ◆ 作家・足立倫行/日本書紀、聖徳太子(厩戸皇子)、帝国書院
週刊朝日(2009/11/20), 頁:106
696馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/13(金) 12:18:15
 ホピの予言
 ホピ族(インディオ)の予言が刻まれているオライビの丘の岩絵には、一つの
線から上昇する二つの道が描かれている。上の線は多くの人が従う物質的な道
で、その結末は波線の混沌を意味している。下の線はホピ族が従う道で言わば
精神的な道で、その結末には長老がトウモロコシ畑に立っている姿が平和的象
徴となっている。この線沿いに三つの円があり、それぞれ炎の輪とされている。
それは戦いを意味している。第1の炎の輪の中で戦いが始まり、続けて第2の炎
の輪の中で再び戦いが始まる。第2の炎の輪の中での戦いは灰の入ったひょうた
んが川を煮えたぐらせ、陸を焼き尽くすとされている。ちなみに灰とはホピの
言うところの金の灰の事であり、ホピ族の土地にあるウランの事である。
 第1と第2の炎の輪は世界大戦を象徴している。第3の炎の輪が第3次世界大戦
を意味して、その時の創造主の怒りの表現は「飢え」と「疫病」と「火と水に
よる地球的規模の大異変」の襲来である。
 現代文明の終末は、戦争と物質文明の到来から始まる。人類は物質文明の到
来と共に「内なる知恵」が閉ざされて、神の意志を悟る事が出来ず、情け(生き
とし生ける物の痛みを自分の痛みと感ずる心)を忘却している。物欲の塊りのけ
だものが神の生宮を乗っ取っているのである。今の人間を神の目から見ると、
獣頭人身の化物に見える。聖徳太子の未来記に、牛馬が人の如くに言語すると
言うのはこの事を表現している。
 北朝鮮の独裁者が国民の生き血を吸って君臨している。神の戒めにあって食
糧自給の道を断たれ、麻薬密輸等による外貨獲得が出来なくなって自滅寸前で
ある。助かる道は強盗しかない。他国を侵略するしかない。世界中が不況に陥
って、国民が暴発寸前である。北朝鮮が戦争の花火を打ち上げれば、第3次世界
大戦の幕が切って落とされる。世界は核戦争と想像を絶する天変地異(金星の衝
突等)で滅びる。
 ホピの予言はその期限を2012年12月21日としている。マヤの予言は金星の周
期で起きる大異変だと解読している。日月神示にも明けの明星が西にまわった
らいよいよだと警告している。
697日本@名無史さん:2009/11/14(土) 13:47:26
お気の毒に。
698馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/17(火) 12:44:48
 信長殺しの犯人は秀吉と家康
 信長の首塚が静岡県芝川町の西山本門寺の境内にある。寺伝によると、信長
と一緒に本能寺にいた原志摩守宗安が首を介錯した後、本因坊日海の指示によ
って駿河まで運んで塚を築きて柊を植えたと言う。
 しかし、信長を討った光秀は首を確保する為に本能寺にいた者を皆殺しにす
る筈であり、その厳戒態勢を破って脱出する事は不可能である。なぜ傷みやす
い生首を駿河まで運ぶ必要があったのか腑に落ちない。
 18代日順が後水尾天皇息女・常子内親王の御帰依を受けて、後水尾天皇の位
牌を納めたのは1678年であり、この行為が怨霊封じに当たるのなら、なぜ信長
殺害後100年も経過して行ったのか。時期が遅すぎる。魔除けの柊の樹齢が500
年である事から、首塚を築いた時期は本能寺の変の直後である。後水尾天皇の
位牌を祀った尊霊殿を建立して首塚を隠した。尊霊殿の後へ周る事は失礼に当
たるので誰も立ち入れない。その時期が1678年であり、徳川家綱の死の2年前
である。天海派の堀田正俊と柳沢吉安が将軍継承争いを行っており、天海が光
秀であると言う噂が立った時期と重なる。「信長殺しは秀吉と家康」、「天海
は光秀」と言う国家機密が漏れる事を防いだのである。首塚を築いた者が信長
殺しの犯人であり、自分の領地で信長の怨霊封じを行っていたのである。
 私は臣民の一人として神様がなされる弥勒神政樹立の為に働いている者です。
天下の国家機密を公にする等を行って、神様の意志を皆様にお伝えしているの
です。
699日本@名無史さん:2009/11/17(火) 19:55:05
700馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/20(金) 15:28:27
 源氏物語は聖徳太子の真相を暗号にした小説
 源氏物語は登場人物の多さから実話の時代小説である。しかし、初頭に誰の
帝の御世であったかとあり、どの時代か判らない様に隠している。高麗人の人
相見が「天子の相がおありだが、そうすると国が乱れる。天下を補佐する方に
見える」と言った。(このことから、光源氏は摂政を務めた聖徳太子と読める)
 桐壷は身分の高くない更衣であった為に光源氏は天皇になれなかった。
 先帝の第4皇女・藤壷を入内させた。この方は桐壷にそっくりの器量である。
(桐壺と藤壷は姉妹。帝と桐壷の皇子の光源氏は生まれた時から皇太子。)光源
氏と藤壷は過ちを犯し、間に御子が生まれた。後に冷泉帝となる。(聖徳太子の
皇子が天皇になった)
 光源氏が須磨へ流罪にされた。罪状は不明。朱雀帝が病気になり、弘徽殿も物
の怪に悩まされたので、源氏は帰京が許された。(須磨へ流罪は暗殺の暗示。天皇
の流罪は死罪に相当。冷泉帝の太政大臣(摂政)となる。
太上天皇に準う位を得て六条院(上皇)を名乗る。(天皇になっていない者が上皇を
名乗るのはおかしい)亡くなった時の話が欠落。(死因を隠す)
 六条院の前坊・皇太子の妻御息所の物の怪は聖徳太子の怨霊の暗示。朱雀帝や
弘徽殿に祟っている。
 源氏の弟・八の宮の姫宮を薫と匂宮・今上天皇の第3皇子が争奪戦を行う。(皇
位継承争いの暗示)
 登場人物が暗示する人物を示すと次の様になる。桐壷院→敏達天皇、弘徽殿→
皇極天皇、朱雀帝→豊璋・中大兄皇子、光源氏→聖徳太子・押坂彦人大兄皇子、
、髭黒右大臣関白→藤原不比等、冷泉院→高市皇太子、夕霧右大臣→高市の虚像
、薫大将→長屋親王。
 この様な暗号を組んでそれを小説にする事が出来る人物は藤原定家しかいない。
彼は優れた頭脳で、支配者に悟られない様に様々な脚色を施している。藤原氏の
悪業を後悔して謝罪の意味で源氏物語を書いたのである。
701馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/20(金) 15:30:20
 聖徳太子架空説は聖徳天皇暗殺の隠蔽の策略
 欽明天皇は石姫との間に2男をもうけた。箭田珠勝大兄皇子、譯語田渟中倉太
敷尊である。2男の名前が諡号になっているのはおかしい。田と珠からこれは
箭田珠勝大兄皇子(敏達天皇)の諡号である。これは2番目の皇位継承者が架空
であると言う暗号。
 敏達天皇は広姫との間に1男をもうけた。押坂彦人大兄皇子(又の名を麻呂古
皇子)である。
 用明天皇は広子との間に1男をもうけた。麻呂古皇子である。すると、麻呂
古皇子が二人居た事になっておかしい。同じ名前ならすり替わっても分らない。
押坂彦人大兄皇子(聖徳太子)が殺されて別人がすり替わったと言う暗号。仏教
に帰依した用明天皇は神道派の物部守屋が擁立した穴穂部皇子に呪詛されて病
気になった。蘇我馬子が天皇の為に呪術的医療を行う豊国法師を招いたとあるが、
豊国奇巫は物部氏の支配下にあったので話が矛盾している。
 用明天皇と言う架空の天皇を作り出して、天皇が仏教を容認して聖徳太子が
仏教を推奨したと言う嘘を作り出して、太子の様な聖者が言うのだから間違い
はないと言って仏教普及の口実にした。
 旧1万円札の聖徳太子の肖像は唐本御影から引用した物で、太子の両脇の右
に山背大兄王、左に殖栗王が描かれている。これは二人を太子の子供に偽装す
る為に朝鮮人が描いた物である。
 叡福寺にある聖徳太子の墓は石柱で2重結界が施されている。上の太子と呼
ばれる寺は聖徳太子の怨霊封じの寺である。
 野中寺には鬼追の姓の墓石がある。中の太子の寺は高市天皇の怨霊封じの寺
である。
 大聖勝軍寺には聖徳太子が毒殺されたと言う絵巻物がある。下の太子の寺は
長屋天皇の怨霊封じの寺である。
 野中寺の弥勒半跏思惟像には次の様に書かれている。天智5年柏寺の縁者が
中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。中宮とは皇后と言う意味では
なく、高市天皇を指す。
702日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:09:53


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└───────────────────────┘
703日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:36:40
京都大学霊長類研究所なこのチンパンめ
704馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/25(水) 12:01:37
 フェルマー最終定理の証明
 次の方程式は、n≧3で自然数解を持たない。
 x^n+y^n=z^n
 nが1の場合は足し算の合計になるもののすべての自然数である。
 nが2の場合はピタゴラスの定理が成り立つ直角三角形の3辺である。数の組
み合わせで一番小さいものは
 3^2+4^2=5^2であり、直角三角形でしか成り立たない。x^2は面積を表
している。
 nが3の場合は 3^3+4^3<5^3
        27+64<125
           91<125
 となり、nが大きくなるほどx^n+y^nとz^nの数値はかけ離れていく。つま
り、直角三角形でしか成り立たない。
 x^3は体積を表している。宇宙は3次元であり、x^3の体積を超える概念は
ない。xの4乗以上は架空である。4次方程式以上の解も架空である。
 ポアンカレの予想の証明
 地球を1周して同じ地点に戻って来れば地球は丸いとは言えない。地球がド
ーナッツの形状をしているかも知れない。そこで、通った跡に紐を垂らしてお
いて、それを引っ張っても引っ掛かりがなければ地球が丸い事が証明出来る。
 物理的に正しい事はそれを記号化して数学で証明しなくてもよい。本来、数
学とは物理的事象を記号で表現したものでそれだけの存在価値しかない。
 宇宙の根源の素粒子はエーテルである。その直径を1と定義すれば小数、分
数は存在しない。3個のエーテルを2等分する事は出来ない。素粒子はそれ以
上分解出来ないのだから、それを1.5とするのは欺瞞である。負数、0、∞も存
在しない。これら0等から実数は生まれない。例えば、純正のジャポニカの朱鷺
は絶滅して0の様に見えるがそうではない。その遺伝子と神の力によって復元出
来る。家の建築で喩えるなら、建築資材はあるが、設計図と大工がないのである。
つまり、目に見える朱鷺は居ないが、潜在的には存在しているのである。神の力
によって1羽の朱鷺が誕生すると実数1の存在となる。 
705馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/11/25(水) 12:03:24
 ノアの洪水
 旧約聖書の創世記によると、紀元前2600年頃にノアの洪水があった。地球は
神の前に堕落し、不法に満ちていた。絶対神は地をご覧になった。見よ。それ
は堕落し、すべて肉なる物はこの地で堕落の道を歩んでいた。すべて肉なる物
を終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見
よ。私は地もろとも彼らを滅ぼす。
 正しい人間と一部の動物だけは助ける事にした。神の目に留ったのはノアと
その家族だった。そこで神はノアに大洪水が来る事を預言し、それに備える為
に巨大な箱舟を建造する様に命じた。他の者に洪水の話をしても、誰もが馬鹿
にして信じなかった。また、すべて命ある物のすべて肉なる物から二つずつ箱
舟に連れて入り、あなたと共に生き延びる様にしなさい。ノアが600歳(神の律
法を遵守すれば長生き出来る。)になった時にそれはやって来た。雨が降り、雨
が40日降り続いた。すべてのものが水に飲み込まれて行った。ノアの箱舟はト
ルコのアララト山に漂着した。その遺跡が残っている。
 与那国島の海底遺跡はムー大陸が海に沈んだ時に一緒に沈んだものであり、
沖縄のロゼッタ・ストーンやインドのナーカル碑文はムー文明の名残りの物で
ある。
 マヤ文明で言う第3世界がこうして滅び、我々の第4世界も紀元前3114年8月
11日から数えて、14万4千年x13後の2012年12月21日に滅びる。私は滅亡の日は
それよりも早まると予想している。それまでこの世の仕組みがもつとは考えら
れないからである。
706日本@名無史さん:2009/11/26(木) 12:44:56
聖徳太子の話は、聖書のイエスキリストの話をユダヤ人キリスト教徒秦氏が日本風にアレンジしたものです。
707日本@名無史さん:2009/11/27(金) 01:58:18
あぁなるほど!
それで太子はお札になったんですね!
全てロックフェラーの陰謀なんですね!
708日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:04:29
覆されるか「日本書紀」(4)/伊勢神宮はいつ誕生したのか
誌名 : 週刊朝日 [ 2009年12月04日号]
 ttp://opendoors.asahi.com/
ページ : 32
発売日 : 2009年11月24日
カテゴリ : 社会
キーワード : 作家・足立倫行/日本書紀 、 三重県多気郡明和町 、 斎宮跡
キーワード2 : 伊勢神宮 、 斎王 、 後醍醐天皇 、 天照大神 、 式年遷宮 、 倭姫命 、 新谷尚紀・国立歴史民俗博物館教授 、 出雲他
記事の扱い : 特集記事など3頁以上
Webページを検索 作家・足立倫行/日本書紀
三重県多気郡明和町
斎宮跡
伊勢神宮
斎王
後醍醐天皇
天照大神
式年遷宮
倭姫命
新谷尚紀・国立歴史民俗博物館教授
出雲他
709日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:06:55
>>695

覆されるか「日本書紀」(3)/大化改新の「真相」は?
誌名 : 週刊朝日 [ 2009年11月27日号]
ページ : 34
発売日 : 2009年11月17日
カテゴリ : 社会
キーワード : 作家・足立倫行/日本書紀 、 甘樫丘東麓遺跡 、 蘇我入鹿
キーワード2 : NHKスペシャル「大化改新・隠された真相〜飛鳥発掘調査報告」 、 考古学者・猪熊兼勝 、 飛鳥大仏他
記事の扱い : 特集記事など3頁以上
Webページを検索 作家・足立倫行/日本書紀
甘樫丘東麓遺跡
蘇我入鹿
NHKスペシャル「大化改新・隠された真相〜飛鳥発掘調査報告」
考古学者・猪熊兼勝
飛鳥大仏他

>>708
710日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:26:25
>>708 関連

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ) (単行本)  新谷 尚紀 (著)
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062584344.html
711日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:15:32


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712日本@名無史さん:2009/11/29(日) 01:26:15
天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト (NHKブックス) (単行本)
大山 誠一 (著)
出版社: 日本放送出版協会 (2009/11)
ttp://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E5%A4%A7%E5%B1%B1-%E8%AA%A0%E4%B8%80/dp/4140911468

天子降臨ではなく、天<孫>なのは
孫の軽皇子(文武天皇)への譲位を神話で補強したことの反映


天照=持統
タカミムスビ(高皇産霊尊)=藤原不比等

ニニギ=首皇子<おびとのみこ>(聖武天皇)
713日本@名無史さん:2009/11/29(日) 01:28:49
>>695

「聖徳太子」の誕生 (歴史文化ライブラリー) (単行本)
大山 誠一 (著)
出版社: 吉川弘文館 (1999/04)
714馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/01(火) 09:46:04
 君達が私の言う事に反抗するから、神の怒りが怒髪天を衝き豚インフルが黒
死病に変異して肺が真っ黒になって死ぬのだ。
 数学という欺瞞
 私が0は存在しないと断言すると、それじゃ方程式を因数分解して解を求め
る時に0と言う概念を使うじゃないかと反論する者がいる。
 たとえば x³−x=0の左辺を因数分解すると
 x(x+1)(x−1)=0
 求める解はx=0、−1、1となる。
 この方程式となる物理法則がどこにあるのか。机上の空論である。
 数とは本来物の数を表すもので、数字には数霊が宿る神聖なものである。た
とえば一は天之御中主神を表す等。それを距離、速度、時間等の抽象的なもの
に使用するから悪魔的な数学に堕落したのである。
 りんご1個を方程式x³−x=0と言うブラックボックスに入れたら、りんご1個
の存在が消えて0(無)になった。こんな魔法みたいな事を信じろと言う方が間
違っている。もし、仮に0の存在があるとしよう。その世界は何も存在しない
無の世界で、数える事の出来るものがないのである。無から有は生まれない。
逆に有から無にならない。般若心経の色即是空の意味は目に見える物は空に帰
する。空は無ではない。
 0と∞が存在しないから、円の面積はπr²にはならない。曲線は小さく分解
しても曲線であって直線にはならない。πr²は近似値である。微分係数、定積
分による面積、体積も近似値である。無限級数、累乗根、自然対数の底e等は
架空である。
 大砲の弾道を放物線の公式で、コンピューターによっていくら正確に計算し
ても、発射時の砲台の反動を計算する事が出来ない。まして風の影響も計算出
来ない。台風の進路予想が出来ないのと同様である。試しに1発撃ってみて、到
達地点から風等の影響を考慮して補正していくより方法がない。そこで、1番
大切なのは勘働きである。1流の将棋棋士が瞬時に最善手を指せるのは、経験に
基づいた勘が働くからである。
 数学者は数学と言う玩具を弄って遊び、科学者は科学の玩具で遊んでいるの
である。偶にびっくり箱から悪魔が飛び出て災難を招く。悪魔の仕業である。
715馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/01(火) 11:18:04
 山本周五郎著<髪かざり>の中の「菊の系図」
 重田主税は鶴岡藩の藩校の助教を勤め、藩勢を尊皇の大義の一途に導こうと
努めていた。藩の佐幕派が彼の家を襲った。「貴様が鶴岡藩士ならご主君の外
に身命を捧ぐべき御方はない筈だ」「それに間違いはないが、それが武士の道
の究極ではない。主君に忠節を尽くすべきだが、日本人である限り、根本とし
て朝廷の御為に身命を捧ぐるのが道だ。大義とはそれを指すのだ」「問答は要
らぬ斬ってしまえ」「人間を斬るだけでは道は亡びない。貴公達が誠に君家を
想うならば時勢をよく見ろ。大義に生きぬ限り鶴岡城の運命も長くはないぞ」主
税は一人に斬られて倒れた。「断じて道は亡びぬ、断じて」声と共にこと切れた。
 主税の妻・お琴は倅の保太郎を隠して事の成行を窺っていた。「御家の為に重
田は斬った。保太郎と申す倅をこれへ出せ」「保太郎は私の実家に泊まってお
ります」彼らは家中を捜索したが見つからなかった。お琴は主税の亡骸に近づ
いて、震え出すのを堪えながら、そこへ両手を突いて「貴方、お見事でござい
ました」と言った。涙が堪え切れず溢れて来た。「私すぐに退国致します。ご
遺骸の弔いを致しませんのは辛うございますが、保太郎の身が危のうございま
すからお赦し下さいませ。仰せ通り、保太郎はご遺志を継ぐ立派な武士に育て
ます。どうか心安くご往生あそばせ」と亡き夫の魂に語り掛けた。納戸の中か
ら噎び声がした。「泣いてはいけません。父上は亡くなっても、心は貴方の中
に生きておいでです。これからは貴方がそのご遺志を継いでゆくのです。苦し
くても父上のご最後を思い出して、御国の為に役立つ武士になるのですよ」は
いと言う声がした。お琴は夫が大切にしていた菊の株を持って、葛塚に潜んだ。
時勢は大きく変わり、北陸鎮撫総督軍が近くまで来た。保太郎は官軍に加わる
と言ったが、母は許さなかった。「父の仇を取るのは私怨です。過去の恩怨憎
愛を棄てて、身も心も清浄にならねば天皇の御心に反します。正しい兵となる
覚悟があるのなら、母は喜んで送ります」菊は保太郎の心にも根付いていた。
716日本@名無史さん:2009/12/05(土) 21:15:24
広い視点で見れば、聖徳太子なんて実在しようとしまいと所詮蛮夷の一首長。
717日本@名無史さん:2009/12/05(土) 22:33:01
(゚Д゚)ハァ?
718馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/08(火) 11:35:32
 イスラエルのバビロン捕囚はハルマゲドンの雛型
 神がエゼキエルの前に姿を現した。琥珀色に輝く火の中に4つの生物がいて、
4つの顔と翼を持ち、人、獅子、牛、鷲のようであった。その頭上の青白色の
王座に人の姿があった。私が神の来訪に畏れひれ伏していると、語り掛ける声
が聞こえた。「人の子よ、お前をイスラエルの子らに、背徳の民の間に遣わす。
彼らはその先祖達と同様に今日という日まで私を冒涜し続けた。御しがたい子
らの許に行って語れ。そうすれば、彼らが聞こうと聞くまいと神の警告だけは
知る事になる。私は微塵の情け容赦無く、3分の1を飢えと疫病で絶やし、3
分の1を剣で絶やし、残りを虜囚として連れ去る。そうして彼らは私が怒りの
極みにあった事を思い知るだろう。」神が私を見渡す限り骨だらけの荒野へ導
いた。『人の子よ、これらの骨こそ義を守り通したイスラエルの民、「我らの
骨は乾き、望みも消えた。我ら絶たれた者」と呟く者に告げよ。私がお前達に
霊を吹き込み生き返らせて、お前達の土地に住ます。その時、お前達は主であ
る私が語り、そして造った事を知ると。』
 エゼキエルは言う。エルサレム(東京)はいずれバビロン(メーソン)の手に落
ちるが、それは神の意志によるものだと訴えて、反乱の気運を鎮め様とした。
東京は人々の罪に下される罰として陥落しなければならないのであり、従って、
メーソンに反乱を起こす事は神に対する反逆となる。
 神はゴク(ロシア)とその同盟者を北から導き、イスラエル(日本)の山々へと
彼らを連れて来る。そこでは捕囚から帰還した(米国の占領から脱した)者が安
らかに暮らしていた。ロシアはこの神の主導と言う事に気がつかず、自分の欲
望に従って無防備の日本を攻撃し、その財産を奪うのである。しかし、ロシア
等は神の直接的な介入によって打ち負かされる。
 ぶどう酒(人と動物の生き血)に酔い痴れ、大淫婦との姦淫(贅沢な生活も含む)
に耽る悪人に天誅が下るのである。神の戒律、特に不殺生(肉食を含む)と不姦
淫を破る者は罪が重い。
719馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/08(火) 11:37:40
 神の政治以外はすべて滅びる運命にある
 国家は貴方の財産をデノミネーション(通貨単位の切り下げ)で紙屑にし、貴
方を徴兵で戦争に送り込み、貴方が国家にとって邪魔な存在なら、罪に陥れて
死刑にして殺す。国家は正義の為に運営されているのではない。メーソンと言
う悪魔が国民を貨幣制度によって操って、奴隷にしているのである。野生の動
物の様に自給自足の生活が出来れば、何も、あくせく働く必要はない。もっと、
充実した人生が送れるのである。
 国家と言う無駄な物の存在の為にどれ程の無駄が行われてきたか分からない。
悪の仕組みはいずれ破綻して、最後は戦争になる。その犠牲を乗り越えて、そ
の復興特需によって景気が回復し、一からまた出直しをさせられるのである。
 官僚の馬鹿どもはいつまでも国民から税金(生き血)を搾り取れると思ってい
るのである。日本はメーソンの詐欺商法によって国益を奪い取られ、借金地獄
に落とされた。メーソンの食い残した残飯を国民同士が奪い合い、生き血を吸
い合いしているのである。国民の大半は税金を納める余力はない。それを国家
権力によって強奪すれば、国民は死ぬしかない。そうなれば、生き血を吸って
いた悪人も滅びるのである。資本主義経済も弱者の犠牲が無くては成り立たな
いから滅びるしかない。国民から搾取する政治の仕組みは潰れる。
 神の政治は与える政治である。太陽の日光はただである。空気も水もただで
供給される。食糧も神の恵みである。季節の移り変わりも神の働きである。そ
れを人間は当然の事と勘違いしている。旱魃、冷夏による食糧不足によって飢
えの苦しみを体験しないと、食べ物の有難味が分からないのである。神の怒り
が極限に達すれば、食糧飢饉となって、人が人を殺して食う地獄絵図が展開さ
れる。鬼の本性が表れるのである。その時までに悔い改めておかないと、鬼は
地獄の業火で魂まで焼く尽くされる。
720日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:50:58

推古もいなかった。

721日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:52:44

聖徳太子の息子もいなかった。
皇位争いして殺された息子も!

722日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:53:42

法隆寺も存在しない。
勿論。四天王寺も!

723日本@名無史さん:2009/12/08(火) 11:59:42

蘇我馬子は誰と手を組んだのだろか!

724日本@名無史さん:2009/12/08(火) 14:39:55
自分の左手と右手でシェイクハンド
725日本@名無史さん:2009/12/08(火) 20:29:13
推古といえば、小治田宮。壬申の乱も尾張の勢力の後押しによって成功したことは知られています。
その後も尾張の勢力は陰で大和朝廷に強い影響力を及ぼし続けてきました。
表舞台に立ったのは、徳川の世になってからのことです。
726日本@名無史さん:2009/12/13(日) 17:44:11
文藝春秋2010年1月号
伊勢神宮に秘められた女帝の野望 / 武澤秀一
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/contents/100101.htm
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

              持統天皇
伊勢神宮に秘められた女帝の野望  武澤秀一
                           (建築家)
「遷宮」「アマテラス」「茅葺き」の謎を解き明かす
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/img/1001/013.jpg
ttp://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/img/1001/014.jpg
727日本@名無史さん:2009/12/13(日) 17:45:05
>>726 関連著書

学術文庫
アマテラスの誕生
著者: 筑紫申真
ttp://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1595458

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ) (単行本)  新谷 尚紀 (著)
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062584344.html


ちくま新書
法隆寺の謎を解く
武澤 秀一【著】
筑摩書房 (2006/06/10 出版)
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480062602.html

飛鳥 ― 歴史と風土を歩く ―
和田 萃著
(岩波新書)
ttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0308/sin_k132.html
728日本@名無史さん:2009/12/13(日) 17:45:58
大嘗祭−天皇即位式の構造
吉野 裕子=著
弘文堂
ttp://www.koubundou.co.jp/books/pages/16012.html

道教と古代日本 (単行本)
福永 光司 (著)
出版社: 人文書院 (1987/02)
ttp://www.amazon.co.jp/%E9%81%93%E6%95%99%E3%81%A8%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E7%A6%8F%E6%B0%B8-%E5%85%89%E5%8F%B8/dp/4409410369

神社建築史論
副書名 古代王権と祭祀
出版社 発行所=中央公論美術出版
著 者 丸山茂(1948ー)
ttp://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9974972396

神社霊場ルーツをめぐる 光文社新書
武澤秀一著
出版 : 光文社
ttp://www.bk1.jp/product/03190720
729日本@名無史さん:2009/12/13(日) 23:44:51
崇神に追い出されてやっと落ち着いた場所が伊勢って話じゃないの?
730馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/14(月) 13:35:04
 私がなぜ真理を知る事が出来たかと言うと、目の前にある水の実体、手に掴
む事は出来ないが手の感覚で感じる事が出来る実体感。これはいくら小さく分
解されようとも変わらない。水蒸気が水となり、それが集まって海となる。一
が多になり、多が一となる。精神(霊)は物質が極限に分解されたもので人間の
感覚では絶対捉える事が出来ないものである。そんなものをいくら科学で捉え
様としても無駄なのである。神の知恵を以ってしか知り得ないのである。
 優曇華の花が咲いた
 ついに、弥勒が世間に降りて修行の末、仏になられました。その徴が優曇華
の花です。
 仏教では3千年に一度花が開き、転輪聖王が出現すると伝えられる。クサカ
ゲロウが夏に卵を草木の枝や器物等につけた約2pの糸状の柄の先に楕円形の
白い卵殻があり、花の様に見える。吉兆又は凶兆とする。愛知県長久手町の愛・
地球博記念公園の親林楽園で見つかった。
 法滅尽経は言う。釈迦は阿難に言われた。「私が涅槃に入った後に仏法が滅し
ようとする時、5逆の罪(不殺生、不邪婬、不偸盗、不妄語、不贅沢)を犯す者
が多く現れ、世が濁り、魔道が起って盛んになる。この為、悪魔が僧侶となり、
仏道を改ざんして破壊する。魔僧はきらびやかな袈裟を着る。酒を飲み、肉を
貪り、生物を殺し、美味い物を食べ尽くす。慈悲の心が全くないから、お互い
に憎んだり、妬んだりします。法が滅しようとする時、諸々の天は涙を流し、
悲しみます。また、雨が降らない為、五穀が実りません。病気が流行し、多く
の者が死亡します。役人は道理にかなわない税を取り立てようとし、人々は反
乱を起こして利を得ようとします。悪人は海中の砂の如く多く、善人は非常に
少なく、1人2人となります。世界が終り、なくなろうとする直前は、日月が短
くなり、人の命も短くなります。大水が俄に起り、全ての物が水に溺れ、魚等
に食べられてしまいます。(ノアの洪水)
 その後数千万年して仏法が滅しようとする時、世界が終わるような事が起き
ます。弥勒が世間に降り、やがて仏になります。すると、天下は泰平となり、
五穀はよく実って寿命も長くなり、救われるものの数は限りがありません。」
731馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/17(木) 12:59:09
 正直者の頭に神宿ると言い、身も心も清浄潔白でないと神の知恵は授からない。
動物が地震予知出来るのは邪まな心がないからである。
 朝鮮戦争勃発
 シャ−プ在韓米軍司令官が在韓米軍を全世界的に展開すると発言した。専ら、
対北朝鮮抑止に従事していた在韓米軍が他の紛争地域に派遣される事になり、
北朝鮮が韓国を侵略する絶好のチャンスとなる。過去の朝鮮戦争でも同様な事
から始まった。つまり、北朝鮮を影で操っているのはメイソンで、米国と北朝
鮮等共産国は同じ穴の狢である。中国が'09年10月に行った軍事パレードは、来
る朝鮮戦争に備えての中国軍の示威運動である。筋書き通り朝鮮戦争が起きれ
ば、日本が普天間基地移設を拒否して日米同盟を亀裂させたからだと、韓国が
非難して来る。日本包囲網の陰謀・日本を悪者に仕立てて葬るは完成している。
先の太平洋戦争でも、中国が先に挑発して支那事変となり、米英が中国に味方
して日中戦争に中立を守らなかったのは、宣戦布告と同じで日本を挑発したの
である。日本はメイソンの陰謀・日本を侵略者に仕立てて葬るの罠に嵌められ
た。戦争回避の日米交渉は米国の猿芝居で、日本側の妥協案を踏み潰したのは、
日本を経済封鎖して戦争に追い込む為である。日本は米国の指図に従えば侵略
されていた。日本は自衛の為に太平洋戦争を行ったのである。この日米交渉と
普天間基地交渉は相似形で、長引けば朝鮮戦争に続いて第3次世界大戦となる。
 日露戦争の旅順攻略の203高地占領は、旅順港内のロシア艦艇を砲撃する
場合の観測所として203高地が最適な場所である事がその理由とされている
が、7/30に占領した大孤山で着弾観測は可能であり、実際に大孤山を観測所と
する砲撃に耐えかねた為に、旅順艦隊は旅順を出て黄海海戦になった。乃木は
203高地攻撃には徹底して反対した。旅順艦隊は壊滅して座礁し、日本軍の
砲弾を消費させる囮となった。203高地は日本軍をそこへ誘き出して、十字
砲火で壊滅させる為の陰謀なのである。大本営はメイソンに支配されており、
日本軍をロシアの罠にはめさせて壊滅させようとしたのである。正しく日本国
家は朝鮮人支配のメイソン国家である。
732馬鹿な学者の妄説信者へ:2009/12/24(木) 13:39:33
 日本は朝鮮人支配のメイソン国家 以後メイソンを猶で表す
 日本の暗号は米国に解読されていた。「ニイタカヤマノボレ」「ヒノデハヤマガ
タ」前者は真珠湾攻撃、後者はマレー作戦の暗号。新高山と日の出が開戦、山形
が12月8日の隠語である。モールス信号と乱数表で電文は解読出来ても隠語は軍
首脳しか分からない。軍首脳の中に猶がいて米国に通じていたのだ。真珠湾に
空母と新鋭艦がいなかった。最後通牒は攻撃の後になった為に米国は日本が騙
し討ちしたと罵った。真珠湾攻撃は米国の思う壷だった。最後通牒遅延は猶・
寺崎英成が電文を隠したから。
 ミッドウェー海戦はM島を攻撃して空母を誘き出して叩く作戦なのに、不要
な第2攻撃の為に魚雷を陸用爆弾に兵装転換させ、空母発見の報で元に戻した。
山口多聞は猶・南雲司令官に陸用爆弾のままの出撃を進言したが聞入られなか
った。伊168潜水艦はM島周辺の偵察を命じられていたが、艦長は南雲司令官か
ら航空基地を砲撃せよと言う可笑しな命令を受けて砲撃した。すると、駆逐艦
が機雷攻撃したので深潜した。南雲の命令は潜水艦を抹殺する為だ。ハワイの
暗号解読班はAFと言う地点符号が不明だったので、ミッドウェーから平文で
蒸留装置が故障したと偽情報を流した。ウェーク島の日本側が東京に向けてA
Fは真水が欠乏していると打電した事からミッドウェーと分かったと言うが、
水がないと言う死活情報を平文で送れば怪しまれるからこの話は嘘。米国は日
本の機動部隊の位置が、6/4.午前6時M島の方位324度175海里である事を知った。
空母の発信から分かった。作戦中は通信封鎖であるが猶が居所を教えたのだ。
 南方面司令官・寺内は山下奉文にレイテ決戦を命じたが、彼はルソン島の制
空権が回復していない事から、台湾沖航空戦の空母11隻撃沈の大戦果は虚報と
見て、「出来ません。戦力が足らず、制空権もありません」元帥は命令する。結
果、10万人が犠牲となった。
 猶・昭和天皇は猶の指令の田中上奏文に沿って満州事変を命令し、日本を戦
争の地獄に叩き落した。原爆投下まで降伏を延ばした。猶・山本五十六は猶の
指令に沿って日本が負ける為に作戦を実行した。
733日本@名無史さん:2009/12/24(木) 14:04:57
聖徳太子の話は、ユダヤ人キリスト教徒の秦氏が、聖書のイエスキリストの話を日本風にアレンジしたものです。
734日本@名無史さん:2009/12/25(金) 20:35:52
735日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:03:37


┌───   初めてきた方への注意 ────────┐
|このスレッドは天才チンパンジー「アイちゃん」が     ..,|
|言語訓練のために立てたものです。              |
|                                   ..|
|アイと研究員とのやり取りに利用するスレッドなので   |
|関係者以外は書きこまないで下さい。            |
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|                   日本霊長類研究所    |
└───────────────────────┘


736日本@名無史さん:2010/01/13(水) 20:51:11
財団法人聖徳太子会
ってどんなところなんだろう。
教えてください。
737日本@名無史さん:2010/01/13(水) 21:20:51
鳩山幸の母親が戦前、毛皮を着ています
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/
738日本@名無史さん:2010/01/18(月) 13:04:06
今は馬宿王子だっけ、馬糞の中にひり出されたガキなんだってね
ネットウヨクがファビョってたよ、韓国の陰謀だとかなんとかw
馬糞王子なんぞに「聖徳」なんてつけてホルホルしている弱脳が
「愛国心(失笑)」を振りかざすから日本が東方の未開なネオナチ国家の
ように誤解されるのだ
739日本@名無史さん:2010/01/21(木) 20:01:17


┌───   初めてきた方への注意 ────────┐
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740日本@名無史さん:2010/01/22(金) 20:09:15
大山誠一「天孫降臨の夢」を一読。

天孫降臨神話については上山春平「神々の大系」の域を出ておらず、
特に目新しい説はなかった。だが、蘇我王権論を展開し、
用明・崇峻・推古・皇極の「大王」を否定。馬子が大王だったというw
小説家に昔から散見する説だが堂々と言った歴史学者は大山が初かww
「日本書記」の記事は信用ならない!と言いながら都合のよさそう
な部分だけ引用して自説を補強している感が否めなかった。
なお、舒明の即位だけ認めるのは、舒明即位を認めないと
中大兄の蘇我王権を打倒した動機を説明できないからって
感じがひしひしと伝わってちょっと苦しいぞ大山教授!
馬子−舒明−蝦夷−入鹿と王位が継承されたと思います?
741日本@名無史さん:2010/01/23(土) 17:34:21
>>740
大山も劣化が激しいな。
だいたい、播磨国風土記の「聖徳王御世」の記述の発見で、聖徳太子非実在説は致命的な打撃を受けてる。
それに対する説明なしで議論を重ねても、机上の空論だろ。
もともと厩戸の美化・伝説化自体は目新しいものじゃない。
大山説の新しさは、それが日本書紀編者の捏造であるとしたところにある。
しかし、播磨国風土記に「聖徳王御世」とある以上、捏造説は崩壊してしまったわけだ。
もちろん、それで大山の議論の全てが否定されたわけじゃないが、大山説の新しさの部分が否定されたことは事実。
もし新著「天孫降臨の夢」のような蘇我王朝が真実だとしたら、聖徳王伝説が民間に広く流布するわけがない。
大山も、そろそろ老害レベルにまで転落してきてるな。
742日本@名無史さん:2010/01/23(土) 21:40:49
播磨国風土記には触れていませんw
ただし、伊予湯岡碑文についてはなかなか説得的に否定。
大山教授曰く
ここ10年、自説には学問的反論がなく、それでもなお
理解しない人は千年を越える「聖徳太子信仰」のマインドコントロール
が解けていない、あるいは「そう思いたくない」からだそうな。
「天孫降臨への道」にはこの種の文言が異様なくらい頻出する。
相当、相手にされなかったのか、意固地になってる老人を哀れに思う。
ここ数年、体調を崩しておられたそうな。そのことは同情するが、
余命を悟り、残り時間が少ないと焦燥を覚えても、歴代大王(天皇)
を抹殺するに至ったのは、もはやオカルトに憑かれているとしか思えない。
継体以後で即位を否定された人物っていたっけ?この珍説を数少ない
大山学説を支持する学者らはどう思っているのであろうか?
743日本@名無史さん:2010/01/26(火) 21:44:39

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744日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:20:52
後年,聖徳太子と呼ばれた厩戸皇子は,要はガキンチョだったのでしょう。隋の文帝が,恐れ入ると思ったけど,反対にバカにされた。
そんで,自分の自尊心だけのために,日出る国の天子云々をだしちゃった。無論,推古も馬子も知らなかったのでしょう。私は,隋の
裴清世は答礼使でなく,詰問使だと思いますよ。小野妹子が,煬帝の返書をなくしたに係らず免罪されているのは,煬帝が激怒して,
もしかしたら兵を用いると言うようなことを書いてあったので,叔母さんの推古と岳父の馬子が,百済に取られたことにして闇に葬った
のだと思います。今,オバマの返書を外交官がなくしたら,懲罰無しに済みませんよ。しかも,小野妹子は昇進までしていますから,
これは推古と馬子で処分した。と見るべきでしょう。それで,口封じに小野妹子を昇進させたのでしょう。
厩戸皇子は,2回新羅遠征軍を途中で引き返さざるを得ない状況になってます。これは,諸豪族が,厩戸皇子を殺せ。と言い出した
可能性も高いと思いますよ。なんせ,国難を1人で呼び寄せたのですからね。普通なら,崇峻のように殺されて当たり前ですよ。古代に
あっては。それをかばったのが,推古と蘇我馬子だったのでしょう。こうしてみると,蘇我馬子はいい奴だと思いますよ。全力で,娘婿の厩戸をかばったのですから。
745日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:22:00
ガキンチョが政治を取ったので,失政続きだった。それで,天皇になれなかったのでしょう。こうやって考えると,聖徳太子と言う人物が,
早期に斑鳩に隔離されたのも分かりますよ。このようなバカに,国政を任せたら,間違いなく倭は破滅です。仏教でも,触っていてもらった方が安心です。
隋書倭国伝にある,タリシヒコ大王が,私は厩戸だと思いますけど,日本書紀も余りにもバカだったので,書こうにも書けなかったのでしょう。
書いたら,逆賊蘇我馬子を忠臣にしないといけませんから。多分,後白河や後醍醐もかすむほどのバカがタリシヒコ天皇だったのでしょう。
だから,皇統にも乗っていない。って昔,K女子のところで書いたら,この板は聖徳太子を批判したらいけませんときましたよ。

>憲法17条

最近では,憲法17条は聖徳太子でなく,後世の人物が作ったというのが歴史学界の定説です。ただ,保守とウヨは納得していませんがね。(多分K・Kコンビもでしょうが。)大体,バカにあのような高尚なもの作れるものですか。(笑)
746日本@名無史さん:2010/02/01(月) 13:44:29
大山説に賛同した人たちもコメントしなければいけないと思う。
大山説のおかげで聖徳太子と歴史の教科書も表記しなかったらしいし。
747日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:47:15
「聖徳太子」と表記しなくなったのっていつごろ?
今は「厩戸皇子」だけ?
高校時代の教科書見たら、聖徳太子(厩戸皇子)だった。
穏当な教科書で良かったよ、山川出版社。
748日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:58:25
諡を無視するってどんな理屈だ?
749日本@名無史さん:2010/02/08(月) 21:29:58
歴史の教科書で諡号がデフォなのは、王・皇帝・天皇など漢字圏の君主だけでしょ
聖徳太子はこれまで例外的な扱いを受けてきただけでしょ

そもそも、聖徳の諡号が書記には見当たらないことから、国家が正式に贈った諡号で
あるかもあやしい
草壁や早良といった皇太子になりながら即位できなかった皇子はだいたい〜天皇の
諡号を貰っているのも気になる

まあ、諡号は天皇くらいにしとかないと早良親王が崇道天皇になったり、はたまた
東照大権現もOKじゃね、みたいになりかねん
これじゃ勉強させられる生徒がちと可哀そうだね
750日本@名無史さん:2010/02/08(月) 21:53:21
ん? 
「諡号」とは書いてないけど、
日本書紀に「聖徳」はあるでしょ。
ついでに、法起寺塔露盤銘にも。
751日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:58:13
用明紀の「厩戸皇子と曰す。」の本文の後に小字で「豊耳聡聖徳」の語句があるが、
岩波文庫版の注には、

法起寺塔露盤銘に「上宮太子聖徳王」、帝説に「聖徳王」「聖徳法王」「上宮聖徳法王」
とある。太子の死後、仏徒の唱えだしたものであろう。

とある
大山センセーが言うように、聖徳太子が書紀編者による虚構ならば、用明紀の誕生記事や
推古紀の太子関連の記事本文において、聖徳の語を使用してないことに違和感をかんじる
岩波文庫の注にあるように、太子ゆかりの寺院の僧たちが、太子の遺徳を偲んで聖徳と呼び
はじめたのが一般化したのではないかと思うんだよね
752日本@名無史さん:2010/02/09(火) 01:09:49
まあ100パーセント断言は出来ないが、
「用明」や「推古」、「天智」や「天武」よりも、
「聖徳」の呼称は古くからあった、ってことは言えそうだな。
753悪魔が滅んで正義が勝つ、日月神示:2010/02/12(金) 22:22:55
世界は一つになったぞ。一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してある
事が出て来たぞ。臣民にはまだ分かるまいなれど今に分かりて来るぞ。くどう
気つけて置いた事が愈々来たぞ。覚悟はよいか。臣民一人一人の心も同じにな
りておろうがな。学と神の力との大戦ぞ。神国の神の力表す時が近うなりたぞ。
今表すと、助かる臣民殆どないから、神は待てるだけ待ちているのぞ。臣民も
可愛いが元を潰す事ならんから、愈々となりたら、どんな事ありてもここまで
知らしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。愈々となれば、分っている
事なれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬ事
よく分っているのぞ。因縁の身魂にはよく分るぞ。この神示読めば身魂の因縁
よく分るのぞ。神の御用をする身魂は選りぬいて引っ張りておるぞ。北に気を
つけよ、東も西も南もどうする積りか。神だけの力では臣民気の毒出来るぞ。
神と人との和の働きこそ神喜ぶのぞ。早う身魂磨けと申す事も分るであろう。
 メイソンの世界統一。米国とロシアはグルで、日本はロシア等に侵略され、
米国は裏切って日本を攻撃する。その時になって日米同盟のイカサマが暴露さ
れる。悪の仕組は日本魂を根こそぎ抜いて、日本を一呑みにする計画であるぞ
。日本の臣民悪の計画通りに尻の毛まで抜かれて、詐欺で身包み剥されている
事に気づかんか。
 祓いせよと申してある事は何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはメグ
リなくする事ぞ。昔からの借銭は誰にもあるのざぞ。それ払ってしまうまでは
誰によらず苦しむのぞ。人許りでないぞ。家許りでないぞ。国には国の借銭あ
るのぞ。今度の世界中の戦いは世界の借銭なしぞ。世界の大祓いぞ。神主お祓
いの祝詞あげても何にもならんぞ。お祓い祝詞は宣るのぞ。今の神主宣ってな
いぞ、口先許りぞ。祝詞は読む物でないぞ。宣るのざぞ、祈るのざぞ、融けき
るのざぞ。祝詞も頻蒔きや国津罪皆抜けて読んでいるでないか。これでは世界
は清まらんぞ。悪や学に騙されて肝腎の祝詞まで骨抜きにしているでないか。
皆心得ておけよ。神の事は神主に、仏は坊主に、医療は医者に、学問は学者に
と申している事、根本の大間違いぞ。
754日本@名無史さん:2010/02/12(金) 22:53:22
大山が言うくらい日本書記が捏造し放題なのなら、
推古じゃなくて、厩戸を「聖徳天皇」として歴代天皇に
入れた方が、より都合が良かったのではないか?
大山が言うような確信犯的に政治的意図でもって「聖徳太子」が
捏造されたとすれば、もっと政治の場でたとえば宣命なんかで
称揚されてるはず。天智天皇なんてよく称揚されてるし。
「天智が初めて定めた法にのっとって・・・・」的に。
しかし、17条憲法について言ったのって藤原頼長くらい?
やっぱり、太子信仰が書記以前から発生していてそれを
上手く取り入れたと思う方が自然。大山は自説が受け入れない
苛立ちからか厩戸母・間人を別の男に嫁いだ「はしたない女」と
侮蔑したのには驚いた。じゃあ、不比等の妻・県犬養橘三千代
はどうなるんだ?まあ、左翼的動機が発端だからこんなもんか。
歴史研究にイデオロギーが先に出ると困る典型的悪例だな。
755日本@名無史さん:2010/03/09(火) 17:39:23
政権の交替は一回ではないよ
そのつど工作が入ってる
だから複雑
756日本@名無史さん:2010/03/10(水) 19:16:34
朝鮮人による左翼新聞の記事はわかりませんが・・w

まとも学問的には聖徳太子の実在はまず疑問視されません
「日本書記」以外にもその実在を示す史料は多く
「法隆寺釈迦三尊像光背銘」「道後湯岡碑銘」「天寿国帳銘」
「上宮記」「元興寺伽藍縁起」「上宮聖徳法王帝説」等

これらを対照吟味して実在は導き出せます
757日本@名無史さん:2010/03/10(水) 19:20:22
聖徳太子の実在を示す史料は膨大なんで
まともに学問的に考えたら実在を否定するのは不可能にちかい

まあ、朝鮮左翼が否定したがってるってことで
それに安易に騙されるのはどうかと思うよ
758日本@名無史さん:2010/03/26(金) 18:42:44
功績否定説・天才少年説入り混じった良スレがどうしてこうなった・・・?
759日本@名無史さん:2010/03/27(土) 22:12:36
さすがに、馬子が大王(天皇)だった!
などという、話しにこれまで大山説にのっかってきた
他の古代史学者らはついてこれまいてww
760美人は氷高皇女:2010/04/10(土) 12:08:28
学者の利権争いは抜きにして
存在してたと思うよ
日本のバブルが崩壊したのも,聖徳のお札肖像画を辞めたからだ!一家全滅させられお札切り捨てられの祟りだよ
復活せよ!菅さん
肖像画は偽でもいいから
761美人は氷高皇女:2010/04/10(土) 14:12:48
宮大工のサシガネは中国から伝わったが,裏目は表目の√2(1.14142)倍になってるは中国には有りません
つまりピタゴラス定理で,正方形:Yの2乗=2Xの2乗で
Y=√2Xです
例えばYが1ならX=1÷√2です.
丸太の直径をサシガネ裏目で計れば,完成予定の角材の一辺Xがわかります
(当時はセンチで無い)
大工の親睦会「太子講」では聖徳太子が考えたと伝えられているそうです
ちなみに世界最古の会社は金剛組です現,高松建設が助けてます
頑張れ高松建設
762日本@名無史さん:2010/04/10(土) 19:00:50
>>753・・・
奴ははっきりとわかっている人間だ

2ちゃんねらー以外の一般人をまきこまない
やる時間帯は平日昼間と深夜に月曜日早朝を極力避ける
世間知らずのNEETに厨房やVIPPERではない
純粋に硬直化した日本社会の変革を追求している

くくく・・・

そんな理由いくらつけてもムリなコトだ

コピペ連投週300回オーバー

どう考えたって反社会的で狂った行為だ

りっぱな掲示板荒らしだ
自分自身がそれを一番わかっている
わかっていながらやめられない
大事なコトだ───
763美人は氷高皇女:2010/04/11(日) 14:45:42
「おきく物語」に大阪落城寸前の淀との交渉役,お初の脱出模様が記載されてます

潰れ寸前の平安の名族京極家を建て直し,子孫もお江からカッパライお家継続,明治以降は華族です
これがアゲマン
764美人は氷高皇女:2010/04/12(月) 06:45:11
ちなみにサシガネ表目の短方の下のメモリは円周率(3.16倍)
使い方の例は
図面の円直径を計れば,平板の長さがわかる
江戸時代からのもの
765日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:28:08
大山氏は、大学でこんな科目まで担当している。

日本文化演習A
授業の主旨(概要)
現代の日本文化の出発点を明治に置き、その代表として漱石の文章を読む。
具体的には『夢十夜』を予定している。
なお、その後、各自が、過去・現在、あるいは日本・外国、政治・社会・文化など
あらゆる問題の中から、検討したいテーマを決め、それについて発表する。

カリキュラムの中での位置付け
人間とはなにか、現代社会の問題は何か。
それぞれ、考え、さらに、全体の中で発表し、意見を交換しながら論点を深めてゆく。

授業計画
漱石の文章を分担してよむ。
また、順に発表する。
766日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:29:25
日本文化演習B
授業の主旨(概要)
日本文化演習Aの続きである。
現代の日本文化の出発点を明治に置き、その代表として漱石の文章を読む。
また、最近の映画監督10人が『夢十夜』を原作として短編映画を作成している。
それを鑑賞し、その後、各自が、過去・現在、あるいは日本・外国、政治・社会・文化など
あらゆる問題の中から、検討したいテーマを決め、それについて発表する。

カリキュラムの中での位置付け
人間とはなにか、現代社会の問題は何か。
それぞれ、考え、さらに、全体の中で発表し、意見を交換しながら論点を深めてゆく。

授業計画
漱石の文章を分担して読み、短編映画を鑑賞し、それについて順に発表する。
767日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:36:08
大山氏は、同じ大学の大学院では聖徳太子や日本書紀に関する授業を担当している。
学部でも、聖徳太子や古事記、網野善彦などに関する授業を担当している。

しかし、なぜか学部のゼミは夏目漱石の「夢十夜」講読。
これって、明らかに専門外じゃないの?
768日本@名無史さん:2010/04/14(水) 00:27:21
聖徳太子抹殺論では「聖徳太子」産業の中で
飯食っていけないからなあ。
大山説の破綻がはっきりしてきたことよりも、
「聖徳太子」産業では太子を崇めてますって立場に
立たないと、寺関係などから講演の仕事はないだろうし。
769日本@名無史さん:2010/04/14(水) 18:41:18
大山氏の学部でのゼミが夏目漱石なのは、
彼の所属している学科が「日本語日本文化学科」(要するに国文科)だから。
この大学には「歴史地理学科」もあって、歴史系のゼミも開講されているのだが、
なぜか大山氏は「日本語日本文化学科」に所属して、漱石の講読をやっている。

大山氏って、国文学の出身だったのか?
770美人は氷高皇女:2010/04/17(土) 12:49:48
小沢一郎が嫌われているのは,憲法17条「上,下むつまじく話し合いをすれば何事も成し遂げられる」に違反しているからだ!
771日本@名無史さん:2010/04/17(土) 13:21:02
>>769
普通に史学の出身だが。
日本語日本文化学科所属でも、専門生かして古事記ゼミとかやればいいのに、
漱石ゼミってのは不可解だな。
772日本@名無史さん:2010/04/17(土) 14:10:54
大山が古代史ゼミやらないのは
無限ループに気がついているからじゃないの?
773日本@名無史さん:2010/04/21(水) 22:34:59
聖徳太子自身は 冠位十二階では何色だったんですか?
774日本@名無史さん:2010/04/21(水) 23:35:55
王族に対する叙位例は知られていない。
推古紀12年条には、冠位を「諸臣に賜う」とある。
775日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:29:27
ぶっちゃけ、この人のやる漱石ゼミって専門外だろ?
近代文学の専門的研究者でも漱石研究家でもない、古代史学者が漱石ゼミって・・・
776日本@名無史さん:2010/04/25(日) 23:18:21
学問的に聖徳太子の実在を証明する資料

「日本書記」「法隆寺釈迦三尊像光背銘」
「道後湯岡碑銘」「天寿国帳銘」
「上宮記」「元興寺伽藍縁起」「上宮聖徳法王帝説」等


これらの資料は対照吟味できる性質のものですよ
777日本@名無史さん:2010/05/25(火) 06:27:41
なぜ大山って人はそんなに聖徳太子はいなかったとかたくなに主張してるんですか?
単に奇をてらって存在感をだしたいだけ?
778日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:02:27
左翼的動機、結論ありきだもんな。
教鞭とってる三流大学の学生を
簡単に騙せて自信つけたんだろ。
779日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:43:50
てか、神道政治連盟の奴らいい加減うざいよ。
皇族の怪しさを指摘する人たちを変人扱いするな。
780日本@名無史さん:2010/06/01(火) 00:16:16
なんだ、天皇陛下が女性用下着を顔にかぶってそれは私の稲荷さんだと言っているなんて主張でもしているやつがいるのか?それは変人だな。
781日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:00:55
「聖徳」というのは大仰な名だと思ってたが、「聖」という字自体
が、耳、口の王ということだから、意味合い的にも「豊聡耳」とほぼ同じ
なんだな。

782日本@名無史さん:2010/06/04(金) 17:31:51
大山氏が、聖徳太子の「日本書紀」時点の架空捏造を唱えながら、厩戸皇子
の実在を否定しないのがピンとこない。
法隆寺史を考えると、聖徳太子と厩戸皇子を別個にするなど不可能では?。

大山氏は、厩戸が法隆寺を創建したことは認めている。また天智朝に焼けた
法隆寺の復興が比較的順調だっとことを認め、聖徳太子信仰とは無関係の
「上宮王家の存在感」によるものとし、天武朝から始まったとしている。

しかし天武朝ならば、厩戸と面識ある古老の生存もありうる。そもそも寺が
焼けたといっても、寺領の経営などあるから、寺籍は創建以来途絶えていな
いだろう。この間に厩戸皇子の記憶が湮滅することはありえない。
むしろ大山のいう「上宮王家の存在感」とは、法隆寺近隣の人や復興関係者に
よる、厩戸皇子へ向ける敬慕ないし信仰の盛上がりそのものとしか考えられない。







783日本@名無史さん:2010/06/05(土) 11:19:36
「日本書紀」時点の架空捏造

ここを放棄すれば、大山説のいくつかは受け入れられる
のだけど、ここを放棄したら大山説の大半が意味をなさない。
だから、もう後に引けないのでだろう。

最近では、太子否定ありきから逆算しているのが丸わかり。
たとえば、上宮王家の有力な王位継承資格を否定したいが
ために、用明の即位を否定したり、太子のみを否定するのでは
バランスとれないから推古の即位も否定。山背大兄
が滅ぼされたのも、蘇我一族との私闘で片づける。
太子は田舎にでっかい寺建てただけの奇特な王族で終わり

邪馬台国研究の古田武彦的存在になるんだろうと言ったら
古田武彦に怒られるだろうか。
梅原猛の聖徳太子=法隆寺論と同等の扱いあたりが妥当か。
梅原はブームを生み出したけど、大山説など古代史に関心
ある層の一部しか知らない程度だけど。
784日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:07:20
>>782
天武天皇の時代に厩戸皇子の記憶を持った人物がいたところで、
君の言う「法隆寺史」がもっとずっと後の時代に書かれたものなので話にならない。
結局、聖徳太子について書かれたもっとも古い記録が「日本書紀」ってことだろう?

法隆寺を建てた厩戸皇子が実在したこととそれは全く矛盾しない。
聖徳太子が死んでから何十年も、没するまで推古天皇は皇太子を立てなかった。
皇太子制度がすでに確立されていたのならば聖徳太子死亡と同時に新たな皇太子がたてられ、
推古天皇の死後に初めて後釜を狙って田村王と山背王の皇位継承争いが起ったのは全くの見当違いだ。
それは同時代の皇位継承において毎回みられることで、
前の天皇が死んだあとに必ず次の天皇の座を巡って争いが起こっている。
草壁皇子立太子まで、天皇の存命中に次の天皇(皇太子)が決まっていた証拠がないんだよ。
つまりは、皇族の厩戸皇子は存在したが、推古天皇の皇太子ではなかったことになる。
「太子」ではなかったということだな。
785日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:41:08
>>784
>>30>>41>>461

なんかまたループしてるな
786日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:08:57
782だが、少々加えると
大山氏は、皇太子「聖徳太子」のみならず、実在厩戸王の政治的活動全般を否定している。
また、養老年間「日本書紀」成立以前の太子信仰の存在一切を否定している。
すなわち法隆寺の復興に、厩戸皇子信仰が寄与したというのも認めない。
これら一つでも否定できたら自説は崩れるといっていたと思うが、なぜそうなのかは不比等
や道慈の捏造プロセス論が絡んでくるのでやや複雑だ。

しかし大山氏は、法隆寺の速やかな復興に関し、法隆寺の莫大な寺領は厩戸王の時代に
成立したものであるから、上宮王家の存在感(聖徳太子信仰とは無関係の)は残ってい
たであろう、と書いている。
しかしこれは大山氏のミスだろう。

寺領支配の歴史的な公的根拠が厩戸皇子にあるとしたら、これが法隆寺で忘れ去ら
れるわけがない。主要伽藍の復興という大事業においては、むしろ厩戸の偉名は大
いに強調喧伝されただろう。法隆寺復興開始の天武朝から「日本書紀」まで三十年
以上の年月は、上宮聖徳王信仰が形成されるに十分過ぎる時間だ。

とにかく大山説は、厩戸信仰と密接な法隆寺の復興史(考古学知見も含めた)との
整合を、する気がないというか避けていると見られても仕方がない。
787日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:55:38
>>786
藤原氏によって滅ぼされた長屋王邸の跡地は藤原氏の側である
光明皇后の所有となり皇后宮が置かれた。
同様、蘇我馬子が建立した飛鳥寺もどうだ?
蘇我氏が滅びれば滅びるどころか、官寺の扱いを受けて朝廷に保護され、
平城京内へも移された。

つまりあれだよ、斑鳩宮跡地は国家所有の土地となり、
その後山背王を破って帝位についた舒明天皇、
ひいては舒明の息子である天智・天武に引き継がれた。
現在の法隆寺は白鳳年間の再建説が有力だ。
つまり、天武・持統天皇の時代。
一僧侶が声をかけて復興したのではなく、これだけの規模の大伽藍を復興させたのは
何らかの形で国家権力が加担していた可能性が高い。
つまり、法隆寺は厩戸皇子の偉業を残すため、聖徳太子を信仰する庶民によって再興されたのではなく、
国家所有の寺だから再建された。
そうでなければたとえば蘇我馬子が造った飛鳥寺が今なお残り、
平城京にその分身が移された(元興寺)ことの説明ができないだろう?
蘇我馬子信仰があったから飛鳥寺が存続したとでもいいたいのか?

日本書紀が貴族たちの学問所で教科書として使われ、
それが平安時代末期までかかっていつしか広まり庶民の間で
「昔こういう偉い人がいたらしい」と聖徳太子信仰となったのは鎌倉時代ごろ。

788日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:58:56
>>787
漠然とした「国家所有」の語がなかなかくせものなので反論させてもらうと・・・
まあ長屋王邸と飛鳥寺は全然ちがう。

だいたい蘇我氏は蝦夷・入鹿亡きあとも、豪族筆頭格の地位を失っていない。
つまりこのとき(乙巳の変時)蘇我氏は滅びていない。
大化の新政権で、馬子の子とされる石川麻呂が右大臣となっている。
同政権で即位した孝徳天皇は、直後に飛鳥寺に勅を送っているが、その中で
馬子を仏教関係の功績者としてたたえている。
馬子は、蘇我本家滅亡以後も、国家の顕彰の対象だったといえる。
以上のことから、蝦夷・入鹿の滅亡によって飛鳥寺が国家に接収されたとか保護され
たの存続したの云々を論じる余地は、ないことが明らかだ。

白鳳の法隆寺復興が、太子信仰の「僧侶」「庶民」主体でないのは当然だ。
もっぱら国家や氏族レベルの事業だろう。
しかし法隆寺の伽藍復興も、あるていど国家の援助もあって比較的順調だった
とはいえ、結局三十年かかっている。五重塔などは、組立て途中で長期間放置
された痕があるなど、滞ることはあったらしい。
こうした中で、いわゆる庶民レベルとの関わりが生じていった可能性が想起しうる。
推測に過ぎないが、各地寺領の民から得分徴収アップを図るため、硬軟両様の手段が
とられたのは自然の成り行きではないか?
たとえば厩戸皇子供養分と称して規定以上の徴収増を強制的に強いたとか、逆に巧妙
に上宮聖徳王の徳を説いて浄財的に徴収分を増やしたとか、色々あったのではと思う
が、まあ想像の域だ。
789日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:36:45
再建法隆寺が国家から特別良い待遇を受けていない
ことからも、「国家」=不比等らの思惑によって、
太子信仰が生成したとは思えない。
太子を慕う集団に目を付けて利用したと考えるのが自然。
790日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:39:19
>>788
法隆寺は平安時代の確実な史料から各地にかなりの荘園を所有していたことが分かる。
当然、荘園を寄進する有力者の存在があったためだ。
庶民レベルの話ではないぞ。

蘇我石川麻呂の話が出ているが、蘇我石川麻呂は天智朝に滅ぼされている。
それ以降も飛鳥寺は存続している。
それでも蘇我氏は石川氏として存続したがもはや大寺院をたてる力などなく
奈良時代が終わるころにはいつしか官僚の名からも消えている。
それでも飛鳥寺は存続した。
それを庶民の「蘇我馬子信仰のためだ」というのは無謀だ。

ちなみに厩戸皇子の時代にも法隆寺の建築にはかなりの年月がかかっている。
四天王寺よりも20年後の完成とみられるようだ。
白凰時代には都の建築(日本初の都城制を持つ都、藤原京の建設が始まっている)があり、
法隆寺ばかりに金をかけてる場合ではなかっただろう。

東大寺だって落成までに何年かかったと思ってるんだ?
お前の自宅の修築じゃないんだ。
むしろ、重税の庶民からの寄付で大伽藍がたかだか20年ぐらいで建て替えられるほうが無理だ。
791日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:55:44
>>790
788だが・・・、787の言ってることと、それに対するオレの反論をごちゃまぜ
にして批判してるのか?

言ってることは別段異論はない。
792日本@名無史さん:2010/06/09(水) 02:01:12
聖徳太子に直接聞けたら良いのになあ
聞きたい事、山と有るよ
793日本@名無史さん:2010/06/10(木) 00:05:35
新規参入ですが・・・
聖徳太子の研究のためには、書紀の成立事情の分析が欠かせない。
当時、白村江の戦いで勝利した唐は、北九州に郭務悰を使者として送り、戦後処理の交渉を強いていた。
壬申の内戦と、倭から日本への政権交代はその目の前で行われた。つまり看板の書き換え。
書紀はその経過を唐新羅に説明するために書かれた。
その時点で、かって太子が煬帝を相手に強硬外交をしたことはきわめて都合が悪かった。
太子の事跡が捏造されたのはまさのそのため。
794日本@名無史さん:2010/06/10(木) 17:49:33
>>793
煬帝への強硬外交と太子事跡の捏造のあたりをもっとくわしく。
795793:2010/06/10(木) 22:42:22
倭王が天子と名乗り、煬帝が怒りながら拒絶しきれなかったのが、隋書と書紀の共通の記事。
これは非常に奇妙なことで、中国の天子がもう一人の天子を認めてしまったということが正史に残ってしまった。
従って、煬帝は中国では非常に人気がない。
でも、そんな中国の恥辱記事がなぜ正史に残ってしまったのか。そこから考えなければいけない。

隋書を編纂したのは、唐の太宗の寵臣だった魏徴。だが、魏徴が編纂に着手したとき、さぞや困ったろう。
隋の煬帝は中国史上もっとも暗愚な天子、唐の太宗はこれまた史上もっとも英明な君主とされている。
だが、よく見ればこの二人、事績は驚くほど似ている。
煬帝は、文帝の子で南朝の陳を滅ぼした大将軍ではあるが皇太子ではない。兄貴を陥れて後継者となり、父親を強いて天子となった。
高句麗に3度遠征し、あげく国を滅ぼした。
太宗はどうか。常勝将軍として唐の建国の大功労者であり、皇太子だった兄を玄武門の変で直接暗殺し、強引に皇帝となった。
そして、またも高句麗に遠征し、2度逃げ帰って国を危うくした。
事績からすれば、違いはない。煬帝のことをそのまま書くと、後世、唐書太宗本紀を書く際に煬帝と同じ評価になってしまう。
魏徴は、煬帝の事績を捏造しなければならなかった。
父親の側室を寝取ったとか、思いっきり贅沢をしたとか、煬帝のスキャンダルを書き連ねた。
日出処の天子は、その政策上の一つとして正史に残される羽目になった。
796793:2010/06/10(木) 22:58:30
ところが、白村江の戦いで敗戦国になった倭としてみれば、過去中国の皇帝をへこましたという事件は非常に都合が悪かった。
できれば、そう言う記事は隠蔽しておきたい。だが、唐にとってその記事は、太宗のためどうしても記録する必要があった。
ここにジレンマが生じた。
考え抜いたあげく、唐と倭(すでに日本となっている)が一致したのが、厩戸を皇太子に格下げしてしまう方法だった。
天皇が負けたのなら国の敗北。だが皇太子なら私人で、敗戦も強硬外交も公式なものではなくなる。
これによって、唐は煬帝の失策を記載しながら、日本は敗戦国として?強硬外交を帳消しにできた。
気の毒なのは、厩戸で、天皇の地位を抹消され、皇太子に格下げされた。
厩戸を聖人として祭り上げたのは、天皇に恥をかかせたことに対する祟りを恐れたから。
これにより、両国の正史に全く同じ記事が残ることになった。聖徳太子伝説の謎のほとんどはこれで解決する。
以上長文失礼。
797日本@名無史さん:2010/06/11(金) 11:54:40
>>793
面白いですが、しかし
「日本書紀」に、隋への「強硬外交」なんて書いてません。
「摂政」「皇太子」が私人とはこれいかに。
「天皇に恥をかかせたことに対する祟り」???
798聖徳太子は用明天皇:2010/06/11(金) 14:26:08
【聖徳太子は用明天皇説】を検証!

まずは、事実関係を整理。

◇事実その1
『新唐書』によれば、多利思比孤は用明天皇であり、
『隋書』によれば、少なくとも西暦608年までは存命。

◇事実その2
聖徳太子の偉業とされるものの大半は608年までに成されている。
593年、四天王寺造営
600年、遣隋使(『隋書』)
601年、斑鳩宮造営
603年、冠位十二階制定
604年、十七条憲法制定
607年、遣隋使(法隆寺建立もこの頃か)

どうです?
こうしてみると、用明天皇こそ聖徳太子だったと思いませんか?

しかし、それならなぜ記紀はこの時期の天皇を推古としたのか?という疑問が生じます。
次はそれについて検証します。
(つづく)
799聖徳太子は用明天皇:2010/06/11(金) 14:27:10
>>798つづき

記紀には、天皇を神格化するという目的があったと考えられます。
そのため、仏教に帰依した天皇の存在は極めて不都合だったのです。
かといって、仏教に関する業績を蘇我氏によるものとすると、仏教派の反発を招きます
(記紀編纂当時すでに仏教はかなり勢力を伸ばしていた)。
そこで、徳の高い皇太子による業績としたのだと考えられます。

ところが、数々の偉業を皇太子によるものとすると、天皇は無能という烙印を押されかねません。
しかし、中継ぎの女性天皇であれば、皇太子が政務を摂り行ったとしても不自然ではありません。
そこで、用明天皇・崇峻天皇の在位を実際より短くして推古朝に改め、厩戸皇子を聖徳太子とした。
そう考えると、合点がいきませんか?
800793:2010/06/11(金) 23:32:45
>797

強硬外交:皇帝は世界にただ一人、倭王が天子を名乗ること自体が強硬外交そのもの
私人:皇太子と天皇の間には厳たる差がある。伊勢の内宮内には入れるのは天皇のみ。
祟り:天皇であった人間の位を剥奪して皇太子に格下げする、天皇に対する最大の侮辱。
以上補足。
801日本@名無史さん:2010/06/11(金) 23:55:21
継体後の欽明朝の天皇は、そんなに権限がなかっただろ!
実質は蘇我政権。
802日本@名無史さん:2010/06/12(土) 03:54:51
蘇我政権と言えるのは敏達死後の話
803日本@名無史さん:2010/06/12(土) 19:12:45
>>800
それだと「日本書紀」が唐・新羅への説明するため云々というのがおかしくなるね。
「日本書紀」は、最高神天照大神の血統を引く天皇の正統性をうたう書だか
ら、この本自体が唐への強硬性が色濃いことになる。

郭務悰について言えば、壬申の乱直前に来たときは、唐と新羅の戦争中の事
であり、白村江の戦い直後とは事情がかなり違う。
ヤマトを味方(唐&百済残党)の不利な側に立たせぬ為の牽制だったと思う。



804日本@名無史さん:2010/06/12(土) 21:40:29
>>798>>799
「随書」では第一次遣隋使時点での天皇が男子だとしていることから
たしかに第一次遣隋使の時点では天皇は用明天皇であった可能性は高い。
そのあとの中国の解説書に具体的にこのときの天皇は日本の用明に当たる
としているものもある。

しかし、仏教に帰依した天皇が駄目というのは理解に苦しむ。
記紀が称える厩戸皇子は仏教かぶれの皇族で法隆寺や四天王寺を建立したことは
記紀にはっきり見える。
それに、記紀の編纂がはじまったころの天武・持統天皇も大官大寺などの寺の創建に
力を尽くしている。記紀が仏教を信仰する天皇・皇族を嫌った記述はどこにもみられない。

そして、中継ぎ天皇の概念が根本的に間違っている。
中継ぎとはいうまでもなく次の天皇候補が幼いなどのために一時的に即位する天皇。
しかし、この時代の天皇は生涯現役。
推古天皇は70代で亡くなるまで40年以上現役の天皇であり続けた。
生涯現役の天皇が中継ぎであるわけがない。
記紀では皇太子にあったとされる厩戸皇子が死んでも
代わりの皇太子など一切現れず生涯日本国のトップにあり続けた
推古女帝を中継ぎというあたりが最大の間違い。

805793:2010/06/12(土) 23:27:01
>803
よき碁敵登場、というところですね。宜しければ、しばらく固定バンドルならぬ、固定No.でやりませんか。

唐に対する強硬姿勢と、出自の正当性とは矛盾しないでしょう。むしろ、正当な王族という主張は外国に対して必要と思います。
何より国内に対しては。政治行為の目的はけっして一つと言うことはないのです。
郭務悰についても同様で、政治目的がたった一つと言うことはあり得ないと思いますよ。
現に、天智は郭務悰に対して大量の絹を与えている。直木孝次郎さんに言わせると、捕虜の賠償金だったということですが。
おそらく新羅と袂を分かった唐は、倭に軍事的協力を求めてきたのだと思いますね。
その郭務悰の目の前でこそ、壬申の乱は起こらなければならなかったということでしょう。
806793:2010/06/12(土) 23:45:03
>798
聖徳太子の偉業とされるものの大半は608年までに成されている。

これに対する答えは、隋書倭国伝の次の一節にあるでしょう。開皇20年の遣隋使に対して、
高祖曰此太無義理、於是訓令改之
高祖文帝は、「それははなはだ道理のないことだ」と言って倭国を諭して之を改めさせた。(訳は学研の倭国伝から)
要するに倭国の政治を近代化させた、と言っているのであり、文帝のいう近代を化大あわてで成し遂げた?倭は、
607年に第2次遣隋使を派遣したのです。目的は朝鮮半島における既得権益?を隋に認めさせることだったと思います。
ちなみに、私はこの時代を古代の鹿鳴館時代と呼んでいます。
807聖徳太子は用明天皇:2010/06/13(日) 11:57:08
>>804
>しかし、仏教に帰依した天皇が駄目というのは理解に苦しむ。
>天武・持統天皇も大官大寺などの寺の創建に力を尽くしている。

天皇が仏教を擁護したり推進するのはいいんですよ。
あくまで、神たる天皇が仏を許す(あるいは認める)という形ならば問題はない。
しかし、仏門に下るような印象は避けたかったのだと思う。
特に、崇神派の物部氏を滅ぼしたのが男性天皇であっては困ると考えたのでしょう。
男尊女卑を肯定するわけではありませんが、当時はそのような傾向にあったのだと思います。

>そして、中継ぎ天皇の概念が根本的に間違っている。

認めます。
「中継ぎ」という言葉を用いるかどうか少し悩んだのですが、
単に、「女性天皇」とすると、「男尊女卑」などと噛み付かれるかもしれないと思い、
それを避けるために「中継ぎ」としたのですが、ハッキリ言いましょう。
男性天皇が無能という烙印を押されるくらいなら、女性天皇が無能という烙印を押された方がマシだと、
記紀編纂に関与した人々は考えたのだと思います。
808聖徳太子は用明天皇:2010/06/13(日) 12:08:00
>>804
そもそも、記紀が事実だとすると聖徳太子の謎は深まるばかりですが、
用明天皇の在位が少なくとも608年まであり、
彼こそ聖徳太子だったとすると、スッキリしませんか?

記紀がそれを隠した理由についての考察に対しては異論もあるでしょう。
それは認めます。自分も多少苦しいかなとは思います(苦笑)


>>806
ですから、「聖徳太子=用明天皇」なのではないかと思った次第です。

>古代の鹿鳴館時代と呼んでいます。

良いネーミングですね(^^)
809日本@名無史さん:2010/06/13(日) 14:13:10
>>793
> 聖徳太子の研究のためには、書紀の成立事情の分析が欠かせない。
> 倭から日本への政権交代
> 書紀はその経過を唐新羅に説明するために書かれた。

これは同感です。

>>796を読むと、
厩戸皇子(=聖徳太子)は天皇に即位していたという説ですよね。
これも同感です。

唐としては白村江の戦いで勝利しただけでは満足できず、
天子を名乗った聖徳天皇を歴史から葬った(皇太子と言う形で残した)というのも、
可能性が全くないとも言い切れないと思います。
(まるで、エジプトのツタンカーメンみたいですね)

しかし、「日出処天子」の国書は隋の時代の話で、唐がそこまで気にしていたでしょうかね?
もし、そこまで気にしていたのなら、「多利思比孤」の名前をなぜ「新唐書」に残したのか?
という疑問が沸いてきます。
810日本@名無史さん:2010/06/13(日) 16:44:34
>>808
日本書紀は女帝である元正天皇に提出された。
「女性天皇は無能であっても良いが
男性天皇が無能ではやばいのでここは改編しました」
なんてありえますか?
記紀編纂記の天皇である持統天皇、元明天皇、元正天皇が
女性であるがゆえに自分で政治を行わず男性皇太子をたてて
政治を全部丸投げしていたならともかく
この時代の女性天皇は自身が国家の頂点で政治を行っていました。
むしろ男性である皇太子草壁皇子や文武天皇らが自身で政治を取れず
皇后や皇太后が政治を代行している時代でした。

あなたの説は無理に推古朝の功績は用明天皇のものだとするために
無理に史実をゆがめている気がしますね。
811日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:25:06
太子町の御廟に行こうぜ。
812793:2010/06/13(日) 22:23:27
>809
新唐書ですか。あれは11世紀の作で400年後のものですよね。資料的価値は旧唐書に比べると落ちますね。
それでも、別に多利思比孤の名が書かれていても問題ないとは思いますが。
813793:2010/06/13(日) 23:09:18
>811
太子の御廟ねえ・・・
これについても最近考えることがあるんですがね。妄想と言われそうですが。
私は太子は死後皇位を剥奪された天皇だと主張しました。太子の時代、天皇陵は方墳です。
私の説が正しければ、磯長にある太子廟が円墳だというのはヘンなんです。

ところで、飛鳥にある石舞台古墳ですが、あれ馬子の墓だとされていますが、考古学的には馬子の死んだ626年より
やや古いのではないかという意見があります。発掘で棺の破片が出ていますが、これは阿蘇ピンク石で、天皇陵の特徴。
あの墓、石室の構造が御破裂山の反対側にある赤坂天王山古墳にそっくりなんだそうです。
天王山古墳は、最近崇峻天皇の真陵だという意見が定説になりつつあります(森浩一さんらによる)。
当時、都は三輪から倉梯そして飛鳥へと移っていますから、そうすると、石舞台の主は崇峻天皇と馬子の死の間に死んだ
皇族(天皇?)ということになります。
ここまで書いたらもうお分かりでしょう。
あれは、太子の真陵として造られ、白村江以後、太子の皇位を剥奪しなければならなくなった過程で廃棄され、
磯長に新たに円墳として再建された・・・ これが私の妄想です。
でも、これが本当なら、様々な謎が解けるんですよね。
814日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:35:49
>>793
厩戸皇子が実は天皇か大王で、何らかの事情でのちに皇太子に格下げという
のは、まあ「聖徳王」「法皇」という史料表記から可能性は否定できない。

しかし「日本書紀」が白村江の敗戦にもとづく、過去の強硬外交弁明書だという
上に、聖徳太子の格下げで唐と日本が一致などというのは無茶な力技だ。
もっとも、唐側が倭王の「天子」僭称の事実に、何らかのわだかまりを持ち続け
たというのは、ありそうな事ではある。

白村江(百済戦役)の決着は、中国側史料に見える熊津、泰山の盟誓で一応は
ついたと見られる。「冊府元亀」だったか、そこに倭の代表もいたと書くもの
もある。
唐と新羅と百済(唐の傀儡)のセレモニーだから日本は関係ないというのか、
「日本書紀」はこの事(戦争終焉)について何らふれていない。
要は「日本書紀」においては、白村江合戦を含む百済戦争に関し、唐と新羅に
対し、とくに何か弁明しようとする意図は見えない。個々の戦闘で負けただけ
であり、しかもそれは主として百済遺民軍のこと、という風情すらある。

こうした「日本書紀」の立場では、白村江敗戦を以っての「強硬外交の帳消し」
などが介在する理由はない。
倭から日本への引継ぎというのも、どっかで示唆してるかもしれぬが、まず
明確な記事は見えない。

「日本書紀」は、八世紀にはあまり読まれなかったらしい(青木和夫「奈良の都」)
というから、そもそも編纂段階から積極的に流布させるつもりがなかったとすれば、
他国に対する配慮など無くて当然ではなかろうか。
815日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:38:03
聖徳太子の業績はそのまま中大兄の称制の模倣でしょうな。
皇太子が政治をとる伝統は昔からあったのだという。

史実の厩戸皇子は皇太子でも政権に近い人物でもなかったでしょう。
蘇我馬子の物部合戦に参加するなど
姻戚でもある蘇我馬子とは大変親しい関係にあり、
蘇我氏が推進した仏教促進を進めたというだけの。
そもそも斑鳩宮に一族もろとも引っ越した厩戸皇子は
毎日都のある遠い飛鳥まで出勤していたとは思えず、
これでは父の遺産で大寺院を建てては
暇さえあれば趣味の仏典読んでいるというただの隠居皇族だ。
とても政治の中枢にあった人物ではないだろう。
816日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:49:50
石舞台から阿蘇ピンク石が出たなんて初めて聞いたぞ。
石舞台と天王山の石室が似てるっつったって、そりゃあ石舞台は天王山の次型式だからな。
むしろ天王山型式の類例として挙げられるのは、彦人大兄墓に擬されてる牧野古墳だろ。
817793:2010/06/15(火) 12:28:39
応答多謝
自宅からアクセスできなくなっていますので、仕事場から。したがって、長文は無理なんです。
個別に返事しますが、分割で。
>814
もともと、わたしが書紀を対唐向けの外交文書だったと感じたのは、814が言われるように、書紀が編纂以後1世紀にわたって
国内ではほとんど公開されなかったらしいと言うことを知ってからです。
つまり、当時の国内の同時代人に向けては発表できないほど、書紀の内容は捏造されていたと思ったのです。
それは何故か? 国内の同時代人にはとても受け入れられないほど捏造がなされたからでしょう。
そうなると、国外に向けての表明だと言わざるを得ないでしょう。
つまり、貴方と私は同じ事柄から、全く反対の推論を出したわけですね。
818793:2010/06/15(火) 12:33:55
私の説の中核は、倭が店じまいして日本と看板を変え、その日本と唐の外交関係の再構築にあたって、 両国にとって不都合な事実を隠蔽した。
その一つが、聖徳太子の事績だったということです。
ここで、もう一つカードを広げますと、実は私が以上のことを考える端緒になったのは、隋煬帝と唐太宗というそっくりさんとは別の、
もう一組のそっくりさんの謎を解こうとしてでした。
その二人はともに、天皇の子であり、女帝のもとで皇太子となり、新たな都を造り、対中国外交で強硬外交を行い、
そして後継者が殺されるという、悲劇にあった方です。
そう、聖徳太子と天智天皇ですね。
実際、聖徳太子は天智天皇をモデルにして造られた架空の存在だという説があるほどですね。
そもそもの起こりは、この二人がどうしてそっくりさんなのかという、疑問から始まりました。
819793:2010/06/18(金) 23:44:47
ここまで私の書き物におつき合いくださった方にはもうお分かりでしょう。
これは、同時に815さんへの回答にも当たります。

天皇とは天皇霊という巨大な霊体の入れ物です。天皇位が空位になれば、天皇霊の居場所がなくなります。
また、対唐新羅戦争という、東アジアの世界戦争を乾坤一擲戦おうという時期に、天皇位が空位で戦えるでしょうか。
そんなことが出来ようはずがありません。私には専門家がどうしてこのことを指摘しないか不思議でなりません。
書紀が捏造したかったことの最大のもの。それは、白村江で戦った軍が、天皇の正規軍ではなく、
皇太子の私兵だったということにしたかった、ということです。
ここで、太子と同じ手段がとられました。天智天皇の称制というフィクションを創出したのです。
これが、太子と天智がそっくりさんである理由なのです。
820793:2010/06/18(金) 23:52:38
いささか突飛な「力業」でしょうか。
でも、私は理系の人間なので、エビデンスが伴えば、、光が秒速30万Km/秒であろうが、実体が50%の確率で存在しようが信じます。
やっかいなことに、これを認めてしまうと、書紀の謎とされていることが、多く理解可能になるのです。

で、わたしは大山氏が大嫌いです。これも、今までおつき合いいただいた方にはお分かりいただけると思います。
ということで、反論お待ちします。
821日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:42:26
大山説とは逆のベクトルだが、
書記が史実を大きくねじ曲げているという立場ですね。

<天皇位が空位になれば、天皇霊の居場所がなくなります。
もがり(漢字変換できねえw)中は空位でも、天皇霊は
もがりの宮にあるのでは。
822793:2010/06/19(土) 23:33:37
天武のもがりは3年ですが、皇位は早々に持統が継いでいますね。
まして、7年間も空位ということは許されないでしょう。
823日本@名無史さん:2010/06/20(日) 01:09:28
称制への疑義についてはわからんでもないが、
かといって天智→「聖徳太子」派生論には組みできない。
太子信仰はほとんど仏教的事績。政治的事績の共通項
をあわせただけでは説得力に欠けませんかね。
824793:2010/06/20(日) 19:00:14
歴史上同じような立場に立たされたものは、同じような事績を残し、結果似てしまうということです。
煬帝と太宗、太子と天智は、その類似例だということです。別に派生したわけではありませんよ。

もう一つ言えば、太子の信仰上の事績は、仏教的なものだけではありません。
片岡の飢人説話は、道教の屍解仙(字が違う)ですし、太子が仙人と関係があったと言うことを暗示していると思いますね。
道教では、登仙した者は子孫が絶えても気にしないとされており、太子の一族が滅亡したことで太子が祟らないようにいう、
呪の一種だと思いますね。
玉虫の厨子側面の捨身養虎図も、山背一族が祟らないようにという呪術だと思っています。
825793:2010/06/21(月) 21:24:49
私が大山氏が嫌いなのは、あの人の論証方法のいい加減さです。
自分にとって都合の悪い事柄は一言のもとに否定するのに、それ以外は全く何の論証無しに平然と使う。
ダブルスタンダードの最たるものです。
厩戸の意味を単に午年生まれと言って恥じない。当時干支を人名に使用したという事例はあるのですか。
第一、午年では「うまやど」の「うま」の説明にしかなっていません。「やど」は何処へ行ったのですか。
例えば、皇子という言葉は当時使われていなかったと称して、厩戸王と呼ぶ。皇子は使われていなかったかもしれませんが、
王が使われていた可能性はもっと低いでしょう。こういうことを平然とやる。
文句を言えばきりがない。呆れかえったものだとしか言い様がないと思っています。
826日本@名無史さん:2010/06/21(月) 21:35:37
ここは793のチラシの裏スレだな
827日本@名無史さん:2010/06/21(月) 21:56:44
大山も初期の『「聖徳太子」の誕生』あたりまでは、
学問的良心を失うまいとする態度が多少は垣間見られたのだが、
学会及び世間一般に受け入れられないことがわかるや否や
太子及び上宮王家を侮辱して憂さ晴らししてるだけだからな。
上記の著書で太子抜きの古代史像を構築しなければ・・・・・
と書いたの読んで今日の大山の破滅は予想していた。
そして、出てきたのが蘇我馬子大王(天皇)説!
大山の手法使えば、古代史は何でもアリで楽しいなw
828793:2010/06/21(月) 23:47:34
>826
ごめん、ごめん。
だって、誰も反論してくれないんだもん。淋しかったんだよ。
829日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:56:09
>>825
まだキリスト誕生譚が流入したという方が信憑性あるな。
830日本@名無史さん:2010/06/22(火) 08:12:44
>>828
馬鹿馬鹿しくて反論する気も起こらない
831日本@名無史さん:2010/06/22(火) 17:36:32
>>819
「書紀が捏造したかったことの最大のもの。それは・・・・」
の御説で、斉明天皇の皇位が「日本書紀」で隠蔽されてないのをどう理屈づける?

百済救援の詔を発したのは斉明天皇だし、「或本説」ではあるが、日本
にいた扶余豊を百済の「王」に立てたのも同天皇とある。
唐がすでに、扶余隆を百済王に封じている上でのことだ。
唐が立脚する中華秩序からすれば、斉明の行為は到底許しえない。

百済復興軍の組織と運用は、明らかに斉明朝からスタートしている。
なお扶余豊の王位は、白村江敗戦までの約三年間、一応継続したとみなせる。
つまりその間、日本の百済救援戦争の大義名分である斉明天皇の「詔」は、
生きていたといってよい。
斉明の「詔」にもとづき、中大兄が指揮をとる日本軍は、はたして「私兵」だろうか。

「日本書紀」中、中国に対してもっとも敵対的な天皇が斉明天皇だとさえいえ
るが、その治世は前期皇極時代ともども、しっかり記されている。

832831:2010/06/23(水) 20:52:40

訂正と付言
一時唐の捕虜となっていた扶余隆が白村江の前に「百済王」に封ぜられた
というのは間違いでした。
白村江戦のあとで傀儡「百済郡公」として投入された。

百済滅亡後の同地は、唐が都督府制を敷いたと「旧唐書」等にある。かつて
の帯方郡復活を意識していただろう。
それに対する日本の反応が、斉明天皇の百済救援の「詔」と新百済王擁立となる。
単に名分論としても、真っ向対立以外のなにものでもない。
833793:2010/06/23(水) 21:56:18
書き込み、いけますかね。いければ、一つ一つ反論。

>829 まだキリスト誕生譚が流入したという方が信憑性あるな。

キリスト生誕説は、久米邦武以来色々な人が言われますが、原典を読む限りあれは無理ですね。
まず、第1に、太子は馬小屋で生まれていない。母親が厩の戸に当たったから安産だったと言ってるだけ。
馬は生まれ落ちるとすぐに走り始めるので、安産のシンボルだったというだけでしょう。
厩戸の意味は、上田正昭さんが言われるように、扶養担当氏族のこと。それ以外の意味はありませんよ。
834日本@名無史さん:2010/06/26(土) 18:30:12
>>30
>「皇太子が天皇に即位した」といった表現は、日本書紀にはテンコ盛りのように出てくる・・・・
紀は、その清書時点の用語で記述しているだけなんだよ。「天皇」や「大連」が、好例だね。
現代の史書でも、「コロンブスが、1492年アメリカ大陸を発見」と1492年にはありえない用語の
「アメリカ大陸」を使って表現するようにね。
本題でいうと、7世紀前半には、皇太子制も次期大王候補者が大王を補佐する制度もなかった。
835日本@名無史さん:2010/06/27(日) 01:39:16
広隆寺で見られるような、「聖徳皇太子」云々とある文物は太子以後の世の中でできたんだろな。
836日本@名無史さん:2010/06/27(日) 20:34:06
「隋書」に「太子」がいると書いてあるし、
のちにいうキッカリした制度的皇太子の「原」として、大王補佐役の王族が
七世紀前半の日本に存在したとしても何等おかしくはない。
837日本@名無史さん:2010/06/27(日) 21:06:19
同じ隋書には日本国王には側室が3千人いると書かれてあるのだが・・・
なんでも中国皇帝のものまねをのべてるだけじゃないの?
838日本@名無史さん:2010/06/28(月) 23:51:35
>>837
隋書をよく読んでごらん
「後宮有女六七百人」
とある、続いて
「名太子利歌弥多弗利」
とある
詳しくは>>41に書いたから省くが、後宮の女、六・七百人が疑わしいからって、太子に関する記事まで疑う根拠にはならんでしょ

そもそも、隋の使者に倭国の後宮にいる女の正確な数なんかわかるはずないじゃん
こんな数字は大概水増しされたもんだよ
それに後宮にいる女全てが側室なんてのもありえない
多くは大王や后の世話をする女たちでしょ

一方、太子に関する記事には利歌弥多弗利という和語を記している
これは倭国側の人間との直接的なやり取りの中で得た情報であり、使者の憶測や推測、一方的な勘違い等によるものとは思えない

さらに付け加えるなら、書紀推古十五年に壬生部設定の記事がある
壬生部は有力な王子の生活費に充てるための部であり、このとき厩戸に充てられその死後も上宮王家に伝領されている
つまり、厩戸は大山がいうような影の薄い王子では決してなかった
839793:2010/06/30(水) 00:01:20
>830
そうかなあ。
白村江の敗戦で、厩戸天皇の皇太子への格下げと、天智の即位の7年繰り下げが正史で行われた、
と考えると、歴史上の謎とされていることが結構綺麗に説明されるんですよ。
ちなみに、このスレの>111の書き込みも私です。
今も昔も、この国を動かすものは、海の彼方からの動きです。
840日本@名無史さん:2010/06/30(水) 15:13:25
>歴史上の謎とされていることが結構綺麗に説明されるんですよ。

本人がだいぶのめり込んでいるある種異端な持説ってのは、他人から見ればたいていはアホらしいものですよ。
白村江での敗戦がきっかけで、のちの正史で厩戸天皇が「太子」へ? 天智の即位が7年繰り下げ?
ほんとうにあなたのご高説どおりなら大したもんだけど、少し冷静に考えてみれば多分それは無いよね。
日本書紀が720年完成で、遣隋使が607年、白村江が663年。
2020年完成の歴史書で、「もろもろ都合が悪いから」との理由で、
1907年当時の首相を副首相に格下げ? 1963年当時の首相の就任を7年繰り下げ? 多分無いよね。
841793:2010/06/30(水) 21:26:10
>840
この反論は正直予想外。
日本書紀の成立が、白村江の敗戦の影響によるものだというのは、ある程度定説だと思っていたから。
ちょっと、他の説を調べてみてください。すぐに分かると思います。
参考までに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.9B.B8.E7.B4.80.E6.88.90.E7.AB.8B.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF

太子の息子の山背大兄が殺されたのが643年、その犯人とされる入鹿が殺されたのが、わずか2年後の645年。
この時、活躍したとされる天武が壬申の乱を起こし、白村江の敗戦処理をした。書紀の編纂総裁はその息子の舍人親王。
太子の時代と天智天武は実は同時代史だというのは別に私の奇説でも何でもありません。
842日本@名無史さん:2010/06/30(水) 22:23:06
>>838
後宮はきっと日本人から聞いたことではなかっただろうから間違い、
しかし、きっと太子は日本人から直接聞いたことに決まってるので間違いない、って?
そもそも随書にはどこから聞いたものなのかは一切書いてないし
お前さんのご都合主義にすぎないだろ。

厩戸は用明天皇の皇后腹の嫡男だから
有力な皇子ではあったのだろうよ。
用明天皇から上の宮をもらい、壮麗な斑鳩宮を築いているから
相応の資産を持っていた。
だからって、厩戸が皇太子で推古天皇をお飾りにして
政治を牛耳っていたとは思えない。
この時代の天皇は終身だし、そもそも政治を取れない天皇なら
即位することなどあり得ない。
推古の前も帝位を取り合って死闘が行われていたのに
推古在位中は戦がなかったのは(厩戸や蘇我馬子の死後も)
日本が推古を中心にまとまっていたためだろう。
そもそも厩戸がそんなに有力な皇子なら
推古天皇を抑えて即位してるだろ。

そもそも都から遠い斑鳩で頑張っても
飛鳥にいる推古天皇+蘇我馬子のような意志疎通はできかねるのだが。
843793:2010/07/01(木) 00:20:32
>842
そもそも都から遠い斑鳩で頑張っても
飛鳥にいる推古天皇+蘇我馬子のような意志疎通はできかねるのだが。

この辺が、関西にいない人にはわかりにくいかな。
当時の国道一号線は、難波津(今の難波橋)に上陸して上町丘陵に沿って南下し、竜田地峡を越えて斑鳩に至った。
そこから一直線に飛鳥に南下した。今に残る太子道は、太子が通勤に使った道ではなく、国際港から首都に至る最初期の官道でした。
したがって、斑鳩宮はけっして世捨て人の隠居所ではない。
そもそも斑鳩はいくつもの宮が集合した複合遺跡で、千田稔氏に言わせるとこの国初めての計画都市ではなかったかというくらい。
私は、飛鳥は長安、斑鳩は洛陽に対応して造られたものだと思っています。(古代の鹿鳴館時代)
ちなみにこの道は国道25号線、旧奈良街道。太子の遺跡は殆どこの道沿いにあります。

844日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:00:01
>>843
推古天皇はどこにいたか知っているのかい?
推古天皇が即位した豊浦宮、その後移った小墾田宮はいずれも飛鳥にあり、
この時代の都は間違いないなく飛鳥だ。
蘇我馬子の住んだ嶋宮も間近だ。
その他の皇族や官僚たちも飛鳥に住んだ。
毎日宮殿に出勤する者は皆宮に徒歩・馬通勤できる距離に住んでいた。

斑鳩宮は遣隋使が通った道に隣接してはいたが飛鳥からはあまりに遠い。
とても通勤圏内ではない、つまり、厩戸は政務が行われ、会議が行われ、
官僚がほぼ毎日通う宮殿に、滅多に行かなかったことになる。
斑鳩が第二首都だったのならば推古天皇の離宮や蘇我馬子の別荘があり
洛陽のごとくしばしば遷都されることが必要だが
残念ながらこの時代都が飛鳥以外に移った形跡はなく
斑鳩にも厩戸一族以外に著名な人物が住んだ形跡がない。
よってその説は無理だ。
845日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:54:18
大山説に賛同する輩はいないようだな。
2ちゃんのくせに良識なスレだこと。
846日本@名無史さん:2010/07/01(木) 23:58:09
>>842
ご都合主義ねぇ
すくなくとも、>>837みたいに隋書の名太子云々の記事を信用したくないが為に、いきなり側室三千人云々いうよりましだと思うが

そもそも、間違いや疑わしい記述のない史書なんか見たことないんだが、>>837をみるとまるで間違いが一つでもあれば、その史書の内容はなんであろうと疑わしいと言わんばかりだね

個々の記述の内容を吟味する努力を欠いているとしか思えない

女六七百人とかいう大雑把な数字を根拠に、和語として太子の意味にも受け取れる記述を否定する方がおかしいと思うが
隋側がありもしない利歌弥多弗利という和語をわざわざ捏造したとは考えられないが、女の人数なんか宮殿の規模からの推測かもしれないし
まぁ、本当に六七百人の女がいたところでオイラは困らないんだけどね
困るのは否定する根拠を失う>>837なんで
847日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:24:57
天皇であった聖徳太子を皇太子に格下げしたなどと言うことが実際に有ったとしたら、
その目的は大友皇子の即位の事実を消すためだと思う。
848日本@名無史さん:2010/07/02(金) 01:42:25
大友皇子は「本当は天皇になったんじゃないの?」と疑えるような描写だけど、
聖徳太子の場合はそんな風に書かれてないし。
849日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:14:37
>>846
隋書は間違いだらけだ、しかし、ただ一つ、
太子だけは間違ってない!
って、それもまた思い込み。
850日本@名無史さん:2010/07/03(土) 00:04:35
>>849
別に名太子云々のみ正確だとか言ってないが、何を勘違いしてるの?

隋書は冠位十二階にもふれている
これは倭国側の史書たる書紀にも記されている以上、より確かな記述だと考えられる
他にも倭王が阿輩鶏弥(オオキミ)と号していた等、倭国側の史料から裏をとってみて確からしいと思える記述もあれば、姓阿毎字多利思比弧のような思わず首を傾げたくなるような記述もある

だから、個々の記述の内容を吟味してその真偽をはかるべきだとレスしたが、言ってる意味がわからないかな?
851793:2010/07/03(土) 09:34:05
>844
副首都だったら逆に都に通勤する必要はないわけですよね。だから離れていて当たり前ではないでしょうか。
当時、天皇は多数の宮を持って好きなところに住んでいたようです。
例えば、崇峻天皇の倉梯の宮は奈良時代中期まで残っていたらしく、たびたび行幸されていますよね。
持統天皇も岡本宮や小墾田宮を転々としています。
だから、推古天皇は小墾田宮にいたから斑鳩は副首都ではなかったという論法は成り立つのですかね。

私が言いたいのはちょっと違っていて、600年の幻の遣隋使は、当然中国各地を旅して、長安に着いたわけです。
当然、洛陽を通過して(地理上当然ですから)首都の長安に着いたわけです。
当時、洛陽は商業の中心地として繁栄していましたから、古代鹿鳴館時代の我が国としては、それも取り入れようとした。
そこで、あわてて洛陽に見立てて斑鳩を造ったということです。
この場合、盆地の入り口にあり、首都を流れる川の下流という、洛陽に似た地形が評価されたと思います。
852日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:03:36
>>850
日本書記では女帝だとしている当時の天皇を隋書では男性だと記している。
整合性を合わせるとすればどちらかが間違っているわけだ。
太子の文字も男性天皇の名(タリシヒコ)の名と対比して登場させており
これだけでも隋の人間が直接日本の天皇、皇太子に実際にあってたしかめたもの
ではないことは明らか。
その点は、中国の使者が邪馬台国に来た際、
実際に会ったと思われる卑弥呼とは大きく違う。
卑弥呼は年齢、性別から家族構成、呪術といった細かい特徴
至るまで詳細に書かれてあるのに対して、
隋書には当時の日本の天皇の男性と思われる呼び名を記すのみで
天皇の年齢や特徴について一切触れてはいない。

つまりは、隋の役人が遣隋使から聞いた話をそのまま
記しただけである可能性が高いということだよ。
「日本の国王の名は?」「日本の皇太子の名は?」
と隋には当然ある制度が整備されているかを誘導尋問されれば
なんらかの名前を言わなければならなかったはずだ。
853日本@名無史さん:2010/07/05(月) 21:39:47
>>851
推古がいたところはすべて飛鳥なんだが、
どうも論点がずれているな。
推古天皇もたびたび宮を変えているがすべて飛鳥にある。
だから、斑鳩に推古天皇の宮があったのかと言っているのにこれは無視。
そもそも推古天皇が斑鳩に来たことはあったっけ?
天皇が来たこともない場所が副首都?
斑鳩が斑鳩宮と呼ばれたことは全くない。

天皇や大臣が住む飛鳥に厩戸がいなかったということは
重大な政策決定に厩戸は参加していなかったということだよ。
離れた所に住んでも厩戸がここが副首都だといえば副首都なんだなんて
馬鹿なことはない。
藤原宮でも平城宮でものちの皇太子たる人物が
都の外に住んでいたことなどまずない。
平城宮では内裏のすぐ隣の東宮、平安京では内裏の中(梨壺)に
住んでいた。
天皇が平安京で東宮が平城京なんてないわけだよ。
それを持っても厩戸が皇太子であった可能性は低いわな。
854793:2010/07/05(月) 23:36:53
>852
隋書に大業四年文林郎はい清を遣わして倭国に使いせしむといい、書紀に推古十六年八月三日唐客が都に入ったと記録されている。
この何処をどうすれば、「つまりは、隋の役人が遣隋使から聞いた話をそのまま
記しただけである可能性が高いということだよ。 」と言えるのか不思議ですね。
そもそも、ここに書き込んでおられる方たちは、隋書や書紀は読んできてるんじゃないんですか。
だいたい、多少中国史をかじった者として、隋使が現地を訪れももせずに皇帝に報告したなどと、
考えることさえあり得ないんですが・・・。 一族皆殺しにされますよ。
855793:2010/07/06(火) 00:09:36
>853 :どうも論点がずれているな。

851を書き込んだ時、絶対論点は合わないと思いつつ書いたのですが、予想通りでした。
私は一貫して、厩戸は白村江以後の日中両国の外交上よけいな存在だったため両国の正史から抹殺された天皇だと言ってきました。
そこの処は全く読まれてないわけですよね?論点が合うわけがないですね。

もう一つ、600年の隋使以後、厩戸は隋の政治体制をこの国に移植しようと必死になります。
私はこれを古代の鹿鳴館時代と呼んでいるわけですが、斑鳩宮は、隋の東京・洛陽に模して造ったとしたわけです。
話、全く合ってませんよね。
856日本@名無史さん:2010/07/06(火) 06:12:05
>>853じゃないが、そっちの主張する珍説に直接レスしてるわけじゃないんだから、
それを考慮する必要なんてまったくない。
857793:2010/07/07(水) 21:32:01
そうかな。相手に反論しようとするなら、相手の言ってる内容ぐらいは読んでからするのが礼儀でしょう。
858日本@名無史さん:2010/07/08(木) 06:33:48
おもしろいので、もちょっと詳しく論証をみたい。
参考文献をちょっと列挙してください。
自分も読んでみる。聖徳太子=用命天皇。
859日本@名無史さん:2010/07/09(金) 22:14:16
>>855
全く頓珍漢な人だな。

厩戸が天皇だったというのはまず無理だろう。
その理由を書いたが、おたくは一切読んでいないようだ。
こちらの文章は一切無視、自分の自己主張を続けるだけ。
反論に聞く耳持たずで、意識的に論点をずらそうと頑張っているんだろう。

斑鳩宮には厩戸が住んだ斑鳩宮を中心に
そして母間人皇女を住まわせた中宮寺、法隆寺を左右に並べてたてていた。
ここに住むのは厩戸とその母、妻、妾、子たちでそれ以外の皇族の姿も豪族の姿もない。
厩戸が天皇なら、自分の一族以外を排除した斑鳩宮でどうやって政治をとったのか?

こう書いてもまた無視するんだろうがな。
860日本@名無史さん:2010/07/10(土) 00:11:02
たまたま覗いたら凄い人が湧いてるね。
厩戸が天皇に即位したって説は門脇先生が唱えた説で、それはそれなりに論拠があっての事だが、
今、湧いてる人は、自分の空想と現実の区別がつかなくなっちゃってる人みたいだ。
>斑鳩宮は、隋の東京・洛陽に模して造ったとしたわけです。
厩戸当時は「宮」はあっても「京」はない。
宮はあくまで住居であって、京、つまり首都もしくは都市ではない。
なんか最低限の知識もないみたいだ。
861名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:54:33
京であった詳しい証明とかいろいろ読みたいんだが・・・。
私は珍説でもおもしろければ一応全部見てから
疑問点を言ったり反論する事にしているので、
もちょっと、書いて欲しい。
おもしろくていいじゃないっすか。
862793:2010/07/12(月) 22:08:05
私の言う斑鳩宮は、法隆寺東院遺跡の斑鳩宮ではありませんよ。
斑鳩宮・岡本宮(法起寺下層遺跡)・中宮・飽波葦墻宮、それに斑鳩寺(若草伽藍)などを含む
複合遺跡としての、広義の斑鳩宮です。中国式に言うなら、斑鳩城とでも言いますかね。
これらはいずれも南北軸から西に20度傾いた、太子道と基線が一致した線上にあります。
おそらく同じ計画に沿って造られたのではないかと言われています。
千田稔さんなんか、国内最古の都市計画に乗っ取って造られたのではないかと言われていますね。
863日本@名無史さん:2010/07/13(火) 22:00:41
広義の斑鳩宮ねえ・・
あくまで斑鳩宮は斑鳩宮、広義も狭義もない。
あくまで宮は宮。
その辺の大雑把な理解の仕方からしても素人さんぽい。
まあ百歩譲って、広義の斑鳩宮ってのを認めるにしても、
それらは「隋の東京・洛陽」のような都市ではない。
宮と都市の区別がついていないのは明白。
宮はあっても、多数の役人からなる統治機構はないし、都城ではない。
せめてその両者の区別ができるようになってから新説を唱えて欲しい。


864793:2010/07/21(水) 00:30:14
>863
最初に言ってるように、私は理系の人間です。正規に歴史を学んだのは、大学の教養まで。教えてくれた人は一流ですがね。
でも、中学生並みの宮の定義から一歩も出ないのでは仕方がないですね。

>861
私の説? なんて言うほどのものではありません。私はただ、隋書をそのまま読んだだけ。
600年に倭は第1回遣隋使を送る。倭王の神権政治の有様を聞いた文帝は、「此太無義理、於是訓令改令」というわけです。
つまり、政治とは何か教えてやれ、というわけですね。この時教えたのは、おさらく宰相の蘇威。
あまりのぼろかすに言われように、倭使は国に帰って報告します。あまりに格好悪いので、その派遣はなかったことにします。
かくして第一回遣隋使は幻の遣隋使になってしまいました。
倭使は、文明開化をやってみろという文帝の要求を報告します。律令の制定、仏教の国教化、官僚機構の構築、
二大都邑の整備(大興城は西都、洛陽城は東都)等。
是が倭国での何を指すかは、言わずともお分かりでしょう。私は是を古代の弁明開花と呼んでいるというのは、以前言ったとおりです。
特に十七条憲法は、西魏の六条詔書に基づいているというのが中国史家の間ではほぼ定説化しています。
蘇威の父親が蘇綽で六条詔書を書いた人。父親の著作を押しつけたんですな。
一応の格好が付いた607年、倭王は再び遣隋使を派遣します。リターンマッチです。
したがって、608年以後、太子の事績とされるものはありません。もう必要がなくなったからです。
865793:2010/07/21(水) 00:47:20
第2幕(大業3年の煬帝の宮廷)ではとんでもないことが起こります。倭王が俺は天子だとやったわけです。
天子は天下にただ一人でなければなりません。隋の煬帝の政庁は大騒ぎ。倭王は誤解をしていたんですな。
煬帝は怒って「蛮夷書有無礼者、もう2度と聞きたくない」と怒ったものの、高句麗遠征を控えて、倭王を怒らせたくない。
倭が新羅を攻めたら、隋は高句麗戦争の援軍を得られなくなりますから。
結局中途半端な咎めしか与えられずに、倭使は倭王は天子と思いこんだまま帰るわけです。

これが後、煬帝の魏徴のつけいる隙になり、煬帝は中国史上の暗君とされたわけです。
何しろもう一人の天子を認めてしまったんですから。
866銀河 秋彩:2010/07/31(土) 11:06:38
「馬鹿な学者の妄説信者へ」を名乗る、無知アホあんぽんたん糞馬鹿くんへ

【史実】を知らぬ、無知アホあんぽんたん糞馬鹿な学者の妄説信者へ。(笑)

 「最初の即位・雄略天皇(聖徳太子)」=「山(赤人、憶良)柿(人麻呂)の門」
=「二度目の即位・聖武天皇(大津皇子)」
を知らないな。(笑)

867日本@名無史さん:2010/07/31(土) 15:16:19
>865
そうすっと、聖徳さんは隋がバカでラッキーということですな。
>866
あんぽんたんはおまえじゃ。そんな説は知らんでもええ。
868('v`))))<:2010/08/18(水) 20:36:17
あれ?
869日本@名無史さん:2010/08/20(金) 03:43:27
帰化人が見た代表的日本人@
隋王朝に「独立宣言」を叩きつけた聖徳太子

石平 評論家

聖徳太子はナゼ仏教を国の基礎としたのか。そのウラには、世界宗教としての仏教導入により
儒教を奉じる「華夷秩序」からの独立という狙いがあった―。



歴史通
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出版社:ワック
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870日本@名無史さん:2010/08/20(金) 04:19:11
このスレの皆さんは駒沢大学の石井公成氏のブログ『聖徳太子研究の最前線』を一度見た方が良いと思います。
871日本@名無史さん:2010/08/20(金) 17:19:56
遣隋使など、中国への使節のことがよく知られるが、
中国から日本への遣日使というのもかなりの回数で相当の規模だったそうだ
聖徳太子は大和ではなく難波に四天王寺を建立してるが、
これは中国から来た使節に文化を誇示するのが目的だと考えられるし、
同様の解釈は、畿内の巨大前方後円墳についても言えると思う
当時、倭の五王が上表文を送っていた頃だから
872日本@名無史さん
つまり難波や河内は当時の日本の海の玄関口で、
そこで倭・日本の文化の威容を誇示していた