>>951 三位中納言の公卿と四品の親王なら公卿の方が上と言う事?
摂関>三公>親王>内大臣の格はあるだろうが
力の無い凋落した四品親王が内大臣以下の下に置かれることもあるだろうね
親王が少なかった江戸期は内大臣以上だろうけど、庶子出家の法則が出来る前で親王が腐るほどいた時代は
臣下よりも下だった事もあるだろう。
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956 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 16:02:12
じゃなきゃあの藤原氏が黙っていないな
明治維新後の諸王の扱いの良さは異常。
公爵よりも明らかに上だろw
958 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 16:14:28
ああ、あの中世の民主党な
>>948 更衣腹の賜姓源氏が二品(一品?)親王になるなんて
こんなことでもない限りにありえんのに
一度甘い汁を啜るとえらく贅沢になるもんだな
960 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 16:20:53
でもどうせ子孫はもっと低い所から降下して先細り、没落したんでしょ?
醍醐源氏なんか嵯峨源氏以上に聞かないし
>>960 当然子供の代で源氏に、そして数代で消息不明
962 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 18:17:33
親王の息子は源氏だが大概次の代で消息不明になるよ
伏見宮も4世以内に臣籍降下すべきだったな。
賜姓源氏よりも血筋の劣る者たちを皇族と呼ぶには無理がありすぎる。
>>952 卿よりは親王の方が上だね。
道長の時代には、親王を左大臣である道長自身の上にしている(御堂関白記)
から、江戸時代にははるかに下降したということだろうけど。
965 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 23:06:55
>>964 よく御堂関白記の話をしているけど
道長の上に親王を置いたなんて事実はない
>>965 例えば寛弘四年四月二十五日の記事でも、親王の座は道長を含む
公卿の座の上に設けられているし、座に着した親王公卿を列記した
部分でも、
「中務親王(具平親王)、前大宰帥親王(敦道親王)、私、右大臣、内大臣、
東宮傳、(以下、参議まで列記)」
と記されているよ。(全現代語訳「御堂関白記」)
また始まったよ、親王厨が…
968 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 23:34:59
藤原氏の道長が招いた席上なら親王を上に置いてもおかしくない
親王は客人扱いなんだから
969 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 23:36:54
宮中席次が問題なんだよ
>>968 内裏の饗宴で、招待者は一条天皇だよ。道長ではない。
971 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 23:40:23
>>970 道長が書いた日記だからじゃね?
親王を先に記したのは
>>971 公卿の途中で親王を入れるのは可笑しいよな
あまたいる親王の下に道長なんてありえねーな
>>971 ほかの記事を読めばわかるけど、道長は出欠だの席次だのには非常にうるさいよ。
そもそも、当時の貴族の日記は、儀式のやり方やら序列やらといった前例を子孫
に伝えるためという意味合いが強いし、着座の記述は座次の順になっているよ。
(例えば、位階の関係で右大弁を左大弁の上に着かせたときは、その旨の記述
がある。)
この記事でも、「(両親王、道長、右大臣、内大臣〜)三位中将、源三位、右兵衛督
が座に着した」と、二十人の公卿を官位の順に全て挙げている。
道長の頃の親王は、基本的に天皇の子、兄弟だから、後世の「百年、二百年
遡れば天皇に行き着きます」という親王とは、扱いが違うのはある意味自然なよう
にも思えるけどね。
そりゃ公卿を官位の順にあげなければ変だろ
976 :
日本@名無史さん:2010/07/05(月) 23:58:20
>>974 そういえば、前に上げられていた質問に答えていなくないか
一座だか一座宣旨なんたらの件
>>973 本人が日記で書いている事柄、しかも基本的には子孫以外に見せることを
予定していない(+子孫には、前例として引継がれる)ことを否定する根拠が、
>>ありえねー
ですか。
>>975 繰り返しだが、当時の貴族の日記というのは、前例を伝えるためのものだ。
内裏の饗宴の座次として、「謙遜した」と称して親王の下の座であったと
道長が書けば、それが前例になってしまうんだよ。
実際、道長自身も儀式や座次の前例を調べるために、各種の日記をあた
ったと記しているし。他者に見せるためのものではなく、子孫に儀式を伝える
ための「業務資料」で、座次を勝手に変えるなんてことは、それこそ有り得な
い話だよ。
979 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:02:45
>>977 そんな前例があったらとっくに「平安時代はこうでした」という話になっていないか?
980 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:03:48
>>976 「一座の定義」が事実に優先するという、あの噴飯物のたわ言かね?
一座の宣旨が誰にどう出されたかという話に関しては、既に答えて
いるよ。それに、百歩譲ったとしても、「一座」でない大臣と親王の座次
の問題に、摂関にしか出ない一座宣旨がどう関係しているのかという
点についても、聞いてきた奴はだんまりだったね
で、そもそも、道長はほとんどの期間を左大臣で内覧という立場で
すごしていたわけだが、その道長と「一座」がどう関係するんだね?
別に
>>977の味方するわけじゃないが、
「何なのこの人」はないんじゃないか?
間違ってるんならどう間違ってるか、論理的に書くべきだろ。煽りでなくて
983 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:05:39
>>981 通常、宮中席次の一座には上席の大臣が座るからだよ
>>979 だからこそ、長年親王と三公の座次は争われていたんだが。
「大臣に親王が逆らうなんてありえねー」という論理で否定
していた奴はいたけどね。
最終的に「禁中並公家諸法度」では、平安時代よりはるかに
古い、「藤原不比等と舎人親王」の前例を持ち出してきて
おさめたわけだけど。
985 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:08:09
>>984 あれは、「古くは」藤原不比等と舎人親王から始まりという意味だろ
>>983 なるほど、だから「道長より上に親王が座することは『有り得ない』」。
「だから、道長が子孫に伝えるために記した日記には、実際の座次
ではなく、(置き換える意味もない)親王の座を自分の上においた」
という論理になるわけだね。
大体、「大臣の方が親王より上座」ということが常識だったなら、
わざわざ宮中行事を日記に記録するときに、自分の上に親王をおく
意味も理由も存在しないよ。
>>980 実権のある左大臣、一上から、一応は尊貴な立場といいつつ何の権限もない
お飾りの親王に移されるのは、必ずしも喜ばしくはなかろう?文字通りの
「敬遠」「棚上げ」なんだから。
親王自身は形上尊ばれても、子や孫が零落するということが目に見えている
わけだし。
988 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:14:27
>>986 それは有職故実にも記載され研究の成果でもあるからね
>わざわざ宮中行事を日記に記録するときに、自分の上に親王をおく
意味も理由も存在しないよ。
だからそれは親王を先に羅列しただけだって
左大臣は一の人とも呼ばれているからな
その所以も無視出来ない
一の人=朝廷の儀式で第一の席につく人
991 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:29:16
兼明親王の場合は
「左大臣から二品親王に降ろされた」となっているね
>>988 > だからそれは親王を先に羅列しただけだって
親王・公卿を区別無く座次の順に列記している中で、
「親王だけは別」とする理由はなんですか?
思い込みでなく、まずは当該の記事を読んでからに
すべきでしょう。
史料に実際に記述されている順序を、「○○の筈だから、
道長が勝手に実際の順序を変えて記述したんだ」という
のは、説得力がないよ。
993 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:31:17
>親王・公卿を区別無く座次の順に列記している中で
と本当に言い切れるのか?
>>993 「現代語訳 御堂関白記」の最初のところに注記があるが、道長が
改行なり段落を改めているところは、そのことがわかるように記述
されている。
で、問題の部分は中務親王〜末席の右兵衛督まで、そのままだら
だらと記述されている。特記なり特別扱いというような記述じゃない
ということだよ。
995 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:38:04
>>994 「一の人」と「一座」の定義を否定するのか?ってさ
996 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:40:31
それは
>>993の答えとしては不十分じゃないかね。
997 :
日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:42:14
996は994へ
>>995 後付の「定義」が史料を否定するというのは、実に新しい考え方だね。
散々既出(偵子内親王着裳、一条天皇元服、等々)も、全て「道長が
事実を曲げて書いたんだ」と簡単に断言できるようだし。
根拠は、「後世の定義がこうなっているから」だけのようだけど。
>>998 自分の勝手な解釈より充分信頼出来るものじゃないか
>>999 記事に書いてあることがらをそのまま書くのが「勝手な解釈」か。
実に斬新だ。
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